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証専用スレッド
1 名前:名無しのひつじさん 投稿日:2005/01/16(日) 15:41 [ .q9SDNJI ]
先日友人からこんな証を聞いた。独り暮らしの彼女は長い間失業していて、その間様々な罪を示され悔い改めの日々だったそうだ。長期間に渡る苦しみの後、ついに仕事は与えられたが、それでも什一献金をしないことは神様のものを盗むことであると示され、昨年初めから、什一献金を実践し始めたのだそうだ。マラキ書三章十節で神様は「十分の一の捧げものを携えて来て、わたしが天の窓を開いて溢るるばかりの恵みをあなたに注ぐが否かを試してみよ」とおっしゃっているが、彼女は「神様がどれだけ私に恵みを注いでくださるのか、神様御自身が試してみよとおっしゃっているのだから、私は試してみる」とも言っていた。暮れの押し迫った頃、彼女がマンションを購入したと聞いた。思いがけず希望通りの物件が見つかったうえに、その職に就いて間もなかったので住宅ローンはそう簡単にはおりないだろうと覚悟していたにもかかわらず、あっさりおりたのだそうだ。「什一献金の恵みは物質的、金銭的なことだけじゃなかったわ。それ以外にもずっと祈っていたことが答えられたり、この一年、神様はいろんな面で私を祝福して下さったの。神様は御言葉通り、天の宝物倉からいくらでも私たちを祝福してくださろうと、待ち構えておられるのね。」

恥ずかしながら、私と主人が什一献金を実践するようになったのは、この8年くらいのことだ。それまでは、毎週適当な額を適当に捧げていただけだった。しかしある時、主人と私のそれぞれに、「この家庭を神様に捧げ、神様に導いていただこうと真剣に思うのなら、私たちはまず『献金』においても見直しをしなくてはいけない」という思いが強く与えられたのだ。私たちが心から「神様が私たちを導き支えて下さることを信じます、神様に信頼します」と告白するのであれば、その告白が正直なものであることを具体的に示すのが献金ではなかろうか、家計というはっきり数字に現れてくる部分で神様を信頼出来ないのであれば、どうしてそれ以外の目に見えにくい部分においても神様を信頼することが出来ようか、私たちはそう思ったのだ。

主人の給料は毎月月末に振り込まれるので、その次の日曜日に振り込まれた額の十分の一を什一献金として、そして毎月特定の額を「宣教献金」や「会堂献金」などとして捧げるようにした。またシカゴ大学でのキャンパスミニストリーや他の働きのためにも定期的に献金するようになった。

正直なところ、はじめのうちは、月収の十分の一プラスアルファを月の初めにまとめて捧げるのには緊張した。でも、主に捧げるものなのだから、毎月残った分からこれくらいなら大丈夫という額を捧げるのでなく、月の初めにまず主に捧げる分を「初物」として取り分けて、残った分で生活すればいいのだ、と主人と話したものだった。

什一献金を実践するようになって間もなくの頃、毎月の支出が収入を上回ってしまい、どう切り詰めても貯金を崩していかざるを得ないような状態が数カ月続いたことがあった。「このままだと一年もしないうちに貯金が底をついてしまうわよ」と主人に思わず愚痴ったことがあるのを覚えている。しかし彼は、献金を減らそうとはもちろん言わなかった。

今にして思うと、あれは神様が私たちを試しておられたのかもしれない。神様は什一の捧げ物を持って神様を試してみよと言われるけれど、一方で私たちが捧げ物をするときの動機や心のあり方も御覧になっておられるのかもしれない。

その後、いつの間にか私たちは経済的危機から脱していた。以来、あの時のような危機に瀕したことは一度もない。

前述の友人が言っていたように、什一献金の恵みは経済的なものに留まるものではないと思う。この8年を振り返って、神様はいかに多くの祝福を私たち家族の上に注いでくださっていたことか、ただただ感謝に絶えない

2 名前:名無しのひつじさん 投稿日:2005/01/16(日) 15:50 [ .q9SDNJI ]
6:24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛した
り、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、ま
た富にも仕えるということはできません。
6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べよ
うか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配した
りしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせ
つなものではありませんか。
6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしませ
ん。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがた
は、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延
ばすことができますか。
6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわき
まえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、この
ような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装って
くださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょう
か。信仰の薄い人たち。
6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って
心配するのはやめなさい。
6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなた
がたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加え
て、これらのものはすべて与えられます。
6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦
はその日その日に、十分あります。

