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挙証義務について(管理者への疑問)
1 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/04(火) 21:09

管理者へのお願いスレッドにおいて、新たに設定しました禁止事項に関して、議論がありました。ここに独立させて、皆様の閲覧に供します。また、この件に関しての議論は、このスレッドにて承りますので、宜しくお願いいたします。

2 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/04(火) 21:12

39 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/04(火) 13:14


禁止事項を追加いたしました。宜しくお願いいたします(2003.11.4)。

【禁止事項】

当掲示板において主張された内容に関して、挙証義務を果たされない場合は、該当する表現、発言を含むレス全体を削除し、その方の、当掲示板への投稿をお断りすることになりますので、予め、御承知置き下さい。


40 名前: 無徳 投稿日: 2003/11/04(火) 14:37

管理人さんいつもご苦労様です。

39における挙証義務についてもう少し詳しく説明してください。
証拠主義は大切ではありますが、挙証義務としてそれをあらゆる事柄に適応するこ
とは如何なものでしょう。

まして、やその義務が果たせない場合は削除対象になるとは、私には理解しがたい
事柄に思えます。


41 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/04(火) 15:16


挙証義務を果たせない場合とは、根拠を求められても、示さない、あるいは示せないことを言います。これでは議論が成り立ちません。当然のことながら、議論禁止のスレッドにおいては、この禁止事項は適応されることはありません。


42 名前: 無徳 投稿日: 2003/11/04(火) 17:14

管理人さん

例えばこの掲示板において宗祖の御書の中で真偽未決とされる、特に天台本覚論的
要素のある御書を引用した投稿文の扱いはどうなりますでしょう。

Aなる方はその真偽未決の書をどちかと言えば真書的に扱い、Bなる方は偽書的に
扱ったケースが過去に何回も有り、Bなる方からAなる方に真書である根拠を示せ
と言った論難に近い挙証義務を問われたことが有りますが、こんな場合はどうなる
のでしょうか?


43 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/04(火) 17:30


真書であると主張されるなら、挙証義務が発生します。真偽未決という前提での引用であれば、何ら挙証義務は発生しません。管理者はそのように理解いたしております。

3 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/04(火) 21:13

44 名前: 無徳 投稿日: 2003/11/04(火) 18:50

管理人さん

言葉尻を捕らえる様で恐縮ですが、偽書であると主張されるなら、それも挙証義務
が発生しますですよね、過去のレスを見たところでは天台本覚論的要素のある御書
は殆ど偽書として、それを引用した人に対して論難が加えられているように思いま
すが私の思い過ごしでしょうか?

その場合に浅井要麟氏や執行海秀氏と言った天台本覚論否定論者の意見が、偽書で
ある事の根拠として挙げられているかに見えますが、両氏の論拠が正しいとする挙
証義務もまた生じるのではないでしょうか?


45 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/04(火) 19:14


真偽未決書を偽書として主張するなら、同様に挙証義務が発生します。証拠として学者の説を引用するなら、その説の妥当性について、挙証義務が生じるのは当然のことだと考えます。


46 名前: 無徳 投稿日: 2003/11/04(火) 19:30

管理人さん

了解いたしましたありがとうございました。

沖浦氏の言説が思わぬ方向に飛び火しない事を祈ります。


47 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/04(火) 19:41


無徳さん

管理者の方針に対して、ご理解を賜り、誠にありがとうございます。今後とも、ご参加のほど、宜しくお願い申し上げます。

4 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/04(火) 21:25

訂正です。

1の「管理者へのお願いスレッド」は「管理者からのお願いスレッド」間違いです。謹んでお詫びし、訂正させていただきます。

5 名前: 沖浦克治 投稿日: 2003/11/04(火) 22:12
 管理者さん
 お世話になります。
 創価学会に被害を受けた、との書き込みに関する挙証義務は、どの程度なのですか。
 また、創価学会より暴力団の方がましである、とのご意見に対する挙証義務は、どの様に満たされますか。
 創価学会における功徳の体験に関する挙証義務を満たすには、どのような証拠が必要となりますか。
 以上3点に付いてお教えください。

6 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/04(火) 23:04

挙証という場合の証拠については、管理者は、蓮師が示された三証(文証、理証、現証)に準じて考えています。

「創価学会に被害を受けた」というのは、被害届であり、特に挙証義務があるとは考えていません。ただ、その事実により、たとえば「創価学会が間違った宗教である」と主張する場合は、その主張の合理性を示さなくてはならないと考えています。

