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Awake (月輪長編)
1月輪ネタ書いた人:2007/01/16(火) 22:58:05
ではお言葉に甘えて単独スレを立てさせていただきます。
萌えがっ、萌えが止まらねぇえー! のっけからこんな調子で大丈夫なんかいと、自分を自分で宥めつつ……作品の傾向を……
・ ストーリーラインはゲーム本編をなぞる形で進行
・ イメージとしてはGBAパッケージの艶っぽい作画
・ 前半ネイサン→ヒュー 後半ネイサン×ヒュー
・ カーミラたん大活躍。原作「女吸血鬼カーミラ」(レ・ファニュ著)の設定が入っている(少女に対する同性愛癖など)のでもちろん男女間のエチーは無し
・ エチーは未遂ならあり
・ 前の討伐の話が出てくる(ネイサンの両親が命を落とした後の話)
・ 姓名は英語圏だが国教会管下のイギリス・アメリカ両国で偶像崇拝禁止を敷いていた1830年前後に、神話偶像があるDSSを使用していることからカトリック教徒とし、DSSカードの「ブラックドック」の伝承があるイギリス国内の人間にした。(アメリカのほうがイギリスより偶像崇拝に関しては厳しいし)
・ 史実を踏まえてやっている所がちらほら。
・ ネイサンが最初は頼りない、でも全編通してピュアっ子
・ ヒューがネイサンに突っ掛るのにはそれなりに正当な理由があるから。だけど本当は頼りがいのあるお兄さんだったりする。
・ ドラキュラ討伐にベルモンド一族でなく、何故彼らだったのかというのを捏造している(ベルモンドとは書いてはいないけれど)
捏造上等だゴルァな勢いでやらせていただきます。ではドゾー

2Awake 1話(1/13):2007/01/16(火) 23:00:17
――1830年初秋。
ワラキアのとある湖畔に佇む修道院が、牢獄として利用される事となった。
 その際、修道院として残したのは礼拝堂のみにしたので、それ以外の場所に
あった貴重な品や宝飾品は接収者であるロシア軍によって略奪に遭った。
 管理者がそのような態であったから、近隣住民に至っては、残り物の略奪目当てに参拝やら囚人に面会するといった、人倫にもとる行為を平気で犯す者が後を絶たたず、それによって邪悪な者の侵入を許す条件を整えてしまったといえる。
 それから幾日も経たない満月の夜、若い修道士が何かの気配と物音に気づき、
確認のために外へ出ると、黒い人影が彼の側を通ったので追い駆けた。
 それは礼拝堂の周辺で振り向きざま突然彼に抱き付くと、急な出来事に狼狽している彼を尻目に首筋を舌で舐めつつ甘噛みをし始め、ついに牙で首筋の皮を突き破り、血を貪るように啜った。
 彼は抵抗したが月光がそれを照らした瞬間、黒いフードを被った上品でなおかつ、堕落を悪徳と感じさせない程の妖艶さを湛える女の姿が現れた。
 そして、仄かに麝香の匂いたつ、流れるような栗色の髪をした女の与える痛みと快楽の狭間に、涎を垂らしながら堕ちてしまったのである。
 女は吸血を終えた後、まだ血の匂いが残る彼の首筋を舐めながら、
「貴方は今から私のしもべ、僕よ、私をウラド・ツェペシュの眠る地下墓地に案内せよ」

3Awake 1話(2/13):2007/01/16(火) 23:01:15
眷属になった修道士に命じると、彼は魔除けの呪符を取り除きながら、女を目的の場所まで案内した。
「おお、ドラキュラ候。只今貴方を私の居城へとお連れいたします……
“血の盟約によって封じられし函(はこ)よ、眠りし者の眷属たる我の力に因り、今一度の開放を切に願わん”……」
 女が詠唱すると墓石は浮かび上がった。そして骨を回収した後、彼女は手にした骨を壊れない程度に抱き締めて、少しの間恍惚とした表情を浮かべながら微笑んだ。
「候よ、初めはネクロマンサー様とデス様に復活のための準備を取り仕切って頂き、私は復活の儀式の間、斎戒と生贄の探索を致します。それまで、暫しのお待ちを」
 やがて背後から「カルンスタイン伯爵夫人」と空虚な低い声が聞こえたので、女は声の方へ振り向きながら妖艶な微笑を消し、不快な表情で背後の者をねめつけた。
「ネクロマンサー様、私はその名を捨てました。もし呼ぶのであれば“カーミラ”とお呼び下さい」
 その瞬間、混沌の主を迎え入れるかのように大量の蝙蝠の群れが、一点の曇りも無い満月に向かって羽の音をバサバサとたてながら飛び立った。

――さぁ、恐怖と混沌の祝宴を始めましょうか……

 カーミラはそう呟くと、石のように固まっている修道士を残し、ネクロマンサーと共に
紫煙の霧となって消えた。

4Awake 1話(3/13):2007/01/16(火) 23:01:58
それから二ヶ月経った、1830年冬――オーストリア郊外のある古城前の森の茂みにて、三人の男が古城を見つめていた。
 一人は古城を暗く不安な面差しで瞼に焼き付けるかのように見つめ、ある者は人々の害を取り除く使命を果たすため、重々しい空気と瘴気に似た霧が纏わり付いている古城を決意のまなざしで睨みつけ、そして、力の誇示によって己の名声と信頼を勝ち得ようとする、穢れた目的を持った者と、三者三様の態をなして時を待っていた。
 その日はザァッという音と共に、周りの枯れ木や落ち葉が舞い上がるくらいに冬の冷たい風が吹き荒ぶ、とかく寒い夜だった。
 すると、冷たい風で気合を入れるつもりか、不安な眼差しをその城に向けていた一人が、外套として羽織っていた厚手の茶色い布を、元々身に着けていた二本のベルトに互い違いに巻付けて、スリットの入ったスカートのようにした。
 そして、彼は引き締まった容姿を確りとした表情にし、
「師匠、やっとここまで来ましたね……」
 とグレーブルーの眸を遠い眼差しで見開く灰銀の髪の青年――
ネイサン・グレーブスはボソボソと暗い声色で、隣にいる初老の男性に向かって話しかけると、
「あぁ、お前や儂の敵をまた討つ事になったな」
 師匠と呼ばれた初老の男性――モーリス・ボールドウィンは静かに答え、その古城を苦々しく見つめた。
 その二人の後ろに、ネイサンの兄弟子であり、モーリスの実子、ヒュー・ボールドウィンが漆黒の長髪を冷たい冬の風になびかせながら、無言で何かを思案するような恰好で腕を組み、大きいモミの木を背にしてもたれ掛っている。
 
 初冬の月夜に、粘りつく血の臭いが蔓延し、禍々しい雰囲気を倦み出している古城に、三人のヴァンパイアハンターがそれぞれの思いを胸に闇を狩ろうとしていた――

5Awake 1話(4/13):2007/01/16(火) 23:02:34
その城は月の輪に照らされながら不吉な影を落していた。
――完全な月輪は凶事の証。
 ヨーロッパ世界では、満月はロマンティックな眺めだけではない。忌避すべき光景でもある。吸血、淫蕩、嫉妬、傲慢……これらの事象を誘発させる力を持っているとされるからだ。
 ネイサンは、後ろでその城を暗い希望に燃える目を輝かせながら、微かに笑い見据えている青年の様子を哀しい眼差しで盗み見た。
――そんなに凶事を捻じ伏せることに悦びを感じるか……ヒュー……。
 月明かりに映るその顔は、凛とした孤高の様相を呈する端正な容姿で、野望に心を委ね、酔い痴れている表情は凄みを増した色気さえも放っており、その様態にネイサンは心が疼くと、咄嗟に自分の胸当てに拳を強く当て、苦渋に満ちた表情で目を瞑った。
――俺には……その感情が全く解からない。俺に、全てとは言わない。ただ、お前の苦しみを分ち合いたいだけだ。なにか言ってくれ、頼む、恨み言でも良い。俺は全てを受け入れる覚悟でいる……
「……サン。ネイサン。時刻を合わせろ」
 師匠のモーリスが懐中時計を手に、ダンピールでないヴァンパイアハンターに悪魔や吸血鬼が見えてくる時刻を告げると、ネイサンは歯を食い縛り、気を引き締めて両親を殺した古城の主、真祖ドラキュラを倒す決意を固めるため、そして己の脆弱な恐怖に打ち勝つため、束にして持っていた聖鞭を力強く握り締めた。
「いくぞ!」
 モーリスは、若い弟子を大声で鼓舞した後、月輪に向かって獣のように咆哮した。

6Awake 1話(5/13):2007/01/16(火) 23:03:07
三人は城門に入ると、早速この世の者でない炎の鎧を纏った悪魔に出会った。
 しかし、そんなものを相手にしている暇は無いので突っ切り、ドラキュラがいるとされる儀式の間に通じる凱旋通路も魔物を無視して抜けようとしたが、無限に発生するゾンビの群れが通路を占領していたため、躱わし切れないと判断してやむなく撃破する事にした。
 迫り来る無数の不死者に、モーリスは教会で聖別した上に追尾機能を呪付したダガーを飛び道具として駆使し、ゾンビに打撃を与えていた。すると、その刺し口から聖なる白い魔方陣が発現し、炎に包まれた不死者は塵に還した。
 そして、ヒューは教会で聖別されたバスタード・ソードで見事に、一寸の狂いも無くゾンビの核――脳天を素早く刺し貫き消失させていた。
「これじゃ、儀式の間まで辿り着けない!」
 それに対し、ネイサンは無限に発生するゾンビを聖鞭で振り回して凌いでいたが、有効打にはならず余計群がってきた。そう、弱い生き物から取り込む魔物の習性に狙われたのだ。
 彼は継承された聖鞭を自らが使いこなせない事に焦りを感じた上、ゾンビに囲まれた恐怖で、目の前のゾンビやウィルオウィスプを捌き切れなくなり、たちまち体が硬直して体中に鳥肌が立った。幾度となく吸血鬼退治に従事して来たが、常に恐怖を感じて背中に冷えた汗を際限なく流しつつ、己の技量のなさに軽い失望を覚えながら事に当たるのは毎度のことだ。
――何度体験しても馴れる事の無い恐怖。ヒューみたいに死と恐怖を征服することで力を確認するなんて……! 俺には出来ない!! 
すると、そのゾンビの群れの真横が一閃の光と風が突き抜けると共に、腐肉が辺り一面に飛び散った。
「ありがとう、助かったよヒュー」
 ネイサンは、床を濡らしている夥しい腐汁を避け、腐肉が原形をとどめないほど
切り裂かれたゾンビの死体を飛び越えながら走りつつ、改めて一撃で不死者を屠った彼の剣技の見事さに舌を巻くと、先ほどの恐怖に満ちた顔付きから感嘆した表情になった。
だがヒューは、当然だ。しっかりしろと言わんばかりに走りながらネイサンを憮然とした態度で一瞥してから、目指すべき儀式の間へと視線を向けた。

7Awake 1話(6/13):2007/01/16(火) 23:04:00
やがて儀式の間と思われる広い空間が見えてきた。
 そこでは、赤いレザーボンテージの上に、桃色のペチコートを表のスカートとして着用している、言わば高級娼婦の様ないでたちをした妖花の如き美貌の女が、普通の人間が使用するには大きすぎる黒い棺桶を、術であろう、直立させて その周りに……死者復活の魔法陣を黒い文字で、いや、生贄の血液だ!
血液で呪詛を構築している! 女は愛しそうにその棺桶を見つめ、
「我は求める。すべての苦しみ、邪悪を支配するものを!」 
 と、復活のための最終詠唱を行なった。
――しまった!呪詛は完成してしまっていたか!!
 三人は復活の儀式を止めんとするかのように、更に広間に向かって走り続けた。
 しかし、その詠唱が終わるや否や城全体が地響きを起して棺桶が光り出し、その光が収束すると同時に棺桶が粉々に砕け中から、とても人とは思えない血色の無い、大柄で古めかしい装いの貴族と思しき男が現れた。

「待っていたぞ、この時を…。すばらしい…。大いなる闇の光、月光が我が体内をよぎるのを感じる」
 
男は地獄の底から聞こえて来る様な低い忌まわしい声を、復活の儀を執り行った女に向かって威厳のある顔で発した。女は歓喜に満ち溢れた満面の笑みで両手を広げ あぁ……と甘い声で感嘆を漏らし、思うままに言葉を繰り出した。
「おお、魔王ドラキュラ候よ。お目にかかれて至極恐悦に存じます」

8Awake 1話(7/13):2007/01/16(火) 23:07:37
「うむ…。だが、まだ力が完全ではない…」
 女は近づきつつある滾る肉の匂いを嗅ぎ取り、血の味を確かめるかの様に薄笑いする唇を赤い舌でなめずりながら、ねぶるような野卑た眼差しでその方向を見つめ、生贄を肉眼で捉えると、魔性の者が持つ紅玉のような赤い瞳を輝かせ、嬉々とした表情になった。
「すぐさま、お力を取り戻す儀式の準備を…」
 とその続きを言いかけた所で……
「待て! 貴様を世に放つ訳にはいかぬ!」
 ようやく儀式の間に辿り着いたモーリスは魔性の二人に、巌のような顔を更に厳しくして、これでもかと言わんばかりに威圧的な表情で睨みつけた。
 ドラキュラはいかつい顔をした人間を見下ろし、少々無表情で逡巡したあと、激しい不快感と怒りが込み上げて来たが、女――カーミラと同じく生贄の対象として認識すると、ほとばしる怒りは押さえ込まれ楽しみを得た気分となり、だが冷徹な表情で眼前の老夫を確認するかの様に呟いた。
「貴様…。覚えているぞ…。我を封印したバンパイアキラーの片割れだな…」
 そして、唇を歪ませて少々屈辱的な単語を冷たく放った。
「…老いたな」
 挑発されたとは思ったがモーリスは意に介さず、ただ義務的に、だが先ほどの姿勢と口調を崩さずに言い返した。
「貴様を眠らせておくのが我らが使命」
 その言葉を聞いて、ドラキュラは見下した様子でククク……と漏らして、思案した。

9Awake 1話(7/13):2007/01/16(火) 23:09:14
無力な人間如きが猪口才な――分を知れ。明らかに衰えておろうに……馬鹿が。
やはり、生贄にするか。
「面白い。宿敵である貴様の生命をもって我が不完全な力を補おうぞ」
 ドラキュラの眼球と左手が、カッ、と強い光を発現した。そして、モーリスの後ろにいる二人の青年の位置を確認して怒号をあげた。
「ガキどもは要らぬわ!」
その瞬間、彼は眷属の蝙蝠を解き放ち、その床を崩壊させた。
「ヒュー! ネイサン!」
咄嗟の出来事に精神の張りを一瞬失ってしまったモーリスは、落盤した方向に振り向くと大声で二人の名を叫んだ。
刹那――カーミラが手をかざし、紫煙の玉でモーリスの背後を攻撃した。それに気付いた彼が攻撃を避けようとして体を捻って反り返えしたが、足が縺れて体の重心が狂い、よろけたのを見逃さなかったドラキュラが無数の蝙蝠を放ちモーリスにその群れを接触させると、壁に叩きつけられたモーリスは背中を激しく打ち据えた。
そして痛みで意識が遠退くと共に体の筋肉がだらしなく弛緩し、やがて床に崩れ落ちた。
「師匠!!」
「親父!!」
二人は奈落へ落ち行く中、モーリスの安否を確認するかのように手を天上に伸ばしながら、彼の名をそれぞれの言い方で何度も大きく呼び掛けて、やがて、聞こえなくなった。

