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蛍と高速太郎の対話
1:2010/02/23(火) 05:56:27 ID:RFISmIDM0
高速太郎さんからの対話のご提案と沖裏さんのご了承を得て、スレッドを立てさせていただきました。
スレタイは礼儀として「高速太郎と蛍〜」の順にすべきかとも思いましたが、スレ主が私ということで僭越ながら蛍を前置しました。他意はありません。ご了承いただければ幸いです。

高速太郎さんから、対話のテーマは蛍に任せるとのご提案がありました。
これは、私からの問題提起に高速太郎さんが答えるという形で対話を進めようということだと思いますので、お言葉に甘えてそのようにさせていだきます。
よろしくお願いします。

さて、何から行きましょうか。
まず、当板で最近私が大河さんに質問した
●創価学会は日蓮正宗を歴史的にどこまで遡って否定しているのか
から行きましょう。
●大石寺の正統性はどの代で断絶したと判断しているのか、
と問い換えてもかまいません。

高速太郎さんのご見解をお聞かせください。

2沖浦克治:2010/02/23(火) 06:02:39 ID:AJ3hr85o0
 蛍さん、おはようございます

 エ〜ト〜〜、私、沖浦です、沖裏ではございません。
 そこの所、よろしく。

3高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/02/23(火) 13:46:18 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ こんにちは。

 対話に入る前に、投稿は私のフィルタを通しての意見になりますので、私の基本的なスタンス、考え方などを書いた方が良いと思います。あとは、今後の対話で少しづつ理解して頂くと言う事の方が宜しいかと思います。

 基本的な考えとして、元品の無明は誰にでも有り、これが人々を不幸にする大きな要因の一つとなっており、これをその都度断ち切るのが、日蓮大聖人の仏法を信じる自行化他の実践、つまり学会活動と考えており、私の信仰の意味です。この事が、日蓮正宗及び日蓮宗各派でも可能かどうかについては、現段階では肯定するものを持っていません。 
 
 まず、創価学会(活動)は、肯定派です。今現在の自分があるのは、学会の薫陶のおかげと考えています。当然、学会の指導及び教学についても肯定派です。しかし、ここに矛盾や問題が無いと言う事では有りません。人が不完全(末法の機根・衆生)で有る以上は、その組織も不完全であり末法の相を呈するのは必然と言う事です。

 池田先生は、師と考えています。蛍さんのブログに書かれている様な事が以前から有るのは知っていますし、多くの人からも言われます。しかし、直接お会いし激励指導を受けた人間としては、ブログの内容を肯定は出来ません。ただ、一つ一つの事柄については、事の経緯や詳細を知る術がないので、説明出来ないのが、非常に残念です。また、池田先生本仏論は、今まで私がお世話なった組織では、皆無です。

 公明党は、容認派です。私が入信したころ田舎では、今の様に学会の会館や個人会館が不足で、数十人以上の会合になると会場が有りませんでした。公的施設からは、宗教団体には貸せないと断られた事や、その他種々の問題があり公明党のおかげで解決できた事が多かったからです。今は、この様な事を言うと政教一致と騒がれるかも知れませんが。

4:2010/02/23(火) 13:54:20 ID:RFISmIDM0
>>エ〜ト〜〜、私、沖浦です、沖裏ではございません。
>> そこの所、よろしく。

あ、ほんとですね。入力ミスです。大変失礼しました。

5高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/02/23(火) 14:40:53 ID:JThdDrQw0
次に、なぜ蛍さんと対話をしたいと考えたか。
 昨年の11月か12月頃から、創価系の掲示板を読んでいるのですが、小野不一さんと沖浦克治さんに関する投稿が非常に多く、対話が成立しいない為、普通(外部)の人間から見たら不毛な世界に見える状況になっています。演繹的思考が強い沖浦さん、帰納的思考が強い小野さんですが、私個人的には、両人とも将来の創価学会を憂いての発言、行動と受け取っており、両者を足して2で割れば理想的かなと考えたりします。(そんな単純では無いんですがネ)

 一方で、この掲示板の蛍さんのスレッドを見て、創価学会の人材として必要な人だなと強く感じた次第です。法華講に行かれる決意の踏ん切りにブログを書かれているのでしょうが、私としては正直止めたい一心です。ただ、対話の妨げになると良くないので、出来るだけその方向へ誘導する事はしないつもりでいます。

 すみません、本題の回答に入る前に、呼び出しを受けました。時間を見つけ回答します。

6高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/02/23(火) 17:29:42 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ それでは、回答に入らせて頂きます。
 質問の件に付いては、蛍さんが感じられている通りで良いと思います。
 創価学会は決める立場にないと言う事だ私は考えています。

 日蓮正宗創価学会の時代、正宗に代わって学会は会員及び外部に対して、正宗の絶対的正当性を歴代法主(猊下)の法水瀉瓶の血脈で証明していた訳です。しかし、破門された時点で創価学会は独立した宗教団体であり、
他宗教団体の正当性証明には、触れる必要性を持たなくなり、正宗側に移ってしまったと考えた方が妥当性があります。

 強引ではありますが、その様に考えた場合、教学的にもどこまで正しいかを、あえて創価学会が決める必要性は、無いと私は考えます。
 今後に置いて、学会教学は、ある程度恒久的に創価学会の正当性を証明出来る範囲になると思われますが、私の判断出来る範疇では無くなってしまいます。

 おそらく、蛍さんも気づいていると思うのですが、日蓮正宗が想定出来なかった、血脈の断裂(顕師以前)及び僧侶の妻帯は、今後の課題として解決しなければならない点だと思いますし、学会としては、その解決が出来る立場で無いため、質問の内容の判断を明確にはしないのでは無いかと思います。
 いかがでしょうかネ。

7:2010/02/25(木) 10:43:33 ID:Q/9Pmfv20
反目しあう二者の一方が他方の正当性を証明する必要性がないのは当たり前のことです。
私はそのような証明はお願いしておりません。質問の意図を今一度お確かめください。

学会が20年の長きにわたって、宗門史上のあれやこれやをピックアップして論難を加えているという現実、これは高速太郎さんも認めますね。
この飽くことのない宗門批判キャンペーンを目的なしに推進するわけはありませんね。
学会の新教学体系の確立のために、何らかの(歴史的)区切りをつけたいからではないのですか?
ただ単に他宗の歴代法主の悪口を言って溜飲を下げたいわけではないでしょう。

8高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/02/25(木) 14:56:12 ID:JThdDrQw0
蛍さん こんにちは。

 質問の意味を取り違えていたようで申し訳ありません。

 スレッド「曼荼羅原理主義を検証する」への蛍さん投稿
 >私は今、学会は宗門の何を(歴史的に)どこまで否定しているのか見極めたいと思って、いろいろ調べているのですが、
 >学会員さんによってグラデーション豊かに様々な言い方がなされており、も一つはっきりしないのです。
の、何故グラデーションがかかるかを、学会が明確に線引きをしていないからとの意味で答えました。
(証明と言う書き方をしていますが、否定をしていないとの意味です)

 これでは無いと言う事だと思いますので、
 私の記憶での、1991年頃から始まった宗門批判であれば、創価新報が批判記事が多いと思います。
 しかし、記事内容は、スキャンダル的な内容が殆どです。私も余り読む気持ちにはなれません、て言うか殆ど読みません。
 宗門を教学的に謗法としての論評は、殆どないですよ。(血脈云々以外は)

 いや、その事でもない、宗門をどこまで遡って謗法(否定)と決め、それは何時からなのだと言う質問であれば、前記の様に明確にはないですよ。
 大聖人の仏法と宗門の仏法のここが違うから謗法だとの教学的に積極的な否定内容はないでしょう。
 (裁判の判決内容の互いに批判しない等も影響しているのかも知れませんが)
 だから、蛍さんも書かれている通り、宗門を否定できる内容を知っている人が断片的に出す程度でしょう。

9高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/02/26(金) 03:26:39 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ こんばんは。徹夜を覚悟していたのですが、早めに終わったので投稿します。
 私は、どこを切っても学会と言う意味ではそうなのですが、原理主義者ではありません。
 もし、蛍さんが、私に、教条的に学会、池田先生の事を正しいと主張するのを望んでいるのであれば無理ですよ。
 私自身、疑問は常に湧いて来ます。但し、疑問が不信まで発展する事なく、自分の中で消化されてしまいます。

 今日は、6時から午前中は野菜運びで、午後からは報告書作成・・・。今、帰っても勤行したら、やっぱり寝れませんネ。
 こう言う状態が何日続いている事やら。よく体を壊さないものだと関心します。ただ、こんな事でも素直に功徳だと思えるんです。

10:2010/02/26(金) 13:20:39 ID:HZ.DHFzg0
>>宗門をどこまで遡って謗法(否定)と決め、それは何時からなのだと言う質問であれば、前記の様に明確にはないですよ。

私が言うところの「否定」は謗法問題だけでなく、歴代法主への相承疑難や人格否定なども含んでおりまして、平たく言えば、学会が20年来続けてきた宗門史への悪口全般ですね。
それらをトータルして、現学会は宗門史全体をどう再評価し、学会との関係の上でどう位置づけようとしているのかが、なかなか見えてこない。で、先の質問となったわけですが、
高速太郎さんのお答えは、「学会は明確にはしていない」とのこと。

ただ気まぐれに宗門史にケチをつけたかっただけ、ということですかね。
まあこれ以上の答えは引き出せそうにありませんので、>>1で出した質問については、これで終わります。

少し質問を変えましょう。

●知人や親戚の学会員の仏壇には例外なく「打倒日顕宗」と祈念文というか呪詛文の書かれた紙がおいてあります。
「日顕宗」とは「67世以降の現宗門体制」を指しているのだと思いますが、それを「打倒」するとは、具体的に現宗門がどのようになることを望んでいるのですか?


>>私自身、疑問は常に湧いて来ます。但し、疑問が不信まで発展する事なく、自分の中で消化されてしまいます。

「消化された」というのは、すべての疑問や矛盾に対して、思索や検証を経て自分なりに合理的に説明できた、ということですね。
私が知っている学会員の多くは、面倒な思索や検証はパスして、「師弟不二」「“不”疑曰信」という二つの万能消化酵素を「疑問」に振りかけることで安易に「消化」しているように見えます。
高速太郎さんはそうではないと信じます。

11高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/02/28(日) 10:03:41 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ 投稿遅くなっててスミマセン。
 今日の夜には時間が取れそうですので、その時に書き込みます。

12:2010/02/28(日) 14:31:29 ID:HZ.DHFzg0
どうぞお仕事の方を優先してください。私は特に急ぎません。
私も仕事等の都合ですぐにレス返しができない場合があります。

13高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/02/28(日) 22:54:07 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ こんばんは。投稿が遅くなりスミマセンでした。

 私が応援している事業で、「事業仕分け」対象になってH21年度で事業が終了になる地域が複数あります。
 三段跳びのホップの段階でストップを掛けられた状況です。真剣に取り組んでおられたかたほど怒っています。
 しかし、怒ってばかりいても価値は生まれませんので、今までの取り組みが継続して発展出来るように、現場の方達と
協力してステップ、ジャンプまで事業を持って行きたいと頑張っています。3月一杯まで、この状況が続くと思います。
 農業では、70才以上の方達が頑張っています。しかし、後継者問題となると中々妙案がないのです。
 (遅れた言い訳と愚痴を書きました。)

14高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/02/28(日) 22:56:45 ID:JThdDrQw0
>>10
 >ただ気まぐれに宗門史にケチをつけたかっただけ、ということですかね。
 >まあこれ以上の答えは引き出せそうにありませんので、>>1で出した質問については、これで終わります。
 ハンドルネイムなので、本当の事が書けますよ。(余り最近の事は、身近で迷惑を受ける人がいると困るので・・・。)
 ケチをつけたかっただけではないと思います。
 創共協定と言うのをご存じですか。10年後この協定は更新されませんでした。当時、青年部を中心に各種会合が開催されました。
 私を含め周りには、この協定を政治学的に宗教学的にシッカリと理解していた人は殆ど居なかったと思います。
 公明党の頭を超えてまでの協定を、今現在、世の中の学者がどの様に評価しているのかは知りません。
 しかし、幾つかの理由の中の一つには、我々創価学会員を守る為も有ったと思います。現場での衝突は、激減しましたから。
 創共協定で思い出すのは、山崎正友と同期で一緒に活動していた先輩が話してくれた、山崎は、勤行もしない自行化他の実践もしない、その内に大問題を起こすと言う言葉です。今でも反面教師として思い出します。
 誤解を受ける表現かも知れませんが、創価学会は会員を守るためであれば、思い切った事をすると言う事だと思います。

15高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/02/28(日) 23:09:24 ID:JThdDrQw0
 蛍さんの次の質問も、核心は前の質問と同じ様な気がします。
 >「日顕宗」とは「67世以降の現宗門体制」を指しているのだと思いますが、それを「打倒」するとは、
 >具体的に現宗門がどのようになることを望んでいるのですか?
 次を答えるにあたって、蛍さんの立ち位置を私なりに判断すると、大聖人の仏法は絶対的に信じるが、その活動の場として相対的に
 日蓮正宗を選択したい(創価学会と比べ)と考えているのではないかと思います。(私は、テーマ(文字)だけを相手に対話するのが苦手なので
 自分なりにイメージ像を作った方が話しやすいため勝手につくっています。)
 結論は、前の投稿と同じだと思います。
 物理的には、顕師からを否定すれば、整合はとれますし・・・。
 私の経験的には、法華講の人を守りたいとの気持ちも有りますが・・・。

16高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/02/28(日) 23:14:22 ID:JThdDrQw0
 >「消化された」というのは、すべての疑問や矛盾に対して、
 >思索や検証を経て自分なりに合理的に説明できた、ということですね。
 この事は、学会云々と言うよりは、自分の事になるのですが。
 私の事で良いんですか?

蛍さん、何時書き込めるか解らないので長文になりました。

17:2010/03/02(火) 09:21:37 ID:HZ.DHFzg0
お忙しそうですね。どうぞ仕事と休息優先でお付き合い下さい。

>>蛍さんの立ち位置を私なりに判断すると、大聖人の仏法は絶対的に信じるが、その活動の場として相対的に
 日蓮正宗を選択したい(創価学会と比べ)と考えているのではないかと思います。

もともと入信先は日蓮正宗であり、在家信徒団体としての創価学会に入会(≠入信)していたという形であって、今回後者を退会したというだけのことです。選択したという意識はありません。
戸田会長も「創価学会の信者というのはいないのだよ」と言ってましたね。選択肢などもともとないのです。

ただ、最近ハタと気づいたのは、自分では正宗信徒のままでいたつもりが、実は20年前に学会もろとも破門されてしまってたんですね。で、正式に戻るために、法華講に入講し寺院から勧誡を受ける(再入信扱い)ことになったというわけです。

18:2010/03/02(火) 12:53:41 ID:HZ.DHFzg0
>>誤解を受ける表現かも知れませんが、創価学会は会員を守るためであれば、思い切った事をすると言う事だと思います。

共産党委員長宅盗聴(創共協定形骸化の主因)や言論出版妨害といった世法に反することや、対イラク開戦支持や空中給油機導入賛成など仏法に反することも、その「思い切った事」の一環ですかね。

しかし、「会員を守るため」というより「池田先生を守るため」のように、傍からは見えます。
実際、そうした学会の根本理念から乖離した種々御振舞いのために、末端会員は世間からの逆風を直に受けるわけで、仏法対話以前に学会の矛盾の説明に四苦八苦させられてきた、というのが現実でしょ?
学会の指揮による池田センセイを守る行動が、却って会員を苦しめてしまっている。そういう図式にしか私には見えないんですよね。

事実、余計な弁明にエネルギーを削がれて、仏法対話が折伏にまで発展せず、その結果、この40年間、会員世帯数はほとんど増えていませんよね。基本的に折伏での新規増ではなく分世帯による自然増のみじゃないですか?
それも、日本の人口自然増加率にすら追いついておらず、実質、減衰状態にあるのではないでしょうか。

19:2010/03/02(火) 13:04:46 ID:HZ.DHFzg0
学会の公称データを用いて、机上の単純計算ですが、ちょっと試算してみましょうし。

1970年〜2005年の35年間の日本の総世帯数の増加率は約63%です。1970:3037万世帯→2005:4957万世帯(総務省人口統計より)
で、学会が1970年に達成したという755万世帯のすべてが一家和楽のまま、人口自然増に任せて普通に分世帯していくと、折伏など一切しなくても、35年後の2005年には63%増の1222万世帯になっていてもいいわけです。

しかし実際は72万しか増えていない。統計予測値から400万世帯も少ないのはなぜか。
退会や、学会家系の断絶や、子供世帯が親の学会信仰を継承しないなどの理由があげられると思いますが、それにしても400万の目減りというのは尋常ではない。
いずれにしても、学会プロパガンダが喧伝するほどの「興隆」ぶりはここからは見て取れません。

ネット上には2世、3世の学会員が多いようですが、一番古い記憶の中の座談会風景と、今日のそれを比較して、「興隆しているなあ」と体感できている人はどれほどいるでしょう。

20:2010/03/02(火) 13:39:08 ID:HZ.DHFzg0
横道にそれてしまいました。すみません。

>> 結論は、前の投稿と同じだと思います。
>> 物理的には、顕師からを否定すれば、整合はとれますし・・・。
>> 私の経験的には、法華講の人を守りたいとの気持ちも有りますが・・・。

宗門がどうなっていくことを望んで「打倒」を祈念しているのか、という問いへの答えにはなっていませんね。
ご多忙ゆえ、もう少し時間をおけば、きちんと書いてくださるのだと思いますので、お待ちしましょう。

>> 結論は、前の投稿と同じだと思います。

前の投稿は「学会は宗門史否定の線引きを明確にしていない」というぼんやりした回答でした。
それを今回の回答に流用されても意味不明です。
私は「打倒」とは何を意味するのかと、具体的に問うているのですから、あいまいな逃げを打たず、具体的に返答してください。
そちらから対話を申し入れて来られたのですから、そこんとこ、よろしくお願いしますね。

>> 物理的には、顕師からを否定すれば、整合はとれますし・・・。
の意味もよく分かりません。何と整合が取れるのですか?

21高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/03(水) 22:01:19 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ こんばんは!

 時間の有る時に少しづつ書き込みますので、ご了承ください。
 逃げたりはしませんので、私の話が判るまで突っ込んでもらって良いですよ。
 但し、掲示板への投稿がまだ2ヶ月程なので、どこまで表現して良いか悩むところがあり、
奥歯に物が挟まった表現になってしまいます。この点は、お詫びしておきます。

22高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/03(水) 22:07:06 ID:JThdDrQw0
>>17
 蛍さんは、もともと日蓮正宗と言う事ですが、自分から入信したのでしょうか?
 私は、小学生の頃から宗教遍歴(?)をしていて、どの宗教でも結局は、信じないと理解できない壁があり、その壁を超えたくて、一番まともかなと思えた創価学会に大人(二十歳)になって入会しました。
 その時点で全てを納得していた訳でもなく、疑問も沢山ありましたが、現在に至っています。

23高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/03(水) 22:15:29 ID:JThdDrQw0
>>18
 >共産党委員長宅盗聴(創共協定形骸化の主因)や言論出版妨害といった世法に反することや、
 >対イラク開戦支持や空中給油機導入賛成など仏法に反することも、その「思い切った事」の一環ですかね。
 それは、「思い切った事」とは違いますネ。 盗聴問題とイラク開戦支持や給油機賛成は次元が違いますし。
 盗聴事件は、やっては行けない事だと私も思います。組織批判をするつもりはありませんが、幹部と云えども自行化他の実践が充分かと言えば、そうでない人もいます。
 自分の無明を立ち切れないで、判断、行動を起こすからそうなるのでしょうね。
 学会の為と自分が思えれば何でもありになる人がいます。信心根本ではないんですよ。
 例えば、大河さんの掲示板に、「幸の架け橋」でのやまいぬ。さんと私の投稿が、新たなスレッドが作られコピーされています。
 私は、先程たまたま見て知りましたが、こんなのは、論外ですよ。同じ学会員だとしたらなさけないですネ。ネットで心が汚れているんですかネ。
 信心を根本にしている人は、常識豊かでなけらばいけません。
 盗聴事件も含めて無明を断ち切れずやってはいけない事をやる人がいる事は認めますが、それは例外の部類ですよ。
 多くの学会員は常識豊かな行動を取ろうと心がけています。

24高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/03(水) 22:31:16 ID:JThdDrQw0
 >対イラク開戦支持や空中給油機導入賛成など仏法に反することも、その「思い切った事」の一環ですかね。
 これは、公明党の事で私がとやかく言う立場ではありませんが、間違いだとおもいます。
 どんな事があっても民衆を犠牲にする事があってはいけないと私は考えています。それがたとえ世界平和の為だとしてもとってはならない行動だと思います。
 宗教遍歴(?)したのも、世界平和ってあるのだろうか? 平和の後には、何があるのだろうか? と、子供なりに考えていたからです。
 創価学会に入ったのも、正に世界平和を実現したいと言う思いが一番強かったですネ。。
 昔は、学会の役職に着くときに面接がありました。(今もですが)入信動機を聞かれて私が「世界平和の実現の為」と答えると「そんな奴はいない、そういう奴は直ぐに退転する。」と幹部に何度も言われました。

 未だに、平和の後に何があるのかは解りませんが、民衆を犠牲にする事は絶対にダメです。
 私も初心を忘れて流されていますネ 反省しなければ・・・。

25高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/03(水) 22:44:21 ID:JThdDrQw0
>しかし、「会員を守るため」というより「池田先生を守るため」のように、傍からは見えます。
 そうなんでしょうね!!! この様な事は、よく言われます。 しかし、私の実感として、先生を守る為に、私が窮屈な思いをしているという事はありませんネ
 むしろ、逆ですヨ 我々が持っとシッカリしないといけないと思います。

 このギャップは、何とかしないといけないですネ 蛍さんは、ギャップでは無く現実だと思われているのでしょうからネ。

26高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/03(水) 23:01:58 ID:JThdDrQw0
>>19
>学会の公称データを用いて、机上の単純計算ですが、ちょっと試算してみましょうし。
 この様な世帯計算は、私の分析範囲なのですが、チョット疲れて頭がまわりません(言い訳かよ)。
 自然増に学会増が追いついていない事は認めた上で、数字的には、検討の余地が有ると思います。
 私の場合を当て嵌めて考えると、結婚で1+1=1で △1です。(両方信心していましたから)
 子どもが大学に行っている時は、住基では3世帯で 統監では1世帯 △2ですネ
 相関性を持たせるのであれば、統監と住基の基準ベースを同じくしてファクターも考えて・・・。
 まあ、だからどうしたと言う世界では有りますが・・・。 反論にも何にもなっていませんね。

27高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/03(水) 23:41:24 ID:JThdDrQw0
>>20
 >宗門がどうなっていくことを望んで「打倒」を祈念しているのか、という問いへの答えにはなっていませんね。
 >ご多忙ゆえ、もう少し時間をおけば、きちんと書いてくださるのだと思いますので、お待ちしましょう。
 私が、ハッキリと言わないのがダメだと言うことは、解っているのですが。
 答えが無いのではなく、私が、触れたくないところだからですネ。
 ハンドルネイムだから本当の事が言えると言っておきながら、もう矛盾した事を言ってます。反省!!

