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在日朝鮮人のための北朝鮮講座(20)
1 名前: 解法者 投稿日: 2004/01/17(土) 05:18
>離散家族(14)<

 父が亡くなってから、母は祖母と一緒に実家の旅館をやっていた。<北送事業>が始まると朝鮮人が<北送>される者の見送りに泊まった。祖母も母も朝鮮からの引揚者だったので、朝鮮語は堪能だった。当時の朝鮮人は日本語が下手で、朝鮮語しか話せない者も多くいた。祖母も母も朝鮮人から重宝されたと思う。朝鮮語などできる日本人はいなかったと思う。通訳なのか警察にも出入りしていた。朝鮮人の身元保証人になって、もらい下げなどもよくしていたようだ。
 当時、<北送>される者が家族の先発隊だったケースが多い。北の様子を見て、良ければ後から家族が続くというものだ。家族にはチョウフがあり、例えば、手紙を縦書きにしたら、北に来るな。横書なら北の様子は良いので来い。鉛筆で書いたらダメ、万年筆で書いたら良い。と言うものが多かった。
 手紙は、実家の旅館に来るものも多かった。おそらく、朝鮮語も達者だし、秘密保持のためであろう。祖母がこのことを日本にいる家族に知らせているのをよく見た。すぐに、北の様子がおかしいと感じた。うちの家族が日本人で一番早く北の実情を知ったのではなかろうか。祖母もあそこはダメだね、とつぶやいているのを幾度となく聞いた。

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