10Awake 1話(9/13):2007/01/16(火) 23:11:18
ドラキュラは後ろに控えている下僕に褒美を与えるつもりで、青年二人を奈落へ、正確には「地下墓地」に落としたのだ。
「カーミラ、我を復活させた礼としてあの二人をやろう。痛め付けた後にでも血を存分に貪るか、拘束して肉を犯し尽くすでも良い。どちらでも構わん。バンパイアキラーなら普通の男よりは楽しめるだろう……」
「有り難き幸せでございます、候よ。では、生贄を奥へ運んで参ります」
ドラキュラは無表情で首だけをカーミラの方へ向け、じっ、と何気なく見遣ると、カーミラはペチコートを両手で軽く抓み広げてから、ふわりとした緩慢な動作で畏まってドラキュラの前面に跪くと、生前に貴族であった彼女の臈たけた微笑をもって、感極まったかのようにドラキュラに謝辞を述べた。
もっとも、吸血するのはともかくとして少女にしか興味の無いカーミラは、たとえ女のような容姿をした男であっても、本気で戯れる気などさらさら無かったが。
しかし生涯にわたって独りの異性を愛し、なおかつ同性愛を毛嫌いしている闇の帝王の機嫌を損ねるのは、自分の存在にとっても己の目的「世界の混沌」のためにも得策ではないと考えると、それを悟られる事も恐れ、あえて己の節を枉げた。
彼女は気を取り直して召喚の文言を詠唱した。そして何もない空間に脈打った丸い波紋が発生し、そこから捩れた白い紐が発現しながら巨大な頭蓋骨の形を造り上げていくと、自身は全身を赤黒いおどろおどろしい色に染め、サキュバスのような蝙蝠の羽を背中から生やした真の姿に変化した。

11Awake 1話(10/13):2007/01/16(火) 23:12:01
それから、頭蓋骨にモーリスを乗せて儀式の間の奥へ運び、術で生贄を縛り付ける石柱に呪付した紐で、彼をがんじがらめに拘束しているあいだ、ドラキュラは儀式の間に通ずる扉に封印を施した。
彼は準備を済ませると儀式の間に現れて、青白く死蝋のようなカサカサとした手から、黄金色の物体を出現させるとカーミラにゆっくり手渡した。
「カーミラよ、念のため鍵も同時に精製しておいた。この扉はその鍵が無ければ、何人たりとも、如何な術を用いたとしても解除出来ぬ様にしてある。受け取れ」
「お預かりいたします。それでは私も魔力を付与する儀式をお手伝いいたします」
「いや、よい。お前は我のために時間を稼げ。もしやとは思うが、万が一、ガキどもがデスやネクロマンサーを撃破した場合、兎に角この部屋に来るのを阻止せよ」
「御意」 
ドラキュラは怪しく、おぞましい姿の下僕を、手駒の様に扱う事に何のためらいも見せず、淡々と指示すると、彼女はそのような処遇を是としながらも魔である身分とは裏腹に、どこか心寂しい感情を己の中に見出してしまって、戸惑い、目の前の主を辛い表情で仰いだ。
――己の意思では復活できぬ闇を統べる魔王。その心は計り知れぬが少なくとも復活した以上は、私の意志を汲み取ってもらうためにも、迂闊なことをしてこの主の力を私に向けさせないよう気をつけねば……
 カーミラはドラキュラを安易に利用しようとした己の甘さを戒めた。

12Awake 1話(10/13):2007/01/16(火) 23:13:29
――「……」
「……っ」
 奈落へ落とされた二人は、吹き抜けのような所の平らな岩盤に辿り着き、辛うじて助かった。
 ネイサンは足を挫いたが、ヒューは無傷の様だ。だが、もしかしたら我慢しているかも知れないと思ったネイサンは、自分の事よりヒューのことを心配して声をかけた。
「…どうやら怪我は無い様だ。ヒュー、大丈夫か?」
「ああ。くっ、無様だな。俺もお前も」
 とそれに対し、その配慮を無下にするかのように口角を歪ませ、自嘲気味にヒューは数日振りにネイサンと口を利いた。ネイサンは、やっと声が聞けたと思ったら、憎まれ口でも嬉しく思い、にこやかに軽く微笑んだが、ヒューはそれを見て端整な顔を不機嫌な表情に変え、不審の念を表わすかのようにネイサンから背けた。
――お前に、俺の気持が解って堪るか。力の無い者がその聖鞭を持つことで真の力が発揮できると思うのか? ふざけやがって……この状況で笑えるなぞ言語道断だと言うに。親父はこんな奴に聖鞭を渡して、どうかしている! 
 ヒューは、心に余裕を無くしている上、キリスト者としての本分を違えるような思想と言動を取るようになっていた。
――傲慢、嫉妬、憤怒、強欲。七つの大罪の内、魔を討伐するには罪を犯しすぎている。
このままでは逆に魔に取り込まれると言うのに、モーリスは何を思い彼をこの暴欲の蠢く城へ連れて来たのだろうか。

13Awake 1話(12/13):2007/01/16(火) 23:14:32
ネイサンは、何か否定的な含みを自分に対して向けているなとは気づいた。しかし、今はいちいち言動を気にしている場合ではないので、モーリスの救出を最優先にした態勢の立て直しをヒューに告げた。
「早く、師匠を助けに行かないと」
 すると、お前に謂われなくても解っている、と言った風情でヒューは眉根を寄せネイサンを睨みつけた。

「俺が行く。俺の親父だ、俺が助ける。ネイサン、お前は城から出ろ。手出しするな」
 
と同時に彼は、ネイサンが足を挫き、それを気にしないかのように自分に対して、慈しむような態度を取り、なおかつ父親の安否を自分より真っ先に考えた科白を吐いたことに、彼より優位に立ちたいと思う感情が、軽い嫉妬と苛立ちを湧き立たせた。
そして、ヒューは己が嫉妬している事に気付くと、居た堪れなさと恥ずかしさで、呆気に取られているネイサンを置いて走り去っていった。
――お前の様子を見ていないと思ったか? 怪我をしているのならさっさと城から出ろ。足手纏いだ。いつも他人の顔色ばかりを窺って。だから、余計腹が立つ!!
 残されたネイサンはヒューが去った後を寂しく見つめながら、ヒューの苛立った表情と恩義ある師匠の安否を考えて、一人残された己の状況に不安を感じた。
そして、やるせない気持を表わすかのように、爪で掌が切れるぐらい拳に力を入れ、直立した姿勢で悲愁の表情を天に向けると声高に叫んだ。

「俺だって、師匠を助けたい気持は誰にも負けちゃいない!」

14Awake 1話(13/13):2007/01/16(火) 23:15:32
そうだ、師匠とお前は実の親子だ。だけど俺はお前以上に師匠に養育された事に感謝と、誇りを持っている。親友の子供とはいえ貴族でも金持ちでもない師匠が、普通の連中みたいに人買いに売り飛ばさなかっただけでも僥倖と感じているんだ! その上、独り立ちできるように教育を与えてくれた事も、死んだ両親より感謝するのは当然だろう!
 
大分、痛みは引いた様だ。ネイサンはヒューが去った方向を目指し、ゆっくりではあるが、障害となる魔物を撃破しながら進んでいった。
 大体お前は最近危うい。だから余計に心配じゃないか! それに……正式なハンターの継承を受けたからといって、俺一人でこの魔城を駆けられると考えるほど、自信なんてない。
真祖ドラキュラを倒すなんてとても……前も俺の両親と師匠の三人で討伐するのに、生き残ったのは師匠だけというのがそれを証明しているじゃないか……
それに今は自分達が城内の何処にいるのか分からない。
儀式の間へ行こうにも、とても落ちた場所からは這い上がる事が出来ないし、他のルートから探索しようにも、生き残った地元のハンター達から聞いた情報を元に作成した城内図は、城門から一直線に位置する儀式の間までの物しかない。
だから二人でルートを開拓しないといけない状況なのに、一体お前はなにを考えてるんだ!
ヴァチカンでの事がお前の思慮を失わせたのか……?
 ネイサンは一週間前の出来事を思い返した。

15Awake 2話(1/13):2007/01/23(火) 14:18:43
――最近、早すぎる埋葬の件数が多くなっている気がする……
――あら、ペストの蔓延が凄いから。嫌ぁねぇ。ここ最近死者の数が多すぎて、吸血鬼
でも出るんじゃないの……? ま、この科学の発展している時代にそんな物出て来る訳
無いんだけどね。

巷の噂とはいつの世も口さがないものと相場は決まっているが、今回ばかりは楽観して
いられない。

 実際に自分の村でも通常の祈祷が効かない、二週間前に埋葬した遺体が歩き出し聖水を
振り掛けたら焼け爛れ、そのまま朽ちた者。
 そういった事例が多発したために村にある聖水や聖餅の数が少なくなり、村の教会の依頼
で効力が高いとされるヴァチカンの聖具を求め、教皇領ヴァチカンに滞在している三人の
ヴァンパイアハンター一行はそう感じていた。
 一行はクリスマス前の巡礼でごった返しているヴァチカン郊外のカフェテラスの一角で、
人々を観察しながらこれまで辿った旅路の感慨に耽っていた。
 と言っても故郷スコットランドから半月の強行軍で疲れていたせいか耽ると言うより、と
つとつと無駄話を繰っていただけだが。
 一口にヴァンパイアハンターと言っても、専業で行えるのは伝統的職業として認知され
ているギリシアとルーマニアの一部地域ぐらいで、それ以外の土地では何がしかの副業で
生計を立てている者が多い。
 このスコットランドから来た一行は故郷で観光客の護衛と道案内を副業としている。
 したがって、フランスを横断する際も、鉄道が敷設されていない場所からは、旅費と
乗合馬車乗車の権利獲得を兼ねて、護衛を引き受けながらヒッチハイクのような事をし
ていた。

16Awake 2話(2/13):2007/01/23(火) 14:21:58
 スコットランドと言えば、ヨーロッパ最強の傭兵集団を輩出するスイスと双璧を飾る
ハイランド兵の産地であるから、平民である彼らでも旅行中は各地の宿屋で護衛の依頼
が引っ切り無しに舞い込み、金銭に困る事無く旅路を行く事が出来たのである。
 そして、このカフェバーでダラダラと時間を潰しているのは、数少ない本国出身のエ
クソシストであるヴァチカン在住司祭に出発前、手紙を出して面会の約束を取り付け、
返答の書簡で司祭の使者をこの店で待つようにあったからだ。
 聖別物は直接取りに来るのがこの時代では当たり前である。それに大量に注文したた
め、実際に用意できているかは分からない。
「うぅ……ん」 
 初めは糊付けされていたであろうシャツと茶色いジャケット、緑のリボンタイをグシ
ャグシャにするほど、寝相を悪くしてテーブルにうつぶしていたネイサンが、度々耳に入る
噂話で起きると、目をこすりながら眠気が残る顔を上げて物憂げな表情でモーリスを見た。
「師匠、イングランドはおろかフランス、ここヴァチカンでも同じ様な例が多発してい
ますね」
 モーリスは、聖書を読む手を止め、禿げ上がった頭を節くれ立った太い手で撫でながら、
気晴らしのつもりで自分が着ているオリーブ色のコートを綺麗に直しつつ答えた。
「起きたか。うむ、護衛を申し付けても通常ならば訝しがって断る旅客もいるが、皆今
回は我先に護衛を付けようと躍起になっておったな」
「この前もフランスで7月に革命があったばかりだ、人々が現世に不安を感じるのは当
然だろう」
 明朗で人を喰った様な声がした方向を見ると、カーキ色の小鹿の手袋をはめた手でシ
ルクハットを取り、それをテーブルにそっと置くヒューの姿があった。
 だが、どんなに厳とした立ち姿でも連日の疲れからか、目の下に隈が出来ている。
「ヒューか、何処に行っていた?」
「母国語が通じる宿屋にチェックインしてきた。大体、スコットランドやイングランド
の教会で聖別した聖水で事足りるのに、プロテスタント教区の者が国教会での聖別物
は効かず、俺達の村にあるヴァチカンの聖水と聖餅が効いたと言うから与えたはいいが、
いつもストックを確認しないから、急に入り用になったとき困るのだ……早く知り合い
の司祭に貰って帰るぞ」

17Awake 2話(3/13):2007/01/23(火) 14:25:52
ヒューは、自分も疲労困憊なのに、弱みを見せないと言わんばかりに強がって言うと、険
の強い顔をさらに歪ませ、時代にそぐわない長髪を掻き揚げて二人を見た。
そう言えば、自分達が持ってきた荷物が必要最低限のものしかここに無い。
 ヒューは昔から誰にも頼らず物事を進める傾向がある。
 ネイサンはそんなに疲れた顔をしているのなら、痩せ我慢せずに起して手伝わせてくれて
も良いのに……そんなに俺が頼りにならないか?と思って、少しむくれたが、ヒューの
ほうは自分がある程度さっさと済ませて落ち着きたい、と考えていただけである。
 ネイサンが物思いに耽っている間、モーリスとヒューは会話を続けていた。
「ろう。……そうは言ってもな、これに似た前兆を儂は思い出して、少し逡巡していたのだ」
「真祖、ドラキュラか」

――真祖ドラキュラ。
ネイサンは少々背筋に寒気を覚え、生唾を飲み込んだ。そして目はテーブルに凝視して丸く
なり、表情を強張らせた。それを見たヒューは彼の正面を向いて、
「ネイサン、まさかヴァンパイアハンターとあろう者が、真祖の名を聞いただけで怖気付い
たのではあるまい?」
と軽口を叩きつつ微かに笑いながら彼の頭を小突くと、ネイサンは少々ムッとした。
「うるさい。兄弟子だからって言って良い事と悪い事があるだろう。やはり俺が聖鞭を継承した事
が気に入らないのか?」
「お前がどう取ろうと知った事ではない。俺は、お前の様子を見て感じたままを述べただけだ。
もう、そんな問い掛けをするな!」
 ヒューはムッとし悲痛な面持ちでテーブルを拳で叩き、それから怒りをあらわにして踵を返すと、
給仕にコーヒーを頼むためカウンターの方へ向かった。
 ネイサンはヒューの矜持から来る不満の残る表情を一瞬見た。
彼は口にこそ出さないが、道中も含め暗にその様な表情を出すのでその度に苛立ち、徐々にもど
かしくなってつい、愚問をぶつけてしまった。そしていっそう惨めな気分に陥った。

18Awake 2話(4/13):2007/01/23(火) 14:29:11
 ネイサンはこのやりとりを周りに聞かれていないか心配で、キョロキョロと様子を
見たが、巡礼者で満杯のテラスは騒がしく、カトリック信徒のみならずグラン
ドツアー中のプロテスタントの子息令嬢も混じって、ギュウギュウ詰めの店内
でコーヒーの匂いとタバコの煙を立たせながら、コーヒーカップを片手に議論
し合ったり、恋の駆け引きを見苦しいくらい大声で掻き立てていたから、彼ら
の問答はその状況にただただ呑まれていたに過ぎない。
 彼は恥ずかしさのあまり、頭を抱えてテーブルにうつ伏した。
 やり取りを静観していたモーリスはネイサンと、カウンターにいるヒューを無言で見た
後ため息を漏らし、再び聖書を読み始めた。
――どうして、本音を言ってくれない? お前にとって俺は何だ? 親友ではないのか。
それとも……?
 兄弟ではないといえ、十年同じ家で寝食を共にした仲だ、ちょっとした事で
も解かり合えると自負していたが、俺がハンターの称号を受け継いだ時からあ
いつは、俺に対して突き放した様な態度をとった。
 知識でも武術でもヒューは常に俺や、他の家系のハンター、国教会一般信徒の
エクソシスト達にも追随を許さない実力を示してきた。
 それに、能力が上だからと言っても決して見下した態度は取らず、いつも親
のいない俺を気に掛けて、本当の兄弟のように接する度量の広い人間だった。
 だからこそ、オーストリアで真祖ドラキュラを倒した師匠、モーリス・ボールドウィンの後
継者として当然の位置にいたのに、何故か俺がヴァンパイアハンターの聖鞭
“ハンターのムチ”と、後継者の称号を継承する事になったからだ。
 ヒューはいつも俺にとって師匠と同じく超える事の出来ない光のような存在だ。
 そして、子供の頃から男の身でありながら情愛を抱いた相手だ。
 と言っても、決して許されず、永遠に報われない想いだが。
 この想いを秘めながら気付かれないように、敬愛する親友であり、兄弟子で
もあるあいつを支えて行く――その関係は永遠に続くものだと、ずっと思って
いた。
 しかし、あいつは変わってしまった。
 人間、状況が一変すると、対処の方法を見誤れば歯車が狂ったように空回り
するらしい。