同様、「創価学会における功徳の体験」に特に挙証義務があるとは考えていません。ただ、その事実によって、「創価学会は世界で唯一の正しい宗教である」と主張する場合は、その主張の合理性を示さなくてはならないと考えています。

また、「創価学会より暴力団の方がましである」と主張する場合には、その主張の合理的的な理由を示さなければならないと考えています。

7 名前: 沖浦克治 投稿日: 2003/11/04(火) 23:32
 管理人さん
 了解いたしました。
 もう一点質問いたします。
 蓮祖がご本仏である、と書き込んだ場合の挙証義務はどのようなものでしょうか。
 私はこれを信じておりますが、世間には信じない人の方がはるかに多く存在いたします。
 アネモネさんより、以前この件に関して立証責任がある、とのご意見を頂きました。
 今後の書き込みに大きな影響があると思います。
 宜しくお願いいたします。

8 名前: 沖浦克治 投稿日: 2003/11/04(火) 23:38
 管理人さん
 もう一点お願いいたします。
>同様、「創価学会における功徳の体験」に特に挙証義務があるとは考えていません。ただ、その事実によって、「創価学会は世界で唯一の正しい宗教である」と主張する場合は、その主張の合理性を示さなくてはならないと考えています。

 このご意見に従いますと「創価学会に夜被害の体験」にあh挙証義務は無く、その事実によって、「創価学会は誤った主教である」と主張する場合は、その主張の合理性を示さなくならなくてはいけないと考えていいのでしょうか。

9 名前: 沖浦克治 投稿日: 2003/11/04(火) 23:41
 管理人さん

 レス8に関しては、すでにお答えをいただいておりました。
 ご無礼を致しました。

10 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/04(火) 23:55

日蓮正宗、創価学会、並びに顕正会は、蓮師がご本仏で有ると主張しています。これについては、個々人が、蓮師を御本仏であると信じることは、誰からもトヤカク言われる筋の物では無く、自由だと考えています。しかしながら、掲示板において、蓮師が御本仏であると主張される場合は、挙証義務が生じると考えます。三証の上から根拠を提示出来なければ、主張の根拠は崩れます。根拠が崩れても、それでも尚且つ、日蓮本仏を主張されつづけられた場合は、禁止事項に抵触すると考えます。

11 名前: 無徳 投稿日: 2003/11/05(水) 00:36
管理人さん

驚きました。

0、の御主張は私の懸念が現実となりかねないものと言わざるを得ません。
日蓮本仏なる主張をを今後この掲示板において論じることが出来なくなる可能
性が大きいと思われます。

この事は日蓮本仏論の論拠となる石山教学なかんずく日寛教学を是とするか否
とするかに掛かって来ますから、とても私のような日蓮本仏論者にとっては三
証をもって根拠を示せるような性質のものではあり得ません。

日寛教学と言えばいわゆる口伝法門と本覚思想を抜きには語れませんから、こ
の口伝法門と本覚思想を是とするか否とするかにも掛かって来ざるを得ません。

このことは先のレスで私が申し上げた、本覚論否定論者の論拠の正当性の挙証
義務も生じましょう。

それに何よりも人間が採り得る「信」の位相とも深く連動した重大な問題提起
ともなり得、軽々に論じられ事柄とも思えません。

したがって、管理人さんの10のご意見を満たすことは困難を極めると言わざ
るを得ません。ご賢察を熱望いたします。

12 名前: 沖浦克治 投稿日: 2003/11/05(水) 05:45
 管理人さん
 無徳さんと私は、意見はことごとく対立しております。
 然しながら、双方が意見の挙証責任を追求しあったことはありません。
 お互いに、無徳さんには無徳さんの、私には私の意見があることは認めております。
 これは、どちらの意見がが高級で、どちらが正しいかとは、別次元の問題です。
 無論あなたの論は何を根拠とされるのか、との質問はすべきですし、その質問が誠実なものであっれば誠実に答えるべきでしょう。
 私は以前他の掲示板にて寛氏教学を批判し、無徳さんから激しく抗議をされました。
 しかし最終的には双方の立場の違いは埋まることなく、もの別れに終わっております。
 双方主張を一歩も譲らず別れましたが、立場の違いには私は納得しております。
 このような掲示板にて、発言の挙証責任を過度に問う事には無理があると感じます。
 蓮祖の本仏なる事を述べるのに、万人に対する挙証責任があるのならば、経・釈・論の全てを引用しても不可能です。
 管理人さんにお尋ねいたします。
 蓮祖が本仏である、との万人が納得出来得る挙証とは、いかなるものなのかをお示しください。

