■掲示板に戻る■ ■過去ログ 倉庫一覧■
想像をさらに超えて
-
近未来。
人口問題が解決に向かい、世界が安定し始めたころ。
難産の件数が突如増加し、医師たちが対応に追われた。
ある一人の女医の献身により、難産に対する対処法が確立され、混乱は終息した。
それから、10年がたった。
きっかけは一年前のこと。
「そろそろ10年も経つだろうから、過去のデータを見直す必要があるのではないか」
そんな意見が出たのである。
難産介助の技術についても、それは例外ではなかった。
言うまでもなく、実際の出産から得られる部分の大きい難産介助は、データの更新など極めて難しい。
被験者になる女性への負担があまりに大きい上、命の危険まで背負わせ、その他様々な要因がある。
かつての豊田真奈美のような人物を望むのは難しい。
誰もがそう思い、諦めかけたときだった。
「私がやります!」
一人、声を上げて立候補した女性が居た。
どちらかというと小柄な背格好。
短く見えるが、ポニーテールに纏められた癖っ毛の髪。
勝ち気そうな瞳。
彼女は豊田朝陽。
かつて、真奈美による最初の検証で生まれた娘である……。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あらすじ
前作から10年後、長女である朝陽が、かつての真奈美同様仕組まれた難産に挑む、という内容です。
回想シーンという形で前作途中にて誕生した「真稀」の出産を挟んでも構いません。
登場人物
豊田朝陽:主人公。前作ラストの経験が基で産婦人科医を志し、そのまま邁進して今に至る。
かつて母の挑んだデータの更新を行うこととなるが、様々な事情からかつての母を超える、文字通り前例のない難産を経験することになる。
豊田真稀:朝陽の妹で現在は中学生。自分の出生の秘密を知ってからは出産に得も言われぬ感情を覚え、そういう意味でも姉に興味津々。
朝陽は母譲りの体質に加え、かつての真稀の出産の影響で骨盤が開きにくいという後遺症を負っている。
"
"
-
朝陽の宣言により、トントン拍子に難産介助のデータ収集のチームが組まれた。
チームのチーフは、佐竹彰(さたけあきら)と言う男が選ばれた。
佐竹彰を選んだのは朝陽。彰は朝陽の幼なじみで、恋人であり、真稀の出生の秘密も知っている。
と言うのも、胎児内胎児である真稀を産むために休学した朝陽の勉強を教えていたのは彰だからだ。
成り行きで彰は朝陽の出産にも立ち会い、そこから産婦人科医に興味を抱いた。
母の研究を引き継ごうとしていた朝陽と共に、互いの得意教科を教え合う様になる。
そうしているうちに、2人は恋仲になったと言うわけであった。
精子の提供を彰が行い、体外受精の準備が進められる。
準備を進めていた彰は、難産介助の復習を兼ね、朝陽が真稀を産んだ時のことを振り返っていた。
-
そもそも彰もまた、ここで働いていた医師の息子であった。
たまたま、父から「年下の子が入院しているので、勉強を教えてあげて欲しい」と言われ、なんとなくOKしたのがきっかけだった。
週に一回、日曜日だけでいいからその子に勉強を教えてあげて、退院した時に学校についていけるようにしてやってほしいと。
そう言われて、朝陽と出会ったのだ。
(忘れられるはずがない)
そもそも医者の息子ということもあり、彰は幼少期よりそういう方面に強い関心を寄せる子供だった。
父の資料などを盗み見して、ある程度そういう知識もあった。
だからこそ、彰は衝撃を受けたのだ。
自分よりずっと年下の女の子が、すでに妊娠しているという事実に……。
-
何故妊娠してるのか、彰は興味を持ちレポートを読みふける。
レポートによるとこうだ。
お腹の子供は胎児内胎児である、と。
双子として産まれるべき片割れが、朝陽の子宮に根付いていたらしい。
普通であればそのまま吸収されてもおかしくないのだが、成長しないまま潜伏し、初潮を迎える年齢にまで朝陽の子宮が成熟した時に成長が開始したとのことだ。
生命の神秘を感じ、彰は感動をした。
そして、朝陽と最初に会う日曜日を迎える。
最初に会った朝陽の印象は、つわりで苦しいのか顔をしかめていて、機嫌が悪そうだな、と言うものだった。
-
「えっと……あさひちゃん、だっけ……?」
「……」
声をかけてみるも、いかにも返事をする余裕のなさそうな反応。
本来ならあり得ない事態なのだから、当然か。
青い顔をして、辛そうではある。
「えっと、僕は父さん……佐竹先生から、勉強を教えてあげるように頼まれてきたんだけど……しんどいよね。落ち着いてからにしようか」
うなずく朝陽。
二人の初対面は、そういう形だった。
すぐに、彰はさらなる事情を知る。
今の朝陽は妊娠4ヶ月半に相当し、そろそろ悪阻は治まるはずなのだが、まだその兆候が見られない。
やはり、異常づくめの状態は負担が大きいのではないか、と推測されていたのだ。
それを知り、彰は思う。
(そんなに辛そうな子だったなんて……僕も、支えてやらないと!)
