■掲示板に戻る■ ■過去ログ倉庫一覧■

いままで学んだ御書
1運ちゃん:2010/11/28(日) 01:59:41 ID:???
ポータルサイトに「いままで学んだ御書」というページを作成しました。
これは僕が今まで学んだ御書についてまとめるページです。

その内容についてのコメントがありましたら、こちらへお願いいたします。

2小早川崇夫:2010/12/31(金) 12:55:50 ID:???
その頃の御書に「八寒地獄抄」などの今の御書で削除や省略されている内容を教えていただきたいです。
また、家を追われた後、地区から統監が回せてもらえず困って10年が過ぎました。
行った先での、一票を獲得しに行く機会を失ったばかりでなく、今の学会の中での所属はどうなっているのか
あやふやで困っています。 よろしくお願いします。 草々

3運ちゃん:2011/01/04(火) 09:14:33 ID:2ocaQMQo
>>2
八寒地獄抄は聞いたことありません。
御書も真書や擬書が混在してますからね。
顕謗法抄あたりとは違うのでしょうか?

4運ちゃん:2011/03/27(日) 20:32:06 ID:???
ブログにも書きましたが立正安国論について、ポータルサイトにアップしました。

http://heartland.geocities.jp/sougaku_salon/gosho/goshoindex.html
(立正安国論−(1))

書きなぐり感もありますが、呼んでいただければ幸いです。

5堅皇:2011/03/30(水) 01:18:32 ID:OXXOe6CE
これはあくまで僕の見解です。
先ず、「立正安国論」の「立正安国」は創価学会や日蓮正宗の考える
「謗法があるからこそ、国が乱れてしまい、荒廃してしまう。だから正しい法を国に打ち立てていく事が、国家の繁栄につながり、ひいては世界平和にもつながるのだ」
この解釈でおおよそ正解だと思います。
と言うのもこの「立正安国」の理論は僕は法華経ではなく涅槃経からの引用だと考えています。

日蓮は涅槃経は法華経を依法として捉えてますのでここで言う立正とは確実に法華経でなければならない。
創価学会や日蓮正宗の場合この「立正」である法華経を取り違えて
誤った形で涅槃経の理を唱えているので「安国」となっていないと読み取っています。

6:2011/03/30(水) 06:38:58 ID:yUorcoT6
運ちゃんさん

安国論の解説スレッドをつくって頂きまして ありがとうございます。

いま私は、脱学会の自分、そして良い家庭、良い地域を志しています。
どうしても、学会での教学が頭にあり、硬くなっております(笑)。いままでの固定概念を外し、生き方を学んで行きます(笑)。

よろしくお願いします(笑)。

7:2011/03/31(木) 19:06:18 ID:yUorcoT6
運ちゃんさんへ

本題から外れるかもしれませんが(汗)

私、小樽問答を色んなサイトで見ていた時に、震災で途切れてしまいました。

日蓮宗が言いたかった事は、
○日蓮正宗の血脈相承は事実ではない
○大石寺の御本尊は日蓮直筆の物ではない

という事を問いたかったのでしょうか。

宗門は答えに窮したので、学会が論点を替えながら対応し、勝手に勝利と言ってるように思ったのですが。
いま学会と宗門が、攻撃しあっているのは「どっちも、どっち」で、悪影響を及ぼすと思うんです。

本題から外れてると思いますので、時間のある時でいいです(汗)。

8流れ星:2011/04/03(日) 10:24:34 ID:Dq7/lyqA
運ちゃん

読ませていただきました。。
鎌倉時代の壮絶な世相と”立正”の言葉の意味を考えさせられました。。

人々のこころのありようと天災と連動するものがあるのでしょうか。。
そんなことを考えました。。

9運ちゃん:2011/04/03(日) 11:15:01 ID:uK43f7YQ
堅皇さん

立正安国論では「謗法を捨てる」と「正法と立てる」という事で「安国」を目指すという
視点は確かにそうだと思います。

でも「謗法とは?」「正法とは?」という事については、時代を経た現代にあって
再度考え直す必要があると感じています。

そういう視点でも読み進んでみたいと思います。

10運ちゃん:2011/04/03(日) 11:21:40 ID:uK43f7YQ
道さん

小樽問答で日蓮宗の言いたかった事は、端的にいえば
・日蓮正宗が唯一正統の後継宗団ではない
こういう事であったと思います。
そういう中で御本尊にも論及されたかもしれませんが、、、あれは問答では
ないですね。

宗門側ではもともと問答なんてするつもりは無かったであろうし、創価学会では
それを自分たちが正統教団である事をアピールする場にしたかっただけかと思います。

実際に討論内容を過去に聞いた事がありますが、そんな感じ。

結局は「対論」「討論」といっても、いかに勝利した形を演出できるか、そこだけなんですね。
だからYouTubeで現・正木理事長が自宅に妙観講の訪問を受けた際に狼狽して対応した
姿が出てしまうんです。
教学的には弱体であろという事でしょう。

ちなみに教学的な研究でみれば、身延側の方が長じている感もありますね。
最近、様々な文献を読むと感じます。

11運ちゃん:2011/04/03(日) 11:27:41 ID:uK43f7YQ
流れ星さん

鎌倉時代は壮絶な時代であったようです。
今とは比較にならないくらい。。。。

僕は人々の心のありようと、実際の社会の災害というのはやはり
リンクしていると思いますよ。

ネット上である人は、それをカルトチックだとバッサリ切り捨てていますが。。。

この捉え方は確かに危険で、その思考の果てに人心を惑わす人物もいるのは事実で
顕正会は際たるものですが、この観点をなくすと、人間は無責任な立場にもなってしまう
と思うのです。

自分自身の中に原因があり、それが環境に波及をしている。
全ては自分の責任により起きている。
この観点というのは、信仰を行う人にとっては大事な視点だと思います。

でもそれは他の人に無理強いするものでもありませんし、他者が指摘をする
ものでもありません。

あくまで自身の確信の中の範疇の話です。

12運ちゃん:2011/04/03(日) 11:29:04 ID:uK43f7YQ
最近のバタバタで、御書の読み込みが止まっていまして・・・
本日、少しずつ再開しています。

13銀の月:2011/04/03(日) 11:29:07 ID:rJDmeaVI
運ちゃんさん、upありがとうございます
ゆっくり拝読させていただきます

14:2011/04/03(日) 12:24:51 ID:yUorcoT6
運ちゃんさんへ

忙しい所、ありがとうございます。
概要わかりましたので、大丈夫です(^ー^)。

運ちゃんさんのペースで結構ですので、続けて下さい。
解り易い解説で、学ばさせて頂いております(^ー^)。

15運ちゃん:2011/04/03(日) 18:38:36 ID:uK43f7YQ
http://heartland.geocities.jp/sougaku_salon/gosho/goshoindex.html

立正安国論(2)をアップしました。
家族がいて土日と限られた時間の中で、思索をしながら御書を紐解くのは
それはそれで気力が必要な事を実感しています。

またまた書きなぐり観がありますが、呼んでいただければ幸いです。

16流れ星:2011/04/05(火) 07:18:08 ID:Dq7/lyqA
運ちゃん

環境と自然を含め人の心って関係し合っていますよね。。
わたしもそれを理屈ではなく感じています。

なぜって人の心の中にも宇宙が存在していると思うし。。
一個の生命=宇宙。。
それって、すべての生物&鉱物含め連動していると思います。。

物理学者である。。アービンラズロー氏の言われる
バタフライ現象。。真理だと思います。。

17運ちゃん:2011/04/09(土) 12:36:59 ID:uK43f7YQ
>>16
流れ星さん

僕もそういった事を感じています。
でもネットでは「ビリーバー」と批判を受けますけどね。

バタフライ現象は十分ありえる話だと思います。
人間が単に「肉眼」で見て、「意識」で考えられるものだけが
この世界の真実ではないでしょう。

18運ちゃん:2011/04/09(土) 12:44:01 ID:uK43f7YQ
http://heartland.geocities.jp/sougaku_salon/gosho/goshoindex.html

立正安国論(3)をアップしました。

じっくり御書を読み込んで考えていくと、いかに今の創価学会や宗門が日蓮さんの
想いと乖離しているかが見えてきます。

書きなぐり観は相変わらずですが、読んでみてください。

19堅皇:2011/04/10(日) 06:31:54 ID:OXXOe6CE
「是れ何なる禍に依り是れ何なる誤りに由るや」

なかなか鋭い視点だと思います。
災いの渦中にある時、人は冷静な判断を失って目の前の物事に翻弄されてしまいます。
付け焼刃で修繕するより、その根本原因を探る方が物事が解決に向かうという。

その後出てくる言葉ですが
「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには。」

日蓮は正法を立てるその前に先ずは一凶の部分に目を向けていたのだと思います。
これに反して、いきなり立正も何もないものだと思います。

これでは土台も作らずいきなり家を建て始めるようなものだと思います。

20:2011/04/10(日) 10:19:03 ID:yUorcoT6
公明党も立正安国を目指している団体ならば「原発へ高圧機械を提案した」など手柄にしているのではなく、原発そのものの鎮静化に勢力を注いでもらいたいものです。

放水後の水処理に困っている状況なのに。

「立正安国」や「御書根本に」などと、軽々しく言って欲しくありません。

21:2011/04/10(日) 11:36:12 ID:yUorcoT6
連続の投稿で、御書の説明も出来ず心苦しいです(汗)

私のいまの気持です(汗)

日本が、仏教の伝わった「神の国」であるならば、この災害はそれのなす業か(^_^;

被災を受けられた、東北人は「選ばれた人々」と励まされます。

立正安国や四カの格言を捨てた日蓮宗、途中で方向がおかしくなってしまった気がしますが、宗門と学会は進めて来ました。
日蓮聖人の「日蓮の類い」と言うのは、全部含めているような気がします。

私は、運ちゃんさんの解説で、日蓮聖人の「本当の心」を勉強し、宗門とか学会にとらわれない生き方を、伝えて行くのがよいのかな、と思っています。

うまくまとまらなくて、すみません(汗)

22運ちゃん:2011/04/10(日) 17:22:35 ID:uK43f7YQ
http://heartland.geocities.jp/sougaku_salon/gosho/goshoindex.html

立正安国論(4)をアップしました。

今日は投票日ですが、どれだけ公明党の議席を維持できるのか?
そこがポイントでしょうね。
しかしこの選挙は「四表の静謐」を守るものではなく、あくまで地元の
創価学会の組織の権益を守る事が第一義であるように思えます。

道さん>
>運ちゃんさんの解説で、日蓮聖人の「本当の心」を勉強し、宗門とか学会にとらわれない生き方を、伝えて行くのがよいのかな、と思っています。
●この言葉には汗顔の至りですが・・・まずは自分が今まで学んできた内容を通して
普通の言葉で書く様に心がけたいと思います。

コメントなどありましたらお願いいたします。

23流れ星:2011/04/10(日) 19:40:46 ID:Dq7/lyqA
運ちゃん 立正安国論

創価にいたのが40年近く。。御書を深く勉強した記憶は、そんなになくて
(なのに教授補。。恥)教学試験でも御書の切り文を学会ナイズされた教材を中心にしか
勉強していなかった事実をハタと思うに至りました。。(いまごろ?)

