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ξ゚⊿゚)ξくいのこした四季たちのようです
-
ξ゚⊿゚)ξ「おじいちゃん」
/ ,' 3「ふえぇ」
幼女か。
いや、70代の老人だけれども。男だけれども。幼女か。
脳内でのみ突っ込みを入れてから、照山ツンは言葉を続けた。
ξ゚⊿゚)ξ「……私に、アパートの管理人さんなんか無理じゃないかな」
春の街並みを駆けていくバスの中。
祖父の隣の席で彼女は、足元に置いた旅行鞄の持ち手を弄びながら呟いた。
窓の向こうを馴染みのない風景が過ぎていく。
祖父はふがふがもぐもぐと口を動かし、
/ ,' 3「……ツンは、優しいから」
ゆったりとした、しわがれて小さな、でも優しい声を落とした。
-
/ ,' 3「大丈夫」
ξ゚⊿゚)ξ「……」
くしゃりと笑って、大丈夫、大丈夫と繰り返す祖父。
その顔を一瞥し、窓へ目を戻した。
ジジ馬鹿だ。
優しいとか、いい子とか。そういう誉め言葉が自分には一番そぐわない。
愛想はないし、他者への思いやりもない。
改めて客観視して気分が沈んだ。
-
ξ゚⊿゚)ξ「……やっぱり、私には向いてないよ」
──今日からツンは、祖父が所有するアパートの管理人として働くことになっている。
祖父も長らく住んでいるアパートで、この間までは彼が諸々の管理業をしていたらしいのだが
やはり老人の身、清掃や点検を始めとした諸々の用務が厳しくなってきた。
そこで、つい先日いきなり勤め先が潰れて途方に暮れていた孫娘を雇うに至ったというわけだ。
ツンも新たな働き口を求めていたし、
祖父がいるなら気が楽だろうと思って引き受けてはみたものの。
住人達と逐一コミュニケーションをとらねばならないであろう仕事だ。
自分には不向きだと、今更ながら不安になったのであった。
/ ,' 3「大丈夫」
けれども祖父は、にこにこ微笑んだまま無責任にツンの背を撫でる。
-
ξ゚⊿゚)ξ「……」
旅行鞄を爪先でつつき、ツンは溜め息をついた。
今さらぐだぐだ言っても仕方がないと、分かっている。
正直、アパートの管理人とやらが具体的にどんな仕事をするのかもよく分かっていないが、
やるしかない。やるしかないのだ。
これからの生活は、全くもって未知の世界。
■
-
しかしいくら何でも。
(*^ω^)ノシ
/ ,' 3「この人、管理人の。ブーン。仲良く、仲良く」
ξ゚⊿゚)ξ「え?」
まさか既に別の管理人がいたとは流石に思わなかったし、
(*^ω^)「ようこそ、僕の女王様! さあ早速ぼくを踏みつけておくれ!」
そいつが特殊な性的嗜好の持ち主だとも思わなかったし、
-
「……私があの子を突き落としたようなものだわ」
住人に懺悔されるのが管理人の仕事だとも思わなかったし、
( ^ω^) アーン
同僚が人の「後悔」を食べる不可思議な食嗜好の持ち主だとも思わなかった。
何だこれは。
何だこれは。
-
ξ゚⊿゚)ξくいのこした四季たちのようです
.
-
頭から一気にもってかれた、すごく面白そうだ
支援
-
ξ゚⊿゚)ξ サッ、サッ
朝の6時である。
ツンはアパートのエントランス前に散る花びらや葉っぱなんかを
手早く、かつ丁寧に箒で集めた。
ここに来てから早1ヵ月。
ほぼ毎朝続けているこの業務は、季節という括りの中にも
日毎に変わる色味があるのだと実感できるので嫌いではない。
ξ゚⊿゚)ξ(花の色がちょっと良くなってる)
( ^ω^) ジーッ
その隣で建物に凭れている男──ブーンという名前の同僚は、
4月の朝のまだ暖まりきらぬ空気の中、にやにや笑いながらツンを眺めている。
手伝えと言っても聞きやしない。
-
ξ゚⊿゚)ξ「どいて」
(*^ω^)「あうっ」
_,
ξ゚⊿゚)ξ
邪魔だったので箒の柄で脇腹を押しやると、喜色を浮かべた男の口から
存外に響くバリトンボイスが漏れた。
声だけ聞けば心地よいのに、その口から零れるのは些か残念な内容ばかり。
無視してゴミをちりとりにまとめ──
「……! ……!!」
──ていたら、何やらぎゃあぎゃあと喧騒が。
発生源はアパートの3階だ。
_,
ξ゚⊿゚)ξ
見上げれば、がらりと廊下の窓が開いて誰かが飛び出した。
正確に言うと吊り下げられた。
-
爪'ー`)「ころす」
(;<●><●>)「やめろやめろやめろやめろふっざけんな離せいや離すな馬鹿くそ殺す絶対殺す!!」
若い男が、別の男の足を抱え上げて窓から落とそうとしている。
早朝から見るには刺激的すぎる光景だった。
もはや上半身が完全に外へ飛び出ている男は、恐怖で頭が碌に回らないのか
短く幼稚な罵倒をひたすら大声で吐き出すのみだ。
繰り返すが、朝の6時である。
(;<●><●>)「ひっ、あ、ちょ、助けてええええ!!」
あと数秒ほどで首折れ死体になるであろう男がこちらに気付き、叫ぶ。
無視したい。しよう。
こういう場の対処は、
( ^ω^)「こらこらフォックスー」
この、無駄に渋い声の同僚の仕事なので。
-
( ^ω^)「今朝は何があったんだお」
爪'ー`)「不愉快なことを言われた」
(;<●><●>)「いいかげん妹離れしろっつっただけだろが糞ぉおあああああ!!」
箒を持ち直し、ツンは溜め息をつきつつ建物を見上げた。
街の片隅に佇む3階建ての木造アパート。
その名も「美布ハイツ」。
どうにもここは、賑やかだ。
.
