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【 仏教大学講座講義集 】に学ぶ
1美髯公:2011/02/22(火) 18:56:49
 【仏教大学講座】は
  昭和四十八年は「教学の年」と銘打たれ、学会教学の本格的な振興を図っていく重要な時と言う命題の基に開設された講座です。

 設立趣旨は
  ①日蓮大聖人の教学の学問体系化を図る。
  ②仏法哲理を時代精神まで高めていくための人材育成をする。
  ③現代の人文・自然・生命科学などの広い視野から仏法哲学への正しい認識を深める
  等

 期間は一年、毎週土曜(18:00〜21:15)開座、人員は五十名、会場は創価学会東京文化会館(実際は信濃町の学会別館って同じ所?)

 昭和五十二年度の五期生からは、従来方式から集中研修講義方式に変わり期間は八日間で終了と言う事になる。

  そして、それらの講義を纏めたものがとして「仏教大学講座講義集」として昭和50年から54年に渡って全十冊になって販売されました。
 その中から、御書講義部分を中心に掲載していきたいと思っております。
 なお、講座担当者の役職・肩書きは当時(昭和48年〜昭和52年)のものです。
 中には、反創価学会に身を投じた講義担当者もおります。が、しかしながら、当時は紛れもなく創価学会員であり最高幹部クラスでした。
 そこら当たり、ご賢察の上お願い致します m(__)m

2美髯公:2011/02/22(火) 19:00:15

                        【 御義口伝講義 】 担当:創価学会教学部長 原島 嵩

                     = 序 御義口伝の位置づけ = 

  御義口伝は、甲斐国(山梨県)身延の沢に入られた日蓮大聖人が、弟子に法華経の要文を講義された内容のものを、第二祖・日興上人が筆録されたものである。

  ここに深い意味がある。つまり、御義口伝が弟子達のための法門であり、弟子達がこれをどう展開し、どう具体化いていくかというための仏法哲理を
 明かされた法門であると拝すべきでる。しかも、時の流れを考えてみると、日蓮大聖人が文永十一年五月に「三度いさめんに御用いなくば山林に・
 まじわるべきよし存ぜしゆへに」(「光日房御書」 全集 P.928 ⑥) といわれて身延に入られたということは、その時代・人々への法門はすべて教えた、
 あとは滅後・未来のためであり、弟子を養成し、未来を築くという令法久住の戦いのために、身延に入られたと拝することができる。

  そして、御義口伝はその核というべきものであり、大聖人の仏法の本質的なもの・生命哲理の根源的なものが明かされている。
 しかも嗣法・日興上人への付嘱であるということは、日興上人の信心をもって受けとめ、日興上人のごとく弟子の戦いを実現していくという中に、
 御義口伝の生命が脈々と伝わっていくことを、まず私達は銘記しなければならない。

3美髯公:2011/02/22(火) 19:01:50

  次に、なぜ御義口伝の冒頭に「南無妙法蓮華経」を掲げられたかということについて考えてみたい。

  その前に法華経というものの構成を考えてみると、最初に「無量義経」から始まり、法華経二十八品があって、そして最後に「普賢経」で終わっている。
 開経である「無量義経」には「無量義とは一法より生ず」とあるように、実は一法の展開が法華経である。どんなに無量の義があっても、それは一法より生じている。
 社会・人生・宇宙・森羅万象をつらぬく根源の法がある。その根源法を説き明かしたのが法華経である。
 そして、結経の「普賢経」が「あまねくかしこい」という意味であるということは、法華経が全体にいきわたる、普遍性をもつということである。

  このように法華経が一切の根源を明かし、その根源が一切に行きわたるということを開結二経は示しているのである。
 さらに、法華経には迹門と本門ということがある。迹門は序品より安楽行品までをいい、従地涌出品より普賢菩薩勧発品までを本門という。
 迹門の肝心は方便品であるが、迹門においては、あらゆる生命の中に仏界というものがあるということを説き明かしている。
 「諸法実相」という言葉が、それを良くあらわしている。

  また、本門をみるならば、釈迦自身の振舞いの上において「成仏」を明かしているのである。すなわち、迹門においては、理性所具の一念三千を
 明かすのに対して、本門においては、現実に釈迦という仏の振舞いの上から、仏とはかくあるものであるということを明かされたのである。
 しかし、釈迦がなにゆえ仏になることができたか、その根源力は何であったかについては、釈迦は経文の上ではあらわに説かなかった。
 それでは釈迦一個の人格においての仏界であり、かつ、もし人が仏になるためには歴劫修行しなければならない。したがって、いまだ万人がの哲理として
 開かれたとはいえない。その釈迦自身が仏になることができた根源の種子を、日蓮大聖人は南無妙法蓮華経であると明かされたのである。

4美髯公:2011/02/22(火) 19:03:36

  さらに、それ自体を御本尊としてご図顕遊ばされ、万人の胸中に秘められた仏界を引き出す普遍の当体が確立されたのである。
 このことは、あらゆる人々が現実に成仏しうる道を開いたといえるのである。ゆえに、大聖人が南無妙法蓮華経をあらわされたことによって、
 法華経それ自身も意味をもち、蘇生したということができる。

  故に「三大秘法稟承事」に「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡れせ給えばなり」(P.1023 ⑬)とある。
 この南無妙法蓮華経を含んだ経であるが故に、法華経が諸仏出世の一大事といわれる所似がある。故に「南無妙法蓮華経と申すは一代の肝心たる
 のみならず法華経の心なり体なり所詮なり」(「曾谷入道殿御返事 P.1058 ⑧」) といわれ、この法華経の肝要を知らずに習い弾ずる者は「但爾前の経の
 利益なり」(「一代聖教大意 P.404 ④」) とまで、大聖人は言われている。

  ここに、南無妙法蓮華経が一切の根本であるということ、南無妙法蓮華経を明かされることによって、一切経も全部生かされてくるということを知って、
 そこから立ち還って法華経を判ずる必要がある。故に、大聖人は、法華経の要文をひかれるにあたって、まず冒頭に南無妙法蓮華経それ自体から
 入られるわけなのである。

5美髯公:2011/02/22(火) 19:05:22

                         = 一、「南無妙法蓮華経」 について = 

  以上のことを踏まえた上で、本文に入っていきたい。
  
  初めに「南無とは梵語なり此には帰命と云う」
 南無というのは梵語である。梵語に漢字をあてたものである。内容をいえば「帰命」という内容になってくる。

  「人法之れ有り人とは釈尊に帰命し奉るなり法とは法華経に帰命し奉るなり」
 いうまでもなく、人とは人本尊、久遠元初の自受用報身如来、法とは法本尊であり、文底秘沈の南無妙法蓮華経のことをさす。
 
  帰命ということについては「南無御書」には「南無と申すは月氏の語・此の土にては帰命と申すなり、帰命と申すは天台の釈に云く『命を以て
 自ら帰す』等云々、命を法華経にまいらせて仏にならせ給う、日蓮今度命を法華経にまいらせて」(P.1299) とあり、「白米一俵御書」には「一切のかみ・
 仏をうやまいたてまつる・始の句には南無と申す文字ををき候なり、南無と申すは・いかなる事ぞと申すに・南無と申すは天竺のことばにて候、
 漢土・日本には帰命と申す帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり、我が身には分に随いて妻子・眷属・所領・金銀等をもてる人々もあり
 又財なき人々もあり、財あるも財なきも命と申す財にすぎて候財は候はず、されば・いにしへの聖人・賢人と申すは命を仏にまいらせて・
 仏にはなり候なり」(P.1596) とある。

6美髯公:2011/02/22(火) 19:06:51

  生命を帰すというのが帰命の意味である。これについては、池田会長の講義を受けたときに、わかりやすく具体的な例を挙げて、説明された。
 たとえば、芸術家が創作に全魂をうちこんでいく、自分の生命をそこに打ち込んでいく、それがその芸術というものに対し、帰命していることに通ずるであろう。
 さらにまた、登山家が山に、自分の生きがいを見いだしていく。それは山に自分の生命を帰している姿であろう、という意味のことを伺った。
 自分の人生の根底というものがどこにおかれるか、ということが帰命の意味になる。しかし、このようにさまざまな帰命の姿があるが、もっとも自身をも
 他人をも幸福にせしめていく本源的な帰命とは何か。それは、「人」は釈尊に帰命し奉ることであり、「法」は法華経に帰命し奉ることである、という意味である。

  私達の立場においていうならば、釈尊・法華経と分けているが、根本的には日蓮大聖人の仏法においては、人法一箇である。したがって、大御本尊に
 帰していくこと、大御本尊を人生の根底においていくこと、これが人法ともに最高のものに帰命していることになるのである。
 しかし、わざわざ日蓮大聖人が、人と法とに分けられたのは意味がある。当然、御本尊それ自体は人法一箇である。そこに大聖人の生命がこめられている。
 しかし、さらにそれを根底に一歩すすめて考えていった場合には、御本尊に帰命するということは法といえるし、大聖人の生涯の振舞いに、
 我々の生き方の原点をおいていくことは、人に帰命するということになる。

  なぜ、日蓮大聖人は人法に帰命するといわれたのか、というのは、御本尊を根底にするということが、それが一切の根源力であるということである。
 しかし、ただ単に、一人で信仰というものが成り立つわけがない。生きた人間というものの中にあって、その中で真実の生き方を学んでいく、それが大切である。
 故に人に帰命するということが大切であるといわれたのである。

7美髯公:2011/02/22(火) 19:08:05

  「帰と云うは迹門不変真如の理に帰するなり命とは本門随縁真如の智に命づくなり帰命とは南無妙法蓮華経是なり」
  
  迹門は不変真如の理をあらわしている。本門というのは随縁真如の智をあらわしている。不変というのは変わらない、真如というのは真実、
 ありのままということで、宇宙・生命の真実・ありのままの理を明かしたのが迹門である。それに対して、本門随縁真如の智とは縁にしたがって、
 あらわれていく英知を明かしたのが本門である。

 このことを踏まえた上で、迹門不変真如の理に帰するという“帰”とは「還元」ということができ、本門随縁真如の智に命づくといった場合の
 “命づく”とは「発動」を意味するということができよう。「帰命」についてさらに述べていくならば、御本尊に帰していくということ、とともに、
 その御本尊の生命が我々の生命の中に躍動してくる、生きたものとして、人生・社会へ躍動してくる、ということが共にあって、初めて帰命といえるのである。
 ただ単に没我的に信仰するということが帰命ではない。人生・社会にその得たものを躍動させていくところに、大聖人の仏法における
 「帰命」というものの本質的な姿がある。

  さらに「命」というところを“もとづく”と読まれているところを、注目していただきたい。結局、生命というものは何か、ということが
 ここにもあらわれている。生命ということは「もとづく」ことである。人生・人間の発動の根源力であり、私達の生命の内奥から発動してやまないもの、
 それが「生命」の仏法の定義である。これを色心に分けるならば、帰とは肉体的・物質的なもので色法であり、命とは心法となるのである。
 ただ単なる、発動性のない、心法のない色法は、躍動のない死体にすぎないのである。

  また、随縁不変・一念寂照については、池田会長の講義録に詳しいので、ただ、一言ふれるにとどめたい。随縁真如の智・不変真如の理といえども、
 一念の生命の中に厳然と含まれている。「寂」ということは静寂という意であり、「照」とは生命を照らし輝かせるという意である。「寂」が不変真如の理、
 「照」が随縁真如の智と拝することもできる。宇宙の根源的法則に帰しつつ、現実にわが内奥の生命を照らし、社会を照らしていく。そこに本当の生命の
 完全燃焼の姿がある。生命というものの最大の発現の姿とは、人生・社会を照らし、一切を光輝あらしめていくことにあるといえよう。

8美髯公:2011/02/22(火) 19:09:21

   『妙法蓮華経について』
  次に、妙法蓮華経というものとの関連性について述べておきたい。
 まず「妙」とは生物的な定義とは異なるが“宇宙生命”と約することができよう。これには三義があり、一には蘇生の義、二には円満の義、三には開く義である。
 これはあえていえば、蘇生の義とは発動性、円満の義とは統一性・全体性、開く義とは能動性ということができよう。
 すなわち、「妙」とは、こうした特質をもつものの総体・全体として考えることができよう。しかもまた、妙とは空の義であり、生命そのものは
 空の状態で実在するといえる。

  また「法」とは、諸法というように個々の現象といってもよいし、宇宙生命に対して個々の生命ということができよう。
 すなわち、宇宙生命というものを根底にし、そこから、汲み出した個々の生命であって、はじめて妙法の当体となり、真実の力強い、清浄な発動が
 生じるといえるであろう。
 
 「妙とは法性なり法とは無明なり」とあるように、単に「法」が「妙」の働きを発現せず「法」としてとどまるならば、生命の輝きはおとろえ、消え、
 さらには、他のあらゆる生命をも破壊していく作用になっていくということである。人間のエゴイズムというものが破壊に向かっていくのも結局、
 宇宙生命を根本としない生き方を示すものであり、それは、自己の中に一切を貧欲にとりこんでいき、肥大しながらも、自らを破壊し、
 他をも殺害していくという生き方に他ならない。

  次に「蓮華」というのは、生命が具体的な動きを伴ったとき、因果というものがあらわれていく。宇宙生命の発動である個々の生命が
 活動していくとき、その活動が蓮華となる。また、蓮華には「清浄」の意があり、宇宙生命と冥合した活動こそ清浄なのである。
  また「経」というのは、もともとの意味はタテ糸という意味である。たての流れ、すなわち三世にわたる持続が「経」なのである。
 したがって、妙法蓮華経の中に、一切が含まれているといっても過言ではない。

9美髯公:2011/02/22(火) 19:10:45

  しかし、以上のように「妙法蓮華経」だけを説明しても、それは生命というものの真理観にとどまる。そこに「南無」という言葉を付すということは、
 単に文字を置いたということではない。南無妙法蓮華経が宇宙の真理であるということのみならず、同時に、生きた現実の中に躍動するものである。
 英知として、力として、また慈悲として、顕現化されたものである。すなわち、普遍の真理であるとともに、現実に人々の生命を揺り動かすものである、
 ということを示しているのである。

 御本尊それ自体は、宇宙生命の大リズムに合致しているとともに、日蓮大聖人の魂魄としてとどめられたものである。
 つまり、不変真如の理であるとともに、随縁真如の智の当体であることを明かしている。すなわち、妙法蓮華経だけでは単なる真理観であり、
 南無妙法蓮華経ということになれば、真理であるとともに現実である。人々の生命というものに直結した、そして、あらゆる人々の生命を
 揺り動かしていく、その力の当体なのである。ここに、日蓮大聖人の仏法と釈迦仏法の相違がある。

 たとえば、釈迦仏法では、法華経の授記品に「捨是身已」ということがある。「是の身を捨て已(おわ)る」と読む。方便品には「令離諸著」、薬王品には
 「離一切苦一切病痛一切生死之縛」ということがある。「諸の著を離れむ」また「一切の苦、一切の病痛、一切の生死の縛を離れる」と読む。
 この「捨てる」 「離れる」ということを、日蓮大聖人は御義口伝において、それぞれ「捨(ほど)こす」 「明らかにみる」と読むと仰せである。
 なぜ、このように「すてる」を「ほどこす」よ読み、「離れる」を「明らかにみる」と読むのだろうか。

10美髯公:2011/02/22(火) 19:13:46

 ここに、先に述べた釈迦仏法=真理観、大聖人の仏法=真理即現実という差が、信仰の姿勢にも及んでいることがわかる。大聖人の仏法全体からみるならば、
 釈迦仏法は迹門不変真如の理の範疇に入るといえるであろう。釈迦仏法においては、真理というものが、現実よりかけはなれたところにある。
 したがって、この身を捨てなければ、真理に近づくことはできない。諸の執着というものを離れなければ真理に近づくことはできない。
 すなわち、一切の苦、一切の生死の縛を離れていったところに、真理があるということになる。したがって、どうしても、釈迦仏法の行き方というものは
 出家して山林に交わって瞑想にふけるという、そういう生き方にならざるを得なかったといえる。天台の仏法もまた、その範疇を出なかったといえる。
 それは、内鑑の哲学ではあったけれども、本当に現実に生きる人々、苦悩の民衆を救う、真実の仏法とはなりえなかったのである。

  また「ほどこす」という意味は、あらゆる人々の利益のために、慈悲の念をもって戦っていく、人々にこの生命を施していく、施しながら自身が豊かになる。
 人々に与えれば与えるほど、人々に尽くせば尽くすほど自分の生命的財産がふえていく、生命が増していく。これが大聖人の仏法の立場である。
 また「執着を離れる」に対して「明らかにみる」ということは、より根源的な力を想定しなければ、「明らかにみる」ということはできない。
 より根源的な力によって、その執着を揺り動かしていく。むしろ、執着さえ用いていく。あらゆる病痛・苦難・悩みさえ、自分の人生をより豊かなものに
 するのに用いていく。その立場が「明らかにみる」ということである。ここに、日蓮大聖人の仏法が生きた現実の仏法であることを知ることができるのである。

11美髯公:2011/02/22(火) 19:17:21

   『色心不二の生命』
  さらにつけ加えたいことがある。それは、「生命」という問題である。生命は自分のそとにあるものではなく、自分自身の中にある。それゆえ生命を
 把握するには、その生命の発動、すなわち実践を通してしかありえない。実践を通して、はじめて自分の生命を把握できるのである。
 かって澤瀉久敬氏と会って話をしたときに、「自分自身を知るということは、創造してみてはじめてわかる」ということを語っておられた。哲学者の
 ことばであるから、それなりに深い内容がある。私も同感である。自ら創造してみると、自分を拡大してみるという行為なくして、自分自身を知ることは
 できない。自分自身の中に生命というものは息づいている。その生命を知るということは、創造の実践を通してのみ知ることができるのである。

 これこそ大聖人の仏法が受持即観心といわれるゆえんである。天台の観念観法のごとく宇宙即我という原理を観念的に知っていくというのではなく、
 宇宙大の生命を自分の実感として知ることができるのである。これは非常に大事なことである。かくして「南無妙法蓮華経」の題目の中に、その一切が
 含まれているということを知っていただきたいのである。

  次に「又帰とは我等が色法なり命とは我等が心法なり色心不二なるを一極と云うなり、釈に云く一極に帰せしむ故に仏乗と云うと」に移りたい。
 この色心不二ということに関しては、池田会長の『生命を語る』をよく読んでいただきたいが、色心不二とは色というものが単独にあって、また、心が
 単独にあって、それが不二の関係にあるという、単純なものではない。心法なき色法というものはありえない。

 また、色法を通じて心法もあらわれるのであって、心法だけ単純に存在しているというものではない。したがって、単なる精神と肉体が一致している、
 一体であるというのでは、まだ表現としては妥当性を欠いているといわねばならない。もっと本源的な、「生命」というものの心法と色法の関係を説き
 明かしているのが、色心不二という哲学である。色心不二の哲学こそ最高の哲学であり、これに帰したとき、はじめて色心の生命を最大限に発揮できる
 のである。それがまた仏乗なのである。

12美髯公:2011/02/22(火) 19:18:27

  「又云く南無妙法蓮華経の南無とは梵語・妙法蓮華経は漢語なり梵漢共時に南無妙法蓮華経と云うなり」
 梵語というのは、表音文字であるから音に生命がある。漢語は表意文字であるから、文字そのものに意味がある。こういう違いがある。
 なぜ日蓮大聖人が「南無」の字を梵語にされ、「妙法蓮華経」を漢語にされたか。おそらくは、妙法蓮華経は先にも述べたように真理であるが故に、
 真理というのを端的に表現するのには漢語でなければならない。その文字というものにハツラツたる生命の息吹を与えるということで、「南無」という
 梵語を使われたのではないかと拝したい。

 ともあれ、梵漢共時に南無妙法蓮華経といわれているのは、そこに大聖人の深い内証の悟りの上からの表現があったように考える。これについてはさらに
 思索が必要である。また梵漢共時に南無妙法蓮華経といわれているゆえんは、当時、梵と漢と日とで一つの世界であった。したがって、現在でいえば
 南無妙法蓮華経は全世界、全人類共通である、との意と考えるべきであろう。

13美髯公:2011/02/22(火) 19:20:01

   『声仏事を為す』
  次に「経とは一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く声仏事を為す之を名けて経と為すと、或は三世常恒なるを経と云うなり」
 池田会長の御義口伝講義には、戸田前会長の言葉を引用して次のように説明されている。
 「経とは仏典の経文のことだと、世人は思っている。しかるに仏教上の経とは、決してそれだけを意味するものではない。宇宙の森羅万象の語言、動作、
 ことごとく経である。賢哲の言動も経であれば、一凡愚のさけびも経である。この経は、そのもの自体の真理と価値を表明する。ゆえに非情より有情の経は高く、
 有情のうちでも、ネコ、イヌより凡夫の経が高いのである。また、人のなかでも、凡下のものより智者、智者のなかでも大智者の経が高い。
 
 大智者といわれる者のなかでも、仏と名づけられる方の経が、もっとも高いと結論できるわけである。
 なお、われわれの生活に見る場合に、魚屋は魚屋としての経を、日常読んでいる。政治家は政治家、大工は大工、職工は職工の、労働運動の指導者は、
 その労働運動の経を読んでいるわけである。

  仏滅後の今日、妙法蓮華経の経はもっとも高しとするゆえんのものは、妙法とは最高の価値ある生命であり、蓮華とは最高価値ある生命を内包する玉体である。
 ゆえに最高善を営む、すなわち、大善生活を営む者の経こそ最高であり、真理であるとの意味を、戸田先生は、常にいわれていた」(『御義口伝講義』<上> P.77)
 経というのは、生命活動があらわれて、他に行きわたっていくこと、響いていくこと、流れていくこと、そして持続していくことが経である。
 では、最高の人間としての経は何か。それが南無妙法蓮華経という経である。

14美髯公:2011/02/22(火) 19:24:20

  「釈に云く声仏事を為す之を名づけて経と為すと」
 日蓮大聖人の御書には、声には二つあると書かれている。一つは人をたぶらかさんがために自分の心と反する声を出すということと、本当に自分の心を
 出してしまうという場合である。いずれにしても、声というものの中にその人の生命活動があらわされている。生命活動というものが声を通してあらわれてくる。
 不思議なもので、その人の声に、健康状態を含めて、生命活動のすべてがあらわれてくる。私達の精神状態・生命の状態というものが、端的に声に
 あらわれるといっても過言ではない。

  私達の肉体活動には限界がある。しかし、生命の内奥の活動・精神の活動というものは、無限に開いていくことができる。その生命の内奥の活動を、
 声というものがあらわしていくのである。確かに、苦しんでいる人の声は同じことを言っても、楽しんでいる人の声とは異なる。その人の生命活動は
 必ず、その声の質というか、響きにあらわれてくる。そこで私達が、御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱えることには二つの意味がある。
 一つは、私達の生命というものの中に南無妙法蓮華経という生命活動を湧き立たせていくという働きと同時に、その声というものは、ダイレクトに
 御本尊に向かって直結していく意味がある。これが「声仏事をなす」ということの本義である。

  また「声仏事をなす」ということは、一人の人を救うときにもあらわれてくるといえる。その人を救おうという真心の一念、その人の奥底の一念というものが
 相手を動かすのであって、言葉・技術といえどもその発露ということができるであろう。問題はその人の一念がどこにおかれているか。
 それが、本当に人々を救おうと言う一念かどうか、それらが相手の生命に直接、訴えられていくのである。

16美髯公:2011/02/22(火) 19:29:05

  最後に「九字は九尊の仏体なり九界即仏界の表示なり」、「蓮華とは八葉九尊の仏体なり」等に関して簡単に述べておきたい。
 八葉九尊の仏体というのは大日経の本尊である。なぜ、日蓮大聖人がこの南無妙法蓮華経を説明する段において、大日経の本尊の姿をつかわれているかに
 ついては、大きな示唆があるように思われる。

 南無妙法蓮華経は絶待妙である。それは大海にたとえることができる。あらゆる河川は大海に入ると同じように、あらゆる一切の思想・哲学は全部、
 南無妙法蓮華経という大海に入って、はじめて生きた力をもつようになる。この絶待妙という立場に大聖人の仏法がたっているということを知っていくことは、
 御義口伝・御書を学んでいく場合、きわめて大切であるといわねばならない。私達が社会に法を弘めていく場合に、教学を展開していく上においても、
 この絶待妙の立場を忘れてはならないのである。

  これまでは他をすべて、かなぐり捨てて、純粋に一法だけを追究してきた面が強かったといえる。しかし、それは当然の大前提としても、それのみで
 大聖人の仏法の本来のあり方と考えてはならない。日蓮大聖人の仏法というものは、南無妙法蓮華経という偉大な生命哲学というものを根幹として
 一切のものを生かしていくというのが、本来の在り方である。

17美髯公:2011/02/22(火) 19:30:42

                          = 二、「如是我聞の事」について =

   『如是我聞とは』
  如是我聞とは、あらゆる経文の冒頭に必ず置かれている一句である。その上には、その経文の真髄をあらわす題目がある。すなわち、その一経の題目を
 指して、如是我聞というのである。法華経においては、その序品において「妙法蓮華経序品第一。如是我聞。一時仏住。王舎城。耆闍崛山中。・・・・」
 (是の如きを、我聞きき。一時、仏、王舎城、耆闍崛山の中に住したまい・・・・)とある。

 つまり、法華経において、如是我聞とは「妙法蓮華経」という題目をさしているのである。その経の最も肝心なもの、所詮というもの、最終原理というものが、
 この題目にあらわされている。たんなる経のタイトルではない。私達が原稿を書いて表題を何とか無理してつけるといったものとは異なるものである。
 経の生命、それが題目であり、それを釈尊の弟子達がことごとく一致して「是くの如く我れ聞きき」として定めたものである。しかし、この言葉も単に
 「私はこのように聞いた」といった表面的な解釈のみではあらわせない深い意味がある。また、これを大聖人の御義口伝によって拝せば、実に重大な仏法の
 生命線ともいうべき、信仰の本義に帰着してくるのである。

  まず「法華文句」巻一の門が引用されている。「如是とは所聞の法体を挙ぐ我聞とは能持の人なり」と。さらに妙楽の「法華文句記」巻一の文、
 すなわち「故に始と末と一経を所聞の体と為す」を引用されている。これについて「御義口伝に云く・・・」で、大聖人の観心釈を明快に示されている。
 その前に、若干、この御義口伝の内容を理解するために説明を加えておきたい。

 あとに御義口伝の中にも引用されているが、「法華文句」の一に「如是とは信順の辞なり」とあるように、如是=是くの如し、というのは、実は、信じ、
 順(したが)うということなのである。如というのは「不異」=異ならない、という意味である。「・・・のごときものだ」 「・・・のようだ」などと
 いうことではない。仏の悟りとの完全なる一致 ― これが如是なのである。したがって、如是我聞とは「まったくその通りに聞いた」 「その通り信順して
 疑いがない」といった方が、よりよくその意をあらわしている。

18美髯公:2011/02/22(火) 19:32:14

  次に「我聞」とは、どういうことか。我聞の我について、「法華文句」の一には、また次のようなことが説明されている。
 まず「大論に云く、耳根壊せずして声は可聞の処に在り、作心して聞かんと欲すれば衆縁和合す、故に我聞と言う」と、「大論」(大智度論) の言葉を
 あげている。これは、仏の説法は、耳を通して聞くのであるが、作心=心を作(おこ)して聞こうとする時に、衆縁=もろもろの外界のものを取り入れる
 作用をするもの、たとえば、眼、耳、鼻、舌、身等が、みな和合して、一つになっていくのである、ゆえに我聞というのである、という内容である。

 問題は、これからである。この「大論」の引用に対して「問ふ、応(まさ)に耳聞と言ふべし、那(なん)ぞ我聞と云ふや」との問いを発する。
 これは、現に、吉蔵が「法華経義疏」において言っていることである。これに対して、天台の答えは、きわめて簡明である。「答ふ、我は是れ耳の主、
 我を挙げて衆縁を摂す」と。「我」というのは、耳の主である。「我」の中に、眼・耳・鼻・舌・身・意等のすべてが含まれている、というのである。
 
 それでは、天台のいう「我」とは、いったい何であろうか。それについても、天台は、慢心の我(慢我)や、我見の我(見我)や、邪(よこしま)な我(邪我)
 ではなく、名字の我であると述べている。つまり、我見や慢心を一切払拭して、浮かび上がる「生命それ自体」なのである。したがって、我聞とは、
 まさしく、生命それ自体で聞いたということなのである。仏の生命そのものに、わが生命自体で迫っていく ― これが我聞なのである。

 ここで大事なのは、「名字の我」であるということである。この名字=名字即ということについては、あとで述べるが、末法の今時においては信の一字であり、
 「信ずる我」で聞くことが、我聞なのである。さらに、この「我」は、人に約していえば阿難の我なのである。阿難は、多聞第一の人である。
 それでは、阿難は、なぜ仏の説法を多く聞こうとしたか。それは後世に真実、全体の法伝え、実践せんがために求道の一念を燃やしたのである。
 
 すなわち、伝持の決意、実践の決意、求道の一念で聞くことこそ、まさに我聞なのである。また、阿難とは、歓喜と訳す。すなわち、歓喜の「我」こそ、
 如是我聞の「我」なのである。歓喜躍動の生命こそ、仏法は、生き生きと伝わるのである。以上、我見、慢心、邪見の奥にある「生命それ自体」を開き、
 信じるという姿勢、伝持、実践、求道、歓喜の生命に聞くことが、我聞であるといえるのである。

19美髯公:2011/02/22(火) 19:57:52

  さらに次に「聞」ということであるが、天台は「仏に侍して始めて聞いた」ということを言っている。つまり、「聞く」とは「仕える」ことなのである。
 たんに、言葉として聞くということのみを意味しない。生命と生命のふれあいにこそ「聞」はある。そのときにこそ「仏法の大海のは阿難の心に流入
 (るにゅう)」(文句一) するのである。この「流入」こそ「聞」であり、その流れをせきとめる心の堤防をつくっておいて、いかに耳で聞いても「聞」にはならない。
 また「聞」とは「観」であり、「一念の観」 「妙観」 であるとも言っている。天台家では観念観法を意味するであろうが、末法における 「一念の観」 「妙観」 とは、
 受持即観心であり、したがって受持それ自体が「聞」なのである。

  以上のことから考えてみると、仏法の姿勢というものが、たんなる認識として学んでいくというよりも、生命それ自体として会得していくということに
 あるといえよう。学問というものは、分析と総合という方法での認識の仕方、あるいはその仕方を学ぶといえるかもしれないが、仏法とは、まさに
 生き方そのものであり、もしくは生き方そのものを学んでいくものである。むろん、このことは、認識論としての学問を否定するものではない。文献学、
 考証学を排斥するものでもない。ただ、仏法そのものに迫るのは生命それ自体で迫るべきであり、それを核として、はじめて学問も学問としての立場が
 明瞭となり、精彩を帯びることになろう。

20美髯公:2011/02/22(火) 19:58:52

  以上のことと関連して、池田会長の『私の仏教観』では、仏典の第一結集について、次のように述べている。
 「ア−ナンダにしても、ウパ−リにしても、単に記憶力が優れていたというだけではない。釈迦の教説が、そのまま二人の体内に血肉化していたのでは
 ないか。真剣な求道心をもって、一言一句を全身で受けとめていけば、それは終生、体から離れることはないからです。たとえ師が亡くなっても、体内に
 息づく師の声が聞こえてくる。『声聞』という言葉があるが、現実の釈迦の声を聞いて修行するばかりでなく、生命に刻印された鮭の言説を思い
 浮べながら修行したということも考えられる。

 こうして当時は、今のようにメモやテ−プレコ−ダ−があったわけではないから、弟子達は釈迦の教えを全身で受けとめる以外になかった。しかも釈迦の
 教えは、学問的な知識にとどまるものではない。人生いかに生きるべきか、宇宙の存在の根源にあるものは何か・・・・そういった『知恵』を
 開発するものであった。だから弟子達も、みずからの実践をとして、一つ一つ仏説の真実を確認していったのでしょう。

 仏法の修得法は、どこまでも主体的、実践的な修得法であったのです。机上の学習や、書物の理解などではない。師匠と弟子との生命と生命との交流の
 なかに、真実を把ませようとしたものであった。この点、西洋の認識を主体とした学問習得法とは根本的に異なっていることを、我々は忘れてはならない。
 そこにまた、仏典結集の一つの重要なポイントがあるのではないだろうか」
 若干長い引用になったが、如是我聞ということの内容を知る上で、きわめて重要な示唆があると思い、ここに掲げておいた。

21美髯公:2011/02/22(火) 20:00:22

   『名字即について』
  さて大聖人は、「如是我聞の事」の冒頭に引いた「文句」および「文句記」の文を受けて、まず「御義口伝に云く所聞の聞は名字即なり」と仰せられている。
 名字即というのは、一往、天台の立てた円教の修行の六種類の段階である

 (一) 理即・・・・迷いの凡夫であって、理の上では仏界を具足しているところから名づけられている。「十八円満抄」には「一には自性清浄にして
          泥濁に染まず」(P.1364) とあり、誰人の本性も清浄であって泥の濁りに染まってない。つまり誰人といえども、その胸奥に
          本性として何ものにも染まらない清浄な生命を具足している。しかし、それは理の上での具足であって事実の上での発動がない。
          これが理即である。

 (二) 名字即・・・天台によると「三諦の名を聞く」あるいは「一切の法は皆是れ仏法なりと通達し解了する」位 (P.566) とされたいる。

 (三) 観行即・・・天台によれば「転重軽受法門」にあるように「円教の六即の位に観行即と申すは所行如所言・所言如所行と云々」(P.1000) とある。
          なかなか、所行が所言の通りにならない、また、所言が所行の通りにならない。なったときが、観行即であるという。

 (四)相似即・・・天台によれば見惑・思惑を断じ、されに塵沙惑をも断じた位をいう。

 (五)分真即・・・四十二の無明のうち、最後の一つ、元品の無明だけを残して、あとは一切断じ尽くした位とする。

 (六)究竟即・・・天台によれば、四十二の無明の最後の一つである元品の無明を断じ尽くした位といっている。

22美髯公:2011/02/22(火) 20:02:37

  日蓮大聖人の仏法においては、この六即位を天台と同じように立てるのかといえば、そうではない。末法の大仏法においては名字即の位が大事なのであり、
 他の観行即、相似即、分真即等の修行の位は立てないのである。それゆえ、日寛上人の「六巻抄」等において、「名字究竟の本仏」とあるのである。
 すなわち、名字即から究竟即へ行く。その間の位の段階というものはない。釈迦仏法のような位の次第というものはないのである。
 
 御義口伝下にもあるように、「末法の正法」は「惣じて伏惑を以て寿量品の極とせず唯凡夫の当体本有の儘(まま)を此の品の極理と心得べきなり」(P.752)
 なのである。ここに寿量品とは大聖人御内証の寿量品のことをいうのであり、教相の寿量品ではないのである。すなわち「凡夫の当体本有の儘」こそ
 大切なのである。しかし、このことを大前提として、絶待妙の上から六即位というものをかんがえていくときに、決してそれは意味のないことではない。
 つまり、名字即という上に立って、我々の立場を六即位に配していくと次のようにいえるであろう。

 たとえば、(一) 理即・・・信心のできない段階であり、仏界は具えているが、顕現されていない。このように信心していない人の奥にも平等に仏界が
 具足されているという考え方、生命そのものを対立的にみないのは、仏法の大きな特徴というべきである。

 (二) 名字即・・・信心をはじめた段階であり、大聖人の仏法における基底となるものである。

 (三) 観行即・・・実践をはじめた段階である。

 (四)相似即・・・三障四魔、三類の強敵等々と戦っていく段階である。

 (五)分真即・・・「化他に出づるを分真即というなり」とあるように、自らの宿命転換だけではなく、人々を救っていく段階ということができよう。

  以上のように、一往、配することはできる。しかし、この段階はむしろ、天台の立てた六即位の段階ではない。すなわち、全部が信心の上での 観行即であり、
 三障四魔等との戦いであり、信心の上での折伏であり、仏界の涌現なのである。この意味で、名字即に基づいた六即位なのである。

23美髯公:2011/02/22(火) 20:03:56

  それでは、日蓮大聖人における「名字即」とは何か。なぜ信心ということになるのか。「三世諸仏総勘文教相廃立」には「一切の法は皆是れ仏法なりと
 通達(つうだつ)し解了(げりょう)する是を名字即と為す名字即の位より即身成仏す故に円頓(えんどん)の教には次位の次第無し」(P.566)、また「一切の
 法は皆是れ仏法なりと知りぬれば教訓す可き善知識も入る可らず思うと思い言うと言い為すと為し儀(ふるま)いと儀う行住坐臥の四威儀の所作は皆仏の
 御心と和合して一体なれば過(とが)も無く障りも無き自在の身と成る此れを自行と云う」(P.570) と。

 いいかえれば、仏法が自らの生き方になっている。その人の一切の振舞い、一切の生活の根底に仏法というものがある、これが「一切の法は皆是れ
 仏法なりと通達し解了する」という姿勢なのである。ただ単なる認識をいうのではない。体得なのであり、生き方自体になっているということなのである。
 では、なぜ「名字」という言葉が付けられているかといえば、それは名前と体というものが切り離されては考えられないということを示している。私達の
 生活においても、私達の立居振舞い、一挙手一投足というものが、私達一人一人の名前で表現されている。「〇〇 さんが行く」あるいは「本を書いた」
 「くじに当たった」等々。私達の名前と生活の行動というものが切り離されてはいない。これと同様に、仏法というものが、どこにいっても離れた存在ではない、
 生活そのものであるという状態を「名字即」といったのである。この立場、信心に立ったとき、それがそのまま究竟即としてあらわれていくというのが、
 日蓮大聖人の御義口伝なのである。

  御義口伝には「頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時名字即なり」(P.752) とあるように、わが生命体および生命活動が南無妙法蓮華経という体内の
 ものとなることである。いいかえれば、一切の活動の基底に南無妙法蓮華経という一法があるということにほかならない。この名字即の姿勢で迫って
 いくのであれば、日蓮大聖人の仏法の真髄は理解できない。すなわち「如是我聞」の「聞」とはならないのである。

24美髯公:2011/02/22(火) 20:25:20

   『能持の人』
  「能持とは能の字之を思うべし」
  大聖人は、これについては詳述されていない。「能の字之を思うべし」でとめられている。しかし、それだけに、たんなる言葉ではなく、一人一人の
 行動の中に読んでいくべきことが示されていると思う。池田会長はその内容について、講義の中で、「身口意の三業」で読むことであると結論されている。
 すなわち、身口意の三業で読むことなくして南無妙法蓮華経を自身の生命の中に涌現することはできない。生命の中に会得することはできないということである。
 この「能持の人」というのが大事である。能とは能動ということであり、受動ではなく、能動的に仏法を実践する人のことである。我聞とは、まさに
 能持の人においていえることなのである。

  「次に記の一の故始末一経の釈は始とは序品なり末とは普賢品なり法体とは心と云う事なり法とは諸法なり諸法の心と云う事なり諸法の心とは妙法蓮華経なり」
  法体とは一切の諸法の根源、真髄という意味である。つまり、仏法というものが何を説き明かそうとしたのかといえば、諸法の根源、真髄にせまった
 ものなのである。森羅万象の根源にあるもの、一切の現象の底流にあるものを説き明かそうとしたのが仏法であるということである。
 それは何か。妙法蓮華経であり、さらにいえば、すでに「南無妙法蓮華経」の項で述べたごとく、宇宙とわが生命の根源にあって、しかも発動してやまない実体、
 即南無妙法蓮華経なのである。

  「伝教云く法華経を賛むると雖も還って法華の心を死すと、死の字に心を留めて之を案ず可し」
  どんなに法華経を理解したとしても、すばらしいと賛嘆したとしても、法華の心を知らないならば、法華経というものを殺してしまうのである。
 「三大秘法稟承事」に「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり」(P.1023) とある。
 南無妙法蓮華経という実体が説かれているが故に諸仏出世の一大事となるのである。それゆえ、南無妙法蓮華経ということを知らないで、法華経を読んだ
 としても、それは法華経を読んだことにならないのである。では、なぜ、大聖人が死の字に心を留めて之を案ぜよといわれたのであろうか。
 
 結局、「如是我聞」でなければ、法華の心を殺すのである。「如是我聞」の姿勢で法華経を聞いていかなければ仏法の精神、真髄を破壊してしまうのである。
 今、欧米などでは、社会科学的な方法をもって仏教を研究し、深めている。それは外から仏法に迫っていこうとするやり方であるが、
 それのみであっては、仏法に近づこうとして、かえって仏法から遠ざかる結果となる。「如是我聞」というのは、仏法それ自体にダイレクトに迫っていこう
 とするものであり、この「如是我聞」の姿勢なくしては、仏法の精神というものは死んでしまうことを知るべきである。

25美髯公:2011/02/22(火) 20:26:43

  「不信の人は如是我聞の聞には非ず法華経の行者は如是の体を聞く人と云うべきなり」
  不信であるならば、慢心であるならば、かえって仏法というものを殺してしまうのである。
  法華経の行者とは、単に法華経を行ずる人をいうのではない。根本は末法の法華経の行者とは御本仏・日蓮大聖人のことをいうのである。
 なぜなら、御義口伝のいたるところで、末法の法華経の行者が本尊であるとされている。
 例えば「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」とあるのが、それである。
 
 また、総じては私達も法華経の行者である。大聖人は、私達も法華経の行者に含めて下さっている。では、法華経の行者とは何か。「諸法実相抄」には
 「いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとをり日蓮が一門となりとをし給うべし」と。生涯、日蓮大聖人の仏法に生きぬく、大聖人の仏法に
 生涯をかけて、はなさない。これが「法華経の行者」という意味になるのである。その人こそが如是の体を聞く人というべきである。
 如是の体、南無妙法蓮華経という大生命がちょうど、釈迦の仏法の大海が阿難の生命の中に流入したがごとく、私達の生命の中に溢れるようになって
 くるのである。それが、私達の立場での「如是我聞」ということである。

26美髯公:2011/02/22(火) 20:28:18

   『如是とは信順の辞』
  「爰(ここ)を以て文句の一に云く『如是とは信順の辞なり信は則ち所聞の理会し順は則ち師資(しし)の道成(みちじょう)ず』と、所詮日蓮等の類いを
   以て如是我聞の者と云う可きなり云云。」
  「信」と「順」ー これが仏法を会得する途である。さらに、これを展開するならば、「所聞の理会し」とは天台家の表現であるが故に、「理会し」となるが、
 末法においては受持即観心であるゆえに御本尊を信ずることになるのである。また、「師資の道成ず」とは師弟の道ということである。「資」とは“たすく”と読む。
 仏法の原理では、師匠をたすけるのが弟子のあり方である。師匠からたすけられているばかりでは、ほんとうは弟子とはいえないのである。
 さて、この「信」と「順」の二つがあって如是我聞である。この両方が必要なのである。

  「所詮日蓮等の類いを以て如是我聞の者と云う可きなり云云。」
  「日蓮等の類い」で、「日蓮」は別しての立場、「等の類い」は総じての立場で、私達弟子も含めてくださっているのである。ここで、如是と我聞の
 関係性を述べておきたい。如是とは「所聞の法体」を挙げているのであり、その法体とは大御本尊であり。我聞とは受持であり、末法今時における
 如是我聞とは、御本尊を受持すること尽きる。また、如是とは如説、我聞とは修行であり、如説修行こそ、如是我聞なのである。

 法体というものは、実践をともなって、はじめて生きた力をもつ。如是我聞ということが、一往は、仏典結集にあたっての弟子達の心の一致を
 あらわすにしても、再往、生命と生命の触れ合いであり、一切の経々のはじめに、必ず「如是我聞」を置いたところに、仏法の後世に伝播していく、
 偉大な源流があったといえなかろうか。すなわち、如是我聞とは、弟子の立場なのである。法の水脈は、弟子の生命に流れていって、巨大な増幅作用を
 起こしていくものであるからだ。

27美髯公:2011/02/23(水) 20:01:49

 「顕仏未来記」には「伝持の人無ければ猶木石の衣鉢を帯持せるが如し」(P.508) とある。「伝持の人」のいかんが、法の生命を決するのである。
 御義口伝においても「南無妙法蓮華経」の項の直後に「如是我聞の事」があるのは、一往は、法華経の順序に従ったとはいえ、再往は、
 これから展開していく御義口伝の内容を、ことごとく「如是我聞」の姿勢で受けとめよ、との御本仏の指導と私は拝したい。
 同時に、これは、法華経でいえば「妙法蓮華経」を受け、しかも、そのあとにつづく一経二十八品の総序なのである。

  大聖人は、末法の法華経たる「南無妙法蓮華経」の内容を、御義口伝においても展開されるのである。したがって、まず最初に「南無妙法蓮華経」から入り、
 次に「如是我聞の事」にふれられる。したがって、この「如是我聞の事」は、最初の「南無妙法蓮華経」を受け、しかもこれからの御義口伝の一切の総序なのである。
 御義口伝を学ぼうとするときには、必ずこの「如是我聞の事」を拝してから学ぶようにしてはどうかと提案したい。

  仏教大学講座で、いろいろのことを勉強することであろう。御書にも「此の大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し八宗の章疏を
 習学すべし然れば則ち予所持の聖教・多多之有り」(P.1038) とある。しかし、それは、ひとえに広宣流布のためである。この信念の核心を得てこそ、
 一切は包容され、生かされるのである。本当の寛容さとは、信念なく、いたずらに妥協することではない。透徹した「生き方」を内に秘めている人こそ、
 実は、真実の寛容さ、柔軟性を発揮していけると思う。故に、仏法を学ぶにあたって心すべきことは、それが単なる自己満足の学であってはならないと
 いうことである。そして、その根底に、妙法そのものに対しては、「如是我聞」という姿勢が貫かれるべきであると訴えたい。

28美髯公:2011/02/24(木) 23:21:40
                          
                          = 三、「阿闍世王の事」について =

  阿闍世王とは、法華経・序品列座の大衆の一人である。「韋堤希(いだいけ)の子阿闍世王、若干(そこばく)百千の眷属と倶(とも)なりき」とある。
 伝えるところによると、阿闍世王は釈迦在世から滅後にかけて中インド・マガダ国の王で、父は頻婆沙羅王(びんばしゃらおう)、母は韋堤希であった。
 ところで、日蓮大聖人が御義口伝において、この阿闍世王を問題にされているのは、もとよりそうした一個の人間に関してではない。法華経は生命の
 哲理であるが故に、この阿闍世王もまた生命の哲理、法則として説かれていると理解していただきたい。つまり、一個の人間としての阿闍世王ではなく、
 阿闍世王という生命の傾向性を問題にしているのであり、したがって、万人に通ずる阿闍世王である、というふうに理解していただきたい。

   『阿闍世王の物語』
  阿闍世王とは梵語で、未生怨と訳す。阿闍が未生、あるいは不生の意であり、世が怨(うらみ)という意味である。
 この阿闍世王をなぜ未生怨と名付けるのか、については大般涅槃経(だいはつねはんきょう)に詳しく説かれているが、簡単に紹介すると次のようになる。
 頻婆沙羅王(びんばしゃらおう)、韋堤希(いだいけ)夫人の間には、世継ぎの子供がなかった。占い師に占わせると、山中に住む仙人が死んだ後、
 太子となって生まれる、ということであった。ところが、頻婆沙羅王は仙人の死を待ち切れず、その仙人を殺してしまった。

 その後、確かに韋堤希夫人は男子を出産したが、その子供を再び占い師に観せると、王の怨(あだ)となる宿業を持っているという。阿闍世王(未生怨)は、
 それ故に付けられた名前である。さて、将来自分に怨をなすという予言の的中を恐れた頻婆沙羅王は、我が子を楼上から投げ捨てようとした。
 だが、子供は指を折っただけで死ななかったという。後に太子となり、やがて釈迦に叛逆した堤婆達多(だいばだつた)と接触するに及んで、仏法を信奉する両親に、
 悉く敵対するようになった。頻婆沙羅王が一生懸命、釈迦に帰依し供養すれば、それに倍する供養を堤婆達多の方へしたりした。

29美髯公:2011/02/25(金) 20:46:54

 そして、堤婆達多にそそのかされた阿闍世王は、父親を幽閉し、餓死させようとしたが、韋堤希夫人の助けもあって、なかなか頻婆沙羅王は死なない。
 そこで、阿闍世王はついに父親を自らの手で殺し、更に母親を幽閉してしまった。韋堤希夫人は、牢獄の中で呻吟しつつ、一つの疑問に突き当たった。
 釈迦に最も敵対した堤婆達多は釈迦のいとこであり、自分には阿闍世王という子供がいる。これは、いったいどういうことであろうか、と。この問が
 発せられるのは、感無量寿経においてであるが、その時には釈迦は答えず、法華経・堤婆品に至って初めて「悪人成仏」の原理をもって答える。

 その間の事情について『開目抄』下には次のように述べられている。
 「感無量寿経に韋堤希夫人にすかされて父の王をいましめ母を殺さんとせしが耆婆月光に・をどされて母をはなちたりし時仏を請じってまつて・まづ第一の
 問に云く『我れ宿(むか)し何の罪あつて此の悪子を生む世尊・復た何等の因縁有って堤婆達多と共に眷属となり給う』等云云、此の疑の中に『世尊・復た
 何等の因縁有って』等の疑は大なる大事なり、(中略) 而れども仏答え給わず、されば観経を読誦せん人・法華経の堤婆品に入らずば・いたづらごと
 なるべし」(P.213 ⑤)

 ともかく、こうして悪逆の限りを尽くす阿闍世王を諫める人物が現れる。阿闍世王に大臣として仕えていた耆婆が、その人である。耆婆大臣は、釈迦に
 帰依していた高名な医師であり、得叉尸羅国の阿提黎賓迦羅について医学を七年間にわたって学び、後にマガダ国に帰り、難病を治して医王の名を挙げていた。
 当時の記録では、すでに開頭手術を行ったり、精神医学の分野を開拓していたというから、世界的な名医であったのだろう。その耆婆大臣が、阿闍世王を諫めて、
 韋堤希夫人を解き放つように勧めた。阿闍世王は、それを受け入れて、ようやく母親を許した。かつては堤婆達多にそそのかされて、酔象を放って釈迦を
 殺そうとしたこともあったが、こうして耆婆大臣の諫めを契機に回心した阿闍世王は、父を殺した罪の深さを反省し、釈迦に帰依し法華経の会座に
 加わったのである。更に、阿闍世王はその後、全身に大悪瘡ができ、死を宣告された。その時も耆婆大臣は釈迦の許へ連れて行き、平癒を願った。
 そこで釈迦は、阿闍世王のために月愛三昧に入り、涅槃経を説いた。するとたちまち大悪瘡は癒え、寿命を長らえることができたとある。

30美髯公:2011/02/26(土) 20:13:05

  大涅槃経に「爾(そ)の時に王舎大城の阿闍世王其の性弊悪にして乃至父を害し已(おわ)って心に悔熱(げねつ)を生ず乃至心悔熱するが故に?体瘡(きず)を生ず
 その瘡臭穢(しゅうえ)にして附近すべからず、爾の時に其の母韋堤希(いだいけ)と字(なづ)く種種の薬を以て而も為に之を云(つ)く其の瘡遂に増して
 降損すること無し、王即ち母に白(もう)す是くの如きの瘡は心より生ず四大より起るに非ず若し衆生能く治する者有りと言わば是の処(ことわり)有ること
 無けん云云、爾の時に世尊・大悲導師・阿闍世王のために月愛三昧に入たもう三昧に入り已って大光明を放つ其の光清涼にして往いて王の身を照らすに
 身の瘡即ち癒えぬ」とある通りである。
 また、日蓮大聖人は「阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ」(P.975) と述べられている。

31美髯公:2011/02/27(日) 22:56:32

   『「阿闍世」の原理的展開』
  以上、極く簡単に阿闍世王について紹介したが、もとよりこれは経典に説かれた物語の一つであって、すぐさま現代の我々の生活に翻訳することは
 困難かも知れない。また古代インドの風習や風俗は、現代人からみればなかなか理解し難い面もあろう。しかしながら、この物語が示そうとする意味
 内容を考えるとき、人間生命への深い洞察と英知の輝きに満ちていることを知り、驚嘆の声を発せざるを得ないのではないか。

  まず第一に、この物語は人間の生きる姿勢について教えている。阿闍世王のような悪い子供が生まれた。当然、両親は悩む。そこで大抵はは、この子は
 なんて悪い人間だ、親にも似ていない、といって嘆くものである。だが、結局のところ、むしろ親自身がその原因を自ら認め、三世にわたる自分自身の
 宿命というものを打開しない限り、根源的な解決は望めない、ということをこの物語は教えている。

  第二に、阿闍世王の両親に対する奥逆は、人間真理の奥底に実在し、かつ人間を根底的に繋縛(けいばく)する「業」を教え、しかもそこから人間を
 解放する方途を示している。親と子の複雑な心理的葛藤を明らかにしたものに、心理学の言葉で「エジプス・コンプレックス」がある。
 これは、ギリシャ神話にある「エジプス物語」を土台に、やはり父を殺し、母を犯す太子の悲劇を分析し、そこから心理学的な治療の方法を導き出したものである。
 この「エジプス物語」に比して、経典に説かれる阿闍世王の物語は、更に深く人間真理の襞(ひだ)に入り込み、しかもその奥底に「業」を認めており、
 そうした点から、精神分析医学の分野でも高く評価されている。日本精神分析学会名誉会長であった古沢平作氏は、この阿闍世王の物語から
 「阿闍世コンプレックス」という分析治療の方法を発見している。そして、それは多分にフロイトの学説に影響を及ぼしたといわれている。

  第三に、いま述べた点とも関連があるが、人間生命の本質的な傾向として、未生怨、つまり怨(うらみ)に支配され易いことを教えている。恐らく、
 人間が発するあらゆる声、あるいはその心情を全て聞き取ることができるとしたら、その大半は“うらみ節”を奏でているのではないかと思える。
 そうした生命傾向が人間関係を崩壊させ、人間と人間の間における反目、闘争をもたらしているといえる。「人間は人間にとっての猿」といった苦い
 警句が生まれる理由も、この辺りにあるのではないだろうか。ともかく、この阿闍世王を、古代インドにおける一人の人間として問題にするのではなく、
 日蓮大聖人は人間生命を解明する一つの原理として展開されたのであり、現在の我々もまたその方程式にのっとっていかなければならないと申し上げておきたい。

32美髯公:2011/02/28(月) 21:02:41

   『生命論からみた「阿闍世」』
  御義口伝において、日蓮大聖人は「日本国の一切衆生は阿闍世王なり」と、まず述べられている。そして、その理由として「既に諸仏の父を殺し
 法華経の母を害するなり」と示されている。確かに、阿闍世王という生命傾向は、誰の心の中にもある。怨むという命が、人間の心から消滅することは
 ありえない。もし、消滅するとしたら、怨む生命力すら消滅したというべきであって、怨みそのものだけが消滅するなどということはありえない。

 ただいえることは、怨むべきでないものを怨んだりする全く見当外れの怨み方が、人間関係に不協和音をもたらす原因になるということだ。
 逆に怨むべきものを怨み、怨むべきでないものは怨まないというように、そこに英知の働きが加われば、それは怨むという生命傾向の健康的な表出となる。
 更に、怨むという感情に支配され、流される人生は不幸といわざるをえない。つまり、そうした感情をコントロ−ルし、使い切っていけるだけの主体性が
 確立されなければならないといえよう。日蓮大聖人は「令離諸著(りょうりしょじゃく)」の“離”を、離れるではなく“明(あき)らむ”と読むべきである
 と教えられている。つまり、自分自身に本来備わっている種々の生命傾向を明らかに見抜き、しかも一切を幸福へと作動させていくべきだということだ。

 実際、今日の世界ほど嫉妬と憎悪に満ちた時代はないのではないだろうか。個人においても、国家においても、あるいは民族、人種のあいだにおいても、
 エゴとエゴがぶつかり合い、酸鼻(さんび)な悪臭を漂わせている。自分で自分がどうしようもないのである。そうした葛藤、闘争の根本的原因は、
 結局のところ人間生命それ自体に内在しており、しかも更にその根源をたどっていけば「諸仏の父」=末法出現の人本尊たる日蓮大聖人、
 及び「法華経の母」=仏法究極の理法たる南無妙法蓮華経、を殺し害する故に惹き起こされると断言されている。

34美髯公:2011/03/01(火) 21:28:30

  以上のことを踏まえて、御義口伝では無量義経を引用されながら、次のように展開されている。
 「無量義経に云く諸仏の国王と是の経の夫人と和合して共に是の菩薩の子を生む、謗法の人・今は母の胎内に処しながら法華の怨敵たり豈未生怨に
 非ずや、其の上日本国当世は三類の強敵なり世者名怨(せしゃみょうおん)の四字に心を留めて之を案ず可し。」

 ここにいう「国王の父」とは、能証の智であり、久遠元初の自受用報身如来(人)である。「是の経の母」とは、所証の境であり、本有無作の南無妙法蓮華経(法)である。
 「和合」とは、その智と境、つまり人と法が冥合することをいう。したがって、今度は、我々にとって人法一箇の本尊に境智冥合しようとする生命の働き、
 一念が成仏への要因となる。「菩薩の子」とは、そうした成仏への種子を意味している。だが、そうした生命の根本理法を覚知せず、いたずらに怨に
 支配される日本国の一切衆生は、まさに母の胎内にいながら怨をなす未生怨の姿ではないか。日蓮大聖人は、以上のように人間世界を覆い尽くした嫉妬と
 憎悪の根源を解明され、どこまでも生命という次元からの根本的な解決法を示されている。

 さて、いま引用した門の最後にある「世者名怨の四字に心を留めて之を案ず可し」の一節について、少し所感を述べておきたい。「心を留めて之を案ず可し」とは、
 単に“世”を怨と訳すのだと理解して、それで良しとするのではなく、あくまでも自身の生命に刻み込み、生き方を賭けて身読すべきことを
 教えられているといえよう。理解とか解釈といった理性的な認識に止まるのではなく、それを遙かに越えて自身の生における実践の契機となる生命的な
 認識の必要性を示されているのだ。では、何故“怨”ということについて、大聖人は「心を留めて之を案ず可し」とまで仰せられたのであろうか。

 それは、この一文の前にある「日本国当世は三類の強敵なり」と深く関係してくるからである。現代の社会は、よく考えてみると“怨”という生命によって
 構成されているといってよい。こうした現代社会の本質というものを深く考えていかなければならない、ということを大聖人はいわれようとしているのだと思う。
 今年一月、池田会長がワルトハイム国連事務総長と会った時、談たまたま「この現代社会において、平和を妨げる働きとは一体何であろうか」ということに及び、
 ワルトハイム氏は「それは不信感である」と答えたと聞いている。また、A・J・トインビ−博士は、池田会長との対談『二十一世紀への対話』のなかで、
 戦争の本質について触れ、暴力性とか残虐性といった悪い衝動というものは人間の本性に生来備わるものであり、生命自体に本質的に内在するものである、
 と指摘している。

35美髯公:2011/03/02(水) 21:35:20

 このように、今日の全世界の底流には“怨”の生命、不信感、憎悪、あるいは暴力性、残虐性といったものが渦を巻いており、そうした生命傾向が対立と
 抗争の歴史を形成しているというわけである。したがって、現代社会を真に平和な社会に変革し、未来を希望に輝く人間の世紀としゆくためには、
 生命そのものの変革を成し遂げていく人間革命の思想が確立されなければならないであろう。そうした生命の次元における抜本的な変革への方途、更には
 蘇生させ、復活させていく、根本的な方法が間違いなく存在するということを、大聖人はこの短い言葉の中に込められているのではなかろうか。
 そう拝していく姿勢が必要であると思う。

36美髯公:2011/03/03(木) 21:02:11

   『「逆即是順」の原理』
  一方、日蓮大聖人は「今日蓮等の類は阿闍世王なり」と述べられて、仏法究極の英知に照らし出された真実の阿闍世王の意味を展開されている。
 つまり「南無妙法蓮華経の剣を取って貧愛・無明の父母を害し教主釈尊の如く仏身を感得する」ところに、阿闍世王という生命の働きの本質があると
 明かされている。貧愛・無明という人間生命に内在する暗闇、そして我執といった“大病”を南無妙法蓮華経という至高の生命の働きをもって打ち破っていく、
 その姿はまさしく阿闍世王の本質であるといえよう。

 また、真に民衆のことを思い、戦争を憎み、平和を願って、敢然と戦う。また不正を憎み、利他の実践を貫いていく。そうした果敢な闘志を阿闍世王は
 表している。そして、自身の境涯を開き、確固不動の使命感に立脚し、仏界という優れて創造的な至高の生命を発揮することによって、一切の自身の性格、
 執着心、苦悩、あるいは憎悪といったもの全てを用いていくことができるとも解せよう。言葉を換えれば、阿闍世王という自分自身の生命がどういう目的を
 持っているか、またどういう思想・哲学のうえに発揮されているかということが、仏法では問題なのである。したがって、阿闍世王という生命を
 消滅させるのが仏法なのでは決してなく、どこまでも阿闍世王の生命を仏法によって生かし切っていくというのが、御義口伝における阿闍世王の原理なのである。

  それでは「貧愛・無明の父母を害し」とは、いったい何を意味しているのか。御義口伝において、大聖人は「観解(かんげ)は貧愛の母、無明の父、此れを
 害する故に逆と称す。逆即順なり、非道を行じて仏道に通達す」という天台の法華文句を引いて、次のように述べられている。
 「観解とは末法当今は題目の観解なる可し子として父母を殺害するは逆なり、然りと雖も法華経不信の父母を殺しては順となるなり爰を以て逆即順と釈せり」
 ここにおいて明らかなように、妙法に帰依し、題目を唱えていくという実践こそ貧愛・無明の父母を殺害していくことになる。つまり、偏狭な愛情や
 事象の本質把握のできない認識眼を打ち破り、真実の慈悲、徹底した洞察力を備えたうえで、九界の種々の生命活動を存分に楽しみ、味わえる境涯が、
 そこから開けていくのである。題目によって、一切が生かされていくのだ。これが、今日における本当の意味での阿闍世王という生命を最高に発揮しゆく
 道なのである。したがって、先にも述べた通り、仏法の真意は人を殺したり、また自分自身の生命に内在するものを消滅させたりするのではなく、
 南無妙法蓮華経という究極の生命を我が生命のなかに顕現させ、それによって阿闍世王という生命さえ使い切っていくというところにある。

 「逆即是順」とは、そうした生命変革の原理を示されたものであり、殺害という“逆”の攻め威喝道が、そのまま“順”となり生かされる方途を明示された
 言葉に他ならない。

38美髯公:2011/03/05(土) 20:19:06

   『「殺害」の真意』
  蛇足ながら付け加えておくならば、御義口伝でいわれる「殺害」とは、いうまでもなく「殺す」という意味ではない。例えば「但し父母なりとも
 法華経不信の者ならば殺害すべきか」とあるのも、決して父母を「殺す」という意味ではなく、謗法への執着心を断ち切るのを「殺害」といわれていると
 拝すべきである。よく、こうした言葉尻を捉えて、為にする中傷を企てる人がいるが、まことに笑止という以外にない。第一、日蓮大聖人ご自身の振舞いの
 一分でも知れば一目瞭然である。事実、父母に対して至孝を尽くされた事跡は明白であるし、また「仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわすれるべしや」
 (報恩抄 P.293 ③) や「夫れ一切衆生の尊敬(そんぎょう)すべき者三あり所謂主師親これなり」(開目抄 P.186 ①) 等の諸御書を引用するでもなく、孝養の
 大切なることを示されていることは、周知の事実である。

 更にいえば『立正安国論』に「夫れ釈迦の以前仏教は其の罪を斬ると雖も能忍の以後経説は則ち其の施を止む」(P.30 ⑰) と仰せられているが、これは謗法の
 邪僧を斬罪にするということは、その布施を止めることである、と示されている。また、仏教で戒める「不殺」とは「殺の心を殺す」との意であることを
 思い合わせるならば、ここにいう「殺害」の意味も自ずと理解できるはずである。だからこそ、御義口伝では「貧愛の母とは勧持品三類の中第一の俗衆なり
 無明の父とは第二第三の僧なり」と開かれているのである。つまり、貧愛の母とは三類の強敵のうちの第一、俗衆増上慢を表わし、無明の父とは第二の
 道門増上慢、第三の僭聖増上慢を表わしているとの仰せなのである。この三類の強敵は人間生命に内在するものであると同時に、社会の機構からも生み
 出される。したがって自身の内なる三類の強敵、そして社会的に形成される外なる三類の強敵との不断の闘いが要求される。

 そうした内外にわたる闘いを貫いて人が「教主釈尊の如く仏身を感得する」のである。先に“逆”がそのまま“順”となる方程式について述べたが
 “そのまま”という言葉はそうした闘いに支えられていることはいうまでもない。だからこそ、大聖人は別の御書で「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞
 にて候けるぞ」(P.1174) と、人間行動の重要性を示唆されてもいるのである。

39美髯公:2011/03/05(土) 20:20:14

  世に多くの仏教を学ぶ人はいるけれども、仏教についての説明が幾ら出来たとしても、貧愛・無明の父母を殺害していくという自らの生を投企した実践が
 伴わなければ、仏教の本質を感得することはできないであろう。仏教の本質とは、生命そのものに迫っていくものである。いかに仏教の歴史を知り、
 仏教の哲理を理解していったところで、それ自体が仏教なのではない。仏教をめぐる周辺であって、仏教そのものに直截的にに肉薄していくものでは
 ないのである。そうした仏教の本質に肉薄する実践を民衆一人一人のレベルで展開しているのが創価学会という運動体である。現代社会の根底に流れる不信とか
 憎悪に支えられた権力、利害の関係でなく、人間としての最も美しい精神、清浄な生命の結合を目指しているのである。

  池田会長は、かつてある人の言葉を引いて「真の革命というものは人を殺すものではなく、人を生かし切るものである」と述べていた。まさしく創価学会が
 目指す革命というものは、その精神にのっとったものであり、日蓮大聖人の仏法の特質もそこにある。また仏法全体を貫く精神も、そこにあると
 決定しておきたい。釈迦自身、最も敵対した提婆達多を善知識として包容し、父母殺害の阿闍世王のために月愛三昧に入り、また、日蓮大聖人においても、
 最も迫害した平左衛門を善知識と認められたように、一切の人間を生かし切ってきた実例からして、そう考えるべきであろう。かくして創価学会の伝統には、
 そうした一人の人間を徹底して大切にしようとする精神が流れている。どこまでも一対一の人間対人間、生命対生命の打ち合いを重視し、そこから時代変革への
 巨きなうねりを興していこうとしているのである。この点こそ創価運動の独自性があると申し上げておきたい。

40美髯公:2011/03/06(日) 23:59:18

                         = 四、「唯以一大事因縁の事」について =

  法華経・方便品に「諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもう」とある。更に、この「一大事の因縁」を開示悟入の四仏知見の
 立場から、次のように展開している。
 「諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なるを得せしめんと欲するが故に世に出現したもう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に
 出現したもう。衆生をして、仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に
 出現したもう。」

 この個所は、開示悟入して諸仏世尊出世の一大事因縁を説き起こした、極めて重要な一文となっている。つまり、諸仏はいったい何のためにこの世に
 出現したのか、あるいは八万四千といわれる尨大な経蔵はいったい何のために説かれたのか、といった仏法究極のの目的を明かしている。結論していうならば、
 それは一部の民族のためのものでもなければ、選ばれた人々のためのものでもなければ、特別な僧侶のためでもない。一切衆生のためであり、全民衆の
 ためである。これが仏法の精神である。一切の衆生の生命の内部には仏性という偉大な宝が秘められている。その秘められたる宝を開き示し、それ自体を
 悟らしめ、偉大な境涯に入らしめる。これが仏法究極の目的であり、諸仏出世の本懐であるというのだ。
 いわば、法華経における「全民衆救済の宣言」ともいうべきものが、この一大事因縁ということである。

41美髯公:2011/03/07(月) 21:34:49

   『一大事因縁の意味』
  それでは、いうところの一大事因縁とは、ごういう実体をもつのであろうか。天台は法華文句の中で、方便品のこの「一大事因縁」の門を、次のように
 解釈している。
 まず“一”について「文句の四に云く一は即ち一実相なり五に非ず三に非ず七に非ず九に非ず故に一と言うなり」と。ここにいう“一”とは、三とか
 五とか七とか九といった数字に相対して優れているというような他と比較することにおいて成立するものではなく、絶対的な意味における“一”である。

 更にいえば、他と比較するものなく優れているといった相対的絶対の立場ではなく、絶対と相対の対立を越えて起(“越” の誤植?)えて、かつ両者を
 包含するという絶対的絶対の立場に立つ。したがって、いうところの“一実相”とは、宇宙の根源の実相であり、詮ずるところ南無妙法蓮華経という生命究極の
 実相を意味している。『草木成仏口決』に「中道法性をさして一と云うなり」(P.1339) に述べられている通りである。また“一”とは、一仏乗の意である。
 “三”は三乗であり“五”は五乗であり“七”は七方便であり“九”は九法界を表している。つまり、諸仏の出世の本懐は、あくまで一仏乗を
 顕わすためであって、三乗、五乗、七方便、九法界を説くためではない、というのである。方便品第二から人記品第九に至る経説を「広開三顕一」
 (広く三乗を開いて一仏乗を顕わす) と称するのは、そうした意味合いからである。方便品第二で開示悟入して諸仏出世の一大事因縁を説き、譬喩品第三で
 
 三車火宅の譬喩を説き、信解品第四で長者窮子の譬喩を説き、薬草喩品第五で三草二木の譬喩を説き、授記品第六から化城喩品第七で化城宝処の譬喩を
 説き、五百弟子受記品第八で不在の一切の声聞への受記を説き、人記品第九で下根の者への受記を説く、というように法説、喩説、因縁説の方法を
 駆使して、あらゆる衆生が成仏できることを説き明かすのである。したがって「一乗の法のみあって二も無く三も無し」(方便品) という一仏乗の実体が、
 ここで初めて姿を表わしてくるのである。法華経の開経である無量義経の、有名な「四十余年には未だ真実を顕わさず」の文を想起されたい。

 次に“大”とは「其の性広博にして五三七九より博し故に名づけて大と為す」とある。これは“一”において明らかにされた生命究極の実相が、
 広大無辺なる広がりをもつことを示している。生命の根元、宇宙の根元であるが故に、五乗、三乗、七方便、九法界の全てを包含して余りあるのである。
 “大”とは、そうした意味を表出していると考えられる。
 更に“事”とは「諸仏出世の儀式なり故に名づけて事と為す」既に述べてきた一仏乗が、具体的な事実相として現われてくることをいう。
 また、一仏乗を説く諸仏出世の儀式を意味しており、更に現実に一切の衆生を救済していく実践の姿を“事”というのである。

42美髯公:2011/03/09(水) 21:26:31
 次の“因”と“縁”は、そうした衆生と仏の相依相待の関係を表わしている。つまり「衆生に此の機有って仏を感ず故に名づけて因と為す、仏機を承けて
 而も応ず故に名づけて縁となす」のである。ここにおいて明らかなように、仏は衆生の機根に応じて出現するのである。あくまでも衆生が因であって、
 仏は縁なのである。この仏と衆生の関係はキリスト教をはじめとする他の宗教にはみられないものであって、仏法独自の発想であり、法華経の根本精神を
 なすものである。一切の衆生には、本来的に仏性という至高の生命が具わっている。そして、その仏性は仏を縁として顕現する。そのための仏の出現である。
 つまり、衆生がもともと内包している仏性が因であり、仏の出現という縁を受けてその仏性が開発され、ここに因縁和合し、衆生の成仏が成立するのである。
 いわばそうした仏と衆生の生命的運動の在り方を“因縁”といって良いと思う。

  そして、最後に以上のような一大事因縁をもって「是を出世の本意と為す」と天台は結んでいる。結局、天台は仏法究極の実相たる南無妙法蓮華経の
 実体を、一大事因縁によって示そうとしたのである。日寛上人は『文底秘沈抄』において「仏は法華をもって本懐となすなり、世人ただ本懐たることを
 知って、いまだ本懐たる所以を知らず、しからば本懐たる所以をまさにこれをひらくことを得べけんや、いわく文底に三大秘法を秘沈するゆえなり、何を
 もって識ることを得んや、一大事の文これなり」と述べられ、一大事因縁の文が文底秘沈の大法の実在を示唆していることを示されている。

43美髯公:2011/03/10(木) 21:12:47

   『仏法究極の目的』
  さて、日蓮大聖人は、これまで述べてきた天台の解釈を一応のの足掛りとして、この一大事因縁を更に深く、そして広く、御義口伝において展開されている。
 大聖人は、まず一大事因縁の文をもって釈迦一代の聖教を総じて判じられ、次いでその根元たる妙法蓮華経の実体を明かされ、更にその妙法の当体とは
 一個の人間存在に他ならないことを示される。
 「一とは法華経なり大とは華厳なり事とは中間の三昧なり」とは、総じて釈迦一代の聖教を判じられた文である。『三世諸仏総勘文教相廃立』に「三世の
 諸仏は此れを一大事の因縁と思食(おぼしめ)して世間に出現し給えり一とは中道なり/法華なり大とは空諦なり/華厳なり事とは仮諦なり/阿含・方等・
 般若なり已上一代の総の三諦なり」(P.574 ⑩) とある。
 
 “一”とは先に述べた通り、あらゆるものを包み込んだ根元であり、すなわち中道法相であり、法華経である。“大”は空諦であり、華厳経を示す。
 華厳経は「心如工画師(しんにょくえし)」を説いているように、心の様相を中心に展開した経である。つまり、心はよく万法の体を浮かべることが
 できることから“大”であり、空諦となる。また“事”とは仮諦であり、阿含・法等・般若を指す。これらの経々は四諦の法輪などの実践修行に関して、
 特に戒律といった外形的なものを中心に説いているので仮諦となる。中間の三昧とあるのは、天台が華厳、阿含、法等、般若、法華、涅槃の五時を、
 それぞれ乳味、酪味、生酥味(しょうそみ)、熟酥味、醍醐味の五味に譬えたところから、阿含(酪味)、法等(生酥味)、般若(熟酥味)の三味を指して
 いわれたものである。

  以上のように“一大事”とは、釈迦一代の聖教を総じて表出しているが、畢竟するところ“一”(法華経) が根本であり“大”(華厳) も“事”(阿含・
 法等・般若) も“一”が顕われて初めて意味を為すものである事はいうまでもない。三諦に約していえば、蔵、通、別の法華以前の経々は、蔵が「但空の理」、
通が「不但空の理」、別が「但中の理」というように、それぞれの部分観(これを隔歴に三諦という) しか説いてないないのであって、円つまり法華経のみが
 一心三諦、あるいは円融の三諦として完成させているのである。ここをもって、御義口伝には「法華以前にも三諦あれども砕けたる珠は宝に非ざるが如し」と
 述べられているのである。

44美髯公:2011/03/11(金) 21:39:13

 次に「一とは妙なり大とは法なり事とは蓮なり因とは華なり縁とは経なり」とあるのは、一代聖教の眼目たる妙法蓮華経の実体を一大事因縁をもって
 明かされたところである。根源的な力、つまり宇宙生命の根源力それ自体が“一”であり、一実相すなわち一念の生命であり、したがって妙となる。
 『一生成仏抄』に「抑妙とは何と云う心ぞや只我が一念の心・不思議なる処を妙とは云うなり不思議とは心も及ばず語も及ばずと云う事なり、然れば・
 すなわち起こるところの一念の心を尋ね見れば有りと云はんとすれば色も質もなし叉無しと云はんとすれば様様に心起る有と思ふべきに非ず無と
 思ふべきにも非ず、有無の二の語も及ばず有無の二の心も及ばず有無に非ずして而も有無に?じて中道一実の妙体にして不思議なるを妙とは名くるなり」  (P.384 ⑥) とある通りである。

 そして、その妙なる実体が森羅万象という広大な広がりをもっている。これが“大”すなわち法である。法とは現象を意味している。具体的な事実の姿が
 “事”であり、蓮となる。連とは実であり、果であるからだ。また華というのは果実を結ぶ“因”となる。この因果は、蓮華が華と果実を同時に
 生長させる事を譬えに借りて、因果倶時のそれを意味している。経に“縁”することによって、一切の運動が起こる。つまり、我々の生命が事実の
 活動として具体性を持つのは縁があるからである。人間生命に本然的に喜怒哀楽の性分を有しているとしても、縁というものに触発されなければ、
 現実のものとはならない。こうして三世常恒に渡って、縁に触発されながら生命活動を続けていくことが経なのである。また妙法蓮華経こそが、
 一切衆生のの心中にある仏性を顕現させる所縁の経である故に「縁とは経」ということになる。

  ところで、前回 (講義集〔一〕) のなかの『南無妙法蓮華経』の項で、妙法蓮華経については詳しく説明したが、その実体というものを、ここで更に
 一大事因縁として展開したことになる。つまり、妙法蓮華経とは宇宙生命の根元であると同時に、全宇宙の森羅万象悉くを包含する。そして、それは
 決して漠然としたものではなくて、現実の上に具体的な姿をもって現われ、かつ因縁和合した運動体をなす。それを妙法蓮華経というわけである。
 また妙法蓮華経の核心である“妙”には三つの義がある。『法華経題目抄』(P.940) に述べられているが、開くの義、円満の義、蘇生の義の三義がそれである。

45美髯公:2011/03/12(土) 21:06:50

 “開く”は、他への働きかけであり、能動と考えられる。“円満”とは、一切の悉くを具える意であり、統一性を意味するであろう。また“蘇生”とは
 発動というように表現できよう。つまり、生命の本質、生命の根元というものは発動それ自体であり、一切を具足している根本の実体であり、更に他への
 働きかけをしていく能動性を秘めたもの、すなわち“妙”なのである。この根本である“妙”の活動がなければ、つまり能動、具足、発動という生命の
 根元の力を失ってしまうならば、法も破壊されてしまう。また現実の姿というものも、無明に支配されたものになってしまう。
 したがって、妙法蓮華経という生命のリズムに合致しない生命活動になってしまう。

  次に、妙法蓮華経とは一個の人間生命を表しているとして、大聖人は「我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身
 妙法蓮華経の五字なり」と述べられている。これは、我々の生命こそが妙法蓮華経の当体であることを譬喩的に、理解し易く展開されたものであると
 申し上げておきたい。我々衆生の生命そのものが妙法の全体であるという大聖人の帰結は、実に重要な意味を持っている。「八万四千の法蔵は我が身一人の
 日記文書なり」(P.563 ⑰) と『総勘文抄』にあるように、八万四千という尨大な仏教の全体も、結局のところ一個の人間生命の実相を余すところなく
 解明したものに他ならないものであり、ここに展開されているように、一大事因縁という仏法究極のの目的も、一個の人間生命を土壌にしてはじめて
 完結するものであると決定しておきたい。この故にこそ、御義口伝に「此の大事を釈迦如来・四十余年の間隠密したもうなり今経の時説き出したもう
 此の大事を説かんが為に仏は出世したもう」と記されているのだ。一個の人間生命を、どこまでも至上のものとして、絶対的に尊重してゆくこの精神こそ、
 仏教の真髄であるといってよい。創価学会が目指す“生命の世紀”もまた、こうした仏教の精神を機軸に展開されていくことはいうまでもない。

46美髯公:2011/03/14(月) 21:34:22

   『悟入の意義と展開』
  さて、大聖人は次に「我が一身の妙法五字なりと開仏知見する時即身成仏するなり」と仰せられている。ここから開示悟入の原理を明かされる。
 我々の生命の当体そのものが妙法蓮華経の全体であると開仏知見する時、即身成仏するのだとの意であるが、ここにいう開仏知見の“開”とは「信心の
 異名なり」と、まず根本義を示されたことに注目したい。我々の生命に秘められている妙法という偉大な宝を開いていく力は、信という力しかないと
 断言されている。理論でも知識でもない、妙法の本質に迫りゆく方法は信心しか絶対にあり得ない。これが御義口伝の根本法理であることを知っていただきたい。
 また、この“開く”という考え方は、極めて仏法的であるといわなければならない。人間の外に何かがあるのではなく、あくまでも人間の内面に存在するものを、
 認めるからこそ、開くという発想が可能になる。キリスト教のように、人間の外に絶対的な人格神を想定したりするのではなく、人間の現実と本質というものを、
 人間の内面から洞察する仏法の独自性がそこに窺える。

  『観心本尊抄』には「往いて之を見るに経文分明に十界互具之を説く所謂『欲令衆生開仏知見』等云云、天台此の経文を承けて云く『若し衆生に仏の
 知見無んば何ぞ開を論ずる所あらん当に知るべし仏の知見衆生に蘊在することを』云云、章安大師の云く『衆生に若し仏の知見無くんば何ぞ開悟する所あらん
 若し貧女に蔵無んば何ぞ示す所あらんや』等云云」(P.244 ⑭) とある。改めて指摘するまでもないが、衆生とは生命の意味であり、生命とは仏性という
 至宝を包む宝器である。だからこそ、生命は尊いのであり、そこから真実の生命至上主義が導き出されるのである。かくして、信心をもって仏性を
 現ずる所に我々の仏道修行があり、したがって大聖人は「信心を以て妙法を唱え奉らば軈(やが)て開仏知見するなり」と決定されたのである。
 ここに「軈て」とあるのは、そのまま=即の意である。

  信心を開き、南無妙法蓮華経の偉大なる力を我が身の上に顕現し、他にも示すことが示仏知見なのである。その時、我が身のこの当体が
 南無妙法蓮華経であるという大確信に立つことができる。つまり、仏という生命が人間の外のどこかにあるというのではなく、現実の我が身がそのまま仏である。
 我々が住むこの世界こそ寂光土なりと悟ることができる。これが悟仏知見となる。そして、我が身が妙法の当体なりと自覚した時、一切が宇宙生命の
 リズムと合致した生命活動となる。あたかも譬喩品に「此の宝乗に乗じて直ちに道場に至らしむ」とあるように、いかなる障害にも妨げられるず、悠然と
 自身の人生を歩んでいけるようなものである。これが入仏知見である。

47美髯公:2011/03/15(火) 23:44:40

 開示悟入の四仏知見の、それぞれの意味内容を述べてきたが、それらは一つ一つ独立したものでありながら、なおかつ信心の開仏知見に包摂されていることを
 忘れてはならない。つまり、四仏知見の全体を開仏知見が貫いているのである。「信心の開仏知見を以て正意とせり」と大聖人が仰せられているのは、
 その意味である。これでよし、ということはない。常に自身の生命を開拓し、本因妙の精神で進んでいく。末法今時の信仰は、そこに特質があると
 知っていただきたい。ある一つの境涯に入り、おさまってしまうといった本果的な生き方を軸に回転するのでは決してない。

  ところで、入仏知見の“入”を「迹門の意は実相の理内に帰入するを入と云うなり本門の意は理即本覚と入るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と
 唱え奉る程の者は宝塔に入るなり」と、大聖人は三重の読み方をされている。迹門の立場から読めば、実相の理内、つまり百界千如、理の一念三千の
 境涯に入ることであり、本門の立場からすれば、理即本覚、つまり我が身即本覚、事の一念三千の当体と顕われることをいう。日蓮大聖人及びその門下が
 南無妙法蓮華経を唱える立場からすれば、宝塔、つまり大胡本尊の体内に入り、己心の仏界を涌現し、大宇宙のリズムと合致した境涯を得ることを意味する。
 迹門の「実相の理内に帰入する」とは、生活に約していえば、自身の生の全体というものを、“理”の中へ帰入させていくという考え方である。現実生活、
 つまり社会のあらゆる現象を“実相の理”の一例に過ぎないとする。また瞑想にふけり、あるいは想像力を働かせて自身の生命に実在する仏を見ようとする。
 これが迹門の生き方だ。正像における僧侶仏教の特性だといえるのではないか。

