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御書について語り合うスレッド- 1 :運ちゃん:2011/02/01(火) 22:52:11 ID:???
- 日蓮大聖人御書について「真書」「偽書」という議論があります。
創価学会の活動家の時、法華講や顕正会と渡り合う時には、日蓮大聖人の
「御書」は「現代の経典」として扱っていました。
しかし今一度、日蓮大聖人に仏法を今の時代に生きるものとした時、安直に
「現代の経典である」という位置づけはできないと感じています。
日蓮大聖人は何を言いたかったのか?
日蓮大聖人は何を見ていたのか?
ここでは御書を中心として、日蓮大聖人の仏法を真摯に語り合いたいと思います。
よろしくお願いします。
- 2 :堅皇:2011/02/02(水) 08:37:36 ID:oZddrAhs
- のっけからなんなんですが僕の現時点での結論は御書自体が偽書真蹟問わず「聖典」とは思ってないです。
考えるに「聖典」と呼べるものはやはり「法華経」となるのではないかと。
で、御書はあくまでも法華経の解説書の類ではないかと思われます。
それは明らかに真蹟と呼ばれるものはその理が悉く法華経と一致しているものと思われ
偽書濃厚と呼ばれるものに関しては明らかに法華経からその理が外れているものだと思われるからです。
加えて御書は「開目抄上段」や「観心本尊抄」などと言ったものもありますが
その殆どが在家や在家尼へ贈られたお手紙の類が多いと思われます。
つまりは信仰間もない人へ向けられた仏法入門編と言うような内容が多いと思われます。
その分、比喩がことさら大きく取り上げられているので
特に他宗の破折文に関しては言葉通りに読み下せばあらぬ方向へ行くものもあるのではと思います。
とは言え御書を通じ知りえる事柄で得る事は多大にあるわけで得るものは大きいと言う事と
日蓮と言う一人の人間の考えを考察するには非常に重要なものであるとも思っています。
- 3 :主任:2011/02/02(水) 11:59:06 ID:.Qf4b4E2
- 改めて宜しくお願いします。
現在、真蹟が完全に現存する御書は百十三点で、不完全な断簡が八十七点、真蹟は現存しないが、かつて存在したことが明らかなもの二十五点とのことです(真蹟曾存)。
史実では御書は、日蓮入滅後百年頃には編纂され(録内御書と称する)、録内以降のものは録外(録外御書)として順次編纂がなされていったようです。
- 4 :運ちゃん:2011/02/02(水) 12:46:27 ID:Xc3jWZro
- 堅皇さん
おそらく御書を聖典とするか、しないかは「日蓮本仏論」に関わってくると思います。
経釈論がありますが、日蓮さんも「釈論」については「経」の裏付けがあって初めて
正論として認められるというスタンスでした。
そして石山教学は、日蓮さんを「本仏」という位置づけをしたのち、
御書を聖典と位置づけています。
- 5 :運ちゃん:2011/02/02(水) 12:49:00 ID:p49ker/M
- 主任さん
そのあたりの資料は、確か以前に入手していたと思いますので
探してみます。
- 6 :運ちゃん:2011/02/02(水) 23:11:21 ID:uK43f7YQ
- 堅皇さん、主任さん
日蓮大聖人の御書の真蹟度の資料について、ポータルサイトにアップしたいと
思ったのですが、なかなかボリュームもあり一気にあげる事は困難です。
もしよろしければ、情報について共有をしたいのですがいかがでしょうか?
(EXCEL形式のファイルです)
送付先のメールアドレスを教えて頂ければ送付します。
よろしければsougaku_salon@yahoo.co.jpに連絡いただけないでしょうか?
- 7 :運ちゃん:2011/02/04(金) 08:42:15 ID:hRc3TMUE
- 日蓮本仏論について、ご意見下さい。
僕も長年、創価学会で教学を学んできた中で、日蓮さんが「自分が本仏だ」と明言している
箇所は無かったのでは?と最近思います。
確かに開目抄では「我日本の柱とならん、、眼目、、、大船」という記述があり、学会(というか石山教学)
では、これを「主師親の三徳」を顕すもので、だから日蓮さんは「仏である」と解釈してます。
まあ仏であるというのは、別に異論もないのですが、何故そこから久遠元初自受用報身如来という解釈に
なったのか?それはどの御書から解釈したのか?
とても基本的なところですが、お考えを聞かせていただきたいなと、
思います。
いかがでしょうか。
- 8 :堅皇:2011/02/04(金) 09:25:26 ID:I95S0p.o
- 運ちゃんさん
ファイル届きました、ありがとうございます。
この真筆度の数字は数字が大きいほど偽書の確率が高いということですよね。
実際に疑惑を持たれている「如説修行抄」で4、ほぼ真蹟が残ってない「下山御消息」なんかは2と言う事なので
今後当たり前に用いられている御書の何が偽書として話が持ち上がるかは解らないという話ですね。
これを見るだけでも御書の断片だけ切り取って考えるのはかなり危険だと言う事は感じますね。
内容に少し疑問を感じる「諸法実相抄」が8で「当体義抄」で7ですか。
ただ、これはアリだろと思っていたものも意外と数字が高いものもあったりしてその辺も深く考えさせられます。
- 9 :堅皇:2011/02/04(金) 09:30:17 ID:I95S0p.o
- > 何故そこから久遠元初自受用報身如来という解釈になったのか?
と言うより解釈させる事が出来なかったから御書を改ざんしたのだと僕は思っているのですが。
- 10 :堅皇:2011/02/04(金) 09:34:12 ID:I95S0p.o
- この辺の初出を探すとすれば天台密教の経典を紐解いていく必要があるんじゃないですかね。
丁度今の学会や正宗が日寛教義を基本としているように。
- 11 :主任:2011/02/04(金) 10:55:18 ID:osdC.agk
- >>7
少なくとも、日蓮が自身を釈尊より上に置いた真蹟の遺文は皆無ですね。
粗方偽作で間違いなかろうと思われる百六箇抄にそれに近い若干の記述があるのみかと思います。
切り文で申し訳ないですが百六箇抄に『本地自受用報身の垂ジャク上行菩薩の再誕』とあります。
久遠元初自受用報身如来となると、石山の第二十六世住持・日寛(1665〜1726)の六巻抄に出てきます。しかし、それは学術的に田舎天台と言われた武州仙波の仙波談林(現・埼玉県川越市に所在する無量寿寺喜多院)に伝わる中古天台口伝法門から取り入れられた法門であろうというのが大方の見方のようです。
- 12 :運ちゃん:2011/02/04(金) 20:33:31 ID:oRQb2a96
- 堅皇さん、主任さん
ありがとうございまさか。
やはりというか、久遠元初自受用報身如来というのは、御書内の根拠はほぼ無い感じなのでしょうか。
「百六箇抄」ぐらいとなると、しんどいですね。
おそらく日蓮さんは、そんな事は拘ってなかったのでしょう。
ところで立て続けの質問ですが、この本仏論と天台はどのように
関係してくるのでしょうか?
- 13 :運ちゃん:2011/02/04(金) 20:35:34 ID:oRQb2a96
- あちゃ!タイプミスが(>_<)
スマートフォンはうちずらい!
- 14 :主任:2011/02/04(金) 21:46:09 ID:vJAjm2g6
- >>運ちゃんさん
>ところで立て続けの質問ですが、この本仏論と天台はどのように関係してくるのでしょうか?
仙波談林に伝わっていた恵心流口伝法門の特徴は天台大師を本仏と捉えるということでしょうか。
口伝法門は、人:天台─本仏/法:一念三千
ちなみに日寛は、人:日蓮─本仏/法:題目
現宗研の早坂鳳城師の研究『日蓮本佛論の構造と問題点(一)恵心流口伝法門との関係を視点として』に口伝法門と日寛の教説の対照表がありますので抜粋します。
以下、左側は口伝法門、右側は日寛の教説。
※止観勝法華劣/文底勝文上
※寿量品の内証/寿量品の文底
※自受用報身(天台)/自受用報身(日蓮)
※七箇の大事/七箇の大事
※切紙相承/切紙相承
※本因行の能化/本因妙の教主
※嫡流一人秘すべし/唯受一人秘すべし
※五百塵点最初/五百塵点当初
- 15 :堅皇:2011/02/04(金) 22:21:20 ID:I95S0p.o
- 恵心流口伝法門の話はそんなのがあるって程度に聞いてたのですが
ここまで日寛教義と一緒なんですね。
もともと所依に能化(本仏)を当て嵌めるという発想が真言と全く同じ理屈なんで
日蓮本仏は有り得ないと思っていたんですけどね。
もちろん日蓮宗の釈迦が本仏って言う考えも同様なんですけどね。
もっとも釈迦が本仏って扱いは法華経迹門までそれらしき描かれ方してるから間違えそうなもんなんだけど。
あと寿量品の久遠実成を久遠からの本仏と解釈しちゃうとそうなるかな。
- 16 :満月:2011/02/04(金) 22:49:53 ID:dqVfe0sk
- 『日蓮本佛論の構造と問題点(一)恵心流口伝法門との関係を視点として』
を読んでみました。
〜日寛は、何とか教団のオリジナリティーと教学の体系化を計りたいと
いうことから仙波の檀林に行った〜
オリジナリティ?理由が弱小教団だから?
そして・・日蓮本仏!
これが本当だとしたら、がっかりです。そしてびっくり。
今まで学会の中では正しいと思って疑わなかったこと・・・
(というか調べなかったこと)
怖いですね。
そもそも日興上人が正義だ・・・という部分もどうなんだろう・・・
と考えてしまいます。
非常に勉強になります。
コメントはできないと思いますが(笑)
調べながらついていきますので、これからも活発な
コメントをお願いします!
- 17 :堅皇:2011/02/04(金) 22:50:46 ID:I95S0p.o
- ちなみに法華経って三訳存在するわけじゃないですか。
「妙法蓮華経」の他に「正法華経」と「添品妙法蓮華経」と。
その内容を全部読んだわけではないのですが日蓮が読んだ鳩摩羅什の「妙法蓮華経」には
一部「添品妙法蓮華経」の内容が盛り込まれているとか。
しかし日蓮は「妙法蓮華経」以外の訳を毒扱いしているわけ。
なんでだろうと考えたとき問題はその内容ではなくその「お題目」の問題にあるのかなと。
「正法華経」だと題目が依正で言う正報となり「添品妙法蓮華経」は依報になってしまう。
題目は依正不二でなければならないので「妙法蓮華経」としたと言う事なのかと。
妙楽の釈によると「依報正報・常に妙経を宣ぶ」ですからね。
「正法華経」だと真言で「添品妙法蓮華経」だと念仏と言う事になってしまう。
だからこそ題目は「妙法蓮華経」でなければならないのかなと思いますね。
ですから「妙法蓮華経」を本因、当体とか表現されているものはほぼ偽書の疑いがあるのではと睨んでます。
- 18 :堅皇:2011/02/04(金) 22:54:02 ID:I95S0p.o
- >>満月さん
僕はもう日興さんだけが正義だとは思ってません。
これまで正義だと思って離れなかったのは日蓮正宗から刷り込まれた御観念文による洗脳だと思ってます。
- 19 :主任:2011/02/04(金) 23:39:03 ID:OB9.irUI
- >>満月さん
私も堅皇さんと同じく日興のみが正義とは思っていません。
日興自筆の宗祖御遷化記録の如く、『六人一同不次第』が真相ではないのかなと思っています。
- 20 :主任:2011/02/04(金) 23:44:39 ID:6RVoNTU6
- >>19
【訂正】
正しくは、『弟子六人事 不次第』でした。失礼しましたm(_ _)m
- 21 :運ちゃん:2011/02/05(土) 09:41:30 ID:uK43f7YQ
- ネットとは情報の宝庫でもありますね。
「日蓮本佛論の構造と問題点」
少し読んでみました。。。ムムム〜という内容。
もう少し時間をかけて読み下したいと思います。
確かに日寛師がいたころの大石寺は富士の小山の「田舎寺」でした。
当時は京都の要法寺の方が勢いもあり、だから法主を要法寺から大石寺は
呼んでいた訳ですからね。
ある意味で「田舎寺」で出現したスーパースターが日寛師であった訳だったんでしょう。
だから「中興の祖」と呼ばれているんですね。
堅皇さん>
>「正法華経」だと真言で「添品妙法蓮華経」だと念仏と言う事になってしまう。
>だからこそ題目は「妙法蓮華経」でなければならないのかなと思いますね。
●これってどういう意味でしょうか?
