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人間の種としての閉塞- 1 :【管理人】セラフィエル:2007/08/06(月) 12:47:10 ID:dnxZ8GyY0
- エヴァの世界においての社会の現状を踏まえ、リアルの我々の社会と照らし合わせて触れてみたいと思います。
実は、劇中のSSTOの機内テレビのニュースで、世界的な出生率の低下が問題となっている、とあります。
リアルの我々で言わせると、日本も少子化が進んでいます。
核家族化が進み、子供はそれによって自己愛のカセクシス(愛情を求める)の対象、すなわち自分を確認することが出来る鏡となる家族の存在が希薄なために閉塞した世界に閉じこもってしまう。
結果的に自我の形成がうまくいかなくなる・・・。
これが結果的に人間の種としての閉塞へと向かわせてしまっていると言うのがいえないでしょうか?
例えば家族を通して社会の文化的規範を自然的に習得できず、社会に適応することが出来ないことで、人との接触を断ち、隔絶した環境(閉塞した世界)に閉じこもる「ひきこもり」などがいい例です。
少子化がもたらす問題と言うのは、総体的な労働力の問題だけではなく、こういった人間の自我形成そのものをおかしくしてしまう問題もあるのです。
「人と人とのコミュニケーション」を主題にしているエヴァが突っ込んでいるのは、まさにこういうことに対する切込みなのではないでしょうか?
例えばコフートという心理学者は、こうした自己愛のカセクシスがうまくいかなかった人間に対し「自己愛を満たす」ことを試みました。
「世界の中心でアイを叫んだケモノ」のアイの掛詞である自己愛。
まずは自分を大事にすることからはじめよう、ということがいえると考えます。
また、補完計画の趣旨ですが、「人類には時間がない」というゲンドウの言葉から、使徒の問題以外に、こういった人間の種としての存続の危機という問題も含まれていたのではないでしょうか?
こういう問題に直面して、それ自体に対処しようと努力するのではなく、補完という手段を用いて、全ての問題から逃避、あるいは脱却しようとしていたのではなかろうかと。
SSTOの機内ニュースからしてそう考えられる、と思いました。
実際これは、リアルの我々の世界でも深刻な問題であると考えられています。
- 2 :ソレックス:2007/08/07(火) 00:22:47 ID:oUmc6XOo0
- ココに書かれている事は、正にシンジとアスカが当てはまりますよね。
家族に愛される事無く成長し、他人との接触の仕方が分からない為に他人を拒絶し、自分の世界に引きこもる。
そのためコミュニケーションが上手くいかずに、他人を傷つけたり自分が傷付いたり。そしてまた引きこもる。
悪循環ですよね。やはり自分を好きになれない者は、自分を他人にアピールする事が出来ず弱気に成りがちなんですね。
だから、自分を好きになろう、認めてあげようと言う事ですかね。
エヴァは「外へと飛び出して行きたくなる作品にしたかった」という事だそうですが、所謂オタクに「現実へ帰れ」という事でしたよね?
つまりは頭でっかちになって、自分の考えを他人に押し付けたり、受け入れなかったり、またそんな自分を他人が受け入れてくれない事から他人を拒絶して引きこもったり。そんなオタク共に活を入れたかったんでしょうね。これも、きっと監督自身にも言いたかった事なんでしょうね。
- 3 :メフメト:2007/09/07(金) 23:27:02 ID:1jlRpxSM0
- なんか結構前に解決したように見えるスレですが面白そうなので上げてみました。
>また、補完計画の趣旨ですが、「人類には時間がない」というゲンドウの言葉から、使徒の問題以外に、こういった人間の種としての存続の危機という問題も含まれていたのではないでしょうか?
補完計画とは行き詰った人類をうんぬんかんぬん・・・のくだりからも、補完計画進行の契機は使徒襲来にあるのではなく人類の行き詰まりにあったことは確かでしょう。
さて話題はちょっと違う角度からのものになるのですが、「密度効果」というのがあります。人間以外の生物は一般に、ただただネズミ算式に増殖するのではなく、グラフにするとS字型になります。
つまり一定以上個体数が増加すると、資源の不足、排泄物などの有害物質の増加、占有面積の低下などなどがあいまって、横ばいまたは減少に向かうのですが、この様々な因子をひっくるめて「密度効果」というらしいです。
で、一説によると、人間の社会では自殺の増加や少子化がこの「密度効果」に含まれているのではないか、という論があるらしいです。正式な学説なのかどうかは怪しいですが、賛同するかどうかは別にして、妙にリアリティを感じてしまいます。
種としての個体数の飽和に対する対応として起こる現象だとしたら・・・人類はどうやって乗り越えたら良いのかなと。
でもまぁ核家族でもそれなりにやってる人もいるわけで、そのへんが難しいですね。何が正解なのか・・・。
- 4 :【管理人】セラフィエル:2007/09/08(土) 13:45:31 ID:F6bCy/0o0
- >メフメトさん
どうもご無沙汰しております。
この話題を掘り返してくれましたか。
ぜんぜん問題ないですw。
なるほど、私とはまた別の視点からの考察ですね。
少子化がもたらす問題というのは単純じゃないんですよね。
しかも日本の場合、高齢化も進んでいるわけで、年金問題も付随してくる。
労働力不足の問題、自己確立の問題、蔓延する関係性の病・・・。
どんどん行き詰っていくというのに、日本の場合はぜんぜん対策が進んでいかない・・・。
困ったもんだなぁ・・・。
自殺に関してはデュルケムという人が「自殺論」を著しています。
自己本位的自殺、集合本位的自殺、アノミー的自殺・・・。
大きく分けると基本タイプはこの三つだとされるのですが、それらの自殺をするものたちの性格として、
自己本位的自殺・・・無気力・・・自己満足を伴ったものうげな憂鬱、懐疑者ぼ悟りきった冷静さ
集団本位的自殺・・・情熱的、あるいは自発的な力・・・平静な義務感を伴う、神秘的な霊感を伴う、落ち着き払った勇気を伴う
アノミー的自殺・・・焦燥、嫌悪・・・生一般に対する荒々しい非難、ある特定の人物に対する荒々しい非難(殺人-自殺)
以上が三つの基本タイプだとされます。以下は混合タイプです。
自己本位的・アノミー的自殺・・・動揺と無気力、活動と夢想の混濁
アノミー的・集団本位的自殺・・・怒りの沸騰
自己・集団本位的自殺・・・ある種の道徳的堅固さによって和らげられた憂鬱
これらの中にゼーレやゲンドウ、シンジなどが該当するタイプがあるでしょう?
同じ補完を望むものでも、結果論としては人口進化だとされながら、人の種としての自殺を図ることには変わりがないわけです。
自殺にもさまざまな種類があると着目したデュルケムですが、いかがでしょう?
これはほんと、その人がいる場の社会の状況に左右されるんです。
シンジがおかれたネルフを「社会」という立場から見ると、こんな視点もできてしまうので恐ろしい・・・(^^;)。
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