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創価学会、及び沖浦教に於ける非一貫性の問題
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戸田氏の御発言に
「前に言っていた事と後に言っている事が違う宗教は邪教だ」
というものがあります。
邪教だ、とまではしなくても、やはり法門がコロコロ変わるようでは、何かその宗
教について不審をもたれても仕方ないでしょう。
是は教義でも法律でも会社の方針でもそうなのですが、道理を保とうとするのであ
れば、ある程度の一貫性が必要になってまいります。
・同じ宗教のはずなのに、十年前の教義と五年前の教義、そして現在の教義とがそれ
ぞれ違うのであれば、それは一体いかなることか?という気がいたします。
・或いは、師匠は●●こそが本尊である、とか、●●は邪教だとしていたのに、弟子
の代になると●●は本尊ではない、だとか、●●も認めよう、という事になると、
本当にその弟子は師匠を継いでいると言えるのか、そういう疑問が生じてきます。
・若しくは、或る宗教が●●を聖典と置く、としながらも、その宗教の教義が●●に
大きく違背しているようなものであれば、やはり何かおかしいと言えるでしょう。
(例によって皆様のご意見、歓迎しております)
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さて、創価学会について言いますと、第一番に創価の現在の法門が明確には示され
ていないという問題がありますが、少なくとも純粋なる日蓮正宗という訳ではなさそう
です。となると、1990年くらいまでの純粋なる正宗であった時期は、一体何であったの
か、という事の釈明が必要でしょう。ただ破門されたから正宗を捨てました、ではあま
りに短絡的です。
亦、牧口、戸田両会長は、純粋なる正宗門徒でした。ところが、その弟子を名乗る池
田氏や、現代の学会運営部が牧口氏や戸田氏の御遺命を見事なまでに裏切ってい
るのであれば、はてさて純粋な弟子だと言えるでしょうか。師匠の心、弟子知らずで
はないでしょうか。
更に、創価学会は御書を聖典と置いているかと思われますが、御書から逸脱、違背し
てしまっている部分も幾らかあるかと存じます。大御本尊や唯受一人血脈の話は、御
書には分明ではありませんので、此処では扱いませんが、池田氏の行動を見ていま
すと、どうも御書とは離れているようです。
御反論は山と来そうですが、まあ創価の非一貫性につきましては、一先ず置きたいと
思います。その前に「厳虎独白」コメント欄にて議論の途中であった、沖浦教の非一貫
性について議論続行をしてみたいと思います。
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私は、厳虎独白のコメント欄にて、以下のように書きました。
>とはいえ、沖浦教の破析は難しくても、次の二点に於いては絶対に勝てると考え
ている。即ち、「大聖人は何より謗法呵責、除去を説かれていた」「牧口氏も戸田
氏も往時の学会も間違いなく正宗であった」という二つの真実を以て、御書を聖典
とし三ヶ代会長を聖人と位置づける沖浦教を破析できるのだ。逆に、是以外の点で
は非常に難しい。
然るに、是は「三代会長を聖人と位置づける」事そのものを非難しているのではあ
りません。まあ、御書にそのような聖人、乃至大聖人の御再誕が七百年後にお生ま
れになる、とされた記述がないのですから、是自体問題だとは思いますが、聖人の
定義如何で亦もめそうでありますので、此処では此の事自体については論難しない
ものとします(書き方が生意気ですみません)。
私が上で問題(明らかな教義上の欠陥)としましたのは、非一貫性についてです。
沖浦殿の教義では、牧口会長も戸田会長も聖人です。つまり、正しい事のみを指導
する正しい師匠であった、という事だとお見受けします。ところが、同時に沖浦殿
の教義には正宗は邪教、大御本尊は偽物、血脈も嘘、謗法払いも禁止、国教化など
もしない、国立戒壇も目指さない、ともあります。宗祖本仏論さえ疑わしく、国家
諌暁もしない…。此処まで正宗と相違があれば、全く別個の宗教だと言えるでしょ
う。ところが、牧口氏や戸田氏は戦前、戦中、戦後と正宗信徒であるという自負と
誇り、自信を持った方々でして、戦前には国家諌暁を行い、苛烈な謗法払いや謗法
呵責を行い、戦後も国教化と国立戒壇建立の為に政治進出を志向し、大御本尊や血
脈を第一と考え身延と法論を行ってきました。牧口氏、戸田氏は生前一度も、正宗
は方便だとか、いずれ時期が来れば捨て去るべきものだとは御指南されていません
でした。
にも関わらず、沖浦殿は上記のような教義を立てなさるというのであれば、三ヶ代
会長は皆聖人だと看做す沖浦殿の教義と真っ向から矛盾するのではないでしょうか。
つまり、牧口氏と戸田氏を聖人とする教義と、正宗を邪教、謗法呵責をしない、国
立戒壇も目指さないという教義とは両立しない、と主張したいのであります。
亦、御書を聖典と置くのであれば、御書には何より謗法呵責、除去が再三説かれて
いた訳ですから、是を否定する教義を立てる事は、聖典と矛盾してしまうという事
にもなる訳です。大聖人の弟子である事を掲げ、御書を聖典となさる教義であるな
らば、其の教義全体も御書に書かれた大聖人の御指南と矛盾してはならないと思わ
れます。
-
おはようございます。
勝さん、質問いたします。
開祖以来、全く教義に変更がない宗派をあげて下さいませ。
私はそう言うものを知りません。
どういう教えも時代に影響されます。
ですので、教えは必ず変化致します。
貴方が非一貫性がない事はダメだといわれるなら、全く変わらない宗派を列挙できますか?