 宗門がどうなって行くことを望むと言うより、宗門の今は、正しくないという捉え方が近いと思います。
 その判断は、顕師の取られた行動が一番に起因していると思いますし、現在の僧侶は、その行動を、諌めなかったわけですから、そのまま今も正しくないとの判断でしょう。
 ただこの話は、宗門側から学会が数々の謗法を犯したからだと言う話になって、堂々巡りになる可能性があります。
 いずれ、創価学会としてもハッキリとした見解を出す時期が来るでしょうね。

28:2010/03/05(金) 13:06:25 ID:HZ.DHFzg0
>>盗聴問題とイラク開戦支持や給油機賛成は次元が違いますし。

「学会を守るため」の「思い切ったこと」の一環として、対イラク開戦支持や給油機導入賛成の問題を挙げたのは、次のような理由からです。
公明党が政権に予するようになった動機は二つあり、一つは公明主導の政策を少しでも実現させるため、もう一つは国会での学会(池田)追及を避けるため(与党にいる限り池田氏の証人喚問はない)、というところだろうと私は見ています。実際、選挙時に候補者の口から「先生をお守りするために勝たせて」と言う本音を支援集会で聞いたこともあります。
またそう考えると、公明党が開戦支持や空中給油機賛成など反戦平和の金看板を曇らせてまで権力に迎合した現象に説明がつきます。
そのような意味で、あのような例示になったというわけです。

>> 蛍さんは、もともと日蓮正宗と言う事ですが、自分から入信したのでしょうか?

そうです。親は一体何宗だったのか今だに不明です。私が小さい頃のうちの仏壇には中央に日蓮宗系曼荼羅、左右に菩薩像の掛け軸、一段下がったところに弘法大師の行脚像が置いてありました。引き出しには「甘露の法雨」の経本があったのでこれは「成長の家」。まあコンビニ宗と言ったところでしょうか。

>>盗聴事件も含めて無明を断ち切れずやってはいけない事をやる人がいる事は認めますが、それは例外の部類ですよ。
>>多くの学会員は常識豊かな行動を取ろうと心がけています。

2行目は信じます。ネット上ではそうでない例に多く遭遇しますけどね(笑)
しかし1行目については、個人の過ちと組織的謀略を分けて考える必要があります。
盗聴事件は裁判で組織的犯行であったことが認定されています。
あれだけの巨大組織ですから、組織防衛のためにCIAじみた組織や謀略活動があっても不思議ではありませんけどね。
フェイク等も世論操作に余念がないようですし。

さて本題。
>> 宗門がどうなって行くことを望むと言うより、宗門の今は、正しくないという捉え方が近いと思います。
 その判断は、顕師の取られた行動が一番に起因していると思いますし、現在の僧侶は、その行動を、諌めなかったわけですから、そのまま今も正しくないとの判断でしょう。
 ただこの話は、宗門側から学会が数々の謗法を犯したからだと言う話になって、堂々巡りになる可能性があります。

「正しくない」ゆえに「打倒!」と叫ぶ、この理屈は分かるのですが、私の質問は、打倒とは現宗門がどうなることを想定したものか、ということです。
高速太郎さんの経机にも「打倒日顕宗」と書いた紙が置いてあるんでしょ?皆さんは何も考えずに、その文字列を目で追っているだけなのですか?
ま、具体的にはっきりと仰りたくないのであれば、無理強いはしませんけどね。テーマに沿った対話がなかなか成立していかないのは非常に残念です。

ところで、高速太郎さんは創宗抗争史の起点をどこに置いていますか?
つまり、上記の「宗門の今」の始まりはどこだとお考えですか?

「顕師の取られた行動」の最たるものは学会破門だと思いますが、それ以前に日達上人に破門されそうになったことや、その際阿部教学部長(後の日顕上人)が学会を擁護していたという事実はご存知ですか?

29高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/05(金) 20:43:56 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ こんばんは。

 なぜ対イラク開戦支持や給油機導入賛成の問題を出されたか理解しました。
 蛍さんは、自分が調べられた事を元に、国会での証人喚問に値すると思われているのかも知れませんが、前にも書きましたが、私は池田先生に何度かお会いし指導激励を受けています。
 池田先生が喚問を受ける様な事をしていないと断言できます。国会ですから、法律での判断になると思いますが、人間的、人道的、道徳的な事に反するような事をする
方ではないと断言できます。
 公明党が、このまま野党であればハッキリする事でしょうから・・・。

 >選挙時に候補者の口から「先生をお守りするために勝たせて」と言う本音を支援集会で聞いたこともあります。
 これは、間違いです。私は、県市町村議会議員レベルまでは、世間で言う選挙参謀をさせて頂きました。
 国勢レベルは、副までです。候補にこう言う事を言わせるのは間違いです。
 この言葉に、学会員が奮い立つ事を利用しての暴言です。落ちれば唯の人ですから、候補も選対も必至になるのは解りますが、やってはいけない事の判断が出来ない様では問題外です。
 私の目の前だったら、バカヤロウ、お前なんか当選して何になるお前に先生を守れる訳が無いだろう、と怒鳴りますね。
 こんな一つ一つが誤解を生む原因になっているんです。
 中央の幹部でもこう言う事を平気でやる人がいるんです。悔しくて情けないです。

 謀略に組織と個人が有る事は理解出来ます。上の選挙の例もそうですが、外から見たら公明党の組織的な戦術と見えると思います。中央幹部でも間違った人がいて組織を動かしたら、組織的な謀略活動と見えますから、蛍さんが組織防衛のCIAが有っても不思議でも無いと思われる事も理解出来ます。
 しかし、創価学会にアメリカのCIAの様なものは必要ないですよ。
 学会には、私より信心はもとより、人間的に社会的に優れている人が数十万人以上います。
 例えば、学会が空中分解したとします。その時は、私でさえ一人立つの精神で組織構築を行う決意は充分にあります。
 だから、私の本音は、何が有っても怖くないし揺るがないですよ。
 だからこそ、世間の学会に対する意見も真摯に聞きたいし、間違った事は直して行かなければと考えています。
 腐った組織なら潰れます。それが、仏勅でしょう。仏法をテクニックだけで守れますか。
 戸田先生が自分の命より大事だとおっしゃた組織は、腐った組織の事ではありません。

 >高速太郎さんの経机にも「打倒日顕宗」と書いた紙が置いてあるんでしょ?
 置いてません!!!

30:2010/03/06(土) 22:59:32 ID:0DdrXMSU0
>>池田先生が喚問を受ける様な事をしていないと断言できます。

池田氏当人の問題ではなく、氏が率いる創価学会に何らかの問題があれば、事実上の最高意思決定者として喚問あるいは参考人招致されることはあり得ると思いますよ。

>>公明党が、このまま野党であればハッキリする事でしょうから・・・。

あれほど仏敵扱いして罵倒していた民主党にすりよりつつある、という観測もありますが・・・
周恩来総理が40年ほど前に「学会はプチブルの組織ゆえ、日和見的傾向がある、情勢に応じてあっちに傾き、こっちに傾く」と見抜いていましたが、けだし慧眼でしたね。

>>だからこそ、世間の学会に対する意見も真摯に聞きたいし、間違った事は直して行かなければと考えています。

その姿勢に敬意を表します。

あと、高速太郎さんの学会員としての強い覚悟や思い入れについて縷々書かれていますが、今はそのまま受け止めておきます。
それらについて感想や疑問を述べたいところですが、対話の結論めいたことを先に言ってしまうことになるので、保留しておきます。

一つだけ、
>> >高速太郎さんの経机にも「打倒日顕宗」と書いた紙が置いてあるんでしょ?
>> 置いてません!!!

これはどうも失礼しました。私が最近見た4軒の学会員のお宅ではすべて、その紙がありましたので、そういうことが推奨あるいは徹底されているのかと思っていました。
任意にやっているわけですね。
「打倒!」の具体的イメージについて、お答えをいただけないようですので、それら知人に直に聞いてみましょう。

先日新たにお尋ねしたこと
●高速太郎さんは創宗抗争史の起点をどこに置いていますか?
の回答の方をお待ちしております。

31高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/07(日) 10:21:27 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ おはよう御座います。
 今日は、ここで13時から仕事なのですが、早めに来ての投稿です。
 ここの掲示板へは、この場所でしか投稿出来ないものですから。

 >池田氏当人の問題ではなく、氏が率いる創価学会に何らかの問題があれば、
 >事実上の最高意思決定者として喚問あるいは参考人招致されることはあり得ると思いますよ。
 このような、問題は組織である以上常に注意しなければならない事でしょうね。
 山崎正友問題などありますしね。問題になる前から先輩から山崎の事は聞いていたのですが、何故防げなかったのかとの思いはありますよ。
 創価学会は、大聖人の仏法を根本にしているので、当然と言えば当然なのですが、寛容すぎる気がします。
 蛍さんが学会の事で、体感出来ない一つにこの様な事もあるのかなと思います。
 学会は基本的に自由ですよ。ネットの投稿を見れば如実に現しています。ハンドルネームを使っているとは言え皆さん好き勝手な事を書いています。広宣流布の大願は共通の使命として有りますが、人生そのものの戦いは自力ですから。当たり前の事ですネ。

 >あれほど仏敵扱いして罵倒していた民主党にすりよりつつある、という観測もありますが・・・
 巷では、その様な見方もあるようですね。噂されている通りそれが証人喚問云々であれば、余りにも見え透いていますよ。公明党が幼いと言ってもそこまで幼くはないでしょう。
 私の今の見方は、国民の為に何が大切かを一番に考えていると思います。
 但し、出てきた政策が全部正しいかと言えば、違うかなと思う策もありますけど。そこは、残念です。

 >周恩来総理が40年ほど前に「学会はプチブルの組織ゆえ、日和見的傾向がある、
 >情勢に応じてあっちに傾き、こっちに傾く」と見抜いていましたが、けだし慧眼でしたね。
 私は、マルクスは一般常識程度しか解らないのですが、40年前のプチブルの定義には、専門家も含まれていたのでしょうか?
 いずれ、その時の学会員の構成は、プチブル階級が主でしょうね。
 周恩来氏がどうのと言うよりは、マルクスの思想自体の定義が、プチブル=小市民=日和見主義=根なしぐさ(揺れ動く)だと思います。
 氏の彗眼と言えるのですかね? ただ、プチブルには、いい意味は含んでいないと思います。

 >「打倒!」の具体的イメージについて、お答えをいただけないようですので、それら知人に直に聞いてみましょう。
 具体的イメージは、創共協定として書いたつもりでしたが、だめだったんですね。
 日蓮正宗が創価学会と争わなくなる事でしょうね。脱会を勧誘しないとか・・・。
 今、創価学会は日蓮正宗を邪としています。なので、そこに学会員が移ることは防がなければならないと言う事です。
 過去の日蓮宗(身延)・・・や共産党等との件を見ても、組織そのものを無くする事を目的とはしていないと思います。

 >高速太郎さんは創宗抗争史の起点をどこに置いていますか?
 抗争が互いにボタンの掛け違い(認識の相違)から始まるとすれば、牧口先生時代からではないでしょうか。
 それが、もっと具体的に表面化したのが何時かとすれば、顕師の時だと思います。

32:2010/03/08(月) 15:20:53 ID:0DdrXMSU0

>> 創価学会は、大聖人の仏法を根本にしているので、当然と言えば当然なのですが、寛容すぎる気がします。

敵対者に対する耳目を覆いたくなるような学会メディアの口汚い罵詈雑言を見ると、「大聖人の仏法を根本にしているので」云々が空しく聞こえます。

>> 学会は基本的に自由ですよ。ネットの投稿を見れば如実に現しています。ハンドルネームを使っているとは言え皆さん好き勝手な事を書いています。

ネットは匿名社会ですから何でも放言できるのです。あなたも「ハンドルネイムなので、本当の事が書けますよ。」と言ってましたよね。
ネットでの匿名放言が組織の自由さの反映だとは思えません。

>>40年前のプチブルの定義には、専門家も含まれていたのでしょうか?

専門技能や専門知識は生産手段の一種と考えられるので、プチブルに含まれていたと思います。

(「打倒!」の具体的イメージについて)
>> 具体的イメージは、創共協定として書いたつもりでしたが、だめだったんですね。

創共協定は喧嘩をまずやめましょうという、いわば「手打ち」ですよね。
「打倒!」のイメージとは程遠いものですよ。

>>日蓮正宗が創価学会と争わなくなる事でしょうね。脱会を勧誘しないとか・・・。

やはり、まだごまかしてますね。それなら祈念文に「祈念 創宗停戦」とかにするでしょう。
「打倒」とは相手を打ち倒すことでしょ? 一体どうしたいんでしょう(笑)

(創宗抗争史の起点)
>> 抗争が互いにボタンの掛け違い(認識の相違)から始まるとすれば、牧口先生時代からではないでしょうか。
>> それが、もっと具体的に表面化したのが何時かとすれば、顕師の時だと思います。

歴史はトリミングのしかたによって見え方や評価が変わってきます。
日顕上人の何時からですか?

33高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/08(月) 21:39:39 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ こんばんは。

 >ネットでの匿名放言が組織の自由さの反映だとは思えません。
 創価学会の人は素直な人が多いので、投稿について規制を掛けたら今と違うだろうなと言う意味です。
 
 >やはり、まだごまかしてますね。それなら祈念文に「祈念 創宗停戦」とかにするでしょう。
 >「打倒」とは相手を打ち倒すことでしょ? 一体どうしたいんでしょう(笑)
 ごまかしては、いないですね。私の見解は、お互いに争ってもしょうが無いと言う見解です。
 日蓮正宗で自行化他の実践をして成仏出来ないとの明確な教学上の指針があれば、私も考えなおしますが、今のところは、聞いてません。
 学会は、正統な大聖人様の仏法を受け継いでいるのは、学会であると言う立場です。
 とはいえ、日達猊下時代以前も否定し、その時代でも自行化他の信心をしても成仏は無理だったとの理屈はないでしょう。
 学会の教学上は、正宗の血脈は成仏と関係ないと言うことですから、逆に正宗で御本尊様に題目をあげ、自行化他の実践をしたら、成仏出来ることになるのが理屈だと思います。
 ただ、具体的には、それを肯定するものは何も持っていませんが。
 正宗が邪だからそこで幾ら実践しても成仏出来ないと学会がいうのであれば、先に述べたように教学的にそれを示さないといけないでしょう。
 与同罪を恐れているのでしょうね!だから具体的な目的も無く「打倒」と言う言葉を使うのでしょうね。
 学会員ですので、これ以上は、教学並びに公式見解を待つ立場です。

 私は、第一次宗門問題で家族ぐるみで付き合っていた友人を亡くしました。
 その時は、この友人だけでは無く、何人もの脱会者を訪問しました。教学的なぶつかりは殆ど有りません。
 学会がこれこれの謗法を犯したと言う話ばかりで感情的な話が殆どです。友人は私とは冷静に話しあいましたが、脱会し1年たたずに亡くなりました。
 通夜、葬式とも学会員は入れてもらえませんでしたが、私だけは入れて貰い話をする事が出来ました。友人の家族や両親とも話しましたが、馬鹿な事(脱会)をしたと涙を流していました。
 死因は医学的には明確には解らないそうです。仏法的に考えるとしたら謗法しかないと思います。残念ながら、どの様な謗法なのか私にはわかりません。
 お寺の住職に聞きに行きましたが、その時の態度に許せないものが有りました。これでは、法華講員が余りにもかわいそうだと思う内容です。
 これは私の経験ですが、現場ではお互いにこの様な不幸せな問題が沢山あるのだろうなと思います。

 だから、個人的な感情では、「打倒」の文字も解りますし、法華講員を助けたいと言う気持ちもあります。

34高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/08(月) 22:41:14 ID:JThdDrQw0
(創宗抗争史の起点)
 >>> 抗争が互いにボタンの掛け違い(認識の相違)から始まるとすれば、牧口先生時代からではないでしょうか。
 >>> それが、もっと具体的に表面化したのが何時かとすれば、顕師の時だと思います。

 >歴史はトリミングのしかたによって見え方や評価が変わってきます。
 >日顕上人の何時からですか

 大きく表面に出てきたのは、所謂「お尋ね」からではないでしょうか。これに対する「お伺い」。
 これも、客観的に見ると互いにボタンの掛け違いと言うか判断ミスが有ったのではないかと、私は思いますが。

35:2010/03/11(木) 09:01:16 ID:0DdrXMSU0
学会・公明党が民主党に露骨に擦り寄り始めましたね。
財政破綻させる愚策とあれほど扱き下ろしていた子ども手当てにも、「九牛の一毛」ほどの微調整を呑ませただけで賛成に回るそうな。
さっそく某創価板では、やはり民主には公明が必要、といった我田引水の論調が出始めています。
つい半年前まで「打倒!仏敵民主!」「こども手当て粉砕!」「民主に投票した国民は愚民」みたいなことを叫んでいたんですがねえ。

聞けば、学会からの要請で小沢さんが学会最高幹部連と会談したとか(民主秘書談〜日刊ゲンダイ)。
自民・公明は自らの失政の反省もなく、「政治とカネ」をネタに民主攻撃するしか手がないというのが現状ですが、
公明党としては、あまり調子に乗りすぎると、民主側から矢野・池田喚問カード、宗教法人改正カードを切られかねない。
そうなる前に、寄らば大樹、ということのようです。

無節操、無定見、日和見・・・周恩来が指摘したプチブル根性満開です。

学会・公明は目先の組織安泰が図れれば、世間から失笑を買っても平気なのでしょうが、可哀想なのは末端会員です。
かつて自民に擦り寄ったときは「自民党は(良く)変わった」と言わされていましたが、今度は「民主は仏敵でなくなった」とでも言わされるのでしょうか。

36:2010/03/11(木) 13:43:09 ID:0DdrXMSU0
>> 正宗が邪だからそこで幾ら実践しても成仏出来ないと学会がいうのであれば、先に述べたように教学的にそれを示さないといけないでしょう

同感ですが、しかし別れてから20年も経つのに、正宗教学と一線を画す新創価教学体系がなかなか出て来ないというのも不思議ですね。
まあ考えて見れば、正宗の教学は昔から何も変わっておらず、初代、二代、三代(名誉会長になる前)の歴代会長もそれに則って指導してきたわけで、それと矛盾無く整合性を取りながら、新教学を構築するというのは至難だと思います。
学会は正宗教学や伝統を「邪」と強弁すればするほど、自己否定につながるというジレンマがあります。
「邪」認定が、68世による学会破門や正本堂解体など個別の事象についてなされるのなら、理屈として了解できるんですけどね、正宗の歴史や伝統化儀の全般に亘って否定し去るのは自分の首を絞めることになるのではないかと思うのです。
せいぜい「冷やし中華始めました」よろしく「僧侶不要の法要始めました」の差別化を図るくらいしかないのではないかと思うんですがねえ。

しかし「僧侶不要の法要」とはいえ、単に袈裟を着た禿頭(とくとう)の専門家に代わって在家信徒が進行するだけのことなんでしょ?
もっとも、法事については私の推測に過ぎないのでお尋ねしたいと思いますが、
破門後にやらなくなった法要(供養金支出が慣習として必要であったものに限る)の一つに塔婆供養があるのは知っていますが、あとどのようなものがありますか?
また、学会主催の法事では会員の供養(広布基金)は全く不要なのですか?

37:2010/03/11(木) 17:58:32 ID:0DdrXMSU0
↑訂正
一番最後
「学会主催の法事」でなくて
「学会儀典部が導師を務める法事」に訂正します。

38高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/11(木) 18:33:15 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ こんばんは。

 今日は、行事のためこれから出かけます。夜は時間がありますのでその時に投稿します。

40沖浦克治:2010/03/11(木) 20:29:10 ID:WCz/2SD.o
 日々さん、

 ここは、お二人専用です、書き込みを貴方のスレッドに移動いたします。

41高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/12(金) 00:19:17 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ こんばんは!

 答え易い事から、答えたいと思います。

>>36
 >しかし「僧侶不要の法要」とはいえ、単に袈裟を着た禿頭(とくとう)の専門家に代わって在家信徒が進行するだけのことなんでしょ?
 >もっとも、法事については私の推測に過ぎないのでお尋ねしたいと思いますが、
 >破門後にやらなくなった法要(供養金支出が慣習として必要であったものに限る)の一つに塔婆供養があるのは知っていますが、あとどのようなものがありますか?
 >また、学会儀典部が導師を務める法事では会員の供養(広布基金)は全く不要なのですか?
 
