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霊能力と超能力
1津多姫=^_^=☆ミ:2007/11/13(火) 11:32:33
みなさん、こんにちは、津多姫=^_^=☆ミです。

みなさんは、霊能力や超能力のお話はお聞きになられたことがありますか?
中には、あんなもの存在しない、みんなインチキだとお考えの人もいることでしょう?

あたしもたしかに、見せ掛けだけのインチキは存在すると思います。
しかし、すべてがすべてインチキだとは思っていません。
中には本物もあると信じています。
みんなインチキだと思う人はこれから先は読まないでください。

この、霊能力や超能力ですが、今まであたしは、特別な人にしか存在せず、あたしにはそんな力は無いと思い込んでいました。

ところが霊能力や超能力は、訓練しだいでは誰にでも身につけられるごく普通の当たり前の力だと思えるようになりました。

それはなぜかというと、この凡庸なあたしにでも、そういった力があるのだという傍証が、次から次へと出てきたからです。

http://www.h3.dion.ne.jp/~tsutaya/newpage1.htm(参照)

30代前半まで他郷で神職、塾講師などをしていましたが、父の病気のため帰郷し、上野八幡神社の宮司に専念することになりました。

ところが神職だけでは生計がなりたたず、会社員も兼務しなければ生活が成り立たないありさまでした。

しかし、バブル崩壊で会社は倒産し、神職一本で立ち上げることにしました。

ところが、大学は卒業してきたものの、目に見えない神にお仕えする神職でありながら、現実の世界と密接につながって、互いに影響を及ぼしている目に見えない世界(心の世界)のことや、心霊、神霊などの霊的存在への実感が今ひとつつかみきれていませんでした。

ふつう神職はそんなことはあまり考えないのですが、形だけのお祭りで本当に大神様等がお喜びになられるのか、人様を喜ばし、幸せにし、救っていくことができるのだろうかとすごく悩みました。

そこで、ある古神道の大家のところにも修行に行きましたが、形ばかりで心のこもらない複雑な九字切りや、契印法、護符などを伝授されましたが、人間関係は欺瞞と矛盾に満ちており、それぞれの人間のふれあいにも、真心が感じられず、師匠の文言も朝と夜とでころころ変わり、果たして何を信じてよいのやらもわからず、あたしの心が精神的に異常をきたしてしまったのではないかと思われるほどの、パニックを味わいました。

やがて二週間ほどして、師匠からもお暇を出され、戻ってきました。
心の不調は人相まで変え、まるで亡霊か死神のような人相に変貌していました。
精神的に欠乏感枯渇感を感じていたあたしは、より強い精神的な支えがほしいと渇望するようになりました。
そして、もし神が実在するならば、なぜこのような心のむなしさを味あわねばならないのか?

ところが、自分のことをないがしろにして、ほかに責任転嫁をしても何も問題は解決しないと思いました。
それは、あたしが形ばかりのお祈りに終始して、真剣に神と向かい合っていないからだと気づくようになりました。

2津多姫=^_^=☆ミ:2007/11/13(火) 11:33:26
今から5年ほど前ですが、そのころ、日本人の心のふるさと、神道をもっと身近に感じてもらえたらと、http://www.h3.dion.ne.jp/~tsutaya/を開きました。
パソコンはまったく素人からの立ち上げでした。

自分が素人の立場に立ち返ったとき、ほかの神道のページでは、十分にわかっていただけていないように感じたからなのです。

このHPはそこそこ好評でみなさんからお喜びいただくことができました。

そのころ漠然と思っていたことですが祝詞奏上する人できる人がほとんどいないと言うことです。また、たとえ祝詞奏上できても、もっと音吐朗々と奏上していただきたいものだと思いました。
また、あたくしをはじめ、真剣にお祈りしている神主はどれだけいるのだろうと思いました。あたしでさえ、十分真剣に祈ることは満足にできていないと思いました。

そのころ痛切に感じていたのは、世の中の乱れです。それは今までの時代の中で特にひどく、このままでは取り返しがつかなくなると言うことです。
現実の世界がこれほど乱れているのは、心の世界も穢れに満ち溢れていると感じていました。いくら現実的な対処をして改善しようにも、心の世界の穢れをそのままにしていては、この世の乱れはなくなりません。
一人でも多くの人が真剣な祈りをささげることにより、心の世界をお清めすることによって、はじめてこの現実の世界も穏やかで明るい平和な世界になると信じていました。