19Awake 2話(5/13):2007/01/23(火) 14:33:08
 俺がハンターの称号を受け継いだ次の日から、俺より早く起きるのに、就寝
は俺より早い事が無くなった。
起きている間は基本的なトレーニングをしている以外は書斎にこもって、思想
書などを読み漁っているようだった。
 そして、快活だったあいつの表情が段々険の強いものになって行き、常に寝
不足でその精神を表わすかのように気分屋になった。俺や師匠に直接何も言う
事は無かったが、それでも狂気に満ちた表情と目付きをすることが度々あり、
逆に俺達の不信を買っている。
 師匠であるモーリスが、実力のある実子のヒューより修行中一度も彼を負かしたこと
のない俺を後継者に選んだ事で、俺に何を望んでいるのかは判らない。
 確実に判るのは、嗣業における嗣子継承を拒否されたヒューが、嗣子としてのプ
ライドをズタズタにされながらも誰にも胸の内を明かさず、自分自身とその他
の要因を狂ったように探求し始めた姿が、今にも壊れて跡形も無くなりそうな
くらい痛ましい事だ。
 そう思うと継承権を放棄すべきかと考えてしまうが、それは一番してはなら
ない行為だ。
 それは両親が真祖ドラキュラに殺されて、孤児となった俺を育ててくれた師匠の
意思を無駄にする事だし、なによりも自尊心が高いヒューに対して過分な憐れみ
を懸けて、余計あいつの立場と感情を惨めにするものだ。
 だから俺は与えられた運命を、まっとうする事だけに全力を注ぐつもりでい
る。
 例え、俺に対してあからさまにヒューが敵愾心を剥き出しても後悔はしない。
そう、これはあいつに対する恋情とは別問題だ。決して譲ったりしない。
 継承した聖鞭を使い、微力ながらも人々のために尽力する事が、今の俺に出
来る最大の使命だから。
 ネイサンは長い回顧と決意に気を取り直してから、目の前の冷えたコーヒーを一
気飲みし、
――旨いが、ほろ苦い……だが、清濁合わせて生きる事はこの様な物なんだろう。
と眉間に皺を寄せ、飲み干したコーヒーカップの底を虚ろに見ながらそう思った。
すると、

20Awake 2話(6/13):2007/01/23(火) 14:35:18
――バルヴィーノ(ボールドウィン)さん!
――マウリッヅオ(モーリス)・バルヴィーノさんとその一行の方々はいらっしゃ
いますか!?
 カフェテラスにイタリア語で叫ぶ甲高い少年の声が響いた。
三人は少年、いや見習い修士のいでたちをした、ヴァチカンからの使者の姿を
確認し、
「ここだ!!」
とイタリア語で身振り手振りしながら大声で叫んだ。
見習いはホッとした表情で、自分の胸の辺りに手を添えながらモーリスに柔らかな
眼差しを向けた。
「よかったぁ、イタリア語が通じない方々ならどうしようかと思いました。僕
、英語が話せないから……」 
「して、司祭は用意なさったのかな?」
 カフェテラスは、相変わらず満席で騒がしく大声で話さないと聴こえないほ
どだが、モーリスは用心深く周りを見回すと、小声で本題を切り出した。
「はい、ですが、もっと大事な用があるとかで直接、教皇庁の司祭の個室にお
越し下さるように申し付かって参りました。外に馬車を待たせてありますので
、お急ぎ下さい」
 通常、司祭は自室に外部の者をみだりに招いたりはしない。したがって、緊急
事態だと察した三人は言い様の無い不安を覚えて固唾を呑んだ。

 教皇庁に着くと、スイス衛兵が訝しそうに三人を見た。それもそうだろう、
一般信徒が教皇庁に訊ねて来る事などあまりないからだ。
しかし見習いが司祭の名前を出すと、
「モーリッツ・バルドゥイーン(モーリス・ボールドウィン)とその子息フーゴー(ヒュー)。
並びにナータン・グラフェス(ネイサン・グレーブス)等三名の通行を許可する」
 スイス衛兵は見習いのラテン語を聞いた後に、彼らの共通言語であるドイツ
語で入庁の許可を出した。
「いいですか? お判りでしょうが僕の師匠である司祭と、貴方がたが同国人
でも、ここからはラテン語以外の言語で会話する事は禁止されております。く
れぐれもご注意を」
 見習いは歩きながら、あどけない表情をした顔の近くで念を押すように、人
差し指を左右に振ると、こましゃくれた科白を言った。
 そして司祭の個室まで来ると彼は扉をノックし来訪者の到着を告げ、司祭の
許可が下りると扉を開けてから、三人が中に入るまでドアノブを持ったまま待
機した後、扉を閉めてもと来た道をしずしずと戻っていった。

21Awake 2話(7/13):2007/01/23(火) 14:37:22
 その部屋には書類と封蝋を開封した手紙がいくつか投げ出して置いてある、
事務用と思われる司祭の机の前に、質素な造りでありながら、よく磨かれた高
品質のマホガニーの椅子とサイドテーブル一組と、後ろの壁の方に随行員用の
長椅子が用意してあり、淹れたてであろう、温かい湯気が心地よく紅茶とミル
クの匂いをさせていた。
「やぁ、モーリス。久しぶりだなぁ元気にしてたか? ヴァチカンで紅茶とは趣も
何もあった物ではないが、教皇庁ではコーヒーより紅茶が好まれるのでね。あ
、勝手にくつろいでて良いよ。見習いの言った事は気にしないでくれ、久し振
りに母国語が聞けるのは嬉しいからね」
 司祭と思われるモーリスより年嵩に見える男性は来訪者を見ずに、軽食が揃えて
あるティーテーブルで三人分の紅茶を淹れながら、陽気な声のラテン語で暗い
面持ちをした三人を迎え入れた。
「有り難う御座います司祭、お久しぶりです。こちらはつつがなく暮らしてお
ります。して、聖別物以外での用事と伺いましたが?」
 モーリスはカップとソーサーを司教から渡されると、司祭の言葉に甘えて、さっ
そく重い口調の英語で訊ねた。司祭はその様子を見て顔を歪ませて手を組み一
瞬考え込むと、何か吹っ切れたかのように切り出した。
「では、早速言おう。オーストリアの修道院から昨日速達で知らせが入った。
一ヶ月前からオーストリアのスティリアで真祖ドラキュラの復活の儀式を行なって
いる者がいるそうだ。だから君達に討伐を依頼したい」
――やはりその事だったか!!
 三人は自分達の懸念が嫌な形で的中した事に、驚きの表情を隠せなかった。
「ヴァチカン総本部および、エクソシスト以外の職務の者は知らない。だから
、ヴァチカンは君達を支援する事は出来ないが、なけなしの私財から君達が本
国に帰るまでの旅費の一切を面倒見よう」
 司祭は断るなよ?と言わんばかりにモーリスの面前まで顔を近づけ、じっ、と真
面目な顔をして畳み掛けた。
 その言葉にモーリスはティーカップを持ったまま体を強張らせ、司祭を見つめ、
ネイサンは口にしていたスコーンを取り落とし、ヒューは司祭の表情を見ながら、黙
々とサンドウィッチを頬ばり、次の科白を待っていた。

22Awake 2話(8/13):2007/01/23(火) 14:38:48
「しかし司祭、その、地元のハンターはどうしているのです? しかも司祭もエクソシストならばヴァチカンの教義として受け入れられないとは言え、秘密裏にオーストリア帝国の正教のハンターに依頼すべきです」
 モーリスは地元のハンターを無視してまで討伐する理由を見出せず、この状況を異常だと思い問い質した。
「君も知っての通り、ヴァチカンだけでなく正統なローマ・カトリックのエクソシストとハンター達は、時を経た完全なる沈黙者の死者復活が、イエス・キリストのみと定めているため手が出せないのだ。しかもロシア領のシュナコブ寺院に侵入者が押し入り、怪しげな方法で奴の遺骨を強奪したとの情報も入っていてね。したがって復活の儀式を行ったのは、悪魔。ということになる」
司祭は苦笑いをし、教義に反する事を述べるのに嫌気が差している様子で、ウンザリとした表情で答えた。
三人はある状況を予測した。考えられる事はただ一つ、宗教・政治上の折衝エリア。
「まさか……儀式の場所は教皇領・オーストリア帝国・フランス共和国・オスマントルコ帝国のいずれかの軍事境界線上ではないでしょうか?」
ヒューは冷徹な目付きで司祭に質問を投げ掛けると、司祭は顔をしかめて溜息を付き、カラーを直した。
「その通り。宗教的な三つ巴の状態だからこそ、無関係な国……いや、地域から来た君達が適任なのだ。それに正教のハンター達はほぼ全滅したそうだ。その上昨年終結したギリシア独立戦争の際に吸血鬼が多発して、そちらに引っ張られている者が未だに帰還できないほど、手が回らんらしい」
「なっ……なんという……」
 モーリスは呆然として空を仰ぎ十字を切った。となると自分達に白羽の矢が立っ
たのは当然だろうと納得した。
「そうか……ローマ・カトリックでは数日前に死んで吸血鬼となった者は「早す
ぎた埋葬」として「科学的」に処理できるけど、既に死した者は出来ないか……
それに、俺達はケルトとカトリックの二つの教義を持ち、同じく二教義の信仰を
持つ神秘主義(オカルティシズム)の正教に近いカトリック信徒のハンターだ
から、ドラキュラの力を削ぐことが出来るのか」
 ネイサンはヒューのほうに窺うように顔を向け、小声で囁くと、

23Awake 2話(9/13):2007/01/23(火) 14:41:31
「それだったら、正統のプロテスタントよりカトリックに近い国教会の連中で
もできるが、奴らは退魔に必要なアヴェ・マリアなどの聖人崇拝、磔刑十字、キ
リエ・エレイソン等の朗唱を政治的に否定しているから、プロテスタント成立以
前に正教と、カトリックを信仰していたドラキュラは倒せない」
 ヒューはネイサンが「力を削ぐ」と言った科白に「倒す」と微細な訂正を加えて、彼
のほうに顔を向けず無表情で答えた。
 だが、その顔は徐々に決意を持った表情になり、懍とした趣を醸し出してき
た。彼はいつも見つめている表情とは違う風情を感じ、改めて、
――曇りの無い綺麗な横顔だ。
 と少しの間、ぼうっとした状態でその横顔に見とれていたが、しばらくして、こ
んな時に自分は一体なにを考えているんだと思い直すと、正面に向きなおし、恥じ
入るように俯いて顔を赤らめてから、照れ隠しのつもりで紅茶を口に含んだ。
「いや、そんな理由だけで君達に討伐を依頼してないよ。話は最後まで聞きなさい」
 司祭はきっぱりと言い放った。では、どういった理由だ。
「10年前に封印した者に責めを負わせよ。と言うのがエクソシスト並びにハンター
達の総意だ。
だから、君達の予定は強制的に変更してもらう。二時間後に出立してくれ」
「そんな無体な!」
 モーリスは、ヴァンパイアハンターとして真祖ドラキュラを討伐したいと思ってはいるが、
それは村の依頼を放棄する事になる。
 仮に輸送するといっても貴族でない自分達の荷物をどう扱われるかは目に見える、
途中で盗まれたら力の無い無辜の人々の命を見捨てる事になるだろう……
そう考えると今すぐには承服する旨を伝える訳にはいかない、と司祭に告げるため
口を開きかけた。
 すると、ヒューがその様子を見透かして立ち上がり、惰弱な。と思いつつ無表情なが
らも目を鋭く光らせ、少々顔を紅潮させながら、しかし悲壮な決意を告げるかのよ
うに、すかさず司祭にゆっくりと一言一句しっかりとした抑揚の無い口調で申し出た。
「我々に、討伐の依頼を受けさせて下さい。我等の力を示すために……」
「ヒュー! 直ぐに結論を出せる問題ではないぞ!」

24Awake 2話(10/13):2007/01/23(火) 14:44:01
 モーリスは、息子の名声を上げるためだけに発した返答に釘を刺そうと、声を張り上げ
同時に失望と怒りで両目を充血させ、椅子から立ち上がり彼の正面まで歩み寄った。

「何故解らぬ、ヒュー! お前が心と精神の均衡を己自身で御せるなら名声を求めても良
いだろう。だが、お前の胸の内は別のことに支配されているのに気付かんか! それ
をお前が自身で突き止めない限り……」
「……ネイサンの足元にも及ばん」
 モーリスは言葉をよどませ、指を後ろで組み瞼を静かに閉じると、ヒューにとって最大の屈
辱とも取れる言葉を吐いた。
――人々の恐怖を取り除き、それを終えたと同時に闇の世界へ消え行くのがハンター
の役割であるのに、名声を求めるなぞもっての外だ。
自分の名誉しか考えが及ばぬ者に、真に魔が狩れると思うのか? 魔は、力で捻じ伏せ
る物ではない。それは、自分がよく知っている……
確かにネイサンの剣技はヒューより圧倒的に劣っている。
だが、彼は必要以上に感情を剥き出しにする事は無い。魔に利用されず対抗するには己
の弱点を見極め、謙虚な姿勢で事に当たること。
それが、人の住まう事の無いあの場所では力となる……

 モーリスの言わんとするところを解っていながら、ヒューは己の奥底に眠る感情を認めたく
なかった。
 キリスト者として、そして何よりも男として恥ずかしい感情を……だから、嗣業を
拒否された日より始まった研鑽の日々から導き出した答えは、名誉という盾で己の不
明を覆い隠し、目を背ける事であった。
 それが、彼にとって更なる悲劇と屈辱の始まりであろうとも、その考えを変える気
はまるで無かった……この時点では。
――何故、何故俺が……ここまでの屈辱を味あわねばならん!ヴァンパイアハンター
として、当然の回答を行っただけではないか。それを親父は……やはり奴に篭絡されたか!
 彼はそう思うと深遠の湖に突き落とされたかのごとく、手を水面に届かせようと伸
ばしても体が鉛みたいに沈んでいくような、徐々に冷たくなる心持がした。
――嗣業継承を拒否された事で同業者から俺がどのような中傷を受けたか、知る由もあるまい!