 本門の場合「理即本覚と入る」とは、現実即仏法という考え方に立つ。つまり、宇宙の根元の理というものが、現実の我が身の当体の上に照らし出され、
 具体的な実相となって具現されることをいう。いわば“理”というものが、生活、あるいは社会そのものであり、そこに妙法の力が具現されていくことを
 示している。したがって、これは民衆仏法への契機をはらんだものであるといえる。ここに迹門と本門の根本的な違いがある。更に、大聖人は御自身の
 内証の立場から、「宝塔に入る」と“入”の字を開かれたいる。一般に、人々は自身の生をエゴイズムの世界に入れたり、損得といった金銭の世界へ入れたり、
 あるいは山という世界に入れたりするものである。日蓮大聖人及びその門下はどういう世界に入るかといえば、宝塔に入るのである。
 
 この点は重要なところである。すなわち最も人間を尊び、人間生命を尊重する世界、更に一人一人の人間を育てていく、一個の人間生命を
 最も価値あらしめる世界、そういう世界に入っていくのが我々の立場であり、使命でなければならないということである。自身をも含めて、一切の民衆を
 宝塔たらしめていく、つまり人間革命の実践、運動の重要性を示されていると拝すべきである。

48美髯公:2011/03/16(水) 21:16:36

  それでは「信心の開仏知見」を軸にした場合、四仏知見はどのように展開されるのであろうか。まず開仏知見の“仏”とは「九界所具の仏界なり」と。
 また“知見”については「妙法の二字、止観の二字、寂照の二徳、生死の二法なり色心因果なり」と、あらゆる角度から迫られたうえで、「所詮知見とは
 妙法なり」と結論されている。そして、いうところの開仏知見とは「九界所具の仏心を法華経の知見にて開く事なり」と定義されているのである。
 したがって、開仏知見とは衆生に本来的に備わっている妙法の生命を、法華経の知見、つまり御本尊によって開くことをいうのである。我が身に内在する
 妙法と御本尊とが境智冥合する事によって、我が身が妙法の全体として顕現していくのである。そして、そのように“開く”鍵が、信心である。

 以上で、明らかなように、仏とは衆生を離れて存在するものではなくて、あくまで九界の衆生の中に実在するものであるということだ。『諸法実相抄』に
 「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候はず
 返って仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり」(P.1358 ⑬) と述べられている通りである。

  次に示仏知見とは「今身より仏身に至るまで持つや否やと示す処が、妙法を示す示仏知見と云うなり」と仰せられている。今身、つまり九界の
 衆生である我々が、一生成仏のため、更には世界の平和実現のために、一生涯にわたって妙法を抱きしめ広布道に邁進し、御本尊の偉大さを示しきって
 いくことが示仏知見となる。
 「師弟感応して受けと取る時、『我が如く等しくして異なること無し』と悟る」ことを、悟仏知見という。まず、我々の信力・行力が、御本尊の仏力・法力を
 導き出し、日蓮大聖人及び御本尊の生命が我々の中に顕現される。つまり、師(日蓮大聖人、御本尊) と弟子(御本尊を持つ我々) が感応、すなわち境智冥合する。
 
 ここに「感応」とある点に注意を要する。“感”とは、単なる意識、あるいは理性的な認識をいうのではない。また感情とか感覚といった情緒的な認識を
 いうのでもない。一個の人間が自身の生の全体を投企するという実践的な認識を伴ったものである。生命自身に刻み込まれ、そこから湧き起こってくるものである。
 一方“応”とは、生命の姿勢である。あるいは生き方といってもよい。「師弟感応」とは、師と弟子との生命の血脈であり、師の生命に弟子の生命を繋ぐ、
 真実の連帯といえる。この点は、我々がよくよく留意すべき信心の基本的在り方である。そうした師弟感応の実践の上に立って「我が如く等しくして
 異なること無し」と悟ることが悟仏知見になる。これは方便品の文であるが、大聖人はこの文を展開されて「一人を手本として一切衆生平等」(P.564 ⑬)とも
 述べられている通り、一個の人間の生命的な自覚によってもたらされる究極の英知が必ず一切衆生をも等しく救い切るというのが、仏法の方程式である。

49美髯公:2011/03/17(木) 21:20:19

 つまり、仏と衆生を明らかに峻別し、衆生を仏に従属させるのではなく、衆生即仏へと帰結させようとするのが仏法の精神である。この根源的な平等感に
 支えられているからこそ、仏法が「人間」の宗教であるということができる。当然のことだが人間あっての宗教であって、宗教に人間が従属するのではない。
 そう悟ることによって「法界三千の己己の当体蓮華なり」という生命の世界を自覚し、入っていくことができる。我我が展開する創価運動の原点も、実は
 ここにある。人間をも含めた自然、宇宙の森羅万象悉くの当体に、三世にわたって生命という実在があると決定された、この大聖人の精神をそのまま
 実践しているのだ。そうした世界観に入ること、それが入仏知見となる。「此の内証に入るを入仏知見と云うなり」と、御義口伝にある通りである。
 結局、仏法は究極には“入る”ことが根本になる。外からいくら学んでいっても、結局はは入らなければ何も分からない。創価学会というものが自分とは
 別個に存在するのではなく、一体だと自覚する、これが“入る”ことだとも排せる。

  さて、大聖人はこの四仏知見を、更に別の角度から、すなわち八相に約して展開されている。
 「開とは生の相なり入とは死の相なり中間の示悟は六相なり下天託胎等は示仏知見なり」と。

 八相とは、仏が応身(化身) を現じて、成道を中心とする八種類の相を示して説法教化することをいい、下天、託胎、出胎、出家、降魔、成道、転法輪、
 入涅槃のことである。この八相は、もとより釈迦仏法における説法教化の種々相であるが、大聖人は文底本門の立場からそれを会入して用いられている。
 つまり“開”とは生の相であり、出胎を意味し“入”とは入涅槃であり、死の相である。また、下天・託胎は“示”であり、出家・降魔・成道・転法輪は
 “悟”である。先に一個の人間の生命を場にして四仏知見を顕されたのに対して、これは一人の人間における生涯という時間の流れの中で四仏知見を
 捉えようとしたものである。それは、とりもなおさず人間の現実生活というものの上に展開されたということだ。

50美髯公:2011/03/19(土) 22:56:19

 下天・託胎・出胎とは、いわば人間の生物学的な誕生である。それに対して、出家、降魔、成道、転法輪とは、人間形成の理想であり、人間としての
 生き方を示したものといえよう。人間は生物学的存在であると同時に精神的存在でもある。人間として向上していこうとする精神的欲求を、いかにして
 満たしていくか、そこに人間の価値が生まれる。ともかく、我々の現実の生死を離れて仏知見を開くということはない。我々の生活の中に、人生に中に、
 そして社会の中に至高の生命である妙法を輝かしていくことが開示悟入の四仏知見の意味であると知っていただきたい。

 だからこそ「権教の意は生死を遠離する教なるが故に四仏知見に非ざるなり、今経の時生死の二法は一心の妙用・有無の二道は本覚の真徳と開覚するを
 四仏知見と云うなり」と仰せられているのである。権教とは四十余年・未顕真実の教えであり、爾前教の事であるが、そこでは生死を六道の凡夫の迷いとし、
 その生死から離れた涅槃の境地が悟りであると説く。しかし、現実の生死を離れて真実の四仏知見はありえないことは、いうまでもない。法華経において
 はじめて、生死の二法は南無妙法蓮華経の不思議な働きであり、有無の二道もまた妙法のあらわれであると開覚することが四仏知見である、と説かれたのである。

 結論的にいって「生死の二法は一心の妙用」とは、妙法蓮華経という一心によって生死の二法を支配しきっていける、ということである。生死の大海に
 溺れている我々の生命を妙法によって確立するならば、その生死の大海を悠然と泳ぎ切っていく事ができるとの意である。有無という現象界もまた、
 妙法の一念を確立することによって存分に乗り切っていけるということだ。要は妙法の一心を確立する以外にない。

 「四仏知見を以て三世の諸仏は一大事と思召し世に出現したもうなり」とあるのは、以上述べてきたように仏法究極の目的は四仏知見をもって一切の衆生の
 生命を開き、現実生活の上に妙法の実証を示させ、生命の世界を悟らしめ、更に入らしめるところにあるということである。にもかかわらず、この法華経を
 法然は捨閉閣抛といい、弘法は第三の劣、戯論の法と罵っている。それは、あたかも「五仏道同の舌をきる者に非ずや」と、大聖人は破折されている。
 五仏とは総諸仏、過去仏、未来仏、現在仏、釈迦仏をいう。道同とは、三世のあらゆる仏が、同じく法華経を説くことを出世の本懐としていることを指す。
 つまり、あらゆる仏が全部証明した、一切衆生の生命の中に妙法蓮華経が実在するという偉大な哲学を法然や弘法は放棄したことになる。慈覚・智証(
 真言を天台宗に取り入れ、堕落させた) も同様である。妙法蓮華経という哲理は、あらゆるものがそこに帰着せざるをえない。宇宙根本の法則である。
 悪子に剣を与えて、自分の親の頭を切らせるような愚を、彼等は犯しているという以外にない。

51美髯公:2011/03/20(日) 21:02:04

   『大聖人の一大事因縁』
 
  次に、日蓮大聖人は一大事因縁を「空仮中の三諦」 「事の一念三千」 「三世間」の立場から、壮大な生命論として体系化されている。「一とは中諦、大とは
 空諦、事とは仮諦なり此の円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり」とは、まず三諦論から展開された個所である。一大事と空仮中の関係及び
 その意味内容は既に述べた通りである。要するに、南無妙法蓮華経を根本にしていくならば、我々自身の生命の働きを正常にかつ力強く作動させて
 行くことが出来るし、また現実の行動というものも晴れ晴れと、そして生き生きと展開して行くことが出来る。南無妙法蓮華経は宇宙の根元であり、
 そこへ冥合させていこうとする姿勢を自身の生き方の中に確立させる以外に、真実の人間性は発揮できないのである。

  「此の五字日蓮出世の本懐なり之を名づけて事と為す」と。
  末法の御本仏・日蓮大聖人の一大事因縁とは、南無妙法蓮華経という宇宙の根本理法を具体的な象として一幅の漫荼羅、つまり御本尊として顕すことにあった。
 御本尊が図顕されたからこそ、末法の衆生は帰命の対象が与えられたのであり、それを境として自身の生命に内在する仏性を開覚することが可能になった
 のである。このことを指して“事”と仰せになっている。

 つまり、大聖人仏法における“事”という意味は、宇宙の根本法たる南無妙法蓮華経を、あくまでも衆生のものとして、すなわち凡夫のものとして
 位置づけられたことにある。凡夫の生命に革命を起こし、そこに南無妙法蓮華経という至高の生命を湧き立たせていく。凡夫こそ生命の王者であり、
 妙法の王者であると叫ばれ、どこまでも凡夫の生命に革命を起こされたのが大聖人であった。宗教が一部の特権物とされ、民衆が宗教の名において
 蹂躙されていた時代に、大聖人は敢然と挑戦され、根源的な宗教革命を起こされたということだ。また封建的階級意識の中で民衆が抑圧されていた状況に
 於いて、その民衆そのものに光を当て、一人一人を尊極の生命の当体であると決定されたのである。そこに“事”といわれる日蓮大聖人の仏法の独自性が
 あると申し上げておきたい。

52美髯公:2011/03/22(火) 23:26:30

  次に「日本国の一切衆生の中に日蓮が弟子檀那と成る人は衆生有此機感仏故名為因の人なり、夫れが為に法華経の極理を弘めたるは承機而応故名為縁に
 非ずや、因は下種なり縁は三五の宿縁に帰するなり」と。
 冒頭に引用した法華文句の文に事寄せて、大聖人の弟子檀那となる人は「衆生に此の機有って仏を感ず、故に名づけて因と為す」人であり、それ故に
 法華経の極理たる南無妙法蓮華経を弘通する日蓮大聖人は「仏機を承けて而も応ず、故に名づけて縁と為す」に当たることを明かされている。

 また、因とは久遠元初の下種をいい、縁とは三千塵点劫、五百塵点劫の宿縁をいう。釈迦仏法に於いては、三千塵点劫、五百塵点劫の下種をいうが、
 文底の久遠元初の下種があらわれた後は、それらは縁にすぎなくなってしまう。久遠元初とは生命の根元であり、一切衆生はその根元に立ち還って成仏する。
 他は全て縁となる。その久遠元初の下種を、日蓮大聖人は南無妙法蓮華経として説き明かされたのである。

  次に、大聖人は「事の一念三千」の立場から、一大事因縁を明かされる。「事の一念三千は日蓮が身に当りての大事なり、一とは一念・大とは三千なり
 此の三千ときたるは事の因縁なり」と。
 “一”とは一念の生命であり“大”とは現象であり森羅万象悉く包括して三千という。この事の一念三千こそ、日蓮大聖人の生命そのものであり、
 大聖人の身に当たる大事なのである。つまり、南無妙法蓮華経の当体なのである。日寛上人は、こうした観点から一大事の文は三大秘法に約せるとして、
 『文底秘沈抄』に次のように述べている。「一は謂く本門の本尊なり、是れ則ち一閻浮提第一の故なり。叉閻浮提の中二無く亦三無し、この故に一と云うなり。
 大は謂く本門の戒壇なり、旧より勝るなりと訓ず権迹の諸戒に勝るるが故なり。事は謂く本門の題目なり、理に非ざるを事と曰う是れ天台の理行に非ざる故なり、
 叉事を事に行ずるが故に事というなり」と。

53美髯公:2011/03/23(水) 23:31:36

 そして「此の三千ときたるは事の因縁なり事とは衆生世間・因とは五陰世間・縁とは国土世間なり、国土世間の縁とは南閻浮提は妙法蓮華経を弘むべき
 本縁の国なり、経に云く『閻浮提内広令流布使不断絶』是なり」と展開されている。一念が三千とあらわれるのは、具体的な事実としてである。
 あらゆる現象は因と縁を有し、その因と縁が和合している姿である。それを指して事の因縁といわれたのである。更に、事とは事実の生命活動であり、
 十界各界の生命活動を行っている衆生の生命、つまり衆生世間を意味している。因とは、衆生を形成する因をいい、色・受・想・行・織の五陰がそれであり、
 この五陰が仮に和合して衆生を形成する。生きとし生けるものが縁するものは国土であり、国土世間を縁とするのである。そして、南閻浮提という国土は
 妙法蓮華経を広める縁を元々有した国土である。だからこそ法華経・勧発品には「閻浮提の内に広く流布せしめて、断絶せざらしめん」とある。

 南閻浮提、閻浮提とあるのは、いうまでもなく全世界の意である。この世界こそ、妙法蓮華経を広めていく根元の世界である。したがって日本という一国家に
 限定するものでないことはいうまでもない。この妙法という生命の哲学を決して断絶させることなく、全世界に広宣流布していかなければならない。
 それだけの哲学であり、思想であり、宗教であると申し上げておきたい。

 所詮、末法の御本仏・日蓮大聖人の一大事因縁とは、一閻浮提総与の大御本尊を一幅の曼荼羅として具象化され、一切衆生の生命変革の根元とされたことに
 他ならない。そして、我々の立場における一大事因縁とは、その御本尊を信受し自らの人間変革を成し遂げると共に、エゴと欲望に支配された暗黒の世紀を、
 英知と善意の希望の世紀へと大転換させてゆく使命を自覚する事に尽きるのである。

54美髯公:2011/03/25(金) 23:31:34

                         = 五、「天鼓自然鳴の事」について =

  法華経・序品第一に「仏此の経を説き已って、即ち法座の上に於いて、跏趺(かふ) して三昧に坐したもう、無量義処と名づく、天より曼陀華を雨し、
 天鼓自然に鳴り、諸(もろもろ) の天竜鬼神、人中尊を供養す」とある。この中の「天鼓自然に鳴り」についての、日蓮大聖人の御義口伝である。
 まず結論的な事を言えば「天鼓自然に鳴り」とは、我我の生命というものが、本然的に自在に展開していく様相を意味しているのである。「天鼓」の「天」とは
 天地の天ではなく、生命を意味している。つまり、自分自身の生命それ自体を大宇宙の生命のリズムに従って変革していくことが「天鼓自然に鳴り」の
 元意となるのである。更に、自らが変われば、つまり「此土」が変われば「他土」も変わるというように、依正不二の原理から社会変革の根元的方途も
 示されている。いわば、我が内なる宇宙の回転が、大宇宙にも響き渡っていくという壮大な生命のドラマを「天鼓自然に鳴り」は表現していると考えてよい。

   『無問自説と法華経』
  
  天台は法華文句第三において、この文を「無問自説を表するなり」と解釈している。“無問自説”とは、仏が人の問いを待たずに自ら説法すること、
 つまり仏の随自意の説法を意味するのであるが、例えば法華経に関して言えば、その哲理は如何なる人の境涯も及ぶところではなく、結局仏自身の究極の
 悟りを問われねままに自らが説くしかなかったわけである。また日蓮大聖人が大御本尊を建立され、末法万年にわたる広宣流布を決意されたのも
 “無問自説”である。所詮、仏法の究極は随自意の説法によるしかない。そうした仏法の根源的な説法の在り方を「天鼓自然に鳴り」は表していると、
 天台は解釈した。日蓮大聖人は、天台のこの釈を引用しながら、更に深く展開されている。

56美髯公:2011/03/27(日) 00:42:08

 まず「此土・他土の瑞同じきことを頌して長出せり」と。仏が法華経を説いたとき、説法瑞、入定瑞、雨華瑞、地動瑞、心喜瑞、放光瑞の六瑞が起きたとされている。
 そして、仏が白毫の光をもって東方万八千の世界を照らしてみたところ、此土(娑婆世界) のみならず、他土にも同じ瑞相が起きていたという。「天鼓自然に鳴り」を含む
 序品第一の一連の偈には、そのように説かれている。ちなみに、瑞相について言えば、如何なる経文にも説かれ、瑞相の起き方を以て、その経の高低浅深が明らかに
 される。いま、法華経の序品に於いて、此土も他土も悉く大変化を起こす大瑞相が説かれたということは、とりもなおさず法華経が仏の最大深秘の法であるという
 証左となる。

 さて、序品における瑞相が此土だけではなく、他土にも同様に起きたとは、いったいどういう意味をもつのか。先に少し触れたように、我々自身の内なる生命の発動が、
 全宇宙に通じていく、ということを表していると考えられる。つまり依正不二、更には一念三千の原理が明示されているのである。また、仏法根源の南無妙法蓮華経と
 いう法は、民族、人種、国家等々のあらゆる壁を超えて、全世界のいかなる民衆をも幸福にしゆく原動力たることをも意味していよう。

58美髯公:2011/03/28(月) 21:07:31

  次に、大聖人は無問自説について、さまざまな角度から展開されている。
 「無問自説とは釈迦如来・妙法蓮華経を無問自説し給うなり、今日蓮等の類は無問自説なり念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊と喚ぶ事は無問自説なり
 三類の強敵来る事は此の故なり」
 すでに述べて通り、無問自説とは随自意のことである。釈尊が法華経において説こうとした妙法蓮華経は難信難解の法であり、誰人も問を発することができない。
 そこで釈尊は誰からも問われないまま深秘の法たる妙法蓮華経を自説したわけである。
 
 ところで、こうした随自意の説法の在り方に対して、随他意の説法がある。「諸経と法華経と難易の事」には、両者の相違が次のように述べられている。
 「仏九界の衆生の意楽(いぎょう) に随って説く所の経経うぃ随他意という譬へば賢父が愚子に随うが如し、仏・仏界に随って説く所の経を随自意という、
 譬へば聖父が愚子を随えたるが如きなり」(P.991 ⑭) と。ここで留意しておきたいことは、随自意、随他意の相違があくまでも相対的なものである
 ということである。つまり、権経を随他意とすれば、法華経は随自意となり、法華経の中でも迹門が随他意、本門が随自意と言える。
 そして更に文上脱益の法華経が随他意となり、文底下種の南無妙法蓮華経こそ真実の随自意の経説となる。
 ここをもって、大聖人は「今日蓮等の類は無問自説なり」と述べられたと拝せる。しかも、大聖人は仏教の根源をなす南無妙法蓮華経の立場から、
 一切法の勝劣浅深を決定され、念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊と、いわゆる四箇の格言を内外に提示されたのである。
 この「折伏」の精神こそ真の随自意であり、無問自説に他ならない。
 
  妙楽の弟子・智度法師の『東春』には、次のようにある。「俗に良薬口に苦しと言うが如く、此の経は五乗の異執を廃して一極の玄宗を立つ。故に凡を
 斥け聖を呵し、大を排し小を破る。乃至此くの如きの徒、悉く留難を為す」と。
 この原理は、今も昔も変わらない。考えてみれば、創価学会の歴史はまさに無問自説の歴史であった。それ故に「三類の強敵来る事は此の故なり」と
 仰せの通り、留難の歴史であった。決して世間に迎合することなく、また左右に偏らず止揚・包含しつつ、どこまでも中道一実の立場を貫いてきたのである。
 そして、ただ全民衆の幸福のためという一点を定めて、一切の権力とも闘ってきたのである。この学会の姿勢は、当然のことながら随自意であるが故に、
 永遠に変わることがない。

59美髯公:2011/03/29(火) 23:56:48

   『天鼓とは南無妙法蓮華経なり』
  
  次に、大聖人は「天鼓とは南無妙法蓮華経なり」、そして「自然とは無障碍なり」また、「鳴とは唱うう所の音声なり」と、それぞれの文の意を生命論の
 上から展開されている。「天」とは第一義天のことである。第一義天とは第一義の教理を無比の天空に譬えたものであり、第一義とは根本的、絶対的、
 全体的といった意味合いを含んでいる。したがって「天鼓」の「天」とは単なる天空のことではなくて、第一義天つまり南無妙法蓮華経の当体を指している。
 故に「天鼓とは南無妙法蓮華経なり」となる。

 「自然とは無障碍なり」とは自由自在の境涯を意味している。南無妙法蓮華経という根源の法を核とした生命は自由自在の働きをなす。だが一般に人間生命は
 さまざまな繋縛のなかにある。嫉妬、憎悪、怒りなどが烈風のように吹き荒れているものだ。そうした人間生命に本然的に内在する繋縛から人間を真に
 解放する力が南無妙法蓮華経なのである。妙法の響きが人間生命を打ち震わせる時、初めて無障碍という自在の境涯を会得することができると仰せなのである。
 もとより、生命に内在する障碍が霧散するというのではない。妙法という力を自得することによって一切の障碍を克服し、思うがままにコントロ−ルして
 ゆけるというわけだ。

  ところで、人間の精神史において「自由」の獲得は極めて大きな意味を持つ。しかし「自由」という概念は未だに曖昧のままである。確かに人間が真に
 人間らしい生き方をする上において「自由」は絶対不可欠の要件である。特に近代から現代に至る時代の流れにおいては、間違いなく「自由」を
 どう獲得するかが最大の関心事になっている。にもかかわらず、その概念が曖昧であるために、「自由」というものをはき違えて逆に人間から人間らしさを
 奪う元凶となってきた場合も少なくない。極論のように聞こえるかも知れないが、人間に自由を認めるということは、犯罪を犯す自由、あるいは何もしない自由
 といった“負”の自由も認めなければならないわけです。そうした無制限の自由をどう考えればよいか、未だに誰にも分かっていない。今の所、結局は
 一人一人の内的規制に待つしかないというところであろう。

60美髯公:2011/03/30(水) 23:57:54

 ここで詳述する余裕はないが、次の事だけは言っておきたい。それは、外的な束縛から解放されるというだけでは、真の自由は獲得できないということである。
 つまり、内的な束縛をどう解放するかが、今後の課題であるということだ。内的な束縛とは、一言で言えば“我欲”である。この“我欲”から自分自身を
 どう解放するかが一番の問題なのである。結論を言えば、貧・瞋・癡の三毒に彩られた自己の生命それ自体を変革するしかない。我欲に支配された生命を、
 逆に支配しきっていける“真我”を確立する以外にない。“真我”の確立とは、自己の生命に厳存する南無妙法蓮華経という仏の生命を開くことである。

 また、境智冥合の立場から、この自由の問題を考えるならば、境(環境)と智(自分自身)が冥合するところに真の自由があると言える。例えば、音楽の世界に
 関して言えば、楽器なら楽器を自在に駆使する技術を体得しなければ、思い通りに表現することができない。人生においても同様で、自己の生活環境と
 自己自身の生命の冥合しなければ、その人の人生は繋縛の連続であり、苦痛の連続となるであろう。したがって、人間が真の自由を獲得しゆくためには、
 境智を冥合させる偉大な生命の働きが必要なのである。つまり、仏法で説く境智冥合こそ、自由の本義だと言ってよいと思う。それでは、境智冥合への
 根源力とは何か。それは南無妙法蓮華経以外ににと断言しておきたい。我々が大御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱える信仰実践が、現実の生活の
 中において境智冥合を可能にする唯一の方途であると言ってよい。だからこそ、大聖人は次に「鳴とは唱うう所の音声なり」と仰せなのである。つまり、
 南無妙法蓮華経という仏法究極の実体が己が生命の上に開覚させてこそ、一切の束縛を越えた無障碍の人生を堂々と歩んでいけるということなのである。

  池田会長の「勤行」(大白蓮華・巻頭言) には、勤行について「生命に根差した真実の自由、自在の境涯の確立 ― それは勤行である。自身に内在する
創造的生命を、自身の手によって開拓する、人間自立の変革作業である」とある。また「勤行の力強い響きは、躍動する大宇宙の生命の波長に自身を合わせ、
己身にその息吹を汲み上げる共鳴音の吹奏であろう。その一念の叫びこそが、宇宙生命の究極の実在たる“仏”を呼び出だす。御本尊に向かって題目を
唱えている人それ自身が、本尊の体とあらわれゆく。すなわち燦たる太陽、静寂なる月光 ― この森羅三千の宇宙万法を合掌の二字に納めて、大宇宙を
生命に呼吸しうる唯一の方法なのである」と述べられている。

61美髯公:2011/04/03(日) 22:23:11

   『“現実即仏法”の視点』

  次に、大聖人は「音声」について、具体に即して述べられている。
 「一義に一切衆生の語言音声を自在に出すは無問自説なり自説とは獄卒の罪人を呵責する音・餓鬼飢饉に音声等一切衆生の貧瞋癡の三毒の念念等を自説とは
 云うなり此の音声の体とは南無妙法蓮華経なり」

 広く言えば、一切衆生が発する語言音声は全て無問自説だと言える。例えば獄卒が罪人を責める声も、餓鬼飢饉を訴える声も、貧瞋癡の三毒に支配された
 生命の発露も全て自説であることに変わりがない。しかしながら、そうした人間が発する一切の音声の本体とは何かと言えば、それはやはり南無妙法蓮華経なので
 ある。これは言うまでもなく、十界互具・一念三千の壮大な生命論の上から展開されたものに他ならないが、重要なことは、この一文は「現実即仏法」
 「生活即仏法」という原理が示唆されている点だあろう。日蓮大聖人の仏法は、生活を離れた観念の世界のことを説いているのではない。あくまでも現実を
 踏まえ、その現実の本当の姿を余すところなく説ききり、しかもその中で、如何に幸福を実現させていくかという実践の方途を示したものなのである。

 卑近な例を挙げよう。我々が「暑い」とか「寒い」とか表現する音声、あるいは「病気を治したい」 「何かが欲しい」といった欲望が発する音声など、
 それらは現実の生活の中で我々の生命が時に触れ発する「三毒の念念」に違いないが、そうした人間本来の欲求を否定して、如何に精神の安定を求めたとしても、
 それは観念の所産であるに過ぎない。我々が日常の生活の中で発する言語音声というものは幸福を求める生命本然の発露であると言ってよい。そして
 それは明らかに無問自説の所作である。その言語音声の核心をたどり、その本体を浮かび上がらせようとするのが大聖人の仏法であり、南無妙法蓮華経という
 七文字をもって表出されたわけである。

 ここにおいて、一切衆生の本源は南無妙法蓮華経であるという、大聖人の唯一独在の悟達が明らかとなるのである。だからこそ、大御本尊に向かい唱題する時、
 我々の生命に内在する南無妙法蓮華経という偉大な創造的生命が呼び起こされ、真実の自在の幸福生活を営むことが出来るのである。そして、この原理が
 明かされて初めて、人間革命運動という民衆の覚醒運動が可能となるのである。言うまでもなく創価学会の原点は、そこにある。

62美髯公:2011/04/04(月) 20:02:03

   『本迹二門と文底』

  さて、大聖人は「天鼓」と「自説」に関して「本迹両門妙法蓮華経の五字は天鼓なり天とは第一義天なり自説とは自受用の説法なり」と述べ、更に
 妙楽の法華文句記第三の次の文をを引かれ、その文証とされている。
 「記の三に云く無問自説を表するとは方便の初に三昧より起つて舎利弗に告げ広く歎じ略して歎ず、此土他土言に寄せ言を絶す若は境若は智此乃ち一経の
 根本五時の要津なり此の事軽からずと」
 そして、妙楽の文にある「一経の根本、五時の要津」とは、南無妙法蓮華経なりと断じられている。

 ここでまず「天鼓」とは、釈尊の経説に従えば本迹二門となり、文底の立場からすれば南無妙法蓮華経となることを示されている。また「自説」とは、
 自受用身の説法であるとされている。先に引用された法華文句の「無問自説を表する」との見解を、妙楽が釈した部分を次に述べられ「天鼓自然に鳴る」の
 本義を再度示される。つまり、釈尊の経説の次第に従えば、仏が方便品の初めに三昧より起って舎利弗に告げて「諸仏智慧 甚深無量」より「止舎利弗
 不須復説」まで広く賛嘆している。このことを指して、妙楽は記の三に「広く歎じ」と記した。

 また「略して歎ず」とは「諸法実相」の原理から十如を明かしたことを示している。そして仏はこの妙法の甚深なることを此土・他土の瑞相をもって
 示そうとした。何故なら法華経の哲理はそれほど深いものであり、言葉を持ってしては表わす事が出来ないからである。妙楽の文で言えば「此土他土
 言に寄せ言を絶す」が、これに当たる。また次の「若は境」とは迹門であり「若は智」とは本門を指している。そして「一経の根本五時の要津」とは、
 すでに述べた通り南無妙法蓮華経を示唆している。

63美髯公:2011/04/05(火) 23:35:48

                     = 六、「如我等無異 如我昔所願の事」について =

  方便品第二にある「如我等無異如我昔所願」を中心とした文に関する日蓮大聖人の御義口伝は、仏法の基本的な考え方が実に明確にされているという意味で
 重要な個所である。特に「我が如く等しくして異なること無からしめん」とは、一切衆生を仏と等しい境涯にさせるとの意で、まさに仏法究極の目的を
 提示した注目すべき一文となっている。まず、方便品の文を引用しておこう。
 「舎利弗当に知るべし、我本誓願をを立てて、一切の宗をして我が如く等しくして異なること無からしめんと欲しき、我が昔の所願の如き、今は已に満足しぬ、
 一切衆生を化して、皆仏道に入るむ」

 天台は、法華文句の四にこの一文を釈して「我本立誓願の下二行は、是れ因を挙げて信を勧む。此を亦二と為す。初に我本立誓願の下一行は昔誓を挙げ、
 二に如我昔の下の一行は願満を明す」と述べている。つまり、仏の因位の誓願を挙げて、信を勧めているとしたわけである。大聖人は、この天台の釈を
 踏まえつつ、文底下種の立場から、広く深く仏法の究極論を展開されている。ところで、天台の釈にある「因を挙げて信を勧む」とは、一体どういうことか。
 因とは、いうまでもなく成仏の因のことである。成仏の果だけいくら示されても、それは信につながらない。自分とは関係ない、特別な姿と映ずるだけである。
 一切が、こうすればこうなるとの因を挙げてこそ、信という力が奔出するのである。また、一般論でいえば、「こうなりたい」「こうしたい」という強い
 願望が因となって信へと繋がっていくことも論をまたない。

64美髯公:2011/04/06(水) 21:07:16

   『“我”とは何か』

  「御義口伝に云く我とは釈尊・我実成仏久遠の仏なり此の本門の釈尊は我等衆生の事なり」
 ここで大聖人は「我」とは誰を指すのか、明確に示されている。釈尊とはこの場合、インド応誕の釈尊という一個の人間の事ではなく、生命としての“仏”と
 考えるべきである。更にその“仏”とは久遠元初の自受報身・文底下種のそれであり、別しては日蓮大聖人、総じては御本尊を信受する我等衆生のことを
 指している。「舟守弥三郎御書」に「過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり、法華経の一念三千の法門・常住此説法の
 ふるまいなり、かかるたうとき法華経と釈尊にてをはせども凡夫はしる事なし」(P.1446 ④) とある通りである。

  また「御義口伝」巻下の「第三 我実成仏已来無量無辺等の事」には、次のようにある。
 「我とは法界の衆生なり十界を指して我と云うなり」
 今の引用で明らかなように、仏とは我等衆生の事なのである。仏とは人間の外に求めるものではなく、人間の内なる生命に実在し、その仏という無限の
 ダイナミズムをもった生命を開いて行く所に法華経の根本精神がある。この視点は仏教独自のものであり、なかんずく日蓮大聖人の生命論において顕在化された
 特筆すべきものと言ってよい。これは、まさに、仏法史においても、また哲学界においても革命的な生命観なのである。

65美髯公:2011/04/07(木) 20:24:27

  次に「我」を十如是の側面から「如我の我は十如是の末の七如是なり九界の衆生は始の三如是なり」と規定され、更に「我等衆生は親なり仏は子なり
 父子一体にして本末究竟等なり」と示されている。「始の三如是」とは相・性・体であり「末の七如是」とは力・作・因・縁・果・報・本末究竟等である。
 相・性・体の三如是は法・報・応の三身を表し、それが根本となって後の七如是があらわれる。このことについて「十如是事」に「されば此の三如是を
 三身如来にておはしましけるを・よそに思ひへだつるがはや我が身の上にてありけるなり、かく知りぬるを法華経をさとれる人とは申すなり此の三如是を
 本として是よりのこりの七つの如是はいでて十如是とは成りたるなり」(P.410 ⑤) とある。したがって「如我等無異」の「我」とは、「末の七如是」を
 表しており、衆生こそ「始の三如是」つまり本覚無作の三身如来となる。衆生が父、仏が子、この父子が一体となり「本(衆生)」と「末(仏)」が究竟して
 等しいということになる。

 「始の三如是」とは、生命の本体であり、「末の七如是」とは、生命の力用、働きである。衆生が本体であり、仏とはその生命の作用、働きなのである。
 この衆生と仏の関係については「諸法実相抄」には次のように説かれている。
 「されば釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、経に云く『如来秘密神通之力』是なり、如来秘密は体の三身にして本仏なり、
 神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし、凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の
 三徳を備え給うと思ひしに、さにては候はず返つて仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり」(P.1358 ⑪)

  ここで注目すべきことは、衆生=父、仏=子とする仏と衆生の関係である。もとより釈迦仏法に於いては「一切衆生は皆吾が子なり」等とあるように、
 あくまでも衆生=子、仏=父であった。それを日蓮大聖人は逆転されたのである。仏という生命の働きは、衆生の生命の中に湧現してくるものである。
 だからこそ、日蓮大聖人の仏法は民衆の仏法であると断言できるのであり、革命的な宗教であると言えるのである。今、創価学会が民衆の手による大仏法運動を
 展開している思想的淵源は、ここにある。更に「父子一体」つまり衆生即仏と示されている。これは「受持即観心」を意味している。御本尊を信ずる一念と、
 その結果として仏界を湧現することは一体であるといえよう。それ故に、信心の中にしか仏界はないということだ。

68美髯公:2011/04/09(土) 00:10:36

   『釈尊の惣別二願』

  以上の「如我等無異」の精神を踏まえて、大聖人は次に「如我昔所願」の意味を明かされている。
 「爰を以て之を思うに釈尊の惣別の二願とは我等衆生の為に立てたもう処の願なり、此の故に南無妙法蓮華経と唱え奉りて日本国の一切衆生を我が成仏せしめんと
 云う所の願併ら如我昔所願なり」
  ここに言う「釈尊の惣別の二願」とは、次のようなものである。総(惣)願とは四弘誓願である。これは仏菩薩全てに共通した願いで、「衆生無辺誓願度、
 煩悩無数誓願断、法門無尽誓願知、無上菩提誓願証」である。また、別願とは、仏菩薩それぞれの誓願を言う。

 ところで、釈尊の誓願とは、言うまでもなく「我本誓願を立てて、一切の衆をして、我が如く等しくして異なること無からしめんと欲しき・・・・・」の
 文がそれである。天台は法華文句の中で、次のように解釈している。
 「我昔の誓願は、但自ら菩提を誓うのみに非ず、亦衆生をして同じく仏慧に入らしめんと誓う」
 この中の「亦衆生をして同じく仏慧に入らしめんと誓う」とは、一切衆生の救済への誓いであり、総願であると言えよう。また「但自ら菩提を誓うのみに非ず」の
 「自ら菩提を誓う」ことは別願であると言えよう。端的に言って我々が広宣流布を達成しようとする願いが総願であり、一人一人が自信の一生成仏を願うのが
 別願であると言ってよい。所詮、釈尊の惣別の二願とは一切衆生に仏果を得せしめんとする願いに他ならず、それ故にこそ、今日本国の一切衆生に
 南無妙法蓮華経と唱えしめて成仏させようとする長いが、御本尊に約した「如我昔所願」となると仰せなのである。

  そして「終に引導して己身と和合するを今者已満足」と決定されている。ここに、仏法の崇高な精神が脈打っている。仏の満足とは、一切衆生を救い、
 自身の生命の高みと一体化させていく事しかないのである。世の指導者が、この仏法の精神を自らの“遺伝子”にまで留めていくならば、時代は一変するであろう。
 利害の指導者は、民衆の犠牲の上に君臨する。まさしく仏法の精神とは逆なのである。

69美髯公:2011/04/09(土) 21:02:24

  次に「今者已満足の已の字すでにと読むなり」と述べられた上で、それでは「何の処を指して已にとは説けるや」と問を発しておられる。天台は、開三顕一の
 諸法実相の法門を説いた事を以て釈尊の所願満足としているが、しかし日蓮大聖人の観心の立場からすれば、南無妙法蓮華経の法体を説き明かした事を以て
 所願満足となると自答されている。あえて言えば、釈尊の場合も文底下種の南無妙法蓮華経を寿量品の文に秘沈したことが、釈尊の真の所願満足であったとして
 差しつかえないと思う。そうした意味からして「されば此の如我等無異の文肝要なり」と決定されている。
 そして「如我昔所願は本因妙」「如我等無異は本果妙」と本因本果に約して展開され「妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳骨髄に非ずや」と
 断言されるのである。

 すでに述べた通り「我」とは所詮、久遠元初の自受用身であり「昔」とは久遠元初の意である。したがって「如我昔所願」とは、久遠元初の自受用身の
 誓願であり、本因妙となる。この久遠元初の自受用身が末法に出現して三大秘法の大御本尊をもって一切衆生を救済するから「今者已満足」となる。
 その結果としての「如我等無異」が本果妙となるのである。また九界即仏界の原理から、我等衆生の当体はそのまま久遠元初の自受用身とあらわれ
 「妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳骨髄に非ずや」となる。久遠元初は今にあり、今は久遠元初であるとの仰せもある。人間と生命の究極の妙法こそ、
 一切の元初の太陽であり、それが、凡夫の生命に輝くのである。三千塵点劫、五百塵点劫というのも現象の流転であり、その奥に実在する南無妙法蓮華経は
 万有の流転を越えて、宇宙と生命を貫いているのである。その妙法を胸中に抱くならば、その当体が久遠の光を放つのである。故に一切を変え、一切を
 切り開いていけると確信したい。

  次に「釈には挙因勧信と挙因は即ち本果なり」と。
 「挙因」が、何故「本果」になるかと言えば、成仏の因を指すからである。『三重秘伝抄』には「種子を覚知するを作仏と名づくるなり」とあり「挙因」とは、
 この「種子を覚知する」事に当たる。種子とは何か。それは一切を開花させゆく根源の妙法である。種子を覚知しないのは、あたかも切り花のごとく、
 一時の華やかさはあってもやがて色褪せていく。それは本当の充実感ではない。永遠に崩れぬ生命からこみ上げる強さは、根源の種子を胸中に持っているか
 否かによる。本因があって本果がある。つねに、本因の力をたたえつつ、自らの人生うぃ築いて行く所に、不動の自己があらわれていくと銘記したい。

70美髯公:2011/04/10(日) 19:58:02

   『広宣流布の確信』

  「今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり豈今昔已満足に非ずや」と仰せである。
 ここで一万年とあるのは、正法千年、像法千年に対しての表現であって、一万とは必ずしも数字的に捉われる必要はに。未来永劫に渡る事を示されたと解せる。
 同時に「万」には「満つる」の意味がある。「報恩抄」に「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなげるべし」(P.329 ③) と
 述べられている通りである。

 ところで、この一文は末法の御本仏としての日蓮大聖人が、末法万年の全民衆を救済せんとの大確信を述べられたものであるが、現実の大聖人の生涯は、
 まさにその確信のままのものであった。有名な「開目抄」の一節には「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(P.232 ①)
 あるいは「智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船と
 ならむ等とちかいし願やぶるべからず」(P.232 ④) とある。

 言語を絶する苦難の連続であったにもかかわらず、大聖人は末法の全民衆の救済に立たれ、そのために生涯を費やされたのである。その大聖人の精神を
 己が精神として継承したのが創価学会である。もし創価学会の出現がなければ、大聖人の大確信は、あるいは虚妄になっていたかも知れない。そこに
 創価学会の仏法証明の偉大な使命を感じざるを得ないのである。大聖人が末法万年をも視野に収められたことも偉大であれば、その精神を現代に受け継ぎ、
 着実に現実化していく創価学会の存在も不思議であると言えまいか。「諸法実相抄」の「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と
 次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とする
 なるべし」(P.1360 ⑨) の文は、今まさに現実のものとなっている。過日もある仏教学者が言っていた。「今日の日本には、どのような宗教が生きているかと
 いうと、南無妙法蓮華経である。全国の津々浦々に題目の声が響き渡っている。その実態を見るとき、釈尊の預言も日蓮大聖人の預言も、それは単なる言葉では
 なかったことを改めて知った」と。

71美髯公:2011/04/11(月) 23:04:54

   『“已”とは建長五年四月二十八日』

  さて、大聖人は「已とは建長五年四月二十八日に初めて唱え出す処の題目を指して已と意得可きなり」と仰せになり、その理由として「妙法の大良薬を以て
 一切衆生の無明の大病を治せん事疑い無きなり此れを思い遣る時んば満足なり」と述べられている。つまり「今昔已満足」の「已」とは、大聖人の立場から
 言えば、具体的には建長五年四月二十八日、清澄寺において初めて唱えられた処の題目を以て「已」とする。何故なら、妙法の大良薬を以て、一切衆生の
 無明の大病を治療する事は疑いないことであるからだ。つまり「満足とは成仏と云う事なり」と仰せの通りである。釈には「円は円融円満に名け頓は頓極
 頓足に名く」とある。「円は円融円満に名け」とは、大宇宙の森羅三千の当体を悉く具体した、完全無欠のことである。
 
 また「頓は頓極頓足に名く」の「頓」は「速」の義であり「極」とは「究極」の義がある。すなわち即身成仏、凡夫即極、直達正観を表している。
 「日女御前御返事」には「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」
 (P.1244 ⑨) とある。つまり、日蓮大聖人の法、すなわち南無妙法蓮華経を「円」 「頓」をもって表出したわけで、それ故にこそ建長五年四月二十八日を
 「今昔已満足」と言えるのである。

72美髯公:2011/04/14(木) 22:52:32

  「当体義抄」には、次のようにある。
 「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩・業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦・即一身に顕われ
 其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那の中の事なり」(P.512 ⑩)
 凡夫は無明に迷うが故に、我が身が当体蓮華仏であることが覚知できない。だが、御本尊を信受し南無妙法蓮華経と唱えれば、以信代慧によって即座に
 悟る事ができる。これを即身成仏、頓極頓足というわけである。

 また、この文は我々にとって、真実の満足とは何かを示している。物質的な満足、精神的な満足も大事ではある。しかし、もっと偉大な満足がある。
 それは、生命的満足ともいうべきものである。物質的な満足、あるいは精神的な満足に関しては、改めて説明するまでもないだろう。そして、そのいずれもが
 状況の変化、環境の変化によって脆くも崩れ去るものであることも、我々が生活の場でしばしば経験するところである。生命的満足とは、そうした相対的な
 満足ではなく、どの様な状況の変化があろうとも、決して崩れる事のない絶対的な満足といってよい。それは、内的には不動の自我を確立しつつ、自らを
 取り巻く外的な環境と見事に調和して行こうとする一念から発するものである。いうまでもなく、その本源は南無妙法蓮華経という宇宙の根本法則と
 我が生命を境智冥合させゆく勤行・唱題にある。したがって、唱題する信仰実践それ自体が生命的満足であり、今昔已満足となる。

 譬えて言えば、雨が降っても風が吹いても、太陽は常に東から昇り西に沈む。どのような状況を迎えようとも、宇宙の運行は不変である。その不変の運行が、
 人類に限りない恩恵を及ぼしている。同様に、我々の人生においても、信仰実践の積み重ねという日々の不変の運行が、生命的満足への人生軌道を築いて
 行くものである。そうした不変の信仰実践によって得られた生命的満足とは、生命それ自体の躍動であり、生命の根本法則と合致した所に、ふつふつと
 湧き出る生命の充実感であるといってよい。生命の奥底から、泉水の如く、妙法のエネルギ−が沸き立ち、その当体と、生活と人生と社会と大自然との
 関わりの中に、飛沫を上げていく時、人は、これを本当に満足と感じるであろう。まさしく「満足とは成仏と云う事なり」なのである。

73美髯公:2011/04/16(土) 23:53:48

                         = 七、「即起合掌の事」について =

   『身の領解と権実二教』

  法華経・譬喩品第三の冒頭にある「爾の時に舎利弗、踊躍歓喜して、即ち起ちて合掌し、尊顔を瞻仰して仏に白して言さく」云云の中の「即ち起ちて合掌し」に
 関する日蓮大聖人の御義口伝である。
 さきに説かれた方便品第二において、諸法実相の妙理を聴いた舎利弗が大いに喜び、仏に対して即起合掌するわけであるが、深遠な仏法の妙理を悟り得たのは、
 智慧第一といわれる舎利弗であうら己の智慧ではなく、ただ「信」の一字によってであることが後に明かされていく。そうした舎利弗が得道しゆく過程を
 下敷きにしながら、大聖人は御自身の生命論の立場から、この文を展開されていくのである。
 天台の法華文句の第五には、内解の領解に対する外義の領解を表わす個所として、この「即起合掌」を挙げている。「外義を叙するとは即起合掌は身の
 領解と名づく」(P.722 ①) とあるのがそれである。

 また、「合掌」について、権実二教の立場から次のようにも述べている。
 「昔は権実二と為す掌の合わざるが如し、今は権即実と解る二の掌の合するが如し」(P.722 ①) 
 つまり、法華経以前の経々に於いては、三乗(声聞、縁覚、菩薩)と一乗(仏)とが各別であり、したがって十界互具が成立していなかった。それが法華経に至って、
 開三顕一の深義がが明かされ、三乗即一乗、権即実が領解されて十界互具・一念三千が成立するのである。こうした爾前教と法華経との天地水火の相違を
 「合掌」の二字から導き出している。

74美髯公:2011/04/17(日) 23:32:39

 別の面からいえば「権実二と為す掌の合わざるが如し」とは、相待妙の立場であるといえる。これは、学問と生活、知識と智慧といったように、二者が
 それぞれ遊離し、一切の宗教、哲学、思想、学問が現実の生活に役立っていないという状態を指している。本来ならば人間の幸福実現のために作動するはずの
 それらが、観念論の調べに終始し、あるいは人間を離れて暴走しているということである。
 一方「今は権即実と解る」とは、絶待妙の立場である。これは、あらゆる河川が大海に流入するように、一切の法が妙法へと帰結していく事を示している。
 また、八万四千という膨大な法蔵も、所詮は南無妙法蓮華経の一法から出発しているともいえる。つまり、法華経の真髄たる不思議の一法を根底に、
 一切の思想、哲学を自身の幸福実現への原動力とし、信心即生活、九界即仏界と開いていく立場である。

 この様に「即起合掌」という舎利弗の振舞いを通して、法華文句では法華経の深意を明かしているのであるが、ここで見逃せないないのは、内解と外義を挙げ
 「内解の心に在るを喜と名づく喜の形に動くえお踊躍と名づく」と規定し、仏法理解における人間行動(振舞い)を重視している点である。
 大聖人が別の御抄の中で「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞いにて候けるぞ」(P.1174 ⑭) と述べられ、また別の所では「涌出品より已後・我等は色法の
 成仏なり」(P.862 ⑪) と述べられている通りである。すなわち、仏法の領解とは単に頭で理解するかどうかではなく、それが自身の生命を打ち震えさせ、
 実際の行動となって現われてくるかどうかが問われるのである。いわば、仏法の領解とは、実践という人間行動を通して初めて、果たされてゆくもので
 ある事を意味しているのである。

  法華文句には、次に「向仏とは、昔は権仏因に非ず、実仏果に非ず。今権即実と解して大円因を成ず。因は必ず果に趣く、故に合掌向仏と言う」とある。
 これは、法華経以前の権実は真の仏因・仏果とはならぬ事を決定した後、法華経のいわゆる絶待妙の立場から、権即実と開いて初めて即身成仏の大円因を
 成じ、さらに因果倶時の原理から仏果を証得する旨を明かしている段である。すなわち合掌、つまり権即実と解して、向仏、つまり仏果に向かう法理を
 示している。以上が「即起合掌」についての法華文句の解釈であるが、日蓮大聖人はこの釈を踏まえながら、次にさまざまな角度から生命論として
 展開されている。これは余談になるが、周知の通り大聖人の諸御抄を拝すると、何時の場合でもまず釈尊の経文を引かれ、そしてその経文に対する人師・
 論師の釈を援用され、然る後に大聖人独自の悟諦を述べられている。それは、とりもなおさず大聖人が仏教二千年の歴史と精神を、その正統の流れの中において
 引き継がれていることの証左であり、かつ観念の世界に閉塞していた仏法に生命のみずみずしい息吹を与え、新しい民衆仏法として黎明を告げられて
 いった事を意味している。

75美髯公:2011/04/22(金) 20:27:44

   『色心不二の生命』

  そこでまず大聖人は「合掌とは法華経の異名なり向仏とは法華経に値い奉ると云うなり」と、この文の核心をズバリ述べられている。いうまでもなく、
 末法今時における法華経とは大御本尊の事であり、御本尊に会い奉る事を「向仏」とされている。ここに明らかなように、法華経つまり法本尊に会う事と
 仏に向かう事を同じ意味にされており、人法一箇の原理をも示されているのである。

 以上の事を大前提として、今度は「合掌」と「向仏」を生命論的に展開されて「合掌は色法なり向仏は心法なり、色心の二法を妙法と開悟するを歓喜踊躍と
 説くなり」と述べられている。合掌は信仰が振舞いの上にあらわれた姿で色法であり、向仏は信仰の姿勢で心法をいうのである。そして、色心の二法、
 つまり我々の生命それ自体が妙法蓮華経の当体であると開覚して、歓喜踊躍するのである。舎利弗が譬喩品で歓喜踊躍したのも、それを悟っての事である。
 これは、まさに生命哲理の極致であり、色心不二なる生命の実相を、この「合掌向仏」の文から導き出されているのである。さらにいえば、歓喜は心法、
 踊躍は色法となる。これは改めて説明するまでもなかろう。

  次に、「合掌」に二意ありとして「合とは妙なり掌とは法なり」、「合とは妙法蓮華経なり掌とは廿八品なり」と開かれている。つまり合とは十界互具・
 一念三千の当体たる妙、すなわち森羅万象の根底にあって一切の生命活動を顕現させる不可思議の力をいう。掌を法に当てるのは、掌は展開であり、
 法もまた、顕現された具体的な生命活動、つまり諸々のの現象をいうからである。また、法華経に即していえば、合とは要中の要たる一大秘法の
 南無妙法蓮華経となり、掌とはその一大秘法を開いた法華経二十八品を意味し、ひいては八万法蔵を指し示している。この南無妙法蓮華経が厳存するからこそ、
 法華経二十八品、さらには八万法蔵が生命を持つのであり、もしこの一法が顕現されなければ、釈尊一切の法は“死の法門”と化してしまう。
 「三大秘法抄」に「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり」(P.1023 ⑬) と述べられている通りである。

76美髯公:2011/04/23(土) 22:29:14

  次に、妙楽大師の「九界を権と為し仏界を実と為す」の文を引用されて「合とは仏界なり掌とは九界なり」と開かれている。その上で「十界悉く合掌の
 二字に納まって森羅三千の諸法は合掌に非ざること莫きなり」と結論づけられている。権即実と解して仏界を証得する事を指して「合掌」とすることは、
 先に述べた通りであるが、森羅三千の諸法も妙法の光に照らし出されてみれば、悉く妙法蓮華経に合掌している姿なのである。人間はいうに及ばず、
 宇宙、自然の全ての当体に、そうした妙法の光を当て、それらを創造性豊かな生命へと変革させてゆく作業こそ、最も本源的な生命のリズムに叶った行動であり、
 そこに大聖人の本懐があるともいえる。同様に創価運動もまた、この本流の中に生きている。

  次に、大聖人は合掌を三種の法華経から釈されて「惣じて三種の法華の合掌之れ有り今の妙法蓮華経は三種の法華未分なり、爾りと雖も先ず顕説法華を
 正意と為すなり」と述べられ、伝教大師の「於一仏乗とは根本法華の教なり〇妙法の外更に一句の余経無し」との文を、その傍証として挙げられている。
 三種の法華経とは、伝教大師が「守護国界章」の中で分類したもので、顕説法華、根本法華、隠密法華の三種をいう。顕説法華とは仏の悟り、つまり生命の
 実相を仏自身の振舞いの上で明白に説いた本門の教説をいい、霊鷲山の八年間の説法において、一仏乗の法華経を説き、出世の本懐としたものを根本法華といい、
 
 隠密法華とは一乗の法華経を隠して、仮に三乗を説いた方便権教、つまり爾前教をいう。大聖人は「百六箇抄=血脈抄」の中で、この三種の法華経をさらに
 一重深く本迹に判じられて「下種三種法華の本迹 二種は迹なり一種は本なり、迹門は隠密法華・本門は根本法華・迹本文底の南無妙法蓮華経は顕説法華
 なり」(P.865 ①) と述べられている。したがって、合掌、つまり妙法蓮華経は三種に通じるが、しかし南無妙法蓮華経という顕説法華を正意としている事は
 明らかである。

77美髯公:2011/04/24(日) 19:48:50

   『一一文文皆金色の仏体』

  これまで「合掌」について、さまざまな角度から展開されてきたが、次に「向仏」についてはどうか。大聖人はまず「向仏とは一一文文皆金色の仏体と
 向い奉る事なり」と示されている。
 これは「法華経の一一文文が全て金色の仏体なりと決定して仏に向かうことを向仏という」との意である。もとより法華経といっても、先に述べた通り、
 二十八品の文々というよりも、それらを摂し尽くし、一切を包含したところの妙法蓮華経、つまり大御本尊の事である。我々が大御本尊に向かい、そこに
 したためられた御文字を「皆金色の仏体なり」と拝することが、向仏の真意となる。

 また、「妙心尼御前御返事」には、この事について「天台大師の云く『一一文文是れ真仏なり』等云云、妙の文字は三十二相・八十種好・円備せさせ給う
 釈迦如来にておはしますを・我等が眼つたなくして文字とは・みまいらせ候なり」(P.1484 ⑧) と述べられ、また「単衣抄」には「仏前に詣でて法華経を
 読み奉り候いなば・御経の文字は六万九千三百八十四字・一一の文字は皆金色の仏なり」(P.1515 ②) と記されている。これらの文から明らかなように、
 妙法蓮華経という根源の法によって照らし出された法華経の文字の一つ一つが、そのまま仏の生命そのものである、そう領解することこそが向仏なのである。

  ところで「金色の仏体」といっても、それは色相荘厳の仏像を意味している訳ではない。いわば「仏の真実の言葉」つまり今日で言えば「御金言」の
 事であり、さらには法華経の文字それ自体が色心不二の仏の生命そのものであるという意である。この点について、大聖人は諸御抄の中で述べられているが、
 例えば「諸宗問答抄」には次のようにある。「文字は是一切衆生の心法の顕れたる質なりされば人のかける物を以て其の人の心根を知って相する事あり、
 凡そ心と色法とは不二の法にて有る間かきたる物を以て其の人の貧福をも相するなり、然れば文字は是れ一切衆生の色心不二の質なり」(P.380 ⑫)

78美髯公:2011/04/25(月) 23:26:44
 
 また「木絵二像開眼之事」には、次のように記されている。「法華経の文字は仏の梵音声の不可見無対色を可見無対色のかたちと・あらわしぬれば顕形の
 二色となれるなり、滅せる梵音声かへって形をあらわして文字と成って衆生を利益するなり、人の声を出すに二つあり、一には自身は存ぜられども人を
 たぶらかさむがために声をいだす是は随他意の声、自身の思を声にあらわす事ありされば意が声とあらはる意は心法・声は色法・心より色をあらわす、
 又声を聞いて心を知る色法が心法を顕すなり、色心不二なるがゆへに而二とあらわれて仏の御意あらわれて法華の文字となれり、文字変じて又仏の御意と
 なる、されば法華経をよませ給はむ人は文字と思食事なかれすなわち仏の御意なり」(P.468 ⑯)

 少し引用が長くなったが、これらの文から「皆金色の仏体なり」の意味が明確に浮かび上がってくる。考えてみれば、日蓮大聖人は「日蓮がたましひを
 すみにそめながしてかきて候ぞ」(経王殿御返事 P.1124 ⑬) と大御本尊をしたためられたのである。その日蓮大聖人の生命そのものである大御本尊を
 「皆金色の仏体なり」と向仏、つまり帰命する事によって、大聖人の生命を我が肉団の胸中に現じ、もって金剛不壊の絶対的な幸福境涯を獲得する事が
 出来るのである。もとより、それは「信」の領域に属する問題であって、信心のない立場からすれば、理解をはるかに越えたことであろう。また、逆に
 御本尊に向かって唱題していて、御本尊が大聖人のお姿として見えてきたなどというのは、間違いである。それは、迷信・狂信の類いという以外にない。
 
 ただひたすら、南無妙法蓮華経の妙理を信じ、また仏法の功力を確信し、日々、勤行・唱題に励み、我が身の当体に大歓喜の実相を示しきって行く事こそ
 「一一文文皆金色の仏体と向い奉る事なり」になるのである。さらに「合掌の二字に法界を尽したるなり」と述べられた上で「地獄餓鬼の己己の当体、
 其の外三千の諸法其の儘合掌向仏なり」と示されている。先にみてきたように「合掌」の二字には法界の全てが摂し尽くされている。宇宙の森羅三千の
 一切の当体を含んでいる。だからこそ、たとえ地獄であれ餓鬼であれ、三千の己己の当体、あるいは諸々の現象は、そのまま妙法の当体であり、合掌向仏の
 相を示しているのである。

 池田会長は「この文は非常に大事である」と前置きし、次のような意味のことをはなされた。
 「たとえ、どのような人であれ、誰人であれ、妙法蓮華経の当体である以上、救いきっていけるという御文である。あたかも暗闇の中で虫が電灯の火を求めて
 集まってくるように、川の水が高い所から低い所へ流れるように、また草木が太陽の光を求めて伸びて行くように、妙法へ妙法へと、人間は向かって行く
 のである。それが合掌向仏の姿である。」
 実際、どんな人であっても、心の奥底では妙法を求めているという事実は、我々の周囲を見渡しても、よく納得できる所である。

79美髯公:2011/04/26(火) 23:28:25

   『舎利弗と我らの生命』

  以上の事からして「而る間法界悉く舎利弗なり舎利弗とは法華経なり」と結論づけられているのである。冒頭で述べた通り、法華経に至って一念三千の
 妙理を聴いた舎利弗が「踊躍歓喜」したわけであるが、何故歓喜し踊躍したかといえば、舎利弗が法華経そのものになったからである。
 舎利弗が法華経において、諸法実相、あるいは皆成仏道を成じて歓喜踊躍したからこそ、法界ことごとくが舎利弗となり、舎利弗即法華経となるわけである。
 もとより、舎利弗といっても、それは一人の人間を指しているのではなく、一切衆生の生命の働きを表している。つまり舎利弗の歓喜踊躍は一切衆生の
 歓喜踊躍を意味している。したがって、大聖人は次に舎利弗を生命論の上から展開されて「舎とは空諦利とは仮諦弗とは中道なり円融三諦の妙法なり」と
 述べられ、また舎利弗の漢訳語「身子」を「身子とは十界の色心なり身とは十界の色法子とは十界の心法なり」と開かれているのである。

  舎利弗は、法華経を信受し、自らを円融の三諦、妙法の当体と開覚し、さらには自身の色心を妙法と成ぜそめた覚体なのである。それ故に、大聖人は
 舎利弗を空仮中の三諦に開き、色心と開かれたのである。梵語の舎利弗といい、漢訳した身子といい、それは単なる名称ではなく、以上のような深意を
 秘めた当体なのである。そして、我々もまた舎利弗の生命を湧現して、妙法の当体と覚知して行くのである。ちなみに、舎利弗のそれぞれの語義を考えてみると、
 「舎」には「家」という意味があり、生命の実在する家、つまり空間となる。次に「利」とは「働き」の意で、生命の働き、つまり諸々の生命現象で、「仮」に
 当たる。また「弗」には「治める」という意味があるところから、一切を統一する根源たる中道に当たるといえよう。また、舎利弗とは梵語の Śāriputra の
 音訳であり、また漢訳語の身子も同様、それぞれ本意を表わすに最も適した語を当てたわけで、極めて優れた智慧の発露がそこにうかがえるわけである。

80美髯公:2011/04/28(木) 19:50:25

 そこで大聖人は「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は悉く舎利弗なり、舎利弗は即釈迦如来釈迦如来は即法華経法華経は即我等が色心の二法なり」と
 断じておられる。今、日蓮大聖人及びその門下たる我々が南無妙法蓮華経と唱え奉る時、我々は即舎利弗となり、舎利弗が仏に向かって合掌向仏したように、
 大御本尊に向かい奉って、妙法蓮華経そのものになるわけである。それ故にこそ「仍て身子此の品の時聞此法音と領解せり、聞とは名字即法音とは諸法の
 音なり諸法の音とは妙法なり、爰を以て文句に釈する時長風息むこと靡しと長風とは法界の音声なり」と述べられるのである。舎利弗がこの譬喩品において、
 「此の法音を聞く」とあるのは、開三顕一の法を聞いて初めて領解したのであるが、それは実は我等一切衆生の領解でもあったわけである。
 そこで「聞く」とは名字即となるのである。つまり、妙法蓮華経の名字を聞くが故に名字即となる。

 もとより「聞く」とは、単に聞くという意味ではなく、日寛上人の「三重秘伝抄」に「能く聴くとは是れ信受の義なり」とあるように「信受」の意である。
 智慧第一といわれた舎利弗も結局、文底下種の事行の一念三千の南無妙法蓮華経を信受する事によって悟諦を得たのである。また「法音」とは諸法の音であり、
 諸法の音とは妙法なのである。この事を、法華文句には、「長風息むこと靡し」と記されている。ここにいう「長風」とは法界の音声であり、それが常住で
 あって止むことがない。その音声を、信解品においては「仏道の声を以て一切をして聞かしむべし」と展開している。大聖人は、この信解品の文を引用されて
 「一切とは法界の衆生の事なり此の音声とは南無妙法蓮華経なり」と結論づけられているのである。宇宙の森羅万象の悉くの当体の背後には、仏界という
 至上の生命が息づいている。その仏界を湧現させる力が妙法であり、その音声が南無妙法蓮華経なのである。
 
 まさに、大宇宙に妙法の 「長風息むこと靡し」である。また、有情・非情を問わず、森羅三千の当体は妙法そのものであると決定した時に、日蓮大聖人の
 生命哲学は大回転を始めたのであり、同時に我々創価学会の実践の原点もそこにある。かくして人間革命という、一個の人間に光を当てつつ一切衆生を
 空際しゆく未曾有の宗教運動が、全世界の広がりの中で展開されているのである。我が創価学会の長風も、永遠に止む事がないと確信する。

81美髯公:2011/05/04(水) 20:11:43

                           = 八、「信解品の事」について =

   『「信解」と「信楽」について』

  先の譬喩品第三において、迦葉、迦旃延、須菩提、目犍連等の中根の四大声聞に対して「三車火宅の譬え」をもって領解せしめた事が説かれたが、
 この信解品第四においては、領解した四大声聞が歓喜し、その喜びを迦葉が代表して「長者窮子の譬え」に託し、求めざるに無上の宝を得たと述べる。
 「長者窮子の譬え」とは、簡単にいうと次のようなものである。
  長者の子供が幼い頃、父を捨てて他の国に住み、衣食を求めて放浪していた。やがて長者がみすぼらしい我が子を見つけ、二人の召使いを遣わして家に
 帰るように誘引した。また長者自身も、みすぼらしい衣服を纏って我が子に接近し、財宝管理の職に就かせ、ついには家事財産の一切をその子に譲った。
 この譬えを以て、迦葉は自信の悟りとその喜びを表したのである。そのような内容をもつ信解品第四の「信解」という題号についての日蓮大聖人の
 御義口伝(P.725) である。

 まず、大聖人は妙楽の法華文句記の次のような文を引かれている。
 「正法華には信楽品と名く其の義通ずと雖も楽は解に及ばず今は領解を明かす何を以てか楽と云わんや。」
 ここにいう「正法華」とは、西普の竺法護が漢訳した「正法華経」十巻の事である。ちなみに法華経の漢訳は六訳三存といわれ、六種類の漢訳があり、
 そのうち現存しているのは「妙法蓮華経」 「添品法華経」と「正法華経」の三種である。周知の通り、その中でも羅什訳の「妙法蓮華経」のみが仏の真意を
 伝えるものであると日蓮大聖人は決定されているが、古今の仏教学者の間でも、空前絶後の名訳としてそれを広く認めているところである。

82美髯公:2011/05/06(金) 23:06:34

 ところで「正法華経」では「信解品」を「信楽品」と訳している。信解と信楽はかなり似通った意味のようにみえるが、「楽」はとうてい「解」には及ばない。
 何故かといえば、先に述べた通り、譬喩品からこの品にかけては、須菩提等の四大声聞が「三車火宅の譬え」を通して開三顕一の妙理を聞き、それを
 領解した事が説かれているのであり、それを“喜び願う”という意の“楽”を用いて「信楽」と訳したのでは、この品の意義を損ねてしまうという訳である。
 妙楽は以上のような点から、羅什訳の「妙法蓮華経」の「信解品」の方がはるかに適訳であるとしたのである。そこで日蓮大聖人は、妙楽の指摘を踏まえて
 「信解品」の“信解”について、重層的に御義口伝されている。
 まず「法華一部廿八品の題号の中に信解の題号此の品に之れ有り」(P.725 ⑧) と述べられ、法華経一部二十八品の中でも「信解」という大事な題号が
 付されたのは此の品であると、信解品のもつ意味の重要性を示されている。

 いうところの「信」とは「一念三千も信の一字より起こり三世の諸仏の成道も信の一字より起こるなり」と位置づけられている。つまり、一念三千という
 深義も、所詮は仏界が湧現しない限り完結しない。そして、その仏界は、南無妙法蓮華経を信受する以外に湧現させることが出来ないのである。
 これは衆生の信心の立場から述べられたもので、例えば「日女御前御返事=御本尊相貌抄」に「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我等衆生の法華経を
 持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(P.1244 ⑨) とある通り、妙法といえども我等衆生の生命の中に顕現される以外になく、
 それ故に一念三千の具・不具は、すべからく我等衆生の心の一字にかかっているといえよう。また、三世のあらゆる仏も御本尊を信じて題目を唱えたからこそ
 成道したのである。「秋元御書」には「種熟脱の法門・法華経の肝心なり三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」(P.1072 ⑤) と
 述べられ「御義口伝」巻下には「此の無作の三身をば一字を以て得たり所謂深の一字なり」(P.753 ③) と述べられている通りである。
 以上のように、「信解」の深とは、一切の根本なのである。信じるということがなければ、仏法そのものが成立しないということである。
 
 すでに述べた「長者窮子の譬え」にしても、我々の立場に引き寄せて考えてみれば、我々は久遠元初の自受用報身如来の当体であって大福運の持ち主には
 違いないが、その仏種を亡失してしまって、仏性を顕現できないばかりか、六道を流転していた。いわば窮子そのものであった訳である。だが、自ら
 求道心を起こし御本尊を信受してみれば、長者、つまり仏と父子の縁を結び、我が身即妙法の当体と覚知出来たのである。従って、一切の衆生にとって
 信の一字こそ要中の要であり、その信こそが絶対的幸福を確立しゆく原理なのである。この原理は、三世に渡って変わる事の無い不変の原理ということである。

83美髯公:2011/05/08(日) 21:02:58

   『「信」は元品の無明を切る利剣』

  なぜ、それほど「信」という事を重要視するかといえば、大聖人は次に「此の信の字元品の無明を切る利剣なり」と断ぜられている。
 ここにいう「元品の無明」とは、釈迦仏法における三惑の内の第三、無明惑の根本である。三惑とは、見思惑、塵沙惑、無明惑である。端的にいえば、
 見思惑とはものの考え方、あるいは生き方に関する思想的な迷いといってよい。次の塵沙惑とは、一つの思想を実践して行く上で起こってくるさまざまな
 具体的迷いである。見思惑が二乗 (声聞、縁覚) の迷いであるのに対して、塵沙惑は菩薩の迷いである。

 それでは無明惑とは何か。それは中道法性を遮る一切の生死、煩悩の根本であり、いわば人間の本能から発する迷いといえよう。そして、その無明惑の
 根本にある元品の無明とは、結論していうならば、宇宙の根源たる南無妙法蓮華経が信じられない、つまり大御本尊を信じる事が出来ない迷いである。
 池田会長は「元品」を「生命」と釈された。この生命に宿る迷いを元品の無明というのである。この元品 (生命) において迷えば無明、悟れば法性となる。
 従って信仰とは、この元品の無明に対する戦いであるといってよく、それを打ち破る利剣とは信の一字しかない。別の御義口伝にも「元品の無明を
 対治する利剣は信の一字なり無疑曰信の釈之を思ふ可し云云」(P.751 ⑮) と記されている。このように、信とは「元品の無明を切る利剣なり」と決定され、
 次に「其の故は信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり」と重ねて述べられている。「無疑曰信」とは、天台の法華文句に出てくる言葉で「疑い無きを
 信という」と読み、だからこそ信が一切の疑惑を断破する利剣となるのである。

84美髯公:2011/05/09(月) 21:09:55

 もとより、これは懐疑の精神を否定しているのではない。我々がさまざまな疑問を持つのは当然の事であり、懐疑の精神がなければ、物事の真実という
 ものに肉薄できない。しかし、ここでも注意しておきたいのは、何のための懐疑か、ということである。本来、我々が疑いを持つのは、それが真実であるか
 どうかを検証するためである。信を得たいがためにこそ疑うといってよい。そして、ひとたび不動の一点に立てば、今度はその不動の一点をどう持続するかが
 戦いとなる。そうした信に至るプロセスとして懐疑を位置づけるのではなく、懐疑のための懐疑という自家中毒症状を呈するようでは、盲信ならむ盲疑
 なのであって、これは全く無意味という以外にない。

  この信・不信に関連していえば、現代は“不信の時代”といわれている通り、あまりにも不信と欺瞞が渦巻いている。政治不信はいうに及ばず、社会に
 対する人々の不信はその極に達している観さえある。しかも、自己自身すら信じられないという精神の砂漠が生み出す不幸は、予想以上に現代文明を侵蝕
 している。いわば、今日の社会にどう人間性を回復して行くかは、ひとえにこの信をどう回復して行くかにかかっていよう。つまり、お互いが人間として
 信じ合い、エゴと欲望に支配された人間関係を信頼のそれへと変革しゆく土壌をどう築いていくかが、急務である。

 ましてや信仰の世界において、あらゆる懐疑というヤスリにかけられて、なお輝き続ける信の一点が確立されるかどうか、また信じるに足る対象を発見
 出来うるかどうか、それが最重要な事であるのは当然である。幸いにして、我々は永遠に変わらぬ不動の信を築きゆく根底の法を知った。後は、それを
 現実生活の中で、どう顕現していくかである。創価学会が団結の二字を掲げ、未曾有の宗教革命に邁進するのもまた、この現実世界に、信に貫かれた
 麗わしい人間連帯の輪を、全人類という地平に拡大していかんがためである。

85美髯公:2011/05/10(火) 21:03:20

   『「信」と「解」の関係』

  これまで述べてきた「信解」について、大聖人はさらに詳しく展開される。
 「解とは智慧の異名なり信は値の如く解は宝の如し」
 ここに明らかなように、解とは智慧の事であり、信ずることによって智慧という宝を買うことができる。従って、次に「三世の諸仏の智慧をかうは信の
 一字なり」と断じておられるのである。ここで、信と解の関係について、補足的に考えてみよう。まず「新池御書」には「有解無信とて法門をば解りて
 信心なき者は更に成仏すべからず、有信無解とて解はなくとも信心あるものは成仏すべし」(P.1443 ⑭) と述べられているように、仏法を単に理解したと
 しても、信心がなければ成仏出来ないと判じられている。逆に、理解出来なくとも、信心があれば成仏することがげきる。この「有解無信」と「有信無解」の
 相違は決定的であり、信と解を考える際の最も基本的な勝劣である。

  次に、一重立ち入った立場で考えてみると、例えば如来寿量品第十六には「汝等当に、如来の城諦の語を信解すべし」とあるように、有信無解こそ、
 信仰者の在るべき姿である事がわかる。また「松野殿御返事=十四誹謗抄」には十四誹謗の「浅識・不解」を挙げて、法を求めようとしない事を厳しく
 戒められている。(P.1382 ④)
 今学んでいる御義口伝で述べられている信解については、こうした立場からの見解である。この際の信と解の考え方は、以信代慧の原理に基づいている。
 「四信五品抄」に「慧又堪ざれば信を以て慧に代え・信の一字を詮と為す」(P.339 ⑮) とある通り、我々の御本尊に対する不動の信が、真実の智慧を生み 出していくのである。それ故に、大聖人は「智慧とは南無妙法蓮華経なり」と断じられ、さらに「信は智慧の因にして名字即なり信の外に解無く解の外に
 信無し信の一字を以て妙覚の種子と定めたり」と結論づけられているのである。

86美髯公:2011/05/11(水) 21:06:16

 ここにいう名字即とは、天台が立てた六即位の内の第二番目の位をいう。ここでは、初めて仏の名前を聞いた段階、つまり初信の位において即身成仏して
 行けるというのが大聖人の立場である。我々の生活の上からこの事を考えれば、信心こそ仏の智慧を自身の生活に顕現しゆく根本の因であり、信があって
 初めて即身成仏を成ずる事ができるという事である。このように信と解は不二の関係にあり、信がなければ智慧は涌いてこないし、領解しようとする一念が
 なければ信は生じないのである。こうして「有信有解」の信仰道を貫くところに成仏が成立するのであり、それが人生の最大の目的なのである。
 「十八円満抄」に「智者・学匠の身と為りても地獄に堕ちて何の詮か有るべき」(P.1367 ⑫) と仰せのように、いかに解に優れていても、信を忘失し地獄の
 住人になってしまっては、人間としての使命を果たせなくなってしまう事に留意したい。

87美髯公:2011/05/13(金) 23:33:18

   『「信解」の実践的展開』

  これまで述べてきた「信解」を、日蓮大聖人及びその門下たる我々の立場から読めばどうなるのか。まず、大聖人は次のように述べられている。
 「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり」
 ここにいう無上の宝聚とは、詮ずるところ功徳聚たる大御本尊の事を示しており、不求自得とは、我ら衆生が何の努力もせず、ただ信心一途に得た事を
 意味している。そして「信は智慧の種なり不信は堕獄の因なり」と、改めて信の重要性を述べられている。

  次に、大聖人は、信と解を、不変真如の理と随縁真如の智に約して展開されている。
 「信は不変真如の理なりその故は信は知一切法皆是仏法と体達して実相の一理と信ずるなり解は随縁真如なり自受用智を云うなり」
 信を不変真如の理に当てられる場合の不変真如の理とは、永遠に変わる事のない普遍妥当性をもつ真理の事である。また、真如とは中道、法性、生命と
 釈してよい。では、なぜ不変真如の理を信に当てるかといえば、その文証として次に挙げられている通り、「『一切の法は皆是れ仏法なりと知る』と体達して
 実相の一理と信ずる」からである。実相の一理とは、変わる事のない普遍の真理たる南無妙法蓮華経の事であり、この深遠なる哲理を信の対境となすが故に、
 不変真如の理になるのである。

 一方、解とは随縁真如であり、自受用智となる。周知の通り、随縁真如とは不変真如に対する語である。端的にいえば、宇宙・自然のあらゆる法則が
 不変真如の理とすれば、その法則に従って現われてくるあらゆる現象が随縁真如の智となるわけである。そこで、解が随縁真如に当たるのは、先に述べたように、
 解が智慧の異名だからである。そして、その智慧とは南無妙法蓮華経の仏の智慧であるから、自受用智となる。自受用智とは「ほしいままに受け用いる智」との
 意であり、久遠元初の自受用報身如来の智慧をいう。我々が信の一字を根本に信仰実践に励むならば、そのような偉大な仏智を我が身の上に顕現する事が
 出来ると仰せなのである。

88美髯公:2011/05/14(土) 20:10:33

  さて、ここで信と解をそれぞれ不変真如と随縁真如に配するという事を、我々の生活に引き寄せて、もう少し考察を加えておきたい。先に我々の立場を
 天台の六即位に当てはめれば名字即になると述べた。この名字即とは、天台の言葉を借りれば「一切の法は皆是れ仏法なりと通達解了する」立場の事である。
 つまり、我々の生命の根底に妙法があるかどうかなのである。たとえ、いかなる時であっても、またいかなる立場にあっても、一個の人間として行動する
 その基底に、妙法の働きを作動させていく事こそ、名字即の実践なのである。身近な例を挙げれば、子供の頃“金太郎飴”に親しんだ経験は誰でもあると
 思うが、どこを切っても金太郎の顔が出てくる。同様に、一個の人間のどの断面を切り取っても、その人の根底には妙法が光っている。そういう生き方こそ
 名字即という事なのである。つまり、妙法という不変真如の理に貫かれた人生であって初めて、信の一字に生きたという事になる。

 しかし、それだけでは不十分である。なぜなら、生命の根底を貫く不変真如を、今度は現実生活の中で生かしきっていかなければ、信仰は成立した事に
 ならないからである。つまり、現実生活の具体的な場で、どう妙法の智慧を働かしていくかが問われるという事である。大聖人の御金言にも「賢きを人と
 云いはかなきを畜という」(P.1174 ⑮) とあるように、ありとあらゆる現象を、どう人間幸福の確立へと役立たせていくか、そこに智慧を働かせて
 いかなければならない。いわば現実即仏法なのである。「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」(P.1295 ⑧) とある通りである。従って、信が根底に
 なって解=智慧が躍動する姿、つまり随縁・不変の真如に生ききっていくところに、我々のいう成仏はあるという事である。以上、信と解についての真義が
 さまざまな角度から展開されてきたわけであるが、それぞれの意味づけが決して独断ではないことの証明として、次に、いくつかの文証を挙げられている。

 天台の法華文句第九の「疑い無きを信と曰い明了なるを解と曰う」 、あるいは同第六の「中根の人譬喩を説くを聞きて、初めて疑惑を破して大乗の見道に
 入る故に名けて信と為す進んで大乗の修道に入る故に名けて解と為す」 、さらに妙楽の法華文句記第六の「大を以て之に望むるに乃ち両字を分かちて以て
 二道に属す疑を破するが故に信なり進んで入るを解と名く、信は二道に通じ解は唯修に在り故に修道を解と名くと云う」等々。
 法華文句第六にある「中根の人」とは、譬喩品等の譬えを聞いて得道した須菩提、迦旃延、迦葉、目犍連などの喩説周をいう。ちなみに、法華経迹門では
 声聞の弟子が次々と成仏を許されて授記を受けるが、それら声聞の弟子は三種に分かれる。つまり、上根、中根、下根である。上根とは、方便品の説法を
 聞いて得道する舎利弗などの法説周であり、下根とは大通智勝仏以来の因縁を聞いて得道した富楼那などの因縁周を指している。

89美髯公:2011/05/16(月) 21:03:01

 また、同文にある「大乗の見道に入る故に名けて信と為す」とはどういう意味か。ここにいう大乗とは一仏乗の事であり、見道とは、一応の説明を加えれば
 三界六道における苦果の因たる見思の惑を断じ尽くす事である。なお、見道には随信行と随法行があるとされている。従って大乗の見思の惑を破して
 一仏乗の妙法を信じる事であり、故に信と名づけるというのである。

  次の「大乗の修道に入る故に名けて解と為す」について解説を加えれば、修道とは見思の惑を断ずると七聖の位に入るが、その二番目をいい、この修道には
 信解、見得、身証の三つの位があるとする。そうした一仏乗を信じ、信解の位に入るが故に解と名づけるという事である。我々の立場から考えるならば、
 見道とは御本尊以外に成仏の道はないと確信する事であり、修道とはその確信に基づいて実践するという事になる。ともあれ、我々にとって仏道を成ずる
 道とは、信解不二の実相を顕現していく事に尽きる。信と解が根と花実の関係のように働き現われてこそ、仏道は成就するのである。このことを、あくまでも
 実践的に受け止めていきたい。

  最後に、「信解」に関する戸田前会長の巻頭言の一文を引用して、この項の講義を終えたい。
 「世界の文化人が迷乱している思想に二つある。一つは知識が即智慧であるという考え方である。知識は智慧を誘導し、智慧を開く門にはなるが、決して
 知識自体が智慧ではない。(中略) 要するに、根本は強き生命力と、たくましき智慧とによって、わが人生を支配していかなくては、ほんとうの幸福は
 得られない事を知らねばならぬ。」

90美髯公:2011/05/17(火) 20:52:41

                           = 九、「無上宝聚不求自得」について =

   『南無妙法蓮華経こそ無上の宝聚』

  信解品に「爾の時に摩訶迦葉、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく、我等今日、仏の音教を聞いて、歓喜踊躍して、未曾有なることを
 得たり、仏声聞、当に作仏することを得べしと説きたもう。無上の宝聚、求めざるに自ら得たり」とある。この中の「無上の宝聚、求めざるに自ら得たり」に
 関する日蓮大聖人の御義口伝(P.727 ①) である。
 先の譬喩品において、仏は迦葉、迦旃延、須菩提、目犍連の中根の四大声聞に対して、譬喩を中心とした説法に入った。まず「三車火宅の譬え」をもって、
 開三顕一の深義を明かし、仏の真実の教えは一仏乗にのみあると示した。そして、この深義は舎利弗の智慧をもってしても悟ることはできない。ただ信を
 もってのみ悟ることができると、信の重要性を強調している。こうした仏の説法を聞いた四大声聞は喜びにあふれ、迦葉が代表して「長者窮子の譬え」に
 託しつつ「無上の宝聚、求めざるに自ら得たり」と領解の旨を述べるのが信解品である。

