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御遺文校正
1伝六:2005/03/16(水) 22:59:01
誰でも書いていいようだから、考えていることを書きます。真蹟の存在する御遺文については、あまりちがった読み方はないようだけれど、真蹟の存在しない御遺文については、ちがっているところがあるので、もっともよい読み方の研究は必要と思います。一例をあげると、報恩抄で、「わが身もたすけ、人をもみちびかん」と昭和定本にありますが、「わが身もすすみ、・・・」としている高祖遺文録の読み方がいいと思います。というのは、大乗仏教では、自分より他の救済を先とするから、わが身をたすけるのが先にくるのはおかしいと思うのです。

2川蝉:2005/03/17(木) 15:59:30
伝六さん今日は。

昭和定本のもとになっている霊艮閣蔵版「日蓮聖人御遺文」では、「報恩抄」を日乾上人の対照本によって校正していると追記されています。
「わが身もたすけ、人をもみちびかん」としていますね。

しかし、小川泰堂居士も報恩抄は真蹟と対照したとありますね。
これは、日乾上人と小川泰堂居士とどちらが正確だったのかと云う問題になりますね。

菩薩の修行は「自利利他」とも云いますが、「自利利他」を「わが身もたすけ、人をもみちびかん」と平易に言い換えても良いだろうと思われますし、
また、辞書に「自利利他」を
「自ら利益を得、他人をも利益すること。自らは悟りを求め、人々に対しては救済し、利益を与える行為。菩薩の実践。」
とあります。
そこで、「自らは悟りを求め、」の意を「わが身もすすみ」とか「わが身もさとり」とも言い換えても良いと思われますね。

3伝六:2005/03/17(木) 22:34:59
川蝉さんこんばんわ。さっそくありがとうございます。「たすけ」がいいか「すすみ」がいいかは、個人的な経験がはいっていて、最初平楽寺版で読んでいて、類纂高祖遺文録を読んだとき、「すすみ」というほうに納得したのです。伝教大師は「忘己利他は慈悲のきわみなり」と言っているそうです。私はふつうの意味においてあまり菩薩的性格をもっていないように自分を考えていますが、教菩薩法ですから、自分の性格において菩薩と転換しなければならないと。テーマから脱線しました。

4伝六:2005/03/18(金) 11:34:26
報恩抄に「已今当の三字は五十年並びに十方三世の諸仏の御経を一字一点ものこさず引載て、法華経に対して説かせ給ひて候也。十方の諸仏此の座にして御判経を加へさせ給ひ、各々自国に帰らせ給ひて我弟子等に向かはせ給ひては・・・」の箇所は、類纂高祖遺文録以外は、「・・・法華経に対して説かせ給ひて候を、十方の諸仏・・・」となっていたと思います。これは「を」ではなく「也」のほうがいいと思います。已今当は釈尊が「我が所説の経典」について、言われているのだから、一往は五十年の説法ですが、もし久遠の仏の立場から言われたなら、十方三世のわが所説になるわけです。そこのところが「也」とすることによって、より鮮明に意識されると私は思います。

5川蝉:2005/03/18(金) 14:01:32
ついでに。
過日、中尾堯教授の「日蓮聖人の法華曼荼羅」と「日蓮聖人のご真蹟」を読みました。

改訂前の昭和定本では「本尊抄副状」の文中に、
「開拓せらるべきか」
となっている箇所があります。
中尾堯先生は

「拓」は示す偏に石で(示石)、「じゃく」と読み、神仏の象徴を大事に納めた石室の意味。
「無二の志」を感じた時には、重い石の扉を開いて本尊抄を読ませるようにと云う意味がよく窺える。(日蓮聖人の法華曼荼羅)

と指摘されています。

また、弘安三年七月(或いは建治元年)の「大田殿女房御返事」の終わり部分にある「千且々」(せんしゃせんしゃ)は、「然る遍(べ)く候」である(日蓮聖人のご真蹟)。
と指摘されています。

6伝六:2005/03/18(金) 21:22:31
示す偏に石で「ジャク」と読んで、そういう意味ですか。たいへんありがとうございます。類纂高祖遺文録には、この字に「タク」とルビをふってあります。「大字典」でひいてみますと、「宗廟中ノ木主ヲ蔵ムル石室」と書いてありました。木主というのはたしか位牌のようなものだったと思います。ところで、「御判形」を「御判経」としてしまいました。つつしんで訂正いたします。

7伝六:2005/03/20(日) 15:50:32
山川智応博士の「観心本尊抄講話」をみると、やはり「かいたく」とルビをふってありました。誤植でなければ、博士が、「示す偏に石」を呉音読みで「ジャク」漢音読みで「セキ」となるということを調べなかったという確率は小さいので、伝統的にタクという読み方があった可能性もあると考えました。もちろん千慮の一失というのはどんな大学者にもあると思いますので、おそらく「カイジャク」と読むのだろうと思いますが、断定はできません。気がついたら誰か教えてください。

8川蝉:2005/03/21(月) 15:30:57
伝六さん今日は。

「類纂日蓮聖人遺文集」では、衣偏「楹」で「楹石」となっていますが、手元の漢和辞典では、この字はないです。
示す偏はネと書く場合もありますから「ネ石」か「示石」であるべきなのでしょう。
中尾教授は現在では御真蹟判読の第一人者ですので、御真蹟が「示す偏」であることに気がついたのでしょう。

それから「観心本尊抄副状」の行末の部分ですが、
「類纂日蓮聖人遺文集」では
「一見を暦るの末輩(ともがら)」
となっている箇所について、山川智応居士、中山喜八居士は
「末」は「来」を誤判読したものであって、「一見を暦て来たるの輩」
が正読であるとしています。
このように、御真蹟は崩し字(草書)や、かすれもあるので、昔の人が誤読している場合もあるのですね。

9川蝉:2005/03/21(月) 15:47:51
訂正です。

電子辞書を貼り付けましたら、
書き出しが
>「類纂日蓮聖人遺文集」では、衣偏「楹」で「楹石」となっていま
>すが、手元の漢和辞典では、この字はないです。
と、送信されてしまいました。

「楹」は「ネ 」に一画多い「ころもへん」です。「裃」の左がわと同じです。
「楹石」は、ころもへんと石を合わせた字のことです。

何だか解りにくくて申し訳ありません。

10伝六:2005/03/22(火) 14:16:09
川蝉さん、こんにちは。失礼しました、そそっかしくて、示すへんと衣へんを混同してしまいました。中学のレベルのまちがいですね。中尾教授の発見は「衣へん」ではなく「示すへん」だということですね。「衣へん」に石で「大字典」をひくと、タクという音を書いてありました。ところで、中山喜八居士はたしか山中喜八居士だったと思いますが。

