■掲示板に戻る■ ■過去ログ 倉庫一覧■
文化防衛
-
一、我々はあらゆる革命に反対する者ではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権に連結せしめようとするあらゆる企図、あらゆる行動に反対する者である。この連結の企図とは、いわゆる民主連合政権の成立及びその企図を含むことは言うまでもない。国際主義的あるいは民族主義的仮面にあざむかれず、直接民主主義方式あるいは人民戦線方式等の方法的欺瞞に惑わされず、名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる様態に我々は反対する者である。
「共産党宣言」は次のごとく言う。
「共産主義者は、これまでの一切の社会秩序を強力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。」
われわれの護らんとするものは、わが日本の文化、歴史、伝統であるが、これらは唯物弁証法的解釈によれば、かれらの「転覆せんとする一切の社会秩序」に必然的に包含されるからである。
二、我々は、護るべき日本の文化、歴史、伝統の最後の保持者であり、最終の代表者であり、且つその精華であることを以て自ら任ずる。「よりよき未来社会」を暗示するあらゆる思想と我々は尖鋭に対立する。なぜなら未来の為の行動は、文化の成熟を否定し、伝統の高貴を否定し、かけがえのない現在をして、すべて革命への過程に化せしめるからである、自分自らを歴史の化身とし、歴史の精華をここに具現し、伝統の美的形式を体現し、自らを最後のものとした行動原理こそ、神風特攻隊の行動原理であり、特攻隊員は「あとにつづく者あるを信ず」という遺書の残した。「あとにつづく者あるを信ず」の思想こそ、「よりよき未来社会」の思想に真に論理的に対立するものである。なぜなら、「後につづく者」とは、これもまた、自らを最後の者と思い定めた行動者に他ならぬからである。有効性は問題ではない。
三、われわれは戦後の革命思想が、すべて弱者の集団原理によって動いてきたことを洞察した。いかに暴力的表現をとろうとも、それは集団と組織の原理を離れえぬ弱者の思想である。不安、懐疑、嫌悪、憎悪、嫉妬をまき散らし、これを恫喝の材料に使い、これら弱者の最低の情念を共通項として、一定の政治目的へ振り向けた集団連動である。空虚にして観念的な甘い理想の美名を掲げる一方、最も低い弱者の情念を基礎として結びつき、以て過半数を獲得し、各小集団小社会を「民主的に」支配し、以て少数者を圧迫し、社会の各分野へ浸透してきたのがかれらのやりくちである。
我々は強者の立場を取り、少数者から出発する。日本精神の清明、闊達、正直、道義的な高さは我々のものである。再び、有効性は問題ではない。なぜなら我々は、我々の存在ならびに行動を、未来への過程とは考えないからである。
-
四、なぜわれわれは共産主義に反対するか?
第一にそれは、我々の国体、すなわち文化、歴史、伝統と絶対に相容れず、論理的に天皇の御存在と相容れないからであり、しかも天皇は、我々の歴史的連続性、文化的統一性、民族的同一性の、他にかけがえの無い唯一の象徴だからである。
明治国家は、西欧の政治体制と日本の国体との折衷的結合を企て、立憲君主政体という擬制を採用した。戦後日本は、この折衷的結合を切り離され、議会制民主主義と、象徴天皇制との、不即不離の関係に入ったが、一面この為に、却って天皇の文化的非権力的本質が明らかになったと言える。回復すべきものは、再びグロテスクな折衷主義ではない。況んや、文化の連続性を破壊するがごとき共和制ではない。
我々は天皇の真姿を開顕する為に、現代日本の代議制民主主義がその長所とする言論の自由を良しとするものである。なぜなら、言論の自由によって最大限に容認される日本文化の全体性と、文化概念としての天皇制との接点にこそ、日本の発見すべき新しく又古い「国体」が現れるであろうからである。
さて、かれらは、言論の自由を手段的過程的戦術的に利用し、言論の自由自体に革命の論理的に推進する進歩的価値が内在すると主張するが、これは誤りである。言論の自由は、人間性と政治との相互妥協の境界線に過ぎぬが、同時に人間の本能的な最低限の要求を満たすものである。言論の自由を保障する政体として、現在、われわれは複数政党制による議会主義的民主主義より以上のものを持っていない。この「妥協」を旨とする純技術的政治制度は、理想主義と指導者を欠く欠点を有するが、言論の自由を護るには最適であり、これのみが、言論統制、秘密警察、強制収容所を必然的に随伴する全体主義に対抗しうるからである。従って、第二に、我々は、言論の自由を守るために共産主義に反対する。われわれは日本共産党の民族主義的仮面、すなわち、日本的方式による世界最初の言論自由を保障する人間主義的社会主義という幻影を破砕するであろう。この政治体制上の実験は、成功すれば忽ち一党独裁の恐るべき本質を表すことは明らかだからである。
五、まず言論闘争、政治闘争という方式は彼らの常套手段であり、「話し合い」の提示は、既に彼らの戦術にはまり込むことである。戦いはただ一回であるべきであり、生死をかけた戦いでなくてはならぬ。生死をかけた戦いの後に、判定を下すものは歴史であり、精神の価値であり、道義性である。我々の反革命は、水際に敵を追撃することであり、その水際は、日本の国土の水際ではなく、我々一人一人の日本人の魂の防波堤にある。千万人といえども我往かんの気概を以て、革命大衆の醜虜に当たらなければならぬ。民衆の罵詈讒謗、嘲弄、挑発、をものともせず、かれらの蝕まれた日本精神を覚醒させるべく、一死以てこれに当たらなければならぬ。
我々は日本の美の伝統を体現する者である。
-
<∂ ヽ二/ ヽ二/| <おい老いぼれ!このスレ乗っ取られたくなければ東方を崇めよ!僕のスレに乗り込んで来なさい!この口だけ男共!
ヽ_| ハ- - ハ ヽ \___________________
| ヽ ゝ_/\/\ノ |
ヽ ヽ ィ' \二二.ノ /
_\_\ __十_ i/
/ _ノ(ξ)、_ \
(___/ \___)
. /′ |
. i x .|
ヽ ヽ ∩ ノ |
| /-(;;)(;;)- 、 |
■掲示板に戻る■ ■過去ログ倉庫一覧■