13 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/05(水) 07:02

無徳さん
沖浦克治さん
皆さん

繰り返しになりますが、蓮師が本仏であるかどうかを議論する場合、蓮師が本仏であるとの主張には挙証義務が生じるのは当然のことであると考えています。

ただ、議論の進行の中で、挙証が困難である、ということが明かになった場合、挙証困難を認めて、その議論を終結させるのであれば、何ら、禁止事項に抵触することにはならないと考えます。

管理者が今回、挙証義務をルールとして提示しましたのは、「挙証出来ない主張を一方的に展開することを禁止する」という意味合いである事をご理解賜りたく存じます。

14 名前: 愚鈍凡夫 投稿日: 2003/11/05(水) 07:19

皆さんお早うございます。横レス失礼します。
「挙証義務」は法律用語でしたっけ。「挙証責任」のことですよね。
そんな堅苦しい意味じゃなくて、主張する以上は理由を分かり易く説明する義務があるということを、管理人さんは言いたいのではないですか。
論理的に立証せよというのではなく、何故そう思うのか、他の人にも分かるように説明してくれと言うことでしょう。小生は、そう解釈しました。

15 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/05(水) 08:51

愚鈍凡夫さん

いつも、活発なレス、誠にありがとうございます。
ご理解賜り、ありがとうございます。論理的な立証が求められる局面も有るかと存じますが、概ね、愚鈍凡夫さんの仰る趣旨になろうかと存じます。

16 名前: 犀角独歩 投稿日: 2003/11/05(水) 08:58

管理人さん:

一つの宗教は社会的な認知を得るために、わたしは文理両面に亘る証拠を提示することはむしろ当然のことであると思います。その意味において、管理人さんのお立場に賛同します。

統一協会という団体があります。霊感商法、青春を返せ裁判など、違法伝導訴訟でいまも元メンバーが苦しみ、世界でも類例を見ない活躍を弁護士が見せている一連のカルト裁判です。この元統一協会をハッサン師は以下のように解説しています。

「カルトのいちばん効果的な教義とは、エリック・ホファーの言葉を使うなら『証明も評価もできない』教義である。それは非常に複雑なため、解くのに何年もの努力が必要だということになっている(もちろんそのころには、人々は教義を学ぶことよりも資金集めとか勧誘のようなもっと実際的な仕事へ向かってしまっている)。
 教義は受け入れるべきものであって理解すべきものではない(という)。それゆえ、教義は、漠然としていて包括的で、しかもじゅうぶんに調和がとれて一貫しているように見えなければいけない。その威力は、これこそ万物を包摂する唯一の真理なのだと断言するところからくる
 …信者は、たとい本当には理解できなくても、決められたとおりの信条に従わなければならないと教えられる。同時に、真理をもっとはっきり『理解』できるようになるには、もっと働き、もっと信仰を深めなければならないといわれる」

この記述は、宗教団体の健全性(違法性の如何)を問う前段で一つの解釈基準になっています。「証明も評価も出来ない教義」の危険性を世間は察知しているということです。これは還元すれば、自分が広めようとする信念体系が「証明も評価も出来ない」ものであれば、社会的な批判の対象となることを意味します。この場合、布教者側は、証明することによってのみ、自分の正当性を主張することができます。

しかし、その正当性の主張は、文理における証明に留まるものではありません。
要はその集団が信じているものが証明できなくとも、「何をしているか」によってその教えを世に問うことはできます。このような実際の功利面を持つ宗教は社会的な認知を得ることができるはずです。たとえば、「神」の存在は証明することはできません。けれど、愛を説くとされる神を信じる人々が愛に基づく行動をするとき、愛を通じて、不信の人々も神への信仰を評価することはおきます。

「日蓮本仏論」は文献的に証明できない。このように既に結論が出たようで、その証明できない点から証拠提示責任に遮難を論ずる在り方は理解に苦しみます。そもそも蓮師は「経・論・釈」をもって教えの正邪を決するべきであることを随所に書き遺しています。その蓮師の教えを証明する段で、「経・論・釈」に拠らないとすれば、蓮師その人の教えにその段で反してしまうことになってしまうからです。これでは蓮師を敬う似て蓮師に違背することになってしまいます。

