- 1 :名無しさん :2014/12/09(火) 01:16:55
- 人生の重要な分岐点にたたされてるなう
- 15 :名無しさん :2014/12/09(火) 01:50:53
- それからしばらくしてぼろアパートからアパートへ引越しした
前のアパートは雨漏りしたりねずみが出たりと色々あって引っ越したらしい そしてその近所に私ののちの親友となる子が近くにいたわけだがそこは(ry
引っ越し先のアパートの住人は一人しかいなかった その一人は飲み屋で飲んだくれているようなそんなおばさんだった
- 16 :名無しさん :2014/12/09(火) 01:55:12
- そんなおばさんのせいか祖母は夜に私を置いて
飲み屋に行くようになった
母と一緒に暮らしている頃は母が働いたお金で生活していたが 離れてから母からお金は来ないうえに飲み屋で何万も使っているものだから ご飯が満足に食べられなかった 夜にドンドンとドアを叩いて私の苗字を呼びながらお金を請求する 飲み屋の人の声がすごく怖くて布団に潜って耳を必死に塞いでいた
- 17 :名無しさん :2014/12/09(火) 01:59:12
- なんで母がいないのに生活しているんだろうと不思議に思いつつ生活をしていた
夜ご飯がご飯だけのときやましてやご飯すらなくてただ味噌を溶いたお湯が置かれて 晩御飯と言われることもあった (祖母はご飯をまともにたけないぐらいにはメシマズ)
ひと月の中で一週間は給食でなんとか生きていたと言っても過言ではなかった
- 18 :名無しさん :2014/12/09(火) 02:02:20
- 母は同じ町内にいたのでたまに泊まっていたりした
そして母は私が十一歳の時に妹を産んだ
私は母と一緒に住みたかったけど自分の状況も言えなかったし 義父がどうしても苦手だった
- 19 :名無しさん :2014/12/09(火) 02:05:46
- 義父は他人への態度が悪い人だった
よくお店の店員に対する態度で〜というので 思い切りアウトな人だった
あと子供部屋にアダルティーなDVDがあったから 子供ながらにドン引きした
- 20 :名無しさん :2014/12/09(火) 02:08:21
- 母は妹を生むまでは正社員として某携帯ショップに働いていたが辞めた
その後は専業主婦だった 母の勤めていた会社は私のアパートの近くにありよく会っていた
辞めてからは妹を預けに来る時しか合わなくなった
- 21 :名無しさん :2014/12/09(火) 02:09:03
- 続きは今日寝て帰ってきてから書きます
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