25Awake 2話(11/13):2007/01/23(火) 14:47:02
(貰われっ子のネイサンに家督を奪われるなんて何をしたんだ? あいつ)
(実力のある奴が継承できないって言うのは何かあったんだろうよ)
(あいつ、俺達より出来るからってお高く留まっているから、今度の事で清々した
のも事実だけどな)
(よっぽどの問題があったんじゃないか? じゃないとキリスト者としても嗣業継
承者としても普通は継がせないことなど無いのだから)
(そうそう、嗣業継承を拒否されるってことは男として欠陥品だからな。嗣業継承
の権利を勝ち取るまで、貰われっ子のあいつと一つ屋根の下で生活しないといけ
ないオマケ付きだし。ははは)
(宗教上の徒弟制度ってのはきついもんだね。実子であったのがあいつの不運だね。
ま、俺達も人の心配している暇があったらしっかりやらんとな!)
『貴様等。本人を目の前にして同じ言葉が言えるのなら、今ここで俺の相手をするか?』
(ゲッ、ヒュー! 聞いてたのかよ……)

――いつも尻拭いをしている連中から何故そんなことを言われるのか、全く判らない。

「親父。より強い力を求めて何が悪い。俺は親父のように仲間を己の力不足で死なせたくは無い!」

 ヒューは悔しさで顔を紅潮させ、目を血走らせながら声を荒げ、己の正当性を訴
えようとした。
――そうだ。親父にもあの時、より強い力があったのならネイサンの両親をみすみす
真祖の餌食にすることもなかったろうし、何よりもネイサンが真に継承すべきハンタ
ーの証も失わずにすんだ事で、俺がこの見苦しい感情を発露する事もなかっただ
ろうに。
 それから目頭を熱くさせ、少し涙を溜めた悲しげな瞳を父親に向けると、モーリス
はヒューを一瞥し静かな声で諭した。
「下らん。己の目的のためには他者すらも貶めるか。だからお前にハンターの
称号を継がせなかったのだ。己の言動をもう一度咀嚼するが良い」
 ヒューは自分の言動に何ら疑問を持っていなかったが、モーリスは「無私の感情」が
彼の中に全くといって良いほど育っていない事に、改めて自分の選択が正しか
った事に安心と虚無を感じた。
 そもそも、ヒューがそのような状態であるのに、モーリスがハンターのムチの継承を
彼がその精神を克服するまで待つつもりが無かったのは、ひとえに自分の体力
が減退してきただけでなく、己の力を恃み、異能者とは言えただの人間が一人
で魔性の者に立ち向かうという愚挙を、己の息子が犯そうとしていることに気
付いたからだ。

26Awake 2話(12/13):2007/01/23(火) 14:49:01
――確かに、ネイサンや同業者に対して見下した態度を取っていない振りをしていたのは、
単に儂の歓心を得るための道具であり“全ての者に慈しみを与えん”といったキリス
ト者としての美徳を表しただけの物に過ぎん。
それも己の能力を継承者たらんとして恃み、それを自覚した上での行動であるのが余
計目に余る。
 そのような心の内を叩き直し、ハンターである前にただの人間である事を自覚させ
るために、あえて嗣子継承の概念を無視したのだが……それが却ってヒュー自身の立ち
位置を見失う結果になるとは予想も付かなかった。
 だが、ある意味これで良かったのかもしれない。己の心の研鑽を能力で覆い隠して
見つめていなかった事が、どれだけ危険な事か自ずと解かって来るだろう……
 モーリスは我が子の縋る様な眼差しを無言で見つめた。
 それから無言の状態が続き、といっても数分だが気まずい空気が辺りに満ちてきた。
しかし、モーリス、ヒューはともかくとして、ネイサンと司祭は沈黙を破ろうと間合いを計ってい
たが、ネイサンはヒューの震える姿を見ると、余りにも苦しそうな表情をしている彼を早くこ
の場から連れ出したい衝動に駆られて、この状況を空気を読まずに壊そうと思って行動
に出た。
「ヒュー、まだ話は終わっていない。気をしっかり持つんだ」
 ネイサンはヒューの体から伏せ目がちに少し視線を逸らして、右手でヒューの左肩を力強く掴むと、
父親を無言で見つめながら無表情で唇を引き締め、悲嘆に暮れて怒りで震えているヒューの
肩を揺さぶって、彼の感情に気付きながら、だが無視する気で正気に戻そうとしたが、
気が付いたヒューは触れた彼の手を撥ね付けるかのように強く振り払った。
 彼は父親に認められなかった悔しさに苛まれて、もう目の前の青年をおとしめす事しか
考えられなくなると、その様子に黙って自分を見ている彼を尻目に、考え得る限りの侮蔑
をこめて、
「触るな!」
 と苦虫を噛み砕いたような苦渋の表情を彼に向け、強い口調で一蹴した。

27Awake 2話(13/13):2007/01/23(火) 14:51:07
そして、その問答にキリが良いと判断した司祭は、モーリスの方を静かに向いて提案した。
「私がスコットランドへ赴こう。それならモーリス、君も心置きなくドラキュラを討伐できる
だろう?」
 しかしモーリスはとんでもないと言わんばかりに固辞した。ヴァチカン在住司祭とは、
ヴァチカンで政治的な職務に就いている者だから、彼は躊躇したのだ。
「司祭、貴方にはヴァチカンの職務があるはずです、それを放棄してまで……」
「いや、特別な職務が無い司祭なぞ、このヴァチカンには掃いて捨てるほどいる。私
は仮にもエクソシストだ。それなりの責務を己の国で果たすのがいけないとでも?」
「ですが……」
「くどい。それに、去年から連合王国全土で、カトリック信徒の職業解放が進められ
ているのに乗じて、今ヴァチカンは連合王国に対して、カトリックの布教を推し進め
ているんだ。利権に敏い上層部の事だ、ちょっと言を弄すれば私も直ぐ出立できるよ」
 司祭は口角を上げてモーリスに微笑んだ。モーリスはそこまで言うのであればと観念して畏
まった表情になり、後ろの二人と共に司祭の前に跪くと、司祭は皺としみが浮き出て
いる手をモーリスに差し出した。
 彼はその手を取ると恭しく甲に唇が触れない程度で口付けし、決意の眼差しに変わっ
たいかつい顔を上げ、力強くラテン語で承諾の意思を伝えた。
「承りました。我等の信仰に於ける力を以って……難に当たらん。真祖に藭の鉄槌を與
(あた)え、総ての事象に安息を齎(もたら)さん事を……アーメン」
 言い終わった後、三人は、いや、ヒューだけは心に狂乱の炎を滾らせながら神妙な顔で、
十字を切った。

28Awake 3話(1/21):2009/11/03(火) 22:27:05
――ヴァチカンであのように詰られたからと言って、やはり今のお前は危うす
ぎる。
「俺の親父だ。俺が助ける」だって? まるで吸血鬼ブームに乗っかったハン
ターもどきのような言動じゃないか。確かに師匠が捕われた事は痛手だがチー
ムを組んで仕事としている以上、英雄譚のように突出する性質の物じゃない。
だからこそ力を併せて事に当るのが望ましいのに一人で為そうとするなんて…
…いや、やはり俺は一人でいるのを恐れているのか? 今まで一人でヴァンパ
イアを討伐した事なんて無かったから。
「怖いか……そもそも何故あそこまで言われて、詰られても俺はあいつを求め
愛し続けようとしているのか……」
 だが、今は夢想している余裕などない。魔性の生き物は城に侵入した血肉を
凄惨に屠るためネイサンに向かってありとあらゆる攻撃を仕掛けてきた。
「クソッ! 次から次へと飽きもせず! 一体どこから湧いて来るんだこいつ
らは!?」
 しかし身を守るために屠り返す事によって徐々に先程の恐怖は若干薄れ、薄
暗い空間に目と神経が慣れてきたのかネイサンはある程度眼前の敵を屠り尽すこと
ができた。
 汗を拭いながらそれを確認すると今度は外に向けていた感覚が消失したせい
で次の回廊に繋がる鉄の扉を前にして足の痛覚が蘇ってきたが、捕らえられて
いるモーリスの事を考えれば立ち止まるわけにはいかないと奮起するも、魔のフィ
ールドで身体が万全な状態ではないのに魔性の者の問答を受けたら反撃する態
勢が直ぐには取れず無残にも屠られると想像したネイサンは、己の内面を深く抉り
問いに対して反駁するための内容を考える事にした。
 己が自覚している罪――故郷では晒し者にされた挙句、刑場の露と消えるほ
どの淫蕩に関するキリスト者の大罪、ヒューに対するソドムの罪に対して。
「両親が死んだ日からあいつと同じ部屋で寝起きしていて、それでいつもあい
つと一緒に修行と討伐をして……」
 ネイサンは回廊に続く重い扉を思案しつつ開きながら、まずはその起因を辿るこ
とから始めた。

29Awake 3話(2/21):2009/11/03(火) 22:29:24
「!?」
 ネイサンは扉を開けたと同時に飛び掛ってきた上に、何度も地中から蘇ってくる
ゾンビの群れを片っ端から鞭で裂きながら進んでいった。
 その状況に彼は十年前、モーリスと両親が三人で立ち向かった時もこのような反
自然的な事が常にあったと考えると戦いながらもいつ自分が力尽きて屠られる
か判らなくなり、背筋が凍るように張り詰めて硬直する感覚が走った。

――十年前のあの日、両親と師匠、そして俺達はドラキュラが復活する寸前のオス
マントルコ領に近い正教徒自治区の教会に滞在していた。
死者の復活、人で無い者が跋扈し人心を惑わして恐怖に陥れている様を見て、
正教徒地区に蠢いている恐怖の存在を取り除くのに土地の人間で無い上に正教
徒で無い自分達の存在に多少の不安はあったが、それでも適任者が自分達しか
いない状況で彼らを見捨てる事は出来なかった。
――あの時、俺は死と隣り合わせじゃなかったけど、ずっとヒューと一緒に寄り添
いながら正教会の礼拝堂の信徒席に一晩中寝ずに座っていたな。
 俺達は示し合わせたわけでもないのに真夜中に教会にある宿舎の寝室を抜け
出し、両親の無事を祈るため礼拝堂へと向かった。
俺はひとりで立つのすら怖くて震えていたが、ヒューはそれを見ていたのだろう無
言で俺の手の平を握り締め「来い」と一言だけ発してから、縺れかけたたどた
どしい俺の歩みに合わせて連れて行ってくれた。
 俺たち二人は親同士が僚友で物心ついた時から知っていたけど、俺自身は少
しヒューのことが苦手だった。あいつの一族の中でも傑出した素質を持っていて、
子供なのに冷たい目で、いや、人を見透かすように真っ直ぐに対面した人物の
目を見る癖があって、何もしていないのに責められているようで嫌な気持にな
ったことがしばしばあったから。
よく覚えている。その日も今日みたいに外は突き刺さるような寒い風が吹き荒
れていた。
 だから怯え余計に震えて鳥肌が立っていたが、不思議と握り締めたその手に
安堵を覚えた。

30Awake 3話(3/21):2009/11/03(火) 22:31:48
俺の体温より温かかったこともあるだろうが、修行をしているからか柔らかい
自分の手とは違い、両親の手のような固い表面でタコが出来て傷だらけのあい
つの手に、少し大人に頼るような心持を覚えたからかもしれない。
 いずれにしろイコンと正教十字に縋るため、長い石畳の回廊をゆっくりとだ
が足音を極力立てないよう礼拝堂へ俺達は向かった。
礼拝堂は祭壇に置かれた儀式用の長い蜜蝋の柔らかな灯りが揺らめきながら、
その内部の姿を幽玄な異界さながらに映し出していた。
俺達はその姿に心を奪われ暫らく手を繋いだまま呆然と立っていた。
 だが夜中に礼拝堂に立ち入るのは黒ミサと取られてしまう節があるので、無
意識にそう考えて誰にも見つからずに礼拝堂に入るしかなかったが、幸い見回
りの修道僧がいなかったのに安心した俺達は身廊(中央の廊下)を駆け抜け袖
廊(祭壇側)の信徒席に手を繋いだまま座って心の中で祈りを呟き始めた。
 しばらくして、俺は静謐の空間に何か不吉な知らせが舞い込んでくるような
不安に駆られて、耐え切れなくなり小声だけどヒューに訊ねた。「帰って……来
るよね?」と。
 だけどあいつは俺を一瞥してから「ああ」とぶっきらぼうに一言だけしか言
わなかった。それに俺はハンターの使命として目的が達成できれば人の生死な
どどうでもいいようにヒューが見ているのでは無いかと少し憤って、語気を強め
てまた訊ねた。
「ちゃんと答えてよ」
 だけど今度は俺をじっと見ながら繋いでいない方の手で、肩口まで伸びた髪
を耳にかけてから俺の髪を無言で撫でているだけだった。その行動にはぐらか
された様で、とうとう不安と憤りが頂点に達して涙をこぼし叫んでしまった。
「何か言えよ! お前だってモーリスおじさんの事が心配じゃないのかよ! こん
な時にも澄ました顔しやがって! おれの髪を撫でて慰めて余裕を見せ付けて
いるつもりか!?」
 その声は礼拝堂内に木魂し、そして空しく収束した。ヒューは黒い目を丸く見
開き、それから「お前までそんな風に……」と涙声で小さく呟いた。
「俺だって、俺だって……今回ばかりは不安なんだ。だからお前と一緒にいる
。そんなこと言われるなんて思ってもみなかったよ……」

31Awake 3話(4/21):2009/11/03(火) 22:33:59
いつも澄ました顔で大人に混じってハンターの修行をしているあいつが、
「不安」と言って泣いたのに俺は少し安心した。自分でも酷い感想だとは思っ
たが、俺と同じ子供なんだと考えたとともに俺の苛立ちも少しは収まったから。
「ごめん……おれ、どうかしていた」
「エクソシスト、ヴァンパイアハンターの最大の敵である真祖ドラキュラと父さん
やお前の両親が今、この瞬間戦っているんだ。祈ろう。今の俺たちにはそれし
か出来ないんだ」
 そうヒューが言ったのを最後に永遠と思えるくらいの時間を、そして静粛を破る
足音が聞えるまで俺達は互いの親の安全を祈った。
 ステンドグラスの填っていない窓から見えた光景からだと夜が白み始めた頃
だったろうか、石畳を一人か二人くらいの駆ける足音が聞え礼拝堂のほうへ近
づきつつあるのに気付き俺達は身構えた。
「誰か来た。隠れよう」
 ヒューはそう言って扉が開くと咄嗟に俺の服の袖を引っ張り、俺達は側廊
(礼拝堂内にある端の通路)の柱へ身を隠して様子を窺った。

 扉の向こうから現れたのは二人分の影で、その二人は小声ながらも怒張を孕
んだ様子で話し合う師匠と輔祭(正教会主教、司祭の補助役)だった。
 輔祭は連日、魔物に襲われ傷ついた村人達に治療を施していて血糊で濡れた
黒い修道服の袖を捲り上げ、同じく衣服や身体に誰の血とも判らないくらい血
を浴びた師匠と対話していた。
「その話は余り他の連中には聞かせられぬから詳しく話せ」
「では……」
輔祭は師匠に青ざめた顔を向け焦った様子で、詰問するような切羽詰まった口
調で早口で訊ねた。
「ねぇ? おれの父さんと母さんは……?」
「しっ」

32Awake 3話(5/21):2009/11/03(火) 22:36:02
ヒューと俺は内容を聞き取ろうとしたが祭壇側にいた二人と側廊の柱に身を隠して
いた自分達との距離が遠いのでよく聞えなかった。しかし徐々に耳が慣れてき
た頃、輔祭が言った言葉から礼拝堂に怒声が満ちる光景が現れた。
「して、お主は彼らの関節や筋を切ってから帰ってきたのか?」
「そんな! 説明したでしょう! グレーブスは胸骨が皮膚から突き出て夫人は
切り刻まれているんだ! それ以上の損壊をする必要は無い!」
 だけど俺もヒューもずっと祈っていたせいか分からなかったけれど、運の悪い
ことに教会に避難していた村人の一人が偶然にもその会話を聞きつけてしまい
色をなして駆けて行った村人に気づいた輔祭は、これ以上騒ぎ立てることの無
いよう宥めすかしていたが、そのやり取りに数人の村人が集まり始めた。
「ハンターの片割れが死んじまっただとぉ!? しかもおめぇ立ち上がってオ
ラたちに悪さしねぇように筋を切んなきゃいけねぇのに、やってねぇだって!
?」
 輔祭はこれ以上抑制できないと思ったのだろう、最後には「準備を」とだけ
村人に伝え側廊側の扉から村人たちを帰した。
「何故だ!? 我らは討伐前にカトリックの信徒と明言した。それを受けて死
したら棺を正教の地に残さずカトリックの地に土葬する手筈を整えると貴方は
仰ったではないか!?」
 師匠は約束を反故にされた事に憤りを感じたのか、いや俺だってこの時の師
匠の立場であれば怒りを感じない事はなかっただろう。しかし、その後がいけ
なかった。輔祭は師匠の逆鱗に触れる言動を取ってしまった。
「だが、この土地は正教徒の土地だ! ヴァンパイアによって斃されたハンタ
ーはすべからく此処のしきたりによって浄化せねばならん」
 当たり前じゃないかというような風情で肩を聳やかしながら両手を広げると
いった人を小馬鹿にする仕草をし、次第に険しい顔で悪意のある口調で話し始
めたからだ。
「如何にローマ・カトリックの信徒が腐らない遺体を聖体として崇めていても
、この土地での不朽体は不浄そのものだ!」