- 22 :堅皇:2011/02/05(土) 10:17:15 ID:I95S0p.o
- 運ちゃんさん
真言は真理を表した言葉と言う意味があるんですね。
ですからこのマントラこそが真実を顕したものであると言うことですね。
日蓮正宗の南無妙法蓮華経は文底秘沈のそれそのものだと言う考えですね。
「本因妙」とか南無妙法蓮華経は自身の当体であると。
池田さんの「南無妙法蓮華経は宇宙のリズムである」と言うのも同じ意味だと言えますね。
これは真言を知っている人が聞くと題目は真言なのか?と直ぐに思うはずなんです。
いやいやそんな事はありません。
もしそうなら日蓮は南無妙法蓮華経を真言と名づけたであろうし
そもそも真言亡国とも言ってないと思いますから。
「正法華経」と言う事は正に法華経こそが自分自身であり正報だと捉えてしまいます。
対する念仏は
仏に念じる事により仏と成るという自分以外での依報からそのアプローチを掛けています。
「添品妙法蓮華経」はその名の通り妙法蓮華経を添品として捉えているわけですから
法華経という依報に他力本願して仏になることを乞う念仏と言う事になるかと思います。
しかし法華経は諸法実相ですから諸法(依報)でもあり実相(正報)でもある依正不二であるわけですね。
妙楽の釈でも「諸法は必ず実相、実相は必ず・・・・・身土」とあるように
法華経は自身の自身が置かれている環境、依正不二でなければならないと言う話。
これを考えると鳩摩羅什の「妙法蓮華経」が一番題目に相応しい言葉であると言えるのだと思います。
また「妙法蓮華経」が醍醐味で残りの訳は毒だの糞だの表現は理解できるなと言う話です。
- 23 :堅皇:2011/02/05(土) 10:22:33 ID:I95S0p.o
- すいません、身土は
×自身の自身が置かれている環境
○自身と自身が置かれている環境
ですね。
- 24 :堅皇:2011/02/05(土) 11:22:34 ID:I95S0p.o
- ゴメン、諸法(依報)でもあり実相(正報)
これも違います。
これだと実相が正報となってしまいますのでナシです。
単純に実相は諸法の中にあるもので、実相は依正の中にあると言うことですね。
- 25 :主任:2011/02/05(土) 12:37:46 ID:w1V0EQ7s
- >>堅皇さん
私が思うに、日蓮が他の法華経の翻訳本を用いず、クマーラ・ジーヴァ訳の妙法蓮華経を用いたのは日蓮が元々天台宗の僧だからそれを受けているからだと思います。
- 26 :堅皇:2011/02/05(土) 12:52:06 ID:I95S0p.o
- >>主任さん
しかし、それだけが理由なら
「正法華経」と「添品妙法蓮華経」をそこまでコケにする理由がないと思うんですね。
少なくとも「提婆達多品」は鳩摩羅什の『妙法蓮華経』に、もともとなかったものと言う事は
事実であると言う事もいえますし
これは「法華経」がいわゆる釈迦の説いたものではないと言うことが事実であるように
日蓮は勘違いしたのだ、だから日蓮は単なるおっちょこちょいの人なんだと言うことになるかと思います。
そうではなく日蓮はもともと誰が書いたかと言う事は問題では無かったのだと思うんですね。
書かれているものがそれに適していたかどうかで判断したのだと思います。
- 27 :堅皇:2011/02/05(土) 13:06:09 ID:I95S0p.o
- 日蓮がどうのとか釈迦がどうのとか鳩摩羅什が云々とか
今が釈迦滅後から丁度何年目とかいう考え方をする人は
法華経寿量品の「随所応度。処処自説。名字不同。年紀大小。」を理解してないだけではないかと思います。
そもそも白法と言うのは釈迦の経典の事を指すのではなく
指揮者の指導の下にただ従うと言う行為の事を指すのだと思います。
その指導者が人格者であり続ける場合は白法は続くのですが
その指揮者がいなくなったり狂いはじめた時、自分自身の判断で動かなければならなかった時
要は自分自身が自立し始めた「その時」から末法と言うものが始まるのだと思います。
- 28 :主任:2011/02/05(土) 13:40:47 ID:ay11YDN.
- >>堅皇さん
>そうではなく日蓮はもともと誰が書いたかと言う事は問題では無かったのだと思うんですね。書かれているものがそれに適していたかどうかで判断したのだと思います。
撰時抄や千日尼御前御返事を読むと、やはりそこそこ問題にしていたと思います。
>要は自分自身が自立し始めた「その時」から末法と言うものが始まるのだと思います。
しかし、それはあくまでも現代的に堅皇さんが解釈をしているに過ぎず、日蓮および当時の仏教界はその当時を末法と認識していたことでしょう。
日蓮のいた鎌倉時代の仏教を考えるとき、現代ふうの考え方はしない方が良いかと思います。そうしないと日蓮の実像から離れてしまうように思います。
その当時の庶民や為政者、その当時の諸思想はどうだったのだろうかと、少なくとも現代人とは色んな意味で考え方が違うはずです。
- 29 :主任:2011/02/05(土) 13:54:43 ID:E2AflZk6
- >>28
【補足】
鎌倉時代の日蓮の実像および日蓮の法門と、現代仏教学における日蓮の法門の位置付けおよび日蓮仏法の現代的な解釈は、分けて考えた方が良いのかなと私は思っています。
- 30 :堅皇:2011/02/05(土) 14:20:48 ID:I95S0p.o
- >>主任さん
「要は自分自身が自立し始めた「その時」から末法と言うものが始まるのだと思います。」
この部分は確かに僕の取り方の部分ですね。
そう日蓮が思ったのかそうでないのは別問題です。
この部分は現在の御書から真蹟の部分だけを取り出しその理を確かめていかなければいけない話
同じ結論となるか違うものになるかは解らない話だと思っています。
日蓮はただ一重に二千年目の今が末法だと感じたのかもしれませんからね。
僕はあくまで法華経では方便の重要性を説き尚且つ真実と言うものは
これらの方便の文の底に沈めたとの事ですから経文に書かれている事も日蓮が言った言葉も
全て他人事ではなく自分自身と自分自身の置かれている環境に当て嵌めて解釈するべきだと読み取っただけですから。
大体が末法が鎌倉時代から始まりそれ以前に像法や正法があったなんて話だけでは
自身の生活には何の関係もない話となってしまいますからね。
だとすれば敢えて言う必要がある事柄なのか?とも思いますからね。
ですから学者的な物の見方と宗教学的なものの見方では若干変わってくると言う話です。
- 31 :堅皇:2011/02/05(土) 14:27:59 ID:I95S0p.o
- 「正法華経」と「添品妙法蓮華経」の捉え方は僕の上げた仮説の1つです。
その内容における批判をもし日蓮が行っていたとすれば
日蓮は「添品妙法蓮華経」の内容を鳩摩羅什が訳した「妙法蓮華経」だと思い込んで
騙された挙句に「添品妙法蓮華経」を貶し「妙法蓮華経」を褒め称えたと言う事になります。
- 32 :堅皇:2011/02/05(土) 14:33:02 ID:I95S0p.o
- 心理学者と脳科学者とのアプローチの違いとでも言うべきですかね。
心理学者は仮説から判断していくものに対し
脳科学者は事実を踏まえて判断していくというところですかね。
- 33 :運ちゃん:2011/02/05(土) 14:42:34 ID:uK43f7YQ
- http://heartland.geocities.jp/sougaku_salon/gosho/shinseki.html
御書の真蹟についてはポータルサイトにアップしました。
堅皇さん>
>そうではなく日蓮はもともと誰が書いたかと言う事は問題では無かったのだと思うんですね。
>書かれているものがそれに適していたかどうかで判断したのだと思います。
●この点について、僕は当時は鳩摩羅什訳のものが一番精度が高いという
事が言われていた事から日蓮大聖人は用いたのではないでしょうか?
>「正法華経」と「添品妙法蓮華経」をそこまでコケにする理由がないと思うんですね。
●あと当時、大聖人は阿闍梨号を取得していた学者です。
なので単純「コケにする」という事はないと思いますよ。
あと鎌倉時代から700年以上経過をしている事から、仏教でも様々な研究が進んできています。
今だからわかる事であっても、日蓮大聖人時代では解らなかった事も多くあったわけであり
そこを寸借してこのあたりの事は考えるべきでしょう。
また日蓮大聖人の末法観というのは、当時の世相などや社会や宗教界を見ていた結果として
実感があったのではありませんか?
とてもピンポイントなコメントですみません。
- 34 :運ちゃん:2011/02/05(土) 15:19:12 ID:uK43f7YQ
- ところで日蓮大聖人は何を説きたかったんでしょうか?
単純に「お題目」を唱えるだけ??
立正安国論で日蓮大聖人の言いたかった事とは何でしょうか?
ばくっとした問いかけですみません。m(_ _)m
- 35 :堅皇:2011/02/05(土) 19:34:37 ID:I95S0p.o
- 問題の文は「諫暁八幡抄」ですね。
「然るに月氏より漢土に経を渡せる訳人は一百八十七人なり。其の中に羅什三蔵一人を除て、
前後の一百八十六人は純乳に水を加へ、薬に毒を入たる人人なり。」
これによると日蓮は鳩摩羅什訳以外は「薬に毒を入たる人人」と言ってますね。
これは一番精度が高いというと言う表現には思えません。
ただこの「諫暁八幡抄」は真蹟の存在はあれど大石寺所有と言うもっとも信用できないものでして
運ちゃんさんの資料でも1を獲得し切れていない。
加えて犀角独歩さんのブログでも日蓮花押の切り貼りされた書として取り上げられていますが。
「諫暁八幡抄」のこの文が偽書か日蓮の解釈がすっとぼけているかのいずれかでしょうね。
- 36 :堅皇:2011/02/05(土) 19:40:01 ID:I95S0p.o
- >>運ちゃんさん
単純に「お題目」を唱えるだけ??
基本的にそう思います。
が、その題目は法華経を信じないといけないと思いますから
本尊はあるに越した事はないとも思います。
ただ、本尊とは何かと言う事も同時に絡んでくるものと思います。
- 37 :堅皇:2011/02/05(土) 20:00:07 ID:I95S0p.o
- 話が前後しますが
一応「諫暁八幡抄」のこの文節が日蓮が発した言葉として
何故日蓮がこの様な発言をしたかの理由の仮説ですね。
であればこの言葉に矛盾がなくなるという話ですから。
- 38 :主任:2011/02/05(土) 21:37:37 ID:Bt/A4B46
- >>運ちゃんさん
>御書の真蹟についてはポータルサイトにアップしました。
ポータルサイトにアップして戴きありがとう御座いましたm(_ _)m
>ところで日蓮大聖人は何を説きたかったんでしょうか?
