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三大秘法について考えませんか
1沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/07/31(木) 22:36:43
 最近法華講の方々とよく対話をしています。
 
 私は、一大秘法が凡夫の己心の妙法だとおもっております。
 あちらは、本門の本尊で戒壇様です。

 いい機会ですので、三大秘法全体の検証をしてみてはと思い、スレを立ち上げました。
 ご意見をお願い致します。

2沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/01(金) 06:38:56
 絶対権力は絶対に堕落をする。

 有名な諺です。
 これまで宗教を堕落させてきたものは聖職者でした。
 歴史上の事実です。
 先生の講演にもありました。

 『キリスト教は何故堕落したか。 
 寺院に信徒を集めたからだ。
 聖職者が自ら民衆の中に入っていかねばならないのだ。』(趣意)

 同じく、タブーを作り信徒に強要する宗派も必ず堕落するでしょう。 
 議論すら悪だと決めるタブーは、絶対権力と同等です。
 堕落しないわけがありません。

 三大秘法を勇気を持って論じるべき時だと思います。

3はぐれ雲 ◆HHaU7zEjNg:2008/08/01(金) 17:43:12
いやぁ、沖浦さんはやっぱり視点が違いますね!組織がすべての人には理解しがたいでしょう。
沖浦さんは正しいから、迫害する人が居るんですね。組織にとっては目の上のたんこぶかも・・・。
私の板でも嘘をまき散らし、書き込みを減らそうともくろむ輩がおりました、この方も沖浦さんが気に入らないようです。
やはりすることが姑息なんですよね!今は静かなもんだ。

4沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/01(金) 19:17:54
 はぐれ雲さん

 別に私は正しく無いですよ。
 少しだけ深読みが出来るだけなんです。

 組織で目の上のたんこぶなんでしょうかね?
 だってね、私は、座談会にいきますし、同中は今後参加を決めました。
 聖教新聞と大白蓮華購読しています。
 広布部員ですし、勤行唱題やってます。

 立派な創価学会員だと思うんですがね?
 何故幹部に嫌われますかね〜〜?

 理由がわかりません。

5日々朗らか(決意):2008/08/01(金) 19:36:10
スレタイとは別に(笑)、スレの流れ重視で(笑)。

はぐれ雲さん。

沖浦さんは、《正しく》ないですよ(笑)!!。
ただ!!!《信念が揺るがない》だけです!!。

自分もそうありたいナ!と思います。

自分(沖浦さん)のセガレさん(耕治君)が、【創価学会なかんずく広宣流布の為に】と、思ってるなんて!素晴らしいじゃないですか!!!。

しかも、組織につかず(っていうか、ニューリーダーだそうですよ。モト。)

俺は、それだけで素晴らしいと思いますネ!!。

できないですよ。信念がなければ!!。
正しいとか、どうかは、別問題です。

【心こそ大切】ですよっ!!

ねっ!o(^-^)o!沖浦さん(笑)!!

6石井銀次郎:2008/08/01(金) 21:46:41
横からスイマセン(しかもスレと無関係でして)

>立派な創価学会員だと思うんですがね?
>何故幹部に嫌われますかね〜〜?

少なくても私は嫌ってなどいませんよ〜。
出来れば分身の術を用いて、我が地域に来て頂きたいくらいです。

とマジの書き込みでした。

7日々朗らか(決意):2008/08/01(金) 22:10:05
>>6

俺は、『石井ちゃんデース♪』か『銀ちゃんだッピョーン!』

って、思ってました(笑)。

アハハ♪………。

お休みなさいm(__)m。

8はぐれ雲 ◆HHaU7zEjNg:2008/08/01(金) 22:19:30
日々朗らか(決意)さん

ほえ〜沖浦さんは正しくない=間違ってる、のですか?私そんなこと冗談でもよう言いまへんわ(゜レ゜)。

石井銀次郎さん

初めまして、私も沖浦さんのような方と活動したいです。

沖浦氏

どうして、幹部が嫌っちゃうのでしょうかね〜?そこが知りたいですね。(本当に、スレチですみません)

9沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/01(金) 22:36:05
 で、三大秘法はどうなった〜〜??

10沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/02(土) 08:38:55
 日々朗らか(決意)さん、はぐれ雲 さん、石井銀次郎 さん。

 嫌われる原因ね〜〜??
 顔が気に入らない。
 態度が大きい。 
 支部の会合で総長野長に、民音きらいだから行きませんって言った。
 支部長に、当分公明党に入れませんって言った。
 勝手に樋田さんと法論やった。
 法華講さん呼んで自宅で質問会勝手にやった。
 耕治に質問会で受け答え勝手にさせた。
 先日も、大阪で組織と無関係で質問会行った。
 その後、お寿司までよばれた。
 映像、ドンドンネットで勝手に流している。
 矢野さん仏敵問題の消滅を少し早く予言して当てた。
 作年、勝手に熱原の三烈士公演やって,今年も勝手に熱原の女達の講演やる。
 このごろ法華講の方々と仲がいいように見える。
 時々ネットで知り合った創価学会員と、あちこちであって話してる。
 法華講員の出版記念パーティに行って、住職も来てて名刺わたして握手までして、みんな見て驚いてた。
 かってに掲示板たくさん立ててて、カウンター凄く回ってる。

 程度しかやってないですけどね〜〜〜??? 
 どうして嫌われますかね〜〜??
 わけ、ワカンネ〜〜〜???????

11蘭太郎:2008/08/02(土) 09:56:55
あ〜 あア・・・、そりゃ嫌われちゃいますよ。

まあ、そこら辺が沖浦さんらしいところかな?。

頑固な程に信念がお有りでいらっしゃる。

しかし、度が過ぎるといけませんね。

ご自分の思いで法を推し量る事は、計我と申しまして謗法でございます。

ま、とやかく申し上げるつもりはございませんが、せめて法解釈については組織に従う方が、幹部さんに、少しは好かれるかも知れませんよ。
老婆心ながら、左様感じた次第です。

12沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/02(土) 12:48:33
 蘭太郎さん

 幹部ってもね、色々なんですよ。
 法解釈ですね。
 詳しい人いるんでしょうかね? 
 お近くにですが。

13沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/02(土) 12:49:26
 計我。

 いい言葉です。
 響きがいいじゃないですか。

14はぐれ雲 ◆HHaU7zEjNg:2008/08/02(土) 13:00:27
沖浦氏

まあ〜そんなにおいたしちゃダメじゃないですか〜!しかし、そこまで組織に縛られないで自由に活動できるのは沖浦さんだけでしょうね!
これからの時代にはそんな沖浦さんのような人がたくさん出てくるといいのですが・・・。
ちなみに私、そんな沖浦さんす・す・す・・・・好きです!!!!モジモジ。
なんておかしな世界に誘導しがちな私ですが、信心は心こそが一番大事だと思います。三大秘法も大事ですが、順位をつけた場合自身の信心が要であると確信致しております。この内容スレッドに合ってますか???
なんせ、教学は任用程度ですから、難しいことは書けませんし、読んでると思考停止!パニッパニッパニパニパニックです。僕もう無理!

15沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/02(土) 13:07:48
 はぐれ雲さん

 組織についてますよ。
 座談会と同中に行ってます。
 聖教新聞購読してます。
 広布部員です。
 勤行唱題かかしません。
 御書を勉強しています。

 これじゃ駄目なんですか?
 おそらく創価学会員で真面目な信心をする10%の中に入っていますよ。

16沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/02(土) 20:42:40
 スレタイに戻しますよ。
 
 一大秘法に関しては、私自身は25年前に結論が出ているのです。

 一大秘法とは、凡夫の己心に大宇宙と全く同様の妙法が備わっている。
 それこそが最も肝心な事で、一大秘法と呼びます。

 本尊でもあるし妙法としてのお題目でもある。
 
 この極意から考察すれば、漫荼羅は本尊ではあるが方便です。
 迹ですね。
 本は本尊である私共の己心の妙法。
 漫荼羅はそれを顕現させるための道具。
 本門の本尊とは漫荼羅本尊その物を示さない。

17蘭太郎:2008/08/03(日) 04:07:50
うん、沖浦さんの言っている意味も解らなくはありません。たしかに御書にもそう云う御文があります。
しかし、だからと言って直ちに"私共の"と言えるのでしょうか?。

18沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/03(日) 06:13:14
 蘭太郎さん、おはようございます。
 御義口伝をお読みになる事をお勧め致します。

 具体的に書いてありますよ。

 仏と衆生を別ける必要は無いのです。
 当然差はありますよ。

 『此の釈に本仏と云うは凡夫なり迹仏と云ふは仏なり、然れども迷悟の不同にして生仏異なるに依つて倶体倶用の三身と云ふ事をば衆生しらざるなり、』
 (諸法実相抄)

 大聖人様の仰せです。
 言明されておられるでしょう。
 迷うのが衆生、悟るのが仏。
 これですね。

 釈迦が寿量品で本地を明かしますね。
 自分は、久遠実成で仏だった。
 インドで始めて仏になったんじゃないよ。
 すると、19で出家し、30で成道したと言うのは嘘ですね。
 生まれる前から仏ですね。

 でもね、30で菩提樹の下で明けの明星がきらめくのを見て悟った釈迦と、それ以前の釈迦は違うでしょう。
 以前の釈迦は、自分が元々の仏であることを忘れているのです。
 以後は、思い出した。
 この違いです。
 ですから、悟りの内容は、

 なんだ、俺最初から仏じゃないか。
 です。

 これ以前は、

 よし、やっと仏になったぞ。
 
 の立場です。
 私共はね、勿体無くも、大聖人様と全く同じ仏ですよ。
 忘れ果てているだけ。
 この違いです。
 後はご自分でご思索なさいませ。

19獅子王:2008/08/03(日) 08:30:32
先生の指導からです
大御本尊様を書写した御本尊様は、どの御本尊も大御本尊と同じ功徳があります。
前にも申し上げた通り

拝む側の信心が大事なのであり『 観心の本尊』と言われるゆえんです。

日寛上人が「妙法蓮華経の五字は本尊の正体なり」と述べているように、


『あくまで、』
御本尊の根本は中心の首題の『南無妙法蓮華経日蓮』です!

とありました


日蓮大聖人は
南無妙法蓮華経
只これなりと 仰せです


とにかく
南無妙法蓮華経は自分と当体なんだと 確信しています(^-^)/

20蘭太郎:2008/08/03(日) 10:03:35
スレタイが「考えましょう」とあったのでレスしました。

普通に思えば 生きとし生けるもの総てに十界は具わります。当然 仏性も存します。ですが、凡夫とは六道輪廻の迷いの境地ではないでしょうか?。
また、本尊とは信仰の対境となるもので、蓮祖も勝れたるを用いよと御指南されております。
それが、六道から離れることの難しい私共凡夫の己心の妙法が〔本門の本尊〕であるとは、私にはどうにも理解出来ません。

それ故 御文はありますがそれをどう展開すれば〔私共己心の妙法〕が三大秘法の本門の本尊に成り得るのかを伺いたかったのです。


イタチの最後っ屁じゃあるまいに、後は自分で考えろはないでしょう。


ご自分の立てたタイトルに反しませんか?。

21沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/03(日) 15:52:11
 蘭太郎さん

 自分で考えるんですよ。
 誰かに聞いてもわかりません。
 自分で考える癖をつけねばなりません。
 でないと、誰かの独裁を許す結果になります。
 自分ですよ。

22 ◆dSuTMUL9hU:2008/08/04(月) 07:01:27
創価仏法研鑚板で沖浦さんが立てられた『三大秘法について考えませんか』スレで議論が続けられてきました。今でも終わったわけではありませんが(笑)
ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3764/1216869448/
同じ事を繰り返すのはムダですので、流れを簡潔にまとめてきます。

沖浦さんの主張をまとめ、それへの疑問。
Q1)一大秘法とは何ですか? 本門の題目ですか? それ以外は不必要?
Q2)本尊と曼荼羅に、違いはあるのか?
Q3)本尊や曼荼羅に、本迹はあるのか?
Q4)己心の妙法が本で、本尊をあらわした曼荼羅は迹。 これをどう思いますか?
Q5)日寛上人は、戒壇様本懐論という間違いを犯したので、日寛教学は邪魔。 間違いであり、邪魔ですか?

私の答え、というより考えを簡潔に。
A1)一大秘法とは、本門の本尊です。法を中にして捉えるから当然です。
本門の題目は、修行・実践の側面ですので、一大秘法とすると、誤解や混乱になってしまいます。

A2)久遠元初の根源の法である三大秘法の南無妙法蓮華経を曼荼羅に顕し、それを本尊と定めたものです。
言葉が違う以上、定義の違いがあるだけで、通常学会員は、御本尊と曼荼羅を区別せず、同じものを指します。

A3)本尊や曼荼羅に本迹があるなどというのは、まったく初耳です。
そもそも本迹の関係にはありません。本迹の意味を理解していないだけでしょう。

A4)これも本迹の関係ではない。己心の妙法も曼荼羅も御本尊も、まったく同一のものです。
さらに、己心の妙法に限ってしまうと、三世間のうち衆生世間と国土世間が抜け落ちてしまいます。
久遠元初の南無妙法蓮華経は円満具足であり、本有常住の法です。

A5)戒壇本懐論は疑わしいとはいえますが、完全に否定もできません。証明すべきは宗門です。
また、御本尊に区別がない以上、一閻浮提総与などの意義以外に違いはまったくありません。特定の本尊だけを特別視するのは間違いなのは確かです。

さらに、日寛上人は法主になったがために、大石寺の正統性を主張された。登座以前は必ずしも戒壇本懐論ではありません。

また、日寛上人によって日蓮仏法が体系化されたのも事実であり、その功績は偉大です。
三重秘伝・文底秘沈・依義判文等など、その教判はとても有用です。
しかし、目的が大石寺の正統性にあった以上、世界への飛躍のためにも昇華し止揚していく時がすでに来ていると確信します。

23沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/04(月) 16:10:09
 一大秘法はね、凡夫の命がそのまま仏。
 これですね。

 本尊はその凡夫の命、そしてそれをそのようになさしめる大宇宙。
 漫荼羅は、それを具現したもの。
 シンボル様な物ですね。

 本迹ですか。
 本尊が本、漫荼羅が迹。

 己心の妙法が本、漫荼羅が迹。
 その通りでしょうね。

 寛師は間違いも多くありますが、古いんですね。 
 世界広布では役に立ちません。
 創価学会はSGIの下部組織に過ぎません。
 すでに広布の本体はSGIなんです。
 名のに、日本でしか通用しない、寛師。
 いらないですね、世界広布には。 
 不要なものにこだわっても仕方ないでしょう。

 釈迦仏法はかっては真実でしたし、必要でした。
 今いらないじゃないですか。 
 寛師教学も同じです。

24迦葉:2008/08/05(火) 08:00:51

 おはようございます。


 > 寛師は間違いも多くありますが、古いんですね。 
 世界広布では役に立ちません。
 創価学会はSGIの下部組織に過ぎません。
 すでに広布の本体はSGIなんです。
 名のに、日本でしか通用しない、寛師。
 いらないですね、世界広布には。 
 不要なものにこだわっても仕方ないでしょう


 まったくその通りであろうと思います。
 ただし、日寛さんの教学は今の時代、日本でも通用はいたしませんよ。
 身延であれ中山であれ、「信心の血脈」が基本です。学会も当然そうです。
 正宗だけです、開基の日興上人の教えを反古にして日寛さんの教学を優先し、「唯一お坊さんの血脈」などとおっしゃられるのは。
 
 ただし、学会のもつ苦衷も当然察せられます。
 日寛さんを否定するのは私にとって喜ばしいことですが、いつの日か日寛さんを完全に否定したあと、授与のご本尊はどうするのですか?
 まさか否定した方の書写したご本尊を授与するわけにはいかないと思います。
 我が家は日達さんのご本尊ですが、これは代々大切に安置すればよいですから問題ありません。 
 けれども今現在、日寛さんのご本尊を安置されている多くの方々、そしてこれから入会される未来の方々へは、その場合どういった形式のご本尊になるのか、とても大切なところです。
 日寛否定以後のご本尊授与は、なかなか学会が日寛さんと縁をきれない大事な部分ではありませんか。

 最後に、

 > 創価学会はSGIの下部組織に過ぎません。
 すでに広布の本体はSGIなんです。

 こういった真っ当な見識を、日本の多くの会員の人たちは持ちませんね。
 未だに学会の本体は日本だ、などという考えはもはや時代遅れです。これから十年、二十年経てばSGIが「完全に」追い越しますよ。
 私は思うのですが、先生のお姿を拝見するのに、「先生はすでに(どこかの部分で)日本を見捨てていらっしゃるのではないか・・」と思うことがあります。

25森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/05(火) 08:33:05
>>22
>>23
>>24
沖浦さん、おはようございます。恋さん、迦葉さんへ初めまして、おはようございます。
私は、日寛上人の教学は世界広布にも耐えられるものと信じています。
先生は、生死一大事血脈抄の講義のなかで、日寛上人の「観心本尊抄文段」の
『我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり』の文を引用され、信心に血脈があると言われています。
現代語訳された日寛上人の書かれた書物なら親しんで教学が学べると思います。

26 ◆dSuTMUL9hU:2008/08/05(火) 09:05:37
>>25 初めまして、恋です。 これからは、他の方々へも基本的なご挨拶は省略させていただきます。

日寛教学に関して、以下ご賢察ください。

日寛上人によって、日蓮仏法が体系化され、正しく理解することができるようになったのは間違いありません。
しかし、その中で、時代・社会にそぐわなくなった面は、止揚されてしかるべきです。
大石寺の正統性などが、それに当たると思います。

日寛上人の功績は偉大です。 その際たるものが、人間主義の宣揚です。
これを詳しく論じたのが、『「三重秘伝抄」論考─人間主義仏法の探求』植木雅俊著です。

この本を批評を通じて、『人間主義の「日蓮本仏論」を求めて』の著者でもある松戸行雄氏は、以下のように述べています。
リンクは張れないようなので、一部引用しておきます。 私は、植木氏や松戸氏の主張に、基本的に賛成です。

 また、植木雅俊氏が『「三重秘伝抄」論考─人間主義仏法の探求』(江鵠書院、一九九ニ年)という日寛教学に関する懇切丁寧な解説書の中で、興味深いことに、大聖人の仏法が「凡夫こそ本仏である」ことを主張する人間主義の仏法にほかならない、という結論に至っていることも併せて述べておきたい。
 ただし、日蓮久遠本仏論と凡夫本仏論は真正面から対立し、並在できない。したがって、日寛教学の中にこの二つの矛盾する主張が見えるのは、日寛教学における二義性を意味するというよりも、むしろ日寛上人の置かれたアンビバレンスな時代状況を反映しているのかもしれない。

 つまり、意図としては、日寛上人自身は「日蓮仏法の原点復帰運動」を目指している。日寛上人の大聖人仏法ルネッサンスは、植木氏の言葉を借りれば、その時代の要請から生まれる必然性として、次のような時代状況があった。(植木、前掲書、三四頁以下参照)

 一 五老僧、特に身延系は一貫して種脱相対を認めなかった。したがって、釈尊が本仏で日蓮大聖人は菩薩。そこで、基本的に本尊雑乱となるのだが、御本尊が身延系で奉られていたとしても、種脱相対の位置付けがない。
 ニ 大石寺の宗風が京都要法寺の日辰による造仏論(釈迦立像の建立)、一部読誦論(法華経の読誦)、種脱一体論(寿量品に種脱相対なし)などの影響をまともに受けた。

 ただ、こうした十七・八世紀の江戸鎖国時代に生きた日寛上人の時代状況に対しては、二十一世紀を目前にして国際社会に生きる私たちのまったく別な現代的状況がある。
 一「富士の清流」と「小欲知足の聖僧」に対する神話が崩壊してしまった。
 ニ 大聖人久遠本仏論は宗門を浄化する力がなかったばかりか、逆に、在家信者の支配と搾取を正当化する「法主本仏論」に転換され悪用されてきた。
 三 日蓮仏法が世界中の国際社会で実践される現在、寺院仏教・葬式仏教として換骨奪胎されてきた日蓮教義(ドグマ)を洗い流し、世界思想・世界宗教としての本来の日蓮思想を救い出す必要がある。

 故に、私自身としては伝統的な日蓮正宗の日蓮久遠本仏論を脱構築し、日寛教学を止揚すべきだという問題意識を持っている。そこで、既成教義の枠組みで大聖人の仏法を理解するのではなく、もう一度現実の信仰体験からその教義を見直さなければならない。現代に生きる私たちが納得でき、私たちの生の体験を裏付けてくれる哲理、つまり、新しく、かつ本来の革新的日蓮仏法の理解を求めるのである。それが創価ルネサンス運動の基礎付けの作業であると思っている。

27一壮年:2008/08/05(火) 09:42:05
>>25
同意いたします。

28大勝利:2008/08/05(火) 10:43:10
>>25
私も賛成です。

29沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/05(火) 10:50:20
>>25
 同意いたしません。

30大勝利:2008/08/05(火) 10:51:19
>>26
恋さん

>『「三重秘伝抄」論考─人間主義仏法の探求』

この本は私にとっても生涯の一冊だと思っています。
今は絶版でしたっけ?おしいですね。

なんといっても平成3年宗門分離以降に書かれた教学論という位置づけで考えているんですが、私も感銘を受けましたね(笑
日寛教学を歪曲してるのは宗門の方じゃん!・・・みたいな(笑

31大勝利:2008/08/05(火) 10:55:36
>>all

「日寛教学の再考」のスレを立てます。
よろしく御願い致します。

32森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/05(火) 12:30:57
恋さんへ
>>26
恋さんは、植木氏松戸氏の主張に基本的に賛成されているとのことですが、
私は、松戸氏の主張される、「日蓮本仏論」と「凡夫本仏論」が対立し並存出来ないと言うことに、賛成できません。又、日寛上人の時代状況と、私達の現在的状況が違ったとしても、普遍的な法門に関しては、変わらないものと考えます。又『「日蓮久遠法仏論」が宗門を浄化する力がなく「法主本仏論」に転換悪用された』とされていますが、私は、悪用されないよう、騙されないように学んでいかなければならないと思っています。大聖人の仏法に力が無かったから、邪宗があるのか、と言うとそうではないと思います。
恋さんは、日寛上人は「大石寺の正当性」を主張されていると言われていますが、私は、「大石寺の、大聖人から日興上人へと、また代々へと正しい信心が血脈されている」ことを主張されていて、信心の血脈あっての大石寺と認識されていと思っています。正当性は信心の血脈が大前提としてあったのだと信じています。
日寛上人の言われていることを宗門が守っていれば、邪宗にはならなかったと思っています。
松戸氏は具体的には、どのように止揚されなければならないと言われているのでしょう。

33森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/05(火) 12:37:02
>>27>>28
一壮年さん、大勝利さん初めまして、宜しくお願い致します。
>>29沖浦さんは、「出世の本戒」の件で同意出来ないと言われているのだと思いますが、了解致しました。>>31大勝利さん了解致しました。

34迦葉:2008/08/05(火) 12:52:42
 森野様へ。

 迦葉でございます。ご挨拶ありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願い申します。
 森野さんのご意見をうかがいました。

 あとで改めて、私の意見も書かせていただこうと思っております。
 よろしくお願いいたします。

35大勝利:2008/08/05(火) 14:34:14
>>32
森野さん。 はじめまして。

>私は、松戸氏の主張される、「日蓮本仏論」と「凡夫本仏論」が対立し並存出来ないと言うことに、賛成できません。

松戸氏の本意が、「日蓮本仏論」と「凡夫本仏論」が対立し並存出来ないと言うことなのかどうか?は置いといて、

私も当然、並存出来ると思います。
何故なら、大聖人は凡夫だからです。

しかし気を付けなければならないのは、私が呼称する「凡夫」とは「凡庸な人」ではありません。(御存知でしょうが)
円教の52位に則した意味(六即)での「名字即の位」を言うわけですから、、
日蓮大聖人は、「凡夫の本仏を説いた本仏」と言う意味でも対立しないと思います。
ですから、「凡夫本仏論」とは、所謂「如来蔵」「本覚思想」とは一線を画する部分があると思います。

信心の血脈の大前提の件、賛同です。

36沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/05(火) 14:51:01
 本覚思想と凡夫本仏論は別ですね。
 
 混同してはいけません。

37森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/05(火) 18:42:25
>>35
一線を画する部分があると言われること、了解です。>>36
混同してはいけないと言われること、了解です。

38東国人:2008/08/11(月) 12:24:37 ID:WRjfJIMI0
沖浦克治さんへ

これだけは「日蓮仏法の骨格」に関わるものですので、おたずねします。

>一大秘法に関しては、私自身は25年前に結論が出ているのです。
一大秘法とは、凡夫の己心に大宇宙と全く同様の妙法が備わっている。
それこそが最も肝心な事で、一大秘法と呼びます。
本尊でもあるし妙法としてのお題目でもある。
この極意から考察すれば、漫荼羅は本尊ではあるが方便です。
迹ですね。
本は本尊である私共の己心の妙法。
漫荼羅はそれを顕現させるための道具。
本門の本尊とは漫荼羅本尊その物を示さない。<

沖浦さんの主張を要約すれば以下になりますか。

・一大秘法とは「私共の己心の妙法」でありそれは「本尊」でもあり、「本迹」の内の「本」である。

・「曼荼羅」は「本尊」ではあるが「方便」であり、「本迹」の「迹」である。更に己心の妙法顕現のための「道具」であり、「本門の本尊」そのものではない。

・本尊に「本迹」がある。

さて、ここで質問です。

①一大秘法とは「凡夫の己心に備わる大宇宙と全く同様の妙法」であるとの文証をお示しください。

②本尊とは「一大秘法である凡夫の己心に備わる大宇宙と全く同様の妙法」であるとの文証をお示しください。

③「本尊に本迹がある」との文証をお示しください。

④「漫荼羅は本尊ではあるが方便であり本迹の迹である」との文証をお示しください。

⑤「本尊である私共の己心の妙法が本迹の本である」との文証をお示しください。

⑥「本門の本尊とは漫荼羅本尊その物を示さない」との文証をお示しください。

以上、日蓮大聖人の「真蹟」「真蹟曽存」御書での返答をお願いします。「日蓮大聖人の実像」に迫るためには、確実を期す必要があるからです。

沖浦さんの所論は宗教の内実を構成する「本尊・教義」に関するものであり、私としては、本来的には所論についてHPを立ち上げるなどして、半年、一年と準備した後に公開するのでも足りないほどの、重要なるものと考えます。

しかも、日蓮大聖人滅後に出来上がった、大石寺を総本山とする日蓮正宗という「一宗教団体」の「独自の教義」に関する是非などではなく、創価学会が末法の御本仏と尊信する日蓮大聖人の本尊観、教義そのものについての重大事であり、その内容は、創価学会員として信仰に励む私達一人一人にも関わってくるものです。

こんな大事なことを提示しておきながら、「思う」だけでは済まされることではない、とも考えます。

ましてや、実名での意見。その「説得力のあるものいい」で、所論を「可」とする、信じ込んでしまう人も少なからずいるのでは、と思われます。

是非とも、明確なる返答を願います。

39東国人:2008/08/11(月) 12:28:09 ID:WRjfJIMI0
続けてレスします。

では、私としてはどのように考えるのか?

まず、本尊のことと言えば「観心本尊抄」です。

同抄の中で大聖人は、

(1) 問うて曰く、十界互具の仏語分明なり・然りと雖も我等が劣心に仏法界を具すること信を取り難き者なり、今時之を信ぜずば必ず一闡提と成らん、願くば大慈悲を起して之を信ぜしめ阿鼻の苦を救護したまえ。

(2) 問うて曰く、教主釈尊は[此れより堅固に之を秘す]三惑已断の仏なり、又十方世界の国主・一切の菩薩・二乗・人天等の主君なり、行の時は梵天左に在り帝釈右に侍べり四衆八部後に聳い・金剛前に導びき八万法蔵を演説して一切衆生を得脱せしむ、是くの如き仏陀何を以て我等凡夫の己心に住せしめんや、

と、凡夫の「劣心」に内在する仏界、凡夫の「己心」に住する仏陀の存在、そのものについて「信を取り難い」「信じられるように教えて欲しい」と、苦悩されるかのように問いを設けられています。

(1)への返答の中では、
十界互具之を立つるは石中の火・木中の花信じ難けれども縁に値うて出生すれば之を信ず、人界所具の仏界は水中の火・火中の水最も甚だ信じ難し、然りと雖も竜火は水より出で竜水は火より生ず心得られざれども現証有れば之を用ゆ、既に人界の八界之を信ず、仏界何ぞ之を用いざらん、尭舜等の聖人の如きは万民に於て偏頗無し・人界の仏界の一分なり、不軽菩薩は所見の人に於て仏身を見る、悉達太子は人界より仏身を成ず・此等の現証を以て之を信ず可きなり。

( 十界互具を立てるということは、石の中に火があったり、木の中に花があったりするようなものです。信じ難いことではありますが、これらは、縁に触れて現われることがありますから、まだ、信じることが出来ます。ところが、人界に仏界が具わるということは、水の中の火、火の中の水のようなものです。従って、到底、信じ難いものがあります。しかりと雖も、竜火は水より出て、竜水は火から生じます。理解し難いことではありますが、現証があれば、人界に仏界が具わっていることを信じることが出来ます。
既に、あなたは、人界に八界『十界から人界と仏界を除いた八界』が具わっていることを信じています。にもかかわらず、何故に、人界に仏界が具わっていることを信じられないのでしょうか。

中国の名帝である堯王や舜王等の聖人は、万民に対して、平等な態度で接しました。これは、人界に、仏界の一分が具わっていることの証拠です。不軽菩薩は、人と会うたびに合掌して、相手の仏身(仏性)を礼拝されていました。悉達太子( 釈尊 )は、人界から仏身を成じられています。これらの現証を以って、人界に仏界が具わっていることを、信じるべきなのです。)

と「現証」を見ることにより「仏界」の存在を信ずるべきと説示され、

40東国人:2008/08/11(月) 12:28:54 ID:WRjfJIMI0
(2)への返答では、後に
問うて曰く上の大難未だ其の会通を聞かず如何。

と再度「問い」を投げかけて、
答えて曰く無量義経に云く「未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す」等云云、法華経に云く「具足の道を聞かんと欲す」等云云、涅槃経に云く「薩とは具足に名く」等云云、竜樹菩薩云く「薩とは六なり」等云云、無依無得大乗四論玄義記に云く「沙とは訳して六と云う胡法には六を以て具足の義と為すなり」吉蔵疏に云く「沙とは翻じて具足と為す」天台大師云く「薩とは梵語なり此には妙と翻ず」等云云、私に会通を加えば本文を黷が如し爾りと雖も文の心は釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う、四大声聞の領解に云く「無上宝聚不求自得」云云、我等が己心の声聞界なり、「我が如く等くして異なる事無し我が昔の所願の如き今は已に満足しぬ一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」、妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや、

( 法華経の開経である無量義経には、「法華経を信ずる者は、未だに、六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を修行する事がなかったとしても、自然に、六波羅蜜の修行の功徳が備わっている。」等と、仰せになられています。
法華経方便品第二においては、「『具足』の道を聞きたい、と欲している。」等と、仰せになられています。
涅槃経においては、「『薩』とは、『具足』と名付けるものである。」等と、仰せになられています。
竜樹菩薩は、『大智度論』において、「『薩』とは、『六』の意である。」等と仰せになられています。
中国の慧均は、『無依無得大乗四論玄義記』において、「『沙』とは、訳して、『六』と云う。胡の国(中国・北方民族の国)の解釈では、『六』を以って、『具足』のと為している。」と、記されています。
嘉祥大師吉蔵は、『法華義疏』において、「『沙』とは、翻訳すると、『具足』ということである。」と、記されています。
天台大師は、『法華玄義』において、「『薩』とは、梵語(サンスクリット語)である。中国においては、『妙』と翻訳されている。」等と、仰せになられています。
これらの経文や御解釈の上に、私が通釈を加えれば、法華経の本文を汚すようなものであります。
しかしながら、法華経の経文の心は、「釈尊が成道されるために積まれた修行の功徳(因行)と、それによって得られた覚りの功徳(果徳)は、すべて妙法蓮華経の五字に具わっている。」ということです。
従って、我等が、この妙法蓮華経の五字を受持していくならば、自然に、釈尊の因行・果徳の二法の功徳が譲り与えられるのであります。
法華経信解品第四において、四大声聞(迦葉・目連・迦旃延・須菩提)は、釈尊に対して、彼等自身が領解(体得)したことを申し上げた中で、「無上の宝の珠を、自らが求めなくても、得ることが出来た。」と、仰っています。これは、我等の己心に具している声聞界であります。
法華経方便品第二においては、「我(釈尊)と等しくして異なることなく、一切衆生に、同様の妙覚の覚りを得させようと願った。我(釈尊)が昔の所願は、既に、今では、満足に成就した。一切衆生を教化して、皆、仏道に入らしめたのである。」と、仰せになられています。妙覚の釈尊は、我等の血肉であり、その因果の功徳は、我等の骨髄に他なりません。)

と答えられています。

41東国人:2008/08/11(月) 12:29:33 ID:WRjfJIMI0
要は(1)(2)への答えでもあります、

釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ。

との有名な文の意は、釈尊の因行果徳の二法(修行の功徳、覚りの功徳)である妙法蓮華経の五字を受持し、日常の生活と信仰実践の中で、その慈悲に浴して功徳を譲り受けて、私達の己心中の仏界を覚知、発現することができるのだということですね。

そして、下って本尊の相貌、

其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏釈尊の脇士上行等の四菩薩文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり、是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る、

と「このような御本尊は、釈尊御在世の五十余年間にも、存在しておらず、法華経が説かれた八年間であっても、法華経従地涌出品第十五から法華経嘱累品第二十二までの八品の時だけに限られていることを明かされながら、

此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆西海侵逼の二難を指すなり、此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し月支震旦に未だ此の本尊有さず、

と「一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」と記されます。

長くなりましたが、始めに「己心中の妙法」ではありません。

始めに「釈尊の因行果徳の二法」、続いて「妙法蓮華経の五字」、そして「我等此の五字を受持」であり、「自然に彼の因果の功徳を譲り与へ」られるのです。これが「順番」です。

「己心中の妙法が本尊」ならば、間違ってもこのような記述はなされなかったことでしょう。ただひたすらに「己心を覚知せよ」だけでいいのですから。

ここで注目すべきは「其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に〜」と記されているように、曼荼羅の相貌を明かされながら、「其の本尊」と記されていることで、「曼荼羅=本尊」であり、そこで、沖浦さんの言う「本門の本尊とは漫荼羅本尊その物を示さない」との説は、いったいどこから出てくるのであろうか?ということが問題になります。

そして、「観心本尊抄」では、「一閻浮提第一の本尊」とも記されていますが、沖浦さんの説を○とすると、「一閻浮提第一の本尊」は「方便」であり、「本迹」の「迹」である。更に己心の妙法顕現のための「道具」であり、「本門の本尊」そのものではない、ということにもなります。これまたもって、従来にはない見解と思われますが、この点も合わせて如何?是非、返答を願いたいと思います。

42沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/11(月) 12:38:42 ID:AJ3hr85o0
 東国人さん、
 
 先ず自己紹介のスレッドで自己紹介をどうぞ。

 それとご質問をなさるからには文証を引用すれば自説を捨て私の説を入れると確約をどうぞ。

43東国人:2008/08/11(月) 12:53:22 ID:WRjfJIMI0
>文証を引用すれば自説を捨て私の説を入れると確約をどうぞ

己心本尊論=東国人の40数年にわたる創価学会員人生の中では「初めての説」ですね。
ですから、お聞きしました。
沖浦さんの説を入れるもなにも、提示された文証が「己心本尊論」となり得るかどうか?
筋としてはそれからですね。

まずは文証をどうぞ。

44沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/11(月) 12:59:44 ID:AJ3hr85o0
 それでは夜にでもゆっくりお答え致しましょう。
 東国人さんに。

45沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/11(月) 20:53:13 ID:AJ3hr85o0
 東国人さん、

 ご質問の①から⑥まで文証を引用致します。

 『問う妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、答う十界の依正即ち妙法蓮華経の当体なり、問う若爾れば我等が如き一切衆生も妙法の全体なりと云わる可きか、答う勿論なり経に云く「所謂諸法乃至本末究竟等」云云、妙楽大師釈して云く「実相は必ず諸法諸法は必ず十如十如は必ず十界十界は必ず身土」と云云、天台云く「十如十界三千の諸法は今経の正体なるのみ」云云、南岳大師云く「云何なるを名けて妙法蓮華経と為すや答う妙とは衆生妙なるが故に法とは即ち是れ衆生法なるが故に」云云、又天台釈して云く「衆生法妙」と云云。』
 (当体義抄)

 よくご思索なさいませ。

 後の貴方の御主張は貴方の主観ですのでご自由だと思います。
 では以上の文証でお分かりにならない箇所があるならその点ご質問をどうぞ。
 尚、貴方の受け取り方には私は興味がありませんので、わからない点のみご質問下さいませ。

 お待ち致します。

46東国人:2008/08/11(月) 21:57:32 ID:zyeVFYV60
沖浦さん、

御本尊の大事について「はい、この文ですよ。後は思索しなさい」「あなたの主観はご自由に」と、そりゃあ、ないでしょう。

で、私が質問した、

①一大秘法とは「凡夫の己心に備わる大宇宙と全く同様の妙法」であるとの文証をお示しください。
②本尊とは「一大秘法である凡夫の己心に備わる大宇宙と全く同様の妙法」であるとの文証をお示しください。
③「本尊に本迹がある」との文証をお示しください。
④「漫荼羅は本尊ではあるが方便であり本迹の迹である」との文証をお示しください。
⑤「本尊である私共の己心の妙法が本迹の本である」との文証をお示しください。
⑥「本門の本尊とは漫荼羅本尊その物を示さない」との文証をお示しください。

の答えが、
>ご質問の①から⑥まで文証を引用致します。<

『問う妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、答う十界の依正即ち妙法蓮華経の当体なり、問う若爾れば我等が如き一切衆生も妙法の全体なりと云わる可きか、答う勿論なり経に云く「所謂諸法乃至本末究竟等」云云、妙楽大師釈して云く「実相は必ず諸法諸法は必ず十如十如は必ず十界十界は必ず身土」と云云、天台云く「十如十界三千の諸法は今経の正体なるのみ」云云、南岳大師云く「云何なるを名けて妙法蓮華経と為すや答う妙とは衆生妙なるが故に法とは即ち是れ衆生法なるが故に」云云、又天台釈して云く「衆生法妙」と云云。』
 (当体義抄)

と、たったこれだけ?
これも、「それはないよ〜〜」ですよ。

それにね、この御書は私が言った
>以上、日蓮大聖人の「真蹟」「真蹟曽存」御書での返答をお願いします。「日蓮大聖人の実像」に迫るためには、確実を期す必要があるからです。<

との「真蹟」「真蹟曽存」にも該当しません。

なぜ「真蹟」「真蹟曽存」(それと「高弟写本」もありましたね)、これらにこだわるかというと、「日蓮大聖人の本尊・教え」に関することは、「その実像・真実」に迫るためにも、対外的にも通用するものを、まずは用いて確認、検証する必要があると考えるからです。

それこそ、沖浦さんのよく言う「世間」というものですね。もちろん、「その団体内での信仰のため」ならば、また、話は別でしょう。

47東国人:2008/08/11(月) 21:58:21 ID:zyeVFYV60
それを前提とした上で、この該文についてコメントします。

まず、該文の意ですが、私達、末法に生きる衆生が証得するべき「妙法蓮華経の法体とは、如何なるものなのか」と、問いを設けて、「法界の十界三千の事相」という観点から、一切衆生の依報、正報の全体が妙法蓮華経の当体であると答えられていますね。その文証として法華経、妙楽大師、天台大師、南岳大師の文を挙げられています。

しかしですよ、これは一応なのですよ。まだ、以下があります。

問う一切衆生皆悉く妙法蓮華経の当体ならば我等が如き愚癡闇鈍の凡夫も即ち妙法の当体なりや、答う当世の諸人之れ多しと雖も二人を出でず謂ゆる権教の人・実教の人なり、而も権教方便の念仏等を信ずる人は妙法蓮華の当体と云わる可からず、実教の法華経を信ずる人は即ち当体の蓮華真如の妙体是なり

再往、妙法信受という観点から、不信そして謗法の人々には妙法の当体としての発現はなく、正直に方便を捨てて、南無妙法蓮華経を受持・信行する日蓮大聖人の弟子檀那こそが、妙法蓮華の当体を証得し、自在の功徳力有を発現すると示されています。

それはそうですよね。南無阿弥陀仏と唱えていて「我が身の妙法」を感得することなど、できようはずもありません。「権教方便の念仏等を信ずる人は妙法蓮華の当体と云わる可からず」です。

要するに、沖浦さんが引用した御文は「一切衆生には十界があり、仏界があり、妙法の当体」なのであり、それが「己心本尊論」の文証としては、全く以て程遠いとしかいいようがありません。

それとも「妙法の当体」だから「己心本尊」ということなのですか?
むしろ、この文は以下の「小乗大乗分別抄」とも通じるものがあるでしょうね。

法華経の心は法爾のことはりとして一切衆生に十界を具足せり、譬えば人一人は必ず四大を以てつくれり一大かけなば人にあらじ、一切衆生のみならず十界の依正の二法非情の草木一微塵にいたるまで皆十界を具足せり、
( 1273年・文永10年、真蹟は小湊誕生寺などに断片があります。)

それにね、「当体義抄」は「1273年・文永10年」とされていますよ。
冒頭、私が提示した「観心本尊抄」は同じ年、「1273年、文永10年4月25日」です。

そこには、衆生の妙法の発現といっても、

釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ。

とあり、始めに「釈尊の因行果徳の二法」、続いて「妙法蓮華経の五字」、そして「我等此の五字を受持」であり、「自然に彼の因果の功徳を譲り与へ」られるということが明確に示されているのです。

>貴方の受け取り方には私は興味がありません<
などと言わないで、自説である、

・一大秘法とは「私共の己心の妙法」でありそれは「本尊」でもあり、「本迹」の内の「本」である。

・「曼荼羅」は「本尊」ではあるが「方便」であり、「本迹」の「迹」である。更に己心の妙法顕現のための「道具」であり、「本門の本尊」そのものではない。

・本尊に「本迹」がある。

の文証を、もっと考えてみてください。
付言すれば、私が「当体義抄」の解説をしているのですからね、本当は逆なのですけど。

48沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/11(月) 22:07:35 ID:AJ3hr85o0
 東国人さん、先ず数日私の上げた文証を学んでください。
 それでわからないところをお聞きください。

 法を学ぶならそう言う姿勢が不可欠です。
 後の書き込みは削除はしませんが無意味ですよ。

 一方的に巻くし立てても貴方が学ぶことは不可能です。

 では数日思索してからにしましょうね。

49東国人:2008/08/11(月) 22:23:48 ID:zyeVFYV60
>東国人さん、先ず数日私の上げた文証を学んでください。<

もう既に解説済みです。
違うというのならどうぞ指摘してください。

>それでわからないところをお聞きください。<

話が逆です。私が沖浦さんに対して「解説した」のですよ。

>法を学ぶならそう言う姿勢が不可欠です。<

沖浦さん、私には、
「俺には身を低くして教えをこうもんだ」
と読めます。

>後の書き込みは削除はしませんが無意味ですよ。<

法義を論じているだけで削除?
ですから、何がどういうふうに無意味なのか?どうぞ、指摘をしてください。

>一方的に巻くし立てても貴方が学ぶことは不可能です。<

御本尊の大事についてです。当然、分量も多くなります。
今迄、法華講相手に戦ってきた沖浦さんなのですから、どうぞ、スパッと文証を出してくださいよ。

>では数日思索してからにしましょうね。<

夜まで待って、今度は数日って・・・・?????
何かおかしくない?

50東国人:2008/08/11(月) 22:46:05 ID:zyeVFYV60
沖浦さんの「己心本尊論」は、禅宗の語である「直指人心 見性成仏(じきしにんしん けんしょうじょうぶつ)」を連想させます。「そのもの」とは言いませんよ。何か連想させるものがあるのですよ。これは私の直感ね。

「直指」とは、直ちに指すこと。文字、言葉などの他の方法によらず、直接的に指し示すこと。

「人心」とは、感情的な「心」ではなく、自分の心の奥底に存在する、仏になる可能性ともいうべき本心・本性・仏心・仏性といわれるもの。

「直指人心」とは、自分の奥底に内在する心の奥底を凝視して、本当の自分、即ち仏心、仏性を直接端的にしっかり把握すること。

「見性」の見とは、ただ物を対象的に見るのではなく、対象そのものになり切る、一体、一枚になること。性とは、直指人心、即ち、仏心・仏性を意味する。

「成仏」とは、仏陀(覚者)になること、覚った人間になることです。

「見性成仏」は、即ち、自分の奥底に存在する仏心・仏性になり切って、真実の人間になること。

うーむ、
「本迹」の内の「本」である「一大秘法たる己心妙法本尊」と何か。

51沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/11(月) 23:00:10 ID:AJ3hr85o0
 東国人さん

 貴方は知りたいのですか?
 知りたくないのですか?
 知りたくなければ聞く必要はありません。
 知りたいなら礼儀作法は守りなさい。

 雪山童子をご存知ですね。
 身を投げる前、衣服を脱いで卑しいとされている鬼神に法座をしつらえました。
 御書に書いてありますよ。

 私に礼をつくせ?
 いいえ、私から学ぶなら当然礼が必要ですよ。
 このように教えています。
 
>沖浦さん、私には、
「俺には身を低くして教えをこうもんだ」
と読めます。

 それは貴方の主観ですから余分ですね、この場合。
 知りたいのか?
 知りたくないのか?
 それが始まりですよ。

 貴方は、私が数日勉強しなさい。と教えた事がご不満。
 では、もう聞かない事です。
 その自由はあるんですよ。

 でも、知りたくて質問をしたのでしょう。 
 では私は貴方の先生ですよ。
 当然言う事を聞くべきですね。

 数日引用の御文を思索してください。
 そしてどうしてもわからなければ御質問下さいね。

 ではお待ち致します。

 この件でのそれ以外の投稿は意味がありません。
 どうしてもこの件をおやりになられたいなら、ご自分で掲示板をお立てなさい。
 そこで存分にどうぞ。

52東国人:2008/08/11(月) 23:00:59 ID:zyeVFYV60
沖浦さん、

どこ向いてんの。

こっちだよ、こっち。

さあ、書きましょう。

53東国人:2008/08/11(月) 23:04:08 ID:zyeVFYV60
おっと、時間が重なっていましたね。

それにしても、今まで法華講とナアナアでやってきたツケが回ってきましたね。
お説教じゃなくて、自説の文証をスパッと出しなさい。

54沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/11(月) 23:11:56 ID:AJ3hr85o0
 先ず謙虚に御書を学びなさい。
 東国人さん。

 知りたいのですか?
 知りたくないのですか?
 
 貴方は一体どっちなんでしょうね?
 どうも、難癖をつけたくて、ご本仏様の御金言を利用しているようにも見えますね。

 よくないです。
 ご自分の都合で御書を利用すると現証があります。

 少し冷静になり、学ぶ姿勢からスタート致しましょうね。

 私はね、法華講員の集中質問にも平気なんですよ。
 貴方の愚問、どうってことないです。

 ですから、背伸びしないで謙虚に謙虚に学ぶ事です。

 では、あの御文、よく勉強いたしてくださいね。
 文証スパッと出しても読めないじゃないですか。
 スパット読めるまで学びなさいね。
 華道部なんでしょう??

 そりゃ、樋田さんに歯が立たないはずですね。
 勉強しないんだもんね〜〜。

 だめですよ。
 では数日考えてください。

55東国人:2008/08/11(月) 23:31:04 ID:zyeVFYV60
独り言はいらないですよ。

>こりゃ、法論負けるはずだわ。
とオアシスで大言壮語していた沖浦さん。
だったら「スパッ」と私を破折してくださいよ。

それにね、あなたが「負ける」と言った人達を、私、尊敬しているのですよ。

このままでは「所詮、あなたは井の中の蛙、この程度なのです」となりますよ。

文証を質問されただけで「夜」だの、「数日」だのと時間を要する。
それで、よくぞ今まで「でっかい」ことを言えたものです。

議論の中身にとっとと入りなさい。
こっちは夜まで待っていたのだからね。

56東国人:2008/08/11(月) 23:50:11 ID:zyeVFYV60
沖浦さん、
この期に及んで話題をそらして、虚勢を張って、みっともないですよ。

>一大秘法に関しては、私自身は25年前に結論が出ているのです。
一大秘法とは、凡夫の己心に大宇宙と全く同様の妙法が備わっている。
それこそが最も肝心な事で、一大秘法と呼びます。
本尊でもあるし妙法としてのお題目でもある。
この極意から考察すれば、漫荼羅は本尊ではあるが方便です。
迹ですね。
本は本尊である私共の己心の妙法。
漫荼羅はそれを顕現させるための道具。
本門の本尊とは漫荼羅本尊その物を示さない。<

この発言。
さあ、御書の御文を引いて証明しましょうね。
今なすべきことは、その一点ですよ。

日蓮大聖人の本尊観に関わる重大問題です。

これが証明できないのならば、沖浦さんは、

・邪教の基準
1272年、文永9年、「祈祷抄」真蹟曽存です
若し証拠なくんば誰人か信ずべきや、かかる僻事をのみ構え申す間・邪教とは申すなり

・天魔の基準
1271年、文永8年7月、「行敏訴状御会通 」真蹟曽存です
仏の遺言に云く我が経の外に正法有りといわば天魔の説なり云云

の両方に合致することになるのですよ。

>弱い命の見本ですね。
という人物から言われることになるのです。

>夜にでもゆっくりお答え致しましょう。
と言ったのは沖浦さんですよ。
これを読めば「じっくりと論じあえる」と思うでしょう。
なのに、「後は考えな」って、なに、それ。

57東国人:2008/08/12(火) 00:16:02 ID:zyeVFYV60
他のスレを上げようといったって、そうはいかない。

東国人は「観心本尊抄」を引用し、「己心本尊論」に対して指摘をしました。
沖浦さんは「当体義抄」の御文をそのまま提示しただけで、「何がどうして」

・一大秘法とは「私共の己心の妙法」でありそれは「本尊」でもあり、「本迹」の内の「本」である。

・「曼荼羅」は「本尊」ではあるが「方便」であり、「本迹」の「迹」である。更に己心の妙法顕現のための「道具」であり、「本門の本尊」そのものではない。

・本尊に「本迹」がある。

となるのか、なんの説明もありません。

ただ、考えなさい、だけです。

ロムをしている皆さんが分かっていただければ十分ですが、「こんなやり方」で、法華講員相手にリアルでやったらどうなります?
馬鹿にされて終わりでしょう。

その人が、
>こりゃ、法論負けるはずだわ。
と、学会執行部に対して言っているのですよ。
実にみっともない限りなのです。

さあ、とっとと始めましょうよ。

58那由他 楽人:2008/08/12(火) 00:23:54 ID:/P1KhNMc0
東国人さん、こんばんは。
横レス失礼します。

失礼ながら、東国人さんは何がお聞きになりたいのでしょうか?
議論をするというよりも、「文証出せなかったらあなたの負けですよ!私の勝ちですよ!」と言いたいように感じます。

その論理展開では、観心本尊抄の「此の仏像出現せしむべきか」を”文字曼荼羅”だと言えなくなりますし、報恩抄の「本門の教主釈尊を本尊とすべし」を御本尊様(文字曼荼羅)のことだと説明できなくなります。
意味、お判りになりますよね?
つまり、現在我々が学んでいる教学というのは、ある意味”解釈”だと言えるわけです。
大聖人が明確に仰せにならなかったことを、そのように理解しているということです。

沖浦さんは様々な御文や教学から、”私はこのように考える”ということを示されています。
その内容検討よりも、”証拠が出せなかったら負けだ”ということを主張しているような姿勢は相応しくないと感じます。

決して沖浦さんの肩を持つわけではありませんが、「考えませんか」というスレなのですから、せめてそのような姿勢で臨んでいただきたいと思った次第です。

59壮年部くまおー:2008/08/12(火) 00:46:02 ID:zdbQBUfo0
 
 東国人さま 壮年部くまおーと申します。 横からすいません。

 私には到底できようもない教学探求。その情熱に感服しております。 一万字を超えるような打ち込みを1日で、しかもこのような

 掲示板でされるとは、あまり見たことがありません。

 しかし、すでにあなたは質問は詰問になっていますわな? ご存じかと思いますが、ここは沖浦さんの土俵です。

 あえて例えるなら、あなたの行為は、強盗のようです。

 せっかく研鑽の成果を、手段によって価値を落とすのはもったいないと思います。

 多くの方々が見ているところで、最高の手段で研鑽の成果をより高めましょうな。

60東国人:2008/08/12(火) 00:57:53 ID:zyeVFYV60
>意味、お判りになりますよね?

さて、「観心本尊抄」

前段から拝すれば仏像=妙法曼荼羅本尊です。

此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う、其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏釈尊の脇士上行等の四菩薩文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり、是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉阿難を脇士と為し権大乗並に涅槃法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか。
問う正像二千余年の間は四依の菩薩並びに人師等余仏小乗権大乗爾前迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す、此の事粗之を聞くと雖も前代未聞の故に耳目を驚動し心意を迷惑す請う重ねて之を説け委細に之を聞かん。

「此の仏像出現せしむ可きか」の「此の」は何を指すのでしょうか?

「本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては〜但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う」
「其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏釈尊の脇士上行等の四菩薩文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う」
「是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る」
と、前段から見てくれば「南無妙法蓮華経の五字=其の本尊の為体=是くの如き本尊」ですから妙法蓮華経の曼荼羅本尊です。

では何故、妙法曼荼羅本尊を仏像としたのか?それは「正像二千年の間の本尊(小乗の釈尊・権大乗並に涅槃法華経の迹門等の釈尊)=仏像」と対比させて、「寿量の仏」として末法の帰命礼拝の対象を示した故と拝します。

61東国人:2008/08/12(火) 00:59:32 ID:zyeVFYV60
報恩抄
1276年・建治2年7月21日の「報恩抄」ですね。真蹟は「池上本門寺外」にあります。

問うて云く天台伝教の弘通し給わざる正法ありや、答えて云く有り求めて云く何物ぞや、答えて云く三あり、末法のために仏留め置き給う迦葉阿難等馬鳴竜樹等天台伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだひろまらず一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり、

・日蓮大聖人は文永八年以降、曼荼羅本尊を図顕し、数多の弟子檀越に授与。
・身延では曼荼羅本尊奉安、さらに釈尊像の奉安の記述がある。
・御書中では、曼荼羅図顕以前は「釈尊を本尊」とある。
・漫荼羅図顕以降、御書には「本門の教主釈尊」との教示。
・門下の釈尊像造立を認められている。
・日蓮大聖人自身は伊豆以降、終生、一体仏を所持。
・ただ、自身として釈尊像の造立は行っていない。
・また、門下に造立を勧めた文証もない。

と、事実を列挙しただけでは、いったい漫荼羅本尊なの?仏像本尊なの?
と誰しも迷うでしょうね。

文永十年五月十一日の「顕仏未来記」(身延山に真蹟曽存)には、「此の人は守護の力を得て本門の本尊妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか」と、広宣流布する実体は「本門の本尊妙法蓮華経の五字」と述べられているのです。

更に、弘安元年九月の「本尊問答抄」(身延山に真蹟曽存)では、「問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし、問うて云く何れの経文何れの人師の釈にか出でたるや、答う法華経の第四法師品に云く『薬王在在処処に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住の処には皆応に七宝の塔を起てて極めて高広厳飾なら令むべし復舎利を安んずることを須いじ所以は何ん此の中には已に如来の全身有す』等云云」と、文中で「法華経の題目を以て本尊」と言われています。

釈尊像については、門下が弥陀・大日・薬師等の他神他仏をすて、本師・釈尊、出世の本懐・法華経へ還ったその信仰を、愛でられて讃嘆されています。

そうすると、文永十年五月十一日の「顕仏未来記」、弘安元年九月の「本尊問答抄」にサンドイッチされた建治二年の「報恩抄」の三大秘法の文

「問うて云く天台伝教の弘通し給わざる正法ありや、答えて云く有り求めて云く何物ぞや、答えて云く三あり、末法のために仏留め置き給う迦葉阿難等馬鳴竜樹等天台伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだひろまらず一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり」

の「本門の教主釈尊」は漫荼羅本尊ではないかと拝察する次第です。

「宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし」とあるように、お釈迦さんは首題・妙法蓮華経の脇士ですから。

ただ、観心本尊抄に「仏像」ともありますし、解釈論はいかようにも成り立つ文が多く、古い弟子「五老僧」ほど、日蓮大聖人と共に過ごした時間がそれなりに有ったでしょうし、その時に見た一体仏・釈尊像の所持・奉安の様から、教義的なものではなく、体感的なものを基軸にそれぞれの本尊観が成立していったのではと思います。故に、大聖人滅後の教団分裂の主要な要因に「本尊問題」が起こったのではないかなと考えます。

日興上人の身延離山前後は、一尊四士が「日興が義」でありました。曼荼羅本尊を主とするあり方は、日興上人の重須移住以降で、300体にわたる本尊書写、自身も釈尊像は造立しない、門下にも勧めないところから、「漫荼羅本尊正意」が「富士の立義」として成り立ってきたのではと思います。


で、
>つまり、現在我々が学んでいる教学というのは、ある意味”解釈”だと言えるわけです。
大聖人が明確に仰せにならなかったことを、そのように理解しているということです。

では、沖浦さんの提示された「当体義抄」の解釈で、「己心本尊論」は確立するのですか?

62日々朗らか(決意):2008/08/12(火) 01:05:58 ID:8FNX.yWoO
ついに、来ましたね!ヒガシクニジンさん(笑)。
アハハ♪。寝込みを襲いやがって(笑)。卑怯だぞ!あんた!アハハ♪!。


『それにしても、今まで法華講とナアナアでやってきたツケが回ってきましたね。』


これはどうゆう事かな?。ヒガシクニジンさん。

あんた、人サマーをなめんのもいい加減にしてくださいね。
いくら、サマー(夏)だからって……(-.-;)。

沖浦さんは、もう寝ている時間かと思いますよ。

ってかさあ、ヒガシクニジン。
お前、ホケコを相手にしろよ(^O^)。
なんで、沖浦さんを狙うんだぁ???。

さてはお前………。

クニちゃんだな(笑)。

おい、クニちゃん!!。
ホケコを相手にしたほうがいいぞ!!。

若鷹って、知っとるけ??。
あそこで、吉野家チックなハンネのホケコが居るからさっ。
相手してやれやっ!。

それとも、長野ナンテラのヤングマンのサ◎ル君の相手でもいいからさっ!。

狙う所が、ズレてんだよっ!

わかったか?ヒガシ!。


よく考えるんだな。糞野郎(笑)。

アハハ♪、冗談だよ。
失礼しましたm(__)m。

でも俺ねえ!同志誹謗する人許せないんだわっ!!。

あっ………俺の書き込みはね、ヒガシの誹謗じゃないからね!

勘違いすんじゃねえぞっ!!。

まあ、ヒガシがこの板に来たのも、ヒガシクニジンの進歩だな。
認めてあげます(^O^)。

では、今日はコンクライにしてお休みなさいm(__)m。

ついでにこのスレ、上げておきますね、ヒガシクニジンさん。

63日々朗らか(決意):2008/08/12(火) 01:14:22 ID:8FNX.yWoO
ひとつ、忠告しておこう、ヒガシクニジン。

このスレは『……を考えましょうスレ』だ。

沖浦さんは、そう宣言してスレを立ててるんだよ。

ヒガシクニジンさん。

登場の仕方が良くなかったようだな………。

皆さんが指摘している通りだ。
よくよくその点は、反省しなさいね。

では、改めて……お休みなさいm(__)m。

64photochika:2008/08/12(火) 01:14:58 ID:nos4XpMo0
まあ、とにかく。
人の話しは絶対に聞かないタイプ。
長いだけの自己満足男は本当に嫌よ。
(女性代表)

65東国人:2008/08/12(火) 01:16:47 ID:zyeVFYV60
>その論理展開では、観心本尊抄の「此の仏像出現せしむべきか」を”文字曼荼羅”だと言えなくなりますし、報恩抄の「本門の教主釈尊を本尊とすべし」を御本尊様(文字曼荼羅)のことだと説明できなくなります。<

ということで、説明しました。
もちろん、「観心本尊抄」「報恩抄」も「やろうと思えばいかほどの解釈」でもできます。
それは日蓮宗の学者さん達の所説の山を見てのとおりですね。

ただ、「当体義抄」を一つだけ「ポン」と放り投げて、それで「数日考えなさい」とは????
どうひいき目に見ても、

>沖浦さんは様々な御文や教学から、”私はこのように考える”ということを示されています。

には該当しないと思いますよ。


沖浦さんの「説」は、日蓮大聖人の本尊観という重大事ですし、本尊については「頭破七分」とあるとおりですから、絶対にワンレス程度で済まされる問題ではないはずです。

66日々朗らか(決意):2008/08/12(火) 01:20:44 ID:8FNX.yWoO
あれれ?……那由他さんの投稿をよく読んでなかったが、
なんだか、俺の考えとダブったo(^-^)o!。

ちょっぴりウレピーf^_^;。

では、サンタビお休みなさいm(__)m。

ヒガシクニジン……お休み。

67那由他 楽人:2008/08/12(火) 01:22:09 ID:/P1KhNMc0
>>60>>61

東国人さん、詳細な解説ありがとうございます。


というふうに東国人さんが様々な御書から類推して一つの結論に至ったのと同じように、沖浦さんも様々な御書、教学研鑽からそのように言われたのだと思います。

ですから、”文証出して下さい。出せなきゃあなたの負けですよ”という姿勢での投稿は相応しくない、と申し上げたのです。

意味、お判りになりますよね?

68鉄齋:2008/08/12(火) 01:25:44 ID:svLcjHmQO
感情論はやめましょうよ。
沖浦さんも東国人さんも御書をもとに論議してる訳ですから、
私も興味深く見守りつつロムしています

69東国人:2008/08/12(火) 01:31:42 ID:zyeVFYV60
那由他 楽人さん
どうも!

>というふうに東国人さんが様々な御書から類推して一つの結論に至ったのと同じように、沖浦さんも様々な御書、教学研鑽からそのように言われたのだと思います。<

私、那由他さんにはあまり云々したくありません。
お若い方のようですし。
その教学研鑽で更に「大成長を遂げらる」ことをお祈りします。
これはまじめに言ってます。

あら、鉄斎さんも。

70東国人:2008/08/12(火) 01:40:00 ID:zyeVFYV60
あーだ、こーだと言っていてもしょうがない。
法義を少し書きます。

順を追って曼茶羅本尊について説明してみましょう。

・「観心本尊抄」が示すように霊山虚空会における儀式の相貌です。このとき釈尊は正法である妙法を説き、それは真実であるという多宝仏の証明を得る。

・そしてこれは神力品にて、地涌の菩薩の上首上行菩薩へ付嘱された妙法でもあります。

・その上行菩薩所伝の妙法を受持した大聖人の「観心の本尊」です。

・さらにその妙法を日蓮大聖人から教えられて、それを信奉した門弟とが師弟一体して、受持した妙法です。

そこで初めて「日蓮が法門」の和合僧の一員となり、「己心中の仏界」というものを知るに至ることとなります。

その衆生の己心が本尊であるとは?

71日々朗らか(決意):2008/08/12(火) 01:45:22 ID:8FNX.yWoO
『私、那由他さんにはあまり云々したくありません。
お若い方のようですし。
その教学研鑽で更に「大成長を遂げらる」ことをお祈りします。
これはまじめに言ってます。』



『お若い』は、関係ありませんね(笑)。ヒガシクニジンさん。

では、ヒガシクニジンさんは、何歳ですか???。

若いんでしょ?沖浦さんよりも。


卑怯なんだよな。
『………さんに云々言いたくない』なんて(笑)。しかも、《大成長が云々》なんて(失笑)。

しっかりして下さいね!ヒガシクニジンさん。

では、ヨンタビお休みなさいm(__)m。

最後に!
【云々言いたくないっていいながら、大成長を祈る????。】


それねえ……無責任すぎ。

72東国人:2008/08/12(火) 01:48:15 ID:zyeVFYV60
日々さん、
寝ててもいいから、沖浦さんがどんな人なのか、よく考えた方がいいよ。
文証放り投げて終りなのだから。
それで執行部批判をしている人なのですよ。

73photochika:2008/08/12(火) 01:54:45 ID:nos4XpMo0
>その教学研鑽で更に「大成長を遂げらる」ことをお祈りします。
>これはまじめに言ってます。

あんた幾つなんだ?
執行部批判されたらまずいのか?

74東国人:2008/08/12(火) 01:59:24 ID:zyeVFYV60
>あんた

そのもの言いにこそ憎悪を感じます。
怖いですね。

>執行部批判されたらまずいのか?

なぜ、執行部批判をするのですか?
どこにそんな必要があるのですか?
何か批判すべきものがあるのですか?
何もないですよ。

それを「法論負ける」云々だなんて、慢心です。

75東国人:2008/08/12(火) 02:01:40 ID:zyeVFYV60
と、次元がどんどん違う方に行ってしまうので、また明日にしましょう。

明日は仕事なので、夜の8時過ぎぐらいかな、また伺います。

76日々朗らか(決意):2008/08/12(火) 02:09:52 ID:8FNX.yWoO
【執行部】って何???。

何処までが、ソレに当たるの???。

アハハ♪。俺、興味ないのでーすo(^-^)o。

っていうか、執行部の責任なんてどうでもいいんでーすo(^-^)o!。

でも、ヒガシクニジンさん、一言言わせて下さいね。

【批判は甘んじて受ける】

これが、《広宣流布の団体の本来の姿》なのではないですか???。

よく考えて下さいね。
ヒガシクニジンさんは、そのお立場にある人のような気が、前からしておりました。

では、ゴタビお休みなさいm(__)m。

77日々朗らか(決意):2008/08/12(火) 02:14:51 ID:8FNX.yWoO
>>75

なんじゃい!!先に寝るんかい!(笑)!!!。


じゃあ、俺は、【モスコシ、ツッコミいれます】からo(^-^)o!
ヒガシクニジンさん、覚悟してて下さいね!

78photochika:2008/08/12(火) 02:17:31 ID:nos4XpMo0
>なぜ、執行部批判をするのですか?
>どこにそんな必要があるのですか?
>何か批判すべきものがあるのですか?
>何もないですよ。

これが本音かい。

この人、本部職員かしら?
あなた、
学会からお金もらって生活している人?

それから私はあなたを憎悪しているんじゃありません。
嫌悪しているんです。
あなた自身ではなく、あなたの物の考え方をね。
お間違えないように。

79日々朗らか(決意):2008/08/12(火) 02:20:59 ID:8FNX.yWoO
>>72
『寝ててもいいから、沖浦さんがどんな人なのか、よく考えた方がいいよ。
文証放り投げて終りなのだから。
それで執行部批判をしている人なのですよ。』


《沖浦さんがどんな人なのか???。》

ヒガシクニジンさんは、【どんな人】だと思ってんですか???。

貴方はどんくらい、ネットで対話しましたか?沖浦さんと……。

80photochika:2008/08/12(火) 02:25:27 ID:nos4XpMo0
日々さん。
なんだか今日は我々は夜更かし人ですなあ。。。

81日々朗らか(決意):2008/08/12(火) 02:26:11 ID:8FNX.yWoO
>>52

ヒガシクニジンさんのご要望にお応えして、
この【考えましょうスレ】を上げておきまします。

82日々朗らか(決意):2008/08/12(火) 02:37:20 ID:8FNX.yWoO
>>80
photochikaさんf^_^;。
オアシス四畳半で、牛肉系ネタでレスしようと思っていましたが(-.-;)。

あまりにも、こちらが見苦しく見えたものでf^_^;。

《無冠》があるのですが、ヒガシクニジンさんに、朝までGO!でツッコミ入れまくりマクリスティーしようと決意しましたが、当事者のヒガシが、寝るって言うのでf^_^;、ヒガシの要望通り、このスレを上げて寝ますf^_^;。
オ◎シスにはまた改めてレスします(笑)。

もう何回目が忘れましたが、お休みなさい(^O^)m(__)m。

83photochika:2008/08/12(火) 02:45:02 ID:nos4XpMo0
はい^^。お休みなさい。私も寝ますね〜。
明日の無冠が無事故でありますように。。。
ヒガシ! ってジャニーズみたいね^^。(あ、歳がバレるぅ)
カッコ良すぎよ。

84バカ親子:2008/08/12(火) 04:24:47 ID:Ba1rSgQI0
沖浦教の信者として擁護したい気持ちは解りますが、これは誰がどう見ても沖浦君の完敗です。東国人さんとの教学力の差があまりに歴然です。沖浦君自身が法華講と真正面から法論して勝てない事を悟っているからこそ法華講を妙に持ち上げたりするんですよ!やり方が姑息です。ここに常駐している沖浦教の信者の方々、いい加減に目を覚ました方がいいですよ!!

85バカ親子:2008/08/12(火) 05:25:00 ID:Ba1rSgQI0
身の程知らずとは沖浦君の事です。ネットで非力な自分を尊大に見せようとした画策した事が返って裏目に出ましたね!」

87沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/12(火) 07:46:09 ID:AJ3hr85o0
 馬鹿親子さん、貴方のphotochika さんへのレスは故無き中傷ですので削除いたしました。

 ここでは他人への中傷は禁止です。 
 私に対すル者は結構ですよ。

88沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/12(火) 07:47:08 ID:AJ3hr85o0
 少しゆっくり寝てる間に相当ヒートアップしていますね。

 夜は寝ないと駄目ですよ。

 皆様冷静にね。

89沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/12(火) 08:34:38 ID:AJ3hr85o0
 東国人さん、おはようございます

 後二日ほどあの御文をお読みなさい。
 それでまだ理解が出来なければ御質問くださいね。
 お教えいたしましょう。

 沢山御書を引用するのがお好きなようですが、御書はね、身で読むのです。
 ここまで知っているから負けないぞ。
 これはね邪道ですよ。

 くだらない書き込みをするひまがあるなら、私の引用した御文を真剣に学びなさいね。
 貴方は知りたくて質問をしたのでしょう。
 では、先生の言うことをお聞きなさい。

 頑張ってください。

90シビック:2008/08/12(火) 15:34:13 ID:zziJAzVE0
日々さん、photochikaさん
私は、どちらかというと、あなた方に違和感を感じます。
何故、沖浦さんと東国人さんのやり取りをじっと見ていられないのでしょうか?
沖浦さんと東国人さんの書き込みは、私にとって勉強になりますので、余計な横やりで
脱線してもらいたくないというのが正直な気持ちです。

91日々朗らか(決意):2008/08/12(火) 16:34:54 ID:8FNX.yWoO
90:シビック
08/08/12(火) 15:34:13 ID:zziJAzVE0
日々さん、photochikaさん
私は、どちらかというと、あなた方に違和感を感じます。
何故、沖浦さんと東国人さんのやり取りをじっと見ていられないのでしょうか?



…………

シビックさん、こんにちは。
じっと見てますよ。
しかし!納得いかない場面にはツッコミいれますよ。

スレッドの内容通りに、レスが進行するのであれば、私も学ばせて頂きます。
しかし!その姿勢でないから、ツッコミました。

って事で、シビックさん、ご了承下さいm(__)m。

あっ、それと違和感を感じるとは、どのような事なんでしょうか?。
このスレッド以外で、適当なスレッドがあれば、そこにカキコミして頂くと有り難いです。

92大勝利:2008/08/12(火) 17:58:35 ID:5lXWL39c0
>>91
「己心の妙法」に関して、片や「観心本尊抄」、片や「当体義抄」でしょ。
それこそこの引用の時点で、力の差は歴然だと思いますよ(笑

ROMの皆も書き込みたいのを我慢してると思うから・・、そのうち別スレでやりましょうよ。
日々さん。

93沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/12(火) 18:09:19 ID:AJ3hr85o0
 シビック さん

 東国人さんが本気で仏法を学ぶ姿勢があるかどうか?
 現在確認中なんです。

 私が引用した御文に真筆がない。と、文句を言いましたね、あの人。 
 既に逃げ腰なんです。
 互いに創価学会員ですから、創価学会発行の御書で文句言う言うべきじゃありません。
 対破じゃないですからね。

 とりあえず、あの御文を真面目に学ぶかどうか見ていましょうね。
 
 でもね、最近あの人本当に創価学会員かどうか、疑問なんです。

 創価学会版の御書に文句言うでしょう。
 それとね、本尊は仏なんです。
 戸田先生が明確に仰せですよ。
 無量義経の一文、34回の非ず。は仏を示しているのです。
 
 『仏とは生命だ!』

 これが戸田先生の悟達です。
 創価学会員なら、疑う必要すらありません。
 原点ですから。
 私共の命が仏。
 本尊です。

 疑うならね、創価学会辞めることです。
 これすらわからずに御書を我見で読む。

 成りすましかもわからないですね。

94沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/12(火) 18:30:25 ID:AJ3hr85o0
 それとですね、シビックさん

 最も大切なもの、それは命です。

 『いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり、遍満三千界無有直身命ととかれて三千大千世界にみてて候財もいのちにはかへぬ事に候なり』
 (白米一俵御書)

 大聖人様の教えを貫き通す根本の価値観です。

 何故命が大切か?

 本尊だからです。
 最も尊いものだからなんですよ。

 御書のうわべだけ読んで、破折の材料にしようと、野良猫がおかず狙うように仏様の文章を読んでも駄目なんです。
 素直に読まないと無理ですよ。
 命が修羅ですからね、現在のあの方は。
 ですから、勝負のネタが御書ですね。
 そりゃ無理です、先ず学ぶ姿勢から会得しないと本尊など言う大切な事は概念すら理解不可能です。
 信じてませんからね、御書を。
 ですから、少し真面目にご文を学ぶように教えたのですよ。

95東国人:2008/08/12(火) 21:41:46 ID:rHY1CAtE0
さて、相変わらず「口は重宝なものである」を示す、典型的なものいいが続いていますね。


>「己心の妙法」に関して、片や「観心本尊抄」、片や「当体義抄」でしょ。
それこそこの引用の時点で、力の差は歴然だと思いますよ(笑<

そうですね。
「観心本尊抄」は日興上人選定の「五大部」ですからね。

「富士一跡門徒存知の事」には、日興上人が選定された「御書十大部」が記述されています。国家・国主諌暁の書「立正安国論」を除き、これら、大聖人の法門を体得するためにいずれも教義的に重要な御書が、「各地の弟子・檀那そして師匠であった故・道善房等、個人に与えられた」ということは、大聖人は御自身の手作りである「和合僧」による令法久住を期されていた証し、とも考えられます。特に「観心本尊抄」「開目抄」が在家の檀那に与えられたことに、その感を強くします。

「富士一跡門徒存知の事」
一、立正安国論一巻。 此れに両本有り。一本は文応元年の御作。是れ最明寺殿、宝光寺殿へ奏上の本なり。一本は弘安年中身延山に於て先本に文言を添えたもう。而して別の旨趣無し。只建治の広本と云う。

一、開目抄一巻。今開して上下と為す。
佐土国の御作。四条金吾頼基に賜う。日興所持の本は第二転なり。未だ正本を以て之を校えず。

一、報恩抄一巻。今開して上下と為す。
身延山に於て本師道善房聖霊の為に作り、清澄寺に送る。日向が許に在りと聞く。日興所持の本は第二転なり。未だ正本を以て之を校えず。

一、撰時抄一巻。今開して上中下と為す。
駿河国西山由井某に賜る。正本日興に上中二巻之れ在り(此中に面目俄に開く事)。下巻に於ては日昭が許に之れ在り。

一、下山抄一巻。
甲斐の国、下山郷の兵庫五郎光基の氏寺・平泉寺の住僧因幡房日永追い出さるる時の述作なり。直ちに御自筆を以て遣さる。正本の在所を知らず。

一、観心本尊抄一巻。
一、取要抄一巻。
一、四信五品抄一巻。法門不審の条条申すに付いての御返事なり。仍つて彼の進状を奥に之を書く。
已上の三巻は因幡国富城荘の本主・今は常住下総国五郎入道日常に賜わる。正本は彼の在所に在り。

一、本尊問答抄一巻。(浄顕房日仲)

一、唱法華題目抄一巻。
此の書・最初の御書・文応年中・常途天台宗の義分を以て且く爾前法華の相違を註し給う。文言義理共に爾なり。

そして「当体義抄」には、真蹟は伝わらないのです
更に、この御書の解釈論で、沖浦さんの主張を可とするのは不可能なのです。

・一大秘法とは「私共の己心の妙法」でありそれは「本尊」でもあり、「本迹」の内の「本」である。

・「曼荼羅」は「本尊」ではあるが「方便」であり、「本迹」の「迹」である。更に己心の妙法顕現のための「道具」であり、「本門の本尊」そのものではない。

・本尊に「本迹」がある。

可能だというのならば、どこかの寺の住職が「汝、この書の意を心して思索せよ。汝に数日を我れ与えん。汝の思索の深からんことを祈る」とやるみたいな、くだらない演技などしていないで、直ちに答えるべきです。

①一大秘法とは「凡夫の己心に備わる大宇宙と全く同様の妙法」であるとの文証をお示しください。
②本尊とは「一大秘法である凡夫の己心に備わる大宇宙と全く同様の妙法」であるとの文証をお示しください。
③「本尊に本迹がある」との文証をお示しください。
④「漫荼羅は本尊ではあるが方便であり本迹の迹である」との文証をお示しください。
⑤「本尊である私共の己心の妙法が本迹の本である」との文証をお示しください。
⑥「本門の本尊とは漫荼羅本尊その物を示さない」との文証をお示しください。

更に加わっていましたっけね。
⑦「観心本尊抄」の「其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に〜」と記されているように、曼荼羅の相貌を明かされながら、「其の本尊」と記されていることで、「曼荼羅=本尊」と認識できます。そこで、沖浦さんの言う「本門の本尊とは漫荼羅本尊その物を示さない」との説は、いったいどこから出てくるのであろうか?ということ。これを明確にしてください。

⑧「観心本尊抄」では、「一閻浮提第一の本尊」とも記されていますが、沖浦さんの説を○とすると、「一閻浮提第一の本尊」は「方便」であり、「本迹」の「迹」である。更に己心の妙法顕現のための「道具」であり、「本門の本尊」そのものではない、ということにもなります。これまたもって、従来にはない見解と思われますが、この点も合わせて明確にしてください。

96東国人:2008/08/12(火) 21:45:25 ID:rHY1CAtE0
>東国人さんが本気で仏法を学ぶ姿勢があるかどうか?
現在確認中なんです。<

沖浦さん、何を言っているのか分かっているのですか。
あなたは「日蓮大聖人の仏法の骨格・本尊」について云々しているのですよ。私がそれに対して意見をする。すると、「夜、ゆっくり」そして今度は「数日考えよ」とはね。
自分の言ったことの重大性を考えたら、直ちに明確に答えるべきでしょう。

沖浦さんは「本気でやる気」があるのですか。

>私が引用した御文に真筆がない。と、文句を言いましたね、あの人。 
既に逃げ腰なんです。
互いに創価学会員ですから、創価学会発行の御書で文句言う言うべきじゃありません。
対破じゃないですからね。<

「逃げ腰」⇒上記の通り。ロムされている方が一番分かっているとは思います。

「対破じゃない」⇒言うのは何回目でしょうか。日蓮大聖人の実像・真実そして本尊観に迫るのに、「真蹟」「真蹟曽存」「高弟写本」で行うのは当然です。それでこそ「本当のこと」に迫れようというものです。

>とりあえず、あの御文を真面目に学ぶかどうか見ていましょうね。<

笑い、既に記述してあります。では、指摘をどうぞ。

>でもね、最近あの人本当に創価学会員かどうか、疑問なんです。創価学会版の御書に文句言うでしょう。<

上記のとおり。あなたが「議論の仕方」を知らない、「井の中の蛙」だったことをさらけ出しています。

私こそ、沖浦さんの書き込みを見れば不思議でなりません。

98東国人:2008/08/12(火) 21:47:41 ID:rHY1CAtE0
>それとね、本尊は仏なんです。
戸田先生が明確に仰せですよ。
無量義経の一文、34回の非ず。は仏を示しているのです。
『仏とは生命だ!』
これが戸田先生の悟達です。
創価学会員なら、疑う必要すらありません。
原点ですから。
私共の命が仏。
本尊です。<

記憶だけでやっていますね。議論にあってはね、きちんと周辺の資料を調べるのが基本なのですよ、沖浦さん。覚えておきなさい。

戸田会長は「その姿見えぬと雖も大御本尊を拝して悟達を得た」のですよ。
人間革命四巻・生命の庭、P14
仏とは生命なんだ!
生命の表現なんだ。
外にあるものではなく、自分自身の命にあるものだ。
いや、外にもある。それは宇宙生命の一実体なんだ!
彼は叫びたかった。
あらゆる人々に向かって。
狭い独房の中は瞬間、無限に宏大に念われた。
・・・・・やがて興奮が静まると、端座して大石寺の方角に向かい、夕闇せまるなかで、唱題をつづけていくのであった。

創価学会の歴史と確信より
牧口先生の先業の法華経誹謗の罪は深く、仏勅のほどはきびしかったのでありましょう。昭和20年1月8日、投獄以来一年有半に、「牧口は死んだよ」と、ただ一声を聞いたのであった。独房へ帰った私は、ただ涙に泣きぬれたのであった。

 ちょうど、牧口先生の亡くなったころ、私は200万べんの題目も近くなって、不可思議の境涯を、御本仏の慈悲によって体得したのであった。その後、取り調べと唱題と、読めなかった法華経が読めるようになった法悦とで毎日暮らしたのであった。

 その取り調べにたいして、同志が、みな退転しつつあることを知ったのであった。歯をかみしめるようななさけなさ。心のなかからこみあげてくる大御本尊のありがたさ。私は一生の命を御仏にささげる決意をしたのであった。敗戦末期の様相は牢獄のなかまでひびいてくる。食えないで苦しんでいる妻子のすがたが目にうつる。私は、ただ大御本尊様を拝んで聞こえねど聞こえねばならぬ生命の力を知ったがゆえに、2000べんの唱題のあとには、おのおのに100ぺんの題目を回向しつつ、さけんだのである。

「大御本尊様、私と妻と子との命を納受したまえ。妻や子よ、なんじらは国外の兵の銃剣にたおれるかもしれない。国外の兵に屈辱されるかもしれない。しかし、妙法の信者戸田城聖の妻として、また子と名のり、縁ある者として、霊鷲山会に詣でて、大聖人にお目通りせよ。かならず厚くおもてなしをうけるであろう」

 毎日、唱題と祈念と法悦の日はつづけられるとともに、不思議や、数馬判事の私を憎むこと、山より高く、海よりも深き実情であった。法罰は厳然として、彼は天台の一念三千の法門の取り調べになるや、重大な神経衰弱におちいり、12月18日より3月8日まで一行の調書もできず、裁判官を廃業してしまったのである。

 牧口先生をいじめ、軽蔑し、私を憎み、あなどり、同志をうらぎらせた彼は、裁判官として死刑の宣告をうけたのである。その後の消息は知るよしもないが、阿弥陀教の信者の立ち場で私ども同志を裁いた彼は、無間地獄まちがいなしと信ずるものである。不思議は種々つづいたが、結局、7月3日に、私はふたたび娑婆へ解放されたのであった。

以上、引用。

一読して明瞭、戸田会長は獄中にあられても「大御本尊根本」の唱題をされていたことが明白です。

「私は、ただ大御本尊様を拝んで聞こえねど聞こえねばならぬ生命の力を知った」とあるでしょう。

まさに、観心本尊抄の、
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ。
と、獄中にあっても戸田会長は御本尊と共にあられたのです。

で、戸田会長は「仏とは生命」だから、「私共の命が仏で本尊」と沖浦さんみたいなことを言っているだけだったのですか。ご存知の通り、昭和26年の会長就任後は、未曾有の本尊流布の戦いです。

100耕治:2008/08/12(火) 21:57:34 ID:AJ3hr85o0
東国人さん、罵倒は専門スレでお願いします。でわでわ。

101沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/12(火) 22:06:52 ID:AJ3hr85o0
 東国人さん

 先ず私の引用した御文を学びなさい。
 それがスタートですよ。

 貴方は以前の日蓮正宗そのものですよ。
 今ね創価は独立したのです。
 頑張って思索なさいね。

 後二日お待ち致します。
 頑張るんですよ。

102沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/12(火) 22:19:50 ID:AJ3hr85o0
 所で皆様方、東国人さんの書き込みってね、ややこしくて、独りよがりで、説得力がなくて、ご意見に星が無いと思いませんか〜〜?

