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さらなる発展を目指して
1威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/06/26(日) 22:25:27 ID:s7GC9YSk0
学会をここをこうしたら、さらに良くなる。
外部の人からも、今よりも正しく評価されるようになるなど、
今後の学会をさらに、良くしていく為に皆で語りましょう!

2スリップノット:2011/06/29(水) 23:12:49 ID:gf5K/kbw0
そう思う気持ちをここへ書きなさい。
あと998意見を書いてここが1000になったら
私がパート2をあげます。
さあ書きなさい。

39071:2011/06/30(木) 01:19:05 ID:mxpreXYE0
会館の開放
今の会館は殆どないぶの活動拠点としての使用頻度の割合が大きい
週末はともかく平日はもっと一般の人に開放してあげたら良いとおもいます
利用目的は色々ありますよ

4威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/06/30(木) 04:01:10 ID:s7GC9YSk0
あくまで、私の個人の意見ですが、折伏やその他学会活動をやりつつ、
宗教上の活動とは関係なく、一般社会に通用するような社会貢献もしていくと良いと思います。
例えば、自殺防止キャンペーンをするだとか、地域の人との交流を深めるとか
そういう風に学会を一般社会と何の隔たりもない事を明確にしていけば、
今のような偏見、デマは少なくなると思います。

外部の人から見て、何をしているか分からないという感じだから、不審に思われたり
何かをたくらんでいるのではと、憶測を呼んでしまうことになるのだと思うんです。
誤解や偏見を攻めることは大切ですが、誤解を解いていくことも必要と思います。

5威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/06/30(木) 04:04:22 ID:s7GC9YSk0
最近は勧誘や選挙も穏やかになっていますが、今だに熱心なあまり、激しくする人もいるようです。
あまり刺激をしない方が個人的には良いと思います。
戸田先生も、激しい事が折伏ではないと仰せのとおりです。

一般の人とも宗教と関係のない、ふれあいを強めていけばお互い、分かり合えると思います。
時代にマッチした、反感をもたれない工夫も大切です。
創価学会への偏見は残念でなりません

6沖浦克治:2011/06/30(木) 06:40:29 ID:AJ3hr85o0
 威風堂々さん、9071さん、おはようございます

 以前から何度も書いておりますが、創価学会の組織を改革する方法が数点あると思います。

 聖教新聞をネット配信にする。
 これは出来るところからやっていけば良いと思います。
 配達員さんのご苦労の軽減は絶対に必要です。

 本部職員を地区部長以上の役職につけない。
 本部職員がトップになれば、住職と同じです。
 そう言う人はいりません。
 世間で戦ってこその創価学会幹部です。
 そして、本部職員が会合で大きな顔をする原因が、過剰な役職への任命です。
 創価学会員に仕えてこその、本部職員です。 
 地区部長で、地道な家庭指導をやらせる事ですね。

 民音のチケットを会合で扱わない。
 責任者が家庭訪問するか、一般で売り出すべきです。
 そして、民音職員がチケットを販売する制度必要でしょう。
 貴方任せの職員などいりません。

 公明党は衆議院を撤退し、解散総選挙で創価学会員に迷惑をかけないよう心がける。

7威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/06/30(木) 10:47:03 ID:s7GC9YSk0
ネットや周りの外部の人からの批判を聞いていると、創価学会が批判している人の中で一番多いのが
勧誘や選挙の頼みが激しい、しつこいという声なんです。
これは学会員である私から見ても、心当たりがあります。
内部の人同士でも、相手の都合を考えず「○○の日に出てね。」としつこく言う人がいます。
本人は熱心のあまり、出てほしいから言うのでしょう。
しかし、当然の事ながら相手には相手の都合があるわけです。
「仏法と申すは道理なり」と大聖人様が仰せのように
常識は欠いてはいけないと思いますし、それが世間に誤解を与えている部分は大きいと思います
こんな事で誤解を与えているのは残念で勿体無い事です。そこを分かって頂きたいです。

8めもかのサン序名:2011/06/30(木) 12:53:16 ID:2br.Gn1k0
>>7
ここで言わずに相手にきちんと伝えなさい。
君は人伝に聞いたふうを装って毎度毎度組織批判をくりかえしているが
君の実態は何なんだ?
ここで質問する前に組織で幹部に指導を受けて来なさい。

9威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/06/30(木) 13:17:22 ID:s7GC9YSk0
いいえ、別に装ってはいません。
批判ではなく意見です。
そんなに毎回、批判はしていませんよ。功徳の体験や創価学会の素晴らしさもきちんと書いています。
ただ、自分のスレの趣旨に沿って書いたまでです。批判ではありません、提案です。
もう少し人に対して寛容になった方がいいですよ。

10威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/07/01(金) 18:17:48 ID:s7GC9YSk0
会合に誘ってくれるのは有り難いですが、都合はきちんと考えてほしいですね。

残念に思うのは、未来部の小〜高のメンバーが受動的な感じがするという事です。
体験を積ませて新人に関心を持ってもらえるような仕組みにした方がいいと思います。
僕は信心に関心のないまま、未来部時代を終わってしまいました。
題目を唱えていたら、人生変わっていたと思います。
その事を学生部の幹部の人に話したら、「担当の人も働いているから、忙しいからね」
と言っていました。しかし、未来部に期待しているだけでなく、期待にこたえてあげること
例えば、信心の凄さを具体的に知る機会を与えるとか、やる気が自然と出てくる感じにしないと、いけないと思います

身を削るくらいに子供の為に接するのも大切と思います。
大人が真剣になった分だけ、子供も真剣になると思うからです。
受動的な感じが多い、何となくやってる2世、3世が多いのが残念です。

11威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/07/01(金) 18:28:11 ID:s7GC9YSk0
今はその反省を生かして信行学に励んでいます。

12しげきょん:2011/07/02(土) 02:22:58 ID:/817RM5.0
威風堂々さん 僕のところの未来部も同じ実態です
受動的で 未来部時代から信心の思い出をもって欲しいと願っています
昔の少年部ももう男子部の世代ですが 未活動が多いです

13威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/07/02(土) 02:42:14 ID:s7GC9YSk0
本当に残念です。未来部の担当者は何をしているのでしょうか?
未来部は学校の事、勉強、進路と色々悩む時期なのに何で最後まで寄り添おうとしないのでしょうか。
そりゃ、並大抵の事ではできないことはわかります。
しかし、学会の事を本当に思うならもっと頑張って努力してほしいんです。

受動的なのが悔しくて仕方ありません。何で、もっと悩みを聞いてあげたり、体験を積ませてあげたりしないのか。
そうすればどれだけの子が救われるか分かりません。
いい加減にやって、頑張れと言うだけでは、子供たちもいい加減になると思います。
偉そうな事を言っておいて、未活動というのは残念ですよね。
この現実が悔しいんです。苛立ちを覚えるんです。
創価学会はいいところです。けど、直す所は直してより、いい組織になってほしいんです。

何か未来部に限らず、学生部でも、雑談ばかりして笑いばかりして、真剣に話そうとしていない空気があります。
こんなのでは、絶対にマイナスです。
悩んでいたら、皆で真剣にその人のことを祈ってあげる。
功徳を積ませるくらいの体験を学生時代に積ませてあげる。
こういうことをもっとしていくべきです。
内部がいい加減で、外部も認めてくれるはずがありません。
真面目さ、真剣さ、がかけている気がしています。

14威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/07/02(土) 02:49:16 ID:s7GC9YSk0
誤解のないように書いておきますが、私は創価学会が嫌いではありません。
学会により良くなってほしいから、熱くなって書きました。
私は信行学に今、挑戦しています。
もっと能動的で、積極的で、功徳の体験を皆が積んで楽しい組織になってほしいんです。
悩んでいても、それに気付かない大人がなんと多いことか。それが納得できません。
偉そうに言うなら、まず自分達がすべきです。私も偉そうな事を言えないですけど、今は昔の倍頑張っています。
念のため、書いておきます。

15沖浦克治:2011/07/02(土) 06:20:39 ID:AJ3hr85o0
 威風堂々さん、おはようございます

 未来部は鋭い批判力を持っています。
 戸田先生がおおせでした。

 『青年は日本の眼目である。批判力猛しければなり。』
 (国士訓より抜粋引用)

 その彼等への激励も連絡も、会合の開催も、選挙期間はぴたりと止まります。
 これで、彼等の信頼が得られる道理がありません。
 だから、選挙駄目なんですよ。
 一番大事な未来部の育成を妨げています。

16ロム郎:2011/07/02(土) 06:28:10 ID:91lGpCFc0
親が悪い

17沖浦克治:2011/07/02(土) 06:43:05 ID:AJ3hr85o0
ロム郎さん、おはようございます

 そうですね、私が未来部を担当していた頃、そう言う親が多かったです。
 誰々君いますか?
 訪問すると親が出てきて、子供に伝えます。

 会いたくないそうです。

 これでは会話すら出来ません。

 お前のお客なんだから、お前が対応しなさい。

 こう言う教育が出来ない親なのです。
 子供がかわいそうです。

 未来部員と家庭訪問して対話中、横に座りっぱなしで、自分が話題に入り込む親もいました。

 何のための家庭訪問なんでしょうね。
 子離れしないと駄目です。

18某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/07/02(土) 09:19:16 ID:ixn05g/.0
学会の会館は暴徒らに襲撃されたり、暴力団に銃撃されたり、
1996年のオウム裁判の中で学会の会館がサリンテロの標的になっていた事が判明したり、
爆破テロの標的になったりしていますので、一般解放は無理でしょうね

19威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/07/02(土) 12:57:06 ID:s7GC9YSk0
未来部時代は何かを学ぶと言うより、単なる形式的な通過点になっている気がします。
未来部時代は12年とせっかく長い期間があるのですから、そこで功徳の体験を積ませてあげれば
喜びが大きくなるはずなのに、何で大人はそれを無視するのか。それで、子供には「頑張れ、無限の可能性がある」という。
まずは、無限の可能性を引き出してあげるようにしてあげるのが、大人の役目ではないか?

私の父親は、偉そうに「勤行、題目しないとダメだ」と言いますが、自分は全くしていません。
座談会に参加はしていますが、勤行や題目はしていないのです。言うだけで、自分はしない。これでは駄目ですね。
自分は実行していないという人が多いのが現実です。それだから、功徳を語れません。
子供が可哀想です。

209071:2011/07/02(土) 13:17:09 ID:mxpreXYE0
18学会の会館は暴徒らに襲撃されたり、暴力団に銃撃されたり・・・・・・

政府の官僚みたいな意見ですねっと、
リンゴ10個あれば沢山のひとがおいしくいただkwるのに
10個は運ぶの重いからダメだろう・・・の理屈ですか?
世間ではなにをするにもリスクが伴います
そのリスクをどうやって回避していくかは私達の仕事責任でしょう
たとえば何のために王城会があるんですか・何のために職員いるんですか?何のために私達居るんですか?
やる気のある人達が居ればリスク回避できませんか?
何もご本尊様の部屋まで開放する必要もないとおもいますが
どうでしょうか?ねって、

21威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/07/02(土) 13:49:57 ID:s7GC9YSk0
一般開放は、震災で必要な時以外には、開放しない方が良いんじゃないかな。
開放する事自体は良い事だと思うけど、何か問題が起こることを考えると、開放は難しい気がしますね。
地域の交流はしていった方が良いと思う。誤解や偏見も無くす事ができると思うし、絆も深まると思うからです。

22某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/07/02(土) 13:50:08 ID:ixn05g/.0
>>20 9071さん こんにちは

>何もご本尊様の部屋まで開放する必要もないとおもいますが

会館任務に就かれた経験が無いようですね

23威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/07/02(土) 15:49:23 ID:s7GC9YSk0
「会合に行こう」「題目を唱えよう」と言って強制的にやらせるのではなく、きちんと理由も言った方がいいね。
「お題目をあげると、頭も良くなるし、元気になる。どんな祈りも叶う。幸せになれる。だから、祈った方がいい」と。
くどいですが、やはり功徳の体験を語っていくべきです。
未来部はまだ信心の体験が少ないことが大半です。だからこそ、やる気を出すために功徳を語るのです。
お金持ちになった人がいるとか、成績が伸びた人がいると功徳の喜びを言っていけば、子供ももっと頑張るようになると思います。

ただ、何となく会合へ行って強制的に色々とやらせて、結局信心嫌いになる。これでは何のための信心でしょうか?
例えば、子供がいじめられてたら、親も一緒に祈るべきです。1時間でも3時間でも10時間でも必死に祈るべきです。
100万遍だろうと、200万遍だろうと解決の為に祈るべきでしょう。
親が一生懸命の姿を見せれば、子供も感動して自然とするようになると思います。それをしていない親や担当者が多いのが残念です。
偉そうに口だけ、形式だけ言っているのでは、観念論です。
これでは後に「何で、もっと早く教えてくれなかったんだ」と言われても仕方ありませんよ。
どうか、やる気を引き出してあげてください。自分と同じ後悔はしてほしくないんです。

249071:2011/07/02(土) 18:21:51 ID:mxpreXYE0
たまに絡んでみてもいいでしょうかねって
22 会館任務に就かれた経験が無いようですね・・・・・・・
はどういう意味でしょうか?
会館任務の厳しさ辛さ大変さ激務さとかを知って行ってるんですか?
知らないのにそんなこと言って勤務の仕事増やすんじゃ内よってことの意味
でしょうかねって

知らないわけ内でしょうってね
王城会・職員等の勤務についた人達はある意味では志願して就いている人達です
そうじゃない人も1部居るとは思いますが
そういう人達のおおくは志が高く何か有事でもなれば自分の命を犠牲にしてまでも
会館等を守るぞって言う意識を持っておられる人達です
そんな人達 一般解放でもして仕事等増えるなんかやっとられんわ とか
そんな責任まで抱えるのはいやだなぁとかはありません
一般開放で仕事責任等・・・来るなら来い 責任果たしてみせる です。
それで重荷背負ってでも一般の人理解広がるならまた内部の人達がその事によって
折伏環境が良くなるなら喜んで貰えるのであればよろこんでリスクを
敢えて引き受けましょう・・・・です
また上記にも書きましたがご本尊様の部屋の解放までひつようではないけれど
その他の場所でも十分に利用出来る事柄案件等、
個人的ですがは沢山持っております
あくまで
学会をここをこうしたら、さらに良くなる。
外部の人からも、今よりも正しく評価されるようになるなど、
今後の学会をさらに、良くしていく為に皆で語りましょう
なので出来る出来ないは幹部の決めることで個人的にこうしたら良くなるんじゃ
ないかと思いカキコしてみただけです
それをきんむ経験も無いくせにみたいに・・・と言われるのは話しの筋が
違うように思いました
ちょっと反抗的に書きましたが済みません
貴方の学ぶ姿勢についてはいつも敬服し関心して読ませてもらっています
良かったらまた絡んでください

259071:2011/07/02(土) 18:25:42 ID:mxpreXYE0
関心−感心 でした
済みません

26某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/07/02(土) 21:13:16 ID:ixn05g/.0
>>24 9071さん こんばんは
御本尊様の有る部屋まで開放する必要は無いとなりますと、
一般人が入れる部屋は、ほぼ無くなってしまいます

279071:2011/07/03(日) 03:20:05 ID:mxpreXYE0
貴方の所属の会館はどんな会館かは存じませんが
私の知る所のいくつかの会館では ほぼ無くなってしまいますのほぼの場所が沢山あります
私の知っている会館でのイメージでしか書き込みしなかったのは不徳の極みでした
先に書いた通り それでも一般開放する余地は沢山あります
あくまで可能性の話で知恵を絞れば沢山出来ることありますよ

28某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/07/03(日) 10:41:55 ID:ixn05g/.0
>>27 9071さん こんにちは
御回答ありがとうございました

299071:2011/07/03(日) 17:55:59 ID:mxpreXYE0
某男子部員 さんへ
こちらこそ色々ご意見ありがとうございました
このやりとりをみて頂いた皆さんにすこしでも
会館利用のこと頭の隅にでもおいて頂ければ幸いですね、っと。

30威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/07/03(日) 18:16:06 ID:s7GC9YSk0
未来部の子達には、学校で勉強を会館で信心を学んでほしいです。それが私の願いです。
もっと信心してれば、小〜高まで楽しめただろうな〜。
現実は何となく、過ぎて人目を気にして悩んでいるだけで終わってしまった。
誰も気付いてはくれなかった。いざという時の信心なのだから、担当者、親ともに信心のやる気を引き出してあげてほしい。

31威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/07/03(日) 22:15:58 ID:s7GC9YSk0
沖浦さん、災害などの様々な不幸は国民の大多数が学会員になった時には、無くなるでしょうか?
平和にはなりますよね?
ブータンという国はチベット仏教を信仰していますが、国民の大多数が幸せと回答しており、日本よりも治安がよく、親切です。
日本も創価の思想が広まれば、このようになるのでしょうか?

32沖浦克治:2011/07/03(日) 22:39:29 ID:AJ3hr85o0
 威風堂々さん

 なると思いますが、その時点で民衆は決して満足していないと思います。

33威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/07/05(火) 03:36:42 ID:s7GC9YSk0
でも、ブータンと言う国は日本以上に治安がよく、親切で礼儀正しい人が多いです。
チベット仏教は誤った宗教ですが、こんなに国の雰囲気がいいのは何故でしょうか。
善業を積んでいるからでしょうかね?

悪い事をすると来世で報いを受けるといった思想など、創価学会と共通するものがあります。
当然、チベット仏教は邪教で誤った宗教ですが…。

34沖浦克治:2011/07/05(火) 06:04:04 ID:M/08AI62o
 威風堂々さん、おはようございます

 邪教なんてないのですよ。

 信じて行じる人の行動が全てです。

35:2011/07/05(火) 06:40:23 ID:gVXsRTgY0
>>33
威風堂々さん、沖浦さん、おはようございます。

いま>>34で沖浦さんが言われたことは、表面で受け取るのではなくて、沖浦さんが何を言いたいのかを汲み取らなければ、混乱します。

邪教というのは、大雑把に言うと、人を不幸に導く教えです。それはありますが、これも大雑把に言えば、創価学会員であれば仏になれるか、日蓮正宗に入っていれば仏になれるか、そうではないですね。

それと、威風堂々さんの一凶が、信じることをしようとしない、と思えるからです。それを仰りたいのだと思います。

が、ただ、ひょっとしてあなたは、池田先生のような人ですべてご存知で、意図的にこのように話されているのではないかと思ったりもしていました。

36沖浦克治:2011/07/05(火) 07:43:06 ID:kH30N9TYo
 白さん、おはようございます

 先ず、私の師匠は池田先生で、先生のように生きたいと願っていますが、足元にも及びません。

 仏法は所詮信じる人の振る舞いですし、一切法が仏法ですから、当然の結果として、あらゆる教えは仏法ですし、それを信じる人の振る舞いが全てです。
 基本的に法の浅深ではありません。
 御書に書いてあるんですから、信受すればいいのです。

 『此の無相の極理なる寂光の極楽は一切有情の心性の中に有つて清浄無漏なり之を名けて妙法の心蓮台とは云うなり是の故に心外無別法と云う此れを一切法は皆是仏法なりと通達解了すとは云うなり、』
 (三世諸仏総勘文教相廃立)

 『一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ。』
 (崇峻天皇御書)

 日蓮正宗見ればわかるじゃないですか。
 あの宗派は私共創価学会と、ご本尊も同じ、ご本仏も同じ、題目も同じ発音です。
 然しながら謗法の徒となっているでしょう。
 なぜならば、あの宗派の唱える題目は自行化他じゃないのです。
 化他とは同苦の祈りによる行動です。
 具体的に言うと、人間革命運動の拡大が化他行です。
 日蓮正宗には概念すらありません。
 大聖人の法華経の信者ですが、行者ではない。
 ですから、全く駄目なんです。

 あの宗派の題目は、同苦のキリスト教徒に及びませんし、ましてや、大乗仏法である同苦の念仏に敵う道理もありません。
 所詮は保つ人の振る舞いです。

 『されば持たるる法だに第一ならば持つ人随つて第一なるべし、』
 (持妙法華問答抄)

 ですからね、いやしくも創価を名乗る私共は、何かで世間の第一にならないといけません。
 お手本が池田先生。
 それを、会合などで

 先生が叙勲をいくついただいた〜〜! 

 などと浮かれる幹部は、自分が名誉市民、名誉教授の一つでもとって、お手本の先生の生き様に近づくべきなんです。
 あまりにも情けないですよ。

37:2011/07/05(火) 20:34:50 ID:gVXsRTgY0
>>36
沖浦さん、こんばんは。

すみませんが、沖浦さんが何を言いたいのか、理解に苦しみます。

沖浦さんは、「邪教なんてないのですよ」と言われた。それをみんなが理解できますかね。

>  仏法は所詮信じる人の振る舞いですし、一切法が仏法ですから、当然の結果として、あらゆる教えは仏法ですし、それを信じる人の振る舞いが全てです。
>  基本的に法の浅深ではありません。
>  御書に書いてあるんですから、信受すればいいのです。

この言い方は、なんですか。?

そして

>  (三世諸仏総勘文教相廃立)
までが、邪教に対する沖浦さんの「邪教なんてないのですよ」の文証ですか。

では
『人間革命第1巻322㌻』
信仰という名において、誤った宗教を弘めることは、人々の生命をむしばむ根源の悪である。許すことのできないのは、邪教の教祖たちだ

このように「邪教」と言われていることに対してどのように説明しますか。

また『人間革命第9巻107㌻』
「学会の司会をいたします山本と申します。日蓮正宗の仏法の正しい所以によって、間違った邪教といえる身延派の信者が、全国にわたって何千、何万と創価学会、日蓮正宗の信者となったことは、じつに日蓮正宗が正しいという証拠であります」

ここで、邪教という言葉を使われていることに対してどう説明しますか。

また、『新・人間革命』第6巻255㌻
講義に入り、「法を知り国を思うの志尤も賞せらる可きの処邪法邪教の輩讒奏讒言するの間久しく大忠を懐いて而も未だ微望を達せず」(御書183㌻)の御文では、次のように語った。

この御書にある邪教をどう説明しますか。

また、『新・人間革命』第16巻345㌻
大聖人は「僻事をのみ構へ申す間・邪教とは申すなり」(御書1355㌻)と喝破されている。僻事とは道理に合わず、事実と違うということである。

ここでは、祈祷抄の文「かかる僻事をのみ構へ申す間邪教とは申すなり、其の迷謬尽しがたし纔か一二を出すなり、加之並びに禅宗念仏等を是を用る、此れ等の法は皆未顕真実の権教不成仏の法無間地獄の業なり」の一部を使われ日顕宗のことを邪教と言われております。

ここでの、邪教は、どのように説明しますか。


>  日蓮正宗見ればわかるじゃないですか。
>  あの宗派は私共創価学会と、ご本尊も同じ、ご本仏も同じ、題目も同じ発音です。
>  然しながら謗法の徒となっているでしょう。

どうして、日蓮正宗とひとまとめにしていうのですか。謗法の徒と言われるのはどなたを指して言うのですか。

沖浦さんは、ご自分で言っている。
>  仏法は所詮信じる人の振る舞いですし、一切法が仏法ですから、当然の結果として、あらゆる教えは仏法ですし、それを信じる人の振る舞いが全てです。
>  所詮は保つ人の振る舞いです。

日蓮正宗の中にもいろんな人がいる。学会の中にもいろんな人がいる。どうですか?
出身地で差別しますか。

>  なぜならば、あの宗派の唱える題目は自行化他じゃないのです。
>  日蓮正宗には概念すらありません。
>  大聖人の法華経の信者ですが、行者ではない。
>  ですから、全く駄目なんです。

「全く駄目」と。

>  あの宗派の題目は、同苦のキリスト教徒に及びませんし、ましてや、大乗仏法である同苦の念仏に敵う道理もありません。
>  所詮は保つ人の振る舞いです。

これは、沖浦さん個人の意見ですね。
先生はこのような言い方はされていません。沖浦さんの師匠ですよね。


>  ですからね、いやしくも創価を名乗る私共は、何かで世間の第一にならないといけません。

これも沖浦さん個人の意見ですね。

38沖浦克治:2011/07/05(火) 21:16:55 ID:GrCtXHD.o
白さん、今晩は

 これはね、私の半世紀近い創価学会員としての結論なんです。
 貴方のご意見に対して説明をするつもりはありません。

 自分の信念ですので。

39威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/07/05(火) 21:41:11 ID:s7GC9YSk0
日本の小〜中高学校は絶望的です。日本の学校では、子供たちが自信が身につくことはあまりないと思います。
学校ではどうしても、成績で序列が付けられ、差別されたりします。

だからこそ、創価学会の会館では子供達に希望を与え、元気を出させてあげる場であってほしいです。
僕は子供時代に、そういう涙を流してまで励ましてくれるような人に出会えませんでした。
そのような人は滅多にいないかもしれませんが、そういう人に出会いたかったです。
そういう理想的な大人に出会っていれば、どれほど前向きな生活が送れたことか。残念でなりません。

今の未来部の子達にはそういった後悔をさせたくありません。担当者には、そういった自覚を持ってもらって
未来部の人を口だけでなく、行動で励ましてあげてほしいです。
私も偉そうな事はいえませんが、担当者は特にそういった責任は重大です。

厳しい言い方をすれば未来部が悲しい気持ちを押し殺しているのを、気付かないようでは失格だと思います。
それでは何のための担当者か分かりません。それに気付いてほしいです。

40Fuyu2009:2011/07/05(火) 21:51:08 ID:nxYu7/yg0
沖浦さん、こんばんは

久方ぶりに発言させて下さい
以前の私との会話の中でも言われました「ネットを広布の場と決めた」と

であるならば是非!沖浦さんの半世紀の結論を、白さんのご意見に応えて
説明して欲しいと思います。

他のロムしてる多くの方もそう望んでいると思います。
宜しくお願いします

41:2011/07/05(火) 22:09:21 ID:gVXsRTgY0
>>40
Fuyu2009さん、はじめまして。
私は、沖浦さんの説明がほしいとは思っておりません。
私の思いを語ったまでです。

ご自分の信念を、半世紀の結論を話されたのでしょうから、それでいいと思います。

私は、威風堂々さんにはどうかなと思いましたので、誤解がないようにと、威風堂々さんにわかってもらうように、沖浦さんにも話したまでです。
私も信念を持って話しておりますから。

もし、お聞きになりたければ、Fuyu2009さんがお聞きになればよろしいと思います。

42沖浦克治:2011/07/05(火) 22:15:33 ID:wUbFZ.4Eo
 Fuyu2009さん、今晩は

 そうですか、では簡単に書いて見ます。
 御書には、

 『当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。』
 (如来滅後五五百歳始観心本尊抄)

 機根で摂受と折伏が入れ替わります。
 御書にある通りです。 
 謗法の国は折伏ですが、悪国は摂受です。
 日本は悪国であって、謗法の国ではありません。
 謗法の国がこれほど治安がいい道理がありません。
 
 『摂受の者は折伏をわらう折伏の者は摂受をかなしむ、無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし、譬へば熱き時に寒水を用い寒き時に火をこのむがごとし、草木は日輪の眷属寒月に苦をう諸水は月輪の所従熱時に本性を失う、末法に摂受折伏あるべし所謂悪国破法の両国あるべきゆへなり、日本国の当世は悪国か破法の国かとしるべし。』
 (開目抄下)

 創価三代の聖人方の不惜身命の戦いの結果、日本は邪智謗法の者の多き機根から、無智悪人の国土に充満の機根となったのです。
 本部幹部会にキリスト教の聖職者が祝辞を寄せたのをご存知ですよね。
 池田先生が進んで世界宗教の指導者と対話されておられることもご存知ですね。

 他宗を邪宗と責める時代が終わったのです。
 そう言う機根を読まないと駄目ですね。

43某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/07/06(水) 00:07:32 ID:ixn05g/.0
39年前、正本堂完成を以ってして折伏期は終わったと思いますがいかがでしょうか

44威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/07/06(水) 00:32:42 ID:s7GC9YSk0
皆さん、僕の気持ちを聞いてください。どうか、温かい励ましを下さい。
私は、これまでの人生であまり良い事がありませんでした。
自分は性格 容姿 人間関係 環境 どれも恵まれていない気がします。


そして、これからの人生が不安で仕方ありません。
信心しているのに、何で良い事がないのでしょうか?
ここ数年、本当に気持ちが落ち込んでばかりです。
何自分がこんな思いを・・という思いが消えません。
どうしたら良いのでしょうか。

45沖浦克治:2011/07/06(水) 07:00:05 ID:/HZlSrvgo
某男子部員さん、おはようございます

 正本堂建立は、一つの節目には違いが無いと思います。
 私には個人的なことですが、父の命日でした。
 あの時点で、私は創価学会が世間定着したと思っています。
 仏法は国が滅びる瀬戸際で興隆いたします。
 鎌倉時代、既に日本は蒙古によって滅亡の瀬戸際にありました。
 その時大聖人が顕れ、日本国民の滅亡と言う最悪の宿命を、ご自身の人間革命と言う行動持って、転換をなさいました。
 大聖人が自分の人間革命を通じ、一国の宿命を転換されたのです。
 2度の流罪、頸の座、身延への入山。
 これらの行動が、国民の宿命を転換する必須条件でした。

 丁度700年後、今度は戸田先生がご出現になられ、今度はご自身の人間革命を通じて全人類の宿命転換に戦われ、道半ばで倒れられ、池田先生が後を継がれ、創価を世界への広げられました。
 牧口先生を含め、これらの4人の聖人方に共通する事があります。

 絶対平和主義者であられることです。

 大聖人、牧口先生、戸田先生、池田先生の人生を貫く絶対平和主義は、発言と行動の凄まじさから誤解をされ、未だに創価学会員ですら理解が困難です。
 然しながら、この4人の聖人方の人生の鉄則を読み取ることが出来ないなら、御書も、創価思想も理解は出来ません。

 邪宗、邪義と、他宗を責めるのは緊急避難のようなものです。
 そこが分からないで、先生方や大聖人のご発言を読めば、只の原理主義者であって、過激派に過ぎません。
 創価の広宣流布は、人間革命運動の拡大です。
 人間革命の根底は自行化他の題目です。
 化他とは同苦の行動。
 同苦の行動に、邪宗と言う責め言葉は要りません。
 誤った宗教が一凶となって、国を滅ぼすときは、その宗派を一凶と責め、謗法をとどめねばなりません。
 今はそう言う機根ではありません。
 機根を理解せず、他宗を邪宗と責めるなら、広宣流布は不可能です。

46沖浦克治:2011/07/06(水) 07:27:47 ID:/HZlSrvgo
 日蓮正宗がどうして謗法の徒か?

 説明が抜けていましたね、Fuyu2009さんおはようございます。

 謗法で最もいけないのが怨嫉謗法です。 
 日蓮正宗はその怨嫉謗法を宗派を挙げてやっています。
 創価学会員は地獄に堕ちるだとか。
 池田先生は魔王だとか。
 学会幹部は人間ではないとか。
 沢山人格攻撃しているでしょう。
 あれは全て怨嫉謗法です。

 私共もそうですよ。
 矢野仏敵〜〜!!
 竹入人非人〜〜!!

 何てやったら、怨嫉謗法で罰ですよ。
 与同して得になること一つもないですね。
 数年前、掲示板で仏敵ブームで浮かれた方々の現在見ると分かります。
 掲示板そのものが無くなったり、かそったり、謗法板になってるでしょう。

 怨嫉すると邪師どまりです。

47沖浦克治:2011/07/06(水) 07:32:12 ID:/HZlSrvgo
 摂受は、折伏より困難です。

 俺は私はまだまだ駄目だが、創価学会は凄いぞ!!

 これでも折伏できます。
 
 摂受は出来ません。
 
 俺や、私みたいに生きたいなら、創価学会ですよ。

 自分の向上と社会での実証が不可欠です。
 そのために池田先生は半世紀もかけられたのです。

 それ理解できない方、弟子じゃないと思います。 
 今駄目でもいいのです。
 ですが、祈って、戦って、

 何年後にそう言う境涯になるぞ!!

 この深い決意と夢と希望が不可欠です。
 原動力が勇気。

48某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/07/06(水) 07:56:16 ID:ixn05g/.0
沖浦克治さん、おはようございます。
御返答ありがとうございました。
自分の中の怨嫉と戦ってまいります。

聖教の体験談の中で無数に書かれていたことを思い出しました。
嫌いで憎くて仕方がなかった人に感謝できるようになったと

49沖浦克治:2011/07/06(水) 08:17:18 ID:/HZlSrvgo
某男子部員さん、おはようございます

 そうですね、私も先日の大会で、私をつぶそうと暗躍した人が、私に何度も擦り寄るのを見て、

 この人のために祈ろうと思いました。

 すこしだけ人間革命したみたいです。

50某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/07/06(水) 09:32:15 ID:ixn05g/.0
沖浦克治さん

素晴らしいですね

51Fuyu2009:2011/07/06(水) 22:49:38 ID:nxYu7/yg0
白さん、沖浦さんこんばんは ^^ /

白さん、横スレごめんなさい! 先生の言葉を引用された白さんの問いかけに
強く共感してしまったので、沖浦さんの返事をとても残念に思い思わず書き込み
してしまいました。


沖浦さん、お応えいただきありがとうございます。

私自身はネットにあまり力を注ぐ意思はありませんが、ここの掲示板だけは時々
ロムしに来ます、このスレタイのように建設的な読み応えのある対話を楽しみに
しています。

お邪魔をいたしました、失礼いたします。

52しげきょん:2011/07/06(水) 23:23:22 ID:/817RM5.0
創価学会が折伏弘教すれば 宗門の邪智は敗れて衰退して行くと思います
邪より強い正義の仏法が各人にあれば 邪は。栄えることはなくなり
皆幸福軌道に入れます。皆成仏が実現します。これらも地涌の祈りからです

53沖浦克治:2011/07/07(木) 05:42:56 ID:AJ3hr85o0
 Fuyu2009さん、おはようございます
 
 世界広布に向けて、創価教学は大転換が必要です。
 日蓮正宗の幻影を払拭せねばなりません。
 戒壇本尊本懐論。
 大聖人特別論。
 十界論。
 などです。

 先ず、戒壇本尊は本懐ではありません。
 御書に明確ですが、納得できない人が沢山おられます。
 
 大聖人が仏として特別の悟りをお持ちだ。
 これも嘘です。
 私共と全く同じ人間なのです。
 御書に明確ですが、日蓮正宗時代を引きずる人が沢山おられます。

 十界論は、私共は何処まで行っても、六道です。
 御書に明確ですが、仏界と言う特別な命があると勘違いする方が多いです。

 これらは寛師の幻影に支配される姿なんです。
 世界広布への障害です。

54ロム郎:2011/07/07(木) 05:57:22 ID:R0qLR/s.0
衆生は皆仏といいながら
私どもはどこまでいっても六道てか

頭が割れはじめたな

55沖浦克治:2011/07/07(木) 06:06:36 ID:AJ3hr85o0
 ロム郎さん、おはようございます

 挨拶できませんね〜〜〜。
 六道でそのまま仏なんですよ。
 二乗とか、菩薩とか、仏とかは、六道の衆生の振る舞いにしか顕現しません。
 六道が私共の舞台です。
 御書に書いてあるんですから、仕方ないでしょう。
 文句は大聖人にお言いなさい。

56沖浦克治:2011/07/07(木) 06:12:49 ID:AJ3hr85o0
 ロム郎さん、

 更に詳しく説明しますよ。

 私共は人間ですね、ですから本当の本当は人界だけです。
 人界とは、大きくは社会全体、小さくは個々人の命の場所です。
 地獄だと感じるのも、何かに餓えて欲しいのも、満たされて嬉しいのも、全て個々人の命の中のことです。
 自分が久遠南無妙法蓮華経如来だと悟るのも、我が命の状態です。 
 そして、私共は人間ですから全て人界での出来事です。
 苦難の娑婆世界で悪戦苦闘する私共人類。
 その姿は地獄から菩薩界までの様々な動きをするでしょう。
 その、姿が人間の姿でそのまま全部が仏なんです。

 御書にはそう言うことが書いてあります。
 一度本気でお読みなさい。

57Fuyu2009:2011/07/07(木) 22:05:59 ID:nxYu7/yg0
沖浦さん、こんばんは ^^ /

創価教学は大転換が必要ですか?
私には今ひとつピンとこないようです^^;

日常の活動の中で、そのような先生の指導を見た記憶がありませんし
私が目指したいのは、ほんの少々の部分でも御書を!また先生の指導を
身で読んで体現したい!!っと言う事です。

沖浦さんの揚げられた3っつの論についても日常で関心を持つ機会も
ありませんし・・・いま当面の課題は、私の管理する現場で働いている
おばちゃん(法華講のかた)の頑固なまでに染み込んでいる!葬式に
僧侶が来ないと成仏できないとの観念をどうやって気付かせてあげようか!?!!

何度か対話をしましたが、力の不足を感じるばかりで ^^;
理屈や理論だけでないものが不足している事を実感します

人間関係は良好を保っていますので一歩ずつ自他共の幸福の
道の歩みを進めていくつもりです

58沖浦克治:2011/07/07(木) 22:15:44 ID:AJ3hr85o0
 Fuyu2009さん、今晩は

 釈迦は僧侶が葬式を行うことを禁じました。
 しかし、この事実は日蓮正宗時代は私共には隠されていたのです。
 私の父の葬儀にも僧侶を呼びました。
 でも、本当の仏法の教えはそう言うことを説いていません。

 これから世界に広宣流布するためには、本当のことを明らかにせねばなりませんよ。
 但しこれは私の考えですし、貴方がそう考えないからと言って責めません。
 自由なんですよ。
 一番いけないのは、自分の考えを他人に押し付ける事です。
 今必要なのは対話です。
 対話は困難なことなのです。
 そして対話は説得の手段ではなく、納得の手段です。

 折伏から摂受へ、時代は移っていくでしょうね。

59Fuyu2009:2011/07/08(金) 00:48:53 ID:nxYu7/yg0
沖浦さん^^ /

早速のコメントを返していただいて有難うございます。
今、私が実践しているのは当にそう言う対話だと思っています

こちらの思いを相手の心の中に響かせる事のいかに難しい事か!
毎回痛感します
でもその度に、相手の事を思って唱題できる自分に喜びに似た感情が湧きます。

沖浦さん、「釈迦は僧侶が葬式を行うことを禁じました。」 この事は
対話の中で話しましたが信じようとしません・・・ ^^;

もし、この事の文証をご存知でしたら教えていただけないでしょうか?

60沖浦克治:2011/07/08(金) 05:47:02 ID:AJ3hr85o0
Fuyu2009 さん、おはようございます

 池田先生は、友人葬について、1968年11月27日の聖教新で、

 『御本尊に題目を朝晩あげて、事の一念三千の当体である我々です。死んでだれにお経を読んでもらう必要がありますか。我々こそ、葬式の最高の近代化をうたえる人であり、合理化の先駆者なのです」、「葬式に必ずしもご僧侶を呼ぶ必要はないのです」、「呼びたい人は呼んでもいいが、呼びたくなければ呼ばなくてもよい』

 とご指導です。

 釈尊が生涯のなかで経験した大難は九つあります。これを「九横の大難」といいます。 しかし釈尊は、人々を幸福の軌道から踏み外させる「悪」とは敢然と戦い、大難を乗り越えていきます。
弟子を育てながら、最後まで弘教の旅を続けた釈尊は、死を目前にして、「私は、皆に、わけへだてなく、いっさいの法を説いてきた。まことの仏陀の教えというのは、奥義や秘伝などといって、握り拳のなかに、何かを隠しておくようなことはないのだ」と、悟りのすべてを説き切ったことを宣言しました。
さらに釈尊は、弟子たちが「正しい教え(法)」と「自分自身」を拠り所としていくべきことを教え、「すべては過ぎ去ってゆく。怠りなく励み、修行を完成させなさい…」との言葉を最後に、倶尸那城(クシナーラー)の近くで、八十年とされる生涯を閉じました。釈尊の葬儀は生前の教えにしたがって、出家者は関与せず、在家の人々によって行われました。
仏教は、その誕生から「万人に開かれた宗教」でした。釈尊は、万人にあてはまる真理、すなわち「生命の法」を万人の胸中に花開かせるために、それを阻む「悪」と戦いながら、仏法を弘め続けたのです。


 釈迦は、死の直前に弟子のアーナンダの「釈迦の死に際してわれわれはどうしたらよいか」との問いに、「お前たち(出家=僧侶)は葬儀にかかずらうな。葬儀のことは在家(僧侶ではない)の人たちに任せて、お前たちは修行に専念せよ」と言ったといわれています。

 仏教は、それが生まれたインドでは葬儀とはまったく結びつきがありませんでした。中国において仏教が葬儀にかかわるようになったようですが、それが本格化するのは仏教が日本に伝えられてからのことだと言われています。

61沖浦克治:2011/07/08(金) 05:53:36 ID:AJ3hr85o0
 Fuyu2009 さん

 釈迦がアナンに自分の臨終に際して葬儀に出家は関わるなと言ったことは、広く知られています。
 おそらく死の直前ですので、涅槃経ではないでしょうか?
 大聖人の葬儀は六老僧が関わったと思いますが、これは弟子ですし、中国で既に仏教が葬儀に関わっているので当然でしょう。
 ただ、在家の葬儀に僧侶が関わるようになったのは、江戸時代の檀家制度以降です。
 わかりやすく説明すると、結婚式は最初仏前と言う物はありません。
 キリスト教が日本で始めて、仏教が真似をしたのです。
 江戸時代の人は、結婚式にボンさんなんか呼びません。
 同じですよ。

62ロム郎:2011/07/08(金) 07:37:13 ID:R0qLR/s.0
> 私共は人間ですね、ですから本当の本当は人界だけです

お前は衆生は皆仏と言ってたのではないのか?
いつものうそか?

63堅皇:2011/07/08(金) 08:36:23 ID:jg0x8J7Q0
横槍ですが

> 私共は人間ですね、ですから本当の本当は人界だけです

この考え方は本覚思想を取り入れるなら特別奇異な解釈だと思いませんよ。
むしろ本覚思想を追求するなら正解とも言える理論だとも思います。

創価学会の教義ベースは日寛教義であり本覚思想を取り入れていますから
日寛教義を信受するか、御書全集を全て日蓮の書であるとして信受するとならばそうなりますね。

ただ僕は本覚思想は日蓮の意でもなければ法華経の理から外れていると思っていますけどね。
だからこそ、いつまでも日寛教義や本覚思想を引きずっている創価教学は違うのではないかと言う立場ではいますが。

64沖浦克治:2011/07/08(金) 11:00:38 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、今日は

 御書に書いてあるんです。

 『第二量の字の事
 御義口伝に云く量の字を本門に配当する事は量とは権摂の義なり、本門の心は無作三身を談ず此の無作三身とは仏の上ばかりにて之を云わず、森羅万法を自受用身の自体顕照と談ずる故に迹門にして不変真如の理円を明かす処を改めずして己が当体無作三身と沙汰するが本門事円三千の意なり、是れ即ち桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無作三身の本主なり云云。』
 (御義口伝巻下)

 この通りです。
 そのままの姿で、無作の三身の本主だと書いてあります。
 私の御本仏は大聖人ですので、これを信受しております。

 寛師などは興味がありません。
 国家諌暁してませんでしょう。
 江戸時代に国家諌暁したら弾圧されます。
 だから怖くて出来なかった。
 所詮、檀家制度の中の、葬式仏教の人です。

 大聖人が生きておられたら、檀家制度と戦われて国家諌暁なさいます。
 御書に書いてあります。

 『さては十二日の夜武蔵守殿のあづかりにて夜半に及び頚を切らんがために鎌倉をいでしにわかみやこうぢ(若宮小路)にうちいでて四方に兵のうちつつみてありしかども、日蓮云く各各さわがせ給うなべちの事はなし、八幡大菩薩に最後に申すべき事ありとて馬よりさしをりて高声に申すやう、いかに八幡大菩薩はまことの神か和気清丸が頚を刎られんとせし時は長一丈の月と顕われさせ給い、伝教大師の法華経をかうぜさせ給いし時はむらさきの袈裟を御布施にさづけさせ給いき、今日蓮は日本第一の法華経の行者なり其の上身に一分のあやまちなし、日本国の一切衆生の法華経を謗じて無間大城におつべきをたすけんがために申す法門なり、又大蒙古国よりこの国をせむるならば天照太神正八幡とても安穏におはすべきか、其の上釈迦仏法華経を説き給いしかば多宝仏十万の諸仏菩薩あつまりて日と日と月と月と星と星と鏡と鏡とをならべたるがごとくなりし時、無量の諸天並びに天竺漢土日本国等の善神聖人あつまりたりし時、各各法華経の行者にをろかなるまじき由の誓状まいらせよとせめられしかば一一に御誓状を立てられしぞかし、さるにては日蓮が申すまでもなしいそぎいそぎこそ誓状の宿願をとげさせ給うべきにいかに此の処にはをちあわせ給はぬぞとたかだかと申す、さて最後には日蓮今夜頚切られて霊山浄土へまいりてあらん時はまづ天照太神正八幡こそ起請を用いぬかみにて候いけれとさしきりて教主釈尊に申し上げ候はんずるぞいたしとおぼさばいそぎいそぎ御計らいあるべしとて又馬にのりぬ。』
 (種種御振舞御書)

 寛師ね、この御書知識として、学問としては知ってたでしょうね。
 然しながら、御書と同じ行為は出来ませんでした。
 目で読んで、身で読めない人です。
 堕落僧ですよ。

65沖浦克治:2011/07/08(金) 11:01:29 ID:AJ3hr85o0
 ロム郎さん、こんにちは

 貴方挨拶できませんね。
 暫くアクセスをお断りいたします。

66堅皇:2011/07/08(金) 16:10:40 ID:jg0x8J7Q0
沖浦さんお久しぶりです。

> そのままの姿で、無作の三身の本主だと書いてあります。
> 私の御本仏は大聖人ですので、これを信受しております。

沖浦さんは「御本仏」の信仰者ですし、創価学会も「御本仏」信仰の団体ですから
それはそれで良いのではと思っています。
ただ僕は「本仏」と言う存在は妙法蓮華経の諸法実相から外れますので信じていませんし
「本仏」と言う台密の己議を日蓮は用いてはいないだろうと思っていますから。

御書検索でざっと「本仏」と入れて検索を掛けてみたところヒットしたのは7件。
「十法界事」「当体義抄」「御義口伝」「百六箇抄」「四菩薩造立抄」「諸法実相抄」
いずれも揃いも揃って真蹟のなしって物凄く胡散臭いものを感じます。

100歩譲って「十法界事」は正元元年の作でありますから、この頃は誤って「本仏」と口にしたということも考えられますが
「当体義抄」「四菩薩造立抄」「諸法実相抄」あたりは確実に日蓮の書ではないと思っていますし
「百六箇抄」と同様に日蓮正宗の歴代法主による作である可能性は高いと思っています。
加えて「御義口伝」は明らかに日興筆であり
日興さんの教学力では日蓮の真意を全て書き留める事は到底無理であると思います。

創価学会では未だに日蓮正宗の教学から抜け出す事が出来ずに
日興さんが日蓮の唯一継承者と言う見方をしていますが
僕は法華経における相承の形と言うものは地湧の菩薩に託すものであり
口伝・相伝・秘伝と言った形で相承するものではないと思っています。

口伝を持って正位正統性を重んじるのは、うちは龍樹菩薩から代々続いているんだと言う真言密教の主張ですね。
日蓮正宗もしかり、伝統と法主しか解りえぬと言う口伝による秘伝を沢山抱えた密教教団ですから、当然法華経とは無縁です。
真言密教や日蓮正宗の様に仏法を伝言ゲームのように伝えていくというのでは
どう正確に伝えられようかと言う話ですね。

天台の様に密教ではなく全ての法を明らかに顕せば、後世にこの法華経の理を読み理解できる地湧の菩薩が
伝教や日蓮の様に次々に現れ出でる事になりますが
日蓮正宗の様に秘すべし秘すべしの密教であれば地湧の菩薩はいつまで経っても現れる事はないという話ですね。

そう考えると日蓮が日興さんだけにこっそりと贈った秘伝書なんてものは僕は存在しないと思います。
もし仮に存在するとするならば、日蓮は法華経の行者では無かったのでは無いかと疑ってしまいますね。

67威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/07/08(金) 16:33:24 ID:s7GC9YSk0
未来部にも分かりやすいように、仏法を教えてあげた方が良いと思います。
せっかく御本尊様があるのに、その使用法や唱える意義を教えてあげないのはかわいそうです。
今の未来部を見ていると、大人の側がきちんと仏法の良さを語っていないと感じます。

「まだ子供だからいいか…」といった事で後回しにしてしまっている感が私には感じるのです。
「何か有ったら、御本尊様に祈ってごらん、どんな事も解決するし、願いも叶うよ」と教えていくのが、慈悲の精神ではないですか?
未来部の為に仏法を教えていくのも、一つの折伏だと思います。
未来部で熱心に信心をしている人は残念ながら少数派です、少なくとも自分の地区の未来部はそうです。
何のための未来部か、これでは分かりません。仏法の良さを、もっと、もっと語っていってほしいです。私も話していきます。

68沖浦克治:2011/07/08(金) 17:28:14 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、今日は

 大聖人が御本仏であるかどうか?
 信じる私の問題です。
 ここは認識の問題ですので、価値ではありません。
 例えば、大聖人が人だと思って御本尊に唱える題目と、本仏だと信じて唱える題目の効用は変わりません。
 祈りの強さはそう言うことに左右されません。
 御書経文に明らかなんです。

 『問う其の義を知らざる人唯南無妙法蓮華経と唱うるに解義の功徳を具するや否や、答う小児乳を含むに其の味を知らざれども自然に身を益す耆婆が妙薬誰か弁えて之を服せん水心無けれども火を消し火物を焼く豈覚有らんや』
 (四信五品抄)

 ですので、大聖人が本仏かどうか?
 法を行じる人間にはそれほど関係がありません。

 大聖人が一切衆生が久遠南無妙法蓮華経如来だと悟られ、それを自行化他のお題目として世間に出された。
 この、最初の方が大聖人です。 
 だから、私は本仏だと定めています。
 ですが、摩訶不思議なお方だとは思いません。
 私と全く同じ人間です。
 コロンブスがアメリカ大陸を発見したから、コロンブスがアメリカ大陸を作ったわけではありません。
 同じく、大聖人がそう言う悟りを開かれたからと言って、その法を大聖人が作り出したわけではありません。
 どうも、ネットの学会員と法華講の方々は、ここに迷いがありますよ。
 釈迦の言葉ですが、

 『私は、皆に、わけへだてなく、いっさいの法を説いてきた。まことの仏陀の教えというのは、奥義や秘伝などといって、握り拳のなかに、何かを隠しておくようなことはないのだ』

 ですので、大聖人から興師へ唯授一人の道理がありません。
 今後創価思想はその点を極めて行くでしょう。
 今、私は凄く期待しているのです。

69威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/07/08(金) 18:23:54 ID:s7GC9YSk0
未来部、子供にも分かりやすいように現代文の御書などを出版したら、きっと子供も関心を示すと思います。
沖浦さん、この提案はどうでしょうか?

70タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/07/08(金) 20:08:03 ID:WwDrUF2wO
>>69←威風堂々さんお久しぶりです。今晩は。

未来部の人にもわかる現代訳の御書をと言う気持ちは、初心者の私の場合、未入会の時にはそんなんあれば良いな!と思ったが、今のところ、昔言葉「何々で候う」とかで書かれている通りに、未来部の子供もそのままの文章で、習った方が良いとすごく感じて居ます。小さい時に現代訳の御書で慣れてしまうと、大きくなってから、昔言葉から歴史的な背景、情景を想像したり、調べる、学ぶ、考える、その時代ではどんな着物を着てどんな食べ物で過ごし、どんな仕事をしていたか等の、想像力を働かす知恵が、面倒臭くなって、信、行、学の大事な学びや行い、信心の過程にかえって妨げになるような気がして良くないと私は最近御書学に行きながら痛切に感じて居ます。
言葉は昔言葉で難しいが、その身そのまま信受のためには、外国人むけに訳された御書は多少現代言葉かもしれないが、昔の美しい日本語の御書を下手に現代訳にしない方が良いと感じています。

71沖浦克治:2011/07/08(金) 22:15:25 ID:AJ3hr85o0
 威風堂々さん、今晩は

 御書と、現代訳を同時に書いておくといいでしょうね。

 枕草子でも、現代語にないリズムなどがあるでしょう。
 御書は特にそうです。
 大聖人の命のリズムのようなものがあるのです。

72威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/07/09(土) 00:08:06 ID:s7GC9YSk0
タンポポさん、大変お久しぶりです。タンポポさん、沖浦さん、こんばんは。お元気にしておりましたか?
私は今日、座談会に出席してきました。とても楽しく座談会を過ごすことができました。
そして、その後唱題会を行いました。折伏に挑戦する子のために皆で祈りました。
素晴らしい一日でした。

73堅皇:2011/07/09(土) 00:19:45 ID:jg0x8J7Q0
沖浦さん

> 例えば、大聖人が人だと思って御本尊に唱える題目と、本仏だと信じて唱える題目の効用は変わりません。

これはその通りだと思います。
そもそも仏と言うものは神の様な特別な存在のものを指すわけではなく
人々の内にある最上(妙)の状態を指すものでありますからね。
つまるところ、一切衆生、全ての人々が仏であるという事です。

ところが台密の「本覚思想」はいけませんね。
「本仏」と言うまるで居もしない神の様な存在があると言ってしまっているのですから。
これでは折角の仏法、妙法蓮華経と言うものが台無しになってしまいます。
バラモンの教えに逆戻りにしているわけですから。

御本尊とは最上の法である「妙法蓮華経」という法を中心に据え、一切衆生の諸仏を讃える為にあるものです。
これは曼荼羅に書かれているものを見れば一目瞭然ですね。
本仏と言う一仏だけを讃える為にあるものではないと言う事です。
であれば曼荼羅ではなく唯一言「南無日蓮」で事足りるわけですから。
台密が作り出した本覚思想の本仏主義だと一仏だけを讃える念仏とその理論が変わらなくなってしまいますから。

もちろん、最も尊敬する人物を本仏だと思い讃える行為自体は純粋な心から来るものですが、この考えは方便であるという事ですね。
一仏だけを讃える行為に執着してしまうと、他の諸仏を怨嫉誹謗してしまう事に繋がりますから。

これは>>46 で沖浦さんが述べている事ですね。
仏法において最も罪が重いのは怨嫉謗法であると僕も思います。
本仏信仰、一仏信仰の最大の問題は、自身の信じる仏さんを守ろうとするあまり他の諸仏を怨嫉誹謗する事になりますからね。
この怨嫉謗法こそが諸悪の根源であり不幸の原因であり一凶であるという事ですね。

> 『私は、皆に、わけへだてなく、いっさいの法を説いてきた。まことの仏陀の教えというのは、
> 奥義や秘伝などといって、握り拳のなかに、何かを隠しておくようなことはないのだ』

この部分は全く持って同意ですね。

> 今後創価思想はその点を極めて行くでしょう。
> 今、私は凄く期待しているのです。

であれば良いのですけどね、でも今の学会員さんを見る限りではあまりにも
自分たちの正義にだけ固執して周りの人に対する怨嫉誹謗が目立っていますからね。
これは組織のトップから怨嫉誹謗の体質が染み付いているのではと思います。

創価学会では正法、正法と口々に他者への怨嫉誹謗が盛んですが
法華経は単なる正法では無く、正法の中でも最上である妙法の事を指すわけですからね。

74しげきょん:2011/07/09(土) 00:37:14 ID:/817RM5.0
大聖人が唯受一人に、心を込めたとは疑わしいですね
坊さんが権威もって信徒支配してしまうと 想像します
仏法僧の 三宝信受をベースに成り立つから 僧宝は日興上人になってるけど
でも大石寺中心の広布は滅んでしまってるし
日興上人をz宗門は権威の為に用いることでもしでかしそうである
故に僧宝は大聖人の己心の僧宝を観念しようと思っている

75沖浦克治:2011/07/09(土) 06:36:24 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、おはようございます

 本覚思想と言う物は、大聖人仏法にはありません。
 あえて言うなら、本迷思想です。
 衆生は迷っている。
 これですよ。
 悟る事も出来る。
 だけどそれは不可能なほど困難だ。

 難信難解、難解難入。

 こんなに駄目で苦しくて、悩んで、困って、行き詰って、迷惑かけて、嫌われて、
 それでも、自分が久遠南無妙法蓮華経如来だ。

 こんな事普通信じられません。
 でも、法華経にも御書にもそう書いてあります。
 ですので、後はそれを信じて行動に結びつけるか、信じないでそのままで生きるか?
 どっちかです。
 所詮、仏法は人の行動以外には顕現いたしません。
 それを、九界即仏界と言います。

 唱題の時間ですので、又後ほど。

76:2011/07/09(土) 08:04:42 ID:gVXsRTgY0
>>73
堅皇さん、はじめまして。

堅皇さんが、想学サロンで話されているのを少しロムさせていただいておりました。
それぐらいでしか、堅皇さんを知りませんが、二つだけお聞きしたいことがあります。答えていただければありがたいです。

一つは、なぜ、創価学会を退会されたか、そして、御書をある程度勉強されて来られたのに、どうして、退会させようとされるのか、です。
もう一つは、堅皇さんのつかんだもの、今まで仏道修行(御書の勉強もそうでしょう)をされてこられて、仏という命を感じられた(言葉ではうまく話せませんが)ことがおありでしょうか。

以上二つのことを、よろしければ、お聞きしたいのですが。


沖浦さん、おはようございます。

堅皇さんから、遠回しに怨嫉謗法を指摘されていると感じましたが、いろいろと引用の仕方、言葉の使い方が誤解を、というか、これで皆さんが理解されるのかと思う時があるのですが。
たとえば、
〉耕治は私の何百倍も功徳を出すでしょう。
〉私とは祈りの強さが桁違いですから。

〉祈りの強さはそう言うことに左右されません。そして四信五品抄の文を引用されている。
一見矛盾してないように感じられますが、ちょっと違うような、大聖人をどう見るかについて、そのようなことは、それぞれのとらえ方というか、命の次元の問題というか。

それで、沖浦さんにも、もしよろしければ、一つお聞きしたい。
仏という命を感じられた(言葉ではうまく話せませんが)ことがおありでしょうか。

77堅皇:2011/07/09(土) 11:38:22 ID:jg0x8J7Q0
>>沖浦さん

> 難信難解、難解難入。

一つ言える事は、難信難解は読んで字のごとく難しいと言う事であり
不可能と言う事ではないと言う事です。
どうも創価学会では凡夫では不可能と解釈される方が多いようで。

また、日蓮の言葉を借りるなら
それを理解する事は利根でも通力でもなく、ただ法門(経文)に依るべきであると。
つまり、賢い人が言っているから、実績が多い人が言っているから正しいと言う事ではないと言う事です。

要するに馬鹿でも理解する事が不可能ではなく、賢くても理解する事が難しいと言う事。
この例えは一般的に須梨槃特と舎利弗を例に出して例えられていますね。

また須梨槃特が悟りを開いたのは釈迦の言いなりになったからではなく
釈迦が与えた僅かな課題により、ちゃんと自分で考えて答えを導き出したからと言う事ですね。

要するに今の創価学会には舎利弗の様に利根がある人は大勢いるが
須梨槃特の様に自分で答えを模索しようとする人は少なくなったと言う事ですね。

78堅皇:2011/07/09(土) 11:39:33 ID:jg0x8J7Q0
>>白さん

> なぜ、創価学会を退会されたか

創価学会では創価学会の人しか救おうとしないと感じたから
自分で物を考えない人ばかりと感じたからですかね。

組織がこの様な状態であるなら組織にあえて留まるより
物事をボーダレスに考えるためにですね。
創価学会を軸として考えた話、組織内、組織外という分け隔てなく対話をするためですかね。

> 御書をある程度勉強されて来られたのに、どうして、退会させようとされるのか

一つ誤解があるかと思います。
僕は誰も退会させようとは考えておりません。
創価にいたければ居れば良いですし、やめたければやめれば良いと考えています。
その辺は個々の自由ですからやめなさいなんて事は言うつもりはありません。

ただ、学会員の多くの方と話して感じる事は
組織に在籍し続ける事が信心だと思い込んでいる人が多いと感じています。
これは違うと思いますね。

僕自身の退会に関しては
ご本尊に題目を一生懸命祈りながら御書をある程度勉強した結果出した答えです。
仏法を研鑽すればするほど、創価学会で教わる事では見識が浅くこのままい続けても得るものがないと感じたからですね。

79堅皇:2011/07/09(土) 12:53:44 ID:jg0x8J7Q0
二つ目を答えてなかったですね。
申し訳ないです。

> 仏という命を感じられたことがおありでしょうか。

仏と言うと難しく考えられる事でしょうが
平たく言えば悟る心と言う事になります。

何かを悟ったかと言えば人間の生活を行っている限り数々の悟りと言うものは経験する事と思います。
また、この悟りと言う行為には際限はありません。

仏法では無始無終を説いていますので悟りと言うものに終わりがあるとも思えませんね。
死を持って完了すると言うのであれば、これは仏法で説かれている無始無終に反していると思います。

例えば釈迦、例えば天台、例えば日蓮。
これらの方々は自身が生きている環境下の中で最上に悟りを得たと思い生涯を全うされた方々だと思います。
時代の流れの中で、当然天台は釈迦以上に、日蓮は天台以上に悟りを追い求めたと言う事でしょう。

それでも終わりがないのが仏法であるという事ですね。

翻って、今我々が生きている現代は日蓮が生きた鎌倉時代よりも多くの事を知り悟り
この悟りによって生活に生かされてきているものと思います。
もちろん我々がこの様な悟りを得る事が出来ると言う事は先人の知恵の種があってこその話です。

ですから先人の知恵は知恵でそれを尊びながら、その知恵を更なる発展をさせる必要があると思います。
先人の出した知恵に逆らい道理に反していては発展は出来ませんし
先人の知恵だけに執着し依存しても、また発展する事は出来ません。

日蓮に車を渡しても運転は出来ませんが、我々は車の運転が出来ます。
パソコンを使いネットを使う事だってできます。
我々より後に生まれる人たちは、おそらくは我々が知る事以上なものを悟る事になると思います。

大切な事は今の環境下において自分がどう最上の生き方が出来るかと言う事が
大事なことであるといえるのではないでしょうか。

80沖浦克治:2011/07/09(土) 13:31:49 ID:AJ3hr85o0
 白さん、今日は

 耕治は生まれた時からの創価人です。
 利害関係で入会した私とはスタート位置が異なります。
 ですので、純粋な祈りを子供の時から体験して育っています。
 私とは祈りの純粋さに大きな差があるのです。
 とても私は勝てません。

 祈りは体験で強くなります。
 理屈で強くなりません。
 祈りを強くする物は、功徳罰と言う行動に顕れる結果なのです。
 理論武装して、祈りは強くなりません。
 世間と同じですよ。

 私はジムを経営していますが、3年見学していても、全く強くなりません。
 3年真面目に練習すると、強くなります。
 練習を積み重ねると、パワーアップと言う結果が必ず出ます。
 その結果でドンドン確信が出来、更なるトレーニングにつながります。
 そして又結果、又確信。
 そう言う積み重ねから、世界チャンピオンが出ます。
 見学からは生まれません。

 祈りも同じなんですよ。
 修利槃特と舎利弗、どっちが先に悟りましたか?
 行動する人が先なんです。

 仏界を感じたことがあるか?
 あると思います。
 3度ありますよ。

81沖浦克治:2011/07/09(土) 13:41:50 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん

 悟りを得る事は困難ですが不可能ではありません。
 御書、経文に書いてありますし、私もそう信じます。
 
 ネットの創価学会員を名乗る方の書き込みを見れば、真面目に思索する方がほとんど見られません。
 正信掲示板と言う板がリニューアルされていますが、そこに典型的な意見が書かれています。

 丙子さんという方ですが、宗派はわかりません。

>出世の本懐と位置付けるならネット上で軽々しく遡上に乗せるものでもないでしょう。

 この意見に創価学会員をなのる、んっ?さんが賛同しています。
 これがネットの学会員のレベルなんですよ。
 情けないです。

82しげきょん:2011/07/09(土) 15:10:02 ID:/817RM5.0
堅君には創価は小さい狭い世界で真に大聖人の世界に飛び羽ばたいたのだ
創価は卒業さ 誰も 止めやしないよ そのまま 爆進してくださいな
僕は創価に残るだって使命があるからさ

83:2011/07/09(土) 17:17:13 ID:gVXsRTgY0
>>79
堅皇さん、いろいろ教えていただき、ありがとうございました。

堅皇さんの文字の表現からだけですが、堅皇さんは、縁覚の状態を仏の命と言われているように思えました。
違っていたらごめんなさい。

文字は伝えることが困難な場合も多いですね。

堅皇さんは、いったい何をされたいのですか。仏になりたいですか?