-
■ 春の窓辺 ■
-
∬´_ゝ`)「またフォックスの発作が出たの? 道理で朝うるさかったわけだわ」
('、`;川「ごめんなさい、ごめんなさいっ」
( <●><●>)「伊藤は何も悪くありません。悪いのは君のお兄さんです。全てにおいて。
ねえ照山さん」
ξ゚⊿゚)ξ「え? ……はあ、どうでしょう」
美布ハイツの1階は丸ごと共有スペースとなっている。
エントランスから中に入るとまずホールがあって、
その奥に食堂へ続く扉、それとランドリールームの扉がある。
これらは夜10時までならば住人に限り自由に使える。
赤い絨毯が敷かれたホールには、談話用として大人数向けのソファとテーブルのセット、
それとやや大型の液晶テレビやAV機器が置かれているため、
その時々で暇をしている住人が集まりやすい。
-
休日の昼間である現在。エントランスホールのソファには3人の男女が座っており、
その内の1人に声をかけられたツンは、掃除機をかける手を止めぬまま適当に答えた。
最新式の掃除機はツンに負けず劣らず物静かで、会話の邪魔にはならない。
∬´_ゝ`)「今朝は何したのよ」
すらりと長い足を組んで気怠げに座っている女は、204号室の流石姉者。
ちまちまと翻訳業をやっているそうで、基本的にアパートにいるのでツンともよく顔を合わせる人だ。
姉者の正面に座る男──今朝、窓から落とされかけていた──は、
彼女の問いに顔を顰めた。
( <●><●>)「早い時間に目が覚めたので、散歩に行こうと思って廊下に出たら
奴が立っていましてね」
('、`*川「兄さん今日は早番だったから……」
( <●><●>)「様子がおかしいんです。ただ立ってるんじゃない。
自分の部屋のドアに耳を押し当ててたんですよ」
('、`;川「ひえっ……」
-
( <●><●>)「何をしているのかと訊いたら……」
大きな目を眇めて、怪談でも語るかのように勿体つける男。
303号室の益若ワカッテマスという。
たしか34、5歳。独身。
こちらは高校教師をやっており、これといって担当する部活動もないらしいので
今日のような休日には姉者と話しているのを度々見かける。
∬´_ゝ`)「訊いたら、何て答えたの?」
( <●><●>)「『出勤しようと思ったけど妹の寝息を聞き足りない』と」
∬´_ゝ`)「こわっ」
('、`;川「えええ……」
困惑顔の少女、302号室の伊藤ペニサス。
高校3年生になったばかりで、このアパートにおいては最年少の住人だ。
元々の性分なのかはたまた兄(今朝ワカッテマスを殺しかけたあの男)の重い愛のせいか、
いささか気が弱い。それ故ますます兄が過保護になる悪循環。
-
( <●><●>)「あんまりにも気持ち悪かったので『妹離れしろ』とついでに『死ね』って言ったら
窓から落とされかけました」
∬´_ゝ`)「へえ……。……何が気持ち悪いって、
『死ね』よりも確実に『妹離れしろ』の方にキレたであろうことよね」
( <●><●>)「ご明察」
('、`;川「ごめんなさい、ワカ先生ごめんなさい」
( <●><●>)「ですから悪いのは伊藤ではなくあのシスコンだと何度言えば」
∬´_ゝ`)「……ていうか玄関から耳すましても寝息聞こえなくない? 何なのあいつ恐すぎない?」
('、`;川「もしかして私いびきかいてるのかな……?」
( ^ω^)「ペニサスは静かだお」
ξ゚⊿゚)ξ「……」
∬´_ゝ`)「いや何でブーンはそれ知ってんの」
(*^ω^)「僕は何でも知ってるお、管理人だもの」
-
( <●><●>)「この前ここで伊藤と奴が居眠りしてるの見ましたけど、
寧ろ奴の方がいびきかいてましたね」
相変わらず自分は何もせず、掃除するツンをにやにや眺めていただけのブーンが
ひょいと彼らの会話に入り込む。
その発言内容にツンと姉者が冷眼を向けたが、直後にワカッテマスが続けた言葉に
なるほどと頷き視線を外した。
同じ場所に住んでいる以上、図らずもプライベートを共有されてしまうことはある。
('、`*川「兄さん疲れてるから……」
∬´_ゝ`)「まあ妹の分もお金稼ぐために頑張ってるしねえ。そこら辺は立派だわ」
( <●><●>)「立派な人間は他人を窓から落としません」
∬´_ゝ`)「……そりゃそうね。で、どうやってあいつを止めたの? ツンさん」
また話を振られた。
ツンは姉者らを横目に見て、すぐに床へ目を向け直した。
ξ゚⊿゚)ξ「止めたのは私じゃなくてブーンです」
声も顔も言い方も、何もかも無愛想なのは自覚している。
しているが、今さら直しようもないし。直そうとも思っていない。
しかし姉者は気を悪くした様子もなく、「ツンさんと話したいんだもの」と微笑んだ。
-
∬´_ゝ`)「ブーンは話してるとたまに鬱陶しくなるから」
( ´ω`)
ξ゚⊿゚)ξ「はあ。……お兄さんが人を殺したらペニサスさんが悲しむぞって、言っただけですけど」
∬´_ゝ`)「まあ鉄板よねえ」
( ^ω^)「ペニサスの名前を出せば大体何とかなるおー」
( <●><●>)「そもそも妹絡みでないと人の話聞きませんよ奴は」
('、`;川「そ、そんなことないですよ、ちゃんと普通の話だって……それなりには」
気兼ねなく会話を交わすブーンの姿にしょっぱい顔をしたツンは、
掃除機のノズルを外し、パワー設定を強から弱に切り替えてブーンの頬に吸込口を押し当てた。
<*^ω^)「おおう……何だお」
ξ゚⊿゚)ξ「掃除手伝ってほしいんだけど」
∬´_ゝ`)「あー、言うだけ無駄無駄。その人、意地でも掃除やらないから」
('、`*川「4年くらいこのアパートで一緒に暮らしてきましたけど
ブーンさんが掃除してるとこ見たことないです」
-
<*^ω^)「掃除する人を見てるのが好きなんだお」
( <●><●>)「どういうフェチなんですかそれは」
_,
ξ゚⊿゚)ξ
言うだけ無駄、というのは、この1ヵ月で思い知らされている。
しかし言わないのも癪だ。
ツンなりに抗議しているつもりだが、ブーンは頬を吸われても嬉しそうに笑っている。
効果が無いというか逆効果らしい。
諦めて溜め息を吐き出し、カーペットの掃除へ戻った。
■
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(*^ω^)『ようこそ、僕の女王様! さあ早速ぼくを踏みつけておくれ!』
一月前。
アパートの前でツンを出迎えたブーンの第一声がこれだ。
見たところ30歳に届くか否かといった、いい歳した男にそんなことを言われて
「さようなら」と踵を返したツンのことを誰が責められようか。
/ ,' 3『いかんよ』
そういえば祖父には緩く責められた。
/ ,' 3『ブーンも。いかんよ。物の言い方に、気を付けないと』
(*^ω^)『おっとと、ついテンションが上がって』
ξ゚⊿゚)ξ『……管理人さんなの? この人』
/ ,' 3『ん。割と、昔から』
では見た目より歳が行っているのかもしれない。
だが今そんなことはどうでもいい。
-
ξ゚⊿゚)ξ『なら私いらないじゃない』
(*^ω^)『役割分担だお、役割分担』
ξ゚⊿゚)ξ『……分担、ですか?』
(*^ω^)『僕は主に住人のいざこざ等の処理をする。
女王さ……ツンには、共有スペースの掃除や設備の点検──
まあ要するに、このアパートのお手入れをしてほしいお』
のほほんと微笑む顔に似合わぬ重厚な声。
祖父から名前を聞いたのだろう、いきなり下の名を呼び捨てとは馴れ馴れしいと思わないでもないが
女王様よりは遥かにマシだ。
右手を握り込まれて強引に握手。振り払うことなく、ツンはそれを受け入れた。
──役割分担。彼のこの言葉がツンにとっては魅力的だったからである。
正直、住人同士のトラブルの窓口になってくれるのはありがたい。
(*^ω^)『僕はブーンだお』
ξ゚⊿゚)ξ『ブーンさん』
(*^ω^)『呼び捨てでいいお。敬語もいらない。
今日から君の同僚で、相棒みたいなものなんだから』
ξ゚⊿゚)ξ(女王様扱いしてきたくせに)
23歳のツンに対し、ブーンは明らかに年上だろう。勤続年数も長いらしいし。
呼び捨てもため口も躊躇う。
──と、一度は思ったのだけれど。
(*^ω^)『そんなことより早く踏んでくれお!』
興奮気味に続けられた言葉に、敬意など綺麗に消え去った。
アパートに入らない内からここまで見下させる才能は、ある意味すごい。
■
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役割分担という彼の言葉通り、この1ヵ月、掃除や点検諸々の手入れはツンが行ってきた。
ツンだけが行ってきた。
本当にツンだけである。
( ^ω^)「ツン、テレビ台に埃が積もってるおー」
_,
ξ゚⊿゚)ξ「……」
今まさにテレビ台の傍にいる男にそう言われれば、
しかも男の手近な場所にハンディワイパーがあるとなれば、
「それぐらいやってくれ」という気持ちにもなるだろう。
とはいえ彼の言う役割分担を受け入れたのは自分であるし、
結局ツンもブーンの仕事を手伝ったことはないので、強く言えるわけもない。
何だかんだ今日のブーンも掃除するツンをにやにや眺めるのみだった。
(テレビ台はいつの間にかペニサスが綺麗にしてくれていた)
.