11伝六:2005/03/25(金) 20:12:37
撰時抄に「一茀あつまりて大海となる、微塵つもりて須弥山となれり」とあります。この一茀のところは、御真蹟では衆流または衆茀と書かれ、その横に大聖人以外の人の筆で一茀と書かれています。昭和定本等で衆流としているのは、茀の字の上から訂正して流の字をお書きになったものとしているのでしょう。筆跡の上から、茀の字が上か流の字が上か判定できるものか質問したいと前から考えていました。

12伝六:2005/03/26(土) 18:27:55
撰時抄に「佛日を用て国土をてらせ」とあって、どの御遺文集もそうなっていると思いますが、御真蹟は「佛日を用て国をてらせ」となっています。国土としたのは、大聖人が土という字を書くのをお忘れになったというふうに考えたのでしょうが、教機時国の国と考えると、むしろ国のほうがいいのでないかと思われるのですが、どうだろうかと考えています。

13川蝉:2005/03/27(日) 10:44:55

11 名前: 伝六 投稿日: 2005/03/25(金) 20:12:37

撰時抄に「一茀あつまりて大海となる、微塵つもりて須弥山となれり」とあります。この一茀のところは、御真蹟では衆流または衆茀と書かれ、その横に大聖人以外の人の筆で一茀と書かれています。昭和定本等で衆流としているのは、茀の字の上から訂正して流の字をお書きになったものとしているのでしょう。筆跡の上から、茀の字が上か流の字が上か判定できるものか質問したいと前から考えていました。
伝六さん今日は。
山中先生の名字間違えました。ご指摘の通り「山中喜八居士」です。

撰時抄の「一茀あつまりて大海となる」(昭定1054頁)について。
改訂前の昭定はは「一茀」となっていますが、茂田井教亨先生の講義の際、真蹟は「衆流」であるから記入しておくようにと言われたので、訂正しました。
真蹟写真集を所有していないので、真蹟の字がどうなっているのかわかりません。
真蹟写真集を所有している方に調べて貰いたいですね。


撰時抄に「佛日を用て国土をてらせ」(昭定1005頁)について。
昭定では注記に「真蹟には土無し」となっていますね。

>どの御遺文集もそうなっていると思いますが

「平成新修日蓮聖人遺文集」
も「佛日を用て国をてらせ」(479頁)となっています。
高佐貫長編纂普及版「日蓮聖人御遺文」も、同じく
「佛日を用て国をてら(照)せ」(103頁)になっています。

14川蝉:2005/03/27(日) 11:34:33
うっかりして伝六さんの投稿を貼り付けたまま送信してしまいました。
お詫びします。

15伝六:2005/03/29(火) 18:49:04
川蝉さん、こんにちは。毎度ありがとうございます。平成新修は一度読んでいるのにほんとうに不用意なことでした。そういう本があって、やはり「国をてらせ」とすべきだという考えがより強くなりました。

16伝六:2005/03/31(木) 11:30:56
誰か知っている人があったら、教えてもらいたいと思っていることの一つに次の御文があります。「伝教
大師の云く「・・・・已に仏説に拠るあに(原文は漢字)自讃ならん哉」」の自讃のところが、御真蹟には百難となっています。伝教大師の著作にあたったことはないのですが、おそらくは自讃であろうと推測されます、しかし大聖人がまちがって、百難とお書きになったとも思えないのです。大聖人の御書にも、誤字が全然ないということはないようですが、この箇所はどうもそうでないのではないかと思えるのです。

17ご本人の希望により削除しました:ご本人の希望により削除しました
ご本人の希望により削除しました

18伝六:2005/04/01(金) 17:09:27
管理人さん。おそれいりますが、17の文を削除して下さい。大居士についてまったく知らない人が誤解することなきにしもあらずと心配ですので。

19川蝉:2005/04/02(土) 09:56:24
伝六さん今日は。

伝教大師の「法華秀句」の「仏説十喩校量勝六」の文ですね。
「伝教大師全集巻三」の257頁にある文で、「自歎哉」となっています。
「自讃」でなく「自歎」です。
昭定(1058頁6行)では「自歎」とし、「真蹟は百難」と注記しています。
平成新修や普及版でも「自歎」となっています。
御書の写真に、はっきりと「百難」とあるとすれば、日蓮聖人の所有されていた「法華秀句」あるいは要文集に「百難」とあったのか、もしくは聖人のご記憶違いと云うことになるのでしょうかね。

20伝六:2005/04/03(日) 16:29:13
川蝉さんこんにちは。自讃ではなく、自歎でしたか。おそらく、意味としてはあまりかわらないと存じます。といっても伝教大師の原文が自歎なら、自歎とすべきと存じます。私が万が一あるかもしれないと思ったのは、米寿と書いて八十八を意味するように、百難と書いて自歎を意味するというような約束があったのだろうかと考えてみたのです。どうもそれはなさそうですが、ご記憶ちがいとも今のところ思われないのです。

21川蝉:2005/04/11(月) 11:33:04
伝六さん今日は。

撰時抄の「豈に自歎ならん哉」(昭定1058頁6行)
について。

昭定第三巻の「秀句十勝抄」(真蹟在・2369頁4行)を見たところ「豈自歎哉」(豈に自歎ならん哉)となっていました。
聖人は「秀句十勝抄」には「自歎」となっていることを知っておられたことになりますね。

撰時抄の写真版を見たことがないのでどの程度の崩し字で書かれているかわかりませんが、
撰時抄の字は、もともと「自歎」と書かれているが、崩し字のため
「百難」と見えるのでしょうか。

22川蝉:2005/04/11(月) 11:40:40
訂正です。毎度うっかりミスをしていまいます。

>聖人は「秀句十勝抄」には「自歎」となっていることを知ってお
>られたことになりますね。
とある中の「秀句十勝抄」を「法華秀句」に訂正してお読みください。

23伝六:2005/04/13(水) 14:26:57
川蝉さん今日は。「秀句十勝抄」の該箇所を「日蓮聖人真蹟集成」で見ますと百難の横に本文より細い字で自歎と書いてありました。私には筆跡鑑定?能力はありませんが、大聖人のお文字とはちがうようです。どうも大聖人は自歎ということは頭にあって、百難と書かれたのではないかという気がしています。

24伝六:2005/06/13(月) 09:56:35
今成元昭師が、開目抄には「常不軽品のごとし」が真蹟にはなかった筈だと言っている。学者としてはずいぶん粗雑な考証で、学説的価値はないと考えるが、今成師の指摘によって、はじめて岩波文庫の「日蓮文集」等に「常不軽品のごとし」が削除されていることを知った。文集は兜木正亨校注だから、兜木師も「常不軽品のごとし」はなかったと考証?したのであろう。今成師によれば、日乾の真蹟対校本の「常不軽品のごとし」のところに線をひいて、御本に無と小さく書いてある。さかのぼって好学院日存の写本にも「常不軽品のごとし」がないから、ないほうが真蹟だと言っている。ところが遠乾二師の刊行した百部摺本には「常不軽品のごとし」があったらしい。小川泰堂は身延山で御真蹟を拝照して古版の不審なところは照鑑して、全部は百部摺本の一本によって校定したと書いている。「常不軽品のごとし」はなかった筈だなどという先入見で、御遺文をあつかうのは、あさましいことだと思う。