"
"
-
彰は、勉強を教えながら時々身の回りの世話をするようになった。
勉強中に吐き気が来たときは洗面器を直ぐに用意したり、つわりの時でも食べられるものを探したり。
そうしているうちに気付いた事があった。
朝陽は、得意科目は彰の年齢の教科書を見てもわかるのだが、苦手科目は年齢相当の勉強でも苦労しているようだ。
得意科目は主に文系に集中しており、特に記憶力が重要な社会系の科目は得意なようだった。
反対に文系科目が苦手だった彰は、朝陽の気分転換もかねて朝陽から文系科目を教わるようになっていった。
朝陽は、身体の小ささ故に既にかなりの膨らみを見せつつある腹を撫でながら、彰に勉強を教えるのだった。
-
5ヶ月目には安定したこともあり、環境は一旦落ち着いた。
だが、世の中そううまくはいかない。
6ヶ月目頃からが鬼門だった。
一度に様々なことが起こったのである。
まず、この時期は胎児が一気に大きくなる時期である、それは朝陽とて例外ではない。
体に掛かる負担が半端なく、一部の内臓で障害が起きてしまったのだ。
また、大きくなる胎児は栄養を欲する。
だが、朝陽の食べられる量にも限界がある。
当然のように、朝陽はまたしても体調不良になってしまったのだ。
当然、以前にもまして苦しそうな表情が増える。
だが、それでも彰は毎日のように、朝陽への見舞いを続けたのだった。
-
彰の見舞いを最初は嫌がっていた朝陽も、週数が進み、甲斐甲斐しく世話をされているうちに嫌がらなくなる。
機嫌が悪そうな、苦しそうな顔も、時折笑顔を見せるようになる。
笑顔の朝陽は歳相応で、彰もその笑顔に惹かれていく。
そうしているうちに、朝陽は産み月を迎えようとしていた。
朝陽の腹は、幼い体には似つかないようにせり出していた…
-
体の負担も、莫大という表現が適切なほど。
日によって朝陽の体調は大きく変動し、元気そうなときとそうでないときが両極端というほかない。
いよいよ出産が近づいてきたということで、彼女の母である真奈美も、それまで以上に朝陽の元を訪れる。
ここで初めて、彰は朝陽の事情を知った。
難産介助のためのデータ収集。
その結果生まれたのが朝陽だと。
だが同時に、真奈美は彰に言った。
「確かに、朝陽が生まれたのはそういう事情よ。でも、あの子を実験台にしてしまったとはいっても、実験台として産んだわけじゃないわ」
だから本当はこんなことになってほしくなかった。
それでも接してくれている彰に感謝すると。
真奈美は、彰にそう告げたのだった。
それから数週間後。
朝陽が妊娠39週を迎えた辺りでのこと。
勉強中、ふと朝陽の反応が変わった。
「あれ、朝陽ちゃん、どうしたの?」
彰の言葉に、朝陽は少し恥ずかしがりながら言った。
「おもらし、したかも……」
-
最初は彰も尿漏れだと考えていた。
最近の朝陽は、膀胱が胎児に圧迫されるのかよく尿漏れを起こしていたからだ。
だが、週数も週数である事を考えると前期破水の可能性もある。
慌てずに彰は、担当医に連絡し羊水が流れているのかを検査するキットを持って来てもらう事にした。
その結果、前期破水である事を確認された朝陽は、陣痛室に車椅子で向かう事になる。
彰は、その車椅子を押しながら朝陽の様子を伺っていた。
朝陽は、不安そうな顔をしていたが、どこか嬉しそうな顔もしていたのだった。
-
「その、朝陽ちゃん……大丈夫?」
「うん、まだお腹いたくもなんともないよ」
ややぎこちない、そんな会話をする二人。
やはりというか、彰はそこからなかなか切り出せない。
破水している、ということで朝陽をベッドに移すのも医師の仕事。
結局、彰に出来ることはほとんど何もない……のかと思いきや、少し違った。
朝陽が彰の退出を嫌がったのだ。
これには医師たちも困惑し、真奈美に確認を取る始末。
数分間の電話越しの話し合いの末、彰は晴れて陣痛室に残ることになった。
だが、それでもなかなか言葉をかわすことの出来ない彰。
多少知識があるとはいえ、彼もまだ子供で、出産を見るのなど当然初めてだ。
実際、頭の中は幾分か混乱しているのだろう。
通常でありえないことだとわかっていても、それが現実に起きてしまっている。
混乱してしまうのは、当然のことといえた。
-
「本当に…僕で良いのか?付き添うの。お母さんとか居るだろうに…」
「お母さんは家事と仕事で忙しそうだからね。それに、男の人が居ると安心だし。
お父さんが居てくれたら安心なんだけど…ずっと離れ離れだし…ね」
彰の問いに、朝陽はそう答えた。
そう言われれば彰も覚悟を決めるしかない。
妊娠期間同様、彰はサポートをする事に決めた。
「まだ痛みは来てないんだよね?今のうちに食事しとこうか。
病院食の用意をしてくれるように頼んでくるよ。
後はペットボトルの水とか多めに用意をしておくね」
そう言って彰は準備を始めた。
本格的な陣痛が始まれば、彰は朝陽に付きっ切りになる。
だから、今のうちにできることは済ませておこう、と彰は考えていた。
-
本人が緊張しているのか、それとも体が準備をしているのか。
詳しいことはわからないが、朝陽はあまり食事を食べなかった。
気を遣って少なめにしてあった食事でさえ、完食はしない。
流石にそれを彰は不安がったが、ある時彰は気づいた。
朝陽だって怖がっているのだ。
ならば、自分もやるしかない。
だが、それは自分だけではムリだ。
彰はそう考えて、電話を手に取った。
「すいません……豊田先生を呼んでくれませんか?」
真奈美は近くに居たようで、すぐに陣痛室に現れた。
「本当なら、状態をチェックしなきゃいけないんだけど……貴方の言うとおりね、彰くん」
娘が怖がっているのに自分がついてやれないのは悔しいと言って、彰をねぎらう。
それにも、ちゃんとした理由がある。
今回の朝陽の出産の介助を務めるのは、他ならぬ真奈美だからだ。
-
出産の準備をする為に、真奈美は様々な用意をせねばならない。
忙しい合間を縫って、真奈美は来てくれたのだ。
「お母さん…ごめんね、私…やっぱり怖いよ…」
母親の顔を見て安心したのか、そんな弱音を吐く朝陽。
「大丈夫。私が全力でサポートするから心配はいらないわ。
なんたって、私は朝陽と紘人を産んだのよ?