-
ξ-⊿-)ξ「んー……っ」
夜。そろそろ日付が変わる頃。
誰もいないホールにて、エントランスの施錠を確認して今日の業務は終了。
ぐっと背を反らすツンにブーンが声をかけた。
( ^ω^)「お疲れ様、ツン。今日もありがとう」
常に一緒にいるわけではないが、仕事上、一日の終わりには彼と共にいることが多い。
そういう日はいつも最後にお疲れ様とありがとうをくれる。それは割と悪くない。
おつかれ。やや小さな声でツンも返した。
ξ゚⊿゚)ξ「……寝る」
( ^ω^)「そうするかおー」
明日も早いし、と頷いたブーンがホールの明かりを消す。
右隅の階段から2階へ上がる彼にツンも続いた。
──2階には4つの住戸がある。
中央に廊下が伸びていて、それを挟む形で左右に2部屋ずつ。
3階も同じ造りなので、美布ハイツの住戸は計8室だ。
-
右側手前、階段に近い部屋が201号室。大家である、ツンの祖父の部屋。
その隣が202号室。ブーンの部屋。
( ^ω^)「おやすみなさいおー」
ξ゚⊿゚)ξ「ん」
祖父の部屋の向かい、203号室がツンの部屋である。隣室204は姉者。
何となく、ブーンが部屋に入るのを見届けてから
ツンも自室のドアを開けた。
間取りは2K。全体で見ると、そう広くはない。
玄関のすぐ右にキッチン、左にトイレと風呂場。
そして正面に引き戸が2部屋分ある。右が和室で左が洋室だ。
2間もあるとツンは持て余してしまうので、
和室と洋室を仕切る戸襖を取っ払って一部屋のように扱っている。
これはこれで広くなりすぎた感もあるのだが。
ξ゚⊿゚)ξ(さっさとお風呂入って寝よ……)
今日もほとんど掃除ばかりしていた気がする。これでは管理人というより清掃員のような。
ξ゚⊿゚)ξ(……ていうかブーンは朝の一軒以外、仕事してなくない?)
もやもやする。
管理人とは、同僚とは、一体何なのか。分からなくなりそうだ。
■
-
それから1週間経った。
相変わらずツンがアパートの手入れをし、ブーンがそれを眺める日々。
なのだが、
( ´ω`)「……ううん……」
ξ゚⊿゚)ξ「?」
時々ブーンが怠そうに腹を摩っているのを見掛けるようになった。
どうしたのかと一度訊いたときは「胃もたれ」と答えが返ってきたが、
数日の内にそう何度も胃もたれを起こすものだろうか。
どういう食生活を送っているのやら。
食生活以外にも色々と謎が多い男だ。まず誰もフルネームを知らない。ブーンというのが本名なのかすら。
雇用契約を行っている祖父なら知っているかもしれないが。
∬´_ゝ`)「──やっほ、今日もお掃除がんばってる?」
ξ゚⊿゚)ξ「姉者さん」
ホールのテーブルを磨きながらブーンを観察していたツンは、上から掛けられた声で我に返った。
階段を下りてくる姉者の声だった。
彼女はツンからブーンへ目を移し、やや不安げに眉を顰める。
-
∬´_ゝ`)「……どうしたのブーン、具合悪い?」
(*^ω^)「大丈夫だおー。おっお。ありがとう姉者」
こういうところも不思議というか、変な人だ。ブーンは。
踏んでくれと言ったり小突かれて喜んだり、被虐趣味があるのかと思いきや、
どうにもただ構われるのが好きなだけな節がある。
コミュニケーションへの意識が少しズレているというか。
まあ全体的にズレた人のようにも思うが。
ξ゚⊿゚)ξ(どういう経緯でおじいちゃんはブーンを雇ったんだろう)
∬´_ゝ`)「ね、ツンさん」
ξ゚⊿゚)ξ「え。はい」
∬´_ゝ`)「何か手伝うわ。どうせブーンは何もしてくれないでしょ」
ξ゚⊿゚)ξ「それはそうですけど……大丈夫です、これは私の仕事なので」
ソファに寄り掛かった姉者は、ツンの言葉に苦笑いを浮かべた。
その目が微かに揺れるのを見て、何故だか、どきりとした。
-
∬´_ゝ`)「やらせて。部屋で仕事してたら何か、あんまり暖かくて、ぼうっとしちゃって。
気分変えたいの。ね、お願い」
ξ゚⊿゚)ξ「……じゃあ、階段の手すり拭いてもらえますか」
∬´_ゝ`)「はいはーい」
バケツに引っ掛けている雑巾を指差せば、姉者はにっこり笑って水に浸けた雑巾を絞った。
濡れた手をバケツの上で振る彼女が、ふとエントランスに目を向ける。
∬´_ゝ`)「……春ねえ」
ξ゚⊿゚)ξ「はあ」
風を通すために扉を開放しているエントランスからは、
外に植えられた木々や花壇がよく見えた。
暖気が花びらと共に青い香りを連れてくる度、たしかに春を感じる。
/ ,' 3
∬´_ゝ`)「あ。荒巻さんがいる」
ξ゚⊿゚)ξ「お花の世話してるみたいです」
花壇の前にしゃがむ祖父を見付けた姉者の言葉に、ふとツンはテーブルを離れた。
結構長い時間、花壇を見ている気がする。ちゃんと休憩しているだろうか。
-
エントランスを出て、敷地の前、道端に置かれている自動販売機で冷たいお茶を買ってから
祖父の隣にしゃがみ込んだ。
ξ゚⊿゚)ξ「おじいちゃん」
/ ,' 3「ふえ……」
毎度のことながら気の抜けきった声をあげ、祖父がツンを見る。
ツンがお茶を差し出せば、にこーっとゆっくり破顔して受け取った。
蓋を開けて少しずつ口に含む。思ったより冷たかったのか、きゅっと目を閉じた。
/ ,' 3「んまい」
ぽつりと呟き、空いている手で花壇に咲く花──ツンは詳しくないので名前を知らない──を撫でた祖父が
再びツンに視線を寄越してもそもそと口を動かした。
-
/ ,' 3「頑張ってる、なあ。毎日」
ξ゚⊿゚)ξ「……普通だよ」
/ ,' 3「そうかあ。ブーンとは仲良く、してるか」
ξ゚⊿゚)ξ「仕事量に差がある気がする」
言って、アパートを横目に見る。
ホールの中、階段の手すりを磨く姉者をブーンが妙な顔をして見つめていた。
不安そうな顔だった。どうしたのだろう。
祖父も同じようにブーンを見て、それからふるふると首を振った。
/ ,' 3「ブーンはあれで、忙しい」
■
-
ξぅ⊿゚)ξ「……」
──尿意で目が覚めたのは、深夜2時頃だった。
トイレで用を足し、手を洗う。
その間、ぼんやりと一日を振り返っていた。
あのあと姉者が2階と3階の廊下も掃除してくれて助かった。
おかげでいつもよりのんびり出来た。
のんびりしすぎて1階の施錠や消灯が少し遅れてしまったが。
ξ゚⊿゚)ξ(あれ)
タオルで拭っていた手が止まる。
──エントランスの鍵を閉めただろうか。
まず間違いなく閉めた筈だが、気を抜いていたのではっきり思い出せない。
不確定ならば見に行った方がいいだろう、管理人として。
パジャマのまま部屋を出る。
夜気に身を震わせ──
ξ゚⊿゚)ξ「え?」
(;^ω^)「あ」
隣室、姉者の部屋の前に立つブーンを見付けた。
.