>単純に「お題目」を唱えるだけ??
これは結構、難しい問題ですよね(^_^;)
基本的には題目を持って人びとを救わんとしていたのは確かだと思います。
たび重なる天変地異などで疲弊した民衆へのひとすじの光として。
- 39 :運ちゃん:2011/02/06(日) 10:58:17 ID:uK43f7YQ
- 日蓮大聖人が言っていたのは「お題目を唱える事」
確かにそうですね。
でもそのあとあえて時の政権に対して「立正安国論」を提出したのでしょうか?
やはり社会の不正を正すという事にも主眼をおいたという事でしょうか?
(まあ不正というか、世の中の歪みというか・・・・)
立正安国論というのは念仏に対する破折だと言われていますが、実は念仏「宗」に対する
攻撃というよりも、念仏宗の人たちが時の幕府に取り入って、公共事業(鎌倉大仏の建立)
とか、ようは社会を省みずに私腹を肥やす事を考えていた事に対する抗議だという話も聞いた
事があります。
(宗教者であれば社会をもっと見て、社会を善導しろよ!!みたいな感じ)
どうなんでしょうか??
- 40 :主任:2011/02/06(日) 12:28:42 ID:DWAVVThE
- >>39
>念仏宗の人たちが時の幕府に取り入って、公共事業(鎌倉大仏の建立)とか、ようは社会を省みずに私腹を肥やす事を考えていた事に対する抗議だという話も聞いた事があります。
どうでしょうね。それについて明確な文献なり資料があれば裏付けられますが、立正安国論にもそれについて諫める文言もありませんし。
凄まじいまでの念仏攻撃について研究者も充分に納得のいく説明はしていないようです。
日蓮の災難の由来について邪法がはびこる等の理論の展開は、日蓮のオリジナルではないようです。
心定という人物がその著作『受法用心抄』(1270年)において真言宗立川流を邪法として批判した理論が同じで、邪法が広まると災難が起きる、邪法を滅ぼして正法を流布させれば国土も穏やかになると(趣意)。
考え方としては同時代にはある程度流布していたようです。
- 41 :運ちゃん:2011/02/06(日) 12:43:10 ID:URw/RdoA
- 山中耕一郎氏の日蓮自伝考か日蓮伝再考で松葉が谷の襲撃についての考察がありましたが、
そこでは、集まった群衆の多くは大仏建立に携わっている人間だという内容でした。
(今は出先なので帰ったら確認しますが、、)
その考察の内容からすると。ありえる話かなと思っています。
ただ立正安国論について、真意を探る事は重要だと思っています。
- 42 :堅皇:2011/02/06(日) 14:15:13 ID:I95S0p.o
- 僕はある意味「立正安国論」の意義は考察するのもアリなのかなとは思いますけどね。
これは折伏のあり方がどうあるべきかと言う事を探る上でも。
少なくとも平穏な状態から国に取り入って自宗を広めようとしたという事ではないと思いますね。
特に念仏が一凶だとしたのは念仏が当事の日本に蔓延してそれに民衆が支配洗脳されていたからと言う事ではないかと思います。
ですからこれは日蓮側からのアプローチではなく念仏がどれほど広まっていたか
また念仏者がどれほど国を支配していたかを見る必要があると思います。
とかく歴史を見ると宗教の弾圧の歴史は語られているのですがその宗教家がどれだけ国を支配してたかは
結構封印されていると思いますね。
魔王と呼ばれる織田信長も比叡山焼き討ちが歴史として語られているが
その比叡山がどれだけの国に対する影響力を持っていたかはタブー視されている気がして。
かと言ってその破壊性だけに魅入られるとまた違う気がして、その姿勢が創価の折伏の姿勢の様な気もしますからね。
- 43 :堅皇:2011/02/08(火) 05:48:40 ID:I95S0p.o
- >>運ちゃんさん、主任さん
ここは1つ提案なのですが、もう少し突っ込んだ形でのガチで話をしませんか?
僕自身は不確かな事であるから発言を留めるという行為をやめようと思っています。
こう言った直ぐに飲み込んでしまうところに全ての問題があるのだと逆に思います。
私論は私論で大いに結構、これを先ず全て吐き出して
学術的観点から見ても矛盾がないかを確かめる必要があると思います。
僕自身が考えた私論に関して矛盾が指摘される箇所があれば
それは直ぐにでも引っ込めて更に再考しなおします。
というかこれまでそうしてきました。
とにかく互いに飲み込んでいては先に勧めないものだと思います。
で、順番に片付けて行きたいと思うのですが。
まず御書の中で日蓮は法華経は釈迦が説いた教説であると言うことを前提に説かれています。
しかしながら現時点では法華経は釈迦が説いた教説ではないと言う事が学者判断です。
となれば考えられる答えは限られてきますね。
1.日蓮が釈迦が説いた教説であると思い込んだだけでその時点で日蓮の理論は崩壊している。
2.法華経が釈迦の説いた教説じゃないなんて単なる学者の判断ミスであり御書に書かれている事こそが真実である。
3.日蓮は法華経のその理を取り上げて法華経第一としただけで釈迦が説こうが誰が説こうが問題ではない。
僕はこの場合3.がその答えだと思っているのですが
皆さんはどう思われるでしょうか。
もちろん三択ではありませんのでその他に答えが思いつくのであればお答えいただきたいです。
同じように「諫暁八幡抄」の
「然るに月氏より漢土に経を渡せる訳人は一百八十七人なり。其の中に羅什三蔵一人を除て、
前後の一百八十六人は純乳に水を加へ、薬に毒を入たる人人なり。」
この言葉は無視できない事となるかと思います。
1.そもそもこの「諫暁八幡抄」の一文は日蓮の著作ではないので無視するのが正解だ。
2.日本に伝わり日蓮が読んだ「妙法蓮華経」に「添品妙法蓮華経」に混ざっていたと言うのが事実無根。
3.単なる日蓮の理論が崩壊しているだけ。
4.題目が変われば経文全体の趣旨が変わるので日蓮は「薬に毒を入たる」と表現した。
5.その他
僕の考えは4.です。
これに関してはどう思われるでしょうか。
更に主任さんへ。
>>そうではなく日蓮はもともと誰が書いたかと言う事は問題では無かったのだと思うんですね。
>>書かれているものがそれに適していたかどうかで判断したのだと思います。
この僕の発言はあくまで「依法不依人」に則ってでの発言です。
但し「依法不依人」は涅槃経ですからこれを基本に置く訳にはいけません
あくまで法華経を真ん中に据えての「依法不依人」となりますから
これだけでは確かに説得力に欠ける点があるのかもしれません。
それに対し
> 撰時抄や千日尼御前御返事を読むと、やはりそこそこ問題にしていたと思います。
この「そこそこ」とはどの程度「そこそこ」なのであるのか
具体的に「依法不依人」を覆すべき内容が示唆されている箇所が存在しますかね。
決定的な文説があれば直ぐに自身の考えを撤廃し再考させていただきたいと思います。
うやむやのまま私論を抱いているとそれが我見に変わる恐れがありますので
全て今後は口にして行きたいと思っています。
ですから「それは違うだろ」と言うご指摘はどんどん投げかけていただけれは幸いに思います。
- 44 :運ちゃん:2011/02/08(火) 09:03:43 ID:hRc3TMUE
- 堅皇さん
ご提案の件、了解です。
まあどこまでをガチというかはありますが、それで行ければ
いいかと。>主任さんはどうですか?
あとのコメントは後ほど、、、
- 45 :主任:2011/02/08(火) 10:30:31 ID:6y77e/TM
- >>堅皇さん
>ここは1つ提案なのですが、もう少し突っ込んだ形でのガチで話をしませんか?
◎私も運ちゃんさんと同じく構いません。
>1.日蓮が釈迦が説いた教説であると思い込んだだけでその時点で日蓮の理論は崩壊している。
2.法華経が釈迦の説いた教説じゃないなんて単なる学者の判断ミスであり御書に書かれている事こそが真実である。
3.日蓮は法華経のその理を取り上げて法華経第一としただけで釈迦が説こうが誰が説こうが問題ではない。
◎上記でいうと私は、1と3です。1は当時は仕方がないことでしょうね。当時の仏教界でも当たり前に信じられていたでしょうから。しかし、学術的に現代は崩れています。
それと、私は3の意も含まれていると考えます。日蓮は法華経に秘められた真理を見いだしていたのでしょう。その意味では極論ですが釈迦の直説でなくてもに良いと考えます。ただし、現在日蓮仏法を展開するなら3は必要な考えです。
>1.そもそもこの「諫暁八幡抄」の一文は日蓮の著作ではないので無視するのが正解だ。
2.日本に伝わり日蓮が読んだ「妙法蓮華経」に「添品妙法蓮華経」に混ざっていたと言うのが事実無根。
3.単なる日蓮の理論が崩壊しているだけ。
4.題目が変われば経文全体の趣旨が変わるので日蓮は「薬に毒を入たる」と表現した。
5.その他
◎私は5でしょうか。
添品妙法蓮華経は、羅什訳に欠落している部分を補って訳されているもので新たに翻訳されたというわけではないですから羅什と全く関係ないともいえません。
あと他は後ほど。
- 46 :運ちゃん:2011/02/08(火) 12:50:01 ID:quuSxxxU
- 法華経に関していえば、僕は釈迦が直説だというのを日蓮さんは信じていたと思いますよ。
これは主任さんの意見に近いと思います。
ただ日蓮さんは立教開宗の段階で、釈迦の言いたかった事も理解していたのでは無いかと思います。
そしてその論拠として法華経を引用したのではないでしょうか?