しかし、たぶん、管理人さんが挙証責任をここに主張される理由は、もう一重、深慮があると拝察申し上げます。

挙証責任を考える人は、自分の主張を理解してもらおうとするとき、さらにその文理的な証拠の提示を進めます。しかし、「証明できない」考えを進めようとする人は証拠が提示できないときに行うことは決まって他者批判、蔑視という本性を見せます。この段階から教義云々の話は放擲され人格攻撃へ転じて、「証明できない考え」を主張する自分こそ正しいと声高に論いながら、他者蔑視にエスカレートしていきます。いわゆる、“荒らし”のメカニズムは常にこのようになっていると観察できます。

ここの掲示板は信・不信者の詰り合いのためにあるのではなく、「事実は何か」「真実は何か」を考えていく目的を持っていますから、このような“荒らし”行為、ひいては、その根底に眠る自己信念体系を認めない相手への「見下し」という差別、人権侵害を禁じるのは当然のことであるとともに、あくまで、主張される考えの挙証を求めて抑止を諮られようとする今回の措置をわたしは評価し、遵守するものです。

17 名前: ガンコ 投稿日: 2003/11/05(水) 18:33

恐れながら管理人さんに申し上げます。

今回の管理人さんの措置は拙速だったと思います。
前回、禁止事項の2を定めるに当たっては、一定期間を設けて掲示板参加者から意見を聴取ののちに決定したのですから、今回はいかにも緊急措置的な意味合いを強く感じます。
もちろん、こうした点を反省されて、事後ながらこのような独立のスレッドを設けられたのだろうと思いますが、わたくしはあえて禁止事項3の見直しを提案するものであります。
まず、この間の事情を勘案すると、文面にあらわれていないとはいえ、沖浦氏が大きく関わっていると思われて仕方がありません。ルールというものは、必要に応じて追加されたり、改変されてしかるべきですが、今回の沖浦氏の一連の投稿をきっかけにルールが追加されるとするならば、慎重の上にも慎重を期さねばならないものと考えます。ほんらいならば複数の事例を勘案してルールをつくることがのぞましいわけで、そうすることによって普遍的なものができるのだろうと思います。
わたくしの印象を申せば、今回は特殊なケースであろうと思います。特殊のものから普遍のものを抽出することは難しいわけで、もう少し練り直さないといろいろと不都合が生じるような気がします。たとえば、ある種のグループや理解力のない人には、今回の措置が沖浦氏に対する弾圧に思えてしまう可能性もあります。
もし、そのような想起を発こさしむるのであれば、そのルールは普遍性にとぼしいといわざるを得ません。

ちなみに、挙証義務は理の当然であります。別枠でルールを設ける必然性は見いだされません。

さらに、禁止事項という意味では、やや文面が不整合に感じます。禁止事項1、禁止事項2は明確に禁止をうたっていると読み取れますが、禁止事項3は何をどのように禁止しているのか判然としないところがあります。ここにおいても、理解力のない人には「なんだかわからないけど、うっかりすると、せっかく投稿しても削除されてしまうようだし、投稿禁止になってしまうばあいもあるようだ。なんとも恐ろしい掲示板である。」というような印象を与えかねません。

つまり、わたくしの提案の意味は、ルールを追加することに異存はないが、もう少し文面を練り直す必要があるのではないか、ということであります。

18 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/05(水) 19:19

ガンコさん

了解致しました。

当掲示板は、どこまでも御参加の皆様の為に提供されています。ですから当掲示板のルールは全て、御参加の皆様の便宜の為だけを目的に作られています。いわば、道交法のごとき、交通整理のためのルールに過ぎません。そのほかには何らの意図もありません。ですから、本来、当掲示板のルールは一旦設定されたものであっても、ご参加の皆様のご意見により、改廃されるべき性質のものであると考えています。特に今回は、御参加の皆様にお計りすることなく、管理者の判断によって追加したという経緯がございます。

以上の趣旨により、誠にお手数輪お掛けして申し訳ありませんが、ガンコさんを始め、掲示板御参加の皆様の修正意見を承りたいと存じます。宜しくお願いいたします。

19 名前: 犀角独歩 投稿日: 2003/11/05(水) 19:45

管理者さん:

> 交通整理のためのルールに過ぎません。そのほかには何らの意図もありません。

そうでしたか。わたしの深読みでした。失礼いたしました。

20 名前: 無徳 投稿日: 2003/11/05(水) 19:53
管理人さん

17のガンコさんの見解を支持いたします。

18の件了解いたしました。私も過度の反応を致しました事を反省しております。

21 名前: 沖浦克治 投稿日: 2003/11/05(水) 21:34
 管理人さん
 今回の禁止事項は私が原因なのでしょうか。
 また私の主張に対するご質問に当方が答え、納得が得られ無くもの別れに終わった時には、どのように対応されるのですか>

22 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/05(水) 22:02

沖浦克治さん

今回、沖浦克治さんの御参加を契機に、掲示板の議論が上手く噛み合わない事例が生じたと認識致しております。ただ、それは、沖浦克治さんが原因であるとは考えておりません。上手く噛み合わない状態が続いたのは、当掲示板のルール不備に起因するものと考えます。

>また私の主張に対するご質問に当方が答え、納得が得られ無くもの別れに終わった時には、どのように対応されるのですか

明確な証拠を提示したにも拘わらず、その証拠に対する反証を示すことなく、ただ納得が得られなかった場合は、何ら禁止事項に抵触するものではないと考えます。

ただ、証拠に対する反証が示された場合には、その反証を否定する証拠を再度提示する義務が生じると考えます。このようにして、議論が噛み合って継続している限り、禁止事項に抵触することはありません。

禁止事項に抵触するのは、相手が反証を示したにも拘わらず、それを否定する証拠を提示することなく、一方的に同じ主張を繰り返し続けた場合であると考えます。

23 名前: 沖浦克治 投稿日: 2003/11/05(水) 22:34
 管理人さん
 見解の相違についてはどうなりますか。
 私はご本尊様にはお力があると思います。
 また蓮祖は久遠の本仏と説もあります。
 これらは信じるか信じないか問題であり、信じない人を理論的に説得する事は困難に思えます。
 この場合、双方の見解の相違とする以外にありません。
 また他人の質問に答えない自由は、この掲示板にはないのでしょうか。
 以上二点に対して宜しくお願いいたします。

24 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/05(水) 22:48

沖浦克治さん

>これらは信じるか信じないか問題であり、信じない人を理論的に説得する事は困難に思えます。

当掲示板には、議論禁止のスレッドがいくつかあります。また、議論禁止の新しいスレッドをご提案戴ければ、当掲示板の趣旨に反しない限り、スレッドを建ててまいります。理論的に説得することが困難な内容に付きましては、そのような議論禁止のスレッドにレスされると良いのではないでしょうか。

>また他人の質問に答えない自由は、この掲示板にはないのでしょうか。

答えないからと言って、禁止事項に抵触することはありません。ただ、質問を無視して、その主張を一方的に展開した場合は、禁止事項に抵触するものと考えます。

25 名前: 沖浦克治 投稿日: 2003/11/05(水) 23:19
 管理人さんにお尋ねいたします。
 蓮祖が本仏である、との万人が納得出来得る挙証とは、いかなるものなのかをお示しください。
 レス12で質問を致しましたが、お答えを頂いておりません。
 私は何度も申しますが蓮祖本仏論者です。
 当然そのように常に主張をいたします。
 証明せよ、との要求を頂きましても、「私はそう思う」としかお答えができません。
 無論、御書や法華経の文を引用して論じ、また経文の予言と蓮祖のご生涯との一致を証拠としてあげることは可能です。
 然しながら、御書や釈迦を評価しない人は、決して納得をしないでしょう。
 この場合、蓮祖本仏論をそれ以上主張できなくなります。
 万人が納得できる、蓮祖本仏論をお示し下さいませ。

26 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/05(水) 23:30

>蓮祖が本仏である、との万人が納得出来得る挙証とは

先ず、文証を示すことだと存じます。当掲示板は、富士門流信徒の掲示板ですから、富士門流信徒という立脚点を前提として示されれば足りると思います。具体的には、法華経並びに真蹟御書に依って示されれば良いと考えます。