91美髯公:2011/05/25(水) 20:47:34

  大聖人は、四大声聞が得たというこの“無上の宝聚”とは何か、あるいは“求めざるに自ら得たり”とはどういう事なのかを、生命論的に展開されて
 いくのである。まず“無上”とは有上に対する言葉で、上が無いとの意であるが、しかし「無上に重重の子細り」と、大聖人はまずのべられている。
 つまり、外道に対する三蔵教は無上、通教は三蔵教に相対すれば無上というように、相対するものによって、無上・有上の勝劣が決定されていく。
 従って、無上といっても当分と跨節について厳密に立て分ける必要があると示されている。「外道の法に対すれば三蔵教は無上・外道の法は有上なり又
 三蔵教は有上・通教は無上・通教は有上・別教は無上・別教は有上・円教は無上、又爾前の円は有上・法華の円は無上・又迹門の円は有上・本門の円は
 無上、又迹門13品は有上・方便品は無上・又本門13品は有上・一品二半は無上、又天台大師所弘の止観は無上・玄文二部は有上なり」(P.727 ②)

 というように、全部そこには相対がある。それでは、そのように相対を重ねた結果、最後に残った無上なるものとは何か。
 「今日蓮等の類いの心は無上とは南無妙法蓮華経・無上の中の極無上なり、此の妙法を指して無上宝聚と説き給うなり」(P.727 ⑤) と、南無妙法蓮華経の
 不思議の一法こそ究極の無上なるものであると断言されている。また、この妙法を指して無上宝聚とも説かれているのである。考えてみれば、我々は
 期せずして極無上の仏法に入った。まさに「求めざるに自ら得たり」である。そして、そこで実践し学んだものは、確かに無上の中の極無上であった。

  では、何故この妙法が無上の宝聚なのか。「宝聚とは三世の諸仏の万行万善の諸波羅蜜の宝を聚めたる南無妙法蓮華経なり」(P.727 ⑥) と。
 宝の聚まりとは、もちろん金とか銀などではない。過去、現在、未来の三世にわたり、あらゆる仏の偉大な生命の発露たる万善万行を聚めたのが
 南無妙法蓮華経なのである。布施、持戒、忍辱、精進、禅、智慧の六波羅蜜の修行もまた、全部ここにおさまっている。「教行証御書」には「此の法華経の
 本門の肝心・妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや」(P.1282 ⑩) とある。
 また、「観心本尊抄」には「釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う(P.246 ⑮)
 と述べられている。それぞれの御書の詳述は省くとして、それほど偉大な力用をもった南無妙法蓮華経であると確信していきたい。

  そして、この無上の宝聚を受持する我々の生命もまた、午前八時の太陽の如く赫々たるエネルギ−を蓄えながら、未来に希望の輝きを増していくのである。
 つまり、我々の生命自体が無限の可能性をはらむ無上の宝聚と開花して行くという事である。しかも「此の無上宝聚を辛労も無く行功も無く一言に受取る
 信心なり不求自得とは是なり」(P.727 ⑦) と述べられている。日蓮大聖人の仏法は、受持即観心であり、直達正観である。歴劫修行を要した釈迦仏法とは
 根底的な相違がある。我々にとっては御本尊を受持し信心に励む、その一点に一切の修行が含まれている。なんと有難いことではないか。

92美髯公:2011/05/27(金) 20:42:09

   『Kさんの体験と仏法の肉化』

  ここで、今学んでいる「無上宝聚不求自得」に関連して、それが決して机上の学問ではない事を示すために、一つの具体論を申し上げたい。
 それは、Kさんという一人の婦人の体験である。Kさんは大病を患い死線を彷徨っていた。しかし、この「仏教大学講座」に応募するために、死を覚悟しつつも
 論文を書き続け、見事な論文を完成した。その間の事情を書き添えたご主人の手紙と共に届けられた。もちろん合格だった。講義にはKさんに代わって
 ご主人が出席し、それをテ−プに納め、Kさんの枕許で聞かせる。こうしてKさんは最期まで懸命にテ−プを聞きながら勉強した。そして、遂に安らかに
 逝去された。

 五十年の十一月、Kさんは入院する時「私はこれから入院する。再びこの家に戻ってこれないでしょう。お葬式の時にはこの写真を・・・・」と遺影の
 写真までご主人に残して入院された。従って、死ぬ事を覚悟しておられたことは十分わかる。また、遺言の書を十項目程にしたためておられたという。
 それでは、一体なぜ死を覚悟しながらも「仏教大学講座」の論文を書き綴られたのか。なぜそんなに激痛の中 ― ご主人の手紙によれば、一日中死闘と
 いってもよい程の激痛が続いたが、その中でわずか三十分間ぐらい、意識朦朧たる状態ながらも、痛みが和らぐ時があった。その三十分ぐらいを見出して、
 ずっと書き綴ってきた。そういうご主人の手紙であった。― 論文に取り組む事ができたのか。

 ご主人の手紙を、今ここで読んでみたい。
 「 現在私の妻は昨年の七月ごろからガンにかかり、病状重く、県立ガンセンタ−で懸命の治療と唱題に励んでおりますが、全身を襲う激しい痛みと死の
 恐怖に、毎日毎日死魔との戦いを余儀なくされております。医師の話では三か月と言われたのですが、すでに半年もっておりますが、いずれ長くないとの
 診断です。
  当原稿は、妻が激痛の中で御書を学び、唱題をし、注射をして、痛みが多少やわらぐ三十分ぐらいを、もうろうとした意識の中で書いたものであります。
 第一回より連続して応募しておりますが、残念ながら試験にはパスしておりません。今回の応募についても、妻はどうしても書くのだと言って、ついに
 書き上げました。鉛筆書きのうえ、字も乱雑かと思われ、たいへん失礼かと思われますが、何とぞお許しください。」
 まさに文字どおり、自身の宿命打開の闘いをなさんがために、この原稿を通して、自分の決意をしたためようとしたに違いない。

93美髯公:2011/05/30(月) 20:28:27

 私は今、Kさんが書いた原稿のコピ−を手にしているが、この原稿には、自分がガンである事はひとつも述べてられていない。また自分がなんらかの
 苦しい立場にある事も、いささかも書かれていない。しかし現実はその厳しい中で書かれたという事、それは最早、生と死を越えて自分自身の宿命転換を
 図ろうとされていた事を意味する以外の何ものでもないと思う。そんなKさんに対するご主人の気持ちは、手紙の末尾に次のようにある事からも、明瞭にわかる。
 「なお、合否に関係なく、最後にお願いがあります。終了後、原稿を返していただけないでしょうか」と。
 恐らく、ご主人としては、この原稿をKさんの遺稿として、永遠に残しておきたいというお気持ちだったと思う。

 私は原稿を読み、ご主人の手紙をも照らし合わせて、合格と判断した。ただ、論文の審査を始める会議は、まだそれより先であった。また皆で検討して、
 結果を出して、それからさまざまな会議にかけて、最終的に合否が決定する。当然そこには論文だけではなく、面接試験もあった。時間がかかりすぎる。
 そこで私の越権行為ではあったが、即座に合格という通知を出した。私がまず合格であると申し上げたのは、信心の合格であるという意味であった。
 ともかく、このような生死を越えて、激痛の中を宿命打開を図ろうとしたその信心は、まさに教学を命に刻むものであり、それだけで既に合格である、
 と判断したのである。

 少々経過を申し上げると、Kさんは五十年七月に子宮ガンであることが判った。医師の診断では三か月の寿命であった。それが五十一年の七月十日に
 亡くなった訳で、三か月の寿命を九か月延ばした。そして一年間闘い抜いて、その間に一切の宿命を転換して亡くなられた。「仏教大学講座」に応募した頃の
 状態は、まず直腸、肺、喉頭にまで転移して、最悪の状態であった。後で判った事であるが、骨にまでガンは達していた。その中を、注射を打ち、痛みが
 和らぐ三十分間ぐらいの間に、御書を読み、題目を唱えながら、「竜女の成仏」という論文を書き上げられたのである。周知の通り、竜女というのは女人で
 あり、かつ蛇身である。その竜女が法華経において成仏したという事実を前に、ご自身の経験からそれがどういう意味をもつのか、明確にして
 おきたっかたのだと思う。

94美髯公:2011/06/01(水) 21:43:58

 Kさんは、その論文の中で、こう書いている。
 「智慧第一の舎利弗尊者は、竜女に申しました。『あなたは修行の期間も長くないのに、久しからずして無上道を得たものと思っているが、私には信じがたい。
 女人の身は汚れていて、法の器ではありません。仏道ははるかなものです。無量劫という長い期間かかって、丹念に苦行を積み重ね、詳しくもろもろの
 悟りを修めて、しかる後に成仏ができるのです。また女人の身には、一、梵天王にはなれない、二、帝釈天王にはなれない、三、魔王になれない、四、
 転輪聖王になれない、五、仏身にはなれないという五つの障りがあって、成仏を妨げると申します。だからどうして女人の身で即身成仏ができましょうか、
 考えられないことです』と。竜女はパッチリと開いた明るい瞳で聞いていましたが、舎利弗が語り終えると、手にしていたすばらしい価値の宝珠を、黙って
 スッと世尊に奉ったのです。世尊はすぐさまその見事な宝珠を、お受け取りになりました。それはほんのつかの間のできごとでしたが、なんの滞りもなく、
 春風のそよぐようにさらさらと事は運ばれたのです。」

 Kさんはご自身の生命のうえに、はっきりと舎利弗や竜女が映し出されているような書き方である。Kさんは続けて ― 、
 「竜女はニッコリほほえみ、智積菩薩と舎利弗尊者に尋ねました。『いかがでございます。私が宝珠を世尊に奉りましたが、世尊がお受け取りになるまでの
 動きはすばやかったとお思いになりませんか、いかがですか。』
 智積と舎利弗は口をそろえて答えました。『あなたが奉るのも、世尊がお受け取りになるのも、ともにまことに速かった』と。
 竜女はそれを聞くと、会心の笑みを漏らして、こう申しました。『珠をささげるのも、受けられるのも、まだ遅いのです。私が仏となるのはもっと速いのです。』
 言い終えるや否や、竜女の姿は一転して、こうごうしい菩薩行を備えた男子の姿に変じ、はるか南方の無垢世界の宝蓮華に坐して、あまねく一切衆生のために
 妙法を説き聞かせている仏の姿となって、輝き渡ったのです。そのとき娑婆世界にある菩薩をはじめとする無量の衆生は、みなそれを見て、心に歓喜をおぼえ、
 
 言い知れぬおごそかな気持ちになって、はるかに合掌礼拝しました。何としても目の覚めるような即身成仏のありさまゆえ、智積菩薩も舎利弗尊者も、
 また一切の大衆も、黙然として、竜女の即身成仏を信受したのです。」
 淡々として竜女の事を書いておるようで、実は、この舎利弗尊者の質問を通して、自分は宿業の深い人間であるという事を、Kさんはいいたかったに違いない。
 そして「竜女がニッコリ微笑んで答えた」というのは、その時の彼女の心境であろう。必ず自分自身が宿命を打開し、この生涯の間に自分自身の一切の罪業を
 転換していくのだという事を、珠の話であるとか、それより成仏は速いといった話に託していたように思えてならない。

95美髯公:2011/06/02(木) 20:27:44

 そして更に ― 「『御義口伝』に云く『此の品には釈尊の本師提婆達多の成仏と、文殊師利教化の竜女成仏とを説くなり。是れ又妙法蓮華経の提婆竜女なれば、
 十界三千皆調達竜女なり。法界の衆生の逆の辺は調達なり法界の貪欲・瞋恚・愚癡の方は悉く竜女なり、調達は修徳の逆罪、一切衆生は逆罪なり一切衆生は
 性徳の天王如来調達は修徳の天王如来なり、竜女は修徳の竜女・一切衆生は性徳の竜女なり、所詮釈尊も文殊も提婆も竜女も一つ種の妙法蓮華経の
 功能なれば本来成仏なり、仍って南無妙法蓮華経と唱え奉る時は十界同時に成仏するなり、是れを妙法蓮華経の提婆達多と云うなり、十界三千竜女なれば
 無垢世界に非ずと云う事なし、竜女が一身も本来成仏にして南無妙法蓮華経の当体なり』(P.797 ⑯) とありますように、世尊も提婆も竜女も、また私たちも、
 そのもとは妙法蓮華経の当体であることは変わりはないと思います。」

 Kさんはこの「御義口伝」を通して、強い自信を持ったに違いない。自分は罪業の深い人間でどうしようもない。しかし地獄のような苦しみで
 死ななければならないかというと、そうではない。実は自分の生命、竜女の生命も本来の妙法蓮華経とあるではないか。それならば、もし自分が宿命を
 打開していくならば、この本来の妙法蓮華経の当体へと戻っていく事が可能ではないか、その本来の力を発揮する事ができるではないか、彼女はそう確信したに
 違いない。

 そこで彼女は更に続ける。
 「ただ信をもってのみ能く入ることができる、と仏も説かれた法華経を、いかに絶えざる発心と喜びをもって持ち続けるか否かに成仏はすべてかかっていると
 思います。」
 この言葉の中から、死の瞬間に至るまで、この信心の発心、喜びを持って闘い抜くという彼女のけなげな決意を読み取る事ができる。
 更に「『南条殿女房御返事』にいわく『夫れ水は寒積れば氷と為る・雪は歳累つて水精と為る・悪積れば地獄となる・善積れば仏となる・女人は嫉妬かさなれば
 毒蛇となる。法華経供養の功徳かさならば・あに竜女があとを・つがざらん』(P.1547 ②) と。

 『女人は嫉妬かさなれば毒蛇となる。法華経供養の功徳かさならば・あに竜女があとを・つがざらん』は対照的な御文でございます。しかしこの対照こそ、
 まさに自分自身の過去の姿と、現在から未来に生きる姿のコントラストと一体でありました。
 私たちの生命も、ひたすら信をもとに教えのとおりに信心修行をしていけば、降り続く雪の原野のように、白色の無垢世界へ広がっていくもののように
 思われてなりません。」

96美髯公:2011/06/04(土) 20:38:04
 
 これは非常に大事な所ではないかと思う。彼女はこれを書き綴っている時に、首から下は全身ガン細胞に冒されていた。「白色の無垢世界」とはまるで違う、
 死魔に冒されきった状態であった。彼女にとって「降り続く雪の原野のように、白色の無垢世界へ広がっていくもののように思われてなりません。」と
 いう言葉は、余りにも現実離れの様に思える。しかし、それは単に過去から現代へ来たる、その今までの自分を見つめている彼女ではない。自己の宿命を
 見つめつつも、雄々しく立ち上がり、必ず未来に自分自身の宿業を打開し、見事なる実証を示して行くという決意の披瀝であろう。そして汚れなき世界 ―
 降り続く雪の原野のように、白色の無垢世界へ広がっていく ― というのは、自分が必ずこうなってみせるという決意であったのだろうと思う。

 実際、彼女はその後、十日間というものは、全く苦しまなかった。しかも体重が三十二キロから四十七キロに増えている。ガン細胞も全て無くなった。
 「降り続く雪の原野のように、白色の無垢世界へ」という言葉が現実にKさんの五体の上に現れたといえよう。
 「法華経は絶対に信じるものを欺かない完ぺきな哲理である7ことを意味するものです。また雨曼陀羅華とありますように、純粋な信心を貫いていくならば、
 功徳の花が雨のように降りそそぐ、私たちをしあわせな境涯に導いていくことは間違いないことです。」と。
 
 激痛の中、意識の朦朧たる中で、唯御書を読み、題目を唱えて、書き綴った人の文にしては、あまりにも淡々とし、あまりにも未来に生きようとしている姿が
 躍如としている。そして最後に「私も信心の出発点に戻って、晴れやかに一歩一歩努力を続けます」と決意を述べて論文は終わっている。
 自分の命が何時終わるとも判らない人が「信心の出発点に戻って、晴れやかに一歩一歩努力を続けます」と決意しているのである。まさしく自分の過去の
 宿業、宿命というものを断ち切って、そして永遠の福運というものを今築かねばならないという事に立脚した人の発言であると思う。

97美髯公:2011/06/06(月) 23:37:50

   『最も肝要な「信」の一字』

   ここで、もう一度、「御義口伝」の本文に戻りたい。
  「此の無上宝聚を辛労も無く行功も無く一言に受取る信心なり」(P.727 ⑦) の「信心」とは、先のKさんの姿であろう。「信」の一字があれば、三世十方の
 諸仏の功徳を一言に受け取る事ができる。信心とはそういうものなのである。
  
  次に、大聖人は「自の字は十界なり十界各各得るなり諸法実相是なり」(P.727 ⑧) と「不求自得」の「自」を規定されている。
 つまり「不求自得」の「自」とは、十界を意味している。十界それぞれが無上の宝聚を得る事ができる。従って十界悉くの当体が妙法となり、それ故に
 諸法実相となるのである。たとえ、地獄であれ餓鬼であれ、信の一字があれば、即座に無上宝聚を得る事ができる。瞬間瞬間に、南無妙法蓮華経という
 実相に照らし出されて、一切の生命現象が生き生きと輝いていくという原理を示されている。そして、大聖人は「然る間此の文・妙覚の釈尊・我等衆生の
 骨肉なり能く能く之を案ず可し云云。」(P.727 ⑧) と御義口伝されて、この項を終わっておられる。

 ここにいう妙覚の釈尊とは、一往は権教、法華経迹門、同本門の釈尊と通していえるが、再往、別しては御本仏日蓮大聖人を示していると拝せる。
 「観心本尊抄」にある「妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや」(P.246 ⑱) との一文も同趣旨であるが、ともかく御本仏の生命は
 我ら衆生の骨であり、肉であるとの、極めて深い意味を持った結語である。それ故に「能く能く之を案ず可し」と述べられたのである。

  今回は、「御義口伝」を一つの体験に照合させながら学んでみたが、それはまさに現代に生き生きと照射する大哲理を、現実の姿うえで理解して
 いただきたかったから他ならない。膨大な仏法も、その本義は「信」の一字にあり、それを回転軸として一個の人間生命を根底的に変革していくもので
 ある事を知っていただきたい。

98美髯公:2011/06/07(火) 21:59:12

                            = 十、「授記の事」について =

   『授記とは何か』

  次に「授記品四箇の大事」の内の「第一 授記の事」(P.730 ⑫) の所を、一緒に学んでいきたい。授記品は、迹門の熟益三段の正宗分 (方便品から
 人記品まで) の中に含まれるが、この品の趣旨は四大声聞に対する授記である。四大声聞とは、迦葉、迦旃延、須菩提、目犍連の事。周知の通り、法華経には
 三周の説法 (法説周、譬説周、因縁周) が明かされるが、この四大声聞は譬説周に当たる。仏はまず譬喩品において「三車火宅の譬え」(法華経七譬の
 第一) を説き、三乗を開いて一仏乗を顕す(開三顕一) が、次の信解品で四大声聞はその仏の真意を領解した旨を告白し、迦葉が代表して「長者窮子の
 譬え」(法華経七譬の第二) に託し、その喜びを述べる。次いで仏は薬草喩品を説き「三草二木の譬え」(法華経七譬の第三) をもって、仏の教えは
 一仏乗のみであると再度明かす。

  こうした流れの中で授記品が説かれ、四大声聞に対する授記が決定づけられていくのである。そこで、謂う所の授記、つまり記を授けるとは、
 どういう事なのか。法華経の原理は即身成仏であると謂われているにも関わらず、授記という形を取っているのは、どういう意味があるのか。そうした
 問題点を踏まえながら、大聖人の仏法における授記の真意を明かされたのが、この御義口伝である。ちなみに、授記とは仏が記別 (予記分別) を授ける事で、
 しかも劫、国、名号等が明示される事をいう。例えば、迦葉は光明如来 (名)、光徳 (国)、大荘厳 (劫) と授記されている。

 まず、大聖人は天台の法華文句の「授とは是れ与の義なり」の文を引用されて“授”の意味を明確化したうえで、授ける処の“記”とは何か、という最も
 肝要な問題にズバリ切り込まれている。つまり「記とは南無妙法蓮華経なり」と、その根本を示されている。我々が御本尊を受持し勤行・唱題に励んで
 いる、あるいは創価学会員として愛学弘法の実践を貫いている、それらは何のためか。結局は、南無妙法蓮華経という仏の生命を時々刻々と授けられている事に
 他ならないのだということだ。これが授記の根本であり、信心の究極である。

99美髯公:2011/06/09(木) 23:09:52

 現実には、さまざまな授記がある。例えば、教学試験で教授の認定証を受けた。しかし、教学部教授に認定されたとは、どういうことなのか。
 それは信行学という大聖人の仏法の永遠の根本原理を絶対に外さないという決意、つまり本因妙の立場から受けているわけである。そうした面から考えるならば、
 我々は色々な授記を経験している。本因妙の姿勢そのものが授記であるといってもよい。その本因妙の姿勢に表れてくる授記の根源は、南無妙法蓮華経という
 生命なのである。従って、教学といっても、それは知識を受けているのではない。南無妙法蓮華経を受けているのだし、またそれを自身の上に必ず
 具現化しいぇ行こうとする決意に立って受けていくべきである。

 もとより、世間一般にもその世界それぞれの授記がある。大学を卒業して貰う学士号、あるいは博士になって貰う博士号なども、一種の授記である。
 だが、そうした個別的な授記ではなく、いかなる人であろうと最高の人生観、世界観を確立して永遠に幸福な人生を生ききっていける根本的な授記があるのを
 忘れてはならない。これは、ある女子学生の体験である。今年の春、無事に大学を卒業したのだが、卒業論文を書き上げる時の苦しみと喜びを次のように
 語っていた。色々な事情が重なって、実際に論文を書き始めたのは二十日前であった。焦燥と不安が重なって自己喪失に陥り、途中何度も投げ出したくなった。
 だが、彼女は自分の弱さと闘った。「臨終已に今にあり云云」(「持妙法華問答抄」 P.466 ⑪) の御書の一節を拝しつつ、腰を据えて唱題にも励んだ。
 「文を書くという事は、知的、理性的営為であると共に、ペンを持って手を動かしていくひとつの肉体運動でもあるわけですが、そうした精神的かつ肉体的行動を
 起こさしめる生命の不思議さ、強靱さをひしひしと感じました。」 と彼女は述懐していた。

 また「信心していてよかった。御本尊を受持していて本当によかった」と、しみじみ語っていた。最後の一週間は、睡眠時間も三時間足らず、ひたすら
 論文完成に頑張り通したという。そうした自己の限界を越えたところで、彼女は生命の実在を実感し、信心への確信を深めて行ったのである。彼女は
 こうして大学卒業という授記を受ける事が出来たと同時に、より深い南無妙法蓮華経という偉大な生命の授記をも受けた事になる。卒業論文を書き上げる
 という事は、ごく当たり前の事であるかも知れないが、その事を通して得た生命の実在感は極めて大きい。恐らく、この経験は彼女にとって生涯の財産と
 なるに違いない。仏法に四力という原理がある。仏力、法力、そして信力、行力である。いかに即身成仏とはいえ、仏力、法力を引き出す信力、行力が
 備わらなければ有名無実の観念論に終わってしまう。だからこそ、我々は南無妙法蓮華経という無上の仏力、法力を我が身に具現するだけの信力、行力に
 立たなければならないのである。

100美髯公:2011/06/10(金) 21:12:53

  次に大聖人は「授とは日本国の一切衆生なり」(P.730 ⑭) と“授”の本義を述べられている。実際、建長五年四月二十八日に立宗宣言された以来、
 南無妙法蓮華経という題目は、それを信ずるか否かはともかくとして、日本国中で知らない人はいないという状況にあるわけで、その事自体、既に
 南無妙法蓮華経を一切衆生に授けられたという事になる。その事実そのものが“授”になるとも考えられる。だが「不信の者には授けざるなり又之を
 受けざるなり」である。一往は日本国の一切衆生に授けるけれども、再往は不信の者には授けないし、受ける事が出来ないのだと厳しく述べられている。
 つまり、不信の者は逆縁であるが故に受けようとしないし、また、たとえ受けようとしても受ける事ができないのである。

 当然の事ながら、信・不信は宗教の中心的なテ−マである。この信・不信によって、南無妙法蓮華経という“記”を受ける事が出来るかどうかが
 決定されるのである。他の御義口伝 (第一 信解品の事) には「一念三千も信の一字より起り三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり」(P.725 ⑧) と
 述べられているが、この信ずるという事が無ければ、仏法そのものが成立しないわけで、信の一字の重さを深く知っていかねばならないと申し上げておきたい。

 しかも、授記を受けるかどうかという事は、これを平易にいえば、南無妙法蓮華経という電流が通るかどうかという事で、いわば信心の血脈が繋がって
 いるか否かの問題である。「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」(「生死一大事血脈抄」 P.1338 ⑨) と仰せの通りである。
 それ故にこそ「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経の記を受くるなり」(P.730 ⑮) と結論づけられているのである。この文は敢えていえば、二通りに読める。
 一つは、大聖人が弟子の我々の立場に立って「南無妙法蓮華経の記を受くるなり」と表現されている。もう一面からいえば、大聖人ご自身も凡夫の立場で
 南無妙法蓮華経の記を受けられているといえる。つまり南無妙法蓮華経とは宇宙根源の法であり、それは無始無終の存在である。従って久遠元初の
 自受用報身如来の当体である大聖人も、また自身の生命の中に妙法を内包しているという意味に於いて我々も同じ立場となる。「日蓮等の類い」とは、
 そうした根底的な平等観に裏付けられた表現であって、大聖人の仏法の卓越性を示す一つの柱となっている。

101美髯公:2011/06/11(土) 23:56:56

   『生命論からみた授記』

  次に、大聖人は生命論の上から、授記というものを広く展開されている。つまり「又云く授記とは法界の授記なり地獄の授記は悪因なれば悪業の授記を
 罪人に授くるなり余は之に准じて知る可きなり」(P.730 ⑮) と。これは、後に「妙法の授記なるが故に法界の授記なり」(P.731 ②) とあるように、
 大聖人の仏法は単に宗教の世界における授記というものではなく、法界つまり全宇宙の森羅万象悉くの当体を対象とした授記であると仰せなのである。
 言葉を換えれば、「法界の授記」とは、全宇宙を貫いている処の根本原理というものを授記されるという事である。すなわち、我々が仏界を基調として
 一切法界を授記される事を意味しているのである。

 宗教とは人間の生き方の根本法である。従って、それが間違えば世界全体が間違ってしまう。地獄の授記を与えたならば、当然悪業を生命に刻み込んで、
 六道輪廻に陥ってしまう。このように十界それぞれに授記がある。しかし、地獄界から仏界に至る十界の悉くを包んで、しかもそれぞれを生かし切って
 行くのが大聖人の仏法であり、だからこそ「妙法の授記なるが故に法界の授記なり」となるわけである。地獄、あるいは畜生といった生命を人のため、
 社会のためにどう生かし切って行くか、どう価値創造せしめて行くか、そういった方向性をもった授記となるという事である。

 また「生の記有れば必ず死す死の記あれば又生ず三世常恒の授記なり」(P.730 ⑯) と述べられている。先に宇宙の森羅万象悉くの当体にわたる授記である
 として、空間的な広がりの中で展開されてきたのに対して、ここは時間的な展開となっている。生は死の因、死は生の因というように生死不二の原理から、
 三世常恒の生命に内在する授記を明かされている。
 以上、授記という事の根源的な意味合いを、時間的には永遠性を、空間的には無限の広がりをはらむ生命の大海の上に展開されてきたわけだが、それでは
 この授記品において四大声聞が授記を受けたという事は、一体何を表しているのだろうか。

102美髯公:2011/06/13(月) 20:39:28

   『四大声聞と生老病死』

  大聖人は、それを「所詮中根の四大声聞とは我等が生老病死の四相なり」(P.730 ⑰) と断ぜられている。つまり、迦葉、迦旃延、目犍連、須菩提の
 四大声聞が声聞界の代表として授記を受けたという事は、実は生老病死の四相が全部、南無妙法蓮華経を根本のリズムとして回転している事を
 意味しているのだと仰せになっている。これが、授記品において四大声聞が授記を受けた事の本当の意義なのである。これまでは六道輪廻の苦しいばかりの
 生老病死であったのが、南無妙法蓮華経を根本にする事によって、仏界を基調にした生老病死に転換されていく事を示していると、大聖人は読まれた
 わけである。ここにおいて、仏法が現実の人間生命のうえに蘇り、生きた宗教として民衆の中で生き生きと脈動を始める事になる。

 「迦葉は生の相・迦旃延は老の相・目犍連は病の相・須菩提は死の相なり」(P.730 ⑰) と。迦葉といえば頭陀行第一、つまり実践第一の弟子であった。
 情熱を燃やして弘教、あるいは修行に勇躍精進した所から「生の相」の生命を表している。迦旃延は論議第一。学問修行を経て重厚な人柄でもあり、
 円熟の生命、つまり「老の相」を表している。目犍連は神通第一。母の青提女が餓鬼道に墜ちているのを神通力によって知り、法華経をもって救った。
 また釈尊入滅後、外道に殺されかけ、一旦は脱出したが、過去世の罪業である事を知り、敢えて外道に殺され、その業を滅したと説かれている。いわば、
 母が餓鬼道に墜ちた事を知り、宿業を自ら自覚した目犍連は「病の相」を我々に示しているといえる。須菩提は解空第一。空理に通じている所から
 「死の相」の生命を表している。ともかく四大声聞が授記を受けたとは、そいうした生老病死が妙法のリズムによって、本然的に転換した事を意味していると
 読まなければ、授記の本義は解らないと、再度申し上げておきたい。

  従って、大聖人は「法華に来つて生老病死の四相を四大声聞と顕したり是れ即ち八相作仏なり」(P.731 ①) と結論づけられるのである。
 ここにいう八相作仏とは、仏が応身、あるいは化身を現じて、作仏を中心とする八種の相を示して教化する事をいう。八相とは下天、託胎、出胎、出家、
 降魔、成道(作仏)、転法輪、入涅槃である。これは仏の一生の姿であるが、われわれの生命もまた妙法を根底とする事により、生老病死の四相が即、
 八相作仏と現ずるのである。また「諸法実相の振舞いなりと記を授くるなり」(P.731 ②) と。すなわち我々の行動、振舞いというものは、全て諸法実相を
 現じていく事になるのである。

103美髯公:2011/06/14(火) 21:47:37

   『南無妙法蓮華経の授記』

  更に「妙法の授記なるが故に法界の授記なり蓮華の授記なるが故に法界清浄なり経の授記なるが故に衆生の語言音声は三世常恒の授記なり」(P.731 ②) と、
 南無妙法蓮華経という生命の上に現れてくる授記の特性を述べられている。まず、妙法とは諸法実相であり、従って全世界を含んでいる。あらゆる現象の
 根本原理である。それを我我が授けられた故に「法界の授記なり」となる。蓮華とは、清浄、因果倶時等の意義があるが、ここでは清浄という特質から
 述べられている。如蓮華在水、または淤泥不染である。このなかで泥中にあって染まらずとは、この場合、“染まらず”に重点が置かれているのではなく、
 “泥中にあって”に重点が置かれている事に注意を要する。全てを含んだ上での不染であるという事だ。一切を含んだ上で、それをどう生かしていくか、
 価値創造していくかという生命の働きを清浄というのである。

 経とは一切世間の語言音声という意味と、三世常恒という意味がある。語言音声は人間の一切の振舞いを代表されている。語言音声によって、我々は生命を
 通じ合って行く事が出来るし、活動していく事ができる。同時に、経には時間的な流れを含んでいる事から三世常恒、つまり単なる一生の授記といった
 ものではなく、三世に渡って永遠不変の授記である。「在在諸仏度常世師倶生」とあるように、未来においてもまた同様に授記を受けて行く事が出来るのである。
 そして最後に、大聖人は「唯一言に授記すべき南無妙法蓮華経なり云云」と、結んでおられる。つまり、法界の授記、清浄の授記、三世常恒の授記、
 それらを一言に「南無妙法蓮華経」として受けているのであると仰せなのである。

 これは余談になるが、仏が声聞に対して成仏の記別を与えるのは法華経に於いてのみである。爾前経にも、菩薩、善人等の授記はあるが、声聞に対する
 それはない。この事は、法華経の重要な法門の一つである二乗作仏を示しているが、二乗作仏が明かされて初めて十界互具、一念三千が完結する。
 つまり、十界互具という限り、声聞、縁覚の二乗の生命は十界それぞれの生命に備わっており、二乗が作仏出来ないという事になれば、十界全てが作仏
 出来ない事になる。それ故に、四大声聞に授記を与えたという、この授記品のもつ意義は、生命論の上からも実に大きいものがある事を付記しておく。

104美髯公:2011/06/15(水) 20:20:12

                             = 十一、「宝塔の事」について =

  宝塔とは、七宝 (金、銀、瑠璃、硨磲、碼碯、真珠、玫瑰) をもって荘厳した多宝塔の事である。法華経見宝塔品第十一では、その冒頭で次のように、
 宝塔涌現の模様を描写している。すなわち、「爾の時に仏前に七宝の塔あり。高さ五百由旬、縦広二百五十由旬なり。地より涌出して、空中に住在す。
 種種の宝物をもって、之を荘校せり」と。
 
 この経文より明らかな如く、その大きさは、高さ五百由旬、縦横二百五十由旬となっている。これがどの位の大きさになるかといえば、色々な説が
 考えられるが、一由旬を最小にとれば、地球の直径の四分の一位、最大にとれば、地球の直径の大きさになるのである。ともかく、こんな巨大な宝塔が、
 大地から涌現し、空中にかかったというのである。この宝塔がどこから来たかといえば、東方の宝浄世界から来たのである。また、この宝塔には多宝如来が
 中にいて、突然、大音声を発して、次のようにいう。「善い哉善い哉釈迦牟尼世尊、能く平等大慧、教菩薩法、仏所護念の妙法蓮華経を以って、大衆の為に
 説きたもう、是の如し、是の如し、釈迦牟尼世尊、所説の如きは、皆是れ真実なり」と。つまり、釈迦がそれまで説いてきた法華経の教えは、全て真実で
 あるとの証明をしたのである。しかし、この時の大音声は“閉塔”といって、宝塔が閉じられたままであった。

 一座の大衆は、突然、虚空にかかった大宝塔といい、その宝塔から発せられた大音声といい、あまりにも衝撃的な出来事に、驚天動地した事はいうまでもない。
 この大衆の疑心を察知した大楽説菩薩は、釈迦に、宝塔の中の多宝如来を見たいと願った時、釈迦は、その願いを叶えるたまに、有名な三変土田を行ない、
 十方分身の諸仏を結集した。その後に、釈迦自ら、座より起って虚空の中に住し、宝塔を開くのである。「是に釈迦牟尼仏、右の指を以って七宝塔の戸を
 開きたもう。大音声を出すこと、関鑰を却けて大城の門を開くが如し」と、経文では描写している。

105美髯公:2011/06/17(金) 23:55:59

  そして、有名な二仏並座の段に入るのであるが、その模様は次のように述べられている。
 「爾の時に多宝仏、宝塔の中に於いて、半座を分ち、釈迦牟尼仏に与えて、是の言を作したまわく、釈迦牟尼仏、此の座に就きたもうべし。即時に釈迦牟尼仏、
 其の塔中に入り、其の半座に坐して、結跏趺坐したもう」と。
 この二仏並座の姿を見上げていた一座の大衆が、心の中で、「仏が高遠に坐しているが故に、我々も、ともに虚空に住したい」と願ったので、釈迦は直ちに
 神通力をもって、大衆を皆、虚空にひき上げたのである。ここに荘厳な儀式の場が整って、いよいよ三箇の勅宣の説法が始まり、虚空会の儀式が展開する。

 この宝塔出現の意義について、天台大師が、証前・起後の二つがあると説いたのは有名である。証前とは、宝浄世界から来た多宝如来が迹門の真実を
 証明する事であり、起後とは、後の本門を説く起こりになるという事である。
 以上、宝塔並びに宝塔品について、その大要を述べてきたが、これは、御義口伝「宝塔品二十箇の大事」を理解する上での基本となる事柄である。
 これを踏まえて、まず御義口伝の「第一 宝塔の事」に入りたい。

  まず、「文句の八に云く前仏已に居し今仏並に座す当仏も亦然なりと」(P.739 ⑫) とある。
 “前仏已に居し”とは、宝塔にすでに坐していた多宝仏をいい、“当仏も亦然なり”とは、十方分身の諸仏をいう、つまり、宝塔品は、釈迦・多宝・
 十方分身の諸仏が集まった荘厳な儀式であると、天台は述べているのである。さて、一体、このような儀式が何を意味するのであろうか。まさか、釈迦が
 これを現実のものとして説いたのではない事は明らかである。何かを表そうとして説いたのに違いない。

106美髯公:2011/06/18(土) 21:09:25

  戸田前会長はこの“宝塔の儀式”について、「開目抄」の講義録の下巻で、次のように展開されている。
 「迹門の流通分たる宝塔品において、多宝塔が虚空にたち、釈迦・多宝の二仏が宝塔の中に並座し、十方分身の諸仏、迹化他方の大菩薩・二乗・人天等が
 これにつらなるいわゆる虚空会の儀式が説かれている。これは一面から考えればはなはだ非科学的のように思われるが、仏法の奥底よりこれを見るならば、
 きわめて自然の儀式である。もしこれを疑うならば、序品の時にすでに大不思議がある。数十万の菩薩や声聞や十界の衆生がことごとく集まって釈迦仏の
 説法を聞くようになっているが、はたしてこんなことができるかどうか。スピ−カ−もなければまたそんな大きな声が出るわけがない。
 
 すなわちこれは釈尊己心の衆生であり、釈尊己心の十界であるから、何十万集まったと言っても不思議はないのである。
 されば宝塔品の儀式も観心のの上に展開された儀式である。われわれの生命には仏界という大不思議の生命が冥伏している。この生命の力および状態は
 想像もおよばなければ、筆舌にも尽くせない。しかし、これをわれわれの生命体の上に具現することはできる。現実にわれわれの生命それ自体も冥伏せる
 仏界を具現できるのだと説き示したのが、この宝塔品の儀式である。」
 
 すなわち、私達の生命の中には、仏界という生命が冥伏している。しかし、この生命の力の及び状態というものは、想像も及ばない。文字で表す事も
 困難である。この文字で表せない、到底、筆舌に尽くしがたい仏界という生命が、我々衆生の生命に涌現されるという事を、宝塔涌現という形をとって、
 説き顕したと説明されている。従って、空中に宝塔が涌現するというのは、我が己心に、宝塔が涌現するという事になるのである。我が己心、すなわち、
 我が生命自体が虚空であり、大宇宙の縮図である。我が生命に妙法蓮華経という宝塔が涌現する事を、この宝塔品は力説しているのである。

  更に戸田前会長は、次のように講義されている。すなわち、
 「釈尊は宝塔の儀式をもって、己心の十界互具、一念三千を表しているのである。日蓮大聖人は同じく宝塔の儀式を借りて、寿量文底下種の法門を一幅の
 御本尊として建立されたのである。されば御本尊は釈迦仏の宝塔の儀式を借りてこそおれ、大聖人己心の十界互具一念三千 ― 本仏の御生命である」と。
 私自身、十代後半期に、宝塔品が解らず苦しんだ事があった。そんな時、この宝塔とは末法に於いては御本尊であり、御本仏の生命であるとの戸田前会長の
 講義を読んで、まさに電撃的な感動を受けた事を、未だに鮮かに記憶している。

107美髯公:2011/06/19(日) 21:56:27

  宝塔について、同じ様に疑問に思った人が、実は七百年前にも居たのである。それは、有名な阿仏房という人で、日蓮大聖人が佐渡流罪中に弟子になって、
 純真な心で日蓮大聖人に仕えた人である。阿仏房は、「一体、あの様な宝塔の儀式は、何を表しているのでしょうか」と、大聖人にお尋ねした。
 それに対する答えは、釈尊の説法を聞いた声聞が「法華経に来て己心の宝塔を見ると云う事なり」とされ、更に「今日蓮が弟子檀那又又かくのごとし、
 末法に入つて法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして
 我が身又多宝如来なり」(P.1304 ⑥) というものであった。また「然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり」(P.1304 ⑨) と
 いわれ、別世界に宝塔があるのではない。阿仏房あなた自身の生命が宝塔なのだ、と答えられている。

  さて御義口伝では、この宝塔についてどのように説かれているのか。本文を見ると「宝とは五陰なり塔とは和合なり五陰和合を以て宝塔と云うなり」(P.739 ⑫)
 とある。
 まず、宝塔の「宝」には、五陰という意味がある。五陰とは、色・受・想・行・識の五つの陰であることはいうまでもない。この内、「色」は色法、「受」
 「想」 「行」 「識」が心法になる。それ故、五陰は色心不二の生命を、五つの角度から立て分けたものという事になる。最初に「色陰」であるが、この“色”は
 「いろ」とか「かたち」とをもって存在している事物全般を指している。現代的にいえば、物質的存在であり、我々の生命でいえば肉体を意味している。
 また、これを「色法」ともいうのは、肉体も物質も、全て“法”に従って出来上がっているからである。たとえば、我々の、眼、手足などが、ある一定の
 秩序と法則を持って、我々の肉体を構成しているのも、“法”に則っているからである。それ故に“色法”というのである。更に「色陰」の“陰”には
 “集まる”という意味がある。つまり、我々の肉体も物質も、様々なものが集まって、出来上がっているという事である。

 私は、この“陰”という言葉の中に、仏法の卓越したものの見方がよく現れていると思う。肉体も物質も、共に様々なものが集まり離合集散しつつ、「いろ」と
 「かたち」を持った我々の知覚できる存在としてあると捉えるのである。その捉え方の中に、全てのものを流れに即して、変化の動きに即して見ていこうと
 する所に仏法のものの見方の特色がある。この点に大いに意を留めていきたいと思う。たとえば、我々の肉体は、瞬間瞬間に新陳代謝や細胞分裂を繰り
 返しながら、しかも一定の「いろ」と「かたち」を維持しつつ、様々な機能を発揮しているのである。

108美髯公:2011/06/20(月) 20:44:16

  次に「受陰」とは、“受”には“受け入れる”という意味がある。すなわち、外界にあるものを生命に受け入れていく事である。現代的にいえば、
 感覚、知覚、感情などの言葉が、この「受陰」の中に入る。厳密に言えば、感覚、知覚、感情のそれぞれの意味は異なるのであるが、仏法においては
 「受」の集まりとして一括して捉えるのである。逆にいえば、今日でいう感覚・知覚・感情などの機能が集まったものが、外界を受け入れる「受陰」の
 意味なのである。

  次に「想陰」であるが、これは「受」で受け入れたものをイメ−ジとして思い描く働きをいう。今日でいう、表象や想像などがこれにあたる。
 たとえば、美しい景色を見てこれを心の中に受け入れると、そこに何らかの感情が起こる。これが「受陰」である。ところが、我々の精神活動は、これだけに
 尽きない。景色を見て受け入れた事が縁となって、様々な方面に活動する。かつて似たような景色を見た事を記憶の中から呼び覚ましたり、将来もっと
 美しい景色を見れる場所に行こうと考えたり、流れる雲を見て幼き日を回想したり、まさに様々な想いが次から次へと飛び交うであろう。
 これ「想陰」なのである。

  また「行陰」は、想いから起こる行動への意志である。心の中で従って行くか背いて行くか、向かうか退くかなど行動を起こす前の様々な心の働きを
 行陰というのである。
 最後に「識陰」というのは、受・想・行を起こす根本の意識をいうのである。“識”は思慮分別の働きの事をいう。
 但し、仏法でいう“識”は、我々が通常使用している意識という言葉よりも、もっと深い意識下の世界を含めていっているのである。それ故、五陰でいう
 「識陰」は、六識、七識、八識、九識までを含んでいる。従って、思慮分別やその他様々なその人の傾向性などの集まったものとして「識陰」というのである。

  さて、五陰のそれぞれの説明は以上の通りであるが、「塔とは和合なり五陰和合を以て宝塔と云うなり」(P.739 ⑫) とある通り、人間をはじめ、生命と
 いうものは全部この五陰が和合していなければならない。五陰和合が生命成立の条件である。「色陰」の物質だけでは生命とはいえない。これに、受・想・
 行・識が和合して初めて“宝塔”すなわち尊厳なる生命となるのである。この事は、最近の科学が明らかにした「生命の起源」 「生命の発生過程」にも
 該当する点が多く、興味深い。

109美髯公:2011/06/21(火) 23:12:33

  地球において生命が誕生していったその過程は、まず色陰が最初であったといえる。やがて、それが外界のものに対して受陰、受け入れるという働きや、
 外界に反応するという想陰・行陰を生み出し、やがて識陰を持つものへと進化していったに違いない。この識陰が形成される事により、一つの生命体としての
 昇華が起こったものと思われる。このように見てくると、仏法の五陰という考え方は、現代の科学的成果をも包含してあまりある、卓越した発想法を
 持っているように思えてならない。私は科学者ではないので専門家から見れば、かなり大雑把な言い方であろうが、仏法の如実知見したものの捉え方が、
 いかに深遠な哲学的内容をはらんでいるかを認識する一助になればよいと思っている。

  さて、角度を変えて、我々の生活の場面における具体的事例に則して、五陰を捉えてみたい。現実の生活、活動に於いて五陰の和合した衆生の根本は、
 いうまでもなく「識陰」である。なぜなら、人間が行動を起こす場合は、まず思慮分別から始まるからである。つまり、対象を思慮し判断して、対象に
 何らかの意味を持たせ、それを縁として行動を起こすのである。その次に「受陰」が働く。対象の持っている意味を考えないで、受容する事はない。
 例えば、路傍に花が咲いているとする。その花を見た時に、家に飾りたいとか病気の人に上げたいなどと、様々な意味を感じる。その次に、受陰が起こる。
 受陰は、花の匂いをかいだり、美しさに見とれたりしている状態である。次々、「想陰」が起こる。その花を部屋に飾った時の様子や見舞いに花を上げた時の
 病人の嬉しそうな顔などを想像して自らの行動の輪郭を描くのが想陰である。

 次に「行陰」すなわち、花を今にも採ろうとする心が働く。同時に、誰かに見つけられて怒られるかも知れないと考えて、止めようとの心も働く。
 つまり、先ほど述べた、向かうか退くか、従うか背くか、の心が働くのが行陰である。そして、この行陰から「色陰」が出てくるのである。
 天台大師は「色は行によって感ずる」という意味の事を述べている。つまり、たとえば、その花を採ろうと思ったり、止めようと思ったりする一瞬の
 行陰によて、色陰即肉体の行動を実感するという事である。つまり、行の中に、その人の動かんとする決意の中に、すでに行動があるという事である。
 これは、信心の場合に於いても同じことである。座談の場に行こうか退こうか ― この一瞬の行陰が、実は自分の行動を決めているのである。
 以上、種々の角度から、色・受・想・行・識について論じてきたが、ともかく、五陰が和合して衆生の生命の運行があるのであり、生命それ自体が宝塔に
 他ならないのである。

110美髯公:2011/06/22(水) 21:44:55

  日蓮大聖人の仏法は生命論であり、人間の仏法である。汝自身の生命に、我が胸中にこそ宝塔があると説いた生きた法門なのである。それを、経文上の
 事と思って、自らの人生と無関係な事と考えたり、何か非現実的なものとみなしたりすると、大変な誤りを犯す事になる。大聖人の仏法をこのように、
 真実の人間の仏法、生命論として明確に位置づけたのは、申すまでもなく恩師戸田城聖先生である。「仏とは生命なんだ」との、あの獄中の悟達から仏法の
 生命論的な展開が始まった事を我々は改めて銘記したい。

  次に「此の五陰和合とは妙法の五字なりと見る」(P.739 ⑫) とある。これが「見宝塔」という事である。
 この「見る」という点が大事である。我々の立場からいえば「見る」とは「信心」と約すのである。すなわち信心によって、我が生命が妙法の当体である
 事を見るのである。「御義口伝」の宝塔品の項の直前に「恒沙の仏を見る」という所がある。ここにも「見」とある。そして、「見」について「見の字之を
 思う可し仏見と云う事なり」(P.739 ⑨) と説明されている。すなわち、見宝塔の「見」とは、仏の知見という事である。では、我々における仏の知見とは、
 一体何か。結論から言えば、仏知見とは信心に他ならない。信心が即悟達なのである。従って、御本尊に向かって題目を唱える ― その時、汝自身の
 生命=宝塔の中に、釈迦・多宝の二仏は並坐するに違いない。同時に、十方分身の諸仏も涌現するに違いない。否、本門の儀式をもってすれば六万恒河沙の
 菩薩が涌現するのである。また、迹化の菩薩等も涌現するのである。

  この我が生命の荘厳なる儀式を見る事を「見」というのである。それ故に「見」とは、ただ信心の二字以外にないのである。この御本尊に向かって題目を
 唱えるという事が、それほど荘厳な儀式である事を、改めて慈覚していきたいものである。

111美髯公:2011/06/23(木) 22:25:41

                            = 十二、「有七宝の事」について =

  次に「第二 有七宝の事」についての講義に移りたい。
 この宝塔品に説かれた宝塔は、その四面がいたるところ七宝で飾られている。七宝とは先に述べた通り、金、銀、瑠璃、硨磲、碼碯、真珠、玫瑰という
 輝くばかりの宝物である。当時、最高に価値ある物とされていたに違いない。しかし、もはや宝塔そのものが生命の中にあるものであってみれば、七宝も
 生命を飾る宝として捉えていかなくてはならない。

  そこで日蓮大聖人は「七宝とは聞・信・戒・常・進・捨・慙なり」(P.739 ⑯) と仰せになっているのである。
 金、銀等の宝が“世間”における財宝であるのに対し、聞、信等は“出世間”における七宝なのである。従って、この七宝は七法財といわれ、仏道修行の
 上で不可欠の要件とされている。

  「聞」とは「聞法」の事であり、正しい仏法を聞く事を意味している。釈尊の弟子は「声聞」といわれたが、その本来の意味は「仏の声を聞く人」と
 いう事である。仏の説法を聞いて発心をし、修行をし菩提への道を歩んだのである。釈尊滅後、弟子達がその金言を「如是我聞」といって経典として
 後世に伝えた事はあまりにも有名である。「如是我聞」の「聞」が深い意義をはらんでいる事は、序品の「第一 如是我聞の事」で述べてので参照して
 いただきたい。また「一念三千法門」に「此の娑婆世界は耳根得道の国なり以前に申す如く当知身土と云云、一切衆生の身に百界千如・三千世間を
 納むる謂を明が故に是を耳に触るる一切衆生は功徳を得る衆生なり」(P.415 ⑬) と述べられている。

 つまり、我々の住む現実の娑婆世界は、耳で一念三千の法門を聞く事によって成仏得道できる国土世間であるということである。従って成仏の教えを
 説き明かした法華経では「聞」の重要性が随所に述べられている。たとえば法師品にいわく「是の諸の化人、法を聞いて信受し随順して逆わじ」と。
 同じく法師品にいわく「法華経を聞かずんば仏智を去ること甚だ遠し」と。このように仏道修行の第一歩が「聞」から始まる事は明らかである。
 我々もまた日蓮大聖人の仏法を知り得たのは、座談の場であり、仏法対話の場であった。耳から聞いた未聞の哲理の光が、暗愚の生命にさしこむ事によって、
 我々は信心の心を発くことができたのである。すなわち「聞法」は次の「信受」へと向かうのである。

112美髯公:2011/06/26(日) 23:37:24

 法華経で最も強調されているのはこの「信」という事である。また日蓮大聖人も「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、
 信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす」(P.1244 ⑭) と仰せのように、「信」こそ仏法実践の根本の在り方であり、成仏の要諦であると
 教示されている。このように法華経や大聖人の仏法で「信」が強調されている背景には、この法を信ずる人を絶対に欺かない哲理としての確信がそこに
 貫かれているからである。日寛上人の「三重秘伝抄」には「法華経を信ずる心強きを名づけて仏界という」とあるように、妙法を信じる心が、仏法を
 開くのであり、これこそ我が生命を飾る至高の宝にほかならない。

  次に「聞」とは、防非止悪の義 (非を防ぎ悪を止める) で、仏法を修行する者の守るべき規範の事である。戒の内容は経典により差異があり、
 複雑多岐にわたっているが、大きく分ければ小乗戒と大乗戒になる。小乗の戒は外からの規制によって苦の因となっている煩悩を滅しようとするものであるが、
 大乗の戒は小乗戒のように罰則の規制を設けず、自律、自主、利他の精神を内容としている。更に末法に於いては、受持即持戒といって、南無妙法蓮華経の
 御本尊を受持する事が、そのまま防非止悪の戒の本義を成就する事になるのである。

  「定」とは「禅定」の事で、心を一処に定め雑念を払い、安定した境地に立つ事である。そのような不動の境地はどのようにして体得されるかというと、 御本尊への微動だにしない信心に立つ事によってである。御本尊に帰命しきった人は、いかなる風波があろうとも揺るがない安定そのものの境地となって
 いるのである。
 
  「進」とは「精進」の意である。「依義判文抄」に「無雑の故に精、無間の故に進」と述べられている。すなわち、自身の一生成仏と広宣流布を目指し、
 余事を雑えない信心で常に成長と前進を続けて行く事である。この間断のない向上への一念が魔を断破し生命を法性へと近づけるのである。
 「聖人御難事」の「月月・日日につより給え・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(P.1190 ⑪) との御文を己が生命に刻印したい。

113美髯公:2011/06/27(月) 22:23:53

  「捨」とは、一往はこの身を仏法のために「捨てる」という意である。だが、日蓮大聖人はもう一歩深い境地の上から「御義口伝」に「是の身を捨てて
 仏に成ると云うは権門の意なり」(P.731 ⑬) と仰せになり、真実の「捨」とは「此の身を捨(ほどこ)す」と読まなければならないと教えられているのである。
 自己に対する執着を捨てて、他者の苦しみと同苦し他者の幸福のために自分の命を施して行く利他の戦いが「捨」なのである。これが大乗仏法の骨髄であり、
 地涌の菩薩の生き方なのである。

  「慙」とは「慙愧」の事で、自ら造った罪業を恥じるという事である。この「慙愧」について涅槃経には三つの意義が説かれている。
 一つは、自ら罪を造らない事を慙とし、他を教えて罪を造らせない事を愧とする。
 二つは、内心で自らの非を恥じる事を慙とし、自らの非を発露して恥じる事を愧とする。
 三つは、人に対して恥じる事を慙とし、天に対して恥じる事を愧とする。
 そしてこの「慙愧」のないものは、もはや人とはいえず畜生であるという。逆に「慙愧」がある故に、父母師長を尊敬するという最も人間らしい心が
 触発され、我が身を飾るのである。

  「曾谷殿御返事」(P.1056 ③) には「法華文句」の「既に未だ真を発さざれば第一義天に慙じ諸の聖人に愧ず即是れ有羞の僧なり」との文を引かれ、
 仏法の道理を知り得ない自己の未熟さを恥じる僧は有羞の僧であり、その恥じる心を持った僧こそ真実の僧であると述べられている。
 仏法の道理はいかなる声聞の智慧をもってしても知る能わざる所のものである。その道理を自分のものとするために、絶えず自己の信心を省みて、自己を
 変革していかなければならない。そこにはじめて偉大な成長が遂げられるのである。故にこの「慙」という姿勢もまたわが生命を飾る宝といえる。

  以上のように、根本的には「聞・信・戒・常・進・捨・慙」の七法財は、仏道修行の上で心すべき内容をいっているわけだが、更に広い意味でいえば、
 この七つの宝は人間として備えるべき七つの条件ではないか、とも考えられる。人間革命への過程は、必ずこの七つを経ているからである。
 そこで、今度は「聞・信・戒・常・進・捨・慙」の七法財に、人間が人間であるための七条件という視座から光をあてて考えていきたい。

114美髯公:2011/06/28(火) 22:13:13

  「聞」とは、文字通り人の言葉を「聞く」という事である。人類の歴史の上からみても「初めに言葉ありき」といわれているように、人間の意思として
 最初に表現されたのは言葉であって文字ではない。また「御義口伝」には「経とは一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く声仏事を為す之を名けて
 経と為す」(P.708 ⑨) とまで仰せになっているのである。人々の苦しみの声、喜びの声、希望に満ちた声は勿論の事、一賢哲の言動も、一凡愚の叫びも
 悉く経文なのである。それらの「経」の高低は別として、ともかく一切衆生の言語音声を聞く事が出来るということは、自己の生命の中に様々な人々の考え、
 発想を受け入れる事が出来ることを意味している。そして、それらを正しく価値判断し、人生の智慧として活用していけるのである。もし、人の言葉に
 耳を傾けようとしなかったらどうなるだろうか。その人は我慢偏執の虜となり、独善的で協調性のない不幸な人間になってしまう事であろう。
 自己の狭い信条に囚われた頑固さは、人間としての成長を図る上で決してプラスにはならないのである。

  また「信」とは、人間への信、生命への信である。この人間と人間との間が、信に貫かれていることほど尊いものはない。
 また逆にいば、何も信じられなくなった人は最高に不幸な人といえる。太宰治の『走れメロス』は、二人の友人の揺るぎない信が、人間不信に陥った絶対者の
 醜悪な心までも覚醒させてしまう力を備えた最高な行為である事を描いたものである。ところが現代社会はどうか ― 砂漠のような人間関係が広がっている。
 それは人間への信が失われているからにほかならない。「信」という字は「人の言」と書く。信とは疑わないという事と同時に、真実の言葉を述べるという
 意味を持っているのである。つまり「信」の字は、人の言葉は信ずるに足ものでなければならないという事を意味しているといえる。

 現代人が信を失っているという事は、真実を言わず欺く人が、あまりに多くなったということを示している。だが仏法では、そのような言葉を発する五識の
 奥に第九識という尊厳な生命の世界が広がっている事を説いている。それを知っているが故に、我等は根本的に人間を信じ、生命変革の絶え間ない作業に
 挑んでいるのである。このように「信」という行為は、他人の存在を認め畏敬することである。人は一人で存在しているのではない。人と人とが依り合い
 支え合ってこそ人間は人間として生きる事が出来る。この他人の存在を認め、協調していくという信頼関係を復活することが今日ほど求められる時はあるまい。

115美髯公:2011/07/01(金) 20:30:38

  「戒」とは、自分自身を律し、節度ある生活を行なっていく事が出来るということである。外から抑圧的に規制するのではなく、本来そなえている本能や
 欲望を正しくコントロ−ルしていける主体性をいうのである。この「戒」を失えば、動物のように本能のままに生きる卑しい存在に堕してしまうだろう。
 
  また「定」とは、人生に根本的な安定感があるという事である。いかなる峻烈な風雪にもびくともしない大樹のように、根本的な人生の基盤があると
 いうことである。あるいは、前途に対して確かな目的観を持つ事の必要性を説いているともいえる。安定した人生観、目的観を持たない人の人生は、
 あたかも波間に漂う浮き草のように儚い人生である。それは人間として生きているのではなく、死なないでいるだけの存在である。これは「定」の欠落と
 いえよう。

  次に「進」とは、向上心を持ち、常に前進していこうとする姿勢である。人間の人間たる所以は、向上し成長している所にあるといえる。肉体的な成長は
 ある年齢にくれば停止するが、生命はどこまでも成長させる事が出来るのである。どんなに高齢になっても、自身を成長させようとして仕事に取り組み、
 何かを学び取ろうとしている姿には凛とした崇高さが漂っているものである。

  「捨」とは、自分だけの狭い殻に閉じこもるのではなく、人々のため、社会のために自分の命を使い、燃焼させる事である。人は、何か自分の生命を
 賭けて生きているものである。財物に、社会的地位に、趣味やスポ−ツ等に、これらの対象に生命を燃焼させている時は、なんらかの充実感を味わうかも
 知れない。しかし、それは相対の幸福であって絶対の幸福とはいえないのである。所詮、自己のエゴを満足させ、自分自身の小さい殻の中に閉じこもって
 居るに過ぎない。自己の生命を民衆の幸せのために使っていくことによって、自らの生命を拡大させ生命的財産を積む事が可能となるのである。

116美髯公:2011/07/02(土) 22:03:24

  「慙」とは、自分を省みるという事であり、これも人間の重要な特質である。これは単なる過去への反省ではなく、未来への飛躍を込めた強い自覚を
 ともなった姿勢なのである。またこの「慙」とは、他人を意識した“恥”ではなく、本当に自分自身を省みて誓願を起し、更に自己を深めていこうとする
 強い決意、また実践に移そうという決断力ともいえる。従って「慙(は)じる」というのは、弱々しい愚癡ではない。愚癡は祈りもなく、自分の弱さを
 他人に表明する姿に過ぎない。この「慙」というのは、御本尊に自己を反省し、祈り、行動して行く事なのである。こうして順次みていくならば、
 これらの七つの宝の価値を知り、十分に使いこなしていない人が多いように思う。現代社会を覆う様々な矛盾、問題点が、人々が人間として自身を
 錬磨しようとする努力を失っている所に起因している事をみれば、七宝のもつ意義には測り知れないものがある。

  「御義口伝」には「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは有七宝の行者なり」(P.739 ⑮) と結論されている。これは南無妙法蓮華経の一法を持ち、
 実践する人に七宝の価値を使いこなす力が涌現してくるというのである。いかに七宝を持っていても、信心がなければそれは生かされない。このように
 日蓮大聖人の仏法においては、七宝を単に理念として、生命を飾るものとしていっているのではなく、生命の尊厳を事実の上で開き示していく実践規範
 として展開されているのである。

  「又云く頭上の七穴なり」(P.739 ⑮) とは、我々の身体に約して七宝を述べられている所である。二つの目、二つの耳、二つの鼻の穴、一つの口と
 あらわれている頭上の七穴が実は七つの宝なのである。聞くという働きを備えた耳根はいうまでもなく、見る働きを持った眼眼、においを嗅ぐ働きを
 持った鼻根、飲食物を受け入れる口等は、人間が生きる上で、また価値創造していく上で重要な役割を果たしている。まさに、頭上の七穴は宝である。

117美髯公:2011/07/03(日) 20:28:15

                        = 十三、「如却関鑰開大城門の事」について =

  宝塔品に「釈迦牟尼仏、右の指を以って七宝塔の戸を開きたもう、大音声を出すこと、関鑰を却けて大城の門を開くが如し」とある。
 ここにいう「関」とは「かんぬき」の事であり「鑰」とは錠前(鍵)の事である。つまり、釈尊が七宝塔を開いたさまは、ちょうど大城の門をかんぬきを
 外して、扉を開けた時のように、大きな音がしたというのである。それでは、釈尊はここで何を説き明かそうとしたのであろうか。宋の従義の著といわれる
 「法華三大部補註」には「此の開塔見仏は蓋し所表有るなり」として、次のようにある。「何となれば即ち開塔は即開権なり。見仏は即顕実なり。是亦前を
 証し、復将に後を起さんとするのみ。如却関鑰とは、却は除なり、障除こり機動くことを表す。謂く、法身の大士惑を破し理を顕し、道を増し生を損するなり」

  まず「開塔」は「開権」を、「見仏」は「顕実」を表す。法華経の流れからいえば、先の法師品から引き続いて弘教の功徳を説き流通を勧めてきたが、
 当品において七宝の塔が大地より涌出し、塔中から多宝如来の「釈迦牟尼世尊、所説の如きは皆是れ真実」という称賛の大音声が聞こえてくる。
 この段階では、宝塔はまだ閉じられたままである。その後、宝塔が開かれ釈尊が中に入り、多宝如来と“二仏並座”し、やがて本門の説法へと展開して
 いくのである。従って、爾前迹門の「権」を開いて、法華経本門の「実」を表すという深意が「開塔・見仏」に含まれている。「阿仏房御書」に「閉塔は
 迹門・開塔は本門」(P.1304 ④) とある通りである。そして、これは“証前起後”のために説かれたものである。つまり、七宝塔の出現の儀式には「前を
 証し」 「後を起こす」の二意がある。「前を証し」とは、多宝如来が「皆是れ真実」と大音声を放ち、法華経迹門の教説が真実であると証した事であり、
 「後を起こす」とは、後の本門寿量を説き起こすための遠序である事を意味している。

119美髯公:2011/07/04(月) 20:13:30

  「法華文句」には「此の塔は正しく前を証し後を請せんが為に地より涌出す」とある。更に証前については「三周の説法は皆是れ真実なるを証す」とあり、
 起後については「若し塔を開せんと欲せば、須らく分身を集め玄を明かして付嘱すべし、声は下方に徹し、本の弟子を召して寿量を論ず」とある。
 この点からすれば、宝塔を開くという事は法華経における重大な意があるとみなければならない。それは、迹門から本門へと転ずる転機といってさしつかえない。
 しかし、それは単に法華経という教説の展開上の問題ではなく、滅後末法に於いて大聖人が御本尊を図顕する起点として、この儀式を読まれたことに
 留意しなければならない。ここに“起後”の宝塔の真意がある。更に広くいえば、理として我々の生命に仏界という生命が内在していると知る段階(迹門)から、
 その仏界が事実の上に偉大な働きとして表われた段階(本門)への大回転は、その根源の力たる御本尊への深き信と真剣な祈りによって、初めて可能となる
 ことはいうまでもない。

  次に「如却関鑰」について、ここに「却」というのは「除」の意であり「障除こり機動く」ことを表わしている。つまり、自身の生命に仏界を涌現するのに
 妨げとなる種々の障害を除き、成仏の機根になる事をいう。例えば、悩み苦しんで御本尊に祈った、その時、自身の根底の迷いに気づき、不動の人生に
 立つ事が出来たとする。それはまさに「障除こり機動く」に当たる。「機」とは生命の波動である。更に「却」について類例を挙げるなら「法身の大士
 惑を破し理を顕し、道を増し生を損するなり」と。つまり、法身の菩薩が、さまざまな惑を破し、道理を顕わし、また中道の知恵に生き抜き、変易の
 生死を損減させていく姿が「却」に当たるというわけである。大士とは菩薩の事。そして「道を増し生を損する」とは「法華文句」に「道を高に増し、
 生を尽に損す」ともあるように、道増損生の事をいう。道とは中道の知恵であり、生とは変易の生死をいう。

 「三世諸仏総勘文教相廃立」には次のようにある。
 「下位を捨つるを死と云う上位に進むをば生と云う是くの如く変易する生死は浄土の苦悩にて有るなり、爰に凡夫の我等が此の穢土に於て法華を修行すれば
 十界互具・法界一如なれば浄土の菩薩の変易の生は損し変易の生死を一生の中に促めて仏道を成ず故に生身及び生身得忍の両種の菩薩・増道損生するなり」
 (P.571 ⑦) 変易の生死とは、二乗・菩薩の苦しみ、迷いの事であるが、それは観念の妄執と考えてよい。死の絶望感に取り憑かれたり、人間生命に本来的に
 備わった煩悩の罪悪感に取り憑かれたりして、自らを観念の世界に縛ってしまい動きがとれない状態を、我々もよく経験するが、これなども変易の生死に
 当たるのではないか。

120美髯公:2011/07/05(火) 20:14:32

  最近、こんな体験を聞いた。仮りにAさんとしておこう。家族の病気や事業の失敗などが重なって、Aさんは絶望状態に陥った。あれやこれやと
 考えるのだが八方塞がりでどうしようもない。眠れないままに、御本尊に向かい題目を唱えていた。夏の事だったので窓を開けていた。午前四時頃に
 なると、真っ暗だった周囲が次第に白みかける。それまで闇の中に溶け込んでいた樹木や草花が、はっきりと形を見せ始める。そして、鳥がさえずり、
 活気が伝わって来る。暗から明へ、死から生へ ― 太陽の運行と共に自然・宇宙のリズムは確実に回転している。Aさんは、その悠大で確実なリズムに
 気づいた。たとえ、自身がどのような絶望状況に追い込まれていようとも、その自身を包み込んで宇宙・自然のリズムは回転している。大きな生命の流れの中に
 抱かれている自身を発見したAさんは、頭上を覆っていた絶望の暗雲が一気に晴れたような爽やかさにひたっていた。

 それからのAさんは、絶望に打ちひしがれた重苦しい気持ちで題目を唱えるのではなく、希望に満ちた軽やかな唱題に励んだ。こうしてAさんは、現実の
 問題の一つ一つにに挑戦する勇気を甦らせ、解決に当たっていったのである。これは一人の体験に過ぎないが、Aさんなりの増道損生を果たしたといって
 よいだろう。さまざまな迷いや妄執を破し、自身の人生に目覚めていく ― この人間革命しゆく道程を増道損生といい、それはまさに「関鑰を却ける」事になる。

  さて、日蓮大聖人は、以上のような補註の文を引用した上で、それを更に深く生命論として展開されていくのである。「御義口伝」には次のように
 述べられている。まず「関鑰とは謗法なり無明なり」(P.741 ⑭) と。先に述べた通り「関」はかんぬきであり「鑰」は錠前=鍵の事である。
 それを、大聖人は謗法であり無明であると断じておられる。そして「開とは我等が成仏なり」(P.741 ⑭) と。つまり、謗法や無明を開いていくからこそ、
 我々が成仏するという事を表わしている。煩悩、九界を開いて仏界を顕現していく ― その際の「開」とは、信心の二字なのである。
 逆に閉じたままというのは、成仏に向かっていない、また妙法に向かっていない、無明、謗法の中にまだ眠っている。この眠りを打ち破って、
 開いていく所に成仏がある。ところで、この「開」という発想は、実に重要であると思う。自分自身の中にあるものを開いていく、つまり自身の生命の
 中に存在する仏の生命を開いていくという事であるが、こうした発想は西洋の哲学や宗教には見当たらない。

121美髯公:2011/07/06(水) 21:57:34

  次に「大城門とは我等が色心の二法なり大城とは色法なり門とはロなり」(P.741 ⑭) と仰せになっている。すなわち「大城門」とは、我々の生命それ
 自体であると読まれている。「門とはロなり」とは、我々の色法を表現するところのロである。冷たいとか暑いとか、苦しいといった心法を表現するロで
 ある故に「門」であり「心法」を表わしているといえる。ここにおいて明らかなように「大城門を開ける」とは所詮、我々自身の生命を開く事に他ならない。
 「阿仏房御書」に「然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房」(P.1304 ⑨) とあるように、宝塔というも決して我々の生命とは別の世界にあるのではなく、
 一個の人間生命を表わしている。自身が宝塔であり至上の仏性を備えた当体であると覚知する事が仏法であり、それ以外にはない。この比類ない尊厳観に
 立って生命を見る事、それが成仏であり迷えば無明という事になる。

 他の「御義口伝」には「所謂南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり」(P.787 ⑩) と述べられている。我々が自行化他の仏道修行として
 創価運動に身を挺しているのも、結局は自身の宮殿を磨く人間錬磨の実践なくしては、真実の幸福はありえないからである。いくら外面を飾っても、
 内面がバラックでは仕方がない。「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時無明の惑障劫けて己心の釈迦多宝住するなり」(P.741 ⑮) と仰せの通りで
 ある。更に「関鑰とは無明なり開とは法性なり鑰とは妙の一字なり」(P.787 ⑯) と、重ねて述べられている。ここに「鑰とは妙の一字なり」とある点に
 注意しておきたい。つまり、無明・煩悩の中にこそ、我々が成仏出来る鍵があると断じておられるのである。これは煩悩即菩提、生死即涅槃、無明即法性と、
 生命の大転換を示した仏法の原理である。しかも、その大転換の鍵は「開とは信心の異名なり」(P.716 ⑫) 別の「御義口伝」にあるように、御本尊への
 真剣な祈りと実践にある。

  「法華玄義」には「秘密の奥蔵を発らく、之を称して妙と為す」とある。この文を引かれて大聖人は「謗法不信の関鑰を却けて己心の仏を開くと云う事
 なり」と示されている。つまり「開仏知見」の本意がここにある。所詮「如却関鑰開大城門」というのは、さまざまな謗法不信の関鑰を退けて、己心の仏界を
 涌現しゆく事を示した経文と解せるのである。法華経方便品に「諸仏世尊は衆生をして仏知見を開かしめ」云々とある。この仏知見を開く鍵は信心以外に
 ない。悩み苦しみの当体かも知れない。しかし、それを開いていく鍵もまた、悩み苦しむ我々の生命の中にある事を知らねばならない。

122美髯公:2011/07/08(金) 23:49:10

 また我々は地獄界の門、畜生界の門、餓鬼界の門という、さまざまな門を持っている。全ての門が閉ざされて、地獄界の門だけが開いている場合もあろう。
 そうした中にあって、大城門の幸福の門、つまり仏界を開いていくのは信心なのであると銘記したい。御本尊に向かって題目を唱える時、あらゆる煩悩・
 苦悩を打ち破っていく活力が湧き、大城の門を開く事ができるのである。重く閉ざされた生命の扉を開く。この「閉」から「開」へという展開こそ、仏法の
 主眼がある。「我等が一身の妙法五字なりと開仏知見する時・即身成仏するなり」(P.716 ⑫) と。我々自身の生命こそが妙法の当体であり、尊極無比の
 仏性を備えている当体であると射抜く事 ― それが「開」であり、成仏という事である。こうした視点から仏法を見ていく時に、宝塔の儀式も実に身近な
 ものとなってくる。仏法は決して高遠な哲理の彼方にあるのではなく、我々自身の肉団の中に、最も身近な所にあると分かってくる。

 同時に「貴賤上下をえらばず」一切の人間を七宝塔とみる事ができるかどうか、そうした生命の尊厳に立てるかどうか、が最も重要なのである。今日の
 社会が現世主義に冒されて生命の軽視の風潮に覆われているのを知る時、こうした仏法の生命観がいかに重い意味を持っているかに改めて気づくのである。
 このところ、異常な事件が続発し、しかもその動機が犯罪の凶悪さに比して、余りにも単純な所から、よく“理由なき犯罪”と呼んでいるが、その根因は
 結局の所、自分及び他人の生命の重さを実感できないために起こる、いわば“生命の犯罪”といってよいだろう。生命が病んでいるのである。
 従って、生命それ自体を治療する以外に現代社会の病は治療できない。なればこそ、それはまさしく宗教の分野であり、なかんずく仏法の生命変革の原理に
 立ち戻る以外にないと主張しておきたい。

 我々が展開している創価運動とは、その意味から一人が一人の生命を開く“生命の運動”であり、生命の尊厳観を定着させて行く時代即応の運動であると
 いえる。経済革命、政治革命も必要である。しかし、その根底に人間を人間に即して、生命を生命に即して総体的に捉えながら推し進める人間革命が
 なければ、部分観に陥り徒らに分断と対立を生み、つまる所、生命そのものを軽視する風潮へと流れ込んでしまう事を厳に戒めていきたい。

123美髯公:2011/07/09(土) 22:17:00

                          【 “宝塔”の意義について 】 担当:創価学会教学部長 原島 嵩
                         〜「御義口伝」の宝塔品を中心に 〜

                            = 一、はじめに =

  前回と重複する部分もあるが、まず宝塔及び宝塔品の概要を経文に添って述べておこう。
 法華経見宝塔品第十一では、冒頭から「爾の時に仏前に七宝の塔あり」と、高さ五百由旬の七宝の塔が大地より涌出し、虚空にかかった事が説かれている。
 そして、その宝塔の中に釈迦・多宝の二仏が並座し十方分身の諸仏をはじめ、迹化他方の大菩薩・二乗・人天の大衆が連なって、実に不思議かつ荘厳な
 虚空会の儀式が展開されるのである。まず、この宝塔には東方の宝浄世界から来た多宝如来が中にいて大音声を発して次のようにいう。
 「善い哉善い哉釈迦牟尼世尊、能く平等大慧、教菩薩法、仏所護念の妙法蓮華経を以って、大衆の為に説きたもう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊、
 所説の如きは、皆是れ真実なり」
 
 すなわち、釈尊がこれまで説いてきた法華経の教えは、皆真実であると証明したのである。一座の大衆は、虚空にかかった七宝の塔といい、その宝塔の
 中から発せられた大音声といい、まさしく未曾有の出来事であると驚き、歓喜し、立ち上がって恭敬合掌した。その時、大衆の心を代表して大楽説菩薩が
 宝塔涌現の因縁を釈尊に問う。その願いに応じて釈尊は三変土田を行い、十方分身の諸仏を結集した後、自ら座を立って虚空に住し宝塔を開く。
 そして、有名な二仏並座の儀式に入る。経文では、次のように述べている。
 「爾の時に多宝仏、宝塔の中に於いて、半座を分かち、釈迦牟尼仏に与えて、是の言を作したまわく、
  釈迦牟尼仏、此の座に就きたもうべし。
  即時に釈迦牟尼仏、その塔中に入り、其の半座に坐して、結跏趺坐したもう」

124美髯公:2011/07/10(日) 21:02:02

 次いで、釈尊は一座の大衆をも神通力をもって虚空に引き上げ、ここに宝塔品の儀式が整って、いよいよ「三箇の勅宣」の説法に入るのである。
 三箇の勅宣とは、釈尊が一座大衆に向かって滅後の法華弘通を三度にわたって勧め命じた事をいうが、経文を挙げれば次の通りである。
 「 ― 大音声を以って、普く四衆に告げたまわく、誰か能く此の娑婆国土に於いて、広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり。如来久しからずして、
  当に涅槃に入るべし、仏此の妙法華経を以って付嘱して在ること有らしめんと欲す」

 以上が第一の勅宣の文である。この中の「付嘱して在ること有らしめん」について、天台大師は二意ありとして、次のように述べている(法華文句巻八下)。
 「一に近く在ること有らしむとは、八万二万の旧住の菩薩に付して此土に弘宣せしむるなり。二に遠く在ること有らしむとは、本の弟子下方千界微塵に
 付して、触処に流通せしむるなり」
 すなわち、第一に迹化の菩薩に付嘱してこの娑婆世界に弘宣せしめ、第二に本化地涌の菩薩に付嘱して本縁の国土に流通せしめる、というように二意ありと
 しているのである。もとより、本意は第二にあり、従って天台は「寿量を発起するなり」と釈し、この宝塔品は法華経如来寿量品第十六を説き起こすための
 用意であるととしたのである。

  次に第二の勅宣の文は、
 「爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく」から「諸の大衆に告ぐ 我が滅度の後に誰か能く 斯の経を護持し読誦せん 今仏前に
 於いて 自ら誓言を説け」に至る個所である。
  第三の勅宣の文は、
 「多宝如来 および我が身 集むる所の化仏 当に此の意を知るべし」から「諸の善男子 我が滅後に於いて 誰か能く 此の経を受持し読誦せん 今仏前に
 於いて 自ら誓言を説け」に至る個所である。この第三の勅宣の文の中に、有名な「六難九易」の譬えが説かれている。これは滅後に於いて法華経を
 受持する事の難しさを、六難と九易を対比させる事によって浮かび上がらせたものである。ちなみに列挙すると、次の通りである。

125美髯公:2011/07/11(月) 20:29:27

  まず九易を挙げると、
 ①余経説法易・・・法華経以外の無数の経を説く事は易しい
 ②須弥擲置易・・・須弥山を接って他方の無数の仏土に擲げ置く事は易しい
 ③世界足擲易・・・足の指で大千世界を動かして遠く他国に擲げる事は易しい
 ④有頂説法易・・・有頂天に立って無量の余経を演説する事は易しい
 ⑤把空遊行易・・・手に虚空・大空を把って遊行する事は易しい
 ⑥足地昇天易・・・大地を足の甲の上に置いて梵天に昇る事は易しい
 ⑦大火不焼易・・・枯草を背負って大火に入っても焼けない事は易しい
 ⑧広説得通易・・・八万四千の法門を演説して聴者に六通を得させる事は易しい
 ⑨大衆羅漢易・・・無量の大衆に阿羅漢位を得させて、六神通をそなえさせる事は易しい

 以上が九易であるが、いずれも実現不可能な難事であるように思われる。しかし、そうした難事よりも滅後の法華弘通は更に難事であるとして、六難を
 挙げている。
 六難は次の通り、
 ①広説此経難・・・仏の滅後に悪世の中で法華経を説く事は難しい
 ②書持此経難・・・仏の滅後に法華経を書き、あるいは人に書かせる事は難しい
 ③暫読此経難・・・仏の滅後に悪世の中でしばらくでも法華経を読む事は難しい
 ④少説此経難・・・仏の滅後に一人のためにも法華経を説く事は難しい
 ⑤聴受此経難・・・仏の滅後に法華経を聴受してその義趣を質問する事は難しい
 ⑥受持此経難・・・仏の滅後によく法華経を受持する事は難しい

 以上のように滅後における法華弘通は難事中の難事である事を明言しつつ、三箇の勅宣が行なわれるのである。そして後に「此の経は持ち難し 若し暫くも
 持つ者は 我即ち歓喜す 諸仏も亦然なり」等々と、その難事を越えてよく滅後に法華弘通に耐えうる者を、大いに称賛し、宝塔品は終わっている。

126美髯公:2011/07/13(水) 22:13:23

                             = 二、大御本尊こそ宝塔 =

  それにしても、宝塔の涌現といい、三世十方分身の諸仏の来集といい、六難九易を含む三箇の勅宣といい、この宝塔品には実に不可思議な事ばかりが
 説かれている。いずれも我等凡愚の理解と想像を越えるものばかりだが、いったい釈尊は、ここで何を説こうとしたのだろうか。その真意が分からなければ、
 それがいかに壮大な構想力を持っているとはいえ、現代風にいえば単なる未来空想小説に過ぎなくなってしまう。

  実は宝塔品は、時空を越えた広大深遠な生命のドラマであった。しかもそれは、現実の真っ只中に展開されるドラマなのである。すなわち、かの宝塔は
 仏法の奥底からみるならば、我々衆生の生命に冥伏している仏界を表そうとしたものに他ならない。我々が想像もつかない偉大な仏界の生命が、我が己心に
 涌現する事を、説き明かそうとしたものなのである。虚空とは、まさしく宇宙生命の縮図たる我等が己心を指している。我等衆生の心地である無明の大地から
 仏界が踊出するさまを、釈尊は力説しているのである。

 同品に、この宝塔は法華経を持ち説かれるところ、いつ、どこであっても涌現するとあるが、その意味においてまさしく現実に涌現するのである。
 だが、滅後において法華経を受持し説くといっても、それは至難の業であると知らねばならない。三箇の勅宣が示す通りである。つまり、六難九易という
 難事中の難事を行じうる法華経の行者の出現がなければ、宝塔を打ち立てる事は出来ないのである。ここに、我々は日蓮大聖人の存在の、唯一絶対なるを
 知るのである。結論からしていうなれば、滅後において六難九易という想像を絶する苦難を忍ばれて、一閻浮提総与の大御本尊を建立されたその事実を
 もってはじめて、宝塔は厳然と我々の眼前に蘇ってくるのである。日蓮大聖人は、あの荘厳な宝塔の儀式を借りて、御本仏としての生命を大御本尊という
 一幅の曼荼羅に認められた。この大御本尊を受持し境智冥合しゆく時、我等が己心に妙法華経の宝塔が、事実の上で涌現するのである。従って、宝塔品は
 大聖人の出現を得て初めて、その実の姿を顕わすところとなる。同時にまた、大聖人にとっても、宝塔品は極めて重要な法門の一つとなっている。

127美髯公:2011/07/14(木) 21:58:02

  佐渡ご流罪中に著わされた人本尊開顕の重書である「開目抄」には、特に六難九易を中心とした三箇の勅宣に当たる部分からの引用が数多くみられる。
 例えば、
 「当世・日本国に第一に富める者は日蓮なるべし (中略) 大海の主となれば諸の河神・皆したがう須弥山の王に諸の山神したがはざるべしや、法華経の
 六難九易を弁うれば一切経よまざるにしたがうべし」(P.223 ②)
 あるいは、
 「日本国に此をしれる者は但日蓮一人なり。これを一言も申し出すならば (中略)、 三障四魔必ず競い起こるべしと・しりぬ、(中略) 宝塔品の六難九易は
 これなり」(P.200 ⑨)

