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大河さんの板の話題のスレッドです
1沖浦克治:2010/10/02(土) 05:23:00 ID:AJ3hr85o0
 少しあちらで書き込みましたが、横槍と揶揄、思い込み我見が多いので、あまり効率よく対話が出来ません。
 ここで、議論と対話をいたしましょう。

 皆様方も、ご参加下さいませ。

2沖浦克治:2010/10/02(土) 05:27:00 ID:AJ3hr85o0
 あちらの代表的な参加者の、説教親父さんが、大聖人の出世の本懐を語る態度がこれです。



24 :説教オヤジ:2010/10/01(金) 23:45:14 ID:y0Iu4qX60
>>23
おやおや
遂に説教オヤジのクイズには一問も答えられずに遁走か?

 当然対話ではなく、法論ですらありません。
 大聖人出世の本懐が、

 クイズ!

 これじゃね〜〜。
 話すだけで大謗法です。
 こう言う人とマトモなお話は無理です。
 ですので、少しあちらには行かない事に致しました。
 すでに、大河さんの掲示板と言小さな池に、私が大きな石を投げ込んであります。
 後は少しの間は揺れが続くでしょう。

 納まったころ、又出かけます。
 大掃除なんです。

3沖浦克治:2010/10/02(土) 05:30:58 ID:AJ3hr85o0
 管理人さんの浮かれ騒ぎです

>27 :管理人:2010/10/02(土) 01:07:52 ID:U0lvXrxU0
結局、常に沖浦氏が「戸田先生、戸田先生」と言っていたのは

単に、
http://jbbs.livedoor.jp/study/10384/storage/1285160445.html 78
>戸田城聖のこの時の展開の一瞬は、将来、
>世界の哲学を変貌せしむるに足る、一瞬であったといってよい

どこかでの、コピーをネタにしてのことですね。
本当には、小説・人間革命を読んでいない。
前後には「御本尊」のことが書いてあるのだけど。

 そりゃ、当時は日蓮正宗信徒ですからね、御本尊書かないと宗門が承知しませんよ。
 この人、破門されてなお、宗門の威光を恐れています。
 面白い方です。

>それに、執筆したのは、池田先生なんですけどね。

 当時ね、先生は日蓮正宗信徒でした。
 私たちもそうだったんです。
 ゲイカ様に信服随従って、言ってでましたよ。
 時代を弁えないとね。

4沖浦克治:2010/10/02(土) 05:32:22 ID:AJ3hr85o0
28 :しげきょん:2010/10/02(土) 02:40:46 ID:gQsQ2g3k0
この後ですが説教親父さんに 戸田先生の指導を語ってもらいたいですね
偽信心の輩も退散したことだし
どうですか?

 偽信心はね、配達員騙りさんや、貴方方です。
 怨嫉謗法のオンパレードじゃないですか。

5沖浦克治:2010/10/02(土) 06:51:58 ID:AJ3hr85o0
 寛師教学では

 『生と死と二つの理は生死の夢の理なり妄想なり顚倒なり本覚の寤を以て我が心性を糾せば生ず可き始めも無きが故に死す可き終りも無し既に生死を離れたる心法に非ずや』
 (三世諸仏総勘文教相廃立)

 この御文を、

 ご本尊(戒壇本尊)に唱題すると本覚の境涯となって、妙法の心性が正しく顕れ、生死の縛を断ち切り、苦しみや悩み、死への恐れもなくなる。

 少し考えれば理解できますが、この御書は聖人御難事の直後です。
 もし寛師の言うとおりなら、戒壇本尊の固有名詞が出てとうぜんですが、ありません。
 そして、当時御本尊図顕は大変な事です。
 紙も墨も筆貴重品です。
 しかも大聖人の直筆なんです。
 簡単に誰でもがいただけません。
 ですので、

 『あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。』
 (阿仏房御書)

 誰にでも見せるな。 
 子供にしか譲るな。

 凄い貴重な物ですよ。
 それを、ご本尊に唱題すると??
 そう言うことごく一部の選ばれた信徒だけが可能です。

 この御文に御本尊入れたら、小乗経です。

 『日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし』
 (報恩抄)
 
 板や、紙幅のご本尊が、万年を超えて塵未来歳まで寿命がある。と考える方が愚かです。

6沖浦克治:2010/10/02(土) 06:55:19 ID:AJ3hr85o0
>28 名前:しげきょん 投稿日: 2010/10/02(土) 02:40:46 ID:gQsQ2g3k0
この後ですが説教親父さんに 戸田先生の指導を語ってもらいたいですね
偽信心の輩も退散したことだし
どうですか?


 戸田先生の指導を語る??
 無理ですよ、お出来におなられるお方は、池田先生お一人です。

7備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/02(土) 09:54:46 ID:g2zr24dw0
  しかしながら、相変わらず「戸田先生の観心本尊抄文段講義」って騒いでいるけど
  今月号の大白蓮華での「出世の本懐」の解説と、どの様に折り合いをつけるのかなァ〜
  お得意の『大御本尊という物ではなく、「観心の本尊」を顕された』というつもりなのかな?

8沖浦克治:2010/10/02(土) 16:23:21 ID:AJ3hr85o0
 備前さ

 いくらそう言うもの貼っても、祈って動かない人は功徳はありません。
 功徳無いなら、偽信心ですね。

 これは大聖人の仏法の基本です。

9備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/02(土) 17:17:15 ID:g2zr24dw0
 こんにちは!沖浦さん

 まァ、祈って動いている人でも反対意見のために貼り付けやってては功徳は無いと思いますが
 自身の勉強、また他人にも勉強して欲しいと言う一念でなければ駄目だと思います。

 σ(^^; も動かなくては・・・・・・・(^^;ゞ

10日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/06(水) 11:46:43 ID:8FNX.yWoO
大河板やばし。

親分(S教さん)と子分(T河さん)の関係になりつつあり。

注目度たかし。
今後の板の流れに注目。

(ですが私はカキコミいたしません)

11日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/06(水) 11:51:03 ID:8FNX.yWoO
はよ気づけ。「Oヤジ」も「Tiger」も。

話しは違いますが、タイガースがんばれ。

12沖浦克治:2010/10/07(木) 09:11:08 ID:AJ3hr85o0
 日々さん

 今回創価学会教学部が、戒壇本尊本懐論を捨て去り、末法万年を目指して、民衆の機根を整えることが本懐と位置づけました。
 ですので、今後、創価学会から戒壇本尊本懐論はなくなります。
 
 それを認めたいか認めたくないか?
 それは学会員それぞれの問題ですが、ほとんどの学会員はすんなり受け入れると思います。

 普通に考えて、戒壇本尊本懐論は、日蓮正宗教学の根幹です。
 その私共が捨て去った宗派の教学の根幹を、何時までも引きずる事は愚かですね。
 損ですよ。

13日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/08(金) 08:30:46 ID:8FNX.yWoO
>>12
沖浦さん。おはようございますm(__)m。

まったく同感です。

今日の聖教の《「報恩抄」に学ぶ9》(学生部教学室編)は
"法華経の題目こそ一切経の根源"が主題でした。

学ぶべき事多し!で読みました。

今、他スレで話題の己心の題目云々にも思索を展開できるなあと私は思いました。

『法華経の題目』とは!??。

皆さんの思索のキッカケになればと思っています。

と、カッコイイ事を述べておりますが、最近、己心の題目が中心です。
今日は、御本尊に向かって題目をあげたいと思います。
今日は休みで、昼過ぎから地区部長とお出かけです(^_^;)。

14沖浦克治:2010/10/08(金) 09:04:05 ID:AJ3hr85o0
 報恩抄にある

 『題目は法華経の心なり』

 が載っていましたね。
 この法華経の心は、漫荼羅としては伝わりません。
 人が唱えてこそ後世に伝わるのです。
 四条金吾に仰せです。

 『其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり。』
 (四条金吾殿御返事)

 仏法を継いで後世に伝えるのは、人です。
 漫荼羅じゃありません。 
 御書に明々白々です。

 これを考えるなら、出世の本懐は戒壇本尊図顕ではなく、衆生の機根の整えである事が明らかです。

15日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/08(金) 10:49:05 ID:8FNX.yWoO
>>14
>この法華経の心は、漫荼羅としては伝わりません。
 人が唱えてこそ後世に伝わるのです。
 四条金吾に仰せです。


>仏法を継いで後世に伝えるのは、人です。


沖浦さん。

【仏法を継いで後世に伝えるのは、人です。】

伝えるのは人。
とても分かりやすい言葉です!。

私は今回の新聞(講義)で思索すべき点(私自身が)は、
《妙法蓮華経の五字に一切の法を納る(326頁)》です。

【五字】。

これを命で実感する為には、対鏡の御本尊が必要だと思うのです。

あさんが、連日で御文を貼付けてカキコミしておりますが、
究極と言いますか………

命で五字を感じる事ができるのか……。
(おそらく、沖浦さんはできると判断すると推察しますが)
私は、その実感を湧かない人、できない人の為にと、末法に於いて顕されたのが御本尊ではないかと……。
今は、そう捉え感じております。
私はやはり、先の【一切の法を納む】とは、大聖人が書き残された御本尊だと思います。

私は人で伝わる事は否定しませんし、
絶対条件だと思います。
曼だ羅(だの文字変換できません(:_;)茶にしてごまかそうとしましたが、平仮名にします)だけで広宣流布ができるとも思えません。
それが出来れば、身延もできていると思います。
観光地内で売ればよい訳ですから。

これが私の現在の考えです。

自分の命で感じた表現を文字で書くのって難しいですね(^_^;)。
同時に、文字から相手の真意を読み取る事も難しいですね(-.-;)。

とても、訓練になりますね(^_^)。
リアルな対話なら、喧嘩や物別れになりそうな事でも、考えて発信できる"時間のタイムラグ"みたいなものがありますから。

16沖浦克治:2010/10/08(金) 12:11:48 ID:AJ3hr85o0
日々さん、少し観点を変えましょう

 三大秘法の解釈が、少し皆様方お間違いなんです。

 三大秘法とと言っても、一人一人の信心が大事なんです。
 池田先生です。

 『どんなものでも終着点がある。帰趨すべきひとつの終着としてのしるしがなくてはならない。と同じように、宗教においても、その終着点が必要です。戸田先生は『本尊流布が、信心が、トウフである。戒壇建立はオカラである。カスのようなものだ』このように何度もおおせになっておりました。その本質を、皆さん方もよく知っていただきたいと思います。
 戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆が全大衆がしあわせになることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます』
 (昭和三十九年六月三十日、学生部第七回総会、台東体育館)

 戒壇が私共の功徳のかすみたいなものだ。
 キチンと仰せです。
 功徳はね、御本尊から出ませんよ。
 祈る私共の勇気から湧き出します。
 
 先生の御義口伝講義に以下の内容があります。

 方便品の、是の法は法位に住して世間の相常住なり。についてです。

 『次に、この経文を、迹門、本門に立て分ければ「是の法法位に住して」が迹門、「世間の相常住なり」が本門である。』

 〜中略

 『また、御本尊とわれわれの関係として、不変真如、随縁真如を論ずれば、先の真諦と俗諦の説明と同じになる。すなわち、大御本尊それ自体は「是の法法位に住した」お姿であり、不変真如の理である。それを、さらに御本尊を根底に信心を開き、人々の生活の上に、現実に智慧となり、大生命力となって湧現してくることを「世間の相常住」というのである。 』

 三大秘法の捉え方は、寛師教学と創価思想では全く異なります。

 空仮中の三諦からも、寛師は間違っています。

17日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/08(金) 12:40:00 ID:8FNX.yWoO
>>16
沖浦さんのいう戒壇本尊の提議は、何に当たるのかを明確にすると分かりやすいと………思います。

大石寺に関係のあるお話?ですよね。

18備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/08(金) 13:02:56 ID:g2zr24dw0
 しかし、大河女史の悩乱の度合い、前からだろうけどかなり深刻な状態になってきているな (^^;

19大勝利:2010/10/08(金) 14:48:01 ID:FfgO/4W.0
>>16
沖浦さん

その先生の御指導は戒壇の話で、戒壇本尊の話ではないのでは?三大秘法の御本尊の事とは論点が違うのではないでしょうか?

> 三大秘法の捉え方は、寛師教学と創価思想では全く異なります。

そんなことはないと思いますよ。

まず御書の当体義抄を見てみましょう。
「譬えば人夢に種種の善悪の業を見夢覚めて後に之を思えば我が一心に見る所の夢なるが如し」
「正く無明法性其の体一なりと云う証拠は法華経に云く「是の法は法位に住して世間の相常住なり」云々
「権教方便の念仏等を信ずる人は妙法蓮華の当体と云わる可からず実教の法華経を信ずる人は即ち当体の蓮華真如の妙体是なり」

日寛上人が当体義抄文段で言うのも、
「無明」も「法抄」の中にあって実には「体一」だとの意味だと思います。
御本尊の相貌で言えば、中央の主題は「法性」ですが「無明」の衆生と一つになった体であり、
御本尊とわれわれの関係としてならば、御本尊を根本崇拝によって生活の上に「体一」として大生命力と湧現するのでしょう。

20日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/08(金) 16:13:44 ID:8FNX.yWoO
>>18
備前さん(^O^)。
所詮が《坊主憎けりゃ袈裟迄の類い》ですよ(^O^)、Tigerさんは。

オ○ジの子さんは、至極真っ当なお話を書き込みする方です。

読めば、ふと自分の信心は?と顧みる事のできるネット界には稀有な方の一人です。

たしか《不変真如云々》は、私の記憶する所、去年の12月位でしたかね。幸の架け橋板で、やっておりました。

何を今更です。

恐らく、分からなくなってんじゃないですか?Tigerさんも。

何がなんだか( ̄▽ ̄;)。

所詮が、【法を拠り所にして、人を見ていない】んですよ。


このままでは恐らく、Tigerさんは、今後も吠えるだけですよ。

でも可能性はありますね。
《皆なが仏》ですから。

これを【覚え知る事】ができれば、可能性はありますね。

人間革命の。

21日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/08(金) 16:57:30 ID:8FNX.yWoO
「ふと」思ったんですが……

【価値創造の観点】から、提案したいと思います。

(「ふと」とは、"瞬間"であり、こうして書き込む事は既に「過去」だったりして(^_^;)。一方、【価値創造】とは「未来」を思考する事。と思いました故)


Tigerさんの板の話題を踏襲しつつ……
コチラでは価値的に発言なさいませんか?。


スレタイにある「話題にする」という事は、

一種、煽りにも捉えかねられません。

コチラのスレでの議論が、結果として、価値を創造し、皆さんの前進の一助になる事になれば価値的であると思います。

そうなれば、何らかの形で、気づく時もあると思います。

我等は同志です。
必要なのは、『団結』だと思います。

それを成就させる為には『お互い(双方向)の理解』しかありません。


「ふと」思った事を、書き記しておきます。

せいぜい、私のできる事は、こんくらいの事しか、できません(-.-;)。

22日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/08(金) 17:10:47 ID:8FNX.yWoO
Tiger板より転載(^_^;)。

252:大河
10/10/08(金) 16:47:46 ID:U0lvXrxU0
[JBBSスレ]

日々さんね、
「衆生己心の妙法は本・曼荼羅は迹」は、
オヤジの子さんであれ、光線さんであれ、
はぐれ雲さんであれ、大勝利さんであれ、河内平野さんであれ
京阪さんであれ、説教オヤジさんであれ、鯖さんであれ、

「衆生己心の妙法は本・曼荼羅は迹」が、「正しい」なんて
言う人は、「オカシイ」の。

いつもの癖で「内容」を全く理解できていないで
断片的な「語彙」で「ピント外れ」の反応をする。

………………………………………

外れてませんよ(^O^)!。
だって、沖浦さんの言葉の"キリ番"なんですから(-.-;)。

ナハハ〜♪!
"切り文"でした(^_^)。


全体を通して、何が大事なのかを沖浦さんは主張していたんだ(当時のカキコミ所謂=既に過去)と思いますよ。

【人の命より曼だ羅が大事だ】と、沖浦さんのカキコミを利用し、話しをすり替えた人が居たんですよ。

沖浦さんの私生活の事は、全部後付けなんですって(^_^;)!。

分からないのかなあ???。

まさか、○ヤジの子さんが自分のカキコミを利用されるとは思ってもいなかったでしょうね(-.-;)。


ナハハ( ̄▽ ̄;)♪!。

オレ、誰に向けて発信してんだろ(^_^;)。

《総別二義》で、思考してみてくださいねo(^-^)o!。

Tigerさん。

24沖浦克治:2010/10/08(金) 19:22:30 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん

 三大秘法の一つが私共の信に含まれるなら、他の二つも当然含まれますよ。 
 三大秘法がばらばらなわけは無いと思いますが、いかがですか?

25日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/08(金) 22:23:16 ID:8FNX.yWoO
Tiger板。
当面、【対話する価値なし!!(日々比で)】と判断します(10月8日夜10時20分時点)。

大河さん。
見てたら、そういう事だから。


クイズ形式って(-.-;)。

あんまり人を馬鹿にするもんじゃないですよ!!
(ココも、見てると思う故の私からの意見です)

26大勝利:2010/10/08(金) 23:09:29 ID:uyIo9HwU0
>>24
沖浦さん
こんばんは。

三大秘法はばらばらではないですね。
確かに私共の信に含まれるというのも間違いではないと思います。
「信を以て入ることを得る」でしょうから・・・

ところで、
ひさびさにYOUTUBEのアップを致しました。
先生の御義口伝講義です。
まだ40年程度ですので著作権の問題もあるので暫くして削除するかも知れませんが、
「あ」さんにも聞いていただきたいですね。

学会員を導師と言ってもいけない時代もあったようですが、
学会員を「仏である」と激烈に仰られております。

http://www.youtube.com/watch?v=epyGrru0Bfg

27沖浦克治:2010/10/09(土) 06:05:48 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん、おはようございます

 ありがとうございます。
 今、見ました。
 
 『第二成就大願愍衆生故生於悪世広演此経の事 御義口伝に云く大願とは法華弘通なり愍衆生故とは日本国の一切衆生なり生於悪世の人とは日蓮等の類いなり広とは南閻浮提なり此経とは題目なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり。』
 (御義口伝巻上)

 この大願の具体的な内容を、三大秘法の御本尊の流布と言われておられますが、日蓮正宗教学に配慮してのお言葉ですね。
 現在は、この部分が、久遠元初の法となっていますし、具体的な広宣流布の内容は、人間革命運動の拡大になっています。
 もう、寛師の三大秘法からは離れたのが、今の創価思想です。
 
 『第三如来所遣行如来事の事 御義口伝に云く法華の行者は如来の使に来れり、如来とは釈迦如来事とは南無妙法蓮華経なり如来とは十界三千の衆生の事なり今日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは真実の御使なり云云。』

 大聖人は、如来は釈迦だと仰せですが、違いますね、大聖人ですよ。
 しかし、池田先生が三大秘法の御本尊と言われたように、方便で釈迦と仰せです。
 創価学会が大聖人直結である事が明確に仰せですね。
 ですので、私は寛師教学を捨て去るに、一切のためらいがありませんでした。
 蓮祖直結ですから、迷いはありません。

 いつも貴重な映像をありがとうございます。

 著作権は気にすることは無いと思います。
 先生はそう言うことでお叱りになられません。

28沖浦克治:2010/10/09(土) 06:07:31 ID:AJ3hr85o0
 先日私がアップした樋田さんの使った映像で、先生が

 戒壇本尊は物だ。
 私共の信心が無ければ物にすぎない。
 
 要約こう仰せです。
 正しいと信じます。

29備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/09(土) 10:23:03 ID:g2zr24dw0
 >>20
   おはようございます、日々さん v(^^

   > 所詮が《坊主憎けりゃ袈裟迄の類い》ですよ(^O^)、Tigerさんは。

  あははは (^0^ ♪ そこまで、堕ちては無いですよ。今は多少錯乱気味だとは思いますが (^^;
  瘡蓋が張ったような定見に囚われているだけですよ。剥せば、血が出て痛いから放っておくと言う状態でしょうね。
  まっ、陰で「剥すな、剥して痛い目しても良い事は何も無いぞ」と囁いている魔がおりますからねェ〜 (^^;

  ご当人も、その魔を信頼していますから、もうリアルで対話する域でしょうね。掲示板では無理っしょ (笑

30沖浦克治:2010/10/09(土) 14:06:40 ID:AJ3hr85o0
 法華経を読むとき、大聖人仏法から読まないと真実はわかりません。

 教主釈尊。

 この言葉も、インドの釈迦で無いことが多いです。
 大聖人を示す時、文底読みと言って、独特の読み方ですが、私共はそれを信受いたします。
 同じく、御書を読むとき、戸田先生の創価思想の立場から読まないと、真実はわかりません。
 創価思想の根本は、

 あらゆる法は人のためにある。

 これです。
 人が中心で御書を読まないと、教条主義に陥ります。
 衣紋判義ではだめなんです。
 依義判文が不可欠です。
 戸田先生は、御書を依義判文でお読みになられた最初のお方です。

 人が最も尊いとの立場から、御書読む。
 これが創価思想の原点です。
 日蓮正宗にはそう言う思想はありません。
 あの宗派は、戒壇本尊が最もと尊いことが教義の根幹です。
 その、原点が寛師です。
 だから駄目なんですよ。

31沖浦克治:2010/10/09(土) 14:08:49 ID:AJ3hr85o0
 私は、常に仏法は人のためにある教えだと書いてきました。

 これが創価の原点で、大聖人仏法の基本です。

 ですので、私のこの信念を攻撃する事は、創価思想と大聖人仏法を責めることです。

 凄く単純な理屈なんですよ。

32大勝利:2010/10/09(土) 18:58:52 ID:MYqDk7aIO
人間の生命が最も尊いことが、一切衆生総与の御本尊を尊いと信じることでしょう。

戒壇本尊と生命至上主義は相反しません。
文底読みとは
人間主義から大聖人の遺文を洞察した日寛教学の読み方なのです。

沖浦さんは知らずにでしょうが、日寛教学を用いながら日寛教学を否定すると言う矛盾になってしまっています。

以信代慧ですから、必ずしも教学は必要ではありませんが、学会教学の基礎の日寛教学を誹謗するのは止した方が良いと思います。

33沖浦克治:2010/10/09(土) 20:30:25 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん、今晩は

 寛師を否定しても、いい所を引用する事は全く問題がありません。、
 大聖人は、爾前経を否定されながら、自由に引用されておられます。

 寛師は、戒壇本尊本懐論という邪義を唱えました。
 今、創価学会教学は急速に寛師離れが進んでいます。
 世界広布に、戒壇本尊本懐論と、一大秘法論は邪魔でしかありません。
 池田先生は、

 創価学会の広めるものは、久遠元初の法だ。

 と言われました。
 又その具体的な実践は、

 人間革命運動の拡大。
 
 と定義付けておられます。

 一切衆生総与の本尊と言う特別な固有の本尊はありませんが、あったとしても、それを信じることだけが人間の生命が最も尊いことを信じる事にはなりません。
 他宗の方々でも、生命の尊厳を実践される方が大勢おられます。

 代表的な方々が、ガンジーキング、マンデラさんなどに代表される人権運動の方々です。
 ですので、御本尊を信じる事はそのまま生命の尊厳に結びつきません。

 この点はいかがでしょうか?

34大勝利:2010/10/09(土) 21:08:51 ID:MYqDk7aIO
なぜ殊更、戒壇本尊を悪にしたいのか解りませんね。

一切衆生の御本尊を、弘宣流布の暁には、迹門の戒壇が中国の天台山にあるように本門の戒壇は日蓮華山と呼ばれる富士山の麓に設けようと日興上人の志を継いだ思想でしょう。

沖浦さんが言ってる題目流布よりも具体性があると思います。

35沖浦克治:2010/10/09(土) 21:21:06 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん

 戒壇本尊を悪にしたい事はありませんよ。
 あの御本尊は紛れもなく、大聖人御図顕の御本尊です。

 大聖人の直筆か?
 書写か?
 書写ならば、在家のよるのか、出家によるのか?

 これらは、戒壇本尊のお力とは無関係です。
 本物の御本尊です。

 私は、ネットに参入した2002年から、同じことを書き続けております。
 題目流布は私が言うのではないのです。
 池田先生が言われておられます。

 異文化への理解と寛容をを賞賛

 きょうは、寄せられた識者の声を紹介しておきたい。
 私どもの行動に対する「客観的評価」を知っていただきたいからである。
 その一人、日本を代表する宗教社会学者の方は、過日、山崎尚見副会長
 らとの懇談の折、次のように語られていたという。
 同副会長からの報告を、そのまま紹介させていただく。

 池田名誉会長の北・南米の旅(本年1月〜3月)のご成功を、心より、お祝い申し上げます。
 本当におめでとうございました。
 聖教新聞の名誉会長の記事を、毎日毎日、感動をもって拝見させていただいておりました。

 今回、名誉会長が訪問された南米諸国のほとんんどが、カトリックの国です。
 その国々で、大統領や大学などから、数多くの顕彰を受けられたことはそれ自体、名誉会長が、異文化への理解と寛容性をもたれた偉大な指導者である証明です。本当に素晴らしいことです。

 カトリックの国で日本の仏教者が、これほど評価されことは並大抵のことではないと言われている。
 普通なら全部、相手にされないか、批判だけである。
 それでは広宣流布できない。
 その国のために、その国を理解し、その国に尽くしていく。
 私は常にその決心できた。

 私がこの方と、初めてお会いしたのは、もう20数年前のことになる。
 その時の思い出も回想されたという。

 誉会長と、初めてお会いした時のことは、いまだに忘れることはできません。その時、名誉会長は言われました。

 カトリックの人々は、苦難の歴史、苦闘の道を歩まれた。
 そうした行動の次元においてカトリックは、私たちの「兄」といっても過言ではありません。
 私はまず、その謙虚な言葉に驚きました。

 キリスト教は、弾圧に次ぐ弾圧、殉教に次ぐ殉教を経て、世界へと広がった。
 近年の日蓮正宗の僧侶のだれが、そうした努力をしたのか。
 だれもいない。
 大聖人の仏法を初めて世界へ流布したのは学会である。
 教えの浅深は別として、世界への「行動」のという観点から、私は「兄」と申し上げたのである。

 その折、私は「究極に求められるものはなんでしょうか」と質問しました。
 恐らく「板曼荼羅の御本尊」と答えられると思っておりましたが、しかし、名誉会長は「久遠元初の法です」と答えられたのです。

 このことから、名誉会長が、永遠の根源を求めておられ、板曼荼羅に、偏狭にこだわっておられないことに、非常に感動し、創価学会の普遍性と、発展の因を見たおもいでした。
以来、学会への協力を決意し、今日にいたっております。

 もとより、御本尊が、私どもの「根本尊敬」の対象であられることは言うまでもない。
 そのうえで、曼荼羅それ自体は、物体という側面からいえば永遠不滅ではありえない。
 当然、そこに計りしれない御仏意があられると拝されるが、曼荼羅としてあらわされた「法」は永遠である。

 いずれにしても、大聖人の仏法の真髄である、「久遠元初の法」を根本としてこそ、永遠の妙法流布の道が開ける。
 この方は、そこに普遍的なものをかんじたられたのであろう。

 池田大作全集 82
 小冊子 創価のルネサンス 52
 平成5年5月3日   「5.3記念 勤行会」より抜粋

36日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/09(土) 22:09:10 ID:8FNX.yWoO
「戒壇本尊」という言葉と同時に「分身散体」という言葉………。

これも【魂の独立の日】以降、要らなくなったと私は思いますが、皆さんは如何でしょうか?。

37:2010/10/09(土) 22:21:54 ID:MZ/B9D/w0
>>36

日々さん
こんばんは


>「戒壇本尊」という言葉と同時に「分身散体」という言葉………。
  これも【魂の独立の日】以降、要らなくなったと私は思いますが、皆さんは如何でしょうか?。


同感です。いらないです。

38大勝利:2010/10/09(土) 22:43:30 ID:MYqDk7aIO
久遠元初の法は日寛教学であり、南無妙法蓮華経のことを顕し日蓮大聖人であり御本尊を言っていると思います。

39大勝利:2010/10/09(土) 22:50:44 ID:MYqDk7aIO
日々さん

文身散体を嫌う必要はないと思います。
民衆に開いた思想と思います。

その儀式が職業僧侶のみの権利とするところが日寛教学とも大聖人仏法とも違うと言ってるだけです。

40日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/09(土) 23:06:20 ID:8FNX.yWoO
>>37
あさん。こんばんはm(__)m。
意見が同じでしたか(^_^;)。
違う意見も当然あるでしょうけどネ。

大河さんとかは、違う意見のようです。
〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆

大河さん(^O^)!見てますか(^0^)/!
私は見てましたよぉo(^-^)o!貴女の予想通り(^O^)つうか期待通りに(^_^;)。

【2002年3月30日付け聖教新聞 に掲載】の件。

ネットでは………と前置きして、URLを貼っていたのを見ましたよ。
会則でしたね。
(以下、そのページより一部抜粋)
---------------------------------
 また、「分身散体」の意義に照らして、弘安2年の大御本尊を書写した御本尊を正しく信心で 受持することはそのまま大御本尊の受持になります。

 〈分身散体とは法華経や無量義経に基づく法理で、仏が「衆生救済」のためにあらゆる国土 に仏身に散じて「同じ法を説くことであり、「衆生の信力」によってどこにおいても全く「同じ功 徳」が得られるとされる〉

 したがって、各自が家庭に御安置した御本尊を拝することが、そのまま大御本尊を信受す ることになるのです。

 どこか特定の場所に参拝しなければ成仏できないという日顕宗のような誤った考えは大聖 人の御本意ではありません。

 御書に、「法華経を持ち奉る処を当路道場と云うなり此(ここ)を去って彼(かしこ)に行くには 非さるなり」(781ページ)、「されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何(いず)れの処 にても侯へ常寂光の都為るべし」 (1343ページ)と仰せのとおりです。

------------------------------

勘違いしないでくださいね。見ておられるであろう大河さんへ。

冒頭、【「分身散体」の意義に照らして、】!!!とありますね。

『その意義』も、私は要らなくなるのでは?と考える訳ですよ。

それは何故か!!