〉創価学会では創価学会の人しか救おうとしないと感じたから
〉自分で物を考えない人ばかりと感じたからですかね。

そう感じられたのは残念でしたね。みんな悩んでいるんですよ。

堅皇さんは、折伏したことがありますか?その方の人生に責任を持たねばなりませんが。
一人の人でさえ、真剣に向き合うのはしんどいですよ。

また、組織の中は、本当に困っている方もいっぱいいらっしゃいます。

〉物を考えない人ばかり、というような上から目線ではなく

その方々に、勇気や希望を与えませんか。

もったいないですよ。組織を退会されて新しい世界が広がったわけですから、仏の行動を起こしたらどうですか。

84:2011/07/09(土) 17:25:29 ID:gVXsRTgY0
>>80
沖浦さん、こんにちは。聞きたかったこととは少し違っておりましたが、ありがとうございました。

85沖浦克治:2011/07/09(土) 19:20:33 ID:AJ3hr85o0
 白さん、今晩は

 そうですか、具体的にご質問くだされば、具体的にお答えいたしますよ。

86威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/07/09(土) 20:10:45 ID:s7GC9YSk0
学会を一度退会すると、再度入会する事はできないと聞きましたが、事実でしょうか?

87Fuyu2009:2011/07/09(土) 21:29:33 ID:nxYu7/yg0
沖浦さん、こんばんは

昨夜は来れなくてお礼もせずスミマセンでした、ありがとうございました。
涅槃経ですか・・・^^; 

そのおばちゃんも、まじめに法華講を信じていて善意で私に「一緒にやろう」
っと誘います^^;
そして僧侶のいない学会の葬式を間違いだと心の底から信じているのだと思います

沖浦さんが書いていただいた内容の話も何点かしましたがまったく響かない!
という感じです ^^;

自分が確信している事でも他者に納得してもらう事は非常に難事ですね
動執生疑が生じるようおばちゃんの幸福を本気で祈り誠実に対話を続けて
行こうと思います。

ありがとうございました。

88:2011/07/09(土) 22:40:45 ID:gVXsRTgY0
>>85
沖浦さん、こんばんは。
私は、生意気ですが、その方の考えるまたは捉えている、感じている、仏とはどういうものか、仏の命とはどのようなものかを聞けば、その方の信心の深みがわかると思っています。
これは、唯佛與佛のようなもので、言葉ではないとは思いますが、そのように思いますし、そこから功徳とは何か、その方の価値観が出てくるものと思っています。生意気ですが。

89沖浦克治:2011/07/09(土) 22:56:39 ID:AJ3hr85o0
 白さん、今晩は

 仏とは何か?
 命の歓喜です。
 生きている事自体への感謝と喜び。
 創価の人間として題目を唱え広める喜び。

 喜悦ですね。

90沖浦克治:2011/07/09(土) 22:57:47 ID:AJ3hr85o0
白さん

 創価です。

91:2011/07/09(土) 23:23:59 ID:gVXsRTgY0
>>86
威風堂々さん、さぁーどうでしょうかね。

組織に再入信する必要があるかどうかも含めて、是非『(新)人間革命』を読んでみてください。

(今日読んだところの一部です)
新人間革命第19巻199-200㌻

生きるということは、戦うということである。
細胞も戦っている。血液も戦っている。人生も闘争だ。社会も闘争だ。

省略

―私たちは、なんのために戦うのか。

自身の幸福のためである。何があっても挫けない、自分自身を築くためである。人間革命のためである。
また、人びとの幸福のためである。社会の繁栄と平和のためである。

省略

私たちは、妙法をもって、末法の一切衆生を救うために出現した地涌の菩薩である。まさに広宣流布という「人間全体の幸福」の実現こそ、私たちの使命だ。
戦う限り、勝たねばならない。絶対に勝つと決めて、戦い抜くのだ。
勝利のためには、何よりも己自身を制覇せねばならぬ。牙をむく獰猛な敵も、所詮は自分の心の影にすぎない。

自身に勝つのだ!
臆病に勝つのだ!
あきらめの心に勝つのだ!
怠惰に勝つのだ!
自身に打ち勝ってこそ、大いなる「前進」があり、燦然と「勝利」の陽光は輝くのだ。

威風堂々さん、引用長くてすみません。

92:2011/07/09(土) 23:29:07 ID:gVXsRTgY0
>>90
沖浦さん、ありがとうございました。

93沖浦克治:2011/07/10(日) 06:46:02 ID:AJ3hr85o0
威風堂々さん、おはようございます

 創価学会辞めたら二度と入れない?

 どうでしょうか?
 憲法では信教の自由を国民に保障しているでしょう。
 ですので、全ての国民は、全ての宗教に入ったり辞めたり出来るんじゃないでしょうか?

94沖浦克治:2011/07/10(日) 06:46:56 ID:AJ3hr85o0
 白さん、おはようございます
 
 ご質問がご質問ですから、抽象的な回答しかできませんが、何なりとどうぞ。

95堅皇:2011/07/10(日) 18:19:10 ID:jg0x8J7Q0
>>83
白さん

> 堅皇さんの文字の表現からだけですが、堅皇さんは、縁覚の状態を仏の命と言われているように思えました。

確かに伝えるのは難しいのですが
縁覚の「悟り」と言う物は迷信とか思い込みによる我見と言う事も含まれるわけですからね。
それに対する仏の「悟り」は納得行く真実の「悟り」となるわけですから「悟り」の種類が違ってくるわけですね。

我見となる思い込みを払い本当の真実と言うものを見出す事が出来れば
縁覚を持ってして菩提に転じる、仏界の悟りに到達すると言うところでしょうか。
もっとも菩提に転じる事ができるのは縁覚だけではなく
>>83
白さん

> 堅皇さんの文字の表現からだけですが、堅皇さんは、縁覚の状態を仏の命と言われているように思えました。

確かに伝えるのは難しいのですが
縁覚とは縁によって覚えるものでありますから
縁覚の「悟り」と言う物は迷信とか思い込みによる我見と言う事も含まれるかと思います。
それに対する仏の「悟り」は納得行く真実の「悟り」となるわけですから「悟り」の種類が違ってくるわけですね。

我見となる思い込みを払い本当の真実と言うものを見出す事が出来れば
縁覚を持ってして菩提に転じる、仏界の悟りに到達すると言うところでしょうか。
もっとも菩提に転じる事ができるのは縁覚だけではなく
地獄から菩薩までどの状態にある事にでも菩提に転じる事が出来るからこそ「九界即仏界」でもあるわけですね。

縁覚であるなら確固たる理論を得る事
地獄なら地獄を知り、地獄から抜け出したり、また陥らないような智慧を付ける事
菩薩なら助ける事が出来た段階で仏となり
助けられない状態では、助けたいと言う思う気持ちは立派であるが
菩薩と言う名の煩悩の1つであり仏には至っていないと言うところですかね。

ちなみに沖浦さんの言う
>>89 での
> 仏とは何か?
> 命の歓喜です。・・・喜悦ですね。

とのお話ですが、これだけでは仏と言う事ではなく天界であると言えるとも思います。
天界とは理由も解らずにラッキーと言う状態です。

いやいや、題目を唱えたから起こり得る命の歓喜なのだと言うのは解りますが
何故に題目を唱えれば命が歓喜するかを理解していない場合は対象を見誤る可能性があると言う事です。

例えるなら「本覚思想」で言う御本仏のお陰ですと解釈するのは迷信の類であると思いますし
オカルト的な思考であると僕は思います。
これでは本当の意味で悟ったと言えないと思いますね。

仏界とは誰の心にも備わっているものであり
尚且つそれを絶えず継続し続ける事は困難なものであると言えるかと思います。

96:2011/07/11(月) 02:12:28 ID:gVXsRTgY0
>>95
堅皇さん、こんばんは。こんな遅くにすみません。そしてありがとうございます。

堅皇さんの仰られていること、堅皇さんが何をいいたいのか、私の解釈の、言葉の定義の中でしか読めませんが、
私には全く響きません。共感できません。本覚思想やオカルト的思考とかもわかりません、と言った方がいいでしょうか。

〉それに対する仏の「悟り」は納得行く真実の「悟り」となるわけですから「悟り」の種類が違ってくるわけですね。
これは、
〉79で話されたことと整合性というか主張されていることの”ゆれ”はありませんか。

でも、共感できるのもいくつかはあります。たとえば、

> 仏とは何か?
> 命の歓喜です。・・・喜悦ですね。

これは、堅皇さんが言われるように、こういう表現はしませんね。私はですが。

私の質問に詳しく答えてくださってありがとうございました。もう、仏についての説明はいりません。

ただ、堅皇さんには、それよりお聞きしたいことがあります。

何をしたいのか。

それをすべきですよ。もったいないですよ。
もし議論に打ち勝とうということが目的ならば、意味はあまりないと思いますよ。

堅皇さんは、仏とは何かを知っていらっしゃると言われているようですから、行動すべきではないですか。仏が目指したものを。仏の命が目指すものを。

97沖浦克治:2011/07/11(月) 07:29:34 ID:VWMzi0Wgo
 堅皇さん、おはようございます

 歓喜は天界です。
 何処まで行っても私共の最高の喜びは天界なんです。
 御書にそうあります。

 『法華宗の心は一念三千性悪性善妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり、』
 (治病大小権実違目)

 天界までなんです。 
 たとえばニュートンが万有引力の法則を発見した。
 これは、縁覚です。 
 その縁覚の喜びは、天界なんです。
 菩薩が誰かを救った。
 うれしいでしょうね。
 そのうれしさも天界なんです。

 ですから、あらゆる喜びは一時的なものです。
 永遠に続く喜びはありません。
 釈迦は、涅槃の前に横になって休みたいと言いました。
 煩悩があるのです。
 横になって楽になると天界の喜びです。
 何処まで行っても天界なんです。
 だから、成仏がゴールではありません。
 今悟っっても、また、迷う。
 それが命と言うもの性質で、絶対に変わらないのです。 
 ですから、仏の生命が特別なものではなく、全ての命は仏で、それを覚知するか迷うか。
 それだけです。
 当然、身が震えるような歓喜の中で、

 ああ、御書は本当だった、俺は仏なんだ。

 こう感じることがあります。
 まじめに仏道修行していればですが。
 私は3回ありました。
 しかしその歓喜が過ぎ去れば、元の私です。
 そう言うことは永久に続くでしょう。
 ゴールインはないのです。
 だから面白いですね。

 『君よ一生を劇の如くに!』

 池田先生に若いころ教わりましたが、最近は本当だと思います。
 何よりの功徳ですよ。

98堅皇:2011/07/11(月) 10:47:40 ID:jg0x8J7Q0
>>白さん、沖浦さん

要するに僕の中での仏と言う定義は
人間が生活している状態の中で時折姿を現しているものと言う解釈であると言う事です。

しかし、皆さんが考えている仏と言う存在は人間が普通に生活している中では
一切現れないという人間の能力を超えた何かと言う解釈に立たれているものと思います。
更に言えば、その能力と言うものは「絶対的」なものであると言うところでしょうか。

しかし、法華経で説かれるところには「絶対的」なものはないものであるとされています。
天台教学ではこの法華経を「絶待妙」と釈し日蓮もこの「絶待妙」を用いています。
「絶待妙」とは「絶対」を破するところにあるわけです。

成仏と言うものが絶対的なものでない事から
この仏と言う状態をキープする事は難しいと言う事ですね。

ですから、かつての釈迦が提婆達多となる事もあるわけで
いついかなる場合でも仏の心を持ち続けると言う事が困難であるという事です。

これは逆も言えることで、かつての提婆達多が釈迦にも成り得る事ができる。
これがまさしく「煩悩即菩提」であるという事ですね。

沖浦さんの用いたニュートンの例を取りますと。
りんごが木から落ちる事例を発見し、これが声聞にあたるわけで
そこに重力と言うものが存在するのではないかと仮定する、これが縁覚であるという事。
更に実験を重ね、万有引力の法則を確固たる理論として証明させる、この時点で仏ですね。
もちろん自身が発見した万有引力の法則を発表し天界の感情も現れることでしょう。

この様にニュートンはその時折時折において感情の変化
十界の中を行き来していると言う事になります。

また、万有引力の法則を悟ったからそれで終わりかといえば
悟るべき事柄と言うものは切がないわけです。
それぞれの生活の中にまた新たな疑問が生まれ、その疑問から仮説を立てそれを証明させていく
全てはこの繰り返しであると言う事ですね。

要するに仏界と言うものはゴールと言うものではなく
新たな問題へ取り組む為のスタート地点であると言う事ですね。

妙法と言うものが絶対的なものと言うゴールがない「絶待」であるため
難信難解の法と呼ばれるのであると思いますね。

99タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/07/11(月) 14:25:46 ID:WwDrUF2wO
思う所があって、辞めた人を、信教の自由の保証が憲法で日本では、定められているならば、辞めた人に対して絶対に裏切り者や差別扱い、村全体が創価学会の場合や他の宗教の町でも、村八分的排他的追い出す行為やいじめの対象になるような、扱いをしないように振る舞い方にはアムネスティの国際人権団体も厳しく見ているため、ご注意ください。

100臥薪嘗胆:2011/07/11(月) 17:58:42 ID:OSIoPS/E0
>村八分的排他的追い出す行為やいじめの対象

あなたの心の奥にそういう思想があるから
書き込んでしまうんだよ。
あなたの「ご注意ください。」書き込みは
すべて「煽り」ですよ。

101臥薪嘗胆:2011/07/11(月) 18:15:14 ID:OSIoPS/E0
村八分的  排他的  追い出す行為  いじめの対象

どこの地域の誰がこういう事をしてるのですか??
実例を教えてください。

あなたと国際人権団体の関係も詳しく教えてください。

102沖浦克治:2011/07/11(月) 21:02:33 ID:ixo0puJso
 タンポポさん、今晩は

>>101

無視していただいて結構ですよ。

103タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/07/11(月) 21:25:32 ID:WwDrUF2wO
>>100←臥薪嘗胆さん。今晩は。お久しぶりです。私にそういう思想があるからこんな書き込みになる?
何でそう決めつけれますか? 全体に向けて、「ご注意下さい」と言えば、私も自分で気をつけて行くべし事に心掛けに、決めてるので、とやかく言われる筋合いは無いですね。もっと素直に読み取って行って下さいね。
国際人権団体のアムネスティは日本にも中国にも韓国にも北朝鮮にも、いろんな所で人権がどうなっているか?調べてはりますね。。具体的なデータは手元に無いから言えないが、 そういう事に厳しいって事を知識として知っているだけですね。国際社会で、通じない在り方になんない様に人間性豊かに暮らせる約束がなされているか?常に改善し人間を大事に考え振る舞う努力がどんな宗教にも大事かといつも思って居ます。
ちょっとでもかつてナチスがしたような差別や、アパルトヘイトみたいな隔離政策、ライ病の関係でかつて移るとされたために、隔離病棟に差別隔離してしまったかつての日本医療政策みたいな事になんない努力、意識をして大事にしなくては、未来は、よくなりません。創価学会は、特に人権展をよく開催して意識は高いはずですからね。。

104タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/07/11(月) 21:30:06 ID:WwDrUF2wO
>>102←沖浦さん読み取り遅くなりすみません。考えは述べてしまいましたが以後、了解。ありがとうございました。
今から夜11時までお題目の楽しみの時間です。

済んだら寝ます。本日はありがとうございました。お休みなさいませ。

105:2011/07/12(火) 00:51:03 ID:gVXsRTgY0
>>98
堅皇さん、こんばんは。

> 要するに僕の中での仏と言う定義は
> 人間が生活している状態の中で時折姿を現しているものと言う解釈であると言う事です。

もう仏については、感得の問題でしょうから、堅皇さんがそう思われるならそれでいいと思います。

それ以下の文は、言葉の定義が共有されているかどうかわかりませんが、どうしてこのような言葉が出てくるのだろうと不思議なんです。

たとえば、
> しかし、皆さんが考えている仏と言う存在は人間が普通に生活している中では
> 一切現れないという人間の能力を超えた何かと言う解釈

「普通に生活している中では一切現れない」という表現ではなくて、「一切覚知されない」という表現ならば、少しは話し合えると思いますが、

> 更に言えば、その能力と言うものは「絶対的」なものであると言うところでしょうか。

なぜ、このような、キリスト教がどのようなものか深くは知りませんが、キリスト教的絶対の神、みたいな発言をされるのか。前の文とも整合していません。(私の読み方でしかありませんが)

私が若いころ、このような話を、毎日毎日それこそ議論を戦わせておりました。こちらは折伏するつもりでいろいろと勉強して話すのですが、
水掛け論、もしくは言葉の定義が違う、君はそのようにできるのか、分かっているのか、などで結局、無駄とは言いませんが、時間だけが過ぎていったような気がします。

それより、その仏の命が分かったなら、じゃあ、どうするか、が大事なんではないですか。堅皇さんも地涌の菩薩でしょう。

堅皇さんは聞かれたこともあると思います、ご存知と思います。戸田先生の仏とは何か。

戸田城聖全集第2巻質問会編12㌻から

”さらに、私の体験から話をします。
いまから十年前に、「仏とは何であろうか、いるのか、いないのか」と考え、仏教書を読んだがわからず、無量義教につきあたりました。
それには「其の身は有に非ず亦無に非ず・・・:紅に非ず紫種種の色に非ず」(無量義教徳行品第1)とあり、真剣に悩み考えたすえ「仏とは生命なり」と考えが開けました。
そして十界論から南無妙法蓮華経と仏とはいかなる関係かを悩んだすえ、仏の名であることがわかったのです。
あらゆる人の宿命を、転換しうる力を備えられた久遠元初の、宇宙の根本の力、最高の仏と気づき、これよりあらゆる仏典が読めるようになりました。
宇宙の現象は、みな妙法蓮華経の活動であります。妙法とは一応われわれの心であり、蓮華とは体のこと、泥沼より清浄な開花をみせる蓮のごとく、欲ばり、ひねくれた根性で、泥中に
いるような者も、蓮華の清浄さをたもつ体になれるのです。経とは心と体の働きをいいます。
さらに、貧乏人が金持ちになるように奇蹟のような、説明のつかぬ現象が起こる、これを妙法というのです。”

まだまだ、ありますよね。方便品と寿量品、秘妙方便の話などなど。

また、遅くなりました。もう睡眠不足です。

106堅皇:2011/07/12(火) 11:54:11 ID:jg0x8J7Q0
>>白さん

戸田さんの無量義教での「其の身は有に非ず亦無に非ず・・・:紅に非ず紫種種の色に非ず」は有名な話ですね。
ここで戸田さんが出した結論は「仏とは生命なり」との事ですが
そもそも生命とは「生きる命」と書きます。
この時点で「生滅に非ず」に引っかかりますね。
また生命となると没する事もありますし、これらを全て連ねていけば全てに引っかかってしまいます。
ここで答えを導き出すのであれば「心」ですかね。
「心」であれば「生滅」に関わらず「有に非ず亦無に非ず・・・」と言うところですか。

また、戸田さんはこれにより御本尊を「自分自身の生命」と訳されましたが、何も自分自身に断定する必要は無いですね。
これを元にして御本尊は「己心」であると解釈される学会員さんが多いのも現実。
しかしもって本尊を「己心」と解釈するのは法華経の捉え方ではなく禅による解釈ですね。

何故に禅が「己心」と判断したかといえば不立文字や教外別伝と言った主師親を冒涜する
我見で構成されているからと言えます。
日蓮に言わせれば、これらの思想は「天魔」であるとの事ですね。
何故にこれに気がつかないかといえば禅の理屈を知らないまま、単に批判している事と
戸田さんの発言には誤りがない(絶対的だ)との考えに執着しているからであると言えますね。

単純な話、戸田さんの場合は「本因妙抄」や「百六箇抄」を偽書であると言う事を見抜けなかっただけでなく
これらの書にもっとも魅了された人であるから、禅と同じ結論を見出したと言う事になろうかと思います。
更に言えば天台や日蓮が用いた「絶待」に反し「絶対的」という言葉を流布した方でもあります。
これも天台密教における「本覚思想」を基にした贋作を日蓮の書であると思い込んでしまった故での過ちと言うところでしょうか。

だからこそ戸田さんの言葉を「絶対的」には受け入れる事はないという話ですね。
但し、もともと法華経とは違うものを信じている日蓮正宗から法を学んだわけですから
この様な取り違いはあって当然であると思います。
こう言った違いと言うものは現象に現れ出でないとなかなか理解し難い物だと思いますから。

しかし、組織が衰退している今現在、何故に現実を見ようとしていないかは
甚だ疑問を感じるところではあります。

> なぜ、このような、キリスト教がどのようなものか深くは知りませんが、キリスト教的絶対の神、みたいな発言をされるのか。

良く解らないのですがキリスト教的絶対と言う「絶対」と創価学会が用いる「絶対」とでは意味が異なるのですかね。
だとするとそれをどの様に説明し、後世に伝えるのかが疑問です。

僕の場合は話は単純です、法華経では「絶対」は用いていませんし天台も日蓮も表現は
「絶待」であり「絶対」ではありませんからと説明します。

表記が同じであるのに意味が違うとなると何処でどう判断をすれば良いのでしょうか?
それこそ解る人だけ解るんだよと密教的に煙に巻くのですかね。

僕が学会を退会するに当たり幾つかの質問を投げかけた事があるのですが
その時の回答が「それは池田先生しか解りえない事だ」と密教的発言をされ、正直なんだそれと思いましたね。
では、先生はその回答を教えてくれないのか?
教えてくれない人のことを何故にこの人たちは先生と呼ぶのか更なる疑問が湧きました。

前にも書きましたがこの様に密教的に秘されたら受ける側に伝わる事はないという話です。
地涌の菩薩と言う物は全て明らかにされているから地より湧いてくるわけです。
池田先生にしか解り得ないと言っている段階で本当に学会員は地涌の菩薩と呼べるのか
または後世に現れるであろう地涌の菩薩に法を託す気があるのかと疑ってしまいますね。

つまるところ日蓮正宗のようにトップから新たなトップへと伝言ゲームを繰り返すのか?
もっとも、創価三代会長の流れは日蓮正宗に習い密教式相続の有り方であると言えるんですけどね。

107雨煽り:2011/07/12(火) 15:49:07 ID:Pssg0Hu.0
仏法用語と俗語の入り混じった話は
境涯の低さを現しているのでしょうか…

池田先生は全てを教えているのだけれど
聞いている方が全てを解らないのでしょう。
解らない人に質問を繰り返しても
答えられないのは当然の事で、とどのつまりは「先生」を持ち出すしかない。

全てが顕教なのですが、
理解出来ないから密教染みてしまうのでしょう。
顕密の違いではなく、境涯の違いです。
境涯とは、そんなもの…

あっ…
ただの感想です。失礼。

108臥薪嘗胆:2011/07/12(火) 17:54:41 ID:OSIoPS/E0
>>102
横から口を挟まないでください。
常識を弁えなさい。

109沖浦克治:2011/07/12(火) 20:44:34 ID:AJ3hr85o0
雨煽りさん、こんばんは

 最後は悟りですので、個人の資質の問題になります。
 祈りがあるか?
 戦いがあるか?
 向上心があるか?
 そう言う条件が満たされて始めて悟りがあります。
 仏法を学問として考えても、無理ですよね。

110:2011/07/12(火) 23:51:28 ID:gVXsRTgY0
>>107
雨煽りさん、はじめまして。

雨煽りさんが言われること、その通りだと思います。

>>106
堅皇さん、こんばんは。

やっと、暖かい素直な堅皇さんの思いを聴けました。
>その時の回答が「それは池田先生しか解りえない事だ」と密教的発言をされ、正直なんだそれと思いましたね。

よくわかります。そして雨煽りさんが言われることがその答えかもしれませんね。(「先生」を持ち出すしかない)

私が堅皇さんに感じるのは、もしかして、堅皇さんは高校生ですか、大学生ですか。そんな感じを受けるのですが。もしそうでなかったら、どうか許してください。

> ここで戸田さんが出した結論は「仏とは生命なり」との事ですが
> そもそも生命とは「生きる命」と書きます。
> この時点で「生滅に非ず」に引っかかりますね。
> また生命となると没する事もありますし、これらを全て連ねていけば全てに引っかかってしまいます。

なんですか、これ。”「生きる命」と書きます。”、それで「生滅に非ず」に引っかかる?全てに引っかかる?

> ここで答えを導き出すのであれば「心」ですかね。

心ですか。   ”「、’、L」(「心」をうまく分解できない)と書きます。何をあらわしているか分かりません。だから引っかかりますね。”・・・と同じことではないですか。

それ以下も同じようにしか、読めないんです。

どこかから、持ってきて知識としては話されているけど、それらがばらばらみたいな感じなんです。あくまでも、私には、です。

堅皇さんは
>だからこそ戸田さんの言葉を「絶対的」には受け入れる事はないという話ですね。
と言われております。これは全ては受け入れないけれども、ある程度は受け入れるということと捉えていいですか。

もしそうであれば、もう一度、題目を上げながら、新しい命で、勉強をされてみては。(そうであれば組織にいるいないは関係ないでしょう)

『(新)人間革命』を読みなおして見られてはどうでしょう。『新・人間革命』の中には、原島さんや、福島さんらしき人のことも書かれておりますが、私の読み方は、その方たちを話されているとは思っておりません。
小説です。私流に読んでいます。
元気が出ます。

111堅皇:2011/07/13(水) 09:32:37 ID:jg0x8J7Q0
>>白さん

「生命」と言う言葉の意味は生きている状態の事を指すわけです。
ですから「死んだ生命」と言う反復的な表現は取りません、日本語として変ですからね。
「腐った鮮魚」だとか「真っ暗な光」と言う表現は用いないですからね。

それより「生命」と言う言葉であれば「色心」と言う表現が当てはまります。
「色心」は 「色心不二」とも表現されるくらいですから、その基本となるものは「心」です。

戸田さんは本尊を「自分自身の生命」と解釈されていましたから
戸田さんの発言が真実であると思えばこれを元に本尊は「己心」ではないであろうか
そう考えるのは至って普通の読み方であると言う事ですね。

加えて、この本尊が「自分自身の生命」だとか「己心」であると言う考え方をしたのは
何も戸田さんが最初と言う事ではありません。
同様の考え方は過去にいくつか例がありますからね。
いずれも法華経を学びはしたが解釈を外した例と言う事になりますが。

一つは禅が上げられます。
また、日蓮亡き後の日蓮信者の中においては「日女御前御返事」を書いた人ですね。
有名な「法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉弾におはしますなり」ですね。
ここでも本尊があたかも「己心」であるかのような表現を促していますが
これは明らかなる日蓮の書ではない事に加え、これが日蓮の書であれば法華経に対し
矛盾が生じる発言と言う事になります。

先ず言える事は、創価学会という組織は法華経の信者ではなく日蓮の信者であると言う事。
ここまではある程度容認できる事柄ではあります。
それは公式を読んでみても「日蓮仏法」を基本とすると言う事が書かれていますからね。

それ以前に問題に思う事は日蓮ではなくて池田さんや戸田さんの信者であると言う事でしょうか。
日蓮正宗に置いても同様で日蓮ではなくて歴代法主の信者であると言う事。

日蓮の信者であると言うのであれば池田さんや戸田さんの指導を基本とするのではなく
日寛さんを始めとする宗内教義を基本とするのではなく
明らかなる日蓮の発言を基本とするべきではないかと言う事ですね。
でなければ、到底「日蓮仏法」を信棒している団体であるとは言えないと思いますね。

御書の中に日蓮の筆ではない物が混載していると言う現実に対し
何故に真偽の追及を行わず、未だに数十年前の編纂物を使用しているかと言う事ですね。
本気で日蓮を信棒するのであればこの問題に対し真っ先に取り組むべきだと思います。

そうでなければ創価学会も日蓮正宗も日蓮の名を利用して信者を集める詐欺集団と言う事になります。

> >だからこそ戸田さんの言葉を「絶対的」には受け入れる事はないという話ですね。
> と言われております。これは全ては受け入れないけれども、ある程度は受け入れるということと捉えていいですか。

法華経は円経と呼ばれる物です。
何故に円経であるかとと言えば諸法の中心に位置するからと言う事ですね。

ですから法華経のみを取り出して「絶対的」として諸法を切り捨てるのでは意味がなく
法華経を中心として「絶待的」に諸法を活用すると言う事。
法華経を中心とせずに諸法を中心に据えると円が歪み偏円な法になってしまうと言う事です。

ですから戸田さんの発言においても法華経を通して矛盾のないものであれば充分に活用できる物ではないですかね。
但し法華経を中心に据えるにあたり「絶対的」だの「自分自身の生命」などと言う物は方便として用いる事はあっても
真実を知る事となれば正直捨方便する事柄であると言えますね。

112堅皇:2011/07/13(水) 09:36:49 ID:jg0x8J7Q0
沖浦さん

> 仏法を学問として考えても、無理ですよね。

無理と思うから無理なのだと思いますよ。
全ては一念三千なんですから。

僕の個人的な見解ですが沖浦さんの考えは創価の公式見解より断然優れていると思っています。
ただ、そこで無理と判断するならば、それまでの話であると思います。

113タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/07/13(水) 10:06:48 ID:WwDrUF2wO
◎仏法から見たら外道って言う、キリスト教は、初めはイエスを中心とした教えのコミニティを表しては居たが、だんだん、マタイ派の何々、マルコ派の何々と派閥的な別れになって、ローマカトリックや、プロテスタント、ロシア正教会や、ギリシャ正教会と別れて行ったが、聖書を中心にしながら、微妙に考え方が極端に保守主義だったり、教条規則主義だったり様々です。

◎仏法の法華経を広宣流布の使命ある、真髄の創価学会では、これから未来に、例えば、人の好き嫌いの感情も入って、原田会長派創価学会グループや牧口先生派創価学会グループ、戸田先生派創価学会グループ、池田先生派創価学会グループ、又は世界のSGI会長のダレソレ派創価学会グループ等、分離単立派が出来たりせんだろうね? あくまでも、日蓮大聖人さまの流れに沿っての創価学会には、教えが流れて来なければならないが、しかし、教条規則主義過ぎず、変に誰かの思い込みによる私心的な?邪義が?入り込んだ派閥にならず、保守的にならず、バランス良くあまねく平等に観れる仏法知恵を頂ける様に、先輩諸氏方は、初心者諸氏、これから入るかも知れない未来の入会候補諸氏へ、ガッカリさせぬよう、気をつけて大聖人さまのみこころのホンマのところは何かと常に思索祈りながら指導ねがいます。 でないと、未活動者の迷子信心者をますます生み出す結果になります。

◎心して創価学会の今の状態をより良い組織に変えて行きつつも、バラバラな派の創価学会が出来ない様に、工夫知恵を誰もが、しっかり進言して、よく祈り、結集しましょう。

114雨煽り:2011/07/13(水) 10:51:28 ID:Pssg0Hu.0
白さん、こちらこそ初めまして。

人一倍、探求心・向上心が強く、求道心に溢れている。
そんな青年が地元の組織を見てみると、自分の質疑に誰も応答できない…

応答できないのは、それはそれで仕方ありません。
役職がいくら高くても、境涯は別、信心は別の問題なのですからね。

周りを見渡す限り、全てに答えられる人は先生だけ。
でも、その先生に直接会う事も、話す事も、不可能に近い…

ならば自分で独自に信仰を深め、教学に励む以外に無い。真実を追究する為に…

組織は、そんな青年に手を焼いてしまう。蚊帳の外に置こうとしてしまう。
それが組織の限界なのでしょう。境涯の問題だから、これも仕方のない事なのかも知れません。

問題は、独自に真実の追究をしだした、「そんな青年」です。
あくまでも信仰を中心に探求して行くのなら、自身で悟って行けますが、
学問に熱中するあまり、時として信仰を忘れ、
ただの研究者、つまり、「自義の塊」に落ちて行くのではないでしょうか。

ネットでは「そんな青年」に類する人達が、まま、見られます。

もしも組織の中に、そんな青年を、抱き包む程の包容力のある中心者がいたのなら
そんな青年も、踏み外す事無く正道を歩んで行けたのかも知れません。

かわいそうなのは、「そんな青年」です。
宿命と言ってしまえばそれまでなのですが、
組織の難しさと、単独での信仰の難しさを一身に背負ってしまいます。

凝り固まってしまった意識を、
さぁ…どう解きほぐせばよいのか…

それがいまの私の自分自身に架せた課題です。

取り留めの無い事を書きました。
白さん、今後とも、よろしくお願いします。

115沖浦克治:2011/07/13(水) 11:49:42 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、今日は

 無理なんです。
 所詮仏法は最後は悟りです。

 祈り、戦い、向上心。

 これらが無いと無理ですね。
 でも、私は貴方の行き方に文句は言いません。
 ご自由にしてくださいませ。
 私は私で創価で戦って、功徳うんと出します。
 私はそう言うタイプの人間なんですよ。

116沖浦克治:2011/07/13(水) 11:50:46 ID:AJ3hr85o0
雨煽りさん、今日は

 最後は功徳出した者が勝ちです。

117しげきょん:2011/07/13(水) 19:41:59 ID:/817RM5.0
仏法は  お父さんお母さんに 金供養品が無い時には
微笑みをささげるの、お分かり?
確かめようのない論議は終わってんの

118:2011/07/13(水) 23:57:44 ID:gVXsRTgY0
>>114
雨煽りさん、こんばんは。

青年への暖かい眼差しをもった、同じ思いの方がここにもいる。
私の心に、心地よい風が吹きわたったような、そんな気持ちになりました。ありがとうございます。

私のような壮年(私は青年だと思っております((^^)v))が、「そんな青年」を生んでしまったんだと思いますし、私のような壮年が、青年の信頼に足る存在になっていないからなんだ、と思います。

雨煽りさん、こちらこそ、よろしくお願いします。

>>111
堅皇さん、こんばんは。

堅皇さんは、ニーチェをご存知ですか。「ツァラトゥストラ」はよく知られているところですね。

このニーチェが言っていることに、ニーチェでなくてもいいのですが、人それぞれで、ものの見方が違う、ということがあります。これは、堅皇さんも了解されると思います。
その先には、同じ言葉でも、たとえば「生命」という言葉でも、人それぞれに捉え方が違うということ、これも了解してもらえますか。

すみません。もう遅いので、もし堅皇さんが付き合っていただけるなら、明日またよろしくお願いします。

119沖浦克治:2011/07/14(木) 06:49:46 ID:xLXt7csso
 おはようございます、皆様方

 大聖人の仏法や、戸田先生の創価仏法、創価思想をどう捉えるか?
 全くの自由です。
 牧口先生が喝破された、

 真理は認識の対象であって、価値ではない。

 法の正邪浅深を論じ、研究し、学ぶに、もっとも必要なスタンスだと思います。
 ですので、戸田先生の獄中の悟達がどうであれ、大聖人の真意がどうであれ、現時点でこれらを考察し思索する人間がどう言う判断を下しても、それ自体に問題はありません。
 真理の認識の形の問題ですから、価値ではありません。

 大事なことは、その認識に基づく行動が価値も生み、反価値も呼ぶと言う事実です。

 信、行、学、

 信は認識ですので価値ではないが、行は信による行動なので価値反価値が顕現する。

 これを理解した上での思索が必要です。

120堅皇:2011/07/14(木) 08:53:48 ID:jg0x8J7Q0
>>白さん

僕は単純に法華経の信者ですからね。
「南無妙法蓮華経」と唱える理由はより深く妙法蓮華経に帰依し信受するために唱えています。
ニーチェの信者でもなければ創価学会や池田さんの信者でもありません。

法華経では真理真実と言う物が明確に描かれていますが
ニーチェや池田さんの発する言葉は非常に抽象的です。
故により明確に道を示す妙法蓮華経の信者であると言う事ですね。

妙法蓮華経で示されている真実とは具体的に諸法実相であり具体的に十如是からなると書かれています。
これは実に納得行く答えですね、全く持って真理に対する答えにブレがなく、実に明確です。

法華経を第一に考えるとニーチェの思想も池田さんの思想も諸法の1つと言う事になります。
実相はこれらの諸法が重なり合って形成されている物ですから
その中の1つの法だけを抜き出して実相を見出そうとすると偏った思想に陥ってしまいます。

これがいわゆる法然さんが作り出した念仏思想ですね。
仏法を二つの法門に立て分け、法華経の諸法実相に反し浄土三部経という1つの法により実相を見出そうとしたわけですから。
これでは偏った思想に陥ってしまう事は明確ですね。

偏ってしまった思想での結末と言う物は1つの法を守らんとするが故、真実が見えなくなり
更には捨ててしまった残りの諸法への誹謗中傷といった怨嫉行為に及んでしまうと。
この怨嫉が元となり無間地獄阿鼻地獄に落ちると言う話です。

真実と言う物を見誤った故での結論と言えるかと思います。

ですから僕はニーチェの思想も池田さんの思想も諸法の1つであると捉え耳は傾けますが
それがそのまま実相であるとは捉えないと言う事ですね、法華経の信者ですから。

何を信じるか否かは日本の法律下では信教の自由が保障されていますから
取り立ててこれを信じなさいと言うつもりは毛頭ありません。
自分の人生なのですから自分で決めればよい事だと思っていますから。
それで幸せならばそれで良し、悩んでいれば相談に乗りますよという程度ですね。

僕から言う事と言えば僕は法華経の信者であると言う事と
法華経の信者の立場から言える事は怨嫉誹謗は極力やめた方が身のためであるということぐらいですかね。

121堅皇:2011/07/14(木) 11:35:54 ID:jg0x8J7Q0
そもそも僕がここに書き込みをした発端は
沖浦さんの「私共は人間ですね、ですから本当の本当は人界だけです」との発言に対しての
>>62 でのロム郎さんの書き込みによってです。

ロム郎さんが沖浦さんの1つの考察に対し罵声の様な書き込みをするのは如何かと思っただけの話です。

人間は六道から出ることが出来ないという考え方自体は別に珍しい考え方とは思わなかったからですね。
事実、十界論を作り上げたのは天台教学からです。
天台は法華経を元にして六道に四聖を加えて十界論を作ったわけです。
それまでの大乗仏教では沖浦さんと同様に人間は六道までとの解釈が一般的ですね。
更に言えば真言密教や天台密教でもこれと同じ考えにあると言う事です。

要するに人間には十界が既に備わっていると言う考え方は法華経にしかない考え方であると言う事です。
法華経を信じなければ人間は六道までであると言う考え方は、けして特別な考え方ではないと言う話ですね。
つまりは罵声を浴びせるまでもないという話です。

僕は信心とは妙法蓮華経を根本に信じるものであると言う観点に立っていますが
沖浦さんは御書を根本に信じるものであるという観点に立っています。

御書は日蓮の書の真偽交えた混載本であり台密の思想も多く取り入れられています。
であれば、沖浦さんのように人間は六道までであると言う考えにたどり着いても全くおかしな話ではないと言う事です。
むしろ沖浦さんの考察は良く御書を読み込んでいるものだと感心すら覚えますね。

互いに信じるもの根本とすべき物が違うだけの話と言う事ですね。

何故であるかと沖浦さんに詰め寄るよりは、自分で何故にその様な結論が出るのかを考えてみてはどうかと思った次第です。

122沖浦克治:2011/07/14(木) 21:02:33 ID:5rhfY2mEo
 堅皇さん、今晩は
 
 御書に一貫して書かれてあることは、仏法は人のための教えで、人がそのままで仏だと言うことです。
 凄く単純なのでかえって読めないのでしょうね。

123:2011/07/14(木) 23:46:28 ID:gVXsRTgY0
>>120
堅皇さん、こんばんは。

どうでしょうか、人それぞれに捉え方が違うということは、了解されますか。

> 妙法蓮華経で示されている真実とは具体的に諸法実相であり具体的に十如是からなると書かれています。
> これは実に納得行く答えですね、全く持って真理に対する答えにブレがなく、実に明確です。

これが、納得いくということは、十如是が分かるということですか。

> これがいわゆる法然さんが作り出した念仏思想ですね。
> 仏法を二つの法門に立て分け、法華経の諸法実相に反し浄土三部経という1つの法により実相を見出そうとしたわけですから。

これは、法然が言った念仏思想を理解しているということですか。

なぜ国語辞典や広辞苑や英和辞典、その他の辞典があるのですか。

私が言いたいことは、もうお分かりと思いますが、これは初歩的なことです。

私は、堅皇さんを、誹謗しているように思われるかもしれませんが、あなたはもっとひどいことをしているかもしれませんよ。法然に。そして・・・・・・・・に。

了解した後に、自分の書いてきたものを読んでみるといいですよ。それからですよ。深まっていくのは。

124堅皇:2011/07/15(金) 07:27:48 ID:jg0x8J7Q0
沖浦さん

なるほど、沖浦さんの考察を纏めますと仏とは天界を指すという事かと
であれば沖浦さんの信心とは功徳という現世利益で計る物であると言う考察に合致します。
それはそれで良いのではないでしょうか。
信じるものが違うわけですから考え方が違って当然だと思います。

125堅皇:2011/07/15(金) 07:29:43 ID:jg0x8J7Q0
白さん

> 人それぞれに捉え方が違うということは、了解されますか。

ですから信じるものが違っていれば捉え方も違うと言う事です。
白さんは創価学会を信じています。
僕は妙法蓮華経を信じていますから違って当然ではないですかね。

また、創価学会と言う組織自体に確固たる信じるものが存在していませんから
捉え方が違って当然であると言う事ですね。
公式見解を遵守いる人、沖浦さんの様に改革を求める人。
それによって変わってきますからね。
矛盾があるものを信じているからこの様な結果になるのだと思いますよ。

> 十如是が分かるということですか。

解るも何もそのままじゃないですか。
「十界論」も「依正不二」も「煩悩即菩提」も「願兼於業」も全てこれで説明が付きます。
如来の知見は波羅蜜であると豪語するだけあって十如是は確実に芯を突いてますね。
上の天台の釈は枝葉と言う事になるかと思います。

> 法然が言った念仏思想を理解しているということですか。

法然さんの念仏思想に関しては日蓮が立正安国論にて
とても解りやすく説明してくれているではないですか。
これに合わせて法然さんの選択集も読みましたが日蓮の説明は的を射ていると思いましたよ。

ちなみに僕は法然さんを誹謗してはいませんよ。
実際、法然さんは立派な方だったと思っていますし日蓮も法然さんから得た事は多いと思います。
ただ、法然さんの理論には決定的な欠落箇所、矛盾点があると指摘しているだけですね。

例えるなら建築士の設計に欠落箇所あった場合、その部分を指摘する事が誹謗と言う事になりますか?
日蓮が指摘している部分は正にこの部分ですね。
法然さんの人間性をとやかく言っているということではないという事です。

更に言えば、こう言った指摘する行為自体は確かに法華経には無い物ですね。
これ自体は涅槃経の理論になります。
何故に涅槃経を持ち出すかといえば法華経だけでは待つだけで法が広がらないからですね。

そこで、涅槃経や大乗経と言う方便の理を持って法華経を広めんとするわけです。
ですから御書を読む際にどの部分が大乗経であるか法華経であるか涅槃経であるかを
充分に理解して読む必要があるという事です。

法華経を蔑ろにして、涅槃経や大乗経の理だけを取り出して話をしても
これまた単なる怨嫉誹謗に繋がる危険性があるという話です。
だからこそ御書の切り文だと誤った解釈に陥る事があるという事ですね。

126沖浦克治:2011/07/15(金) 07:48:03 ID:neCeRL0wo
 堅皇さん、おはようございます

 どれほど十界論を説いてみても、所詮は人が考えて、人が作った理論です。
 ですので、それを思索する者は人間しかいません。
 人界の中での思索と感得と体験です。

 全ては人の世界ですから、突き詰めると人界しかありません。
 そう言う大前提に立っての十界論でないと駄目ですね。

 念仏が先に広まったから、題目流布が容易になった。

 私はこう考えます。
 非難されますが事実なんだから仕方ないですよ。

127堅皇:2011/07/15(金) 08:00:56 ID:jg0x8J7Q0
沖浦さん

> 念仏が先に広まったから、題目流布が容易になった。

これは僕もそう思います。

128堅皇:2011/07/15(金) 08:03:06 ID:jg0x8J7Q0
更に言えば念仏が無ければ題目と言う発想が日蓮にあったかどうかとも思います。

129沖浦克治:2011/07/15(金) 08:06:31 ID:neCeRL0wo
 堅皇さん

 それはあったでしょうね。
 題目が大聖人が最初ではないですから、既にあった法なんです。
 ですから、大聖人は題目に行き着くでしょうし、仏法は最後は題目に凝縮されます。

130沖浦克治:2011/07/15(金) 08:12:59 ID:neCeRL0wo
 題目と念仏を比較すると、興味深いことが理解できます。
 
 念仏は、南無の対象が阿弥陀如来で、人間以外のどこかの世界の理想像です。

 題目は、南無の対象が、衆生己心にある妙法で、自分自身なんです。
 宇宙もおなじですが。
 ですので、念仏は理想郷を求め、題目は徹底した現実主義なんです。

 私は現実主義者ですので、題目があっているんです。

131堅皇:2011/07/15(金) 09:17:53 ID:jg0x8J7Q0
題目と言う発想があったかどうかと言えば
観世音菩薩普門品を読めばあったという事なんですけどね。
それ以前に薬師経を読んでもあったと判断できるわけですが。

ただ、こう言った習うより先に言葉に出してそれを連呼するという手段を用いたのは
念仏が最初に導入した物ですからね。
それまでの真言におけるマントラは理解しないで口にするのは危険であるから
習得が先であるという話。

真言の主張も一理あるのですが、信じるものに矛盾が無く間違いが無ければ問題がないと言うのが
「南無妙法蓮華経」の理論。
これは妙法蓮華経が信じるに足る確固たる物であるからと言う事でしょうね。

しかし、口では「南無妙法蓮華経」と唱えていても妙法蓮華経を信じないというのであれば
口では「あれがとう」や「ごめんなさい」と言っていても心の中で舌を出している事と同じ事。
その効果はいずれ失われるものだと思います。

また、「題目は、南無の対象が、衆生己心にある妙法で」と言う事に関しては同意ですが
自分自身の妙法(仏)と言う事では無いと思いますね。
それでは道元さんや達磨大師の仏とは己心であると言う禅の理論と同様になりますから。

また、本尊が何故に曼荼羅の形をとっている事の説明もつかない。
本尊が曼荼羅である以上南無の対象は一切衆生の心にある仏とならないとダメだと思いますね。
諸天善神の必要性もなくなりますから。

現実主義者、理論主義者という点においては僕は確実にそうです。
不確かなオカルトものや矛盾を感じるものは信じる対象から外れますからね。

132めかものサン序名:2011/07/15(金) 11:04:28 ID:2br.Gn1k0
おはようございます。

皆様、大変興味深いお話をありがとうございます。
できれば個人のお考えなのか文献からなのか
わかるように書き込みして頂けませんでしょうか。
引用文献の名称とかいただけるとありがたいです。

133沖浦克治:2011/07/15(金) 19:12:49 ID:1HwcyAaUo
 堅皇さん、今晩は

 口に唱えているといずれ悟ります。
 ただし自行化他であるならですが。

 諸天も人と環境の2種類ですが、人も宇宙も南無妙法蓮華経ですので、矛盾はありません。
 達磨さんが、人の己心が仏だと言うのは一面の真理で、その仏の実態は明らかでありません。
 大聖人はその実体が南無妙法蓮華経だと明確にされています。
 デカルトと達磨は似ていますね。
 
 我思う故に我あり。

 その思っている我の実体はまだわかりませんね。
 その実体が南無妙法蓮華経だと説くのが大聖人です。
 達磨や、デカルトはその一歩手前なんですよ。

134堅皇:2011/07/15(金) 22:20:22 ID:jg0x8J7Q0
めかものサン序名さん

参考文献も何も「南無妙法蓮華経」と言う言葉を真っ直ぐに解釈するなら
南無の対象は自ずと「妙法蓮華経」になるのではないかという事です。
これに対し「妙法蓮華経」では無いとするのは日寛さんの釈ですね。

日寛さんの考察によれば「南無妙法蓮華経」の「妙法蓮華経」と
「妙法蓮華経」は別物であると言います。
これって普通に考えておかしな話だと思います。
仮に「妙法蓮華経」ではなく日蓮と言う存在を南無の対象とするのであれば
そんな回りくどい事をしなくても
真言宗が空海を南無の対象として「南無大師遍照金剛」と言った様に
日蓮の場合は「南無日蓮」もしくは「南無自受用報身如来」となるのではと思ったわけです。

つまるところ日寛さんの考察には根拠がないという判断から
試しに僕は「妙法蓮華経」読み「妙法蓮華経」を中心に御書を研鑽してみたわけです。

そしたら御書の中に「妙法蓮華経」の理論から幾つか外れる御書が浮かび上がってきたわけです。
それを更に調べてみると、その御書は悉く日蓮の真蹟が存在しないものばかりであったという事。
偶然にすればこれはあまりにも出来すぎていますよね。

結局、日蓮が広めようとした「南無妙法蓮華経」の「妙法蓮華経」とは
それそのまま「妙法蓮華経」のことではないかと言う事ですね。

南無の対象が「妙法蓮華経」であればこんな簡単な話はありません。
「妙法蓮華経」は、日蓮正宗の教義のように秘されている物も全く無く、全て明らかなる物でありますから
「妙法蓮華経」を読んで書かれている喩えを全て信じ現実に当て嵌めるだけで良いだけなので
仏になる事は誰でも容易に出来ると言う事ですね。
もっとも、題目を唱える行為はもっと簡単です。
「妙法蓮華経」を読まずとも「妙法蓮華経」を信じ題目を唱える事により仏になれると言う話ですからね。

もちろん、実践するとなると互いに容易とは言い難いものであるとも言えますが。

ただ如何せん僕もこれまでは「南無妙法蓮華経」とは唱えていましたが
日寛さんの釈を信じて「妙法蓮華経」は信じていませんでした。
でも、「妙法蓮華経」を信じ始めてから確実に変わったものがあるという実感はあります。

逆に日寛さんの考察を援護するための理論があるとするならばお聞かせ願いたいと思うところです。

135堅皇:2011/07/15(金) 22:21:03 ID:jg0x8J7Q0
沖浦さん

つまるところ、仏法で言う九識論と言うのは大抵の宗教も思想も辿り付いているわけですね。
でもって第九識の阿摩羅(あまら)識、つまりは真如とは何ぞやと言う話になると
それは「神」であるとか、それは「己心」であると言うような結論を出しているわけですね。

ですから一歩手前という言い方をすれば殆どの宗教や思想が一歩手前という話で捉えています。

一念三千を用いた日蓮が九識論なんてものを取り出すとは思えませんが
あえて阿摩羅(あまら)識の部分(九識心王真如の都って奴ですね)に当て嵌めるなら
それが「南無妙法蓮華経」になると言う話ですね。

では、その「南無妙法蓮華経」とは一体何ぞやと言う話になります。
法華経で顕した真実と言えば「諸法実相」であり
諸法により実相が現れてくると言う事ですから
沖浦さんが考えるような「己心」と言う単独の法ではないと思いますね。

「南無妙法蓮華経」を分解しその要素を探るとするなら
「己心」ではなく「全ての心」であると僕は思います。
であれば、日蓮が用いた天台の釈である「依報正報共に喜ぶ」にも合致しますし
本尊を曼荼羅にした理由も説明つきます。
何よりも「諸法実相」からも外れる事がないという事ですね。

要するに僕は「一生成仏抄」「当体義抄」「諸法実相抄」等は信じてないと言う事です。

136沖浦克治:2011/07/15(金) 23:09:44 ID:HNs4LXUgo
 堅皇さん、こんばんは

 大聖人は少し違うんです。
 天台が九識で捉え説明した人の命、人と言う存在。
 それ全体が南無妙法蓮華経如来だと言うのです。
 根本清浄識だけが仏じゃなくて、全体がそのままで仏なんだ。
 これが大聖人仏法です。
 これが分からないと仏法は知識だけでの判断で、悟りにはいたりません。

137:2011/07/15(金) 23:51:50 ID:gVXsRTgY0
>>135
堅皇さん、こんばんは。

信じる信じないに関係なく、捉え方が違うということは了解されますか。

〉要するに僕は「一生成仏抄」「当体義抄」「諸法実相抄」等は信じてないと言う事です。

この、偽書かもしれないということを、解決するのも、最初に言った、了解するかどうかですよ。

138堅皇:2011/07/16(土) 01:37:48 ID:jg0x8J7Q0
沖浦さん

> 根本清浄識だけが仏じゃなくて、全体がそのままで仏なんだ。
> これが大聖人仏法です。

いやでも、日蓮が描いた曼荼羅の中心には南無妙法蓮華経の文字があります。
妙法とは最上の法と言う意味ですね。
つまりは曼荼羅に記されているものを真っ直ぐに解釈すると
諸天(全ての衆生)が持つ最上の法を讃えると言うものと言う事になるかと。
また、言い換えると一切衆生の仏性を讃えると言う事になりますね。

何れにせよ「己心」は違うのではないかと言うのが僕の見解ですね。
その前に沖浦さんの考察では本尊は「己心」と言う見解では無かったでしたっけ?

白さん

> この、偽書かもしれないということを、解決するのも、最初に言った、了解するかどうかですよ。

その通りですね、これはあくまで僕の見解ですから。
互いに信じるものが違うから答えが違うと言っているではないですか。
白さんは創価学会を信じていらっしゃる様ですし僕は妙法蓮華経を信じています。
何を信じるか信じないかは日本では信教の自由によって守られているのでそれを強要するつもりはないと。
良いと思うものを信じれば良いだけではないですかね。

139沖浦克治:2011/07/16(土) 06:27:08 ID:qW.jSqJAo
 堅皇さん、おはようございます

 本尊は2つあって、宇宙と人の命ですね。
 その形を文字で表したものが漫荼羅本尊です。
 ご本尊に唱題することは、鏡見て化粧するようなものです。
 そして、本尊に対する認識は、唱題の功徳とは無関係ですから、どっちでもいいといえば、どっちでもいいのです。

140:2011/07/16(土) 08:19:32 ID:gVXsRTgY0
>>138
堅皇さん、おはようございます。
昨日は、書き込みの少し前に帰り、疲れて眠くて、少しの書き込みしかできませんでしたが、要点だけ書かせていただきました。

> 互いに信じるものが違うから答えが違うと言っているではないですか。

あなたの信じるもの、という言葉から受けるのは、勉強して、思索して、悟って信じたたもの、という感覚があるのですが、
(あなたが今まで話した内容を結び付けて、私が類推して書き込んだものですが、)そのような意識することなく、捉え方が違うということを、認めるかどうかをお聞きしたんです。

私は、あなたに、このような議論をしてもあまり意味がないですよ、と言いました。
それより、仏を悟ったなら、行動すべきではないですか、と申し上げました。もったいないですから。

あなたに対して、私は高校生か、大学生のような、あまり、仏法というか、概念、精神性そのようなことをご存じない方と思いましたので、そう申し上げました。

あなたの書いて来られたことが、私には、「信じるもの」が見えない。信じるものを根本にしてその方の話が出てくるのに、一つ一つの言葉は、「信じるもの」がばらばらのように私には見えるともいいました。

そんな経緯ですが、では、あなが私の問いに答えた

> 互いに信じるものが違うから答えが違うと言っているではないですか。

もし、あなたが、「信じるものが違うから」と言わずに、人それぞれ、捉え方は違いますよと認めたらどうなるでしょう。一言条件をつけたのはなぜですか。
その条件も、あなたの話した中で意味のないことになるのですが、でもそれを、深く理解しているとして、
なぜ、

> ここで戸田さんが出した結論は「仏とは生命なり」との事ですが
> そもそも生命とは「生きる命」と書きます。
> この時点で「生滅に非ず」に引っかかりますね。

なぜ、このような言葉があなたの書き込みにでるのですか。
あなたは戸田さんでもないし、法然でもない。
何を言わんとしているか分かりますよね。

一人一人捉え方が違う。境涯が深いかそうでないか、それも一つ。あなたの言う、信じるものが違う、それも一つです。
(堅皇さんは、信じるものが根本です、今では、そう言われるかもしれません。全てを含みますから。そこから始まるんです。)

このような議論より、せっかくあなたは仏を分かっていると豪語されているから、その行動をしませんか。それとも行動には通常の中でみんなに表れている、といいますか。
仏道修行の意味がありません。

ちなみに、創価学会を信じる、妙法蓮華経を信じる、比較する言葉としては不適当ですね。(^^)v

141堅皇:2011/07/16(土) 10:54:15 ID:jg0x8J7Q0
沖浦さん

> 本尊は2つあって、宇宙と人の命ですね。

この本尊が2つあるというのは曼荼羅の他にも本尊があるという事ですか
それとも本尊には2つの意味があるという事でしょうか。

沖浦さんのこれまでの考察からすれば前者かなと想像はしますが。

> 本尊に対する認識は、唱題の功徳とは無関係ですから、どっちでもいいといえば、どっちでもいいのです。

僕は無関係とまでは思いません。
因と縁により果と報が決まるわけですから、その因と縁となる本尊に対する認識は大きいと思います。

白さん

> 仏を悟ったなら、行動すべきではないですか、と申し上げました。もったいないですから。

この発言の趣旨は何を示すのか解りかねるところがあるのですが
それは"こんな"掲示板でやり取りしている時間がもったいないと言う意味ですか?

142:2011/07/16(土) 16:33:59 ID:gVXsRTgY0
>>141
堅皇さん、こんにちは。

対告衆は、あなたです。

その通りです。

143:2011/07/16(土) 16:45:49 ID:gVXsRTgY0
誤解しないように。もったいないと言う意味は、あなたの時間が、もったいない、あなたの可能性がもったいない、という意味ですよ。

人それぞれ、捉え方が違います。私の「もったいないですよ」という言葉さえ、あなたは聞き返した。そして受ける方としても誤解する。もっと説明が要りますか。

生命という言葉は戸田先生が悟ったことを表現された言葉です。
それが分かるというのなら、戸田先生のことが全て分かる必要があり、その経験も必要なんだ、そう考えるべきです。
そう簡単に批判、決めつけはできないはずです。それは、初歩的なことです。

144沖浦克治:2011/07/16(土) 19:07:30 ID:5CXEg/2Mo
 堅皇さん、今晩は

 本尊が2つと言う意味ですが。
 私共の命と宇宙そのものです。
 この二つで、漫荼羅本尊は方便です。

145堅皇:2011/07/16(土) 19:39:32 ID:jg0x8J7Q0
白さん

> 対告衆は、あなたです。
と言われてもですね・・・僕はそもそも白さんの弟子でもなければ信者でもありません。
勿体無いか勿体無くないかは自分で決めます。

加えて戸田さんの発言を何故に過大評価で捉えるかと言う事ですね。
戸田さんが偉いとか偉くないと言う社会的地位の問題ではなく
彼がどれだけ仏法を熟知し知見を広めその中で取捨選択した中で「生命」という言葉を導き出したかと言う事です。

僕が日蓮や天台の言葉に対し深く追求するかといえば、出来うる限りの諸経を知見してきた経緯があるからですね。
これは妙法蓮華経から結果的に外れた空海や法然などにも当て嵌まる事、彼らの考察は実に深いところにあります。

しかし戸田さんに関しては日蓮正宗を通し軽く刑務所の中で法華経や無量義経を掻い摘んだ程度でしょ。
そんなものは考察でもなんでもないですよ。
更に言えば戸田さんは「本因妙抄」に魅了された人ですから「直達正観」というものを信じ
これぞと思ったのでしょうが、そんなのは単なる思い込みの範疇ですね。

ある意味これを機に戸田さんは己心を師としてしまい
また会員が戸田さんの心を師としてしまった所に創価学会の最大の不幸があると思います。
そもそも「心の師とはなるとも心を師とせざれ」何てものは日蓮も用いているものであり
妙法蓮華経以前の話であると思いますけどね。

単純に戸田さんの考察が正しいと決め付けているのは白さんだと思いますね。

146堅皇:2011/07/16(土) 20:19:28 ID:jg0x8J7Q0
>>144 沖浦さん

本尊が2つとは、1つが私共の命で、もう1つが宇宙そのものと言う事ですか?