  大聖人ご在世当時は、権実雑乱の時代であった。そこで大聖人の当面の課題は、諸宗に執着していた当時の人人をして法華誹謗こそが堕地獄の原因であり、
 社会の混乱の要因である事を知らしめることにあった。だが、そのことを一言でも言い出せば三障四魔が紛然として競い起こる。「父母・兄弟・師匠に
 国主の王難必ず来るべし」(P.200 ⑪) である。すなわち、六難九易の経文通りの苦難を忍ばねばならない。だが大聖人は、その苦難を「今度・強盛の
 菩提心を・おこして退転せじと願しぬ」(P.200 ⑯) と、敢然と受けて立たれたのである。なぜか。末法万年に渡る一切衆生のために宝塔を打ち立てんとの、
 大慈大悲の決意を固めておられたからに他ならない。だからこそ「日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲の
 すぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし」(P.202 ⑧) と言明されているのである。

 いわば日蓮大聖人お一人のみが宝塔建立の当事者であらせられ、従って「日本国に第一に富める者」と確信され「一切経よまざるにしたがうべし」との
 御境地に立たれたと拝せる。すなわち、御自身の法華流布の故の激闘の生涯を一つ一つ経文と照らし合わされ、それが見事に符合する事実をもって、
 大聖人は末法の御本仏たる大確信に立たれるに至るのである。宝塔品は、まさしく滅後末法を正意として説かれたのであった。そして、大聖人の出現を
 以って、その一文一文が虚妄でなかった事が実証されたのである。先に述べた通り、六難九易の上に初めて宝塔が打ち立てられるのであるから、
 当然宝塔の儀式そのものもまた、滅後末法を正意として説かれた事になる。それは、いうまでもなく大聖人による本門戒壇の大御本尊建立に繋がって
 行くのであるが、その前に宝塔涌現のもつ意義について、少しみておこう。

128美髯公:2011/07/15(金) 22:20:14

                          = 三、“証前の宝塔”と“起後の宝塔” =

  まず“証前の宝塔”と“起後の宝塔”について。これは天台の大師の釈であるが、いう処の証前とは宝浄世界から来た多宝如来が三周の説法、すなわち
 迹門を真実なりと証明する事であり、起後とは後の本門、なかんずく寿量品を説く起こりになる事をいう。法華文句巻八下に「此塔は正しく前を証し後を
 請せんが為めに地より涌出す」とある。更に証前については「三周の説法は皆是真実なるを証す」とあり、起後については「若し塔を開せんと欲せば、
 須く分身を集め玄を明かして付嘱すべし、声は下方に徹し、本の弟子を召して寿量を論ず」とある。
 
 大聖人は「阿仏房御書」で、この証前起後について、次のように述べられている。
 「天台大師文句の八に釈し給いし時・証前起後の二重の宝塔あり、証前は迹門・起後は本門なり或は又閉塔は迹門・開塔は本門」(P.1304 ④)と。
 多宝如来が宝塔の中から「皆是真実」と大音声を発した時は、まだ塔は閉じられたままであった。その後、三変土田を行ない十方分身の諸仏を結集し、
 釈尊、自ら座より起って虚空に住し塔を開くのである。経文を挙げると「是に釈迦牟尼仏、右の指を以って七宝塔の戸を開きたもう、大音声を出すこと、
 関鑰を劫けて大城の門を開くが如し」の個所である。

  さて、証前の宝塔において迹門を真実なりと多宝が証明したことは、どういう事を意味しているのか。所詮は、三周の声聞が法華経に来って、はじめて
 己心の宝塔を見るという事だと、大聖人は示されている。すなわち、爾前の経において永不成仏と弾呵され続けてきた二乗の衆生が、法華経に至って
 自身の生命の中に宝塔という仏界の生命を涌現させた事を意味していると仰せなのである。本来、二乗の衆生は小乗経の空論・無常観に迷い込んで、
 自身の内部の煩悩を滅する事のみに囚われ、仏の大乗の智慧を知ろうとしなかった衆生である。また仏法を他に向かって説いてはきたが、自ずからの生命に
 実践する事のなかった衆生である。そうした二乗の生命の傾向生を察知した釈尊は、二乗を不作仏と弾呵せざるを得なかったのである。

129美髯公:2011/07/16(土) 21:31:15

 つまり、仏法の究極の目的が成仏という最高の幸福境涯の確立にあることを知らず、従って成仏したいと思わなかった二乗は、仏法を己心の外に
 行ずるばかりで、自身の生命変革・一生成仏への実践が欠けていたわけである。その二乗が、法華経に於いて成仏の記別を受ける。これを信解品では
 「無量宝聚 不求自得」― すなわち無量の宝聚を求めずして自ずから得たり、と説いているのである。このように二乗の衆生もまた、我が己心に宝塔を
 涌現させる事ができたのである。これが“証前の宝塔”の元意である。

  考えてみれば、我々もまた「無量宝聚 不求自得」の歓びを感じぜざるを得ないのである。たとえば病気を治したい一心で御本尊を持った人もいるだろう。
 あるいは経済苦を解決したい一心で信心を始めた人もいるだろう。それぞれ身近な悩みを機縁にして御本尊を受持したに違いない。しかし、御本尊に縁し
 題目を唱えていく事によって、おうした身近な悩みは解決することはもちろんの事として、実は自分でも想像していなかった無上の境涯を求めずして自得
 できたのである。従って大聖人は「今日蓮が弟子檀那又又かくのごとし」(P.1304 ⑥) と仰せになっているのである。ここで留意しておきたいことは、
 仏法を我が生命に行じ実践しているかどうかである。たとえどのような深い学識があったとしても、自身の生命を変革していこうという信心の根本姿勢が
 なければ、成仏は思いもよらないという事である。

  有名な「一生成仏抄」の一節に「仏教を習ふといへども心性を観ざれば全く生死を離るる事なきなり」(P.383 ⑩) とある。ここにいう「心性を観ずる」とは、
 末法今時においては“受持即観心”で、御本尊に向かって題目を唱える事に他ならないが、その修行を通して我が己心の中にこそ妙法蓮華経という宝塔が
 涌現すると確信する事が大事である。同じく「阿仏房御書」に「末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり」(P.1304 ⑥) と
 仰せの通りである。

130美髯公:2011/07/17(日) 21:09:11

  次に“起後の宝塔”とは何か。結論をいえば「これ寿量品の遠序なり」(P.211 ①) とあるように、如来寿量品第十六を説き起こす遠序である事は、先に
 述べた。ところで、これは“開塔”の段であるが、塔を開くに当たって十方分身の諸仏が結集する。すなわち、釈迦・多宝の二仏並座に加えて、
 この分身諸仏の来集をもって“開塔”が可能となるわけであるが、それはまさしく令法久住のためであると経文には説かれている。「三仏の未来に法華経を
 弘めて未来の一切の仏子にあたえんと・・・・」(P.236 ⑰) ― すなわち御本尊を信受する者のために“開塔”したというのである。令法久住のためには
 三世十方の分身諸仏の来集が必要であった。いうまでもなく付嘱の対象であるからである。釈迦・多宝の二仏、および三世十方の諸仏は、それぞれ法報応の
 三身を顕している。多宝が法身、釈尊が報身、そして分身諸仏が応身を示している。この三身が一身に具足した姿がなければ、仏の全体像は顕れない。

  日蓮大聖人は、久遠元初の本有無作三身如来の当体として、末法にご出現になった。従って、この大聖人のご出現がなければ、仏法は事実の上で
 広まらないのである。この久遠元初の本有無作三身如来は、本門寿量品の文底に至って初めて説き明かされるのであるが、この宝塔品においてその一端に
 触れている事が、釈迦・多宝の二仏並座、十方分身の諸仏の来集の姿からうかがい知る事ができる。

  本門に至って従地涌出品第十五で、釈尊は本化地涌の菩薩を召し出した。そして釈尊の仏法の要中の要たる寿量品を説き起こしたのである。天台大師が
 「本の弟子を召して寿量を論ず」としているのは、このことである。とまれ“起後の宝塔”は滅後の令法久住を本意として説かれたものであり、寿量品の
 遠序と位置づけられるのである。

131美髯公:2011/07/18(月) 23:43:28

                              = 四、此経難持について =

  かくして、釈迦・多宝の二仏が並座し、さらに十方分身の諸仏が来集し、迹化他方の大菩薩・二乗・人天の大衆が連なり、後の本門の儀式をもってすれば
 六万恒河沙の菩薩も涌現する ― 大聖人は、この荘厳な儀式を借りて大御本尊を御図顕遊ばされたのである。「あまりに・ありがたく候へば宝塔をかきあらわし・
 まいらせ候ぞ」(P.1304 ⑬) と述べられている通りである。そして、その大御本尊を持ち題目を唱える我々の己心に涌現する宝塔というのもまた、かくも
 荘厳なものであると確信したい。題号の「見宝塔品」の“見”とは、まさしくそうした我が生命の荘厳な儀式を見る事に他ならない。また“見る”とは、
 我々にとっては信心の事である。信心によって、己心の宝塔の涌現を見るのである。

  「釈迦一代五時継図」の中で、大聖人は宝塔品の最後の文を引かれて、我々御本尊を受持した者の立場を次のように述べられている。「宝塔品に云く『此は
 経は持ち難し若し暫くも持つ者は我則ち歓喜す諸仏も亦燃なり、是の如き人は諸仏の歎め給う所なり是則ち勇猛なり是則ち精進なり是を戒を持ち頭陀を
 行ずる者と名く、則ち疾く無上の仏道を得と為す能く来世に於て此の経を読み持たんは是真の仏子なり』云云」(P.644 ⑰) と。我々は、この持ち難き
 末法の法華経たる寿量文底の南無妙法蓮華経を持つ事ができた。「若し暫くも持つ者は」とは、我々の立場でいえば御本尊を信受し題目を唱えていく者は、
 ということになる。その人は「我」すなわち釈尊が歓喜する。諸仏も歓喜する。全宇宙の諸仏が、ことごとく歓喜するというのである。

132美髯公:2011/07/20(水) 23:14:14

 我々の日々の勤行・唱題は、それほど厳然たる座であると確信すべきである。「是則ち勇猛なり是則ち精進なり」と。ここにいう勇猛精進とは信心唱題で
 ある。勇猛とは精進。「敢で為すを勇と言い智を竭すを猛と言う」― つまり勇敢にして信心に励み尽くすを勇猛というのである。また精進の「精」とは
 無雑、「進」とは無間の謂である。余事を雑(まじ) えず、御本尊を信じて専ら題目を唱え抜く事が精進なのである。このように信心強盛にして妙法弘通に
 邁進する人を、諸仏は賛嘆するのである。

  そして、御本尊を受持する事自体が、実は戒を持ち頭陀行を行ずる事にもなる。戒とは、「防非止悪」の義である。つまり身口意にわたる悪業を断じ、
 一切の不善を禁制する事をいう。また頭陀行とは、身心を修練して衣・食・住に関する貧欲などを払い除く修行で十二種あるとされている。もともと戒とは、
 仏教教団における初期の頃に定められた規範であるが、今日でいえば自己規制と考えてよいだろう。また、末法に於ける唯一の戒は、金剛宝器戒という
 戒である。これは御本尊をひとたび持ったならば、その生命は絶対に壊されない、すなわち受持しきるという戒である。「教行証御書」に「此の具足の妙戒は
 一度持って後・行者破らんとすれど破れず是を金剛宝器戒とや申しけん」(P.1282 ⑪) と。しかも、この戒は「妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を
 集めて五字と為せりこの五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや」(P.1282 ⑩) とあるように、御本尊を受持しきるという事の中に、一切の万行万善を
 修せずとも、その功徳が全て納まっているのである。

133美髯公:2011/07/24(日) 22:01:23
                          = 五、「御義口伝」にみる宝塔の意義 =

  次に、日蓮大聖人の「御義口伝」の文によって、宝塔及び宝塔品の意義について、若干触れておきたい。まず「譬喩品九箇の大事」の中の
 「第七 以譬喩得解の事」に次のようにある。「我等衆生の五体五輪妙法蓮華経と浮び出でたる間宝塔品を以て鏡と習うなり、信謗の浮び様能く能く之を
 案ず可し自浮自影とは南無妙法蓮華経是なり云云」(P.724 ⑨)
 ここで五体とは、両手両足、そして頭。五輪とは地輪、水輪、火輪、風輪、空輪、いずれも我々の身体をあらわす。すなわち、我々のこの身体が妙法蓮華経の
 当体であり、その我等衆生の生命を照らし出す鏡こそ、宝塔品の儀式を借りて事実の上に御図顕遊ばされた大御本尊なのである。信ずるにしろ誹謗するにしろ、
 その結果それぞれどういう現象が顕われるかという事は、この鏡によって分かるのである。結論するに、自らの影を自ら浮べる鏡とは南無妙法蓮華経の
 事だと心得べきだと仰せなのである。従って「宝塔品を以て鏡と習うなり」の宝塔とは御本尊と読むべきであり、明鏡の中の明鏡こそ御本尊なのである。

  宝塔を御本尊と読む事については、戸田前会長の『開目抄講義』の下巻に明快に示されている。前回の時にも引用して述べたが、今一度確認のために
 再録しておきたい。
 「迹門の流通分たる宝塔品において、多宝塔が虚空にたち、釈迦・多宝の二仏が宝塔の中に並座し、十方分身の諸仏、迹化他方の大菩薩・二乗・人天等が
 これに連なる、所謂、虚空会の儀式が説かれている。これは一面から考えればはなはだ非科学的のように思われるが、仏法の奥底よりこれを見るならば、
 きわめて自然の儀式である。もし、これを疑うならば序品の時にすでに大不思議がある。数十万の菩薩や声聞や十界の衆生が悉く集まって釈迦仏の説法を
 聞くようになっているが、スピ−カ−もなければ、またそんな大きな声が出るわけがない。しかして八年間も、それが続けられるわけがない。

134美髯公:2011/07/26(火) 22:56:40

 すなわちこれは釈尊己心の衆生であり、釈尊己心の十界であるから、何十万集まったと言っても不思議ではないのである。されば宝塔品の儀式も観心の
 上に展開された儀式である。我々の生命には仏界という大不思議の生命が冥伏している。この生命の力および状態は、想像も及ばなければ筆舌にも尽くせない。
 しかし、これを我々の生命体の上に具現することはできる。現実に我々の生命それ自体も冥伏せる仏界を具現できるのだと説き示したのが、この宝塔品の
 儀式である。即ち釈尊は宝塔の儀式をもって、己心の十界互具、一念三千を表しているのである。日蓮大聖人は同じく宝塔の儀式を借りて、寿量文底下種の
 法門を一幅の御本尊として建立されたのである。されば御本尊は釈迦仏の宝塔の儀式を借りてこそおれ、大聖人己心の十界互具一念三千 ― 本仏の御生命
 である」
 
 さらにいえば、日蓮大聖人は「阿仏房御書」の中で「妙法蓮華経より外に宝塔なきなり法華経の題目・宝塔なり宝塔また南無妙法蓮華経なり」(P.1304 ⑧) と
 述べられている。以上のように、宝塔とはまさしく大聖人ご図顕の大御本尊と拝すべき事は明白である。また「自浮自影の鏡」については、伝教大師の
 「修禅寺決」にあるが、鏡が森羅万象をその鏡面に映し出すように、一心に十界三千を現ずる天台大師の観心観法を譬えたものである。我々にとっては、
 一心とは信心の一心であり、すなわち御本尊を信じる事によって自分自身の生命が映し出され、そこに仏界が涌現する事を表わしているのである。

  次に「宝塔品二十箇の大事」に入っていきたい。「第三 四面皆出の事」(P.740 ②) に「御義口伝に云く四面とは生老病死なり四相を以て我等が一身の
 塔を荘厳するなり」と説かれている。
 宝塔品には、宝塔の相を明かして「四面に皆、多摩羅跋栴檀の香を出して、世界に充徧せり」と説いてある。この四面とは、我等が生老病死の四相であると
 仰せなのである。本来、生老病死とは人間生命の根源的な苦悩である。その苦悩をもって「我等が一身の塔」すなわち自身の生命を荘厳するとは
 一体どういう事なのか。

135美髯公:2011/07/27(水) 22:28:54

 たとえば病気。我々が病気故に御本尊を持ち、自らの生命を開拓し、宿命転換ができたとする。そして妙法の仏力・法力を我が身の上に実証しゆく事は、
 まさしく我が生命を荘厳したことになる。「このやまひは仏の御はからひか・そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、
 病によりて道心はをこり候なり」(「妙心尼御前御返事」 P.1480 ①) と述べられている通りである。また死についていえば、大聖人が御本尊を顕される
 機縁になった熱原の法難に際し、神四郎、弥五郎、弥六郎の三人の農民が不惜身命の信心を貫いて首をはねられた。たとえ無名の庶民の死であったとしても、
 彼等の名は“熱原の三烈士”として、七百年後の今日に至るまで日本国中、否全世界に語り継がれている。死が一身を荘厳したのである。

 このように、生きる事、老いる事、病気で苦しむ事、そして死という最大の苦悩さえもが自身の生命を荘厳していく事になる。そこに南無妙法蓮華経の
 偉大な功徳力がある。「我等が生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るは併ら四徳の香を吹くなり」(P.740 ③) とは、その原理をいわれているのである。
 四徳とは、常楽我浄である。常とは、三世にわたって永遠に連続して不滅である事。楽とは、生死、煩悩の苦を明らかに見つめ、それを即、涅槃、菩提の
 楽にしていく事。我とは、仏という無上の我が宇宙に遍満している事。浄とは、染法を離れ、浄法にして鏡の如く清浄な事をいう。我々の生老病死という
 四相それ自体が、ありとあらゆる人々にこの四徳の薫風を与えていく。「四面に皆、多摩羅跋栴檀の香を出して」とは、そうした四徳の香りを表している
 だと、大聖人は仰せなのである。

 さらに「南無とは楽波羅蜜・妙法とは我波羅蜜・蓮華とは浄波羅蜜・経とは常波羅蜜」と。すなわち、我々が大御本尊に帰命し奉り、南無妙法蓮華経を
 唱え南無妙法蓮華経に生き抜く事が真実の安楽であり、楽波羅蜜となる。また「妙法とは我波羅蜜」― 我々の生命の中には我というものが厳然と存在する。
 その我を妙法の当体として輝かして行くという事である。「蓮華とは浄波羅蜜」― 蓮華の特質の一つは、如蓮華在水といって、泥沼の中に華を咲かせる。
 いかなる世界であれ、どんな時代であれ、自分自身が最高の清浄な生き方が出来るという意味である。最後の「経とは常波羅蜜」― “三世常恒なるを経と
 いう”とある通り、自分自身の生命が永遠に続いて行くという事を示している。従って、南無妙法蓮華経と唱える事が、すなわち四徳を我が身に輝かせて
 いくことになるのである。

136美髯公:2011/07/28(木) 23:38:14

  「第五 見大宝塔住在空中の事」(P.740 ⑪) には、次のように述べられている。
 「御義口伝に云く見大宝塔とは我等が一身なり住在空中とは我等衆生終に滅に帰する事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉りて信心に住する処が
  住在空中なり虚空会に住するなり」
 宝塔が空中に住したとは、いったい何を表しているのか。まず大聖人は、この「見大宝塔」とは宝塔が一身の事であり、「住在空中」とはその我等の一身が
 滅に帰す、すなわち大宇宙に帰していく事であるといわれている。そして南無妙法蓮華経と唱え奉り信心に励む我々が住する処が「住在空中」であり、
 虚空会であると結論づけられている。

 ここで大聖人が示されようとしているのは色心不二、生死不二の理法である。見大宝塔とは色法 (健全なる身体) であり、住在空中とは心法 (価値創造しゆく
 知恵、精神) である。また、その色心不二、生死不二の当体として生命が永遠である事を明かされている。所詮、信心の一念とは、我が胸中を指す以外にない。
 それを住在空中、あるいは虚空会と説いているのである。従って我等が空中に住するとは、まさしく御本尊を信受し題目を唱える事によって絶対に
 崩される事のない永遠の幸福境涯に住する事をいうのである。また、宝塔品では一座大衆をも釈尊が神通力をもって虚空に引き上げ事が説かれているが、
 これも我々衆生の滅の相、すなわち死の相を表している。つまり、我々の生命は永遠にこの生と死を繰り返す。この生死の当体である生命そのものを
 変革する事によって、生死を即涅槃と転ずる事ができるとも仰せである (「第十一 摂諸大衆皆在虚空の事」) 。

  考えてみれば、七宝に飾られた宝塔が大地から涌現し虚空にかかったという宝塔涌現、そしてその後に展開される虚空会の儀式とは、まさしく我々の
 生命が生と顕われ、死と顕われ、その生死の相を永遠に繰り返していく、実にダイナミズムを説き起こそうとしたものといってよいだろう。
 しかも、もう一重立ち入って見るならば、その生死の苦海に沈む我々の生命を、いかにして即涅槃と開覚せしむるか ― その大転換のドラマをも暗示して
 いるのである。大聖人は「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は生死即涅槃と開覚するのを皆在虚空と説くなり生死即涅槃と被摂するなり」 
 (P.742 ②) と仰せである。すでに、虚空会の儀式を借りて、大聖人は大御本尊を御図顕された事をみてきた。恐らく大聖人の御心中は、一切衆生が
 この大御本尊を生命の大回転軸として、生死の苦海から永遠不滅の絶対的な幸福境涯に自在に遊戯する人間革命の壮大なドラマを、事実の上に読み取られて
 いたのではないかと拝せられるのである。

137美髯公:2011/07/29(金) 22:08:59

  次に「第八 南西北方四惟上下の事」は、宝塔品において釈尊が白毫相の光を放って四方十方を照らせば、その光の届く所、いたるところで十方分身の
 諸仏が説法している様子が浮かび上がったという個所についての御義口伝である。
 大聖人は、この十方とは十界を顕わしていると仰せである。しかし、白毫相の光とは十界の衆生が共に具えている貪・瞋・癡の三毒の光であると仰せである。
 そして、この三毒の光を「一心中道の智慧」というと結論づけられている。十界の衆生が等しく具えている三毒とは、実は白毫相の光であったというので
 ある。貪(むさぼ)り・瞋(いか)り・癡(おろか) ― この三毒が、なぜ白毫の光となるのか。それが十界の生命の本有の力用だからである。
 
 すなわち、我が身の三毒を転じていく以外に真実の幸福生活はありえないのである。そして、我が生命の三毒と真正面から取り組む以外に、自身の変革は
 ありえないと決定し、信心に励む所にこそ、一心中道の智慧が顕われてくるのである。従って、一心中道の智慧とは煩悩・豪・苦の三道を、法身・般若・
 解脱の三徳と転ずる信心の一心の事である。我々が南無妙法蓮華経に生ききる時に「十界同時の光指す」― つまり十界のそれぞれが、その当体を改める
 事なしに妙法の当体として輝き渡る生活に入る事ができると仰せなのである。

  次に「第十四 此経難持の事」(P.742 ⑮) に触れておきたい。これは「此の経は持ち難し」についての御義口伝であるが、これは我々の信心に於ける
 根本姿勢であると心得ておきたい。大聖人は「此の法華経を持つ者は難に遇わんと心得て持つなり」と仰せである。これを結論していうならば、受けるべき難を
 受けずして成仏はありえない、との御指南なのである。「教行証御書」に「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(P.1282 ②) と、我々の信心の根本姿勢を
 戒められているのは、それ故である。すなわち、我々凡夫が自身の胸中に仏界を涌現しゆくには、難を受けるという厳しい戦いがなければならない。
 難を受ける事によって自身の生命が磨かれ、我が己心の仏界が現じてくる。これは仏法の厳然たる方程式なのである。

138美髯公:2011/07/31(日) 23:25:38

 他の御義口伝では「難来るを以て安楽と意得可きなり」(P.750 ②) と仰せである。また「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を
 持たん人は難に値うべしと心得て持つなり、『則為疾得・無上仏道』は疑なし」(P.1136 ⑤) とも仰せである。このご教示から、ひるがえって我々の信心の
 姿勢を考える時、勇気という特質が何にも増して重要になってくると思われる。我々自身の生命の淵源を直視し、そこに刻み込まれた宿命と対決し、成仏の
 実証を示して行くためには、いかなる苦難に直面しようともそれを敢然と乗り越えて行く勇気ある信心、実践が不可欠の要素であるからだ。
 
 我々はその根本姿勢を、大聖人の御生涯から学ぶ事ができる。「一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ」(P.970 ⑭) ― これは大聖人ご自身の激闘の
 生涯の中で、身をもって会得された信心の精髄から発したご教示であると拝せる。いずれにしても、難を乗り越える勇気がなければ信心の本当の醍醐味は
 味わえないし、また、仏法の真意も到底理解できるものではないと知りたい。従って、我々は信心の根本姿勢の核心に“勇気”を置き、そこから発する
 不動の人生を生き抜いて行きたいものである。

  戸田前会長は、よく次のような意味の指導をされていた。
 「仏法の本質は慈悲である。しかし我々凡夫には、慈悲といってもなかなかそれを実践できるものではない。それに代わるものは勇気である。勇気が慈悲に
 通じるのである」と。実際、苦悩に沈む一人の友を前にして、我々は何をなし得るか。彼の生命を揺り動かせる程の力強い激励の言葉を、どれほど用意
 できるだろうか。また絶望の淵にあってなお“さあ、頑張ろう”との一言を、どれほどの深い響きをもって発する事ができるだろうか。そう考えた時に、
 現実の闇が深ければ深いほど、苦悩の嵐が吹けば吹くほど、信心の確信に裏付けられた勇気という特質が、何にも増して大切になってくるのである。

139美髯公:2011/08/01(月) 21:52:18

 その勇気とは、また自身の宿命を直視し、それと真正面から対決するという方向へ向かうものでなくてはならない。人の常として、ともすれば自身の内面から
 目をそらし、外面を飾る事ばかりに気を奪われがちなものである。蔵の財、身の財より心の財第一 ― これは大聖人の御指南である。社会的な地位や財産、
 あるいは表面的な才知うぃいくら積んでも、内面の心の財を積まなければ砂上の楼閣にすぎないのである。要は、自身の生命に刻印された“一凶”を
 禁ずる勇気を持つ事である。自身が直面する苦悩の根源を見すえ、それに敢然と取り組む姿勢に、真剣な祈りも生まれてくる。その時はじめて一生成仏への
 第一歩を踏み出す事ができる。このように、真の勇気は決意を生み、その決意は信心を深めていく ― この繰り返しの中に一生成仏・人間革命という、
 我々の最高の人生の目的も達成されるのである。

  ともあれ、滅後末法において法華経を受持し弘通する事は難事中の難事である。そして、その仏法の方程式通り、大聖人は六難九易の実践の上に、
 大御本尊という宝塔を打ち立てられたのである。その事に思いを至すならば、大聖人の大慈大悲に心からの感謝の念を禁じ得ない。しかも「今日蓮等の
 類い南無妙法蓮華経と唱え奉る処を多宝涌現と云うなり」(P.741 ②) と。あるいは「日蓮が弟子檀那等・正直捨方便・不受余経一偈と無二に信ずる故に
 よって・此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり・たのもし・たのもし」(P.1244 ⑬) とも仰せである。

  我々が御本尊を受持し唱題に励む姿が宝塔涌現であり、御本尊という宝塔に入る事になると仰せなのである。釈迦・多宝の二仏が並座し、三世十方の
 分身の諸仏が来集し、迹化他方の大菩薩・二乗・人天の大衆が連なった宝塔の儀式とは、まさしく大聖人御図顕の大御本尊の相貌であった。
 すなわち宝塔とは我々の生命を映し出す明鏡たる大御本尊そのものである。そして、御本尊を受持する我々の胸中にも、宝塔は涌現する。我々もまた
 大御本尊という宝塔の中に入って行く事ができるのである。これが宝塔の意義の根底である。
 以上、宝塔の意義について、大聖人の御書をたどりながら考えてきた。まだまだ深い意義が数多くあるが、今回はこの辺で終わる事にする。

140美髯公:2011/08/02(火) 22:34:57

                          【 観心本尊抄と信仰論 】 担当:創価学会副教学部長 碓井 昭雄
 
 一、

  信仰論の視点から「観心本尊抄」を捉え直す。それは私にとっておよそ手に余る作業であった。単に一般的な信仰論についてなら、私にも若干の思索と
 分析が可能であるかも知れない。しかし問題はあくまで、「観心本尊抄」が信仰について、その本質と在り様について、如何なる示教を垂れているか、である。
 当然それは本尊抄の核心についての理解と把握を最低の必要前提として要求する。約(つづ)めて言えば、それは日蓮大聖人の仏法の本義を領得する事に
 他ならない。現実の信仰課題としては、それは必ずしも難事とは言われまい。いわゆる受持即観心 ― 三大秘法の南無妙法蓮華経、すなわち一閻浮提総与の
 大御本尊を受持しる事、それが我々の信仰の出発であり帰結であり、いわば全てである。しかしこれを対象化し問題化する事、言い替えれば言語化、
 論理化する事の困難さは想像を絶するものがある。その結果は容易に察知されるように、本来、本尊抄そのものに明らかであり、また信仰体験のうちに
 各自が明瞭に感得するものについての拙劣な要約にならざるを得ないであろう。以下は試論という程のものでさえなく、ただ私が「観心本尊抄」をいかに
 読んだかの、きわめて私的な覚え書きに過ぎない。これはお断りするまでもない事ながら、やはり一言付け加えておかなければ、と言う思いが強い。

141美髯公:2011/08/04(木) 00:46:22

 二、

  「観心本尊抄」とは如何なる御書であろうか。日蓮大聖人の御生涯において、どのような意義と位置を有している御書であるのか。本抄の御述作は文永十年、
 佐渡一の谷におけるものであり、いわゆる未曾有の国難に遭遇せられた時期である。しかも筆紙窮乏のうちに認められたものである事は、現存の御真筆からも
 窺知し得る事実である。すでに「開目抄」を述作された後、富木胤継、四条金吾等の弟子檀那に与えられた「佐渡御書」において、大聖人は次のように
 追伸されている。「佐渡の国は紙候はぬ上面面に申せば煩あり一人ももるれば恨ありぬべし」(P.961 ⑦) と。このような状況下において述作された本尊抄の
 重要なる意義については、添状として富木胤継に与えられた「観心本尊抄送状」に明確に述べられている。
 
 「観心の法門少少之を注して太田殿・教信御坊等に奉る、此の事日蓮身に当るの大事なり之を秘す、無二の志を見ば之を開★(かいたく 注1)せらる可きか、
  此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳目を驚動す可か、設い他見に及ぶとも三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ、仏滅後二千二百二十余年未だ此の
  書の心有らず、国難を顧みず五五百歳を期して之を演説す乞い願くば一見を歴来るの輩は師弟共に霊山浄土に詣でて三仏の顔貌を拝見したてまつらん」
 (P.255 ③) と。                                         注 1: 開★(かいたく) の★は、衣偏に石

 ここに「日蓮身に当るの大事」と言い、また「此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳目を驚動す可か」と述べられている理由は何であろうか。
 更に、三四並席の誡めめを説かれ、ただ、「無二の志」ある者にのみ「開★(かいたく)」せられるべきであるとして、説くに秘されている所以は何か。
 思うに大聖人御一代の諸述作の中でも、このように御自身、その重要性を強調されたものは、ほとんど他に類例を見ないと言っていいであろう。
 ここで私は添状の冒頭に記された「観心の法門少少之を注して」云々という一句に注目しなければならない。成立史的にみれば、それは「寺泊御書」に
 述べられた、当時大聖人に対して向けられた四項目の疑問への応答であったとされよう。同書に云く「或る人日蓮を難じて云く機を知らずして麤義を立て
 難に値うと、或る人云く勧持品の如きは深意の菩薩の義なり安楽行品に達すと、或る人云く我も此の義を存すれども言わずと云々、或る人云く唯教門
 計りなりと」(P.953 ⑪)

142美髯公:2011/08/04(木) 20:58:07

 ここに「唯教門計りなり」という批難に、特に目を留める必要がある。確かにある意味では、竜の口法難に続く佐渡御流罪以前においての法門は「教門」
 すなわち教相面が前面に打ち出されていたと見られない事はないからである。大聖人御自身、それは明確に意識されていた ― というより、その順次を
 追うて法門を展開された事自体に、甚深の御配慮があったと見るべきであろう。後に「三沢抄」において「又法門の事はさどの国へながされ候いし已前の
 法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」(P.1489 ⑦) と言明せられているのは、何よりもこの微妙甚深の事情を語るものであった。

  「観心の法門」とは何か。通途には、それは「教相」の対語であり、玄義に「教とは聖人下に被らしむる言なり、相とは同異を分別するなり」とあるように、
 仏の所説の教法の相を分別し判釈するものを「教相」というのに対し、その「教相」の肝要、奥底を己心に観じて行く実践修行を「観心」とする訳である。
 ところで、「開目抄」と「観心本尊抄」は、厖大なる大聖人の諸御書の中でも、特に二大柱石と称せられている。「開目抄」に述べられた発迹顕本の重大な
 意義については、本稿では省略せざるを得ないが、「開目抄」は末法下種の人本尊を明かされた御書である。これに対し「観心本尊抄」は、法本尊開顕の
 書であるとされている。別の角度からいえば、「開目抄」が「教の重」とされるのに対し、「観心本尊抄」は「行の重」であるとされるが、共に信仰実践の
 究極の依処であり対象である所の本尊の開眼にかかわった重書である事は、論を俟たない。その中でも、特に法本尊の開顕は、人本尊たる日蓮大聖人の
 滅後、末法の衆生、あらゆる民衆の信仰帰依の対象たるべき処に、その元意があった。

  ここに、すでに日蓮大聖人の仏法が、釈迦仏法からの決定的な飛躍転換をとげたものである事が看取されなければなるまい。本尊抄について根本的に
 その意義を一点の疑問の余地無く闡明されたのは、日寛上人の文段であるといって過言ではないが、その「序」には次のように説かれている。
 「夫れ当抄に明かす所の観心の本尊とは、一代諸経の中には但法華経、法華経二十八品の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底深秘の大法にして
  本地唯密の正法なり。この本尊に人あり法あり。人は謂く、久遠元初の境智冥合、自受用報身。法は謂く、久遠名字の本地難思の境智の妙法なり。法に
  即してこれ人、人に即してこれ法、人法名殊なれども、その体恒に一なり。その体一なりと雖も、而も人法宛然なり。応に知るべし、当抄は人即法の
  本尊の御抄なるのみ」

143美髯公:2011/08/05(金) 21:50:38

 ひそかに考えるに、日蓮大聖人を「久遠元初の境智冥合、自受用報身」すなわち末法下種の主師親三徳具備の御本仏であると拝する事は、いわゆる日蓮門下と
 称する諸門流においてさえ、未だ確立されていない。況や、法本尊の深義については、現に「耳目を驚動」すべき「未聞の事」ではあるまいか。
 「この故に宗祖の本懐これが為に覆われ、当抄の奥義未だ曾て彰れざるなり。故に宗門の流々皆本尊に迷い、或は螺髪応身立像の釈迦を以て本尊と為し、
  或は天冠他受用・色相荘厳の仏を本尊と為す。これ併しながら、当抄の意を暁らざる故なり」(文段・序)
 
 本尊論そのものについては改めて述べたい。ここで「観心」の意義についていえば、それは「教相」との所対の意を含むと同時により根本的には、それが
 日蓮大聖人の全く独自の仏法の創始を示すものであるという観点を強調しておきたいと思う。すなわち、教理面を「教相」とし、実践面を「観心」とする
 通途の意義に於いては、これは必ずしも大聖人の仏法の絶対的な独自性を明らかにするものではない。たとえば天台においても「五時八教」ないし「三種
 教相」が「教相」とされ、されに対し「一心三観・一念三千」が「観心」として説かれている。この意味に於ける「観心」の義は、敷衍していえば、
 あらゆる宗教、思想について普遍的に妥当適用せられるに違いない。

  日蓮大聖人が「観心」にこめられた意義は単にそれのみに止まらない。いわばそれと重複されるようにして、文底下種の法門 ― 大聖人の「内証」を
 もって「観心」の意義とされている事が指摘されねばならない。試みに、文段の一文を引いておく。それは「当家所立の教相観心の相如何」との設問に対し、
 五文を引用して「略してその相を示す」の個所である。
 「二には十法界抄に四重の興廃を明かす。謂く、爾前・迹門・本門・観心なり。第四の観心とは、永く通途に異り、正しく文底下種の法門を以て観心と
  名づくるなり。既に文底下種の法門を以て観心と名づく。故に知んぬ、爾前・迹・本、通じて教相に属するなりと」
 添状に言う「観心の法門」とは、大聖人の仏法の信仰実践のあり様を示す法門という意とともに、それが「永く通途に異る」法門である事の宣言であると
 読まねばならない。

144美髯公:2011/08/07(日) 20:10:33

 しかるに、そこに確立された人・法の本尊観においても、人本尊の開顕はまだしも大聖人の御振舞いの行相そのものによって、一般に領解しやすいとも
 言える点があるのに対し、法本尊の開顕は、より一層の根本的な難信難解なる所以がある。言い換えれば、人本尊としての大聖人の行実については、一往、
 法華経自体が末法出現の「法華経の行者」の相貌として明確に説かれた処に符号し、そこには釈迦仏法との、いわば教相面での連続性が保証されていると
 考えられる。ところが、法本尊はあくまで「人に即してこれ法」であるにもかかわらず、表面的にみる時、そこには教相面での非連続性、断絶性があると
 見られる。

 すなわち、法本尊の相貌は、法華経においても具体的に、特定の文節に明からにされている訳ではなく、大聖人の「内証」の上に把握されたものであり、
 まさに「本地唯密」なるものであった。それは別言づれば、法華経の全体、もう少し狭めて言えば、いわゆる虚空会の儀式の相によって示唆された
 相貌という他はない。ここには「文上教相」に執着する凡智によっては測るべからざる飛躍転換があると言わねばならない。「観心本尊抄」が厳に秘された
 所以はそこにあった。

 もとより、ここで断絶性ないし飛躍というのは教相面からの皮相的な見方であり、観心 (文底・内証) の立場からみれば、それはおよそ仏法というものの
 全体的な、また究極的な帰結である事は、改めて言うまでもない事であった。文段「序」に「これ則ち諸仏諸経の能生の根源にして、諸仏諸経の帰趣
 せらるる処なり。故に十方三世の恒沙の諸仏の功徳、十方三世の微塵の経々の功徳、皆咸くこの文底下種の本尊に帰せざるはなし。譬えば百千枝葉同じく
 一根に趣くが如し」とある通りである。

 あえて言うならば、この断絶ないし飛躍は、より高次の原理によって止揚・綜合されたものであり、いわば発展的連続性と言っていいかも知れない。
 しかし、それにしても、やはりそこには深い意味での飛躍性がある事は疑い得ないであろう。そこに、天台教学の残渣された眼でみる時の、躓きの石が
 あるように思える。
 「草木成仏口決」に云く「一念三千をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり」(P.1339 ⑬)
    さて、しかしすでに序論的な部分で、いささか長くなりすぎたようだ。もはや直ちに本論に入るべきであるが、ただ、私にはこの深い飛躍の意味を
 ぬきにしては、本尊抄に説かれた「信仰論」の本旨を捉える事は、およそ困難なことのように思える。

145美髯公:2011/08/08(月) 21:58:22

 三、

  これまで「観心」 「本尊」または「受持即観心」等について、それらの概念規定、現代的意義については厳密な説明抜きで用いてきた。ところで、
 「観心本尊抄」における信仰論について論ずるに際しては、当然これらの語義が明らかにされなければならない。それは単に説明のための必要という便宜的
 理由からでなく、むしろ「受持即観心」という信仰論の本質的な構造とかかわっている。つまり、本尊抄自体の構成がそれを要請していると言わざるを
 得ないのである。文段に説かれている科段によれば、本尊抄は十一段に分科せられているが、大別すれば、次の三段に分れる。
   大段第一 (第一段 ― 第二段)   一念三千の出処を示す
   大段第二 (第三段 ― 第十段)   正しく観心の本尊を明かす
   大段第三 (第十一段)       総結

 この大段の構成は、私見によれば、きわめて重要な意義を帯びている。しかも、大段の第二において、第六段は「正しく受持に約して観心を明かす」段で
 あり、第七・第八段は略広の立場から「本尊を釈す」段になっているのであるが、更に第九段 (文底下種三段の流通を明かす) においては「観心本尊を
 結成す」る部分があり、それは第十段 (地涌出現の時節を明かす) 中の「正しく本尊を明かす」一節とも連関している。すなわち、この大段第二の論述構成は、
 およそ「観心」 → 「本尊」という方向になっているのではあるが、注目すべきは、その第六段の結論部分と言うべき「正しく受持即観心を明かす」説の
 直前に、「所受の本尊の徳用を明かす」一節が置かれているという事実である。もし構成上の順序のみについて言えば、これはやや不整台ではないかとも
 考えられよう。本尊の「徳用」について論ずる個所は、まとめて第七段以降に置かれるのが自然らしく思われるからである。しかし実はそこに、本尊抄に
 於ける信仰論の特異性が端的に表明されているのである。これに関して、文段には次のような問答が掲げられている。

 「問う、今正しく観心を明かすの下なり。故に応に直ちに観心の相を明かすべし、何ぞ先に本尊の徳用を示すや。
  答う、凡そ当家の観心はこれ自力の観心に非ず。本尊の徳用に由るに方って即ち観心の義を成す。故に若し本尊の徳用を明かさざれば、その観心の相最も
  彰し難しに在り。故に先づ本尊の徳用を示して、後に観心の相を明かすなり」

146美髯公:2011/08/09(火) 21:08:29
 
 私が本論の冒頭に、単に一般の信仰論の範囲に跼蹐する事の妥当でない事を申し述べたのは、この一文によって瞭然であろうと思う。換言すれば「本尊」論を
 前提としない「信仰」論はほとんどその意味を失うと言っても過言ではない。そこで観心とは何か。  改めてそう問いたいと思う。
 本尊抄の全体に於いて「観心」の語が現われるのは、題号の「観心本尊抄」と添状の「観心の法門」の他に、あと二箇所が指摘される。一つは、第六段中の
 「内鑑外適の人を明かす」処で、「答えて曰く、此等の聖人は知って之を言わざる仁なり。或は迹門の一分之を宣べて、本門と観心とを云わず」とある。
 これは文底下種の意に準じて理解せられるだろう。もう一つは、言うまでもなく、大段第二の冒頭の個所である。(第三段、略して観心を釈す)
 「問うて曰く、出処既に之を聞く、観心の心如何。
  答えて曰く、観心とは我が己心を観じて十法界を見る、是れを観心と云うなり」

 出処とはすなわち、大段第一に明かされた一念三千の出処の謂であり、ここでの間は、その一念三千の観心の意は奈辺にあるか、というのである。この答の
 「観心」の意義は、更に究明しなければならない。なぜなら、前に釈迦仏法ないし天台教学からの決定的転換と、私が仮に称した所以は、この「観心」義に
 ついての、いわゆる付文、元意の問題に、実はその一つの有力な根拠を置いているからに他ならない。すなわち「我が己心を観じて十法界を見る」について、
 付文、元意の二義がある。古来、これは付文の辺は台家(天台) の観心、元意の辺は当家(大聖人) の観心と解されてきているが、日寛上人は文段で、更に
 明確なる解明を与えている。
 「若し付文の辺は己心所具の十法界を観見する義なり。弘五上等云云。若し元意の辺は、我が己心を観ずとは、即ち本尊を信じる義なり。十法界を見るとは、
 即ち妙法を唱うる義なり。謂く、但本尊を信じて妙法を唱うれば則ち本尊の十法界全くこれ我が己心の十法界なる故なり」

147美髯公:2011/08/11(木) 20:19:23

  観心とは、天台にあっては「己心所具の十法界を観見する」ことであり、それが「設己心中所行法門」の哲理であった。たとえば、その方軌としては、
 託事観、附法観、約行観という、三種の観法を立てる ― 観念観法である。また、そのための方便として二十五法というものが挙げられる。それは、
 どういうものかというと、具五縁・呵五欲・棄五蓋・調五事・行五法の二十五である。具五縁とは、持戒清浄・衣食具足・閑居静処・息諸縁務・近善知識の
 五縁を具する事。呵五欲とは、色・声・香・味・触に対する五欲を呵る事。棄五蓋とは、貧欲・瞋恚・睡眠・掉悔・疑の五蓋を棄てる事。調五事とは、
 食・眠・身・息・心の五事を調える事。行五法とは、欲・精進・念・功慧・一心の五法を行ずる事。― 思わず、嘆息せざるを得ない。けれども、翻って
 考えるならば、もし観念思索の方軌によって、我が己心に内在する生命の真理を会得しようとするなら、確かに、この程度の修行に驚いてはいられまい。

 哲理としては、天台の立てた観心の原理は素晴らしく、かつ偉大であると称嘆せざるを得ないであろう。たとえば、いかに「閑居静処」 「息諸縁務」が
 事実上、現在の我々に不可能であるにしても、時としてそれがもし可能であったら、という思いはない訳ではない。だが、それは根本的な疑問に逢着せざるを
 得まい。― こうした観念観法は、およそ如何なる時代にせよ、ごく限られた少数者にのみ可能な道であり、はたして一切衆生の仏性を開発するために、
 どのような有効性があるだろうか、と。きわめて卑近な、現実的場面に即して考えてみよう。このような少数の思索者が存在し得るために、どれほどの
 多数の民衆が犠牲にならざるを得ないか。厳に、貴族化した平安仏教の背景には、貧しく救われざる民衆の呻吟があったであろう。

 いや、そう言う風に問題を考えるのは、必ずしも正しい事ではないのかも知れない。少なくも原理として、それが確立される事によって、初めて生命の
 内奥の真理を把握し得る方程式は成立したのであるから。だが、民衆救済をめざす仏法にとっての根本的な問題は、その具体化であり、いわば応用化で
 あるのだろう。大聖人の開顕された法本尊はまさしく、この「一念三千の法門をぐりすすぎたてたる」ものであった。天台の理と大聖人の実と。
 ― そこには決定的な転換があり、それによって末法尽未来際の一切衆生の「観心」が成就し得るに至った。根源的な、あえて言えば、革命的な飛躍が
 あったのだ。

148美髯公:2011/08/12(金) 21:10:57

  仏教とは何か。八万法蔵にどれほど通暁している訳ではない。一個の信仰者としての私自身の実感から言うしかないが、それは帰する処、自己変革の、
 人間革命の法ではないかと思える。そして、あらゆる高等宗教の帰趨する所も、またそこにしかないのだと思える。トインビ−が「究極の精神的実在」と
 言う時、それは漠然たる表現ではあるが、所詮は「己心」に存在する真理の調ではないのか。自己とは何か、エゴはいかにして超克されるべきか。
 この課題への必死の模索と肉薄、そしてその果てに到達した真理の証得。― そこに仏教の出発点があり、帰結があった。
  
  存在としては最も近しいものでありながら、存在論として究めて行こうとすると、果てしもない虚空へ飛翔せざるを得ない哲学的思弁の陥穽から、
 また最も無縁なるものが本来の仏教であった。大聖人の仏法は、あくまで生命存在としての人間、いや、現実の具体的存在である「衆生」の、その生命に
 内在する「本有の妙理」から、一瞬たりとも離れる事はないのだ。「三世諸仏総勘文教相廃立」に云く「一代聖教とは此の事を説きたるなり此を八万四千の
 法蔵とは云うなり是れ皆悉く一人の身中の法門にて有るなり然れば八万四千の法蔵は我が身一人の日記文書なり」(P.563 ⑯)

 さて、もう一度、「自力の観心に非ず」という文段の文に戻ろう。もはや、この文意を誤解される惧れはないと思うのだが、もしかしてこれを、信仰の他力性
 または非主体性というふうに解されるのでは、と言うのが私が最初に抱いた危惧であった。くどいようだが、これは「観心」の「非自力」である所以の
 説明であって、決して「信仰」のそれではないという事を、念のために申し添えておきたい。

149美髯公:2011/08/13(土) 20:26:49

 四、

  話の展開がいささか順逆してしまうが、大段の三段構成は、私には次の様な事を示唆しているように思える。つまり、観心の本尊が明かされる原理的
 前提として、一念三千の法門が惜定されているという事、それによって「観心」と「本尊」の意義が明確になり、そして信仰論としての「受持即観心」が
 結論されるという論理的な構成があると思う。しかしここで一念三千論、その具体的内容としての十界互具論や三世間論に立ち入る余裕はない。
 それは既知の前提として、しばらく「本尊」についての本尊抄の所説を考察してみたい。
 試みに、まず本抄における「本尊」についての言及個所を列挙しておく。

 「爾りと雖も木画の二像に於ては外典内典共に之を許して本尊と為す其の義に於ては天台一家より出でたり、草木の上に色心の因果を置かずんば木画の像を
  本尊に恃み奉ること無益なり」(P.239 ⑬)
 「然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏木画二像の本尊は有名無実なり」(P.246 ⑧)
 「其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏釈尊の脇士上行等の四菩薩文殊弥勒等は四菩薩の眷属として
  ・・・・是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る、正像二千年の間は・・・・未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて
  此の仏像出現せしむ可きか」(P.247 ⑯)
 
 「問う正像二千余年の間・・・・本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す、此の事粗之を聞くと雖も前代未聞の
  故に耳目を驚動し心意を迷惑す請う重ねて之を説け委細に之を聞かん」(P.248 ④)
 「像法の中末に観音薬王南岳天台等と示現し出現して迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して百界千如一念三千其の義を尽せり、但理具を論じて事行の
  南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず所詮円機有つて円時無き故なり」(P.253 ⑪)
 「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」(P.254 ⑧)

150美髯公:2011/08/14(日) 21:29:51

  詳解は省くが、問題点を要約しておきたい。
 第一には、ここに木画二像の本尊、すなわち草木成仏の原理が言及されているという点であるが、これに関連して次の一文を引いておく。
 「木絵二像開眼之事」に云く「法華経の文字は仏の梵音声の不可見無対色を可見有対色のかたちと・あらはしぬれば顕形の二色となれるなり、滅せる梵音声
  かへって形をあらはして文字と成って衆生を利益するなり・・・・法華経を心法とさだめて三十一相の木絵の像に印すれば木絵二像の全体正身の仏なり、
  草木成仏といへるは是なり」(P.468 ⑬)

 不可見無対色とは「心法」であり、可見有対色とは「色法」である。ここから私は「本尊」の本質的原理を規定する事が出来ると思う。一般に、本尊とは
 「根本尊敬」の義である。これはむろん、あらゆる宗教に普遍的に適用し得る定義である。根本尊敬とは、それが信仰者としての人間にとっての根本的規範であり、
 絶対的基軸である事を意味する。この <基軸> をどこに求めるかは、その宗教哲理の本質的な性格を規定するであろう。たとえば、その <基軸> を
 「神」というような超越的絶対者に求める事も出来る。それはキリスト教等の一神教における「本尊」に該当すると言えよう。では端的にいって、大聖人の
 仏法における「本尊」は、如何なる哲理的意義を有するか。それは「不可見無対色」なる「心法」の「可見有対色」なる「色法」への具現化、あるいは
 機械化と言っていい。また、パスカル的な表現を借りていえば、不可視の生命内奥の真理 (それは「九識心王真如の都」とも云われる) の象徴化されたものが
 「本尊」であると言っていい。

 第二に、この中に「本尊」の相貌が現わされている点であるが、これについても類文を引いておく。
 「日女御前御返事」に云く「爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通の
  はたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり、されば首題の五字は
  中央にかかり四大天王は宝塔の四方に坐し釈迦多宝本化の四菩薩肩を並べ普賢文殊等舎利弗目連等坐を屈し日天月天第六天の魔王竜王阿修羅其の外
  不動愛染は南北の二方に陣を取り悪逆の達多愚癡の竜女一座をはり・・・・此等の仏菩薩大聖等総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、
  此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり」(P.1243 ⑦)

151美髯公:2011/08/15(月) 20:38:08
 
 また云く「此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の
 都とは申すなり」(P.1244 ⑨)
 本尊の「相貌」自体は前にも言ったように、法華経虚空会の説法の儀式の図顕化である事が、これによって判然とするであろう。それよりも私は、ここに
 「本尊」とは「本尊の尊形」であるとの義が明かされている点に注目したい。すなわち「根本尊敬」すべき <基軸> はまた「本尊の尊形」― すなわち、
 あくまで生命の内在律である事が言われている。繰り返して言うが、本尊とは己心に具備した、生命本然の力を顕在化したものであるとの意である。

 第三に、この本尊の末法始顕である事、それ故に前代未聞の事であると述べられている点が、特に着目されるであろう。さて、我々の「己心」に存在する
 究極の法としての「南無妙法蓮華経」はまた同時に宇宙生命、すなわち「万法の当体」でもある。宇宙即我の原理は、かくして超越的なるものと内在的
 なるものとの統一原理である。三諦論に配立すれば、宇宙万法の体は「空諦」の本尊であり、我々自体の生命は「仮諦」の本尊であり、その図顕化された
 「大曼荼羅」は中道の本尊と言えよう。この本尊が「久遠元初の自受用身」即日蓮大聖人の生命の顕われたものであると同時に、それは宇宙の根本の「法」
 そのものの現実化でもある事は、「経王殿御返事」の「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」(P.1124 ⑪) の文と、この「是
 全く日蓮が自作にあらず」(P.1243 ⑧) という一節を合わせて考えるならば、容易に領解し得るであろう。いわば、本尊とは超越即内在の結晶化された
 ものであり、ここに日蓮大聖人が大御本尊を末法「一閻浮提」の衆生に「総与」された大慈悲の所以があったと言わねばならない。

152美髯公:2011/08/16(火) 21:22:05

 五、

  ところで、― 私の論述は、直線的な段階式にではなく、グルグルと廻る螺旋状式に展開されざるを得ないのであるが、それは私の不手際の為であるのは
 もとよりとしても、いささか弁明すれば、それが「観心本尊抄」に於ける信仰論の特異性を示唆しているのではあるまいか。ここで私は再び、観心の原義に
 戻らねばならない。元来、観心とは己心の内奥の真理を証得する事を意味するものであった。これまでに明らかにされた本尊の意義を用いていえば、己心に
 実在する本尊を観見・証得する事であると言い換えてもいい。しかし、それは天台流の立場であって、大聖人の「観心」ではない。「若し元意の辺は我が
 己心を観ずとは、即ち本尊を信じる義なり」と。本来自力によって観心すべき究極の法は、本尊として「結晶」しているのであり、それを「信受」する事が即、
 観心であるが故に、文段に「自力の観心に非ず」と言われたのであった。
 
 まさしく「受持即観心」を明かされた本尊抄の御文は、次の通りである。
 「私に会通を加えば本文を黷が如し爾りと雖も文の心は釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を
  譲り与え給う、四大声聞の領解に云く『無上宝聚不求自得』云云、我等が己心の声聞界なり、『我が如く等くして異なる事無し我が昔の所願の如き今は已に
  満足しぬ一切衆生を化して皆仏道に入らしむ』、妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや」(P.246 ⑭)
 この解釈については、文段にきわめて詳細かつ明瞭に説かれている。そこでは、受持の中に、いわゆる総体の受持、別体の受持がある事も述べられているが、
 それは省略して、ただ「四種の力用」(信力・行力・法力・仏力) について注意を促しておく。

  ところで、文段の「序」の「別釈」には、観心の意義について、まず、それが「我等衆生の観心なること」が説かれているが、そこには本尊抄の「此の
 時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」(P.253 ⑯) の文と、大段第三「総結」(第十一段) における「一念三千を
 識らざる者には仏大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(P.254 ⑱) の文が引かれている。
 そして「服せしむ」 「懸けさしめ」とは、即観心であり、「末代幼稚」とは、末法今時の「我等衆生」であると、結論されている。

153美髯公:2011/08/17(水) 19:58:07

 次に、その「我等衆生の観心の相貌如何」との問に対して、次のような問答がある。
 「答う、末法の我等衆生の観心は通途の観心形相に同じからず。謂く、但本門の本尊を受持し、信心無二に南無妙法蓮華経と唱え奉る、これを文底事行の
  一念三千の観心と名づくるなり。(中略)
  問う、凡そ観心とは、正法一千年は最上利根の故に、或は不起の一念を観じ、或は八識元初の一念を観ず。(中略) 何ぞ但信心口唱を以て即ち観心と
  名づくべけんや。
  答う、末法今時、理即、但妄の凡夫の観心、豈正像上代の上根上機の観相に同じからんや。縦い像法と雖も、また一概ならず。(ここで、像法時代に
  あっても、法具の一心三観、臨終の一念三千の深義があり、それはまさに南無妙法蓮華経の信心口唱である事が明かされる)・・・・像法迹門の時、
  尚かくの如し。況や末法本門の時をや。天台大師は心に思惟せざれども、法界に遍照すと釈し、伝教大師は本門実証の時は無思無念にして三観を修すと
 釈する是なり。故に但本門の本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱うべし。これ末法の観心なり」
 
 さらに、次のような問答がある。
 「問う、但信心口唱に即ち観行成就するや。
  答う、但本尊を信じて妙法を唱うる、則ち所信所唱の本尊の仏力・法力に由り、速かに観行成就するなり」
 そして「当体義抄」の次の文が引用されている。
 「所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり、正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は
  煩悩業苦の三道法身般若解脱の三徳と転じて三観三諦即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居身土色心倶体倶用無作三身の本門寿量の
  当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり是れ即ち法華の当体自在神力の顕わす所の功能なり敢て之を疑う可からず之を疑う可からず」

154美髯公:2011/08/18(木) 22:14:00

 ここに「信心口唱」という「受持」の一事によって「観心」が成就する事が明白に結論されている。しかし、それはあくまで「本尊」にかかわってであり、
 まさにそこにこそ受持「即」観心の根本的な秘鑰がある事が強調されねばならない。ここで、やや傍論になるが「即」の内包する構造性とも言うべき
 問題について、少し一般化して述べておきたい。私の考えでは、この「即」の論理は、まさに仏教に独特の発想であり、その意義について考察する事は、
 信仰論の重要課題であると思う。いわゆる相即論は、受持即観心の場合に限らず、煩悩即菩提、生死即涅槃、また無明即法性等々の重要な法門の基礎に
 なっている。これらの「即」は何を意味しているのであろうか。「即」とは「不離」の義であるが、ではたとえば、煩悩に即して菩提と言う命題は具体的に
 どのような事であるのか。煩悩とは、それあるが故に人間に深刻な業苦をもたらすもの、不幸と苦悩の根源である。

 小乗仏教にあっては、それは断尽し滅却すべきものであった。生命に本然するこれらの傾向性を抑制しようとする厳格なる小乗的努力が、遂に灰身滅智の
 思想に到達するのは、いわば必然的な帰結であった。なぜならそれはまたそれあるが故に、人間を人間たらしめているものでもあるから。
 煩悩とは単に欲望や本能の謂ではない。それ自体はむしろ、あらゆる生命的存在が共有しているものである。煩悩とは、それを煩悩と自覚化する事だ。
 これは決して無意味な同語反復ではない。動物の如くその奔放な発露に身を任せて、些かも逡巡遅疑する事のない存在でもなく、また架空に設定された神の如く
 その覊絆から解放されて在る理念的な存在でもない、いわば「中間者」としての人間の本質的な属性であるもの。それが煩悩と言うものだ。
 それを滅却しようとすれば、果ては人間存在それ自体を否定し、無化しなければならない。

155美髯公:2011/08/19(金) 21:03:16

 大乗仏教はこの煩悩に即して菩提、すなわち悟りがあるとした。これは目覚ましい転換である。見事な解決であるという他はない。煩悩とは人間存在の、
 比類ない独自性を示す生命的エネルギ−である。それから離れてはならない。ありのままの自己を凝視し、生かす。全ての価値創造のエネルギ−がそこに
 ある。全ての人間の営為の有意味性がそこにはこめられている。煩悩を肯定せよ。そこにこそ悟りがあるのだ。この大肯定によって人間は本来その在るが
 ままの姿で悟りの当体であり、本覚の仏であるとされる。あらゆる生命存在の奥底に、覚者たるべき普遍的な可能性を発見した事の意味は、筆舌に尽くせぬ程
 大きい。しかし同時に、この本覚思想はともすれば再び、ありのままの自己をそのまま肯定するという安易な道に陥った。我々はあくまで「即」の持つ厳しい
 意味にたえず立ち戻らねばならないだろう。

 菩提も、涅槃も、法性も、そして観心という事も、その原義に還っていえば、本来、容易ならぬ信仰実践の要求されるものである。
 今、我々は根本的には「本尊の徳用」すなわち仏力・法力によってそれを成就するのではあるが、そこには当然、求道実践者としての自己の信行が
 前提されている事を深く自覚せねばなるまい。「即」とは単に止揚・調和の意のみではなく、そこに変革・発展の論理がこめられていると考えねばなるまい。

156美髯公:2011/08/20(土) 21:45:21

 六

  思うに、信仰論としての種々の課題は、この「即」の内包する処に集中し、かつ凝結しているであろう。それは文段に言われた「四種の力用」に関連
 している。これは本尊抄の「受持即観心を明す」段の文についても、また「当体義抄」の前引の文についても、明らかにせられているが、ここでは後者に
 ついての文段の叙述を図式化そてみよう。
  但法華経を信じ    ― 信力
  南無妙法蓮華経と唱う ― 行力
  法華の当体      ― 法力
  自在神力       ― 仏力

 しばしば、信仰は「非自力」すなわち「他力」に依存する受動的な態度であると論じられる事の誤りは、これによって明らかである。信・行それ自体には、
 信仰者の主体的・能動的な決断と選択があり、また持続的な「精進」が厳しく要請せられるからである。
 「一代聖教大意」に云く「今の法華経は自力も定めて自力に非ず十界の一切衆生を具する自なる故に我が身に本より自の仏界・一切衆生の他の仏界・我が身に
 具せり、されば今仏に成るに新仏にあらず又他力も定めて他力に非ず他仏も我等分布の自具なるが故に」
 これは若干ニュアンスを異にした「自力・他力」論であるが、ここにも、信仰というものの本義が、我が生命の本然の力を「触発」するものである事が
 示唆されているであろう。生命内在の本源力が触発されるという事は、まず可能性としての内在力があって発するものであると同時に、それが本尊という
 対境に触れる事によって現実性となる事を意味している。いわば、可能性を現実性に変換せしめる鍵が「正境」への「信」であると言っていい。

157美髯公:2011/08/21(日) 22:47:11

  また、信仰は自己否定ではないかとも言われよう。信仰への機縁には、いわゆる「同執生疑」が必要とされるという事から言えば、確かに外在する
 「対境」への「帰命」は、現在ある意味での、すなわち、即自的な意味での「自己」を「否定」する事に他ならない。しかし、それは日常性に埋没した
 「自己」の否定であり、より高次な次元に止揚された意味での「自己肯定」である、と考えられる。これは、十界論における「六道」から「四聖」への
 脱却という姿勢とも相通ずるであろう。すなわち、根本的な「自己」との出会い、― それが信仰の実人生における意義ではあるまいか。してみれば、
 この「信」は人間としてあり得べき主体的な営為であると言うべきではないか。

  また、信と解の相違が問題になるかも知れない。理解は信仰の基盤ないし前提であろう。しかし、誤解を恐れずに言えば、そこに一つの飛躍なくして
 信仰という事は不可能であろうと思う。なぜなら単なる現象の分析解明によって把握されるものには限界があり、本質的なるものへの参与は、何かしら
 直感的な、生命の奥底からの交流感応によってのみ可能であるからである。理解は静的であり、信仰は動的であると言ってもいい。いずれにしろ、価値を
 創造するエネルギ−は、究極において信の内にのみ存するであろう。さらに、信と受持との関係性はどうか。受持それ自体が、信と行との総合された概念で
 あるが、仮に受持を「行」の面に重点を置いてみるならば、それは「信」の行動化されたものと言い得るだろう。それはまず「合掌向仏」の姿勢として
 現れる。勤行・唱題の意義は、我が生命の内なる仏界の顕現、開発の作業である。

158美髯公:2011/08/22(月) 19:42:11

  「一生成仏抄」に云く「只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨く
 べし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり」(P.384 ③)
 「四信五品抄」に云く「現在の四信の初の一念信解と滅後の五品の第一の初随喜と此の二処は一同に百界千如・一念三千の宝篋・十方三世の諸仏の出る門
 なり」(P.338 ⑮)

 信の最も根本的な意義は、この「一念信解」 「初随喜」の生命的姿勢であろう。また「無疑曰信」というが、それもこの意に解していいであろう。
 本来、我々の生命の究極には、無明と法性との相克が戦われている。法性とは、生命内奥に存在する宇宙生命との合一を求める本源的な欲望であり、
 無明とはその破壊への欲望である。生命はいわば無明、法性の葛藤、相克の場である。時としての無明の秘めた魔的な魅力は我々の理解や分別を粉砕し、
 蹂躙するほどでさえある。ただ、それに対峙し得るのは、我々の「帰命」の一念しかないと言うべきである。それにしても、受持という一行によって
 「釈尊の因行・果徳の二法」が我々に譲与されるというのは、何という素晴らしい事であろうか。思弁や、観念や、道徳律や、精神修行ではない、真実の
 悟道がただ、その「受持」という「行躰」によって成就するという事は。
 つきつめて言えば、この行躰が即信心、即観心の要諦なのだ。

159美髯公:2011/08/23(火) 20:30:47

 七、

  以上は、「観心本尊抄」に即して私が捉えてきた信仰論のあらましである。対境たる「本尊」への「帰命」の一念、その行躰によって、一往、信仰論の
 円環は閉じられ、完結すると言える。しかし信仰者といえども、否、信仰者であるからこそ、その行実は、純粋に信仰世界の中に終るものではない。
 あたかも四聖の中で、二乗から菩薩への更なる自己変革が求められたように仏教の本来の在り方がそうであった。さらに日蓮大聖人の仏法に於いては、
 一際されは強調されねばならない問題である。大聖人の諸御書の中に、仏法と世法との相関について教示された御文がいかに多いかをみても、それは首肯される。
 本尊抄にも「天晴れぬれば地明かなり、法華を識る者は世法を得べきか」(P.254 ⑯) とある。しかし、ここではあまりにも問題領域が拡大するため、
 かつ紙数も尽きかけているので、二、三の問題点を提起するにとどめておく。

  (一) 信仰者としての行動をみる場合、そこに自行化他の二義がある事を看過する事が出来ない。化他とは何か。それは信仰者としての自己が、いかに
 他者と相捗り、相関わるかの問題であると言っていい。これは「合掌向仏」の「帰命」の姿勢 ― いわば信仰の求心的側面と同時に、もう一つの重要な
 側面、信仰実践の遠心的志向についての示唆を与えるものである。ここで私は、いわゆる「菩薩」の元来持っていた意義について想起したい。菩薩とは
 「菩薩大士」ともいわれ、また「菩提薩埵」の略とされるが、そこには自らの完成という求道者的な志向とともに、衆生を救済する義が含まれている。
 
 すなわち、自利、利他の一体化された存在である。また、「十法界明因果抄」に「仏界とは菩薩の位に於て四弘誓願を発す」とある、そのいわゆる四弘誓願
 (衆生無辺誓願度、煩悩無数誓願断、法門無尽誓願知、仏道無上誓願成) においても、あえて分科すれば、第一の誓願は利他の意、第二、三、四は自利の意と
 解されよう。御義口伝に「喜とは自他共に喜ぶ事なり」とあるが、四弘誓願の筆頭に利他の誓願がおかれている事、しかもこの利他とは単に博愛的、道徳的な
 臭味を帯びたものではなく、むしろ自利、利他が相関しあっている事が注目されるべきである。自己という存在を凝視しきって汝自身の胸中の仏界を、
 涌現させる道程が、そのまま利他に通じる ― というより、利他の「行躰」なくして、実は自利も、自己完成もない、というのは仏教の根本的な思想で
 ある様に思える。そこに「自利」という生命の最深部に存在するエゴが、同時にそのまま「利他」に通じて行く所以がある。

160美髯公:2011/08/24(水) 19:41:20

  (二) これは、現実の我々の境遇をいかに捉えて行くかという問題にも通じる。たとえば「願兼於業」という。業の概念は、現在ある我々の全ては、
 自己自身の責任に帰するという厳しい自己責任の倫理の表現であると解されているが、この「業」が「願」に兼ねられるという事は、平たく言えば、宿命論から
 使命論への転換であるとも言えよう。ここに我々の人生の意義が開示されていると言わなければならない。

  (三) 次に、いわゆる社会的実践との関わりが問題とされよう。これは「立正安国論」の問題と関連するが、本尊抄中から依文をあげれば、「当に知るべし、
 此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」(P.254 ①) という文が求められるであろう。
 ここにいう折伏とは「化儀の折伏」を、摂受とは「法体の折伏」を意味している事については、詳述を避けるが「賢王と成つて愚王を誡責し」の文が、
 もとより本尊流布を根本にしながら、仏法思想を基盤にした社会のあらゆる局面に於ける価値創造、すなわち総体革命を意味するものである事は明らかで
 ある。しかも、この社会との関わりは、あくまで個の確立という信仰次元の問題が措定されている事が指摘されなければならない。

 ここに、たとえば政治への関わり方についてみても、政治的なセクトや運動が結局は一過性のものとして終始するのに対して、我々は自らの拠点を
 確立した視点に立って持続的、かつ根源的にそれを問題とせざるを得ない所以がある。その意味で、常に状況に追随して流転する政治主義からは無縁であると
 同時に、ただひたすら、信仰世界への沈潜閉塞によって混濁した現実を厭離する観念主義、諦観主義ともまた最も無縁なるものである。
 ただそこで、私自身の体験をふまえて言うなら、ひとたび我々は現実の政治悪とそれをめぐる権力闘争の限りない葛藤への、心底からの嫌悪と否定と
 断念とを通じてこそ、再びその現実にあえて関わり得るのだという思いは禁じ得ないのであるが。

  (四) 問題は、社会的現実を視る我々の境位がいかなるものであるかに帰する。ともすれば、社会との関わり、総じて我々をとりまく現実との関わりにおいて、
 最も根本的な事柄は、「心地を九識におき修行を六識にせよ」(P.1506 ⑪) という定言であろう。我々は一個の信仰者として、この往復作業によって、
 はじめて自己と自己の生きる現実への肉薄がなされるのであろう。私はあえて「受持即観心」の意味をそこまで発展させて考えたいのである。

161美髯公:2011/08/25(木) 21:08:09

                              【 観心本尊抄講義 】 担当:創価学会 教学部 主任部長 桐村 泰次

                                 一、序 論

  日蓮大聖人の出世の本懐は、大御本尊の御建立にある事は、いうまでもない。すなわち、末法万年の全衆生のために、成仏の法を確立され、その根源の
 体を御本尊として残してくださったのである。“成仏”とは、仏になる事、我が身が仏である成く事である。では、仏とは何かという事については、
 詳しくは、本文に入って、御文を拝しながら述べていく事になるので、ここでは、ただ「最高に完成された人格」とのみ、規定しておく。
 法華経の経文にも「一大事因縁」等として示されているように、一切の衆生を仏にする事こそ、釈尊はもとより、三世のあらゆる仏の、この世の出現する
 根本目的がある。

 従って、成仏の法の究極の体たる大御本尊は、たんに、日蓮大聖人の“出世の本懐”であるに留まらず、一切の仏の“出世の本懐”の志向するところであり、
 一切の仏法の真髄中の真髄なのである。この御本尊の理論的裏付けをなすのが、この「観心本尊抄」である。すなわち、本抄は文永十年五月、佐渡御流罪中に
 したためられたが、これは、弘安二年十月、本門戒壇の大御本尊、一閻浮提総与の大御本尊によって、その真実の体が具現されたといってよい。

162美髯公:2011/08/26(金) 21:10:44

   【大聖人の御一生における位置】

  「観心本尊抄」の勉強に入るにあたって、最初にこの抄が、日蓮大聖人の御一生においてどのような位置を占め、どのような意義をもつものであったかを、
 考察しておきたい。いうまでもなく、「観心本尊抄」は、人本尊開顕の書といわれる「開目抄」に対して法本尊開顕の書といわれ、大聖人の数多い御著作中、
 二大柱石とされる重書である。この人法にわたる“本尊”を、我々はどう考えるべきか。「御義口伝」冒頭の「南無妙法蓮華経」には「帰命」について
 釈され「人法之れ有り人とは釈尊に帰命し奉るなり法とは法華経に帰命し奉るなり」(P.708 ②) と述べられている。ここに、末法においては“釈尊”とは
 文底独一本門の釈尊、すなわち久遠元初の自受用報身如来である日蓮大聖人であって、他の誰でもない事はいうまでもない。また“法華経”が文底独一本門の
 法華経、すなわち大聖人御建立の南無妙法蓮華経である事も論をまたない。

 “本尊”とは帰命すべき対象であり、成仏を目指し仏道修行する者の帰命すべき対象である。成仏を目指す人にとって、その帰命すべき対象、すなわち、
 “本尊”とは「仏の生命」に他ならない。人本尊開顕の書「開目抄」は、日蓮大聖人御自身が、末法の一切衆生に対して主・師・親の三徳を具備されている事を、
 明らかにし、全民衆が帰命すべき仏の生命を顕現した本仏である事を示された書なのである。ところが、では、なぜ“人本尊”だけでは充分でないか。
 なぜ、さらに“法本尊”について、その原理を明らかにし、これを建立しなければならないか。というと、仏の生命を顕現した本仏とはいえ、この現実世界の
 中にあらわれた人間としての生命は、やがて何時かは消滅する。自然界の万物が“成住壊空”を繰り返す様に、人間として生まれたこの存在も、生死の
 変転を免れる事はできない。

163美髯公:2011/08/27(土) 19:59:54

 従って、在世の人々は人本尊としての仏の生命に触れ、これを縁として成仏する事ができるが、滅後の人々は、もはや直接に仏の生命に触れる事はできない事に
 なる。そこで、滅後の人々のために、大聖人の仏としての生命を、そのまま写し人法一箇の当体として建立されるのである。いいかえると、法本尊とは、
 万年尽未来際のためである、といえる。「日蓮がたましひをすみにそめながして・書きて候ぞ信じさせ給へ」(P.1124 ⑪) との仰せは、単に四条金吾一家の
 ためではなく、末法万年の未来の全衆生に向けての仰せと拝さなくてはならない。ここで、先にも述べた様に“本尊”とは端的にいうと、仏の生命に
 他ならないが、仏の生命を、たとえ、菩薩といえ、九界の衆生があらわす事はできない。自ら仏であってこそ、仏の生命を建立する事ができるのである。
 この仏に生命をつくりあらわすという具体的所作は、日蓮大聖人にあっては、あの竜口の法難での発迹顕本ののち、はじめてなされるのである。

  しかし、では、大聖人は、竜口で初めて仏としての悟達を得られたのかというと、そうではない。あくまでも、竜口の発迹顕本という事の意味は、振舞い、
 活動の上の問題であって、内証の悟りにおいて、初めて仏界を覚知されたという事でもなければ、初めて御自身が末法の仏であると悟られたのでもない。
 この故に、竜口の法難の状況及びその前後のいきさつについて、大聖人自らしたためられた御書は「種種御振舞御書」と名づけられているのであるが、
 今簡単に竜口の法難のもつ発迹顕本の意味について述べておきたい。

164美髯公:2011/08/28(日) 21:19:42

   【大聖人の仏界の覚知】

  日蓮大聖人が御自身の内に仏界を覚知されたのが竜口の法難が初めてではないとすると、ではいつなのか、という問題が出てくる。この点について、
 判断のよりどころになるのは「清澄寺大衆中」の次の御文である。「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき、日本第一の智者となし給へと
 申せし事を不便とや思し食しけん明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候いし故に一切経を見候いしかば八宗並びに一切経の勝劣粗是を
 知りぬ」(P.893 ⑨)
 大聖人が虚空蔵菩薩に、ここで仰せられているように願をかけられたのは、清澄寺修業時代の十六歳の頃と伝えられている。「日本第一の智者」とは、
 いいかえると、末法全人類を救済すべき大法を得た人という事である。

 この事は、当時、大乗仏教国は、インドははやくイスラム教によって征服され、西域諸国、中国は蒙古の征服によって滅ぼされ、その仏教も壊滅して、
 日本のみが辛うじて無事であった事 ― もちろん、後に蒙古はこの日本にも攻めてきたのであるが ― と考え合わせるべきである。
 従って 「日本第一の智者」とは、とりもなおさず「世界第一の智者」という事の別称に他ならない。そして「明星の如くなる大宝珠」すなわち「大智慧」を
 賜わって以後、一切経を見るに瞭然となったという事は、その通り 「日本第一の智者」となったという事であり、末法救済の仏となったという事である。
 従って、日蓮大聖人の己心の悟りにおいて、大聖人の成仏は、この十六歳の時、清澄寺に於いてであると結論されるのである。

  では、悟達の後ほとんど直ちに大聖人は、一旦は鎌倉へ出られ、さらに比叡山延暦寺、三井寺、東大寺等々を回って、三十二歳の立宗に至るまで、
 およそ十六年間にわたって修学されている。それは何故か。もはや、自らの成道の為でない事は明らかである。虚空蔵菩薩とは、虚空すなわち宇宙であり、
 宇宙生命から直接、直観的に大聖人は仏界の悟りを得られたのである。おそらく、この時すでに南無妙法蓮華経こそこの「大智慧」の正体であり、
 末法流布の大法である事を覚知されていたに違いない。しかし、ただこの妙法だけを以て、何等それを裏づける文証、理証のないまま当時の人々に説いても、
 納得させる事は不可能であった。そこで、一つは、自らが悟られた大法が釈尊の仏法においてどのように裏づけられるかを確認するため、いま一つは、
 当時の日本に広まっている八宗、十宗の教派がいかなる教理を立てているかを知るために、十六年を費やして修学されたのである。

166美髯公:2011/08/29(月) 21:03:37

 すなわち、この修学は自身の悟りのためでなく、仏法流布と民衆救済のためであったといえる。このことから、現代において仏法を弘める我々にとって、
 学ばなければならない事が何であるかも明瞭である。一つは、自身の仏法への確信を深めるためであり、そこで釈迦の法華経も学ばなければならない。
 いま一つは、現代という時代において人々に影響力をもっているあらゆる思想・学問を知り、そこにいかなる誤り、欠陥、長所、特質があるかを知悉する
 必要がある。これを知ってこそ、現代に仏法を弘める事が観念論でなくなるといえるのである。

167美髯公:2011/08/30(火) 20:05:23

   【発迹顕本の意義】

  従って、発迹顕本の本義をあえていえば、内証の悟りの上での仏界の覚知という事ではなく、現実の振舞いの上で、単に上行再誕としてのそれから、
 久遠元初自受用身の再誕としてのそれへの転換を意味すると考えられる。上行再誕という事は、釈迦の法華経にあるように、滅後末法濁世に法華経を
 流布する地涌の菩薩のリ−ダ−という立場である。それは、少なくとも法華経の文の上からだけでいえば、末法独自の法というより釈迦の教説を中心とし、
 本門の釈迦の弟子 (本化) としての活動である。菩薩という事は、九界の中にある。すなわち、現実社会の中で、先陣を切って法を弘め人々の救済の
 ために戦っていく立場である。

 大聖人の立宗以来、竜口の法難に至るまでの戦いは、自ら時の権力者を諌暁し、折伏の先頭に立たれ、まさに地涌のリ−ダ−、上行菩薩としての振舞いで
 あられた。しかるに、人々は、この大聖人に対し、あらゆる迫害を以て応え、遂に竜口において頸の座という死刑をもって報いたのである。結果的には、
 権力者は、大聖人の頸を斬る事はできなかったのであるが、少なくとも死刑の座にすえたという事は、殺したも同じである。大聖人にしてみれば、
 殺されたも同じであり、上行菩薩の再誕としての為すべき事は全て終わり、その生は終わったという事になる。故に「開目抄」下には「日蓮といゐし者は
 去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・
 みん人いかに・をぢぬらむ」(P.223 ⑯) と言われているのである。

168美髯公:2011/09/01(木) 21:05:13

 この事はまた、そうする事によって、法華経の文が真実である事を証明された事を意味する。釈迦の法華経は、日蓮大聖人の振舞いによってその真実なる
 事が証され、自らの使命を終えるのである。そして、大聖人は法華経の全てを一身に体現した「人法一箇」の仏即久遠元初自受用身としての、新たなる生を
 開始される。すなわち、末法御本仏としての活動に入られたのである。この間、竜口における“光り物”の出現等が、この発迹顕本への確証の裏付けと
 なっている事も見逃せない。というのは「種種御振舞御書」を拝してわかるように、ここでは、そうした内心の問題については触れられず、ただ、諸天が
 いかに大聖人を加護したかを、現象的な事実に即して述べられている。だが、この“現象的な事実”こそ、宇宙の事象が、大聖人の危機に際して、
 大聖人を守る働きをしたという事であり、そこに、末法御本仏として揺るぎない確証を得られるのである。

  ともあれ竜口の法難を機として、以後の大聖人の活動は、今その時の社会にいかにして仏法を弘め、変革して行くかという事よりも、末法万年尽未来際に
 わたる本仏としての法体の確立、弟子の育成に重点が置かれる。その法体確立のための理論的裏づけとして著されたのが「開目抄」であり「観心本尊抄」
 なのである。その本体は、やがて弘安二年に至って本門戒壇の大御本尊としてあらわれるのである。なお、この大御本尊建立の機縁となったのは、
 いうまでもなく熱原法難であるが、その意義について一言しておきたい。なぜ熱原法難が大御本尊建立の機縁になったか。なぜ、たとえば佐渡流罪が機縁に
 ならなかったのか、という問題である。ここで考えるべき事は、熱原法難が、弟子の戦いによって起こった、そして、熱原農民という庶民、自ら汗して
 働き、しかも、なんの社会的地位や財産、権力も持たない人々が真っ向からその難を受け、しかも微塵もたじろがなかった、最初の難であったという事である。
 
 大御本尊は、一機一縁という、個々の信徒弟子に与えられる御本尊と異なり、民衆全てに与えられる御本尊である。従って、民衆にそれを受けとめ、
 守りきるだけの信心の力がなければ、これを顕わす事は無意味である。熱原法難は、弟子に、否、末法の衆生に、これを受け持ちうる条件が整った事を
 証明したものであり、その意味で大御本尊建立の機縁となったと推察される。

170美髯公:2011/09/02(金) 20:09:02

   【題号の含む深義】

  次に題号について申し上げる。それについての日蓮正宗教学からの意義については、第二十六世日寛上人が文段で詳論されているので、ここでは皆さんは
 御存知の事として、重複はさせない。いうまでもなく、本抄の正式な題号は、「如来滅後五五百歳に始む観心の本尊抄」と読む。「如来滅後五五百歳」が
 “時”をあらわし、「始む」が“応”、「観心」が“機”、「本尊」が“法”をあらわしている事は、周知の通りである。この「時、応、機、法」は仏の
 説法について、経文に記される場合、必ず踏まえる大事な条件であるが、総じて一般的に歴史の変革においても、この四つの条件が揃ってはじめて真の
 転換が可能となる歴史変革の一般的かつ不可欠の要因としても捉える事ができるのである。