【各家庭にある御本尊にその意義】があるから。
私は現在は、そう解釈をし、納得できるんです。


大河さん。
私の意見は間違っておりますかね(-.-;)?。

41日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/09(土) 23:08:57 ID:8FNX.yWoO
>>39
大勝利さん。こんばんはm(__)m。

嫌いだとか、嫌いじゃないとか(^_^;)、
そういう感情はないんですけど(^_^)♪。

42沖浦克治:2010/10/09(土) 23:46:09 ID:AJ3hr85o0
日々さん、大勝利さん

 分身散体の法と言うものは御書にはございません。
 分身散影と言う言葉はございます。

 『記に云く「問う諸の仏菩薩は共に未熟を熟す何の彼此有らん分身散影して普く十方に遍す而るを己任及び廃彼と言うや、答う諸の仏菩薩は実に彼此無し但機に在無有り無始法爾なり故に第二の義を以て初の義を顕わして結縁事浅と云う、初め此の仏菩薩に従つて結縁し還つて此の仏菩薩に於て成就す」と云云、』
 (上行菩薩結要付属口伝)

 私はこの分身三影を、分身散体と訳したと思います。
 そして、これは、一切衆生が等しく妙法の当体である事だと思います。

43沖浦克治:2010/10/09(土) 23:48:56 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん

 寛師教学と、大聖人の仏法は同じではありません。
 御本尊は、大聖人は道具だと仰せです。 
 ですので、一大秘法が漫荼羅にはなりえません。
 それは、仏法の基本を外れると思います。

44沖浦克治:2010/10/09(土) 23:53:12 ID:AJ3hr85o0
 私が教学を学び始めたころ、六巻抄は必須の教材でした。

 今は、六巻抄は全く教材になりません。
 これは、創価学会教学が、寛師を捨て去り、戸田先生の創価思想への転換をしているからだと思います。
 後10年もすると、寛師の名前はほとんどの創価学会員の中から消えるでしょう。
 時代は世界広布です。

 寛師の教学では、世界宗教に太刀打ちできません。
 私はこのように感じております。

45:2010/10/09(土) 23:58:39 ID:MZ/B9D/w0
だいたい

「分身散体」 なんて 御書にも ないですよ。

そんな 言葉 誰が造ったのか、 悲しいものが ありますよ。


多分 大量印刷された、 紙の曼荼羅御本尊に対しての 
大石寺の戒壇本尊への 権威づけ なんだと 思います。

紙の曼荼羅本尊という 永遠不滅ではない、己心の妙法以外の物に
帰命 するのは、 どうかな〜 と 思います。

あくまでも、 紙の曼荼羅本尊に書かれている 世界は、
       
           ↓
己心の妙法の 世界なんだと、 信じる事だと 思います。

紙の曼荼羅本尊に帰命すべきでは、ないと 思います。

あくまでも、帰命すべき 本尊は
己心の妙法蓮華経です。

一生成仏抄

「故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり。」

「但し妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」

「都て一代八万の聖教三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとはゆめゆめ思ふべからず」

「若し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し」



では、 みなさん おやすみなさい。

46日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 00:00:14 ID:8FNX.yWoO
改めて、他板から見ておられる大河さんへ。

風呂入ってきました。

で、改めて(再度)、会則のページを読ませて頂きました。
-------------------------------
【「創価学会会則」の改正について 】
【全国総県長会議から】
とあります。
当時私は男子部。そのような大きい会合には参加できる立場ではありません。

【2002年3月30日付け聖教新聞 】
とあります。
参加できなくとも、新聞は読まなかったのですか?という酷いツッコミが予想されますが(^_^;)、8年も前の事、余程の衝撃がない限り、思い出す事はできません。
貴女のように保管したものをすぐに出るようなマメさは、ありません。
って事で本題に移ります。
(以下、貼付けてあったページより一部抜粋して転載。)
---------------------------------
 今回改正された「会則」では、第2条に創価学会の「教義」についての条項があります。
 すなわち「この会は、日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を 信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実 現することを大願とする」とあります。
--------------------------------

【「この会は、日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を 信受し、】
とあります。

私は、【御観念文の変更】のほうが「会則のソレ」よりも記憶に残っております。
変わったんだな!と当時は心から実感致しました。
勤行も【五座三座から、方便自我偈だけでもよくなり】、同じく衝撃的でした。

会則の変更よりも、身近にある現実の勤行のほうが衝撃がありました。


以前の御観念文。
覚えておりますか?大河さん。

《本門の戒壇大御本尊》ではなかったですか?二座の時。

大河さん。
斉藤教学部長のその「2002年3月30日付け聖教新聞」のネット版??一通り読みましたが、《戒壇》の文字が見当たりませんでした。
私の見間違えでしょうかね。ご指摘頂きたい。
仮になかったとして、それは何故か?の御意見を伺いたい。

そして最後に!!。
【掲載してある内容を完全否定、創価学会員であることを、日々さんは自分で否定している。】
と貴女は書いた。

知らない事が、完全否定に当たるのか!!??。
知らない事が、学会員である事を否定する事になるのか!!??。

を、説明ください。

では、今日の所はこの辺で。

お休みなさい。

47日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 00:13:56 ID:8FNX.yWoO
>>46の続きとして)
お休みなさい。を言った後にまた失礼いたします。

大河さんへ。
貴女の板経由で念のためとの思いで三度目になりますが、今、読んできました。

やはり「戒壇」という文字は見当たりません。

これについてどう思うか。
貴女の意見、見解を伺いたいと思います。

48日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 00:20:20 ID:8FNX.yWoO
>>42沖浦さん。
ありがとうございましたm(__)m。知りませんでした。

>>45あさん。
「分身散体」の件は、ほぼ私の考えと同じですね。
「紙曼だ羅」の件は、少々違うような(私の考えと)気がいたしますが(^_^;)。
レス頂き、ありがとうございましたm(__)m。
他の皆様も、ありがとうございました。

お休みなさいm(__)m。

49大勝利:2010/10/10(日) 00:31:56 ID:MYqDk7aIO
>44

沖浦さん

それは沖浦さんの早とちりです。

学会の青年一級試験はバリバリの日寛教学です。そういう人が何万人もいるのです。

私も六巻抄講義を何セットか持っていますが、先人の赤エンピツの添削だらけです。

むしろ現在の教学内容がの六巻抄から文段に進んだと言う方が的確だと思います。

50日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 00:34:01 ID:8FNX.yWoO
【 また、「分身散体」の意義に照らして、弘安2年の大御本尊を書写した御本尊を正しく信心で 受持することはそのまま大御本尊の受持になります。】


この文章(2002年時点での)『分身散体の意義』について、大河さん宛てのカキコミをしながら同時進行で(^_^;)……色々と考えておりました。

私は『この意義』とは、以前のような【地理的な距離観(大石寺と各家庭との関係)】ではなく、
【三世(過去現在未来)の時空間(弘安二年と2002年所謂=現在の関係】ではないのかな??と…………

ふと、そんな事を考えました。
寝ると、忘れそうなので折角だから、とりあえず書いておこうと思います。

間違ってたらゴメンなさいm(__)m。

51:2010/10/10(日) 05:14:54 ID:MZ/B9D/w0
 >>48

日々さん おはようございます。




> >>45あさん。
  「分身散体」の件は、ほぼ私の考えと同じですね。
 「紙曼だ羅」の件は、少々違うような(私の考えと)気がいたしますが(^_^;)。



「紙曼だ羅」の件ですが、

正宗から、袂を分けてから、折伏したら 御本尊送りの時は、どうするのかな? と思ってました。

そんな思いをいだいて 後 
日顕書写の「紙曼だ羅」を、

「日顕の御本尊様では、気持ちが悪いでしょ、新しい日寛上人の御本尊様に変えましょ」
と 言われた時に、??? が 起こりました。


取り替えた御本尊は、廃棄処分されるんだなー と 思ったとき。

命より、大事と教わった 御本尊が 廃棄処分される。

「日顕の御本尊だって、功徳がある」って 言っていたのに、廃棄処分 


って 事は、 

日顕書写の「紙曼だ羅」は、 「大したものじゃないんだ」 
日顕書写の「紙曼だ羅」は、 「廃棄処分に」

と 思ったのです。


それから、随分年月がたって、

「紙曼だ羅」は、廃棄処分として 扱われるのだから、別に 無くても 有っても どちらでも 良いのでは、と
最近思うように、なったのです。

また、そのように、思ったのは、 
 

「故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり。」

「此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」

の 御書の 影響が あるのです。



紙の曼荼羅本尊は、いつでも 取替え可能です。
紙の曼荼羅本尊は、 廃棄処分が可能。

そんな 紙の曼荼羅本尊よりも 大切なのは、

大聖人様が 言われる 胸中の肉団におはします己心の妙法蓮華経の御本尊は 
取替えなんか出来ない、最高の御本尊だと 思いませんか?

一人に 一つの 胸中の肉団におはします己心の妙法蓮華経の御本尊です。



日々さん

取替え可能・廃棄可能の 紙の曼荼羅本尊よりも

大聖人が言われている

日々さん自身の胸中の肉団におはします己心の妙法蓮華経の御本尊のほうが 大事ではないですか?




上記のように考えれば 大石寺の戒壇の板の本門の御本尊も  道具と 考えれば、良いのだと
思います。
大石寺の戒壇の板の本門の御本尊が、 道具 なんだから、 

分身散体 なんかは、??? です。

52沖浦克治:2010/10/10(日) 06:10:01 ID:AJ3hr85o0
大勝利さん、おはようございます

 私が教授になった時、試験は昭和52年で任命が53年だったと記憶していますが。
 既に、先生のその当時のご指導は寛師教学から離れておりました。
 特に、諸法実相抄、生死一大事血脈抄は、創価教学そのものでした。
 試験の範囲ではなかったと思いますが。

 今、青年教学一級がバリバリの寛師教学だと言うことなら、今の青年部が樋田さんたちに全く敵わないのはどうしてでしょう?
 寛師教学は日蓮正宗の教えです。

 戒壇本尊を人より上に位置づけています。
 私は間違いだと思います。

53:2010/10/10(日) 06:28:39 ID:MZ/B9D/w0
日々さん

 紙の曼荼羅本尊に、功徳があるなら
廃棄処分なんか しないで、 
リサイクル しなければ、いけないと思いませんか?



身寄りのいない信心していた人の 紙の曼荼羅本尊は、
最後は、廃棄です。

功徳のある紙の曼荼羅本尊が、廃棄される
功徳のある紙の曼荼羅本尊を 廃棄する事は、不敬 に なる と思いませんか
そんな、話は、 無いですよね。



道具で あるならば、 取替えは、出来る。
道具で あるならば、 廃棄が 出来る。
道具で あるならば、 リサイクル しなくてもよい。(今の時代はリサイクル)


上記の紙の曼荼羅本尊を、どのように、思いますか?


だから、本当の 本尊とは って 事に なるんです。

54日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 06:37:28 ID:8FNX.yWoO
あさん。おはようございますm(__)m。

しつこい。

私は、貴方の考え!否定してないですって!!。

考えが少々違う。と言っただけ!!!。
貴方と、それについて議論するつもりはありません。
申し訳ございませんm(__)m。

55:2010/10/10(日) 06:49:58 ID:MZ/B9D/w0
沖浦さん
おはようございます。


>>52

> 戒壇本尊を人より上に位置づけています。
  私は間違いだと思います。


沖浦さんの この考え方に、以前接する事ができて 感謝しています。

大石寺の戒壇の本尊も、紙の曼荼羅本尊も
人間を、幸福にする為の 道具なんだと


主人公は、あくまでも、道具ではなく 人間なんだと。

幸福になるための 道具なんだと。

56日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 06:50:05 ID:8FNX.yWoO
大河さん、おはようございますm(__)m。なんだか、私専用のスレッドが建ちましたネ(:_;)。
でも、コレ(以下、転載したカキコミ)
言ってる意味が、ようわからんちんなのですが(-.-)。

……………………………………………
4:大河
10/10/10(日) 01:06:24 ID:U0lvXrxU0
[JBBSスレ]
>やはり「戒壇」という文字は見当たりません。
>これについてどう思うか。

以前の会則は

第2条  創価学会の教義
改正前
日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、
日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする。

「根本」という文字に注目して下さい。

改正後の会則では
この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、

「信受」の言葉に注目して下さい。

続きは、明日以降・・・・・・・

…………………………………………

さっきから(今もカキコミしながら……)「信受」をずっーーと見てるんですけど(-.-;)。
やはり分かりません(-.-)。

何が言いたいのでしょうか(:_;)。
楽しみにしております。

57沖浦克治:2010/10/10(日) 06:54:56 ID:AJ3hr85o0
 「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、」

 創価学会の会則にありますね。
 以前は、

 「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする。」

 こうでした。
 弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊。が、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊。となりました。

 固有名詞から、一般名詞に変わったのです。
 そして、未だに、創価学会は公式にこの、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊。が戒壇本尊なのか、ではないのか?
 公表していません。

 この点は、大勝利さん如何お考えですか?

58日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 06:55:47 ID:8FNX.yWoO
あさん。横から失礼します。
>>55の貴方の意見には、百パーセント否!120%!同意です。

でも、敢えて、それに付け加えるならば、「道具だからといって粗末にはできない。」のでは???。
私の考えは、これになります。

以上です。
口を挟んでゴメンなさいm(__)m。

59沖浦克治:2010/10/10(日) 06:57:27 ID:AJ3hr85o0
 あ、さん、おはようございます

>紙の曼荼羅本尊に、功徳があるなら
廃棄処分なんか しないで、 

 これは組織として当然の判断ですね。
 創価学会は寛師書写の御本尊でも、法華講員の方々に攻め立てられ、太刀打ちできませんでした。
 顕師書写をそのまま拝んだら、創価学会は潰れています。
 ですので、当然の判断ですよ。

60沖浦克治:2010/10/10(日) 06:58:48 ID:AJ3hr85o0
 ですがね、あ、さん

 貴方が言われる通り、取替えが効く一大秘法なんてある道理ございません。

61沖浦克治:2010/10/10(日) 07:05:57 ID:AJ3hr85o0
 日々さん、おはようございます

 大河さんも、親父さんも、京阪さんも、何一つマトモな反論は不可能ですよ。
 戒壇本尊が御本懐なら、創価学会が会則から名前削るもんですか。
 大聖人が御本仏が創価の基本です。
 その御本仏が御本懐とされるものを、宣揚すればこそです。
 以前規則にあった名前を消した。
 これが全てを物語っています。
 そして。、一閻浮提総与、三大秘法の大御本尊とは何か?
 以下は、於保哲外さん (ドクター部セミナー局議長)の、2000年4月23日開催の第5総県ドクター部・白樺・医療技術部会合同部員会」でのお話からです。


 実は、朝晩勤行します。二座の御観念文は何でしたっけ?本尊供養ですね。「一閻浮提総与三大秘法の大御本尊に南無し奉り報恩感謝申し上げます」。本尊供養。この本尊供養。二座のときに、この本尊を自分のことと思ってやってます?みなさん「仏壇の中の御本尊」って思ってませんか?そういう人を指して大聖人は、「若し己心の外に法ありと思えば全く妙法にあらず」(御書P384)とおっしゃられている。 すなわち、法華経じゃないんです。また別の御書でも、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(御書P1244)胸中に、自分の生命に、「胸中の肉団におはしますなり」って勉強したでしょ?実際やっている時は外に置いていますね。不思議なんです。学んだこととやっていることが違うんです。どうしてか?実は、日本文化に、さっき言った「村の文化」に毒されているからなんです。「村の文化」というのは、実は,「念仏文化」なんです。「念仏文化」というのは、御本尊絶対なんです。大聖人絶対なんです。それで福運のない、境涯の低い、力のない私たちは、偉大な御本尊様におすがりし、その功徳を、その智慧を分けていただこうと。これを「念仏文化」というんですね。御本尊を阿弥陀仏に置き換えたらぴったりするでしょ。「情けない私たちは阿弥陀仏の慈悲におすがりしましょう」という構造です。

62日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 07:06:54 ID:8FNX.yWoO
>>56の続きとして)

あ、注目するの、も一つあったんですね大河さん(-.-)。

「根本」。

読んで字の如く、『根の本(もと)』って事ですよね。


でもふと思ったんですけど(-.-)。
改定前の「根本」と改定後の「信受」。

なんか(-.-)、言葉遊び(言葉の遊戯の意)になりはしないかと(^_^;)心配しております。

でも、楽しみにして学ばせて頂きますm(__)m。
疑問があれば、またレスしますね大河さん。

ではm(__)m。

63沖浦克治:2010/10/10(日) 07:10:00 ID:AJ3hr85o0
 日々さん

 対して池田先生の祈りのご指導です。

 『祈り、それはあきらめない勇気だ。
 自分には無理だとうなだれる惰弱さを、叩き出す戦いだ。
 現状は変えられえる、必ず。
 確信を命の底に刻み付ける作業だ。』

 私のジムの壁に貼ってあります。
 だから、生徒は強くなるんです。
 本当ですよ。

64:2010/10/10(日) 07:10:49 ID:MZ/B9D/w0
日々さん

>でも、敢えて、それに付け加えるならば、
「道具だからといって粗末にはできない。」のでは???。


だれも、粗末にしなさいとは、言ってません。

道具としては、大切にするのです。
己心の妙法を、信じて、自覚する為の 道具としてです。



しつこくなって、ごめんなさいね。

では。

65:2010/10/10(日) 07:30:01 ID:MZ/B9D/w0
沖浦さん

>創価学会は寛師書写の御本尊でも、法華講員の方々に攻め立てられ、太刀打ちできませんでした。
 顕師書写をそのまま拝んだら、創価学会は潰れています。
 ですので、当然の判断ですよ

ようは

日顕の道具は、使いたくないですよね。
道具の機能があれば、それで、良いと 思います。

だから、日寛上人の 紙の曼荼羅本尊に代えたのですよね。

この、考えがあるからこそ、
法華講の御本尊に向かって 題目をとなえる事が出来る原理を理解できました。

なんで、たくさんの人が、この考えを 理解しないで、
正論である、沖浦さんの話に、 誹謗中傷するのかが、不思議でなりません。

沖浦さんが、正義の言論を、発しているかぎり、難は 続くと 思います。
でも、がんばって、正義の言論を 発してください。

影ながら、微力ですが 応援させていただきます。

66日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 07:33:11 ID:8FNX.yWoO
>>61
沖浦さん。おはようございますm(__)m。
至極、納得のいくお話しですね。

功徳スレに書こうと思いましたが、時期を逸してしまいました。
先日、《正木理事長による一般講義(同中)》に行ってきました。
同時中継って言いましても再放送ですが(^_^)。
(地区部長が連れてってくださいました。私にとっての功徳です。)

その中で、皆さんは『仏ですか??』と正木さんが会場の参加者に聞くシーンがありました。

何年信心していても『仏だと実感できない仏(笑)』みたいな話しで講義が進む場面を見た時、私は、此処で話題の己心の妙法の事が頭に浮かびました。

あさんや沖浦さんや雨煽りさんや、他の皆様のカキコミを通して、この板で「我々は仏だ!と実感する事を学んでいる今」、その考えは、間違っていないと確信しました。

沖浦さんの「海文化山文化の人」のお話しも、似ているように感じます。

ありがとうございましたm(__)m。


たしか、昨年。雪を降った時の話しを沖浦さんが書いた時期だったと思います。
「自身が仏だ」と実感し祈る事だと、言われた記憶があります。(携帯に保存しておりましたが、機種変えた為、その文章は無くなりましたが)それを意識して祈る事に挑戦しています。

『梵天帝釈集い来たりて我が身に入り、我を助け給え』と祈るんだっ!と池田先生も祈り方を指導しています。(DVD「祈りと実証」の中で)

その指導も、やはり仏は自分という祈りにする事の大切さを教えてくださっているものと実感しています。

67日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 07:39:55 ID:8FNX.yWoO
66を送信し終わって見てみたら、
>>63の沖浦さんと、>>64あさんのカキコミがありました(^_^;)。

◎沖浦さん。素晴らしいです!!
今更言うのもアレなんですが、いつもカキコミから勇気を頂いておりますm(__)m。

◎あさん。やっとモヤモヤしたものが埋まったような気持ちですo(^-^)o。
お二人共にありがとうございますm(__)m。

創価って!素晴らしいっすネo(^-^)o!。

では朝ご飯します。

68雨煽り:2010/10/10(日) 07:56:07 ID:Pssg0Hu.0
日々さん

日々さんの理解度がまた上がりましたね。(^^)v
もう少し、ほんの少しですよ。

その゛少し゛とは、仏とは何か?なのです。
まっ、慌てなくていいですからね。( ^^) _旦~~

69:2010/10/10(日) 08:04:03 ID:MZ/B9D/w0
日々さん

こちらこそ ありがとうございます。

>やはり仏は自分という祈りにする事の大切さを教えてくださっているものと
 実感しています。

このお言葉を聴けた事に、日々さんに感謝いたします。

地涌の菩薩の覚醒に
 

ありがとう ございます。

70日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 09:44:37 ID:8FNX.yWoO
朝ご飯は、トーストでした(^_^;)。それどブドウジュース(^O^)。

>>68雨煽りさん。おはようございますm(__)m。

先日の正木さんの一般講義でその話題が出ました。
【仏とは何か。】

16年前の牧口での東北栄光総会での先生との思い出を理事長が語ってくださいました。

順序立てて、大事な事三点を教えてくださいました。

1.『生死共に仏なり』と御書にあるのはどういうことか。について。

→で理事長は皆さんに問い掛けました。『私は仏だという人は?』と会場の皆さんに。

『生死共に仏なり』を確信できるか。

2.仏といっても魔の誘惑がある。悩みもある。苦しみもある。だから境涯革命ができるのだ。

そして3点目(結論として)。

【仏】とは、
戦い続ける人が仏。行動し続ける人が仏。魔と戦い切る人が仏。仏道修行をし続ける人が仏。

広布のお役に立つため、勝利の実証を示すためにと戦う命の中に仏がある。

と言われておりました。
9月23日付の一般講義用の聖教新聞を持参しての参加だったので、赤ペンや青のペンの走り書き(メモとりました(^_^;))ので、スゴイ事になってます(^_^;)。
だから全てはメモ書きを頼りきした《趣意》って事になりますが(^O^)。


私の考えが書いてありました(その瞬間に思った事を反射的に書いたのだと思います(^_^;))。

結論(私の感じた事)を言えば、
「今が幸せか?」と問い掛けられて、苦労してようが、どうにもならない状況であろうが!『はい!今が幸せですo(^-^)o!』と答えられる命の中に、また断じて負けない命の中に仏がある!!と思いました。『歓喜の中の大歓喜』ですから。

どうでしょうか(^_^;)?。


>>69
あさん(^_^;)。私との対話(^_^;)、苦労をかけますm(__)m(^_^;)。
ありがとうございますm(__)m。

71沖浦克治:2010/10/10(日) 09:57:42 ID:AJ3hr85o0
 あ、さん

 御本尊は道具ですよ。
 でもね、命の次に大事なものなんです。

 火事で、子供と御本尊、どっちかしか出せないなら、子供助ける。

 御本尊と、一兆円のダイヤモンド、どっちかなら、迷わないで御本尊。
 
 こう言う順番です。 
 大事ですよ。
 人間革命の武器なんですから。

72沖浦克治:2010/10/10(日) 10:01:23 ID:AJ3hr85o0
 日々さん

 今日の聖教新聞7面に、延髄梗塞と戦う柏木浩一さんの体験が載っています。

 これが地涌の菩薩です。
 創価人の戦いです。

 読んで勇気涌きます。

 戒壇本尊本懐より、一億倍以上凄いです。

73沖浦克治:2010/10/10(日) 10:02:36 ID:AJ3hr85o0
 あ、さん
 
 難などとはとんでもありません。

 微風みたいなものです。

74沖浦克治:2010/10/10(日) 10:07:18 ID:AJ3hr85o0
 日々さん、その通りです

 『第一 安楽行品の事
 御義口伝に云く妙法蓮華経を安楽に行ぜむ事末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり。』
 (御義口伝巻上)

 創価人はね、悠々自適などには背中向けて生きるんです。

75日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 10:07:21 ID:8FNX.yWoO
>>70の続きになります)

あと、一般講義では、《内薫外護の話し》(メモ書きには、「自分自身の仏性がグン発されて外護される。内薫が重大。」と記してました)と、不軽菩薩を通して【人の振る舞いが大切】であると、教えて頂きました。

メモ書きには、私、こう記してありました。

『法華弘通の振る舞いを貫く!!一生涯その信念を貫く!事』

と書いてたようです(^_^)、このアタシが(´Д`)。また、こうも書いてました(^_^;)。
『怨嫉しない事。人を軽ろんじない事。』

そうなれるように、少しでも、イチミリ、その十分のイチミリでも、そうなれるようにと《人間革命》していこう(^_^;)o(^-^)o!!。

以上(-.-;)、"ご静聴"ありがとうごごじゃりましたm(__)m。

ところで、私スクスクと成長してますかね(^_^;)(四十を超えた頃から、なかなか一日の疲れがとれない身体なんですが(^_^;)。)


でも……「誤成長」ではないと思うのですが(-.-;)。

76日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 10:14:31 ID:8FNX.yWoO
あ……沖浦さん(^_^;)。
今日の新聞は、中のほう、まだ見てません。

これから勤行して、それから見ますm(__)m。


--------------------------------
追伸、"グン発"じゃなくて、「クン(薫)発」でした(-.-;)。
このぉ、私の馬鹿(゜o゜)\(-_-)!みたいな(^_^;)。

77日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 10:25:26 ID:8FNX.yWoO
話しを素に(>>56)戻します。

大河さん。
以前(宗門外護の時代)から「分身散体の意味」私、知っておりましたよ(^_^)。

で、その意義も、二次元的(平面的距離的な空間の意義)ではなく三次元的(時間軸、過去現在未来的解釈に)変わるのではないのかなあと、このスレッドでも昨日、カキコミしました。

これは私の考えですが、皆さんどう思いますか?の問い掛けですよ。

楽しみにしております。「貴女の板の私のスレッド」

しかと!シカトしないで、ROMさせて頂きますよ。

78雨煽り:2010/10/10(日) 10:41:50 ID:Pssg0Hu.0
あ さん、おはようございます。

私の勘違いかも知れませんが、少し書きますね。

あ さんは、漫荼羅御本尊それ自体を、まだ、自分の外の物と思ってられませんか?
外に見える世界も、実は己心なのだとの認識はされてますか?

あ さんの表現を見てますと、己心と外の物との境があるように感じられます。

私の勘違いならお詫びします。
ですが、少しだけ、その表現方法を変えてみられたらどうでしょう?
そうすれば、誤解される人も少なくなると思いますが。

79日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 10:50:48 ID:8FNX.yWoO
すいません馬鹿で(-.-;)。(>>77

時空間は「四次元」でしたね。
で「三次元」が……距離的地理的でした(-.-;)。
「二次元」が平面的空間……。
読み直して気づきました(^_^)。
イッコ次元がズレテました(:_;)。

違いましたっけ(-.-;)。

ホント俺って馬鹿丸出し(゜o゜)\(-_-)!。

80:2010/10/10(日) 11:05:24 ID:MZ/B9D/w0
雨煽り さん おはようございます。

>あ さんは、漫荼羅御本尊それ自体を、まだ、自分の外の物と思ってられませんか?
 外に見える世界も、実は己心なのだとの認識はされてますか?


「此の御本尊全く余所に求る事なかれ
只我れ等衆生の法華経を持ちて
南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、」


此の御本尊全く余所に求る事なかれーーーー>南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはします


いつも、同じ御書なのですがこのように、信じています。


「一心法界の旨とは十界三千の依正色心非情草木虚空刹土いづれも除かずちりも残らず
一念の心に収めて此の一念の心法界にx満するを指して万法とは云うなり、
此の理を覚知するを一心法界とも云うなるべし、
但し妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも
若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず・法なり、
・法は今経にあらず今経にあらざれば方便なり権門なり、
方便権門の教ならば成仏の直道にあらず
成仏の直道にあらざれば多生曠劫の修行を経て成仏すべきにあらざる故に
一生成仏叶いがたし、
故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は
我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり。」



「一心法界の旨とは十界三千の依正色心非情草木虚空刹土いづれも除かずちりも残らず
一念の心に収めて此の一念の心法界にx満するを指して万法とは云うなり、
此の理を覚知するを一心法界とも云うなるべし」



>あ さんの表現を見てますと、
 己心と外の物との境があるように感じられます。




「故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は
我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり。」

未熟ゆえに、このように、信心しています。

常時 己心と外の物との境が無いとの感覚は、ないです。


題目をあげるときに境が無いと信じているだけです。




表現の技術的なところは、おそまつです。
少しずつ 誤解の解けるように、がんばります。

81:2010/10/10(日) 11:14:49 ID:MZ/B9D/w0
雨煽りさん

少し質問させてください。


境が森羅三千に無いとすると、

雨煽りさんとわたしは、一緒なんですよね。 同じ妙法蓮華経から
大きな大海から波立つ波の一つ、一つのような、ものですよね。

東で波立つ1つが 雨煽りさん
西で波立つ一つが あ のようなものだと 思っています。
同じ 大海である妙法蓮華経だと そのように 信じています。

それが、石 砂 素粒子 木 etc キリスト 神主 日顕 まで
どうでしょうか?

82雨煽り:2010/10/10(日) 11:20:43 ID:Pssg0Hu.0
あ さん


己心の妙法は自己の内なる本尊。
漫荼羅御本尊は自己の外の世界にある御本尊。
自己の内と外ですが、実は己心の森羅三千です。

己心の森羅三千ですから、
己心の妙法を取るか、漫荼羅御本尊を取るか、等の選択はありません。
漫荼羅御本尊は、外にあるように見えるけど、内なる己心の妙法を写しているに過ぎない。
そうですよね。

余計な口を挟みましたでしょか。すいません。

83:2010/10/10(日) 11:30:14 ID:MZ/B9D/w0
雨煽りさん



>己心の妙法は自己の内なる本尊。
 漫荼羅御本尊は自己の外の世界にある御本尊。
 自己の内と外ですが、実は己心の森羅三千です。


正確に近づけて言えば

己心の妙法は自己の内なる本尊。

漫荼羅御本尊は己心の妙法を書き顕した己心の妙法の一側面
またの言い方は、
漫荼羅御本尊は己心の妙法を書き顕した妙法蓮華経の一側面

同じ事なんですが。

と 信じています。

84:2010/10/10(日) 11:32:45 ID:MZ/B9D/w0
己心の妙法と 妙法蓮華経は、 まったく 同じです。

85雨煽り:2010/10/10(日) 11:38:14 ID:Pssg0Hu.0
あ さん

その質問ですが、
実は他板で、日々さんに教えようと思っていた事のひとつです。
で、シナリオは描いているのですが、表現するのが難しくて…
誤解を生じる恐れがいっぱいです。


あ さんの表現も、私の表現も、意味を正しく理解するのは難しいと思います。
沖浦さんの表現を誤解する人達が多いのも、その例になるのでは、と思います。

ですから、少しづつ、おいおいと、お互いの述べていることを理解して行く。
というのではダメですか?

大略においては、あ さんと同じように思ってはいますよ。

86:2010/10/10(日) 11:41:24 ID:MZ/B9D/w0

なんだか、不思議な 世界ですね。

この世界は。

ありがとうございます。

これからも、勉強させて いただきます。
よろしく お願いします。

87日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 11:44:17 ID:8FNX.yWoO
>>76
沖浦さんへ。
順番を変えました(^_^;)。
「勤行してから読む」のでなくて、、

体験談(柏木さんの)を読んでから、勤行しました(唱題は20分)。
このほうが、『ヨシ!頑張るぞっ!』となり、私には善いみたいでした。

唱題では、まだ立体的に御本尊が迫ってくる感じは皆さんのようにはありませんでしたが、
中心にある首題(仏界の生命)以外の文字と文字(九界の生命)の余白(空間)が人間の形のように見えました。

集中できたと思います。

88雨煽り:2010/10/10(日) 11:47:05 ID:Pssg0Hu.0
№を入れるのを忘れてました。

>>85 は >>81 への返答です。

89雨煽り:2010/10/10(日) 11:53:57 ID:Pssg0Hu.0
>>86
あ さん

>なんだか、不思議な 世界ですね。
>この世界は。

そうですね。私もそう思います。
「妙とは不可思議」そのものです。

私の方こそ勉強させて頂いてます。
ありがとうございます。

90日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 13:33:05 ID:8FNX.yWoO
>>56に戻します。

大河さん。見ておられますか?。

貴女が注目させようとしあ二字。

【改定前の文中の「根本」と、改定後の文中の「信受」】

私は騙されるところでしたよ。

もう一度、読み直しました。しつこいでしょ(^_^;)。

改定後の「信受」に注目!と言いましたが、そこにも「根本」って文字がありますね!

