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想像を超えて
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近未来。
人口問題が解決に向かい、世界が安定し始めたころ。
ある問題が起きていた。
それは、難産の増加。
原因こそ様々だが、突如として増えたのだ。
初潮を迎えてすぐの妊娠であったり、巨大児の増加。
他にも様々な要因で増加した難産は、産科医療の重要性を高めることとなり、同時に増加原因を調べるプロジェクトも発足。
その中で、ある一つの提案がなされた。
「意図的な難産を起こし、それを介助させることで産科医の助産技術を高める」
今起こる難産に対処するための将来的な計画だ。
倫理面からも議論を重ねられた提案ではあったが、助産技術向上の必要性から提案は承認されることになる。
そして、その提案は某所にある医療研究所で実行されることになり、母胎となることになったのは、一人の女性産科医、豊田真奈美であった……。
真奈美が志願したと聞いたとき、研究所内は騒然となった。
「と、豊田くん、本当に……?」
年配の医師が驚きを隠さず言い、彼女の方を見る。
「ええ。誰かがやらねばならないのなら、私が」
その返答に、周囲はさらにざわつく。
そして、年配の医師が目線を少し下にする。
その行動に無理はない。
なぜなら、先ほどから志願の意思を揺るがせない真奈美の姿が原因だからだ。
くせっ毛で、ウェーブのかかった髪。
女性としてみても明らかに小柄で、子供としか思えない身長。
それに似合った、肉付きの少なく華奢な手足と細い腰。
胸も、大人の女性には程遠いほどに薄い。
とても28歳とは思えない。
写真だけ見せれば、皆が中学生、場合によっては小学生とさえ答える人も出るだろう。
そういう身体の女が、自ら意図的な難産の母胎に志願したというのだ。
まともな産科医なら、皆が止める。
だが彼女は、周りの意見を無視するかのような振る舞いを見せた。
そしてとうとう周囲が根負けし、彼女は晴れて「意図的な難産」に挑むことになったのであった……。
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概要
プロジェクトに志願した主人公、真奈美が難産に苦しむ話です。
医学的な処置の結果、妊娠期間が伸び、そのぶん胎児も大きくなっているほか、真奈美自身の身体からくる様々な原因もあって、本人の想像を遥かに超える壮絶なお産をすることになります。
登場人物
豊田真奈美:主人公。
28歳なのだが身長154cmと小柄であり、全体的に華奢で胸も小さくaカップしかないことと顔立ちも合わせ、かなり年下に見られる事が多い。
さらにそれを加味しても細いほうで、健康を心配されることもあるほど。
年齢の割に経験の豊富な産科医で、自ら志願して今回のプロジェクトの母胎になった使命感の強い人物。
自分の知識があればある程度の対処は可能と考えていたが、想像をはるかに超える超難産に苦しむことになる。
本人は手術経験の全くない健康体のため知らないことではあるが、実は麻酔薬を始め、神経系や分泌系に作用する薬が殆ど効かない体質である。
また、子宮自体は伸びやすいが陣痛がつきにくい傾向があり、巨大児と微弱陣痛に拍車をかけている。
その一方で子宮口は堅く、流産しにくい難産になるための子宮。
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「豊田医師がだなんて、よりにもよって……」
「あの体で妊娠なんて、それがそもそも難しいだろうに」
真奈美が母体に志願したことを知った研究所内の医師たちは、口々に不安の声を上げる。
まるで子供のような体格の彼女に、仕組まれた難産など可能なのか、という不安を抱くのは当然のことだろう。
不安を抱いていない人間が居るとすれば、それはただ一人。
「増加する難産の対処が可能な人材を増やすのが目的なんでしょう?だったら、そのためにはとびっきりの難産を用意しないといけないのよ」
「豊田医師……」
そう、真奈美本人以外に居るはずがなかった。
周囲からは理由すらわからないほどの自信を見せる彼女は、別の部屋へと進み打ち合わせを始める。
まさに、これから彼女が挑むことへの打ち合わせであった。
「えっと……まず、どういう手はずになっているんでしたっけ?」
「こちらが主に予定しているのは、例の学説に基づいた妊娠期間の延長のみですね」
学説に基づいた妊娠期間の延長。
それは「人間の新生児は哺乳類のものと比べると、成体に比べ明らかに未熟児というほかない」という話が根拠となったもの。
頭の大きい人間は、通常の哺乳類と同じほど成長すると出産の負荷が大きいため、あえて外界で生存可能なギリギリの状態で産むように進化したという説だ。
近年の難産のうち、巨大児の増加に適応するための手段として、説の中で語られた「正しい発育レベルは生後3ヶ月頃」という論拠に基づき、様々な処置で妊娠期間を3ヶ月、延長するというもの。
間違いなく巨大児になり、最悪の場合児頭骨盤不均衡すら起こるだろう。
だが、難産に対する介助技術の実技試験としては、むしろ難産にならなくては困る。
どうしようもなければ帝王切開もできる。
そういった前提条件を確認し、いよいよ準備に入る。
卵子は真奈美本人のもの。
精子は非公表だが、真奈美が納得する相手のものだという。
手術台の上の真奈美。
その股間に、管が近づけられ、受精卵が注入される。
これが無事に着床すれば、彼女は妊娠したこととなるのだ。
そう、仕組まれた難産の始まりである……。
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それから暫くして、着床が確認された。まだ姿の気配さえ見せないが、彼女の中には確実にいる胎児。本来ならそのまま10月10日で生まれてくるそれを、外に出るまでの時間伸ばし、さらに手を加えて巨大児化するのだ...
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真奈美自身の産科医としての知識があり、さらに研究所の医師たちは最大限の支援をしてくれている。
だが、体の問題をどうにかするにはそれでも限界がある。
まず、悪阻がかなり重かったのだ。
食べたものをすべて戻してしまうほど吐いてしまうこともあり、日常生活すらままならない。
しかも、駄目だったのは食事の匂いだけではない。
研究所内、清潔を保たれた環境、しかも医療系であるがために避けられない匂い。
消毒液や薬品の匂いを、彼女はひどく苦手としていたのだった。
そのため、食事は高栄養価の特殊なものが用意され、それでも尚足りない栄養は日に一度の点滴で補われることとなったのだ。
こうしなければ、母子ともに危険ではないかと思われる、それほどまでの重い悪阻だったのである……。
悪阻が収まるのも遅く、6ヶ月目の半ばに入ってからようやく収まり始め、無くなったのは7ヶ月目になってから。
安定期になってからは、真奈美の食欲は凄まじかった。
文字通り二人分と言っていいほどの食事を平らげ、周囲からは食べ過ぎを心配されるほど。
当然、一気に食べるのは苦しいのか食事時間も長く、職員たちが食事を摂る時間の最初から最後まで食べ続ける、というような光景も日常茶飯事であった。
同時に、真奈美は自分でも驚いたことがあった。
(食べてるのは自覚してたけど……『私自身の』体重の増加が常識の範囲内だなんて、驚きだわ……)
普通は食べれば自分も太るもの。
だが、真奈美はそうではなかった。
では、栄養はどこに行くのか?
じっと、自分の突き出たお腹を見つめる。
真奈美はため息をついたが、同時に自分の体内で命が育っていることを改めて実感し、微笑んだ。
その後も順調に続く妊娠生活。
どんどん成長していく胎児に悩まされたり、励まされたりしつつ、ついに36週目、10ヶ月を迎える。
とうとう、処置の日だ。
検診後、妊娠期間延長の処置があるという。
不安はないこともない。
34週目の時点で3000gある、明らかな巨大児がこのお腹にいる。
でも、今更どうにもできない。
意を決して、真奈美はベッドに横になった。
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その処置の内容は、案外シンプルなものだった。まず、胎盤の寿命を伸ばすための注射をし、あとは子宮に直接羊膜を強くする錠剤(胎児成長促進剤入り)を入れて、ダメ押しで子宮口を固くする注射を打つだけだ。すごいスピードで終わった処置、効果が自覚できるのは2日後くらいと言われた。
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正直、この時の真奈美には処置の実感がなかった。
何か入れられたり、注射されたりした感触はあったが、それだけ。
特に何か、変化を感じたようなことはなかった。
それよりも、この薄い胸で赤ちゃんにちゃんと母乳があげられるかとか、性別は女の子なので名前をどうしようかとか、そういう方向に考えが行ってしまったほど。
2日後、術後経過の確認として検診が行われる。
事前に検査用の尿を提出して、そこから内診やエコーになる。
だが早速、真奈美は目を丸くした。
担当してくれた医師が、胎盤機能の低下なしと言い始めたのだ。
胎盤機能は臨月に入ると少しずつ低下していくことが多い。
だが、そうではないという。
疑いの態度を見せた真奈美に、担当医は検査結果を見せたのだ。
「本当ですよ豊田先生。むしろ36週より安定してます」
「本当だわ……だとしたら、処置の効果がやっぱり」
「ええ……内診の所見でも、子宮口は36週より閉じているくらいです」
突きつけられた事実に、効果を実感する真奈美。
少し真剣な顔になって、お腹を撫でる。
(ごめんなさい……こんな、実験台みたいな真似をしちゃって)
子供への情が、彼女にも生まれていた。
ここから、限界を超えた妊娠が始まる。
それは、妊娠の時点ですでに壮絶なものになるのであった……。
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無事に臨月を乗り越え、真奈美は妊娠延長1ヶ月目に入る。
通常通り生まれていたとすれば3500gほどだったと推定される胎児は、順調に真奈美の子宮内で大きくなっている。
推定体重はこの時点で4100g。
計算があっているのであれば、経過月数通りの成長といえるだろう。
「ここまで、処置が効果を発揮するなんてね……」
自分のカルテを見ながら、真奈美は感慨深そうにつぶやく。
そして、ふと腰のところのクッションの位置が気になり、それを戻す。
154cmという小柄な体に3500gの胎児が居るだけでも大変なのに、それは限界を超えて居座ることになっている。
そのせいで増加した腰の負担が、最近のちょっとした悩みだった。
デスクワークをするにしても、こういったサポートグッズがないと腰が痛くなる。
そして書類を纏め終えると、彼女はクッションを小脇に抱え、机を手すり代わりに立ち上がった。
「あいたっ」
少しお腹をぶつけてしまう。
ぶつけた箇所に手を当てながら、更にぼやく。
「大変、ねぇ……」
そう言って、彼女は食堂へと向かうことにしたのだった。
そんな日常を繰り返し、妊娠延長2ヶ月目。
ついに真奈美は、丸一年妊娠していることになったのだった。
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通常であればもう胎児の成長は止まっているはずだ。
だが、真奈美の胎児は処置のせいか成長を続けていた。
そのサイズは推定4350g。
それだけではない。エコーによれば、胎児の頭の大きさは9cm。
子宮口は広がって10cmと言われているから、ギリギリ自然分娩出来るか、と言うサイズだ。
さらに言えば、真奈美の骨盤は体型ゆえに小さい。
難産になるのは目に見えていた。
「ふう。今日のレポートはこれくらいかしら」
妊娠期間超過の実験のレポートを書き終わり、真奈美は一息ついていた。
「よう、せいが出るな。ほら、ノンカフェインのコーヒーだ」
真奈美が腰を撫でながらぼぅっとパソコンを見ていると、後ろからマグカップが渡された。
「あ、天道くん。ありがとう」
そう言って真奈美は彼からマグカップをもらった。
天道圭太。真奈美の研究室の先輩であり、一説には真奈美の胎児の精子提供者、つまり父親と噂されていた。
「しかし、大分デカイな、その腹。キツくはないのか?」
「ん?ああ、確かにツライわ。だが、それ以上に幸せも感じるから。
実験台にしてる、って考えたら可愛そうだけどね」
「ふぅん…なぁ、アレ、考えてくれたか?俺が、お前の出産に立ち会う、ってヤツ。
一応、俺も父親候補だし…レポートだけじゃなく、お前の出産に立ち会いたい。ダメか?」
圭太は真奈美にそう尋ねていた。
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「だったら、そうね……」
真奈美は少し考え込む。
どちらにしろ、この研究所に所属する産科医の一人である以上、真奈美の出産を介助することにはなるだろう。
だが、立ち会いとなるとどうだろうか。
父親である、という明確な証拠はなく、仮にあったとしても、事情が事情だけにそういう参加を認められるかどうか。
難しいというのはある。
その時、ふと圭太が口を開く。
「そういえば聞くことがあった。介助の参加者はレポート必須って言ってたけど、結局最後には報告書として纏めるんだったよな?」
「そうよ、そのための総合責任者、つまり報告書の文責を担う人が必要ね」
言い切ったところで、真奈美は気づいた。
「それよ、総合責任者だわ」
えっ、と言って少し固まる圭太。
だが、すぐにどういうことか思い至る。
「なるほど、俺が総合責任者になれば、基準になるのは俺のレポートになるし、最初から最後まで見てないと駄目ってことか」
「貴方が総合責任者をするなら、事実上立ち会うことができるはず。私からも所長に掛け合ってみるわね」
そして、腕時計を見てから真奈美は、その場を離れようとする。
去り際に圭太の方を見て、こう言い残した。
「もし総合責任者になれたらよろしくね。私のお産、貴方に任せるわ」
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それからしばらくして、彼は責任者となった。これでお産を最初から最後まで見れる立場にはなったが、立ち会うといっても実際にずっとそばにいるわけではない。何せこれは実験なのだ。極力邪魔になるものがない状態であらゆる角度からお産を記録しなければならない。なので、彼はほとんどマイクとカメラ越しに私のお産を見ることになる。
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当然、介助が必要となるなら彼が指揮をとる。
つまり、実際に立ち会うこともあるだろう、というくらい。
でも立会い出産は二の次、三の次だと真奈美は感じていた。
圭太が総合責任者で良かったのだ。