3 名前:名無しのひつじさん 投稿日:2005/01/16(日) 16:14 [ .q9SDNJI ]
マラキ3:8―10
人が神から盗むだろうか?なのに、おまえ達は私から盗む者らだ、だがおまえ達は尋ねる、「どうやって我々があなたから盗むというのですか?1/10と捧げ物だ。
呪われている、おまえ達は呪われた者らだ、私から盗む者たちだから、(おまえ達の)国全体が。1/10すべてを倉庫にもってこい、私の家に食べ物があるように。さあ、すぐに私を試してみよ、万軍の主は言われる、私がおまえ達のために諸天の水の門を打ち開いて祝福を(雨のように)注がないか、(そしてその祝福が)おまえ達の場所を埋め尽くしてしまわないか

4 名前:名無しのひつじさん 投稿日:2005/01/16(日) 16:35 [ R.OFfHmw ]
ここではそんな騙しの証は通用しませんよ!
http://www.help-you.co.jp/hp/vol_4/index.html

ここで勉強し直したら。

5 名前:名無しのひつじさん 投稿日:2005/01/16(日) 16:45 [ H2SVjY0g ]
>>1-3
主の十字架でこういった偽証のメッセージがよく語られていました。
懐かしすいーです。牧師も信徒からなんとか什一以上を搾り取ろうと、
必死になってネタを考えてたんだろなー。

6 名前:名無しのひつじさん 投稿日:2005/01/16(日) 16:54 [ .q9SDNJI ]
母は、熱心なキリスト者。そんな母や、教会に猛反発の高校生の私は、「もし将来宗教とやらを信じることがあってもキリスト教だけはパス」と、堅く決心していました。受験期前からの人間不信もてつだって「人というのは当てにならない。信じられるのは、嘘をつかない数字だけ」と単純な理由でプログラマーをめざし理学部に。その頃、誕生日やクリスマスには、自宅にムーディの科学映画が用意され、それを観ないとご馳走にはありつけない。”食べること大好き人間”の私の弱点をついた伝道セットメニューでした。クリスチャンの証し映画には興味はありませんでしたが、この映画には妙に納得。
 ところが母の作戦勝ちとは行かず”神はいない・神は死んだ”の世界を引きずって大学へ。同時に世界的に展開された1970年代学生運動に我が身を置くことに。ヘルメットをかぶるのも違和感なく素直に(?)その流れの中に押し出されていたのです。学内外の集会、デモに参加の日々。両手に数本のマイクを握り締めてアジテーションする長髪の委員長は、同じ学部の先輩。彼が、4年後に夫となる人とは、神のみぞ知る。
紆余曲折を経て、自称無神論者の私達二人が教会で結婚式を挙げる事に。式当日のピアニストが、西山氏(現FGBジャパン副会長)だったのが、後に分かるのですが、当時の私達には、薄い記憶でした。が、神のご計画は着々と進行中だったのです。
母が、夜間神学校に通うため自動車免許を収得。父も私も我が身の危険を感じ、同乗を拒否。唯一夫がしばらくの間、神学校の往復に付き合う事になりました。授業中、車内で待機でしたが、寒くなると「学校内で待ったら?」から「授業に出てみたら?」に。ひやかし半分で哲学の授業に出た夫は、神に首根っこを捕えられたのです。
 その頃から、夫婦で、母が開拓はじめた家の教会の礼拝に出席し始めます。或聖日礼拝のメッセージが什一献金。「10分の1とは安い。(学生時代の)組織には、その何倍も収めなければならなかったのに」と、受洗前から什一を捧げる事ができたのです。神学校の先生が夫に、「そろそろ、洗礼を受けたら?」夫「阪神タイガースが優勝したら」先生「今世紀中は、無理でしょう」夫「……」先生「ついでに奥さんも一緒に」と、これまた不純な動機で受洗を決意したのが、1979年の夏。
 ノアの箱舟のメッセージで、創7:16戸を閉ざす権利を持っておられる方が、私の個人的な主権者だ。と強い迫りを受けていました。(ムーディ映画の種まき?) 受洗前の私は、イエスさまより旧約の神認識の方がストレートで、人格を持って全く新しい世界に導き入れて下さったのです。創1:1から、私を目的をもって造られ、全人格的に限りなく深い交わりを持ってくださる神を心からアーメンと受け入れました。私にとって創1:1のみことばを信じることは、”その神がイエス・キリストであり、黙示録の最後まで誤り無き神のことばであると信じる”ということを選ぶ事だったのです。今迄の人生、神は私を知っていて下さったのに、私はまったく無視し的外れの勝手な道を歩んでいた事を「ごめんなさい!赦してください!」と腹の底からあふれる涙と共に祈り、洗礼式を迎えました。娘夫婦の霊の葬式と誕生日の証人として礼拝出席した父も後に救いの恵みに。主権者が、はっきりくっきりしたことで、数字より人への興味と霊的世界への関心大。イエスの十字架の個人的体験は、その2ケ月後の受霊の時(ヨハネ16:8)から。夫婦共に受洗。共に3年間夜間神学校へ。愛なる神の訓練の真っ只中に押し出されました。…そして2001年、今ある私は奇跡。

