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大阪大学陸競技部 短長パート

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1 : 2019 アドベントカレンダー(12/1-)(67)
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1 2019 アドベントカレンダー(12/1-) (Res:67)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 1
1名無しさん :2019/12/01(日) 08:54:12
ここで始めます!

61松本拓馬 :2019/12/24(火) 00:23:54
間に合わなかったので明日中に書き込みます笑すみません笑


62岡崎 :2019/12/24(火) 22:03:23
12月24日
お久しぶりです。岡崎です。
ここ最近は、就職活動や投稿論文の執筆に追われていますが、元気にやっています。

アドベントカレンダーめっちゃ良いですね。毎日の投稿を楽しみにしています。
個人的には、広兼さんの「ボトムアップの考え方一辺倒だと、土台が不足しているかも過剰かもわからないままとりあえずピラミッドを建てに行くようなものです。やはり計画と言うものは、トップダウンの設計図ありきで考えるべきです。」という考え方に感銘を受けています。

さて、今回は永田さんから「現役生最後の試合の前後の試合の前後の心情の変化」というテーマをいただきました。ここではその試合を七大戦として書きますね。意外かもしれませんが、七大戦の前後で心情の変化はありません。試合前は調整して気持ちを高めて「よし!やったるぞ!」という心構えでしたが、いざ試合が終わると「あ、終わったんか。」くらいの気持ちでした。走り終わった瞬間は思うような記録を出すことができなかった悔しさがありましたが、大きく心情が変化したかと言われればそうではありません。逆に、心情が大きく変化したのは、3年生の時の大阪三大学や名阪戦でした。これらの試合は、高校生の時の記録を更新した試合です。七大戦とこれらの試合の違いは、自分が立てた目標に対してどれくらい本気でぶつかったかの違いだと考えています。僕が大学で陸上を続けた理由のひとつが、高校生の時の自分を超えるためでした。そこで、入部してからはPBの更新を目標としていました。その目標を達成するためには、高校生の時と同じような練習や生活をしていてはダメで、慣れない動きづくりや食生活の改善に取り組みました。そうした甲斐あってPBを更新できた時は、大きな充足感が得られ、陸上に対するモチベーションも高まりました。高校の時のPBを更新してからは、49秒台を目標に置きました。なぜ49秒台にしたのかというと、当時の自分にとって到達可能で分かりやすい数値だったからだと思います。(なぜその目標にしたのかを説明することは難しいですね...。)振り返ってみると、それが良くなかったのだと思います。つまり、当時の自分にとって49秒台は「目標」ではなく、いずれ到達する「予定」になっていました。そのため、PBの更新を目標にしていた時に比べて視野が狭くなり、目の前の練習をこなせば達成できるだろうと考えていました。そうすると、目標に対して行動することを怠ってしまします。

話がテーマから逸れてしまいましたが、大阪三大学や名阪戦で喜びや充足感が得られたのは全力で目標にぶつかったからです。アドベントカレンダーの序盤で西田が目標に関して述べていますが、僕も目標は高く持つべきだと思います。そして、目標を立てて満足するのではなく、常に目標を見つめ直す機会を設けることが大切です。当たり前のことかもしれませんが、僕はそれができていませんでした。なので、これが今回のテーマに絡めて僕から伝えられることです。永田さん、こんな感じでいかがでしょうか。

この考えは就職活動をしていて気づいたことではありますが、YouTubeでキングコング西野さんが似たような話をしていました。暇な方は見てください。【「昨日より進んでいればいい」というわけでもない】で検索すると出てきます。※ステマではありません笑