運ちゃんの御書の講義。。とても分かりやすく、またいまの創価と照らし合わせての解釈
納得がいきます。
ありがとうございます。。

ところで。。
「正(法)に背き、悪(法)に帰す」

ここの辺りを。。もっと踏み込んでガツンと教えてくださいまし。
お聞きしたいです。。ここのところが。。

お話ししてくださっているのは、まだ少しオブラートにくるんでいるように思えます。

そもそも。。学会にいる間に、正法とかいう。。正義みたいな定義が
まるっきり分からなくなったわたしです。。

正しい。。とか、悪とか。。
良く理解できません。。

正しい正しい。。正義、正義って。。
やっぱり分からなくなっちゃいました。。(悲)

真実の正しい法。。って、どんなものなのでしょうか。。?

自分でも驚き!
そんなこともよく分からないなんて。。

次の立正安国論の講義心待ちにしておりまする。。

24運ちゃん:2011/04/10(日) 22:06:41 ID:uK43f7YQ
流れ星さん>
確かにオブラートを包んだ表現に見えると思います。
自分も「こうかなぁ・・・」と感じながらも、いま再度、立正安国論に取り組んで
いるというところなので、もう少し後段で話をしたいと思います。

ただいえるのは、創価学会の絶対正義とか、石山教学のものとは違うと
言う事でしょうか。

今後もよろしくお願いします。

53グルニエ:2011/04/11(月) 19:37:43 ID:iApItIYo
暖かくなってきたらまた変なのが湧いてきましたね
運ちゃんさん削除お願いします

54運ちゃん:2011/04/11(月) 21:52:45 ID:WS9Bz4O6
>>53
掃除完了。
この御仁はいろんな所を踏み台にしてきてますが、暇かつ常識がないというか、、
言いたい事あればメールでよこせば良いのに。
ちなみにIPアドレスの元は大阪で、BIGLOBEがプロバイダ。
大阪はこういう御仁が多いですねー。

55タバサ:2011/04/11(月) 21:57:14 ID:d.AxOIsk
びっくりするほど学会員と宗門のバリは似ていますね。
一方的に自分が話したいだけダラダラと話して、こちらの話を聞かない。

ここにいる人は、学会に対して嫌なのもあるけれど、「絶対的に自分達は正義である。」という思想そのものにも辟易していらっしゃるのです。皆さん何度も言われてると思うのですが…。

宗門の方は何をしたくてここにいらっしゃるのでしょうか?

折伏しようとしても、ここでは無理だと思いますよ。

56タバサ:2011/04/11(月) 21:59:20 ID:d.AxOIsk
ありゃりゃっ
運ちゃんさんがお掃除された後でしたf(^_^;)

57掻迦脱会運動:2011/04/15(金) 20:28:01 ID:RmlmcSY6
「宗門とか学会にとらわれない生き方を、伝えて行くのがよいのかな、と思っています。」

それを、、正信会と言う。血脈相丞否定、大御本尊否定、、。

言ってる事が、顕本法華宗と同じ。プププー(^3^)

正宗大信徒 大講頭 総講頭、戸田学会の精神を受け継いでるのは、、妙観講だと思いますが?。

58流れ星:2011/04/15(金) 23:59:33 ID:Dq7/lyqA

あう。。鏡が欲しい。。
脱会さんの姿を映した鏡が。。

その鏡に映ったご自分の姿を見られたらよいかと。。

でも心が曇っておられると思うので自分の真実の姿も見えますまい。。

輪廻するリングという映画の連鎖を想い浮かべてしまった。。
怨念。。?????

こ。こわい。。

59掻迦脱会運動:2011/04/16(土) 02:33:37 ID:KG3xEVdE
日興が身に宛て給わる所の弘安二年の大御本尊は日目に之を相伝す(『日興跡条々事』)

依て座替と号す日興より日目嫡々相承手続支証の大曼荼羅なり(日興上人筆座替大本尊 『富士宗学要集』)

血脈相丞から、離れた 退転者が、身延系 堅皇痴犬と 異体同心 謗法与同 してどうするんか?

連―興―目の御三師を否定する 

大謗法者 堅皇痴犬に屈するんか? しかし、池田学会って、どうなってるんか?。

60主任:2011/04/16(土) 07:55:50 ID:zM7h9IxU
久しぶりにコメントします。

>>脱会運動くん、

君はこの運ちゃんさんの掲示板で何がしたいのですか?

かまって欲しいの?

それとも、学会のバリ活にありがちな破折と称して自分がスッキリしたいだけの自慰的なもの?

また、それとも日蓮正宗を宣伝したいの?

少なくとも、客観的に見て君の病的なコメントを読んで正宗に入信したいと思う人は皆無だよ。

マインド・コントロールにかかっている学会のバリ活も困りものだが、同じくマインド・コントロールにかかっている正宗信徒も困りものだね。

61運ちゃん:2011/04/16(土) 08:48:20 ID:uK43f7YQ
掻迦脱会運動という御仁のアクセスアドレス。

180.246.230.235[FL1-220-102-56-116.osk.mesh.ad.jp]
200.167.185.130[FL1-220-102-56-116.osk.mesh.ad.jp]
187.54.206.113[FL1-220-102-56-116.osk.mesh.ad.jp]

この様にアクセスする事に変わります。
先頭のアドレスはいわゆる「踏み台」にしているところ。

180.246.230.235ー>インドネシアのIP
200.167.185.130ー>ブラジルのIP
187.54.206.113ー>ブラジルのIP

元は[FL1-220-102-56-116.osk.mesh.ad.jp]というホストIPから
各国のサーバを踏み台にしてアクセスしてきています。

という事は、結局、己の行動に自身が無い証拠。
そして真意は荒らしをする。。。それだけです。
一般的な「荒らし」の行動で、ホスト規制を防ぐために、いわゆる
セキュリティのゆるい国のサーバを経由してIPアドレスを変えてきます。

だから掻迦脱会運動という御仁は、折伏でもなく、対論でもなく、単に
ネット上で「荒らし」をしている愉快犯的な行動なんですね。

そしてその根底にあるのは、自分の主張にあわない人たちに自分の主張を
垂れ流し、それこそが「正義」だと思い込んでいるだけ。

様々な「文献」を示していますが、その証拠に僕のメアドや指定の掲示板
には一向に姿すら現しません。

要は「文献」を示していても、その内容やその背景については浅薄な知識しかなく、
人と対論できるレベルでもないということを、如実に自身の行動で示しているに
過ぎません。

この掲示板や拙ブログに来ている人には、そういう人に対しては関心すら寄せませんが
その事すら理解できない御仁のようです。

もう少し経ったら、掻迦脱会運動というお方のコメントは前面削除します。
いわゆるお掃除ですね・・・

春だから、花粉も飛べば桜の花びらも飛びます。
すして土ぼこりも舞う季節ですから、掲示板も掃除が必要な季節なんですよね〜。

62運ちゃん:2011/04/16(土) 09:00:55 ID:uK43f7YQ
しかし石山関係には、こういった御仁が多いですね。

63タバサ:2011/04/16(土) 10:52:59 ID:d.AxOIsk
もう、脱会さん何言ってるのかわかんない。
いちいち言葉が汚いし。

とりあえず、地獄に落ちろってことを文献持ってきて言いたいのは解ったけど、脱会さんの状態の方が心の自由がなくて、どこにも行き場がなくって地獄に思えます。
マインドコントロールにかかった事を、「心の牢獄」と表する専門家もいましたね。

それに、運ちゃんさんが直接メールで来いと言ってるのに行かないし、足跡変えてアクセスするような小心なお方に言われたくないわ。
ここにいる誰も創価や宗門を信じないから地獄なんて信じてないから何の説得力もないしf(^_^;)
堅皇さんや運ちゃんさん、主任さんが、解りやすく噛み砕いて現代っ子にも解るように説明してくださるのに対して、脱会さんは文献並べるだけ並べて「だから堕地獄」ですもの。自分の頭で考えてない受け売りのようだわ。
この人のレス見ると、色んなサイトに貼ってある卑猥な広告を目にする時のように不快になります(`´)

64:2011/04/16(土) 11:36:38 ID:yUorcoT6
運ちゃんさん*堅皇さん*主任さん皆さん〜ありがとうございます。

私は被災地区で暮らしています。あの方は「震災は関係ない」と言っておられました。

でも投稿してくる時って「震災から一週間後」*「一ヶ月後」*今回も「五週間目」と…。

富士宮も地震があり、何か思う所があるのでしょうけど、私は「さかなで」されている気持になります。

被災地でボランティア活動してる住職がラジオで言ってた事ですが「自衛隊と同じくらい、お坊さんがいるのに、被災地に姿がない」と、その時に、あの方を思い浮かべてしまいました(^_^;。

65堅皇:2011/04/16(土) 13:42:23 ID:OXXOe6CE
皆さまが不快な思いをしているのを承知で少し突いてみてしまいました。
個人的に脱会運動さんがどの程度のスキルなのかを見てみたかったもので。

彼の口の悪さは創価にしろ法華講にしろ相手を罵る事が功徳を生むと思い込んでいるから
彼らなりの信心活動なのでどうしようもないのですけどね。

しきりに草木成仏を掲げていますが、もし草木成仏があるとすれば生きた草木の事になるわけで
精製され無機質となった物質に当て嵌まるという話ではないわけですね。
生きていた時の魂が転生して別の有機質となってその活動が続くから
生死即涅槃、命は永遠、万物に宿ると言う表現になりますから。

これが解れば戒壇本尊が物ではなく大石寺にある"それ"の事ではないと言う事も理解できるかと思います。
意外と学会をやめて正宗に入らない人でも大石寺の戒壇本尊信仰を求めている人も多くいると思いましたので。

66堅皇:2011/04/16(土) 14:41:09 ID:OXXOe6CE
基本的に脱会運動さんの罵声と言うものは
僕にとっては全て誉め言葉として受け取れるものなのですが

核心部分に至る場合、必ずといって持ってくるのが
日興、日寛あたりの書面「本因妙抄」や「百六箇抄」あたりですね。
つまるところ彼らは日蓮を信じていると言うより日蓮正宗歴代法主を信じているって話なんですよ。
池田さんの場合これに加えてゲーテがどうしたとか言う論法を使うわけですが。

日蓮を信じているなら日蓮の真蹟だけでもバシッと決めれるはずなのですがね。

ちなみに「謗法与同」と言う言葉、こんな厳しい事何処で言ってるんだろうと思い
法華経にはないので可能性とすれば涅槃経あたりかと当たりをつけてみましたが
ヒットしたのは日有さんの「化儀抄」であり、これを日寛さんが更に激しく「謗法不与同」と
日蓮はそこまで厳格な事はどうやら言ってませんね。

69運ちゃん:2011/04/17(日) 18:09:39 ID:URw/RdoA
さて、そろそら掃除しますか。
偽書の疑いの強い相伝書ばかり、ここ数十年変わらない論法。
そしてそういった事には疑問すら抱かずに、人の話しを理解出来ない輩の論説なんか
見る価値すらない。