ノウハウはあるから、心配しないで。
不安になったら…来れるか分からないけど、相談してね。
彰くん。私は準備をしなきゃいけないから戻るけど…
何かあったら直ぐに連絡して。出来るかぎり早く駆けつけるから。」
そう言って真奈美は朝陽の頭とお腹を撫で、分娩室へと向かう。
朝陽の顔は、少し不安が消えて、表情の硬さも無くなったようだった。
破水してから4時間半。
少しづつ痛みが増して来たお腹を朝陽は撫で、彰は背中をさすったりマッサージするのだった。
-
「まだ大丈夫……」
朝陽は気丈にそう答えているが、つらそうなのは事実だ。
当然だが、そんなときどうすればいいかを彰は知らない。
焦りを見せ始める中、徐々に痛みは長く、強くなっているようだ。
朝陽の眼からは涙がこぼれ、「お母さん、お母さん」と声を上げる。
何も出来ない自分に歯噛みしながら、彰は彼女を励まし続けた。
それから少しして、状況の推移を見るために介助チームが陣痛室を訪れる。
そして、真奈美の姿を見つけるやいなや朝陽ははっと視線をそちらに向けた。
そして、数秒後……。
「梶田先生、申し訳ないですけどデータ収集を代わってくださります?」
「構いませんが、どうしたんです豊田先生」
「やっぱり……朝陽は、私が直接介助するべきなんじゃないか、って」
そういい切って、真奈美は朝陽へと近づいたのだった。
-
「お母、さん…」
痛みで歪み、不安そうな顔が少し明るくなる。
「ゴメンね、辛かったよね、朝陽。これからは私がずっと一緒だから、心配しないで」
そう話すと真奈美は頭を撫でた。
(これでいい。僕は無力だったけど、これからは母親がいる。
だったら、僕の役目は終わりなんだ…)
自らの無力さを痛感し、身を引こうとする彰。
ゆっくりと立ち去ろうとする彰の手首を掴んだ人がいた。
朝陽だ。
「彰お兄ちゃん、彰お兄ちゃんも一緒にいて!2人がいたら、私大丈夫だから…」
そう話す朝陽の顔は涙と脂汗でびしょぬれだった。
無力な自分を頼りにしてくれている。
その事に感動し、彰は朝陽の手を握る。
そして、破水してから20時間。
陣痛の強さはピークを迎え、子宮口の開きは全開になっていた…
-
「いたい!いたああああい!!!おがあさああああん!!」
「大丈夫、大丈夫よ朝陽、彰お兄ちゃんもついてるわ」
まだ本来は、こういうことを経験するはずのない朝陽。
体がその痛みに対応できるはずもなく、ただひたすらに泣き叫ぶ。
胎児が小さめなことから奇跡的に自然分娩が可能ということだったが、裏を返せばそれが絶大な苦痛を与えていた。
尚、自然分娩を推したのは母の真奈美であった。
帝王切開の方が安全だが、まだこれから長い人生を歩む朝陽に大きな傷跡を付けたくはないと。
そして、万一ではあるが回復が悪く妊娠できなくなる可能性を考えても、帝王切開は避けたいと。
そう主張した結果、自然分娩が選ばれた。
だが、言うまでもなく難産と言える状態だ。
もともと、今の朝陽の体は出産に適しているとはいえない。
体力も、子宮の収縮力も、何もかもが足りていない。
それでも、出産する他ない。
そうであるから、真奈美は全力で支えようと決意したのだ。
そして、そこまで理解していないにしても、彰の感情もまた同質のものであった。
-
「お腹に力を入れたい感じでしょ?大丈夫、もう力を入れていいわよ。
ほら、んーっ、って頑張ってみて」
「ん゛ん゛ん゛ん゛ーーーっ!ん゛ん゛ん゛んーっ!!」
子宮口の全開を確認した真奈美が、朝陽に息むように指示をする。
朝陽は、素直に息みを加えていた。
だが、胎児も小さめではあるが、朝陽の産道も小さい。
なかなか、胎児は産道を進もうとはしていなかった。
それでも、朝陽は息みを続けていた。
僅かづつ僅かづつながら、胎児の頭は産道を進もうとしているのだった。
-
破水から大体、丸1日と少し。
頭が見え始め、いよいよその時は近い。
小さな朝陽の体から、更に小さな赤ん坊が生まれ出ようとしている。
「もうすぐ、もうすぐだからね朝陽!」
真奈美も、そう声をかける。
朝陽の手にも力がこもり、彰もそれに答えるように握り返す。
「んんーーーーっ!!」
いきむ。
「んんんん………っ!!」
またいきむ。
「もう少しよ、朝陽!」
「頑張って、朝陽ちゃん!」
励ます声は真奈美と彰だけではなく、介助チーム全体から聞こえ始める。
もう、データ収集だとかそういう話ではない。
誰もが、心から朝陽、を応援し、助けようとしていた。
その場にいる全員の気持ちが、一致していた。
そして、とうとう。
おそらくは医学界初といえるであろう赤ん坊が、この世に生まれたのだった。
「思えば、僕も朝陽も本格的にこの道に進もうと思ったきっかけって言ったら……そういうことになるんだな」
真稀の誕生を思い返し、そうつぶやく彰。
朝陽が問題なく妊娠できることを祈り、彼は持ち場へと戻っていった。
二ヶ月後。
無事に朝陽の妊娠が確認され、観測が始まる。
真奈美のときと違うところと言えば、朝陽たっての希望により、早いうちから処置が行われていること。
これに関しては、彼女のポリシーが影響している。
朝陽は研究者というよりも医者でありたいと願っている。
そのため、とにかく現場主義でいたい、と常々主張しているのだ。
まだ20歳の彼女は正式な医師ではないが、その心意気から、研究所の一般医療課に所属してインターンという形で働いているのだ。
その彼女が、妊娠程度で止まるとは誰も思わない。
そうであるから、流産は避けようと処置がされることになったのだった。
-
処置を行ったあとの朝陽は、甲斐甲斐しく働いていた。
朝陽の所属している病院では、真奈美の出産のデータやノウハウが決めてとなり、特殊なケースの出産を主に扱っていた。
具体的には、小柄な身体の母の出産を主に扱う。
まだ高校生くらいの少女や、さらに小さい少女。
それから、大人でも小柄な身体の母親は積極的に受け入れていた。
結果、病院内は朝陽くらいの身長の母親が主になっている。
それでも、医師1人当たり1日に数人の出産と10人程度の診察がある。
朝陽は、インターンの身でありながらそれらを軽々とこなし、天才と呼ばれた母の血を引く片鱗を見せていた。
-
「豊田さん、すごいですよね、まだ若いのにあんなに働いてて……」
医師だけでなく、通院している妊産婦からもそんな言葉が出るほど。
本人の人柄の良さもあり、朝陽はすっかり有名人となっていた。
無論、本人はそれにおごるでもなく、普段と変わらず働いていた。
そんな朝陽の悪阻はかなり軽かったらしく、周りからは妊娠すら分からない程度にしか見えなかった。
それもそうだ。
診察や分娩介助を、インターン故に誰かの補助という形でありながら、毎日こなしているのが今の朝陽。
まさか、その朝陽自身が妊娠していると誰が思うだろうか?