25伝六:2005/06/14(火) 22:04:56
御遺文の刊行を最初に計画したのは本満寺日重で、弟子の日乾、日遠は、師の意を体して、校訂にあたった。思うに日重師によって伝えられた開目抄の写本を御真蹟と照合したのであるから、写本には「常不軽品のごとし」がなかったことを、御本に無しと書いたのであろう。もし伝日重の写本に「常不軽品のごとし」があたのなら、真蹟にはないのに、誰かが書き加えたことになる。それは考えにくい。「常不軽品のごとし」がないということは、書写の過程で書き落としてしまったということはありうることと考えられる。小川泰堂が校正ミスをしたという確率は「常不軽品のごとし」があったかなかったという問題においては、限りなく零に近い。だから開目抄において「常不軽品のごとし」がなかった筈はないと私は考える。

26伝六:2005/06/24(金) 11:07:48
御遺文校正の話とは、すこし筋がちがうけれど、今成師は如説修行抄が偽書だと言っている。同師は文学のプロと自認して、鼻息があらいから、言っていることがほんとうだと思う人もあるかもしれないというより、あるようだから、偽書と主張する根拠が全然根拠になっていないことを指摘しておきたい。一つだけ例をあげると、真蹟遺文で折伏と摂受という語がでてくる回数をしらべるとどの御書も大体同数だけれど、如説修行抄では折伏という語の出てくる回数が圧倒的に多いから、偽書だというのである。如説修行抄は「法華折伏」の修行を説いた御書だから、折伏の語が多くなるのは、あたりまえではないか。宗門の歴史七百年で如説修行抄が偽書だと言った人があるだろうか。ふけばとぶような人?が言ったことがあったとしても、それは例外に属する。今成師がそのようなことを言うのは、「以是方便 令法久住」のおはからいでないかと思う。如説修行抄を積ん読にしないで、心読し身読しなさいと。

27レッドカード:レッドカード
レッドカード

28レッドカード:レッドカード
レッドカード

29レッドカード:レッドカード
レッドカード

30本人のご希望により削除します:本人のご希望により削除します
本人のご希望により削除します

31伝六:2005/06/26(日) 10:06:25
真蹟の存在する御書を標準御書とするのはいいが、真蹟の存在しない御書は宗義を考えるときに除外するという研究方法はいい研究方法ではない。古来誰も偽書だと言わなかった御書は偽書の疑いはきわめて少ないとみなければならぬ。(ただ伝写のあやまりがあるし、真蹟をごらんになればわかるが、草書になれた人でも容易に判読できない文字があり、古人もかなり誤読している。)

32伝六:2005/06/27(月) 08:54:29
管理人様、30のカキコは必要なくなりましたので、削除をお願いします。

33川蝉:2005/07/06(水) 09:36:43
伝六さん今日は。
スレッドが違いますがShamonさんの正論、要を得て見事ですね。
さて、
文献文字学研究所の大川善男博士の指摘ですが
昭和定本の「聖人御難事」には
「安房国長狭郡之内東条の郷、今は郡也。天照太神乃御厨也」
とありますが、

《 御書を『日蓮聖人真蹟集成』の影印を見ると、「今は郡も天照太神の御厨也」とあり、それを読解するならば「自分が生まれた所の安房の国の東条の郷は、今は東条だけが御厨ではなく、長狭郡の全域が天照太神の御厨になっている」と誇りをもって綴られたものであって「東条が郡にあんった」などと書かれていないのです。》(大川善男博士著・鎌倉と日蓮・P134頁)

と指摘してありました。
伝六さん真蹟写真で見て下さい。

34伝六:2005/07/06(水) 14:06:42
川蝉さんこんにちわ。
しかし、大向こうから野次がとんでしまいましたね。もっとも野次をとばしたのはべん氏なる怪人物?(じょーだんですよ)ですが。 真蹟解読についての御教示ありがとうございます。みてみたところ、少し也とはちがうように見受けられました。もっとも草書は満足によめないので、字については専門家を信用します。意味から考えると、「今は郡也」が東条郷が東条郡になったという歴史があったということだと、当時の人に対してそんなわかりきったことは書かれないだろうと推測します。

35伝六:2005/07/08(金) 09:32:59
「人、道をつくる、道に迷う者あり、つくる者の罪となるべしや」。当然道をつくった人の罪ではありません。しかし、道に迷っている人があって、知っていて教えないのは罪でしょう。自身が迷うだけでなく、人も迷わせるとなると、放置してはおけない。如説修行抄は偽書だというのは、道にまちがった標識をたてるようなものだと私は考える。

36川蝉:2005/07/15(金) 10:08:22
伝六さん今日は。
前に話題になった、
伝教大師の「法華秀句」の「仏説十喩校量勝六」の「已に仏説に拠るあに自歎ならん哉」を日蓮聖人が引用されるとき「自歎」が「百難」に成っていることに関してですが。
昨日、気づいたのですが、文永十二年正月「太田殿許御書(真)」に、「法華秀句」の文が引用されています。(昭定855頁一行目)
昭定では「已に仏説に拠るあに自讃ならん哉」(原漢文)と成っていますが、脚注に「讃」は真蹟では「難」であると注意してありました。

百難とは「あらゆる非難批判」の意で、「已に仏説に拠っているのであるから、非難・批判されるものでない」と言い換えて、伝教大師の言葉を意味を解りやすく伝える目的で「自讃」を「百難」と記されたのではないかと推測します。
「太田殿許御書(真)」の写真がお手元に御座いましたら、調べてみてください。

37伝六:2005/07/18(月) 09:14:42
川蝉さん、おはようございます。「日蓮聖人真蹟集成」でみますと、「百難(難か歎か他の字かは私には定かでありません)」の百の字の横に自の字を書いてあります。大聖人の御文字か、他筆かはわかりません。秀句十勝抄では、あきらかに百難と書かれていて、その横に自歎と書かれていました。「大田殿許御書」では百の字だけの横に自と書いてあります。すでに三つの御書に百難とあるのだから、大聖人は意識して百難とお書きになったと愚考します。伝教大師の原文は自歎なので、おっしゃるような解釈が真に近いのではないかと存じます。

38伝六:2005/07/19(火) 09:26:53
御遺文の解釈には影響しないことですが、撰時抄で、欽明天皇のことを銀明とお書きになっています。他の御書にも銀明と書かれています。これは大聖人以外の人もこういう表記をすることがあったのだろうかと考えています。それから、「聖武天皇の御宇に審祥大徳、新羅国より華厳宗をわたして良弁僧正聖武天皇にさづけたてまつりて・・」の箇所を御真蹟でみると、「(良弁僧正)にさづく、良弁僧正は(聖武天皇にさづけたてまつりて)」の文字が横に書き加えられてあります。二三の御遺文集を見たかぎりでは、この訂正が加えられていないので、これは他筆と判断したためでしょう。しかし「聖武天皇の御宇に審祥大徳新羅国より華厳宗をわたして良弁僧正にさづく、良弁僧正は聖武天皇にさづけたてまつりて東大寺の大仏を立てさせ給へり」としたほうが意味の上からは明確になるように思われます。