-
部屋と部屋の間に設置された常夜灯のおかげで、その姿はよく見える。
彼の右手には鍵束があり、その手がドアノブの下部、鍵穴に伸ばされていた。
ξ゚⊿゚)ξ「……何してるの」
(;^ω^)「いや……」
ξ゚⊿゚)ξ「逢い引き?」
でなければ犯罪だ。
しかし思い返してみても、彼らにそんな気配はなかった筈。
敢えて言うなら昼間、ブーンが姉者に意味ありげな視線を送っていたくらいか。
だが姉者からブーンへの意思表示は覚えがない。
第一、仮にそういう関係だったとすれば、ブーンはツンに構いすぎである。修羅場必至。
ではやはり、これは犯行の瞬間か。管理人の立場を利用し部屋に侵入する気か。
(;^ω^)「ちょ、ちょっと待ってお、そうではなくて」
ツンの眉間にどんどん皺が寄っていくのを見て、顔を青くしたブーンが両手と首を振る。
胡乱げに彼を見つめていたツンは、不意に「おかしなところ」に気付いた。
-
ξ゚⊿゚)ξ「その鍵、何?」
鍵の形状が見知っているものと違ったのだ。
各戸の鍵はツンも幾度か見たことがあるが、
ブーンが持っているものはやけに丸みが強く、まったく記憶にない。
そもそも非常時用の鍵は大家である祖父が保管していて、ブーンにはそう簡単に持ち出せない筈。
ツンの抱いた疑問を感じ取ったか、ブーンも鍵に目を落とし、
観念したように溜め息をついた。
(;^ω^)「……言い訳する暇もないし、いっぺん見てもらうしかないかおー」
手招きするブーンを訝りつつ、彼の隣に立つ。
何度見ても不思議に丸い鍵をブーンが差し込めば、形が合わない筈のそれはきっちりと収まった。
こきん。鍵を回すと、妙な音。
ゆっくりとドアノブが回され、ドアと壁の隙間が広がるにつれ、中から光が溢れた。
ブーンが少し間を置き、直後、一気にドアを開く。
途端、ぶわっと溢れた芳香。視界を埋める赤色。
.
-
ξ゚⊿゚)ξ「……?」
部屋の中、床一面に赤い花が咲いていた。
花はそれぞれ大きさや形が違っていて、どうも別々の種類であるようだが
赤色という点は共通している。
ξ゚⊿゚)ξ「……何これ……」
そのうえ今は夜である筈なのに、室内がいやに明るい。
電灯によるものではなく、晴れた真昼の室内のような、自然な──それ故この時間には不自然な明るさだ。
振り返ってみるも、共有の廊下にはやはり、常夜灯の光しかない。
部屋へ目を戻す。明るい。
-
( ^ω^)「入るお」
ブーンに背中を叩かれ、よろけるように入室した。
いよいよもって香りが強い。
ドアが閉まる。呆然と立ち尽くすツンを尻目に、彼は靴を履いたまま上がり込んだ。
ξ;゚⊿゚)ξ「ねえ、」
説明を求めてブーンへ顔を向けたツンは、
彼がいつになく真剣な顔をしているのを見て口を噤んだ。
今は質問を聞く気はない。そんな顔だ。
彼に続き、なるべく花を踏まないようにしつつ一歩前に出る。
パジャマのままであったのを思い出して少し恥じた。
──そのままブーンは迷いなく、正面に2つある引き戸の内、右側の戸を開く。
∬´_ゝ`)「……」
和室、大量の花に囲まれた姉者が窓辺に寄り添うように座っていた。
窓の向こうはやはり、昼のように明るい。
けれど風景は霧が掛かったように白くぼやけている。
-
( ^ω^)「姉者」
∬´_ゝ`)「……ブーン? あ、ツンさんも……いらっしゃい」
どこか遠くを見ていた彼女は、ブーンの呼び掛けにゆるゆると反応してみせた。
しかしすぐに目を伏せる。
∬´_ゝ`)「春は、あったかいわね。ぽかぽかする」
窓ガラスに頭を凭れさせ、姉者が微笑む。
唇をやんわりと緩ませたその表情と声はあまりに優しくて、やわらかくて、儚い。
ツンが知っている姉者とは別人のようで。
先程からずっと困惑しっぱなしのツンは、軽く痛む頭を押さえた。
■
∬´_ゝ`)『流石姉者です。隣の204号室に住んでるから、何かあったらいつでも声かけて』
管理者である祖父とブーンを除けば、ツンが最初に会ったアパートの住人は姉者だった。
エントランスホールのソファに座っていた彼女が、にこやかにツンを出迎えてくれたのだ。
-
∬´_ゝ`)『へえ、ツンさん23歳なんだ。うちの弟と同い年ね。
私? 私はねえ。18歳』
ξ゚⊿゚)ξ『弟さんより年下になってますよ』
( ^ω^)『姉者は28だおー。アラサーだおー。独身だおー』
∬´_ゝ`)『ふっ』ドスッ
(;*^ω^)『おおんっ』
気さくな人というのが第一印象。
たしか、それから2週間ほど経った日。
口論する住人達の仲裁をブーンに任せたツンが、1人で食堂の掃除をしていた日。
そこへ姉者がやって来て、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、へらり、軽薄に笑った。
∬´_ゝ`)『ここに住んでる奴らは基本的に放置しといて大丈夫よ。問題があればブーンが動くし』
ξ゚⊿゚)ξ『はあ』
∬´_ゝ`)『ブーンがあんなんだから、ツンさんがお掃除やら何やらで忙しいのはみんな分かってるの。
放っておかれても、誰もあなたを無責任な人だとか思ったりしないわよ』
ξ゚⊿゚)ξ『……』
-
∬´_ゝ`)『それに、みんなが使う場所が綺麗だと気持ちいいからね。私たち感謝してるのよ。
だから気にしないで、あなたはあなたの仕事をしてて』
ξ゚⊿゚)ξ『……言われなくてもそうします』
なんて可愛げのない返事だったろうかと今でも思う。
つい意地と見栄を張ってしまったのだ。
素っ気ない態度をとるくせに、ツンは他人に疎まれるのが恐い。
あるいは──疎まれるのが恐いから、素っ気ない態度をとるのかもしれない。
姉者はきっと、そういうたちを分かってくれて、だからあのようなことを言ったのだろう。
住人のプライベートな面に指先ひとつ触れないでいたら、管理人として認められないのではないか。
ただそこらを掃除してばかりのツンと、皆にとって身近な問題を処理するブーン、
2人を比べて、ツンが役立たずであると見なされてしまうのではないか。
けれどもツンはブーンのような役割こそが一番苦手なのだから、代わりになることも出来ない。
だけど不要だと思われたくない──
そんな面倒臭いツンの葛藤を、全てではなくとも察して、フォローしてくれたのだろう。
大丈夫。ツンも認められている。ちゃんと出来ている、と。
どうしてあのとき、ありがとうの一言が出なかったのだ。
彼女の言葉がとても嬉しかったのに。
■
-
ほんの1ヵ月の交流しかないが、ツンにとっての姉者はそれこそ姉御肌な人というイメージだった。
∬´_ゝ`)「桜が咲いて、綺麗ね」
けれども今の彼女は。
悲しげな瞳で真っ白な外を眺め、華奢な手指を重ねて呟く姿は。
ひどく弱々しい。
ξ゚⊿゚)ξ「……」
不安を煽られたツンは姉者の傍らに立ち尽くした。
何気なく視線を落とし、片眉を上げる。
花に埋もれているが、本や紙、ペンが床に散らばっているのが見えた。
手近なところにあった分厚い本を拾い上げてみると、
随分と使い込まれた様子の英和辞書だった。
ξ゚⊿゚)ξ(……仕事道具かな)
そう思いつつ引っくり返せば、「流石姉者」と書き込まれた名前を見付けた。
名前の横には1B、2A、3Aと書かれ、1Bと2Aには打ち消し線が引かれている。
少し悩んでから、中学か高校の所属クラスだろうと思い至った。
今度は床に散らばっている紙の内1枚を持ち上げる。ルーズリーフだ。
丸みのある文字で英文がずらずら書かれていて、
その下に、几帳面そうな角張った字の日本語が並んでいた。翻訳したものだろうか。
-
ツンがそれを眺めていると、こちらを見上げた姉者が「あ」か「う」か、掠れた声を漏らした。
ξ゚⊿゚)ξ「どうかしましたか?」
∬´_ゝ`)「……」
そろそろと、姉者が手を伸ばしてくる。
ツンが辞書とプリントを渡せば、姉者はそれを大事そうに抱えた。
∬´_ゝ`)「……英語が得意な子だったの」
ぽつりと、脈絡のない呟きが一つ。
何の話だ。
出し抜けに、それまで黙って周りを見渡していたブーンが口を開いた。
( ^ω^)「ツン、赤くない花を集めてくれお」
ξ゚⊿゚)ξ「え?」
じっと一点を見つめるブーンの視線を辿る。
すると部屋の隅に、他とは違う、ピンク色の花が一輪咲いているのを見付けた。
その瞬間、何故だか、過剰なほどの違和感に肌がざわめいた。
この空間において、何やらとても大事なもののように思える。
-
( ^ω^)「いつも咲いてる場所が変わるから探すのに苦労するお……」
ξ;゚⊿゚)ξ「?」
何のことだか分からないが、普段以上に低めた声に、そうするべきだと思わされた。
というか少し恐くて口を出せなかった。
赤い花々を踏み潰さぬよう慎重に移動し、ピンクの花に辿り着く。
ξ;゚⊿゚)ξ「つ、摘んで、いいの?」
( ^ω^)「いいんだお」
振り返るとブーンも別の場所に移動しており、小さな黄色い花に手を触れさせていた。
姉者はこちらに構うことなく辞書を撫でている。
ξ;゚⊿゚)ξ(……何なの)
改めて様々な疑問が湧くが、どうせ今すぐ答えは得られまい。
花の根元に指を添え、ぷつり、手折る。
──直後、頭の中に見知らぬ光景が流れ込んできた。
.