63松本拓馬 :2019/12/25(水) 15:00:08
お疲れ様です。遅くなってしまいました、ごめんなさい。もうクリスマスになりアドベントカレンダーもそろそろ終わっちゃいますね。なかなかの神企画でした。強くて考えてる選手の考えが知れるだけでなくて、この人意外にこんなこと考えててんなーとか1年生の恋愛歴は悲惨やなーとか色々知れたと思います。何よりもこういう企画で話そうとすると自分の考えを見つめ直しますよね、自分の浅さに気づいた人も多いんじゃないでしょうか。僕もその1人です。
先輩たちの文章は参考になるものばかりで、プレッシャーがかかりますが自分らしくゆるくいこうと思います。まずは僕の経歴を簡潔に笑
阪大陸上部に入部した理由はなんだかんだ陸上から離れられなかったことと割と宮滝(1年生は知らない香川のスピードスター)と気が合いそうだったことと佐藤さんとの握手(全く覚えてないらしい)でした。
1、2年は怪我ばっかで走練した記憶がほぼありません。ちなみに怪我で落ち込んで授業全然出なかったらGPA0台叩き出しました笑2年の冬は神経痛がトドメになってお休み。この2年はかなり苦しくて七大戦も関カレも全くノリきれなくて、楽しかった思い出は何もありません。唯一得たことといえば井筒さんと仲良くなったことですね笑
3年生になって今の1年生と同時に戻ってきました。今まで走れなかった分1試合1試合が本当に楽しくて、先輩たちとマイルも走って本気で悔しくて泣いてやっとみんなと心が繋がったような気がしました。
僕がここまで感じるようになったのは、先輩の存在が大きいです。特に佐藤さんはいつも僕に期待してくれて熱い考えもよく話してくれました。その期待にこたえたい、この人と一緒にマイル走りたい、割とその一心でシーズン過ごしてました笑先輩たちが引退していく中で寂しさと目標を失った感じがして、凄まじい喪失感でしたが、これまでも語り継がれてきた熱い思いを伝えて、次は自分がこの人と走りたいと思われるようになりたいと考えています。
思ったより文章にするのは苦手だったので、短いのに時間がかかってしまいました笑直接話す方が得意なので話しかけてください。熱く語ります。

大川内からのテーマは「根性論」。年末合宿は毎年根性練みたいです。たまにはいいんじゃないでしょうか笑

さてさて、まだたかけんが投稿してなかったので安心しました。みんなたかけんがトリだと思っていませんか?短長のメンバーはまだいますよね。ということで小川へのテーマは「短長の愛を感じた思い出話」でお願いします笑難しかったら陸上の話、近況報告なんでもいいよ!


64高原 :2019/12/26(木) 01:07:18
12月25日
お疲れ様です。髙原です。すみません。少し遅れてしまいました。アドベントカレンダーも終盤になってしまいました。読んでいる中で他の人が普段語れない陸上についての事、陸上についてためになることを勉強することができました。一番勉強になったのは佐藤さんのアドベントカレンダーの第3章です。その種目を参考にして体をほぐしていると動きがよくなっているような気がします。(実際によくなっているのかはわかりませんが…)

細野からのお題は「記録につなげるために、今生活の中で大切にしていること」でしたね。お題をもらってから考えてみたけれども、コレ!といった物がどうしても思い浮かんできません。多分僕が遅いのってこの辺の意識の差も関係しているんでしょうね…年末年始のうちに考えてきます。
でも、強いていうなら直接陸上だけに関係しているわけではないですが、「自分の体を大切にする」ということです。
僕の通っていた中学・高校は宗教系の学校だったので泊りの行事でご飯を食べるときに食前訓と食後訓を唱えさせられます。その食後訓で「体の丈夫を願え。体を作れ。何事も体がもとなり。」と唱えていました。中高校生の頃はあまりそれについて考えたことはなかったのですが最近になってふと思い出した時に、確かに何をするにも、少なくとも体がしっかり整っていないと他の全てが揃っていたとしても力を発揮することができないと納得することができました。
多分宗教の内容なので日常生活する意味で体が大切ということだと思うのですが、僕は陸上の中でも体は大切だと思います。(当たり前のことですね。)
怪我をしていたら練習を積むことができないし、筋肉が足りなかったら技術があってもどこかで限界が来るはずです。(僕はどちらもないのであっているのかどうかわかりませんが。) 冬季練習をちゃんと積むため、また練習したことを無駄にしないために今まで以上に上のことを気を付けます。(当たり前のことだらけですが。)
お題についての回答はここまでにします。当たり前のことでごめん。