やがて、四ヶ月めには彼女自身の小柄さもあっておなかが目立ち始め、事情を知らない人たちの間で大騒ぎになった。
無論、実験のことは言えないので普通の妊娠ということにはしている。
それでも、やはりまだ若い朝陽の妊娠は驚きをもって迎えられた。
周囲が驚いている一方、当の朝陽は医師としての職務をこなしていた。
今日はちょうど、急な分娩介助で手の回らなくなった医師の代わりに、普段担当している妊婦の検診を担当してほしいと言うことだった。
「根津 真名さん、かぁ……8ヶ月ってことは私より先輩だなぁ」
カルテを確認し、診察対象の到着を待つ朝陽。
そして、彼女は度肝を抜かれることになる。
なんと、対象である根津 真名は朝陽よりもいくらか年下に見える外見をしていたからだ。
-
「貴女が豊田先生ね?私くらい小さいって聞いてたけど思ったより大きいわね。
よろしくお願いします。」
朝陽より小柄な真名がぺこりと頭を下げた。
根津真名。22歳と朝陽より年上ながら、外見年齢は年下だ。
その外見の特殊性から、事務員として働く予定の芸能人事務所でアイドルにスカウトされる。
一時期はTVに出ずっぱりだったものの、マネージャーと恋に落ち引退したのだった。
今では立派に専業主婦をしているらしい。
「それじゃ真名さん、エコーを撮りますね。横になってください。」
そう言って朝陽は真名を寝かせるのだった。
-
「子宮底長、胎児の推定体重、どっちも既定値内ですね……何か、気になることはあります?」
「特に……しんどいのはこんな体なら当然だし……体調も特に悪くなったりはしてないし……」
テキパキと、真名の診断をこなしていく朝陽。
こんな体だとしんどいのも当然、という言葉に思わず頷いてしまう。
「あら……?」
その様子に一瞬真名は違和感を覚えたが、特に気にしては居ないようだった。
そして、特に滞りなく検診は終わった。
「っは〜……終わったぁ」
その後も数人の検診に携わり、仕事を終えて一息つく朝陽。
白衣を脱いで、ソファに座る。
ある意味、これが合図とも言えるだろうか。
これで、医師としての朝陽の出番は終わり。
ここからは、検診を受けるがわ、一人の妊婦としての朝陽の出番だった。
-
「…うん、エコーでも胎児の異常は無さそうだね。順調に育ってるよ、朝陽ちゃん」
彰が、エコーで胎児の様子を見ながら朝陽に話す。
「もう、朝陽ちゃんはやめてよー。一応大人なんだし、さ。
それに恋人なんだから呼び捨ての方が仲よさそうじゃん。
あんまり朝陽ちゃんて呼ぶと私も彰お兄ちゃんって呼ぶよ?」
ジェルを渡されたタオルで拭い、そう話す朝陽。
「はは、ごめんごめん。
逆子とかじゃないし、今のところは大丈夫そうだね。
これからお腹が大きくなったら辛くなるかもしれないけど…大丈夫?」
「大丈夫だよ。私が決めたことだし責任は取らなきゃ。
仕事とかは産休取らないつもりだけどね。
後期過ぎたら、入院しながら働くつもりだよ。」
朝陽の言葉に一瞬驚く彰だったものの、すぐに後期以降のサポート体制の話をするのだった
-
「気にしてくれるのは嬉しいんだけど、ちょっと心配しすぎじゃない?」
「そんなことはないよ。今回の処置を君の体で受けたとなったらどれほど負担がかかるかわからないんだから、やれるだけやらないと」
「大丈夫だって。私、何言ったって経産婦なんだし」
心配そうにする彰と、あまり気負っていない様子の朝陽。
対照的ではあったが、それでも二人はお互いのことを想っていた。
朝陽だって、彰に心配をかけたくないのだ。
「ただいまー」
かくして、朝陽は帰宅する。
5人も弟妹がいる家は、いつも賑やかだ。
中学生の紘人と真稀、それに小学生の双子、駆(かける)と満留(みちる)。
普段なら賑やかなはず、だったのだが……。
「んー、やっぱりちょっと早すぎたかな」
腕時計で気づく。
妹たちは、まだ帰ってくるには早い。
「仕方ない……ゆっくりしとこう」
そう想って、朝陽はソファーで無防備にうたた寝を始めた。
そして、眠る朝陽に近づく影が一つ。
起こさないように、忍び足で。
その視線は、朝陽のお腹に向けられていた。
そう、その影の正体は……。
-
「ふぁぁ…よく寝た…」
「よく寝てたな、朝陽。疲れてるのか?」
欠伸をしながら伸びをする朝陽に声を掛ける男がいた。
「えっ…あ、父さん!?久しぶりだね、いつ戻ったの?」
そう、そこには天道圭太、朝陽の父親がいた。
豊田真奈美とは事実婚状態であり、朝陽は母親の姓を使っている。
「ああ、つい数時間前にな。
あっちでの研究に目処がついたからこっちに戻されたんだが…
まさか、朝陽が難産介助のデータの更新をしようとしてるなんて、な…」
圭太は、少し不安げに朝陽を見ているのだった。
-
「だって、誰かが気づいたらやらなきゃダメじゃない。父さんもそうでしょ?」
「……全く、お前には勝てないな」
圭太がそういうのも無理はない。
仕事が片付いた、ということは彼の専門分野である薬品のデータを取りに来ていた、ということだ。
特に、10年前真奈美のために開発された新型の陣痛促進剤は世界中で評判となった。
それ以前の陣痛促進剤のような、過強陣痛やそれに伴うトラブルの発生頻度を大きく下げることに成功したからだ。
そして、それの改良を圭太はまだ続けている。
もっと副作用を減らし、安全性を高めたいというのが彼の願いだからだ。
そして、1時間もしないうちに朝陽の弟妹が次々と帰ってくる。
紘人がいうには、真奈美は駆と満留を迎えに行ってから返ってくるそうだ。
父親も居るということで、久しぶりの家族全員での食事を心待ちにして、朝陽は期待していた。
ただ一点、真稀の積極性を少し不安視しながら……。
-
今日の夕飯はカレー。それに、サラダとスープだ。
真奈美と朝陽が、全員分の料理を作る。
下ごしらえは、真稀も参加していた。
「朝陽お母さん、これでいい?」
「いいけど…お母さんはやめてね。
たしかに私はあなたのお母さんだけど、それを知ってるのは母さんと父さんとサポートしてくれた人、それに私とあなただけ。