-
□
从* ー 从『さっき職員室行ったらね、先生に褒められたんだ〜』
──英語のプリントを顔の横に掲げて、彼女は笑った。
从* ー 从『まあテストだったら丸あげられないって言われちゃったけどね』
∬ _ゝ )『どんなの? 見せてよ』
从* ー 从『いいよ〜』
数日前に課題として出されたプリントで、英文を日本語に訳せというものだった。
海外の小説を引用した問題。そう複雑な内容ではなかった。
直訳すればそれで済むし、習った単語の確認としての問題なのだから
求められているのも直接的な答えであろう。
けれど彼女の解答はたしかに、単なる復習として求められている範囲を超えていた。
憎しみの台詞を柔らかな膜で包み込み、押し隠したが故に鋭さを増させ、
一方で原文に含まれる隠喩は隠喩のまま、しかし言い回しを変えることで日本人に伝わりやすくしている。
まるで実際に出回っている訳本のようで──
陳腐に言うならば、文学的な趣に溢れていた。
無論、高校生にしては、という前提はあるのだが。
素直に感心した。こんな答え方があるのか。
-
∬ _ゝ )『ナベちゃん、すごいね。翻訳家になれるよ』
从* ー 从『英語嫌いだからちょっとふざけてやろうって思って書いたんだけど……
えへへ、先生にも姉者ちゃんにも褒められたから、何か、英語好きになるかも』
照れたように笑う顔が眩しかった。
「苦手」なわけではなく「嫌い」だという言い方から、
英語自体は得意なのだろうと汲み取る。
好きになるかもという言葉に、胸の内のどこかが満たされた。
自分が褒めたことで、彼女の才能を潰させずに済んだという勝手な自尊心。
□
ξ;゚⊿゚)ξ「っ」
我に返る。たくさんの赤い花。摘み取った一輪のピンク色。
空いている手で頭を押さえる。今のは?
記憶だ。ツンのものではないが、誰かの記憶であるのは間違いない。
いいや、「誰かの」なんて。ぼかさなくても分かっている。姉者のものだ。
どことなく色合いが薄く、会話する少女の姿も判然としなかった。
ブーンへ目をやると、彼も頭を押さえていて、同じことが起きたのだろうと理解する。
-
( ^ω^)「この調子で他の花も摘むお、ツン」
先と同じ指示を出し、ブーンはきょろきょろ辺りを見回した。
彼に向かってもう幾度も頭の中で繰り返した質問をぶつける。
ξ;゚⊿゚)ξ「これ何なの」
( ^ω^)「姉者の『後悔』、……を探るためのヒントみたいなもんだお」
ξ;゚⊿゚)ξ「……答えになってない」
( ^ω^)「後で説明する。とにかく今は姉者のために急がないと。
……ここまで来たなら協力してほしいお」
姉者のため──
無意識に窓辺の彼女を視界に収める。
真っ赤な花に囲まれ、真っ白い窓からの光を受ける彼女の姿に、
もしやこれは夢ではないかと思った。
けれども足首にちくちく刺さる葉の感触や、目が眩むほどの色彩や、噎せ返る匂いは
どうしようもなく生々しい。
現実なのか。今、たしかに起こっていることなのか。
ブーンの言う通りにすれば、姉者のためになるのか。
-
∬´_ゝ`)「文芸部で仲良くなってね、クラスが同じになったことはないけど、
一番仲のいい友達だったと思う」
ツンが赤以外の色を探すために首を傾けると同時、
辞書を抱え、窓に頭を預けている姉者がぼそぼそと語り始めた。
誰のことを話しているのかはすぐに分かった。
先程の「記憶」の中にいた少女だろう。
∬´_ゝ`)「可愛くて、明るくて、ちょっとドジで、優しいお話を書くのが好きな子だった。
お花みたいないい匂いがして手があったかくて、一緒にいると、こっちまであったかくなる……」
∬´_ゝ`)「──春みたいな子だった。4月生まれだったからかな」
和室の入口手前に、今しがたブーンが摘んだのと同じ種類の黄色い花を見付けた。
指を添え、根元を引く。
ぷつん。
-
□
∬ _ゝ )『ナベちゃん、最近部活来ないね』
从 ー 从『うん、ごめんね、先生に英語教わってるの』
もともと活発なクラブではなかったし、部活と言っても
コンクールが近い時期以外は、不定期に図書室へ集まって適当に話したり書いたりするだけだ。
だから勉強に時間を割く彼女のことを、顧問も部員達も寧ろ快く思っていた。
∬ _ゝ )『……ね、今度、私も一緒に行っていい?』
从 ー 从『うん、もちろん』
もちろん、と答える間際、彼女の口が言いにくそうに歪んだことに、気付かぬふりをした。
□
-
∬´_ゝ`)「……好きだったのかな。どうだろう。分からない。
でもあの頃、どの男子や先生を見ても、あの子よりどきどきする人なんかいなかった」
姉者の舌が乾いた唇を舐める。
花々の香りが満ちる部屋の中、窓辺の光を小さく反射する桜色の唇は
何かの果実のようでもあった。
∬´_ゝ`)「だからあの子の傍にいようとしてた……」
隣の洋室へ続く戸襖を開く。
洋間の中心に、淡い紫色の花。
□
∬ _ゝ )『……』
泣きながら家路を歩いた。
気を抜けば喉が震えて酷い声をあげてしまいそうだったから、
唇を噛み締めてとぼとぼと足を動かしていた。
一緒に勉強したいなんて言わなければ良かった。
今まで通り、皆が集まるかも分からない部活に参加して、無為な雑談でもしていれば良かった。
-
∬ _ゝ )『……』
彼女と、自分と、先生と。
3人ぽっちしかいなかった自習室を思い返せば、また大きな粒が目から溢れる。
彼女は先生のことが好きなのだろうと一目で分かった。
もしかしたら既に心を通わしているのかもしれない。
先生が纏う雰囲気も、どことなく違っていたから。
耐えられなくて、途中で抜けてきてしまった。
今頃2人きりで、いなくなった自分のことなど忘れて過ごしているのだろう。
□
∬´_ゝ`)「無性に寂しくて嫌いになりそうだった。なれなかったけどね」
語る声は愛おしげ。
一旦洋室を出て、トイレのドアを引く。
一目で見渡せる狭い床には赤い花しかない。
-
∬´_ゝ`)「あの子が今までよりもあったかく笑うから。