 ところで、最初の“時”について。「撰時抄」の冒頭に「夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」(P.256 ③) とあるように、日蓮大聖人は非常に
 “時”というものを重視されている。釈迦の仏法では「一時仏住王舎城」というふうにあり、これを戸田前会長は「この一時とは衆生の仏を求める機と、
 仏のこれに法を説こうとする応とが合致した時、と読むべきである」と釈されている。これによると、いつでもよいようであり、そこには歴史的時間の
 観念を重んぜず、普遍的真理を求めたインド的思考がみられるように思われる。

 それに対して、大聖人の仏法は、具体的な形で“時”を強調されている。いまの題号でいうと「如来滅後五五百歳」とあるのが、それである。
 この意味するものは、大集経に記されている第五の五百年、闘諍言訟、白法隠没の時であり、末法の初めという事である。すなわち、釈迦の仏法が隠没し
 人類が新しい救済の法を必要とする時である。従って、この“時”の意味するところは、釈迦の教説との接点であり、仏法の正当性を示すといえよう。
 ところで、この“時”とは大集経によれば「白法隠没」の時であり、法華経の薬王品によれば「閻浮提に広宣流布」する時である。一方で“隠没”といい、
 一方で“広宣流布”というのは、その主語を同じものとすれば明らかに矛盾である。

171美髯公:2011/09/03(土) 20:52:10

 “隠没”するのは釈迦の仏法であり、“広宣流布”するのはそれとは別の新たなる仏法としてはじめて、この矛盾は解消する。しかして「始む」とは、
 日蓮大聖人が、未だかつて誰もあらわした事のない大法を、初めて建立し、後世に残すという事である。しかも、随自意の立場で、これを創始するのであるとの
 意味がこめられていると拝すべきである。「観心」とは、本文中に述べられているように「己心を観じて十法界をみる」(P.240 ①) という事であり、
 我が身即三千、南無妙法蓮華経の当体と覚知する事である。ソクラテスが「汝自身を知れ」という言葉と思考を強調して以来、自己を知るという事は、
 ヨ−ロッパに於いても、哲学の究極的課題とされてきた。

 もっとも、この言葉はデルフォイの神殿に「何ごとも過度にするなかれ」という言葉と共に記されていたもので、古代ギリシャ人の人生の智慧を表した、
 銘とされる。元々は、己れの分際を知れという程度に理解されていたのであるが、ソクラテスは、これこそ哲学の主題であり、人間の課題であるとして
 深みを与えたのである。自己を知るとは、自己を律する力をもつための前提であり、自己を律し、自己を完成に向けて導く事こそ、人間の尊厳性の中核を
 なすものなのである。ちょうど、自然界にいかなる法則が働いているかを知る事が、自然界を利用し征服する“力”を持つ前提となったように、自己の
 生命の内に働いている法を知る事が、自己を律し支配する力を得るための前提なのである。

  人間の自由とは、この“知”に基づくものであり、法則性や力の支配から逃れるところにあるのではない。否、そうした法や力の支配から絶対的に逃れて
 生命として存在するという事は不可能といわなければならない。ただ、法の本体と実態を正しく知った時に、それに合わせて、自在に振舞う事が可能と
 なるのである。

  「観心」とは、根本的自我の覚知であり、究極最高の智慧である。自己を知り、自らを規制し、導いて行く事をしなければ、人間の人間らしさはありえない。
 法華経が説こうとしたのも「諸仏智慧」であり「仏知見」であり「阿耨多羅三藐三菩提」すなわち「無上正遍知」であって、智慧、自己知という点に
 集約される。ただ、この本源的自我はあまりにも深く、大きいので凡夫は己れの知力によって、これを把握する事ができない。理解、把握という事は、
 ちょうど物を包むのに譬えられる。包むものが包まれる物より大きくなければ、包むという事はできない。親が子を理解できるのは、いろんな経験や
 見聞によって、子より大きい人格をもっているからである。

172美髯公:2011/09/04(日) 19:53:50

 我が身が妙法であると悟るには、妙法と同じあるいはそれ以上の智慧がなくてはならない。その智慧は、凡夫にとっては既に悟りを得た仏の教えを
 信ずる事によって、代用する以外ない。これが「以信代慧」で、従って、信によって智慧は包まれるのであるが、「御義口伝」巻上に「信は価の如く解は
 宝の如し三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり」(P.725 ⑩) とあるように、解=智慧を得るために信じるのであって、智慧という本来のもののもつ意義を
 無視する事は誤りである。本抄に於いて「観心本尊抄」と「観心」を題号に用いられているのには、たんに“教相”との相対というばかりでい、深いお心が
 秘められていると拝すべきであろう。

  「本尊」とは、根本として尊敬するという意味であることは、周知の如くである。人間は尊厳であるといっても、現在のままですでに尊厳であり、これ以上、
 自己を磨き、努力し成長を目指す必要がない、というのとは根本的に違う。真に尊厳なものは、自己の生命の内にあるといっても、それは隠れていて
 顕れていない。これを開き顕し、たんに客観的に普遍的真理として尊厳である、仏の当体であるというのでなく、自体顕照せしめなければならない。
 この客観 (境) と主観 (智) との冥合によって、真に尊厳なる存在となりうるのである。その覚知すべき、秘められた尊厳なる当体 ― これをまず
 覚られた大聖人は、自己のその尊厳なる生命を一幅の漫荼羅として、写し顕わされた。これを人法一箇という。故に末法の全民衆にとっては、この漫荼羅を
 本尊として信ずる事により、それを縁として、自身の内なる仏界、尊厳なる生命を顕わす事ができるのである。

 従って、本尊とはそれ自体が絶対的であり究極の目的なのではなく、この本尊を本尊として信じ行ずる時に顕現する生命の内なる力、すなわち信心が
 肝要なのである。ここに、いわゆる人間が自ら作り出したものを絶対化し、その奴隷となって行く偶像崇拝と根本的に異なる点が存するのである。
 この観心 ― 人間が自らの尊厳を確立するための“本尊”というところに「観心の本尊」の意義があり、人間を根本に置いた仏法の姿勢がここにも明らかで
 ある。「日女御前御返事=御本尊相貌抄」に「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団に
 おはしますなり」(P.1244 ⑨) と仰せられ、また本抄に、仏界について「末代の凡夫出生して法華経を信じるは、人界に仏界を具足する故なり」(P.241 ⑮) と
 示されているのも、この故である。

173美髯公:2011/09/05(月) 20:07:21

                                    二、本 論


   【「摩訶止観」の意義】

  本文に入って、最初に「摩訶止観」の文が挙げられている意味について述べてみたい。
 これは、一念三千を明かした文として、まさに観心本尊の依文として引かれているのであるが、天台大師が立てた此の一念三千とは、法華経哲学を集約し、
 体系化したものであるとともに、末法に出現する日蓮大聖人の下種仏法の法体すなわち「観心の本尊」の、いわば設計図にも相当する。この事は、法華経と
 日蓮大聖人の仏法との関係を考える上でも、重要な手がかりを与えてくれる。すなわち、相待妙の立場で権経から迹門、迹門から本門、本門から文底の
 独一本門という順序で見ると、文底仏法つまり大聖人の三大秘法の仏法は、ただ本門の寿量品の「我本行菩薩道」の本因初住の文底にのみ限られる。

 しかし、絶待妙の立場で逆に此を見ると、法華経の全体が三大秘法の仏法をあらわすために説かれたものであるといえる。この絶待妙の立場から、法華経の
 全哲理を包摂し体系づけたのが一念三千なのである。この意味で、一念三千という法門は、法華経から帰納法的に探究して此を立てたのではなく、天台自身、
 直感的に覚知したのであり、また「摩訶止観」は、たんに像法時代の正師としての天台大師が像法時の衆生のために説いたものというより、末法に出現すべき
 「観心の本尊」への準備として欠くべからざる意義を持っているのである。そして日蓮大聖人が法華経、「止観」の法体である「観心の本尊」を明かすに
 あたって、その冒頭に「摩訶止観」の文を掲げられた理由も、まさにここにあるという事ができるであろう。

174美髯公:2011/09/06(火) 20:51:04

 さらに、この事は、次に一念三千を天台は「法華玄義」に明かしているか否か、「法華文句」に明かしているか否か、また「摩訶止観」の内でも、第一、
 第二、三、四巻に明かしているか否かを論議されているが、その問題とも関連してくる。通俗的に考えると、天台が何処に此を明かしているかという事など、
 どうでもよいように思われる。にもかかわらず、これだけの重要な書の冒頭に、大聖人がこれほど此の問題を論じられているからには、そこに重大な意味が
 あると考えなければならない。「玄義」は「妙法蓮華経」という題号をめぐって、名・体・宗・用・教の五重玄に約してその意味を解明したものであり、
 「文句」は法華経の文々句々について解釈した書である。これらはいずれも、法華経の文に即しての学問的、理論的著作といえる。それに対して「摩訶止観」は、
 もちろん法華経の文についての正しい理解を踏まえつつ、天台が自身の生命を観照し、そこに自ら悟達した真理を展開したのである。

 故に、「摩訶止観」の本義は、法華経の哲理を深く肉化した上での、天台己心の悟りを述べたところにあり、なかでも第五の巻第七章の「正観章 ― 正しく
 観法を明かす章」は、観心の根本義を示す段で、その正しい観心の指南として一念三千を示したのである。そして、一念三千は法華経の文から帰納的に
 出てきた哲理というよりも、汝自身への直感的肉薄による悟りであり、その裏付けとして法華経を用いているのである。もともと、法華経自体が、釈迦己心の
 生命への悟達を展開したものである。それは霊鷲山で、あらゆる衆生が集って行なわれた儀式という形をとってはいるが、幾十万もの人が集まれるわけは
 なく、集まったとしても説法などできる道理もない。まして、多宝の塔が大地から涌現したとか、六万恒河沙もの菩薩が地の底から涌出したなどという事が、
 現実の出来事としてありうるものではない。これらは、全て釈迦の己心中に展開されたものであり、それは釈迦の悟ったものを表微しているのである。

 してみれば、「摩訶止観」も天台己心の悟りを述べたものであったという事は、法華経の文々句々を直接に説明した「文句」や「玄義」に較べて、法華経から
 離れているように見えるが、実は最も法華経の本義を正しく衝いているといえるのだはないだろうか。そしてまた法華経と、その法華経の文底にある法体を
 捉えた大聖人の観心の仏法とをストレ−トに結びつけるものが、この「摩訶止観」にこそあったといえるのである。「説己心中所行法門」の文が挙げられて
 いるのは、この間の真理を裏づけている。法華経は釈尊が己心中に行じたところの法門を説いたものであり、「止観」の一念三千は天台が己心中に行じた
 法門である。そして、御本尊は日蓮大聖人が己心中に行じられた法門であって、しかもこの三者は、ピッタリと符号するのである。

175美髯公:2011/09/07(水) 20:01:49

   【情・非情に亘ることの意味】

  次に「問うて曰く百界千如と一念三千の差別如何」(P.239 ⑧) 以下の一段は、百界千如が有情のみに限られているのに対し、一念三千は有情・非情に
 亘る事を明かしている。これは十界、十界互具して百界、そして十如が、生命感およびその一瞬の生命感に十の特質を具える事をあらわしたもので、
 従って、有情の範疇にとどまっている。それに対し、三世間は非情を含んだ生命の事実相を完全にあらわしている、という事で説明できる。三世間のうち
 五陰の仮に和合した事によって成る衆生、この衆生の作り出す衆生世間は、言うまでもなく有情であるが、国土世間は明らかに非情である。つまり、非情の
 国土を依報として生命は成り立っているのである。

 そればかりではない。五陰世間をみると識は有情の“情”の本体を成すものであるが、色は非情によって形成されている。受・想・行は、主体である識が、
 有情・非情を含んだ外界 (それは、自然の美しさや脅威といった国土世間もあろうし、他の人間や動物といった衆生世間もあろう) から、何を取り入れ、
 それを自身の内に消化し、または逆にどう働きかけるかという、主体と環境との関連のメカニズムに該当するものといえる。つまり、一念三千が情・非情に
 亘るという事は、非情の国土を依報とし、非情の物質を集めて自らを形成し、生を営んでいる生命の真実の把握を可能にしたのである。しかも、さらに
 深く論ずれば、生命はこの肉体という枠の中に閉じこめられた存在ではなく、究極的には宇宙と等しい拡がりを持っているというのが仏法の悟達である。
 この生命の真実の在り方を把握する原理が一念三千である、という事である。

176美髯公:2011/09/09(金) 21:26:50

  なお「観心の本尊」という主題、また「非情に十如是亘るならば草木に心有つて有情の如く成仏を為す可きや如何」(P.239 ⑨) との設問とのつながりで
 いえば、本文に「草木の上に色心の因果を置かずんば木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり」(P.239 ⑭) といわれているように、大聖人が久遠元初の
 自受用身としての自らの仏の生命を、非情である草木によって一幅の御本尊として顕わす事の哲学的裏づけが、この「一念三千は情非情に亘る」(P.239 ⑧) と
 いう事によって確固たるものとなるのである。

 なお、この答えの段で教門の難信難解と観門の難信難解をもって述べられている。
 教門の難信難解とは、その内容は二乗と闡提の成・不成、釈尊の始成・久成について、爾前と法華経とで一仏二言という事である。これは、仏の言葉に
 ついての信じ難く解し難い点である。
 それに対して観門の難信難解とは、仏の悟った法自体、すなわち一念三千の法理についての難信難解である。

177美髯公:2011/09/10(土) 20:05:21

   【「観心」の意義】

  「問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何」(P.240 ①) の一段は“観心”の本義を明らかにされている。「観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を
 観心と云うなり」(P.240 ①) とあるように、自己の生命を観じ、そこに「十法界を見る」とは、その我が生命が一念三千の当体である事を悟るという事で
 ある。我が身一念三千の当体とは、いいかえれば、我が身南無妙法蓮華経なると覚知する事である。そして、わが生命に十法界が具わっているという事を、
 以下、明らかにされていくのであるが、まず、この自らの生命に十界・百界千如・一念三千を具えている事を覚知するのは「法華経並びに天台大師所述の
 摩訶止観等の明鏡」に、よらなければ解らない事である、と述べられている。この己心を観ずる修行は禅宗などに共通する面があるが、
 そのために法華経・止観の一念三千、そして御本尊という仏の悟りを明鏡とするか、ただ自身の我見によるかに異りがある。
 禅宗の禅の場合は、六道の域を出ない自身の我見を根本とする事になるので、六道の頂上である天魔の支配に身を委ねてしまう事となる。

  「設い諸経の中に処々に六道並びに四聖を載すと雖も法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば自具の十界・百界・千如・一念三千を
 知らざるなり」(P.240 ③) とは、法華経以前の諸経では「処々に六道並びに四聖を載す」けれども、それは自己の生命に具わったものとしては明かして
 いないのである。この事は、爾前経では十界について、それぞれ別々に存在する様々な世界として説いた、という事である。たとえば、地獄は地の下
 一千由旬の所にまず等活地獄、その下に順次、黒縄・衆合・叫喚・大叫喚・焦熱・大焦熱、そして最も低い所に阿鼻 (無間) 地獄があるという、また餓鬼界は、
 地の下五百由旬の所、畜生界は水陸空、修羅は海の辺・海の底、人は大地、天は宮殿、二乗は方便土、菩薩は実報土、仏は寂光土といった具合である。
 このように、それぞれ全く別の世界であるから、一つの世界から別の世界へ移るのは、今世の生を終え、今世の業を決算して、その答えによって来世、
 いずれの界に生まれるかが決まるのである。今世の内に、別の界へ行くなどという事は、目犍連の様に神通力でも持たなければ、到底不可能な事である。

178美髯公:2011/09/11(日) 20:13:26

 余談になるが、神通第一の目連が、その神通力によって亡き母の堕ちている餓鬼界に行って、母を救おうとした話は盂蘭盆供養の起こりとして有名であるが、
 この事からも神通力というのは、一つの界から別の界へ行く能力という意味合いを持っていたと想像される。「御義口伝」巻下で「今日蓮等の類の意は
 即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、成仏するより外の神通と秘密とは之無きなり」(P.753 ②) と仰せられているのも、九界から直ちに
 仏界へ行くという事で、この事と関連して考えられないであろうか。それはともあれ、法華経は初めて釈迦己心の十界・百界・千如・一念三千を説いた
 のであり、「摩訶止観」もまた天台己心の一念三千を説いたものである。つまり、十界は、それぞれ別々の世界でなく一箇の生命に具わる十界・一念三千と
 して明かしたのである。故に、これらを明鏡として初めて、自具の十界・百界千如・一念三千を知る事ができるのである。

 ただし、ここであえて天台の観心と日蓮大聖人に於ける観心との相違を述べると、天台はあくまで法華経の智解を鏡としての観心であった。故に、法華経を
 智解できる特別の人々にしか効力をもたなかった。天台仏法によって、どれだけの人が得脱できたかを考えるに、日本天台宗の三代・四代の座主の慈覚・
 智証あたりから、天台・伝教の本義を誤り、真言密教に堕してしまった事を見れば、思い半ばに過ぎるものがある。それに対し、日蓮大聖人の仏法における
 観心とは、法華経の智解を体得しきった大聖人の人法一箇としての生命を、非情の草木の上に一幅の曼荼羅としてあらわし、それを観心のための明鏡として
 万人に与えられたのである。故に、観心のこの仏法の究極の原理は、日蓮大聖人によって特定の人々のものではなく、万人のものとなったのである。

179美髯公:2011/09/12(月) 21:50:06

   【十界互具の捉え方】

  さて次に「問うて云く法華経は何れの文ぞ天台の釈は如何」(P.240 ⑤) の段で、法華経が自具の十界をどのように述べているかを示し、さらに「問うて曰く
 自他面の六根共に之を見る彼此の十界に於ては未だ見ず如何が之を信ぜん」(P.240 ⑰) 以下は、我々自身の生命に十界がどのように具わっているかを
 教えられている。法華経の文を引いて示されている各界の所具の十界は、従って爾前経で説いてきた、各界がその住む処を別にするという考え方を
 否定する訳ではない。ただ、本来、住する世界が別であれば、法華経の会座に一堂に会するという事もありえないはずで、それが一堂に会したという事に
 この法華経の儀式そのものが、釈迦己心の十界の展開であるといわれる所以がある。このように、十界の衆生が法華経の会座に連なり、それぞれが正覚を
 成じ作仏していったというのは、その本来、別々の十界の衆生それrぞれに、等しく十界なかんずく仏界の生命を具えている事を明かしているのである。

  次の、自身の生命に十界が具わっているというのは、その自身とは他ならぬ人間である。従って、人界所具の十界をこの段では明かされている ― と
 いうよりも、それを通して十界とは何かを示されているという事になる。「今数ば他面を見るに但人界に限って余界を見ず自面も亦復是くの如し」 (P.241 ⑥)
 「前には人界の六道之を疑う 」 (P.241 ⑪) 「末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり」(P.241 ⑮) 等の諸文からも明らかなように、
 ここで明かされているのは、人界所具の十界である。そこには、人間として生を享けたという事は、すなわち人界であるという考え方が前提としてある。
 従って、十界互具すなわち、A界所具のB界というのは、Aとは、その生命が生を享けた界であり、Bとは縁に従って瞬間瞬間に現ずる生命の変化相としての
 十界である。

180美髯公:2011/09/13(火) 19:50:04

 ただし、この考え方からは、人間革命という原理は、死んで次の世に如何なる境涯に生を享けて現われるか、という場面にしか適用できない。なぜなら、
 先のA界所具のB界という例でいえば、Bの変化は瞬間瞬間の縁によるのであって、餓えて餓鬼界を現じていた人が、一杯のカツ丼で満腹して天界に
 成ったからといって、これを人間革命と呼ぶわけにはいかないからである。そこで、では人間革命とは何かを考えるのに、先のA項を、もっと生命の根本的な
 ものに置き換える必要が出てくる。否、それは必要だからという便宜主義でなく生命存在を考えると、必然的に置き換えなければならないのである。
 という事は、例えば犬は畜生界だというが、人間並みの判断力と克己心を持った犬もいる。逆に人間は人界だといっても、犬より愚かで克己心、自己抑制を
 欠いた人間もいる。

 この生命の特質に目を向けた時、同じ人間であっても、地獄界の人もいれば、餓鬼界の人、畜生界の人、修羅界の人、あるいは声聞、縁覚、菩薩の人も
 居るわけで、これをA界所具のB界という場合のAとする事がより妥当と考えられる。つまり、その人の生命の基底部、基調をなすものを捉えた場合、
 はたして十界の中のいずれであるかをAとするのである。そうした時に、人間革命とは、とりもなおさず、このA項の変化であり、A項の変革の目標を
 仏界に置いて自己変革をなして行く事を一生成仏というのである。しかもそれは、死んで初めて実現されるのではなく、現在の人生に於いて、当人の努力に
 よって実現されうるものとなるのである。十界互具という事については、以上の様に示した考え方と、もう一つ、Aを現実に今現われている十界、Bを
 次の瞬間に現われる可能性としての十界とする考え方との二つがあるが、後者については、本抄の問題と直接の関係はないので、ここでは措く。

181美髯公:2011/09/14(水) 23:59:46

   【生命の特質把握としての十界】

  十界のそれぞれについては、これまで、いろんな機会に説明されているので、ここでは繰り返して述べる事はしない。ただ、十界という、この生命の
 把握方法が持っている意義について一言そておきたい。
 生命を探究し、これを把握しようとする学問は生理学や心理学など種々あるが、いずれも生命というものの根本を外しているという事ができる。
 なぜなら、生理学は生命活動の内、その肉体的なメカニズムの側面を捉えたものであり、心理学は、同じく心理的メカニズムを分析している。
 だが、これらは、いずれも生命にとって、その根本の特質というべき主体的な生命感という問題を忘れているのである。

 これに対して、生命主体の生命感を真正面に据えて、これを捉えたのが仏法の十界論なのである。生命の根本的特質は、まさにここにあるのであって、
 人間の幸・不幸という問題を解く鍵も、この一点にある。この生命感は、置かれた境遇、状態によって引き起こされる種々の生命状態があり、
 この引き起こされた生命を感ずる自分というものがある。境遇・状況に関わるのが“境”であり、それを感じとり、これに対応して働きを起こす生命感が
 “智”である。この“境”と“智”の連関の中に生命の本義があるのであって、いわゆる縁起という思想も、こうした流動的・相互関係的な生命の実態
 把握への手がかりを教えたものに他ならない。

182美髯公:2011/09/15(木) 20:52:06

 なお、十界の内、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道は、こうした外界の縁に支配され、本能的・本然的に、様々な欲求の発動と充足の関係に於いて
 出てくる生命感である。これに対して声聞・縁覚・菩薩・仏の四聖は、自己省察と意識的な自己変革によってあらわれる。
 従って、六道は単なる「ザイン」であるのに対し、四聖は「ゾルレン」として出てくるといえる。また、細かくなるが、例えば声聞を職業的に学者と
 固定する事はできないのであって、学者であり、学問に取り組んでいる人であっても、単に外界の真理を究め、そこに喜びをを感じているのは天界に
 過ぎない。外界から一転して自己の内部をみつめ、自己変革への努力があれば、それは声聞界といえる。必ずしも学者でなくとも、一労働者であっても、
 真の声聞でありうる。そしてさらに、学者であっても、その根底の精神が、学問によって不幸の人を救いたいとの慈悲に貫かれていれば、この人は声聞ではなく
 菩薩である。普賢菩薩などがこうした学問の力を人々の救済に使い切って行く菩薩の象徴である。

 同じ事は芸術家についてもいえる。単に楽しみを味わう芸術は天界のそれであって、自己省察を伴った時に縁覚といえる。更に世の人々に勇気と希望を
 与えようとして芸術的創作に取り組む人は菩薩界のそれであって、妙音菩薩がこの象徴である。ともあれ、十界は外面の形態や社会的機能、役割によって
 規定されるものではなく、その生命の根本的特質にまで掘り下げて初めて正しく位置づけられる事を知らなければならない。

183美髯公:2011/09/17(土) 21:51:24

   【人界所具の仏界】

  以上の段では、仏界については「但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ」(P.241 ⑬) といわれるのみである。
 しかし、仏法の目的、本抄の元意が一切衆生の成仏の原理を明かす事にある以上、仏界を論ぜずにすませられる訳はない。故に、以下において、仏界
 そのものについて種々の疑問を提起しながら、それに答える形で明らかにされていくのである。
 
  まず「問うて曰く十界互具の仏語分明なり然りと雖も我等が劣心に仏法界を具すること信を取り難き者なり今時之を信ぜずば必ず一闡提と成らん
 願くば大慈悲を起して之を信ぜしめ阿鼻の苦を救護したまえ」(P.241 ⑰) との問いを設けて、人界に具する仏界について詳しく述べられていく。
 既に述べたように、観心すなわち己心を観じて、そこに何を見る事が目的かといえば、仏界である。まさに、衆生の心 (生命) に仏の生命が本来具わっており、
 それを衆生に自ら覚知させ、仏にしていく事こそ法華経の元意であり、従って釈迦一代仏教の大目的であったのである。そして、この信じ難く解し難い真理を、
 全人類のものとする事が、末法御本仏、日蓮大聖人の願業でもあった。

 その意味で、この段から本抄の核心に飛躍的に迫っていく事になる。特に、この質問は仏法哲理の非常に重要な問題を端的に表しているといってよい。
 「十界互具の仏語分明なり」とは、十界互具については、これまでも法華経の文を挙げ、さらに人間生命の変化の事実を例として説かれたので、はっきりと
 分かった、というのである。問題は「我等が劣心に仏法界を具すること信を取り難き」である。貧・瞋・癡の三毒が強盛で、十界でいえば、常に地獄・餓鬼・
 畜生・修羅といった三悪道・四悪趣を彷徨っていて、時々、人界・天界に足を踏み入れるといった状態の我々平凡な人間の生命であろう。その卑しく、
 醜い人間の生命の中に尊厳極まりない仏の生命があるというのであるから、これは信じ難い事である。

184美髯公:2011/09/18(日) 22:36:00

 しかしながら「今時之を信ぜずば必ず一闡提と成らん」とあるように、これを信解し、自身の生き方と、人間社会の根本原理として行く事が、仏法の
 極説なのである。これを外したならば、一闡提となるとの厳しい言葉に深く心をとどめなければならない。前述したように、この事を明かすために釈迦は
 五十年間、法を説いたのであり、それを全人類にとって開かれたものとするために、日蓮大聖人は一生をかけられたのである。従って、この極理を仮にも
 否定し無視していくような言動は、釈迦の精神の否定であり、大聖人の労苦を踏みにじるのと同じである。「必ず一闡提と成らん」の一句は、質問者の
 言だからといって軽視すべきでなく、大聖人は問の形をとってではあるが、仏法の大切な原理、仏法者の根本精神をここに示されていると拝さなければ
 ならないであろう。

 「信を取る」とは、ただ観念で信じているとか、言葉に出していうとかいう事ではない。具体的な一切の行動の基盤となり支柱となっていく事である。
 人間の生命の内にこそ尊厳性があるという事は、超越的な神を根本とする一神教的宗教やこの世界を穢土とし、他所に浄土があるとする爾前の諸経と明確な
 一線を画する法華経哲学の真髄である。だが、言葉や理念としては法華経のこの原理を知り、自らも口にしながら現実の行動は一神教や爾前経の域を
 出ていない場合が多いものである。これは、この法華経の原理、大聖人の仏法について「信を取って」いない事になり、「必ず一闡提と成らん」との一句に
 当たる事となる。一人一人の生命の尊厳な仏法を秘めているのだとの前提に立ち、個としての人間を尊重し、自らにおいては尊厳といえる一生を全うして
 行こうとの努力を持続してこそ、真実の仏法に信を取った人といえるのではないだろうか。

185美髯公:2011/09/19(月) 20:03:11

   【仏教の目的を明かす】

  これに対する答えは結論的にいえば、確かに信じ難い事ではあるが、現証ををもって信ずるべきである、という事である。その現証として、過去の
 不軽菩薩が衆生の生命の中に仏身を見て礼拝した事、悉達太子が成道して仏身を顕わした事を挙げられている。不軽が人々の生命の中に仏身を見たという
 例は、人々は、まだ自ら仏身を成就していた訳ではないから、これは「理」の立場になる。これに対し、悉達太子が釈迦仏と成ったのは、実際に成道を
 成就したのであるから「事」の立場になる。また、この事は、全ての人の生命に仏界があるという仏法の原理に立った場合の、具体的行動のあり方を
 象徴的に示しているといえる。すなわち、他の人々に対しては、現実に現れている姿が、たとえ貧・瞋・癡の三毒強盛のそれであったとしても、“不軽”
 すなわち、あくまでも尊厳な存在として敬意を払っていくべきである。

  自己自身については、内奥にある尊厳なる生命の当体を開発し顕現して、事実の上で尊厳な生命として樹立していかなければならない。自己に対しては
 厳しく完成を目指し、他に対しては、敬意を払っていくのが仏法の行き方である。これを逆転して、自己について人々の敬意を求め、他に対しては完成を
 求め、完成に到っていないからといって軽蔑していくのは、修羅界の行き方になってしまうであろう。この事はカントがその著「道徳形而上学」において、
 人間にとって、同時に義務であるところの目的は何か、という点について述べているところと符号する。カントは、それは自己の完成と他人の幸福である と示し、これを逆転してはならない、なぜなら、もし自己の幸福のみを目的とすれば利己主義に陥るし、他人の完成のみを求めれば互いにアラの突き合いを
 する事になると述べている。

186美髯公:2011/09/20(火) 20:09:00

 ともあれ、現証によって信ぜよというのが、この段の答えの要点なのであるが、その前提として「唯一大事因縁」の仏の言葉によっても信ずる事が出来ない人を、
 末代理即の凡夫がどうして不信から救う事ができようと述べ、ただし、仏に会っても覚らなかった人が、阿難等の言葉によって覚った例もあるから、試みに
 言ってみようとある。そして、その後、仏を見、法華経で得道した人、仏を見なかったけれども法華経で得道した人の二種類があり、さらに仏教以前は
 外道によって、法華経が説かれる以前は爾前の権教によって“正見”に入った人々がいると示されている。

 この事は、仏教の目的が何であるかを明確に教えている。「一大事因縁」とは、方便品で衆生をして仏知見を開示悟入せしめる事が、あらゆる仏の出現の
 目的であるという文である。いまその文を示すと「諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なるを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。
 衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見の道に
 入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、是を諸仏は唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもうと為づく」(「妙法蓮華経並開結」
 P.167) とある。つまり、人々に自身の内に仏性がある事を覚らせるのが仏がこの世に出現する目的であって、それ以外に仏がこの世に出た目的はない、と
 いうのである。この事は、衆生の生命に元々仏性がある事を前提として言われている。この仏の言葉を知りながら、凡夫の生命に仏性がある事を信じない
 人に同じ凡夫が、どうして信じさせられようかというのである。

  しかし、仏を見て法華経で得道する人もあれば、仏をみなくとも法華経で得道する人もある。仏を見る (仏に会う) という事は、衆生が自身の仏性を
 覚るにいたるための、一つの機縁であって、それが目的ではない。ただし、真実を説き明かした法華経が得道の鍵である事は変わりない。故に、仏教以前の
 外道、法華経以前の権大乗教を縁とした人々は、それによって“正見”に入り“大通久遠の下種を顕示”したのであって、それ自体で“成仏”したのではない。
 いうならば外道や爾前経によって“成仏”へのレ−ルに乗ったという事なのである。そして、ここでいう“法華経”とは、釈迦の説いた二十八品の法華経
 そのものではなく、その文底に秘沈された三大秘法の南無妙法蓮華経であると考えるべきことはいうまでもあるまい。二十八品の法華経は、この得道の
 鍵である妙法を説明し、その力・功徳を賛嘆した経典という事になる。

187美髯公:2011/09/21(水) 20:34:59

 このあと、権小に執着する人々は法華経にあっても小権の見 (考え方) を出ないという仰せも、信心の厳しい指導のお言葉と拝さなければならないであろう。
 もとより、基本的には妙法を受持しない人々についていわれたものであるが、妙法を持った人であっても、その根底の考え方が権小の思想にとらわれていては、
 かえって法華の心を死す事になると知らなければならない。なお「仏を見たてまつり、法華にして得道す」とは、末法の仏法についていえば、大聖人に
 会い御本尊を拝した人々であり、「仏を見たてまつらずとも、法華にて得道す」とは、滅後今日の我々がその類いである。また、外道、爾前を縁として
 正見に入った人々とは、他の思想・哲学によって、生命尊厳の正しい考え方に到達している人々といえよう。

 この段の最後の部分にある「堯舜等の聖人の如きは万人に於て偏頗無し人界の仏界の一分なり」(P.242 ⑪) とは、仏法哲理が一つの枠にはまったものでなく、
 普遍性と寛容性に徹したものである事を示している。なぜ「万人に於て偏頗無し」が「人界の仏界の一分」かというと、全ての人に対し、その態度、行動に
 偏頗がないという事は、全ての人に尊厳性を認める事を当然の前提としているからである。

188美髯公:2011/09/22(木) 21:32:09

   【凡夫己心中の仏への疑難】

  十界互具・一念三千を明かす上で最も困難な事は、我々凡夫の生命に仏性が具わっている事を、どう理解させるかという点である。これまでのところで、
 一往、凡夫にも仏性が具わる事を述べられているものの、まだ一般論の域を出ない。具体的に仏と言った場合、教主である釈尊がこの世界に事実の姿を
 もって現れた仏である。しかるに、この釈尊の仏としての因行と果徳は凡夫には想像も及ばない尊厳の存在である。「問うて曰く教主釈尊は・・・・・」
  (P.242 ⑭) 以下の問いは、こうした教主釈尊という具体的な仏の姿をあげ、そのようなすばらしい仏の生命が、事実我等凡夫の生命の中にあるのか、
 また、我等の心中に住せしめる事が可能なのか、を訊ねるのである。

 質問の構成は、在世の釈尊の姿をまず述べ、次に迹門・爾前のいわゆる始成正覚の立場での因行と果徳、次に本門の久遠成道の立場での因行と果徳をあげて、
 このような仏の生命が、凡夫の我等の一念にあるという事は信じられない、という。その事から「此れを以て之を思うに」(P.243 ⑪) と、爾前経の仏を
 特別の存在とする教えが信じやすく、法華経の凡夫己心中に仏があるとするのは信じられないといい、百界千如一念三千を立てた天台が諸師から糾弾された
 事をあげている。

189美髯公:2011/09/24(土) 19:54:38

   【釈尊の真意は法華経】

  この問いに対して、答えは、まず第二点の爾前経と法華経の相違から出されている。そして、この内容は経文に説かれている事自体によって判定しなければ
 ならないという意味から、未顕と已顕、証明・舌相、二乗の成仏と不成仏、釈迦の始成と久成等、その判断の根拠を挙げられている。爾前経が、九界を
 断絶し九界を超越したところに成仏の境地があるとしたのは、成仏の境涯の素晴らしさに比して、現実の衆生の境地はあまりにみすぼらしく、醜い。
 従って、このように、かけ離れたものとして説く方が衆生にとって納得し易いからである。ここに、爾前経が衆生の低い機根を根本とした随他意の教えと
 いわれるゆえんがある。衆生の低い機根に合わせたのであるから、衆生にとって信ずる事が容易いのは当然である。

 それに対し、仏が自らの境地をそのままに説き、衆生をこの仏自身と同じ悟りの境涯に引き上げようとしたのが法華経である。法華経を随自意の教えと
 いうゆえんはここにあり、衆生にとってその内容が信じ難く解し難いのは、これまた当然なのである。そかし、それ故にこそ、衆生が根本とすべき経は、
 法華経である事もいうまでもない。ともあれ、釈尊の真意が法華経にあった事は、本当に仏教を学んだ人であれば明確であって、この法華経の哲理を
 集大成した一念三千も天台一人の創作ではない。天台以前の天親・竜樹等も心の中では知っていたが、時の至らざる故に述べなかったのである。天台以後の
 諸宗の僧達も、これを知ってからは天台の教えに帰服したのである。

190美髯公:2011/09/26(月) 21:54:43

 以上のように、経文の教相上の疑難について答えた後、本論というべき凡夫の生命に釈尊のような仏の生命を具えているとは信じ難いという問題に
 答えられていくのが、「但し会し難き所は上の教主釈尊等の大難なり」(P.244 ⑱) 以下である。まず、これこそ難信難解の問題である事を強調されている。
 というのは、これは仏法の悟りの極理であって、簡単には理解できないのが当然だからである。もちろん、頭で理解し言葉で言う事も一応はできる。
 だが、真にこれを信解する事は容易ではない。あえて、この点について示すために、次に無量義経の文を挙げられる。これは、教主の仏を国王に、法華経を
 夫人に譬え、菩薩をその間に生まれた子になぞらえた文である。王と夫人の間に生まれた子であるなら、やがては王となるべき資格を持っている。
 それと同じく、仏に帰依し妙法を受持した人は、今は無力な凡夫であっても、仏と成るべき血をすでに持っている、というのである。

 王子は、王と夫人との子に生まれた事によって、本人の自覚の有無に関わらず、そして姿は何の力もない赤ん坊であっても王となるべき資格を持っている。
 仏と妙法に帰した凡夫も、今は信じ難くとも、そしてただの凡夫であっても、必ず仏と成るべき生命を受け継いでいるのだというのである。これは、この後に
 述べられる「受持即観心」の義につながる大事な点である。普賢経の文は、今の無量義経の王としての血脈、仏としての生命になるものを「此の大乗経典」と
 いう言葉で示し、それが「諸仏の宝蔵」 「諸仏の眼目」 「諸の如来を出生する種」である事を明言している。その次の引文の「此の方等経」というのも、
 指しているものは全く同じである。この実体は、天台の明かした一念三千であり、更にその一念三千を日蓮大聖人は三大秘法の南無妙法蓮華経、すなわち
 観心の本尊として確立されるのである。

191美髯公:2011/09/27(火) 19:58:11

   【部分観と全体観の相違】

  これまでの所を纏めていえば、たしかに仏の境地は凡夫の理解を超えた深遠なものであるが、あらゆる仏を仏たらしめた仏種、仏の智慧、悟りの当体と
 いうものがある。たとい底下の凡夫といえども、この仏種、仏の智慧を自分のものとうれば、直ちに仏の境地になれる、成仏が可能になるという事である。
 爾前経は、この仏の種であり仏の智慧であるものを、ただ、その一部分、一部分をとって説いたにすぎない。すなわち、爾前経は部分観である。法華経が
 初めて、その全体観を明かしたのである。譬えて言えば一本の柱は、家の一部分であって全体としての家そのものではない。一本の柱のみでは、雨露を
 しのぐのに何の役にも立たない。全体としての家が完成されて初めて、人間はそこで雨露をしのぎ生活を営む事ができる。また、柱もまた全体としての
 家の中に、正しい位置に組み込まれて初めて、そのなくてはならない価値を発現するのである。

 これが、法華経と爾前経との根本的な違いであると考えてよいであろう。要するに、成仏の根本法を文底に秘沈して持っているのが法華経である。
 従って、ここに引用された法華経の開経である無量義経と、同じく法華経の結経である普賢経のそれぞれも、微妙にそうしたニュアンスの違いを示している。
 無量義経の文は、成仏の体である妙法を受持する事がどのような意味を持つかを述べたものであり、妙法それ自体の意義には触れていない。
 法華経が説かれた後、その結経の位置にある普賢経の文は、すでに説かれた法華経の含む妙法が、諸仏の宝蔵・眼目・諸の如来出生の種であると、
 その意義を述べている。

192美髯公:2011/09/29(木) 20:30:45

   【成仏の根源的因としての妙法】

  「夫れ以れば」(P.246 ②) 云々の一段は、以上の点を受けて顕密・大小・華厳・真言等の爾前の経々は、仏や菩薩のすばらしい力や徳、智慧を説いて
 いるが、それは単に果としての姿であり因を遡っても、せいぜい近因・近果しか明かしていない。法華経のみが、あらゆる仏の成仏の究極の法を明かして
 いる。それが天台の一念三千であり、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経である。しかるに、特に華厳・真言の諸宗は、この天台の法門を盗み取って自宗のものの
 ように言い、逆に天台の学者は、かえって真言等に心を寄せ正しい仏法を伝える自宗の正統性を忘れてしまった。大聖人がここで、この事を特に指摘されて
 いるのは、正法を伝える者の大切な心構えを教えるためであったと拝すべきであろう。

 それは、正法の哲理の偉大さを、ただ口先で叫び観念的、抽象的に考えているのみでは駄目であると言う事と、この哲理がいかなる経典の原点から出ており、
 それが我々凡夫にとり、時代の思潮にとっていかなる意義を持っているかを精確に、厳密に学び、思索して伝えて行かなければならない、と言う事である。
 この原典との厳格な結びつきを忘れたところに、一念三千の法理は大日経や華厳経にもあるなどといった他宗学者のこじつけにまんまんと誑かされ、
 同調してしまった原因があるからである。これを、我々の立場でいえば、日蓮大聖人の仏法哲理の独自性・卓越性を原典である御書、またその拠りどころ
 とされている法華経の厳格な裏づけの中から、明確に認識し理解する事が大切となるのである。

 言い換えると、御書そしてできれば法華経を、精確に研鑽し身につけて行く事であり、そこから如何なる事態や反論にもたじろがない確信と、あらゆる論難を
 打ち破っていける力、さらに一切の思想の蒙をひらいて行ける指導力が生じてくる。信仰の情熱もまた、こうした哲理への深い理解が根底にあってこそ、
 一時的であったり自己本位ではない、持続的で、内容性を持った真実の信仰の情熱となって行くのである。なお、この段の末尾にある「然りと雖も詮ずる
 所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり」(P.246 ⑧) の文は、有情の成仏 ―― すなわち現代的に言葉を換えて言えば、
 最高究極の人間完成も木画二像の本尊 ―― すなわち信仰の対象、帰命の対境としての本尊の樹立も、一念三千 ―― すなわち南無妙法蓮華経を根本と
 せずしては、単なる名目のみで現実化される事はありえない、という事である。

193美髯公:2011/09/30(金) 19:21:31

   【受持即観心を明かす】

  「問うて曰く上の大難未だ其の会通を聞かず如何」(P.246 ⑩) 以下は、これまで述べられてきた事を前提に、妙法蓮華経の五字に釈尊の因行果徳の一切が
 具足されているのであるから、妙法蓮華経を受持すれば教主釈尊の智慧、福徳の全てが直ちに我等凡夫の一身に具足される旨を述べられるのである。
 すなわち、正しく受持即観心を明かす段となっている。この受持即観心の義は「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば
 自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(P.246 ⑮) の一文に集約されているといってよい。妙法蓮華経を受持する一つの行によって、一切衆生は釈尊と
 全く等しい境地に成る事ができる。なぜ、妙法蓮華経を受持すれば、釈尊と等しく成る事ができるのか。それは、すでに述べたように妙法蓮華経こそ「仏の
 種子」であり、仏のあらゆる智慧、力、功徳を包含したものだからである。

 それは、ちょうど一つの柿の種の中に、それがやがて芽を出し柿の木として成長した時に顕わすであろう、柿としての特徴を全て含んでいるのと同じである。
 柿の幹、枝、一枚一枚の葉、実を、それぞれ作る事はできない。科学の発達によって、将来、可能に成ったとしても、その作業は並大抵な事ではあるまい。
 だが一粒の種を大地に植えて大切に育てれば、自然にそれらは具わり、栄えていく。仏法における爾前迹門の歴劫修行と法華経本門の受持即観心との相違は、
 柿の木を人工的に作ろうとするのと、種を育てるのとの違いに喩えてよい。この、妙法蓮華経に一切を包含しているという真理を示すために、法華経および
 その開経である無量義経、また一代仏教を締めくくった涅槃経、さらに竜樹・天台等の釈を挙げられている。

194美髯公:2011/10/02(日) 23:50:46

  はじめの無量義経の文は、六波羅蜜との関連を述べたものであるが、なぜ六波羅蜜が出てこなければならないかというと、これこそ菩薩行の具体的実践
 原理として、成仏の不可欠の要因とされていたからである。すなわち「波羅蜜」とは“度 (渡) ”と訳され、迷いの此岸から悟りの彼岸へ渡るための実践
 方法を意味した。その内容は、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六つである事、いうまでもない。爾前経においては、これら六つの波羅蜜を厳格に
 実践する事を菩薩道の規範としたのであるが、無量義経のこの文は、やがて説かれる無量義の根源の一法 (妙法) を受持するならば、それによって
 六波羅蜜は自然に具わってくるであろうというのである。

 従って、この事から成仏のための修行として六波羅蜜を行ずる事は、もはや不要である事は明らかである。しかしながら、それは六波羅蜜として示されている
 実践的徳を、我々には関係のないものとして無視してよいという事ではない。「六波羅蜜自然に在前す」(P.246 ⑪) とあるように、妙法を受持した場合、
 これらは結果として自ずから具わってこなければならないはずである。

195美髯公:2011/10/03(月) 21:21:42

   【人間の条件としての六波羅蜜】

  まず何よりも、真に妙法を受持するという事自体、これら六波羅蜜の実践を必然的に含んだものとなろう。真実の妙法受持とは、自行化他に渡るもので
 なければならず、化他とは、正法という人生の根源の力を、一切の人々に“布施”する事である。また、妙法の受持は、金剛宝器戒という最高究竟の
 “戒”を持つ事である。またこの実践にあたっては、「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を持たん人は難に値うべしと
 心得て持つなり」(P.1136 ⑤) と仰せのように、難を覚悟し耐え忍ぶ事が肝要である。いわゆる“忍辱の衣”を着なければならない。そして、いかなる難にも
 めげず怠惰の心を克服して、常に未来を目指して“精進”すべきである。「精とは無雑、進とは無間」と日寛上人が教えられているように、純粋に間断なく
 努力を重ねる事が「精進」という事である。

 “禅定”とは、心を一処に定める事であるが、妙法の受持おいては微動だにしない御本尊への信に住する事が「禅定」である。
 “智慧”とは、妙法の哲理を基盤に、また以上の五波羅蜜を前提に、行動と人生の上に限りない英知を輝かして行く事に他ならない。
 このように、妙法を真実に受持するという事は、自ずと、そこに六波羅蜜を含む事になるのであるが、さらに開いていえば、六波羅蜜として挙げられて
 いるものは、人間が真に人間であるために具えなければならない普遍的な基本条件ともいえる。
 布施とは、他人のために施す事であり、特に不幸な人々、弱き人々のために自分自身及び自分の持てるものを捧げて助け、尽くして行こうとする姿勢である。
 生とは本然的にエゴイスティックなものであり、自己のために他を犠牲にしがちなものである。この自己中心性を超克して、他人のため、他の存在の幸福を
 目指す理想のために、自己を捧げて行こうとするのが布施である。人間の崇高性は、ここにあるといってよい。

196美髯公:2011/10/04(火) 19:01:15

 持戒とは、“戒”とは「防非止悪」というように人間として踏むべき道を守り、悪に堕さないよう身を持することである。自己を抑制し、正しく導いて
 行く事が「持戒」という事である。普通、他の動物においては、その殆どが本能として組み込まれており無意識の内に自己規制が行われる。人間においては、
 ある程度の社会的強制力による場合も含めて、自らの自覚によって自己を規制しなければならない。これを忘れた場合には、人間は動物以下の存在に堕落
 するであろう。
 忍辱とは、人間、生きて行く上において、思い通りにならない事が多いのは当然であり、それを忍辱 ―― 耐え忍ばなければならないのが世の常である。
 ただし、忍辱とは忍従でもなければ諦める事でもない。耐え忍びながら、変革し、時を待つのである。

  なにより、人間であるならば常に未来を目指し、前進、向上して行こうとする意欲と努力を忘れてはならない。これもまた、人間として具えるべき不可欠の
 要素である。人間如何なる人も、生きているという事自体、未完成状態にあるという事であって、固定化された完成状態など生きている限り、ありえないと
 いってよい。ただ、自らの完成を目指す意欲と努力があるかどうかが、この未完成の空隙を埋めるのである。これが「精進」の持つ意味であろう。
 禅定とは、広い意味でいえば、その人の行動の要となり、人生を貫く骨格となるべき信念の確立である。信念を持たない人格は、その時々の情勢に応じて
 意見や態度を変える。もちろん、常に変わる状況に対応するための変化はなくてはならないが、その人格を貫く信念もない、ただ状況に応ずるのみの変化は、
 結局、人々の信頼を失い、自ら不幸に陥ってしまうに違いない。

 智慧とは、信念を基盤とした上での、人生と社会に応ずる英知の発動である。智慧を磨く事は、人間として絶対不可欠の要件であり、仏法の修行においても、
 非常に重要な問題とされているのである。ともあれ、人間の条件という問題は洋の東西を問わず、古来さまざまな人によって、さまざまな角度から論及
 されてきた、ある意味では人間の根本課題であるといっても過言ではない。仏法の六波羅蜜という概念は、この課題への見事に統合的な解答を含んでいる
 といえるのではないだろうか。

197美髯公:2011/10/07(金) 20:58:13

   【妙法に全てを包摂】

  六波羅蜜の問題に紙数を費やしてしまったが、次の「法華経」以下の文は「妙法蓮華経」の梵語原名である「薩達磨芬陀梨伽蘇多覧」の“薩”(または沙) の
 意味について、これが「全てを具足している」義である事を示されるのである。ただし、厳密にいうと「沙」は şa の音写で、これは具足・六の意味だが、
 「薩」は sat の音写で、こちらが妙・正の意味である、といわれる。従って、本来は別になるのであるが、大聖人は同じものとして論じられているので、
 それに従って論を進める。すなわち“薩”は羅什の訳では“妙”となるのだが、これは六という数であり「具足」の意味を持っていると
 いうのである。

 六がなぜ「具足」の意味を持つのかといえば、今日も西欧で残っている六進法と関係があると考えてよいであろう。十二を単位とするダ−ス、一日二十四時間、
 一年十二ヶ月などもその例であるが、六が単位とされたのには、完全数という考え方があったからという説がある。完全数とは、その約数 (割り切れる数)を
 足すと、ちょうどその数になるような数という事で、六は最小完全数なのである。しかし、この事は、ここでは別に重大な問題ではない。いずれにしても
 「妙法」とは、「不可思議の法」というだけではなく、そこには「万法を具足した法」という事も含んでいるのである。この妙法には、釈尊が因位の修行と
 して積んだ全ての功徳も、成道して後、仏としての振舞いの中に示した一切の功徳も、全て含まれているが故に、妙法 (薩達磨) と名づけられているので
 ある。我等凡夫は、釈尊のような修行をせずとも、釈尊のような振舞いはせずとも、妙法を受持する事によって、自然にその全てを譲り与えられるのである。

198美髯公:2011/10/09(日) 22:02:05

 この事は、妙法を受持した民衆に向かって、自分は人々と違っていると言い、特権を主張できるような如何なる人間も存在しえないという事でもある。
 なぜなら妙法こそ具足の法であり、妙法に含まれない何かを特別に持っている事などありえないからである。全ての人を、尊極の仏の生命を内在し、
 これを顕現して仏に成り得る存在として尊敬し、大事にしながら導いて行く人こそ妙法の哲理を体した人といえるのである。まさに、この偉大な原理を
 説き示したのが法華経であり、故に、この法華経に至って、永久に成仏できないと嫌われた声聞も成仏できる事となり「無上宝聚・不求自得」と叫んだので
 ある。そして、仏自らも「我が如く等しくして異なること無し」と、衆生を自分と全く等しく仏の境地に入らしめる事ができたと喜ぶのである。

  人間は、ともすれば自分のなす事だけが素晴らしく、他人のする事は全て低劣であるという妄想に捉われる。特に修羅闘諍の境涯に住する人間は、
 自分のなす事だけが正義で、それに従わないのは全て邪悪であると決めつけがちである。卑しい自己中心性の為せる業といわなければならない。真に妙法に
 目覚めた時に、初めてこうした妄想を打ち破る事ができるのであろう。そして、人々の内に至高の尊厳性を認め、限りない敬意を払って行く人にして
 初めて、その尊厳性を引き出し、人間変革せしめうる真の「仏法者」たりうるのであろう。「妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや」
 (P.246 ⑱) の一文は、衆生と仏との、いわゆる師弟の不二の原理を明確に宣言された文といえる。

199美髯公:2011/10/11(火) 22:19:07

   【内なる仏性を育てる実践】

  次に引用されている「其れ能く此の経法を護る事有らん者は則ち為れ我及び多宝を供養するなり」云々 (P.246 ⑱) の宝塔品の文の「此の経法」とは、
 妙法蓮華経であり、その実体こそ観心の本尊すなわち三大秘法の御本尊に他ならない。従って、この文は御本尊を護持する事こそ、釈迦、多宝、十方の仏、
 つまり一切の仏を供養する事になるとの意である。妙法を受持した時に顕現する、我々の己心の釈尊とは、爾前、迹門の始成正覚の仏などでない事はもとより、
 文上本門の五百塵点劫成道の仏でもない。「五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり」(P.247 ④) とあるように、五百塵点の其の上であり、無始
 すなわち久遠元初の仏である。しかしながら、信心未熟の凡夫においては、この己心の仏は、まだ、か弱い幼児のような存在である。これを、ちょうど
 太公望などの優れた家臣が幼い成王を守ったように、己心の地涌の菩薩が守る事によって、無事に育て上げられ、確固たる成仏の境地に至るのである。

  では、己心の地涌の菩薩が己心の仏を守り育てるとは、どういう事であろうか。
 地涌の菩薩とは、法華経の会座において末法に妙法を、弘通する使命を付嘱されるために出現した、本化の菩薩である。つまり、己心の地涌の菩薩とは、
 この世界に南無妙法蓮華経の大仏法を広宣流布するという実践的生命の事に他ならない。従って、我々の妙法広宣流布という実践が、自身の内にある仏性を
 守り育て、ひいては一生成仏の目的を達成せしめるのである。簡単に言えば、己心の地涌の菩薩とは、広布への実践であり、行である。それは外に現れるから
 「外用」でもある。この発動によって、生命の内の「内証」としての仏界が確たるものとなっていくのである。

200美髯公:2011/10/12(水) 20:37:34

   【宇宙法界に遍満する一念】

  最後の妙楽大師の「当に知るべし身土一念の三千なり故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍し」(P.247 ⑧) の文は、意味だけをとっていえば
 「一念三千即妙法とは、身 (主体としての自己) と土 (依報としての国土、宇宙法界) とを包含したものである。従って、成道つまり我が身に一念三千を
 覚った時には、この一念三千の理にかなって、自分の一身一念は宇宙法界に遍満し、我即宇宙、宇宙即我の境地となる」というのである。いうまでもなく、
 これは成仏してみないと解らない境地である。凡夫は、これを信じる以外にない。否、ある意味では、本来宇宙と一体であるのが生命の正しい姿であって、
 自己と宇宙と切り離し、別な存在であるかのように考えている事こそ、人間の自我意識に囚われた理性の妄想にすぎないのかも知れない。

 ともあれ、この文が挙げられているのは、質問の段で、特に本門の教主釈尊は五百塵点成道已来「十方世界に分身し一代聖教を演説して塵数の衆生を教化
 し給う」(P.243 ⑥) ―― そのような宇宙的存在である釈尊が、我々の己心に住するとは信じ難いとあるのに答えるためである。妙法そのものである我等 凡夫の生命は、宇宙法界に遍満しているのであるから、十方世界に分身した釈尊といえども、己心に住するのは、なんの不思議もない。当然の理であると
 いう事になる。いうまでもなく、この文に「身土一念の三千」と妙楽が述べているのは、宇宙生命そのものであり、同時に我々一人一人の生命自体でも
 ある南無妙法蓮華経の事に他ならない。従って、この妙法を唱えて、我が身南無妙法蓮華経の当体と顕われた時には、宇宙即我、我即宇宙の法理が出現すると
 いう事である。釈迦仏法で説かれる仏の境涯の雄大さは、それが如何に素晴らしかろうと、日蓮大聖人の仏法の境地に対するならば、その一部分に
 すぎないのである。

201美髯公:2011/10/14(金) 19:12:38

   【文底下種の本尊を明かす】

  「夫れ始め寂滅道場・華蔵世界より・・・・」(P.247 ⑨) から「・・・・其の子尚旃陀羅に劣れるが如し」(P.249 ⑩) までの段は、仏教の経典に
 表われた各種の本尊を明かされている所である。まず、権教および法華経迹門で明かされる仏及び国土が、所詮は無常のものである故に真に本尊となすに
 値しない事を示される。次に「今本時の娑婆世界は・・・・」(P.247 ⑫) の段で本門脱益の本尊を示され、さらに「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の
 五字に於ては・・・・」(P.247 ⑮) で文底下種の本尊を明かされるのである。御文の詳しい説明は、ここでは省略する事にして、この事が私達にとって、
 どういう意義があるのかを中心に述べてみたい。

202美髯公:2011/10/16(日) 21:08:08

   【仏法における“本尊”の意義】

  いうまでもなく、本尊とは根本として尊敬するものという意味である。それは宗教において信仰の心を寄せる根本の対象である。
 仏教においては、最高の理想的な状態を仏、理想的な世界を仏国土として説いているから、当然それが仏教徒にとっての、心を寄せる根本対象となる。
 従って、爾前経に説かれている華厳経の華蔵世界、大日如来の居るという密教世界、法華迹門の方便・実報・寂光の世界、あるいは涅槃経の同居・方便・
 実報・寂光といった世界が、これら権迹の教えを信ずる場合の“本尊”となる。しかしながら、これら権教、法華迹門は、それを説いた釈尊自体が
 始成正覚であり無常の仏である。その住する世界も無常である。故に、その立場から説かれた理想郷としての種々の仏土は、どんなに素晴らしいといっても、
 所詮は無常であり絵に描いた餅の様なものであるといわざるをえない。

  それに対して法華本門では、釈尊は自らが五百塵点劫という久遠の昔に成道し、以来常にこの娑婆世界にあって説法教化してきたと明かす。
 「娑婆世界」とは生ま身の人間の住む現実世界という事である。従って、凡夫である我々の住むこの現実世界から遠く離れた所に理想世界があるのではない。
 この現実の中に理想世界があり、しかもそれは、ある時点に始まりを持ち、従っていつか終わりのある無常のものでなく、永遠常住のものである。
 ただ注意しなければならないのは「今本時の娑婆世界は三災を離れ・・・・」(P.247 ⑫) とあるからとぴって、我々が今住んでいるこの地球世界が
 「三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土」(P.247 ⑫) であるというのではない。

203美髯公:2011/10/17(月) 20:32:25

 物理的な意味での“世界”は、物理的な意味での我々人間の身体が生死流転するように、必ず成住壊空の流転を繰り返す無常の存在である。
 これは、如何なるものも逃れる事のできない不変の真理であって「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出で・・・」(P.247 ⑫) という事は、この真理を
 否定するのではない事を知らなければならない。端的に言えば、妙法という本源の生命に立脚した場合は、三災に合い四劫を繰り返す世界の無常に
 苦しめられる事なく、繁栄している世界に常に生を受けて、存分に活動し、存分に楽しんで行けるようになるという事である。例えて言えば、どんなに
 立派な家を建てても、その家自体はやがて傷み崩れて行く。しかし、豊かな財力があれば、どのようにでも改築あるいは新築して、常に立派な家に住んで
 居る事が可能であるのと同じである。永遠に渡る流転の中で、常に幸福を満喫しつつ生命活動を続けて行けるという事が、「仏既に過去にも滅せず未来にも
 生ぜず所化以て同体なり」(P.247 ⑫) の文の意である。

  ついでながら三災と四劫の関係について一言しておくと、一小劫の中の減劫の時に穀貴・兵革・疫病の小の三災が起こり、大劫の中の壊劫の時に火災・
 水災・風災の大の三災が起こるとされている。小の三災は、人間と自然、人間と人間または人間の一身のの中の諸機能のそれぞれに起こる不調和である
 のに対し、大の三災は、この世界を成り立たせている要素の不調和といえる。従って、小の三災によってもたらされるのは人間の寿命の短縮であるのに
 対し、大の三災による結果は世界の破滅であり、人類の生存そのものが脅かされるのである。

204美髯公:2011/10/18(火) 19:51:44

   【“結果”にとどまる釈迦の仏法】

  それはさておいて、しかしながら、この法華経本門も、文上の限りでは脱益すなわち結果の姿を論じているのみで、何によってそのように成りうるのか
 という原因を明かしていない。つまり釈迦という仏が、五百塵点劫の昔からその身を得ている本果を示しているのみで、その“果”を生み出した“因”
 “種子”を示していないのである。さらに言い換えれば、目指すべき理想は明らかであっても、では、どうすればその理想に到達できるのかは、一向に
 不明なのである。ここに釈迦仏法の限界があり、この限界を踏み越えた所に、日蓮大聖人の仏法は打ち立てられたといえる。すなわち、日蓮大聖人の仏法は、
 法華経本門に示されているような真実の仏の境地に到達する“因”を明かした故に“本因妙の仏法”といい、仏の生命を得る“種子”を示した故に“下種
 仏法”というのである。

  このように、日蓮大聖人の仏法は釈迦仏法の限界を越えた所にあるものであるが、釈迦の説法は、それについて全く無関係という立場にあるのではない。
 “果”を論ずる以上、因を前提とするのは当然で、その意味で法華経の文では僅かにこの“因”に触れている「我本行菩薩道」の文が、この日蓮大聖人の
 仏法との「つなぎ」になっている。「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(P.189 ②) という「開目抄」の文を論ずるに当たって、
 日寛上人が、その「文」とは「我本行菩薩道」で、その本因初住の文底にこの一念三千は秘沈されているといわれるのは、このために他ならない。従って
 脱益仏法から下種仏法へ、釈迦仏法から大聖人の仏法へという流れの上で捉えるにあたっては、「我本行菩薩道」の文のみがその「つなぎ」になる
 のであるが、ひるがえって、大聖人の下種仏法の立場から釈迦の脱益仏法を見た場合には、法華経の虚空会の儀式そのものが下種仏法の法体の相貌を
 あらわしている事が理解される。

  法華経の本門はもとより、迹門の法師品、宝塔品からその説いているものは、滅後の悪世に誰がどのように法を弘めるかという事であり、故にそこに
 あるものは、一貫して滅後末法の仏法のためだったのである。そして、その法華経の中で末法の大法を弘通する使命は、文殊師利や薬王等の迹化の菩薩で
 なく、本化地涌の菩薩にのみ託された事は周知の通りである。

205美髯公:2011/10/20(木) 20:01:52

   【末法出現の本尊の相貌を示す】

  末法に出現する本尊が如何なるものであるかについて述べられたのが「其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に
 釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士上行等の四菩薩・文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して
 雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり」(P.247 ⑯) の御文である。「本師の娑婆世界」とは、先に「本時の
 娑婆世界」が時に約しての言であったのに対し、人に約してこのようにいわれたのである。すなわち“本師である久遠の本仏が常住する浄土としての娑婆世界”と
 いう事である。この娑婆世界はあくまで生ま身の人間である我々が生活するこの世界でありながら、久遠元初の自受用身が常住し、説法教化している故に
 娑婆即寂光である。だが、更に突き詰めて言えば、この「娑婆の上に宝塔空に居し」とある“虚空”が自受用身の住する寂光土を表している。故に、娑婆
 即寂光とはいいながら本門の儀式は虚空会において展開されるのである。

 この宝塔の中に、妙法蓮華経を中心にして左右に釈迦・多宝の二仏が坐し、釈尊の脇士として上行等の四菩薩が連なり、その四菩薩の眷属として文殊・
 弥勒等の迹化の菩薩が末座に居しているのである。ここで、特に大事な事は、妙法蓮華経が本尊の体で、釈迦・多宝はその脇士であり、四菩薩が迹化を
 眷属として、更にその脇士になっている。つまり二重の脇士になっているという事である。これは、本尊の形式として、本体である妙法蓮華経がいかに
 比類のない勝れたものであるかを示しているのであるが、生命論的に論ずれば、生命の本体は「南無妙法蓮華経」であって、左右の釈迦・多宝二仏は用
 つまり働きを表わすのである。では、釈迦・多宝はどういう生命の働きを表わすかといえば、境智の二法である。

206美髯公:2011/10/21(金) 20:25:56

   【境智の二法の意味】

  この境智の二法については、「曾谷殿御返事」に「境と云うは万法の体を云い智と云うは自体顕照の姿を云うなり、而るに境の淵ほとりなく・ふかき時は
 智慧の水ながるる事つつがなし、此の境智合しぬれば即身成仏するなり・・・此の境智の二法は何物ぞ但南無妙法蓮華経の五字なり・・・」(P.1055 ②)
 と述べられている。戸田前会長は、境智の二法について分かりやすい譬えとして「八百屋であるという事は境だ。八百屋らしく商売に励んでいるということが
 境智冥合である」と教えられた。「曾谷殿御返事」の「境の淵」とは、境を譬えて淵と表現されたのであって、川が流れている大地の凹みが淵であり、境は
 この淵に相当するという事であろう。「智慧の水」とあるのは、同様にして、その淵を流れる水を“智”に譬えられたのである。

 戸田前会長の用いられた譬喩で言えば、八百屋であるという事は社会の中で自分の占めている役目であり、社会的・職業的に占めている領域であり、
 それは淵と同じである。この様に社会的・客観的に規定された自分の立場の中で、働いている自分が“智”であり、その立場にふさわしく商売に励む、
 働く、生き抜いている事が境智冥合なのである。

 翻って、法華経の儀式、御本尊の相貌に即してこれを考えてみると、多宝が境を表わし、釈迦が智を表わしている。ここに表わされている“境”とは、
 いうまでもなく、この生命は本来南無妙法蓮華経の当体であるという境である。従って法華経の儀式で、宝塔が出現し、初め多宝如来だけがその中に
 坐して居たのは、衆生の生命が本来妙法の当体であり、仏性を具えているという客観的真理を表明したのである。ところで、成仏とはこの様に本来、自身が
 妙法の当体であり、仏であるという事を自ら覚知する事である。この自ら覚知する“智”の発動があって境智が合する事になり、そこで即身成仏するので
 ある。釈尊が宝塔の扉を開き、内に入って多宝と並んで坐った儀式は、まさにこの境智冥合、即身成仏の姿を象徴する。従って、釈迦・多宝は、この“境”と
 “智”という妙法蓮華経の現わす働き、つまり用である事を脇士という姿で示したのである。

209美髯公:2011/10/24(月) 21:45:54

   【“本”と“迹”について】

  さらに、釈迦・多宝の脇士として上行等の四菩薩、そのさらに眷属として文殊・弥勒等の迹化がいるとはどういう事か。釈迦・多宝は、いうまでもなく
 仏界である。それが現実の人生・社会の中での生命の働きとなって現われるのは菩薩界以下の九界としてである。その場合、本体としての生命それ自体、
 すなわち仏界の直接に顕われた面が本化地涌の菩薩であり、社会に直接する面が文殊・弥勒等の迹化の菩薩という事になろう。本化の菩薩を光源自体の
 輝きとすれば、迹化の菩薩はスクリ−ンの上に映った輝きなのである。この事は、迹化の菩薩としての生命、さらに二乗以下の九界全てが、本化地涌の
 自覚に立った人にとっても無関係ではありえない事を物語っている。九界のあらゆる生命が地涌の菩薩にとっても無関係でない事は、地涌の菩薩の護持する
 御本尊の中に、それが厳然と位置を占めている事自体、その何よりの証拠である。

 その関係を、もう少し具体的に言うと、妙法を信じ唱題した場合、その生命は信=智の発動により、境智が合して仏界を顕わす。これが即身成仏である。
 その仏界の生命は、四菩薩の表徴する常楽我浄の四徳を示すであろう。また、法華経の付嘱の儀式が表わしているように、末法の世に妙法を弘め、折伏を
 行ずるその実践こそ本化地涌としての本然の働きである。しかし、そうした常楽我浄の四徳も、妙法弘通の実践も現実社会の中で、その人がいかなる力や
 特性、知恵等によって人々のために貢献するかという具体的活動がなくては顕現されないし遂行もできない。現実社会の中で、例えば知恵の働きによって
 人々の幸せのために尽くすのが文殊の生命であり、慈悲によって尽くすのが弥勒、学問の力によって尽くすのが普賢、医術の力によって尽くすのが薬王と
 いう事になる。

210美髯公:2011/10/25(火) 21:08:36

  世間の人々も仏法を受持した人々の、こうした社会での具体的行動によって、その生命の力強さや浄らかさ、不動の境地が何によって支えられ、
 生み出されているかに目を向けずにいられなくなるであろう。ここに「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(P.856 ⑨) と仰せられるように、
 法を弘めるべき人の現実の姿が、重要な意味をもってくるのである。なお、ここで「迹化他方の大小の諸菩薩」 「十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を
 表する故なり」(P.247 ⑯) 等とあるのに関連して“迹”という点について考察しておきたい。周知のように、天台は、この本迹という事について、天月と
 池月の譬えをもって説明している。池月とは、池の水面に映った月の姿、影という事である。この場合、池の水面はスクリ−ンの役目をしている。
 影は、何らかのスクリ−ンの働きをするものであって、そこに映し出されるのである。

 同様に我々において、自己の生命が家庭とか学校とか会社とか地域社会とかといった、社会の種々の局面をスクリ−ンとして、そこに映した影 ―― 主婦
 であるとか学生であるとか営業マンであるとか等々といった、自分の社会的役割 ―― は“迹”になるのである。先に述べた我々の己心の生命としての
 迹化の菩薩という事も、この視点から見直すと更にその意味が明瞭になるのではないだろうか。社会における我々の立場や役割は、さまざまに移り変わる。
 何時までも学生である事はできないし、ある職業人としても何時かは引退する時が来る。この世に人間として存在している事自体も、死によって終わるもの
 である。こうした転変する自分というのは、実は影すなわち迹に他ならないのである。では人生のあらゆる変動、否、生死という変化さえ超えて一貫して
 変わらない自分というものの本体は何か。これを仏法では南無妙法蓮華経と説き、無作三身と教えているのである。

211美髯公:2011/10/26(水) 20:12:11

   【正像二千年の空白】

  「本門の肝心、南無妙法蓮華経」こそ、法華経において滅後末法の一切衆生救済のために地涌千界に付された法の正体であり、従って、末法に出現すべき
 本尊なのである。「是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し・・・・・・末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか」(P.248 ①) とあるように、
 釈迦滅後正像二千年間には、未だかつて現われていない。これは、次に「此の事粗之を聞くと雖も前代未聞の故に耳目を驚動し心意を迷惑す」(P.248 ⑤)
 と問いの言葉に述べられているように、一つの大きい疑問をよびおこす。つまり、法華経本門の肝心である妙法は、何故いったん正像二千年もの空白を
 置いて、末法に至って初めて実体を持ったものとして現れるのか、いいかえれば、なぜ法華経本門が説かれた直ぐ後でないのか、という疑問である。
 また、二千年後に出現する ―― つまり、末法において日蓮大聖人によって建立されるこの観心の本尊に対して、では釈迦の説いた法華経というのは、
 どういう意味を持っているのか、という事も疑問として残る。

  「問う正像二千余年の間は四依の菩薩・・・・」(P.248 ④) の問に答えて、一代五十年の経並びに法華経を序・正・流通の三段に立て分け、その本意が
 どこにあったかを示されていくのは、こうした疑問に答えるためである。
  最初に、一代諸経を三段に分けると、
     序 分 ―― 爾前一切経
     正宗分 ―― 法華経並開結
     流通分 ―― 涅槃経
 となる。

  次に、右の正宗分である法華経並びにその開結二経を三段に分けると、
     序 分 ―― 無量義経と序品
     正宗分 ―― 方便品から分別功徳品の半分
     流通分 ―― 分別功徳品の現在の四信から普賢経まで
 となる。
 これは、日寛上人の文段に「一往総の三段」と名づけられているように、あくまでも釈迦仏法のみの範疇での立て分けである。

212美髯公:2011/10/29(土) 20:21:55

   【滅後弘通は地涌の菩薩に託す】

「又法華経等の十巻に於いても二経有り」(P.248 ⑫) 以下、三種類の三段の立て分けが示される。一つは「迹門熟益三段」、第二は「本門脱益三段」、
 第三は「文底下種三段」である。これらは、日寛上人によって「再往別の三段」と呼ばれているように、法華経の中で迹・本・文底と分けた上での三段
 なのであが、もう一歩、注目しなければならない問題がある。それは、一応、文上の立場で論ずれば、迹門は在世の二乗の弟子達を対象としているが、
 再応その根本義は、末法の凡夫を対象としている事。いわんや、本門は「一向に末法の初めを以て正機と為す」(P.249 ⑮) のであるが、この本門自体の
 もつ意義にも、一応と再応がある。一応の立場は、五百塵点劫の下種から中間の熟益を経て、その総仕上げ (脱) が本門だとする捉え方。再応の立場は、
 あくまで末法の初めのための、それ自体下種の法であるとする捉え方である。

 すなわち「再往別の三段」で示されているのは、釈迦仏法の範疇に納まりきらないものを法華経は志向しているという事であり、末法出現の大法への橋渡し、
 その序分の役をしているという事なのである。従って在世の衆生のための説法は、法華経迹門で終わるといっても過言ではない。この事は法華経を読んだ時、
 在世衆生の代表であった声聞の弟子達への授記は、人記品までで全て終わる事実から明瞭に察せられるはずである。法師品以後、宝塔、提婆、安楽行の
 各品は、仏滅後の弘通をめぐって展開されている。言い換えると法師品以後は、在世の弟子達にとって自分の得道のためのものではなく、あくまで化他・
 弘通のためのものなのである。

 だが、この法華経の化他・弘通は迹化の弟子達にできる事ではない。なぜなら、法華経の説かんとしている妙法とは、仏の悟りの極理の法である。
 それに対して迹化の菩薩や二乗達は、まだこの仏の悟りを得ていない。自ら得ていないものを、濁悪の世に自在に説き、証し、弘める事などできる道理が
 ない。ちょうど、これは数学を修めないで、数学の教師をしたいと言ったり、自分が音楽も出来ないのに音楽を教えたいと言うのと同じであろう。
 仏の悟りの極理を人々に教えるのは、自らこの悟りを得て久しく、すでに自在にこれを展開できる境地に立った人でなければならない。故に迹化・他方の
 菩薩達の滅後弘通の願いは、あっさり断られて本地久遠元初の無作三身の仏である地涌の菩薩に託されるのである。ただし、この弘通の人の問題は、本抄の
 本文において、更に後で述べられるので、そこで論ずる事としたい。

213美髯公:2011/10/31(月) 20:50:57

   【在世結縁の人々の得脱】

  最初に掲げた疑問の内、第一の、何故法華経が説かれて二千年の空白の後、はじめてその正体が現われるのかという事について、本文では次のように
 述べられているのが、その解答にあたるといえよう。
 「又在世に於いて始めて八品を聞く人天等或は一句一偈等を聞いて下種とし或は熟し或は脱し或は普賢・涅槃等に至り或は正像末等に小権等を以て縁と
  為して法華に入る例せば前四味の者の如し」(P.248 ⑰)

 ここに「始めて八品を聞く人天等或は一句一偈等を聞いて下種とし」というのは、もとより発心下種の意であって、聞法下種は迹門の立場でいえば
 三千塵点劫の大通智勝仏の第十六王子による下種にある。しかしともあれ、法華経で結縁してから在世あるいは滅後二千年間にわたって、小乗、権大乗を
 縁として法華経の悟りを得る。結縁の厚い衆生は正法時代に生まれて、小乗の低い教えであっても、これを縁として充分に正覚に達しうる。結縁の薄い
 衆生は像法時代に生まれて、権大乗あるいは法華経迹門の法を縁として正覚に達する事ができる。この関係は、すでに充分成長した子は低い踏み台で棚に
 届くが、成長の遅れた子ほど同じ棚に届くために高い台を必要とするのと同じである。従って、二千年という空白は在世結縁の人々の得脱のために、必要な
 猶予期間であったという事ができる。

214美髯公:2011/11/01(火) 19:43:45

   【文上本門と文底独一本門】

  次にでは、釈迦の説いた法華経は末法出現の大法に対して、どのような関係になるのか。この点については、今更疑問として論ずるまでもなく、「本門の
 肝心、南無妙法蓮華経」等の文によっても、既に明らかな事であるが、この段は、まさにそれを明かされた所であるので、改めてみておくとしよう。
 「又本門十四品の一経に序正流通有り・・・・」(P.249 ①) とある一段は、本門といっても文上脱益の本門を示された個所である。次の「又本門に於いて
 序正流通有り・・・・一品二半よりの外は小乗経・邪教・未道道教・覆相教と名く」(P.249 ⑤) とあるのは「一品二半」といっても「我が内証の一品二半」で
 あり、文底下種の本門を示されている。

 これは、どちらも同じ「本門」という表現をされているので紛らわしいが、序分として示されているものの違いから、別のものである事は当然、その浅深
 勝劣も明白である。すなわち、文上の本門の序分は、涌出品の半品にすぎないのに対し、文底本門の序分は「過去大通智勝仏の法華経より・・・・・一代
 五十余年の諸経、十方三世諸仏の微塵の経経」である。この違いは、文上本門の仏の生命すなわち文上本門の立てる本尊と、文底本門の仏の生命即、
 文底独一本門の本尊との勝劣でもある。すなわち、文上本門の仏の生命は、涌出品に出現した地涌の菩薩の師としての久遠五百塵点劫本果成道のそれである。
 それに対し、文底本門の仏の生命は、一切の仏法の結論であり、一切の仏の成道の根源たる久遠元初の南無妙法蓮華経そのものである。本文に於いて、
 この両者の違いは「在世の本門と末法の始めは一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」(P.249 ⑰) と、非常に簡潔に
 示されている。この御文に充分明白であるが、蛇足ながら今少しこの点に説明を加えたい。

215美髯公:2011/11/02(水) 19:36:40

   【個人的体験から万人の体験へ】

  在世の法門、特にその正宗分である一品二半に明かしているのは、釈迦が五百塵点劫という久遠の過去に仏の生命を得たという事である。ここに得た仏の
 生命は、仏としての本質と成るものであって、従って最も完璧であり、普遍的なものである。それは爾前、迹門に説かれてきた仏の生命が、個々の仏に
 特有の個別的な、従って部分的なそれであったのと大きく異なる。爾前、迹門で明かされた仏は、それぞれに独特の性質を持っており、俗なたとえでいうと、
 専門職のようなものである。もちろん、こうした専門職も人間の営みである以上、人間性そのものをも表わしているといえるが、人間性の全体とはいえない。
 同様に爾前、迹門の多様な仏の生命も、仏の持ついろんな側面や特質は表わしても、仏の生命の全体を表わしていなかった。五百塵点劫成道の仏の生命は、
 はじめて最も普遍的で究極的な仏の生命を示したものだったのである。「一同に純円」とは、文上本門に表わされた仏の生命と文底本門のそれとが、
 この意味で共通であるという事である。

 しかし、そこには、なお根本的な違いがある。釈尊が文上本門で表わしているのは、“脱”つまり得られた結果としての仏の生命であり、本果である。
 それに対し、今、日蓮大聖人が建立し弘通されているのは、種子としての、すなわち本因としての仏の生命である。いうなれば、釈迦の文上の法華経は、
 達成された理想を示すのみであるのに対し、日蓮大聖人は、いかにして凡夫の生命を開発し、凡夫が自らの力で釈迦と等しい ―― 否、それ以上の高い
 境涯に到達できるようにするかという課題に取り組まれ、しかもその答えを完璧に教えられたといえよう。“脱”とは、言い換えると収穫されたもの
 である。“種”とは、種子である。収穫物と種子とは、それ自体に於いて言えば同じであろう。だが、その持っている意義と果たす役割は全く違う。
 例えば同じ麦であっても、収穫物としての麦は、ただ一日の飢えを救う事ができるに過ぎない。これに対し、種子としての麦は、大地に蒔かれ育まれる
 事によって、何倍かの同じ麦を生じ、より多くの人々のより長い年月の生命を支える糧となる事ができる。

216美髯公:2011/11/05(土) 20:35:05

  五百塵点劫という過去の釈迦の成道が、単に結果としての意味しか持たないものだったとすれば、それは極端な言い方をすると、釈迦の個人的体験と
 いうに過ぎない。そうした果をもたらした因としての妙法の実在に光があてられ、その正体が明かされ万人に教えられてこそ、釈迦の五百塵点劫成道と
 いう体験は、個人的体験の域を遙かに超出し、万人の体験にかかわるものとなる。“脱”と“種”の相対 ―― つまり、種脱相対という事であるが ――
 のもっている意味は、まさにここにある。従って、文上の本門が釈迦個人の久遠成道を明かしたというだけのものであったのに対し、その久遠成道の因を
 明らかにする事によって、全ての人が釈迦と同じ成道を遂げる方途を開いたのが文底の本門 ―― すなわち日蓮大聖人の仏法である。この意味に於いて、
 日蓮大聖人の仏法こそ真の民衆仏法であり、万人救済の法であるという事ができる。そしてまさに、この万人得道の大法を、あらゆる苦難を乗り越えて
 確立される所、平等大慧の末法御本仏としての大聖人の御真意があったのである。

  本門寿量品の本尊は、末法に入ってはじめて出現する。この事を前段では釈迦の一代の教えを、序分・正宗分・流通分の三段に配する事によって、
 在世の衆生のための正宗分は法華経迹門であり、滅後なかんずく末法のための正宗分が本門の寿量品と、その前後の各半品 ―― すなわち一品二半である
 事を示された。もとより、釈迦が一品二半によって表わそうとしたものは南無妙法蓮華経である。従って、末法に日蓮大聖人によって南無妙法蓮華経として
 その正体が表わされたものが、釈迦在世には一品二半として示されたという事になる。

 これが「在世の本門と末法の始めは一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」(P.249 ⑰) といわれる意味である。
 そこで、一品二半の所詮であり、寿量品の肝心である南無妙法蓮華経が末期末法のためであるという事を裏づける証文を挙げられる。妙法が滅後末法の
 ために残された法であるという事は、法華経の文の上では、この妙法を弘めるべき人に末法弘通の使命を託したという形で表わされている。
 この末法のための人と法とを絶妙に説いたところに、法華経の説法の見事さがある。

217美髯公:2011/11/06(日) 20:49:17

   【法華経の二重構造】

  法華経は、方便品から人記品に至る迹門正宗分で三周の説法により在世衆生の代表として証文に対する授記を行なった後、法師品から以後は、滅後の
 実践を示し、弘通を勧め、それをめぐる仏と弟子のやりとりと、そのための儀式の展開になっている。

  法師品では「我が滅度の後、能く竊かに一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使なり。如来の所遣として
 如来の事を行ずるなり。何に況んや、大衆の中に於いて、広く人の為に説かんをや」(「妙法蓮華経並開結」 P.386) と示し、受持・読・誦・解説・書写の
 五種の修行を説いている。

  次の宝塔品では、滅後における弘通というテ−マがさらに明確に示される。
 まず、多宝の塔が現われ、法華経が真実である事を証明するとともに、この宝塔供養のために十方の諸仏が来至する。そして釈迦は宝塔を開き、中に入って
 多宝如来と並んで坐り、大衆を虚空におくと、「誰か能く此の娑婆国土に於いて、広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり。如来久しからずして、当に
 涅槃に入るべし。仏此の妙法華経を以って付嘱して在ること有らしめんと欲す」(「妙法蓮華経並開結」 P.411) と呼びかけるのである。さらに宝塔品では、
 多宝の塔の出現も、十方諸仏の来集も、「法をして久しく住せしめんが為」であると述べられ、この宝塔品に始まる虚空会の儀式の全体が、滅後のためで
 あると明らかにされるのである。同品後半に説かれる六難九易が滅後の弘教の尊さを強調したものである事はいうまでもない。