そんな学会と対論したいなら、他の場所へどうぞいって下さい。

70運ちゃん:2011/04/17(日) 18:25:29 ID:URw/RdoA
掻禍脱会なんちゃら氏も主張したければ、人の掲示板なんかの「人の褌」ばかり
利用なんかしないで、自分で掲示板を立てれば良い。
でも自分では運営出来ないのだろうし、立ち上げるだけの度胸も所詮ほ持ち合わせて
いなあのだろう。。。情けない限りだ。

80流れ星:2011/04/18(月) 00:37:09 ID:Dq7/lyqA
運ちゃん、お掃除お疲れさまでした。。

まるで退治しても退治しても出てくる害虫みたいな御人でしたね。。
結局は荒らし。。
相手をしないのが一番だと知りました。。

81運ちゃん:2011/04/18(月) 12:46:43 ID:IOTLum.s
流れ星さん

害虫とまでは言いませんが、かなり粘着質ですね。
昨日から落ち着いて考えて見たのですが、彼の人は心底宗門を信用しているのだと思います。
僕も以前は創価学会を信じてましたので、在る意味で同じなのかもしれません。

信じるという事、これは過去にブログにも書きましたが、人間にとって重要な特質です。でもそれが故に
見えなくなってしまっている事も多いのですよ。

だから彼の人に様々言ったとしても、通じない事は百も承知だからこそ、この場所でのやりとりは避けたい
と思っています。

あの人は沢山の書き込みをしてました。様々な文献を挙げながら。

でも恐らくは消化不良を起こしていて、挙げた文献について現代風に自分の
言葉で解釈した内容を説明してとお願いしても出来ないと思います。
恐らくは住職や講の幹部の受け折りの話ししか出来ないであろうし、本人もそれで
満足をしているものと思います。

ただこれから必要なのは、日蓮さんの仏法の見直しであり、活動ではなく信仰の確立なんですね。
まあこれは僕が考えている事なのですが。

だから彼の人にも考えて欲しいし、そういう対話をしたいとも思うのですが、恐らくこの思いは彼の人には
通じないと思います。

だって堅皇さんがいっていた二元論的な思考しか持ち合わせていないようですから、、、

でも考えて欲しいのは、釈迦も日蓮さんも二元論の論者であったのかと
いう事ですね。。。自分で自分をさばめているだけなのに。

82流れ星:2011/04/20(水) 02:34:13 ID:Dq7/lyqA

>ただこれから必要なのは、日蓮さんの仏法の見直しであり、活動ではなく信仰の確立なんですね。
>まあこれは僕が考えている事なのですが。

活動ではなく。。のところに深く共感します。

創価は信仰ではなく活動。。
そして、その活動も混迷党の票や聖教新聞の部数につなげる、”数”の活動。。
すべての活動が、そこに結び付いていっている。。

もっと、信仰からほとばしる社会に還元するような草の根の活動なら良いのに。。

83あべひ:2011/04/22(金) 10:25:46 ID:NRy/GXs2
はじめまして「運ちゃん」さん。

そしてお久しぶりです「堅皇」さん。

時々拝見させていただいております。
荒らしのホスト開示ありがとうございました。
参考にさせていただきます。

84運ちゃん:2011/05/01(日) 11:51:56 ID:uK43f7YQ
http://heartland.geocities.jp/sougaku_salon/gosho/goshoindex.html

立正安国論(5)をアップしました。
今回は暇を見ながら記事を書いたので、全体的にはまとまりもなく、訳文についても
少し雑な感じとなってしまいました。

少し考えたのは法華経というのは釈迦の直説ではありませんが、おそらく後代の弟子の
合作であり、日蓮大聖人はそれを知りながら、法華経を宣揚していたのかもしれませんね。

そういう観点で今後、書き進めてみたいと思います。

よろしければ一読してみてください。(駄文ですが・・・・・)

85堅皇:2011/05/01(日) 12:41:49 ID:OXXOe6CE
僕と若干読み方が違う箇所といえば
金光明経における「この経」とは、あくまで金光明経であると言うこと。
大集経に「この経」と書かれるなら、やはりそこでの経は大集経にあると思います。
また、虚空蔵菩薩も暗喩ではなく真言宗で扱われている菩薩の虚空蔵菩薩だと思うということ。

つまり正法とは法華経のみに限った事ではないと解釈しています。
法華経の立ち居地を言うならばそれぞれの正法の中でより優れているものと言う事であり
また、これらの経を全て具有しているという事だと思います。

あくまでこれは僕の感じたことなので参考程度で留めて欲しいのですが
僕の場合は、この経=法華経ではなく、この経≦法華経と言う感じですかね。

その前に山中耕一郎氏の釈に頼るという事は既に運ちゃんさんの解釈から外れるものだと思います。
法華経が正法であると言う事を前提に読もうとすることは一つの先入観だと思います。

86運ちゃん:2011/05/01(日) 13:03:25 ID:uK43f7YQ
堅皇さん

山中耕一郎氏の解釈は一番合理的な解釈だと僕は思います。

「虚空蔵菩薩」の解釈は、過去から様々な憶測を呼んでいましたが、
当時の状況を考え、日蓮大聖人の立場を考えると的を得ていると
思いますが。

あと経典としては、堅皇さんの解釈で云いかと思いますが、日蓮大聖人の
解釈では「法華経」に立脚点を持っている。

そしてそのポイントから解釈をしていると考えます。

87堅皇:2011/05/01(日) 13:17:02 ID:OXXOe6CE
あくまで僕の解釈の仕方なのですが
そもそも「日蓮大聖人の解釈」ってのものが存在するのかなと思っています。
また「日蓮大聖人の解釈」を持って解釈する必要があるのかとも思います。
と言うのも日蓮は経文と言うものを残さなかった人ですからね。

立正安国論や開目抄や観心本尊抄と言った釈は残していますが
この釈に対し更に別の釈を重ねていくと、どんどんと解釈が広がっていくと言いますか。

経文の理に世法に当て嵌めて釈を行うのが仏法の実践と言えるものですが
釈により経文の理を変えて読むのは石山的発想なのではないかと感じるところがあるんですね。

88流れ星:2011/05/01(日) 19:00:43 ID:Dq7/lyqA
>国土が乱れる時には、はじめに鬼神(思想)が乱れる。鬼神(思想)が乱れるがゆえに全ての人々が混乱する

この御文に、こころが捉われました。
これは小さな国家?家庭でも言えるような心理。。
小さな組織でも言える。。

ところで、ちょっと違うことをまた言ってしまいますが。。
昨日、テレビのサスペンスドラマで。。日蓮の誕生した場所から歴史を辿る。。みたいなのをみて
その時初めて気がついたのですが。。

創価の人たちって、日蓮誕生の場所や清澄寺とか日蓮の歴史をたどる旅とか
一切してきませんでしたよね。。?

日蓮関係で唯一行ったお寺は富士大石寺くらいで。。それもいまは立ち入り禁止区域。。
意外と知らないことだらけ。。だったとまた気がついてしまいました。
それは、もう日蓮の意志からかけ離れた邪宗だから。。?が理由なんでしょうか。。?

日蓮の人となりを歴史的なことから辿る旅。。なんてするようなゆとりは
正直、創価の中にはありませんでしたよね。。

そのサスペンスドラマに拠ると、日蓮の生家は。。いまは海の中で
引き潮になると顕われるのですよ〜。。
天変地異で、元陸地だった場所は、いまは海の底になっているようです。

また清澄寺で立宗宣言したその場所で夕陽や旭日なんて眺めてみるのも素敵かもしれませんね〜。。
ちょっとかなり違うことをまた言ってしまいました。
ごめんなさい。。

89主任:2011/05/01(日) 19:32:29 ID:2kMFh0qY
>>流れ星さん

そのサスペンスドラマはもしかして、主人公がルポライターでその主人公のお兄さんが警察庁のお偉方というドラマですね(^_^)v

創価学会の活動家は、例え日蓮と関係が深い寺院や催し物でも行きたがらないですね。どうしてもそこへ行くと謗法になってしまうという思いに駆られて心にブレーキがかかってしまうのでしょうか。

ただし、もう十年以上前ですが私が学会員時代に活動家の先輩数人(部幹部、地区幹部)は観光?がてらに清澄寺や誕生寺に行ってましたよ。

90グルニエ:2011/05/01(日) 20:02:14 ID:vFRTE1yI
飛躍し過ぎかもしれませんが、それなら日蓮宗系の寺院で待ち合わせをすれば、
この掲示板のオフ会できるかもしれませんね
バリも行きづらいので、妨害しづらいでしょう
日蓮正宗系だと趣旨が異なってきてしまうでしょう
東京だと池上本門寺あたりだといいのでしょうかね

91主任:2011/05/01(日) 20:16:43 ID:HS.3lu0Q
>>運ちゃんさん

>この立正安国論で云われている「正法」とは「法華経」であるが、これは「経典」としての法華経を指しているのか?それとも石山系が主張している「日蓮大聖人の仏法」を指しているのか?

日蓮の立正安国論の上程当時の思想でいえば、正法とは経典としての法華経(その当時の日蓮は、真言等にも高い位置づけをしている)を指しているかと思います。

92主任:2011/05/01(日) 20:21:53 ID:Dbm78Em.
>>グルニエさん

それは良い考えですね。(^w^)

バリ活さんは他宗寺院も嫌がりますが、他門流寺院も更に嫌がりますからね。

93流れ星:2011/05/01(日) 21:05:55 ID:Dq7/lyqA
主任さん
たしかに創価は謗法に対して厳しかったですよね。。
不自由でしたね。。
そのあまり知ろうともしませんでしたね。。宗教全般を。。
でも、そんななか。。日蓮を辿る旅をしたなんていいですね。。
観光化していたとしても日蓮を偲ぶのもいいんじゃないかと思いますが。。いまになると。

グルニエさん
オフ会。。非常に苦手でありんすよ。。
わたし抜きでみなさんで。。(笑)

94堅皇:2011/05/01(日) 22:15:17 ID:OXXOe6CE
>>主任さん

> 日蓮の立正安国論の上程当時の思想でいえば、正法とは経典としての法華経
> (その当時の日蓮は、真言等にも高い位置づけをしている)を指しているかと思います。

法華経の趣意を探ると言うより日蓮の思考を探ると言う観点でも見る必要があるかも。
確かに日蓮は日蓮で思考の変遷があるのかとは思います。

同じ人間だから同じ思考だろうと考える前に
時系列を考えてどの様に変化していったかを見る必要もあるかもしれませんね。

立正安国論をフラットに読む限りでは念仏への言及しかしていないという印象は抱きますからね。

95主任:2011/05/01(日) 23:53:51 ID:9oYNPwAE
>>流れ星さん

たしかに不自由でしたね。何年か前に東京上野の国立博物館で日蓮に関する催し物が開かれたときに、本当は行きたかったのに心にブレーキがかかって行けなかったことがありました。行ったら何か良からぬこと(=罰)があるのではないかと。まぁ、いま思うと滑稽ですが。