改定前は、戒壇本尊を「根本」に。

改定後は、御書を「根本」に。

「根本」の使われ方、変わってますよね。
何故、同じ言葉「根本」で比較する議論に展開せずに、
「根本」と「信受」を対比させたのですか?。

この辺のところを分かりやすくお願いいたしますm(__)m。

91日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 13:40:41 ID:8FNX.yWoO
大河さん。
たった今、貴女の板の私のスレッドの「5番」と「6番」を読みました。


え??

なんで( ̄▽ ̄;)?またそんな【見え透いたすり替え】をするんですか??。


そんな姿勢だと、恥をかきますよ(:_;)。
ゴマカシはダメです!!!。

92日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 14:47:53 ID:8FNX.yWoO
確認ですからね。大河さん。
……貴女の6番のコレ。

【>この「どこに」とは、謗法の場所ですね、具体的には。今の大石寺であったり、身延の寺であったりですね。】


沖浦さんは【戒壇本尊に否定的なお話しはしておりました】が、
大石寺を容認しているなんてのはないですよ。
全く貴女の考えと逆な事を書いておられますよ。

なんか、勘違いされていませんか?( ̄▽ ̄;)???。
その解釈。貴女が勝手に脳内で作り上げているって事は………ありませんか?。

93備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/10(日) 14:50:42 ID:g2zr24dw0
   おや、おや、今度は日々さんが、絡まれているのね (^^; 相手変われど主変わらずか、懲りない人だ (^0^ ♪
  どうあっても、「戒壇御本尊=一閻浮提給与・三大秘法の御本尊」出世の本懐に話を持って行きたいのね。(^^;

   『大聖人は、熱原の法難において民衆が不惜身命の信心を現したのに呼応して、弘安2年10 月12日に出世の本懐として大御本尊を顕されました。』

  これ、会則変更の時の斉藤教学部長の解説の一文です。
  此処では、「熱原の法難」 は、大聖人が出世の本懐を遂げる機縁であったと言われていますが、
  今月の大白蓮華では、「熱原の法難」 における農民信徒の信心の在り様そのもが、大聖人出世の本懐となっております。

  八年間で此れだけ学会の見解が変わってきているのですよ、少しは時の流れというものを考えたらどうなんでしょうね (^^;
  でないと、説教が転載をしている「戸田先生の講義」と同じですよ。言ってしまえば、「時」を弁えない愚か者と言う事です。

94日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 15:08:02 ID:8FNX.yWoO
>>93
備前さん(^_^;)。
"私が絡まれてる"んじゃなくて(^_^;)、

【絡まれた(過去形)から、私のほうから絡んでる(現在進行形)んです(^O^)♪!】

「気づいてほしい」と思いまして(-.-;)。

どうです???
一生懸命な馬鹿に見えるでしょっ\^o^/♪!。

95備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/10(日) 15:08:18 ID:g2zr24dw0
   「分身散体の義」や「一機一縁の御本尊」ってのは、大聖人出世の本懐たる「戒壇御本尊=一閻浮提給与・三大秘法の御本尊」が
  前提の話ですよね。

   それに、『第2条  創価学会の教義』
  『改正前
   日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、
   日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする。』

  が、破門を受け学会の手元に『本門戒壇の大御本尊』が無くなったとたんに

   『改正後の会則では』
  『この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し』

  の表現ですか?まぁ、自身の都合の良い部分の摘み食い盲信者の大河女史には違和感がないのだろうけどね (笑
  普通は「あれっ?」って疑問を持ちますよ。

96備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/10(日) 15:20:47 ID:g2zr24dw0
 >>94
   こんちゃ!日々さん v(^^

  > 【絡まれた(過去形)から、私のほうから絡んでる(現在進行形)んです(^O^)♪!】

   そっかァ〜!主導権を握っているのは日々さんか、見方が甘かった (^^;ゞ ポリポリ

  > どうです???
  > 一生懸命な馬鹿に見えるでしょっ\^o^/♪!。

  (。。 (゚゚ ウン!ウン! みえる、みえる。でも素晴しいと思う。σ(^^; には、真似が出来ない。
  σ(^^ ァ〜 諦めが良いと言うのか冷たいのかよく自身判断できないけど、決め付けをしやすいからね。
  「あっ、コイツはこんなんだ」と思ったら、「気づいてほしい」という気持ちなんかブッ飛んでしまって
  ンだば、ご勝手にぃ〜ってェ気になってしまうから・・・・(^^;

97沖浦克治:2010/10/10(日) 16:00:50 ID:AJ3hr85o0
 備前さん、

 今月の大白蓮華で、任用試験の解説で、弘安2年、10月1日時点で、大聖人が出世の本懐を遂げたと書かれています。 
 現時点でそれが全てなんですよ。

 師範会議で練って、ああ言う結論になったわけです。
 創価教学が、戒壇本尊本懐を否定したんです。

 それを、四の五の言うほうがおかしいのですね。
 文章の理解能力の問題でしょう。

98沖浦克治:2010/10/10(日) 16:10:53 ID:AJ3hr85o0
 大河さん

 御本尊様は道具です。
 御書に明白です。
 先ずそれを認識できるかどうか?
 ここが肝心でしょうね。
 これはその人の問題で、私の問題ではございません。
 認識はその人自身の行為です。

 『法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、』
 (日女御前御返事)

 はたじるしって、道具なんです。
 ご図顕なされたご本人の仰せです。
 私は信受いたします。
 ここが理解できないと、平行線ですね。
 この点は、文上と文底は無関係です。
 信受するかしないか?
 これだけの差ですね。

 お前達の命なんですよ、大聖人様の仰せはね。
 阿仏坊や、お前ががそのまま宝塔だ、それ以外に理屈を考える事は無益なんだよ。
 このように仰せです。
 私は信受致します。
 信受出来るか出来ないか?
 これはその人の問題なんですよ。
 仏の悟りはね、一切衆生が自分と同じ命なんだ。でしょう。
 私や貴方方はここに迷いがあります。
 私は理屈では御書を読んで理解しております。
 ですが、本当に自らの命の奥底で、沸き上がる我久遠の如来なりと言う悟りはございません。
 理論上納得しているだけです。
 大河は理論上も迷いがある。
 要は、2人とも迷いの衆生ですね。
 然しながら、如我等無異と経文にもございますし、御書にはしばしば出て来ます。
 私は信受致します。
 貴方も、私も、池田先生も、戸田先生も、牧口先生も、四条金吾も、日蓮大聖人様も、命には全く変わりがございません。
 天台は、九識論を説きました。
 それは、アウトラインからこれを説いたものですね。
 民衆の機根が無いため、天台は御本尊様を図顕しませんでした。
 当然彼は、やる気なら可能だったのです。
 悟ってお題目を唱えているのですからね。
 伝教も同じです。
 でも、やらなかった。
 それを大聖人様が始めておやりになられた。
 そう仰せなんですよ。

 魂をすみ染め流しておしたためですね。
 でも、魂は大聖人様の中ですよ。
 本当に流れ出せば死んでしまいます。
 魂と言う表現は、それほど大事なものなんだよと解釈すべきです。
 世間で普通に使いますよ。

 鏡があって数億円するとしますね。
 誰ににも見せてはいけないよ、子供以外譲るんじゃないよ。
 こう言うでしょうね。
 おなじですよ。
 それほど大切なものなんです。
 御本尊様はね。
 私は大切にしております。
 後はご自分で思索なさいね。

99沖浦克治:2010/10/10(日) 16:21:33 ID:AJ3hr85o0
 大河さん

 『已に眼前なり仏滅後二千二百余年に月氏漢土日本一閻浮提の内に天親竜樹内鑑冷然外適時宜云云、天台伝教は粗釈し給へども之を弘め残せる一大事の秘法を此国に初めて之を弘む日蓮豈其の人に非ずや。』
 (富木入道殿御返事)

 文永八年十一月 五十歳御作ですから、戒壇本尊はございません。
 ですので、これは明らかにお題目ですね。
 更に、一大秘法もお題目です。

 『爾の時に大覚世尊寿量品を演説し然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄なり、例せば九苞淵が相馬の法には玄黄を略して駿逸を取り史陶林が講経の法には細科を捨て元意を取るが如し等、此の四大菩薩は釈尊成道の始、寂滅道場の砌にも来らず如来入滅の終りに抜提河の辺にも至らずしかのみならず霊山八年の間に進んでは迹門序正の儀式に文殊弥勒等の発起影向の諸聖衆にも列ならず、退いては本門流通の座席に観音妙音等の発誓弘経の諸大士にも交わらず、但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後仏の滅後正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず、所詮仏専ら末法の時に限つて此等の大士に付属せし故なり』
 (曾谷入道殿許御書)

 文永十二年三月 五十四歳御作です、やはり戒壇本尊はありません。

 『其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄なり、』
 お題目です。
 
 どうして大聖人様がこれほど明確にお述べな事が、どう間違って本門の本尊が一大秘法になるのでしょう?

100日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 16:29:26 ID:8FNX.yWoO
しかし今日はかなり進みましたね。昨晩から50も進みましたネ(^O^)!。
以降も、有意義な議論を期待するとして、キリ番頂きますm(__)m。

101備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/10(日) 16:33:41 ID:g2zr24dw0
 >>97
  こんにちは、沖浦さん

   > 今月の大白蓮華で、任用試験の解説で、弘安2年、10月1日時点で、大聖人が出世の本懐を遂げたと書かれています。 
   > 現時点でそれが全てなんですよ。

  はい、その通りだと思います。

   > 文章の理解能力の問題でしょう。

  理解力というかそれ以前かと (^^;
  単に、自身の我執を離れられないだけかと思います。
  それに、大河女史を見ていると「『人間革命』は現代の御書である」という台詞が、頭を過ぎります。

102備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/10(日) 16:34:31 ID:g2zr24dw0
 やられたか・・・・・・(^^;

103沖浦克治:2010/10/10(日) 16:49:25 ID:AJ3hr85o0
 大河さんや、親父さんのことが青年訓に出てくるんですよ、備前さん

 『第二は、邪智邪宗の者に、立正安国論の根本義たる、邪宗邪義は一切この世の中の不幸の原因であり、諸天善神は国を捨て去り、聖人は処を去って、世はみな乱るるなりと訓え、邪智邪宗をひるがえすよう、智慧の鎧を身にまとい、彼等が執着の片意地を、精進勇気の利剣をもって断ち切るの戦いである。』
 (青年訓より、抜粋引用)

 執着の片意地なんです。

104日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 22:53:21 ID:8FNX.yWoO
風呂は嫁さまの番です。
時間があるので少しばかり……コチラに。

大河さん。見ましたよ。

何故、貴女はいつも毎回!そのようなすり替えをするのですか???!!!。

時間がないのでひとつひとつは後回しになります。お許しください!。

で、なんで説教さんに泣きつくようなカキコミするんですか??!!!。

そういうの、止めてください!。

今度は三大秘法。なかんずく一大秘法の話しですか???。
たしかに沖浦さんは《題目》といった記憶はあります。
ですが、一方で、《題目でも本尊でもどちらでもよい》とも言ってました。

貴女、この意味わかりますか??!!。

なんなら後で、やりますよ!!

三大秘法の中の一大秘法ってね!!
その中の1番のイチって事じゃないんですよっ!!!。

これ知らないと!議論になりませんよ。

「教学の基礎」を持ってきて、私の疑問を貴女に投げつけます!!。
覚悟しておいてくださいね。

で、私の疑問を貴女が解決してくれればよい話しです!。
この場合、説教さんには関係ないっ!。
いいですね。お願いしますよ。

105日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/10(日) 22:59:22 ID:8FNX.yWoO
(大河板より)

7:大河
10/10/10(日) 21:59:54 ID:U0lvXrxU0
急きょ、話題を変えてしまいます。

…………………………………
これをキッカケに13番くらいまで(-.-)。

今、ふと思ったんですけど……………

貴女。私の質問に応えてないっすよね!。
なんら応えてない!!

これについては如何です?。

106大勝利:2010/10/11(月) 18:01:25 ID:FfgO/4W.0
>>57 沖浦克治さん
> 「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、」

> 創価学会の会則にありますね。
> 以前は、

> 「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする。」

> こうでした。
> 弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊。が、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊。となりました。

> 固有名詞から、一般名詞に変わったのです。

沖浦さん
世法上は「本門寺戒壇の大御本尊」は他の宗教法人の所有に変わったのですから、
会則を変更するのはむしろ当たり前でしょう。
表現が変わっても、いままでと意義意味合いは全く変わってないと思います。


> そして、未だに、創価学会は公式にこの、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊。が戒壇本尊なのか、ではないのか?
> 公表していません。

変わってないから別に公表してないだけでしょう。
例えば、新会員の方が御書全集を買いますね。
最後から3ページあたりにいまでも、「弘安2年10月12日、戒壇の大御本尊を書示される」と明確に書いてありますよ。

そんな組織運営上の会則の表現が変わったからと言って右往左往することはないと思います。

もし師匠が明確に仰られる時があれば別ですが...
沖浦さんが会則の変更を「そのように」思うと言う話は議論としてあっても良いと思いますが、
「戒壇御本尊が出世の本懐」であると信仰している方々のその信仰自体を「批判」するのはおかしいです。
やめた方がよろしいかと思います。

107沖浦克治:2010/10/11(月) 20:58:32 ID:AJ3hr85o0
大勝利さん

 先ず、師匠が明確に言われたらは、私は弟子では無いと思います。
 あの、昭和54年、先生が名誉会長にに勇退された時、私は日蓮正宗を邪教と見限りました。
 その旨組織に告げたところ、大騒ぎになりました。

 今どうですか?
 
 戒壇本尊本懐論は明らかな間違いです。 
 但し、私はそれを信じる権利は認めております。
 責めませんよ、信じる信じないは、お題目の功徳とは無関係ですから。

 信仰を自体を批判しておりません。
 戒壇本尊を邪義と信じる人たちを、攻撃し、謗法扱いし、怨嫉謗法をすることは愚かだと言っているだけですよ。
 信じる自由まで踏み込んでおりません。、

108ヒロGO:2010/10/11(月) 20:59:11 ID:.frqldFwO
>>106
大勝利さん初めましてかな?
別な掲示板では、返答もらってますから?
僕の先輩幹部も言ってましたが
池田先生が言わない限り、わかっていても話してはならないと言ってました
そこを僕は、沖浦さんに理解してもらいたかったです
無用な敵を作るべきではないですね
とは言っても、唱題の祈り無き曼荼羅は?です
日蓮大聖人の教え?を信じ、その立場で祈るから曼荼羅本尊の力が出るのではないでしょうか?
まあ僕がいやのは、道具とか本・釈で語ると、誤解されるとこの部分です
鎌倉時代は江戸時代とは生活文化が違います
また江戸時代は現在とは生活文化が違います
変わらないものはなんだったでしょうか?
日蓮大聖人が名付けた宇宙の法たる南無妙法蓮華経ですね
現在の僕は反沖浦さんですが
日蓮正宗の教義では、?ですね
江戸時代の考え方を現在の世界に合わせるのは?ですね

109沖浦克治:2010/10/11(月) 21:06:37 ID:AJ3hr85o0
 ヒロGOさん今晩は

 そうやって、何でも先生に押し付けて弟子と言えますか?

 私はそう言う考えは、自分が難をさけ、師匠に責任を押し付ける態度だと思います。

 私はそう言う生き方は絶対に致しません。

110大勝利:2010/10/11(月) 23:03:00 ID:MYqDk7aIO
沖浦さん

54年の話は兎も角として、
沖浦さんのその言いぶんだと、
先生は、大聖人の出世の本懐は「戒壇の大御本尊」ではなく、10月12日の本尊をいままで「戒壇本尊」としてきたことは間違いであったが、池田先生は充分ご存知であるが明確には仰らないのだ。
と概ねこういう事になると思いますが・・・、

では先生が現在明確になさらない理由は何なんですか?

111沖浦克治:2010/10/12(火) 05:47:34 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん、おはようございます

 54年の話を兎も角とは致しません。
 当時、僧俗和合路線の真っ只中。
 今どうですか?

 公式見解などは薄氷のようなものである証拠ですよ。

 池田先生がご存じない道理がございません。
 何故、明確になさらないか?

 先生にお聞きする以外ないでしょうね。

112備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/12(火) 15:19:39 ID:g2zr24dw0
  最前、大河女史の日々さんスレを覗いて来たら、説教と過去の自身の書き込みを貼り付けてあった。
  そこには、「御本尊は出世の本懐」とあった。面白いな、誰も「御本尊は出世の本懐」を否定した事はないのにな (^0^ ♪
  こう言うのを、誤魔化し、すり替えと言うのと違うのかな。

  此方の立ち位置によって、「戒壇御本尊=大御本尊」と「御本尊」とを使い分けしながら、
  終いには、一緒にしてしまって論旨不明にしてしまおうと言う魂胆かな?
  
  『大聖人の出世の本懐が、末代幼稚の幸福=広宣流布にある限り。
   その「時」を感じられての宣言ならば、「余は二十七年なり」との言葉を
   「遂げられた」と受け止めようが「遂げられる」と受け止めようが然程の
   問題ではない訳じゃよ。』
  
  この様な、今までの自身の見解とは違う発言を、平気でする様な輩が尻持ちで控えていれば
  どんな手段でも平気で出来るか・・・・・(^^;
  まァ、説教も小学校からの国語の勉強のやり直し組の一人だな。

113沖浦克治:2010/10/12(火) 15:48:16 ID:AJ3hr85o0
 御書をあの人たちはそのように読む、備前さん

 それは自由だと思いますが、功徳が出る信心かどうか?
 ここが最も大事なんでしょうね。
 功徳を語れないなら、創価の信心ではございません。

114備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/12(火) 17:14:23 ID:g2zr24dw0
  こんにちは、沖浦さん

   > 功徳を語れないなら、創価の信心ではございません。

   何時も、沖浦さんの此書き込みを見て思う。
   一日も早く功徳を語れる、自身でありたいと。
   「罰」も功徳と捉えるのも必要ですが、有象無象の輩とその辺り、
   私も同じ命で悪い事は語りたくないと言う思いがあります。

   悪くとも語れる自分!中々、面子が邪魔して今の私には難しい問題です。

115沖浦克治:2010/10/12(火) 19:29:07 ID:AJ3hr85o0
 備前さん、今晩は

 夢を書いたらいかがでしょう。
 口にしない夢は叶いません。
 ですので、お書きになられれば祈りに芯が篭ります。
 先生のご指導です。

 『牧口先生が言われた。
 目標を口にして話す。
 すると祈りの信に芯が篭る。』(趣意)

116日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/13(水) 03:31:12 ID:8FNX.yWoO
沖浦さん、今は、こんばんはですf^_^;が、数時間後には、おはようございますm(__)m。

大河板で大河女史に質問をいたしました。
不躾ですが、同じ質問を沖浦さんにもしたいと思います。
(以下転載いたします)

68:日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks
10/10/13(水) 03:14:57 ID:dtczRUhoO
>>66
大河さん。創価ネット見ました。

全文を以下に転載致します。
(貴女のは、私に文句をつける為のキリ文です。)
-----------------------------
日蓮大聖人の身延入山後に、駿河国(現在の静岡県中央部)の富士方面では、日興上人が中心となって折伏・弘教が進められ、天台宗などの僧侶や信徒が、それまでの信仰を捨てて大聖人に帰依するようになりました。
そのために、天台宗寺院による迫害が始まり、大聖人に帰依した人々を脅迫する事件が次々に起こりました。
弘安2年(1279年)9月21日には、熱原の農民信徒20人が無実の罪を着せられて逮捕され、鎌倉に連行されました。農民信徒は平左衛門尉の私邸で拷問に等しい取り調べを受け、法華経の信心を捨てるよう脅されましたが、全員がそれに屈せず、信仰を貫き通しました。
そして、神四郎・弥五郎・弥六郎の3人の兄弟が処刑され、残りの17人は居住する地域から追放されました(10月15日、一説には翌年4月8日)。この弾圧を中心とする一連の法難を「熱原の法難」といいます。
農民信徒たちの不惜身命の姿に、大聖人は、民衆が大難に耐える強き信心を確立したことを感じられて、10月1日に著された聖人御難事で「出世の本懐」を遂げる時がきたことを宣言されました。「出世の本懐」とは、仏がこの世に出現した目的という意味です。
そして、弘安2年(1279年)10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのです(一閻浮提総与とは全世界の人々に授与するとの意)。
熱原の法難における、民衆の強き信心に呼応して御図顕された弘安2年の大御本尊は、全民衆救済という日蓮大聖人の大願を込めて、広宣流布のために顕されたのです。
--------------------------------

本来であれば、対話の続きは>>59-60からのやり取りになりますが、貴女が提示したので、一旦流れを止めて、話題をこれに移します。
簡単です。一点だけお聞きします。


これが公式な見解と判断いたします。
では!たった一点だけっ!!

【そして、神四郎・弥五郎・弥六郎の3人の兄弟が処刑され、残りの17人は居住する地域から追放されました(10月15日、一説には翌年4月8日)。この弾圧を中心とする一連の法難を「熱原の法難」といいます。】



【一説には翌年4月8日】

この意味。どう捉えますか?。

(後ほど、同じ事を沖浦さんにも聞きたいと思います)

大河さん。簡単で結構です。
その【一説には翌年4月8日】。貴女はこの記載がある創価ネットの記述をどう受け止めるか。

それをお書きください。
………………………………………
以上、全文転載終わり。


沖浦さん。もし仮に『翌年の4月8日説』だとすれば、10月1日→10月12日→翌年4月8日の時系列の中での10月12日の御図顕は信憑性を増すと思われますが、いかがでしょうか?。

私は「戒壇本尊信者」ではありませんが、「10月12日御図顕信者」です。

お考えをお聞かせ願いたいと思います。

117日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/13(水) 03:37:54 ID:8FNX.yWoO
>>116のアンカーは大河板のもので、この板のものとは、関係ございませんm(__)m。)

今日も一日がんばるぞうさんですo(^-^)o!
とりあえず仮眠しますf^_^;。

118沖浦克治:2010/10/13(水) 06:01:48 ID:AJ3hr85o0
 日々さん、おはようございます

 先ず、大聖人出世の本懐は、創価学会はぼかしたままですね。
 大白蓮華の任用試験の教材で載ったないようと、先日の聖教新聞の紙面座談会では異なっています。
 新聞では、戒壇本尊を出世の本懐と発言していますね。
 極めて無責任な指導部です。
 会社だったら首ですね。

 肯定も恐ろしい、否定も怖い。
 
 臆病者集団が今のあの座談会メンバーでしょう。
 それはさておきましょう。

 熱原法難と、戒壇本尊図顕の関係性を証明する証拠は、何一つありません。
 推測と、宗門の希望的観測だけです。

 否定の証拠は沢山あります。
 但し状況証拠です。
 私はこれで充分だと思いますが。

 戒壇本尊本懐論者が、自らの主張を世間に認知させる方法は当然ございます。

 弘安2年10月12日に、戒壇本尊の図顕があった、と言う証明。
 そそてそれが、大聖人出世の本懐、となる証拠。

 この二つを文献で示し、歴史学上、正しいと言う証明をすればいいのです。
 立証したいのは、戒壇本尊本懐論者たちですから、立証責任は当然その人たちにあります。
 但し、これはと思える文献を提示し、自在に証明を試みる権利は保障されています。 
 日本はそう言う自由のある国です。
 然しながら、そう言う試みすら誰一人しない。
 事実として証明が出来ないなら、それは認知をされません。
 世間の常識です。
 思い込みは自由なんですよ。
 しかし、それを他者に押し付けては駄目ですね。

 では、少し貴方のご意見を検討してみましょう。
 弘安2年9月21日に逮捕連行があって、処刑が3年4月日として考えます。

 この間に大聖人が熱原機縁で御本尊を御図顕されたかどうか?
 現存する御真筆御本尊が、現在わかっているだけで16帯あります。
 ただ、2年9月で日付のわからないものが1帯ありますし。3年4月にも8帯ありますが、日付がオーバーするものが2帯、後は日付がわかりませんので省きます。
 これに戒壇本尊をいれると、その間残っているだけで17帯が確認できます。

 この間御図顕の御本尊が御本懐だとして、どれがそれに当たるのか?
 この証明が必要ですね。
 それと、750年間存在している事が当然ではなく、この数倍〜数十倍の御図顕があったと考える事が当然でしょう。
 そうすると、戒壇本尊が本懐である確立は、100分の1以下です。

 そして、本懐論者たちには残念な事に、既にこの御本尊図顕と言うものが出世の本懐で遂げているとの御書があります。

 『あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。』
 (阿仏房御書)

 この御文が、永9年3月13日ですから、弘安2年10月の7年半ほど前です。
 大聖人の出世の御本懐が御本尊御図顕であったとしすれば、この時点で大聖人が本懐を遂げておられます。
 ですので、この時点以後の全ての御本尊が御本懐に含まれる。
 御本尊図顕本懐論の立場は、当然、御書に基づいてそうなります。
 ですので、殊更、弘安2年10月12日にこだわる必要はございません。

 以上が私が御書を読んで思う感想です。

119日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/13(水) 06:44:36 ID:8FNX.yWoO
>>118
沖浦さん。改めて、おはようございますm(__)m。
一度読んだだけでは、よく理解できませんが、
先ずは、ありがとうございますm(__)m。

私の考えとは少し違うようですね。

120沖浦克治:2010/10/13(水) 06:50:38 ID:AJ3hr85o0
日々さん

 考えが違って当然なんです。
 桜梅桃李と言いますから。

 大切な事は、相手が信じるものを持つ、その気持ちを尊重することです。
 対話はそこがスタートなんです。
 破析から入れば論争です。
 今は対話が広宣流布の手段の時代。
 破析じゃ駄目なんです。

121大勝利:2010/10/13(水) 10:54:51 ID:FfgO/4W.0
>>118
沖浦さん

それは違いますよ。
何度か言いましたが、沖浦さんは六巻抄と文段を読んだことがないからそうなるのです。
現存している真筆御本尊の讃文の変化から弘安2年10月以降に劇的な心境の変化を推測することが出来ます。
その裏付として聖難御難事があります。
この前提があったので、「10月12日」「戒壇願主」の記された御本尊が弘宣流布の暁に本門寺に安置する御本尊にふさわしいと導き出せるのです。

その証拠が何もないと言うならば、
なぜ弘安2年10月に「二千二百三十余年」から「二千二百二十余年」に時が遡るのかの理由を、
沖浦さんの説として提示すべきと思いますがどうでしょう?

それが「解からない」と言うのであれば、少なくとも「解かる」と言う日寛上人の説の方に力があります。

122日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/13(水) 12:20:29 ID:8FNX.yWoO
>>118
今、昼休みでその聖教の社説の新聞が手元にないのですが……

【>新聞では、戒壇本尊を出世の本懐と発言していますね。】と沖浦さんは言っておりますが、

私の記憶では、『御図顕された日』と記載されていた記憶があります。

《戒壇本尊》との記述は、一切なかったと記憶しておりますが………。

さ!午後からの仕事!頑張りますっo(^-^)o!。

123備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/13(水) 13:45:34 ID:g2zr24dw0
 >>121
   > なぜ弘安2年10月に「二千二百三十余年」から「二千二百二十余年」に時が遡るのかの理由を

  弘安3年ごろから、また「二千二百三十余年」に戻られておられるのですが・・・・(^^;
  それに、文永・建治も「二千二百三十余年」と「二千二百二十余年」が混在しておりますし、
  比率で言えば「二千二百二十余年」が多いのではと思います。

  現存する御親筆御本尊で、讃文の中で唯一 「大本尊」と言う語句の入っている「文永11年12月 日 万年救護本尊」も
  「二千二百二十余年」ですね。また、讃文の中で「二千二百二十余年」と言うのが最初みたいですね。

  「二千二百二十余年」→「二千二百三十余年」→「二千二百余年」→「二千二百二十余年」→「二千二百三十余年」という
  具合ですね。混在時期もあり上のように綺麗には分かれておりませんが、ザックリとはこの流れですね。

124:2010/10/13(水) 17:16:04 ID:XkfKuVcU0
こんばんは


P717
御義口伝

「又云く一とは中諦大とは空諦事とは仮諦なり此の円融の三諦は何物ぞ
所謂南無妙法蓮華経是なり、
此の五字日蓮出世の本懐なり之を名けて事と為す、」



「此の五字日蓮出世の本懐なり之を名けて事と為す」

125:2010/10/13(水) 17:26:18 ID:XkfKuVcU0

出世の本懐の参考に


P1340

最蓮房御返事

「我等末法濁世に於て生を南閻浮提大日本国にうけ忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事
是れ偏に過去の宿習なるか。」




「南閻浮提大日本国にうけ忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事」




「日本国にうけ忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経」

126:2010/10/13(水) 17:32:10 ID:XkfKuVcU0
参考に


P557

法華初心成仏抄

「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、」




我が己心の妙法蓮華経 = 本尊

127大勝利:2010/10/13(水) 17:54:32 ID:FfgO/4W.0
>>108
ヒロGOさん

はじめましてかも知れないですね。
どうぞよろしくお願いします。

人はそれぞれ様々な考え方があって当たり前と思います。
よく話を聞いてみるしかないですね。
それを「学会のバッジ」をつけてネットで取り締まろうとするのは無理があります。
ヒロさんが沖浦さんの説に従わなければならない訳ではそもそもありませんので、
「違うと思う」ことを違うと言うのは当然と思います。
そのことで「反沖浦」とか「親沖浦」とか括った見方は失礼だと思います。

128大勝利:2010/10/13(水) 18:04:15 ID:FfgO/4W.0
>>126
あ さん

例えば釈尊の出世の本懐は「法華経」を説くことだったけれども、
その中でも「寿量品」は本懐の法華経の中でも重要な本懐です。
釈尊の出世の本懐は「一切衆生を救う」ことだったかも知れませんが、
末法の衆生から見れば「釈尊滅後の衆生救済」が本懐のさらに本懐なるでしょう?

ですから御書に「出世の本懐」が多く出てくるのは当然だと思います。
本懐の中でもさらに本懐は何と捉えるのかを話しているのです。

129大勝利:2010/10/13(水) 18:18:55 ID:FfgO/4W.0
>>123 備前さん  

>「文永11年12月 日 万年救護本尊」

文永11年は仏滅後 2223年 の計算になりますから、「二百二十余年」は、この御本尊単体からは普通ですね。
文永8年は2221年になりますから、文永8年以前の御本尊はないのでわかりませんが・・・。
ではむしろ、文永11年から7年後の御本尊はどうなってるのか?ですね。

大本尊の「大」の書示は他にも「大曼荼羅」で使用されているし、「本尊」語が記されていたとしても、
「五字の本尊」義はそもそも散見されるのですから、万年救護御本尊を「特別視」する根拠は少ないと思います。

130:2010/10/13(水) 18:23:03 ID:XkfKuVcU0
大勝利さん

こんばんは

>末法の衆生から見れば
「釈尊滅後の衆生救済」が本懐のさらに本懐なるでしょう?


なんで さらなる本懐に なるのですか?

理由がないのに、勝手にさらなる本懐を弟子側でつくっても いいのでしょうか?


「日本国にうけ忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経」

わざわざ 日本国を指して いるのに と 思ってしまいます。

131:2010/10/13(水) 18:34:42 ID:XkfKuVcU0
大勝利さん

あまり よく わからないのですが。

●の板の戒壇の本尊が 仮に 出世の本懐だとすると
私たちにとって、どのように 信仰が かわるのでしょうか?