日蓮正宗だって凄く変化していますし、顕正会もそうです。
他所が変化することは良いが創価学会はダメ。
これはただの言いがかりに過ぎません。
では、返答をお待ちいたします。
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>牧口先生も、戸田先生も日蓮正宗であった。
>
>それはそうですが、そういう事を拠り所とするなら、大聖人も真言宗であられま
した。
>
>若き日の大聖人は、清澄寺にて本尊の虚空蔵菩薩に
>
>『幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云く日本第一の智者となし給へと云云、
』
>(善無畏三蔵抄)
>
>と祈願され、鎌倉、比叡山、高野山などに遊学し研鑽に励まれました。
>
>清澄寺は天台宗で、中身は真言宗。
>すると、大聖人仏法の本尊は虚空蔵菩薩ですか?
>宗旨は真言ですか?
>
>これらは立宗までの仮のお立場です。
この様に教授の豊富な知識を出されると、此方も弱い面がありますが、やはりどう
も此の話は誑かしのような気がしてなりません。
大聖人は立宗宣言をなされるまで、一度も「是こそ我が教え」とされた事はなかっ
たかと思われます(まあ、大聖人の若年をずっと上から監視していた訳ではありま
せんが)。是が第一点。
初めは真言化した天台宗で行学二道の修行をされていたかも知れませんが、比叡山
にて学ばれる内に天台宗の本当の教えは真言化する前のものである事に気付かれ、
法華経を第一とする法門を伝教大師や天台大師の書物から発見されたものと思われ
ます。そして、下山し、立宗宣言をされる頃には粗々法門は定まっていたものでし
ょう。そして、此の時より御入滅まで大聖人は根幹的な教えは一切変えられていま
せん。
龍ノ口の法難を機に発迹顕本をされ、御本仏としての自覚に立たれ、一念三千、御
題目、文字曼荼羅等をいよいよ佐渡の地で御顕しになられて御法門の完成と相成っ
た訳であります。此の辺りは顕正会の教義なので、或いは創価学会の教義とは異な
るやも知れませぬが…
さて、大聖人は其の御入滅の時まで、先の完成を見た御法門を一切違える事はあり
ませんでした。詰まり、佐渡の地にて顕された御法門を、という事です。是が第二
点。
-
他方、牧口、戸田両氏の場合はどうでしょうか。両氏はもともとは正宗の方ではあ
りませんでした。無宗教であったか、或いは家伝の宗派を其の侭踏襲されていたか。
然るに、正宗に目覚めてよりは、正宗こそ唯一正しい教えだと明白に断言せられま
した。是が第一点。
そして、其々、御臨終に至るまでも一切、其の信教を違える事はありませんでした。
従って両氏の葬儀も亦、正宗のものとして執り行われました。是が第二点。
という事で、大聖人も牧口氏も戸田氏も、確かに初期は法華の行者ではなかった訳
ですが、ひとたび法華の行者となられてからは、其の正当性を公言して憚らず、生
涯其れを貫き通された訳です。
にも関わらず、大聖人を根本とされ、更に牧口、戸田氏をも聖人と置かれる沖浦殿
が、正宗は邪教という事になりますと、まことに妙な事であります。
>創価学会は破門によってめでたく新興宗教とて立宗を遂げました。
>
>ここを間違うと現実を見失いますよ。
亦、池田氏に関して言いますと、当初は正宗でも何でもありませんでしたが、誰か
学会員の折伏にあい、正宗信徒となった訳ですが、次第に正宗に対する確信を深め、
いよいよ会長ともなった砌には、間違いなく正宗を唯一絶対の教えだと自他共に認
めていた事は間違いない事です。にも関わらず、後に法主と喧嘩別れをしたが故に、
突然、正宗は邪教、という事になったのでありますが、世間では普通、そういう人
を変節漢と呼ぶのであります。果たして宇宙の真理、成仏の理は池田氏の胸三寸で、
あっちが正しくなったり、こっちが正しくなったりとせわしなく変化するものであ
りましょうや。
そして、池田氏に率いられた現代の創価学会も亦、当然の如く池田氏と同じように
会として多大なる自語相違を展開してしまっている訳です。
少なくとも、池田氏や現在の創価学会の自語相違は大聖人が真言の色合いの濃い寺
で修行の事始めをなされた事とは比較にならないでしょう。池田氏も創価学会も、
大聖人で言われるところの「立宗宣言」や「発迹顕本」を済ました後に、晩年あた
り(例えば鎌倉帰還後や身延入山後)で突然、法門を劇的に変化させてしまった、
という事になる訳ですから。
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顕正会さんへ、横入り失礼します!