27 名前: 沖浦克治 投稿日: 2003/11/06(木) 06:25
 管理人さん
 『失礼、沖浦さん、、あなたのような思いこみには本当に恐ろしい洗脳の怖さ、と自ら現実を判断するという思考停止のような、驚くべき情けなさ、を実感します。 』
 以上のレスは私を洗脳された思考停止の人間であり、情けない人間です、と断定しています。
 
 私はかって駄目な人との発言を貴殿から注意を受け、謝罪とともに取り消したことがあります。
 発言者が、たとえ挙証がか可能であっても、この発言はいあかの掲示板規則にあきらか二違反しております。
 
 【禁止事項】

1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。なお、管理者の制止を無視して、侮辱表現、侮辱発言を続けられた場合は、以後の投稿をお断りする事になりますので、予め、御承知置き下さい。

 禁止事項に基づき、この発言の取り消しと謝罪を要求いたします。

28 名前: ガンコ 投稿日: 2003/11/06(木) 08:55

禁止事項3の見直しについて

条文としては
「無意味な多重投稿・反復投稿の禁止」・・・これくらいが汎用性もあってよろしいのではないかと思います。

多重投稿は申すまでもなく同じ文章の連続投稿であり、反復投稿というのは、文章は同一でなくとも内容的に同じことの繰り返しと見なされるばあいを指します。
たとえ、それが正論であっても、意味もなく同じことを繰り返し言われるとウンザリするものです。いわんや、正論にあらざるものにおいておや、であります。
ですから、根拠を示せないとか、すでに論理が破綻しているとかにもかかわらず、臆面もなく投稿し続けることはとうぜん禁止の対象になります。
正論であっても適用されるばあいがある、とするのがルールとしては公平に思えます。

議論がこう着状態になって一向に進展しないまま、ムダな消耗戦を延々繰り返し、けっきょく物別れに終わったということが、過去にも何度かあったように思います。こうしたことも、この条文を適用すれば解消できる可能性があります。

上記をたたき台として提出します。


なお、日蓮本仏論について、じゃっかん申しますると、当掲示板には勉強家の方がたくさんいらして、日蓮本仏論の研究もすでにじゅうぶんおこなっており、いわば本仏論者の手の内は知り尽くしているのであろうと考えます。つまり、ありきたりの本仏論にはうんざりしていて、それに気がつかないでこちらが得意げに本仏論を展開しても、相手から見れば「無意味の投稿」にしか映らないのだろうと想像します。
本仏論者はもっとバージョンアップしなければならない、というのがわたくしの持論であって、極論すれば、たとえどのようなルールが制定されようとも、本仏論者だけが不当に阻害されることはありえない、と考えております。

29 名前: 犀角独歩 投稿日: 2003/11/06(木) 10:38

28ガンコさんの書き込みにわたしは同意します。

30 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/06(木) 12:11

ガンコさん
犀角独歩さん
皆さん

ガンコさんのレスに基本的に賛同し、以下の様に提案します。ご意見を承ります。

【禁止事項3の修正案】
無意味な多重投稿・反復投稿を禁止します。同じ文章の連続投稿、或いは、文章は同一でなくとも内容的に同じことを繰り返し投稿された場合は削除致します。
なお、根拠を示せないとか、すでに論理が破綻しているとかにもかかわらず、臆面もなく投稿し続けられた場合は、無意味な多重投稿・反復投稿とみなし、削除します。

31 名前: 犀角独歩 投稿日: 2003/11/06(木) 12:44

管理者さん:

ガンコさんのご提案に就き、ご提案のところ、わたしは賛同です。
管理されるお仕事が増えるばかりで、恐縮いたしております。
しかし、ここ何日か、以前のような落ち着いた調子で、皆さんと有意義な議論を交わせる環境が戻っております。
これも管理者さんのお陰と、深く感謝申し上げるものです。
お疲れ様でございます。そして、有り難うございます。

32 名前: 愚鈍凡夫 投稿日: 2003/11/06(木) 12:57
>>28:ガンコさんへ

これってボケはかますな!! (`_´プンプン)
ってことですか? (;.;)
例えば、
「まるで、翼をもがれたようなものです」
「お前はニワトリか?!」(▼▼メ)
みたいな・・・・・。

33 名前: 無徳 投稿日: 2003/11/06(木) 13:11
ガンコさん

当掲示板には勉強家の方がたくさんいらして、日蓮本仏論の研究もすでにじゅうぶ
んおこなっており、いわば本仏論者の手の内は知り尽くしているのであろうと考え
ます。

これって本当ですか?
日寛上人がここに居られるとしてもその様に断言できますでしょうか(笑)