また

●の板の戒壇の本尊が 仮に 出世の本懐でないと すると
私たちにとって、どのように 信仰が かわるのでしょうか?


そこのところを、少し解りやすく教えて いただけないでしょうか?

132:2010/10/13(水) 18:38:32 ID:XkfKuVcU0
失礼しました、>>131の訂正です。

↓  ↓

大勝利さん

あまり よく わからないのですが。

●大石寺の板の戒壇の本尊が 仮に 出世の本懐だとすると
私たちにとって、どのように 信仰が かわるのでしょうか?

また

●大石寺の板の戒壇の本尊が 仮に 出世の本懐でないと すると
私たちにとって、どのように 信仰が かわるのでしょうか?


そこのところを、少し解りやすく教えて いただけないでしょうか?

133大勝利:2010/10/13(水) 20:57:38 ID:MYqDk7aIO
大石寺の奉安堂安置の
板曼陀羅が大聖人の本懐の御本尊と同一かどうかは見たこともなければ入ったこともないので知りませんね。

一切衆生総与の御本尊の摺形木の御本尊なら知ってますが・・・、
私達の信仰に大いに違うでしょう。

134:2010/10/13(水) 21:08:44 ID:XkfKuVcU0


大勝利さん


>>133 についてなのですが

>私達の信仰に大いに違うでしょう。


出世の本懐が 何 に なると 
私たちの信仰が、 どのように大きく違うようになるのかが

これだけじゃ、ぜんぜん わからないのですが

具体的に、教えてくれませんか?
例えでも、良いので。

135大勝利:2010/10/13(水) 21:56:21 ID:MYqDk7aIO
あ さん

先生の指導を学んで、
信じて行ってみるしかないのではないでしょうか。

己心の妙法も大事ですが、我に偏ってしまってはいけないと思いますよ。
先生は御本尊が根本と指導されています。
根本がなければせっかくの己心の妙法も浮草でしょう。
学会活動に参加し人の心と触れてこその己心妙法ではないでしょうか。

136:2010/10/13(水) 22:28:31 ID:XkfKuVcU0
大勝利さん

だれも、己心の妙法 の 事など 大勝利さんには、聞いてないですよね。


>>134 よく 読んで見てください。


>己心の妙法も大事ですが、我に偏ってしまってはいけないと思いますよ。


今現在は、 己心の妙法の話はしないです。


>>134 の事が知りたいだけです。

137沖浦克治:2010/10/14(木) 07:17:07 ID:AJ3hr85o0
 あ、さん、おはようございます、大勝利さん、横レス失礼致します

 大聖人の出世の御本懐が何であれ、また、私共が何だと信じようと、お題目の功徳は変化を致しません。
 御書に書いてございます。
 
 『問う其の義を知らざる人唯南無妙法蓮華経と唱うるに解義の功徳を具するや否や、答う小児乳を含むに其の味を知らざれども自然に身を益す耆婆が妙薬誰か弁えて之を服せん水心無けれども火を消し火物を焼く豈覚有らんや』
 (四信五品抄)

 この通りです。
 ですので、法義や教学論議は、この点をキチンと弁えて行わないと、怨嫉謗法になって損をする可能性が大きいです。
 それは凄く愚かですね。

138日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/14(木) 08:22:05 ID:8FNX.yWoO
>>137
沖浦さん。おはようございますm(__)m。

【大聖人の出世の御本懐が何であれ、また、私共が何だと信じようと、お題目の功徳は変化を致しません。】


私が今、大河さんと執拗なくらいな対話を試みているのも、そこが終着点なんです。
書いていると自分を懐古し、考えを更に巡らす訓練になります。
『誠実とは何か。』『ありがとうの言葉の持つ意味って?』『同志とは何か。真の同志とは?』
今までの(過去の)自分は、その命題をどう捉えていたのか。これからの自分はどう捉えていけば善いのか………。

アノ対話は、自分にとってプラスに働いています。真剣に創価の歴史を学ぶ事ができますから。
で、その《ネットでの対話のシュミレーション》が、現実にリアルでの『自身の人間革命』に役に立つ事ができると確信いたします。


大〇さんには、相手を通して、自分を見る事の必要性を知って頂きたいのです。

なんせ!私は、正真正銘!『誉れの無冠』ですから!!。
(今は代配を少しだけですがf^_^;。)

139:2010/10/14(木) 09:03:52 ID:XkfKuVcU0
沖浦さん 
おはようございます。



>>137


第四五濁の事
 文句の四に云く劫濁は別の体無し劫は是長時刹那は是短時なり、
衆生濁は別の体無し見慢果報を攬る煩悩濁は五鈍使を指て体と為し見濁は五利使を指て体と為し命濁は連持色心を指して体と為す。
 御義口伝に云く日蓮等の類いは此の五濁を離るるなり、
我此土安穏なれば劫濁に非ず実相無作の仏身なれば衆生濁に非ず煩悩即菩提生死即涅槃の妙旨なれば煩悩濁に非ず五百塵点劫より無始本有の身なれば命濁に非ざるなり、
正直捨方便但説無上道の行者なれば見濁に非るなり、
所詮南無妙法蓮華経を境として起る所の五濁なれば、日本国の一切衆生五濁の正意なり、
されば文句四に云く「相とは四濁増劇にして此の時に聚在せり瞋恚増劇にして刀兵起り貪欲増劇にして飢餓起り愚癡増劇にして疾疫起り三災起るが故に煩悩倍隆んに諸見転た熾んなり」
経に如来現在猶多怨嫉況滅度後と云う是なり、
法華経不信の者を以て五濁障重の者とす経に云く「以五濁悪世但楽著諸欲如是等衆生終不求仏道」云云、
仏道とは法華経の別名なり天台云く「仏道とは別して今経を指す」と。




「我此土安穏なれば劫濁に非ず実相無作の仏身なれば衆生濁に非ず
 煩悩即菩提生死即涅槃の妙旨なれば煩悩濁に非ず五百塵点劫より無始本有の身なれば命濁に非ざるなり、」



「劫濁に非ず実相無作の仏身なれば衆生濁に非ず」をわきまえていないと 如来現在猶多怨嫉況滅度後になってしまうのですね。



● わたしも 沖浦さんと 同じ意見ですよ。「劫濁に非ず実相無作の仏身なれば衆生濁に非ず」ですからね。

140備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/14(木) 09:50:10 ID:g2zr24dw0
 >>129
   おはようございます、大勝利さん

    > 万年救護御本尊を「特別視」する根拠は少ないと思います。

  別段、「特別視」はしていないつもりなのですが・・・・(^^;
  ただ、なぜ「文永11年12月 日 万年救護本尊」のみ(今の所ですが)が、賛文の中で「大本尊」と謳われ
  他の御本尊では「大漫荼羅」」となっているのかは興味を引く所です。

   > 文永11年は仏滅後 2223年 の計算になりますから、「二百二十余年」は、この御本尊単体からは普通ですね。

  この説明だと、文永12年に顕された四体の御本尊は「二百三十余年」、建治3年に顕された二体の御本尊は「二百余年」と
  なっている理由の説明がつかないのではと思います。
  また、弘安元年は未だ「仏滅後 2220年」年代のはずですが、「二百三十余年」となっておりますよね。

141大勝利:2010/10/14(木) 13:53:59 ID:FfgO/4W.0
>>140
備前さん こんにちは。

>  この説明だと、文永12年に顕された四体の御本尊は「二百三十余年」、建治3年に顕された二体の御本尊は「二百余年」と
>  なっている

大聖人は建治2年7月の報恩抄で、
「仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず」と仰ってます。
にも関わらず文永12年4月の御本尊には「二百三十余年」と示されてあります。
当然これは御本尊に関しては何らかの意味があると考察出来ます。

日寛上人はこれを大聖人が「釈尊の本懐」から仏滅後として計算されていると説明されるのです。
万年救護御本尊について詳しく書かれているわけではないので、日寛上人の示された意義から私が思うには、
文永11年は2223年と思っていたのが実は2229年だったわけですから6年余ズレていることになります。
万年救護御本尊は釈尊の「未顕真実」を出世の本懐として数えて二百三十余年となることになります。
このような計算を繰り返していくと、何通りかの出世の本懐が見えてきます。
方便品第二
寿量品第十六
神力品第二十四
普賢品第二八

中でも滅後の付属である「神力品」を出世の本懐とした弘安2年は大聖人滅後の付属する「総与」の意義が含まれていることになります。
しかも弘安3年になると神力品本懐からでも三十余年になるので10月〜12月の間しかないことになります。
やっと弘安2年10月1日に至って、「出世の本懐を遂げた」と過去形になるのはこのためでしょう。
弘安2年に本懐中の本懐である総付属の御本尊を顕されていることを私としては確信しています。
ただそれが、どのように現存しているのかどうかは私はわかりません。
それよりも「一切衆生総与」の御本尊を顕された事が一大事であると思ってますので・・・。

142備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/14(木) 15:37:30 ID:g2zr24dw0
  こんにちは、大勝利さん v(^^

   > それよりも「一切衆生総与」の御本尊を顕された事が一大事であると思ってますので・・・。

  そうですね。しかしながら、これを「弘安2年10月12日」図顕の御本尊に限るのか、それとも御真筆御本尊全てに限るのかが
  問題ですね。私は、顕された御本尊全てが「一切衆生総与」と思っております。
  まァ〜 組織として見るならば、『「弘安2年10月12日」図顕の御本尊に限る』とした方が都合が良いと思います。
  でないと、求心力が維持できませんからね。 (^^;

143大勝利:2010/10/14(木) 18:11:02 ID:FfgO/4W.0
>>142

>まァ〜 組織として見るならば、『「弘安2年10月12日」図顕の御本尊に限る』とした方が都合が良いと思います。

そんなことは勘繰ることではないと私は思います。
>>141の日寛上人の「一切衆生総与の御本尊は神力品付属の御内証」の説から考えますと、
この御内証を含む御本尊は「弘安2年10月12日の御本尊」1体だけではないことになります。
弘安3年の御本尊はこちらの時計が回って「二百三十余年」になるので次の禍節の弘安3年2月までの御本尊が「総与」の御本尊になると思います。
日興上人が「二千二百三十余年」と書写すべきの意味はこの辺にあるのではないかと思います。
弘安2年10月から弘安3年2月の間の御本尊の書写であれば「一切衆生総与」であるので10月12日に限るわけではないと思います。

本門寺に懸ける戒壇の御本尊は、御安置する時はどれか1体だけなのは当然でしょうから、大石寺としては「10月12日に限る」のはしょうがないでしょうが、
すでに謗法の地でありますので宗門が改心しない場合は日蓮華山の下に本門寺を建立して日寛上人書写の御本尊を懸ければ良いと思います。(あくまで個人的な思いですが)

144日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/14(木) 18:36:43 ID:8FNX.yWoO
横から失礼して槍を投げます。
(これがホントの横槍ですm(__)m。)

学会が「御図顕された日」と表現したのだから、それで善いのではないですか?。

信じる人は信じる。
信じない人は信じない。

でも!!!
学会員として!!『三大秘法の南無妙法蓮華経』を信じる!!!。

これが全てではないですか??。

検証なんか、他の人にお任せして!。

二千年だとか(-.-;)、余年だとか(-.-;)。

三千ですよっ!大事なのは!!。

【一念三千】です!!!。

すいませんm(__)m。
財布に千円すら入っていない私が言うのもなんですが(-.-;)。

恥?を忍んで、申し上げております事、
少し馬鹿り、理解してチョンマゲですo(^-^)o!!!



失礼いたしました<(__)>。

145:2010/10/14(木) 18:56:05 ID:XkfKuVcU0
本門寺に懸ける戒壇の御本尊を懸けたいのなら。

本門寺に懸ける戒壇の御本尊は普通の家庭の日寛上人の
紙の曼荼羅本尊で良いと 思います。


見ずらいのなら、普通の家庭の日寛上人の紙の曼荼羅本尊を
拡大コピーすれば、問題ないでしょう。


形式に とらわれるのは、考えものですね。

146沖浦克治:2010/10/14(木) 19:30:02 ID:AJ3hr85o0
凄く簡単に考えるべきだと思います、皆様方に

 経王御前に下付された御本尊を、他人が拝んでお力が無いとは考えられません。
 御書を読めば当然の結論ではないでしょうか?

 すると、この御本尊は一閻浮提総与です。
 この点、如何でしょう?

147:2010/10/14(木) 19:57:35 ID:XkfKuVcU0
沖浦さん こんばんは

>経王御前に下付された御本尊を、他人が拝んでお力が無いとは考えられません。
 御書を読めば当然の結論ではないでしょうか?


普通の家庭の曼荼羅本尊も なんら かわらないです。
変わったら、それこそ 大変です。
曼荼羅本尊に、差別が出てきちゃいますから。

大石寺の戒壇の板の曼荼羅本尊も
家庭にある日寛上人書写の紙の曼荼羅本尊も、同じです。

宝塔を書き写したものに、かわり無し。

だと 思います。

148沖浦克治:2010/10/14(木) 21:11:22 ID:AJ3hr85o0
あ、さん、大勝利さん、日々さん、備前さん、今晩は

 お名前まとめてしまってごめんなさい。
 御本尊のことを書いてある御書がありますね。
 弘安2年10月〜弘安3年4月までが、一閻浮提総与とは書かれていません。
 もし寛師がそう言うなら、己義ですし、御書に基づかない物は信頼に値しません。

 『大旱魃大火大水大風大疫病大飢饉大兵乱等の無量の大災難並びをこり、一閻浮提の人人各各甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、諸仏諸菩薩諸大善神等の御力の及ばせ給わざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕ること雨のごとくしげからん時此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難をのがれん、』
 (新尼御前御返事)

 文永十二年二月の御書です。 
 弘安2年まで4年あります。
 この時、大曼荼羅で、

 『此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難をのがれん、』
 
 と、仰せです。
 万民は難を逃れん。
 ですから、一切衆生が対象です。
 この大曼荼羅は一閻浮提総与です。

 この点、いかがでしょう?

149沖浦克治:2010/10/14(木) 21:16:55 ID:AJ3hr85o0
 法華経以前の教えを一機一縁と申します

 対して法華経は万人対象に説かれています。
 実大乗経といわれるゆえんです。

 大聖人の仏法は釈迦以上に一切衆生が対象なんです。
 大聖人が、一切衆生のために説かれた題目。
 対象として唱える御本尊に一機一縁がある道理がございません。

 全ての御本尊は一閻浮提総与。

 これが理の当然だと思えます。

150求道の人:2010/10/14(木) 22:24:14 ID:LOOiFaK.0

話の腰を折るようですが、直筆の御本尊と創価学会などで配っている印刷本尊ではありがたみが全く違いますね。

大聖人の時代にも御形木の技術はありましたが、大聖人は自身の揮毫された御本尊をもとに御形木などつくられていません。

直筆のみの授与です。

創価学会の製版印刷本尊を見たら、日蓮大聖人は激怒するでしょうね。

日蓮大聖人がたましいを込めて書かれた御本尊を、適当に日寛師が書写したものを、さらに伸縮自在で大量印刷、これほどの大聖人に対する不敬は無いでしょう。

創価学会の本尊を拝んで功徳が出ようが出まいが、創価学会のような本尊乱発主義は決して日蓮大聖人はお許しにならないと確信致します。

また地涌会館には板曼荼羅を安置し、その原本を牧口記念館に安置するのも言語道断の極み、池田氏の信仰心・教学の無さの象徴だと思います。

板曼荼羅は原本の紙幅本尊を永代に伝え残すための措置であって、板曼荼羅をつくったら紙本は大切に保管し年に一回程度御風入するのが通例です。

双方を別の会館に安置するなど、常識では到底考えられない愚行だと思います。

151沖浦克治:2010/10/14(木) 22:31:05 ID:AJ3hr85o0
 求道の人さん、今晩は

 御書に書写の資格や方法が書かれていません。
 ですので、そう言う断定は無理です。
 後はその書写の御本尊が功徳を出せるかどうか?
 ここだけを見ていればいいでしょうね。
 この点は創価の御本尊は合格です。

152大勝利:2010/10/14(木) 22:54:29 ID:MYqDk7aIO
沖浦さんが仏だったらどのように人を救いますか。

先ず目の前の不幸な人、
次に在世の衆生、
最後に未来万年の衆生、
と順番があるのが道理ではないでしょうか。

一切衆生の為と言っても、中でも、もっとも不幸な人の為にが目的の中の目的と言えると思います。
一機一縁と言うのは御本尊を蔑んでいるのではないと思います。
むしろ、「27年で出世の本懐を遂げた」と言っている御本尊と、5年前の御守り本尊とが全く同じと言うのが本当に大聖人のお考えなのか疑問ですね。

先生が御本尊はどれも同じと言っているのは一往で再往は同じではないと言うことだと思います。

153求道の人:2010/10/14(木) 23:28:20 ID:LOOiFaK.0

沖浦さん、もちろん断定は無理です。
しかし創価学会の本尊は、大聖人がおられたら明らかに不合格だと思います。
大聖人も興師も御形木御本尊は一つもつくられていません。
恐らく念仏の名号で御形木が流行っていたので、それに対する反発もあったとは思います。
特に興師は意地になってでも書写しまくり、現在でも多数の本尊が現存しており、他に類例無き本尊書写数であった事がわかります。
江戸期に流行った御本尊の御形木も、ご真筆と同じ大きさのものばかりです。
縮小した御形木などご真筆の写しとはいえません。
創価では一つの本尊を伸縮自在で大量印刷ですから、これほどの不敬はありません。
功徳なら成田山や川崎大師の方がはるかに上ですよ。
功徳だけに拘るなら、なおさら創価の信仰に拘る理由はありません。
大聖人も虚空蔵聞持法という真言密教の秘法を行じて大功徳を得ています。

154:2010/10/14(木) 23:29:33 ID:XkfKuVcU0
>>148

沖浦さん


『此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難をのがれん、』
 

此の五字の大曼荼羅ーーーー> が己心の妙法に読めてしまいます。




>一切衆生が対象です。
 この大曼荼羅は一閻浮提総与です。


己心の妙法と読めてしまいますので、一閻浮提総与です。

155:2010/10/14(木) 23:46:45 ID:XkfKuVcU0
求道さん

こんばんは

書写について、ひとつ 聞きたいのですが


>創価では一つの本尊を伸縮自在で大量印刷ですから、
 これほどの不敬はありません。


なんで、不敬になるのかが、わからないのですが。
理由は、なぜでしょうか? 教えていただけませんか?

印刷して、みんなに 配ろうと考えて実行しようとした人は、書写元に対し
不敬ではなく、うやまう 気持ちを 持っていたと 思います。

だから、不敬では ないと 思います。
///////////////////////////////////////
不敬

[名・形動]尊敬の念を持たず、礼儀にはずれること。また、そのさま。
///////////////////////////////////////////////////


もうすぐ 寝ます。おやすみなさい。

156求道の人:2010/10/15(金) 00:58:04 ID:LOOiFaK.0

あさん、

大きさを自由自在に変えて印刷する事が不敬だと思います。
御本尊なわけですから。
これは創価学会にいるうちはわからないでしょう。
一歩外に出れば、創価学会のやっていることのデタラメさがわかります。
少なくとも日興門流では書写が伝統であり、印刷などもってのほか、日興上人存知抄で謗法といっているでしょう。
御形木は念仏がはじめたことで、本来日蓮門下・特に日興門流では直筆書写が原則です。
でなければ日興上人は300幅以上も書写する必要は無く、御形木を使って楽をしたでしょう。
また直筆を直接みることの無い創価学会員にはわからないでしょうが、大聖人も日興上人も様々な大きさの御本尊を書かれています。
大きな御本尊はそれなりの意味があって大きく書いています。
岡宮光長寺の二十八紙の大曼荼羅は、通常より小さな紙を張り合わせて揮毫されています。小さなものを28枚書くこともできたでしょうが、そうはせず特大の大曼荼羅を揮毫されたわけです。
恐らく日寛師もそれなりの意味があって、様々な大きさの御本尊を書いたことでしょう。
そうした書写者の意図を無視して、後代のものが自由勝手に縮小・拡大して大量印刷するなど、日寛師でも怒るでしょうね。
もとより創価学会は日寛師を利用しているだけで、それだけでも十分不敬の極みでしょう。
創価学会や池田氏に日寛師を敬う気持ちなど無いですよ。

157沖浦克治:2010/10/15(金) 05:27:04 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん、おはようございます

 一機一縁の本尊と言うものは御書にありません。
 全てが一切衆生に対してお力がございます。
 何故、一機一縁の本尊と言う言葉が出てきたのか?
 本来、一機一縁とは爾前経に対する言葉です。
 一機は、特定の仏の説法および経を聴聞し悟る、ある部分の衆生の機根です。
 一縁はその特定の仏と縁のある一部分の衆生のことです。
 要するに方便権経と、その衆生です。
 不完全なんです。
 ですので、一機一縁は輪円具足ではございません。
 対して、大聖人御図顕の御本尊は、輪円具足です。

  建治三年八月の御作ですから、弘安2年から2年前です。
 当然戒壇本尊もありませんし、聖人御難事もございません。
 ここで、大聖人は、日妙御前に御本尊を下付され、その御本尊の説明拝み方をご指南です。

 『此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり、十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり。』
 (日女御前御返事)

 これが拝み方です。

 この御本尊は、貴方の信心の二文字に収まっているんですよ。
 本当の本尊はその信心の二文字の貴方の命なんですよ。

 『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり、されば首題の五字は中央にかかり四大天王は宝塔の四方に坐し釈迦多宝本化の四菩薩肩を並べ普賢文殊等舎利弗目連等坐を屈し日天月天第六天の魔王竜王阿修羅其の外不動愛染は南北の二方に陣を取り悪逆の達多愚癡の竜女一座をはり三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神十羅刹女等加之日本国の守護神たる天照太神八幡大菩薩天神七代地神五代の神神総じて大小の神祇等体の神つらなる其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云、此等の仏菩薩大聖等総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。』
 (日女御前御返事)

 この部分が相貌です。
 虚空会の儀式の宝塔をそのまま写し取ったもので、貴方がこの本尊に題目を唱えるとき、それがそのまま虚空会の儀式なんですよ。
 このように仰せです。

 この日女御前に授与された御本尊が、一閻浮提総与ではなく、一機一縁の方便権経の本尊と言うならば、御書に基づいてその証明が必要です。
 ですので、この御主張をなさる事はご自由ですが、大聖人仏法における一般常識とするならば、衆生に納得をいただく必要がありますね。

>むしろ、「27年で出世の本懐を遂げた」と言っている御本尊と、5年前の御守り本尊とが全く同じと言うのが本当に大聖人のお考えなのか疑問ですね。
先生が御本尊はどれも同じと言っているのは一往で再往は同じではないと言うことだと思います。

 ここは貴方の推測ですので、一般論としては無理がございますね。

158:2010/10/15(金) 05:30:03 ID:XkfKuVcU0
求道さん

おはようございます。

わざわざ お返事いただきありがとうございます。


>大きさを自由自在に変えて印刷する事が不敬だと思います。



法華経題目抄

「譬えば大海の一・の水に一切の河の水を納め一の如意宝珠の芥子計りなるが
 一切の如意宝珠の財を雨らすが如し」

の御文に当てはめる 事は できないでしょうか?



>もとより創価学会は日寛師を利用しているだけで、
 それだけでも十分不敬の極みでしょう。


学会以外の人の見方は、大方 そのように、見る事は、想像します。
何故、日寛上人の書写本尊を使用したのかは、私には、解りませんが
森羅三千を顕しているのであれば、効用は 同じであると 信じています。


勝手な私の想像なのですが、紙の曼荼羅本尊が日寛上人の書写本尊とは
違う、学会独自の物を、使用する時が 来るのではないかと、思っています。


書写に関しての規定を 残さなかった事に 何か意味が有るのか、無いのかは
わたしには、解りません。只 世界の人々に流布する過程で、印刷という
技術を使用する事は、筆を印刷機械に墨を印刷に変えたと、考えてみては
いただけないでしょうか。

人類の幸福を 願う魂を 「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ」

に変えて。

求道さん きょうも
良い一日を お過ごしください。

では、失礼します。

159:2010/10/15(金) 05:43:22 ID:XkfKuVcU0
沖浦さん

おはようございます。

>>158


わかり易い、文章で とても 理解しやすく 納得する事ができます。

閲覧しながら、 勉強させて いただきます。


ありがとうございます。

160沖浦克治:2010/10/15(金) 05:44:49 ID:AJ3hr85o0
 求道の人さん、おはようございます

>しかし創価学会の本尊は、大聖人がおられたら明らかに不合格だと思います。

 この御主張には無理がありますね。
 何故仏法から見て不合格か?
 御書、経文を引用し証明せねばなりませんよ。
 貴方の推測をもって大聖人の仏法をはかるわけには参りません。

>大聖人も興師も御形木御本尊は一つもつくられていません。

 紙が無かったのではないですか?
 当時貴重品ですから、全ての弟子に御本尊を与えることは無理だったのですよ。
 それと、大聖人は題目流布です。
 本尊流布は戸田先生です。
 今の池田先生は創価思想の流布です。

 時代は流れているんです。

>大きさを自由自在に変えて印刷する事が不敬だと思います。
御本尊なわけですから。
 
 そう言う御書はございません。
 そして状況証拠ですが。
 三大秘法の中にある本門戒壇についてこう言うものが残っています。

 「戒壇の方面は地形に随うべし、国主信伏造立の時至らば智臣大徳宜しく群議を成すべし、兼日の治定は後難を招くに在り、寸尺高下注記すること能わず」

 戒壇の方面は地形に随わなければならない。
 国主が信伏し、戒壇建立の時が来たなら、在家のリーダーや出家のリーダ−がよく議論して決める。
 その日が来る前に決めてしまうことは後でいろいろな問題を起こすことになるので、具体的な内容は書かず、後世にゆだねるので記すことはできない。

 三位坊日順です。
 この人ですね。
 1317年(文保元年)3月8日、日頂、重須に寂(66歳)。三位日順重須談所2代学頭に補せらる。

 大聖人の時代に近く、興師のお弟子だったと思います。 
 戒壇建立を極めて柔軟に書いています。 
 ですので、御本尊のサイズでめくじら立てないでしょうね。
 そして貴方の御主張の決定的な欠点がこれですね

>御形木は念仏がはじめたことで、本来日蓮門下・特に日興門流では直筆書写が原則です。

 直筆書写で世界広布はむりですよ。
 書写だけで何十万年かかります。
 少し仏法の道理を弁えるべきですね。

 『肉をほしがらざる時身を捨つ可きや紙なからん世には身の皮を紙とし筆なからん時は骨を筆とすべし、』
 (佐渡御書)

 印刷技術がある現在、直接書写の必要はございません。

161沖浦克治:2010/10/15(金) 05:49:43 ID:AJ3hr85o0
 あ、さん、おはようございます

 とんでもございません。
 只、創価学会員は日蓮正宗の害毒で、御本尊不可侵主義、偶像主義の人がまだおられます。
 これは、世界広布には邪魔なんです。
 先生が、SGIが広めるものを、

 久遠元初の法。

 と言われ、その具体的な方法を、

 人間革命運動の拡大。

 と、定義されたのは何故か?
 思索すべきです。

162沖浦克治:2010/10/15(金) 06:22:23 ID:AJ3hr85o0
 寛師の一凶は

 本尊に迷いがある所です。

163沖浦克治:2010/10/15(金) 06:24:25 ID:AJ3hr85o0
 ですので、寛師教学では、

 身延に太刀打ちが出来なかったのです。
 戸田先生が仰せです。

 『日蓮正宗は、創価学会が出現するまで、何をしても身延には敵わなかった。』(趣意)

 音源持ってますよ。
 寛師教学って言うのは、そう言う程度なんです。

164沖浦克治:2010/10/15(金) 06:28:33 ID:AJ3hr85o0
 戸田先生、池田先生の創価思想から見るなら

 身延も寛師も同じようなものです。
 大聖人から見れば、爾前も迹門も本門も、全て迹です。

 宇宙空間から地球見て、エベレストと富士山とどっちが高い?

 これと同じです。
 戸田先生の創価思想を、寛師教学ではかる事は、大聖人の仏法を釈迦仏法ではかるようなものです。
 レベルが違うんです。

165沖浦克治:2010/10/15(金) 06:30:08 ID:AJ3hr85o0
 今私共は、

 池田先生が何故身命を賭してまで、寛師教学の宗門からの破門を勝ち取られたのか?

 思索すべきだと思います。

166沖浦克治:2010/10/15(金) 06:32:24 ID:AJ3hr85o0
 広宣流布に寛師教学の宗門が必要なら

 池田先生は宗門を支配下に置かれますよ。
 それぐらい簡単にお出来になられます。
 現時点で世界一のお方なんです。
 宗門ごとき支配するのは赤子の手をねじるようなものです。
 それをなさらなかった。

 何故?

 考えるべきでは無いでしょうか?

167沖浦克治:2010/10/15(金) 06:32:59 ID:AJ3hr85o0
 唱題いたします。

 創価の題目、

 朗々と!!

168求道の人:2010/10/15(金) 06:34:49 ID:LOOiFaK.0

沖浦さん、

大聖人の時代も日興上人の時代も紙は沢山ありました。
沢山の御書や御本尊が現存しているでしょう。

御本尊の大きさを変えてよいという御書はありませんので、創価学会の御本尊は大聖人から不合格の烙印を押されることは間違いないと思います。

御書の引用は御本尊を勝手に拡大・縮小している創価学会の方が行うことで、拡大・縮小をとがめる御書がないなどとは、大聖人の揚げ足を取っているようなものです。

拡大縮小の印刷をOKとするならば、大聖人が御本尊を勝手に拡大・縮小してもよいといった御書を上げるべきで、印刷でもよいといった御書を上げるべきです。

そのような文証はないということは、やってはいけないということです。

ましてや日興上人は存知抄で、ご本尊は書写のみでお形木を禁じているわけです。

創価学会の御本尊のあり方は、完全に否定されています。

169タンポポ ◆HhiWFGTqB.:2010/10/15(金) 07:35:10 ID:WwDrUF2wO
>>168←求道の人さん。おはようございます。だったら、、、、現代のご本尊さまへお題目上げて勤行をして、何故に、何らかでも功徳があるのか?少なくとも、聖教新聞に報道されている、体験のような素晴らしい事があるのか? 色んな資料や御書の文証から引っ張り出してきてどんなに現代のご本尊さまを否定しようとも、それらの事を無視は出来ないですよね? 求道の人さんが今このネットでしている現代のご本尊さまへの否定の仕方は、現実に起きてる少なくとも聖教新聞に報道されている個人個人の救われていった一つ一つの体験談へも失礼だし、間接的な、ご本尊さまへのかえって不敬な在り方ではないでしょうか?

何故に?今の創価で祈るご本尊さまで、少なくとも、聖教新聞に紹介報道されている個人個人の救われている体験談が今のご本尊さまへの信心とお題目、勤行にて、出てきますか?

いつも、色んな文証を出してきて一生懸命否定しているつもりで、◎現実に色んな体験してはる事実の事が、無視され、おなざりになっては居ないでしょうか?少なくとも、聖教新聞に示され紹介報道されてる1人1人のご本尊へのお題目の実践やその信心により得た奇跡や救いの尊い体験の事実の事を。。。忘れてませんか?

何で今の創価のご本尊さまで、何らかでも功徳の感謝を味わえてる創価の人々が居るのでしょうか?

