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ミもフタもないことの再発見(^^;)
1【管理人】アイオーン:2008/01/18(金) 15:22:16 ID:eS3TrGbk0
ちょっと息抜きにネタをw。
旧劇場版のスクリプトを見なおしていて気になったところを再発見しました。
「むすんでひらいて」の場面があると思います。
シンジが人形二体の前で砂遊びをし、城(明らかにピラミッドだと思うw)を作っていると思いますが、そのあと向こう側に現れる女性を人形たちがママと称し、その人形二体と手をつないでいなくなると思います。
あの女性、実はミサトです(滝汗)。
しかもその人形の声はレイとアスカ。
って、それってそのままミサトが人形にしてたってことを表してるってことなのか。
ミサト「結局、シンジ君の母親にはなれなかったのね」
母親にはなれず、人形にしていただけ。
なんとまあ、身もふたもない事を再発見してしまったなぁと思ったしだいです(^^;)。

2人類補完計画推進委員会:2008/01/19(土) 10:04:45 ID:byJ7KUJA0
>アイオーンさん
その場面は僕もよくわかりませんでした。最初はシンジの過去の
悲しい記憶を追憶していたのかと思ってましたが、なるほど、確かに
言われてみればレイとアスカの声ですね。実に重苦しい場面だなぁ。
希望の欠片が全く見られませんね・・・。

3【管理人】アイオーン・アブラクサス:2008/02/02(土) 14:34:54 ID:eS3TrGbk0
委員会さん
>実は今日、アイオーンさんが以前書き込みをした「むすんでひらいて」
>のシーンを見直してみたんです。
>「確かにレイとアスカの声だな。」なんてじっくり見ていたんですが、
>奇妙な発見をしました。
>人形の女の子が「あっママだ。帰らなきゃ。じゃあねー。」
>という台詞の後、カラスの鳴き声と共に
>舞台セットのような骨組みが出てくるのですが、
>その左上のところに赤っぽい服を着た人が下を見下ろすような仕草をして
>いて、しばらくして奥の方に消えていったシーンがありました。
>この赤服の人はミサトなのでしょうか?
>赤服の人は左上というより中央の上らへんです。

失礼、委員会さんが新しく建てられたスレは、このスレとまったく同じ内容なので移させていただきました。
規約にありますように、同じスレの内容はなるべく同じ内容のスレにまとめてください。
同じ内容のスレの乱立を増やさないためです。規約を守ってください。
ちなみに私個人の時間の都合の問題で、内容に関する質問の答えには後ほどお答えします。

4【管理人】アイオーン・アブラクサス:2008/02/02(土) 19:00:23 ID:eS3TrGbk0
>>3 委員会さん
お待たせしました。
そっちはミサトではないと思いますよ。おそらくシンジです。
スクリプトによれば、ミサトがレイとアスカの声をしている人形二体と手をつないで去っていくシーンに「とても越せそうにない空間」とあります。
見下ろすようなしぐさではなく、人形を連れ去っていったミサトの方向を見ていたんでしょう。
隔たりということです。
あの砂場は舞台の骨組みの上で行われているという抽象的な表現だということですね。

しかしよくあんな細かいのに気づきましたね。
服が赤く見えたのは、夜景とかが赤っぽいからでしょう。

5人類補完計画推進委員会:2008/02/04(月) 17:06:17 ID:vtggIZ2g0
>アイオーンさん
シンジって考えもありですね。僕は少しミサトなんじゃないかなって気もしなくは
無いんですが。
まぁ、シンジであろうがミサトであろうがあのシーンはとことん暗いシーンだということには
変わりないですよね。

6【管理人】アイオーン・アブラクサス:2008/02/04(月) 18:55:57 ID:eS3TrGbk0
>委員会さん
いや、シンジという考えもありというか、そうだと書いてあるんで、他に回答はないかと(汗)。
なにより、あの場からミサトは立ち去っているのですし。
砂遊びしていた場とミサトが人形を連れ去った場というのが、舞台の上という形で描かれていて、その間に溝があるという形で描かれているのですよ。
で、あなたが指摘したその舞台の骨組みというのは、それを下から見た図、というわけです。だからミサトは既にその場から立ち去っています。
まあ細かいことは気にしたらそれこそキリがありませんが、あの舞台の上の砂場が、母親の子宮を意味し、向こう側に見える二つのなだらかな丘が胸に当たると解釈している人もいるのですよ。
フロイトの精神分析学などに、退行現象を起こした人間(死の欲動エネルギー=モルティドー(デストルドー))による)は、子宮回帰願望を起こすともあり、初号機内にいるのとかぶせると、母親の胎内にいることと同じことになりますから、この解釈と照らし合わせるのだとすると、近親相姦共生を表した描写として説明できるのですよ。
yasuakiさんのHPに投稿されたメルキオールさんという方の解釈とかぶっていますが。
いずれにしても退行現象を起こしている人間の描写であるということにはかわりがないと思いますがね。

7ゼーレ:2008/03/04(火) 15:50:31 ID:GSO4Kap.0
ひさしぶりです
僕もおとといもう一度旧劇場版をしっかりみてたんですがそこのシーンで気になることがあったんですけど
シンジが砂で城かピラミッドみたいなのをつくってましたよね
あれってジオフロントじゃないんですか??
そうみえませんか??
それにシンジが潰したあとの城がまるで戦略自衛隊に攻められたときのジオフロントとそっくりなんですよ
あくまで僕の考えですが、、、
どうなんでしょう??