私は、貴殿が沖浦氏を破折しようとしている理由がイマイチわかりません。まぁ、創価学会自体を破折しようとしている顕正会員ならわかります。しかし、沖浦氏自体を破折して顕正会に何の得があるのでしょう?
貴殿が、創価学会員で沖浦氏を排除しようというのなら話は別ですがね。
また、顕正会が創価学会を破折しようとしても多分、不可能だと思われます。なぜなら、浅井会長も言っていることがコロコロ変わっていますよね?
例)「日顕の血脈肯定派」→「断固否定派」や、予言を言ってノルマを立てるも、的中しないなど。
結局は、"時の流れ"だと思います。その点、私は沖浦氏に賛成です。なぜなら、日蓮大聖人も、佐渡前と佐渡後で教義を変えられていますし、釈尊も小乗や大乗などで教義を変えられています。つまり、重要なのは『今、現在どうなっているのか?』です。現在の創価学会と現在の顕正会と現在の日顕宗、それぞれを比較すると私はやはり創価学会でよかったと思うわけです。
「今」の教義で沖浦氏と対話することが、最も重要です。
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>顕正会さんへ、横入り失礼します!
どうぞどうぞ、是非、ご参加ください。
>私は、貴殿が沖浦氏を破折しようとしている理由がイマイチわかりません。まぁ、
創価学会自体を破折しようとしている顕正会員ならわかります。しかし、沖浦氏自
体を破折して顕正会に何の得があるのでしょう?
先ず、「顕正会に何の得がある」かといった発想が当方にはほぼ全くありません。
顕正会など、正法を広める為に存在する機関であって、顕正会の為に正法があるの
ではありません。従いまして、其れが弘通の為であるならば、弊会がどうの、とい
う事は二の次、三の次です。まあ弊会が攻撃されているのを見れば、個人的感情か
らもそちらを優先して反論したくはなりますが、重要なのは「正しい仏法を見極め」
「他者にも正しいと思われる仏法を示し」「以て自他共に成仏への可能性を高める」
という事です。
換言しますと、我々が考えるべき事は、上長や組織が自分をどう評価してくれるか
(入会者数とかで)、という事ではなくて大聖人がどう評価して下さるか、という
事ではないかと思われます。現時報酬と言いますか、功徳という話に落とし込んで
も、是によって我々の功徳の大小も決まるのではないでしょうか。
私は別に相手が創価学会広宣部でも会長でも一般会員でも構いません。まあ、広宣
部や会長を破折した方が効果は大きいでしょうが(となると功徳も…?)。亦、創
価ではなく対論相手が沖浦殿や沖浦教の方でも問題ありません。ローマ法王でも一
キリスト教徒でも他の一切の何教でも。ただ、厳虎独白ブログで沖浦殿と知り合っ
て、その縁あって此処のブログに来させて戴いたので、係るブログでの議論の続き
という事もあって、沖浦殿と対論をやっているだけです。現在のところ、私との法
論に付き合って下さっている方が沖浦殿ですので、沖浦殿と主に法論をしていると
う次第です。ですから、誰か創価の方が私と論を始めるならば、今度は創価の教義
について主に論じる事になるでしょう。
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それと、私が沖浦殿と法論を続けている理由は、沖浦殿の理論が面白いからです。
私は長らく顕正会に居て(現在も居ますが)、亦、昨年の十一月から法華講の人
とも法論を始めましたが(ネットでは此の次第ですが、対面上ではもっと前から
法華講や創価の人を折伏してました)、今まで沖浦殿の提示されるような法門に
出会う事がなかったので、大変興味を持っています。沖浦殿は結構論理的ですし、
凄い精力の持ち主であり、礼節もあって、勇気というか心意気のある方だと思っ
てもいるので(実際にお会いした事はありませんが)、そういう意味でも。
亦、当方は自分の考えに結構自信を持っていますが、いつ何時魔に入られるか判
らない、こうして書いている最中も、もう心は魔の住処かも知れない、自分の信
じる教義も間違いかも知れない。然るに、一つ間違えば地獄行きであるかも知れ
ない事を思うと、やはり法論によって自らの誤りがあれば其れを他者様に指摘し
てもらって、自己確認や自己修正を絶えずして行きたい、という動機もあります。
御書を読んでいても、自問自答していても間違える可能性は大いにある訳で、で
きれば違う組織、違う思想の人と対話する事で、考えを磨いて行きたいと思って
いる訳です。「仏法と申すは道理なり」ですから、道理を尽くして論じ合えば、
どんどん正しい方へと導かれて行く筈です。大聖人の仏法は人の理性に重きを置
いたものであり、誰某他人を絶対視し盲目的に信じる事を良しとしない法門であ
るかと存じます。
私が、謗法払いの尺度、是非について広くご意見を求めたのも、其の為です(御
返礼が遅くなりましたが、係るスレッドでは御返答ありがとうございました)。
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トレ太郎殿 (続きです)
>貴殿が、創価学会員で沖浦氏を排除しようというのなら話は別ですがね。
うーん…。むしろ創価学会員が沖浦殿を排除しようとする理由がイマイチ判りませ
ん。沖浦殿は創価の番を張って、法華講の面々とも対戦をなされてきた猛者ですし、
その様な創価にとっての英雄を創価学会員が排除するというのは是如何に?