39伝六:2005/07/22(金) 21:55:18
撰時抄に「日本国の伝教大師漢土にわたりて、天台宗をわたし給ふついでに、真言宗をならいわたす」とあります。平成新修では「ならひわたす」とありますが昭和新修は「ならへわたす」として漢字で「並べわたす」としてあります。真蹟をみますと、「ならい」の箇所は「ひ」らしき文字の上に(重ねて)墨黒く、「へ」らしき文字を書いてあり、その横に「い」または「ひ」と読める文字が書いてあります。「習いわたす」と「並べわたす」と意味の上からどちらがいいでしょうか。また大聖人の訂正方式から考えてどう読むのが適当でしょうか。分外のことを背負いこんでいるような気もするけれど、そんなことを考えています。

40川蝉:2005/07/24(日) 10:25:22
伝六さん今日は。

昭和定本では
「真言宗をならべわたす。」(P1035)
になっていて、脚注は付いていませんでした。

真蹟が、伝六さんのご指摘のように記されているのでは、どちらにを採るべきか判断しかねますね。

強いて云うと、「真言宗をならべわたす。」だと、天台宗と真言宗の二つの宗旨を将来した、と云う意味合いが強くなるように感じますね。
撰時抄に
「(伝教大師は)真言宗の宗の名字ば削らせ給いて、天台宗の止観真言等かかせ給う」(昭定P1041)
とありますので、日蓮聖人は「伝教大師は、真言宗の教義を中国にて、さらに習学し、天台宗に包摂した」と受け止められておられたように思えます。
この点から強いて云えば、「真言宗をならいわたす」の方が、良いのかなと感じますね。

41伝六:2005/07/25(月) 10:27:17
川蝉さん、こんにちは。なるほど、意味の上からは、「真言宗をならいわたす」の方がよいようですね。筆跡から最初「ならひわたす」と書かれたことはまちがいないので、「ひ」を「へ」と訂正されたのではなく、「へ」とよめるけれど実は抹消の記号で「ひ」を「い」と訂正されたのだとすればつじつまがあうのですが、それにしても「へ」とあきらかに書かれている感じもします。話はかわりますが、撰時抄の御真筆では上行菩薩を浄行菩薩と書かれています。「・・・浄行菩薩の重ねて涌出せるか、いそぎいそぎ慈悲をたれられよ」「浄行菩薩の大地より出現し給ひたりしをば、弥勒菩薩 文殊師利菩薩・・・」じょうぎょうという発音が同じだから、この浄行というのは上行を指すのだと考えてよいのか、すこし疑問がのこります。

42伝六:2005/07/29(金) 15:48:01
種々御振舞御書は、高祖遺文録と平成新修等と、だいぶちがった箇所があるのですが、真蹟が焼失してしまっているため、どちらがいいと決めることはできないのですが、私は高祖遺文録のほうが、解釈面からいい箇所が多いように思います。まだ判断しかねている箇所ですが、「法華経をはりこはく(張り剛く)行ぜしかどもかかる事出来せしかば退転してとどまりにき」が、平成新修等では「法華経をばそこばく行ぜしかども・・・」となっています。ちがいは「をはりこはく」とよむか「をはそこはく」とよむか、ただ一文字を「り」とよむか「そ」とよむかによります。「法華経をばそこばくぎょうぜしかども」とよむと、意味の上からは「法華経を少しばかり行じていたが、」ということになるのでしょうか。退転したのだから、結果的には少しばかりでしょうが、主観的には「法華経を緊張して剛く行じていたが、」という方が、私には、どうしてもいいように思われます。

43伝六:2005/08/11(木) 21:53:52
神国王御書は、多くの御遺文集で「然るに日蓮此の事を疑ひしゆへに幼少の比より随分に顕密二道並びに諸宗の一切経を或いは人に習ひ、或いは我と開見し勘へ見て候へば故の候ひけるぞ」としていますが、御真蹟では「顕密二道並びに諸宗一切経を」となっていて、「諸宗の一切経」の「の」の字はありません。この場合は「の」の字をおぎなわないほうがよいように愚考します。これは古人は秘蔵された真筆をみることができなかったから、写本をあえて訂正しなかったのではないかなどと考えています。

44伝六:2005/08/30(火) 12:01:59
神国王御書に「ヒコナギサタケウノハフキアワセズノミコト」というよみが、ふりがなにかかれています。「ウガヤフキアエズノミコト」がふつうだと思いますが、日本書紀をみてみたら、「ウガヤフキアワセズノミコト」というよみも書いてありました。「ウノハ・・・・・・」と書いてある本があるでしょうか。しかし大聖人の御真筆とすれば当時は「ウノハフキアワセズノミコト」というよみが伝わっていたと思われます。

45川蝉:2005/09/01(木) 10:06:07
伝六さん今日は。

所有していた岩波文庫の「日本書紀」の上巻が、どこかに隠れてしまい、調べることが出来ません。
角川文庫の「古事記」があったので調べてみましたら、
「天つ日高日子波限建鵜葺草葺合へずの命」とあり、
(あまつ・ひこひこ・なぎさ・たけうがや・ふきあへずのみこと」と、仮名が振られています。(・点は読みやすいように私が勝手に入れました)
神国王御書は「日子」を「彦」と当て字しているようですね。
「本化聖典大辞林」に
「急に産舎を設け屋を葺くに鵜の羽と茅とを以てす。未だ了らざるに已に生る、故に葺不合と名づく」(2701頁)
と説明しています。
説話に基づき、「鵜葺草」を「鵜の羽」と読む読み方も有ったのかも知れませんね。

お願い。
御書の文を挙げるさいには、伝六さん使用の御書の頁数でよいですから、頁を記してください。

46伝六:2005/09/02(金) 09:45:40
川蝉さん、おはようございます。神国王御書は類纂高祖遺文録519頁の箇所です。御真蹟には「ヒコナキサ タケウノハ フキアハせスノミコト」とふりがながふってあります。カタカナのふりがなですが、「せ」と書いたのは、「セ」の字ではなく「せ」に近い字に読めるからです。文章は「乃至第五は彦波○○○草葺不合尊。此神は第四の彦火の御子也。母は龍王の女也」の箇所です。ちなみに「竜王の女(むすめ)」は御真蹟では「龍女」です。類纂はこの御書については真蹟を拝照してないので、写本のままだと思います。