 私ね、あの方の書き込み読まないことにしています。

 ホント、仏法を求めるなら、真摯に学ぶ姿勢が見えれば良いのですがね。
 今のままでは修羅と畜生の往復です。

 樋田さんと法論したら、5分で木っ端微塵ですね。
 耕治と対面討論したら、30秒で瞬殺です。

 惨めなもんですよ。
 でも、もっと惨めなのは、ご自分が惨めな事に気づかない惨めさですね。
 お気の毒です。

 せめて教えて上げ御文、必死で学ぶ姿勢があればね〜〜。
 救いがありますが・・・・・・・??

103東国人:2008/08/12(火) 22:21:51 ID:rHY1CAtE0
さて、法華講員や顕正会員との対論の経験のある方がこれまでの流れを見たならば、十分、理解できることと思います。

議論の核心に入れない、
論点ずらし、
時間稼ぎ、
先送り、
相手に対する人物評価、
一方的な決めつけ「夜ゆっくり」「あと二日」
相手の文証のおかしなところを指摘するのではなく、自らの文証だけを「頑張って思索なさいね」で終わり

まさに修羅の驕り、そのものの姿を晒しているだけなのです。
確かに法華講員相手に「意味不明」の対論やら質問会やらをやってきた人物ならではのやり方ではあります。

104沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/12(火) 22:29:47 ID:AJ3hr85o0
 東国人さん

 で?????

105東国人:2008/08/12(火) 22:30:18 ID:rHY1CAtE0
>私ね、あの方の書き込み読まないことにしています。<

これですからね、こう言う人を相手にするのは本当に疲れます。
しかし、彼は仏法を捻じ曲げているのですから、やらないわけにはいきません。
違うというのならば、きちんと「何がどうなのか」を文証を元に書くべきです。

>ホント、仏法を求めるなら、真摯に学ぶ姿勢が見えれば良いのですがね。
今のままでは修羅と畜生の往復です。<

唯一、沖浦さんのおもしろいところは「人を云々しているコメント」の大半以上が、自分に当てはまっている、ということです。

>樋田さんと法論したら、5分で木っ端微塵ですね。
耕治と対面討論したら、30秒で瞬殺です。<

こういうのを「論点そらし」というのです。

>惨めなもんですよ。でも、もっと惨めなのは、ご自分が惨めな事に気づかない惨めさですね。お気の毒です。<

まさに「雰囲気作りだけで」人様に「らしく見せよう」としている姿ですね。
これこそ「日蓮正宗信者とそっくり」ではありませんか。

>せめて教えて上げ御文、必死で学ぶ姿勢があればね〜〜。救いがありますが・・・・・・・??<
ここで、私も「観心本尊抄」について、「同じことを言い返して」もいいわけですが、私はどんどん議論、指摘を続けます。「その器にあらざるのに」「らしく見せている」「正体を晒してしまっている」典型的な見本ですね。哀れな方です。

106東国人:2008/08/12(火) 22:36:52 ID:rHY1CAtE0
>94

>最も大切なもの、それは命です。
『いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり、遍満三千界無有直身命ととかれて三千大千世界にみてて候財もいのちにはかへぬ事に候なり』
 (白米一俵御書)
大聖人様の教えを貫き通す根本の価値観です。
何故命が大切か?
本尊だからです。
最も尊いものだからなんですよ。<

その後にこうあります。

さればいにしへの聖人賢人と申すは命を仏にまいらせて仏にはなり候なり。

なのですよ。

その命を仏道修行に使うのです。そして修行の際、自らの命が本尊になるのですか?違うでしょう。日蓮大聖人の時代から今日の時代にあって、「命を」「まいらせる」べき「仏」の実体とはなんですか?
今日、日蓮大聖人はいらっしゃいません。その「御本尊」にこそ、帰命するのです。

さあ、
・一大秘法とは「私共の己心の妙法」でありそれは「本尊」でもあり、「本迹」の内の「本」である。

・「曼荼羅」は「本尊」ではあるが「方便」であり、「本迹」の「迹」である。更に己心の妙法顕現のための「道具」であり、「本門の本尊」そのものではない。

・本尊に「本迹」がある。

との文証は?

107沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/12(火) 22:37:46 ID:AJ3hr85o0
 東国人さん

 で????

108沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/12(火) 22:39:26 ID:AJ3hr85o0
 オリンピックで柔道金だったし。

 寝ようかな。

109東国人:2008/08/12(火) 22:42:29 ID:rHY1CAtE0
>で????

はい、生き恥をさらしていらっしゃいますよ(笑)。

110沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/12(火) 22:42:57 ID:AJ3hr85o0
 東国人さんは、私の文証が学べないなら、

 樋田さんところに法論に逝ってよし。

111沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/12(火) 22:45:41 ID:AJ3hr85o0
 さ〜〜〜、どっちが打たれ強いかな〜〜〜

 ジャ〜〜〜ン!!!

 楽しみ楽しみ〜〜〜〜〜〜〜!

 でもね 私にゃ勝てないよ〜〜修羅場踏んでんだもんね。

112東国人:2008/08/12(火) 22:46:13 ID:rHY1CAtE0
私はあなたのコメントを含め、大半以上についてレスをしました。
あなたは「勉強しなさい」がメインです。

今、周りに大勢の壮年部員、男子部員がいますが、みな、呆れかえっています。

本当にまじめにやる気があるのですか。

創価学会組織を批判して、本尊を云々して、また、「罰の現証」を味わうことになるのではありませんか。

113沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/12(火) 22:47:04 ID:AJ3hr85o0
 こうして華道部は今夜も眠れぬ夜を迎えるのであった・・・・・・

114東国人:2008/08/12(火) 22:48:31 ID:rHY1CAtE0
>でもね 私にゃ勝てないよ〜〜修羅場踏んでんだもんね。

おとーさんよ、酔っ払っているんじゃない。
と見えるよ。

確かに、これじゃあ、沖浦さん、寝た方がいいね。

しかし、演技するって大変だね(笑)。

115沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/12(火) 22:51:17 ID:AJ3hr85o0
 今ね、私と耕治、凄い功徳が出てますよ。

 良い人がドンドン集まり始めたのです。
 人材が集まる。

 創価人として嬉しいですね。
 三大秘法の御本尊様のお力ですよ。

 東国人さん。
 頑張って、世間で成功なさい。
 そして創価人の真価を世間に示すのですよ。

 御書をいくら学んでも学問では駄目なんです。
 実際の人生の指針として身で読まねば無意味ですよ。

 御書を、喧嘩の手段にしてはいけませんよ。
 では、また明日、お休みなさいませ。

116東国人:2008/08/12(火) 23:00:15 ID:rHY1CAtE0
>御書を、喧嘩の手段にしてはいけませんよ。<

それはあなたの境涯ですね。
「本尊」に関して「日蓮大聖人の実像・真実」に迫る時は「御書」を用いることは当然です。

それにしても、2002年か3年だったかな?
あちらこちらの板にレスをし始めた頃は、まだ「ウサギが飛び跳ねている」みたいで、可愛いものでしたのにね。
今では「肝心の議論」になると、「慢心」「毒気」を垂れ流す「くだまきおやじ」状態ですね。
哀れなものです。

117河内平野:2008/08/12(火) 23:00:42 ID:ihDTQb5U0
沖浦のおやっさん・・・・。笑

まぁ〜そぅ〜言わずに、 東国人さんの相手してやってくださいよォ〜。

あ、 耕治くん あなた、おやじさんより御書 得意なんでしょう。
東国人さんに、 バシッと言ってやってくださいよ。

118シビック:2008/08/12(火) 23:00:54 ID:d1dzPOHE0
日々さん
日々さんの書き込みを見た時に感情的になっているように感じたので違和感と
表現しました。
ただ、その後の進展を見る限り、私の判断が間違っていたような気もしてきました。
すみません。

大勝利さん
観心本尊抄と当体義抄のどちらを引用する方が力が上なんでしょうか?

沖浦さん
了解しました。
落ち着いた時に、詳しく解説して頂けると嬉しいです。

東国人さん
まずは、同志として尊重し合いながら、対話してもらいたいと思います。
だんだん対論のようになっているようなんですが。

119河内平野:2008/08/12(火) 23:02:17 ID:ihDTQb5U0
沖浦さんのファンが見てますよ。 ガンバ。

120東国人:2008/08/12(火) 23:06:08 ID:rHY1CAtE0
シビックさん、
ありがとうございます。
ただ、「物申す」スレ33に移動されましたが、そのような理由で「同志」とは認識していません。
とても「同じ」「志」を共有する人物ではなく、彼は「好き勝手にやっているだけの愚人」という認識です。

河内平野さん
どうも!

121河内平野:2008/08/12(火) 23:06:49 ID:ihDTQb5U0
関西出身の大先輩、がんばれ!
関西魂が 泣きますよ。

東京のモンに負けるなぁ〜。。

122河内平野:2008/08/12(火) 23:17:23 ID:ihDTQb5U0
ところで沖浦さん・・・・。
華道部って、 何んですのん??

もうォ〜 イケズせんと 教えてくださいよォ〜。。

123photochika:2008/08/12(火) 23:18:42 ID:nos4XpMo0
五月蝿い! もう寝なさい。

124東国人:2008/08/12(火) 23:25:41 ID:rHY1CAtE0
河内平野さん、
確かに何かと華道部が出てきますね。
いったい、なんのことでしょうかね。

あと、photochikaさんも昨日というか、今日の午前様だったじゃないですか。
ご自分のことでは?

125鉄齋:2008/08/12(火) 23:28:22 ID:svLcjHmQO
河内さん 東国人さん
書道部ならいますよ(笑)

126九州男児:2008/08/12(火) 23:30:20 ID:5QlDMMRE0
沖浦さん・東国人さんのやりとりを、ずっと見ておりました。
第三者の目から見て、どちらが逃げ腰かは明白だと思います。


撰時抄:「修多羅に依るは白論なり。修多羅に依らざるは黒論なり」

東国人さんの言われるように「論点ずらし」と言われてもしょうがないでしょう。
相手の言い分に対しては、御書を引用して誤りを指摘する。それが当たり前だと当方は思ってますが。

「私の引用した御文を学びなさい」
「本気で仏法を学ぶ姿勢があるかどうか?現在確認中なんです」
現場でそんな対論してたら、相手に笑われますよ。
文証をあげて反論されたらいいのに。お二人のやり取りで勉強させてもらおうと思ってます。

途中で口を挟んで失礼しました。あとは黙って見ているつもりです。

127河内平野:2008/08/12(火) 23:30:45 ID:ihDTQb5U0
東国人さん、
ここは、ほとんどタブーはない所です。

きっと、明日になれば常勝関西の大先輩の沖浦さんが教えてくれますよん。

128東国人:2008/08/12(火) 23:47:59 ID:sc.UDPkY0
九州男児さん、河内平野さん、
ありがとうございます。
以下、まじめにレスします。

尚、鉄斎さん他、数名の方に教えていただいたものを踏まえて、です。

日蓮大聖人の曼荼羅本尊について

興風11号(興風談所発行)「重須本門寺と大石寺」坂井法嘩氏の論文中(P152)に、日蓮大聖人が門下に授与した本尊の取扱について、以下のようにあります。

本尊と御堂との関連について考察された論文に、渡辺寶陽氏の「大曼荼羅と法華堂」(「研究年報日蓮とその教団」第1集)がある。渡辺氏は宗祖に見られる大幅の御本尊は、堂の大きさに見合って図顕されたもの、つまり大幅の御本尊の存在は、それ相応の堂のあったことの証左とはならないか、と提示された。

しかし御本尊は必ずしも堂内に奉掲されていたとは限らないのではなかろうか。これは日興上人の御本尊にヒントを得たことだが、今回「日興上人御本尊集」を編纂するにあたって、各地を調査したところ、折り畳んだ痕跡の見られる御本尊が数幅確認された。現在御本尊といえば、表具されたもの、もしくは彫刻されたものであるが、宗祖の当時はどうであったろう。表具されないまま、折り畳まれていた大幅の御本尊も多数あったのではないだろうか。

よって本尊の奉掲を前提にした、相応の堂の存在については一考の余地があると思う。しかし書写の場合には、明らかに紙を繋いだ後に行なわれているから、相応の堂の存在は首肯できると思う。

なお、高木豊氏は宗祖図顕の本尊の安置について「なかには三メートル余りもある大きなものも含まれている。それほどの大きさからすれば、あるいは、信奉者の集会の折り、屋外の樹木の枝などに掛けられたり、地上にしかれたりして、礼拝されたのではないか」との説を提示されている。(「図説・日本仏教の歴史・鎌倉時代」佼正出版社 1996年 P101)
以上、引用。

更に同書では、大聖人が在世に図顕された曼荼羅本尊の総数について試算されています。

「日興上人本尊の拝考と『日興上人御本尊集』補足」菅原関道氏(P333)
以下、引用。

現在確認できる宗祖図顕の曼荼羅総数を示しておく。山中喜八編「日蓮大聖人御真蹟」第一部「御本尊集」に123幅が収録され、その後の追加分6幅を入れて御真筆現存数は129幅である。
これに日興上人が宗祖の本尊を弟子に授与された「弟子分本尊目録」掲載の65幅を加えると、129幅と重複する「弟子分本尊目録」の本尊が11幅あるから183幅となる。
さらにそれらに記録されていない「富士宗学要集」8巻「資料類聚」記載の18幅と、「御本尊鑑」記載の曽存28幅、「大田区史(資料編)寺社2」記載の曽存1幅(日現NO22)を加えると、合計230幅の宗祖本尊が確認できる。

なお、宗祖と日興上人の本尊を同列に扱うことはできないが、「弟子分本尊目録」の65幅の内、現存しているのは9幅であるから、現存数と曽存数の比率は1対7.2である。これを目安にして宗祖の本尊図顕数を試算すると、129×7.2=929となり、約930幅の本尊が図顕されたのではないかと一往の試算ができる。
以上、引用。

129東国人:2008/08/12(火) 23:48:54 ID:sc.UDPkY0
計算すると929幅です。
現存の大聖人図顕曼荼羅の初見は1271年・文永8年(50歳) 9月12日の「竜口法難」の後、「10月9日相州本間依智郷において認めた曼荼羅(NO1・京都立本寺蔵)」。

最後の現存曼荼羅は1282年・ 弘安5年(61歳)「 6月に認めた曼荼羅(NO123・京都本圀寺蔵)」。

最初の曼荼羅図顕確認から最後に至るまで、ほぼ11年の歳月。

365日×11年=4,015日。

4,015÷929=4,3218ですから、ほぼ4日に一体の曼荼羅を認めたということ。

幅を持たせれば週に一体。

あくまで「試算」ではありますが、これは実に驚異的な数字です。

極寒の佐渡の塚原、一の谷入道邸、徒歩での佐渡から鎌倉、鎌倉から身延、そして生活自体が困難を極めた身延山での8年間。

門下に書状を認め、弟子を教導される合間に、4日〜7日に一体、11年間で約930幅と推計されるほどの割合での曼荼羅本尊図顕・・・。

授与された曼荼羅本尊も、安置される所も多かったであろう。また、お巻きしたり、折り畳んだりして保管し、信者の集まりなどで奉掲もされたのであろう。いずれにしても、大聖人の曼荼羅本尊図顕は、即妙法蓮華経広宣流布への大情熱、民衆救済の慈悲を痛切に感じるものです。

そこで、「己心本尊論」を「可」とするならば、随分と大聖人の「手も休まった」だろうと思います。

しかし、事実は以上のようなものであり、これらを少しでも踏まえるならば、

・一大秘法とは「私共の己心の妙法」でありそれは「本尊」でもあり、「本迹」の内の「本」である。

・「曼荼羅」は「本尊」ではあるが「方便」であり、「本迹」の「迹」である。更に己心の妙法顕現のための「道具」であり、「本門の本尊」そのものではない。

・本尊に「本迹」がある。

などは、夢にも出てこないことでしょう。

130大勝利:2008/08/12(火) 23:55:18 ID:LOFbgPrA0
>>118
シビックさん

大勝利さん
>観心本尊抄と当体義抄のどちらを引用する方が力が上なんでしょうか?

勿論どちらも重要な御書ですが…

観心本尊抄は「教」、当体義抄は「証」、開目抄を「行」として、
己心妙法との証果を論じるには当体義抄はふさわしいと思いますよ。

東国人さんには当体義抄の、
「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩業苦の三道法身般若解脱の三徳と転じて三観三諦即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居身土色心倶体倶用無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり」

をしっかり読んで議論して欲しかったです。
この文中に三大秘法が示されていると思います。

131東国人:2008/08/13(水) 00:28:06 ID:4VpZJ9uY0
あれっ?

>観心本尊抄は「教」、当体義抄は「証」、開目抄を「行」として、<

教行証、
「教」仏道の根本である教法、
「行」教法によって立てられる修行法、
「証」は教行によって得られる仏果・利益。

日寛上人の『当体義抄文段』での、御書中における教行証の配当。

開目抄は教の重
五重相対により一代諸経の勝劣浅深を判じる。寿量文底に事の一念三千の妙法が在ることを説かれる。

観心本尊抄は行の重
本因下種の妙法本尊を受持することが即、末法の事の一念三千の観心修行に当たると示される。

当体義抄は証の重
正直な受持信行により、末法の本未有善の衆生が、本有無作の妙法の当体蓮華を証得し、自在の功徳力用を活現することが説かれる。

じゃないですか。

132東国人:2008/08/13(水) 01:25:58 ID:4VpZJ9uY0
>東国人さんには当体義抄の、
「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩業苦の三道法身般若解脱の三徳と転じて三観三諦即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居身土色心倶体倶用無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり」

をしっかり読んで議論して欲しかったです。
この文中に三大秘法が示されていると思います。<

「当体義抄文段」に、

一、「正直」の下は我等が本門の題目に由り、本尊・戒壇を証得し、自受用身と顕るるを明かす、また二
初めに正しく釈す、また三
初めに本門の題目の信行を明かす
次に「煩悩」の下は本尊・戒壇の証得を明かす、また二
初めに正しく明かす、また二
初めに本尊の証得を明かす、また二 初めに人本尊 次に法の本尊
次に「其の人」の下は戒壇の証得を明かす
次に「能居」の下は体一互融を明かす
三に「倶体」の下は自受用身即末弟なるを明かす、また二 初めに自受用身を明かす 次に「日蓮」の下は結帰
次に「是れ即ち」の下は勧誡
「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人」とは本門の題目なり。「煩悩・業・苦乃至即一心に顕われ」とは、本尊を証得するなり。中に於て「三道即三徳」とは人の本尊を証得して、我が身全く蓮祖大聖人と顕るるなり。「三観・三諦・即一心に顕われ」とは法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり。「其の人の所住の処」等とは戒壇を証得して、寂光当体の妙理を顕すなり。当に知るべし、並びに題目の力用に由るなり。
然りと雖も、体一互融の相は未だ分明ならず。故にこの事を顕して「能居・所居」等というなり。当に知るべし、「能居・所居」とは、法の本尊の能所不二なり。「身土」とは、即ちこれ人の本尊の能所不二なり。
「色心」というは、色は即ち人の本尊、心は即ち法の本尊。色はまたこれ境なり、心はまたこれ智なり。故に知んぬ、人法体一、境智冥合、その義分明なることを。豈本尊と戒壇、人法の本尊は体一互融に非ずや。
是くの如く証得する則は、即ちこれ久遠元初の一身即三身、三身即一身の本有無作の自受用身なり。この仏身、全く余処の外に非ず。即ちこれ、本門の題目信行の、日蓮が弟子檀那等の中の事なり。故に「倶体倶用」等というなり。
次に「是れ即ち法華」の下は勧誡なり。初めは勧門、次は誡門なり。
当に知るべし、四義具足する則は成仏疑なきなり。「正直に方便を捨て但法華経を信じ」とは、これ信力なり。「南無妙法蓮華経と唱うる」とは、これ行力なり。「法華の当体」とは、これ法力なり。「自在神力」とは、これ仏力なり。法力・仏力は正しく本尊に在り。これを疑うべからず。我等応に信力・行力を励むべきのみ。

とあります。

特に、

・「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人」とは本門の題目なり

・「煩悩・業・苦乃至即一心に顕われ」とは、本尊を証得するなり。中に於て「三道即三徳」とは人の本尊を証得して、我が身全く蓮祖大聖人と顕るるなり。「三観・三諦・即一心に顕われ」とは法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり。

・「其の人の所住の処」等とは戒壇を証得して、寂光当体の妙理を顕すなり。当に知るべし、並びに題目の力用に由るなり。

などは、「我が身が日蓮大聖人」の記述です。

133東国人:2008/08/13(水) 01:29:44 ID:4VpZJ9uY0
しかしながら、日寛上人は、「撰時抄愚記上」にて、

問う、文底深秘の大法、その体如何。

答う、則ちこれ天台未弘の大法・三大秘法の随一・本門戒壇の御本尊の御事なり。故に顕仏未来記二十七三十に云く「本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめん」等云云。故にこの本尊は広布の根源なり。

次に今末法に於て、日蓮を以て下種の本尊と為すべしとは、下の文に云く「法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり(乃至)されば日蓮は当帝の父母・念仏者・禅衆・真言師等が師範なり又主君なり」等云云。「法華経を弘む」とは意の法華経、即ち本門の本尊の妙法蓮華経の五字なり。これ即ち成仏の種子なり。この種子の妙法蓮華経の五字を弘め、日本国の一切衆生の心田に下すが故に「父母」というなり。故に蓮師は一切衆生の父母なり。またこれ師範なり、またこれ主君なり。故に今末法に於て応に日蓮を以て下種の本尊と為すべきなり云云。これこの文の元意なり。開目抄の始終、これを思い合すべし。

・三大秘法の随一・本門戒壇の御本尊の御事なり〜この本尊は広布の根源なり
・今末法に於て、日蓮を以て下種の本尊と為すべし
・「法華経を弘む」とは意の法華経、即ち本門の本尊の妙法蓮華経の五字なり。
・今末法に於て応に日蓮を以て下種の本尊と為すべきなり

と「本門戒壇の御本尊〜広布の根源」「日蓮を以て下種の本尊」していまして、

・一大秘法とは「私共の己心の妙法」でありそれは「本尊」でもあり、「本迹」の内の「本」である。

・「曼荼羅」は「本尊」ではあるが「方便」であり、「本迹」の「迹」である。更に己心の妙法顕現のための「道具」であり、「本門の本尊」そのものではない。

・本尊に「本迹」がある。

と記述されてはいません。

故に「当体義抄文段」の文は、むしろ以下の日蓮大聖人の教示「凡夫即仏法門」の書(真偽考証は別として)などを踏まえれば「人の本尊を証得して、我が身全く蓮祖大聖人と顕るるなり」も当然ですし、そこに「三大秘法も在る」というのも、また当然至極だっでしょう。

ですが、本尊=凡夫の己心、曼荼羅=本門の本尊そのものではない、などとはしていません。


御義口伝 方便品 第六如我等無異 如我昔所願の事
「我とは釈尊・我実成仏久遠の仏なり此の本門の釈尊は我等衆生の事なり」 

第三我実成仏已来無量無辺等の事
「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は寿量品の本主なり

宝塔品 第十三 若有能持則持仏身の事
「法華経を持ち奉るとは我が身仏身と持つなり〜さて仏身を持つとは我が身の外に仏無しと持つを云うなり、理即の凡夫と究竟即の仏と二無きなり」

・本因妙抄
「信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば凡身即仏身なり、是を天真独朗の即身成仏と名く」

・十如是事
「我が身が頓(やが)て三身即一の本覚の如来にてはありける事なり、是をよそに思うを衆生とも迷いとも凡夫とも云うなり、是を我が身の上と知りぬるを如来とも覚とも聖人とも智者とも云うなり、かう解り明かに観ずれば此の身頓て今生の中に本覚の如来を顕はして即身成仏とはいはるるなり、譬えば春夏・田を作りうへつれば秋冬は蔵に収めて心のままに用うるが如し、春より秋をまつ程は久しき様なれども一年の内に待ち得るが如く、此の覚に入って仏を顕はす程は久しき様なれども、一生の内に顕はして我が身が三身即一の仏となりぬるなり」 

・聖愚問答抄
「伝教大師云く『能化所化倶に歴却無く妙法経の力即身成仏す』と、法華経の法理を教へん師匠も又習はん弟子も久しからずして法華経の力をもって倶に仏になるべしと云う文なり」                                 

・ 一念三千法門
「第一に是相如〜第二に如是相〜第三に相如是〜此の三を法報応の三身とも空仮中の三諦とも法身・般若・解脱の三徳とも申す此の三身如来全く外になし我が身即三徳究竟の体にて三身即一身の本覚の仏なり」                   


今となっては、この「当体義抄」を前提とした議論も、その書自体の真偽が云々されているのですから、かなり先行き不透明かな、とは思いますが。

134東国人:2008/08/13(水) 01:41:32 ID:4VpZJ9uY0
そして日寛上人はどこまでも「本門戒壇の御本尊」中心なのです。

法華取要抄問段

一、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり文。
 これを本門の三大秘法と名づく。また、宗旨の三箇と名づくるなり。これ則ち蓮祖出世の本懐、末法下種の正体なり。故に宗門の奥義此に窮まり、当家の秘事これに過ぐるはなし。この故にその義は甚遠にして解し難く、その意は幽微にして彰し難し。

中略

宗祖云く「此の砌に望まん輩は無始の罪障忽に消滅し三業の悪転じて三徳を成ぜん」云云。豈非を防ぎ悪を止むるに非ずや。当に知るべし、本門の戒壇に事あり、理あり。理は謂く、義理なり。これ則ち事中の事理にして迹門の理戒に同じからず。その名に迷うこと勿れ。故にまた義の戒壇と名づけんのみ。

初めに義理の戒壇とは、本門の本尊の所住の処は即ちこれ義理、事の戒壇に当るなり。経に云く「当に知るべし、この処は即ちこれ道場」とはこれなり。天台云く「仏其の中に住す、即ちこれ塔の義」等云云。故に当山は本門戒壇の霊地なり。またまた当に知るべし。広宣流布の時至れば、一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。その処は皆これ義理の戒壇なり。

然りと雖も仍これ枝流にして、これ根源に非ず。

正に本門戒壇の本尊所住の処、即ちこれ根源なり。妙楽云く「像末の四依、仏法を弘宣す。化を受け、教を禀け、須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則は増上して真証に濫る」等云云。今、日本国中の諸宗・諸門徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。宗祖云く「根深ければ枝繁く、源遠ければ流れ長し」(取意)等云云。

 凡そこの本尊は久遠元初の自受用の当体なり。豈根深く、源遠きに非ずや。故に天台云く「本極法身は微妙深遠」等云云。

 次に正しく事の戒壇とは、秘法抄十五 三十一 に云く「王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり」等云云。
と。

このように「本門戒壇の本尊」中心主義者の日寛上人の文証は、後世の解釈論ともなってきますので、日蓮大聖人に「己心本尊論」有りや無しやの議論には向かないと考えます。

135東国人:2008/08/13(水) 01:44:23 ID:4VpZJ9uY0
×法華取要抄問段
〇法華取要抄文段

では、明日まで仕事にはまりますので14日夜にまた、伺います。

136変な大阪人:2008/08/13(水) 03:36:40 ID:rZ6Ix66oO
横レスで失礼します。


本日の議論をじっと拝見させて頂いておりました。



東国人さんは、沖浦さんに対して
「沖浦克治さんへ
 これだけは「日蓮仏法の骨格」に関わるものですので、おたずねします。」と言われ

沖浦さんは、東国人さんに対して
「東国人さん、
 
 ご質問をなさるからには文証を引用すれば自説を捨て私の説を入れると確約をどうぞ。」

と言われております。

私は、上のやり取りを見て真剣勝負なのだと感じました。(あっ・議論でしたね!)σ(^-^;)
沖浦さんは実践勝負のエキスパートの方です。

今日のやりとりも、沖浦さんは、お考えがあって計算通りに進めておられるんだと感じました。

どんな反論をするのか本当に興味深い限りです!!
φ(.. )

137沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/13(水) 07:41:40 ID:AJ3hr85o0
 皆様方、おはようございます。

 夜は寝た方がいいですよ。

138沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/13(水) 07:48:34 ID:AJ3hr85o0
 鉄齋さん、貴方書道部じゃないですね。

 ほんものの書道家です。

 華道部は偽者です。
 法論すら出来ません。
 御書読めません。

139沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/13(水) 07:56:00 ID:AJ3hr85o0
 皆様に

 私はね逃げてませんよ。
 でも、この膨大なご質問、無意味なんです。
 先ず問いかけがありました。
 で、文証を提示しております。

 これで終了でしょう?
 普通なら。
 ところが文証がおきに召さない。
 先ず真剣に学んでそのご疑問点を質問する。
 これで無いと対話になりません。
 ところが沢山御書を引用して、私に回答を迫る。

 馬鹿みたいでしょう。
 仏法を学ぶ姿勢じゃないのです。
 
 当体義抄のあの御文、大変重要な大聖人様の御指南です。
 それが気に入らない。

 ならね、文句はご本仏様に言いなさい。

 東国人さん。
 本気で対話を求めるなら、先ずあの御文をご自分なりに解釈し、ここにご意見として書き込んでください。
 そして深く掘り下げてお話を致しましょう。

 今の様に、引用デモンストレーションなら、スレッド立ててどうぞ。

140日々朗らか(決意):2008/08/13(水) 08:35:20 ID:8FNX.yWoO
感想(横やりバージョン。シビックさんゴメンなさいの巻……アハハ♪笑)。


ヒガシ君。対話にならないよ。
自分の主張を並べるだけじゃあ(-.-;)。

以後、注意しなさいね。
勉強にもなりゃしない。
単に、傲慢な人に映るだけです。


勿体ない。

141日々朗らか(決意):2008/08/13(水) 08:41:56 ID:8FNX.yWoO
河内! お前さんのレス……ありゃなんだ???。

馬鹿にするのもいい加減にしなさい。

河内さん。……あんた酷い人ねえ(-.-;)。

142河内平野:2008/08/13(水) 09:17:32 ID:e1pdW1aM0
おおーッ! 日々君 今頃、出てきて・・・私の批判かい?? 笑

あいかわらず、 笑らかせてくれますなぁ〜。。
あ、沖浦派の方の指摘をすれば、 私は又 削除されますなぁ〜。

143一壮年:2008/08/13(水) 09:48:43 ID:m55HgNrkO
河内平野さん、夜遅くまでお疲れさまです。
当方は早寝早起きで爆睡してました(笑)
削除されるのって寂しいけど管理人さんの権限ですわ

あっ、スレ違い申し訳ありませんでしたm(__)m

144河内平野:2008/08/13(水) 09:51:44 ID:e1pdW1aM0
一壮年さん、
ほんまやねぇ〜。。 管理人さんの権限ですね。

寂しい話しですわぁ〜。。笑

145ゴンちゃん ◆Dx9s.ycyhk:2008/08/13(水) 10:03:22 ID:4Jc9LuCM0
私も、今頃出て来ました。。。(^^)河内さん!寂しいなどと言わず
この掲示板を楽しんで下さい。。。で、ないと私も寂しいですからね。。。

146沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/13(水) 10:04:01 ID:AJ3hr85o0
 削除しませんよ。
 これは私の板です。

 ただね、具体論を心がけてくださいね。
 精神論で他人を責めちゃいけません。

 創価学会を辞めて法華講に行った方々はほとんど精神論に嫌気が差したんだと思いますよ。

 それと、沖浦派なんかありません。
 私が池田先生派なだけです。

147石井銀次郎:2008/08/13(水) 10:44:05 ID:Kqe4gXWk0
河内平野さん、こんにちは。

私も河内さんの書き込み(家庭訪問のドラマ)など拝見し
「負けてられねぇな」と奮い立っている一人ですよん 笑

スレ違いすいません。

148河内平野:2008/08/13(水) 11:08:01 ID:e1pdW1aM0
石井銀次郎さん、
激励ありがとうございます。

共に、現場に命を懸けて戦っている友です。
がんばりましょう。。

149一壮年:2008/08/13(水) 12:34:13 ID:m55HgNrkO
>>147>>148
いやぁ〜いい光景です。
さすがですよ!ご両人。
元気もらいましたよ(^O^)

150もくれん:2008/08/13(水) 16:23:55 ID:gO.Fk5NY0
東国人さま、はじめまして、もくれんと申します。
膨大な量の書き込み、大変お疲れ様です。
ただただ驚愕するのみです。

14日の夜に、お越しになられるとのこと、先行予約で書き込みます。
はなはだ、幼稚な質問で申し訳ないのですが(御書を縦横無尽に引用
できなくてという点でです)

2002年発行  書籍 「教学の基礎」 創価学会教学部編
に収録されていることを、そのまま抜粋いたします。

P55〜
★ 三大秘法の根本は一大秘法です。
★ 一大秘法とは、本門の本尊、
★ すなわち、日蓮大聖人が胸中に所持されている、久遠元初の妙法たる
★ 南無妙法蓮華経であり、又、それを図顕された、曼荼羅本尊です。

上記が現時点での創価学会の教学上の公式見解ですね。

結局、東国人さんが言わんとされていることは、上記の★マークの4行
に集約されるということで、OKなのでしょうか?
簡単すぎる質問で、申し訳ないですが、OKかNoだけで結構ですので、
14日夜にお越しの際、よろしくお願い申し上げます。

151沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/13(水) 18:40:48 ID:AJ3hr85o0
 もくれんさん

 三大秘法と一大秘法、本尊と久遠元初の妙法。

 寛師教学の一凶である、戒壇様本懐論の幻影の影響があるようですね。

 寛師教学の一凶を破折せねば、未来は来ないでしょうね。

152大勝利:2008/08/13(水) 19:30:08 ID:9GzPDazM0
東国人さん
>>131
観心本尊抄は「教」、当体義抄は「証」、開目抄を「行」は、
観心本尊抄は「行」、開目抄を「教」の記載ミスですね。
ご指摘ありがとう。

しかし私は、文段は引用してないですよ。
東国人さんは、当体義抄を真偽未決として斥けておきながら当体義抄文段は引用して結論を導こうとするのですか不思議ですね。
真偽未決を斥けるなら真偽未決文を引用する人の文もすべて斥けるべきが
潔しと思いますがいかがですか?
以降私に対しては、日寛及び池田先生の言説の引用はおやめ下さるよう御願い致します。説得力がないですから。

沖浦さんの「一大秘法が凡夫の己心の妙法だとおもっております」は沖浦さんの「証得」でしょう。ですから、「証」の文である当体義抄の引用は相応しいと申し上げました。対して、東国人さんは、「修行」の文の観心本尊抄を「文証」に対境の本尊を説明するのは論点がずれていると思います。

然しながら、観心本尊抄でも「凡夫の己心の妙法」について全く触れていないわけではないと思います。

「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う、四大声聞の領解に云く「無上宝聚不求自得」云云、我等が己心の声聞界なり、「我が如く等くして異なる事無し我が昔の所願の如き今は已に満足しぬ一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」、妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや、宝塔品に云く「其れ能く此の経法を護る事有らん者は則ち為れ我及び多宝を供養するなり、乃至亦復諸の来り給える化仏の諸の世界を荘厳し光飾し給う者を供養するなり」等云云、釈迦多宝十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を継紹して其の功徳を受得す「須臾も之を聞く即阿耨多羅三藐三菩提を究竟するを得」とは是なり、寿量品に云く「然るに我実に成仏してより已来無量無辺百千万億那由佗劫なり」等云云、我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり」

>などは、「我が身が日蓮大聖人」の記述です。
総じて日蓮が弟子旦那と考えます。
東国人さんは宗門教学の影響を強く受けているように思えます。

153大勝利:2008/08/13(水) 19:34:17 ID:9GzPDazM0
>>132
>このように「本門戒壇の本尊」中心主義者の日寛上人の文証は、後世の解釈論ともなってきますので、日蓮大聖人に「己心本尊論」有りや無しやの議論には向かないと考えます。

日寛に対するそのような意見はしばしば耳にします。東国人さんの考えはそうなんでしょうね。私は日寛教学を真摯に学びたいと思ってますので相容れないでしょう。
日蓮正宗創価学会時代の日寛教学から再考したいのが私の考えです。

「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり」南条殿ご返事(写本)
「此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」日女御前御返事
「此の宝塔品はいづれのところにか只今ましますらんとかんがへ候へば、日女御前の御胸の間、八葉の蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候。」日女御前御返事(真蹟)

以上により私も、一大秘法は凡夫の己心にあると思います。

154沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/13(水) 19:35:48 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん

 東国人さんは寛師教学の呪縛から逃れられないのです。
 文段なんか価値無いですよ。
 御書しか駄目ですね。
 ご本仏は大聖人様。
 そこから直接戸田先生。

 これ以外仏法の付嘱は皆無です。

 血脈なんか法主にあるわけないでしょう。

155大勝利:2008/08/13(水) 19:38:38 ID:9GzPDazM0
>>151
「曼荼羅=本門の本尊そのものではない」について

蓮祖の本尊は曼荼羅ではなく、蓮祖の曼荼羅は本尊なりって感じすっかね(笑
どちらにしろ、日蓮大聖人の曼荼羅は本門の本尊だと思います。

156大勝利:2008/08/13(水) 19:42:36 ID:9GzPDazM0
>>154
寛師教学の呪縛ではなくて、宗門により気を遣った寛師教学の捉え方なんだと思いますよ。
教学指導にしても宗門のチェックによりずっとフィルターがかけられて来たわけですから。

157沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/13(水) 19:45:00 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん

 己心の妙法は本門の本尊で一大秘法ですね。

 それを書き顕わしたものが漫荼羅です。
 ですから、漫荼羅が己心の妙法ではありません。
 己心の妙法を書き顕わしたものです。

 『一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり』
 (草木成仏口決)

158沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/13(水) 19:47:29 ID:AJ3hr85o0
 寛師は優れた学者ですが、それだけです。

 戒壇様本懐論は邪義です。

 『うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し』
 (曾谷殿御返事)

159大勝利:2008/08/13(水) 19:48:14 ID:9GzPDazM0
やっと学会自体が自由な意見を言えるようになった。
先生ももう一度、生死一大事血脈抄講義を行われました。

法華講のネタになるから黙っていよう。
はもうもったいないですよね。(笑

160大勝利:2008/08/13(水) 20:01:13 ID:9GzPDazM0
>>158
蓮祖出世の本懐は、一切衆生の為です。

日寛は、本門の戒壇も弟子旦那の胸間と釈しました。
大石寺所蔵を強調して法主信仰に利用するのは後の話だと思います。

沖浦さんは以外と寛学に沿った御書読みをしてると私は思ってます(笑

161一壮年:2008/08/13(水) 20:06:29 ID:m55HgNrkO
日蓮大聖人から日興上人・・日目上人・・日寛上人
そして近代では堀日亨上人猊下を筆頭に歴代の御正師から牧口先生・・戸田先生・・池田先生
と信心の血脈はつながっていくのではないでしょうかね。
六十六世日達上人までは創価学会の外護によって血脈はあると思います。
浅学の身ですが、これは私の信念です。

162時乃旅人:2008/08/13(水) 21:29:07 ID:KY2NX0.g0
心を震撼せしむる真剣勝負の法論を、勉強させていただいております。

暑い夏ですが、一陣の涼風が吹くようです。

沖浦様、東国人様、ありがとうございます。

見事なる大団円を期待しつつ。

163沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/13(水) 21:49:42 ID:AJ3hr85o0
 一壮年さん
 
 法主に血脈があるなら、鈴木法主は焼死していませんよ。

 現証です。

 『日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず、』
 (三三蔵祈雨事)

 『一切は現証には如かず善無畏一行が横難横死弘法慈覚が死去の有様実に正法の行者是くの如くに有るべく候や、』
 (教行証御書)

164沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/13(水) 21:51:10 ID:AJ3hr85o0
 仏法は、釈迦〜蓮祖〜戸田先生です。

 それ以外に血脈はありません。

165沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/13(水) 21:54:55 ID:AJ3hr85o0
 時乃旅人さん、他の方は知らず、私は法論などやっていませんよ。
 30年前から言っていたことを淡々と語っているだけなんですよ。

166時乃旅人:2008/08/13(水) 22:01:11 ID:KY2NX0.g0
はい。
沖浦さんは自然体ですから、そうであると理解しています。

しかし、真実はひとつしかありません。
であるなら、これは、巧まざるして自然になった「折伏」としか言いようが
ないような気がしてなりません。

わくわくします。

167沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/13(水) 22:32:16 ID:AJ3hr85o0
 時乃旅人さん

 皆様方は難しく考えすぎるのですよ。

 大聖人様がご出現になられなければ釈迦は嘘つきだったと仰せでしょう。
 大聖人様の広宣流布のご予言が灰燼に帰す瀬戸際、戸田先生がご出現になられご予言を身でお読みになられた。
 戸田先生がお出になられなければ、大聖人様は嘘つきです。

 これが、釈迦、蓮祖、戸田先生の系譜です。

 そして戸田先生が牢獄で悟達をされ、仏とは生命だと仰せになられた。
 これで全てです。
 本尊は仏ですね。
 すると命が本尊。
 簡単明瞭です。

 それを、ややこしくして飯食ってた連中がいただけの事です。
 簡単な道理ですね。

168変な大阪人:2008/08/13(水) 23:44:10 ID:rZ6Ix66oO
今回のこの議論は後の創価学会の発展に重要な意味をなすような気がしてなりません。


耕治さんも「創価学会員同士の法論が始まりますよ。
凄い時代になったもんだ。」
と仰られる通りだと思います。
民衆代表の様な沖浦さんが新たな学会の教義を提案し、それが広まると云う
民衆発の大乗仏教的な構図のように勝手に考えてしまったりもします。


この手の議論はいつも、ウヤムヤで終わる事が何より残念です。

「どちらが勝っている」とかでは無く、多くのロムされている方への多大な影響を考えても
ここは、どちらの意見が正しいのかロムの方が解るように結論を出すべきと思います。


明日まで東国人さんは、こられませんので。その間と言っては何ですが、ロムされている方々の気持ちを知りたく思います。

私はロムの方の代表ではありませんので・・・・

169沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/13(水) 23:45:18 ID:AJ3hr85o0
 それとですね、東国人さんは華道部でしょうかね?
 もし華道部なら、華道部は日蓮正宗の教義です。
 大勝利さんご指摘のように、東国人さんは日蓮正宗そのままです。
 私も以前に指摘しています。

 華道部は日蓮正宗の教義で日蓮正宗と法論をしていたのですね。
 勝てっこありませんよ。
 ですから、連戦連敗でしょう?
 
 模擬法論なんか愚の骨頂です。 
 役に立つものですか。
 所詮日蓮正宗の手のひらで踊らされているだけですね。

 寛師。

 もういい加減に見切りをつけるべきですね。

170ROM人間:2008/08/14(木) 00:02:35 ID:ENb3gHxs0
沖浦様へ。 いつも、覗かせてもらっております。
最初で最後の書き込みとなるでしょう。

変な大阪人さんのレスを見て、ROMしている僕の意見を少々。

東国人さんは、学会幹部っぽいですね。学会中枢の意見はこれだ!と
言わんばかりのレスに捉えてしまいます。
学会員は中枢の我々の言う事を聞いとけ!的な風にも思えます。

これからの学会は現場の学会員が切り開くのではないでしょうか。
その上でも今回の討論は非常に意義のあるものですね。

沖浦様、一肌脱いでやって下さい!!

171耕治:2008/08/14(木) 00:17:34 ID:AJ3hr85o0
明日で、約束の3日目になりますね。
華道部の教義と創価学会の教義が、衝突しますから。
でわでわ、東国人さんと河内平野さん、よろしゅー。

172耕治:2008/08/14(木) 00:31:45 ID:AJ3hr85o0
あー、言い忘れてました。
華道部さんが、文証をいっぱいコピペしてくださってますので、その華道部さんが上げた
文証をひいて、華道部さんの教義

「本尊とは曼荼羅のことであり、己心の妙法ではない」
「本尊=凡夫の己心、曼荼羅=本門の本尊そのものではない、などとはしていません」

を破折させていただきますね。
わざわざ、文証まで創価学会側に有利になるような文証を提示してくださるなんて、法華講より100倍は親切ですね。

唯、文の意味する内容を理解せず、コピペしただけかもしれませんが、明日にはわかることです。
では、おやすみなさい。

173森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/14(木) 01:19:11 ID:ny2WHVj6O
東国人さんへ、初めまして、宜しくお願い致します。>>39-41>>47>>60-61>>95
>>98>>106>>130-134
以上勉強になりました。
ありがとうございます。

174森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/14(木) 01:23:29 ID:ny2WHVj6O
>>173訂正
>>39>>40>>41>>47>>60>>61>>95>>98>>106>>130>>131
>>132>>133>>134

175名無しさん:2008/08/14(木) 02:15:13 ID:.fMr..I60
http://www.operaou.com/image/cmail/rei0204.gif
これマジだよ!!このレスを見たら
7日後以内に死にます
無残な姿で死にます
回避する方法は1つ
このレスをコピペしてほかのスレに7つ貼る事です。
100%これをやってください
本当に死にます.
ごめんなさい。死にたくないんです
信じなかった私の友達は首を狩られて死んじゃったし
このレスを見たら
7日後以内に死にます
無残な姿で死にます
回避する方法は1つ
このレスをコピペしてほかのスレに7つ貼る事です。
100%これをやってください
本当に死にます

176沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 07:06:21 ID:AJ3hr85o0
 死にたくね〜〜〜〜・・・・・・・・・・

 ヅラ。

177一壮年:2008/08/14(木) 07:09:43 ID:m55HgNrkO
沖浦さん、おはようございます

「ズラ」って、そうズラ
長野の方言でしたよね。

178沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 07:14:15 ID:AJ3hr85o0
 ROM人間 さん、おはようございます。

 今回の討論?
 討論になっていませんね。
 東国人さんには仏法を学ぶ姿勢が無いでしょう。 
 教学も日蓮正宗のままです。
 ところがご自分は創価学会員だと言う。

 あの人ね、ダブルスタンダードなんです。
 無理なんですよ。

179沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 07:15:24 ID:AJ3hr85o0
 一壮年さん、おはようございます。

 そうズラ。
 小谷村ではヅラと言う民宿を友人がやっています。

180沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 07:20:49 ID:AJ3hr85o0
 東国人さん、おはようございます。

 貴方の駄愚論は耕治が破折しますのでね、楽しみにしてください。
 何故駄愚論か?
 これだ教えておきますよ。
 貴方は私に対する憎しみで御書を引用している。
 感情が筆を曇らせています。

 では、私は貴方に一点質問です。

 貴方は当体義抄はご真筆が無いから引用するなと言う。
 ところが寛師の文段は引用する。

 この矛盾を明確に、皆様方が理解できるように、具体的に述べる事。

181河内平野:2008/08/14(木) 09:29:19 ID:e1pdW1aM0
おはようございます。

沖浦親子は、 本当に私の質問には何一つ答えない人だねぇ〜。

だから・・・ 華道部ってナニ・・・?

華道部の教義って、 何のこと ?

約束の3日目って・・・・。笑

河内は、アホだから詳しく教えて〜。。。

182沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 09:35:50 ID:AJ3hr85o0
 河内平野さん、おはようございます。

 私どもへのご質問がおありならどうぞ。
 但し、精神論は結構ですよ。
 具体論で、一回に一つずつお願い致します。

 それと、現時点では貴方は阿保では無いと思います。
 ですから、華道の件、一度ご自分の胸に手を当ててお考えくださいね。
 華道部がどう言うモノ化?
 私はお答えいたしかねます。

 では、どうぞ。
 その他のご質問お待ちいたします。

183ゴンちゃん ◆Dx9s.ycyhk:2008/08/14(木) 09:43:07 ID:mRty2Uec0
おはようございます!!
河内さん!貴方随分卑怯な事しますね〜
沖浦さんが、出入り出来ない事をいい事に、言いたい放題!!
で、こちらでは御自分をアホだからとのたまう??
真剣になりなさいよ。。。そんなだから、沖浦さんが相手にしないんですよ。。。

184一壮年:2008/08/14(木) 09:53:46 ID:m55HgNrkO
>>183
ゴンちゃんさん、これは沖浦さんと河内平野さんの議論ですから。

それと、富士宮ボーイで河内平野さんは「誰とは」特定してはおりませんよ。

185耕治:2008/08/14(木) 10:00:02 ID:AJ3hr85o0
東国人さん
 3日たちましたが、読んだ痕跡がないので、通解を加えます。当体義抄の一節です。

//『問う妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、

 あなたが、観心本尊抄をあげて説明しようとしていた妙法蓮華経について、大聖人様が明確に仰せになっていらっしゃる御文があるんです。読みましたか?
 ちなみに、真筆がのこってない御書は採用できないが、寛師(人師)の論釈は引用できる主張するならば、それはあなたの己義であって、創価学会と真っ向から対立する主張だということを、まず述べておきます。文句は、創価学会に言ってください。


//答う十界の依正即ち妙法蓮華経の当体なり、

 読みましたか?
 当方は、「衆生己心の妙法が本尊である」と主張し、あなたは明確に否定されました。
対して、あなたは、「ご本尊とは曼荼羅であり、己心の妙法ではない、そんなことは、40年間一度も聞いたことがない」と言いましたね。もう、変更はできませんよ。
 ところで妙法蓮華経とは、ご本尊のことですよね。大聖人様はなんと仰せですか?

「十界の依正がそのまま、妙法蓮華経の当体である。」

こう断言されておいでですね。十界の依正とは、われわれの生命そのものではないのですか?
それとも、お宅のところでは創価学会とは、異なる定義を採用してるんですか?


//問う若爾れば我等が如き一切衆生も妙法の全体なりと云わる可きか

 東国人さん、貴宗における、「十界の依正」の定義は存じませんが、大聖人様は、この段における「十界の依正」を「我等が如き一切衆生も妙法の全体なり」と定義されておいでです。当会(創価学会)は御書が根本ですので、当然「十界の依正」は「我等が如き一切衆生」をさしています。
整頓しますと、

 妙法蓮華経=我等一切衆生  です。
 ほかに読み方があるんですか?
 しかも、一部ではないんですよ。我等衆生をさして、妙法蓮華経の全体なりと仰せです。


//答う勿論なり

 御本尊の体とは、私たち衆生(の生命)でよろしいのですか?に対する大聖人様の答えが
「勿論なり」
 当たり前じゃないか!
 このように仰せです。
(ちなみにこの御文は 当体義抄です。御本尊の体が我等衆生の生命そのものだと言うことを説かれた経典であり、創価学会教学の根本をなします)


//経に云く

でも、東国人さん、このことは大聖人様だけがおっしゃっているんではないんですよ。


//「所謂諸法乃至本末究竟等」云云、妙楽大師釈して云く「実相は必ず諸法諸法は必ず十如十如は必ず十界十界は必ず身土」と云云、//

 勤行のとき、ご本尊の前に座って読んでるでしょう。
 あなたはいままで気づいていなかったけど、毎回、ご本尊の前で、「十界の依正即ち妙法蓮華経の当体なり」といううことを、三如是をつかって述べていたんです。



//天台云く「十如十界三千の諸法は今経の正体なるのみ」云云、//

天台も言っていますね。「十如十界三千の諸法は今経の正体です」
「今経の正体」ってなんですか?
妙法蓮華経でしょう。大聖人様が、神力品で釈尊から受け取った、末法に流布するべき体のことですよ。ご本尊ではないですか。

そのご本尊が。今経の正体が、「十如十界三千の諸法」で、それは「我等が如き一切衆生も妙法の全体なり」なんです。


//南岳大師云く「云何なるを名けて妙法蓮華経と為すや答う妙とは衆生妙なるが故に法とは即ち是れ衆生法なるが故に」云云、

 南岳大師も言ってるじゃないですか。

「妙法蓮華経って、何につけた名前なの? 衆生(生命)につけた名前だよ。」
南岳大師は、この根拠に、「衆生妙なるがゆえに、衆生法なるがゆえに」といっています。
衆生が具体的にどう妙で、どう法かは、機会があれば別に論じましょう。


//又天台釈して云く「衆生法妙」と云云。』

天台も言っています。「衆生法妙」と。ちなみに、法妙をひっくり返すと妙法ですね。

186ゴンちゃん ◆Dx9s.ycyhk:2008/08/14(木) 10:25:59 ID:mRty2Uec0
一壮年さんへ
それが、卑怯だと言うんですよ。。。特定出来ない心だからです
これって議論ですか??一壮年さん!河内さんはすでに怨嫉にとらわれています。。。

187一壮年:2008/08/14(木) 10:36:50 ID:m55HgNrkO
>>186
ゴンちゃんさん、熱くなる気持ちは分かりますが・・
冷静になりましょうよ。

河内平野さんは怨嫉はされてはいないでしょう。
それに河内平野さんは富士宮ボーイ掲示板の趣旨は守ってご発言されていると私は感じます。

第三者が事を大きくすれば敵に利してしまいます。

188河内平野:2008/08/14(木) 10:40:30 ID:e1pdW1aM0
ゴンさん

まぁまぁ・・・ 耕治くんの反論が始まりましたので、 お静かに!

189河内平野:2008/08/14(木) 10:41:47 ID:e1pdW1aM0
一壮年さん、 どうもです。笑

190沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 10:44:43 ID:AJ3hr85o0
 反論?

 いいえ、御書講義ですよ。

 真面目に学んだ方がいいですよ。
 末法の経典です。
 真摯に学びましょうね。

191ゴンちゃん ◆Dx9s.ycyhk:2008/08/14(木) 11:06:07 ID:mRty2Uec0
了解致します。。。
暫く見ますね!!御子息の御書講義並びに
東国人さんの反論を。。。
河内さんの件は後ほど!!

192沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 11:11:14 ID:AJ3hr85o0
 御書に六巻抄で反論してどうしますか?

 ゴンちゃんさん、反論などは無理なんですよ。
 学ぶ姿勢があるかどうか?

 そこだけが信心の分かれ目です。

193耕治:2008/08/14(木) 11:50:42 ID:AJ3hr85o0

//まず、本尊のことと言えば「観心本尊抄」です。
同抄の中で大聖人は、//

 あなたが、あげた文証に通解を加えます。いわゆる、沖浦の考え方などは,当会には存在しませんので、主張は全て御書によります。


//(1) 問うて曰く、十界互具の仏語分明なり//

 この御文も、上記レスの内容を、表現をかえて述べていらっしゃいます。(「十界交具」と「我等が如き一切衆生も妙法の全体なり」は違うだろとか言わないでくださいね。大聖人様が、その文証に妙楽の「実相は必ず諸法諸法は必ず十如十如は必ず十界十界は必ず身土」の釈をひかれていらっしゃるのですから、ですから文句は大聖人様に言ってください)


//・然りと雖も我等が劣心に仏法界を具すること信を取り難き者なり、//

 そうなんです。大聖人様が、御書のあらゆるところで、「南無妙法蓮華経の当体は、衆生(生命)そのものである。しかし、仏様以外は、そのことのに皆迷っているからこの信心が必要なんだ」とおっしゃっているにもかかわらず、あなたには、それが信じられないのです。 

 現実に、40年間御書を学んだと主張するあなたに、「ご本尊とは、その体は己心の妙法ですよ。それを、御図顕されたのが、曼荼羅のご本尊のなんですよ」といっても、理解ができないのをみれば明らかです。
 
 それどころか、あなたの教義を否定する内容でしかない大聖人様の御文まで、あなた自身が引いているのです。それでも理解ができません。
 いかに、信じがたいかということです。

//今時之を信ぜずば必ず一闡提と成らん、//

 しかも、東国人さん、困ったことに、これを信じなければ、「必ず一闡提と成」るそうです。法華経方便品でも「即断一切世間仏種」と説かれていますね。仏に成る種を切断する行為なんだと。


//願くば大慈悲を起して之を信ぜしめ阿鼻の苦を救護したまえ。//

 じゃあ、どうすればいいんですか?
 実は、曼荼羅のご本尊様は、そのために顕わされたのです。曼荼羅のご本尊様は、「之を信ぜしめ阿鼻の苦を救護」するために、大聖人様が御図顕されたのです。だから、普段の信心において、あなたが別に大聖人様の仰せを信じれなかったとしても、ご本尊様に信をもって向かえば、必ず救われるようにできているんです。また、ここで書いてることも理解できるようになってくるんです。

194耕治:2008/08/14(木) 12:11:24 ID:AJ3hr85o0

//(2) 問うて曰く、教主釈尊は[此れより堅固に之を秘す]三惑已断の仏なり、//又十方世界の国主・一切の菩薩・二乗・人天等の主君なり、行の時は梵天左に在り帝釈右に侍べり四衆八部後に聳い・金剛前に導びき八万法蔵を演説して一切衆生を得脱せしむ、是くの如き仏陀何を以て我等凡夫の己心に住せしめんや、//

 東国人さん、あなたが上げた御文の[此れより堅固に之を秘す]の「此れ」とはまさに「己心の妙法」そのものです。それがどうして、
 (一大秘法とは「私共の己心の妙法」でありそれは「本尊」でもあり、「本迹」の内の「本」である。(略)などは、夢にも出てこないことでしょう )
 などという主張ができるのですか。

しかも、「此れ」の内容に関することを、あなたは以下に張り付けていますよね、以下


//(1)への返答の中では、
十界互具之を立つるは石中(中略)之を信ず可きなり。
( 十界互具を立てるということは(略)信じるべきなのです。)//


 「此れ」の本文に通解まで加えて書いています。はっきりいいましょう。東国人さん、あなたは内容をただコピペしただけで、意味を全く理解していないんではないのですか?
 
 釈尊が堅固に秘した「此れ」の正体が、「ご本尊」であり、そのご本尊が己心の妙法(生命)だということを、石中の火などのたとえを引用して説かれている段を、コピペまでしているお方の主張が

「一大秘法とは「私共の己心の妙法」でありそれは「本尊」でもあり、(などは)夢にも出てこないことでしょう」

となるんですか?支離滅裂です。
全く、ご自身が提示した文の理解していないのではないのですか?

195河内平野:2008/08/14(木) 12:57:49 ID:e1pdW1aM0
いやぁ〜 これはこれは、 耕治くん言いますねぇ〜 笑

もう〜ここまで言うなら、 耕治くん・・・・。

東国人さんに対して、 最後まで講義をしなくてはなりませんねぇ〜。笑
がんばって、 最後まで東国人さんに御書講義してくださいね。

沖浦ファンも見ていますよ。 ガンバ!

あ、河内に御書で攻めないでね!
河内は、 まったくチンプンカンプンのバカですから・・・・。

196変な大阪人:2008/08/14(木) 13:12:54 ID:rZ6Ix66oO
河内平野様
初めまして。

そうチャチャいれないで…

いよいよ耕治さんが、この議論を完全決着に導く事でしょう。

ファンって言うな!
ヽ(゜▽、゜)

197沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 14:21:54 ID:AJ3hr85o0
河内平野 さん

 少し慎みなさい。
 ご本仏さまのご遺文を講義する行為を揶揄する。
 信心の欠片もないです。

 貴方がチンプンカンプンは当然です。
 教学力がほとんど無いことは皆様方も認めておられます。

 今度御書の講義に揶揄を入れたら、偽学会員と認定します。
 よく覚えておいてください。

 邪魔するしか能が無いなら、沈黙する事。

198沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 14:24:04 ID:AJ3hr85o0
 皆様方に、
 
 御書は蓮祖の命の書です。
 これを冗談や揶揄の対象にする方は即時アクセス禁止に致します。

 警告も致しません。

 私はこれでも蓮祖門下です。

199河内平野:2008/08/14(木) 14:28:55 ID:e1pdW1aM0
わかりました。 黙っておきましょう。

あなた方、親子も東国人さんの反論からは逃げてはダメですよ。
いつも逃げていますからね。たのんますよ。

200耕治:2008/08/14(木) 14:59:11 ID:AJ3hr85o0
 東国人さん、反論については、人師の言(みんなが言ってました等)ではなく、御書(学会版)を用いて、反論してください。

また、法華講のように
1、そんなにいうなら、ご本尊を書写して見せろ!   とか
2、謂己仏!
3、本尊誹謗!

などというのも いりません。もし、貴方が学会員であるのならば、
創価学会の公式見解である
「当会は、信心の血脈を信じ、御書を根本とする」
にのっとり、御書を挙げて、通釈を加えて、貴方の自説である

「ご本尊は、曼荼羅の事であり、衆生己心の妙法ではない」
「ご本尊は、曼荼羅の事であるから、衆生己心の妙法(南無妙法蓮華経)を顕したものではない」

を万人が納得のいくように立証してください。

201婦人部です:2008/08/14(木) 15:14:57 ID:9CEas1QAO
沖浦さま 耕治さま そして東国人さま。暑い中ありがとうございます。

皆様のお陰で有意義な友好週間になっています。

あのような文章を書き込むだけでも大変かと思います。
本当に感謝します。そして、勉強さして頂きます。

213沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 18:01:36 ID:AJ3hr85o0
 婦人部です さん

 どう致しまして。

227沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 18:22:31 ID:AJ3hr85o0
 東国人さんに警告です

 貴方の書き込みには仏法を真摯に学ぶ態度が見られません。
 真面目な対話をするのか、明確にしてください。

 それと、当体義抄をご真筆が無いから引用するなと言いながら、大聖人様の書ではない六巻抄を引用する矛盾のご説明がありません。
 私の質問に答えてから、次に進んでください。

 先ず最初にこの質問にお答えください。
 今貴方の書き込みは対話には邪魔ですので、一旦削除致します。
 今夜8時までにメモリー当に保管してデーターを保存してくださいね。

 そのご、私のお教えした御文を耕治と深く掘り下げて議論をしてください。
 大量の貼り付けは暫くお止め下さいませ。

 では、先ず六巻抄の引用理由をご説明ください。

231沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 18:30:35 ID:AJ3hr85o0
 東国人さん

 再び警告です。
 貴方の板ではありません、私の板です。
 運営に問題があると思うなら退出してください。

 六巻抄の件先ず具体的な回答をしてください。
 そのご、私の引用した御文を深く掘り下げましょう。
 その他の選択はございません。

 もし貴方が仏法を学ぶ姿勢がおありなら当然の事です。
 ご本仏さまの御文を引用し、他人を破折して優越感をお求めなら、ここではそう言うことは出来ませんので他の板でどうぞ。

 では、六巻抄の件を具体的にどうぞ。
 
 これが最終警告です。 
 次はありません。
 アクセスをお断り致しますよ。

232東国人:2008/08/14(木) 18:37:05 ID:l96VBSB20
>231
ご本仏さまの御文を引用し、他人を破折して優越感をお求めなら、ここではそう言うことは出来ませんので他の板でどうぞ。<

そのご本仏様の本尊観に逆らって己義を構えている御仁が笑わせてくれますねえ。
鏡に我を映してみてみなさい。

御本尊に関することは、A4、1000ページ、1万ページ書いたって足りるものじゃあ、ないんだよ。
25年間だっけ?本尊に関する己義を構えていたことを少しは反省しなさい。

233鉄齋:2008/08/14(木) 18:37:45 ID:svLcjHmQO
ちゃんと反論しようよ 沖浦さん

234東国人:2008/08/14(木) 18:38:50 ID:l96VBSB20
削除はいかんよ。
おかしいというのなら、それを破折すればいいだけのこと。
まだ、あるよ。
次回は9時から行きますよ。

235鉄齋:2008/08/14(木) 18:42:05 ID:svLcjHmQO
引いてるのは文段でしょ 六巻抄じゃないよ
なぜ当体義抄文段を引いたか、それは議論の中で当体義抄を証の重と言うコメントが大勝利さんから出たからでしょ?
それに答えただけじゃないですか
沖浦さん冷静になりましょうよ。

236耕治:2008/08/14(木) 18:42:47 ID:AJ3hr85o0
 反論が、罵声のみなのに驚いています。
 貴方の多くの人間を失望させる内容です。
 今後、罵倒のみの反論しかできないのなら、御本尊について云々しないことです、100年早いでしょう

237東国人:2008/08/14(木) 18:43:38 ID:l96VBSB20
沖浦さん、ここは「自由に語る」世界じゃあなかったのかね。
一言で足りる人もいれば、たっぷりとしゃべりたい人もいるのよ。
それぐらいわかってね。

238東国人:2008/08/14(木) 18:45:05 ID:l96VBSB20
>今後、罵倒のみの反論しかできないのなら、御本尊について云々しないことです、100年早いでしょう

すごいね。もう読んでくれたのね。
じゃあ、また9時から続くからね。
出かけてくるよ。

239一壮年:2008/08/14(木) 18:46:06 ID:4nLkzukw0
沖浦さん

>気に入らないものは排斥する
阿部日さんを批判できませんよ。

240河内平野:2008/08/14(木) 18:54:57 ID:igoc0eIo0
ちょっと、ちょっと・・・・沖浦さん。

それは、ないでしょうよ。。。

沖浦さんの言っている質問は、もうすでに東国人さんが
説明済みでしょう。。

みんな楽しみにして、ロム者は勉強してんのよ。
善良な学会員のロム者ばかりじゃないの。 おやじさん。

削除は、よくないよ。 
耕治くんを、出しなよ。 対話しょうよ。

241河内平野:2008/08/14(木) 18:59:22 ID:igoc0eIo0
ここで、東国人さんをアク禁にしたら
みんなから信用失うよ。 沖浦さん。

冷静になりましょうよ。

242河内平野:2008/08/14(木) 19:01:18 ID:igoc0eIo0
耕治くん、 最後まで神聖な御書講義を
東国人さんに、しましょうね。

243鉄齋:2008/08/14(木) 19:17:12 ID:svLcjHmQO
沖浦さん 日興遺戒置文にありますよね
【一、論議講説等を好み自余を交ゆ可からざる事。

一、下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事。

一、巧於難問答の行者に於ては先師の如く賞翫す可き事。 】

真剣な教義論争から逃げてはいけないですよ
東国人氏の研鑽は端から見ても膨大なものでしょう。
それもすべてあなたの持論に起因してるんですよ
【あなたはあなたの生き方 私は私】なんてのは大聖人門下の生き方ではないでしょう
【諸経は無得道堕地獄の根元】と邪義を弾可しまくったでしょう
沖浦さんは東国人氏を認められないでしょう。それはそれで大いに結構、立派に年長者らしく破折なさいませ。 沖浦さま

244NORI:2008/08/14(木) 19:25:42 ID:PfeuBYTM0
ごぶさたしております。日ごろロムしております。
東国人さんの記事、深いご研鑽にたいへん勉強になっております。
他のロムの方も多いと思います。
こちらは、沖浦さんの板であることは存じ上げておりますが、貴重な記事は共有財でもあります。記事の削除だけはご容赦くださいm(_ _)m

245河内平野:2008/08/14(木) 19:26:46 ID:igoc0eIo0
沖浦さん・・・耕治くんは、どうしたの??

沖浦さんは、池田先生の弟子なんでしょう。
いつも、言ってますよねぇ。

沖浦さんは、蓮祖門下なんでしょう。
だったら、御書を通して 東国人さんをハシャクしなさいよ。

最後は、 沖浦さん・・・私のやり方に従え。ですか?

大勝利さん、 沖浦さんの応援よろしく。

246沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 19:49:35 ID:AJ3hr85o0
 東国人さんに、

 貴方が私に質問をされ、私がお答え致しました。

 その後その御文について深い考察をすべきです。
 質問合戦に興味はございません。
 貴方のご質問には既にお答えしております。
 深く御書を学ぶか?
 論争をして満足されるか?
 お好きなほうを選んでください。

 ロムの方々に申します。
 この問題はあくまでも私に東国人さんがなされたご質問に私が答える。
 純粋に私共三人の問題です。

 他の方で教義上のご質問がおありなら何なりとどうぞ。
 門戸は開いてあります。

 但し、他人同士の会話をある行為はお止めください。

 東国人さんのご意見は別にスレを立てて移動致しました。
 数日間は置いておきますので、メモリーに保管してください。

 削除するしないは当方が決定すべき問題です。
 私は管理人です。
 ご指摘の阿部日さんは、管理人ではございません。
 立場の相違をご理解下さいませ。

247変な大阪人:2008/08/14(木) 19:52:39 ID:rZ6Ix66oO
まあ、アセらずに戦況を見守りましょ〜や。
(*´Д`)=з

いくら耕治さんでもあれだけ一気にレス出されたら一つずつ吟味するんと違いますか?


沖浦さん、記録スレありがとうございます。

248乃介:2008/08/14(木) 19:58:36 ID:qHldysUU0
【賢聖は罵詈して試みるなるべし】

大変に興味深く研鑽させていただいております。
東国人さん、沖浦親子さん、さらに周囲で真剣に対応されておられるであろう
皆様、ありがとうございます。

249沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 20:02:38 ID:AJ3hr85o0
 変な大阪人さん

 このままでは間違いなくアクセス禁止に致します。
 同時にあのスレッドは削除致しますので、早めに保管下さいませ。

 できれば、当体義抄を深く掘り下げて論を深めたいのです。
 東国人さん次第です。

 それと、戦況などはありません。
 東国人さんが会話を拒否されているだけです。

 私は常に真面目なご質問には門戸を開いております。

 ですが、今回の東国人さんは、ご質問を装った、詰問。です。

 論外ですね。

250通りすがり:2008/08/14(木) 20:04:15 ID:bfv6crro0
東国人と河内平野って、もしかして華道部つながり?

ウラで謀略でも企ててるかもね。

なんか怪しい・・・

251沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 20:09:56 ID:AJ3hr85o0
 早く通り過ぎてください。

252変な大阪人:2008/08/14(木) 20:12:42 ID:rZ6Ix66oO
沖浦さんへ。

アク禁て、東国人さんをですか?


確かに戦況では無かったですね。

詰問…。言われれば、そう見えてきた。

(((゜д゜;)))

253沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 20:21:14 ID:AJ3hr85o0
 変な大阪人さん

 アク禁は東国人さんに既におつたえしてあります。

 231 :沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 18:30:35 ID:AJ3hr85o0
 東国人さん

 再び警告です。
 貴方の板ではありません、私の板です。
 運営に問題があると思うなら退出してください。

 六巻抄の件先ず具体的な回答をしてください。
 そのご、私の引用した御文を深く掘り下げましょう。
 その他の選択はございません。

 もし貴方が仏法を学ぶ姿勢がおありなら当然の事です。
 ご本仏さまの御文を引用し、他人を破折して優越感をお求めなら、ここではそう言うことは出来ませんので他の板でどうぞ。

 では、六巻抄の件を具体的にどうぞ。
 
 これが最終警告です。 
 次はありません。
 アクセスをお断り致しますよ。

254婦人部:2008/08/14(木) 20:21:21 ID:9CEas1QAO
沖浦さんが求めているは対話でしょ。

当体義抄を深く掘り下げたいって。

255笑えるわw:2008/08/14(木) 20:24:19 ID:n0bDhrQU0
沖浦よw おまえさ、テメエの糞論理が破綻してんのを、そうやってうやむやにしようっていうのは、さすがに老獪だなw
老獪以外の何ものでもねえよw
おまえのは、あくまでも沖浦教の教学なんだよなw
所詮、ニセモノなんだよ、おまえら親子www

256沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 20:25:57 ID:AJ3hr85o0
 婦人部さん

 私は末席を汚す身ではありますが、池田先生を師匠と仰いでおります。

 師匠が対話をされておられます。
 私も対話を致します。

 詰問は対話の入り口とはなりえません。
 これも私は池田先生に教えていただきました。

257沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 20:27:07 ID:AJ3hr85o0
 笑えるわw さん

 大口開いて笑っていると、虫が口に入りますよ。

 ハイ!

258沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 20:35:12 ID:AJ3hr85o0
 カルトの定義では、「内閉化教団」という概念を用います。
 「内閉化」の定義は、「外部社会と信頼関係を結べず、敵対関係にある」ということです。

 今の東国人さんの態度はカルトといわれても仕方が無いですよ。
 詰問はする、会話はしない、回答もしない。
 
 少し対話を心がけてください。

 先ず、文段の引用理由を質問している私にキチンと回答する。

 その後、当体義抄の深い考察に取り掛かる。

 それがお嫌なら、この板を去る。

 カルトはいけません。
 対話をすべきですよ。
 勿体無いですね、今のままでは。

259河内平野:2008/08/14(木) 20:38:54 ID:igoc0eIo0
沖浦さん、 もうやめなさい。そんな逃げ台詞。。

堂々と、対論しなさいよ。

あなた、恥ずかしくないの??
いつも、沖浦さんはそうやって逃げているのですよ。
まだ、気付かないのですか!

自分が、邪説を唱えていることを!!
いいかげんにしなさいよ。 どこまでワガママなんですか!

耕治くんを、組織に付けて信心を学ばせなさい。
あなたでは、無理です。 まだ、間に合います。

260沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 20:45:13 ID:AJ3hr85o0
 河内平野さん

 何を力んでいますか〜?
 逃げ台詞??
 言いえ、貴方方とは違います。
 私はね逃げた事はありません。
 自分の宿命からも逃げません。
 邪説かどうか?
 余計なお世話です。
 少なくとも、さも味方を装って近づいて見破られると本性を出す貴方とは腹の座り方が違います。
 他人の子供の組織を心配する暇があるなら、自分の担当組織を磐石になさい。

 私に意見があれば専用スレでどうぞ。

261変な大阪人:2008/08/14(木) 21:01:06 ID:rZ6Ix66oO
沖浦さん ありがとうございます。

「この問題はあくまでも東国人さんがなされたご質問に私が答える。純粋に私共三人の問題です。」

確かに沖浦さんの言われる通り、私を含めたロムの方は部外者です。
しかし、この掲示板が学会非公認だとしても、多くの会員さんが見られている公の場であると、思ってます。

東国人さんのやり方には賛否両論かと思います。

しかし今後の学会の行方を考えると、東国人さんのやり方には、私は賛同しかねますがロムの方が注目している限り、そんな相手でも納得させる事が新たな学会を創り出す一歩なのだと感じます!

沖浦さんがよく言われるネットの素晴らしさが、今まさに証明されると、数日期待をし続けておりました。


今は非力な自分ですが、沖浦さんの姿をネットですが拝見しながら実社会で奮闘しています。

自分に東国人さんと渡り合える力があれば…


一部外者の願いです。

262河内平野:2008/08/14(木) 21:01:46 ID:igoc0eIo0
今度は、開き直りですか ?

あなたは、本当にどうしようもないねぇ

263耕治:2008/08/14(木) 21:01:46 ID:AJ3hr85o0
東国人さん、河内平野さん、罵声は専門スレでお願いします。


創価学会の公式見解です。
「御書を根本とする」

したがって華道部の教義
「ご本尊は衆生己心の妙法とは無関係」
「ご本尊は曼荼羅そのものを指す、よって己心の妙法を顕したものではない(曼荼羅そのものが本尊であり、別に大聖人の内証を顕したものではない)」

上記が邪義かどうかは、罵倒とコピペを重ねても証明は不可能です。唯一、御書のみがその証明となります。

東国人さん、私は貴方に文証の提示しか求めていません。
華道部正式教義
「ご本尊は衆生己心の妙法とは無関係」
「ご本尊は曼荼羅そのものを指す、よって己心の妙法を顕したものではない(曼荼羅そのものが本尊であり、別に大聖人の内証を顕したものではない)」
が、正か邪かは、適切な御書の引用を行い、万人に納得の行く説明をなしえた場合にのみ、認めることができます。

 これが、法華講との法論なら、文証を出せず罵倒以外に手段がなくなるという華道部のいつものパターンです。負けです。

簡単です。
「ご本尊は衆生己心の妙法とは無関係」
「ご本尊は曼荼羅そのものを指す、よって己心の妙法を顕したものではない(曼荼羅そのものが本尊であり、別に大聖人の内証を顕したものではない)」
 この文証は挙げて、通解を加え、万人に納得のいく論を展開すればよいのです。
はやく、土俵にのってくださいね。では

264ゴンちゃん ◆Dx9s.ycyhk:2008/08/14(木) 21:02:44 ID:BhXt7PKs0
河内さん!貴方は当事者ですか!!言い過ぎでしょう。。。
貴方はこんな時だけ、真面目になるんですね??いつもの貴方らしくありませんよ。。。
御自分で、バカと言われてたのなら、推移を、見守りなさい。。。
要らぬ口挟まないで下さい。。。今私もバカながら、御書を開き勉強してるんです。。。

265河内平野:2008/08/14(木) 21:10:45 ID:igoc0eIo0
あっははははーーーー!!