 質問の意図を理解していないかも知れません。
 宗門と分かれる前は、私は1ヶ月に1回位はお寺に行ってました。所謂、当詣道場としてです。その時に、塔婆供養とお寺への供養はしましたが、それ以外の供養はしなかったと思います。よって、私は、学会において両方しておりません。

 昨年、母を亡くしました。個人会館の方へお願いして通夜とお葬式(告別式)をそこで行わさせて頂きました。
 そのような時に、私は古いタイプの人間だなと自分で思います。
 葬祭会館を使った方が何かと便利だと思うのですが、題目の染み込んだ所で行いたかったんです。
 個人会館の方には迷惑だったと思うのですが、快く承諾してくださいました。こんな時、無量に学会員の暖かさを感じます。
 本題です、その時に、儀典部の方への供養(学会ではこの言葉は使いませんが)は、しておりません。無料です。

42高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/12(金) 00:51:53 ID:JThdDrQw0
 >同感ですが、しかし別れてから20年も経つのに、正宗教学と一線を画す新創価教学体系がなかなか出て来ないというのも不思議ですね。
 >まあ考えて見れば、正宗の教学は昔から何も変わっておらず、初代、二代、三代(名誉会長になる前)の歴代会長もそれに則って指導してきたわけで、それと矛盾無く整合性を取りながら、新教学を構築するというのは至難だと思います。
 >学会は正宗教学や伝統を「邪」と強弁すればするほど、自己否定につながるというジレンマがあります。
 
 蛍さん、それは違うと思いますよ。なんの為の信心ですか。究極を考えたら、要らないんです。(実際は必要だし否定もしませんが)
 本迹云々とネットで騒がれていますが、大聖人の仏法においての究極の証明は、信行学の信と三証の現象ですよ。
 教学はそれを助け補完するものです。罵倒するものではありません。
 蛍さん、御本尊様になぜ力が有るのか、題目になぜ力があるのか、題目がなぜ五字七字なのか、普通の言葉で普通の人に理論的に証明出来ますか?
 「皆さん見てください。今の私の姿が成仏した状態です。」と物理的に見せる事が出来ますか?
 両方出来なかったら、何を持って大聖人様の正統性を他人に証明するのですか?
 信を根本とした行学(自行化他の実践)で現実の世界で現象(功徳)を示すしかないでしょう。
 法論は本来、僧が行うものではないですか。生きた宗教としての正邪の決着をつけるのでしたら、国技館(大きな会場)を借りて、二日間か三日間かけて正宗と学会が体験発表大会を行うべきだと思いませんか。
 そうしたら、どちらが正しいかハッキリするじゃないですか。それ以外に信心即生活と言う意味での正しさの民主主義的な証明方法は、私は無いと思います。
 だから争ってもしょうがないとの見解なんです。そのような意味では、お互いプロパガンダを行っていると思います!

 亡くなった両親です。兄弟の中で学会員は私だけで、末っ子です。両親は、70才を越してから私の折伏で入信しました。
 勤行要典も良く読めませんでした。私が、両親に言ったのは、毎朝、御本尊様へお水とご飯を供え、題目をあげてください。
 そして、自分に良いことがあったら、お客さんや学会員さんがみえた時、体験した良い事を話してあげてください、くらいです。
 両親とも持病を持っていたので、信心の功徳は体感できたようです。私の言ったようにしてくれました。
 教学については、皆無です。父親が先に亡くなり、喪主は長男です。
 葬儀は、学会・友人葬で行ったのですが、父親の成仏の相を見て、私の兄弟達は、友人葬に反対はしませんでしたし、信心での成仏がなんとなく理解できたようです。
 昨年、母親が亡くなった時に兄弟達からは、お前に全て任せるからと言われました。
 母親の成仏の相を息子の私が言うのも変ですが、素晴らしかったです。生きている時よりもきれいでした。
 大聖人様が「妙法尼御前御返事」「千日尼御前御返事」に述べられている通りです。
 嬉しかったのは、儀典長、学会のかたはもとより、ご近所の方や兄弟達が、信心て凄いんだなと言う言葉でした。

 教学で成仏出来るのではありません。愚直な信と実践です!
 大願とは法華弘通です。これを追い求めた指導実践以外は、プロパガンダだと私は考えます。



 お互いの課題についても、もう少し書きたかったのですが、政治問題も含めて後日にさせてください。申し訳ありません。

43高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/13(土) 21:08:23 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ こんばんは!

 私が、蛍さんへ対話をお願いしたのは、前にも書きましたが蛍さんが創価学会の人材として必要な人だと思うからです。
 健全な組織には、健全な判断が出来る人、つまり正しい批判が出来る人が必要なんです。
 当然、批判だけではだめで、現場を正しい方向にもって行く努力を伴わなくてはなりません。
 これが大変で、傍からみると報われない苦悩を伴なう行動が必要とされます。

 ご存知の通り学会は、戸田先生が亡くなられた時をはじめ、世間から空中分解すると言われた時が数度あります。
 しかし、崩壊ぜずに今まで発展してきています。
 なぜ崩れなかったのか。現場の第一線は座談会を中心とした一人一人を大切にした暖かい組織が有ったからです。
 前に述べたような苦労をいとわず努力する数十万人以上の方達が、座談会を中心に、お互いにこの組織の維持に努力しています。
 しかし、この方達が人知れず一生涯、数十年間の努力をして、真に影響を与える事の出来る人は、私は数人だと思います。
 数字的には、わずか数人ですが、この数人の為に、多くの方達が生涯を通した貴重な活動をしているのです。

 第一次、第二次宗門問題で脱会者の方達と話し合う機会が多く有りました。
 自分が話しあった人の事しか解りませんが、殆どの人は、この事が理解できませんでした。
 自分が学会にいてやる必要がないと言う言い方をされた方が多い状況でした。

 今の本題はこれでは有りません。なぜ多くの方達が苦労をいとわず、努力をしているのかを理解して頂きたいのです。
 病気、家族、仕事などいろいろな悩みを抱えて入会し、それが解決したと言う事もあるでしょう。
 しかし、それ以上に、大聖人様の仏法を根本に御本尊様にお題目をあげながら、自行化他の実践で得られるダイナミックな生命の躍動感、充実感、生命の奥底から揺さぶられる様な喜び、感動を得られるからではないでしょうか。

 逆に言えば、ここまで信心は実践してみる必要があるのではないかと考えます。但し、自分に慢があったらだめです。
 蛍さんは、このような生命を揺さぶられる経験は今までありますか。
 もし無いとしたら、これは創価学会でしか実現出来ないと強く伝えておきます。

44高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/16(火) 12:43:05 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ こんにちは! お忙しいようですね!

 スレッドがトップ10以下にさがりそうなので、1回あげさせて頂きます。
 今日は、「広宣流布記念の日」なんです。

45:2010/03/19(金) 14:18:15 ID:A0.tfwrE0
>>41
>> 本題です、その時に、儀典部の方への供養(学会ではこの言葉は使いませんが)は、しておりません。無料です。

儀典部の導師に直接渡さずに、別途「葬儀のお礼」を意識しつつ広布基金の名目で出す、ということもないのですか?
もしそうであれば、認識を改めたいと思います。

>>42
>>蛍さん、それは違うと思いますよ。なんの為の信心ですか。究極を考えたら、要らないんです。(実際は必要だし否定もしませんが)
>> (云々)

光速太郎さんが、正宗が邪であることを学会は教学的に示すべきだ、とコメントされていたので、>>36で「(自語相違の矛盾があるので)至難だ」と感想を述べたまでです。
教学の要不要の話はしておりません。
(云々)部分のご両親の体験を踏まえた信仰論のお話は、原テーマから外れますので、伺って置くだけにさせてください。この分野でやりとりを始めると、話が茫洋と広がってしまいかねません。

>>教学で成仏出来るのではありません。愚直な信と実践です!
>>大願とは法華弘通です。これを追い求めた指導実践以外は、プロパガンダだと私は考えます。

これは同感ですが、その不要なプロパガンダに学会は頼りすぎているように思います。
無作で等身大の池田大作&創価学会を淡々と社会に見せていけば、これほど世間から嫌悪されなくて済むのにと、何十年も前から思っていました。

>>ダイナミックな生命の躍動感、充実感、生命の奥底から揺さぶられる様な喜び、感動

>>蛍さんは、このような生命を揺さぶられる経験は今までありますか。

美句で修辞されただけのリアリティのない法悦体験は、聴くのも語るのも好きではありませんが、
私なりに過去を振り返ってみると、ドラマチックな体験こそないものの、
「吹く風枝を鳴らさず、雨土くれをくだかず・・・」
・・・現世安穏の証文疑い有るべからざるものなり」(如説修行抄)
の御文とまさに符合する過去数十年であったし、昨日や今日であるという、静かですが確かな実感はあります。

>>もし無いとしたら、これは創価学会でしか実現出来ないと強く伝えておきます。

身の回りの学会員知人の「一家和楽」的でない状況や、晩年寂しく病死していった親類夫妻の姿を思うにつけ、
また、同志間の諍いの絶えないネット上の学会員たちの種々御振舞いを見るにつけ、上の言葉は空しく響きます。

46高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/19(金) 22:56:22 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ こんばんは。

 >儀典部の導師に直接渡さずに、別途「葬儀のお礼」を意識しつつ広布基金の名目で出す、ということもないのですか?
 >もしそうであれば、認識を改めたいと思います。

 葬儀に関して直接出す事はないですね。 お金のやり取りがあったとしたら儀典部の職は解任になりますよ。
 中には、お世話になったのだからと会館に広布基金をお持ちする方がいらっしゃらなるかも知れませんが・・・。
 お出しするする時に、何々の分とか書くところもない(伝えようがない)ですし、その都度、領収書も発行されます。

 >この分野でやりとりを始めると、話が茫洋と広がってしまいかねません。
 そうですね。 失礼しました。

 >これは同感ですが、その不要なプロパガンダに学会は頼りすぎているように思います。
 >無作で等身大の池田大作&創価学会を淡々と社会に見せていけば、これほど世間から嫌悪されなくて済むのにと、
 >何十年も前から思っていました。

 これは、我々が反省し解決しなければならない課題ですね。 元気すぎるのは、今後もあまり変わらないかと思います。

 >・・・現世安穏の証文疑い有るべからざるものなり」(如説修行抄)
 >の御文とまさに符合する過去数十年であったし、昨日や今日であるという、静かですが確かな実感はあります。
 そうですか! ん〜! 信心による確信(実感)は掴んでおられると言うことなのですね。

 >「吹く風枝を鳴らさず、雨土くれをくだかず・・・」この御文を入会する前に読んだ時に、マルクスの最終理想に似ているなと
 感じた事を思い出しました。

 今は、私が質問を受ける立場だと思うのですが、蛍さんにお聞きしたい事があります。
 私は、年に1〜2回、日蓮宗のお寺に破折に行くのですが、そこで感じるのは、小樽法論時代と今は違うのかなと言うことです。
 先方は、日蓮正宗の教学も学会の教学も勉強しています。(日蓮宗の宗派によっても違うのかも知れませんが)
 日興上人の事、御本尊様、日寛上人の教学・・・などです。今のところ、修行、御本尊様、大聖人様は釈迦のお使い等で、お互いに壁を破れない状況なのですが、具体的な事は、書くべきで無いと思いますので書きませんが。(学会の教学部には、現状を伝えてはあります)
 特に真蹟問題になると、蛍さんはご覧になれるでしょうが、私などは無理です。

 何をお聞きしたいかと言うと、私の頭の中では、大聖人様の仏法と伝教・天台・釈迦仏教はわりとダイレクトにつながっているのですが、先方を破折していて壁を破る為には、中国仏教や哲学(思想・道教・儒教ほか)を知らないとまずいかなと感じるときがあります。
 蛍さんもしくは、正宗では中国仏教をどの程度まで学んでいらっしゃるのですか? 私は、正直そこまでの時間はないのですが・・・。

47高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/19(金) 23:01:42 ID:JThdDrQw0
訂正です。 下記の様に二行に分けて、上が引用、下が私の意見です。

 >「吹く風枝を鳴らさず、雨土くれをくだかず・・・」
 この御文を入会する前に読んだ時に、マルクスの最終理想に似ているなと感じた事を思い出しました。

48高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/20(土) 17:21:15 ID:JThdDrQw0
>>41 加筆訂正です。

 >本題です、その時に、儀典部の方への供養(学会ではこの言葉は使いませんが)は、しておりません。無料です。

上記の、(学会ではこの言葉は使いませんが)の表現が誤解を招くといけません。学会の記念墓地公園等での法要の際は、御供養としてお出しします。

 春季彼岸法要期間なので、ふと気がつきましたので、説明を加えさせて頂きました。
 気になって、仕事先から仕事場に戻ってきました。また、直ぐ出かけます。

49:2010/03/20(土) 18:39:49 ID:P55uZwBY0
>>46

>>お金のやり取りがあったとしたら儀典部の職は解任になりますよ。

着服とかではなく、儀典部経由で学会に納入されるというイメージで例に出したまでです。
学会はかねてより「在家も供養を受けられる」旨の新解釈を出していますので、そういうシステムがあるのかな、ということでした。

>>中には、お世話になったのだからと会館に広布基金をお持ちする方がいらっしゃらなるかも知れませんが・・・。

直接的間接的を問わず、法要にからんでお金を出さなくとも許される、という理解でよろしいですか?

>> 私は、年に1〜2回、日蓮宗のお寺に破折に行くのですが、

それはすごいですね。小樽問答以来、日蓮宗では他門との法論が禁じられていると聞いておりますが、非公開の一対一ということならいいのかな?

>>何をお聞きしたいかと言うと、私の頭の中では、大聖人様の仏法と伝教・天台・釈迦仏教はわりとダイレクトにつながっているのですが、先方を破折していて壁を破る為には、中国仏教や哲学(思想・道教・儒教ほか)を知らないとまずいかなと感じるときがあります。
>>蛍さんもしくは、正宗では中国仏教をどの程度まで学んでいらっしゃるのですか? 私は、正直そこまでの時間はないのですが・・・。

私は正宗教学の研鑽すら覚束ないのに、中国仏教などとてもとても。(^^;

御宗門内での研究範囲や深度については存じ上げません。

さて、私の>>28
●ところで、高速太郎さんは創宗抗争史の起点をどこに置いていますか?
の質問に対して、遠源は牧口時代からとした上で、

>>34
>> 大きく表面に出てきたのは、所謂「お尋ね」からではないでしょうか。これに対する「お伺い」。
>> これも、客観的に見ると互いにボタンの掛け違いと言うか判断ミスが有ったのではないかと、私は思いますが。

とのお答えを頂いていました。こちらに話を戻します。

1990年12月13日の「お尋ね」の中身は、その前の池田氏による宗門蔑視発言(1990/11/16本幹)の真意を問う内容ですので、表面化の起点はもう少し遡って求めるべきではありませんか?

次レスで抗争経緯年表を掲載したいと思います。

50:2010/03/20(土) 20:31:21 ID:P55uZwBY0
「お尋ね」文書までの主な経緯

●1977年
1月15日 池田会長 第9回教学部大会で「仏教史観」を語る
     創価学会52年逸脱路線が表面化

【52年逸脱路線の主なもの】

1.戸田会長の悟達が創価仏法の原点  
2.大聖人直結、血脈・途中の人師論師不要  
3.人間革命は現代の御書  
4.会長に帰命、久遠の師、本門弘通の大導師、主師親三徳  
5.寺院・会館混同(寺院軽視)  
6.謗法容認  
7.在家でも供養を受けられる  
8.学会僧宝論

1月20日 創価学会 正宗僧侶を吊るし上げ
春   創価学会 会館で独自の彼岸会をおこなう
7月27日 日達上人 法華講連合会第14回総会で三宝について説法、
     創価学会の僧宝論を破折
8月18日 日達上人 第24回行学講習会で創価学会の寺院軽視に反論
8月30日 日達上人 第26回教師講習会で「日蓮大聖人の寺院観 
     浜田憲司氏に答う」と題して寺院建立の意義について御指南
11月27日 日達上人 第3回全国法華講青年部大会で創価学会の師弟観を破折
12月4日 池田会長 日向定善寺新築落慶入仏式において宗門僧侶に御寛恕を願う


●1978年
2月9日 日達上人 創価学会の歴史的経過の上から教義逸脱路線の根源を指摘     (学会との分離もしくは協調についての意見聴取を指示)
2月22日 日達上人 2月12日・14日の池田会長のお目通りの内容を発表
     ①池田会長「手を切るのだけはやめてほしい」と懇願
     ②日達上人「池田会長に日蓮正宗信徒の基本を徹底するよう」指南
6月29日 宗門 教師指導会で創価学会からの教義逸脱是正文書を公表
6月30日 創価学会 「教学上の基本問題について」(教義逸脱を是正)を発表
9月28日 創価学会 模刻本尊七体を総本山に納める
11月7日 創価学会 創立48周年記念登山代表幹部会において、
     池田会長、52年逸脱路線について謝罪(通称 お詫び登山)


●1979年
4月24日 池田大作 学会問題の責任を取り会長を勇退
4月24日 北條 浩 創価学会第4代会長に就任
4月26日 池田大作 学会問題の責任を取り法華講総講頭を辞任
5月2日 日達上人 創価学会第40回本部総会において、
     池田名誉会長他首脳がそれまでの過ちを正直に反省した事を
     大前提として、52年路線問題を収束される(創価大学体育館)
5月14日 第1回最高教導会議開催(三宝を敬う事を再確認)
7月22日 日達上人 御遷化 
7月22日 日顕上人 第67世御法主に御登座
10月8日 宗門 院達で宗内僧俗の進むべき方途を示す(院第18号)
11月29日 北條会長 『北条報告書』の件につきお詫び登山
12月1日 北條会長 『北条報告書』の件につき聖教新聞でお詫び


●1980年
4月2日 池田名誉会長 所感「恩師の二十三回忌に思う」で、
     52年路線はすべて自分の指導に原因があると反省懺悔

11月26日 日顕上人 創価学会創立50周年記念幹部登山において、
     52年路線の誤りを再度指摘し下記について御指南
     1.僧俗及び2つの法人の関係に対する認識
     2.指導者中心のあり方
     3.教学研鑚の基本姿勢
    (特に『学会にも指導者にも誤りは無かったという発言は許されない』と強調)

●1981年
 |
 |  この9年間、創価学会は宗門に信服随従(←表面的だが)
 |  1984年1月2日 池田大作 法華講総講頭に再任される
 |
●1990年
3月5日 日顕上人 池田名誉会長に対し、登山者の丑寅勤行の参詣につきお尋ね
4月1日 大石寺開創七百年記念総本山修築・整備事業完成奉告法要奉修
7月17日 創価学会 宗門との連絡会議の席上、
     法主上人・宗門を一方的に批判し席を立つ (東京常泉寺)
7月21日 池田名誉会長・秋谷会長 お目通り
    (日顕上人「法主の発言を封じるのは驕慢謗法ですよ」と御指南)     ※学会でいう「懲罰にかける」等の発言なし
9月2日 創価学会 総本山にて大石寺開創七百年慶祝文化祭開催
11月16日 池田名誉会長 創価学会第35回本部幹部会において、
     猊下,宗門,僧侶の蔑視.軽視発言
     (52年逸脱路線無反省を露呈、通称「11.16」)
12月13日 宗門 創価学会との連絡会議の席上、
     池田名誉会長の11.16スピーチについての『お尋ね』文書を学会に提出
     学会「出所不明のテープを元にした文書は受け取れない」と受け取りを拒絶(東京常泉寺)

出自:下記サイトの年表より抜粋、調整
http://skybiue.gooside.com/gappo/shinjithu-2/nenpyou/sokuseki.HTM

51:2010/03/20(土) 20:50:09 ID:P55uZwBY0
上記の年表は法華講員作と思われます(プロフィールがないので分らない)。
宗門側からの視点で書かれているので、学会側から見ると異論があったり、記されるべき史実が入っていない、などの主張もあろうかと思います。
願わくば、是非それを出していただきたいと思います。
双方の主張が併記され、客観的に俯瞰、考察することで、より真実に近づけるものと信じます。

52高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/20(土) 23:32:45 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ こんばんは! 今日は、比較的暖かい日でしたが、今晩からまた荒れるようです!

>>49
 >直接的間接的を問わず、法要にからんでお金を出さなくとも許される、という理解でよろしいですか?
 ハイ、そうですネ。

 >それはすごいですね。小樽問答以来、日蓮宗では他門との法論が禁じられていると聞いておりますが、
 >非公開の一対一ということならいいのかな?

 そうなんです、気を使って下書きは、「会って話し合う事があります」と書いたのですが「折伏しないのかヨ」と
 他の方達から揶揄を入れられそうなので、控えめの「破折」にしたのですが、まさか蛍さんからツッコミを入れられるとは!!!

>>50>>51
 几帳面では無い私のような者には不向きな課題かも知れませんね! ただ、自分の研鑽の為にもまとめて見たいと思います。
これに関しては、少し時間をください。
 例えば
 >5.寺院・会館混同(寺院軽視)
 これは、S52年に有ったかも知れませんが、その後も当詣道場としてお寺に行っています。
 蛍さんとしては、その様な事も含んで知りたいのだと思いますのでまとめる時間をください。

53高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/21(日) 17:39:42 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ こんにちは! こちらは、風の強い日です。 若干グチを!

>>50
 リンク先のホームページを整理しています。
 FC2のフリーレンタルサーバーを使用しているようですが、ページの作り方が判りにくい!!
 この公園の有る市には、若い頃に少しだけ住んだ事がありますので、この公園は懐かしいです。
 この市にある正宗の寺院支部のホームページなんですね!
 公園をダミーにして内部だけの閲覧用なのかなと思いましたが、違うんですネ。外部リンクが1,000以上ありますから・・・。
 国内支部以外、外国支部や一般サイトとも直リンクしています。普段、私が「このようなサイトを作ってはいけません」と言ってるそのものです。
 ある意味、勉強になりました。

 年表と関係無ければ無視しても良いのですが、関係ある内容になっているので、ダウンロードして読んでいますがリンクが殆ど無いので辛いです。
 本も紹介されているのですが、そこまでは追いたくありません。
 ホームページの知識のある人が意図的に作っていると思うのですが、意図が・・・不明!!!