亦、私は池田氏を非難する事も多いですが、お見受けしたところ、そのような学会
員は少ないのではないかと思われます。
まあ、創価学会員と一口に言いましても一千万人以上居る訳ですから、様々な人が
いて当たり前ですが。亦、沖浦殿の法門はやや独特なので、其の面で憎らしく思っ
ている学会の方もおられるかも知れませんね。
「国立戒壇否定」是はもう学会の宗是のようになっているので、反対する学科員は
ほぼ皆無でしょう。「大御本尊否定」会則変更にて此の御本尊は受持の対象とはし
なくなったようですが、否定まではしていないとの事なので、此処に摩擦があるか
も知れません。とはいえ受持の対象としない存在なので、偽物でも本物どちらでも
よし、という会員の方が多いかと。「戸田氏、大聖人御再誕論」是は「ちょっと、
それは沖浦さん言い過ぎですよ」と言う学会員は多いかも知れませんが、内心では
嬉しい人も多いのかと思います。
「血脈否定」是については、日顕上人への血脈否定ならば喜んでそうする学会員も
多いでしょうが、そもそも唯受一人の血脈なんてない、とまでなると、日興、日有、
日寛上人等も否定せねばならなくなるので、抵抗のある学会の人も多いかと。「宗
祖非本仏論」及び「キリスト教等の容認」此処まで来ると、学会員の中にも、何を
言っているんだ!けしからん!という方も増えるかと思われますので、まぁ、学会
の為に闘う沖浦殿であっても、是を排除せんとする学科員が居られても不思議では
ないのかも知れません。
亦、熱心な戸田氏支持者であるが故に学会に籍を置いているが、池田氏はどうにも
気に食わないという学科員も中には居るかも知れません。一口に学会と言っても色
々と複雑なのかも知れません。まあ私には詳しい事は判りませんが。
-
これで同じ質問が二度目です。
勝さん、質問いたします。
開祖以来、全く教義に変更がない宗派をあげて下さいませ。
私はそう言うものを知りません。
どういう教えも時代に影響されます。
ですので、教えは必ず変化致します。
貴方が非一貫性がない事はダメだといわれるなら、全く変わらない宗派を列挙できますか?
日蓮正宗だって凄く変化していますし、顕正会もそうです。
他所が変化することは良いが創価学会はダメ。
これはただの言いがかりに過ぎません。
では、返答をお待ちいたします。
-
顕正会員さん、ありがとうございます。
では、なぜ貴殿は沖浦氏と対論されているのでしょう?
「面白いから」ですか? 対論というのは、ディベートですか?勝ち負けの議論だけにこだわって、ディベートするなら対論なんて無意味です。対論の目的は、相手を救ってあげる(
若しくは、救ってもらう)ことでしょう? ディベート目的で対論しているのなら、日蓮大聖人を知らない第三者から見ても"異様"と思われて終わりです。
それをやっているのが、顕正会である。ということを貴殿が自ら証明していいんですか?まともな宗教なら、御本仏の法義を片手に議論を楽しむ。こんなけしからんことしませんよ。 広宣流布のために、もったいなくも日蓮大聖人のお名前を使わせていただいて、相手を助けるのが対論です。それ以外は、ただの水かけであり、喧嘩です。
また、沖浦氏排除云々の話ですが、まず前提として私は沖浦氏を排除しようなどという、同志誹謗の腐った信心は全くありません。しかし、沖浦氏を排除しようとする輩が学会内にいるのも事実です。
それは、沖浦氏が"独自の"教義体系を展開してしまっているからです。その独自の教義体系であり、学会公式でない教義を論破して沖浦氏を折伏したいというのならわかりますが、理由が「面白いから」じゃあねぇ…。
また、顕正会さんに以前から思ってたことを今回の機会でぶつけておきます。
1.顕正会は、強制的に会員にさせることが、広宣流布なのですか?
2.顕正会は国立戒壇を目指していますが、そんなことを大聖人がどこのどの御所で仰せになっているんですか?