現在は、他門流寺院や同門他山の寺院には普通に参詣するときがありますし、他宗寺院に行く機会があるときはちゃんと合掌してきます。

96主任:2011/05/02(月) 00:38:08 ID:YB9y/s2g
>>堅皇さん

日蓮の思想は最初から完成されていた訳ではないでしょうね。

例えば、日蓮門下は4月28日を立宗宣言や立教開宗としますが少なくともその当時、日蓮に天台宗から独立して一宗を開こうなんて考えがあったかどうかと言えば、私はなかったと思います。

もちろん、民衆救済の為の法門の申し始めであったでしょうが、いわゆる立宗宣言から立正安国論上程当時の日蓮は、まだ天台宗の一僧侶として立場であったと思います。

立正安国論も堅皇さんの仰っる通り、批判の対象は法然の念仏で、それ以降に大日能忍の達磨宗や律宗の批判、そして佐渡期以降に真言宗、なかんずく台密批判にシフトして行きます。

97堅皇:2011/05/02(月) 11:48:58 ID:OXXOe6CE
>>主任さん
> 立宗宣言や立教開宗

なるほどと言える部分ですね。
そもそもこの時点(建長5年1253年)で確立していたとするならば1257年までの4年間も
諸経を読もうとする必要もないですからね、もっぱら法華経だけを行じた方が良いような気もしますし
また、建長6年の「不動・愛染感見記」この現物って保田妙本寺所蔵でしたよね。
(石山系は偽書だと言い張っていますけど、その理由は単なる感情論に思えますね。)
この時点では確実に真言肯定派と言うか、極々一般的な台密の僧侶の一人と言うところなのかと。

実際に念仏が違うんじゃないかと思い立ったのは1257年の大地震体験してというところで
立正安国論もこれを契機に書かれた物で台密の僧侶としての域はそうそう超えていないものとも思えますね。

その後、他宗教の人と接していく段階でそれぞれの宗派も何か違うぞと認識していったのかと。
経文読んだだけで日蓮は良く法華経を理解できたなと感心していた部分はありましたが
現実は実際に信仰している人たちを通し接して、事象現象を見て理解していったと考えるた方が納得ですね。

念仏→達磨宗→律宗→真言宗→台密批判と言う流れも妙に納得と言った感じで
自分自身の思想の変化も同じ道を辿っていると思いますから。

98主任:2011/05/02(月) 22:47:01 ID:a9gxLYWo
>>堅皇さん

>建長6年の「不動・愛染感見記」この現物って保田妙本寺所蔵でしたよね。>この時点では確実に真言肯定派と言うか、極々一般的な台密の僧侶の一人と言うところなのかと。

そうです。不動・愛染感見記は妙本寺に所蔵されていまして、毎年の御虫払い会で奉掲されています。

堅皇さんの仰るとおり、その頃の日蓮は真言宗もそれなり認めていたと思われます。例えば、立正安国論と同時期の守護国家論にもそのような趣旨の記述もあります。

また、日興書写の立正安国論(玉沢妙法華経寺所蔵)には『天台沙門日蓮勘之』という文言があり、明らかにその当時は台密僧侶の立場であったことが分かります。

それと、虚空蔵菩薩についても日蓮は、そもそも台密の僧侶ですから過去に願掛けをしたり、また本尊として礼拝していても何らおかしい事はないかと思います。

ただ、私が思うに学会のバリ活や宗門のバリ活もそうなのですが、どうもこの辺の法華・真言未分を頭から否定したがりますね。日蓮本仏論だからか、日蓮を神格化し過ぎるんですよね。本仏と見るか否かはともかく、日蓮は人間ですからね。失敗談もあったろうし、葛藤もあったと思うのですが。

あと、少々話しがそれますが立正安国論に引用されている大集経や金光明経などの法滅後の災害の描写は、その経典の制作された地域の特性が反映されているようです。井戸や泉が枯渇し云々は、北インドや西域などの乾燥地帯によく見られる現象だそうです。

99堅皇:2011/05/03(火) 00:24:36 ID:OXXOe6CE
>>主任さん

> 大集経や金光明経などの法滅後の災害の描写は、その経典の制作された地域の特性が反映されているようです。

大乗経に記されている内容は僕は全て現実にあったことを元にして書かれているものだと思います。
多少のアレンジや思い込みの部分も多々あるとも思いますが。

結局仏法って数学的理論に数字ではなく事象現象を当て嵌めたものであると考えているんですね。
例えば地球から月までの距離は実際にメジャーで図る事はできないが公式を生み出し
数字を当て嵌めれば図る事が出来るわけじゃないですか。

この数学の理論って小さなモデルを計算してみてその比率を持って大きなものを図ると言う手法。
同じく仏法も小さな世界でこれが起こっているんだから
同じ条件が揃えば同じ状況が発生すると言った理論の元、成り立っているのだと思います。

千年二千年前によく今の科学や心理学を越えた発想が構築されていたのかと言う疑問がありましたが
五感で感じたものを全て受け入れたから出来たものだと考えています。

例えば功徳と呼ばれるもの、題目唱えると何故に訪れるか。
先ずはこの事実を「気のせいだ」と考えてしまえば話はそれで終了。
ですから僕は多くの人が体験している以上、それは実際に存在するものと認識する事にしています。
但し、そこで理由が神だの仏だのとオカルト解釈してしまえばそこでもまた話は終了。

宗教に嵌る人、宗教を否定する人
この二者のいずれに置いても思考停止で先入観が強い人ではないかと思うわけです。

大乗経に関してはいろいろな迷信も含め世の中の断片を捉えたものであり
法華経はそれらの理証や現証を元にしてその整合性を取った理証であると考えています。

ただあくまで法華経は元となる理の部分だけですから
今現在ある事象現象を法華経にある理に重ね合わせなければ現実を見ることが出来ないという話。

ま、そんな感じで僕は法華経を捉えていたりしています。
何れにせよ釈迦にしろ日蓮にせよ本仏って事はありませんし
大乗経は釈迦の教説ではなくいろいろな人が実際に見て感じた知見だと考えています。

100主任:2011/05/03(火) 18:15:28 ID:mVK8FJf6
>>堅皇さん

>大乗経は釈迦の教説ではなくいろいろな人が実際に見て感じた知見だと考えています。

私も同意します。大乗経典は、歴史上の人物、ゴータマ・ブッダの教説ではないですが後世の仏教徒たちの深い宗教体験(瞑想による)いわば、後世に開悟した者たちの知見(後世のブッダたちと呼んでも良いかも知れません)や、実際に見聞きしたことが大乗仏教の興起と共に結実したものと思います。

101堅皇:2011/05/04(水) 07:31:53 ID:OXXOe6CE
>>主任さん

こうして見ると日蓮が指摘した自界叛逆難と他国侵逼難は日蓮が予見ではなく
薬師経を書いた人の体験談を日蓮が話をしたと言う事になるわけですね。

となると当然、大集経における後の五百歳に置いても予見ではなく現実にあった事と捉える方が自然だと思うんですね。
ここでの正法時代とは釈迦の説いた小乗経を「解脱堅固」「禅定堅固」し
像法時代ではその教えから「読誦多聞堅固」「多造塔寺堅固」と数々の大乗経が生まれた。

やがて、それぞれの大乗経が我が教えこそ真実の教えだと主張し始め
人々を救うためのものである仏法自体が争いの種となってしまった。
これが末法の始まりである「闘諍堅固・白法隠没」であると。

これを治めたのが法華経と言う事であり、ここで新たな正法時代の幕開け。
今度は法華経を元に「解脱堅固」「禅定堅固」が始まり天台、真言等から念仏、禅、律等の「読誦多聞堅固」「多造塔寺堅固」が始まり
そこから始まった「闘諍堅固・白法隠没」の時代を日蓮が法華経の題目を持ってこの統一を図ろうとしたのではないかと。

更にこのスパイラルは止まることなく
題目の教え自体も「解脱堅固」「禅定堅固」から各日蓮宗派の「読誦多聞堅固」「多造塔寺堅固」が始まり
現在は題目を唱えているもの同士での争いが激化しいますよね。
つまりは「闘諍堅固・白法隠没」。

今急務なのは日蓮各宗派の思想、教義を統一する事にあるのではないかと思います。
ただ日蓮はこの後の五百歳を単なる予見として認識していたかのように思えるんですね。

この一連の正像末の三時の流れは創価学会と言う組織の中での一人の信仰体験でも
当て嵌まると僕は考えているのですが。

102堅皇:2011/05/04(水) 07:45:00 ID:OXXOe6CE
詳しい事は調べてみないと解らないのですが
確か大集経って法華経より後に出来たものでは無かったでしたっけ?

天台の五時八教では法華経以前と言う事になるかと思いますから
天台を信じていた日蓮が予見と解釈したのは頷ける話ではあるんですけどね。

103主任:2011/05/04(水) 11:30:25 ID:ytSGw8DE
>>101・102

堅皇さん

>この一連の正像末の三時の流れは創価学会と言う組織の中での一人の信仰体験でも当て嵌まると僕は考えているのですが。

正像末の三時が形骸化し行く過程と捉えれば一人の信仰体験にも確かに当てはまると思います。

>薬師経を書いた人の体験談を日蓮が話をしたと言う事になるわけですね。

大乗経典に現れる、仏滅後五百年云々の記述は、実際に紀元前後頃にインド北西部において大規模な仏教弾圧があってそれを指しているそうで、また、当時の仏教教団の堕落が進んでいたこともその法滅観の一因のようです。

>確か大集経って法華経より後に出来たものでは無かったでしたっけ?

成立は法華経より下りますね。般若経や法華経、阿弥陀経などが初期大乗経典ですが、大集経は、4世紀以降の成立でカテゴリーとしては中期大乗経典に含まれるようです。大集経に出てくる法滅観が紀元前後に成立した経典の記述を受けているのか、それとも大集経を創作したグループが弾圧を受けてそれを盛り込んだのかは調べてみないと分からなかったりします(^_^;)

104堅皇:2011/05/06(金) 05:37:46 ID:OXXOe6CE
先ずは主任さん、いろいろと史実公証の提示ありがとうございます、勉強になります。

「正法」と「妙法」の違い。
ここでは自論を述べさせていただきます。
「立正安国論」とはその題目の通り「正を立て安国にとの論」
では、この「正」とは何か言えば、当事日蓮が考えるところの釈迦仏法ないし釈迦仏法に連なる天台、真言等の仏法であると思います。

もちろん法華経もこの中に含まれているのですが法華経はこの「正法」の中の「妙法」であると僕は考えています。
では、「正法」とは何かと言えば読んで字の如く「正しい法」と言う事であり
「妙法」とはこの「正法」の中でも最上を意味する「妙なる法」と言う事であると。

「立正安国論」における意義を考えると「妙法」を広げる以前に「正法」を樹立する事を目的として書かれたものであり
つまりは「正法」に背いている一凶である念仏を禁じるのか第一の目的であると。

日蓮はこの時点では台密の僧の一人であると言うのが僕の見解であり
各種大乗経における「この経」や真言の菩薩である虚空蔵菩薩が法華経の喩えであるとの解釈は
深読みのしすぎと言うか後の日蓮の論説と合わせるための辻褄でしかないのではないかと言う見方です。