ある意味「悟りの意味」を独自に覚知していたという事。
「自解仏乗」とでもいうのでしょうか。
「悟り」を顕したのが「法華経」であり、「悟り」は釈迦の占有事でもなく、
万人が到達できるもの。
仏教が普遍的なものであれば、当たり前だと思います。
あと添品法華経については、、まだ良く理解できていません。
大枠は主任さんの考えに近いかなぁ。。。。
- 47 :主任:2011/02/08(火) 15:58:40 ID:MN5.gghU
- >>45
【補足】
私が記述した>そこそこの趣旨ですが、少なくとも日蓮は羅什の翻訳を他の訳経僧の翻訳よりも優れたものとして見ていたと思って間違いないかと思います。
現在の学術的な視点では羅什の翻訳は必ずしも梵語の原本に忠実ではないことが知られています。
添品妙法蓮華経についての補足は、翻訳者の闍那グプタや達摩ギュウタが一から新たに翻訳したわけではなく、羅什訳の欠落部分を補ったものです。
ただ、羅什訳の妙法蓮華経との違いも勿論あります(闍那グプタたちは、嘱累品を一番最後に持ってきている。成立史的には羅什訳のように嘱累品は二十二番目にあるのが正しいらしい)。
- 48 :堅皇:2011/02/08(火) 18:17:53 ID:I95S0p.o
- 法華経に関して言えば運ちゃんさんも主任さんも
日蓮は釈迦の直説であったと言う認識でいたと言う事で間違いないであろうと言う事ですね。
もちろん、あえて日蓮が釈迦の直説ではないと唱える必要もありませんからね。
また、それを知りえる環境にも無かったからと言う事ですからそれは僕もそう思います。
ただお二人に共通する事は法華経は釈迦の直説だからと言う理由だけではないと言う事で
宜しいですかね。
この点は比較的重要な部分だと思います。
これが無ければこの時点で日蓮など信じるに足りないと言う結論に僕はなりますから。
法華経に関して言えばですが日蓮は釈迦が説いた爾前権経が全て誤りであると言う発言はしていないですから
(さらりと書いてしまいましたがこれにも異論は無いのでしょうか?)問題はないのですが
羅什訳の「妙法蓮華経」以外は全て誤りであるかの発言をしているところに問題があると僕は感じています。
ですからこの日蓮の難癖は「妙法蓮華経」が優れているというだけでは見逃せれる物ではないと思うんですけどね。
つまり、「正法華経」と「添品妙法蓮華経」が明らかなる毒であると証明できなければ
日蓮の発言は誇妄となり言い掛かりも甚だしいと言う事になるかとおもいます。
更に羅什の翻訳は必ずしも梵語の原本に忠実ではないことが知られていると言う事なら尚更
当事の主師親である釈迦に対する冒涜と言う事にもなりますよね。
さて、それではこれは単なる日蓮の独善なのか
それとも日蓮にはちゃんとした理があっての発言なのかと言う事なんですけどね。
- 49 :主任:2011/02/08(火) 19:04:09 ID:h1DUzgII
- >>堅皇さん
>ただお二人に共通する事は法華経は釈迦の直説だからと言う理由だけではないと言う事で宜しいですかね。
そうですね。
>更に羅什の翻訳は必ずしも梵語の原本に忠実ではないことが知られている>と言う事なら尚更当事の主師親である釈迦に対する冒涜と言う事にもなりますよね。
◎この上記の私の発言の趣旨は、現在の学術的な研究成果を挙げたものです。
しかし、日蓮は梵語も読めたらしいですし、正法華経や添品妙法蓮華経も読んでいますから日蓮がその違いをどうのように捉えていたかは一考をようしますね。
>「正法華経」と「添品妙法蓮華経」が明らかなる毒であると証明できなければ日蓮の発言は誇妄となり言い掛かりも甚だしいと言う事になるかとおもいます。
◎私が思うに、日蓮はもともと天台宗の僧ということもあるでしょう。天台大師や伝教大師も用いた法華経は羅什訳ですから。
それに、羅什訳にあって梵本、正法華経に無い十如実相の存在は大きいでしょうね。十如実相がなければ一念三千説が説かれなかったでしょう。
また、添品妙法蓮華経の場合は二処三会になりません。羅什訳の欠落部分を補ったとはいえ、すべてが同じではなく、例えば嘱累品の場所が羅什訳と異なっています。
そうすると、日蓮に取っては羅什訳の法華経が一番、真理を顕していると考えたのではないかと愚考します。
- 50 :運ちゃん:2011/02/08(火) 21:52:06 ID:uK43f7YQ
- 堅皇さん
>ただお二人に共通する事は法華経は釈迦の直説だからと言う理由だけではないと言う事で
宜しいですかね。
●そうだと思います。
釈迦の直説「だけ」で日蓮さんは法華経を用いているというわけではないと
考えています。
>羅什訳の「妙法蓮華経」以外は全て誤りであるかの発言をしているところに問題があると僕は感じています。
●この点は少し時間をください。
大枠は主任さんのお話と同意だと思いますが、再度自分でも考えてみたいと
思っています。
- 51 :堅皇:2011/02/08(火) 22:24:15 ID:I95S0p.o
- >>主任さん
確かに「妙法蓮華経」での十如実相と言うのは大きいですね。
これが無ければ一念三千ではなくて一念三百になりますからね。
ただ考えようによっては一念はキッチリと三千個と言うものではなく無限に広がると言う意味ですよね。
この場合三千であろうが三百であろうがこれと言った問題は感じられません。
虹の色は何色だという話に日本人の多くは七色と答えるのに対し
西洋では一般的には六色であると同時に数え切れないだけあると言うそうですから。
二処三会に関しては寿量品で充分にその理は補える物だとも思います。
もともと日蓮も天台も肝心は方便品と寿量品であると公言もされているのですから。
これらが理由と言うだけなら「純乳に水を加へ」までは良しとして「薬に毒を入たる」とは言うべきではないと思います。
- 52 :主任:2011/02/09(水) 07:11:37 ID:dFMwnllc
- >>堅皇さん
>ただ考えようによっては一念はキッチリと三千個と言うものではなく無限に広がると言う意味ですよね。
◎そうだと思います。
>二処三会に関しては寿量品で充分にその理は補える物だとも思います。もともと日蓮も天台も肝心は方便品と寿量品であると公言もされているのですから。
◎もちろん肝心要なのは方便品・寿量品ですが、かと言って他の品を無視しているわけではないでしょうね。法華経の全体像を見ないと二処三会が分からないと思います。添品妙法蓮華経では二処三会になりませんし。
>これらが理由と言うだけなら「純乳に水を加へ」までは良しとして「薬に毒を入たる」とは言うべきではないと思います。
◎羅什訳が日蓮に取って真理をよく顕している、それを強調した表現ではないかと愚考します。
日蓮は少々誇張した表現をしますからね(^_^;)
- 53 :主任:2011/02/09(水) 07:45:19 ID:lLkQu4qo
- >>52
【補足】
私事ですみません。宿直明けでまだ職場にいます。手もとに資料がありませんが、岩波文庫の法華経・上中下巻の下巻の一番後ろの解説に正法華経や妙法蓮華経、添品妙法蓮華経の各品の異動が載ってます。正法華経も嘱累品に当たる品は最後になっていたような…(←すみません。うろ覚えです。家に帰ったら確認します)
ちなみに、正法華経・妙法蓮華経・添品妙法蓮華経の原文体は大正新修大蔵経第九巻、法華部・華厳部に収録されています。値段は確か一万幾らかしたと思います。私は持っていませんがf^_^;
- 54 :堅皇:2011/02/09(水) 08:00:01 ID:I95S0p.o
- >>主任さん
> 日蓮は少々誇張した表現をしますからね(^_^;)
これはその通りに思います。
ただ御書をよく読むと意外と日蓮は言葉の使い分けをしてるんですね。
「純乳に水を加へ」みたいな効果が薄いであろうと言う話と
「薬に毒を入たる」みたいに明らかにこれは誤りであると言う指摘。
前者の効果薄というかやっても意味がないと言う表現は主に権実大小の爾前経の説明に用いられ
後者の毒と言う表現は念仏、真言、禅、律などに用いられています。
正宗教義ではこれらを一括して「全て使えない」と切り捨てているのですがこの違いは大きいですね。
この場合両者を用いていますので効果が薄い上に更に毒が盛られていると解釈するべきだと思います。
- 55 :堅皇:2011/02/09(水) 10:56:55 ID:I95S0p.o
- 僕は法華経の肝の部分は
方便品での「諸法実相」と寿量品での「久遠実成」そこが未顕真実での真実の部分だと思っています。
これは実相は1つの法門ではなく諸々の法の中にあると言う事と
一仏の存在はなく全ての人々がそれぞれに仏であると言う事
「久遠実成」は更に三世を説き顕した事にもなりますね。
ですから「十如実相」や「二処三会」等の欠けている部分と言うものは
「純乳に水を加へ」の類と思われそれ自身が誤りと言う事ではないと思います。
対する「薬に毒を入たる」と言うものは「諸法実相」や「久遠実成」を否定するものと言う事になるかと思います。
日寛教義を例に取るなら「文底独一本門」や「久遠元初」がそれにあたると思います。
- 56 :主任:2011/02/09(水) 20:13:16 ID:cRDGx8Ko
- >>53
【訂正】
正法華経・妙法蓮華経・添品妙法蓮華経の各品の異動について、確認しましたら岩波文庫・法華経の『上巻』の解題422〜423頁でした。失礼しました。m(_ _)m
正法華経の最後の品は、やはり嘱累品(第二十七)でした。
翻訳者が違うと名称も違いますよね(^_^)
羅什訳の方便品第二は、正法華経では善権品第二。羅什訳の如来寿量品第十六は、正法華経では如来現寿品第十五。
- 57 :堅皇:2011/02/10(木) 07:55:19 ID:I95S0p.o
- 「添品妙法蓮華経」の添品が何に掛かっているかでしょうね。
「妙法蓮華経」を補う意味での添品であれば法華経に対する涅槃経の様な立ち位置でと言う事になるのですが
「妙法蓮華経」自体が添品であるとするならば依報の立場として捉えられてしまうと言う事ですね。
闍那崛多・達磨笈多がどの様な意図で「添品妙法蓮華経」と名づけたかこれによるとは思いますが。
あくまで法華経は中心に据えなければ法華経第一では無くなってしまいます。
「添品妙法蓮華経」だけでは法華経の用途から外れてしまうと言う事だと思います。
で、何故に第一にしなきゃいけないかと言えば法華経が唯一正しいからではなく
法華経は依報正報全てを受け入れる経典であるからと言う事だと思います。
対する「正法華経」は法華経を正報と捉え、また正邪における正と捉えているので
法華経第一ではなく法華経こそが唯一正義であるとしているのだと思われます。
ちなみに日寛上人文段集では
「本門の本尊に約せば、正とは妙なり、妙とは正なり。故に什師は妙法華経と名づけ、法護は正法華経と名づくるなり。
況や天台は三千を以て妙境と名づけ、妙楽は妙境を以てまた正境と名づけんをや。故に正は即ち妙なり。
妙とは妙法蓮華経なり。妙法蓮華経とは即ち本門の本尊なり」
妙とは正であると結論付けて
「当に知るべし、立正とは破邪に対するの言なり。正直捨方便は邪を破するなり。但説無上道は正を立つるなり」
権実大小は邪であると結論付けているわけですね。
こんな事を言い出す人が現れることを示唆して日蓮は
「其の中に羅什三蔵一人を除て、前後の一百八十六人は純乳に水を加へ、薬に毒を入たる人人なり。」と
釘を刺したのだと思います。
法護が正法華経と名づけたから什師の妙法華経の「正」と「妙」は同じであるというのが日寛さんの言い分ですよね。
既に破綻していると思いませんか。
- 58 :主任:2011/02/10(木) 11:05:59 ID:J8jeKVhI
- >>堅皇さん
>こんな事を言い出す人が現れることを示唆して日蓮は「其の中に羅什三蔵一人を除て、前後の一百八十六人は純乳に水を加へ、薬に毒を入たる人人なり。」と釘を刺したのだと思います。
◎果たしてそのことを示唆していたのかは、その文言の前後を読んでみないと何とも言えません。(^_^;)
>法護が正法華経と名づけたから什師の妙法華経の「正」と「妙」は同じであるというのが日寛さんの言い分ですよね。
既に破綻していると思いませんか。
◎個人的に依正不二論で説明されると、いまいちピンとこないことと、日寛の文段に関してはあくまで、日寛の解釈に過ぎませんから余り参考にならないと私は考えます(日寛は江戸時代の人師に過ぎず、当たり前ですが日蓮ではないし、日寛の言説が正しいとは限らない)。
羅什がサッダルマを妙法と訳したのは当時流行していた老子の思想である『妙』を採用して妙法としたのであろうと言われています。
- 59 :堅皇:2011/02/10(木) 14:11:06 ID:I95S0p.o
- >>主任さん
先ず第一に日蓮正宗及び創価学会と言うものの教学と言うものが日寛教学に依存している訳じゃないですか。
それに対し日蓮の趣旨と違うんじゃないかと思いつつ未だに離れきれずにいるのはどうしたものかと言う事ですね。
その際たるものが勤行のスタイル及び御観念文ですね。
ざっと挙げて久遠元初、自受用報身如来、人法一箇、独一本門、本因妙、法水瀉瓶等など
学会の第一次改訂版でも自受用報身如来との言葉こそ用いてはないけど末法の御本仏と記されていますし
三大秘法の大御本尊という大御本尊とはいわゆる戒壇様の事を指しているわけではないですか。
主任さんが御観念文を読まれているかはさて置き
また、日要さんの文底寿量説と言うものを詳しく知らないのですが保田妙本寺でも日我さんのスタイルでの
勤行や御観念文があるわけですね。
その中にはやはり久遠元初や本因妙といった不確かな言葉が混ざっているわけです。
また、日蓮を久遠眞因萬法能生の根本種子妙法蓮華経の主とも表現されています。
正直言って自受用報身如来との違いが良く解らないと言う印象は受けました。
少なくとも僕自身は妙法蓮華経というものが本因妙だとか根本種子と言う事は違うのではないかと考えているわけですね。
これらの考えは真言宗の方といろいろと話をした上で真言のマントラの理と酷似していると感じるからでもあります。
日蓮が本仏で有らずで題目が本因でないとすればとした上での考察です。
依正の判断は妙楽の身土から来るものですから不確かなものであるともいえるのですが
自分の中では辻褄が合う物だと今現在は思っています。
これが答えだと言う確証よりもまず妙法が本因妙だの根本種子だの独一本門だの言うのが違うのではと言う事が
先に思う事柄なんですね。
加えて否定できる材料が何かあるのであればと言うものですね。
- 60 :主任:2011/02/10(木) 15:38:48 ID:RYFKyddY
- >>堅皇さん
>日要さんの文底寿量説と言うものを詳しく知らないのですが保田妙本寺でも日我さんのスタイルでの勤行や御観念文があるわけですね。その中にはやはり久遠元初や本因妙といった不確かな言葉が混ざっているわけです。また、日蓮を久遠眞因萬法能生の根本種子妙法蓮華経の主とも表現されています。正直言って自受用報身如来との違いが良く解らないと言う印象は受けました。
◎私も妙本寺信徒の端くれなので勤行のときは御観念文は読みます。しかし、私は日蓮を末法御本佛という後世に成立した人物像とは見ないので御観念文を読むときは違和感を感じますが(笑)
それと、日寛教学上の自受用報身如来と、日要・日我の教学上の久遠眞因萬法能生の根本種子妙法蓮華経の主などは、教学理論が異なるだけでどちらも日蓮を末法の御本佛と見る点は同じですね。ただ、表現が違うだけ。というより富士門流は日蓮を末法の御本佛と見る点で共通ですが(西山は若干、異なる)。
>これが答えだと言う確証よりもまず妙法が本因妙だの根本種子だの独一本門だの言うのが違うのではと言う事が先に思う事柄なんですね
◎私もそれは同感です。
- 61 :黒熊 ◆cNlZwZaDGU:2011/02/10(木) 21:30:24 ID:???