ゴンさん・・・・あなたオモシロすぎる。。笑

266沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 21:14:13 ID:AJ3hr85o0
 変な大阪人さん

 ご意見ありがとうございます。
 対話。
 重要ですね。
 今、私は法華講の皆様方と対話が可能です。
 然しながら5年間の準備期間がありました。
 何時かは法華講の方々との質問会を。
 2002年ネットに参入してすぐに考えた事でした。
 それから茨の道が延々と続きましたが、漸く昨年三度の質問会を行い、今年も津村さんのお骨折りで大阪で開催をできる所までこぎつけたのです。

 師匠が対話を実践されておられる。
 弟子が後に微力ながら続くのが当然です。

 今、何方が法華講員の方々と対話をされておられますか?
 師匠は対話をせよと仰せです。
 ご本仏様も仰せです。

 なのに、同じ創価学会員が私共を詰問し、敵視して睨み付ける。
 心から情けないと思います。

 これでは、この方々は他宗と対話などは不可能です。
 師匠背く行為ですよ。
 なのに気づきもしない。
 一体師匠の指導の何処を読んでいるのでしょうね?

267通りすがり:2008/08/14(木) 21:14:59 ID:bfv6crro0
沖浦さんへ

東国人が二度とネットの世界に戻ってこれないように、徹底的に潰してください!!

268耕治:2008/08/14(木) 21:17:01 ID:AJ3hr85o0
当然、当方は、
「ご本尊とは、その体は衆生己心の妙法そのものである」
「ご本尊の当体は衆生己心の妙法であり、それを顕したのが曼荼羅である。」

を、御書を引き、通解を加え、万人が納得しうる論を展開します。
常識以前ですが。この程度のことができないのなら、法論など不可能です。

あと、貴方の反論で唯一中身があったのは、石中の火云々の段は、直接的には十界互具をさし、必ずしも、「ご本尊は衆生己心の妙法」
を示すものではないぐらいでした。

これも、大聖人様が「森羅三千=衆生」と定義されていらっしゃるので、「衆生己心の妙法」を直接指していないも
言い訳でしかありませんし、そのことはわざわざ断っていましたが、読解できなかったようですね。
赤子にでもわかるように、懇切丁寧にかくことにします。

で、反論は御書にのっとってください。
御書が引用できないのなら、資格がありません。

269沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 21:20:36 ID:AJ3hr85o0
 河内平野さん、

 私と対面対決やりましょう。

 以上提案致します。
 他の方々を巻き込む貴方のやり方に我慢が出来ません。
 決めました。
 貴方と正々堂々の公場対決を望みます。

 当然お逃げにはなられませんね。
 条件は概ね法華講さんとの物を適用致しますが、特別にこだわりがおありならすりあわせ致しましょう。
 では、快諾を期待しております。

 この掲示板に、質問会に呼んで欲しいスレッドです。があります。
 ここで、日時等を相談致しましょう。

 これでもしお逃げになられるなら、もう来ないで下さいませ。
 口舌の徒には用事がありません。

270鉄齋:2008/08/14(木) 21:21:52 ID:svLcjHmQO
会則より抜粋(ソウカnetより)

「日蓮大聖人は、法華経の根本を三大秘法として顕され、未来永遠にわたる人類救済の道を確立された。 (中略)

(教 義)
第2条 この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、【一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、】日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする。


正確に引用しましょう。
【一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊】が蓮祖図顕の御本尊そのものであるのは論を待ちません

271沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 21:21:57 ID:AJ3hr85o0
 通りすがり さん

 私は何方かを潰したいとは思いません。
 全て一切衆生です。

272沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 21:24:13 ID:AJ3hr85o0
 鉄齋 さん

 貴方のレベルでは無理ですよ。
 然しながら耕治と対論をお望みなら順番をお待ちください。
 東国人さんが終わりましたら専用スレを立てましょう。

273河内平野:2008/08/14(木) 21:26:11 ID:igoc0eIo0
貴方と正々堂々の公場対決を・・・・???

沖浦さん、あなたが正々堂々と対論したことありますか?
いつもナアナアじゃないですか?

あなたは、本当に根性論だけですね。笑

274沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 21:36:32 ID:AJ3hr85o0
 河内平野さん

 ですからね、これまでのことは同でも良いのですよ。
 貴方には無関係の質問会と法論です。
 今貴方に提示したものは、

 私と貴方の対面対決を公場対決として行う。

 これです。
 勘違いの振りは無用です。
 スレも立ててあります。
 サッサト条件の相談に移りましょう。
 貴方が主催をなさりたければ、私が大阪まで出て行きます。
 もし会場等が用意できず、主催が出来ないなら、私が主催でやります。
 其の時は白馬でやりますのでこちらまでどうぞ。

 主催の優先権は貴方に差し上げます。

275名無しさん:2008/08/14(木) 21:36:38 ID:svLcjHmQO
私も本尊論引くのに真偽未決の当体義抄引くあなたがたの低レベルにはあきれてますわ

バカの一つ覚え 亜法を受けたるバラモンの如し だわな
堕ちたねえ沖浦さん

276大勝利:2008/08/14(木) 21:36:46 ID:LOFbgPrA0
>>235
鉄斎さん

私はシビックさんにレスしたのですよ。

例えば、開目抄に真蹟が無くても、
「人本尊」の御書ですよと説明しませんか?
真筆主義は、一見カッコよく、如何にも学者肌に見えますが…
自己研鑽を狭めて行くだけだと思います。

当体義抄を疑い排斥するならば、その御書を信じて取り組んだ人の研鑽全体を疑うことになりますね。
当体義抄文段を奪っておいて、観心本尊抄文段は採用するのは矛盾します。
何故なら、観心本尊抄文段は、「当体義抄を偽書とは思っていなかった人」の論ですからね。
真贋と研鑽価値は、別だと私は思います。

法華経が釈尊の直説ではないからと否定する愚かさと一緒です。
大聖人を否定して、先生を否定せざるを得なくなるでしょう。

御書を真面目に学ぶ姿勢があるか?
とは、そういう事だと思います。

277鉄齋:2008/08/14(木) 21:36:57 ID:svLcjHmQO
私も本尊論引くのに真偽未決の当体義抄引くあなたがたの低レベルにはあきれてますわ

バカの一つ覚え 亜法を受けたるバラモンの如し だわな
堕ちたねえ沖浦さん

278沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 21:37:39 ID:AJ3hr85o0
 河内平野さん

 それでは専用スレでお待ち致します。

279ゴンちゃん ◆Dx9s.ycyhk:2008/08/14(木) 21:37:42 ID:BhXt7PKs0
河内さん!私は、ゴンさんではありませんよ〜
貴方は敬意を持ちそう書き込みされておられる様ですが!
で、言いましたよね〜同じバカならロムに徹しなさいと。。。
聞こえておられますか。。。それが、出来ないので、あるなら
貴方にレスする資格ありませんよ。。。私は、今本尊問答抄を勉強中です。。。

280変な大阪人:2008/08/14(木) 21:37:44 ID:rZ6Ix66oO
沖浦さん

行動の人。私の目指すところです!

法華講との対話はしてないですね。
今は悩み苦しむ地元のメンバーへの家庭指導と社会での戦いで自分の精一杯の力です。
沖浦さんの様に力をつけていきます。

やはり彼を解らすのは我々学会員しかいないですかね。

281河内平野:2008/08/14(木) 21:39:45 ID:igoc0eIo0
沖浦さん、それは無理ですね。
お断りします。

残念ですが、事情は申し上げられません。

282沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 21:46:38 ID:AJ3hr85o0
 鉄斎さん

 私は全く同じですよ。
 貴方が堕ちたのです。
 お気の毒です。

 勿体無いですね、折角世間で頑張っておられるのに、その努力を消しています。
 残念な思いですよ。

 創価学会員同士が討論をするに、創価学会版の御書を引用して当然です。
 貴方はとうとうそこまで堕ちてしまわれた。
 しかも感情が大きく出ているレスです。
 修羅ですよ。

 私は熱原の三烈士で貴方の題字を頂きました。
 心から感謝しております。
 然しながら、もう貴方に何かをお願いすることは無いでしょう。
 寂しいですね。
 戦いが本物になると、堕ちて行く仲間が出る。
 仕方ないですね。

 何時の日かまた、ご一緒できれば幸いに思います。

 お世話になりました。

283大勝利:2008/08/14(木) 21:47:10 ID:LOFbgPrA0
>>245
河内平野さん

>大勝利さん、 沖浦さんの応援よろしく。

残念ながら私はもうすぐキャンプへ出かけますので。(笑
帰ってきてレス500くらいいってたらもうめんどいから読まんかも。
実際東国人さんの記事より所報でも読んだ方がまだマシのような気がしますんで(笑

284鉄齋:2008/08/14(木) 21:49:01 ID:svLcjHmQO
>学会員相手の公場対決

それこそ破和合僧の大謗法だよ 沖浦さん

285沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 21:49:12 ID:AJ3hr85o0
 河内平野さん

 アク禁にはいたしませんよ。
 今後私に対するコメントはここでも他所でもお止めなさい。

 やれば卑怯者です。
 いいですね。

 それ以外のご主張はどうぞ。

286沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 21:53:01 ID:AJ3hr85o0
 鉄齋氏

 公場対決一つ出来ないような不覚悟者が、創価の教学振りかざすんじゃない!!
 臆病者!!!!

 『つるぎなんどもすすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼にかなぼうたるべし、』
 (経王殿御返事)

287創価の風:2008/08/14(木) 21:54:26 ID:KAQNUf92O
池田先生は大阪事件の不当逮捕の時に権力による詰問、拷問にも耐えて勝利を勝ちとりました。
私には今の沖浦さんの姿が少なからずシンクロ致します。
池田先生と比べるのは、どうかと思いましたが、どうしても黙っていられなくなりました。
横レスすみません。ロムに戻ります。

288河内平野:2008/08/14(木) 21:54:48 ID:igoc0eIo0
あなたは、本当に命令口調だねぇ〜。

289東国人:2008/08/14(木) 21:56:01 ID:CyjOqHqg0
>263
創価学会の公式見解です。
「御書を根本とする」

したがって華道部の教義
「ご本尊は衆生己心の妙法とは無関係」
「ご本尊は曼荼羅そのものを指す、よって己心の妙法を顕したものではない(曼荼羅そのものが本尊であり、別に大聖人の内証を顕したものではない)」
上記が邪義かどうかは、罵倒とコピペを重ねても証明は不可能です。唯一、御書のみがその証明となります。<

キミ、「罵倒とコピペを重ねても」にしか見えないのだから、その程度のレベルだということだわな。
キミのあのなんだね、「当体義抄」と「観心本尊抄」でのコメント、白馬では季節はずれのインフルエンザでも流行っているのかね。あれで破折?今まで何をやってきたのか、レベルをさらけ出しているよ。ホント、四日間ぐらい発熱状態?こんなPCの前にいて大丈夫なのかな?
冒頭に私が提示したものに一つも答えていないキミが、一人ごとはよそうね。

>東国人さん、私は貴方に文証の提示しか求めていません。
華道部正式教義
「ご本尊は衆生己心の妙法とは無関係」
「ご本尊は曼荼羅そのものを指す、よって己心の妙法を顕したものではない(曼荼羅そのものが本尊であり、別に大聖人の内証を顕したものではない)」
が、正か邪かは、適切な御書の引用を行い、万人に納得の行く説明をなしえた場合にのみ、認めることができます<

いつものやり方だな。
とにかく、私の書いたものを目を皿にして読みなさい。
教学力のというか、物事の常識の分かる方なら、私が何を主張して、おとーちゃんとキミが何を言って、わたしが何を言ったのか?分かることであろう。
もはや、キミは「相手の言うことの内容の理解」「相手の言うことを自分の言葉で置き換えた時の質問の表記の仕方」それすらも分からないようだね。キミ、しゃべる程に恥をかくよ。だいたい、おとーちゃんも無責任だね。
クダクダいいよ。
スパッと文証出しなさい。

>一大秘法に関しては、私自身は25年前に結論が出ているのです。
一大秘法とは、凡夫の己心に大宇宙と全く同様の妙法が備わっている。
それこそが最も肝心な事で、一大秘法と呼びます。
本尊でもあるし妙法としてのお題目でもある。
この極意から考察すれば、漫荼羅は本尊ではあるが方便です。
迹ですね。
本は本尊である私共の己心の妙法。
漫荼羅はそれを顕現させるための道具。
本門の本尊とは漫荼羅本尊その物を示さない。<

を直ちに証明しなさい。

290鉄齋:2008/08/14(木) 21:58:43 ID:svLcjHmQO
私はね法論 対論は 法華講 顕正会としかやらないと決めてるんだ
池田先生の弟子同志でやったら十四誹謗に決まってるでしょうが
あんたが脱会したら話は別だけどね

291大勝利:2008/08/14(木) 22:00:56 ID:LOFbgPrA0
あと、それから管理人さん。
東国人さんの主張スレッドの削除は待って下さい。
あとで出典探ししたいんで(笑

292河内平野:2008/08/14(木) 22:03:35 ID:igoc0eIo0
わざわざ説明なんかして
鉄斎さんは、やさしいねぇ〜

293東国人:2008/08/14(木) 22:05:59 ID:CyjOqHqg0
だいたいね、
己心の妙法が本尊ならば、御本尊様の御当体たる沖浦さんも、まだ神戸にいたことでしょうに。
現証を以てしるべし。これが一番、分かりやすいかもね。

さあ、いちばん最初の質問、もう何日たつのかな。
なーーーんにも、答えが出てこないよ。
そのまま、話をどんどん変えて、相手の言い分を自分の言葉に置き換えて言い返すときの表記まで脱線していて、
大丈夫かい。
そんな程度だから、法華講員にはかわいがられるよなあ(笑)。

294東国人:2008/08/14(木) 22:09:49 ID:CyjOqHqg0
「末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定む」のでしょうか。
「己心の妙法」?

「法華経の題目を以て本尊」ですね。

本尊問答抄
1278年・弘安元年9月、真蹟曽存、日興本・北山本門寺、静岡大泉寺、

問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし、
問うて云く何れの経文何れの人師の釈にか出でたるや、
答う法華経の第四法師品に云く
「薬王在在処処に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住の処には皆応に七宝の塔を起てて極めて高広厳飾なら令むべし復舎利を安んずることを須いじ所以は何ん此の中には已に如来の全身有す」等云云、
涅槃経の第四如来性品に云く
「復次に迦葉諸仏の師とする所は所謂法なり是の故に如来恭敬供養す法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり」云云、
天台大師の法華三昧に云く
「道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置し亦必ずしも形像舎利並びに余の経典を安くべからず唯法華経一部を置け」等云云。

中略
此れは法華経の教主を本尊とす法華経の正意にはあらず、上に挙ぐる所の本尊は釈迦多宝十方の諸仏の御本尊法華経の行者の正意なり。
中略

問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経は釈尊の父母諸仏の眼目なり釈迦大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり、

☆「釈迦を以て本尊とせず」ということは、「本尊とは形として顕わされているもの」ということであり、日蓮大聖人の仏法では「法華経の題目を本尊とする」南無妙法蓮華経の認められた曼荼羅であるということですね。

1271年、文永8年9月12日、大聖人50歳の時、鎌倉の草庵には「釈尊像」が安置されていたことが「系年・対告衆不明の神国王御書」の平左衛門尉一行に襲撃された時の状況記述により確認できます。

悦ばしいかな経文に任せて五五百歳広宣流布をまつ悲いかな闘諍堅固の時に当つて此の国修羅道となるべし、清盛入道と頼朝とは源平の両家本より狗犬と猿猴とのごとし、少人少福の頼朝をあだせしゆへに宿敵たる入道の一門ほろびし上科なき主上の西海に沈み給いし事は不便の事なり、
此れは教主釈尊多宝十方の諸仏の御使として世間には一分の失なき者を一国の諸人にあだまするのみならず両度の流罪に当てて日中に鎌倉の小路をわたす事朝敵のごとし、
其の外小菴には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし其の室を刎ねこぼちて仏像経巻を諸人にふまするのみならず糞泥にふみ入れ日蓮が懐中に法華経を入れまいらせて候いしをとりいだして頭をさんざんに打ちさいなむ、此の事如何なる宿意もなし当座の科もなし、ただ法華経を弘通する計りの大科なり。
真蹟は京都妙顕寺にあります。

そして、1276年、建治2年の「忘持経事」により、身延の草庵に釈尊像を安置されていたことが確認できます。

然る後・深洞に尋ね入りて一菴室を見る・法華読誦の音・青天に響き・一乗談義の言・山中に聞ゆ、案内を触れて室に入り・教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し・五躰を地に投げ合掌して両眼を開き、尊容を拝し・歓喜身に余り心の苦み忽ち息む、

続いての1278 年、建治4年、弘安元年には「釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とする」になりました。大聖人の「法義的な展開」がなされてきたということですね。

いずれにしても、本尊とは「法華経の題目を以て本尊」「法華経を以て本尊」であり、間違っても「己心中の妙法=自分の仏性を以て本尊」などではありません。
この御書により、形として顕わされた曼荼羅であることが明瞭です。

そこに、
・一大秘法とは「私共の己心の妙法」でありそれは「本尊」でもあり、「本迹」の内の「本」である。

・「曼荼羅」は「本尊」ではあるが「方便」であり、「本迹」の「迹」である。更に己心の妙法顕現のための「道具」であり、「本門の本尊」そのものではない。

・本尊に「本迹」がある。

などと、のたまうは「いかにひどい己義」であるか、これまた明瞭ではありませんか。

295耕治:2008/08/14(木) 22:10:37 ID:AJ3hr85o0
 あのー、御書ひいてくださいね。
 当体義抄いがいにも、たくさん華道部の邪義を破折されている御文があります。どんどんだしていくので、華道部のお3人三も、
適切な御書の引用を行い、万人に納得の行く説明をしてくださいね。3人がたが、h不可能でも、こっちはドンドンしていきますので。。

あと、広場対決、楽しみですね。

296笑えるわww:2008/08/14(木) 22:11:37 ID:n0bDhrQU0
沖浦よ、おまえの教学は創価教学じゃねえんだよw
沖浦教の沖浦教学なんだよww いいかげん、分かれやww
ほんま、親子でガキだなw
また、お前の醜悪教学ファイルが一個、集まったよw
なっ 現代の三位房よw あっ そんなに偉くなかったっけかw

297耕治:2008/08/14(木) 22:11:41 ID:AJ3hr85o0
 あのー、御書ひいてくださいね。
 当体義抄いがいにも、たくさん華道部の邪義を破折されている御文があります。どんどんだしていくので、華道部のお3人三も、
適切な御書の引用を行い、万人に納得の行く説明をしてくださいね。3人がたが、h不可能でも、こっちはドンドンしていきますので。。

あと、広場対決、楽しみですね。お互い、知っている仲ですからね。
ガンガン徹底的にやりましょうね。

298一壮年:2008/08/14(木) 22:12:38 ID:m55HgNrkO
>>290
鉄齋さん、学会員同志の「公場対決」なんて聞いた事も見た事もありません。

やれば間違いなく十四誹謗ですよ。

いや、驚いた。
これに賛同したら与同罪です。

299マサヨシ:2008/08/14(木) 22:13:04 ID:spLgCLE60
沖浦親子様、マサヨシ(59歳 壮年部)です。

スレッドの進め方に対してです。横レスごめんなさい。

東国人さんが、
最初に、書かれた提議の抜粋です。
----------------------
> 38 :東国人:2008/08/11(月) 12:24:37 ID:WRjfJIMI0
> 沖浦克治さんへ
>
> これだけは「日蓮仏法の骨格」に関わるものですので、おたずねします。
 
> 以上、日蓮大聖人の「真蹟」「真蹟曽存」御書での返答をお願いします。「日蓮大聖人の実像」に迫るためには、確実を期す必要があるからです。
>
> 沖浦さんの所論は宗教の内実を構成する「本尊・教義」に関するものであり、私としては、本来的には所論についてHPを立ち上げるなどして、半年、一年と準備した後に公開するのでも足りないほどの、重要なるものと考えます。
>
> しかも、日蓮大聖人滅後に出来上がった、大石寺を総本山とする日蓮正宗という「一宗教団体」の「独自の教義」に関する是非などではなく、創価学会が末法の御本仏と尊信する日蓮大聖人の本尊観、教義そのものについての重大事であり、その内容は、創価学会員として信仰に励む私達一人一人にも関わってくるものです。
>
> こんな大事なことを提示しておきながら、「思う」だけでは済まされることではない、とも考えます。
-------------------------------------
●ここに
【日蓮大聖人の「真蹟」「真蹟曽存」御書での返答をお願いします。「日蓮大聖人の実像」に迫るためには、確実を期す必要があるからです。】
検証に曖昧さを残さない為めの提案です、

 しかしながら、沖浦さんは、
-------------------------------------
> 44 :沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/11(月) 12:59:44 ID:AJ3hr85o0
>  それでは夜にでもゆっくりお答え致しましょう。
>  東国人さんに。
------------------------------------------
●の後に、レスされたのが、下記
------------------------------------------
> 45 :沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/11(月) 20:53:13 ID:AJ3hr85o0
>  東国人さん、
>
>  ご質問の①から⑥まで文証を引用致します。
>
>  『問う妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、答う十界の依正即ち妙法蓮華経の当体なり、問う若爾れば我等が如き一切衆生も妙法の全体なりと云わる可きか、答う勿論なり経に云く「所謂諸法乃至本末究竟等」云云、妙楽大師釈して云く「実相は必ず諸法諸法は必ず十如十如は必ず十界十界は必ず身土」と云云、天台云く「十如十界三千の諸法は今経の正体なるのみ」云云、南岳大師云く「云何なるを名けて妙法蓮華経と為すや答う妙とは衆生妙なるが故に法とは即ち是れ衆生法なるが故に」云云、又天台釈して云く「衆生法妙」と云云。』
>  (当体義抄)
>
>  よくご思索なさいませ。
-----------------------------------------------
●と云う、何と東国人さんの「疑義のない御書」に関して触れずに「当体義抄」を出されました。
 
 確かに、学会版の御書には掲載されています。
しかし、凡例に「新古各種刊本中の真偽未決の問題となるものも信行に資するものは之れを取る」とあります。
 ただ信行の糧の為めに、真偽未決を含む事をお示しです。

 重大な法義を公開して検証するに、真偽未決御書の御文を出されたのは、何か重大な意味を含むものと思われます・
 当体義抄が、真選であるとの厳正な文献批判が御ありに成るのでしょう。是非テキスト批判を開陳されんことを望みます。

------------------------------------
> 263 :耕治:2008/08/14(木) 21:01:46 ID:AJ3hr85o0

> 上記が邪義かどうかは、罵倒とコピペを重ねても証明は不可能です。唯一、御書のみがその証明となります。
>
> 東国人さん、私は貴方に文証の提示しか求めていません。
---------------------------------------
そう云う意味合いから、
上記、ご子息耕治さんが、書いているように、

> 唯一、御書のみがその証明となります。

但、この検証と云う命題には、真選御書でなければ意味がありません。

何方か(失礼)へ、
「開目抄」は、身延曽存の御書で真選です。
明治の身延の大火で焼失する前に確認されています。

300東国人:2008/08/14(木) 22:14:50 ID:CyjOqHqg0
>293
ねー、河内平野さん(笑)。

301沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 22:15:42 ID:AJ3hr85o0
 大勝利 さん

 良いですけれど、貴方のパソコンのメモリーにでも入れておいた方が良いですね。
 その内さくじょいたしますのでね。

302沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 22:17:20 ID:AJ3hr85o0
 耕治君

 駄目だよ逃げ腰なんだよね。 
 だから、捨てておきましょう。

 御書で喧嘩したら、大聖人様に申し訳ないからね。

303河内平野:2008/08/14(木) 22:18:18 ID:igoc0eIo0
鉄斎さんと、一対一でビデオなしで、対論できない沖浦さんって・・・

もしかして、臆病者ですか?

人が見ていないと、対論もできないの?

304東国人:2008/08/14(木) 22:18:44 ID:CyjOqHqg0
>299
マサヨシさんに同意。
「当体義抄」は日蓮大聖人の「真蹟」である、との証明が先になりましたね。
さあ、がんばって、万人が納得いくように、「当体義抄」=真蹟を、万人が納得いくように
証明しましょうね。もし、本気ならね、その努力が先ですよ。

305河内平野:2008/08/14(木) 22:21:30 ID:igoc0eIo0
東国人さん。。。 あなたって・・・・。笑

きわどいねぇ〜。。笑

306東国人:2008/08/14(木) 22:23:20 ID:CyjOqHqg0
>298
一壮年さん、
息子をこんなことに巻き込んでいる親の責任ですよ。
沖浦克治さんの言ったことに対して指摘をしたら、息子さんが、なんだか、しゃしゃり出てきて、
破折してやるー、状態ですからね。
しかも、はずしまくっているのに。
これでは「自分のことを世界で一番知っているようでいて、知らないのは自分である」状態。
醜態をさらすだけです。
沖浦さん、息子さんはきちんと組織につけなさい。

307名無しさん:2008/08/14(木) 22:24:36 ID:svLcjHmQO
>>298


一壮年さん そうですよね。本当です
いま沖浦さんにTELで注意しました

あっ沖浦さん こないだはあなたが途中で切ったから 今日こちらからTEL切ったのはおあいこね♪しかし あなた生命力ないねえ(*u_u)

308鉄齋:2008/08/14(木) 22:27:08 ID:svLcjHmQO
>>307は鉄齋です


しかし 「ネットを止めるかどうか」を賭けて公場対決とはあまりに安いよ。。沖浦さん

309河内平野:2008/08/14(木) 22:30:11 ID:igoc0eIo0
沖浦さん、よくそんな弱い生命力で
ホケコーと、質問会なんかやりましたねぇ〜

何時間でも大丈夫でしょう。 沖浦さんなら

310沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 22:30:13 ID:AJ3hr85o0
 マサヨシさん

 もし私と真摯に仏法について語り合いたいなら、あのような条件をつけるべきではありませんよ。
 顕彰に曖昧さ云云は無意味です。
 一例をあげるなら、一閻浮提総与。
 この言葉は御書にはありません。 
 ですが創価学会の会則にはうたわれています。
 すると、私共の会則は曖昧なものですか?

 創価学会員同士が対話をする時、あのような条件をつけるべきではありません。
 あの条件は詰問の心が表面に現れたものです。

 詰問は対話の入り口にはなりえません。
 私は東国人さんが本当の創価学会員であるかどうか、少し疑っています。
 河内平野さんも同様です。

 それで河内さんには直接の対面対決を公場でする提案を致しました。
 何しろハンドルネームです、創価学会員を名乗る事は簡単ですからね。
 確認の意味を含んだ提案です。

 本題です。

 真筆にこだわる必要はありません。
 私共がともに創価学会員であるなら、創価学会版の御書を自由に引用する権利があります。
 そのためにある御書全集ですからね。

 この私のスタンスは変りませんよ。

311東国人:2008/08/14(木) 22:30:25 ID:CyjOqHqg0
>鉄齋氏
公場対決一つ出来ないような不覚悟者が、創価の教学振りかざすんじゃない!!
臆病者!!!!<

沖浦さん、
初日にあなたがとっとと文証を提示して詳細な解説をしていれば違った展開になっていたのだよ。
それが「夜ゆっくりね」「あと三日考えろ」そして今日。。。。。
スパッと私を破折していれば、それで終わっていたのよ。
自分の言ったことを聞かれたのだから「即答」ぐらいできたでしょうに。
この愚か者!!!

312東国人:2008/08/14(木) 22:32:53 ID:CyjOqHqg0
>真筆にこだわる必要はありません。
私共がともに創価学会員であるなら、創価学会版の御書を自由に引用する権利があります。
そのためにある御書全集ですからね。
この私のスタンスは変りませんよ。<

そんなレベルだから、法華講員に好かれるんだよ。
文献の真偽考証ぐらい考えなさい。
さあ、「当体義抄」の研究、始めなさいよ。

313変な大阪人:2008/08/14(木) 22:34:09 ID:rZ6Ix66oO
華道部の皆様



耕治さんがどんどん出していくって言ってますやん!(-_-#)

314河内平野:2008/08/14(木) 22:35:01 ID:igoc0eIo0
私は、正真正銘の創価学会員ですよ。

地区部長をしております。
ネットは、匿名が常識の世界です。

実名でネットをやるのは、あなたの勝手。
私は、私のスタンスでネットをやっております。

お気に召しませんか?

315東国人:2008/08/14(木) 22:36:23 ID:CyjOqHqg0
それとね。
戒壇御本尊本懐論は邪義を他スレで数レス程度で済ましているけど、これも法華講員に
好かれるレベルだね。
それを言うのだったら、万人の信仰にかかわることなのだから、命がけで、数年、いや、一生を
費やして調べきれるかどうかだね。
あれじゃあ、話にならない。

あと、日寛教学はいらない?
だったら、それを凌駕するものを書くべし。
それぐらいやってから、言えることだろうに。
こういうのを身の程知らずという。

316沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 22:37:19 ID:AJ3hr85o0
 鉄斎さん、貴方は極めて非常識です。

 私はね多くの方々からメールやお電話を頂きます。
 然しながらご本人の同意無しに未だに外に漏らしたことはありません。

 貴方は今私と電話で話した内容を河内平野さんに漏らされました。
 少し常識がなさ過ぎますね。

 河内さん、貴方もよくないですね。
 私からは逃げる、それでいて私は逃げたと攻撃する。

 非常に情けの無い態度です。 
 ダブルスタンダードですよ。
 貴方を明確に哀れみます。
 この点は情報を平気で漏らして味方を作り、外堀から攻撃してもらって自分を有利にしようとする、鉄斎さんも同様です。
 情けないですね〜〜。
 お二人さん。

 少し反省なさいませ。

317東国人:2008/08/14(木) 22:38:04 ID:CyjOqHqg0
あなた言ってること分かっているの?

318東国人:2008/08/14(木) 22:39:46 ID:CyjOqHqg0
戒壇御本尊、
日寛教学、
己心本尊、
そして組織批判、幹部批判、
これって自分で自分の「内面を破壊」していると思うよ。

319東国人:2008/08/14(木) 22:42:25 ID:CyjOqHqg0
そして、ロムしている多くの会員を巻き込んでね。
これこそ、次のオリンピックの頃にはどうなっているか。
「三三蔵祈雨事」
日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず、
(1275年・建治元年6月22日の書で、真蹟は「大石寺」にあります。)

ですよ。

320沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 22:42:55 ID:AJ3hr85o0
 東国人さん

 貴方と河内平野さん、そして何よりも鉄斎さんには失望致しました。
 お気の毒ですが、修羅の命そのままです。

 これ以上の論議をお望みならご自分で掲示板をお立て下さいませ。
 私はお付き合いを致しかねます。

 ここは私の板です。
 少しルールを弁えなさいませ。

321河内平野:2008/08/14(木) 22:45:19 ID:igoc0eIo0
沖浦さん、私は極めて冷静ですよ。

失望??? 私の方こそ沖浦さんには、失望しております。

322東国人:2008/08/14(木) 22:45:27 ID:CyjOqHqg0
あとね、親のやっていることに「子供を巻き込むな」。
おとーちゃんを守る息子の姿、麗しい家族愛?
違う、親の我見に子供を巻き込んでいるだけだろうが。

323沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 22:47:58 ID:AJ3hr85o0
 お三人様に

 天知る地知る我が知る。

 見ておられる方々は見ておられますよ。
 少し創価学会員として恥ずかしくない書き込みをどうぞ。
 今の貴方方の書き込み内容は創価の評判を世間で貶めています。

 ですが、いま少し私は管理人として我慢を致します。
 それでは常識のある書き込みを宜しくお願い致します

324東国人:2008/08/14(木) 22:48:42 ID:CyjOqHqg0
目を覚ましなさい!
創価学会の王道に戻りなさい。
それは組織の第一線です。
このままでは、とんでもない方向にずれていくだけですよ。

頼基陳状
1277年・建治3年6月25日 真蹟曽存、日興本・北山本門寺、
正涅槃経に仏最後の御遺言として『法に依つて人に依らざれ』と見えて候、

325河内平野:2008/08/14(木) 22:50:10 ID:igoc0eIo0
耕治くんは、まだ若い。

組織に付いて、先生の大精神を学びなさい。
沖浦さん・・・あなたの都合で子供を巻き込んではダメですよ。

326沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 22:55:34 ID:AJ3hr85o0
 河内平野 さん

 冷静な人間はね、他人の電話での内容を一方的に公開にネットに流したり致しません。
 貴方は普段からそう言うことをするのですか?
 地区部長さんですね。
 家庭指導で知りえた内容を他人に喋りますか?
 もしそう言う方なら幹部失格です。
 そうではないでしょう。
 それが私と鉄斎さんの電話の内容を、一方の当事者である私のOKとらないで掲示板に流す。
 これが冷静な貴方ですか?

 少し世間の常識を弁えなさいませ。
 
 私はね、ここにカルトの定義を貼りました。
 引用するに当たり、小野さんの板で書かれた方にお願いをし、二日待ちました。
 今日OKを頂いて始めて貼り付けました。
 これがね、世間の常識ですよ。
 創価学会員なら世間に仏法の正しさを証明せねばなりません。
 その貴方が世間の常識を守れない。

 困った事ですよ。

327鉄齋:2008/08/14(木) 22:55:56 ID:svLcjHmQO
沖浦さん 私とは信頼関係は無いと言ったのはあなたの方が先なんですよ
信頼関係があれば当然黙りますよ、だから前のTELの事も誰にも言わなかったでしょう
しかし
今回はあなたから私に信頼関係なんかないって言ったんだからあなたに言う資格はないでしょう
少なくも私はあなたに住所を教えた 私も知ってます
でもウダウダ言って来ようとしない

失望したのは私もです お互いさまですね 学会員とビデオなしで話が出来ないなんて狂ってますよ しかもそれが ネットやるかを賭けた対論でしょ? 私こそ呆れ果てましたよ 私は寺でも顕正会本部でも一人でズンズン行きましたよ
ビデオなんか私から取ったことはありません
その場で決着です 埼玉の多くの同志が知ってます

328河内平野:2008/08/14(木) 22:56:16 ID:igoc0eIo0
どうしたのですか?  沖浦さん・・・。

まだ、終わっていませんよ。
出てきなさい。 マサヨシさんの質問に答えなさい。

329東国人:2008/08/14(木) 23:01:40 ID:CyjOqHqg0
>327
確かに。なんであんなに動画にこだわるのだろうか。

>328
しかり。
そして、

>310
一例をあげるなら、一閻浮提総与。
 この言葉は御書にはありません。 
 ですが創価学会の会則にはうたわれています。
 すると、私共の会則は曖昧なものですか?<

対内的には「約束事」で十分。

>創価学会員同士が対話をする時、あのような条件をつけるべきではありません。
あの条件は詰問の心が表面に現れたものです。<

日蓮大聖人の真実に迫ろうとする心、求道心です。

>私は東国人さんが本当の創価学会員であるかどうか、少し疑っています。<

はい、創価学会員ですよ。

330沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 23:02:50 ID:AJ3hr85o0
 鉄斎さん、貴方は一方的に電話を切られた。

 その後時間もおかず河内さんが内容を書き込まれた。

 これが非常識だと指摘しております。
 言い訳は結構です。
 貴方は最低限の常識すら弁えない。
 それで他人の行為を云云できますか?
 貴方が書道家として一流を目指すなら先ず社会人として一流になるべきでしょう。
 失望致しました。
 今後貴方といかなるお付き合いも致しません。
 昨年の熱原の題字を頂いたご恩は決して忘れは致しません。
 仏前で貴方の成長を祈ります。

 それではお元気で、今後は貴方の書き込みはスルー致します。

331沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 23:06:35 ID:AJ3hr85o0
 河内平野さん、すでに貴方には私共に関して論評を控えるように言ってあります。
 然るにお守りいただけない。

 今一度警告を致します。
 この次に私共に対する論評をなさるならアクセスを一時禁止致します。
 一定期間を置き解除致します。
 発言にはご注意下さいませ。

332河内平野:2008/08/14(木) 23:07:46 ID:igoc0eIo0
沖浦さん、本題に戻りましょうよ。

東国人さんの言われている質問の文証を
早く、出してください。

これは、教義の根幹にかかわることです。

333安吉:2008/08/14(木) 23:08:53 ID:5p7R/WXMO
ったく、しょうもねえオッサンたちだよ(笑)。

学会員は学会員らしく、人に勇気と元気と学ぶ意欲をかき立てるような生命力に満ちた書き込みをしていれば良いんだよ。

近ごろは、ほんっとひでえや。
罵り合って、自分のことばかりじゃないか。

悩んでいる人、若い人、新入会のメンバーも見ているんだぜ?
対論なんかいいから、一度、四人で飲みにでも行ったらいいさ。

無礼は詫びないよ。

334マサヨシ:2008/08/14(木) 23:09:18 ID:spLgCLE60
沖浦さま

>  顕彰に曖昧さ云云は無意味です。

検証でしょう。曖昧さはいけません。
このスレの命題は、信仰の根幹に関わる問題です。

 真筆に拘ってはおりません。真選として古今疑義のない御書を文証として用いたほうが、テキスト批判に入り込まないので済むのです。

 詰問などしておりません。
真偽未決や偽書など疑義のある文証を用いても、何の証明にも成らないのです。
 これは、東国人さんにも当てはまる事で、沖浦さんにだけに申し上げているのではありません。
 
 学会版御書を自由に御使になるのは、「信行の糧」の為めにの条件付きです。法義・法門の検証に疑義のある御文を用いても、戯論であって意味を持ちません。
 真選御書で論証可能と思います。

蛇足ながら書いておきます。

真選御書の定義

真蹟が存在する。
真蹟の殆んど乃至一部(断簡含む)が存在する。
真蹟の曽存が証明されている。
日興等の蓮祖直弟子の写本が存在する。
古来疑義のない御書も含めて良いでしょう。
この様に定義すれば、御書全集の殆んどが真選です。
敢えて、疑義のある御書を用いる必要など無いのです。

疑義のある御書の定義

真偽未決:真偽未決の御書。真書か偽書かの決定が確定していない御書のことで
○宗祖の場合、真蹟御書が沢山現存しております。真偽を含めた全御書に対する真蹟の現存する割合は、文字数にして約4分の1に達します。断片を含む御書を全部真蹟と見なすと、その割合は約3分の1にもなります。(興風談所談所御書システム辞典より)

偽書:本物に似せて書くこと。また、その書物。にせの手紙・書物・墨跡等。偽筆。(興風談所談所御書システム辞典より)

偽書:(1)にせの書物・文書・手紙(2)内容がうその文書。
   (創価学会版御書辞典より)

335鉄齋:2008/08/14(木) 23:09:33 ID:svLcjHmQO
ああそうですか それはようごさんしたね

336東国人:2008/08/14(木) 23:09:39 ID:CyjOqHqg0
>332
そうなのです。

すべては初日のやりとりから始まっているのです。
スパッと答えちゃえばいいのにね。

337通りすがり:2008/08/14(木) 23:10:48 ID:bfv6crro0
このまま終われば、沖浦さんが逃げたと思われても仕方がない。

でもそれは、問題ないと思う。個人の問題なので。

しかし、ここで引き下がれば、あなたの「己心の妙法」説をも引き下がらせてしまう。

これは、沖浦さんの説を肯定している方々からすると、たとえどんな相手だとしても引いて欲しくない。


ここまで来て「それは、ヒドイ」と思う壮年でした。

沖浦さん。

知らない間にあなたは、民衆学会側代表になっているのだと思いますよ!!

338沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 23:12:32 ID:AJ3hr85o0
 東国人さん

 貴方のご質問には既に回答致しました。
 当体義抄がおきに召さないなら貴方とのやり取りは終了致しますよ。

 もう一度申します。

 あの御文を深く思索し対話をするか。
 これで終了するかどちらかをお選びなさい。

 それと、真筆にこだわる貴方が寛師を引用する。
 このご説明がまだです。
 私宛には頂いておりません。
 対話をお望みならこの点を先ずお答えください。

 一旦ここで貴方の無関係な発言を削除いたします。
 次は私の質問から始めて下さいませ。

339耕治:2008/08/14(木) 23:13:42 ID:AJ3hr85o0
東国人さんへ

1、当体義抄は文証ではない。
 別にかまわないですよ。ただね、創価学会は、当体義抄を経典としているんです。
貴方が何教の方かは存じませんが、私は創価学会員ですので、当然創価学会の経典を元に
論を展開します。(といっても、池田先生がされている御書講義のまんま受け売りだが)

 ロムしている人たちも、当体義抄以外の文証が知りたくなってくるころだと思います。
ですので、当体義抄以外も引用しましょう。

2、次のオリンピックの時に現証が云々

 こち亀の誰でしたっけ?そんな人の不幸を願ってなんとします。

3、スパッと私を破折していれば、それで終わっていたのよ。
自分の言ったことを聞かれたのだから「即答」ぐらいできたでしょうに。

 実はね、その通りなんです。あの当体義抄の通解は、実はかなり以前から、完成していたものがPCのメモ帳に入れてあったんです。
(もともとは法華講が、池田先生のご指導である「衆生(生命)が南無妙法蓮華経の当体である」を,池田の邪義「衆生根本仏!」と非難していたのをみて、
機会があったら破折しようと思って、草稿を作っていたんです。)
 まさか、学会員に使うことになるとは思わなかったですね。

 でも、3日待ったのはね、ひとつには、予習するかな?というのもあったんです。
 当体義抄と観心本尊抄をあわさて読めば、
「南無妙法蓮華経」が「大聖人さまの内証で」、それはそのまま「衆生の生命」そのものであって、それを図に表したものが「曼荼羅の御本尊様」で、
いまだかつてそのようなことをされた方が大聖人様しかおられず、だからこそ「久遠元初から存在しているはずの妙法」が「未曾有の本尊」なりと、表現されているのだな。
と、理解できると思っていたのです。

 あと、もうひとつは、もし貴方が論破を目的に投稿しているのなら、3日の間にたくさん投稿を行うだろうと思っていました。
一応、経験者ですので、法論的な話になると、たくさん喋らされてしまった者が、後々苦労するのを知っています。
結局、守るものが多くなってしますからです。ですので、東国人さんが、論破を目的に投稿したのであれば、おそらく調子に乗ってたくさん書き込んで、後々苦労するだろうという老獪な考えもありました。

 法論ということになれば、汚いようだけど、負けない計算も必要なんです。
例えば、「当体義抄は文証ではない」  by 東国人

これ、華道部のしかるべきところにもっていったら、向こうは、明確に否定しますよ。
だって、謗法だもの。

 しかしながら、現実の話として、「当体義抄」では納得がいかない訳ですよね。
ですので、他の御書を引用しますよ。

340沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 23:23:29 ID:AJ3hr85o0
 一旦東国人氏と河内平野氏のアクセス規制を行いました。

 期間を置いてから解除いたしましょう。
 ただしこの掲示板は私のものです。

 解除後同じことを繰り返すなら今度は本当にアク禁になります。
 ごは両者はご注意下さいませ。

341もくれん:2008/08/14(木) 23:24:39 ID:gO.Fk5NY0
東国人さん、すみません、

>>150 の 通りでよろしいんでしょうか??
複雑な話になると、わからなくて、
創価学会教学部の一大秘法の定義を書いておいたのですが、

342耕治:2008/08/14(木) 23:24:43 ID:AJ3hr85o0
河内平野さんへ

 ネットに電話の内容を流しているようですね。
 あまりよくないと思いますよ。もう少し考えましょう。

343耕治:2008/08/14(木) 23:26:38 ID:AJ3hr85o0
河内平野さんへ

 ネットに電話の内容を流しているようですね。
 あまりよくないと思いますよ。もう少し考えましょう。

344沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 23:28:12 ID:AJ3hr85o0
 レスを耕治がつけましたので、東国人さんの規制を一時解除致しました。

345NORI ◆Bkq.h9wtIE:2008/08/14(木) 23:30:26 ID:PfeuBYTM0
1ロム者ですが、オーナーの都合で記事を削除したり、アク禁にする掲示板って意見を交える掲示板として、意味があるのかな・・・(^^;
オーナーと同意者のみの会員限定にする方がいいんじゃないですか。。。

346東国人:2008/08/14(木) 23:31:23 ID:CyjOqHqg0
親子でなにやってんの。
しっかりしなさい。
横にいるんじゃないの。
それとも、どこか遠くに離れた所にいるのかね。

347東国人:2008/08/14(木) 23:34:25 ID:CyjOqHqg0
あとね、お宅の息子さん、
かなり当方の言っていてることを誤認識されているようなのですよ。
この息子さん、何回もこちらの主張を説明しなきゃならないようで、ホント、
これってなんなの?疲れさせるやり方?って感じですわ。

だからね、レスを消したり、移動したりはよくないよ。
一々、言った、言わないは価値的じゃないからね。

348東国人:2008/08/14(木) 23:36:52 ID:CyjOqHqg0
なんか、発熱して、ぼーとしているんじゃないの?
大丈夫?
何回も同じことを説明させないでね。
息子さんが「私が言ったことにしている」ような書きっぷり、やめてくれない。
当方の書き込みを直接、引用してね。

349もくれん:2008/08/14(木) 23:37:34 ID:gO.Fk5NY0
東国人さん、再度すみません、

>>150に 創価学会教学部の 一大秘法の定義を記載したのですが、
これでよろしいのでしょうか?

350沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 23:38:22 ID:AJ3hr85o0
 東国人さん、少し真面目にね。

 もう休みますので。

351耕治:2008/08/14(木) 23:39:56 ID:AJ3hr85o0
鉄斉さんへ

本当に東国人氏の言っている、
「本尊とは曼荼羅であり、衆生の生命は無関係」
「本尊とは曼荼羅のことであり、別に内証を顕したものではない」

などとしているんですか?
本当にそれで、よろしいのですか?東国人の上記説は、創価学会教学と真っ向から対立していることは、
貴方は理解しているはず。

あと、河内平野さんや、東国人さんとつるむのもよいですけど、それで人生の目的を失ってもよいのですか?

 貴方は、世界一の書家になるという使命があるのではないのですか。
 勿論、あなたが決めることですが、失礼ながら、このような人たちと一緒にやって、使命を果たせるんですか?
 私たちは、2年後には、南米にいきますよ。熱原の公演を南米の地でやります。

352沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/14(木) 23:40:28 ID:AJ3hr85o0
 NORI ◆Bkq.h9wtIEさん

 その点は掲示板の管理者が決めます。 
 貴方の掲示板を立てればその様にどうぞ。

 では、お休みなさい。

353東国人:2008/08/14(木) 23:45:42 ID:CyjOqHqg0
耕治クン
やり直し!
なってない。
私のレスをよく読みなさい。
相手が何を言っているのかすら認識できないようでは、話にもなりません。
相手の言っていることを自分の言葉に置き換えるときは、相手の「直接の言葉」
を引用するように。
以降、キミみたいな「認識力0」(私の主観)の人間の相手などできない。
勝手に言ってなさい。
私はおやじさんに問題提起をしたのだよ。
これまで慈善事業で横から入ってきたあなたにも付き合ってやったが、その程度ではまるっきしなっていない。
とにかく人のレスを削除したり、勝手に移動するのはやめてくれ。
言った言わないでわけのわからん、反価値的な議論となってしまう。

354那由他 楽人:2008/08/14(木) 23:54:34 ID:/P1KhNMc0
東国人さん、こんばんは。
御説、拝見しております。その中で判らない部分があり、質問させていただきたいと思います。
お話し中でもありますので、答えていただかなくても結構です。(『』内、引用です)

>>214
『ここでは「日蓮が弟子檀那の肝要是より外に求る事なかれ」が、「法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる」のであり、即ち御本尊の受持なのです。』

Q.なぜ『法華経を受け持ちて』が『即ち御本尊の受持』になるのでしょうか?
「本尊を受け持ちて」なら判るのですが…?

>>294

『問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経は釈尊の父母諸仏の眼目なり釈迦大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり、
☆「釈迦を以て本尊とせず」ということは、「本尊とは形として顕わされているもの」ということであり、日蓮大聖人の仏法では「法華経の題目を本尊とする」南無妙法蓮華経の認められた曼荼羅であるということですね。』

本尊問答抄の引用部分は、前段の「他宗派は釈迦如来や阿弥陀如来などの仏を本尊とするのに、何故天台は経を本尊とするのか」という質問と答えを受けての『然らば』ですよね。

Q.そこで仰せの『法華経の題目を本尊とする』がどうして『認められた曼荼羅』になるのでしょうか?
弘安元年の御述作ですから、既に曼荼羅は御図顕のはずです。

以上2点、若干飛躍があるように思いました。
解説よろしくお願いします。

355鉄齋:2008/08/14(木) 23:57:53 ID:svLcjHmQO
>衆生の生命とは無関係
内証とは関係ない


そんな事は東国人氏は言ってないぞ
己心の妙法が本 曼陀羅本尊がシャク
これが邪義なんだよ会則に
(教 義)
第2条 この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、【一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、】日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする。
とあるでしょうが やりなおしだな! 男子部に付きなさいよ
あとねお芝居結構、ブラジルでもどこでもご自由におやりなさい
私は書家です。
舞台美術文字は私の本道ではありません。これははっきり言っておきます
私の本舞台は展覧会です
それと私が誰と付き合おうと自由です みんな素晴らしい同志ですよ
修行が足りないなあ〜耕治くん

356NORI ◆Bkq.h9wtIE:2008/08/15(金) 00:02:18 ID:PfeuBYTM0
記事は、それを掲載した方の著作物です。ただ、ネット掲示板の場合、その掲示板のオーナールールにより、削除も有り得るのは仕方ないことです。
ただ、その著作物を著作者の考えに反し、時系列も無い別な場所に転載した場合はオーナーであっても、問題があります。
若輩(壮年部ですが・・)ゆえ、意見を述べさせていただくことは抵抗がありましたが・・・・。
大事なところで、記事削除やアク禁が多く、1ロム者として「不満」を書かせて頂きました。

・・・学会諸兄がいわれていますように、私もご子息が男子部の中で芋の子を洗うように戦われますと、さらにすばらしい青年になられるんだろな・・・と思う一人です。
生意気申し上げました。お休みなさい。

357耕治:2008/08/15(金) 00:02:27 ID:AJ3hr85o0
鉄斉さん 

 わかりました。では、それぞれ別々の道を進むことと致しましょう。
 では、ごきげんよう。

358鉄齋:2008/08/15(金) 00:10:51 ID:svLcjHmQO
初めから別の道でしたね
私は私でいま忙しいですから
明日も 大崎美術館での陳列オープニングですしね
ではごきげんよう

359東国人:2008/08/15(金) 00:19:17 ID:CyjOqHqg0
ロムの方のために再掲します。

>以下は「与奪」の「与」ですが、議論の最初に沖浦さんが提示した

『問う妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、答う十界の依正即ち妙法蓮華経の当体なり、問う若爾れば我等が如き一切衆生も妙法の全体なりと云わる可きか、答う勿論なり経に云く「所謂諸法乃至本末究竟等」云云、妙楽大師釈して云く「実相は必ず諸法諸法は必ず十如十如は必ず十界十界は必ず身土」と云云、天台云く「十如十界三千の諸法は今経の正体なるのみ」云云、南岳大師云く「云何なるを名けて妙法蓮華経と為すや答う妙とは衆生妙なるが故に法とは即ち是れ衆生法なるが故に」云云、又天台釈して云く「衆生法妙」と云云。』

については既に記述してありまして、

該文の意ですが、私達、末法に生きる衆生が証得するべき「妙法蓮華経の法体とは、如何なるものなのか」と、問いを設けて、「法界の十界三千の事相」という観点から、一切衆生の依報、正報の全体が妙法蓮華経の当体であると答えられていますね。その文証として法華経、妙楽大師、天台大師、南岳大師の文を挙げられています。

しかしですよ、これは一応なのですよ。まだ、以下があります。

問う一切衆生皆悉く妙法蓮華経の当体ならば我等が如き愚癡闇鈍の凡夫も即ち妙法の当体なりや、答う当世の諸人之れ多しと雖も二人を出でず謂ゆる権教の人・実教の人なり、而も権教方便の念仏等を信ずる人は妙法蓮華の当体と云わる可からず、実教の法華経を信ずる人は即ち当体の蓮華真如の妙体是なり

再往、妙法信受という観点から、不信そして謗法の人々には妙法の当体としての発現はなく、正直に方便を捨てて、南無妙法蓮華経を受持・信行する日蓮大聖人の弟子檀那こそが、妙法蓮華の当体を証得し、自在の功徳力有を発現すると示されています。<

・一切衆生の依報、正報の全体が妙法蓮華経の当体である
・南無妙法蓮華経を受持・信行する日蓮大聖人の弟子檀那こそが、妙法蓮華の当体を証得し、自在の功徳力有を発現すると示されています。

とちゃんとかいてあるからね。
ところがね、彼の場合はこの「妙法蓮華経」が即本尊になってしまう。

でも、大聖人は観心本尊抄の中で、(訳文)
>釈迦如来・多宝如来・十方の諸仏は、我が仏界であります。我等は、その跡を承継して、その功徳を受得するのです。
『釈迦・多宝・十方の諸仏は、妙法信受の人の仏界なのです。ここが重要。「凡夫=釈尊」の真蹟御書の記述の意はここにあると拝するのです。』<

としてあるのですよ。

「釈迦如来・多宝如来・十方の諸仏は、我が仏界」ということは、衆生が妙法蓮華経の当体といっても、それは「我が仏界」のことであるわけです。衆生が妙法蓮華経であるから本尊ならば、お互いを拝めばいいことになります。もちろん、相手の仏性を拝する、というのは不軽菩薩の精神にならったもので、ただ、物理的に拝むということはしないでしょう。しかし、私達は朝夕、曼荼羅本尊に向かいます。そこで己心中の仏界=妙法蓮華経を湧現させていくわけです。これももちろん、そんなに簡単に湧現しないけどね。

360東国人:2008/08/15(金) 00:20:02 ID:CyjOqHqg0
そして、妙法蓮華経というものは、

>こういう場合「思う」ではなく、真蹟確実なる文献で確認いたしましょう。

曾谷入道殿許御書
1275年・文永12年3月10日、真蹟・中山法華経寺
今親り此の国を見聞するに人毎に此の二の悪有り此等の大悪の輩は何なる秘術を以て之を扶救せん、大覚世尊仏眼を以つて末法を鑒知し此の逆謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたもう、所謂法華経本門久成の釈尊宝浄世界の多宝仏高さ五百由旬広さ二百五十由旬の大宝塔の中に於て二仏座を並べしこと宛も日月の如く十方分身の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下に五由旬の師子の座を並べ敷き衆星の如く列座したもう、四百万億那由佗の大地に三仏二会に充満したもうの儀式は華厳寂場の華蔵世界にも勝れ真言両界の千二百余尊にも超えたり一切世間の眼なり、

中略

爾の時に大覚世尊寿量品を演説し然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄なり、例せば九苞淵が相馬の法には玄黄を略して駿逸を取り史陶林が講経の法には細科を捨て元意を取るが如し等、此の四大菩薩は釈尊成道の始、寂滅道場の砌にも来らず如来入滅の終りに抜提河の辺にも至らずしかのみならず霊山八年の間に進んでは迹門序正の儀式に文殊弥勒等の発起影向の諸聖衆にも列ならず、退いては本門流通の座席に観音妙音等の発誓弘経の諸大士にも交わらず、但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後仏の滅後正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず、所詮仏専ら末法の時に限つて此等の大士に付属せし故なり、

釈尊が「一大秘法を留め置き」その実体として、御本尊を示されています。その一大秘法は「大覚世尊寿量品を演説し然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう」と、地涌の菩薩の上首・上行菩薩に付属され、末法に日蓮大聖人が図顕されていることが明白です。

一大秘法=本門の本尊であること、誰が読んでも明らかでしょう。<

と、釈尊よりの神力品別付属を受けた上行菩薩再誕の日蓮大聖人により、己心中の、付属を受けた妙法蓮華経を曼荼羅として図顕されたわけです。その曼荼羅を拝して、私達は胸中の仏界=妙法蓮華経を湧現させているのですね。

361一壮年:2008/08/15(金) 00:21:40 ID:m55HgNrkO
>>355
鉄齋さん、会則のご教示ありがとうございます。
何事も初心忘れざるべからずですね。
鉄齋さんとの対話で無明が晴れてきましたよ。

いつか、展示会に行かせてもらいます。

362ゴンちゃん ◆Dx9s.ycyhk:2008/08/15(金) 00:22:24 ID:rUcD5H5I0
こんな時間にすいませんが
鉄齋さん!一生成仏抄に但し妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に
法ありと思はば全く妙法にあらず(そ)法(すいません!転換出来ませんのでひらがなです)なり
そ法は今経にあらず今経にあらざれば方便なり権門なりとあります。。。つまりシャクでは、ないでしょうか?

363耕治:2008/08/15(金) 00:40:44 ID:AJ3hr85o0
//問う一切衆生皆悉く妙法蓮華経の当体ならば我等が如き愚癡闇鈍の凡夫も即ち妙法の当体なりや、//

 これは、前レスにあるとおりです。大聖人様は、一切衆生(生命)が本尊であると、言われているわけです。これは「十如是事」「御義口伝全般」「御講文書全般」「法華初心成仏抄」「生死一大事血脈抄」他、さまざまな御書で一貫して説かれている通りです。
妙法蓮華経は本尊ではないという珍解釈はなしです。

//答う当世の諸人之れ多しと雖も二人を出でず謂ゆる権教の人・実教の人なり、//

 で、当体義抄では、「勿論なり」と仰せです。しかし、ここでは上記のごとく仰せです。

//而も権教方便の念仏等を信ずる人は妙法蓮華の当体と云わる可からず、実教の法華経を信ずる人は即ち当体の蓮華真如の妙体是なり//

 現実には、大聖人様の仏法を信受する以外に、成仏の道はないのです。
 大聖人さまの教えは、我等衆生をさして、あなた方は南無妙法蓮華経の全体である。当体であると解かれております。
 そして、成仏とは、衆生が仏になるのではなく、凡夫の体を改めず仏と開くことだと仰せです。(御義口伝)

 解りやすく言いますと、
「衆生は、自分が南無妙法蓮華経であることに迷っている。仏は、自分が南無妙法蓮華経であることを悟っている」
といえるでしょう。
 ですので、仏も衆生も共に、「南無妙法蓮華経の当体」そのものですが、現実の話として、我々はそれがわからない。
ですので、大聖人さまの仏法が必要なのです。
 ですので、成仏とは衆生が仏に変身するのではなく、もともと仏であったことを悟ることなのです(これを成るではなく、開くといいます)
ちょっと難しいのですが、

しゃく仏=衆生が仏になる
本仏=もともと仏であったことを悟る

詳しくは、後日、御義口伝の通釈を載せますので、よんでみてください。

//再往、妙法信受という観点から、不信そして謗法の人々には妙法の当体としての発現はなく、正直に方便を捨てて、南無妙法蓮華経を受持・信行する日蓮大聖人の弟子檀那こそが、妙法蓮華の当体を証得し、自在の功徳力有を発現すると示されています。

 これは、東国人さんの釈です。これは、この通りです。
「妙法の当体としての発現はなく」
要は、当体デアルノニモかかあわら阿須、現実にはそのようになっていない。
だから信心が必要なのです。でも、そのことと、「衆生の己心の妙法は本尊ではない」との主張成立しません。

364耕治:2008/08/15(金) 00:53:53 ID:AJ3hr85o0
 もともと衆生とは仏なのです。ここがわからないと大聖人さまの仏法が解らないのです。要約しますと

1、衆生は、もともと仏である(衆生も仏も、その当体は、ともに南無妙法蓮華経さまです)。

2、衆生と仏の差は、自身が南無妙法蓮華経なんだと悟っているか(開く)迷っているか(亡失)の差でしかない。

3、衆生がそれを悟るためには、対境が必要であり、曼荼羅の御本尊様はそのために顕された。

4、曼荼羅の御本尊様は、通常、紙と文字で構成されているが、それは唯の紙ではなく、大聖人様の内証(南無妙法蓮華経)を顕している。
 よって、南無妙法蓮華経(本体)を顕しているのが、曼荼羅の御本尊様(しゃく)の関係である。(当然、言語形態が著しく異なる世界では、曼荼羅の相が変っているのが当然と推測される。詩化しながら、南無妙法蓮華経の当体そのものは、永久に不変である)

上記の説は、それぞれ文証があって、じつは創価学会が、破門前から言ってきたことなんですけど、一度に説明するのが大変なので、ゆっくり考えていきましょう。

365東国人:2008/08/15(金) 01:04:43 ID:CyjOqHqg0
那由他 楽人さん、
コメントありがとうございます。

>354
Q.なぜ『法華経を受け持ちて』が『即ち御本尊の受持』になるのでしょうか?
「本尊を受け持ちて」なら判るのですが…?<

私・「御本尊の受持」
那由他さん・「本尊を受け持ちて」
「の」を消して、「を」「け」「ち」「て」が抜けていましたか。
ありがとうございます。

>Q.そこで仰せの『法華経の題目を本尊とする』がどうして『認められた曼荼羅』になるのでしょうか?
弘安元年の御述作ですから、既に曼荼羅は御図顕のはずです。<

これは文末に、

貴辺は地頭のいかりし時義城房とともに清澄寺を出でておはせし人なれば何となくともこれを法華経の御奉公とおぼしめして生死をはなれさせ給うべし。
此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年が間一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず、漢土の天台日本の伝教ほぼしろしめしていささかひろめさせ給はず当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候へ  中略
其の旨をしらせまいらせむがために御不審を書きおくりまいらせ候に他事をすてて此の御本尊の御前にして一向に後世をもいのらせ給い候へ、又これより申さんと存じ候、いかにも御房たちはからい申させ給へ。

とありまして、「本尊問答抄」自体が浄顕房に曼荼羅本尊を授与するに当たり、その意義を記された送り状的意義を持つものですよね。よって、冒頭の「法華経の題目を以て本尊とすべし」は、「曼荼羅本尊」を指していることが分かるわけです。
あっ、それとも「認められた曼荼羅」という表現がよくなかったですかね。でしたら「日蓮大聖人、御図顕の曼荼羅」ということで。

以上、あまり、答えになっていないと思いますが。

366鉄齋:2008/08/15(金) 01:04:58 ID:svLcjHmQO
>>362

ゴンちゃんさん今晩は(^-^)/

一生成仏抄のご呈示ありがとうございます まず本抄は 建長七年 34歳の御作ですから 文永10年頃の御本尊初図顕より遙か前です
ですからひたすらに題目の力用を述べられたと拝されます
該当文の前に
「衆生本有の妙理とは妙法蓮華経是なり故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり、
文理真正の経王なれば文字即実相なり実相即妙法なり唯所詮一心法界の旨を説き顕すを妙法と名く故に此の経を
諸仏の智慧とは云うなり、」
とあるように法華経の文字を指して実相即妙法と言われてます

また末文に有名な
「譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成る べし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつる
を是をみがくとは云うなり。」
題目を唱える事は生命を磨く事だと言われてます
これは推測ですが 後年 唱題の対境 合わせ鏡としての御本尊を暗喩している感もいたします。
この文の意は 当時の他力本願的な念仏信仰に対し 立宗間近い大聖人が己心の中に仏界湧現を見る妙法の直道を示されたのではと思います

367東国人:2008/08/15(金) 01:29:19 ID:CyjOqHqg0
もくれんさん、

>150
2002年発行  書籍 「教学の基礎」 創価学会教学部編
に収録されていることを、そのまま抜粋いたします。

P55〜
★ 三大秘法の根本は一大秘法です。
★ 一大秘法とは、本門の本尊、
★ すなわち、日蓮大聖人が胸中に所持されている、久遠元初の妙法たる
★ 南無妙法蓮華経であり、又、それを図顕された、曼荼羅本尊です。

上記が現時点での創価学会の教学上の公式見解ですね。<

一創価学会員として、全くそのとおりです。
また、これまでのレスで、「久遠元初の妙法」は書けませんでしたが、それ以外のことは、同様のことを書いてきました。

>結局、東国人さんが言わんとされていることは、上記の★マークの4行
に集約されるということで、OKなのでしょうか?
簡単すぎる質問で、申し訳ないですが、OKかNoだけで結構ですので、
14日夜にお越しの際、よろしくお願い申し上げます。<

私が「言わんとしている」というよりも、「明らかにしたい」と思っていたのは、沖浦さんの説が違う、ということでした。
レスが遅くなり失礼しました。

368耕治:2008/08/15(金) 01:53:09 ID:AJ3hr85o0
//三大秘法の根本は一大秘法です。
★ 一大秘法とは、本門の本尊、
★ すなわち、日蓮大聖人が胸中に所持されている、久遠元初の妙法たる
★ 南無妙法蓮華経であり、又、それを図顕された、曼荼羅本尊です。//


上記を要約すると、
1、「南無妙法蓮華経」そのものが一大秘法であって、
2、それを、本門の本尊と呼ぶ。
3、では、本門の本尊とは、お曼荼羅かというと、そうではなく「日蓮大聖人が胸中に所持されている、久遠元初の妙法たる
南無妙法蓮華経」である。
4、お曼荼羅の御本尊様は、それを(久遠元初の妙法)を図顕したものである。(虚空会の儀式を借りて)

ということになります。これは、創価学会の公式見解そのものですが、東国人さmん、それでよろしいのですね。

それとも、違うなら、1-4のうち、ここが違うと云ってください。

もし、あなたがそのように思っているのなら、物凄く話は簡単なんですが。

369耕治:2008/08/15(金) 02:06:33 ID:AJ3hr85o0
 ちなみに、現日蓮正宗の教義では、

1、一大秘法とは、弘安二年に顕された戒壇の大御本尊様の事なので
2、よって、戒壇様が根源であるため、下付された御本尊様も、お題目もすべて戒壇様とつながって(血脈)いなけえれば、功徳がないばかりか謗法である。
3、また、日蓮大聖人の所持されている「久遠の法」は、現在唯一人の御法主にのみ伝えられており、法主への帰依なき信心は謗法であり、法主の開眼なき本尊は魔札である。

と、なっています。

当然の事ながら、旧来の宗門の三大秘法をそのまま継承しては、創価学会に真の独立はないとおもいます。
法論しても100戦100敗します。
そこで、それが本当に寛師がいってることなのか?言ってたとしてそれは正しいのか?

ということになってきます。正しいと思わないから、今創価学会にいるわけだけどね。

370耕治:2008/08/15(金) 02:21:02 ID:AJ3hr85o0
したがって、宗門の「一大秘法は戒壇の御本尊様である」が破れれば、宗門の教義は全て根底から崩壊します。
私は、日蓮正宗は創価学会における天台紗門だと思っています。

そこで、
「宗門よ、一大秘法は、戒壇の御本尊さまに限定との、明確な文証は?」
「宗門よ、一大秘法が、南無妙法蓮華経ではないとは誰の説か?」
「宗門よ、御義口伝全般で一貫してとかれている、南無妙法蓮華経の当体は衆生(生命)をどう考えているのか?」
「宗門よ、これこそが、一大秘法の正体ではないか。それとも、久遠元初に霊樹山で受け取った要とは、南無妙法蓮華経ではなく、戒壇様なのか?」
「宗門よ、大聖人様が一切衆生に取り次ぐと決められた要(本尊)が、法主に限定な訳は?」

これが、宗門にとって最も困ることです。

371耕治:2008/08/15(金) 09:35:42 ID:AJ3hr85o0
2008/08/14(木) 18:11:23  東国人氏の発言


//「当体義抄」では、「僕たちだけの世界でース」「沖浦親子はこう読みマース」にすぎませんね。//

//「三大秘法抄」を読んで「国立戒壇論」に浸って悦に入る、顕正会と同じに見えますわね。//


//おっと「ずるい」なんて、勘違いしないでね。こっちじゃないよ、あつちだよ。
この程度の御書を出してくる//

以上、//以外は原文まま

 当体義抄をさして、華道部は、
1、「当体義抄は、この程度の御書」とは、具体的にどのような意味ですか?
御書に程度があって、東国人さん、鉄斉さん、河内平野さんたちは、この御書はこの程度、あの御書はあの程度としてるんですね。
 オフィッシャルと捉えても一向に構わないのですね。
もし、違うというのであれば、その旨を明記し、大聖人様に謗法をお詫びしなさい。

2、当体義抄の引用などは、「僕たちだけの世界でース」「沖浦親子はこう読みマース」と東国人さんはおっしゃいますが、それは、

 オフィッシャルとして、池田先生や、学会教学部が編纂してきた当該御書講義やそれに基づく指導をして、
「池田先生だけの世界でーす」「創価学会が勝手にこう読んでマース」
としてるわけですか?よろしいのですね。

それとも、池田先生や教学部の講義、しどうに関しては私gはなしたる通解とほぼ同じでもOKとするのですか?違いますよね。

 最後に、直接の要請がなけければ、削除せず何年でも、のこしときますよ、間違いないんですね。

では、他の御書から、あなた方の教義を破折させていただきますね。でわでわ。

372水口 旭 ◆TE82oYFDFE:2008/08/15(金) 10:09:51 ID:b7mx9asE0
華道部・・ 華道部・・
こういう表現は感心しません。
勿論、揶揄の意味が込められているのでしょうし。

373ゴンちゃん ◆Dx9s.ycyhk:2008/08/15(金) 10:51:20 ID:D8LF1fSw0
鉄齋さん!
おはようございます。。。お答えありがとうございます!!
お言葉ですが、本尊を顕す以前であろうがなかろうが大聖人の御精神は不変では
ないでしょうか?己が胸中に題目=本尊=本があるのではないかと思います。。。それに向き合う為のシャクが曼荼羅だと
あの御書から、私は受け取りました。。。

374もくれん:2008/08/15(金) 11:02:00 ID:gO.Fk5NY0
>>367 東国人さん、お忙しいのにもかかわらずご返答ありがとう
ございました。

>久遠元初の法は書けなかった・・
そうですね。私もざっくりとしか読めませんでしたが、確かにそうですね。

個人の信仰の姿勢についての、己心の妙法ということと、無始無終の
久遠元初の妙法との対比・・・
そんなところでしょうか。

375沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/15(金) 11:49:55 ID:AJ3hr85o0
 水口 旭 さん、私はね心の底から情け無いのです。

 私が入会した数ヶ月後に教学試験があり、任用試験を合格し助師となったのです。
 17歳でした。
 教学部員が少なかった頃で、すぐ地区講義担当となり毎月二回講義を致しました。
 先輩に、担当箇所は覚えろ。と言われ、私共は全員そのようにして講義に望んだものです。
 当日は早めに帰り、お風呂に入って身を清め、下着まで替えて講義を致しました。
 御書を開く時には先ず手を洗え。
 これも当時の常識です。

 他宗のお寺に破折法論によく行きました。
 御書を開くと相手の僧侶の顔からスーット血の気が引く事もありました。

 創価学会の教学は剣豪の修行だ!

 何時も言いつ言われつ、友と研鑽をしたものです。
 座談会で御書講義をする時、数分の講義に何時間も勉強が当然に時代でした。

 それが、今どうですか?
 どうしてこんなに情けない教学を学ぶ姿勢なんでしょう。

 昨年支部の会合に行ったとき、男子部が御書の上に携帯電話を置いていました。
 思わず厳しく注意をしましたが、物凄いショックでしたね。

 法華講に歯が立たないはずだ。
 心から思ったですよ。

 貴方ねご本仏さまの御金言を学ぶものが、これで良いと思いますか?

 あの、戸田先生が仰せだった、剣豪の修行。
 今、貴方の周りにありますか?

 あるのでしたら私は謝罪致します。

376沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/15(金) 11:57:30 ID:AJ3hr85o0
 今回大阪で質問会に行きました。

 法華講員の皆様がたの御書、しおりで膨らむほど勉強されていました。
 扱いの鄭重さ、凄いものでしたよ。

 縦線の自分達はこうだったな〜〜。
 懐かしかったです。

 私や、斉藤先輩のの悲しみは、経験していない方に理解は出来ませんよ。

377ゴンちゃん ◆Dx9s.ycyhk:2008/08/15(金) 13:05:35 ID:D8LF1fSw0
今、昭和57年刊の教学研究を見ていますが、戸田先生は観心とは我が己心を観じて十法界を見る
是を観心と云うなりとの御文を拝し、さらにその拝し方についても、附文と元意の辺があるとされ、大聖人の御意をもって拝するならば
「己心を観じて」とは即ち御本尊を信ずるの義であり、「十法界を見る」とは妙法蓮華経と唱うる義であることを明確にされた。
その結論は、ただ御本尊を信じて妙法を唱えれば、御本尊の十法界は全く我が己心十法界と合して一なりと観ずることができる―これを
末法の観心というので、あるとのお話であったと語られておられます。。。
さらに
戸田先生は、「大聖人の御聖訓を、凡夫の身である我々が、こう拝すると断定することは、絶体にあってはならない。
と言われておられます!!私自身慢心でした。。。学ぶ事は素晴らしい事ですけど。。。

378もくれん:2008/08/15(金) 13:58:18 ID:gO.Fk5NY0
>>374 東国人さん、追加です

★ 久遠元初の妙法 ★ から、アプローチされていれば、あまり混乱に
ならなかったのでしょうね。

一大秘法、つまり本門の本尊は、
「日蓮大聖人が胸中に所持されている、久遠元初の妙法たる、
南無妙法蓮華経であり・・・」が
メインですし、数量化するのはまずいですが、やはり、メインは
久遠元初の妙法のことですし、ただ、末法の機根の悪い幼稚な
我々は曼荼羅がないと、仏界を涌現できませんから、曼荼羅本尊は
必要ですし、緊急火急のとき、御本尊(曼荼羅)なしで、真剣に題目を唱える
体験は、みんなありますよね。

然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと
解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり・・・
御書 1337P

この本尊を受持する衆生は皆久遠元初の仏道に入る(中略)既に久遠元初の
仏道に入る我等衆生の凡身の当体、全くこれ久遠元初の自受用身なり。
自受用身の当体、全くこれ我等衆生なり(中略)豈師弟不二に非ずや」
文段集 488P

大聖人が御本尊を御図顕された目的は、一切衆生に「仏に成る血脈を」を
継がしめること、すなわち成仏させることであられた。
先生のスピーチ  全集83 183P 

東国人さんに、御書を私が講釈するのもおかしなものですが、
曼荼羅本尊が明鏡、で・・・

ですから、沖浦さんが言わんとしていることは、わかりますし
ただ、言葉の定義という点では、・・・
創価学会の教学試験では、ペケになるのでしょうね。

自分の信心から、久遠元初の妙法を論ぜよ・・・
という設問の教学試験でしたら、・・・

とにかく、この数日、お疲れ様でした。こちらの板主さんは迷惑だったでしょうが。
でも不思議なのは、数分おきに、多量のレスが続くのは
どういう、からくりで、できるのでしょうか?
教えてくださらなくてもいいのですが、不思議です。

379東国人:2008/08/15(金) 15:04:09 ID:912cnpIU0
これが最後の最後です。

衆生が凡夫即仏であり、仏界、仏性・妙法蓮華経を蔵していることはいうまでもありません。今更、御書にも、創価学会の教学としても明らかなことなので、一々説明するまでもないことでしょう。

ところが、その衆生が妙法蓮華経を蔵していることを以て、「凡夫己心の妙法が一大秘法の本尊である」との説、どうですか、聞いたことがありますか?

上行菩薩再誕たる日蓮大聖人が、釈尊より神力品別付属を受け、曼荼羅として図顕された、大聖人の己心中の法体・妙法蓮華経と混同してしまっているのです。

しかも、その「一大秘法の本尊たる凡夫己心の妙法」が「本迹」の内の「本」であり、曼荼羅は「本門の本尊」そのものではなく、「方便」であり、「本迹」の「迹」であるに至っては、いったい、何を言っているのか、当の本人ですら、その意味合いを理解してのものなのか、甚だ疑わしくもなってくるのです。

これは、日蓮大聖人、創価学会とは一切無関係な己義です。
たださないわけにはいかないでしょう。

それを言っている本人に確認すれば、のらりくらり。しかも、相手の主張を読まないと公言する。

息子さんが出てきたかと思えば、「我れ正義なり」の大確信に満ち溢れているのは勝手ですが、相手の主張の意味すら捻じ曲げて自己の言葉に置き換えて、その「己のレベルで勝手に作り上げた相手」を云々し、続いて解釈論でなんとか組み立てようとするばかり、直接的な文証は何も出てこない。これでは、もはや滑稽なる一人芝居、としかいいようがありません。全然、ギヤが噛み合わないのです。

少ないとは思うけど、あの息子さんにネット上で意見をした人は、皆、一様に感じたことでしょう。

そして、大事の御本尊のことです。
ネットとはいえ、多くの人の信仰にも影響を及ぼすものであり、それを軽々に、わずかな言葉だけでは、とても論じつくせることはできません。故に、先方のコメントに応じて、一つ一つに答えていれば、こちらのレスも長くなるのは当然ではあります。

それをも、「ここはあんたの板ではない」と、読みもせず、認識もせず、ただ、拒絶するだけです。それでいて、己は1、2程度の軽いレスで、御本尊を論じているのです。

息子は「当然の前提を前提と」することすらできず、ただ、作り上げた相手の虚像を云々しているのですから、この親子には「話にならない」ということがいえるでしょう。

しかも、こちらが真剣にレスしているものを、上げ足を取らんばかりに待ち構えていたに至っては、何をかいわんや、であります。

もはや、この親子には「つける薬がない」というのが、今の私の結論です。「お前の薬などいらない」というでしょうが、公然と、組織批判、幹部批判を行い、御本尊を論じているのですから、「なんとか処方箋を」と思っていたのが、お人よしだったのでしょうね。

「戒壇御本尊出世の本懐は邪義」「日寛教学はいらない」「凡夫の己心が一大秘法の本尊であり本迹の内の本だ」、いかに「ネット空間」とはいえ、己の信仰破壊に通じるものがあると危惧いたします。

断言します。
親子の主張は、創価学会とは何の関係もない己義です。

別に難しいことではありません。創価学会で少し教学を学べば、誰人でも分かることです。
御本尊を軽々に論じれば「頭破七分」というのは、妙法の功徳力は絶対なように、その現証も必定であります。

では、これにて。
ただ、将来、新薬が開発されたら、また、来るかもしれません。

380:2008/08/15(金) 15:15:03 ID:EouKvqIU0
今回の対話(?)はもうお仕舞いですか?

むかしまだ小学生の頃、初めて登山会に参加しました。
奉安殿で戒壇の大御本尊様にお目通り(そのような表現でした?)する
意義はキチンと教わっていました。
しかし、鈍感な子でしたから特別な感動はなかったと思います。
ものすごく詰め込まれて大変だったことの方が印象深いくらいです。
その後、正本堂の時代まで幾度も参拝しました。

それこそ、三つ子の魂のように植えつけられた大御本尊様ですから、今でも
朝晩の勤行の際の「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」というと、戒壇の
大御本尊を思い浮かべます。

しかし、創価学会が日蓮正宗とは縁が切れた今では、戒壇の大御本尊を信仰の
対象として追い求めるのはおかしいですよね?