33Awake 3話(6/21):2009/11/03(火) 22:38:20
師匠はその時、心無い輔祭の言葉に二人を助けられなかった悔しさと己の体の
痛み、それらが交錯したのだろう気付かないうちに彼の黒いフードを両手で力
任せに締め上げた。
「手を拱いて見ているだけ、震えていただけの人間に命を賭して戦った者を辱
めるなぞ! 貴様それでも人か!?」
「カハッ……おのれぇ……血迷ったか……!?」
 その声と赤黒く変化した輔祭の顔の色に正気を取り戻し、師匠は締め上げて
いた手を緩めたがその頬には止め処も無い涙が流れていた。
「如何にそれが正教徒の後始末だとしても俺は認めん! 認めんぞ!」
 首を激しく横に振りながら師匠は背中を丸めて咳き込んでいる輔祭の足元に
額ずき、呪詛を唱えるかのごとく何度も茫漠とした目で呟いていた。
正教の土地においてヴァンパイアによって斃されたハンターはヴァンパイアに
成ると信じられていた。そして討伐したヴァンパイアより強い力を持つため、
法律の死体損壊罪を無視して秘密裏に処理される。大概は興奮とパニックに陥
った民衆が騒ぎ立てて勝手に行う事が多かったが、逆に聖職者は教区に犯罪者
が発生する事態を防ぐために説得をするのが常であった。
師匠とてこの土地に足を踏み入れた以上その事は重々承知していたが、いざ僚
友が目の前で命を落とし、自身も血だらけで疲労している状態で正気や理性な
ど意味を為さず、結果はどうであれ守るべき人々に対して手を挙げようとした
己の自制心の脆さが許せなかった、と言っていた。
「嘘だ……そんな」
 ヒューが狼狽した顔に両親が死んだ事を確信した俺は、ヒューに正面から取り縋り
小さく呟くと双眸から滂沱の涙を流した。
「じゃあ、父さんと母さんは……? 死んじゃったの……? それに浄化って
?」 
「聞くな」
「教えてよ」
ヒューは一瞬目を俺から背けてきつく自分の唇を噛んだ後、俺の目を真っ直ぐに
見て一呼吸置いて言い辛そうに言葉を発した。

34Awake 3話(7/21):2009/11/03(火) 22:41:08
「お前には辛いかも知れないが……グレーブスおじさん達は皆の前で筋を切られ
、火葬される。本当はあの坊主が村の連中を止める役割のはずなのに……畜生
、自分が先頭に立って後始末を指揮するらしい」
「嫌だぁぁあー! そんなのっ! そんなの……うわぁああぁあぁ――……」
「誰だ!?」
 輔祭が大声で問いかけた事に俺は体が縮み上がり、咄嗟にヒューの背後に回って
祭壇側を見た。
「ヒュー……それにネイサン。何故ここにいる!? 何故大人しく寝ていなかったん
だ!?」
 師匠は先ほどの醜態を俺達に見られたと思った事で少々気恥ずかしくなった
のだろう声を荒げ問いかけていた。
「父さん……」
 だけどヒューは何故か呆けた顔で一言漏らしただけだった。
「モーリスおじさん! 父さんと母さんの体を……切るようなことなんてさせない
よね? そんなことしたら二人とも天国に行けなくなっちゃう! 嫌だよ! 
悪いことしてないのに父さんと母さんがかわいそうだ!」
 俺は年上の人間に意見する事に畏れを感じて言葉を続けるためにヒューの手を
握り締めたが、悲しみに心を支配されその声は次第に嗚咽へと変わっていった。
 ヒューはその手を握り締めながら、言葉にならない俺の悲しみと怒りの心を
言葉にするかの様に二人に対して一言一句、目を見開いて力強く捲くし立てた。
「そうだ! その糞坊主の言うことなんて聞かないでいい。脅威は去ったんだ
、こんな土地からさっさと出で行こうよ父さん! さっきから聞いていたけど
人として動けない状態で立ち上がって人を害することはないと俺も思う」
「黙れ小僧! 異端者が何を言っても私には通じんわ! ハンターの小僧如き
が偉そうに!」
輔祭は糞坊主と言われた事と年恰好に似合わず、自分の提案を真っ向から否定
しにかかるその不遜さが鼻についたのだろう年甲斐も無くヒューに怒鳴り散らした。

35Awake 3話(8/21):2009/11/03(火) 22:44:10
科白を一つ言う度に俺の手を徐々に強く握るヒューの心の内はこの時は解らなか
ったけれど、残された者の孤独を自分が感じ取って俺を護ろうとしていたの
だろうかと、俺はそう思っていた。
 たとえ違ったとしても傷ついて己さえも倒れそうだったのに両親の名誉を護
ろうとした師匠や、その姿を見て取り乱さず自分の肉親の生存を喜ぶより先に
俺の事を気遣ったヒューの存在が嬉しかった。
「うるさい! 黙るのはお前のほうだ糞坊主! お前たちは父さんたちの力を
利用して平穏を取り戻したくせに、よくも抜けぬけと死者を辱めることが出来
るな!?」
ヒューは師匠が斃れればその立場は自分だった事に、言葉を紡ぎながら噛み締めて
行くうち、あいつもまた泣きながら自分達に対する不当な結末を必死で抗して
いたようだった。
「それに、ネイサンを背教者の子供にする気か? カトリックでも正教のしきたり
の方法で葬られた人間は破門者か背徳者の汚名を着た人間だ! 恥知らず!
それでもそんなことをしてみろ、お前たちがやったことを当局に垂れ込んで死
体損壊の罪を暴き立ててやる!」
「……それぐらいで口を噤め、ヒュー」
 師匠は静かにヒューの悲痛な抗弁を聴いてから眉根をひそめ、ゆっくりと俺達の
方へ歩いて行き寄り添っていた俺達の肩を両手で包み込んだ後軽く叩いて抱き
締めた。
「父さん……」
「いつからここにいて、どこまで聞いていた?」
 ヒューは「最初から聞いていた」と聞いたまま、見たまま包み隠さず話し師匠は
少し考え込む格好をした後、非情とも呼べる提案を俺達に話した。
「最初から最後まで知っているか……よかろう。お前達、俺やグレーブスの職業
を誇りに思うか? それとも怖いか?」
 問われた俺達二人は互いに泣き腫らした目を見合わせた。
「輔祭」
 師匠は彼に上体を向けて横目で見つめながら、嘆息するような息の漏れる声
で呼び掛けた。

36Awake 3話(9/21):2009/11/03(火) 22:46:06
「先ほど貴方は二人の遺体を損壊すると言ったが、状態を確かめてからその判
断を下して欲しい」
「ふん……先程とは打って変わって従順になったものだ。良かろう。但しその
件は我々がその裁定を下す事に同意すればの話だが」
「……それに逆上されてまた首でも絞められたら堪らんからな」
 輔祭は師匠に対して口角を引き攣らせた苦々しい表情で睨み付けて、わざと
首の辺りを擦りながら憎々しげに答えた。
「それから」
「まだ何かあるのか?」

「この二人をあの城跡に連れて行く許可も欲しい」

「ほう、そこまで物分りが良い人間だったのか。ならば先程の所作は何だった
のだ。貴様」
「……!」
「な……何で!? 酷いよ父さん! ネイサン……こいつにグレーブスおじさん達を
辱める所を見せるってのか!? 俺だって見たくない!」
俺は残酷な展開に言葉を詰まらせ、信頼していた者に裏切られたような心持に
なったのだろうか、ヒューは一瞬驚いた表情をして師匠に食って掛かった。
「このまま見せないで遺体と対面させるのが普通の親や、大人の心情であろう
し俺もその一人だ。だけど俺はただの親ではなくハンターだ、そして目の前の
お前をハンターとして育て、両親を一晩にして失った……お前にもハンターの
血が流れている」
 師匠はより強く温かい腕で俺達を抱きすくめたが、血と埃被った汗の匂いが
する濡れた衣服を通して判るくらい全身が震えていた。
 ハンターになる事は犠牲者の血も屠った者の血も、誰の血とも分からず浴び
続ければならない賎業である事に変わりはない。だけど誰かが、人外の力に対
抗し得る術を持った人間がその責を負わなければ人の生活や生命は力のままに
貪られるだろう。
「俺とてそのような惨い真似を許したくは無い。この言葉を吐いている事自体
忌まわしい。だがヒューよ、俺達ハンターは何のために戦っている? 名誉か? 
金か?」
「力を持たない人のためだ……父さんはそう教えてくれた」
「お前自身はどうだ?」
「……俺は、まだ判らない。皆の後を付いて行っているだけだから」

37Awake 3話(10/21):2009/11/03(火) 22:48:37
 ヒューは師匠の問いかけに目を伏せてから上目遣いに師匠の方を向いて最善の
答えを探すように答えたが、師匠はその答えに主体性がないように思えたのだ
ろう。
 継承の際に師匠からカルパチアの惨劇を俺達二人に見せ、職業の選択を与え
たと聞いた。
「そうか……ならば後始末を見てから答えを探すがいい。だが、ヒュー。ネイサン。
俺はグレーブス達の死をだしにしてお前達に道を指し示している訳ではないとい
う事を解ってくれ」
 
「ハンターとして生きる事は傍目から見れば、恐れられながらも今では名誉と
賞賛を受けられる職業だろう。しかし、その生と死は平等ではない。道中、匪
賊や野生の生物に命を獲られ、仕事で人々のために斃れたとしてもグレーブス達の
ように、異郷の地で罪人に等しい弔い方をされる者の方が多い。俺はお前達に
利の側面だけを見せてハンターの道を選ばせたくは無い」
師匠は静かに俺達の頭を撫で、そのままの恰好で輔祭に問いかけた。
「しかし輔祭。貴方は何故法を犯してまで村人を焚き付けるか?」
「この地域は昔から規模を問わずヴァンパイアの被害が後を絶たなくてな、一
週間もしないうちに死者がよみがえってきた事だってある……私の妹はその犠
牲になった。見習いだった私はその妹を押さえ付け心臓に白木の杭を深く……深く……」
 輔祭はこれ以上の凄惨な酷い過去を思い出すのが辛いようで、その様子は幼
かった俺にもそう聞こえるくらい悲痛な声で最後のほうは消え入るような声で
呟いていたが、肩を震わせ輔祭は涙を見せたくないのか俺達から体を背けて静
かに陳謝した。
「残された者が肉親さえも己が手にかける悲劇を私は、いや私だけでなくこの
村の者は皆、二度と生きている内に目にしたくは無いのだ……助けてもらった
のに一時の感情だけで侮辱して……済まなかった」
「輔祭……貴方は……」
 師匠は言葉を詰まらせて何と声を掛けようか逡巡していたようだったが、輔
祭は同情されたくなかったのだろう、消え入りそうな声から硬い声をだして頑
として撥ね付けた。
「忘れろ。力を求めて得られなかった者の言葉など。しかしこれだけは言って
おく。後始末を怠ったが故に二次災害が起きるのは貴様等にとっては関係なく
とも、逃げる土地を持たない人間にとっては遁れられない事態になるのを忘れ
んでくれ」

38Awake 3話(11/21):2009/11/03(火) 22:50:29
 二次災害――死者の復活は伝染病などで死者が大量に発生した時に処理がま
ずい場合に起こる事が多い。疫病などで死んだ遺体を早急に処理するために棺
に入れないまま浅く土葬し、死後硬直した遺体が土中から腰を曲げたL字型の
状態で跳ね起きる現象が挙げられるけど、まずそれは死体であってそこから動
かない。
だけどこの場合は稀ではあるが死亡確認せずに仮死状態で埋められた生体が、
長時間の真空に近い圧迫と暗闇の中に放置された事で錯乱状態に陥り、通常の
数倍の力を発揮して酸素と光を求めその空間、急ごしらえの棺を有らん限りの
力を持って破壊し、その後は浅く盛られたばかりの軟らかい土を天上へ、天上
へと爪が剥げ血だらけの指先で掻き分けて這い出てきた生者などだ。
 這い上がって村人を見つけたときに生者の心は喜びに満ち、顔には満面の笑
みがこぼれただろう。
しかし、集団ヒステリーに陥った人々がその生者の血塗れの姿を見て正常な物
と判断するのは難しく、助けるどころか埋めた自分達を餌とするために辺土
(リンボ。背教者、キリスト教成立以前の善人などが落とされる最果ての地)
から蘇って来たと思い自衛の為に襲い掛かって命を奪ってしまう。
ただしそれは長くても一週間以内の出来事で、二週間以上も経って這い出てく
る事は人間の体力と状況からして不可能だ。
完全に土が酸素を吸収してしまい真空になるから。
だから今ヨーロッパ全土で起こっている死者復活の後に聖水を掛け、朽ち果て
た生体は正確には冥府の住人に生を与えられた死体だ。
ともあれそれは迷信が混在する土地につき物のよくある惨劇である。
輔祭は礼拝堂の身廊側の扉を開けながら低く消沈した声で俺達に話しかけた。
「一時間後、カルパチア山脈の稜線から朝日が昇りきる前に崩壊した城跡へ向
かう。私は村の男たちを集めるから、お前たちは万が一のためにすぐに逃げら
れるよう荷物をまとめて置け」

39Awake 3話(12/21):2009/11/03(火) 22:52:20
そして、最後に扉を閉めながら斜に構え横目で俺達を見つめた。その様は傷つ
いた者をどう救う事も出来ない人間のエゴが垣間見えるような、言い換えれば
哀れみ蔑む視線で見下げると言った聖職者であるにも拘らず放置する人間の卑
怯な姿だった。
「馬車と逃走ルートは後で紙に書いたものを渡しておこう。私は三位一体の成
句をお前達に言う事は出来ないが『貴殿等の途に祝福在らん事を願わん』とだ
け告げておこう」
 師匠は眉をひそめ渋い顔をし、ヒューは輔祭を始終睨み付け、俺は怯えながら
二人に摑まってその言葉を聴き扉越しに響く足音とともに彼を見送った。

 一時間後、白木の杭、火葬するための薪、そして剣やマスケット銃などの武
器はおろか、斧や鋸、柄の長い鍬すらも持って殺気立つ正教徒の男達の物々し
い出で立ちを目の前に見ながら、隊列の最後で行軍している俺達三人は、カル
パチア山脈の麓にあったドラキュラの古城跡へと向かった。
 もし両親の遺体に対して損壊の裁定を下されなければ、そのままカトリック
教区へ埋葬する手筈を整える前に状態によっては、輔祭だけではなく正式な葬
儀を履行できる司祭や、医学的な見地から判断するために村の医者も同行した。
「うぇっ……ひっく」
 俺は道中ずっと小声で泣き続けて唯でさえ周りの行進についていくのがやっ
との俺の小さい足は、これから行なわれることの恐怖で何度も後れを取り、そ
のたびにヒューは俺の手を握って遅れないよう引っ張っていた。
やがて無数の瓦礫が散乱している城跡が見えてくると、村人達の恐怖と忌避の
入り混じったどよめきが次第に伝播するように広がる。
「何てこった……瓦礫だらけじゃねぇか」
「死体なんてあるのか?」
「あっても穢れた死体だべ、見つからない方が幸せだ」
 村人達の無慈悲な言葉は逆に見つからない方が残虐な方法で辱められない事
を意味していたのだろうが、それでも両親が悪事を働いたみたいな言い方をし
ているように聞こえて声のした方を向いて俺は睨み付けた。

40Awake 3話(13/21):2009/11/03(火) 22:55:03
しばらくして瓦礫の小山が見え輔祭は師匠を呼び、静かな声で両親の遺体を安
置した場所を教えるように言うと師匠は疲労と情けなさで涙が溢れて来そうに
なっている澱んだ目を拭い、怯えと狂気の眼差しで師匠を見つめている村人の
間を峻厳な態度で進み出て列の先頭に立った。
 それから少し離れた場所だったので小声でしか会話が聞こえなかったが師匠
が医者に両親の遺体の状況を説明したようで、まもなく医者は検死を始めた。
「どうだ、先生?」
「……あなたが報告した通り、男性の方は胸部骨折による失血死で女性の方も
裂傷による失血死だ。いや……これは酷い、膝の下から欠損している。はっき
り言って私とてあなたと同じで、ここまで損壊されている遺体でなくとも……」
「父さん! 母さん!」
 遠くで見た限りだったけどフードに覆われた母の綺麗なままの顔や、口角か
ら血が流れていたとは言え安らかに息絶えていた父の遺体に取り縋ろうと俺は
脇目も振らず駆け出していた。どんな姿になっていようと最後の温もりを心に
、肌に留めておきたかったから。
「止めろ、その子等を遺体に近づけさせるな。遠くで見せるだけだ」
「行け! 邪魔する奴は俺が止めてやる」
 直ぐにヒューは両手を拡げて俺の進路を確保してくれようとしたけど輔祭の命令
にひときわ屈強な二人の村人が俺の背後、ヒューの正面を羽交い絞めにした。もち
ろん子供だから大人の力に勝てるはずもなく、ただただ輔祭を睨み付けながら
叫び続けるしかなかった。
「放してよ! おれの父さんと母さんなんだ!」
「くっ……」
「私とて神の僕であると同時に人の子だ、人並みの感情は持ち合わせている。
両親が死しただけでも酷であろうに、無残にも屠られた体を見せて思い出を壊
す事は人の道に反する」
「父さん……母さん……起きてよ、ねぇ起きて……お願いだから!」
 しかし泣き叫ぶ俺を同情しながら見つめる村人達の中に悪魔の言葉を吐く者
が現れた。恐怖に慄いた人の心が魔女狩りなどの非道な真似を起こす事は多々
ある。それが己の身に降りかかるとは誰が予想出来るであろうか。まして幼い
俺の目の前で両親が煉獄ではなく辺土へ落される様など。