 蛍さんが、もしホームページに関係される時がありましたら、このようには作らないでください。お願いします。

54:2010/03/22(月) 18:33:36 ID:se3WgQzw0
私は>>50で示したページの元の「目次」までしか見ておりませんので、>>53の高速太郎さんの「グチ」内容の意味がよく分りません。
「公園」については、ルートアドレスでその意味が分りましたが、
「外部リンクが1000以上」とか「直リンク」とか「リンクが殆ど無い」とかは、一体どのページのことなんでしょう・・・

>>蛍さんが、もしホームページに関係される時がありましたら、このようには作らないでください。お願いします。

私も仕事や趣味でホームページ(非ブログ)を作っておりますが、フレームを使っているので閲覧操作性はまあまあなんじゃないかと自負しております。URLを出して「自慢」できないのが残念!(^^;)
弊ブログ「実事求是」は初めてのブログ体験ですが、お仕着せ型デザインや操作性、通覧性に不満があるので、早晩脱ブログを図りたいと思っております。

55高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/22(月) 22:48:57 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ

 >>50の件は了解しました。支部名とかも不案内だったと言う事ですね。 大丈夫です。コツコツと行います。

 フレームで作る場合ですが、蛍さんのホームページは、次のようになっていませんか。
 メインフレーム(項目ではなく本文が書かれたフレーム)の文字を10文字ほどコピーしてGoogle検索エンジンで
 検索すると、中に蛍さんのホームページが有ると思います。
 それをクリックして開いた時に、項目側のフレームが見えていないのではないでしょうか?
 つまりメインフレームだけが単独で見えていませんか? それだとそのページから何処へも移動出来なくなってしまいます。
 そのメインフレームに何らかの方法で他ページへ移動できる仕組みを作って置く必要があります。

 例えば、メインフレームの左上とかに HOME>会社案内>社長挨拶 の様に、ロケーションが判るようにして、
 その「HOME」をクリックしたらサイトのTopPageへ移動でき、 「会社案内」をクリックしたら会社案内のページへ
 移動出来るようにして頂ければ、見る人にとっては、迷子にならずに親切です。

 もうそのようにホームページを作っていると言うことであれば、申し訳ありません。
 本題と違う内容を長々とすみません。

56:2010/03/26(金) 00:02:10 ID:se3WgQzw0
先に挙げた年表の中で、私がもっとも疑問に感じていることは、
1979年の日顕上人御登座から破門までの11年間、学会は血脈相承に関して一切疑義を唱えておらず、 そればかりか正信会がぶち上げた日顕上人血脈相承疑惑に対して強烈に破折していた経緯があるのに、
一朝破門になった途端に、猊座簒奪だのニセ法主だのと言い出し、爾後20年の長きにわたって、それを正宗批判の筆頭テーマにしている点です。

20年も、いやおそらく未来永劫に引きずるであろうほどの重要テーマであるなら、なぜ「相承」直後に(少なくとも正信会が訴訟を起した時点で)問題にせず、11年間も沈黙していたのか。不思議でなりません。
もし破門がなければ、現在も従前どおり「宗祖より67世日如上人にいたるまで金口嫡々、法水写瓶の血脈相承云々・・・」との学会指導がなされ続けていることでしょう。
その他、僧侶不要論や宗史の否定など、「ルネッサンス」の美名のもとで、まあ出てくる出てくる宗門への悪口雑言(笑)。
結局、「破門」が歴史評価逆転の引き金になったということですよね。信仰や教学レベルでなく、組織的処遇の綾でそれまでの歴史評価が変わるというのは考えてみれば妙な話です。
これは不祥事でクビになった永年勤続社員が、解雇後に会社を全否定するのと同じ構図に見えます。

前掲年表についてコメントいただけるのでしたら、こうした不思議の解明に繋がるようにお考えいただけると幸いです。

57:2010/03/26(金) 00:06:55 ID:se3WgQzw0
訂正
67世日如上人 → 68世日如上人

58高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/28(日) 17:22:46 ID:JThdDrQw0
>>56蛍さんへ

>前掲年表についてコメントいただけるのでしたら、こうした不思議の解明に繋がるようにお考えいただけると幸いです。

 これに、応えたいと思い考えを整理しているのですが、正直、浅学の私に取って辛いものがあります。
 今まで、色々な事象を点として捉えてはいましたが、時系列として整理した事はありませんでした。

 根本的な原因を理解するには、創価教育学会の時代まで遡る必要があるようです。
 淳師と牧口会長の出会い、その時お互いに何を構築されようとしていたのか。
 淳師は、在家仏法をどの様に、運動家しようとしていたのか。
 牧口先生は、創価教育学と仏法をどの様に結びつけようとしていたのか。
 その時点で、宗門は、学会をどの様に判断していたのか。
 総本山では無く、歓喜寮の信徒としていたら・・・。

 昭和一桁の時点まで遡らないと、シッカリした原因は見えにくいと思われます。

 蛍さん、そこまで遡って意見を書いた方が良いのでしょう。

59:2010/03/29(月) 18:40:39 ID:se3WgQzw0
>>根本的な原因を理解するには、創価教育学会の時代まで遡る必要があるようです。

簡単に書けるのなら構いませんが、短期日にそこまで遡って資料収集したり考証するのは無理でしょう。

>>58の発言ではっきり分ったことは、偽りの信服随従の11年間について、高速太郎さんも即答できないということです。
けだし無理からぬことではあります。当の学会中央ですらきちんとした答えは出せないと思います。

面倒な検証や思考を好まぬ人々なら「宗門外護のため仕方なく」などという説得力皆無の幹部指導を安直にオウム返しするところですが、高速さんがそれをやらなかったのは、さすがだと思いました。
そもそも、現学会が喧伝しているところの「宗門は極悪非道、謗法まみれ云々」というのが真実で、破門の有無にかかわらず以前からそう見抜いてた、というのなら、そんな宗門など外護する価値も必要もないでしょう。

私が以前から「学会は宗門をどの時点まで否定しているのか」と問うているのは、「仕方なく外護」していた期間を確定したいためでした。
それはそのまま学会中央が学会員を騙し続けていた期間でもあります。

------

戦前の歴代会長の評価については、下記ブログを一読されるようお勧めします。
なかなか興味深い考察が展開されています。
http://24fret.blog111.fc2.com/blog-entry-78.html

60:2010/03/29(月) 21:03:13 ID:se3WgQzw0
訂正:

信服随従→信伏随従

61高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/03/30(火) 01:35:18 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ こんばんは!

 今日は、頭が疲れているので、とりとめなく書かせてください。 甘えてごめんなさい!

>>59
 URLは、読みました。 新しい発見はありませんでした。 各個々人が消化する内容ですよネ。

 蛍さんからの質問で、小学校からの疑問がまた蘇りました。 なので、頭のその部分だけは新鮮です。
 学校の先生達が、なぜお金(給料)をもらって教師・教員が出来るのか、未だに理解できません。
 私には、出来ない仕事ですネ! 小学5年生頃から中学2年生頃まで学校の殆どの先生達と話しました。
 でも、ヤッパリ解りませんでした。

 提起さんとおっしゃる方が、この掲示板の「仏が迹、衆生が本。仏は本、衆生が迹。自由に論議いたしましょう」
 スレッドに、投稿されました。 投稿の内容が理解出来なかったので、それについても知りたかったのですが、
 投稿内容から、長年教育界でお仕事をされ、キリスト教を基盤としているが、無神論者(無宗教者)で、
 しかも、仏教も学ばれている方かなと思い(違っていれば、失礼だとは、理解しているのですが、聞きたい思いの方が強くて・・・。)
 質問したのですが、回答はありませんでした。 私が、他に見ている数カ所の掲示板内も探して見たのですが、
 提起さんのお名前は、発見出来ませんでした。 蛍さんは、ご存じですか?

 だんだん横道に逸れて行きそうです。 本題に戻したいと思います。

 本題に入ります。 教育者が本源的に持っている、いくつかの壁と言うものが有るのではないかと、私は考えています。
 小学生の私でさえ感じたのですから、生業としている先生達は、もっと深いものを感じているのではないでしょうか。

 つまり、牧口先生は淳師との出会いで、仏法に、この壁を乗り越える解決策を見つけようとしたのではないかと・・・。
 しかし、段々と、その内容を知るにつれ、解決できる素晴らしさと、そうではない不整合が見えてきて・・・。

 ここいら辺が解れば、特に、何を解決しようとしたのか、不整合は何なのかが解れば、蛍さんの疑問に答えられそうな
 気がしています。 もう少し、探求してみます。

 蛍さん、今日もありがとう御座いました。 私は、楽しいです。 こうして学んだ事は、実生活に活かしていけるので!!!

 それでは、オヤスミなさい。

62:2010/03/30(火) 15:56:54 ID:se3WgQzw0
>>61
>>学校の先生達が、なぜお金(給料)をもらって教師・教員が出来るのか、未だに理解できません。

教師は聖職者たれ、という理想を前提にした疑問でしょうか。
私はそんなこと考えたこともありませんけどね(^^;
専門職としての労働対価は当然支払われるべきでしょう。
無償ボランティア任せで一国の教育が充実するとは思えません。

宗教家は紛れもない聖職者ですが、こちらも霞を食って生きているわけではないので、信徒は供養金や御布施を出して生活や事業を支えることになります。
学会も「広布基金」の名で集めたお金で高級取りの大幹部や本部職員を養っていますよね。

小学校の先生が給料を取るのさえ不思議に思う高速太郎さんの目には、下記聖職者たちの羨ましいほどの高額所得者ぶりはどう映るのでしょうか。

(会長)秋谷 栄之助
平成5年度 5580万円 (納税額 1842万円)
平成6年度 5500万円 (納税額 1810万円)

(理事長)森田 一哉
平成5年度 4442万円 (納税額 1387万円)
平成6年度 4850万円 (納税額 1550万円)

(副会長)八尋 頼雄
平成5年度 5377万円 (納税額 1761万円)
平成6年度 3812万円 (納税額 1135万円)

(副会長)上田 雅一
平成5年度 4235万円 (納税額 1304万円)
平成6年度 3587万円 (納税額 1045万円)

(副会長)青木 亨
平成6年度 3635万円 (納税額 1024万円)

(出自:創価学会の職員が加入している健保組合のデータによる、ものらしい。)

63:2010/03/30(火) 19:45:02 ID:se3WgQzw0
>>提起さんのお名前は、発見出来ませんでした。 蛍さんは、ご存じですか?

存じ上げません。
他スレの話ですが、私は提起さんのおっしゃてた意味は理解できます。
或る因と或る果を主観で恣意的に結びつけて、安直に論じられがちな「罰論」や「功徳論」は、仏教の教え(因果律)とは程遠いものだとおっしゃりたいのだと思います。

>>つまり、牧口先生は淳師との出会いで、仏法に、この壁を乗り越える解決策を見つけようとしたのではないかと・・・。

「この壁」の意味がよくわかりませんでしたが、他スレでの高速さんの書き込みによると:

>>現在の学校教育に携わる方達にとって、ソフィスト的な考えは一つの壁ではないかと、私は考えています。

の「壁」のことのようです。
ここでいうソフィストは一般的な「詭弁家」の意ではなく「教育を生業とするもの」のことだと思いますが、それがどうして「壁」になり、牧口・創価教育学会と関連してくるのか、今ひとつ文意がつかめません。
もう少し説明をお願いします。

もっとも、私は教育論には疎いので、お話にはついていけないかも知れませんけどね(^^;

64高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/06(火) 20:59:33 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ こんばんは! 投稿が遅れぎみですみません。

>>62
>教師は聖職者たれ、という理想を前提にした疑問でしょうか。

 教職を聖職と考えた事はありませんね。

>専門職としての労働対価は当然支払われるべきでしょう。
>無償ボランティア任せで一国の教育が充実するとは思えません。

 私も、その通りと思います。 充実させる為に必要な・・・。。。

>小学校の先生が給料を取るのさえ不思議に思う高速太郎さんの目には、
>下記聖職者たちの羨ましいほどの高額所得者ぶりはどう映るのでしょうか。

 平成5・6年の数字で、今の私の十倍以上の収入ですが、 ウ〜ン!そうなの と言う感じで新鮮味はありません。

>>63
>或る因と或る果を主観で恣意的に結びつけて、安直に論じられがちな「罰論」や「功徳論」は、
>仏教の教え(因果律)とは程遠いものだとおっしゃりたいのだと思います。

 解説ありがとう御座います。理解出来ました。
 仏法を学んでおられる方でも、このような意見を述べる方がいらっしゃいますね。
 私は、このような話も聞いてみたいと思います。 提起さんと対話したかったですね。
 このような観点から、オカルト(セクト)とか洗脳に入って行くのかなと考えたりします。

 でも私は、納得できるが、本当ではない話しだと思いますが・・・。

65高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/06(火) 21:20:14 ID:JThdDrQw0
 本題の件ですが、昭和十年代までは調べたのですが、もう少し時間をください。

 ネットと本で調べているのですが、情緒的な内容が多いですね。
 情緒的内容も大切だとは思いますが、突き詰めると個々人で解決しなければならない要素が多いので、
スッキリしないし感情論になる可能性があるような気がします。(蛍さんと、と言う意味ではありません)

 淳師がどのような在家仏法(言葉として適切か解りません)を展開しようとしたのか、
 牧口先生が大聖人様の仏法を教育学にどのように取り込もうとしていたのか、
 この点を解明した上で、時間とともに発生したズレが見つかれば、そこが出発点と考えられるかなと思っています。
 その上で、情緒的な内容になったらそれはそれで仕方ないと思います。

 今のネットでの法華講員と学会員のやりとりは、情緒的な内容が多い気がします。
 それを、蛍さんはプロパガンダとおっしゃっているのだと理解しています。

66:2010/04/06(火) 23:07:29 ID:tbOgVQMM0
>> 教職を聖職と考えた事はありませんね。

では、どういう理由で教員が報酬を取ることに疑問を感じられたのでしょうか。

>> 平成5・6年の数字で、今の私の十倍以上の収入ですが、 ウ〜ン!そうなの と言う感じで新鮮味はありません。

新鮮か陳腐かという情報の評価を訊きたいわけではありません。
学会最高幹部(聖職者)の高額所得ぶりを見て「ウ〜ン!そうなの」以外に何も感じないのでしょうか。

67:2010/04/07(水) 01:45:44 ID:tbOgVQMM0
長らく対話が途切れていたので、ギャラリー相手に四方山話でも書こうかと準備していた話です。
せっかくですので書いておきます。

【創価系掲示板・来訪者数の推移】

1年半ほど前、沖浦バッシングが頂点に達していたころ、ネット掲示板上のオピニオンや騒擾にどれくらいの学会員が関心を示しているのか(影響範囲はどれくらいか)知りたいと思い、
主な創価系掲示板のアクセスカウンターを半年ごとに記録することにしました。
最初が2008年10月18日、次は約半年後の2009年4月10日、その後1年間はすっかり忘れてしまって、次は約1年後の今日2010年4月6日。

対象板は、小野板、沖浦板Ⅰ、架け橋(オアシス)板、若鷹板、降魔板です。
富士宮ボーイは「昨日アクセス数」が毎日表示される仕様なので記録対象外です。
以下、調査開始から半年後とその1年後の各スパンのカウンター差分をスパン日数で割った値、1日平均アクセス数を表にしてみました。

    08/10〜09/3    09/4〜09/3       09/4/5の
    の半年間の     の1年間の      アクセス数 
    日平均アクセス数 日平均アクセス数    (参考)

小野板  895        655          542
沖浦板Ⅰ 452        254          282
架橋板  543        245          217
若鷹板  226        180          88
降魔板  970        1051         1032 

各板とも連続リロードしてもカウンターが増えないので、ユニークアクセスのみ計上する(1日内に同一人物が複数回アクセスしてもカウントしない)仕様と思われます。つまり上記は正味の訪問者数を反映したものと思いますが、したらばやteacup掲示板運営経験者の方、その点どうですか?
私がかつて運営していた有料掲示板では、ユニーク設定が1日/1時間の2種類あり、もし1時間設定なら同じ人が1時間以上経ってからアクセスすると重複計上されることになりますが、上記掲示板の設定仕様はどうなんでしょう。
なお、富士宮ボーイのカウンターはユニーク数表示でないので、FB大好きメンバーが1日に何回も訪れるとすべて計上されるので、カウンターは正味人数を反映していません。
また、架け橋版はオアシス板からの移行の際、カウンター数値も引き継いだのか、それとも一度リセットされたのか不明ですが、一応連続したものとして扱いました。

さて、上表のアクセス数の推移から皆さんは何を読み取るだろうか。

68:2010/04/07(水) 01:48:56 ID:tbOgVQMM0
訂正:表の最上部の期間表示が間違ってました。

09/4〜09/3 → 09/4〜2010/3
09/4/5   → 2010/4/5

69沖浦克治 ◆mjFvO228Tw:2010/04/07(水) 07:22:23 ID:AJ3hr85o0
 蛍さん、おはようございます

 したらばの板は、携帯からアクセスしてリロードすると、いくらでもカウンターは回ります。
 小野さんがよくやる手です。
 お試し下さいね。

70:2010/04/07(水) 20:12:57 ID:tbOgVQMM0
携帯でのネット接続は接続のたびにIPが変動するので、ユニーク扱いになります。パソコンからのアクセスでも、IP変動仕様のプロバイダを使っている人は同様です。串経由も然り。
しかしどの場合も、一旦接続した上でリロードを繰り返す分にはカウンターは回らないと思うんですがね。

実際に携帯で試してみました。小野板(したらば)に接続し、何度もリロードして、PC画面で確認(携帯画面にはカウンターが表示されないので)してみましたが、カウンターは回らないようです。
沖浦さんが試したとき増えて見えたのは、たまたま他者のアクセスを観測してしまったんじゃないかと思われます。

仮に携帯リロードでカウンターを回せるとしても、小野さんがカウンターを操作されていると証拠もなく断定するのは賛成できません。
それに上掲表の研鑽板の推移を見ると、漸減傾向を示しています。もし小野さんがカウンター信奉者で、日々カウンター操作に余念がないとしたら、こういうデータにはならないでしょう。上記はどれも作為のない正直な数字と信じます。

上掲表は各掲示板の学会員常習閲覧者の完全正味人数を表しているわけではありません。
人によって掲示板閲覧頻度が異なり、日に数回見る人もいれば、3日に1回とか、週末だけとか、思い出した時だけとか、様々だと思います。
しかし、後者になるほど構成比率は減り、統計的に無視できる程度の少なさでしょうから、上表は概ね閲覧常習者数をほぼ正しく示している、と私は考えています。

71高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/08(木) 21:49:42 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ こんばんは!

>>66
>では、どういう理由で教員が報酬を取ることに疑問を感じられたのでしょうか。

 話せば、長くなりますので、かいつまんで言うと、
 先生達と話したのは、子どもの知らない知識を教える事は大切だけど、それだけではないでしょう と
 先生達の人生観や生きる意味と教育との関係性は何なのか とか 本来の教育とは何なのか とかです。
 でもしか先生が居たころですから、子どもなりに疑問を持つキッカケとなったのかも知れませんネ
 私の理解出来るように答えてくれた先生は、いらっしゃらなかったという事ですヨ
 「指導要領」だけで教育して良いのかと言う事を、先生達に何回も言ってました。

 肝心な知識の教え方にも不満があったのかも知れませんネ。
 誤解の無いように付け加えますが、ヒネクレてはいなかったとおもいます。 殆ど毎日、放課後に先生達と仲良くお手伝いをしていましたから。

>> 平成5・6年の数字で、今の私の十倍以上の収入ですが、 ウ〜ン!そうなの と言う感じで新鮮味はありません。
>新鮮か陳腐かという情報の評価を訊きたいわけではありません。
>学会最高幹部(聖職者)の高額所得ぶりを見て「ウ〜ン!そうなの」以外に何も感じないのでしょうか。

 蛍さんは、答えに不満かもしれませんが、正直な反応です。
 こう言う話しは、今まで何十回、何百回と聞いていますから、新鮮味が無いが正直な感想です。
 この様な情緒的な事は、個々人で判断する内容だと思います。 信心と縦分けて考える人、信心と結びつけて考える人、
 自分と結びつけて考える人、自分の中の正しいと考える基準で判断し納得出来たり出来なかったり、妥協する人・・・etc.
 様々でしょうね! 地区の人とかで対面なら、時間が許す限り話しあいますよ!