47伝六:2005/09/22(木) 09:50:57
神国王御書の冒頭に、「夫れ以(おもんみ)れば日本国を亦は水穂の国亦は野馬台又は秋津島又は扶桑等と云々。」とあります。野馬台を類纂はヤマトとルビをふってあります。ヤマタイとルビをふってある御遺文集もあります。魏志倭人伝に邪馬台国の記述があるということで、邪馬台国がどこにあったかという論争があったようですが、邪馬台国というのはヤマトの国にほかならないわけで、漢字に意味があるわけでなく音が問題だから、魏の人はヤマタイに近い発音をしたのかもしれないけれど、日本人はたぶんヤマトだと思います。それはともかく野馬台と邪馬台は野と邪がちがうだけて両方ヤとよむから、同じ発音になると思います。だから邪馬台国の時代があったわけでなく、魏の時代に日本についての伝聞を書いたにすぎないのが、魏志倭人伝の記述だと思います。御遺文校正とは関係ありませんが、御遺文は第一級の史料でもあるわけです。

48伝六:2005/10/24(月) 12:41:12
「而るを賢愛論師と申せし小僧あり、彼をただすべきよし申せしかども、王臣万民これをもちゐず。結句は大慢が弟子檀那等申しつげて無量の妄語をかまへて悪口打チャクせしかども、少しも命もおしまずののしりしかば・・・」(類纂日蓮聖人遺文集129ページ)御真蹟には「大慢が弟子等檀那等に申しつけて」とあるのですが、御遺文には濁音に点をうっていません。古文はそうなのでしょう。だから「申しつけて」となるか「申しつげて」となるかは、読む者が判断せねばなりません。申しつけてと読むと、大慢の弟子等が、檀那等に申しつけて(命令にちかい意味になるでしょうか)悪口打チャクさせたというような意味になると思います。それで、「申しつげて」と読むほうがいいように思われます。

49川蝉:2005/10/24(月) 17:08:00
伝六さん今日は。

昭和定本(1039頁)には
「申シつけて」
平成新修(505頁)にも
「申しつけて 」としてありますね。

何となく私の語感では、命令的な言い回しは「申しつけて 」の方が良いのかなと思っていましたが、改めて、漢和辞典を調べると
「付」は、つける・あたえる・さずける・よせる・たのむ。等の語義であり、
「告」は、つげる・布告する・話す・知らせる・教える・さとす。等の語義でした。

命令的意味あいは、類纂のように「告げて」と する方が語義から見ても良いように思えますね。

50伝六:2005/10/30(日) 16:12:25
川蝉さんこんにちは。あらためて現代の国語辞典をひいてみると、「申しつける」上の者が下の者に言いわたす。文語まうしつく。とありました。ところが手持ちのハンディサイズの古語辞典をひいても、まうしつくという単語はありませんでした。現代と昔では同じ語でも意味がかわっているかもしれませんので、どう解釈するかは考え中にします。なお「大慢が弟子檀那等申しつげて」は「大慢が弟子 檀那等に申しつげて」で「に」が脱落していました。

51伝六:2005/11/22(火) 21:11:35
曾谷入道殿許御書に、「嘉祥大師捨三論宗天台為弟子」という御真蹟の御文があります。これは天台の弟子と為ると読まなければ、天台を弟子と為すではおかしいことになります。この例から言っても、観心本尊抄の「本門釈尊為脇士」は「本門の釈尊の脇士と為り」と読むべきで「本門の釈尊を脇士と為し」と読むのではないと思います。他の御遺文の文章例から、そう考えられるということです。

52川蝉:2005/11/23(水) 09:38:18
伝六さん今日は。

本尊抄の訓読みに関連した貴重な指摘有り難うございます。
早速、昭定遺文に注記しました。

53慎之輔:2005/12/10(土) 14:55:50
教えてください。
「真間釈迦仏御供養逐状」の「いつぞや大黒を供養して候し其後より世間なげかずしておはするか。
此度は大海のしほの満るがごとく、月の満ずるが如く、福きたり命ながく、後生は霊山とおぼしめせ。」
の>大黒を供養して候し其後より世間なげかずしておはするか。
というのは、どういう意味なのでしょうか?
また、このご遺文の真偽はどのような評価なのですか?お時間のある時お願いいたhします。

54川蝉:2005/12/11(日) 09:27:25
慎之輔さん今日は。

「『 大黒を供養して候し其後より世間なげかずしておはするか。』
というのは、どういう意味なのでしょうか?」

「いつぞや大黒(天)を供養されたことがあるが、それ以来、世間の事でご心労も御座らぬか」(日蓮聖人遺文全集講義・小林是恭師訳)
と口語訳されています。

「世間の事でご心労も御座らぬか」とは、日常生活や世務上に特別の煩わしい問題は生じないでおいでですか」と云う意味のようですね。

真蹟は残っていないとのことですが、日常目録(常修院本尊聖教事)に「真間釈迦仏御供養の事。弘法寺に納めらる」とあり、中山日祐師の「本尊聖教録」にも「真間仏供養御書一巻」とあるので、曽存御書と考えられています。

55慎之輔:2005/12/11(日) 11:18:46
早々の御返事ありがとうございます。
ということは、このご遺文自体が大黒天の供養法云々という内容では
ないのですよね。この当時はまだ姿凛々しい大黒天だったのでしょうねか?

56慎之輔:2005/12/11(日) 23:17:04
訂正>大黒天だったのでしょうねか?
  →しょうかね?

57川蝉:2005/12/12(月) 11:15:09
慎之輔 さん今日は。

「この当時はまだ姿凛々しい大黒天だったのでしょうねか?」
笑い顔の大黒像は見かけますが、「りりしい姿の大黒天像」とはどう云うお姿なのでしょう。

学者の研究は後学の者にとって有り難いものですね。
故人ですが宮崎英修立正大教授の「日蓮宗の守護神」に大黒天信仰の論究があります。
鎌倉中期以前の大黒像は「当時のものは忿怒か峻厳、ないし常相(普通の中間的相好)以外のものはない」(162頁)
そうです。慎之輔さんが云う「りりしい姿」とは、この部類の像でしょうか。

現在我々が知っているような形相になったのは鎌倉期の末から室町期にかけてその先駆があらわれたはじめ、室町期に入って民俗信仰となって大国主命と結びつき、夷神と関連し、一般に普及している福相となり、袋・槌をもち米俵にのった姿になったとの事です。

「日蓮宗では室町期になって大黒天信仰が盛んに取り入れられ、それとともに聖人御親作と称する像がでてくる 」
との事です。

大黒天信仰に関する御遺文は「真間釈迦仏御供養遂状」だけで、
伝えられている
大黒天神相伝肝文
大黒相承
大黒灌頂口伝抄
大黒天神御書
大黒供養事
大黒行水事
大黒天神供養相承事
などは偽書だそうです。

「訂正>大黒天だったのでしょうねか?
  →しょうかね? 」
打ち間違え、まったく気がつきませんでした。

58慎之輔:2005/12/13(火) 00:11:00
詳しい解説ありがとうございます。
>「りりしい姿」とは、この部類の像でしょうか。
はい、その通りです。辞書で調べたら、鎌倉中期はどうも
今の大黒さまとは表情も内容も違うようでしたのでお聞きしました。