個人的な見解ですが、甚だ、求道の人さんの今のご本尊さまへの否定の仕方は遺憾に捉えられます。

170沖浦克治:2010/10/15(金) 08:54:27 ID:AJ3hr85o0
 求道の人さん、

 『佐渡の国は紙候はぬ上面面に申せば煩あり一人ももるれば恨ありぬべし此文を心ざしあらん人人は寄合て御覧じ料簡候て心なぐさませ給へ、』
 (佐渡御書)

 今佐渡に行ってどう言う場所でもメモ用紙にでも困りますか?
 当時は現在と全く違うのです。

 そして、御書にサイズ変更がいいと書かれていないから駄目。

 それは貴方のご自由でしょう。 
 貴方が本尊を書写する時、それをお守りください。
 私は貴方の主観に興味が持てません。

 私の創価学会下付の御形木本尊は、キチンと功徳が出ております。

 喩えは悪いでしょうが、

 猫は何色でも、ねずみを沢山捕る猫がいい猫。

 同じです。
 サイズが変わろうが変わるまいが、功徳が出る御本尊が正しいのです。
 現証に私は満足しております。

171備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/15(金) 12:42:54 ID:g2zr24dw0
   こんにちは、大勝利さん

  少々お尋ねするのですが、年号の記されている御本尊は全て、年号・太歳・月日となっておりますが
  「弘安二年十月十二日」の御本尊は、年号・月日のみで「太歳」が記されておりません。
  これについて、どのようにお考えなのでしょうか?

172大勝利:2010/10/15(金) 18:49:42 ID:FfgO/4W.0
>>171
太歳については教義上の深い意味があるとはあまり思っておりませんが、敢て言うと、

年号がめまぐるしく変わる時代においては太歳は便利ですよね。まして南北朝や治天・天皇の時は尚更ですね。
ですが、長い年月で考えると120年に一度同じのがまわってくるので不便といえば不便です。
この意味から紙と違い板の場合は太歳を記さないというのも理屈としてはありかもしれません。

日興上人日目上人は太歳を記さず自分の年齢を記したりしますが合理的とも思いますし、
もしや太歳に御自分(大聖人)の年を数える意味を含むのであれば万年総与の御本尊(御本仏)からまたその書写についてはあえて示さないのかも知れません。

どのようにお考えなのでしょうか?と聞かれても結局のところは私には解からないですね(笑

173求道の人:2010/10/15(金) 18:58:23 ID:LOOiFaK.0

タンポポさん、聖教新聞の報道や会合での体験発表は全て事前に原稿チェックが入り、修正されたものばかりですので鵜呑みにしてはいけないと思います。

その上で創価学会員に功徳があるのは、創価学会員の信仰心によるもので、信仰心のある人は念仏でも真言でも創価でもどんな宗教でも功徳はでます。それが現実です。

創価学会員の信仰心に甘え、いい加減な本尊乱発を行う、御本尊に対する不敬の極みである創価学会いう組織とその指導者は、大聖人より断罪されることは間違いないと思います。

174沖浦克治:2010/10/15(金) 19:07:06 ID:AJ3hr85o0
 求道の人さん

 大聖人から断罪されて、創価の御本尊に功徳がなくなったら、考えましょうね。
 今、取り合えず功徳バンバンでていますので、このままで私は満足です。

175求道の人:2010/10/15(金) 19:17:41 ID:LOOiFaK.0

沖浦さん、

それは沖浦さんの強盛な信仰心で功徳がでているのだと思います。
恐らく沖浦さんは創価の本尊であろうと無かろうと功徳を出せていると思いますよ。

試しに沖浦さんが邪宗だと思う宗派の御本尊を本気で祈ってみて下さい。
きっと功徳がでると思います。

もし創価の功績をいうならば、沖浦さんがそこまで強盛な信仰心をもてるように指導・激励し育成した事が、唯一の功績だと思います。

176沖浦克治:2010/10/15(金) 21:24:45 ID:AJ3hr85o0
いいえ、私のまわりの創価学会員は、大部分の方々が、創価の御本尊を信じ、お題目を唱え、功徳を出しておられます。

 求道の人さん。
 私はそう言う同志の実証に囲まれているのです。
 ですので、掲示板で創価学会員を名乗りながら、功徳の実証を書けない方が、不思議に思えます。
 同じ御本尊に同じ題目を唱えながら、どうして功徳が出ない人がいるのだろう?
 そして、怨嫉謗法の恐ろしさに気づきました。

 創価の御本尊には功徳があるんですよ。

177求道の人:2010/10/15(金) 21:37:47 ID:LOOiFaK.0

沖浦さん、

その沖浦さんのまわりの方々も恐らく創価の本尊でなくとも、本気で信じて祈ったならば同じ結果がでたのではないかと考えます。

>同じ御本尊に同じ題目を唱えながら、どうして功徳が出ない人がいるのだろう?

これこそまさしく本尊に寄らず、信仰心によって功徳が現じている証明でもあると存じます。

沖浦さんや、そのお知り合いの皆様、こちらの掲示板にご参加の皆様も創価学会員。
創価学会員でありながら創価学会員を誹謗し、功徳の体験も書けずに、宗門憎しで謀略文書をあちらこちらに貼り付けて悦に入っている、大石寺御先代の名前をひやかしたハンドルネームの御仁のような、とても常人とは思えない人物も厳然と創価学会員なわけです。
皆さん同じ創価の本尊を拝んでいるわけでしょう。

この現証はやはり、本尊ではなく、その人の信仰心によって功徳が現じていると判断します。

178沖浦克治:2010/10/15(金) 21:42:13 ID:AJ3hr85o0
 求道の人さん

 私はね、創価の御本尊を心から信じる一人です。
 ですが、貴方がご指摘のように、同じ御本尊に同じお題目を唱えながら、多くの掲示板で喧々諤々と教学論を展開する、創価学会員を名乗る人たち。
 この方々のほとんどの方が、功徳の無い生活をしておられる。
 何のための御本尊なのか?
 勿体ないです。

179日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/15(金) 22:08:45 ID:8FNX.yWoO
大河さんとの対話。今日で終わりました。
その板から転載。

448:大河
10/10/15(金) 21:41:03 ID:U0lvXrxU0
鬼の首でも取ったように「公式見解」の言葉を
振りかざしているけど、

日々さん、「一大秘法」は?
大聖人の出世の本懐は ?
この二つは、無関係でないからね。

公式見解といっても、まずはここを「ハッキリ」させなくては
ダメだよ。
ここを、ハッキリできなくて「公式見解」なる言葉を
使ってはいけないよ。


…………………………………………

公式見解を振りかざしててるの……私ではなく、彼女なんですけど??(゜Q。)??。


ではコチラでお応えしますよ。大河さん。
私の中では、
『一大秘法』は、本尊であり、題目です。
『出世の本懐』は、人間の生命を曼陀羅に染めあげた事。

私は、そう感じています。
これで信が深まれば善いと思います。

公式見解を軸にして信心するのではないと思います。

学会を信じ、同志を信じ、御本尊を信じ、大聖人を信じ、自分の可能性を信じる。
不軽菩薩の如く、人間は全て平等であると信じる。
大事なのは各々の信心です。

大河さん。
コチラも、見ておられるでしょうね。

私とのスレッドのキリ番(100番)おめでとうございます。
私の99番の質問にも、応えてくださいね。

お願いいたしますね。
では、お休みなさいm(__)m。

180高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/10/15(金) 22:45:25 ID:JThdDrQw0
みなさん、こんばんは!

求道の人さん

 求道の人さんの、宗教的立ち場が不明確なので、ハッキリと言えないところがあるのですが、
 興門派であると思いますので、お聞きします。
 『大願とは法華弘通』は、求道の人さんのお考えにはないのですか?
 言葉としては、出てきていない様な気がします。

 もし、考えがあるとしたら、弘通とは、何を広める事になるのですか?
 御本尊様に、これだけ拘っておられるので、御本尊様を流布することになると思うのですが?
 それとも、大聖人様の思想(仏法)、もしくは、題目なのでしょうか?

 御本尊様の流布とするのであれば、
>>168 >ましてや日興上人は存知抄で、ご本尊は書写のみでお形木を禁じているわけです。
 は、矛盾すると思われます。

◇『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事』

 江戸時代までのご僧侶の方達が、一生懸命書写されたとしても多くの人への御本尊流布は
 物理的に無理があります。

 まして、現在は、創価学会員が数百万人に及ぶわけですから、なおの事無理です。

 であれば、もともと大聖人様には、法華弘通を大願とするという思想はなかったと言う事になりませんか。

181高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/10/15(金) 22:46:47 ID:JThdDrQw0

 求道の人さんは、ご自分が地涌の菩薩だとのお考えは、ありますか?
 もし、おありでしたら、ご自分は具体的にどの様な振る舞いをされるのでしょう?


 私が、今まで求道の人さんの投稿を読んで感じるのは、
 選民思想的な考えをお持ちのように、受け取れます。

 大聖人様には、其の様な選民思想はないでしょうね。 施陀羅の子としてお生まれになった事を
 考えても、ないでしょうね。

 もし、求道の人さんが、選民思想をお持ちであれば、捨てることをお薦めします。

182日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/15(金) 23:03:19 ID:8FNX.yWoO
本日はこれで最後にいたします。

大河さんへ。

貴女板の私用スレッド。
103番。
ありゃなんですか。
あっちにやったり、こっちにやったり(-.-)。

で次の104番(以下転載)。

104:大河
10/10/15(金) 22:14:12 ID:U0lvXrxU0
>>96
>あれ?
>この人……今だに、戒壇本尊に恋慕の想いを持っているのかな?。
>と私は、そう思いました。

つくづく「馬鹿」だね。

[members.at.infoseek.co.jp]
大聖人は、熱原の法難において民衆が不惜身命の信心を現したのに呼応して、弘安2年10 月12日に出世の本懐として大御本尊を顕されました。
また、「分身散体」の意義に照らして、弘安2年の大御本尊を書写した御本尊を正しい信心で受持することはそのまま大御本尊の受持になります。
したがって、各自が家庭に御安置した御本尊を拝することが、そのまま大御本尊を信受することになるのです。
どこか特定の場所に参拝しなければ成仏できないという日顕宗のような誤った考えは大聖人の御本意ではありません。

----------------------------------------------------------------
単に、日々さんが、↑を読み取るだけの「能力」でなく「信心」それも
創価学会員としての「正統」な信心が無いだけだよ。

これが「読めなければ」日々さん宅の御本尊を「信じているようで」
実質は「不信」ということだよ。

……………………………………………


更に文中より抽出。
【弘安2年の大御本尊を書写した御本尊を正しい信心で受持することはそのまま大御本尊の受持になります。/したがって、各自が家庭に御安置した御本尊を拝することが、そのまま大御本尊を信受することになるのです。/どこか特定の場所に参拝しなければ成仏できないという日顕宗のような誤った考えは大聖人の御本意ではありません。】

大河さん(-.-)。
私の言ってる事と同じじゃないですか(^_^;)。

貴女は、私の書いている本筋が見えていらっしゃらないと思いますよ。

私の問いかけ(99番)の回答もウヤムヤだし(:_;)。

昭和54年当時の会則は「本門戒壇御本尊」は大石寺にありましたよね!!。

その戒壇本尊との関係を貴女に聞いているんですよっ。

貴女、わかります???。
真剣に私のカキコミ読んでないでしょ。

もう寝ますからね。
大河さん。お休みなさい。

では、もっと分かりやすく言いますか?。
2002年3月改正の「分身散体の意義」とは、

貴女、どう解釈しているんです?。

まさか、大石寺と繋がっての分身散体と、そう解釈しているんですか?。

私は違いますね。

では。

183日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/15(金) 23:18:37 ID:8FNX.yWoO
【後は、正統な創価学会員でありたければ、過日の一般講義の/理事長の指導「御書は、広宣流布の正しい師匠から、正しい読み方を/教えていただかなくてはいけない」これを、素直に謙虚に/受けとめることができるかどうかが「分岐点」だよね。】
(106:大河さんのカキコミ10/10/15(金) 22:50:13 ID:U0lvXrxU0より)


………貴女もね。

184求道の人:2010/10/15(金) 23:31:35 ID:LOOiFaK.0

高速太郎さん、

>『大願とは法華弘通』は、求道の人さんのお考えにはないのですか?

御義口伝は偽書ですので、参考にしません。

>『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事』

日興遺誡置文も偽書ですので、参考にしません。

私は選民思想などありません。
選民思想は創価ですね。

185日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/16(土) 08:22:50 ID:8FNX.yWoO
皆さま、おはようございますm(__)m。
各々個別にレスしたいのですが、時間ないので優先的にひとつココでレスします。
(大河板より転載)

107:大河
10/10/16(土) 08:10:24 ID:U0lvXrxU0
[JBBSスレ]
>ではコチラでお応えしますよ。大河さん。
>私の中では、
>『一大秘法』は、本尊であり、題目です。
>『出世の本懐』は、人間の生命を曼陀羅に染めあげた事。

>私は、そう感じています。
>これで信が深まれば善いと思います。

>公式見解を軸にして信心するのではないと思います。

>学会を信じ、同志を信じ、御本尊を信じ、大聖人を信じ、自分の可能性を信じる。
>不軽菩薩の如く、人間は全て平等であると信じる。
>大事なのは各々の信心です。

なんで、師匠・池田先生が入っていないの?

それ以外にも、内容は支離滅裂だけど。

…………………………………………
池田先生は当然です。
師匠ですから。
支離滅裂なのは、大河さん貴女ですよ。

師弟とは?。
もう一度、大河さんも考えてみては如何でしょうか?

では、今日も一日、仏の振る舞いを意識して、頑張ります。
頑張りましょう。

ではm(__)m。

186備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/16(土) 09:25:23 ID:g2zr24dw0
  おっはようっす!日々さん v(^^

  大河氏とのお話お疲れ様でした。残ったのは「疲れ」だけだったりして (^^;
  あれだけ我執が強ければ、もうネットでの議論等では無理でしょう、後はリアルで議論だけでしょうね。

  しかし、あの御仁、「貴女」と言う呼びかけに「気色悪い」と言っていたが、ネットオカマなのかな?
  それとも単に「女性」と見られたくないだけなのかな?
  まっ!今後は、御当人の意思を尊重して、「あなた」表記で出来るだけ書き込んであげよう。

187大勝利:2010/10/16(土) 18:21:42 ID:FfgO/4W.0
沖浦さん

一閻浮提総与の御本尊とは、
私は「一閻浮提に総与した」御本尊との意味に捉えています。
大聖人の仏法は下種即脱の仏法ですから。

沖浦さんは「一閻浮提に総与する」御本尊と取られているのではないでしょうか?
経王御前に下付された御本尊を一人二人三人と...世界中の人が拝せばそれは現状の一閻浮提総与となるでしょう。
諸王が御本尊を受持すれば万人難を逃れんなのでしょう?
経王御前に下付された御本尊は実際には経王御前の周りの数十人か数百人かに下種されたにとどまるのではないでしょうか。
沖浦さんは御本尊を世界中に配布しなければ、または題目を世界中に唱えさせる「閻浮提に総与すべき本尊」と思ってるのではないでしょうか。

日寛教学では一閻浮提総与とは「一閻浮提に総与が完了した御本尊」との意味だと思いますからもっと一切衆生に開かれていると思います。
また沖浦さんは日寛上人を御書に無いことを言っているから己義だと仰いますが、大聖人の曼荼羅から意思を読むことは御書を読むのと同じ思います。
己義ではないですね。

188大勝利:2010/10/16(土) 18:33:59 ID:FfgO/4W.0
>>154

あ さん

あさんの言ってることは、
「仏の境涯は自分を仏と信じること」「妙法とは己心の妙法のこと」
言葉は変わってもこう言うことだと思うんです。
一歩譲って仰りたい意味は間違ってるとは思いませんが、教学上は結局は無限ループだと思いますよ。

「自分を仏と信じる仏とは自分を信じる仏」であり、「自分を仏と信じる仏とは自分を信じる仏」の仏とは自分を信じる仏ということになりますから。

189大勝利:2010/10/16(土) 20:14:03 ID:MYqDk7aIO
よく日寛教学を宗門教学とか寺教学と批判する人もいますが、

日寛教学はよくよく読まないと、
ひっくり返したちゃぶ台をさらにひっくり返すのです。

例えば本未有善の末法の衆生は総与の御本尊によって一切衆生が本已有善にダイナミックに変換します。

日寛教学の通りであれば本当は僧侶の必要はなくなってしまうと思うのです。

190沖浦克治:2010/10/16(土) 20:32:09 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん、今晩は

 一閻浮提総与と言う言葉は御書にございません。
 一機一縁の本尊と言うものもございません。

 ですので、この二つは大聖人のお言葉ではなく、後世の造語です。 
 造語でも仏法の原理に基づくなら、全く問題はないのですが、例えば人間革命は御書にございませんが、成仏の現代語として問題がありません。
 然しながら、大聖人の御本尊のお力を差別する言葉は、間違いだと思います。
 どの衆生が唱えても、お題目には同じお力があります。
 唱える法が平等なら、対象になる本尊も同じでなければおかしいと思います。

191沖浦克治:2010/10/16(土) 20:33:27 ID:AJ3hr85o0
 本未有善と言う衆生は大聖人の仏法には存在しておりません。

 久遠で下種を受けておりますので、全て本已有善です。

192大勝利:2010/10/16(土) 21:30:13 ID:MYqDk7aIO
沖浦さん

師弟不二も御書にはありませんよ。
「生命」にいたっては法華経にさえ出てきません。
御書に語句がないから邪義などという言い分は世間に通用しません。

大聖人は仏像を随持されました。
また四条金吾の仏像造立を賛嘆されました。
一機一縁だからです。
一機一縁と聞くだけで拒否反応を示すのは宗門教学の恐怖心が抜け切れないのではないですか?

193大勝利:2010/10/16(土) 21:38:10 ID:MYqDk7aIO
沖浦さん

大聖人の仏法は下種即脱です。
久遠で下種を受けたなら即久遠で成仏しているはずですね。
なぜ釈尊の時代に一度生まれて仏種を受けるのですか?

194大勝利:2010/10/16(土) 21:46:55 ID:MYqDk7aIO
過去に釈迦仏法の教化を受けてないことを本末有善と言うのですよ。

195:2010/10/17(日) 00:14:58 ID:XkfKuVcU0
>>188

大勝利さん こんばんは

>>188 で 言われている 無限ループの話は、こんがらがって、わたしには、
理解 できませんでした。 申し訳ないです。



>>189

>日寛教学はよくよく読まないと、
 ひっくり返したちゃぶ台をさらにひっくり返すのです。


大勝利さん この表現は、おもしろい 表現ですね。

なぜ、否定の否定をする必要があるのでしょうか?
日寛上人は素直ではないですね。
道理を説明するときに、わざわざ 難しく話しないで簡単に道理を説明して
くれる人がいいです。


なんのために ちゃぶ台 2段返しみたいな 表現をするのかを、
じっくり 考えるのも おもしろいかも しれませんね。 
わたしは、日寛上人好きではないので、考えませんが。

大勝利さん
わざわざの お返事ありがとうございます。


真実が きっかり、はっきり、誰の目にも 明らかに見えれば、簡単なんですが
そうは、問屋が 卸してくれないんですね。

なんでも ありの 現実世界。




日が変わりますので、そろそろ 寝ます。

大勝利さんお休みなさい。

196大勝利:2010/10/17(日) 01:07:40 ID:MYqDk7aIO
あさん

己心の妙法は「南無妙法蓮華経」と言っても、法華経での
「われ、仏を得てよりこのかた、へたる所の諸の刧数は無量百千万億載阿僧祇なり。常に法を説きて無数億の衆生を教化して仏道に入らしむ」の南無妙法蓮華経ではすまないのです。「久遠元初の当体」と言うのは
この「無数の衆生を教化した南無妙法蓮華経」を一度払って、この南無妙法蓮華経の教主を仏道に入りらしめた南無妙法蓮華経こそ大聖人の己心の妙法の南無妙法蓮華経なのです。
だから一旦払わないと本が顕れてこないでしょ。
ひっくり返してひっくり返すんです。
「仏法はこれさかさまなり」 なのです。

197沖浦克治:2010/10/17(日) 05:20:32 ID:AJ3hr85o0
大勝利さん、おはようございます

 本未有善とは、釈迦仏法の立場です。
 釈迦の仏法で末法の衆生を救えない理由を、元々善根が無い衆生が生まれるからだと説きました。
 然しながら、大聖人の仏法では、それは方便で、久遠元初から現在までの一切衆生は、ずべて南無妙法蓮華経に有縁の衆生だと説きます。
 ですので、この大聖人の仏法の立場では、現在の一切衆生も、釈迦時代も有善に差がないのです。

198沖浦克治:2010/10/17(日) 05:53:10 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん

 南無妙法蓮華経の違いは只一つです。
 御書にあります。

 『末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり名体宗用教の五重玄の五字なり、』
 (三大秘法禀承事)
 
 化他があるお題目が大聖人。
 それ以外は化他がない。

 この差だけです。
 お題目そのものに差などはございません。

199沖浦克治:2010/10/17(日) 06:56:55 ID:AJ3hr85o0
大勝利さん

 今、戸田先生の三沢抄の御書講義をMDに落としました。
 もう直ぐ江戸川さんがデーター化してくださいます。
 これで全て揃います。
 うれしいです。

 その講義のなかで、35分くらいの所で、佐前佐後が出てまいります。
 そこの講義で、戸田先生が弘安年間の御本尊に関してお述べです。

 『文永年間は御本尊に少し迹門があるが、弘安になってからは本当の御本尊だ。』(趣意)

 少し勉強してみます。

200沖浦克治:2010/10/17(日) 06:59:18 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん

 その部分で戒壇本尊が出てきます。
 ところが、さらりと触れられて、弘安年間の全体の御本尊が本物とも思える講義です。
 データ化したら、CDでお送りいたしますので、聞いてくださいませ。

201:2010/10/17(日) 07:14:13 ID:XkfKuVcU0
おはようございます。

沖浦さん


>>198

> 南無妙法蓮華経の違いは只一つです。

>化他があるお題目が大聖人。それ以外は化他がない。




一念三千法門

さて一心三観と申すは余宗は如是とあそばす是れ僻事にて二義かけたり天台南岳の御義を知らざる故なり、
されば当宗には天台の所釈の如く三遍読に功徳まさる、
第一に是相如と相性体力以下の十を如と云ふ如と云うは空の義なるが故に十法界皆空諦なり是を読み観ずる時は我が身即報身如来なり八万四千又は般若とも申す、
第二に如是相是れ我が身の色形顕れたる相なり是れ皆仮なり
相性体力以下の十なれば十法界皆仮諦と申して仮の義なり是を読み観ずる時は我が身即応身如来なり又は解脱とも申す、
第三に相如是と云うは中道と申して仏の法身の形なり是を読み観ずる時は我が身即法身如来なり又は中道とも法性とも涅槃とも寂滅とも申す、
此の三を法報応の三身とも空仮中の三諦とも法身般若解脱の三徳とも申す此の三身如来全く外になし我が身即三徳究竟の体にて三身即一身の本覚の仏なり、
是をしるを如来とも聖人とも悟とも云う知らざるを凡夫とも衆生とも迷とも申す。
十界の衆生各互に十界を具足す合すれば百界なり百界に各各十如を具すれば千如なり、
此の千如是に衆生世間国土世間五陰世間を具すれば三千なり、
百界と顕れたる色相は皆総て仮の義なれば仮諦の一なり千如は総て空の義なれば空諦の一なり三千世間は総じて法身の義なれば中道の一なり、
法門多しと雖も但三諦なり此の三諦を三身如来とも三徳究竟とも申すなり始の三如是は本覚の如来なり、
終の七如是と一体にして無二無別なれば本末究竟等とは申すなり、
本と申すは仏性末と申すは未顕の仏九界の名なり究竟等と申すは妙覚究竟の如来と理即の凡夫なる我等と差別無きを究竟等とも平等大慧の法華経とも申すなり、
始の三如是は本覚の如来なり本覚の如来を悟り出し給へる妙覚の仏なれば我等は妙覚の父母なり仏は我等が所生の子なり

↓    ↓


「本と申すは仏性末と申すは未顕の仏九界の名なり究竟等と申すは妙覚究竟の如来と理即の凡夫なる我等と差別無きを究竟等とも平等大慧の法華経とも申すなり、」

↓    ↓

●「妙覚究竟の如来と理即の凡夫なる我等と差別無き」



沖浦さん 
違いは、どこにも無いと思います。

202:2010/10/17(日) 07:33:10 ID:XkfKuVcU0
大勝利さん
おはようございます。


>>196



>この「無数の衆生を教化した南無妙法蓮華経」を一度払って、
この南無妙法蓮華経の教主を仏道に入りらしめた南無妙法蓮華経こそ大聖人の己心の妙法の南無妙法蓮華経なのです。
だから一旦払わないと本が顕れてこないでしょ。



大勝利さんの内容は、とても 難しいです。

●この南無妙法蓮華経の教主を仏道に入りらしめた南無妙法蓮華経こそ大聖人の己心の妙法の南無妙法蓮華経なのですか?



私は、南無妙法蓮華経の教主を仏道に入りらしめた南無妙法蓮華経と考えるより、もともと 全てが南無妙法蓮華経だと
考えます。



//////////////////////////////////////////////////////////////////
////////////////////////////////////////////////////
参考資料


一念三千法門

さて一心三観と申すは余宗は如是とあそばす是れ僻事にて二義かけたり天台南岳の御義を知らざる故なり、
されば当宗には天台の所釈の如く三遍読に功徳まさる、
第一に是相如と相性体力以下の十を如と云ふ如と云うは空の義なるが故に十法界皆空諦なり是を読み観ずる時は我が身即報身如来なり八万四千又は般若とも申す、
第二に如是相是れ我が身の色形顕れたる相なり是れ皆仮なり
相性体力以下の十なれば十法界皆仮諦と申して仮の義なり是を読み観ずる時は我が身即応身如来なり又は解脱とも申す、
第三に相如是と云うは中道と申して仏の法身の形なり是を読み観ずる時は我が身即法身如来なり又は中道とも法性とも涅槃とも寂滅とも申す、
此の三を法報応の三身とも空仮中の三諦とも法身般若解脱の三徳とも申す此の三身如来全く外になし我が身即三徳究竟の体にて三身即一身の本覚の仏なり、
是をしるを如来とも聖人とも悟とも云う知らざるを凡夫とも衆生とも迷とも申す。
十界の衆生各互に十界を具足す合すれば百界なり百界に各各十如を具すれば千如なり、
此の千如是に衆生世間国土世間五陰世間を具すれば三千なり、
百界と顕れたる色相は皆総て仮の義なれば仮諦の一なり千如は総て空の義なれば空諦の一なり三千世間は総じて法身の義なれば中道の一なり、
法門多しと雖も但三諦なり此の三諦を三身如来とも三徳究竟とも申すなり始の三如是は本覚の如来なり、
終の七如是と一体にして無二無別なれば本末究竟等とは申すなり、
本と申すは仏性末と申すは未顕の仏九界の名なり究竟等と申すは妙覚究竟の如来と理即の凡夫なる我等と差別無きを究竟等とも平等大慧の法華経とも申すなり、
始の三如是は本覚の如来なり本覚の如来を悟り出し給へる妙覚の仏なれば我等は妙覚の父母なり仏は我等が所生の子なり

↓    ↓


「本と申すは仏性末と申すは未顕の仏九界の名なり究竟等と申すは妙覚究竟の如来と理即の凡夫なる我等と差別無きを究竟等とも平等大慧の法華経とも申すなり、」

↓    ↓

●「妙覚究竟の如来と理即の凡夫なる我等と差別無き」

203:2010/10/17(日) 07:57:00 ID:XkfKuVcU0
大勝利さん

>>196



>この「無数の衆生を教化した南無妙法蓮華経」を一度払って、
この南無妙法蓮華経の教主を仏道に入りらしめた南無妙法蓮華経こそ大聖人の己心の妙法の南無妙法蓮華経なのです。
だから一旦払わないと本が顕れてこないでしょ。



大聖人さまを 仏道に入りらしめた南無妙法蓮華経如来は?
また
その 南無妙法蓮華経如来を 仏道に入りらしめた南無妙法蓮華経如来は?

と 無限につづいていくのでは、無いかと、思いました。(無限ロープの金縛りです。微小笑してください)


コノ程度なんですが、わたしの感想です。

204求道の人:2010/10/17(日) 09:08:30 ID:LOOiFaK.0

あさん、おはよう御座います。

偽書はあさんの思想をどんどん大聖人の思想からかけ離れたものにしてしまいます。

「一念三千法門」は内容から源信の「法華即身成仏要記」から偽作された事がわかっており、完全な偽書です。

このような偽書は百害あって一理ありません。捨て去るべきです。

205日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/17(日) 09:39:43 ID:8FNX.yWoO
果たしてこのスレッド。
スレタイ通りに進んでいるのでしょうか(-.-)?。
と独り言。

【本門の題目】には、「信の題目」と「行の題目」がありますよね。大河さん。

「信の題目」とは、【本門の本尊】を信ずる事とありますよね。大河さん。

題目と言いますが、我々の命の中にも題目がありますよね。御本尊さまにも首題として顕されておりますよね。

大聖人の『立宗宣言』を思い出してください。
宣言された時の、本尊は???。

私が『一大秘法は、題目であり本尊である』と考える事は学会員として間違いなのですか?間違いなのですか?。

貴女が「本門の本尊」のみを一大秘法とする根拠は、書籍『教学の基礎』による事だけですか?。

他にも根拠がありますか?。

お示しください。

206雨煽り:2010/10/17(日) 09:42:36 ID:Pssg0Hu.0
>>240
>百害あって一理ありません。

何を根拠に、百害があると?一理もないと?言われているのですか?
偽書だという疑義があろうとなかろうと仏法なら良いのではありませんか?

「選挙活動に功徳がある」という指導の前提に「信心をしていれば」があると捉えられない人に
仏法が解るとは思えません。

創価学会は戸田先生の獄中悟達から初まったのです。
その獄中悟達の説明をする為、大聖人仮託の文書を使う事に、何ら不都合を感じません。

不自然な参入をされた人が二人おられますが、
途中で師弟を変えた人が、創価学会内部の教義に口を挟む事は、余計なお世話だと思います。

ご自身は退会されたのですから、もはや創価学会とは無関係でしょう。
無関係の人が口を挟むような事ではありませんよ。
教義は、あくまでも内部の問題ですからね。


沖浦さん、このコメントは感情的に見えますか?
書きながら少し不安なもので…^^;

207雨煽り:2010/10/17(日) 09:47:30 ID:Pssg0Hu.0
>>206
すいません、訂正します。

>>240

>>204

208求道の人:2010/10/17(日) 09:55:16 ID:LOOiFaK.0

雨煽りさん、

自己防衛に入る前に、もう少し池田さんの弟子らしくなってから出てくることをお勧めします。

今の貴方を池田さんは弟子とは認めないでしょう。

早くしないと機会を逃しますよ。

さて、信心していても選挙活動などには功徳は無いですよ。

貴方は学会のことも池田氏のことも、大聖人の仏法についてもあまりにも不勉強で、周囲の学会員の慈悲で存在できている事がみてとれます。

大聖人の仏法を研鑚するものにとって、偽書は百害あって一理ありません。

このくらいの常識おぼえておきましょう。

209日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/17(日) 10:17:54 ID:8FNX.yWoO
求道さん。おはようございますm(__)m。

脱会されたのですから、貴方は貴方の道で幸せになってください。と先日、申し上げましたよね。

池田先生と雨煽りさんの関係を貴方がとやかく言える道理がありますか?。

見てましたが、貴方は『教義スレ?(だったかな?)』で自説を展開されていたはずです。

貴方は「なんにでも口を挟みたいタイプ」のようですが(-.-)(カクユウ私もそうでありますが(-.-)。)

私は常に、スレタイに沿った内容をいつも心がけております。

貴方にその努力は感じられないのです。

ここは『大河板を話題にするスレ』ですので、それを考え、吟味しての投稿をお願いいたしますm(__)m。

イチ掲示板参加者からのお願いのレベルですm(__)m。

210:2010/10/17(日) 10:24:47 ID:XkfKuVcU0
求道さん

おはようございます。

>>204

>偽書はあさんの思想をどんどん大聖人の思想からかけ離れたものにしてしまいます。


求道さん どうも 求道さんからみた所謂 偽書に、引き付けられたみたいですね。

もしかしたら、求道さんからみた大聖人の思想からかけ離れたものに、仏法があるのかな?
と 考えたりしています。

最後の真実は、死んでからわかるのか?、死んだ後でもわからないのか?