 信心は、御書を根本に、自分の生活の中に仏法を自在に活かす努力を続けることが大切と思います。
 情緒的な事で判断するのなら、学会をヤメレる!きっかけは、いつでも、いくらでもありますヨ。

72高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/08(木) 22:56:08 ID:JThdDrQw0
>>67
 一応、私の専門分野なので・・・。 解析に始まり、解析に終わる仕事が殆どですから。

 蛍さんが、考えておられるように、見ている人が少ないと言うことが正しい判断だと思います。
 母数が小さい事と、ログが無いので、それ以上の判断は難しいと思います。

 私が、一回の解析で、数万ページ、多いときは、数十万ページをダウンロードして解析する事を、
 何年間もやってきて、宗門系、学会系の掲示板が引っかからない訳ですから、投稿されている内容が、
 社会的に価値のある情報が少ないと言う事だと思います。
 (参考:ログを解析すれば解りますが、ホームページを正しく作っていれば、ロボットだけでも多い時は、50回以上/日 来ます。)

 ある行政からの依頼で、学生や若者に対して就職を促すホームページを作り、アクセス数アップを行った事があります。
 1年半で、10万件/月のアクセスまで持って行きました。(3時間以内の同じホストからのアクセスは1として)
 設計が結構大変です。 私が設計した要は、大学構内で先生、学生が使用するインターネット用パソコンのお気に入りに
 URLを登録してもらう事です。 その為の仕組みや仕掛けを、仮説を立てながらネットだけで実証実験を繰り返して構築して行くわけです。
 この他のサブの仕組みも作るのですが、それが上手く行って、1時間に2万件以上のアクセス数になって
 アタックかと不安になり、サーバーを止めた事もあります。
 (参考:ログには、お気に入りから来ているかどうかの情報も落とせます)

 炎上すると何故アクセス数が増えるかは、解っていると思いますが、2〜3日に1回や1週間に1回の人が、毎日や日に数回
 来るようになるからと、他の掲示板やメイルで情報を得る人が増えるからです。
 ログを解析すると、閲覧者の訪問頻度(スパン)が解りますから、炎上を何日以上続けたらアクセスアップに効果的かも判断出来ます。
 長くても短くてもダメです。 自分に被害が無いと解れば、人は他人の争いの成り行きを確かめたいんですよネ!

 蛍さんがホームページとか掲示板を作られるのなら、立場は違いますが、アクセスアップを協力しますよ。
 やってみませんか!? 解析が好きな蛍さんには、向いていると思いますが。

 沖浦さんが、ネットを広宣流布に役立てたいと考えられておられるようなので、協力したいと考えています。

73高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/09(金) 00:20:38 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ 

>>77 の補足です。
 肝心な事を書きませんでした。

 その後も、機会あるごとに、その疑問を教育関係者の方に聞くのですが、明解な答えを聞いた事がありません。
 子どもが好きとか、社会の為に役立つ人をとか・・・いろいろ有りますが、自分の人生哲学を踏まえて
 教育を話す人は、私が話した人の中にはほとんどいませんでした。
 新たな学校に赴任すると、役場、教育委員会、町の有力者等への挨拶回りが最初で、子ども達と向き合うのは二の次なのです。
 それを、教育とは言わないでしょうと言う事です。

 教育者として確かな信念を持ち教育に当たる為には、宗教が必要なのではないかと、その頃から何となく思っていました。
 それで、牧口先生も教育学の何らかの課題を解決するために、日蓮正宗の仏法を求めたのではないかと考えたわけです。

 私の言うソフィストとは、しっかりとした信念(人生観・哲学など)を持たず知識だけの切り売りをする人達を意味しています。
 本来、ソフィストは、哲学者だと思うので、矛盾を含んだ行動(職業)の意味も含んでいます。

  補足させて頂きました。 本日もありがとう御座いました。

74高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/09(金) 19:12:37 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ こんばんは!

 本題の方もだいぶ進んで来ました。 大詰めです。 私としては、良いテーマを与えて頂いて感謝しています。
 今回調べたお陰で、いろいろな事が整理でき理解が深まりました。 
 私の結論としては、やはり、今回の問題の根っこは当初からあり、起こるべきして起こったと言える、と言う事になりそうです。

 蛍さんの事ですから、私より調べていると思いますけどネ。 おかしい点があったらその時は指摘してください。

 備前さんが「幸の架け橋」で言ってたような宗門が破門を解く事は、今のところ想定できないですネ。って言うか、お互い今のままでは無理です。
 
 調べている中で、あちこち寄り道が出来てそれも良かったです。
 私が、沖浦さんに親近感を感じる理由も解りました。 竹中労氏の「庶民列伝」の事も調べている途中に出てきました。
 この取材に一度だけ同行させて頂いた事があります。 学会バッシングの最中に、学会の応援をする訳ですが、
 ご自身も、御用ナントカとか揶揄されバッシングを受けたましたが、それでもそんな事は意に介さずでした。
 アナキスト魂がそうさせたのかどうか・・・、今の沖浦さんに重なります。 その経験が沖浦さんへの親近感につながっている様な気がします。
 昭和40年代の事だと思います。 すっかり忘れてました。 思い出せて良かったです。

 新渡戸稲造や柳田国男なども途中で寄り道して調べてみました。 この事も勉強になりました。

 近日中に頑張ってまとめてみますので乞うご期待!?? です。

75:2010/04/12(月) 09:48:29 ID:J0ucKN1I0
>>先生達の人生観や生きる意味と教育との関係性は何なのか

>>「指導要領」だけで教育して良いのかと

そのことと、先生が報酬を得ることに対する疑問との関連性がまだ良く分からないのですが、
つまり、徳育のできない先生は給料を取ってはいけない、ということですか?

まあ、本筋と関係のない話なので、食い下がっても詮無いことですが、
高速さんの回答の仕方は、私の質問中のキーワード(今回は「教員の報酬」、以前は「打倒」)がないがしろにされており、その結果すべてに渡って隔靴掻痒の感があり、結局何を答えようとしているのかよくわからないところがあります。


(学会最高幹部の高額所得ぶりについて)
>>こう言う話しは、今まで何十回、何百回と聞いていますから、新鮮味が無いが正直な感想です。

この話題に新鮮味を感じないという個人的感想についてはよく分かりました。
しかし私たちの間では幹部の高額所得については初出の話題です。高速さんは初見の人と仏法対話する際、相手の質問が高速さんにとって新鮮か陳腐かという基準によって、回答姿勢が真剣だったりぞんざいだったりするのでしょうか。
過去に「何十回、何百回」と話題になった経験があるのでしたら、高速さんの頭の中にはすでに明快な即答が用意されていることと思います。それを聞かせてください。

少し前に、戸田氏の評価について、あるブログ記事を紹介しましたが、その時の反応も「新鮮味がない」でしたね。
あのブログ記事についても、高速太郎さんの脳裏には内容についての具体的な反論が生じている(あるいは、過去に見聞した際の反論が記憶領域から検索されている)はずですよね。それを聞きたかったんですけどね。

失礼ながら、「新鮮味はない」という感想の吐露だけで済まそうとするのは、議論を避けるためのテイのいい逃げではないかなと、ふと思ったりもします。


>>この様な情緒的な事は、個々人で判断する内容だと思います。 信心と縦分けて考える人、信心と結びつけて考える人、
 自分と結びつけて考える人、自分の中の正しいと考える基準で判断し納得出来たり出来なかったり、妥協する人・・・etc.
 様々でしょうね! 

「情緒」の対義語は「論理」ですよね。あらゆる事象は情緒的に語れる側面と論理的に語れる側面があります。
私が問うているのは当然後者です。そして人によっていろんな考え方があるのは言うまでもないことですが、私は目の前の高速太郎さんの論理的見解をお尋ねしております。
質問に対して「人それぞれだからなあ」のみで終わってしまっては、何の答えにもなっていません。はぐらかさずに明快にお答えくださるよう希望します。

>>地区の人とかで対面なら、時間が許す限り話しあいますよ!

それは掲示板上でもできると思います。時間は無制限なので対面よりもじっくり語れるはずですが。

76高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/12(月) 10:24:36 ID:JThdDrQw0

 蛍さん、「花岡事件」は、ご存知でしょうか?
 私に取っては、平和思考の一つの原点となっています。

 今回の調査のなかで、前の投稿に書きましたが、竹中労氏の取材に同行した事を思い出しました。
 その時に知ったのですが、第二次大戦中に日本の本土に白人の捕虜が三十万人以上居たようです。
 はっきりとした人数や捕虜に対する内容が解らないのは、終戦と同時に役所や警察(?)の役人が
 関係書類を全て焼いて逃げてしまったからのようです。施設は、全国に十の単位であったと思うのですが
 GHQも把握出来なかったとすれば、全施設で同じ事が行われたのでしょう。
 私も調べたのですが、ある大学の学史に一行だけ、全国に白人の捕虜が居た事が書かれていました。
 その他の資料は、探しても見つける事が出来ませんでした。

 竹中氏は、施設の近くに住む住民はもちろんですが、学会人の捕虜に対する行為を聞き取り「庶民列伝」の
 ある一項を書こうとされて居たようです。
 その時に聞いた話しでは、捕虜に対する行為は、憲兵はじめ軍の仕打ちはひどかったようです。
 病気でも薬も与えず働かせる。食事もろくに与えず重労働させる為、死ぬ捕虜も多かったようです。

 その時に、学会人の中で憲兵の目を盗んで薬や食事を持って行った人達が居て、その人達への取材でした。
 昭和二十年前ですから、学会人も多くなかったでしょうし、何よりも見つかったら非国民として身内を含め
 命に係わるような罰を受けたと思います。熱原の三烈士のような気概があったのでしょうか。

 エゴイズムとは何だろうとこの時に考えさせられました。自分が捕虜を助けたいと行動し身内が被害を被る事を
 顧みないことは、我がままでありエゴではないのかと。 人として正しい行動とはなんだろうか・・・。

77高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/12(月) 12:14:34 ID:JThdDrQw0

 おわかりになったと思うのですが、捕虜が送られた施設は鉱山です。

 「花岡事件」に話しを戻すと、秋田県の花岡町(合併で変わっています)にあった花岡鉱山に強制的に
 連れてこられた中国人約900人が昭和20年6月に、あまりの虐待の辛さで、集団で逃亡を図ります。
 大人ですから、当然違うと解っていながら、あの山を越えれば本国に帰れると逃亡した痛ましい事件です。

 私は訳あって十代(未入信)の時に、この花岡鉱山住宅に二年間程住まわせて頂きました。
 戦時中に憲兵をしていた方の住宅です。 この方以外にも憲兵やそれ以上の職の方もおりました。
 どなたも、そうのような虐待をする人には見えません、好々爺と思える人達ばかりです。
 この時の事が、竹中労氏の取材と繋がります。 時代は同じ終戦間際です。

 戦争とは本当に人を残酷にします。
 戦争は絶対に起こしてはいけません。 国の利益、国民の利益とか理由はいくらでもつけられます。
 しかし、悲惨な思いをするのは国民です。 過去の戦争を見ると建前は国益ですが、本音は利権ではないでしょうか。

 蛍さんは、公明党への発言を見ると、平和に対して、私と同じような考えを持っていると思います。
 プロパガンダと糾弾しようとしているのも、その一つの表れだと思います。

 しかし、蛍さんの立ち位置を情緒的な所から、実際に仏法をもっと現実の世界に活かす事に重点を置かれたらどうでしょうか。

78高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/12(月) 14:51:47 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ

>>75
>高速さんの回答の仕方は、私の質問中のキーワード(今回は「教員の報酬」、以前は「打倒」)がないがしろにされており、
>その結果すべてに渡って隔靴掻痒の感があり、結局何を答えようとしているのかよくわからないところがあります。

 大変失礼しました。
 「打倒」に関してですが、この二十年間の事だけでは、始まった原因は解らないので、発展して牧口先生の時代まで遡る必要がある
 と言う事になったと理解しています。
 これは、宗門との不調和音が何時から始まったかを調べていますが、「打倒」を何故続けるのかは、
 それを行う個人の考えなので、明確にはならないかと思います。
 私としては、前にも書きましたが、この様な状態を続ける事は良くないと考えています。

 また、蛍さんも考えておられる通り、現在の罵倒(打倒)をお互いなぜ行うかは、根本はお互いがお互いを邪(邪宗)と
 考えているからと言う事でハッキリしていると思います。 それでも私は止めるべきだと考えています。
 この件については、今のまとめが終わった時点で、再度、蛍さんから提示して戴ければと思います。
 その時は、学会の公式見解では無く、私個人として止めるべき理由を言わせて戴ければと考えています。

79高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/12(月) 15:44:13 ID:JThdDrQw0
次に、「教員の報酬」の件ですが、

 仕事と言うものは、本来その仕事に要求される事を満足する事で、報酬を得るのだと思います。
 教育に関して、高校、大学、大学院と上がるに連れ、要求される事は、学問的な専門知識の幅や深さ等だと考えますが、
 小学校や中学校では、専門的な要求は薄く、知識としては、一般的な要求だと思います。
 反面、人間の倫理観、道徳観などが要求されると考えます。 もしくは、自分色に染めるのは良くないと考え
 一般的な知識しか教えないとの考え等もあるかと思います。 子どもは、親と同じように先生の背を見て育ちます。

 つまり、どちらにしても教育に関して、自分なりの信念を持って教育にあたれば良いのですが、
 そのような先生が少なかったと言う事です。相手は、子どもなので仕事として要求されるのは、
 シッカリとした信念を持って教育にあたる事だと考えた場合に、それを満足させずに報酬を得るのは
 私の中では、しっくりぜず納得できないと言う事です。
 学校が荒れた事が物語っていると思います。

 もし蛍さんに小学生か中学生のお子さんがいらっしゃればPTAに行けれるとわかると思います。
 現場は、教育は事務的処理するしかないと考えている先生達が多いですよ。やる事が多すぎて
 その処理に追われているのが実状ですと話す先生が多いです。

 なぜそうなったかの原因の一つは、生徒と真正面に向き合う教育に、取り組む事が少なかった事も
 あるのではないかと思います。 今の先生達だけに責任があるのではなく、社会で生きる世渡りテクニックを
 優先的に先輩の先生達が後輩に教えてきた期間が、戦後の歴史の中で長かったのだと、自分の体験を通して考えます。

80高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/12(月) 16:23:54 ID:JThdDrQw0

>私が問うているのは当然後者です。そして人によっていろんな考え方があるのは言うまでもないことですが、
>私は目の前の高速太郎さんの論理的見解をお尋ねしております。

 報酬については、先程の先生達の報酬でも述べさせてもらいました。
 論理的に、報酬金額の妥当性を考えれば、本人が受け取っている金額と労働(広義の意)が見合うかと言う事と、
 社会一般的な通念として金額が打倒と考える事が出来るかと言う事になると思われます。

 結論から言えば、妥当だと思います。 「自分としては問題ない」が回答としては、すっきりします。
 宗教団体の職員の労働基準法がどの様に成っているのかは解りませんが、実質的には24時間拘束されていると
 考えた方が実状に合っていると思います。
 勤行し題目をあげて使命感はあると言え、命を削るような毎日です。永遠の生命観に立った時に来世にお金を
 持っていけるわけでもなし、責任の重圧を考えても労働の対価としては、問題ないと思います。

 社会通念上も、具体的に書くと問題が有るかも知れませんが、コメンテーターや評論家の中には、
 自分の言葉に責任を持たない人もいますが、これ以上の収入を得ている人が居ますので問題ないと思います。 

 学会員の殆どが病人と貧乏人と揶揄された時代から考えると、雲泥の差で喜ばしい事だと思います。

 とにかく、功徳と罰は自分持ちです。 不当な報酬だったら支払う人と貰う人に顕れるでしょう。
 その方が怖いのではないですか。

81高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/15(木) 01:06:41 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ こんばんは!

 課題である「打倒」について、宗門と学会の違いがいつから生じたのかとの内容で、私見を述べさせて頂きます。
 蛍さんの、意見・反論の準備の為には方向性が分かった方が良いでしょうから、次の様な大項目で進める予定です。
 但し、論文を書くのが私の目的ではありませんので、途中で意見のある時は、ブレイクを入れてください。
 また、起こるべくして起こったと蛍さんが納得できましたら、意思表示してください。
 その時点で、この件での投稿は、止めにしたいと思います。(要望があれば続ける事も有り)
 その上で、新たなテーマに進みたいと思います。

−−
表題:「日蓮正宗と創価学会の教義上の違いがいつから始まったのかに対する一私見」
はじめに:「宇宙エレベーター」時代の信仰の実践
1:日蓮正宗と創価学会の文化の違い
2:これからの時代の宗教哲学の絶対正と相対性
  その事に対する、宗門と学会の方向性と整合性の取り方の違い
3:具体的な学会創立期からの教義上の違い

 以上の3項目を当面考えていて、明日、はじめに、から投稿する予定です。

82:2010/04/15(木) 02:17:55 ID:J0ucKN1I0
>>79 & >>80

>> 結論から言えば、妥当だと思います。

その理由として、
1)実質的には24時間拘束されている
2)命を削るような毎日
3)責任の重圧
等が挙げられていますが、これらは高速さんの想像ではなく、実際に最高幹部の職務をつぶさに観察した上での認識でしょうか。そもそも、全国の学会員は最高幹部の「日々の激務(←もしそうなら)」の実態をどこまで知っているのでしょうか。

また、1)はそれなりの報酬算定方法があると思いますが、2)や3)の目に見えぬ「心労」の報酬は、ご本尊から功徳とか一生成仏という形で頂戴するものでしょう。お金に換算して「毎日しんどいだろうから、はい2、3千万上乗せね♪」とお手盛りが出るシステムというのは、聖職者組織として妥当なのか・・・・。

高速太郎さんの、小学校教員の報酬に対するストイックでシビアな見方と比べると、学会最高幹部の報酬に対する見解が激甘に見えるのは、私の気のせいでしょうか・・・・・

高速さんは、小学校教員に高い倫理観や道徳観を求めておられますが、
聖教紙上座談会での最高幹部連の口汚い敵対者罵倒の井戸端談義を読んで、さすが数千万円もの給料をいただけるほどの人格者の集まりだ、と思われますか?

>> 社会通念上も、具体的に書くと問題が有るかも知れませんが、コメンテーターや評論家の中には、自分の言葉に責任を持たない人もいますが、これ以上の収入を得ている人が居ますので問題ないと思います。 

社会通念上と言いながら、芳しくない例を出し、それと比較して「だからこっちも許される」という論法に説得力があるとは思えません。


>>学会員の殆どが病人と貧乏人と揶揄された時代から考えると、雲泥の差で喜ばしい事だと思います。

学会員全体の平均所得が年数千万円になっているというのでしたら、そういうおっしゃる通りですが、学会員の中には生活保護を受けている人も大勢いるようです。ほんの一握りの職業幹部の優遇状態を上のような言葉で総括されても白けるばかりです。

83沖浦克治 ◆mjFvO228Tw:2010/04/15(木) 05:43:40 ID:AJ3hr85o0
 管理人として仲介いたします。

 ご両人が創価学会の副会長などの年収で考え方が異なって居ます。
 双方の価値観の差ですので、この件でいくら話し合っても無駄でしょう。
 ですので、学会の専従幹部の収入は、私が別のスレッドを立てますので、そちらで多くの方々も交えて対話をして下さいませ。
 こちらでお2人が、その話題に触れても、回り道になるだけで、本来の対話にはならない気が致します。

 この点、ご理解下さいませ。

84:2010/04/15(木) 07:06:33 ID:J0ucKN1I0
訂正:
そういうおっしゃる通り
  ↓
おっしゃる通り

>>81
了解です。楽しみにしております。

85:2010/04/15(木) 07:39:38 ID:J0ucKN1I0
>>83
了解ですが、
私は、高速太郎さんの(余談としての)小学校教員報酬への疑念と絡めて、ではその基準だと最高幹部の高額所得はどう見えるのかな?と伺ったまでで、高速さんの二重基準っぽい回答を見て、これ以上の議論は無駄だなと思い始めております。
別スレで他の人と再議論しても恐らくここと同じ結果になるでしょうし、窓口や対話相手を増やすと、私としては責任ある対応が(時間的に)困難になりそうなので、私の方から別スレ立ててくださいとは言いません。

86高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/15(木) 13:08:00 ID:JThdDrQw0
沖浦さん 蛍さん こんにちは!

>>83 沖浦さん、管理人としての心遣いありがとう御座います。

 私が蛍さんと対話をしようとした目的は、蛍さんの問題意識を学会員として現場に活かして欲しいと思ってです。
 また、大願である広宣流布を考えた場合に、創価学会としてどの様な問題があり、それをどの様に解決すべきかを
 一学会員として蛍さんの意見を基に考えてみたい為です。

 なので、基本的に対話であり、対決しようとは考えていません。

 沖浦さんが懸念しているように、対決は情緒的な話から発展する場合も多くあります。
 まさに、今のような話題だと思います。話を膨らませる気があるなら、スポーツ選手はどうか、政治家はどうか、
 あげくには、僧侶はどうかとか、炎上まで持っていく事が出来るかもしれません。

 しかし、それを目的にしてこの対話を行っていない事は、蛍さんも承知していると思います。
 蛍さんが私に情緒的な話題に対しても論理的な回答を求めてくるのは、私の論理感・倫理観・人間性等の
 確認のために行っていると判断しています。 ですから、出来るだけ応えたいと考えています。

 また、蛍さんの心の中には、今の学会(員)の執拗なスキャンダラス的な打倒に対する許せない思いが内在して
 いることも考えられます。 私は、回答は出来ないかも知れませんが、その事も含めて理解したいと考えています。

 まさに、この内容は情緒的(論理的話題にはなりにくい)です。 私がことわった上で蛍さんが聞いて来ていますので
 出来るだけ回答の努力はしたいと思います。 結論はでないと理解した上で。

 蛍さんについては、ここの掲示板と「幸の架け橋」と蛍さんが作られている掲示板しか解りませんが、アクセス禁止に
 なっている掲示板もあるようなので、論客なんだと思います。 調査資料も豊富にお持ちだと思います。
 
 あとは、夜に投稿させて頂きます。

87高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/16(金) 00:33:17 ID:JThdDrQw0
蛍さん こんばんは!