で、ちなみに漫荼羅本尊はどちらの事を指すのでしょうか?

147:2011/07/16(土) 20:53:42 ID:gVXsRTgY0
>>145
堅皇さん、こんばんは。

対告衆の使い方、間違っていましたね。そのように取られるとは思いませんでした。
意味は、あなたにだけ言っていることです、という意図です。ここの板で話されている方々には、言っていないという意味です。
ここでも、私の捉え方とあなたの捉え方が違いますね。

自分が何者なのか、何をあなたが語っているか、あなたの知識はどこから来たのか。 

例えば、自分のことを深く見つめてもいない。だから、あなたは、中学生レベルだ。と言ったらあなたはどう言い返しますか。
あなたは、日蓮正宗を通し、軽く、あなたの部屋の中で、法華経や無量義経を掻い摘んだ程度でしょ。そんなものは考察でもなんでもないですよ。
更に言えば、あなたは「偽書」に魅了された方ですから、そんなのは単なる思い込みの範疇ですね。

どうですか。私が、会ったこともないあなたにこのように話したら。

あなたの中に、その通りだ、よくわかっていらっしゃる。と思えれば大した者です。

わたしは、あなたの根本的な捉え方がおかしいと言っているのです。戸田先生が正しいとか正しくないとかそのレベルで話してはいないのですよ。

あなたは認めたではないですか。信じるものが違うなら捉え方も違うと。ほんの少し前に言ったのでは。

基本的な捉え方を話しているんです。そのことがはっきりとわかったら、また深まりますよ。それから、もう一度読み直されてみてはどうでしょうか。

148:2011/07/16(土) 21:14:08 ID:gVXsRTgY0
>>145
堅皇さん

> 僕が日蓮や天台の言葉に対し深く追求するかといえば、出来うる限りの諸経を知見してきた経緯があるからですね。
> これは妙法蓮華経から結果的に外れた空海や法然などにも当て嵌まる事、彼らの考察は実に深いところにあります。

あなたが知見したのはいかほどですか。
失礼な言い方ですが、子供が読んだ場合と、大人が読んだ場合と、全く理解するところが違うということは分かりますよね。

> 更に言えば戸田さんは「本因妙抄」に魅了された人ですから「直達正観」というものを信じ
> これぞと思ったのでしょうが、そんなのは単なる思い込みの範疇ですね。
> ある意味これを機に戸田さんは己心を師としてしまい

あなたは、戸田先生がわかるわけですか。


> また会員が戸田さんの心を師としてしまった所に創価学会の最大の不幸があると思います。

あなたに言われる必要はないでしょう。侮辱の何物でもない、あなたの怖がっている怨嫉謗法です。あなたとは信じるものが違うのです。捉え方も違うのに、あなたには分からないことだ。


> そもそも「心の師とはなるとも心を師とせざれ」何てものは日蓮も用いているものであり
> 妙法蓮華経以前の話であると思いますけどね。

初歩的なことですと申しておりますが。はやく気付いてほしいと思いますが。

149堅皇:2011/07/16(土) 23:11:23 ID:jg0x8J7Q0
白さん

小説人間革命は池田さんの著作と言う事になっていますし、更に言えばフィクションですから
この物語に登場してくる戸田城聖と言う方が実在の戸田さんが全く同じであるとは思っては居ません。
しかしながら明らかにモデルとなっている事は確かであり重なり合う部分はあるのではと思っています。

何が言いたいかといえば戸田さんは日蓮の言説は正しいものであると思考を固めて物事を見てしまっている人物であると。
これは、考察を行う上において非常に危険なものであるという事です。

日蓮の言説に関しては一切諸経を自分の目で公平に読み全てを受け止めた段階で
どれが優れているか優れていないかを判断し語られていますが
戸田さんの思考状態は、これが正しいものであるという事ありきで、物事を判断されています。
この思考状態が元で戸田さんは「本因妙抄」が日蓮の著作ではないという事が見抜けなかったのだと思います。
最初からこれは日蓮が書いたものであるから絶対に間違いがないという思い込みですかね。

物事の真偽を見極めるためには互いの言い分に対し固定観念を持たずに全て聞いた上で
判断するという事がもっとも大事なことだといえると思います。
悪いですが学会員さんにはこう言った物の見方が出来る人がいない。
それもそのはずです、日蓮正宗という教えにより他宗に触れるのが謗法だと植えつけられていますから。
また、触れる事があったとしても、こちらが絶対的に正義であり他が言う事は間違いに決まっていると言う物の見方をしますからね。

聖教新聞には真実が書かれている、週刊誌は全て嘘ばかり書かれているんだ、学会に間違いは絶対にない。
この決め付けはファシズムに繋がり大変に危険な思想であると思います。
どうも、学会員さんに戸田さんや池田さんの言説に対し発言するとナーバスになる方が多すぎます。

もちろん僕は日蓮の様に一切諸経を読破したわけではありませんが
日蓮が指摘した選択集というものもじっくり読みましたし
解らない部分は念仏の信者さんに質問したり
真言の教えも学び解らない部分は信者さんに教えてもらったりはしたわけですね。

そこで彼らの言い分に対し一理あると思ったところ
でも、日蓮が指摘する部分はもっともであると思ったところと1つずつ考察を繰り返したわけですね。

結果、日蓮が指摘している部分には大幅なズレは感じなく的を射ているものだと思いました。
加えて、日蓮正宗の教義や創価学会から教わった事と言うものは認識違いな物が多く
更に浅いものであると思ったわけですね。
その認識違いや浅いと感じたもの全てが日寛教義を元にしたものであったり
真蹟なしの不確かなものを元にしたものであったという話です。

正直言いまして、ちゃんと他宗の人の話に耳を傾けて、同時に御書の端々を読み込めは
「本因妙抄」を始めとした物が偽書と断定するまでには至らなくても
疑問を抱くぐらいは出来たのではないかと言う話ですね。

僕は戸田さんという人物を知り尽くしているわけではありませんが
御書の発刊の辞を読むだけでも、「本因妙抄」に魅了されている事は明白ですね。
それだけでも鵜呑みに出来るほど信じきれる人物ではないと言う事だけは言えますね。

もちろんこれをもって戸田さんの全ての言説が誤りだといちゃもんありきで考えているのではなく
正しいと思う事は正しいと言うし、違うんじゃないかと思う事は違うのではないかと発言します。

150:2011/07/17(日) 06:09:00 ID:gVXsRTgY0
>>149
堅皇さん、おはようございます。

今から出かけます。またゆっくり読ませてもらいます。
ご自分の書いたものを、ゆっくりご自分で読んで、私が言いたいことを考えてもらって、私の視点で読まれることをお勧めします。

151日々朗らか(前進) ◆kzJPIT27Ks:2011/07/17(日) 10:42:48 ID:8FNX.yWoO
お久しぶりです\^o^/♪。


更なる発展………


目指してますかo(^-^)o?。


目指してないんじゃないですか?。



しばらくROMしておりましたが、最近は、冷めております日々でーす\^o^/!。


これについて、
lessしてくださる方、
おられましたら、

わたしのコノカキコミにレスくださいo(^-^)o!。

De和(^0^)/♪。

152日々朗らか(前進) ◆kzJPIT27Ks:2011/07/17(日) 10:51:42 ID:8FNX.yWoO
このスレを発展させるためには……の【考察】。







考えてんのはオイラだけかな(^_^;)♪。

ナハハ(^_^;)♪。

と……独り言(ノ゚O゚)ノ☆

153日々朗らか(前進) ◆kzJPIT27Ks:2011/07/17(日) 14:44:54 ID:8FNX.yWoO
みんなスルーなのね……(´Д`)。

154:2011/07/18(月) 22:34:24 ID:gVXsRTgY0
>>149
堅皇さん、こんばんは。

さっき、返事したら、文字数が多すぎて書き込みできなかったようです。
少しはご自分で、私の視点からご自分のを読んでいただけましたか。

ほかの書き込みを見ましたらそうでもなさそうですね。


> 小説人間革命は、云々、重なり合う部分はあるのではと思っています。

当たり前です。

> 何が言いたいかといえば戸田さんは日蓮の言説は正しいものであると思考を固めて物事を見てしまっている人物であると。

あなたは、認めたではないですか。「ですから信じるものが違っていれば捉え方も違うと言う事です。」「違って当然ではないですかね。」
だから、しかも、人の内面をあなたは決めつけているんです。わかりますか。あなたの語っていること。

> これは、考察を行う上において非常に危険なものであるという事です。

あなたが、危険なんです。

>
> 日蓮の言説に関しては一切諸経を自分の目で公平に読み全てを受け止めた段階で
> どれが優れているか優れていないかを判断し語られていますが
> 戸田さんの思考状態は、これが正しいものであるという事ありきで、物事を判断されています。
> この思考状態が元で戸田さんは「本因妙抄」が日蓮の著作ではないという事が見抜けなかったのだと思います。
> 最初からこれは日蓮が書いたものであるから絶対に間違いがないという思い込みですかね。
> 物事の真偽を見極めるためには互いの言い分に対し固定観念を持たずに全て聞いた上で
> 判断するという事がもっとも大事なことだといえると思います。

あなたは、何を言っているか分かっていますか。何回も言いますが、あなたは、「信じるものが違っていれば捉え方も違うと言う事です。」と言っているではないですか。
いかに、馬鹿らしいことを言っているか分かりますか。

これは、> 物事の真偽を見極めるためには互いの言い分に対し固定観念を持たずに全て聞いた上で

これができる人は、死んだ人であれば、できるでしょう。あなたが認めていることですよ。

その先もコメントしていいましたが、もうやめます。どうか私の視点で(あなたが認めた視点で)もう一度ご自分の書いたものを読み直してみてください。


十如是が分かるとはすごいですね。

155:2011/07/18(月) 22:44:49 ID:gVXsRTgY0
堅皇さん

十如是について

古来有名な十如是ですが、梵本にはこれに対応するものがなく、実際には五つの間接疑問文になっているようですね。
梵本の訳を言っても本当かどうかも私には分からない。

鳩摩羅什は法の範疇をより明確にするために、『大智度論』を参考として、十如是にしたとのこと。「もっとも鳩摩羅什に十如是という意識があったわけではない。
というのは、鳩摩羅什の『法華経』の翻訳の席に列なり、彼の講義を聞いた竺道生の『妙法蓮花経疏』には、「十一事縁」と言っているからである。
道生は「本」と「末」を分けて二つに数えているのである。実際には、智顎の師である南岳慧思が十如是としたのである。

このあたり、解説本を読むと何が何だか分からなくなる。時間がある人はゆっくり研究してもいいでしょうね。学者の領分ですね。それがわかる人は・・・・・堅皇さんですか。?

どうか、よく考えてほしいと思います。

156威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/07/19(火) 03:28:53 ID:s7GC9YSk0
夜回り先生で知られている、水谷先生が創価学会に期待を寄せて下さっています。
今月号の第三文明で次のように言われています。

「創価学会は全国律々 浦々に立派な会館を擁しています。その一隅でよいので、
 ぜひ不登校や低学力で悩んでいる子供たちの勉強や生活の相談に乗る場を設けていただきたいのです」

私は良い提案に思いました。会館でぜひ、子供から大人まで相談に乗る場を設けてみたらどうでしょうか?
某有名新興宗教も、そういった悩み相談の場を設けているようです。
雇用、時間、場所などの問題もあり、簡単ではないかと思いますが、ぜひ設けいていただきたいものです。

157堅皇:2011/07/20(水) 18:29:02 ID:acgo9yIs0
>>155 白さん

僕はあくまでも「妙法蓮華経」を第一として信じているわけですね。
法華経の信者と言っても梵本の法華経を第一として信じているわけではないわけです。
唱える題目も「南無妙法蓮華経」であり「南無サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」ではありませんから。

白さんはご存知かと思いますが法華経は釈迦の教説ではございません。
釈迦はあくまで小乗経を説かれた方ですよね。
大乗経とは釈迦の遺志を継ぎ龍樹菩薩を始めとした無名の僧集団が創作した物です。
梵本の法華経はこう言った初期大乗仏教の中の1つの経典ですね。
もちろん梵本の法華経はそれ自体でも大変に優れた経典の1つであると言えるでしょう。

しかし、この時点での法華経だと画竜点睛に欠くものであると思っています。
何故ならそこに「諸法実相」も「十如是」もありませんからね。

「妙法蓮華経」は鳩摩羅什の訳ですが必ずしも鳩摩羅什は梵本の法華経を直訳したわけではありません。
鳩摩羅什はもともと仏法に対し深い造詣がありまた信仰者でもあった訳ですね。

つまり鳩摩羅什の訳は梵本の法華経に忠実ではなく、仏法と言う広い枠の中で忠実に訳されたのだと思っています。
要するに梵本の法華経の矛盾点を正し「諸法実相」や「十如是」と言った核を入れ込んだと見ております。

梵本の法華経を忠実に訳しているか否かの話であれば
竺法護訳の「正法華経」の方が断然忠実と言えるのではないでしょうか。

ちなみに日蓮は諫暁八幡抄において
鳩摩羅什の訳を讃えて、それ以外の訳は「水で薄めて毒を入れたようなものだ」と言っているわけですね。
これは全く持って同意見であり、梵本の法華経や正法華経は妙法蓮華経に比べると、幾分も劣る物であると思っています。
故に「南無妙法蓮華経」なんですよ。

もっとも日蓮は法華経が釈迦の教説であり妙法蓮華経こそが法華経と判断したのでしょうが
事実は梵本の法華経から不純なものを取り除き凝縮して妙法蓮華経と言う醍醐味が作られたと言う話でしょうね。

梵本の法華経との訳の差異が気になられるようで、梵本の法華経の方が優れていると思われるならそれもまた良し
これに置いても信じるものは人それぞれ自由ですからね。

僕は僕で現存する「妙法蓮華経」を信じますけどねと言う事です。
全ては「南無妙法蓮華経」と言う題目に集約されていると思いますから。

158堅皇:2011/07/20(水) 18:53:25 ID:acgo9yIs0
ここで、良くありがちな指摘。

日蓮が鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」だと思い込んで読んだ提婆達多品や観世音菩薩普門品
これに対してはどうなんだと言う話。

いやいや、日蓮は「妙法蓮華経」の要は方便品と如来寿量品にあり残りは枝葉とも発言しております。
つまり、これらを要として第一と捉えれば提婆達多品や観世音菩薩普門品を用いても大きく踏み外すことは無いですね。

逆に観世音菩薩普門品を第一として捉えてしまうと「観音様〜」となってしまいますね。
まー実際に観音経は単独で人気がありましたから「観音様〜」てのもけっこう流布していますがね。

159:2011/07/22(金) 00:50:47 ID:gVXsRTgY0
>>157
堅皇さん、こんばんは。

私が言いたいことは分かってらっしゃると思います。ずっと一つのことしか言ってませんから。


> 僕はあくまでも「妙法蓮華経」を第一として信じているわけですね。

それでいいじゃないですか。それ以下の事は必要ないでしょう。
そして、それをあなたは分かると言うんですね。

ずっと私があなたに言ってきたこと。
(あなたが、私の言っていることを分かっていて、意図的に書き込んでいるのかもしれませんが)

> 白さんはご存知かと思いますが法華経は釈迦の教説ではございません。
> 釈迦はあくまで小乗経を説かれた方ですよね。

それ以下も同じようなことです。断定していますね。法華経は釈迦の教説ではございません、と。釈迦が小乗経を説かれた方と。これはどういう根拠ですか。何を根拠に?その出典は。
まさか、小乗、大乗の区別があるとか、伝わった時期が違うとかを根拠にするんではないでしょうね。如是我聞だからなんては言わないでしょうね。


> 「妙法蓮華経」は鳩摩羅什の訳ですが必ずしも鳩摩羅什は梵本の法華経を直訳したわけではありません。

直訳ではないと断言していますね。というと、あなたは原語の意味を知っているんですね。梵本を読めると。

そもそも直訳とはなんですか。?たとえば英語を直訳とは、あなたはどのようなことだと思っているのですか。

> 鳩摩羅什はもともと仏法に対し深い造詣がありまた信仰者でもあった訳ですね。

そうですか。もともとということは、鳩摩羅什の小さいころのこともよく知っていると仰る。


> つまり鳩摩羅什の訳は梵本の法華経に忠実ではなく、仏法と言う広い枠の中で忠実に訳されたのだと思っています。
> 要するに梵本の法華経の矛盾点を正し「諸法実相」や「十如是」と言った核を入れ込んだと見ております。

梵本の法華経の矛盾点がわかるわけですか、その矛盾点とはどういうものですか。何を根拠に。出典を明確にしてください。
核とはなんですか。また、鳩摩羅什が「諸法実相」や「十如是」をどう思っていたか知っていますか?

何度もいいますが、人それぞれ捉え方が違うんですよ。本を読めばそれで知っているというのですか。大人も子供も知っていると。


> 梵本の法華経を忠実に訳しているか否かの話であれば
> 竺法護訳の「正法華経」の方が断然忠実と言えるのではないでしょうか。

そんなこと聞いてもいないし、私の分からないことです。それともあなたの知識の公示ですか。おれは、こんだけ知っているぞ。ですか。


> ちなみに日蓮は諫暁八幡抄において
> 鳩摩羅什の訳を讃えて、それ以外の訳は「水で薄めて毒を入れたようなものだ」と言っているわけですね。
> これは全く持って同意見であり、梵本の法華経や正法華経は妙法蓮華経に比べると、幾分も劣る物であると思っています。
> 故に「南無妙法蓮華経」なんですよ。

あなたの言う、「妙法蓮華経」とは鳩摩羅什の訳本ですか。そこに書いてあることが理解できますか。
分からないから南無ですか?


> もっとも日蓮は法華経が釈迦の教説であり妙法蓮華経こそが法華経と判断したのでしょうが
> 事実は梵本の法華経から不純なものを取り除き凝縮して妙法蓮華経と言う醍醐味が作られたと言う話でしょうね。
> 梵本の法華経との訳の差異が気になられるようで、

勝手なことを言わないように。梵本の法華経との訳の差異なんて、私、分かりませんよ。正しいかどうかも。

> 全ては「南無妙法蓮華経」と言う題目に集約されていると思いますから。

ここで、あなたは題目というわけですね。そこは、大聖人から始まった題目を唱えること、これは認めるということですか。

160堅皇:2011/07/22(金) 13:12:08 ID:acgo9yIs0
白さん

日蓮が生きていた鎌倉時代と現代では解っている事、一般通念と言うものが変わってきてますからね。
日蓮の解釈と言うものは鎌倉時代の一般通念で語られていますからね。

例えば天台の用いた五時八教に関して言えば日蓮は釈迦が説かれた年代順と解釈されていたようで
これは明らかに日蓮が天台宗教学の通念で語られているものと思います。
もっとも、その日蓮も五時八教が必ずしも実年代順では無いということには途中から気付いているわけですね。

ただこの辺は枝葉の事となるので深く掘り下げる事も無く一般通念で五時八教を用いています。

それとも白さんは歴史的証拠に基づいた実際の経文設立の流れに反して
布教の順番は天台の五時八教で行われたと主張されたいわけでしょうかね。

であればその前にこの辺の矛盾点に答えていただかないと。

①悟りを得て21日間に説かれたはずの華厳経の中に、早くもお釈迦さまの道場である祇園精舎が出てきます。華厳経は難しくてみんなが理解できなかったというのに、熱心な支持者が現れて、たった21日間で広大な祇園精舎を作ったことになります。矛盾ですね。
②同じく華厳経には舎利弗、目蓮というお弟子が出てきますが、彼らが釈迦に出会ったのは悟りを開いて後、7〜8年目ごろです。ここで出会うのは矛盾です。
③華厳経のつぎに説かれたのが阿含経だそうですが、この経典には釈尊が亡くなる様子が説かれています。

僕は矛盾がある方と矛盾が無い方であれば、迷わず矛盾が無い方を選びます。
考えを固定させず、思い込みは極力外そうとしていますからね。

釈迦の教説は小乗経部分であり大乗は釈迦滅後の大衆によって生成されたとする学説に
どう反論していくかですね。
僕はその作業はどう考えても不毛だと思いますよ。
学説の方が明らかに矛盾が無いですからね。

法華経の訳に関しては様々なものが触りの部分なら今なら簡単に比較する事ができます。
日蓮の生きていた鎌倉時代ではこれは大変に困難だったと思われます。
各種いろいろな訳がありますが僕は「妙法蓮華経」が一番良いと思っているだけであり
日蓮も「妙法蓮華経」が一番良いと思ったのではないでしょうか。

正法華経が良ければ「南無正法華経」であり、添品妙法蓮華経が良ければ「南無添品妙法蓮華経」
それぞれに拘りが無ければ「南無法華経」でもいいわけです。
されど日蓮が唱える題目は「南無妙法蓮華経」ですからね。

> あなたの言う、「妙法蓮華経」とは鳩摩羅什の訳本ですか。そこに書いてあることが理解できますか。
> 分からないから南無ですか?

ですから解らないから南無ではなく、一番良いと思うから南無ですね。
分からなくても薦められれば試しに南無と言う事はもちろんあります。
何事もやってみないと解らないですからね、これは正に僕の創価学会員時代の話です。
今は確実に自分で良いと思うから南無と言う話です。

学会員の方たちではないですかね、解らないけど南無ってのは。
それを妄信と言うのだと思います。
自分では何も分からずに他人にどう薦めるかと言う話ですね。
自分は分からないけど誰々さんも良いって言ってるんだからと言うのでは限界があると思うのですがね。
自分で考える事をやめて、考える事は全て上層部や池田さんにブン投げてしまった人たちの思考ですね。

> 大聖人から始まった題目を唱えること、これは認めるということですか。

認めるも認めないも題目を唱えることは日蓮から始まった事ではないでしょうか。
「妙法蓮華経」に南無すると言う事は効果的だと思いますからそれを用いているだけです。

161:2011/07/23(土) 00:13:03 ID:gVXsRTgY0
>>160
堅皇さん、こんばんは。

私の質問に、ほとんど答えていただけないようですね。

私の一人一人捉え方が違う、ということに対して、今度は一般通念ですか。
信じるものが違うなら、捉え方が違うとあなたが言ったことに対して、一般通念ですか。
鎌倉時代の事、釈迦の時代の事、これらの一般通念とはどのようなものでしょうか。

> 日蓮が生きていた鎌倉時代と現代では解っている事、一般通念と言うものが変わってきてますからね。
> 日蓮の解釈と言うものは鎌倉時代の一般通念で語られていますからね。

あなたの言われる、一般通念というものは、何の根拠もないのではないですか。出典は出せないのですか。
当時の国語辞典を紐解きましょう、当時の梵漢時代の辞典を紐解いていくと、それが一般通念というのでしょうか。


> 例えば天台の用いた五時八教に関して言えば日蓮は釈迦が説かれた年代順と解釈されていたようで
> これは明らかに日蓮が天台宗教学の通念で語られているものと思います。

このように話せば、あなたの思うところを話しているんだなと分かりますが。(明らかに、は不要です)、あくまで、思います、ですね。


> もっとも、その日蓮も五時八教が必ずしも実年代順では無いということには途中から気付いているわけですね。

私の言うところが分かりますか。日蓮大聖人の思いを、あなたは勝手に決めつけているんです。戸田先生のこと、池田先生のこともですよ。
そんな一般通念という何の根拠もないようなことで、人の思いを決めつけられますか。


私が、例えば、あなたの父親が書いたものを少しばかり、私が読んでいるとして、あなたの父親の事を、あの人は性欲異常者で注意しなければならない人だった、と言ったらどうですか。


> それとも白さんは歴史的証拠に基づいた実際の経文設立の流れに反して
> 布教の順番は天台の五時八教で行われたと主張されたいわけでしょうかね。

そんなこと少しも言ってませんが。また決めつけですか。

> であればその前にこの辺の矛盾点に答えていただかないと。

なにを言っているのですか。自問自答ですか。


> ①悟りを得て21日間に説かれたはずの華厳経の中に、早くもお釈迦さまの道場である祇園精舎が出てきます。華厳経は難しくてみんなが理解できなかったというのに、熱心な支持者が現れて、たった21日間で広大な祇園精舎を作ったことになります。矛盾ですね。
> ②同じく華厳経には舎利弗、目蓮というお弟子が出てきますが、彼らが釈迦に出会ったのは悟りを開いて後、7〜8年目ごろです。ここで出会うのは矛盾です。
> ③華厳経のつぎに説かれたのが阿含経だそうですが、この経典には釈尊が亡くなる様子が説かれています。

まったく無駄なことです。なんになりますか。根拠がないのに、一般通念ですか、それですと矛盾があるからどうしますか、ですか。

釈迦はいつ生まれたのですか。当時の状況はどのようなものでしょうか。知っていますか。小乗経しか説かなかったのですか。誰がそんなこと言ってますか。何か根拠があるのですか。

162:2011/07/23(土) 00:15:34 ID:gVXsRTgY0
堅皇さん

> 僕は矛盾がある方と矛盾が無い方であれば、迷わず矛盾が無い方を選びます。
> 考えを固定させず、思い込みは極力外そうとしていますからね。
> 釈迦の教説は小乗経部分であり大乗は釈迦滅後の大衆によって生成されたとする学説に
> どう反論していくかですね。
> 僕はその作業はどう考えても不毛だと思いますよ。
> 学説の方が明らかに矛盾が無いですからね。

学説ということが、どんなものか知ってますか。それとも私の知っている学説とは違うのでしょうか。
また、以下も同じように言うことができますが、

また、「学会員の方たち」、という表現は、おかしいんですよ。
何度も言ってますよね、あなたも認めている。それぞれ違うんですよ。


> 今は確実に自分で良いと思うから南無と言う話です。
>
> 学会員の方たちではないですかね、解らないけど南無ってのは。
> それを妄信と言うのだと思います。

あなたは、「妄信」をしていないですか。どうですか。その妄信という行為を馬鹿にしますか。あなたは、妄信してませんか。
こういうことを言うから、あなたは高校生ですか、大学生ですか、というのです。
自分が如何に知らないかということを、分かっていないのでは。

> 自分は分からないけど誰々さんも良いって言ってるんだからと言うのでは限界があると思うのですがね。

当たり前ですよ。

> 自分で考える事をやめて、考える事は全て上層部や池田さんにブン投げてしまった人たちの思考ですね。

あなたがそう思うだけです。

> 認めるも認めないも題目を唱えることは日蓮から始まった事ではないでしょうか。
> 「妙法蓮華経」に南無すると言う事は効果的だと思いますからそれを用いているだけです。

では、なぜ、南無という言葉を使いますか。その音の響きがいいのですか。たとえば、妙法蓮華経に命を預けます、とか、妙法蓮華経に帰命します、とか
南無と同じ意味の言葉を使わないのですか。

ずっと言っていること、あなたに何が言いたいのか、分かりますよね。題目を唱えているならいいではないですか。

163堅皇:2011/07/23(土) 04:27:10 ID:acgo9yIs0
白さん

> ずっと言っていること、あなたに何が言いたいのか、分かりますよね。題目を唱えているならいいではないですか。

このご質問に関しては >>131 にて回答しております。

口では「南無妙法蓮華経」と唱えていても妙法蓮華経を信じないというのであれば
口では「あれがとう」や「ごめんなさい」と言っていても心の中で舌を出している事と同じ事。
その効果はいずれ失われるものだと思います。

と言う事ですね。

要するに日蓮の流布しようとした事は「南無妙法蓮華経」に尽きますね。
それ以上になにかありますかね。
勤行に関して言えば文字を読める方にだけ推奨したものでしかありません。

更にその勤行の対象となるものは妙法蓮華経の方便品と寿量品であり
妙法蓮華経を依り所とするわけですから、つまるところが「南無妙法蓮華経」。
日蓮が妙法蓮華経ではなく自らが書いた御書を学べと言う事すら真蹟からは伺う事も出来ません。

題目以外に加えるとするならば曼荼羅本尊となりますが
その曼荼羅本尊にやはり共通するものと言うのは中心に記されている「南無妙法蓮華経」と言う事。

では、そもそも「南無妙法蓮華経」とは何かと言う話です。
これを真っ直ぐに読み取るなら、どう考えても妙法蓮華経を南無すると言う事ですよね。
違うと言う根拠は日蓮正宗オリジナルの教義に触れなければ到達しない結論に思います。

僕が学会員時代の時は創価学会が日蓮正宗から教わった教義をそのまま鵜呑みにし
日蓮が本仏であり、妙法蓮華経は釈迦の教説であり仮の教えだから御書が根本であると
それこそ妄信していたのですが、これを続けていくうちに1つの疑問が生まれてきました。

164堅皇:2011/07/23(土) 04:27:40 ID:acgo9yIs0
その疑問とは、何故に周りの学会員が題目を一生懸命に唱えているのにも拘らず
内外に向けての争いや愚痴が絶えなくなり、不幸をうったえる人々が増えてきたのだろうと言う事ですね。

題目を一生懸命に唱えれば人々は平和を求め皆幸せになれる筈ではなかったのか?
創価学会という組織はこれまで確かに幸せの方向へ一歩ずつ進んできたように見えた。
しかし、何故ここに来て・・・。
これには何か根本的な原因があると思い、一から「南無妙法蓮華経」の意味を探ろうではないかと思ったわけですね。

したがって僕の退会理由に関しては創価学会に何されたという感情はまるっきり無いわけです。
一重に周りから聞こえる学会員さんの嘆きの声から始まっていると言う事です。

言ってみれば大きなお世話と言う話かもしれませんが
質問者の態度が悪いから口の利き方が悪いのでアクセスを禁止しますと言う事が僕には全く理解できない事ですね。
口が悪い、態度が悪い人ほど、じっくりと話をして理解してもらうと言う事が本当なのではないかと。
意にそぐわない人は出て行ってくださいと切り捨てるなら何も信心は必要ないのではないかと思います。

同じ学会員同士がそれぞれのテリトリーを作り牽制し合いながらいる行為自体も異常に思います。

「題目を唱えているならいい」それだけで本当に良いというものならば
この様な異常事態にはならないと思います。
また、この様な異常事態を目の当たりにしながら疑問が湧かない事も異常に思います。

広宣流布と言う物は世界中が1つになる、つまりはボーダレスになると言う事と僕は解釈しています。
つまり「南無妙法蓮華経」と言う題目は壁を1つずつ取り外していくためにあるものであると思っています。

しかし現実は全くの逆の方向へ向かっているように思えるわけです。
今、争いを持ち込んで壁を作ろうとしてるのは日蓮正宗や創価学会という
「南無妙法蓮華経」と言う題目を唱えている人たちが中心に思えると言う事です。

もし、「南無妙法蓮華経」に誤りが無いとすれば
「南無妙法蓮華経」と唱えるそれぞれの心に誤りがあるのではと考えるのが当然の流れではないかと言う事です。

165沖浦 克治:2011/07/23(土) 06:19:59 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、おはようございます

 貴方は相当鋭いですね。
 ただね、惜しいところがあると私には感じられます。
 唱題して愚癡を言う人が多い。
 事実でしたね。
 それはね、その人の人間性の問題です。
 創価学会は貧乏人と病人と言う社会の底辺から始まった教団です。
 そりゃ、愚癡言います。
 そしてね、その愚癡の大半が人に対するものです。
 怨嫉謗法と言って罰しか出ません。
 いくら題目唱えても罰なんです。
 御書にあるでしょう。
 ネットで創価学会員を名乗る人ごらんなさい。
 怨嗟に満ちた書き込みしています。
 若鷹、富士ボー、楠、その他たくさんあります。

 お前たち俺と同じもの信じろ!!
 でないと地獄に堕ちるぞ!!

 これでボーダーレスなんか無理です。
 今ね、創価学会は体験中心に舵を切りつつあります。
 功徳の体験にはボーダーはないのです。
 そのかわり、他宗の功徳も認める度量がいるんです。
 そして、どっちが功徳出すのに拝んで効率がいいか?
 ここが勝負になります。

 私はアスリートですが、ライバルの記録認めます。
 どっちがいい記録出すか?
 これををジム単位で長年やると、効率のいいトレーニング方法が浮かび上がるんです。
 同じなんですよ。
 すべては体験での勝ち負け。
 法の浅深で勝負できませんよ。

 南無妙法蓮華経についてはあなたと私はほとんど同じ意見です

166:2011/07/23(土) 09:49:42 ID:gVXsRTgY0
>>163
堅皇さん、おはようございます。

> > ずっと言っていること、あなたに何が言いたいのか、分かりますよね。題目を唱えているならいいではないですか。
> このご質問に関しては >>131 にて回答しております。

以前、「対告衆はあなたです。」といいました。ここで話しているのは、あなたに対して話していることです。
あなたが信じて題目を唱えているならいいではないですか、と言っているのです。前にもあなたに話していると思います。


それと、まだ、私が言っていることを理解していただけていないようですね。

> 口では「南無妙法蓮華経」と唱えていても妙法蓮華経を信じないというのであれば
> 口では「あれがとう」や「ごめんなさい」と言っていても心の中で舌を出している事と同じ事。
> その効果はいずれ失われるものだと思います。

あなたは、あなたの思っている、あなたの言っている、理解をしなければ、効果がないというのですね。
自分で増上慢だと思いませんか。
あなたの話は、根拠があいまいで、あなたは、そのことを分かっていない、とも言ってきました。
根拠はありましたか。その根拠を、その出典を、上げてくださいとも言いました。

わたしは、あなたの捉え方をおかしいと言ってきたのです。基本的なことを言ってきたのです。でも大事なことです。
人はそれぞれ捉え方が違うと言ってきたのです。あなたも認めたことです。

それに基づいて言ってきたのです。言葉の定義さえ違うのです。
あなたは、妙法蓮華経がわかるとおっしゃる。信じると言われる、その先に何かありますか。
あなたも、あなた流の妙法蓮華経の捉え方をしているに過ぎません。

妙法蓮華経の事を、あなたの言うところの、(わたしは独善だと思っていますが)、本(どんな書物か教えていただけていない)に書いてある、若しくは人に聞いた、から正しいと信じて、妄信して、
それを知っておかなければ意味はないよ、おれは分かっているから、すごいんだぞ、学者は分かっているから偉いんだぞ、と言いたげに聞こえます。
毎日勉強する時間もなく、汗水流して働いている一般庶民は、どうしようもない、ということに結びつきませんか。
もし、そうなら、どうすれば、その方たちを救えますか。それが大事です。(実は、救ってもらっている)

167:2011/07/23(土) 09:50:43 ID:gVXsRTgY0
堅皇さん

> 要するに日蓮の流布しようとした事は「南無妙法蓮華経」に尽きますね。
> それ以上になにかありますかね。
> 勤行に関して言えば文字を読める方にだけ推奨したものでしかありません。
> 要するに日蓮の流布しようとした事は「南無妙法蓮華経」に尽きますね。
> それ以上になにかありますかね。
> 勤行に関して言えば文字を読める方にだけ推奨したものでしかありません。

みんな知っていることではないですか。それでいいではありませんか。何をいまさら。

> 更にその勤行の対象となるものは妙法蓮華経の方便品と寿量品であり
> 妙法蓮華経を依り所とするわけですから、つまるところが「南無妙法蓮華経」。
> 日蓮が妙法蓮華経ではなく自らが書いた御書を学べと言う事すら真蹟からは伺う事も出来ません。

そうですか、それでいいではないですか。

> 題目以外に加えるとするならば曼荼羅本尊となりますが
> その曼荼羅本尊にやはり共通するものと言うのは中心に記されている「南無妙法蓮華経」と言う事。

そうですか。「南無妙法蓮華経」の捉え方の議論は、沖浦さんに譲りますよ。

168:2011/07/23(土) 09:58:40 ID:gVXsRTgY0
堅皇さん

『新・人間革命』第19巻297-298㌻には
 一九七四年の「立宗宣言の日」にあたる四月二十八日、伸一は、北陸広布二十周年を祝す記念総会に出席していた。その講演のなかで、彼は大聖人門下として最も重要な、このテーマに言及していったのである。
 「大聖人がこの世に弘めようとされたものは、端的に申し上げれば『本尊』であります。
『本尊』とは、『根本として尊敬すべきもの」です。人は、根本に迷えば、枝葉にも迷い、根本に迷いがなければ、枝葉末節の迷いも、おのずから消えていくものである。ゆえに、いちばんの根本となる『本尊』を、一切衆生に与え、弘められたのであります。
 では、その『本尊』の内容とは何か」
 本質にまっすぐに迫っていく伸一の講演に、参加者はぐいぐいと引き込まれていった。
 「それは、『御本尊七箇相承』に『汝等が身を以って本尊と為す可し』(『富士宗学要集』第一巻)とある通り、あえて誤解を恐れずに申し上げれば、総じては、『人間の生命をもって本尊とせよ』ということであります」

とあります。その中でも「あえて誤解を恐れずに申し上げれば」と言われて話しておられます。

>>164
あなたの体験が、あなたが見た創価学会という組織の状態が聞けました。同じような問題意識を私も持っています。きっと本部の方も持っていると思いますよ。

> もし、「南無妙法蓮華経」に誤りが無いとすれば
> 「南無妙法蓮華経」と唱えるそれぞれの心に誤りがあるのではと考えるのが当然の流れではないかと言う事です。

だから、理解しなければいけないというのですか。あなたが理解したところによると、戸田先生も間違っている。池田先生も間違っている。
そして、日蓮大聖人も、間違っているというのですか。

でも私が言ってきたこと。あなたの言ってきたことさえ、間違っているかもしれないと言ってきました。捉え方もそれぞれ違うのですと。

だから、見て見ぬふりをする、というのではないですよ。

ただ、私が捉える仏の生命は、おそらく、あなたが捉える妙法蓮華経と違うし、沖浦さんとも違うように思います。

169沖浦 克治:2011/07/23(土) 10:37:53 ID:AJ3hr85o0
 白さん、今日は

>ただ、私が捉える仏の生命は、おそらく、あなたが捉える妙法蓮華経と違うし、沖浦さんとも違うように思います。

 それぞれの認識ですから、異なって当たり前です。

170雨煽り:2011/07/23(土) 13:42:36 ID:Pssg0Hu.0
>>169
沖浦さん、こんにちは。


>それぞれの認識ですから、異なって当たり前です。

その通りだとは思いますが、でも、
私と沖浦さん、白さん、あと…備前さん、の「南無妙法蓮華経」の認識は同じです。
…あ さんも同じですね。

表現方法は、それぞれ違いますけど…


ちなみに、これは、私の認識です。( ^^) _旦~~

171堅皇:2011/07/23(土) 13:43:57 ID:acgo9yIs0
沖浦さん

僕は実を言えば沖浦さんが考えている独自の解釈と呼ばれるものを用いる行為自体は嫌いではありません。
他の学会掲示板やこちらでも沖浦さんが独自の解釈をする事自体を糾弾する傾向にありますが
それは違うのではないかと思っています。

沖浦さんは三乗を否定していますが、この考えをもてると言う事自体が僕は縁覚界の心だと思っています。
ですから、僕は沖浦さんの心から湧き上がった解釈を否定するのではなく
そこに矛盾がないかと言う事を更に考察する必要があるのではないかと考えるわけですね。

湧き上がった煩悩を滅しようとするのは大乗に有らず小乗であると思いますから。
煩悩は灰身滅智することなく即菩提へ持っていくことこそが大乗であると思いますからね。

僕に関する考察も同様ですね。
違うとただ滅しようとするのではなく、何処がどう違うと言うのか提示していただきたいと言う話です。

僕の考えは至ってシンプルだと思うのですが
「南無妙法蓮華経」と言うくらいですから所依となるものは妙法蓮華経であるべきであり
御書ではないと言う事です。
特に御書おいてもっとも危険と思われるものは血脈抄を始めとした妙法蓮華経から外れる
本覚思想が用いられている御書です。

これらの日蓮が書いたか書いてないかも解らない矛盾だらけの書を
先ずは正直捨方便するところから始めるべきではないかと思います。

172堅皇:2011/07/23(土) 13:44:46 ID:acgo9yIs0
白さん

白さんは学会員さんなので所依とするのが「人間革命」「新・人間革命」となるのはしょうがないと思いますが
これは「人間革命」「新・人間革命」を信じている人にしか通用しない話です。
つまりは創価学会、池田さん信望者にしか通用しない話。

日蓮は仏法者と呼ばれる方との対話には文証というものを求めましたが
文証とは本来は経文の事であります。
これは経文が仏法者と呼ばれる方の間では共通のものであったからと言う事が言えると思います。

真言宗の方と話す時に天台宗の教義を持ち出して私の方が正しいだろうといくら主張しても
話は平行線のままですよね。
これでは、いくら話を続けていても互いに信じるものが違いますからねと言う事になります。
少なくとも日蓮が行った他宗との対話と言うものはそういったものではないと思いますね。

で、折角だから
> 「それは、『御本尊七箇相承』に『汝等が身を以って本尊と為す可し』(『富士宗学要集』第一巻)とある通り、あえて誤解を恐れずに申し上げれば、
> 総じては、『人間の生命をもって本尊とせよ』ということであります」

つまり、伸一の講演は『御本尊七箇相承』を用いて語られているという事ですね。
なら尚更これを真っ直ぐに信じ受け入れる事は出来ません。
そもそも、「七箇相承」に対して疑念がありますからね。
と言うより創価学会は日蓮正宗と別れてから幾数年も経っているにも拘らず
未だにこんなものをぶっこんで来てるのかと言う驚きすら感じますね。

これでは公式見解が曖昧なものになることも理解できますし
未だに日蓮正宗の教義を責め切れてない現実も納得できます。
教義が一緒だと難癖を付けて野次る事しか出来ませんからね。

日蓮正宗の教義には恵心流中古天台の思想が色濃く反映されていて
これらは全て考察し直す対象であると僕は考えています。
参考までに恵心流中古天台と日蓮正宗教義の相似の対比を上げておきます。

人:天台─本仏 法:一念三千/人:日蓮─本仏/法:題目
止観勝法華劣/文底勝文上
寿量品の内証/寿量品の文底
自受用報身(天台)/自受用報身(日蓮)
七箇の大事/七箇の大事
切紙相承/切紙相承
本因行の能化/本因妙の教主
嫡流一人秘すべし/唯受一人秘すべし
五百塵点最初/五百塵点当初

と言う感じですかね。

173:2011/07/23(土) 14:54:00 ID:gVXsRTgY0
>>172
堅皇さん

少しは配慮していただけましたか。
だけど、『新・人間革命』の文言をお借りして、話したことは、創価学会、池田さん信望者にしか通用しない話、でしたか。?

人それぞれ捉え方が違うという、わたしが言ってきたことは、このようなことだと思いますが。


>>169
沖浦さん、こんにちは。

>  それぞれの認識ですから、異なって当たり前です。

そうなんですよね。だから面白いんですよね。


>>170
雨煽りさん、こんにちは。

> >それぞれの認識ですから、異なって当たり前です。
>
> その通りだとは思いますが、でも、
> 私と沖浦さん、白さん、あと…備前さん、の「南無妙法蓮華経」の認識は同じです。
> …あ さんも同じですね。
>
> 表現方法は、それぞれ違いますけど…

そうかも知れません。だから面白いんですよね。

堅皇さん、きっと皆さん同じだと思いますが、どんなつらいことがあっても、負けない仏の命を知っているなら、楽しんで人生を生きていける。私はそう思います。

174沖浦 克治:2011/07/23(土) 16:38:51 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、こんにちは

 それぞれの構成員が、独自の思索が出来ないなら、盲信者の集団です。
 簡単にカルトになるんです。
 戸田先生がご指摘です。

 『青年は日本の眼目である。批判力猛しければなり。眼目破れてはいかにせん。国のゆくてを失うではないか。』
 (国士訓より抜粋引用)

 批判力に耐えない宗派は偽物ですよ。

175堅皇:2011/07/23(土) 16:59:15 ID:acgo9yIs0
白さん

では、もう少し細かくいきますか。
提示された『新・人間革命』とやらにはこう書かれているわけですね。

>『本尊』とは、『根本として尊敬すべきもの」です。人は、根本に迷えば、枝葉にも迷い、根本に迷いがなければ、枝葉末節の迷いも
> おのずから消えていくものである。ゆえに、いちばんの根本となる『本尊』を、一切衆生に与え、弘められたのであります。

とすれば『本尊』と言う根本となる物の解釈が人それぞれ捉え方が違うとなると、どれが本当であるかと人は迷いませんかね。
根本に迷いが生じると枝葉末節の迷いも生じると言うのが山本伸一の話の趣旨ですね。
これに関しては僕は同意です。
迷い無く根本を求めるとするならば、根本となる物を定める必要がありますからね。
逆に、考えに迷いが生じても構わないとするなら解釈は人それぞれでいいのではないですかという話です。

白さんは同じく「南無妙法蓮華経」と言う根本となる物の解釈は人それぞれ捉え方が違ってしかるべきと言います。
つまりは、迷う事になっても良いではないか、山本伸一の話は聞き入られないと言う事になるかと思います。
更に言えば「南無妙法蓮華経」と言う題目に拘らずとも「南無阿弥陀仏」と言う念仏でも構わないと言うお話ですね。

もちろん構いませんよ、迷いたいと思う人がいるならば迷える方を選べばいいわけですから。

僕が山本伸一の話に異を唱える箇所はその先の

> 「それは、『御本尊七箇相承』に『汝等が身を以って本尊と為す可し』(『富士宗学要集』第一巻)とある通り、
> あえて誤解を恐れずに申し上げれば、総じては、『人間の生命をもって本尊とせよ』ということであります」

この部分ですね。
『御本尊七箇相承』を元に考えるべきではないと言う事であり
したがって『人間の生命をもって本尊とせよ』は誤りではないかと言う指摘ですね。
『御本尊七箇相承』では、『本尊』に対する言及が明確だとは思えませんからね。

176:2011/07/23(土) 19:03:34 ID:gVXsRTgY0
>>175
堅皇さん

わたしは、人それぞれ捉え方が違う、と言いました。その根本にあるのは、なんなんですか。人それぞれの「信」ではないですか。

以下も同じです。

> >『本尊』とは、『根本として尊敬すべきもの」です。人は、根本に迷えば、枝葉にも迷い、根本に迷いがなければ、枝葉末節の迷いも
> > おのずから消えていくものである。ゆえに、いちばんの根本となる『本尊』を、一切衆生に与え、弘められたのであります。
>
> とすれば『本尊』と言う根本となる物の解釈が人それぞれ捉え方が違うとなると、どれが本当であるかと人は迷いませんかね。
> 根本に迷いが生じると枝葉末節の迷いも生じると言うのが山本伸一の話の趣旨ですね。
> これに関しては僕は同意です。
> 迷い無く根本を求めるとするならば、根本となる物を定める必要がありますからね。
> 逆に、考えに迷いが生じても構わないとするなら解釈は人それぞれでいいのではないですかという話です。


> 白さんは同じく「南無妙法蓮華経」と言う根本となる物の解釈は人それぞれ捉え方が違ってしかるべきと言います。
> つまりは、迷う事になっても良いではないか、山本伸一の話は聞き入られないと言う事になるかと思います。

違います。「信」ということが根本にあります。


> 僕が山本伸一の話に異を唱える箇所はその先の
>
> > 「それは、『御本尊七箇相承』に『汝等が身を以って本尊と為す可し』(『富士宗学要集』第一巻)とある通り、
> > あえて誤解を恐れずに申し上げれば、総じては、『人間の生命をもって本尊とせよ』ということであります」

> この部分ですね。
> 『御本尊七箇相承』を元に考えるべきではないと言う事であり
> したがって『人間の生命をもって本尊とせよ』は誤りではないかと言う指摘ですね。
> 『御本尊七箇相承』では、『本尊』に対する言及が明確だとは思えませんからね。

冷たい言い方かもしれませんが、そうですか。好きなように解釈すればいいのでは、と私なら言います。
私が言いたかった部分は、「あえて誤解を恐れずに申し上げれば」という姿勢です。

177堅皇:2011/07/24(日) 00:39:19 ID:acgo9yIs0
白さん
> 違います。「信」ということが根本にあります。

念仏だって「信」はあるわけですから。
何を根本として信じるかによって変わりますよ。

白さんは創価学会を根本に信じていますでしょうし、僕は妙法蓮華経を根本に信じています。
創価学会では日蓮正宗に習い妙法蓮華経は仮の教えとして妙法蓮華経の趣意を変えて信じていますが
僕は妙法蓮華経を根本に信じています。

互いに「南無妙法蓮華経」と口にはしていますが「信」の根本が違うという事ですね。

> 私が言いたかった部分は、「あえて誤解を恐れずに申し上げれば」という姿勢です。

つまり、確証がないと言う事ですね。
それでどうして創価学会が絶対に正しいと言えるかですね。
「あえて誤解を恐れずに申し上げれば」この言葉も本当に心からそう思っているのかです。
思っていれば「創価学会が絶対」なんてことも軽々しく言えないはずなのですが。

ちなみに僕は自分の考えが絶対に正しいとは言ってないですよ。
異論反論があれば、ぞうかご指摘してくださいと言ってます。
それに対する返答が「捉え方は人それぞれ」と言う事では
何を根本に「信」とするか定まってないという事ではないですかね。

「破邪顕正」と言うものを、好きなように解釈した結果が
創価や池田さんに批判するものに対し誹謗中傷する事だと信じ
それにより功徳が得られるかのように信じている学会員さんも多いように思います。

この人たちだって「信」を根本に「南無妙法蓮華経」と口にはしているんですけどね。

178:2011/07/24(日) 07:30:59 ID:gVXsRTgY0
>>177
堅皇さん、おはようございます。

> 念仏だって「信」はあるわけですから。
> 何を根本として信じるかによって変わりますよ。

当たり前です。だから、堅皇さんも悩まれたんでしょう。


> 白さんは創価学会を根本に信じていますでしょうし、僕は妙法蓮華経を根本に信じています。

以前、この比較は不適当と言ったはずです。なぜ、こんなことを言われるのですか。本当に分かっていないのですか。


> 創価学会では日蓮正宗に習い妙法蓮華経は仮の教えとして妙法蓮華経の趣意を変えて信じていますが

そうですか。

> 僕は妙法蓮華経を根本に信じています。

そうですか。あなたのいう、妙法蓮華経がなんなのか分かりませんが、あなたが何を参考にしたのか全く話してくれません。


> 互いに「南無妙法蓮華経」と口にはしていますが「信」の根本が違うという事ですね。

そうです。


> > 私が言いたかった部分は、「あえて誤解を恐れずに申し上げれば」という姿勢です。
> つまり、確証がないと言う事ですね。

本気で、このように思うんですか。このように解釈したんですか。

> それでどうして創価学会が絶対に正しいと言えるかですね。

このようなこと、言った覚えはありませんが。何を言っているんですか。本当にそう解釈しているなら、あなたの解釈はわたしの想像できないところです。

> 「あえて誤解を恐れずに申し上げれば」この言葉も本当に心からそう思っているのかです。
> 思っていれば「創価学会が絶対」なんてことも軽々しく言えないはずなのですが。

こんなこと、全く言ってませんが。どのように読めば、そのようになるのか教えてください。


> ちなみに僕は自分の考えが絶対に正しいとは言ってないですよ。

あなたは、人の内面を、思いを、決めつけた言い方をしたんです。
基本的な捉え方がおかしいと言ったのです。

> 異論反論があれば、ぞうかご指摘してくださいと言ってます。
> それに対する返答が「捉え方は人それぞれ」と言う事では
> 何を根本に「信」とするか定まってないという事ではないですかね。

先に話した通りです。


> 「破邪顕正」と言うものを、好きなように解釈した結果が
> 創価や池田さんに批判するものに対し誹謗中傷する事だと信じ
> それにより功徳が得られるかのように信じている学会員さんも多いように思います。

そうかも知れません。私も、ここで語られる方々も、そして、いろんな方々も腹立たしい気持ちだと思います。
創価学会は、戸田の命より大事だ。と言われているんです。
だから多くのまじめな方たちが、組織としての活動を、離れて見ているんです。でも、傍観しているわけではありません、何もしないでおれる訳ありません。

> この人たちだって「信」を根本に「南無妙法蓮華経」と口にはしているんですけどね。

そうです。でも、その結果は、必ず現れてきます。「信」の結果は、仏法に違背していれば、あなたが言うように、もう現れているかもしれません。
堅皇さん、一緒にずっと仏道修行をやっていきましょうね。どんなに落ちぶれようが、金持ちになろうが、関係ありません。あなたも地涌の菩薩ですから。

179:2011/07/24(日) 07:32:27 ID:gVXsRTgY0
青年の譜から

雑草48-53㌻(いろいろ省略)

天上の光に乱調子に生きる
地底の露源に感謝しながら
静かに生きる
かれは生きる
羅列して緑の素肌のままに
強く生きる
秋霜にも棟えず不擁の意志と
天性のしなやかな反発力をもって
かれは愉快に生きぬく
かれは生きる貧焚に生きる
かれには陰気などさらさらない
母なる大地の活源に
相呼応しながら
かれは自己の環境と峻烈に戦い
自らの環境を自在に楽しみ
日々充実の生を刻み続ける
干天と強風と豪雨と
朝露と夕焼と満天の星座とともに
かれは歌舞しながら生きる
炎熱はかれを否応なしに苦しめる
一滴の水が珠玉と映る渇きとの
ひたすらな戦い


無名には無名の
野生には野生のみの
使命と開花がある!
みずからの手で
みずからの道を開墾するー
これがわが麗わしき
青い生存の道なのだ
喝采のない舞台で
無償の乱舞と行進の美を
無限にひたすらに表現しぬくのだ
ああその名雑草-
汝は何と偉大なのか
汝は何と逞しいのか
汝は何と明るいのかー
ひたむきに生きる青き友よ
さあ!こちらへきたまえ
君のために半座を分かとう
君の辛労を私はじっと見守ろう
君の躍々たる真実を私だけは讃えたい
その姿を私の
生涯にわたる路線としたいのだ
流れる星を眺めつつ
君よ奔放に生きたまえ
それが正しき道なれば
本位の要素のままに
どこまでも君らしく生きるのだ

やはり、先生はすごいな、と私は思います。

180:2011/07/24(日) 07:42:50 ID:gVXsRTgY0
ごめんなさい。

秋霜にも棟えず不擁の意志と→秋霜にも棟えず不撓の意志と

181:2011/07/24(日) 07:51:33 ID:gVXsRTgY0
まだありました。(;´▽`A``

かれは生きる貧焚に生きる→かれは生きる貪婪に生きる

182:2011/07/24(日) 08:00:34 ID:gVXsRTgY0
まだありました。

秋霜にも棟えず不擁の意志と→秋霜にも慄えず不撓の意志と

まだあるかも。(;´▽`A``

183堅皇:2011/07/24(日) 10:38:46 ID:acgo9yIs0
白さん
>> 白さんは創価学会を根本に信じていますでしょうし、僕は妙法蓮華経を根本に信じています。
> この比較は不適当と言ったはずです。なぜ、こんなことを言われるのですか。本当に分かっていないのですか。

何故この比較を持ち出すかといえば、僕自身も創価学会は正しい
日蓮が根本であり、日興さんが日蓮の唯一の継承者であると言う考えにずっと固執していたからですね。
それは、あることに気が付くまでは。

そのある事というのは勤行の後のご祈念文、御観念文です。

そもそも僕は創価学会の衰退には必ず何か理由があると思ったわけです。
その理由を考えた時に合致したのは勤行のやり方の改正ですね。
2004年から始まった寿量品の長行と五座三座の廃止。

先ずはこれに、なにか問題がないかを調べてみたわけです。
改めて調べてみると勤行に対する言及は御書からはあまり述べられていないわけですね。
加えて五座三座の成立はかなり後の出来事であるという事。

日蓮正宗の言い分を読むと長行と五座三座の廃止を積極的に問題視しているところはあるが
これに関してはあまり説得力のあるものがない。
むしろ、勤行がなくても題目だけでも充分ではないかと思ったくらいで
これに関しては学会の判断に誤りは感じられないと思ったわけですね。

だとすれば何かと言う事でたどり着いたのがご祈念文、御観念文です。

そもそもがこのご祈念文、御観念文と言う物は御書には一切触れられていないですね。
そこで可能性として勤行をする際にご祈念文を読み上げる事をやめてみました。

正直言いましてこれがビンゴだと今は確信しております。

184堅皇:2011/07/24(日) 10:39:20 ID:acgo9yIs0
ご祈念文、御観念文に記されているものは血脈抄の内容を信じ込ませるためのものであり
更に2004年からの改正版では「信」の対象を創価学会及び三代会長にさせるためのものと言えます。
これを読み続けている限り、日蓮、日興、日目に対する公平な判断が出来なくなるものであり
三代会長を公平な目で見難くなると言うことですね。

そもそもご祈念とは自身の祈りの根幹の部分であり
自分自身が何をどう願いたいか言う部分となるわけです。
この願いの部分に日蓮が末法の御本仏である事、日興を信じること、三代の会長を広布の指導者と仰ぐこと
何を置いても創価学会万代の興隆を祈念しているわけですから
「信」の根本を創価学会にして下さいと願うわけで、創価に関して疑う余地を持てなくなるわけですね。

これにより、創価組織を信じすぎるあまりに少しでも組織の問題点を指摘する人が現れると攻撃に転じる人。
また、自分自身が創価組織に疑問を抱くと、自分が全て間違っているのかと思い悩み病んでいく人。
更に強い疑問を抱いた人は信心を捨てて組織を去っていく等が現れるわけです。

何故そうなるかは、創価学会の教学、指導では数多くの矛盾点があるからだと思います。

もう一つは創価組織の教義や指導内容を自分の中で都合良く好意的に解釈して
矛盾を抱えたまま、これまでのスタンスを守ろうとする人たちが現れますが
これにも限界があり、公式と違う見解を少しでも述べると槍玉に挙げられるということと
矛盾を指摘されると解釈の違いとして返答を避けると言うものです。

この中では妥協点を持ち互いの矛盾点を認め合うのはマシな方とは思いますが
己心に「信」を置いている限りは衝突は避けられないものであるとも言えますし
組織の衰退にと言う現実は避けられないものだと思います。

ただ、本来全くの矛盾点が無いものが南無妙法蓮華経ではないかと僕は思ってはいるんですけどね。
これが創価学会の衰退と争いの原因だと僕は考えます。

僕も長らく御観念文と言うものを言われるがままに読み続けていましたから
創価教義との違う可能性を見出すにはかなりの時間がかかったと言う経緯からも
もし仮に、未だにご祈念文を僕も読み続けていたとすれば
「南無妙法蓮華経は妙法蓮華経に南無だろ」と言われたところで
簡単に「ハイそうですか」とはならないだろうと思っています。

でも、全てを一旦まっさらにして考え直してみると言う事も必要な事だと思いますよ。

185堅皇:2011/07/24(日) 11:17:28 ID:acgo9yIs0
白さん

ところで僕は池田さんの発する言葉が全て誤りだとは思ってませんよ。
それは当然得るべき事もあるんじゃないですかね。

ただ一言、話している内容に矛盾がある、不明瞭な部分があると言っているだけです。
これに関しては池田さんだけに言っている事ではなく、全ての人間に言える事ですね。
釈迦にしろ龍樹にしろ羅什にしろ天台にしろ日蓮にしろです。

それに対し「南無妙法蓮華経」や「妙法蓮華経」に書かれていることには矛盾が感じられないと言う事です。

何故に矛盾が感じられないかと言えば
一人の我見で書かれた物ではなく諸仏の智恵の結晶であるからと思うわけですね。

先ず釈迦はヒンズー教の教えの中から仏法と言うものを生みだしたわけであり
法華経は釈迦の仏法を元にして生まれたものであると言う事
更に龍樹がいなければ大乗の核の部分が生まれなかったわけであり
羅什がいなければその核を法華経に組み入れた妙法蓮華経が生まれなかったわけであり
天台がいなければ妙法蓮華経が最上であるとされなかったわけであり
日蓮がいなければ妙法蓮華経を元とした南無妙法蓮華経が生まれなかったと考えているわけですね。

もちろんこれは主流だけの話であり、ここに至る経緯においては数知れぬ人々の試行錯誤があって
その中で紆余曲折を繰り返し形成されたものであると考えています。

したがって日蓮と言う人が本仏であり、この日蓮と言う人が単独で編み出した法などと言う
「南無妙法蓮華経」を、そんな単純な物だとは思ってはいないわけです。

人類がこれまで発展してきた事と同様に仏法もまた時代と共に発展してきたと考えているわけです。
日蓮が描いた本尊が曼荼羅であると言う意味からも本尊は一人の仏と言う事ではなく
一切諸仏、つまりは過去現在未来を含めた全ての人々であると解釈しているわけですから。

195:2011/07/24(日) 16:17:33 ID:gVXsRTgY0
>>183
堅皇さん

> そもそもがこのご祈念文、御観念文と言う物は御書には一切触れられていないですね。
> そこで可能性として勤行をする際にご祈念文を読み上げる事をやめてみました。
> 正直言いましてこれがビンゴだと今は確信しております。

そうですか。ご観念文に対しては、ここに集まっている方たちは、ほとんどの方が、知っていることです。
堅皇さんは、そうしたらいいではないですか。

学会本部も、どうでもいいですよ、という対応をしていると思いますよ。以前の長行を読んでも、以前のご観念文を読んでもいいですよという姿勢ではないですか。
学会の理事会で決めたことではないですかね。それに従わなければならないなどと、言ってないはずです。
例えば、広宣流布をしやすくするために、東天を向き、初座をする等は、韓国の人達の気持ちを考えて、どうでもいいですよ、ということになったのではないですか。
化儀のこと。


>>184
> ご祈念文、御観念文に記されているものは血脈抄の内容を信じ込ませるためのものであり
> 更に2004年からの改正版では「信」の対象を創価学会及び三代会長にさせるためのものと言えます。
> これを読み続けている限り、日蓮、日興、日目に対する公平な判断が出来なくなるものであり
> 三代会長を公平な目で見難くなると言うことですね。

あなたの見方でしかありません。


> そもそもご祈念とは自身の祈りの根幹の部分であり
> 自分自身が何をどう願いたいか言う部分となるわけです。

そうでしょうね。だけど、ご観念文ではありませんね。ご観念文は目安に過ぎないのではないですかね。

> この願いの部分に日蓮が末法の御本仏である事、日興を信じること、三代の会長を広布の指導者と仰ぐこと
> 何を置いても創価学会万代の興隆を祈念しているわけですから
> 「信」の根本を創価学会にして下さいと願うわけで、創価に関して疑う余地を持てなくなるわけですね。


あなたの、捉え方でしかない、ということです。あなたが、形式を大事にしているということですか。


> これにより、創価組織を信じすぎるあまりに少しでも組織の問題点を指摘する人が現れると攻撃に転じる人。
> また、自分自身が創価組織に疑問を抱くと、自分が全て間違っているのかと思い悩み病んでいく人。
> 更に強い疑問を抱いた人は信心を捨てて組織を去っていく等が現れるわけです。
> 何故そうなるかは、創価学会の教学、指導では数多くの矛盾点があるからだと思います。

まだ、わたしの言っていることを理解されてはいないようですし、仏の生命というものを、信じてはいないですね。理論の中でしか捉えていないのではないですか。
生命というものを文字で捉えた方ですから。
声聞から抜け出せないのですね。沖浦さんが、威風堂々さんに、邪教とかはない。(私は威風堂々さんには適当でないと反論しましたが)と言われた意味は分かりますか。
以下も同じです。


> でも、全てを一旦まっさらにして考え直してみると言う事も必要な事だと思いますよ。

上に話したことと同じです。

>>185

上で話したことと同じです。

196:2011/07/24(日) 16:23:42 ID:gVXsRTgY0
>>192
虞王管王虞さん、はじめまして。

教えてください。

> 功徳の比較は半世紀以上前の牧口先生の指導です。
> 最近牧口先生指導が紙面に掲載される頻度が増えてきた理由わかりますか。
> 戸田先生の指導を掲載できないからです。

> どうして掲載できないかは、皆さん良くご存知ですよね。

私は知りませんが、どこがおかしいのですか。

197グラスルーツ:2011/07/24(日) 17:02:07 ID:2bdP3Ayg0
虞王管王虞さん、はじめまして。

横からしつれいいたしますが、第一印象が大事だと思いませんか?