信じたいようにしか、信じられないのが、業 なのでしょう。(あはは)


求道さん
悟りの状態は、どのような 状態だと 思います?

きっと、そのような状態に、なった人から、じかに聞いてみないと
わからないでしょうし、 その聞いた状態を信じられるか、どうかも わかりません。

求道さんの周りの人で、悟られた方は、いましたか?
わたしの周りでは、残念ながら いません。

求道さんの周りの人で、悟られた方がいましたら、その悟られた方の
お話などを、この掲示板などで、紹介していただければ、この掲示板を
閲覧されている方の、刺激となり、勉強になると おもいます。

私も、求道さんとは、立場がちがいますので、疑問 矛盾があれば、
突っ込みを、したいと思います。
わからなければ、ぼーっと しているだけで、傍観しています。(笑


ぼんくら頭で、真実を、観ていきたいと思います。

では、失礼します。

211:2010/10/17(日) 10:31:00 ID:XkfKuVcU0
求道さん

日々さんの 言われた

「スレタイに沿った内容」で、確かに、ずれているみたいです。

『教義スレ?(だったかな?)』で、話を移したほうが、よいみたいです。

このように、はなしがずれて、しまった事にたいして、求道さんに
ご迷惑を、かけました。
ごめんなさい。

212雨煽り:2010/10/17(日) 10:32:23 ID:Pssg0Hu.0
>>208
>今の貴方を池田さんは弟子とは認めないでしょう。

この言葉は、私の常識から考えると
退会して師弟の絆を切った人が、現創価学会員で先生の弟子である私に対して
言える言葉ではありません。

常に師と共に生ずるのですよね。
師弟子の筋目を正して成仏するのですよね。

部外者が云々できるような事ではありません。
このくらいの常識おぼえておきましょう。

>さて、信心していても選挙活動などには功徳は無いですよ。

仏法の解らない人には理解出来ないでしょうが、一切法即仏法です。

>偽書は百害あって一理ありません。

以前にも書き込みましたが、
大聖人ご自身も偽書と謂われるものを用いておられます。
大聖人に対して、「百害あって一理ありません。」と言われるのですか。
私の常識では考えられませんが、
貴方の常識でなら、そういう事もあるのでしょうね。

213:2010/10/17(日) 10:35:33 ID:XkfKuVcU0
日々さん

こんにちは


スレタイ から、 少し ずれたみたいです。

ごめんなさい。

本門の 本尊 難しいですね。
もっと簡単だと いいのに。

簡単 楽チン 片手でポン なんて わけには、いかないですよね。(あはっ


では

214:2010/10/17(日) 10:45:25 ID:XkfKuVcU0
このスレッドを閲覧のみなさん

スレッドにそぐわない 方向に もっていってしまった事を
お詫びします。
ごめんなさい。

脱線したところからも、宝物を見つける事があるかもしれませんので、
なにかの、足しに、してください。(と 軽く言い訳します。)

では、

215求道の人:2010/10/17(日) 10:48:02 ID:LOOiFaK.0

あさん、

人それぞれ大なり小なりの「気づき」はあるでしょうが、それが一分の悟りとでもいえるかどうかはそれを見聞きす売る側の判断なのでしょうね。

「一念三千法門」は「十如是事」とあわせて読まれると面白いかもしれません。

日々さん、彼がいつもからんでくるんですね。脱会者からみても、彼は池田氏が嫌うタイプである事がわかります。

216雨煽り:2010/10/17(日) 11:04:57 ID:Pssg0Hu.0
>>215
>脱会者からみても、彼は池田氏が嫌うタイプである事がわかります。

脱会者からみても、ではなく、脱会者だから、そう見えるのでしょうね。
いゃ〜(^^)v、脱会者から、そう見られるということは、私にとっては「誉」です。

>彼がいつもからんでくるんですね。

余計なお世話に対しては絡みますが、
貴方の私義を勝手に云々されている事には絡みませんよ。
それは貴方の自由ですからね。


そろそろジャッジが入りそうなので、この辺で止めておきます。
失礼しました。( ^^) _旦~~

217求道の人:2010/10/17(日) 11:16:52 ID:LOOiFaK.0

>>212

『師弟子の筋目を正して成仏するのですよね。』

この根拠はなんですか?
御書全集にはでていないですね。

「なをゝゝこのほうもんハしてしをたゝしてほとけになり候。」(なおなおこの法門は、師弟子を正して仏になり候)

その後はどうなりますか?

「うちこしゝゝゝゝちきの御てしと申やからかしやう人の御ときも候しあひた、ほんてし六人をさためおかれて候。」(うちこしうちこし直の御弟子と申すやからが聖人の御時も候し間、本弟子六人を定め置かれて候)

「これハしやう人のちきの御てしと申やからおほく候。これか大はうほうにて候也。」(これは聖人の直の御弟子と申す輩多く候。これが大謗法にて候也)

日興上人の「佐渡国法華講衆御返事」(真筆北山本門寺蔵)でしょう。

師弟子を正すとは六老門流に連なって、僧侶を師匠としてはじめて成立するというご教示です。

在家の波木井実長が日興上人宛の書状にて、

「日円は故しやう人の御てしにて候也。申せハ老僧たちもおなしとうほうにてこそわたらせ給候に」(日円は故聖人の御弟子にて候なり。申せば老僧たちもおなじ同朋にてこそわたらせ給い候に)

と述べていることを顕正したものでしょう。

在家が大聖人直結などといって、大聖人が定め置かれた六老僧の門流を蔑ろにすることは、「大謗法」と一喝されているのですよ。

在家間の師弟など大聖人の仏法には無いのです。それが日興上人のご教示ですよ。

切り文にして、都合のいい場所だけ使用するのはいかがなものでしょうね。

218日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/17(日) 11:24:59 ID:8FNX.yWoO
『大河板の管理人。並びにそこの常連さんに考えてもらいたい事があります。』

「あなた」タチは、【日寛教学】を流布しますか?。【創価思想】を流布しますか?。
どちらが【広宣流布】に繋がりますか?。


大勝利さん。お久しぶりですm(__)m。
静観しておりましたが、一言。

私の池田先生が語る戸田先生のカキコミも、是非、参考にして見てくださいね。

池田先生は、その書籍の中で戸田先生の言葉を紹介されております。
昭和三十年四月十日、第二回向島支部総会での戸田先生の言葉。これは『戸田城聖全集』第四巻に収録されている言葉だそうです)
以下を、抜粋です。
--------------------------------
「時にめぐりあい、その時に生きるということは、人生の重大な問題である。
日蓮大聖人様御在世の時に生まれることもできず、また、中興の祖、日寛上人様おでましの時にもお供できなかったことは、まことに運勢のない者と一応は悲しく思います。しかし、またふりかえってみますれば、七百年以前の大聖人様の御命令が未来において広宣流布せよとある。
御開山日興上人様も『未来において広宣流布せよ』とある。その広宣流布の時に生まれあわせた身のしあわせは、まことにありがたいものと私は思っております」

-----------------------------

以降、昭和十八年の牧口初代会長と神札を拒否され、後に投獄された歴史を戸田先生は語っています。そして、その二年の牢獄の生活が人生のうちでもっとも徳をした時期と語っておられます。仏教上の思索のうえ、商売のうえで、御本尊様に対する信心の強さもその時あればこそと宣言なさっております。


大勝利さん。
私が引用した当時の戸田先生の言葉をどう捉えるか……。

「中興の祖、日寛上人を賛嘆されていると捉えるか」
(宗門外護時代の戸田先生の言葉として読むか)
「あくまでも創価二代会長の死身弘法の姿を我が心とし、戦っていく決意ができるか」
(創価学会二代会長として、永遠の指導者の言葉として読むか)

ここに『議論の本筋』があるように思います。


大河板の方々(見れば、二人だけ??あ、し○○ょんさんも交えれば、三人??だけ)にも、この視点で考えてほしいと思います。

長々と失礼いたしましたm(__)m。
参考にして頂ければと思い、携帯からピコピコしました。

219日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/17(日) 11:48:29 ID:8FNX.yWoO
大河さん。「あなた」のレスを見ました。

『臨時スレッド、日々さんへ』より(以下転載)

108:大河
10/10/17(日) 10:49:17 ID:U0lvXrxU0
[JBBSスレ]

>大聖人の『立宗宣言』を思い出してください。
>宣言された時の、本尊は???。

驚天動地の「発言」・・・・・・・・・・

御本仏って、どのような存在なのか、知らなかったのだね・・・・(溜息)
実は、日々さんと同じことを、沖浦氏も発言しているのだよね。


…………………………………………
大河さん。あなたはいつもそうですね(-.-)。
昔っからそうですね。

そうやって、他の人の発言を自板に持ってきては、『大河の潮流なる大それた言葉を掲示板で掲げていながら』、全然全く対話にならない(-.-)。

備前さんや、takaさんの時もそうです。
全く対話にならない。
呼び込んでおきながら、話題づくりに終始して、対話を拒むのはあなたの常套手段のようですね。


では大河さんにお聞きします。

【立宗宣言の時、大聖人は御本仏でありましたか?。】

これに答えて、始めて対話が成立します。

大河さんのは、自分と意見の合わない者は、なんでも"沖浦さんにくっつけたい"だけ。

それだけです。

さあ!答えて頂きましょう。


【御本仏って、どのような存在なのか、知らなかったのだね・・・・(溜息)】とあなたは溜息混じりで言いました。

では、これに答えて頂きます。

【立宗宣言の其の時、32歳のその時、大聖人は御本仏でありましたか?。】

そして、大河さんの【御本仏の理解】をここに披露してください。
『知らないと、わかっちゃいないと、あなたが評価した私のために。』


では、お願いいたしますm(__)m。

220日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/17(日) 14:25:51 ID:8FNX.yWoO
大河さん(:_;)。

あなたの板の私とのスレッド。110番から112番迄。
本尊の意味を聞いているのではなくて(T-T)。

私の質問わかっておりますか(-.-)???。

そしてね、付け加えさせて頂くなら、大河さん。
あなたの112番。
私も備前さんも、沖浦さんも、あなたが括られた沖浦さん側の人たちの主張は、この事を言ってきているのですよ(-.-)。。。
何を今更(:_;)。って事です。
(以下、大河板より転載)

112:大河
10/10/17(日) 13:35:24 ID:U0lvXrxU0
>>111の続き

日蓮大聖人の仏法では「仏の生命」を本尊とする。
大宇宙と一体の永遠の大生命を本尊とするのです。
しかも、その本尊とは、決して遠いところにあるのでも抽象的なものでもない。
自分自身の生命そのものでもある。

日蓮大聖人は言われている。
「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(1244P)

自分自身の中にも、永遠の大生命がある。胸中に御本尊がある。
最高の人間尊敬、生命尊厳の思想です。
その胸中の御本尊を呼び顕すために、大聖人が御自身の生命を
一幅の御本尊として顕してくださったのです。
---------------------------------------------------------------
まずは、言葉の「定義」を、確認のためですからね。

………………………………………………

「公式見解」を軸に、信心を語るから、ほら(-.-)、遠回りになったじゃないですか笑っ。

同じなんですよ。言ってる事は!!。

ナニが!言葉の定義の確認ですか( ̄▽ ̄;)??!

大河さんでなく、今度から、「ナニ河」さんって呼びますよ(^_^;)。
ヤでしょ?あなたも(-.-)。

もう少し、真摯に受け止めてくださいね。
「対話」とはそういうものです。


次の展開を楽しみにしております。
私の質問に応えてくれるか、また別な話題に飛躍させるか……
大河さん。見させて頂きますのでネ。

221日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/17(日) 14:34:02 ID:8FNX.yWoO
大河さん(^_^;)。大変ですね………。

「功徳スレ」に、や○い○。さんが来ておりましたね。
「あなた」の管理能力を見させて頂きますよ。

楠板と同じになるのか、対話によって拓けるのか、今がアノあなたの板にとっての瀬戸際だと思います。

私にとっては、非常に注目度高い板です。
楽しみに見ております故。あまり笑わせないでくださいね(^_^;)。
お願いいたしますm(__)m。

222日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/17(日) 14:38:35 ID:8FNX.yWoO
あらま(:_;)。ねえねえ大河さん。

暴走してますよ。彼。
ありゃ暴走族ですな。大丈夫ですか?。管理。

223大勝利:2010/10/17(日) 14:50:57 ID:Wca4TrMk0
>>218
日々さん
その戸田先生の言葉は、
戸田先生御自身が上行菩薩と生まれたとの御宣言です。

日々さんの選択肢のつけ方が・・・。

224日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/17(日) 15:00:28 ID:8FNX.yWoO
>>223
大勝利さん。こんにちは(゚▽゚)/。
『その宣言』が、学会員の指導として使われております。

これをどう観るか。

今現在、大河板を含め、問われているのは、ソコにあると思いますが。
この件については如何でしょうか?。

225大勝利:2010/10/17(日) 15:22:28 ID:Wca4TrMk0
>>224
大河板と言われましても、私はつい最近になってそのURLを知ったくらいでして・・・
何がどのように問われているのか分かりません。


>学会員の指導として使われております。
>これをどう観るか

どう観るかといわれましても・・・
学会員は地湧の菩薩ですよ。なにを今更?

226大勝利:2010/10/17(日) 15:54:11 ID:Wca4TrMk0
>>197 沖浦さん
>この大聖人の仏法の立場では、現在の一切衆生も、
>釈迦時代も有善に差がないのです

「然るに機根衰えて末法と成る」
「今末法に入りては教のみ有つて行証無く在世結縁の者一人も無し権実の二機悉く失せり」

衆生の機根のほうには当然差があります。
久遠元初の法「南無妙法蓮華経」は久遠から未来まで不変です。
「権実の二機」と仰るのはとても重要です。
権小でも権迹でもないです。爾前爾後ともに、実経である法華経でも成仏の機根は失せていると言っているのです。

これを本未有善でないと言うのは「理のみ」だからでしょう。

227大勝利:2010/10/17(日) 16:15:52 ID:Wca4TrMk0
>>199 沖浦さん

> そこの講義で、戸田先生が弘安年間の御本尊に関してお述べです。
>
> 『文永年間は御本尊に少し迹門があるが、弘安になってからは本当の御本尊だ。』(趣意)


沖浦さん
楽しみに待っています。ありがとうございます。

戸田先生が言う
「弘安になってからは本当の御本尊」は
日寛上人も同じことを言っております。

御本尊の南無妙法蓮華経は文底の寿量品でしょう。
>>141で書いた寿量品の御内証が
弘安元年から始まるのです。
ですので弘安元年から正しく「本門の本尊」になるのですけれども、
この本門の本尊を神力品で付属するのです。
ですので一切衆生に付属する神力品でのその中身は「寿量品」なんです。
大聖人のお立場お立場から考察するのですけれど、中身は文底寿量品なのです。

弘安元年前の御本尊が少し迹を含んでいてもお力に違いはないと思います。
同じく法華経全体の立場から顕された御本尊も文底寿量品を含み持っているからです。
「迹」がおまけで付いてきても違いはないのです。

228大勝利:2010/10/17(日) 17:15:40 ID:MYqDk7aIO
あ さん

その無限ル−プ・・・
すごく良い質問ですね。
本因、本因と時間的に前々にさかのぼると「久遠元初」の前はどうなのかと切りがないですよね。
これを日寛上人は「久遠は今に在り、今は即ちこれ久遠なり」
と説明されます。
「因果倶時不思議の一法」の南無妙法蓮華経は
今の瞬間もこの未来も常住なんです。
御本尊です。

229日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/17(日) 20:56:13 ID:8FNX.yWoO
大河さん。

あなたの板を覗いてきました。

113番。

シャクに言及されておりましたね。

五重の相対の「本迹相対」以外にも、迹という言葉。池田先生は使われておりますよ。
そもそも、本迹相対とは捉え方が違う迹と、先に、表明しているはずです。

今頃になって(-.-)。
あなたには、無理ですよ(-.-)。
価値的な対話は。

そろそろお気づきになりませんかね(-.-)。
あなたのは、『無責任な議論の蒸し返し』です。

私を無知としたいのは分かります。

だから説明してください。とお願いすれば、的外れな答え(-.-)。

駄目です。あなたの113番以降の応えは(-.-)。答えになってません。

ではm(__)m。

230日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/17(日) 21:07:40 ID:8FNX.yWoO
大河さん。114番を読みました。
これを使われたのですね。(以下一部転載)

>恩師戸田城聖先生は「清澄寺大衆中」の御文を講義された際、
>大聖人は、虚空蔵菩薩に、日本第一の智者となし給えと祈願された
>清澄寺在住の時、すでに御本仏と覚られたと拝せると言われておりました。
>事実、もし、末法御本仏としての御境界(ごきょうがい)を得ておられなかったならば、
>三十二歳の立宗宣言もなかったはずであります。時すでに釈尊の白法は隠没した末法であることは明々であり、
>したがって釈尊の仏法をもって立てられる道理がありません。

>釈尊の仏法ではない新たなる仏法を立てられたことは、
>御自身が末法救済の御本仏であるとの御確信があったればこそであります。
>しかも、大聖人は二十余年間、釈尊の法華経を身をもって読みきられ、
>大聖人の出現によって釈尊の法華経は虚妄でなくなったといえるまで実践しぬいて、
>いよいよ、御自身が御本仏としてのお振る舞いに移られたわけであります。

…………………………………………

大聖人は其時、御本仏の自覚(御内証)があられた。

という戸田先生の講義を利用した訳ですね。

私の質問、覚えてますか?。

【立宗宣言の時、大聖人は御本仏でありましたか?。】

ですよ。三大秘法の御本尊がない時に、本門の本尊は?どこにあるかを聞いているのですよ。


分かりませんかね(-.-)。私の言ってる意味が。

231日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/17(日) 21:14:07 ID:8FNX.yWoO
大河さん。まとめて115番と116番を読みました。

結局、沖浦さんと絡めて、得意の逃げの一手ですか(-.-)。

なんでもかんでも、沖浦さんに絡めるのは止めて頂けませんか?。

あなたの教学リョクで、私を納得させてくださいよ。

今まで、誰もいませんでしたよ。

結局、純粋に教学で語れる人はいませんでしたよ。
あなたも、そのうちの一人になってしまいますよ。

頑張ってください、大河さん。

ではm(__)m。

232日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/17(日) 21:53:03 ID:8FNX.yWoO
(大河板より転載)

118:大河
10/10/17(日) 21:32:49 ID:U0lvXrxU0
[JBBSスレ]
>五重の相対の「本迹相対」以外にも、迹という言葉。池田先生は使われておりますよ。

知っていますよ。
例えば、(民衆の幸福が「本」国家が「迹」とかね。)

これも、五重の相対ではないけど、「本迹相対(勝劣)」ですよ。

>そもそも、本迹相対とは捉え方が違う迹と、先に、表明しているはずです。

そういう「迹」が、そもそも存在していいのですかね。
日々さんが、勝手に「創作・ねつ造」していいのですかね。
本迹は「勝劣」以外に無いですよ。
そういう「決まり」なんですよ。
でなければ、仏法で「本迹」なんて言葉を使う意味が無いですよ。

一切の思想、宗教、哲学の総体で、究極の「本」は、三大秘法の「御本尊」です。
それ以外は、全部「迹」です。

天と地が「ひっくり返って」も、三大秘法の御本尊が「迹」になる
道理がありません。お解りかな。

………………………………………………

お解りかな。なんて笑っ。
また話をすり替えてますね。


池田先生の指導にはこのような使われ方もありますよ。
------------------------------
形式は"死"、実質は"生"、
形式は"迹(影)、実質は"本(実体)"。
形式主義は保守となり、実質主義は進歩と発展をもたらす。

--------------------------------

「実体と影」とを「本と迹」に当てはめ先生は使われております。


【創価思想】を持って、考えてくださいね。
どういう意味かを。

今のママでは無理でしょうけどね。

私はあなたが振り回されて可哀相に思っています。

では、お休みなさいm(__)m。

233日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/17(日) 22:00:55 ID:8FNX.yWoO
大河さんが振り回されているのは「人本仏迹論」なる造語を造った輩です。

あなたは、「本筋」を読んでおりません。
だから振り回されるのです。
それは、や○い○。氏、天○氏が作りあげ、あちこちで宣伝し回った造語です。

234日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/17(日) 22:16:19 ID:8FNX.yWoO
(大河板より転載)

122:大河
10/10/17(日) 21:59:43 ID:U0lvXrxU0
[JBBSスレ]
池田先生の指導にはこのような使われ方もありますよ。
------------------------------
形式は"死"、実質は"生"、
形式は"迹(影)、実質は"本(実体)"。
形式主義は保守となり、実質主義は進歩と発展をもたらす。

--------------------------------

「実体と影」とを「本と迹」に当てはめ先生は使われております。

*******************************

だから、それが、いかなる理由で「曼荼羅が迹」にすり変わるの。

曼荼羅が「影」で
日々さんが「実体」と、言いたいわけ?

こりゃ、相当重症だね。

………………………………………………
重症なのは「あなた」ですよ。大河さん。

235日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/17(日) 22:38:16 ID:8FNX.yWoO
今度は大河さんとやまいぬ。さんのコラボレーションですね。

やまいぬ。さんは、ワカタカで誰もお相手してくれないから、今度は大河板ですね。

しかし、カキコミから一切、教学の匂いも発せずに、悪口という臭いだけしかカキコミできないやまいぬ。さんが来てもねえ(-.-)笑っ。

いよいよ……大河板も楠板化ですね(-.-)。

ご苦労様ですm(__)m。
お付き合い頂き、ありがとうございます。では、お休みなさいm(__)m。

236沖浦克治:2010/10/18(月) 07:31:17 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん、おはようございます

 この戸田先生のご発言は、堀上人がこう言われてている。と前書きがございます。
 ですので、そのまま戸田先生のお考えなのか?
 宗門へ配慮があってなのなおか?
 じっくり考える必要が私にはございます。

 現在、御本尊御図顕でわかっている事は、熱原法難以後、御図顕が桁違いに増えたことです。
 それと、久遠即末法は、私共の命のことで、曼荼羅本尊とは無関係です。

237沖浦克治:2010/10/18(月) 07:42:46 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん

 一閻浮提総与は、一機一縁に対する造語です。
 戒壇本尊の特別性を作るために、誰かが作ったのでしょう。

 本尊に一機一縁はございません。
 四条金吾がいただいた御本尊を、南条時光が拝んでも功徳はございます。
 大乗の中の大乗仏法の象徴が御曼荼羅です。

 『法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、』
 (日女御前御返事)

 何方が拝んでも同じお力が出る。
 これが普遍妥当性と言って、大乗経の基本です。
 ですのでm、御本尊に差があると言う事はおかしいと思います。

238沖浦克治:2010/10/18(月) 07:44:32 ID:AJ3hr85o0
 雨煽りさん

 感情的ではございませんよ。

239沖浦克治:2010/10/18(月) 07:48:02 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん

 私は宗門教学に恐怖心などはございません。
 そう言うものがあるなら、大石寺の御影堂で、御本尊にお題目などは唱えません。
 大聖人が天台真言を恐れられますか?
 そう言う事はございません。

 私は戸田先生が開祖、池田先生師匠の創価学会員です。
 宗門ごときの半端教学などでびくとも致しませんよ。

240沖浦克治:2010/10/18(月) 07:53:30 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん

>衆生の機根のほうには当然差があります。

 そりゃございます。 
 しかし、私が言っているのは、

 釈迦の時代にも私共は生まれていた。

 こう言う事なんです。

241沖浦克治:2010/10/18(月) 08:54:17 ID:AJ3hr85o0
 人間革命に、

 『万人に仏を見る仏法は』

 とあります。
 一切衆生が仏だと言うのが、創価なんです。
 今どう言う立場の方も、本来は全員大聖人と全く同じ仏です。

 これからの世界広布には、この全く新しい前代未聞の大法が不可欠なんですよ。

 こう言う考えはこれまで全く無かったのです。
 創価仏法なんですよ。
 だから、最初何方も理解出来ません。
 前代未聞の御文の通りなんです。

 『此の事粗之を聞くと雖も前代未聞の故に耳目を驚動し心意を迷惑す請う重ねて之を説け委細に之を聞かん。』
 (如来滅後五五百歳始観心本尊抄)

 お前たち一切衆生の命が、そのままで本尊なんだよ。
 それを、名づけて南無妙法蓮華経と言うんだよ。

 こう言うこと言った仏様いませんでしょう。
 信じられる道理がありません。

242雨煽り:2010/10/18(月) 10:14:07 ID:Pssg0Hu.0
>>217
>この根拠はなんですか?
 御書全集にはでていないですね。

と言いながら、

>日興上人の「佐渡国法華講衆御返事」(真筆北山本門寺蔵)でしょう。

と、その文書まで書き込んで戴いてます。
私は貴方のそういうところは好きですね。
今までも、誰かの質問等に対しても、真摯に引用文書等書き込まれ返答されてますから、
人間的には誠意のある人だと思えます。

が、しかし、何に拘っておられるのかは判りませんが、
その、拘っておられるであろう部分では、道理も何も無くなり、ただの感情論で
自分勝手な解釈を、さも正しいかのように書き込まれる…

>師弟子を正すとは六老門流に連なって、僧侶を師匠としてはじめて成立するというご教示です。

この六老門流の「門流」と、「僧侶を師匠としてはじめて成立する」との文書がどこかにあるのですか?その根拠は?
大聖人は本弟子六人不次第と決められていますが、「門流」まで決められてはいませんね。
「門流」が、もし、あるとすれば、それは「日蓮門流」でしょう。
大聖人亡き後、六老僧が其々宗派になるとは予想されなかったのではないでしょうか?

師弟子の筋目とは何なのでしょうね。
僧侶と謂われる人は三世永遠に僧侶なのですか?在家は三世永遠に在家なのですか?
在家も入道すれば出家ですし、生まれた時から出家もいないでしょうしね。
釈迦の過去世を考えると、色々な姿で現れています。僧侶に限定されないと思います。

本文では六老亡き後まで言及されていませんが、日興上人は弟子六人を二回定められているようですから、
師弟子の筋目を、新弟子六人にまでは当て嵌めて考えることはできても、その後はありません。
ならば、その後、現在に至るまで、誰一人成仏しないという事でしょうか。

で、常に師と具に生ずる。は虚妄でしょうか?
日興上人が、仏法が解らなかったとは考え難いのですがね。

過去世では師弟共に、僧侶であったかも知れない。現世では在家のままであるかも知れない。
そもそも、本有から僧侶なんてありますかね。


スレ違いを日々さんに怒られるから(^_^;)
これ以上は書き込みませんが、仏法は道理なのですよ。

では、失礼します。( ^^) _旦~~

243臥薪嘗胆:2010/10/18(月) 18:14:14 ID:hoK9Mtjo0
>>235
日々さま、こんばんは。
やまいぬ。さんって、口が臭いから誰も相手しませんよ。
あいつ足も臭いんですよ。
彼の友達って、嗅覚の鈍いやつしかいません。
だから匂いがわからないネットをやめれないんですよ。
あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!くっさ〜〜〜〜!!
やまいぬ。って 獣臭い!!!!!!

244大勝利:2010/10/18(月) 18:31:05 ID:FfgO/4W.0
>>240
沖浦さん

> 釈迦の時代にも私共は生まれていた。

釈迦の時代に生まれてなお末法に生まれる人もゼロではないですが微塵です。
沖浦さんがそのような自覚があるのであれば否定は出来ませんが、「私共」というのはおかしいと思いますよ。

「在世に仏を信ぜし人は仏にならざる人もあり」

大聖人も各御書に釈迦在世に生まれてなかったと言っております。

「末法に入つて在世の結縁の者は漸漸に衰微して」
「今末法に入りては教のみ有つて行証無く在世結縁の者一人も無し」
「仏滅後既に二千二百二十余年を隔つ何なる罪業に依つて仏の在世に生れず」
「しらず大通結縁の第三類の在世をもれたるか久遠五百の退転して今に来れるか」

245沖浦克治:2010/10/18(月) 18:31:39 ID:AJ3hr85o0
 臥薪嘗胆さん

 もう一度そう言う中傷誹謗を書いたら、アクセス禁止に致します。

246沖浦克治:2010/10/18(月) 18:42:34 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん、今晩は

 釈迦の時代という意味は、正法像法と言う意味です。
 そして、その時代に生まれた人が末法の生まれない道理はございません。
 生命の永遠から見ておかしいのです。

 大聖人は釈迦ですよ。
 同じお方です。

247求道の人:2010/10/18(月) 20:13:54 ID:LOOiFaK.0

>>242

それは雨煽りさんが宗史に関する学習に疎いからです。

門流と宗派を混同しないで下さい。
門流形成でなければ、何故「五人所破抄」が成立するのか。大聖人滅後まもなく門流が形成され、門流間で対立が起きている史実は覆せません。
「佐渡国法華講衆御返事」は、元亨三年ですから既に門流が形成され、対立し日興上人も身延を離山された後の文書です。
「佐渡国法華講衆御返事」は、先に引用した波木井公の日興上人宛文書を意識しての記述であることは、多少古文書が読め、読解力のあるものであればわかります。
日興上人は明らかに僧俗の区別をされており、在家間の師弟など認めていません。
それは御真筆北山本門寺蔵の「白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事」も出家弟子分に続いて在家弟子分が記され、そこに明確な差別を見る事ができます。
仏法においては在家は「主」になれども「師」にはならないのですよ。

248日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/18(月) 23:29:01 ID:8FNX.yWoO
>>243
ちゃんと見ておりましたよガシンショータンさん。
名指しのご指名ありがとうございます。

やまいぬ。さんを悪く言うモンじゃねえ!!!