-
創価学会会員の100名の内、何人が御書を購入していて、何人が読んでいるのかが面白いです。
御書を積読して、丁度良い高さから昼寝の枕にする方も居ると聞きます。
御書の違った使い方が出来る、学会員の素晴らしさです。
- 62 :堅皇:2011/02/11(金) 10:43:14 ID:I95S0p.o
- ところで、勤行についてのやり方を御書から読み取れますかね。
けっこう意味不明が多いと感じるのですが。
特に御観念文に関しては不必要と言うよりも毒にしかならないことばかり書かれている気がします。
先ず、初座に関しては御観念文ではあまり疑問を感じないが何故に東へ向くかと言う話。
これは「妙法蓮華経」を無視している様にも思えたり・・・、創価は東に向かっても良しとのこと。
少し気になるのは「生身妙覚"自行"」の何故に"自行"なのかと思うぐらいですかね。
二座 本尊(法本尊)
【正宗】久遠元初、自受用報身如来、人法一箇、独一本門戒壇の大御本尊、これらに境智冥合
【妙本寺】久遠元初・本因・本果・本国土三妙圓具、末法萬年救護の大本尊
【創価】大御本尊
創価版はぼかしていますが大御本尊と言うのは外せなかったのでしょう。
これらの言葉の根拠は既に真蹟では得られそうにないですね。
三座 三師(人本尊及び僧宝)
【正宗】本因妙の教主(日蓮)、法水瀉瓶・唯我与我(日興)、一閻浮提の御座主(日目)、日道、日行等御歴代の御正師
【妙本寺】末法事行の御本尊、久遠眞因萬法能生の根本種子妙法蓮華経の主(日蓮)、
唯我一人の信心、血脈代々因果同体の師弟、(日興、日目、日郷、乃至當代迄嫡ヶ相承の御正師)
【創価】末法の御本仏(日蓮)、※法水瀉瓶や血脈等の表記はないが日興、日目を三師とし日目が御座主
基本、全て興門流なので日蓮本仏と日興、日目へとの継承は否定できないものともいえますね。
四座 広宣流布祈願
【正宗】一天四海本因妙の広宣流布
【妙本寺】爾前迹門の謗法を退治し、法華本門の正法を建立
【創価】広宣流布と創価学会万代興隆
妙本寺版にある「爾前迹門の謗法対治」というものは顕正会でも使われていて
正宗でも明治時代では用いられたみたいですね。
基本「文底寿量説」と言うものは「文底独一本門」と同様の考えなのであるか?
爾前迹門が謗法であり法華のみが正法であると言うのは言語道断だと思います。
五座 回向
【正宗】当宗信仰の面々、内得信仰の面々・・・乃至法界平等利益
【妙本寺】佛果菩提、並びに有縁無縁、十方法界の諸精霊等証大菩提
【創価】会員、友人の追善供養・・・一切衆生の幸福のために
まあ、最終的に法界平等利益、一切衆生となるのですが
正宗と創価の当宗信仰の面々、内得信仰の面々、会員、友人と言うのはどうしても縄張り意識は感じられますね。
- 63 :運ちゃん:2011/02/11(金) 11:21:00 ID:uK43f7YQ
- 堅皇さん、主任さん
すみません。
仕事なんかで忙殺状態で・・・・
お二人のお話の中身について、勉強がおっつきません、、、、
でも確かに
- 64 :主任:2011/02/11(金) 12:32:44 ID:ThJhmZug
- >>堅皇さん
>ところで、勤行についてのやり方を御書から読み取れますかね。
◎御書には勤行のやり方についての記述はないですよね。
>先ず、初座に関しては御観念文ではあまり疑問を感じないが何故に東へ向くかと言う話。これは「妙法蓮華経」を無視している様にも思えたり
◎石山は知りませんが、妙本寺についての勤行次第は第十四世貫首・日我の化儀秘決(富士宗学要集第一巻参照。ネットでも見れます)を見て戴いた方が早いかもしれません(^_^;)
化儀秘決には妙本寺の六座勤行は開山上人(日興)以来云々とありますが、それが史実かどうかは個人的に検討の余地があるかなと思っています。
>基本、全て興門流なので日蓮本仏と日興、日目へとの継承は否定できないものともいえますね。
◎ちなみに、同じ富士門流でも西山は日目を第三祖とは認めてないです(西山は、日蓮→日興→日代と次第)。
>妙本寺版にある「爾前迹門の謗法対治」
◎この文言は、申状の記載が起源ですね。日蓮の申状は私の手元に資料がないのでわかりませんが、日興・日目・日郷・日道などの申状の初めの部分に必ず『爾前シャク門の謗法を退治し云々』の文言があります。それを受けていますね。
>基本「文底寿量説」と言うものは「文底独一本門」と同様の考えなのであるか?
◎『文底寿量説』については、すみません。私も勉強不足でまだ人に説明できるレベルにはありませんm(_ _)m
敢えて資料を挙げますと、執行海秀〔しぎょうかいしゅう〕著『日蓮宗教學史』平楽寺書店。
興風談所『興風叢書〔7〕一流相伝大事 私』
- 65 :主任:2011/02/11(金) 12:35:07 ID:fUGwqH42
- >>運ちゃんさん
いつでも待っておりますので、気になされないでください(^_^)v
- 66 :堅皇:2011/02/11(金) 14:05:32 ID:I95S0p.o
- >>主任さん
化儀秘決を斜め見してみましたがじっくり読むのはかなり大変そう(笑)
日寛さんの六巻抄もそうですが何故に日蓮の御書より読みにくいのかと。
御書は法華経や諸経の解説書ですから経文を読むより幾分か読みやすいのですが
これらは基本的に御書の解説書となるはずが何故に御書より解りづらいのかと。
「其の寿量品とは下種の南無妙法蓮華経、日蓮、人法一個の本尊なり」
「文底の寿量は下種本因妙の南無妙法蓮華経」
どうやらこれが結論となっているみたいで、これを元にしてこねくり回している印象は受けますね。
更にそれが何故にそうなのかと言う説明不能な部分となると口伝、相伝を強調し
「之れに依つて先師代々より此の趣き相伝なり、少しも今案に非ず堅く相守るべきなり。」と煙に巻く感じ。
また、こちらも法門を二つに別け「折伏門」と「摂受門」としているところが
念仏と同じ理で考えられていると言った印象は受けます。
そもそも法門を別けるというのは「在世の本門と末法の初は、一同に純円なり。」に反すると思うんですけどね。
日寛教義に置いて題目を「独一本門」とまで銘打っておきながら法華経を読受するのは如何に?