話しの前置きが長くなりましたが、今回の対話に私が期待したのは、学会や
学会員が論議するのを微妙に避けている「戒壇の大御本尊」について、もっと
踏み込んだ話しが展開されるのだろうか、という点でした。
沖浦さんが日寛師の教義を一凶といわれているのも、それを踏まえてであろう
と思っています。

日顕さんの大御本尊鑑定(川辺メモ)は、学会側は大法謗だとしてさんざん追及
してきました。ですから、大御本尊について新たな公式見解をすぐに求めるのは
ムリかも知れないと思っています。

とすれば、一大秘法について対話の意義が高められることはあれ、一切やって
はいけないとか、やればやったで、己義だとかなんだかんだと論議を封じるの
はいかがなものでしょうか。

以上、ロムラーの無責任な発言ととられてしまうかもしれませんが、対話の再開を
望んでいます。

381photochika:2008/08/15(金) 15:40:23 ID:nos4XpMo0
私が理解できないのは、
「何であの人はこんなに怒っているのだろう?」
ということなんです。
あの人も、この人も、あっちの人も怒り狂ってます。
それが全く分からないんです。
(へらへら笑って、怒ってなんかないですよ〜のポーズをしている人も
腹の中は怒りで煮えくり返ってますよね)

それが感想。

382沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/15(金) 15:57:46 ID:AJ3hr85o0
 梅さん

 御書を拝する時、絶対にしてはならない事が一つだけあります。
 この御文はこうしか読めない。と断定することです。
 こうも拝することが出来る。
 これでなくてはご本仏様に対する冒涜です。
 戸田先生のご指導にはっきり書かれてあります。
 ある時青年部が御書の解釈で議論になった時、戸田先生が双方に私指摘なされた有名な事実です。

 ですから私は、ここで議論をする時に相手の立場を完全否定は致しません。
 例えば、一壮年さんは戒壇様本懐論者です。
 私は全く違う立場ですが、一壮年さんに自説を押し付けません。
 戸田先生のご指導を現場で聞きながら教学を学んだからです。

 これは、裏を返せば、多くの方々がそれぞれの境涯で御書を学べる大きな可能性を与えられたご指導。と感じながら育ちました。
 私は、戸田先生は大聖人様とご境涯を同じくされる唯一のお方だと信じます。
 その戸田先生が、御書の読み方を柔軟にせよ。とご指導なさっておられるのです。
 ところが、今回私共と対立されたご意見の方々はこのご指導とは正反対の方々でした。
 自説が否定されると、感情的な談話で罵り、仲間同士で内容を漏らし書き込んで攻撃をする。
 これはね、自由に研鑽をし合うべき仏法者の態度ではありません。
 そして、教学とは無関係の、私の息子を組織に付けろ。などと言う無意味な言いがかりに終始されました。
 ご自分のご家族を先ずご心配なさい。と言いたいですね。

 私は、御書を読み、本尊は私共凡夫の命だと思っています。
 これは、もくれんさんと同様の考えです。 
 ですが、何方にも強制はいたしませんし、解決は詰問ではなく対話による以外に無いと信じてています。
 お手本は池田先生です。

 東国人さんは最初から詰問でしたね。 
 既に耕治に邪義を破折され、引き下がられました。

 もしこの次にこの問題を論じたいなら、対話を心がけていただきたいです。
 詰問は不愉快ですし、周りにも悪影響があります。
 
 今回よく理解できた事。
 あの方々は家庭指導が困難だという事実ですね。
 教条主義者には反対意見の説得は不可能です。

 今、ああ言う幹部が多いのでしょうか?
 未活90%は、あのような硬直した考えの持ち主による所が大でしょうね。

 私と耕治の考え方は一度まとめて書き込みます。
 宜しくご検討下さいませ。

383沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/15(金) 16:19:08 ID:AJ3hr85o0
 photochika さん

 自分と異なる説を持つ人間を怒りに任せて攻撃する人は修羅なんです。
 原理主義者です。 
 カルトですね。
 カルトの定義があります。

 以下創価仏法研鑽版から引用

 カルトは日本のマスコミ用語で、私たち宗教学者は、「内閉化教団」という概念を用います。
「内閉化」の定義は、「外部社会と信頼関係を結べず、敵対関係にある」ということです。
 〜引用終わり〜

 あの日寛原理主義者たちの振る舞いがまさにこの通りです。
 裏でひそひそ連絡を取りながら、教義逸脱の脅迫まがいの電話をかけ、それを一方的に切ると、今度はそれをネタにして違う人間が私が逃げたと大騒ぎする。

 ところがその大騒ぎした人間は、直前に私の対面要請から逃げた人です。
 目的と自らの行為の正当化のためには、手段すら選ばないタリバーン同様の行為です。

 心の底から情けないですね。

 今、あの卑怯者はここをアク禁になった。と、自分がした行為にはふれもしないで他のブログで正義感を気取っています。
 そしてブログ主はあいかわらず、裏切り者攻撃に情熱を燃やし、同志攻撃に身を削っておられます。
 悲しいですね。
 修羅の吹き溜まりになっています。

 あんな方じゃなかったですがね。
 私は祈りますよ。
 
 お互い、同信退転の徒の屍を乗り越えて進んで行きましょう。

384もくれん:2008/08/15(金) 16:28:15 ID:gO.Fk5NY0
>>380  梅さん、はじめまして、もくれんと申します。

その戒壇の大御本尊様に関してもそうですが、平成5年から、日寛上人御書写の
御本尊授与が開始され、その前後に、日寛上人関連、御本尊関連の先生の
スピーチがたくさんあります。
恥ずかしながら、当時は良く理解してなかったですのですが、
オアシスの掲示板で、少しずつ、書いています。
よろしかったら、お越しください。
お待ちしております。

385森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/15(金) 16:32:24 ID:ny2WHVj6O
【沖浦さん耕治さんの見解】
一大秘法=本門の本尊=生命=宇宙生命=己心の妙法=本≠曼荼羅=迹

【東国人さんの見解】
一大秘法=本門の本尊=曼荼羅=本門の本尊を信受した場合の己心の妙法≠己心の妙法

【私の主張】
一大秘法=本門の本尊=(曼荼羅)=大聖人の生命=一切衆生の生命=宇宙の生命=本門の本尊を信受した場合に開かれる元々そなわっている己心の妙法。
ただし、
《既に御本尊は一閻浮提に総与されているのだから、全ての生命には既に妙法がそなわっている。個々の生命の己心の妙法は信心によって開かれる》
『そなわっている』と
『信心によって開かれる』との違いがある。
(曼荼羅)=物質の側面だけではない『久遠元初の法』をあらわした色心不二の生命のこと

沖浦さん
耕治さん
東国人さん
の私が書き出した見解が間違っていましたら、ご指摘下さい。

386:2008/08/15(金) 18:07:11 ID:unRe7hFs0
沖浦さん

>私と耕治の考え方は一度まとめて書き込みます。
>宜しくご検討下さいませ。

はい。了解です。

実は私、「日顕宗」という言い方に好感を持っていません。
日顕さんは大変な御仁のようですが、その後、「富士の清流」が必ずしも
そうでないこと知りました。そして、日顕さん程度のお方は必ずしも特別
ではないようですから、他宗のことですから正式に日蓮正宗と呼ぶべきだ
と思います。

幹部さんに、そのようなことを言ったこともありますが、「日顕が何をした
かッ!」・・と。その方は正本堂を破壊されたことが無念で(御供養した)
憎んで当然のようでした。そういうふうに思う学会員は多いのでしょうね。
でも、日顕さんのおかげで、日蓮正宗と縁が切れたのですから、良かった
じゃありませんか。むしろ、「よくぞカットしてくれました!」と感謝して
もよいのではないでしょうか(言い過ぎかな)


もくれん さん

>よろしかったら、お越しください。
>お待ちしております

ありがとうございます。
もくれんさんの投稿には、豊かな知性と気品を感じています。
のちほど、ロムさせていただきます。

387沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/15(金) 18:45:27 ID:AJ3hr85o0
森野一士さん

 絶対にこれで無いといけないという理論は無いと思うんです。
 今真実だと思っても方便かもしれないでしょう。
 ですから、10人いて10の受け取り方があってかまいません。
 いけないのは、

 俺は正しいんだ、従わないお前は謗法だ!

 これですよ。
 一凶です。

389沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/15(金) 19:17:57 ID:AJ3hr85o0
 口あけて笑ってると、虫がはいるよ。

390ヅラ系。:2008/08/15(金) 19:47:55 ID:3SiI6MsAO
梅さんこんばんは。
そもそも御父上は。本門の本尊は余分な物。権威付けと言ったんだよ。三大秘法否定したんだよ。邪義に対して修羅の命使わなきゃ。いつ使うの?

391沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/15(金) 19:52:00 ID:AJ3hr85o0
 私がどう言う意見を持とうが他人に強制した事は一度もありません。

 ヅラ系さん、貴方に何のご迷惑もかけていませんよ。

 何故そんなに角をたてますか?

392耕治:2008/08/15(金) 19:58:30 ID:AJ3hr85o0
388へ

罵倒は、専門スレでお願いします。

393:2008/08/15(金) 20:14:03 ID:o4CNxgrU0
ヅラ系さん
はじめまして。

私はこうして投稿する前は、一応ですが、過去の投稿を遡ってチェックしています。
それで、信頼できると判断したら、書き込むこともあります。
でも、そういう板は滅多にありません。ほとんどロム専です。

ヅラ系さんの、この板への投稿は最初びっくりしました。
乱暴な調子でしたからね。
それが市丸さんのブログで、愛されているお人柄なようで、それが不思議でもありました。
まるで、市丸さんの対応は、貴方のお姉さんかお母さんのようですね。
たぶん、沖浦さんの板でも、貴方は心を許されているところがおありなのでしょうね。
沖浦さんは、貴方には厳父のようです。

さて、私のみるところ、沖浦さんは三大秘法を否定してはいませんよ。
ただ、大石寺にある戒壇の大御本尊について ? されているのだと思います。

そうでなければ、日蓮正宗や法華講と対論できないではないですか。
それ以上のことは、わたしが言うべきことではないですね。

ともあれ、ヅラ系さん、どうぞよろしく。
ひとつだけ、好奇心から知りたいことがあります。
どうして、ヅラ系というHNをお使いですか?

394ヅラ系。:2008/08/15(金) 20:18:36 ID:3SiI6MsAO
御父上。
ギリギリの所で。貴方が昨今少なくなったと言われる。単に愛すべき頑固親父だと思いたいからです。単にそうで有って欲しいと思っているからです。

395沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/15(金) 20:58:20 ID:AJ3hr85o0
 宗門が信徒支配の目的で利用してきたものが、一大秘法としての戒壇様です。
 私は今後のために、この宗門の一凶ともいえる邪義を斬っているだけです。

 御書を冷静に読めば、戒壇様が大聖人様のご本懐でないとこはすぐに理解できます。
 衣文の御書が弘安2年10月1日、戒壇様ご図顕が同月12日。
 無理なんですよ。
 時系列から不可能です。

 出世の本懐を遂げたとのご宣言が1日、ご図顕がそれ以前でなければ不可能です。
 これを、墨の用意だ、紙の用意だなどと推測する事は大間違いです。

 大聖人様に抜かりなどあるわけ無いですよ。
 末法のご本仏様を間抜けだと思っているんですかね?
 この宗門の大嘘に騙されてはいけませんね。
 ただし、別に他人にこの意見を強制致しません。「
 私は問題提起だけで満足です。

396沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/15(金) 21:07:56 ID:AJ3hr85o0
 今回興味深いことに気づきました。
 あの方々は、以前私と掲示板で論争していた法華講の方と、理論構築と人間性が瓜二つでした。

 私は本当に創価学会員を相手にしているのだろうか?
 この人本当は成りすましの昔の法華講員じゃないだろうか?
 何度も横切った疑問です。

 不思議ですね〜〜。
 信じる法が問題じゃなく、信じる人間の人間性が重要。
 今回確認できた成果でした。

397ヅラ系。:2008/08/15(金) 21:10:53 ID:3SiI6MsAO
梅さ〜ん。情に弱いとこ突かないでくれる?
あのね。御父上は説教泥棒だから言ってる事に説得力がないの。最初に一大秘法は本門の題目だって言って。後の二つは余分。権威付けだって言ってた。その後一大秘法は本門の本尊だって書き込みもある。で。一大秘法は個心の妙法で本門の本尊で。本門の題目でもある。本門の本尊と本門の題目は同じものを別な言い方をしてるだけ。となった。てことは最初に後の二つは余分て言ってんだから。結局本門の題目も余分て事になる。三大秘法。全部余分になっちゃった。

398沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/15(金) 21:17:40 ID:AJ3hr85o0
 一大秘法はね、衆生の己心の妙法でお題目ですよ。
 それがそのまま本尊。
 仏とは生命だと戸田先生が仰せです。
 そのまま受け取ればいいんです。

 私共はそれを忘れて迷っている。 
 長者遇子です。
 それを思い出させる武器が漫荼羅本尊です。
 貴方や私のご安置の御本尊様です。
 本尊と漫荼羅がイコールだと思うから間違えます。
 漫荼羅は衆生の己心の妙法を写し取った旗印です。
 法華経の剣。と、仰せでしょう。
 勿体無くも道具なんです。

 大聖人様が私共のために発明し残し置かれた。
 本体は凡夫の己心の妙法で、私共の命がそのままお題目なんですよ。
 
 それを対鏡として顕わされたものが、御本尊様です。
 ですからね、どこまで行っても私共の命が本。
 ご本尊様は迹で道具。

 こうなりますよ。

399耕治:2008/08/15(金) 21:18:21 ID:AJ3hr85o0
 東国人さん、思ったよりも、早く撤退しましたね。もうちょっと、ガッツがあると思ったんですが。


東国人さん、思ったよりも、早く撤退しましたね。もうちょっと、ガッツがあると思ったんですが。

400:2008/08/15(金) 21:30:42 ID:o4CNxgrU0
ヅラ系さん

>三大秘法。全部余分になっちゃった。

おもしろいよね〜

それでも、沖浦さんがおっしゃってるのは
ご本尊様にお題目! ですよね
私ね、理論なんてしたけりゃすればいいさ って気持ちも少しあります。
人を好きになったら、理屈なんてどうでもよくなるんじゃないですか?
学会員が師弟不二というとき、そういう感情でしょう?
ヅラ系さん、沖浦さんが好きだったら、
お題目を強調してる点をよく見詰めたらどうでしょう。
私は汚い言葉遣い、キライです(そう言ってもリアルでは使ってますけど・・)

ところで、ヅラって「かつら」のこと?

401ゴンちゃん ◆Dx9s.ycyhk:2008/08/15(金) 21:34:06 ID:0QclRqcs0
沖浦さん!私共の命がお題目は、解かりますが
対鏡として顕されたのが曼荼羅では、ないでしょうか??命=お題目=本=本尊で、あるのでしたら
曼荼羅=対鏡=迹=道具ではないのでしょうか。。。すいません。。。浅学で!!

402沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/15(金) 21:34:50 ID:AJ3hr85o0
 以下の文章を素直に読めばいいのですよ。

 てい談 法華経の展開より引用

会長:創価仏法の原点は、いうまでもなく戸田前会長の悟達にあります。
私が「人間革命」第四巻で書き記しておいたように、無量義経の三十四の「非」を呻吟しながら思索しぬかれた結果 
「仏とは生命なんだ!生命の表現なんだ。外にあるものではなく、自分自身の命にあるものだ。いや、外にもある。それは宇宙生命の一実体なんだ!」という生命内奥から突き上げてくる歓喜とともに悟達された瞬間こそ、将来において世界の哲学を変貌せしむるに足る一瞬であった。この一点をはずして今日の創価学会の思潮の大河はない。
すなわち、法華経はいうにおよばず、一切、八万の法蔵は、三世にわたり、人間を含め宇宙、自然の森羅万象を貫く”生命”という実在を説いたものであると決定した瞬間に、創価哲学が開始されたのです。その”生命”とは、内より泉水のごとく発現してやまない究極的な力そのものであり、それを五体に「力感」としてみなぎらせていくところに、仏法の実践があるといってよい。
 生命の問題は、理論の分析で解明できるものではありません。結局、肉団の胸中にあるものであり、その胸奥につづられてゆくものこそ、真の経といえます。そうでありながら、しかも全人類に普遍の力をもつものこそ、偉大な円融の法理なのです。
 〜引用終わり〜

403ヅラ系。:2008/08/15(金) 21:39:28 ID:3SiI6MsAO
ヅラじゃないよ〜ん。これを聞いたのは梅さんが二人目。最初はム〜ンちゃん。教学がど〜でも良いって事は無いよ。御本尊にお題目を上げるのは当たり前。それしかないじゃん。

404ゴンちゃん ◆Dx9s.ycyhk:2008/08/15(金) 21:47:47 ID:0QclRqcs0
人を好きになったら、理屈なんてどうでもよくなるんじゃないですか?
梅さん!解かります。。。その気持ち!!それが人間でしょうから。。。

405:2008/08/15(金) 21:48:58 ID:o4CNxgrU0
ヅラ系さん

>御本尊にお題目を上げるのは当たり前。それしかないじゃん。

失礼いたしました。ゴメン。
乱暴な人は、題目不足って偏見がありました。

>教学がど〜でも良いって事は無いよ

そうですとも!
でも、教学バカみたいな人、いませんでした?

>最初はム〜ンちゃん

そうでしたか。こっちの方がカワイイですね。

406水口 旭 ◆TE82oYFDFE:2008/08/15(金) 21:56:43 ID:b7mx9asE0
>>375沖浦様

昔はこうだった・・私はこうしてやってきたものだ・・は、
正論であっても、実はそれは貴方が乗り越えるべき課題なんだと私は思います。

この信心は不思議なもので、自分が頭で考えることよりもっと深い、
“最も幸福への近道”が秘められていることが多い・・というのは幾多の体験が物語っていますね。
素直に受け止めていくことから思わぬ道が拓けてゆくものです。

このことは、多くの学会員が肌身で感じているからこそ、
今なお一生懸命に学会活動に励む方々が絶えないのだと、ひしひしと感じます。

何を隠そう、この私も若い世代にガツンといくタイプです。一部彼らは信心をナメとります。
会社、世間でも容赦なく同じようにやります。否、やってきました。既に過去です。
今は少し考えが変化してきました。やっと分かったような気がします。
私がこのことを“乗り越える”という意味があったんだと・・。
そう殻を破ったとき、懸案だったことがパっと開けてきました。

池田先生も、理不尽とも思えるような戸田先生の訓練に耐えてこられました。
「一切に意味がある」
そう先生は常に語ってやっしゃいますね。

世界を目指すとおっしゃる貴方・・意見の異なる方の尊重・・とおっしゃる貴方が、
仮にも訓練途上の同志に溜息するようでは勿体無い。
貴方や私のようなオジサンが、溜息を感じる彼らかもしれないですが、
実はこのオジサンたちが訓練されていることも悟ってもいいのでは?と思う次第です。

それにしても便利な時代になりましたね。
昔は携帯電話もありませんでした。勿論、固定電話もないご家庭もありました。
今の男子部はツールを頼り過ぎです。その弊害が顕著です。全てが横着です。
ですが今、これを声高に語っても仕方ないのです。
我々もまた、上手にこの文明の利器を使いこなしてまいりましょう。

また、御書の取扱いも、世界最高の信仰を保つ自負があるにも関わらず、
回教徒のコーランへの思いに比べてもいささか緊張感が欠けています。
でも、それは私たちが根気よく伝えゆけばいいのです。
私たちの仕事ですね。愚痴はお互いやめておきましょう(笑

ともあれ、信仰は“挑戦”への異名ですね。同志の数だけ挑戦があります。あるのです。
その多くの同志の挑戦に水を差すことだけはならない・・と心に戒めておきたいものです。

407ゴンちゃん ◆Dx9s.ycyhk:2008/08/15(金) 22:07:31 ID:0QclRqcs0
あのー>>402の沖浦さんのレスは、私に対するお答えでしょうか。。。

408沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/15(金) 22:34:00 ID:AJ3hr85o0
 水口 旭 さん
 
 乗り越えようとは思いませんね。
 駄目だなと思うだけです。
 しかしね、昔の私達のように学ぶ方々も必ずおられます。
 私は、最近の若い者はと思った事がありません。
 教学は若い人に限らず全体に言えますね。
 今回の論議で明らかになりました。

 私はめったに他人に注意など致しません。
 訓練途中の同志だとも思いません。
 私は子供に伝えます。
 子供は孫に、孫はまたその子に。
 転教の遠征です。

 愚癡は言いませんよ。
 悲しみはありますがね。
 
 後は自分との戦いですから。

409沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/15(金) 22:36:57 ID:AJ3hr85o0
 ゴンちゃん さん

 回答のようなものですね。
 池田先生が、本尊は衆生の命と大宇宙の命だ。と。仰せです。
 後は、ご自分で御書を読んで、漫荼羅と本尊の関係を思索されれば良いと思います。
 自分で考える以外に身には付きませんから。

410ヅラ系。:2008/08/15(金) 22:43:42 ID:3SiI6MsAO
【本迹】
①本地と垂迹のこと。本地とは本住の位地をいい、垂迹は足迹(あしあと)を垂れること。仏・菩薩の本来の境地を本地というのに対し、それらが衆生を利益するために種々の所に応化身を示すことを垂迹という。初発得道の最初を本地といい、化他面に現れる時は権化となり垂迹となる。垂迹は本地の影であり働きをさす。本地は天の月に現れる、垂迹は池に映る月に譬えられる。
②本門と迹門のこと。法華経序品第一から安楽行品第十四までを迹門、従地涌出品第十五から普賢菩薩勧発品第二十八までを本門という。迹門では三乗教は方便で一乗教が真実であるとする開権顕実が示されるが、教主は始成正覚の釈尊である。本門では釈尊の久遠五百塵点劫の成仏が説き顕されている。治病抄に「法華経に又二教あり所謂迹門と本門となり本迹の相違は水火天地の違目なり」(996ページ)と述べられている、しかし本迹二門といっても釈尊の仏法は脱益の法であって、日蓮大聖人の門底下種の南無妙法蓮華教に比べれば迹となる。
(仏教哲学大辞典第三版1553ページ)。

411ゴンちゃん ◆Dx9s.ycyhk:2008/08/15(金) 22:46:28 ID:0QclRqcs0
ありがとうございます!沖浦さん!
あまりに早い返事でしたので、考えておりました。。。私なのか、違うのかと。。。
ここ何日か、沖浦さんのお陰で、御書を改めて自分なりに開く事が出来ました!!
感謝致します。。。沖浦さん!!

412那由他 楽人:2008/08/15(金) 22:50:35 ID:/P1KhNMc0
東国人さんへ。

もうご覧になっていないかもしれませんが、一応書き込みます。

>>365
確かにあまり答えになっていないようです(苦笑)。
私が言いたかったのは、東国人さんが大聖人の御文にある『法華経』を”即ち曼荼羅本尊”と読み替えてしまうのは、沖浦さんと同じく”御文の解釈”ではないのでしょうか?ということでした。
例えば同じ御文について、「私はこう拝することができると思う」ということはいろいろ言えるわけです。


ところで別の話ですが、東国人さんは「御真蹟」をどのような情報をもとに確定なさっているのでしょうか?
筆跡でしょうか?
それとも使われている紙の年代測定でしょうか?
何かの本に拠っておられるのでしょうか?

主なものでは筆跡がありますが、例えば中山法華経寺14世日通が書写した文字は御真蹟と見間違える程だったそうです。
そのように筆跡のみでの鑑定では、充分といえない部分があります。

御真蹟は採用し、なければ不採用と仰るからには相応の根拠があるかと存じます。
教えていただけますでしょうか?

413沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/15(金) 22:50:47 ID:AJ3hr85o0
 ゴンちゃんさん

 書くのが早いのが特技なんですよ。
 タイプが作文のスピードに追いつきません。
 一種の才能でしょうか?

 (と、自慢してみる)

414沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/15(金) 22:53:39 ID:AJ3hr85o0
 那由他 楽人 さん

 掲示板が少しおちつくまで、東国人さんと河内平野さんのアクセスを規制中です。
 一週間ほどで解除いたします。
 掲示板に告知致しますので、ご質問はその後にお願い致します。

415ゴンちゃん ◆Dx9s.ycyhk:2008/08/15(金) 22:55:11 ID:0QclRqcs0
自慢!!です。。。(^^)和みますね〜

416ヅラ系。:2008/08/15(金) 22:56:24 ID:3SiI6MsAO
梅さんそーじゃ無くて。ヅラですか?って聞いてきたひとが貴方で二人目ってことです。

417耕治:2008/08/15(金) 23:22:59 ID:AJ3hr85o0
//
 曼荼羅の御本尊様は大聖人さまの内証を顕したものである。このことに異を唱える人は、少ないと思います。

 さて、御書において、「本尊とは○○である」という直接的な記述がたくさんでて参ります。問題は、○○に入る言葉がひとつではないことなんです。
なにが入るかと申しますと、おおむね

1、曼荼羅のご本尊様(東国人氏があげた文証はこの御本尊様です)
2、南無妙法蓮華経そのもの
3、大聖人さまの内証
4、衆生の生命

ここで混乱するのです。東国人氏は本尊とは曼荼羅以外にないといいました、私は、本尊とは「南無妙法蓮華経」であり、その当体は「我等衆生(生命)」そのものである。曼荼羅はそれを顕したものである。
このように申しました。

では、大聖人さまの仰せは、矛盾があるのか?あるいは、どれかが嘘なのか?
という疑問を持つ方もおられるかもしれません。
 結論から言うと、矛盾も嘘もありません。この4つは対立する概念ではありません。

大聖人様は、南無妙法蓮華経を悟られたのです。したがって、大聖人さまの内証と南無妙法蓮華経は、その体は同じです。
「内証を顕したという表現を、ご自身の悟りである南無妙法蓮華経を顕された」といいかえてもモンダイハありません。

では、「衆生の生命」と「南無妙法蓮華経」はどういう関係ですか?
実は、「衆生の生命」の事を「南無妙法蓮華経」というのです。これは、御義口伝につぶさに説かれて在るとおりです。

大聖人様は、生命について悟られたのです。

本尊とは、万人が根本として尊敬するべきものの事であり、それは命です。

418ヅラ系。:2008/08/15(金) 23:29:11 ID:3SiI6MsAO
曼陀羅本尊は迹ですか。己身の妙法が本。
迹である曼陀羅本尊にお題目を上げて境智冥合したら。せっかく本である己身の妙法も迹になっちゃいそう。境智冥合とは境と智が深く融合しあうこと。とあります。(仏教哲学大辞典318ページ)。
しかも曼陀羅本尊が迹ってことは大聖人の魂が迹ってことですか。末法の御本仏が迹だとは。

419ヅラ系。:2008/08/15(金) 23:35:31 ID:3SiI6MsAO
つまり末法の御本仏である日蓮大聖人は迹仏なんだ???。

420耕治:2008/08/15(金) 23:36:02 ID:AJ3hr85o0
また、曼荼羅と本尊の関係は、

大聖人さまの内証を、あらわしたものが曼荼羅です。

さて、ここに「猫」がいたとします。「猫」そのものは、本体です。当体ともいいます。
「猫」という言葉があります。この「猫という言葉」は、「猫」を顕しています。

両者の関係は

「猫そのもの」     ←「猫という言葉」
(指し示された実体)   (指し示そうとする側)

になります。実体を所証、指す側を能証ということあります。

法華経28品という、お経があります。
このお経は、釈尊の悟りについてとかっれてあります。釈尊の全存在と云っても過言ではありません。

即ち、釈尊の悟りを顕したものです。

「釈尊の悟り」←「法華経28品」
 (釈尊の内証) (それを文字で顕すした経典)

の関係になります。

421耕治:2008/08/15(金) 23:53:59 ID:AJ3hr85o0
//曼陀羅本尊は迹ですか。己身の妙法が本。//
迹である曼陀羅本尊にお題目を上げて境智冥合したら。せっかく本である己身の妙法も迹になっちゃいそう。境智冥合とは境と智が深く融合しあうこと。とあります。(仏教哲学大辞典318ページ)。
しかも曼陀羅本尊が迹ってことは大聖人の魂が迹ってことですか。末法の御本仏が迹だとは。//

 「己心の妙法」という言葉が出てまいりました。
大聖人様は、「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ、信じさせ給え」と仰せです。
「日蓮が魂」とはなんですか?大聖人様は「日蓮が魂は南無妙法蓮華経に過ぎたるはない」と仰せですね。
ヅラさん、貴方はこれを疑いますか?

 大聖人様は、ご自身の内証である「南無妙法蓮華経」を曼荼羅にあらわしたと仰せです。
したがって、曼荼羅には、「南無妙法蓮華経」がこもっているのです。

それを、曼荼羅は現している側で、内証そのものではないからと云って、しゃく仏に過ぎないと思うのですか?
そう思うのであれば、何も余計なことは一切考えず、ただただご本尊に向かうことだと思います。
不敬を働くよりは、よっぽどいいです。

422ヅラ系。:2008/08/15(金) 23:56:44 ID:3SiI6MsAO
明日から猫拝も。キツネでも良いのか。一切衆生だからね。こんこん。ニャ〜。

423森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/15(金) 23:57:50 ID:ny2WHVj6O
沖浦さんへ
沖浦さんが、そのように思われている事分かりました。
>>402>>98合わせて読ませていただきました。
戸田先生は、御本尊に祈られ、仏とは生命だと悟られたのだと学びました。
生命力を五体に『力感』としてみなぎらせる為の仏法の実践とは、御本尊を信じて自行化他にわたるお題目を唱えること。だと認識しました。

424ヅラ系。:2008/08/15(金) 23:59:39 ID:3SiI6MsAO
息子どの。だって曼陀羅本尊は迹なんでしょ。

425耕治:2008/08/16(土) 00:07:25 ID:AJ3hr85o0
 大聖人さまのお悟りである「南無妙法蓮華経」をあらわしたものが「曼荼羅の御本尊様」です
この関係は永久にかわりません。

 「曼荼羅の御本尊様」は、「南無妙法蓮華経」を顕した側です。
   (能)          (所)

 「南無妙法蓮華経」は、「曼荼羅の御本尊様」に顕された当体です。
   (所)          (能)

この時、曼荼羅が顕しているのは、あくまでも「南無妙法蓮華経の当体」そのものです。
したがって、「曼荼羅のご本尊様」に不敬を働くことは「南無妙法蓮華経」に不敬を働くのと同じ結果になります。

しかし、曼荼羅の御本尊様はあくまでも、南無妙法蓮華経を顕している側であることは変わりません。
ですので、言語形態が著しく異なる世界では、曼荼羅ご本尊の相貌が著しく異なっていることも在るでしょう。


また、宗門は現在、創価学会の下付しているご本尊様に授与書きが削られていることを問題としていますが、何の問題もないと思います。

426耕治:2008/08/16(土) 00:10:39 ID:AJ3hr85o0


427耕治:2008/08/16(土) 00:13:33 ID:AJ3hr85o0
大聖人様は、曼荼羅のご本尊のことを「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ、信じさせ給え」と仰せです。
「日蓮が魂」ですよ。

それを、今日からは、猫を拝むと?
そうですか、ではそうしてください。

428ヅラ系。:2008/08/16(土) 00:14:44 ID:3SiI6MsAO
不敬の話しなんてしてないんだけど。曼陀羅本尊が迹だったら大聖人の魂も迹になっちゃうよって言ってんですけど。

429耕治:2008/08/16(土) 00:16:12 ID:AJ3hr85o0
 「本」「しゃく」が気に入らなければ、「能」「所」と表現してもいい。
 また、「事」「義」と表現してもいい。

 ただ、「権」「実」では、絶対にない。

430耕治:2008/08/16(土) 00:23:19 ID:AJ3hr85o0
それでは、ヅラさん。あなたは「曼荼羅の御本尊様」と「南無妙法蓮華経」についてどう、思われているのですか・

ぜひ聞かせてください。

431ヅラ系。:2008/08/16(土) 00:23:44 ID:3SiI6MsAO
気にいる。いらないじゃなくて。沖浦さん親子は。一切衆生の己身の妙法が本で。曼陀羅本尊が迹だと。ずっと言い続けてるでしよ。しかも一切衆生の己身の妙法が本門の本尊だって。一切衆生だったら猫も犬も一切衆生だよ。出目金も。

432ヅラ系。:2008/08/16(土) 00:31:01 ID:3SiI6MsAO
御本尊は大聖人の魂だと思ってますよ。

433耕治:2008/08/16(土) 00:33:31 ID:AJ3hr85o0
では、南無妙法蓮華経と曼荼羅御本尊様はどういう関係が在ると思いますか?

434森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/16(土) 00:41:12 ID:ny2WHVj6O
『池田大作全集11巻』
「生命と仏法を語る」
P186〜より
以下池田先生の言葉を引用。
『━大聖人の仏法からみると、法華経の本迹ともに「理」となるんです。』
『━日蓮大聖人の「文底独一本門事の一念三千たる南無妙法蓮華経」が、唯一末法における「事の一念三千」の当体となるわけです。ここが最も大事であり、肝心要のところなんです。』『しかも「南無妙法蓮華経」は即御本仏日蓮大聖人の御生命そのものであられる。そこで日蓮大聖人は、この大宇宙本源の法則と一体であられる御自身の生命を、一幅の「曼荼羅」として、根本法の当体とされたわけです。
曼荼羅とは、「功徳聚」とも、「輪円具足」ともいい、「本尊」と名づける。この「本尊」とは根本尊敬すべき当体ということです。要するに、私どもの、この一念は変化、変化の連続である。この「御本尊」に「南無妙法蓮華経」を唱える一念となったとき、初めて仏界という尊極の生命がわが一念に始動する。━』
『なお、本尊論については、「人法一箇」という、まことに深い法理がありますが、ここでは略させていただきます。』とあります。私に御本尊様と曼荼羅は一緒だと読めました。
曼荼羅を根本法の当体とされた。と理解致しました。

435ヅラ系。:2008/08/16(土) 00:47:10 ID:3SiI6MsAO
う〜ん。質問の意味が漠然としてて分からない。
息子どのが南無妙法蓮華教を御本尊に帰命する事として言ってんのかそれとも妙法と言う法として言ってんのか。それともお題目なのか。

436森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/16(土) 00:59:37 ID:ny2WHVj6O
【人法一箇】
仏教哲学大辞典
2001年6月6日第五刷より引用。
『日蓮大聖人の仏法において、人本尊と法本尊は、その名は異なるが、その体は一つであること。人法体一ともいう。人法勝劣に対する語。━━すなわち法本尊は、人本尊である日蓮大聖人の生命をそのまま図顕された曼荼羅御本尊である。━━』とあります。私は、体は一つ。生命をそのまま。とあるので、大聖人の内証と曼荼羅は一緒のものであると認識しました。
能証と所証が顕す人と顕されたた法が体一ということだと認識しました。

437ヅラ系。:2008/08/16(土) 01:00:37 ID:3SiI6MsAO
あらら。森野さんありがとうございます。o(^-^)o

438ヅラ系。:2008/08/16(土) 01:16:17 ID:3SiI6MsAO
息子どの〜。一切衆生の己身の妙法が本門の本尊なんでしょ〜。犬も猫も一切衆生だよ〜。犬や猫拝んでも良い事になっちゃうよ〜。早く教えてニャ〜。ついでに出目金も〜。

439耕治:2008/08/16(土) 01:26:35 ID:AJ3hr85o0
 いいよー。あした、御義口伝に書いてることを載せるわ。
自分でも、かんがえてやー。

440沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/16(土) 06:51:19 ID:AJ3hr85o0
 ヅラ系さんに警告です。
 卑しくも末法の本仏の根本に関することに揶揄を挟むなら、今度は即時アクセスを規制します。
 警告もありません。

 仏法を真面目に研鑽出来ない人は出て行きなさい。

441沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/16(土) 07:04:04 ID:AJ3hr85o0
 森野一士 さん、おはようございます。

 大御本尊様が戒壇様なら、明らかに貴方も東国人さんも間違っていますね。

 『戸田先生は、宇宙の仏界に向かってお題目を唱えられて悟りを開かれた。』(趣意)

 池田先生のご指導です。
 私はこの音源を持っております。
 拙宅に来れれるならお聞かせいたしましょう。

 私は師匠の仰せを信じます。
 それと、戒壇様の方向の件ですが、宗門対策ですよ。
 以前、漁船が難破し、乗組員が救命ボートで何週間か漂流、奇跡の救助で大半が助かったことがありました。
 学会員が数名いて、
 助かりたかったらお題目をあげろ!
 全員で必死の唱題で助かったのです。
 確か、10名ほどの人だったと記憶しています。
 方角なんかわかるものですか。
 第一ご受戒も受けてない人がほとんどです。
 それで立派な功徳です。

 戒壇様を離れて功徳が無い。
 これは大嘘です。

442沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/16(土) 07:06:52 ID:AJ3hr85o0
 『この「本尊」とは根本尊敬すべき当体ということです。』

 最も尊いものが人の命ですね。
 ですか衆生の命が本尊です。

 貴方は、観心本尊。
 私は、観心の本尊。
 この違いです。

443沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/16(土) 07:08:57 ID:AJ3hr85o0
 耕治にも警告

 お前、ご本仏様の教義を冗談めかして言ってはなりません。

>いいよー。あした、御義口伝に書いてることを載せるわ。
自分でも、かんがえてやー。

 これは適切な表現ではありませんよ。

444沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/16(土) 09:52:35 ID:AJ3hr85o0
 『今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、』
 (御義口伝巻下)

 如来〜仏は一切衆生、別しても大聖人様門下。
 明言なされておられます。

445:2008/08/16(土) 10:33:13 ID:o4CNxgrU0
ヅラ系さん
>416

なるほど〜♪
好奇心旺盛な方が「ム〜ンちゃん」だったってことね!
この方も、貴方がハゲてると想像したのかなぁ。ごめん、方言系なんでしょう?

文字だけだと思わぬ勘違いをしますよね。
これが、掲示板のようなネットの怖いところだと思います。
ふだんなんでもないと思って使っている言葉が、つまらぬ誤解を招いたりします。
ロムしていると、そんな場面があります。
それで、互いに言い争って・・・

例えば、貴方が一切衆生に猫や出目金を含めて質問すれば、まるで茶化している
としか思えません。
耕治さんは、『比ゆ』を用いて、「能」と「所」を説明しようとされました。
ふつうにみれば、貴方がこれを分からないはずがないですよね。
だから、茶化してると思われてしまう。
場面が極めて真面目な話題だったからです。

もしかして、この『比ゆ』が分からなかったり、適切でないと思われたのだったら
それなりの言い方を工夫すべきだと思います。
貴方がおっしゃるように、「教学がど〜でも良いって事は無いよ」ですからね!

446ヅラ系。:2008/08/16(土) 11:47:18 ID:3SiI6MsAO
梅さん今日は。
そもそも能所と本迹は次元が違いますよ。能所を別っするは権教であり。法華経の心は能所一体であり能所不二と御書にありますが。本迹は天地水火の違いであり。本迹一致じゃないでしょ。それに能所は後付けで。それ以前に一大秘法が一切衆生の己身の妙法で本門の本尊と定義してるから。己身の妙法が本門の本尊なら。迹だと言う曼陀羅本尊はあっても無くても良い事になるし。本尊は拝む対象だから。一切衆生の己身の妙法がすでに本門の本尊なら。犬や猫拝んでも良い事になっちゃうよ。

447ゴンちゃん ◆Dx9s.ycyhk:2008/08/16(土) 12:32:56 ID:z4kMBoDI0
ヅラ系さん!
今見ていますと、犬や猫を例に出す貴方の心に?マーク付けます。。。
己心に妙法蓮華経の五文字の御本尊が、ありその本尊をお題目として
唱える!!よーく曼荼羅を確認して下さい。。。真ん中に何がありますか??
お題目でしょう。。。そのお題目を囲むように諸天善神がおられますよね。。。
拝む対象はお題目ですよ!!つまり我が心の中にある御本尊ですよ。。。

448耕治:2008/08/16(土) 12:34:41 ID:AJ3hr85o0
//一大秘法が一切衆生の己身の妙法で本門の本尊と定義してるから//

 いくら非難しても、この考えはかわらない。
 もし、おかしいというのであれば、御書をひいて、万人が納得のできる論を展開してください。

 この論は、私が考えたんじゃないんです。
 この論は、御書に依文があるのです。

たとえば、

 『今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、』
 (御義口伝巻下)

 これは、大聖人さまの言です。私の言ではありません。
 いくら、おかしいと貴方が思っても、大聖人様はそう仰せなんです。
 ですから貴方が「犬や猫拝んでも良い事になっちゃうよ 」

と思うのであれば、大聖人様がどのように仰せなのかを自分で御書を紐解いて知る努力をするべきです。

私は、そうしました。

449ヅラ系。:2008/08/16(土) 12:52:53 ID:3SiI6MsAO
もう面倒くさいから良いや。ゴンちゃんこんちは。がんばってね。息子どの。ずく出せやれ〜。

450時乃旅人:2008/08/16(土) 13:53:47 ID:KY2NX0.g0
ヅラ系さん
はじめまして。

ヅラ系さんは、間違っていません。
誤解を受けやすいだけで、真意が伝わりにくいだけです。

ヅラ系さんは、犬や猫や出目金を拝むとは言っていません。
ロムをされておられる方の中にも、ヅラ系さんのおっしゃりたいことを
明確に理解されている方は、少なくないと思いますよ。

ヅラ系さんがいなくなると寂しいです、私も一応、ヅラ系さんのファンの
一人ですから。

451沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/16(土) 14:09:19 ID:AJ3hr85o0
 ヅラ系さんは、既にめんどくさいと言われましたね。

 ではこれでご退出くださいませ。
 規制はかけませんが他の話題をどうぞ。
 教学を論じるなら深く学んでからどうぞ。
 今のままでは少し無理がありますね。

 ただ、あの三人の方々と比較すると優れています。
 ご自分で思索をされていますね。
 受け売りでないところがあります。

 勿体無いですから、ご自分で研鑽し、暫くしてから参加してください。

452:2008/08/16(土) 14:49:41 ID:o4CNxgrU0
こんにちは、ヅラ系さん

対話(仏法以外でも)は、メンドクサクなった方が負けですよ〜
私もリアルでは、けっこうメンドクサガリです。

しかし、世間では負けるが勝ってこともあるでしょうが、
こういうネットでは、捨て台詞はしないほうがいいし、また、
そうなってしまうんだったら、最初から投稿しなければよいと思います。

ふだん私はロム専ですが、面白そうな方と挨拶を交わす中になったので
書き込みました。

対話、がんばって続けてください!
どこかの三羽烏より、ずっと面白くロムできそうだよ!

453沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/16(土) 16:47:12 ID:AJ3hr85o0
 梅さん

 あのトリオは説得力がなかったですね。
 ヅラ系さんが遥かに優れていますね。

 まあ、あのレベルと比較する事が普通失礼ですがね。

454森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/16(土) 17:31:15 ID:ny2WHVj6O
沖浦さんへ
①私には、
>>441で沖浦さんが引かれた、先生の『宇宙の仏界』という言葉と、
>>98の東国人さんが引かれた「人間革命」の『大御本尊様』は、同じだと読めました。
又、沖浦さんが言われる、『戒壇様を離れては功徳は無いは嘘』に同意致します。たとえ、大石寺に御安置されていたとしても、信心によって繋がり功徳があると信じています。逆に、信徒支配の為に戒壇様を『道具』に使った法主には罰があると思っています。

455森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/16(土) 18:18:52 ID:ny2WHVj6O
沖浦さんへ
②沖浦さんは>>442で、
>>434の『この「本尊」とは根本尊敬する当体ということです』の、本尊を衆生の命と言われていますが、>>434では、その前で、先生は、【宇宙の本源の法則と一体の大聖人の生命を、一幅の『曼荼羅』とし、根本法の当体とされた】とあります。そして、【曼荼羅を「本尊」と名づけ、この本尊を根本尊敬すべき当体】と言われています。私は、曼荼羅は大聖人の生命であり、本尊であると認識しました。
つづく

456森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/16(土) 18:30:25 ID:ny2WHVj6O
>>455づづき
また、『観心の本尊』と
【の】を入れる事について、池田先生は『観心本尊抄講義』の中で、日寛上人が、「心の本尊を観る抄」とか「心を観る本尊抄」とかの、大聖人の本意から外れた邪義を破すために、また「教相の本尊」に対して「観心の本尊」であることを明示されるために「観心の本尊」と読むべきだとされている事をあげられています。
また、講義のなかで、自身が妙法の当体であることを覚るには「智」が必要で、その「智」を得る方法を法華経では「信」と教えていて【以信得入】、大聖人の教えでは、この「信」が更に具体的に「受持」として明確化されていて、受持する当体として御本尊が顕され、御本尊を受持することが、我が身を妙法の当体と覚る観心であり、これを「受持即観心」である。と教えていただいています。
私は、ただ単に「心の本尊を観る」ということではなく、御本尊【曼荼羅】を受持することで生命の内にある妙法という尊極の当体とつながる。と認識致しました。

457森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/16(土) 18:52:22 ID:ny2WHVj6O
沖浦さんと耕治さんへ
>>444>>448の総別について、池田先生は、御義口伝講義のなかで、
総とは、一般的で表面的なことで、信心のない者は無作の三身ではなく、別してとは、正意がどこにあるかせんじつめて個別的に論じることで、大御本尊を信じる人が無作三身であると言われています。又、更に深く、総じては、無作三身は御本尊を信じる大聖人門下であり、別しては、大聖人である。と教えていただきました。
又、総別の二義をわきまえなければ、末法の御本仏を知らず、不幸の巷を流転するのみである。と教えていただきました。
私は、総別の二義をわきまえなければならない。と、認識致しました。

458沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/16(土) 20:20:41 ID:AJ3hr85o0
 森野一士さん

 教学面は耕治とどうぞ。

459耕治:2008/08/16(土) 20:30:36 ID:AJ3hr85o0

(総) 一切衆生はみな、南無妙法蓮華経そのものであるが、そのことを忘れている。
(別) したがって、思い出すためには、南無妙法蓮華経を信受する必要が在る

注意点
1、我々は、自身が南無妙法蓮華経で在ることを悟っていない(迷っている)ため、信心する必要が在る
2、しかし、信心の有無に関わらず、我々が、南無妙法蓮華経の当体そのものであることに変わりはない

460沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/16(土) 20:41:49 ID:AJ3hr85o0
補足説明ですよ

釈迦は爾前経と、法華迹門はインドで仏になった立場です。
 本門寿量品出始めて本地を明かしました。
 久遠実成と言う気の遠くなるような過去に成仏した。
 その後あらゆる娑婆世界で説法を教化した。
 そして方便で涅槃を現じた。
 と言うことです。

 そうすると、インドで16で出家して30歳で成仏したと言う事は嘘ですね。
 元々仏だったんですから30で成仏する必要が無いのです。
 しかしよく考えると30以後の釈迦と30以前の釈迦は明らかに差があるのです。

 この差が、迷うと悟るの差。
 忘れていると思い出したの差。
 これが釈迦仏法の極意です。

 釈迦の成仏は、何だ俺は元々仏だったんだ。
 この悟りです。
 俺は今仏になったぞ!じゃ無いんです。

 これはそのまま私共と同じです。
 私共は悟る前の釈迦。
 実体は久遠からの仏です。

461森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/16(土) 20:50:54 ID:ny2WHVj6O
>>458沖浦さん了解しました。

462森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/16(土) 20:56:34 ID:ny2WHVj6O
総は理論で
別は事実だと
認識しています

理論的には一切衆生は妙法の当体であるが
事実は御本尊を受持し信心する大聖人の門下が妙法の当体
更に深く、
総じては御本尊を受持し信心する大聖人の門下が妙法の当体
別しては大聖人
と認識しています。

受持即観心と肝に銘じます。

463耕治:2008/08/16(土) 22:48:44 ID:AJ3hr85o0
//理論的には一切衆生は妙法の当体であるが
事実は御本尊を受持し信心する大聖人の門下が妙法の当体//

 問題なのはですね、理の上であっても、一切衆生が妙法の当体であると、一大秘法が戒壇様という教義が崩壊してしまうんですね。
もうひとつ、
 「妙法の当体」というのは、生命の事なんです。

 ですから、仏法者だけが「妙法の当体」ではないのです。
 仏法者でなくても、はっきり言って、タバコモザイクウイルスでも、「妙法の当体」そのものなんです。

したがって
(総) 全ての生命は、妙法の当体そのものである。
(別) それを悟るためには、御本尊を受持し信心する必要が在る
だと思います。


更に深く、
総じては御本尊を受持し信心する大聖人の門下が妙法の当体
別しては大聖人
と認識しています。

受持即観心と肝に銘じます。

464森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/17(日) 00:09:38 ID:ny2WHVj6O
>>463耕治さんへ
理の上で一切衆生が妙法の当体であっても、一大秘法が戒壇様という教義は崩壊しない。と理解しています。そもそも、一大秘法とは、私達が家庭で御安置されている御本尊様のことでもあります。
日寛上人は、「依義判文抄」で、『━一大秘法とは即ち本門の本尊なり。此の本尊所住の処を名づけて、本門の戒壇と為す。此の本尊を信じて、妙法を唱うるを名づけて、本門の題目と為すなり。故に分かちて三大秘法と為すなり。━━三大秘法を合する則は但一大秘法の本門の本尊となるなり。故に本門戒壇の本尊を亦三大秘法惣在の本尊と名づくるなり」と。
又、仏教哲学大辞典より、「本門戒壇の大御本尊」とは、『日蓮大聖人が末法万年尽未来際にわたる一切衆生の救済のために、弘安二年十月十二日に出世の本懐として御図顕された曼荼羅本尊。━━この呼称の意味は広宣流布の時に建立される本門戒壇に安置すべき大御本尊ということであるが、本門戒壇は一切衆生の幸福と全世界の平和のために建立されるのであるから、その目的に即して「一閻浮提総与の大御本尊」━とも言われる。━この大聖人の心に呼応して同じく広宣流布の大願を起こし、民衆救済の実践に邁進していく強き信心こそ(つづく)

465耕治:2008/08/17(日) 00:24:58 ID:AJ3hr85o0
森野一市さん。
 
 実はですね、迷ったのですが、東国人氏たちのご本尊に関する主張は、法華講の主張に酷似しています。

 法華講のサイトに「創価教義検証館」というものがありまして、そこで法華講が池田先生の指導を攻撃しているわけですが、
その内容と、東国人氏が私たちに向けている内容が酷似しています。
 「創価教義検証館」で検索をかけていただければ、法華講の主張が出てまいります。
 そこで展開される、学会批判と、東国人氏たちの主張を比べてください。
 なぜならば、宗門の本尊論と、学会の本尊論が異なっており、本懐論者の主張は、本懐論に立脚しているからです。

 東国人さんでなくても、本懐論をたてて、衆生己心の妙法を攻撃する者は、おおむね、法華講の主張にならざるを得ません。
それは、将棋の定石のようです。

 そこで展開されている法華講の主張を破折しないことには、創価学会は教義上の独立ができません。
 私は、答えを自分なりに持っております。あなたも、考えてみてください。

466森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/17(日) 00:25:24 ID:ny2WHVj6O
>>464つづき
大御本尊根本の信心である。また、その信心によってのみ御本尊と一体の大聖人の仏界の生命と共鳴していくことができ、事の一念三千の御本尊の仏界涌現という功徳を現すことができるのである。したがって、大聖人が大御本尊に込められたのと同じ広宣流布の大願を脈動させた強き信心で御本尊を受持すれば、いずこであれ、その場が直ちに本門の戒壇と現れるのである。』とあります。
私は、沖浦さんが常々言われている、『広宣流布の大願を起こし、民衆救済の実践に邁進していく強き信心』
これこそ大御本尊根本の信心である。と認識いたします。

467耕治:2008/08/17(日) 00:28:20 ID:AJ3hr85o0
森野一士さん。
 
 実はですね、迷ったのですが、東国人氏たちのご本尊に関する主張は、法華講の主張に酷似しています。

 法華講のサイトに「創価教義検証館」というものがありまして、そこで法華講が池田先生の指導を攻撃しているわけですが、
その内容と、東国人氏が私たちに向けている内容が酷似しています。
 「創価教義検証館」で検索をかけていただければ、法華講の主張が出てまいります。
 そこで展開される、学会批判と、東国人氏や私たちの主張を比べてください。

 法華講VS創価学会  の構造がほとんどそのまま  東国人氏VS沖浦  の構造に似ていることに気づくでしょう。
 
 なぜならば、宗門の本尊論と、学会の本尊論が異なっており、創価学会内本懐論者の主張は、宗門の本懐論に立脚しているからです。

 東国人さんでなくても、本懐論をたてて、衆生己心の妙法を攻撃する者は、おおむね、法華講の主張にならざるを得ません。
それは、将棋の定石のようです。

 そこで展開されている法華講の主張を破折しないことには、創価学会は教義上の独立ができません。
 私は、答えを自分なりに持っております。あなたも、考えてみてください。

468耕治:2008/08/17(日) 00:31:59 ID:AJ3hr85o0
森野一士さん、

名前を間違えて書いてしまいました。お詫びします。

//一大秘法とは、私達が家庭で御安置されている御本尊様のことでもあります。
//

 私は、一大秘法は「南無妙法蓮華経」だと思っています。「私達の家庭で御安置されている御本尊様」は、それを顕したものだと思っています。
ですので、お題目でも功徳があり、内得信仰でも、功徳が在るのだと思います。

469森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/17(日) 00:49:32 ID:ny2WHVj6O
>>465耕治さんへ
今、読みました。
現在の日蓮正宗の教義からの独立といえば、「法主信仰」等の法主絶対主義関連のみでいいのではないでしょうか?
現在の法主や学会を破門にした法主は信心がなく信徒支配の為に戒壇の御本尊様を『道具』に使ったのだから、戒壇の御本尊様からは、罰を受けると確信いたします。
戒壇の御本尊様を否定する必要はない。と理解しています。
法華講で真面目に広宣流布をしようと信心されている方は可哀想だと思います。信心の上でも世法の上でも組織の長が、大聖人の信心とは違ったことをしているのだから、法華講の方は「一人の人ではあっても二つ心になってしまい、祈りが成就しない」ということになると確信いたします。

470森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/17(日) 00:51:51 ID:ny2WHVj6O
>>468耕治さんへ
468の耕治さんの思い了解致しました。

471耕治:2008/08/17(日) 01:11:00 ID:AJ3hr85o0
大秘法とは?

(1) 戒壇の大御本尊様
(2) 「私達が家庭で御安置されている御本尊様」や戒壇様をふくむ、全ての曼荼羅ご本尊様(細かい定義はおく)
(3) 南無妙法蓮華経(如来)様=己心の妙法
(4) 南無妙法蓮華経のお題目

 実は、(1)以外はそれぞれ文証があるので、迷うのです。(意外なことに戒壇様が一大秘法の体であるとする文証はない)

 (2)については、勧心本尊抄にも説かれてあるし、曼荼羅のご本尊様に関する御書の内容は、全部文証になってきます。

 (3)は、特に御義口伝に顕著です。これは、対機説法ではなく、法門の大事(大聖人様の仏法の核心)について、直接とかれてあるからです。

 (4)についても文証がたくさんあります。(むしろ、曼荼羅本尊様よりはるかに記述が多い)

前も、書きましたが、

己心の妙法=南無妙法蓮華経(如来)様が本尊で、
それを顕わしたのが、(2)お曼荼羅のご本尊様であり、
(4)その名前(宝号)がお題目

だと思います。で、(3)は無作の性質があり、永久に消滅しませんし、化法そのものです。

(2)と(4)については、言語形態が著しくことなる世界(極端な話他の惑星とか10万年後の世界とか)では、相貌がかわるものと推測します(相貌が変わるは推測です、文証はないです。だから、どんな世界のどんな言語形態のところでも、相貌が同じかもしれません?)

472森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/17(日) 01:22:21 ID:ny2WHVj6O
>>471耕治さんへ
471よく読んで勉強致します。

473もくれん:2008/08/17(日) 08:50:17 ID:gO.Fk5NY0
>>464 森野一士さま、はじめまして、もくれんと申します

>一大秘法が戒壇さま・・・& 各家庭の御本尊さま・・・

>>150 に 創価学会 教学部 の 一大秘法の 公式定義を
掲載しておきました。

言わんとすることは、伝わりますが、一大秘法である本門の本尊とは
日蓮大聖人が胸中に所持されている、久遠元初の妙法たる南無妙法蓮華経
であり、又、それを図顕した曼荼羅本尊です。

一大秘法、本門の本尊 については、正確に表現しないと、混乱を招くと
思い、僭越ですが、一言申し上げました。

474:2008/08/17(日) 11:25:15 ID:hsryjZ4U0
森野一士 さん、はじめまして。
貴方と耕治さんの、落ち着いた雰囲気の対話は和みます。
見解の相違は当然かも、そうであるからこそ、感情のぶつけ合いになるのは避けたいですね。

「仏教哲学大辞典」について、私が思うことがあります。
コレ、今は役に立たなくなりつつあると思います。
ちなみに、「日顕」で引いてみてください。
ふつうの学会員なら、あきれて閉じたくなるとおもいますよ。

476?:2008/08/17(日) 15:34:38 ID:WwDrUF2wO
475番号カキコはセクハラ的なので管理人さん削除を。

477?:2008/08/17(日) 15:43:05 ID:WwDrUF2wO
削除ありがとうございました。

478大勝利:2008/08/17(日) 17:23:45 ID:LOFbgPrA0
>>132
>などは、「我が身が日蓮大聖人」の記述です。
>>152
総じて日蓮が弟子旦那と考えます。

両重の総別について、当体義抄の重要な点だと思うので押さえて置きたいのですが…
「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩業苦の三道法身般若解脱の三徳と転じて三観三諦即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居身土色心倶体倶用無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり」
の別の中の別とは、「日蓮大聖人」ではないです。

「一切衆生悉く妙法蓮華経の当体」が総、
「日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり」が別、
「能居所居身土色心倶体倶用無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり」が別の中の別ですので、

弟子檀那の中でも別して「正信」にあたるの弟子が当体蓮華の仏と言うことです。
信受に約して是以上別することは出来ません。

大聖人の仏法は大聖人御一人だけが成仏する仏法ではないからです。




479森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/17(日) 20:43:59 ID:ny2WHVj6O
>>473
もくれんさん、初めまして。宜しくお願い致します。板主の沖浦さんが、「さん」で、という事でしたので、私も「さん」でお願い致します。
ご指摘ありがとうございました。
私が>>464で引用した日寛上人の文は『仏教哲学大辞典』に載っていたものです。もくれんさんが、引用された、『教学の基礎』の一大秘法の定義の部分の後に同じ内容の事が書かれています。
私達の家庭に御安置されている御本尊様は、大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法たる南無妙法蓮華経であり、また、それを図顕された曼荼羅本尊であって一大秘法であり、戒壇の御本尊様も、広宣流布の事相に応じて建立される戒壇に御安置すべき御本尊であり一大秘法です。と。
ちなみに、本門の戒壇には、「義」と「事」があり、「事の戒壇」とは上の通りで、「義の戒壇」とは本門の本尊を安置し、受持し奉るすべての所が、その意義において事の戒壇にあたる。と、あります。私は、家庭の御本尊様を信受することと、戒壇の御本尊様を信受することは同じだと認識しました。

480森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/17(日) 20:52:39 ID:ny2WHVj6O
>>474
梅さん初めまして、宜しくお願い致します。
私のは、2000年発行2001年第五刷の辞典ですが「日顕」載ってなかったです。
現時点での、学会の書籍で教学を学びたいと思います。

481森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/17(日) 21:06:14 ID:ny2WHVj6O
>>478
大勝利さんへ
大勝利さんの書き込みで、私は、
当体義抄では、妙法の当体の両重の総別を述べられていて、正信の弟子達が当体で、大聖人御一人だけではなく、
御義口伝では、如来の両重の総別について述べていて、大聖人御一人が如来である。ということを混同していたことに気付かせていただきました。ありがとうございました。

482大勝利:2008/08/17(日) 21:22:18 ID:LOFbgPrA0
>>481
森野一士さん
いつもありがとうございます。
こちらこそ、おかげさまで学ばさせて頂いております。
今後ともよろしくお願い致します。

483耕治:2008/08/17(日) 21:48:00 ID:AJ3hr85o0
例題  {衆生と仏は当体そのものがちがうのか?同じなのか?}

 Aいわく「衆生己心の妙法が、ご本尊の当体そのものならば、出目金や金魚を拝んでもいいことになる」

 Aの出典、原文まま
 //一切衆生の己身の妙法が本門の本尊なんでしょ〜。犬も猫も一切衆生だよ〜。犬や猫拝んでも良い事になっちゃうよ〜。早く教えてニャ〜。ついでに出目金も〜。//

 Bいわく「仏性とは、仏界が涌現しているだけである。あくまでも、仏界をさしてご本尊ということはあっても、衆生の当体(地獄や餓鬼も含めた、十界そのものは、ご本尊ではない」

 Bの出典 原文まま
 //衆生が妙法蓮華経の当体といっても、それは「我が仏界」のことであるわけです。衆生が妙法蓮華経であるから本尊ならば、お互いを拝めばいいことになります//

 整頓すると
 A説とB説は、ほぼ同じ事を言っています。衆生が仏様といっても、あくまでもそれは、衆生の己心のなかにある仏界を限定でさしている。もし、衆生の当体そのものが、仏(南無妙法蓮華経)ならば、別に何を拝んだっていいではないか。
 1、衆生はご本尊の当体ではない
 2、あくまでも、衆生の中の仏界だけが、ご本尊といえる(これも、言うこともあるにすぎない)

 補足
 海外などでは、命は神に作られた(有作)、生命の当体などは存在しない(生物が存在するだけ)という2つの考えが主流であるため、現実に生命そのものが本尊の体です」などというと、「なら、犬猫おがんでもいいのか?」という話しになります。
 さて、どんな宗教でも、崇拝の対象たる本尊が通常存在します。そして、本尊は全て生命(衆生)以外のものです。拝む側と、拝まれる側には、断絶があります。今、ネットで二つの考え方が戦われています。

 ひとつは、先にあげた
「衆生の当体と本尊は違うものである」  つまり、私ども衆生(生命)と、本尊には断絶があるという考え方です。法華講も、おおむねこの考え方です。
 もうひとつは、
「衆生の当体は本尊そのものである。」  つまり、私ども衆生(生命)と、本尊には全く差別がなく、信仰はあくまでもそれを悟るためにあるという考えかたです。これは、世界で唯一、創価学会のみが、主張している教義であります。

 さて、大聖人様はなんと仰せでしょうか。この答えは、実は大聖人様が用意されていらっしゃるのです。
 答えは、御義口伝にあります。

484もくれん:2008/08/17(日) 22:09:45 ID:gO.Fk5NY0
>>483
耕治さん、はじめましてもくれんと申します

>>483の下から4行目

>世界で唯一、創価学会のみが、主張している教義であります。

耕治さんの言わんと真意は伝わっております。
そこで、

>>150  で 一大秘法、すなわち本門の本尊の、創価学会の公式定義
を掲載しておきましたが、耕冶さんは、この表現で当然OKと
判断してもよろしいのでしょうか?

ぶしつけで申し訳ないですが、よろしくお願い申し上げます。

485もくれん:2008/08/17(日) 22:16:55 ID:gO.Fk5NY0
>>479  森野さん、丁寧なご返信ありがとうございました
 
平成5年秋から、日寛上人御書写の御本尊授与が始まり、その前後に
御本尊に関する先生のスピーチがたくさんありますね。
会員の疑問に全て答え尽くしたという感がありますね。

486ゴンちゃん ◆Dx9s.ycyhk:2008/08/17(日) 22:22:46 ID:3nONkm7Q0
耕治さん!御書P760=御義口伝に、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり。
とありますよね〜日蓮正宗教学小辞典では、そう解釈されているようですが。。。
法華経の行者=言うまでもなく私達凡夫ですよね!!どうでしょうか??

487耕治:2008/08/17(日) 22:39:46 ID:AJ3hr85o0
こんばんは、もくれんさん。

//三大秘法の根本は一大秘法です。//

その通りだと思います。

//★ 一大秘法とは、本門の本尊、//
///すなわち、日蓮大聖人が胸中に所持されている、久遠元初の妙法たる
★ 南無妙法蓮華経であり、又、それを図顕された、曼荼羅本尊です。//


 父は、本門の題目ではないか?と云っています。
私は、根本として尊敬するべき当体が、一大秘法とするならば、本尊そのものだと思います。
しかし、一大秘法とは、お曼荼羅ではなく、南無妙法蓮華経の当体(生命)そのものだと信じています。

488耕治:2008/08/17(日) 22:46:16 ID:AJ3hr85o0
ゴンちゃんさん、こんばんは。

私も、そう思います。「一身の当体なり」
御義口伝には、これでもか!これでもか!まだわからないのか!というくらい

衆生(生命)=南無妙法蓮華経
本尊=南無妙法蓮華経
十界全部を含む衆生は(本仏)、衆生己心の仏界は(しゃく仏)

といったことが繰り替え繰り返しとかれています。

489沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/17(日) 23:08:42 ID:AJ3hr85o0
 日蓮正宗創価学会の連中にはわからない。

 わかると困るから絶対にわかってもわからないふり。

 無理アンネ〜〜〜。

490耕治:2008/08/17(日) 23:24:13 ID:AJ3hr85o0
日蓮正宗創価学会派
「衆生の当体と本尊は違うものである」    つまり、私ども衆生(生命)と、本尊には断絶があるという考え方です。寛師教学に忠実です。
創価思想派
「衆生の当体は、実に本尊そのものである」  つまり、私ども衆生(生命)と、本尊には全く差別がなく、信仰はあくまでもそれを悟るためにあるという考えかたです。これは、世界で唯一、創価学会のみが、主張している教義であります。

 さて、大聖人様はなんと仰せでしょうか。この答えは、実は大聖人様が用意されていらっしゃるのです。
 答えは、御義口伝にあります。
 
//第一南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事//

 法華経には「妙法蓮華経如来寿量品第十六」と書いてあるはずですが、どういうわけか大聖人様は「南無妙法蓮華経如来寿量品」と、頭に南無をつけていらっしゃいます。ここでは、「南無妙法蓮華経如来」の「功徳の量をはかる品」とお読みになられておいでです。

 釈迦仏法では、ここには南無はついておらず「五百塵点成道の釈尊」の「寿命の量をはかる品」と言う意味になります。
 大聖人様は、わざわざ「南無妙法蓮華経如来」と仰せです。その上、池田先生が、南無妙法蓮華経如来様と指導されているので、私ども学会員は、信受すればいい話です。ここは、大聖人様の法門の枢要の部分です。


//文句の九に云く//
//如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号なり//

 天台は、「如来とは劣応身も、びるしゃなも大日も全部含めて、一応は如来」といっています。大聖人様も、その釈をここではとられていらっしゃいます。いろいろな名前の仏様がいらっしゃいます。しかしながら、


//別しては本地無作の三身の別号なり、//

 真の意味で如来たりえるのは、先ほど冒頭に出てまいりました「南無妙法蓮華経如来」様だけです。
 この「本地無作の三身」と冒頭の「南無妙法蓮華経如来」様は同じ仏様です。
 ここでいう「別号なり」は、本当の仏様は「本地無作の三身=南無妙法蓮華経如来様」しかいない。という意味です。
 

//寿量とは詮量なり、

 さて、大聖人様は寿量とは、「詮量」はかる事だと仰せです。


//十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量す故に寿量品と云うと。

 如来寿量とは、「十方三世・二仏・三仏の諸仏」すべての仏様の功徳の量をはかると仰せです。
 寿命の量ではなく、功徳の量をはかるのです。
 題名は、「南無妙法蓮華経如来寿量品」なので、「南無妙法蓮華経如来」様の功徳をはかる品となっていますが、ここでは、「十方三世・二仏・三仏の諸仏」とありますように「南無妙法蓮華経如来」様にすべての仏の功徳は含まれてしまうのです。
 つまり

  あらゆる仏様 =< 南無妙法蓮華経如来様=本地無作の三身 の関係です。


//御義口伝に云く

 その南無妙法蓮華経如来の事が、これから明らかにされていきます。

491森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/17(日) 23:27:18 ID:ny2WHVj6O
私は、日蓮正宗(江戸時代に付けられた名称?)とは、日蓮大聖人の仏法を日興上人日目上人と正しく信心している宗派だと認識しています。今(過去にも・54年前からも?)の日蓮正宗は、大聖人の仏法をねじまげているので違う宗派だと認識しています。
大聖人の仏法をねじまげて、我が正しいとするのは、大聖人の仏法を信心する者にとって、本末転倒だと思います。

492森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/17(日) 23:43:50 ID:ny2WHVj6O
理論的には一切衆生に仏界がそなわっているとしても事実としては自身の仏界を開くには曼荼羅御本尊を信受し自行化他のお題目を唱えなければ開かない。

493耕治:2008/08/17(日) 23:51:27 ID:AJ3hr85o0
//この品の題目は日蓮が身に当る大事なり//

 この品の題目は、大聖人様の身に当たる、大事だと仰せです。
 この品の題目は「南無妙法蓮華経如来寿量品」ですね。「南無」がついています、「南無妙法蓮華経」
 しかも、その題目は、「日蓮が身に当る大事」と仰せです。そうです、「南無妙法蓮華経如来」様は大聖人様の身に当たる大事なのです。

 日蓮大聖人様=南無妙法蓮華経如来様


//神力品の付属是なり、//

 神力品において、釈尊から大聖人様が結要付属を受けたと説かれています。
この神力品の付属の正体が、「南無妙法蓮華経」だったのです。神力品では、この付属の正体は一切経の総要であることが説かれています。この総要を、釈尊より1歩深い奥義程度に解釈すると誤ります。要とはすべての法を生み出すの根源の法です。広、略、要の要です。もっとも大事な核心です。

 「南無妙法蓮華経」にすべて法は含まれると仰せなのです。また、すべての自然界の法則や仏の諸説も収斂していくと最後に「南無妙法蓮華経」に行き着きます。この要は、万人が根本として尊敬するべき当体そのものですので、「本尊付属」という言い方もされます。
 神力品の付属とは、「南無妙法蓮華経」そのものであり、それ以外の付属は、ありません。(たとえば、法主専用の付属など)


//如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり

 再び出てきました。如来にはすべての仏が含まれる。釈尊だけではない、すべての仏を含むのだと。


//別しては本地無作の三身なり、

 しかし、真の意味で如来足りえるのは「本地無作の三身」だけだと仰せです。
 「南無妙法蓮華経如来」様を開くと、「本地無作の三身」になるのです。両者は別個のものではありません。
 大聖人様は、神力品における付属の正体は、「南無妙法蓮華経」そのものであって、それは「本地無作の三身」なんだと明確に仰せです。
 
 さて、「本地無作の三身」とは、どういう意味でしょうか。
 
 「本地」とは、前段の「十方三世・二仏・三仏の諸仏」にあたるすべての仏様、阿弥陀も大日もびるしゃなも久遠実成の釈尊たち全部を生み出している能生の仏様であり、これら諸仏の本体にあたる仏様というほどの意味です。

 「無作」とは、誰からも作られたものでもない、元のまま、ありのまま、久遠から未来際まで常住にして滅びることがない、という意味です。「人は神様から作られました」これは「有作」です。

 「三身」とは「南無妙法蓮華経如来」様を三諦から三身如来に開いたものです。「南無妙法蓮華経如来」様にも当然、法身、応身、報身の三身が備わっておいでです。

494大勝利:2008/08/17(日) 23:59:07 ID:LOFbgPrA0
耕治さん

>つまり、私ども衆生(生命)と、本尊には断絶があるという考え方です。寛師教学に忠実です

これはどうだろう?
日寛は衆生(生命)と、本尊を妙合、一致と言っているんです。
日寛教学を否定するには、先ず無駄だと思わず知ることは大事ですよ。

49573:2008/08/18(月) 00:05:23 ID:qjiW.C7w0
>御書P760=御義口伝に、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり。
>とありますよね〜日蓮正宗教学小辞典では、そう解釈されているようですが。。。
>法華経の行者=言うまでもなく私達凡夫ですよね!!どうでしょうか??


総じて、私たち衆生です。別して大聖人様です。
正法を信受し、大聖人様の御当体である御本尊様に拝することにより、
境智冥合し、衆生に具わる私たちの仏性が開きます。
境とは三大秘法の御本尊様、智とは私たち衆生の智慧です。

ゆえに、その道理から、
総じて、ゴンちゃんの言う
法華経の行者=言うまでもなく私達凡夫ですよね、
になります。

496耕治:2008/08/18(月) 00:05:46 ID:AJ3hr85o0

//今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり//

 ここでいう如来は、当然、南無妙法蓮華経のことです。
 大聖人様の奥義は、我等衆生が「南無妙法蓮華経如来」様の当体そのものだという事です。私のような、生きるために働かなくてはならず、病気もし、一秒先の未来もわからない暗き者ではあっても、その当体は「南無妙法蓮華経如来」そのものなんだと仰せなのです。
 一切衆生ということは、すべての生命が、南無妙法蓮華経如来であると仰せなのです。

 仏様は「そのことをわからせてあげたい」という一念でこの世界に出現されます。「一大事因縁」として「如我等無異」あるいは「即成就仏身」として説かれているではありませんか。また、この文証は御義口伝だけでなく、御書のいたるところに一貫して説かれている大聖人様の御精神ですので、何人たりとも疑網を生じることなく、ただただ一大信力を出して、御心を仰いでご本尊に向かうべきだと思います。

 この事に疑網をはさむことは、「法華経を賛じるあまり、かえって法華経の心を殺す」ことになると天台家も言っているではないですか。
 また、これに疑いを持つことは「一切世間の仏に成る種を切断する行為」だと釈尊も言っています。


//別しては日蓮の弟子檀那なり、//

 しかし、その事を覚知するためには、大聖人様に帰依する必要があることは言うまでもありません。これは、絶対条件です。


//されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり//

 では、帰依するとはなにか?無作の三身と悟るためには、法華経の行者であることが条件だと仰せです。法華経の行者とは生死一大事血脈が通うものです。どうすれば通うかは血脈抄にあるとおりです。(血脈とは籍さえ創価学会ならば、自動的に通うなどという単純な話ではありません!)

 
//無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、//

 大聖人様はふたたび「無作の三身」とは「南無妙法蓮華経」のことだとおおせです。「無作の三身如来」の御名を「南無妙法蓮華経」というのです。
「南無妙法蓮華経」とは、仏様の名前であり、私たち一切衆生の本名なのです。

   「南無妙法蓮華経」=「無作の三身如来」=「一切衆生」
 この関係を覚えておいてください。


//寿量品の事の三大事とは是なり、//

 「寿量品の事の三大事」はいわゆる「三大秘法」のことです。
 大聖人様は、神力品で説かれた決要付属の正体を「南無妙法蓮華経」であると仰せになられ、また、「事の三大事=三大秘法」とも「本地無作の三身」ともおっしゃっておられます。ここで三つの言葉が出てきていますが、要付属ですので、別々の三つのもが付属されたのではありません。三者は一体のものです。「本地無作の三身」といい、「三大秘法」といい、詮ずるところは「南無妙法蓮華経」を指し示しているのです。

 三大秘法は、「三学」から南無妙法蓮華経如来様を見ているのです。三身如来は、「三諦=三如是」から南無妙法蓮華経如来を見ているのです。
 三大秘法といい三身如来といっても、別個のものではありません。

 私たちは、「南無妙法蓮華経」といわれてもわからないのです。ゆえに大聖人様は、私たちのために「三身如来」をお示しになり、成仏の実践方法として「三大秘法」をお説きになられたのだと思います。
 また、「戒、定、恵の三学」と「応身、報身、法身の三身」は密接な関係にあり、説明上は分けることができますが、その体は一のはずです。
 ただ、寛師教学における、この三諦と三学の整合が、私にはよく理解できません。

497耕治:2008/08/18(月) 00:12:05 ID:AJ3hr85o0
>>494
大勝利さん
日寛教学も、勉強しようと思います。
原文と、創価学会の通解を読もうと思います。

498大勝利:2008/08/18(月) 00:22:16 ID:LOFbgPrA0
>>493
本地垂迹と無作の概念もちょっと違います。
言葉の表す概念が違うと言う意味ですがね。

大聖人の時代はすでに神仏習合している民衆の機根だからその辺を考えないと。
無作は、ありのままつくろわず、三十二相に対しての無作が基本での展開。

49973:2008/08/18(月) 00:30:23 ID:qjiW.C7w0
>「南無妙法蓮華経」=「無作の三身如来」=「一切衆生」
> この関係を覚えておいてください。

因果、縁起の法門を無視したこの人、ダメですね。

「三因仏性は有りと雖も善知識の縁に値はざれば、悟らず知らず顕はれず」
『総勘文抄』

迷いの衆生の己心の妙法を拝んでも
仏性は顕れません。

500耕治:2008/08/18(月) 00:33:01 ID:AJ3hr85o0
無作とは、と考えています。色相荘厳の仏に対しての語という意味よりも

 誰からも作られたものではない。
 変化変化の連続の中で、決して変わらないもの。
 生命そのものの本質を表す言葉
 久遠元初を指し示す言葉

という風に捉えています。なぜなら、本質論だからです。

本当の仏様は、32相の色相荘厳の仏じゃないんですよ、という意味でもありますが、

仏様の本質は
誰から作られたものでもない、無始無終の存在であり、永久に滅びることはない。
それが、生命の本質であると捉えています。(個人的にですが)
 

と考えています。色相荘厳の仏に対しての語

501耕治:2008/08/18(月) 00:40:40 ID:AJ3hr85o0

//六即の配立の時は

 この段からは大聖人様が、天台の六位(天台は便宜上、菩薩にランクをつけたんですね。)をかりて南無妙法蓮華経如来をお説きになられます。
 六即というのは、ランクが六個あるから六即です。ただし、天台教学をもって、大聖人様が、我等衆生に差別を設けるという意図ではないと拝します。


//此の品の如来は理即の凡夫なり

 此の品の如来は理即の凡夫だと仰せです。
 「此の品の如来」とは、たびたび出てきている「南無妙法蓮華経如来様」のことです。なぜならこの品は、「南無妙法蓮華経如来寿量品第十六」だからです。

 大聖人様は、「南無妙法蓮華経如来」が、「我等一切衆生」であるとはっきりと仰せです。人師の我見で、否定していい御文ではありません。
 我等衆生の生命の一部に(たとえば仏界)、「南無妙法蓮華経」が含まれているのでは、ないのです。
 われら衆生そのものをさして、一切衆生は「南無妙法蓮華経如来」であると、言い切っておられます。
 日蓮正宗創価学会派は、総別の二義を曲解して、「仏様とは、総じて衆生でも、別しては法華経の行者だから、本尊の当体は衆生ではない」と唱えております。しかし、それは誤りです。なぜならば、

 !「此の品の如来は理即の凡夫」だからです。
 「南無妙法蓮華経」=理即の凡夫なのです。
 どこにも「本尊」は、凡夫己心の仏界に限定とは書いてありません。

 
//頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時名字即なり、

 「南無妙法蓮華経を頂戴し奉る」とは、「南無妙法蓮華経を信受する」と言うことです。
 「名字即」とは仏の名前を知っているが元義です。
 この煩悩と迷いに満ちている身であるはずの自分が、実は南無妙法蓮華経如来なんだと信じ奉ったとき、その人は「名字即」と呼ばれるのです。ここに血脈が通うのです。


//其の故は始めて聞く所の題目なるが故なり

 「始めて聞く所の題目」
 天台家においては、仏の名を知ることを、信仰の第一歩と説きました。この段も、初めて南無妙法蓮華経を聞いたから名字即なのだと仰せです。何故なら、「南無妙法蓮華経」とは、仏の御名だからです。大聖人様の法門においては、南無妙法蓮華経とは仏の名字なのです。

502大勝利:2008/08/18(月) 00:43:51 ID:LOFbgPrA0
>>500
普通の人間の姿ってことでしょう。
その時代、仏は天上にいて、迹を垂れてこの国土に現れると信じられていました。
大聖人はそうではなく、この衆生の国土が仏の本地と顕したんですね。

503耕治:2008/08/18(月) 00:59:18 ID:AJ3hr85o0
 そうですね。
 だって、仏様って言いますと、金ピカのイメージがありますから。
 どう考えたって、不自然ですよね。

504森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/18(月) 01:15:15 ID:ny2WHVj6O
>>482大勝利さんへ
>>481
池田先生の御義口伝講義の『第一南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事』のなかで、当体義抄でも、別っして大聖人のみが当体蓮華の仏である、と教示がありましたので報告いたします。

505耕治:2008/08/18(月) 01:16:17 ID:AJ3hr85o0
/聞き奉りて修行するは観行即なり

 実際に修行をする段階が、観行即だと仰せです。天台において「観行」とは、修行者が己心の仏性を観ずることをさしています。さて、大聖人様はなんと仰せでしょうか。


//此の観行即とは事の一念三千の本尊を観ずるなり、

 観行とは、「事の一念三千を本尊を観る事だ」と仰せです。
 現在においては、大聖人様の内証を顕わしたるご本尊様に帰命するという意味になります。
 なぜなら大聖人様が、すでに御自身の内証たる南無妙法蓮華経を御図顕されたので、私たちは天台流の煩雑な修行を放棄して直接、「南無妙法蓮華経如来」様を信の一字をもって観ることができるからです。
 曼荼羅の御本尊様があるから、ご本尊をとおして南無妙法蓮華経を拝むことができるのです。帰命しようとしても、帰命するべき対象が、私たちにはわからないのです。自分の頭で南無妙法蓮華経を考えたって、それは、自分の妄想の産物に過ぎないからです。

 また、本尊とは「事の一念三千」だと仰せです。本尊とは、仏界に限定であるとは、どこにも説かれていません。本尊とは「事の一念三千」だと、説かれてあります。
(ちなみに、この仏界をさして本尊とする考え方を、しゃく仏といいます。御義口伝に説かれております)
 

//さて惑障を伏するを相似即と云うなり

 相似とは姿が仏に似てくるという段階です。この仏は当然、その人己心の南無妙法蓮華経如来様です。この仏は「無作」の本質をもっていらっしゃいます。信心が深くなると、作られたものではない、壊すことのできない修行者の善性が発揮されて身を飾ってくるのです。「惑障を伏する」は、煩悩を断じるという意味よりも、その人が功徳で身を飾ることだともいえるでしょう。信心がすすむことで、その人らしさが光り輝いて、その人の振る舞いが己心の南無妙法蓮華経に照らされて、本有の人生を歩き始める段階でもあります。

 さて、曼荼羅のご本尊様を、拝しますと、「南無妙法蓮華経 日蓮」と首題が宝塔のごとくたち、その周りを十界の衆生が取り囲んで、南無妙法蓮華経の光に照らされております。で、釈迦と多宝が仏界を代表し座っておられるのですが(それだけの意味では決してない)この二仏(仏界)をさして、本尊という考え方は、創価学会にはありません。一念三千の本尊というのは、南無妙法蓮華経に照らされた曼荼羅全体なのです。つまり、第六天魔王やダイバダッタも含めた南無妙法蓮華経に照らされた十界全体も指して、本尊というのです。これを本仏といいます。釈迦、多宝などの衆生己心の仏界をさして言うときは、しゃく仏といい、本尊ではありません。
 
 また、成仏とは、南無妙法蓮華経に十界の衆生が照らされている状態、迷うとは、照らされていない状態という表現もできるかもしれません。しかしながら、両者は、南無妙法蓮華経の当体そのものです、迷悟以外の差別は全くありません。

506耕治:2008/08/18(月) 01:24:45 ID:AJ3hr85o0
73さん
あなたは凄いですね。創価学会の掲示板にあって、法華講で唯一、自身が奉じる教義を説いている。
法華講員の御書を見ました。勉強のし過ぎで、みな真っ黒になっていました。

507森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/18(月) 02:03:15 ID:ny2WHVj6O
耕治さんへ
先生の『御義口伝講義』の(第一南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事)のなかで、『理即とは、理のうえで仏界を具している衆生のことである。一切衆生が、妙法の当体であるというのは、この理即をあらわしていることにほかならない。仏性を具しているとはいえ、理即の衆生は、現実には、邪見におおわれ、苦悩の充満せる迷いの衆生なのである。━━ここに名字即から、ただちに即身成仏するとあるのは、日蓮大聖人の仏法においては、信心こそ成仏の要諦てあり、信心のなかに成仏はおさまっていることを意味するのである。━━「此の無作の三身をば一字を以て得たり。いわゆる信の一字なり」と説かれているのである。』とありました。
また、『信心のないものは本地無作の三身とはいえない。信心がなければ、一心は無明におおわれ、その実質は、三悪道、四悪趣にほかならない。ゆえに信心に約して別して本地無作の三身を論ずれば、ただ大御本尊を唯一無二と信ずる人が本地無作の三身なのである。だが、さらに論及すれば、われわれが無作の三身の当体であるというのは、総じての立場であり、別していえば、日蓮大聖人のみ無作の三身の当体であらせられる。われわれが大御本尊を信じて(つづく)

508森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/18(月) 02:07:24 ID:ny2WHVj6O
>>507(つづき)
無作三身と開くことができるのは、大御本尊それ自体がまったく無作三身如来たる日蓮大聖人の全生命であるからにほかならない。』とありました。

509耕治:2008/08/18(月) 02:42:17 ID:AJ3hr85o0
//『信心のないものは本地無作の三身とはいえない。//

 このご指導は、「別しては日蓮が弟子、旦那などのことなり」の部分です。

//信心がなければ、一心は無明におおわれ、その実質は、三悪道、四悪趣にほかならない。//

 「一心は無明におおわれ」
 ご本尊様の相貌をご覧ください。南無妙法蓮華経が宝塔のごとく中央にそびえ、その周りを取り囲んでいる十界の衆生が皆、南無妙法蓮華経に照らされています。
また、十界の衆生も、第六天魔でさえも、南無妙法蓮華経の方を向いています。これが、貴方や私が成仏している姿です。 

しかし、実際には、「一心は無明におおわれ」ているのです。
南無妙法蓮華経が十界の衆生を照らさず、衆生はあさっての方を、向いてしまっています。
これが、「一心は無明におおわれ」ている状態です。これを迷うといいます。

「ゆえに信心に約して別して本地無作の三身を論ずれば、ただ大御本尊を唯一無二と信ずる人が本地無作の三身なのである」

//だが、さらに論及すれば、われわれが無作の三身の当体であるというのは、総じての立場であり、別していえば、日蓮大聖人のみ無作の三身の当体であらせられる。//

 これは、私や貴方は、大聖人様と縁が深いのです。この宇宙には、おびただしい仏様がいらっしゃいますが、
貴方や私は、大聖人様に化導を受けているのです。ですから、大聖人様だけが、私や貴方を成仏させる事ができるのです。

//われわれが大御本尊を信じて無作三身と開くことができるのは、大御本尊それ自体がまったく無作三身如来たる日蓮大聖人の全生命であるからにほかならない。』//

 貴方や私は、成仏するために、どうしてもご本尊様が必要なのです。

「無作三身と開く」
仏になるのではありません。もともと仏だったと悟るのです。
これを
「凡夫の当体本有のまま」とも
「当体を改めず」とも
「成仏の成とは、開くの義」ともおおせです。

510森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/18(月) 03:09:12 ID:ny2WHVj6O
受持即観心です。
大聖人こそ末法の御本仏です。大聖人の生命の曼荼羅です。

511:2008/08/18(月) 11:07:31 ID:hsryjZ4U0
森野一士さん こんにちは

私の「仏教哲学大辞典」は初版本でした。
それは完璧に日蓮正宗よりで書かれています。
新しいのが出ていて、「日顕」がないとは知りませんでした。
失礼いたしました。
でも、何故こんな大事な人が入っていないのでしょうね?