34 名前: 無徳 投稿日: 2003/11/06(木) 13:14
訂正

(誤)
当掲示板には勉強家の方がたくさんいらして、日蓮本仏論の研究もすでにじゅうぶ
んおこなっており、いわば本仏論者の手の内は知り尽くしているのであろうと考え
ます。

(正)
>当掲示板には勉強家の方がたくさんいらして、日蓮本仏論の研究もすでにじゅうぶ
>んおこなっており、いわば本仏論者の手の内は知り尽くしているのであろうと考え
>ます

35 名前: 犀角独歩 投稿日: 2003/11/06(木) 13:34

寛師が目の前にいたところで、何も変わるところはないでしょう。
寛師が無謬でありません。
それほど、寛師の説など強固なものではないでしょう。

(笑)などつけて、ガンコさんを揶揄するのはどうかと思います。

36 名前: 犀角独歩 投稿日: 2003/11/06(木) 13:42

―35につづく―

ただし、寛師は好いことを言っています。
このスレッドに関連するので、引用しましょう。

「文証無くんば悉く是れ邪偽なり、縦い等覚の大士法を説くと雖も経を手に把らずんば之れを用ゆべからざるなり」

この寛師の言からすれば、証拠の示せない日蓮本仏論は「邪義」ということになりますね。

37 名前: 犀角独歩 投稿日: 2003/11/06(木) 13:43

【36の訂正】

誤)日蓮本仏論は「邪義」
正)日蓮本仏論は「邪偽」

38 名前: 無徳 投稿日: 2003/11/06(木) 14:20
独歩さん

私は日寛教学が無謬であり、ましてや日寛上人その人をも無謬などとは思ってい
ません。前にも何度か書きましたが南無妙法蓮華経(本尊)と言えど絶対的真理
とは思いません。

何故かならば「信」なき人にとっては南無妙法蓮華経は単なる語彙であり、もし
かしたら呪文の一種くらいにしか思わないかもしれません。

ましてやご本尊も「信」なき人にとっては単なる文字を書き記した紙でであり、
又は文字を彫刻した板切れに過ぎないでありましょう。

私は日寛上人が時の日辰教学と対決なされる中で、生涯をかけて研鑚叙述された
「六巻抄」を重く受け止めています。

ガンコさんのレスに(笑)を付したことは、決してガンコさんを揶揄する意図な
どありません。ガンコさんのご意見にはユーモアーを感じさせる文章が多いので
実際にはあり得ない日寛上人の現前化を前提とした私のレスをユーモアと受け止
めてほしいとの意図で(笑)を付したのです。

まあ、独歩さんのように受け止める方もおえられるでしょうから、(笑)の文字
を付したことは訂正してお詫びします。

39 名前: アネモネ 投稿日: 2003/11/06(木) 14:22
信仰について語るとき、その挙証責任を考えてみるということは、つまり「信仰責任を持つ」ということにつながるでしょうね。
信仰とは、人の人生を大きく左右するものですから、本来、出来る限りこのような挙証責任の意識を持って議論することは、仏法を語ろうとする者と当然の責務だったといえるのではないでしょうか。
少なくとも、拠り所とする聖典などを根拠として示すことは必然のことだったでしょうし、本来、法論対決の場では、そのようなことが厳格なるルールだっただろうと思われます。この掲示板における議論も、言わずとそれに準ずるものとならなければならなかったでしょうし、そして、そのような本来あるべき議論の秩序の形に成熟し、そして、それをルールに規定し、納得が得られるようにもなるのに、約2年を要した気がしますね。

挙証の提示を求められて、その責任が果たせないとなると、その時点で法論の勝負は決まってしまうわけですが、ところが負けを認めたくないばかりに、その追究を交わすべく、理不尽な人身攻撃で反撃に出るという行動原理こそ、実は日蓮が受けた迫害というものに他ならないかもしれません。人格攻撃もそれに含まれるでしょう。

700年もの時を経て、根拠となる文書の中には、今では常識的に通用しないものもあるでしょう。それを潔く認めて、更なる研鑚に励むのが、議論する者の真摯な態度、また信仰者の責任といえるものでしょう。また、そのような研鑚や検証もなされていないものを、確信的に断定し広められることは、無責任であるということだと思います。