これが憶測ではなく確固たる日蓮が考える「正法」とは法華経の事であると言うものが存在しない限り
受け入れる事は出来ないなと思っています。

それ以前にやはり「正法」と「妙法」はやはり別の意味を指すものと思います。
「誹謗正法」と言う言葉はあれど「誹謗妙法」と言う言葉はないです。
「正法」が法華経のみと言う事になればそれはそのまま石山解釈の文底独一本門となります。
しかし「正法」が諸法全般であるなら石山解釈の文底独一本門こそが大誹謗ですね。

「正法」と「妙法」の判別、これを考えると諌暁八幡抄における
「羅什三蔵一人を除いた前後の百八十六人は、純粋な乳に水を加え、」の意味も合致してきます。
法華経を単なる「正」と訳した竺法護と「妙」と訳した鳩摩羅什。
法華経は「正法」の中の「妙法」であると言うのが日蓮の論であるとすれば
正法華経を純粋な乳に水を加えと表現する事も納得であると考えられます。

105運ちゃん:2011/05/17(火) 23:16:11 ID:uK43f7YQ
http://heartland.geocities.jp/sougaku_salon/gosho/goshoindex.html

立正安国論(6)をアップしました。

なんか歴史的な事を少し考えながら、立正安国論の事を読み直してみると、実は今まで学んだ事とは
別なものが見えてきたりします。

今回、考えた事は、鎌倉時代の仏教界の動きと今の創価学会の動きというのは、結構本質的な事では
同じ動きをしているのではないかという事・・・・

ひたすら会館建設に励む姿なんて、まさに「同類」ですね。

106:2011/05/20(金) 10:50:47 ID:yUorcoT6
運ちゃんさんへ

忙しい中、立正安国論の解説ありがとうございます。
私は、被災地に直面しており、凄く参考になっています(^ー^)運ちゃんさんのペースで継続をお願いします。
この震災で東北が「選ばれた民族」と言われました。東北人ばかりではないですが、自分の身を犠牲にしても、人を救おうとし、忍耐強くて人に優しい。その心は仏法に叶っていると思うんです。

「被災地に学べ」と言うのは、その仏法の心も学べということかなと最近感じます。

それを基本に考えると、僧侶は生活の為に出家し説法せず、政治や創価学会も名利を求め活動しています。
特に、創価学会は法華経を基本にする団体ですので、僧侶と同じ意味があり、いまの活動は仏法を加速して弱めているような気がします。

最近は世紀末論で、釈迦の予言として「月蔵経」や「法滅尽経」が紹介されています。

私は良く解らない面がありますが、日蓮聖人は、法滅を防ぐには〜法華経=南無妙法蓮華経そして仏法の心だよ、と言いたかったのかと思いました(^_^;

まとまらない文章と、私の感覚ばかりですみません。

107運ちゃん:2011/05/20(金) 12:43:48 ID:p49ker/M
道さん

読んでいただきありがとうございます。
実は僕、一応は学会教学は教授らしいのですが、改めて読み進むと学会で学んできた内容と
微妙に違う事があるのが、最近わかってきました。

やはり学会は日蓮さんの正統教団ではないですね。結局は宗門なんかと同等な組織でしかなく、
中心にいすわるのは、髪の毛のある坊さん達という事が、さらに理解できた感がします。

在家に似たエセ出家ばかりだから、尚更たちが悪いかも。

学会と名前を付けたのであれば、もっと教学的にも力を入れるべきとも思いましたが、教学を勉強すると
組織力の低下は更に加速するでしょうね。

自語相違が激しすぎるし、いまの選挙戦なんかも否定されますからね。

108:2011/05/20(金) 14:19:55 ID:yUorcoT6
運ちゃんさん

ずっと読ませて頂いています(^ー^)私は、携帯なもねですから、運ちゃんさんの解説を、書き写しながら勉強しています。

昨年の「尖閣問題」の時に、立正安国論みたいだ!と思い、今回の震災でさらに強く思いました。

立正安国論を勉強してると、いま私が直面してる事と重複してしまいます。

私は、東北の地に皆が戻り、その地で暮らして行けるのが、願いなんです。

創価学会は他の日蓮宗と同じに感じます。

私、本当に感謝してます(^ー^)

私は教学がないのが幸してるのか(汗)行動しながら題目をあげて考え進んでいます。

堅皇さん*主任さんの投稿も、凄く役にたっています。

109流れ星:2011/05/20(金) 14:50:07 ID:Dq7/lyqA
運ちゃん
立正安国論とそれに纏わる日本のその時代の宗教各派の説明を興味深く読みました。
毎回ありがとうございます。。

最期まで読んでいて思ったのですが。。
立正安国論を予言の書であるように解釈したのが、そもそも違うということなのでしょうか。。?
立正安国論は。。日蓮は予言として残したのではなく、その当時の日本の宗教と政治。。そして庶民の
ありのままの姿を経文を通して射し示しただけ。。ということなのでしょうか。。?

予言の書とすることにより、よりオカルトチックな力が加わります。。
その経文の中で顕わされた地獄絵図のようなありさま。。

それがまるで、この日蓮の教えを広めないと、またこういうことが繰り返されるよ。。という
解釈に変えてしまった。。ということなのでしょうか。。?

日蓮の本意とは違う。。?ということ。。??

すみません。。
もしかしたら?読みとり方が違うのかもしれませんねわたくし。。

しかし。。どの宗教でもありがちですが。。
ある意味、人のこころの恐怖心につけこんで自分たちの宗派を広めるというのは
いま現在もありがちなこと。。

もっと。。人の心に希望や勇気ポジティブ思考を与えるようなものが
広まって行ったら、これほど宗教同士で同じ経文での争いもなくなっていたのかもしれません。。

予言の書。。で、すぐに思いだすのは、あの映画。。”20世紀少年”
すべての始まりは。。少年たちの書いた“予言の書”でした。。

いまスピリチュアルな世界でも、アセンションという言葉がまことしやかに
言われていますが。。

たとえそれが本当だったにしても、人間って、どうしてこうも終末説とか予言とか好きなんだなあ〜とあらためて思ってしまう。
じつは、このわたしも。。そういった説に陥りがちでしたが。。

もっとポジティブ思考に導いてくれる教えってないのでしょうかね。。

そして、この立正安国論も。。そういった視点から読んでいれば
なにも大昔と同じことを繰り返さなくてもすんでいたのかもしれません。

ある意味、解釈の仕方で。。却って引き寄せの法則じゃないけれど
歴史が繰り返されてしまうように思ったのは、わたしの浅はかな考えでしょうかね。。

110運ちゃん:2011/05/20(金) 18:46:02 ID:ZNPw7k1.
流れ星さん

立正安国論は予言の書ではないと思いますよ。

例えばよく蒙古襲来を予言したとかありますが、鎌倉時代は以外と大陸との交易も活発であった
ことから、日蓮大聖人は情報を収集し分析も併せて行っていた可能性も高いです。

つまり世情に疎くはなく、逆に様々名人脈を駆使していたのかも
しれません。だから僕はオカルト的には読めないんですね。

別の角度から考えても、時の幕府の実力者に書簡を届けられるほど、実は様々な人脈を持っていた
わけですからね。

だから立正安国論も、その視点で読まなければオカシい解釈になると
思いますので、これからも努力していきます。

末法の御本仏とか三世を通暁なんて怪しい解釈は無用ですね。
日蓮大聖人は当時の社会の矛盾と悲惨に対して、一宗教家として
解決の方途を権力者に進言した。
そういう事だと思います。

そして現在にも、その志は必要なのではないでしょうかね?

111堅皇:2011/05/20(金) 18:51:48 ID:sENLJniY
立正安国論を読む限りでは法然の選択集(念仏)が法華経を始めとした
正法に背いている一凶であると言うことは伝わってくるのですが
日蓮がこの時点で法華経だけを宣揚しているようにはどうしても思えないのですが。

加えて寺院建立ラッシュと創価の会館設立ラッシュを結びつけた考察ですが
寺院建立自体を日蓮は指摘はしていないと思われます。
指摘箇所は、阿弥陀堂にしか供養せず念仏の行者でなければ布施もしない。
おかげでその他の仏堂は荒れ果て僧房を訪れる人もなく、ただ雑草ばかり茂っているとの事。

創価に当て嵌めるなら会員内部だけを敬い学会員以外は知ったこっちゃない。
それでいて創価の会館のためだけに供養すると言ったところだと読みました。

広く世の中を見れば寺院建立ラッシュは指摘箇所なのかとも思いますが
立正安国論の中での日蓮は薬師如来、釈迦如来、虚空蔵菩薩、地蔵菩薩を敬っているようで
また、これらの仏堂が荒れ果ている様相を嘆いているように思われます。

112運ちゃん:2011/05/20(金) 20:51:01 ID:uK43f7YQ
堅皇さん

寺院建立自体を確かに日蓮大聖人は直接指摘していません。

しかしながら、今掲載している後段のほうで僧侶と為政者との関係が
指摘をされていました。

その上で客観的に鎌倉に建立されている大寺院というものが、通常の3倍建立
されているという事は、それに必要な費用や人足の事を想定すれば、それなりに
人々に対して負担を強いたという事は容易に想像がつきます。

吾妻鏡やその他の文献を見ても、当時の御家人をはじめ多くの人々が重税で苦悩をしている
様も記述されています。
人身売買や借金を自らの体を「奴婢」として提供する事で、チャラにするという事も行われて
いました。

ここから僕の想定となるのですが、鎌倉市中に疫病・地震・天災などで人々が倒れていて、重税で苦しんでいる
状況の中、宗教家のために寺院建立ラッシュを幕府が行っていたとしたならば、
本文中に具体的な指摘はなくても、その様な事も「僧侶と国王の結託」という記載の中には
思いとしてあったのではないでしょうか?