 まず、小学校と中学校の先生に対する報酬ですが、金額の多寡を言ってるのではなく、子どもの時に感じた、
 教育には信念を持って当たらなければいけないのではないかとの私の質問に答えてくれる先生はいなかった
 と言う事を述べており、ストイックな事はないし、先生達のお手伝いも放課後毎日仲良く行っていた事実を述べているだけです。
 先生個人に対して責めるとか恨むとか感情的になると言う事は一切ありません。

 学会幹部の報酬を、私の話しに蛍さんが乗せたので、情緒的内容だと答えたました。
 情緒的とは、論理的な展開が難しい事を言っており、この件について両面のうちで情緒が強い、私はそのように考えるからです。
 >>86にも書きましたが、高いかどうかは各個々人の判断に委ねるしかなく、お互いが、反論の為にはいかような例も提示でき
 だからおかしいのだと論を進める事が可能であり、最終的には、不特定多数の人達が参加すると炎上になりかねない内容です。

 根本的に自由と平等は人の知恵では両立は出来ないと、私は考えています。
 なので、両方を実現しなければ解にならない内容を論点に上げるべきではないと考えています。
 一般的に報酬とは、この両方を求める内容だと思います。
 働く事の自由が保証され、かつ報酬が平等で無ければ互いの納得にはならないでしょう。 
 なぜなら、平等を謳う共産主義体制、また社会主義体制に置いては、ある程度の平等性は有りますが自由はありません。
 その自由のなさが、ご存知のように、反対に報酬の不平等を産んでいます。
 まして、資本主義のなかでは、支払う側、もらう側の自由裁量にまかされているわけですから、平等は尚一層無理です。

 だからどうでもよいとは思っていないので、私の考えを述べたのですが、前述のように私の中では全然違う基準で話しているのに
 二重基準だと言われれば返答のしようがありません。
 おそらく、蛍さんを納得させる為には、幹部の報酬がサラリーマンとか公務員の平均給与以下にならなければいけないのでしょう。
 そうなったとしても、公務員の給与が高いと言われているご時世です。 それでも、おかしいのではないかとの提議は可能です。

 お願いがあるのですが、この報酬についての金額記載ですが、蛍さんの事ですから裏は取っていると思いますが、出どこに関しても
 法律的に問題ない事を明記して頂けませんか。 (会長は公人だから金額の提示は問題ない・・・。とか)
 これ以上は、その明記を持って進めたいと思います。

88高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/16(金) 00:46:16 ID:JThdDrQw0

「日蓮正宗と創価学会の教義上の違いがいつから始まったのかに対する一私見」

はじめに

 これからの一連の投稿は、蛍さんの
 ●「創価学会は日蓮正宗を歴史的にどこまで遡って否定しているのか」の問いが「打倒」の意味や、
 なぜ長期間にわたって行うかなどに発展して、いつ時点から宗門と学会の相違が生まれたのかと変化し、
 それに答える意味での書き込みです。出来るだけ情緒的な内容は避けるつもりです。

 そもそも私は、成住壊空の原理から地球が無くなったとしても、末法の相を呈した空間(惑星)が有ったら
 そこに、その空間の本仏(日蓮大聖人様)が出現して御本尊を顕し流布して行く事になるだろうと考えていました。
 それどころか、宇宙空間に四千億個以上あると言われる銀河系の中には、末法の惑星が今有ってもおかしくないし、
 有ったとしたら、そこでは地球と同じように、やはり広宣流布を目指しているのだろうと考えていました。

 しかし、樋田さんの掲示板を見ると、大石寺、戒壇御本尊様は宇宙唯一であり未来永劫に猊下をはじめとする僧侶が
 お守りして行く、他の惑星への御遷化もありうると取れる内容です。
 宗門の公式見解なのかは解りません。 無常かどうかへの言及は、見つけられませんでした。


 2031年の開通を目指して、全米宇宙協会等が進めている「宇宙エレベーター(軌道エレベーター)」があります。
 カーボンナノチューブの発明で実現の可能性が高くなったと言われており、このエレバーターが、もし完成すると
 宇宙ステーションも大規模になり、人類の宇宙への足掛かりとなります。 一般の人達の宇宙旅行も実現します。
 中には、宇宙飛行士として宇宙空間に何ヶ月、何年も滞在する人も出てくるかも知れません。
 この時の自行化他の実践は、どうなるのでしょう。 あくまでも、勤行・唱題は紙幅の御本尊様が目の前に
 無ければ、ダメだと言う事になるのでしょうか。 今世紀前半には、このエレバーターは実現する可能性があるようです。

89高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/16(金) 00:59:07 ID:JThdDrQw0

「はじめに」つづき

 あえて極端な2例をあげた訳は、仏法と言えども法が説かれた時点で想定出来る範囲で顕すしかないだろうし
 権力者も含めたその時の民衆が理解出来うる事でなければ、民衆もその法を受け入れ難いのではないかと考え、
 おそらく鎌倉時代では想定しなかったであろう例をあげました。 


 宇宙の法則、人間の生命を解いた仏法の根本義は、社会が変化しても変わらないと私は考えます。
 しかし、社会の変化に合わせてその内容は変わって然るべきだと考えます。 広い意味での化儀が一例だと思います。
 そうでなければ、社会(民衆)に対する価値・意味(公益性)が損なわれるのではないでしょうか。

 私は、宗門と学会が当初からこの社会への対応という点で、見解が違っていたのではないかと考えています。
 そのズレが、宗門問題として表面化して今に至っており、今回の投稿もそこを目指して行くことになりそうです。
 つまり、この社会への対応を考えた内容の変化に対する考え方や行動の仕方の違いが、宗門と学会のズレを
 生んでいる根本なのではないかと、考えています。
                                          「はじめに」終

90:2010/04/16(金) 20:32:03 ID:J0ucKN1I0
>>87
>>小学校と中学校の先生に対する報酬ですが、金額の多寡を言ってるのではなく、子どもの時に感じた、教育には信念を持って当たらなければいけないのではないかとの私の質問に答えてくれる先生はいなかったと言う事を述べており、ストイックな事はないし、先生達のお手伝いも放課後毎日仲良く行っていた事実を述べているだけです。

この議論の発端は高速さんの以下の一文でした。

>>61
>>学校の先生達が、なぜお金(給料)をもらって教師・教員が出来るのか、未だに理解できません。

この文(とその補足説明)を見て、私は、少年高速太郎が通っていた小・中学校には、不幸にして給料を貰うに値する教師がいなかった、と解したわけですが、
単に「彼らがなぜ教師という職業を選んだのか」という意味に過ぎなかったようですね。
だとしたら私の誤読でした。「お金(給料)」が強調気味に前置されているので、そこに意識が集中し、思考のピントがずれてしまったようです。トンチンカンな応答をしてしまい、申し訳ありませんでした。

91:2010/04/17(土) 02:24:42 ID:J0ucKN1I0
>>90 の最後の段落の一行目、思考過程の説明が1ステップ抜けてましたので、補足しつつ訂正します。

・この文(とその補足説明)を見て、私は、少年高速太郎が通っていた小・中学校には、不幸にして給料を貰うに値する教師がいなかった、と解したわけですが、
   ↓
・この文を見て、高速さんが「教員たるもの、給料を取るべきでない」と言っているのかと思い、その補足説明を読んで、少年高速太郎が通っていた小・中学校には、不幸にして給料を貰うに値する教師がいなかった、と解したわけですが、

92高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/17(土) 22:07:11 ID:JThdDrQw0

蛍さんヘ こんばんは! 今日は、雪でした!

>>90-91
 私は、文筆力がないんです。 誠実に書こうと努力はしています。

 今後も、不明確な処や腑に落ちない点がありましたらご指摘ください。 宜しくお願いします。

93:2010/04/23(金) 12:08:58 ID:J0ucKN1I0
明日、大石寺に登山します。20数年ぶりです。
家族旅行も兼ねて車で行くので今夜出発です。何時間かかるんだろう・・・・

フェイクや新報を読むと、桜の名所が消え、ゴーストタウン化して見る影もないそうですが、本当かどうか、この目で確かめてきますね。
戻ったらブログに写真付きでレポートしたいと思います。

20数年前、夜行列車で登山したことを思い出します。列車まるごと貸切か車両貸切だったので、皆遠慮することなく、大声で学会歌を何曲も歌ってました。
先に配られる朝食は、パック詰め白飯とふりかけのみ。冷たくて粗末なものでしたが、お山に向かう列車の中で同志達と食べれば、楽しく美味しく頂けた。
当時、フェイクのような敵対機関誌があったら、「学会員らは寿司詰め列車に揺られて疲労困憊の末、おかず無しの冷めた弁当があてがわれ云々」とコキおろしたことでしょう。

では、行ってまいります。

94高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/23(金) 18:22:47 ID:JThdDrQw0
蛍さんへ

 お気をつけて行ってきてください。

 続きは、日曜日まではアップする予定です。

95高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/25(日) 23:30:28 ID:JThdDrQw0

1.日蓮正宗と創価学会の文化の違い

 ここでの結論は、後で述べる、於保哲外先生の講演「海の文化と村の文化」で話されている学会設立当初からあった両者の文化の違いに問題の根本が有ったと言う事に繋がって行く事になります。

 文化の違いの根底となると思われる人間主義について、私ごときが牧口先生の胸中や考えを推しはかる事などおこがましい事ですが、答えなければならない立場でもあるので、あえて牧口先生の考え方等の参考になると思われる幾つかの例をお借りして述べさせて頂きます。

 創価教育学会を創立する27年程まえに、牧口先生が若き日(32歳)に著された、人間生活を地理学の観点から捉えた「人生地理学」(明治36年)は、当時、社会一般において注目され普及した様ですが、アカデミックな地理学(会)からは、ほとんど軽視、無視されたようです。
 このことは、牧口先生がいわゆる大学では地理学を学んでおらず、北海道尋常師範学校卒業と言う事も大きな原因のだったのでしょう。

 日蓮正宗と出会う前に、人生(人間生活)に真正面から取り組んでいた事、その延長線上に創価教育学会があると言う事が、牧口先生の人生哲学を理解する上で大切な事だと、私は考えました。

 つづく

96高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/25(日) 23:52:12 ID:JThdDrQw0
 つづき

 次に、「創価教育学体系」での牧口先生の「価値論」は、相対主義的・主観的・功利主義的価値論(「創価教育学入門」熊谷一乗)とされており、この事も大切な視点だと思われます。
 「価値論」では、真理は、「人にも時代にも環境にも関係なく不変である」と定義し、変化していく価値とは明確に区別されています。

 『而して生命の維持保全に対して有害と認められる其の種類程度に応じて悪といい、害といい、醜という』この一文は、一個人に取って、自分を犠牲にして国の為に尽くす(滅私奉公)事は、相手が国と言えど価値ある事では無い、「一人の人を大切にする事」に価値が有ると、私には読み取れます。
 蛍さんからの提議である、何故攻撃するのかの一つの答えになればと思い、暴言、誤解を恐れずに言えば、「人とは、他人に害になる事でも自分に取っては価値のある事になってしまう場合がある」と言うふう捉えれば、そのような行動を取る事もあるのだと考えられます。

 しかし、私が読む限りにおいて、この時点でも、人としての生き方や国としてのあり方は、明確に記されていないように思われます。
 牧口先生は、大聖人の仏法、御書の中に、この答えを見出そうと、日蓮正宗に入信したとは、考えられないでしょうか。 例えば、立正安国論など・・・。

97高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/25(日) 23:58:00 ID:JThdDrQw0

蛍さん 遠路、お疲れ様でした。

 今日は、ここまでにさせて頂きます。

103高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/29(木) 13:52:06 ID:JThdDrQw0
石原さん はじめまして!

・最初に他人の話しに割り込む時は、その旨話して了解をもらってからでないと、ダメですよ!
 世間では、認めてもらえませんよ。 まして、そのような人の評価をだれも評価しないよ!

>>100
 私が蛍さんに話しているのは、正にその事ですよ!
 1週間待ちますから、蛍さんを説得してごらん。
 蛍さんに「宗門と創価学会は、創立当社から課題が有って宗門問題は起こるべくして起きた事だ。
 学会が宗門を罵倒するのは、よくわかる。」と、言わせてごらん。
 具体的に蛍さんが納得出来るように、説得するんですよ。 期待してますからね! 
 でなければ、あなたがここに何しに来たか解りませんよ!

>>101
 そうですよ! 宗門と創価学会は別の宗教団体ですよ。 だから、宗教法人法に則った内容をお互いが
 どうのこうの言うことは必要ないんですよ! 
 あなた、隣りの家がキリスト教だったら、勝手に上がり込んで
 「キリスト教では、成仏出来ないから宗教の話しなど口から出さないでくれ」って言いに行くの? おかしいでしょ!

>>102
 沖浦さんのところへ6月19日に行くから、あなたも来てみたらどうなの。
 それとも、ネットの事はネットで解決すると言うこと! だったら、この掲示板で話せば問題ないんじゃないの!

もう一度言いますよ。・人に頼むときは礼をつくす事・蛍さんを1週間以内に説得すること・6月19日に沖浦さんであいましょ!

あなたから言い出した事だから、宜しくお願いしますよ!

蛍さん、 と言う事で、1週間待ちますので、私の投稿はそれまで控えます。
沖浦さんに断らずに勝手に誘ってすみませんが、19日に石原さんも見えると思いますので宜しくお願いします。

104高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/29(木) 14:06:47 ID:JThdDrQw0
沖浦さんへ こんにちは!

>>103
 了解もらわず投稿しましたが、まずかったら削除してください。

105沖浦克治 ◆mjFvO228Tw:2010/04/29(木) 14:59:04 ID:AJ3hr85o0
高速太郎さん、今日は

 結構ですよ。
 礼儀知らずはあちらです。

106:2010/04/29(木) 15:30:53 ID:rqY2Vdvg0
石原さんは法華講員ですね。お仲間に注意するのは気が引けますが、
対話の流れに棹差すような割り込みはご遠慮くださるよう、お願いします。

私は今、高速さんが創宗歴史問題についての考察を書き終わるのを待っているところです。
結論を急がないで下さい。

107高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/04/29(木) 17:20:48 ID:JThdDrQw0
蛍さん こんにちは!

 石原さんは、未成年者ではないんですか? 他の掲示板あまり見てないので解りませんが。
 
 未成年者でなけれれば、言葉使い失礼だったかもしれませんネ!

 私は、連休中も出勤ですが、たぶんあまり忙しくないと思うので集中して課題に取り組む予定です。
 3時間以上集中する時間がないと書けませんね。 スポット的な空き時間では無理です。

 金曜日(30日)に国の事業採択のプレスリリースがありこれ次第なんですけどね。一応手は打ってありますから。

109沖浦克治 ◆mjFvO228Tw:2010/04/30(金) 11:44:19 ID:AJ3hr85o0
ここは、高速太郎さんと、蛍さんのスレッドです。

 書き込みはご遠慮下さいませ。
 私も、なるべく書かないようにしておりますので。

110高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/05/03(月) 17:08:32 ID:JThdDrQw0
つづき

 一方、牧口先生はその時代に教育者・思想家として何を問題視し、どの様に変革しようとしたのでしょうか。
 「教育勅語」に見られるように、また時代背景として日清日露の戦争があり、教育は、知育よりも徳育を
 重んじられていたようです。
 徳育も、我々が考える道徳や理性ある人間を育てる事よりは、国家主義的な人間をつくる要素が強かったと思われます。
 
 そのような中で、牧口先生は庶民、人間に重きをおいた教育が大切とは考えていたのでしょうが、批判するに
 足りるモノサシとなる理論を持ってなかったのではないでしょうか。
 人生地理学に、『不肖、教育の職に在ること多年、其の間、地理学の教育上、重要の地位にあらざるべからずして、
 しかも甚だ軽んぜらるること久し。而して、嘗て思えり。もし、この学の教授法にして、今少しく改良せらるるを
 得ば、現今における教育上の痼疾の大半は除去せらるべしと。』と記されているように、教育(界)に批判的な
 考えを持っていた事は明らかであり、変革の思いを込めて書かれた書だと理解出来ます。

 ある事件をきっかけに、三十一歳の牧口先生は妻子を抱えながら、行李一杯の原稿を持って北海道(札幌)を
 去り東京へと出る訳ですが、私はここに、牧口先生の「海の文化」的な思考、行動を感じます。
 約束された生活の糧もなく、知人も殆どいなかった東京へ出る決心は、並々ならぬものがあったと思います。
 新潟、柏崎で生まれた庶民的な力強さ精神力や生活力が、不安や陰鬱を跳ね返して自分の理想実現に赴かせた
 のだと思います。

 池田諭氏(実践的思想家1923〜1975)は、牧口先生を「福沢諭吉、中江兆民、北村透谷のような人権論者、
 自由論者、平等論者ではなくて、彼は、人権、自由、平等を具体的に存在する庶民大衆の中に発見していく
 とともに、庶民大衆自身が、自らの中にそれを発見し、定着させることのできる思想を創造していこうと
 したのである。」と評しており「このように考えるとき、牧口は、現代日本の誇りうる思想家であると同時に、
 現代日本が深く学ばなくてならない思想家である。(中略)牧口の思想が、そして彼の学問、教育論が長い間、
 一部の人を除いて、殆んどかえりみられなかったということは、日本の学問と教育にとって大きな不幸である。」
 とも著しています。 私も正にその通りだと考えています。
 
 つまり、牧口先生は、体制に迎合する事は無く、池田諭氏のいう「人間が人間として生きるということは反逆者、
 求道者、革命家として生きることだ。既成の価値、倫理、秩序を否定して、新しい価値、倫理、秩序を創造する
 ことが生きることであり、自分を変え、人を変え、社会を変えて、生生発展させることである。」との思想にも
 通じるものが、あったのかもしれません。

111高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/05/03(月) 17:29:59 ID:JThdDrQw0
つづき

 そのモノサシともなるべく日蓮正宗に三谷素啓氏の折伏で入信しましたが、「創価教育法の科学的超宗教的実験証明」
 (牧口全集第8巻:第三文明社 74-75頁)の中で『まず師とするに足る正しい人の言を信じ、如説の実行をなし、
 体験によって価値の有無を証し、無価値なる主観的の観念論を捨て、以て人をも離れて、生活関連の法を信ずるので
 ある。更に何故に価値が証明されるかを、経文及び道理にただして、いよいよ信仰を確立し、かくて価値の遠大と
 近少とを比較対照して研究し、遂に無上最高の極意に達し、ここに初めて畏れる所なき安全の境地に達する。
 『一信二行三学』という科学のそれとは全く異なった研究法がすなわちこれであるが、これはすべての技芸乃至
 生活法の研究に適用されるべきもので、現に無意識的に如何なる技芸の修業にも実行しつつある所である』
 と述べています。
 
 生活法、言い換えれば社会(民衆)への価値・意味(公益性)を宗教は考える必要があり、全文では、教義より
 道理に合った論理を重視していると考えられます。

 つまり、宗教というのは伝統的な教義が第一では無く、杜会の繁栄や個人の幸福を実現する事が最重要であり、
 もしそれが実現出来なければ、宗教としての意味(価値)がないと言う事です。

 宗門側(村の文化)の事は書いて来ませんでしたが、ここまで読んで、もともと宗門と創価学会(牧口先生)は、
 伝統教義を重んじる宗門と、実生活の上で実証が無ければ意味がないとする創価学会とでは違っていたのだと、
 おわかり頂けたと思います。
 (教義上の違いは後で述べる事になると思います)

 蛍さんが質問されている、歴史的に遡ってどこまで宗門を否定しているかではなく、日蓮大聖人様の仏法を根本義と
 するものの、文化の違い(海の文化と村の文化)が日蓮正宗の伝統的な教義を重んじていなかったと言う事に
 なるのではないでしょうか。

                               1.日蓮正宗と創価学会の文化の違い 終

112高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/05/03(月) 17:32:15 ID:JThdDrQw0

参考:(日蓮正宗と創価学会の文化の違い)

・牧口先生のよく述べられていた言葉 = 良い意味での海の文化的な発言です。

 「積極的な善人となれ。」
 「認識せずして評価するな。」
 「良いことをしないのは、悪いことをするのと、ちがうか同じか?」
 「不善は悪である。また、小善も、大善に違反すれば、大悪となる。」
 「悪人の敵となる勇者でなければ、善人の友とはなりえぬ。」



・「海の文化と村の文化」ドクター部 於保哲外先生

  URL  ttp://www.pegasus-pro.com/jonathan/contribution/doctor-obo1.htm

113:2010/05/30(日) 23:07:51 ID:Ha.0sUAA0
あと、2、3と続くのですね。
全部完結してからコメントを、と待機している状態ですが、高速さんもお忙しそうですね。

細長い島国日本で「海/村の文化」というステレオタイプな立て分けに有意性があるのかどうか懐疑的ですが、ともあれその「文化の違い」の前提立てについては了解いたしました。
そういう文化の違いがなぜ教義解釈の違いを生んだのか、なぜ60年間「違い」を隠蔽し、今日「邪教」とこき下ろしている正宗教学を会員に教えてきたのか、なぜある日突然(67世登座時でなく破門後)に打倒対象になっていくのか、その辺りの合理的な説明が2、3でなされていくのだろうと思います。楽しみにしております。


本スレを読み返して、一箇所書き間違いに気づきましたので、訂正させていただきます。
>>93
誤:20数年前、夜行列車で登山したことを思い出します。
正:30数年前、夜行列車で登山したことを思い出します。

団体登山の思い出は30数年前のことです。
同文中に「20数年ぶり」と書いたのは、個人登山(家族旅行の際に立ち寄った)以来という意味です。
どうでもいいことですが、下記間違いを発見して放置しておくのは気持ち悪いので、一応訂正しておきます。

114:2010/05/30(日) 23:11:26 ID:Ha.0sUAA0

× 下記間違いを
○ 書き間違いを

やれやれ・・・

115高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/05/31(月) 14:01:17 ID:JThdDrQw0

蛍さん こんにちは!

 了解しました。 しばしお待ちください!

