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優木式エンバーミング
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コトリ、と目の前にグラスが置かれたことで、初めて自分以外の誰かがいることに気づく。
PCで再生した動画を一時停止し、ヘッドホンを外す。
「珍しいな」
グラスを置いたのは、チームメイトの英玲奈だった。シャワーでも浴びてきたのはラフな格好で首からタオルを下げている。
珍しい、というのは動画のことだろうか。確かに、こういうことをやるのはツバサがほとんどだったから。
「変わったな。彼女」
なにも答えずグラスに口をつけると、英玲奈はぼんやりといった。ディスプレイには目下のところライバルであるμ'sが映っている。
その中心。つまり、センター。
そこにはおおよそアイドルらしくない、男性然とした衣装を身にまとう高坂穂乃果がいる。
浮かべる表情をどこか挑発的で、軽薄的でもある。
「……そうね」
変わった、なんてものではない。
彼女はかつて、こんな薄っぺらな笑みを浮かべなかった。もっと女の子らしい可愛い格好をして、元気いっぱいに笑う女の子だった。
それに、特徴的だったサイドテール。今はそれがなく、髪は肩口で短く切りそろえられている。
路線変更、といえば聞こえはいいが。
「英玲奈はどう思う?」
「どう、とは?」
「勝てるか、どうか」
「勝つさ」
英玲奈の宣言は気持ちの良いものだった。
私も同意見だ。そういえるだけのものを培ってきた自負がある。
なにより。
死人がセンターをやっているグループに、負けるわけにはいかないのだ。
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私が高坂穂乃果を看取った日は、まだ記憶に新しい。
その日は極めていい天気だった。空は抜けるようだったし、太陽は燦々と輝いていた。
私は久しぶりのオフで、ひとり街に繰り出していた。
流行りの服やアクセサリ。話題になっているスイーツ。アイドルショップの売上チェック。
休みの日だからこそできることを存分にやっている際、ふとひとりで歩く高坂穂乃果を見つけたのだ。
彼女は制服姿でふらり、ふらりとコンビニへ入っていった。珍しいといえば珍しい。普段の彼女を知るわけではないが、あまりひとりで時間を過ごすタイプのようには見えなかったからだ。
とはいえ、面識がないわけではない。声をかけるかかけまいか迷っているうちに、彼女はコンビニから出てきた。
持っていたのはハサミ。店先でパッケージを開封すると、そのまま自身の頭へと向ける。
「あっ」
止めなければ、と動いたときにはもう終わっていた。
ジャキリと特徴的なサイドテールは切り落とされた。理髪用のハサミではないため、その切り口は不揃いになっている。
それでも構わずに、彼女は次々に自身の髪を切り落としていく。
「ちょ、ちょっと!」
ハサミを持つ手を掴み、断髪を止める。雑に切られた髪の毛は地面に落ち、風で散らばっていく。
「……あんじゅさん?」
「な、なにやってるのよ」
酷く平坦な声だった。自分の記憶では、もっと溌剌としたものだったのだが。
「なんか、どうでもよくなっちゃって」
そこで、フ、と笑う。自嘲しているような、そんな笑い方。
「来なさい」
気づけば手を引っ張っていた。ハサミを預かり、足早にコンビニを去る。
なにもいわずについてくる高坂穂乃果を見る。あまりにボロボロな髪。どうでもよさそうな顔。
私の知るその人と、同じ存在だとは思えなかった。
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「そこ、座って」
高坂穂乃果を自宅に招き、ドレッサーの前に座らせる。床には新聞紙を敷き、彼女の首に大きいバスタオルを巻く。
霧吹きと櫛を使い髪を濡らす。不揃いな長さのそれを前に、どうしようかと思案する。
「どうして」
そこで、今まで呆けていた彼女が口を開く。視線は目の前の鏡に向けられているが……。いったい、なにを見ているのだろう。なにが見えているのだろう。
「どうして、ここまでしてくれるんですか」
「……女の子は、可愛く、綺麗であるべきよ」
スクールアイドルであるのなら、なおさら。
それに、髪は女の命という。髪を切ることを否定するわけではないけれど、こんな雑な切り方は許せない。
ひとつ息を漏らし、散髪用のハサミを手にする。他人の髪の毛を切るのは初めてだが、やってやれないことはないだろう。
緊張で震える手を一喝し、シャキリと切る。ハラリと毛先が落ちていく。
「聞かないんですか?」
「喋ってくれるの?」
「少しだけ、しゃべりたい気分です」
「なら、そうすればいいわ」
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まぁ、なんてことはない。
最初にいったとおり、どうでもよくなってしまったらしい。
例えば、なにをやってもうまくいかないとき。調子が悪いときやスランプに陥っているとき、投げ出してしまいたくなることが多々ある。
おおよその人間は、そこで投げ出さず、多少腐っても続けて、それを打開する。
それができない人間もいる。そして、けっして少なくはない。
……この話がスクールアイドルのことなのか、それとも別のことなのか。それはわからない。
語られた内容はどこか抽象的で、意図的にボカされている。まぁ、話したくないことならば話さなくともいい。
「それで、これからどうするの?」
「なにが、ですか?」
「髪、こんなにバッサリ切っちゃったら話題になるわよ。無名ってわけでもないし」