ここからただの自分語りなので読まなくても大丈夫です。
早いもので僕の現役生生活も半分過ぎていきました。大学に入って陸上について少しまじめに考えるようになって(といっても知れていますが)何とかベストを更新することができました。しかし、京阪神で不甲斐ないところを見せてしまって、自分は勝つことはおろか勝負の舞台に立つことすらできていないということを痛感させられました。あの時は迷惑をかけてしまってすみません。
思い返してみれば僕、本当は高校までで陸上はやめる気でいました。
でも今陸上を続けているということは転機があったからです。
高校最後の県総体、個人種目は実力通り予選落ちして、マイルが負けたら引退という状態でした。その時僕は400mが5番手で予選要員でした。予選は他の3人のおかげで順調に通過し、決勝僕は走れなかったのでマイルを応援することしかできませんでした。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


65小川彩恵① :2019/12/26(木) 17:05:56
アメリカからこんにちは。お久しぶりです!小川彩恵です。時間が過ぎるのは早く留学がスタートして1カ月半が経ちました。Christmas はどう過ごされましたか?

みなさんのアドベントカレンダーこっそり見ていました。陸上そのもののことだけでなく、普段の生活に繋がることも書かれており、先輩から後輩までみんなの考えが共有できる素敵なイベントだなと思って楽しませてもらっています。
私は書かなくていいと安心していたら、書いてほしいとの言葉を掛けてもらったので….もう25日は過ぎていますが、おまけくらいの感じで読んでもらえると嬉しいです。(ちなみにシアトルは日本と19時間時差があるのでまだこちらは25日の夜です!)

まず近況報告から。
私は現在アメリカの北西部ワシントン州シアトルにいて、11月から6月まで7カ月半の留学中です。
出発日11月16日日本時間18時、機内を見渡しても日本人らしき人は誰もいない。隣の人に話しかけられたけど、アクセントが強く速すぎて何を言ってるのか分からない。こんなんで7カ月もやっていけるのだろうか…それまではあまり感じなかったけど、色々な不安や心配が頭の中を駆け巡り全く眠れなかったことを今でも鮮明に覚えています。(朝ご飯で吉野家の牛丼が出たのですか、緊張と日本時間午前1時だったのもあり、全然食べられませんでした笑)

最初の方は友達作りにも苦労しました。もっと話したいし伝えたいのに上手く伝えられない自分に苛立ちを感じたり、奥手になってしまうことも多かったです。自分の意見や気持ちを言わないと名前すらも覚えてもらえないし、文化や母語も違う新しいコミュニティにおいてもっと能動的にならないといけないと改めて感じました。

今では1カ月半が経ちだいぶこちらでの生活に慣れてきたように感じます。新しい娘と呼んでくれる優しいホームファミリーや、刺激をもらえる愉快なクラスメイトや先生のおかげで楽しい生活を送れています。そして先週の金曜日で授業は終わり今は2週間の冬休みです✌️

最近思うこと
アドベントカレンダーを書いてほしいと言われてから、陸上で学んだことが今の生活にどんな風に役立っているかを考え始めていました。思ったことをちょっとだけ。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


66小川彩恵② :2019/12/26(木) 17:07:02
短長の愛を感じた思い出話。
私は日記を付けているのですが、そこにはその日にあった嬉しかったことや、楽しかったことを綴っています。その多くが短長のみなさんのことや陸上のこと。愛を感じた思い出はたくさんありますが、やっぱり印象に残ってるのは自分が苦しいときにしてもらったことです。

特に2月に怪我をした時短長のみなさんが大丈夫かと声を掛けて心配したり気遣ってくれました。それだけでなく私専用にメニューを作ってくださったり、これしたらいいと思うでとアドバイスをしてくださったり、話を聞いてくれたり…。その言葉に何度も励まされました。また怪我後初めてUBを出したときにはおめでとう!って多くの人に言ってもらい嬉しかったです。
短長の良いところの一つは1人1人のメンバーを大事にし、気にかけていることだと思います。先輩も後輩も仲が良いからこそ、お互いの為にアドバイスをしたり、大丈夫かなど気遣いの言葉が気軽にかけられるし、喜びを分かち合える。たしかに陸上はタイムでその人の持つ走力が分かってしまうけれど、全員に個性があって、自分も短長の一員だと感じさせてもらえる気がしていました。