41Awake 3話(14/21):2009/11/03(火) 23:03:35
「輔祭様よぉ、あんたの妹もちゃんと埋葬していなかったから、あんた自身で
杭を打たないといけなくなったんだよな?」
「そうだ、おら達はもちろん、あんただって二度とそんな事したくねぇよな!
?」
「皆さん止めてください! 医者である私が必要無いと裁定を下したのです。
未だにこの村は野蛮と迷信を引きずっている。私が村を出たときから何ら文明
が進歩していない」
 補祭は生きている人間を屠った己の罪を村人に犯させたくなかったのだろう
か? 確かに医者や俺達が狂気の渦に巻き込まれたまま言葉を繰り出しても収
まらないだろう。それどころか今度は自分達の命が奪われてしまう。だけど…

「腱を切り火葬する以上、機密……お前達は秘蹟と呼んでいたな。秘蹟は与え
られん。始めろ」
「……貴様」
「私はお前たちに永劫憎まれてもいい。だが……弱い、人々の心や感情は許し
てやってくれ」
 輔祭は眼光を鋭くして村人達に命令しながら申し訳なさそうに俺達を一瞥し
、止めるはずの司祭は狂気と興奮と怒号を上げる村人達に「止めろ」と言った
ところで逆に自分の身が危なくなると思ったのだろう、青ざめた顔でその場か
ら動けないように見えた。
 もちろん今ではその感情も理解できるし、彼らとて神の名を口にする前に人
間であるのは解っているが、光に隠れながら真に救済するべき者を虐げた感情
を許すことは出来なかった。力を持たなくても人の感情を踏み躙り侵す事を許
しては魔物と同義の存在に堕している。今でもその考えは変えることは無い。
師匠のような冷徹さとヒューのような力が無くても俺が戦う立脚点だ。
「輔祭、ここまでの状態であれば立ち上がることも無いでしょう! 司祭、あ
なたも何か言ったらどうですか! 埋葬式を! 宗派は違えど異教人のパニヒ
ダ(非正教徒に対する葬儀)で対応できるでしょう。お願いします!」
「畜生! 秘蹟すらしてもらえないだと!? お前らどこまで非道なんだ! 
動けず止められないならせめて……ネイサン見るな、見るんじゃない!」

42Awake 3話(15/21):2009/11/03(火) 23:06:40
「こ、この餓鬼……なんて力だ」
「生憎だが俺はただのガキとは違うんでね。離せよおっさん!」
「お前は補祭様の言葉を聞いていなかったのか?」
「馬鹿野郎! どんな姿になっていても親は親なんだ。生温い擁護は逆に過去
を貪る材料にしかならない……っ。だけど他人が弄ぶのだけは受け止めること
はないんだ!」
有らん限りの力を振り絞ってヒューは羽交い絞めにしている村人を引きずりながら
俺の眼前に立ち、必死の形相を俺に向けて村人と自分の体を盾に立ちはだかっ
たが、
「ネイサンの前から体をどけろ」
 両親の遺体を離れて静かに歩み出てきた師匠は唇を噛み、悲しみを表した貌
で息巻くヒューの行動を制止するため拳で頬を殴った。
 一瞬、その行動に驚き村人はヒューを放し、同時に状況が飲み込めずに呆然と
倒れ込んだヒューは師匠を見上げていたが、我に帰るや否や大声で凄まじい形相
で噛み付いた。
「何で! 見せる方がどうかしている! それに何で殴るんだ! 親父!」
「あなたも残酷な方だ……この場に年端も行かない子供を……それもその子の
両親が死して陵辱される様を見せようとは。やはり下賎な職業についている者
は感覚が狂っている」
 今思えば医者は教区に犯罪者が発生する事を恐れたのではなく、無論俺達を
同情した人道的な感情を持ち得てでもなく己の見地の正確さを否定されたなど
と言う利己的な愚慮を持っての発言であったのだ。
――己の立場と存在意義を無視された時、人はどう動くかにその価値を問われ
得るか……
だめだ、この思考の流れではヒューの最近の言動を貶め、己の浴している立場を
喜んで甘受している卑劣さが際立ってしまう。
それに俺より実力がある故に始末の悪い状況になってしまっている。ただの無力で無能な
人間の誇大妄想が為しえる言動であれば歯牙に掛ける事も無く、俺自身も継承にここまで
心を削り何度も時間を割いて苦悩することも無かっただろう。いや、道に外れた恋情で苦
悩する状況にも陥らないだろうに。

43Awake 3話(16/21):2009/11/03(火) 23:09:04
そして、状況は自分の想いと反して進んでゆく。両親の遺体は村人たちが両手
足首を掴んだ状態で切断されるのを待っていた。
「やめてよ! どうして? 皆のために父さんたちは戦ったのに……モーリスおじ
さん! どうしてとめてくれないの!?」
 肉が、骨が、鈍く緩やかに流れる血が見える。人として構成されている肉体
の要素を見せ青白く横たわる両親の遺体を、護られた人間達が人として存在す
る事さえ許されない姿になるまで鋸で切り刻み、首を切断した瞬間、遺体は人
ではなくなった。
「――やめてぇえぇぇぇっ――……!」
 辺り一面に痛みを感じる事の無い両親の肉体から体内にいまだ残っていた血
が流れ出て大地を、人を染める。しかし村人達は「不浄の肉体」と呼んだ筈な
のにその血を浴びる事を厭わなかった。その姿は護られた者が護った者の肉体
を損壊する事の贖罪を行うかのように。
 俺は叫びながら頭が真っ白になると羽交い絞めしていた村人の体から崩れ落
ちるように座り込み大地に伏して泣き続けた。
それから俺達は彼らが薪を台のように組み、遺体をその上に安置するさまを呆
然となす術もなく見つめ続けるしかなかった。
「こんな事なら……何のためにお前らを助けたんだ――! お前らのために力
を尽くしても、助けても、誰も、誰も」
 腱を無残なまでに切られ燃やされる両親の遺体を見つめ、ヒューは誰に言う訳で
もなくただ憎悪を帯びた科白を呟き、
「力だ……力さえあればこんな風に辱められる事も、それを許す事も無かった
だろうに……それに、残された者の悲しむ姿なんて見たくなかった……」
 そう言って俺に近づき抱きしめるとずっと……ずっとそのままでいてくれた
。それからカルパチア山脈の麓に翳った影が徐々に太陽の光が侵入して消えて
行くとともに、朝焼けの橙色をした光が俺達に降り注いだ。
 その時に見た朝陽の清浄で柔らかな光に照らされ包まれたヒューの流す一筋の
涙、なのに不謹慎にも微笑んだように見えた護り輝く綺麗さに、止める事は出
来なかったけれど必死に村人の行動を最後まで押し留めようとした勇気に絶対
的な信頼を俺に植え付けた。

44Awake 3話(17/21):2009/11/03(火) 23:12:00
それから2ヶ月かけて帰途に着くも師匠達以外の人間に対する恐怖と両親を失
った孤独は俺の心を支配したまま消える事無く、一日中おびえて師匠の家から
出ることすら出来なくなった。
 そんなある日の夜、
「――うあぁぁぁぁーっ」
「今日も眠れないのか?」
「ごめん、夜中なのに大声出して、ごめん……」
「気にするなって言いたいとこだけど、俺が朝早いのは知っているだろ?」
「……うん」
「俺だって、あんなの見たら怖くて眠れないのはわかる。それに……」
 ヒューは悔しそうに歯を食いしばり俺の肩を掴んでまっすぐに見続けたけれど
、やがて直視する事無く俺を抱きしめた。その体温に毎日目を瞑れば見てしま
う魔族の夢を泣きながら吐露することにした。
「……父さん……母さん。何で死んじゃったんだよ、人のために命を落として
……なのにあんな仕打ちは無いよ」
「お前、その夢を見て起きたときに誰もいないのが怖いんじゃないのか?」
「うん。その夢もね、この世にたった一人で取り残されて周りに見えるのは魔
物ばかりで、そいつらに追い回されて最後には食べられてしまうんだ」
「厭な……夢だな」
「もう、2ヶ月以上もこんなのばっかりで眠れないんだ。くるしいよ」
「本当は同性で同じ床に入るのはだめだけど、今日は俺のベッドで一緒に眠る
か? お前の母さんの代わりにはなれないけど」
「前に神父様が聖書の一節になぞらえて言ってたね。でも、いいの? モーリスお
じさんに見つかったら怒られるよ?」
――(皆さんよろしいですか? ソドムとゴモラの行ったような悪徳の極みを
連想させる行為もまた彼らと同じ存在に堕してしまう事なのです。主は皆さん
を見つめ導くと共に悪徳をも看取する存在なのです。主を欺く悲しい行為は避
けなければなりません)

45Awake 3話(18/21):2009/11/03(火) 23:15:22
「いい。俺はお前を護るって決めたんだから、父さ……親父が何を言ったって
逃げない」
「ありがとう、本当にありがとう」
「泣くなよ。こっちまで泣きたくなってくるじゃないか」
――何かこう、抗い難い仄かな痛みが俺の全身を貫いた。
おれと同じ想いをする人がいなくなってしまえばいい。それにはどうしたらい
いんだろう? と。
 それに両親が居なくなって普通だったら捨てられる所を師匠は面倒見てくれ
ているし、何よりヒューは自分の修行を精一杯こなして疲れているにも拘らず俺の
事を何時も気遣って声を掛けてくれる。
 毎日泣いて暮らした所で両親は帰ってこない。それなのに……これだけ恩や
情けを掛けられているのに一体俺は何をしている? 目の前のヒューが悲しそう
な眼を俺に向ける。違う、お前にそんな貌をさせたい訳じゃない。
 だけどこの時は抱きしめられたのが気持ちよくウトウトし始め、やがて心地
良い感覚に呂律が回らなくなって眠りに落ちようとしていた。
「明日から元気出すから泣かないで……お願いだから」
「だ、誰が泣くもんかっ!」
 ともかくその日ほど今まで生きてきた中で安心して眠れたのはなかったと思
う。今度は自分が勇気を出す番だと考えながら。
――明日はモーリスおじさんに自分が進むべき道を伝えるために。

「おれは決めたよ、モーリスおじさん。いや、決めました……師匠。おれは誰にも
甘えたくない、だから今からおじさんと呼ばずに師匠とお呼びします」
「いいのか? 俺達の途は人のために命を落とすような過酷な物だぞ」
「どこまでやれるか判らない、だけど自分が背負った宿命を無視するような事
はしたくありません」
――そしてヒュー……お前と一緒に力なき人々を助けるために。
 もちろんそう宣言しても一朝一夕で自分の望む姿になるはずは無く、日々、
鍛錬していけば行くほど肉体の軋みが毎日毎日俺を責め立て、師匠やヒューの足手
纏いになっている自分の力の無さに焦りが現れた。
「今日も生き残れたな、俺もお前も」
 ある日の討伐の時だった。俺はいつも戦闘の後にさえ余裕を見せているヒューの
姿が見られる事で自分が生きているのを実感できていた。もっとも、俺は怪我
をして倒れ込んだのを助けられているような情けない格好でいる事が多かったけど。

46Awake 3話(19/21):2009/11/03(火) 23:17:37
「余裕だな。俺は生きた心地がしなかったよ」
「見れば判る。ほら手を出せ、引き上げてやるよ」
「いつもごめん」
「大丈夫か?」
「うん。痛くな……うっ」
「無理をするな。どうしてあんな無茶をしたんだ?」
「あの時のお前と同じ歳になったのに、ちっともお前に追いつけないんだ。
お前は遠くへ行ってしまう。あの時のままの姿で強くなって……だから焦って
実力以上の行動を取ってしまった」
「お前は俺じゃない。俺だってお前じゃないんだ、気にすることは無い」
「……」
「それにお前が一歩引いて状況を座視して、やるべき所で俺を援けてくれるか
ら気持ちよく戦う事が出来る。お前が俺と同じ力を持っていたら互いに牽制し
ながら力を誇示しあう無様な戦いしか出来ないだろうな。つまりだ、柄にも無
い事を考えるなって事だ」
「こいつ!」
 悩んだ事を軽く流されたのには憤ったが、力が無い事に自身が恥じる必要は
無いし、ああ言ってくれた事で俺がヒューや師匠の力の支えになっている事に誇り
を持てるようになった。
 だけど俺だって一度ぐらいお前に勝ちたいし、同僚としては対等の存在と認
めて欲しいんだ。
それなのに戦う姿や修行している時に見せる冷厳な切れのある、同性から見て
もハッとするような端麗さに心が、体が見るたびに疼いてカルパチアの麓で見
た哀しくも温かい表情とは反対の様態のはずなのに、尊敬と憧憬だけではなく
誰にも触れられたくないと言う気持ちが日に日に募って行った。
とうとう俺は兄弟として育ったが故に感じた嫉妬心だったのか、それとも一人
の人間として手に入れたいのか俺自身の気持ちと感情を確かめるために堅信式
の朝、臆病で卑怯な考えと行動だと思ったけれどソドムの罪を犯して弁明する
覚悟が無かったから、寝ているあいつの唇に軽く自分の唇を重ねた。
 ただの憧れなら吐き気を催し、二度とそのような事を考えないと思っていた
が……
それどころか想像していたよりも心地良く、もう一度、違う。ずっとその唇に
触れていたかった。
 重ねた後に嘆息する音と甘い擬音とともに漏れる息遣いに、俺はその姿をも
のにし誰にも触れさせずそれを守るため力は及ばないまでも、ずっと一緒に生
きて行きたいと切望した。

47Awake 3話(20/21):2009/11/03(火) 23:20:20
 だけどそう感じたと共に俺はこの考えに到る事は、ヒューや師匠をも巻き込んで
しまう罪を犯したと気づいてしまったけど一人のキリスト者としてその日、罪
の意識を自覚したまま立志した。
 しかし、満たされない感情をおざなりにして過ごすほど俺は強くは無く、堅
信式の次の日もまた次の日も毎日同じ事をしているはずなのに、ある日は寝惚
けて誰かと勘違いしたのか俺の頭を抱き寄せ求めたり、普段のあいつなら絶対
に漏らさないような微かな嬌声をあげ、日々違う反応や様子に飽きる事など無
く日を追う毎に愛おしく思うようになって寝ているあいつの唇を掠め取った。
 もっとも物語で交されるように、互いに貪り合う様な真似は決して出来なか
ったが。
 だけど、その安定した日々は俺が聖鞭を継承した日から崩れてしまった。
家人に告知する数日前に俺は師匠に呼び出されて継承するように要請され、そ
う言われる事に納得行かず「一度もヒューに勝ったことの無い俺に何故そのよう
な話をするのです?」と何日も何度も確認して断り続けたが恩義の前に拒絶す
ることは出来なかった。
 そして継承を承諾したその日ほど朝が、ヒューが目覚めるのを怖いと思った事は
無かった。
 唇を重ねる事に後ろめたさを感じただけじゃない、自分自身の力で捥ぎ取っ
た名誉じゃないのに俺は恥知らずにも「これで対等になったのでは」と考えて
しまった。寝ているあいつを見るたびに事に及ぼうとする感情が一気に溢れ出
そうになって、そう思うと口付けをする事さえとまどい結局、陽光が部屋の窓
から差し込みその光でヒューが起きるまで窓の欄干に腰掛けながらその寝顔を見て
感情を抑えていたが、継承を承諾した事を家人に師匠が告知した後のヒューの顔を
俺はまともに見られなかった。
目を逸らした俺の目の前に進み出て差し出した手の先の表情が寂しく、そして
「おめでとう」と静かに発したその声が、俺とあいつが繋いでいた関係を断ち
切った音に思えて仕方がなかったから。