弟たちは知らないんだし、他の人が聞いたら驚いちゃうからね」
「はーい、じゃあ、朝陽お姉ちゃん!」
「そう、それでいいわ。…うん、良さそうね。お疲れ様。」
そう朝陽は話していた。
食事を終え、しばらくの休憩。
担当患者のカルテを見ながらへやにいると、ノックする人がいた。
開けてみるとそこには、真稀がいた。
「朝陽お姉ちゃん、お腹触ってもいい?あと、相談があるんだけど…」
「お腹を触るくらいならいいわよ。それはいいんだけど…相談って?」
「私も出産に立ち会いたいかなーって。ダメ…かな?」
朝陽の質問に、真稀はそう答えていた。
-
「立ち会い、ねぇ……」
少し考え込む朝陽。
予定にない話だし、自分が良くても周りが許してくれるか、という問題がある。
ただ、真稀が興味を持つ理由もよく分かる。
特殊な生まれをした彼女は、やはり気になって仕方ないのだろう。
しばらく考えてから、朝陽は言った。
「よし、それじゃあ、賭けにしようか。きっと時間がかかるから、付き合ってて学校サボりとかだめだし」
賭け、と首をかしげる真稀に、改めて言う。
「私の陣痛が始まるのが、金土日の間なら立ち会いOK、それ以外はダメ、ってことでどう?」
なんとか賭けは成立し、真稀もそれにちゃんと従ってくれるようだった。
そこからはまた忙しくなり、圭太は1週間もたたないうちに再び海外へと向かうことになった。
またいつもどおりの日常に戻る仲、朝陽は6ヶ月目を迎える。
胎児の成長は順調すぎるどころか、気になるレベルに。
どういうべきか、6ヶ月の胎児としてはあきらかに大きすぎるのだ。
-
原因を調べると、朝陽の特異体質に原因があるようだ。
自分自身の成長ホルモンは阻害され、代わりに胎児へと成長ホルモンが送られる。
その結果、通常より早く胎児が成長するようだった。
処置を行わなくても良かったのではないか。
体質が判明しそこまで言われたものの、朝陽は、「意図的に難産を目指すのだから、それくらいのリスクは承知の上だ」と位に返さない。
だが、出産担当のチームは、妊娠超過3ヶ月を予定していたものを、妊娠超過1ヶ月にまで縮めることも考え始めていた。
-
だが、それすらも朝陽は反対した。
最初に決めたことを曲げたくないというのだ。
この様子だと、朝陽は類をみないレベルの巨大児を産むことになるのは間違いないだろう。
当然、周りの医師は危険を訴えるが、幸か不幸か、運は朝陽に味方した。
既になされた処置が、ほぼ変更不可能といっていい状態になってしまったのだ。
詳細はまだ分からないが、どうやら特異体質が関係しているのではないか、という可能性しか見えなかった。
これでは迂闊な行動が予想外の結果につながることもあるため、同じような特異体質の産婦の為、という名目の元に朝陽の処置は現状維持、との通達が出されたのだった。
加速度的に大きくなっていく朝陽のお腹。
本人はもちろんのこと、その様子は弟妹たち、特に真稀にとってもかなり興味深いことのようだった。
朝陽が帰ってくれば一番に出迎え、体調を心配し、写真を撮り、日報の記述まで手伝ってくれる。
異様に熱心なその様子に、朝陽も少し引いていた。
-
真稀が甲斐甲斐しく世話をするのには理由がある。
真稀は出産という行為に興味が深い。
特に、自分くらいの身長である母、朝陽の出産には並々ならぬ興味があった。
さらに言えば、自分自身も将来は出産を体験したいと考えている。
故に、朝陽の出産は真稀にとっては教科書の代わりのようなものだった。
家の家事などは弟妹たちもするようになったが、仕事はそうはいかない。
流石に人数は減ったが、それでも1日1人程度の出産や数人の検診などを行なっている。
今日は、その中でも産み月を迎えた真名の検診があるのだった。
-
「うん、問題はなさそうですね……出産する上でも、全然問題ないと思います」
「そう、ありがとう……でも驚いたわ。まさかと想ったけど、あなたも妊娠してるなんて」
基本的な問診を終え、そのことを伝える朝陽。
真名からの反応もとうぜんのことで、朝陽は軽く笑って返した。
「ええ、私だって、やっぱりね……そもそもこの仕事も、お母さんの影響ありますし」
「お母さん、ね……なるほど」
そう言って、真名も笑った。
どうやら、何か思うところがあるようだった。
そして、その検診から数日後のこと。
真名の陣痛が始まり、いろいろあって朝陽が助産を担当することになったのだった。
-
「どうですか、真名さん?調子は?」
「うーん…まだまだ、って感じですねー。腰はずーんと重いし、お腹もギューって締め付けられたりするんですけど…
直ぐに楽になってますし、そこまで痛くはないですしねー…」
真名の陣痛が始まって数時間たち、陣痛室で2人はそんな話をしていた。
「そうですか、何かあればすぐにきますけど…まだ暫くは様子見ですかねぇ」
「そうですねー。あ、つーっ…また来たっ…ふ、ふぅーっ…
あ、主人に連絡してくれますか?産休取ってくれてるので、自宅にかけてくれたら助かるんですけど…」
真名に言われて、朝陽は直ぐに電話をするのだった。
-
そこから、真名の夫である隆一が到着したのは30分後のこと。
一旦真名の元を離れ、朝陽は参加する助産師達を呼び集めた。
助産担当の医師はすでに合流しており、朝陽はあくまで補助の立場。
だが、これも朝陽がインターン故であり、実質的には朝陽も同格だ。
言うまでもなく、全員が年上。
だが、侮るような人はいない。
熱意と実力を、誰よりも良く知っているからである。
一時間もすると、「大事をとる」という名目で真名は分娩室に移った。
これはこの区画で担当する産婦に共通する対応であり、小柄だと急に分娩が進み急に止まる、といったようなことがあるため、決められたものだ。
無論、間に合わないことも多々あるので担当者には、いつでも助産対応の可能な技術が求められる。
-
真名の陣痛は少しずつ強くなっていた。
だが、急に出産が進む可能性も充分にある。
常に3人がトリオで付き添い、3時間3交代制というシフトが敷かれていた。
朝陽のいるシフトになって、朝陽も真名の分娩室に向かう。
「あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ーーー!い゛だい゛よ゛ぉーーー!」
何回目かの朝陽のシフトになる頃には真名の陣痛もピークに近づき、
分娩台に横になっている真名は怒責グリップを握りしめて泣き叫んでいた。
隆一は、怒責グリップを握る右手を包んだり、痛む背中を撫でたりと少しでも真名の力になろうと必死だった。
真名の股座からは、羊水が少しずつ流れているようであった。
-
「大丈夫大丈夫、ちゃんといきんだら無事に生まれますよ」
泣きわめく真名に声をかけ、なだめる朝陽。
たいそう痛がっているだけで、出産そのものは母体の小ささに比して順調そのもの。
危機感がないわけではないが、比較的和やかな雰囲気の中で出産はすすんでいた。
だが、その中でも朝陽は、また別種の緊張感を持っていた。
当然といえば当然だろう。
なんたって、そのうち自分も経験することだからだ。
いくら一度経験したと言っても、昔のことで覚えていないことも多い。
¥だから、半ば観察するような様子で、朝陽は助産を続けていた。
-
「子宮口が全開になりましたよー、息んでも大丈夫なんで息んで下さいねー」
朝陽の言葉にコクコクと頷く真名。
顔を赤くし、怒責グリップを握りしめ息み始める。
胎児の大きさは標準で、彼女の体型では少しきつめだ。
朝陽は股口の様子を見ながら「息んで」と指示を与え続ける。
少しずつ、胎児の頭が見えようとしていた。
-
「その調子、もうすぐですよ、頑張って!」
「頑張ってるうう゛う゛う゛う゛う゛ーーーー!!」
暴れそうになる体をなんとか制御するかのように、いきむ真名。
それを見守り、支え、朝陽はゆっくりと胎児の頭に触れた。
そして、ついにそのときが来たのだった。
無事に真名の出産は終わり、彼女は一児の母となった。
それを手助けしたのだ、と改めて実感する朝陽。
心地よい疲労を感じながら、彼女は仮眠をとった。
8ヶ月目を迎える頃になると、胎児もかなりの大きさとなり、普通なら臨月相当に。
そこまでくると何が起こるかの保証が持てなくなるため、朝陽は一足早く産休に入ることになった。
ただ、入院は超過が始まってから。
運悪く満床になってしまったので、朝陽は自宅で過ごさざるを得なくなったのだった。
-
産休に入ったとはいえ、完全に休むわけではない。
陣痛が起きる瞬間まで携わっていたい、と言う朝陽の意見を尊重し、
非常勤の産科医として入院中は携わる事になる。
朝陽は、入院までの暇な時間、携わる可能性のある妊婦のカルテを眺める事にした。
朝陽の体の負担を考え、数人に絞られた中で1人だけ気になる人物がいた。
櫻井響(さくらいひびき)、21歳。
体型は朝陽とほぼ同じで、真奈美や朝陽の様に通常の麻酔や促進剤は効かない体質。
そして、妊娠5ヶ月と言うことで、朝陽の超過3ヶ月を考えると同時期に出産予定日があること。
それが朝陽の気にかかった。
「ひょっとしたら、櫻井さんの出産中に私の陣痛が起きるかも、ね。
まぁ、そんな事はなかなかないだろうけど」
朝陽はそう呟くと、カルテを机の上に置くのだった。
-
朝陽が響と初めて顔を合わせたのは、その2週間後のことだった。
たまたま検診の人手が足りなくなり、ヘルプという形で呼ばれたのだ。
担当は当然違う医師だが、やはり置かれている境遇が近いこともあり、二人はすぐに打ち解けた。
もし縁があったらまた担当できるといい、なんてことも言って、その日の朝陽は普段より上機嫌だった。
そして検診を受ける番になり、その顔が一気に渋くなる。
「……超過や体質を考えても、かなり極端……大きくなるのが早くなってる」
ただでさえ成長の早い朝陽の胎児が、ますます大きくなっている。
何を意味するかは言うまでもない。
彼女の子宮は、超巨大児を着々と育んでいたのだった……。
-
流石に出産を早める事も考えた朝陽だが、一度決めた週数を曲げるのも朝陽は嫌だった。
結果、朝陽は自然に任せようとした。
妊娠超過した後、子宮が耐えきれなければ自然と陣痛が起きるだろうと考えたのだ。
もちろん、子宮が伸びる事で危険が生じるのは百も承知。
それでも、朝陽は超過妊娠に積極的だった。
ある意味、自分にしか出来ないという義務感が有るのかもしれない。
覚悟を決めた朝陽は、ヘルプがきっかけで仲良くなった響と連絡を取りながら日々を過ごす。
そうしているうちに、通常の臨月を迎え病床が空いた事もあり入院する朝陽。
胎児の大きさは、4200gにまで成長していた。
-
「分かってたつもりでも、やっぱり暇ね……」
早速、やることをなくし暇になる朝陽。
基本的には健康そのものゆえ、ベッドでじっとしているわけにも行かない。
だが、そうそうアクティブにもなれない。
それは朝陽の性格からはもどかしい話だが、無視は不可能。
「仕方ないか……」
諦めて、朝陽はもう一度資料に目を通した。
検診のたび、朝陽は何度も実感する。
やはり、成長スピードそのものが早い。
4200gになっても、その勢いは止まらない。
朝陽自身の出生体重より重くなるのは間違いないだろう。
そうなれば、その先はギネス記録だ。
そしてその少し後、朝陽はひさしぶりに帰宅することになった。
余りに暇すぎて、本人が苦痛を感じ始めたのだ。
妊娠11ヶ月目のお腹を抱え、彼女はいった。
「ただいま!」
-
2週間の一時帰宅の間、朝陽は家族とのひと時を過ごしていた。
主に戸籍上では妹の、娘の真稀とたわいのない会話をする日々。
だが、それが退屈だった朝陽の清涼剤になっていた。
真稀や響との交流をしているうちに、2週間はあっという間に過ぎていった。
再び病院に戻る頃には妊娠超過2ヶ月を迎え、胎児の大きさは6500gにまで成長していた。
それでも、胎児の成長は、止まる様子を見せてはいなかった…
-
事情を知らない人間が見れば、間違いなく彼女は双子を妊娠していると考えるだろう。
それほどまでに朝陽のお腹は大きくなっている。
小柄な体に、それほど大きな胎児が収まっているのだ。