512大勝利:2008/08/18(月) 11:14:42 ID:UIpidwPg0
>>504
森野一士 さん

御義口伝講義での総別は、
信受に約して、「別の中の別、さらに別」ではなくて、
法体信受の「法体」が別であるとの意味だと思います。
例えると、ひとつ上のフォルダに戻るような感じではないでしょうか?。

私は、「三重の総別」、「四重の総別」のような捉え方には否定的です。
出来るだけひとつの義において両重の総別まで。(そもそも文底が前提ですので)
秘沈のさらに秘沈とか別の中のさらに別をやっていったら仏法じゃなくなると思っているんで。

弟子檀那に中る人に、三大秘法(一大秘法)がある事を示された(信受)ところまでが別、
この一大秘法は本門の本尊で日蓮大聖人(人法)、よって当体蓮華と顕ると思います。

これを弟子檀那の中で「正信」の者は別して「法主」しかないとの論理に陥ると「日顕宗」になってしまうことになります。
日寛は「我が身だけが日蓮大聖人」の当体と言いたかったのではないでしょう。

513:2008/08/18(月) 11:48:51 ID:hsryjZ4U0
耕治さん こんにちは
森野さんとの対話の横からで申し訳ないのですが

>これは、私や貴方は、大聖人様と縁が深いのです。この宇宙には、おびただしい仏様がいらっしゃいますが、貴方や私は、大聖人様に化導を受けているのです。ですから、大聖人様だけが、私や貴方を成仏させる事ができるのです(>509)

「大聖人様だけが、私や貴方を成仏させる事ができるのです」の「大聖人様が成仏させる」ですが、自力本願との違いは何でしょうか?

私の質問を言葉の枝葉末節にこだわるととらえないで下さいませ。
この信心は自力本願だと聞いていますが、「御本尊にひたすらお願いする」あるいは「ご本尊様におわびする」という表現も使いますよね。しかし、これは他力本願と同じではと思っているからです。

514沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/18(月) 11:59:35 ID:AJ3hr85o0
 梅さん横レスですが

『是を以て思うに一切の仏法も又人によりて弘まるべし之に依つて天台は仏世すら猶人を以て法を顕はす末代いづくんぞ法は貴けれども人は賎しと云はんやとこそ釈して御坐候へ、されば持たるる法だに第一ならば持つ人随つて第一なるべし、』
 (持妙法華問答抄)

515:2008/08/18(月) 12:36:15 ID:hsryjZ4U0
沖浦さん こんにちは

世法において創意工夫するのは当然として、最後の最後は御本尊様に祈るしかないというスタンスで、
他力本願と違いはなくなるのではないかと思っているのですが・・

そうすると、↑は今まで教わってることとなんとなく違う。
しかし、自身以外の様々なことを祈ってかなうとか(例えば追善供養)、自身の「仏界湧現」というのも
自力でするものかとかというモヤモヤがあります。

516沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/18(月) 12:52:10 ID:AJ3hr85o0
 梅さん

 ドラえもんの何処でもドア知ってますね。

 御本尊様に祈る事は、宇宙の仏界即自分己心の妙法に祈る事になります。

 御本尊様がドアみたいに開けて、仏界に直通しています。
 これが仏力法力で、祈る私共の力が、真力行力です。
 
 楽器と、弾き手の関係に似ています。

517:2008/08/18(月) 13:35:14 ID:hsryjZ4U0
沖浦さん

なるほど〜
分かりやすい例えですね!
しかし、このことについては、もっとお題目をあげながら考えます。
頭でっかちだけでは、しょうがないですものね。
(私にはそういう傾向があると自覚しています)

518森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/18(月) 14:25:50 ID:ny2WHVj6O
>>512大勝利さんへ
講義では、当体蓮華の仏とは、正信の者、というところより少し下って、実際には誰が、当体蓮華を証得したのかを明かされるところがありますが、その御文は、証得されたのは日蓮大聖人お一人である、との御教示があります。

519fffffffff:2008/08/18(月) 15:15:48 ID:9EQR17Sk0
これ、見るとよろし。
http://mo.adultsns.com/

520もくれん:2008/08/18(月) 22:41:52 ID:gO.Fk5NY0
>>487

耕冶さん、ご返信ありがとうございます。

一応、創価学会としての、教学上の公式定義は、頭に入れておいて
いただいた方がいいと思いまして、お聞きしたわけです。

私なんて、今回、小野さんの板で、三大秘法の議論が始まってから
例の本、2002年発行、創価学会教学部編 「教学の基礎」
開いてみて、あ〜そうなんかって、でもすぐ納得しましたけどね。

だから、結構多くの活動会員でも、突然「三大秘法を答えよ」
「一大秘法について説明せよ」なんて、質問されて、正確に答えられない
人もいると思いますよ。

>>483 
>これは、世界で唯一、創価学会のみが主張している、教義であります。

と言われていますので、是非、論理的に整合性を持たせないと矛盾が
生ずるのではないのかなと思いました。

521もくれん:2008/08/18(月) 23:27:02 ID:gO.Fk5NY0
>>497  耕冶さん
>日寛教学も勉強しようと思います。

私も日寛上人の六巻抄等持っていますが、読んでもチンプンカンプンですが
平成5年、秋頃から日寛上人御書写の御本尊授与が全世界の同志に対して
始まりましたね、その前後、池田先生はスピーチで、日寛上人のことを
たくさん語って下さっております。もくれんの部屋にも書いてあります。

当時、小冊子「創価のルネサンス」\100 の本が会員に頒布されていて
ほとんどそこに収録されています、先生の全集にも収録されています。
勿論先生は日寛上人は立派な方、正義の方であるとのスタンスです。
御本尊授与するから、そうに言っているわけではないですよ。

522耕治:2008/08/18(月) 23:45:36 ID:AJ3hr85o0
 もくれんさん、こんばんは。

 私は、創価学会の教学を学んでいく上で、非常に注意していることがあります。
その指導や、御文は、どういう立場で、なされているのか?説かれているのか?
ということなんです。

 例えば、よく五重の相対というのが出てまいります。
御書には、権実相対で説かれて部分、本しゃく相対で説かれた部分、種脱相対で説かれた部分があります。
ですので、相対について知っておかないと、御書の真意がわからないことが多く、おこってきます。

 例えば、「教主釈尊云々」「我等が本師釈迦如来」といった言葉が御書に出てまいります。
これらは、権実相対の立場から、説かれているのです。それを、知らないと
「仏とは、お釈迦様の事である」
という結論が出てしまいます。 その証拠に、釈迦本仏をたてる宗派がたくさんあります。

 創価学会は、「教主釈尊」という言葉が、御書に出てまいりましても、それが、「大聖人様」を指しているのか?「釈尊」を指しているのか?依義判文して読むことができます。
ところが、本尊については、宗門の縛りが強く、なかなか本当の事がいえなかった時代が長く続きました。
 今も、日蓮正宗創価学会の、余習が残っています。

523大勝利:2008/08/18(月) 23:48:57 ID:bPOuhPlgo
>>518
森野さん
御義口伝講義確認してみました。
無作の三身の段では、「大聖人のみ」と記していますが、
当体蓮華の段では、「大聖人こそ」としています。
その意とするところは、「大聖人お一人だけ」ではないとように思います。
地湧くの菩薩の棟梁である戸田先生、池田先生は間違いなく当体蓮華です。

524大勝利:2008/08/19(火) 00:03:40 ID:bPOuhPlgo
>>521
もくれんさん
先生のスピーチを研鑽することは、自然と日寛教学を研鑽することになっていると思っています。

52573:2008/08/19(火) 00:09:54 ID:qjiW.C7w0
耕治さん、なかなかいい事言うじゃん。
「その通り!」

で、一点
>本尊については、宗門の縛りが強く、なかなか本当の事がいえなかった時代が長く続きました。

「本当の事」を知りたい。

526耕治:2008/08/19(火) 00:21:29 ID:AJ3hr85o0
 たとえば、「権実相対」で説かれた、御書だけを素直に読みますと、いかにも「衆生己心の妙法」というのは、
会ったとしても、それは仏界だけを、指しているようにみえてしまうのです。素直に読む人ほど、そう読めてしまうのです。

 権教は、衆生の生命に仏界が有ることを伏せています。あるいは、菩薩と人だけが成仏できるとしたりしています。
法華経にいたって、全ての衆生が成仏できることが説かれます。これが、後に十界互具論に発展して行きます。
 この十界互具論は、全ての衆生に仏界があるという考え方から出ています。仏界があるから、成仏が出来るのである。
 ですので、「権実相対」しか知らなければ、本尊とは、仏界だけだと思うのです。

 「種脱相対」を知っていれば、南無妙法蓮華経が本尊であり、十界はすべて南無妙法蓮華経に含まれていることがわかります。
ですので、「種脱相対」の「種」とはなんですか?と聞かれたら
「種」とは「南無妙法蓮華経」ですよ。もともと私たちは、南無妙法蓮華経の当体そのものですので、釈迦仏法を過去に修行していなくても、
成仏ができるのです。と答えられるのです。

527森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/19(火) 01:09:24 ID:ny2WHVj6O
>>523
大勝利さんへ
今、確認致しました。
当体蓮華を証得した人を明かす段での当体義抄講義では、『当体蓮華を久遠元初において仏が証得したものであることを明かされている。したがって、この当体の蓮華を教えておられる日蓮大聖人こそ久遠元初の自受用報身如来であられることが明らかであり、』『所せん、この「当体義抄」の御文は、久遠元初の名字凡夫位の御時に、我即宇宙、宇宙即我と悟り、わが身が宇宙の本源の妙法蓮華の当体であると開覚された方を、本門寿量の当体の蓮華仏と名づけるとの意である。』『次の文にあるように、後に化他の為に世々番々に出現した本果第一番以後の仏も、結局、久遠元初の自受用身、南無妙法蓮華経の一仏一法の本地に帰趣することは明白である。実にこの仏とこの法こそ、一切の仏の能性の根源であり、』『日蓮大聖人は、末法において、この久遠元初の自受用身の再誕として出現され、』とあることからと、
御義口伝講義での、当体義抄の御文の講義では、『「五百塵点劫の当初」とは、久遠元初のことである。当初とは元初の異名である。久遠元初の釈尊とは、久遠元初の自受用身如来即日蓮大聖人であらせられる。すなわち、日蓮大聖人こそ、久遠元初以来、(続く)

528森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/19(火) 01:28:22 ID:ny2WHVj6O
>>527(続き)
無始無終の当体蓮華の仏であることを述べられた御文である。以上の両重の総別の義よりすれば、日蓮大聖人こそ、無作三身の当体蓮華の仏であることは、あまりにも明白であり、』とあります。【無作三身の当体蓮華の仏】、と以上から日蓮大聖人お一人と表現致しました。
私も、大勝利さんが言われる通り、牧口先生、戸田先生、池田先生も当体蓮華の仏であると信じています。

529森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/19(火) 01:59:26 ID:ny2WHVj6O
私は、日蓮大聖人の仏法が師弟不二の仏法であるならば、日蓮大聖人が大願を込め建立した一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊を不二の弟子の日興上人に与えられ託さたということは、道理にかなっていることだと思うし、そうであったと信じている。

530耕治:2008/08/19(火) 02:39:02 ID:AJ3hr85o0
//化他に出づるを分真即と云うなり

 分真即とは、部分的には仏様だという意味です。末法において「化他に出づる」事ができるのは、地涌の菩薩だけだとされています。化他とは六難九易と表現されるほどの難事です。血脈を信じる者は、化他行をもって、自らが地涌の菩薩の一員であることの証明となすのです。
 「南無妙法蓮華経」を悟れるのは、「地涌の菩薩」だけであり、大聖人様の仰せの「日蓮と同意」とは「地涌の菩薩」だけです。
 
 
//無作の三身の仏なりと究竟したるを究竟即の仏とは云うなり、

 自らが、「無作の三身の仏=南無妙法蓮華経如来」と悟ったとき成仏というのです。


//惣じて伏惑を以て寿量品の極とせず

 この段からは、南無妙法蓮華経如来寿量品の結論が述べられます。
 「寿量品の極」とは言うまでもなく、大聖人様の仏法の極です。何人たりともここを疑っては大聖人様と同意ではないという重大な箇所です。
 さて、伏惑が極ではないと仰せです。どういうことでしょうか?
 ある人は「衆生は如来ではない」といいました。では、大聖人様はなんと仰せでしょう。


//唯凡夫の当体本有の侭を此の品の極理と心得可きなり、

 ここが結論です。「衆生は如来ではない」という考え方は、現在、創価学会以外のおそらくすべての教団が、たてている共通した認識であると思います。
(正確には、あらゆる宗教には本尊と衆生との間に、断絶を設ける)
 では、大聖人様はなんと仰せでしょうか?
 「唯凡夫の当体本有の侭を」と仰せですね。私には、何度読み返してもこの段は、「凡夫の当体」が「此の品の極理」と仰せのようにしか読めません。

 さて、この如来寿量品は、文上では本門の釈尊のことが説かれているのでした。
 本門の釈尊=19出家の衆生の姿は方便であり、もともと仏だった(久遠実成道)
 しゃく門の釈尊=迷いの衆生である釈尊が、修行して仏になった。(19歳で出家して30歳で成道)

 しゃく仏=衆生が伏惑を以て仏に成る 
 本仏  =もともと仏だった         (注、久遠実成の釈尊は、厳密には違う)


//無作の三身の所作は何物ぞと云う時南無妙法蓮華経なり云云。

 所作とは振る舞いの事です。無作の三身の振る舞いが、次の如来秘密神通之力でとかれます。
 衆生(生命)は南無妙法蓮華経の当体であることが、再びとかれます。

531森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/19(火) 04:00:14 ID:ny2WHVj6O
>>530耕治さんへ。池田先生の講義に【『惣じて伏惑を以て寿量品の極とせず、唯凡夫の当体本有の儘を此の品の極理と心得べきなり』この御文は、さきの「六即配立の時は此の品の如来は理即の凡夫なり」の文を受けているのである。この南無妙法蓮華経如来の如来とは、決して色相荘厳の仏ではなく、姿、形はなんら理即の凡夫と異ならない。凡夫の姿そのままで、究竟即の仏である、との意が、さきの文の意である。そしてその文を受けて、内証の寿量品の意(ココロ)は伏惑にあるのではない。ただ凡夫の当体本有のままの仏を説き明かしたのが内証の寿量品の究極であると結論づけられたのである。理即とは、━理のうえで仏界を具している衆生のことである。一切衆生が、妙法の当体であるというのは、この理即をあらわしていることにほかならない。仏性を具しているとはいえ、理即の衆生は、現実には、邪見におおわれ、苦悩の充満せる迷いの衆生なのである。】【━名字即から、ただちに即身成仏するとあるのは、日蓮大聖人の仏法においては、信心こそ成仏の要諦であり、信心のなかに成仏はおさまっていることを意味するのである】とあります。《凡夫の当体本有の儘の『仏』を明かした》のが内証の寿量品とあります。

532沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/19(火) 07:38:51 ID:AJ3hr85o0
 当体蓮華とは、一切衆生ですよ。

 特別な存在じゃありません。
 私も貴方も何方もこなたも、当体蓮華です。
 宗門は知りません。
 法主制度を守るための方便です。

 私共は池田先生以下平等です。
 信心しようがしまいが、全ての衆生、生命は当体蓮華そのものです。
 そろそろ気づいて頂きたいですね。

 特別な存在だけが当体蓮華なら、小乗経です。

533森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/19(火) 10:45:17 ID:ny2WHVj6O
>>532
沖浦さんへ
総じて理論的には、信心しようがしまいが一切衆生は当体蓮華で平等です。
事実は、皆成仏道の御本尊を信じて異体同心で自行化他のお題目を唱える時、当体蓮華を事実の上に体験としてあらわす。と認識しています。
宗門から規制があったと言われる事、理解出来ます。54年に、宗門が池田先生を会長辞任に追いやったことから分かります。しかし、それは既に日蓮正宗(日蓮大聖人の仏法を正しく信心している宗派)ではくなっていたからで、先生(学会)は一貫して、大聖人の仏法をねじまげないで実践しています。宗門は先生(学会)を規制できなかったから、破門したと認識しています。宗門の法体の血脈は法主信仰をした時点で無いと認識しています。学会のみに、法体の血脈、信心の血脈があると認識しています。

534沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/19(火) 10:55:01 ID:AJ3hr85o0
 森野さん

 総じても別してもないのですよ。
 全てこの世は当体蓮華です。

 『妙は死法は生なり此の生死の二法が十界の当体なり又此れを当体蓮華とも云うなり、天台云く「当に知るべし依正の因果は悉く是れ蓮華の法なり」と云云此の釈に依正と云うは生死なり生死之有れば因果又蓮華の法なる事明けし、』
 (生死一大事血脈抄)

535大勝利:2008/08/19(火) 11:10:32 ID:PLcpQxa.0
>>533
森野さん
そうですね。

私は、
総じて法体の血脈、別して信心の血脈だと思います。

536森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/19(火) 11:34:42 ID:ny2WHVj6O
>>534
沖浦さんへ
沖浦さんが引用された御文は総の御文です。この御文を受けて、衆生がどのような信心の姿勢に立ったとき、この仏の悟りの極理が、仏から衆生へ、血脈として伝えられるかということに関して三点から示されています。

537もくれん:2008/08/19(火) 12:52:29 ID:gO.Fk5NY0
>>522 耕冶さん、

>今も日蓮正宗創価学会の余臭が、残っています。

破門前は先生の指導にも、
「御法主上人猊下のご指南を仰ぎ・・」とか
「地涌の菩薩の眷属」とか
気をつかっていた面はありますが、信心、広宣流布、に対しては
少なくとも、池田先生の指導は一貫性があると思います。
破門前の指導でもです。

ですから、御書そのものに挑戦するのは誠に大切ですが、池田先生の
御書講義、(立正安国論、報恩抄、撰時抄等々、最近では、大白蓮華にも
たくさん掲載されていますし、
まさに大聖人直結と、感じ入るばかりです。
先生の御書講義を基本にして、又御書そのものに挑戦すると、何か
明らかになってくるのかと思います。
ちなみに、私は御書全編拝読は2/3くらいですが、文字を追うのが
やっとです。(恥)

宗門・・・明確に日顕宗と呼びますが、
日顕宗は、先生のスピーチによれば、三大秘法否定、日寛上人否定
三宝を改ざん(法主を仏宝にしてしまった、いわゆる、法主絶対主義
この法主絶対主義を徹底して破折したのが、日寛上人です)

私も独力では、議論しきれません、申し訳ないですが、
それで、平成5年頃の先生のスピーチの一部を、オアシスの「もくれんの部屋」に
書きましたので、是非 ご参照してください。

お声かけしてから、書くのは大変なので、前もって書いておいたのです。

耕冶さんの言うところの「日蓮正宗創価学会の余臭」ですが、
確かに東国人さんが、この板に道場破りで見えたとき、「久遠元初の法」
でなく、「曼荼羅本尊」からきましたね。戦法としては、まずかったと
思いますよ、混乱を深めただけですから。

言葉を変えていえば、東国人さんは「久遠元初の法」という認識はあまり無かった?
その点は沖浦さんサイドからみれば、宗門の余臭、と受け取られても
仕方ないでしょう。でも曼荼羅本尊も大切ですよ。

繰り返しますが、一大秘法、すなわち本門の本尊とは

★日蓮大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法たる南無妙法蓮華経であり
またそれを図顕された曼荼羅本尊です  (教学の基礎 2002年発行)

ちなみに仏教哲学大辞典(2000年発行)には、もう少し、たくさんの内容が
書いてありますが、★マークの表現が、一番適切と判断したのではないで
しょうか、発行が新しいですし。また、教学の基礎の明確化という点で。

耕冶さんの言っている、「己心の妙法」は信心の姿勢としては、題目の体験を
もっている学会員でしたら、当たり前のことですよね。
「己心の仏界」「胸中の本尊」等々、

でも、末法の御本仏、日蓮大聖人の曼荼羅本尊は、日蓮大聖人があらゆる
難を乗り越え、末法万年の一切衆生に与えられものですから、
曼荼羅本尊は絶対必要ですね。
元品の無明に覆われた、衆生にこれから、仏界を開かせていくためには。

538もくれん:2008/08/19(火) 12:59:10 ID:gO.Fk5NY0
>>524   大勝利さん

>先生のスピーチを研鑽することは、自然と日寛教学を研鑽することになって
いると思っています。

そうですね。今日、あらためて、六巻抄講義を開いてみましたが、
講義集なので、本当は読みやすいのですが、読めそうですが、
でも、現在進行形の大白蓮華等の先生の御書講義などを優先する
つもりなので、(それほど、時間を費やせないですから)

でも、先生のスピーチは、明確ですね。

539:2008/08/19(火) 13:08:50 ID:hsryjZ4U0
沖浦さん こんにちは

信仰の対象や根本が本尊なら、信仰する者がその本尊とは何かを教学することは
当然だと思っています。
私はその参考のひとつとしてネットをロムし始めました。

ところが、学会の従来の「教え」から少しでもずれると、己義とか邪教だとか盛んに批判があります。
これは自ら考える作業を放棄しろというに等しく、マインドコントロールしようとするのと同じだと思います。

私は日蓮正宗創価学会のときは、森野さんが529で書かれているように

>私は、日蓮大聖人の仏法が師弟不二の仏法であるならば、日蓮大聖人が大願を込め建立した
>一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊を不二の弟子の日興上人に与えられ託さたということは、
>道理にかなっていることだと思うし、そうであったと信じている。

ということを、私も信じていました。 しかし、正宗と別れた今、私にはモヤモヤ感があります。
それは、勤行のご祈念文、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊に南無し奉る」という大御本尊とは、
『具体的』に何を指しているのか? ということについてです。
「総与」とか御本尊に「大」がついているので、特定の「具体的対象物」を指しているように思えてなりません。

これは、今でも大石寺の戒壇の大御本尊でしょうか?
そうでないとしたら、どのようにとらえればよいでしょうか?
   
この点を解決しないと、次に進めないような気がするのですが、
このところ、いきなり一大秘法論に入ってしまい、浅学の私には戸惑うばかりです。
ついては、初歩の第一歩として、上記の点についてご意見くださいませ。
もちろん、沖浦さんが戒壇本尊論を否定されていることは存じています。
私の問いは、ご祈念文の視点からです。

540沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/19(火) 13:29:57 ID:AJ3hr85o0
 梅さん

 一閻浮提総与と言う言葉は御書にはありません。
 後世の造語です。
 でも非常に便利な言葉ですね。
 全ての御本尊様は一閻浮提総与ですし、前代未聞のお力が備わっているのですから大御本尊様です。
 また、全ての御本尊様は一大秘法である衆生己心の妙法を顕わされておられるのですから、三大秘法総在の御本尊様です。

 身延にあろうが、北山にあろうが、大石寺にあろうが、私共の自宅に御形木様としていらっしゃろうが。
 大聖人様ご図顕の御本尊様は、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊様ですよ。

541:2008/08/19(火) 17:12:54 ID:hsryjZ4U0
沖浦さん
ありがとうございます

>身延にあろうが、北山にあろうが、大石寺にあろうが、私共の自宅に御形木様としていらっしゃろうが。
> 大聖人様ご図顕の御本尊様は、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊様ですよ。

つまり、この「大」とは「偉大な」とかいう賛嘆を表すことであって、
特定の御本尊でもなく、縦横何cmとかの大小を言っているわけでもないということですね。
私には、大石寺の大御本尊のイメージが残っていて、いわば「余臭」があるんだと思います。

次に、いわゆる法謗の寺にある御本尊も御本尊に変わりないということから、
信仰対象とか血脈の論争になっている重要テーマになりますね。
これは、まだ、自分自身で思索したいと思います。

543大勝利:2008/08/19(火) 19:29:53 ID:.vE9hqA.0
>>538
もくれんさん
>六巻抄講義を開いてみましたが

それは凄い!
もしかして全巻揃ってますか?

544大勝利:2008/08/19(火) 19:55:07 ID:EiNz2ouI0
昭和59年の原田稔(当時副会長)の当体義抄の講義を短く結論部分だけですが紹介します。

「この智慧が我が身に湧現すれば、解脱を得られることは必定である。しかも、大聖人の教えによれば、本来衆生の生命は仏の当体であり、仏と衆生の違いは迷悟の違いにすぎないのであるから、我が身法身であることも疑いない。ここに我ら凡夫の三徳具備の姿があるのである。」

545沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/19(火) 20:25:00 ID:AJ3hr85o0
 大聖人様は一貫して本尊は凡夫己心の妙法だと仰せです。

 これをそのまま素直に読むといいのですよ。
 ところが教義を摩訶不思議なものにする必要がある人種がいます。
 出家という職業人ですね。
 この人たちは世間で仕事はしません。
 ひたすら宗派に頼って生きています。 
 必然的に宗派の根幹の教義が誰にでも理解できると困ります。 

 お前たち在家には理解しがたい不可思議な教えであるぞよ。
 我々出家は専門がである。
 任せておくがよいぞ。

 聖職者の誕生です。
 
 騙され抜いたのが民衆ですよ。
 今、創価の太陽が昇らんとしています。

 すべての衆生が等しく己心に妙法を持ち、それが本尊であり一大秘法である。

 革命の創価思想が広まり始めたのです。
 人類史に輝く思想革命の到来です。

 すごい時代に生まれたものですね。
 こんな時に、戒壇様本懐論なんかにかまっちゃいられませんよ。

546沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/19(火) 20:28:27 ID:AJ3hr85o0
 日蓮正宗創価学会の方が未だにいますね。

 そう言う代遅れの方々は、大石寺の奉安堂の方を向いて勤行唱題するべきですね。

547沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/19(火) 20:57:33 ID:AJ3hr85o0
 一度これをゆっくり読んで下さいませ。
 ここに書かれてあることが、日蓮正宗創価学会員の教義です。
 巧みに創価学会員を装っていますが、命の中身はこうなんですよ。
 騙されちゃいけないですね。

 http://www.fsinet.or.jp/~shibuken/SHIRYO/sp02.htm

548沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/19(火) 20:59:39 ID:AJ3hr85o0
 ですからね、さっさと奉安堂向けて遥拝してりゃいいんですよ。

 今時創価学会にいてこんな教義振り回してる輩はね。

 ホント情けないです。

549耕治:2008/08/19(火) 21:30:13 ID:AJ3hr85o0
日蓮正宗創価学会の邪義が内部から、創価学会を損ねていくのです。これは、悪です。
この邪義が、創価学会を、ひいてはSGIによる広宣流布を妨げる一凶です。

これと戦うのは、与同罪を恐れるためです。

550沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/19(火) 21:31:41 ID:AJ3hr85o0
 今創価学会の本当の敵は内部に巣くっているのです。
 その正体が日蓮正宗創価学会員の輩なんですよ、。
 騙されちゃいけません。
 その輩は自分たちの正体を隠すために、他所に敵を作って声高に非難を繰り返しています。
 仏敵の声に惑わされない事が肝心です。

 『宝治の合戦すでに二十六年今年二月十一日十七日又合戦あり外道悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食等云云、大果報の人をば他の敵やぶりがたし親しみより破るべし、薬師経に云く「自界叛逆難」と是なり、』
 (佐渡御書)

551沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/19(火) 22:26:58 ID:AJ3hr85o0
 でもね、いちいち相手を探す必要はありません。
 自然にしておけばいいのです。
 魔は魔と見破られれば無力化致します。
 後はこれをお読みの皆様方が、しっかりそのことをわかっていればいいと存じます。
 特別な行動や言論は不要でしょう

 先日、福島さんのスレッドを立てました。
 あまりの罵詈罵倒がいやだったからです。
 敵は叩かねばなりません。 
 ですが、世間様が見られて、創価学会はなんて了見が狭いんだ。と思われるような泥仕合はしてはいけないのですよ。
 福島さんは敵側に行かれました。
 ヒステリックに叩けば叩くほど、世間での創価学会のイメージは傷つきます。
 同じく、私どもが反対意見を持つ勢力を感情に任せて攻撃すれば、ただの泥仕合であり、あちらの思う壺です。
 広宣流布や、創価学会の未来より、現時点での自分の感情の方が大切な人達なんですよ。
 そんな勢力をまともに相手にすることは愚かですからね。

552大勝利:2008/08/19(火) 22:58:08 ID:QAR3pXvoo
>>547
確か、その中の「ひのくに」ってのが、福島さんでしたね。

553沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/08/19(火) 23:03:07 ID:AJ3hr85o0
 そうですね、ひのくにです。
 大勝利さん。

 あの発言は時期と立場が悪いですね。
 内容は当たり前のことです。
 ボンさんが借金したり鬘かぶって飲みに行っちゃいけませんね。
 私はね、誰かがことさらに問題にして大きくしたんじゃないかと推測しますね。
 焼きもちだと思いますね。

557森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/20(水) 00:10:53 ID:ny2WHVj6O
>>547
沖浦さんへ
拝見いたしました。
学会を破門にした法主や今の法主には、大聖人の仏法の血脈は流れていないのだから、血脈の流れている学会に戒壇の大御本尊様を御安置することが、大聖人の御正意にかなっている。と確信します。

559森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/20(水) 00:27:57 ID:ny2WHVj6O
日興遺誡置文

時の貫主為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事

564森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/20(水) 00:42:53 ID:ny2WHVj6O
御供養で自分のために数十億の豪邸を建てる輩は、法主ではなし。

566森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/20(水) 00:56:30 ID:ny2WHVj6O
法主の開眼が必要であるとするのは、仏法に相違した己義である。法主の開眼は必要ない。法主は信仰の対象ではない。

567耕治:2008/08/20(水) 02:59:42 ID:AJ3hr85o0
例題  {衆生と仏は当体そのものがちがうのか?同じなのか?}
    
//第二如来秘密神通之力の事//
//御義口伝に云く//

 御義口伝というのは、大聖人様が、法門の大事を残されるために、説かれた経典です。種脱相対の立場で説かれております。
この種脱相対というのは、もの凄く大切なことです。(こんな表現では不敬になるかもしれないが)
 御書を紐解くときに、種脱相対についてある程度理解しておかないと、
 御書を誤って読んでしまう可能性があるのです。(例えば、釈迦本仏など)

 権実に迷う者は、衆生が仏に成ると思うのです。
 本しゃくに迷う者は、成仏とは、己心の仏界が出てくると思うのです。
 種脱に迷うとは、南無妙法蓮華経に迷う事です。


//無作三身の依文なり、//

 「無作三身」とは、たびたび出てきている、「南無妙法蓮華経如来」様です。
法華経に「如来秘密神通之力」というのが説かれますが、これが、「南無妙法蓮華経如来」様の依文になっていると大聖人様は仰せです。


//此の文に於て重重の相伝之有り、//

 「此の文」とは「如来秘密神通之力」をさしています。
 「重重の相伝之有り」とは、大聖人様が、日興上人に重重の相伝をされたということです。
 御義口伝そのものが相伝なのですが、その中でも、とても重要な相伝だといわれています。つまり、以下の内容は、とても重要なことだと仰せなのです。


//神通之力とは我等衆生の作作発発と振舞う処を神通と云うなり//

 それが、「神通之力とは我等衆生の作作発発と振舞う処を神通と云うなり」です。
 
 大聖人様は、明快に「無作の三身」とは、「如来秘密神通之力」に依文があって、その文の意は、「我等衆生の振る舞い」なんだと仰せです。
 本を読むのも、ご飯を食べるのも、くしゃみをするのも「作作発発と振舞う処」に当たります。
 地獄界の衆生が苦しんでいる姿も、無作三身の「作作発発と振舞う処」に当たります。
 餓鬼界の衆生の飢えている姿も、無作三身の「作作発発と振舞う処」にあたります。

 「神通之力」とは、仏界のもっている凄い超能力などではなく(正確にはこれも含まれる)、「我等衆生の作作発発と振舞う処」をさすのです。
 

//獄卒の罪人を苛責する音も皆神通之力なり、//

 ですので、「獄卒の罪人を苛責する音」ですら無作三身の「神通之力」なのです。大聖人様は、具体例として仏界から、最も遠いと思われる例を、ここで挙げられていらっしゃいます。
  

//生住異滅の森羅三千の当体悉く神通之力の体なり、//

 要するに、「生住異滅の森羅三千の当体悉く」が「神通之力の体なり」だと仰せです。
 「生住異滅の森羅三千の当体」とは、我等一切衆生です。ほかに読み方があるのでしょうか?

 大聖人様はその、我等一切衆生であるところの「森羅三千の当体」が「本地無作の三身=南無妙法蓮華経如来」様だと明確に仰せです。
 種脱相対を知らなければ、日興上人が「重重の相伝之有り」と断っているにもかかわらず、信じることができないのです。「難信難解」なのです。

 まとめますと、
 1、「無作の三身=南無妙法蓮華経」の依文が「如来秘密神通之力」である。
 2、「神通之力(用)」とは、「我等衆生の作作発発と振舞う処」をいう。
 3、これが「重重の相伝」である。

568森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/20(水) 05:45:37 ID:ny2WHVj6O
>>567耕治さんへ
衆生の作作発発が無作三身であっても、それを昔から知っているのは如来だけ。と認識しています。
総じては、一切衆生は妙法の当体。総とは、妙法の当体であることを否定していない。と認識しています。しかし、事実の上で仏界を涌現するには、信心による。と認識しています。

569もくれん:2008/08/20(水) 12:41:53 ID:gO.Fk5NY0
>>543 大勝利さん

>もしかして全巻揃ってますか?

本棚をひっくり返して調べてみました。

六巻抄         昭和35年初版、昭和54年第55刷  定価300円
六巻抄講義 三重秘伝抄 昭和44年初版 昭和54年第46刷    〃
 〃    文底秘沈抄  〃46  〃  54  第25刷    〃
 〃    依義判文抄  〃49  〃  50  第3 刷  〃
 〃    当流行事抄  〃44  〃  54  第40冊    〃

結局全部はないですね。
学会書物は処分しないので、多分最初からないのだと思います。
当時、適当に手当たり次第、購入したのでしょう。

大石寺には、何度か行っています。学会関連書籍の本屋が、軒を
連ねていて、その度に、購入したのです。

池田先生のスピーチを学んだ今、読むと、結構読めそうです。
しかし、字が小さいので、読みづらいです。
当時は文庫本も、本当に字が小さくて、若い時は苦にならなかったですが。

そういえば、大勝利さんは、平成3年入会で、大石寺には行ってないと
書いてありましたね。大石寺・・そんな時代があったのかと・・
もう100年前くらいの感覚です。この16年が

570耕治:2008/08/20(水) 12:54:11 ID:AJ3hr85o0
//衆生の作作発発が無作三身であっても、それを昔から知っているのは如来だけ。と認識しています。//

 私も、そう思います。そして、そのことを仏が仰せになられても、かえって私たち愚痴の者は、怒りをなして退転してしてしまうのです。
ですから、なかなか、お説きになられません。

//総じては、一切衆生は妙法の当体。総とは、妙法の当体であることを否定していない。と認識しています。//
//しかし、事実の上で仏界を涌現するには、信心による。と認識しています。//

 御義口伝の御精神とは、(私のようなものが言うのは、恐れ多いが)
1、一切衆生悉く、一人残らず皆、南無妙法蓮華経の当体である。
2、仏と衆生の差は、それを悟っているか、いないかの迷悟の差でしかない。
3、それを悟るためには、大聖人さまに帰依する必要がある

ということが繰り返し繰り返し説かれています。ですので、このことを知っておかないと、御書を誤って読んでしまうのです。

571森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/20(水) 14:16:01 ID:ny2WHVj6O
>>570
耕治さんへ
私も、そのように認識しています。
仏と衆生と皆成仏道の妙法が、全く差別がないと信じて信心することで、仏界の涌現ができると認識しています。

572大勝利:2008/08/20(水) 14:44:58 ID:XjgOfeYI0
>>569
もくれんさん

>結局全部はないですね。

そうですか。やっぱり。
私は方々探し回っているのですが所蔵している方を知りません…若しかしてと思い尋ねて見ました。

多分、6巻は出版されていないのではないかと思います。
4巻は3年程前に聖教新聞社に問い合わせたところ、もう在庫がないとの事でしたので、持ってる人はいると思うのですが…

573耕治:2008/08/20(水) 14:57:13 ID:AJ3hr85o0
//仏と衆生と皆成仏道の妙法が、全く差別がないと信じて信心することで、仏界の涌現ができると認識しています。//

生死一大事の血脈を信じて共々にゆきましょう。

574森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/20(水) 17:42:19 ID:ny2WHVj6O
>>573
耕治さんへ
連日の書き込みありがとうございます。
勉強になります。
共々に信行に励んで参りましょう。

575シビック:2008/08/20(水) 18:15:26 ID:zziJAzVE0
大勝利さん、もくれんさん
私も一昨年くらいに聖教新聞社の出版コーナーで店員さんに六巻抄講義を全巻欲しいと
聞いたのですが、4巻と6巻は、未刊だと言ってましたよ。
私の実家には、古い書籍がいっぱいありますが、4巻、6巻がありませんので
未刊の情報が正しいと思います。
古い本なのに何故未刊か疑問ですが。

576大勝利:2008/08/20(水) 18:57:25 ID:Xjc6laK20
>>575
シビックさん
そうですか、在庫切れではなく未刊でしたか。
6巻は最初から予定ではなかったのかも知れませんが、末法相応抄は発刊して欲しかったですね。
1,2,3,5 は六巻抄の並べ方(再治)に沿ったものなんでしょう。
もくれんさんの初版の年代を見ると、50年代前半の出版予定になんらかのストップがかかったのかも知れませんね(笑

御書講義から「末法相応抄」の引用解説を抜いて行くしかないな〜(笑

577耕治:2008/08/20(水) 21:27:38 ID:AJ3hr85o0
/今日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、//

 この段は、総別から「如来秘密神通之力」を説かれていらっしゃいます。
 (総)森羅三千の当体悉く
 (別)即身成仏と開覚する
 本当の「如来秘密神通之力」は成仏するしかないと仰せです。

 ここから以下の段は、森野一士さんの
 「総じては、一切衆生は妙法の当体。総とは、妙法の当体であることを否定していない。と認識しています。
しかし、事実の上で仏界を涌現するには、信心による。と認識しています。」
 の言葉に集約されると思います。


//成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり、//

 「一切衆生」が「如来秘密神通之力の体」なのに、「即身成仏と開覚する(よりの外は)」「神通と秘密とは之れ無きなり」とは、どういうことでしょうか?
 
 成仏するとは、地獄界の衆生が苦しんでいる姿(己心)も、餓鬼界の衆生の飢えている姿(己心)も、全てが南無妙法蓮華経に照らされて、本有の生死に変わる事です。
ご飯を食べるのも、寝るのも、遊ぶのも、喧嘩をするのも、病気をするのも、全てが南無妙法蓮華経に照らされて、本有の振る舞いに変わるのです。
即身成仏と開覚するしようと、「開覚」しまいと、お腹がすいたり、眠くなったり、物事に夢中になったりすることは変わりません。
しかし、「即身成仏と開覚する」と、全ての振る舞いは、悩み苦しみから、利他と至福の楽しみに変わるのです。


//此の無作の三身をば一字を以て得たり所謂信の一字なり//

 こんなにも素晴らしき「この無作の三身」をどうやって手に入れるのか?
それは、ご本尊様を信じることで、得ることができます。
これは、大聖人様の仰せなので、我々は信じるだけです。


//仍つて経に云く「我等当信受仏語」と信受の二字に意を留む可きなり。//

 この「われらが、まさに信受する仏語」とは、いろいろな解釈がありますが、信受する仏語とは南無妙法蓮華経です。

参考:昭和47年発行 池田会長公演全集6

開覚 開き悟るの意で、己心の仏界を開き、わが身即妙法の当体なりと覚知することである。

578耕治:2008/08/21(木) 00:21:23 ID:AJ3hr85o0
//参考:昭和47年発行 池田会長公演全集6//
//開覚 開き悟るの意で、己心の仏界を開き、わが身即妙法の当体なりと覚知することである。//

 この開覚の説明ができるのは、創価学会だけですね。いろんな開覚の説明があるとおもうんですけど。
例えば、
開覚とは、成仏(仏になる)することである。
開覚とは、仏界が沸現することである。

でも、創価学会は、
開覚とは、「己心の仏界を開き、わが身即妙法の当体なりと覚知することである」と云ってます。

「己心の仏界を開き」しゃく仏
「わが身即妙法の当体なりと覚知することである」本仏

(以下は己義の可能性あり)
成仏するとき、ステップとして、
1、まず、仏界が湧現される
2、仏界が湧現された時点で、わが身が南無妙法蓮華経そのものであったことを悟る。

1をもって本尊とする考えを、しゃく仏
2をもって本尊とする考えを、本仏

579耕治:2008/08/21(木) 00:40:28 ID:AJ3hr85o0
 では、お曼荼羅のご本尊様は、何を顕しているのかという問題があります。
お曼荼羅のご本尊様は、
1、(大聖人様か私たち、もしくは双方の)己心の仏界を顕している
2、(大聖人様か私たち、もしくは双方の)仏界も含めた事の一念三千を顕している

答えは御本尊様に聞くのが一番です。私は、2だと思います。

 御本尊様は、南無妙法蓮華経 日蓮が中央にたち、その周囲を十界の衆生が取り囲んでいます。
十界の衆生はみな、南無妙法蓮華経に照らされて、とても幸せそうです。
衆生は、みんな、第六天魔でさえも、南無妙法蓮華経を嬉々として拝んでいます。

 御本尊様は、まさに、無作の三身の作作発発と振舞う処です。
で、自身の生命を見つめた時に、そのようになっているのか?

 なっていない!

 私の生命は、確かに南無妙法蓮華経(私です)が中央にそびえ、周囲を十界の衆生(一人ひとりが私そのもの)が取り囲んでいるのですが、
あさっての方を向いています。全然、楽しそうではありません。

 第六天魔は悪いことばかりして私が必至に貯めてきた福運を一発で使い切ろうとしています。
ダイバは、仏に反逆しています。鬼子母神は、人の命を吸おうとしています。二乗は、私は、草木になりたいと意味不明の言葉を発しています。

 ここに、私には、ご本尊様が、必要なわけがあります。

580もくれん:2008/08/21(木) 11:29:10 ID:gO.Fk5NY0
>>572   >>575    >>576

大勝利さん、シビックさん

そうでしたか。最初から、揃っていなかったのですね。
私はたまたま、購入時、本屋に無かっただけかと思っていました。

それ以前に、本箱に入れっぱなしでしたが。(苦笑)

581森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/21(木) 15:18:40 ID:ny2WHVj6O
>>576
大勝利さんへ
講義書ではないですが、父が購入したもので、池田先生監修、新宿区青年部編著、1988年11月18日聖教新聞社発行の『末法相応抄に学ぶ』はありました。

582大勝利:2008/08/21(木) 18:13:14 ID:uk0J7Vzw0
>>581
それも入手の難しい貴重本だと思いますよ。
大事にして下さい。

583森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/21(木) 18:30:34 ID:ny2WHVj6O
>>582
大勝利さんへ
了解いたしました。
大事に致します。

584森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/29(金) 10:00:39 ID:ny2WHVj6O
>>175確認

585森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/08/29(金) 10:01:56 ID:ny2WHVj6O
>175訂正
>>174確認

590森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/09/09(火) 14:46:30 ID:ny2WHVj6O
私は、一大秘法は本門の本尊のことであり、「戒壇様」だけではない、と認識しています。

591沖浦克治:2008/09/25(木) 07:46:45 ID:AJ3hr85o0
 戸田先生の三大秘法抄の講義のレコードがあります。

 一度探して是非お聞き下さいませ。

 あれが全てです。

592森野一士 ◆DrOKpj4BnU:2008/09/27(土) 01:05:39 ID:36TYcng2O
こんばんは。
ずっとロムしていました。戸田先生の全集に「三大秘法禀承事講義」ありました。本門の本尊と本門の題目を、分けての講義と認識いたしました。
池田先生の『「諸法実相抄」の池田会長講義』家にありました。(聖教新聞52年1月1日、4日、5日、6日付)
私は、講義の文章中での「南無妙法蓮華経」が、御本尊様を指すところがある、と認識いたしました。

593沖浦克治:2008/10/04(土) 08:05:07 ID:AJ3hr85o0
 一大秘法はお題目です。
 妙法ですね。

 池田先生は、

 『久遠元初の法を世界に広める。』(趣意)

 と、他の世界宗教の指導者に言われました。
 それは、お題目です。
 久遠元初に曼荼羅はありません。
 お題目だけですよ。
 その妙法が宇宙も進化させ、命をはぐくみ、一切衆生が出、仏が応じ、曼荼羅が誕生したんです。
 妙法の当体たる、お題目が肝心です。

 先生のご指導です。

 『最も肝心なもの、それはお題目です。
 曼荼羅は物で出来ています。
 いつかはなくなっちゃう。
 そこえいくと、お題目だけは絶対になくなりません、宇宙の続くかぎり存在し続けるんですよ。』(趣意)

 そろそろ寛師教学から抜け出さないとダメですね。
 一大秘法が本尊。

 戒壇様正当化して、信徒支配のための理屈です。
 戒壇様は不滅じゃないですね。
 物で出来ています。
 寿命があるんですよ。
 本尊は全て寿命に束縛された限定的な存在です。
 
 お題目は大宇宙に遍満しています。
 絶対になくはなりません。
 宇宙そのものなんですからね。

 物凄く単純なことですよ。
 やっこしくして、飯食ってた悪人がいた。
 それが本当ですね。

594沖浦克治:2008/10/04(土) 08:19:20 ID:AJ3hr85o0
 曼荼羅は迹です。
 衆生が本です。

 戸田先生が仰せです。

 『仏とは生命なんだ!生命の表現なんだ。外にあるものでなく、自分自身の命にあるものだ。いや外にもある。それは宇宙生命の一実体なんだ!』
 (妙悟空著、人間革命から抜粋引用)

 これが一大秘法です。
 曼荼羅じゃありません。 
 宇宙と私共が保つ命。
 仏の当体だと仰せです。

 私共は仏の当体です。
 ですからね、曼荼羅は迹です。

 簡単な理屈です。

595沖浦克治:2008/10/04(土) 08:53:29 ID:AJ3hr85o0
 今、小野さんが、草創の教学の剣豪の修行と、
 戸田先生が仰せの学会教学の原点を、誹謗中傷する発言を繰り返しています。

 古いからダメ。

 御書750年まえ、法華経、3000年前。

 どうしてああ言う風になるんでしょう。
 私も多くの人を見てきましたが、後一歩が開かない人、大勢見て来ました。
 そして堕ちて行きます。

 後一歩の困難さ。
 臨終正念ですね。

 小野さん、これ読んでおられるなら、もうおやめなさい。
 やればやる程、貴方の支持者が少なくなります。
 私はね、辛くて見てられません。

 貴方の事好きですからね。

596沖浦克治:2008/10/04(土) 17:40:08 ID:AJ3hr85o0
 曼荼羅は高々750年足らず。
 それまでこの世にありませんでした。

 『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり、』
 (日女御前御返事)

 ほらね、始めて大聖人様が顕された。
 それまで無かった。
 仰せですよ。
 信じましょうね。
 曼荼羅は木か紙で出来ています。
 主な元素は炭素です。

 宇宙の始まりには存在していないんですよ。
 炭素はね。
 ですから、曼荼羅は存在できません。
 然しながら、妙法たるお題目は宇宙と不二です。
 どっちが一大事ですか?

597森野一士:2008/10/05(日) 03:04:44 ID:XRkJkTok0
沖浦さんへ
私は、曼荼羅ご本尊が、「物」だから迹である、とは認識していません。

大聖人様は、「文字は是一切衆生の心法の顕れたる質(すがた)なり・・」と
仰せられています。文字は色心不二である、と。
仏の三十二相の内、「梵音声相」が第一の徳相とされています。
音声によらずして衆生に法を伝えることが不可能だからです。
音声は言語を色法の場に示したものであり、言語を色法の次元に
定着せしめたものが「文字」です。

蓮盛抄に、「仏は文字に依って衆生を度し給うなり・・
涅槃経の十五に云く『願わくは諸の衆生悉く皆出世の文字を受持せよ』文、
像法決疑経に云く『文字に依るが故に衆生を度し菩提を得』云云、
若し文字を離れば何を以てか仏事とせん」(御書153p)

私は、大聖人様は、竜の口の法難以前は、お題目だけを弘められ、
発迹顕本をされた後は、「人法体一」の曼荼羅ご本尊様を顕され弘められた、と
認識しています。

私は、「曼荼羅ご本尊様」は「色心不二」の大聖人様の「命」である、
私は、「文字(紙・板に顕された心)」(色心不二)は「命」である、
と認識しています。

曼荼羅ご本尊様も私たち衆生も、寿命があります。
しかし、仏法では「情」も「非情」も生命であり、永遠である、と説きます。
私は、生命を「物」と「命(生き物)」の、別々には分けられない、
と認識しています。
私たち衆生の命は、肉体(五大)・色法 と 心・心法が不二である、
色法を離れて心法は無い、
同じく、曼荼羅ご本尊様も、紙板・色法と文字として顕れている
大聖人様の心・心法が不二である、と認識しています。

『曼荼羅ご本尊様』に寿命がきて、なくなったように見えても、
永遠の生命の大宇宙の色法の物質面を相となし、心法・法の側面を性となす、
『色心不二の体』とは、元々一体であり別ものではなく、生命としては
無くならない、と認識しています。
私は、「曼荼羅ご本尊様」と「衆生の己心の妙法(色法と離れては無い)
{命}」は、同じものである、故に、どちらも『本』である、と認識しています。

私が言う、曼荼羅ご本尊様は、「戒壇様」だけを指すものではありません。
あるサイトを見てから、私は、大石寺の「戒壇様」は、
法主が戒壇を破壊した事にもより、大聖人様の命では無くなり、
今現在は学会本部の常住ご本尊様が、いわゆる「戒壇様」となる、
と認識を改めつつあります。
私たちが受持しているご本尊様も大聖人様の命である、と認識しています。

598沖浦克治:2008/10/05(日) 06:25:56 ID:AJ3hr85o0
森野一士さん おはようございます

 貴方の認識はご自由です。
 ですが、私は池田先生の弟子です。
 師匠の言葉は他の誰の言葉より重要なんですよ。

 ですから、曼荼羅は迹、衆生が本。
 この考えは変化致しません。

599もくれん:2008/10/05(日) 10:47:10 ID:gO.Fk5NY0
>>598

>ですが、私は池田先生の弟子です。
>師匠の言葉は他の誰の言葉より重要なんですよ。
>ですから、曼荼羅は迹、衆生が本。

池田大作全集 24  諸法実相抄講義 45〜46P

★ 御書・・凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして
  迹仏なり、・・
  
  先生の講義より・・
  凡夫があくまで「本仏」である。これに対して、釈迦仏をはじめ
  経文に説かれるあるゆる仏は、妙法蓮華の働きとしての「迹仏」に
  すぎない、ということであります。
  
  ここに、凡夫と仰せられたのは、別しては日蓮大聖人の御事であり
  日蓮大聖人が御本仏であられることを示されております。

  ともに、総じては私ども、当然、凡夫であります。
  その凡夫が最も尊く、偉大であることを、日蓮大聖人が、
  自ら凡夫の姿を示してお説きくださっているのであります。

  あくまで、日蓮大聖人の仏法は人間が中心であります。

  大聖人の御出現自体、苦悩の衆生があったればこそであります。

  御本尊の威光勢力、福徳が証明されるのも、迷える凡夫がいたれば
  こそであります。

  人間自身を妙法の当体として、いかなる人も尊厳なる仏になることが
  できるする、日蓮大聖人の仏法こそ、人類の求め始めている問題に
  真っ向から答えた大宗教なのであります。

  凡夫の当体、本有のままで、南無妙法蓮華経如来であられるのが
  御本仏であります。
  ゆえに「本仏と云うは凡夫なり、迹仏というは仏なり」と仰せなのであります。

  しかしながら、同じく凡夫といっても、衆生と仏との間には
  厳然として相違がある。
  それは悟っているのと、迷っているのとの違いである。

  この迷いを悟りへと転ずるものは何か、それは「信」の一字で
  あります。

>>598  での沖浦さんの発言は、上記の先生の講義を記憶していて
  のことと推測します。
 ですから、言わんとすることは「解ります」

しかし・・・・

  本・迹  の言葉の使い方について、誤解を招くわけです。

ちなみに同講義の中で(41P)

本とは・・「本地」で本来の境地
迹とは・・「垂迹」で、影として映った姿

例えば、空の本物の月が「本」
池の水面に映った月影が「迹」
このような概念と、先生も教えてくださっていますし、

もっと詳しく書いてもいいのですが、時間の余裕がありません。

ですから、御本尊に関して「本・迹」の表現を使用するのは
翻訳の間違いのようなもので、いかがなものかと思います。

今一度、仏法用語の確認をされますことを切に願います。

600ヒロGO:2008/10/05(日) 11:14:09 ID:.frqldFwO
沖浦さん僕も本と迹の概念の食い違いをかんじております。池田先生が宗教は人間の為にある宗教の為に人間があるのではないとの指導からすれば沖浦さんの考えは間違っていないのですが。なんか他者との間に本と迹のとらえかたがずれているような?(汗)

601ヒロGO:2008/10/05(日) 13:35:00 ID:.frqldFwO
度々すいません。小野氏が言われる本門の本尊とは?板マンダラかな?昔登山した時これが腐ったらどうなるんか?と思って後で幹部に聞いても答えてくれんかった。

602沖浦克治:2008/10/05(日) 13:53:46 ID:AJ3hr85o0
 人間のための宗教が仏教ですね、ヒロさん。
 ですから人間が本、仏教は丸ごと迹。
 これで良いんです。

 反対は宗門です。
 信徒は支配されてます。

 どっちがいいですか?

603耕治:2008/10/05(日) 14:23:47 ID:AJ3hr85o0
//例えば、空の本物の月が「本」
//池の水面に映った月影が「迹」
//このような概念と、先生も教えてくださっていますし

もし、その先生の釈wp取るのならば、

私達の生命を一幅の曼荼羅に映したご本尊様が迹、
御尊様に映っている生命自体が本

ということもわかったいただけると思うのですが、

スクリーンに生命の実相を現在の言語で映せば、それは必ずご本尊になるでしょう。
別の惑星や時代など別の言語形態をもつ世界においても、生命の実相を映し出せば
相貌は著しく異なるが、やはりご本尊様です。

そして、両者とも映し出している実体(指し示している実体)は生命です。

604:2008/10/05(日) 15:23:31 ID:c9X/3p/A0
ヒロGO さん
こんにちは〜

>これが腐ったらどうなるんか?と思って後で幹部に聞いても答えてくれんかった。

>>601
私が貴方を好きな理由がわかったような・・
ムカシだもね。幹部さんは面食らったと思います。
想像したら、噴き出してしまいました〜

605森野一士:2008/10/06(月) 00:15:43 ID:ejWZH1MI0
沖浦さんこんばんは。
 『最も肝心なもの、それはお題目です。
 曼荼羅は物で出来ています。
 いつかはなくなっちゃう。
 そこえいくと、お題目だけは絶対になくなりません、宇宙の続くかぎり存在し続けるんですよ。』(趣意)
上記の先生の指導に同意いたします。
出典を確認できればありがたいのですが。
沖浦さんがお手数でなければ、教えていただけないでしょうか。

私は、上記で先生が言われている「お題目」とは曼荼羅ご本尊様の
〈性〉(空)の側面であり、上記で先生が言われている「曼荼羅」とは、
曼荼羅ご本尊様の〈相〉(仮)の側面であり、
宇宙生命を〈体〉(中)となし、円融三諦である、と認識いたしました。
私の今までの認識と矛盾しない、と認識いたします。

606耕治:2008/10/06(月) 01:11:55 ID:AJ3hr85o0
こんばんわ、森野一士さん。

すごい難しいですね。
横レス失礼します。

三諦がでてきましたが、三諦がわからないと、御本尊のことはわからないと思います。

すごく難しいのですが、2ちゃんでも書きましたが
たとえば、具体的事例として
「燃え盛る太陽」があるとします。

「燃え盛る太陽」そのものは物質であり、応身ですね。
これは、私たちにとっては、肉体にあたります。
森野一士さんがいわれている、いわゆる相、仮の側面です。
これを如是相とも仮諦とも応身ともいいます。

「燃え盛る太陽」は、熱や光を出しています。重力もあります。

熱量がどの程度で、輝度はどの程度、重力の強さや及ぼす範囲はどの程度で、
大きさや質量はどのぐらいといった「燃え盛る太陽」自身がもつ性質があります。

これは、森野一士さんがおっしゃった〈性〉(空)の側面になってきます。
これを、如是性とも報身ともいいます。

さて、「燃え盛る太陽」は時々刻々と定めに基づいて変化していきます。
熱量も輝度も質量も刻々と変化し、また、太陽それ自体も変化していきます。

しかし、「燃え盛る太陽」を「燃え盛る太陽」たらしめている法は変化しません。
「燃え盛る太陽」は勝手に燃えているのではなく、ある不変の定めでしたがって存在しています。

この定めは、たとえば、ヘリウムと水素がぶつかったら核融合を起こすとか、
この質量にたいして重力は空間に対しこの程度働くとかいったものです。

如是性と似ていますが、向こうは時々刻々と変化する性質なのに対してこちらは不変の定めです。

これを如是体とも中諦とも法身ともいいます。

607耕治:2008/10/06(月) 01:34:39 ID:AJ3hr85o0
まったく同一の条件を与えればまったく同じ性質をもったまったく同じ「燃え盛る太陽」ができます。

これは、両者とも不変の定めが共通だからです。
この不変の定めのことを、如是体、中諦、法身、法体などと呼んでいます。

ところで、私たちの生命は偶然たまたま存在しているのでしょうか?
それとも、不変の定めに基づいて存在しているのでしょうか?

私たちにも当然、私たちを支えている定めが存在しています。
これを「事の一念三千」ということがあります。

これは不変の定めあり、森野一士さんも私も共通して「事の一念三千」を法身としてもっています。
森野一士さんの「事の一念三千」と私の「事の一念三千」はまったく同一不二のものです。

「燃え盛る太陽」と「燃え盛る太陽」同士のもつ定めが共通にして不変であることとそれは同じです。

具体的には、森野一士さんのもつ十界は私にもあります。
あなたには、修羅界がない代わりに、如是体もないとか、私にはある如是性があなたにはない。
あなには、国土世間がないが、わたしには衆生世間がないといったことはありえません。

あなたも私も「事の一念三千」をもっております。

曼荼羅の御本尊様の相貌は何かを顕しています。
私には「南無妙法蓮華経に照らされた事の一念三千」にみえます。

大聖人様は、曼荼羅の御本尊様はあるものを顕して作ったとおおせです。
曼荼羅のご本尊様は何かを顕しているのです。
その何かを信受するとき私たちは成仏ができる。

608もくれん:2008/10/06(月) 11:37:40 ID:gO.Fk5NY0
>>607
>大聖人様は、曼荼羅の御本尊様は、あるものを顕して作ったと
>おおせです。

「御書の世界」第13回 「御本尊」より抜粋

名誉会長・・大聖人は、御自身の己心に根源の妙法を観じとり、
     御自身の生命のコスモスを「虚空会」を用いて
     御図顕された。
     それが、十界具足の曼荼羅御本尊です。

     大聖人は「観心本尊抄」の結論として、
     「一念三千を識らざる者には、仏・大慈悲を起こし、五字の内に
     此の珠を裏み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」254P

     成仏の根本の種子を、事の一念三千、南無妙法蓮華経の
     御本尊として御図顕して、全世界の人々に与えてくださったのです。

    その御本尊を信受することによって、私たちは実際に「己心の妙法」
    を覚知できるのです。

    宝塔品の儀式を用いながら、根源の法の南無妙法蓮華経が明示
    された御本尊を「明鏡」とするのです

    末法の私たちは、御本尊を「鏡」として、自身にも同じ生命宇宙
    が広がっていることを「信受」して、その広大無辺な境地の功徳を
    開き顕していく。

★ 御本尊に関しては「明鏡」の表現が正しいです。

★ 「本・迹」 の 使い方に関しては以下に書きます。


同じく「御書の世界」第13回 から

  本・迹 に 立て分ければ、
  根源の法である南無妙法蓮華経が「本」
  虚空会は「迹」です。
  迹をもって、本を顕すのです。 (名誉会長談)
 
「御書の世界」第10回から

★ 発迹顕本

名誉会長・日蓮大聖人が竜の口の法難の時に、名字凡夫という「迹」
  を開いて、凡夫の身のままで久遠元初の自受用報身如来という「本地」
  を顕されたことをいいます。

  この原理は私たちにとっても、同じである。

  苦難を越えて、信心を貫き、広宣流布に生き抜く人は「発迹顕本」
  して、凡夫の身のままで、胸中に大聖人と同じ仏の生命を涌現
  することができるのです。

  人類の持つ「無明」の転換、
  
  人類の「発迹顕本」・・日蓮仏法は、その必要性と可能性を教えて
  います。

609沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/06(月) 17:11:41 ID:AJ3hr85o0
 森野さん

 もう忘れました。
 でも言われたことは確かです。

 昭和52年前後の先生のご指導のどこかにあります。

 後はご自分でどうぞ。

610沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/06(月) 19:31:24 ID:AJ3hr85o0
誤解を恐れずに申しますが。
 三大秘法にこだわる時代じゃないと思うんですよ。

 いらないでしょう、そんな理屈。
 衆生の己心の妙法が本尊でお題目。
 衆生の身体はその双方を保っているんだから戒壇。

 これで充分じゃないですか。
 そいをね、ことさら権威付けてややこしくして誰か得しますか?

 無意味なんですよ。
 本当はね、最初からこれを言いたかったんです。

611沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/06(月) 20:55:55 ID:AJ3hr85o0
 もくれんさん

 貴方の書き込みを少し要約して引用させていただきました。

612:2008/10/06(月) 20:58:10 ID:c9X/3p/A0
沖浦さん

私はこの問題をずっと考えていて、「どうでもいいじゃん」って思ってました。
結局は「御本尊様に題目あげるしかない」って結論しかないからでした。

むかし、教学試験の勉強で、教学は最後にはぜ〜んぶ「南無妙法蓮華経」だから
結論にそう書いておけと、乱暴(?)なアドバイスを受けたことがあります。
今でも、どんなに理屈つけても、そういうことなんだと思っています。

613沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/06(月) 21:06:12 ID:AJ3hr85o0
 梅さん

 そうなんですよ、今ねどうだっていいんです。
 全ては衆生己心の妙法の説明なんですよ。
 一切衆生が己心に同じ妙法を持っている、その妙法が本尊でお七文字のお題目って言うんですよ。
 そしてそれを保って娑婆世界で顕在化させている衆生の身体が戒壇で法器なんです。
 これが一番尊いんだぞ。
 仏法の極意じゃないですか。

 この説明が三大秘法です。
 わかればもういらない概念ですよね。

614server:2008/10/06(月) 21:31:00 ID:JcNgrGmo0
>>612 
という事は、教学は極論すればいらないって事でしょうか?
以信得入といい、教学部長でも退転する歴史の事実といい、
私にはそういう安易な発想が時々頭をもたげます(笑)

>>613
で、
>わかればもういらない概念ですよね。
という事は、三大秘法は、建設現場の足場みたいなもの、という事でしょうか?

615沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/06(月) 21:38:36 ID:AJ3hr85o0
 serverさん
 そう思いますね。
 ですがね、布教にはやはり理論としての教義はいるんですよ。
 ですから不必要というわけではありません。
 信を深めるためにも強力な理論はいるのですよ。

 私共にはあまり必要ではない。
 然し、今後の布教には理論として必要。
 ですから、必要だし、不必要です。
 
 わかりますか?

616server:2008/10/06(月) 21:42:18 ID:JcNgrGmo0
布教の為に、理論としての教義は必要。
また、信を深めるためにも教学は必要。
理解できますよ!

617沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/06(月) 21:50:57 ID:AJ3hr85o0
 でもね、serverさん

 理に囚われすぎて本質を見失っている人たち。
 小野さんに代表されますね。
 もったいないと思います。
 私の行動がおきに召さないなら、ご自分達でサッサと広宣流布の戦を起こせばいいんですよ。
 誰に遠慮もいりません。
 でも、相変わらず私共の熱原公演に引っかっている。
 俺はやらないよ、勝手にやりな。
 これ以上どうしようも無いじゃないですか。
 時間とエネルギーも無駄使いです。

 熱原だけが、そして舞台だけが仏道修行じゃないですよ。
 1000人いれば千通りの修行法があっていいんです。
 なのに何も始めない。

 行者じゃないでしょう。
 理論でつまずくとこうなっちゃいます。

 もったいないです。

618server:2008/10/06(月) 22:03:33 ID:JcNgrGmo0
沖浦さん。
>熱原だけが、そして舞台だけが仏道修行じゃないですよ。
>1000人いれば千通りの修行法があっていいんです。
激しく同意します。

>なのに何も始めない。
これは同意しかねます。小野さんが「千通りの修行法」のうちの一つもやっていない、という意味ですよね?
もしかしたら、沖浦さんよりすごい事をやっているかもしれませんよ。私は小野さんの全生活・全活動を知っているわけではありませんので、何とも言えません。

619沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/06(月) 23:49:12 ID:AJ3hr85o0
 やってませんね、やっているなら修行の困難さを知ってます。
 真面目に修行する人を揶揄などできるわけがありません。

 serverさん、小野さんがご自分の広宣流布の戦いはこれだ!って、行ったのを聞いてますか?
 他人の行為を評論するだけでしょう。
 自分は現時点でこれこれこう言う戦いをしている、それが自分の広宣流布だ。
 このお話聞いた事ありますか?
 私はありません。

 もしね他人の行動を評論し、批判するならば、先ず自分の立場と行動を明確にせねばなりません。
 でないと無責任ですね。

 物凄く簡単な理屈ですよ。
 君達やってること間違ってるんだよ。
 なら、誰でもいえますよ。
 俺はこうやってる、で、君達はここが違う。
 これで始めて比較対象が可能です。

 理解できますか?

620server:2008/10/07(火) 02:07:04 ID:JcNgrGmo0
>>619

沖浦さん、やっとわかってきました。
>やってませんね、やっているなら修行の困難さを知ってます。

なるほど!

小野さんはですね、恐らく、やっているんですよ、修行の困難さを知ってます。
沖浦さんの公演事業のご苦労も、想像できていると思いますよ。
だから、あの程度なんです。私、長年あの板にいるからわかるんですよ。
もし、あなたを「揶揄」「批判」しよう、邪魔しようと本気でやるなら、きっと、BLOGで「沖浦さんの公演チケットを買わないよう」宣伝し(創価王道の方が掲示板より視聴率高いです)、掲示板でももっと直接公演を邪魔する意図の書き込みをするでしょう。

>真面目に修行する人を揶揄などできるわけがありません。

小野さんはですね、あなたのやり方を「真面目な修行」と見ていないんですよ。ここに決定的なポイントがあります。
小野さんとしては、あなたに「組織利用の件」と「教学の件」で、注意・訓戒を与えたという立場です。

どっちが優れた事をしているとか、どっちが学会に長くいるとか、一次元の優劣の比較じゃないんです。
いわば小野さんは検察なんです。(もちろん、沖浦さんとしては、面白くないでしょうけど)
裁判で、被告人に対して、「俺はこうやってる」って、人生かたりませんよね。

沖浦さんは、あくまで、「私のステージまで上がって来い」という立場でしょう。
「俺の苦労をわからないヤツに、語る資格はない」でしょう。
よくわかりますよ。

沖浦さん、裁判で、被告人が検察に向かって「俺の苦労をわからないヤツに、語る資格はない」と言いますか?
言いませんよね。

もちろん、わかりやすく出した構図であり、仏子皆公平ですが・・・

でも、だから話がかみ合わないのだと思います。
私としては、沖浦さんが、そういった注意・訓戒に対してしっかり釈明するか(これまでそうした機会はなかったように思います)、あるいはこれまで小野さん等に対してされた中傷を取り消されることをお勧めいたします。

あなたが小野さん達に発している言葉、「恥さらしている連中」「生ゴミ」「馬鹿」といった表現が、批判ではないという事には賛成しかねます。
あなたは、あちらの方が100倍批判しているという。
小野さんの後輩であり、あなたのファンである私が、なるべく公平に見ようとしても、「100倍」には見えません。

人を殴ったとき、殴られた方が、こぶしの痛みより100倍痛いでしょう。
それぐらいは私でも想像力が働きます。

しかし、最近の沖浦さんのお言葉には、耐え難いものがあります。是非、釈明なり、謝罪なり、訂正なり、なさって下さい。
一沖浦ファンからの、心からのお願いでした。

621沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/07(火) 07:17:22 ID:AJ3hr85o0
 serverさん おはようございます

 小野さんね、学会組織しか知りませんよ。
 ですかあの方の仏道修行は創価学会内部の活動に限られます。
 今朝小野さんの板を覗きました。
 はっきりそうかいてますね。

 私が昭和54年から組織辞めた。
 耕治を組織につけてない。

 この二点を攻撃してますね。
 後の芸術云云は小野さんのご自由です。
 勝手にどうぞ、が感想です。

 私はね、何度も言ってます。
 54年で私の中で一つが終わりました。
 ですが組織は辞めてません。
 真面目に数年間活動いたしました。
 ただ、日蓮正宗に批判を真正面で始めました。
 だんだんお呼びがかからなくなったんです。
 確か昭和58年に卒業して壮年部です。
 一応副ブロック長になりました。
 でもまったく無視されました。
 私がやめたんじゃないですね。
 向こうが、宗門を正しいと認めろ、でなければ会合に来ないでくれ。
 はっきり言いました。

 私はね、先生が大好きだったんです。
 先生の事を裏切った恩知らずの宗門は未来永劫認めないと決めたんです。
 誰がそんな裏切り出来ますか。
 だから、それなら結構です。
 で終わりました。
 今、自分の勲章だと思ってます。

 耕治の件です。
 小野さんは私に耕治を組織につけるべきだ。と言いました。

 貴方方ね、未来部や青年部で幹部の子供沢山います。
 で、皆さん組織についてますか?
 付いてない人の方が多いでしょう。
 貴方方、幹部に、子供組織につけろ。って、言って歩いて、子供が組織付きますか?

 私がね、小野さんが現場知らないと思うのはこう言う発言が目立つからです。

 子供が親の言う事聞くほうが少ないんです。
 小野さん、serverさん、恋さん、その他の方々、父親の言う事聞いて育ったんですか?
 ジャー、自我何時作ります?

 そして、耕治に親離れしろ。って言ってますね。
 もう一方で、親が組織に付けろ。

 どっちなんですかね〜〜?
 要するに、小野さん難癖つけてるだけなんですよ。

 一言言っておきましょう。
 私と耕治は上手く行ってるほうの親子です。
 二人とも広宣流布を忘れません。
 その私どもを羨んで分裂を図るなら、その人の家庭滅茶苦茶になりますよ。
 佐渡御書に書かれています。
 一度お読みなさいね。

 それと、検事や云云の話。
 どうでもいいです。
 ご勝手にどうぞ。

622沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/07(火) 07:22:55 ID:AJ3hr85o0
 もくれんさん、おはようございます
 
 質問です。

 名誉会長・・大聖人は、御自身の己心に根源の妙法を観じとり、
     御自身の生命のコスモスを「虚空会」を用いて
     御図顕された。
     それが、十界具足の曼荼羅御本尊です。

 同じく「御書の世界」第13回 から

  本・迹 に 立て分ければ、
  根源の法である南無妙法蓮華経が「本」
  虚空会は「迹」です。
  迹をもって、本を顕すのです。 (名誉会長談)
 
 お題目が本で、衆生己心の妙法。
 曼荼羅は虚空会を写し取ったもので、迹。

 当然こうなると思います。
 この点はいかがお考えですか?

623粛坊:2008/10/07(火) 12:16:17 ID:VUuZ458.0
>>620
鯖さん。
いつも私の体調気遣ってくれて感謝します。
体調いいのでちょっとだけ書き込みしますね。

斧さんはまず何を以て生活の糧としてるか不透明です。
また江東だか墨田だか忘れましたがなぜ八王子に越したのか。
結婚したようですが、しばらく独身壮年部でしたね。子供は?
年齢は大体わかります。(推測ですが)46か47前後でしょう。

その点、沖浦さんははっきりしている。自分自身を第三の目で
見つめようと努力しているし、ずいぶん謙遜されてます。
過去の失敗も堂々と述べて反省もし今現在なんら恥じの生活してないです。
舞台は沖浦さん自身の修行でありライフワークであると一貫して主張。

「熱原の件」ですが沖浦さんの意義付けは現在は事業としてではなく。
仏道修行の一環として行っているのは明白です。

それで「真面目な修行」ってだれが評価するのでしょう。仏道修行
の評価は御本仏から称賛されれば良いのではないですか?まさか
自分の好きな先輩幹部や会長から褒められればよいと云う訳では
ないでしょう。ましてやネット社会の学会組織論者の斧さんが「評価」できる
資格がどこにあると云えるのですかね。ましてや「忠告・訓戒」何様ですか?

今朝のSP読んだと思いますが岩隈選手のエピソード
が名字の言に掲載されてました。すべて凝縮されていると思います。

私事ですがうつ病と骨折治療引きずりながら周りの制止も聞かずに三年間
地区部長として組織改革・自己に於いては生活革命やり遂げました。
その究極の中で身を以て教学を研鑚・体験した事であり、それこそ「事」
であると思うのです。斧さんやその取り巻きがそこまで体現してれば
共感もできるでしょうが土台無理だった。斧さんはそこまで追い詰められて
いない。もしくはあったとしても語りたくない。ならば虚像でしかありません。

唯我独尊ってお互い批難してるように見えますが、斧さんがそれに
あてはまります。そもそも「縁」からの論議です。独自の解釈でいいのではないか。
教学だってみんな好きにパロッて使ってませんか。別に構わないのです。

北林さん知ってますよね。日興上人は実は「最蓮房」ではないかとネットで
論じてます。自由です。例え若干の逸脱があったとしても謗法にはなりませんから。

もっと言及します。我々の御本仏は蓮祖大聖人です。しかし法華行者論としての
大聖人論が最近論じられるようになりました。あとは御自分でお考え下さい。

戸田先生の「創価学会仏論」も、斧さんは否定されるかな?

そして斧さんは「戒壇本尊」を出世の本懐論を依所としているから「熱原」に
なんか変な思い入れがある。その辺を「創価班歌」の精神論でどうなんだ?
と私が突っ込んだら「愚癡野郎」ですからね。こっちのほうが「耐え難いものがあります」
ですよ。さきに殴ったのはあちらであると私は思いますよ。

以上 雑感です。

624server:2008/10/07(火) 13:19:38 ID:5IOYy7oU0
>小野さんね、学会組織しか知りませんよ。
>ですかあの方の仏道修行は創価学会内部の活動に限られます。
そうやって(沖浦さんの表現を借りると)生ゴミをいじくりまわさないで、
御自分で小野さんに聞かれたらいかがでしょう?