3.反原発など、立正佼成会まがいのことをやってる割に、公明党を"政治的野心"などと叩くのは矛盾していませんか?
私は、顕正会さんは未知すぎてよくわかりません。内部のあなたと対話できて嬉しいです。
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トレ太郎殿 こんばんは
>結局は、"時の流れ"だと思います。その点、私は沖浦氏に賛成です。なぜなら、
日蓮大聖人も、佐渡前と佐渡後で教義を変えられていますし、釈尊も小乗や大乗な
どで教義を変えられています。つまり、重要なのは『今、現在どうなっているのか
?』です。現在の創価学会と現在の顕正会と現在の日顕宗、それぞれを比較すると
私はやはり創価学会でよかったと思うわけです。
>
>「今」の教義で沖浦氏と対話することが、最も重要です。
まあ、それも一理あるかも知れません。私も何も信念や考え方が変わる事自体を問
題視する訳ではなく、人は縁に触れ新しい知識や体験を得て、論考を経て新しい考
えを持ち、月々日々に自己革新をするものです。君子豹変すという言葉もあります
ように、考え方がより良いものへと変化するのは、むしろ喜ばしい事です。
但し、創価学会や日顕宗の其れは、やや問題のあるものだと見ています。思索の過
程でそうなったというよりも、行き当たりばったりと時々の都合でそうなったよう
にも思えるからです。まあ、此の件は長くなりますので、亦いずれ、詳しく考えを
述べたいと思います。
さて、其れはさて置き、私が一番「非一貫性」として問題視しているのは、過去と
の非一貫性というよりも、「今」の教義の中での非一貫性についてです。重要なの
は「今」である、なるほど是は確かにご尤もな事であります。過去の云々はさて置
くとして、重要なのは今現在の法門に整合性があるかどうかです。大御本尊や唯受
一人血脈相承の論拠が御書に見当たらない、だから否定する、まあ是も良いでしょ
う。そのように何らかの理由があって己の信じる教義を修正することも大いにあり
だとは思います。然るに、そうして完成した教義「内」に矛盾があっては、其れは
正しいものだとは言えますまい。
-
是は、自語相違(前と後で言う事が違う)等というレベルのものではなく、現時点
での教義内での或る項目と別の項目の矛盾、というものです。
即ち、
「正宗を絶対視していた牧口氏と戸田氏を聖人と置く」という教義項目と、
「正宗教義の多くは邪義である」という教義項目とが、
私などの目からすると、解消不能なくらい矛盾している、という事なのです。
或いは、
「御書を聖典、根本と置く」という教義項目と、
「真言、禅、念仏等を認め、謗法呵責もしない」という教義項目とも、
私にはとても解消などできそうもない程の深刻な矛盾に映るのです。
牧口氏や戸田氏が正宗について述べておられた事を一々に挙げますれば、或いは大
聖人が真言、禅、念仏等に対して仰せであった事を一々に挙げますれば、誰であれ
、私の持つ素朴な疑問に共感してくれるのではないかと思われます。
面倒なので出きれば回避したいのですが、上の事々に就き、一々に文証を挙げた方
がよろしいでしょうか?
-
では過去の方針や教義と、現在の創価学会が異なっていることは問題にしないで下さい。
-
顕正会員さん、ご返信ありがとうございます。大変嬉しく思います。
さて、私は直近のコメントで3点質問をしておりますが、質問に答えずに質問を返すのは道理から外れていると思われますので、まずはお答えくださると有難いです。
-
(>>14 の続き)
斯くなる上は、「大聖人も過去の人」「牧口、戸田両氏も普通の人」という事にし
て、弟子となり全面的に従う、というのではなく、相対化致しまして、「現在から
すれば間違っている点も多いけども、尊敬し得る点も多いから、尊敬できる点だけ
を抜き出して、其れにのみ従う」というスタンスを採るしかないように思われます。
即ち、大聖人からは法門全体ではなく、「大衆や国の為に己を省みず行動された其
の慈悲心」や「権力や世俗には媚びず、正義だと思われる事の為に闘い抜いた其の
不屈の正義感」等のみを受け継ぎ、大聖人が「法華経や曼荼羅、謗法呵責」に注が
れた熱心さで以て、現代の我々は「世界平和や科学・学問の進歩、経済的成功、芸
術振興」等を推し進めて行こう、という事です。
亦、牧口氏や戸田氏からは「何かを強く信じて、何者にも恐れず立ち向かい、人々
を導いていく」という姿勢だけを学び、牧口氏や戸田氏が正宗に注いだ情熱を、現
代の我々は「対話を増やす事、安定した暮らし、趣味や仕事に没頭し充実した日々
を送る事」を推進する事への情熱に置き換えて、といった感じです。
例えば、「私は神も信じていないし、福音書も荒唐無稽なので信じられないが、其
処で語られるイエスの博愛主義や信念を貫き通す生き様には共感できる」だとか、
「自分はヒンドゥー教徒でも何でもないが、ガンディーの非暴力、不服従の生き方
には学ばされる」とか、まあそういったスタンスで、大聖人や戸田氏を捉える、と
いう事です。
是ならば、別段、御書を原理主義的に解釈しなくても、戸田氏とは所属する宗派が
異なっていても、「部分参考している」だけなので問題無いと言えましょう。
沖浦殿の考えも、或いはこうしたものなのであろうか?