やがて、ベッドの上に居るのが退屈だったはずの朝陽は、今度はベッドの上から動くのが億劫になってき始めたのであった。
一回一回、目一杯深呼吸をするように息をする。
検診は毎週となり、そのたびに驚くほどの勢いで胎児は成長している。
正直なところ、朝陽自身も、その周りも想定していたレベルを超えている。
超過2ヶ月目の終わりごろには、7000gに。
あと一ヶ月あるのだから、コレ以上大きくなるのは間違いない。
お腹もそれに見合うサイズになり、少しふらつくと体が引っ張られるほどに。
そのような状態だというのに、朝陽はまた、医師として現場に出ることになった。
またしても、響の検診であった。
-
「大きい、ですねー。しんどく無いですか朝陽さん。そんなお腹なのに検診までしてもらって…」
「あはは…辛いけど、でもこればっかりはねー。それに、出産直前までは働きたいってのは私の意思だし」
明らかに大きいお腹に驚く響に、苦笑いしながら話す朝陽。
そして、響の検診が始まった。
響の胎児の体重は3150g。響の体型にしては少し大きいが、通常の範囲だろう。
羊水過多もなく、逆子や回旋異常もない。
この分ならそこまで難産にはならない、と朝陽は判断を下した。
検診が終わり、雑談する2人。
予定日が近いことを話すと、響は驚いた。
「そうですかー。人手不足で病床不足みたいですから…
万が一の場合、朝陽さんは私の出産を手伝わないと陣痛室や分娩台が開かない、なんてことになるかもしれないんですね」
響はそんなことを呟いていた。
-
「なんとか、そうならないようにはしたいんですけどね……」
人手不足ばかりは神に祈る他ない。
はあ、とため息を付き、響と別れてから自室へと戻った。
「あら、、真稀」
部屋に戻ると、待ち構えていたかのように真稀が入室してきた。
「おつかれ、朝陽お姉ちゃん」
「ん、ありがと……」
白衣をハンガーに掛け、下のシャツのボタンを2つ外す朝陽。
疲れた、と言わんばかりにベッドに腰掛ける。
「もうすぐ、なんだっけ?」
「うん、来月くらいね……」
「そっか、早く会いたいな……」
期待に目を輝かせ、子供っぽい表情を見せる真稀。
それを見て、朝陽はすこし頭をなでてやった。
-
そしてついに、妊娠超過3ヶ月に至る。
胎児の体重は7450gを超えた。なんとか朝陽の出生体重より僅かに超えた程度で止まってくれたのだ。
だが、それでも想定以上の大きさに育っている。
体の不調も顕著になっていた。
それでも朝陽は難産介助のデータの為だとレポートを書いたりしていた。
「そろそろ会えるね、楽しみだなあ。元気に生まれてきてね」
そう呟きながらお腹を撫でる毎日。
そして、腹の張りが少し増してきた頃。
慌ただしく朝陽の元を、担当医が訪れる。
「櫻井さんの陣痛が始まったのだが、人手が足りないんだ。
済まないが、手伝ってくれないか」
朝陽は溜息を一回だけつき、近くの白衣に腕を通す。
朝陽のお腹の胎児は、不安なのかもぞもぞと動いていた。
-
ふと気になって外を見る。
雨模様。
それに、天気予報で今日は満月で、大潮だと言っていた。
迷信とは言うけれど、案外嘘でもないのかもしれない。
少なくとも、人手が足りなくなるくらいの出産が始まっているのだから。
(気にしても、今更か)
もう一度ため息をついて、朝陽はあるき出した。
もし何かあったときのためのピンチヒッターと言うかたちで呼ばれているため、朝陽は分娩室でスタンバイ。
とはいえ陣痛室は近いので、余裕さえあれば様子も見せてくれるだろう。
陣痛室から漏れ聞こえるうめき声に少しびっくりしながら、朝陽は準備を整えていた。
-
響の唸り声は段々と強くなる。
その声に呼応するように、朝陽のお腹の張りは加速度的に増していた。
胎児も、嫌がるかのようにもぞもぞと動いていた。
「怖いのかな?それとも生まれてきたいのかな?
…ゴメンね、お母さんはまだ準備出来そうも無いよ。
もう少しだけお腹に居てね」
そう言ってお腹を撫でる。
どれくらいの時間が経っただろうか。
お腹の張りが、痛みに変わろうかというころ。
響が破水した、という事で分娩室に運ばれた。
子宮口はまだ全開ではなく、いきみを逃す指示をする朝陽。
呼吸法を教える朝陽の様子は、自らの息みを逃す練習をしているようだった。
-
見かねた助産師が、一度朝陽を休ませる。
そもそも、立っているのも苦しいようなお腹なのもあり、朝陽は喜んで横になった。
しばらくして、朝陽はいきむ響の唸り声で目を覚ました。
自分のお腹の張りは治まっている。
これならもう大丈夫だ、と、ゆっくりとだが分娩室へ戻る朝陽。
だが当然知るはずはない。
かつての出産で歪んだ骨盤が原因となり、自身の出産がせき止められていることを……。
-
「はい、少しずつ頭が見えてきましたよー、息んでー!」
「ん゛ん゛ん゛ん゛ーっ!ま、まだですかぁ…」
指示を出す朝陽に、不安そうに語る響。
「大分進んでますよー、心配しないで、はい短く息をして!」
朝陽は笑顔で響に語りかけていた。
響の出産は順調で、このまま息めば無事に生まれるだろう。
朝陽は、息みと呼吸の指示を出し続ける。
だが、それが仇となり、気が付かないうちにお腹に力を入れていた朝陽の子宮は収縮を始めていた。
「あ、頭が出そうですよー。もう少し頑張って下さいね!はい、息んでー!」
朝陽の指示に、響は一際強い息みを加える。
朝陽も、自然とお腹に力が入る。
そして。
「頭が出ますよー!後少しですからねー!」
朝陽の言葉通りにズルリ、と響の胎児の頭が出る。
それと同時にパシャリと音がして朝陽の足元に水たまりが出来てしまっていた。
-
「あ、あれ……?」
いくら助産の最中と言っても、何が起きたかはすぐに分かる。
朝陽は、本来ならば響のために用意されていたのだろう吸水パッドを股に当てられると、再び別室へと戻ることになってしまった。
「え、高位破水……?」
状況を聞かされて、朝陽は困惑した。
結構量が出たのではないか、と疑ったのだが、それはなんと高位破水なのだという。
つまり、ここから陣痛が本格的になるのを待つ必要が出てくる。