>また、これらの仏堂が荒れ果ている様相を嘆いているように思われます。
またこの点に関してですが、まだまだはじめの部分のみ読み込みとなりますが、
日蓮大聖人が嘆いているのは仏堂が荒れ果てているではなく
「法師は諂曲にして人倫を迷惑し王臣は不覚にして邪正を弁ずること無し」
(本文抜粋)
という事であったと思えますよ。

113堅皇:2011/05/20(金) 23:03:25 ID:sENLJniY
>>運ちゃんさん

> 日蓮大聖人が嘆いているのは仏堂が荒れ果てているではなく
> 「法師は諂曲にして人倫を迷惑し王臣は不覚にして邪正を弁ずること無し」

これはある意味同じなのだと思います。
諂曲にして人倫を迷惑する法師ばかりだから仏堂が荒れ果てているのではと。

阿弥陀堂にしか供養しない念仏者と邪正を弁ずる法師がいない事にある。

創価に関しても同じことで無意味な会館建設ラッシュの背景に
創価にしか供養しない信者がまだまだいることに加え、邪正を弁ずる法師がいない事。

僕が読むことに心がけている一つは、「世法即仏法」で読み下すことであり
「仏法即社会」では読み下さないこと。
これをやってしまうと池田さんの御書講義を笑えないとも思うわけです。

もう一つは文証に当たるところの理証を変えて読まないこと。
これは仏法を読み下すことだけに用いるわけではなく
そこで矛盾が生じる場合は現証にそぐわないと言うことになり
その人の理論は矛盾をきたしていると言うことになるかと思います。

114運ちゃん:2011/05/21(土) 00:06:08 ID:uK43f7YQ
堅皇さん

まあ言いたいこと、おおよそ想像つきますが、
ここでは論及するのは止めにします。

何か「枝葉末節」に入りそうな気がしてきました・・・・・

115運ちゃん:2011/05/21(土) 00:13:08 ID:uK43f7YQ
堅皇さん

ちなみに2点、意味合いを教えてください。

>僕が読むことに心がけている一つは、「世法即仏法」で読み下すことであり
>「仏法即社会」では読み下さないこと。
具体的な例をもらわないと、言っている内容が理解できません。

>もう一つは文証に当たるところの理証を変えて読まないこと。
これもそうです。

言っている意味、なんとなくが微妙なのですが
このニュアンス一つで、人の理解というのは大きくちがっちゃうんで。

116堅皇:2011/05/21(土) 00:32:19 ID:sENLJniY
「仏法即社会」は書かれている文面を世相で読んでみること。
対する「世法即仏法」は世相にある事柄を書かれている文面に当て嵌めてみること。

寺院建立ラッシュは世相にあたるわけですから
書かれている文面に対し世相で判断すると「仏法即社会」となり
寺院建立ラッシュの意味合いを書かれている文面の中で探るのが「世法即仏法」と言う感じでしょうか。

文証、理証に関しては言うまでもなくタイトルの「立正」の正法とは何かの部分ですね。
文証から察するに法華経が正法であると言う記述が何処にもないと言うところです。

これは、久遠実成を久遠元初と読むんですよと言う文底独一本門における文底読みと同意に思われます。
これ自体が日蓮の唱えた文証、理証、現証の法則から外れるものだと思います。

117堅皇:2011/05/21(土) 00:35:07 ID:sENLJniY
×「仏法即社会」は書かれている文面を世相で読んでみること。
○「仏法即社会」は書かれている文面を世相で判断すること。

ですか、文章で説明するのは難しいのですが。

118堅皇:2011/05/21(土) 13:04:50 ID:sENLJniY
> 寺院建立自体を確かに日蓮大聖人は直接指摘していません。

この部分は「枝葉末節」ではなく僕は非常に重要なことだと思っています。
言ってないことに対して、おそらく彼はそう言いたかったのだろうと論を広げるのは
非常にお節介と言うか本人の意に必ずしも沿えるものではないと考えます。

これを容認してしまうと日蓮は確かに自分のことを本仏とは言っていません。
でも、それは謙遜しての行為で間違いなく日蓮が本仏ですと
ありもしない事、考えてもいない事を真実であるかのように広めることになるのではないかと言うこと。

これを認めるとなると禅宗の教外別伝や不立文字を認めることになり
また、口伝、相伝、秘伝というものも認める行為に発展しかねないと思うわけです。

ちなみに寺院建立ラッシュに関しては仏法自体にもその表現はありますよね。
大集経による正像末の三時の中での像法時代の末期「多造塔寺堅固」
これ自体が像法時代の特色であるかと言えますね。

更に像法時代の問題点として仏法が形骸化すると言う指摘。
これが更に発展すると末法となり「闘諍堅固・白法隠没」が訪れると。
仏法の本来の功力がなくなり「多造塔寺」も全く意味がなさないものになってしまうというもの。

運ちゃんさんが挙げられた立正安国論で述べられている
「法師は諂曲にして人倫を迷惑し王臣は不覚にして邪正を弁ずること無し」は
正に、このことを指摘しているわけですから
日蓮の論説は仏法に対し少しもブレているところはないと感じるわけです。
また後日、開目抄に書かれる「経を手ににぎらざらんをば用ゆべからず」にも踏み外していない。

それこそ重箱の隅を突っつくような嫌ーな印象を持たれるかも知れませんが
創価学会という組織自体がこう言った僅かなほころびから現在のトンデモ教学に発展して言ったのではないかと思うからでもあります。

119流れ星:2011/05/21(土) 15:44:21 ID:Dq7/lyqA
運ちゃん&堅皇さんの教学対峙。。おふたりのお話の奥深さは
創価の中では得られなかったもの。。
とても興味深く読んでいます。。

ただ、お二人の話から共通しているのは、創価の教学に対する解釈の過ちが
そもそもあるということでしょうか。。?

また池田氏は、あまり教学に精通していなかったとのことをつい最近知りました。。
日蓮の教学を根本としていると言いながら、実際は違ったものになっているという事実。。

創価では確か原島教学部長?の学会違背から会員に対しての教学指導が
軟弱になり。。また、わたしも、その頃から教学を学ぶ機会が無いに等しくなりました。

せいぜい大百蓮華の御書の切り文を池田指導ナイズされたものしか勉強する機会は失われました。
やたら人間革命の勉強会や人材育成の会合は増えましたが。。

女子部の時にとった教授補という軟弱な教学力から、もっと上のほうの勉強をする機会は失われたまま。。
任用試験や初級試験は頻繁にありましたが。。。
きっと。。大幹部にならなければ、それ以上の教学力を身につける機会はなかったのでしょうか。。

オカルトナイズされた日蓮の切り文を上手に利用して、組織を動かし。。
会員の心を扇動させていった。。ととっても違うと誰が言えるでしょうか。。?

わたしが入信したばかりの高校生の時の教学の勉強会。。
日蓮の御書の文から。。宇宙の話しへと広がり、また生命という話へと戻り。。

あの頃。。瞳をキラキラさせて婦人部の方の教学のお話を聴き入っていた頃は、もう遠い昔の話。。
そして。。その婦人部の幹部も。。いつか創価を離れて行ったと遠い噂で後々聞きました。。

ヘタに教学力をつけてもらっては困る。。それが創価の組織のありかたではなかったか。。
。。といまになると、それがよく理解できます。。

最近。。創価や池田市の残念な事実を、あれこれ知ることになり。。
わたしが数十年信じてやってきたことは、いったい何だったのか!?と
愕然としています。。

そして、その反面。。創価を完全に離れることができて良かったと
正直、胸をなでおろしているのも現実です。。

いつの頃からか、創価は。。わたしにとって必要なものではなくなり
創価に在籍していること自体、重たい足かせのようになりました。。

なので。。素直にその重りを降ろしただけです。。わたしの退会理由の本音は。。
でも退会3年後、こうやってこのサロンに偶然巡り合い。。そこから実際の創価の現実を知ることとなり
これも何かのご縁。。。
きっと、まだ降ろし切れていない心の重りを。。ここで外させて戴いているのかも。。

時々トンチンカンな書き込みなどなどありますが。。(汗)
もし、誰か気分を害する方がいらしたら、謝ります。。謝謝。

120運ちゃん:2011/05/21(土) 18:00:15 ID:uK43f7YQ
堅皇さん

回答ありがとうございます。m(_ _)m

堅皇さんの文面はいつ見ても、その背景に思索が積み重ねられているのは
理解していますが、たまに単語の使い方をはしょってしまう所があるように
思えます。その点で僕は読んでいて頭が混乱してしまう感じです。

正直言いまして、堅皇さんのレスに対して回答をしようと、考えながら書いていくのですが、自分自身最後に「だから何を書きたかったんだっけ?」という感じになってしまいます。
#おそらく僕の思考回路が堅皇さんにはついていけていないだけですが・・

難しい事を難しく話しをするのは、ある意味簡単です。
でも難しい事を平易な内容に、本筋を踏み外さない様に考えていく。
これは結構難しいですね。

僕は学者ではありません。
なので今回のものについても講義ではなく、僕自身の読み下しという事で
書いています。

その上でですが・・・

僕は御書を読む際には、細かい理屈はなるべくはっしょって書いています。
また御書を読む際に、よく感じた事というのは、御書に直接かかれて居なく
ても、その時代背景にあった状況を前提に読む必要を実感した事から、できるだけ時代背景については他の文献なども読みながら進めています。

そういう意味で今回の立正安国論を読む際に、「立正安国論で日蓮大聖人は
何を言いたかったのか?」という事について、よくよく考えた末に「寺院の
建立数、特に鎌倉時代の大規模寺院の建立数はどれくらいだったのか。また
立正安国論を現した時代前後の建立数は、実はかなり変動があるのではないか?」
という思いつきから調べてみたら、実際に1250年代は通常の三倍の建立
数を確認したので、今回の内容に組み込んだ次第です。

ちなみにこの思いつきの背景には、宗教と政治の結びつきのバロメータの
一つが「寺院建立」と考えたからですが。。。。

121運ちゃん:2011/05/21(土) 18:01:01 ID:uK43f7YQ
(続きです)
また堅皇さんが今回の内容でコメント頂いた内容で
>それこそ重箱の隅を突っつくような嫌ーな印象を持たれるかも
>知れませんが
>創価学会という組織自体がこう言った僅かなほころびから現在の
>トンデモ教学に発展して言ったのではないかと思うからでもあります。
●ちなみに堅皇さんは、僕の今回の解釈も「トンデモ教学」に発展すると
考えていますか?

立正安国論については、過去に様々な学者が講義をしています。
でも僕はそれを全て読んでいるわけではありません。
ただ一つ、僕が今まで学んできた内容を基本として、僕の考えを機軸に
しながら、今回の立正安国論を読んで、内容を自分なりに解釈をしています。だから「読み下し」としています。

まあ今後、そういった「トンデモ方向」に向かい始めた時に、ご指摘貰え
れば、それはそれで勉強になりますのでお願いします。

ただ、、、今回の寺院建立の件について考えれば、僕はかなり言い当てて
いる部分もあると思いますけどね。

122運ちゃん:2011/05/21(土) 18:08:03 ID:uK43f7YQ
流れ星さん

>運ちゃん&堅皇さんの教学対峙
●(^^; 確かに対峙ですね。
でも僕は堅皇さんのレスは「スルメイカ」の様に感じています。
短い単語の中でも、考えていくと、その先に堅皇さんの言葉があったりと、、
なかなか勉強になっている感じを受けています。

>ただ、お二人の話から共通しているのは、創価の教学に対する解釈の過ちが
>そもそもあるということでしょうか。。?
●堅皇さんのご意見はわかりませんが、僕は「過ち」というより「より深く
掘り下げていない」という点を最近感じています。
何か大石寺教学をそのまま「ダダ流し」している感じとでもいいましょうか。

オカルト的な内容を未だに教学試験で学ばせていたり。
宗史についても、ずーっと前から変わらずであったり。
大御本尊についてもそうですよね・・・あ、、、創価班の広宣部内では
かなり進んだ議論もしていましたけどね。


もう少し様々な解釈をして、会内の議論を喚起してもいいんじゃないのかなぁ・・・
そう思ったりします。

会内には「切り文」は多いですね。
「仏法は勝負」とか「師弟不二」なんてもの、その線上にありますからね。

123堅皇:2011/05/21(土) 19:44:40 ID:sENLJniY
>>運ちゃんさん

> 堅皇さんの文面はいつ見ても、その背景に思索が積み重ねられているのは
> 理解していますが、たまに単語の使い方をはしょってしまう所があるように思えます。

なるほどですね。
この部分は僕の中での無自覚な部分であると言えます。
僕の思索形態は自分自身が疑問を感じる場所、矛盾を感じる箇所に差し掛かった時その部分を掘り下げると言ったものです。
ですから特に疑問を感じなかった場所、矛盾を感じなかった箇所はすっ飛ばす傾向があると言えるかと思います。