そのためには、ぜひとも真剣な祈りが必要であり、同じ気持ちで祈っていただける同士を数多く結集する必要があると感じました。

そこで、お祈りを真剣に行うためには、毎日こなせるだけの定型のカリキュラムが必要だと思いました。
神社本庁蔵版の「神拝詞」なるものがありますが、祝詞内容が簡略すぎて、これでは精魂込めた一回1時間以上のお祈りには不向きと言うことです。
「神道大祓全集」にあたってみましたが、奏上する祝詞を取捨選択せねばならず、また精神を清めるのにしっくりとくるものもわずかしかありませんでした。
そこで、HP「祝詞集」http://www.h3.dion.ne.jp/~tsutaya/newpage13.htmで祝詞を紹介するのと平行で、自分の毎日の祈りにふさわしい祝詞本を編纂することにしました。
それが今ある、「神拝祝詞集成」です。
祝詞奏上の形と順番が決まってから、そのとおりに行うようにしました。

所用やご祈祷、出張祭典などで時間が取れないこともありますが、ほぼ毎日そのカリキュラムに従ってお祈りするようになりました。

心がけたこととして、終わるまでは正座をくずさないこと。
背筋は伸ばしたままで、決してだらけた姿勢は取らない。
文字通り一字一句も違わずに正確に奏上することに専念する。
息が苦しくても、なるべくなら中休みを取らない。
深呼吸は祝詞と祝詞の間に入れ、その間を瞑想(鎮魂)に当てる。
言葉尻が無声音になったりすることなく、たとえ息が苦しくても、有声音にして伸ばすことを心がける。
定型どおりのことを当たり前に行うことを最優先させる。

これをはじめて驚いたのは、一時間以上の祈りが苦痛でもなければ、退屈でもなく、すぐに時間が来てしまうことです。

また、祝詞の文言一字一句に集中して、しかも喉を使いっぱなしですので、雑念が浮かばないと言うか、考える余裕を奪われてしまっていると言うことです。

あたしには、くよくよととめどもなく考えて落ち込む悪い癖がありますので、もってこいでした。

そこで悟ったのは、考えても仕方が無いことは、一旦考えることをあきらめ、祝詞の清らかで、明るく、前向きな言葉を、祝詞奏上することによって、これでもかこれでもかと、自分自身に叩き込むことです。

終わったあと、深呼吸しながら、苦しい息を整え瞑想しているときのなんともいえない心地よさは言葉で言い表せません。

3津多姫=^_^=☆ミ:2007/11/13(火) 11:34:11
二ヶ月ほどして、気づいたことですが、顔の表情が引き締まり、人相がよくなってきたことです。
目は、とてもやさしい目つきになるのと同時に、一見矛盾するようですが、らんらんと輝いて、鋭い目つきになってきました。
周りの人が、「宮司さんなんか顔がひきしまって凛凛しくなってきた。」って、言っていました。
心は、普段だったら気づかないようなことを気づいたり、人の心が先回りして読み取れるようになりました。
特に祈りが終わった直後などは、何かほんわかとして暖かいものに包まれ、まわりのものがとてもいとおしく感じられるようになりました。
ちょうど、恋をしているときの気分によく似ていると思いました。

それと、お祈りを重ねるたびごとに境内、神域がだんだんと神気に満ちて、神々しさを感じるようになってきたことです。
これは、決して気のせいなどではなく、ほかの参拝者の多くが感じられることです。「ここにはやさしい女神様がおられますよ。」っておっしゃる、気功師の女性もおみえでした。

そのころお祈りの同士を募りたいと、祝詞カセットを頒布していましたが、CDの製作の仕方がわからず暗中模索していました。

しかしあるときふと、制作方法がわかりました。
これも祈りによって神様からヒントを授かったおかげだと思っています。

4津多姫=^_^=☆ミ:2007/11/13(火) 11:34:46
皆さんはご成敗式目の前文に、
「神は人の信によりて威を増す。」という言葉があるのをご存知だと思います。
まさにそのとおりのことが、上野八幡神社の神域で感じられるようになって来たのです。

