- 1 名前:ノリー★ 投稿日: 2004/07/22(木) 20:56 [ Tfc.V9c85d3.rppp.jp ]
- 漫才の星セントさん死去
「田園調布に家が建つ!」などの強烈なフレーズで人気を呼んだ元漫才コンビ、セントルイスの星セント(ほし・せんと、本名村山袈裟夫=むらやま・けさお)さんが、22日午後0時28分、肺がんのため東京都世田谷区の病院で死去した。56歳だった。長野市出身。自宅住所は公表していない。告別式は28日午前10時から東京都大田区東海1の3の1の臨海斎場で。喪主は妻キミエさん。 セントルイスは1973年に結成。セントさんが機関銃のようなトークを相方のルイスさんに浴びせ掛ける独特のスタイルと、社会風刺の利いたネタで、70年代末期の漫才ブームの先駆けとなった。その後は、映画や舞台で俳優としても活躍。2年前に肺がんで摘出手術を受け、コンビを昨年解消していた。
- 87 名前:ノリー★ 投稿日: 2005/07/19(火) 06:08:11 [ Tb4.V9d85d3.rppp.jp ]
- らしいです。
- 88 名前:名無しさん 投稿日: 2005/09/08(木) 12:06:04 [ y066039.ppp.dion.ne.jp ]
- 車の中に死体が。
幌○のある場所で、死後4ヶ月たった死体が発見された。
- 89 名前:名無しさん 投稿日: 2005/09/08(木) 12:08:55 [ y066039.ppp.dion.ne.jp ]
- 4ヶ月前から捜索願が出ていた○海町の人か?
- 90 名前:名無しさん 投稿日: 2005/09/09(金) 18:58:34 [ N041221.ppp.dion.ne.jp ]
- 訂正−死後4ヶ月は、一週間程に訂正します
捜索願いは4ヶ月前から出ていたそうです。
年齢は60代です。
- 91 名前:名無しさん 投稿日: 2005/11/06(日) 16:48:02 [ Tb2.V9885d3.rppp.jp ]
- 「1986年のマリリン」などのヒット曲で知られ、ミュージカル女優としても活躍した歌手の本田美奈子(ほんだ・みなこ、本名工藤美奈子=くどう・みなこ)さんが6日午前4時38分、急性骨髄性白血病のため東京都内の病院で死去した。38歳。東京都出身。葬儀・告別式は9日午前10時から埼玉県朝霞市溝沼1259ノ1、朝霞市斎場で。葬儀委員長は高杉敬二BMIエグゼクティブプロデューサー。喪主は母美枝子(みえこ)さん。
1985年に「殺意のバカンス」でデビューし、「One way Generation」「孤独なハリケーン」など実力派歌手として数々のヒット曲を出した。92年にミュージカル「ミス・サイゴン」の主役の座を射止め、以後、数々のミュージカルに出演し高い評価を得た。
- 92 名前:名無しさん 投稿日: 2005/11/07(月) 06:22:38 [ Tb2.V9885d3.rppp.jp ]
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61年ぶりに将棋界の重い扉を開いたのは35歳の会社員だった――。1944年以来の実施となった将棋プロの編入試験。アマ強豪で会社員の瀬川晶司さん(35)が6日、六番勝負で3勝目をあげ、プロ棋士四段の資格を獲得した。
午後5時51分、対戦相手の高野秀行五段が投了を告げると、将棋の取材では異例ともいえる29社の取材陣が一斉に対局室になだれ込んだ。目を真っ赤にした瀬川さんは「まだ(プロ入りの)実感がわかない。勝ててうれしいです」と話すのがやっと。
2勝2敗で臨んだ第5局。後手番となった瀬川さんが、得意の「中座飛車」戦法を採用。飛車角が飛び交う空中戦となり、形勢が二転三転した。慎重な棋風の瀬川さんは5局連続して秒読み将棋に追い込まれながらも、最終盤は的確な指し手を続け、プロの座を手中にした。
終局後、記者会見した瀬川さんは、「今まではプロ試験にいつも追われている気持ちだったのでほっとした。温泉にでも行ってのんびりしたい」と話した。
一方敗れた高野五段は「プロとしての責任を感じるが、精いっぱい指したので悔いはない」ときっぱり語った。
将棋連盟に棋士の兼業を禁止する規定はないが、瀬川さんは現在勤務している会社を退職して将棋に専念することになりそうだ。
試験規定によって、瀬川さんは名人戦の予選を除く9つの公式戦に参加できるが、今後10年間のうちに規定の成績を上げないと公式戦の参加資格を失う。
- 93 名前:<削除> 投稿日: <削除> [ <削除> ]
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