-
沖浦殿 今晩は 先程、戻りました
>>11
>これで同じ質問が二度目です。
ええ、よく心得ています。同じご質問は>>4でもされました。
文面まで含めて全く同一です。
ところで、私は厳虎独白ブログから沖浦殿とはお付き合いがありますので、遅れば
せながらも基本的に全てのご質問、ご返答をお読みし、レスをしてきたように思わ
れます。多少、前後する事はありますが、基本的には昔に戴いたものから順に漏
れなく…。(今回は新しくトレ太郎殿が見えたので、沖浦殿とは長らくやり取りをし
ていたので、少々新規の方を優先しました)
にも関わらず、此のように短期間の二度も同じ質問をされていますが、是にはど
ういったお積もりがあるのでしょうか。
1.私が質問に答えもせずに逃げ出す卑怯者だと断定した
2.余程火急の用件で、他はともかく一刻も早く此の件について知りたかった
私は善意に解釈したくありますので、上の二つでしたら2の可能性の方を採りまし
て、火急の事だとお見受けし、急いでご回答したいと思います。
-
>開祖以来、全く教義に変更がない宗派をあげて下さいませ。
(中略)
>貴方が非一貫性がない事はダメだといわれるなら、全く変わらない宗派を列挙でき
ますか?
むしろ、基本的な教義には変化のない宗教の方が一般的で、基本的な教義が変わって
しまう宗教を見付けるのが難しいように思われます。
例えば、キリスト教は二千年前からありますが、今も昔もずっと聖書を根本にやって
おりまして、今の其の如くです。途中、法皇は聖書に根拠もないのに勝手に人を許し
たり罰したりできるという己義を法皇が構え始めたので、ルター等の反発に遭い、聖
書原理主義者達がカトリックから分離致しましたが…。
浄土宗、浄土真宗もずっと南無阿弥陀仏でやっており、本尊も変わらず阿弥陀仏です。
阿弥陀仏こそ全て、ともいえるものが彼等の教義で、是は大聖人御在世の頃から変わ
りません。
イスラム教も十年一日の如く、コーラン一筋でやっています。但し誰を以てカリフと
するかで大揉めに揉め分派しておりますが、コーラン主義は変わりません。但し末流
にコーランにはない教えを勝手に付けたり、新たな預言者が出てきた、とするイスラ
ム教の宗派も多少は出ており、それらは大元のイスラム教とは異なりますが、本流か
らは異端視されております。
他、ジャイナ教も小乗仏教(パーリ語仏教)も何千年も其の教義を変えていません。
ヒンドゥー教は時代、地域によって教えも様々で、民衆伝承のような迷信ですから、
カオスのような宗教で、まあ是だけは教義を変化させてきていますね。そもそも、も
ともと教組もなければ確たる聖典もないのではありますが。仏教は経文に根拠を求め
る宗教です。
但し、密教は文字通り密教で、根本教義を内密にしています。法水を継いだ人だけが
神秘の法を知っているとかで公示されていないので私は詳しく知りません。密教の流
れを汲むところはチベット仏教にせよ、真言宗にせよ、オウムにせよ、根本の教えが
明示されていないのですから、ある種、時々の法主が好きにしてよい、という事にな
りそうです。禅宗も是に似たり。原典主義ではなく、法水血脈主義なので、法という
より人に拠っていて、だから、教義が変わったかどうかさえ謎なのです。失礼、此の
仲間に日顕宗もありました。
-
>日蓮正宗だって凄く変化していますし、顕正会もそうです。
正宗は日淳上人の頃まで、根本教義は一切変化しませんでした。まあ、途中で仏像
建立を重視する御法主(日精上人)や神札を受けてしまった御法主も存在しました
が…。他には、長らく天母山に戒壇建立との事でしたが、大坊棟札は偽書、という
事になり、此の点は変化がありました。
但し、日達上人が途中から御遺命の一つであった事の戒壇の定義を曲げ始め、広布
の定義も曲げ、「時の貫主と雖も仏法に相違あらば」という遺戒置文の文意も曲げ
て「是は時の貫主と雖も、仏法に相違ある人を用いてはいけない、という意味だ」
等としてしまい、罰を食らい急死されてしまいました。此の時が正宗の教義が変化
した…というよりも正宗が死滅した瞬間です。
更に後を継いだ日顕上人の代になり、法主無謬論という新たな邪義が構築され、戒
壇の定義も訳の判らないものになってしまいました。おまけに、塔婆、戒名、僧に
よる葬儀、五座三座、御内拝がないと地獄、といった大聖人御在世の頃には存在し
ない七百年初めての全く新たな法門が登場し無事、日顕宗の立宗ともなりました。
同時に、大石寺での正宗の命脈は全く絶たれました。
とはいえ、日顕上人が立宗宣言をなされてより此の方、上の幾つもの邪義は其の侭
なので、日顕宗もあまり教義変更していない宗派だと言えましょう。
さて、そういった次第で「では現在の日蓮正宗はどこへ行った?」という事になり
そうですが、是を唯一(いや正信会も?)受け継いでいる在家の集団が、冨士大石
寺顕正会となります。顕正会の教義変更は大きなものでは「血脈相承否定」しかあ