松本からのお題ですが、こんな感じでいいでしょうか…笑 もっと言いたいことはあるのに曖昧で上手く書けなかったけど、これは英語の使い過ぎて日本語忘れかけているということにしときましょう笑

最後に
日本が恋しくないの?と聞かれて恋しくない。ときっぱり答えるのは嘘になる気がします。練習もそれ以外の時間も楽しくて日本での生活が充実していた分、たまに寂しい気持ちになることもあるし、写真や自分のインスタのストーリーのハイライトも何度も見返してしまいます。でもなりたい自分になるために来たし、目標もあるのでまだ帰るわけにはいきません。
もらった手紙やプレゼント、まゆちゃんが作ってくれたアルバムのメッセージを見返していつも元気をもらってます!

今までは語学学校に行っていたのですが、1月からはいよいよアメリカのカレッジに行きます。また新しい環境で、レベルも格段に上がるとは思うけれど、とてもワクワクしています。

冬季練は長くて、冬のすいらんは凍えるほど寒いし志賀パート長もハードなメニューを立てると思うけど、挫けそうなときは自分が目標を達成して、みんなと喜び合ってる姿を想像してみてください。また少し力が湧いてくるはず…!
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


67延安美穂 :2019/12/29(日) 11:15:55
你好。お久しぶりです。延安美穂です。みなさんが元気にしてそうでなによりです。私も元気出ますし元気です。^^このカレンダーは七海ちゃんとまゆが常に送ってくれてて、全部読ませてもらっています。それでは、タカケンからのお題「陸上を始めて自分の中で変わったこと」に沿って書きたいと思います。

1、陸上を始めて
だいぶ遡りますが、私が陸上を始めたのは小学校五年生のときです。歩けるようになった位からずーっと水泳を習っていてその施設の中に運動場があってクラブがあったので週一で始めました。その前から小学校の運動会が好きだったので。男子しかいないクラスリレーのアンカーとかやってみたり駅伝にも出てみたり(長距離は物凄く苦手)。そして中高一貫に入るとき、武庫女か三田学園という選択肢を得ます。最初は武庫女の最新屋根付き温水プールで水泳をやるつもりだったのが、塾のおばちゃんの一声で、共学の三田に入って、そして水泳部女子入れんって知って(実は何回か友達と抗議しました)陸上部に入りました。
中学の頃はそれこそ武庫女出身の若い先生がゆる〜く教えてくれて私は四種の選手をしていました。毎日朝練で高跳びとかしてました。
高校に入ってからスパルタでどんどん人も減って最後には短距離女子2人だけになりました。倒れるまで走って毎週吐いて先生はやっとニンマリして明日はエンドレスリレーだと言います。顧問は「ぼけぇ!」が口癖でした。(※良い先生です)私は100、200専門にしていたつもりが、400が得意になっていました。マイルに力を入れるチームだったからです。

大学に入って陸上やるかまた水泳選ぶか悩んでましたが、水泳部は毎日朝練でしたので。ははは
最初中国語専攻は厳しいから体育会はダメと言われてましたので決め手は畑中さんが北京でも陸上をしていたということを入部前に知ったからかもしれません。ははは
理由は色々ありますが、マイルを走りたいと思ったからです。(詳しくは昨年度満点下冊子参照)
そして、毎週エンドレスリレーがないと知ったからです。ははは

つまり私は昔から陸上をしながらどの時期もやり方とか想いの異なった陸上生活をしました。総じて言えるのはいつの陸上も私の青春の主役で。
なにかの場面でふと走馬灯のようにそのときの情景が思い出されてその時に戻りたいと思って涙ぐましいのです。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


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