8【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2008/03/04(火) 21:46:48 ID:???0
>>7 ゼーレさん
どうも、ご無沙汰です。
>シンジが砂で城かピラミッドみたいなのをつくってましたよね
>あれってジオフロントじゃないんですか??
>それにシンジが潰したあとの城がまるで戦略自衛隊に攻められたときのジオフロントとそっくりなんですよ

どうでしょうかね?(笑)
私の場合は基本的に、あれを始めとする、ぐちゃぐちゃで破綻している描写は、シンジの内的宇宙であると共に、監督の自己投影であると見ていますので、表層的に似ている描写だけの照らし合わせでは無いんですよ。

シンジ「そうだ、チェロを始めたときと同じだ。ここにくれば、何かあると思ってた」

これはシンジの台詞なわけですが、父ゲンドウに父親コンプレックスを抱くシンジは、ゲンドウに対し愛憎半ばする感情を抱いていました。
「ここにくればなにかあると思った」というのは、シンジの中にあった「何かを得られるかもしれない」という期待だと考えてみてください。
そう考えると、お人形さんたちと一緒に城(ピラミッド)をつくりあげ、去っていったミサトと人形たちの描写の後、その城をぶち壊す描写というのは、人形たちをレイ・アスカと見立てるのなら、彼女ら二人と共に戦ってきたこと、つまり自分たちがなしてきたことが、「砂上の楼閣」だったということです。
「砂上の楼閣」とは見かけは立派であれども、その基盤となるものがしっかりしていないために、長く維持できない物事のたとえです。
シンジはミサトを始めとしたネルフによって、使徒との戦いは「人にほめられる立派な仕事だ」とか「胸を張っていいことだ」とかいわれ続けていました。
人類存亡の危機を救う、という大義のもと、戦ってきたわけですが、その闘いの結果、得られたものは何だっただろうか、ということを考えてみてください。
劇中では最後にすべてが崩壊しました。シンジはなぜ自分が戦い続けるのか、よく分かっていないまま、何かを得られるはずだ、と「信じて」、「立派な仕事をしている自分」を演じ続けていました。
そうすることでそれが自分だと確定付けようとしていたわけですが、これはニーチェの言う「遠近法症候群(パースペクティヴィズム)」に陥っています。
エヴァのパイロットという、虚像でしか無い自分を自分そのものだと取り違えてしまったシンジは、まさにそれです。
そして、その虚像の自分、つまり不確定要素だらけの自分のまま、これまで戦ってきた結果があれ(アスカの精神崩壊、二人目の綾波レイの死とその正体暴露、カヲルを殺害などその他もろもろ)です。形だけ立派でなにも得られていないのがよく分かると思います。
とりあえずシンジは「人類存亡の危機を救う」という名目の下での「使徒との戦い」を最後までやり遂げました。
しかしその、いかにも立派なことをしているように見える自分がなしてきたことがあの有様です。確かにゼーレのルサンチマンや妄執の下に「人類の補完」というカタチでの退行的回答によって人間そのものが滅亡すること自体は「新生」という形でなされようとしていたわけですが、その内実はまったくお粗末なものです。
ですからこれまでの説明を見て分かると思いますが、あの城はまさに文字通り、砂上の楼閣であり、シンジにとっては望んでいないもの、あるいはカタチだけ立派な虚構に満ちたものだったと、私は捉えています。
シンジはよく「こんなに頑張っているのに誰も優しくしてくれない」といい、今まで自分に対する見返りの期待、これは病理的なナルチシズムであり「自我(エゴ)の牢獄」にとらわれているのですが、最後まで他人に自分をゆだね続け、他人に「優しさ」を要求していました。
この地獄の中のような生き方をよく考えれば、おのずと何を意味してるのかが分かるでしょう。
そしてそれは、現実の監督の心理状態がいかなるものなのか、がわかります。

9【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2008/03/05(水) 01:20:55 ID:???0
失礼、文法表現上いいたいことと違っている箇所がありました。
>確かにゼーレのルサンチマンや妄執の下に「人類の補完」というカタチでの退行的回答によって人間そのものが滅亡すること自体は「新生」という形でなされようとしていたわけですが、その内実はまったくお粗末なものです。
この点は、
>ゼーレのルサンチマンや妄執の下に「人類の補完」という退行的回答によって、人間そのものが滅亡することは「完全なる人間」への「新生」と捉えられ、むしろいかにも理想とでもいうような自己陶酔による歪曲でなされようとしていましたが、その内実はまったくお粗末なものです。
に修正してください。ゼーレの思想については、今記述中でありますが、グノーシス主義の概要を少しでも知っておかないと分からないので、それはそれで概論を作ってまとめますから出来上がったら読んでみてください。

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