218美髯公:2011/11/08(火) 22:04:18

  次に提婆品では、提婆達多と竜女の成仏によって妙法の功力の大いさを示すと共に、滅後末法の衆生のために信を勧めたのである。これに対し、勧持品で、
 二万の菩薩、五百の阿羅漢等が此土、他土の弘教を誓願し釈迦は八十万億那由佗の菩薩に弘教を勧め、これらの菩薩も、三類の強敵を覚悟して十方世界に
 弘通する事を発誓する。安楽行品では、初心のの人の弘通・修行の方軌を説いて、滅後の修行を勧めている。ところが、涌出品では一転して、釈尊は
 八恒河沙の他方の菩薩の弘教の誓いを斥けてしまう。「止みね善男子、汝等が此の経を護持せんこと須いじ。所以は何ん。我が娑婆世界に、六万恒河沙等の
 菩薩摩訶薩有り。是の諸人等能く我が滅後に於いて、護持し、読誦し、広く此の経を説かん」(「妙法蓮華経並開結」 P.473) とあるのが、それである。
 この言葉に応じて地涌の菩薩が出現し、地涌の菩薩がいかなる人々であるかをめぐって寿量品で釈尊の久遠実成が明かされる。そして、分別功徳、随喜功徳、
 法師功徳の各功徳が説かれた後、神力品で地涌の菩薩に対し、嘱累品で迹化の菩薩等に対しても、付嘱が行なわれて、虚空会の儀式は終わるのである。

 それ以後の薬王、妙音、観世音、陀羅尼、妙荘厳王、普賢の六品は、滅後流通の方軌を述べたものと見られる。こうして見ると、法華経は法師品以下、
 一貫して、滅後に妙法を弘通する人を明らかにし定める事を主旨としている事が明らかである。これが、法華経の文の上での内容となっているのである。
 しかしながら、ただ単に弘通する人を定めるだけが法華経の元意だったのではない。末法に弘通される法体が、この法華経の文底に秘沈されているのである。
 つまり、文上だけ読めば、弘通する人を定め説いているのであるが、文底から読むと、その弘通される法があらわされているという二重構造を法華経は
 持っているわけである。

219美髯公:2011/11/09(水) 20:37:47
   【文底仏法を立てる必然性】

  それでは、この法体は、どの様に法華経で表わされているか。ごく素朴な疑問としても、文の底に秘沈されているといっても、文として明らかに説かれて
 いないのに、文の底にあるというのは、何を根拠にしてそういえるのかという疑問が生じよう。もとより、文の底に何かがあるという事は、文の上に
 明かされている事と無関係に勝手にいえる道理はない。たとえば、日常的会話の中でも、相手が言葉として口に言った事の裏に言葉としては出されなかった
 事実を察知する事は往々にしてあるものである。「私は一九××年に弁護士になった」という言葉の裏には、その以前の何年間か法律の勉強をし司法試験に
 合格した事実がある。すなわち、弁護士になったという“結果”の向こうに、その結果を生じた当然の“原因”がある事は誰にでも推測できる事であろう。
 
 特に、そこに示された“結果”が偶然の成り行きで生ずるようなものでなく、強い決意と努力を要するものである場合は、なおさらその“原因”が大きい
 比重を占める。このように文の上には“結果”しか述べられていなくとも、必ず“原因”がある場合、その“原因”は文の底に秘沈さえているといえる
 のである。法華経には、寿量品で五百塵点劫という久遠の昔に成道し仏になった事が明かされている。この寿量品以前は、法華経といっても、まだ釈迦は
 インドに生まれて後、種々の修行を経て初めて仏に成ったという立場である。これを始成正覚というが、この始めて正覚を成じた原因としては、インドに
 生まれてからの修行は大して比重はなく、過去世に、あるいは雪山童子とし、あるいは楽法梵志とし、あるいは戸毘王とし等々さまざまの修行をした事が
 挙げられる。

220美髯公:2011/11/10(木) 20:10:16

 もし、このように多種多様な修行をしてその結果として成仏があるのだとするなら、これは法華経がそもそも説こうとした目的とは、はなはだ異なるものと
 いわなければならない。なぜなら、法華経は開経である無量義経に「無量義は一法より生ず」として一切が生ずる根源の一法があり、その一法を説き
 明かすのが法華経でなければならないからである。また、法華経に入って方便品で、法華経における釈迦の説法の第一声が「諸仏智慧甚深無量」である。
 これは、あらゆる仏の得た究極の悟り=法をここに明かそうという宣言でもある。あらゆる仏の悟った唯一の法がなくてはならないのに、釈迦一仏に
 おいてさえ、過去の修行が多様であるというのは、全く元意から外れているといわざるを得ない。

  寿量品で初めて、それまでの「始成正覚」観は誤りであると打ち破り、実は釈迦は五百塵点劫という久遠の昔から既に仏であったと明かしたのである。
 従って当然「始成正覚」の前提であった過去のあらゆる修行は、成仏のための因ではありえない事になる。「開目抄」巻上に述べられているように
 「本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、四教の果やぶれば四教の因やぶれぬ、爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて本門の十界の因果を
 とき顕す、此即ち本因本果の法門なり」(P.197 ⑮) となったのである。

 とはいえ、寿量品の文の上に表わされているのは、これまでも述べてきたように、五百塵点劫の成道という“結果”のみで、その“原因”となった修行は
 明らかにされていない。いうなれば、真実の果を示す事によって四教の果 (始成正覚) を破り、必然的にその四教の因を破ったけれども、因については
 破ったのみで、その真実の因は、はっきりとは示されていない。「開目抄」巻上の前掲の文の後「九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて・
 真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」(P.197 ⑯) と日蓮大聖人が言われているのは、あくまで文底の法門を胸中に浮かべられた上での言葉である。
 法華経の文自体には“原因”については「我本行菩薩道」としか述べられていないのである。

222美髯公:2011/11/16(水) 22:18:45

   【法華経の文底に秘沈された法】

  五百塵点劫の昔に成道したという“結果”があるならば、その成道をもたらした“原因”が必ずあったはずである。先に挙げた例えでいえば、弁護士に
 なるには、勉強をしたという原因があり、なかんずく、法律を勉強したという事が肝心である。「我本行菩薩道」だけでは、ただ「勉強した」というだけで
 「何を勉強したか」は示していないのと同じである。この「何を」修行したか、すなわち行じた処のものは、いかなる法であったかを知っているのは、
 この時悟った仏と同等あるいは、それ以前の仏でなければならない。つまり、この法を末法に於いて明らかにし弘める地涌の菩薩は、実は釈迦と同じか、
 あるいは、寧ろそれ以上の深い境地を持った仏でなければならない事になる。

  地涌の菩薩の上首・上行菩薩の再誕として出現された日蓮大聖人は、この法を「南無妙法蓮華経」であると明らかにされたのである。この事は右の道理から
 言って、日蓮大聖人の本地が「南無妙法蓮華経」を真実に覚知している久遠元初の自受報身如来である事を意味するのである。それはともかく、寿量品の
 文底に秘沈された釈尊の覚りの法とは、南無妙法蓮華経であったのであり、それは一人釈尊の五百塵点劫の昔の覚りの法に留まらず、あらゆる諸仏が覚り、
 それによって仏に成った究極の法でもある。従って十界のいかなる衆生も、この法を覚れば同じく仏に成れるのであって、一切衆生を釈尊と等しい仏に
 成さしめようとする法華経の目的は、これによって初めて満たされた事になるのである。

223美髯公:2011/11/16(水) 22:20:03

 この究極の法が寿量品の文底に秘沈されているという場合、では具体的にどの文かというと、久遠の成道の因を述べた「我本行菩薩道」の文であり、
 その菩薩道の中でも、成仏への本因である初住位にそれがあるとする事は、今更ここで詳論するまでもないであろう。寧ろ、この文底に秘沈された妙法を
 知って、そこから翻って法華経を読んだ場合、その文々句々が妙法への説明であると共に、法華経の全体が滅後末法に顕わされる法体の相貌を表わして
 いるのである。すなわち、虚空会の儀式がそれであるが、この虚空会の儀式の中でも地涌の菩薩が出現し、仏の成道の久遠が説かれている、寿量品ないし
 その前後を含めた一品二半をもって正意とする。

 従って、法華経の文上の法門と文底の法体との関係を譬えでいえば、障子とその向こうの灯りの様なものである。障子が明るいのは、その向う側に燃えている
 灯りのせいである。明るく輝いている障子は釈迦の法華経二十八品である。全体が向こうの灯りの光を受けて明るいが、その明るさは一様ではない。
 灯りの光が真っ直ぐに通って視る人の目に飛び込んでくる所は、特に明るい。これが一品二半あるいは寿量品にあたると考えてよいであろう。
 少しくどくなったが、以上のように法華経は、文上のみで読めば滅後弘通の人について説いているのであるが、文底から読めば、滅後に顕わされる法体を
 示しており、この文底と文上との間を繋いでいるのが寿量品の「我本行菩薩道」になっているのである。

 「観心本尊抄」は、これまでの所で末法に出現する法体を明らかにされ、ここから以降は、その法体を顕わし弘める人について明らかにされるのである。
 日寛上人は前段の「此等は且く之を閣く迹門十四品の正宗の八品は一往之を見るに二乗を以て正と為し・・・・」(P.249 ⑩) 以下を「流通を明かす段」と
 位置づけられている。その根本義は、ここから「・・・・彼は一品二半此れは但題目の五字なり」(P.249 ⑰) までの数行に納まっているが、その内容に
 ついては既に述べたので、ここでは触れない。「問うて曰く其の証如何」(P.249 ⑱) という事についての経文上の証拠を求めているのである。

224美髯公:2011/11/17(木) 20:41:01

   【滅後弘通の至難を鮮明化】

  この答えとして、まず涌出品で八万恒河沙の他方の菩薩が誠意をこめて、娑婆世界即ちこの世界に妙法を弘通させて欲しいと願い出たにもかかわらず、
 釈迦仏は「止みね善男子、汝等が此の経を護持せんことを須いじ」と、あっさり断った事を挙げられている。これは、法師、宝塔、提婆、勧持、安楽行の
 五品で、迹化・他方の菩薩達に滅後の弘経を勧めたのと、水と火の様に違っているといわれ、その裏づけとして宝塔品で釈尊が呼びかけた言葉をあげられて
 いる。この宝塔での釈迦の呼びかけは、多宝如来・十方の諸仏立ち会いのもとでなされたのであるから、単に釈迦一仏の呼びかけではない。故に迹化・
 他方の菩薩達は、勇んで「我不愛身命」の誓いを立てたのである。しかるに、その心からの誓いに対して釈迦は一言で「止みね善男子」と、その誓いの
 申し出を斥けたのであるから、菩薩達にしてみれば「進退惟れ谷まり、凡智に及ばず」という有様になった。これは、妙法の弘教は単に意欲、意志だけでは
 できない事を表わしている。

 天台大師が「是れ我が弟子なり。応に我が法を弘むべし」といっている様に、久遠の本仏の直弟子でなければならない。また、妙楽が「子、父の法を弘む。
 世界の益有り」という様に、久遠の子でなければならない。また、輔正記に道暹が述べているように、久成の人即久遠本仏の臣下でなければならない。
 つまり、久遠成道の仏と師弟不二、親子不二、君臣一体の契り深い地涌の菩薩でなければ、邪智謗法の充満する悪世に、この妙法を弘める事は、とうてい
 叶わないという事である。それでは、この事は釈尊には当然、初めから解っていた事であるのに、なぜ宝塔品等で迹化・他方の菩薩に弘経の誓いを立てよ
 などと呼びかけたのか、という疑問が生ずる。初めから付嘱するつもりもないのに、この様に呼びかけたとは随分意地の悪い事をしたものだという印象は
 避けられない。

229美髯公:2011/11/19(土) 21:44:18

 しかし、釈迦がこうした手順を踏んだのも、深い配慮があっての事であったと考えなければならない。それは一つは、滅後の悪世に妙法を弘める事は至難中の
 至難である事を、より明確に浮き立たせるためである。もちろん、釈尊が自ら理由を述べて、当初から迹化・他方には付嘱しないと断わって、地涌の菩薩を
 召し出しても事は足りたかも知れない。しかし、これほど鮮烈に印象づける事はできなかったであろう。もう一つは、地涌の菩薩の資格、その本地を暗示する
 ために必要だったと考えられる。滅後の悪世に、この法を弘めたいという意志は、迹化・他方の菩薩も充分に持っている。この事を示しながら、なおかつ
 それを斥けて地涌の菩薩にのみ付嘱する事によって、地涌の菩薩の本地が迹化・他方とは比較にならない深遠な処にある事を表わしたのである。

  この地涌の菩薩の甚深の本地を示した事は、また釈尊自身の本地の開顕という重大な説法に繋がって行く、すなわち、この地涌の菩薩を「我が弟子なり」と
 示す事によって、その師である仏自身も本地も始成正覚の浅近なものでなく、久遠実成の深遠なものである事を明らかにしたのである。従って、これは
 涌出品後半、寿量品における開近顕遠という法華経の最重要の説法への序分となっているのである。前段の五重三段の所で文上本門の三段が、涌出品の
 半品を序分とし寿量品とその前後の、いわゆる一品二半を正宗分として、以下を流通分とする立て方になっているのは、まさにこの故なのである。
 だが、更に深く論ずれば、迹化・他方の菩薩といっても、特別に存在するわけではない。正・像・末を問わず、更に三世十方のあらゆる衆生も含めて、
 生命の当体は南無妙法蓮華経である。正法・像法時代の人々と末法にのみ出現するとされる地涌の菩薩と、その生命に違いがあるわけではない。

230美髯公:2011/11/20(日) 20:04:30

 従って、迹化・他方を斥けたといっても、そうした形を持った誰かが斥けられたのではない。迹化・他方に象徴される浅い自覚を、妙法弘通の任に耐えられない
 として斥けたのである。逆に言えば本化地涌の菩薩の自覚と実践に立っている人であっても、その生命には迹化・他方の菩薩の働きも備わっている。
 大聖人御図顕の御本尊に、迹化・他方の諸菩薩の名前が認められているのは、これを表わされているのである。迹化としての自覚とは、私達が社会の中で
 持っている立場のみを本地とするような考え方である。また、他方の菩薩の意識とは、自分が今居るこの社会は、仮のものであって、自分は、たまたま
 この世界にいるのだとするような考え方である。それに対し、久遠の仏の弟子であり子であるとの自覚に立ち、今のこの世界が我が本国土であると覚知して、
 自己の成仏と人々の幸せを目指して、妙法を唱え弘めて行く人を地涌の菩薩というのである。妙法を弘めるには、この地涌の菩薩としての自覚、覚悟が
 なければならないという事を釈迦は示したのである。

 だが、地涌の菩薩としての自覚に立っていても、現実の社会の中で仕事や社会的活動をしていくのは当然で、その活動は迹化の菩薩によるのである。
 この場合の迹化は排斥されるべきではなく、妙法弘通の地涌の菩薩としての働きを助ける役割を持つ事を知るべきであろう。

231美髯公:2011/11/21(月) 19:57:46

   【滅後末法を正意とする本門】

  次に涌出品の中で、釈尊が地涌の菩薩を「我が弟子」であると言った事から、それに対し更なる疑問が出てきた。それは、釈迦は成道してわずか四十年に
 しかならないのに、このように立派な菩薩を、かくも大勢、教化しえたわけがない、という事である。出現した地涌の菩薩は六万恒河沙とあり、また一人
 一人が六万、四万恒河沙等々の眷属を率いているという。しかも、一人一人、威風堂々の大菩薩なのである。これを弥勒菩薩が代表して質問し、それに答えて、
 寿量品で久遠五百塵点劫の成道が初めて明らかにされるのであるが、弥勒の質問の中に「在世の我々は仏のいわれることは真実であると信ずるが、滅後の
 人々は信じられなくなって、かえって法を破し罪業の因縁を起こすであろう。その未来の人々のために説いてほしい」という意味の事が述べられている。
 この事は、それに答えた寿量品が滅後のためであった事を示しているのである。

  寿量品には、釈尊の久遠の成道が明かされると共に、一切衆生の成仏の法が文底に秘沈されている。久遠下種の本心を失っていない衆生はこの寿量品の
 説法によって得道するが、久遠下種の本心を失っている衆生は、あたかも、寿量品に述べられている良医の譬の中の「毒気深入」の子等が父の良薬を
 服まない様に、仏の正法を信受しない。そうした「失本心」の衆生のため、仏は大仏法を遺すというのである。そして、この本心を失った毒気深入の
 衆生とは、滅後といってもなかんずく、末法の衆生である事を分別功徳品の「悪世末法の時」の文によって示されているのである。これもまた、法華経
 本門寿量品の肝心の大法が、末法のために説き遺されたという事の裏づけとなっている。この様に「其の証文如何」との質問に答えて、大聖人は弘通する
 人の面から地涌の菩薩に定められたのは悪世末法の故である事、そして弘通される法の面から涌出品、寿量品の文に即して、やはり悪世末法を主眼と
 されている事を明らかにされたのである。質問に対し、実に見事な明快な答えである。

232美髯公:2011/11/22(火) 20:02:54

  次の「問うて曰く此の経文の遣使還告は如何」(P.251 ⑦) は、いまの寿量品の文にある「復他国に至って、使いを遣して還って告ぐ」を詳説するために
 設けられている。当然、この問に対する答えは寿量品が終わり、寿量文底の正法を託する神力品において明らかとなるのである。はじめに大聖人は、
 正法時代の前半、同後半、像法時代、そして末法と仏滅後の各時代に応じて、仏法の中でもそれぞれに異なる教法をもって衆生の依処となった実践者、
 指導者が現われた事を示されている。すなわち、正法時代前半の五百年に人々の依処となったのは、小乗経を根本とした正師であった。正法時代後半の
 時代の人々の依処となったのは、権大乗教をもって教えた正師達であった。像法時代は法華経迹門を根本とした正師が人々の正しい師となったという
 のである。

 ただし、これらは本文を拝してわかるように、いずれも「多分は」という事であって、厳密にみれば、はみ出し、重なり合っている。
 また、土地によっても、ズレがある。たとえば、インドなどでは、正法時代後半から権大乗教が優勢を占めたが、中国に仏教が渡ったのは、
 正法時代という区分でいえば、既にその末期である。従って、中国では像法時代前半が小乗、権大乗教の時代で、後半が法華経迹門の正師の時代になる。

  中国で法華経迹門の仏法が確立された頃は、インドではイスラム教の侵入等によって仏教は滅び、法華経迹門の正師の時代というものを経験しないままに
 終わったのである。このインドに仏教が滅びた頃、日本に仏教が伝えられ、そこでもやはり、小乗、権大乗混在の時代から、伝教大師の出現によって
 法華経迹門の正師の時代になった。伝教の正法は短期間で終わったが、その教理の内容は真言宗等によって歪曲されながらも伝えられた。従って、もともと
 法華経迹門に由来する法を根本とした人が時代の正師とみなされた事には変わりない。ともあれ、これらの正法・像法時代に対して法華経本門を根本とする
 師が、人々の正しい依処となる時代が末法であり、この本門の四依である地涌の菩薩が、いまの寿量品の「遣使還告」の“使”であるとの仰せである。

233美髯公:2011/11/23(水) 19:55:15

   【本化地涌に付嘱された法体】

  「本門の四依は地涌千界末法の始に必ず出現す可し今の遣使還告は地涌なり是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり、此の良薬をば
 仏猶迹化に授与し給わず何に況や他方をや」(P.251 ⑨) 。この文は、先に他方を斥けた事を述べられた部分の文と殆ど一致している。すなわち「所詮迹化
 他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法の国にして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる
 妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」(P.250 ⑨) と。これは、涌出品で他方の菩薩を斥けたのは、後の神力品で地涌の菩薩に付嘱する
 ためであった事を明示されているのである。そして、神力品で本化地涌の菩薩に付嘱された法が「我が内証の寿量品」、また「寿量品の肝心 (肝要) たる
 妙法蓮華経」、南無妙法蓮華経である。くどく言う様であるが寿量品は、この法体を明かした品であると共に、良医の譬を以て本心を失った悪世末法の
 衆生のための大良薬として、滅後末法を指向するものである事も明らかにしているのである。

 なお、右に引いた御文の中に「寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経」といわれている事に触れておかなければならない。これは本来は、天台が
 法華経の題号である「妙法蓮華経」を釈するにあたって、釈名、弁体、明宗、論用、判教の五章を立てた事から来ている。釈名とは、この経の題名の意味を
 釈する事であり、弁体とは、経の体である所詮の理をつまびらかにする事、明宗とは、その特質を明らかにする事であり、論用とは、功徳・力用を論ずる
 事、判教とは、教相を判釈する事である。このように、天台が五重玄義を以て妙法蓮華経を釈したという事は、妙法蓮華経の題号は単なる名でなく、体で
 あり、従って、それ自身の宗・用・教をそなえているという事を前提にしている。神力品には、釈尊が上行等の地涌の菩薩に対し付嘱して述べた言葉が
 記されているが、その中で付嘱する法について述べた文を結要付嘱という。本抄でも少し後に出てくる「要を以て之を言わば如来の一切の所有の法・如来の
 一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事皆此の経に於いて宣示顕説す」(P.252 ⑤) がそれである。

234美髯公:2011/11/24(木) 19:54:02

  釈迦から上行菩薩に付嘱された法体とは南無妙法蓮華経であるという前提からこの文を振返ると、これは要するに南無妙法蓮華経の持つ特質を、種々の
 角度から言った言葉であるという事になる。事実、天台はこの神力品の文を釈して、次のように五重玄に配している。

           ┌─ 自在神力 (用玄義) ─┐
           │            │
   一切所有の法 ─┼─ 秘要の蔵 (体玄義) ─┼─ 宣示顕説
    (名玄義)   │            │  (教玄義)
           └─ 甚深の事 (宗玄義) ─┘

 これらを踏まえて日蓮大聖人は、南無妙法蓮華経を単に名として唱えるのみでなく、その当体として御本尊を建立され、この御本尊を信受する一切衆生を
 仏土に住せしめる用があるとして、その処が即戒壇であるとして三大秘法の仏法を顕わされた。従って、神力品の結要と三大秘法との関係は次の様になる。
   如来一切自在神力 (用) ―― 戒壇
   如来一切秘要の蔵 (体) ―― 本尊
   如来一切甚深の事 (宗) ―― 題目

 最初の「如来の一切の所有の法」(名) はこれら三大秘法の全体に相当するのである。従って「名体宗用教の南無妙法蓮華経」が「遣使還告」の“使”としての
 地涌の菩薩が末法悪世の衆生に服せしめる良薬であるという事は、末法に日蓮大聖人が一切衆生に弘められる大法は三大秘法の南無妙法蓮華経である事を
 意味するのである。もとより、「観心本尊抄」自体が、この最も根本である“体”にあたる本尊を明らかにされた抄であるから当然ではあるが、
 この「名体宗用教の南無妙法蓮華経」という表現からも、日蓮大聖人の仏法は三大秘法を骨格とし、なかんずく、その“体”たる本尊を最も根本としなければ
 ならない事を知るべきであろう。

237美髯公:2011/11/25(金) 20:17:06

   【嘱累品の総付嘱の意義】

  この段では、続いて寿量品に良薬の譬で示された肝要の法は、神力品において迹化や他方の菩薩にではなく、ただ本化地涌の菩薩にのみ付嘱された事を
 神力品の現文により、また、それに対する天台、道暹等の釈をあげて示されていく。また同じく神力品の広長舌相をあげられているのは、この地涌への
 付嘱が釈迦をはじめ十方の諸仏の証明のもとに行われた事であって、絶対に偽りはないし偽りになってしまう事も断じてありえないという事をしめされて
 いるのである。神力品に示される十神力は、一往天台仏法に於いては、その前半の五つは在世のため、後の五つが滅後のためとされるけれども、再往根本的な
 意義をいえば、すべて滅後のためである。十神力とは、①広長舌、②毛孔放光、③一時謦欬、④倶共弾指、⑤地六種動、⑥普見大会、⑦空中唱声、⑧咸皆帰命、
 ⑨遙散諸物、⑩十方通同、と名づけられるものである。

 出広長舌から倶共弾指は釈迦仏及び十方の諸仏の振舞いであり、地六種動は、この仏たちの謦欬 (せきばらい) と倶共弾指 (指を鳴らす事) によって起こった。
 故に天台は、このはじめの五つを在世のためと釈したのであろう。それに対し、残りの五つは十方世界の衆生が歓喜して行なった事で、最後の十方通同は
 その結果、十方世界が一仏土となったという事である。天台は、この故に滅後のためと釈したと考えられる。しかし、全ては地涌の菩薩に末法弘通の法と
 使命を付嘱するために現じられた十神力であるから、この根本に立って、大聖人は「爾りと雖も再往之を論ずれば一向に滅後の為なり」(P.252 ⑩) と
 判じられているのである。またそれは、経文自体にも明らかであるとして、次下の「仏滅度の後に能く此の経を持たんを以ての故に諸仏皆歓喜して無量の
 神力を現じ給う」(P.252 ⑪) の文を挙げられている。これは、つまり諸仏の神力も、滅後末法の衆生が妙法を受持する事を歓んで現じられた、という意味の
 文である。

238美髯公:2011/11/26(土) 20:10:51

  神力品の後、嘱累品では地涌の菩薩をはじめ、涌出品では一旦斥けた迹化・他方の菩薩、さらには梵天や帝釈等をも含んで、あらゆる弟子達に付嘱が
 行なわれる。地涌の菩薩のみを対象とした神力品の付嘱を別付嘱というのに対し、この付嘱を総付嘱と呼ぶ。また、引文にもあるように、釈尊が菩薩達の
 頂を摩でて付嘱したので、摩頂付嘱とも称するのである。釈迦が一旦斥けた迹化・他方の菩薩等に付嘱した理由は、寿量品の肝心の南無妙法蓮華経は本化
 地涌の菩薩に託すが、それ以外の教法は迹化・他方の菩薩等に託すためである。この事は、先に生命論的にいって、地涌の菩薩の自覚に立ったとしても、
 現実に社会の中で行動して行くのは迹化の菩薩の働きによると、述べた事を考え合わせれば明瞭になる。すなわち、そうした社会の中での行動は、直接に
 南無妙法蓮華経を人々に説くわけではない。その仕事を通して、人々の幸せのために貢献しながら、仏法を実践する事による人間生命の素晴らしさを示す
 のである。いわば、間接的に仏法の偉大さを人々に知らしめるわけである。

  また、神力と嘱累の二つに分けて付嘱が行なわれた意味は、一言に滅後といっても釈迦の教法自体を弘通する正法・像法の時代と、釈迦の教法によっては
 救う事のできない衆生の時代である末法とは根本的に異なる。このように、根本的に異なる二つの時代を対象にする以上、付嘱もまた二つに分けられた
 のは当然であったといえよう。その点については、次の段で論じられる事であるので後にゆずる。ともあれ、神力・嘱累の付嘱が終わると同時に、十方の
 諸仏は各自の本土に還られ、多宝の塔も元に戻って消えた事からも、法華経の中核である虚空会の儀式自体が、まさに滅後の令法久住、そしてそのための
 付嘱のための儀式であった事が、はっきりとうかがわれる。薬王品以下の五品の内、妙音品、観音品、普賢品は迹化・他方の菩薩が令法久住のためにどのような
 働きをするかを述べ、その使命を与えたものである。また陀羅尼品は鬼子母神等の諸天善神の働きを明らかにしており、妙荘厳王品は家庭の中での弘通の
 姿をあらわしているといえる。

239美髯公:2011/11/28(月) 00:49:55

   【末法を正意とする深義】

  これまでの文中でも、たとえば「所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法の国にして・・・・」(P.250 ⑨)
 また「本門の四依は地涌千界末法の始に必ず出現す可し」(P.251 ⑨) 等、寿量品の肝心である南無妙法蓮華経は地涌の菩薩が末法に出現して、末法の世に
 弘める法である事を述べられている。ただし、涌出品には、ただ「仏の滅後に於いて」とあるのみで、神力品も「仏の滅後、世尊分身の所在の国土、滅度の
 処に於いて」というのみで、はっきりと末法に限定されているわけではない。それをはっきり、地涌の菩薩が出現する時代という事は、寿量品の肝心たる
 南無妙法蓮華経が弘められる時代は、正像二千年間ではなく末法であると示されるのが「疑つて云く正像二千年の間に地涌千界閻浮提に出現して此の経を
 流通するや」(P.252 ⑱) の問に始まる段である。

 この質問に対して、まず「爾らず」と簡単に答え、この答えを聞いて質問者は、なぜ地涌の菩薩が正像二千年間に出ないのかが納得できないと重ねて質問
 する。ところが「宣べず」と答えを拒絶し、いわゆる三請三誡重請重誡の儀式が踏まれる。いうまでもなく、この事は極めて重大な問題であり、軽々しく
 口にすべきでないという意義を表わしておられるのである。これまで述べてきた事からすると、これは別に目新しい問題ではないように思われるから、
 このように慎重な態度をとられるのは、「いまさら」という感がしないでもない。だが、よく考えてみると確かに地涌の菩薩が末法に出現して、寿量品の
 肝心である南無妙法蓮華経を弘めるとはいわれているが、地涌の菩薩は正像には現われないという事は明言されていない。同じ事のようであるけれども、
 根本的に違うのである。

240美髯公:2011/11/28(月) 19:40:05

 それは、もし地涌の菩薩が正法・像法時代にも出現しているとすれば、地涌の菩薩とは、あくまで釈迦仏の法を託されて、釈迦仏法を伝える菩薩という
 事になる。すなわち、その弘める「寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経」は釈迦の仏法であり、ただ、その最も真髄の法で特に毒気深入の衆生ために教える
 のだというだけの事になるのである。ところが、地涌の菩薩は正法・像法時代に出現する事はない。ただ末法に初めて出現するのだとすると、正法・像法時代の
 衆生を救う釈迦仏法の法に対して、それとは別の新しい仏法を以て末法の衆生を救済するのが地涌の菩薩であるという事になる。この事は、釈尊が寿量品の
 文底に秘沈した「寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経」は、釈迦仏法の範疇を超えた、さらに偉大な方である事、そして地涌の菩薩とは、釈迦仏法の域の
 外にある甚深の境地の存在である事を意味するのである。

  そして、この点は本抄の題号の「如来滅後五五百歳に始む」によって、端的に示されたところでもある。釈迦仏の法が隠没して、もはや衆生を救う事が
 できないこの時に、日蓮大聖人が始めて顕わされる仏法の極致が「観心本尊」であるという事は、釈迦仏法とは別の新たなる仏法の創始を意味するので
 ある。それはまた、日蓮大聖人が末法万年の衆生を救う御本仏である事を意味している。翻って、この立場から釈迦の存在意義を考えるならば、釈迦は
 末法の御本仏出現のための序分であり、釈迦の教法は末法の大法のための説明書であり預言書であった事になるのである。「已前の明鏡を以て仏意を
 推知するに仏の出世は霊山八年の諸人の為に非ず正像末の人の為なり、又正像二千年の人の為に非ず末法の始め予が如き者の為なり」(P.253 ⑦) と
 言われているおは、まさしくこの事を仰せられたのである。

241美髯公:2011/11/29(火) 19:10:57

   【地涌の菩薩の実践の姿】

  この段は、なぜ地涌の菩薩は正法・像法に出現せず末法に出るかを、まず法華経、涅槃経の文を挙げ、次に道理によって示し、「我が弟子之を惟え」以下で
 結ばれている。経文を引いて答えられている事は、要するに末法の衆生は最も誹謗闡提の病が重いので、寿量品の肝心の大法による以外にない。
 従って薬王品にも「後の五百歳、閻浮提に於いて広宣流布」と明記されているという事である。道理によって答えられている概要は、機根と時を根本に
 して正法一千年は小乗・権大乗の機であって、在世に下種された人々をこれら小乗・権大乗によって脱せしめた。もし、これらの衆生に本門の大法を
 説くなら、いたずらに誹謗の心を起こして、せっかくの善根を破ってしまう。

 像法時代には後半に、南岳・天台が出現して法華経の迹門を表に、本門を裏として一念三千法門を立てた。「観音・薬王・南岳・天台と示現し」とは、
 南岳は観音の示現であり、天台は薬王の示現であると言い伝えられた事を用いられ、これらの人々はあくまで迹化であって、本化地涌の菩薩ではないと
 言われているのである。なお、ここでは触れられていないが、伝教は天台の後身であって、同じく薬王の示現という事になる。南岳・天台・伝教は、
 自分では南無妙法蓮華経の題目を唱えた事が、深秘の口伝として伝えられており、その点については「当体義抄」等に大聖人も論及されている。しかし、
 公けに宣べた法門は一念三千の“理”を一切衆生は具しているという事であって、それを“事”として行ずるための題目と本門の本尊は、人々に示さなかった。
 「広く之を行ぜず」とは、自身の内証としては本門の本尊を知っており、自行として題目を唱えたけれども、公に説かなかったという事である。

242美髯公:2011/11/30(水) 19:01:32

 この理由を、大聖人は「所詮円機有って円時無き故なり」(P.253 ⑬) と簡潔に述べられている。正法時代には、寿量文底の大法を弘めるには時機ともに
 条件がなかった。像法後半においては、南岳・天台等ごく限られた人についてはすでに機があった。しかし、それを広く行ずるには、まだ時の条件がなかった
 という事であろう。それに対し、いま末法はまさしく地涌の菩薩が出現し、寿量文底の妙法を弘めるべき時であり機である。時は、先の薬王品の「後の五百歳」の
 文に照らせば、末法がそれに当る事は明らかである。機は「小を以て大を打ち権を以て実を破し・・・・」(P.253 ⑮) といわれているように、末法の
 衆生には過去の善根を守らなければならないといったものは全くない。

 従って、この妙法を強いて教え、たとえ誹謗し地獄に一旦はおちても、それが必ず因となって成仏の大利益を得るのである。「謗ずるに因って悪に堕ちなば、
 必ず因って益を得ん」とは妙楽の法華文句記の文であり、一旦は誹謗によって悪道に堕ちたとしても、それを因として必ず成仏の益を得るという意味で、
 逆縁の功徳を述べたものである。「我が弟子之を惟え」以下は、この段を締め括って地涌の菩薩が必ず末法の今の時に出現される事、そして、その実践の
 姿はどのようであるかを簡明に述べられている。地涌千界は釈尊の初発心の弟子でありながら、釈尊の説法の座で出現したのは、ただ法華経の涌出品から
 属累品までの八品の間のみである。この八品は滅後のための付嘱の儀式であるから、そこで付嘱を受けた地涌の菩薩が、釈迦・多宝・分身諸仏の三仏に
 約束して出現するはずの末法の初めにでてこないわけがない、と。

 そして、その実践の姿については「折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」(P.254 ②) と、明確に示されて
 いる。賢王とは、王という特別な社会的地位を限定して言われているのではない。現実社会の中で、力ある存在を王とされたと考えるべきである。
 すなわち、人々の幸福を守る正しい理念を持った力ある人として、利己欲にとらわれた愚かな指導者を誡め責めて、現実社会の中で活躍していくのが「折伏を
 現ずる時」の姿であるとの仰せである。従ってこれは、在俗の立場である事はいうまでもない。これに対し、摂受を行ずる時は僧すなわち出家者となって、
 正しい仏の教えを弘持するのである。弘は化他であり、持は自行である事はいうまでもなく、従って正法を自ら行ずると共に化他弘教して行くのが摂受を
 行ずる時の姿であるとの仰せである。

243美髯公:2011/12/01(木) 19:30:37

   【末法における摂受・折伏】

  一般に、仏道修行の根本として摂受・折伏を立てる場合、摂受は求道をいい、折伏は弘教をいう。例えば「佐渡御書」で「仏法は摂受・折伏時によるべし
 譬ば世間の文・武二道の如し」(P.957 ②) と言われる場合は、その後に例としてあげられている雪山童子等の求道が摂受であり、師子王の如くなる心を
 もって邪法を打ち破って行くのが折伏である。だが、仏法の極理を三大秘法の御本尊として確立され、邪智謗法の衆生が充満する世に護持し、この法に
 よって救っていく事が課題とされる末法に於いては、弘教即折伏が一貫した根本的実践となる。そもそも、地涌の菩薩は、弘教を使命として出現するので
 あるから、この事は当然である。従って、末法に出現する地涌の菩薩の実践について摂受・折伏を立てるならば、折伏はもとよりの事、摂受もまた弘教を
 根底に置いたものとならなければならない。

 ここでの相違は、五濁の充満する社会の真っ只中に飛び込んで法を実践し、人々の救済に取り組んで行くのが「折伏」の行であり、社会=濁世から一歩
 出た立場つまり出家者となって、正法自体を弘め受持していくのが「摂受」の行となる。これは更に端的に言うならば、現在の社会の中に、妙法を根底に
 秘めて繁栄と平和を実現する“広宣流布”を目指すのが「折伏」であり、妙法それ自体を表面に立て、妙法それ自体を護持し弘めて“令法久住”を目指す
 のが「摂受」―― といっても、折伏の上の摂受 ―― であるといってもよいであろう。「此の四菩薩・・・・」とあるように、いずれも本化地涌の菩薩の
 あらわす姿であり、その行ずる実践である。大聖人御自身、一貫してこの両方を我が身に現じられたが、大きく分けて言えば、佐渡以前は当時の現実社会に
 あって「愚王」を誡責する「折伏」を現ずる事を表にされ、佐渡以降は万年の未来のために正法を弘教する「摂受」を行ずる事を中核にされたと拝せられる。

244美髯公:2011/12/02(金) 20:44:03

 同様に、我々の実践に於いても、個人個人がこの両面を回転して行く。勤行、座談会、その他の活動は、今の御文でいえば「摂受を行ずる時」の姿と合致
 しており、自身の社会の中での行動は、今の御文の「折伏を現ずる時」の姿に相当している。だが、ここで大事な事は、いずれも「此の四菩薩」のあらわす姿で
 あるという事である。と言う事は、その場面がどうであれ、また立場が別であっても等しくその主体者は本化地涌の菩薩であるという事である。従って、
 個人でいえば如何なる場合に臨んでも、地涌の菩薩としての振舞いである事を忘れず、その行動を大切にする事であり、立場を互いに異にする場合でいえば、
 互いを等しく地涌の菩薩として尊重し合うという事である。

  ここに、個人の行動の場面の相違に約していえば信心即生活、仏法即社会の原理であり、僧俗の立場の相違に約していえば僧俗和合、異体同心の原理が
 ある。この御文はこれらの相異なるものを共に地涌の四菩薩の生命に納めておられるのであり、個人においても、宗団においても、相異なる振舞いや立場が
 車の両輪のようにかみ合って回転して行く時、地涌の菩薩の使命である妙法の末法流布が推進され、結実をみるのであるとの御教示と拝すべきであろう。
 こう拝する時「我が弟子之を惟え」と仰せられ「当に知るべし」と呼びかけられた言々句々に、千鈞の重みを実感せずにいられない。

245美髯公:2011/12/03(土) 19:28:15

   【史上空前絶後の闘諍】

  「問うて曰く仏の記文は云何」は、末法今時を妙法の広宣流布の時と定めた釈尊並びにその正統を受け継いだ釈迦仏法の正師達の証文を尋ねているのである。
 この答えとして、法華経の薬王品の文、天台の法華文句、妙楽の法華文句記、伝教の守護国界章の文を挙げられ、いずれも末法の初めの時代を指向して
 いる事を示されている。また、同じく伝教の法華秀句には、法華経の肝心の大法が流布される時と国土、機根等が述べられており、それがまさに日蓮大聖人
 当時の世相と合致している事を強調されている。すなわち「闘諍の時」とは、文永九年二月の北条時輔の乱にもみられる、為政者である幕府内部の絶え間ない
 争乱であり、世界史上未曾有の征服者、モンゴル族による日本侵攻の大軍である。

 洋の東西を問わず、戦乱は何時の時代にも絶えた時がなかったといってよいが、我が国の歴史では鎌倉時代ほど権力の中枢部で絶え間ない闘争が行われた
 例は、他にない。そして同時に、世界の歴史おいてモンゴル族の征服戦争は、それ以前にはない大規模なものであり、それ以後、近代戦の時代に入っても、
 これだけの広い範囲に征途を記した例はない。それはまた、我が日本にとっては、空前絶後の国難をもたらしたのである。日蓮大聖人が、伝教の「人を
 原れば五濁の生・闘諍の時なり」の言葉を引いて、闘諍の時とは「今の自界叛逆・西海侵逼の二難を示すなり」(P.254 ⑧) といわれたのは、けっして牽強
 附会ではない。また、七百年経った今日も、それ以後、あれ以上の自界叛逆、他国侵逼の大難はなかった事をもって、今も真実性を失っていない事を知る
 のである。

246美髯公:2011/12/04(日) 20:06:58

 このように言えば、自界叛逆なら鎌倉時代よりも、後の戦国時代の方が激しかったではないか、また他国侵逼なら、第二次大戦の方が大きいではないか、
 と思う人もいるかも知れない。だが戦国時代の内乱は権力を巡っての争いであり、既に権力を握った者の中枢内での争いではない。また、鎌倉時代は、
 一方に蒙古襲来を控えながらの内乱であった事に、比較にならない重大さと深刻さがあった。そして、その蒙古襲来という侵略軍は、当時の日本の防衛力に
 比して圧倒的に強大であって、この点で第二次大戦の時の、連合軍の進攻力と日本の防衛力との比をはるかに上回っている。そればかりでなく、当時の
 蒙古軍の徹底した残虐ぶりは、国際協定や人道精神の枠をはめられた第二次大戦の連合軍とは比較にならない。なによりも、根本的な事は物理的な力の
 大小や、もたらされた破壊の規模の問題ではなく、そのために日本の民衆が味わった恐怖と苦悩である。そこに、当時の難を空前絶後とする所以がある
 のである。

  この苦悩の因って来たるもとは、人間の生命の濁乱にある。病の根は深い所にあるのである。自界叛逆・他国侵逼という現象そのものは、いうなれば、
 病気によって現われた症状にすぎない。症状のみをいじっても病根が除去され改善されない限り、災いはいつまで経っても無くなりはしないであろう。
 否、かえって病をこじらせ、なおのこと不治の重病に陥る危険さえある。この人間生命の濁乱の除去、生命自体の変革という根治の法として、大聖人は
 大法を建立されたのである。しかも、本抄ではこの事に触れられていないが、自界叛逆・他国侵逼の二難については、大聖人はこれよりも約十四年前の
 「立正安国論」以来、元よりこれらの災いが現実化する以前から一貫して仏法の道理に照らして、日本民衆が謗法の罪をこのまま重ねれば、必ず起こると
 予告し戒められてきた。これが、その通りになったという事は、大聖人の悟られた仏法が正しい事の証明であり、すなわち日蓮大聖人が衆生救済の正しい
 仏法を持った仏であるとの証左である。

 国中を上げての災難の時に、これを機として大仏法を建立するというのは、捻くれた考え方をする人がいうように、人々の不幸につけこむのでは全くなく、
 民衆を救おうとする大慈悲から出た振舞い以外の何ものでもない事が、このことからも明白である。

247美髯公:2011/12/05(月) 22:47:13

   【本門の釈尊を脇士となす本尊】

  「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」(P.254 ⑧) は、本抄の中でも特に重要な御文の一つである。
 日蓮大聖人御自身が、この本尊建立の主体者である事は言うまでもない。「本門の釈尊」とは、法華経本門の教主である久遠五百塵点劫成道の釈尊である。
 この釈尊を脇士と為す本尊が、大聖人建立の三大秘法の御本尊であり、この事は先に文底独一本門の本尊を明かされた御文と一致する事も、もとよりである。
 すなわち、「其の本尊の為体本師の娑婆世界の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士上行等の四菩薩・文殊弥勒等は
 四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故
 なり」(P.247 ⑯) と。

 ただ、先の御文では、次下に正像に未曾有の本尊である事を述べられ、以下その時という点をめぐって、時間的視点から論を進められたのに対し、
 この御文では「一閻浮提第一」と仰せられ、さらに「月支・震旦に未だ此の本尊有さず」と空間的視点から国土に主眼をおいて述べられている。これは、
 この御本尊を根本として、日蓮大聖人の仏法が、すなわち末法万年の闇を照らす大白法が、日本から「一閻浮提」すなわち全世界へ流布されるべき事を
 意図されていたと拝せられる。「一閻浮提第一」との表現には、全世界の人々に伝えられ、全世界人類の信仰の依処となるべき本尊であるとの、強い確信が
 秘められている。まさに大聖人は、御自身のこの仏法を真実の世界宗教となるべきものとして、明確な意識を持って位置づけられているのである。
 インド、中国に未だ顕わされた事のないこの御本尊を、日蓮大聖人は「此の国」すなわち日本に、はじめて開顕されるのであるが、もとより日本に於いても、
 未だかつてなかった本尊である。以下、日本の仏教史において、これまで立てられてきた本尊の代表的なものを挙げられ、本門の釈尊を脇士とする本尊が
 未曾有である事を示される。

248美髯公:2011/12/06(火) 19:21:03

  日本仏教の礎を築いた聖徳太子が四天王寺を建立して本尊としたのは、他方の仏である阿弥陀如来であった。全国に国分寺を建て、日本仏教の第一期
 黄金時代を実現した聖武天皇が東大寺を建立してその本尊としたのは、華厳経の盧舎那仏であった。また、日本仏教の第二期黄金時代というべき平安仏教を
 確立した伝教大師は、理の上では天台の跡を受けて法華経の実教を立てたが、信仰礼拝の事の上では、東方の薬師如来を本尊と立てたのである。
 ここで大聖人は、「所詮地涌千界の為に此れを譲り与え給う故なり」(P.254 ⑭) と、その理由を述べられている。つまり、伝教はわかっていたけれども、
 自らがこの御本尊を建立するわけにいかないので、方便として薬師如来を本尊として立てたというのである。

 伝教が薬師如来を本尊と立てたというのは、根本中堂の本尊である。伝教の滅後、勅許がおりて建立された迹門戒壇の本尊は釈尊であったが、それでも
 四教開会の迹門の教主釈尊であった。いずれにしても、天台・伝教の使命は日蓮大聖人の仏法の序分としての役割を果たす事にあったが故に、一念三千法門に
 よって理の上では法華経の真髄を解明したが、事の上では一歩退いた所で留めたと考えてよいであろう。そうであるからこそ、法華経の会座で釈迦・多宝・
 分身の三仏立ち合いのもとに付嘱を受け、伝教等もそのために譲った当の地涌の菩薩が、今末法というその出現すべき時になってなお、出ないわけは絶対に
 ない。もし、これでなおかつ出てこなければ、地涌の菩薩は大妄語の菩薩という事になり、三仏の未来記は虚妄の未来記で、泡沫の様な空しいものとなる
 ではないか、といわれている。

 ここは、地涌の菩薩が出てくるかどうかという事を言われているのではない。なぜなら、日蓮大聖人御自身、外用の辺では地涌の再誕である事は、すでに
 明らかに自覚されている問題だからである。ここで言わんとされているのは、その日蓮大聖人及び門下が地涌の菩薩の再誕である事に気づかず、あるいは
 気づいても認めようとしない世間の人々、または他の仏法者の誤りを指摘しようとされたのだと拝すべきではないであろうか。

249美髯公:2011/12/07(水) 23:20:41

   【自然現象と人間生命】

  この地涌の菩薩出現という仏法上の重大事件の証拠として、天災地夭が曾て無い規模で起こっているのであると指摘されている。「金翅鳥・修羅・竜神等の
 動変」とは、自然界の動因によって起こっただけの自然変異という事である。これに対し「四大菩薩を出現せしむ可き予兆」とは、人間生命の中の一つの
 大きな変動が起こった場合、または変動しなければならない要因が積み重なった場合、その反映として現われた自然変異という事になろう。自然界の変動と
 人間生命の要因とを、このように密接に関連し合っていると捉える考え方は、現代科学では、ともすれば排斥されやすい。これは、ここ二、三百年間に
 発達してきた近代科学が、自然現象はそれ自体の法則性によって動いて行くものとして切り離し、その法則性を究明する事を課題としてきたことによる。

 つまり科学は、その扱う対象の自然現象が人間の生命、精神といった要素と関連しているとなると、合理的な分析・解明は不可能になってしまうので、わざと
 切り離し、あたかも試験管の中で純粋培養するように、それだだけで自律的に変動するもののように捉え、そこで初めて可能になる合理的分析を加えて
 きたのである。ところが、こうした科学の捉える事象が、科学によって人為的に設定されたものである事に気づかない人は、それが本当はあらゆる要素と
 複雑に絡み合っているのが現実である事を忘れてしまう。そして特に、科学が解明し難いものと、解明し難いやり方が絡み合っていると考える事を、
 非科学的あるいは非合理的の名で、排斥してはばからなくなったのである。

  余談ではあるが、このような科学的思考が陥りやすい幻想の一つに、例えば人口問題の論議がある。人口が今のままで増え続ければ、二百年後には
 何百億になって地球上はラッシュアワ−の電車のようになる、といわれる。もとより、これは今の率で増え続ければ、という事で、純粋に数学的に計算した
 場合の予測である。そうした学者の発表から多くの人は、実際に二百年後の世界は、そのようになると思い込んでいる事が少なくない。そして、その時は
 食糧問題はどうなるか、資源問題は、公害は・・・・と心配するのである。だが、実際には現在ですら食糧、資源等は深刻な問題としてのしかかっている
 のであって、人口が現在の二倍にもならないうちに、人口増加のペ−スはゼロに近づくであろう。つまり、人口は食糧、資源、公害等々の諸問題と密接に
 関連し合っているのであって、二百年後、何百億人の人口になって初めてそういった問題がでてくるのではない。

250美髯公:2011/12/08(木) 21:35:04

 これは一つの例にすぎない。科学的思考と現代人が考えているもののほとんどは、こうした現実の複雑な絡み合いの事実を忘れたり、無視したりしたもの
 である事に気づくべきだと私は言いたいのである。自然界の変動と人間生命の関連も、いわゆる近代科学で忘れられ、あるいは故意に排除されてきた事の
 一つである。仏法は、これを総合的な一つの体をなすものと捉え、従って、現象的にも深い関連性を保っていると見る。これが「依正不二」の原理である。
 そして、こうした見方は仏法だけでなく、洋の東西を問わず人間の本来の思考法の底流に伝えられているのである。たとえば、人間が道義的に頽廃した時、
 神が怒って自然災害を起こし、都市や国を滅ぼすという考え方は、あらゆる民族や神話伝説に見られる所ではないだろうか。その意味からも、自然現象と
 人間の生命現象とを切り離して、無関係なものと捉える近代科学の思考法こそ、試験管の中の現象のように、特異な考え方であるといって過言ではない。

  ともあれ、ここで大聖人は眼前にとらえられる自然現象の変異によって、その奥にある人間生命の重大な変異、人間界の中の一つの大きな事件、
 すなわち地涌の菩薩の出現という事実を知るべきであると言われるのである。「天晴れぬれば地明らかなり法華を識る者世法を得可きか」(P.254 ⑯) の
 御文は、一切の事象の根本である生命の法を説き究めた仏法を知るなら、必然的に枝葉である一切の問題についても、その真実を見抜き自在に正しく対処
 していけるとの意である。それは、より現実的にいえば仏法に通達する事が、現実社会の如何なる立場、場合にあっても、最も賢明な常識人であり正しい
 勝利者になって行ける道であるという事である。すなわち、仏法即社会、信心即生活の原理を言うのであり、ここに日蓮大聖人の仏法の本義の大事な基盤
  ― すなわち出発点と同時に帰着点がある事を知るべきであろう。

251美髯公:2011/12/09(金) 20:20:48

   【慈悲こそ大聖人の本義】

  「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」(P.254 ⑱) 以下の御文は、この「観心本尊抄」の
 全編を締め括る結文である。本抄は冒頭、天台の摩訶止観にある一念三千の依文を掲げて説き起こされ、我が身が一念三千の当体であると覚る事が仏法の
 悟りであり成仏の要諦である事を示し、その実践の依処、根本の対境として寿量品の肝心の本尊を建立する事を宣言されたのであった。「一念三千を識らざる
 者には」とは、この冒頭の説き起しを受けて仰せられているのである。釈尊は、我が身に悟ったところの一念三千を、虚空会の宝塔の儀式として法華経に
 説き表わしたのであった。また中国のrwんだいだいしは、これを体系化して一念三千法門として説いたのである。

 しかしながら、末代幼稚の凡夫は、もとより自力で釈尊の様に、己心の一念三千を覚知する事はできないし、天台の様に観念観法の修行で一念三千を識る
 事も不可能である。否、正法、像法時代の人々といえども、法華経の真髄を把握し得たのは竜樹・天親の様な限られた人々であり、一念三千を正しく悟ったのは、
 天台以後ごく少数の人であった。それが、如何に難解であったかは我が日本の天台宗において、天台正統の仏法が伝教・義真の後、慈覚・智証といった
 座主自らによって失われて行った事をみれば、思い半ばにすぎるものがある。いわんや一般大衆に至っては、正法・像法二千年を通じて仏法の正しい教えから
 はるか遠い処にあったと言わなければならない。しかも、広く地球的視野でいえば、大半の人類が仏教そのものとも無縁の所で生を営んできたのである。

  この意味からも、釈迦・天台に代表される正統仏教は、その時代の人類を救済する事に使命があったのではなく、日蓮大聖人の仏法が確立されるための
 幕開けであり、その理論的・思想的素材を用意する事にあったと見るのが妥当であるように思われる。ともあれ、釈尊の様な神秘的な直感力や天台の様な
 深遠な知的能力を持たない幼稚の凡夫である人類全般のために、そのままで仏と全く等しい自身の尊厳への悟りと広大無辺の境地を得る事のできる道を
 開いたのが、日蓮大聖人の仏法なのである。それが「観心の本尊」であり「三大秘法の南無妙法蓮華経」である事は言うまでもない。

252美髯公:2011/12/10(土) 20:10:54

 「五字の内に」の“五字”とは、三大秘法の南無妙法蓮華経の事である。「此の珠」とは、成仏の根源、あらゆる仏の悟りの当体である“一念三千”である。
 “珠”とは智慧を譬て言われる事は、法華経の種々の譬喩でも大聖人の御書でも共通している。例えば、「清澄寺大衆中」では「生身の虚空菩薩より大智慧を
 給わりし事ありき、日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候いし故に一切経を
 見候いしかば八宗並びに一切経の勝劣粗是を知りぬ」(P.893 ⑨) と述べられているのも、その一例である。

 「末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」とは、末代の凡夫に直接に授与する、との御意である。「観心本尊抄」は、大聖人が顕わされる御本尊の相貌を明らかに
 され、それに伴う末法仏道修行の要諦として「受持即観心」を示されたのである。その本体を顕現されるのは、一閻浮提総与の大御本尊の御図顕であり、
 足かけ七年後の弘安二年十月である。この弘安二年の大御本尊建立の機縁となったのは、末代幼稚の凡夫の代表とも言うべき熱原の農民信徒が苛烈な権力の
 迫害にあって、なお一歩も退かず信仰を全うして殉教した、いわゆる熱原法難であった。この一事にも「末代幼稚の頸に懸け」るのであるとの、大聖人の
 御真意がはっきりとうかがわれるではないか。「仏・大慈悲を起し」と仰せられる様に、ここに末法御本仏の大慈悲のお姿がある。と共に、既に述べたように
 末法御本仏・日蓮大聖人が、釈尊よりも況や天台・伝教よりも、更に言えば三世十方の如何なる仏よりも卓越されている所以は、その大慈悲にあられる
 のである。

  「開目抄」巻上にいわく「日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬ
 べし」(P.202 ⑧) と。大聖人の本地が「久遠元初の自受用報身」であられる以上、その智解が天台・伝教よりはるかに勝れておられる事はあっても、
 千万が一分も及ぶ事なしと言う事はありえない。これは、大聖人の最も本分とされたのは智解ではない、慈悲である事を強調してこの様な表現をされたと
 拝するのが自然であろう。また「報恩抄」の「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目を
 ひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、この功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり」(P.329 ③) の御文を拝する時、まさに万年尽
 未来の先まで、全人類を救済しうる大慈悲の生命を、この一閻浮提総与の大御本尊に注ぎ込んだのであるとの大確信に触れる思いがするのである。

253美髯公:2011/12/12(月) 20:32:59

   【信力・行力が仏力・法力を顕現】

  「四大菩薩の此の人を守護し給わんこと太公周公の文王を摂扶し四皓が恵帝に侍奉せしに異ならざる者なり」(P.254 ⑱) とは、観心の本尊である三大秘法の
 大御本尊を受持した末代幼稚の凡夫を、四大菩薩が補佐し、守り、その成仏への道を助けてくれるという事である。この「四大菩薩」が上行・無辺行・
 浄行・安立行の、いわゆる地涌の菩薩の唱導の師を指す事はいうまでもない。これは、生命の働きとしては、それぞれ我・常・浄・楽の四徳を象徴している。
 すなわち、如何なる苦難にあっても破られない主体性と行き詰まりのない知恵として現われ、また、濁世の中にあり苦難にあっても穢れる事もなく、
 生きる事を楽しみきって行ける様な、強い生命の働きがその人を包んでくれるのである。それによって、御本尊への信心によって顕われた仏性は守られ、
 助けられながら次第に成長し、強さを増し、やがて確固たる存在となって、この人の成仏を実現するのである。

 この事は、また信力・行力が仏力・法力の顕現を助ける事を表わしている。なぜなら「四大菩薩」とは、末法に於いて本門寿量品の肝心である南無妙法蓮華経を
 信じ行ずる生命を象徴しているからである。すなわち、先に出てきた神力品の結要付嘱の文に続く勧奨付嘱の文には、次の様にある。
 「是の故に汝等如来の滅後に於いて、応当に一心に受持、読、誦、解説、書写し、説の如く修行すべし」(「妙法蓮華経並開結」P.581 )
 また、涌出品の初めに他方の菩薩の発誓を斥けて、地涌の菩薩の出現の機となった言葉にも、次のようにある。
 「我が娑婆世界に、自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩有り。一一の菩薩に、各六万恒河沙の眷属有り、是の人諸人等能く我が滅後に於いて、護持し、読誦し、
 広く此の経を説かん」(「妙法蓮華経並開結」P.474 ) と。

254美髯公:2011/12/13(火) 21:12:13

 これらの文から、そもそも地涌の菩薩は寿量品の文底に、秘沈された久遠元初の妙法を信行する実践的生命の表象である事は明らかであろう。
 今、本尊抄のこの結びの文は、こうした地涌の菩薩としての実践力、すなわち信力・行力が、久遠元初自受用報身の仏力と、久遠の妙法たる南無妙法蓮華経の
 法力との顕現を助けるとの謂であられる。ともあれ「観心本尊抄」は、我々凡夫の己心が一念三千即南無妙法蓮華経の当体であるが、それを観心し覚り究めた
 処に、即身成仏の本義がある事を示され、この観心修行の要諦として御本尊を顕わし、この御本尊を強い信力・行力を以て受持すべき事を教えられている
 のである。

  末法の仏道修行とは、この御本尊の受持以外にない事を深く銘記し、いっそうの強い信力・行力を奮い起こして自行化他の実践に励んで行きたいもので
 ある。なお、末尾に付された「送状」にも、この「観心本尊抄」を拝読するにあたっての心構え等、重要な御指導が述べられているが、それについては、
 すでに種々論じられてもいるので、ここでは略し、この講義を終わる事とする。                           (完)

255美髯公:2011/12/14(水) 20:42:00

                              【観心本尊抄文段を拝して】 担当:創価学会教学部長 原島 嵩


                                 = はじめに =

  いうまでもなく、「観心本尊抄」は仏法の真髄であり、極理中の極理である。それ故に、古来より幾多の学者が本抄の解釈を試み、消釈に当たったが、
 不相伝の故に、宗祖大聖人の奥義に達してはいない。大石寺第二十六世日寛上人におかれては、宗開両祖以来の正宗深秘の御相伝の上から、文理現証に
 照らし、その奥底を余す処無く説き明かされたのである。「日寛上人の御文段已に本抄の各方面に亘りて精美を尽くされたるのみならず、講義も亦慎重を
 極めてある」(「観心本尊抄緒言」) と第五十九世日亨上人の仰せである。日蓮大聖人の法理の奥義を極め、精美を尽くした正宗秘伝の重書「観心本尊抄文段」を
 学び得る無量の福徳を噛みしめると共に、「一見を歴来るの輩は師弟共に霊山浄土に詣でて三仏の顔貌を拝見したてまつらん」(P.255 ⑥) の御聖旨を拝して、
 日々、精進したいものである。

  さて、「観心本尊抄」は日寛上人が学寮御隠居時代の享保六年 (一七二一年) 六月二十四日に、御堂で開講されている。以来二日おき、後には三日おきに
 計十六回講義され、同年閏七月十一日に終講されている。更にその講案に補筆し、あるいは略去して推敲に推敲を重ね、「維時享保六辛丑歳霜月上旬」と
 記されている通り、十一月上旬に現存する文段の御正本を完成されたのである。その科段によれば、「大に三段」を分けられている。今回は紙幅の都合のあり、
 「序」から首文ならびに題号についてを、また科段からは第三段、第六段、第八段、第九段 (但し、この段の分け方は、聖教文庫版「観心本尊抄文段」に
 よった) に限って学んでいくものとし、またその中でもかなり要点的にまとめた部分のあることを御了承いただきたい。

256美髯公:2011/12/15(木) 19:09:18

                              = 第一節 首  文 =

  首文では、まず本抄の眼目が短い文の中に流麗な筆致で認められている。
   
   夫れ当抄に明かす所の観心の本尊とは、一代諸経の中には但法華経、法華経二十八品の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底秘沈の大法にして
  本地唯密の正法なり。この本尊に人あり法あり。人は謂く、久遠元初の境智冥合、自受用報身。法は謂く、久遠名字の本地難思の境智の妙法なり。法に
  即してこれ人、人に即してこれ法、人法名殊なれども、その体恒に一なり。その体一なりと雖も、而も人法宛然なり。応に知るべし、当抄は人即法の
  御抄なるのみ。

 一般に、序、序論にその書の枢要部が収められているものである。当文段にあっても、序に該当する首文にその枢要が明快に記されている。 ―― すなわち、
 「観心本尊抄」に説き明かされている「観心の本尊」とは、寿量文底の大法であり、人法一箇の本尊である、と。日寛上人は「三重秘伝抄」で「一念三千の
 法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」(P.189 ②) の
 御文を、権実・本迹・種脱の三種の相対をもって判釈された。つまり「但法華経」の「但」の字は一字であるが、本意は三段に冠むるのであり「但法華経」
  (権実相対) 、「但本門寿量品」(本迹相対) 、「但文底秘沈」(種脱相対) と拝すべきである、と。

  首文では「但文底秘沈」と記されているが、「三重秘伝抄」の「但文底秘沈」と同意である事はいうまでもない。この寿量文底深秘の大法、即事の一念三千は
 竜樹・天親、天台・伝教等が「未だ広く之を行ぜず」(P.253 ⑬) 、末法の御本仏日蓮大聖人のみが「末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」(P.254 ⑱) たのである。
 さて、寿量文底の事の一念三千の当体たる御本尊は、人と法に分ける事ができる。人の本尊とは「久遠元初の自受用報身の再誕・末法下種の主師親・本因妙の
 教主・大慈大悲の南無日蓮大聖人」(「文底秘沈抄」) であらせられる。悲しいかな日蓮正宗以外の迷妄の徒は、文上の釈尊に固執して大聖人を御本仏と
 拝す事ができない。況んや大日如来、阿弥陀如来等を崇む者をや。次に法の本尊とは「事の一念三千・無作本有・南無妙法蓮華経の御本尊」(同前) で
 あらせられる。一念三千の法理は仏法の極理であるが、迹・本・文底の違いがある。諸法実相に約し (迹門) 、因果国 (本門) に約した一念三千はともに
 「理」であり、本因初住の文底に秘沈された一念三千こそ「事」なのである。

257美髯公:2011/12/17(土) 21:59:15

  ところで、この久遠元初の自受用報身 (人) と、事の一念三千の南無妙法蓮華経 (法) とは「その体恒に一」と仰せられている。 ―― これは一体、
 如何なる意なのであろうか。同じく日寛上人は「三重秘伝抄」の中で、寿量文底の妙法を事の一念三千と呼ぶゆえんを「唯密の義なりと雖も今一言を以て
 之を示さん、所謂人法体一の故なり」と述べられている。これを以てしても理の一念三千と事の一念三千、釈尊の仏法と日蓮大聖人の仏法との勝劣浅深の
 指標は、一に人法一箇が明かされるか否かにあると言って過言ではない、と拝する (釈尊の仏法では人法勝劣) 。「唯密の義」と記されているように、
 甚深の法理である人法一箇を軽々しく論ずるわけにはいかないが、ここで敢えてその一端を述べてみたい。

 「三世諸仏総勘文抄」に「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身地水火風空なりと知しめして即座に悟りを開き給いき・・・・」
 (P.568 ⑬) と。 ― 久遠元初 (五百塵点劫の当初) に、御本仏 (釈迦如来=久遠元初の自受用報身即日蓮大聖人) が、一切に通じ遍満する宇宙究極の
 法 (地水火風空=南無妙法蓮華経) を覚知なされた。この妙法 (法) は御本仏の生命の当体であり、久遠元初の自受用身の一念 (人) でもあった。
 この一念が宇宙法界に遍満する故に一念三千というのである。一念即三千であり、三千即一念である。この人に即した法を妙法といい、事の一念三千という。
 また、法に即した人を久遠元初の自受用身というのである。仏法の究極の法と、その法をもって民衆を救う大慈悲の働き、生命とは一体なのである。
 すなわち、南無妙法蓮華経の法本尊は、人本尊である日蓮大聖人の生命をそのまま一幅の漫荼羅として御図顕されたものである。「日蓮がたましひをすみに
 そめながして・かきて候ぞ信じさせ給え、仏の御心は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」(P.1124 ⑪) と仰せられている
 ところである。

  また、首文の「法に即してこれ人」とは、南無妙法蓮華経の御当体たる日蓮大聖人という事であり、「人に即してこれ法」とは、日蓮大聖人の生命たる
 南無妙法蓮華経である。さらに「人法名殊なれども、その体恒に一なり」と述べられた後、すぐ「その体一なりと雖も、而も人法宛然なり」とされている
 のは、「観心本尊抄」が人即法の本尊を開顕された御抄だからである。それに対し、「開目抄」は法即人の本尊の開顕の書である。

258美髯公:2011/12/21(水) 22:28:34

   これ則ち諸仏諸経の能生の根源にして、諸仏諸経の帰趣せらるる処なり。故に十方三世の恒沙の諸仏の功徳、十方三世の微塵の経々の功徳、皆咸く
  この文底下種の本尊に帰せざるなし。譬えば百千枝葉同じく一根に趣くが如し。故にこの本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり。故に暫くも
  この本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり。
  妙楽の所謂「正境に縁すれば功徳猶多し」とはこれなり。これ則ち蓮祖出世の本懐、本門三大秘法の随一、末法下種の正体、行人所修の明鏡なり、故に
  宗祖云く「此の書は日蓮が身に当て一期の大事なり」等云云

 ここに述べられている通り、寿量文底、人法一箇の御本尊とは、実に十方三世の諸仏、十方三世の諸経が帰一する御本尊なのである。
 日寛上人の「当流行事抄」には、法華玄義第七の「・・・・三世乃ち殊なれども毘盧遮那一本異らず百千枝葉同じく一根に趣くが如し」の文を引いてこう
 仰せである。「横に十方に徧じ竪に三世に亘り微塵の衆生を利益したもう垂迹化他の功、皆同じく久遠元初の一仏一法の本地に帰趣するなり」と。横に全宇宙に
 わたり、竪に過去・現在・未来の三世を貫いて、一切の衆生を利益する垂迹化他の諸仏の功徳力は、皆同じく久遠元初の一仏、一法に帰着し趣くのである、と。
 この一根、すなわち久遠元初の一仏とは、久遠元初の自受用報身如来即日蓮大聖人であらせられ、また久遠元初の一法こそ寿量文底の南無妙法蓮華経であり、
 その法体は、御本仏の魂魄を留められた御本尊に他ならない。

 根から切り離された枝葉は、やがて枯れ朽ち果ててしまう以外にない。今日、仏法と名のつく諸宗派も、更には日蓮宗と名のつく宗派も、悉く“一根なき
 枝葉”であり、徒らに朽ちた姿を晒しているのも、当然の姿といわざるを得ない。三世十方の諸仏諸経の功徳が悉く帰趣する御本尊であられる故に、此の
 御本尊の功徳は広大深遠なのである。三世十方の諸仏諸経の功徳が悉く帰趣する御本尊であられる故に、此の御本尊の功徳は広大深遠なのである。
 「祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなし」との仰せのように、我々凡愚の祈りは悉く叶えられ、
 無始以来の重罪もすべて消滅させていく事ができるのである。

259美髯公:2011/12/27(火) 20:16:43

  日蓮大聖人は「当体義抄」に「煩悩・業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて」(P.512 ⑩) と述べられている。貪・瞋・癡・慢・疑・見等の
 煩悩により、悪業が刻まれて苦しみの生活にある人も、仏の清浄な生命を湧現させ輝くばかりの智慧を発揮し、自在な振る舞いにより幸福な生活へと転換
 できるのである。また、妙理は必ずや我が身に事実の姿として顕れてくるのである。同じく「当体義抄」に「当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を
 顕す」(P.518 ⑯) と。この御本尊の大功徳に浴する事ができるか否か ―― それはひとえに、我々の信力・行力に依るべき事はいうまでもない。
 つまり「此の御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば」との仰せを、ゆめゆめ疎かにしてはなるまい。もったいなくも、当抄文段の最後に日寛上人は
 「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」と御述べ下さっている。日蓮大聖人の末弟の一人と
 任ずる我等は、信力・行力に励み「一生を空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ」(P.970 ⑭) の御金言を深く銘記すべきである。

260美髯公:2011/12/27(火) 20:18:14

  では「蓮祖出世の本懐、本門三大秘法の随一、末法下種の正体、行人所修の明鏡」たる大御本尊を、宗祖大聖人は何時御遺し遊ばれたのであろうか。
  ― これこそ弘安二年 (一二七九年) 十月十二日に御建立になった、本門戒壇の大御本尊にあらせられる。そして、御入滅に先立ち「一期弘法付属書」  (身延相承書) 、「身延山付属書」(池上相承書) と共に、法体、法門の一切を御弟子・二祖日興上人に御付嘱遊ばされ、以来七百余年にわたって富士の
 正義は貫かれているのである。ところが、大石寺門流を除いては此の御本尊を知るに至らず、「観心本尊抄」を読んでも、その奥義に到り得なかったのである。
 「一代聖教大意」に「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(P.398 ③) と。「三種九部の法華経」「種脱一百六箇」「台当両家二十四番の勝劣」「文上文底」
 等々の相伝は「唯我が家の所伝にして諸門流の知らざる所」(首文)であり、「他門流」が「観心本尊抄」の元意を明らめる事はもとより不可能であった、と
 いえよう。

 日忠 (八品派) や日辰 (京都要法寺) 等の一代の学者と仰がれた者ですら、とうてい当抄の元意を捉える事はできなかった。ただ日我 (房州妙本寺) だけは
 ある程度その大要を得ているが、文底の深秘に至ってはまだ完全ではない、と日寛上人は仰せられている。日寛上人以後も、各派の宗学者が本抄の解釈を
 試みているが、それらも悉く「尚当抄の元意を暁る能わず」に当る事はこと改めていうまでもない。さて、首文の終わりに、「観心本尊抄送状」の一節を
 引いて「総州細草の学校及び当山所栖の学徒等四十余輩、異体同心に、予に当抄を講ぜんことを請う。懇志一途にして信心無二なり。余謂らく、四十余輩
 寧ろ一人に非ずや。或は三四並席の誡を脱らんか」と述べられている。当抄は本門の大御本尊についての御抄なるが故に「無二の志」―― ただ信心一筋の
 者のみが拝読すべき事を示され、更に「三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ」との誡めが送状にあったのである。日寛上人は四十余人いたとしても、
 信心無二であるから、三四並席の誡めを脱れるとの御確信に立たれ本抄講義を始められたのである。本抄を拝する者、また本抄文段を学ぶ者の、心すべき
 厳しい誡めではないであろうか。

261美髯公:2011/12/28(水) 23:53:55

                              = 第二節 題号を釈す =

                            ≪ 一 通じて文点を詳らかにす ≫

   【(一) 始の字の文点】

  本抄の題号は「如来滅後五 (後) 五百歳始観心本尊抄」の十四文字である。これを略して「観心本尊抄」とも呼び、あるいは「本尊抄」とも呼ばれてきた。
 では、正式な本抄の題号の読み方はどうか。―― もっとも「如来の滅後」とはインド応誕の釈尊入滅後の事であり、「五 (後) 五百歳」とは釈尊滅後
 二千年から二千五百年までをいい、末法の初めの五百年という意である。ここまでについて異論はない。しかし、次の「始」と「観心本尊抄」については
 諸説紛々、百家争鳴の観がある。まず「始」の字をどう読むべきであろうか。「始」の読み方について、日寛上人はその代表例を四つ挙げられている。
  ①後五百歳に始めて心を観る本尊抄
  ②後五百歳の始め
  ③後五百歳に始まりたる心の本尊を観る抄
  ④後五百歳に始まる観心本尊抄

262美髯公:2011/12/30(金) 22:26:29
 
  しかし右の文点は皆誤りであり、正しくは時・応・機・法の四義を具足していなくてはならない (誤りについては後にふれる) 。すなわち、「時」とは
 仏の出世する時をいい、「応」とは仏が衆生の機根に応じて出現して法を説く等の振る舞いをいい、「機」とは仏の出現を感ずる衆生の機根、「法」とは仏が
 法を説き、衆生を救わんとする時には、必ず四義が具足しているのである。この四義に約して正しく点ずるとどうなるであろうか。「如来滅後後五百歳は時」
 「始の字は応」「観心は機」「本尊は法」に各々約される故、「如来の滅後後五百歳に始む観心の本尊抄」と点ずべきであり、題号の元意は「如来の滅後後
 五百歳に上行菩薩始めて弘む観心の本尊抄」となる。これをまとめると次の様になる。

  ┏━━━┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
  ┃ 時 ┃ 如来滅後後五百歳 ── 上行出世の時   ┃      
  ┃ 応 ┃ 始む ── 上行が始めて弘む       ┃
  ┃ 機 ┃ 観心 ── 末法の衆生の観心       ┃
  ┃ 法 ┃ 本尊 ── 人即法の本尊         ┃
  ┗━━━┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

 以上のように、まず結論を示され、次に広く五点から“正しい文点”の証明をされている。

263美髯公:2012/01/01(日) 21:34:27

  (1) 題号所依の本文に拠る

  「観心本尊抄」の題号は、法華経神力品の「我が滅度の後に於いて、応に斯の経を受持すべし」の文に拠られている。神力品では上行菩薩等に対する
 別付嘱 (結要付嘱) がなされ、上行菩薩が妙法蓮華経を弘通するという証文があるからである。「我が滅度の後」とは「如来滅後後五百歳」に当たり、
 「応」の一字は、仏の勧奨であるから「始む」に当る。もっとも、神力品の「応」は勧奨であるのに対し、当抄の「始」は上行の所作であるが、共に仏の
 振る舞いである。「受持」は受持する衆生であるから機に約し「観心」、「斯の経」とは法体であり「本尊」に当る。このように、題号所依の神力品の
 文が四義を具えているところから、題号そのものも四義具足して点じなければならないのである。

  (2) 四義具足の例証に拠る

  四義具足の例として、日寛上人は「釈尊の観心本尊抄に云く」として方便品、寿量品の文をあげられている。つまり、仏が法を説きはじめる際には
 四義がそろっている ―― その具体例を引かれたのである。各々の文は表のように対応する。
  ┏━━━━┏━━━━━━━━━━┏━━━━━━━━━━┓
  ┃四 義 ┃  方 便 品   ┃  寿 量 品   ┃
  ┗━━━━┗━━━━━━━━━━┗━━━━━━━━━━┛
  ┃ 時  ┃ 爾の時      ┃ 爾の時      ┃
  ┃ 応  ┃ 世尊告げたまわく ┃ 仏告げたまわく  ┃
  ┃ 機  ┃ 舎利弗に     ┃ 諸菩薩及一切大衆 ┃
  ┃ 法  ┃ 諸仏智慧甚深無量 ┃ 如来秘密神通之力 ┃
  ┗━━━━┗━━━━━━━━━━┗━━━━━━━━━━┛
 ただし、日寛上人が当抄文段で「釈尊の観心本尊抄」と述べられているのは、釈尊の本懐と言った意であり、釈尊の出世の本懐たる法華経、なかでも方便、
 寿量の二品を指している。しかし、日寛上人は、文底の意を含めて「釈尊の観心本尊抄」と仰せられていると拝すべきである (所破借文、所破所用の義) 。

264美髯公:2012/01/07(土) 21:01:45

  (3) 四義具足の明文に拠る

  次に、「観心本尊抄」そのものの本文の中に、四義を具足している明文の例を引かれている。すなわち「蓮祖の法華経に云く」とされた上で、「此の時 (時)
 地涌の菩薩始めて世に出現し (応) 但妙法蓮華経の五字を以て (法) 幼稚に (機) 服せしむ」(P.253 ⑯) と「仏大慈悲を起し (応) 五字の内に此の珠を裹み
  (法) 末代 (時) 幼稚 (機) の頸に懸けさしめ給う」(P.254 ⑱) の御文を挙げられている。ここでいう「蓮祖の法華経」とは、同じく日蓮大聖人の出世の
 本懐である観心の本尊が明かされているが故に前に「釈尊の観心本尊抄」といわれ、今それと対比して「蓮祖の法華経」と仰せられたのである。
 ここに深意を拝するのである。釈尊の方便・寿量の二品、すなわち迹門と本門の肝要も、悉く大聖人の仏法の証明のためであり、また、「蓮祖の法華経」と
 いわれた「観心本尊抄」が、いわば大聖人の出世の本懐を御抄において顕わす重大な書である事を意味されている。

  (4) 始の字、応に約する明文に拠る

  万年救護の御本尊の端書きに「後五百歳の時、上行菩薩世に出現し始めて之を弘宣す」との明文が認められている。この「始」の字は「始めて弘む」との
 意で、時応機法の「応」に当るのである。 ― ちなみに、万年救護の御本尊とは、文永十一年十月に身延で御図顕の御本尊であり、現在、保田妙本寺に
 蔵されている。

265美髯公:2012/01/08(日) 20:16:32

  (5) 古来の諸師の文点を料簡す

  何点かにわたって「始」の点じ方を論じてきたわけであるが、最後に諸説を一つ一つ論破されている。
  ①まず不受不施派・日講 (録内啓蒙) は「後五百歳に始めて心の本尊を観ずる抄」と点じている。これでは「始めて観ず」となり、「始」の字が機に約されて
 しまう。加えて、「始めて観ず」が体となり「本尊」が用となり、本尊抄の大旨に反してしまう。
  ②八品派・日忠 (観心本尊抄見聞) は「後五百歳の二百年」に大聖人が出世あそばされたので「後五百歳の始め」と点ずべきであるという。しかし、
 五五百歳といえば、諸本尊に仏滅後二千二百二十余年と仰せられている御文と同じであり末法の始めである。その上「始め」という必要はない。「煩重の失」で
 ある。

  ③中山派・常抄では「後五百歳に始まりたる心の本尊を観る抄」と。これは相伝という。反論するに、常抄とはいえ富木常忍の述作ではなく、中山派三代
 日裕の筆である。相伝といいながら、同じ門流 (一致派) の蒙抄でさえ、これを用いていない代物である。とうてい信ずるに足りない。況や「已に始まり
 たる」の意は、「観心本尊抄」に違う事甚だしい。
  ④要法寺・日辰は「万年の始めを指す故に始と云うなり」と。これは日忠と同じく煩重の失がある事はいうまでもない。
  ⑤保田妙本寺の日我 (本尊抄見聞抜書) は「後五百歳に始まる観心本尊抄」と点ずべきであるという。日我は「始まる」と所弘の辺に約している。
 しかし、「始むる」能弘の辺があれば、自ずと「始まる」所弘の辺は含まれているのである。また本抄をはじめ「顕仏未来記」等の諸御抄には、大聖人が
 弘宣すると仰せられているではないか。これ能弘の御立場にある事は明白である。

266美髯公:2012/01/10(火) 21:19:13

   【(二) 観心本尊の文点】

  「始」は「始む」と読み「始めて弘む」の意である事が明らかとなった。次に「観心本尊抄」をどう点ずべきであろうか。古来、
  ① 心の本尊を観る抄
  ② 心を観る本尊抄
  ③ 無点で観心本尊抄
 等と点じている。これらは悉く誤りであり、正しくは「観心之本尊抄」と点ずべきなのである。心の本尊とか心を観るなどと、心が本尊になったり本尊が
 心になったりするのではない。

  およそ法相というものは多く相対してその名をたてている。例えば十双権実 (権と実の差異・勝劣を十種に分けたもの。法華文句にある) 、六重本迹 (
 本と迹の勝劣を六つの角度から述べたもの。法華玄義にある) などをみてもわかるように、それぞれ大小・権実・本迹など、皆相待の上に立てられた法門なので
 ある。そもそも釈尊自身、当時のバラモン、六師外道を徹底して破折し正法を確立した (内外) 。その他、偏円・漸頓・隔歴円融・相待絶待などと、仏法は
 一面、比較相待の法相に貫かれているといって過言ではない。況や教相観心の名目というものは、諸宗諸派を選ばず等しく立てている法相なのである。
 以上のように、諸の法門は相待の上に論じられるのであって、「事」という言葉は「理」を簡び、「果」は「因」を簡び、「大」は「小」を簡び、「実」は
 「権」を簡び、「本」は「迹」を簡ぶのである。それ故、観心もまたそれに相待される教相を簡ぶ事は明らかではないか。なんの疑問があろうか。

267美髯公:2012/01/19(木) 21:30:28

  次に、日寛上人は「教相の本尊」と「観心の本尊」との違いを挙げられている。まず結論から先に述べて、教相の本尊とは文上脱益迹門理の一念三千で
 あり、観心の本尊とは文底下種本門事の一念三千である、と。以下、観心の本尊、すなわち文底下種本門事の一念三千の本尊について、①当家所立の教相
 観心の相、②当家所立の下種三種の教相、③正しく下種観心の本尊を顕すの三つの論点から、詳細にわたり述べられている。実に用意周到、他者が一点の
 疑義をさしはさむ余地もない卓越した論の運びである。ここで、三点について触れる前に「観心の本尊」の「の」について触れておきたい。というもの、
 日蓮正宗を除く各派が大聖人の本義を知らず、また本尊の何たるかを知らない所以も、相伝無き故という理由は大前提であるとして、この「の」を知らず
 「観心の本尊抄」と拝する事ができないという点にあるからである。

  日寛上人の本尊抄講義を聴聞した、聞書の中に次のように記されている。

 「日因随分解釈」には
  此ノノノ一点尤も肝心ナリ、是則チ一点多生ヲ助クルナリ、而ルニ日本国中ノ学匠皆此ノ一点ヲ知ラズ○。
    °

 「坦永聞記」には
  当ニ知ル可シ此ノ之ノ点は一点多生ヲタスクル秘密ノ点ナリ○。

268美髯公:2012/01/20(金) 22:51:44

 「日詳聞書」には
  ノノ一点ハ最大事中ノ大事ナリ、是則チ一点多生ヲ助クル○、返ス返ス日寛ガ形見トシテ汝等信心ニ之ヲ伝ヘヨ○。
  °

 「日相聞書 因師別本」には
  ノノ一点ハ多生ヲ助クル肝心ノ点ナリ、日本ノ学匠未ダノノ一点に達セズ○。(日亨上人「観心本尊抄緒言」)
  ° °

 このように日寛上人は「の」の一字に力を込めて講義されていた事がわかるのである。

  観心の本尊とは教相の本尊ではなく、末法の一切衆生が悉く成仏できる、文底下種の大御本尊であらせられる。その大御本尊は富士大石寺に厳護し奉る、
 弘安二年十月十二日御建立の本門戒壇の大御本尊であらせられるのである。