櫛で細かい毛を振り落としながら、そう指摘する。
よくない噂も広まるだろう。イメチェンで済めばいいが、それで済ませたくない人もいる。
邪推して、根も葉もない話をして、いつの間にか真実であるかのように振る舞い始める。
アイドルだといったって、結局大多数の人間にとってはおもちゃでしかない。一方的に弄んで、飽きたら捨てる。
「どうも、しませんよ。どうでもいいです」
「……そう」
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「できたわ」
髪のカットを終え、一通り櫛を通す。とりあえず、ショートカットとして見れるようにはなった。
「ありがとうございます」
「別に。好きでやったことよ」
礼をいうくらいなら、こんなことなどしてほしくなかった。
「なんか、男の子になったみたい」
言葉通り、彼女は今少年のようになっている。可愛いショートカットを作るには技術がない。
また、気だるげな表情がよりそう思わせるのだ。もとより素材は悪く無い。いつも笑顔だからこそ愛嬌が際立ち可愛さに溢れているが、こうしていれば美形なのである。
それがいいことかどうかは、わからないが。
「そう思うのなら、ちゃんとした美容院にいきなさいな。私よりは可愛くしてくれるはずよ」
「わたしはこれも好きですよ」
「物好きね」
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それから、高坂穂乃果に対する評価は一変した。
私のだけでなく、世間一般のも含めて。
彼女は以前のように笑わなくなった。依然とスクールアイドルを続けているけれど、まるで別人。
振る舞いがどこか芝居がかっていて、男性的になった。ファンは幾らか減ったあと、かなり増えた。
もう一度かつてのように。というのを、初期から応援してきた彼女のファンは口にする。
無理、だろう。おそらく、皆の知る高坂穂乃果は死んだのだ。いっときの衝動に身を任せ、私の目の前で。
もうあの輝くような笑顔は戻ってこない。
死に際に立ち会った私が、断言しよう。
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「……おい」
トン、と肩を叩かれる。英玲奈が呆れた様子で、鳴り響くスマートフォンを指差した。私のものである。少し、呆けていたようだ。
手に取り、素早く応答の操作をする。
「もしもし?」
『……あんじゅさん?』
「ああ、はいはい。いつもの場所にね」
それだけ告げて通話を切る。履歴に高坂穂乃果の五文字が追加される。
手早く帰宅の準備を整え、PCの電源を切る。
「一度帰るわね」
「ん。……呆けて事故を起こさないでくれよ」
「善処するわ」
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今の高坂穂乃果について、私たちA-RISEは否定的に見ている。
新しく増えたファンは今のほうがいいだなんていうけれど、それは間違いだ。ただ騒ぐだけの人間にとってはそれでいいのかもしれないが。
私たちのなかでも特にツバサ。彼女はμ'sのチェックすらしなくなった。もうライバルですらないといいたげで、でもどこか寂しそう。
ツバサは、高坂穂乃果のファンだった。まだ未熟だけど、それを補う魅力があると(高坂穂乃果に限らないが)ことあるごとに話していた。
いつか私たちのところまで。それが、ツバサの願いだった。
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「お願いします」
「はいはい」
少しばかり伸びた毛先をチョキチョキと切る。最近、慣れてきた。
高坂穂乃果から髪を切ってほしいと願われたのはあれからすぐのことである。
また短く、と。美容院に行けとはいったものの、これが案外しつこく折れてしまった形だ。
なぜ私に拘るのか、なんていうのはわからない。
ただ、髪を短く保つことで、死んだ状態を保っているのかもしれない。蘇生拒否だ。
死んだなんていっているけれど、所詮髪の毛で、所詮気の持ちよう。その気になれば今すぐにでもかつてのように笑えるだろう。
「私、美容師にもなれる気がするわ」
「あんじゅさんならすぐなれそうですね」
自分でいっておいてなんだが、これは無理だ。
私のやっていることは所詮おしゃれの延長でしかないし、やっているのは死んだ人間を死んだまま保っているだけ。
「髪、伸ばさないの?」
「もう、しばらくはいいです。このままで」
しばらく。都合のいい言葉だ。できることなら、私が卒業するまでにしてほしい。
それまでは続けることにしよう。看取ったものの責任として。
高坂穂乃果のエンバーミングを。
優木式エンバーミング 了
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竜頭蛇尾にほのあんみたいなのをひとつ
穂乃果になにがあったかはご想像にお任せします
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どうせなら髪切った原因もこのあとの話も書いてほしいな
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なんか不思議な雰囲気で楽しめた、乙
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雰囲気好きだった
またなんか書いてくれ乙
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