祈りによって神様のお力がさらに増したと思いました。

このように祈りは目に見えない心の世界を浄化することにより、目に見える神域の雰囲気さえ、神気に満ちた、神々しいものにかえてしまうのです。

真剣なる祈りを込めた祝詞奏上を元に、おととしの秋に誕生した、祝詞CDは、霊能者たちから、「パワーがある。」とか、「ものすごく祓の力が強い。」と話題を呼び、いろんな人がすばらしい体験をしてきています。
せめて祝詞奏上の形、方法をお伝えできればと思ってはじめた祝詞CD頒布運動ですが、これほどまでにすばらしい体験をする人が現れるとは思っても見ませんでした。

当初は祝詞奏上の手本として活用していただければと思っていましたが、図らずも、聴くだけでもすばらしい体験をする人がお見えになり、よくなることだったらそれでもよいと思いました。

祝詞は真心込めて神前に奏上するものであり、そんな不謹慎な使い方をするものではないと、実にもっともなご意見ですが、
たとえば、相手を喜ばせたいがために、恋人にプレゼントして祝福の言葉を述べたり、プロポーズしたりするとき、リハーサルしたり、シュミレーションしたりするでしょう?
ご意見に従うと、本番のお祭りでいきなり祝詞奏上ですか?
それでは神様に失礼だと思われます。

それと、ただでさえこんなにもすばらしい日本の文化、祝詞に疎遠になっている人が多いというのに、そのような考えでは、さらに日本人の健全な精神の育成に水を差すことになりかねません。

これからは、祝詞の時代だと思います。
一家に一枚祝詞CDと祝詞本があり、誰もが祝詞を聴き、祝詞奏上を励行して、ストレスに負けず、心を病むことなく、明るくて強い心を持った芯が強く人の心の痛みがわかる、思いやりのなるやさしい人が数多く増えることを望んでいます。

以上あたしは体験から、人々によい影響を与える、霊能力、超能力は特にそんな難しいものではなく、だれにでも訓練しだいで備わるものだと実感できました。また、そしてその力はそんなに大それたものなどではなく、気軽に使っていけるものです。

祝詞CDを流すことは、あたしがその現場まで出張して、ご祈祷しているのと同じことだと思ってくださって結構です。
遠隔地祈祷も否定はしませんが、ご祈祷は現場で臨んだほうがよりパワーがこもります。
その点、祝詞CDはすぐれたアイテムだと言えることでしょう。
実際に治療の一環として祝詞CDをお使いの、精神科医、霊感治療師、セラピスト、ヒーラーなどの職種の方からも絶賛をいただいております。

また、最近ではとても気を使う接客業の人の心のケアーにも一役買っています。

以上あたしは、一心不乱に祈ることによって、霊感力、超能力を身につけることができたことは紛れも無い事実だと信じています。

でも、それほど偉大な力でもありません。
それほど大それた力でもありません。
真心込めて一心不乱にお祈りすれば誰にでも身につきます。

その身についた力によって多くの人を救うことができるのです。
この力は、大神様から授かったお力だとも言えます。

しかし、一番大切なものは、人をいつわったり、たばかったりしない、正直な心と必ずこの世の穢れをお清めしてくださいと言う真心がなければいけません。

5事隠士:2008/07/20(日) 04:18:39
津多姫さま私め祝詞CD欲しくなりました。
ザビビの事隠士
ではでは

6ザビビの事隠士:2008/07/20(日) 14:33:18
私めも女装して出歩いてます。

ではでは

7津多姫:2008/07/20(日) 22:10:41
女装ですか?
男装であれ、女装であれ、なぜいちいちこだわるのでしょうか?
男性がメンズを着るのは一応の常識、社会通念でしょう。
女性がウイミンズを着るのはしかりでしょう。
しかし、男性でもすべてのメンズが似合うわけではありません。
女性もすべてのウイミンズが似合うわけではありません。
しかし、女性でもメンズが似合う人もいれば、男性でありながら、
ウイミンズが似合う人もいるのです。
男性が男装しても結構です。
女性が女装するのはしごく当然です。
でもいくら社会通念上まかり通るとは言え、同性装をしても似合わないものは似合わないのです。
感性的にきもく感じてしまいます。
異性装は個人のご判断でおやりになって結構ですが、
第三者から違和感を感じられたり、ご自身も無理があるとお感じになられたら、
直ちにやめてください。
男性ファッションであれ、女性ファッションであれ、
着ている本人に似合っている、違和感を感じさせないファッションであるべきです。
以上厳しいようですが申し渡しておきます。

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