たとえ遺伝子がどうであろうと、ああも積極的であるならば子供の父親として十分だろう、と思った。
だからこそ、真奈美は圭太を総合責任者に推薦したのだった。
妊娠12ヶ月目の半ばを少し過ぎ、真奈美は何度めかの驚きを得た。
胎児成長促進剤の効果だろうか。
成長曲線が激しく歪む勢いで、胎児の推定体重が上がっている。
12ヶ月1週目で4350gだったのが、一気に跳ね上がり5150gに。
当然大きさも相当のものとなり、154cmしかない体なのに、なんと腹囲は115cmに。
臨月の少し大きめの双子と同じ重量だと思えば、納得のサイズというほかない。
そのサイズが、彼女の体に収まっているのだ。
流石に真奈美自身もコレには感銘をうけたのだろう。
「この状態で私が妊娠できていることは、医学の力であると同時に生命の神秘というほかない」
レポートをそんな一文で結ぶほどだった。
無論、生命の神秘というきれいな言葉だけで済ませられる状態ではない。
膀胱は極度に圧迫され、トイレが近いなどという表現では生ぬるいほどの頻尿と残尿感。
腰はいつ何時、どんな姿勢であっても痛いし、その負担は更に背中全体の筋肉へ広がっている。
さらに、肺や胃が圧迫されてしまい常に苦しいし、あまり食事をしても苦しくなる。
そのため、初期に使われた高栄養食と点滴が再び使用されることになった。
今の真奈美には尋常ではない負荷がかかっているし、まだ予定日までは1ヶ月ちかくある。
つまり負荷はまだまだ増していくのだ。
それでも、真奈美は辛そうな素振りをほとんど見せていない。
辛いと感じるほどに疲れが溜まったら、耐えきれずに寝てしまっているのも原因だった。
それに、その状態で無理を推してレポートの記述等は精力的にこなしてしまっている。
今の彼女は、まさに情熱を注いでいた。
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彼女はもともと、こういうことは何があろうと絶対にやる人間だったので、むしろこれが当たり前と言えるのかもしれない。彼女を観察している人の一人が書いたレポートに、彼女だけが妊娠していても情熱を注いで仕事ができるのか検証すべきと書かれていたが、言うまでもなく彼女だけが特別なのだ。
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「ふーっ、ふーっ……」
それからしばらくして、妊娠13ヶ月を明日に控えたある日のこと。
突然担当医に呼ばれたので、真奈美は作業を切り上げ向かうことにした。
だが、たまたまその日彼女が作業していた部屋と診察室は離れていたし、車椅子などの置き場も遠かった。
そのため、少しずつでも歩いて向かうしかなくなってしまったのだ。
胎児付属物を合わせれば軽く10kgを超えるお腹。
それを抱えながら歩くのは重労働と呼ぶしかないが、彼女の子宮と処置をされた子宮口はよく耐えた。
1時間ほどをかけて、ようやく診察室に辿り着く。
疲れたと言わんばかりに、真奈美は無言でベッドに横になった。
「お疲れ様……今日は急でごめんなさいね。伝えておきたいことがあって」
「伝えておきたいこと?」
「ええ、毎回尿検査とかしてもらってるでしょう?あと、この前は血液検査も」
真奈美は思い出す。
高栄養食と点滴が効いているかを確認するため、血液を検査したのだった。
その結果で何かあったのでは、と一瞬不安げになるのを見て、担当医はすぐに諭した。
「貴女の方で言っておきたいことがあったのよ。赤ちゃんは健康そのもの、立派な超巨大児よ」
ホッとして真奈美は聞き返す。
「じゃあ、私の、っていうのは何かしら?」
「はっきり言うわ。あなた、ほぼ間違いなく陣痛促進剤が効かないわ」
担当医は深刻な事態であると強調したが、当の真奈美は案外そっけない反応をした。
「今更よ、今更。こんな妊娠してて、今更何が陣痛促進剤なのか、って。辛いのは織り込み済みだし」
優しげにそういう真奈美に、担当医も呆れたような、安心したような顔を見せる。
「覚悟、出来てるのね」
「ええ。もうすぐだもの」
二人は少し笑いあって、そのまま検診となった。
エコーには収まりきらないなんてものではなく、映った場所が胎児のどの部分なのか推測する必要があるほど。
子宮底長は45cm、腹囲は119cmとまさに特大サイズ。
ふたりとも見たことの殆どない記録でもあり、それについてしばらく話しているほどだった。
この時はそれ以上に成長するとは流石に思っておらず、毎週記録ように撮っているものとは別に記念として写真を撮るほどだった。
そして、真奈美はいよいよ13ヶ月めに突入する。
ここからは毎日検診、毎日記録となり、出産に向けての徹底した準備が始まる。
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その徹底した準備の中でも最も重要なのが、難産になるための処置。現代医学のフルパワーで施されるそれは、多少なりとて彼女に負担をかけた。
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無理もない。
とにかく、巨大という他ないお腹だ。
肺、胃、腸、膀胱、脊椎、骨盤、他にも様々な臓器を子宮が圧迫している。
全身血液を送る心臓に、肝臓、そして老廃物を一手に引き受ける腎臓。
真奈美の臓器の全てが、フル稼働しているようなものなのである。
それらは全て、様々な症状となって現れている。
だが、健康に異常がないのが幸いではあった。
「まあ、仕方ないわね……」
症状を自覚しながら、真奈美は自分のデータを見る。
膝が見えないくらい大きなお腹は、120cmほどはあろうか。
もっとも、腹囲というのはベッドに横になった状態で測るもの。
今のように椅子に座っていたり、あるいは立っていたりすればもっと大きく計測される。
そんな尋常でないサイズのお腹を抱えているのだ。
頻尿に残尿感、恥骨痛。
全部、起きて当然だ。
難産になるという可能性は、完全に織り込み済み。
あとはその時を待つしかないと考え、真奈美は平静でいるようにしていた。
そして、13ヶ月5日の検診。
まさに巨大、というしかない。
腹囲は横になって125cm。
子宮底長は、胸囲の50cmに。
子宮はここまで大きくなるのか、と驚くしかないレベルだ。
小柄で胸も小さい真奈美だと、それはよりいっそう目立つ。
皮膚は引き伸ばされ切り、艶を持つほど。
そんなお腹を、どこか誇らしげに真奈美はなでている。
「いよいよ最後ね……もう、待ち遠しいわ」
いよいよ、その時が来ようとしていた。
それを示すように担当医も言う。
「開いてはいないけれど、子宮口に軟化の兆候があるわ。問題なければ数日中よ」
「本当に、もうすぐなのね……」
その日の入浴後から、真奈美に新しい服が支給される。
出産時に問題なく脱げるようなゆるいボクサーパンツ様の下着と、授乳用にカップが外せるようになったスポーツブラ状のブラジャーのセットだ。
発汗や手術の可能性を考慮して、極力薄着の方がいいとされたのだった。
脱ぎ着に人の手を借りなくていいというのもあり、真奈美はそれを快く承諾した。
そして翌日、ついにその時が来る。
真奈美の子宮が、微弱とは言え収縮し始めたのだった。
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ほんの少し、でも確かな痛みが、少々不定期気味にではあるが彼女を襲った。
「ついに...産まれてくるのね」
そういう彼女の目は、やはりというべきか、これから先の苦痛に対する不安で揺れていた。
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「さて、そろそろね……あら?」
私室で8ヶ月頃から日課として続けている胡座の姿勢でじっとしている真奈美の元に、来客が一人。
言うまでもなく、圭太だった。
「その、そろそろって聞いたんだが本当か?」
「張ってきた、ってくらいだから何とも言えないわね……」
圭太に自らまとめたデータを手渡して、真奈美は深呼吸した。
不安がっているのが、圭太にもわかるような深呼吸であった。
真奈美のデータはすぐに担当チームに報告され、分娩の準備が始まる。
とはいえ、まだ陣痛開始とも呼べない状態。
真奈美は冷静に、その時を待つことにした。
手にはストップウォッチを握り、陣痛の間隔がわかるように。
もう、万全は整えた。
コレで駄目なら、あとは運を天に任せるしかない。
緊張しながら、真奈美の中にはある種諦めのような楽観もまた、同居していた。
結局、陣痛はなかなか強くならないまま夜を迎えてしまった。
厳密に言うと、強くはなってきているが、まだ陣痛とも呼びにくいレベルのものだ。
痛いことは痛いが、間隔も長くまだまだとしか言えないものだ。
一緒に食事をした医師たちからも、こりゃまだ先だろうな、という言葉が出る始末。
真奈美自身そんな自覚があるものだから、いつも通りにレポートを記し、早めに眠ることにする。
ここまで大きくなったお腹では、シムスの姿勢でもクッションなしでは眠れない。
寝不足とまでは行かないが、寝るまでに妙に目が冴えてしまっていたのもある。
しばらくして、なんとか眠りにつくことはできた。
だが、彼女が眠っていようと、彼女の出産は止まらない。
徐々に陣痛は、その時へと近づいていたのだった。
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熟睡、というよりは、グースカ寝ているというのが正しいだろう彼女が、陣痛で起きたのは朝5:00のことだった。しばらく続いたその痛みは、彼女の目をすっかり覚ましてしまった。
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朝は朝でも、ごく早朝。
早起きなんてものではない。
「始まったかしら……?」
寝間着代わりのガウンを脱ぎ、真奈美は一息ついた。
まだかなり、痛みの間隔はあるようだ。
緊張するよりも、落ち着くほうが大事だろうと考え、彼女はベッドで楽な姿勢を取った。
(どうせ痛くて起きるだろうけど、できるだけ体力を温存したほうがマシね……)
次に彼女が目を覚ましたのは、45分後。
陣痛開始ともいえなくはないが、それにしたって間隔が長すぎる。
この時間帯では、当直医も疲弊しきっているし、担当チームはみんな寝ているだろう。
先に自分にできることをしようと、真奈美は支度を始めた。
もう一度服装を整え、、ここからどうなってもいいよう上着類は脱いでおく。
無線式のナースコールのいちを確認し、手首に付属のバンドで取り付ける。
それだけの準備を整えると、再び彼女は横になった。
次に陣痛が来たのも45分後。
6路を過ぎていたため、彼女はためらいなくナースコールを押した。
分娩室に直行というわけではなく、まずは陣痛室で待機している担当医に診断してもらう手はずになっている。
すぐに駆けつけた2人に、真奈美は状況を事細かに説明した。
「最初に実感したのは1時間以上前、5時ごろ。それから45分に1度のペースで少し持続的なのが来てるわ」
「了解です。ストレッチャーなどは?」
「まだ初期も初期だろうし……歩いていくことにするわ。促進にもなるはずだし」
そして真奈美は、その巨大なお腹を抱えて陣痛室へと向かい始めた。
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歩いていく、と言ったはいいが、彼女はもともと筋力があるわけでもない。当然すぐに息が切れる。
「はぁ、はぁ、はぁ...」
少し遠くにある陣痛室までが、妙に遠く感じた。
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それだけ長引いてしまっているから、途中に長い間隔のはずの痛みが来てしまう。
流石に辛いのか、付き添いによりかかるようにしてやり過ごす。
そしてまたあるき出し、少し歩いては休憩を繰り返す。
陣痛室にたどり着いたころには、1時間少々が経過していた。
「陣痛……と呼ぶには確かに間隔が長すぎるわね。子宮口は熟化してきてるけど、そこまでしっかり開いてるわけじゃない」
「そう……どう、刺激はできそう?」
「もう少し待ってみないとわからないかしらね……しばらくここにいたほうがいいかと思うわ」
担当医から、更に詳細な説明を受ける。
内診と刺激はまだ先。
通常の分娩開始と同様の間隔になるまでは、データ採取と確認のみ。
その際の利便性を考慮し、真奈美は陣痛室で待機。
部屋自体は自由に歩き回って構わない。
以上の説明を終えて、担当医は連絡のために部屋を離れる。
真奈美としては長引きすぎると良くないと感じている。
なんとか促進できないかと、彼女は立ち上がり部屋を歩き始めたのだった。
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一歩一歩歩くごとに胎児がお腹で揺れる感覚がある。かなりの重さを誇るそれが揺れることによって、うっかり転びそうになりながらも歩いた。ただ、そこまでしても陣痛は強くならない。
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「揺れる」感覚については、錯覚や嘘ではない。
胎児はまだかなり活発に動いている。
それが意味するのは、出産はまだ先ということ。
はぁ、とため息をついて、真奈美はベッドに座り込む。
そして、お腹をじっと見つめ、優しくなで、子守唄を歌っていた。
そこからは着実に、しかしゆっくりと進展があった。
長い時間はかかるが、確かに短くなってきている間隔。
昼食時には朝の45分から30分ほどに。
食事は当然しなければいけないが、状況を考慮してポタージュになる。
間隔がまだ長いこともあって、真奈美はあっさりとそれを平らげた。
「腹が減っては戦はできぬというからね……ちゃんと、食べておかないと」
自分にそう言い聞かせ、彼女はなんとおかわりまでしてのけたのだった。
そして、夜。
入浴はした方がいい、との指示を受け、その準備をする真奈美。
担当医はそのまえに、ふと思いついたように言った。
「真奈美さん、せっかくだし、今のうちに内診と刺激しましょうか?」
このお腹では仰向けになるのも難しい、ということで側臥位になり、片足を上げる。
「よしよし、大丈夫それじゃやるわよ?」
「お願いね」
そして、担当医は真奈美の股に手をゆっくり差し入れると、子宮口に触れてグリグリと刺激した。
あまりの痛みに、真奈美は声を上げる。
「あぐっ!??い、い゛たい!!痛い痛い!!」
「大丈夫大丈夫。痛くてなんぼよー」
痛がる真奈美をそう受け流し、担当医はなおも刺激を続ける。
それが終わり、結局「内診後の腰の痛みにも効く」ということで、真奈美は担当医の付き添いの元入浴することになるのだった。
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「あ〜……」
湯船に浸かり体が温まると、思わずそんな声が出てしまう。
「どう、腰に効くでしょう?」
「えぇ、とっても……でも、それだけ?」