足が臭い(;~∧~;)???。

俺はもっと臭いo(^-^)o!。
負けてられっかっ!!。

家族お墨付きの臭いさだっ!!。
親指と人差し指でこうして摘んで………

誰?ココで脱いだのはっ!
って(-.-)。

言われる身にも、なって見ろっ!!。

って事で、ガシーーンショコたん(^_^;)。
そういう揶喩は、お止めください。
貴方のストレス発散の場ではありません。

お休みなさい。

249日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/19(火) 09:35:42 ID:8FNX.yWoO
おはようございます(*゚ー゚)v。

大河さん、またやってます( ̄▽ ̄;)。

『今、この時、ホットな話』スレより

449:大河
10/10/19(火) 08:13:08 ID:U0lvXrxU0
秀逸な文を見つけた。

No.31246 【研究報告】学会員にとって「大御本尊」とは。 投稿者:マグマグ

>この一点をはずして、大御本尊を形式的にたもったとしても、
>本当の功徳など出ようもないのだ。

この一点とは、

>社説は論をこう締め括っている――
>「広宣流布へ戦う魂」が込められた御本尊である。
>ゆえに、「広宣流布への誓願」に生き抜く創価の仏道修行のなかに、
>大聖人直結の「戦う信心」、「地涌の誉れ」があるのだ。
>大御本尊御図顕の日にあたり、あらためて広布誓願の人生を確認し、
>創立80周年の「11・18」へ威風堂々と前進しよう(同上)――と。


…………………………………………

おいおい(-.-)。大河さん(^_^;)。
大河さんって、いつもそうなんですよね(-.-)。

都合のよいものだけ受け入れて、
自分の言葉では語れない(:_;)。

語ると、ボロがでるから(*_*)。

大河さん。
もちっと(もう少しの意)、カキコミは思慮深くなされたほうが宜しいですよ。

では(゚▽゚)/!。

250大勝利:2010/10/19(火) 09:50:24 ID:FfgO/4W.0
>>246
沖浦さん おはようございます。

> 釈迦の時代という意味は、正法像法と言う意味です。
> そして、その時代に生まれた人が末法の生まれない道理はございません。
> 生命の永遠から見ておかしいのです

なるほど。ではその道理で末法の衆生の機根はどうかを御書に見てみましょう。
「又滅後なれども現に法華経ましませば外道の法より小乗経にうつり小乗経より権大乗にうつり権大乗より法華

経にうつる人人数をしらず、竜樹菩薩無著菩薩世親論師等是なり、像法一千年には正法のほどこそ無けれども又

過去現在に法華経の種を殖えたる人人も少少之有り、而るを漸漸に仏法澆薄になる程に宗宗も偏執石の如くかた

く我慢山の如く高し、像法の末に成りぬれば仏法によつて諍論興盛して仏法の合戦ひまなし、世間の罪よりも仏

法の失に依つて無間地獄に堕つる者数をしらず。

 今は又末法に入つて二百余歳過去現在に法華経の種を殖えたりし人人もやうやくつきはてぬ、又種をうへたる

人人は少少あるらめども世間の大悪人出生の謗法の者数をしらず国に充満せり


末法が本未有善であることがお解かりいただけるでしょうか?
正法像法は過去に何度か繰り返します。番番世世に釈尊は出現しますからね。
これを繰り返して行くと正法像法に生まれても忘失・退大の者と又久遠の下種にて発心しない者(三類)で末法は充満していることが理解できると思います。

それと釈尊は元をたどれば日蓮大聖人ですが、同じではないです。

251大勝利:2010/10/19(火) 09:57:00 ID:FfgO/4W.0
末法が本未有善であれば、衆生には題目の縁ではなく再度の下種である御本尊が必要であり
さらに御本尊への発心が最重要であることの意味が解かると思いますがどうでしょうか。

252日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/19(火) 10:20:40 ID:8FNX.yWoO
しかし(-.-)、大河さんも、説教(オヤジ)さんも必死だね(-.-)。
(堅○氏とのやり取りを眺めていての感想です)

持論(自論?ジロん)を展開するのに………(-.-)。

と大河板をジロっと、ジレッたく見ております(ROM専の意)。



伊人のジローラモさんもビックリ(*_*)!
するだろうな(-.-)。
(すいませんm(__)m。(↑)これは無理ヤリ、駄洒落にしチャイナタウン(^_^;)♪)

世界がビックリ(*_*)を、表現したかっただけです(-.-)。

253日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/19(火) 11:43:50 ID:8FNX.yWoO
大河板。
現在、身延云々で必死な様相を呈しておりますが………戸田先生はどう言っておられたのか……。

今日は、敢えて!"コチラのスレッド"で(いつもは私のスレッドですが(^_^;))学んでいきましょうo(^-^)o!。


◎『池田名誉会長が語る恩師戸田城聖先生』より(抜粋)
-------------------------------

◆生きた「正しき信心」の項目より一部抜粋

戸田先生は、強い調子で答えられた。
「経典があると言ったって、経典は仏法じゃありません。あれは本ですよ、本です!信仰がなければただの本にすぎないのであって、いくら経典や、寺であっても、もはや仏法は死んでいるのです」−−と。
たとえば、いくら大聖人の御真筆があっても、"邪宗"となった寺に大聖人の仏法の生命はない。仏法の生命は、生きた「正しき信心」にある。その「信心」を伝え、仏法の生命を伝えるのが「師弟」の関係である。
大聖人、日興上人の仰せどおりに進んでこそ、仏法は万年に清らかに流れていく。師敵対の「日向の末流」に従っては、仏法の心を殺す大罪となる。
----------------------------
これは、第一回アメリカ青年研修会(1991.10.1)の池田先生の言葉です。


大河板では、【身延教義云々】を説教(オヤジ)さん自発の元にやっております。

大河板の参加者並びに常連さんには、この先生の言葉をよく読んで頂きたいと思います。


【生きていく上で自らが本】の意味も、
【戒壇本尊の今までの議論】も全て網羅された戸田先生のお言葉と、池田先生の指導です。


学会員を、身延信心だなど呼ぶ行為は、悪の因を積む事だと思います。

その姿勢で、敢えて私は申します。

今現在の身延信心は、何処なのか………。

説教(オヤジ)さんには考えて頂きたいと思います。
大河さんに悪影響を及ぼすのは、もうそろそろ止めて頂きたいと思います。

ではm(__)m。

254日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/19(火) 16:37:44 ID:8FNX.yWoO
時間あって、大河板見ました。

【堅皇さん&説教オヤジさん】スレッド………。

ありゃ酷いわ(ノ_・。)。

説教ばかりで、説得リョクまったく無し!。

ですね(:_;)。

自己都合(自己の正当化)のために、戸田先生や池田先生の講義を、利用するのは止めなさい!。と……

私は何度も、あの大河板で申し上げてきました。


で、いよいよ自分の言葉で語れば、
アレです(-.-)。

説教(オヤジ)さん。
貴方に、相当な覚悟がない限り!!
貴方の首を、自分で締める事になりますよ……。


とだけ、忠告させて頂きます。

脱会者だと言う"○皇さん"と、有意義な対話をお続けください。

恐らく、この板も見てくれているであろう説教(オヤジ)さんへの……


中国です。ではなく、忠告です。

255日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/19(火) 16:50:49 ID:8FNX.yWoO
>>254の続きとして……)

今のママでは、『対話の力・大河と潮流』と掲げている掲示板の【名折れ】に成り兼ねません。

説教(オヤジ)さんには、トコトン!!!
頑張って頂きたいと思います。

無理ならば、閉鎖をオススメいたします。

判断は、管理人である大河さん。

頑張ってください。

256沖浦克治:2010/10/19(火) 17:41:12 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん、今晩は

 貴方のご引用の御書は、大聖人が釈迦仏法の立場で仰せです。
 ですので、方便です。

257日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/19(火) 18:21:05 ID:8FNX.yWoO
そんなこんなで大河板( ̄▽ ̄;)。

興味があれば一読されたし。
でも信心がない?と、毒気(どっけ)に晒される事になるべし。

覚悟を持って、閲覧されるべし。

そう宣伝してからいうのも、なんですが(-.-)。

「○もなき◎より」さんの投稿は、一見の価値ありと申すべし。

以上、伝言でした(^_^;)。

258日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/19(火) 19:08:55 ID:8FNX.yWoO
ふと思ったのですが( ̄▽ ̄;)……

あの堅○さんって(´Д`)……
コチラにカキコミされていた○○……○さんの眷属さん???。


ふと、そう感じました。

その上からも、説教(オヤジ)さんとの対話には、私自身、注目しております。

がんばれっ!説教!!。

こう、声を大にして、申し上げたいと思っております。
(引き続き、ROMさせて頂きます)

259沖浦克治:2010/10/19(火) 19:19:13 ID:AJ3hr85o0
大河さんの板で説教親父さんが書いています

>現代に於いて最大の謗法とは
大聖人が顕された一閻浮提総与、人法一箇、本門戒壇の大御本尊を誹謗する事であり。
大聖人の御遺命の通りに、この御本尊を流布する地湧の菩薩の眷属を誹謗する事です。

 これが大きな間違いなんです。
 一閻浮提総与、本門戒壇の大御本尊とは、私共の己心にある妙法なんです。
 全ての衆生が等しく持っているからこそ、一閻浮提総与なんです。
 以下は、この事をわかりやすく説明した、於保哲外さんのお話です。

 「実は、朝晩勤行します。二座の御観念文は何でしたっけ?本尊供養ですね。「一閻浮提総与三大秘法の大御本尊に南無し奉り報恩感謝申し上げます」。本尊供養。この本尊供養。二座のときに、この本尊を自分のことと思ってやってます?みなさん「仏壇の中の御本尊」って思ってませんか?そういう人を指して大聖人は、「若し己心の外に法ありと思えば全く妙法にあらず」(御書P384)とおっしゃられている。 すなわち、法華経じゃないんです。また別の御書でも、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(御書P1244)胸中に、自分の生命に、「胸中の肉団におはしますなり」って勉強したでしょ?実際やっている時は外に置いていますね。不思議なんです。学んだこととやっていることが違うんです。どうしてか?実は、日本文化に、さっき言った「村の文化」に毒されているからなんです。「村の文化」というのは、実は,「念仏文化」なんです。「念仏文化」というのは、御本尊絶対なんです。大聖人絶対なんです。それで福運のない、境涯の低い、力のない私たちは、偉大な御本尊様におすがりし、その功徳を、その智慧を分けていただこうと。これを「念仏文化」というんですね。御本尊を阿弥陀仏に置き換えたらぴったりするでしょ。「情けない私たちは阿弥陀仏の慈悲におすがりしましょう」という構造です。」
 
 これが正しいのですよ。
 そして、貴方の最もいけないのがこれですね。

>反対に、上記の者を責める行為は「謗法呵責」と言って、これも大聖人及び日興上人が厳しく厳命された事です。

 これが大間違いですね。
 
 『謗法を呵責すると言いますが、それは対話によるのです。
 一方的に罵る事じゃ絶対にありません。』(趣意)

 池田先生です。
 更に、戸田先生です。

 『第三に、その行動の態度たるや真摯にして、暴言を用いず、理をつくして指導の任に当り、』
 (青年訓から、抜粋引用)

 親父さんね、貴方全くこれと正反対ですよ。

260日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/19(火) 19:43:07 ID:8FNX.yWoO
>>259
沖浦さん。こんばんはm(__)m。
大河板の件。

>>反対に、上記の者を責める行為は「謗法呵責」と言って、これも大聖人及び日興上人が厳しく厳命された事です。


これは、ナンセンスですよね。

私は最近、常に考える事があります。

あ………夕飯への誘導笑っがありました(^_^;)。

夕飯を食べてきます(^_^;)。

261日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/19(火) 22:11:10 ID:8FNX.yWoO
さっき、風呂から上がりましたf^_^;。珍しく1時間ほど早いお風呂でした(^^)。
大河板の説教(オヤジ)さん。
何だか忙しそうですね(-.-)。
(大河板見ました。バタバタ感がカキコミから伝わってきました。あっ……私の個人的な感想っすo(^-^)o♪)

完璧に主導の権は、堅○氏ですね(-.-)、あれでは(:_;)。

私は、珍しく笑っ♪今日は早く寝ます。

では皆さま、お休みなさいm(__)m。

262大勝利:2010/10/19(火) 22:30:33 ID:MYqDk7aIO
>256
沖浦さん

文永10年 富木常忍宛のその御書は久遠実成から二乗作仏を説いた法門で、方便で退けられるような御手紙ではありません。

もっと真摯に御書に向きあうべきと思いますがどうでしょうか。

263沖浦克治:2010/10/20(水) 05:52:33 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん、おはようございます

 私は御書には真摯に向かっております。
 人類救済の書ですから。

 但し、大聖人の時代、仏法と言えば釈迦が本家です。
 機根がそう言う時代です。
 ですので、御書を読むときには、依義判文して読まねばなりません。
 御書に現実を当てはめるのではなく、現実の立場から御書を読む。
 極めて大事です。
 久遠実成と言う言葉があります。
 それは方便ですよ。
 事実はそう言う時点はありません。
 一切が久遠元初です。
 御書には久遠実成があったと書かれていますが、そう言うものはございません。
 虚空の宝塔が立ったと御書にはあります。
 しかしそう言うものは現実には立っておりません。
 同じです。

264大勝利:2010/10/20(水) 18:34:56 ID:FfgO/4W.0
>>263
沖浦さん

>久遠実成と言う言葉があります。
> それは方便ですよ。
> 事実はそう言う時点はありません。

何の事でしょうか?
まず久遠実成とは別に時点をさすだけではないでしょう。
「我実とは釈尊の久遠実成道なりと云う事を説かれたり〜〜
我(われ)実(まこと)と成(ひら)けたる仏(ほとけ)にして已も来も無量なり無辺なり」
方便ではないでしょう。
久遠実成は本果、久遠元初は本因ですね。
久遠元初には現実には時計が無かったから無始で方便とは言わないでしょう。

> 虚空の宝塔が立ったと御書にはあります。
> しかしそう言うものは現実には立っておりません

虚空会の儀式も現実ではないでしょうし、地湧の菩薩も現実ではありえませんでしょう。
ですが方便とは言わないでしょう。

私は昨晩眠っている時に夢を見ました。
夢は現実ではないですが、昨晩夢を見たのは確かであり現実ですね。

大聖人が「末法と言う思想」に立って仏法を説いたことは現実ですし、
末法を無始して大聖人の仏法を対話できないでしょう。

265沖浦克治:2010/10/20(水) 19:41:15 ID:AJ3hr85o0
大勝利さん、今晩は

 私が教授になったのが昭和53年でした。
 当時、今は釈迦仏法では末法だが、大聖人仏法では正法だと、教授仲間では常識でした。
 釈迦の立場からと、大聖人の立場からでは、法の捉えかたが全く異なります。
 例えば、教主釈尊と言う言葉を、戸田先生が三沢抄講義で仰せです。
 
 『この教主釈尊と言う言葉は御書にしばしば出てくるが、6通り読み方がある。
 それを弁えないとよめない。』(趣意)

 このように、御書も依義判文して読まないと誤ります。
 釈迦仏法は壮大な方便と言っていいと思います。

266日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/20(水) 20:51:37 ID:8FNX.yWoO
大河板。やばし(-.-)。

あれじゃあ価値創造は無理でしょう(-.-)。

267日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/20(水) 22:17:52 ID:8FNX.yWoO
大河板。

大丈夫だろうか。
無理っぽい気がしてきた(:_;)。

ひど過ぎる、やまいぬ。さんが(:_;)。

268日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/20(水) 22:32:11 ID:8FNX.yWoO
大河板。新スレッド(やまいぬ。氏が答えるスレッド)。
沖浦さんの一発目の質問(15番)に、アノ答え(-.-)。

ダメだ(-.-)。
質問に質問返しで結局、弱腰(:_;)。

所謂結局=やまいぬ。ワールドの再燃(-.-)。

対話にならないよあれじぁあ(^_^;)。

269日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/20(水) 22:52:21 ID:8FNX.yWoO
>>268の経過報告。

15番の質問に答えずに、レス30超え(@_@)。

いつも、あの調子(-.-)。

270備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/21(木) 09:50:59 ID:g2zr24dw0
  あははは (^0^ ♪ いぬ。さんかい? 相変わらずキャラが際立っているな (笑
  いぬ。さんに教義論争は無理と違うかな (^^; 樋田氏に首落とされたのがトラウマになっているのと違うかな?
  沖板Ⅰから、あの人の書き込み見ているけど、悪口雑言が主で御文は悪口雑言の正当化の為に使っていた様な気がするがなァ〜 (^^;

  「公平」、「公平」と謳いながら、管理人がいぬ。さんの方を持って何が「公平」かと思うがな (笑
  まァ、それでも建て前かどうかは不明ながら、一応「名無し」での参加拒否声明は前進の部類かな?

271大勝利:2010/10/21(木) 17:57:04 ID:FfgO/4W.0
>>265

沖浦さん

> 当時、今は釈迦仏法では末法だが、大聖人仏法では正法だと、教授仲間では常識でした。

「在世は今にあり今は在世なり」ですから、間違いではないと思います。
ですが、「現在は正法時代だ」と表現すれば相手に誤解を生じさせます。
教学とは「南無妙法蓮華経」へ向かう説得術でもあると思います。
話には段落があるわけです。「大聖人仏法では正法」ならば、「大聖人仏法がなければ末法」でしょう。
「本未有善」が大聖人によって「本已善有」になったわけですね。
大聖人は末法の御本仏であり御本尊です。

私が何故、末法の「本未有善」に拘った話をしたかと言うと…、
衆生機根を変えた一切の本因は御本尊であることを言いたかったのです。
南無妙法蓮華経の口唱は、御書にもあるとおり天台の時代に行われておりました。
「本已善有」であればこそ「題目」に力があります。「本已善有」であればこそ「己心の妙法」です。
よって根源の本因の御本尊であればこそです。
それが三大秘法の内の「本門の本尊」を一大秘法とする所以と思いますがどうでしょうか?

272日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/21(木) 18:32:52 ID:8FNX.yWoO
>>271
大勝利さん。こんばんはm(__)m。
(横レス失礼いたしますm(__)m)

以前、大勝利さんにレスした時、私は勘違いしてました。
『本未有善』を私は『本已有善』と勘違いして投稿した記憶があります。
大勝利さんが今回、「本已善有」とカキコミしたのを見て、自分の間違いに気づきました(^_^;)。


「未」は、いまだ。
「已」は、すでに。

(^_^;)。意味が違ってきますねo(^-^)o♪!。

勉強になりましたo(^-^)o!。

因みに、「已」は人名漢字には使用不可、らしいんです笑っ。

私の名前。本来はソレなんですが(^_^;)。
「己(おのれ)」にするか、「巳(ミ歳の巳)」にするかいつも悩んでしまいます(^_^;)。

って事で関係ないレス、失礼いたしましたm(__)m。

「いまだ」と「すでに」。
完璧に違いますよね(^_^;)。
これを知ってほしかった(^_^)。

これだけです笑っ。

横から失礼いたしましたm(__)m。
沖浦さんと、有意義な対話をお続けくださいo(^-^)o!。

出羽m(__)m♪。

273日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/21(木) 18:47:00 ID:8FNX.yWoO
結局(-.-)、説○のオヤジと、やま○○。が絡むと、板が価値創造しない(-.-)。

現在のところ、大河板が顕著に露呈してますね(-.-)。


マニアックな人は、魚青板も注目ですよ笑っ。

職人気質の説○さんが、「道具」の話題で、二人で(serverさんと)盛り上がっています。

今、その話題をされてもねえ(^_^;)。

『職人は道具が命』って(^^)、随分前に、この掲示板で語ってましたもんね(^^)。

遅れてルー!カレールーo(^-^)o♪。


ルー大柴もビックリ(+_+)!
インドの人もビックリ(@_@)ですねっ!。

カレーなだけに………(-.-)。

274日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/21(木) 19:33:59 ID:8FNX.yWoO
大河板の管理人さん。
可笑しいよ絶対に!(^_^;)!!
(以下、「沖浦氏が「質問」、やまいぬ。氏へ、」スレッドから転載)

53:管理人
10/10/21(木) 18:50:03 ID:U0lvXrxU0
>>52  日々さん

>それが、この大河板、唯一の再生の道です。

   関係無いですよ。

>フリダシ【>>15】から、是非とも、お願いいたします。

言うまでも無く、沖浦さんと日々さんは「別人格」です。
既に沖浦さんは、ここにはおりません。

日々さんが、日々さんとして、やまいぬ。さんに、>>15
尋ねたいなら、自分の責任で、お聞きになればいいことです。

雛型を書いてあげますよ。実際には、自分で書くんだよ。
…………………………………………………

……以降割愛(^_^;)。させて頂きました。


あのように(割愛した例文を基に)、私がやまいぬ。さんに要求しても、答えられるはずがございません。

今まで(スレッド立った昨晩から今日迄の流れで、一目瞭然です)

情けない姿を、やまいぬ。さんから晒される前に、大河板管理人自らが、"キチンとした対応"を取られる事を望みます。

今のママでは、やまいぬ。さんは"チキン"です。

強弁者です。


みんなが見てるんです。

長く続いた【確執】を、今、やまいぬ。さんが、その彼自身の言論で、証明すべき時です。

追伸。私の足の【角質】は、なかなか落ちません(^_^;)。よって、臭い(;~∧~;)♪。

ガシーンショコたんからも、この板の何処かのスレッドで、レス頂きましたが、

やまいぬ。さんより臭い足をしております。

私は彼(やまいぬ。さん)には、負けたくないんです笑っ♪。


大河板の管理人さんも、やまいぬ。擁護に走る事なく、公正な判断をしてほしいと思います。

では。

275日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/21(木) 19:47:14 ID:8FNX.yWoO
【追い詰められた人間は、反省なきとき、強弁を繰り返す………。(笑)】

哲学者「日々前進(朗らか)」の言葉o(^-^)o!。

(以下、大河板より転載)

54:やまいぬ。
10/10/21(木) 19:16:24 ID:FM3AXwZo0

>>48名前:沖浦克治 投稿日: 2010/10/21(木) 07:57:53 ID:B.VEKHCY0
>>「自分が本、蓮祖も3代も迹」について、沖浦さんが「決着」を
>>つけない限り、答えないって、ダメだって。
>答えてますよ、何百回もね。
>人生はね、生きるご本人が本。それを正報といいます。
>それ以外は全てが迹、依法と言います。

えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!
ま、まさか…!

沖浦克治ちゃん――きみ、「依正」と「本迹」の区別を――知らないの?
同じものだと思ってる?
>生きるご本人が本。それを正報といいます。
云いません。(>_<)(^o^) 正報ですが「本」とは云いません。
>それ以外は全てが迹、依法と言います。
云いません。依法とは云いますが「迹」とは云いません。

すっげぇな。
こいつ本気で任用未満だ。「依正不二」と「本迹」の区別を知らないんだと。
それできょうがく云々と抜かしてたんだと。
これじゃあ、
「自分が本、蓮祖も3代も全部迹」の文証なんかある訳がないわなぁ?

――いやぁ、凄い物を見た。こんな馬鹿、そうそう見れるものじゃない。
ちょっと、ゾッとしたね。

という訳で、沖浦克治ちゃんは「また」「いつも通り」、無熱池の陰に逃亡しましたとさ。(^o^)v
全部予想して書いた通りでしょう? 解りやすい65歳だ。(^^)

…………………………………………

大河板管理人。
一言、グサっと!!
言ったほうがイイですよ。

真摯に教学でハシャクしてください。って(笑)。

できないんですよ。
何年も前から(-.-)。

これが「やまいぬ。さんの現実」





なんです(-.-)。

後は、これからは、やまいぬ。さんの再生です。

大河板は、一蓮托生です。

私が申し上げているのは、そういう事です。

276日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/21(木) 19:52:41 ID:8FNX.yWoO
【「依正」と「本迹」の区別を――知らないの?
同じものだと思ってる?



これを真摯に、やまいぬ。さんがカキコミすればイイんです。

簡単な事を、何年も、やらない。

これが原因なんです。

さあ!大河板管理人!。

やまいぬ。さんに促してください。

今が、やまいぬ。教学を披露すべき時と。

遠慮はいりません!!!。

277日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/21(木) 19:56:17 ID:8FNX.yWoO
でもね……大河板管理人。

これ、進めると、池田先生の【本迹の使い方(表現)】を否定する事にも、成りかねませんからね……。

やまいぬ。さんの扱いは、慎重に。


ですよ。
では、夕飯です。失礼いたしますm(__)m。

278日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/21(木) 21:12:51 ID:8FNX.yWoO
やまいぬ。さん(:_;)。
マジで、バカなんでしょうかね(-.-)。

『▼[1845](無題) by:やまいぬ。 10/21 20:20
こっちにも張り付けさせて頂きます。(^^)』

上記タイトルで、ワカタカ板にカキコミしておりました(-.-)。

弱腰の典型的見本です。

大河板に、やまいぬ。質問スレがあります。
昨晩、立ちました。

そこで、彼自身が、誠意を持って!信念を持って!誠実に!!

質問に答えれば、簡単な事なんです。

いつも、何年も……
アノ出来事から………。

彼は、一切答えておりません。

今まさに!彼に光が当たった状態にあります。

逃げずに、語って頂きたいと思います。

他板で、わざわざ姑息な宣伝を繰り返さないで。

279大勝利:2010/10/21(木) 21:53:58 ID:MYqDk7aIO
日々さん

己に勝つ
已に(すでに)勝っている。
どちらもカッコいいですね。
漢字の読み下し方って微妙にニュアンスが違ってくるんですよね。
(本)もとより已(すでに)善(ぜん)有(あり)

私はこれを、

本(ほん)すでにぜんあり。

と、(より)を外した方がより本来の意味に近いようで好きなんです。(笑

280沖浦克治:2010/10/22(金) 06:38:30 ID:I2tDyz62o
 大勝利さん、おはようございます

 ご本尊は人類史上最大の発明です。」
 だから大聖人はご本仏ですね。

281沖浦克治:2010/10/22(金) 06:41:01 ID:I2tDyz62o
 大勝利さん

 一大秘法が本門の本尊でも間違意ではないと存じます。
 但し、この本尊とは、曼荼羅ではございません。
 目には見えず、触ることも出来ない、衆生己心の妙法です。
 寛師はここに迷いがあるのです。

282高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/10/22(金) 13:15:33 ID:JThdDrQw0
日々前進(朗らか)さん、こんにちは!

 会社の人が、このスレッドを開いて出かけたので、何かなと思って見たら、

>>272
>因みに、「已」は人名漢字には使用不可、らしいんです笑っ。

 きっと、私に、これを、読ませたかったんだと思います。
 さっそく、手元の六法・平成14年版を調べましたが、使用できる漢字には、載っていませんね。
 でも、おそらく、今は使用出来ると思いますよ。
 使える漢字は、年々増えていて、今は、2,930字体が使用できます。

 この漢字は、手書き文字の判別が難しい文字の一つなんです。
 「巳(音)シ、ジ(訓)み」「己(音)コ、キ(訓)おのれ, つちのと」「已(音)イ(訓)やめる, すでに, はなはだ, のみ」

>「いまだ」と「すでに」。
>完璧に違いますよね(^_^;)。

 読みも、意味も違うんですすよね。

 と、余り関係ないことで、横から槍をなげましたトサ!!!

283日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/22(金) 14:34:04 ID:8FNX.yWoO
今度はあべひさん。大河板に出没。
は○れさんから、注意受けてます。

「ウケるぅ〜〜〜♪」

堅○さん(創価辞めた方)と説教さんに割って入って叱られました。

「ウケるぅ〜〜〜♪」

大河板に鯖さんがアクセスしてきました。
秘密理に(笑)。

「ウケるぅ〜〜〜♪」

で、やまいぬ。さんも参加されてます。

「ウケるぅ〜〜〜♪」

全て、受け手(ウケテ)の私の感想です(゚.゚)。

これは……「ウケなぁぁーい(:_;)」

大河板。悲惨な板にならぬように、陰ながら応援しております。

説教さんガンバレ!。
大河さんガンバレ!。

やまいぬ。さん……質問に答えてください。

あべひさん……忠告はしっかりウケましょう。

以上。ROM専の戯言でした。

284日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/22(金) 14:38:21 ID:8FNX.yWoO
>>282
高速さん。こんちワ。
見なくてもいいす(笑)。
大した問題じゃないですし(^^)。

多分、届け出出す時、筆跡で役所の担当者が「巳」にしてしまったんじゃないですかね。
悲しい人生です(笑)♪。
自分の名前がどっちつかずって言うのは(笑)。

285日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/22(金) 17:55:13 ID:8FNX.yWoO
大河板より転載。

123:説教オヤジ
10/10/22(金) 17:25:36 ID:y0Iu4qX60
堅皇殿
では、参ろうか。
ゆっくりとね。

先日、二十数年来のワシの友人から電話があった。
ワシと全く同じ年齢の、ワシと全く同じ時代の創価学会を見てきた者でね。
その彼がこう言うた。
「結局大聖人は、南無妙法蓮華経じゃなくても良かったんじゃあないか」

君ならば、どのように答えるじゃろう。


……………………………………………

次の展開が楽しみです。

変な方向に行かないようにと、願って止みません。

っつうか、その『対話のリセット』は………

今のところ(現時点に於いて)、《バカ丸出しのキッカケ作り》です。

次からの対話の推移を見守りましょう。

286日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/22(金) 18:03:04 ID:8FNX.yWoO
>>285
先ず、二十年来の友人が学会員なのかどうなのかが不明確です。

常に電話し合っている関係かの説明もありません。

いきなり、【大聖人は……】と説教さんに質問した形になってます。

何故、そのような状況を、脱会した○皇さんに、投げかけたのか理解に苦しみます。

でも、次の展開を楽しみにしています。


きっと、その二十年来の友人に話した事が、核心(説教さんの)だと思うから。

その意味からも、注目度は俄然、増します。

287日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/22(金) 18:13:44 ID:8FNX.yWoO
大河板の説教さん。
脱会された堅○さんの出方を探っている模様。

先に言えっ!!。

って思ってしまいます。


あんな姿勢だと、
『説教垂れるオヤジ』ではなく、
『説得リョクないオヤジ』に映る危険性があります。

今が頑張りどころだと思います。

説教オヤジ。がんばれ!。

そう申し上げ鯛と、思います。
関係ないですが、ワタシは鯛よりか、海老のほうが好きです。
因みに、鯖は〆たのが好きです。

基本的には魚は好きです。

288日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/22(金) 18:50:27 ID:8FNX.yWoO
(大河板より転載)

127:説教オヤジ
10/10/22(金) 18:17:06 ID:y0Iu4qX60
>願いを掛ける時に使う言葉

願いを掛けるのはどうしてじゃろう?


これから、王城会という壮年部の会館警備の任に行って来るから
レスを入れるのはそのあとになります。

それと
堅皇殿が言う、真贋の疑わしいのを御書から外すとすれば、どの御書になるのかを
示してくれると有難いのじゃが。


………………………………………

その時間で間に合うのか( ̄▽ ̄;)?。


無事故でね。

289備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/23(土) 10:37:02 ID:g2zr24dw0
 徒歩、数分 七時半開始 (爆 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・って在り? (^^;

290大勝利:2010/10/23(土) 12:55:39 ID:FfgO/4W.0
>>281 沖浦さん

>  但し、この本尊とは、曼荼羅ではございません。
> 目には見えず、触ることも出来ない、衆生己心の妙法です

それでは小乗になってしまうのではないでしょうか?
目にも見えず触ることもできずに覆われてる妙法がどうして本尊となりますか?