ただ人によって疑問を感じる場所は様々で、何処に疑問を持つかと言う事はそれぞれなのではないかと思います。
この相手の疑問箇所が解ればもう少しピンポイントで説明する事が出来るかもしれないのですが。

> 難しい事を難しく話しをするのは、ある意味簡単です。

全く持って仰るとおりです。
また、質問に対し答えると言う事も簡単ですが
そもそも質問を見出す事のほうが難しいとも思います。
難しい事柄はそもそも、何処を質問とするべきかすら解らないわけですから
これは僕の話の振り方に問題がある点であると言えますね。

> その時代背景にあった状況を前提に読む必要を実感した事から、

時代背景を読む事は必要な事だと思いますが
目的は日蓮の真意に迫ると言う事が目的ではないでしょうか。

ここで日蓮が寺院建立ラッシュについて批判されている箇所があれば
当時の背景と照合し、なるほど、日蓮はこの事を言っていたのかとなるのですが
日蓮が批判している箇所がないとすれば、それは運ちゃんさんの感じた事であり
日蓮の真意に迫るものではないと思います。

あくまで著者の気持ちを探る上では著者の記した文面を中心に
これは批判している、これは賞賛している、これは批判していない、これは賞賛していないを
先入観を持たずに考察するべきではないかと思うわけですね。

創価に限らず世にある解説本や考察本の多くのほとんどがこの論法ではなく
それは貴方の雑感であり思い込みであり日蓮の意思とはズレるだろうと感じるわけですね。

> 立正安国論については、過去に様々な学者が講義をしています。

僕はあまり学者の講義は信用していません。
もともと御書は学者に向けたものではなく仏法を良く知らない素人に向けて書かれた物であるわけなので
時代考察や物理的探求事項は良しとして、学者の見解など必要ないと思っています。

むしろ仏法を何にも解らない人に一通り読んでもらい
どう読み取りましたかと聞いてみた方が確実に得るものがあるのではないかと思っているくらいですから。

124堅皇:2011/05/21(土) 19:59:00 ID:sENLJniY
>>流れ星さん

あ、僕は創価の解釈は「より深く掘り下げていない」だけでなく
ズバリ「過ち」が多く含まれていると思います。

その昔はそれこそ前者の無智の部分で片付けられますが
最近の教学部による指導は解った上での確信犯の行動であると思っています。

もっとも当の永遠の指導者さんは無智の天然ではなかろうかという思いもありますけど。

125運ちゃん:2011/05/21(土) 21:14:49 ID:uK43f7YQ
堅皇さん

この議論については、これ以上コメントをしてもあまりお互いに得るものが
ないと思いますので、ここで止めておきますが一点だけ。

>目的は日蓮の真意に迫ると言う事が目的ではないでしょうか。
>日蓮が批判している箇所がないとすれば、それは運ちゃんさんの感じた事であり
>日蓮の真意に迫るものではないと思います。
●真意に迫るというのは、やはり時代背景についても考察に含める
べきであい、文字「だけ」では足りないと思います。
何故ならば、信徒と日蓮さんの間の書簡が御書であり、その書簡のやりとり
をするには、当然の前提として社会状況などもあると考えるからです。
またそういった時代背景や社会情勢については、御書の中に都度、つまびらかに
書かれているとは限りません。

そういう面では時代考証も当然、必要になるというのが僕の想いです。

ただそれがどこまで真意に近づけるかについては、ここで議論をしても
埒があかないと思うので、ここで止めておきます。

まあそもそも御書を読んで、「ここは合意できる」「ここは合意できない」
というのは当然あるものですし、それを否定するつもりは全然ありません。

以上です。
今後もよろしくお願いします。

126堅皇:2011/05/21(土) 22:11:05 ID:sENLJniY
運ちゃんさん

おそらく僕の表現方法が稚拙なのが問題なのだと思います。

書かれている事実だけを並べると日蓮は
・邪正を弁ずる法師がいないと嘆いている。
・寺院建立ラッシュには言及していない。
この二点ですね。

これに対し日蓮は寺院建立ラッシュに対し批判的であったと結論を出すには根拠が薄いと言う事です。
これに関しては日蓮の意を示すものは何処にもないわけですからね。

ですから邪正を弁ずる法師がいれば寺院建立ラッシュに関しては否定でも肯定でもないと思えるわけです。
もっとも邪正を弁ずる法師がいれば民を苦しめるほどの寺院建立ラッシュには及ばないとも言えます。

社会状況を組み入れるなと言っているのではないと言う事を御理解いただければと。

例えば同じ理を持って、これを現代の社会情勢である公共事業の箱物造りの様相を
「世法即仏法」の観点から当て嵌めてみますと
箱物建立ラッシュ自体には否定的ではないが、邪正を弁ずる法師(有益か不利益かを見定める師)がいない事で
民が喜べない状況にあることに対して嘆いていると言う事。

公共事業の問題も造る事自体に問題があるのではなく有効でないものを造る事に問題があるのだと思います。

これはデモ隊参加好きな市民団体なんかが言い出しそうな話ですが
実際に全ての公共事業をやめてしまおうぜという話となればそれはまた支障を来たすと思われます。

127運ちゃん:2011/05/21(土) 23:08:25 ID:uK43f7YQ
堅皇さん

>邪正を弁ずる法師がいないと嘆いている。
この表現は正確ではないですね。
立正安国論には「師は諂曲にして人倫を迷惑し王臣は不覚にして邪正を弁ずること無し」
(これは次段で紹介する文ですが)
ここでは法師は「(権力側に)媚び諂いながら、人の倫理観を惑わす」とあり
王臣(権力者サイド)が邪正をわきまえないという事を言っています。

この論理から言えば「正邪を弁ずる」というのは王臣サイドの判断であり、
正邪を判ずるための論理を教えから提示するのが法師側の役目とも思えます。
だからこそ、日蓮大聖人は立正安国論提示の後も公場対決をせまったのではないでしょうか?

建設ラッシュにしては、先にも述べましたがこれは当時の時代背景を読み取る際に
僕が呼んだ「吾妻鏡と鎌倉時代(だったかな)」の文献の中で、当時の極貧な鎌倉庶民の
生活を見た中で感じた事ですが、文献名が明確ではないので、ここでは論じません。

また現在の公共事業については、僕は全体的には否定しません。
現在の公共事業では、その資金は民間へと流れます。
(まあ、特定の業界に多く流れるという問題はありますが・・・)

でも当時の公共事業としての寺院建立というのは、今のものと異質だと先の文献を読んだ中で
感じた次第です。そもそも資金の大半が宗教者サイドに流れるわけですからね。

>公共事業の問題も造る事自体に問題があるのではなく有効でないものを造る事に問題があるのだと思います。
●結局のところ、当時の寺院建立とは日蓮さんから見たら、有効でないものと写ったのではないでしょうか?
それとも立正安国論の文に明確になかったから有効だと日蓮さんは考えていたとでも堅皇さんはお考えですか?

まあ先ほども言いましたが、この部分に関しては僕が種々の文献を読みつつ考えた僕の解釈であり、
これ以上のコメントは無用かと。

その時代背景の文献については、別の機会に取り上げる事とします。

128運ちゃん:2011/05/22(日) 12:15:00 ID:yVNAu8vI
http://heartland.geocities.jp/sougaku_salon/gosho/goshoindex.html
<立正安国論(7)>

新たな内容を凝りもせずアップしました。
我見満載でまだまだ検討も少ないものですが、読んでいただければ幸いです。

129堅皇:2011/05/22(日) 12:21:42 ID:sENLJniY
運ちゃんさん

> >邪正を弁ずる法師がいないと嘆いている。
> この表現は正確ではないですね。

この辺が僕の文が、はしょってると指摘されている部分ですね。
以下、運ちゃんさんが提示されている詳細説明に異論はございません。

> 結局のところ、当時の寺院建立とは日蓮さんから見たら、有効でないものと写ったのではないでしょうか?
> それとも立正安国論の文に明確になかったから有効だと日蓮さんは考えていたとでも堅皇さんはお考えですか?

有効とも無効ともその表現を発していなければどちらともいえないと言う事が答えではないですかね。

例えば創価学会という組織は有効か無効かという問題も同様に思います。
組織が「師は諂曲にして人倫を迷惑し王臣は不覚にして邪正を弁ずること無し」であるなら無効
権力側に媚びない法師が集う組織であれば有効なのかと。
つまりは一念三千の一念から始まるものであると言う事ですかね。
もっとも創価学会にそれを求めていると言う事はないという事は共通認識だと思いますが。

寺院建立と言う様相こそが「枝葉末節」であり、法師が道を誤らなければが主題に思います。

130流れ星:2011/05/22(日) 14:12:41 ID:Dq7/lyqA
>法華経に云く「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の心充満せん、
或は阿練若に納衣にして空閑に在り自ら真の道を行ずと。。つづく。。

。。のところが、いまの創価と池田氏に重なり、正直、驚いております。。
創価は日顕と主張するかもしれませんが。。
正直、どっちもどっちだわ〜。。

日蓮大聖人の立正安国論に照らし合わせると、いまの創価の現状が
ありありと映し出されるようです。。

やはり多くの会員が。。なんか、おかしいぞと感じるのは
よもや間違いではないのだと知ります。。

131運ちゃん:2011/05/22(日) 15:01:31 ID:uK43f7YQ
流れ星さん

確かに重なる観はあるんですよね。
多くの会員が感じているのみ無理はないかと。。。

立正安国論を会員ひとりひとりが真摯に読む事も、今の時代では必要なのでは
ないでしょうか?