まさか、と担当医は笑う。
じゃあなんだろうか、と逆に問われて、真奈美は即座に答えた。
「血行が安定して、体の緊張がほぐれる……あとは、子宮口とかにもプラスの影響があったり、陣痛もしっかり作ってとこかしら?」
「正解。さすがね」
そんな他愛もない会話を済ませ、風呂から出る二人。
途中陣痛が一回襲ったが、それをやり過ごし、無事に終了。
その後、陣痛室で眠っていた真奈美。
激しくなりつつある陣痛をやり過ごしていたため、うたた寝に近い睡眠ではあった。
そのこともあって、すぐに痛みの変化に気づいた。
(いまので10分間隔、いよいよね…・)
真奈美は一度深呼吸して、まず時間を確認。
「4時21分……」
続いてベッドからなんとか起き上がると、自分のわかる限りの現状を呟き始めた。
「妊娠週数、延長込み53週2日、胎児推定体重、7300g、腹囲、125cm……」
言葉を次々と羅列していく。
どうやら、彼女なりに落ち着こうとしているのと、時間を稼いでいるかのようだ。
やがて、その姿勢が楽なのだろうか。
近くの壁に手をつくような姿勢で中腰になり、ゆっくりと腰を動かす。
その重さもあって、胎児は少しずつ進み始めていたようだった。
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ただ、進むといっても感覚だけの話。実際には弱めの陣痛が襲うたびに軽く胎児が子宮口を開こうとしてる感覚があるだけだ。
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「ここまで来るのに丸1日かー……どう、今の感じは?」
「いかにも潜伏期の陣痛って感じね……本当に、時間がかかりそう」
1時間ほど陣痛に耐えたところで、担当医が早めに起きてきて、様子を見てくれることになった。
まだ会話もできるレベルの痛みということで、真奈美は雑談で気を紛らわせたり、これからの手順の確認をしたり、そうやって陣痛をやり過ごすことにした。
昼頃になり、陣痛の間隔は順調に縮まりつつあった。
進展で言えば活動期にはったころだろう。
だが、ここからが仕組まれた難産ゆえの流れと言えた。
強化された子宮口。
真奈美の体質から来る、弱めの陣痛。
大きすぎる胎児。
その全てが重なり合い、3分間隔の弱い陣痛が真奈美を襲っていた。
地獄の責め苦としかいいようがない。
「ふぅー………ふぅー…………ふ、ぅぅーーーーーーーーーーー!!」
ほぼ3分に1回、きっちりとくる陣痛。
苦しげに息を吐きながら、耐え続ける。
担当医に腰を圧迫してもらいつつ、なんとかこらえることができる。
そして、担当医は真奈美の様子を見て、声をかけた。
「もしかして、深呼吸より叫んでる方が楽かしら?」
こらえるにも、限界がある。
その言葉に、真奈美は大きく頷いた。
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次の陣痛が来る。彼女は思いっきり顔をしかめ、涙を滲ませる。もう我慢できない!彼女の思考からそんな判断が下され、彼女は叫んだ。
「あぁあぁぁぁぁあああ!!いだいいだいいだい!!!」
覚悟はしていた。こんな痛みと延々と戦うことくらい。でも、あまりに辛すぎる。そんな気持ちが、絶叫とともに溢れ出した。
-
「フーーーーー、フゥゥゥウ〜〜〜〜〜〜〜〜!!はぁーーーーっッッ、ぅあぁああーーーーッ痛いィーーーーーーーーーーーーーーッッ!!!」
「辛いね、痛いねぇ……」
「ぅうーーーーーアアァアッッッーーーーー!!痛い痛い!!」
痛みはますます強くなっているのだろう。
真奈美は苦しげに、かつ大きな声で叫んだ。
陣痛が規則的に短い間隔で来ているということは、胎児が下降を始めているということ。
彼女の小さな骨盤に、超巨大児の頭が少しずつ向かっているのだ。
しかも、その行き先たる子宮口はまだあまり開いていない。
想像を絶する苦しみである。
泣き叫び、真奈美は陣痛の波に呑まれていた。
「フーぅぅヴゥゥゥゥウーーーーー!!!痛い、いきみたいィーーーーーーーーーー!!」
更に時間が経過し、夕方頃になって子宮口が徐々に開き始める。
ここからが問題である。
全開にならずとも、いきみたくなる。
しかも超巨大児であるならば、それは恐ろしく強烈なものだ。
弱い陣痛と狭い骨盤。
更に開ききっていない子宮口と来れば、い金ではいけないことなど明白であったし、真奈美もその知識を持っていた。
知識を持っていても、今の真奈美にそれを実行することなど酷であった。
-
極期の陣痛を延々と味あわされてるような状況の現在、いきむなというのはもう不可能だと思う。だが、いきむわけにもいかない。
「あがっ、いぎいいいいぃぃぃぃぃ!?!?!?」
陣痛が来るたびにズシンとのしかかる胎児に、いきめいきめと言われているようだ。だけど彼女はいきまない。
「ゔゔゔゔゔうっううぁぁああああああああああ!!!」
いきみたい衝動を、無理やり叫び声で上書きしているのだ。
-
「ぐううぅっぅうっああああああッッイキみたいのォーーーーー!!」
気持ちを押さえつけながらも、絶叫。
理性がまだ呑まれきっておらず、耐えている証拠。
担当医は励ましの声をかけ続け、様子を見続ける。
まだ全開には遠いが、胎児の頭が大きいせいで全開大のときに近いいきみたさがあるようだ。
耐えてくれているが、どこまで保つだろう。
ふとそんなことを思った担当医は、一言声をかけた。
無論それだけではなく、子宮口をこじ開ける狙いもあったのだろうが。
「どうしてもいきみたい?」
真奈美は、激しく首を縦に振った。
「ん゛ヴヴぅヴぅぅゥゥゥゥウーーーーー!!!」
とうとう、一度だけいきむ真奈美。
同時に触診した担当医は、やはり難産だと確信した。
(すこし開いたかもしれないけど、胎胞にも触れない・……まだ、それなりに高いみたいね)
-
そんなに彼女のお腹が気に入ったのか、胎児は頑なに下がろうとしない。仕方ないので、今まで寝ていた彼女を立たせて、重力に頼ろうとする。ただ、重力によってすごい遅いペースで進む胎児が母体に与える苦痛は凄まじいらしく...
「アッギャアアアアア!!グアッ、アガアアア゛ア゛ア゛ア゛.....!!!」
今まで以上の叫び声をあげた。
-
「まだ下がってこないかー……真奈美さん、介助チーム呼ぶわね」
喋る余裕はないらしく、真奈美は無言で頷く。
即座に待機していた介助チームに招集がかけられ、半数は分娩室に、もう半数はこの陣痛室へ向かっていた。
午後8時過ぎのことであった。
「ぅふっあああ゛ァアアーーーーッ!!ぃいだァイぃいーーーーーーッ!!」
真奈美の絶叫。
もう、何度目ともしれない陣痛だ。
それに合わせて、介助チームが状態をすぐに調べる
「子宮口、現在5cmほどまで開いてます。胎胞形成あり、腹圧は正常のようです」
「骨盤腔への児頭進入は軽度です」
苦しんでいるが、真奈美も産科医。
何を言っているか彼女にはよく分かる。
(うそ……まだ、かかるの……!?)
-
午後10時。
陣痛室に真奈美の叫び声が響く。
陣痛の間隔は今や3分間隔に。
介助チームが彼女のお腹に巻いた陣痛計にも、その周期がはっきり計測されていた。
だが、進展はそれほどない。
理由は主に三つある。
一つは胎児の頭と骨盤の関係。
完全に不可能と言うほどではないが、やはり真奈美の骨盤では超巨大児の頭を通すには至難の業。
降りてくるスピードが、通常の出産より遥かにゆっくりしているのだ。
二つ目は、真奈美の子宮。
ここまで大きくなるほどよく伸び、しなやかな子宮ではあったが、陣痛を起こす力はやや弱いようだ。
そのため正常ではあるが弱めの陣痛が続いており、胎児を降ろす力が小さい。
そして最後の一つは、処置で堅くなった子宮口。
処置がそのまま響いてしまい、通常の分娩第一期に対して倍近く、子宮口が開くのに時間がかかってしまっている。
この三つが合わさることで起こるのは、真奈美への極限の苦痛。
「ぅぐ、ぃいぃいーーーーたぁぁぁああぁあーーーーい゛ぃい゛ぃ゛ーーーーーーーーー!!!」
まだ自分では何とも出来ない上に、まだ時間がかかるという事実。
ひたすら続く苦しみに声を上げながら、真奈美は進展を待ち続けた。
-
「様子を見に来たんだが…だいぶ苦しそうだな、真奈美。
陣痛室の外にまで苦しそうな声が聞こえるぞ」
陣痛に襲われている真奈美に声をかける人がいた。圭太だ。
「ふぅーっ…ふぅーっ…苦しい、ってもんじゃないわ。死ぬかと思うくらい。
でも、まだ死ぬ訳にはいかないわ。お腹の子供を育てる義務があるんだし。」
陣痛の合間なのだろう。冷静に、真奈美は圭太に語っていた。
「そうか。…なあ、真奈美。良かったら、この研究が終わったら、俺と、結婚…」
「え?なに?――ぅぁっ、いたい、いたいいたいいたいいたいぃぃぃぃィィィッ!」
圭太が何かを話そうとするが、遮るように真奈美に陣痛が襲う。
圭太は苦笑いをしながら真奈美の背中を撫でていた。
圭太の手のひらの暖かさが、真奈美の陣痛をほんの少しだけ和らげていた。
「じゃあ、先に分娩室で準備してるからな。
その様子だと俺が立ち会う可能性もあるから。
月並みな事しか言えないが―頑張れ、真奈美」
そう言って圭太は陣痛室から立ち去るのだった。
-
それから更に時間が過ぎて、とうとう深夜0時を回った。
少しずつ進んではいるものの、まだまだ時間がかかりそうだ。
少なくとも見ているぶんには大きな変化がない。
だが、内部では確かな変化があった。
真奈美の狭い骨盤に、巨大な頭が入り込んで、わずかながら進み始めていたのだ。
それはより痛みを強め、またいきみたさも増していく。
「あがっいっ痛ァっあ、がああああああああああ!!腰が、腰がーーーーーーーーーーーーーー!!」
別種の痛みもまじり始め、真奈美はもう何度目か忘れるほどの苦痛の声を上げた。
同じ頃、分娩室側のチームでも準備が進められていた。
器具や薬品類、それに分娩室そのもの。
結構な人数となったチームは、それぞれが分担して準備をこなす、
そんな中、総合責任者となった圭太に声をかけるメンバーが一人。
麻酔科の女性医師、篠原留依である。
「天道さん、ちょっと気になることが……」
「気になること?」
「ええ、以前の検診結果とかも見ていて気づいたんですけれども、この豊田さんの検査結果についてなんです」
そう言って留依が手渡したのは「陣痛促進剤がおそらく効きにくいだろう」と言われたときの検診結果。
それを圭太はまじまじと見つめ、ふとあることに思い至る。
それは、真奈美の体に関するデータ。
ちょうど「陣痛促進剤が効きにくい」根拠となる部分だった。
「おい、コレってまさか……」
「はい、多分、としかいえませんけど……豊田さんには、麻酔が効かないんじゃないかと……」
そして、当の真奈美本人はそんなことを知ることもなく、強くなる陣痛と骨盤の痛みに耐え続けていた。
-
圭太は頭を抱えていた。
当初の予定では、巨大児が産道を通る際に痛む骨盤の痛みを和らげるために麻酔を使う予定だった。
母体や胎児が危険な場合、最悪帝王切開に至ることも真奈美は了承していた。
けれど。
(それが、全て机上の空論になっちまったのか…)
圭太は悩んだ。
それを真奈美に伝えるべきか、と。
悩んだ上で圭太は決めた。
(分かった上で出産に臨む方が幾分楽だろう。
それに…ひょっとしたら)
陣痛促進剤が効かないと聞いた時から、真奈美は覚悟しているかもしれない。
だから、圭太は自分から真奈美に伝えようと決めていた。
それが、チームの総合責任者、そして胎児の父親である可能性がある自分の役割だと感じたからだ。
圭太は、陣痛室へと重い足取りを向けていた。
-
近づけば近づくほど、陣痛と戦っている真奈美の悲鳴が響いている。
廊下の狭さもあって、その声は何重にも反響して聞こえた。
圭太はそれに顔をしかめながらも陣痛室へと向かう、
コレは絶対に伝えなければならないと確信したからだ。
意を決して、陣痛室の扉の前に立つ。
「すまない、天道だ」
ノックして、一声。
扉一枚向こうということもあり、真奈美の叫び声ははっきりと聞こえてくる。
すぐに介助チームの一人が扉を開けてくれた。
だが、真奈美の様子を見て圭太はまたも思い悩んだ。
「痛ァ゛アアアアアアアアアッ!!!」
半分理性を飛ばしたが如き絶叫。
そのたびに、真奈美の足元で膝立ちになっている介助チームのメンバーが、何かを伝えている。
時間はもうかなり経つというのに、破水もまだらしい。
これでは、伝えたところで聴いている余裕があるのかどうか。
少し思い悩んでから、圭太は覚悟を決めた。
「紙とペンを用意してくれ。伝えておきたいが、本人の余裕が分からんので書いておく」
すぐに圭太は、メモ用紙に要件を書き残した。
「真奈美へ。データを見るに、お前の体には麻酔が効かないらしい。そんな体なのに、止められなくてすまない」
そう書かれた紙を別の介助チームに手渡すと、圭太は自分の持ち場に戻っていった。
そして、ドアの向こうで小さくつぶやいた。
「どうしてこんな流れになっちまうんだよ……全く!」
メモ用紙はすぐさま真奈美に手渡されたものの、本人にそれを読む余裕がない。
だが、圭太から渡されたものと聞いたのだろう。
それを強く握りしめ、真奈美はまだ耐え続けた。
午前2時20分、子宮口は7cmほどまで開いていた。
-
「いだぁぁぁァァァ!痛い、痛いのぉぉォォッ!」
少しでも楽になれればと思い腰を叩きながら真奈美は叫ぶ。
叫びながら、ふと手にしていたメモを広げる。
手汗でインクが滲むメモには、それでも見える「麻酔」「効かない」の文字。
(やっぱり、ね)
陣痛促進剤が効きにくい。そんな体質と聞いて予期していたこと。
それでも真奈美は動揺した。
こんな痛みが、出産終了まで続くのか、と。
だが、それでも。
(難産になるのは覚悟していたわ。
だったら…今はこの子を産むことだけに集中しよう)
そう決めた真奈美は叫び続けていた。
時間は4時57分。陣痛開始からほぼ2日、子宮口の開きは8.5センチほどだった
-
正直、進み方はよくない。
初産ではあるが、それでも通常の倍の時間がかかっている。
無論、だからといって真奈美の体力が常人の倍あるわけでもない。
あまりの遷延分娩は危険だ。
だが、それをどうにかするための手段は使うことが出来ない以上、出来ることは一つ。
真奈美と、胎児の体力を信じ、それを助けるだけだ。
介助チームはそれぞれ、出来る限りのことを始めた。
まず、陣痛室のチームにはなにやらパックが届けられる。
中身はスポーツドリンクと、高栄養の点滴。
真奈美の体力が保つように、という配慮のようだ。
汗もかなりかいている状況、真奈美はすぐに水分をほしがった。
-
陣痛に苦しみながら、少しづつ水分を補給する真奈美。
点滴も進められ、少しづつ体力を回復させる。
だが、陣痛の痛さ、骨盤が広がる痛みは和らげられない。
「ぐぁぁぁぁっッッ!!いだい、いだいいだいぃぃィィー!いだいよぉぉぉォォ!」
脂汗が浮かび、頭を振りながら泣き叫ぶほどになりつつある真奈美。
汗と涙で、体内の水分消費も激しい。
水分を補給しても、点滴をされても少しづつ消費する体力
。
だが、それでも。
「この子は、この子だけは産んであげなきゃいけないのォォォォッッ!