それなら、いいやって。……そう思えるようになるのにも時間はかかったけど」
和室からは少し距離があいたというのに、姉者の声はまるですぐ近くで発されているかのようだった。
つくづく不思議な空間だ。
振り返ると、キッチンに移動してきたブーンが黙々と花を探していた。
∬´_ゝ`)「でもあの子と先生だけの世界が羨ましかったから、時々一緒に勉強して、
あの子の真似して洋書の翻訳ごっこなんかしてた」
∬´_ゝ`)「あの子は逆に、英文を書く方が好きになってたみたい。
たまに、あの子が英語で書いた小説を私が訳す遊びもしたわ。
……すごく楽しかった。あの子の気持ちを解きほぐすみたいで」
それが本心であるのを示すように姉者の声が弾んだ。
しかしすぐに、沈んでしまう。
∬´_ゝ`)「そういう日々が一年続いて、冬が来た。
冬はちょっぴり好きじゃない。
あんまり寒いから、あの子も凍えてしまうんだわ」
ぷつん。
何もしていないのに花を摘む音が聞こえて、また記憶が流れ込む。
ブーンがキッチンで花を摘んだのだろう。
自分でなくとも、誰かが摘めば共有されるらしい。
-
□
从 - 从『……赤ちゃん、できた……』
3年生の、1月。
彼女と共に語学系の大学を受験して、一週間近く経った日だった。
公園に呼び出され、雪が積もる滑り台の前で聞かされた言葉。
寒さではない理由で体が震えた。
∬; _ゝ )『間違いじゃないの』
从 - 从『分かんない……分かんない、検査薬には反応あったの、
あれってどれくらい正確なのかな……2回、試したけど、2回とも……』
小説やドラマで何度も見たような展開だ。
目の前に立ち尽くして話す彼女の姿が、まるでスクリーンを通したかのように遠ざかったり、
不意に眼前へ近付いたりを繰り返していた。
先生と彼女へ対する怒りと悲しみと失望と焦燥が燃え上がり、すぐに燃え尽きて焦りだけが取り残される。
-
从 - 从『どうしよう……どうしたらいいの』
∬; _ゝ )『ど、どう、って』
緊張で腹を絞られ、吐きそうになりながら詳細を聞いた。
2人とも避妊には気を遣っていたそうだ。彼女からの話しか知らないので真偽は分からないが、
少なくとも無理強いされたようなことはないだろう。
避妊具も状態が悪かったり使い方に誤りがあったりで、
失敗してしまうケースがあるにはあると保健の授業で習った。
好きな男の子もいなかった自分にはあまり関心のない話で、そんなものかと聞き流していたのに。
こんな形で思い出したくなんかなかった。
∬; _ゝ )『先生に、言わないと』
彼女の家族に知られずに何とか収められないだろうか。
先生にお金を出してもらって。どこか、病院に行って。
でも家族へ連絡が行くに決まっている。
関係者を最少にした上で「元通り」にする方法ばかり求めた。
逃避だ。そんな甘い話、あるわけがない。
ああでもないこうでもないと言葉を交わしていると、合間に彼女が呟いた。
-
从 - 从『……産んじゃ、だめなのかな……』
何も言えなかった。
いいも悪いも、自分などには重すぎた。
だめだよね、分かってるよ、分かってる。
青い顔をした彼女は取り繕うように言って、目尻から溢れた涙を雪のせいにし、むりやり笑った。
从 ー 从『先生に話してみる。ごめんね姉者ちゃん、こんな話聞かされてびっくりしたよね。
ごめんね、忘れていいよ』
□
∬´_ゝ`)「あのとき、私──多分、ほっとした」
きんと全身が冷え渡るような──
記憶の中の寒さが、姉者の声に宿っていた。
∬´_ゝ`)「忘れていいって言われて、安心してた。
もう、その問題に関わらなくていいんだって……他人事のまま捨て置いていいんだって」
-
∬´_ゝ`)「もちろん忘れることなんかしなかったし、
『いつでも相談して』ってちゃんと言った。力になりたいって本当に思ったもの。
……でも、逃げたいって怖じ気づいてたのも、きっと私の本心だった」
姉者が背を丸める。
目を閉じて、細く長く息を吐き出す彼女の顔は青白い。
うっすらと瞼を持ち上げる。
∬´_ゝ`)「……あの子はなかなか先生にも家族にも言い出さなかった。
そりゃあ恐いに決まってるもの。そう簡単に言えやしない」
∬´_ゝ`)「でもあのとき、もたもたしてなければ、結果は変わっていたかしら」
数秒、間をあけて。
姉者の口が、続きを紡ぐ。
∬´_ゝ`)「先生が事故に遭ったの」
──巻き込まれる形だったらしいと姉者は言う。
ひどい事故で、何とか命こそ助かりはしたが、
目覚めなくなってしまったのだという。
-
ξ;゚⊿゚)ξ、「……」
∬´_ゝ`)「いい先生だった。……教え子に手を出す人をいい人と言っていいかは分からないけど。
ともかく尊敬されてたし、あの子が熱心に英語を教わってたのもみんな知ってたから
あの子が泣き喚いても、誰も疑問なんか持たなかった」
∬´_ゝ`)「けど、ショックのせいか彼女は体調をひどく崩して倒れてしまって……
病院に運ばれて、お医者さんが異変に気付いて、お腹を調べられて、それで」
その後どうなったかなんて、ツンにも想像できることだった。
実際、ツンの想像から然程ハズレていない結果が訥々と語られていく。
幾人もの感情が荒れ狂いぶつかり合う様は、毒々しくて耳を塞ぎたくなる。
∬´_ゝ`)「……彼女は、お腹の子の父親が誰なのかを決して言わなかった」
-
∬´_ゝ`)「もしかしたら勘づいた人もいたのかもしれないけれど、
昏睡状態の人を槍玉に挙げるのも心苦しいでしょうし、
彼女が正直に言うのを待つしかなかったでしょうね」
そこでようやくツンは我に返った。
そうだ、花を探さなければ。
まだ探していない風呂場を見ようと思ったが、既にブーンがいた。
彼の足元にはピンクの花。
∬´_ゝ`)「結局彼女は最後まで言わなかったし、おろせという家族の声にも抵抗してた。
……かといって、産みたいと意思表示することもなかったけど」
ブーンが屈み込み、軽く曲げた指を茎に引っ掛ける。
ぷつん。
∬´_ゝ`)「そうする内に春が来て、高校の卒業式が終わったわ」
.