弘安二年十月の三世諸仏総勘文教相廃立から
「総じて一代の聖教は一人の法なれば我が身の本体を能く能く知る可し之を悟るを仏と云い
之に迷うは衆生なり此れは華厳経の文の意なり」
「所詮己心と仏身と一なりと観ずれば速かに仏に成るなり、故に弘決に又云く「一切の諸仏己心は仏心と異ならずと観し給うに由るが故に仏に成ることを得
る」と已上、此れを観心と云う実に己心と仏心と一心なりと悟れば臨終を礙わる可き悪業も有らず生死に留まる可き妄念も有らず」
「只今打ち返えし思い直し悟り返さば即身成仏は我が身の外には無しと知りぬ、我が心の鏡と仏の心の鏡とは只一鏡なり」

291沖浦克治:2010/10/23(土) 15:27:33 ID:OfdL5deEo
本門の本尊とは曼荼羅ではございません、大勝利さん。

 衆生己心の妙法ですし、宇宙の生命ですね。
 それを紙に写し取ったものが、お曼荼羅です。
 写真みたいなものです。
 
 命は目に見えませんでしょう。
 生命は見えません。
 私達が見ているものは、生命そのものではなくて、生命活動なんです。

292大勝利:2010/10/23(土) 21:57:28 ID:MYqDk7aIO
沖浦さんは、
生命至上主義を言いたいのだと思うのですが、
何故それが曼陀羅本尊や日寛教学と反すると考えるのかわかりませんね。
因みに>>265で戸田先生が言う6種の釈尊も日寛教学ですよ。

戸田先生曰く
「日寛上人ほど正しく精密に、しかも忠実に、大聖人の御書をお読みになった方は、いないのである。」昭和30年1月1日

293日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/23(土) 23:02:26 ID:8FNX.yWoO
>>292
大勝利さん。こんばんはm(__)m。
いつの時代だったのかを考えれば、容易にわかると思うのですが(^_^;)。
宗門外護時代の戸田先生の発言です。
創価思想に日寛教学が必要かどうかを論れば、価値的な対話になると思います。

そもそも沖浦さんは、曼だ羅本尊を無くせ。とは申しておりませんし、お題目だけ唱えろとも、言っておられませんし……。


横から失礼いたしましたm(__)m。
有意義な対話を進めてください。

では、お休みなさいm(__)m。

294大勝利:2010/10/23(土) 23:48:07 ID:MYqDk7aIO
>>293

>宗門外護時代の戸田先生の発言です

日々さん
宗門外護時代でない戸田先生の発言と言うのはないでしょう。

宗門外護時代などと言って、勝手に指導を峻別するなら第一代、第二代は盲語の人になってしまいます。

295日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/23(土) 23:51:34 ID:8FNX.yWoO
有意義な議論の発展の為に、参考になるか分かりませんが、ないアタマで、一生懸命考えました。

大勝利さんも一緒に考えてください。

曼だ羅本尊に関しての御書があります。

建治三年八月(五十六歳御述作)の『日女御前御返事(1243頁)』です。

弘安二年が五十八歳ですので、それより二年前の御書になります。

今、御書を開きましたら、その一節が、赤の『』の印で括られておりました。
私、愛用の赤のペンのようなので、私が付けた事には間違いないのですが、いつ付けたかは……忘れました。

『ここに日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給わざる大曼だ羅を………本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。』の一節です。

冒頭、御供養に対する品々が書かれておりまして……

その三行目に、黒線で線が引かれてありました(これも私が引いたものと思われます)。

「正像二千年には・いまだ本門の本尊と申す名だにもなし、何に況や顕れ給はんをや又顕すべき人なし、」

中段には、有名な御文に《重要》と囲み印してありました。

『此の御本尊全く余所に求る事なかれ…………此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり。」

さらに
「穴賢・南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす、」にも傍線が……。


【何故、弘安二年より前に、このような御書を書き残されたのか】……。

皆さんも、考えてみませんか?。
っつうか……
私の視点、間違ってたらご指摘くださいm(__)m。

ではお休みなさいm(__)m。

296日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/23(土) 23:54:40 ID:8FNX.yWoO
>>294
それは、言い過ぎではないですか?。

私は、峻別などしておりませんよ。

297日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/24(日) 00:11:11 ID:8FNX.yWoO
>>295の続き。

今、改めて、その御書の冒頭から読んでます。

「御本尊供養の御為に」……が書き始めです。

そして
「抑此の御本尊は在世五十年の中には八年・八年の間にも涌出品より属累品まで八品に顕れ給うなり、」とあります。


これは釈尊の説かれた法華経二十八品の事ですよね。


ないアタマを絞ると、眠れなくなるので努めて、もう寝ます。お休みなさいm(__)m。

298日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/24(日) 00:17:05 ID:8FNX.yWoO
>>297の補足。勘違いが生じるといけないので……

『抑此の御本尊は』とは、大聖人が日女御前に書き顕わされ、与えられた御本尊の事ですよね……。

299大勝利:2010/10/24(日) 00:20:05 ID:MYqDk7aIO
>>296日々さん
>それは、言い過ぎではないですか?

宗門外護時代の発言は現在では通用しない。取るに足りないとの意識の表れではないでしょうか?

300求道の人:2010/10/24(日) 00:27:46 ID:LOOiFaK.0

やはりここでも教義再考しているように感じるんですが、、、

301日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/24(日) 00:29:17 ID:8FNX.yWoO
>>299
通用しない部分もあるかと思います。
邪宗門になったのですから。

これを持って、歴代会長を批判しているなどと思ってほしくない。と願っております。

大勝利さんも一緒に考えましょう。では、お休みなさいm(__)m。

302沖浦克治:2010/10/24(日) 06:18:01 ID:dwIe9ybgo
 戸田先生のご指導は、依義判文して読まないと駄目です。

 御書と同じです。

303大勝利:2010/10/24(日) 11:31:37 ID:FfgO/4W.0
>>302
沖浦さん

まず始めに依文判義が先なんです。
「本門」の義に依って、次に文を判ずるのが順序です。
それは御書だけでなく法華経も同じです。

>>297 日々さん
「涌出品より属累品まで八品に顕れ給うなり」の本門の義に依って、
「釈尊の説かれた法華経二十八品」の文を判ずるのです。

>【何故、弘安二年より前に、このような御書を書き残されたのか】……。
それが依義判文するところですね。弘安二年の義に依って・・・、日女御前御返事の文を判じて読むことだと思います。

ですのでその義を「ひとり義め」しては文は読めないのです。

304日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/24(日) 17:18:51 ID:8FNX.yWoO
>>303
大勝利さん。日が短くなってきましたね。こんばんはm(__)m。

>弘安二年の義に依って・・・、日女御前御返事の文を判じて読むことだと思います。/ですのでその義を「ひとり義め」しては文は読めないのです。

……これなんですが、よく意味が分からないのです(:_;)。

分かりやすく言うと、ドユコト(・_・)??
なんでしょうか(^_^;)。

305大勝利:2010/10/24(日) 17:58:00 ID:MYqDk7aIO
わかりませんか?「ひとり義め」と言うのは、・・・そこは、



















私のダジャレです。

306大勝利:2010/10/24(日) 18:51:00 ID:MYqDk7aIO
>>304

日々さん

「一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る爾前は迹門の依義判文迹門は本門の依義判文なり、但真実の依文判義は本門に限るべし」

例えば諸法実相は方便品だから迹門に入りますよね。ですが私達は毎日読んでいます。これは私達が文底本門の意義から依義判文してるわけです。
同じ一念三千と言っても本門にて真の二乗作仏を開かすわけで方便品での一念三千はまだ真の一念三千を知り得ないわけです。寿量品まで行ってから、方便品を振り返ってはじめて意義を知ることになりますね。
つまりその本質の義を知ってから、振り返ってその文を読む。それが依義判文でしょう。

307日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/24(日) 21:32:41 ID:8FNX.yWoO
>>306
大勝利さんへ。

【>つまりその本質の義を知ってから、振り返ってその文を読む。それが依義判文でしょう。】

……依義判文の件は、わかりました。

でも………(・_・)?。

それは、ある意味、私たち現代に生きる人の特権ですね(^_^;)。

でも、それって???(-.-;)………。

私は「日女御前」の気持ちで、読みたいと思うんです。
弘安二年のの義??は、二年前には知り得ません。


未来を見る事など、「日女御前」は知るよしもなかった。

でも、我々は知る事ができる。
こう考えると、複雑です(-.-;)。

私は御書を読む時は、その時代背景に肉薄し、大聖人の御心に接したいと思うんですが……。

この姿勢って、間違ってるのですか?。

昨晩は、あれから「聖人御難事」も読みました。
凄く気になった事があって……。

それはまた今度書きます。

大勝利さん。
私の学ぶ姿勢って?間違ってるんですか?。

どう思いますか?。

308大勝利:2010/10/24(日) 23:19:22 ID:MYqDk7aIO
日々さん

>この姿勢って、間違っ>てるのですか?。


間違ってるとは思いません。寧ろ素晴らしいと思いますが、

ただちょっと気になるのは、
例えば、
「此の御本尊全く余所に求る事なかれ(中略)胸中の肉団におはしますなり(中略)此の御本尊も只信心の二字にをさまれり(中略)無二に信ずる故によって(中略)日蓮が弟子壇那の肝要是より外に求る事なかれ」

文上だけ読んだなら、「余所に求る事なかれ」とは「信じる事より他に求めてはいけない」と読むのが自然だと思うのです。
それを「己心の御本尊」または「己心の妙法」と読むのは文底から依義判文していると思います。
意識せずに依義判文しているのに「御書そのまま」素直に読めば「御書根本」らしく言うのはそれは違うだろうと・・・。(日々さんや沖浦さんのことではないが)

日々さんは結局は善い事を言っていても身口意が違ってしまってるんじゃないでしょうか?

309大勝利:2010/10/24(日) 23:32:16 ID:MYqDk7aIO
ごめん

心口意でした。

310日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/24(日) 23:35:09 ID:8FNX.yWoO
>>308
大勝利さん。
なんだか、私の否定から入られているようで(:_;)。
素直な気持ちで「日女御前御返事」の一節を、皆さんで考えようといたしましたのですが。
では、もう止めにします。
読み方がどうこう言われても。終いには、身口意が違うと言われて、正直、凹みました。私の本意ではないので止めにします。

でも、これだけは大勝利さんのお話しを聞きたいので……。
《胸中の肉団》とは?。
何処を言ってるのでしょうか?。教えてください。

では、今日はこれにて失礼いたしますm(__)m。
お休みなさい。

311大勝利:2010/10/24(日) 23:57:43 ID:MYqDk7aIO
日々さん

自己の本質、生命、
の当体だと思います。

312沖浦克治:2010/10/25(月) 06:21:04 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん、日々さん、おはようございます

 依義判文を困難に考えたらいけないと思います。
 幼子に、

 おへそ出して寝てると、雷様におへそとられるよ。
 腹掛けしなさい。

 でも、雷はこの子のおへそ狙っていません。
 医学の進歩以前、幼子の死亡率は大きかった。
 その原因が内臓の疾患が多い。

 だから、腹掛けでおなか冷やさないように心がけた。

 依義判文ですよ。
 簡単なんです。
 現実の立場から文を読む。
 私共がこれから世界中に流布する物は創価思想です。
 これが久遠元初の法です。
 ではそれは一体何か?

 仏とは生命だ。

 この戸田先生の悟達から依義判文してよむ、御書です。
 創価思想は始まりは牧口先生です。
 価値論から始まっています。

 『弘決に云く「礼楽前に駈せて真道後に啓く」と、』
 (災難対治抄)

 この、礼楽の部分が価値論でしょう。
 その後、戸田先生が獄中で悟達なさいます。

 そこが創価思想の原点です。
 そして、池田先生が破門を勝ち取られた。
 創価の発迹顕本です。
 日蓮正宗の信徒団体から、創価学会仏としての本地を顕しました。
 ですので、あらゆる三代の指導は、現時点から依義判文しないと読めません。
 でなければ、創価思想を外れるのです。

 私共の広宣流布は、久遠元初のほうである創価思想を、人間革命運動の拡大を通して広めることです。
 一切の御書、経文、歴代会長のご指導は、その立場から読まないと駄目なんですよ。

313大勝利:2010/10/25(月) 13:47:08 ID:FfgO/4W.0
>>312
沖浦さん

> 簡単なんです。
> 現実の立場から文を読む。
> 私共がこれから世界中に流布する物は創価思想です。
> これが久遠元初の法です。
> ではそれは一体何か?
> 仏とは生命だ。
> この戸田先生の悟達から依義判文してよむ、御書です。


それは沖浦さんがそう思う話であって「あきらか」ではありません。
「仏とは生命」を私は戸田先生の本懐とは思いませんし。
依義判文するならば戸田先生の「真意」から読まなければ意味がないと思います。

> そこが創価思想の原点です。
> そして、池田先生が破門を勝ち取られた。
> 創価の発迹顕本です。
> 日蓮正宗の信徒団体から、創価学会仏としての本地を顕しました。
> ですので、あらゆる三代の指導は、現時点から依義判文しないと読めません。
> でなければ、創価思想を外れるのです。

私は破門が「本義」だったとは思わないです。
創価思想の「依義」とは、どこまで行っても「御本尊」だと思います。
「祈り」から始まる。これを外すと創価思想では無くなってしまうと思います。

宗門と言う「迹」を払って学会と言う「本」を顕すというのは言い得ていると思いますが、
御本尊まで一緒に払ったらシャレになりません。
そもそも寺と言う「儀式」や「宗教権威」は破門により「迹」と発られたわけではなくて、
それこそ戸田先生から嫌われていたことだったのではないかと思います。

314沖浦克治:2010/10/25(月) 16:45:38 ID:AJ3hr85o0
大勝利さん、

 『我等末法濁世に於て生を南閻浮提大日本国にうけ忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事是れ偏に過去の宿習なるか。』
 (最蓮房御返事)

 大聖人の出世の本懐は曼荼羅ではありません。
 お題目です。
 
 仏とは生命が戸田先生の出世の本懐ではございません。
 スタートなんですよ。
 それを悟られた立場からの御書、経文の依義判文が創価思想です。
 創価の依義判文が御本尊とは思いません。
 御書の何処にも無いのですよ。
 それが寛師の迷いです。

315大勝利:2010/10/25(月) 17:52:59 ID:FfgO/4W.0
>>314
沖浦さん

> 仏とは生命が戸田先生の出世の本懐ではございません。
> スタートなんですよ。

私もそう思います。

>それを悟られた立場からの御書、経文の依義判文が創価思想です。

スタートから依義判文するのはおかしいでしょう。
大聖人も立宗宣言の時は御本尊はありません。だからと言って「口唱題目」が本懐とはならないですよね。

引用して頂いた最蓮房御返事も
「口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ」ですから大聖人の出世の本懐が、御本尊ではなく「お題目の口唱」であるとは読めないでしょう。

316沖浦克治:2010/10/25(月) 17:58:24 ID:AJ3hr85o0
創価思想の原点は、仏とは生命なんだ。です。
 
 大勝利さん。
 ですのでこれに外れるものは、創価思想ではありません。
 曼荼羅は生命ではございません。
 物質です。 
 
 それと、御本尊を、手に翫ぶ。は無いでしょうね。

317日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/25(月) 18:35:13 ID:8FNX.yWoO
大勝利さん。沖浦さん。こんばんはm(__)m。

大勝利さんの>>313

>私は破門が「本義」だったとは思わないです。/創価思想の「依義」とは、どこまで行っても「御本尊」だと思います。/「祈り」から始まる。これを外すと創価思想では無くなってしまうと思います。

>宗門と言う「迹」を払って学会と言う「本」を顕すというのは言い得ていると思いますが、/御本尊まで一緒に払ったらシャレになりません。/そもそも寺と言う「儀式」や「宗教権威」は破門により「迹」と発られたわけではなくて、/それこそ戸田先生から嫌われていたことだったのではないかと思います。

…………………………………………

これが恐らく、議論の核心かと思います。

更に謂えば、
【私は破門が「本義」だったとは思わないです。】


これだと思います。

そこで、私の考えを述べさせて頂くならば、

私は【本義】だと思います。

破門後、創価学会は、御本尊を粗末には扱っておりません。
【どこまで行っても「御本尊」だと思います。/「祈り」から始まる。これを外すと創価思想では無くなってしまうと思います。】と大勝利さんが申しているように、私もそのお考えに賛同するものです。


私は某板で、○河さんとの対話がしっかりと進めば、一大秘法について迄語る用意がありました。

でも、思うような対話にならず、今日に至ります。

【題目と本尊】

よく考えてみてください。、題目は本尊の首題に顕されております。
本尊に含まれる。
こう捉えるとどうでしょうか?。

【題目を大事にする人は、本尊も大事にする人】だと、大勝利さん。私はそう思うのです。

その本尊を拝む。
題目でしか、本尊の仏力、法力を証明する術はない。

こう沖浦さんは、言っているのだと思います。

私は大勝利さんの感覚も、沖浦さんの感覚も大事にしたいのです。

ネット空間に煽る人がいるから、こんがらがるんです。

【三大秘法の大御本尊】を信じ行じているお二方です。

私は、それで善いと思います。
和合が大事です。

318大勝利:2010/10/25(月) 18:36:26 ID:FfgO/4W.0
>>316
御本尊は「仏とは生命なんだ」に外れないでしょう。

「手に翫ぶ」は「いとうしむ」などの「大事に扱う」の意味でしょう。
御本尊を顕すこともを「遊す」と言われるのですから「書かれること」を「手に翫ぶ」は不思議ではないと思います。

319沖浦克治:2010/10/25(月) 19:23:11 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん

 御本尊は外れませんね。
 外れるなら大聖人が御図顕はなさいませんでしょう。

 曼荼羅が本尊の本体だと言うことが間違いです。
 本体は衆生己心にある妙法です。
 それを戸田先生が、仏とは生命だと言われました。
 ここが創価の原点です。
 曼荼羅本尊はあくまでも道具です。

320日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/25(月) 20:24:35 ID:8FNX.yWoO
そもそも(^_^)。沖浦さんと大勝利さんのやり取り(レスの仕合)は、スレッドタイトルに相応しくありません。

ご一考ください。

私はかなり真面目で余計な部分にこだわるもんで(^_^;)。

自分らしく、スレッドタイトル通りに、話しを戻し鯛と思います。

「襤褸」って方が、「やまいぬ質問スレ」に投稿しました。

彼が、誰だかわかりませんし、どういう意図をもって、投稿したのかわかりません。

ですが、大河さん(管理人?)の対応は、明らかに、やまいぬ。氏擁護の姿勢です。

あのような対応は、公平性に欠けます。


大河板管理人さんには、公平な判断を望むものです。

321沖浦克治:2010/10/25(月) 21:54:39 ID:AJ3hr85o0
大勝利さん、スレッド立てますか?

322備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/26(火) 10:18:47 ID:g2zr24dw0
 >>320
   おはようさん、日々さん v(^^

    > ですが、大河さん(管理人?)の対応は、明らかに、やまいぬ。氏擁護の姿勢です。

   あそこは、そう言う板なのです。沖浦氏批判者や自身の賛同者に対して「公平」が担保されているに過ぎません。
   ですから、同じ発言、揶揄中傷・悪口雑言をしても、それ以外の人間との対応に差があってあたりまえなのです。
   あの板で一般常識を望む方が、酷と言うもの。管理人自体が弁えていないのだから (^^;

323沖浦克治:2010/10/26(火) 15:11:34 ID:AJ3hr85o0
 日々さん、備前さん、今日は

 あの板の目的は私の非難中傷です。
 そう言う種類の板が沢山ありますが、同類項ですね。
 怨嫉目的に立てられた板なんですよ。

 見ていて凄くお気の毒です。

324備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/26(火) 17:02:33 ID:g2zr24dw0
  こんにちは、沖浦さん

   > 見ていて凄くお気の毒です。

   元々は批判を主として立てられた板だと思いますが、何時の間にか「批判」が「非難中傷」に変わってしまった (^^;
   「批判」と「非難中傷」は紙一重。人事ではなく私も重々気を付けていなくては、すぐ堕ちる (^^;
   あの中で一番の年長者の説教オヤジ氏が、もう少し分別があれば板自体も変わって行くと思いますが、
   先頭切って「非難中傷」をやっているからなァ〜 (^^;

   また、訳の判らん揶揄中傷専門が乱入してくるし・・・・・・・・(^^;

325大勝利:2010/10/26(火) 18:10:55 ID:FfgO/4W.0
>>321
沖浦さん
スレッドを立てる必要はないでしょう。限定された中での対話は好みません。
今しがたスレタイの掲示板を見ましたが、あれでは話が進まないでしょうね。
こちらで話を進めて行きましょう。

> 曼荼羅が本尊の本体だと言うことが間違いです。
> 本体は衆生己心にある妙法です

瑞相御書
「夫十方は依報なり衆生は正報なり譬へば依報は影のごとし正報は体のごとし身なくば影なし正報なくば依報なし又正報をば依報をもつて此れをつくる」

「依報は影のごとし」ですから確かに「迹」と捉える事が出来ます。ですが本因妙からは本果妙ですのでどちらも「迹」と思います。
「正報をば依報をもつて此れをつくる」・・・私達の生命は、己心の外の生命によって影響を受けながら形成されています。
「己心の妙法」と言ってもそれが本体として単独ではありえないのです。
御本尊も「ものである」と言っても、その本質は草や木などの生命が集まって実在します。
「草にも木にも成る仏」です。
「己心の妙法」は「御本尊の影」に依って影響され「正報」を得るのですから、
この立て分けでは「己心の妙法」は「果」になって「迹」、「因」である御本尊が「本」になると思います。

326大勝利:2010/10/26(火) 18:29:26 ID:FfgO/4W.0
>>317

日々さん
戒壇本懐論(戒壇本尊本懐論とは言いません)を真剣に言い出したのは戸田先生だと思います。
ですが戸田先生御存命中には見る事は出来ませんでしたね。
その師の想いを引き継がれて実現されたのが池田先生ですよね。
当時会員は間違いなく「本門の弟子」でしょう。

「破壊は一瞬」でぶっ壊されて、それが今時の我々が「正本堂がなくなって正解、破門になってここからが発迹顕本でホントの弟子だ」
こんなんで良いのでしょうか?

327沖浦克治:2010/10/26(火) 20:41:11 ID:AJ3hr85o0
あの板で同様の話題をしていますので、日々さん、このままここでやりましょう。

 戒壇本尊本懐論は寛師ですが、寛師は戒壇本尊唯一論者ではありません。
 随一論です。
 所が創価学会は戒壇本尊唯一論で、長年やって来ました。
 誰が仕掛けたか?
 私は戸田先生だと思います。

328大勝利:2010/10/26(火) 22:30:00 ID:MYqDk7aIO
>327

沖浦さん

まず「戒壇本尊本懐論」なる語網ですが、
 戒壇ノ本尊ガ本懐ナリ論
または
 本懐ノ本尊ヲ戒壇ス論なのか、
またはもっと別の読み方なのか?
説明して欲しいです。

日寛上人は「総体の御本尊」を本懐とし、「本門戒壇」に掛けるに相応しいとしているので、ここまでの意では確かに随一論とも言えるかと思います。

戸田先生は、王仏冥合論から本門戒壇論を説き、「戒壇也」の本尊を本懐とピックアップして行きます。
聖人御難事の「伝教大師二十余年」は、理の戒壇建立を言うのだから、「余は二十七年」は本門戒壇が本懐となるべきとの意味でしょう。
日寛上人はどちらかと言うと比叡山より天台山との対比を論拠にするので、この返のリスペクトの微妙な違いもあるかとは思いますので、「随一」と「唯一」の違いとの言い方も出来るかも知れませんね。

329大勝利:2010/10/26(火) 22:36:00 ID:MYqDk7aIO
「仕掛ける」との意味では、昭和に王仏冥合を掲げて仕掛けたのは戸田先生と思います。

330日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/27(水) 09:39:07 ID:8FNX.yWoO
>>326
大勝利さん、おはようございますm(__)m。

だから、その宗派を邪宗門というのでしょう。

私は、どちらも【本門の弟子】だと思います。

"当時"と"今の"弟子の資質?を比べる事など、私には、できません。

私は創価の歴史の中に身を置く人間だと、自負しております。
当時、私の祖父母も御供養しました。
私の祖父が亡くなったのは、昭和62年です。二次宗門問題の前です。
坊主が来て、説法を話しました。
祖母が亡くなったのは、平成十六年です。
二次宗門問題を経験し亡くなりました。
私は我が家初代を誇りに思います。

御供養した其の時代と今を、私ごときが比較などできません。

創価が宗門からの独立を果たした事を、祖父母は喜んでいると思います。

《池田先生は素晴らしい人だ!。この御本尊は絶対だ!》
二人とも、そう言って、亡くなりましたから。

331備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/27(水) 10:43:24 ID:g2zr24dw0
 >>325
   おはようございます、大勝利さん

    > 「己心の妙法」は「御本尊の影」に依って影響され「正報」を得るのですから

   と言われている「正報」ですが、これの意味する所は何なんでしょうか?
   「得る」と言われている所をみると、「正報」=「仏」、「仏果(?)」、「成仏」と読めるのですが

332沖浦克治:2010/10/27(水) 10:44:42 ID:LigLQTGko
 大勝利さん、

 戒壇本尊図顕が本懐と言う意味です。
 それと、本門の本尊と言うものは、曼荼羅とは違うと思います。
 衆生己心の妙法の南無妙法蓮華経の別名です。
 もう一つの呼び名は、本門の題目です。
 御書にありますよ。

333日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/27(水) 18:29:25 ID:8FNX.yWoO
ゾロメ頂きます。

ついでに、大河板の話題を……。

あべひさん。鯖さん。大河さん。説教さんが大集結です。

依ってたかって、私をイジメます(>_<)(笑)。
で、やまいぬ。さんは蚊帳の外……。

素晴らしいですo(^-^)o!。

334沖浦克治:2010/10/27(水) 18:32:37 ID:w3C2DJYMo
 日々さん


 功徳書けない人が何万人集まっても創価ではありません。

335大勝利:2010/10/27(水) 21:33:47 ID:MYqDk7aIO
 >>331
備前さん

正報は「成仏」とは違うでしょうね。

概念としては、簡単には「環境の反対」の主体と言うことでしょうけども、こう書くと「自己」を指すようですが、私はそれもやや違うと思っています。

ところで備前さんは、十如是の順番について考えた事がありますか?

「因縁果の報い」の実相なる性の体

なんてのはどうですか?余計ややこしいか(笑

336大勝利:2010/10/27(水) 21:45:30 ID:MYqDk7aIO
>332
沖浦さん
その「戒壇本尊」の意味する処意が曖昧です。

それは「戒壇也」の文字の入った板曼陀羅に限ってを指すのですか?

それとも将来に本門の戒壇に安置するべき何らかの本尊の事でしょうか?
それともまた別でしょうか?

もう少し詳しくお願いできませんでしょうか?

337大勝利:2010/10/27(水) 22:17:35 ID:MYqDk7aIO
沖浦さん

「滅後二千余年竜樹天親天台伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや、答えて云く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」
三大秘法は「本尊」「戒壇」「題目」であることは法華取要抄から明らかであると思いますが、この中の「本尊」は「己心の妙法」とすると「一大秘法」の「題目」中に含まれると言うことになると思いますが、この場合どのように「己心」は「題目」に顕れるのでしょうか?

また、題目をどのように戒壇として置くまた奉るのでしょうか?

338沖浦克治:2010/10/28(木) 04:26:42 ID:cbCA64yUo
 寛師は、弘安2年10月12日の本尊を本懐としました。

 コレが嘘だと思いますし、戒壇建立で特別な本尊はいらないと思います。
 全ての曼荼羅は本懐ではなく、道具です。

339沖浦克治:2010/10/28(木) 05:17:47 ID:DioZ9qO6o
 大勝利さん、おはようございます

 三大秘法の本門の本尊は衆生己心の妙法ですし、そのままで本門の題目です。
 そして、その妙法の活動の場が、衆生の身体で、コレが本門の戒壇です。

 本尊も、戒壇も、題目を離れて存在いたしません。
 全ては、

 一大秘法が本門の題目で衆生己心の妙法である。

 これを、離れて存在いたしません。
 その一大秘法が衆生の保つものですから、衆生の信を離れて、曼荼羅本尊は単独で存在できないのです。
 信を得れない曼荼羅本尊は、たとえご真筆でも、モノでしかありません。
 曼荼羅本尊を本尊たらしめているものは、私ども己心に一大秘法の題目を保つ衆生の信です。
 ですので、一切が衆生の信から開始されます。
 仏法はそう言う教えなんです。

340備前 ◆TtzwqSGci2:2010/10/28(木) 12:49:07 ID:g2zr24dw0
 >>335
   こんにちは、大勝利さん

   > 正報は「成仏」とは違うでしょうね。

  そうですか、いや、『「御本尊の影」に依って影響され「正報」を得る』と言われているもので
  この「得る」が気なってしまいまして (^^;ゞ

   > ところで備前さんは、十如是の順番について考えた事がありますか?

   > 「因縁果の報い」の実相なる性の体

   > なんてのはどうですか?余計ややこしいか(笑

  いえ、いえ、基本疑問を持ってないと素通りしちゃうものでして、考えた事は無いですね
  でも、『「因縁果の報い」の実相なる性の体』って面白そうですね。いま少し詳しく解説、お願いいたします。 m(__)m

341大勝利:2010/10/28(木) 13:47:24 ID:FfgO/4W.0
>>339
沖浦さん
 >三大秘法の本門の本尊は衆生己心の妙法ですし、そのままで本門の題目です。
 >そして、その妙法の活動の場が、衆生の身体で、コレが本門の戒壇です。

と言うことは「曼荼羅そのもの」としては「三大秘法」に入らないということですか?

342日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/10/28(木) 14:07:45 ID:8FNX.yWoO
>>341
「結論から言えば、そうです。」

と沖浦さんなら言いそうですねo(^-^)o。

大勝利さん。こんにちはm(__)m。

今日の男子部教学部活の為の御書の一節。
読みましたか?。

私は読みました。
馬鹿で、理解するのに時間かかりますが(^_^;)。

大勝利さんも、きっと!何か得るものがあると思います。

横から、失礼いたしましたm(__)m。

煽っている訳ではありません。
「曼だ羅の御本尊」と「己心の妙法」は対鏡の関係である事。

で、衆生の命が、国土世間に「反映」し、善く言えば、「繁栄」する事。
などを知ってほしいなあと思いまして(^_^;)、このようなレスになりました。

価値創造の思索は、大事です。

343大勝利:2010/10/28(木) 14:16:56 ID:FfgO/4W.0
>>340
備前さん

「正報を得る」という表現は他に適当な言葉が見つからなかったので使用しただけでそれほど深い意味はないですよ。

「結果」と言う事象は「結果」だけではただそれだけですよね。
「結果」を正しく認識して「相(性体)」と現れるのではないでしょうか?
同じ結果でも喜びは人それぞれですものね。

>面白そうですね
さらに三転読みしてみましょう(笑

344大勝利:2010/10/28(木) 14:40:35 ID:FfgO/4W.0
> 一大秘法が本門の題目で衆生己心の妙法である。

私はこれは釈迦仏法の立場だと思います。
本門の題目(妙法蓮華経の五字)は確かに大覚世尊から承った「釈尊の一大事の秘法」でしょう。
釈尊は是しか持ってないわけですから。
末法に大聖人が一切衆生に付属した「三大秘法総在の一大秘法」は曼荼羅御本尊だと思います。

345沖浦克治:2010/10/28(木) 19:15:35 ID:5wxVHbBEo
 大勝利さん、今晩は

 お曼荼羅は三大秘法ではないと思います。
 いつかは無くなるものですから。

346某男子部員 ◆3seofAUtbk:2011/06/21(火) 10:18:17 ID:ixn05g/.0
>三大秘法の本門の本尊は衆生己心の妙法ですし、そのままで本門の題目です。
>そして、その妙法の活動の場が、衆生の身体で、コレが本門の戒壇です。

僕の疑問は去年に解決していたのですね

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