相手からお答えがないのに矢継ぎ早に相当の数を連投するのは
いかがなものかと思います。

質問をされるのならそれなりの姿勢が大切でしょう。
まともなやりとりをお望みならもう少し節度をもたれるべきです。

200日々朗らか(前進) ◆kzJPIT27Ks:2011/07/24(日) 19:10:31 ID:8FNX.yWoO
>>199
横から失礼いたしますm(__)m。

はじめましてm(__)m。
壮年部員の日々朗らか(前進)と申しますm(__)m。

「虞王管王虞」さん。

なんとお読みするのでしょうか?。

文字ではなく、音♪で、あなた様のハンドルNameを感じたいと、そう思っておりますm(__)m。


先ずはそこから……

宜しくお願いいたしますm(__)m。

201グラスルーツ:2011/07/24(日) 19:40:41 ID:ulDdW2po0
>>199
虞王管王虞さん、こんばんわぁ。

まともなやり取りをするつもりが無い、
ということはよくわかりました。

でも私の書き込みごときで、なんでそんな感情的なるんでしょうか。
あなたご自身がアク禁にされた過去でもあるみたいな書きようですね(笑)

202:2011/07/24(日) 20:33:11 ID:gVXsRTgY0
>>198
虞王管王虞さんこんばんは。

> >学会本部も、どうでもいいですよ
> どうでもいいよなどという結論を出す宗教は世に存在しません。

私の意図を理解されて言われているなら、おっしゃる通りだと思います。
ですが、ご観念文(ご祈念文)はどのような意義づけですか。
御書にありますか。

また、以前の学会は五座でしたが、なぜ変わったのですか。
いろいろなことを考えて、学会の理事会で決めたことではないですか。
その時代時代で変えることのできるものではないですか。

戸田先生の質問会での話ですが、

戸田城聖全集77㌻
五座のご観念文について

はじめに、この観念文ということについて申し上げますが、観念というのは、心に思うということです。
心に思うということは大事なことであって、御観念文を申し上げるときに、もしミソ汁のにおいがする、すると、とたんにお腹がすいたなあと思うでしょう。
そうすると、それが御観念文になってしまうのです。
 自分が一生懸命に題目をあげているのに、女房が題目をあげない、"ちくしょう、終わったらおこってやろう"と、こう思うと、それが御観念になってしまうのです。
 
89㌻
唱題中の邪念について

質問 唱題中いろいろと邪念がでて困るのですが。
 真剣に信心していれば、しだいに御本尊のことだけを考えるようになります。「おどる宗教」で説く無我の境地などというのは、あるはずがありません。
自分を忘れたら気違いであります。
無常、無我、空は、小乗経の教えであります。
宗教は現実生活のうえの利益をめざしたものです。御本尊は主師親の三徳を具備しているがゆえに、真剣に念ずる心(念力)があれば、種々の生活の悩みが解決されるのです。
 観念文の観念とは心に念ずることで、それがきちんと御本尊に映ります。
さきほどの質問にあったアル中の夫を総本山に無理してよこした妻は、自分でくるべきです。
なぜなら悩むのは妻のほうだからであります。

> 戸田先生の指導を掲載できないからです。
戸田先生の指導はおかしいですか。

> 知らないなら調べなさい。組織で聞きなさい。
> 戸田先生指導集を持って折伏に行きますと告げなさい。
> 逆に今どの指導を持って折伏に行けますかと質問させてもらいます。

虞王管王虞さんは、指導集を持って行って折伏したことがありますか。相手が私も信心します、と言われたことがありますか。

203沖浦克治:2011/07/24(日) 21:39:05 ID:.H7dsGJAo
 虞王管王虞さんこんばんは。

 一方的に大量質問は駄目ですよ。
 一旦削除しますので、整理して一つずつお願いします。

204堅皇:2011/07/24(日) 22:12:14 ID:acgo9yIs0
虞王管王虞さん

この板以外でも書き込みをしているところもありますが
基本的にいろいろな人の話を聞き、いろいろなものを読んでみてでの
今現在での僕の考えであると言う事ですか。
誰か特定の人の影響を受けていると言う事はありませんのでご紹介するようなサイトはありません。

しいて言うなら妙法蓮華経を一度読んでみてくださいと言う感じですかね。


>>202 白さん

戸田さんの発言に関しては、やはり日蓮正宗の信者的立場の人だったので
解釈が日蓮正宗依りであったといえるかと思います。

> 自分が一生懸命に題目をあげているのに、女房が題目をあげない、"ちくしょう、終わったらおこってやろう"と、こう思うと、
> それが御観念になってしまうのです。

と言う事で規範となるべき御観念文が必要であると言う論調ですが
そもそも、規範とするべきものを「妙法蓮華経」にしたいから南無を用いて「南無妙法蓮華経」として
「妙法蓮華経」を信じようとするのではないかと言う事ですね。
ですから、新たに別の趣意を用いた御観念文を読んでしまうと御観念文に書かれていることを信じてしまい
「妙法蓮華経」を信じる事、つまりは「南無妙法蓮華経」では無くなるのではと言うことですね。

日蓮の主張は一重に「南無妙法蓮華経」のみですね。
つまりは「南無妙法蓮華経」を唱える事により"ちくしょう、終わったらおこってやろう"と言う思いも
自ずと「妙法蓮華経」に依ることとなり思いも変わってくると言う事ですね。
したがって僕は御観念文が必要ないと思います。
御観念文が祈りの根幹であるとすれば御観念文に南無すれば良いわけで「南無妙法蓮華経」は必要なくなりますから。

205堅皇:2011/07/24(日) 22:12:52 ID:acgo9yIs0
> 無常、無我、空は、小乗経の教えであります。

これも違うと思いますね、大乗経でも充分に存在しています。
大乗経では「空」・「仮」・「中」の三諦が用いられています。
無常、無我に関しては常が無い、我と言う常が無いと言うことであり
完全なる「無」であると言う事ではないわけですね。

したがって「空」も死んだら全て無くなり一旦は「無」になると言う事ではなく
無に非ず有に非ずの存在になると言う事ですね。

一般的に「空」が「無」と同様に捉えられがちなのは仏教が中国へ渡り
中国では道教があり、道教では「無」の思想があり「空」を「無」と解釈されがちとなってしまったと言う事です。

「空」が「無」であるとすれば、そこに矛盾が生じ「無」対する「有」をどうしても探そうとしてしまうわけです。
戸田さんはこう言った「無」の思想となるべく「有」を捜し求めていたのだと思います。
ま、世の大半の宗教がこれに当たるんですけどね。

ですから真理、真如と言うものは1つのもので表せないと言う事であり
諸法実相となるわけですね。

十如是では、この三諦を非常に解りやすく解説しています。
それが「如是相」「如是性」「如是体」と言う事ですね。
つまり、相や性と言った「無に非ず有に非ず」物によって無や有と言うものを作り出すと言う事ですね。

206:2011/07/24(日) 23:39:10 ID:gVXsRTgY0
>>204
堅皇さん

> 戸田さんの発言に関しては、やはり日蓮正宗の信者的立場の人だったので
> 解釈が日蓮正宗依りであったといえるかと思います。

あなたは、日蓮正宗の事がわかりますか。
そんなに簡単に分かりますかね。

あなたの情報はやはりインターネット等からの情報ですね。

わたしが最初に感じたことは間違ってなかったようですね。
「どこかから、持ってきて知識としては話されているけど、それらがばらばらみたいな感じなんです。」と言いました。
「あなたの書いて来られたことが、私には、「信じるもの」が見えない。
信じるものを根本にしてその方の話が出てくるのに、一つ一つの言葉は、「信じるもの」がばらばらのように私には見える」ともいいました。


> と言う事で規範となるべき御観念文が必要であると言う論調ですが

あなたに、戸田先生の話をしたわけではないのですが、そのように理解されますか。
どのように、捉えたら、そうなりますかね。理解されていますか。

私には、あなたの読めと言う「妙法蓮華経」というのが理解できませんが。例えばどの書物を読めと言われるのでしょうか。
一切お答えにならないようですが。

御観念文は、今となっては、あなたに言われる筋合いのものではない。内部規定ですから。ただの何の根拠もない非難でしかないですね。

> そもそも、規範とするべきものを「妙法蓮華経」にしたいから南無を用いて「南無妙法蓮華経」として
> 「妙法蓮華経」を信じようとするのではないかと言う事ですね。
> ですから、新たに別の趣意を用いた御観念文を読んでしまうと御観念文に書かれていることを信じてしまい
> 「妙法蓮華経」を信じる事、つまりは「南無妙法蓮華経」では無くなるのではと言うことですね。

御書にもない、御観念文、が大事だと、そのようにあなたは解釈されるのですか。そう理解されますか。

> 日蓮の主張は一重に「南無妙法蓮華経」のみですね。
> つまりは「南無妙法蓮華経」を唱える事により"ちくしょう、終わったらおこってやろう"と言う思いも
> 自ずと「妙法蓮華経」に依ることとなり思いも変わってくると言う事ですね。
> したがって僕は御観念文が必要ないと思います。
> 御観念文が祈りの根幹であるとすれば御観念文に南無すれば良いわけで「南無妙法蓮華経」は必要なくなりますから。

あなたの自由です。あなたが満足ならそれでいいのではないでしょうか。あなたに御観念文のことをとやかく言われる必要はない。そう思いませんか。

207:2011/07/24(日) 23:42:07 ID:gVXsRTgY0
>>205
堅皇さん

> 無常、無我、空は、小乗経の教えであります。
>
> これも違うと思いますね、大乗経でも充分に存在しています。
> 大乗経では「空」・「仮」・「中」の三諦が用いられています。
> 無常、無我に関しては常が無い、我と言う常が無いと言うことであり
> 完全なる「無」であると言う事ではないわけですね。
>
> したがって「空」も死んだら全て無くなり一旦は「無」になると言う事ではなく
> 無に非ず有に非ずの存在になると言う事ですね。
>
> 一般的に「空」が「無」と同様に捉えられがちなのは仏教が中国へ渡り
> 中国では道教があり、道教では「無」の思想があり「空」を「無」と解釈されがちとなってしまったと言う事です。
>
> 「空」が「無」であるとすれば、そこに矛盾が生じ「無」対する「有」をどうしても探そうとしてしまうわけです。
> 戸田さんはこう言った「無」の思想となるべく「有」を捜し求めていたのだと思います。
> ま、世の大半の宗教がこれに当たるんですけどね。
>
> ですから真理、真如と言うものは1つのもので表せないと言う事であり
> 諸法実相となるわけですね。
>
> 十如是では、この三諦を非常に解りやすく解説しています。
> それが「如是相」「如是性」「如是体」と言う事ですね。
> つまり、相や性と言った「無に非ず有に非ず」物によって無や有と言うものを作り出すと言う事ですね。

そうですか。それで、あなたはどうなりますか。

208めかものサン序名:2011/07/25(月) 12:23:48 ID:2br.Gn1k0
>>201
グラスルーツさん、こんちは。
なんだかお怒りですね。
それに大量に削除した痕跡が。
荒らしが来てました?

209グラスルーツ:2011/07/25(月) 12:33:55 ID:2bdP3Ayg0
めかものサン序名さんこんにちは。

いえいえ怒ってはおりませんよ。
沖浦さんあてに大量連投の書き込みがあったものですから、
ついつい横レスをしてしまった次第です。

沖浦さんがしっかりご対処なさいました。

荒らしではなかったのですが、マナーに問題があるお方でした。
今後は気をつけていただきたいと思っています。

210堅皇:2011/07/25(月) 13:52:41 ID:acgo9yIs0
白さん
> あなたの情報はやはりインターネット等からの情報ですね。

インターネットでの情報はお嫌いでしょうかね。
創価学会という組織は嫌いのようですけど、あと中国政府や独裁国家なども嫌いみたいですけどね。
まー、共通するのは一方的な情報しか取り入れたくない、情報を操作したいと考える人たちは
嫌う傾向にあると言う事はいえますけどね。

例えばAさんとBさんが喧嘩をしていたとします。
喧嘩の内容はAさんとBさんしか知る由もない事といえます。

この場合、喧嘩の内容を知るためにはAさんとBさんから両方の話を聞かないといけませんよね。
AさんだけやBさんだけの話を鵜呑みにしてしまうと事の真相を見誤る事がありますね。
仮にAさんとBさんの片方が嘘を付いていたとするならば
嘘を付いている人の人の話には必ずと言って矛盾と言うものが生じてきているはずですね。

その為にも互いの話は鵜呑みにせず、良く聞いてみる必要があると言う事ですね。
嘘がある方は対話を続ければ続けるほど矛盾が大きくなってくるものです。

インターネットの情報が危険と言う事はその情報を直ぐに鵜呑みにしてしまう人がいるからですね。
また、インターネットの情報を規制したがる人は、自分たちの中に指摘されたくない矛盾を抱えているからだと思います。
一切の矛盾を抱えてない状態であれば、仮に相手がどのような嘘の情報を流してきても
その嘘が嘘であると言う事を明確に否定できると言う話です。

ちなみに裁判と言うものには犯人確定と思われる容疑者にも弁護士と言うものが必ずつきます。
何故に弁護士が付くかと言えば、どのような人に対しても弁護する必要があるからです。
もし、裁判官の人が一方の情報だけを鵜呑みにして、その思い込みから辻褄を合わせて
結論、実相を見出そうとするならば、その裁判は冤罪だらけのものとなってしまうでしょう。

211堅皇:2011/07/25(月) 13:53:18 ID:acgo9yIs0
裁判ついでに創価学会と日蓮正宗との裁判での結果は日蓮正宗の方が分が良いみたいですね。
これはご察知の通り、このソースはインターネットによるものです。
聖教新聞を読んでも創価が勝った事例しか載せてはいませんからね。
これは明らかなる情報操作の1つであると言う事。
事実、学会員さんの多くの方は創価が裁判に負けた事例を殆どお知りにならない。
知られちゃいけないものがあるのかと思ってしまいますね。

創価の方に言わせると、この結果自体が捏造であり、そう言った情報に騙されるなと言う事になりますが
互いの主張を聞く限りどっちもどっちと言う印象を覚えますし
こんなくだらない事に対して、よく裁判費用を使ってまで訴訟を起こすのだろうと言う印象も受けます。
学会では(正宗でもですが)「法華経に勝る兵法はなし」ではなかったのか。
どうも見ていると法華経と言う兵法が使えないから訴訟と言う兵法を駆使しようとしているのではないかと。

戸田さんのソースをそのまま鵜呑みに出来ない理由は
戸田さんは日蓮正宗の教義に従い、他宗を謗法と称し他宗を情報の耳を塞いでいたからですね。
全てを聞き入れた上で、他宗の矛盾点を指摘したと言うなら話は解りますが。

これは日蓮正宗の歴代法主にも言えることです。
他宗を拒み、自宗にある情報だけを鵜呑みにしていただけしゃ真実は見えてこないわけであり
これは妙法蓮華経の諸法実相に大きく外れる行為であると言えますからね。
結局は情報に振り回されるのが怖く、自身の殻に閉じこもってしまった臆病者と言う事でしょう。
湧き上がる煩悩を滅しようとするのは小乗であり、煩悩は活用してこそ菩提に転じれるというのが大乗ですから。

> 私には、あなたの読めと言う「妙法蓮華経」というのが理解できませんが。例えばどの書物を読めと言われるのでしょうか。

理想は原文をと言う事になりますが漢文が読める人は限られるので
先ずは現代語訳からと言う事になりますかね。
どれを読めということではなく、出来る限りいろいろな訳を読む必要があるのではないですかね。
僕はネットにアップされているものも含め原文と照らしながら数種読んで比較しました。
ちなみに、池田さんの方便品、寿量品講義にもちゃんと目を通しましたよ。

212沖浦 克治:2011/07/25(月) 17:51:28 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、今晩は

 諸法実相ですが、私は道理証文より現証と言う御書があるでしょう。
 あれが現実としての諸法実相だと感じます。

 現実として、戸田先生がお一人から、75万所帯にまで広げられた。
 池田先生が750万にされた。

 この諸法と言う現実面があって、実相と言う創価学会の信心が正しいと証明される。

 私はこう思います。

213堅皇:2011/07/25(月) 18:38:34 ID:acgo9yIs0
沖浦さん

戸田さんの掲げた75万所帯と言う物は目標であり目的ではありませんよね。
もちろん池田さんの750万も目標であり目的ではありません。

それでは、目的とは何かと言えばいわずもなか広宣流布に尽きると思います。
創価学会が広宣流布という偉業を達成したとするなら現証にての証明という事にも
誰もが頷けることかと思います。

更にこの広宣流布に関して言えば、戸田さんは「舎衛の三億」を用いて
国民の1/3という解釈をされていましたが、これは現在の創価組織としてもこの解釈は用いていませんよね。
広宣流布というのは全ての人に当て嵌めるものと言えるわけですから。

さて、創価学会総体とすれば当時2001年5月3日に広宣流布が達成されると明言しておりました。
百歩譲って国民の1/3という解釈と言う事でも構わないのですが
創価学会により広宣流布というものが達成されたと言えるのでしょうか。

もっとも2001年5月3日が創価学会という組織のピークであったと言う事であれば賛同いたしますが。

時は2001年5月3日から幾分か流れていますよね。
その間に顕正会でも似たように2010年に実現すると豪語していましたが無常にも時は流れていきましたね。

もうこう言った過去の実績を懐かしんだり、夢物語を追いかけずそろそろ現実を見た方が宜しいかと。
冷静に現実を直視すれば、このままでは広宣流布と言う事が不可能である事が解りそうなものです。

ちなみに池田さんの750万所帯達成は昭和45年の1970年と言う事ですよね。
ぶっちゃけ僕の生まれる前の話です。
それから何十年たって、今は創価学会は何所帯いるのでしょうか。
確実に頭打ちであり、今は逆に減少傾向にあるのではないですかね。
今では「常勝」という言葉も既に過去の産物と言えるのではないですかね。

214沖浦 克治:2011/07/25(月) 18:45:45 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん

 所詮あらゆることは方便です。
 目標なんですよ。
 目的は永久に達成できませんよ。
 組織とはそう言うものです。

 私どもは生きています。
 生存すると言うことが最大の目標ですが、それすら、方便現涅槃です。
 死ぬことが方便ですから、生きることも方便。
 ですので、終着点は絶対に来ませんしありません。
 無始無終ですから。
 
 現在の創価学会所帯数もやはり方便です。
 私はそう言うことに無関係に、自分の創価人としての人生を生きます。

 それでどう言う悔いもありません。
 
 『ひとたび決めた学会の道。』

 若い時、池田先生に教わりました.
 この人生はそう言う人生なのです。

215沖浦 克治:2011/07/25(月) 19:06:24 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん

 戸田先生が言われました。

 『現世利益は、如来寿量品の残りかすなんだ。』(趣意)

 最近そう思うんです。
 功徳に囲まれて生活してます。
 ですが、この功徳は残りかすで、本当は祈って戦うこと自体が人生で生きていることが功徳だと思えます。
 ですので、次の人生もこう言う人生を望みます。

216堅皇:2011/07/25(月) 21:20:04 ID:acgo9yIs0
>>214 沖浦さんの話だと単に目的を見失ってしまっているように思いますね。

「方便現涅槃」は「衆生を度せんが為の故に 方便して涅槃を現ず」との事。
つまり「為度衆生故」という目的がしっかり存在しているわけですね。

方便をそのまま方便のままにすると言う事は
煩悩をそのまま煩悩とすることと同意だと思います。

創価学会では、よく「仏法即社会」や「信心即生活」と言った言葉を用いますが
これは使い方を確実に取り違えていますよね。
仏法で用いられているのは、あくまでも「世法即仏法」であると言う事であり
使い方が完全に逆ですね。

これは「煩悩即菩提」「生死即涅槃」を「菩提即煩悩」「涅槃即生死」と言ってるようなもの。
菩提を転じて煩悩すると言うバカな話は無いでしょう。

方便は所詮方便と捉えてしまっているから目的など、どうでも良くなってしまうと言うところですね。

沖浦さんの場合は言ってみれば「煩悩即煩悩」と言うところでしょうか。
もっとも人間は所詮六道から抜けることはありませんと言う理論には合致しているんですけどね。

217沖浦 克治:2011/07/25(月) 21:58:50 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、今晩は

 目的失っていません。
 10月1日、全日本パワーで日本記録狙います。
 その大会が世界選手権の選考会を兼ねていて、世界の切符とって、世界を狙います。
 12月はアジアパワーがあって、私は選手で出場しますし、当然トップ目標です。
 目標も目的も私は同じです。
 積み重ねなんですよ。
 こればっかりはやらない貴方には理解できません。
 考えてわかることではありませんから。

 考えるが動けない。

 貴方の限界でしょうね。
 私は考える前に動きます。
 行者なんで。

218:2011/07/25(月) 23:16:19 ID:gVXsRTgY0
>>210
堅皇さん、こんばんは。

いまだに、このようなことを話されるとは、私が言ってきたこと、あなたも認めたこと、それを理解されてないようですね。
人それぞれ捉え方が違う。言葉の捉え方も違う、同じ文章を読んでも、大人と子供とは。理解することが違う。生まれる国が違えば当然違う。宗教が違えば当然違う。
そのことを理解されずに話されている。

そして、あなたの信じるものがない、根本にあるはずのものがない、実践していないから、そう私は思う。

以下にいろいろ書いていましたが、消しました。ただ、あなたも認めたこと、そのことをよく考えてもらえませんか。


追加で

原文を読めるんですね。それは漢文でしたか。時間かかったでしょうね。その内容、分かりましたか。あなたの仕事は、特殊な翻訳の仕事ですか。

〉原文と照らしながら数種読んで比較しました。

その原文の出所を教えてください。いつの頃の物で、誰が書いたのか。書写したのか。分からなければ、どのようにして手に入れたのか。数種ということですが、具体的に数種の出典を教えてください。
あなたの読んだもの、比較したものですから、しかもあなたの信ずるものでしょう。

219堅皇:2011/07/26(火) 05:25:39 ID:acgo9yIs0
>>217 沖浦さん
> 10月1日、全日本パワーで日本記録狙います。

それは単なる個人のやりたいと思う夢でしょう。
夢を持って目標に向かって進むということは別に沖浦さんに限った話ではないのですし
その夢が実現したと言っても沖浦さんに限った話ではありませんよ。

>>218 白さん
捉え方が違うのは信じるものが違うからと何度も言ってるではないですか。

> 原文を読めるんですね。それは漢文でしたか。時間かかったでしょうね。

原文までいかなくても訓読でも良いのではないですかね。
訓読だと日蓮宗各派あたりがネットでもアップしてますね。
正宗系では正信会系がアップしてたりします。

こと、これらの訓読は日蓮が実際に用いたものと同様かと思います。
実際に御書に書かれている読み下しと同じですからね。
つまりは御書を読む行為と比べて、それほど差異は感じられません。
ただ、この訓読は日蓮が実際に用いたものと同様と言う事もあり、これまた御書と同様に文体が古文形式と言うことが難点ですね。

あと、難しいと思えるのは仏教用語の単語の部分ですか。
幸い創価でもある程度の単語の意味は学習しているので全くちんぷんかんぷんではなかったと言う事。
解らない用語や単語、文字に関してはそれらの意味を仏教史や辞典等で調べたりはします。

ちなみに池田さんの講義本に関しても通解まではそれほど解釈に差異が無いと思います。
ですが、解説となると(講義の部分ですね)悉く「妙法蓮華経」に書かれていることの打消しをして解説されています。

つまるところ捉え方の違いはやはり信じるものの違いによるかと。
池田さんは血脈抄、口伝を信じ、「妙法蓮華経」を打ち消し血脈抄、口伝を用いて解説されていますから。

220堅皇:2011/07/26(火) 05:26:11 ID:acgo9yIs0
しかし、興味深いのは皆さんご祈念文通りを信じておられる様子と言うこと。
日寛さんの戒壇本尊論は、ご祈念文から外された事により
少しずつに疑念が生じ始めたと言う事。

しかし日蓮本仏論となると、ご祈念文に示されているからまだまだ疑いは持たないようですね。
この辺が非常に興味深いところです。

更に面白いのは昔から一部の人たちに池田さんを師匠と捉える傾向はありましたが
今ほど絶対的なものではなかった。
ここまで、傍から見ても池田教と思われる状況になったのは明らかに2004年以降のご祈念文改正から。

学会員さんの唱えている題目は「南無妙法蓮華経」ではなく
「南無ご祈念文」だと気付くには、やはりご祈念文を読む事をやめる事にしかないのかもしれませんね。

「信を持って源とす」とは言いますが「信」の対象を少し変えるだけで
人間ってこうも簡単に変わるものなんだと言う事が良く解ります。

正直なところ池田さんや歴代三代会長の本当の意味での人柄と言うものは解りませんが
学会員さんの思考や行動により、その本来の人柄が浮かび上がっているような気もします。
学会員さんの「信」の対象は確実に三代会長に向けられていると思いますから。

何故に今創価学会は衰退の道を歩み始めたかを各々がもう少し考えて見られてはどうでしょうか。

221沖浦 克治:2011/07/26(火) 05:46:29 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、おはようございます

 そうですよ、私個人の夢であり目標です。
 その目標を達成することで、創価学会の信心の力を世間に示す。
 これが目的です。
 仏法とは人のための教え。
 ですので、個々人がキチンとそう言うビジョンを持たないとダメですよ。
 そのビジョンを持ってそれに向かて祈り、努力する行為を行と言います。
 貴方は創価学会員とそうでない人を区別しています。
 それは違います。
 あらゆる人がそれぞれのビジョンを持ち、それを実現すべく努力をせねばなりません。
 一切衆生が宗派によって差別されてはならないのです。

 私はたまたま創価人ですが、ライバルが創価人とは限りません。
 私の個人の行が、私の周りの広宣流布を進める。
 私はこれで満足なんです。
 貴方には理解できない、行者の気持ちですね。

222沖浦 克治:2011/07/26(火) 05:49:56 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん

>何故に今創価学会は衰退の道を歩み始めたかを各々がもう少し考えて見られてはどうでしょうか。

 そう言うことはどっちでもいいですよ。
 私は常に声高に、創価の信心の功徳の体験を語ります。
 それでだめならそれで結構。
 いちいちそういう組織全体なんか考えません。
 所詮、信心は自分と先生と、ご本尊、御書。
 これでいいんです。
 後は幹部に任せます。

223沖浦 克治:2011/07/26(火) 05:54:49 ID:AJ3hr85o0
 創価学会が池田教であろうが、戸田教であろうが、牧口教であろうが、

 唱えるものは自行化他の題目。

 対象は大聖人ご図顕のご本尊。

 これで、全く問題ありません。
 創価学会員がそれで満足しているのですから、辞めた人がその行為を非難するのは筋違いです。
 会社辞めて、その会社の経営方針を非難することは勝ってです。
 ですが、

 俺が気に入らなくて辞めたのに、お前たちどうして残って仕事している!

 これは全くの筋違い勘違い。
 辞める自由、残る自由。
 それぞれの人間の判断です。
 他人があれこれ言うことではありません。
 
 堅皇さん、貴方の弱点がそれですね。

224堅皇:2011/07/26(火) 06:30:03 ID:acgo9yIs0
沖浦さん

> 創価学会員がそれで満足しているのですから、辞めた人がその行為を非難するのは筋違いです。

一見もっともとも取れるお話なのですが
「南無妙法蓮華経」と唱えるところには1つの目的が存在しています。

その目的とはいわずもなか広宣流布と言うことが上げられますよね。
これに反論の意はありますでしょうか。

次にその目的のためには折伏と言う手段が必要となってきます。
摂受ではその目的に到達する事ができないと言う事ですね。
これに反論の意はありますでしょうか。

組織が違う、宗派が違う相手に対し、それで満足しているのですから
と言う事であれば日蓮は念仏を始め他宗の方々に物を申す事もなかったと言えるでしょう。

辞めた人がと言う話であれば日蓮は台密信仰を辞められた人と言う事になります。

では何故に他宗である念仏、真言、禅、律の批判を繰り返し
辞めた台密にまで批判する事となったのでしょうか。

結局、創価学会と言う組織は日蓮の姿勢に習わずに新たな宗派を構築させようとする動きがあるという事なのでしょうか。

225:2011/07/26(火) 07:48:21 ID:gVXsRTgY0
>>224
堅皇さん、おはようございます。

> 一見もっともとも取れるお話なのですが
> 「南無妙法蓮華経」と唱えるところには1つの目的が存在しています。
>
> その目的とはいわずもなか広宣流布と言うことが上げられますよね。
> これに反論の意はありますでしょうか。

このような文章を書くということは、本当に分かっていませんね。
そして、あなたの言う、「信じるものが違うなら、捉え方も違う。」

これはどういうことか、あなたの話していることは、あなたの感じるものでしかないということです。
それで、人の思いを決めつけて批判する、そんなことが許されますか。

追加で聞いたこと、出所を、教えてください。答えてくれていませんよ。

226沖浦 克治:2011/07/26(火) 09:27:48 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん

 広宣流布は目指しますよ、私なりにですが。
 摂受を私はやります。
 折伏精神はそのままです。

 大聖人は一切衆生を救わんがためです。
 私はそこまでできません。
 ですので、うんとスケールダウンして同じことをやるんです。
 それと、衆生の機根が当時とことなりますので、そのまま当てはめることはしません。

227沖浦 克治:2011/07/26(火) 10:06:32 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん

>結局、創価学会と言う組織は日蓮の姿勢に習わずに新たな宗派を構築させようとする動きがあるという事なのでしょうか。

 この点はそれぞれの会員の判断の問題です。
 大聖人本仏でありながら、大聖人の教えと異なることをしていると思う人は、さっさと退会する。
 これでいいと思う人は在会続ける。

 それでいいでしょう。
 辞めた方があれこれ言っても仕方ありません。

228めもかのサン序名:2011/07/26(火) 12:35:25 ID:2br.Gn1k0
堅皇さん、こんにちは。

>>結局、創価学会と言う組織は日蓮の姿勢に習わずに新たな宗派を構築させようとする動きがあるという事なのでしょうか。

もう何十年も前からそう動いてますがご存知ないですか。
上が下にきちんと説明指導できない。
何を指示されても文句もいわず活動する。
習おうにも、上からコロコロ指示が変わるから
右往左往しています。

229めもかのサン序名:2011/07/26(火) 12:39:12 ID:2br.Gn1k0
近い将来堅皇さんのおっしゃっていることが
会員みんなに良くわかるようになります。
表現は違いますが「斧節」なども同じ考えだと思います。

230堅皇:2011/07/26(火) 15:21:50 ID:acgo9yIs0
>>227 沖浦さん

> 大聖人本仏でありながら、大聖人の教えと異なることをしていると思う人は、さっさと退会する。
> これでいいと思う人は在会続ける。

これってちゃんとした内情を聞かされてない会員にとって見れば体のいい詐欺行為だと思うのですが。

例えるならうちの商品は東芝の製品を扱っているとは言ってますが
うちの商品が東芝の製品ではないと感じられる方はうちの商品は買わないで下さいという話でしょ。
で、実際はどうなのよと言う話にはなりませんかね。

>>228 めもかのサン序名さん

> もう何十年も前からそう動いてますがご存知ないですか。

これは学会総体として認識されている事なのですかね。
少なくとも、うちの親を始めとした地元の末端の会員は存知ない事と思います。
また、知らないからこそ悩んでいる学会員さんが多いようにも見受けられます。

僕が退会を決める際に地元幹部の方と話をしましたが
その様な軌道修正の話をされる方は誰一人居なく
我々は何があっても日蓮の姿勢を根本にと言っていましたよ。

新興宗教を作ってはいけないとは言いませんが、詐欺まがいの行為はやめてほしいと思います。


白さん

白さんも沖浦さんや、めもかのサン序名さんと同じ認識下でいると言う事で宜しいんですかね。

231めかものサン序名:2011/07/26(火) 17:00:12 ID:2br.Gn1k0
> 大聖人本仏でありながら、大聖人の教えと異なることをしていると思う人は、さっさと退会する。
> これでいいと思う人は在会続ける。

こりゃあもう組織じゃないですね。
会も何もあったもんじゃない。

232めかものサン序名:2011/07/26(火) 17:20:11 ID:2br.Gn1k0
>これは学会総体として認識されている事なのですかね。
>少なくとも、うちの親を始めとした地元の末端の会員は存知ない事と思います。
>また、知らないからこそ悩んでいる学会員さんが多いようにも見受けられます。

純真に活動されてる方はご存知ないですよ。
疑問に思う人は気付いてますよ。

233沖浦 克治:2011/07/26(火) 18:28:34 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、今晩は

 詐欺行為だどは思いませんよ。
 いやならやめればいい。
 気に入るなら続ければいい。
 それだけの話です。
 私はね常に思います。

 人生をかけて仏道修行をする気のない方の、創価学会への無節操な在会は迷惑です。
 邪魔ですのでさっさとやめてほしいです。

 正直な気持ちなんですよ。

234臥薪嘗胆:2011/07/26(火) 18:41:47 ID:OSIoPS/E0
>> 大聖人本仏でありながら、大聖人の教えと異なることをしていると思う人は、さっさと退会する。
> これでいいと思う人は在会続ける。

今日の上野殿御返事読まれましたか。
読まれたらこういうご意見もてないのではないかと思いますが。
その時の気分で入会したり退会したりってスポーツジムではないのですよ。
無節操な在会を放置する指導者に責任があるのです。
理解できるまで指導してあげることが責任だと思うんです。

>邪魔ですのでさっさとやめてほしいです。

無責任な発言に思えますね・・・・・
ひどい先輩だなぁ・・・・

235臥薪嘗胆:2011/07/26(火) 18:45:00 ID:OSIoPS/E0
このスレのタイトルは「さらなる発展を目指して」なんすけど
「いやならやめちまえ!」では発展も何もありまへんな。

236沖浦 克治:2011/07/26(火) 18:58:34 ID:AJ3hr85o0
 臥薪嘗胆 さん、今晩は

 いやいややって、さらなる発展ありませんよ。

237沖浦 克治:2011/07/26(火) 19:03:11 ID:AJ3hr85o0
 私が青年部時代、檀徒問題がありました。

 結論として、私は

 いやな人はやめていただいて結構です。
 所詮信心は自分で決めること。
 内道の内道たるゆえんです。

 そう言う意見にたどりつきました。
 創価学会の現状に不満たらたらなら、辞めるか我慢する。
 もしくは、

 創価学会の方針を左右できる幹部になる。

 世間で超一流になって、創価学会が自分の意見を無視できない存在になる。

 どれでも自由に選択していいのです。
 自分のことを自分で決められない人たちが、池田先生が悪いとか、幹部がだめだとかさわいで、当時創価学会を裏切って出て行きました。
 私はね、いやいや文句たらたら在会されることはいやですね。

238沖浦 克治:2011/07/27(水) 05:52:12 ID:AJ3hr85o0
 おはようございます

 いやな人はやめる。

 ですが、いやにならないならせない人間関係を作れば、いやになる人はでませんよ。
 しかしね、どれほど大事にされても甘えてだめになる人もいます。
 最後はそのご本人の信心です。

 箱の中に腐ったリンゴが一つあると、そのままでは他のリンゴも腐ります。
 ですので、そういうリンゴは箱から出さないとダメですね。

 腐ったリンゴを出さない努力と、腐ってしまったリンゴを取り除くことは別です。

 この時問題になることは、ではなんでもかでも、除名だ、活動停止だと処分していいのかと言うことです。

 組織の運営管理と、信仰団体としてのあり方のバランスですが、この件をどなたでも論じあいたいお方がおられるなら、スレッドを立てていただいて結構です。
 私は、自分自身が創価学会に半世紀ほどいて、学会の歴史を体験しています。
 ですので、心の底は過激派です。
 皆様と意見が合わないこともたくさんあるでしょう。
 でも、私のような学会員はたくさんいますし、正反対の方々も大勢おられます。
 ですので、論議をなさるなら参加いたします。

239:2011/07/27(水) 07:12:46 ID:gVXsRTgY0
>>230
堅皇さん、おはようございます。

> 白さんも沖浦さんや、めもかのサン序名さんと同じ認識下でいると言う事で宜しいんですかね。

おそらく違います。でも沖浦さんの話されることはよくわかります。めもかのサン序名さんの話は、わかりません。
それは、私の信じるものから来るものだと思います。
それで、情報の取捨選択を行います。

堅皇さん、わたしは、戸田先生の言われたのを考えていて、ふと思ったのは、信じるものがばらばらのように感じると言いましたが、
そのようになって、もし信じるものがばらばらのままであれば、人は気が違ってくるのではないかと思ったりしました。

堅皇さん

『新・人間革命』第19巻331-332㌻
 「宿命を転換するといっても、それはまず、自分の一念を転換することから始まる。結論するならば、一念の転換とは、広宣流布の使命を自覚し、広布に生きると決めることです。
 戸田先生は、妙悟空のペンネームで書かれた『人間革命』で、そのことを教えてくださっているんです。
 軍部政府の弾圧で投獄された主人公の巌九十翁、すなわち戸田先生は、獄中にあって法華経を読み、唱題に唱題を重ね、こう悟達する。
 『おお! おれは地涌の菩薩ぞ! 日蓮大聖人が口決相承を受けられた場所に、光栄にも立会ったのだぞ!』
 法華経の虚空会の会座で地涌の菩薩が出現し、教主・大覚世尊から、日蓮大聖人が地涌の菩薩の上首として、末法の正法流布を託される。
戸田先生は、その場に自分もいたことを覚知されたんです。それを、巌さんの体験として、先生は『人間革命』に描かれた。

ここには、戸田先生の「信」があります。「覚知」と言われています。これは、体験でもありますし、現実の感覚でもあるかと思います。
頭で、理論で考えたこととは全く違う次元だと思います。

240堅皇:2011/07/27(水) 07:43:58 ID:acgo9yIs0
沖浦さん
> 箱の中に腐ったリンゴが一つあると、そのままでは他のリンゴも腐ります。
> ですので、そういうリンゴは箱から出さないとダメですね。

いかにも現世利益だけを追い求めている沖浦さんらしい発想ですね。
リンゴが腐ると言う目に見える1つの現象しか追い求めていないと言う。
腐ったリンゴはその場そこで朽ち果てて無くなるかのように見えますが
それで終わりと言うわけではないと言う事。

また、その時は腐ってないリンゴと言えども永遠に腐らないリンゴも存在し得ないわけですしね。
そもそも、この様な例えを持ってくる自体が物事を1つの現象でしか捉えていない事が解ります。

それと、自分は腐ってないということを前提にお話されているのだと思いますが
その実は自分が一番腐り果てていて、異臭を放ち他を腐らせているかもしれないと言う
可能性は考えないのかなとは思います。

生老病死からの克服と言う事は、こう言った「腐る」なんて現象は
現れて当然と言う大前提として考えているわけです。
それらを全て踏まえたうえでの「煩悩即菩提」と言う事ですね。
つまるところ沖浦さんは腐ったリンゴの活用法を知らないだけと言う事だと思いますね。

リンゴは本来、美味しく食べられてその生涯を全うします。
多少傷ついたり痛んだものは、ジャムとなったりジュースとなったり。
完全に腐りきったものは腐葉土となり新たなリンゴを育てるための肥やしとなるわけですね。
つまりは必要ないものなど1つもない、ただそれぞれがそれぞれに役割が違うと言うだけと言うこと。

創価学会と言う組織は見た目の美しい高く売れるリンゴだけが必要とあらば
組織として会員の排除は必要と言う事にはなりますね。
僕は学会員ではないのでなんですが、沖浦さん自身が排除されないように頑張ってみてくださいな。
でもね、腐らないリンゴなんで存在しないですよ。

241堅皇:2011/07/27(水) 08:05:07 ID:acgo9yIs0
白さん

> おそらく違います。でも沖浦さんの話されることはよくわかります。めもかのサン序名さんの話は、わかりません。

僕には沖浦さんと、めもかのサン序名さんが捉えている創価学会と言う組織の現状は同じだと思います。
それを踏まえてのそれぞれの立ち居地が違うと言うだけに思えるのですが。

逆に白さんがこれを理解してないとなると白さんが創価学会と言う組織の有り方が
良く見えていないだけであり、違う幻想を抱いているだけだと思います。

ちなみに沖浦さんのどの部分の話が良く解り
また、めもかのサン序名さんのどの部分が解りかねるかを指し示していただけるとありがたいです。

242めもかのサン序名:2011/07/27(水) 08:52:01 ID:2br.Gn1k0
腐った林檎は捨てる前に腐ったところを削って食べてしまえばいいんです。
次からは腐らないように注意する必要があります。
腐る林檎に責任はありません。
腐らす管理者に責任がありますよ。

243沖浦 克治:2011/07/27(水) 10:49:57 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、今日は

 私はね現世利益だけを求めません。
 最大の功徳は末法万年尽未来際への出発の時、創価学会員となったことです。
 この大福運と比較したら、現世利益なんてカスです。
 そう言うことが創価学会に入って半世紀、ようやく身で理解可能になりました。

 こればっかりは、創価学会の部分部分を見ている貴方には、絶対にわかりません。

 お気の毒です。

244めかものサン序名:2011/07/27(水) 11:52:54 ID:2br.Gn1k0
>現世利益なんてカスです。

なんだか最近言葉荒いですね。

これ全部カスなんですか?
「功徳を語るスレッド4つ目ですよ 」

245沖浦 克治:2011/07/27(水) 12:00:00 ID:AJ3hr85o0
 めかものサン序名さん、今日は

 戸田先生が言われたのです。

 『現世利益は、如来寿量品の残りかすだ。』(趣意)

 最近実感するんですよ。
 多くの功徳に囲まれて、
 
 自分の最高の功徳は、末法万年尽未来際への出発の時、創価学会員となったことだ。

 これはね、戦って戦ってわかります。
 貴方はわからない。
 でもね、わからないのは貴方の問題で、私の問題ではありません。

246沖浦 克治:2011/07/27(水) 12:01:11 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん

 私は、排除されるかどうか?

 そういう余事に興味がありません。
 どっちでもいいですよ。

247めもかのサン序名:2011/07/27(水) 12:38:52 ID:2br.Gn1k0
沖浦さん読み違えされてますよ。
何度か掲示板に書かれてますが
普門品の利益 は、如来寿量品の残りかす というお話ですよ。
御義口伝講義ですね。

248めもかのサン序名:2011/07/27(水) 12:45:48 ID:2br.Gn1k0
>貴方はわからない。
>でもね、わからないのは貴方の問題で、私の問題ではありません。

私はよくわかっております。
私が理解しているかいないかが、沖浦さんの問題であるはずがありません。

よく読んでください。
現世利益なんかカスだ!とおっしゃいながら「ワックスが売れてうれしい。」
と書き込みをしておられる。
現世利益を否定されるのか肯定されるのかお聞きしたかったのです。

沖浦さんの功徳は沖浦さんの問題でわたしには関係ありませんが、
あなたが掲示板で不可思議な言葉を公開されると、
同志の活動の妨げになるので、大いに関係があります。
ご自身が心で思うのはいかなることでも大いに結構ですが
非公式でも掲示板に組織名を掲げているのですからご注意が必要かと思われます。

249めもかのサン序名:2011/07/27(水) 13:11:36 ID:2br.Gn1k0
堅皇さん

白さんがまったく見えてないのだと思いますよ。
白さんの責任ではなく、見えないようにしている組織に問題ありです。
まぁ近い将来はっきり見えるようになると思いますが。

250エバ:2011/07/27(水) 15:18:29 ID:NrBJCICI0
沖浦さんも創価学会の教義が仏法ではない。
とわかると思います。

ただ、長い間創価学会員であったため、創価学会が、邪教であるということを
認めることができないのです。
認めるのがこわいのです。
臆病なのです。
自分との戦いに負けているのです。

251めかものサン序名:2011/07/27(水) 15:44:44 ID:2br.Gn1k0
エバさん。

貴方のように批判ばかりしても進展しません。
何がどうで、どうだから、こうあるべきだと
意見を述べましょうよ。

で、貴方はどういう教えを信じているのですか。

252臥薪嘗胆:2011/07/27(水) 18:10:33 ID:OSIoPS/E0
斧節より引用
私は創価学会という新宗教運動の一つに所属し、
その教義の中で、私の受け入れている科学や哲学から見て、
受容可能なものは信じているが、
受容できないものについては明確に信じることを拒否し、
判断不能なものについては判断保留をしている。
                    引用おわり

文学研究科人文学専攻 教授 宮田 幸一先生の論文です。

253臥薪嘗胆:2011/07/27(水) 18:48:26 ID:OSIoPS/E0
このスレッドの堅皇さんの書き込みです。
おっしゃるとおりでんなーー!!
みなのものしっかり読みなさい。

>「破邪顕正」と言うものを、好きなように解釈した結果が
>創価や池田さんに批判するものに対し誹謗中傷する事だと信じ
>それにより功徳が得られるかのように信じている学会員さんも多いように思います。

>この人たちだって「信」を根本に「南無妙法蓮華経」と口にはしているんですけどね。

254沖浦 克治:2011/07/27(水) 19:44:50 ID:AJ3hr85o0
 めかものサン序名さん

 現世利益否定したこと一度もないですよ。

255雨煽り:2011/07/28(木) 03:09:06 ID:Pssg0Hu.0
現世利益は言葉を変えれば現証ということになります。

また言葉を変えれば、随縁真如ということになります。

不変真如の「妙法蓮華経」が、法として、ある、と言っても誰にも見えません。
現実には、随縁真如の姿としてしか、現せないのです。見る事ができないのです。

故に、現世利益が尊いのです。

法があっても、釈迦が説かなければ、誰も仏教を信仰することは無かったでしょうし、
成仏する人もいなかったでしょう。

法を説くから釈迦は仏で、体現するから人々は釈迦を仏と信じ、信仰するのでしょう。
つまり、随縁真如の姿がなければ、「妙法蓮華経」を信じる人も信仰する人も、いないということです。

理屈は、大聖人も同じです。戸田先生も同じです。
大聖人が説かれ、体現された。
戸田先生が説かれ、体現された。

だから大聖人を御本仏と信じ、創価三代を仰ぐのです。

御書に「現証には如かず」とあるのに、それを粗末にしているのか、
退会者で、信仰を続けている人の殆んどが、
創価学会時代に、何がしかの感応を体験した人ばかりです。

現証があるということ、それはそのまま
創価学会の信心が正しいということに他ならないと思います。

だから退会者の皆さん、創価学会に執着しているのでしょうかね?

私の所感です。

256沖浦 克治:2011/07/28(木) 06:00:49 ID:AJ3hr85o0
 雨煽りさん、おはようございます

 この方々は、命に対する考察が未熟なんだと思います。
 命を生命として考えると、
 
 生命は見ることができないが、生命活動は見ることができる。

 これが絶対の前提なんです。
 私見ですが、

 私どもが功徳と罰の娑婆世界を生きて、喜んだり悲しんだりしているじゃないですか。
 これは、生命の影です。
 生命それ自体じゃありません。

 ここに勘違いがある人が多い。

 御書読めばわかるんですが、生命論がわからないと読めません。
 それがわかると、現世利益は如来寿量品の残りかすだと言う、戸田先生のお話が少し理解できます。

257:2011/07/28(木) 06:04:09 ID:gVXsRTgY0
>>241
堅皇さん、おはようございます。

> 僕には沖浦さんと、めもかのサン序名さんが捉えている創価学会と言う組織の現状は同じだと思います。
> それを踏まえてのそれぞれの立ち居地が違うと言うだけに思えるのですが。

まだ、このようなことを書かれているんですか。あなたの主張はいいと思いますが、あなた自身がどう思っているか、明確ですか。

> 逆に白さんがこれを理解してないとなると白さんが創価学会と言う組織の有り方が
> 良く見えていないだけであり、違う幻想を抱いているだけだと思います。

なにが大切か、分かっていない。そのような発想が、堅皇さんの生命力を奪っていくんです。

創価学会の有り方に左右されませんよ。誤解しないでくださいね。組織が大事ではないんです。

それと、私は座談会には出ますし、学会員さんとこにも、行きます。衛星中継は先生が出られなくなってから、行ってませんが、新聞・大白蓮華等は読んでますよ。

堅皇さん

『新・人間革命』第19巻333-336㌻

「末法にあって、題目を唱え、広宣流布の戦いを起こせるのは、地涌の菩薩です。
 ゆえに、大聖人は『末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」と仰せなんです。
 私たちは、どんな宿業に悩んでいようが、本来、地涌の菩薩なんです。
 宿業も、末法に出現して広宣流布するために、自ら願って背負ってきたものなんです。
 でも、誰を見ても、経済苦や病苦など、苦しみばかりが目立ち、地涌の菩薩のようには見えないかもしれない。
 事実、みんな、日々悩み、悶々としている。
 しかし、広宣流布の使命を自覚し、その戦いを起こす時、自らの胸中に、地涌の菩薩の生命が、仏の大生命が厳然と涌現するんです。
 
不幸や悩みに負けている仏などいません。
苦悩は必ず歓喜に変わり、境涯は大きく開かれ、人間革命がなされていく。そして、そこに宿命の転換があるんです。

 では、地涌の菩薩の生命とは何か

省略

 したがって、私たちは広宣流布の使命に生きる時、地涌の菩薩であるその本来の生命が現れ、大聖人の御生命が、四菩薩の四徳、四大が顕現されるのである。
それによって、境涯革命、人間革命、宿命の転換がなされていくのだ。

 一人ひとりが、凡夫の姿のままで自分を輝かせ、病苦や経済苦、人間関係の悩みなど、自身のかかえる一切の苦悩を克服し、正法の功力を実証していくことができるのである。
 その実証を示すための宿業でもあるのだ。

 ベートーベンは、こう叫びを放った。
 「僕は運命の喉元を締めつけてやりたい。どんなことがあっても運命に打ち負かされきりになってはやらない。----おお、生命を千倍生きることはまったくすばらしい!」
 その道こそが、われらの信仰なのだ。

堅皇さん、自分の弱い命を、題目で打ち破って行きませんか。

258堅皇:2011/07/28(木) 08:09:16 ID:acgo9yIs0
雨煽りさん
「随縁真如」と言う言葉が聞きなれないので御書検索を掛けてみました。
そこで浮かび上がったのは立正観抄、御義口伝、御講聞書の三書です。
御義口伝、御講聞書に関していえば何れも文証なしの講釈ですから、基本的にこの文を用いる事はありません。

で、立正観抄にはこうあります。
> 道邃和尚より伝受し給う血脈とは是なり、此の書に云く「一言の妙旨・一教の玄義」文、伝教大師の血脈に云く
> 「夫れ一言の妙法とは両眼を開いて五塵の境を見る時は随縁真如なるべし両眼を閉じて無念に住する時は不変真如なるべし、
> 故に此の一言を聞くに万法〓に達し一代の修多羅一言に含す」

立正観抄は日蓮の53歳の作(真蹟なし)であると言いますが
これによると道邃和尚より伝受し給う血脈であり、更には伝教大師の血脈であると。
道邃とは天台宗の第7祖の人物であり伝教に天台教学を伝えた人と言うわけですが
この時代の日蓮にしては偉く形骸化した時代の天台教学を用いたものだと言う印象を受けますね。

これが日蓮の真書であるか真書で無いかはさて置き今再度考察対象のものであると言う事は言えますね。
なんせ日蓮自体が涅槃経の理を用いて
「普賢・文殊等の等覚の菩薩が法門を説き給うとも経を手ににぎらざらんをば用べからず。」と言ってるくらいですから
いきなり「血脈」だと言われたところで如何様にして「血脈」と呼べるのかが解らないという話です。

ちなみに「南無妙法蓮華経」が真如であると言うことはどう考えても考えにくい話です。
「南無妙法蓮華経」とは単なる題目(タイトル)であり真如を表す言葉、つまりは真言ではありませんから。

で、この「随縁真如」ですが、これは華厳経の理に思いますね。
天台宗は後に密教を取り入れ華厳の理も取り入れておりますよね。
そもそも、諸仏の上を行く本仏思想と言うのは明らかに華厳での諸仏の上を行く盧舎那仏と言う考えと同義であり
これは人々の上を行く存在と言うのが神であるといった様な考えで、本来内道をいく仏法の中では限りなく外道に近い思想だと思います。

ちなみに僕は現証を蔑ろにしているわけではありません、全ては創価学会の衰退と言う現証から
それは如何なる理由なのかを求めて文証を辿り、理証を考えているわけですから。

259堅皇:2011/07/28(木) 08:09:47 ID:acgo9yIs0
白さん

> 創価学会の有り方に左右されませんよ。誤解しないでくださいね。組織が大事ではないんです。
> それと、私は座談会には出ますし、学会員さんとこにも、行きます。
> 衛星中継は先生が出られなくなってから、行ってませんが、新聞・大白蓮華等は読んでますよ。

つまりは、白さんの根本に据え信じているものと言うのはご祈念文通り
三代会長にあると言う事ですね。
また、三代会長を信じることが信心であると、そう解釈しておられると。

要するに「南無妙法蓮華経」と口にしながら心の中で祈念している事は
「南無池田先生」「南無戸田先生」と言うわけですね。

僕の場合は口も心も「南無妙法蓮華経」ですから学会活動自体が信心活動とは考えていません。

260堅皇:2011/07/28(木) 08:45:29 ID:acgo9yIs0
>>249 めもかのサン序名さん

> 白さんがまったく見えてないのだと思いますよ。

全く見えてないとなると、それはそれで幸せなのかとも思うのですが
頑張って見えないようにしていると言う学会員さんを見ていると痛々しく思います。

> 白さんの責任ではなく、見えないようにしている組織に問題ありです。

そう思う反面、見ないようにしている個人の責任の部分も大いにありとも考えています。
気が付くチャンスはいくらでもあったと思ったりはするんですけどね。
そういう僕自身も気が付くのか少々遅かったと言う反省もありますから。

> まぁ近い将来はっきり見えるようになると思いますが。

創価学会がおかしな方向へ行ってると言う事が明確となるのは確かに近い将来だとは思います。
自分のような考えが特別とは全然思っていませんので。

ただ、今度は学会員誹謗が開始されるのではないかと言う事が危惧されるんですね。
被害者から加害者へ、加害者から更に被害者へ
この負の連鎖を何とか止める事は出来ない物かと言う事は考えます。

261めかものサン序名:2011/07/28(木) 09:01:04 ID:2br.Gn1k0
沖浦さん、おはようございます。

>現世利益は如来寿量品の残りかすだと言う、戸田先生のお話が少し理解できます。

戸田先生は、おっしゃってません。
貴方の聞き違い勘違いです。

262めかものサン序名:2011/07/28(木) 09:05:39 ID:2br.Gn1k0
堅皇さん、おはようございます。

見ないようにしている個人を見えるようにしてあげるのが組織です。
指導力に問題ありです。

263堅皇:2011/07/28(木) 09:33:00 ID:acgo9yIs0
めかものサン序名さん

組織の指導力に問題があるとするには指導者と呼ばれる人が可哀想だと思います。
と言うのもそもそも創価学会の場合は指導者と呼ばれる人が何を指導するべきか解ってないのですから。

また、解らない人に対して会員が指導者と呼んでいるわけですからね。

264めかものサン序名:2011/07/28(木) 10:05:19 ID:2br.Gn1k0
堅皇さん

同中に行きたくない人が同中の連絡に行くわけでしょう。
いやならやめてしまえとか言う人もいるわけです。
上から下までしっかりとした教育をするべきです。
戸田先生の戒壇本尊指は否定するけど、自分の気に入った指導は引用する。
真蹟の無いご遺文や偽書を乱用して指導する。

血脈も全て否定する人もいれば、何代までは肯定する人もいる。
統括できない指導者の責任です。

265めかものサン序名:2011/07/28(木) 10:07:19 ID:2br.Gn1k0
×いやならやめてしまえとか言う人
○いやなら創価学会をやめてしまえとか言う人

× 戸田先生の戒壇本尊指
○ 戸田先生の戒壇本尊指導  
   
   失礼しました

266堅皇:2011/07/28(木) 10:50:30 ID:acgo9yIs0
めかものサン序名さん

行き着くところは池田さんが悪いと言うお考えなのでしょうか?

267めかものサン序名:2011/07/28(木) 11:13:16 ID:2br.Gn1k0
(会 長)
第8条 この会に、会長を置く。
(地 位)
第9条 会長は、この会を統理する。
(権 限)
第10条 会長は、次に定める会務を行なう。
1) 教義および化儀を裁定する。この場合、師範会議に諮問の上、最高指導会議の意見を聞き、これを尊重するものとする。
2) 御本尊に関する事項を司る。
3) 儀式行事を主宰する。
4) この会則の定めるところにより、理事長、副理事長、副会長等を任免する。
5) 総務会を招集する。
6) 会則の改正を公布する。
7) 前各号のほか、この会則およびこの会の規程で会長の権限と定められている事項ならびに他の機関の権限に属さない一切の事項。

268めかものサン序名:2011/07/28(木) 11:15:36 ID:2br.Gn1k0
堅皇さん

会の長は会長でしょう。
全ての責任は会長にありです。

269:2011/07/28(木) 12:30:27 ID:gVXsRTgY0
>>259
堅皇さん


> つまりは、白さんの根本に据え信じているものと言うのはご祈念文通り
> 三代会長にあると言う事ですね。
> また、三代会長を信じることが信心であると、そう解釈しておられると。
> 要するに「南無妙法蓮華経」と口にしながら心の中で祈念している事は
> 「南無池田先生」「南無戸田先生」と言うわけですね。

まだ、こんなこと言われているんですか。多分沖浦さんも笑っていますよ。浅い所で考えて考えて、理論で理解しようとして、それで、あなたは何か進歩がありますか。深まりますか。


> 僕の場合は口も心も「南無妙法蓮華経」ですから学会活動自体が信心活動とは考えていません。

本当に、あなたは分からないのですか。学会活動と言うのは何ですか。基本が明確でないあなたが、何を言っても同じです。

はやく、あなたの原文とやらを、教えてください。そして比較したものも。全く明確に言われませんが。あなたの信じるものでしょう。

堅皇さん

『新・人間革命』の一文を>>257で乗せましたが、「広宣流布の使命を自覚し」とありますが、この一文さえ、きちんと読んでますか。
「広宣流布の使命」とは何だと思いますか。あなたに言っても無理かもしれないけど、それこそ、人それぞれの使命があるんですよ、分かりますか。

270めかものサン序名:2011/07/28(木) 12:44:43 ID:2br.Gn1k0
白さん

>はやく、あなたの原文とやらを、教えてください。

沖浦さんを煽り誹謗していた眺め人と同じ事いってますね。
「文証だせ。文証だせ。」

>まだ、こんなこと言われているんですか。多分沖浦さんも笑っていますよ。

笑われているのは貴方だと思います。

>学会活動と言うのは何ですか。

貴方の活動は何なんですか。
家庭訪問して同中の結集をするが、自身は興味がないのでいかない。
これが貴方の活動なんですか?