117沖浦克治:2010/06/11(金) 16:57:24 ID:pk4rbLLwo
 蛍さん、独り言は対話ではありません。

120:2010/06/13(日) 23:37:45 ID:QWVxxEec0
当板管理人による恣意的な干渉の及ばない場所での対話継続を希望します。
そちらで板を新設していただいてもいいですし、私が作ってもかまいません。
この件について、高速さんのご意見をお聞かせください。

121沖浦克治 ◆mjFvO228Tw:2010/06/14(月) 06:24:15 ID:AJ3hr85o0
 それでは結論が出るまでこのスレッドを停止致します。

 高速太郎さんは、このスレッド継続の意思があおりなら、その旨お書き込みください。
 管理人のスレッドにお願いいたします。

122高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/07/28(水) 13:15:05 ID:JThdDrQw0

2.これからの時代の宗教哲学の絶対性(正)と相対性 
 
宗教と哲学の違い①

 宗教を語り哲学を考える時に、はたして宗教と哲学は違うのかと考えさせられます。
 しかし、私の知識では、学問的に両者の違いは明確になっていないと理解しています。
 なぜ学問的に明確に分ける事が出来ないのか。
 その一つには、日本の学者(宗教・哲学)の方達で何らかの宗教に入信(入会)している方が少く、
 あまり宗教活動の実体験がないからではないでしょうか。
 以前、ある大学の宗教学の先生に、仏教はドイツで学ばないと日本では一流とは認められないとの話を
 聞いた事があります。
 その時は、変な話だと感じましたが、今は、何となく理解できる気がします。
 これらは、宗教の特性である「信じる」ことが、学問的な理性の探求にフィルターを掛ける事を
 懸念している為だと思われます。
 もし、そうなら宗教と哲学は、明確に分ける事が出来ないとしながらも、学者の方達は概念的には、
 分けており、宗教は理性にも影響を与えると考えていると言えるでしょう。
 反面、私がお会いしたアメリカの数人の学者は、どれかのキリスト教を信じていました。
 キリスト教は、「神と共に生きる生活」であるとも聞き(分派によって具体的内容に違いがあるようです。)、
 研究もその上で行っているように感じられました。

123高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/07/28(水) 13:31:44 ID:JThdDrQw0

つづき

 なぜ、始めにこのような事を述べたのかは、ジェームズ・リューバなどによる宗教の定義(分類)は有るものの、
 宗教学者の数ほど定義があると言われ、文部省の「宗教定義集」の中には、100以上の定義がおさまっており、
 さらに増える事も考えられと言う現状を踏まえて、対話を進める必要があると思うからです。

 併せて、欧米から発せられる宗教的な情報(セクト、カルト等)も、これらの背景を考える必要があり、
 意味として「Religion=宗教」ではないとの認識も必要です。
 さらに、朝鮮や中国に代表される儒教(学)の重んじられる国々、東アジアからの発信についても背景には、
 この儒教の文化があると考えます。


 つまり、宗教を議論する上で、お互いの認識として多様な定義の中で話を進める必要があり、
 学会と宗門との対立も、その多様さが一因としてあげられると、考えられるからです。
 私は、理性に基づいた宗教の学問的な追求で、両者の正邪を分ける事は難しく、日蓮大聖人様の仏法を
 一方的な押し付けではなく、世界の人々とお互いの理解を深めながら広めようとした時に、
 このことは、創価学会と日蓮正宗ともに課題として捉える必要があると考えます。

                                    宗教と哲学の違い①終わり

124沖浦克治:2010/07/28(水) 15:27:52 ID:AJ3hr85o0
高速太郎さん、今日は

 再開なさいましたね。
 横槍が入らないように、キチンと管理をいたします。
 ご安心くださいませ。

125高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/07/28(水) 23:33:13 ID:JThdDrQw0
沖浦さんヘ こんばんは!

 ありがとう御座います。 宜しくお願い申し上げます。

127高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/09(月) 02:01:06 ID:JThdDrQw0

宗教と哲学の違い②

 私の中の宗教と哲学の違いは、やはり宗教的な実践(活動)があるかどうかだと考えています。
 私なりに、今まで宗教について考えたり体験した中で言える事は、宗教には、未だ科学では合理的に
 説明が出来ない部分が多くあると言う事です。

 創価学会に限らず、宗教に入信(入会)している方達は、宗教活動の中で得られる事柄に
 実質的な価値を見出して、信仰を続けているのでないでしょうか。
 それは、精神的なやすらぎの様に、心の中の事で他人の眼には見えず、第三者には判り難い事柄や、
 病気や貧乏など、つまり苦しい生活環境を克服するなど第三者にも理解できる事柄もあります。

 しかし、これらの事柄は、ある面では信じる事が前提条件となっており、そこで始めて理解出来る事が
 殆んどだと考えられます。
 残念ながら、信じていない人には、理解出来ないと言う事です。

 もしかすると、イデオロギーが体制を変える事で、民衆に取っての負の環境を価値的な環境に変えて
 行く事と似ているかも知れません。
 しかし、それは、全体を変える事で、その中の個々人にも価値(利・善)を与えて行く事であり、
 大聖人の仏法の様に、個々人の変革により価値を得て、それが全体の変革を促していく行く事とは、
 大きな違いがあると言えます。
 
 これからの宗教の流布に必要な事は、宗教活動で得られる現実の生活の中での具体的な価値、
 これを、しっかりと自分で認識し、客観的に第三者が納得する説明が出来る事だと、私は考えています。

 また、得られる価値は、第三者に取ってもプラスの価値の影響力を持つ必要があります。
 自分だけ良いのであれば、占いでも霊感でも構わないことになります。

 組織は、生まれた時から堕落と崩壊が始まるとの事を打破する為にも、この事は重要です。

128高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/09(月) 02:09:52 ID:JThdDrQw0

宗教と哲学の違い③

 三大宗教を始め世界には多くの宗教があり、活動を行っています。
 その中で、宗教の価値とは、宗教活動が人々と社会にどの様な影響を与えるかで判断する事も重要です。

 宗教活動とは、何を云うのか。
 私は当然、全ての宗教を知っている訳では有りませんが、宗教的な実践の一つは、祈る事だと考えます。
 もしかすると、宗教の誕生は祈る事から始まったのかも知れません。

 何故、祈るのか。
 まず、死や霊というものに対する畏怖があげられます。
 中には、他の生き物だったり、自然現象や環境だったりとかも有るかも知れません。
 しかし、自分自身に具体的な欲求がありそれを叶えたいと考えている人が
 多いのではないかと思われます。

 その欲求とは、時代によって変わって来ているものも多く、日照り続きでの旱魃による農産物の不作など
 人間が自然に対して殆んどの対応が取れなかった時代。
 身分制度により、生まれ乍らにして、不幸を背負わなければならなかった時代。
 医学的な対応が取れなかった時代など・・・。
 そして、現代はお金が無ければ生活が破綻する時代です。

 宗教の必要性は、その人間的生活基盤や人間的な思想の確立もあげられると思います。
 つまり、大切な事は、人間が人間として生きる事への根源的な欲求を叶える事です。

129高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/09(月) 02:13:07 ID:JThdDrQw0

つづき


 もう一つの実践は、教えを広めて行く行為です。

 私は、自分の幸せと世界の平和を祈ることで、世界の人々の幸福を実現したいと考えて活動しています。
 その為には、自行化他の題目で自分自身を変革(人間革命)しながら、本来の人間としての
 揺ぎ無い幸福を築きあげる事が大事だと考えています。

 思いを廻らし観念的な満足を得る事ではではなく、現実の生活の中に価値を創造して行く事ができる宗教が
 創価学会だと考えています。


                                     宗教と哲学の違い③終わり

130高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/13(金) 22:34:18 ID:JThdDrQw0
宗教と国益

 国益とは何か。 これも、しっかりとした定義が無いよう思われます。

 一般的には、国民の生命や生活の安全と安心を担保し、財産、文化を増やし向上させる事の様に
 考えられているようです。
 もう一歩進めて考えてみると、国益かどうかは、何を拠り所として、判断がなされるのでしょうか。
 おそらく、そこには、国家としての明確な戦略や目標が必要であり、それを基準として判断をしなければ、
 その度に、ブレると云う、他国からは理解し難い状況を招く事になると思われます。

 はたして、国民はどこまで、その基準を考えているのでしょう。
 多くの人が、日本及び世界に対して日本が進むべき道を、明確に捉えているとは、
 私には、とても考えられません。

 自分だけ道徳的に正しい所にいて、そこから外れる人や行動を、さも卑しい事の様に批判し、
 しかし、自分は実践的な行動を取ろうとしない、聖人シンドロームからは、人間の負の面が多く発信され、
 殺伐とした社会風景しか得られず、明るい発展的な社会雰囲気を醸成することは、難しいと考えます。
 なぜなら、全てにおいて完璧な人間は、いないからです。誰でも批判され得る一面は、持っているのです。

 反面、正しい批判、正しい意見は、より以上に、重要になって来るでしょう。

 国家間の対立の上で成り立っており、理想や理念を基準としたものではない、妥協や現実的解決を
 優先する事に、多くを委ねている国益とは、いったい、どんな意味を持つのでしょう。

 ニッコロ・マキャヴェッリの、国の根源は自国の軍事力に拠る、とする古い現実主義にしがみつき、
 原爆が必要とする世論を作り上げようとする輩に、与することは避けなければなりません。

 私は、政教分離を生み出した一つの要因は、この現実主義があると考えています。
 経済的な国益を優先して考えるなら、人間として正しい理念は邪魔に成ることが多く
 国益の為という美文と、他国から攻められた時に、日本国民が死んでもいいのかと言う
 究極の選択かつ仮定の言葉に弾き出されるのです。

131高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/13(金) 22:40:52 ID:JThdDrQw0
つづき

 では、我々が、適切な批判や問題提起の基準を、何から得ればよいのか。
 言うまでもなく、大聖人様の仏法を基軸とする必要があります。

 その上で、もっと政治に関わりを持ち、政治の現場である行政とも関わりを持ちながら、
 公明党とも、正しく関わりをもって行く事が大切だと考えます。
 つまり、今以上にしっかりとした信心、宗教観が必要とされるのではないかと思います。

 戦争の被害者である庶民を、貧困と病気から救うべき立ち上がった戸田先生、創価学会。
 この平和主義を根幹として、グローバル化し多様化して行く世界をリードする為には、
 池田先生の提唱する「人間主義」の方向性が益々大切になって来ると考えます。

 世界平和と言っても、一人一人の集まりです。 単なるきれい事ではありません。
 もし、権力により歪められた現実主義なら、断固是正する必要があります。

 大聖人の仏法で、生命にそなわる善性を開花させ「平和主義」「文化主義」「教育主義」を実現する
 粘り強い対話を重ねて行く事に、私は、これからも努力して行きたいと考えています。

                                
                                     宗教と国益 終わり

132:2010/08/14(土) 06:04:06 ID:CRrLXINs0
補足説明をお願いします。

>>131
>>池田先生の提唱する「人間主義」の方向性が益々大切になって来ると考えます。

「池田先生の提唱する『人間主義』」という言い方は、池田氏オリジナルの「主義」に聞こえますが、それはどのようなものですか?
既存のヒューマニズム類とどこか違うのですか?

このスレの文脈で「人間主義」が出てくるのは、恐らくこの後提示されるであろう「宗門の“権威主義”」との対比あるいは対決のための伏線なのだろうと思いますが、
「池田先生の提唱する『人間主義』」なるものの中身をもう少し具体的に説明していただく必要があります。

133高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/15(日) 00:57:45 ID:JThdDrQw0
>>132
 蛍さんの質問は、「宗教と哲学の違い」「宗教と国益」の中で緩やかに述べたのですが、
不充分と思われていますので、もう少し詳しく述べたいと思います。

 また、私が述べるべき大きな課題は「打倒」が何時ごろから何故起こったのかですが、
 それが解ったとしても、蛍さんと対決をするつもりはありません。
 法華弘通が大願なので、その方向に進む事が価値的と考えるからです。

 ただ、何度も言いますが、正しい批判、正しい意見は、これからも大切です。

 蛍さんの言う「既存のヒューマニズム」とは何を言うのかを、私は理解していませんが、
 「人間主義」を「人間とは何か」「人間の尊厳とは何か」と置き換えるとしたら、一般的な
 ヒューマニズムと似ているかも知れません。

 大前提として、考えているのは、「キリスト教で人類を平和に導くことが出来るのか」と言う事です。
 つまり、大聖人の仏法を基盤とした「人間主義」がこれからの世界には大事だと思います。

 池田先生の人間主義を、「実存主義はヒューマニズムである」の実存主義との対比から考えています。
◇有神論的実存主義者
 ・ヤスバース
 「「人間であることは、人間になることである。」とは、人間存在が、初めから人間であるのではなく、
  自らを創り出す事ではじめて人間になれると言う事である。また、死・苦悩・闘争・罪責のように、
  人間にはどうする事も出来ない状況を限界状況という。
  限界状況に直面し、自己の有限性・絶望・不安を感じる中で、自己を超えた超越者に出会う事が
  出来ると考え、神の実在の自覚によって、自己の実存がより確かなものに感じられるとしている。」

 ・キルケゴール
 「単独者とは、自己を見失うことなく、単独で主体的真理を探求する理想的な人間を言う。
  神との関係を失った時、人間は絶望に陥るが、この絶望をきっかけとしながら、神を求めて命がけの
  飛躍を決断するとき、人間は主体的真理を実現する事ができる。」

134高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/15(日) 01:00:25 ID:JThdDrQw0

◇無神論的実存主義者
 ・ハイデガー
 「人間の実体とは、精神ではなく実存なのである。実存とは、日常生活のなか(世界−内−存在)で、
  他者や世間に関心を向けすぎて、この実存から目をそらしている人間を「ひと」と言うが、
  いつかは死すべき運命にあり、「ひと」はこの死という事実から目をそらして暮らしている。
  「ひと」は、死に対する自己の本来的なあり方(実存)を直視しない人間のことである。
  しかし、「ひと」も、やがては、自己が発する良心のよび声によって、本来のあるべき
  真の自己に目覚めるとしている。」

 ・サルトル (「実存主義はヒューマニズムである」 アンガージュマン=社会参加)
 「「実存は本質に先立つ」とする主義(立場)である。
  この事は、人間の本質が明らかになる前に、既に人間は実存している事である。
  つまり人間という存在に関しては、すでに存在しているという事実が先行しているのであり、
  あとから自らの決断によって本質を創りあげていかねばならない。このような決断を投企という。
  人間は自分で成りたいものになるべく、未来に投企し、自分をつくりあげる。
  サルトルはそこに、人間の自由と不安をみた。」

◆実存主義とは、神の絶対的価値が失われたことに端を発すると考えられます。
 これは、機械文明の発展によって信仰を失った事に起因し、個性や主体性をもった人間存在(実存)を
 疎外し、抑圧しはじめた事に対する反動として生まれたと考る事が出来ます。
 合理性や理性を重んじる思想と密接に結びつきながら発展した西洋文明へのアンチテーゼです。
 「もし絶対的価値基準が無いとするなら、人間的な本質など無い事になる。
 そうであれば、人々は神が望むような形では無く、人々が自由に望むように選択(創造)できる。」
 と言う結論になります。

135高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/15(日) 02:34:51 ID:JThdDrQw0
 上で述べた、「限界状況」「超越者」「絶望をきっかけとして主体的真理を実現する」
 「死から目をそらして暮らしている」「投企」等の言葉から、西洋文明(キリスト教)は、
 人間の根源にある「生命」に迷い理解できず、本質を得られていない事が良く解ります。
 理論が有ったとしても、現実での証がありません。

 この事は、キリスト教には、ダイナミックに生命そのものに働きかけ、自分のみならず他まで変革して
 行く能動的な力を認める事ができず、寛容さも少ないからと思われます。
 自己の外に神が有るとするキリスト教では、其の様な力は認められる訳がなく、神に祈り懺悔する事が
 人間が天国に行ける唯一の方法となっています。

 為政者のみならず、聖職者も己心の神の存在や生命に働きかける力を持ったものは、カルトしなければ
 自分達の生き残りが図れません。『アラン・ジュスト報告書』などがその例としてあげられます。

◇池田先生の大聖人の仏法を基盤とした「人間主義」は、これら実存主義の課題解決に答えています。
 人間革命の冒頭に記されている「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも
 成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」とは、正に実在主義の「限界状況」「投企」等を
 現実の生活の中で実現して行く方途であり意味です。

 また、「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」を受けての
 「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩で
 あらねばならない」との綴りも、サルトルのアンガージュマン(社会参加)への人間として具体的関わり方
 と追求すべき価値を顕していると考えます。

 私は、これら先生の指導の「人間主義」の実現を目指して活動しています。

◆私は、下記URLの先生の詩に強い感銘を受けます。
 
 『翻れ! 人間主義の旗』 http://www.sokanet.jp/sg/sn/Member/Movie/1259626444764

136:2010/08/16(月) 21:19:05 ID:AVZZHZd60
>>池田先生の大聖人の仏法を基盤とした「人間主義」は、これら実存主義の課題解決に答えています。

この文の主語、
●池田先生の大聖人の仏法を基盤とした「人間主義」は、
は、
●大聖人の仏法は、これら実存主義の課題解決に答えています。
と書けば済む(内外相対)話だと思うのですが、なぜそんな回りくどい表現が必要なのですか?
大聖人の仏法はそれ自体が普遍性を持った完成形であり、それを基に誰かがさらに新しい何かを生み出したかのような表現は問題があるように思われます。

池田氏が大聖人の仏法から抽出した「人間主義」という意味ですか?
ならば、「池田先生の」ではなく「戸田先生の」と言うべきであろうし、
なんだかよく分かりませんねえ。
「池田先生の」と敢えて冠する理由を教えてください。

ところで、
以下の大幹部発言は、「人間主義」という言葉だけが一人歩きした挙句、恐ろしく間違って応用された例ではないかと思われます。初めて読んだ時、背筋が凍りました。
------------------------------
秋谷 学会は「人間主義」だ。人間主義とは、人間を尊重することだ。当然、人間と、仏敵の畜生とは、峻別しなければならない。
青木 大聖人ご自身が、恩知らずを〝畜生以下〟と弾呵(だんか)されているんだ。畜生を人間扱いなんかしたら、我々が大聖人に叱られる(大笑い)。
------------------------------

大聖人の仏法は一闡提をも成仏させうる力があると、私たちは教わっています。
そちらから見た「反逆者」や「恩知らず」な人も、すべて仏性を備えた「人間」であることに違いはありません。
それらの行動や考え方に間違いがあるのなら、それについて指摘し信仰指導として強く叱責することはあってもいいでしょうが、「人間扱い」まで拒否するとは言語道断です。

一闡提をも成仏させうる大聖人の教えから著しく乖離したこのような発想を生む「人間主義」とは一体何なのか、と私などは考え込んでしまうわけです。

なお、「一人の人間における偉大な人間革命〜」は、戸田第二代会長の青年訓にある
「最高唯一の宗教の力によって人間革命を行い、人世の苦を救って各個人の幸福境涯を建設し、ひいては、楽土日本を現出せしめんことを希う者である。」の表現を変えただけのものであり、戸田指導の踏襲です。池田オリジナルの発想というわけではありませんね。

137高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/19(木) 02:14:12 ID:JThdDrQw0
>>136 蛍さんへ

>●大聖人の仏法は、これら実存主義の課題解決に答えています。
>と書けば済む(内外相対)話だと思うのですが、なぜそんな回りくどい表現が必要なのですか?
>大聖人の仏法はそれ自体が普遍性を持った完成形であり、それを基に誰かがさらに新しい何かを生み出した
>かのような表現は問題があるように思われます。

 前にも書いていますが、根本義ではない事は、大聖人様は、その当時の民衆が理解出来る内容で
 書かれておられると思います。想定外の事も書かれていません。
 当然、キリスト教や日本以外の世界の多くの宗教に関して、具体的には、触れておられません。

 広宣流布を考えた場合、それら宗教に対しては、御書を根本に、現代の言葉で話すことは重要です。
 「人間主義」は、戸田先生と仰ることは、その通りだと思います。
 しかし、外国の思想や哲学が、私でも読むことが出来るのは、交通の整備(車、飛行機等)図書館の整備、
 ネットの発達に拠るものが大きく現在だから出来ます。
 >>133-135も現在だから出来るのだと思います。

 大聖人根本、御書根本の池田先生が、大聖人が直接的に書かれていない事柄を現代の言葉で
 指導されているのですから、私が『池田先生の大聖人の仏法を基盤とした「人間主義」』と
 表現するのは、私の心の自然の発露ですよ。

 日寛上人の顕された教学を、大聖人の仏法だから「日寛教学」と言うのは、回りくどいとは
 言わないでしょう。其の様にしたら、かえって回りくどくなります。

 日蓮正宗で「実存主義」「独我論」「構造主義」「公益(功利)主義」などに関する文献があったら
 教えて頂けませんか。(「公益主義」の考え方は、軋轢の原因を探るとき参考になります。)
 今すぐは、読めませんが時間を見つけ少しづつでも読みたいと思います。

138高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/19(木) 02:18:21 ID:JThdDrQw0
>秋谷 学会は「人間主義」だ。人間主義とは、人間を尊重することだ。当然、人間と、仏敵の畜生とは、
>峻別しなければならない。
>青木 大聖人ご自身が、恩知らずを〝畜生以下〟と弾呵(だんか)されているんだ。
>畜生を人間扱いなんかしたら、我々が大聖人に叱られる(大笑い)。

 私は、前にも述べているように、こう言う発言は良くないと思います。
 この文を9人の学会員でない人に、「このように言われている対象がいるんです」とだけ説明して
 発言をどの様に思うか聞いた所、全員が数分間は、何が何だか理解できない様子でした。
 そして、全員がこの発言は良くないと言いました。
 ただ二人だけは、畜生と言われているのが対象者だとすれば、この二人よりもっと悪い人だと思う。
 このように発言するのは、その人が二人に余程酷い仕打ちをしたからだと思う。と言う内容の発言を
 しました。
 私は、其の様な言葉を予想していなかったので、オッと思い、なるほどと納得できました。

 蛍さんも聞いてみてください。参考になる意見が聞けると思いますヨ。

139高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/19(木) 02:25:54 ID:JThdDrQw0
 蛍さん、功徳は受けた時点で「果」です。それにシガミついていてもダメで、次の「因」を作らなければ
 なりません。これは、来世までも続く永遠の作業だと思います。
 だから、「果」であり「因」である冥益が大切なのかなと自分では考えています。

 蛍さんの発言は、給料の金額にしても今回の発言にしても「果」の話です。自分でそれをどの様に「因」に
 変えて行こうとしているのですか?

