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<大阪の朝鮮人(3)>
- 1 名前: 解法者 投稿日: 2004/02/26(木) 12:34
- 朝鮮人の日本への渡航につきましては、1919年(大正8年)の三・一独立運動をきっかけに届出許可制となり、これは1924年(大正14年)6月に一時撤廃されましたが、翌年
8月には再び届出許可制が復活しました。これは、朝鮮人があまりに増え過ぎたからです。
1928年(昭和4年)6月時点での大阪市に住む朝鮮人のうち87.8%が朝鮮半島南部の慶尚南道(済州島を含むー当時、済州島は慶尚南道に属していた)、慶尚北道、全羅南道、全羅北道出身の人たちで占められていました。このなかでも特に多かったのが「済州島人」です。これは何故か朝鮮人の日本への渡航制限が済州島人には1933年(昭和9年)までは適用されていなかったからです。済州島人の日本移住者は1925年(昭和元年)時点での大阪市の朝鮮人の約40%も占めていたのです。1935年(昭和10年)には、済州島の人口25万人のうち約5万人(正確には48,368人)が日本に居住しておりました。実に5人に1人が日本に居住していたことになります。この済州島人の日本における朝鮮人625,675人に対する割合は、7.73%で、1935年(昭和10年)の朝鮮の人口は、22,208,102人ですから、済州島の人口は約1.12%ですから、異常な高さです。
大阪市での済州島人は1934年(昭和9年)の居住人口は37,938人で日本全体の済州島人50,503人の75.8%が大阪市に集中しておりました。大阪市に居住していた朝鮮人が171,160人ですから、その割合も31.8%にも及んでおりました。
大阪市での集中度は驚異的であったといえます。
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