と思っていたのですが段階的に所破を行っていくというやり方は化儀秘決を参考にしているのかなと考えたりもします。
全て熟読したわけではありませんがなかなかキツイものは感じますね。
- 67 :主任:2011/02/11(金) 16:41:54 ID:.bUCOY.U
- >>堅皇さん
>化儀秘決を斜め見してみましたがじっくり読むのはかなり大変そう(笑)
◎大変でしたでしょう。(^w^)意味まで理解しようとすると少々骨が折れます。私も妙本寺の教学の勉強が進まないのはこれも一因です(^_^;)
>日寛さんの六巻抄もそうですが何故に日蓮の御書より読みにくいのかと。
◎日我上人(1508〜1586)の化儀秘決もそうですが、そもそも在家信徒に向けて書かれたものではなく、僧衆のために書かれたものだから御書よりも読みにくいのであろうと愚考します。
おそらくは、在家信徒に説法するときなどは分かりやすく話したと思います。
>段階的に所破を行っていくというやり方は化儀秘決を参考にしているのかなと考えたりもします。
◎日寛さん(1665〜1726)の教学は多分に妙本寺・日我上人の影響を受けてますね。書写本尊の相みょうも類似してますし。
- 68 :堅皇:2011/02/11(金) 21:20:49 ID:I95S0p.o
- >>主任さん
> そもそも在家信徒に向けて書かれたものではなく、僧衆のために書かれたものだから御書よりも読みにくいのであろうと愚考します。
僕の場合そんなことでは納得はしません。
その言い分は真言密教の有り方そのものですからね。
また、仏法が密教化して僧衆のための物となってしまったから念仏が生まれてしまったわけです。
これは真言宗や浄土宗の方と少しだけでも話をし真言や念仏を理解すれば直ぐに解る事です。
単に日蓮信仰者が諸経や法華経(所依)を自身で学ぼうとせず法主や権威的な僧侶(能化)に依存した結果だと思いますね。
流石に漢文のままでは読めませんが法華経の日本語訳は読みましたが
こんなわけの解らない威圧的な文面ではありませんよ。
正直言って理解してもらおうという文面と言うよりも
お前ごときに理解なんか出来るわけがない、選ばれし者だけに伝える秘伝、相伝、口伝だからという印象を受けます。
噛み砕けば噛み砕くほど言ってる本人が実は意味解ってないだろうという気がします。
池田さんのスピーチと一緒ですね。
- 69 :主任:2011/02/11(金) 22:17:35 ID:xfYLAxJc
- >>堅皇さん
>単に日蓮信仰者が諸経や法華経(所依)を自身で学ぼうとせず法主や権威的な僧侶(能化)に依存した結果だと思いますね。
◎これについては現代的な視点で見ない方がよいと思います。それは現代だから言えることであって、その当時の時代背景や庶民の生活、慣習、信仰観も合わせて考えないと何とも言えないですね。
>正直言って理解してもらおうという文面と言うよりもお前ごときに理解なんか出来るわけがない、選ばれし者だけに伝える秘伝、相伝、口伝だからという印象を受けます。
◎その当時の寺院(宗派に係わらず)密教的な文化があったこと事実でしょうね。特に日蓮門下、就中、富士門流の僧侶は天台宗寺院で台当違目のために天台宗の教義を学んでいた歴史がありますから、その影響を色濃く受けたとも言えます。
ただ、何度も言うように現代的なものの見方でその当時を見ない方がよいと私は考えます。何故ならば現代とは文化も違うわけですから。それを織り込んで考察すべきかと思います。
今は今、当時は当時と。
- 70 :主任:2011/02/11(金) 22:26:58 ID:zM7h9IxU
- >>69
【補足】
>単に日蓮信仰者が諸経や法華経(所依)を自身で学ぼうとせず法主や権威的な僧侶(能化)に依存した結果だと思いますね。
これに関しては一理ありますが、その当時の庶民の識字率の問題もありますね。
- 71 :堅皇:2011/02/11(金) 23:09:51 ID:I95S0p.o
- >>主任さん
もっとも日蓮は題目を唱えろとは言ったが勤行に関して言えば僧侶にしか話をしてませんからね。
いわゆる出家対象者に対する書面がもっと残っていればこの様な状況に陥る事は無かったと思いますが
この勤行が秘伝と化していったという背景はあるか思います。
口伝、相承書と言った類の物が全て信憑性を持たないものばかりしかありませんからね。
極論的に言えば僕は現在行っている勤行は本来必要ないのではないかと考えています。
必要があるとすれば勤行に書かれている意味を理解すると言う事ぐらいです。
意味を理解した段階で僕は御観念文は全て不要なのではと言う考えに至ったわけですから。
ともかく日寛教義も化儀秘決も「本因妙」ありきでの講釈なので
これを受け入れようとする方が気が知れないと思うわけです。
- 72 :堅皇:2011/02/11(金) 23:13:50 ID:I95S0p.o
- 僧侶の権威権力を守る為、神秘的な意味合いを持たす為に勤行を利用したんじゃないかと思ってならないわけですね。
- 73 :主任:2011/02/12(土) 10:34:00 ID:QtA9ynb.
- >>堅皇さん
>いわゆる出家対象者に対する書面がもっと残っていればこの様な状況に陥る事は無かったと思いますが
◎これは同感ですね。
>この勤行が秘伝と化していったという背景はあるか思います。
◎私は勤行を秘伝としているとは思わないですね。所詮は化儀でしかないので。
>僧侶の権威権力を守る為、神秘的な意味合いを持たす為に勤行を利用したんじゃないかと思ってならないわけですね。
◎勤行というより、むしろ教義・教学でしょうね。日蓮が説いた教えが時代と共に複雑なまでに理論体系化して行ったのでしょうね。
>極論的に言えば僕は現在行っている勤行は本来必要ないのではないかと考えています。
◎極論すると確かに必要ないかもしれません。私が上述した如く、御観念文も含めて所詮は、化儀・形式に過ぎませんから。
>日寛教義も化儀秘決も「本因妙」ありきでの講釈なので>これを受け入れようとする方が気が知れないと思うわけです。
◎これは手厳しい物言いですね(^_^;)私が思うに少なくともその寺院に所属しているならば形式だけでも合わせるべきかと思いますね。でなければ檀信徒を辞めるべき。
そもそも、富士門流も含めて現在、日蓮門下で祖師・日蓮に遡源できる教義を奉じる寺院や在家団体などありはしませんよ。
大なり小なり教義・教学が変容していますからね。
- 74 :主任:2011/02/12(土) 10:45:06 ID:Q26ZONgU
- >>73
【補足】
極論すると、教義・教学で正しいもの探しをしても無駄です。
ゴータマ・ブッダ時代の仏教が存在しないように(現代に残るスリランカや東南アジアの上座仏教は部派仏教の一派に過ぎない)、日蓮時代の教義が変容しているように時代と共に変わらないものはありません。
- 75 :堅皇:2011/02/12(土) 11:47:14 ID:I95S0p.o
- >>主任さん
> 私は勤行を秘伝としているとは思わないですね。所詮は化儀でしかないので。
この考えも「本因妙」ありきだと僕は思うのですが。
つまるところ題目が実相の考えての勤行が化儀な訳ですよね。
僕は法華経が化儀である以上題目も化儀と捉えていますから。
法華経と理が異なる御観念文は化儀にあらずで謗法であると捉えています。
> 富士門流も含めて現在、日蓮門下で祖師・日蓮に遡源できる教義を奉じる寺院や在家団体などありはしませんよ。
これは重々承知です、だから僕は何処の檀家にも所属していないわけですね。
> 極論すると、教義・教学で正しいもの探しをしても無駄です。
これはゴータマ・ブッダの本流を探るという事ですかね?
とすればこれも指して関心はありません、どのみち法華経は釈迦の教説とは思っていませんから。
単に妙法蓮華経を読んで良いと思っただけの事ですから。
- 76 :堅皇:2011/02/12(土) 22:16:57 ID:I95S0p.o
- >>主任さん
少し僕の方からは言いすぎた面もあるかと思うところは反省はしているのですが・・・。
ただ、主任さんは妙本寺の檀家さんでありながら日蓮本仏主義に懐疑的である。
御書真偽判断にも明るい人でその判断は比較的冷静な人であると言うことを踏まえてのガチトークを望んだわけです。
本来蔑む意図は全くありませんので不快におもうのであれば続けるつもりはありません、後は心の問題ですから。
> 私が思うに少なくともその寺院に所属しているならば形式だけでも合わせるべきかと思いますね。
もちろん世の中には守らなければいけないであろうと言うルールは存在するのかも知れません。
しかしながらある種狡猾に生きる部分も必要なのではないかと僕は思います。
それはルール(法)と言うものが本来何の為に存在するかといえば人を守る為であり人に縛られる事ではないと僕は考えます。
もし仮に縛られる為に存在するのであればそれは創価学会となんら変わらないものとなるのではないかと感じるからです。
ご自身が納得されてご祈念されているのであればこれ以上の話はないのですが
それこそ理解しかねるという話であるなら従う必要はないのではないかと考えるところです。
- 77 :主任:2011/02/12(土) 23:24:01 ID:KwHQyCNc
- >>堅皇さん
>少し僕の方からは言いすぎた面もあるかと思うところは反省はしているのですが・・・。
◎いえいえ、実は私も反省しておりました(^_^;)
>本来蔑む意図は全くありませんので不快におもうのであれば続けるつもりはありません、後は心の問題ですから。
◎もちろん分かっていますし、まったく不快にも思っていないので堅皇さんも気にしないでください(^-^)
ガチトークはこのまま続けましょう。
>ご自身が納得されてご祈念されているのであればこれ以上の話はないのですがそれこそ理解しかねるという話であるなら従う必要はないのではないかと考えるところです。
◎これについては前回、私が述べたように日蓮門下で教義が変容していない寺院や団体は無いので、いわゆる日蓮本佛論的な信仰や、それに基づく勤行や御観念文があっても良いのかなと思っています(ひとつの信仰のかたちとして←このニュアンスを文章で伝えるのが難しいです)。もちろん、その教義を絶対的なものとして他門流やその他の教団を攻撃するのは以ての外ですが(←ここは結構、大事かと。でないとそれこそ創価学会や宗門等と同じになってしまうので)。
…とは言いつつ御観念文に若干、個人的に付け加えている部分があったりしますf^_^;
- 78 :堅皇:2011/02/13(日) 09:12:43 ID:I95S0p.o
- >>主任さん
> その教義を絶対的なものとして他門流やその他の教団を攻撃するのは以ての外ですが
確かにそれは言えるんですね。
釈迦にしろ日蓮にしろ天皇にしろキリストにしろこれがあるから争いが起こるわけですから。
これらが化儀、方便だと捉えれば確かに良いんですけどね。
しかし宗教となればこれが難しい、特に信が深くなればなるほど神や本仏の言う事が絶対になってしまいますからね。
そういう意味でも仏法は法華経が現れるまで宗教では無かったという話。
では法華経が誤りかと言えばそうでもないのだけど法華経の様に思想に「信」を用いる限り
一仏や一法だけを信じると言う行為は御法度だと思うわけなんですね。
と、方便品と寿量品を読んでそう感じたんだけど。
- 79 :主任:2011/02/13(日) 21:43:04 ID:xKLGd/TQ
- >>堅皇さん
今回のトークでは勤行について話題が出ましたので、西山本門寺の勤行要典も資料として挙げておきますね(^_^)
【信行正軌】
『経前要文』
道場観(寿量品=我此土安穏から散仏及大衆までを読む。最後に南無妙法蓮華経)
奉請礼(寿量品=衆生既信伏から倶出霊鷲山まで、そして勧請文)
懺悔(顕立正意抄)
讃歎(本化顕発手継ぎ本尊讃文=万年救護之大本尊の讃文を読む)
『読誦経典』
方便品・欲令衆、寿量品、神力品
『唱題要文』
唱題観(御義口伝)
唱題行
『経後要文』
普回向(上野殿母尼御前御返事)
祈願(諸法実相抄)
誓願(生死一大事血脈抄)
報恩礼(曽谷殿御返事)
奉送礼(嘱累品、普賢品)
※御書の部分はすべて読むわけではない。
※参考文献、松本修明著『大日本国富士山本門寺根源 信行正軌要義解説 他』
- 80 :堅皇:2011/02/13(日) 23:19:59 ID:I95S0p.o
- うーん。
勤行のそもそもの起源を考えるとこういった形式的なものではなく
基本的な仏法の知識を修得する事が目的の様な気がするんですね。
とすれば仏法研鑽そのものが勤行と言う事なのではないかと思ったりもしますね。
真言、念仏、題目とは別に勤行と言うものは本来は式次第を作り暗に音読する行為ではないのではないかと思います。
形式仏教と言う言葉もありますが仏法とは本来はこんな儀礼的なものではなかったのではないかと。
例えば現在は葬儀の時に僧侶を呼ぶのが当たり前の様に捉えられているけど
当事は僧侶が駆けつけるのを待っていたら遺体が腐ってしまうと言う話もありますから
今の感覚とは異なるものだとも思えてならないと言う事はありますね。
- 81 :主任:2011/02/14(月) 10:45:26 ID:aXs6gbKg
- >>堅皇さん
>基本的な仏法の知識を修得する事が目的の様な気がするんですね。>とすれば仏法研鑽そのものが勤行と言う事なのではないかと思ったりもしますね。
◎本来はその通りでしょうね。そして朝一番にする修行、夕方にする修行というかたちだったはずです。
>真言、念仏、題目とは別に勤行と言うものは本来は式次第を作り暗に音読する行為ではないのではないかと思います。
◎日蓮在世の天台宗や日蓮自身がどのような形式で勤行をしていたかは不詳ですが、私は経文の音読はしていたのではないかと思います。しかし、現代人とは違い当時の僧は漢文が読めましたから音読しても意味を理解することは出来たでしょうね。
>形式仏教と言う言葉もありますが仏法とは本来はこんな儀礼的なものではなかったのではないかと
◎どうしても教団(出家、在家に係わらず)が整ってくると内規として一定の形式が出来上がってしまうのではないかと思います。
ただ、創価学会の持ち込んだ現世利益的な思想の勤行(勤行すれば功徳があるなど)は異質と思います。この考え方は石山信仰圏にかなり影響を与えていますね。
だけど、そろそろ本来的な勤行の意義を考えて直して行った方が良いのではないかと考えてます。
- 82 :堅皇:2011/02/15(火) 09:36:12 ID:I95S0p.o
- >>主任さん
> 私は経文の音読はしていたのではないかと思います。
> しかし、現代人とは違い当時の僧は漢文が読めましたから音読しても意味を理解することは出来たでしょうね。
これは僕もそう思います。
ただ漢文が読めない現代人にとっては音読に加えて翻訳物も読んだほうが言いのかなとは思いますね。
何れにせよ本来的な勤行の意義を考えて直して行った方が良いのではないかと言うのは全くの同感です。
> 創価学会の持ち込んだ現世利益的な思想の勤行(勤行すれば功徳があるなど)は異質と思います。
> この考え方は石山信仰圏にかなり影響を与えていますね。
これも深く同意します。
唱題がそのまま「業」と捉えられているところもありますが
唱題の本来の意義を考えると「願」の部分だと思えるんですね。
「業」を無視し「願」を重視するところが乞食信心へと繋がっている気もするんですね。
- 83 :堅皇:2011/02/18(金) 10:39:05 ID:I95S0p.o
- ところで『日女御前御返事』の
「此の御本尊全く余所に求る事なかれ。只我等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり」
ってどう思います?