自分の語った信仰によって、他の誰かがその信仰に入るかもしれません。その瞬間から、自分以外の人のかけがえのない人生を大きく左右してしまうことになるかもしれないわけです。そのことを考えれば、たとえどのような場であれ、信仰を語る人の言葉の責任は非常に重いといえます。その意識を自ずと持たされる意味でも、この度の規制はある意味で大変な英断であるものかもしれません。

信じている人にとっては、それは間違いなく幸福をもたらす道と信じてやまないことかもしれません。しかし、信仰によって結果的に不幸になってしまっている人も現実として多くいるわけです。信仰に入る人の人生のみならず、その人の家族や愛する人、その人を取り巻く多くの人の人生をも巻き込んでしまうことも多いわけですから、信仰を語る人の責任は重大です。このようなときに、不幸になったのは、信心が足りないからだとするならば、信心が足りないことが原因で不幸になったという、その明らかな証拠や根拠が求められ、その提示かせなされない以上、発言は慎むべきであり、今後は撤回されるということでしょう。

信仰を語る言葉にどのような形で責任を持ているか、それはやはり挙証責任ということを考えてみるということから始まるものかもしれません。
特に、日蓮仏法の場合は、個人の信仰のみに留まらず、他へも信じさせようとする教えですから、広めようというならば、尚のこと、正しい法門を明らかにしておかなければならないわけです。
「根拠はないけど、絶対正しいことだけは間違いない」
このような不用意な言葉で、むやみに信仰を勧誘することは、大変危険な信仰活動であることを再認識すべきことと思います。

自分が信じていることの、その根拠が証明されない限り、その人にとってはどんなに深く大きな確信であっても、残念ながら、それは単なる思い込みや幻想、もしくは妄想に過ぎないという可能性もあることを考えなければなりません。そのリスクを考えて語るということが、責任ある言動として求められるところということになるものと思われます。

40 名前: アネモネ 投稿日: 2003/11/06(木) 14:25
(つづき)
確かに窮屈になるかもしれません。しかし、窮屈だと感じるということは、裏を返せば、これまで、いかに根拠なき確信を無責任に語ってきていたか、また、そのことにいかに無自覚であったかということが言えるのではないでしょうか。

本仏論を立証するのに、口伝法門と本覚思想が不可欠というならば、まずは口伝法門と本覚思想が、いかに信憑性があるものなのかが検証されなければなりません。どの程度、検証されてきているものなのかは、私にはわかりませんが、仮に、研鑚も検証も試みないうちから、それが正しいと結論付け断定的に語られてきているとするならば、やはり言葉の責任の希薄さは否めません。
また、口伝法門が伝えられてきているのは、日蓮正宗とされているわけですから、その口伝法門の中味がわかるのは、宗門だけということになります。ならば、その宗門を邪宗とする創価学会が、なぜその口伝法門によるところの本仏論を信じているのか、ということにもなり、その根拠が求められることになるでしょう。

本仏論というからには、あくまで「論」なわけですから、根拠を示しながら筋道を立てて論じられなければならないことは、当然のことなわけです。ですから口伝法門の内容とその信憑性が明らかにされない限り、理論の脆弱さはどうしたって否めません。
ところが問題は、口伝法門は一般信徒の預かり知らない、秘すべし法門のということでしょうから、早い話が、なんとでもいえるわけです。ですから、かくの如き伝えられているということについての信憑性について、残される証明の道とは、独歩さんが記述されているように、その口伝法門を守ってきたとする宗門が、どれだけ信用できる一門であるものなのかという話になっていくでしょう。

しかし、そういうことは、過去2年半ほどの間に、ほぼ概ね議論されてきたことなのではないかと思いますね。

私も今回は、管理者さんにご審議をお願いした一人ではありますが、この度の決定は、管理者様のご英断であったと、遅ればせながら、私もご賛同申し上げます。

41 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/06(木) 14:39

概ね、当スレッドの目的は達せられたものと存じますので、このスレッドは閉鎖させていただきたいと存じます。また、禁止事項3の修正が完了した段階で、当スレッドは削除させて頂きたいと存じます。

42 名前: 管理者 投稿日: 2003/11/06(木) 15:15

なお、当スレッドは閉鎖いたしますが、本件に関するご意見は、「管理者からのお願い」スレッドにおいて、引き続きご意見を承りたいと存じます。宜しくお願いいたします。

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