48Awake 3話(21/21):2009/11/03(火) 23:22:10
 それから俺はその黒檀の瞳を翳らせた苦悩の表情をしたヒューの表情が毎日ちら
つき、後悔と羞恥が混ぜ合わさった何とも言い難い始末の悪い感情に苛まれな
がら、今日までよく眠れないまま朝を迎え、目覚めた時にはすでにヒューは部屋に
いなかった。
「人の世界では万死に値する罪でも、ここではどうだろうか? いや、何を考
えている。他者に自分の意思と決定を委ねることは自分の想いを未来永劫、自
分の望む方法で達成できない事を意味している」
 
 暗い、その上気味の悪い虫や魔物が常にその壁と天井を這い回って獲物を求
めている、先の見えない朽ちたレンガの回廊を突き進む事に今更あらためて気
持ち悪さも恐怖も感じる事は無かったが、扉を開けるたびに戦いながら疲弊し
ても希望が見えてくる心持から取り留めの無い事を一人ごちた。
「さて、過去を振り返る時間は終わりだ。救いなのは少なくとも状態も思想も
混迷するこの城の中では、俺の想いなど小さい上に恥ずべき感情じゃないって
事だ。後の事を迷うのは人の世界に帰ってからすればいい」
 逡巡している内に攻撃が強くなってきた。確かに一区切りを置いて先を見据
え眼前の敵を屠りながら、余計な事に囚われず対処して行かなければ気を取ら
れた瞬間に彼は死んでしまう――己の力のみに頼る生き方をした事など今まで
無かったのだから。

49Awake 4話(1/9):2009/11/07(土) 13:57:52
「ちぃっ!」
 スケルトンが骨を投げ大動物の頭蓋骨であろうか、床や壁に張り付いて口腔
から冷たい炎を発している骨が間を待たずにネイサンに向かって攻撃してきた。少
々当たっても致命傷になる事はほとんど無いが、無意味なダメージは出来るだ
け避けたほうがいい。
 攻撃を避けながらそれらを屠っていくうちに一枚のカードが消失したスケル
トンと頭蓋骨の体内から炎を帯びながら出現した。
ネイサンは消失した物質の中から物体が出現するなど自然界ではありえない現象だ
とは思ったが、何かの足しになるだろうとマーキュリーとサラマンダーの描か
れたカードを拾った。それから面白半分に片手でカード同士を十字にするタロ
ットカードの配列方法の一つであるケルティッククロスを模した所、彼の手か
ら眩しいくらいの光が発現して体を包むヴェールとなり全身を覆った。
「何なんだ一体! 俺はどうなってしまうんだ!?」
 その光が体を通り抜けるごとに自分の身に起こった事象に激しい不安と戸惑
いを隠せなかったが、徐々にそこから力が漲ってきたのには恐怖を少し取り除
く作用をもたらし、神かそれとも悪魔の与えた力だろうかと考えながら天井を
仰いだ。
暗い天井であったのでその時は良く見えなかったが、毒を含む蛇の塊が蠢くの
を見た瞬間に一匹ずつ彼に向かって落ちてきたため咄嗟に鞭を振るうと、範囲
の広い炎が鞭となって断末魔を上げさせながら一瞬にして焼き殺した。
「……馬鹿な。ローマ・カトリックの連中が見たら間違いなく査問審議に掛け
る事象だよな、これは」
 ネイサンは毒蛇が消失する様を見つめながら自分の身に起こった事象を処理でき
ないなりに、前に進むための方策を模索し始め少しの間だが全身の動きを止め
た。
「一体どこから這い上がればいいんだ? 階段なんて無かったし、それに凱旋
回廊の階段さえ出来かけのようだったが……?」
――残る扉はここだけか。
 異様に青白く光る扉が禍々しい様相を呈しているとは思ったが道が無い以上
、進むしか方法は無いと悟った彼は勢いよく扉に手を触れた。
「!?」
 そこにはネイサンの体躯の数倍くらいの嵩はあるだろうか、生命体として異様な
までの大きさを持った双頭のケルベロスが唸り声を立てながら、乱ぐい歯から
雨のような涎を垂らして待ち構えていた。
 彼はその異形の姿に人の住まわない世界に踏み込んでしまった事を改めて自
覚した。

50Awake 4話(2/9):2009/11/07(土) 14:04:32
ネイサンに捨て台詞を吐いたまま走り去ったヒューは、そのままの速度で地下墓地を
探索していた。
そしてある程度己の足で踏破出来る所まで駆け抜けながら、その間に余裕が出
てきたのか己の心を整理し始めた。
――俺は何と口走った? 見苦しい。身近な者にあのような捨て台詞を吐くな
ど。ヴァチカンでもそうだった。親父に詰られたからか? それともネイサンの罪
を知っての葛藤からか? 
 あいつは俺が気付いていないと思っているだろうが、俺に対して友誼以上の
感情を持っている事は知っている。男が男を心身共に愛しむ、ソドムの罪を。

何年もの間あいつは俺よりも早く起きて、最初は寝ている俺の頬に唇で触れ
「ごめん」と悲しげに呟いては軽く唇を重ねた。
 それに対して俺もまた寝た振りをしてあいつに行動の理由を聞きだせずにい
る。
 十年前から弟子同士という立場で同じ部屋で寝起きしているのだ、気付かな
い筈が有ろうものか。
 寝た振りをしているからその表情は窺えないが、多分如何とも為らない懊悩
を秘めた寂寥の漂う貌なのだろう。俺からすればその表情をすることは自分の
信念を自分で勝手に諦めて己の考えを卑下している癖に、俺が与えるほんの些
細な仕草を心のよすがにして己の想いを安定させている身勝手ささえ感じる。
 嫌悪感を覚えてはいるが襲い掛かるような野蛮な真似はしないから、ある程
度の稜線は保っているのだろう。だから我慢は出来ている。
身内が自分に対してソドムの罪を犯しているなどと他人に言っても「拒否すれ
ば済む事だろう」と一蹴されるのは目に見えているし、俺自身が口にしたくな
い。俺が矜持と自尊心のためにあいつを叩き売るような卑怯さを感じるから。
それに何故だか分からないが多分、一時の気の迷いだと思うから言わないだけ
だ。
それなのにあいつが俺に対して好敵手として見ておらず俺自身が勝手にそう考
えているのを知った上で、普段と変わらずに接してくれている事に何故か安堵
を感じている。

51Awake 4話(3/9):2009/11/07(土) 14:07:21
自分でも矛盾する感情が存在している事は信じられんが、そこは触れないで置
こう。これは俺の心の研鑽とは別の分野にあるから、そこまで考えるのは無駄

だ。
しかし、あの「ごめん」という言葉を聞く度に、あいつは単に俺を求めている
のではなく、卑怯にも息子である俺に親父の姿を重ねているのではないかと思
っている。
 だからと言って己が育てられた恩を穢すのを懼れ、想いを遂げられないから
と人の心身を依代にするその姿勢に腹が立つ! あの臆病者! そんなに親父
が欲しければ、死刑を覚悟してでもぶつかればいい!!
 頼むから人をだしにしてくれるな……俺は道化では無い。
 その証拠に聖鞭を継承した数日前の朝から俺に唇を重ねる事は無かった。
それはその日から親父の愛情と信頼を一挙に手に入れたからだとしたら……?

 馬鹿げている! だが、その考えが頭を過る度に否定していたが奴が継承し
て半年経っても指揮系統を誤り、ほうほうの体で戦闘を終わらせる事が多くな
って何度死にかけたか! それに先程ゾンビに囲まれて死にそうな顔で怯えて
いた奴の顔を見たら、奴が実力で代々ボールドウィン家に伝わる聖鞭を継承した訳
ではないと思い知らされた。
 だから俺はあまりの理不尽さに奴を詰った。
む? 奴だと? 俺はいつの間にネイサンに対して奴などと憎々しげな言葉で名指
ししている? 憎い訳でも何でも無いのに? 何故? 

 ヒューはそこまで考え己が下種な考えを膨らませている事に嫌悪を感じ、咄嗟
に佩いている聖剣を素早く抜刀し力任せにレンガの漆喰に突き刺した。
 だが、そのような一時の衝動を形にしても感情のわだかまりは消える筈も無
く、無作為に突き立てた剣からの衝撃で両腕が痺れて我に返った。
「くっ……俺は何を考えている?」
 ヒューがふと剣身を鏡のように己の顔に向けると、そこには苛立ち眼窩が少々
窪んだ魔性のような己の姿が映っていた。そのざまに先程自分が陥った下品な
想像をしたことを思い出してしまい、途端に顔面を歪ませてあまりの惨めさに
聖剣を取り落としその場に額づいた。

52Awake 4話(4/9):2009/11/07(土) 14:14:49
「俺はどうかしている! 奴の事は好敵手だと。それ以上の感情で接するつも
りは無いと思っているのに! 接触が無くなったと思った途端に奴の事を求め
ているのか?」
――嫌だ! 穢れている。肉欲を生ずる穢れは悪魔に付け入る隙を与えるとい
うのに! 何の為に聖鞭を継承する時まで貞潔を守っていると思っている? 
しかもソドムの罪を犯す気など更々ない!
「だが、そんな事もその考えも俺が奴より早く親父を救出する事で消え失せる
。それに親父が何と言おうと俺に継承者の称号と、ハンターのムチを与えない
事は周りが納得しないだろう……。 クク……ハハハハ……」
 己の昏き想いの詰まった文句を、その内容に似つかわしく咽喉から乾いた声
と共に虚ろに暗く呟き、軽く閉じた色濃い睫を縁取った光彩の無い黒檀の瞳を
見開くと、回廊の先に向けてノロノロと立ち上がった。
駆けずり回った先に階段が無いと踏んだヒューは、己の見上げた先にある中空に
浮いた一対のレンガの坂の一方に縄を結わえ付けた戦斧を投げた。
それから動かないよう安定させた後に縄を両手で持つと床を蹴り、あたかも
モーリスの救出が己の手によって成し遂げられる事を実感するように、力強く握り
締めた縄を一握と、一握と進めながら天井に向かって登っていった。
さながら己の心を鼓舞する心持で、そう、誰かは判らないが自分に対して比類
なき賞賛を与える声を心の中で繰り返しながら。
だが本人は気付いてはいない。といってもこの時点のヒューがそうと言われても
頑なに拒否するだろうが、それは己の価値を他人に委ねる積極性のない受動的
な思考によって、突き動かされた行動だったことを。
そして誰かに何かを委ねる行為が魔に対して、共依存を誘発する格好の撒餌に
なるという事を。

53Awake 4話(5/9):2009/11/07(土) 14:19:14
「こんな馬鹿でかい生き物がこの世にいるとは……」
 ネイサンは双頭のケルベロスを目の当たりにして一瞬、巨大さに驚いたが有無を
も言わさずその怪物は獲物を屠るため、その巨体を躍らせて彼に目掛けて飛び
ついてきた。
「ウアァアアアアァ――!」
反応の遅れた彼は前足を胸に受け、自分が開いた扉に背中から激しい勢いで叩
き付けられたが、扉はびくともしなかった。それにネイサンは違和感を覚え、すぐ
さま脱出するため扉をこじ開けようとしたが背後に熱を感じ振り向いた。
「こんな物を相手にしている暇は無い。早くここから脱出して……何!?」
「グルァァアァアアァァッ!」
 咆哮とともに身を焼き尽くすほどの熱量をもった光線が、怪物の口腔の闇か
ら発現しネイサンに向けて一直線に発射された。一瞬でも逃げ遅れたら命を落とす
所であったが幸運にも光線を放つケルベロスの頭部が天井近くに向いたため、
その隙にその体躯の胴体部分近くまで滑り込んだ後すかさず背後に回りこんだ

 その先に扉が見えるとそこからの脱出を試みるため、真っ先にケルベロスの
体躯を駆け抜け扉へ向かった。しかし、
「何だこれは……? 扉が開かない? 一旦入ったら駒を倒さない限り出られ
ない仕組みになっているのか……? クソッ! こんな所で死んでたまるか!」
 ネイサンは扉に施された封印を解呪しようと押したり引いたり、こじ開けながら
考えられる限りの言語で試みたが、扉は頑として押すことも引くこともかなわ
なかった。
――前方に開かずの扉、後方に埒外の獣。戦って血路を開くしか道は無いのか
。たった一人で。

「お前たちの思い通りにさせるものか! いくぞ!」
「グルァァァアァァアァッ!」
――まずさっきから攻撃を食らっているように、正面から奴の攻撃を躱しなが
ら打撃を与えられないのは、俺と奴の攻撃の範囲や等身の差を見れば明らかだ

だったら常に奴の後方へ回り、自分の身を安全な場所に置きながら少しずつで
もいいから確実に力と体力を削っていく。
戦いは正面でのみ行うだけじゃない、人間同士の戦闘でも後方から攻撃する手
段が戦術と認められているんだ。ましてや強大な力を持った非科学的な物に戦
闘のルールを求める必要は無い。

54Awake 4話(6/9):2009/11/07(土) 14:21:54
自分で怯惰、ヒューからすれば臆病だと思われているネイサンの強みは、余計なルー
ルを己に課さず相手の様態に応じて主義を変えることの出来る柔軟性である。
ともすれば変節漢だと言われる行動にも取られがちだが、生き延びるためには
必要な戦術の一つでもある。力が無いからこそ職業として全うするために考え
付いた方法だ。

――ヒューならこんなとき力で突破するんだろうか? 違う、態勢を立て直して
肝心なところで打撃を与える。俺はどうだろうか、スケルトン程度の敵であれ
ば屠れるけど、効率的にこちらの損害を抑えて討伐するほどの敵を一人で考え
て壊滅させたことはない。という事は個人の膂力も必要になって来る状況で完
全に敵を屠れるだろうか?
 生きて早く合流しないと。それだけが俺の希望だ。
 もし自分達が全滅したとして、その報が届いてから討伐隊が編成されるまで
幾日もかかる。だが、その間に完全に力を得るだろう。そうなっては困るんだ

 
ネイサンは、先ほどスケルトンとボーンヘッドを消失させた時に発現したカードの
効果を思い出した。
 埒外の獣に対抗する術は手持ちの聖水を用いて体躯の進行方向に常に攻撃し
ながら、自分が持っている攻撃範囲の広い炎の鞭をケルベロスに叩き付け、振
り返るアクションを取ったと同時に接触を避けるため足場を使用し、その際に
また聖水をケルベロスの体躯の前後に投げつけ足止めしながら後方に回り込む
一連の作業をとることに決めた。
――だが、実際にやって見なければ判らない賭けだ。賭ける物は己自身の生命

 
彼は考察したと同時にケルベロスに対して実行しにかかった。ただ、考えてい
ただけではもちろん失敗するもので、その作戦がある程度のパターンを持って
ケルベロスを嵌める事に成功したのは、攻撃の種類が体の色の変化によって異
なると気づくまで何度か突撃して攻撃を喰らいながら見極めての事だったが、
連続してダメージを与える事が出来るようになるとケルベロスの動きはみるみ
る鈍化し咆哮も力無い唸り声へと変わって行った。
 やがてケルベロスの体躯から炎が出現し始め、その姿が実体よりも陽炎に包
まれる比率が高くなった瞬間に――跡形も無く消えた。