世界のために、そして私のためにッ!あぁぁぁアァァァッ!」
そう叫ぶ真奈美。
時間は朝8時32分。いよいよ、子宮口の開きは全開大になりつつあった。
-
子宮口全開大も、母体が分娩台までの移動困難。
準備が整えられていた分娩室にその話が入ったのはすぐのこと。
介助チームの人数が多く、設備もそろっている分娩室のほうが場所としては望ましい。
だが、真奈美にどれほどの余裕があるか。
そこが争点となったが、結論は比較的早めにでた。
とりあえず、分娩室までは移動させる。
分娩台に乗れるかどうかはそのとき次第。
そんな結論の決め手になったのは、陣痛室から来る真奈美のデータだった。
もう2日も陣痛に耐えている。
にもかかわらず、真奈美も胎児もバイタルが全く落ちていない。
奇跡的と言うほかないが、これはつまり産める可能性は十分あるということ。
やがて、介助チームの肩を借りて分娩室に現れた真奈美の様子を見て、介助チームはすぐに「その場で産ませる」ということで一致した。
開口期の痛みに耐える為に叫び続け、すっかり声を枯らしてしまっている。
さらに、耐えきれないのか歩いている最中にもいきみ始めていたりと、これでは待っていられないのが明らかだったからだ。
やがて、真奈美は恐らく一番楽な姿勢と感じたのであろう、足を開き軽く腰を落とし、壁に手をついた立位でいきみ始めるのだった。
-
「ふぐぅぅウゥゥゥゥ!ぐぁぁぁぁっ!アァァァッ!」
陣痛で苦しんでいた時のように叫びながら息みを加える真奈美。
パツン、と水風船が弾けるような音を真奈美には聞こえた。
それと同時にパシャパシャと足元に水たまりが出来始めていた。
破水したらしい。
だが、真奈美には嬉しい、もうすぐだと感じる余裕はない。
ただひたすら、息みを加える。
顔を真っ赤にして、赤鬼が泣くかのような形相で。
圭太から渡されたメモを握りながら。
圭太は、その様子を見ながら祈る。
「俺は神様を信じていなかったが、神様がいるとしたら…
頼むから、真奈美も、胎児も無事に出産を終えさせてくれ」
と。
-
だが、大きな頭は進むにしても非常にスローペース。
狭い骨盤を押し広げながら、それでも少しずつしか進まない。
「あ゛あ゛っ゛ゔぎぃ゛ィ゛ィ゛ィ゛ーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
その痛みを噛み殺すように口を閉じて、真奈美はいきむ。
脚がガクガクと震え、苦しさが全身に広がっていく。
骨盤がきしみ、激しく痛む。
それでも尚、まだ時間は掛かりそうだった。
「胎位異常、でしょうか?」
「触診してみたが、今のところはなんとも言えない感じだ。この調子だとまだまだ時間がかかる」
介助チームのそんな会話でさえ、事実。
実際は頭が大きすぎて極端に進みが遅いのだが、胎位異常を疑われるのも仕方はなかった。
全開大なうえ破水を確認したにも関わらず、まだ排臨と呼べる段階ではなかったからだ。
ようやく児頭の先端がほんの少し見え始めたのは、なんとそれから半日以上もあと、午後9時49分にもなってのことであった。
真奈美の疲労も色濃く見える。
だが、バイタルは未だ母子ともに正常。
まだ、出産はこれからと言えた。
-
(破水した後の羊水を潤滑油にして、このペース…)
息みで叫びながら、真奈美は頭の片隅に考える。
明らかに、遅い。
産科医でなくても、明らかに遅いと分かるくらいだ。
だが、それでも、真奈美は息む。
いや、息まざるを得ない。
産みの苦しみから楽になるには、胎児を娩出するしかないから。
「ぐゥゥゥゥ!ふぐぁぁぁアァァァッ!グギィーィィィィ!」
なりふり構わず、真奈美は息む。
深夜、0時27分。
胎児の頭が、股ぐらから見え隠れし始めていた。
-
一つの山を超えた、と皆が思っていた。
だが、現実はそうは行かなかった。
前例のない超難産というほかない。
見え始めて以降何度もいきんでいるのに、児頭が排臨から進まない。
危険だと思う他なかったが、それでも皆信じるしかなかった。
これも前例が全くないが、ここまで長時間の分娩であってなお、まだ母子ともに健康なバイタルを保っていたのだ。
この超人的な体力にかけるしかなく、その上でできることをするしかない。
それが、介助チームの共通見解だった。
そこから進展があったのは、なんと2時間以上も後。
介助チームは三交代性で仮眠を取っているが、真奈美はそうは行かない。
不眠不休のまま、3日近く出産を続けているのだ。
意識が朦朧としてきているのだろうが、それでもまだいきんでいる。
本能に突き動かされている状態と言えるか。
午前3時になり、ようやく頭が全部出る。
それでもまだ体が残っているし、ここにきてようやく、介助チームの本格的な出番があった。
典型的な肩甲難産事例のそれであるため、対処できる確かな技法があるのだった。
まずは基本中の基本であるWoods Screw手技も使われるが、いきみすぎてダメージのある子宮に指が入っていくのだ。
叫びたいほど痛いが、一緒にいきめと言われればいきむしかない。
続いてMcRoberts法が行われるが、コレもまた真奈美には辛かった。
巨大な頭に押し広げられた骨盤の、最も負担がかかっている恥骨を圧迫されるのだ。
それを何度も繰り返すのは、想像を絶する痛みというほかない。
さらに、介助チームに乞われて四つん這いになる。
あと少しで産める。
それが、今の真奈美を突き動かしている思いだった。
そして、午前5時29分。
「最後、出るよ!」
「んぐグググッギィーーーーーーーーーーーーーーーあ゛アァァァァアア!!!!!」
喉の奥から全てを絞り出すような絶叫とともに当初の想像を遥かに超えた、7300gの超巨大児の女児が誕生し、同時に真奈美は気絶した。
-
こうして、真奈美はなんとか無事に長女となる朝陽(あさひ)を出産した。
だが、そこからの産褥期は地獄というほかなかった。
McRoberts技法が止めとなった、恥骨結合離開。
あまりに長期間の分娩で起きた、膀胱麻痺。
そして、出産そのものの疲労。
真奈美は2週間以上、ベッドの上から動けなかった。
何をするにも子宮を中心に全身が痛み、排尿すら自分の意志ではできない。
仕組まれ、その想像を超えた難産を乗り越えたダメージが、一気にのしかかっていた。
無事出産できたことは嬉しくとも、真奈美にとっては非常に辛いものだった。
彼女の出産は、結果として一定の功績を残した。
圭太のまとめた報告書は難産どころか、巨大児の自然分娩の資料として大きく重宝されることとなった。
また、真奈美の特殊な体質についてのデータも同様。
麻酔が効きづらい体質の人にも安心して手術をするために、新たな手段を考える切っ掛けとなったのだ。
そして、真奈美自身の大きな変化がもう一つ。
結局、圭太と結婚することになったのだ。
遺伝子がどうこうではなく、家族が必要だ、と二人が考えたからであった。
同時に、娘のためを考え、研究所での寝泊まりをやめることになったのだ。
主に圭太の報告書から出た莫大な報酬で、研究所のある島に近い陸地の一軒家を買った。
近くには幼稚園から中学校があり、電車で移動できる圏内に大抵のものがある。
これもすべて、子供のことを考えて選んだ場所だった。
そして、6年後。
真奈美は、朝陽の出産でひどく痛い思いをしたため「当分はいい」などと言っていたのだ。
なのに、だというのに。
どういう因果なのか、それとも意味があったのか。
それとも使命感なのか
6年後、再度の教育が必要と聞いた真奈美は、再び母体に志願した。
朝陽の出産のダメージも癒えている。
彼女はついに、2度めの妊娠を果たすこととなった。
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分娩チームの主任は圭太。
今回は圭太の精子で妊娠すると真奈美は決めていた。
国からも前回の出産である程度の融通をきかせると聞かされていたから。
人工授精ではなく、愛の営みで作った胎児をワザと巨大児に、難産にさせる。
それも今回のプロジェクトの一環だった。
故に真奈美は、研究のためにカメラを回しつつ自らの性行為を取るという淫媚な作業も行う事を決意して臨んでいた。
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それは、計画書通りの流れであるということをアピールする狙いもあったのだろう。
誰にも顧みられることはないが、記録を残しておくこと。
それが重要なのだと、主張しているようだった。
かくして、真奈美は無事に2度めの妊娠。
今回は朝陽の時と違い、悪阻はかなり軽い様子だった。
少なくとも、今回は普通に動けている。
だが、その分ということだろうか。
とにかく、食べることのできなかった前回に比べてよく食べる。
そうなると母体の体重増加を危惧されるのは当然のことだ。
検診結果いかんで食事制限も出るだろう、という話になっていたが、いざ結果を見て全員が、真奈美本人すらも驚いた。
母体の体重増加は、またも規定範囲内で治まっていたのである。
さらに、予想外の事態が起きた。
圭太の、南米に新設される病院への長期出張。
1年半は帰ってこれないとのことで、名目上の責任者ではありながら、今回の計画の大半において不在となることになってしまったのだ。
-
前回の出産では要所要所で圭太の温もりを感じる事が出来た。
だが、今回は出産時には恐らく立ち会えない。
例え通信を利用し立ち会おうとしてもタイムラグがある。
その事に真奈美は不安を感じた。
その不安を、朝陽は聡く感じたのだろう。
「いもうとかおとうとが出来るんでしょ!でも、パパはお外の国にいくから…
だから、私がママをはげます!」
小学校入学を控えた朝陽は胸を張ってそう宣言した。
真奈美の弱いつわりが終わりを迎えた日。
その日に小さな小さな助産師が誕生した。
-
私、お姉ちゃんだもん。
そう言って胸を張る朝陽の姿に、真奈美は少なからず喜んだ。
まだ五歳なのに、こうも殊勝なことをいうなんて、と。
早めに大きくなったお腹を撫でて、真奈美は微笑んだ。
娘がこんなにうれしそうなら、自分もがんばらないと。
そう心に決めたのだった。
それから、真奈美の胎児は順調に成長していた。
高栄養の点滴などは無いにもかかわらず、朝陽のときか、あるいはそれ以上の成長ペースだった。
気にしてさらに詳細な診断をしてもらった結果、いくらかの原因が分かってきていた。
「なるほど……私の子宮が、ねぇ」
自分についての書類を見て、真奈美はため息。
子宮筋の進展性が高く、強度そのものがやや高い。
さらに、朝陽の妊娠で一度大きく引き延ばされたため、再度大きくなりやすいのでは、ということだ。
「となると、もしかしたら朝陽より大きくなるのかしらね……」
はあ、辛いわ、と真奈美はこぼす。
だがそのいっぽうで、彼女は少し嬉しそうではあった。
「でも、順調ってことだものね……大きくなりなさい」
-
妊娠中期、後期と順調に胎児とお腹は成長する。
36週を迎えた時には、胎児は3430gにまで成長していた。