学会から退会仕立ての時に犀角独歩さんとのメールで
「日蓮自身にそうした考えがあったかどうかは、わたしが懐疑的です。」と言われ、その時はあまり感じなかったのですが
いろいろ曼荼羅の構造を考えてみた現時点では確かに無いのではないかと思っているところではあるんですね。
運ちゃんさんの資料を見ても『日女御前御返事』の真筆数は「7」と言うわけですからかなりの危険水域ですね。
この御文を元にして学会は本尊は「自分自身の生命」とか「対鏡」と解釈されているところはあると思うんですね。
方便とすれば効果的だったと思うのですが、行き着く先は禅の理論で法華の理論ではないと考えるのですが。
- 84 :主任:2011/02/18(金) 12:14:49 ID:TksU3uJA
- >>堅皇さん
>『日女御前御返事』の「此の御本尊全く余所に求る事なかれ。只我等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり」
◎この御書は真蹟が無いのですよね。で、この文言の後に『九識心王真如の都』と来ますが、果たして日蓮が九識論なんて持ち出すのかなーと疑問に感じます。一念三千で表現するなら分かるのですけど…。
他の真蹟遺文にも九識論は無かったと思いまし。
私は偽書と考えます。
…とは言いつつ、個人的にはこの文言は嫌いではないですが(^_^;)
- 85 :堅皇:2011/02/18(金) 18:46:02 ID:vQ3WXzrc
- >>主任さん
やはりそう思いますか、僕も全く同じ見解ですね。
九識論に関しては確かに良く出来た物だとは思いますが肝心な九識目の阿摩羅識に確固とした定義は無いんですね。
つまるところ「究極の真理」「真如」はたまた「神」や「本仏」と言った存在になるんですかね。
これが南無妙法蓮華経かと言えばやはり疑問が残りますね。
もともと九識論は法華経とは違う考えだと思いますし。
好きか嫌いかと言えば「一生成仏抄」同様好きな御書の一つではあります。
どちらも創価思考からの脱出の鍵にはなりましたからね。
ただ抜け出した後で改めて見直すとこれは違うのではないかと言う風に思いました。
- 86 :主任:2011/02/18(金) 21:46:50 ID:Ktmgky2Y
- >>堅皇さん
>肝心な九識目の阿摩羅識に確固とした定義は無いんですね。>つまるところ「究極の真理」「真如」はたまた「神」や「本仏」と言った存在になるんですかね。
◎調べてみると真如のようです。ただし、本来の唯識はアーラヤ識の第八識までしか認めていないですね。アマラ識は訳経僧のパラマールタ(真諦三蔵499〜569)が如来蔵思想の立場で解釈したようで、パラマールタの独自の説のようです。なので、玄奘三蔵の弟子・慈恩大師はパラマールタの訳には誤りがあるとして盛んに攻撃したそうです。
>これが南無妙法蓮華経かと言えばやはり疑問が残りますね。>もともと九識論は法華経とは違う考えだと思いますし。
◎私も同感です。法華経から唯識論は出てこないですしね。
- 87 :saya:2011/02/19(土) 08:52:49 ID:u39d.26A
- 詳しくは
日蓮法華と本覚思想
と言うスレで紹介されてますね。
http://bbs.2ch.co.jp/user/nichirenhokke/bbs1/#6
そもそも、九識論も学会独自の教学ですよね。
仏教学そのものに真理はないんじゃないでしょうか。
仏教を訳した鳩摩羅什の訳もあてにならないからです。
犀角独歩さんのグリー日記より抜粋
「信」が、では、もともとの仏教になかったというとそうではなく、プラニダーナはあった。この信は帰依(南無)の意味合いを帯びていない。「願い」といった意味合いに近い。
しかし、そうした仏教を一変させる思想運動が西北インドを中心に席巻する。ヒンドゥー教バーガヴァタ派のバクティ(誠信)の流行だ。
ヒンドゥー教は、もちろん、神への信仰だ。だから、その原型は「“神”への絶対の帰依」を意味した。しかし、ひとたび、これが仏教に摂取すると容易に「“仏”への絶対の帰依」へと変貌する。驚くことに、元来、願いほどの意味で用いられていたプラニダーナまでも同様の意味で使われるように変貌してしまう。
こうして、仏教の持つ修道修行は、バクティにとって変わられることになる。日本に至ってはさらに極端で仏教を受容することを「信仰」と呼ぶようにまで変化する。仏教は本来、修行実践するものであったのに、その修行実践そのものまでが信仰であると解釈されるに至る。
「信」が絶対の価値を持つに至るその遠因は、実はヒンドゥー教であり、その影響も受けながら創作された『法華経』もまた、信の強調が目立つ。
しかし、『法華経』がさらに徹底した「信仰」に書き換えたのは、羅什の翻訳にその原因があった。こうして完成したのが漢訳法華経、すなわち『妙法蓮華経』である。
原本の法華経がバクティ化した「信」の影響を色濃し示すまでも「絶対の帰依」と表現はそれほど、強くない。この点を「一乗思想」で書き直したのが『妙法蓮華経』である。わたしの羅什嫌いの理由はここにある。
日蓮が「南無妙法蓮華経」と言ったのは、この羅什の徹底を、さらに徹底した結果である。
終
- 88 :堅皇:2011/02/19(土) 11:02:58 ID:vQ3WXzrc
- > 仏教学そのものに真理はないんじゃないでしょうか。
これは無いと言えると思います。
しかしながら仏法にプラニダーナではなくヒンドゥー教のバクティを取り入れた法華経は間違いなかったと思います。
と言うのも法華経は真理、真如を信じろと言う法門ではないですからね。
逆に仏法での未顕真実を踏まえて真実は顕せないのが真実ですと顕したのが法華経で
これを信じなさいとしているわけですからね。
なんだか非常に解りにくいですが、世の中に神や本仏、真如と言った存在がないと言う事を信じなさいと言う事で
一仏では無く諸仏、独一の法門ではなく諸法を信じなさいと言う法門になりますから
これをバクティより更に強い「一乗思想」に書き換えた羅什の判断は間違っていなく
更に「南無」を付け加えた日蓮の判断は法華経の意味を理解すると非常に適切なものであると僕は思います。
ただ一歩解釈を誤れば確実にカルト化しますし頭破作七分になると言う事は否定しませんし
難信難解とか保つ事は容易ではないと言う事も同時に再三説明してありますから。
- 89 :堅皇:2011/02/19(土) 12:23:47 ID:vQ3WXzrc
- もっとも犀角独歩さんの見解が的を射ているか僕の考えがいい線言ってるかは解らないですけどね。
ただ法華経で言う「諸法実相」とはこう言った互いの考えの中に存在すると考えていますし
そういった法華経と言うものを僕は深く信じていると言う感じですかね。
犀角独歩さんは僕も尊敬する人物の一人ですが
だからと言ってその全てを鵜呑みにする考えは止めようと思って居たりします。
もっとも次元が違うぐらい詳しい方ではありますし
良く相談させていただいてはおります。
- 90 :主任:2011/02/19(土) 14:35:31 ID:ADThGAjM
- >>sayaさん
>仏教学そのものに真理はないんじゃないでしょうか。
◎そうですね。あくまで学問ですからね。
>仏教を訳した鳩摩羅什の訳もあてにならないからです。
◎羅什の翻訳態度は逐語訳ではなく意訳ですから必ずしも原本と比べると正確でないかも知れませんが、羅什訳が東アジアの地域(の仏教)に与えた影響は大きいです。
なので、まったく当てにならないとも言えないのかなと思っています。
グリーの犀角独歩さんの日記は確かmixiの方でも同じ文でアップしていたのを拝見したことがありました。独歩さんとは去年の西山本門寺末の寺院の御会式並びに御虫払いでお会いしました。
挙げて戴いたURLについては私も読者なので存知ております。ただ、つい最近は閑散としていたので見てませんでしたが。(^_^;)
- 91 :saya:2011/02/19(土) 16:44:36 ID:u39d.26A
- >主任さん
そうですね。
まったくあてにならないわけでもなく、仏教の大本をたどって原理主義
になるとにニヒリズムになりそうな気もします。
>堅皇さん
鵜呑みにはしてないです。
勉強になる、と読ませて頂いてます。
確かに、次元が違うくらい詳しいかたですが、この方、
知識がアイデンティティになってるところ、あるように思ったり
します。
アイデンティティを崩したくないから、グリーも閑散だったのかな。
と、学会上がりの無知識の元婦人部が言うもの何ですけどね〜
なんとなく、宗教はコリゴリの、私のいけない偏見が働いたのかも
知れないです。
- 92 :堅皇:2011/03/06(日) 03:35:02 ID:vQ3WXzrc
- >>運ちゃんさん
何故に法華経の教相での二乗作仏があれば観心で読み取ると悪人成仏も可能となるかなのですが
ここで重要なのは「二乗」ではなく「作仏」が決め手なんですね。
先ず法華経では、所以者何。如来方便。知見波羅蜜。皆已具足。
「何故ならば、如来方便は見聞して得た究極最高の知識を皆既に具足しているから」
と、これまで説いてきた方便がもう完璧だと、こう世尊は豪語しているわけですね。
そこで諸法実相ですね。
所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。
あらためて書くこともないかもしれませんが
いわゆる諸法には本来のこの姿形(相)があり、この本来の性質があり、この姿形と性質を備えた物体があり、この物体には潜在能力があり、この能力には作用があり、この物体が作用するには直接的原因があり、この原因を助ける間接的な条件である縁があり、この因縁によって生じた結果があり、この結果による報いがあり、このようにこの本来の相からこの本来の報いは極めるところ等しいのです。
との事ですから要は全ての世の理はこの十如是に当て嵌まると言っている訳ですね。
ですから二乗がこの法で成仏できると言う事は地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六道の人たちも当然成仏できると言う話です。
経文に書かれている事を真実と捉えれば二乗だけの成仏と解釈され
方便と捉えて読めば全ての者にが成仏の可能性があると捉える事になるわけですね。
これが教相と観心との違いと言う事になるかと思います。
ですから「煩悩即菩提」は密教で作られた言葉だという真言信者に対しては
いやいや「煩悩即菩提」と言う言葉なんて法華経の文の底にちゃんと沈められていましたからと答えれるわけですね。
- 93 :運ちゃん:2011/03/07(月) 23:33:34 ID:uK43f7YQ
- 堅皇さん>
僕はどちらかというと理解が遅い法なので、正直、堅皇さんの思考展開には
ついていけないので、ちまちまとお付き合い下さい。
まず先の座談会スレッドでの以下の文。
>法華経では実のところ経文では「二乗作仏」までしか説かれてないという指摘が多く。
>日蓮が良く使った「煩悩即菩提」と言う言葉は密教により形成された言葉です。
●これはどういう事でしょうか?