270美髯公:2012/01/21(土) 22:08:09

   (1) 当家所立の教相観心の相

  「教観双美」などの表現にもみられる様に、古来から教相と観心とは対をなしている。教相とは、教法の理論的側面、観心とは実修・実践の側面である。
 例えば天台は法華文句、法華玄義に教相を述べ摩訶止観に観心を述べている。もっとも本来、教相と観心とは別のものではなく、一体不二なのである。
 悟りの法を、言語化し法理として展開したものが教相であり、それを体得する実践修行法が観心である。ところが、末法においては法華経にしろ摩訶止観
 にしろ、既にその効力を失い衆生がいかに観心修行を積んでも、自具の十界、百界千如、一念三千を観ずる事はできない。釈尊自身も「白法隠没」と予言し、
 天台・伝教も末法の初めを恋い慕っている。

 「冶病抄」には「一念三千の観法に二つあり一には理・二には事なり天台・伝教等の御時には理なり今は事なり・・・・彼は迹門の一念三千・此れは本門の
 一念三千なり天地はるかに殊なりことなり」(P.998 ⑮) と仰せられている。我等末法の衆生にとって観心とは、法華経や止観のそれではなく、事の一念三千たる
 大御本尊を受持して、信行に励む以外にはないのである。さて、当家所立の教相観心とは何か。その説明のために日寛上人は「開目抄」(P.189) 「十法界抄」
 (P.420) 「本因妙抄」(P.870、827、877) の御文を引かれている。これらは要するに、文底の妙法を成仏の直道たる観心の法門と名づけ、それ以外の爾前・
 迹門・本門は悉く教相に属する、との仰せである。つまり、百千枝葉の一根たる文底下種の南無妙法蓮華経こそ観心の法門なのである。末法今時にそれらの
 教相をもって観心と取り違える所に、他宗他門の誤りの根源がある。文底下種本門事の一念三千を観心、直達正観と名づけ、文上脱益迹門の理の一念三千は
 教相に属するのである。

271美髯公:2012/01/23(月) 21:44:43

   (2) 当家所立の下種三種の教相

  当家所立の三種の教相は、天台家の三種の教相と次のように異なる。

   天台三種教相        当家の三種教相
  第一 根性融不融   ━┓ 
              ┣━ 第一 権実相対
  第二 化導始終不始終 ━┛ 
  第三 師弟遠近不遠近     第二 本迹相対
                 第三 種脱相対

 「常忍抄」に「日蓮が法門は第三の法門なり」(P.981 ⑧) と仰せの第三の法門とは、第三種脱相対をいうのである。天台家の第三師弟遠近不遠近をもって、
 そのまま宗祖大聖人の第三法門であるかの様に解しているのは、大いなる誤りなのである。続いて、日寛上人は「脱益教相の本尊を簡び、下種観心の本尊を
 顕す」文証を、「本因妙抄」(P.872) 、「本尊抄」(P.247、250) から引かれている。以上あげた五点から、「観心本尊抄」を「観心の本尊抄」と点ずべき
 事が明らかである。また、日寛上人は「観心の本尊抄」が正しく脱益教相の本尊を簡び下種観心の本尊を顕す文証を五文挙げられて立証されているが、
 ここでは省略させていただく。

272美髯公:2012/02/18(土) 22:00:46

                                ≪ 二 別    釈 ≫

  「如来滅後後五百歳始観心本尊抄」の文点は「如来の滅後後五百歳に始む観心の本尊抄」とうつべき事は明白である。次に、日寛上人は改めて「別釈」を
 立てられている。(一) 如来滅後後五百歳、(二) 始、(三) 観心、(四) 本尊の順である。以下あらかたその内容をみてみたい。

   【(一) 如来滅後後五百歳】

  法華経薬王品に「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶して、悪魔、魔民、諸天、龍、夜叉、鳩槃荼等に、其の便を得せしむること
 無かれ」とある。この薬王品の意に准じて、神力品の「我が滅度の後に於いて応に斯の経を受持すべし」の文を依拠とし、「如来滅後後五百歳」と仰せられて
 いるのである。如来とは法・報・応の三身即一身の応身如来であり、滅後とは正像末の三時にわたるが、その元意は末法にある。また、後五百歳とは末法の
 はじめの五百年間であるが、正意はその中でも二百余年にある。すなわち仏滅後二千二百二十余年等と仰せられているのがこれである。

273美髯公:2012/02/20(月) 21:19:25

   【(二) 始 】

  始むとは、正意には正法・像法には未だ弘まらなかったという事に対して、始めてという事である。また、傍意には一閻浮提の中でも日本国で始めて
 弘められる、という意も含むのである。その点について「本尊問答抄」(P.373) あるいは救護御本尊の端書を引証されている。更に、日寛上人は「弘安の
 御本尊に御本懐を究尽するや」の設問を出され「実に所問の如し。乃ちこれ終窮究竟の極説なり」と述べられている。弘安二年十月十二日に御図顕の
 戒壇の大御本尊こそ、「本尊抄」で記された文底下種、観心の本尊であり、大聖人出世の御本懐である、と強調されている。

  次いで、弘安二年に御本懐を達せられた点について、天台大師と比較されている。
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃     天台大師         ┃      日蓮大聖人        ┃
 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━┃━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫
 ┃ 隋の開皇十四年御年五十七歳    ┃ 文永十年四月二十五日に当抄を終わり ┃
 ┃ 四月二十六日より止観を始め    ┃ 弘安二年御年五十八歳十月十二日に  ┃
 ┃ 一夏に之を説き四年後       ┃ 戒壇本尊を顕して四年後       ┃
 ┃ 同十七年御年六十歳十一月に御入滅 ┃ 弘安五年御年六十一歳十月に御入滅  ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

274美髯公:2012/02/23(木) 22:13:42

  ① 天台は五十七歳で本懐たる摩訶止観を説き、六十歳で御入滅。大聖人は五十八歳で戒壇の大御本尊を顕され、六十一歳で御入滅された。像法の天台は
 本懐、入滅とも末法の御本仏に先立っている。
  ② 天台は四月二十六日に止観を始め、十一月(開皇十七年) 御入滅。大聖人は後にお生まれになられても、下種の御本仏であらせられる故、熟益の教主
 たる天台に先立っておられる。まことに、種熟の順序は不思議な事ではないか。
  ③ 天台も大聖人も同じく御入滅の四年以前に終窮究竟の極説を顕されている。ここからしても、弘安二年十月十二日の戒壇の大御本尊こそ大聖人の
 出世の御本懐であらせられる事が明白となるのである。実に御仏智の然らしむるところか、不思議という他はない。

  次に、諸御抄、御本尊脇書に多く二千二百三十余年と認められている。弘安四年が正しく二千二百三十年に当る所から、弘安四年以前には、まだ大聖人の
 御本懐が顕れてはいないのではないか、との疑難を取り上げられている。これについて、日寛上人は「深意あらんか」と、次の様に述べられている。
 すなわち「此の御本尊は寿量品に説き顕し」等とあるように、釈尊の寿量品の御説法 (御年七十六歳) の時から、弘安元年はちょうど二千二百三十一年に
 当る。そこから、弘安元年に認められた諸御書 (例えば「千日尼抄」、弘安元年七月、仏滅後二千二百三十余年になり候) にも、二千二百三十余年と
 認められている理由がわかるのである。この段の末尾の一節すなわち「就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり、既に
 これ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり」との御指南を拝する時、ただただ感慨あるのみである。戒壇の大御本尊根本の信心に正信の
 道がある事を銘記したい。

275美髯公:2012/02/28(火) 20:51:59

   【(三) 観心】

  (1) 正しく我等衆生の観心なるを明かす

  先にも述べた通り、観心とは四義の内の“機”に当たり、末法の我等衆生の観心なのである。本抄にも「此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の
 五字を以て幼稚に服せしむ」(P.253 ⑯) と。また「五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」(P.254 ⑱) と。「服せしむ」「懸けさしめ」と
 いうのは観心であり、「末代幼稚」とは末法今時の我々衆生の事を指している。つまり、「後五百歳に始む」を能化の仏に約し、この「観心」を所化の衆生に
 約すするのである。

  (2) 我等衆生の観心の相貌

  では一体、末法の我等衆生の観心とはいかなる形をとるのであろうか。―― ここでも、日寛上人は「但本門の本尊を受持し、信心無二に南無妙法蓮華経と
 唱え奉る」と結論を出されている。仏教史を振り返ってみれば、正法千年の間は利根の衆生であったから、あるいは不起の一念、あるいは八識元初の一念
 (阿頼耶識) を観ずる事ができたのである。ところが像法に入ると衆生の機根も劣り、八識を観じていく事に耐えられない。眼・耳・鼻・舌・身・意の
 六識の心に三千の性を具する事を観じたのである。すなわち、天台大師の一念三千の観がこれである。しかし、末法にあっては三毒熾盛の衆生ばかりである。
 とうてい正像の観心に耐えられない。―― ただただ、大御本尊を信じて、題目を唱える事が、末法の観心なのである。「当体義抄」に「正直に方便を捨て
 但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は・・・・」(P.512 ⑩) と。御本尊への信力・行力を励む時、すなわち、広大無辺な仏力・法力によって速やかに
 観行を成就する事ができるのである。

276美髯公:2012/02/29(水) 21:11:34

   【(四) 本尊】

  (1) 本尊の体徳

  およそ本尊とは我等衆生が受持する法体であり、信じ唱題する大曼荼羅であり、肝要中の肝要である。ところが他宗派では、一致派・勝劣派を問わず、
 皆在世八品の儀式を以て本尊としている。しかし、在世八品の儀式は、ただ在世脱益に本尊であり、末法下種の本尊とは、「文底深秘の大法、本地難思、
 境智冥合、本有無作の事の一念三千の妙法五字」に他ならない。この本有無作の事の一念三千の妙法五字を取り、もって末法幼稚の本尊とするのである。
 これが当抄の所詮の元意である。その後日寛上人は久遠元初の自受用身の身相を様々な角度から論じられているが、これについては省略し、ただ最後の
 一節を深く信心で拝したい。

  「応に知るべし、この久遠元初の自受用身乃至末法に出現し、下種の本尊と顕れたもうと雖も、『雖近不見』にして自受用身即一念三千を識らず。故に
 本尊に迷うなり。本尊に迷う故にまた我が色心に迷うなり。我が色心に迷う故に生死を離れず。故に仏大慈悲を起し、我が所得する所の全体を一幅に図顕して、
 末代幼稚に授けたまえり。故に我等但この本尊を信受し、余事を雑えず南無妙法蓮華経と唱え奉れば、その義を識らずというと雖も、自然に自受用身即
 一念三千の本尊を知るに当る。既に本尊を知るに当る故に、また我が色心の全体、事の一念三千の本尊なりと知るに当れり。譬えば小児の乳を含むにその
 味を知らずして自然にその身を養うが如し。耆婆の妙薬その方を知らざれども、服するに随って病を治するが如し。これ則ち本尊の仏力・法力の顕す所の
 功能なり。これを疑うべからず」と。
 大御本尊に無疑曰信の信と貫く時、我が色心に生命力が湧き、偉大な人生、大福運の人生を歩んでいけるのである。

277美髯公:2012/03/01(木) 21:31:40

  (2) 本尊の名義

  本尊と名づけられるものは外・内・権・実を問わず、必ず立てられている。しかも、主師親を以て本尊としている。そして「根本と為してこれを尊敬す」る
 ものを本尊と呼ぶのである。当門流に於いても根本と為して尊敬する当体を本尊とするのである。我々の根本尊敬の当体すなわち本尊とは、文底深秘の大法・
 本地難思の境智冥合・久遠元初の自受用身・本有無作の事の一念三千の南無妙法蓮華経である。この御本尊は「十方三世の諸仏の御本尊、末法下種の主師親」
 であるが故である。日寛上人は、さらに「本尊問答抄」を引いて再び人法について「人即久遠元初の自受用身、法即事の一念三千の大曼荼羅なり。人に即して
 これ法、事の一念三千の大曼荼羅を主師親と為す。人法の名殊なれども、その体恒に一なり。これ即ち末法我等が下種の主師親の三徳なり」と仰せられている。

  この後、「総結」すなわち題号の締めくくりとして、当抄の題号には多意を含むとされ、(1) 三大秘法を含む、(2) 事の一念三千を含む、(3) 本因の
 四妙 (境智行位) を含む、(4) 事行の題目を含む、(5) 決定成仏の義を含むの五点から、本抄の題号の甚深の義を釈されている。いずれも、その内容は
 きわめて重要であり、真剣に学んで行きたいものである。特に、本抄の題号の結論は、きわめて重要なので引用させていただく。
 「故に本尊に於いては最極無上の尊体、尊無過上の力用なり。故に行者応に須く信力・行力の観心を励むべし。智慧第一の舎利弗、尚信を以て得道す。
 何に況や末代の愚人をや。像法の智者大師尚毎日一万遍なり。何に況や末法の我等をや。一たび人身を失えば万劫にも得がたし。一生空しく過ごして永劫
 悔ゆることなかれ」と。
 私達は受け難き人身を受け、値い難き大正法にめぐりあえた。「一たび人身を失えば万劫にも得がたし」との厳しい訓戒を胸に刻んで、最極無上の戒壇の
 大御本尊を拝する信心で、日々勤行唱題し、不幸な民衆を救っていく尊き使命に生き抜くべきである。また、「本朝沙門日蓮撰」についても、その奥義に
 触れられているが、ここでは省略させていただく。

278美髯公:2012/03/04(日) 20:18:48

                             = 第三段 略して観心を釈す =

  以上、日寛上人の「観心本尊抄文段」の「首文」と「題号」の釈を拝してきた。次に、「本文」の釈に入るわけであるが、最初にお断りした通り、第三段、
 第六段、第八段、第九段に限って拝して行く事としたい。さて、全体の構成は大きく三つに分かれている。―― 第一に一念三千の出処が示され (第一段〜
 第二段) 、第二に正しく観心の本尊が明かされる (第三段〜第十段) 、最後に (第三) 総結 (第十一段) で締め括られる。まず、第一段では、一念三千の
 出処が止観第五正観章の文にあると明かされ、第二段で、一念三千は情・非情に亘る事を明かされている。
 続いて、第三段では、略して観心が釈されている。

  「問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何」(P.240 ①) から「法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば自具の十界・百界千如・一念
 三千を知らざるなり」(P.240 ③) までである。さて、「問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何」(P.240 ①) との、問いの本意は何か。日寛上人は
 「問の意は、一念三千の出処既にこれを聞く、一念三千の観心の意如何となり」と仰せである。すなわち、第一段で一念三千という法理の出処は明らかと
 なっている。次に一念三千の観心とはどういう事か、との問いなのである。「我が己心を観じて十法界を見る」(P.240 ①) という事が「観心」の意である
 事がわかったが、ここでいう (本尊抄) 観心とは「台家の観心」であるのか「当家の観心」なのか、との問いを次に出されている。日寛上人は答えていうに、
 附文の辺は「台家の観心」であり、元意の辺は「当家の観心」である、と。附文とは表面上の文々句々に即しての意味、解釈であり、元意の辺とは、一歩
 深く立ち入った、究極の意味、その本心という事である。

 附文の辺での、台家の観心とは摩訶止観に詳しく説き示された、一心三観、一念三千の観念観法により、己心所具の十法界を観見する義である。元意の辺での
 当家の観心とは「我が己心を観じて」―― 即ち本尊を信じ奉る義であり、「十法界を見る」―― 即ち妙法を唱え奉る義である。日寛上人も「但本尊を信じて
 妙法を唱うれば則ち本尊の十法界全くこれ我が己心の十法界なるが故なり」と述べられている。末法には、天台家で修するが如き、複雑な難行をする必要が
 ないのである。また「台家」と「当家」の観心には天地水火の勝劣があったのである。前に引用したが「治病抄」には「一念三千の観法に二つあり一には
 理・二には事なり天台・伝教の御時には理なり今は事なり観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門の一念三千・此れは本門の一念三千なり天地はるかに
 殊なり」(P.998 ⑮) と、仰せである。

279美髯公:2012/03/05(月) 19:32:21

  ところで、「総勘文抄」に仰せられている観心と、今述べた「当家の観心」とはどういう関係になるのであろうか。ちなみに「総勘文抄」には「所詮己心と
 仏心と一なりと観ずれば速やかに仏に成るなり、故に弘決に又云く『一切の諸仏己心は仏心と異ならずと観し給うに由るが故に仏に成ることを得る』と
 已上、此れを観心と云う」(P.569 ⑯) と。ここでは「己心と仏心と一なりと観ず」る事が観心と述べられている。ここに仰せの仏心とは妙法五字の本尊で
 あり、己心もまた妙法五字の本尊である。己心・仏心とは異なっているが共に妙法五字の本尊であるところから「一なり」と仰せられている。それでは
 直ちに己心が妙法五字の本尊であるのかというとそうではない。そこで大事な事は次の「観ずれば」という事である。この「観ずれば」とは、初信の人、
 あるいは我等凡愚がその義を知らなくても、ただ本尊を信じ奉って妙法を唱える事により、自ずから仏心と己心が一となり、と観ずるにあたるのである。
 故に観心というのである。従って「総勘文抄」の「観心」も、実は受持即観心を意味しているのである。従って、この「本尊抄」の文と同じ意義となる
 のである。

  「譬えば他人の六根を見ると雖も未だ自面の六根を見ざれば自具の六根を知らず」(P.240 ②)
 日寛上人はこの御文について、大聖人が何故「自面」という言葉を使われているのか、との問いを出されている。六根とは眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・
 意根であり、これらは「自具」とはいえても「自面」特に「面」とはいえないのではないか、という意である。「自面」と使われた意は二つある、と日寛上人は
 述べられている。すなわち、一つに六根悉く我が身の面にあるからである。意根についても、外部からの色などの縁によって、面に出るものである、と。
 二つに、地獄界から仏界まで十界は、悉く各々の如是相として面に現れるからである。例えば瞋り (地獄界)、貪り (餓鬼界)、癡 (畜生界)、諂曲 (修羅界)等の
 四悪趣、更には平らか (人界)、喜び (天界)、あるいは無常 (二乗界)、慈愛 (菩薩界)等である。

280美髯公:2012/03/08(木) 20:38:47

  「明鏡に向うの時始めて自具の六根を見るが如し」(P.240 ②)
 自らの六根といえども、直接我が眼で見る事はできない。明鏡に向かってはじめて細かに見る事ができるのである。また、たとえ明鏡があったとしても、
 それに向かわなければ姿は見えない。日寛上人は「向背は信・不信の異名なり」と述べられている。すなわち、信心の有無が明鏡に向かうか、背くのかに
 分かれてしまう一点なのである。功徳無量無辺の御本尊といえども我々の信心の有無によって、その仏力・法力に浴し得るかどうかが決まってしまう。
 「我が心の鏡と仏の心の鏡とは只一鏡なりと雖も我等は裏に向って我が性の理を見ず故に無明と云う、如来は面に向って我が性の理を見たまえり故に明と
 無明とは其の体只一なり鏡は一の鏡なりと雖も向い様に依って明昧の差別有り」(P.570 ⑤) の一節を深く銘記するべきである。

 更に、明鏡とは附文の辺は「法華止観」であり、元意の辺は正しく文底下種の「本尊」なのである。「南無妙法蓮華経と唱え奉る者の希有の地とは末法弘通の
 明鏡たる本尊なり」(P.763 ⑪) と仰せの様に、末法今時の明鏡とは寿量文底の御本尊なのである。続いて、日寛上人は「御義口伝」の一節、更には伝教が
 入唐中、道邃和尚から受けたと伝えられる「修禅寺決」の文を引き、その中に説かれている「自浮自影の鏡」(自体に森羅万象を浮かべ、その影を映し出す
 鏡) とは、「事の一念三千の南無妙法蓮華経の本尊なり」と結論づけられている。すなわち、いかに我が身が妙法の当体と理性所具の上で述べたとしても、
 御本尊という明鏡に向かわなければ、すなわち御本尊を信じ、唱題して行かなければ事実の上で観心を成ずる事はできないのである。

281美髯公:2012/03/09(金) 19:41:05

                              = 第六段 受持に約して観心を明かす =

  前段までに、衆生は等しく十界を具えているという、妙法の法理の説明がなされた。特に、「人界所具の仏界」は、水中の火、火中の水の様なものであり
 信じ難いけれども、あるいは中国上代の唐舜と虞舜、あるいは不軽菩薩、悉達太子 (釈尊) 等の例を引いて教えられている。

  第六段では、末法衆生の観心で、ある受持について、その本義を明かされるのである。
  「問うて曰く教主釈尊は 此より堅固に之を秘す 三惑已断の仏なり・・・・」(P.242 ⑭)
 ここで「此より堅固に之を秘す」と記されているのは、「本尊の妙能に由って受持即観心を成ずるの義」を明かしている、本抄でも最重要な御文だからで
 ある、とされている。

  第六段の冒頭の問いの部分は、本抄の中で最も長い問いとなっている (P.242 14 行目から、P.244 6 行目まで)。日寛上人はまずこの問いを、①「教主」、
 ②「教論」の二つに約されている。教主に約す個所では、爾前・迹門・本門とそれぞれ、釈尊の積んだ因行も果徳も、我々の想像を絶するほど広大無辺で
 ある事が明かされる。―― これほどの仏身、仏界を我が身に具えているなどという事は、とうてい信じられない、と。ここで注意しておきたい事は、釈尊に、
 「三惑已断の仏」(親の徳) 、「又十方世界の国主・・・・」(主の徳) 、「八万法蔵を演説して・・・・」(師の徳) と、三徳を具備している事が示されている事で
 ある。

282美髯公:2012/03/10(土) 20:22:31

  「此を以て之を思うに爾前の諸経は実事なり実語なり・・・・」(P.243 ⑪) からは、経論に約して十界互具を説く法華経への疑義を出されている。
  「答えて曰く此の難最も甚し最も甚し但し諸経と法華との相違は経文より事起つて分明なり」(P.244 ⑦)
 いよいよ、問難の答えに入っていく。まず、経論に約しての非難は、経文をよく読めば法華経に十界互具が明らかに説かれている事が分かるではないかと
 され、「その義自ら明らかなり」と簡潔に答えられている。次に教主に約しての問いへの答えが、「但し会し難き所は上の教主釈尊等の大難なり」(P.244 ⑱) から
 である。確かに、釈尊が我等の己心に住している事、十界が等しく我が身に具わっている事は法華経にのみ明かされているところであるが、仏はあらかじめ、
 法華経は難信難解である事を述べていた。また、釈尊一人のみでなく天台・伝教等の正師も皆、法華経が難信難解である事を記している。

 続いて「但し初めの大難を遮せば・・・・」(P.245 ⑨)からは「本尊の徳用」が示されているのである。受持に約して観心を述べる段で、これまで教主釈尊への
 大難に対して、法華経が難信難解である事を明かしてきた。ところで、何故今、一念三千の仏種すなわち本尊の能生の功力が説かれているのであろうか。
 この点について日寛上人は「凡そ当家の観心はこれ自力の観心に非ず。方に本尊の徳用に由って即ち観心の義を成ず。故に若し本尊の徳用を明かさざれば、
 その観心の相最も彰し難きに在り。故に先づ本尊の徳用を示して、後に観心の相を明かすなり」と明快にその理由を述べられている。つまり、天台の観心は
 自力であったが、当家の観心は自力でない。まさに本尊の徳用によってのみ観心の義を成ずるのである。故に、まず本尊の徳用を明らかにしてから、観心を
 示すのである。

  無量義経、普賢経等を引いて、事の一念三千の仏種こそが、三世十方の諸仏能生の徳用を有しているのである。すなわち、三世十方の諸仏は妙法五字を
 種として仏に成ったのである、と述べられている。「秋元御書」に「三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」(P.1072 ⑤) と。
 衆生を救う人が仏である。妙法はその仏を成仏せしめた根源の仏種であるとの仰せである。寿量文底の御本尊の徳用がいかに広大なものであるか、想像を
 絶するところといえよう。

283美髯公:2012/03/16(金) 22:47:53

  「問うて曰く上の大難未だ其の会通を聞かず」(P.246 ⑩)
 ここから、「正しく受持即観心を明かす」個所である。すなわち、この受持即観心が当抄の最大肝要であり、結論でもある。
 「上の大難」とは教主釈尊に約した難である事はいうまでもない。「未だ其の会通を聞かず」との問いは、前の本尊の徳用を明かした個所が、大難の答えへの
 伏線である事に気づいていないからである。すなわち、本来「初めの大難を遮せば」という言葉の中に、三世諸仏の能生の徳を明かす事は、教主釈尊への
 大難への回答につながっている事が、暗に含められているのである。さて、受持即観心とは、御本懐から立ち返って拝せば所詮、弘安二年十月十二日御建立の
 本門戒壇の大御本尊を信受して、唱題に励む事に他ならない。―― これが本段の結論とされているのである。御本尊が釈尊をはじめ、三世十方の諸仏能生の
 仏種である故に、我等が御本尊を無二に信受し奉る時に、その仏力・法力により、仏界に備わる因位の万行・果位の万徳悉く涌現せしめる事が可能となる
 のである。

  「答えて曰く無量義経に云く『未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す』等云云」(P.246 ⑪)
 日寛上人は、この無量義経の文 (十功徳品第三) について、その元意は「因位の万行妙法五字に具足する義を顕すなり」と仰せである。以下、文段にそって
 みていきたい。
 一体、波羅蜜とは梵語で「彼岸に到る」という意味であり、六波羅蜜とは布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つをいう。これは菩薩の修行法であり、
 彼等は歴劫修行といって、それこそ無量阿僧祗劫の長きにわたって修行を積んで行くのである。ところが、妙法五字を受持する事により、そうした因位の
 万行を修する事無く、万行を積んだと同じ因になるのである。それを「自然に在前す」という。―― 因位の万行が具わるのであるから、当然その果徳も
 具わる事となる。

284美髯公:2012/03/18(日) 21:07:05

  次に法華経以下の御文を引かれているのは、妙法とはすなわち具足の義である事を顕されている。妙楽大師の弘決の一には「法華経の前はいまだかつて
 権を開会しないから具足と名づけない」と。具足というのは開会の力用をもっていればこそ、始めて具足というのである。「開会」をもって仏法を論ずる
 なら、爾前は所開であるに対して、迹門は能開である (権実相対)。また迹門を所開とすれば本門は能開 (本迹相対)。脱益が所開であるのに対して下種の
 法門が能開 (種脱相対) なのである。つまり、権・迹・本 (脱) ことごとく開会する法は文底下種の本地難思の境智の妙法のみである。その開会の力用を
 はらむ妙法をもって「具足」と名づけるのである。したがって大聖人は「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」(P.246 ⑮) と仰せられた
 のである。

  「私に会通を加えば本文を黷すが如し爾りと雖も文の心は釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」(P.246 ⑮)
 「私に会通を加えば・・・・」とは、大聖人の御謙遜であられる事はいうまでもない。次に「釈尊の因行果徳の二法」とは、先に我等の己心に権・迹・本の
 釈尊は住し得ないではないかと難じた、その当の権・迹・本の釈尊の因行果徳なのである。また「妙法蓮華経の五字に具足す」とは、前に引いた本地難思の
 境智の妙法である。権・迹・本の釈尊の因果の二法は「所生」であり、妙法は能生である。所生は必ず能生に帰する故に、権は必ず実に帰し、迹は必ず
 本に帰し、脱は必ず種に帰着するのである。故に釈尊の因行果徳の二法は妙法五字に具足するのである。―― こう釈されて、日寛上人は次に法華玄義第七の文
 「・・・・三世乃ち殊なれども毘盧遮那一本異ならず、百千枝葉同じく一根に趣くが如し」を引き、一根である妙法に、百千枝葉の諸仏の因果の功徳が具足して
 いる事を述べられる。

  日寛上人は続いて、本地難思の境智の妙法は、釈尊一仏だけでなく、十方三世の諸仏の因行果徳をも皆ことごとく具足すべきであるのに、どうして「釈尊の
 因行果徳の二法」と釈尊一仏の因行果徳に限られているのか、との設問を出されている。これについては「一を挙げて諸に例する故」と述べられている。
 以上みてきたように、一切諸仏の因位の万行・果位の万徳は、皆この妙法五字に具足する。この末法下種の大御本尊の功徳は無量無辺で広大深遠の力用を
 具え給う事は、誰人にも明らかであろう。

285美髯公:2012/03/19(月) 20:31:45

  「我等此の五字を受持しうれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(P.246 ⑭)
 これ正しく受持即観心の義である。妙法を受持する事により、釈尊の因行・果徳をことごとく己が生命に譲り受ける事ができるとの仰せである。
 当抄文段では「我等此の五字を受持しうれば」の御文は、法華経の神力品の「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし」の文に相応すると述べられて
 いる。つまり「我等」とは「我が滅度の後」とある末法の衆生である。「受持しうれば」の「受持」は両文とも一致する。これが観心なのである。
 「此の五字」とは経文の「斯の経」に当たり、文底で読めば大御本尊なのである。

 神力品の「斯経」とは四句の要法であり、この体は南無妙法蓮華経であると大聖人も仰せのように、釈尊滅後末法の我等がこの五字七字の大御本尊を受持し
 奉る事を、すなわち「観心」と名づけるのである。更に、正しく信心口唱こそが受持に当たる事を述べられた後「我等此の五字を受持すれば自然に彼の
 因果の功徳を譲り与え給う」の御文に、四種の力用が明かされている、と述べられている。「我等受持」とは信力・行力であり、「此の五字」とは法力であり、
 「自然に譲り与える」とは仏力である。信力とは、一向に唯この御本尊を信じて、御本尊以外には成仏できる道はないと、強盛に信ずる事をいうのである。
 また、行力とは余行を交える事無く、ただ南無妙法蓮華経と唱える事である。法力とは、権・迹・脱の迹中化他の三世の諸仏の因果の功徳は、ことごとく
 本地自行の妙法五字に具足いている。それ故、この大御本尊の力用・化功は広大無辺で、利益の深遠である事をいうのである。

  また、久遠元初の自受用身の自行化他の因果の功徳を円満に具えた妙法五字を、一幅の大御本尊に図顕して末法の幼稚に授けられた。この大慈大悲の
 力用を仏力という。続いて、日寛上人は大智度論第一の譬を引き、四力を説明されている。その後、信解品、方便品、宝塔品、寿量品の各経文、妙楽の
 一文をもって、受持即観心の釈成とされているのである。

286美髯公:2012/03/20(火) 20:38:01

                              = 第八段 広く本尊を釈す =

  先にみてきたように、第六段で正しく受持即観心の義が明かされ、次いで第七段で「其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し・・・」(P.247 ⑯)
 と、はじめて文底下種の本尊が明かされる。第八段は、その文底下種の本尊について、詳しく教えてもらいたい、との問いから始まる。その問いの答え
 として、五重の三段が明かされるのである。

  初めに一代一経三段 (内外相対)、次に法華経十巻三段 (権実相対)、三に迹門熟益三段 (権迹相対)、第四に本門脱益三段 (本迹相対)、最後に文底下種
 三段 (種脱相対) である。この五重の三段を立てられた元意は、種脱相対して立つところの文底下種の本尊を明かす事にあるのはいうまでもない。
 日寛上人の文段に基づいて、五重の三段を比較相対すると次のようになる。

         ┏ ① 一代一経三段 ― 内外相対
   一往総の三段 ┫
         ┗ ② 法華経十巻三段 ― 権実相対

 ┌ 天台の第一、第二法門
         ┏ ③ 迹門熟益三段 ─┤
        ┃          └ 当家の第一法門
         ┃          ┌ 天台の第三法門
   再往別の三段 ╋ ④ 本門脱益三段 ─┤
         ┃          └ 当家の第二法門
         ┃
  ┗ ⑤ 文底下種三段 ― 当家の第三法門

287美髯公:2012/03/21(水) 21:47:23

 一往総の三段は再往別の三段を顕さんがためのものであり、それ故に一往という。また、別の三段は正しく本尊を明かしているから再往というのである。
 更に別の三段についていえば、
  ① 迹門熟益の三段は今家所立の第一の教相であり、熟益の本尊を明かす。
  ② 本門脱益三段は今家所立の第二の教相であり、脱益の本尊を明かす。
  ③ 文底下種三段は今家所立の第三の教相であり、下種の本尊を明かしている。
 
  さて、まず一代一経三段とは、釈尊が成道して説いた華厳経から般若経にいたるまでの諸の経経が「序分」、無量義経・法華経・普賢経は「正宗分」で
 あり、涅槃経が「流通分」となる。次に「正宗十巻の中に於いて亦序正流通有り無量義経並に序品は序分なり・・・・」(P.248 ⑨) と、法華経十巻三段を
 説かれる。すなわち、無量義経および法華経の序品第一が序分。方便品第二から分別功徳品第十七 (十九行の偈まで) に到る十五品半が正宗分。
 分別功徳品第十七の残り (現在の四信)から普賢経までの十一品半と一巻は流通分である。五重三段の第一、第二については、文段では詳論されていない。
 本抄の御文により明らかだからであろう。

  「又法華経の十巻に於いても二経有り各序正流通を具するなり」(P.248 ⑫)
 ここでは、迹門塾益三段が明かされる ―― 。さて、別の三段は迹・本・文底各々 ① 正しく三段を明かし ② 能説の教主 ③ 所説の法体 ④ 権・迹・
 本・文底の勝劣 ⑤ 化導の始終 ―― の順に説かれている。無量義経と序品第一が序分であり、方便品第二から人記品 (授学無学人記品) 第九までの八品が
 正宗分。法師品第十から安楽行品第十四までの五品が流通分である。次に、迹門を説いた「能説の教主」は始成正覚の仏である。奪っていえば「所説の
 法体」は国土世間があらわれず「百界千如」であり、真の一念三千ではない。

288美髯公:2012/03/23(金) 21:19:56

  日寛上人は、化導の終始が説かれる「在世に於て始めて八品を聞く人天等或は一句一偈等を聞て下種とし」(P.248 ⑰) の個所について「言う所の『下種』
 とは、聞法下種と為さんや。発心下種と為さんや」と設問を立てられている。いうまでもなく聞法下種とは法を聞かせて成仏の種子を下す事。発信下種とは
 仏の下種を受けて、発心し実践修行を決意する事である。―― もし聞法下種というなら、在世は皆本已有善の衆生であるから、いまさら聞法下種のものが
 あるはずがない。また、もし発心下種であるとすれば、いまの「始めて八品を聞く」というのはおかしいではないか、と。答えていうに、これは発心下種である。
 大通十六のとき、すでに法華経を聞いたのであるが、信じなかったから聞かなかったのと同じであり「始めて八品を聞く」等と仰せられたのである、と。

  「又本門十四品の一経に序正流通有り涌出品の半品を序分と為し・・・・」(P.249 ①)
 本門脱益の三段は、涌出品第十五の半品が序分、残り半品と寿量品第十六の一品、更に分別功徳品第十七の半品を正宗分。その他 (分別功徳品の半品からの
 十一品半と普賢経) が流通分である。能説の教主は始成正覚の釈尊ではなく、久遠実成の釈尊である。迹門に対して能説の教主に天地の勝劣があり、所説の
 法体にも天地水火の違いがある。本門ではじめて本因・本果・本国土の三妙が明かされ、一念三千の法門が整えられたのである。次に「一念三千殆んど
 竹膜を隔つ」の所説の法体を明かす個所についての解釈があげられている。その「竹膜を隔つ」の元意は文底独一本門の真の一念三千からみたとき、本迹
 二門の一念三千の相違といっても、竹膜のようなわずかなものにすぎない、という事である。日寛上人は、古来からの誤った解釈を示して、破折され、
 前述の正義をかかげられたのである。

 ところで、本迹の相違が竹膜の如きものであれば「本迹一致」といってもさしつかえないではないかとの疑問を出される。およそ本迹の不同は「天地」の
 如きものである。しかし、文底独一本門から望む故に両者の差異が「竹膜を隔つ」のであり、もともと「天地」の差異があったのであり、その不同が
 たちまちにして竹膜に変わってしまうのではない。ましてや、本迹一致派の者は文底を知っていない。したがってこの「竹膜を隔つ」の御文を引いて
 本迹一致が主張されるはずがないのである。本門脱益三段のこの個所では、化導の終始についてふれられていない。これは迹門塾益三段の文をもって、
 本門脱益三段に例されているからである。当抄文段ではたとえ本門寿量品に種熟脱を明かしているとはいっても、文底からみれば、ただ脱益と名づける、
 と述べて脱益三段の釈を終えられている。

289美髯公:2012/03/24(土) 22:19:05

  「又本門に於いて序正流通有り・・・・」(P.249 ⑤) の個所では、正しく文底下種の三段が明かされるのである。序分は十方三世諸仏の微塵の経々の体外の
 辺であり、正宗分は内証 (文底) の寿量品の一品二半、流通分はその正体は文底一品二半の所詮である寿量文底下種の南無妙法蓮華経、及び十方三世の
 諸仏の微塵の経々の体内の辺である。なぜに文底下種といい、その法体を立てるのか。この日蓮大聖人の究竟の極説について、① 五段の教相に准ずる
 ② 三重秘伝に准ずる ③ 本門の両意に准ずる ④ 問中の意に准ずる ⑤ 序分の拡大に准ずるの五点を挙げ、その理由を明らかにされている。

  ① 五段の教相に准ずるとは、当抄と並んで二大重書とされている「開目抄」に、内外相対・権実相対・権迹相対・本迹相対・種脱相対の五重の相対が
 説かれている。従って、第五の三段は種脱相対を明かしたものであり、文上脱益に対して文底下種の三段なのである。
  ② 三重秘伝に准ずるとは、五重三段のうち別の三段についていえば、迹門塾益三段は、当家の第一の教相に、本門脱益三段は当家の第二の教相に相当する。
 またいま論じている個所は正しく種脱相対、当家の第三の教相であるから、文底下種の三段となる。なお、三重秘伝については詳しくは、日寛上人の
 「六巻抄」三重秘伝抄第一を参照されたい。

  ③ 本門の両意に准ずるとは、法華経の中で本門寿量品は、在世の衆生の為と、滅後末法の衆生の為と二意あった事は、諸御抄に明快である。前の第四、
 本門三段は在世の衆生を脱益させる為のものであった。故に、第五は末法下種の文底の三段となる。
  ④ 問中の意に准ずるとは、第八段の冒頭の問いの中に「前代未聞の故に耳目を驚動し心意を迷惑す」(P.248 ⑥) とある。前代未聞というからには通途の
 文上の法華経ではなく、文底下種に他ならないではないかととの意である。
  ⑤ 序分の拡大に准ずるとは、第四本門脱益三段の序分は「涌出品の半品」であった。ところが、第五段は「過去大通仏の法華経より、乃至現在の華厳経
 乃至迹門十四品涅槃経等の一代五十余年の諸経・十方三世諸仏の微塵の経経」なのである。実に天地の違いである。

290美髯公:2012/03/25(日) 20:10:26

  第五段の文底下種を知らない、各宗の学者 ―― 日講・日辰・日忠らは、様々な迷論を展開している。日講・日辰は、序正勝劣、広序の三段などと
 立てており、要するに第四段の延長であるとしているのである。また日忠は法界三段と立てているが、その法界は文底下種を知らぬ、一分の法界にすぎない。
 また、本抄でいう「過去大通仏」とは、いわゆる大通所説の法華経という意ではなく、大通智勝仏の十六王子の法華経ということである。
 続いて一品二半の二義が明かされる。前段の涌出品を序分ろする本門脱益三段の一品二半と、十方三世の諸仏の微塵の経々を序分とする一品二半とは
 「名同異義」であることを知るべきである、と。いうまでもなく、一品二半とは涌出品の後の半品と寿量品と、分別功徳品の前の半品をいうのである。
 しかし、それに二義があることを知らなければならない。

  ① まず、配立の不同。天台の配立する一品二半 (本門脱益三段の正宗分でもある) は、涌出品の半品に略開近顕遠と動執生疑とを当てている。
 しかし日蓮大聖人は、略開近顕遠を除き、動執生疑からとされる。
  ② 種脱の不同。略開近顕遠からの半品を一品二半とする天台の配立は在世脱益のためであり、略開近顕遠からではなく動執生疑からの半品とする大聖人の
 一品二半は末法下種のためなのである。
  ③ 異名不同。したがって、天台のそれを「略広開顕の一品二半」と名づけ、大聖人のそれを「広開近顕遠の一品二半」また「広開近顕遠の寿量品」と
 名づける。その他の呼び方の違いは次のようになる。

    天  台         大 聖 人
  略開近顕遠の一品二半   広開近顕遠の一品二半
               (広開近顕遠の寿量品)
    在世の本門        末法に本門
               (我が内証の寿量品)
               (文底下種の本因妙)

 以上、先に結論を出され、次にその理由があげられている。―― まず結論、正義を述べられ、その後に一つ一つの邪義を破折され、あるいは正義たるゆえんを
 掲げられるという論の進め方は、「観心本尊抄文段」を一貫しているものといってよい。

291美髯公:2012/03/26(月) 19:48:54

  さて、なぜ略開近顕遠を除き動執生疑からの半品を正宗分とされたのであろうか。ちなみに「法華取要抄」には「本門に於て二の心有り一には涌出品の
 略開近顕遠は前四味並に迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり、二には涌出品の動執生疑より一半並びに寿量品・分別功徳品の半品已上一品二半を広開近
 顕遠と名く一向に滅後の為なり」(P.334 ④) と。寿量品は文上は在世の衆生の脱益のため、文底は末法の衆生に下種するためだった事は当抄文段でも
 すでに述べられている。ところで弥勒菩薩は、略開近顕遠の「我今実語を説く汝等一心に信ぜよ  我久遠より来  是れ等の衆生を教化せり」の言葉に
 対して「我等は復、仏の随宜の所説、仏の所出の言、未だ曾て虚妄ならず、仏の所知は、皆悉く通達し給えりと信ず」と述べている。すなわち、すでに
 この時点では在世の衆生は略開近顕遠を信じる事ができた。それ故に仏の久遠成道を悟るのはもはや時間の問題となる。であれば文上寿量品も「涌出品の
 略開近顕遠」に属せしめて何ら差し支えない事となろう。

 一方「然も諸の新発意の菩薩、仏の滅後に於いて、若し是の語を聞かば、或は信受せずして、法を破する罪業の因縁を起さん」という滅後末法の衆生への
 心配から、敢えて動執生疑の問いが発せられたのである。―― その疑請に応えて説き出されたのが寿量品だった。故に「寿量品は一向に滅後末法の為」と
 なる。したがって、動執生疑の半品からの一品二半こそ末法下種のためなのである。しかもこれは文上の一品二半でもなければ、文上の寿量品でもない。
 これを広開近顕遠の一品二半、我が内証の寿量品、また末法の本門というのである。これに対して、略開近顕遠を含む一品二半は、在世脱益のためであり、
 略開近顕遠の一品二半、また在世の本門というのである。また、日寛上人は「法華取要抄文段」において、天台の広開近顕遠は、ただ本果久成の遠本を顕して、
 未だ久遠元初の名字の遠本を顕さない、故に日蓮大聖人の広開近顕遠に望めば、実にこれ略開近顕遠にすぎない、と述べられている。
 詳しくは「法華取要抄文段」(『富士宗学要集』第四巻 疏釈部) を参照されたい。

292美髯公:2012/03/27(火) 19:41:50

                              = 第九段 文底下種三段の流通を明かす =

  「迹門十四品の正宗の八品は一往之を見るに二乗を以て正と為し菩薩凡夫を以て傍と為す・・・・」(P.249 ⑩)
  この段から、文底下種三段の流通分が明かされるのである。最初に、法華経文上の迹門・本門ともに文底の流通に属する事をあげられている。迹門は序分に
 属すというのに、なぜまた流通分というのか、(迹本とも流通分というなら) 本迹に勝劣はないのではないか、などの疑義を破折された後、「本門を以て之を
 論ずれば一向に末法の初を以て正機と為す・・・・本門に至つて等妙に登らしむ」(P.249 ⑭) の「等妙に登らしむ」とはおかしい、との設問を出される。
 答えていうに、確かに文上では天台の五十二位中、等覚位までであって、妙覚位に登り、真に成道した者はいない。しかし、ここでは大聖人が文底の意で
 そう仰せになっているのである、と。すなわち、一応寿量品を聞いて得脱し、妙覚位に登ったとされているが、実は文上を聞くと共に文底の深秘 (妙法) を
 悟り、久遠元初に戻って名字妙覚位に入ったのである、と。

 もともと、法華経および天台大師の文には、ただ隣極といって登極とはいってない。この点について、古来から論争があったけれども、日寛上人はその理由を
 明確にお述べになっているわけである (「法華取要抄文段」に詳しく述べられている) 。以上のように、迹門・本門ともに文底下種三段の流通分である事を
 明らかにされた後、再び文底下種三段の序・正・流通について、正宗分は「前の如く久遠元初の唯密の正法」。序分、流通分はともに「総じて一代五十余年の
 諸経、十方三世の微塵の経々並びに八宗の章疏」とする、と仰せられている。もとより、序分はその体外の辺 (文底下種が顕れない) 、流通分はその体外の
 辺 (文底下種から開会した) の相違がある事はいうまでもない。

  「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」(P.249 ⑰)
  この下は在世・末法の本門の相違を判じて、流通の正体を示し、観心の本尊を結成されているのである。「体異」を明かすために、まず「一同に純円」の
 「名同」が示される。人に約していえば、在世の本門の教主は、始成正覚の化他方便を帯びないから「純円」である。一方、末法の本門の教主は久遠元初の
 名字の凡身であり、色相荘厳の方便を帯びていないから「純円」である。法に約していえば、前者は十界久遠の三千であり、本無今有の方便を帯びていないから
 「純円」である。一方、後者は余行にわたらない妙法であり、熟脱の方便を帯びていないから「純円」なのである。

293美髯公:2012/03/30(金) 21:48:10

  「但し・・・・」からは正しく「体異」が説き明かされる。日寛上人はこの「彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」の文の「体異」に
 文義意の三意を立て分けられている。
  (一) 文の重  在世と末法の異を判ずるのである。在世の本門の教主は色相荘厳であるから「彼は脱」という。末法の本門の教主は名字凡身の下種の
 仏であるから「此れは種」という (能説の教主) 。また在世の正宗分は文上脱益の一品二半であるから「彼は一品二半」といい、末法の正宗分は文底下種の
 妙法であるから「此れは題目の五字」というのである (所説の法体) 。「百六箇抄」に「我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり」(P.863 ⑪) と
 仰せられているところである。

  (二) 義の重  末法流通の正体を示すのである。在世の本門たる脱仏 (彼は脱) の説いた正宗分 (彼は一品二半) は在世脱益のためで末法下種の法では
 ない。ゆえに末法流通の正体となすことはできない。末法の本門たる下種仏 (此れは種) の説く正宗 (但題目の五字) は正しく末法の下種となり、末法流通の
 正体となすから「彼は脱此れは種・・・・」と仰せられているのである。
  (三) 意の重  観心の本尊を結成する。つまり、在世の本門である脱益の人法は教相の本尊で観心の本尊ではない。故に末法の本尊となす事はできない。
 末法の本門である下種の人法は正しく観心の本尊である。故に末法下種の本尊とするのである。これをもって「彼は脱此れは種・・・・」と仰せられている
 のである。こうして、教相、脱益の本尊を簡んで、観心、下種の本尊をとる事が、ここに明白に結論づけられたのである。

  今、この文底下種本門・事の一念三千の観心を顕された“結成”に至るまでを振り返ってみれば「第七段 略して本尊を釈す」の個所では「此の本門の
 肝心」(P.247 ⑮) と熟脱の本尊を簡んでおられる。次に「第八段 広く本尊を釈す」の迹門塾益三段の個所で「始成正覚の仏・本無今有の百界千如を
 説いて」(P.248 ⑬) と、熟益の本尊を簡んであられる。更に、同じく第八段、本門脱益三段の個所で「一念三千殆んど竹膜を隔つ」(P.249 ③) と脱益の
 本尊を簡んでおられる。以上で、「観心本尊抄文段」の序、第三段、第六段、第八段、第九段を拝してみたが、最後に我等は日寛上人の「唯仏力・法力を
 仰ぎ、応に信力・行力を励むべし。一生を空しく過ごして万劫悔ゆることなかれ」との結びの誡めの言葉を胸奥に刻んで、行学の二道に励みたいものである。

294美髯公:2012/03/31(土) 20:09:04

                              = 第一段 一念三千の出処を示す =

  第一段では、摩訶止観第五正観章の文が引かれ、そこに一念三千の出処があるとされている。そこで「世間と如是と一なり開合の異なり」(P.238 ①) の
 文について、日寛上人は「この文、先づ開釈・結成の二文を会するなり」といわれている。すなわち、止観の第五においては一念三千を明かす文に二つの
 筋道があり、はじめに「開釈」の中では、百界は能具・世間は所具、世間は能具・如是は所具となり、百界 → 三百世間 → 三千如是という順序で一念三千が
 明かされる。次に「結成」の中では、百界は能具・如是は所具、如是は能具・世間は所具で、故に百界 → 千如是 → 三千世間となる。このように、開釈では
 三千如是となり、結成では三千世間で結んでいる。いずれも三千の数量を成じている事は同じであり、ただ途中に於いて開釈では世間を合して如是を開し、
 結成では如是を合して世間を開しているだけの違いであるから「世間と如是と一なり開合の異なり」といわれているのである。

 そこで、天台は一念三千を明かすのに法華経方便品の十如の文に依ったのであるから、如是に約すべきであって世間に約すのはおかしいとの疑問があるが、
 これに対して日寛上人は、迹門は未だ国土世間を明かさず、一念三千の義を尽くしていないのであるから、天台は「迹面本裏」といって一往迹門を表面に
 立て、裏に本門の意をおいて一念三千を説いたとされている。したがって、開釈の中で迹門の如是に約して三千の数量を成じ、結成の中で国土世間の
 説かれた本門の意によって法数を成じているのは法の違いを示すのでなく、説明の仕方が違うだけなのである。「十章抄」に「一念三千の出処は略開三の
 十如実相なれども義分は本門に限る」(P.1274 ⑤) と仰せの通りである。

295美髯公:2012/04/03(火) 22:44:45

  次に「夫れ一心に十法界を具す・・・・意此に在り」(P.238 ②) との止観第五の文について、日寛上人は「附文の辺」と「元意の辺」があるといわれている。
 附文の辺とは、表面上の文々句々に即して解釈する読み方であり、元意の辺とは、この文の引用された、御本仏日蓮大聖人の根元の意からの一歩深い読み方を
 いうのである。附文の辺によれば、この文は単に一念三千の出処を示すという事にすぎないが、元意によれば、この文は「観心の本尊」の義を成ずるのである。
 この元意の辺に立って読めば、初めの「夫れ一心に十法界を具す」というのは、大御本尊の相貌を示されている。すなわち「夫れ一心」とは、久遠元初
 自受用身の一念の心法であるが故に「一心」というのである。これは、御本尊中央の「南無妙法蓮華経」である。「十法界を具す」等というのは、「南無
 妙法蓮華経」の左右にしたためられている十界互具・百界千如・三千世間の事である。

 それ故に御本尊のお姿は、久遠元初の自受用身である日蓮大聖人の心具の十界三千の相貌に他ならない。故に大聖人は「此の漫荼羅能く能く信じさせ給う
 べし、(中略) 日蓮がたしひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるは
 なし」(P.1124 ⑦) と仰せなのである。以上が「観心の本尊」のうち「本尊」の文にあたっている。このように天台の文を引用されているが、日蓮大聖人は
 文底の辺から、まず末法弘通の大白法たる本尊の義を示されているのである。「観心本尊抄」の大意からいって、冒頭に引用された天台の文も、そのように
 元意の辺から拝していかねばならないのである。

296美髯公:2012/04/04(水) 22:00:15

  次に「此の三千・一念の心に在り」というのは、実は「観心の本尊」の「観心」を示されているのである。すなわち、この一念三千の本尊が全く余処に
 在る事なく、ただ我等衆生の信心の中に在る事をいうのである。もし信心がなければ本尊を具する事はない。それ故に「若し心無んば而已」というのである。
 妙楽大師の「取着一念不具三千」とはこの事をいうのである。「取着一念不具三千」というのは、妙楽がその著「弘決」で、止観の文を釈した言葉であるが、
 まず取着というのは“取って身につける”という事で、執着という言葉に近い意味であろう。もともとの意味は清浄な一念でなく、執着の一念には三千を
 具する事はできないという意味かと思う。日寛上人は、この妙楽の言葉を使用して「若し文上の熟脱に取着して文底下種の信心無くんば、何ぞこの本尊を
 具足すべけんや」と仰せになったのである。逆に、もし刹那 (瞬間) の信心でもあれば、観心を成じて一念三千の本尊を具するのである。故に「介爾も心
 有れば即ち三千を具す」というのである。譬えていえば、水のある池には月がうつるようなものである。大聖人が「此の御本尊も信心の二字にをさまれり」
 (P.1244 ⑪) といわれているのも、まさしくこの事である。

 もし理の立場から論ずるならば、一切が法界、すなわち法とは諸法、界とは十界、十如、三千の境界である。すなわち、一念三千といえる。しかし、事に
 ついて論ずるならば、信・不信によって具・不具が決まるのである。すなわち、理の上では、一念三千と平等にいえるが、事実の上では、一念の信・不信に
 よって一念三千の本尊を具するかどうかが決まるのである。「当体義抄」においても、初めに理に約して、十界の依正が悉く妙法蓮華の当体といわれているが、
 再往は信受に約して、正直に方便を捨てて但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱える日蓮大聖人の弟子檀那が本門寿量の当体蓮華仏とあらわれる、と仰せに
 なっている事を思い合わすべきである。以上の事を若干補足して説明すれば、いくら一切が一念三千の当体であるからと言っても、現実にその力が発揮
 されなければ、それは理論としては成立しても一切衆生を救う事はできない。仏法は、一切衆生を現実に救済する事が目的である。したがって、理論として
 如何にすぐれていても、事実の発動がなければならないのである。したがって、理が究極をきわめると共に、現実に、どの様に仏法の偉大な力が生じて
 いくかが重大問題なのである。

297美髯公:2012/04/08(日) 22:33:26

  次に「乃至」の以下は結文 (それ以前の文の結論の文) で、初めに本尊を結して、自受用身の一念の心法が即ち一念三千の本尊である故に「不可思議境」と
 称するのである。不可思議境とは妙境の異名であり、妙境とは南無妙法蓮華経の御本尊という事である。また観心を結して「意此に在り」とは、もし一念の
 信心があれば、その信心に一念三千の本質を具するのである。天台大師の深意もここにある、との意味である。ここで、何故まず本尊を結し、次に観心を
 結するかといえば、それは末代の我等の観心は、本尊の妙用によって成ずる事ができるからであると拝する。妙境すなわち不可思議境たる大御本尊の偉大な
 仏力、法力を確信すべきである。その信心によって、有難くも我等衆生の観心を成ずる事ができる事を感謝すべきである。このように、摩訶止観の文が
 その元意の辺から読む時、「観心の本尊」の依文となっている事が明らかである。しかし、この義は前代未聞の解釈であり、不相伝の輩にはとうていわかる
 ものではない。まことに、大聖人の文底深秘の法門は、相伝によらざれば知る事はできない。日寛上人の、この明快なご教示に、ただ感涙押さえ難しで
 ある。もし、このご教示なくば、何故観心の本尊を明かされる本抄に、この天台の摩訶止観の文を引用されたかは知る由もないからである。

  次に「或本に云く一界に三種の世間を具す」(P.238 ④) また次の「問うて云く玄義・・・・『斯の言若し墜ちなば将来悲む可し』」(P,238 ⑤) までの
 文段は、省略させていただく。

298美髯公:2012/04/14(土) 19:32:20

                           = 第二段 一念三千は情・非情に亘るを明かす =

  前段において、摩訶止観第五に一念三千の出処がある事を明かし、一念三千と百界千如を明確に区別したが、第二段ではそれをうけて、一念三千と
 百界千如の相違が論じられ、百界千如が有情界に限り、一念三千が情・非情に亘る事が示されている。

  「爾りと雖も木画の二像に於ては・・・・天台一家より出でたり」(P.239 ⑬)
  この文について、日寛上人は内道・外道ともに認められる事実をあげて、道理を立てていると述べられている。すなわち、木画の像においては内道・
 外道を問わず、共にこれを本尊としている。その義は天台一家の法門から出ているといっても、もし色心の因果の法が有情のみに限られ、草木に及んで
 いないとするならば、草木の本尊を信仰しても何の利益もない事になる。しかし、内外共に木画の像を本尊と頼んでいるという事は、それ自体、草木が
 色心の因果を具する事の証明となる。つまり、万人が認める事実に照らして道理は明らかである。

299美髯公:2012/04/15(日) 22:44:32

  次に「疑つて曰く草木国土の上の十如是の因果の二法は何れの文に出でたるや」(P.239 ⑮) の文について、大聖人はこの次下に、天台の止観第五、
 妙楽の釈籤第六、同じく妙楽の金錍論の三つの文を引いて草木成仏の証明とされている。止観の「国土世間亦十種の法を具す」の文に関して、日寛上人の
 ご教示によれば、草木の相が各異なるのは如是相である。草木の性質が各改まらないのは如是性である。またその主質は如是体であり、草木が寒熱に
 堪える内在的な力用を持つ事は如是力である。林に繁り庭に昌えるという具体的作用は如是作であり、草木に花となる芽を出すのは如是因となる。莟を
 潤し育むのは如是縁であり、花を開くのは如是果であり、菓を結ぶのは如是報である。日寛上人は、この様に解りやすく、草木にも十如是を具している
 事を説明されている。

  「各一仏性・各一因果あり縁了を具足す」(P.239 ⑱)
  日寛上人によれば、この文は草木や礫・塵の性それ自体に正・了・縁の三因仏性を具えている事をあらわしている。
 すなわち「各一仏性」とは、それらが正因仏性 (一切衆生が本然的に具えている仏性) をもっている事を示す。この正因仏性を具えている事は、すなわち
 一念三千の当体という事である。それ故に「各一因果」といっているのである。というのは、因果とは十如是の因果の二法である。ちなみに、妙楽の弘決には
 「十如を語らざれば因果備わらず」とある。まさしく十如是は、相・性・体の生命の実相と共に、その因果の法を説くところに眼目があるのである。逆に
 因果の二法とは、十如是の法則である。十如是を具すれば必ずそれは十界を現じ、十界は必ず三世間を具するのである。

 故に金錍論に「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土」とあるように、諸法は必ず十如、十界、依正の法に貫かれ、一念三千の
 姿を示している。故に「因果の二法」とは、一念三千とならざるをえない。さて「一仏性」とは、三因仏性のうち正因仏性の事であり、一念三千の事で
 あると述べたが、これは「三千即中」の辺をもって正因仏性と名づけたのである。この「三千即中」の正因仏性の体において、「三千即空」 「三千即仮」の
 用 (体に対して用、すなわち作用) を具足するのである。ここでは、草木に於いても、三因仏性を具している事を述べ、なおかつ空仮中の三諦の関係を
 述べ、草木もまた一念三千の当体である事を念を入れて釈されているのである。繰り返すようだが、正因仏性は中諦で「体」となり、了因仏性は法性を
 照らしあらわす智慧であるから空諦、縁因仏性は了因を縁助して、了、縁共に「用」になる。正因仏性のあるところ縁因・了因を具えるのは当然であるから
 「縁・了を具足」というのである。

300美髯公:2012/04/16(月) 22:26:44

  次に、この答えの部分の大旨は何かという問いに対し、文段では次のようにいわれている。
 草木成仏とは、一往は熟脱の法門に通ずるといっても、実は文底下種の法門である。その理由は「観心本尊抄」の本文に「詮ずる所は一念三千の仏種に
 非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり」(P.246 ⑧) といわれている。また「開目抄」(P.189 ②) に仰せの如く、一念三千の法門は但法華経の
 本門寿量品の文底に秘沈されているからである。そこから、草木成仏は文底下種の法門に依らなければ成立しない事が明らかとなる。ここで、謹んで諸御抄の
 意を考えると、草木成仏には「不改本位の成仏」と「木画二像の成仏」の二意があると、日寛上人はご教示されている。「不改本位の成仏」とは、草木の
 全体がそのまま本有無作の一念三千、即自受用身の覚体である事を意味する。「草木成仏口決」には「『草にも木にも成る仏なり』云云、此の意は草木にも
 成り給える寿量品の釈尊なり」(P.1339 ⑥) といわれている。「寿量品の釈尊」とは、内証の寿量品の釈尊、すなわち久遠元初の自受用身如来であり、
 妙法蓮華経である。また「草木の根本、本覚の如来、本有常住の妙体なり」といわれるのも同じ意である。

  「総勘文抄」に曰く「春の時来りて風雨の縁に値いぬれば無心の草木も皆悉く萌え出生して華敷き栄えて世に値う気色なり秋の時に至りて月光の縁に値い
 ぬれば草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し終に成仏の徳用を顕す」(P.574 ⑭) と。
 この御文の草木の体は本覚の法身であり、その時節を違えず花咲き実の成る智慧は本覚の報身であり、有情を養育する慈悲は本覚の応身である。
 このように草木がその姿を改めず、そのまま本覚の三身如来であるところから「不改本位の成仏」というのである。これは、十界の依正悉く妙法蓮華経の
 当体であると仰せられる内容に通ずる。しかし、だからといって、草木を何でも拝んでよいかというと、そうでは絶対にない。そこに、次に述べるごとく
 「木画二像の成仏」という事が大切なのである。

301美髯公:2012/04/17(火) 22:07:27

  次に「木画二像の成仏」とは、日寛上人によれば、木画の二像に一念三千の仏種の魂魄を入れる時、木画の二像が生身の仏となる事をいう。
 「四条金吾釈迦仏供養事」に曰く「一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり、三種の世間と申すは一には衆生世間・二には五陰世間・三には国土
 世間なり、前の二は且らく之を置く、第三の国土世間と申すは草木世間なり、草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは
 木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて
 申せば草木成仏と申すなり」(P.1144 ⑰) と。

 文の中の「此の法門」とは、一念三千の法門である。また、「木絵二像開眼之事」に「法華経を心法とさだめて三十一相の木絵の像に印すれば木絵二像の
 全体生身の仏なり、草木成仏といへるは是なり」(P.469 ⑧) とある。この文意を得れば、答えの大旨は自ずから知る事ができる。要するに、この草木成仏の
 二義をさとるならば、すなわち木画二像の成仏のある事を知るならば、今、安置し奉る御本尊が、本有無作・一念三千の生身の御仏である事が明確になる。
 すなわち、御本尊それ自体、久遠元初の自受用報身如来の魂魄そのものであり、謹んで御本尊を大聖人の血肉と拝し、単なる文字であるとか、木や紙で
 あるなどといって蔑ろにしてはならないのである。

302美髯公:2012/04/20(金) 22:47:44

                               = 第四段 広く観心を釈す =

  先の第三段では、略して「観心」の意義が述べられたのをうけて、第四段では、十界互具の文を引いて広く観心の意義に言及されていく。「開目抄」に
 「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(P.189 ④) とある通り、十界互具が明確にならなければ、一念三千も、また観心の義も成り立たないからで
 ある。以下、分段に沿って述べる事とする。
  引用の文に総別があり、方便品の文は総じて九界所具の仏界を明かし、寿量品の文は総じて仏界所具の九界を明かしている。方便品に「衆生をして仏知見を
 開かしめん」とは、九界の衆生に仏の知見が蘊在している事が前提になっていて、それ故、九界所具の仏界を明かした文である事はいうまでもない。

  また、寿量品の「是くの如く我成仏して・・・・復上の数に倍せり」の文について、「今猶未だ尽きず」とは、因位の万行が果海に流入している事を示す
 ものであり、それにこの文は、仏界所具の九界を明かすものといえるのである。すなわち、久遠に於いて行じた菩薩行が成仏と同時に消え去ったものでは
 なく、その菩薩の生命がそのまま仏界に流入して「今猶未だ尽きず」との意である。ここでは、仏界所具の九界を示したものであるが、「流入の義」とは、
 仏法の因果の特質を示すものとして興味深い。仏法の因果には、決して断絶はない。九界の因は仏界の果にそのまま流れ入っているのである。あたかも
 一切の河川が、大海に入るが如くに ―― 。故に、凡夫の私達にとっても、仏道修行には一切ムダがない。すべてが、福運となって流入している事を確信
 したいものである。
 さて、本論に戻るが、菩薩道をなぜ九界というかといえば、菩薩は九界に収まるものである故に、一を挙げて他の八界に例したのである。

303美髯公:2012/04/22(日) 22:16:17

  次に「『提婆達多乃至天王如来』等 云云 地獄界所具の仏界なり」(P.240 ⑧) の文以下は、別して十界互具を示した文である。ここで、他の文が皆、
 「所具の十界」となっているが、なぜこの文のみ「地獄界所具の仏界」といっているのかという疑問である。たしかに、文に即していえば、この文の如く、
 「所具の仏界」というべきであるが、義に約していえば、以下の文の如く「所具の十界」というのである。それは、仏界を具しているのだから余界も具して
 いるのである。「所具の仏界」というのも「所具の十界」というのも、文に約していう場合と義に約していう場合も、互いに顕し合っているのである。
 これを「互顕 (現)」という。

  「地涌千界乃至真浄大法」(P.240 ⑮)
 この文について、日寛上人は法華玄義を引かれて述べられている。法華玄義巻七下に「口唱真浄大法 (口に真浄の大法を唱うる) は真は是れ常なり。
 略して二徳 (常徳と浄徳) を挙ぐ、我と楽は知んぬべし」とある。「真浄大法」とは妙法蓮華経の事であり、この玄義の文は真浄大法が常楽我浄の四徳を
 具えていることを示している。それ故に口に真浄大法を唱えるとは、南無妙法蓮華経と口唱することを意味している。というのも、常楽我浄の四徳も
 南無妙法蓮華経に他ならぬからである。「御義口伝」には「南無とは楽波羅蜜・妙法とは我波羅蜜・蓮華とは浄波羅蜜・経とは常波羅蜜なり」(P.740 ④)
 といわれている。

304美髯公:2012/04/28(土) 22:23:40

 この「御義口伝」の文において、「南無」の二字をもって楽波羅蜜に配するのはなぜかといえば、―― 南無とは帰命の意である。帰とは帰奉 (帰し奉る)、
 命とは出入の息である。およそ一切有心の衆生は命をもって宝とする。一切の宝の中で命宝が第一である。今その第一の命の宝をもって実相の仏、すなわち
 妙法に帰るのである。故に帰命というのである ―― と註釈にある。しかし、多くの衆生は、その命宝を惜しむ故に諸の苦を生ずる。その命をもって
 妙法蓮華経の仏に帰奉した時に、無上の楽を受けるのである。まさしく、戒壇の大御本尊に帰命し奉った時に、確信と勇気がみなぎり何ものも恐るる事
 なき安心立命の境地に立脚する事ができるのである。また、妙法は法界の全体である。その法界において自在である故に我波羅蜜に配する。蓮華とは
 清浄の義であり、経とは常の義である。これは通常の解釈の通りである。すなわち、地涌千界が口に南無妙法蓮華経と唱えたという事は、地涌は菩薩界で
 あり、口唱妙法は仏界である。仏界には余界を具えている故に、この神力品の文は菩薩界所具の十界を明かす文といえるのである。

  「経に云く『或説己身或説他身』等 云云 即ち仏界所具の十界なり」(P.240 ⑯)
 この文について、己身・他身は所具の仏界であり、余界もまた同様であるから所具の十界は明らかである。しかし、能具の仏界は示されていないのでは
 ないかという問いが考えられる。この設問に対して、日寛上人は「或説己身・或説他身」の二つの「説」の字が能説の意味を含んでおり、すなわち能具の
 仏界を示しているといわれている。

305美髯公:2012/05/21(月) 22:37:43

                                = 第五段 心具の十界を明かす =

  第四段で、十界互具の文を引いた事に続いて、この段では道理と現証の上から、再び十界互具が強調されている。ここでは、六道、三聖、仏界の順で
 十界互具が説かれている。

  「問うて曰く十界互具の仏語分明なり」(P.241 ⑰)
  この文からは仏界を明かすところである。この段の「過去の下種結縁無き者の権小に執着する者」(P.242 ⑥) の文について、日寛上人はこのように点ず
 べきであるといわれている。というのも、これらの者は過去の下種結縁は無いけれども、もし権小に執着しなければ、法華経に値った時に下種結縁して
 正法の行者となるからである。次の「十界互具之を立つるは石中の火・木中の花」(P.242 ⑨) 等の文については省略する。

306美髯公:2012/05/22(火) 20:35:42

                                = 第七段 略して本尊を釈す =

  第六段で正しく受持即観心の義が明かされた後、第七段では権迹熟益の本尊、本門脱益の本尊を明かし、さらに文底下種の本尊を顕していくのである。

  まずはじめに「夫れ始め寂滅道場・華蔵世界より・・・・」(P.247 ⑨) の文で、権迹熟益の本尊を明かしている。
 「華蔵・密厳・三変・四見等・・・・土も又以て是くの如し」(P.247 ⑨)
 この文について、日寛上人は次のようにいわれている。「華蔵」は実報土であり、「密厳」は寂光土になる。「三変」とは、宝塔品に於いて釈尊が三度変じて
 浄土となした国土である。「四見」とは、涅槃経で説かれる所見の国土をさしている。釈籤第七の意によれば、三変土田をもって同居の浄土に約し、また
 兼ねて実報・方便土としている。それ故に三変は同居の浄土・方便・実報土となる。四見とは、衆生の機根にしたがって同じ沙羅林を同居・方便・実報・
 寂光の四土となる。故に「三土四土」とは、この三変・四見という言葉によって指し示される国土をいうのである。「成劫の上の無常の土」とは六道の
 凡夫の住処である三界同居の穢土に他ならない。

  「能変の教主」とはインド出世の釈尊を指し「所変の諸仏」とは方便土の勝応身、実報土の他受用身、寂光土の法身、安養土の弥陀、浄瑠璃土の薬師、
 密厳土の大日如来等をいう。インド出世の釈尊が入滅するならば、これら爾前・迹門で説かれた諸仏も滅尽するのである。ここは、権迹熟益の本尊は
 無常をまぬかれない事を、国土の変土無常の相をもって示しているのである。教主の身相、脇士については略されているが、これは、まず教主の身相に
 ついては上の文に「教主釈尊は始成正覚のほとけ四十余年の間四教の色身を示現し爾前・迹門・涅槃経等を演説して・・・・」(P.243 ②) 等と仰せられ、
 爾前・迹門の仏は始成正覚の無常の仏である事が明確にされている。脇士についても、下の文に「正像二千年の間は小乗の迦葉・阿難を脇士と為し権大乗
 並に涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す」(P.248 ①) とある通りである。

 およそ、本尊とは、教主の身相及び脇士を明かすわけであるが、今は国土に約して、これを省略したのである。さて、この事を思う時、結論的になって
 しまうが、「本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」(P.254 ⑧) と仰せられている事に感無量の思いがする。まさしく、大御本尊は、
 本門の釈尊をも脇士とし、上行等の四菩薩も脇士とした (両重の脇士) 未曾有の大御本尊であらせられるのである。

308美髯公:2012/05/27(日) 21:46:56

  「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり・・・・」(P.247 ⑫) の個所において、本門脱益の本尊が明かされている。この文に
 ついて、日寛上人は寿量品の「時我及衆僧倶出霊鷲山」の文を引いて説明されている。「時」とは、すなわち「本尊抄」の文における「本時」であり、
 「我」とは、すなわち「仏」であり、「衆僧」は「所化」にあたる。「倶出」は、すなわち「同体」であり、師弟ともに三世常住である。それ故に「倶出」
 及び「同体」というのである。「霊鷲山」は、すなわち「三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土」である。故に伝教大師は「霊山報土は劫火に焼けず」と
 いったのである。また、本文に「仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず」とある事については、寿量品に「如是我成仏已来 甚大久遠 寿命無量阿僧祗劫 
常住不滅」とあり、この経文の相に明らかに仏の過去常住が示されており、その故に「過去にも滅せず」というのである。また天台大師が、この四字に
 寄せて、仏の未来常住も明かしているので、「未来にも生ぜず」というのである。

  「此れ即ち己心の三千具足・・・・」(P.247 ⑬)
  この文について、日寛上人は、在世の観心を明かしたものといわれている。「此即」の二字は、上の「本時の娑婆世界は」以下の文を指す。「本時の娑婆」とは
 本国土、依報の一千世間である。仏 (本果) および所化 (本因) は本因本果をあらわし、衆生と五蘊の二千世間である。これがすなわち在世の舎利弗などの
 己心具足の三種の世間である。妙楽いわく「故に長寿を聞いて復宗旨を了す」と。つまり舎利弗等は本因本果の長寿・久遠なるを聞いて、本門の一念三千の
 宗旨を了解したのである。「百六箇抄」にいわく「在世観心法華経の本迹  一品二半は在世一段の観心なり天台の本門なり、日蓮が為には教相の迹門なり
 云云」(P.856 ⑦) とある通り、在世の舎利弗等、衆生の観心は大聖人からみると教相の迹門となる。

309美髯公:2012/06/01(金) 23:13:19

  「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや」(P.247 ⑮)
  この文以下において、文上熟脱の本尊を簡び (“よりわける”の意、すなわち、選んで捨てるのである) 、文底下種の本尊が明かされている。
 まず「此の本門の肝心」とは、文上熟脱の本尊を簡ぶ文である。「此本門」の三字は熟益迹門の本尊を簡び、「肝心」の二字は文上脱益の本尊を簡ぶ。
 「南無妙法蓮華経の五字に於ては」とは、文底下種の本門・事の一念三千の本尊を明かしている。これすなわち本化所属の法体なのである。この本化所属の
 法体とは、釈尊より神力品において本化地涌、別して上行が付属された法体であるかの様に受け取られるが、より深く述べるならば、上行の内証、すなわち
 久遠元初の自受用報身如来、即末法後出現の日蓮大聖人が本来所持されている法体なのである。日寛上人も、この意を根底において述べられていると
 拝するのである。

 日我いわく「本迹の不同・在世滅後の本尊能く能く意を留む可きなり」と。本迹といっても、在世の本迹は始成正覚と久遠実成の相違をいい、滅後の本迹は
 脱益と下種益の相違を指すから「本迹の不同」というのである。また本尊も、文上脱迹が在世の本尊であり、文底の種本が末法の本尊であるから「在世
 滅後の本尊」といっている。日我は、これらの相違によくよく留意しなければならないというのである。なお「文殊薬王等」とは、非器 (その器でない) の
 人を簡ぶ文である。天台は「器に非ざれば授くるなかれ」と述べている。

  「但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う」(P.247 ⑮)
  「地涌千界」とは正しく付属の人を示し、「八品を説いて」とは通じて本化への付属の始終を示し、「之を付属し」とは別して寿量品の肝心 (寿量文底秘沈の
 南無妙法蓮華経) を付属する事を示している。すなわち、涌出品において付属の人である地涌の菩薩を召し出し、寿量品において付属する本尊を説き顕し、
 分別功徳品にはこの本尊に対して能く一念の信解を生ずる功徳を明かし、随喜功徳品にはこの本尊を聞いて (信受の義) 五十展転する功徳を明かし、
 法師功徳品にはこの本尊の五種の妙行の利益 (別して受持) を明かし、不軽品には本尊の末法弘通の方軌を示し、神力品では別してこの本尊を本化である
 地涌の菩薩に付属し、嘱累品では地涌の菩薩が付属を受け終わって会座を退去する。このように、八品は付属の始終を説いている。ただ地涌千界の菩薩に
 本門の肝心南無妙法蓮華経を付属する故に「八品を説いて之を付属し給う」というのである。

310美髯公:2012/06/13(水) 20:32:15

 これに関連して、日寛上人は妙楽・天台の文を引かれている。妙楽いわく「今釈迦仏は本迹を説き竟って総じて枢要を撮って諸の菩薩に付属す」と。
 ここに「枢要」とは、南無妙法蓮華経を指向して述べているといえよう。天台いわく「今日本門を説いて一切諸仏の所有の法を付属す」と。
 ここに「一切諸仏の所有の法」とは、三世十方の諸仏の帰趣すべき南無妙法蓮華経を、内に鑒みながら表現したと考えられる。さて、妙楽は、一経三段の
 意に約し、通じて法華経一部の始終を挙げる故に「本迹を説き」という。天台は、二経六段 (法華経迹門熟益三段と同本門脱益三段) の意に約し、別して
 本門の終始を示す故に「本門を説いて」というのである。日蓮大聖人は、地涌の菩薩が法華経の会座にある時に約して、付属の始終を明かす故に「八品を
 説いて」といわれるのである。日寛上人は、このように三師の解釈を説明され、その相違に留意すべき事を説かれている。

  「其の本尊の為体本師の娑婆の上に・・・・」(P.247 ⑯)
  この文が、まさしく地涌の菩薩に付属された本尊の相貌を明かされた個所である。ここで日寛上人は、この本尊が八品所顕であるか、寿量所顕であるか
 という問いを設けられ、答えとして寿量所顕の本尊であると結論づけられている。その理由として、以下の文を引かれている。
 「新尼御前御返事」にいわく「今此の御本尊は・・・・宝塔品より事をこりて【寿量品に説き顕し】神力品・嘱累に事極りて候」(P.905 ⑫、傍点筆者、以下同じ)
 「御義口伝」にいわく「二仏並座・分身の諸仏集まつて【是好良薬の妙法蓮華経を説き顕し】(註=寿量品) 釈尊十種の神力を現じ四句に結び上行菩薩に
 付属し給う」(P.782 ⑱)
 またいわく「惣じて妙法蓮華経を上行菩薩に付属し給う事は宝塔品の時事起こり・【寿量品の時事顕れ】・神力嘱累の時事竟るなり」(P.770 ⑧)

  また「本尊抄」の次下の本文に「正像・・・・未だ【寿量の仏】有さず、末法に来入して始めて此の仏像 (後に述べる如く文底下種の本仏・久遠元初の
 自受用身の当体) 出現せしむ可きか」(P.248 ②)、「【本門寿量品の本尊】並びに四大菩薩」(P.248 ⑤) といわれている。これらの明文に明らかな通り、
 大聖人の御真意は寿量所顕の本尊であって、八品所顕の本尊ではないのである。「八品を説いて」といわれるのは、先に述べた通り付属の始終を示したのに
 すぎず、八品において本尊を説き顕したという事ではない。日蓮大聖人の滅後、約百年頃から八品所顕の義を立てる八品派が発生した。その邪義は「本尊抄」の
 これらの文に依っている所から、日寛上人は八品派・日忠の著作を引いて文証・道理の上から破折されているが、詳細は省略させていただく。

311美髯公:2012/09/09(日) 22:02:11

  次に「其の本尊の為体・・・・」は文底下種の本尊を明かす文であるが、それについて日寛上人は、この御本尊の為体が今日 (釈尊在世) の寿量品の
 儀式を移すものか、または久遠元初の本仏の相貌を顕すものか、という問いを立てられる。すなわち、今日寿量品の儀式といえば、在世脱益となって、
 末法下種の本尊にはならない。もし、久遠元初の本仏の相貌であるといえば、「本尊抄」本文に説かれている二仏並座、本化・迹化の菩薩、舎利弗、目連などの
 姿は今日寿量品の儀式である。何れの立場に拠っても矛盾が生ずるのではないかというのである。これに対して、日寛上人は結論として、この御本尊は
 正しく文底下種、本地難思、境智冥合、久遠元初自受用身の一身の相貌であると断じられている。そのために「御義口伝」等の諸文証を引かれている。

  まず、第一に寿量品にいわく「如来秘密神通之力」と。「御義口伝」にいわく「此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり、戒定慧の三学は寿量品の
 事の三大秘法是なり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(P.760 ③) と。まさしく「寿量品の事の三大秘法」とは、
 「三大秘法抄」にも「実相証得 (久遠五百塵点劫の証得) の当初 (元初) 修行し給いし処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり」(P.1021 ④) と仰せの
 如く、内証の寿量品に説かれた、久遠元初の三大秘法である。さらに「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」とは、末法御本仏日蓮大聖人、即文底下種の
 本仏、本地難思、境智冥合、久遠元初自受用報身如来の一身の当体こそ、末法の御本尊である事が説かれ、「人法一箇」が示されている。

 また、「諸法実相抄」にいわく「されば釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、経に云く『如来秘密神通之力』是なり、
 如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし」(P.1358 ⑪) と。まさしく先の「御義口伝」の御文と照合した時、いよいよ
 明瞭である。まず、文底下種の妙法蓮華経こそ本仏であり、「釈迦・多宝の二仏」というも「用の仏」であるとされている。また「如来秘密」は末法の本尊の
 依文であり、これは「体の三身にして本仏なり」とは、先に「如来秘密」とは文底下種の三大秘法であり、その本尊の当体とは、末法の法華経の行者の
 一身の当体である事が明かされている。すなわち、日蓮大聖人の御当体こそ三大秘法の御本尊であり、三大秘法の御本尊は、日蓮大聖人の御当体であらせ
 られる。その当体こそ「体の三身」すなわち、無作三身如来であり、御本仏なのである。そして「神通之力」とは、この体の三身、御本仏の力用の三身で
 あって、「釈迦・多宝の二仏」も用の三身であり、迹仏なのである。

312美髯公:2012/10/16(火) 20:42:00

  第二には、経にいわく「是好良薬今留在此」と。「本尊抄」の下の文にいわく「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり、此の
 良薬をば仏猶迹化に授与し給わず何に況や他方をや」(P.251 ⑨) と。ここに「是好良薬」とあるのは、もはや文上の意ではない。「内証の寿量品」(P.250 ⑨) の
 「是好良薬」であり、それは、寿量文底の南無妙法蓮華経の事なのである。

  第三に、経にいわく「時我及衆僧倶出霊鷲山」と。「御義口伝」にいわく「本門事の一念三千の明文なり御本尊は此の文を顕し出だし給うなり」(P.757 ③) と。
 これまた、末法出現の御本尊の相貌をあらわしているのである。故に「其の故は時とは末法第五時の時なり、我とは釈尊・及は菩薩・衆僧は二乗・倶とは
 六道なり・出とは霊山浄土に列出するなり霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」(P.757 ⑤) と。まさしく、
 中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」とお認めになり、そこに十界の衆生ことごとく列出した御姿が、大御本尊の相貌なのである。日寛上人は、前に寿量品の
 「時我及衆僧倶出霊鷲山」の文を引用して、本門脱益の本尊を説明したが、これは「文上の意なり」と仰せられ、今、同じくこの寿量品の文を引用するのは、
 「文底の意なり」と仰せられている。

  第四に、「本尊抄」の下の文に「所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法の国にして悪機なる故に之を止めて
 地涌千界の大菩薩を召して【寿量品の肝心】たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」(P.250 ⑨) と。ここに「内証の寿量品」という
 事について一言しておきたい。「百六箇抄」の「下種の法華経教主の本迹」の項に「自受用身は本・上行日蓮は迹なり、我等が内証の寿量品とは脱益寿量の
 文底の本因妙の事なり、其の教主は某なり」(P.863 ⑪) との仰せがある。これに関して、日寛上人は「当流行事抄」に「問う血脈抄 (百六箇抄) に云く
 『我が内証の寿量品とは脱益寿量品の文底本因妙の事なり』云云、此の文如何、答う、此に二意有り、所謂能所なり、且く我実成仏の文の如し、能詮の辺は
 唯是れ四字なり、所詮の辺は妙法なり、謂く能成即智、所成即境、豈、本地難思境智の妙法に非ずや、故に知りぬ能詮の辺、二千余字是れを我が内証の
 寿量品と名づけ、所詮の辺、妙法五字是を本因妙と名づくるなり、今所詮を以て能詮に名づく、故に内証の寿量品とは本因妙の事なりと云うなり」と。
 文底の意で読めば、寿量品の二千余字、ことごとく、内証の寿量品として、寿量文底本因妙の南無妙法蓮華経を説き明かしているのである。