羊水も少し多いのか、前回の10ヶ月の腹囲よりは大きめだ。
正産期と言ってもおかしくないそのお腹に、前回同様処置をする。
朝陽はそんな処置をする母親を不思議そうに見つめていた。
朝陽は、幼稚園などの時間以外は母親の側に常に付き添いたいと言ったようなことを話していた。
お姉さんの自覚が出たのか、父親の代わりをしようというのか。
最初に真奈美に話したことを素直に実行しようとしていた。
真奈美もそれを見て、聞いて決意した。
朝陽には、今回の出産を出来るだけ見せてやろう、と。
朝陽がそれを見て、どう判断するかはわからない。
だが、それでも朝陽には得るものが多いはずだ。
だって。
(あんなに巨大児に産まれたのに、私の遺伝子を引き継いだのか朝陽は小さい。
そんな朝陽が、大人になって、私くらいの大きさ、或いはそれより小さくて。
それで、促進剤も麻酔も効きにくい体質も引き継いで。
それで出産に臨みたいと願うなら、私はいいお手本、前例になれるはず。
だから…)
だから、必ず無事に産んであげるね。
朝陽に聞こえないような声で、お腹に囁く真奈美だった。
-
「ママ、この前病院で何したの?」
「えっとね……お腹の中にいる赤ちゃんが、急いで出てこないようにするためのことよ」
また、朝陽は当然というべきか、真奈美のお腹のことにも興味津々だった。
土日などに研究所までついてきては、こんな感じで何度も質問を繰り返しているのだ。
「なんでそんなことしたの?」
「ママの場合、例えば貴女のときはね、今生まれたらうまく息ができなくて、危ないかもしれないって他のお医者さんに言われたの。
だから、今日やったのと同じようなことをして、大丈夫になるまで待ったのよ」
「え、じゃあ私の弟か妹も?」
「ええ、そうなんですって……」
実験台だった、などとは口が裂けても言えない。
真奈美は、我が子に初めて嘘をついた。
二人目も、順調に成長を続けている。
検診の度、ぐんぐんと大きくなっているのだ。
負担も考え、真奈美の勤務体制にも大きな変化が訪れる。
研究所へ行くのは週2日、平日はほぼ家にいるようになったのだ。
距離が近く、すぐに連絡が取れるということが大きいが、第一はやはり朝陽のため。
小学校に入ったばかりの朝陽を一人にしたくない、というのは真奈美も圭太も共通だったからだ。
その圭太も帰国はずっと先だが、週に一度だけTV電話で顔を見せてくれる。
研究漬けの日々からは想像もできなかったような、穏やかな日常を真奈美は得ていたのだった。
-
妊娠超過1ヶ月にして、4300g。この時点で前回よりも巨大児だ。
動くのも億劫だが、朝陽も手伝いをするし、真奈美も出産に向けて動いた方がいいと思い身体を動かしていた。
全てが順調に見えていたのだが…
「うーん、逆子が治ってないわね…」
前回も検診を担当した女医が、妊娠超過1ヶ月の一週目の検診でエコーを見ながらそう溜息をついた。
「こちらで出来る限りの処置もするし、真奈美さんも色々工夫した方がいいけど…
ここまできたら、治らない可能性も考えて準備しておくわね」
女医は、そう真奈美につたえていた。
ただでさえ難産、なのに逆子ときたら難産も難産だ。
それでも真奈美は、治る可能性もあるし、万一治らなくても貴重なサンプルになる、と前向きに捉えていた。
-
今の真奈美の子宮なら、ある程度は負担に耐えられる。
ということで、すぐさま処置が試されることになった。
外回転術で外から胎児の位置を補整し、なんとか頭位にする。
古典的なやり方だが、そのぶん実績もある。
今から間に合うか、という懸念もあった。
だが、試してみるのが第一だ。
判明の翌日、早速外回転術が行われることになった。
かなりの巨大児ではあるが、羊水も多いとはいえ正常の範囲内。
結果、可能であると判断されたのだ。
だが……。
「こ、このお腹でこの姿勢は流石に苦しいわね……早くお願い」
腰を上げた所謂「逆子体操」の姿勢でベッドにいる真奈美はそういった。
無理もない。
体に比してお腹が起きいのだから、腰を上げる余裕がギリギリで、背筋をかなりそらさないといけなかったからだ……。
それを2週間ほど続け、妊娠超過2カ月目に入る頃にはなんとか逆子が治っていた。
のだが、別の問題が起こっていた。
外回転術のやりかたが悪かったのだろうか。
真奈美の胎児は、通常の姿勢とは前後逆、所謂後方後頭位になってしまっていたのだった。
-
早期破水が起こりやすく、また続発性微弱陣痛になりやすいと呼ばれる後頭後背位での分娩。
まだ時間があるとはいえ、これ以上の処置もしにくい。
ならば自然に任せようというのが真奈美の判断だ。
朝陽は、小学校の授業を受けながら、帰宅したときや休みは真奈美と常に側にいた。
ペタペタとお腹を触りながら笑みを浮かべる朝陽。
それを見て真奈美も笑みを浮かべるのだった。
-
圭太も南米で病院設立に奔走する傍ら、真奈美の為にとある研究を続けていた。
真奈美の体質でも、効果のある薬品類の開発。
麻酔はおそらくだが、現状の化学ではまだ無理だ。
濃度を上げれば、恐らく強い副作用と後遺症が出る。
流石にそれを使うわけには行かず、また解決手段も今はまだない。
促進剤も同じだ。
こちらのメドはわずかに立ちつつあるものの、ある結局のところ今回の出産には間に合わない事がわかっている。
結局、またしても圭太にできることはそのときに励ましの連絡を入れるくらいであった。
「結局、逆子は治ったけどこっちはこのままか……」
超過3ヶ月目を目前とし、検診を受ける真奈美。
早速担当医からそんなことを言われるが、真奈美はわりと落ち着いていた。
「二回目だもの。覚悟の一つや二つ出来てるわ」
「さすが、すっかりお母さんね」
担当医はそう笑った。
-
超過3ヶ月を迎えた真奈美の周りは騒がしくなった。
長期休暇に入った朝陽は毎日のように真奈美に付き添い病院にいた。
真奈美も、いよいよという時を迎え常に病院にいた。
毎日、日記のようにレポートを書き、圭太と通信をし、朝陽と会話をする。
忙しくも楽しい日々が続いていた。
そんな超過3ヶ月と9日目。
真奈美は小さな違和感を感じた。
それは、前回の出産の始まりにも感じた違和感。
真奈美の子宮に、微弱ながら陣痛が始まったのだった
-
「まだかなり弱いね……今回も時間がかかると思うわ」
陣痛かもしれない、と自己申告を受け、担当医はすぐさま真奈美の元に駆けつけた。
「多分だけど……朝陽の時より重くなりそうだと思うの」
「よく言えるわね」
真奈美が二度目だもの、と答えると、呆れとも安堵ともつかない様子で担当医は準備を始めた。
ひとまずの内診が終わり、ある程度の状況が分かる。
後方後頭位は治っていないこと。
陣痛はまだ弱いが、規則的ではあること。
前回との比較では陣痛の本格化まで3日ほどかかるのではないか、ということ。
大きな情報はその3つ。
それを聞き、真奈美はぼやいた。
「まず3日、ねぇ……でも、どうにもできないしね」
内診を終えた真奈美が病室に戻ると、すでに朝陽がいた。
-
「おかあさん、大丈夫?いもうとかおとうと、産まれるの?」
不安そうな顔と、興味津々の顔。
双方が入り混じった顔で朝陽は尋ねてきた。
「そうね、まだ始まったばかりだけど。
産まれてくるのは3日後くらい。もうちょっと先ね。」
違和感はあるが、陣痛にしてはそこまで強くはない。
痛みの間隔も長めゆえに、朝陽に冷静にそう伝える真奈美。
「そうかー。元気に産まれてきてね、赤ちゃん!」
朝陽はそう言ってお腹を撫でる。
陣痛開始から3時間程度。朝の10時24分のことだった。
-
真奈美は早速、前回との違いに気づく。
(前と比べても弱い気がするわね……)
二度目だからわかるのか。
その懸念の通り、陣痛計に出る波形はとても小さい。
まだ始まったばかりとはいえ、この調子では随分と天井の低そうな雰囲気だ。
またかなりの難産になりそうだと覚悟して、彼女はひたすら待った。
覚悟はしたが、またしてもここからが問題だった。
やはり陣痛が弱い。
いたいことはいたいのだが、我慢できるくらいでしかない。
陣痛計の波形も、小さな山を描く。
(やっぱり、か……)
直感的に、真奈美は前回以上の難産になりそうだと悟る。
なので、眠れるうちに寝ておこうと早めに目を閉じた。
結局、1日目は特に進展のないまま終了。
2日目も弱い陣痛のまま、すでに午前を過ぎていた。
「おかあさん……」
「大丈夫、この子がのんびりしてるだけよ」
少し不安そうな朝陽をなだめ、痛みに顔をしかめながら深呼吸。
どうも、まだまだ時間がかかりそうだった……。
-
「ふーっ、ふーっ…」
まだまだ我慢出来る痛みに耐えながら、陣痛の間隔を測る。
間隔はまだ10分にも達していない。
まだまだかかりそうだ、と心構えをしていた。
早期破水しやすいということで、出来るだけ動かないよう心がける真奈美。
担当医からは破水していないのが奇跡とすら言われていた。
陣痛が強くなるのを待ちつつ、真奈美は朝陽に背中を撫でられながら、モニター越しに圭太と会話するのだった。
-
「こんな時に、何もできなくてすまんな」
「いいのよ……私一人にかかりっきりより、もっと沢山の人を助けるほうが大事だわ」
テレビ電話越しでの会話だが、圭太はやっぱり真奈美を気にかけてくれている。
彼の忙しさを知っているからこそ、真奈美にとってはそれで十分だった。
もう少し話そうとしたところで、苦しそうなうめき声が画面から響いてくる。
同時に、外国語で圭太を呼ぶ声も聞こえた。
「おっと……すまん真奈美、どうか頑張ってくれ。朝陽も、お母さんを励ましてやってくれよ」
そう言って、通話が終わる。
少しくらいは元気をもらえただろうか、と思って、真奈美はもう一度覚悟を決めあ。
だが、現実は覚悟を決めたからといってうまくいくとは限らない。
結局、そこからの進展も極めて遅く、なんと丸1日大した変化もないまま終えてしまったのだ。
そして、深夜。
ふと目が覚めた真奈美は、ゆっくりとベッドから降りる。
どうやらトイレのようだ。
ベッドの横では、許可をもらったのか朝陽が布団をかぶって眠っている。
起こさないように、ゆっくりと。
一歩を踏み出した瞬間だった。
ぴちゃり、と水音。
「んっ……」
朝陽が反応し、目を覚ます。
そして、真奈美は足を止めた。
ついに、破水してしまったのだ。
典型的な前期破水であった。
-
流れ出る量は僅かではあった。
だが、断続的に流れれば赤ちゃんが苦しくなるし、危険になる。
そう判断した真奈美は、直ぐに担当医に連絡した。
直ぐにポータブルトイレが用意され、そこで用を足す真奈美。
後は安静にして陣痛が強くなるのを待つしかない。
だが、悪いことばかりではない。
破水したのがきっかけなのか、少しづつ陣痛は強くなる。
いよいよ、真奈美の2回目の出産が幕を開けようとしていた。
-
介助チームもすぐさま駆けつけ、状況が判断される。
そして、吉報とともに早速厳しい言葉が告げられた。
「羊水はこの程度なら大丈夫だし、処置の効果を含めて分泌量は十分。赤ちゃんに悪影響はないわ。ただし……」
「ただし……?」