55Awake 4話(7/9):2009/11/07(土) 14:24:53
「倒した……のか?」
 ネイサンは体をその場で四方に向けながら辺りを確認してもケルベロスの気配も
、姿も見えないことを確信すると自分が開いた扉と対面側になっている扉に向
かって走り出した。
最初に予想した通り、その扉は駒を倒して解呪され開く仕組みになっており、
扉に触れたとたん宝飾品や金貨、銀貨が散乱している部屋が現れた。さながら
宝物庫と言ったところだろうか、部屋の宝玉台に鎮座している本当の宝は、ト
ルコの金細工のような精緻な模様の金鎖がワインのような深い赤みを持つ宝玉
を銜えた首飾りであった。
「何て暖かい光を放っているんだろう……」
 彼は余り宝飾品に対して特別な感情も所有欲など持ち合わせてなかったが、
度重なる気味の悪い現象や魔物の存在に辟易していたため、変化の無い美しい
物質に心を落ち着かせるかのように護符として身に着けたいと思い首飾りを手
に取り宝玉を指で抓むと、飾蝋の方に向けその光に翳し透けて太陽のような輝
きを生きて見る事が出来る喜びを噛みしめた。
それから自分のポケットに突っ込んだと同時に駆けだし、中途に空中に浮かぶ
コフィンとミイラの群れをタイミングを見計らって振り切りながら、届くかど
うか判らないが壁に向かって駆け上がろうとした時、
「な……壁に」
 足を挫いて立位を保てなくなりそのまま壁に激突しながらずり下がると思っ
たが、体が白く光り自分の足元に白い魔方陣が浮かび上がると少しの間だが中
空に足場が出現し、壁を登りきると同時に狼狽した。
「……嘘だろう? もしかしてこいつのせいか?」
 ポケットから首飾りを取り出し紅玉を見つめ顔を顰めつつ、ここには人間の
世界および自然界の摂理や法則すらも通じないのに改めて悄然としたが、人の
世界でない場所に踏み込んだ以上その状況に従おうと腹を括り事象を利用する
事にした。

56Awake 4話(8/9):2009/11/07(土) 14:28:41
――師匠。あなたを助けるための手段を得る事が出来ました。これで謁見の間
いや、あなたが捕らえられている儀式の間まで急ぐ事が出来ます。待っていて
ください。生きていてください――
「だけど、ヒュー……お前は今どこにいるんだ? お前がいないと師匠を助ける
事なんて出来ないのに」
 寂しそうに呟いていたが気を取り直し、ネイサンは湧き上がる喜びから自分の体
力を省みず全速力で魔物を屠りながら儀式の間へと向かった。
 儀式の間の直前の部屋にある自分達が落とされた穴は、大きく吹き抜けの奈
落のままぽっかりと口を広げていたが飛び越えられない距離でもなかったので
、儀式の間に通じる木製の古めかしい朱色の扉を蹴破るためがむしゃらに助走
をつけ飛び越えた。
「うわぁああぁぁ――!! あ、危なかった……」
 扉に向かって飛び越えたはいいが足を滑らせて後ろの奈落へ落ちかける寸前
で尻餅をつき慌てて立ち上がって扉へと向かったが、
「…鍵がかかっている。」
――ここまで来て……扉の先にはあなたが居るかもしれないのに、どうしたら
良いのですか。どうしたら……鍵を手に入れるためにまた、戦わないといけな
いのか。
「でも、木の扉なら炎を使えば焼け落ちるんじゃないのか?」
 炎の鞭を扉に向かって何度も振るったが扉は存在しているのに焼け落ちるど
ころか、攻撃を透過して逆に自分のほうへと帰ってきた。
「ここまで来て……仕方が無い。死なない程度に探索しながらあいつと合流し
て鍵を見つけよう」
――断続しているけど、あそこは上へと繋がる階段がいくつも存在していた。
そこから手掛かりを探そう。
ネイサンは連絡通路の多い凱旋回廊の方へ向かい、不完全な階段を登るために駆け
出していった。

57Awake 5話(1/7):2009/11/21(土) 22:26:40
その頃、儀式の間を目指して上へ行くため奈落階段を駆けあがり足場に張り付
いているボーンヘッドの冷たい炎を避けつつ、ヒューは足場の先に見える扉を確認
しながら探索していた。
 階段の半ばにある扉を開けると明らかに侵入者が立ち入る事を拒むかのよう
に、天井と床に動かせないよう密着させ配置してある一体の血塗れのアイアン
メイデンが立ちはだかっていた。
「アイアンメイデンとはまた悪趣味な物を」
 血が滴る処刑道具を前にヒューは苦笑したが進路を妨害しているのは変わりな
いので、とりあえず蹴り飛ばす事にした。
 だが、
「――!?」
 鉄靴とアイアンメイデンが接触する鈍い音を響かせただけで、後はヒューが鉄靴
からの衝撃で仰け反り背中から倒れ込んで悶絶するのみだった。
「畜生っ! これならどうだ」
 さすがに聖剣その物を道具として使うわけにはいかないので、その剣身を包
む鉄の鞘を使って天井と床の石を削り隙間を作ろうと思ったが、チマチマと愚
直に周りの状況を見ずにするのはどうかと考えなおし、他に移動できる場所を
改めて探すことにした。
 やがて儀式の間がある凱旋回廊に到達したヒューはネイサンと同様、一心に目指し
扉を壊そうとしたがやはり剣が透過するばかりで押しても引いても進む事がで
きず、扉の形状や魔法陣や魔力が付いていないかどうか確かめた。
――鍵穴があるから物理的な方法で解除できるだろうが、微かに魔力が感じら
れる。鍵自体を生成して施錠したのか。なら、鍵を探すのが先決だが……この
広い城内を無闇に駆けずり回るのは無謀だ。

58Awake 5話(2/7):2009/11/21(土) 22:29:12
「仕方が無い、ここは後回しだ。それにしてもあいつは生きているのだろう
か?」
 ふと、不安そうに自分を見つめる表情をしたネイサンの顔が浮かんできた。やが
て己が突き放し先ほどまで嫌悪を持って悪態をついていた相手の身を心配でき
るほど落ち着きを取り戻した。
――そうだ、我を張った所で状況が一変する事は無いが、いくら腹が立ったと
はいえ討伐をしているのにも関わらず、何故共闘する意思を俺は持たなかった
のだろうか? 止そう。今更考えた所でどうしようもない。とりあえずネイサンを
探して行動するとしよう。
 ヒューは凱旋回廊を駆け抜けた後、回廊の天井にある足場に飛びついてから登
ると、石レンガの塔の部分に出た。それから石レンガの漆喰にダガー数本を
深く交互に突き刺しながら、天井へジグザグに足場と取っ手を作り斜め上に進
行していった。
 ダガーは折れるまで際限なく使用し、やがて区画の最上部が見えてきた。辿
り着いた先は石の回廊だったが途中、障壁となる敵もヒューの前ではただの置物
に過ぎず、敵が攻撃しようとする前に進行に邪魔であれば一撃で屠り、それ以
外は通過して無視するなど殆ど無駄な時間を取らずに探索していった。

59Awake 5話(3/7):2009/11/21(土) 22:32:01
 どこまでも続く不完全な階段と連絡通路をひた走り、ネイサンは通行可能な道を
捜し求めていた。何度か迷いかけたが中途に血が付いた壁が何箇所もあり、目
印としながら進んでいた為どうにか無駄に重複しないで済んだが、じきに破壊
できない岩が通路を防いでいるエリアが目立つようになってきた。
「打破しなければならない敵が近いのか?」
 とうとう自分が踏破出来る通路の全てを駆けずり回り袋小路に追い込まれた。
眼前にはケルベロスが居た部屋と同じ青白く光る扉が見えている。
「またか」
――死にたくない。今まで戦う時も誰かが一緒に居た。師匠、この期に及んで
状況を受け入れられない自分の怯惰に吐き気さえ覚えます。一人で死ぬのは嫌
だと心が、体が扉を開けるのを拒もうとしています。
「だけど、何もしないまま手を拱いて悔恨を残したまま死ぬのはもっと嫌です!」
 解らないままに戦った時は今ほど恐怖を感じなかったのだが、やはり時間が
経つと体に受けていた痛みが蘇りこの世の存在でない物と戦う恐怖が身を竦ま
せた。だが、その恐怖と怯惰は自分の身を守るために培われた手段だと言う事
も彼は自覚している。それを理解した上で固唾を飲み前進した。
 扉を開けた先には中空に浮かぶ濃紺の布が浮遊していた。否、実体のない人
型に膨らんだネクロマンサーの姿である。
 その異様な姿にネイサンは息を呑み凝視していたが、やがて肉体を持たない魂魄
だけの存在が白く炯々とした不気味な双眸を点滅させ、嘲った口調で洞穴から
響くような声を発し始めた。

60Awake 5話(4/7):2009/11/21(土) 22:34:23
「あの奈落に落とされて生きていたとは。悪運の強い奴…。」
「邪魔をするな!」
 微かに笑ったように見えた風情にネイサンは緊迫した場にそぐわないと違和感を
覚えたと同時に、何も見えない魔性より見える魔性は恐怖の対象とならない安
堵を感じて徐々に慣れてきたと思った。だが微かに残っていた恐怖心を掻き消
すかのように大声で恫喝した。
「小僧、冥土の土産に教えてやる。貴様の大事な師匠は既に我らの手中にある。」
「!!」
「…あの老いぼれは、我が主の血肉となる運命だ。儀式の支度が整い、月が
満ち次第な。」
「何だと!」
――嘘だ! そんな事があってたまるか。魔性は嘘を並べる。人の表情と感情
を糧にして言葉を次々と繰り出し人の心に入り込む。
 会話が途切れた刹那、ネクロマンサーは彼に向って両手を翳し光の輪を解き放った。
――チャクラム? 何が出てくるかと思えばただの投擲じゃないか。何っ
「うわあぁぁあぁっ!」
 相手がただの人間であれば投擲されても躱せば済むだけだが、死者の魂を弄
ぶ悪魔にその常識は通用しない。投げられた光の輪は存在が対象物に接触する
まで追尾し続け、ネイサンは断続と連続を繰り返して投擲された光の輪を躱しなが
ら攻撃の機会を待ちつつ駆けていたためバランスを崩してよろけてしまった。
 それを察知した輪が彼を狙って接触してきた。さながら旋風を受けた鋭利な
刃物の如く高速で回転しながらネイサンの身を切り裂き、肉を抉る所であったが間
一髪で皮一枚にとどめた。それでも鮮血が床に迸り、彼は一瞬何が起こったか
解らずその場に尻もちをついて硬直していたが、

61Awake 5話(5/7):2009/11/21(土) 22:36:13
「怖気づいたか? 無理もない。生物というものは魂の消失を恐れる限り痛み
を与えれば弱くなる上に闘争の気概さえ削られていくものだ」
「……!」
 見透かされたかと想像しネイサンは青ざめた。しかし、その様子をあざ笑うかの
ようにネクロマンサーは彼の大切な者達を、あたかも己の操る死者を扱うようになぞ
らえ始めた。
「だが、ただそれを甘受するのは愚かなことよのう? この世界はあらゆる
事象に対応できる可能性が無数に存在すると言うのに、人は禁忌だと言うだけ
で魂のない器を創造するのを拒絶する。貴様も強情な奴よ何故抗う? 血肉と
化しても器さえあれば何度でも蘇り、魂を強化して補填出来るのだ。一時の消
失で狼狽する物でもあるまいて」
「許されるか。そんな方法で生きたとしても師匠は苦悩されるだけだ!」
 彼は憤りこれ以上人の体と魂を弄ぶ文言を聞きたくないとばかりに突っぱね
た。
「……心弱き者。頑なに我ら魔族との会話を終わらせる為に敢えて語気を強め
るは愚かなり」
 ネイサンは迎撃するため身構え瞬時にナイフを投げたが、横に躱わされ揚句に接
近を許してしまった。だが、それに気づき直接鞭で打撃を与えようとした瞬間
、無数の風を纏いネクロマンサーは再び中空へ舞い上がった。
「当たらんぞ小僧。脆弱な攻撃など我には通じない」
――しまった。ナイフでは斜め上に投げたとしても手や体の向きで軌道を読ま
れてしまう。かと言って鞭ではどう考えても数回に一回接近した時にしか当た
らないし確実な方法ではない。浮遊する敵は攻撃を避けつつ投擲できる武器で
打撃を与えるのが上策だったが……
同じ読まれるなら少々機動性は劣るが威力はある斧で魔性の者が真の姿を発現
させるくらいまで体力を少しずつ削り取って行くか。

62Awake 5話(6/7):2009/11/21(土) 22:38:20
見下ろすネクロマンサーを下から睨みつけ鞭と斧を握りしめて、床から無限に湧き出
てくるグールを屠り攻撃の機会を待ちつつ中空からネイサン目がけて追尾してくる
チャクラムを躱していった。
「分を弁えよ小僧。次で貴様の気力を挫いてやる」
「ほざくな! 実体のない者に弄ばれるほど俺は弱くない! 喰らえ!」
 ネクロマンサーが己の身体の前面に青白い防護と思われる魔方陣を展開している間に
動きが停止したと見たネイサンは連続で斧を投擲すると、詠唱に時間を取られてい
たのか数発命中した。
「やるな。しかしこれ以上時間をかけるのは愚策というもの。我が真の力を喰
らいてこの強さと己の脆弱さを煉獄まで引きずるがいい!」
 ネクロマンサーの姿が炎を纏い法衣が焼け落ちると、骨だけになったガーゴイルの
姿が現れた。
――炎が発現した。浄化され剥き身になったか。勝機は見えた!
「キシャアァァアァア――」
 突然の不快な咆哮に身を竦め、何が繰り出されるかと身構えたと同時にネイサ
ンの身の丈の数倍はあろうかという弾力のある緑の球を放たれた。
彼は警戒したものの目測を見誤り無様に吹き飛ばされ、跳ね返ってきた球体
にまたもや接触し今度は押しつぶされると内臓が出るくらいの圧迫を感じた。
 しかも周りには次々にグールより攻撃力の高いスケルトンが床下から現れ、
行動しようとするたびに骨を投げて攻撃してきた。飛ぼうとしても投擲した骨
に当たりタイミングがずれてしまうから厄介である。ただクロスなどで潰して
しまえばある程度の時間は確保できるが、延々と床下から蘇ってくる不完全な
生者をいちいち相手にしてクロスの無駄遣いをする余裕は彼には無い。
使うのであればネクロマンサーがスケルトンを召還している滞空時間を利用しクロス
一つを断続的に利用するほうがましだろう。あとは攻撃のタイミングを計りな
がら回避する。

63Awake 5話(7/7):2009/11/21(土) 22:40:42
――忘れていたがクロスでの攻撃は受けた敵が動かない限り、ずっと攻撃し続
ける特性があったな。
体を押しつぶされた圧迫で咳込みながら口角に滲み出た血を拭い、広間の中央
にある足場を利用しネクロマンサーが詠唱している間を見計らってクロスを投げつつ、
動いたと同時に攻撃せず回避する事に集中した。
 攻撃の強さは変化が無いものの徐々に球体の動きを読めるようになると、殆
ど言って良いほど相手の攻撃を回避できるようになったが、やがてクロスの数
が尽きてしまった。
 だが、ネクロマンサーは依然として自分に対して攻撃を続けている。
――攻撃の手段が尽きてしまった……聖鞭はリーチが短すぎて有効打になるか
どうかさえ判らないのはさっきので解ったが、カード……そうだ炎の鞭は範囲
もリーチも通常より大きい。
 いつ倒せるか判らないが少なくともダメージを最小限に抑え攻撃するため、
回避しながらスケルトンの放つ骨を鞭で焼きつつ足場にネクロマンサーを誘導して近接
攻撃の形を取った。
そして、ついに聖鞭の与える聖なる力によって魂魄の維持が出来なくなった
ネクロマンサーは、断末魔を上げ聖なる炎に浄化され、消滅した。
それから当然、術者を失った不完全な生者がその肉体を自ら維持できるはず
も無く、消滅した瞬間、大量の灰を撒き散らして焼失した。
 一人残されたネイサンは敵が居ない状態に安堵し急に震えが襲ってきたが、
「師匠はまだ生きている!待っていてください、師匠。」
 戦闘に勝利した後に自分の存在を再度確認して人心地ついたのか、様々な事
を考えられるようになった。
「…しかし、ヒューは一体どこへ?」
――ここにもいなかった。広い城の中をお前はどんな様子で、どんな貌で、
どんな想いで駆けて戦っているんだ? お前の姿が見えない事がこれほどにも
辛いなんて。
 お前の息遣い、立ち居振る舞い。どれもが愛おしくいつも傍にあった。どん
な言葉を掛けられてもいい、ただそこにいるだけで俺はどんな障壁にも困難に
も立ち向かえそうな気がする。
 会いたい。ただ、会いたい――
「ヒュー……」
 名前を呟くと自然に涙が溢れてきた。次第に何度も何度も切なく名前を呼び、
求め、あがく様に吐息を洩らし呟きながら探索を再開した。

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