僕の記憶では法華経上では二乗作仏は前半部分でかなりの数、語られているのは
理解をしていますが、例えば竜女の成仏(畜生界所具の仏界)、また阿私仙人の説話を
通して提婆達多の成仏(悪人成仏、地獄界所具の仏界)などもありますよね?
これなのにどうして「「二乗作仏」までしか説かれてないという指摘が多い」というのでしょうか?
また「煩悩即菩提」というのは、僕はうろ覚えなのですが、大乗仏教勃興時にでてきた思想かと思いますが、
それがそく「密教」というふうには結びつかないのです。
何をもって「密教」から形成されたというのか、教えてもらえませんか?
- 94 :運ちゃん:2011/03/07(月) 23:46:19 ID:uK43f7YQ
- 堅皇さん
とりあえず前言は撤回します。
>>92に書かれていましたね。
失礼しました。
- 95 :運ちゃん:2011/03/07(月) 23:54:41 ID:uK43f7YQ
- 少しまとめると、僕は「日蓮仏法」といっているのに対して、堅皇さんの
結論は
>ですから曼荼羅に題目を唱えると言う行為は日蓮と言う人が単独で発見したものではなく
>言ってみればこれまでの人類の結晶と言う感じのものなのではないかと思います。
という事かと。。。。
これは先に言った僕の
>確かにお題目については天台宗でも相伝として行っていたと聞いていますが、
●というところで、別に題目を唱える事は日蓮さんが独自に編み出したとか
考えていないと僕も思っていますので。
>一般の民衆の中に広めたという点では、新たな展開ではなかったでしょうか。
●これを民衆の中、相伝という「閉じられた枠」ではなく、開いたという事が
日蓮さんの仏法だと思っています。
そもそも天台・伝教ともに一般に対して題目を開いていなかった。
それを開いたという事自体、当時の仏教界でも革命的だったんじゃないでしょうか?
- 96 :堅皇:2011/03/08(火) 15:21:53 ID:OXXOe6CE
- >>運ちゃんさん
> そもそも天台・伝教ともに一般に対して題目を開いていなかった。
> それを開いたという事自体、当時の仏教界でも革命的だったんじゃないでしょうか?
これに関しては顕経と密教の違いですかね。
どちらも開かれてない「秘密」と呼べるものですが、隠しているか開発されてないかの違いですね。
法華経や天台と言うものは別に隠していたと言う事ではないわけです。
理論は解ってたけどその表現の仕方が解らなかったと言うものですね。
例えるなら青色ダイオードの開発が出来れば液晶パネルの開発が画期的に進むということが解っていたけど
その作り方が解らなかったと言う話。
そういう意味では顕経と言う物は現在解るものを全て公開していたと言うことですね。
それに対して相伝、秘伝と言うものは解る人にしか見せない教えないと言う密教の考え方ですからその種類が違います。
ですから天台・伝教ともに一般に対して題目の秘密と言うものは相伝、口伝という類の物で
「秘すべし秘すべし」と言うものでは無かったと思います。
そういう意味で曼荼羅に題目を唱えると言う行為は日蓮式とも呼べるのですが
その日蓮式の設計図となるものが法華経や天台の教範によるものだと言う事ですから
日蓮式とは天台式とも法華経式とも呼ぶ事ができ、西洋ではない方式なので仏法式とも呼べるわけですね。
- 97 :流れ星:2011/03/08(火) 15:35:33 ID:LT.F/gq.
- いまさらながら日蓮仏法のことを知り、興味深いです。
そしておふたりのお話がまた、なんだかいいですね。。
これこそが、折伏という感じでしょうか。。
そう言えば。。富士大石寺に説法石がありましたよね。。
いま、そのことをふと思い出してしまいました。。
遠い昔のかすかな記憶ですが。。
- 98 :堅皇:2011/03/08(火) 16:18:59 ID:OXXOe6CE
- >>流れ星さん
面白いでしょう、というか僕は面白いと思います。
特に法華経を読んでみると創価のこれまでの指導と真逆の事が書かれている事が解るんですね。
創価の指導だと法華経を読んでも答えはない、何故なら我々が読む法華経は文底独一本門だからだ。
独学が過ぎると頭がおかしくなってしまう、なんてことを言って脅されたものなのですが
何のことはない、ちゃんと読まれると組織の嘘が全部ばれちゃうからだけだと言う事が解ります。
子供の頃、御書をよく読んでた先輩たちがぼやいていた疑問が
当事は一体何の事を話していたか解らずにいたのですが、今になってそれらの指摘が全て的を射てると思います。
そういう意味でも、まだ昔は組織から配られた一定の解説書だけに頼らず自身で読み深めていた人もいたのだなと。
今の学会員は創価発の「仏教哲学大辞典」しか読まずに自分で全く考えようとしませんからね。
- 99 :流れ星:2011/03/08(火) 16:38:44 ID:LT.F/gq.
- 堅皇さん
高校生のとき、会合で。。ある婦人部の方が御書を開いて。。御書のお話がある中
宇宙の話にまで及び。。わくわくして、目をキラキラして聞いていた記憶があります。
あの頃は。。座談会でも御書の話がよくあったけれど。。
いま現在の組織では。。選挙と新聞啓もうの話だけです。。
御書は。。大白蓮華を開いて読んで終わり。。
御書の幹部の話は。。さらに選挙活動と新聞啓もうへ向かわせるだけのツール。
そして数字ばかりをあげてハッパ掛けられて。。
その中で素直にやればやるほど生活に破たんをきたしてしまう。。
何より我が家は。。子どもたちに、心に傷を負わせてしまいました。。
母親の責任ですが、もう取り戻せないです。
- 100 :堅皇:2011/03/08(火) 17:20:52 ID:OXXOe6CE
- >>流れ星さん
取り戻せない話なんか全然ないと思いますよ。
よく人間の性格は幼少期で決まってしまうと言う事が言われますが
僕は一般的に性格が悪いと言われている人たちの方が好きで付き合いやすいと思いますからね。
そもそも何が良いとか悪いかと言うものは環境によって変化するものでしかないですから。
自分もそうですがひねた考え方をする人間って思いもよらない行動に出る事がありますからね。
それを見ると笑えると言うのもあり、なかなか新鮮で得るものが多くあると思うと同時に
自分はまだまだ自分が思っているよりひねてはないのだなと。
逆に良い人と呼ばれる人とは付き合いにくいと言うのもありまして
その中に自分が入り込むと何も悪い事をやってるつもりはなくても自分は悪人じゃないかと思うこともあったりして。
- 101 :流れ星:2011/03/08(火) 19:11:51 ID:LT.F/gq.
- 堅皇さん
我が家の息子の年齢。。堅皇さんと、あまり変わりないかも。。(笑)
29歳、22歳、21歳なりたて。。
性格が良し悪しだけなら心配ないのですが。。
根本の。。信じる。。ということへの不信感を植え付けてしまいました。
長男は、知らず知らずのうちに恐怖。。という畏れを植え付けてしまいました。
これらは、かなり根深いものです。
子育ては熱心にしてきたのですが、知らず知らずのうちに刷り込まれたものは
消えないのかな。。
それらを、わたしが、どう償えばいいのか。。
息子たちが、それをどう乗り越えていけるのか。。
課題ですね。。
- 102 :堅皇:2011/03/08(火) 23:37:56 ID:OXXOe6CE
- >>流れ星さん
僕はそんなに若くありません先月でとうとう40歳になりました。
とは言え未だに地に足は着いてないのですが。
御書とは全く関係ないのですがあまり溺愛すれば良いと言う話でもないですからね。
ちなみに僕は例の川田龍平と同じ病気の持ち主なんですが
それ以上に父親の借金問題の方が家庭では重きをおいていたと言うのがありまして
もしも、家庭に問題がなければ必要以上に過保護にされたり
はたまた両親がプロ市民となっての活動に専念されたりとかせずに済んだと思っていますから。
なんと言うか、どの様な状況に育ったとしても最終的には本人の考え方次第じゃないですかね。
多少は互いがバカなほうがボケも出来るしツッコミも入れれるという話ではないでしょうか。
何れにせよ取り返しが付かない事などないとは僕は思うのですが。
- 103 :流れ星:2011/03/09(水) 03:40:03 ID:LT.F/gq.
- 堅皇さん
ありがとうございます。。
ここのところ息子たちの心配ごとで胸を痛めていまして
少し必要以上にマイナス思考になっているのかもしれません。
>何れにせよ取り返しが付かない事などないとは僕は思うのですが。
そう思えたら、気持ちは楽になるのですが。。
後々、息子たちが笑って話せるようになればいいなあ〜と思います。
川田龍平さんのご病気のことは存じませんが。。
子供のことでは、あまり神経質にならないほうがいいのかもしれませんね。。
- 104 :流れ星:2011/03/09(水) 08:07:17 ID:LT.F/gq.
- 堅皇さん
失礼しました。。
川田龍平さん。。いまぐぐってお顔を拝見して事実を知りました。
名前だけではピンときませんでした。
どのような状況になっても息子を信頼しようと思うに至りました。
まだ胸は痛みますが。。
ありがとうございます。。
- 105 :葬禍脱会運動:2011/03/18(金) 18:16:51 ID:vspPhbXs
- 非情の草木 死人成仏 死骨成仏 草木成仏
700年来 嫡々代々一子相伝 開眼草木成仏の御法門の事だよ。
- 107 :yuri:2011/08/29(月) 02:20:23 ID:ikzfqktY
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- 108 :saorin:2011/08/31(水) 17:50:31 ID:ikzfqktY
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