59桜川:2005/12/15(木) 00:10:12
はじめまして。

http://www.sanmen-daikokuten.com/

こんな感じでしょうか?
あと、真偽は保証できませんが、
「学研」天台密教の本 1200円の、
208Pに、(複製・延暦寺蔵)と、して
同じ様な写真が掲載されています

60慎之輔:2005/12/15(木) 10:22:06
桜川さんはじめまして、情報ありがとうございました。
思っていた表情とぴったりです。(^_^)v

61伝六:2005/12/23(金) 20:59:33
真間釈迦佛御供養逐状では、大聖人は大黒天の供養と、その守護(ご利益?)を是認せられたごとくですが、この御書は佐前の御書であり、未顕真実の御書ですので、後代の者がこの御書によって大黒天をおまつりしたりするのは誤解と言ってよいでしょう。現代で大黒天を信仰?するとしたら、それは迷信です。話かわって、「不動愛染感見記」が真蹟とされていますが、素人目ですが、筆の勢いがない感じがします。書道の専門家にも聞いてみたらどうかと思います。生身の虚空蔵菩薩から智慧の明珠をうけとるという体験をなさった大聖人だから、不動愛染を見てもおかしいとは思いませんが、大日如来からチャクチャク相承というのは不審です。途中で善無畏等が入っているわけで、そんなの何のありがたいこともない筈です。

62桜川:2005/12/23(金) 23:12:27
伝六さんはじめまして「不動・愛染感見記」ですが
「日蓮」中尾尭 吉川弘文館 37P前後によると
「授決円多羅義集唐決」上の写本 1238年
「五輪九字秘密釈」の写本 1251年
「不動・愛染感見記」1254年
これらは、筆跡が同じと、書いてあります。

また、同64Pで「不動・愛染感見記」の解説が、
ありますが、一切否定は、されてはいません
中尾尭氏は、書道の専門家か、どうかわかりませんが
この本は、あまり良い本では、ないのでしょうか?
おすすめの、書籍など、教えていただければ幸いです

63伝六:2005/12/24(土) 09:57:01
桜川さん、はじめまして。中尾尭氏は真蹟鑑定の権威者です。中尾尭氏の書いた本は良い本だと思います。しかし、個人が絶対ということは、あり得ません。書の形は、きわめて似たようにまねることができると思います。大日如来から二十三代チャクチャク相承などと書くのは、大聖人の基本的主張から考えて説明がつきません。いくら真筆でも、おかしなことが書いてあれば、用いない。これが佛教の原則だと存じます。それで、大聖人はそういうことをお書きになった筈はないと思うのです。書籍については、あまり存じませんので、お伝えできません。

64伝六:2005/12/28(水) 21:58:56
法蔵館の「日蓮聖人真蹟集成」の解説をみたら、不動愛染感見記は重要文化財になっているようです。しかし私の考えはかわりません。開宗の時に真言亡国を大聖人がご存知ないことはありえない。その真言宗の相承をお書きになる筈がない。何かのまちがいで真筆なのだと、私は考えます。

65伝六:2006/02/24(金) 12:35:16
「具に我れ之を存ずと雖も。ベン和は足をきられ、・・・」(寺泊御書)(類纂日蓮聖人遺文集446ページ)は平成新修等では、「或る人云く、唯教門計りなり、理具さに我之を存ずと」となっています。理であるのか、雖であるのか、私には真蹟をみても、判読ができませんが、理のほうがどちらかというと、スムースに解釈できるようであります。次に「当時当世三類の敵人は之有るに・・」(447ページ)は平成新修では、「時当世に当たりて、・・・」と読んでいます。原文は「時当当世・・」です。そこで、僭越ですが、これは「時(は末法の始に)当て、当世三類の敵人之有り」と読むのではないかと考えました。意味は同じことですが。

66川蝉:2006/02/25(土) 15:58:24


伝六さん今日は。

神奈川県管区の講習会で講師の岡元師が「改訂前の昭和定本を資料として挙げている人が居る。初版後に相当改訂されているので平成改訂版を出版する必要があると思う」旨を語っていたそうです。

かく言う私も初版を使用しており、布教研修所に於いての茂田井先生の講義で指摘のあった箇所を訂正書き込みをしてあるぐらいです。
初版では寺泊御書は「具に我れ之を存ずと雖も。ベン和は足をきられ、・・・」(514頁)
となっていますが、茂田井先生の注意により私は「理は具さに我れ之を存ず」と訂正しています。
そして、「開目抄」の「教の浅深をしらざれば理の浅深辨うものなし」(昭定588頁)を参照することと記入してあります。

「時当当世・・」の読みは(意味は)伝六さんの理解でよいのでしょうね。

「感見記」については
稲田海素師も

「 今愚見を以って此圓多羅義集と彼の建長三年の御写本の九字秘釈並びに建長六年不動愛染二ヶ相承の御自筆と比較するに筆跡大に相似たり、此れに由て此集を以て御真蹟なりと決断せる訳である、」
(論文「圓多羅義集に就いて」・大崎学報所載との事ですが号数を記録しておくのを忘れましたので号数不明です)

と真蹟説を採って居るとのことです。
ただし、大川善男博士の抜き刷りを入手していますが、大川博士は偽書説を論述しています。

山中喜八先生の見解はどうであったのでしょうかね。先生の指導を受けていた人に一度、尋ねたのですが先生の意見を聞いて無いとのことでした。

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69川蝉:2006/03/16(木) 17:22:20
伝六さん今日は。

文献文字学研究所の大川善男博士が『不動愛染感見記』について
言及しています。その主な趣旨の要点を紹介します。

1,飯高129世の道樹院日幹師は1755年に著した『小山茗話』に於いて贋物と説いている。
英園院日英師は日幹師の説を採り、『本化高祖年譜』1847年の再版には原本の「年譜および攷異」に識していた該感見記を削除している。
しかし、信仰を乱すことを懸念して改訂再版の『攷異』には感見記を授与された者について言及している。

2,稲田海素師が「筆跡大いに相い似たり」としているが、『授決円多羅義集唐決』『五輪九字明秘密義釈』『不動愛染感見記』の影印を並べて見ると、その筆跡は三種三様で、共通していないことは誰にも判る。

3,字形が偶々似ていたものの、筆跡学的・古筆学的からすれば、運筆・起筆・終筆・点画の特徴が、日蓮聖人の筆跡と認定できるものとは、墨筆書が不合である。
(ただし、大川博士論文の抜き刷りには、字形を比較しての具体的な説明はありません)
4,感見記の筆跡は現存する日興の筆跡と一致する。
(ただし、大川博士論文の抜き刷りには、字形を比較しての具体的な説明はありません)