271堅皇:2011/07/28(木) 14:52:34 ID:acgo9yIs0
白さん

> 本当に、あなたは分からないのですか。学会活動と言うのは何ですか。基本が明確でないあなたが、何を言っても同じです。

ですから僕の基本は「妙法蓮華経」であり、白さんの基本は池田さんと言うことですよね。
「妙法蓮華経」の原文と言えば白さんも毎日声を出して読んでいるのではないでしょうか?
信じることも無く書かれている意味を全く理解しようともしないで。

日蓮は方便品と寿量品を読み習えと示してありますが、学会では読めとは言いますが習えとは言いませんね。
つまりは日蓮の示した事の半分しか聞いていないと言う事になりますね。
要するに会則にある冒頭の
「創価学会は、日蓮大聖人の仏法を広宣流布することを使命とする仏意仏勅の教団である。」
この時点から偽りがあると言う事ですよ。

めかものサン序名さん

つまり、めかものサン序名さんの考える悪い人と言うのは
ズバリ、牧口さん、戸田さん、池田さん、北条さん、秋谷さん、原田さんと言ったところですかね。

僕の考えでは悪い人と言うのは存在しないですね。
存在するのは無智の人々と言う事だけです。
この無智と言うのは会長だけに当て嵌まるものではないと考えています。

よく騙されたということを聞きますが、騙されるのは智恵がないからであり智恵があれば騙される事もありません。
その為にも一人一人が賢者となる事が最も寛容であるという事、賢者は八風に侵されませんからね。
そもそも誰かを恨むだり罵ったりする誹謗中傷の行為こそが謗法であると考えます。

また、これらの謗法が悪い事かと言えば別に悪い事だとは思いません。
謗法を犯せば必ずその報いがこの身に返ってくるだけと言う話で、言ってみれば自業自得であると言う事。
無智の人たちは報いがこの身に返ってくる事を理解していないから平気で謗法を犯そうとするだけですから。

272エバ:2011/07/28(木) 14:59:58 ID:NrBJCICI0
>>251
めかものサン序名さん。

創価学会に未来はないと思います。

何がどうで、どうだから、→創価学会の教義は仏法ではないので
こうあるべきだ→池田教とするべきです。

何を信じているかって?
創価学会の教義は信じていないです。

273めもかのサン序名:2011/07/28(木) 15:00:40 ID:2br.Gn1k0
堅皇さん

>智恵があれば騙される事もありません。

その知恵を付けるために組織で研鑽するわけです。
貴方のようにお一人で身につけれる方は組織など無用です。
しかし会に所属して、B長から始まり会長までの長たちは
全て会員を指導していく義務があります。

今までは、上からの指示だから黙って従えばよいという考えがまかり通っておりました。
だから知恵のない会員が増殖していくわけなのです。

274めもかのサン序名:2011/07/28(木) 15:05:20 ID:2br.Gn1k0
エバさん

貴方は何を信仰してらっしゃるのかお聞きしたのです。
もう一度聞きます。
貴方は何を信じているのですか?

275エバ:2011/07/28(木) 15:05:55 ID:NrBJCICI0
>>255
雨煽りさん

御書に「現証には如かず」とあるのに、それを粗末にしているのか、
退会者で、信仰を続けている人の殆んどが、
創価学会時代に、何がしかの感応を体験した人ばかりです。

現証があるということ、それはそのまま
創価学会の信心が正しいということに他ならないと思います。
*******

とありますが、

ちがいます。
 創価学会の教義が正しいのではありません。

276エバ:2011/07/28(木) 15:12:42 ID:NrBJCICI0
>>256
沖浦 克治さん

君は実有論者だね。

277エバ:2011/07/28(木) 15:15:54 ID:NrBJCICI0
『新・人間革命』第19巻333-336㌻は

なんでベートーベンの言葉引用?
御書でないの?
ベートーベンはキリスト教徒でしょ?

278エバ:2011/07/28(木) 15:18:42 ID:NrBJCICI0
>>274
仏教ですけど。なにか?

279威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/07/28(木) 15:40:06 ID:s7GC9YSk0
エバさん、こんにちは。

音楽を聴いたり、言葉を引用するのは謗法にはなりませんよ。
創価学会は、御書だから、学会員の言っている事だから引用するというような、偏屈な考えではないと思います。
他宗教の人であっても、自分達と同じ仏性があると尊敬していく。人間的に立派な人は尊敬していくという思想と認識しております。
教義が正しいのと、人間的に立派なのは別ですからね。

創価学会でも他宗教でも、人間的に良い人や悪い人はいると思います。

280めもかのサン序名:2011/07/28(木) 15:43:20 ID:2br.Gn1k0
>>278
仏教って何?

281エバ:2011/07/28(木) 15:48:24 ID:NrBJCICI0
>>279


音楽を聴いたり、言葉を引用するのは謗法にはなりませんよ。
→私、謗法などといっていませんよ。

なぜ、大聖人様の言葉でなく、ベートーベンのことばなのか?

御書を基調としているワリには、西洋の、しかもキリスト教圏からの言葉の引用がおおい。
と指摘されているのご存じないですか?

創価学会は宗教団体でしょ?

282エバ:2011/07/28(木) 15:49:22 ID:NrBJCICI0
>>280
沖浦さんに教えてもらったら?

283めもかのサン序名:2011/07/28(木) 15:51:12 ID:2br.Gn1k0
>>281
文句があるなら作者にどうぞ。
気に入らないなら読まなければ良い。
創価学会が何の団体かなんて部外者の君には関係ないでしょう。

284エバ:2011/07/28(木) 15:51:36 ID:NrBJCICI0
っていうかさ。
仏教って何?
と質問することは私をバカにしてますよね。

何って何だ。

285エバ:2011/07/28(木) 15:52:25 ID:NrBJCICI0
>>283
創価学会員なんですけど。

286めもかのサン序名:2011/07/28(木) 15:58:12 ID:2br.Gn1k0
>>284
馬鹿にしてるよ。

287エバ:2011/07/28(木) 15:59:39 ID:NrBJCICI0
作者は池田先生?
それとも代理の方?

池田先生が書いたものは代作という説がありますが、
そういうことにしておいたほうがいいと思います。
だって、文章下手ですから。

それとも代理の方も先生が書きそうな文章として書いているのでしょうか?
どっちにしても、私レベルでわかる下手な文章。ということで。

やっぱり学歴がないからでしょうか・・・・?

288エバ:2011/07/28(木) 16:01:18 ID:NrBJCICI0
あなた、暇ですね

289堅皇:2011/07/28(木) 16:01:20 ID:acgo9yIs0
めもかのサン序名さん

> その知恵を付けるために組織で研鑽するわけです。

で、何を研鑽すれば良いかと言う事も創価学会は知らなかった、つまりは無智。

> 今までは、上からの指示だから黙って従えばよいという考えがまかり通っておりました。

その上に立つ人物が黙って従せればよいという考えしかなったと言う事、やはり無智。
知らない人が解らない人たちに指導していたと言うのが創価学会の図式であると言えますね。

本来は少し考えれば誰でも解る事だったと思いますが
結局のところ欲に溺れてしまっただけだと思いますね、功徳と言う欲にね。

与えられた功徳と言うものに対し、それが何処から得られたのかを充分に考える事はなかった。
ねずみ講や悪徳商法に引っかかる人たちと図式は全く同じですね。

儲け話を耳にして、目先のお金の増大に翻弄されて、そのお金がどういった流れにより生まれるかを考えもしない。
挙句の果てに財政が破綻した段階で、これがねずみ講や悪徳商法だったと言う事に気が付く。
気付いた時に自分は騙されたのだと声高に主張する。

悪徳商法の場合はトップに立つ人間が確信的に行っていますが
宗教の場合は無智が原因となるわけですからトップに立つ人間でも天然であり罪悪感が無いので
更に性質が悪いとも言えるでしょう。

どのみち、自分が行った行為と言うものは全て果報として返ってくるということを理解すれば
人の嫌がることをやれば結果的に損だと言う事が解りそうな物であるという事。

仏法とは頭で考えるよりもっとシンプルなものだと思いますよ。
より深く追求するのは説明するために用いる手段でしかないですから。

290エバ:2011/07/28(木) 16:02:18 ID:NrBJCICI0
あなたに質問。

仏教とはなんでしゅか?

バカにしてみました。

291めもかのサン序名:2011/07/28(木) 16:02:43 ID:2br.Gn1k0
>>285
おやおや、君は創価学会は仏教じゃないって主張してましたよね。
梵我一如だから仏教じゃないんでしょう。

292めもかのサン序名:2011/07/28(木) 16:03:48 ID:2br.Gn1k0
>>290
ググってみればわかりましゅよ。

293めもかのサン序名:2011/07/28(木) 16:07:20 ID:2br.Gn1k0
堅皇さん

外から見ればそういうご意見が持てると思いますが
中で揉まれて回されて引っ張られてると気付かないんですよ。
気付かないようにしてるのかもしれませんね。
だとしてもやはり長の仕業でしょう。

294エバ:2011/07/28(木) 16:08:27 ID:NrBJCICI0
>>291>>292
結局こたえられまちぇんか?

バカを証明してしまったようでちゅね。

ググッてみればだって。
逃げましたね。
チキンでちゅね〜。

これでは発展ちまてんよね。

295めもかのサン序名:2011/07/28(木) 16:08:30 ID:2br.Gn1k0
×気付かないようにしてるのかもしれませんね。
○組織が気付かれないようにしてるかもしれませんね。

296めもかのサン序名:2011/07/28(木) 16:09:15 ID:2br.Gn1k0
>>294
はいはい

297めもかのサン序名:2011/07/28(木) 16:10:02 ID:2br.Gn1k0
エバ君は毎日つり銭ばかり気にして生きていきなさいよ。ばいばい

298エバ:2011/07/28(木) 16:11:09 ID:NrBJCICI0
創価学会は発展しなくても、残ることは残ると思います。
いまだに麻原を信じている人がいるのですから。
ただ、沖浦さんなど、この掲示板を見ている人やかかわっている人は、
創価学会が落ちぶれ、疲弊したら、
創価学会の教義が仏教ではないとわかり、
離れていく方々です。

299エバ:2011/07/28(木) 16:11:39 ID:NrBJCICI0
そんなこと、違うスレで書け。

300エバ:2011/07/28(木) 16:12:51 ID:NrBJCICI0
>>294
結局、あなたは創価学会のバカなんですか?

301めもかのサン序名:2011/07/28(木) 16:21:43 ID:2br.Gn1k0
バカはいけませんね。

で? なんでしたっけ?

302エバ:2011/07/28(木) 16:23:24 ID:NrBJCICI0
結局、あなたは創価学会のバカなんですか?

303エバ:2011/07/28(木) 16:24:44 ID:NrBJCICI0
↑302はめもかのサン序名のオバハンへです。

304めもかのサン序名:2011/07/28(木) 16:56:50 ID:2br.Gn1k0
管理人様ならびにご覧の皆様。
スレ汚し真に申し訳ございませんでした。

305エバ:2011/07/28(木) 17:27:54 ID:NrBJCICI0
めもかのサン序名さんへ。

謝ったほうが勝ちって、ハマコーが言っていましたよ。

あなた卑怯ですね。
あなたも負ける口ですね。

306エバ:2011/07/28(木) 17:32:47 ID:NrBJCICI0
めもかの序名さんへ。

人はバカにされてたら怒るのですよ。

あなたには人をバカにする権利なんかありませんよ。
あなたにバカにされた私には、あなたをバカ扱いする義務がありますけどね。

307ミルナ:2011/07/28(木) 17:36:27 ID:pXWOXgDM0
http://www.ayanamishoten.com/c/blog

308臥薪嘗胆:2011/07/28(木) 18:16:51 ID:OSIoPS/E0
エバあさんよ。
あんた発展めざしてないからスレから出て行きなさい。
ヒステリーはいらないよ。
わしが立てたスレに来なさい。

309:2011/07/28(木) 20:12:38 ID:gVXsRTgY0
>>270
めかものサン序名さん、はじめまして。
カモメのジョナサンにしていただければ、ハンドルネームが分かりやすかったのですが。冗談ですが。(^^)v

> >はやく、あなたの原文とやらを、教えてください。
>
> 沖浦さんを煽り誹謗していた眺め人と同じ事いってますね。
> 「文証だせ。文証だせ。」

めかものサン序名さん、以下に流れを書きますが、「文証だせ。文証だせ。」と言っているかどうか、ご判断ください。

>>211が堅皇さん
>>218が私
>>219が堅皇さん
> 私には、あなたの読めと言う「妙法蓮華経」というのが理解できませんが。例えばどの書物を読めと言われるのでしょうか。

>理想は原文をと言う事になりますが漢文が読める人は限られるので
>先ずは現代語訳からと言う事になりますかね。
>どれを読めということではなく、出来る限りいろいろな訳を読む必要があるのではないで>すかね。
>僕はネットにアップされているものも含め原文と照らしながら数種読んで比較しました。
>ちなみに、池田さんの方便品、寿量品講義にもちゃんと目を通しましたよ


めかものサン序名さんが学会員だと思って、また少しは役職も受けたことがある方として、話させてください。

> 貴方の活動は何なんですか。
> 家庭訪問して同中の結集をするが、自身は興味がないのでいかない。
> これが貴方の活動なんですか?

学会の中に活動家、未活動家がおられます。同中の結集ですが、あなたは何のために、そうされるのですか。
組織から言われるから、結集しているのですか。

わたしは、昼間仕事をしていますから、夜は個人的な用事だってあります。時間だってそんなに取れない。ほとんどの学会員さんだって仕事をされている。
未活の方であれば、訪問を嫌がられる場合も多い。
そんな中で、常識を持った家庭訪問をしていきます。めかものサン序名さんはどうされていますか。未活の方は「ほっとけ」ですか。
同中に来てください、と毎月毎月、何回も繰り返して言葉かけをしますか。

私は、同中に行くよりも、家庭訪問を選んだんです。仏法対話を選んだんです。自分の勉強する時間や、家族と過ごす時間を選んだんです。
同中は新聞を見ればいいと判断したんです。それだけのことです。

どうか一方的なものの見方だけはなさらぬようお願いします。

310:2011/07/28(木) 20:32:39 ID:gVXsRTgY0
>>271
堅皇さん、こんばんは。

> ですから僕の基本は「妙法蓮華経」であり、白さんの基本は池田さんと言うことですよね。
> 「妙法蓮華経」の原文と言えば白さんも毎日声を出して読んでいるのではないでしょうか?
> 信じることも無く書かれている意味を全く理解しようともしないで。

とうとう、何も言えなくなりましたか。
あなたは、大聖人の捉え方まで批判していますよね。その批判の基は、あなたのその原文で書かれた書物でしょう。それを教えてくださいと言っています。

私は、一貫して言ってきました。人それぞれ捉え方が違う、と。それが分からないで、いまだに浅いところの理論を振りまわしています。もったいない。
もっと、深めるべきです。行動を起こして、実践して、理論通りかそうでないか。

以下も同じです。

> 日蓮は方便品と寿量品を読み習えと示してありますが、学会では読めとは言いますが習えとは言いませんね。
> つまりは日蓮の示した事の半分しか聞いていないと言う事になりますね。
> 要するに会則にある冒頭の
> 「創価学会は、日蓮大聖人の仏法を広宣流布することを使命とする仏意仏勅の教団である。」
> この時点から偽りがあると言う事ですよ。

だからどうなんですか。

311堅皇:2011/07/28(木) 22:02:39 ID:acgo9yIs0
>>293 めもかのサン序名さん

> だとしてもやはり長の仕業でしょう。

その長が意味を理解してわざとやっているな責任を問うのでしょうが
無智となると、責任能力もないですからね。

加えて、とっ捕まえて制裁を食らわすのは仏法ではないですし
注意を促すのはあくまでもその人を助けようとするため。

ですから、相手に対して怒るのではなく叱るのと言う事になるわけですが
池田さんの場合は口ではそう言ってるんですが
明らかに宗門や退会者に対して(側近の幹部に対しても)単に怒っているだけにしか見えませんしね。

学会員時代は笑いを取るため等の手段のため、池田さんはわざと言っているのだろうと好意的解釈をしてましたが
そのうちにどう見ても、ありゃ天然だと思うようになりました。
天然だと思った辺りから、池田さんを見るととても可哀想になってきましたよ。
でもまー池田さん自身が蒔いた種ですし、僕は別に池田さんの友人でも知り合いでもないですから。

白さん

妙法蓮華経の現代語訳なんてものは何処でもやっていますから、どれを読んでもいいのではないですかね。
それこそ現代語訳だけなら創価系のものでも。

ただ、日蓮正宗の教義も戸田さんや池田さんの講義を聞くと、妙法蓮華経をそのまま解釈してはいけないと言いますよね。
この部分が問題ではないかと言う事です。

何故にそのまま解釈していけないかと言う事ですね。
学会では、南無妙法蓮華経はいわゆる文底独一本門であり妙法蓮華経とは意味が違うので、意味を変えて読みなさいと。
ここで妙法蓮華経を信じるか日蓮正宗及び創価学会のオリジナル教義を信じるかに分かれるわけですね。

312しげきょん:2011/07/28(木) 22:52:54 ID:/817RM5.0
読んでると釈迦の説いた妙法蓮華教に帰れと言ってる感じを受けますね
感想としては

313しげきょん:2011/07/28(木) 22:57:44 ID:/817RM5.0
一度福島源次郎みたいに、本部の先生宛に「あなたは天然ですか?」
とか「大作を糾す書」とか書いて本部に送ればいいのに
堅皇さんはね

314しげきょん:2011/07/28(木) 23:04:40 ID:/817RM5.0
それか週刊新潮とかに反学会ライターとして「堅皇流法華経の読み方」とか
原稿を送ればいいよ それが相応しいよね

315雨煽り:2011/07/29(金) 08:51:13 ID:Pssg0Hu.0
>>275
>ちがいます。
  創価学会の教義が正しいのではありません。

と、書かれていますが、日本語がお分かりになりませんか?読めないのですか?

私は
>>創価学会の信心が正しいということに他ならないと思います。

と、書いたのですよ。
教義ではなく、信心です。

創価学会の教義って何のことを言われているのですか?
創価学会の教義というものがあるのですか?

私は、大聖人の御書しか知りませんが、それ以外に何か「教義」というものがあるのですか?

もし、指導がそれに当たるのなら、指導は「教義」ではありませんよ。

316堅皇:2011/07/29(金) 10:18:01 ID:acgo9yIs0
どの「妙法蓮華経」を読めば良いかと言われれば
御書が普通に読める人であれば取り立てて何のとは言わず訓読の「妙法蓮華経」を読んでみればいいわけであり
それでキツイとなれば、現代語訳を読んで概要を掴んでも下さいと言うことです。
訓読に関しては「法華経 訓読」と検索を書ければ幾つかアップされてますから簡単に読む事が出来ますから。
日蓮の場合は解りやすく訓読の「妙法蓮華経」を書に記していますね。

ちなみに立正安国論で用いられている妙法蓮華経の訓読と原文を比較してみますか。
勧持品
「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の心充満せん、或は阿練若に納衣にして空閑に在り自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賎する者有らん、利養に貪著するが故に白衣の与めに法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如くならん、
乃至常に大衆の中に在つて我等を毀らんと欲するが故に国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説いて是れ邪見の人・外道の論議を説くと謂わん、
濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼其の身に入つて我を罵詈し毀辱せん、
濁世の悪比丘は仏の方便・随宜所説の法を知らず悪口して顰蹙し数数・擯出せられん」
(悪世中比丘 邪智心諂曲 未得謂為得 我慢心充満 或有阿練若 納衣在空閑 自謂行真道 軽賎人間者 貧著利養故 与白衣説法 為世所恭敬 如六通羅漢)
(常在大衆中 欲毀我等故 向国王大臣 婆羅門居士 及余比丘衆 誹謗説我悪 謂是邪見人 説外道論議)
(濁劫悪世中 多有諸恐怖 悪鬼入其身 罵詈毀辱我) (濁世悪比丘 不知仏方便 随宜所説法 悪口而顰蹙 数数見擯出)

譬喩品
「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば即ち一切世間の仏種を断ぜん、
乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」
(若人不信 毀謗此経 則断一切 世間仏種) (其人命終 入阿鼻獄)

常不軽菩薩品
「千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く」
(千劫於阿鼻地獄 受大苦悩)

もし日蓮が文底読みを推奨するなら御書の中で日蓮自身が文底書きと言うものをしているのではないですかね。
何故に日蓮正宗も創価学会も真っ直ぐに妙法蓮華経を読むことを拒もうとするかですね。

317めかものサン序名:2011/07/29(金) 12:30:34 ID:2br.Gn1k0
白さん

白さんが同中に行きたくないのは
心を奮わせるような内容が無いからでしょう。

だから会員を惹きつける指導をしてくれない
会長に責任があるんですよ。

318めかものサン序名:2011/07/29(金) 12:33:16 ID:2br.Gn1k0
>>312 帰れとは行ってません。
   「南無妙法蓮華経」です。

>>313>>314  あなたがやってください。
      お願い致しました。

319雨煽り:2011/07/29(金) 12:49:51 ID:Pssg0Hu.0
堅皇さん


堅皇さんは多分、白さんの質問への返答として書き込まれるのでしょうが、
堅皇さんの文章は、返答にならないのですよ。

例えば、質問されてもいない「文底読み」なんか書かれますし、
質問されている、「誰が書いた、どこの書籍・法華経」の答えも書かれていません。

余分な事は書かれるけど、肝心な事は書かれていませんよ。
白さんの質問は一貫性があるのに、
堅皇さんの返答は、少し反れて摩り替わってしまっていますよ。

堅皇さん自身はその事に気付かれないのでしょうが、
質問に対しては、余計な事を書かれずに、質問の答えだけを書かれたらいかがでしょう?

320めかものサン序名:2011/07/29(金) 15:10:35 ID:2br.Gn1k0
雨煽りさん

横レス失礼いたします。
>「誰が書いた、どこの書籍・法華経」

鳩摩羅什訳の妙法蓮華経以外に
どんなの法華経がありますか。

321堅皇:2011/07/29(金) 18:47:12 ID:acgo9yIs0
雨煽りさん

めかものサン序名さんが仰るとおり、「妙法蓮華経」と言えば鳩摩羅什訳以外ありませんから。
もっとも、日本に伝わった法華経には三種あり他「正法華経」(竺法護訳)「添品妙法蓮華経」(闍那崛多・達磨笈多共訳)

で、日本で一般的に法華経と言えば「妙法蓮華経」の事を指しますね。
「誰が書いた、どこの書籍・法華経」と敢えて限定しなくても、どこの書籍の法華経の訳本も大きな違いはありませんよ。

逆に大きく違いを見せるのは日蓮正宗系のいわゆる血脈抄を通した解釈を用いているところだけで
もちろん細かな表現の違いはありますが、意図的に改ざんしようと言うのはそうそう無いと言えますね。

なんて言うんですか、他者に対して捏造だ捏造だと言う人に限って実は自分の方が捏造している事が多いわけです。
何故なら人は自分の主観で物を見るから、自分がやっている事は他者もやっているのではないかと言う警戒心から来るものだからですね。
自分たちが改ざんしてなければ他者に対してそれほどナーバスになると言う事は無いという事です。

もちろん嘘を押し付けられたら、言われた時に「それは嘘でしょう」と返したりしますが
言われる前から周りは嘘だらけだから他は一切信じるなと言うところまで行くと、これはもう異常だと思いますよ。

322沖浦 克治:2011/07/29(金) 18:58:12 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、今晩は

 貴方は理論から仏法を理解しようとしています。 
 それでは無理ですよ。
 悟りしかありません。
 悟りは真剣な行の後で訪れます。
 体験する以外ないですよ。

323雨煽り:2011/07/29(金) 19:59:48 ID:Pssg0Hu.0
堅皇さんと、もめかのサン序名さんは

鳩摩羅什の妙法蓮華経を読まれたと理解していいのですか?
漢文を訓読ではなく、読み下しでもない、原文のまま、ということですね。

堅皇さんのコメント、めもかのサン序名さんのコメントを読むと、
私なら、そう理解しますが、それでよろしいですか?

324雨煽り:2011/07/29(金) 20:09:35 ID:Pssg0Hu.0
すいません。

めかものサン序名さんを
もめかのサン序名さんと書いてしまいました。

お詫び致します。申し訳ありませんでした。

325雨煽り:2011/07/29(金) 20:41:32 ID:Pssg0Hu.0
>>321
堅皇さん


>逆に大きく違いを見せるのは日蓮正宗系のいわゆる血脈抄を通した解釈を用いているところだけで

堅皇さんがこういうコメントを入れられると、
読む私としては「また摩り替わっている」と、思わずにはいられません。

「誰が書いたどこの書籍・法華経」の話だという前提でROMしてますから、
日蓮正宗の法華経は「真訓両読 妙法蓮華経並開結 大石寺版」だけだと思います。

これは、記憶が定かではありませんがどこかの禅宗の版権を買い取って出版したものだったと思います。
故に、

>血脈抄を通した解釈を用いている

というコメントには当て嵌まりません。

もし、御書の解釈ということなら、当て嵌まりますが、
御書の話をしているのでは無く、法華経の話をしているのですから
ROMする私としては、
話が反れている、摩り替わっている、と思うのですよ。

326虞王管王虞:2011/07/29(金) 22:53:54 ID:zQhNmwh.0
雨煽りさん

屁理屈ですね。
研鑽に反れも摩り替わりも無いですよ。
どうして無駄に時間をかけようとなさいますか。
妙法蓮華経は妙法蓮華経です。
堅皇さんと、もめかのサン序名さん
今後ともよろしくお願い致します。

雨煽りさん、失礼しました。

327:2011/07/29(金) 23:42:48 ID:gVXsRTgY0
>>311
堅皇さん、こんばんは。

沖浦さんや、雨煽りさんに、あなたのことを思って言われているのに。
そこは、私が投げかけた質問から始まっていますが、巻き込んでしまった思いがして、沖浦さんや、雨煽りさんに、申し訳なく思います。

堅皇さん、あなたへの質問は、あなたを特定した質問です。答えてください。そこまで、もっともらしいことを言われるようですから。
答えてないもののうち、いくつか上げます。

>>161
私の一人一人捉え方が違う、ということに対して、今度は一般通念ですか。
信じるものが違うなら、捉え方が違うとあなたが言ったことに対して、一般通念ですか。
鎌倉時代の事、釈迦の時代の事、これらの一般通念とはどのようなものでしょうか。
答えてください。
釈迦はいつ生まれたのですか。当時の状況はどのようなものでしょうか。知っていますか。小乗経しか説かなかったのですか。誰がそんなこと言ってますか。何か根拠があるのですか。
答えてください。

>>162
> 僕は矛盾がある方と矛盾が無い方であれば、迷わず矛盾が無い方を選びます。
> 考えを固定させず、思い込みは極力外そうとしていますからね。
> 釈迦の教説は小乗経部分であり大乗は釈迦滅後の大衆によって生成されたとする学説に
> どう反論していくかですね。
> 僕はその作業はどう考えても不毛だと思いますよ。
> 学説の方が明らかに矛盾が無いですからね。

学説ということが、どんなものか知ってますか。それとも私の知っている学説とは違うのでしょうか。答えてください。

>>166
> 口では「南無妙法蓮華経」と唱えていても妙法蓮華経を信じないというのであれば
> 口では「あれがとう」や「ごめんなさい」と言っていても心の中で舌を出している事と同じ事。
> その効果はいずれ失われるものだと思います。

あなたは、あなたの思っている、あなたの言っている、理解をしなければ、効果がないというのですね。自分で増上慢だと思いませんか。
あなたの話は、根拠があいまいで、あなたは、そのことを分かっていない、とも言ってきました。
根拠はありましたか。その根拠を、その出典を、上げてくださいとも言いました。
省略
毎日勉強する時間もなく、汗水流して働いている一般庶民は、どうしようもない、ということに結びつきませんか。
答えてください。

159
> 「妙法蓮華経」は鳩摩羅什の訳ですが必ずしも鳩摩羅什は梵本の法華経を直訳したわけではありません。

直訳ではないと断言していますね。というと、あなたは原語の意味を知っているんですね。梵本を読めると。
答えてください。

そもそも直訳とはなんですか。?たとえば英語を直訳とは、あなたはどのようなことだと思っているのですか。
答えてください。

> 鳩摩羅什はもともと仏法に対し深い造詣がありまた信仰者でもあった訳ですね。

そうですか。もともとということは、鳩摩羅什の小さいころのこともよく知っていると仰る。
答えてください。

> つまり鳩摩羅什の訳は梵本の法華経に忠実ではなく、仏法と言う広い枠の中で忠実に訳されたのだと思っています。
> 要するに梵本の法華経の矛盾点を正し「諸法実相」や「十如是」と言った核を入れ込んだと見ております。

梵本の法華経の矛盾点がわかるわけですか、その矛盾点とはどういうものですか。何を根拠に。出典を明確にしてください。
答えてください。

核とはなんですか。また、鳩摩羅什が「諸法実相」や「十如是」をどう思っていたか知っていますか?
答えてください。

328:2011/07/29(金) 23:55:45 ID:gVXsRTgY0
>>317
めかものサン序名さん、こんばんは

> 白さんが同中に行きたくないのは
> 心を奮わせるような内容が無いからでしょう。

そんなことは、わかりません。行ってませんから。
ただ、新聞を読んでると、いいな、面白そうだな、と思いますよ。

> だから会員を惹きつける指導をしてくれない
> 会長に責任があるんですよ。

そんなふうに思ったことは、今までに一度もありません。
そのような発想は、自主性から外れませんか。
念仏思想だと思いませんか。
誤解しないでほしいのですが、組織が何かをしてくれると思っていません。私が何をすべきかと思います。

329虞王管王虞:2011/07/29(金) 23:57:33 ID:zQhNmwh.0
白さん

もはや駄々っ子ですね。
クレクレ小僧大暴れ。
この掲示板って世界中の人が読めるんですよ。
呆れた。

330虞王管王虞:2011/07/30(土) 00:00:14 ID:zQhNmwh.0
>私が何をすべきかと思います。

そんな大きいこと考えるからダメなのよ。
日々幸せでいいじゃないですか。
世の中で何が一番重たいかご存知?
自分自身ですよ。

この板の日々朗らかさんを見習いましょうね。

331堅皇:2011/07/30(土) 03:30:44 ID:acgo9yIs0
雨煽りさん

「また摩り替わっている」と捉えられているのは互いに求める部分が違うからと言う事ですね。
では、整理しますか。

雨煽りさんは版元の話をされているようですね。
であれば、版元に関しては詳しい事は解りませんと言う事になりますね。
それは、創価及び正宗の勤行要点の妙法蓮華経や創価系出版物のものも
日蓮宗系のサイトのものも読んでいますので特定が出来ないからでもあります。

しかし、妙法蓮華経の原文や訓読に関して各派、各出版社によって差異があるものなのでしょうかね。
「経」が「經」となってたりとかそう言った類でしかないですよね。

それに対して僕が言ってるのは学会が妙法蓮華経を読んでいてもそれを信じて受け入れるのではなく
逆に妙法蓮華経を所破する事を目的としていますよね、と言っているわけです。

「南無妙法蓮華経」と言う言葉を文字通り解釈すれば妙法蓮華経を信じるとなるのですが
学会では何故か妙法蓮華経を破壊する事を目的としていますよね。
これは何故ですかと言う話ですね。

白さんのお話は、お前に妙法蓮華経が解るのかと再三口にされていますが
同時に、妙法蓮華経を破壊する事を目的とされた解釈の文を挙げて来られてきますから
こちらとすれば、そもそも解ろうとしてないから解らないのではと言う事になるわけですね。

332堅皇:2011/07/30(土) 03:31:22 ID:acgo9yIs0
白さん

「一般通念」とは社会一般に通用している常識または見解の事。
時代や国の風習、文化によって変わってくるものですね。

日蓮のいた鎌倉時代では仏法と言うものは釈迦と言う一人の人が説いたものであるという考えが
常識であったと言う事ですね。
これに対し今現在では歴史家の研究も進み大乗経等を釈迦が説いたとするには
矛盾があり、釈迦滅後の後世の人々によって形成されたものであると言うことが解ってきたと言う事ですね。
現在ではこの考えが「一般通念」と言う事になるでしょう。

ですから今の時代に「釈迦が説いた法華経」なんて事を平気で口にすると
どの仏教学者からも相手にされないと言う事ですね。

> 学説ということが、どんなものか知ってますか。それとも私の知っている学説とは違うのでしょうか。答えてください。

ご質問が漠然としていますね。
そもそも僕が白さんがどれだけの事を知っているか知りませんので答えようがありません。
加えて僕のスタンスは「矛盾が無いものを選択する」と申し上げておりますから。

> あなたは、あなたの思っている、あなたの言っている、理解をしなければ、効果がないというのですね。
> 毎日勉強する時間もなく、汗水流して働いている一般庶民は、どうしようもない、ということに結びつきませんか。

日蓮の理論から言えば毎日勉強する時間は本来必要ありませんね、何も考えることなくただ一言「南無妙法蓮華経」ですから。
ある意味勤行だって無くても構わないわけです。
そもそも仏法は利根ではないと日蓮も言ってますし
逆に創価学会でのご祈念文と勉強が仇になっていると思います。

学会での勉強が「南無妙法蓮華経」から「所破妙法蓮華経」と妙法蓮華経の破壊、謗法に繋がっているわけですから。
ご祈念文を読まず学会の指導に従わずにただ「南無妙法蓮華経」と唱えれば間違いは起こらないと言う話です。
言ってみれば、学会員はみんながみんな日蓮正宗の教義に騙されたと言う事ではないかと。

> 直訳ではないと断言していますね。というと、あなたは原語の意味を知っているんですね。

読んだのは梵本の一部日本語訳ですね、全部ではありませんし概略レベルですね。
これは日蓮宗や日蓮正宗の方たちも説明されている人がいますからね。
どういった箇所がどの様に違うかを説明している人もいますからね。
後はそれに対してどう感じるかと言う事ではないですかね。

> 鳩摩羅什の小さいころのこともよく知っていると仰る。

史実に間違いが無ければ間違いは無いのではないですかね。

> 核とはなんですか。また、鳩摩羅什が「諸法実相」や「十如是」をどう思っていたか知っていますか?
> 答えてください。

核とは正に「諸法実相」や「十如是」と言う部分ですね。
「諸法実相」や「十如是」が無ければ妙法蓮華経は信じていませんね僕は。
で、この元となったのは龍樹菩薩の「大智度論」と言うことですから龍樹もまた凄いと思います。

だから「南無妙法蓮華経」と言うとても短い言葉ではあるが
ここに至るまでの解っている範囲の事ですが
日蓮、天台、羅什、龍樹、法華経を説いた僧集団、釈迦、これらの全て人が凄いと思っているわけです。

333沖浦 克治:2011/07/30(土) 05:35:43 ID:AJ3hr85o0
 白さん、おはようございます

 私は別に堅皇さんのことを特別に思っていません。
 堅皇さんは既に創価学会を辞めた方です。
 他宗なんですから、ご自由にしていただいて結構です。
 ただ、この掲示板は多くの方々がロムされていて、私も管理していますので、間違えだと思うなら意見は書きます。
 しかし、押し付けません。
 堅皇さんが書き、私がコメントする。
 ロムされる方々がお読みになられて判断される。
 勝ち負けの判断はロムされる方々です。
 仏法はそう言う教えです。

334沖浦 克治:2011/07/30(土) 05:40:34 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、おはようございます
 
 雨煽りさんや、白さんがご指摘のように、貴方は少し質問への回答にすれ違いがあります。
 キチンとお答えになった方がいいでしょう。

 貴方のスタイルが嫌いではありませんので、少し惜しい気がします。
 今のままでは貴方のご主張は木を見て森を見ずにかんじられますし、多くのロムなさる方々も同じでしょう。

335沖浦 克治:2011/07/30(土) 06:19:57 ID:AJ3hr85o0
 虞王管王虞さん

 貴方がダダ子に見えますよ。
 論調に具体性を持たせてください。

336:2011/07/30(土) 07:34:43 ID:gVXsRTgY0
>>332
堅皇さん、おはようございます。

あなたが、いかに、砂の上のような、砂上の楼閣のような、浅い知識の上に立って話しているかを理解してほしいと思います。

> 「一般通念」とは社会一般に通用している常識または見解の事。
> 時代や国の風習、文化によって変わってくるものですね。

これも具体性がない。誰でも言えること。

> 日蓮のいた鎌倉時代では仏法と言うものは釈迦と言う一人の人が説いたものであるという考えが
> 常識であったと言う事ですね。

具体性がなく決めつけていますが、どの書物、その当時の書物からわかりますか。あなたは読みましたか。それを示さないと議論にならないのでは。共有してませんから。

> これに対し今現在では歴史家の研究も進み大乗経等を釈迦が説いたとするには
> 矛盾があり、釈迦滅後の後世の人々によって形成されたものであると言うことが解ってきたと言う事ですね。
> 現在ではこの考えが「一般通念」と言う事になるでしょう。

如是我聞ははじめから分かっていることではないですか。当時からではないですか。

> ですから今の時代に「釈迦が説いた法華経」なんて事を平気で口にすると
> どの仏教学者からも相手にされないと言う事ですね。
???上に同じですが。

>> 学説ということが、どんなものか知ってますか。それとも私の知っている学説とは違うのでしょうか。答えてください。
>
> ご質問が漠然としていますね。
> そもそも僕が白さんがどれだけの事を知っているか知りませんので答えようがありません。
> 加えて僕のスタンスは「矛盾が無いものを選択する」と申し上げておりますから。

どのように判断するのですか。学説ですからと言われましたが?
あなたは、学説ということでさえ、知らないで使ったのではないですか。

337:2011/07/30(土) 07:38:57 ID:gVXsRTgY0
>>332
堅皇さん

> > あなたは、あなたの思っている、あなたの言っている、理解をしなければ、効果がないというのですね。
> > 毎日勉強する時間もなく、汗水流して働いている一般庶民は、どうしようもない、ということに結びつきませんか
> 日蓮の理論から言えば毎日勉強する時間は本来必要ありませんね、何も考えることなくただ一言「南無妙法蓮華経」ですから。
> ある意味勤行だって無くても構わないわけです。
> そもそも仏法は利根ではないと日蓮も言ってますし
> 逆に創価学会でのご祈念文と勉強が仇になっていると思います。
> 学会での勉強が「南無妙法蓮華経」から「所破妙法蓮華経」と妙法蓮華経の破壊、謗法に繋がっているわけですから。
> ご祈念文を読まず学会の指導に従わずにただ「南無妙法蓮華経」と唱えれば間違いは起こらないと言う話です。
> 言ってみれば、学会員はみんながみんな日蓮正宗の教義に騙されたと言う事ではないかと。

御書を勉強する、方便品、寿量品、を勉強しあう、ということはどういうことか。
たとえば、私がこのようにあなたに言っていることの意味、私があなたに言わんとしている意味、それが、意図するところを読む、感じるために、ということではないですか。
妙法蓮華経を読むとはそのようなことではないですか。あなたもそうしていませんか。

あなたが言ったこと、読み直したらどうですか。

> > 直訳ではないと断言していますね。というと、あなたは原語の意味を知っているんですね。
> 読んだのは梵本の一部日本語訳ですね、全部ではありませんし概略レベルですね。
> これは日蓮宗や日蓮正宗の方たちも説明されている人がいますからね。
> どういった箇所がどの様に違うかを説明している人もいますからね。
> 後はそれに対してどう感じるかと言う事ではないですかね。

さも、あなたが知っているように話されていましたが、あなたの言っていることは、全て自分で読んだものではなく、他人が判断したものだったということですね。

間違い無かったのですね。ばらばらに感じるということは。「原文」の意味も知らないで使っているようですね。


> > 鳩摩羅什の小さいころのこともよく知っていると仰る。
>
> 史実に間違いが無ければ間違いは無いのではないですかね。

このような、思想、人の内面の事を、わかったように決めつけたり断定したりする言い方、そして自分で確かめもしないで実は他人の意見だった。
あなたの言ってきたことを、読み直して見られたらどうですか。

> > 核とはなんですか。また、鳩摩羅什が「諸法実相」や「十如是」をどう思っていたか知っていますか?
> > 答えてください。
>
> 核とは正に「諸法実相」や「十如是」と言う部分ですね。
> 「諸法実相」や「十如是」が無ければ妙法蓮華経は信じていませんね僕は。
> で、この元となったのは龍樹菩薩の「大智度論」と言うことですから龍樹もまた凄いと思います。

以前>>155で十如是について話しましたが、どう思っていたかを聞いたんですよ。その答えにはなっていないようですが。十如是が分かると言われるから。

> だから「南無妙法蓮華経」と言うとても短い言葉ではあるが
> ここに至るまでの解っている範囲の事ですが
> 日蓮、天台、羅什、龍樹、法華経を説いた僧集団、釈迦、これらの全て人が凄いと思っているわけです。

でも、妙法蓮華経のことは、あなたが一番分かっているということでしょうか。この私が言わんとしていること、分かりますか。

だけども鳩摩羅什の妙法蓮華経の原文なんて読んだことないでしょう。
日蓮大聖人の読み方などを批判できるのですか。仮に、大聖人が読まれたものと同じものを読まれたとしても、捉え方は、あなたと違うのです。上目線から批判できますか。
もし、それが、誰かがインターネットで話していることをそうだと思ったなら、その人を紹介したらどうですか。実は、あなたが、調べて、比較して、考えたことではないと言ったらどうですか。

338:2011/07/30(土) 07:44:27 ID:gVXsRTgY0
>>333
沖浦さん、おはようございます

「日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし」

思想の押し付けをしているつもりはないのですが。

339:2011/07/30(土) 08:36:40 ID:gVXsRTgY0
>>332
堅皇さん

> だから「南無妙法蓮華経」と言うとても短い言葉ではあるが
> ここに至るまでの解っている範囲の事ですが
> 日蓮、天台、羅什、龍樹、法華経を説いた僧集団、釈迦、これらの全て人が凄いと思っているわけです。

凄いと思っているなら、報恩の念を持たれたら、どうですか。

創価学会への報恩の念はありませんか。

340雨煽り:2011/07/30(土) 09:35:46 ID:Pssg0Hu.0
堅皇さん、おはようございます。

>>331
>互いに求める部分が違うからと言う事ですね。

そうではないと思います。
質問に対しての答えと、自分が主張したい事とは、違う課題です。

ですから、答えは答えとしてコメントし、
主張は主張として、答えとは別にコメントされれば、
読んでいる私にも、堅皇さんのコメントが理解できるようになる訳です。

問題の違う事を、あたかも同じ問題のように書かれているから、読むこちらが理解出来ない。
理解出来ないから、新しい疑問点が浮上してくる…の、繰り返しが多く、
結局、問題点が何だったのかが判らなくなって往くのだと思われます。

今回のレスのように

>版元に関しては詳しい事は解かりませんと言う事になりますね。
>それは、創価及び正宗の勤行要点の妙法蓮華経や創価系出版物のものも
>日蓮宗系のサイトのものも読んでいますので特定が出来ないからでもあります。

と、質問に対しての答えで書かれると、こちらも理解ができます。
いろいろな処から掻い摘んで自分の知識という事にしておられるのでしょうね。

>各派、各出版社によって差異があるものでしょうかね。

私は今、「妙法蓮華経 並 開結」の大石寺版と創価学会版とを読み比べていますが、
ニュアンスとしては、多々違いがあります。が、まだ途中ですので結論は出せません。

>逆に妙法蓮華経を所破することを目的としていますよね。

何か勘違いをされていると思います。
大聖人の仏法は、相対妙では無く絶待妙ですよ。
釈迦の経典は大聖人の仏法に含まれるのです。所破などする必要がありません。
捉え方の違いでしょうけど、妙法蓮華経の説明もしくは方便だと考えれば良い訳です。

>解かろうとしていないから解からないのではと言う事になるわけですね。

この言葉は、堅皇さん自身には当て嵌まらないのですか?

沖浦さんを批判しているような、知識の浅い人達になら当て嵌まるのかも知れませんが、
創価学会員で、それなりに知識・信心のある方でしたら、そんなことは有り得ないと思いますよ。
最大限、理解しようとされていると思います。


何はともあれ堅皇さん、今回は真摯にお答え頂きまして感謝します。
ありがとうございます。

341堅皇:2011/07/30(土) 11:26:55 ID:acgo9yIs0
白さん

> 創価学会への報恩の念はありませんか。

ありますよ。
良くも悪くも南無妙法蓮華経を広めた組織ですからね、功罪は共にあると思います。
これは真言の空海、念仏の法然と同様に報恩の念はあると言う事ですね。
彼らがいなければ仏法の発展と流布もなかったと言えますし
また同時に逆縁として南無妙法蓮華経を導き出される事もなかったと言う事です。

日蓮正宗や創価学会の存在も同じ存在と言えるでしょう。


雨煽りさん

> 大聖人の仏法は、相対妙では無く絶待妙ですよ。

そうですね。
日蓮は天台に倣い「絶待妙」として南無妙法蓮華経を用いています。
しかし日蓮正宗や創価学会は絶待妙に反する「本因妙」を用いていますから
「絶待妙」と言うより「絶対妙」ですからね。
題目を真言へと転じております。

戸田さんや池田さんの講義は充分に日寛さんに倣い妙法蓮華経を所破していますよ。

342堅皇:2011/07/30(土) 12:13:57 ID:acgo9yIs0
白さん

何故行じるか、何故学ぶかは、信じることから生まれてくるからと言えますね。
「南無妙法蓮華経」と唱え妙法蓮華経を信じることにより
何を行じ、何を学ぶかが見えてくると言う事です。

また妙法蓮華経を学んだり妙法蓮華経の様に行じる事により「南無妙法蓮華経」に対する信が増してくると言うことです。
つまりは、信・行・学のどれを取っても迷いが消えて信が増してくるということですね。

ところがどうでしょう、学会活動を行じていて信が増す事になるでしょうかね。
ここで書き込まれている方を見ても信が増すよりも疑念が増すように思えます。
僕もかつてはそうでしたからね。

行じていたり学んでいたりしても信が増さずに疑念が増すと言う事は信じるものを誤っているからと言えるのではないでしょうか。
信じるものに間違いが無ければ行も学も自ずと付いてくるはずですからね。

> あなたの言っていることは、全て自分で読んだものではなく、他人が判断したものだったということですね。

他人の判断を参考にするという事と鵜呑みにする事は違いますよ。
他人の話を取り入れると言う事は、その話に納得するか否かの問題ですね。
納得した時点で、それはもう他人の話を鵜呑みにしたものではなく自分の意見として消化した事になり
逆に納得はしていないのに、この人が言っているからと言うのでは鵜呑みにしているという事になります。

343:2011/07/30(土) 14:46:48 ID:gVXsRTgY0
>>342
堅皇さん

> 何故行じるか、何故学ぶかは、信じることから生まれてくるからと言えますね。

私は、表現は違いますが、そう言ってきましたね。『新・人間革命』第19巻で、引用しましたね。その前からも。「信」から始まると。

> 「南無妙法蓮華経」と唱え妙法蓮華経を信じることにより
> 何を行じ、何を学ぶかが見えてくると言う事です。

ここで、もう、あなたが言わんとしていることは、見えてきません。あなたの「妙法蓮華経」がなんなのか、理解できないからです。
具体的に、 何を行じ、何を学ぶか、と書かれているんですか。
どのソースから、どこに、どのように書かれているのですか。

> また妙法蓮華経を学んだり妙法蓮華経の様に行じる事により「南無妙法蓮華経」に対する信が増してくると言うことです。
> つまりは、信・行・学のどれを取っても迷いが消えて信が増してくるということですね。

上に同じで、そうなんですか、ということしか言えません。

あなたの問いを、私の感覚で捉えたら、仏道修行をすると、ということですか。その意味ならば、現実社会の中で、さまざまな縁に触れますから、
下に書かれていることは、起こってくるのではないですかね。

> ところがどうでしょう、学会活動を行じていて信が増す事になるでしょうかね。
> ここで書き込まれている方を見ても信が増すよりも疑念が増すように思えます。
> 僕もかつてはそうでしたからね。

ここで、述べられているのは、疑念ということしか、強調されていないですが、行も学も、入っているんですかね。
私は、疑念が増す、だから確認する、そしてやってみる、正しいかどうか、また確認する。

> 行じていたり学んでいたりしても信が増さずに疑念が増すと言う事は信じるものを誤っているからと言えるのではないでしょうか。

全てがそう言えますか。そういうこともあるかもしれませんね、としか言えないのでは。
愛する者に疑念が増した、それは愛する者を誤ったから。という理論でしょうか。自分の外にあるものを信じることですか。
何を求めているのでしょうか。
「信」というものの捉え方は、あなたの仏という捉え方に出ていたように思いましたが。
信が増す、というのはどのようなことを言われているのですか。この捉え方を考えて見られたらどうでしょうか。

> 信じるものに間違いが無ければ行も学も自ずと付いてくるはずですからね。

この理屈は、わたしは分かりませんが。信じるものから、行も学もついてくるなら、少しは分かりますが。

以下の話は、中学生か高校生が話すような内容ではないですか。

> > あなたの言っていることは、全て自分で読んだものではなく、他人が判断したものだったということですね。
>
> 他人の判断を参考にするという事と鵜呑みにする事は違いますよ。
> 他人の話を取り入れると言う事は、その話に納得するか否かの問題ですね。
> 納得した時点で、それはもう他人の話を鵜呑みにしたものではなく自分の意見として消化した事になり
> 逆に納得はしていないのに、この人が言っているからと言うのでは鵜呑みにしているという事になります。

344堅皇:2011/07/30(土) 15:17:53 ID:acgo9yIs0
白さん
> ここで、もう、あなたが言わんとしていることは、見えてきません。あなたの「妙法蓮華経」がなんなのか、理解できないからです。

理解できないのは白さんが妙法蓮華経を読もうとしないからですね。
例えば数学で言う公式が理解できないと言うのは公式がどの様になっているかを理解しようとしないからですね。
その公式を説明した本を読むなり、理由が解る人からじっくりと聞けば必ず理解できる日が来ると思います。
自分じゃ解らないからと言って本を閉じ、人から聞くことも無ければ一生理解する事はないですね。

もう一つは本を読まずに、人からも聞かなくても
その公式を信じて活用する事によって理解ができるようになる事も言えます。

例えば九九と言うのもそうですね、理屈が解らずともただ丸暗記するだけで問題を解くことが出来ますからね。
つまりは、学ばずとも信じることによって同じ効果が得られると言うもの。

但し、この信じるという行為、仮に覚えていた九九や公式が間違っていたとしましょう。
そうすると、問題を解く際に誤った予期せぬ答えが導き出されてしまいます。
そこで疑念が生じますよね。
もしかしたら、自分が覚え信じていた九九や公式が間違っていたのではないかと。

結局は人は信じることから始まることが多いわけですね。
僕が創価を信じ創価の活動を行っていたのも同様です。
その結果が疑念を抱くことになったと言う事です。
疑念を抱いたと言う事は信じるものを間違えたのではないかと言う事であり、信じる対象を色々と変えてみたわけです。

試行錯誤の上、現段階で得た答えは創価を信じるのではなく「妙法蓮華経」を信じるという事になったわけですね。
「妙法蓮華経」を信じる様になってからは疑念が生じるどころか、これまでの疑念が悉く解消されたと言う事です。
理解できるか理解できないかは信じてみた後の結果であるという事ですね。

先ずは信じてみる、これしか言えませんね。
僕が創価の指導に対し指摘するのは創価の指導を試しに信じてみた結果であるともいえるわけですから。

345堅皇:2011/07/30(土) 15:32:51 ID:acgo9yIs0
まー結論的な話になりますが
色々と悩みを抱えている人はこれまでの一切の思い込みを捨てて
ただ1つ「妙法蓮華経」と言うものを信じて「南無妙法蓮華経」と唱えてみれば如何ですかと言う事ですね。

「南無妙法蓮華経」は「妙法蓮華経」に南無するものであり
「南無御書」「南無日蓮」「南無創価」「南無池田」「南無日寛」「南無日興」その何れでもないと思いますから。

346堅皇:2011/07/31(日) 01:17:59 ID:acgo9yIs0
白さん

>> 信じるものに間違いが無ければ行も学も自ずと付いてくるはずですからね。
> この理屈は、わたしは分かりませんが。信じるものから、行も学もついてくるなら、少しは分かりますが。

このご質問にはお答えしておきましょう。
人は疑念が生じると行・学を行おうとしますよね。
つまりは解らない問題が起きた時、それは何故なんだと理由を探そうとしますよね。
それこそ、原因を探すために本を読んだり人に聞いたり、実験してみたりしますよね、つまりは行・学。

そこで原因が解れば納得する事になります。
そこで発見した事は智恵となり、行・学で得た智恵を信じるようになりますね、つまりここで信が生まれます。
この場合、もし事実誤認していたことがあったとすればその事実誤認をその場で捨てますよね、これが正直捨方便。

この流れは煩悩即菩提と言う事にも繋がります。
疑念と言う煩悩の存在があり、この煩悩を晴らすために行・学に勤め、その結果1つの悟りが得られると言う。
疑念を放って置いたり、無理やり封じ込めてしまっては悟れる物も悟れないという話ですね。

そもそも何故に行・学を積むかと言う事を考えてみると悟りを得るためと言う事になりますよね。
何も、疑念と言う煩悩を生み出すために行・学を積むわけではないですよね。
つまり、行・学が間違ってなければ疑念は生まれず悟りが得られるはずなのです。
逆に悟りとは別な方向の行・学をいくら積んでも、新たな疑念が生まれるだけにしかならないという話であり
その様な行・学は避けるべきとも言えるでしょう。

信においても同様ですね。
意味も解らずに言われた通りに信じて行じた場合、言われた通りの結果となれば嬉しくなって信が増しますが
違う結果となってしまえば疑念が生じ、信じることをやめてしまうでしょう。

全てにおいて信じない、行じない、学ばないでは先に進む事はありませんが
信じることに誤りが無くそれを実践すれば行・学が進み、信も自ずと増す事になるわけですね。

347:2011/07/31(日) 05:19:23 ID:gVXsRTgY0
>>344
堅皇さん、おはようございます。


> 理解できないのは白さんが妙法蓮華経を読もうとしないからですね。

では、なんども尋ねておりますが、あなたの言っている、「妙法蓮華経」とはなにが書いてあるのですか?
これは質問ではありません。あなたがこれから、学んでください。

以下の文章も、あまりにも内容が稚拙ですが、あなたは、全く仏法を分かっていないのではないかとの私の結論です。
現実社会での行動が感じられない。

そして、最初に私が感じたものは間違いないと思います。
あなたは、中学生か高校生ぐらいの年齢ですか。大学生の年齢とは思えない。

>>345
> まー結論的な話になりますが
> 色々と悩みを抱えている人はこれまでの一切の思い込みを捨てて
> ただ1つ「妙法蓮華経」と言うものを信じて「南無妙法蓮華経」と唱えてみれば如何ですかと言う事ですね。

あなたが、そうしてください。

>>346

> >> 信じるものに間違いが無ければ行も学も自ずと付いてくるはずですからね。
> > この理屈は、わたしは分かりませんが。信じるものから、行も学もついてくるなら、少しは分かりますが。
>
> このご質問にはお答えしておきましょう。

別に質問はしておりません。今後もするつもりはありませんが、実社会に出て、行動して、仏法の素晴らしさをつかんでください。
理論を、実践に役立ててください。

> 人は疑念が生じると行・学を行おうとしますよね。
> つまりは解らない問題が起きた時、それは何故なんだと理由を探そうとしますよね。
> それこそ、原因を探すために本を読んだり人に聞いたり、実験してみたりしますよね、つまりは行・学。

以下の文章も同じです。あまりにも内容が稚拙です。実際の行動が大事です。
思索しながら行動することが大事です。

多くのいろいろな本を読み、人と話をすることです。人生どう生きるべきか、悩むことです。
そして、創価学会から学ぶものは、それこそ無限にあります。
できたら、御両親が学会員とのことですので、もう一度、組織の中で学んでみられたらどうでしょうか。

348沖浦 克治:2011/07/31(日) 05:25:42 ID:AJ3hr85o0
堅皇さん、おはようございます

 貴方は妙法蓮華経を信じた。

 私は南無妙法蓮華経を信じる。

 この差ですね。
 それでいいんじゃないですか。
 私は南無妙法蓮華経を信じる創価人。
 満足です。

349雨煽り:2011/07/31(日) 12:21:46 ID:Pssg0Hu.0
堅皇さん、こんにちは。


堅皇さんの言われる「妙法蓮華経」が
何のこと、何を指しているのかが、
私にも理解できないのですよね。

私は法華経も読みますが、
私の認識している「妙法蓮華経」とは、かなり違っているように思われるのです。

創価学会に対しても、
私は時と場合により組織と闘って来ましたが、
堅皇さんとは認識が、かなり違っているように思われます。

「妙法蓮華経」が二種あるとも思えませんが、何故でしょうかね?

堅皇さんが学んで来られたものが、私が学んだものと違うのではないでしょうか?
御書に真蹟が無くても、書かれている内容に間違いがなければ、学ぶに値すると思いますよ。
随縁・不変は台家教学ですが、大聖人は台家の僧ですからね。
大聖人の仏法と台家教学は殆んど変わりません。

教義として考えれば、2〜3正反対の箇所があるくらいで、あとは殆んど一緒です。
天台教学をも踏襲しての大聖人仏法ですからね、一緒であって当たり前なのですよね。
御書の中で引用されているのは、その殆んどが天台教学です。

ですから逆に、真偽未決の御書の中で天台教学と同調するものは
御書として学ぶべきものだと、私は考えているのです。

堅皇さん、真偽未決をも含めて、御書をもう一度考察されてはいかがでしょうか。

350堅皇:2011/07/31(日) 12:24:37 ID:acgo9yIs0
>>347 白さん

なるほど、「多くのいろいろな本を読み、人と話をすることです。」この部分は共通なんですけどね。

白さんの人生の目的と言うのは「人生どう生きるべきか、悩むこと」なのですね。
僕の場合は「人生どう生きるべきか、悟ること」です。
この違いは大きいですね。

つまり、白さんは今後も題目を唱えれば唱えるほど悩みが1つも解決しないまま深い悩みに包まれていくでしょうね。
悩みを目的と考え、それが幸せと感じられるならそれもまた良しでしょう。
「南無創価学会」では数多くの矛盾を抱えていますので悩みの種は尽きないと思いますから
きっとご希望通り、無間に悩み続ける事が出来ると言えましょう。

僕は悩みと言う物はその都度悟り解決し、また、新たな悩みが生まれたらそれをバネにしながら
新たな悟りを目指す煩悩即菩提の人生を送る事とします。

> 御両親が学会員とのことですので、もう一度、組織の中で学んでみられたらどうでしょうか。

両親は籍こそまだ学会にありますが、今では「南無創価学会」ではなくなりましたね。
当時、両親から愚痴が頻繁に出始めた事も僕にとって創価に対する疑念の1つでしたから。

不思議ですね、ご祈念文を読まなくなっただけで
あれほど頻繁だった愚痴の数が減り、悩みは自分自身で解決する物だという思考に変わったのですから。
それこそ、沖浦さんじゃないけれども「功徳です」と言う事ではないですかね。

生きている限り悩みは尽きない物と思いますが、どうせ悩むなら
同じ事で悩み続けて留まるよりも、悩みを1つずつ解決して、その先の悩みと向き合う方が建設的であると思いますね。

351堅皇:2011/07/31(日) 12:25:15 ID:acgo9yIs0
>>348 沖浦さん

なるほど、沖浦さんは「南無南無妙法蓮華経」と言うわけですね。
それこそ「南無妙法蓮華経」とは何かと言う話になりますよね。

で、その「南無妙法蓮華経」とは「創価の題目」って話ですよね。
いつも沖浦さんが口にしている事ですから。

352堅皇:2011/07/31(日) 13:00:41 ID:acgo9yIs0
>>349 雨煽りさん

> 私は法華経も読みますが、
> 私の認識している「妙法蓮華経」とは、かなり違っているように思われるのです。

宜しければ、雨煽りさんの認識されている「妙法蓮華経」と違う部分があれば
ご指摘いただきたいと思います。
その辺は僕自身も興味があります。

> 「妙法蓮華経」が二種あるとも思えませんが、何故でしょうかね?

「妙法蓮華経」が二種あると言うのは本因妙を用いた興門流以外ありませんので
僕も二種あるとは思いませんし同じであるべきだと思います。

真偽未決の問題は日蓮信者と語るときには的を絞るために用いますが
実は、個人的にあまり重きを置いてないのです。
何故ならば僕は日蓮信者ではなく妙法蓮華経信者ですからと言うところですね。

つまりは日蓮の真蹟と言えども妙法蓮華経に反するならこれを用いずと言うところです。
仮に御書の中に偽書が混ざっていたところで所依が妙法蓮華経であるから変わりが無いわけです。

同じく日蓮が如何ほど天台信者だったか解りかねますが
日蓮も所依としたのは妙法蓮華経であり
天台教義と言えども妙法蓮華経に反するなら用いなかったのではと言う観点に立っています。
所依が天台教義であれば「南無妙法蓮華経」にはならないと思いますから。

ですから真偽未決の御書の中で天台教学と同調するから真蹟に値すると言う考えは僕にはないですね。

353雨煽り:2011/07/31(日) 21:48:50 ID:Pssg0Hu.0
堅皇さん、こんばんは。


時間が無いので少しだけ書きますが、

釈迦と羅什の法華経は信じるが、天台と日蓮の法華経は信じ無い
ということなのですか?

私は「妙法蓮華経に反する」なんて言葉は使いませんよ。
そのへんが、堅皇さんと私との認識の差と思いますが。

「妙法蓮華経」とは、「法」で、「法」とは、「随縁・不変」のことです。「真如」です。
これが私の認識です。

354沖浦 克治:2011/07/31(日) 22:30:29 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、今晩は

 南無妙法蓮華経は私どもの命ですね。
 一切衆生の命が久遠の仏である、南無妙法蓮華経如来だ。
 これが大聖人の結論です。
 そして、創価の題目とは、人間革命運動の拡大を通じて、この思想を全世界に広めるための題目です。

355堅皇:2011/07/31(日) 23:16:09 ID:acgo9yIs0
雨煽りさん

> 釈迦と羅什の法華経は信じるが、天台と日蓮の法華経は信じ無い
> ということなのですか?