私の誠意と真意は伝わらないようなので、もうやめます。

625server:2008/10/07(火) 13:24:02 ID:5IOYy7oU0
粛坊さん、たぶん私ここの板をアク禁になるか、退出勧告処分になるので、
レスは控えますね。
ちゃんと相手せよ、とおっしゃるなら、「鯖スレ」に返事書いておきます。
私にも、うつ病・パニック障害の友がいます。
全快を祈っていますよ!!!

626粛坊:2008/10/07(火) 15:13:42 ID:VUuZ458.0
鯖さん。

大病や大怪我・患うと様々な事、見えてくるものなんです。
世法・仏法・教学も師匠も・すくなくとも私はそうでした。

アク禁は大丈夫でしょう。しかし鯖さんが斧板にコピーする行為はあまり関心できません。
沖浦さんの指摘通りスパイ行為と邪推されて当然です。あっちの板管理作業やめたら
鯖さんも心が自由になり、書き込みできるのでは。

祈ってくれてありがとうございます。

627沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/07(火) 15:52:16 ID:AJ3hr85o0
 serverさん、

 私はべつに貴方をアク禁や退去処分にはしませんよ。
 どうぞ書き込んでくださいね。
 ただ、私の板の書き込みを小野さん所に貼り付けて、対立を煽るの最低の行為だ。
 このように指摘しているだけです。

 少し考えればわかるでしょうが、この板は誰でも見れますし、引用を禁止していません。
 小野さんが必要な覗けばすみますし、反論があれば引用して反対意見を書けばいいだけですよ。
 それを、わざわざ誰かに生かせてスレッドまで作って対立の構造を仕立てる。
 凄く愚かです。
 そして手先になった貴方、もっと愚かです。

 これだけのお話ですよ。

628森野一士:2008/10/07(火) 18:37:53 ID:7QsaEQK60
沖浦さんこんにちは。
「御書の世界」での、流れとしては
①『永遠の法』を、日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経」と名付けた。
②「南無妙法蓮華経」は『永遠の法』と一体の大聖人の御生命の名でもある。
③発迹顕本により、大聖人自身が、
 『永遠の法』即『永遠の仏』である自受用身の仏と顕れる。
④『永遠の法』そのものを御本尊として御図顕される。
⑤「勧心本尊抄」の、受持即観心について。
 「観心」とは己心に十界の生命を見ること。  
 特に、現じがたい仏界の生命を涌現すること。
 そのために本尊とすべきは妙法蓮華経の五字であると、「法」を明示。
⑥御本仏の生命を、そのまま一幅の曼荼羅に認める。
⑦御本尊を拝する衆生のほうも、身口意にわたって真剣に祈らなければ
 大聖人の御生命の御本尊と共鳴しない。
⑧「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経(御本尊)を
 持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におわしますなり、ーー」
 【私は、曼荼羅の御本尊を迹と見ることは余所に求めている事になる、と
 認識します】
⑨本尊とは「根本として尊敬する」の意
 万人が規範とすべき尊極の当体を、大聖人は御本尊として顕す。
⑩曼荼羅の御本尊は「明鏡」
 【私は、御本尊が内にあると言うことからも、お題目を唱える
 ことは己心の明鏡を磨くことと認識します】
⑪戸田先生は、十如実相の文に御本尊のすがたが表されている、
 「御本尊を拝んで南妙法蓮華経を唱えることによって、
  わが生命のなかにずーっと御本尊がしみわたってくる」
 「大御本尊様は向こうにあると思って拝んでおりますが、じつはあの
 三大秘法の御本尊様を、即南妙法蓮華経と唱え、信じたてまつるところの
 われらの命のなかにお住みになっていらっしゃるのです。ーー」と。
⑫御本尊は、永遠の師たる御本仏の大境涯をそのまま顕されたもの。
⑬「妙法蓮華経」というわずか五文字に、膨大な因行・果徳が全て具わっている。
⑭続く

629森野一士:2008/10/08(水) 00:36:23 ID:7QsaEQK60
⑭「義浄房御書」の御文の引用。
 「一心欲見仏不自惜身命」の御文が寿量品の事の三大秘法を成就している。
⑮「生死一大事血脈抄」の御文の引用。
⑯質問:受持する法体の「妙法蓮華経の五字」について。
 「妙法蓮華経」は本尊なのか、唱える題目なのか?
 回答:大聖人は「法華初心成仏抄」で、「我が己心の妙法蓮華経」を
 本尊として、「南無妙法蓮華経と唱える」のであると言われている。
 本尊も妙法蓮華経であり、本尊を信じて唱える題目も妙法蓮華経である。
⑰南無妙法蓮華経と唱えることは、日蓮大聖人の顕された御本尊を最高に
 讃歎すること。同時に、我が己心の御本尊を讃歎することであり、
 我が仏界の生命を讃歎すること。
⑱「観心本尊抄」の御文の引用。
 妙法蓮華経の五字の受持によって観心が成就し、自身の妙法蓮華経と
 宇宙の妙法蓮華経が一体化して自在の生命力を顕したときの自在の
 境涯の表現がされている。
⑲「観心本尊抄」の後半を拝しながら、御本尊を御図顕された深義をの確認。
⑳「法華弘通のはたじるし」とは、「広宣流布のための御本尊」ということ。
1.虚空会の儀式と南無妙法蓮華経
 虚空会の意義を用いながら、南無妙法蓮華経の深義を明らかにされた。
 本迹に立て分ければ、根元の法である南無妙法蓮華経が「本」で、
 虚空会は「迹」である。迹をもって本を顕された。
 【私は、上記より曼荼羅の御本尊は「本」である、と認識しました】
2.十界具足の曼荼羅
3.仏の真意を表す文字曼荼羅>>597
 大聖人は、御自身の己心に根元の妙法を観じとり、御自身の生命の
 コスモス(宇宙)を虚空会を用いて御図顕された。
 それが十界具足の曼荼羅御本尊である。
4.「闘諍の時」を救う大法
 『人間革命』の第一巻「黎明」から
 戸田先生が「ーー獄中で体得した、不可思議な虚空会の儀式が、そのままの
 姿で御本尊に厳然として認められていることを知った。ーー」
5.御本尊は慈悲の当体。
 広宣流布の実践なくして御本尊を拝しても、真実の仏の大慈悲は通わない。

私は、曼荼羅御本尊様も己心の御本尊も「本」である、と認識しました。

630ひでき:2008/10/08(水) 00:55:03 ID:fjMOaIWM0
こんばんは、森野一士さん。
お久し振りです。

別の掲示板で、

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7888/1214133728/l50

の527以降のレスで、池田大作全集と大白蓮華 2008年10月号 池田名誉会長講義 「報恩抄」
を引かれている方がおります。
よくよくじっくりと読んで下さい。
一番的を得た結論では無いでしょうか?

631ひでき:2008/10/08(水) 01:47:20 ID:fjMOaIWM0
森野一士さん、もう一言付け加えます。
それは、このスレの>>599,>>608 です。

曼荼羅御本尊様も己心の御本尊も「本」で善いと思います。
実践論として捉えれば、沖浦さんの考えは理解できます。
教学でそれをすると、意味不可解なことになります、そう感じております。

632森野一士:2008/10/08(水) 03:30:11 ID:7QsaEQK60
ひできさんお久しぶりです。
ご紹介の方の文、読ませて頂いてます。納得しています。
レスありがとうございます。


法自ら弘まらず、人法を弘むる故に人法ともに尊し。

大聖人様の仏法は「理」ではなく「事」の仏法。
事とは、「具体的」な事。
久遠元初の妙法が、具体的に顕されているのが、
曼荼羅の御本尊様。

お題目、お題目を唱える、これは言語。
曼荼羅の御本尊様は、言語・文字で顕されている。

人は、言語で法を伝える。

久遠元初の妙法(本尊)は、人が誕生する以前から無始無終宇宙と一体。
(人の命は冥伏している・宇宙と一体)
人の誕生・命の顕在化(宇宙と一体)
久遠元初の妙法の、曼荼羅の御本尊としての顕在化(宇宙と一体)

大聖人は、人間(寿命がある)であり、御本仏(人本尊)
曼荼羅は、物(寿命がある)であり、御本尊(法本尊)

鏡は、鏡自体(法・中)・物を映す特性(報・空)・物体としての特質(応・仮)
あくまでも、「明鏡」は喩え。
曼荼羅の御本尊は、大聖人の命。

命と命の共鳴。

宇宙には、生命でないものはない。
人も物も生命である。

633沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/08(水) 05:54:48 ID:AJ3hr85o0
 森野さん、おはようございます

>⑧「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経(御本尊)を
 持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におわしますなり、ーー」
 
>【私は、曼荼羅の御本尊を迹と見ることは余所に求めている事になる、と
 認識します】

 貴方が思われる事はご自由ですが、私はそう思いませんね。
 でも、すり合わせる必要ないんじゃないですか?

>⑳「法華弘通のはたじるし」とは、「広宣流布のための御本尊」ということ。
1.虚空会の儀式と南無妙法蓮華経
 虚空会の意義を用いながら、南無妙法蓮華経の深義を明らかにされた。
 本迹に立て分ければ、根元の法である南無妙法蓮華経が「本」で、
 虚空会は「迹」である。迹をもって本を顕された。
 【私は、上記より曼荼羅の御本尊は「本」である、と認識しました】

 私は虚空会が迹なら、それをかたちどった曼荼羅は更に迹だとおもいますが、貴方は貴方でいいんじゃないですか?

634沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/08(水) 16:06:06 ID:AJ3hr85o0
 結論です

 池田先生が、

 曼荼羅は虚空会の儀式を紙に写し取ったものだ。(趣意)

 と言われている。
 そして、

 虚空会は迹。

 と明言されておられる。

 虚空会が迹で、写し取った曼荼羅が迹は理の当然じゃないですか。

 何故、小理屈がいりますか?

635森野一士:2008/10/08(水) 17:08:30 ID:7QsaEQK60
先生は、

「寿量文底の根元の法である南無妙法蓮華経を

直ちに示し、私たちが信受すべき明鏡として

御本尊を顕してくださったのです」と


根元の法を御本尊に顕して、と。あらわして、と。
こちらを、私は、法が曼荼羅の御本尊に顕在化されている、と読みます。





また、「本迹に立て分ければ、根元の法である南無妙法蓮華経が「本」

虚空会は「迹」です。迹をもって本を顕すのです」と


迹をもって本を顕す、と。ほんをあらわす、と。
こちらを、私は、迹の意義を用いて本を顕す。曼荼羅には本が顕れている、と読みます。


私には、沖浦さんが読み間違えている、と。

636森野一士:2008/10/08(水) 17:26:55 ID:7QsaEQK60
沖浦さんこんにちは。
私には、沖浦さんが誤認されている、とみえます。

637沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/08(水) 17:27:02 ID:AJ3hr85o0
 森野さん

 曼荼羅を拝む人が本です。
 先生が言われたでしょう。

 『ご本尊様たって、信心のない人が拝まないないでほっておいたら、ただの物です。
 戒壇様だって物で出来てるんだから、いつかはなくなっちゃう。
 絶対になくならないもの、お題目です。
 お題目は宇宙が続く限り存在いたします。』(趣意)

 衆生己心の妙法がお題目。
 これははっきりしてます。

 曼荼羅は衆生が信を持って拝まねば、ただの物。
 これもはっきりしてます。
 御書にもあります。

 拝む人が本、拝まれる曼荼羅が迹。

 明快な事実です。

638森野一士:2008/10/08(水) 18:32:41 ID:7QsaEQK60
沖浦さんへ

『ご本尊様たって、信心のない人が拝まないないでほっておいたら、ただの物です。
 戒壇様だって物で出来てるんだから、いつかはなくなっちゃう。
 絶対になくならないもの、お題目です。
 お題目は宇宙が続く限り存在いたします。』(趣意)

先生の指導に同意です。

私は、信心のある、とは
大聖人様と
久遠元初の妙法が顕されている曼荼羅の御本尊様と
私たちには差別はない、
同じ生命である、
と信じる、ことだと認識しています。

迹と見ることは、差別になり、物と見ることは、
信がないことになる、と認識いたします。

百六箇抄に
七字は本なり・余の十界は迹なり、諸経諸宗中王の本尊
万物下種の種子無上の大曼荼羅なり。とあります。

拝む人も、曼荼羅も本である、と認識いたいます。

639大勝利:2008/10/08(水) 19:07:23 ID:VjW.xVBw0
>>637

>曼荼羅を拝む人が本です。

私は、寛師教学の件や本迹論、一大秘法の件で沖浦さんの片は持たないですが、
先生は御義口伝講義の法師品のとこの講義で、「如来の使いの大願」の説明で、
「広宣流布の大願に生きる人が真実の人であり、あとは枝葉なんです」(趣意)
の講義をしてます。
(御書講義の御義口伝(上下巻)のほうには乗ってない)

こちらの視点によるけど、「衆生が本」には基本的に賛成です。

640沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/08(水) 20:04:49 ID:AJ3hr85o0
 池田先生が観心本尊抄を引用し話された事がありました。

 『観心とは我が己心の仏界を観じる、すなわち信心です。
 私共凡夫が成仏するためには信心をする、信心には本尊がいりますね。
 その信心のための本尊ですよ。本尊のための信心じゃないよ。
 その信心のための本尊を、五の五百歳に始めておいたよ。
 こう読むんです。
 だから大聖人様はありがたいんです。
 凡夫が信心するための本尊なんです。
 私共が主体なんです。』(趣意)

 明快なんですよ。
 それを戒壇様本懐論に毒されて、読めない。
 これだけの話ですよ。

 ご本尊様が迹だと粗末にする。
 これはね、別の話なんです。
 世界一のダイヤモンドをもっていれば、普段金庫の中で厳重に保管して、パーティーにはそっくりなイミテーションをつけて行きます。
 これが宝石の愛好家の常識なんです。
 本物は自宅においてありますよ。
 なんです。
 大事にするんですよ。
 でもね、どんなダイヤも、つける人が本、ダイヤは迹です。
 はっきりしてますね。
 命には変えられませんから。

 ご本尊様はそのダイヤの一万倍以上貴重なんですよ。
 大事にしてあたりまえでしょう。

 迹だから粗末?
 それ嘘ですよ。

641大勝利:2008/10/08(水) 23:40:49 ID:PkR.k/vQ0
あちゃ〜小野さんの板で、
怪しさプンプンって言われちゃったよ(笑

進歩ないですねこの人。
---------------------------
225 :ひでき:2008/10/08(水) 19:18:15
沖浦板で森野さんが、まだ頑張っています。
しかし、大勝利さんの御文の使い方が…。
私の勘違いでしたら、御指摘願います。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9645/1217511403/l50




639 :大勝利:2008/10/08(水) 19:07:23 ID:VjW.xVBw0
>>637

>曼荼羅を拝む人が本です。

私は、寛師教学の件や本迹論、一大秘法の件で沖浦さんの片は持たないですが、
先生は御義口伝講義の法師品のとこの講義で、「如来の使いの大願」の説明で、
「広宣流布の大願に生きる人が真実の人であり、あとは枝葉なんです」(趣意)
の講義をしてます。
(御書講義の御義口伝(上下巻)のほうには乗ってない)

こちらの視点によるけど、「衆生が本」には基本的に賛成です。

最後に一言。
>(御書講義の御義口伝(上下巻)のほうには乗ってない)
この時点で、怪しさプンプンです。
実家にしか御義口伝講義がないので、私からは、検証できません。

642ひでき:2008/10/09(木) 00:15:48 ID:fjMOaIWM0
こんばんは、大勝利さん。
このような形でレスをする時が来るとは、思いもしませんでした。

こちらでも、あちらでもレスを見ていて思うこととして三大秘法について言えばオアシスなどでもう決着がついているはずです。
沖浦さんの主張が、南無妙法蓮華経という法則が根本であるこの点は納得がいきます。
しかしそれ以外のことは、学会の公式見解と異なることを丁寧に言われても、
自らの都合に良いように解釈されていること。

ここ数日、例えばある日は、三大秘法についてレスをすればこれはこうだからこうと言い。
翌日には、「私は私、貴方は貴方」という風に、矛盾した発言があまりにも多くはございませんか。

小野さんのところで初めて書き込んだ時、大勝利さんがレスをしたこと、沖浦さんが援護代弁をして下さったこと。
そして、沖浦さんが、小野さんのところで、私と火花を散らした時の終わりの温かい御言葉を忘れることはできません。
今でも、恩を感じ、感謝をしております。

公演の事について言えば、私の願いとしましては公演を是非ともして頂きたいと考えております。
しかし、それは、誰の目から見ても納得のいく形で、もちろんコストの関係もあり、すぐにとは申しません。
皆心配されています。

早く目を覚まして下さい。
何人もの方がレスをしておりますので、serverさんや森野さん、那由他 楽人の書き込みを良く読まれて下さい。
そして、なぜ沖浦さん・大勝利さんが言う三大秘法が正しいのか、公演のやり方が正しいのか、御書・先生のスピーチを基に御教授願います。
公演については、組織利用って、具体的にどう言う行為でしょうスレで答えて下さって結構です。

643耕治:2008/10/09(木) 00:17:33 ID:AJ3hr85o0
衆生がしゃく、曼荼羅が本というのは、日蓮正宗というのではないですか?

私も衆生が本だと思います。
曼荼羅のご本尊は一切衆生の為に存在しているのであって
曼荼羅のご本尊の為に衆生が存在しているわけではないはずです。

また、曼荼羅のご本尊は、本尊を顕しているのであって、
その本尊の当体が生命であるところが、大聖人様の奥義ではないのですか。


衆生とは生命なのです。
南無妙法蓮華経の当体が実に生命そのものであって、
この宇宙もまた南無妙法蓮華経の表れなのです。

曼荼羅のご本尊の偉大さは二つ。
ひとつは、生命と宇宙の実相を寸分の狂いもなく顕していること。
ひとつは、それを拝むことで、一切衆生は成仏ができるということです。

644耕治:2008/10/09(木) 00:31:38 ID:AJ3hr85o0
本尊と申しますものは、根本尊敬と申しまして、万人が根本として尊敬するべき当体です。

キリスト教などでは、天地を想像し宇宙を支配している絶対神を本尊としております。
もし、宇宙や生命が神によって作られ、森羅万象ことごとく神に支配されているのなら
当然、絶対神は本尊として尊敬するべきです。

しかし、私たちは、キリスト教やイスラム教が説いている絶対神という概念が、実は
南無妙法蓮華経なんだということを知っております。

宇宙の森羅万象はみなことごとく一法残さず南無妙法蓮華経の現われに過ぎず、
南無妙法蓮華経の、その体が生命そのものであることを大聖人様は説かれていらっしゃいます。

これに逆らうのを謗法といい、信じれないことを不信というのではないのですか?

この論争?は、曼荼羅が本尊の当体そのものなのか、それとも本尊を顕しているものなのか?
ということに尽きると思います。

本尊というのは、根本ですので、絶対に消滅することはなく、久遠元初から未来際まで常住にして滅びないものです。
また、本尊はその性質上、宇宙のすべてを根本から支配しております。

曼荼羅のご本尊は大聖人様が顕されたものですが、本尊そのものは、大聖人様が作られたものではないはずです。

645大勝利:2008/10/09(木) 00:34:48 ID:PkR.k/vQ0
>>642
怪しさプンプンって言われたのでひできさんに。
切文ならぬ切オンですが。
http://jp.youtube.com/watch?v=TkM3liir6OQ

先生の思想も大聖人の思想も、
私や貴方、沖浦さんや小野さんよりももっともっと深いと思います。

沖浦さんの主張していることの真意はなんだろう?
真っ向から否定ありきではなく小野小野に(ダブルミーミング)思惟してみるべきだと思います。
でないとレッテルとプロバガンダに躍らせられる信心になってしまうかも。(笑

646大勝利:2008/10/09(木) 00:38:53 ID:PkR.k/vQ0
>>645
http://jp.youtube.com/watch?v=TkM3liir6OQ
明日には削除の予定。すんませんね。

647耕治:2008/10/09(木) 00:42:27 ID:AJ3hr85o0
たとえば、ほとんどの日蓮正宗信徒は、戒壇の大御本尊様は、永久に滅びないと
心の底から信じて疑いません。

戒壇の大御本尊様は、本尊を顕してなどいないからです。
顕しているのではなく本尊そのものなのです。
この本尊を事の本尊、各家庭や寺院に下付された本尊を義の本尊と呼んで区別しています。

各家庭や寺院にある義の本尊は、戒壇の大御本尊を顕しているので、義になるのですが、
義である以上、私たちの肉体のように滅びることはあります。

しかし、本尊そのものである戒壇の大御本尊は常住にして滅びません。

わたしは、常住にして滅びないのは南無妙法蓮華経であり、それを顕している曼荼羅のご本尊は
傷んだり滅びることがあっても不思議ではないと思います。

648森野一士:2008/10/09(木) 03:35:40 ID:7QsaEQK60
大勝利さんへ

曼荼羅御本尊も凡夫即極の大聖人の命であるから、
衆生と同じく「本」である、と認識します。


沖浦さんへ

『観心とは我が己心の仏界を観じる、すなわち信心です。
 私共凡夫が成仏するためには信心をする、信心には本尊がいりますね。
 その信心のための本尊ですよ。本尊のための信心じゃないよ。
 その信心のための本尊を、五の五百歳に始めておいたよ。
 こう読むんです。
 だから大聖人様はありがたいんです。
 凡夫が信心するための本尊なんです。
 私共が主体なんです。』(趣意)

先生のご指導に同意します。
このご指導を、私は、人と本尊は、本迹の関係としてではなく、
一面主客の関係としてのご指導である、と認識しました。


沖浦さんの、文字曼荼羅とダイヤの対比について、

私は、先生の「御書の世界」の中の、
「文字」は「心」の表れ、と言うことからと、
文字で記されたもののなかでも高低浅深がある、
人々を導くためにその能力に会わせて説いた「随他意」の経典と、
仏の真意を直ちに説いた「随自意」の経典との違いがある、言うことから、
ダイヤを随他意の経に置き換え、
曼荼羅御本尊を究極の随自意の経と認識し、
ダイヤは「迹」
曼荼羅御本尊は「本」と認識しました。

沖浦さんが言われる
迹だから粗末?
それは嘘ですよ。

に対しては、
私は、本迹勝劣から、迹は劣と認識しています。



『・・もとより、御本尊が、私どもの「根本尊敬」の対象であられることは
言うまでもない。そのうえで、曼荼羅それ自体は、物体という側面から
いえば永遠不滅ではありえない。当然、そこに計りしれない御仏意が
あられると拝されるが、曼荼羅としてあらわされた「法」は永遠である。

いずれにしても、大聖人の仏法の真髄である、「久遠元初の法」を根本と
してこそ、永遠の妙法流布の道が開ける。ーー』

   出典・・・・池田大作全集 82
         小冊子 創価のルネサンス 52

      平成5年5月3日   「5.3記念 勤行会」より抜粋


私は、上記の先生の指導で、

「曼荼羅それ自体は、物体という側面から言えば・・」ということから
物体としてではない側面がある、と認識しました。
また、永遠の法は曼荼羅としてあらわされた。
「久遠元初の法」曼荼羅を根本にする、と認識しました。

曼荼羅にあらわされている、ではなく、
曼荼羅としてあらわされた、であるから、、
曼荼羅と法は一体である、曼荼羅には物体の側面だけでなく
法の側面がある、と認識しました。

先生は、物体は永遠ではないが、曼荼羅の物体の側面については、
計り知れない御仏意がある。と言われています。


先生の御義口伝講義の
御義口伝寿量品二十七箇の大事第二十五建立御本尊の事に
「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」とあります。

646拝見しました。「三大秘法を広宣流布ーー」と認識しました。

常住で滅びない真理(法) 本尊
真理を証得する智慧(報) 題目
衆生を救済の為応現(応) 戒壇
一身即三身・三身即一身

常住の法と滅するもの別々にみると、成り立たない、と認識します。

常住の法は常に滅するものと共にあり、
滅するものの(命)本質(生命)は、常住である。

649沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/09(木) 06:39:55 ID:AJ3hr85o0
 ひできさん

 創価学会の公式見解でないから信じない。
 破門以前、御法主上人様に信伏随従する事が公式見解でした。
 法主の血脈もそうでしたね。
 日蓮正宗は正しい宗教。
 これもそうです。

 貴方ね、自分の最も大事な信心がそんなにころころ変わっていいんですか?
 非常に不思議です。

 例えば組織利用。
 今、創価学会には組織利用の明確な定義はありません。
 共同事業と、金銭貸借、そして男女関係。
 この3つだけが、昔から禁止でした。
 後は、末法無戒。でした。
 第一点の、共同事業は、組織を同じくするか、組織を通じて親しくなった人が共同出資して事業をする事を戒めています。
 単純に創価学会員同士が出資し合って事業をするなと言うものじゃありません。
 金銭貸借も組織内でに限りました。
 金融業が成り立ちません。
 この場合、創価学会員が商売として、金融業を営む事を禁じていません。
 また、創価学会員が創価学会員の金融業者を避けるように。との、打ち出しもありませんでした。
 男女問題はこの際無関係ですので省きます。

 創価学会として、あらゆる経済活動は認める。
 これが基本です。
 舞台公演やろうが、やるまいが全くの自由です。
 いけないのは、自分の組織にチケットを流す事です。
 この単純な事を理解すらしようとしない。

 組織利用だと非難し、断定しながら、肝心の組織の公式見解は求めないし提示しない。
 ただ、個人でそれぞれがそれぞれの価値観で非難中傷を繰り返している。

 そして、自分達が認めたくない教義の面は、同じ人間が、創価学会の公式見解ところなるから駄目だと浮かれ騒ぐ。

 牧口先生は仰せでした。

 『出来事に付いて、そのたびに基本的な考えを変える人は、半狂人的性格である。』(趣意)
 
 貴方にお聞きします。

 曼荼羅が本、衆生が迹。
 この池田先生のご指導を引用してください。

650沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/09(木) 06:44:03 ID:AJ3hr85o0
 森野一士 さん、おはようございます

 仏法は人間のための教えである。

 創価の大原則なんですよ。
 国の憲法みたいなものです。
 屁理屈はおやめなさいよ。
 いい加減見苦しいです。

 仏法が人間のためなら、

 人間が本。
 仏法が迹。

 曼荼羅は仏法に含まれます。
 物凄く簡単明瞭な理屈です。

651森野一士:2008/10/09(木) 08:41:17 ID:7QsaEQK60
沖浦さんおはようございます

仏法が人間のためにある、に同意です。

大聖人の仏法は、仏と衆生と法に差別がない。

故に、仏法も人間も本である。

屁理屈じゃないです、道理です。

652沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/09(木) 08:46:40 ID:AJ3hr85o0
 法はそれでいいですね。

 森野さん。

 曼荼羅は違うんですよ。
 ピアニストのピアノです。

 弾く人が本。
 弾かれる楽器は迹。

 単純なんです。
 蓮祖が道具だと仰せです。
 戸田先生も仰せです。

 単純なんですよ。

653沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/09(木) 11:29:02 ID:AJ3hr85o0
 森野さん

 例えば大聖人様と私共。
 身体は仮のものですから迹ですね。
 恐れ多いので私で説明いたします。
 大聖人様もおなじですよ。
 
 沖浦克治と言う人間。
 これはこの世での仮の姿です。
 ですが命は妙法なんですね。

 この身体は迹。 
 次に生まれる時は違う身体です。

 命は同じです。
 妙法の当体です。
 本です。

 これは大聖人様も同じです。
 そして、自分と他人は自分が本、他人は迹。
 ですからご本仏と言えども、この世の関係では私が本、大聖人様が迹。
 
 命は双方と差別なく妙法の当体ですから、本です。
 ここは差別が無いのです。

 『然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、』
 (生死一大事血脈抄)

654ひでき:2008/10/09(木) 11:49:53 ID:fjMOaIWM0
沖浦さん、こんにちは。

>貴方ね、自分の最も大事な信心がそんなにころころ変わっていいんですか?
>非常に不思議です。
いいえ、宇宙の根本である南無妙法蓮華経に帰依する、これは全く変わりありません。
もちらん、その中に法主信仰の類はございません。

>曼荼羅が本、衆生が迹。
>この池田先生のご指導を引用してください。
いいえ、何人かの方がすべて述べていることではございますが、そもそも池田先生は、曼荼羅が本、衆生は迹門とは全く仰っておりません。
また曼荼羅が迹と、衆生が本とも仰ってはおりません。

ある方の言葉をベースにここで提示致します。
その理由は、その方は、私が見抜けなかった沖浦さんの誤解を最も適確に説明していると寛が手いるからであります。

無始無終の大宇宙と共に「久遠元初の妙法」は厳然とある。
「本門の本尊」の「本尊」の意味は「久遠元初の妙法イコール南無妙法蓮華経」であること。

信心の実践で、「あなたの胸中の御本尊を全開する」、ズバリ御名答。
文字通り、胸中の御本尊(久遠元初の妙法すなわち、南無妙法蓮華経)である。
教学を真摯に研鑽する者ならば、誰も本尊イコール曼荼羅とは考えておりません。

然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり・・・(御書 1337P)
大聖人さまと、同じ命を誰もが持っている。
ただ、迷うを凡夫、悟るを仏である。
少しでも油断をすれば、たちまち堕落するのも凡夫。
だからこそ、「大聖人のお命」に帰命していく実践が日夜不可欠であることは沖浦さんがご存知の通りです。
本当に大聖人と、何もしなくて差別無いのであれば、この現実社会は苦悩うずまく地獄はない。
自殺も戦争も飢饉もない。

宇宙は、無始無終である。
当然、私たちの「いのち」「生命の我」も無始無終である。
三世の生命と言いますし、永遠の生命とも言います。
始まりも無ければ、終わりも無い、

続く。

655森野一士:2008/10/09(木) 11:53:07 ID:7QsaEQK60
私は、大聖人も戸田先生も曼荼羅御本尊を
喩えとして道具と言われている、認識しています。


私は、

曼荼羅御本尊の物の側面は御本尊の相の側面
曼荼羅御本尊の衆生の仏性を涌現させる力がある側面は性の側面
曼荼羅御本尊の全体、たましい久遠元初の法の側面は体の側面
曼荼羅御本尊の円融三諦
曼荼羅御本尊は大聖人の生命と一体である法本尊

と認識します。


〜する人
〜される物
でなく

百六箇抄には、

唱え奉る妙法・仏界は本・唱うる我等九界は迹なり、

妙覚より理即の凡夫までなり、実の十界互具の勝劣とは是なり。

とあります。




ピアノの物としての側面は相
ピアノの音が鳴る側面は性
ピアノ全体の楽器の側面は体

金棒の・・以下同等です。

656森野一士:2008/10/09(木) 12:06:01 ID:7QsaEQK60
私は、身体と性分と命は本迹では認識せず、
空仮中で認識をする、と認識しています。

本迹は勝劣の関係、と認識しています。

657沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/09(木) 12:19:25 ID:AJ3hr85o0
 ひできさん

 貴方のお考えでどうぞ。
 私は別に反対致しません。

 貴方は貴方で頑張ってください。

658沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/09(木) 12:20:55 ID:AJ3hr85o0
 森野さん、

 貴方複雑にしすぎですね。

 人のための仏法。
 人が本、仏法全体が迹。

659ひでき:2008/10/09(木) 12:35:59 ID:fjMOaIWM0
沖浦さんの考えがおかしいと考えるところは、『本尊=曼荼羅のみ』と捉えている事です。

観心本尊抄講義 より抜粋
池田大作全集 24   P237

すなわち、本門の本尊とは、久遠元初自受用報身としての生命それ自体であり、本門の題目は、この無作三身の生命の宝号たる
南無妙法蓮華経であります。
すでに挙げた「法華経の題目を以って本尊とすべし」御書P365との「本尊問答抄」の御文に照らしても明白であります。
この三大秘法も、究極するところは「観心の本尊」の一大秘法に収まることを知らなければなりません。

又、同書 P236
ゆえに「観心の本尊」とは、人々の生命の外にあるものではなく、本来、平等に、生命の内にある妙法という尊極の当体につながっていくのであります。
そこでは、あらゆる人にとって、本尊と自分との間に、全く距離がないと説くのであります。
ゆえに、何ものも入り込むすきまはない。
衆生は、ただ朝な夕な、唱題して、自分が妙法の当体であることを覚ればよいのであります。
だが、これを覚るのには、それだけの「智」が必要です。
その「智」を得る方法を法華経は「信」と教えたのであります。
「以信代慧」「以信得入」というのは、それであります。
つまり、一言で申し上げれば、宇宙も生命も物質も、森羅万象『南無妙法蓮華経』だけである。

池田大作全集から、生死一大事血脈抄より  P142
したがって、この「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つと言う表現は、一応、・・・・途中略・・・再応、元意の辺は、久遠元初の自受用報身如来 即 日蓮大聖人 と文底独一本門の大御本尊とそして、私どもの生命がともに 南無妙法蓮華経であり、この三つは「まったく差別はないと、解りて、と拝すべきであります。
これを、差別があると思っていくのは、真実の仏法ではありません。
釈:仏は、素晴らしい特別な存在であるとし、我々衆生は、卑しく醜い存在であって、とうてい仏になどなれるはずがないと考えるのは大なる誤りであります。
しかしながら、「この三つ全く差別無しと解りて」といっても、 それを、事実のうえで、「解る」理解するというところまで達していないのが、凡夫であります。
 その場合「解りて」とはどういうことかといえば、「以信得入」「以信代慧」と示されるごとく「深く信心をとって」ということになるのであります。
ともかく、御本仏日蓮大聖人の御生命も南無妙法蓮華経であり、その大聖人の御生命をそのまま、「すみにそめながして、かきて候」と仰せられている御本尊も、南無妙法蓮華経である。
そして、もったいないことでありますが、私ども、一人一人の生命もまた、同じ南無妙法蓮華経であると「こう信じて」、南無妙法蓮華経と唱える時、私どもの生命に生死一大事の血脈、すなわち、南無妙法蓮華経の大生命が脈々と湧現してくるのであります。 
最初から大聖人様と同じ命であることは間違いないことは、以上の引用からも言える。
ただ、現実には「無明」のままの衆生がまだまだ多いことは皆様ご存知の通り。
戦争、おぞましい事件、愛別離苦等の悩み、だからこそ、妙法を流布するたたかいを私たちは実践するわけである。
何もしないで、「全く差別無し」は無理である。
であるから、ほとんど、全くといっていいほど、考えに差は無いにも関わらず、「本尊」の言葉の解釈で必ず平行線となってしまう。
ですから、あくまで一大秘法は「本尊」=「南無妙法蓮華経」である。
それを、一大秘法は「本門の題目」と表現すると、大いなる「誤解」を招きます。

660ひでき:2008/10/09(木) 12:37:08 ID:fjMOaIWM0
これで、最後です、じっくりと読んで下さい。
大白蓮華 2008年10月号 池田名誉会長講義 「報恩抄」より
大聖人の弘教の帰結は、広宣流布の法体である、三大秘法の南無妙法蓮華経です。
万人の生命に本来、具わる尊極の生命を一人一人に自覚させるために大聖人己証の尊極の生命をあらわされた「本門の本尊」
南無妙法蓮華経という尊極の生命の名を自行化他にわたって、唱えていく「本門の題目」
南無妙法蓮華経への不信を互いに戒め、大法の弘通と立正安国の実現を誓い合う和合僧を築きゆく「本門の戒壇」

沖浦さんは、本尊は衆生己心の妙法で宇宙にも同じものがある。
曼荼羅はそれを仮に顕したものと仰いますが、
大白蓮華 2006年4月号 池田名誉会長講義「一生成仏抄」
戸田先生は草創の女子部にこう指導された。
「もったいなくも、御本仏と同じ生命を持っている自分自身に誇りをもちなさい。」
日蓮大聖人の仏法は、自分の中に偉大なる仏の生命があると自覚することから出発する。
創価学会員で、ある程度の体験のある方であるならば「己心の外に法を求める姿勢であれば、外道に堕してしまう危険性があると、大聖人が本抄で戒められていることです。
皆様、このことは語存知の事と思う。
「あなたの胸中の御本尊を開くのですよ」「あなたこそが宝塔ですよ」等々
ただ、教義上での「本門の本尊」となれば、上記の池田先生の御書講義の抜粋で
書いたとおりである。
よって、一大秘法は「本門の本尊」である。
信心の実践論としては、「あなたの中に御本尊があるのですよ」となりますが、「一番、大事な肝心・要は、南無妙法蓮華経、これだけ」との表現であれば、その通りである。

沖浦さんはよく曼荼羅はそれを仮に顕したものと仰りますが。
いうまでもなく、御本尊は、それ自体偉大である。
たとえ信心がまだ本物でなくても、正しい対境に縁すればその功徳は絶大であると説かれているのである。
この御本尊の無量無辺の力をさらに大きく広げるのが、学会の正統の信心である。
学会の信心には、己心の妙法を表す戦いがあり、功徳の実証がある。
この学会に連なれば、大聖人の仰せ通りの正しい信心が、必ず身についていく。
また沖浦さんは、仮に顕したものとも仰いますが。
きわどい表現である。確かに御本尊を「明鏡」として己心の妙法を涌現させ、仏界を涌現する本体は自分でありますが。
言わんとすることは、「解りますが」、教学論にしてしまうと肯定はできません。

信心の実践論と正式な教義論をきちんと、立て分ければ、あれほどの誤解の渦を巻き起こさなかったのである。
であるから、沖浦さんの主張が、信心の実践論として、特別「革命的」なことではございません。
教義論は、先生の著書が読みきれないほど、多々ありますので各自、しっかり、まずは師匠の著書を、身読するのが大切であると私は考えます。

この一連の文は誰が元々書いたかご存知の事と思います。
その元の文もそうでございますが、じっくりと精査してお読み下さい。
誤解の元が解明され、またそれにも関わらず自己流の解釈をされる事を、私は見過ごす事ができません。
そして、このことに気づかせて下さった方に、改めまして敬意を表します。
小野さんのところでは、沖浦さんの間違いを正したいとの思いで皆それぞれにレスをされております。
沖浦さんが嫌いにになった訳ではございません。
ただ沖浦さんが、いわば暴走行為をし、それによる犠牲者を出したくは無いからであります。
大丈夫です、何度も申し上げましたが、論拠と道理があれば皆納得致します。
決して敵ではございません、あくまで同志です。

661耕治:2008/10/09(木) 20:29:24 ID:AJ3hr85o0
ひできさん、貴方の沖浦は

「沖浦さんの考えがおかしいと考えるところは、『本尊=曼荼羅のみ』と捉えている事です。」



「沖浦さんはよく曼荼羅はそれを仮に顕したものと仰りますが」

は、真っ向から対立しています。

ためにする批判でも、一応どちらかにしてください

662ひでき:2008/10/09(木) 20:55:29 ID:fjMOaIWM0
耕治さん、こんばんは。
あなた方親子の考えでおかしいと考える点として、
一大秘法は本門の題目である点、そこからは御本尊様=曼荼羅のみと周りから解釈されていると考えた事
そこから派生する事として書かれてもいない 人=本 御本尊=迹と仰られている事です。
だから、曼荼羅はそれを仮に顕したものと表現を致しました、図式化すれば文字通り、御本尊=迹ではないですか。
論拠は貴方のお父様がレスをされている掲示板からとなりますが(本日昼3度に渡りレスの原型が書かれております)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7888/1214133728/l50
の527以降547までのレスを精査してお読み下さい。
またこのスレの>>599,>>608も精査してお読み下さい。
日寛上人の教学が是正されるべき時は、『日蓮正宗の神話』、
大石寺の本尊説を打ち破った金原氏の本(近年糾弾者がもう一人いるようです)、
今blogで活躍されている風人さんもおりますが、裏付ける文証・道理がございます。
この人達と比較してあなた方親子は、そうした裏付けに欠けます。
ここは、公式見解のまま変わらなくて良いところだと、私は考えております。
貴方のお父上は、何度指摘されても「私は私、貴方は貴方」と言って己義を通されている。
よくよくお考え下さい、どちらが道理が通るか。
耕治さん、貴方は、どちらが正しいとお考えですか?

663大勝利:2008/10/09(木) 21:24:06 ID:0nSjNJtA0
>>662
ひできさん
私は金原さんが御自分の研究を主張され著書を出版なされたことに敬意を持っております。

しかし、エミョーでは創価学会と関連付けて批判し、ミョーカンは金原本をネタに学会員を訪問しているわけです。
「金原が公式見解と違うことを言っている。けしからん。とんでもない己義で迷惑だ。」
貴方が沖浦さんに言っているのはこういった類と同じではないでしょうか?

私は金原さんにお会いしてその著作の真意を聞くことが出来ました。
光栄だと思っております。

664沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/09(木) 21:31:38 ID:AJ3hr85o0
 ひできさん

 本尊イコール曼荼羅は日蓮正宗の邪義だ。
 何百回も言ってますよ。

 一体何を聞いてますか?
 少し文章の理解能力を上げなさい。
 もう一度書いておきます。

 曼荼羅は、虚空会の儀式を書き写したもので、虚空会が衆生己心の妙法を顕し、己心のみょ法が本。
 虚空会は迹だから、当然曼荼羅が迹。
 衆生己心の妙法が本尊で本。

 本尊〜衆生己心の妙法〜本

 曼荼羅〜虚空会〜迹

665ひでき:2008/10/09(木) 21:37:33 ID:fjMOaIWM0
大勝利さん、こんばんは。

金原氏に敬意を持っている事は、沖浦さんを見れば良くわかります。
私自身、お会いはしておりませんが敬意を表す一人でございます。
戒壇本尊説には否定的な考えを持っております。
しかし、>>662で貼ったリンクを見て気づく事と思いますが、大勝利さん、沖浦親子が言われる三大秘法観、一大秘法観に納得ができません。
なぜなら、池田先生の御書講義にも言われていないことを述べておられること(曲解されている)。
かつ日寛上人の教学で訂正する必要のないところを訂正されようとしている。
日寛上人の教学で斬られるべき点は、相承書と戒壇の大御本尊、富士戒壇説に限られると考えます。

666耕治:2008/10/09(木) 21:44:40 ID:AJ3hr85o0
//一大秘法は本門の題目である点

沖浦親子の主張でおかしいとあなたが思っている点
その1
一大秘法が題目になっている点。

これは、わたしには図りかねる。
池田先生は、お題目だとおっしゃっている。弟子ならば信じるべきだが、
三大秘法総在の本尊が一大秘法という言い方もされる。
そのようなご指導もある。


大聖人様は、一大秘法は曼荼羅だとは仰せになっていません。
南無妙法蓮華経だと仰せですね。

一大秘法について列記すると
1、本尊である
2、戒壇の大ご本尊である
3、三大秘法総在の大御本尊である
4、題目である
5、久遠元初めから所持された法である
6、南無妙法蓮華経である。

ざっと列記してもこれだけ解釈が分かれています。
そして2以外はすべて道理上の根拠や、文証が存在している。

6は大聖人様が5は池田先生がおおせですね。

私は、一大秘法とは、修行の方法としてみれば、お題目に
法体からみれば南無妙法蓮華経になると思います。

しかし、凡愚の私が絶対に講だとはいえません。
はっきりいって、もっとも枢要の部分であり、こうだ!というのは、ものすごく難しいと思います。

ご本尊が根本として尊敬するべき当体であることは論をまたない。
曼荼羅であるというのなら、曼荼羅が消滅すれば宇宙は消滅します。
また、曼荼羅の相は絶対に変わらず、どこの世界でも同一の相貌をしています。





、そこからは御本尊様=曼荼羅のみと周りから解釈されていると考えた事
そこから派生する事として書かれてもいない 人=本 御本尊=迹と仰られている事です。
だから、曼荼羅はそれを仮に顕したものと表現を致しました、図式化すれば文字通り、御本尊=迹ではないですか。
論拠は貴方のお父様がレスをされている掲示板からとなりますが(本日昼3度に渡りレスの原型が書かれております)

667耕治:2008/10/09(木) 21:55:43 ID:AJ3hr85o0
//そこからは御本尊様=曼荼羅のみと周りから解釈されていると考えた事//

まず、当初かあら一貫して述べ続けていることであるが
ご本尊とは「御本尊様=曼荼羅のみ」という主張は邪儀であり、当方は一度たりとも
そのような邪儀を唱えたことはありません。

次に、「ご本尊=曼荼羅のみ」の構文を分解すると
1、御本尊は曼荼羅
2、曼荼羅だけが本尊

という主張ですが
曼荼羅というのは、池田先生のご指導にとどまらず大聖人様んも金言によっても
本尊を顕したものである と定義がなされております。

したがって、これに異を唱えるのは異流儀です。
「ご本尊=曼荼羅」

というのは、誤りというほどではないが、正確には
曼荼羅とは本尊を寸分の狂いもなく顕したものである
と定義できる。

したがって、「曼荼羅は本尊を仮に顕したもの」というのも厳密には誤りである。
「仮に」ではなく「寸分の狂いもなく」である。

仮というと暫定的にとか、とりあえずは、。という含みができくるが大聖人様は明確に
「顕した」と仰せなので、「仮に」という表現は誤りである。

2の、だけが本尊については

信仰上の帰命の対象としては正解ですが、「ご本尊=曼荼羅のみ」というのはあやまっている。

668耕治:2008/10/09(木) 22:03:22 ID:AJ3hr85o0
//そこから派生する事として書かれてもいない 人=本 御本尊=迹と仰られている事です。//

まず、ご本尊はしゃく、人は本というのは、正確には
本尊を顕した曼荼羅そのものはしゃくである。曼荼羅が顕している本尊はほんである。

あなたがは、ご本尊と曼荼羅を混同している。
ご本尊に対して、曼荼羅のご本尊はどこまでいっても、しゃくである。
ご本尊とは正確には人法一箇というのです。

人法一箇の本尊を顕している曼荼羅がしゃく
曼荼羅が顕そうとしている人法一箇のご本尊がほんです。

669大勝利:2008/10/09(木) 22:17:14 ID:GL9uA.pUo
>>665
ひできさん
私が沖浦さんと同じ考えだなんてことはないですよ(笑)
もちろん耕治さんとも違います。
あたりまえだし、何も問題ないです。同志です。

670沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/09(木) 22:21:04 ID:AJ3hr85o0
ひできさん

 要するに貴方ね、ネットで邪義を振りまかないようにした方がいいですよ。

 現証が出始めているでしょう。
 精神的な不安定の原因が邪義の羅列なんです。

 しばらくネットおやめなさい。
 このままでは本物の病人になります。

671厨房:2008/10/09(木) 22:49:30 ID:hihFB6a2O
沖浦さん、今晩は。
狂信者病も一種の精神障害に入るのではないでしょうか?

私が公明党に投票しないと言った時、真っ青な顔をされた御祖母様と同じ症例のような印象をうけますね。

672沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/09(木) 23:05:51 ID:AJ3hr85o0
 厨房さん

 投票の自由は基本的人権で保障されています。
 どう行使しようと、個人の問題です。
 強制はできません。
 所が、情けない事には、私が公明党に投票しないと責める学会員が散見されます。
 なんと未成熟な集団かと思われかねません。

 公明党が支持を受ける条件はたった一つです。
 国民の支持を受ける政策を実行する事です。

 自民党を支持することによる幹部の利権。
 無いとは思いますが、予防する上でも、監視機関を作るべきです。
 そう言う細かい事を一つ一つ実行しなければダメですね。

673ひでき:2008/10/09(木) 23:21:32 ID:fjMOaIWM0
沖浦さんへ
おそらく続けてもエンドレスループでしょうね。
今なら旧板で同じ事をした月の砂漠さんのお気持ちが良くわかります。
マンマミーヤな沖浦親子
自らが管理人しているとは言え、オアシスのバトルスレッドでの発言とは真逆な貴方。
トカゲの尻尾切りで逃げた貴方。
うやむやにして逃げる方は、真の言論人にはなり得ません、卑怯者です。
本音の語り合いができません。
これで、小野さんのところでも火花が飛んだテーマにつきましては、コメントを終えます。
>精神的な不安定の原因が邪義の羅列なんです。
小野さんのところで、一週間前に非番が飛んだ時、大いに悩みました。
軽くうつ状態になるくらい、ここと小野さんのところを見る事がイヤになりました。
どうしたら平和に、お互いの考えの食い違いを止揚する事ができるのか悩み抜きました。
今も、余波で端から見ればネット廃人になっていて睡眠時間が狂っている事も自覚しております。
そして、今週の日曜日に、昨晩指摘した行為(教義を自分の都合良く解釈された)をなされました。
これで、心おきなく眠れます。
私が知り合った今年7-9月頃の相手の魔を断ち、心が広く、相手に希望を与えていた貴方で貴方であって欲しい。
人格の否定はしておりません、貴方の己心の魔を斬りたかった。

粛坊さんのことがありますので度々来ますが、貴方と腹を割ってレスをする事はおそらくございません。
それはオアシスでも同じでございます。
これで、事実上のこちらの板を卒業致します。
管理人様、お世話になった皆様、誠にありがとうございました。
お世話になった御恩だけは忘れません。
そして、沖浦親子が自らを精査され、過ちに築かれる事をお祈り申し上げます。

674公瑾:2008/10/09(木) 23:26:32 ID:GfjzhhC.0
昔、学会員さんに教えてもらったのがこんな感じだったかな?と

仏法用語も正確に覚えて居ないんで申し訳ないですが
どこか間違った所が有ったら教えていただければ幸いです。


日蓮大聖人--------御本尊--------題目を唱え境地冥合するところの衆生     
  (本)に対して(迹)              (本)
   |
  |
日蓮大聖人の--------日蓮大聖人の
己心の妙法      凡夫の肉体
 (本)         (迹)

御本尊に        御本尊の
書き表された     草木(物質)としての 
十界曼荼羅-------- 紙や板の材質
文字     |  (迹)
  (本)  |
       |
      御本尊  


南妙法蓮華経--------九界
  (本)    (迹) 

唱えるところの------書かれた
南妙法蓮華経    南妙法蓮華経         
  (本)       (迹)

675耕治:2008/10/09(木) 23:41:51 ID:AJ3hr85o0
//すなわち、本門の本尊とは、久遠元初自受用報身としての生命それ自体であり、本門の題目は、この無作三身の生命の宝号たる
南無妙法蓮華経であります。//

本尊とはなんですか?との問いに対する定義がなされております。
本尊とは、
1、久遠元初自受用報身としての生命それ自体であり
2、この無作三身の生命の宝号たる南無妙法蓮華経

ということで間違いないですね、ひできさん?

私たちは、曼荼羅は本尊を顕したもの、本尊とは生命であるのべてきました。
しかもそれは沖浦の己義ではなく、御書にも依文があることだといい続けました。
ひできさんが、ここで提示した文章そのまんまです。


本尊とは、1、生命それ自体である(自受用身)
     2、生命の名前である(南無妙法蓮華経)

上記が正しいか間違っているかはおいて、このような文がひできさんから提示されたということは事実です。


//すでに挙げた「法華経の題目を以って本尊とすべし」御書P365との「本尊問答抄」の御文に照らしても明白であります。//

法華経の題目とは。、南無妙法蓮華経なのです。妙法蓮華経ではありません。
それは、観心本尊抄にきちんととかれているのです。

「お曼荼羅が本尊です」とかかれていると思いきや、「題目を本尊とせよ」
こう仰せです。
この文証を拝する限り、本尊は南無妙法蓮華経であることは明白。
また、曼荼羅の本尊が、南無妙法蓮華経を表していることも明白。
だれが、疑いを抱けるのでしょう。

ただ、一大秘法が南無妙法蓮華経であることは、相当の根拠があって私は信んじているが、
一大秘法がお題目なのか?本尊なのか?という点は、凡愚では確答しかねます。

「本尊とせよ」とあるわけですから、一大秘法は本尊としてもあやまりではなく
「法華経の題目を以って」とあるので、一大秘法は題目だといっても誤りではないようにおもいます。

たとえば、南無妙法蓮華経を根本とせよ。
という場合、一大秘法は南無妙法蓮華経である。というのは誤りとはいえず、
一大秘法が根本であるというのも誤りとはいえない。


//いずれにしても、南無妙法蓮華経が本尊であることは、間違いがないと言い切れます。//

そうです。南無妙法蓮華経が本尊であります。

676耕治:2008/10/10(金) 00:06:20 ID:AJ3hr85o0
//ゆえに「観心の本尊」とは、人々の生命の外にあるものではなく、本来、平等に、生命の内にある妙法という尊極の当体につながっていくのであります。//

「人々の生命の外にあるものではなく」
そうです、くどいほど何度ものべ続けてきました。
これに関して根強い反対者がおります。

ご本尊ともうしますものは、生命なのです。根本として尊敬するべき当体とは生命そのものです。

この生命の持っている法体を「事の一念三千」
生命の振る舞いを「自受用身」と申すのです。
両者はともに生命に含まれているもので両者とも一体のものです。
これを人法一箇とも、境智冥合ともいいます。
この人本尊、法本尊は私たちの生命をさしており、外にはあるとおもうのは外道ともうします。

また曼荼羅のご本尊は厳密には法だけではなく人も法も顕しております。
しかし、顕しているのであって、その当体は生命です。

よって、生命を本とするなら、それを顕している曼荼羅はしゃくです。

「生命の内にある妙法という尊極の当体」

生命の内と仰せですね。外とは仰せではありませんね。確認してください。


//そこでは、あらゆる人にとって、本尊と自分との間に、全く距離がないと説くのであります。//

事実、池田先生はそのようにご指導されている。
しんじるか?排斥するかだけですはないですか?
本尊と自分に距離がないというのは

尊極の当体がせ生命であり、本尊の正体が生命に他ならないからである。
生命の宝号を南無妙法蓮華経と申します。(御義口伝)


//ゆえに、何ものも入り込むすきまはない。//

ここに入り込む隙を作ろうと思えば、宗門のように曼荼羅の本尊が本である、衆生はしゃくとする。
あるいは、特殊な法主などの第三者が、開眼などを行なわなければだめだとか
カトリックみたいに法王の洗礼がいるとか
はたまた、戒壇の第御本尊様だけが本尊の当体であり、他の本尊は義の本尊といった話になってきます。

//衆生は、ただ朝な夕な、唱題して、自分が妙法の当体であることを覚ればよいのであります。//

「自分が妙法の当体」
明瞭に書いてあるとおりです。
これを疑うものは大聖人の仏法を疑いをはさむものです。
だれが、これに疑義をはさむことができましょう。


わたしは、一貫して

仏とは自身が南無妙法蓮華経であることを悟った方
凡夫とは自身が南無妙法蓮華経であることに迷っている

と何度も何度も繰り返し繰り返し述べ続けました。
それを己義だというものが散見されます。

池田先生はなんとおおせですか?
大聖人様は、なんと仰せでです?

677森野一士:2008/10/10(金) 00:20:21 ID:7QsaEQK60
一大秘法の曼荼羅の相は御書に書かれています。

久遠の妙法が己心にある。
寿命のある私たちの己心の妙法が本尊。

久遠の妙法が曼荼羅として顕れている。
寿命のある紙に具わる妙法が本尊。

久遠の法は寿命のあるものと離れてあるものではない。

曼荼羅と本尊は離れてあるものではない。


人法一箇は、
大聖人(自受用身)と久遠の法(事の一念三千)が一体であること。
私たちも信心により体得できる。

曼荼羅として御本尊を顕した、です。
一念三千を事(具体的に)顕された(顕在化)されたのです。


私たちが、「御本尊」と言う時は通常、曼荼羅の御本尊を指して言います。

大聖人は、曼荼羅を本尊と言われています。
そして、この御本尊は我らの胸中にあると言われています。

本迹であえて言うなら、
人も本、曼荼羅も本です。


永遠の宇宙の生命と、私たち寿命のあるものは別々ではないです。
つながっています。

678耕治:2008/10/10(金) 00:20:57 ID:AJ3hr85o0
//だが、これを覚るのには、それだけの「智」が必要です。//

この智を湧現させるために、曼荼羅のご本尊様があるのです。


//その「智」を得る方法を法華経は「信」と教えたのであります。//

その智のために天台なんかは勉強したわけです。
なんのために勉強したり修行したかというと、当時は、曼荼羅のご本尊がなく、お題目もなかったからです。
(正確にはお題目はあったが)

観念観法といって、修行者は自力で ご本尊を見つけてそれを拝むという殺人的な方法をとっておりました。
大聖人様は、本尊を顕されたので、私たちはそういった非現実的な修行を交えず、直接拝むことができるようになったのです。
そこで必要になってくるのが信です。


//「以信代慧」「以信得入」というのは、それであります。//

大聖人様の内証はすでに曼荼羅に何一つ隠すことなく顕れています。
お題目も唱えることができる。

あとはやるだけ。テーブルの上に食べ物が並んでいる。手に取るだけではないですか。

信を持って慧に代えるとはこれです。
信じて実行する。これだけです。


//つまり、一言で申し上げれば、宇宙も生命も物質も、森羅万象『南無妙法蓮華経』だけである//


もう一度、戻りますが
宇宙も生命も物質も、森羅万象『南無妙法蓮華経』なのです。

宇宙というのは、南無妙法蓮華経の姿です。
生命は南無妙法蓮華経の当体です。
物質も諸現象のすべて南無妙法蓮華経という一法に支えられて変化しているのです。
だから、根本と尊敬するべきものなのです。

679ひでき:2008/10/10(金) 01:02:11 ID:fjMOaIWM0
森野さん、こんばんは。
貴方の地道な、沖浦さんへの対話に敬意を表します。
私には、それを続けるだけの忍耐力がありませんでした。
創価王道を書いている小野さんの掲示板の方も応援しております。
成功する事をお祈り申し上げます、お休みなさい。

680もやし暮らし:2008/10/10(金) 01:09:00 ID:UFaQVeag0
また、横から失礼いたします・・。

拝む人=本、拝まれる曼荼羅=迹

これは逆である と解釈される方は、
内得信仰を否定していることになると思うんですが。

681沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/10(金) 07:11:11 ID:AJ3hr85o0
 ひできさん

 貴方ね、ドンドン壊れてますよ。 
 少しネット止めた方がいいです。

 完全なネット中毒です。
 夜は寝なさい。
 
 現証ですよ、今の精神状態は。
 祈りなさい。

682沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/10(金) 07:33:57 ID:AJ3hr85o0
 もやし暮らしさん、おはようございます

 その通りです。

 仏は全て内得信仰で悟ります。

 釈迦、天台、伝教、日蓮大聖人様、戸田先生。

 全てそうです。
 この事実すら忘れ果てた不心得者が、ややこしくしているのです。
 日蓮正宗の害毒から抜けられない信心のない人たちです。

 寛師の毒に侵され切っています。

683もやし暮らし:2008/10/10(金) 14:38:15 ID:UFaQVeag0
沖浦さん

やはりそうですよね。

日顕のことを批判しておきながら、物質主義(戒壇様主義)の法華講員と
結局は同じ事をいっている人が多い と感じます。

信心が根底なのに・・ 
口ではいっても、肝心な時に忘れてしまってるように感じます。
信心がなくてそこに ただ「御本尊」だけがあっても功徳はないはずで。

よく考えれば、日蓮大聖人の御真筆の御本尊が日蓮宗の他派の寺にあっても、
功徳がないということと一緒じゃないのかな・・と思います。
だからこれは、

拝む人=本、拝まれる曼荼羅=迹

でない限り 成り立たないと思います。
 
「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、
仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・
すぎたるはなし」(経王殿御返事)

684森野一士:2008/10/10(金) 17:33:11 ID:7QsaEQK60


大聖人のたましいの南無妙法蓮華経という法の具体的な顕れが
曼荼羅の御本尊です。


法は人を離れてはありません


仏法は宇宙を生命と説きます。
全ては生命です。

人は生命です。
人は寿命があります。
人は色心不二です。
己心に久遠の妙法が冥伏しています。


ものは生命です。
ものは寿命があります。
ものは色心不二です。
久遠の妙法が冥伏しています。


曼荼羅の御本尊は生命です。
曼荼羅の御本尊は寿命があります。
曼荼羅の御本尊は色心不二です。
久遠の妙法が顕在化しています。


曼荼羅の御本尊を信じ自行化他の唱題をし、
即身成仏します。



宇宙は色心不二
永遠のものと寿命のあるものは
別々に離れてあるのではない。

人と法は一体です。
ものと法は一体です。

685ひでき:2008/10/10(金) 18:25:58 ID:fjMOaIWM0
森野さん、こんばんは。
貴方は人とじっくり対話ができる人ですね、私であれば感情が昨日のように入ってしまう事でしょう。

沖浦さんへ、やはりこれだけはします。
小野さんのところ(沖浦さんの誤謬をガンガン破折スレ)からの転載です。
何も申しません、貴方の御判断にお任せします。

113 :恋:2008/10/09(木) 12:18:11
「衆生己心の妙法が本・曼荼羅が迹」
いまだに、主張していますね。本来は破折など不要なほどの、明確な邪義なのですが・・・

【本迹とは】
仏教用語としては、簡単な概念であり、誰でも理解可能でしょう。
1.本地と垂迹 本化と迹化も同じであり、本体と影にも譬えられ、御書には天月と池月の譬えがある。
2.本門と迹門 法華経の本門と迹門のこと。相対して、本門が優れる。

1.と2.に共通する概念は、比較相対しての【勝劣】です。 【本勝・迹劣】の関係です。
これ以外に、本迹の定義はありません。

「衆生己心の妙法が本・曼荼羅が迹」は、2.でないことは明らかです。
1.にも該当しませんが、いずれであろうとも、
本迹の意味に則れば、沖浦説は、
「衆生己心の妙法が、曼荼羅よりも優れている」ということになってしまう。

これは、完全なる邪義。
生死一大事血脈抄に明解である。
『久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』
久遠実成の釈尊=御本仏・日蓮大聖人と、皆成仏道の法華経=御本尊と、我等衆生との三つ全く差別無し
【三つ全く差別無し】です。 勝劣などあろうはずがないでしょう。

義務教育を受けていれば、この程度のことは、分かる論理でしょう。
単純明快だと思いますが、みなさん、いかがですか。

御書は、まだ他にもありますが、省略します。 『己心 本尊』で検索すれば、すぐに見つかります。

686:2008/10/10(金) 18:34:19 ID:c9X/3p/A0
もやし暮らし さん
はじめまして。
貴方の投稿をロムし、きちんとご判断を下されている方と思っています。
どうぞ、宜しくお願いいたします。

さて、
>>683の貴方の投稿で、私がいつも引っかかりを感じるテーマに、貴方が触れられているので
質問させてください。

>信心がなくてそこに ただ「御本尊」だけがあっても功徳はないはずで。
>よく考えれば、日蓮大聖人の御真筆の御本尊が日蓮宗の他派の寺にあっても、
>功徳がないということと一緒じゃないのかな・・と思います。

では、『信心』のある学会員が、宗派はともかくとして、御真筆の御本尊に題目を唱えたら
功徳があると思いますか?

貴方は上記の文の後に

>拝む人=本、拝まれる曼荼羅=迹
>でない限り 成り立たないと思います

と、おっしゃっています。
この論理ならば、貴方の結論とは逆に、私には功徳があってもよいように思われるのですが
いかがでしょうか?

687:2008/10/10(金) 18:50:56 ID:c9X/3p/A0
ひできさん こんばんは

貴方の正義感と論理性の優れていることは良く分かります。
しかし

>義務教育を受けていれば、この程度のことは、分かる論理でしょう。

このような表現は慎まれたほうが良いと思います。
どんなに正論であっても、ネットは言葉だけのやり取りですから
「なにを言ってやがる」と受け取られたら、先に進まなくなる恐れがあるからです。

この間からのネットでのやり取りを見ていると、一方においてはささいに見える言葉が
むやみに問題を大きくしているように思われます。
お互いに、心がけていたいことだと思って書き込みました。

688photochika:2008/10/10(金) 18:56:47 ID:hJfzItkk0
梅さん、こんばんは。

向こうの板を見ていないので、分からないのですが、

>>義務教育を受けていれば、この程度のことは、分かる論理でしょう。

これは、恋さんの書き込みではないでしょうか?
ひできさんはそれを貼り付けられたのだと思います。
違うかなあ?。。。

689吉東:2008/10/10(金) 18:57:22 ID:UFaQVeag0
ひできさん
はじめまして。

生死一大事血脈抄は真筆が現存いたしません。
大聖人様の正確なお言葉とは言い切れないのです。
使うなとは言いませんが、本か迹を論ずるに使用すべきではないでしょう。

寛師教学も全て正しいとは言い切れません。時代にあわないものも多数あります。
とくに、化儀は捨てるべき内容が多数あると思います。

個々の研究は自由ですが、大聖人様の教儀に対する屁理屈は論外です。

信心をしっかりやり、伏折をすると自然と御書を学びたくなり、真実を追求したくなるものです。

大聖人の仏法を説明するものは全て迹であり、大聖人様の仏法を実践する者は
本と私は理解しております。理由は物か命かです。

確かにご本尊は日蓮様の魂を墨に染めたものですが、迹として顕したからご本尊様を書写し形木様
として下符されてきたのではないでしょうか。(個人観)

大聖人様の信心をわざと難しくすることは、仏敵に値しますね。

690:2008/10/10(金) 19:05:47 ID:c9X/3p/A0
photochika さん こんにちは

ご指摘ありがとうございます。
私も見ていないのでうっかりしました。

ひできさん ごめんなさい。
心から謝ります。

691もやし暮らし:2008/10/10(金) 19:13:44 ID:UFaQVeag0
梅さん
はじめまして

>では、『信心』のある学会員が、宗派はともかくとして、御真筆の御本尊に題目を唱えたら
功徳があると思いますか?

まず宗派はともかくとして・・といってることで、すでに大聖人の教えから
逸脱してますね。
私には、わかりません。

わざわざ私に、邪宗の寺に行って試せということでしょうか?

>この論理ならば、貴方の結論とは逆に、私には功徳があってもよいように思われるのですが
いかがでしょうか?

どれが功徳かなどを人が判断できるものではないと
思います。
功徳があったとしても、もしかしたらですがあなた自身が気づかないで
いるのかもしれませんし・・・・。
すべては、自分次第だと思います。

基本は、功徳があるから信じる ではなく
信じるから功徳がある だと思います。

簡単なようでいて、とても深いことです。

692吉東:2008/10/10(金) 19:15:27 ID:UFaQVeag0
ひできさん

大聖人は言われております。

『経文に明ならんを用いよ文証無からんをば捨てよとなり』(聖愚問答抄上)

経文に明らかである主張を用いなさい。文証がないものは捨てなさい。

『信心』のある学会員が、宗派はともかくとして、御真筆の御本尊に題目を唱えたら
功徳があると思いますか?

こんな質問をすること自体が完全に大聖人様の教えに背く発言です。
「菩薩・人師の言には依るべからず仏の御定を用いよ」
こんなことも大聖人は仰せです。

693吉東:2008/10/10(金) 19:21:04 ID:UFaQVeag0
追記

これは梅さんへです。

『信心』のある学会員が、宗派はともかくとして、御真筆の御本尊に題目を唱えたら
功徳があると思いますか?

こんな質問をすること自体が完全に大聖人様の教えに背く発言です。
「菩薩・人師の言には依るべからず仏の御定を用いよ」
こんなことも大聖人は仰せです。

694ひでき:2008/10/10(金) 19:25:03 ID:fjMOaIWM0
photochikaさん、梅さん、こんばんは。
気づいたとは思いますが、小野さんのところから恋さんのレスをあえてそのまま転載致しました。
沖浦さんにこれを見て頂きたいといった方もおりますが、見ていない事も考え転載致しました。
言葉の件は恋さんが後で反省をされています。
ですので、私の言葉不足という事で、梅さん、謝らなくてもいいですよ。

吉東さん、はじめまして。
ここでもオアシスで書いていた方のリンクを貼ったりもしておりますが、違うアプローチから沖浦さんの説
(御本尊=迹 人=本、一大秘法は本門の題目)について斬っていたりします。

>寛師教学も全て正しいとは言い切れません。時代にあわないものも多数あります。
>とくに、化儀は捨てるべき内容が多数あると思います。
寛師教学の体系に非があるわけではなく、金原本にある通り戒壇の大御本尊は否定されるべきものと考えています。
また相承書、真蹟のことについても、否定される事が多々ある事は、承知しております。
私が、ここで提示したい事は、沖浦さんの説(御本尊=迹 人=本、一大秘法は本門の題目)は大聖人様、そして創価三代の会長方は決して言われてはいませんということを表したかったのです。
沖浦さんとは、昨日私がした時、旧板の方では、沖浦さんが管理人であることを良い事に、違う点を指摘して、ずっとループとなりました。
これで、「貴方は貴方、私は私」と言って開き直ったり、またループに入ったら今度こそコメントはしませんとの意味で貼り付けました。
沖浦さんの説(御本尊=迹 人=本、一大秘法は本門の題目)否定するためにそのまま転載致しました。
ですから議論するとしても、生死一大事血脈抄の事につきましては、またどこかでしましょう。
生死一大事血脈抄については、私も勉強不足ですので。

695:2008/10/10(金) 19:25:20 ID:c9X/3p/A0
もやし暮らし さん

早速のレスありがとうございます。

>わざわざ私に、邪宗の寺に行って試せということでしょうか?

いえいえ、めっそうもございません!!
試すなら、私が致します。

>基本は、功徳があるから信じる ではなく
>信じるから功徳がある だと思います。

そうですね。
誰もがそうなら世話ないですね。

>簡単なようでいて、とても深いことです。

信心が、簡単ならよかったのに、といつも思ってます。
それで、質問してしまいました。
お気を悪くなさったようですね。ごめんなさい。

696:2008/10/10(金) 19:37:29 ID:c9X/3p/A0
吉東さん はじめまして
貴方の投稿を読んで、是非お話したいと思っていました。

>こんな質問をすること自体が完全に大聖人様の教えに背く発言です。

私たちの御本尊は日寛師のご本尊です。
いわば、今となっては他宗のものですね。
そういう前提となる疑問があって質問したものです。

見る人が見れば、当然いろいろな批判もあるでしょうね。
しかし、質問をすること自体は許されてください。
いきなりの決め付けは、どこかの板と同じです。

697吉東:2008/10/10(金) 19:56:09 ID:UFaQVeag0
梅さん

「私たちの御本尊は日寛師のご本尊です。」
その通りですね。ご本尊の前提はお姿です。何故学会が寛師のご本尊を採用したか?

それは、日蓮大聖人の仏法として現在の機根に一番適正だと判断したのでしょう。
個人的意見ですが、しかしながらこの質問はご本尊様のお力を実感しておられない
のかもしれません。お力を身にしみて感じておれば、出ない質問かと私は思います。

将来的には寛師書写本尊ではなくなるかもしれません。こだわる事ではないと
言うことです。実際に滝のごとくあふれんばかりの功徳が寛師書写本尊で体験
できます。それと寛師書写本尊は他宗のものではありません。
創価学会が下符した本尊です。学会が下符した本尊=他宗のものではありません。

そのように考えると、御書も他宗のものと断定しなくてはなりません。
まずは、ご本尊=大聖人が顕したものです。それを寛師が書写しました。
根底は大聖人が顕した本尊のお姿です。そして寛師は人間です。
勤めとしてご本尊様を書写したまでのことであり、寛師の魂が備わっている
訳ではありません。

698もやし暮らし:2008/10/10(金) 19:57:00 ID:UFaQVeag0
梅さん

いえいえ、気を悪くなどしていないですよ。
だいじょうぶですよ(^^)。

ただ、あのような質問をされる学会員がいることに
驚いたんです。

功徳功徳と・・・・。
自分にとっておいしいことだけが功徳じゃないですよね。
難も功徳だ ということを忘れている気がします・・・

言葉がきつく見えたかもしれませんね、
大変失礼いたしました^^)

699:2008/10/10(金) 19:57:54 ID:5VGy9nGg0
自己紹介の場所がどこかわかりませんのでここで。
驫といいます。壮年部です。皆様よろしく。

700ひでき:2008/10/10(金) 19:58:25 ID:fjMOaIWM0
>>670 沖浦さん

一言だけ、苦言を述べます。
私なりに沖浦さんの事、また双方どちらが正しいのか祈り考え悩みまくってネット廃人になって眠れなくなったからです。
心配して考えまくった結果、悩みが重みになって確かに一週間前の私の誕生日にうつ状態に確かになりました。
貴方が起こさなかったら、おそらくそうはならなかった。
そして、魔に負けた私がいるだけのこと。
そして、本日から、ネット中毒は治っております。

701吉東:2008/10/10(金) 20:06:50 ID:UFaQVeag0
ひできさん


沖浦さんの説(御本尊=迹 人=本、一大秘法は本門の題目)は大聖人様、そして創価三代の会長方は決して言われてはいませんということを表したかったのです。

会長が言ったから言わないからで決めることではありません。
末法万年にわたり大聖人様の仏法を広めてゆくには御本尊=迹とするのが自然ではないでしょうか。

絶対に物を=本としてはならないのです。ご本尊様は鏡であります。大聖人も断言しておられます。

もし、ご本尊様が本ならば大聖人様は鏡と言うものに例えて説明はしないでしょうね。

個人的意見でございます。

私も完全ではありませんが、なるべく経文に依ってお考え頂いたほうが良い
と思います。

702:2008/10/10(金) 20:19:03 ID:5VGy9nGg0
吉東さん、なぜ創価三代の会長が言っていない事をわざわざ言わなくてはならないのか。
よろしい。
現在の学会の教学には不満だ。
よろしい。
ならば、沖浦氏が各地でのたまわっているように、リアルで行動しなさい。
ネットで管巻いてるんじゃない!
これは彼の言ですぞ。
今すぐ学会本部に行き、教学部長なりその下の方なりに話をつけてきたらどうだ。
さもなくば、沖浦氏は自分で自分を「他力本願のダメ人間ですね。」と結論づけるしかあるまい。

703大勝利:2008/10/10(金) 20:23:16 ID:DAfkp42A0
>>685
ひできさん

仏教が日本に渡って来て修験と習合すると、
他方の本地にいる仏が、神となってこの世に迹を垂れると考えられました。
その後古神道が、仏は天上が本地である神の迹を垂れた姿だとの逆説を唱えました。
大聖人当時の仏教は、「本地が仏、垂迹が神」の本迹から出発していると思います。
まぁ 大聖人は穢土が寂光土を説くわけですが、他宗は、他方の仏の姿を現した像が本尊なので、
本尊=本地とは全く逆にります。

さて御本仏である大聖人の本地はいったい何処でしょうね?

若し、曼荼羅が(本)で貴方様が(迹)ならば、貴方は大聖人の垂迹ですね。
それはそれですごいな〜(笑
若し、衆生は(本)で曼荼羅が(迹)ならば、曼荼羅は森羅万象を写す鏡かも知れません。
などと思惟した今日この頃だ。(笑

704大勝利:2008/10/10(金) 20:27:05 ID:bU0kNcAA0
>>702
なんだかいきなり必至ですね(笑

705:2008/10/10(金) 20:42:51 ID:5VGy9nGg0
大勝利さん
生来短気なもので。
私は常に必至を心がけておる。

706:2008/10/10(金) 22:13:26 ID:c9X/3p/A0
もやし暮らし さん

>いえいえ、気を悪くなどしていないですよ。
>だいじょうぶですよ(^^)。

そうですか。ホッ(^_^;)

>ただ、あのような質問をされる学会員がいることに
>驚いたんです。

掲示板だけでなく、リアルでも、いろいろな学会員がいるから面白いでしょ?
そんな余裕で、教義や舞台公演の対話ができたらと思ってます。
しかし、掲示板って人を気短かにさせる要素があるんでしょうかねぇ。
見てると、言葉が不十分で意思が伝わりませんね(私を含めてです)
かといって、意を尽くそうとすると、長ったらしい文になり、読みにくくなるし
難しいものですね。

707沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/10(金) 22:24:06 ID:AJ3hr85o0
 ひできさん

 小野さんところはもうだめですね。
 世間様はあきれておられるでしょう。

 私も見ませんよ。
 無意味なんです。
 彼の10年間の積み上げが数日で崩れ去りました。

708:2008/10/10(金) 22:37:28 ID:c9X/3p/A0
吉東さん

>創価学会が下符した本尊です。学会が下符した本尊=他宗のものではありません。

了解しております。
『オいわば、今となっては他宗のものですね』とは
オリジナルは日蓮正宗26世法主(歴史的にはこのような表現は正しくないでしょうね)が
書写されたものという意味で使いました。

当然ながら、御書についても

>そのように考えると、御書も他宗のものと断定しなくてはなりません。

そんなふうには思ってもみませんでした。
しかし、その後の研究を踏まえた、新しい学会版の御書が出てもよいなとは思っています。
つまり、
>生死一大事血脈抄は真筆が現存いたしません。
>大聖人様の正確なお言葉とは言い切れないのです。
と、吉東さんがご指摘にもなっているようなところも含めてですが・・

709もやし暮らし:2008/10/10(金) 23:05:32 ID:UFaQVeag0
梅さん

私もまだまだ未熟者であります。
勉強中の身ですので
以後、よろしくお願いいたします。(^^)

710もやし暮らし:2008/10/10(金) 23:14:24 ID:UFaQVeag0

「本迹であえて言うなら、
人も本、曼荼羅も本です」

という考え方をする方は、もしかして身延派?
本迹一致の邪説を唱えたのは、身延派しかない。
と、戸田先生の書籍でみたことが、あります。

711もやし暮らし:2008/10/10(金) 23:15:01 ID:UFaQVeag0

「本迹であえて言うなら、
人も本、曼荼羅も本です」

という考え方をする方は、もしかして身延派?
本迹一致の邪説を唱えたのは、身延派しかない。
と、戸田先生の書籍でみたことが、あります。

712もやし暮らし:2008/10/10(金) 23:16:48 ID:UFaQVeag0
同じの2個・・・
失礼しました・・・

713大勝利:2008/10/10(金) 23:23:40 ID:PkR.k/vQ0
>>712
もやし暮らしさん

いや。
それは、本門迹門での本迹一致でしょう。

714大勝利:2008/10/10(金) 23:30:10 ID:PkR.k/vQ0
>>711
大石寺教学では本尊は本迹妙合が基本でしょう。
沖浦さんも御本尊を本迹に立て分けても勝劣はないとの主張と思います。

715吉東:2008/10/10(金) 23:33:29 ID:UFaQVeag0
梅さん

新しい学会版の御書が出てもよいなとは思っています。

確かにそうでしょう。しかしながら御書の編集は大変であり、現在は必要の
ないものも載っているのも事実です。
勿論機根が整えば完全改訂御書も出るでしょう。
しかしまだなごりがございます。
そのようなことを柔軟にご理解されて頂ければわかりやすいかもしれません。
現実にそうであるから、読む側に努力が必要だと思います。
私は、歴史的観点と御書を比較して読んでいるつもりです。
たとえ真筆が断存していても、信憑性を見いだせれば使います。
変な話ですがTPO次第です。

当然、寛師教学は根底から捨てております寛師を否定しているのではなく
化儀優先を避けるためです。今はそういう時代だと私は思っております。
宗門と別れたことにより自由に研究できるのです。
最大のチャンスだと私は思います。

716吉東:2008/10/10(金) 23:44:33 ID:UFaQVeag0
もやし暮らしさん

はじめまして。

爾前・迹門・本門・文底の四重興廃については大聖人の十法界事に説明がございます。

寛師の三重秘伝抄では中途半端ですので、時間がかかってもゆっくり勉強する
とわかってくることがあるかもしれません。

余計なコメント申し訳ありません。

717大勝利:2008/10/10(金) 23:46:13 ID:PkR.k/vQ0
>>715
私はちょっと違う考えを持っていて、寛学を自分達に都合良く利用してきたのが宗門で、
今一度、日寛の教学に戻って再考すべきだと思っています。

718大勝利:2008/10/10(金) 23:46:59 ID:PkR.k/vQ0
>>715
私はちょっと違う考えを持っていて、寛学を自分達に都合良く利用してきたのが宗門で、
今一度、日寛の教学に戻って再考すべきだと思っています。

719三世:2008/10/10(金) 23:49:32 ID:pWk6nJFs0
沖浦さんの柔軟な態度には、共感する面もありますが、時間軸としての先後
で本か迹かを言ってませんか?
それなら、命(衆生己心の妙法)が本で、曼荼羅本尊が迹というのはわかります
す。曼荼羅という物は、人間によって作られた物ですから。
ただし、教学としての本迹はそういう意味ではないんじゃないでしょうか?
自分、教学初級なので的はずれな事言ってるかもしれませんが。

720もやし暮らし:2008/10/11(土) 00:05:53 ID:UFaQVeag0
>>714
大勝利さん

ありがとうございます。

私も、拝む人と拝まれる曼荼羅には、勝劣という言葉をあてはめるのは、ふさわしく
ないと 考えております。

だいたい、本門迹門の話から無理矢理に勝劣を決めようとしているのは、
ヒデキさんたちです。

「勝劣つけてどうすんの・・・」って思いましたよ。笑)

ただ、「人も本、曼荼羅も本」 
という解釈には私はピンときません。

今世だけで考えると、わかる気もしますが、
大きく三世の教えで考えると、
「妙合」はあっても、同じではないと思います。

721もやし暮らし:2008/10/11(土) 00:14:32 ID:UFaQVeag0
>>716

吉東さん

はじめまして

ありがとうございます(^^)

そうですね、あせらずにマイペースでいきたいと思います。

722森野一士:2008/10/11(土) 00:48:38 ID:7QsaEQK60


「人も曼荼羅ご本尊も本」は本迹一致ではないです。


「本迹雖殊不思議一」
 本迹が異なる、とは本門が勝り迹門が劣る意であるから
 相待妙であり、
 不思議一、とは迹門も本門に会入すれば同じく
 一味平等の妙法となることを説く絶待妙から釈したもの。
 本迹が「一」であるといっても、あくまで
 迹門は迹門であって本門に劣り、同等ではない。


「一色一香無非中道」
 物質的存在も全て含め、あらゆるものは生命の当体のあらわれ。
 大聖人は「草木成仏口決」で「此の色香は草木成仏なり是れ即ち
 蓮華の成仏なり、色香と蓮華とは言は・かわれども草木成仏の事なり、」

仏法では、物も生命と説く。

723森野一士:2008/10/11(土) 00:57:45 ID:7QsaEQK60

本迹に立て分ければ、勝劣の関係になります。

724吉東:2008/10/11(土) 01:13:01 ID:UFaQVeag0
森野一士さん
はじめまして。「草木成仏口決」前後の文章を見ますと本迹も解釈に利用されるのは
無理があるゆに個人的に感じました。

法華経迹門において「諸法実相乃至本末究竟等」だけを重視すると森野一士さん
のような回答になるのではないでしょうか。

種脱相対の第三の法門を加えないと日蓮大聖人の法門である久遠元初が釈迦の
五百塵点劫とは違うことが証明できないままの結論つけになるかと存じます。

個人的意見です。お気を悪くなさらないでください。

725森野一士:2008/10/11(土) 01:27:49 ID:7QsaEQK60
吉東さん初めまして。

私は、「草木成仏口決」の御文で本迹を解釈していません。

文底の立場から、法華経迹門の「諸法実相乃至本末究竟等」も重視します。

種脱相対の立場から述べています。

726森野一士:2008/10/11(土) 01:36:20 ID:7QsaEQK60

723訂正

 AとBを、本迹に立て分ければ、AとBは勝劣の関係になります。

727吉東:2008/10/11(土) 01:51:47 ID:UFaQVeag0
森野一士さん

法華経迹門までは釈迦の勝劣を書かれたものであり種脱相対で初めて大聖人
の仏法が正確に明かされた訳ですね。当然承知かと思います。

もし勝劣をつけるとすれば森野一士さんの言う通り種脱相対を優先する訳ですね。

私は本迹に関する論で何故「草木成仏口決」をお出しになったのかがわからない
のです。

釈迦に対する大聖人の説明をとるか、大聖人の法門をとるかですね。
文底の立場は私にはわかりません。法華経を読む場合には文底が関与いたしますが
それ以上文底と言われても、あまりに秘密裏でわからない凡夫であります。

よって725のご回答は私にはわかりません。
理解力がなく申し訳ありません。
おやすみなさい。

728もやし暮らし:2008/10/11(土) 01:57:25 ID:UFaQVeag0
>>726

目が覚めてしまいましたのでちょっと書いてます。

本迹の関係はそうですよね。ただしそれは、釈迦の説いた法華経においての
本門と迹門でのことで、
それならば、勝劣はあると思います。

私がいった、三世の教えを考えるとというのは、
種脱相対まで考えると
勝劣つけようがないと思うのですが・・・と。

729もやし暮らし:2008/10/11(土) 01:58:21 ID:UFaQVeag0
おやすみなさい・・・。

730森野一士:2008/10/11(土) 02:15:37 ID:7QsaEQK60

脱とは、釈迦の法華経。

その法華経を本迹に立て分け勝劣をつける。

種脱の立て分けは、勝劣の関係。

故に、種脱の立場からも、本迹は勝劣の関係です。

731森野一士:2008/10/11(土) 02:23:24 ID:7QsaEQK60
吉東さんへ

私は、「草木成仏口決」の御文の引用で、
紙の曼荼羅ご本尊も生命であることを述べているのです。

732沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/11(土) 06:20:52 ID:AJ3hr85o0
 三世さん、おはようございます

 物凄く簡単なんですよ。
 ややこしくして飯の種にしてた連中がいただけのお話です。

 仏法は人のための法です。
 御書にも経文にもそう書かれています。

 これが、一大原則です。
 国の憲法と同じですね。

 この原則に反する教義は、全て、邪義!
 
