17 :祈るヘーゲル:2015/02/01(日) 13:46:54.14 ID:/JWko1mb
Linux MintのKDE版とxFace版をそれぞれ32/64bit版を落とし終わった。
ついでにDebian-7.8.0-amd64-DVD-1.isoを落とした。
昔WindowsMEでPlug and Playをもじって「Plug and Pray」(接続したら祈れ)という表現があった。
だが大真面目に言うと、拡張カードを買ってきてPCIスロットに挿してから祈っても遅い。祈ってからカードを買いに出掛けるべきだ。
なぜなら、たまたま予定外に買ったカードこそが自分の板/マシンに適合する事態を事前の祈りが招いてくれるかもしれないからだ。
25 :ヘーゲルの祈り:2015/02/02(月) 04:33:37.52 ID:XhnwB0BV「対話」によって「真理」の共有が不可能であるならば、一方の抱く「真理」は、もう片方に対してあくまで暴力など「力の福音」が行使されることで刻印せざるをえない。つまり「真理」とは実現しようとするならば、「他者」を尊重するといった倫理とは無関係なのであり、
本書における「倫理」があるならば、それは「真理」とは暴力とともに存在するという以上のことではない。
したがって「対話」において「真理」がなされる「他者」なき思想に対して、「物体」として女性=「真理」を扱う「強姦の形而上学」は必然的に唯物論に移行せざるをえない。
とまあ、作者が様々に「強姦」を語る裏側を読解するとこのようになるのではないだろうか。
端的にいってニーチェばりのアイロニーを使い、オリジナルとその写しがあるというプラトニズムを茶化しまくった1冊なのだが、いくらなんでもこのタイトルと内容は酷い。
原書:Eon Ekis“De L'Homme, De La Femme Et De La Violence Dans Leur Comportement Amoureux”