5,建長年間の日蝕は、元年6月6日・5年4月8日の二回で、建長6年正月1日は日蝕でなかった。

以上が要点です。

愛知県泉龍寺住職の服部即明師発行の小冊子に、
「『不動愛染感見記』の「身」の字形が御真蹟の字形と異なる」旨が指摘されています。
字形を真蹟集で比べてみてください。

70伝六:2006/03/17(金) 16:18:38
川蝉さん、こんにちは。「生身」の「身」の字を見てみました。「身」を「見」に似た書き方をしてあります。もし小学生か中学生が書道で書いたら、いけないと注意される形ですね。気がつきませんでした。私としては筆跡上からも御真蹟ではないという確信を強めました。依法不依人というのは大げさですが、単に筆跡上の問題でも、善知識あひがたしですね。

71伝六:2006/04/19(水) 21:44:50
川蝉さん、こんばんは。富木入道殿御返事(類纂日蓮聖人遺文集千三百十頁)若し三法に於いて異想を修する者・・・・終に声聞く縁覚菩提の果を証すること能はず」のところは御真蹟では、「声聞縁覚菩薩の果」となっているようです。涅槃経の原文は「菩提」とあるのか「菩薩」とあるのか、お調べになっていたら、教えてください。

72川蝉:2006/04/20(木) 11:01:46
伝六さん今日は。

長寿品にある文です。

「終に声聞・縁覚の菩提の果を証すること能はざるを。」
(国訳一切経涅槃部1・80頁)

「終に声聞、縁覚の菩提の果を証すること能はず。」
(昭和新纂国訳大蔵経涅槃経第一・72頁)

と訓読されています。

大正大蔵経では、

三十六巻本、慧厳訳
「終不能証声聞縁覚菩提之果」
(大正蔵622頁中段 )

四十巻本、曇無識訳
「終不能証声聞縁覚菩提之果」
(大正蔵382頁下段)

となっています。

涅槃経の原型と云われる六巻本、法顕訳には該当文がありませんでした。

73伝六:2006/04/21(金) 14:39:39
川蝉さん、こんにちは。早速に御教示ありがとうございました。次なる問題は大聖人が涅槃経の原文の意をとって、「菩薩之果」と書かれたのか否かということですが、これについては、他の箇所の経文の引用のなされかたなどとも比較して考えてみたいと思います。

74伝六:2009/10/06(火) 15:29:25
もう、ずっと前に桜川さんから、「日蓮」という本の64ページの記述についてのご質問がありましたが、最近、図書館で手にとりました。この本で、「日蓮はまさに天台密教の世界に位置し霊的体験を積んでいたことが明らかである」と書いていますが、日蓮聖人が台密を批判されたことは撰時抄、報恩抄等にあきらかです。開宗後になお台密の世界にどっぷりつかっていたかの書き方は、はなはだしく疑問です。信仰を求める人にとっては、私はいい本とは言えないと思います。

75川蝉:2009/10/09(金) 09:57:54
伝六さん、お久しぶりです。

吉川弘文館刊・中尾堯著『日蓮』の64頁の記述ですね。

「随分諸国を修行して学問し候いしほどに我が身は不肖なり人はおしへず十宗の元起勝劣たやすくわきまへがたきところに、たまたま仏菩薩に祈請して一切の経論を勘て十宗に合せたるに・・・真言宗と申すは一向に大妄語にて候が深く其の根源をかくして候へば浅機の人あらはしがたし一向に誑惑せられて数年を経て候 ・・・ 是くの如く仏法の邪正乱れしかば王法も漸く尽きぬ結句は此の国他国にやぶられて亡国となるべきなり、此の事日蓮独り勘え知れる故に仏法のため王法のため諸経の要文を集めて一巻の書を造る仍つて故最明寺入道殿に奉る立正安国論と名けき」
(本尊問答抄・昭定1580頁〜1582頁)

とあるので、立正安国論述作前には已に東密や台密の究明を成し遂げられていた事が推せられます。

清澄宣教の一年後の建長六年六月当時までも「天台密教の世界に位置し」ていたとは考えにくいですね。

『曽谷入道殿許御書』に
「顕を提婆に伝え密を竜智に授くる証文何れの経論に出でたるぞ、此の大妄語は提婆の欺誑罪にも過ぎ瞿伽利の誑言にも超ゆ」
(昭定899頁)
とあるので、真言宗の血脈相承を認めて居なかったと推せられます。
台密でも金剛界(塔内相承)は龍猛→龍智としています。
ただし、胎蔵界(塔外相承)は達磨掬多→善無畏・金剛智とつながり、龍猛→龍智を外しています。

『感見記』の相承が金剛界(塔内相承)か胎蔵界(塔外相承)であるのか分かりませんが、龍猛→龍智の相承に疑念を持たれていた日蓮聖人が「新仏」なる弟子に、台密の相承を授けたと言う事は、考えにくいのではないかなと思います。

中尾堯教授は『感見記』を真蹟としていますが、大川善男博士の「真蹟には非ず」との見解に対してどのような意見をもたれているのか?興味があります。

76伝六:2009/10/25(日) 12:01:38
川蝉さん、こんにちは、(ネット上)御無沙汰しています。コメントありがとうございます。本化別頭佛祖統紀によると、大聖人は日昭に、「真言は畢竟不空慧果の誑語実に取るに足りず我別頭の法を唱えて初めて尊容を拝す」と言って「生身の愛染明王・・・」と書いて授けたという伝聞があることを書いています。日潮師も相当疑惑を感じたようですが、伝聞のままを書いてあります。「新佛とは汝昭なり、戯れに旧妄を弄し興を遣るのみ」と言って授けられたというので、あまりありそうもない話のように感じられますが、嫡嫡相承というのは戯れであると言われたという伝聞とともに伝わっている不動愛染感見記ですので、平たく言うと大聖人の落書き(そんなものはお書きにならなかったでしょうが、もしお書きになったとして)のようなものかと愚考しています。

77明星:2012/04/14(土) 03:49:41
このような夜中に書き込みを失礼致します。
(所有するビルにてバーを経営しているので、生活時間が不規則になってしまうのです・・・)

川蝉さん、伝六さん、まだ掲示板をご覧になっていらっしゃるでしょうか?
だいぶ前に議論は終わったままのようですが、ちょっと疑問に感じたことが
ありますのでレスさせていただきます。

日蓮聖人が不動明王と愛染明王(や密教)を排斥していたというのならば、
何故大聖人様は不動・愛染の両尊を大曼荼羅に勧請されたのでしょうか?
また、自身の思想の集大成として書き顕された図像を、
何故密教用語である「曼荼羅」と名付けられたのでしょうか?