 曼荼羅は道具です。
 発明は大聖人様です。

 これも、戸田先生のご指導にありますし、大聖人様も道具だと仰せです。
 ですから、私共は、宗祖蓮祖と、創価学会開祖の戸田先生のお言葉を信じれば全てがわかります。
 以信得入、以信代慧です。

 武者が刀を使う時、武者が本、刀は道具で迹。
 ね、単純でしょう。

733シビック:2008/10/11(土) 12:25:11 ID:LL5GHi0.0
「刀は、武士の命」って言いますよね。
「刀を持たない武士は、もう武士ではない。」なんかの映画の台詞にあったような気がします。
そういう意味では、武士も本、刀も本という喩えにも使えそうです。
武士がいなければ刀は不要になる。
刀が無ければ武士は存在しない。
ちょっと感じたことを書かせてもらいました。
あ、でも沖浦さんは、武士ではなく、武者って書いてますね。

734吉東:2008/10/11(土) 17:08:48 ID:UFaQVeag0
森野一士さん

言い切ることができるのですから大した度胸は素晴らしい。
侍なら間違っていたら切腹ですね。私は弱虫ですから大聖人様
が断定したことしか言えません。

「草木成仏口決」51歳御作には大事な部分があるように思います。
ですから、この御文の重要な部分は草木の生命とは別に感じることがあります。

「一身所具の有情非情なり此の有情非情十如是の因果の二法を具足せり、

衆生世間五陰世間国土世間此の三世間有情非情なり。

 一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり

、天台妙楽伝教内にはかがみさせ給へどもひろめ給はず、一色一香とののしり惑耳驚心とささやき給いて妙法蓮

華と云うべきを円頓止観とかへさせ給いき、されば草木成仏は死人の成仏なり、此等の法門は知る人すくなきな

り、所詮妙法蓮華をしらざる故に迷うところの法門なり、敢て忘失する事なかれ、恐恐謹言。」

草木成仏口決の一部です。
昔、宗門は池田先生願主の本尊を願主を消すためにパテで池田大作の部分を
多数消しました。紙や木が原料でないパテです。あまり関係ない話でした。

長い文章で申し訳ありません。

735粛坊:2008/10/11(土) 18:07:08 ID:VUuZ458.0
ちょっと一言。

阪神淡路大震災・大変な惨劇でした。
たくさんの方がなくなり、当然メンバーも多数お亡くなりになった
と伺います。
当然御本尊様も瓦礫に埋まったり、焼失したりしたでしょう。

この場合御不敬した事に成るのでしょうか?

また亡くなったメンバーは当然成仏はしていると思います。
すると「私たち」と「御本尊」の関係はどうなるのでしょう。

勝手な意見ですが沖浦さんの説はそこの部分に肉薄しようと
努力されての言だと私は思います。

736もやし暮らし:2008/10/11(土) 18:55:00 ID:UFaQVeag0
森野さん

多々、断言されていますが
私は間違って解釈しているのでしょうか。
曲がって解釈してしまっているのでしょうか・・・
曲がった解釈しかできないなら、私が信心が足りないと思いますので、
反省しなければなりません・・・

737吉東:2008/10/11(土) 19:12:18 ID:UFaQVeag0
沖浦さん

曼荼羅は道具です。
 発明は大聖人様です。
強く同意します。

これでないと大聖人様の仏法は成り立ちません。ご本尊は生命を奮い立たせたり、自分
を見る武器です。
でなければ、内得信仰のもやし暮らしさんが自信で功徳と言われている
ことが成り立たないですね。
想像するに、もやし暮らしさんは相当の覚悟と信念で信心されていると思います。
ご本尊無しで保つ決意は尊敬に値します。

738沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/11(土) 19:29:30 ID:AJ3hr85o0
 吉東様

 戸田先生が仰せです。

 『ご本尊様は、幸福製造機だ。
 大聖人様が発明されたんだ。』(趣意)

 何故、この開祖のお言葉を素直に受け取れないのでしょう?
 何故、己義を挟んでややこしくしてしまうのでしょう?

 日蓮正宗の害毒は根深いものがありますね。

739吉東:2008/10/11(土) 20:38:12 ID:UFaQVeag0
沖浦さん

現在でも正宗の邪義が捨てられない方がいると言うことでしょう。
寛師教学を捨てる。簡単なことです。寛師は人です。
戸田先生が言われた事は間違いないと確信してこれまで生きてきました。
まだまだ、人に依る傾向があると言うことは、悪く言えば寛師教学の
毒を拭いされない輩が多く存在すると言うことでしょう。

昔からいました、学会にも教学を化儀で難しくする方が、宗門の害毒です。
私はそう思います。

740沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/11(土) 20:55:54 ID:AJ3hr85o0
 吉東様

 私もそう思います。
 ややこしくする事で、自分の知識を権威付けたいのです。

 知恵が無い証拠です。
 知恵は祈りの無い所には湧現致しません。

 様は、連中は祈らないのですよ。
 同苦が祈りの源泉です。

 利他が出来ない人は、祈りがありません。
 知恵も湧現いたしません。

741吉東:2008/10/11(土) 21:08:48 ID:UFaQVeag0
沖浦さん

正にそうです。命をかけた祈りには恐ろしいほど知恵が湧いてきますね。
苦難を乗り越えられたのも祈りによる知恵という功徳が多々あります。

私は知っておりますがかつて学会で教学に優れ、後に宗門を操った輩は
教学を難しくすることが大好きでした。

また、やたら題目のあげかた等にも文句をつけていたことを思い出します。
文句をつけながら当人には指摘せず、他人に言う。

こんな輩はいつの時代にもいるものですね。

742もやし暮らし:2008/10/11(土) 21:09:26 ID:UFaQVeag0
沖浦さん

戸田先生は 
すばらしくわかりやすい喩えをしてくださっているんですね^^)。
自分(私)の中にある解釈の頼りない点線が、そのたとえによって、ビシッと直線でつながったような
そんな感じがしました。

私のような立場からみていて感じたのですが、
難解な教えを さらにさらに難解にしてしまっている方が、いらっしゃるようですね。
それって、仏法を広めることを妨害しているのでは?と
常々感じてます。

なんだか そういう方々は「自分たちだけ!」「俺にしかわからない」みたいな
世界をつくりあげてそれで満足しているようにも
見えて、壁を感じたります。

743沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/11(土) 21:20:08 ID:AJ3hr85o0
 吉東様 もやし暮らしさん

 仏法は単純なんですよ。
 池田先生が仰せです。

 『難しい事を簡単はなすのが極意です。
 仏法には比喩が多いでしょう。
 反対に、簡単な事を複雑にしているのが低い教えなんです。』(趣意)

744:2008/10/11(土) 23:06:14 ID:c9X/3p/A0
沖浦さん こんばんは

お尋ねします

>>738
>何故、この開祖のお言葉を素直に受け取れないのでしょう

ここで、おっしゃってる「開祖」って、どなたのことですか?
素直に読むと、戸田先生のようですが・・

745三世:2008/10/12(日) 01:13:05 ID:pWk6nJFs0
要点を整理しませんか?
1)己心の妙法が本=己心の妙法とは、命そのもの。本とは、本門(影に対する本体)のこと。
2)御本尊は迹  = 御本尊とは、曼荼羅(紙、板)。迹とは、迹門(本体に対する影)のこと。
沖浦さんの主張は、これで良いのでしょうか?

746森野一士:2008/10/12(日) 01:45:47 ID:rkx00CQQ0

人と道具は、本迹の関係ではないです。
道具の種類による用途の本迹はあります。


鬼が持つもので、金棒と大根なら、金棒が本で、大根が迹です。

武士が持つもので、刀とネギなら、以下同等。



戸田先生は、御本尊様と曼荼羅の御本尊様を分けてはいません。

私は、戸田先生の御本尊様は“機械”との喩えに同意です。
しかし、機械だから迹、ではないです。
機械の種類と用途を比較するとき本迹関係を用います。

人にとって、以下同等。


曼荼羅の御本尊様は、絶対的幸福を実感できる「絶対的な機械」です。
絶対的なんです。生命です。



吉東さん
私は、大聖人の御書、先生の指導以外は言っていません。


「 一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、
 当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なりー」


粛坊さんへ
天災で御本尊様を消失された場合は、不敬にはならないと認識しています。
故意に破いたり燃やしたりすることが、不敬だと認識しています。


戦争は、命をないがしろにします。
命を「もの」(命に対して劣ったものとする見方の場合)のように
扱う。
殺人も同じ。殺人者は、命を「もの」(同上)のように扱い殺す。


私たち、学会員は、御本尊様『もの(機械)』(命と同じとする見方)を
大聖人の命として大事にしています。


もやし暮らしさんへ
人と曼荼羅を、本迹に立て分け勝劣をつけているのは、沖浦さんです。
本迹に立て分け勝劣がない、ということは成り立たないです。

曲がった解釈しか出来ないことと、信心が足りないということは別です。


Aの知識が「一」でも、正しく認識していれば、Aに対して正。
Aの知識が「十」でも、その内の「一」でも間違って認識していれば、Aに対して邪。



「御本尊は正しい、人法一箇である」と断定し、実践されている方と、
「御本尊は正しい、ただし人に対すればは劣っている」と断定し、
実践されている方では同じ信心ではない、と認識します。


内得信仰の方も、己心の御本尊を確信して、曼荼羅の御本尊に
感応する、と認識しています。


日寛上人も戸田先生も「人」です。


難易の感じ方は、理解力の程度と説明力の程度にもよります。
難易で正邪は、判断出来ません。

難しいから、邪
易しいから、正
では、ないです。

難しいし間違っているから、邪。
あるいは、
難しいが正しいから、正。
易しいし(以下略)
です。

747もやし暮らし:2008/10/12(日) 01:57:02 ID:UFaQVeag0
三世さん

横から失礼いたします・・。
>>745
わたくし、超初心者なのですが、
お釈迦様の説いた法華経までの本門迹門についてと、
それを元に さらに発展させた日蓮仏法においての本迹解釈を、沖浦さんは
一緒には考えていないと思いますが・・・。

「門」とはお教えの門ということでありますから。
「本迹」というのと、「本門迹門」というのとでは、観点が違ってくると思います。

失礼いたしました。

748森野一士:2008/10/12(日) 02:31:18 ID:rkx00CQQ0

もやし暮らしさんへ
横から失礼します。

大聖人の下種仏法の立場からも、本迹には勝劣があります。
「本門と迹門」を比べることを、「本迹」相対と言います。

AのためのB
AとBは本迹関係ではないです。

749三世:2008/10/12(日) 03:17:17 ID:pWk6nJFs0
もやし暮らしさんへ

>日蓮仏法においての本迹解釈を、沖浦さんは一緒には考えていないと思いますが・・・。
私の理解力の無さか、言葉の定義を明確にしないことには論議の本質がつかめない
 のです。
五重の相対では、釈尊の脱益仏法と大聖人の下種仏法との比較相対までがあり、御本尊
と己心の妙法という比較相対はされてないのではと思ったのです。

しかし沖浦さんに言葉の定義をしていただかないと、自分が議論をかん違いしている
だけかもしれないので、質問してみたのです。

750沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/12(日) 06:38:24 ID:AJ3hr85o0
 梅さん、おはようございます

 戸田先生です。
 創価学会の開祖です。

 牧口先生は創価教育学会の開祖であられます。

 池田先生は、SGIの開祖でしょう。

 共に宗祖は大聖人様です。

751沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/12(日) 06:39:51 ID:AJ3hr85o0
 三世さん、おはようございます

 概ねそう言う意味です。

752沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/12(日) 06:43:21 ID:AJ3hr85o0
 森野さん、おはようございます

 道具と人の関係が貴方は本迹ではない。と言われる。
 本迹だと思う。

 どっちでもいいですね。
 貴方は曼荼羅を道具だと認められた。

 大切な事はその一点です。
 そこがお判りならそれでいいのですよ。

753沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/12(日) 06:51:08 ID:AJ3hr85o0
 それと森野さん

>「御本尊は正しい、人法一箇である」と断定し、実践されている方と、
「御本尊は正しい、ただし人に対すればは劣っている」と断定し、
実践されている方では同じ信心ではない、と認識します。

 同じ信心ですね。
 功徳の結果は同じですから。

 曼荼羅が本で人が迹だと思う事は自由なんです。
 それによって、私共と功徳に変わりはありません。
 問題なのは、その論を採用する人たちが、私共を謗法だといい、仏敵にして攻撃をする事です。
 これは明らかに罰が出ます。
 誹謗正法になりますからね。

 反対には罰はありません。 
 正法宣揚ですから。

 ですから、人が迹とのお立場の方は、それを他人に強制しない事なんです。
 そうすれば、私共と同様の功徳が出ますよ。

>日寛上人も戸田先生も「人」です。

 いけませんね〜、そう言う比較は。
 月と鼈ですよ。
 無論月が戸田先生です。
 それとね、この場合、大聖人様も人。
 これをお忘れですね。

754沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/12(日) 06:57:18 ID:AJ3hr85o0
 三世さん

 釈迦は何処まで言っても何処かの仏の教えで成仏すると言う立場です。
 蓮祖は、人は元々は仏だ。との教えです。

 仏になるのではなく、仏だった事を思い出す。
 こうですね。

 ところが、寛師はまだ釈迦仏法の立場で大聖人様の仏法を説明しています。
 彼の限界がそこなんですよ。

 これはね、今邪魔なんです。
 世界広布には障害です。

 所がネットの多くの創価学会員は、寛師に毒されて駄目なんですよ。
 自由に思索ができません。
 寛師、という頚木があるんですね。

755森野一士:2008/10/12(日) 11:06:20 ID:rkx00CQQ0

沖浦さんへ

戸田先生の全集 講演からの抜粋です。


   「その一枚の紙に、絶対の力があるということを証明しよう、

    説明しよう、わからせようとするのが、創価学会の教えです」




   「、ただ一枚の紙のなかに、仏の生きいきとした生命が

    存在しておって、そうして、われわれを幸福にするの

    だということを、・・」


私は、「道具・機械」は喩えであって、あくまでも
曼荼羅の御本尊は、大聖人の命である、と信じています。

756沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/12(日) 14:16:23 ID:AJ3hr85o0
 森野さん

 それで結構です。
 別に反対は致しません。

757もやし暮らし:2008/10/12(日) 14:53:01 ID:UFaQVeag0
森野一士さん

何度もごめんなさい・・・
森野さんのコメントが私はどうしても気になってしまいまして
書かせていただいてます。お許しを。

>>746
拝む人と拝まれる御本尊との関係を、鬼と金棒 武士と刀のたとえでいうなら、

では
森野さんのいう、
>鬼が持つもので、金棒と大根なら、金棒が本で、大根が迹です。
>武士が持つもので、刀とネギなら、以下同等。

と たとえばいたしましょう。

もし、金棒を手にしたヒョロヒョロの軟弱な鬼と、大根を手にした大きくて強靭な
身体をした鬼が戦ったとします。
どちらが勝つか。
わかりませんよね。 
 
結局、軟弱な鬼は金棒を道具として使いこなすことができなかった。
たとえば大根をもったほうが勝ったとします。それは、道具としての大根を
鬼自身の力と頭を使って一撃で勝った。

森野さんがおっしゃる「迹」でも勝ててしまうことになります。

これは、どうしてだろう。

道具は、持つ(使う)人によって違う効果が出るということです。

武士と刀も同じだと思います。

そして、拝む人、拝まれる曼荼羅のご本尊の関係もそうなんだと思います。
だから戸田先生は道具に喩えられているのでしょう。
道具の効果は本人次第。
ハサミを使えば、使う人によっては紙をまっすぐ切れるし、どうしてもギザギザにも
なってしまう人もいる、美容師などは人によりセンスが出るし 植木職人の知識がなければ
切りすぎて木を枯らしてしまうこともある。使い方をまちがえれば、凶器にもなり、大変なことに
なりますね。

けれど、
ハサミを使うと物を切ることができる。これは だれにも同じ。
単純に、曼荼羅に向かい祈ると功徳がある 
ということですよね。

道具も「本」と考えるてしまうと、使った効果が誰もが皆まったく「同じ内容の効果」がでる。
 ということでは、ないでしょうか。
誰もがまったく同じ内容の現証や功徳(そんな訳ないと私は思うわけで・・)


ここまで書かせていただきましたが

いずれにしても、森野さんは、「人を本」と「曼荼羅を道具」と認められて
いるわけですから、

森野さんの解釈として納得いたします。
ありがとうございました(^−^)
超初心者が色々と失礼いたしましたm(_ _)m

758:2008/10/12(日) 15:05:28 ID:c9X/3p/A0
沖浦さん こんにちは

>>750
戸田先生が教祖になるのではなく
開祖=創始者・創立者というほど意味であると了解しました
そういえば、牧口会長を「仏」と評した法主がいましたね。

759:2008/10/12(日) 16:03:56 ID:c9X/3p/A0
道具がない場合(必ずしも必要としない)もあるでしょう。

『刀を持とうが持つまいが、武士の魂は変わらない』

内得信仰とかにも使えそうな論理。

760三世:2008/10/12(日) 16:28:04 ID:pWk6nJFs0
沖浦さんが人は本、曼荼羅御本尊を迹、とする理由は、人間の為に宗教がある
のであって、宗教の為に人間がいるのではないことを強調したいから。
しかし、御本尊とは大聖人の命・境涯(本門寿量品の肝心・文底秘沈の大法・
本地難思・境智冥合・久遠元初・自受用報身如来の御当体・十界本有常住・
事の一念三千・人法一箇)という概念は認める。
あくまでも物体としての曼荼羅御本尊は、御本尊という概念を形として表したも
のであって、同じ物体ならば人と曼荼羅のどちらを重視するのかと言いたい。

この解釈で良いですか?

761沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/12(日) 16:52:58 ID:AJ3hr85o0
 三世さん

>本地難思・境智冥合・久遠元初・自受用報身如来の御当体・十界本有常住・
事の一念三千・人法一箇)という概念は認める。


 これが物凄く邪魔なんですよ。
 やっこしすぎて面倒で、理解し難くて、受け入れられなくて、一般の方々にわかりにくくて、屁理屈だと思われてしまうのです。

 どんなに理屈こねくりまわしても、これね、大聖人様と私共の命が差別あり。
 なんですよ。

 物凄く不要なな概念です。
 寛師教学ですね。
 昨年のカレンダーです。

 今、使うと人生めちゃくちゃですよ。

762三世:2008/10/12(日) 18:13:48 ID:pWk6nJFs0
沖浦さんが寛師教学に反発されていることは分かりました。

私としては折伏の集団である学会を破門した時点で、今の宗門には大聖人の信
心の血脈は流れていないと思っています。ただ、だからといって日寛上人を否
定しなくてもいいのでは、と思います。
戸田先生も「折伏は大聖人の時代に、教学は日寛上人の時代に帰れ」と言われ
ました。
学会と正宗が袂を分かったのは、学会が変質したのではなく、宗門が変質した
のだと思いますから。戒壇様というものには、異論が多々ありますが、それが
学会の側になくても信心の血脈はこちらに流れていると思います。この辺の考
えは同じかと思ってますが。

ところで、
>沖浦さんが人は本、曼荼羅御本尊を迹、とする理由は、人間の為に宗教があ
 るのであって、宗教の為に人間がいるのではないことを強調したいから。
 この解釈で良いですか?

>あくまでも物体としての曼荼羅御本尊は、御本尊という概念を形として表し
 たものであって、同じ物体ならば人と曼荼羅のどちらを重視するのかと言い
 たい。

 この解釈はどうでしょう?

763沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/12(日) 18:54:49 ID:AJ3hr85o0
 三世さん

 寛師教学に反発しておりません。
 否定しております。
 時代遅れなんですよ。
 貴方は昨年のカレンダーを使いますか?
 昨年はあれほど役にたったでしょう。

 戸田先生が寛師の時代に帰れと言われた。
 そうですね。
 でも、法主に信伏随従せよ。とも仰せです。
 取捨選択がいりますね。

 後のご質問は、具体性がないのでお答えが出来かねます。

764沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/12(日) 22:48:02 ID:AJ3hr85o0
『又立つ浪吹く風万物に就いて本迹を分け勝劣を弁ず可きなり』
 (百六箇抄)

 後世の作との疑いのあるとされるご書ですが、先生の講義もあり、学会版御書に編入されていますので引用いたします。
 全てに本迹勝劣を研究せよ。
 当然、曼荼羅と、衆生己心の妙法にも、本迹勝劣がありと言うことです。
 
 先生が、

 『曼荼羅は虚空会を書きあらわしたもので、その本体である虚空会が迹、衆生己心の妙法が本。』(趣意)

 明確に仰せです。

 当然、曼荼羅は迹の迹ですね。

 この単純な事が理解できない。 
 情けないです。

765粛坊:2008/10/12(日) 23:47:53 ID:VUuZ458.0
沖浦さんの説は例えば全盲のメンバーは既に
己心の妙法を実感として悟られてるのではないでしょうか。

御本尊様のお文字は当然見ることはできない。
するとこの場合は迹と判断することになると思います。
かのスティビーワンダー氏はハービーハンコック氏やSGIメンバーと共に
勤行・唱題・御書を学んでおおいに感銘したと聞いております。

また拙い体験で申しわけないのですが私も危機一髪の体験をしたこと
があるのです。若き日に友人(メンバー)私含めて三人でドライブをしました。
途中いい海岸があってそこの砂浜を「パリダカ」といって調子よく走っていました。
突然車がスタックし動かなくなりました。そこに満ち潮が重なりました。
二人はとにかく助けを呼びに行くとその場から走り去りました。わたし一人残り
車に段々潮が迫ってきました。「もはやこれまで」その時東の海に向かって朗々と題目を渾身の力で祈りました。
もうタイヤに潮が半分浸かりかけた瞬間・助けが来てくれてランクルで引っ張り
上げてもらいました。その事を座談会で体験発表しましたらみんな目を丸くし
て聞いていたのを思い出しました。この場合も「迹」にあたるような気がします。

766シビック:2008/10/13(月) 09:20:25 ID:pDeJ.A1U0
江戸時代末期、生活に困窮した武士は、刀を質に出し生活費にあてたと聞いた事があります。
刀を失った武士は、いつしか「武士の魂」を忘れ、堕落していった。
専門家じゃないので、史実と合ってるかどうかわかりませんが、上記のような譬え話もできそうですね。

所詮、武士だの刀だの道具云云と言っても譬え話ですから、都合の良い様にいくらでも作れそうです。

767沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/13(月) 09:28:46 ID:AJ3hr85o0
 シビックさん
 お読み。

 『法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼にかなぼうたるべし、日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし、妙楽云く「顕本遠寿を以て其の命と為す」と釈し給う。』
 (経王殿御返事)

 御本仏さまの御金言に、

 文句つけるんじゃない!!!

768シビック:2008/10/13(月) 10:09:19 ID:pDeJ.A1U0
沖浦さん
仰っている意味がよくわかりません。
もう少し、言葉を省略せずに、わかるように説明してもらえないでしょうか。
江戸時代の武士の堕落を表現したことが、何故「文句つけるんじゃない!!!」になるのでしょうか?

769沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/13(月) 11:23:05 ID:AJ3hr85o0
 シビックさん

 仏法はね、比喩がメインで法を説きます。
 その比喩が理解できるかどうか?

 貴方の問題なんです。
 自分で解決しなさい。

 それを、たとえを都合のよいように作れると言うなら、仏法の理解は無理ですよ。

770シビック:2008/10/13(月) 13:14:31 ID:pDeJ.A1U0
沖浦さん
そういう事でしたか。了解しました。
私の書き方が悪かったかも知れませんが、決して譬えを否定してるわけではありません。
「あるひとつの現象を肯定する事も否定する事も譬え話でいくらでも表現する事ができますよね。」
という事を言いたかっただけです。
ある意味、より分かりやすく説得力のある譬喩を作れるかどうかも仏法者の力ですかね。

771森野一士:2008/10/13(月) 13:19:27 ID:rkx00CQQ0
皆様こんにちは。

もやし暮らしさんへ

喩えの「道具」は、鬼にとって本来持つものは「金棒」、仮は「大根」
   「法華経」で、釈尊が本当に言いたかったのは「本門」、仮は「迹門」


又、[鬼に金棒]の喩えは、人と曼荼羅の御本尊と対比した場合
鬼と金棒は一体であることを教えられています。

『此の御本尊全く余所に求むる事なかれ、』と。

故に、人(久遠の妙法と一体“冥伏”)と
曼荼羅の御本尊(久遠の妙法と一体“顕現”)(道具)には、
差がなく、元より本迹の関係ではありません。

既に元々(道具)は内にあるのです。
冥伏しているだけで、『信』により涌現します。


喩えの「道具」は、法華経の文の底にしづめられた人にも具わる「大聖人の下種仏法の{曼荼羅の御本尊}」、仮は「釈尊の脱益仏法の{法華経}」です。



百六箇抄


772:2008/10/13(月) 13:48:05 ID:c9X/3p/A0
シビックさん、 森戸一士さん こんにちは

シビックさんの投稿

>刀を失った武士は、いつしか「武士の魂」を忘れ、堕落していった。


私の投稿

>道具がない場合(必ずしも必要としない)もあるでしょう。
>『刀を持とうが持つまいが、武士の魂は変わらない』
>内得信仰とかにも使えそうな論理。

を踏まえたものだと思いました。
ですから、沖浦さんのご指摘は、私のにも言えるのかも知れませんね(^_^;)
ただ、貴方の喩えは、御本尊御不敬の場合に当てはまるかも知れないなと思いました。

ところで『鬼に金棒』ですが、
大聖人当時と現在とで、言葉(ことわざ)の意味が変わっていないとすれば
鬼というもともと強いものが、さらに強力な武器を持ち無敵になるという形容ですね。
したがって、森戸さんが

>又、[鬼に金棒]の喩えは、人と曼荼羅の御本尊と対比した場合
>鬼と金棒は一体であることを教えられています

と、『一体である』と表現していらっしゃいますが、少し疑問に思いました。
私としては、鬼という主体と金棒という客体で、それぞれ別物と思います。

773シビック:2008/10/13(月) 13:59:06 ID:pDeJ.A1U0
梅さん

その通りです。
梅さんの投稿を意識して考え出してみました。

>ただ、貴方の喩えは、御本尊御不敬の場合に当てはまるかも知れないなと思いました。

たしかに私の譬えは、ご不敬の場合にぴったりあいそうですね。
懇談の際のレパートリーに入れたいと思います。
対話してく中で智慧が出て、使えそうな譬喩が生み出されそうですね。
ありがとうございました。

774もやし暮らし:2008/10/13(月) 14:10:44 ID:UFaQVeag0
森野さん

>又、[鬼に金棒]の喩えは、人と曼荼羅の御本尊と対比した場合
>鬼と金棒は一体であることを教えられています。

誰がどこでそのようなことを教えられているのでしょうか?

775:2008/10/13(月) 14:16:13 ID:c9X/3p/A0
森野さん、ごめんなさい

名前を打ち間違えました。大変に申し訳ないですm(__)m

森戸→森野

776吉東:2008/10/13(月) 15:06:20 ID:UFaQVeag0
森野一士 さん

既に元々(道具)は内にあるのです。
冥伏しているだけで、『信』により涌現します。

でしたら貴方にはご本尊は必要ないと、もやし暮らしさんはとりますよ。

確定できていない内容を学会にも入っていないもやし暮らしさんに断言して

貴方は責任とれますか?

777森野一士:2008/10/13(月) 19:31:36 ID:rkx00CQQ0
梅さんへ

鬼に金棒は、
鬼は自分の体を使うように金棒を自由自在に扱い、力を増す、
信心のけなげな人が、曼荼羅の御本尊を受持して自行化他のお題目を唱え、
自由自在に己心の御本尊を涌現させ生命力を増す、
の喩えの意である、と認識しています。

(孫悟空に如意棒)
孫悟空が意のままに(自分の体のように)扱える棒

ご本尊は如意宝珠



吉東さんへ
ご本尊は必要ないとは言っていません。
(道具)は久遠元初の妙法です。
それは、私たちの胸中の肉団にあり(久遠元初の妙法と一体)、
曼荼羅の御本尊(久遠元初の妙法と一体)です。
信心により、私たちの胸中のご本尊は、曼荼羅のご本尊に感応し涌現されます。

曼荼羅のご本尊を知らないくても、信心により曼荼羅の御本尊に感応します。
大聖人は、既に末法万年に渡る一切衆生に、ご本尊を与えられています。

一機一縁のご本尊を受ける受けないは、ご本人の環境状況とご本人のご本尊を
護り抜く決意によります。
受けられないことが、即決意がない信心がない、と言うことではありません。

778森野一士:2008/10/13(月) 19:46:47 ID:rkx00CQQ0
>>774見落としてました。
もやし暮らしさんへ
>>777の意です。


御書に
「このご本尊(曼荼羅のご本尊をさして)全く余所(よそ)に求る事なかれ・
我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、」
と。

私は、曼荼羅のご本尊様(久遠の妙法と一体)は、
私たちの命の中に厳然といらっしゃる、と確信します。

779吉東:2008/10/13(月) 20:15:29 ID:UFaQVeag0


相構へ相構へて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求ることなかれ」

780もやし暮らし:2008/10/13(月) 20:25:51 ID:UFaQVeag0
森野さん

「認識しています」と言ったり、「教えています」と言ったり
も〜なんだかよくわかりません。

そしてなぜこの御書をここで用いるのかも・・・。

「このご本尊(曼荼羅のご本尊をさして)全く余所(よそ)に求る事なかれ・
我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」

本来、凡夫の命そのものが妙法であり、本尊だというようには拝せますが
これがなぜ、曼荼羅のご本尊と一体、 
と解釈する根拠になるのか・・
疑問が残ります。

それに、日女御前御返事は断存の書だと記憶してますが・・・
どうでしょうか?

781吉東:2008/10/13(月) 20:26:57 ID:UFaQVeag0
森野一士 さん
もやし暮らしさん。ごもっともです。
こんな大事な事を真筆のない日女御前御返事を用いて、内得信仰者のもやし暮らし
さんに断定的に話もんではありません。

公安元年6月の57歳御作の御書とされておりますし、とても良い内容の御書では
ありますが。

782もやし暮らし:2008/10/13(月) 20:30:53 ID:UFaQVeag0
吉東さん

はい、確かに内容の良い御書だとは私も思います。

783吉東:2008/10/13(月) 20:31:46 ID:UFaQVeag0
森野一士 さん

松野殿後家尼御前御返事にこのようにあります。

勝を劣と思ひ劣を勝と思ふ、得益なき法をば得益あると見る・機にかなはざる法をば機に・かなう法と云う、真言は勝れ法華経は劣り真言は機にかなひ法華経は機に叶はずと見る是なり。

貴方はどのように解釈しますか?もやし暮らしさんも考えてみてください。

784もやし暮らし:2008/10/13(月) 21:05:30 ID:UFaQVeag0
勝と劣を逆に思うこととか、得益のない教えを得益があるとみる などは
真言は勝っていて、法華経は劣っている、真言は機にかなうけど法華経は機にかなわない
ということと同じである

というような感じでしょうか・・・
直訳すぎでしょうか・・・


この御書のほうが、後世の書ですから、説得力はあります。

785森野一士:2008/10/13(月) 21:06:08 ID:rkx00CQQ0
なぜ十界互具の仏界を自身に涌現できるのか。
曼荼羅のご本尊と自身の胸中にあるご本尊が「信」により感応するからです。



権実相対です。

曼荼羅のご本尊と久遠の妙法は一体です。
別々ではないです。円融三諦です。

786吉東:2008/10/13(月) 21:16:40 ID:UFaQVeag0
もやし暮らしさん

変に難しく解釈される方は全て日蓮正宗の毒をひきずったままの考えを捨てられない
方々なのです。簡単に言えば。御書に載っている=全て正しい。

寛師教学そのものを今も100パーセントと思っている。
ただそれだけのことなのです。寛師教学だけではでは前に進めません。
日蓮大聖人の仏法は世界に出てゆくのです。現在出ていってます。

中には布教ペースが早すぎたなど、邪説を言う学会員もいます。
こんな不満は全て自信の不満を組織のせいにする輩です。
大聖人の仏法は進むだけです。当然まともに進めば経文通り邪魔が入ります。

そうやって私のようなじいさんは信心してきました。
もやし暮らしさんは、邪念のないところはか始めた素晴らしい方です。
いいかげんな組織の人の邪説にまどわされない姿勢も模範と言えるでしょう。

願いは必ず叶います。私は命をかけてもこれだけは断言できます。
頑張ってください。

787もやし暮らし:2008/10/13(月) 21:20:30 ID:UFaQVeag0
吉東さん

森野さんは、拝まれる曼荼羅を道具と認めているにもかかわらず、
それなのに「道具は内在する」といったり、私は理解に苦しんでおります。

虚空会を目にみえる状態に顕し下さったものを、「曼荼羅」と
いうのではないのでしょうか・・・?

788吉東:2008/10/13(月) 21:23:00 ID:UFaQVeag0
森野一士さん

もうよろしい。
大聖人の仏法を複雑にするのは貴方の自由です。
貴方の思う考えで結果を出せばそれでよいでしょう。

私はお伝えした考えで難を乗り越え、あと数年で臨終です。
これまで素晴らしい人生でした。難がたくさんあっていくつも
乗り越えた人生に悔いはありません。
かつては、貴方の考えを若い時期に宗門に植え付けられましたが、今は違います。
多分もう私からして邪説にはお答えしないでしょう。
うるさいじいさんだと思うもいでしょう。

789吉東:2008/10/13(月) 21:26:44 ID:UFaQVeag0
もやし暮らしさん

活動家学会員顔負けです。
題目をあげている証拠です。
もやし暮らしさんの真剣な題目をあげておられる姿がしっかりと
想像できます。

790もやし暮らし:2008/10/13(月) 21:42:52 ID:UFaQVeag0
吉東さん

本当にありがとうございます。
吉東さんのような人生の大先輩から、そのような励ましの言葉をたくさんいただいて
うれしいです。
勇気100倍です。

最近、うちの 
2世で幽霊会員の主人が、私の影響をうけて、
再発心しつつあります。
主人の実家に置きざりにされた、巻き曼荼羅を、復活させることも
近いうちに叶いそうなんです。
やっと、ご本尊様に向き合えます。

身の引き締まる思いです。

私事ですが、書いてしまいました。

791吉東:2008/10/13(月) 21:50:58 ID:UFaQVeag0
もやし暮らしさん

それは素晴らしい、ご本尊が無いよりあるほうがやりやすいですよ。
ご主人と二人で祈れば200パーセント願いは叶います。

このお気持ちを継続するのは大変です。
難、難、難の連続かもしれません。
気持ちさえ捨てなければ、難も笑い話と必ずなるでしょう。
私が命かけて断言します。

頑張ってくださいね。

792もやし暮らし:2008/10/13(月) 22:01:29 ID:UFaQVeag0
吉東さん

一般人の私が学会員を折伏したってことになるのかな・・・?
変な話ですよね(^^;)

罰じゃなくて難だったらいくらでもうける気持ちでおります。
ありがとうございます(^^)

いままで、鏡のないところで化粧をするような感じだったのが
これでやっときちんとできます。

はい、あせらずに頑張ろうと思います。

793沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/13(月) 22:08:48 ID:AJ3hr85o0
 吉東様
 もやし暮らしさん


 お二人の会話、嬉しいですね〜〜。

 この掲示板、やっててよかったですよ。

794吉東:2008/10/13(月) 22:14:49 ID:UFaQVeag0
沖浦さん

沖浦さんの目的であるネットという道具が開花している証拠ですよ。
もやし暮らしさんの現象は沖浦さんの努力の結果ですね。
これは、誰もいいがかりつけられません。

795もやし暮らし:2008/10/13(月) 22:18:20 ID:UFaQVeag0
沖浦さん

私が吉東さんからたくさん勇気をいただけたのも、沖浦さんがこの掲示板を
やってくれてたおかげです。

ありがとうございます(^^)

796沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/13(月) 22:21:24 ID:AJ3hr85o0
 お二人様に

 ありがとうございます。

797森野一士:2008/10/13(月) 23:13:12 ID:rkx00CQQ0
吉東さん
もやし暮らしさん
沖浦さんへ

吉東さんは、曼荼羅本尊を「迹」という前提で話をされています。
私は、曼荼羅ご本尊は根本の「本」という前提で話をしています。


私は、「道具」とはあくまでも喩えであって、
曼荼羅のご本尊は、久遠の妙法と一体であり、大聖人の命です。


再度、先生の「御書の世界」の引用です。

『大聖人は、御自身の己心に根源の妙法を観じとり、
 御自身の生命のコスモス(宇宙)を虚空会を用いて
 御図顕された。それが、十界具足の曼荼羅御本尊です』

私たちの命には、大聖人と同じ命があり、
曼荼羅の御本尊は、大聖人の命です。

「御書の世界」では、「日女御前御返事」や「生死一大事血脈抄」も
引用されています。私は、その書かれている事を信じます。


私は、沖浦さんの掲示板に来られる方が皆、
お互いに、学会で信心強盛に、行学に励み、
広宣流布に前進していける事を祈っています。

798森野一士:2008/10/13(月) 23:19:43 ID:rkx00CQQ0
訂正

私は、「道具」とはあくまでも喩えであって、
曼荼羅のご本尊は、久遠の妙法と一体であり、大聖人の命です。

私は、「道具(金棒)」と言われるのは、あくまでも喩えであって、
曼荼羅のご本尊は、久遠の妙法と一体であり、大聖人の命である、
と信じているのです。

799吉東:2008/10/14(火) 00:11:03 ID:UFaQVeag0
森野一士さん

治療薬がないようです。

御書は最初から最後までしっかり読んで頂きたい。
これ以上デマ法論をコメントすると確実に貴方は仏敵であり、私は責めなくてはならない。


「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」(経王殿御返事1124頁)

この御書の後に何と書いてありますか?その「たましひ」は「南無妙法蓮華経」
と書いてありますよ。曼荼羅が命とは言ってない。
大聖人の命などと解釈する邪説は日蓮久遠本仏論そのもの
であり、宗門の考えである毒説としか言いようがない。

これは、言っておかなけらえばならないのでコメントしました。
もう、邪説を唱えるのはおやめになりなさい。

800吉東:2008/10/14(火) 00:14:28 ID:UFaQVeag0
「日女御前御返事」や「生死一大事血脈抄」も
引用されています。」

当たり前だ、TPOにより解説していることもわかわないのであろうか。
だから世間で池田教と言われてしますのです。
池田先生はお望みではないはず。

死にものぐるいで御書を勉強し、先生これ間違ってます。と言うくらいの
人材を期待しておるに違いない。当然先生は人に依らずはご承知だ。
経文に依りなさい。

801もやし暮らし:2008/10/14(火) 00:20:20 ID:UFaQVeag0
森野一士さん

私からも一つだけ・・・

>「私は、「道具」とはあくまでも喩えであって・・・」

師がなぜ喩えて下さっているのか、

それは、正しい道に導くためではないのですか?
なぜ、そのように「あくまでも喩え」と強調し 喩えを軽視させようと
するのでしょうか。

802三世:2008/10/14(火) 00:21:04 ID:pWk6nJFs0
森野一士さん、私はやはり人と曼荼羅は本迹相対の関係にはならないと思い
ます。ただ、信心の弱さゆえなのか、私自身どうしても物としてみてしまっ
ていることは事実です。
私は御本尊を二度、不敬にしています。一度は実家の火事によって日寛上人
御書写の御本尊を焼失しました。母屋は残りまして、家族全員無事でしたが、
離れの二階に御安置した母の御本尊を救いだせませんでした。
この場合、私は自分を御本尊より優先したことになりますし、申し訳ない事
ですが、それは間違いではなかったと思ってます。命あってのものだねと言
ってしまうと軽すぎですが、やはり自分の命を重く見ているは本音です。

ただし、御本尊が何を顕しているかといったら御本仏の境涯だと思ってます。
命の本地といっていいのでしょうか。
教学力のなさもあって適切な使い方か自信ないですが、人は命そのものの次元
から見たら垂迹ではないかと思います。御本尊は久遠元初自受用身で万法の根
源であり、本地であると思いますが、曼荼羅御本尊自体は同じく物として姿を
現しているので、人と同じ意味での垂迹なのではと思うのです(本迹相対の意
味ではなく)。

この解釈は教学上、やはり問題ありでしょうか?

803森野一士:2008/10/14(火) 01:47:42 ID:rkx00CQQ0
日蓮大聖人は、久遠元初の自受用身・御本仏と信じています。

私は、
大聖人の文底の本門と釈尊の本迹合わせての迹門との相対で
金棒が文底の本門で、大根が迹釈尊の本迹合わせての迹門と言いたかったのです。

「経王殿御返事」(正筆なし)
南無妙法蓮華経は次下に此の御本尊ともあり、曼荼羅の御本尊のことです。


何を喩えているのかを知ることが大切です。



三世さんへ
不敬ではないです。

人と法は離れてはないです。
人がいてこそです。

人の胸中の久遠の妙法と
曼荼羅と一体の久遠の妙法は

人=曼荼羅
久遠の妙法=久遠の妙法

の関係

で、人と曼荼羅は、
どちらも根本の「本」と一体の意で『本』です。

*本門には本地の仏
 迹門には垂迹の仏

804森野一士:2008/10/14(火) 01:49:55 ID:rkx00CQQ0
訂正
大根が迹釈尊
大根が釈尊

805沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/14(火) 06:37:18 ID:AJ3hr85o0
 森野さん、おはようございます。

 曼荼羅が迹、人が本。

 これが大聖人様の仏法の極意なんですよ。
 これがわかるまで頑張ってくださいませ。

806三世:2008/10/14(火) 08:06:26 ID:pWk6nJFs0
森野一士さん、おはようございます。

>人の胸中の久遠の妙法と曼荼羅と一体の久遠の妙法は

 人=曼荼羅
 久遠の妙法=久遠の妙法

 の関係で、人と曼荼羅は、どちらも根本の「本」と一体の意で『本』です。

私の読解力の無さを露呈してしまいますが、有情と非情の違いだけであって、
御本尊も衆生も命(妙法の当体?)という理解でいいのでしょうか?

807シビック:2008/10/14(火) 12:44:18 ID:zziJAzVE0
吉東さん
初めまして。
自己紹介を見ましたが77歳で、これだけパソコンを使いこなすのは本当に凄いと思います。
相当バイタリティのある方と想像できます。
ところでお聞きしたい事があるのですが>>799の書き込みです。

>この御書の後に何と書いてありますか?その「たましひ」は「南無妙法蓮華経」
>と書いてありますよ。曼荼羅が命とは言ってない。

上記は、大聖人のたましひである「南無妙法蓮華経」と曼荼羅に書かれている「南無妙法蓮華経」が
まったく別物だという意味でしょうか?
教えて頂けると有難いです。

808もやし暮らし:2008/10/14(火) 14:11:40 ID:UFaQVeag0
森野一士さん

森野さんは、「日蓮の命」と「日蓮の魂」をごちゃまぜにして
解釈されてごちゃ混ぜに使用しているように感じます。

命とは、生物が生存する原動力となるもので、なければ生存できませんよね。
生命があるかないかは、死んでるか生きてるか。

そして
魂とは、心とか気分とか、精神作用をなすと考えられているものです。

心があるかないかは、より人間らしくいきているか、そうでないか。

それを理解して
先生の言われた
『曼荼羅は虚空会を書きあらわしたもので、その本体である虚空会が迹、衆生己心の妙法が本。』(趣意)
と、

「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」(経王殿御返事1124頁

を読んで欲しいと思います。

森野さんは
「拝む人」も「拝まれる曼荼羅」もどちらも「本」とするなら
この二つの間に本迹関係は、成り立たないということですね?

では、曼荼羅ご本尊様の「明鏡」という喩えはなんなのでしょうね。
鏡の前に映るものがあって はじめて鏡といえるのではないですか?
映るものがなければ、鏡として作用しません。

これはどちらも「本」ではないと思います。













いのち

809もやし暮らし:2008/10/14(火) 14:17:28 ID:UFaQVeag0
補足

どちらも「本」ではない×
「どちらも本」ではない○

です。
誤解されませんように・・・
失礼いたしました。

810森野一士:2008/10/14(火) 17:14:30 ID:rkx00CQQ0
三世さんへ
有情と非情の違いだけであって、
曼荼羅の御本尊も衆生も妙法の当体です。


もやし暮らしさんへ
生命は無くなりません。
死んでも宇宙の生命と一体です。

迹をもって「本を顕した」です。

明鏡も喩えです。
信により向き合い自身の妙法を映します。
本の鏡だから本が映ります。

明鏡(本)ではない石(迹)では妙法を映せません。

811吉東:2008/10/14(火) 17:48:18 ID:UFaQVeag0
まだ宗門が作った三大秘法から出発する毒論にこだわっておられるようですね。

日蓮仏法では一大秘法で十分です。

大聖人は大聖人は曾谷殿御返事で以下の通り言ってます。本文は
長いので記載しません。解釈だけ記入します。


上行菩薩を始めとした地涌の菩薩たちが、末法の始めの五百年にこの娑婆

世界に生まれてきて、この境智の二法である南無妙法蓮華経の題目を弘

めることは経文にはっきりと書かれている。誰人もこのことに言いがかりをつ

けることはできない。日蓮はここに説かれた上行菩薩ではない。またその使

いでもない。けれども日蓮はこの日本国に南無妙法蓮華経を弘めた。

このように断言されております。

大聖人の仏法はお題目と信心を持続するために顕されたご本尊様

これだけで十分なんですよ。所詮日蓮正宗の歴史など100年足らずです。

もうしばらくすれば、学会の歴史のほうが長くなります。

大聖人の仏法を難しくすれば、布教の妨げにしかなりません。

私はSGIメンバーと四六時中接触しておりますが、誰一人として、ご本尊に

大聖人の魂が備わっているなどとは答えません。皆、口を揃えて言う言葉は

今の自分の境涯が感じられる。生命が生き生きとしてきて思いもよらない

アイディアが湧いてくる。素晴らしい。頂くものではなく、自らの能力

を引き出す事ができる仏法だ。題目の力は素晴らしい。

誰一人として、ご本尊の力は素晴らしいと言わない。

世界へ布教活動をしたのは池田先生である。その成果がこれである。

石だの大根だの例えている場合ではない。

今は、大聖人の仏法をどうやったら民衆に伝えられるか。

これにつきる。

812吉東:2008/10/14(火) 17:56:56 ID:UFaQVeag0
シビックさん

その御書の全編をお読みください。
大聖人が世に広める大目標がお題目です。曼荼羅を顕さなければ釈迦のように
門下が勝手に日蓮の像物を作り信心の対象にすることがおわかりだったのでしょう。

ご本尊様のお姿を見てください。お題目を中心とした世界が顕されております。
ご本尊様を見ればいかにお題目が一番大切であるかがわかるかと思います。

日蓮さんが魂を墨に染め流したのは、魂と引き換えに末法万年のために信心する

人間が曼荼羅を見て、お題目の大切さを引き継いでゆくために物として

顕した。顕せば、書写(映すことができる。)紙や木が劣化したら書くことが

できる。大聖人様の究極の題目を伝えるための発明です。

813もやし暮らし:2008/10/14(火) 18:07:27 ID:UFaQVeag0
森野一士さん

>「明鏡(本)ではない石(迹)では妙法を映せません。」

ということは
明鏡でない曼荼羅ご本尊があるということでしょうか?

それでは、戒壇様ご本尊主義の宗門法華講と同じですよ。

814沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/14(火) 18:07:57 ID:AJ3hr85o0
 森野さん

 曼荼羅は的みたいなものです。
 的がないと鉄砲練習しにくいでしょう。
 ご本尊様がおられないと祈りに力が入りにくいのですよ。

 凄く便利なんです。
 ですがね、道具なんですよ。
 私共が祈るためのね。
 大聖人様のご発明なんです。

 刀は武士の魂。って言いますね。
 あれね、本当に刀を使っていた時代の言葉じゃないんです。
 知ってますか?
 戦国時代、刀は道具なんです。
 江戸時代になって、色々格式付けに出てきた造語です。
 貴方の、曼荼羅が本。も同じなんですよ。

 祈りの力を知ってれば、そんな事言いません。
 私は体験して知ってます。

 宗門は祈らない人間の集団です。
 だから、曼荼羅に人間を超える値打ちが無いと困るんです。

 譬えは悪いですがね、池田先生が〜〜!なんて、声張り上げてる、ネットの修羅と同じですよ。
 先生を格式付けて、自分の正当化に利用する輩です。

 貴方ね、あの連中と同じでどうしますか。

815吉東:2008/10/14(火) 18:15:36 ID:UFaQVeag0
私が20代で入信した当時の事を少しお話します。
とにかく、題目をあげて布教する毎日だった。近所の寺や神社へアポイント
無しで、大聖人の仏法を伝えに出向いた。水をかけられた、塩をまかれた、
石を投げられて、頭を縫ったこともある。地域の住人からはおかしな
宗教をしている青年がいるから注意しろと噂になり無視された。

お陰でやる気満々になった。絶対この地域の半数を伏折してみせる。
10年かかったが目標は達成した。入信しない地域の人からも信頼を
勝ち取ることができた。全精力を布教に投じた結果、恐ろしいほど
貧乏になった。嬉しかった。次の目標ができたからである。
このスタンスは今もかわらない。
大聖人の仏法を基本に戸田先生や池田先生の根本精神を貫き、後に続くことが
学会精神であると私は思う。

布教の妨げになる邪説は断として責めなければならない。

816吉東:2008/10/14(火) 18:21:16 ID:UFaQVeag0
もやし暮らしさん

あなたは、とても純粋に大聖人の仏法を理解されています。
貴方の考えは私としては正しいと判断します。
御書を勉強されていることが伝わってきます。

信心は年数では計れない、もやし暮らしさんは私にとって光になりました。
貴方は経文通りに日蓮仏法を考えています。

ベテラン学会員も見習うべきである。

817もやし暮らし:2008/10/14(火) 18:35:10 ID:UFaQVeag0
吉東さん

とにかく不思議なんですよ、
昔から勉強が大嫌いな私が、毎日の唱題によって 
気がついたら御書を知りたくてしかたなくなってるんです。

それだけなんです。

御書をはいしてみると それが経文通りなので、
ますます確信が強まる日々でございます。

818もやし暮らし:2008/10/14(火) 18:38:02 ID:UFaQVeag0
沖浦さん
吉東さん

お二方のコメント、重みがあります。
さすがです!!
心にガツンと入ってきます

819森野一士:2008/10/14(火) 21:05:05 ID:rkx00CQQ0
吉東さん
もやし暮らしさん
沖浦さんへ


大聖人は、発迹顕本されて、曼荼羅の御本尊様を流布されました。

石の喩えの迹は、釈尊の仏法の意です。

820もやし暮らし:2008/10/14(火) 22:31:00 ID:UFaQVeag0
森野一士

ご自分で何をおっしゃってるか、理解されていますか?

拝む人、拝まれる曼荼羅 についてですよね?

まずあなたはどちらも「本」と解釈されていて
先生の言葉によって、「曼荼羅は道具」ということは納得された。

しかし、道具は人に内在していると解釈されている。
要するに結局
曼荼羅は「本」といいたいわけですよね?

821もやし暮らし:2008/10/14(火) 22:32:31 ID:UFaQVeag0
森野さん

大変失礼いたしました
あわてて「さん」を忘れました。
お許しを・・。

822吉東:2008/10/14(火) 22:39:20 ID:UFaQVeag0
819 意味わからない?森野一士

よほどの修行をするとわかるのであろうか。不思議である。
大聖人様はご真筆存在の御書でご本尊について書かれている。佐渡にてです。

文永10年4月観心本尊抄 から抜粋
其の本尊の為体・本師の娑婆の上に宝塔空に居し・塔中の妙法蓮華経の左右に
釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士・上行等の四菩薩・文殊・弥勒等は四菩薩の
眷属として末座に居し・迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して・雲閣
月卿を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処し給う・迹仏・迹土を表する故
なり、是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し・八年の間にも但八品に限る
、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し・権大乗並に涅槃・
法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す・此等の仏をば正像に
造り画けども未だ寿量の仏・有さず、末法に来入して始めて此の仏像・出現せ
しむ可きか。(略)此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難
を指すなり、此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す・一閻浮提第一
の本尊此の国に立つ可し・月支震旦に未だ此の本尊有さず............(略)

何故、発迹顕本されたことで貴方の説明になるか意味がわからない。
貴方の解釈は御書を部分的に理解し、発言の見解が変化する。
修羅とはそういう事であり、毒されておられます。

石だの釈尊などの法義はもうおやめ頂きたい。大聖人は総別しておられる
訳だから。

823名前未入力:2008/10/14(火) 23:08:02 ID:oNYoXOZQ0
吉東さんともやし暮らしさんは、IDが一緒ですけど、一緒にお住いなんですかね?
それとも地域が近かったりするとIDが同じになるのかな?
ちょっと気になったもので。
IDってどういう意味があるのかな?

824吉東:2008/10/14(火) 23:13:16 ID:UFaQVeag0
私は東京大田区のマンション住まいですよ。

825もやし暮らし:2008/10/14(火) 23:19:38 ID:UFaQVeag0
私も大田区です!!
きゃ〜同じマンションかもですね

826吉東:2008/10/14(火) 23:22:15 ID:UFaQVeag0
私は○○ホ○14階東側です。なるほど、集合住宅1本LANだからかな?

もし同じ場所ならびっくりしますが。

827もやし暮らし:2008/10/14(火) 23:27:33 ID:UFaQVeag0
驚いております。

同じなら私は反対側ってことになります。

・・・・ベランダから電車がみえます・・・

828名前未入力:2008/10/14(火) 23:28:11 ID:oNYoXOZQ0
ふーん。すごい偶然だね。
1本のLANだと、例えば同じタイミングで書き込んだら、どちらかが書き込みできないのかな?
23:40に同時に書き込んでみたら、面白いかも。
どうなるかな?

829吉東:2008/10/14(火) 23:31:39 ID:UFaQVeag0
私は見えない側です。一度遊びにいらっしゃい。お茶でも出しますよ。
スレッドの話題からずれました。すいません。

830ショウ ◆v1kIh9gPR2:2008/10/14(火) 23:32:40 ID:/CcP3LPw0
>>823

名無しさんへ

PCを共有されているか、同一人物の可能性がありますね。

スレ違いですが。

831もやし暮らし:2008/10/14(火) 23:37:56 ID:UFaQVeag0
会いたいねって主人と話していたところです。
すごい偶然ですよね。必然なのかも・・・。

私もここを引っ越さないといけないので、そのまえにうかがいたいと思います^^)

832もやし暮らし:2008/10/14(火) 23:45:32 ID:UFaQVeag0
>>830
横から入ってきて、決め付けて判断するなんて、悲しい方ですね。
なんなら、住民票を板主さんに提出してもいいですよ。

833吉東:2008/10/14(火) 23:49:13 ID:UFaQVeag0
私もいつでもお出ししますよ。でもよこやりのお陰で良かった。

834名前未入力:2008/10/15(水) 00:04:55 ID:oNYoXOZQ0
>>830
やっぱりそうですかね。
一人二役は、大変ですよね。

835ショウ ◆v1kIh9gPR2:2008/10/15(水) 00:09:41 ID:/CcP3LPw0
>>830

はじめまして、もやし暮らしさん。
御気分を害されたようでごめんなさいね。
本意とは異なりますから、書かせてもらいますが、
決めつけてはいませんし、
名無しさんへのレスですので。

836吉東:2008/10/15(水) 00:16:46 ID:UFaQVeag0
あのですね。同じマンションで確定でした。私はネットワーク会社を経営していますから
もやし暮らしさんは何も心配いりませんよ。同じ光回線で1000MをシェアしてLAN
接続してますから。このマンションんを2戸もっていますが、他からアクセス
してもネットワーク承認は同じになりますから安心してください。
ここまでプライバシーを語らなくてはならないのが残念です。
います。この建物は得にメールサーバーをもうけておりませんから回線IDは同じになります。

ここはの回線はNTTでもKDDIでもありませんですから。

837抜刀人@限定バージョン:2008/10/15(水) 00:19:11 ID:bZeBakck0
吉東さん もやし暮らしさんはじめまして
↓ この一連の流れが他人??

----------------------------------------------------------------------

727 名前:吉東 投稿日: 2008/10/11(土) 01:51:47 ID:UFaQVeag0
森野一士さん

法華経迹門までは釈迦の勝劣を書かれたものであり種脱相対で初めて大聖人
の仏法が正確に明かされた訳ですね。当然承知かと思います。

         (中略)

よって725のご回答は私にはわかりません。
理解力がなく申し訳ありません。
おやすみなさい。



728 名前:もやし暮らし 投稿日: 2008/10/11(土) 01:57:25 ID:UFaQVeag0
>>726

目が覚めてしまいましたのでちょっと書いてます。

本迹の関係はそうですよね。ただしそれは、釈迦の説いた法華経においての
本門と迹門でのことで、
それならば、勝劣はあると思います。

私がいった、三世の教えを考えるとというのは、
種脱相対まで考えると
勝劣つけようがないと思うのですが・・・と。


729 名前:もやし暮らし 投稿日: 2008/10/11(土) 01:58:21 ID:UFaQVeag0
おやすみなさい・・・。

-----------------------------------------------------------------------

ご無沙汰です〜
ちょっと無理ありますわ〜 我慢してたけど もー無理!!
非公認版Ⅰ http://6425.teacup.com/ahokke/bbs
に吉東さんと もやし暮らしさん レス付けてみて下さい。
そうしたら、今日こそスッキリ眠れます。気になって気になって も〜・・・

838:2008/10/15(水) 00:20:56 ID:c9X/3p/A0
皆さん こんばんは
森野さんが一生懸命に論じておられることへの共感を込めて、私の雑感を書きます。

森野さんの言わんとしてるのは、曼荼羅御本尊を軽んじないようにの視点からでありましょう。
教義的説明はともあれ、これは信仰者として大切な姿勢であろうかと思います。
おそらく、これはどなたにあっても、異議のないところでしょうね。
私もかつて、御本尊様はお前の『命』と思えと指導されました。
当然のことながら、ご不敬したときの罰論も驚天動地のスゴイのを聞いています。
そうして身に付いたことは、なかなか抜けませんね。
気持ち的に、御本尊様を物理的なモノとは思えないところがあります。

さて、「南無妙法蓮華経」と日蓮系の宗派はお題目を唱えます。
(ちょっと発声が違うかも知れませんが・・)
以前は、その教義的な違いを、三大秘法の「本尊」で論じていたと思います。
小樽問答がそうですね。
そこでは、「本尊雑乱」で身延日蓮宗をギャフンといわせたとか。

吉東さんが

>日蓮仏法では一大秘法で十分です。

とおっしゃいます。しかし、日蓮系宗派との対比では、やはり本尊観をどう持つかは
視点として欠かせないように思います。

己心の妙法=本尊あるいは題目というのが、見方としてでていました。
それを顕したのが、曼荼羅御本尊というのは異議ないようです。
その場合、曼荼羅御本尊を大聖人が発明した道具だとすると、道具は真似(書写)できるし
極端には、その権能を問わないということになるとも思われます。
もちろん、今はそれを論じる必要性がないとは思っています。

また、「本・迹」について、言葉の使われ方はどうなっているのかなぁと思います。
①ふつうは本門と迹門の対比で使われるのだと思いますが
②本地・垂迹で使っている投稿もあるようです。
③あるいは主体と客体のような意味で使っている場合もあるようです。
そして、①や②、③を区別して使っていないと、混乱が生じるのは当然ですね。
いろいろな投稿を読んでいると、ウーンと唸ってしまうことがあります。
もちろん、私の教学力のなさは指摘されるまでもありませんが・・

今夜は遅くなりました。
これから職場より帰宅です。
お題目あげられるかなぁ(^_^;)

839抜刀人@限定バージョン:2008/10/15(水) 00:21:19 ID:bZeBakck0
コッキー君勝手に入ってきてごめんね

840もやし暮らし:2008/10/15(水) 00:26:18 ID:UFaQVeag0
吉東さん

ありがとうございます。

同一人物かもしれないなどと、可能性があったとしても
私は大きく傷つきました。

このようなところでプライバシーを詮索されるなんて思ってもいませんでした。

こんなスレになってしまって残念です。

841抜刀人@限定バージョン:2008/10/15(水) 00:33:02 ID:bZeBakck0
あれ?却下されました。勇気出してやってきたのに。。。

842もやし暮らし:2008/10/15(水) 00:37:08 ID:UFaQVeag0
いいかげんにしてください!!!!!!

843森野一士:2008/10/15(水) 00:37:32 ID:rkx00CQQ0

もやし暮らしさんへ


曼荼羅を「道具」と喩えられたのは、あくまでも喩えであり
その「道具」とは大聖人の命なのです。


私は、また上とは別に(道具)を本迹に立て分けた場合には、
本が「曼荼羅御本尊」
迹は「釈尊の法華経」という「道具」がある、と言うことなのです。


法華経の剣を、先生は「勇気の剣」と、剣は自身の内にあることを
教えて下さっています。





吉東さんへ


『其の本尊の為体、(以下曼荼羅御本尊の相)』です。

久遠の仏と一体の久遠の法です。
人法一箇の大聖人と曼荼羅の御本尊様です。









844三世:2008/10/15(水) 00:38:49 ID:pWk6nJFs0
>私たちの命には、大聖人と同じ命があり、
曼荼羅の御本尊は、大聖人の命です。

森野さん、御本尊は仏界所倶の九界。衆生は九界所倶の仏界といわれますよね?
この意味は総じては御本尊も衆生も命であることにはかわりはない。しかし、
別しては、その境智においてやはり差があり、だからこそ本尊として仰ぐ意味
があるのだと思います。

火事の話をした時も言いましたように、物体という相に囚われてしまいがちで、
どうしても曼荼羅そのものを本体と思えてないのは認めざるを得ません。

しかしながら、御本尊について難しく捉えてない人にも難しく捉えてる人にも、
功徳が顕れるという、やはりただの物ではない。御本尊が本尊である所以がある
のだと思います。

845沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/15(水) 07:21:51 ID:AJ3hr85o0
 もやし暮らしさん、吉東様、おはようございます

 私と耕治もID全く同じです。
 気になさる必要はありません。

846沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/15(水) 07:23:52 ID:AJ3hr85o0
 梅さん、おはようございます

 曼荼羅が迹で、軽視する。
 宗門の代表的な邪儀ですね。

 アレたちはう言う屁理屈で信徒を縛って支配する輩です。

847もやし暮らし:2008/10/15(水) 08:20:09 ID:UFaQVeag0
沖浦さん

おはようございます。
なんだか昨晩は、よく眠れませんでした。

スレの話題よりも、人のIDがどうってほうが気になるって方がいらっしゃるんですね。
大変イヤな思いをしましたが、でもよく考えたら、そのおかげで
「正しいことをする(言う)と、こんなイヤな目に遭うんだ」ということを
実感しました。

848もやし暮らし:2008/10/15(水) 08:50:16 ID:UFaQVeag0
森野一士さん

>曼荼羅を「道具」と喩えられたのは、あくまでも喩えであり・・・

私は道具を軽視はしてません。
信心を完全にするためには、むしろ重要だと思います。
ハサミがなければ美容師が、美容師としてあることができないのと一緒で。

何かあったら、なんとしてもお守りしなければ、という覚悟でおります。


>私は、また上とは別に(道具)を本迹に立て分けた場合には、
 本が「曼荼羅御本尊」
 迹は「釈尊の法華経」という「道具」がある、と言うことなのです。

なぜ道具を、「本」と「迹」に立て分けなければならないのですか?
釈尊の法華経が道具?なにのための?


>法華経の剣を、先生は「勇気の剣」と、剣は自身の内にあることを
教えて下さっています。


だから人が「本」でしょう。

849沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/15(水) 10:32:42 ID:AJ3hr85o0
 もやし暮らしさん

 今、日蓮正宗がネットで、学会員の分裂工作をしています。
 大阪の法華講の方が中心です。
 ですが、前回の質問会参加メンバーは無関係です。
 当日、ドタキャンで来られなかった方の中にいます。
 
 私は、宗門にパイプがありますので、色々情報が入ります。
 先年、能化の反乱も情報があって数ヶ月以前から知っておりました。
 その旨、反乱以前に掲示板に書き込んでいますので、お読みになられた方もおられるでしょう。

 今、ネットで創価学会員同士が罵りあうことは大層愚かな事です。
 
 先日、宗門の内部から情報を頂きました。
 それで、最近の大騒ぎに合点がいった次第です。

 分断工作の行われている掲示板から、撤退を致しました。
 わざわざ、日蓮正宗を助けてあげる必要はありませんから。
 未だに、のせられて浮かれ騒いでいる人がいますね。
 あれね、宗門の手先に使われているんですよ。

 宗門には、無任所と言う暇な連通が沢山いて、ネットを監視する人間もいるのです。
 数人で悪巧みをして、私や貴方の書き込みを監視、矛盾点や、難癖をつける場所を専門で探しています。
 普通は、その人間が書き込みますが、私のような掲示板はアドレスがわかってあいまうので、地方の馬鹿な人間を使って書き込ませます。
 今、大阪方面がその主役ですね。
 今、私をネットで責めている人は、大阪方面の宗門関係者達なんですよ。
 学会員に成りすましていますがね。

 彼らの、数ヶ月間の分断工作が効果を上げています。
 選挙前、こう言う輩の手にのせられて、学会員まで付和雷同していますが、情けない人たちなんです。

850シビック:2008/10/15(水) 12:31:02 ID:zziJAzVE0
>>812
吉東さん
曾谷殿御返事読みました。
境智の二法である南無妙法蓮華経を大聖人が弘め始めたという内容ですよね。
ちょうど、最近の先生のご指導で曾谷殿御返事が取り上げられていましたので、読みやすかったです。
この御書を読んだ上でもう一度、吉東さんのご主張を確認させてください。

日蓮大聖人が弘められた「南無妙法蓮華経」と曼荼羅に書かれた「南無妙法蓮華経」は、
別物なのか別物でないのか、どちらでしょうか?
言い換えると「南無妙法蓮華経」が紙と墨で書かれた時点(曼荼羅)で、日蓮大聖人が弘められた
「南無妙法蓮華経」と別物に変わってしまうということでしょうか?
難しい質問をしているつもりはありません。
単純な二者択一の質問なのです。
吉東さんの書き込みを読んでると、別物のような表現の時もあれば、別物でないような表現もあるので
どちらが本当のご主張なのかなと思いました。

851吉東:2008/10/15(水) 15:12:21 ID:Wos19Ow6O
もやし暮らしさん

昨夜は横やが入りきぶん悪かったですね。
シビッさん
ありがとうございます。

852耕治:2008/10/15(水) 15:27:09 ID:AJ3hr85o0
河内が法華講ならその寺院はただではすまさん

853早稲田:2008/10/15(水) 16:16:23 ID:nckmgto20
ずっとROMをしていました早稲田と申します。
43歳独身で,小さいながら経営をやっております。
吉東様と同じくIT関連です。話が合いそうなのでご挨拶させて頂きました。
どうかよろしくお願いいたします。

854早稲田:2008/10/15(水) 16:51:29 ID:nckmgto20
吉東社長,私の悩みは,業界では悪評の高いIPV6です。全移行したのですが使用料が高くこれが経営を圧迫する悩みとなっております。無論良い結果が出るよう毎日唱題しています。
御社ではもう移行済みですか?安い業者があれば乗り換えたいと思っております。

855沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/15(水) 17:00:34 ID:AJ3hr85o0
 早稲田さん、先ず自己紹介スレッドで簡単に自己紹介をしてくださいませ。

856沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/15(水) 17:14:56 ID:AJ3hr85o0
 今、中心で工作しているのが、河内平野さんと、江戸門さん、影で東国人さんです。
 日蓮宗まで巻き込んでやってたんですよ。

 小野さんまで、まんまと乗せられていた。

 もう、ネット、たたまれた方が良い様に思いますね。
 判断力が全くありません。
 これじゃ、敵に利用されますよ。
 多くの掲示板が騙されて利用されています。

 本当に皆様方、打たれ弱いですね〜〜。
 あれほど打たれ続けて、打たれていることすら気付かない。

 世間知らないから、やられるんですよ。
 世間で戦ってれば絶対にこんな輩にやられません。
 だからね、口がすっぱくなるほど注意してきたんです。
 今、

 創価学会員で選挙運動しないのはけしからん。

 こう言う意見を、学会系の掲示板で起こし、主流にする事が目的なんです。

 選挙前にそう言うイメージをネットで流し、有権者の方々に、

 そら見ろ、やっぱり創価学会は政教一致じゃないか!
 民主党の石井一さんの指摘通りなんだ。
 これは、今度の選挙は公明党負けさせないといけないな。

 目的がこれなんですよ。
 なのに、その手にのせられた愚か者の創価学会員が、人間革命まで引っ張り出して、選挙活動しない人間は池田先生の弟子じゃない!
 ですよ。
 本当に世間を読めない愚者ですね〜〜。

 この手の、薄っぺらい正義感がどれ程、創価学会を傷つけ、広宣流布の邪魔をしてきたか。
 情けないですよね。

857早稲田:2008/10/15(水) 17:19:29 ID:nckmgto20
吉東社長,それにしても昨日は私も憤慨しました。正義の人を決め付けで誹謗するのは悪の仕業です。もやし暮らし様と同じマンションだったとの事で偶然もあるものですが私は御本尊のお計らいと思います。昨日はヒヤヒヤしながら見ておりました。
現在の2チャンねんるを始めとする掲示板は所詮CGIによる単純計算でリモートホストからID生成しますから,ルータが一本であればIDは同じになりますね。
しかし今日は吉東様のIDはまた違うものになっておりますがルータの設定変えられたのですか?あんな事言われれば気持ち悪いですから賛成です。対処が流石早くて尊敬です。

858もやし暮らし:2008/10/15(水) 18:40:47 ID:UFaQVeag0
沖浦さん

>>849
長文にて説明感謝いたします。
私のような初心者には、大変ありがたいです。

学会員の分裂工作ですか。
敵に成りすますとは、極悪非道ですね。

携帯サイトのコミュニティなども時々のぞきますが、
矛盾だらけのあやしい人が、たくさんいます。
ん?この人なんか変・・・と思って何度かやりとりしてみると関西弁のときが
ありました。
そういう仲間でしょうかね。


吉東さん

ほんとに、昨日は気分が悪かったです。
ID件、
マンションが同じでIDが一緒だったばっかりに、ご面倒おかけしてしまった
ようで、申し訳なく思います。

早稲田さん

はじめまして

はい、私も、御本尊様のお計らいと思っております(^^)

859早稲田:2008/10/15(水) 18:49:28 ID:nckmgto20
もやし暮らし様
いつも感動とともに読んでおります,お声をおかけいただき光栄です。
考えてみれば今回のことがなければもやし暮らし様も吉東社長と出遭えることにはなりませんから本当に日々御本尊様を拝んでいる功徳と思います。これからもよろしくお願いいたします。

860沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/15(水) 19:00:57 ID:AJ3hr85o0
 もやし暮らしさん

 私はね、敵より、敵に騙されて踊っている味方が情けないのですよ。
 敵以上に始末の悪い人たちです。

 愚かなんですよ。
 そして真面目に書き込んでくるのです。

 愚かで真面目な人。
 これ程困るものは無いんです。

861安吉:2008/10/15(水) 19:35:25 ID:5p7R/WXMO
へ?小野さんがまんまと乗せられて河内さんが法華講で分裂工作??
こう言っちゃあナンですが大ハズレの予感が致します。
しかしネットの学会員って何かとめんどくさいっすね(笑)
と笑うしかないねこりゃ。

862沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/15(水) 19:37:26 ID:AJ3hr85o0
 安吉さん

 貴方には貴方のお考え、私には私のそれ。

 まあ、見ていましょうよ。
 どっちが功徳出るか?
 同姓天同名天は騙せませんよ。

863:2008/10/15(水) 19:44:23 ID:EzQ4NLW60
もやし暮らし さん こんばんは

昨夜はお疲れ様でした。
自己紹介代わりに・・

私は小学生になる以前に家族4人で入信しました。
まもなく父が亡くなり、母子家庭で貧乏暮らしを経験しています。
それは、中学生の頃まで続きました。
毎夕のご飯のオカズはたいていがコロッケでしたね。
昔(今もそうかもしれませんが)は安かったのです。
今日もコロッケ、明日もコロッケ、これじゃ年がら年中コロッケコロッケ〜♪
なんて、歌うような気分でしたが、毎日買いに行く肉屋で、2個下さいっていうのが恥ずかしくて
そういう買い物の役目は弟に押し付けてました〜(^_^;)
貴方の「もやし」暮らしはどうなのでしょうね?
いえ、これについてはお返事はいりませんです。

一つお聞きしたいことがあります。
貴方の教学の力に感心しております。
貴方の内得信仰って、どうやってらっしゃるのですか?
すみません。バカな好奇心を許してください。

あっ、もう一つ
>学会員の分裂工作ですか。
>敵に成りすますとは、極悪非道ですね

2行目の意味は敵→味方ですか?

864もやし暮らし:2008/10/15(水) 20:11:41 ID:UFaQVeag0
沖浦さん
>>860

 なるほど、
 魔におおわれて善が見えない盲目になったような状態なのですね。

 傷は深そうですね。

865もやし暮らし:2008/10/15(水) 20:40:02 ID:UFaQVeag0
梅さん

>>863
最近は、皆様の励ましのおかげで
「もやし暮らしを楽しんじゃえ」というような気持ちで
過ごせてます。
もちろん、コロッケにもたくさんお世話になってますよ〜。
ちょっと贅沢したい時はコロッケです。
コロッケ屋のオヤジにも、顔を覚えられてしまいました。
一つ買うのも二つ買うのも、もう全然へっちゃらです(^^;)

教学についてなど、私などが誉められるような立場じゃないんですよ。
ただ信じて、毎日朝晩に唱題しただけです。
最初のうちはめげそうになったことも、ありましたよ。
ふんばりました、そのうちに自然と御書を深く知りたくなりました。
まだまだ読みきってませんから、もっとこれからなんです。
大聖人が一生をかけて残してくださったのですから、凡夫の私にそう簡単にはいかない
と、思っています。

あと
>敵に成りすますとは、極悪非道ですね

この場合、私がいいたかったのは、
法華講員が、学会員に成りすます、と言う意味です。

ですが、反対だとしても、敵に成りすますやり方は
私の性にあいません・・・。

866沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/15(水) 20:47:33 ID:AJ3hr85o0
 もやし暮らしさん

 まあ見ててくださいね。

 江戸門さんあたりが必死で言い訳しますから。
 でもね、あの輩、私に絶対対面は出来ないんです。
 以前、河内さんに対面を申し込んだんですよ。
 拒否しましたね。
 江戸門さんも、遠い所で言い訳して恥かくより、私と対面したらはっきりするじゃないですか。
 でもね、絶対にしませんよ。

 見てて御覧なさい。
 言い訳して墓穴掘ってるところですよ。
 アレ。

867沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/15(水) 20:53:14 ID:AJ3hr85o0
 年末も近いですし、ネットの大掃除いたしましょう。

868早稲田:2008/10/15(水) 21:02:29 ID:nckmgto20
沖浦様
賛成です。きれいが一番ですから。あと功徳のセカンドハウスおめでとうございます。
何だか信じられないほどすごいお話で,うらやましくなります。

もやし暮らし様
私,もやしもコロッケも大好きです。おいしいですね。
あと吉東社長今日おみかけではありませんか?そろそろいらっしゃって頂けるころと楽しみにお待ち申しております。

869沖浦克治 ◆V.rL30nGVA:2008/10/15(水) 21:09:52 ID:AJ3hr85o0
 早稲田 さん、ありがとうございます

 今は、順縁広布の時代なんです。
 真面目に戦えば功徳が出ないはずがありません。

870安吉:2008/10/15(水) 21:19:05 ID:5p7R/WXMO
沖浦さん。
はい、たしかに、つまらない口をはさんでしまいました。
すみませんした。

871もやし暮らし:2008/10/15(水) 21:25:21 ID:UFaQVeag0
沖浦さん

はい、
見させていただくとします。

なんだか吉東さんと私のことネタにしてますね。

はい、どんどん宣伝してくださ〜い

マンションが一緒でプロバイダが一緒ならIDも一緒になることも
知らずに、勝手な自説を堂々と述べちゃってます。
困った方々です。
沖浦さんのおっしゃる通り、愚かです。

なんだかちょっとかわいそう・・・。

872:2008/10/15(水) 21:27:33 ID:EzQ4NLW60
もやし暮らし さん 
レスありがとうございます。

>ただ信じて、毎日朝晩に唱題しただけです。

ご本尊様はないんですよね。
学会員さん宅とか会館とかでも唱題するのですか?