-
□
式を終え、世話になった教師や文芸部の後輩たちに挨拶をし、
みんなでご飯を食べに行こうと誘ってくれたクラスメートに謝り、
校門で待っていてくれた両親にも謝って先に帰宅してもらって。
暖かくて明るくて優しくて花の香りに満ちる春の昼。
制服を着たまま、リボンの胸章をつけたまま、荷物を抱えたまま、彼女の家へ向かった。
彼女の母親がその出で立ちを見て「卒業式だったんだものね」と瞳を潤ませた。
卒業の機会を失った彼女とその両親が式に来られる筈がなかった。
2階の、彼女の部屋に通される。
週に2、3通はメールのやり取りをしていたが、
顔を合わせるのは1ヵ月ぶりに近かった。
∬ _ゝ )『ナベちゃん、今日ね、卒業式だったの』
从 ー 从『うん。おめでとう姉者ちゃん。大学でも頑張ってね』
ベッドに腰掛け、やや膨らんだ腹を撫でた彼女は隈の残る目を細めた。
思ったより落ち着いている。
-
∬ _ゝ )『……窓開けよう、今日は天気いいよ』
カーテンまで締め切ったせいで薄暗い部屋にたじろぎ、誤魔化すように窓を開けた。
本当だ、いい天気だね。呟く彼女に微笑みかける。
──ああ、このとき窓を開けなければ。
しばらく取り留めのない話をして、ふと会話が途切れた。
少しずつ間が広がっていき、耐えきれなくなりそうになった頃ようやく彼女が口を開いた。
从 ー 从『私ね、産むのも産まないのも、嫌なんだ。……恐いんだ』
∬ _ゝ )『……うん』
从 ー 从『前はね、産みたかった。先生にそう言いたくて、……でも言えなかった』
∬ _ゝ )『うん』
从 ー 从『私ひどいんだ。今は、先生が眠ったままになって良かったって思ってるの。
妊娠したことと産みたいこと、拒絶されたくなかったから』
「でも」。
消え入りそうな声で、続ける。
-
从 ー 从『……ねえ、もし、いつか。私がこのまま赤ちゃん産んで。先生が目覚めて。
もし、子供を連れた私と先生が会ったら。
私、黙っていられるかな』
从 ー 从『この子は先生の子なんだよ。すごく大変だったんだよ。って、
言わないでいられるかな……』
じわじわ彼女の瞳に涙が溜まっていく。
何も言えない。
ざあ、と強い風が吹く。
机の上からいくつもの紙が舞った。
いずれも英文が敷き詰められている。
ああ、まだ、書き続けていたのか。
自分はあの日以降、洋書の翻訳ごっこなんてしていなかった。
元々好きだった小説を書くことすらしなかった。
あの日を迎えるまでは彼女の記す文章をたくさん訳してきたけれど、
きっと今の自分には、彼女が書いたものを解きほぐすことは出来ないだろう。
∬ _ゝ )『……ナベちゃん……』
『──やっぱりあの人なの』
背後から聞こえた声に、はっとして振り向く。
彼女の母親が部屋の入口に立っていた。
-
从; - 从『おかあさ……っ』
彼女が立ち上がる。母親がこちらへ向かってくる。
なに馬鹿なこと言ってるの、一番大変な思いしてるのはこっちなのに。ごめんなさい、でも。
何であんな男なんかに騙されたの、情けない。先生のこと悪く言わないで。
言い合う2人を、おろおろと見つめることしか出来なかった。
彼女が泣き出す。それを見て、ようやく体が動いた。
∬; _ゝ )『あ、あの、ナベちゃんもたくさん悩んで──』
『口を出さないで!』
かっとなってしまっただけだろう、母親に頬を張られ、床に倒れ込んだ。
それが、彼女の方にまで着火してしまった。
从 - 从『姉者ちゃんに何するの!』
親子の言い合いが、掴み合いにまで発展した。
彼女がふらつく。窓辺に寄り掛かる。サッシについた手が滑る。
咄嗟に彼女の肩を掴んでいた母親の手に力が入って。
あ、と。
自分と、彼女と、母親の声が間抜けに重なり。
彼女の姿が視界から消えた。
-
∬; _ゝ )『──!』
硬直する母親を床へ突き飛ばし、窓枠に縋りつく。
音も匂いも何も覚えていない。
覚えていないが。
地面に散った赤色が、まるで花が咲いたようだったのは覚えている。
□
-
ξ;゚⊿゚)ξ「……」
口を押さえる。
今まで集めた花を取り落としそうになって、慌てて持ち直した。
∬´_ゝ`)「私がちゃんと止めてれば。別の話題を続けてれば。
──妊娠したのを告白された日に、怖じ気づかないで一緒に考えてれば」
∬´_ゝ`)「そしたら、あんなことにはならなかった」
姉者の爪が辞書を引っ掻く。
がりがりと跡を残していく。
彼女自身に傷はつかなくても、それは自傷行為なのだろうと思った。
∬´_ゝ`)「それなら結局は、」
ひゅう。吸い込まれた空気が細い喉を通って掠れた音を出す。
∬´_ゝ`)「……私があの子を突き落としたようなものだわ」
.
-
違う──
否定の言葉を投げるのは簡単だ。
簡単だけれど、簡単だから言えない。
ξ;゚⊿゚)ξ「……その人は、その、……死んでしまったんですか」
∬´_ゝ`)「ううん、幸い助かった。……お腹の子は、駄目だったけれど。
退院したあとは家族そろって引っ越していったから、もう話すこともできない」
集めた花を見下ろす。
──姉者の「後悔」を知るためだと、ブーンが言っていた。
ツンの手から花を取り、自分が集めた分と合わせて一まとめにしている彼の顔を見る。
ξ;゚⊿゚)ξ「……友達を助けられなかったのが、姉者さんの後悔ってこと?」
( ^ω^)「いや。たしかに後悔の一つではあるけど──まだ大事なことを話してないお。
核の部分を」
ξ;゚⊿゚)ξ「何で分かるの」
( ^ω^)「分かるんだお」
しかし花が足りない、とブーンが唸る。
大して広くない部屋だ。もう全て探し終えてしまった。
-
ξ;゚⊿゚)ξ「足りないったって」
( ^ω^)「探してない場所はないかお……必ず床から生えてる筈なんだけど」
ξ;゚⊿゚)ξ「見える範囲は全部探した」
( ^ω^)「見えてないとこは探してない?」
ツンの一言に何か得たのか、ブーンがぱちんと指を鳴らした。気障な仕草だ。
やや急ぎ足で姉者のもとへ向かうブーン。
傍らに膝をついた彼を姉者がぼんやりとした目で見上げた。
( ^ω^)「姉者。少し、どいてくれるかお」
窓枠に押しつけられた彼女の肩に優しく触れれば、
彼女はこくんと小さく頷きその身をずらした。
ξ゚⊿゚)ξ「あ……」
──姉者が凭れていた窓辺。
その真下、壁と床の合間から、小さな白い花が生えていた。
-
ブーンが手を伸ばす。
それを見た姉者が、何かを思い出したように瞳に新たな色を宿した。
∬´_ゝ`)「……卒業式の日──」
.