基本的に僕は矛盾が無いものしか信じないと言うことですね。
更には読んで、より良いと判断する方を信じると言う合理主義です。

今のところ「妙法蓮華経」は妙法の名に恥じず最も優れている経典と判断しています。

釈迦は法華経の作者と考えていませんし
法華経の中では羅什の妙法蓮華経が最も優れていると判断しています。

しかし、僕の中で羅什は妙法蓮華経が数ある経典の中で最上と認識していたかは定かではないとも思っています。
妙法蓮華経が最上と判断したのはあくまでも天台によるものであり
天台の五時八教は概略ではありますが理論的に経典の高低浅深、優劣と考えると納得いく物と考えています。

この天台の判断に同意したのが日蓮であり、この二人の判断に僕も同意すると言うもの。
天台も日蓮も経典を残した人ではないですし妙法蓮華経の講義を行った人と言う認識ですかね。

ただ、天台、日蓮に共通して思うのは弟子の方たちが
この妙法蓮華経の講義を聞いて、または行じている姿を見てこれらが天台、日蓮のオリジナルの思想だと思い
あたかも天台、日蓮と言う人そのものが神もしくは神の使い(仏法的に言えば本仏や如来ですか)
と言った存在だと思い込んだものかと。

事実、佐渡の方では日蓮が大明神となり神社に祀られている状態でもありますからね。

356堅皇:2011/07/31(日) 23:16:57 ID:acgo9yIs0
沖浦さん >>348

> 貴方は妙法蓮華経を信じた。
> 私は南無妙法蓮華経を信じる。

そう言えば、こう言うのも触れときますか。
日蓮は「観心本尊抄」で「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては」と言う表現をしています。
南無妙法蓮華経は全部で七字ですが、ここでは「南無妙法蓮華経の五字」と書かれていますよね。

これは一体どういうことか。
ま、普通に考えて南無は帰命を意味し、肝心は妙法蓮華経の五字に南無するから「南無妙法蓮華経の五字」となるのかと。
この「南無妙法蓮華経の五字」と言う表現は他にも使用されていますよね。

この辺をどう説明されるかですね。

ちなみに沖浦さんのお考えにも会う「南無妙法蓮華経の七字」と言う表現を使われている御書の存在もあります。
検索を掛けてみますと「御義口伝巻」「御講聞書」とまたこいつらかと思えば
それ以外に「法華初心成仏抄」「別当御房御返事」「兄弟抄」「四条金吾殿御返事」「中興入道消息」「十八円満抄」「九郎太郎殿御返事」

「兄弟抄」のみ真蹟がありますから詳しく調べてみましたが
残念ながら「南無妙法蓮華経の七字」の部分においては真蹟なし。

後はこれらの表現に対し、どう解釈し信じるかと言う話ですね。

357堅皇:2011/07/31(日) 23:46:53 ID:acgo9yIs0
雨煽りさん

>「妙法蓮華経」とは、「法」で、「法」とは、「随縁・不変」のことです。「真如」です。

「妙法蓮華経」で説かれる「真如」と言えば「諸法実相」であり「十如是」になりますからね。
そもそも「不変真如」と言うものの存在はこの世に何一つないと考えます。
「諸行無常」を覆し、かつ縁に触れても全く感化されない「不変真如」は無いと思います。

「不変真如」はあくまで華厳の幻想だと考えますね。

大般涅槃経に説かれる「如来常住」に関しても妙法蓮華経と言う経典があっての理であり
この妙法蓮華経が破壊されれば「如来常住」とも成り得ない。
あくまで大般涅槃経は妙法蓮華経を補完するためのものでしかないのですから。

ですからあくまで妙法蓮華経を第一と捉えているうちは「不変真如」と言う解釈でも
効力はあるのかと思います。
しかし、妙法蓮華経を蔑ろにして「不変真如」と捉えると危険な思想に走ると思いますね。

358雨煽り:2011/08/01(月) 02:53:48 ID:Pssg0Hu.0
堅皇さん


堅皇さんの知識の中に、「随縁・不変」は無いのでしょ?
自分の浅い知識で、知らない事を計るのはいけませんよ。

もしかすると、堅皇さんの知識というのは全てがそうなのかも知れませんね。
よく知りもしないで、知らない事を計る…

う〜ん…
そう考えると、堅皇さんを見ていて、納得できることが多々あります。
何故、おかしな仏法になるのか、何故、明確な答え・説明ができないのか、
何故、私達と、その認識が違うのか…全て納得できます。

どこかでブログを書いてる女史と同じで、言葉は知っているが、その意味・内容は深く知らない…
知らないのなら書かなければいい、言わなければいいのです。
もっと知識が深くなるまで研鑚すればいいのに、浅はかな知識で計ってしまう…
これは、計我ということになるでしょうね。

堅皇さん、自分よりも知識の浅い人を相手にしているのであれば
堅皇さんの論調も、少しは通じるのかも知れませんが、
>>357のようなコメントは、もっと勉強して知識を深めてからレスして下さい。

と言っても意味が解らないのかも知れませんが、
沖浦さんにしろ、白さんにしろ、私にしろ、堅皇さんに比べると、
境涯も知識も、数段高いのですよ。
でも、そんなことも堅皇さんには解らないのでしょうけど…

もう夜中ですね。
おやすみなさい(^^)/

359沖浦 克治:2011/08/01(月) 05:42:36 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、おはようございます

 題目が五字か七字か?

 どっちでもいいですよ。
 唱えて戦って人生開いた人の勝ちです。

 信は認識の分野です。
 五字と認識しようが、七字と認識使用が、それ自体は価値ではないのです。
 認識の結果、唱え戦うと言う行動があって、その行動が価値と言う功徳を生みます。
 ですので、信がどのようなものでもかまいません。
 仏法はそういう教えなんです。
 妙楽が言ってます。
 
 発心真実ならずとも、正境に縁すれば功徳猶多し。

 七字とか五字とかそういう枝葉はどっちでもいいです。 
 貴方は理解を求めていますが、信行学と言う順序がバラバラです。
 信と言う認識があって、行と言う行動が生まれ、そしてなぜそうなるかを学ぶ。

 これが科学です。
 信とは、現証に対する認識です。

 リンゴが落ちる事実を認識する。
 実際にいろいろ行じて試す。
 学んで法則を発見する。

 こういう順番です。
 私はね、創価の信心で功徳がどんどん出ます。 
 だから、七字とか五字とかどっちでもいいのです。

 白くても黒くても、ネズミをたくさん捕る猫がいい猫。

 これが道理ですよ。

360沖浦 克治:2011/08/01(月) 05:43:47 ID:AJ3hr85o0
 雨煽りさん、おはようございます

 私に限って言えば、境涯と知識ではなくて、悟りが堅皇さんより深いのです。

361雨煽り:2011/08/01(月) 07:49:09 ID:Pssg0Hu.0
沖浦さん、おはようございます。

あははっ…(^^♪そうでしたね…

では、
「境涯も知識も悟りも」に訂正いたします。

362めかものサン序名:2011/08/01(月) 09:52:48 ID:RH2U6sU60
沖浦さん、おはようございます。

雑談スレその2で
引用された御書は真偽を問われてますよと指摘されて

>沖浦 克治:2011/07/29(金) 18:59:33 ID:AJ3hr85o0
 
>この御書は池田先生が引用されて、戒壇本尊崇拝の破折をされました。
>私は弟子ですので、引用します。

とおっしゃいましたが
sokanetでは
創価学会は、大乗仏教の真髄である日蓮大聖人(1222〜1282)の仏法を信奉する団体です。

とあります。
何をおいても御書が基本ではないでしょうか。
大聖人の御文ではなくても(確定ではないですが)名誉会長が引用したのだから
正しいでは、組織の指針に反します。

363めかものサン序名:2011/08/01(月) 12:09:18 ID:RH2U6sU60
沖浦さん、こんにちは。
全て私見ですね。


>南無妙法蓮華経は私どもの命ですね。
>一切衆生の命が久遠の仏である、南無妙法蓮華経如来だ。
>これが大聖人の結論です。
>そして、創価の題目とは、人間革命運動の拡大を通じて、この思想を全世界に広めるための題目です。

364かもめのサン序名:2011/08/01(月) 12:29:40 ID:RH2U6sU60
私見を語るのは大いに結構ですが、あくまでも
私見であるとはっきりおっしゃったほうがいいですよ。
南無妙法蓮華経如来も創価の題目も、あなたのお創りになった言葉です。

大聖人の結論とおっしゃるがいつどのような形で
結論を仰せになりましたか。
そんな重要な事を「私が思うに」では話が通りません。

>七字とか五字とかそういう枝葉はどっちでもいいです。

おわかりにならないんじゃないですか?
わからない事は素直に答えをお求めになった方がよろしいのでは。

365かもめのサン序名:2011/08/01(月) 12:34:46 ID:RH2U6sU60
堅皇さんが、何回も何回も答えを書いてくれてるんですけど。

366沖浦 克治:2011/08/01(月) 12:36:16 ID:AJ3hr85o0
 めかものサン序名さん、今日は

 これは認識の問題ですね。
 ですので、価値そのものではございません。
 ですから、

 私はこう言う認識です。

 ああそうですか。

 これでいいのです。
 価値を生むのは認識に基づく行動そのものです。
 認識の良しあしは無関係ですよ。

 仮使発心真実ならざる者も正境に縁ずれば功徳猶多し、

 妙楽です。
 ですので、創価を信じ、創価の題目を唱え、創価の戦いをしているなら、後は自由です。
 
 私見もそうですよ。
 ご本尊を拝んで、布教するなら、私見でかまいません。

367雨煽り:2011/08/01(月) 12:41:49 ID:Pssg0Hu.0
真偽未決は、偽書ではなく、未決なのです。

誰が書いたものかどうかではなく、
仏法として、どこがどう間違っているのか、という問題で、
間違っているというのなら、間違いだという証明が必要です。

まあ、天台教学と殆んど変わらないものを指して偽書だと言う方が
どうかしてると思いますがね。


ただの所感です。

368堅皇:2011/08/01(月) 13:06:45 ID:acgo9yIs0
雨煽りさん

> 堅皇さんの知識の中に、「随縁・不変」は無いのでしょ?
> 自分の浅い知識で、知らない事を計るのはいけませんよ。

いやいや、逆ですよ。
妙法蓮華経では仏の最高(波羅蜜)の知見を持ってして実相は諸法実相であり、その諸法とは十如是からなると言う話。
これに対し、天台と日蓮の知見を持ってして妙法蓮華経だけが真実を語っているとの判断ですからね。

不変の真如の存在を信じるのは実のところ宗教界の人間だけではないですかね。
もちろん、この人たちも実際に「見た」わけではなく、そうであるだろうと言う憶測に基づいていますよね。

もし仮に不変の物の存在が発見されれば世紀の大発見となるのでしょうが未だその様な事例はありませんよね。

僕は天台や日蓮の知見ってある意味凄いと思うんですね。
今の世では、分子や原子、核やDNAなんてものの知識がありますから
これらの成り立ちと言うものを理解していますし、全ての物質が分解しても分解しきれないと言う事を知っていますが
当時の知識レベルから考えると不変の真如の存在を信じても不思議ではないわけですね。

そこを持ってして妙法蓮華経の諸法実相こそ真実であると断定したのは凄いと考えるわけですね。
天台も日蓮も諸法実相こそ真実であると言うのであれば
やはり、不変の真如と言うものは存在しないのであろうと言うところです。

雨煽りさんの方が浅い知識というか思い込みで、不変の真如と言うものを追いかけていませんかね。
知らないもので事を計っているのではないでしょうか。

369雨煽り:2011/08/01(月) 14:00:21 ID:Pssg0Hu.0
堅皇さん


やはり理解はできないようですね。

う〜ん…
質量保存の法則は知りませんか?
エネルギー不滅の法則とも言いますが、
姿形は変わっても、質量そのものは変わらない。
変わらないのですから不変です。

でも、まぁ、無駄なようですから、
堅皇さんが解ろうが解るまいがどちらでもいいです。
たとえ解ったところで、何がどうという事もありませんからね。

まるで、雪山童子の、前の半偈の中で話をしているようで、
いつまでたっても寂滅に辿り着かない…そんな感じです。

いやはや、まったく…って、ところですかね。

370mekamono:2011/08/01(月) 14:42:30 ID:RH2U6sU60


>私はこう言う認識です。

>ああそうですか。

>創価を信じ、創価の題目を唱え、創価の戦いをしているなら、後は自由です。

371めかものサン序名:2011/08/01(月) 14:45:02 ID:RH2U6sU60
370の投稿失敗しました。失礼しました。

沖浦さん

あなたが起こした教えならばそれで結構です。

ね、白さん。
個人個人がきままに私見を述べる。
それを整理しない組織の責任です。

372めかものサン序名:2011/08/01(月) 14:46:11 ID:RH2U6sU60
沖浦さん
貴方は日寛教学を否定していますが
頭の先からつま先まで、ドップリ日寛教学論者ですよ。

373堅皇:2011/08/01(月) 17:45:07 ID:acgo9yIs0
雨煽りさん

質量保存の法則と言うのは何処まで言っても質量が一定と言う話ですよね。
エネルギー不滅の法則と言うのもまた同様。
質量が一定であるが故、全てのもに始まりも無ければ終わりもないと言う事になると
方便品では語られていない寿量品での話となるわけですが。

今議題となっているのは「不変」の存在があるか否かと言う話です。

今現在の最小物質はなんですかね。
素粒子あたりですか。
今後それがどう分解されるかは解りませんがね。

結局、この世を形作っている全ての実相と言うものは、この素粒子が常に変化し形作られていると言う話ですね。
更に言えば、この素粒子は常に変化しているから世の中も変化していると言う事。

だからこそ諸法実相とは、実に真を捉えていると思いますね。

つまるところ、これらの法則に反し「不変」の存在があるか否かと言う話です。

374めかものサン序名:2011/08/01(月) 17:53:57 ID:RH2U6sU60
雨煽りさん

>仏法として、どこがどう間違っているのか、という問題で、
>間違っているというのなら、間違いだという証明が必要です。

間違いの証明ではありません。
正しいという証明が必要なのです。
日蓮大聖人のご真筆以上の証明があるのですか?
我々は信徒です。
師が仰せになった御文を拝する。
それ以上の事がこの世に存在するわけがない。
あなたの発言は詭弁です。

375沖浦 克治:2011/08/01(月) 17:54:45 ID:AJ3hr85o0
堅皇さん、今晩は

>つまるところ、これらの法則に反し「不変」の存在があるか否かと言う話です。

 その不変の存在が、南無妙法蓮華経だと大聖人は言われます。
 それを信じるか信じないか?
 それだけですよ。
 信じる人、信じない人、双方が擦り合わせて合意する必要はありません。
 所詮、認識の問題ですからね。

376沖浦 克治:2011/08/01(月) 18:21:49 ID:AJ3hr85o0
 めかものサン序名さんに

>頭の先からつま先まで、ドップリ日寛教学論者ですよ。

 具体的に書いてください。
 お答えがないか、それ以外を書くと、アクセスが禁止になります。
 明日、夜10時まで時間を差し上げます。
 お待ちしております。

377雨煽り:2011/08/01(月) 22:11:31 ID:Pssg0Hu.0
堅皇さん、こんばんは。


たぶん何も解らないのでしょうけど、
堅皇さんが言われている事は、不変真如ではないのですよ。

強いて言えば、随縁を指して「不変じゃない、不変なものなど無い」と言われているようなものです。

私が何故、質量保存の法則を例えに出したかというと、
質量は変わらない、つまり、姿形は変われども、その量は不変なのです。
不変であるが故、三世永劫に生命は続いて行くのです。

重ねて言いますが、もっと勉強して、不変真如というものの知識ができてからコメントして下さい。

堅皇さんとの「随縁・不変」論議は堂々巡りですのでこれで終りにします。

が…
欲を言うなら、早く寂滅にまで辿り着いて欲しいものです。

378堅皇:2011/08/01(月) 23:38:59 ID:acgo9yIs0
雨煽りさん

> 質量は変わらない、つまり、姿形は変われども、その量は不変なのです。
> 不変であるが故、三世永劫に生命は続いて行くのです。

「その量は不変」と言う表現は日本語として変ですよ。
それは不変ではなくて普遍の事を言われているのではないでしょうかね。

「質量は変わらない、つまり、姿形は変われども、その量は普遍なのです。」

と言うなら同意しますがね。

379備前 ◆TtzwqSGci2:2011/08/02(火) 00:09:44 ID:iAzqE3tU0
 
 ふ‐へん【普遍】
  1 全体に広く行き渡ること。例外なくすべてのものにあてはまること。「人類―の原理」⇔特殊。
  2 哲学の用語。宇宙や世界の全体に関していえること。
    特殊・個物に対して、ある範囲のすべての事物に共通する性質

 ふ‐へん 【不変】
  [名・形動]変わらないこと。また、そのさま

380筑前:2011/08/02(火) 00:59:18 ID:E6/otPps0
e=mc^2を知らんのかいな? なら原発怖がらんでもええがな。
光速で移動する物体の質量は無限大になる事も知らんのかいな?

381沖浦 克治:2011/08/02(火) 06:55:04 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、おはようございます

 貴方、言葉の遊びになっていますよ。

 それでは世間様のご納得はいただけません。

 大乗仏法の基本から外れています。

 軌道修正してくださいね。

382めかものサン序名:2011/08/02(火) 08:46:28 ID:RH2U6sU60
沖浦さん、おはようございます。

昨日この板の沖浦さんの書き込みを全て読ませていただきました。
わたしの思い違いでございました。
大変失礼なことを申しまして、心よりお詫び申し上げます。
まことに申し訳ございませんでした。

383堅皇:2011/08/02(火) 11:21:42 ID:acgo9yIs0
沖浦さん、言葉遊びでは無いんですよ。

特に「絶待」を「絶対」としようとしたりする事も含め
「不変」か「不変」ではないかと言う事に対しても、それこそ文字が変われば意味ががらりと変わりますからね。

先ずこの「不変」に関しては妙法蓮華経には使われていませんし

沖浦さんは
> その不変の存在が、南無妙法蓮華経だと大聖人は言われます。

このように言われていますが、実のところ真蹟の存在が無い事からも
日蓮が使われたと言う確固たる証拠も無いのですから。

沖浦さんは、証拠が無くても創価学会が認めれば日蓮が書いた物と言ってるだけで
雨煽りさんも、天台教義にも同義があるので日蓮が書いたと見なしているだけあり、これは証拠とは呼べません。

遺体を燃やしたら骨だけが残り、後は無くなってしまうと言うのは単なる見た目の判断であり
質量保存の法則に当て嵌めると実際には無くなるのではなく「変化」して大気中に浮遊されるわけです。
この、見えなくなった物質の事を仏法では「空」と表現されますが
この事からも「空」は「無」と等しいものではないと言うことの証明と言えるわけです。

実際に無くなってはないと言うことから、全ての事柄の永遠が証明されると言うことですね。
また、死滅と言う出来事も見た目の様相では「無」に見えるようであるが
それは単に「変化」を表したものに過ぎないと言う話となるかと思います。
後の科学が仏法を証明する事になると言うことは言えますね。

ですから、「不変」と数が一定量であると言う尺度は別次元の話と言えます。

ちなみに世の中には「不変」なものの存在は有り得ないという証明からも
戒壇の大御本尊の破折は簡単ですね、彼らは「変化」ある物を「不変」であると主張しているだけですから。

384めかものサン序名:2011/08/02(火) 12:04:15 ID:RH2U6sU60
堅皇さん

>彼らは「変化」ある物を「不変」であると主張しているだけですから。

もう少し具体的にお願い致します。

385めかものサン序名:2011/08/02(火) 12:07:08 ID:RH2U6sU60
沖浦さん

私の沖浦さんが日寛教学ドップリ発言は大きな間違いですが
創価学会の発行した物も、最近は真蹟のあるなしや
写本が現存するや否やの記述が見られます。
そのへんの重要さは当然ご理解いただけますよね。

386堅皇:2011/08/02(火) 13:28:20 ID:acgo9yIs0
めかものサン序名さん

大石寺の主張する大御本尊とは日蓮が書いたとする曼荼羅と言う物質すよね。
この曼荼羅が物質である以上どの様な物に表現しようとも「不変」ではないという話です。
材質が木であれ紙であれば尚の事、腐りもするし燃やせば灰となるわけです。

また、こう言った手を加えるまでもなく経年変化と言う事も避けられないわけですね。
何故ならば、この世の全てのものに「不変」なものは無く絶えず「変化」している「無常」なものと言えるわけですね。
これは、仮にセラミックや特殊カーボンやダイヤモンド等で曼荼羅を表現したところで同じ事ですね。

ちなみに大石寺では大御本尊を真空無菌状態で曼荼羅を保管管理していると言う話も聞いたこともありませんし
これらに関しても絶対、完全状態と言う事も有り得ないという話ですね。

この様に無常で変化している物に対し唯一不変と主張する行為に土台無理が生じているわけですね。

ま、その前に大御本尊は日蓮の題目文字ではなく日禅の題目文字を使ったパッチワークであると言うのが通説ですけどね

387沖浦 克治:2011/08/02(火) 15:07:09 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、今日は

 現実に功徳と言う結果があるなら、どう言う理論も正しいのです。

 人類にとって、それだけが不変なんですよ。

 今回の大地震と津波。

 人が存在しなければ単なる自然現象です。
 
 人がいるから災害なんですよ。

 同じですね。

388沖浦 克治:2011/08/02(火) 15:09:40 ID:AJ3hr85o0
>沖浦さんは、証拠が無くても創価学会が認めれば日蓮が書いた物と言ってるだけで

 これは違いますね。
 大聖人が書いたがどうか?
 気にしません。
 大聖人仏法にかなう思想かどうかが、私は私で判断が可能です。
 その大きな判断基準が、戸田先生の思想です。
 直筆の云云は余事なんですよ。

389めかものサン序名さん:2011/08/02(火) 15:12:49 ID:RH2U6sU60
堅皇さん

ご回答ありがとうございました。
正信会の主張していた「ダイナマイトで無くなるものが出世の本懐ではない。」
に近い考え方でしょうか。

>大御本尊は日蓮の題目文字ではなく日禅の題目文字を使ったパッチワーク
首題が日禅授与御本尊からという説ですね。
そちらはまだ真偽のほどは明らかになっておりませんが

390pp:2011/08/02(火) 16:05:40 ID:cxdhdwEg0
すこし人生がうまくいってないだけでその人を不幸と決めつけてそれを理由に折伏するのはよくない。俺は3世

391めかものサン序名さん:2011/08/02(火) 16:21:15 ID:RH2U6sU60
ppさん、そんな折伏しません。
3世なら、ここで意見言う前にお父さんお母さんと対話して
みたらいかがですか。

392沖浦 克治:2011/08/02(火) 16:23:43 ID:AJ3hr85o0
 ppさん、自己紹介してくださいね、アクセス禁止にしたと連絡がありましたが、解除しておきます。
 自己紹介のスレで、きちんと挨拶して、その後ルールを守って書いてください。

 ルール簡単ですよ。
 礼儀作法を弁える。
 これだけです、後はタブーはほとんどありません。

393堅皇:2011/08/02(火) 22:16:59 ID:acgo9yIs0
めかものサン序名さんさん

> 「ダイナマイトで無くなるものが出世の本懐ではない。」

正信会ではそう言ってるんですか、だとすればその理由の部分ですね。

しかし正信会もそこまで言うのであれば自分で曼荼羅書けばいいのにね。
職業僧侶の集まりの団体なのに
未だにストックした日達曼荼羅を使っていますからね。
折角正信会として法人格も取得したんだから、そろそろ自立の道を歩み始めれば良いのにとは思います。

これに関しては創価学会も同様で、日蓮正宗の日寛曼荼羅にいつまで依存しているかと言うところ。

> 首題が日禅授与御本尊からという説ですね。
> そちらはまだ真偽のほどは明らかになっておりませんが

疑惑とするなら疑惑をとっとと払拭させれば良いだけの話。
晴らせないところに問題がありますね。

ま、火のないところにって話ではないですかね。

394雨煽り:2011/08/03(水) 00:57:17 ID:Pssg0Hu.0
堅皇さん、こんばんは。


ひとつ言い忘れていたことがありましたので
書いて置きます。

「是法住法位 世間相常住」

これは読めますか?
そして、その意味が解りますか?
堅皇さんの知識の中にあるかどうか疑問ですが…妙法蓮華経です。


では、おやすみなさい。

395堅皇:2011/08/03(水) 02:07:56 ID:acgo9yIs0
雨煽りさん

「是の法は法位に住して 世間の相に常住なり」(方便品)ですね。

「相」と言うことは、十如是で言う「相・性・体」の「相」ですね。
この「相・性・体」は「空・仮・中」の三諦にも表されたりしますね。

と言うことは妙法が常住する場所は「空」であると言う表現が取れますね。

「空」は「空」だけでは実態がないわけで文字どうり空っぽと言うこと。
「空」は「仮諦」と言う「縁」を持ってして、初めて「中諦」と言った姿を現すわけですね。
つまり「相」と「性」が交わり初めて「体」を成すと言うところ。
これに「力・作」が加わり動力となり
その動力は「因」と言う物が「縁」に触れ初めて動き、これにより「果・報」を得る事となる。

結論として「相」から「報」までが等しく絡み合って初めて実相と言う物が生み出される。
十如是は実に実相を巧みに捉えているとしか言えませんね。

世間の相に常住しているだけでは妙法は活かせなし表現も出来ないという事ですね。
更に妙法が相に常住すると言うのであれば
尚更「不変」なのもではなく「変化」するものであると言えるでしょう。

まーどのみち、大石寺圏内が考えるような「妙法」が「因」だとか「縁」だとか言う話は何処にもないという話です。
強いて言うなら「妙法」とは「因と縁」を兼ね備えるもの。
つまりは自分自身の生命と言った「己心」表したものではなく
世の中全ての総称と言うところの「諸法実相」にあたるかと思います。

396沖浦 克治:2011/08/03(水) 05:59:23 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、おはようございます

 貴方やはりすれ違いですね。
 雨煽りさんはね、そう言うくだらないこと聞かれていません。

 貴方があの経文を読んで、どう言うことを感じるか?

 理屈並べたら、舎利弗どまり。
 悟りが仏法ですが、貴方にはまったく感じません。
 限界が低いと思いますよ。

 その信心では功徳に恵まれませんよ。
 もったいないですね。

397沖浦 克治:2011/08/03(水) 06:03:38 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん

 少し理論から離れてご本尊に唱題してごらんなさい。
 今まで見えなかったものが見えてきますよ。
 私はよくそう言う体験しました。

 ご本尊って、方便なんだ・・・・

 気づきましたしね。

 私どもがそのままで南無妙法蓮華経と言う名前の仏なんだ・・・・

 わかりましたよ。
 そう言うことがわかると、御書がわかります。

398めかものサン序名:2011/08/03(水) 09:03:46 ID:RH2U6sU60
>南無妙法蓮華経と言う名前の仏なんだ・・・・

堅皇さんは、そこが違いますよとおっしゃってるのです。

399堅皇:2011/08/03(水) 12:32:15 ID:acgo9yIs0
沖浦さん

「空を掴む」なんて言葉がありますが真如と言うものは手で掴めるもではないと言う事ですね。
もちろん文字で表したり、口にする事も出来ないという事。
これを言葉として表したと主張するのが真言であり
言葉として表せないものであるから題目と言う縁を通じて如来に接見し真に迫ろうとするのが題目の理論。

真言と題目とでは発する言葉の違いだけでなく、その言葉の持てる意味も全く違うと言う事ですね。

沖浦さんは「南無妙法蓮華経」とは仏の名前なんだと簡単に答えを出していますが
仏とは如来を意味し如来もまた「非実。非虚。非如。非異。」(寿量品)であると言う事。
実態はなく如くでもない、またそれは虚しくもなく異でもないと言う
つまり「南無妙法蓮華経」と実として書き表す事の出来る時点で如来の定義から外れるわけですね。

そもそも仏法を一心に学んできた人たちが何故に「動執生疑」を起こしたかを考えると
世尊が理解し難い事を口にしたからですね。
それが何かと言えば諸法実相と十如是のくだりと言えるわけです。

つまり「動執生疑」を避けるためには諸法実相と十如是を的確に理解するか
諸法実相と十如是を信じるしか手立てはないと言うことになります。
十如是に対して理が合わない「南無妙法蓮華経」とは仏の名前なんだと主張する沖浦さんは
今正に諸法実相、十如是に疑いを抱いた「動執生疑」を起こしていると言えるでしょう。

ちなみに梵本法華経の場合は諸法実相や十如是の説明もなしに
世尊は、その答えは「如来は知っている」と
つまり如来ではないお前たちが思いつく考えは違うと言い放っているわけですね。

世尊の話が弟子たちにとって、これまでの考えを超える話であったからこそ
「動執生疑」を起こし多くの人たちがその場を去って言ったという話でしょう。

「南無妙法蓮華経」を考察する分には構いませんが諸法実相、十如是から外れる答えは違うと言う事ですね。

400めかものサン序名:2011/08/03(水) 12:42:14 ID:RH2U6sU60
堅皇さん

時間の無駄ですよ。
基地外教祖には何をいっても無理です。
堅皇さんにはお世話になりました。
臥薪嘗胆さん、アク禁解除の節はお世話になりましたが
もう二度来ません。
一部のわかってらっしゃる方々のご多幸と
邪教の撲滅をこころより願います。さようなら

401グラスルーツ:2011/08/03(水) 12:52:56 ID:2bdP3Ayg0
めかものサン序名さん。

なんでこんな事を書き込むんですか?
違いを認めつつやり取りを続けることはできませんか?

なんか淋しいですね、こーゆのは・・・・・・・

またどこかでご縁ができるといいですね。
それまでどうぞお元気で。

402堅皇:2011/08/03(水) 13:49:44 ID:acgo9yIs0
めかものサン序名さん

「もう二度来ません。」と言うお言葉は取り下げる事は出来ないでしょうか?
個人的には僕は、めかものサン序名さんご自身の考える見解が知りたく思います。

沖浦さんのことを「基地外教祖」や「邪教」と罵ると言う事は
めかものサン序名さんご自身がその「邪教」と反するものの「聖教」と言う物があってこそ成り立つものと思います。

自身の掲げる法の意味が解らずに、ただ相手の法を誹謗する行為こそが
謗法であると僕は考えます。

僕が創価にもアンチ創価にも、なびかない理由は、どちらも互いの主張する法をただ謗るだけで
明確な自身の掲げる法を伝え様としないからであると言えるからなんですね。

ここは一つ、めかものサン序名さんの考える法とはなんぞやと言う事をお聞かせ願いたいと思っています。
後はそれに対して同意する事になるか、ご指摘させていただくことになるかと思います。

403pp:2011/08/03(水) 17:37:11 ID:cxdhdwEg0
ppです。自己紹介のスレってどう行けばいいのでしょうか?
教えてください

404威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/08/03(水) 17:42:56 ID:s7GC9YSk0
めかものサン序名さん、グラフルーツさんの言われている通り、違いを認めるという事も大切だと思います。
貴方の書き込みを見ていますと、感情的な傾向があり、他人の事をすぐに批判をする。

自分の意見に反対する事を書き込むとすぐに反論し、意見を尊重しない。
そんな事を感じます。
偉そうな事を書き込んでいるのなら、そういった御自身の態度を直してからでないと誰も納得しな
いと思いますよ。
こんな事を言うと、若造のクセにとか言われるか、思われるかしそうですけれども
別に嫌味でもなんでもなく、純粋に直した方が良いと思って書かせて頂きました
創価学会は学ぶ会です。人を批判してばかりでなく、時には意見を認める。認めないまでも、一度受け止める事は必要ですよ

405威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/08/03(水) 17:47:13 ID:s7GC9YSk0
もう二度と来ないと仰られていますから、書き込みは来ないはずですけれど
めかものサン序名、お元気で、ご成長を祈らせて頂きます。

406威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/08/03(水) 17:48:15 ID:s7GC9YSk0
めかものサン序名→めかものサン序名さん

407グラスルーツ:2011/08/03(水) 18:12:09 ID:COuXupa.0
威風堂々さん、こんばんは。

>自分の意見に反対する事を書き込むとすぐに反論し、意見を尊重しない。

勘違いをなさいませんようにお願いいたします。
私は反対意見を尊重しろ、とは申しておりません。
あなたの意見が尊重されないのは、書き込みに説得力がないからですよ。

私の名前を使っての誰かへの批判は迷惑です。
ましてや、めかものサン序名さんはこの掲示板からの退場を宣言しています。
反論の機会を放棄されたのですから、名指しでのご批判は程々にすべきだと思います。

あなたは若いのですから、今回の事を教訓にして意見の違う方からも
尊敬と信頼を得られる様な立派な人材に成長してください。

自分の意見を認められない事への不満をダラダラと書き込むことよりも
めかものサン序名さんの意見に対する具体的な説得力のある反論でも書いてみなされ。

それができないのなら、悔しさを心に秘めてムキニなって勉強することです。
>>404の書き込みは情けなさすぎます。

創大生なんだから師匠の期待にこたえられるようにもっともっと頑張ってください。

408臥薪嘗胆:2011/08/03(水) 18:30:07 ID:OSIoPS/E0
グラスルーツさん、こんばんは。

素晴らしいご意見です。
威風堂々さん、このように素晴らしい先輩に指導してもろて
喜ばないとあきませんよ。
>あなたの意見が尊重されないのは、書き込みに説得力がないからですよ。
この一行を胸に刻んで今後の書き込みにいかしてちょうだいね。
あんた大学生なのに国語の勉強ぜんぜんしてないんちゃうか?
文章下手くそすぎでっせ。意味もわからんしネタも悪い。

それにしてもめかものサン序名さんよ〜〜〜。
昨日わしが沖浦さんにお礼言ったとこでっせ・・・
まぁ思う事がおあしたんやなぁーーまぁお元気で。

409臥薪嘗胆:2011/08/03(水) 18:36:34 ID:OSIoPS/E0
みなさんに質問があるのですけど。
池田先生はすごく大勢の外国の有名な方と対談して
対談集を発行してますなぁ。
海外の多忙な著名人とは、がっちり対談なのですが
国内の人は往復書簡ばっかりですわ。
なんで日本の人とは対談しないのでしょうか???

どちら様の迷える可愛いww臥薪嘗胆に、やさしいお答えをお願いします。

410グラスルーツ:2011/08/03(水) 20:10:48 ID:COuXupa.0
>>408

臥薪嘗胆さんおせわさまです。

>素晴らしいご意見です。

いえいえ、とんでもありません。
将来ある学生部だと思うとつい辛口になってしまって・・・・

それより臥薪嘗胆さんの
桜子さんへの心からのはげましに感動しております。
恥ずかしいのですが、思わずウルウルしてしまいました。

彼女が病気が克服できるように私も祈っていきます。

お声がけありがとうございました。

411威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/08/03(水) 20:22:51 ID:s7GC9YSk0
ご指摘ありがとうございます。
ただ、批判ばかりは止めて頂きたいと思います。
ここの掲示板では生命力、活力を得たい思っていますので、批判ばかりではなく
元気を得られるような事、希望の持てるような事を書いて頂けたら幸いです。

412pp:2011/08/03(水) 21:01:45 ID:cxdhdwEg0
あの、僕の周りの人は皆活動家です。でも、その活動が逆に負担になっているように思えます。じっさい聞く話は愚痴ばかり・・・これってどうなんでしょうか?僕は将来活動する気になれません。どうすればいいでしょうか?

413グラスルーツ:2011/08/03(水) 21:09:58 ID:COuXupa.0
>>411
威風堂々さん

>ただ、批判ばかりは止めて頂きたいと思います。
私の指摘は100%批判ですか?

世の中はあなただけが元気を得られるようにできていませんよ。
あなた自身が生命力、活力を与えられる書き込みを心がけなさい。

お聞きします。私の指摘は100%批判ですか?!
シカトはダメです、発言には責任をもってもらいますよ。
ちゃんとお答えください!

414沖浦克治:2011/08/03(水) 21:28:18 ID:CrHO8BfQo
ppさん、今晩は

 社会で大成功すればいいのです。

415堅皇:2011/08/04(木) 09:43:30 ID:acgo9yIs0
ppさん

仏とは人間に本来備わっている最上の状態の事であり
仏法とは仏となるための方法と言う事になろうかと思います。
活動に関していえば、この仏法を正しく行じていれば自ずと愚痴は無くなる物だといえると思います。
無くなるどころか、それによって愚痴が増えるとなればそれはもう仏法と呼べる物ではないですね。

ちなみに、何故に愚痴が無くなるかといえば、あらゆる苦難や困難と言うものは
全て自身の願いを叶えるための目的に通じるものであると理解するからであると言えます。

例えば、何故に苦労してまで勉強するかと言えば学力を身につけるためであり
何故に学力を身につけるかと言えば、それを活かす場を求めるからと言う事が言えると思います。
この様に目的が明確となれば、あらゆる困難に差し掛かっても
苦労を苦労とは思わず困難に立ち向かう事ができ、愚痴と言う物が生まれなくなる物であると言えます。

活動家の方たちが、その活動が元となり愚痴が生じてくるとなれば
それは完全に目的を失ってしまっているからに他ならないと思います。
そもそも何の為に活動を行っているか、またこの活動を続けていれば本当に自身が願う目的に到達できるのか
一つ一つの事柄をちゃんと精査せずに、単に上から言われることを鵜呑みにして行動しているからだと思います。
人に言われてやるから愚痴が生まれ、自分が率先してやる事には愚痴は生まれないはずですからね。

今現在ppさんの思いは「僕は将来活動する気になれません。」と言うことですよね。
であればそれをそのまま親や組織にぶつけて見るべきだと思います。
これを主張するのも願いの1つであり、目的の1つであると思いますから。

もし、組織の掲げる活動に明確な目的を返せるのであれば活動の意味があると言えますが
そこで明確な回答が得られなかった場合、わけの解らない物を解らないままに従っているものであり目的は不在です。
その活動の内容自体を今一度精査する必要があると思います。

ただ、僕から言わせれば創価学会の活動なんて目的もなければ中身もない空っぽなものだと思いますけどね。

416威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/08/04(木) 16:44:16 ID:s7GC9YSk0
グラフルーツさん、そのような書き込みが私には批判に感じます。
自分の事を言われると、そのように感情的に突っ走る感じです。
年下の私には元気を与える書き込みをしなさいと仰るのに、自分はされない。


グラフルーツさんの書き込みの全部ではないですが、どちらかと言われますと批判的な書き込みが多いように感じます。
世間一般は確かに、私だけが元気になるというようにはなってません。
しかし、学会の同志というのは批判だけでなくて
同苦をしたり、激励したり、良い所は認め合ったりする事も必要ではないですか?
創価学会は批判をし、怒鳴るためにあるわけではないですよ。
批判は時に人を苦しめる事にもなりますし、いじめにも繋がるように私は感じるんです
学会の同時中継などを見ていても、怒鳴ったり、叱ったりする場面はあまり見ません。

世間という、荒波とは違い、温かさがあり、ホッとできる場所が創価学会という場所だと思います。
スレ全体に感じる事ですが、人の批判を取り上げる率の方が高いように感じます。

417威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/08/04(木) 16:46:57 ID:s7GC9YSk0
私は頭が悪いですし、文章も下手ですので上手に言えません。
それでスレの方々から見ると、説得力に欠ける文章に思われているようです。
大変、残念な事です。

418臥薪嘗胆:2011/08/04(木) 18:29:44 ID:OSIoPS/E0
威風堂々さん。
グラフルーツさんじゃないくてグラスルーツさんです。
口答えしなさんな!!
グラスルーツさんにこういいなさい。
「先輩、ご指導ありがとうございました!!」
君には素直さがまったくない。若さがない。狡さばかり。
文章が下手で大変残念????下手だと思ったら勉強しなさい。
口答えばかりするなら出て行きなさい。

419タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/08/04(木) 18:30:06 ID:WwDrUF2wO
威風堂々さんへ。お久しぶり。今晩は。

あのさあ。。。創価学会の中にも、厳しく怒るとか注意する人いてはるで〜!
何で注意するか。。世間に出たら、もっと厳しく言われたり、陰険なこともされたりします。それに打たれ強い人間革命の訓練の場が座談会だったり、女子部なら華陽会の場だったりするでしょ?創価班の尊い奉仕のような事の中でも厳しく言われたり、先輩からマナーを注意受けたり、訓練の場に居るのよ。。。世間どこに出ても、恥ずかしくないように、厳しく訓練受けれる所が創価学会の中では無いですか?ちょっと位の注意や批判にヘコタレテられへんよ?!外の世界はもっと厳しく言われたりするわ。。創価故に、迫害にも似た村八分にもあったりするよ。。「創価の中で可愛可愛。そうやな。そうやなっ」てばっかり、優しく言われたりだけやったら、外へ世界へ、どうして1人立つ気概で、広宣流布の使命果たせて行けるの?!
しっかり先輩について、厳しい言い方にも泣きながらでも良いからしっかり訓練してもらってね。何でも当番なんかの使命頂いたら。。そこで腹を不退転にくくる覚悟で頑張るのが創価学会員ではないですか?

◎ふにゃふにゃしてる暇なくてよ!しっかり使命見いだして、お題目しながら厳しいことに耐えれる訓練積んでね!誰に言われる、厳しい言い方を、嫌がるの今日からやめなさいね!革命の一歩としてね♪
可能性いっぱいある若い大事な時です。一時も無駄にしないでシッカリ踏ん張って訓練やと耐えれる打たれ強くなっていってください。
お題目で、応援しています。

420グラスルーツ:2011/08/04(木) 18:39:54 ID:TcmSW8SY0
威風堂々さんこんばんわぁ。

もういいです。
好きに書き込んでいつまでも暇をつぶしてなさい。

他人のハンネを使った事への謝罪ぐらいできませんかね。
あきれました。

こんな事を書くとまた批判と揶揄されちゃうんですね、きっと。

421グラスルーツ:2011/08/04(木) 18:44:06 ID:TcmSW8SY0
タンポポさん今晩は。

御意!!
よくぞ代弁してくださいました。

無駄な忠告に終わらないように願っています。

422グラスルーツ:2011/08/04(木) 18:54:40 ID:TcmSW8SY0
臥薪嘗胆さんこんばんわ。

>グラスルーツさんにこういいなさい。
>「先輩、ご指導ありがとうございました!!」

恐れ入ります。

若いころは理不尽な激励にも、返事が魔を切るんだ!なんて言われて
元気に返事をさせられたもんですよね。

随分葉っぱをかけられたけど、大事な訓練の時期だったんだと思いますね。

でも、これもまた批判と揶揄されてしまうのかもしれませんね(笑)

423タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/08/04(木) 19:05:09 ID:WwDrUF2wO
>>421←グラスルーツさん。今晩は。佐藤さんの板では副管理お疲れさまでしたね。この場を借りて私も色々助かりました。ありがとうございました。m(__)m。先ずはお礼まで。

代弁ってほどでは無いが。。入会、未入会の人関係なく、会社組織内でも至極当たり前の、先輩からの注意や批判にイチイチ、ヘコタレテは居てられやんからね!何でも訓練の場やと思って頑張って欠点やと言われる注意受けた状況を変えて行く努力しかないやん。そんな気持ちで厳しいことに打たれ強くなって欲しいから、ガンバレ!って、威風堂々さんに言ってみただけよ。ウチも、高校卒業して働いた先が、古い厳しい考えの、おしんが働いたような奉公先みたいな厳しい職場やったからね。旦那さま奥様、お嬢様、お坊っちゃま、お手伝いさんが1人居るような所ででっち奉公みたいな職場で厳しい言い方の訓練うけました。これ何処でも大事なんで。。

424グラスルーツ:2011/08/04(木) 19:10:59 ID:TcmSW8SY0
タンポポさん

庶民板ではこちらこそお世話になりました。
今後もご縁をいただけますようにお願いいたします。

425タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/08/04(木) 19:23:56 ID:WwDrUF2wO
>>424←はい!今後ともよろしいに。

後30分で料理の仕方味付けに厳しい言い方する、主人の帰還ですわん♪。毎度感謝の、緊張感満載でしっかり材料無駄になんないように、おいしく作れるように頑張ります♪

感謝で何でも訓練訓練♪

426沖浦克治:2011/08/04(木) 19:57:42 ID:rQf7eoR2o
 皆様方へ、

 威風堂々さんを、もう少し暖かく包んであげてくださいませ。
 お願いいたします。

427グラスルーツ:2011/08/04(木) 20:45:49 ID:TcmSW8SY0
沖浦さん今晩は。

威風堂々さんは私がよかれと思って書き込んだものを
ほとんどが批判だとおっしゃいました。

それだけは撤回させていただけませんでしょうか?!

428沖浦克治:2011/08/04(木) 21:04:01 ID:rQf7eoR2o
 グラスルーツさん、今晩は

 威風堂々さんが、貴方のアドバイスをほとんど批判だと言った。 
 貴方が感じるなら事実なんでしょうね。
 でもね、私は管理人として、どちらの肩も持ちません。 
 双方が話し合って解決を見出すべきことです。
 当然、アドバイスはいたしますし、できることなら犬馬の労を惜しみません。
 ですが、どちらかの側にはつきません。
 
 威風堂々さんの書き込みは、正直に読んで、愚癡が多いことがあります。
 それは凄くご本人に損ですが、損得は自分持ちが仏法です。
 ですので、そう言うことはそんですよと、指摘をしても、やめないから駄目人間だとは思いません。
 
 私も、20代のころ、軟弱な生き方をしていました。
 この5年ほどで、ようやく人生が定まってきました。
 ですので、威風堂々さんを責める資格がありません。

 以上、ご賢察お願いいたします。

429グラスルーツ:2011/08/04(木) 21:57:24 ID:TcmSW8SY0
沖浦さんお返事ありがとうございました。

了解いたしました。

私の書き込みをめかものサン序名を批判することに利用されたので、
ついつい彼宛に書き込みをしてしまったのが今回の発端です。

威風堂々さんとやり取りはこのようになるとはわかっていました。
学習能力が欠如していた私にも責任があります。

筋違いのお願いをしてしまい申し訳ありませんでした。

430沖浦克治:2011/08/05(金) 06:50:20 ID:iC1r4YWco
 グラスルーツさん、おはようございます

 先は長いのです。
 悠々と行きましょうね。

 お互いにですよ・・・

431タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/08/05(金) 07:10:20 ID:WwDrUF2wO
威風堂々さん。おはようございます。

色んな経験、体験は、その時にはメッチャ辛いけど。泣きたくなる時もあるが。。。しかし、その辛いのを嫌と、何回その時に逃げても、又別の形や、時に応じて、これやったら、貴方にも耐えれるやろって、ご本尊さまが貴方の人生の中で出して、きたりするから、威風堂々さんのための、改善課題やからね、頑張って、人様から受けた注意やら怒ってくださる事は、自分の足りない所の欠点な面な訳やから、自分の教えてもろた、欠点をなんとか踏ん張って、感謝で、変える努力←(人間革命の取り組みの努力)お題目しながら、やっていってみてね!!私のキツク見える書き方、言い方はご免なさいね。 ネットは文章で表現ばっかりやから、冷たく見えたり、聞こえたりしますが。。そのあたりも割り引いて考えてね。
◎何処でもやが、何も言うてもらわれなくなったら終わりやしな。言ってもらえる時に、チャレンジの大切な時、又は自分を変えるチャンスの時期と感謝して自分を変える努力(人間革命の取り組み努力の時)していってください。お題目基本的に忘れずによろしくね。
私もこちらや他の場所のネットで皆様から「なんなんだ君は?!それでもマジの学会員かいな?!」てその人の感覚では、変に見られている欠点の多い事ある人間です。某の善いことをリアル生活でするとかして自分の足りない部分はフォロー自分で工夫して変えて行く努力していくしかありません。

威風堂々さん。厳しい毎日やが、変えて行けるように、ぼちぼちで良いから、頑張ってね。

432臥薪嘗胆:2011/08/05(金) 18:07:23 ID:OSIoPS/E0
沖浦さん、こんにちは。

わたしはグラスルーツさんに賛成です。
今世間では厳しくいってくれる人が少ないです。
グラスルーツさんは威風堂々君を思って叱咤激励してくれているのです。
すばらしい先輩であります。
甘やかしてはなりません。
沖浦さんは日々トレーニングでご自分を限界までおいこんでおられます。
彼も自分を追い込まなければ人間革命出来ません。
今の彼に甘い言葉は毒です。人のレベルまで達していません。
物の良し悪しが待った理解できてません。
徹底的に諫めて本人の心のうちから真実を搾り出させましょう。

わたしは「グラスルーツさん」を支持いたします!!!!!!!

433臥薪嘗胆:2011/08/05(金) 18:08:27 ID:OSIoPS/E0
ものの良し悪しが待った では なく
ものの良し悪しが全くで ござります。
すみません。

434沖浦 克治:2011/08/05(金) 18:10:35 ID:AJ3hr85o0
 臥薪嘗胆 さん、貴方の主観はご自由にどうぞ

 私はね、若いころ池田先生に教わったのです。

 『叱られない者は、叱る資格がない。』(趣意)

 貴方のご主観は結構ですが、私は師匠の金言をとります。

435臥薪嘗胆:2011/08/05(金) 18:18:47 ID:OSIoPS/E0
>『叱られない者は、叱る資格がない。』

叱られる厳しさを身につけないと、叱れないという意味ざんすよ。
怒っちゃいけないっていうのとはちゃいまっせ。

(解説)人に叱られたことが無くて、叱られる者の気持ちがわからない奴は
むやみに人を叱ってはいけない。

だからグラスルーツさんの行動が正しいんですやん。
威風堂々君も厳しく叱られて成長して、また過ちを叱っていく。
いいことですやんか♪

436沖浦 克治:2011/08/05(金) 18:21:27 ID:AJ3hr85o0
 臥薪嘗胆 さん

 貴方がそう言う主観を持つことを反対していません。
 ですが、私の人生の師匠は池田先生です。
 そして、私は先生と私の間に、どう言う人も挟みません。
 
>叱られる厳しさを身につけないと、叱れないという意味ざんすよ。
怒っちゃいけないっていうのとはちゃいまっせ。

 この貴方の先生のご指導の解釈は、私には不要です。
 自分で判断いたしておりますから。

437臥薪嘗胆:2011/08/05(金) 18:22:55 ID:OSIoPS/E0
>貴方の主観はご自由にどうぞ

私個人の意見ではありません。
人間のモラル、一般常識、マナーでおます。
道徳です。
目上の者を敬う。目上の者は経験をもって指導してやる。
天下の創価大学生を名乗るには、世間ではずかしくない
意見行動言動を勉強し身につけてから、発言すべしです。
文法もむちゃくちゃ、話題のセレクトも最低。
あげくに逆切れ。やさしくしてもらいたがる前に「尊敬」されるよう
努力するべきだと思います。

438沖浦 克治:2011/08/05(金) 18:24:43 ID:AJ3hr85o0
 臥薪嘗胆 さん

 少ししつこいですよ。
 私は世間の常識も、マナーも自分で判断が出来ます。
 今後はこう言うご意見は謹んでください。

 ではこの件はこれまでといたします。

439臥薪嘗胆:2011/08/05(金) 18:25:47 ID:OSIoPS/E0
>この貴方の先生のご指導の解釈は、私には不要です。

へ〜〜〜古文が読めないだけかと思ったら
現代文も読めませんか????
一言「阿呆」でんな。
少しは人の意見に耳を傾けたらどうでっか。
息子さんに言われたそうですね。
おとっつあんは年とらへんな〜〜〜って
「阿呆はとしとりまへんねん。」

440グラスルーツ:2011/08/05(金) 20:02:05 ID:Q6stj9vw0
沖浦さん、臥薪嘗胆さん今晩は。

お二方の意見。両方ともよくわかります。
ですが、このようなやり取りを拝見するのは心が痛みます。

誠に申し訳ありません。
私が威風堂々氏にレスをした事が発端です。
責任は威風堂々氏と私に半分づつあります。
彼はどう感じているか知りませんが、私は反省しております。

管理者としての沖浦さんよりご賢察をとの書き込みがありました。
私はその言葉に深い何物かを感じました。
今回は不肖私めに免じてどうかなかった事にしてくださいませ。

沖浦さま、臥薪嘗胆さまどうぞよろしくお願い申し上げます。

441沖浦 克治:2011/08/05(金) 21:22:02 ID:AJ3hr85o0
臥薪嘗胆 さん、今晩は

 残念ですが、3日間のアクセス禁止といたします。

>一言「阿呆」でんな。

 これは駄目ですよ。
 今後は注意してくださいね。

442沖浦 克治:2011/08/05(金) 21:31:45 ID:AJ3hr85o0
 グラスルーツさん、今晩は

 貴方にはどう言う責任もございません。

443グラスルーツ:2011/08/05(金) 22:00:07 ID:Q6stj9vw0
沖浦さんこんばんわ。

やはり臥薪嘗胆さんはアク禁になってしまいましたか。
私の反省の書き込みは、それを回避したい思いもあって書き込んだものですが、
管理人様のご処置ですから意義は申し上げません。

しかしながら臥薪嘗胆さんの私に賛同する旨の書き込みは私のとっては有難いものです。
ものまま看過したのでは私の気がすみませんので、私も3日間書き込みを自粛いたします。

他意はまったくありません。
解除後は変わらずにまたよろしくお願いいたします。

444沖浦 克治:2011/08/05(金) 22:02:05 ID:AJ3hr85o0
 グラスルーツさん

 了解いたしました。
 私が他板で同じ立場なら、同じことをすると存じます。

445しげきょん:2011/08/06(土) 21:56:01 ID:/817RM5.0
なんやかんやと後輩にたいする パワーハラスメントですがや
観ててうんざりな感じ

446虞王管王虞:2011/08/07(日) 15:01:02 ID:3HrAfdiQ0
堅皇さん

「法華経安楽行品第十四」
「諸天昼夜。常為法故。而衛護之。」

諸天の加護を具体的にご教示願えませんでしょうか

447堅皇:2011/08/07(日) 19:39:25 ID:acgo9yIs0
>>446 虞王管王虞さん

「安楽行品」はいつ如何なる状況においても安楽の心を持って行じるべきである述べられていると思います。
つまりは、法を説く時に対する心の有り方と言うこととなるでしょう。

「安楽行品第十四」の前に「勧持品第十三」があるのですが
「勧持品」で説かれた外部からの受ける忍辱に対し「安楽行品」は内部から沸き起こる怒りや驕りを制するものであり
いずれにしても忍辱の鎧をまといと言うところでしょうか。

安楽行品では四つの安楽行を上げています。
その内訳は1.身安楽行、2.口安楽行、3.意安楽行、4.誓願安楽行の四つ。
1.2.3.はご察知の通り身口意の三業の観点から捉えた安楽行で4.はこの三つに対する誓願ですね。

「安楽行品」では菩薩の行処にて法を説け、国王、王子、大臣等の権力者に接するな
世俗を文筆する者、外道の者に接してはならないと書かれています。
これらの文章を元に、他宗の方々と触れる事が謗法であり
これらが居ない安楽の国を作り、その中から一歩も出ずにいる事が安楽行である。
そう解釈したのが日蓮正宗の言う謗法厳禁のシステムだといえますね。

しかし、これは書かれている文章を一方的に断片を切り取って解釈したものであると思います。
と言うのも、そもそも仏法では安楽の地である「浄土」と世俗である「穢土」の2つの隔たりは無いわけです。
加えて、人間は十界互具でありますから、菩薩の心だけを持つ人たちの国なんて出来るわけがありませんからね。

では、ここで言う菩薩の行処とは何処になるかと言えば十界互具の中にある菩薩の心を行処としろと言う事になるかと思います。

例えるなら喧嘩している人たちの中に入っても、その怒りの行処に入り込んで
一緒になって怒るのではなく、自身の心は菩薩の行処に安住し、そこから一歩も出ないと言う話。
そう考えると話の筋は通じ、矛盾はなくなりますね。
要するにいつ如何なる場合でも怒りを持って接したり怒りに感化されるのではなく、心平らに安楽に行じろと言う話ですね。

448堅皇:2011/08/07(日) 19:40:10 ID:acgo9yIs0
さて、ご質問の「諸天昼夜。常為法故。而衛護之。」(諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護し)ですが
これはこのまま、諸天、つまりは全ての人や環境がこの法を守っていると言う事であり
何故に守ってくれるかと言えば
「能令聴者。皆得歓喜。」(能く聴者をして皆歓喜することを得せしめん。)

聞く人に対して喜びを与えるものであるからと言える事になるかと思います。

「所以者何。此経是一切。過去未来現在。諸仏神力所護故。」
(所以は何ん、此の経は是れ一切の過去・未来・現在の諸仏の神力をもって護りたもう所なるが故に。)

ここでの結論は「諸天昼夜。常為法故。而衛護之。」と同意であり反復していますね。
諸天が歓喜させられるから守る、守られているから歓喜させる事が出来ると。

何故に「安楽行」が諸天を歓喜させ、また守らせるかと言う事を現実に当て嵌めて考えて見ましょう。

人は冷静さを欠き怒り狂って野次を飛ばして罵っている人の話を聞きたいと思うでしょうか。
冷静になって、順序良くその人の立場となって考えてくれる人に質問や悩みを相談したいですよね。

怒ってばっかりいる人に話を聞いてもらいたいと思っても
どうせ怒られるだけだから話を聞くのを辞めようと思ってしまいますよね。
だからこそ、対話をする際には、この「安楽行」の心の有り方が重要であるという事ですね。

相手が如何に失礼な態度で接してきても、こっちも怒りの行処に入り込む必要は全く無いということ。
注意を促す事はあったとしても、自分まで怒りの行処に足を踏み入れる事は全く無いのですから。
世俗に親近することなく、ただ一人離れて安楽の地に常住すると言う事は
まさにこの事を言っているのだと思います。

「安楽行」に誓願すると諸天が昼夜に守ってくれると言う事は、あまりにも道理であると思います。

449虞王管王虞:2011/08/07(日) 20:47:23 ID:3HrAfdiQ0
堅皇さん

ご丁寧にご解説いただきまして
真にありがとうございます。
堅皇さんのお話はとても親切でわかり易く
読む者を惹きつける文才を感じます。
お忙しい中ありがとうございました。
しばらく出かけますが、またよろしくお願い致します。
では 失礼いたします。

450虞王管王虞:2011/08/08(月) 01:24:09 ID:3HrAfdiQ0
堅皇さん

ブログ見つけました。
是非続けてください。政治ネタより宗教関連でバンバン書いてください。
楽しみにしてます。貴方の考えに賛同いたします。


朝早いのですが寝れなくて・・・

451虞王管王虞:2011/08/08(月) 01:30:24 ID:3HrAfdiQ0
堅皇さん

ブログで法華経講義に御書講義してください。
是非お願いします。

眠りかけてたが閃いた・・・・

452堅皇:2011/08/08(月) 17:20:51 ID:acgo9yIs0
虞王管王虞さん

僕の話は講義と言うほど立派な話ではないんですね。
単に妙法蓮華経を読んでの感想文程度の話です。

出来れば皆で妙法蓮華経を読み合い、感想を述べ合えば
更に色々と見えてくるものがあるのではないかと考えています。

また、僕の思索に関しては、創価の方々からいう誹謗中傷、難癖と言うものから成り立っています。
これらの事柄を批判と取らず、全て質問項目として消化させて頂いております。

あらゆる質問に答えられるのが妙法蓮華経だと思いますので
批判が強ければ強いほど、それに答えるために妙法蓮華経を読み深められると言う感じですか。

ですから創価系やアンチ創価系の掲示板で見られる批判者に対するアクセス禁止は
実に勿体無い対処方法だと思って見ています。

これらの方々は九易を欲し六難を嫌う方々だと。
これでは妙法蓮華経とは一体何ぞやと言うことは永遠に解らずじまいになるのではないかと思っています。

453臥薪嘗胆:2011/08/08(月) 18:12:02 ID:OSIoPS/E0
グラスルーツさん、お気遣いありがとうございました。
沖浦さんに対し、「それをいっちゃーおしまいよの」という
言葉を使ってしまいましたのでアク禁は当然でした。
今後ともよろしゅーおたのもうします。

454グラスルーツ:2011/08/08(月) 19:29:42 ID:2bdP3Ayg0
臥薪嘗胆さん今晩は。

こちらこそ宜しくお願いします。

ボーダーラインを越えませんように、
これからは気合入れてググッっと堪えましょう。

455しげきょん:2011/08/09(火) 00:35:21 ID:OK8Nt67Q0
堅皇殿へ 安楽行品は対話する菩薩の強い姿勢でもあるわけでまた
楽しく未来を語り最小の世間での集まりにも(夫婦、母子、友達、)
の最小の座談の中にも観じられます

456二画:2011/08/19(金) 23:23:46 ID:Wol2SXuk0
みなさん、こんばんは。
沖浦さんは、ずっと以前から日蓮大聖人の出世の本懐は戒壇の本尊にあらずと
いい続けてらっしゃいました。公式見解もついに沖浦さんのおっしゃるように
以下の文章が掲げられています。
__________________________________
農民信徒たちの不惜身命(仏道修行のためには身命を惜しまないこと)の姿に、
大聖人は、民衆が大難に耐える強き信心を確立したことを感じられて、
10月1日に著された聖人御難事で、立宗以来「二十七年」目にして、
「出世の本懐」を遂げられたと宣言されました。
「出世の本懐」とは、仏がこの世に出現した目的という意味です。
____________________________________

ここで皆様に御指導頂きたいのですが、
熱原の信徒達は、どうして天の加護がなく
生命を落としてしまったのでしょうか。

457堅皇:2011/08/20(土) 00:41:47 ID:vq54SzT20
>>456 二画さん

これはどうなんでしょうね。
熱原の農民信徒たちの信心状態と言うものは文献から計り知れないところがありますので
一概にどうであったかと言う事は解りかねますね。

また、熱原の農民信徒たちと日蓮の関係性も今一つ解りかねないと言うこともあります。
日蓮は、基本的に国主、武家、僧侶の類を中心に折伏していたと考えられますので
熱原の農民信徒たちとの接点は、日蓮の弟子に当たる方々と言う事になるかと思います。

もっとも、日蓮自体も自分ではケアしきれていない農民信徒たちの存在に
心を痛めていたのだろうということは考えられますが。

これは憶測ですが、この時点で弟子たちの流布、指導の有り方に何らかの問題があったことも考えられますね。

ちなみに熱原の法難を機に大御本尊を図顕と言う出世の本懐説には疑念を抱いています。
それは、確固たる証拠が残ってないからであり
また、世に言う日興さんに付属した曼荼羅は熱原後ではなく前年であると言う書面もあり
その真偽は定かではないと言う事もありますからね。

458二画:2011/08/20(土) 02:06:44 ID:Wol2SXuk0
堅皇さん

熱原の信徒は日興上人が折伏された方々です。
戒壇本尊の出世本懐に関しては、ここで語らなくても
語りつくされています。
私がお聞きしたいのは、
「天の加護・不惜身命」に関してであります。

459堅皇:2011/08/20(土) 04:27:07 ID:vq54SzT20
二画さん

結果論だけをとれば、熱原の農民信徒たちには「天の加護」は無かった事にありますね。
これは初代会長の牧口さんにも言えることですし
「一生補処の菩薩は中夭なし、聖人は横死せずと申す。」から考えても
熱原の農民信徒たちも牧口さんも聖人と言うカテゴリからは外れますね。
そこで、熱原の農民信徒たちの信心状態は如何ほどのものであったかと言う疑問が生まれるわけです。

日蓮が折伏の対象に置いたのは明らかに「邪智、謗法」の類
いわゆる、国主、武家、僧侶ですね。
対する熱原の農民信徒たちと言うのは「無知、悪人」の範疇ではないかと言う事です。

日蓮は激しい折伏のイメージを持たれますが
いわゆる念仏の農民信徒たちに対しては一転して
念仏を唱える中に一言でも題目を唱えれば、それで良しとした摂受を行っていたと聞きます。

これは如何なる理由か。
「無知」の人に無理やり妙法を説くと、それは理解しがたいからではないかと思います。
妙法とは本来、相手の法を受け入れるところから始まりますが
「無知」の人にこの話をすると、妙法を守ろうとするために
相手を誹謗する事に繋がり、また相手を誹謗する事が妙法であると勘違いするからではないかと。

日蓮の弟子の一人であった日興さんが、日蓮の意を何処まで理解していたかと言うことが
いろいろと思うわけですね。

加えて創価学会では日蓮の取った行動とまるで逆の法の広め方をしてきたと思います。
いたずらに「無知、悪人」に法を広めた事により、逆に「邪智、謗法」の類を
生んでしまった結果となっているのではないかと言う事ですね。

460沖浦 克治:2011/08/20(土) 06:11:04 ID:AJ3hr85o0
二画さん、おはようございます

 開目抄にあります。

 『我並びに我が弟子諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども疑いををこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし』
 (開目抄下)

 天の加護がないこともあるし、現世が安穏でない人生もある。

 こう書かれていますから、その通りでしょう。
 加護があろうとあるまいと、安穏であろうがあるまいが、信心はやめるわけにいかない。
 そう言う覚悟が必要なのでしょう。
 私どもにはきわめて困難ですが。

461二画:2011/08/20(土) 11:45:06 ID:Wol2SXuk0
沖浦さん

疑う心が無かったから不惜身命の行為があったのですよね。
疑う心なくば天の加護はあり現世は安穏でなければならないのではありませんか。

462二画:2011/08/20(土) 11:51:00 ID:Wol2SXuk0
堅皇さん

無知であろうが悪人であろうが
宗教とは願い祈り叶う、それを繰り返す事です。

「願い祈り叶う」に人間の基準などあるはずがありません。
不可能を可能にするために信仰するのです。
人は誰しも仏になり得るわけです。

貴方は考えに、かなり捩れた偏見をお持ちですね。

463堅皇:2011/08/20(土) 16:41:49 ID:vq54SzT20
沖浦さん、二画さん

先ず第一に御書は誰に対して書かれたものであるかと言う事。
日蓮は事実上、国主、武家、僧侶に対してしか折伏していないのです。
とすると、書かれている御書もまた、対象とするのは国主、武家、僧侶及び尼ですね。
農民信徒に書かれた物は無いと言うわけです。

仮に日蓮が農民信徒に対し摂受を行っていたとしても御書だけを読む限りでは
それは計り知れない事であると言う事。
何故なら御書を与えた人に共通する事は、「無知」ではなくこの時代における「智者」にあたりますからね。
「無知」のものに対しての対応は御書を読んでも何処にも記されていない。

方便品では三度懇願した舎利弗を始めとしたその場に残っていた人にしか法は説かれていなく
また、比喩品では法を説く相手に対しての分別を強く説かれています。

これを考えると、日蓮が説法相手、折伏相手を国主、武家、僧侶に的を絞ったのは
とても納得がいく話ですからね。
特に、方便品、比喩品ではいたずらに誰彼構わず法を説く事の危険性を示唆するものばかりです。

確実に、起こりえた事実だけを取りますと
日蓮は不惜身命において天の加護があったと言う事。
対する熱原の農民信徒たちは不惜身命にも拘らず天の加護が無かったという事です。

となると問題となるのは、それぞれが何に対して不惜身命であったかと言う事になります。
念仏に対し不惜身命であればず天の加護があるのでしょうか。
これは無いと言えますよね。

つまるところ、ただ信じるということ、疑いを持たないと言う事、不惜身命と言う事柄は
それぞれ、何を基本として捉えるかが大事となってくると思います。
「願い祈り叶う」に関しても根本は何に対して願い祈るかと言う事ですね。

464堅皇:2011/08/20(土) 18:17:03 ID:vq54SzT20
日蓮正宗や創価学会では妙法蓮華経は釈迦の教説であり
現代では使えるものではない、使えるのは南無妙法蓮華経だけだと言います。

では、本当に果たしてそうかと言う事ですね。
日蓮の行動を見ると説法相手、折伏相手は明らかに国主、武家、僧侶であったと言うこと。
これは妙法蓮華経に書かれている分別して法を説くという側面から
ブレる事無く行使している事になります。
つまりは、日蓮は妙法蓮華経を捨てる事無くちゃんと規範としているという事です。

対する創価学会はどうだろうか。
日蓮を信望していると称しているが、日蓮の行動とはまるで逆ですね。
各国の国主、権力者、僧侶に対しては摂受を決め込み
「無知」に属する一般市民に対して折伏を強要する。

これは確実に妙法蓮華経に違背しています。
もっとも日蓮正宗や創価学会では妙法蓮華経は現代では不要としているので
それはそれで構わない事でしょう。

しかし、これらの行動は日蓮と行動とも相違しています。
果たして、これで日蓮仏法を信望している団体と本当に呼べるかどうかと言うことですね。

465沖浦 克治:2011/08/20(土) 20:58:05 ID:AJ3hr85o0
堅皇さん、今晩は

 お説ごもっともですね。 
 ですが、私は750年前の史実を調べるつもりがありません。
 牧口先生、戸田先生、池田先生、このお三方の聖人の生き様と思想にこそ興味があります。
 私は現代に生きております。
 ですので、遠い昔のことより、手をのばせば届く現実が大事なんですよ。
 創価学会が、大聖人仏法を信望している団体と呼べるかどうか?
 私は創価学会以外そう言う団体はないと思います。

466堅皇:2011/08/20(土) 22:31:35 ID:vq54SzT20
沖浦さん

> ですが、私は750年前の史実を調べるつもりがありません。
> 牧口先生、戸田先生、池田先生、このお三方の聖人の生き様と思想にこそ興味があります。

と言われますと、日蓮自体には興味は無く
牧口先生、戸田先生、池田先生に興味があるという事ですね。
創価学会自体がそうだと言われれば、それはそれで構わないと僕は思います。
但し、日蓮の名を語り、南無妙法蓮華経と唱えられているからには
その違いを述べさせて頂こうとは思っていますが。

もともと僕は日蓮の生き様と思想に興味があり創価に在籍していたわけであり
逆に牧口さん、戸田さん、池田さんには興味を抱かなかったものですからね。

> 創価学会が、大聖人仏法を信望している団体と呼べるかどうか?
> 私は創価学会以外そう言う団体はないと思います。

これもあくまで沖浦さんの主観ですね。
僕の主観ではそうは思わないという話ですね。

467沖浦 克治:2011/08/21(日) 07:01:58 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、おはようございます

 主観についてですが、私と貴方の主観を合わせる必要などはありません。
 ですが、仏法は一切衆生の主観に合わせて説かれます。
 機根と言います。
 ですので、

 貴方の日蓮仏法への主観と、私の主観、どちらが衆生と呼ばれる民衆の支持を得られるか?