「これは前の検診から気にかけていたことね。胎位異常ともう一つ。へその緒が体に絡まってるかもしれない」
臍帯巻絡。
無害なこともあるが、影響が出ることもある。
それを聞き、不安そうな顔になる真奈美。
「臍帯脱出などの問題はなさ気なんだけど……ここからが問題。ここから正常な方向に回旋が起これば、巻絡が解消される可能性があるの」
そこまで聞いて、真奈美は察した。
「つまり……今回はちゃんとした胎位になるまで我慢しろ、ってことね……」
二度目の難産も、また地獄。
今度は耐えなければならない。
陣痛がより強くなり、胎児が正常な回旋を行うまで、耐え続けるしかないのだ。
-
真奈美は覚悟を決め、息みを逃し始める。
朝陽は不安そうに真奈美の背中を撫でていた。
「ふぅぅーっ、すーっ…ふぅぅーっ」
痛みは強くなりつつあるが、まだ我慢できる。
朝陽の時みたいにまだ泣き叫ぶほどではない。
なるべく早く回旋が正常になるように、と願いつつ真奈美は陣痛に耐えていた。
-
だが、その進みも今ひとつ。
巨大児ゆえか、とにかくスローペースだ。
幸運なことと言えば、羊膜の破れが小さく、胎児の頭が大きいのもあって流出が少ないこと。
そのため、早期破水の割には胎児への負担は少ない方だと言える。
だが、陣痛は始まってかなり経つ。
母体である真奈美の負担は、ますます大きくなっていく一方だ。
横向きの側臥位になり、股にはナプキンを当てられ、羊水の流出を最小限に抑える努力がなされる。
そこから体をほとんど動かすことができない状態で、なおも陣痛に耐え続けなければならなかった。
「くうう……っ」
三日目の夕方頃になり、本格的な陣痛へと入り始める。
痛みに声を上げる真奈美。
だが、まだだ。
二度目だから、真奈美もそれはよく分かっている。
朝陽に背中をさすってもらい、真奈美はまだまだ耐えた。
-
「大丈夫?おかあさん?苦しそう…」
朝陽は不安そうに背中を撫で続ける。
「ふぅぅーっ…大丈夫よ、朝陽。まだまだ苦しくなるわ。
心配かもしれないけど、まだ赤ちゃんを産むには早いのよ。
だから、心配しないでね」
「うそ…もっと苦しそうになるの…
大変なんだね、赤ちゃんが出てくるの…」
朝陽は涙ぐみながら真奈美の背中を撫でていた。
真奈美は、必死に真奈美の背中を撫でている朝陽の頭を優しく撫でるのだった。
-
「大丈夫、貴女のときも大変だったけど、ちゃんとできたんだから。今度も大丈夫よ」
そう言って、真奈美は朝陽をなだめた。
午後7時、まだ変化は起きそうになかった。
破水してしまった以上、朝陽のときのように入浴して体を温める、というわけにはいかない。
食事を終えて汗を拭き、また耐える。
体が冷えないよう、部屋には冷房どころかわずかに暖房がかけられている。
特に暑いと感じるような温度ではないが、これも陣痛の苦しみか。
真奈美の体はじんわりと汗ばんでいた。
「おかあさん、汗かいてる……」
「えぇ、そうね……っぐぅぁ!」
徐々に、痛みも激しくなる。
その時は近い。
なぜなら、その痛みは陣痛だけでないと悟ったからだ。
胎児が、徐々に頭を骨盤にねじ込む痛み。
このいきみたさを伴う痛みはそれに違いないと、確信したからだ。
-
「ふぅぅーっ…ふぅぅーっ…ぐっ、ふぅぅーっ…」
息みたさは少しづつ増し、骨盤を広げる痛みも伴う。
それでも真奈美は我慢をする。
担当医が、正常に回旋していると判断するまでは息むわけにはいかない。
だが、少しづつ増していく痛みは真奈美を悩ませる。
けれど。
(1回目みたいに、泣き叫ぶわけにはいかないわよね。
朝陽を心配させる訳にはいかない…)
朝陽のために、出来る限り泣き叫ばないようにしよう。
そう覚悟を決めて真奈美は陣痛に耐えるのだった。
-
口にタオルを詰め込み、なんとか声を殺して耐える。
そんな中、流石に夜も遅くなって、朝陽が眠そうにしはじめる。
それに気づいたチームの一人が「ちゃんと寝ないとお母さんに迷惑になっちゃうよ」と、なだめすかして別室で寝させることに成功した。
病室の防音はしっかりしている。
よほどでなければ、なんとかなるだろう。
そう思っていたとき、内診していた担当医が言った。
「子宮口も大丈夫……それに、この感じだと、大丈夫かな……お疲れ様、もういきんでいいと思うよ!」
もう、我慢しろと言われて丸一日ちかく経っていた。
十分距離が取れただろう、というのを確認してから、彼女は我慢していた声を解き放った。
実際、防音がなされていることと部屋が離れていること。
それに、朝陽が完全に寝付いたこともあって、今すぐ心配させるようなことはないだろう。
ただ、このままでは一番苦しいときに朝陽が起きてくるだろうというのは、すぐに分かった。
だからといって、これ以上は無理だ。
もう、産む。
時間がかかってでも、産むしかない。
-
「ふぐぅぅぅっ、ぐぅぅっ、がぁぁっ!」
息みながら、真奈美は叫び声をあげる。
前期破水はしていたが、それよりも少し勢いをつけて羊水が流れる。
その羊水を潤滑油にして、真奈美の胎児は少しづつ骨盤をこじ開け産道を進もうとする。
だが、前回よりも巨大児だからか。
息んでも息んでも、頭はなかなか抜けようとしなかった。
-
当然といえば当然、今回だってかなり育っているのだからそううまくいくわけではない。
全身全霊をかけて、痛みに耐え。
苦しげな叫び声も上げながら、真奈美はいきんだ。
じわりじわりと骨盤を押し広げられ、砕けるような痛みが襲いかかる。
「あぐっ、ぐ、ぐがぁあああああああああああ!!」
たまらず、真奈美は痛みに叫んだ。
午前9時。
頭が大きいためか、進展は極わずか。
目を覚ました朝陽がすぐに駆けつけてきたが、そこでの母の鬼気迫る形相を怖がってしまっているほど。
またしても、壮絶な様子になってしまっていた。
-
不安そうに見る朝陽は気にはなるが、気にしている余裕はない。
身体中から脂汗がながれ、不快感が真奈美を襲う。
そんな真奈美に、朝陽も覚悟を決めたらしい。
手を握り励ましたり、スポーツドリンクを含ませたり、汗を拭ったりと甲斐甲斐しく世話をするのだった。
そんな朝陽の頭を撫でようとするも、直ぐに怒責グリップを握りしめる真奈美。
少しづつ、少しづつ巨大児の頭が姿を表そうとしていた。
-
排臨に至ったのは、そこから約1時間半後のこと。
巨大児であることなどを差し引いても、前以上に時間のかかっている難産である。
朝陽は、その様子を怖がりながらも、目を離さずじっくりと見つめている。
真奈美は声を上げそうになりながらも、それをぐっとこらえいきむ。
「ん゛ぅう゛う゛う゛う゛ーーーーーー!!」
いきむ度、頭がぐっと押し出され、やめると戻っていく。
それを何度も何度も繰り返し、更に時間が経つ。
午後に入り、ようやく頭が出た。
首への臍帯巻絡は解消されているようで、それに介助チームは安堵した。
とはいえ、やはり巨大児であるため、そこから先もなかなか出そうにない。
朝陽の時と同じ流れで介助が試みられることとなり、真奈美もまたおなじようにいきむ。
力がしっかり伝わるようにと、介助チームの幾人かは真奈美の脚を押さえ、ブレないようにする。
その効果もあったのか、いくつかの介助が試されてすぐ、第二子となる男児が生まれ落ちた。
7421g、朝陽より少々大きな赤ん坊であった。
真奈美は出産と同時に力が抜けて崩れ落ち、その瞬間を目の当たりにした朝陽は放心。
産声が響く、静かな空間に結局なったのであった。
-
今度は運良く恥骨結合離開まで行かなかったものの、それでも真奈美の負担は相当なもの。
今度もまた、長期にわたりベッドから動けない要介護生活が続いた。
回復してからは息子紘人(ひろと)の世話に追われていたが、一年後に恐ろしい事態が発覚した。
なんと、朝陽の子宮には胎児内胎児であったはずの胎児がいることが確認されてしまったのだ。
もともと検査の度に早熟気味ではないかと言われていた朝陽だったが、処置の影響なのだろうか。体は妊娠可能になっていたのだ。
そして、今までに共生してきた胎児内胎児が、真の胎児として生まれようとしている。
その例を研究所が見逃すはずもなく、父母のもと観察が行われ、無事に遺伝子上の妹にして娘となる真稀(まき)の出産まで至ったが、これはいわば別の話であった。
その二年後。
三度真奈美は妊娠を果たす。
今度は実験のためではない予定だった。
だが、少し特殊な事情により、話が変わってしまった。
二絨毛膜二羊膜性の一卵性双生児。
真奈美の子宮には、双子が宿ったのだ。
高齢出産に加えて双子。
事態は重く見られ、初めて実験以外の目的も含んで処置が使われる。
急な早産を防ぎ、胎児をしっかりと成長させるために。
そうするのにも訳があった。
研究所の人員整理が行われ、配置が換わり、研究所を去るメンバーまで出る。
二度にわたり真奈美の担当医を勤めた女医もその一人で、なんと真奈美は自分で自分を診なければならなくなってしまったのだ。
そこまで手が回らない状態で、真奈美を動けなくさせるわけには行かない。
そのため、過去二回よりも強めに処置がかけられる。
こうまでして、やっと超過3ヶ月が可能となり、三度目の仕組まれた難産への道のりが始まるのであった。
-
双子ゆえに栄養を分け合うのか、胎児の成長は緩やかだった。
10ヶ月目で、約2660gと2750g。
前回、前々回よりもかなり小さめだ。
それでも、双子ゆえにお腹の大きさは二回目とほぼ同等。
ここから、妊娠超過の期間に入る。
真奈美はお腹を撫で、週に一度自分で自分を診察するのだった。
だが、真奈美はこの時知らなかった。
妊娠超過の処置を強化したせいで、超過5ヶ月半を過ぎても陣痛には至らないという事を…
-
胎児の成長は比較的緩やかと言っても、それは10ヶ月目までの話。
成長ペースが落ちない中、真奈美は誕生日を迎える。
超過1ヶ月目のことであった。
子どもたちのみならず、なんとか休暇を取ることのできた圭太も交えてささやかな誕生会が開かれる。
「まさか、こんなに子供に恵まれて、それどころか、また妊娠してるなんて、ねぇ……」
そんな感慨に浸りつつも、彼女は同時に実感した。
「歳、とったわね……」
そう思うのも無理はない。
今まででも十分辛かったが、より辛い。
日常の何をするにも億劫と感じるほど。
その原因の一つとして、自分の体力も大きいと感じていたのだ。
この誕生日で38歳。
流石に、これが最後だ。
辛さを乗り切るため、なんども言い直すようにそれを確認し続ける真奈美だった。
超過2ヶ月目。
ある体調不良を感じた真奈美は、他の医師も呼んで検査を始める。
すると、様々なことが判明した。
まず、二人の胎児それぞれが羊水過多ギリギリの羊水量になっていること。
成長そのものは正常で、数値的にも正常の範囲内だという。
体調不良の引き金は、その影響で子宮が大きくなっていることであったのだ。
結果、複数の臓器が圧迫されてしまっているのがその原因。
出産まで解消のしようがないため、これに付き合っていくしかない。
ますます大きくなるだろうお腹を抱え、真奈美は長いため息をついた。
-
妊娠超過2ヶ月目。
お腹の大きさは前回の3ヶ月程度になっていた。