りません。詰まり、日達上人から日顕上人への血脈相承を、とうとう疑いだして、
否定を断言するにまで至った、という事です。是については長くなりますので、後
に詳細を述べます。
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>>15
>では過去の方針や教義と、現在の創価学会が異なっていることは問題にしないで下さい。
判りました。まあ過ぎてしまった事を何度も論っても意味がないですからね。
ただ、私は此の点もあって創価には不審の目を持っている、
という事をご説明したかったのです。
池田氏は聖人という訳ではないでしょう。仮に正宗が間違いなのであれば、
池田氏は其れを見抜けず、ずっと正宗こそが正しいと日本で一番宣言してきたのですから、
つまり、事の正邪、真偽を見抜けなかった、という事になり、
仮に正宗が正しいのであれば、池田氏は間違った方向へと人々を誘ってしまった、
という訳ですから、いずれにせよ聖人とは言えません。
人々を統率するのが上手かった、という点を除けば普通の人ですね。
亦、創価が現在「此の考えが絶対である。だからうちへおいで」としていても、
もしかしたら、其れも後に前言撤回する可能性もある訳ですから、
はい、そうなのですか、と信じる訳にはいきません。
何はともあれ、あまりひつこいのもあれなので、
今後は、過去と現在と教義が違う事自体は批判しない事に致します。
現在は正しい方向へ向かっているといいですね。
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>>16 トレ太郎殿 お世話になります
>さて、私は直近のコメントで3点質問をしておりますが、
>質問に答えずに質問を返すのは道理から外れていると思われますので、
とありますが、是は私が質問に答えずに質問を返していて、道理から外れている、
という意味のご発言でしょうか?
まずは、其の点、確認させてください。
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勝さん、おはようございます。
自分は他人に質問をするが、他人からの質問には即答しない。
これはこの板ではダメなのです。
即答が出来なときは、その旨一言理由と共に書いて下さい。
それ以外は質問には必ずその都度回答して下さい。
板のルールをそう決めておりますので、今後はお守りください。
これまで数回私の質問を無視なさいました。
この次はアクセス禁止になりますのでご注意くださいませ。
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沖浦さん、ご無沙汰しております。
私は、池田先生の"過去の指導"を引っ張り出してきていっているようなわけではありません。創価学会の「公式発言がない」(つまりは、池田先生のお言葉)のが問題なのですよ。たしかに、今の公明党は自民党と絡んだせいで、苦汁を飲まされています。しかし、それでも軽減税率は庶民の味方である法案でした。
まぁ、そんなことは置いておいて、創価学会の公式見解でないことを貴方らが"創価学会"と名乗ってやるのが間違いなんです。はっきり言ってやめていただきたい。 それで、公明党だけでなく創価学会の内部で割れはじめたら和合を破ることになりますよ?
公明党批判は、創価学会と名乗らずにやってください。
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>>23 沖浦殿 ご説明ありがとうございます
>自分は他人に質問をするが、他人からの質問には即答しない。
>これはこの板ではダメなのです。
>即答が出来なときは、その旨一言理由と共に書いて下さい。
以上諒解しましたが、即答とはどれくらいの時間内に返答する事でしょうか?
>それ以外は質問には必ずその都度回答して下さい。
もっと前に私になされたご質問、ご反論等への返答途中である場合はどうでしょうか?
>板のルールをそう決めておりますので、今後はお守りください。
ええ、この掲示板の権利者は沖浦殿ですので、私はそれに従うつもりです。
そこで、詳細にルールをお聞きしておきたく存じます。
>これまで数回私の質問を無視なさいました。
私の認識では、教義の大規模な変更のあった宗教、宗派は何か?という質問以外に、
私は沖浦殿の質問を放って置いているものはないように思われますが、
もしあるようでしたら、お手数ですがご指摘ください(スレッド名及びレス番)。
>この次はアクセス禁止になりますのでご注意くださいませ。
沖浦殿は完全無欠の方であるとお見受けしますが、
私は凡夫ですので、ミスもあり見落としもあるかと予想します。
故に、できればアク禁等にする前に、どこそこの私の質問にまだ答えてないぞ、
と一度でよいですので、ご指摘がありますと、大変助かるのですが…
どうでしょうか?