大聖人様は本仏釈尊よりも大日如来を上に置く真言宗の在り方を排撃したのであり、
本仏釈尊の世界に包摂されるのならば、密教の存在も許容されていたのではないでしょうか?
大聖人様の本当の目的は、本門の教主釈尊を中心とした仏教の統一なのではないかと思います。

78伝六:2012/04/15(日) 14:33:03
日蓮聖人が不動明王や愛染明王を排斥したとは、私は書いていませんが?曼荼羅というのは天竺の名で輪円具足とも功徳聚とも翻訳することができると日蓮聖人は言っておられますので、密教専用語ではないと思います。

79川蝉:2012/04/16(月) 10:01:36
明星さん初めまして。
【日蓮聖人が不動明王と愛染明王(や密教)を排斥していたというのならば、何故大聖人様は不動・愛染の両尊を大曼荼羅に勧請されたのでしょうか?】
日蓮聖人は、真言宗が「法華経より真言三部経の方が優れている。釈尊より大日如来の方が根本仏である」と主張している点を批判したのです。
不動明王、愛染明王を含め諸善神は、真の善神であるならば、法華経を守護し、法華経信行者を護る立場であると考えています。
なぜ大曼荼羅御本尊に不動明王・愛染明王の種子を書かれたかについての説明を日蓮聖人は直接に述べていないようです。
本化妙宗の高橋智経師著「本門本尊論入門」で
「不動明王は、人の命を司る明王なので生死即涅槃をあらわしている。信仰信心という光と水で必ず六道輪廻の生死から離脱して涅槃の世界への利益をいただける事を表している(趣旨)」
「愛染明王は、煩悩を司る明王なので煩悩即菩提をあらわし、妙法の信仰によって煩悩を菩提化(善用)することを表している(趣旨)」
と解説しています。
「日蓮宗事典」には
「しかし聖人の真蹟遺文からは左右の梵字を不動・愛染とする積極的な文証は出てこない。『日女御前御返事』(定一三七五頁)の「其外不動愛染は南北の二方に陣を取り云々」の文を根拠として曼荼羅左右の梵字を解釈しているが、この辺から生れた所伝であろう。逆に『祈祷抄』(定六八二頁)、『神国王御書』(定八八四頁)をみると、不動法、愛染法は亡国の邪法として破折されるので、密教明王部の本尊を開会して、妙法の本尊の守護となし、妙法体中の密教諸尊なる意味を示されたものと思われる」
と説明しています。

【また、自身の思想の集大成として書き顕された図像を、何故密教用語である「曼荼羅」と名付けられたのでしょうか?】
伝六さん言われるとおり曼荼羅は密教専用語ではありません。

「日蓮宗事典」にも
「旧訳は多く壇(だん)または道場と訳し、新訳は多く輪円具足(りんねんぐそく)、功徳聚(くどくじゆ)などと訳出する。もともとは本質・精髄の語意であるが、神聖な領域を示したところから、インドでは土壇を作って諸尊諸神を祀り請ずるそこを曼荼羅とよんだ。従って仏成道の金剛座の区域なども曼荼羅とよばれている。
真言宗には十界互具一念三千の義なく、本因本果が欠けている故に、輪円具足せず、権仏の大日の曼荼羅は本尊とはなり得ないと聖人は棄捨し、真実究竟の曼荼羅は本門本尊において顕れることを力説している。」
と説明しています。大曼荼羅は輪円具足、功徳聚の義があるので、日蓮聖人は曼荼羅と呼称されたわけです。

80明星:2012/04/16(月) 18:44:11
>>78>>79
伝六さん、川蝉さん、ご回答有り難うございます。

自己紹介が遅れまして申し訳ありません。
私、日蓮宗寺院の一般檀信徒で、清正公大神祇と波木井実長公の血筋に連なるものです。

なるほど、「曼荼羅」は密教特有の専用語ではないのですね。
お二人のご教示に感謝申し上げるとともに、私の不見識をお詫び致します。

さて日蓮大聖人と云うと、四箇格言や某新興団体の影響が強すぎて、
他宗排撃のエキセントリックな僧侶というイメージが世間に染み付いている感がありますが、
大聖人様の御真意は「本仏釈尊よりも大日如来を根本仏とする真言宗のあり方や、
法華経や釈尊を蔑ろにする他宗派のあり方を批判したのであり、本仏釈尊の世界に包摂されるならば、
密教や他宗派の存在も許容されていた」と考えてよろしいでしょうか?

大曼荼羅における大聖人ご自身の花押も金剛界大日如来の梵字をアレンジしたものと云われていますが、
ことほどさように、大聖人の御真意は大きく深いと思うのですが如何でしょうか?

81川蝉:2012/04/17(火) 16:57:57
明星さん今日は。

【法華経や釈尊を蔑ろにする他宗派のあり方を批判したのであり、本仏釈尊の世界に包摂されるならば、密教や他宗派の存在も許容されていた」と考えてよろしいでしょうか?】
との事ですが、明星さんがどういう意味合いを【本仏釈尊の世界に包摂されるならば】と言われているのか分からないので応答できません。

「華厳・観経・大日経等をよみ修行する人をばその経々の仏・菩薩・天等守護し給うらん。疑いあるべからず。ただし大日経・観経等をよむ行者等、法華経の行者に敵対をなさば、彼の行者をすてゝ法華経の行者を守護すべし。例せば孝子、慈父の王敵となれば父をすてて王にまいる。孝の至(いた)りなり。仏法もまたかくのごとし。法華経の諸仏・菩薩・十羅刹(じゆうらせつ)、日蓮を守護し給う上、浄土宗の六方の諸仏・二十五の菩薩、真言宗の千二百等、七宗の諸尊・守護の善神(ぜんじん)、日蓮を守護し給うべし。」
(開目抄581頁)
「今又日本国一万一千三十七の寺並に三千一百三十二社の神は国家安穏のためにあがめられて候。而に其寺々の別当等、其社々の神主等は、みなみなあがむるところの本尊と神との御心に相違せり。彼々の仏と神とは其身異体なれども、其心同心に法華経の守護神也。」
(諌暁八幡抄1842頁)
とあるように、真の善神ならば法華経を守護するものであると言う考えに立って、他宗があがめる諸菩薩・善神も法華経・行者を守護するはずであるとしているのです。
法華経釈尊をないがしろにする他宗の教義を批判せずに他宗をそのまま包摂すると言う考えではないですね。
明星さんが思っているように、某教団のような折伏は日蓮聖人の折伏精神とは遠くかけ離れたものですね。

【大曼荼羅における大聖人ご自身の花押も金剛界大日如来の梵字をアレンジしたものと云われていますが、】
との事ですが、日蓮聖人の花押については、本化妙宗の山川智応博士の研究が有名ですね。
聖人の花押には、バン字とボロン字の二種があり、弘安元年ごろまでは、バン字の花押を使用しているとのことです。バン字は「不動の種子」「水大を意味したもので、妙法の智水を法界に流す意味」だそうです。
バン字の次にはボロン字の花押するようになったそうです。
バン字は「一字金輪の種子といって、金輪聖王の威力をもつ。一字金輪の種子は四天下の統一を意味する」そうです。
【金剛界大日如来の梵字をアレンジしたも】との見解はどなたの見解なのでしょうか?。

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