 「人間主義」「世界広布」と言っても、遠くにあるものではなく、身近で行動する必要があると思います。

 今現在の国民生活の課題の一つは、就職難です。自分として何が出来るのかを、題目を上げ考えました。
 具体的な方法として、「幸の架け橋」での就職活動されている方への情報提供への投稿です。
 内容への批判が有ることも聞いていました。

 インターンシップの学生さんが、文系の人達に求人が少ないとの話を聞いて、蛍さんもご存知の通り
 形態素と構文を使った解析の事を書きました。途中で終わっていますが、殆んどのソフトの紹介は
 終了していますので、ヤル気のある人には、参考になると思います。
 
 これと呼応するように、行政から雇用促進事業の企画立案の依頼が来て、本年度分の7事業は全て実行され
 求職者の方に役立っています。来年度も2件の依頼がきています。

 会社の本来の仕事ではありませんので売上にはなりません。しかし、行政との打合せに日中出かける時も、
 社長始め誰も嫌な顔をしません。手の空いている同僚の方がイスから立って出口まで送ってくれます。
 同僚が手が離せない時は、社長が「気を付けて行ってらっしゃい。」と送ってくれます。
 お客では無く、社員の私をですヨ。 功徳だなと感じます。
 
 企画依頼が偶然とは、とても思えません。悩んで題目をあげ掲示板への投稿のお陰だと思います。

 私に取っての「人間主義」は、この様な事の積み重ねだと考えています。
 先のURLや先生の書物で「人間主義」を教えて頂いています。だから私には、池田先生の人間主義です。

140高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/19(木) 02:34:22 ID:JThdDrQw0
>一闡提をも成仏させうる大聖人の教えから著しく乖離したこのような発想を生む「人間主義」とは
>一体何なのか、と私などは考え込んでしまうわけです。

 考え込む前に、其の様な人が出ないように祈るべきではないですか。
 「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く」(呵責謗法滅罪抄)
 「大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より
  出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(祈祷抄)ですよ。

 蛍さん、憂いているのなら祈ったらどうですか?
 大聖人の仏法は、内道で「人間主義」ですよ。
 それが「因」だと思います!!

141高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/22(日) 16:49:36 ID:JThdDrQw0
2.これからの時代の宗教哲学の絶対性(正)と相対性
 まとめ

 「人間の幸福」とは、人間が人間として人間らしく生きる事であり、「人間主義」とは、これに応え得る
 ものだと考えています。しかし、多様な宗教の定義、信じなければ理解が難しい教義など、
 世界広布のための道は、中々けわしいものがあります。

 池田先生は、「人間主義の旗を」のウインガー氏との対談の中で、
 『非寛容によって「対立と破壊」という否定的なものにするのか、それとも寛容によって「融和と創造」
  という肯定的なものにするのか。』
 『まことに憂慮すべきことですが、現代は、非寛容な衝突の戦火が世界各地で燃え上がっているのです。
  これをどうすれば「寛容の世界」に変えていけるか。これが喫緊の課題です。』
 と話されています。

 この寛容が、これからの人類にとって重要な観点であり、「寛容に対する方向性と整合性の取り方」
 が宗門と学会とでは、大きく違い、その違いは学会創立当初からあったのでは無いかと考えられます。

 はたして、宗教の教義的な正さ、絶対性(正)だけを強調した時に、世界の人達は、大聖人の仏法を
 どれだけ受け入れてくれるのでしょうか。
 また、他宗教との相対的関係性をどの様に構築して行く必要があるのでしょうか。

 地理学者、鈴木秀夫氏の著書「森林の思考・砂漠の思考」で、西洋思想(キリスト教)と東洋思想(仏教)
 の違いを探りながら、世界が要求する仏教の必要性を考えて、本章を纏めて行きたいと思います。

142高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/22(日) 16:52:52 ID:JThdDrQw0
◇呪術の時代
・狩猟と人間の力
 農耕以前、ユーラシア大陸とアフリカの北半分は、砂漠が無くなり森林と草原で狩猟生活をしていて、
 思想としては、呪術的なものであり、東西での大きな差は生まれてはいなかったとしています。
 「呪術」は、一見非科学的なように思われますが、科学と呪術の間は明瞭になっていなく、近代医学に
 おいても、有効と決断して施した療法が、全く無意味な結果に終わるとなると、結果的にも現象的にも
 呪術と変わらないし、呪術が決して昔の事ではなく、我々自身も無意識の内に、とっぷりと浸かって
 いると述べています。

 「あることをなせば、あることがなる」との因果関係を含んだ呪術は、科学とは、正に一体であり、
 分ける事は出来ない、動物を追って生活する人間にとって、人間の力こそ頼るべきものあり、人間の
 欲望が均一であることから、呪術は世界で均一であり、世界の中心は人間自身であったと述べています。

 この呪術と反対なものが、宗教であり、超越的なものへの信仰であるとしています。

143高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/22(日) 17:01:40 ID:JThdDrQw0
◇多神教の時代
・弓矢の力=人間以外の力
 人間が人間を超えるものの力を意識したのは、弓矢の使用(約1万年前)に始まるそうです。
 弓矢の力が人間を越え、その事を意識する事で、人間自身を外から眺める事が出来るようになり、
 世界の中心が自分(人間)の外に出た事を意味するとしています。

 この事は、3万年前のラスコーの壁画は、動物を極めて写実的に描いているのに対して、この時代の
 壁画は、弓矢を放っている人間自身も描いており、自分自身を抽象化して意識している云う事であり
 同時に、動物達とその形態も抽象化され形式化されている事で、知ることが出来るとしています。

・農耕の始まり=神々の誕生
 約1万1千年に、地中海東部からイラク北部の山間の谷間に始まる農耕で、今まで狩猟生活では、
 人間中心だった思考が、大きく転換しました。

 6千年前をピークとした、2〜3千年間の「高温期」には、サハラ砂漠も雨が降って「緑のサハラ」と
 呼ばれ、この時代に農耕は、世界へ拡大して行きました。

 人間を超える力を益々意識するようになり、蒔いた種を芽吹かせる土の中の力の地母神、作物を成長
 させる雨の神の力、日照りが続くと作物を枯死させる太陽神など・・・多くの神が生まれました。
 人類の多くは多神教となりましたが、この時代でも東西の違いは、存在しなかったと述べられています。

◇一神教の出現
・乾燥期
 5千年前から、赤道西風の南下によって始まる砂漠化は、サハラ砂漠を拡大し、乾燥地帯をアフリカ
 から、アジアにかけて出現させました。

 「高温期」の草木が繁茂し多くの動物が生息する農耕時代は、たくさんの神が生まれ、その中での
 順位付けは、人間の論理の成長の中で起こり主神、最高神が生まれ、事実上の一神教へと移行しました。

 しかし、乾燥期の出現は、草原の後退とともに、これら多くの神々を消滅させました。

144高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/23(月) 00:08:27 ID:JThdDrQw0
◇主神から唯一神への移行
・エジプトの太陽の神
 「高温期」に誕生した神々は、人間によって、良い、強いなどでその順位付けが行われ、神々の中の
 主位を占めるもの、すなわち主神、或いは最高神が生まれざるを得ませんでした。
 一方、森林と草原だったサハラは、乾燥が進行すると、緑がなくなり、一筋のナイル川と灼熱の
 太陽だけが残りました。はじめは、肥沃な土壌をもたらす川の神が重視され、しかし、その川の水位を
 司るものが太陽で有ることが分かるにつれ、太陽神が優位となり、唯一神の位置に近づきました。
 そして、ナイルの川辺に生き残った人々が、初めて唯一神へ到達する事が出来たのです。

・イスラエルの嵐の神
 ナイル川の川辺に対して、砂漠の縁辺部へ移動し、アジア大陸とアフリカ大陸の接するあたりに
 遊牧生活をしていたイスラエルの民が、唯一神への移行を示しました。
 ここでも、かって多神教であったのが、唯一神へ移行し、砂漠の縁辺部のために、嵐の神がその座に
 就くことは、当然の成り行きでした。

・契約の概念の誕生
 イスラエル人は、定着していたのではなく、砂漠の縁辺部をロバを利用し僅かな草を追って移動して、
 山羊や羊に食べさせて、乳を採っていました。
 この時に、定着の農耕民と交易をながら共生の生活を送っていました。契約の概念が生まれたのは、
 この寄留的な生活のためで、現在の欧米人の思考の中核になっています。

145高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/23(月) 00:13:41 ID:JThdDrQw0
<<仏教とキリスト教>>
◇語り難い神の名
・超越者の神
 イスラエルの民が到達した超越者である唯一神は、超越的であるが故に、人間の言葉で言い表す事が
 困難であり、神の名を人間の言葉で表現する事に躊躇いました。
 
・バラモン教
 バラモン教でも同様であり、ブラフマンやアートマンとなり、人間が本質であると考えるものは、
 本質性の為に、通常の言葉では、表現出来るものでは、ありませんでした。
 その結果、「不可捉、不可壌、無着、無縛、無畏、不被害」等の否定形の集合によって、その本質を
 表現する様になりました。
 ここには、万物の一つである人間が、万物の超越者を直接的に理解し得るものではないと云う論理が
 働きます。

・人間の理解の為のインカーネーション 極めて論理的な二つの宗教の誕生
 人間が超越者の一部でも理解する為には、超越者が人間の形をとって現れる事によって、人間なりに
 超越者の(意思の)一部を理解し得ると云う事になります。
 超越者が人間の形を執って現れるインカーネーションが大切なことになり、イスラエルのキリスト、
 インドのブッダがその人であると理解されました。
 こうして、論理的なキリスト教と仏教が生まれ、その論理性の故に、世界へ拡大して行く事になります。

146高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/23(月) 00:37:11 ID:JThdDrQw0
・なぜ、非論理的な宗教が存在するのか
 極めて論理的な、キリスト教や仏教が誕生した後も、それ以前の論理段階にある諸宗教も、以前として
 存在します。 それは、人間が必ずしも論理的な存在では無いためです。
 仏教とほぼ同時期のヒンドゥー教が、ブッダだけインカーネーションしたのではなく、目に見える様々な
 ものへ顕現していると考えるのも、一見、多神教の様ですが、基本的には一神教と考えるべきです。

◇天地創造と万物流転
 キリスト教と仏教は、このように極めて類似した性格の宗教ですが、一方、甚だ大きい相違もあります。
 それは、超越者と世界との関係に関するもので、この本の主題である「砂漠と森林」「西と東の違い」が
 正に、其処に発しています。

・キリスト教=全ては神に依って創られ(天地創造)、そして終末を迎える
 イスラムにおいて、砂漠の中の芥子粒のように微々たる人間が存在するのは、神によって創造せられた
 ものであるからと云う考えが成立し、それが万物に及んで、天地創造と云う概念に達しました。
 時間も空間も全てのものが、天地創造の時に造られ、終末の時に終わると考えます。
 この概念は日本人には、甚だ理解し難いのですが、キリスト教の世界では、日常の事です。

・仏教=我だけが本質 否定の論理
 超越者と云うものの理解が根本的にキリスト教と違っています。インドの森林で瞑想した本質は、
 梵我一如でした。
 我は宇宙の中心で本質であり、他のものは存在があやふやなもので、ブラフマンの存在の説明も
 苦しところがありました。平行してインドでは、否定の論理が発展し、これは、本質は無いと云う論理です。
 そうゆう論理の展開するところでは、物事の断定が行われなくなります。

 ヨーロッパでは、生と滅は反対概念です。生であれば滅ではない。滅であれば生ではないと云う概念です。
 それに対して、インドでは、生は滅があって初めて存在し得るものなので、生と云うものは、それ自身
 存在するものではないが、しかし、それは存在します。生も滅も無いが、生も滅もある、と云う論理を
 展開します。一見、屁理屈の様に感じますが、人間が死を見つめて思索する時には、生と滅の境を
 取り払う力強い論理である事を感じることでしょう。

147高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/25(水) 13:37:01 ID:JThdDrQw0
 ここまで、鈴木秀夫氏「森林の思考・砂漠の思考」を、まとめてみました。西洋思想に、生きる為の選択
 『砂漠ではある一つの道が水場に至る道であるか否かの決断をしなければならない。
  その道が生への道であると判断することは他の道は滅への道であるという判断をすることである。』
 この考えが、ユダヤ・キリスト教として現在も欧米の思想体系を形づくっています。

 世界の人々は、情報の伝達の速さ、移動の速さが、大きく前進し、行動範囲が広がったことにより、
 テロ、内紛、戦争等の世界の動きを、速く知り体験が可能となり、平和希求が高まって来ているにも
 係わらず、具体的に、解決出来る思想、哲学が無い事に気が付きはじめているのだと思います。

◆砂漠の思考の限界
 ・直線的思考⇒永遠は有り得ない、いつかは終わると云う世界観=天地創造から終末ヘ向かって一直線
 ・ロゴスの論理⇒「YESかNOか」「善か悪か」
 ・民主主義の限界⇒全知全能の神から見たら、人間はチッポケな存在だから多数決が可能だが今は無理

 ならば、これを解決し人類を救う哲学として、西洋思想には無い、人間にとって本質的な区分(決断)を、
 東洋思想に求め、特に、仏法に対して強く期待しているのではないかと考えています。
 仏法で説く「空(くう)」等がその例であり、「空」は、根本にあるのは「すべてのものは互いに相まって
 存在している」という考え方で、ロゴスの論理には、無い考え方です。

 東西の思想が、生きるための環境から生まれて来たとするのなら、導くための宗教哲学も、それ以上に
 生きる事に、直接的に係わり解決できる力が要求される事だと思います。

 また、鈴木秀夫氏は、対談の中で、
 「西洋の側からこちら(東洋)を理解するのは非常に困難で、長い時間がかかるのではないでしょうか。」
 との質問に対して、「そうですね。相当長い間分からないかもしれません。」答えられています。

 此の様に考えると、時代は正に、大聖人の仏法を求めていると捉える事が出来ます。。
 蛍さんが、ご存知な事なので、大聖人の仏法教義はここでは触れません。
 ただし、大聖人の「法華弘通」を大願とする力強い行動が必要な事は、理解頂けると思います。

148高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/25(水) 13:55:31 ID:JThdDrQw0
 ここで、本題である
>なぜ60年間「違い」を隠蔽し、今日「邪教」とこき下ろしている正宗教学を会員に教えてきたのか、
>なぜある日突然(67世登座時でなく破門後)に打倒対象になっていくのか、その辺りの合理的な説明が
>2、3でなされていくのだろうと思います。
 に、答えて行く必要があるのですが、今までの内容から、大聖人の仏法を信じている事では、宗門も
 学会も同じなのですが、日蓮正宗700余年、学会80年の、誕生から現在までの流れを考えて見ると、
 両者には、違いがある事は、明白です。

 ここで、鈴木秀夫氏を紹介したのは、牧口先生と同じく地理学者であると言う事です。
 両者とも人間(民衆)の思想や生き方が、地理とどの様に係わっているかを書かれています。
 そして、牧口先生は、人間を救う為に宗教があり、宗教は、直接的に現在の人間に係わり、
 価値を産み出して行かなければ、救い切る事が難しいと考えています。

 牧口先生は、おそらく大聖人の仏法に、「立正安国」を求められ、自分の価値感のモノサシとして入信
 されたのだと思います。推測ですが、化儀は紹介者である三谷素啓氏の影響を受けていたのでは、
 ないでしょうか。
 つまり、学会創設期から、対立は、内在していたと私は思います。なぜなら、私が、入信してから
 現在まで、人間が人間として人間らしく生きる為と云う、学会の考えは一貫しています。
 それは、常に、仏法は民衆の為にあると云う立場です。この点だけでも、両者の違いはハッキリしていると
 思います。

 なぜ、破門後に打倒が顕著になったのか、学会が破門以前の間は、学会員と云う民衆が日蓮正宗に
 居たわけですが、破門後は、法華講員は居るものの日顕元猊下側に組みしており、民衆側とは見えない
 為だと、私は思います。打倒している学会員は、宗門は民衆救済は止め、自分達に都合の良いように
 仏法を変えていると思っているので、破邪として行っていると云う事です。

 結論として、対立の原因は、学会創立当初からあり、
 民衆に仇なす宗門を、破邪として罵倒しているという事です。

                    2.これからの時代の宗教哲学の絶対性(正)と相対性 終わり

149高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2010/08/25(水) 14:04:00 ID:JThdDrQw0

蛍さんへ、提案です!

 この後、当初は「3:具体的な学会創立期からの教義上の違い」続けることになっているのですが、

 今までの投稿で充分で、新たに投稿する必要がないと思うのですが。


 「日蓮正宗と創価学会の教義上の違いがいつから始まったのかに対する一私見」としては、

 ここで、終わりとし、対話形式にしたいと思いますが、いかがでしょうか?

150:2010/08/26(木) 01:58:35 ID:hFi0cFTY0
>>149
>>この後、当初は「3:具体的な学会創立期からの教義上の違い」続けることになっているのですが、
>>
>>今までの投稿で充分で、新たに投稿する必要がないと思うのですが。

まず、これまで貴重な時間をさいて、いろいろご教示頂いたことに感謝致します。
が、しかしですね、高速さんは>>81で、
>>課題である「打倒」について、宗門と学会の違いがいつから生じたのかとの内容で、私見を述べさせて頂きます。
ということで、上の論文を書き始められ、私も今か今かと「3:具体的な学会創立期からの教義上の違い」の章を待っていたわけです。

それゆえ、前段のいわゆる宗教概論的な部分も(そこから説き始める必要があるのかなと思いつつも)学習あるいは復習を兼ねて読ませていただいたわけですが、さてこれから本題の結論、という時に終了宣言されて、大いに戸惑っております。

新聞連載の推理小説で前段プロットを長々と読まされてきて、さあこれから謎解きという段階で、「作者の都合で連載中止」の宣告を受けたような気分です。


もっとも、>>148で、「3:具体的な学会創立期からの教義上の違い」に相当すると思われる結論めいたことを書かれていますが、

>>今までの内容から、大聖人の仏法を信じている事では、宗門も
>>学会も同じなのですが、日蓮正宗700余年、学会80年の、誕生から現在までの流れを考えて見ると、
>>両者には、違いがある事は、明白です。

これは、その後続部分をふくめ、結局抽象論であり、高速さんが当初目指していた「具体的な違い」の提示とは程遠いものです。
これでは、対話深度的には論文執筆前と変わらない感じがします。

>>つまり、学会創設期から、対立は、内在していたと私は思います。なぜなら、私が、入信してから
>>現在まで、人間が人間として人間らしく生きる為と云う、学会の考えは一貫しています。

「学会創設期から、対立は、内在していた」という認識も論文掲載前に高速さんは表明済みです。具体的論拠も示さず同じ抽象的結論をここで繰り返されても困ります。
論文では、第1,2章で綴られた広漠たる大前提を基に、第3章でより具体的に、その内在していた対立(違い)とは教義上、化儀上の一体何なのか、そして60年間容認されてきた「違い」がなぜある日突然「打倒」すべきものと看做されるようになったのか、戸田路線との整合性はどうなのか、そうしたことを詳らか説明してくださるものと、私は期待していたのでした。
残念です。

>>それは、常に、仏法は民衆の為にあると云う立場です。この点だけでも、両者の違いはハッキリしていると
>>思います。

これも、“宗門が「仏法は民衆の為にある」とは考えていない”ことを具体的に論証していただかなければ、「両者の違いはハッキリしている」という結論は出せないはずです。これではただの紋切り型の学会プロパガンダの受け売りでしかありません。「民衆の為の仏法」を説いていない非大乗的な日蓮正宗に、牧口、戸田、池田の三指導者はなぜ入信し、外護したのでしょうか。

151:2010/08/26(木) 01:59:24 ID:hFi0cFTY0
(150の続き)
ここでちょっと以下の文を読んで下さい。
中国の東北師範大学の『池田大作哲学研究所』のホームページに書いてあった「池田プロフィール」の中の一節です。
つい最近(2006年)に書かれたものです。(原文は中国語。蛍訳)
------------------------------------------
池田氏は、日蓮正宗は「人間のための宗教」であり、「平和、文化、教育」を推進するための宗教であり、人間の美徳を磨き輝かせる宗教である、と認識している。
【原文】 池田認為,日蓮正宗是“為人的宗教”,是為了推進“和平、文化、教育”的宗教,是磨砺、輝煌人的美?的宗教。
http://sohac.nenu.edu.cn/asia/jgsz/%E6%B1%A0%E7%94%B0.htm
------------------------------------------
これは中国の池田研究機関が、学会が日蓮正宗をとっくに破門になっていることも知らずに、20年以上前の青年部訪中団の提供資料をノーチェックで引き写しただけのようです。

「池田大作“哲学”研究所」を看板に掲げながら、池田氏の現在の宗教的属性すら知らない、この不勉強ぶりには唖然とさせられますが、それはさておき(詳しく知りたい人は弊ブログhttp://blog.livedoor.jp/jitsuji_kyuze/archives/51488718.htmlで)、
上文は、池田氏がかつて「日蓮正宗は人間のための宗教である」と認識し、中国にまで公言していたという事実を示すものです。

こうしてみると、学会は破門を境に、宗門に対する評価を「人間のための宗教でなくなった」と突然逆転させたことが分かります。
となると、「破前破後」に宗門に変貌(←もしあるのなら)があったのなら、具体的に対比的に示していただかないと、私の本スレの質問への回答にはならないと思うのですがいかがでしょうか。

>>137>>140については、また追ってレスします。
中国の学者が“池田氏の”「人間主義」について論評した論文がありまして、それを読み終えてから書きたいと思います。

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