7 名前:名無しのひつじさん 投稿日:2005/01/17(月) 20:57 [ sNvEI8dw ]
「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。
   こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。――
   わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福を
   あなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。
   わたしはあなたがたのために、いなごをしかって、あなたがたの土地の
   産物を滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。
   ――万軍の主は仰せられる。―― 」

  私たちが喜んで捧げものを持って神様の御前に出ていくとき、
  神様は私たちの生活が苦しくなることがないようにしてくださると、
  保証してくださっているのですね!
  私たちは基本的には神様のことを「試して」はいけないはずなのですが、
  献金に関してだけは、神様ご自身が「わたしをためしてみよ」と
  おっしゃっているというのは、ものすごいことだと思うんです。

  私自身は8〜9年ほど前から什一献金を実践するようになりましたが、
  神様の約束は本当でした。
  一時的にやや経済的に苦しくなり、毎月貯金を崩さないとやっていけない
  という時期が数カ月続き、私はまっさきに献金を減らすことを考えたの
  ですが、夫がそれを許してくれませんでした。(苦笑)
  その後も御言葉にしがみつくようにして、神様を信頼して毎月決めた額を
  献金していくうちに、いつの間にか私たちは経済的危機から脱していました。
  特に大きな収入があったとか、そういうわけでもなかったのですが、
  いつの間にやら大丈夫になっていたのです。

  私たち夫婦はお世辞にも金持ちとはいえませんが、それでも、以来、
  経済的に不安な思いをすることなく満ち足りた生活をさせていただいています。
  決して物に溢れた贅沢な暮らしをしているという意味でなく、神様によって
  養われているという「確信」と「平安」のなかで日々暮らせるようになった
  のです。

  私は子供の頃、両親が別居していたので、母親がいつも経済的な不安のなかで
  暮らしているのを目の当たりにして育ちました。
  だから、私自身、とてもケチで、いったん自分が手にしたお金に対する執着は
  相当なものでした。
  経済的な不安というのは、収入の多い少ないに関わらず、誰しもが持つ不安だと
  思うのですが、それから解放されるというのは、大きな恵みです。(^^)


  妻として、ご主人がノンクリスチャンの場合は収入の10分の一を献金する
  なんて、まず不可能だと思います。
  それでも、たとえ月に500円でも、自分で心に決めた額を感謝と喜びを
  持って捧げることなら、きっと出来ると思います。

  イエス様はレプタ硬貨二枚を捧げた女をみて、「この女はここにいる
  誰よりも多くを捧げた」とおっしゃいましたよね。
  金額じゃないんですよね!

  神様は私たちを豊かに祝福するために、天の宝物倉の扉を今や開けんと
  待ち構えておられると思います。
  私たちがみんな、その祝福にあずかることが出来る者となりますように!

8 名前:名無しのひつじさん 投稿日:2005/01/17(月) 21:04 [ SGota70o ]
ばかじゃない?

では。では。

ねるぽ。

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