以上、五点、よろしくお願いします。
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沖浦殿
追記です。何らかの質問が私にあった場合に、
その質問の意味がいまいち判じかねる場合は、
質問の意図をこちらから質問させて戴くのはありでしょうか?
例:
甲「あなたは何をやっている方ですか?」
乙「何って、職業の事を質問してるのですか?」←こういうものについてです
それとも是も質問返しとなるので、ルール違反でしょうか?
順次、お願いします。
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>>24
トレ太郎殿 お早う御座います
さて、此の掲示板では「スレ違いの話題禁止」というルールがあるのかないのか実は
私は判らないのですが、仮にそうしたルールがあるのでしたら、公明党の話は明らか
にスレッド違いです。公明党について貴殿が批判するにせよ擁護するにせよ、此処は
教義の一貫性について論じるスレッドです。公明党は教義ではありませんね?
亦、「私は、池田先生の"過去の指導"を引っ張り出してきていっているようなわけで
はありません」という議論も、明らかに此のスレッド内ではなされていないものでし
た。故に、こうした議論は、公明党を語るスレッドが別にある訳ですから、そちらで
して戴きたいと思います(但し、そんなルールは此の掲示板には存在しない、という
のでしたら此処までの私の主張は全て取り消しますが)。
ところで、此の掲示板では質問には即答しないといけないとの事のようですが、であ
るならば、公明党について書き込まれる前に、まず私の>>22の質問に是非、御回答く
ださい。
私は、一番最初に貴殿が>>7で質問、反論なされた事に、まだ全てを答えていません。
>>8-10、乃至>>13-14、そして>>17は、そのご返答の一環となりますが、未だ、
「また、顕正会が創価学会を破折しようとしても多分、不可能だと思われます。なぜ
なら、浅井会長も言っていることがコロコロ変わっていますよね?」
という箇所には答えていません。現在、書き途中であります。
この様に、私は一番最初の私へのレス(>>7)のご返答の途中であるにも関わらず、合
間に入れられた>>12の質問に答えていない事を以て「道理から外れた」と貴殿より非難
を受けた疑惑が生じています。是が単に疑惑ではなく真意なのか、其れとも「道理から
外れた」というのは私を描写したものではないのか、先ずは其の事を御聞きしたのです
が、ご返答や如何に?
此のご返答を戴いた後に、>>7へのご返答を完遂すると共に、貴殿が回答を要望してや
まない>>12へもご返答致したいと思います。
然るに、此処で私が書いた質問・回答ルールが掲示板ルールに対する私の勘違いである
かも知れません。そういう点がありましたら、沖浦殿にはご指摘の方、お願いしたいの
ですが。
亦、トレ太郎殿がもし上に私の書いた事の意味が判らない場合は、返答前に其の点、ご
質問下さっても結構です。意味が判らないでは返答のしようがないでしょうからです。
但し其の場合、具体的に意味の判らない箇所をお示しください。全体体に分からん、で
は、私も次はどのように工夫して説明申し上げればよいのか分かりかねますので。
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勝さん今日は。
お答えがなく質問返しをなさいました。
3日間のアクセス禁止と致します。
アクキンが終わりましたら、先ず私の御書の引用の質問へお答え下さいませ。
それ以外を書かれますと、当然即時アクキンとなりますので、ご注意くださいませ。
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顕正会員さん、おはようございます。
公明党についのレスは別のスレッドに書くつもりが、ここに間違って書いてしまいました。失礼しました。
まず、私が『道理から外れる』と表現したのは、貴殿を避難しているわけではございません。ただ単に、質問→返答+質問→返答+質問 →… が、対話及び対論の基本でしょうから、質問→質問→質問としてしまうと、話題がそれて不毛な水掛けになってしまいかねませんので、「道理から外れている」と表現したまでです。
以上、返答しましたから、アクセス禁止解除後 上記の3点の質問(補足あり)、
1.顕正会にとって、広宣流布とは無理やり暴力などによって会員書を書かせて会員を増やすことなのか?
2.顕正会が目指す『国立戒壇』(戸田先生が目指されたものは別の国立戒壇) つまり、天皇を折伏することは、御書で書かれているのですか?また、それによって信教の自由を弾圧をしかねませんが、顕正会はそのような"野蛮な"宗教団体なのでしょうか?
3.この点は、省いておきますが答えていただけるのならお答えください。
を、沖浦氏の質問への返答後にお答えくださいね。
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>>24
トレ太郎さん、
公明スレッドに書くべきだった貴方の投稿を、公明スレにコピペしますよ。
一応、私がスレ主なので、本スレで私とやりましょう。
いま仕事中なので、今夜お返事書きます。
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