胎児も成長を続け、3250gと3370gになっていた。
単胎の10ヶ月に匹敵する双子は、真奈美の臓器を圧迫する。
食べ物は口を通りにくくなり、自然に点滴に頼るようになる。
点滴と言う栄養を受け、胎児の成長もまだ止まらない。
ただ、幸運なことに胎児の体位、回旋は正常だ。
それだけは安心して真奈美は自らの診察を続けたのだった。
-
「まずったわね……まさか、動けないわけでもないのに誰かの手助けが必要になるなんて」
ため息を付く真奈美。
自力でのエコー検査の最中、あることに気づいた。
結構時間がかかっているのに、尿意がない。
もしやと思い人を呼び見てもらった結果、ある種予想通りの事が起こっていた。
朝陽のときは出産後に起きた、膀胱麻痺。
妊娠中だが、どんどん大きく重くなる子宮に神経が圧迫されてしまい起こってしまったようだ。
ますます不便になる体。
それでも、真奈美は努めて普段通りに近い生活を心がけるようにしていた。
何故か。
彼女は、事実上3人の子供の面倒を見ている、母親だからである。
紘人と朝陽の産んだ真稀の面倒を見ながら、空いている手でお腹を撫でる真奈美。
妊娠超過3ヶ月め。
順調に成長を続けるお腹は更に大きくなる。
羊水量は変わらず、胎児がそれぞれ4000gを超えている。
ここまで来ると、よく自分の体に入っているものだと真奈美は感心するくらい。
出産はまだだというのに、彼女は半ば達観していた。
-
妊娠超過三ヶ月半。
前回、前々回ならそろそろ出産に至る時期だ。
だが、今回はまだ陣痛の前兆の様なものは来ていない。
「処置のせいもあるんだろうけど…君たちはのんびり屋さんね」
はち切れんばかりにせり出す腹を撫でながら、真奈美はそう呟いた。
妊娠超過4ヶ月を迎えようとしても、出産の兆候は来ていなかった。
-
「これって……もしかして」
超過4ヶ月目、自分でエコー診断を行いながら、真奈美はふと気づく。
今までの検診記録と、朝陽や紘人の記録。
見比べてみて、気がついたのだ。
時間がかかっているが、今回の双子の成長はやや遅い。
単体のときほどそれぞれが大きくならないとしても、緩やかな成長をしている。
エコー写真を見てそれを確信すると、彼女はまた考える。
「このペースだと、生まれるのは早くて来月、そうでないとしたらもう少し先、か……もう私38なのよ?」
何故生まれてこないのかも、合点がいってしまう。
つまり、巨大児になっていながらまだ成熟していないと言えなくもないのだ。
諦めもある反面、まだ大きくなるのかと思うと少し不安を覚える真奈美だった。
「ふーっ、ふーっ、ふぅ……」
手すり伝いに廊下を歩いて行く真奈美。
結構、歩くのも辛い。
福井は紘人のときよりも大きくなり、まだもう少し大きくなるのは間違いないだろう。
背格好を考えると入る服もほとんどなく、仕事場での彼女は共通の白衣の下には無地のシャツを着、入り切らないお腹はむき出しにしなければ服がない勢いである。
部屋に戻ってどかっと座り込み、汗を拭う。
(この調子じゃ来月くらいから車椅子が必要かもね……)
-
「とうとう妊娠超過5ヶ月、か…」
車椅子に座りながら真奈美はそう呟く。
すでに歩くのは辛く、車椅子に頼る生活になっていた。
そんな真奈美にも朗報があった。
検診によると、出産に向けたホルモンの分泌が始まったようだ。
「いよいよ、出産かぁ…」
真奈美はそう呟く。
既にお腹を撫でるには少し大きすぎる腹だが、それでも愛おしそうに撫でる真奈美だった。
-
「お母さん、車椅子押すね!」
「お願いね、朝陽」
丁度学校から帰ってきたところらしい朝陽が不意に現れた。
真奈美は思う。
もうすぐ10歳になるからか、それとも真稀を産んだからか。
すっかり大人びて、年長者らしい振る舞いを朝陽はするようになっていた。
可愛らしい子供から、確実に成長している。
改めてそれを実感し、真奈美は今一度不思議な感慨深さを得た。
検診の時間が近いので、そのまま診察室まで押して行ってもらうことにした。
その間、様々な話を聞いた。
学校での話が主な話題だった。
テストの成績が良かっただとか、仲のいい友達と何かやっただとか。
実に他愛のない話だったが、健全な成長をしていると実感できる話題が、真奈美には何よりも嬉しかった。
診察室。
流石に自分一人での検診など不可能なため、時間を合わせて数名が検診のために来てくれている。
腹囲は140cm近くまで大きくなり、もう少しは大きくなるのが確実と言えた。
胎児の推定体重は5720gと5317g、ほぼ同じレベル。
改めて、桁外れの数値だと実感する。
「では、この後導尿処置、以降は帰宅ということですね?」
「ええ、子供たちをいつまでも預けるわけにも行かないし」
そんな会話をしていると、また別の人から連絡が。
「あ、豊田さん!旦那さん……圭太さんがなんとか促進剤の開発に成功したそうです」
予定を変更して、話を聞く。
圭太が、ついに真奈美の体にも効果のある陣痛促進剤を開発できたというのだ。
すぐさまテレビ電話で圭太につなぐ。
「本当なのね!」
「ああ、ただ使い方がある」
圭太が言うには、従来と同じような用法だが、同時に効きすぎを避けるための方法があるという。
量を徐々に増やしていくのは変わらないが、従来よりもかなり遅効性で、陣痛も少しずつ少しずつ強くなっていくようになっているらしい。
強くするというよりは、ちゃんとした陣痛がつくことを補助するようなものだと思ってほしいのだという。
-
それでも、今の真奈美には充分な効果といえよう。
問題は、それを精製し圭太のいる国から届くまでにはしばらく時間がかかると言うこと。
ざっと計算して、妊娠超過5ヶ月と1週くらいにしか届かない計算になる。
その間に陣痛が始まる可能性も考え、あくまで補助で予備と言うことにした。
そしていよいよ、妊娠超過は5ヶ月に入ろうとしていた。
-
そろそろ生まれてほしいとも感じるが、検診をしてもなかなか変化はない。
今まで何度も大きく引き伸ばされてきた子宮が収縮しづらくなっているのは明白だ。
となれば、促進剤の使用を考えるしかない。
真奈美は毎度の検診結果を見ながら、考え続けた・
5日後。
圭太のいる研究施設から、真奈美用の促進剤がついに到着した。
同封されているのは処方箋と説明書き。
「なるほど、ね……」
真奈美の顔に諦観が浮かぶ。
基本的には従来のそれと変わらないが、時間がかかる。
どういうことなのかというと、微弱陣痛の状態から時間をかけて強まっていく、ということのようだ。
処方量なども書いてあるが、その場合、真奈美は本陣痛になるまでに促進剤を使っても3日以上かかるという。
そこから丸1日以上は絶対にかかる。
双子はそれぞれ羊膜も別だから、破水も二度起きるだろう。
その全てが意味するのは、今までで最も長丁場の出産になるということだった。
-
それだけではない。
これだけ子宮や内臓に負担がかかっているのだ。
出産後に大量出血、なんて可能性もなきにしもあらず、だ。
だが、そんな不安を隠して真奈美は赤ちゃんのことだけを考えていた。
そして、促進剤が到着した当日。
治験も兼ねて、真奈美に促進剤が投与されたのだった。
-
投与から数時間後、モニタリングされた状態を見ながら真奈美は言う。
「想定より効果が弱い……双子だし、仕方がないわね」
子宮収縮が始まりつつあるのは確かなようだが、その真奈美本人に全く自覚がない。
この様子だと、3日ですまないのは明確であった。
データを見る限りでも、2日半ほどは普段と変わらない状態になるだろう。
そういう理由で、真奈美は一度帰宅することにした。
「お母さん、大丈夫?」
家に帰り、車椅子から降りるやいなや朝陽が心配して駆け寄ってくる。
「大丈夫、大丈夫よ」
廊下に後付された手すりを伝い、リビングに向かう。
「おかえりー」
「おぁえりー」
紘人と真稀も、真奈美の姿を見るやいなやたたっと駆け寄ってくる。
流石に2人は立ち会わせるわけにいかないが、ならその時が来るまでうんと相手をしてやろう。
そう思って、一緒にソファーに座ってやることにした。
-
妊娠後期くらいから紘人や真稀の世話や家事は朝陽が手伝うようになっていた。
真奈美は、そんな朝陽を頼もしく思う。
真奈美は、紘人や真稀の世話をする朝陽を横目に見ながらリラックスして本陣痛が来るのを待つ。
テレビを見たりしながら待つが、投与して1日過ぎても腹の張りはあるものの痛みはなかなか来ないのだった。
-
翌朝、二度目の投与が行われた。
だが、張りであると自覚できても、やはり痛みとまでは思えない。
いつもと同じように過ごす他なく、もはや退屈とさえ感じられる。
もう一度、スケジュールを確認し直す。
陣痛が15分間隔になり次第連絡。
迎えが来るまで自宅で待機し、その後はいつものように船で向かう。
その後は今まで通り陣痛室で子宮口全開大まですごし、可能であれば分娩室に移動。
我ながら、すっかり慣れてしまったものだと真奈美は思った。
そんな真奈美に一つの朗報が届いたのは就寝の直前。
圭太からであった。
なんと、出産にこそ間に合わないものの、来月には一旦帰国できるというのだ。
生まれたばかりの子の顔を見せられる、というのはやはりうれしいことだ。
その一方があって、真奈美は寝苦しいながらも意気消沈せずにいられたのだった。
-
最初に投与してから2日後、3回目の投与が行われた。
腹の張りは痛みに変わりつつあるが、まだ30分以上の間隔がある。
陣痛と呼ぶにはまだ早い痛みを感じながら、真奈美はウトウトするのだった。
朝陽は、真奈美の世話もしていた。
車椅子でトイレに向かわせたり。
そんな朝陽をみて、真奈美は嬉しさを隠せなかった。
-
「本当にありがとうね、朝陽」
「だって、お母さん、今大変だし……私だって、本当ならもう……」
「……それは、もっと大人になってからよ」
そんな会話をしながら、また一日を過ごしていく。
少しずつ、そのときに近づいている。
それを自覚しながら、真奈美はその時を待った。
翌日。
痛みは増してきたもののまだ間隔が長く、3度めの投与のため研究所へと来た真奈美。
子どもたちを預かってもらう都合から、みんな連れてきている。
紘人と真稀を託児所に預ける手続きもあり、朝陽はまたついてくれるらしい。
もう、不便で仕方ないお腹だが、もうすぐお別れとなるとそれはそれで寂しい。
そんなことを思いながら、真奈美は診察室の扉を開いた。
このあと、自己検診を済ませたら導尿、その後促進剤の投与だ。
もうすぐだ、落ち着いていこう。
そう口に出す真奈美。
だが、ここからがまさに本番。
真奈美は、この上ない長時間の分娩を経験することになるのだった……。
-
促進剤投与3回目の夜。
陣痛は20分間隔になりつつある。
痛みは強くなるが、まだ朝陽と会話が出来る程度だ。
「お母さん、辛いでしょ?私の時も、紘人の時も。今回も。
私だって、真稀の時、辛かったし…」
「そりゃあ、出産は辛いわ。でも、使命だからね。
こんな身体でも、出産出来る、って証明するのが…」
「凄いね、お母さんは。ねえ、双子の出産って危険なんでしょ?