だが破水は破水ということで、即座に対応が開始される。
不安でありながらも、いよいよであるということがようやく麻ひも実感できるようになってきた。
だが、ここからがまた辛かった。
パッドを当てられた状態で朝陽は、羊水が流れすぎないような体勢をとって安静にしなければならない。
その体勢というのが、クッションなどで腰を無理やり高く上げて仰向けになっているようなもの。
言わずとも、大きな負担がかかっている状態だ。
しかも、この状態で子宮口全開まで耐える必要があるのだった。
-
肺が圧迫されるのか、息苦しさを感じる朝陽。
だが、これも自らが選んだ道の結果だと諦めていた。
痛みが段々と増していく中、遠くから響の赤ちゃんであろう産声が聞こえていた。
徐々に徐々に痛みが増え、息みたい感覚が朝陽を襲う。
息苦しさを感じつつも朝陽は必死に耐えていた。
そして、いつのまにか子宮口が全開になり、朝陽は体勢を整えて息み始める。
だが、彼女は知らない。
真稀の時に歪んだ骨盤が、開きにくくなってしまっている事を。
-
分娩台まで移動できる余裕は多分ないだろう。
陣痛室ですらないが、もうここで産むしかない。
朝陽はそう覚悟を決めて、いきんでいた。
やがて、何かおかしいと気づけたのはしばらくしてからのこと。
すぐに介助チームが対処に当たり、骨盤のゆがみが明らかになる。
奇跡的にも自然分娩は可能ということだったが、問題はそこからだ。
胎児の頭がなんとか通せるくらいに骨盤が広がるまで、朝陽はいきんではいけない、といわれたのだ。
いくらでもいきめそうな努責感と、強い陣痛。
それに襲われているのに、出産のためにいきめなくなってしまったのである。
-
「はーっ、はーっ…う、ぐぅぅ…」
怒責感は時間が経つ度に強くなる。
息まないように、と心がけているのにお腹に力が僅かに入ってしまう。
それも刺激として、少しずつ骨盤は開いていく。
そして、破水してから丸1日経とうかという頃。
ようやく、胎児の頭が通り抜けられるくらい骨盤が開いたのだった。
ようやく息める、と必死の形相で息む朝陽。
だが、怒責感に耐えているうちに体力を消耗したのか。
息みは弱く、超巨大児である朝陽の胎児はなかなか姿を現さなかった。
-
さすがにたまったものではない。
一気に周囲があわただしくなり、介助チームが集まってくる。
本格的な破水があったのを機に、また様子が変わる。
朝陽のいきみが不十分であるというなら、やることは一つしかない。
仰向けの体勢でいきむ朝陽。
それに合わせ、助産師がお腹を押したのだ。
想像を絶する苦痛が朝陽を襲う。
だが、声は出ない。
もはや出す余裕がないと言えるか。
まだ始まったばかりながら、すでにかなりの難産であることが目に見えていた。
-
疲労困憊の朝陽を見かねて、点滴が用意される。
栄養を受けた身体は少しずつ回復していく。
僅かながら息みも強くなり、介助をする医師たちは息みに合わせお腹を押す。
少しずつ、少しずつ頭が抜ける感覚を朝陽は受けていた。
そして。
「ふぅぅう、ん…」
弱いながらも息み続けた朝陽の股座から、ようやく頭が見え始めていた。
-
しかしそれはまだ序の口だった。
頭が見え始めてもすぐには出てこず、ゆっくりと進んでいった。
それでも小さな一歩だが大きな前進には違いなかった。
頭が見え始めたのを確認した医師達はそのことを朝陽に伝える。
それを聞いた朝陽は少しだけ元気が戻り、さっきよりは息む力を強めたのだった。
-
こうして医師達の助産と少しでも息もうとする朝陽の頑張りによって胎児は少しずつ進んでいった。
そして2時間が経とうと言う頃胎児の頭は完全に出て肩の辺りまで出ようとしていた。
「よし肩まで出てきたぞ!!頑張ってください朝陽さん!!」
そう言い医師達がお腹を押し続ける。
そうしている中分娩室に誰かが入ってきた。
「朝陽!!」
他の患者の担当をしていたため遅れてきた彰である。
-
「ごめん遅れた!」
「彰さん、今肩まで出てきたところです。」
「そうかわかった。で僕に何か出来ることは?」
「今朝陽さんのお腹を押しています。」
「じゃあ僕押すよ。」
そう言い彰も朝陽のお腹を押して手伝うのだった。
-
そしてそれからさらに1時間経った頃には既に胎児は腰の辺りまで出ていた。
「もうここまで出てきたらあと一歩です。」
「朝陽、あともう少しだ!!」
しかし朝陽はここで体力が尽きてしまったらしく、息む様子がなくただ『ぜえはあ』と呼吸を繰り返すのみであった。
-
「よし僕が引っ張って出します。」
朝陽の容態を見て判断した彰はそう言った。
もう既にここまで出てきたら引っ張って出した方が早いと判断したのである。
「朝陽あとは僕が引っ張って出すね。」
彰はそう言い胎児の体を掴みゆっくりと引っ張り始めた。
-
ジュルジュル・・・・
「いだあっ!!いだああああいいい!!!」
超巨大児が産道を無理やり押し広げて進むため、少しずつ引っ張る度に激痛が走り朝陽は悲鳴をあげた。
彰は朝陽の悲鳴を聞く度に引っ張るのをやめそうになるが、心を鬼にして引っ張り続ける。
そして引っ張り始めてから5分くらいたった頃ついに・・・・・
-
ジュポッ〜〜〜〜ン!!!
ホギャアホギャア!!!
「朝陽さんおめでとうございます元気な女の子ですよ!!!」
大きな音と共に無事に赤ん坊は産まれた。
「始めからわかってはいるけど、こうして直接見るとやはりとても大きい赤ん坊だなあ。」
彰が取り上げた赤ん坊は他の医師が沐浴させた。
「よかったよ朝陽よく頑張ったね!!」
産まれた赤ん坊が洗われている間、彰は難産を乗り越えた朝陽を労わっていた。
こうして朝陽は試練を乗り越え母子共に無事に出産することが出来たのだった。
そして超巨大児出産に関するデータも無事に取れたのだった。
今回取れたデータも難産の対処に多大な貢献を果たすのだった。
しかしこれで全てが終わったわけではない。
遠い将来また新たなデータを取る為に難産に挑む者はまた現れるであろう。
想像をさらに超えて
END
"
"
■掲示板に戻る■ ■過去ログ倉庫一覧■