 教団として考えても同じです。
 たとえば日蓮正宗と創価学会、どちらが民衆の支持を得られるか?

 勝負はここだけです。
 
 大聖人に興味がないわけではありません。
 創価三代の聖人方の生き様を通じて、大聖人をご本仏と定めた人生です。

 そう言うタイプです、私はね。

469某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/08/21(日) 07:39:44 ID:XjwJLryM0
日蓮大聖人のことも曼荼羅も知らず、教学も無かった熱原の信徒はどんなことがあっても題目を捨てなかった
熱原の信徒は日蓮大聖人と同じ生き様を示しましたね

470堅皇:2011/08/21(日) 12:09:39 ID:vq54SzT20
某男子部員さん

今話している事は
熱原の信徒はどんなことがあっても題目を捨てなかったにも拘らずに
何故に天の加護が無かったのかと言う話です。

つまり、熱原の信徒と日蓮は同じ行為をしているようで
結果が違うと言う話をしているわけですね。

某男子部員さんは、何故に熱原の信徒には天の加護が無かったとお考えでしょうか?

471某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/08/21(日) 12:20:20 ID:XjwJLryM0
堅皇さん、こんにちは
死ぬまで妙法への信心を捨てなかったのが最大の加護だと思います
なにせ生命は永遠ですから
逆に魔は信心をやめさせようと働きますね

472堅皇:2011/08/21(日) 12:21:57 ID:vq54SzT20
沖浦さん

> 貴方の日蓮仏法への主観と、私の主観、どちらが衆生と呼ばれる民衆の支持を得られるか?

最初からそのつもりでございます。
全てのご質問に答えようとしているのもその為ですね。

ですから、僕に対する礼節は必要ないと言う話なのですから。
礼節を欠いているか欠いていないのかも各人に委任するから全く気にしてないわけです。

無礼千万といって話を遮断して腰を折ろうとするもの、怒りの相を現すのも
全部拾い集めて答えれば、その様な状況に陥らないという話ですね。

473堅皇:2011/08/21(日) 12:39:44 ID:vq54SzT20
某男子部員さん

命は生死流転であると仏法では説かれています。
死は次の生のスタート地点と言う事になりますよね。

故に日蓮は「一生補処の菩薩は中夭なし、聖人は横死せずと申す。」と
言われたと言えると思います。

しかし、熱原の信徒は題目を唱えていたのにも拘らず処刑されてしまっているわけですね。
天の加護なく横死したわけですよね。
もちろん生死流転でありますからそれで終わりと言うわけではありませんが
当然ながら、次順世は、この処刑されたと言う続きからですね。

日蓮は処刑台に立たされても自身の言葉が虚妄とならず、天が加護し、中夭は免れたわけです。

では、何故に熱原の信徒は中夭したのでしょう。
一生補処の菩薩であると言うなら中夭はないはずです。
日蓮が嘘を言った事になりますね。

474某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/08/21(日) 12:53:31 ID:XjwJLryM0
堅皇さん
熱原の信徒は菩薩でも聖人でもなかったんでしょうね

475グラスルーツ:2011/08/21(日) 15:06:55 ID:2bdP3Ayg0
>>474
某男子部員さん、今日は。

わからないことはわからないと答えていいと思うんです。

476某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/08/21(日) 15:59:12 ID:XjwJLryM0
グラスルーツさん、こんにちは

安楽行品五箇の大事
第一安楽行品の事
御義口伝に云く妙法蓮華経を安楽に行ぜむ事末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり。

熱原の信徒は究極の安楽を手に入れましたね

477某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/08/21(日) 16:49:39 ID:XjwJLryM0
聖人等御返事

「今月十五日酉時御文同じき十七日酉時到来す、彼等御勘気を蒙るの時・
南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱え奉ると云云、
偏に只事に非ず定めて平金吾(平頼綱)の身に十羅刹入り易りて
法華経の行者を試みたもうか、例せば雪山童子・尸毘王等の如し将た又悪鬼其の身に入る者か、
釈迦・多宝・十方の諸仏・梵帝等・五五百歳の法華経の行者を守護す可きの御誓は是なり、
大論に云く能く毒を変じて薬と為す、天台云く毒を変じて薬と為す云云、妙の字虚しからずんば定めて須臾に賞罰有らんか」

難に遭って信心が試されることも諸天による守護のうちだそうです

478沖浦 克治:2011/08/21(日) 17:31:16 ID:AJ3hr85o0
 少し堅皇さんは、虫眼鏡で仏法を眺めています。

 命には二つの状態があります。
 生きている状態、
 死んでいる状態、
 双方同じ命で、状態に差があります。
 若退若出と説かれます。
 生きている時は出ている状態、
 死んでいる時は退の状態。
 私どもが感じることが出来るのは、生きている状態だけです。
 死んだ状態は感知できません。 
 ですので、妙です。
 生きている命は法則に従いますから、法です。
 妙法とは命そのものなんです。
 そして、御書には、命は火にも焼けず、水にも漂わずと書かれています。
 
 『又云く「火も焼くこと能わず水も漂わすこと能わず」云云、』
 (生死一大事血脈抄)

 三世の生命から捉えると、命と言うものは絶対に破壊出来ません。
 対して、今世だけで考えるなら、命は臨終を持って終了致します。
 御書、経文にはこの二面から捉えた命が出て来ます。
 ですので、その御文がどう言う前後関係で、全体としてどう言う意味を持つのか?
 御書全体を依義判文できなければ、命についての御文を読みとれません。

 三烈士は命を奪われました。
 ですが、三世の生命から見れば、見事で大成功の臨終です。
 諸天の加護の結果です。
 牧口先生は牢死なさいました。
 三世から見るならば、尊い聖人のお姿のご臨終です。
 私はそう信じますし、そう決めている人生です。

479堅皇:2011/08/21(日) 19:00:40 ID:vq54SzT20
某男子部員さん

>>469 > 熱原の信徒は日蓮大聖人と同じ生き様を示しましたね
>>474 > 熱原の信徒は菩薩でも聖人でもなかったんでしょうね

この二つの書き込みには矛盾が感じられます。

結局、日蓮は一生補処の菩薩であり、聖人の生き様を示し
熱原の信徒は菩薩も聖人の生き様を示せれなかったたという事ですよね。

この違いは何ですかと言うことです。

>>476 御義口伝を文証とされるのは、少々不本意ですが
「妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり。」

ここでは、「難」と表現されています、「難」と言うもの出会うものが「難」であり
法華経の行者であれば、この「難」を乗り越えられる物であると。
事実、日蓮は数多くの大難を経験されましたが、何れも乗り越えられています。
それに対し熱原の信徒は、「難」を乗り越えられず中夭した。
この部分を取り上げているわけです。

> 熱原の信徒は究極の安楽を手に入れましたね

某男子部員さんは、処刑と言う形が究極の安楽とお考えでしょうか。
それでは、あの世で成仏と考える念仏となんら変わることがないと言えませんかね。

僕は>>474 で仰っているように
> 熱原の信徒は菩薩でも聖人でもなかったんでしょうね

これが正解だと思います。

480堅皇:2011/08/21(日) 19:01:10 ID:vq54SzT20
沖浦さん

> 少し堅皇さんは、虫眼鏡で仏法を眺めています。

仏法は虫眼鏡で細部を見渡し、その矛盾を無きように勤める事が最も肝要であると思います。
どんぶり勘定であれば、矛盾を受け入れてしまいますからね。
沖浦さんは、多少の矛盾は詭弁で乗り越えればよいとお考えなのでしょうか。
僕は詭弁は詭弁でしか無いと考えます。

仏法での三世感は、今更取り上げる事ではありません。
それは大前提ですからね。

命が三世に渡って続くとなれば、臨終は、次に生まれるときのスターと地点となるわけですから。
苦しみの中、臨終を迎えた熱原の信徒たちは、苦しみの中、また生を受ける事となるでしょう。
対する、いくつもの大難を克服し、本当の意味で安楽な状態で臨終を迎えた日蓮は安楽なまま生を受ける事でしょう。

これが仏法における三世の繋がりと言う事です。
臨終はこの世の集大成であり、次順世の出発点でもありますからね。

苦しみの中、臨終を迎えても、あの世では成仏するというのは法華経の思想ではなく
念仏の思想と言えると思います。

481沖浦 克治:2011/08/21(日) 19:17:06 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、今晩は

 私は顕微鏡でのぞくような行為で仏法はわからないと思ています。
 御書にありますから、私はそちらを信じます。 
 止舎利弗。です。

 詭弁と言う言葉は不適当ですね。
 悟れるか?
 悟れないか?
 二つに一つです。
 この悟りは突然変異見たいなものです。
 突然訪れます。
 知識の積み重ねでは悟れません。
 これは、悟った経験から申しいますが、悟っていない方に理解は不可能でしょう。
 悟ると、全てが明白になります。
 これも、悟らないと理解は出来ません。
 臨終については、どう言う死に方でも、安楽はありますし、苦悶の死もあります。
 坂本竜馬が言っています。

 金玉を風呂場でつめて割って死んでも、その他の死に方でも死ぬことには変わりがない。

 こう言う意味のことを言っていますが、私もそうだと思います。
 どう言う死に方が理想か?
 わかりませんね。
 一つ言えるのは、臨終の瞬間に、

 ああ、面白かった、また同じタイプの人生次もやるぞ!!

 こう思えるなら、斬首でも、病死でも、老衰でも同じでしょう。

482某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/08/21(日) 19:32:55 ID:XjwJLryM0
>>479 堅皇さん、こんばんは

「熱原の信徒には諸天の加護が無かったのか」がテーマと思っておりました

釈尊は酔象に襲われようが、岩が落ちてきようが死にませんでした
日蓮大聖人は小松原で襲われようが、竜ノ口の法難に遭おうが死にませんでした

一方で釈尊や日蓮大聖人の弟子達は殺されております
この違いは不可思議としかいいようがありませんね

熱原の信徒はどんなことがあっても題目を捨てませんでしたが、
これは日蓮大聖人と同じでありまして、この共通項から
熱原の信徒は日蓮大聖人と同じ生き様を示したと書きました

483沖浦 克治:2011/08/21(日) 19:42:30 ID:AJ3hr85o0
 某男子部員さん、今晩は

 私もそう思います。
 何故大聖人が殺されず、釈迦も殺されず、弟子は殺されたのか?
 私にはわかりません。
 ですが、死にざまはどうであれ、死そのものは同じです。
 生命活動の停止ですから。

 あとは、臨終の瞬間に歓喜があるかどうか?

 これだけですね。

484堅皇:2011/08/21(日) 19:47:46 ID:vq54SzT20
沖浦さん

僕は、これは運が良かったとか悪かったと言う盲目的などんぶり勘定は致しません。
それは仏法を学ぶようになってからですね。
全ての幸、不幸は全て自身の行いによって形作られるものであり
全ての世の中の事柄は、この道理によって成り立っているものと考えています。

ですから、他人を恨み、誹謗中傷することは極力抑えようと考えていますから。
もし、誹謗中傷される事があっても、それは自身にその誹謗中傷される原因があるわけであり
他を罵る事には繋がらないと言うわけです。

相手が仮に誹謗中傷をしてもその行為は、誹謗中傷した側に必ず報いとなって現れてくるものだから
自身の心を汚してまで誹謗する気にはならないというわけです。
相手に指摘をする場合は、それは相手の誹謗を抑えるためです。
誹謗する人は必ずその報いを受ける事になるわけですから
この報いを止めようとするためですからね。

ですから、叱る事はあっても、自身が怒るものではない、そう勤めています。
もっとも、不意に怒りがこみ上げてくる場合はあり
自分もまだまだだなと感じる事はありますが、少なくともここの掲示板ではその様な感情は湧き上がらない。
僕を怒らせるものであれば、たいしたものだと思っています。
別に無理しているわけではなく、実に安楽なんですよ。
だから妙法蓮華経を信じているわけです。

坂本竜馬の話が出ましたが、僕は坂本竜馬と言う人物を神聖化して考えていません。
特にNHKの大河、福山竜馬はフィクションでありファンタジーであると思っています。
もし、坂本竜馬と言う人物が本当にあのような人格者であれば、おそらくは暗殺はされなかったと思っています。

もちろん坂本竜馬から学ぶべき点は多く存在しますが、ドラマや風評のみを持って
その人の人物像を解釈するのは違うのではないかと言う事も思っています。

485沖浦 克治:2011/08/21(日) 20:07:48 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん、

 私も盲目的などんぶり勘定はしませんよ。
 坂本竜馬を宣揚しているのではなく、彼の残した言葉を紹介したのです。
 死は等しく訪れます。
 その死の形態がどう言うものなら、いい形態で、どう言うものが悪いのか?
 死の瞬間を経験しないとわかりませんね。
 この点は、貴方も私も全く同じ、推測でしか言えません。
 私は臨終の瞬間、

 ああ、面白かった、もう一度次の人生もこのタイプでやるぞ!!

 そう言う大歓喜で迎えたいと望んでいます。
 ですから、日常の戦いの延長に常にそう言うテーマを持っています。

 坂本竜馬は大好きですが、それだけのことで、彼を崇拝はしません。
 たまたま例にとっただけですよ。

486堅皇:2011/08/21(日) 20:48:56 ID:vq54SzT20
某男子部員さん、沖浦さん

> 釈尊や日蓮大聖人の弟子達は殺されております
> この違いは不可思議としかいいようがありませんね

> 何故大聖人が殺されず、釈迦も殺されず、弟子は殺されたのか?
> 私にはわかりません。

不可思議であるとか、私にはわかりませんと片付けてしまえばそれでおしまいだと思いますね。
この中にも必ず因縁は存在すると思いますね。
偶然から必然を導き出す、方便から真実を導き出すのが仏法であると思いますし
それが悟りであると思いますから。
それに対し運を天に任せ、天に判断を仰ぐのが外道であると思いますから。

> この悟りは突然変異見たいなものです。

突然変異にも当然、それを引き起こす因縁は存在すると思いますね。
それを探り、悟りを得ようとするのが仏法であり
突然変異と蓋をするのが外道であると思いますね。

487二画:2011/08/21(日) 21:11:09 ID:Wol2SXuk0
>>471
生命は永遠ですか?
現在の世界の人口は6958716958715223人です。
どうして人口はどんどん増えていくのですか?

488沖浦 克治:2011/08/21(日) 21:15:14 ID:AJ3hr85o0
 堅皇さん

 何故真空中で光が秒速30万キロで進むのか?

 私にはわかりません。

 なぜ、エネルギーは光速×質量の二乗なのか?

 私にはわかりません。

 何故、弟子は殺され、大聖人と釈迦は殺されなかったか?

 私にはわかりません。

 ですが、一つだけ確かめたことがあります。
 ご本尊に自行化他の唱題をすると、現実に功徳があります。
 ですので、私にはこれで充分満足です。
 ややこしい理屈はどっちでもいいのですよ。
 私はそう言うタイプですからね。

489二画:2011/08/21(日) 21:15:55 ID:Wol2SXuk0
沖浦さん、こんばんは。
臨終の瞬間に歓喜があるかないかは判定不可能です。
機械で例えると突然の停電ですから。
テレビのコンセントを引き抜かれた状態ですから。
思考ゼロ状態です。

490沖浦 克治:2011/08/21(日) 21:16:47 ID:AJ3hr85o0
 二画さん、今晩は

 貴方試してみたんですか?

491某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/08/21(日) 21:17:32 ID:XjwJLryM0
これはどうやら、あらゆる事は論理的に説明可能なのか否かがテーマのようですね

492二画:2011/08/21(日) 21:21:06 ID:Wol2SXuk0
> 何故大聖人が殺されず、釈迦も殺されず、弟子は殺されたのか?

生への強い信念がおありだったからですよ。
願い祈り叶うです。
大聖人には日本国民を救うための強い願い祈りがあったから
命を落とすことなく生きられた。
叶ったわけです。

493二画:2011/08/21(日) 21:23:44 ID:Wol2SXuk0
>>490
試すも何も、私は「判定不可能」と言いました。
沖浦さんは歓喜があったかないかと死にはどちらかがあると
思わせる発言をされましたよね。
沖浦さんこそ試してみて歓喜があったかないかを実感されたから
発言されたんですよね。

494堅皇:2011/08/21(日) 21:25:51 ID:vq54SzT20
二画さん

> どうして人口はどんどん増えていくのですか?

その分、絶滅していく生物種の存在がありますからね。
生態系もまた、絶えず変化しているといえますね。

人間の人口がどんどん増え、更に生態系を破壊していけば人間が住みにくくなる物となるでしょうね。
自身が人間である以上、人間としての種族が繁栄するために勤めるのか正法と言えますし
人間だけが繁栄する正法だけを求め突き進むと、結果的に人間を滅ぼす事にもなりかねない。

故に自らの正法だけに固執せずに、全体を考えた妙法を信受する事が肝要であると言えますね。

495二画:2011/08/21(日) 21:32:40 ID:Wol2SXuk0
争点がずれるので私の答えを書かせて頂きます。

天の加護があったかないか。
熱原の三人は、生を存続させることを願わなかったのです。
命が助かる事を加護と思わなかったのです。
彼らの望みは命を奪われてもお題目を捨てないということです。
よって望み通りになったわけです。
願い祈り叶ったわけです。

496二画:2011/08/21(日) 21:37:14 ID:Wol2SXuk0
大聖人は信者が命を捧げたとお思いなっておりません。
仏法の信者が人柱になってどうしますか。
何をおいてもお題目を唱え続けたかった熱原の三人に
信仰心をお感じになられたと思いますよ。

殉教って意味ないですよ。
死んで花見が咲くものか。
願い祈り叶う事こそ信仰です。
努力できないことを叶えてもらわないと
何のために信心ですか。
「不可能を可能にする。」
それを信じて題目あげてるんでしょう?違いますか?

497沖浦 克治:2011/08/21(日) 21:39:20 ID:AJ3hr85o0
二画さん

 私は歓喜の中で臨終を迎えたいのですよ。 
 大聖人をご本仏と定めましたからね。

 『此の文は始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり。』
 (御義口伝巻下)

 『相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ』
 (生死一大事血脈抄)

 この二つの御文を考えるに、地涌の菩薩の臨終の姿が浮かびます。 
 但し、これは私の考えです。 
 貴方はご自由に推察してください。
 私は貴方のお考えに興味がありません。
 自分の考えにだけ関心がありますので。

498二画:2011/08/21(日) 21:41:26 ID:Wol2SXuk0
どこかのスレで戸田先生の視力のお話がありましたね。
治りますよ。戸田先生なら近眼如き、あっという間に完治します。

戸田先生はご自分の事よりも。先に国民のことを考えておられた。
ご自分の事は最後の最後。
そのために病気でなくなられた。
ご自分の事をお忘れになられるほど、日本国民のことを考えておられた。

499二画:2011/08/21(日) 21:53:31 ID:Wol2SXuk0
>私は歓喜の中で臨終を迎えたいのですよ。

べつに沖浦さんのお考えに意見はありません。
ご自由にどうぞ。

500二画:2011/08/21(日) 22:01:22 ID:Wol2SXuk0
堅皇さん

人口6958726958721965です。
環境もなにも2秒で二人増え続けてるんですよ。

永遠を説明してください。
どうして増えるんですか?

501二画:2011/08/21(日) 22:35:37 ID:Wol2SXuk0
>日蓮は激しい折伏のイメージを持たれますが
>いわゆる念仏の農民信徒たちに対しては一転して
>念仏を唱える中に一言でも題目を唱えれば、それで良しとした摂受を行っていたと聞きます。

堅皇さん

文証をご教示願えますか。

502堅皇:2011/08/21(日) 23:19:10 ID:vq54SzT20
二画さん

>>500 の質問に関しては >>494にて、回答済みです。

ライオンの数が増えればそれだけ鹿の数が減りますよね。
鹿の数が増えれば、それだけ草の数が減ります。
草の数が減れば、鹿の生存維持が難しくなり、鹿の数も減ります。
鹿の数が減れば、ライオンの生存維持が難しくなり、ライオンの数も減ります。
ライオンの数が減れば、鹿の数が増え、鹿の数が減れば草の数が増えます。

人口が増えると言う事は、それだけ他の生物の生活を脅かし減らす事になると言う事。
何れにせよ、生物の数は一定と言う事ですね。
これは質量保存、エネルギー保存の法則と言う側面からも、うかがい知れる事ですね。

>>501 の文証に関しては御書にはありませんね。
何故なら御書には農民信徒たちに与えられたものではないからです。

こう言った文献は、当時の日蓮を知る書面から日蓮の行動をうかがい知る事かと思いますが
あいにく、日蓮の諸行動を示した書面にまで修学したわけではないのであくまで伝聞によるものです。

但し、日蓮が妙法蓮華経を根本に据えていたとすれば
衆生の機根にあわせ分別して法を説く事は、方便品、比喩品に強調されているものです。
これに従い日蓮が法を人により分別して説かれた事は予測される事であると言えます。

逆に言えば、日蓮が農民信徒に対し折伏を行ったと言う確固たる証文と言う物がありますでしょうか?
当時の智者にだけ与えられた御書だけではそれをうかがい知る事が出来ませんからね。
当時の多くの農民信徒たちは文字を読むことも叶わなかったわけですから。

ちなみに熱原の農民信徒にしても法を広めたのは日蓮ではなく日興と言う話ですよね。

503二画:2011/08/21(日) 23:26:42 ID:Wol2SXuk0
>何れにせよ、生物の数は一定と言う事ですね。

へーーー畜生がドンドン人間に格上げになるってことですか?
微生物やら何やらを含め全ての生命体の数だけ
人間が増え続けるというご意見でよろしですか?

504二画:2011/08/21(日) 23:31:33 ID:Wol2SXuk0
では念仏にいっぺんの題目って
貴方の創作ですか??

>あくまで伝聞による

だからどこからの伝聞なんですか?

>但し、日蓮が妙法蓮華経を根本に据えていたとすれば

とすればって、これも貴方個人の見解ですか??
この板は貴方の研究発表の場じゃないんですよ。
あんたの感想文なら、誤解をあたえないように
ちゃんと言葉を選んで書き込みしてくださいよ。

505二画:2011/08/21(日) 23:39:57 ID:Wol2SXuk0
堅皇さん

南無妙法蓮華経ですが、貴方のおっしゃる法華経に南無しておりません。
日蓮大聖人のお題目を唱えているのです。
建長五年(1253年)四月二十八日より
我々は日蓮大聖人のお題目を唱えているのです。
もう少し深く信心をもってお題目を唱えたら全て理解できますよ。

506二画:2011/08/21(日) 23:42:13 ID:Wol2SXuk0
理屈はどうでもいいのです。
願い祈り叶うから唱題を続けるのです。
他に何の理由がありますか。

507堅皇:2011/08/22(月) 00:55:17 ID:vq54SzT20
二画さん

> へーーー畜生がドンドン人間に格上げになるってことですか?

そう言うことになりますね、また、人間の数がこのまま増え続ければ
人間自体がこれを維持する事はできなくなり、人口は減るでしょうね。
その場合、畜生に格下げと言う事になるかと思います。

もっとも、何が格上で何が格下かと言う事は人間が勝手に決めた事であるともいえますし
世の常はピラミッド型ではなく循環型と言うことではないですかね。

あれですよ、捕鯨を禁止にした事により海の生態系が狂い始めたという
武田教授の話とも通じることになりますね。
生態系を守るためには鯨を取りすぎるのではなく捕鯨を禁止するのでもなくと言うところでしょうか。

> では念仏にいっぺんの題目って、貴方の創作ですか??

創作ではなく伝聞です。
その出所はと言われれば数々の文献を目にしましたから
何処で、と言われると失念しましたと言う他はないですね。
辻説法はなかった?と言う説もその辺りですね。

何れにせよ日蓮教学というものは日蓮亡き後に密教化し
門外不出の事柄が多く、蓋を開けてみれば、江戸時代や明治時代に作られた制度と言う事も多いですからね。
本因妙抄や百六箇抄というもの、こう言った密教化による弊害とも言えますね。
近年に至るまで、これが日蓮の書では無いと言う事は誰も認知せず、確かめようとも思わなかったわけですから。

建長五年の立宗宣言と言うものも興門流の独自の解釈ですし
翌年の不動・愛染感見記を見る限りは、まだ日蓮は妙法蓮華経のなんたるかを全て理解していたとは到底思えませんね。

508堅皇:2011/08/22(月) 01:24:49 ID:vq54SzT20
二画さんも日寛教学が完全に誤りはないとは思ってないですよね。
思っていれば大御本尊を認めなければいけませんし
曼荼羅本尊だけではなく御影本尊も無ければいけません。
法本尊である曼荼羅本尊と人本尊である御影本尊が揃って初めて人法一箇の本尊となりえるわけですから。

でもこれは日蓮の言説には全く触れられていない事柄ですよね。
五座三座の勤行と言う形式も、数珠の形も、仏壇にはしきみしか供えてはダメだとか。
他にも探せばいくらでもあるんですよ。

上から言われるからそう思う、こう言った思い込みでものを考えてしまう事が密教の問題点ですね。

何処に載っているんだと指摘する事も良いですが
自身の考えに誤りがないという事もちゃんと明確に用意していないとね。

日蓮が農民信徒に対し摂受を行っていたと言う説を覆したい場合
日蓮は農民信徒に対しても折伏を行っていたと言う証拠を提示するべきであると言う事。

浮かび上がる史実を前にすると日蓮の説法、折伏の対象は国主、武家、僧侶の存在しか無いと言う
現実がありますからね。

そこで、熱原の農民信徒は誰により法を知りえたかと言う事に対し
二画さんは迷う事無く日興だと発言されているわけですから
他に、日蓮が折伏の対象に置いた農民信徒は誰か居るのですかと言う事です。

もし居るとなり、二画さんが証明させる事ができれば
それは歴史的大発見なのではないでしょうか。

509沖浦 克治:2011/08/22(月) 07:06:36 ID:AJ3hr85o0
 命の数には限りはないでしょう

 宇宙が命そのもので、どんどん生まれますから、地球と言うきわめてローカルで限定された惑星での、しかも人類と言う更に限定された種の増減は、どっちでもいいですね。
 統計的には誤差の範囲にすら入りません。

510沖浦 克治:2011/08/22(月) 07:08:54 ID:AJ3hr85o0
 大聖人は農民を折伏されたでしょうね。

 御書は識字出来る人へのもの。
 鎌倉時代の識字率をどなたかお調べになられれば、相当低いことがわかりますでしょう。

 興師が農民に布教し、大聖人がしなかった。
 その証拠に、農民にへの御書がない。

 興師が農民に出した手紙もありませんよ。

511沖浦 克治:2011/08/22(月) 07:20:54 ID:AJ3hr85o0
 二画さん、おはようございます
 
 貴方鋭いですね。

>生への強い信念がおありだったからですよ。
願い祈り叶うです。
大聖人には日本国民を救うための強い願い祈りがあったから
命を落とすことなく生きられた。
叶ったわけです。

 この祈りの内容も、強さもご本人の境涯なんです。
 大聖人は瀬戸際で諸天を叱られた。 
 そして難を乗り越えられた。 
 だからご本仏です。
 馬から降りて、八幡大菩薩を叱られますね。
 種々御振舞御書に載っています。
 
 あの場面、助かる確率はゼロです。
 でも、自らの安楽な臨終や、成仏願われないで、延命のために諸天を叱責なされた。

 こんなこと誰も出来ませんし、思いつきません。
 祈りはね、境涯で内容が決まります。

 子供はチョコレートを祈ります。
 大人は、持ち家やいい車をいのります。

 境涯ですよ。

 空想をするでしょう。

 俺が大金持ちだったら、凄くでっかいカンピンぐかーを買って、世界中まわるんだ・・・・

 で、ちらっと空想の頭をかすめます。

 だけど燃費大変だろうな〜〜〜・・・・・・

 空想ですから、燃費心配しないでいいんです。
 でも、境涯が夢まで束縛します。

 ネットもおなじですよね、ハンネでどう言う大金もちにもなれますよ。
 でも、書き込みの中にその方の境涯如実でしょう。
 同じです。
 
 大聖人があの土壇場で、馬を止めて諸天を叱責なされた。

 ああ言う方はおられません。

 ですので、ご本仏です。

512沖浦 克治:2011/08/22(月) 17:07:24 ID:AJ3hr85o0
 打ち間違えました

 カンピンぐかー 〜 キャンピングカー

 です。

513二画:2011/08/22(月) 21:24:03 ID:Wol2SXuk0
堅皇さん

>>507
>到底思えませんね。
あんたの意見には全然興味ありません。
もっと目新しい事を引っ張ってきてくださいよ。
あんた密教って言葉すきだねwww
>>508
私がいつ日寛教学の話だしました?
興味ないですね。

>日蓮は農民信徒に対しても折伏を行っていたと言う証拠を提示するべきであると言う事。
誰もそんな事言ってもないし聞いてもないよ。
君は創価学会についてあまり語らないほうがよろしいですよ。
今さらな話しか知らないだもんね。
挫折してやめちゃったんだもの、深く理解できてないよね。

514二画:2011/08/22(月) 21:28:14 ID:Wol2SXuk0
>何が格上で何が格下かと言う事は人間が勝手に決めた事であるともいえます

人間の他に何が決めれるのですか。
人間が最も上に決まっているじゃないですか。
それとも何、神がお気めになるんですか。

515二画:2011/08/22(月) 21:34:47 ID:Wol2SXuk0
堅皇さんの考えが

>僕への返答に対しては取り立てて礼節は求めません、その必要はありませんから。
>おそらく何を言われても気分を害する事はありませんし
>もし、僕の気分を害するぐらいの発言をしてくるなら逆にたいしたもんだと思っています。

ご希望通り遠慮なく発言させてもらいますね。

516求道の人:2011/08/22(月) 22:43:24 ID:FwLJEQPY0
どうもお久しぶりです。

黙っていようと思ったのですが、堅皇さんの投稿文は、論拠薄弱な酷い個人的な思い込みばかりなので、この邪義に惑わされる人がいないように若干難癖をつけておきたいと思います。

まず堅皇さんは、ネットに張り付いてググッてばかりいて、実際には文献など手にしていないように見受けられます。

だいたい日蓮聖人がいつ国主に折伏をしたのか、いつ僧侶、武家を折伏したのか、論拠を上げて欲しいですね。

ご存知の通り「折伏」とは、武力をもって相手を降伏させることです。
日蓮聖人が、いつ武力行使して、国主、武家、僧侶を降伏させたのか、真蹟現存の遺文で証明して欲しいですね。
日蓮聖人は国主に対しても、武家に対しても、僧侶に対しても摂受しか行なっていません。
なぜならば観心本尊抄に「当に知るべし、此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成りて愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成りて正法を弘持す。」とあるとおり、「僧」として現れた以上、厳しい言葉を用いて相手を呵責してもそれ自体は「摂受」です。「折伏」とは賢王が武力を持って降伏することです。
堅皇さんは、創価学会を辞めても、頭の中は創価学会教学でしかない。だから厳しい言葉で相手を呵責すれば、それ自体が「折伏」という思い込みがあるんですよ。

それから相伝を秘したからといって、それが直ちに「密教」などというのは、無智の謗りを免れないでしょう。
かりに法華経陀羅尼品を唱えたとしても、密教法具も用いず、印を結ばない以上、「密教」などとは呼べる代物ではありません。

「捨閉閣ほう」が念仏の教えのようにも書いていましたが、全くの間違えで、デタラメです。
「捨閉閣ほう」は法然上人の教えです。広げていっても浄土七師の教えで、「捨閉閣ほう」しない念仏だってあるのです。

単純な思い込み、狭い狭い自分の殻の中の世界で、何か覚ったとでも勘違いしているようですが、堅皇さんの投稿文は早計、浅はかのかぎりです。

517堅皇:2011/08/22(月) 22:48:15 ID:vq54SzT20
二画さん

> あんた密教って言葉すきだねwww
> 私がいつ日寛教学の話だしました?興味ないですね。

興味がないと言う時点で、法華経の行者ではないと言えますね。
先ず、妙法蓮華経の教えの骨格は利他の教えです。
何故に利他を追求するかといえば、諸法実相で現され
全ての存在は十如是で現す事が出来るからであると。

難しい表現を避ければ
全ての人や事柄は全て関係性を持っているから利他に勤める事により
結果的に自身の幸せにも繋がる事になるからと言う事ですね。

密教に興味がないという前に、日蓮は真言亡国と発言し更には
東密や台密と言う密教全般を批判対象に置いているわけです。

人を批判する場合、その人の事、やっている行為を良く知り、それを知った上で
何処が指摘する箇所であるかを明確に示さなければ
それは単なる野次、誹謗、怨嫉になりますよね。
対する日蓮の批判は密教と言う教義を知り尽くした上での批判になります。

日蓮の指摘、批判は、天台が妙法蓮華経が一番だといったから一番なんだと言う短絡的なものではないのです。
よく知りもしない人から指摘されると「お前は何様」と言われるでしょうが
よく知っている人からの指摘は「なるほど、そう言うところもあるのかな」と思われるということです。

つまり相手を批判する場合は、先ずは相手の気持ちを汲み取るところから始める
利他を尽くして、その言い分をよくよく理解した上で、はじめて批判に転じるということですね。
興味ないといっている時点で利他を考えず、よく知りもしない相手に対し
自分勝手に批判している、誹謗、怨嫉をしているという行為であるという事ですね。

518二画:2011/08/22(月) 22:56:13 ID:Wol2SXuk0
>興味がないと言う時点で、法華経の行者ではないと言えますね。

法華経の行者??誰が???
戯けた事言ってんじゃないですよ。
法華経の行者とは「日蓮大聖人」ただお一人です。
あんた自分が法華経の行者のはしくれだとでも思ってるのかい?

君は創価学会挫折途中退会者なだけだろ?
リタイヤしたんだ。中途半端な人間なわけだ。
何が行者だ。失礼にもほどがあるぞ。

519二画:2011/08/22(月) 22:58:10 ID:Wol2SXuk0
>自分勝手に批判している、誹謗、怨嫉をしているという行為であるという事ですね。

それでもどうぞって自分で言ったんしょ?
オイラを怒らせたら一人前だってね。
礼節なんぞいりませんって言ったしょ?
あれ、間違い?嘘?

520二画:2011/08/22(月) 23:01:13 ID:Wol2SXuk0
怨嫉????????
挫折者に意見したら怨嫉????????
何様のつもりかね。
なんか宗教かじってるつもりかな。
挫折してリタイアしてもこういう板に貼りつく理由は
寂しいからか????一人で寂しいからお話しに来るわけだ。
相手してもらいたかったら正座でしょ。三つ指ついてお願いだろ。

521二画:2011/08/22(月) 23:06:02 ID:Wol2SXuk0
>現証から発し文証を検証した結果、学会は完全に狂っていると断言しているわけですから。

堅皇くんのブログから引用しました。
気○ガイ扱いするとはどういうことだ?

522二画:2011/08/22(月) 23:11:15 ID:Wol2SXuk0
>怒りは単に自分自身の判断力を鈍らせるだけなんですね。
>しかも、絶対的に自分が嫌な事を相手に吐いているわけですから
>当然自分の中ではクリーンヒットを咬ましてやったぜ!と安心しきってご満悦状態なんですね。
>実はこっちは蚊ほども感じてない状態でも。

で?
かましてやったぜ!は、これ書いてご満悦のあんただろ。

523二画:2011/08/22(月) 23:16:13 ID:Wol2SXuk0
彼は真面目に信仰する者をからかいに来るわけです。

ブログから引用しますから読んでみてください。

一ヶ月ほど創価学会系の掲示板へ書き込みに行ってました。
で、その掲示板が閉鎖となったので終了って話なんですが。

アンチの立場とすれば何を血迷った事をとか
まだまだ未練があるのかとも取られそうなんですが
血迷ってもなければ未練もないから行ける訳なんですけどね。

ただ未練がないと言う表現は適切ではないか、残っている人が可哀想に思うから行ってきたと言うのが本心で
その中にリアルな知人もいたわけですから。

で、何しに行ったかといえば怒ったり噛ましに行ったわけではありません。
あくまでも対話を求めて行った訳ですね。
もっとも創価の方々にとって見れば臨戦体制だったのかも知れませんけれども。

これね、対話って実は対話中に怒った方が負けなんですよ。
何故かと言えば怒る行為って相手に自分の感情をさらけ出して自分の弱点を教えてしまうだけなんですよね。
通常の人間は怒ると自分がされたら嫌な事を相手にしてしまうものなんですね。
殴るにしろ暴言を吐くにしろ自分がされたら最大限に嫌な事を一生懸命考えてね。

524二画:2011/08/22(月) 23:17:07 ID:Wol2SXuk0
つづき

だから怒っている相手ってその人の弱点って非常に読み取りやすいんですね。
これ確実に覚えておいた方が得だと思いますよ。

暴言を吐けば吐くほど
なるほど、この人は自分に対してこんな事を言われるのが嫌なんだなと言う話。
これが解れば全然相手の事が怖くなくなるもんなんですね。
だって、その部分を突っ込めば確実にヒットする弱点という場所が読めるじゃないですか。
後は自分の行っていることの裏返しの部分だとかね。
例えばこちらがそんな事を考えてもないのに
嘘だ捏造だでっち上げだと騒いでいる人は往々にして自らそれをやっているという話ですね。

怒りは単に自分自身の判断力を鈍らせるだけなんですね。
しかも、絶対的に自分が嫌な事を相手に吐いているわけですから
当然自分の中ではクリーンヒットを咬ましてやったぜ!と安心しきってご満悦状態なんですね。
実はこっちは蚊ほども感じてない状態でも。

これ冷静に眺めているとバカだなーと悪いけど思っちゃうんですね。

525二画:2011/08/22(月) 23:18:02 ID:Wol2SXuk0
つづき

加えて最初から背伸びして自分の持てる能力を最大限に使って噛ましてこようとする人。
これも勿体無いなーと思うんですよ。
おそらくそこでビビッてくれるだろうと思うのでしょうが
そんなことぐらいその場で学ばせてもらえばいいわけですね。

こっちがバカな振りしていれば振りかざした武器を眺めて
その武器いいね、俺にもその武器ちょっと見せてよと軽く一言言えば
気持ちが大きくなって一生懸命その武器の使い方まで教えてくれるわけですね。
使い方が解ればこっちも同じ武器を使用することが出来ると言う事を知らぬがままに。

えっ?こっちの武器はって、そんなもの最初から見せるわけないじゃないですか
弱点も最初から教える必要は全くないわけですから。

ただあまりにもこれじゃーお話にならないという場合は少しだけ見せるようにはしています。
これある意味優しさの一環ね。

526二画:2011/08/22(月) 23:18:35 ID:Wol2SXuk0
つづき

さて、一ヶ月間可能な限り学会員さんからの質問には答えてあげた気もするのですが
どれだけ俺の考えを拾い上げる事はできたのでしょうかと言うところです。
こちらとすれば今の創価学会の内部事情と言うものが随分と垣間見れたように思えます。

一番感じたのは内部抗争が凄く発展していて派閥みたいものが生まれてきているというところですか
こっちとすれば創価の掲示板なので創価の人なら誰でも入ってこれるという認識でいたのですが
どうやらそうではないらしいですね。

一言物申したいと思っていてもここの掲示板だと書き込みが出来ないって人もいるみたいで
それがまたなんともはやで、ここまで今の学会は閉鎖的なのかと思ってみたり

527二画:2011/08/22(月) 23:19:16 ID:Wol2SXuk0
ここまで

「文句があるならうちの板へ来て文句を言え」というルールは
どうやら創価学会ではブームのようですね。
いやいや、その文句を実際に出向いて言いに行けばいいではないですかと思ったりはするのですが
これにはこれで問題が多い状態で実際に乗り込んでいっても管理人が入れてくれなかったり
管理人の気分を少しでも損ねると直ぐに削除やアクセス禁止を掛けられてしまいますからね。

それにしても排他的で独善的な集団と言うものは内弁慶であると思っていたのですが
これほどまでかと感じさせられた一ヶ月ではありました。

528二画:2011/08/22(月) 23:23:12 ID:Wol2SXuk0
523 の三行目からが堅皇君のブログ 「願兼於業」からの引用です。

まあ、オフザケ野郎の暇つぶしに付き合わされたわけです。

後は管理人さんに、お任せします。

こんな奴の為にグラスルーツさんに不愉快な思いさせてしまいました。

グラスルーツさん、改めてすみませんでした。

529堅皇:2011/08/22(月) 23:23:34 ID:vq54SzT20
求道の人さん

> ご存知の通り「折伏」とは、武力をもって相手を降伏させることです。

この発言自体「折伏」とは、破折調伏あるいは折破摧伏であるということを前提にお話していませんかね。
「折伏」が破折調伏あるいは折破摧伏と言うことであれば
確かに、日蓮は「折伏」など行わずに全ての行動が「摂受」であると言う事になりますね。

しかし、求道の人さんならご存知かと思いますが
これは天台教範、日蓮御書から、「折伏」が武力をもって相手を降伏させると言う事は、うかがい知る事は出来ませんよね。
そもそも、武力をもって相手を降伏させると言うこと自体が
不軽菩薩に反する事になるわけですから、日蓮が用いるわけがないではないですか。

また、創価学会で常用として使っている「折伏」もこの意ではないと言えるのではないですかね。

もともと「折伏」とは妙法蓮華経に記載されていない言葉であるわけですから
日蓮が用いた「折伏」とは何かを妙法蓮華経の中で探って行く以外ないといえますね。

また、真蹟を見る限り、天台と日蓮では「折伏」と「摂受」のその表現が逆であると思いますが
指し示す義は同じところにあると考えられます。

> 「捨閉閣ほう」は法然上人の教えです。広げていっても浄土七師の教えで、「捨閉閣ほう」しない念仏だってあるのです。

仰るとおりです。
日蓮が念仏無間と批判した念仏とは、法然さんの阿弥陀如来と言う一仏にだけ南無の対象とした念仏を指す事であると思います。
ですから、念仏と言うその行為自体より、捨閉閣抛された念仏が無間と言う事でしょう。
念仏と言う文字自体は妙法蓮華経にも記載されているものですから。

僕が話しているのは本仏思想によって捨閉閣抛され、一仏にだけに唱える念仏の事を指しているわけですから。

530求道の人:2011/08/22(月) 23:50:18 ID:FwLJEQPY0

堅皇さん、

>これは天台教範、日蓮御書から、「折伏」が武力をもって相手を降伏させると言う事は、うかがい知る事は出来ませんよね。


だから摂受でしょ。
日蓮聖人は折伏なんて行じていませんよ。
「僧」であり、密教を批判しているのなら、日蓮聖人の行動は全て摂受に収まるじゃないですか。
何故「密教を批判しているなら」とつけたかといえば、「折伏」とうゆう語は大日経をはじめとする密教経典に出てくるからです。
涅槃経の折伏は、まさしく武力による覇権行為です。立正安国論は涅槃経の折伏を国主に進言したものです。折伏を行うのはあくまで国主で、日蓮聖人が行ったのは国主に対する折伏の進言、つまり摂受です。

大日経に出てくる「折伏」は、「齟齬」(覇権行為ではなく、厳しい口調で相手を諌めること)によるものですから、日蓮聖人が密教僧であったとしたら、厳しい呵責行為をもって「折伏」といってもいいでしょう。

しかし日蓮聖人は密教僧ではなく、法華経の行者なんでしょ。
天台の「法華涅槃時」を世襲して、涅槃経の折伏義(覇権行為)が日蓮聖人の折伏義で、日蓮聖人自体は僧である以上どこまでいっても摂受を行じていたのが正解でしょう。

でなければ「観心本尊抄」で嘘をいっていたことにもなります。

531堅皇:2011/08/22(月) 23:59:45 ID:vq54SzT20
二画さん

わざわざ、ブログのソースを貼り付けなくとも隠しているわけではありませんから。
敢えて触れ回る事もありませんが、ブログに関しては
大河板の頃から公表していますし、素性や発言を隠しているわけでもありませんからね。

532二画:2011/08/23(火) 00:11:46 ID:Wol2SXuk0
堅皇さん

隠してないでしょう。ブログなんだから。
私がどうのこうのいうより、貴方の意見貼ったほうが
話が早いですよ。

求道の人さん
折伏と摂受についてもブログにあるから
先に読んだら。ところで貴方も脱会リタイヤ組?


堅皇さんのブログ
http://kencou.blog57.fc2.com/

533堅皇:2011/08/23(火) 00:36:12 ID:vq54SzT20
求道の人さん

> しかし日蓮聖人は密教僧ではなく、法華経の行者なんでしょ。
> 天台の「法華涅槃時」を世襲して、涅槃経の折伏義(覇権行為)が日蓮聖人の折伏義で、日蓮聖人自体は僧である以上
> どこまでいっても摂受を行じていたのが正解でしょう。
>
> でなければ「観心本尊抄」で嘘をいっていたことにもなります。

この辺は同意します。
天台の表現では法華が折伏、涅槃が摂受。
対する日蓮も同じように表現しているかと思えば、真蹟だけを手に取ると
法華が摂受、涅槃が折伏と表現されていると思います。

これが御書になると真偽未決が入り乱れてどちら表現も用いられていますよね。
実際に日蓮はどう表現したかを考えると真蹟からくる法華が摂受、涅槃が折伏が日蓮の表現といえるでしょうね。

ただ、表現こそ違え天台も日蓮も義として捉えている方向は同じですね。
「無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし、」

無智・悪人に対しては摂受、邪智・謗法の者には折伏をと。
また、常不軽品のごとしと言う事ですから、ここで考えられる折伏とは当然武力行使ではないという事。
でも、折伏を充分に推奨していますよ、摂受だけで良いと言う事は言っていない事も明白だと思います。

それに四箇格言などと言う事を口にするのは明らかに折伏行為に想定されますし
摂受であれば、全て容認すると思いますから。

534求道の人:2011/08/23(火) 06:16:09 ID:FwLJEQPY0

堅皇さん

四箇格言は摂受です。

>無智・悪人に対しては摂受、邪智・謗法の者には折伏をと。

その折伏を行じるのは国主の役割であり、僧の役割ではありません。
当然信徒の役目でもありません。
僧の役割は、国主に折伏を進言する摂受であり、僧が折伏を行うことはありません。

これに反したのが、比叡山の僧兵です。

535求道の人:2011/08/23(火) 06:21:49 ID:FwLJEQPY0

二画さん

私は脱会卒業組ですが、貴方は愚痴落第組ですか。

組織や他の会員に不満を持ちながらも、脱会する勇気のない根性なし組ともいいますけど。

536沖浦 克治:2011/08/23(火) 06:55:17 ID:AJ3hr85o0
 おはようございます、皆様方

 盛り上がっていますね。
 うれしいですが、少し発言が過激になっているときもあります。

 注意してくださいませ。

537沖浦 克治:2011/08/23(火) 06:56:22 ID:AJ3hr85o0
 求道の人さん、おはようございます

 折伏は権力者で、私どもは摂受。

 初めて伺いますが、少しご説明いただけませんでしょうか?

538グラスルーツ:2011/08/23(火) 10:07:36 ID:2bdP3Ayg0
>>528

二画さん

もうすんだことです。
お気遣いなく。

539ソンソソソソソソソソソン:2011/08/23(火) 12:33:01 ID:/ca2e17w0
>>535

卒業したつもりなだけw
証書は出てませんww

540堅皇:2011/08/23(火) 14:26:33 ID:vq54SzT20
求道の人さん

> 僧の役割は、国主に折伏を進言する摂受であり、僧が折伏を行うことはありません。

要するに観心本尊抄には
「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。」
こうあると。

でもって日蓮は僧であるわけだから僧が折伏を行うことはないではないですかと言う事ですね。
と言う事は解らなくはないのですが四箇格言の内容はどう考えても折伏ですね。
更にこの折伏は武力による破折調伏ではなく、相手に摂受を求める破折屈伏ですね。

自らが言いたい事を言い述べて摂受だと言い張るのは、いささか矛盾を感じる詭弁だと思います。

日蓮の理論からすれば摂受は法華、折伏は涅槃であり
「邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす」とのことから
法滅の邪智・謗法の者に対しては涅槃の方便を用いて折伏しろと言うことであり
そこで四箇格言の正当性を主張しているわけですね。

つまり、僧でありながら衆生を救わんがための方便を用いているという話で
四箇格言を是正している時の日蓮は賢王であるという事になるかと思います。

人間は十界互具ですからこれに矛盾は生じないわけで、更に十界は更に十界互具
僧が菩薩の菩薩であれば、賢王は菩薩の天、修羅と言うことが成り得るわけで
この分別は、全て法を広めんがためと言う事になろうかと思います。
僧であるから、全て摂受であると言う解釈はかなり無理があると思います。

天台の場合は法華が折伏、涅槃が摂受であり、表現は異なれど向かう義は同じであると言う事ですね。

541グラスルーツ:2011/08/23(火) 16:42:47 ID:2bdP3Ayg0
堅皇さん今日は。
わたしの率直な所感を書かせていただきます。

>>540
はっきり言って、あなたの書き込みは文脈が難しすぎて私には理解不能です。
単純なROMにさえ苦労をが伴います。

>「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。」

論点が少しずれるかもしれませんが、
かつて、この御文が私の中に鮮烈な光を放って刻み込まれた講義を聞きました。

末法今時、いまのこの瞬間からこの御書を読んでごらん。
いま学会が池田先生を師匠として折伏を行じている、これが賢王ですよ。
そしていまから見れば大聖人の時代は摂受なんですよ。
ちゃんと「僧と成つて正法を弘持す。」と仰せでしょう。
御書はこのように読むことも必要なのです。

目からうろこが落ちるような読み方に感心した記憶があります。

先日沖浦さんからも、天動説と地動説のなぞらえて日蓮大聖人と戸田先生
の位置づけに関する斬新で示唆にとんだ書き込みがありました。

双方の説明がともに、私にはとてもわかりやすく
もの凄く鮮烈にすと〜ん!と腑に落ちました。

残念ですが、堅皇さんのご説明ははなはだしく平面的で難しいと思います。
今後はいま少し噛み砕いた書き方をお願いいたします。

542グラスルーツ:2011/08/23(火) 16:47:59 ID:2bdP3Ayg0
すみません。

自分が書き込んだものを読み直してみたら
ミスタイプが何箇所かありました。

意味は通じるようなので直しませんが、
どうぞよろしくご解釈ください。

543ソンソソソソソソソソン:2011/08/23(火) 17:06:47 ID:/ca2e17w0
グラスルーツさんこんにちわ〜〜
激しく同意です
堅皇さんは、書くことで自己満足なり。
人に伝えるというより
文字羅列することが快感なんだよね、多分。

544ソンソソソソソソソソン:2011/08/23(火) 17:24:00 ID:/ca2e17w0
退会した人って一人だから活動のしようがないんだろうね。
だから文献の研究ばっかりしてるんだとおもいます。
行動より読書ばっかりだと思いますよ。

545グラスルーツ:2011/08/23(火) 17:34:00 ID:2bdP3Ayg0
ソンソソソソソソソソンさん、こんばんわ〜ぁ!

退会されたのには事情がおありなのでしょうね。
お気の毒な感じがしております。

546臥薪嘗胆:2011/08/23(火) 18:37:31 ID:OSIoPS/E0
グラスルーツさん、こんばんわぁ〜
ソンソソソソソソソソソンさん、お名前あってますか?こんばんわぁ。

退会の原因が人付き合いだと思いますよ。
人と旨く付き合えないからやめてしまうんですわ。
ほんで、時間いっぱい出来るから本読んで、あーだこーだ難癖ばっかし
考え出すんですよ。言うだけなら簡単です。
一人でいるのがさびしくなって、掲示板に感想文書きにくるんでしょうね。

547堅皇:2011/08/23(火) 18:40:54 ID:vq54SzT20
グラスルーツさん

今の場合は求道の人さんへの返答なので
求道の人さんには学があると感じるので、それに合わせて返答している感じです。
もう少し噛み砕いてと言われれば、当然噛み砕いた対応で接します。

それと、以前求道の人さんからはもっと文献に寄れとの指摘もありましたからね。
何れにせよ合わせた対応を心掛けているつもりです。

しかし、文証、理証、現証と言うものは日蓮が用いているものでもありますからね。
この場合四箇格言を実際に用いたという現証、四箇格言の内容である理証によって話をしています。

さて、挙げられた
> いま学会が池田先生を師匠として折伏を行じている、これが賢王ですよ。
> そしていまから見れば大聖人の時代は摂受なんですよ。
ですが

池田さんは現証として折伏を行じていますかね?
会員に折伏をしろと折伏はしている事になりますが、ある意味これって弱いものいじめ。
「何故、池田先生は、会員に折伏をしろと言っているのに
先生自体は海外の指導者たちに折伏では無く摂受をしているんですか?」と言うのが
僕の少年部時代の質問だったのですが、当時から誰も答えてくれないなと思っていたわけです。
日蓮は国主にまで迫害を恐れずに折伏を貫いていたのに何故だろうと言う事ですね。

これを考えただけでも日蓮の時代に折伏を行じているのに
何故に今の時代で国主に対しては学会は摂受?と言うことになるわけですね。

グラスルーツさんが何故にそれで、もの凄く鮮烈にすと〜ん!と腑に落ちたという事が
逆に腑に落ちない事であるといえますね。

548臥薪嘗胆:2011/08/23(火) 18:42:27 ID:OSIoPS/E0
堅皇さんと求道の人

退会講釈コンビで仲良くやったらよろしいわ。
正直わたいも、二人が何を言いたいのかよくわからんのです。
わかったところで何の役にも立たん様な話やと思います。
最初は珍しいからわからんなりに読んでたけど
ちょっとうとおしくなってきてますな。

549臥薪嘗胆:2011/08/23(火) 18:47:49 ID:OSIoPS/E0
>>547
めっちゃ能書き。
友達おらん感じですな。

550臥薪嘗胆:2011/08/23(火) 18:49:58 ID:OSIoPS/E0
なんやかんや言って、結局何もやりたくないタイプですな。
摂受だ折伏だと説明はできても
いまだ誰一人とリアルに仏法対話とかしたことない感じ。

結局、啓蒙とかF取りがわずらわしくて、ひきこもってやめた。
ちゃいまっかwwww

551臥薪嘗胆:2011/08/23(火) 18:51:26 ID:OSIoPS/E0
毎日毎日書籍をほじくったりネットを泳いだりして
やめた理由を探してるんですな。
後だしジャンケンご苦労さんって感じな感じ。

552堅皇:2011/08/23(火) 18:53:40 ID:vq54SzT20
臥薪嘗胆さん

残念ながら僕は学会を退会するにあたり、学会員の誰とも人間関係では揉めてませんよ。
退会を了承してもらうために、組織の方たちと対話を重ね。
地元の中心会館まで赴き、職員幹部の方とも対話を重ね。
退会の了承を経て退会手続きを取っております。

また、退会後も訪ねてこられればいつでもお相手しますし
創価の素晴らしさを語られるならいつでもいらして下さいと挨拶して退席しました。

単に学会から席を外してほしいと懇願しただけで
学会員さんとの交流を断とうなどと言う事は全く考えてもおりません。

ただ、退会を機に一部の学会員さんから白い目で見られることはありますけどね。

553求道の人:2011/08/23(火) 19:53:51 ID:FwLJEQPY0

管理者様、

少し間が開いてのお邪魔となりましたが、以前にも増して退会者差別の投稿者が多いように感じます。

管理人様の退会在会で人を差別しないお考えに変化でもあったのでしょうか。

私は退会在会で人を区別している人は、その時点で負けている人だと思います。

しかし管理者様のご指摘もありますので、今後退会者差別のある方の問いかけはスルーさせていただきます。

554求道の人:2011/08/23(火) 20:09:41 ID:FwLJEQPY0

堅皇さん、

観心本尊抄の末文に十界互具の当てはめは解釈です。

観心本抄は消息ではなく著述です。あくまでも文上のままに拝する事が大切だと思います。

したがって沙門となのられる日蓮聖人は、どこまでいっても僧であり賢王ではありません。

よっていかなる言説も摂受の範疇ということになります。

厳しい言説をもって折伏と定義するのは大日経ですので、大日経を「法華涅槃時」の経典と認識されていた、文永三年ごろまでは厳しい言説をもって折伏を行じていたともいえますが、大日経を方等部の教えに格下げした文永六年以降には、厳しい言説をもって折伏と定義するのは自行と化他行の思想的統合性に欠けます。

よって法華至上主義の顕著な佐渡以降は、少なくともいかなる厳しき言説も摂受の実践と見るべきでしょう。

555沖浦 克治:2011/08/23(火) 21:26:48 ID:AJ3hr85o0
求道の人さん、今晩は

 私は創価学会を絶対に辞めません。 
 辞めたら終わりだと思っていますから。
 ですが、辞めた人を責めませんし、差別も致しません。
 
 信じる宗教で人を差別することは愚かだと思っています。
 然しながら、信じる宗教で差別をする方がいることも事実ですし、たとえ掲示板であろうとも、その価値観を私が強制的に是正することはございません。
 その人が差別したいなら、それはそれでその方の自由です。 

 お前は退会者を差別するから書くな。

 こう言うことは言いません。
 ただ、その発言に人を侮蔑する内容が強い場合は注意をしますし、聞き入れていただけないなら、アクセスをお断りいたします。
 現状では、私の許容範囲だと考えます。

 この点いかがでしょうか?

