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獅 子 吼- 1 :夕焼け:2009/09/19(土) 12:22:09 ID:REshWXck0
- 今は忙しいので、本当は誰かにやってほしかったのですが。
とりあえず、「日々の御書」のような、
創価三代の指導を投稿していきます。
あくまでも、その日に接した師の言葉だけを、独断と偏見で選びます。
皆さんもどうぞ。
そのときは、なるべく長文にならないようにお願いいたします。
- 2 :沖浦克治:2009/09/19(土) 13:07:04 ID:AJ3hr85o0
- 池田先生が戸田先生の苦境をお支えの時、池田先生のお身体も最悪でした。
戸田先生との会話です。
『先生、少し疲れました。』(取意)
『弟子のくせ、して疲れたとはなんだ!!』(取意)
後年池田先生がお話になられました。
『あの時戸田先生は、私の死魔を切ってくださったんです。』(取意)
師子吼です。
創価の凄さです。
- 3 :日々朗らか(大勝利):2009/09/19(土) 18:50:08 ID:8FNX.yWoO
- (では、私も……夕焼けさん、失礼しますm(__)m。)
【1999(平成11)年3月4日(木)付聖教掲載。池田先生のスピーチより】
ともあれ、相手がだれ人であろうとも、怯(ひる)んではならない。臆(おく)してはならない。
いわんや、嫉妬(しっと)など絶対にする必要はない。「妬(ねた)まない」ということが「一流の人格」の証(あかし)である。
仏法では「本有無作(ほんぬむさ)」と説く。
要するに”はたらかさず、つくろわず、もとのまま”である。
本然のわが生命を「最高の最善」に輝かせていく生き方である。
すましたり、気取ったり、いばったりしないで、ありのままの姿で、「人間らしく」いくのである。
…………………………………
部屋を片付けしてたら、出てきた新聞からデス♪。
- 4 :夕焼け:2009/09/19(土) 23:06:46 ID:REshWXck0
- >>2
ぎりぎりのところ・状況で、信心を全うする凄さですね。
先生はこのときあげた題目が今の自分の力となっていると指導されました。
>>3
今月の座談会御書にあるように、「日蓮が如くにし候へ」ですね。
常に大聖人・師匠の姿と自分を見据えたいと思います。
- 5 :夕焼け:2009/09/20(日) 21:22:10 ID:REshWXck0
-
//////////随筆 人間世紀の光 −204−//////////
二点目は「礼儀正しく、良識豊かに」である。
「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ
教主釈尊の出生の本懐は人の振舞いにて候けるぞ」
「賢きを人と云いはかなきを畜といふ」
との仰せは、信仰者の根幹を示されている。
人間として、自分自身の賢明なる言葉と行動をもって、
信頼を築き、友情を広げ、
自他供の幸福の花を身近に咲かせていくことだ。
///////////////////////////////////////////////
※ 創価系のネット掲示板で、最も欠けている事だと思う。
名は体を現すというが、ハンドルにも現れているようにも思う。
- 6 :夕焼け:2009/09/22(火) 07:53:03 ID:REshWXck0
-
長文とは、「全てを読むにはここを押してください」とならない範囲と考えてください。
例外もあってかまいません。あくまでも目安です。
- 7 :沖浦克治:2009/09/22(火) 08:02:07 ID:AJ3hr85o0
- 以前にも書きましたが、ある側近が池田先生に言いました。
体調がよくないので少しやすみたい。
『この5年間、私は心臓が悪かった。
苦しくて苦しくて、やっと生き延びた。
不平など言えた義か!』(取意)
男子部の大ブロック長(地区幹事)会でした。
7〜8人の会合で、小林さんと言う本部幹部が入っていたんです。
全員下向いて泣いて、会合になりませんでした。
昭和、51年か52年です。
あのメンバーで宗門なんか行った人いません。
- 8 :夕焼け:2009/09/22(火) 09:00:55 ID:REshWXck0
- >>7
学生部のとき、新入生が入学してきて学部ガイダンスをやるんですが、
その休憩時間に入って折伏をするんです。
教室には100人くらい居て、1日に3回、1回に1〜3人くらい話します。
恐くて、恥ずかしいのか、教室を覗いては躊躇する部員が必ずいるんです。
そこで、「なにやってる!」と一喝します。
魔を断ち切るんです。
休憩時間が終わり折伏を終えた彼は、
入る前の冴えない顔を紅潮させ、笑顔で歓喜の色を浮かべます。
わたしは、彼を一喝して自分の魔を切っていました。
- 9 :夕焼け:2009/09/22(火) 14:51:26 ID:REshWXck0
- 訂正 >>6
>長文とは、「全てを読むにはここを押してください」とならない範囲と考えてください。
↓
長文とは、「全てを読むにはここを押してください」となる文と考えてください。
すみません。
- 10 :夕焼け:2009/09/22(火) 17:56:31 ID:REshWXck0
- 日々さん。
ここは、治外法権です。
顔文字は3つまで大丈夫です。
来てくださってかまいません。
- 11 :夕焼け:2009/09/22(火) 21:29:48 ID:REshWXck0
- 【勝利の経典「御書」に学ぶ 第10回より】
「人の振る舞い」とは、
「万人を敬う」という仏界の生命が発揮された行動にほかなりません。
また、現実の九界の世界において、自他ともの幸福を目指し、
成長していこうとする一切の所作も、ここで示す「人の振る舞い」といえます。
とりわけ、一切衆生の仏の生命を開いていく「人を敬う振る舞い」とは、
不軽菩薩の振る舞いを指します。
それは同時に、民衆救済のため悪と戦い、
善を広げる日蓮大聖人のお振る舞いであられます。
※ 三大にわたる創価の師の心であり、振る舞いです。
弟子たらんとする者の心であり、振る舞いであらん。
- 12 :夕焼け:2009/09/23(水) 19:17:39 ID:REshWXck0
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【勝利の経典「御書」に学ぶ 第10回 崇峻天皇御書(上)】
本抄で大聖人は江間氏が罹患したことを聞かれて
「何よりも、御主君のご病気のことを、深く嘆いております」と仰せられています。
表面的に見れば、
江間氏こそ法華経の行者である金吾を苦しめる張本人ということになるのかもしれません。
しかし、大聖人は、江間氏の病気をどこまでも心配されています。
日蓮仏法は、こと「法」の正邪に関して厳格な態度を貫いています。
しかし、「人」の苦悩については、徹して寛容と慈悲の精神を貫かれている。
「あわれなるかな」「なげかしきかな」と、
たとえ相手が謗法の衆生であっても、苦悩に沈む人々に対しては、
なんとしても救ってあげたいと思われるのが、大聖人です。
民衆の嘆きに「胸臆に憤悱」されるのが、大聖人であられます。
どこまでも、一人一人の幸福を心から願うところに仏法の真髄があるのです。
※ 大事な創価の精神です。
折伏の、心の奥底に置く精神です。
弟子としての振る舞いの規範であります。
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