>法華講員が、学会員に成りすます、と言う意味です。

了解です。

>ですが、反対だとしても、敵に成りすますやり方は
>私の性にあいません・・・。

そうですよね!
私も疲れそうで出来ません。
というか、私の美意識に反するのでしませんね。
それに、成りすましをしても、いつかはバレる気がします。

873もやし暮らし:2008/10/15(水) 21:38:49 ID:UFaQVeag0
梅さん

>2行目の意味は敵→味方ですか?

やっと意味がわかりました。
今回の一件(同じIDの件)にからめてですね?

味方に成りすます。だとしたら、
いったいなんのために?意味のないことだと思いますよ^^)

874もやし暮らし:2008/10/15(水) 21:53:45 ID:UFaQVeag0
梅さん

>ご本尊様はないんですよね。
>学会員さん宅とか会館とかでも唱題するのですか?

はい、御本尊はまだございません。
家の部屋の壁に向かってです。

バチあたりかもしれませんが、
最初のころは、獄中で唱題する戸田先生のことを想像しながらすることも
ありました。なんていうか、戸田先生の横にすわって一緒に唱題するような・・。
そんな感じで・・・。なんかうまくいえなくてすみません。

875吉東:2008/10/15(水) 22:03:34 ID:Wos19Ow6O
名前未入力

アホなこと言わないでちょうだいな。関係ない話するなら他でやって下さい。

876吉東:2008/10/15(水) 22:05:50 ID:Wos19Ow6O
抜刀人さん

おっしゃる意味が不明でわからないので答えません。

877吉東:2008/10/15(水) 22:12:03 ID:Wos19Ow6O
スレとは無関係な内容です。私はアジアで展開しております。しかも経営からは離れて、報告のみをうけている身です。
一つ言える事は、会社運営経費をけちらない、社員がいたら家族より大事に扱う。いつも新しい発想を考える。異業種の経営者とつきあうくらいです。絶対に同業とは深入りしないことくらいです。

878:2008/10/15(水) 22:13:19 ID:EzQ4NLW60
もやし暮らしさん

>今回の一件(同じIDの件)にからめてですね?

いいえ、違いますよ。

河内平野(さん)というHNが出てましたね。
どんな方か、他の板をロムされていれば、ある程度のことはご存知でしょうね。
彼がこの板に来たとき、私はそれまでロム専でしたが、この板への書き込みを始めたのです。

彼は地区部長さんだそうです。
しかし、私はそれが本当だとしても、不信感を持ちました。
ある学会員ブログとの投稿の落差が大きかったからです。
その意味で、かのブログでは「味方」でしたからね。
私の発言は、その関連を踏まえて申したことです。

879吉東:2008/10/15(水) 22:16:25 ID:Wos19Ow6O
もやし暮らしさん

昼間は遊びに来て頂きありがとうございます。
アホが騒いでいますがもやし暮らしさんはまぎれもなく、真面目なかたですよ。

880もやし暮らし:2008/10/15(水) 22:26:15 ID:UFaQVeag0
梅さん

いろんな方がいますね。
私も魔にまけないようにこころしていようと思います。
了解いたしました。


吉東さん

こちらこそ
昼間は本当にありがとうございました。
想像していたとおりの、心の大きなやさしく真面目な方でした。

881早稲田:2008/10/15(水) 22:31:24 ID:nckmgto20
吉東社長,いや,会長と呼ばせていただいた方がいいですね。
ご指導ありがとうございました。感動しました。同業とは深入りするな,これ至言ですね。
もしできればもう少しお話を聞きたいのですが。別にスレッドを立ててもようございますでしょうか?

もやし暮らしさん,本日会われたようでよかったですね。
やはり御本尊様の功徳だと思います。ドラマチックな出会いですね。

882早稲田:2008/10/15(水) 22:41:21 ID:nckmgto20
あ,言い忘れました。会長,マンションのルータですが,マンション住人同士でトラブルになる件が頻発していますから,対策をされているとは思いますが注意された方がいいですよ。

883吉東:2008/10/15(水) 22:47:33 ID:Wos19Ow6O
シビックさん
考えすぎです。理屈を出せば出すほど、魔に支配されます。
貴方が悩むほど題目はかんたんであり、難しいのですよ。
一番はですね。
祈りから解答を得ることだと思います。

私はただ単に宗門が嫌いなだけです。もう30年以上前から嫌いです。
だから登山にも一度行っただけです。入信してすぐ宗門を疑っていましたからね。当然、破門なるまでは言わなくてよいことですから言いませんでしたけど。
御書はまず祈ってから勉強することです。
それが経文通りだと思います。

884吉東:2008/10/15(水) 22:54:57 ID:Wos19Ow6O
早稲田さん
ルーティングを変えたのではありません。別の回線を使っています。
でもわざとまた同じホストを使ってやりますよ。なんせ、もやし暮らしさんは私の家の他の階の住人さんなんですから。
もう素人コンピューターオタクの相手はやめましょう。その気になれば暴言するかたはちょっと大変ですが特定可能なんですから。

885早稲田:2008/10/15(水) 23:06:04 ID:nckmgto20
吉東会長
いやはや,それは大変なことで。馬鹿の相手するのにそこまでする事はないですよ。
特定可能とおっしゃるのは個人情報の事ですか。
確かに大変ですがリストを入手すれば特定可能ですね。
会長,詳しい話は別スレで話しませんか。スレッド立てておきますので。

886シビック:2008/10/16(木) 12:23:11 ID:zziJAzVE0
>>883
吉東さん
私は、仏法の究極に一気に迫ろうというわけではなく、ただ一つ一つ確認しながら進みたいだけなんです。
まずは、吉東さんが仰ろうとしている事(思想)を理解したいわけです。
私の質問の仕方が悪く、答え方が難しかったようなので、もう少し簡単な質問にしますね。
次の3項目から、吉東さんの考えに一番近い番号を選んで頂ければ良いです。

1.大聖人が弘められた「南無妙法蓮華経」と曼荼羅に書かれている「南無妙法蓮華経」は、まったく別物である。
2.大聖人が弘められた「南無妙法蓮華経」と曼荼羅に書かれている「南無妙法蓮華経」は、まったく同じものである。
3.大聖人が弘められた「南無妙法蓮華経」と曼荼羅に書かれている「南無妙法蓮華経」は、別物の場合(時)もあれば、まったく同じ場合(時)もある。

上記の中から「私(吉東さん)の考えは、○番に一番近いかな。」というふうにお答えして頂ければ良いのです。
とても簡単な質問ですよね。番号を答えるだけです。
私の質問の仕方が悪く何度もお手数をお掛けしますが、宜しくお願い致します。

887もやし暮らし:2008/10/16(木) 21:03:01 ID:UFaQVeag0

難しく考えすぎると、魔に食われますよ。

私の考えを少々・・・
要は、
私たち凡夫が、題目を唱えるとどうなるか・・・ 
ということが曼荼羅ご本尊に書いてあるということなのでは?

日蓮題聖人が広めたかったのは、本門の題目「南無妙法蓮華経」であります。
「妙法蓮華経」ではないですよね。
題目を永遠に伝えるために曼荼羅にして仏の姿を書いて顕してくださったわけで。

題目のまわりに仏を護る諸天の神と、逆らうと地獄になる姿も
書いてありますよね。

仏の命は日蓮さんの命ではなくて、日蓮さんが生涯かけて研究した仏の姿
を、ご本尊に書いてあるということだと思います。
ゆうなれば見本。仏だったことを思い出すために見本を見ながら見本に習う・・・。

みたいな感じです。これはあくまでも私の中での解釈です。

888もやし暮らし:2008/10/16(木) 21:04:44 ID:UFaQVeag0
訂正
題聖人×
大聖人○ 失礼しました。

889吉東:2008/10/16(木) 21:13:31 ID:Wos19Ow6O
シビックさん

選べとお出しになるのはどうかと思いますが?

お題目をそんなにややこしくしたいのでしょうか?

私はお題目をあげさせて頂いている立場であり、恐れおおく三者択一などできません。

ご自分のなかだけで択一されては如何でしょう。
お役にたてなく申し訳ありません。

仏教研究者や日蓮正宗信徒さんなら軽々答えてくれるかもしれません。

確かに確認しながらもよいアイディアですね。

頑張って下さい。

890沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/16(木) 21:15:57 ID:AJ3hr85o0
 シビックさん

 貴方ね、ご自分で宗派立てればいかが?

891シビック:2008/10/16(木) 22:12:22 ID:1jbW6bJM0
>>889
吉東さん
ややこしくしてるつもりは、ないんですけどね。
吉東さんなら、大聖人仏法の真髄に迫るご意見を書き込んで頂けると思って質問を続けてきたのですが残念です。

>>799
>御書は最初から最後までしっかり読んで頂きたい。
>これ以上デマ法論をコメントすると確実に貴方は仏敵であり、私は責めなくてはならない。

上記のように森野さんに仰ってたので、吉東さんの「縦横無尽に御書を引用しながらの大確信のご主張」を期待していたので本当に残念です。
話しは変わりますが吉東さんは、>>812の書き込みで
>日蓮さんが魂を墨に染め流したのは、魂と引き換えに末法万年のために信心する

このように大聖人をさん付けで呼ばれてて驚きました。吉東さんの年代ではよくあることなのかなと思っていたのですが、
今日は、もやし暮らしさんが大聖人と書いたり日蓮さんと書いたりしていて驚きました。
わざと同一人物に思わせようとしているなら、冗談がきついですよ。
数日前も同一人物争議が起きたばかりですから、お気をつけくださいませ。

892:2008/10/16(木) 22:40:26 ID:oY5enSYw0
もやし暮らしさん シビックさん 
こんばんは

>>887
>難しく考えすぎると、魔に食われますよ。

そうかもしれませんが・・

私は、むかし理屈やさんでした。
しかも、かつては教学を「研鑽する」ということが
「覚える」ということと同義のようなところがありました。
それで、自分の考えを言うと、我見だとか己義だとかいわれたものです。
そうすると、貴女のおっしゃる「魔」と同じように、次に出す言葉がなくなってしまいます。
もはや反論の余地なしを宣言されたようなものですからね。
それで、悔しい思いをして、泣いて題目をあげたことがありました。
中学生の生意気盛りのころですよ・・
今は、屁理屈は避ける智慧がついてますがね。

宗門から離れたおかげて、けっこう自由に論議できるようになってきましたね。
戒壇の大御本尊などがその代表的なものですよね。
貴女も、それが出世の本懐ではないという説があるのをご存知でしょう?
まさに「研鑽」の時代が来たのだと思います。

そんなことから、私は貴女の解釈も自由な論議として受け止めています。
シビックさんにも、何かおっしゃりたいことがあるのでしょうね。
しっかり対話して下さい。
関心を持ってロムしてます。

893:2008/10/16(木) 22:53:38 ID:oY5enSYw0
>>892
訂正
シビックさんにも→シビックさんには

意味は同じですが、このようにしたほうが分かりやすいと思うので・・
それからシビックさんの
NO891の投稿を読む前に、私のNO892を書き込みました。
少し、焦点がずれたかも知れません。

894もやし暮らし:2008/10/16(木) 23:01:09 ID:UFaQVeag0
シビックさん
>>891
 >もやし暮らしさんが大聖人と書いたり日蓮さんと書いたりしていて驚きました。
 わざと同一人物に思わせようとしているなら、冗談がきついですよ。
 数日前も同一人物争議が起きたばかりですから、お気をつけくださいませ。

それって頭の中が何かに毒されているようにしか思えません。
私は、そのように思ったあなたに驚きです!!!

「わざと同一人物に思わせる」?
申し訳ないですが、そのようなことに頭を使う余裕は、私にはございません。

大聖人といったり日蓮さんといったことに、深い意味はございませんので。

「お気をつけくださいませ」?
わざわざご忠告ありがとうございます。
憶測ではなんでもいえますから、言いたい人には言わせておきます。
おかげさまで、いわれたこちらは 
いいかげんな事を語る要注意人物の目安となりましたから。

895吉東:2008/10/16(木) 23:01:14 ID:Wos19Ow6O
シビックさんの気持ちは何かにつけて文句をつける。相手のミスを探す。結局は森野さん派?

日蓮さんと書こうが大聖人と書こうが驚くことではありません。
貴方の 心は人を攻めたい気持ちでいっぱいなんですよ。だから掲示板にもかかわらずどうでもよい事を主とした言葉の展開になる。
わざとらしさを感じます。
貴方は迷っているのではなく、確認しながらでもなく、ただ日蓮大聖人の仏法を利用し、言葉で遊んでいるだけだと私は感じます。
もう、わたしでお遊びになるのはご遠慮願いたい。
まともに言葉のキャッチボールができないならば貴方はとのやりとりは致しません。
どんな疑いをもとうが貴方の勝手であり自由です。
日蓮さん、大聖人、大聖人様どれでもかまわないと私は思っております。どうぞ他の掲示板のネタにでもなんでもして下さい。これにてシビックさんとは関わらない事に致します。

896吉東:2008/10/16(木) 23:05:26 ID:Wos19Ow6O
梅さん

私は遠回りしている暇はありません。シビックさんとは対話しない姿勢です。残念ですが貴方の望むようにはできないでしょう。

897:2008/10/16(木) 23:30:30 ID:oY5enSYw0
吉東さん こんばんは

>>896
了解しました。

お怒りのところはごもっとものように思います。
しかし
>結局は森野さん派?
のようなおっしゃりようは避けられたほうが良いかと存知ます。
この板では、学会員もそうでない方も
けっこう自由な論議や対話がなされていると思います。
私も河内さんから、沖浦一派と非難されたことがありました。
そういう言い方は、あまりよい気持ちがしませんね。

898シビック:2008/10/16(木) 23:52:11 ID:1jbW6bJM0
>>895
吉東さん
残念な結果となってしまいました。
私は、特にミスを探しているつもりはなかったですし、日蓮さんと呼ぶことをミスしたとも思ってませんでしたよ。
私の祖母は未入信でしたが、よく私に「日蓮さんを毎日拝んでるのかい?」と聞かれたものです。
そんな経験もあったので吉東さんの年代の方は、そう呼ぶこともあるんだろうなと思っていました。

>貴方の 心は人を攻めたい気持ちでいっぱいなんですよ。

私は攻めたいとも思ってないですし、吉東さんを攻めれる力(教学など)もないですよ。
掲示板は、文章だけですから、何回も同じ文章を読んで理解しようとしてますので、
表現(単語)の違いなどに敏感に気づくんですよ。
ちょっと警戒しすぎかなと思います。

>どうぞ他の掲示板のネタにでもなんでもして下さい。

正直、心外でしたね。私は、他の掲示板でネタにしたことなど一度もありませんよ!
それと今後、対話拒否は、あまりしない方が良いかと思います。吉東さんの嫌いな宗門と同じ行為だと思われますから。
しかし、数日間でしたが、お付き合い頂いてありがとうございました。

899吉東:2008/10/16(木) 23:59:08 ID:Wos19Ow6O
梅さん
了解しました。不適切お詫び致します。

900シビック:2008/10/16(木) 23:59:11 ID:1jbW6bJM0
>>895
吉東さん
残念な結果となってしまいました。
私は、特にミスを探しているつもりはなかったですし、日蓮さんと呼ぶことをミスしたとも思ってませんでしたよ。
私の祖母は未入信でしたが、よく私に「日蓮さんを毎日拝んでるのかい?」と聞かれたものです。
そんな経験もあったので吉東さんの年代の方は、そう呼ぶこともあるんだろうなと思っていました。

>貴方の 心は人を攻めたい気持ちでいっぱいなんですよ。

私は攻めたいとも思ってないですし、吉東さんを攻めれる力(教学など)もないですよ。
掲示板は、文章だけですから、何回も同じ文章を読んで理解しようとしてますので、
表現(単語)の違いなどに敏感に気づくんですよ。
ちょっと警戒しすぎかなと思います。

>どうぞ他の掲示板のネタにでもなんでもして下さい。

正直、心外でしたね。私は、他の掲示板でネタにしたことなど一度もありませんよ!
それと今後、対話拒否は、あまりしない方が良いかと思います。吉東さんの嫌いな宗門と同じ行為だと思われますから。
しかし、数日間でしたが、お付き合い頂いてありがとうございました。

901もやし暮らし:2008/10/17(金) 00:08:10 ID:UFaQVeag0
梅さん

いつもありがとうございます

>貴女のおっしゃる「魔」と同じように、次に出す言葉がなくなってしまいます。
もはや反論の余地なしを宣言されたようなものですからね。

そうなのでしょうか・・・。
う〜ん、よくわかりません。
自分が何か行き詰ると、すべてを「魔」のせいにしているようになんとなくですが
思えます。
「魔」に逃げているというか、「魔」に甘えているというか・・・。
確かに私ははじめた頃、「魔」は常に意識してました。
でも、「これが魔」なんだと思ったから、ふんばれたように思っています。
生意気いってごめんなさいね。


>そんなことから、私は貴女の解釈も自由な論議として受け止めています

ありがとうございます。
ですが、あなたの解釈がおありだからこその 言葉でしょう。
受け止めるだけでなく、まずはご自身の言葉で表現してくださったほうが
有意義かと思います。

902吉東:2008/10/17(金) 00:08:48 ID:Wos19Ow6O
シビックさん
貴方が891に書き込みした内容はまぎれもない事実です。
爽やかに終わる話ではないのです。

単語の違いに敏感になるようになると心理的には良いと、私は感じません。
何を見るか?
貴方と私は同じ景色でも見る場所が違う事に気が付いたので対話を中止しました。
世の中の仕組みです。
これは同士だろうとおなじだと思います。

このまま対話をしますと互いに押し付けあう結果となり、よい事などありません。

冷たく慈悲なきこの年寄りをお許し下さい。

903早稲田:2008/10/17(金) 00:46:53 ID:nckmgto20
吉東さん,流石です。見事です。
やはり人生経験の豊かな経営者は違う!!!!!
惚れ直しました。
それにしてもよく夜まで持ちますね。体もタフでいらっしゃる。
キーを打つのも疲れませんか。私は夜は目がショボショボです。今日は会長の御健康御多幸と商売繁盛を祈って唱題します。

904沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/17(金) 07:32:47 ID:AJ3hr85o0
 シビックさん、おはようございます

 吉東様の言われたように、貴方の命は他人のミスを探す、勝他の念で支配されています。
 小野さん所の方々も概ねそうですし、富士ボーや、若鷹もその手の人で占領されつつありますね。

 修羅の集合なんですよ。
 一をよく御書を学ぶべきですね。
 これらの方々は、互いに罵りあいながら、境涯下降のスパイラルの中に住んでいます。
 相乗効果でドンドン悪くなるんですよ。

 貴方の先ほどの言葉。

>吉東さんなら、大聖人仏法の真髄に迫るご意見を書き込んで頂けると思って質問を続けてきたのですが残念です。

 この書き込みに、勝他の念が如実です
 相手が、蓮祖仏法の真髄に迫る書き込みをしないから悪い。
 相手のせいで私は残念だ。
 ですね。

 残念なのはね、掲示板で仏法を質問、それも極めて初歩的なことで、何度も私も、吉東様も書き込んでいる事を、理解すら出来る能力もなく、同じ事を何度も聞いて回る貴方の教学力のなさなんですよ。
 残念なのは、全く成長しない貴方なんですよ。

 それを他人のせいにして、自分は一段高い所で見てるぞ。
 これが修羅です。

 情けないね〜〜〜〜。

905シビック:2008/10/17(金) 08:53:58 ID:zziJAzVE0
>>902
吉東さん
>単語の違いに敏感になるようになると心理的には良いと、私は感じません。

そこまで神経質になってませんので大丈夫ですよ。
ただ、私は相手の方の文章が何を仰りたいかを理解したいのでじっくり読むのに努めているだけです。
例えば、相手に呼びかけられる場合でも「○○さん」と名前で呼びかける時もあれば、
「あなたは、」や「貴方は」「貴様は」など同じ読み方をしても微妙なニュアンスの違いを感じる場合があります。
ですから、単語の使い方がいい加減な方の文章は、読んでて疲れますし、あまり読みたいと思わないですね。
話しがそれましたが、ご心配ありがとうございます。

>冷たく慈悲なきこの年寄りをお許し下さい。

始めから義務みたいなものは存在しませんから、お気になさらないように。

906シビック:2008/10/18(土) 00:02:31 ID:9yB3w4Hk0
>>904
沖浦さん、お返事が遅くなり申し訳ありません。

>残念なのはね、掲示板で仏法を質問、それも極めて初歩的なことで、何度も私も、吉東様も書き込んでいる事を、
>理解すら出来る能力もなく、同じ事を何度も聞いて回る貴方の教学力のなさなんですよ。
>残念なのは、全く成長しない貴方なんですよ。

このような文章は、もう沖浦さんの口癖なんでしょうね。他の方に使うところもよく目にします。
ちょうど今、読み進めている本の中で沖浦さんに紹介した文がありましたので、引用させて頂きますね。

「生徒が教師に「これは何ですか」と質問をする。この場合に「未だこんなことがわからないのか」と反責するならば、
これは明らかに認識作用と評価作用を混淆したものである。問う者は自分の能不能の判定を求めているのではない。
只或事柄が解らないから質問している。即ち教を乞うているのである。能不能などの人格的評価は、理解の後にいくらでも
出来ることである。然るに質問の的を外して要求もしない別の事に注意を転じて、勝手に威嚇して居ながら、それを見て
児童の理解を進めようとするのは、心意の働きを全く混乱して見て居るのである。こんな教師につけば劣等児は益々低能に
なる外は行きどころがない。」

長文の引用で申し訳ありませんが、意味はわかりますよね?
沖浦さんのその口癖は、直された方が宜しいのではないでしょうか。

907沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/18(土) 06:32:08 ID:AJ3hr85o0
 シビックさん、おはようございます

 文は人です。
 貴方の文章は、貴方の境涯を如実にあらわします。
 私はね、貴方の質問の内容を評価してはいません。
 こんなことがわからないのか。
 そう言うことは言いません。
 貴方の質問に帰ってきた答えへの、貴方のコメントは、貴方が真実を求める探求者ではないことを物語っています。
 ネットで私どもと敵対するほとんどの方々が、その傾向性を強くお持ちです。

 勝他の念に支配される命です。

 勝他自体は善でも悪でもありません。
 向上心と顕われれば善。
 妬みと出れば悪。
 お分かりですね。

 勝他をコントロールできない。

 貴方も他の方々も、妬みなんですよ。
 日尊の故事に学びなさい。
 貴方は日尊と同様です。

 俺は知ってるぞ、お前本当に知ってるか試してやろう。

 質問はそのためです。
 ですからね、貴方の人生は死ぬまで質問して終わりますよ。
 最後まで、地涌の菩薩の確信と悟りは得られないでしょう。

 祈りと行動。
 
 仏法を悟るには、わかるには、これ以外の方法はありませんよ。
 貴方や、その他の方々にまったく見られない仏法実践の極意です。

 貴方もね、今から本気で三年がんばって、祈りに祈り、動きに動いてごらんなさい。
 そうすれば、思っても見なかった境涯になりますよ。
 そのときはじめてわかるでしょうね。

 理屈だけで生きて、他人に難癖をつけている現在の貴方方。
 地涌の菩薩の本来の姿じゃありませんね。

 もったいないですね〜〜。

908:2008/10/18(土) 15:15:06 ID:AEb0x0wQ0
シビックさん こんにちは

シビックさんへの、沖浦さんのレスを読んでいると
貴方の良いところも、沖浦さんはお見通しでおっしゃってると思いますよ。

ですから、貴方が
>沖浦さんのその口癖は、直された方が宜しいのではないでしょうか。
と言われるのは、私からすれば、まだ読みが足りないのかなぁと思います。
もし、貴方が沖浦さんに「惚れている」ところがあったら、もう少し表現が違っていたかも知れません。

「依法不依人」という有名な言葉がありますね。
解釈は省きます。
これを金科玉条のように言う人がいます(学会員にとってはむしろ当然かも)
しかし、師弟不二を御覧なさいな。
法がどうこう言ってる以前に、一蓮托生でしょう?
また、例えば、教義も知らぬ子どもたちにとって、師匠は法なんか関係ないですよね。
私は、池田先生を取り囲む未来部たちが、ポロポロ泣いている姿を見てそう思いました。
そういうことを踏まえてですが
私が、人が人に惚れる、と言ったら
それは、「依法不依人」でなく「任侠」だと批判されました。というか、非難ですけどね。
でも、人間として人が人に惚れるって意外と重要かも知れませんよ。

人はネットなどで反論を受けたりすると
自分が誤解されているなどと思って、腹が立つかも知れませんね。
でも、一つの投稿を何度も読まれるという貴方のことですから
どういうところが足りないのか、おそらく、ご自身で気が付かれるかもしれません。
しかし、そういうのは、自分自身のことですから、けっこう難しいですね。

でも、何かきっかけがあると、「ああ、そういうことなんだ!」と分かることって多いです。
まさに貴方があげている、書物の文章の内容になりますね。
なんなら、私が対話のお相手してもいいですよ。
もちろん、深入りは出来ません。
私のは直観的教学ですから(^_^;)
貴方が考えることに対して、多少の突っ込みを入れてあげられるだけです。
>>886
貴方が吉東さんに回答を求められていることに対して
私だったら②だと思うが、貴方はどうなの?
てな具合と程度ですけどね。

ここまで書いてきて、余計なおせっかいだと思うようになりました。
こういうふうに考える学会員もいるってことで投稿します。
ご参考までに・・

909吉東:2008/10/18(土) 16:16:00 ID:Wos19Ow6O
人間は確かに質問したくなるものです。質問するにも自分で努力してどうしても解決できない事を質問するならば、皆様は喜んでお答えするでしょう。しかしながら今回の流れは、質問ではなく、人間に対する愚痴だけで愚痴をあたかも質問にすり替えたような言動が目立ちます。

何故、ご本尊様に私はこの仏法を正確に知りたい、お役にたちたいと祈らないのか。真剣に題目を唱えてご覧なさい。

物欲に対する祈りや幸せになりますようになどのまったく目標がはっきりしない祈りはおかしい事に必ず気がつきます。

でなければ、池田先生のおっしゃる人間革命はできません。

まぁ、年寄りの戯言と思う方もおられるでしょう。これは私の主張です。

910シビック:2008/10/18(土) 17:35:07 ID:UOO1/1lM0
>>908
梅さん
私は、どうにも「惚れる」ことができないんですよね。
理由は、書きませんが。(沖浦さん、ごめんなさい。決して嫌いというわけではないですよ。)

>なんなら、私が対話のお相手してもいいですよ。もちろん、深入りは出来ません。
>私のは直観的教学ですから(^_^;)

ありがとうございます。それでは、「そこそこの教学力」の二人でまったりと対話しましょうか。
私も②が正解だと思うのです。すなわち
>2.大聖人が弘められた「南無妙法蓮華経」と曼荼羅に書かれている「南無妙法蓮華経」は、まったく同じものである。
この考えが正しいとしたならば、「曼荼羅が迹」であるという考えに果たして至るのであろうか?
こういう疑問があったわけです。ですから、執拗に質問してきたわけです。
②の考えが正解と思われている梅さんでも「曼荼羅が迹」という結論でしょうか?
①②③に対する私達の答え自体が間違っているのか?
それとも②が正解だが「曼荼羅が迹」であるという結論に到達せざるを得ないのか?
そこを知りたくて質問してきたのですが、何故か道がそれてしまいました。
誹謗中傷なしで仲良くやりましょう!

911もやし暮らし:2008/10/18(土) 18:09:17 ID:UFaQVeag0
例えば
「おいしいから一度ちゃんと食べてごらんなさい」
といわれたときに

そこで、食べるか食べないかは、
そこに「信」があるかどうかで、あとは自分次第となるわけです。

だから
「これは何で作られてる?」「どうやって作ったの?」
「材料はどこでとれたの?」
など、食べる前に、質問するのは、疑う気持ちがあるからで。
(料理評論家などの仕事としての質問はここでの屁理屈・・)

吉東さんのおっしゃる
「真剣に題目を唱えてご覧なさい」というのは、
大聖人のいうことを信じているなら、やってみなさいということでしょうから、
人に依るとか依らないとかではないと思います。
まさしく、法に依っているからこそ、吉東さんはそのようにおっしゃっているのかと
私は思います。

人間として成長が未熟な子供は、人(親)を信じているわけです。
未熟だから。
だから、真っ先に欲を埋めるために質問質問になるのだと思います。そして段々と自分でやって見ること
の大切さも、学んでいくのだと。そう思います。
そしてやっと精神世界を考えることができるようになるのだと思います。

惚れるということも、大切なことだとは、思います。
しかし、「惚れる」というのは、夢中になるとかうっとりするという意味を
もちますから、それを物事の判断基準にしてしまうと
危険かと思われます。
やっかいなことに人間は、そういうところから間違いをおかしたりします。
私は、今までそういう間違いをイヤというほど味わってまいりました。

私の感じたことを書かせていただきました。

失礼しました。

912:2008/10/18(土) 18:11:21 ID:AEb0x0wQ0
シビックさん
レスをありがとうございます。

>>910
>この考えが正しいとしたならば、「曼荼羅が迹」であるという考えに果たして至るのであろうか?
>こういう疑問があったわけです。ですから、執拗に質問してきたわけです。
>②の考えが正解と思われている梅さんでも「曼荼羅が迹」という結論でしょうか?

貴方がなされていた質問の前提であった「疑問」について了解しました。
ただし、貴方との対話はもとより歓迎なのですが
私のこのスレの>>838投稿をお読みになっておられるでしょうか?
特に「本・迹」について書いた後半の部分です。
貴方が言っておられる「本・迹」はどのような使われ方をしていますか?
まずは、共通となる土俵の確認から参りましょう。

913:2008/10/18(土) 18:22:46 ID:AEb0x0wQ0
もやし暮らしさん こんばんは

>>911
は、私へのレスですか?
「惚れる」ハナシを書いたのは私なので・・

914もやし暮らし:2008/10/18(土) 18:33:20 ID:UFaQVeag0
梅さん

個人的に議論するつもりで書いたのではありませんので、
読んでいただければそれでいいですよ(^^)
皆それぞれ感じていただければいいと思いかきました。
何かを思って、書きたければ書けばいいのでは?と思いますよ(^^)

シビックさんとのお話の邪魔をしてしまったようで。
失礼いたしました。

915:2008/10/18(土) 18:41:18 ID:AEb0x0wQ0
もやし暮らしさん

>皆それぞれ感じていただければいいと思いかきました。
>何かを思って、書きたければ書けばいいのでは?と思いますよ(^^)

それで、安心しました。
言葉というのは、往々にして、一人歩きをしてしまいますから
誤解の元になりますね。
もとより、私の「惚れる」ハナシは、あばたもえくぼ、の類で出したものではありません。

ところで
御本尊様を御安置されたのですか。
お祝いのお話がでてましたが。

916厨房 ◆ib1Cs6MS9c:2008/10/18(土) 18:44:44 ID:hihFB6a2O
シビックさん、くいさがるね〜!
シビックさんのおっしゃる事は、大体分かりましたよ。

大聖人の顕された南妙法蓮華経と、曼陀羅の南妙法蓮華経とは別物ですか?
曼陀羅が「迹」なんですか?
と、お尋ねなんですね。

シビックさん、私からも問題を提出させて頂きますね。
貴方の命と、曼陀羅御本尊のどちらか一つを捨てなさいと、命令されたとします。
さあ、貴方ならどちらを捨てますでしょうか?

917シビック:2008/10/18(土) 21:16:12 ID:UOO1/1lM0
>>912
梅さん
>貴方が言っておられる「本・迹」はどのような使われ方をしていますか?
>まずは、共通となる土俵の確認から参りましょう。

ありがとうございます。こんな感じで一歩一歩確認しながら進めれば、無用な誤解が減りますよね。
本迹の捉え方ですが私は、
>①ふつうは本門と迹門の対比で使われるのだと思いますが
この①の意義で考えています。

>>916厨房さん
一つ一つ確認しながら、のんびり行きましょう。私は、返信も遅いですし。
せっかくですから、>>886の私の質問に答えてもらえますか。

厨房さんのご質問ですが、もう少し具体的にしましょうか。
仮にあなたが最高の権力者で私を捕らえて「お前の命か、御本尊のどちらかを捨てなさい」と命令したとしましょう。
私の答えは、「どちらも捨てません!」です。
さあ、権力者のあなたは、両方とも拒否した私に対してどうしますか?

918厨房 ◆ib1Cs6MS9c:2008/10/18(土) 21:52:21 ID:hihFB6a2O
シビックさん、お答えします。

曼陀羅は「迹」で、己心の妙法が「本」です。
先日も私の地区の女子部員は曼陀羅御本尊をお返ししました。
何も災いも障りもありませんでしたね。

曼陀羅御本尊は手足が生えて折伏に奔走する事が出来ません。
しかし私たち慈涌の菩薩は尊い使命を果たさなければならないのです。
シビックさんの折伏を待っている方が、まだ多数居るはずです。

あれっ!上記の書き込みなんか変だぞ!

どうぞごゆっくりお考えくださいませ。

では、また。

919シビック:2008/10/18(土) 22:10:04 ID:UOO1/1lM0
>>918
厨房さん
もう少し落ち着いてね。
話しが全然、かみ合ってないようです。

920厨房 ◆ib1Cs6MS9c:2008/10/18(土) 22:54:00 ID:hihFB6a2O
女子部員さんは、最近隣の地区の男子部員と結婚されたんです。それで曼陀羅御本尊をお返しになられた訳なのです。
よくある事ですね。

あくまでも鏡、道具ですからね。

たが、そうとも言い切れないですね。

創価学会や創価学会員に疑念を抱き、憎しみを持ち、脱会して誹謗中傷をすると、その方の来世は安心できるものではありません。

現世で現証として顕れるのは、まだ軽いほうだとうかがっております。

同じお返しするのでも、天と地の差があります。

それは、観心の本は、私たち己心の妙法である事に外ならないからです。

シビックさん、横レスたいへん失礼しました。

お互い頑張りましょうね。

921:2008/10/18(土) 22:54:27 ID:AEb0x0wQ0
シビックさん

>>①ふつうは本門と迹門の対比で使われるのだと思いますが
>この①の意義で考えています。

了解しました。

と言うことは、「譬え」の話で
本門は天の月、迹門は池に映る月影ということですね。
そのような立て分けだとして、本門は迹門に勝れるという理解でよろしいでしょうか?

曼荼羅(=御本尊様)について本迹を論じるのは、いささかへっぴり腰になりますが・・

>一つ一つ確認しながら、のんびり行きましょう。私は、返信も遅いですし。

私もですよ。
PCは私の職場にしか置いてません(自営業ですが、私宅からは車で通勤してます)
明日は休日だしね、出かけるかも。
まっ、お互いに急ぐわけも必要もなしです。
学会員として、御本尊様に祈るという共通土台はあるわけですからね。

922三世:2008/10/18(土) 23:21:17 ID:pWk6nJFs0
度々割り込んですいません。自分の体験を書きます。

前にも書きましたが、我が家は火事によって御本尊を焼失しました。しかも御本尊を
御安置したその日にです。
元々我が家には、祖父母の御本尊(日達上人書写)が母屋に御安置してあり、離れに
母の御本尊(日顕書写)を御安置していました。
しかし母は、学会を破門するような法主が書写した本尊は、御本尊ではない!
家には置きたくない!と言って、日寛上人書写の御本尊に交換してもらうこと
にしたのです。が、それに反対したのは祖母でした。祖母を批難するようで自
分としてはつらいですが。
何故反対したかというと、同じ御本尊なんだから誰が書いた物だって一緒だと
言うわけです。母は違うと言う。言い合いが続きました。しまいには祖母は、
その御本尊いくらで買ったのか?と言い出しました。母は呆れてました。
正直、我が家で毎日朝晩の勤行唱題を欠かさないのが祖母なのです。にも係わ
らずこういう事を言ってしまう境涯とはなんなのか。母は頭をかかえてました。
自分は子供ながらに、どっちがまっとうなことを言ってるのか考えてました。
その晩です。祖母の火の元の不始末で、離れから出火したのです。不幸中の幸い
か、家族は無事逃げ出せ、近隣にも火が移ることなく済みました。
しばらくこの事をどう受けとめていいのか解りませんでしたが、今思うと御本尊
が我が家を離れたのではないか、地頭不法ならん時は日蓮が魂はこの山に住まず
ということだったのではないかという気がしてます。物であって物でない。
簡単に考えようとすると、軽く考えることにつながらないでしょうか。

923厨房 ◆ib1Cs6MS9c:2008/10/18(土) 23:42:11 ID:hihFB6a2O
梅さん、貴重な体験ありがとうございます。
親子といえども、ちょっとした考えかたの相違から思わぬアクシデントが起こりうるのだと思いましたね。
学会員同士の罵り合いも極力控えなければ、あいそうつかされますよね。

しかし、他板では、腑に落ちない発言が目立っております。

「個々人が、善悪をしっかりと弁えるチャンスが来たように感じる」

なんやこれ!愕然としましたね。

924厨房 ◆ib1Cs6MS9c:2008/10/18(土) 23:43:57 ID:hihFB6a2O
たいへん失礼しました。
三世さんでしたね。

925シビック:2008/10/19(日) 16:57:16 ID:fgwFljJ.0
>>921
梅さん
>本門は天の月、迹門は池に映る月影ということですね。
>そのような立て分けだとして、本門は迹門に勝れるという理解でよろしいでしょうか?

今まで本迹なんて任用で習った本迹相対しかイメージしてなかったですが、今回調べてみると深そうですね。
「池月」で御書を検索したら4箇所程ありましたが、本地と垂迹の関係も絡めながら書かれていることが多かったですね。
いずれにしても本門が迹門に勝れるという理解で大丈夫です。
あと私は、来週から出張でしばらく書き込みできるかどうかわかりませんが、宜しくお願いします。

926沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/19(日) 17:43:22 ID:AJ3hr85o0
 先ほど静岡での、女たちの熱原。公演の打ち合わせから帰宅いたしました。
 有意義なミーティングでした。
 全員奮い立つ思いです。

 曼荼羅は迹です。
 昨夜、海外の同士のお話がありました。
 曼荼羅がないお宅多く、空の仏壇に手を合わせて唱題する人が多いそうですね。
 それでも、功徳がドンドン出ています。

 曼荼羅が本ならありえませんね。

 すごく簡単な理屈です。

927:2008/10/20(月) 19:03:18 ID:GzTbFjgs0
シビックさん

「新・人間革命」第8巻P145〜149をもう一度ご覧下さい。
先生の「百六箇抄」の講義のシーンで、本・迹について書かれています。
私は対話の参考にと何度か読み返しましたが、読んでいる時は分かっても
本から離れて思索を始めると、途端に分からなくなりますが・・(^_^;)

928:2008/10/20(月) 19:29:41 ID:GzTbFjgs0
三世さん こんばんは

一つの事実でも、見る角度によっていかようにも論議したり評価できますね。
貴方の体験も、信仰と全く無関係な視点からだったら、単なる偶然だともいえるでしょう。
信仰する学会員の視点としても、方や罰論を持ち出す人もいるだろうし
宿命転換できてよかったね とか、転重軽受だね とか
方やプラス思考する人もいますよね。

縦線の時、私の地区の地区部長宅が火事になりました。
全員が御書講義だかに出かけている最中です。
住宅密集地で全焼しましたが、延焼はありませんでした。
私は、その数日前その家で生まれた子猫をもらいました。
助かったのは、この猫だけでした。
なんだか不思議な縁を子ども心に思ったものです。

929沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/21(火) 07:16:53 ID:AJ3hr85o0
池田先生が、
 曼荼羅は虚空会の儀式を紙に写し取ったものだ。(趣意)
 と言われている。
 そして、虚空会は迹。
 と明言されておられる。
 虚空会が迹で、写し取った曼荼羅が迹は理の当然じゃないですか。
 何故、小理屈がいりますか?

 仏法は人間のための教えである。
 教えのの大原則なんですよ。
 国の憲法みたいなものです。
 仏法が人間のためなら、人間が本。仏法が迹。

 曼荼羅は仏法に含まれます。
 物凄く簡単明瞭な理屈です。
 歴代の仏は曼荼羅なしで悟っているんです。
 全て内得信仰で悟ります。
 釈迦、天台、伝教、日蓮大聖人様、戸田先生。
 全てそうです。
 この事実すら忘れ果てた不心得者が、ややこしくしているのです。
 日蓮正宗の害毒から抜けられない人たちです。
 寛師の毒に侵されています。
 
 例えば大聖人様と私共。
 身体は仮のものですから迹ですね。
 恐れ多いので私で説明いたします。
 大聖人様もおなじですよ。
 沖浦克治と言う人間。
 これはこの世での仮の姿です。
 ですが命は妙法なんですね。
 この身体は迹。 
 次に生まれる時は違う身体です。
 命は同じです。
 妙法の当体です。
 本です。
 これは大聖人様も同じです。
 そして、自分と他人は自分が本、他人は迹。
 ですからご本仏と言えども、この世の関係では私が本、大聖人様が迹。
 命は双方と差別なく妙法の当体ですから、本です。
 ここは差別が無いのです。

 『然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、』
 (生死一大事血脈抄)

 現実社会の出来事から御書を読む。
 依義判文と言い、現実主義です。
 反対が依文判義で、教条主義で原理主義です。

 日蓮系は古来二つの道しかありませんでした。
 教条主義で玉砕。
 現実主義で堕落。
 創価学会だけが、現実主義路線でありながら堕落致しませんでした。
 戸田先生が御書を依義判文なされて読まれたからです。
 大聖人様とご同様のご境涯でなければ不可能です。
 世界一のお方だったでしょう。

 曼荼羅の現実はこれまでの思い込みとは異なります。
 海外のメンバーは曼荼羅がない方が多数いらっしゃいます。
 空の仏壇にお題目を唱え、見事な功徳が出ておられます。
 私共は、この現実からスタートせねばなりません。
 依義判文です。
 そうすると、曼荼羅が絶対ではないことがわかります。
 曼荼羅のご安置は、絶対条件ではなく、充分条件です。
 事実なくても大功徳が出ていますから。

 大聖人様も曼荼羅なしでのお悟りです。
 戸田先生も同じく牢獄の中で曼荼羅はありません。
 お数珠もなく、牛乳瓶のふたで作られておられます。
 末法を導くお二人の偉大な仏法者が、お二人とも、曼荼羅に頼らず悟りを開かれた事実。
 門下なら当然大前提にすべきでしょう。
 この前提を歪め、曼荼羅崇拝を広め信徒支配を企んで来たのが、日蓮正宗と言う名の邪教です。
 曼荼羅が本。
 これね、邪義ですよ。

 なくても功徳が出て、戸田先生や大聖人様がお悟りになられた。
 迹じゃないですか。
 はっきりしてますよ。

930沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/21(火) 07:26:48 ID:AJ3hr85o0
>>929を今耕治が富士ボーに張りました。

 わかる人もおられると思います。

931大勝利:2008/10/21(火) 12:32:16 ID:tP32VSOQ0
>>929
う〜ん。
どちらかと言うと沖浦さんの方がややこしくて、
確かに三大秘法すべてに内在している秘法は「Nam-myoho-renge-kyo」であるので、言わんとしている事は解かります。

三大秘法をもっと簡単に、
「対象」object
「唱える」Chanting
「場所」place
でいいんじゃないですかね。

一大秘法の用語は、この中のobjectを指します。
これは世界共通です・・・
それで良いんじゃないでしょうか?
さらにフカイイ話はまた別としても、ここでひっかかっていると話が進まないような気がします。

932沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/21(火) 18:58:45 ID:AJ3hr85o0
 三大秘法は、衆生己心の妙法が本尊。
 その名前がお題目で題目。
 器の身体が宝器で戒壇。
 これで良いと思います。
 大勝利さん、いかがでしょうか?

933大勝利:2008/10/21(火) 23:02:48 ID:CGznRUcUo
>>932
>衆生己心の妙法が本尊

はい。そう思います。
沖浦さんのや私の胸中の本尊は面に顕れていないですよね。
胸の中に隠れているのではないでしょうか。
対して大聖人の御本尊は曼荼羅として表されているわけです。
祈りの対象としての御本尊、沖浦さんの仰るように人を幸せにする道具として捉えるるなら、
尚更、道具としての勝劣があるのではないでしょうか?
面か裏かの一点に於いて大聖人の御本尊が対象として優れていることになると思います。
本面迹裏。大聖人の仏法は面が本で、裏が迹。
ですので、ご本尊が(本)で己心の妙法が(迹)の方が私としてはすっきりするように思います。
但、この本迹の判別は、衆生の生命と御本尊とどちらが大事か?との議論とは違います。
この世界で最も尊ぶべきは人間の生命と思っております。

934耕治:2008/10/21(火) 23:09:54 ID:AJ3hr85o0
>>931
戒壇ってなんだろう?
本尊ってなんだろう?
題目ってなんだろう?
一大秘法の本尊と三大秘法の本尊は一緒なの?違うの?

っていう疑問については、

一大秘法はお曼荼羅ですよ。ということなら
「三大秘法というのは、平たく言うと、ご本尊様を御安置してお題目を唱えましょう」
で簡単に説明ができると思います。


しかし、一大秘法が「南無妙法蓮華経」そのものであるなら
これでは、説明ができないように思います。

御書には

本尊とは、南無妙法蓮華経である。
南無妙法蓮華経とは生命であり、それを顕したのが、曼荼羅の御本尊である。
仏は南無妙法蓮華経を悟っており、仏の目的は南無妙法蓮華経をみんなに悟らせること。
お題目は仏の名前である。

とあります。

935:2008/10/21(火) 23:32:48 ID:GzTbFjgs0
沖浦さん こんばんは

幾つか確認させて下さい。
>>929
ここでの曼荼羅=御本尊様ということですよね?
その曼荼羅を本迹で論ずることについては置きますが
“海外の学会員が空の仏壇に向かってお題目をあげる”は
御本尊様がそこにあるかのようにイメージして、題目を唱えているのではないでしょうか?
お仏壇があるくらいですから、具体的な御本尊様の存在を知っているはずですね。
それはまた、戸田先生の場合こそ、獄房には御本尊様はありませんが、御本尊様をイメージして唱題を
重ねておられたのではないかと思います。
それと同じようなことを、御本尊様のない海外メンバーがしているのではと思います。
さらに、そのことは、創価学会の信心の内得信仰者についても同様かと思います。
学会から離れて(=無関係で)「内得」信仰とは言わないでしょうから・・

私たちは朝晩の勤行で
「一閻浮提総与の大御本尊に南無し・・」
「末法の御本仏日蓮大聖人に南無し・・」
と御観念文を唱えますが、これは人法一箇ということだと学びました。
この文言は、日蓮正宗時代と主要な点は変わりませんね。
そこで、この板のタイトルの下に「創価学会仏の時代」とありますが、それとの関係はどうとらえたら良いでしょう?
つまり、沖浦さんは戸田先生を釈迦・天台・伝教・日蓮大聖人と並べて仏とされていますが
末法の御本仏日蓮大聖人とどのように関連付けられておられるのでしょうか?
前に、戸田先生を創価学会の開祖とおっしゃってましたが、信仰の対象としての「仏」とは違いますよね?

936大勝利:2008/10/22(水) 00:36:28 ID:44C6aoBwo
>>934
一大秘法の本尊と三大秘法の本尊は同じだと思います。
確かに、本尊がなくても題目は唱えられます。
一切衆生一人残らず救いきるには本尊授持を表に出す必要があったのではないでしょうか?
例えば、声の出ない人は?生まれたばかりの赤ん坊は?
題目を唱えなくても、帰依の対象を持つことはできる。
一大秘法を持つことは、同時に三大秘法を持つことになると思います。
例え一期一縁の本尊がなくとも、総与の御本尊であれば良いし、総与の御本尊がなければ、
学会の本尊があれば良いと思います。
三大秘法の中でどれが一番の肝心かではなく、如何に広く民衆に対告するか。
ではないでしょうか?

937三世:2008/10/22(水) 01:33:48 ID:pWk6nJFs0
 「仏法は人間のための教えである。
  教えのの大原則なんですよ。
  国の憲法みたいなものです。
  仏法が人間のためなら、人間が本。仏法が迹。」

これだと法の為に殉教した熱原の三烈士のとった行動は無意味だったかのよう
に聞こえますね。

938沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/22(水) 05:55:11 ID:AJ3hr85o0
 三世さん、おはようございます

 ご質問の意味がわかりかねます。
 いま少し具体的にどうぞ。

939沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/22(水) 06:06:32 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん、おはようございます

 衆生己心の妙法は命の事です。
 そのものなんですよ。
 命の一部じゃないんです。
 そのもの全てなんです。

 その顕われ方が、仏界から地獄界まであります。
 これが十界互具です。
 でも、釈迦仏法は衆生の命そのものが仏だ。とはいえませんね。
 大聖人様も衆生の機根に影響されて仰せにはなれません。
 衆生の命の中に仏界もあるぞ。
 こう言うご表現が多いです。

 本当のことを明かされたのが戸田先生です。

 『仏とは命なんだ。』(趣意)

 創価思想は戸田先生のご発明です。
 その原点がこれなんです。
 私も、貴方も、他の方々も、全て仏の当体なんです。
 命のどこかが仏じゃないんですよ。
 九界と顕われる命が、仏そのものなんです。
 九界即仏界と申します。

 この点を先ずご理解いただけませんでしょうか?

940沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/22(水) 06:27:18 ID:AJ3hr85o0
 梅さん、おはようございます

 見た事ないものをイメージできません。
 私は半世紀近く信心していますが、いまだに仏前以外でお題目を唱えるときには曼荼羅をイメージいたしません。
 ただ、イメージする方を否定しません。
 ああ、その方はそのほうが唱えやすいのだ。
 こう思います。
 私は外で唱題するとき、ご本尊を思い浮かべてお題目をあげません。
 宇宙の仏界に向かって唱題します。
 戸田先生はご本尊様の相妙をご存知ありませんでした。
 極度の近眼で見えなかったのです。
 出獄して最初に仏壇に行かれて、まじまじと顔を近づけてご本尊様をごらんになられ、自らお悟りの虚空会の儀式と比較され、やはりそうだ、やはりこうなっている。と、言われたのは有名な事実です。
 貴方はご本尊様の相妙をすべてご存知ですか?
 私はおぼろげにしか知りません。
 
 釈迦、天台、伝教、蓮祖、戸田先生。
 すべて内得信仰ですよ。
 曼荼羅は充分条件で絶対条件ではありません。
 また、創価学会員でないと、内得信仰が出来ないということはありません。
 以前、漁船が難破し漂流した方々が奇跡の生還をなさいました。
 船長が学会員十数名の非会員と共に救命のゴムボートで必死で唱題した結果です。
 この方々のほとんどはご本尊様など見た事がなく、創価学会員でもありません。
 立派に功徳の結果がありました。
 
 ご観念文は時代で変化いたしますので、あまりこだわらなくてもいいでしょう。
 創価学会仏とは、戸田先生が仰せになられた言葉です。
 
 『将来私共はそう呼ばれる。』(趣意)

 ですから、そう信じていますし、そのお言葉が私の仏法理解の原点です。
 戸田先生と蓮祖のご関係は、同じご境涯のお方である。と。思います。
 大聖人様は御書で、自分は将来も娑婆世界にご出現されるとご予言です。
 その最初のお方が戸田先生でしょう。

 ご本仏は大聖人様です。
 では戸田先生は?

 微妙な問題ですね。
 後はご自分でどうぞ。

941んっ?:2008/10/22(水) 07:16:29 ID:YD5R3sgw0
「南無妙法○○○」とは末法における法華経ですから
御本尊様に対面しての唱題は「読」,その他での唱題は「誦」と
解釈して宜しいのではありませんか?

942んっ?:2008/10/22(水) 07:33:24 ID:YD5R3sgw0
また,「南無妙法○○○」とは九識=仏界の名前ですから
全宇宙共通の「集合無意識」です。
あまり,「己心の」という言葉に拘らない方が宜しいかと・・・・。

943沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/22(水) 07:54:30 ID:AJ3hr85o0
 んっ?さん、おはようございます

 読誦の解釈は概ねそうでしょうね。
 ただ、この言葉は曼荼羅ご図顕以前から頻繁に御書にありますので、本当は違うでしょうね。
 便宜上、そうしておけばいい。程度です。

 戸田先生は、

 『仏とは私共の命で、宇宙もそうだ。』(趣意)

 と仰せです。
 ですから貴方のご意見は間違いではありません。
 ですが、今曼荼羅という目前ものを対象に話をしていますので己心の妙法と相対しています。
 その方がわかりやすいですし。

944三世:2008/10/22(水) 11:36:15 ID:pWk6nJFs0
おはようございます。>>937は人が本で仏法が迹なら、迹の為に死んだ熱原の
三烈士というのは、無駄死にだったかのように聞こえるということです。
あえて勝劣を意味する本迹という言葉を使ってますので。
ところでこの熱原の公演は、大聖人の出生の本懐に係わることなので、難も
競うと言われてますが、大聖人の出生の本懐とは御本尊を御図顕されたこと
ではないですか?その御本尊をあえて勝劣の劣である、迹と言う。
なんだかこの法難が、たいして意味のない事だったように思えてきます。

945もやし暮らし:2008/10/22(水) 18:03:13 ID:UFaQVeag0
無駄死に?
なんだか、本と迹のとらえかたが、金と小石ぐらいの差があってまったく別というとらえかたなのでしょうか・・・
無駄死にとおもったら、もうその時点で日蓮仏法じゃなくなると思う。

意味のないことではない ということを説いてるのが
日蓮仏法なんじゃないのかな・・・・

一般人が横から失礼いたしました。

946沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/22(水) 18:07:48 ID:AJ3hr85o0
子供のために死んだ親は無駄死にじゃないんですよ。

 魚は私に身を供養して死にますが無駄死にじゃありません。
 私も死ねば焼かれて元素はほとんど大気中に拡散しますが、役に立つんです。
 無駄死にじゃありません。

 三世さん、おわかり?

947沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/22(水) 18:34:20 ID:AJ3hr85o0
 それと、三世さん

>熱原法難がたいし意味のないことだったように思える。

 はいはい、それでまったくいいんですよ。
 貴方にとってはそう言う出来事だった。
 何の問題もないんです。
 私は少し違う考えなんですね。
 これも自由なんです。

948大勝利:2008/10/22(水) 23:49:05 ID:Dt.pR4QEo
己心の妙法が生命であることは賛同です。
またその当体が仏であることも。

ですが、沖浦さんのその生命を、「テーブルの上に出して見せてくれ」と言われても、
出せませんでしょう?
宇宙に遍満する生命の法体もそのままでは隠れてて見えません。
もしかして沖浦さんには見えていたとしても、私には見えません。
つまり、万人に知覚出来る大聖人が顕された曼荼羅の方が、一部の人しか知覚出来ない生命より「祈りの対象」として勝れているということではないでしょうか?
よって、見えない「衆生己心の妙法」は迹で、見える「大聖人の神(たましい)の曼荼羅」は本となると思います。

949三世:2008/10/22(水) 23:55:09 ID:pWk6nJFs0
「子供のために死んだ親は無駄死にじゃないんですよ。

 魚は私に身を供養して死にますが無駄死にじゃありません。
 私も死ねば焼かれて元素はほとんど大気中に拡散しますが、役に立つんです。
 無駄死にじゃありません。」
例えがよく分かりませんが、本迹の話の流れからきてるので、この場合親が本(勝)
で子供は迹(劣)ですね。魚が本(勝)で私が迹(劣)ということですか。

950もやし暮らし:2008/10/23(木) 00:01:10 ID:UFaQVeag0
大勝利さん

よこやり失礼・・・

「祈りの対象」ということは、だからそこで迹ですよ。
祈る対象なのですから。

「祈る対象」として勝れている?おかしいです。

951三世:2008/10/23(木) 00:04:24 ID:pWk6nJFs0
「子供のために死んだ親は無駄死にじゃないんですよ。

 魚は私に身を供養して死にますが無駄死にじゃありません。
 私も死ねば焼かれて元素はほとんど大気中に拡散しますが、役に立つんです。
 無駄死にじゃありません。」
例えがよくわかりませんが、話が>>944に対するもののようなので、本迹のながれ
からきてますから、この場合、親が本(勝)で子供が迹(劣)、魚が本(勝)で
私が迹(劣)ということですか。

952三世:2008/10/23(木) 00:07:49 ID:pWk6nJFs0
掲示板に反映されなかったので、書き直したら前のが書き込みになってましたね。
失礼しました。削除していただいてかまいません。

953大勝利:2008/10/23(木) 00:08:42 ID:Dt.pR4QEo
>>949
はじめまして。

「男は本、女は迹」と言うのがあるんですが、、
どういう意味だと思いますか?

954ヒューレボ ◆DlyW/s8ibQ:2008/10/23(木) 00:17:20 ID:RLBZP5ys0
沖浦さん、皆さん、はじめまして、ヒューレボと申します。
ヒューマン・レボリューション(人間革命)を縮めてヒューレボです。
どこに書き込んだらいいのか分からないので、こちらに書き込みます。

沖浦さん、オアシスSOKAでは長きに渡りお世話になり、有難うございました。
とりあえず3ケ月ほど様子を見て頂き、またあちらにも書き込み頂ければ幸いです。
年長者に対して指図がましいこと申し訳ありません。

沖浦さんの問題提起は発起衆としての役割で、たいへん勉強になりました。
またこちらでも、私にも稽古をつけて下されば、大変嬉しいです。

余り自己紹介になっていませんが、皆さん、これからよろしくお願いいたします。

955大勝利:2008/10/23(木) 00:39:16 ID:Dt.pR4QEo
>>950
もやし暮らしさん
おばんです。

もやし暮らしさんの仰ることは、
認識する側(衆生)と認識される側(対象)の立て分けでしょう。
「一切衆生の成仏」という仏の目的から本迹を観るのが筋ではないでしょうか?
でないと、
虚空会につらなわずに席を立った人々の末法での成仏は叶わないことになってしまう。

956吉東:2008/10/23(木) 00:46:26 ID:Wos19Ow6O
本と迹については、情報社会になり、個々が沢山の情報を手に入れられる時代となりました。

私が御本尊様をお借りした時の幹部からの指導を紹介します。
御本尊様は君を映す鏡だ、粗末に扱えばしっかり映らないから大切にすること、君が生涯使う鏡なんだよ。いつでもハッキリ自分の状態を確認できる優れたものだよ。

しっかり祈れば、自分の魂から熱いものが湧きでてきて、困難があっても知恵が湧くのだよ。決して、御本尊様から特別な力が舞い降りてくるんではないからね。

ここが大聖人様の仏法のすごいところだよ。

戸田先生も魚を焼く例えで指導がありましたね。
私が、御本尊様をお借りした時は間違いなく、御本尊様は迹と言う意味で指導されました。

その後の池田先生の指導も戸田先生とまったく同じ姿勢で指導していると私は思います。

色々な意見はあるかとは思いますが、個々の生命により布教は進むのです。御本尊様に布教しろと頼んでも御本尊様は布教をしてくれません。

横から大変ご無礼致しました。

957大勝利:2008/10/23(木) 01:31:24 ID:Dt.pR4QEo
>>956
御本尊は鏡と言うのは、自分を映す鏡と言う意味ではなくて、
御本尊は森羅万象すべてを映すと言う意味だと思います。

本である御本尊のにも本迹がある。
中央の七字が本で十界は迹です。本の上の本です。
この本因妙の南無妙法蓮華経を別して本迹は無しでしょう。
己心の妙法と大聖人の妙法とは同じ南無妙法蓮華経で勝劣はありませんでしょう。
しかし、祈りの対象として拝せば、勝劣はあるでしょう。

生き様としての生命の顕現方法はあるかも知れませんが、それでもそれは本果なので、やはり、本因の御本尊を顕した曼荼羅が勝ると思います。
それでは皆様おやすみなさい。

958吉東:2008/10/23(木) 02:09:28 ID:Wos19Ow6O
そのように解釈されている方もいらっしゃる事も現実ですね。
口から出でる題目より、題目を顕した御本尊様が勝るから本である。

即ち、広宣流布の目的第一は、御本尊様を広める事である。

大聖人様は本来、末法においてお題目を伝えたかったのではなく、お題目のお姿が書いてある曼陀羅が布教の目的であった。

こんな感じなんでしょうかね。大勝利さんの考えでは、私は御本尊様と題目の関係についてあまり難しく考えないようにしてきました。

何故なら、自分の布教の妨げになるからです。

御本尊義に悩む暇がなかったのかもしれません。
御本尊義に祈れば功徳がある。たとえ御本尊義が御安置できなくても、お題目を唱えれば功徳がある。信心のやりやすさからすれば、当然御本尊様があったほうがやりやすい。

海外にはなかなか御本尊様を御安置したくてもできない方が多数おられました。
そのような方々の信心を考えると、勝劣はつけられませんでした。

世界に広がる仏法です。必然的に機根も踏まえなければなりません。

大変勉強になります。

959吉東:2008/10/23(木) 02:12:24 ID:Wos19Ow6O
御本尊様と御本尊義を間違えて記載してあるところがあります。
お許し下さい。

960沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/23(木) 05:53:37 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん、おはようございます

 その通りだと思います。
 曼荼羅は祈りの対象として優れているのです。
 ですから、末法広布の旗印なんですよ。

 本迹と使用する際の勝劣はべつでしょう。
 鏡のよしあしみたいなもんですね。
 顔が本体、鏡の中の顔が迹。
 曼荼羅は鏡です。

 将棋のプロは、闇将棋と言って、将棋版も駒もなくて将棋を考えられます。
 将棋版は、あったらいいな。程度なんですよ。
 でも、将棋の普及には将棋版も駒も必要です。
 その方が具体的にやれますし、多くの人がゲームを共有できます。
 
 将棋の技術は棋士の頭の中で本、実際に人が見ることが出来る将棋のゲームhば将棋版の上での駒の動きで迹。
 でも、普及という観点からは、盤上の駒の動きが本で、頭の中の記譜は迹。

 盤上の動きは、棋士が考えなければ出ません。
 将棋の本質では迹なんです。
 ですが、現実の現象面ではこれしか見えません。
 ですから本。

 同じゲームも立場で本迹が入れ替わります。
 曼荼羅も同じなんですよ。

 でも、根源は衆生己心の妙法ですから、絶対妙からはこれが本です。
 相対妙からは、本迹が入れ替わることがあります。

 ご理解いただけますでしょうか?

961沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/23(木) 05:55:43 ID:AJ3hr85o0
 三世さん、おはようございます

 本迹は入れ替わるんですよ。
 大勝利さんへのレスを参考にして、ご自分で思索なさいませ。

962三世:2008/10/23(木) 12:25:57 ID:pWk6nJFs0
>>953はじめまして。そしておはようございます。
「男は本、女は迹」と言うのがあるんですが、、
どういう意味だと思いますか?とのことですが、初耳でした。そんなのあるん
ですか?ようするに男が優れ、女は劣るということですかね。すいません、唐突
に出て来た話なので、解らないです。
ただ、本迹については入れ替わる、と沖浦さんは言ってますので、それが正し
ければすべて御和算ということになりますね。

963もやし暮らし:2008/10/23(木) 12:38:18 ID:UFaQVeag0
ここまで読んで、なんだか余計にわからなくなりました。

964もやし暮らし:2008/10/23(木) 13:51:50 ID:UFaQVeag0
>>955

だって「拝む人」と「拝まれる曼荼羅」についての本迹についての
話しじゃなかったのぉ?(;o;)

ここでは「法華経を明鏡とする」、という視点とは違うと思っていました。

もう、私、ごちゃごちゃです。

なにやら、「全部理解しきってから信心することが正しい」、ような流れになってきてて、
頭の中がおかしくなりそうです。

965沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/23(木) 15:32:36 ID:AJ3hr85o0
 もやし暮らし さん

 私も含めていけない先輩ですね。
 ごめんなさいね。

 理解なんかいりませんよ。
 だってね、お題目の意味なんか誰もわかりませんよ。
 アレを性格に説明したものが釈迦の法華経です。
 今までたったお一人ですね、わかられた方は。
 戸田先生です。

 私共は、わからなくても拝めば功徳があるんです。
 でも、やはり少しでもわかりたい。
 これが学です。

 『問う汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何、答う此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖畏厳恩蔵宣摩導等に勝出すること百千万億倍なり、請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ぬれば八十万億劫に供養せし大菩薩なり豈熈連一恒の者に非ずや退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の襁褓に纒れ大竜の始めて生ずるが如し蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ、』
 (四信五品抄)

966沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/23(木) 15:34:48 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん

 あの百六箇抄のご文は、本当に大聖人様でしょうか?
 私は少し疑わしいと思うんです。

967もやし暮らし:2008/10/23(木) 15:38:38 ID:UFaQVeag0
連投申し訳ありません・・・
 
 曼荼羅を「迹」とするなら、なぜ大聖人は、朽ち果ててしまう木や紙などに残したのだろう。
 という疑問がどうしても残ります。
 大聖人は、「人が本」であることを悟った上で、その方法をとったのではないのだろうか?
 人が本であるから、書写の意味が生きてくるのではないのかと思います。
やはり、「法を明鏡とする人」が「本」だと思います。

968もやし暮らし:2008/10/23(木) 15:47:07 ID:UFaQVeag0
訂正・・・
曼荼羅を「迹」とするなら×
曼荼羅を「本」とするなら○です
失礼しました。混乱してます。

969大勝利:2008/10/23(木) 20:22:36 ID:13PO/GqQ0
>>962
私も解からないです。
一緒に考えましょう(笑

男は世法で表に出て働き、女は内需の功ということかな〜?  とか。
それとも、受胎とか生命の種のことかも。大聖人は男だから本だったりして。

970大勝利:2008/10/23(木) 20:47:04 ID:IyjSii8g0
>>967
滅しない物体などがそもそも無いんじゃないですかね。

自分が思うに・・・
本迹勝劣には幾つかの基本があるように思います。(これはまったくの個人的思考ですけど)

先ず、場所の観点からの本迹で、
天上が本で地上が迹などですね。私は本迹のベーシックな基本だと思います。

ここから展開して、
表が(本)裏(迹)、種が(本)脱が(迹)とか・・・
他にもあるかも知れませんが、とりあえず思いついたまま述べました。
中でも最後には、やっぱり
因が(本)果が(迹)かな〜。
本因妙の南無妙法蓮華経がもうこれ以上相対出来ないところではないかと思いますです。

971大勝利:2008/10/23(木) 20:52:46 ID:ed2ilQUA0
>>966
>私は少し疑わしいと思うんです。

まぁでも、ここまで本迹やってるんですから、もう避けては通れないでしょう。

仏は(本)上行は(迹)について、どう思いますか?

972もやし暮らし:2008/10/23(木) 21:15:01 ID:UFaQVeag0
>>970

>滅しない物体などがそもそも無いんじゃないですかね。

 究極をいえばそうですが、「本」としての位置づけなら、身近にある水や火に弱い
 ものをなぜ使ったのだろうか?それなら、石にでも掘ったほうが、と思うのが自然かと思いますが。

 ということを、私は言いたかったのです。
 ここまでくると、推測でしかありませんので、机上の空論ですね。ごめんなさい。
 これ以上は、今の私にとっては「信」の方が大切なので、ここまでとさせていただきます。

973沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/23(木) 21:37:37 ID:AJ3hr85o0
 大白蓮華10月号、102ページからをお読みください。
 
 エルサルバドルの地涌の菩薩の誕生が書かれています。
 曼荼羅は迹、衆生己心の妙法が本。
 体験が物語っています。

 後で、感想をどうぞ。

974もやし暮らし:2008/10/23(木) 22:32:52 ID:UFaQVeag0
沖浦さん

それって11月号かと(^^;)

975沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/23(木) 22:42:30 ID:AJ3hr85o0
 ごめんなさい、今間違い書こうと思ったところでした。

 もやし暮らしさん、ありがとうございます。

976沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/23(木) 22:46:32 ID:AJ3hr85o0
 大勝利さん

>仏は(本)上行は(迹)について、どう思いますか?

 本当は反対じゃないですかね。
 菩薩の形が現実ですので。

977もやし暮らし:2008/10/23(木) 22:46:38 ID:UFaQVeag0
沖浦さん

>>965
ありがとうございます。

978沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/23(木) 23:03:08 ID:AJ3hr85o0
 拉致されて暴力をふるわれ、生還の見込みがない土壇場でお題目のみを唱え、見事に宿命転換し生還。
 この方はお題目だけです。
 仏法の知識など何一つありません。
 その人が次々と折伏し、壁に向かって全員で唱題し、功徳の実証を見た。
 
 曼荼羅どころか、数珠も経本もありません。
 
 いい加減に、曼荼羅崇拝から抜け出すべきですよ。
 曼荼羅は信心の充分条件です。
 絶対条件じゃありません。

979沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/23(木) 23:24:07 ID:AJ3hr85o0
 同じく、大白の52ページからの先生の御書講義。
 
 『妙法を受持することによって、生死にわたって崩れることのない、常楽我浄の尊極の生命を我が胸中に確立することです。
 その生命の鍛錬にこそ仏法の真髄がある。』

 このように仰せです。
 元々胸中にないものを、鍛錬し確立できません。
 命は元々仏の当体なからこそ、常楽我浄と顕われるのです。

 いい加減に、宗門の呪縛から抜け出すべきですね。

980大勝利:2008/10/23(木) 23:25:32 ID:7Z07ZCSgo
>>972
もやし暮らしさん
寧ろ私は衆生己心の妙法が本には大賛成ですよ。

それが、(迹の上の〈本〉)なのか(本の上の〈本〉)なのかー、、です。
どちらにしても、〈本〉は同じだと思うので、胸中の本尊たる妙法を信じれば、
曼荼羅がなくても、題目がなくても結果が出せるというのは納得ですが、、、、。
凄いですね〜。

981大勝利:2008/10/23(木) 23:34:01 ID:7Z07ZCSgo
>>976
沖浦さん
でも、再誕ということでは元初の迹といえるのではないですか?
元初は(本)で再誕は(迹)  どうでしょう?

982沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/23(木) 23:35:18 ID:AJ3hr85o0
 私はね、曼荼羅が迹で人の命が本だと言う私共を、学会の公式見解にないから謗法だ、破和合僧だ、と跳ね回るネットの愚か者達は、自分の宿命と四つに取り組んで、真っ向から勝負して祈った事がないんだと思います。

 祈ればわかります。
 命の中に力が湧き出してくることがね。
 曼荼羅からではないのです。
 自分の胸中から湧き出してくるんです。
 体験しなければ絶対にわかりません。
 
 どうしてお曼荼羅を安置しながら、自分の宿命と戦わないのでしょう。
 曼荼羅の性能を引き出せない信心のない人間が、曼荼羅崇拝を撒き散らしている。

 おかしな現象ですよ。

983もやし暮らし:2008/10/23(木) 23:43:42 ID:UFaQVeag0
大勝利さん

>>980
>胸中の本尊たる妙法を信じれば、
>曼荼羅がなくても、題目がなくても結果が出せるというのは納得ですが、、、、。

ちょっとまってくださいよ。
題目がなくても?

曼荼羅がなくても結果は出せますよ。自身で確信してます。
でも題目がなければかないません。

984沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/23(木) 23:47:54 ID:AJ3hr85o0
 再誕は釈迦仏法ですね。

 無関係に久遠即末法でいいんじゃないですか?

 仏はね、九界で働くのです。
 娑婆世界は九界なんです。
 仏界は極楽ですよ。
 そんなものありません。
 九界の中で生きる衆生が仏の所作なんです。 
 作作発発といいます。
 九界がそのまま仏界なんですよ。
 特別な所じゃ人ではないのです。
 貴方も、私も、皆様方も、このままで仏なんです。
 そして、娑婆世界こそがそのまま浄土なんです。

 現実だけが仏法なんですよ。
 大勝利さん、私はそう思います。

985沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/23(木) 23:48:46 ID:AJ3hr85o0
 題目は絶対に必要ですね。

986photochika:2008/10/23(木) 23:54:20 ID:hJfzItkk0
もやし暮らしさん。
>曼荼羅がなくても結果は出せますよ。自身で確信してます。

だったらば、お巻きしていたご本尊様、そのままでいいじゃないですか?
結果が出るのならば。
お題目だけで良いのならばいいじゃないですか、
ずっと内得信仰で。

その他に何をお望みなのですか?
私ね、あなたのご主張がとんと理解出来ません。
どうしてこの板に書き込み、話しをしなくてはいけないのかな?

987photochika:2008/10/23(木) 23:55:03 ID:hJfzItkk0
沖浦さん、すみません。
私、この方を疑ってます。

988沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/23(木) 23:59:11 ID:AJ3hr85o0
 photochika さん

 貴方の心の中まで私はとやかくいいませんよ、小野さんじゃないんです。
 でも、私はだまされてもだまさても、人を信じて生きることを創価学会で教わりました。
 ですから基本は人を信じることが先に来ます。
 
 でも貴方は別にご自由で全くいいと存知ますよ。

 ご安心くださいませ。

989もやし暮らし:2008/10/24(金) 00:07:06 ID:UFaQVeag0
photochikaさん

それは、私に出て行けということでしょうか?

990大勝利:2008/10/24(金) 00:14:44 ID:7Z07ZCSgo
>>983
もやし暮らしさん

でも題目を唱えなくても合掌向仏で法華経に帰依出来るのではないでしょうか?
私は本尊が絶対条件でないなら題目も絶対条件とはならないと思えます。

991もやし暮らし:2008/10/24(金) 00:20:15 ID:UFaQVeag0
photochikaさん

>だったらば、お巻きしていたご本尊様、そのままでいいじゃないですか?
>結果が出るのならば。
>お題目だけで良いのならばいいじゃないですか、
>ずっと内得信仰で。

私は、ずっと内得信仰のままでいいとは思ってもいませんし、信心を確実なもの
にしたかったので、ずっと御本尊様にあえる事を、祈ってきました。
そして、やっと叶ったのです。

あなたの発言が悲しくてしかたありません。
暴言といってもいいほどに感じます。ひどすぎます。

あなたがなんと思われても、私はいずれ学会に入るでしょう(引っ越したら)
広宣流布のための団体なのですから。

992もやし暮らし:2008/10/24(金) 00:27:35 ID:UFaQVeag0
大勝利さん

>>990
>でも題目を唱えなくても合掌向仏で法華経に帰依出来るのではないでしょうか?
>私は本尊が絶対条件でないなら題目も絶対条件とはならないと思えます。

 申し訳ないですが、
 日蓮仏法を広めようとしているかたの言葉とは思えません。

993那須:2008/10/24(金) 00:47:41 ID:kH.MGIeo0
もやし暮らしさん、はじめまして。
題目さえあれば曼荼羅はなくてもいいと言うのであれば、別に創価学会に入会しなくても
いいのではないでしょうか?

994もやし暮らし:2008/10/24(金) 01:01:08 ID:UFaQVeag0
那須さん

はじめまして

あなたが決めることではないと思います。
それと、大聖人が何を望んでおられたのかを理解していれば、「曼荼羅はなくてもいい」や、
「創価学会に入会しなくてもいい」とか、いうべきでないです。
私は、曼荼羅はあったほうがいいとは思いますが、
絶対なければならないとはおもいません。

995沖浦克治 ◆6dLgXLDJCw:2008/10/24(金) 07:44:35 ID:AJ3hr85o0
 創価学会で唱えるお題目が最も効率がいいんですよ。
 池田先生がいらっしゃいますからね。

 優れた指導者は、ある面で優れているコーチなんです。
 私は筋トレを教えています。
 ほとんどの生徒は、短期間でこれまでの練習の成果を簡単に上回る結果が身体に起こります。
 魔法だと言いますよ。
 今まで同じようなことをしていてもやり方に無駄が多く、結果が現れにくかったのです。
 正しいトレーニング方法で行うと、物凄い変化が起きます。
 やっていることは、今までとそんなに変わりません。
 
 優れたコーチングが、生徒の本来の力を引き出したのです。

 仏法も同じなんですよ。
 優れた指導者にコーチしていただくほうが、何万倍も効率がいいのです。
 たとえば祈りです。
 先生は、

 『梵天、帝釈、日天、月天、我が中に入り給え。と、祈るんです。
 そうすれば何万倍も力が出るのですよ。』(趣意)

 と、言われました。
 その後そのように祈っております。
 祈りの叶い方がまったく変わりました。
 叶う祈りになったんです。
 今回の耕治の地区拠点もそうして手に入れました。
 こう言う、具体的な指導をなさる方は、池田先生お一人なんです。

 今、創価学会員が唱えるお題目が最も効率がいいんですよ。

996photochika:2008/10/24(金) 09:06:21 ID:hJfzItkk0
もやし暮らしさん、おはようございます。

>それは、私に出て行けということでしょうか?

いいえ。そんな事は思っておりませんし、
そんな権限は私にはありません。
あなたのご主張が良く理解出来ないのです。
あなたが難癖つけるポイントも分からない。
すごく変な感じ。

しばらく静観させていただきます。
口を出さないでロムしておりますので、
どうぞご主張を続けてください。

997三世:2008/10/24(金) 09:41:32 ID:pWk6nJFs0
おはようございます。
一大秘法は本門の本尊であることは現時点で明確にさだまっていますよね。
国の憲法と同じです。将来的にどうなるかまではわかりませんが、現時点で教義について語るなら、
公式見解にないことを言って、これが正しいと主張しても通らないと思います。
憲法と同じです。自分流の法解釈を掲げても、すでに決まっている法解釈によって
裁かれます。法解釈が個々人の自由ということはありません。
創価学会は和合僧ですから、信仰対象の共通認識は必要でしょう。学会員
を名乗って教義を語るなら、共通の見解を語るべきだと思いますよ。
ただし、本来こうあるべきではないか?という、異議申し立ては可能だと思います。
それで受け入れられず、自分も現状の協議を受け入れられないというのであれば、
新たに宗派を立ち上げるか、個人的に信仰するしかないのではないでしょうか。

998沖浦克治 ◆jQuBr8ORkU:2008/10/24(金) 10:15:47 ID:AJ3hr85o0
 三世さん、おはようございます

 いいえ、貴方のご意見は本尊が曼荼羅だと間違いですね。
 本尊とは衆生己心の妙法で、お題目ですね。
 それを書き表わしたものが曼荼羅で、大聖人様のご発明です。

 また、貴方はほんの二十年前、創価学会が日蓮正宗に所属し、法主に血脈があると公式に認めていた事実に目をつぶっています。
 ここはね、非公認の板なんです。
 公式見解には束縛をされません。
 これはね、自由な権利で、国民一人一人に認められている侵すべからざる権利です。
 貴方はこれを認めない。
 ファシズムですね。
 広宣流布に弓をひいています。
 貴方の御主張である、

 公式見解以外、創価学会員は自由に仏法思想を論じてはならない。

 これはね、世間様が創価学会を拒否なさる原因を確実に作っています。
 自分たちと違う意見で、公式見解でなければ論議もするな。
 ファシズムで言論弾圧で、思想信条の自由を妨げる時代錯誤の考えです。

 本当に情けないですね〜〜。
 
>学会員を名乗って教義を語るなら、共通の見解を語るべきだと思いますよ。

 貴方ねあほですか?
 共通の見解なら語る必要ないですよ。
 従え!!
 これで終了です。

999三世:2008/10/24(金) 10:29:46 ID:pWk6nJFs0
>自分も現状の協議を受け入れられないというのであれば×

訂正です。現状の教義でした。

1000沖浦克治 ◆jQuBr8ORkU:2008/10/24(金) 10:31:47 ID:AJ3hr85o0
 1000ゲット、日々さんごめんね

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