313美髯公:2012/10/20(土) 21:34:55

  第五に、「撰時抄」にいわく「寿量品の (肝要) 南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆへに、此の菩薩を召し出されたる」(P.284 ⑬) と。
  第六に、「下山抄 (下山御消息) 」にいわく「実には釈迦・多宝・十方の諸仏・寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんが為なりと出し給う
 広長舌なり」(P.359 ⑧) と。
  第七に、また「下山抄」にいわく「地涌の大菩薩・末法の初めに出現せさせ給いて本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に
 唱えさせ給うべき・・・・」(P.346 ⑪) と。また「本尊抄」の次上の文にいわく「此の本門の肝心南無妙法蓮華経」(P.247 ⑮) と。

 すなわち、これらの諸御抄に「本門寿量の肝要」とあるのは、熟益の迹門を簡んで脱益の本門をとるが故に「本門寿量」というのである。さらに文上の
 脱益を簡んで但文底下種をとるが故に「肝要」というのである。「開目抄」には「本門・寿量品の文の底」(P.189 ②) といい、諸御抄の中には「本門寿量の
 肝要」というのである。「肝要」といい「文底」といい、表現は異なるが、内容は全く同意なのである。およそ肝要というのは、唯一法を挙げて一切を
 摂むる義である。ちなみに「肝」のうち「干」というのは、幹の意である。「月」は“からだ”を意味し、「肝」は体の幹に当たる内蔵を意味する。「要」には、
 もともと“しめくくる”“かなめ”の意味があり、たしかに、日寛上人の仰せの如く、根幹であって、かつ一切を締め括る要の意で、唯一法を挙げて一切を
 摂むる義であるというのは、まことに根拠をもっている事がわかるのである。

 文底もまた、かくの如き意をもっていうと仰せである。文底の「底」であるが、根底の意味とともに、一切を締め括っていく、すなわち包摂して締め括る
 意味がある。日寛上人は、これを証明するために、文底大事の口決を引用されている。「所詮文底とは久遠下種の法華経名字の妙法に今日熟脱の法華経の
 帰入する処を志し給うなり、妙楽云く『雖脱在現、具騰本種』とは是なり」と。まことに、文底下種の南無妙法蓮華経は、根元の一法であるとともに、
 一切法を摂むる壮大な法である。さて、このように解する時、二仏並座等の姿は今日寿量品の儀式ではないかとの疑問が出されるが、これに対して、日寛上人は
 次のように明快に答えられている。すなわち、「本事已往の若し迹を借らずんば何ぞ能く本を識らん。今日寿量品の儀式を以て、久遠元初の自受用 の相貌を
 顕すなり。妙楽の所謂『雖脱在現、具騰本種』これを思合すべし」と。この中で「本事已往の迹」とは、五百塵点成道 (本事已往) を明かした文上の寿量品の
 事であり、大聖人の文底下種の妙法に対すれば迹となるので、このように表現されたのである。

314美髯公:2012/10/21(日) 20:42:27

  次に、妙楽の法華文句記の「雖脱在現、具騰本種」であるが、これは「脱は現に在りと雖も、具に本種を騰ぐ」と読み、一往の意味は、釈尊の仏法では、
 寿量品の説法を聞いて得脱するのであるが、それは久遠に下種されていたからであるとして、本種 (根本の種子) を騰げているのである、といった意味で
 あろう。しかし、ここに妙楽の言葉を引用しているのは、日寛上人の「当流行事抄」に「霊山一会の無量の菩薩 (中略) 文底秘沈の種本を了して久遠元初の
 下種の位に立ち還りて本地難思の境智の妙法を信ずるが故に皆悉く名字妙覚の極位に至るなり」とある如く、本種とは久遠元初の下種を意味しているので
 ある。所詮、釈尊在世の衆生といえども、久遠元初の文底下種によらなければ、いかに釈尊が、五百塵点劫の成道を説いたとしても、真実の得脱はありえ
 ないのである。同じく日寛上人の「文底秘沈抄」には「脱益は是れ一往なり、故に雖脱在現と云い、下種は是れ再往の故に具騰本種なり」と仰せである。

 それでは、いかなる因によって成道したかといえば、それは「我本行菩薩道」と説かれているのみで、如何なる法を修行したかは説かれていない。仏法に
 おいては、“法”が重要である。ところが、その法が説かれていないのである。まさしくその根源の種子たる“法”こそ、文底下種の南無妙法蓮華経なのである。
 それから立ち還って、寿量品の文々句々を読むならば、悉く南無妙法蓮華経を説き明かしているのである。文は、文上の迹の文であっても、文底の眼開けて
 みれば、そこに文底の種本が、ふき上がってくるのである。ここに「騰ぐ」という事であるが、元々宿つぎ用の馬が、勢いよく跳ね上がる意味があり、
 わきあがる意である。

 表面的には文上の儀式であっても、文底の観見よりすれば久遠元初の儀式、すなわち、久遠元初の自受用身即文底下種事行の一念三千の本尊が、浮かび
 上がってくるのである。「撰時抄」に「仏滅後に迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親・乃至天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深密の正法経文の
 面に現前なり」(P.272 ⑯) とある。「最大深密の正法」とは、文底下種の三大秘法の本尊である。しかし、文上では「経文の面に現前」とはいえない。
 これも「雖脱在現、具騰本種」の立場から仰せなのである。日蓮大聖人の御本仏の観見の前には、経文の面に厳然と文底下種の三大秘法があらわれている
 のである。

315美髯公:2012/10/23(火) 20:56:23

  そして、さらに詳しく論ずるならば、施開廃の相伝があるとされている。
 それに依ると ――
  文上の意では、五百塵点劫の久遠本果が本となり、この本より中間・今日 (釈尊在世) の迹を垂れ (施)、さらに中間・今日の迹を開し久遠本果の本を
 顕す (開)。久遠本果の本を顕しおわれば、それ以外に一句の余法もない (廃)。それに対して、文底の意では久遠元初が本となり、その本より本果・中間
 ・今日の迹を垂れ (施)、本果・中間・今日の迹を開し、久遠元初の本を顕す (開)。久遠元初の本を顕しおわれば、さらに一句の余法もなく、唯これ久遠
 元初の自受用身の当体の相貌であって、真の事の一念三千の為体 (すがた) なのである (廃)。

  たとえば、池月によって天月の相貌を知り、天月を知りおわれば池月の影をはらって、ただ天月を指す様なものである。天台は「下に准じて上を知り、
 影を撥って天を指す」と述べている。さらに、どうして久遠本果も迹に属するかという問に対して、日寛上人は文底の意は唯久遠元初を以て名づけて本地と
 なし、本果以後を以後を迹に属するのであると述べられた後、本果第一番成道の時、すでに四教八教の浅深不同の教えが説かれた事を以て論証されている。
 妙楽の釈籤の七には「既に四義浅深不同あり、故に知んぬ、不同は定めて迹に属す」とある。大聖人は、久遠元初の御本仏であるが故に四教八教を説かれて
 いない。直ちに南無妙法蓮華経を説いていかれたのである。なお「其の本尊の為体・・・・」の個所の文にしたがって説明するならば、「本師の娑婆」とは
 常在霊鷲山である。「塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏」等の文から、妙法蓮華経の脇士が二重の脇士である事が明らかであり、これについて
 日寛上人は「この義最美なり」といわれている。

  それでは「塔中の妙法蓮華経」とは、その体は如何なるものか。これに対し、日寛上人は、これは“能表”をもって“所表”を顕し、「塔中の妙法蓮華経」と
 いうのであると説かれている。すなわち、ここでいう宝塔とは、もはや宝塔品の儀式を借りてはいるが、それは、すなわち久遠元初の妙法蓮華経以外の
 なにものでもないのである。この「塔中の妙法蓮華経」に、一に無始、二に色心、三に境智冥合の三意があるとされている。

316美髯公:2012/10/24(水) 22:23:41

  まず第一に、妙法蓮華経とは本有の五大を示している。釈尊在世に迹中に説かれた五百由旬の宝塔は、密に本地自受用身の本有の五大を表している
 のである。自受用身の五大とは、すなわちこれ、妙法蓮華経の事である。日蓮大聖人は「五行 (五大) とは地水火風空なり (中略) 是則ち妙法蓮華経の
 五字なり、此の五字を以て人身の体を造るなり本有常住なり本覚の如来なり」(「総勘文抄」P.568 ③) と仰せられている。すなわち、無始無終、本有常住の
 自受用身の五大が、そのまま妙法蓮華経なのである。大聖人の生命そのものが、妙法蓮華経であるという事ができる。

  第二に、妙法蓮華経とは十界互具を意味している。釈尊在世の迹中の十界の聖衆は、すなわち、本地自受用身の一念の心法所具の十界互具の妙法蓮華経を
 表するのである。日蓮大聖人は「因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足し闕減無し」
 (「当体義抄」P.513 ④) と仰せられている。この様に、宝塔の儀式に集った衆生は、悉く久遠元初の一念の心法たる妙法蓮華経に具する十界互具を表して
 いるのである。この“一念の心法”について、日寛上人は「当体義抄文段」に「当に知るべし一念の心法とは色心総在の一念なり」と仰せられている。

  第三に、妙法蓮華経とは境智の二法なのである。十界の聖衆が左右に坐している事は、すなわち本地難思の境智の妙法蓮華経を表しているのである。
 天台は「境智和合すれば因果あり、照境 (境を照らす事) 未だ窮らざるを因と為す。源を尽すを果と為す」と述べている。左右の九界の衆生は照境未窮の
 妙因を表し、釈迦・多宝の両仏は尽源為果 (源を尽すを果と為す) の妙果を表すのである。すなわち、宝塔品の儀式は、妙法蓮華経に具する妙因妙果を
 表すのである。

  さて、南無妙法蓮華経の左右に認められた仏、菩薩は色相荘厳の仏、菩薩であろうか。否、決してそうではない。種本と脱迹の異なりがあり、その差は
 天地雲泥である。もはや、御本尊にお認めの仏、菩薩等は本地自性の妙法、無作本有の体徳なのである。すなわち妙法蓮華経に照らされて、みな本有の
 尊形となっているのである。たとえば、種子の中に百千枝葉を具足しているが如く、妙法蓮華経の種子の中に一切包含されているのである。色相荘厳造立の
 仏・菩薩は迹中化他の形像である。たとえば、種子より生じたところの百千枝葉の様なものである。まことに大きい異なりではないか。

317美髯公:2012/10/25(木) 21:06:11

  さて、次からの問答は省略させていただくが、ただ「人即法の本尊とは即ちこれ自受用身即一念三千の大曼荼羅なり。法即人の本尊とは一念三千即
 自受用身の蓮祖聖人これなり。当文及び本尊問答抄、当抄下の文の本門の本尊、佐渡抄の本門の本尊の文並びにこれ人即法の本尊なり。三大秘法抄、
 報恩抄等は法即人の本尊なり」と仰せられている事は重要である。当文とは「その本尊の為体・・・・」の御文である。「本尊問答抄」の文とは、「問うて
 云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし」(P.365 ①) の御文である。この後、大聖人は“釈尊を
 本尊とすべからず”とされている。これに関連して、後に五老僧が釈尊の仏像を造立して本尊としたのに対して、日興上人はあくまで大聖人自筆の本尊で
 なければならない事を明確にされている。「当抄下の文の本門の本尊」とは、「但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を
 行ぜず」(P.253 ⑬) を指して仰せられているとかんがえられる。

 「佐渡抄の本門の本尊」とは、佐渡で書かれた「法華行者逢難事」の「天台伝教は之を宣べて本門の本尊と四菩薩と南無妙法蓮華経の五字と之を残したもう」
  (P.965 ⑧) を指すのであろうか。または「顕仏未来記」の「本門の本尊」(P.507 ⑥) をお示しであろうか。あるいは「法華取要抄」の「本門の本尊」
  (P.336 ②) を指されたのか。これらの御文は、人に即して法本尊を説かれているのである。

 「三大秘法抄」の本尊とは、「寿量品に建立する所の本尊は五百塵点劫の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是なり」(P.1022 ⑧) の事を
 おおせである。「五百塵点劫の当初」とは、久遠元初の事であり、「本有無作三身の教主釈尊」とは、久遠元初の自受用無作三身如来であり、文底の教主釈尊で
 あり、日蓮大聖人こそ、その御当体であらせられる。
 「報恩抄」の本尊とは、「一には日本・乃至閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士に
 なるべし」(P.328 ⑮) の「本門の教主釈尊」である。これは、「三大秘法抄」の「教主釈尊」と同意である。したがって「宝塔の内の釈迦多宝」等はその
 脇士となるのである。これらの御文は、法に即して人本尊を御教示されているのである。

321美髯公:2012/10/27(土) 20:58:40

  「是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し・・・・末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか」(P.248 ①)
  この文の大旨について、日寛上人は次のようにいわれている。すなわち、かくの如きの本尊は在世四十余年にはなく、法華経の説法八年の中でもただ
 八品に限る。正像二千年の間には小乗・権教・迹門の仏を造り画いても、いまだかくの如きの寿量品の仏はあらわれなかった。末法に来入して始めてこの
 寿量品の仏像が出現するのである、と。この様に、「是くの如き」から「出現せしむ可きか」まで一連相続の文、すなわち一続きの文であって、八品派の
 ように「八品所顕の本尊但八品に限る」と読むべきではなく、またみだりに通別に分けて解すべきでもない。

 なお、前に「其の本尊の為体」として、法の本尊を明かしながら、何故「寿量の仏」 「此の仏像」等というのかという問題であるが、これに対して日寛上人は
 「これ人法体一の深旨を顕すなり」と答えられている。すなわち、前の文では人即法に約して正しく本尊の相貌を明かし、今の文では法即人に約して末法
 出現を結するのである。しかもその究極を論ずれば、人法体一となる。前の文で明かした本尊の為体は、そのまま久遠元初自受用身の当体の相貌である
 故に、今の文で「寿量の仏」 「此の仏像」というのである。この問いに関連して、諸経・諸文では人法勝劣が説かれているという疑問が出されるが、それに
 対して日寛上人は、諸経釈はいずれも文上熟脱の人法に約する故に勝劣があるのであり、文底下種に約すれば人法体一となるといわれている。

  さらに「寿量の仏」 「此の仏像」とあるのを、本門寿量の教主釈尊であり、色相荘厳の画像・木像であると解する者がある。その理由といえば、釈尊の
 一代聖教を正像末の三時に配当すれば、正像の二時は小乗・権教・迹門の時であり、末法は本門の時にあたる。そこで正像の時には小権迹の仏の画像・木像を
 造り画いて本尊としたのだから、末法においては本門寿量の釈尊の像を造り画いて本尊とすべきであるというのである。一往は、その通りのようであるが、
 この説には大きな誤りがある。それは、文底下種を知らないという事である。末法今時の本門は、本門といっても文上脱益の本門ではなく、文底独一の
 本門である。日寛上人が、「法華取要抄」の「本門に於て二の心有り一には涌出品の略開近顕遠は前四味並に迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり、二には
 涌出品の動執生疑より一半並びに寿量品・分別功徳品の半已上一品二半を広開近顕遠と名く一向に滅後の為なり」(P.334 ④) の文を引かれているのも、
 この義を示される所にあると拝せる。

322美髯公:2012/10/29(月) 20:28:40

  今日寿量の教主・色相荘厳の仏は、あくまで在世脱益の本尊であり滅後末法の本尊は、文底下種の本仏でなければならない。先の説は大聖人の御聖意に
 暗いが故に、邪説といわざるをえないのである。また、「仏像」という言葉も、必ずしも木絵に限る訳ではない。天台は「燃燈仏時に縁熟すれば仏像を以て
 之を化す」と述べている。これも、燃燈仏が衆生の機縁が熟する事によって、自ら仏として出現して衆生を化導する、の意である。化導するのは「人」で
 あって、木像や絵像ではない。いわんや、正像には「造り画く」といわれ、末法には「出現」といわれている。深く、これを思うべきである。

  また、「本尊抄」の下の文に「此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」(P.253 ⑯) とあり、また救護本尊 (万年救護の
 本尊) には「上行菩薩世に出現し始めて之を弘宣す」とある。この「本尊抄」の今の文、救護本尊の端書きの文の三個所の「出現」、三個所の「始」の文、
 これを思い合わすべきである。すなわち、末法御本仏日蓮大聖人が世に御出現あって、始めて三大秘法の大御本尊を弘通せられる事を、元意の辺において
 読んでいかなければならないのである。以上、省略した部分もあるが、どうか、大綱をよくつかんでいただきたいと念願してやまぬものである。

324美髯公:2012/10/30(火) 20:24:18


                     【 観心本尊抄における本尊について 】 担当:創価学会 教学部 主任部長 桐村 泰次

  「観心本尊抄」における本尊とは、いかなるものか。もとより、これは「観心本尊抄」を拝読し学ぶ場合、最も根本的な問題であって、私のような浅学菲才の
 者がよく論じうる事ではない。幸いにして、日蓮大聖人の正法の深義を伝える日蓮正宗において、第二十六世日寛上人が、この「観心本尊抄」の深義を
 明らかにされ、それを「文段」として残されている。その冒頭にのべられている内容が、まさに、このテ−マの要論であると信ずるので、これを根本にして、
 私なりの考察を展開してみたいと思う。少し長くなるが、この「文段」の一節をまず掲げてみよう。

  「夫れ当抄に明かす所の観心の本尊とは、一代諸経の中には但法華経、法華経二十八品の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底秘沈の大法にして
 本地唯密の正法なり。
 この本尊に人あり法あり。
 人は謂く、久遠元初の境智冥合、自受用報身。法は謂く、久遠名字の本地難思の境智の妙法なり。
 法に即してこれ人、人に即してこれ法、人法名殊なれども、その体恒に一なり。その体一なりと雖も、而も人法宛然なり。
 応に知るべし、当抄は人即法の本尊の御抄なるのみ。

325美髯公:2012/10/31(水) 18:56:46

 これ則ち諸仏諸経の能生の根源にして、諸仏諸経の帰趣せらるる処なり。故に十方三世の恒沙の諸仏の功徳、十方三世の微塵の経々の功徳、皆咸くこの
 文底下種の本尊に帰せざるなし、譬えば百千枝葉同じく一根に趣くが如く。
 故にこの本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり。故に暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として
 滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり。妙楽の所謂『正境に縁すれば功徳猶多し』とはこれなり。
 これ則ち蓮祖出世の本懐、本門三大秘法の随一、末法下種の正体、行人所修の明鏡なり。故に宗祖云く『此の書は日蓮が身に当て一期の大事ばり』等云云」と。

  ここには、日蓮大聖人が顕わされる本尊が、
 第一に、観心の本尊である事
 第二に、釈尊の仏法との関連でいえば、法華経寿量品の文底に秘沈されたものである事
 第三に、人法一箇の当体である事 (ただし、「観心本尊抄」は、人に即しつつも法の本尊を明かしている)
 第四に、一切の仏およびその説く法の根源であり、究極である事
 第五に、無量無辺の功徳と広大深遠の妙用がある事。
 これらの五点を骨子としながら考察を勧めよう。

326美髯公:2012/11/01(木) 21:23:32

                              = 一 、観心の本尊という意義 =

  観心とは、文字通りにいえば、心を観ずる事である。ところで、見ではなく、なぜ観かといえば、ここに観心という事の深い意味がある。常識的にいっても、
 人の心は人によって様々であり、同じ人に於いても、その瞬間瞬間によって千変万化する。しかも、可能性としてはあっても、現実には未だかって顕れた
 事のない様な心もある。ただ“見る”というのは、ある瞬間だけにとらわれたり、これまで現実に顕れたものだけに片寄る。あらゆる心の動きを包括し、
 生命のありのままを完璧に悟り究める事を“観心”という。これを、「観心本尊抄」では「観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり」
 (P.240 ①) とのべられたのである。

 周知のように、十法界とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏をいい、これは様々の人が顕している千差万別の姿を分類したもの
 であるとともに、一人の人間の心が時々刻々に、縁に従って示す千変万化の相を分類したものである。すなわち、生命・心の変化相を完璧に網羅した分類が
 この十法界なのである。したがって「我が己心を観じて十法界を見る」とは、生命の姿、心の働きを完璧に悟り究める事であって、これが“観心”の意味と
 なるのである。このように、生命を余すところ無く、その完璧にして正しい姿に於いて観ずる事、すなわち、“観心”は、それ自体、仏法の究極の悟りの
 境涯であり、成仏の根本義でもある。

327美髯公:2012/11/02(金) 20:17:07

 元来、仏教において理想とされる究極の境界を“仏”というのは、この“観心”を内容としていると考えられる。すなわち“仏=ほとけ”とは、梵語の
 ブッダを音写して、漢字では浮図あるいは浮屠と書いた。これは、中国の人々にとってはブッダに近い発音だったのであるが、それが日本に伝わって、
 日本人は“ふと”と発音した。これに尊敬をあらわす接尾語“け”がついて“ふとけ → ほとけ”となったといわれる。“仏”の字は、いうまでもなく
 “佛”の新字体で、“佛”の旁の“弗”は否定の意味をもっている。すなわち“佛”とは「人にして人にあらず」の意で、人でありながら、人以上の尊い
 存在という事で用いられるようになったものと考えられる。

 それはともかく、元来の言葉である“ブッダ”は「覚者」―― 覚りを得た人という事である。では、その覚りとは、如何なるものかという事が問題になる。
 覚者=ブッダに関連ある言葉として、覚り、智をボダイ (菩提) というが、覚り、智にも様々ある。たとえば、経典には数多くの仏が説かれているが、
 薬師如来、無量寿仏等々、それぞれが、その名の表徴する独自の覚り、智をもっている。これらは、個別的な覚り、智であって、いわゆる一人一人の仏の
 個別性を形成しているものといえる。これに対し、こうした様々な仏が、皆通じて“仏”と呼ばれるには、そこに普遍的な覚り、智を得ているはずである。
 この仏としての普遍的な資格を与えている覚り、智がまさに法華経が明らかにしようとしたものなのである。

328美髯公:2012/11/03(土) 20:42:20

   【(一) 法華経迹門の脱相】

  法華経方便品で釈尊は三昧から安詳として起って舎利弗に告げて次のようにいう。
 「諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり。一切の声聞、辟支仏の知ること能わざる所なり・・・・」
 この方便品の冒頭の釈尊の言葉は、また法華経全体の説法の第一声でもある。したがって、そこにはきわめて深い、重要な内容が秘められていると考えなければ
 ならない。「諸仏」とは、文字通りにいえば「もろもろの仏」であるが、先にも述べた角度でいえば、個別性でなく、普遍的な“仏そのもの”を指している。
 したがって「諸仏の智慧」とは、あらゆる仏が共通にもっている智慧であり、仏を仏たらしめている智慧である。これは逆にいえば、この智慧を得れば、
 一切衆生は仏になる事の出来る智慧であって、法華経説法の第一声がここから始まっているという事は、まさしく法華経に一切衆生皆成仏道の極理を説く
 との、釈尊の宣言とも推察されるのである。

  さて、この「諸仏の智慧」の内容は、どんなものであるのか。まず、第一段階の答えとして、同じく方便品の中に次のように説かれている。
 「仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり、唯、仏と仏と、乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂諸法の如是相、如是性、如是体、如是力、
 如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等なり」
 この文に「仏の成就したまえる所」と明示され「仏と仏と、乃し能く諸法の実相を究尽したまえり」とあるように、冒頭の「諸仏の智慧」の中味がすなわち
 「諸法実相・十如是」である。そして、ここで「仏と仏だけが究尽している」という事は、先の「あらゆる仏が共通にもっている智慧」という事に対応して
 いる。すなわち、冒頭の句は、諸仏の共通性を表現しているのに対し、今の句は、仏以外の九界はそれに与らない事をあらわしている。これは押さえ方の
 違いであって、意味するところは同じなのである。

 ともあれ、ここに示された「諸法実相・十如是」が、法華経の説こうとした仏の覚りの正体であり、仏法の極理であって、この故に、天台家に於いては
 これを以て方便品にのべられる「今者已満足」の体とし、かつ、この諸法実相・十如是をもって一念三千の依文としたのである。また日蓮大聖人も、これを
 重要な文とされた事はいうまでもない所であり、最蓮房日浄に与えられた書に、大聖人の立場からの解釈が示されている。(「諸法実相抄」文永十年五月)

329美髯公:2012/11/04(日) 22:52:36

    【(二) 法華経本門の説相】

  法華経の本門に於いては、涌出品で本化の菩薩が大地から涌出し、釈尊の久遠成道と娑婆世界に常住する事が明かされる。多宝塔中に多宝如来と
 並座して明かされたこの久遠の生命は、迹門で「諸法実相」として理論的に示されたものとは、はるかにその深さを異にしている。すなわち、天台大師が
 その一念三千法門を「諸法実相・十如是」によって立てたように「諸法実相」は、一往、仏の智慧、覚りの内容を明らかにしたものであったが、まだ、
 理論の域を出なかった。それに対し、本門で説かれたのは、事実の上で覚りを得ている釈尊の振舞いに即しての説相である。しかも、方便品で「諸法実相」が
 説かれた時の釈尊の立場は、仏に成ってからまだ四十余年という、成道してまだ日浅い仏であった。これに対して、本門寿量品での釈尊は、五百塵点劫と
 いう久遠の昔に成道し、以来、娑婆世界に常住し説法教化してきた古仏としての立場である。これによって、その得た覚りの法もまた、永遠不変の真理で
 ある事が明らかとなったのである。

 この相違を「観心本尊抄」には、次のように簡明に述べられている。
 「夫れ始め寂滅道場・華蔵世界より沙羅林に終るまで五十余年の間・華蔵・密厳・三変・四見等の三土四土は皆成劫の上の無常の土に変化する所の方便・
 実報・寂光・安養・浄瑠璃・密厳等なり能変の教主涅槃に入りぬれば所変の諸仏随つて滅尽す土も又以て是くの如し。今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を
 出でたる常住の浄土なり仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て同体なり此れ即ち己心の三千具足・三種の世間なり迹門十四品には未だ之を説かず
 法華経の内に於ても時機未熟の故なるか」(P.247 ⑨)

 つまり、釈尊の久遠実成を根底とした本門に於て、仏も所化も国土も常住不変となったのであって、爾前・迹門では教主である釈尊が無常の存在であるから、
 そこに説かれる仏や仏国土も無常たる事をまぬかれない、という事である。この本門寿量品に示された常住不滅の十界こそ、仏の覚り究めた生命の究極の
 姿であって、仏の真実の覚り、智とは、ここにある事をあらわしているのである。

330美髯公:2012/11/05(月) 20:03:39

    【(三) 観心の極理】

  以上の様に、観心とは自らをその最も奥底から覚る事であり、そこに得た覚りこそ“ブッダ=覚者”の根本をなすものである。そして、この覚った事は、
 我が身が十界互具の当体であるという事である。釈尊は、これを法華経として説きあらわし、後に中国の天台大師は一念三千として確立したのであった。
 しかしながら、これらは修行の結果、最終的に得られる境界であって、貪・瞋・癡の三毒におおわれた凡夫が容易に到達できるものではない。天台が教えた
 一念三千の観法も二十五の法を準備的に行じて後に教えるべきものとされたのである。二十五法とは具五縁、呵五欲、棄五蓋、調五事、行五法をいう。
 具五縁とは、持戒清浄、衣食具足、閑居静処、息諸縁務、近善知識の五縁を具する事である。呵五欲とは、色・声・香・味・触の五境に対する欲を呵する
 事。棄五蓋とは、貧欲・瞋恚・睡眠・掉悔・疑の五蓋を棄てる事。調五事とは、食・眠・身・意・心の五事を調える事。行五法とは、欲・精進・念・功慧・
 一心の五法を行ずる事、である。

  観心とは、生命をその奥底から正しく観ずる事であるから、悪縁や欲望に心を乱されていては観ずる事ができないし、三毒に生命がおおわれていては、
 その奥にあるものが見えない。この取り除くべきものを取り除き、鍛えるべきを鍛えてはじめて、観心を行ずる事ができる、というのが、天台大師の教えた
 修行法であったのである。これに対して、日蓮大聖人は、末法の衆生にこれらの修行を教えても実践できないし、仮に出来たとしても過去の結縁と実践の
 積み重ねがない故に、妨げるものを取り除いてもその先の観心は出来ないとの観点から、全く独自の実践法を打ち立てられたのであると考えられる。
 これを譬えていうなら、種子が埋もれていれば、発芽は妨げている岩石などを取り除き、発芽に相応しい水分や温度を与えれば、芽を出す事ができる。
 だが、種子そのものがなければ、どんなに条件を調えても、芽は永久に出ない様なものである。

 日蓮大聖人が、この過去の結縁・実践のない、いわゆる本末有善の末法の衆生のためになされた事は、最も根本であるこの種子を植える事だったのである。
 種子とは仏性そのものであり、仏が自ら覚ったところの究極の法それ自体である。これが、日蓮大聖人が確立される「観心の本尊」である。末法の衆生は、
 この本尊を受持する事によって、準備的修行なしに直ちに観心を行ずるのである。いうなれば、準備的修行にあたるものの一切は、御本尊を信ずるという
 事の中に包含されるのである。そして、結論を急いでいえば「南無妙法蓮華経」の題目を唱える事が、この“観心”の成就になっているのである。故に
 大石寺第二十六世日寛上人は、「観心本尊抄」の「観心とは我が己心を観じて十法界を見る」の文について「我が己心を観ずとは即ち本尊を信ずる義なり。
 十法界を見るとは即ち妙法を唱うる義なり」と釈し、その理由を「但本尊を信じて妙法を唱うれば則ち本尊の十法界全くこれ我が己心の十法界なるが故なり」と
 述べられている。

331美髯公:2012/11/06(火) 19:54:41

  やや一般論的な立場から、この仏教が説き究めた観心という事の意義を論ずるならば、これは西洋哲学の祖とされるソクラテスが唱えた「汝自身を知れ」と
 いうデルフォイの神殿の銘句の哲学的課題にまさに答えるものであったともいえよう。ソクラテスは、この哲学的呼びかけによって西洋哲学の祖とされた
 のであるが、西洋のその後の如何なる哲人も、それに対する答えは、遂に解明も提示もする事ができなかった。二十世紀の現代にいたっても、では汝自身とは
 いかなるものかという点について、普遍的・根源的回答は見出されていないのである。

 仏教は、その創始者・釈尊が自らこの答えを得て自身の不滅の当体を覚ったのである。この釈尊の教えを根本として、その後継者である竜樹、天台等も、
 それぞれに、この究極的な“汝自身”の覚知に到達した人々といえる。だが、それらは、こうした天才的な人達だけが得られたのであって、万人にその道が
 開かれたわけではなかった。しかるに、万人の前に道を開いたのが、日蓮大聖人であったといえる。「観心の本尊」とは、まさしく、この本尊が汝自身を
 知るための手がかりである事をあらわしている。自らの顔を見るには鏡が必要である様に、汝自身を知る事、自己認識の為には、それを映し出す明鏡が
 必要である。「観心の本尊」は、この根源的自己認識のために必要不可欠な鏡でもある。

 日蓮大聖人は「観心」について定義された部分の直ぐ後に、次の様に書かれている。
 「譬えば他人の六根を見ると雖も未だ自面の六根を見ざれば自具の六根を知らず明鏡に向うの時始めて自具の六根を見るが如し、設い諸経の中に処処に六道
 並びに四聖を載すと雖も法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば自具の十界・百界千如・一念三千を知らざるなり」(P.240 ②)
 あえて説明を要しない明快な一文である。日蓮大聖人が「観心の本尊」を顕される事によって、ここに述べられた法華経・摩訶止観等よりはるかに確かな
 効用性をもった明鏡が現実化されたのである。それは、仏教のみならず哲学全体の、本来的課題にこたえる画期的な出来事であったといわなければならない。

332美髯公:2012/11/07(水) 20:11:42

                               = 二 、寿量品の文底に秘沈 =

  日寛上人が「文段」で「当抄に明かす所の観心の本尊とは、一代諸経の中には但法華経、法華経二十八品の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には 
 但文底深秘の大法にして本地唯密の正法なり」と述べられたのは、「開目抄」の次の御文を念頭におかれての事であったろうと考えられる。
 「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(P.189 ②)
 そして、この「開目抄」の文を根本にして、日寛上人が「三重秘伝抄」を著わされた事は日蓮大聖人の仏法の教学を学ぶ人にとっては周知の所である。 
 したがって、「開目抄」に「一念三千の法門」と表現されているものこそ“観心の本尊”に他ならないというのが日寛上人の考えであった事は明瞭である。

  ところで、この表現は「開目抄」を借りてなされているのであるが、この点を当の「観心本尊抄」では、どの様に述べられているのであろうか。“観心”と
 いう事を“教相”に対する概念と捉えれば、すでに述べた“観心の本尊”の中に、その意は含まれているといってよい。なぜなら“教相”とは、実修である
 観心に対して、教説の理論的究明をいうのであるが、また、言葉をもって教説されたものともいえる。この言葉で説き明かされたのが経文であるから、
 教相に対する観心とは、言葉で経文として表されず、その底に秘沈されたものとの意を持つからである。しかしながら、文面だけをいえば「観心本尊抄」には、
 「開目抄」の様に簡潔で、しかも明瞭に寿量品の文底に秘沈されている事を表現された文はない。それは、おそらく「観心本尊抄」が釈尊によっては説かれず、
 文底に秘沈されたという事よりも、日蓮大聖人がここにあらわすという事に主眼点を置いている書だからであろう。

333美髯公:2012/11/08(木) 20:39:14

  この点についての「観心本尊抄」での御教示は、幾つかの文を照合し、総括的に読み取らなければならない。いわゆる五重三段の結びとして述べられた
 「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」(P.249 ⑰) の一文、また、下種の本尊について
 明かされたとされる「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず」(P.247 ⑮) の文等である。「題目の五字」
 「南無妙法蓮華経の五字」とは、それ自体、不思議な言葉である。「南無妙法蓮華経」は、いうまでもなく七字であるからである。日蓮大聖人は、いうまでもなく
 妙法蓮華経と南無妙法蓮華経とを殆ど区別しないで用いられているところから、これは、恐らく拘る必要のない問題であろう。日寛上人も、この問題には
 触れられていない。

 ただ、あえて推察すれば「妙法蓮華経」だけの場合は、客観視して捉えた“法”という意味合いが強くなる。それに対して「南無」が付くと、それに帰命する
 という事であるから“人”がそこに関与してくる。一般的な衆生にとっては、文字通り“帰命”する事であるが、仏果を得た大聖人に即して拝すれば、
 大聖人の生命に体一となって顕れている妙法蓮華経を意味する。すなわち、御自身の生命に主観視されている妙法である。したがって「此の本門の肝心
 南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず・・・・」とは、外用である法華経の付属の儀式の次元でいえば、五字の妙法蓮華経で
 あるが、日蓮大聖人の内証の次元では、七字の南無妙法蓮華経となる。この簡の微妙な相違と関係を底流に置かれてこの様に表現されたのではないだろうか。

  ところで、南無妙法蓮華経のこの仏法、すなわち「観心の本尊」が、法華経の本門寿量品の文底に秘沈されたとは、どういう事であり、また、何の為で
 あったか、という点を考えてみたい。客観的にいえば、法華経を説いたのは釈尊であるから、その法華経の文の底に秘沈したという事も、その「隠して
 沈める」という動作の主体は釈尊である事は勿論であろう。そして、理屈をいえば、この「隠して沈める」事をしたかどうかは、その主体者である釈尊
 自身に聞いてみなければ分かるはずがない、という事になる。日蓮大聖人が「南無妙法蓮華経」の御本尊を顕わして、これこそ、釈尊が法華経寿量品の
 文の底に沈められたものであるといっても、自らを正当化するために釈尊を利用しているだけではないか、という疑問が出てもやむを得ない。この疑問に
 答えるには、法華経に説かれるところだけでは仏法は完結せず、その一歩奥に法がある事が必然の事として示されなければならない。

334美髯公:2012/11/09(金) 20:54:38

    【(一) 久遠実成からの関連性】

  釈尊の一切経の中で、法華経寿量品が特異の位置を占める所以は、いうまでもなく釈尊の久遠の実成道を明かした事にある。すなわち、一般的・常識的に
 理解される様な、インドに誕生し出家・修行して初めて正覚を成じた (始成正覚) 仏なのでなく、真実の成道は五百塵点劫という久遠の過去に遡る事を
 明らかにしたのである。もちろん、インドに生まれて修行の末に、ガヤ城の近く菩提樹の下で悟りを開いた事も嘘ではない。これも事実である。だが、真実の
 成道は久遠の過去であって、ガヤの成道は衆生に釈尊が覚者である事を理解させるために、現じてみせた一つの影 (迹) の姿である、というのである。
 大地の下から無数の大菩薩が出現し、寿量品の久遠実成の説法の導入部となっている従地涌出品以後を本門、それまでの十四品を迹門と、法華経二十八品を
 二門に立て分けるのは、ここから来ている。本門とは、久遠の仏という本地をあらわした法門という事であり、迹門とは、この本地から垂れた影 (迹) の
 立場で説かれた法門という事である。

  この久遠の成道が明かされた事の持つ意義については、様々な立場から論ずることができる。
 一つは、これによって、釈尊が数多くの仏の中で最も先輩の仏である事が明確になった事である。始成正覚の立場では、成道して僅か四十年の釈尊は、
 最も新米の仏である。爾前経で、阿弥陀や大日、薬師等の他方の仏のことが盛んに説かれ、また、そうした他土の仏の眷属である菩薩たちが来至して釈尊の
 化導を助けたというのは、釈尊がこのような頼りない立場であった事と関係があったのではあるまいか。それに対し、久遠の本地の開顕は、この関係を
 一挙に逆転させる。最も新米の仏であった釈尊が最も古参の仏になり、爾前経で説かれた数多くの仏は、この久遠の釈尊の垂迹・分身仏となる。従って、
 釈尊の持つ救済力、その説く法への信頼度も、格段に深みと強さを増すこととなったのである。

335美髯公:2012/11/10(土) 20:33:31

  第二には、この久遠の成道と共に娑婆世界に常住し、説法教化してきた事が明かされる。これもまた、仏国土観、救済観という意味で、根本的な転換を
 もたらしたのである。それまでの説き方では、この娑婆世界は、その名の示すように苦悩に満ちた汚れた国土で、この世界での救済などはありえないはず
 であった。救済は、阿弥陀や薬師のいる余所の世界の、浄土に往生する事によってはじめて実現される。衆生にとって、この娑婆世界とは、その救済を
 待って堪え忍んで生きて行かなければならない仮の世界なのである。ところが、寿量品で久遠の過去から仏がこの娑婆世界に常住してきた事が明かされた
 ことは、実は、この娑婆世界こそ本有の仏国土である事になったのである。しかも、それにもかかわらず、苦悩に満ちた世界である事も事実である。
 これは、物理的には同じこの地球上の世界であっても、仏にとっては仏土であり、六道の衆生にとっては、苦悩に満ちた穢土であるといった、差別を
 現ずるのだという事である。つまり、国土の世間 (差別) という現実が明らかとなったわけである。

  第三には、仏界と共に九界も常住である事が示された点である。すなわち「我れ本、菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶尽きず。復上の数に倍せり」と
 述べられているように、菩薩道を代表して示される九界の生命は、成道によって消滅されてしまうのでなく、成道の後も続いているのである。こうして、
 仏にも九界の生命が具わっていると共に、既に迹門方便品で示されたように、九界の衆生にも仏界が具わっているのであるから、十界互具がここに明確に
 なった事になる。この寿量品における久遠常住の十界互具の生命は、これまた方便品に明かされた十如是、また寿量品の国土世間の開顕による三世間の
 確立とあわせて、一念三千の法門の完成をもたらすものである。

336美髯公:2012/11/11(日) 21:22:15

 しかしながら、寿量品で明かされているのは、五百塵点劫の久遠に遡るとはいえ、成道したという本果の面である。成道したという以上、如何なる法を
 如何に行じたかという本因がなくてはならない。この本因については寿量品の文上では先述の「我れ本、菩薩の道を行じ」とあるのみである。果がある
 以上、因がなければならない。成道という本果がある以上は、修行の本因がなくてはならないのである。この必然の上から、文の上には明かされていない
 根本の因である“法”がその文の底に秘沈されているというのである。この菩薩行の中でも、円教における不退位である初住位に、究極の法すなわち
 南無妙法蓮華経が秘沈されているというのが、日蓮大聖人の教えであるが、この事は日蓮正宗の深秘の相伝とされる問題であるので、ただ結論的に示すに
 とどめておく。

  ただ、釈尊は久遠五百塵点劫の昔に遡り、自らの成道の根源の姿を明らかにした。それは、釈尊自身の成道の事実であって、そこには衆生のために、
 こういう姿を示そうなどといった方便はない。そこに明かされているのは、方便を交えない純粋の自身の成仏の姿である。これが“在世の本門”なかんずく
 一品二半である。ただし、釈尊の一品二半は成仏した本果の面であり、それは衆生のためには得脱の益を持つのみである。これに対し、成仏の本因の“法”を
 明かした日蓮大聖人の仏法は、それ自体、仏性の種子であるから、下種益となるのである。これが「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱
 此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」と仰せられる所以である。

337美髯公:2012/11/12(月) 22:04:37

    【(二) 末法流布のために遺す】

  「観心の本尊」が法華経本門寿量品の文底に秘沈されたという事はどういう事であったかは、今、述べた通りである。次に、釈尊は何のために、そうした
 のかという事を考えてみよう。
 それは、一言で言えば、末法に流布されるべき法だからである。この点については「観心本尊抄」の後半は、まさに、これをテ−マとして論述されている
 といっても過言ではない。すなわち「正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し権大乗並に涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て
 脇士と為す此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか」(P.248 ①) と述べられ、五重三段を
 以て、一代聖教がどの様な構造になっているかを示されている。そして「迹門十四品の正宗の八品は一往之を見るに二乗を以て正と為し菩薩凡夫を以て
 傍と為す、再往之を勘うれば凡夫・正像末を以て正と為す正像末の三時の中にも末法の始を以て正が中の正と為す」(P.249 ⑩) と。

 以下、それを裏づけるために、涌出品の地涌の菩薩の出現と発誓の言葉、弥勒の疑請の言、寿量品の説法、神力品、嘱累品の付嘱の模様を挙げられている。
 しかも、ここまでは一往の、総じて正像末のためである事が明らかになったのであるが、別して末法のためであり、正法、像法には顕されず、末法の闘諍
 堅固の時に到ってはじめて顕されるのである事を述べられていく。この「正像二千年ではなく、別して末法である」という事は、きわめて重大な意味を
 もっている。ゆえに、「本尊抄」では、この問題に入るにあたって、質問者に三度、教示を請わせ、その後に説くという形式をとられているのである。
 では、寿量品の三請不止と同じ儀式をここに踏まなければならないほどの重大な意味とは何か。これは試論であるが、地涌の菩薩が正像に出現するという
 事であれば、正像年間は釈尊の仏法によって衆生を救いうる時代であるから、地涌の菩薩とは釈尊の法を弘めるたんなる菩薩に留まる。ところが、もし、
 地涌の菩薩が出現するのは末法に於いてのみであるという事になると、末法は、釈尊の教法によっては救い得ない衆生の時代である。

338美髯公:2012/11/14(水) 22:32:09

 従って、この場合、地涌の菩薩が弘める法とは、釈尊の教法ではありえない。釈尊が説いたよりもう一重深い新たなる大法であるはずである。とすれば、
 それを弘める地涌の菩薩とは、実は新たなる大法を顕わす仏でもなければならない。すなわち、外用は地涌の菩薩であるが、その内証の境地は仏である
 という事になる。先にも引用した「開目抄」の文には、次のように述べられている。
 「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」
 ここでいわれている事実は、譬喩的にいえば釈尊は、未来、それが必要となるある時の為に、一念三千の宝を地中に埋めて遺したのである。正法時代の
 正師である竜樹と天親は、その宝の存在に気づいたが、手をつけないで、そのままにした。像法の正師である天台に到ってはじめて掘り出しはしたが、
 自らの懐中にしまって、人には教えなかった、という事になろうか。

 天台大師が懐中にしまっていたという事は、自ら題目は唱えたが、自行のみに止まり、化他は行なわなかったという事である。他人に対しては、己心に
 悟った本尊を一念三千として説明的に示し、唱題の行の代わりに観念観法を教えたのであった。この様に、正法・像法二千年間には、誰も明らかにせず、
 弘めなかった“一念三千の法門”すなわち観心の本尊を、末法に到ってはじめて、地涌の菩薩の上首、上行菩薩の再誕として出現された日蓮大聖人が顕わし、
 弘められるのである。この日蓮大聖人が、内証の本地に於いて仏であられる事は、この道理から明らかである。

  さて、文底秘沈が何の為であったかという事は、以上のように末法に流布される為、という答えで納得できるが、これだけでは、まだ疑問が残る。
 それは、なぜ釈尊はあきらかにしてしまう事ができなかったか、という疑問である。この解答としては、釈尊の化導する対象の衆生が、すでに過去に下種を受け、
 修行を積み重ねてきている人々であって、釈尊が明らかにしなければならない法は、それらの人々に最後の仕上げをさせる為のものであったからである、
 ということがいわれる。すなわち、譬喩的にいえば、もはや刈り入れを待つばかりの稲田の様なもので、そこで必要なのは刈り取る作業である。そこに
 種子を蒔く事は必要ないばかりか却って有害である。種子は来年の春、夏のために取って置くのだという事である。

339美髯公:2012/11/16(金) 23:36:15

 ここで興味深いのは、刈り入れられた収穫物が、そのまま種子になるという事である。法華経は釈尊が自ら覚ったところを説きあらわしたものである。
 という事は、虚空会の宝塔の儀式そのものが、釈尊の覚りの生命を象徴的に表しているのである。そして日蓮大聖人が顕わされる御本尊が、虚空会の宝塔の
 儀式そのままでもある。ただし、収穫とし、食べられる物としての米 (たとえば) は、それが種子として持っている、同じ米を生じていく力を求められは
 しない。むしろ、炊かれたり炒られたりする事によって、そうした種子としての力は消されて食卓に供せられるのが普通である。釈尊の法華経の儀式が
 表わしているのは、この収穫としての米の様なものである。本果の仏の生命なのである。これに対して、日蓮大聖人が顕わされる御本尊は、種子としての
 それである。したがって、同じ仏としての覚りを生ずる根源の力が何よりも必要である。釈尊の法華経の儀式には顕わされていない「南無妙法蓮華経」が、
 日蓮大聖人の御本尊に於いては、中央に厳然と認められているのは、まさにこの違いをあらわしているのであろう。

 この様に、一応、化導を受ける衆生の条件という立場で、なぜ釈尊が「観心の本尊」を顕わさず、法華経寿量品の文の底に秘沈したのかが説明できるが、
 より根本的には、仏自身の位、資格、立場の問題がある。これは次の項目の問題になる。

340美髯公:2012/11/17(土) 22:22:58

                                = 三 、人法一箇の当体 =

  日寛上人は「三重秘伝抄」の中で「文底独一の本門を事の一念三千と名づくる意如何」との問いを設け、その点について「所謂人法体一の故なり」と
 明かされている。インドに出現した釈尊は、その最も深い本源の立場といえども、五百塵点劫の昔に成道した仏である。その成道の為の本因の修行として、
 名字即の位で行じたのが、独一本門の法すなわち「観心の本尊」の当体である。釈尊にとっては、法は師であり自らはその弟子である。法は勝れ、人は
 劣るのである。これに対し、日蓮大聖人の立場は久遠元初の自受用報身如来である。久遠元初の自受用報身とは、無始の仏であり、元々我が身にこの根源の
 法を体現し、覚っている仏である。

 「当体義抄」にいわく「釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕し給えり」(P.513 ⑭)
 また、「三世諸仏総勘文教相廃立」にいわく「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめて即座に悟を開き給いき」
  (P.568 ⑬) と。
 これらは、久遠元初の無始の古仏の生命に元々証得されているのが、南無妙法蓮華経の体である事を表わされている。この事を、簡潔ながらさらに明確に
 述べられているのが、「観心本尊抄」の次の文であろう。「寿量品に云く『然るに我実に成仏してより已来・無量無辺百千万億那由佗劫なり』等云云、
 我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり」(P.247 ③)

 本来、我が身に南無妙法蓮華経を体現されているこの無始の古仏にあっては、人と法の間に勝劣はない。人即法であり、法即人である。人法体一なのである。
 また、自らの生命に事実の振舞いとして体現されているが故に、事の一念三千であるというのが、日寛上人の御教示の意である。日蓮大聖人は、この人法体一の
 久遠元初の自受用報身如来の再誕として、末法に出現されたのであった。「百六箇抄」の「本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」(P.854 ③)
 との仰せは、この御自身の甚深の本地を明示されたものである。いうまでもなく、日蓮大聖人が久遠元初の自受用報身としての本地を、はじめて明らかに
 されたのは竜口の頸の座においてであった。この事を述べられた御文は、他にも枚挙にいとまがないが、「開目抄」の「日蓮といゐし者は去年九月十二日
 子丑の時に頸はねられぬ。此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・みん人
 いかに・をぢらむ」(P.223 ⑯) の御文は、その最も大事な文証である。

341美髯公:2012/11/18(日) 23:40:58

    【(一) 法華経の身読】

  問題は、では、なぜ、竜口の頸の座に到ってはじめて久遠元初の自受用報身としての本地を顕わされたのか、という事である。法華経は滅後末法に法を
 弘通するために、本化地涌の菩薩を出現させて、これに法を付嘱している。この弘通の人 (能弘の人) を明らかにうる事に、法華経の本門 ―― もっと
 厳密に言えば、迹門正宗分である二乗への授記が終わった後の法師品以後 ―― の主眼点があった。だが、これは前述した事でもあるが、もし、この本化の
 菩薩が出現し法を弘めるのが末法の濁世であるなら、その弘める法 (所弘の法) とは脱益の教主たる釈尊によって説かれた法ではありえない。とすれば、
 能弘の人たる本化地涌の菩薩、なかんずくその上首である上行菩薩は、単に菩薩ではなく、その本地は末法の衆生に叶った下種の仏法を打ち立てる仏で
 なければならないはずである。

  ところで、この本地を開顕するには、末法に法華経を正しく実践した人、すなわち法華経の行者に必ず起こるであろうと法華経に預言された苦難を、身を
 もって示さなければならない。法華経に記された通りの数々の苦難を我が身に体現する事によって、法華経がその文底に秘沈して予言した末法救済の仏で
 ある事を顕わすことができるのである。日蓮大聖人が建長五年四月二十八日の立教開宗以来あわれた法難は、まさにこの法華経身読の歩みでもあったといえる。
 特に今、日蓮大聖人の御一生を拝するとき、文応元年七月十六日の「立正安国論」の述作、北条時頼への提示、諌暁は、その重大な節となっていた事に
 気づくのである。

 「立正安国論」以前にも、苦難は数多く日蓮大聖人を襲ってはいた。建長五年の宗旨建立と同時に、念仏の強信者であった地頭の東条景信が大聖人を狙い、
 兄弟子の浄顕房、義浄房の案内によって清澄山を脱出されたのがその最初であった。本格的な弘教のために鎌倉へ出られ、化導を始められた当初も、
 すでに無知の人々や各宗の僧達から、悪口罵詈の難は受けられた。だが、真実の法華経の行者としての実証のためには、それだけでは不足であった。
 それは、法華経勧持品に記されている三類の強敵の内、第三類の僭聖増上慢の出現である。これを呼び起こす契機となったのが「立正安国論」による第一回の
 国家諌暁だったのである。

342美髯公:2012/11/19(月) 23:13:46

 当時すでに執権職を退いていたとはいえ、北条時頼は当時の鎌倉幕府において、権力の第一人者であった。それ故にこそ、大聖人は災難対治の根本方策を
 訴えた本論を時頼に与えられたのであるが、当然、それは幕府要人に回覧されたと思われる。そして、それは念仏の強信者として極楽寺を創設し入道して
 いた北条重時を激怒させた。彼が何より尊崇していた浄土宗の祖、法然を災厄の元凶と断じ、念仏信仰の排除を強硬に訴えたものであったからである。
 さっそく八月二十七日、念仏信者の暴徒による松葉ケ谷にあった大聖人居住の草庵襲撃があった。これは無事脱出され難を避けられたが、翌年、幕府の
 決定により伊豆流罪に処せられたのである。この権力を動員しての迫害こそ、三類の強敵の典型的な姿であった。第一回の諌暁に伴った法難は二年間に
 及んだ伊豆流罪で一応終息した。北条時頼の決断によって流罪を赦免となった日蓮大聖人は、母、梅菊女の病を機に安房へ帰られた。そこで、東条景信に
 よる小松原の法難に遭われるが、これは、いわば第一類・俗衆増上慢というべきものであった。

 次の僭聖増上慢による大難の波は、文永五年、蒙古からの使者到来を機になされた諌暁によって起こる。いわゆる「十一通御書」による幕府要人、仏教界の
 指導層に対する厳諌である。これが、その他の要因と絡んで文永八年九月の竜口の法難、続く佐渡流罪へと発展していったのである。こうした度重なる
 法難は、三類の強敵について記されている法華経の勧持品、況滅度後と予記されている法師品、更に、しかも、その中で遂に大聖人の命を断つ事のできなかった
 事実は、陀羅尼品等で述べられている諸天の加護の厳然たる事を、日蓮大聖人が身をもって読まれた事を物語っている。その法華経身読の出発点となったのが
 「立正安国論」だったのである。しかも、この法難の現出は、当時の人々を救おうとされた大慈悲の諌暁によるのであり、数々の苦難を忍ばれたのも慈悲の
 故であった。「開目抄」に「されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬ
 べし」(P.202 ⑧) と述べられるように、苦難と慈悲とは表裏の関係であり、苦難の連続は、不屈の大慈悲の証明でもあったのである。

 そして、この大慈悲の生命をもってあらわされた仏法であり広宣流布の礎であったればこそ、末法万年の未来にまでも尽きる事はないのである。
 「報恩抄」にいわく「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までながるべし・日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の
 道をふさぎぬ」(P.329 ③) と。

343美髯公:2012/11/20(火) 22:08:21

    【(二) 三世を知る聖人の証明】

  「立正安国論」は、もう一つ重大な意義を持っている。それは、自界叛逆・他国侵逼の二難を予言し警告されたが、その通り的中する事によって、日蓮大聖人が
 未来を正しく知っておられた事を証明する結果になったのである。「聖人知三世事」には「聖人と申すは委細に三世を知るを聖人と云う」(P.974 ①) と
 示し「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」(P.974 ⑫) と宣言されている。また、蒙古からの使者の到着に際し北条時宗へ送られた御状にも「日蓮は聖人の
 一分に当れり未萠を知るが故なり」(P.169 ⑫) と記されている。この様に、未来についての見通しが正しかった事をもって自らが聖人=仏である事を
 宣言されたのであるが、それに対して誰人も否定し得ない証拠となったのが、まず「立正安国論」であった。なぜなら、この書は幕府に対して公にされた
 書であり、蒙古が日本を襲ってくるなどと誰も想像しなかった時に、既にその危険を述べ、警告されていた書であるからである。

 それ故にこそ、竜口法難から佐渡流罪という最大の苦難とその間の振舞いを記された「種種御振舞御書」は、「立正安国論」の予言、警告の的中という事から
 筆を起こされたのであろう。同御書の冒頭には、次のように記されている。
 「去ぬる文永五年後の正月十八日・西戎・大蒙古国より日本国ををそうべきよし牒状をわたす、日蓮が去ぬる文応元年大歳庚申に勘えたりし立正安国論今
 すこしもたがわず符合しぬ、此の書は白楽天が楽府にも越へ仏の未来記にもをとらず末代の不思議なに事かこれにすぎん」(P.909 ①) と。その他、これに
 類する文を挙げれば際限がないが、この三世とくに未来を正しく知っているという事が、主・師・親三徳具備の仏としての、一つの資格とされるのである。
 なぜなら、主徳とは眷属を守る力を意味し、師徳とは眷属を正しく化導し智慧を授ける働きであり、親徳とは眷属を慈愛する働きである。この主・師・親の
 働きが全うされる為には、未来の事を正しく見通していなければ、教える事も守る事も導く事もできないからである。

344美髯公:2012/11/22(木) 21:21:41

 故に「日蓮は此関東の御一門の棟梁なり・日月なり・亀鏡なり・眼目なり・日蓮捨て去る時・七難必ず起るべし・・・・日蓮当世には此御一門の父母なり
 ・・・・」(「佐渡御書」P.957 ⑱) と仰せられるのである。それは、たとえば航海において船長が、その進むべき航路についてばかりでなく、天候の移り
 変わりばどについて、正しい見通しと判断を持っていなければ、乗り組んだ人々全員が死の危険に陥る事を考え合わせれば、明らかであろう。しかも、
 日蓮大聖人の本分は、単に現世の問題について、未来を正しく知って教え導き守る事だけではない。むしろ生死流転の航海にあって、崩れない幸せと不動の
 境地を得させる仏法についての主・師・親三徳具備の御本仏たるところに、その最も大事な立場がある。現世の問題についての智慧・指導性の正しさは、
 凡夫には測り知る事ができない生死の世界での指導性を信じさせる為の手段でもあった。同じく「佐渡御書」に「日蓮は聖人にあらざれども法華経を説の如く
 受持すれば聖人の如し又世間の作法兼て知るによて注し置くこと是違う可らず現世に云をく言の違はざらんをもて後生の疑をなすべからず」(P.957 ⑯) と
 述べられているのは、この意味からであろう。

  こうして、法華経の身読、兼知未萠という二重の立場から、仏法を我が身に体現した仏である事を実証されたのが、竜口の法難、佐渡流罪までにいたる
 立宗以来の大聖人の軌跡であったと拝せるのではなかろうか。そして、これらの、いうなれば課題を解決し尽くしてはじめて、自ら三徳具備の仏たる事を
 宣言されたのである。それが、文永九年二月、「開目抄」の人本尊開顕である。そして、この人本尊の開顕に続いて、翌文永十年四月、「観心本尊抄」を
 著わされたのであった。「観心本尊抄」とは、こうして末法主師親三徳具備の御本仏である事を明らかにされた日蓮大聖人が、では末法万年の一切衆生の
 ために、何をもってその仏道修行の根本とするか、また修行の明鏡として如何なる本尊を立てるかを明らかにされた書であったといえる。「開目抄」で
 明らかにされた人本尊が、法華経を身読された上での法即人の本尊であったと同じく、「本尊抄」で明らかにされる本尊も、その人本尊たる大聖人の生命を
 そのまま顕わされる人即法の本尊である。

345美髯公:2012/11/23(金) 21:30:18

  「経王殿御返事」にいわく「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・
 すぎたるはなし」(P.1124 ⑪) と。また「明星が池を見たもうに、日蓮が影即ち今の大曼荼羅なり」との御相伝は、この人法体一の深義を明確に示された
 ものである。「観心本尊抄」では「正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し権大乗並に法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す
 此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか」(P.248 ①) 、また「此の時地涌千界出現して
 本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」(P.254 ⑧) と、人本尊の立場から述べられている御文もある。

 このために、相伝なき他門流においては、釈尊の仏像が大聖人の考えられた本尊であると思い込んで、仏像を安置し礼拝してきたのであった。だが、本抄の
 主題は、冒頭に天台大師の一念三千法門の依文を掲げ、最後に「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸け
 さしめ給う」(P.254 ⑱) と結ばれている事から、明らかに法本尊である。しかも、前掲の「寿量の仏」「此の仏像」といわれているのは、人法体一の故で
 ある事が明確である。大聖人のいわれる本尊が釈尊でない事は「本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊」といわれているところに明らかであり、
 「寿量の仏」とは寿量文底独一本門の仏であり、久遠元初の無作三身の仏である。この無作三身の仏の宝号を南無妙法蓮華経といい、事の一念三千ともいう
 のである。

 「其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士上行等の四菩薩・文殊弥勒等は四菩薩の眷属と
 して末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり」(P.247 ⑯)
 その他、「日女御前御返事」(P.1243) には、更に詳細に御本尊の相貌が述べられているが、くどくなるので略す。ただ、これによって、大聖人の正意が
 釈尊などではなく、十界具足の曼荼羅の本尊である事は全く疑う余地はない。
 そして、この日蓮大聖人が顕わされた御本尊に於いて、中央に「南無妙法蓮華経  日蓮」と書かれてあるのは、南無妙法蓮華経は法を、日蓮は人を
 あらわし、人法一箇を示されているのである。

346美髯公:2012/11/25(日) 22:47:07

                                   = 四 、結 び =

  冒頭に掲げた日寛上人の「文段」の教示中、第四、第五は、以上に述べてきた御本尊の深義から必然的に帰結されるところである。久遠元初の仏の当体であり
 久遠名字の妙法の当体の故に「諸仏諸経の能生の根源」であると共に「諸仏諸経の帰趣せらるる処」なのである。「諸仏能生の根源」云々、また「十方三世の
 恒沙の諸仏の功徳」云々とは、人の側面kらいわれたものであり、「諸経能生の根源」云々、また「十方三世の微塵の経々の功徳」云々とは、法の側面から
 いわれたものである事も、いうまでもない。一切の仏の身に具わる無量の功徳も、一切の経に表された無辺の智慧も、あたかも百千枝葉が一根から生じる
 様に、あるいは一粒の小さな種子から展開される様に、全てこの久遠元初の仏と法とから生じたのである。故に、この久遠元初の仏の当体である御本尊を
 信じ、久遠元初の法である南無妙法蓮華経を唱える時、これらの一切の仏と経とに示された功徳、智慧が凡夫の生命に直ちに具わるのである。

 「観心本尊抄」の本分では「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(P.246 ⑮)
 「釈迦・多宝・十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を継紹して其の功徳を受得す」(P.247 ②) とあるのがこれを教示された文である。また「我等が己心の
 釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり・・・・地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり・・・・上行・無辺行・浄行・安立行等は我等が
 己心の菩薩なり」(P.247 ④) の文は、この御本尊を信受する事によって、凡夫の生命が本有無作の仏、一念三千の当体と顕われる事を述べられている。

 このように、無量無辺の功徳と広大深遠の妙用を具えられているのが御本尊であるが、この御本尊の仏力・法力をどのように顕現するかは、信力の深さと
 行力の強さによる。故に大聖人は「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」と、御本尊を
 顕し授与する仏としての大慈悲を述べられながらも、その翌月の五月には「如説修行抄」を著わされて、三類の強敵によって如何なる大難が競い起ころうとも、
 それに挫けない強盛な信心こそ大切である事を教示されるのである。更に、こうして「開目抄」の人本尊開顕、「観心本尊抄」の法本尊開顕を経て、その
 人法一箇の大御本尊を建立されるのが、弘安二年十月、熱原の信徒の死身弘法、死身護法を機縁にしてである事を考える時、御本尊を受持する者の信心の
 あり方が如何にあるべきかの根本精神は自ら明らかであろう。

347美髯公:2012/11/26(月) 20:40:59

  御本尊の力は絶大とはいえ、その信仰のあり方は決して他力本願ではない。またその反対に、己心の仏性を顕現する所に本義があるからといっても、
 禅宗の様な自力本願でももとよりない。御本尊の仏力・法力と我々の信力・行力が相呼応する所に功徳が生ずるのであり、この御本尊との冥合によって
 凡夫の内に秘められた妙法の大生命が涌現し成仏を実現する事ができるのである。“本尊”という言葉の意味する「根本尊敬」「根本尊崇」とは、この人間の
 内なる勝れた本性を誘発し顕現させるために、いかなる心の姿勢と発動が必要かをあらわしている。尊敬・尊崇という働きは、その対象を単に外にある
 ものとしている場合は、依存心と自己卑下と精神の空洞化を招く。逆に単に自己のあるままであるとしていく場合は、エゴの増長と他者との不調和を招く
 のみであろう。

 日蓮大聖人の仏法に於いては、先覚者たる御本仏が自ら得られた、人間普遍の最も勝れた本性を確定的に顕示される事により、後進は、それを尊崇する事を
 通じて、しかも普遍的に自己の内にも本来あるが故に、これを自身に誘引、観発して顕現するのである。ここに、根本尊崇の対象としての本尊の意義が
 あるのである。

348美髯公:2012/11/28(水) 22:59:35

                                  【観心について】  担当:創価学会 教学部 副教学部長  野崎 至亮

                                  = はじめに =

  観心という言葉を「観心本尊抄」並びに「送状」に求めてみると、次の四箇所に説かれている事がわかる。
 (1) 題号の「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」にある観心
 (2) 「問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何、答えて曰く観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり」(P.240 ①) という問答に
    おける観心
 (3) 「問うて曰く竜樹天親等は如何、答えて曰く此等の聖人は知つて之を言わざる仁なり、或は迹門の一分之を宣べて本門と観心とを云わず・・・・」
     (P.245 ④) という問答における観心
 (4) 「送状」の「観心の法門少少之を注して・・・・」(P.255 ①) の文に見られる観心

  これらの観心の意味や解釈を巡って、日蓮大聖人滅後様々な論議を呼び、種々の見解が入り乱れたようである。その様子は、大石寺第二十六世、日寛上人の
 「観心本尊抄文段」に詳細に明かされている。日寛上人は同文段で、おれまでの諸門流の義を徹底的に破折し、乱菊たる異論に決着をつけられ、大聖人の
 仏法の正統な流れを発揚されたのである。日蓮大聖人の仏法における観心は、インド、中国の伝統仏教に於ける観心とは言葉は同じでも、内容の全く
 異なる画期的なものである。「本尊抄」において大聖人は、伝統仏教の観心の最高峰の体系である、天台仏法の止観を 採り上げながら、これを超克する
 独創的な受持即観心を展開されていくのである。逆にいえば、末法の御本仏の立場から、天台仏法に極まっていた観心の義を会入されつつ、未曾有の観心論を
 述べられたといえるであろう。この一点が明確でないと、日寛上人により破折された他門流の異義の如く、「本尊抄」の観心を、「心を観る」「心の本尊を
 観る」などというように、天台流に流された解釈になってしまうのである。

349美髯公:2012/11/29(木) 22:45:18

  では、天台の止観に代表される仏教伝統の観心とは何か ―― 日蓮大聖人の受持即観心の義との相違を明確にするために、まず、この問題を明らかにして
 おこう。日寛上人は「文段」の序における題号釈の別釈で、観心の二字を釈される中で、次の問いを起こされている。
 「問う、凡そ観心とは、正法一千年は最上利根の故に、或は不起の一念を観じ、或は八識元初の一念を観ず。若し像法に至れば、人随って鈍根なり。故に
 不起の一念・元初の一念は所観の境界に堪えず。故に根塵相対芥爾の六識に三千の性を具するを観ず。これを観心と名づく。何ぞ但信心口唱を以て即ち
 観心と名づくべけんや」と。この問いは、通途の伝統的な観心の立場から見る時、但信心口唱のみを以て観心とする大聖人の仏法の立場は容認できない
 とするものである。これに対して、日寛上人は、伝教大師の四箇の大事や大聖人の「当体義抄」の文より明確な回答をされているのであるが、ここでの
 主題ではないので省略して、通途の観心について、この問いを借りて、少々述べておきたい。

 まず、観心そのものの意味であるが、中村元の「仏教語大辞典」には、次の様に説明されている。
 「心を観察すること。自分の心の本性を明らかに観照すること。また観法に同じ。特に天台宗でいう。観想する心。仏教では、実践修行を重んじて、教義
 思想の面を教 (相) 門というのに対して、自己の心を観ずることを主に考えて、これを観法とよぶ。天台宗では特に観念という語を用い、一心三観を修し、
 自分の一念の心の上に有・空・中の三つの見方を観ずることを行なう。観法の対象である心と仏と衆生のうち、自らの心を対象として観察することが最も
 容易で、心は一切事物の根本でもあり、迷いのもとでもあるから、自己の心の本性を観ずべきことを強調する。心を静めて真理を見つめること。」
 引用が長くなったが、通途の仏教の観心の意味はここに尽くされている。

 元来、観心は、大きくは禅定や瞑想と同じで、仏教の実践・修行の核心に位置するものであった。ここにも「心を観察する」 「自分の心の本性を明らかに
 観照する」 「心を静めて真理を見つめる」などの定義がされているが、ゴ−ダマ・ブッダの有名な菩提樹下の禅定による悟達以来、禅定、瞑想は、仏教の
 基本的な実践・修行であった。釈尊・竜樹・天親等に代表されるインド仏教の推進者は、悉く、この禅定、瞑想を行いつつ、それぞれ独自の仏法理論の
 展開をなしてきた。ここに“実践修行”と述べたが、通途の仏教に於ける実践は、自己の内奥へ、内奥へと、自分自身 (人間存在) の根拠を求めて、
 下降していく内的な実践を意味する。この意味に於ける実践を、外向的実践に対比して、内向的実践と称する人もある (湯浅泰雄 「身体」)。

350美髯公:2012/11/30(金) 20:08:52

  さきの問いに戻ると、「正法一千年は最上利根の故に、或は不起の一念を観じ、或は八識元初の一念を観ず」とある。不起の一念の「不起」とは、不生の
 事で、一切の心法が寂滅した姿をいい、心的作用が起こる以前の状態をさしている。人間の心は、外的な環境や事物等との関わりを通して、千変万化し
 散乱している。禅定、観心の修行は、いったん心が外的な環境や事物等と関わるのを止めるため、人間の感官の働きを一つの対象に集中するのである。
 なぜなら、心が外界の様々な事物と関わり散乱するのも、眼・耳・鼻・舌・身の感官の窓があるからである。かくして、感官や心を一つの対象に集中し
 止めると、外界との交渉を断たれた心の内から意識、無意識を問わず、様々な心の働きが外界との関わりを求めて現われてくる。現われるままにまかして
 おくと、次第に心の働きがなくなって、一切の心法が寂滅した状態がやってくる。そこまで心を静めると、今度は仏教的心理すなわち、ダルマ (法) が、
 自己の奥底から顕われて、自己の全体を包むようになる。さきの「不起の一念」を観ずる、とは、心の働きが全くなくなった時に、奥底からつき上がってくる
 一念を観照する事を指しているのである。

 また「八識元初の一念を観ず」とは、おそらく世親等の唯識派の修行であろう。八識は、感官や心を一つの対境に集中して止めた時、外界との関わりを
 求めて意識・無意識の心の働きが現われてくるが、それを現われるままに、いわば現象学的に、六識、七識、八識と観察し、記述していったものである。
 八識論の構成内容についてはここでは省略するが、第八識があらゆる現象の根本であり、最初の一念であるところから、この一念を観ずるために、修行を
 するのである。インド仏教における禅定、観心の修行を、日寛上人は正法一千年のそれとして以上の二つに代表させておられる。しかも、これらの修行は
 最上利根の者がよくなし得るものと規定されている。

  次に、像法時代、すなわち、中国の仏教になると、「人随って鈍根なり。故に不起の一念・元初の一念は所観の境界に堪えず。故に根塵相対芥爾の六識に
 三千の性を具するを観ず」とある。これは明らかに、天台の止観、観心を指している。像法時代になると、正法時代より機根が劣るから、不起の一念や
 元初の一念を観察すべく修行する能力がない。そこで、根塵相対芥爾の六識に三千の性を具するを観ずるのである。根塵相対とは、眼・耳・鼻・舌・身・
 意の六根がそれぞれ色、声、香、味、触、法の対境 (六境、六塵) に縁して (相対して) 、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識の六識の認識作用を
 起こす事をいう。たとえば、眼根が、色境 (塵) に縁して (相対して) 眼識を生ずる、のである。さきに、人間の心が六根の感官の窓を通して、外界の
 事物に関わり、千変万化し散乱すると述べたが、それはまさに、この根塵相対の事を指していたわけである。

351美髯公:2012/12/01(土) 20:40:22

  正法一千年、つまり、インド仏教においては、最上利根の故に、六根が外界の事物と関わるのを止めて、心的作用が寂滅し、一切の心法の活動の起こる
 以前の一念を観ずる修行をしたのであるが、像法時代の天台では、根塵相対の六識、いいかえれば、日常的な通常の己心の一念を認め、その一念の心に
 三千の性を具する事を観ずるのである。「十八円満抄」に「七に一念円満謂く根塵相対して一念の心起るに三千世間を具するが故に」(P.1362 ⑫) と
 ある様に、天台の一念三千の一念とは、あくまで六根が六境に縁して (相対して) 起こる一念の心 (六識) を指しているのであり、今日的にいえば、凡夫の
 日常的な心といってよい。凡夫が日常起こしつつある一瞬一瞬の微細な心に、三千の数で表わされた宇宙の一切の姿 (諸相) が、完全に具わっている事を
 一念三千というのである。この一念の心に三千の現象が具する事を、瞑想により自己の体験として体得するのが天台の観心、観法の究極である。

 「法華玄義」巻二上の次の文は、比較的わかりやすく、天台の観心を説明している。参考までに挙げておこう。
 「根塵相対して一念の心起るを観ずるに、十界の中に於いて必ず一界に属す。若し一界に属すれば、即ち百界千如を具して、一念の中に於いて悉く皆な備足す。
 此の心の幻師は、一日夜に於て常に種種の衆生、種種の五陰、種種の国土を造る。所謂地獄の仮実国土、乃至仏界の仮実国土なり。行人、当に自ら選択すべし、
 何れの道にか従う可きやと。(中略) 止観の中に説くが如し 云云」と。

 ただ注意しておきたいのは、天台の場合、法華経迹門の諸法実相の法門を根拠にしているため、諸法の中に色法も心法も含め、その実相を明らかにする
 過程で、諸法は空仮中の三諦で三千という原理が構想された、という事である。それは、心法のみならず色法すなわち、森羅万象の、どの個物をとりあげても、
 そこに三千の諸法が具しているのであり、一即一切、一切即一の相依相関のあり方をもって存在している、というのが天台の実相観である。この三諦三千の
 実相の世界に参入するのは、色法の森羅万象を通して入っても可能であるが、森羅万象といっても広大すぎるので、観法の便宜のために、最も近くにある
 手元の虚妄の一念をえらぶにすぎない。さきに挙げた「仏教語大辞典」でも「観法の対象である心と仏と衆生のうち、自らの心を対象として観察することが
 最も容易で・・・・」とあった通りである。以上が、いんど、中国における仏教通途の観心の内容であるが、それが日蓮大聖人の仏法に於いていかなる
 転換をなすのであろうか。それを、「観心本尊抄」及び「文段」に即しつつ、学んでいくことにしたい。

352美髯公:2012/12/02(日) 21:36:44

                               = 十界互具論に集約化 =

  法本尊開顕の重書である「本尊抄」を拝読する時、附文の辺と元意の辺とがある事は、日寛上人の「文段」から明らかである。そこで、まず附文の辺
  (文々句々に即して読んでいく事) で、「本尊抄」を拝する事により、大聖人が天台の観心を会入されつつ、全く独創的な受持即観心を展開されていく過程を
 たどり、その後に元意の辺で拝読していく事にする。

  冒頭に、天台の「摩訶止観」第五正観章の有名な一節が引用されている。
 「『夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千・一念の心に
 在り若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す乃至所以に称して不可思議境と為す意此に在り』等云云」(P.238 ①)
 これは、十乗観法における第一観不思議境を明かす下りで説かれる一念三千論である。この文は、日常的に起こる一念の心に三千種類の世間が具足して
 余す所がない事を表わしたものである。文中に「此の三千・一念の心に在り若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す」とある通りである。

 ここに一念の心とは縁に従って起滅する六識迷妄の心であり、前述した如く根塵相対して起こる心である。この日常的な心に三千という無間の差別相を
 具足している事を瞑想により観ずるのが天台の観心である。「所以に称して不可思議境と為す」とは「摩訶止観」の叙述に明らかな如く、不可思議境とは
 心具説を指していうのである。これに対して、思議境とは、爾前諸教で説かれる心生説である。すなわち、心が一切世間を生ずるという理を説くのである。
 小乗教は心が六界を生ずると説くのに対し、大乗教は心が十界を生ずると説くのである。天台はこれらの心生説に対し、法華円教は心具足を説くものとし、
 その心具の理法を不可思議境としたのである。まさに、日常的な心に三千の世間を具するという心具説は、不可思議としかいいようがない。その心具説の
 究極として、天台は「摩訶止観」に一念の心に三千を具すという一念三千論を説いたのである。

353美髯公:2012/12/03(月) 22:36:25

  さて、大聖人は冒頭で一念三千の出処としての文を引用された後、一念三千論が天台の三大部の中で「摩訶止観」の第五正観章にしか説かれていない
 “終窮究竟の極説”であり、“説己心中所行法門”である事を、章安や妙楽の釈を引用しつつ、問答形式をもって説き進められていく。次に、百界千如は
 有情界に限り、一念三千は情・非情に亘ることを明かされ、ここで本尊論を展開されるための、草木成仏の原理を説かれている。冒頭で一念三千論を
 引用された事を受けて「問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何、答えて曰く観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり」(P.240 ①) の
 問答は、意味深長である。

 冒頭で一念三千の出処を示す「摩訶止観」第五正観章の文を引用された意味が、この問答の後から次第に明らかになっていくからである。ここで「出処既に
 之を聞く観心の心如何」との問いは、日蓮大聖人の観心の意味を問うているのである。冒頭で大聖人の立場から正観章の一念三千結成の文を引かれ、その
 後の展開では不可思議境としての一念三千の法理そのものの卓越性が強調され、観心そのものには言及されていない。つまり、大聖人は既にこの段階で、
 天台の修行法としての観心、観念観法には注目されず、天台が観心修行の目標として立てた一念三千の不可思議境のみを取り出し、会入の上で重視されて
 いるのである。したがって、次に当然の事として、観心の意味を問う問いが出てくるのである。「観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云う
 なり」といわれている。この答えは、次に続く明鏡との関連で読めば分かりやすい。つまり、他人の眼・耳・鼻・舌・身・意の六根は見えても、自分の
 六根が見えなければ自分に六根が具する事がわからないであろう。だが、明鏡に自分を映せば鏡に映った自分の姿を通して、自分に六根が具する事がわかる。

 己心に十法界を具するのを観ずる場合も同じである。爾前諸経で、六道や四聖が説かれていても、それは他人の六根を見ているのと同じで、全く自身とは
 関係ないのである。しかし、十界互具を説く法華経や己心の一念に三千世間を具する事を説く「摩訶止観」の明鏡に自身を映した時に、元々自分の一念に
 十界、百界千如、三千世間を具している事を知るのである。この明鏡の譬喩から明らかな如く、ここで大聖人は明鏡に託して、後に開示される御本尊の
 事を暗示されているのである。天台の観心とは異なる日蓮大聖人の観心の一端が明かされている。

354美髯公:2012/12/04(火) 21:34:27

  「問うて曰く法華経は何れの文ぞ天台の釈は如何」(P.240 ⑤) で始まる問答は、己心に十法界を具すという法華経の文証をめぐるものである。
 ここで注意したいのは、大聖人が一念三千論を、己心に十法界を具すという十界互具論に焦点を絞られて展開されている点である。人本尊開顕の重書である
 「開目抄」にも「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(P.189 ④) と説かれていた如く、一念に三千世間、全法界を具すというのも、究極的には凡夫の
 一念に仏界を具すという一点に絞られてくる。末法の全衆生を成仏・救済せんとの大慈悲に立たれた御本仏、日蓮大聖人におかれては当然の帰結であったに
 相違ない。

 法華経の各品々にある九界即仏界、十界互具の文証を一つ一つ検討された後、「自他面の六根共に之を見る彼此の十界に於いては未だ之を見ず如何にが之を
 信ぜん」(P.240 ⑰) との問いを設けられている。つまり、さきの明鏡の譬えにより、他人の六根はもとより自身に六根が具する事はわかったが、法華経の
 鏡 (文証) により、如何に己心に十界を具する事や他者に十界が具する事を聞いても、実際には見えないから信じられない、との疑問である。この問いには
 直ちに次の「今数ば他面を見るに但人界に限つて余界を見ず自面も亦復是くの如し如何が信心を立てんや」(P.241 ⑥) との疑問につながる。自分も他者も、
 人界を認める事はできるが、他の九界を見る事ができない。いかに仏説たる法華経に十界互具つまり、己心に十界を具足する事が説かれていようとも、
 信ずるわけにはいかないというものである。

 これに対する解答が、「数ば他面を見るに或時は喜び或時は瞋り或時は平に或時は貪り現じ或時は癡現じ或時は?曲なり、瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡は
 畜生・?曲なるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人なり他面の色法に於ては六道共に之れ有り四聖は冥伏して現れれざれども委細に之を尋ねれば之れ有る
 可し」(P.241 ⑦) という有名な文である。まず、他面の色法の上に六根が見られる事を明かされ、四聖は冥伏して現われないが委細に尋ねれば見られる
 ものであると述べられている。

355美髯公:2012/12/05(水) 22:05:14

  次に、六道については現実の証拠の上から己心に備わる事はわかったが、四聖は全く見えないがどうか、との問いが出、これに対し「試みに道理を
 添加して万か一之を宣べん」と述べ、法華経の経文の上に、世間の現実の姿を加味して相似の例を出されていく。「世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界
 無からんや、無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり、但仏界計り現じ難し」(P.241 ⑫) と答えられている。六道を説明され、見えにくい四聖の
 内、二乗界、菩薩界は試みにも説明できたが最後の仏界だけは、世間の姿の中で外面に現われた例として挙げにくいし、また、それほど、仏界は簡単には
 外に現わし難い、といわれている。しかし、他の九界を具している事を以て、仏界を具する事を信じる、といわれ、法華経、方便品の開仏知見の文、
 涅槃経の文を文証として挙げられた後に「末代の凡夫出生して法華経を信ずる人は人界に仏界を具足する故なり」(P.241 ⑮) と答えられている。

 こうして、一念三千の内の十界互具、なかんずく、凡夫の己心に十界を具する事を、問答により六道、二乗、菩薩の順で説明されてきたが、最後に現じ難き
 仏界の問題に突き当たったのである。

356美髯公:2012/12/11(火) 21:23:56
                                       = 凡夫に仏界を具することの難信 =

  以後の展開は、凡夫の己心に仏界を具する事の難信難解をめぐってなされていく。すなわち「問うて曰く十界互具の仏語分明なり然りと雖も我等が
 劣心に仏法界を具する事信を取り難き者なり今時之を信ぜずば必ず一闡提と成らん願くば大慈悲を起して之を信ぜしめ阿鼻の苦を救護したまえ」(P.241 ⑰) との
 問いはまさしく、凡夫の劣心に仏界を具する事の難信を訴えている。この問いは、以後の展開との関連でいえば実に重要な内容を有している。すなわち、
 一念三千の出処を示す「摩訶止観」第五正観章の文を引用された後、観心の意義に入り大聖人は、「己心を観じて十法界を見る」と定義され、一念三千を
 凡夫の己心 (一念) に十法界を具すとの十界互具論に集約されていく。そして、凡夫の己心に十法界を具する事の具体的な問題を、一連の問答を通して、
 六道、二乗、菩薩と展開し、少なくとも己心に九法界を具する事までは、文証、現証の上から明らかになった。残る仏法界を具する事の難信難解をめぐり、
 以後の問答は続いていくのである。その最初の問いとして、今挙げた問いは重要なのである。

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