132堅皇:2011/05/22(日) 21:46:53 ID:sENLJniY
運ちゃんさん

大枠の解釈はほとんど同意するものなのですが
運ちゃんさんと僕との微妙な解釈のズレは何処にあるのだろうと考えてみました。

運ちゃんさんは創価学会で使われている「通解」を用いられていますよね。

例えば
「末法にこれらの悪比丘たちは方便・権教が仏の機根に随って説いたものであることを知らないでこれに執着し、
かえって正法たる法華経の行者の悪口をいい、顔をしかめて憎み、一度ならず二度までも正法の行者を追い出すであろう。」

この文の法華経勧持品の原文は
「濁世悪比丘 不知仏方便 随宜所説法 悪口而顰蹙 数数見擯出」であり
それを日蓮は
「濁世の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らず悪口して顰蹙し数数擯出せられん」こう読み下しています。

お気づきかと思いますがそこには「正法たる法華経」とか「正法の行者」を示す場所はないわけです。

参考までに同じ箇所の日蓮宗の方の訳を見ますと
「濁世の悪僧たちは、仏の方便の教えが相手の能力に応じて説かれたことを知らずにそれに執着して、
真実の教えを弘める私たちを眉をひそめて悪口し、しばしば追い出そうとする」
http://www4.ocn.ne.jp/~sen0001/gosyo02b.html

ここでは「真実の教え」との解釈を当てています。
しかし「正法」と「真実の教え」を直接的にイコールと結び付けていないことも読み取れます。

その他にも法華経の現代訳を挙げてみますと。
「穢(けが)れ乱れている時代の悪い比丘たちは、仏が方便として随宜に法を説かれているとは知らず、
悪口し顰蹙(ひんしゅく)し、私等はしばしば排出され、」
http://www7.ocn.ne.jp/~takesi66/kannji/kannji1.htm

「濁った世の中の出家得度して具足戒を受けた男子は仏が人を真実の教えに導くため仮にとる便宜的な手段やその場その場で
随時に説法・教化することを知らない 悪口を言って不快に感じて顔をしかめ繰り返し私たちをのけものにする。」
http://p.booklog.jp/book/21562/chapter/30802

大枠の解釈は似たところにあるのですが訳者により細かな変化があるものだと思います。
どれが正解だとか、そうじゃないと言う事はさておいて。

正直言いまして僕は創価で学ばせる事というものは思いのほかかなり根が深いと思っています。
創価で使われている通解は、原文や他の訳文と比べ、より石山教学へ向かわせるように
アシストしている点が多く感じられてならないのですね。

それは、これまで創価で習った事で、「これが当然だ」と認識していた事が
実はそうでは無かったと言う事をこれまで多く感じてきたからでもあります。

僕の中での「真摯に読む事」こう言った創価教学の依存から離れて読むと言う事を考えています。

133流れ星:2011/05/23(月) 00:02:32 ID:Dq7/lyqA
ちっちゃな枝葉のことは、正直よくはわからないのですが。。
運ちゃんのお話から。。
日蓮大聖人が、その当時憂えていたことのほとんどを、いまの創価が
見ごとに実証で示していると理解できました。。
つまり創価&池田氏は、自ら反面教師を名乗って出現した。。所謂悪の根源と
理解できましたよ。。(笑)
実際の創価は、日蓮大聖人の仏法を語るに相応しくない新興宗教実業団と確信しました。。
残念ながら。。

わたしはもう創価を離れた身ですが。。もし、まだ創価に未練があり憂え
なんとか創価を建てなおしたいと想う人がいたら、やはり、この立正安国論は
心して読む必要があると思いました。。

134:2011/06/27(月) 08:47:33 ID:yUorcoT6
運ちゃんさんへ

時間のある時でよいのですが(汗)

立正安国論の解説の時に
「汝須く一身の安堵を思わばまず四表の静謐を祷らん者か」P31
を、いま一度考察して欲しいのです。

運ちゃんさんは、表のサロンで「自身の安堵を祈るならば、まず四表の静謐を祈るべきである」と解説しておられます。

私、最初は「そうだ」と思っていたのですが、
「汝(あなたは)、自身の安堵を祈るならば、まず四表の静謐を祈るべきというの人なのか?」と問い掛けている様にも思えるんです。

創価学会、公明党の原点になっている事なので、肝心な事と思います。
私はまだ、深い意味まで理解できません。読み違えかもしれません(汗)
運ちゃんさんの時間のある時でよいですので、よろしくお願いします。

135堅皇:2011/06/27(月) 15:13:25 ID:edehVgZ.
>>道さん

僕は運ちゃんさんの解説である「自身の安堵を祈るならば、まず四表の静謐を祈るべきである」で
正解だと思いますし全く異論はありません。

その前の文では
「帝王は国家を基として天下を治め人臣は田園を領して世上を保つ、」とあります。
つまり、国家が安泰であってこそ田園が保てるという話ですよね。
これを現実に当て嵌めるなら原発の問題が治まらない限り田園を保とうと思っても保てないではないと言う話でも。

ですから農作業営みたいと思うなら(自身の安堵を祈るならば)
先ずは平和に営める環境(四表の静謐)を祈るべきであると言う事になるかと思います。

136運ちゃん:2011/06/27(月) 18:41:56 ID:NlKWQxus
>>134
道さん

調べるというか、少し観点を変えた感じでしょうか。
少し考えてみます。

137:2011/06/27(月) 20:19:22 ID:yUorcoT6
運ちゃんさんへ

忙しい所、スミマセンよろしくお願いします(汗)

堅皇さんの言われる事、本当に理解出来るのです。そうかもしれません。

私が、ふっと思ったのは「平泉の文化遺産決定」の時なんです。嬉しい事なんですが。

来年の大河ドラマも「平清盛」ですし。

浄土信仰の復興に思えたんです。

私、震災の状態を見た時「まるで地獄」と思いました。思い浮かんだのが「念仏無限地獄」でした。東北は念仏が多いです。

「平泉の文化遺産決定」が岩手復興の光となり、公明新聞でも、大きく取り上げ喜んでいます。

念仏を、一番批判したのが日蓮聖人ではなかったでしょうか。

牧口先生は「一宗教(法華経)が滅ぶより、国が滅ぶのを案じる」と言われ、それを学会は継承しています。

でも、日蓮は「法華経が滅ぶと、国も滅ぶ」だから、宗教の正邪を正して、国を護るのだ。と言われている様な気もするんです。

いま創価学会の、正は池田氏で、従が日蓮(法華経)です。教えも、題目を唱えて学会活動をすれば、功徳や成仏が出来ると、念仏みたいな教えです。

日本の、大宗教団体、関連業者を考えると、念仏思想が広がった根源にも思えます。

まとまりませんが、別な感覚で考察してみて下さい。

138堅皇:2011/06/28(火) 01:36:55 ID:edehVgZ.
道さん

「平泉の文化遺産決定」に関してですが確かに一部政治的流れがあるのではないかと言う見方もあるみたいですね。
いわゆる南朝派(右派)の衰退により実現できたとかなんだとか。
実際にそうかも知れないし、そうでないかも知れませんが。

確かに日蓮正宗の流れを汲む創価学会系の公明新聞が、大きく取り上げ喜んでいるとしたら変な話ですね。
事実であれば日蓮正宗からの指摘材料にはなるのかな。
ただ、個人的には「平泉の文化遺産決定」が元となり少しでも東北の観光にでも結びつけば喜ばしい話の1つであると思っています。

そもそも僕は日蓮は阿弥陀仏や浄土三部経を否定していたのではなく
阿弥陀仏や浄土三部経だけを拝ませた念仏を批判していただけであると思っていますので
各種神社仏閣をめぐり、一仏だけに帰依を促す念仏を唱えなければ
参拝する行為の何処がいけないのかと思っています。

もし日蓮が阿弥陀仏が一凶だと考えているのであれば
日蓮正宗や創価学会の様に阿弥陀仏を捨てなさいと言う話になるでしょう。
でも日蓮が阿弥陀堂へ行き阿弥陀像を捨てに言ったなどという話は聞いた事がありません。
それが法華思想であるとするならば、こんな思想が蔓延った暁には文化遺産も何もあったものではなくなります。

> 牧口先生は「一宗教(法華経)が滅ぶより、国が滅ぶのを案じる」と言われ、それを学会は継承しています。

牧口さんは法華経を日蓮正宗から習い一宗教と思っていたからこの様な発言をされたのだと思います。
法華経が単なる一宗教であるとするならば牧口さんの発言は同意できる部分はありますけどね。

しかしながら、法華経とは全ての思想や宗教を受け入れる物でありますから
法華経の題目を唱えるとあらゆる諸仏(阿弥陀仏も含め全て)を敬う事になりますが
阿弥陀仏への念仏を唱えると阿弥陀仏だけを讃え、その他の諸仏を放っておく事になります。
その結果が阿弥陀仏しか信じる事ができなくなる「偏り」が生まれると言う話ですね。

日蓮を本仏と考える日蓮正宗や創価学会も同様で、世の中に敬うべき仏は一仏しかいない。
一人の指導者の言うことだけが絶対であると言う「偏り」の思想から
独裁主義、カルト思想となって現れてきているのですから。

全ての諸仏敬い全ての法を受け入れる、その法華経が滅ぶと言う事は全ての人々や思想が滅ぶと言う事で
やがて国も滅ぶであろうと言う観点から国を滅ぼさないためにも法華経を守らねばと思いますが。

> いま創価学会の、正は池田氏で、従が日蓮(法華経)です。

念仏の理論とこの理論は同じであると僕は思います。
念仏を唱えた法然さんは天台宗の僧侶でしたから当然法華経は読まれている物であると思います。
と言うより法華経を読まなければ念仏の発想や理論は思い浮かばなかったと思います。

法然さんは別に法華経自体を否定したわけではないわけですね。
法華経の修行がまっとうできる人は、それで仏道を成就しなさいと言っているわけです。
それが出来ない人のために念仏は存在するのであると。

法然さん自身も浄土三部経だけでは環境が整うだけで仏道を成就出来ない事ぐらい解っているわけですね。
では、どの様にして仏道を成就させるのかと言えば
諸仏の中の一人である阿弥陀さんにお願いすれば死後の世界で仏道を成就させてくださいと
お願いしましょうよと言う話です。

ただ残念ながら一仏にお願いすれば死後の世界で仏道を成就させれると言う根拠は何処にもないという話で
それよりも自身の思想に「偏り」が生まれてしまうと言うだけの話であるという事です。

要するに念仏の理論では正は阿弥陀仏(浄土三部経)で、従が法華経ですから
創価との違いはないものと思われます。
念仏は創価学会と同様に法華経を学ぶには学んだがその解釈を間違えたと言うだけの話だと僕は思います。

139:2011/06/28(火) 09:17:08 ID:yUorcoT6
堅皇さんへ

深い解説、ありがとうございます。

私の、素朴な疑問でした、まだまだですね(汗)

今年は、色々な事が多過ぎます「なぜ今なのか?」と考えると、頭が錯綜してしまいます。

素朴な疑問かもしれませんが、これからもよろしくお願いします(^_^;

140堅皇:2011/06/28(火) 12:54:41 ID:edehVgZ.
>>道さん
僕は道さんの考察自体がとても深い物だと思っています。

> 今年は、色々な事が多過ぎます「なぜ今なのか?」と考えると、頭が錯綜してしまいます。

僕は仏法とは釈迦が思い立った素朴な疑問により生まれた物だと思っていますし
それに対する大乗経はそう言った釈迦の思想により後世の人々が思い立った素朴な疑問から成り立っている物であると思います。
そういう意味でも「なぜ今なのか?」とか素朴な疑問を持つと言う事は大変に素晴らしい事であると思いますし
その行為自体が「求道の心」だと思いますし悟りに通じるための仏への道だと思います。

ところが創価ではそう言った素朴な疑問を持つなと言います。
お前が考える事よりも偉い先生の考えが正しいに決まっているじゃないかと決め付けて掛かります。
創価では疑問を持つ事を「我見」と言いますが、僕は偉い先生の考えが正しいと決め付け思考を停止した考えを「我見」と呼ぶのだと思います。

疑問を抱く人は疑問を解決した時に悟りを得ることが出来ますが疑問を抱かない人は永遠に悟ることはありませんからね。

141yuri:2011/08/30(火) 21:37:45 ID:ikzfqktY
世の中には簡単で儲かる仕事があるもんだ(*・ω・)! http://tinyurl.k2i.me/GoeA

■掲示板に戻る■ ■過去ログ倉庫一覧■