556二画:2011/08/23(火) 21:52:32 ID:Wol2SXuk0
みなさん こんばんは。

退会者差別ってナンですか?
続けている方が挫折したものに意見するのは当たり前。
マラソンを例えてみてください。
どんなに能書きや講釈を言っても
ゴールしないと競技失格なんですよ、退会者さんたち。
差別じゃないんだよ。
中途半端な人間なんですよ。
そう思われるのがいやなら、同じ挫折者同士で板たてて
仲良くすればよろしい。違うかね??

557二画:2011/08/23(火) 21:57:50 ID:Wol2SXuk0
継続は力なり!!!!

どんな事でも続けることが力。
信仰は人生修行なんだよ。
生命磨き輝かせるのが信仰なんだよ。
てめぇの気の弱さで脱会しておいて、なにが「差別」だ。
甘ったれるのいい加減にしろよ。
ここにアクセスさせて頂いているだけでも感謝しろ。
思い上がり勘違いもいい加減にしなさい求道の人とやら。

管理されてるのが沖浦さんという心の大きな人だから
コメントもらえてるんだぜ。
管理者様に御礼申し上げて、陽の明るいうちにとっとと帰りなさい。

558求道の人:2011/08/23(火) 22:00:00 ID:FwLJEQPY0
管理者様

管理者様が変わらず退会在会で人を差別しないことを確認できよかったです。

私は管理者様のようにふところが深くありませんので、退会在会で人を差別するものを許せません。

そのような者は、人間の条件に欠けた、最低の人格だと思います。

差別ではなく理論で退会者を納得させてみよ、差別ではなく功徳の体験で退会者を魅了してみよ、それができずに退会者差別の言を記すだけの者は、敗北者にほかならないことを高らかに宣言しておきます。

559求道の人:2011/08/23(火) 22:07:27 ID:FwLJEQPY0

二画さん

貴方は継続などしていませんよ、留まっているだけ。停滞です。

すすんでいないので、在会でも貴方は退転している状態です。

これを機に行学二道に励み、人格を磨き、功徳に満ち溢れた人生となりますよう、影ながら応援させていただきます。

560堅皇:2011/08/23(火) 22:10:33 ID:vq54SzT20
求道の人さん

> 観心本尊抄の末文に十界互具の当てはめは解釈です。
> 観心本抄は消息ではなく著述です。あくまでも文上のままに拝する事が大切だと思います。

いやいや、十界互具の当てはめは、文上である教相を元にした観心での捉え方です。
文底独一本門のように文上の義は変えておりません。

これも涅槃の理となりますが法四依の義依不依語は日蓮も用いている事。
文上を文上のまま語として捉えるのではなく、その義で捉えるべきだと思いますね。

加えて
> したがって沙門となのられる日蓮聖人は、どこまでいっても僧であり賢王ではありません。

との解釈であれば四箇格言がどの様な内容であろうが
日蓮は僧であるから折伏などしていないと言う辻褄合わせ、要するに詭弁だと言う話です。
四箇格言を摂受と呼ぶにはあまりにも過激な内容であるといえます。

もし、仮に自分が念仏、真言、律、禅の信者であり、いきなりこの様な事を言われれば
当然折伏だと言いますよ。

> 厳しい言説をもって折伏と定義するのは大日経ですので、・・・

ここに挙げられるのは表現方法の話ではないですかね。
そもそも、日蓮が台密教義から離れるまで四箇格言は生まれてないわけですね。
当初の目的は念仏を一凶と見なし、それを禁じようとしていただけ。
文永六年以降の四箇格言を読み上げるだけでも充分に折伏だと言えますよ。

それより何より国家諌暁自体が折伏ではないかということですね。

561二画:2011/08/23(火) 22:14:30 ID:Wol2SXuk0
求道の人さん

能書きはいいから
功徳を語ってください。
この板の趣旨は「功徳を語る」です。
是非功徳をお聞かせください。

562二画:2011/08/23(火) 22:16:15 ID:Wol2SXuk0
求道の人さん

退会者の功徳が、我々をもしのぐ素晴らしいものなら
心よりお詫び申し上げますよ。
古文の勉強はおいといて、功徳を是非ご教示願います。

563二画:2011/08/23(火) 22:20:21 ID:Wol2SXuk0
>>560

君にも同じお願いです。
読んでもらいたいことはブログでどうぞ。
掲示板でもたてて人を誘ってくださいねーーハイハイ。
あなたも退転して一人で文献研究して
現在の「功徳」をどうぞ。
一人が最高という、功徳を書いてください。

564求道の人:2011/08/23(火) 22:31:45 ID:FwLJEQPY0

堅皇さん、

国家諫暁は折伏ではなく摂受です。

過激な内容でも四箇格言も摂受です。

観心本尊抄は義でとらえずに文上のままの語としてとらえるべきです。
御真筆をご覧になられた事があるかと思いますが、漢文体で校正のあともあり副状まであります。
副状の中には、観心本尊抄が「秘して無二の志を見ればこれを開拓せらるべきか」と、信心の無いものには読ませてはいけないと仰せです。それだけ単刀直入に日蓮聖人が観心の法門を説き示された本抄を、勝手に義をもって解釈すべきではありません。
どこまでも文上のままに読むべきです。

天台の摩訶止観では破法遍が説かれますが、この破法遍「法を破すこと遍かれ」とは、己心に対する破法行です。
摩訶止観は天台の本懐といいますが、摩訶止観の内容はご存知の通り座禅の指南書です。

止観「止まって観る」ものは自分の心で、破すべき法は己心中の法です。
天台大師に大日経の影響はみられませんので、法華玄義に登場する折伏義も涅槃経の折伏観に影響を受けていると思います。

565二画:2011/08/23(火) 23:33:45 ID:Wol2SXuk0
>>564

討論はもう結構ですから、功徳をお語りください。
脱会退会して論文を研究して、いかに人生の喜びを感じておられるかを聞かせてください。
是非、お願い申し上げます。

566求道の人:2011/08/23(火) 23:40:33 ID:FwLJEQPY0

二画さん、

私も過去に数度功徳の体験は書かせていただいています。

最近のこととしては、創価大学の通信教育部の卒業生を採用したことでしょうか。
以前の私であれば、「創価」の二文字を見ただけで採用は見合わせたと思います。
こちらの管理者様と出会い、退会在会で人を差別しないという考えを学びました。なので客観的な試験・面接の結果で採用を決定しました。
非常に良くがんばってくれています。採用してよかったと思います。これも功徳だと思います。

567二画:2011/08/23(火) 23:48:58 ID:Wol2SXuk0
素晴らしいことです。
人という宝は何よりの宝です。

お題目ありきですね。
このご意見を拝し、求道の人さんに対し
組織の垣根を越えた大聖人の弟子としてのお心を感じました。

568堅皇:2011/08/24(水) 02:52:31 ID:vq54SzT20
求道の人さん
> 観心本尊抄は義でとらえずに文上のままの語としてとらえるべきです。

もし本当にそうあるべきなら、この時点で、じゃー義依不依語なんて口にするなよと
日蓮に突っ込みを入れなければならなくなるというところ。
もちろん、この様な自己矛盾を来たす様な事を日蓮が示したとはとても考えにくい話ですね。

それはさて置き
「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。」
この文を文上のまま読んだところで
「賢王と成つて」と「僧と成つて」と記されているわけですね。
もし、賢王が折伏し、僧が摂受すると言う事になれば「と成つて」の文は必要ないのではないですかね。

それこそ文上通りの解釈であれば、折伏するためには本当に王位を受けるところから始める事になりますし
王国ではないでは無い日本にそもそもこの言葉は相応しくありません、なんせ王は何処にも居ないのですから。
義を取ると言うことは王を指導者、権力者等に置き換える事から始まり
「と成つて」は転じて、もしくはその有り様でと言う事になります。
折伏はダメだ言うならまだしも、賢王に任せるというのではあまりに他力な考えであると思いますね。

ただ、折伏と摂受に関して言えば、妙法蓮華経に記されてない言葉であり
天台と日蓮ではその表現方法が違うところに解釈の難しさはありますね。

まー開目抄が真蹟として残っていれば
「無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし、」
これにてスッキリと判断出来るし天台の義とも、妙法蓮華経の分別して説く事にも合致するわけです。

教相を元に観心にて、と言うことは文証を持ち現証に照らして見ればと言うことでもあり
単純に考えて、無智・悪人は聞く耳を持っているので摂受にて接し
邪智・謗法の者は聞く耳を持たないので折伏と考えるのは正法かと思います。
また、国の未来を左右する権力者には折伏を、一般民衆には摂受をと言うことはあまりにも道理だと思いますが。

569某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/08/24(水) 04:23:15 ID:XjwJLryM0
民衆一人一人が国主である主権在民社会に於いては、
摂受と折伏をどう考えればよろしいのでしょうか

570沖浦 克治:2011/08/24(水) 06:06:19 ID:AJ3hr85o0
 某男子部員さん、おはようございます

 摂受だ、折伏だと言う立て別けはいらないと思います。
 同苦の祈りがあるなら、そう言う区別は自分自身の祈りが無作で行います。
 私は樋田さんとの法論の時、一切用意をして行きませんでした。
 然し、樋田さんがご本尊をコピーしてヒテヒラさせた時、怒鳴りつけました。
 末法のご本仏様の命のこもったご本尊です。
 あそこで叱らなかったら与同罪でしょう。
 あの部分は折伏です。
 その他の部分は大半が摂受です。
 私は法華講員が、自分のご本尊に唱題することを認めておりますので。

571沖浦 克治:2011/08/24(水) 06:13:37 ID:AJ3hr85o0
 『当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。』

 私はこう思います。
 折伏をする時は自分が王になることですね。
 王は権力の象徴ですから、現代では権力を持つことでしょう。
 現代の権力は、財力、特殊な能力などを備え、民衆の尊敬を集めることだと思います。
 権力を、影響力だと読めばいいと思います。
 ですので、世間で超一流の評価を得ることでしょう。

 摂受は、民衆の中で、信頼される説得力を身に付けて、布教をすることじゃないでしょうか?

 いずれにせよ、スケールの差があっても、同じ行為に思います。

572沖浦 克治:2011/08/24(水) 06:17:29 ID:AJ3hr85o0
 求道の人さん、おはようございます

 ありがとうございます。

573求道の人:2011/08/24(水) 06:36:28 ID:FwLJEQPY0

堅皇さん

おはようございます。

>「無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし、」

開目抄のこの文の後半部分「常不軽品のごとし、」をもって、正信会の論師は不軽折伏論を展開しますが、古写本の校合しこの部分は後加文であることがわっていますね。
この点は立正の今城師の指摘の通りでしょう。

574某男子部員 ◆YQRBqpNuIQ:2011/08/24(水) 06:44:41 ID:XjwJLryM0
沖浦 克治さん、おはようございます
賢王、僧を自分の外に置いて思考しておりました
仏教はどこまでいっても内道であることを思い出しました
ありがとうございます

575堅皇:2011/08/24(水) 08:00:58 ID:vq54SzT20
求道の人さん

立正の今城師のご指摘ですが大枠異論は無いですね。
特に「如説修行抄」に関しては素で読んで疑問点が数々あり
本当に日蓮が書いたものなのかと言う疑念を抱いていたところもあったところです。
後に真蹟なしの真偽未決と聞き、ならば外して考えても日蓮を疑わずに済むなと思ったくらい。

で、「開目抄」に関して言えば「常不軽品のごとし」のあるなしは
無しの方が確かにしっくり来るかも知れませんね。
日蓮の論では、法華が摂受、涅槃が折伏であるわけですから
「常不軽品のごとし」に関しては、頭に「但し」を加えなければ微妙の違いはあるかなと。

ただ、妙法蓮華経において言えば摂受だ折伏と言う前に分別して法を説くことは示唆してますので
天台の理にしろ、日蓮の理にしろ両輪を持ってして妙法蓮華経の義からは外れてないと見いてるわけです。

基本的に僕は日蓮の信者ではなく妙法蓮華経の信者であり、日蓮が妙法蓮華経に忠実かどうかで見ているわけですね。
大枠、日蓮が妙法蓮華経に忠実であると思うから支持していると言うスタンスですから。
また、日蓮諸宗は南無妙法蓮華経が唯一の法と解釈されている方が多いのですが
妙法蓮華経はを読む限りでは唯一の法ではなく、最上の法であると言う事です。

この違いは他の法を方便として受け入れるか切り捨てるかの違いですね。
僕は方便として受け入れる法として読んでいますので、法華が摂受、涅槃が折伏であるとするならば
日蓮は摂受と言う結論ではなく、摂受を第一に折伏を受け入れ、両輪としてと言う形であると。
実際に日蓮は折伏をせざる得ない状況下にもあったわけですから。

では、如何なる時に折伏を用いるか、それは邪智・謗法の者に対してと言う事には
妙法蓮華経に説かれる分別して法を説くと言う事柄の内容にも合致する事になりますからね。
まー間違っても折伏しかないは絶対に違うと思いますね。
と同時に、摂受だけであると言うのも違うと思います。

576求道の人:2011/08/24(水) 15:23:20 ID:FwLJEQPY0

堅皇さん、

私はある意味正反対の意見になりますが、日蓮聖人は僧として摂受の立場を堅持されたと思います。

日蓮聖人が得宗をもって「国主」とみていた時期があったことは、興風談所の坂井師の平成20年の立正での研究発表にありましたが、確実な遺文を本とした説得力のある発表だったと思います。

日蓮聖人は国主に対して折伏の実行を促しはしたものの、自ら折伏を実践することはなく、あくまでも僧としての立場から摂受(言論による布教)を実践されたと思います。

577堅皇:2011/08/24(水) 18:46:03 ID:vq54SzT20
求道の人さん

結論として日蓮の用いた摂受とは相手の考えを認めながら自身の法を少しずつ伝えるものであり
折伏とは相手の考えを強く諌める事から始めると言うもの。

対する天台の摂受と折伏に関して言えば求道の人さんのご指摘にもあるように
禅定が基本として語られているもので、掛かる対象が相手ではなく己心となりますので
自分自身の考えに対し摂受であるか折伏であるかと言うことになります。

表現は違えどその義は同一と言うのはそう言うことですね。

ですから日蓮の法の流布のあり方は、その基本は摂受の中にあり
国が乱れる場合は、その乱れの原因である国主、武家、僧侶に対し
強く諌めるためと言う意味での折伏を用いたと考えています。

つまり、戸田さん時代の行われた折伏大行進は摂受であるべき民衆に対し
折伏と言う言葉を用いて強要しているという点で、日蓮の意に即してないと考えるわけです。

また、池田さんの摂受と折伏のあり方も
民衆や会員たちに同じく折伏を強要し、諌めるべき相手であろう
チャウセスク大統領や、ムバラク大統領に対し諌めるどころか迎合しているところに
違和感を覚えるという事ですね。

578求道の人:2011/08/24(水) 21:08:53 ID:FwLJEQPY0

堅皇さん、

>折伏とは相手の考えを強く諌める事から始めると言うもの。

これも折伏ではなく摂受です。

繰り返しになり恐縮ですが、相手を強く諌める事を「折伏」と規程したのは大日経です。「或ハ餘ノ菩薩ハ悪趣ノ因ニ住スル見テハ 之ヲ折伏センカ為ニ而モ麁語ヲ現ス」
「麁語」というのが相手を諌めるような言動という意味です。
日蓮聖人の確実な遺文からは、相手を強く諌める事をもって「折伏」と規程したものはみつかりません。

「問注得意抄」には「設ひ敵人等悪口を吐くと雖も、各々当身の事、一二度までは聞かざるが如くすべし。三度に及ぶの時、顔貌を変ぜず、麁言を出ださず軟語を以て申すべし」とあり、「麁言」を用いず「軟語」を用いるよう指示されています。
在家の布教は摂受の中でも「軟語」をもって行なうようにとの仰せと拝します。


但し現代的意義としては、それぞれ所属の団体・教団または指導者によって解釈は異なります。

それはそれとして、確実な日蓮聖人の遺文によるかぎり、日蓮聖人の一期の弘通は摂受の実践であったと考えています。

また天台の思想規範に大きな影響をあたえているのは竜樹の「大智度論」ですので、「法華玄義」に多用される折伏義は教典的には「涅槃経」により、論釈としては「大智度論」の「剛強難化用麁言 心柔易度用軟言(剛強ニシテ化シ難キハ麁言ヲ用イ、心柔カニシテ度シ易キニハ軟言ヲ用ヒタマフ)」に根拠があると考えます。

初期の日蓮聖人の思想に大日経の影響があったことは確実で、大智度論、法華玄義も当然影響はあると思いますが、それでも麁言(強言・厳しい指摘)をもって「折伏」と規程した確実な遺文が無い以上、重要著述「観心本尊抄」の記述に従い、僧である日蓮聖人の一期の弘通は摂受であったと考えるべきだと思います。

579堅皇:2011/08/24(水) 22:38:46 ID:vq54SzT20
求道の人さん

では、話の論点を変えましょう。

日蓮の取った行動として「相手の考えを強く諌める事から始めると言うもの。」
要するに立正安国論に代表される国家諫暁に対してもその行為は
折伏ではなく摂受と言うお話ですよね。
それならそれで構いません。
と言うのも、もともと妙法蓮華経には折伏と言う表記はありませんので
この語に拘るつもりはありません。

しかし、折伏と言う行為ではないにせよ諫暁と言う
国主、武家、僧侶に対し「相手の考えを強く諌める事から始めると言うもの。」と言うものを
行った事自体は事実でありますよね。
つまりは大日経に示される「或ハ餘ノ菩薩ハ悪趣ノ因ニ住スル見テハ 之ヲ折伏センカ為ニ而モ麁語ヲ現ス」
この行為に及んだという事実です。
語に依らず義に依ると言うことはそう言うことです。

妙法蓮華経の言わんとする事は、方便を用いるなと言う事ではなく
あくまでも方便に執着するなと言う話であるわけですから、妙法以外の方便を使うことを禁じているわけではない。
ただ一言、それに執着するなと言う事。

実際に執着してませんから「設ひ敵人等悪口を吐くと雖も、各々当身の事、一二度までは聞かざるが如くすべし。
三度に及ぶの時、顔貌を変ぜず、麁言を出ださず軟語を以て申すべし」を持ってして諫暁から身を引いているわけです。

つまり、身を引くか引かないかの結果論ではなく、日蓮は国主、武家、僧侶に対し諫暁を行ったのかと言う事と
農民信徒に対してもそもそもが諫暁に値する対応を行ったのかと言う事ですね。

それらを摂受と呼ぶか折伏と呼ぶかと言う話ではなく
それぞれの立場の人たちに対してどの様な有り様で法を広めようとしたかと言う話ですね。

580求道の人:2011/08/24(水) 23:13:44 ID:FwLJEQPY0

堅皇さん、

なぜ論点を変えるのですか。ご自分の認識が間違っていたとお認めになるということでしょうか。

日蓮聖人が国主を諫暁したことを疑う余地はないでしょう。しかしその行為も摂受です。

農民信徒に対する諫暁など、全く論拠がないわけで、議論すること自体が無駄です。

身延山曾存の日蓮聖人筆四条金吾授与の経本は、法華経方便品と如来寿量品の長行が書写されており、今の創価学会とは全く違った場所を読誦するよう指導していたわけですが、これは四条金吾が高い識字能力を持っていたからだと思います。
難しい経文を読誦できる基礎学力のないものを、日蓮聖人は「愚癡のもの」といわれていますが、そのような人には無理に難しい経文の読誦は勧めず題目を唱えることのみを勧奨したと思います。
釈尊が修利槃特と他の声聞の弟子たちとに異なった修行法を提示したのと同じだと思います。
そして修利槃特も阿羅漢果を得たわけです。
しかし釈尊は他の声聞たちに修利槃特と同じ修行を勧奨していません。基礎学力、能力の高い人は、あくまでもそれ相応の修行をすべきだからでしょう。

日蓮聖人も立場だけでなく、能力によっても、その教導方法や実践方法の開示が異なっていたであろう事は想像に難くありません。

また現代にあっても同様でしょう。題目を唱えるだけでも良い、しかしだからといって学問を深めようとする行為を無駄と思うことは日蓮聖人、釈尊のお心に反する行為だと思います。
基礎学力・能力のある人は、少々難解な法門の研鑽にも挑戦すべきだと思います。

581堅皇:2011/08/25(木) 05:35:35 ID:vq54SzT20
求道の人さん

何故論点を変えるかは簡単な話ですね。
それは語に拘るか義に拘るかの話ですから
少なくとも日蓮は「義依不依語」を支持した方であり、僕もそうあるべきだと思うからです。

しかし求道の人さんは
「観心本尊抄は義でとらえずに文上のままの語としてとらえるべきです。」と
日蓮の発言を覆す事を仰っていますからね。
それでいて諫暁も大日経にある「相手の考えを強く諌める事から始めると言うもの。」も
御書に語として記されてなければ、それは摂受だと言われてもね。

同じように「南無妙法蓮華経」と言う題目も語に依るのではなく義に依るものだと思ってますから。
語に依るのであれば、創価学会に限らず、立正佼成会、霊友会等も含め皆幸せになる筈ですし
創価と日蓮正宗との対立もあるわけがないですからね。

また、日蓮が「愚癡のもの」と称したのは難しい経文の読み書きが出来ない人を指すのではなく
支配されている人の事を指していると考えていますから。
つまり、主従関係にある、主に対しては諌め、従に対しては諭す。
ただそれだけの話であると思います。

とかく人は権力に負けて、その逆を行使しようとしますが
現実問題、権力に驕らず、また権力に屈しない事が肝要であると言うだけの話だと思いますからね。

実際に日蓮の書は妙法蓮華経だけではなく多くの権経と言われるものから
経文を用いています、つまりは方便を方便として用いているという話です。
ですから、大日経に折伏と書かれているなら、その義を遂行した時点でそれはもう折伏と言うことです。

後は見解の相違、見解の相違は信じるものの違いによって現れるものであるといえます。
求道の人さんは「義依不依語」を信じない、僕はこれを信じ支持する、その違いから来るものですね。

582求道の人:2011/08/25(木) 06:23:26 ID:FwLJEQPY0

堅皇さん

だめです論点を変えるのは貴方の負けです。「義依不依語」などは、論拠を示せない貴方の言い訳に過ぎません。

結局貴方は自分の考えに執着しているだけで、論拠を示しません。私と貴方の引用論拠の差を見れば歴然でしょう。

最低でも今から百冊は文献を読破してからいらっしゃい。

次のご投稿からは、ご自分の主張に対し、明確な論拠を示せるようになってからお願いします。

583堅皇:2011/08/25(木) 08:00:16 ID:vq54SzT20
求道の人さん

「義依不依語」自体が文証であり論拠ですよ。
加えて、求道の人さんが自ら提示した
「或ハ餘ノ菩薩ハ悪趣ノ因ニ住スル見テハ 之ヲ折伏センカ為ニ而モ麁語ヲ現ス」も
立派な文証ですよ。

日蓮自体が、この義を行使した時点で、諫暁は折伏であるという事の論拠になりますね。

ただ、それを認めようとしないから、こちらとしては摂受として受け入れているだけですね。

何故に摂受かといえば、僕と求道の人さんの間には主従関係ではないので
摂受に勤めていると言う話です。

584求道の人:2011/08/25(木) 19:49:30 ID:FwLJEQPY0

堅皇さん、

もう百冊の文献を読破したのですか?随分早いですね。
下らない妄想はやめて、読破された百冊の文献の中から出典明記の上文証・論拠をお示し下さい。

>「義依不依語」自体が文証であり論拠ですよ。

今なのは文証でも論拠でもなく貴方の妄想です。
貴方の下らない妄想には興味は無いので、日蓮聖人の確実な御書、経典、論釈を引用して下さい。

>加えて、求道の人さんが自ら提示した

どこまで不誠実な人格なんですか。人の引用したものを孫引きして楽をするなど、仏教研鑽を志すものとして最低です。そのような手抜きは一切受け付けません。
私が引用したもの以外で、日蓮聖人の確実な御書、経典、論釈の引用をして論拠を示して下さい。

>日蓮自体が、この義を行使した時点で、諫暁は折伏であるという事の論拠になりますね。

なりません。

>何故に摂受かといえば、僕と求道の人さんの間には主従関係ではないので
摂受に勤めていると言う話です。

全く意味が通じません。負け惜しみはやめて下さい。情けない。

百冊でこの程度なら、次は千冊の文献読破を宿題とします。
千冊の文献を読破して、客観的な論拠を、日蓮聖人の確実な御書、経典、論釈から引用をお願いします。

585堅皇:2011/08/25(木) 21:25:01 ID:vq54SzT20
求道の人さん

> 日蓮聖人の確実な御書、経典、論釈から引用をお願いします。

なんか基本的に勘違いしてませんか?
論拠となる文証と言うものは御書でも無ければ、日蓮の論釈でもありませんよ。
日蓮の御書と言うものは文証ではなく、あくまで理証です。

日蓮が他宗の僧との法論において、自身の著作である御書を用いたとでも言うのですか?
文証ものは各宗に共通する経文の事を指すわけです。

でなければ、他宗の僧と論議を交わす事など出来ないでしょう。
御書なんか用いて、これが文証だ、論拠だといくら叫んだところで
「それは日蓮、あんたの我見だ。」でお仕舞いですよ。

日蓮信者は、このスタート地点から間違っている人があまりにも多すぎます。

また、日蓮が御書の中に再三、学べと言ってるのも当然、御書ではない。
御書はあくまで信徒に送ったお手紙でしかないですからね。
それともなんですか、日蓮の時代に御書全集と言う物が発刊されて
それを信徒たちに配ってたとでも言うのでしょうか。

御書に書かれる学べは、当然経文の事を指すわけですね。
更にこの経文を学ぶ事こそが勤行と言うこと。
また、に置いて最も重要としたのが方便品と寿量品で残りは枝葉であると。
方便品と寿量品を読み習えば、後は自ずと読めば理解されると言う話ですね。

我が宗派、門流にだけ伝わるものに、こそ全ての真実が存在すると言う考えは密教そのものです。
何故に天台が、密教を破り、全てを明らかとして顕教を唱えるようになり
日蓮もこれを支持したかをもう少し考え直すべきであると思いますね。

586求道の人:2011/08/25(木) 21:53:03 ID:FwLJEQPY0

堅皇さん、

もう千冊の文献を読んだのですか、であれば貴方の下らない能書きには興味はないので、早く確実な日蓮聖人の御書から論拠を示して下さい。

次のご投稿で研鑽の成果見られず、確実な日蓮聖人の御書から論拠を示せなかった場合、貴方の愚論は全ていい加減な放言であり、無責任な妄想の撒き散らしと認定し、貴方の敗北とみなします。

貴方の主張は全て間違っております。密教に対する認識、天台に対する認識、日蓮に対する認識、念仏に対する認識、全てが早計・短絡・不勉強を露呈した愚論です。

次こそ宿題の成果を必ずお示し下さい。

587堅皇:2011/08/25(木) 23:49:52 ID:vq54SzT20
求道の人さん

あなたの理論をよくよく伺うと

日蓮も用いた「義依不依語」に対し
「観心本尊抄は義でとらえずに文上のままの語としてとらえるべきです。」と
何故か、観心本尊抄だけは「語依不依義」であるかのような珍説を唱え
自ら持ち出した折伏の文証である
「或ハ餘ノ菩薩ハ悪趣ノ因ニ住スル見テハ 之ヲ折伏センカ為ニ而モ麁語ヲ現ス」
を持ってしても、されど日蓮の場合は摂受であると言い放つ。

しかも、自らが逆の事を言っておいてそれに全く持って気付きもしていない。

繰り返します。

> 日蓮聖人の御書から論拠を示して下さい。

それを言うなら、日蓮の御書を経文を持って論拠を示して下さいでしょ。

さて、何故に経文に書かれる「義依不依語」が観心本尊抄では「語依不依義」となるんですかね?
経文を用いて論拠を示して下さい。

そう言った誤った読み方をする人間が現れるなら
日蓮も「秘して無二の志を見ればこれを開拓せらるべきか」とも書かなきゃいけないわけですよね。
求道の人さんの様に全部逆の解釈で読んでしまいますからね。

「諸余経典 数如恒沙 雖説此等 未足為難」(諸余の経典 数恒沙の如し 此等を説くと雖も 未だ難しと為すに足らず)
「仏滅度後 於悪世中 暫読此経 是則為難」(仏の滅度の後に 悪世の中に於て 暫くも此の経を読まん 是れ則ち難しとす)

求道の人さんの場合、千冊の文献を読むより、今一度、妙法蓮華経をじっくりと読むべきですね。

588求道の人:2011/08/26(金) 06:32:02 ID:FwLJEQPY0
堅皇さん

それでは、先に示したとおり、貴方の投稿に貴方の主張を裏付ける論拠の提示がありませんので、貴方の放言は論拠不明の妄想の類であることを認定し、ここに貴方の敗北を宣言いたします。

お疲れ様でした。

守護国家論に引用した涅槃経の一文に執着しすぎた貴方の浅はかさが敗北の原因です。
以後、より多くの文献に親しみ、知見を深められることをお祈り申し上げます。

そうすれば、

>何故に天台が、密教を破り、全てを明らかとして顕教を唱えるようになり

>我が宗派、門流にだけ伝わるものに、こそ全ての真実が存在すると言う考えは密教そのものです。

このようなデタラメ、間違った認識、嘘、は恥ずかしくて投稿できなくなるでしょう。

日蓮聖人はご自分の著述を義依不依語してよむようになどとはただの一度もいっていません。

また聖人滅後の弟子たちは、聖人の法門を論拠として他宗と退治しました。
富士門流の三位日順の著述しかり、中山門流の等覚院日全法華問答正義抄しかりです。

また中山法華経寺の御真筆立正安国論は、幕府に提出したものではなく、信徒のために日蓮聖人が別写した立正安国論です。
また日興や多数の弟子たちの写本、日蓮聖人の立正安国論の講義の記録が現存しています。
日蓮聖人はご自身の著述も弟子たちに講義していたのです。

貴方の認識はすべて事実に反する間違え、勉強不足、デタラメ、妄想、嘘です。
貴方のようなよこしまな人間の嘘・デタラメ・妄想で日蓮聖人の御事跡を歪める事は許されません。

論拠を示せない嘘、デタラメ、妄想、放言はいい加減やめなさい。

589堅皇:2011/08/26(金) 11:08:33 ID:vq54SzT20
求道の人さん

> ここに貴方の敗北を宣言いたします。

うーん、ここでの敗北と言うのを表現するとすれば僕が貴方の考えに賛同した時と言うことになるわけですね。
逆に僕の勝ちとなるのは僕の考えに貴方が賛同した時になりますから
今の場合、話は平行線のままなので、決着は付いてないと言うことになりますね。

潰した方が勝ちと考えるのは平左衛門尉や極楽寺良観側の義と言うところで日蓮の義ではない。
この辺も求道の人さんのお考えがあべこべであると言う事が言えるんですけどね。

日蓮の目的の中には、そもそも勝利や敗北と言う存在は無く
あるのは互いの納得のみと言うことなのですがね。

全ての原因の背景は求道の人さんが御書を文証と捉えてしまっている事ですね。
御書が文証であるならば他宗との対話はそこで成し得ないわけであり
それこそ日蓮信者と言う枠の内での単なるお遊びと言うことです。

> 聖人滅後の弟子たちは、聖人の法門を論拠として他宗と退治しました。

なるほど、「広宣」ではなく「退治」ですか。
広宣流布と言う大義を考えると「退治」では事を成さないと言う事も理解できそうなものであるとも言えるんですけどね。
「退治」が目的と化してしまった日蓮滅後の弟子たち書は地に落ちたと言うところでしょう。
故に「諸余の経典 数恒沙の如し 此等を説くと雖も 未だ難しと為すに足らず」なんでしょうね。

結局のところ富士門流の方々は日蓮が取った手段としての諫暁、折伏と言うことだけに目を奪われ
本来の大義である広宣の心を忘れてしまったと言う事になりますね。
故に摂受、折伏の二道から折伏だけが語り継がれるようになってしまったと言う事ですね。

要するに方便に執着するあまり、肝心な真実を求めるための心を失ってしまったと言うところですかね。

590ソンソソソソソソソン:2011/08/26(金) 11:12:57 ID:/ca2e17w0
> ここに貴方の敗北を宣言いたします。

どうして勝ったとか負けたとかいいたがるんですかね?
講釈で勝ち負け決めるんじゃなくて
どっちが素晴らしい人生をおくれるかが勝負だと思います。

591堅皇:2011/08/26(金) 16:57:08 ID:vq54SzT20
ソンソソソソソソソンさん

> どうして勝ったとか負けたとかいいたがるんですかね?

「常勝」「大勝利」と勝ちに拘るのが創価思想だと言えますから
おそらくは、そこから来るものではないですかね。
もっとも求道の人さんは創価から退会されているようですが、思想的に同じものを感じます。

僕は勝ちにも負けにも成功にも失敗にもそれぞれに意味があり価値があるものだと思います。
負けを気にして失敗を恐れていれば、今の自分を超えることが出来なくなりますから。
勝ったところでそれに驕らず、負けたからと言ってそれに卑下する事も無く
それぞれに、その結果を教訓にして行くものだと考えています。

ですから
> どっちが素晴らしい人生をおくれるかが勝負だと思います。

この考えもないですね。
相対的な物の見方で、人生を判断するのは、他人の不幸を願うようなものであり
それが素晴らしい人生とはとても思えないからですね。

自分の人生は充分に満足してますから、それを他人と比較し
目標とし、教えを請う事はあれど、卑下し羨む事はないですし
教訓とし、助言する事はあれど、驕り蔑む事もないと言う感じですかね。

592求道の人:2011/08/26(金) 18:46:22 ID:FwLJEQPY0

>>590

訳の解らん名前の、負けっぱなしの弱虫君は引っ込んでなさい。

593求道の人:2011/08/26(金) 18:55:52 ID:FwLJEQPY0

堅皇さん

貴方は都合のいいときは日蓮聖人を用い、都合が悪くなると投げ出す。
これではただの卑怯者です。

嘘吐きで勉強不足の負け犬です。

とっとと図書館にでも行って本でも読んできなさい。

貴方が生まれながらにして不幸の人間であることは十分に承知しています。

だからといって、嘘、デタラメを撒き散らし、他者まで不幸の道連れにしようとするインチキ投稿は、弾劾されてしかるべきです。

論拠、根拠の無い、妄想からの放言で、人の信仰心を迷わすような投稿はやめて、日蓮聖人にまつわる議論には、日蓮聖人の御書を文証として行うのが、同じ土俵で議論をするということだということを認識すべきでしょう。

その不誠実さを改め、誠意ある投稿を期待します。

594求道の人:2011/08/26(金) 19:06:08 ID:FwLJEQPY0

しかし中山門流と富士門流の区別もつかんとは、どこまで無智で物知らずか。

学の無さにもほどがある。

退治は対峙の変換ミスに決まっているでしょう。全くこの程度の空気も読めませんか。

595臥薪嘗胆:2011/08/26(金) 20:04:07 ID:OSIoPS/E0
>負けっぱなしの弱虫君は引っ込んでなさい。

落ちこぼれがえらそうに(笑)
あんたら富士門流信徒の掲示板いってきなさいよ。

ほれ
http://jbbs.livedoor.jp/study/364/
素っ裸にされて泣いて逃げ出すよwwwww

596求道の人:2011/08/26(金) 20:13:03 ID:FwLJEQPY0

>595

私は別ハンでずっと昔から参加してますは。

貴方来なさいよ、コテンパンにして差し上げるから。

さあさあ、貴方に勇気があるなら富士門流信徒の掲示板にいらっしゃい。

来れなければ貴方は臆病ものの負け人間認定です。

待っていますよ。

597二画:2011/08/26(金) 21:02:06 ID:Wol2SXuk0
>私は別ハンでずっと昔から参加してますは。

あちらでのハンドルネームを教えてください。
板を閲覧しても貴方みたいな知識の浅い人は
見つけられないんですけどね

まぁあっちも落ちこぼれの同窓会だけどね

598沖浦 克治:2011/08/26(金) 21:07:37 ID:AJ3hr85o0
 今晩は、皆様方

 少し言葉使いに注意をしてくださいませ。

 折角のいい対話が、台無しになってしまいますので。

599二画:2011/08/26(金) 21:07:53 ID:Wol2SXuk0
求道さん

書き込みあまり真剣に読んでませんけど
あなたは今の信仰で、どう幸せになりました?
卒業してハッピーですか?
学会卒業以前と卒業後の変化を教えてください。

600求道の人:2011/08/26(金) 21:09:12 ID:FwLJEQPY0

二画さん

>貴方みたいな知識の浅い人

参考までに、何故このように思われたかご指摘いただけますか。
例えば私の投稿文のどの当たりに、浅識でものを論じてしまった箇所があったか。
出来れば、日蓮聖人の確実な御書を持って、私の浅識をご指摘下されば幸甚です。

別版でのハンネはこちらでは開陳したくありませんのでご理解下さい。

601求道の人:2011/08/26(金) 21:11:48 ID:FwLJEQPY0

連投失礼します。

二画さん、私の脱会後の体験は、既にこちらの功徳を語るコナーの№3だったと思いますが、記していますのでご覧いただければと存じます。

602二画:2011/08/26(金) 21:33:52 ID:Wol2SXuk0
求道の人さん

何処の箇所とかじゃなくて、空気ですよ。
文面から漂う気配ですかね。
あなたはあちらの板にはいないですよ。


脱会後の体験は別スレでご披露済みでしたか。
目にとまらなかったです。
失礼しました。

603二画:2011/08/26(金) 21:38:44 ID:Wol2SXuk0
ちょっとにおうのは、彰往考来さんかな?

604求道の人:2011/08/26(金) 21:41:32 ID:FwLJEQPY0

二画さん、

こちらの掲示板と富士門流信徒の掲示板では、投稿ルールが違います。

こちらは多少相手をたしなめても許されますし、逆に人を平気で差別・侮蔑する投稿もあるわけです。
ですので、こちらではこちらのルールに則り、下らない差別主義者にはそれなりの言辞で望ませて戴いています。

605二画:2011/08/26(金) 21:52:46 ID:Wol2SXuk0
おやおや、こちらの板の管理人さんに失礼ですよ。
あなた何度も差別といいますが
「区別」ですよ。
>>603
間違いでした。誰かわかったwwww
あの板で一番幸薄い人だね。

606求道の人:2011/08/26(金) 21:58:13 ID:FwLJEQPY0

二画さん、

区別とは差別の事ですよ。
ご存じなかったですか。区別と差別が別物と思われていたとしたら人権意識の高い方とはいえません。
障害者権利条約では区別することを差別と定義しています。

607二画:2011/08/26(金) 22:04:42 ID:Wol2SXuk0
>>604
そういう発言って分別のわかる大人なら
思ってても言わないほうがいいんだよ。
だから幸薄いんだよ。

608求道の人:2011/08/26(金) 22:05:16 ID:FwLJEQPY0

>>605

当板で最も幸の薄い二画さん、曼陀羅華の舞うが如く、貴方が福運に満ち溢れることをお祈り申し上げます。

609二画:2011/08/26(金) 22:06:50 ID:Wol2SXuk0
>>608
人真似のコメントばかりですね。
オリジナリティがないよね。
興奮すると行間がうまっちゃうんですね。

610二画:2011/08/26(金) 22:08:58 ID:Wol2SXuk0
荒らしても良い軽い板だと判断したから

荒らしに来てるわけですか

旧道の人君。

611二画:2011/08/26(金) 22:10:14 ID:Wol2SXuk0
富士門流は高貴な板だから礼儀正しくしているが

ここは馬鹿ばかりだから、荒らしていると言ってるのですか

急道の人ちゃん

612二画:2011/08/26(金) 22:11:40 ID:Wol2SXuk0
だから差別が何?

何がいいたい?

止めたのはアンタだろ?

なんでからむのですか?

613求道の人:2011/08/26(金) 22:12:49 ID:FwLJEQPY0

管理者様

二画さんは、私の投稿を荒らしとご指摘下さいました。

もし管理者様からみても、私の投稿が荒らしと判断されましたならば、そのときにはアクセス禁止処分にあまんじたく存じます。

614二画:2011/08/26(金) 22:13:19 ID:Wol2SXuk0
富士門流いくから

ハンドル書きなさいよ。

他人様の庭荒らしてすむとおもうかね?

ハンネ書け

615二画:2011/08/26(金) 22:15:44 ID:Wol2SXuk0
せんど管理人さんを軽んじる発言をしていながら

何で物申せるのかね。

アクセスどうの言う前に管理人様に失礼を詫びなさい。

脱会者って本当に節度も秩序も礼節もない中途半端な人ばかりだね。

だから、一つのことを極めることが出来ないのだ。

謝罪の後あちらのハンドルを述べよ。

続きはあちらでやろう。

616求道の人:2011/08/26(金) 22:19:16 ID:FwLJEQPY0

>>615

来る勇気あるなら何時でも来なさい。

貴方の勇気が試される時ですよ。

617二画:2011/08/26(金) 22:20:06 ID:Wol2SXuk0
四の五の言わずに

ハンネを書きなさい。

すぐいくよ。

618二画:2011/08/26(金) 22:21:55 ID:Wol2SXuk0
誰かわからないと対話できなでしょう。

あちらのハンネ書きなさい。

出来ないのならここから出て行きなさい。

619求道の人:2011/08/26(金) 22:22:35 ID:FwLJEQPY0

>>617

これまでの貴方の人格に接し、貴方を信用することなど出来ません。

勇気があるなら来なさい。

620二画:2011/08/26(金) 22:23:51 ID:Wol2SXuk0
能書きはいいからハンドルをいいなさい。

だれかわからないのにいけるか??

何故逃げる?

所詮ハンドルネームだろ??

早く書けよ。

621求道の人:2011/08/26(金) 22:24:48 ID:FwLJEQPY0

二画さん、

>出来ないのならここから出て行きなさい。

貴方は管理者様の別ハンですか?
貴方が管理者様で、このように申されているのでしたら筆を置き退散します。

622二画:2011/08/26(金) 22:25:18 ID:Wol2SXuk0
呆れた人だね。
対面はおろかハンドルすらかけないのか・・・
どんな信仰をしてるのかね
だから継続できないんだろう。
愚かな・・・
早く名を名乗りなさい

623二画:2011/08/26(金) 22:25:57 ID:Wol2SXuk0
>>621

逃げるな。

624二画:2011/08/26(金) 22:26:59 ID:Wol2SXuk0
ハンドルごとき晒されないで
なにが信仰だ!
逃げるな。
わたしが管理人のはずがない。
論点すりかえもいいところだ、卑怯者。
富士門流の面汚しだぞ。

625二画:2011/08/26(金) 22:30:32 ID:Wol2SXuk0
ここの管理人さんは、現実に誰とでも
対面なさる方です。

掲示板のハンネごときを隠すような
愚かな悪戯電話魔は二度と敷居をまたぐな!

626求道の人:2011/08/26(金) 22:32:11 ID:FwLJEQPY0

二画さん、

逃げているのは貴方です。

管理者でも無いのに、何の権限あって出て行けなどといえるのですか。

管理者様と貴方とでは、人間の器が違いすぎます。
その貴方が管理者権限を勝手に行使するような発言をする。
貴方の方こそ、管理者様に謝るべきではないでしょうか。

627沖浦 克治:2011/08/26(金) 22:34:22 ID:AJ3hr85o0
二画さん、今晩は

 少し感情的ですね。

 注意をしてくださいませ。

628二画:2011/08/26(金) 22:35:13 ID:Wol2SXuk0
論点すり替えはもう結構なので

あちらの板のハンネを教えてください。

続きはあちらでやろうや。

629二画:2011/08/26(金) 22:36:33 ID:Wol2SXuk0
沖浦さん こんばんは。

どうすればよいとお考えですか?

630求道の人:2011/08/26(金) 22:37:56 ID:FwLJEQPY0

二画さん、

教える必要はありません。
貴方が来ればよい。それだけでしょう。

631二画:2011/08/26(金) 22:40:16 ID:Wol2SXuk0
こちらの板を愚弄したので

求道の人さんが常駐している板でやりましょうといっただけです。
ハンネをいえないということは、その板に出入りしてないんでしょうけどね。

632二画:2011/08/26(金) 22:41:03 ID:Wol2SXuk0
>>630
あなたはあちらの管理人さんなのですか?

633二画:2011/08/26(金) 22:41:47 ID:Wol2SXuk0
>>630

名前もなのらない相手と対話できませんよ(笑)

634二画:2011/08/26(金) 22:42:22 ID:Wol2SXuk0
私がこの板の管理者であれば
求道の人のIPを世界中の掲示板に
「卑怯者のIP」として晒し上げます。

この板の管理人様は、心が広く大きな方だ。
私如きを例えにだすとは失礼もはなはだしい。
逃げる前に無礼非礼を詫びてから去りなさい。

635求道の人:2011/08/26(金) 22:52:02 ID:FwLJEQPY0

>>634

創価学会の信仰をしていると、

>求道の人のIPを世界中の掲示板に「卑怯者のIP」として晒し上げます。

このような脅しを平然と述べられるようになるんですね。

貴方のこの人格が創価学会の信仰の功徳ですか?

間違っても貴方のような人間にはなりたくありません。
辞めて本当に良かったと思います。

私はここの管理者様から撤退を指示されないかぎり、お邪魔させていただくつもりです。
あしからず。

貴方の指示には従いません。

636二画:2011/08/26(金) 22:55:36 ID:Wol2SXuk0
>創価学会の信仰をしていると、
>このような脅しを平然と述べられるようになるんですね。

凄い侮辱。
自分の姑息な態度を棚にあげて
相手を愚弄するのですか。

管理人さん

求道の人のアクセス禁止をお願い申し上げます。
スレの中で度重なる暴言が見られます。

637二画:2011/08/26(金) 22:56:35 ID:Wol2SXuk0
同時に
求道の人
IP開示お願い申し上げます。
そのIPをもって
他所で確認後対話させて頂きます。

638二画:2011/08/26(金) 22:57:48 ID:Wol2SXuk0
このような発言は板の趣旨に反します。

_______________________
求道の人:2011/08/26(金) 18:46:22 ID:FwLJEQPY0

>>590

訳の解らん名前の、負けっぱなしの弱虫君は引っ込んでなさい。

639沖浦 克治:2011/08/26(金) 22:58:41 ID:AJ3hr85o0
 二画さん、

 そう言うことは現状で必要がないと判断いたします。

640二画:2011/08/26(金) 23:00:57 ID:Wol2SXuk0
では退会者に学会員が愚弄され続けている
発言を容認されるということでしょうか?

641沖浦 克治:2011/08/26(金) 23:02:46 ID:AJ3hr85o0
 大聖人と、貴方方とではとらえ方が異なっていると思います。

 現実社会の中で布教をするなら、全て折伏となると思います。

 『権実雑乱の時法華経の御敵を責めずして山林に閉じ篭り摂受を修行せんは豈法華経修行の時を失う物怪にあらずや、』
 (如説修行抄)

 山林に閉じ篭り、と書かれています。
 社会の現実と対面し、布教するなら、相手の立場を認めても、折伏です。

642二画:2011/08/26(金) 23:08:47 ID:Wol2SXuk0
私は本日脱会者に未だかつて無い侮辱を受けました。
それに関して同志の心無い対応に激しく気力の萎えを思えました。

どちらにもガッカリです。
目が覚めました。
ありがとうございました。
やめます。あんたらカルトだわ。ありがとう目が覚めた!あばよ。
ヘタレにキチガイばいばい。

643沖浦 克治:2011/08/26(金) 23:11:38 ID:AJ3hr85o0
 二画さん

 容認するかどうか?
 愚弄かどうかの判断が先ですが、許容範囲だとの判断です。
 本当に愚弄だと判断すれば、対処致します。

644沖浦 克治:2011/08/26(金) 23:12:22 ID:AJ3hr85o0
 退会者だ、在会者だと言うことで、

 差別をしておりません。

645二画:2011/08/27(土) 00:07:07 ID:Wol2SXuk0
沖浦さん

あなたが何を言おうとも
あなたの対応が原因で
私は退会します。
全て貴方の心ない発言原因です。
私の命に刻まれた許しがたき傷は
貴方によって出来たものです。
よく覚えておいてください。さようなら。

646二画:2011/08/27(土) 00:12:23 ID:Wol2SXuk0
体裁のいい事ばかりを並べたくっても
同志すら守れない者に信仰など語れるか。
とっとと板たたんで、小さなボランティア活動から
やりなおしなさい。
ワックスを売って小金を稼ぐのが最上の喜び。
鉄の塊を担ぐだけの運動で1キロでも多く担ぐだけが
最上の喜び。慈悲の心もない。
己の欲望だけな男。
折伏どころか、世の中からどんどん退会者を生み出す男。
それがお前なんだよ。

647沖浦 克治:2011/08/27(土) 00:19:14 ID:AJ3hr85o0
 二画さん、今晩は

 照れるじゃないですか・・・・・

 では、さようなら。

648威風堂々 ◆JEhW0nJ.FE:2011/08/27(土) 04:43:11 ID:s7GC9YSk0
二画さん、おはようございます。退会されるとは本当ですか?考え直して頂けませんか?
正法を捨てる害毒は、恐ろしいんですよ。どうか、考え直して下さい。退会などどいう、馬鹿げだ行為は止めて下さい。
私は、学会で沢山の功徳と守護を受けさせていただいています。これが真実です。

今の二画さんは、魔に侵されていると思います。自分の魔にどうか、打ち勝って下さい。お願いしますよ。

649沖浦 克治:2011/08/27(土) 06:32:28 ID:AJ3hr85o0
 威風堂々さん、おはようございます
 
 二画さんは、最初から退会されていて、ここに書かれていた可能性があると思います。
 ですが、ここで退会されると宣言されたのですから、それはそれでいいと思います。
 アク禁にはしておりませんので、また気が変わって書かれることもあるでしょう。
 少しそっとしておきませんか?

650求道の人:2011/08/27(土) 07:46:15 ID:FwLJEQPY0

沖浦さん、深夜までの管理応対お疲れ様でした。

>>649

私は、この逃げ回りの弱虫である二画なる最低人間は、かの阿部日一派の類だと思います。
沖浦さんのせいで脱会者が出ているという自作自演のように感じられます。

>>642
これには放送禁止用語まで含まれています。

こんな事を平気で記すものまでアクセス禁止を猶予するのは寛大というより甘すぎると思います。

自分の非礼な態度を棚に挙げ、自分勝手に異常なまでに興奮し、最後は放送禁止用語爆裂で自爆し、人のせいにして脱会して行く。そして遁走。
腹抱えて笑わせていただきました。

はっきりいって病院行った方がいい人間ですね。

ま、こっちは何時でもどこでも議論に応じる準備があるので、勇気と根性と学識があればかかってくればよろしい。

651沖浦 克治:2011/08/27(土) 07:51:17 ID:AJ3hr85o0
 求道の人さん、おはようございます

 掲示板ですので、なんにでもなれますから、仕方がないですよね。
 でも、書き込みには境涯が現れますから、正体はばれます。
 阿部日さんは、フジボーで小さな他化自在天を目指していますが、凄く小さいですね。
 
 アク禁はあまりやりたくないのですよ。
 そう言うことでさびれた板が沢山ありますし。
 甘いでしょうが、ご賢察をお願い致します。

652求道の人:2011/08/27(土) 07:57:31 ID:FwLJEQPY0

>>651

わかりました。
管理業務に口出しをするような書き込みをし、失礼致しました。

653堅皇:2011/08/27(土) 10:26:35 ID:vq54SzT20
求道の人さん
> 貴方が生まれながらにして不幸の人間であることは十分に承知しています。

下手にお気遣いさせてしまっているようですが
だからこそ見ることが出来た環境、だからこそ出来た体験と言うものが数多くあります。
先ず言える事は、振り返って見て、だから不幸であったと思う事は何一つ感じていません。
むしろ恵まれた環境過ぎて、気が付かないでいる人に対して不幸だと思うことは多々ありますが。

僕の信者としての立ち居地は>>575 にて明確にしてますからね。
> 基本的に僕は日蓮の信者ではなく妙法蓮華経の信者であり、日蓮が妙法蓮華経に忠実かどうかで見ているわけですね。
> 大枠、日蓮が妙法蓮華経に忠実であると思うから支持していると言うスタンスですから。
と。
これは「義依不依語」と同様に日蓮が用いた法四依である「依法不依人」によるものです。

最初は僕も日蓮の信者でしたが、日蓮の信者であればこの「依法不依人」に対し矛盾が生じるわけです。
人である日蓮を信じると言う事は即ち不依人に反しますからね。
ここで日蓮の義を汲み取るならば、人である日蓮を信じるのではなく
日蓮の唱えた法、つまりは「南無妙法蓮華経」を信じるべきであるという事になりますね。
南無妙法蓮華経とは、妙法蓮華経に南無すると言う解釈が、どう考えても正道、正法というわけですね。

試しに御書を読み、妙法蓮華経から、その義が外れていると思ったとき大概が、真蹟なし、真偽未決と言う結果。
つまるところ「妙法蓮華経」の理論は百冊の文献を読破するよりは
妙法蓮華経を真っ直ぐに読み理解して、浮かび来る疑問を妙法蓮華経に照らしてみれば良いだけの話。
題目は理論はもっと簡単、百冊の文献を読破するより、ただ「南無妙法蓮華経」と唱え
妙法蓮華経に南無すれば良いだけの話ですね。

さすれば経文を読まずとも無限の智慧を得る事が出来ると言う話。
そりゃー経文としての妙法蓮華経も必要なくなります。
ただ、肝心なのは妙法蓮華経に南無すると言う一心の思いですね。
残念な事に「南無妙法蓮華経」と口にしている人は多いが、本当に妙法蓮華経に南無している人は、とても少ないと言えますけどね。

654堅皇:2011/08/27(土) 10:27:10 ID:vq54SzT20
> 日蓮聖人にまつわる議論には、日蓮聖人の御書を文証として行うのが、
> 同じ土俵で議論をするということだということを認識すべきでしょう。

これは違うと言えますね。
法然さんにまつわる議論をするのに選択集を正しいと言う事ありきで議論を進めますか?
だとすれば、それは単なる妄信です。
文証、理証、現証はその3つが揃って初めて証明されるものであるという事ですね。

そもそも僕は日蓮と言う人の信者ではないわけですね。
あくまで日蓮が唱えた「南無妙法蓮華経」の信者であるわけです。
言ってみれば僕にとっての日蓮と言う存在は師匠の位置に付ける者であるわけです。

ちなみに日蓮の師匠は道善房であります。
さて、日蓮は道善房の言う事を全て鵜呑みにしましたかね。
しませんよね。

ですから、御書を文証とする場合は理証、現証でも証明させなければいけませんね。
例えば「義依不依語」が文証と成り得ないと思えば理証、現証を持ってしてそれを証明させれば良いわけですね。
もっとも、その場合は日蓮の言をも否定してしまう事にもなりますが。

ただ、真実を追究するということはそう言うことですね。
僕は日蓮の言と言えども疑念に思うことはどんどん調べていきますけどね。
その結果、殆どが日蓮の書と断定できるものではない真偽未決のものばかりでしたけど。
加えて、妙法蓮華経に関して言えば今のところ揚げ足の取る事も出来ないくらい完璧な理論だと思っています。

それと「対峙」ですか?
確かに日蓮正宗のような謗法厳禁システムにより鎖国のための防波堤の役割には使えるものかもしれませんが
「広宣」にはやはり役立たないものと言えるでしょう。
そう言う意味でも御書が文証であると言う考え方は
日蓮信者と言う枠の内での単なるお遊びだと言っているわけですね。

655求道の人:2011/08/27(土) 13:06:51 ID:FwLJEQPY0

堅皇さん、

要するに日蓮聖人の言説に関する議論は勉強不足の貴方には不利だから、妄想の世界の話をしたいということですね。

であれば議論は不要で、自分のブログで書き綴れば良いことでしょう。

結局は論拠は何一つ出せないということですね。

>「広宣」にはやはり役立たないものと言えるでしょう。

役に立つたたないではないのです。直弟子たちの行動を示す文献を、貴方が何冊読んで判断しているかです。
論点を摩り替えないで欲しい。

>日蓮信者と言う枠の内での単なるお遊びだと言っているわけですね。

これは貴方のように都合の良い時だけ日蓮聖人の思想・行動を引き合いに出し、都合が悪くなると自分は日蓮信者ではないなどと逃げ口上を吐く、あなた自身のことです。

>加えて、妙法蓮華経に関して言えば今のところ揚げ足の取る事も出来ないくらい完璧な理論だと思っています。

ろくに読んでもいないくせに批評しないこと。

>だとすれば、それは単なる妄信です。

妄信は邪教堅皇教ことあなた自身の考えです。

>本当に妙法蓮華経に南無している人は、とても少ないと言えますけどね。

貴方も理解できていない一人です。


論拠を示してきた私に対して、論拠不明示の不誠実で応答する貴方には、今後このように手を抜いて嘘・偽り・デタラメ・放言を指摘するのみの応対をしたいと思います。

誠実な対応を望みたければ、しっかりと本でも読んで論拠を示す投稿をお願いします。

656堅皇:2011/08/27(土) 14:42:20 ID:vq54SzT20
求道の人さん

論拠はいくつも示しているんですけどね。
御書の読み方、捉え方があべこべである→「義依不依語」
日蓮を信じるのではなく妙法蓮華経を信じる→「依法不依人」

> 役に立つたたないではないのです。直弟子たちの行動を示す文献を、貴方が何冊読んで判断しているかです。
> 論点を摩り替えないで欲しい。

その理由は、さっき>>653 に述べたとおりで、その論拠は
「諸余経典 数如恒沙 雖説此等 未足為難」「仏滅度後 於悪世中 暫読此経 是則為難」ですね。

弟子たちの行動を示す文献が「此経」にあたると言うなら読み深めてみますがね。

御書が文証であると思い込んでるようですが
御書はあくまで日蓮の論ですね。
その御書に書いてあることを証明させるために、論拠として経文を指し示した。
つまり、文証とはあくまで経文の事を指すわけですね。

結局求道の人さんの言ってる事は
御書を持って御書の正当性を求めなさいと言う事ですよね。
それって、自分の考えを持ってして自分の考えを正当化するのと言う事ですよね。

要するに自分の考えが正しいと言う事ありきで話をしていると言う事です。
しかも、法論、対話を「勝つために」と認識しておられるから余計に性質が悪い。
日蓮信者の掲示板が荒れるのはそう言うことですね。

ちなみに、これは文証に反する理証を元にした事によって現れた現証と言う話ですね。

657求道の人:2011/08/27(土) 14:50:50 ID:FwLJEQPY0

堅皇さん、

>要するに自分の考えが正しいと言う事ありきで話をしていると言う事です。

これは貴方のことですね。

>自分の考えを持ってして自分の考えを正当化するのと言う事ですよね。

全然違います。

>文証とはあくまで経文の事を指すわけですね。

違います。日蓮の土俵で議論する時は日蓮遺文を文証とすべきです。
貴方は都合が悪い、自分が苦手なところに差し掛かると、このような詭弁で逃げているだけ。
いい加減そのことに気付きなさい。

>弟子たちの行動を示す文献が「此経」にあたると言うなら読み深めてみますがね。

あるかどうか読めばわかるでしょう。読みもしないでネットググッて終わっている貴方は懈怠を呈しています。

>論拠はいくつも示しているんですけどね。

全然示していません。
単語・熟語レベルでは論拠とは認めません。

658グラスルーツ:2011/08/27(土) 17:37:36 ID:2bdP3Ayg0
>>645-646
二画さん

残念ですね。
なんで感情を抑えきれずに何度も自爆するのでしょうか。
いずれはあなたが人生で乗り越えなくてはいけない大きな課題ですよ、これは。

私は水に流しましたが、あのときに私に対して本当に悪いと思っていてくれたのなら、
ここは私に免じてすぐに沖浦さんと求道の人さんに暴言を詫びをいれてくだされ。

ご復帰をお待ちしておりますよ。

660ソンソソソソソソソン:2011/08/31(水) 17:06:57 ID:/ca2e17w0
言いたい放題書き放題で騒ぎまくって
挨拶もなしに立ち去ってしまったのでしょうか?
礼くらい言って帰りましょうねみなさん。

662僻み一刀:2012/06/11(月) 21:00:03 ID:ssf4qZbY0
仏罰じいさんからパソコン取り上げるのが第一歩だな^^

じいさん害毒撒き散らし過ぎだよ。
老い先短いとはいえ、
死ぬ前にパソコン取り上げた方が皆の為だ^^

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