母さんに万一のことがあったら…私が紘人と真稀の世話をしながら勉強して、母さんの研究を引き継ぐ。
無事に出産出来ても、次は無いだろうし、出来れば引き継ぎたいと思う。
…ダメ、かな?」
真奈美は、朝陽の決意を聞いて驚いた顔をするのだった。
-
「朝陽……やりたいことが見つかるのは大事なことよ。でも、そのためにはちゃんと勉強して、いろんなことを知りなさい」
「お母さん……」
「でも、それでも考えが変わらないなら、私は止めないわ」
朝陽を諭すように、優しく語る真奈美。
朝陽も、じっとそれを聞いている。
「私も、色んな勉強して、産婦人科に関わって、この研究に就いて……そしてあなたが生まれたの。だから、あなたももっと沢山のことを知りなさい、朝陽」
そこまで言い切ったところで、ちょうど回診の時間。
一度話は中断され、真奈美はまた体調を見られることとなった。
「子宮の収縮は規則的なれども、まだ弱いか……何が出来るかしら?」
回診結果を聞きながら、質問する真奈美。
まだ追加投与は早いとの結論が出たため、次の手段を探している最中であった。
-
普通なら歩いたりして陣痛を促進させるだろう。
だが、真奈美の身体には負担が大きい。
バランスボールで腹の筋肉を刺激したり、胸のマッサージをしてみよう、と言うのが回診医の判断だ。
真奈美はそれに従いバランスボールに乗り、胸のマッサージを始めた。
それが功を奏したのか。
4回目の投与前には15分間隔になり、陣痛も強くなっていた。
-
おそらく、次が最後の投与になるだろう。
そうなると、ここでようやく「出産」の入り口に立ったということになる。
何が何でも、驚くほどの難産は間違いない。
いよいよであることを自覚し、真奈美はかなり緊張していた。
1時間後。
たしかに効果はあるのだろう。
痛みは増し、一度の陣痛の波はかなり長くなっている。
だが、強さは今ひとつの状態が続く。
ここまで来ると、圭太の言っていることを信じる他ない。
ここから、徐々に陣痛が強くなっていくのだということを。
痛く、長いがまだ弱い。
現状は、今までの中でも飛び抜けて最悪の陣痛と言えた。
-
「ふぅぅ…っ、たぁ、ふうぅぅ…」
まだそこまで息みの衝動もないが、徐々に、徐々に痛みは増えていく。
朝陽に背中を撫でられながら、真奈美はひたすら痛みに耐える。
「あーっ、そこ、そこ押して!そう、あぁ効くゥゥッ!」
腰を押され、朝陽は少し痛みが楽になっているようだ。
足もマッサージされ、少しづつ真奈美の身体は出産に向けているようだった。
そして、6時間後。
痛みは前よりも強さを増し、間隔は12分に縮まっていた。
-
「うー、くぅ〜〜〜!!」
声が出るほどの痛みにはなっている。
「腰が、腰がミシミシするぅゥーーー!!」
その痛みの変化も、真奈美本人ははっきり感じられている。
だが、しかし。
「子宮口はまだ2cmほどです」
介助チームからそんな声も飛ぶ。
どうやら、陣痛が本格的になりつつあるからと言って、そうかんたんに生まれてくれるわけではなさそうだ。
それが二人。
これはつらそうだ、と、痛みに耐える真奈美の口から乾いた笑いが漏れた。
しばらく陣痛に耐えていたが、なかなか間隔が縮まらない。
苦しい故か、かなり汗もかいてしまった。
そのことを介助チームの一人に伝えたところ、皆が行動を始めた。
まず、男性の職員が一斉に退出。
続いてストレッチャーが運び込まれる。
何事か、と真奈美が思っていると、メンバーの一人が朝陽に何やら話している。
そして、真奈美の方に近づいてきた職員が言った。
「えっと……我々は外で待機しているので、一度娘さんとお風呂に入ってきてはどうでしょうか?」
-
ストレッチャーに浴槽がセットされ、真奈美は裸になる。
朝陽は着替えを介助していた。
ストレッチャーに横になると、真奈美は心地よさを覚えた。
「あぁぁっ…気持ちいい…」
痛みは少し和らぎ、汗も流せた。
ゆっくりと時間をかけ、真奈美は入浴出来た。
陣痛開始から4日目の昼。
陣痛の間隔は10分になったが、子宮口の開きは鈍くようやく4センチだった。
-
いよいよ、本格的な苦しみが襲い来る。
真奈美はいきみたくてしかたないのだろう。
ベッド上で体をよじり、辛そうに息を吐いて耐え続ける。
朝陽は声をかけ続け、心配そうに見守る。
「まだです、まだですよ」
「まだって言ったってぇえええええええ!!」
痛みのあまり、声がうわずる。
まだ時間がかかるのにこの様子。
誰が見ても不安になるような、そんな状態だった。
「痛いイィィィゥアアアーーー!!」
それから更に数時間。
まだ、真奈美の苦しみは続いている。
長く続く陣痛による消耗。
巨大な胎児によるいきみたさ。
それらすべてが一体となってのしかかってくる。
叫びながらも踏みとどまっている真奈美は、たいしたものだろう。
まだ子宮口は開ききっていない……。
-
「ふぅぅゥゥー、痛イィィィィッ!」
息みの衝動を必死に逃しながら、真奈美は陣痛に耐える。
心配そうに見つめる朝陽の頭を撫でながら、真奈美は笑顔を見せた。
だが、その笑顔も直ぐに歪む。
それでも、出産は少しづつ進んでいた。
陣痛開始から何度目かの朝を迎えたころ、ようやく子宮口は全開になっていた。
-
一気にぐっといきみ始める真奈美。
だが破水もしておらず、かなりの巨大児ともなれば、効果は薄い。
それに、もう5日近い陣痛で真奈美の体力はかなり消耗している。
完全な難産、それも超難産なのは明白だった。
それを示すかのように、彼女は
あられもない姿をしていた。
服はすべて脱がされている。
何らかの処置をするにあたって、むしろじゃまになるからであった。
「んぐぎぃいぃィィイイイィーーーーーーーー!!」
陣痛の波にあわせてひたすらいきむ。
もはや、体がそう動いている。
朝陽は真奈美の手を強くにぎり、励まそうとしていた。
-
「母さん…頑張って」
朝陽は願いを込めて強く握る。
真奈美は首を縦に振ると、再び息みを加える。
パン、と身体の中で弾ける感覚。
そしてどぷり、と大量に流れる羊水。
ついに1人目の羊膜が破れ破水したのだ。
「ンギィィィィィ!」
真奈美の息みの衝動も激しさを増した。
真奈美は顔を赤くして息みを加える。
陣痛開始から5日目の夕刻のことだった。
-
破水が終われば、あとはしばらくいきむのみ。
とにかく、頭が出なくては何ともならない。
それは皆、イヤと言うほど理解している。
だからこそ、真奈美は全力を注ぐ。
ひたすらにいきみつづける。
だが、超巨大児に狭めの骨盤。
外から見て分かるような進展はまるでなかった。
それでも、いきむしかない。
それしか選択肢はないのだ。
「が、あああァァァ……」
何度めかのいきみが終わり、息とともに声を吐く真奈美。
かなり体力を使っている。
汗だくで、長めの髪は首筋や背中に張り付くほど。
シーツには、汗による手形や体の跡がくっきりと残る。
朝陽たちに体を拭いてもらい、呼吸を整え、またいきむ。
ようやく排臨にさしかかる頃には、陣痛の開始から6日目に入っていた。
-
排臨状態にはなったが、まだまだ先は長い。
真奈美は、必死に息んでいた。
これ以上体力の消耗が激しくてはいけないと、スポーツドリンクが用意され、高栄養の点滴の投与がなされる。
息んでいる間は飲めないが、僅かなインターバルでドリンクを飲む真奈美。
これ以上の体力の消耗はなさそうだった。
そして、陣痛開始から6日目の昼過ぎ。
ようやく、胎児の頭が発露に至ったのだった。
-
ここまでで6日。
真奈美の体力も、胎児の体力も凄まじいとしか言えない。
普通なら、とっくに消耗しきっている。
その真奈美も、もはやなりふり構ってはいない。
とにかくいきみ続け、退治を押し出そうと必死だった。
それに呼応して、介助チームも、朝陽すらも手助けを高じる。
だがこれほどの巨大児、なかなかすんなりとはいかない。
まだ、時間は掛かりそうだった。
とうとう、そのときが来る。
発露から進展の無いまま、陣痛開始から7日目を迎えてしまったのだ。
-
「ンギィィィィィィィィィ!」
叫びたいのを我慢して、真奈美は息みを加え続けていた。
介助チームが会陰を広げ、朝陽がお腹を恐る恐る押す。
だが、それでも胎児はなかなか現れようとしなかった。
「いい加減進んでぇぇぇぇ!」
真奈美が、懇願するように叫ぶ。
その願いが通じたのか。
陣痛開始から7日目の朝。
広げていた会陰を、1人目の胎児の肩がようやく通過しようとしていたのだった。
-
「おっ、んっぐ、で、出るぅ………っ、あ、いっ、ああ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ーーーーーーッ!!」
午前10時13分。
超長期の出産に一区切り。
一人目の男児がようやく誕生した。
崩れ落ちるように力を抜き、インターバルに入る真奈美。
そのお腹はまだまだ大きい。
羊膜が二つある以上、次の破水が起こるまで何も出来ない。
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
荒く呼吸をしながら、胸に産んだ子を抱き寄せる。
「お母さん、まだ一人残ってるよ」
朝陽の言葉に、返事する余力はない。
頷いて意思を示し、真奈美は再びぐったりとしていた。
陣痛も、今は弱まっている。
まだまだ、この出産は終わりそうにない……。
-
2人目の破水が起きるまで、真奈美は体力の回復に努めることにした。
陣痛に耐えながら、高カロリー栄養食を食べ、スポーツドリンクを飲む。
いよいよ、最後の出産は近付いている。
長丁場なのは覚悟しながら、今までの出産を思い返しつつ、真奈美はひたすら陣痛に耐えていた。
そして、14時56分。
パシャ、と水風船が弾ける感覚と共に股口からどぷりと液体が溢れ出す。
ようやく、破水が起きたのだった。
-
そうなれば、もうやることは一つしかなかった。
「ぅう゛ぃぃい゛ぁあ゛あ゛あ゛ーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
波が来る、などと頭が理解する前に呻く。
体が、全身が最後の出産に振り向けられている。
側臥位になり、片足を介助メンバーに持ち上げられ、その体勢でいきみ続ける。
時間をかけつつも、着実に最後の胎児が出ていこうとする。
みながその時を心待ちにしていた、その時だった。
「あっ」
様子を見ていたメンバーが声を上げる。
何事だろうか。
一斉に、皆の視線が一箇所に注がれる。
真奈美から出てこようとする胎児。
その、顔がはっきりと陰部から見えていた。
「反屈位……しかも、顔位です」
最後の最後で、真奈美はややもすると逆子以上の難産に苦しむことになってしまったのだった……。
-
通常の顔位では帝王切開をするのがセオリーだ。
だが、真奈美の身体では麻酔が使えない。
悩む処置班に真奈美は伝えた。
「とりあえず、赤ちゃんを押し返してお腹の中に戻して見ましょう。
それでダメなら…私が死ぬのも覚悟で帝王切開ね」
覚悟を決めた顔でそう伝える真奈美に、処置班は戸惑った。
だが、処置班たちは頷き、胎児の顔をお腹の方へと戻し始めた。
「グギィィィィィ!」
想像を絶する苦しみが真奈美を襲う。
死んでしまった方が楽なのではないか、と一瞬考えてしまう。
だが、真奈美は頭を振りその考えを頭の奥に隠し痛みに耐えるのだった。
-
「痛い、痛い、痛ぃぃぃ゛だぁあ゛ぁぁぁぁいィィィーーーー!!」
絶叫が響く中、なんとか押し戻しには成功した。
だが、介助チームの顔は晴れない。
「あ、あの……」
朝陽が尋ねようとすると、すぐに一人が答えた。
「位置関係が悪いんだ……うまくいかないかもしれない。何とか出来ても額位が限界かも」
帝王切開。
その言葉が出た直後、真奈美が口を開いた。
「だったら……サポートして……顔位でも額位でも、自然分娩の例は沢山あるわ」
皆がうろたえ、静かになる。
だが、答える前に真奈美はいきみ始めた。
「……わかりました」
そこまでくれば、もうそう答えるほか無かったのだった。
-
子宮破裂の可能性もあるにもかかわらず、真奈美は自然出産を強行した。
帝王切開では痛みに耐えきれず死ぬ可能性は高い。
ならば、自然出産でも危険に変わりはないなら自然出産の方がいい、と考えたからだ。
自然出産の前例があるとはいえ、顔位でも額位でも帝王切開が一般的だ。
前頭位であれば、鉗子分娩や吸引分娩出来る場合がある。
良くて額位だと処置班は感じつつも、奇跡を信じてその時を待つ。
万一に備え、輸血パックなどを用意しながら。
-
「ん゛い゛ぃい゛ィィィーーーーッ!!」
これで最後だ、と全身全霊でいきむ真奈美。
固唾をのんで皆が見守る。
少しして、押し戻した胎児が再び姿を現し始める。
頭のようだったが、すぐに介助チームの判断が下る。
「額位です……どうしますか」
息みの合間、荒い呼吸を繰り返す真奈美。
だが、その言葉にはしっかりと応えた。
「過剰に遅れてるとかがなければ……このまま行くわ……」
それは、覚悟に満ちた言葉だった。
-
通常の分娩室であれば、頭頂部から現れるため頭蓋骨が狭まり比較的スムーズに出産できる。
だが、今回は額位。狭まり方は小さい。
さらに言えば、首に負担がかかる体勢なので気を付けて息まねばならない。
介助チームの1人が、小陰唇や膣口を広げる。
額が、直ぐに見えていた。
介助チームの人は、赤ちゃんの出口を広げながら頭を支えていた。
「グギィィィィィ!ふぐっ、フグゥゥゥゥ!」
必死に、顔を赤らめ息む真奈美。
介助チームの1人は、頭が少しづつ少しづつ進んでいく感触を感じていた。
-
「う゛あ゛あ゛あ゛ぁァァァーーーーーーッ!!」
獣の如き絶叫とともに、なんとか頭を出そうといきむ真奈美。
陰唇は限界以上に大きく広がり、張り詰める。
額位、と言ってもほとんど顔位に近いような、眉が見え隠れするほどの位置を先頭にして頭が現れる。
「もう一息で頭が出ます!頑張って!」
「ゔあぁあああああああああああああ!!!」
ぐぼっ、と音を立てて、真奈美の断末魔じみた声とともに頭が出る。
やはり、とても大きな頭だった。
ここまでくれば、あとは肩を出せば早い。
終わりは、すぐそこまで見えていた。
-
「はーっ、はーっ、はーっ…」
なんとか1番厄介なところが過ぎ、息を整える真奈美。
体力の限界も近いが、あと少しのところまで来ている。
息を整えたあと、真奈美は朝陽に語りかけた。
「あ、朝陽、貴方は産婦人科医を目指したいのよね?…ふう、ふう…
せっかくだから、貴方が頭を支えて、出口を広げて、取り上げて見たらどうかしら。…んぐあっ…
きっと、いい経験になるわよ?っつ、あああぁぁぁっ!」
と。
戸惑う朝陽だったが、強く頷くと介助チームの人と入れ替わる。
そして、出て来た頭を支え、息みに合わせて内側から押されて盛り上がりを見せる股口を拡げるのだった。
-
「おお゛ぉっ、あ、ぐ……っ痛ぁーーーーーーーーーーーーー!!」
「あっ、お母さん!」
朝陽が叫ぶ。
奇跡的に肩が引っかかることもなく、スムーズに抜けた。
大きすぎて少し裂けてしまったようで、真奈美の股からは血が流れている。
一気に疲労が来たのか、口で浅い呼吸を繰り返す真奈美。
しばらくしてから、へその緒を切られた二人の赤ん坊が真奈美のもとに運ばれてくる。
二卵性らしく男女それぞれ。
両方とも立派すぎるほど大きく、かわいい赤ん坊だった。
朝陽から渡されて、その赤ん坊を抱く真奈美。
「疲れた……」
口ではそう言ったが、彼女は微笑んでいた。
こうして、真奈美の出産は終わった。
彼女の出産によって得られた情報は、増加した難産への対処において多大な貢献を果たすことになる。
産婦人科医は必ずシミュレーションにおいて履修するデータであり、またそのデータ自体も知って置かなければならないとされるほどに。
真奈美は、計画を立派に完遂したのだった。
そして10年後。
データの更新に一人の若い女医が立候補、挑戦することになる。
その名は豊田朝陽。
そう、真奈美の長女である朝陽だった。
そして朝陽は、母をも超える大難産に挑むことになってしまうのであった……。
終わり
「想像をさらに超えて」へ続く
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