-
□
後輩からもらった花束を抱えて、早足で彼女の家へ向かう。
会いたい。
会わなければいけない。
卒業おめでとう。合格おめでとう。就職おめでとう。おめでとう。おめでとう。
あちこちに降り注ぐ祝福は、一欠片でも彼女に与えられたのだろうか。
春だ。
暖かくて明るくて優しくて、草木や花が伸びゆく春なのだ。
こんなにもめでたい季節に、どうして彼女を忘れていられよう。
-
途中、花屋に寄った。
自身の思う、彼女のイメージに合った色形の花を数種類選ぶ。
花の名前など詳しくない。花言葉も小説のネタとして使う以外は知らない。
ただ綺麗でいい匂いがするものを彼女に渡したかった。
後輩からもらった花と、彼女のために購入した花をそっと鞄にしまう。
おめでとう、なんて、面と向かって言っていいわけがない。彼女の置かれた状況で。
だから黙って花を渡そう。
春のようなあの子に、春が溢れる花を。
凍えるあの子に、暖かい春を。
□
-
ξ゚⊿゚)ξ「……花……」
ブーンが抱えた花。ピンク色。黄色。淡い紫。白。
たった今見えた光景の中、姉者が鞄にしまっていたのと寸分違わぬ組み合わせ。
∬;_ゝ;)「私」
ぽたぽた、赤色の花弁に雫が弾けていく。
∬;_ゝ;)「お花、あげたかったの……」
震える口を両手で押さえ、あどけなさの滲む声で囁いた。
ほろり。瞬きごとに、一滴一滴落ちていく。
-
ξ゚⊿゚)ξ「……渡せなかったんですね」
∬;_ゝ;)「いざ彼女を前にしたら、恥ずかしくなった。
なんて薄っぺらいことをしてるんだろう、自己満足でしかない、無意味だ、って……」
∬;_ゝ;)「私はまた怖じ気づいて、あの子に何もしてやれなかったの」
姉者の「後悔」は、花を渡せなかったこと自体にあるのではない。
花束ひとつ渡す勇気があれば、そもそも彼女と向き合えていた筈だった──
その、己の弱さだ。
∬;_ゝ;)「ごめんなさい、ナベちゃん、ごめんなさい……」
この場にいない彼女へ謝り続ける姉者の目からは涙がどんどん増えていき、
声も震え、ついには何も言えなくなっていた。
わあわあ泣きじゃくり、抱えた辞書の表紙に爪を立てる。
-
『放っておかれても、誰もあなたを無責任な人だとか思ったりしない』──
ツンにくれたあの言葉は、姉者が欲しかったものでもあるのかもしれない。
実際、たしかに姉者には何の責任も無い。
全ては「あの子」と「先生」の過ちによるもの。
だから姉者が責められる謂れなどないだろう。
けれどそういう理屈は分かっていても、気にしないわけがないのだ。
ツンがブーンに任せたまま開き直れなかったように。
( ^ω^)「姉者」
そっと優しい声で名前を呼んで、ブーンが腕を伸ばす。
跪いて花を差し出す姿はまるでプロポーズのようだ。
姉者は涙を流したまま辞書を置き、空いた両手でそれを受け取った。
∬;_ゝ;)
4色を見つめて、抱きしめ、頬を寄せる。
瞬間。
ざあっと、砂山が崩れるように姉者が消えた。
-
ξ゚⊿゚)ξ(あ)
「あの子」への花も、辞書もプリントも、赤い花たちも、外の陽光も消え失せる。
暗い部屋に残ったのは床の上、わたあめのようにふわふわしたパステルカラーが混じり合う丸いものだった。
ブーンがそれを拾い上げる。
ξ;゚⊿゚)ξ「──姉者さんは? なに……消えちゃった……?」
( ^ω^)「本物の姉者は部屋で寝てる。
今まで僕達と話してた姉者なら、これだお」
これ、とわたあめを見せられても。
いや。何なのだ。今さら疑問がぶり返す。何だったのだ。
部屋で寝ているって、ここが彼女の部屋ではないのか。
見回してみてもツンとブーン以外には誰もいない。
ブーンはわたあめを一口分むしると、当然のように口に放った。
食べるのかそれ。大丈夫なのか。
-
( ^ω^)「ええと、ここは何ていうか……内側の世界だお。
部屋の中の、更に内側」
ξ;゚⊿゚)ξ「中の内?」
( ^ω^)「うーん……『内面』と言えばいいかお。
要は、みんなの精神的なものを表した空間」
ファンタジーすぎる。が。
既に散々ファンタジーなものを見せられたせいで、
思いの外「そういうものか」と納得できてしまう自分がいる。
-
( ^ω^)「後悔は部屋に溜まりやすい。
たとえばご飯を食べてるとき。お風呂に入ってるとき。眠るとき。
ふと、その日の失敗や過去の苦い記憶なんかを思い出してしまうものだおね」
ξ゚⊿゚)ξ「……まあね」
( ^ω^)「そういった後悔の念──淀みが溜まり続けると、
その念はついに本人の姿をとる。さっきの姉者がそれだお」
当たり前に過去を語り、表情を変えていた姉者はどこからどう見ても姉者そのものだった。
偽者とは思えないほどに──
いや。偽者でもないか。
いわば姉者から漏れ出た欠片達が集まって、姉者の形をとったに過ぎないのだから。
あれもまた姉者ではあるのだ。
( ^ω^)「この段階まで来ると危険信号。
さらに淀みを集めてしまわない内に、こうやって、ばらして食べてやらなきゃいけない」
話しながらハイペースでわたあめを消費しているため、
既に2ちぎり程度しか残っていない。
姉者の後悔。「あの子」に何もしてやれなかったという思い。淀み。
を、今、こいつが食べているわけだ。
-
ξ゚⊿゚)ξ「……放置して、淀みがもっと増えたらどうなるの?」
( ^ω^)「本人の姿をとった淀みが、耐えきれずに死んでしまう。
──そうして心のどこかも一緒に、腐って死んでしまうお」
ぞっとする。
つまりは後悔の念に悶え苦しみ、限界を超えてどこかがおかしくなってしまうのだろう。
ξ゚⊿゚)ξ「……あなたがそうやって、淀み? を食べてるのは、どういうことなの。
そうすれば姉者さんの悔いは無くなるわけ?」
( ^ω^)「いいや、これぐらいで消せやしないお」
ぱん。空っぽになった両手をブーンが合わせる。
わたあめとは表現したが、実際はもっと違う物体だろう。
わたあめならばどんなに急いでももう少し時間がかかる。
-
( ^ω^)「一時、気が楽になるだけ。
またじわじわと増えたり、あるいは今回のように急激に溜め込んだりすることになる」
ξ゚⊿゚)ξ「……そう」
( ^ω^)「後悔なんて簡単になくならないものだお。
むしろ一生抱えていくことの方が多い。──ほら」
ブーンが部屋の隅を指差す。
今食べたばかりのわたあめ──だが先程のよりもずいぶん小さい──が
逃げるように押入へ入っていくところだった。
( ^ω^)「どうしたって、ああいう食べ残しも出てしまうしね」
立ち上がり、ブーンは和室を出ていった。その背を追う。
玄関から通路へ出ると、夜気に首筋を擽られた。
-
消えもしないし、また悔いが溜まっていくのなら、
淀みを食うことに応急処置以上の意味はないのではないか。
そう思ってブーンを見つめると、彼はその意図を察したのか首を振った。
( ^ω^)「……けど一応、食べることで、少しずつでも薄れさせるくらいは出来るんだお」
どんどん薄くして、小さくして、低くして──
そうしていけば、いずれ乗り越えられるかもしれない。
寄り添っていても苦しくなくなるかもしれない。
あるいは本当に、根元から消せる日が来るかもしれない。
そう言ってブーンは瞳と手のひらに慈愛を込めて、204号室のドアに優しく触れた。
-
( ^ω^)「最終的に悔いをどう処理するかは本人次第だけれど。
途中で挫けてしまわぬように、心が死んでしまわぬように、
僕はみんなの手助けをしたい」
囁くような声だが、その低さゆえ、耳の奥にゆっくりと沈んでいった。
ξ゚⊿゚)ξ「……いつもこんなことしてるの」
( ^ω^)「いつもはもうちょっと楽だお」
普通はもう少しじわじわと溜まっていくものらしい。
だから大抵は成長しきる前にブーンが気付いて食べるのだそうだ。
姉者のアレも、今までのペースとは明らかに違っていたという。
( ^ω^)「ここ数日どんよりしてるなあとは思ってたけど
今夜になって急成長して……本当に危なかった」
ξ゚⊿゚)ξ「……1週間前の、ワカッテマスさん達の喧嘩のせい?」
( ^ω^)「十中八九。やっぱ何かが切っ掛けになって、どかんと来ちゃうこともあるんだお」
鍵束を指先で回し、ブーンが苦笑する。
それから、「あ」と思い出したように声をあげた。
-
( ^ω^)「姉者本人には今夜のこと、言っちゃ駄目だお。
僕がこっそり後悔を食べてるなんて、誰も知らないんだから」
ξ゚⊿゚)ξ「まあ、そうよね」
口振りからして、姉者だけでなく他の住人の後悔も何度か食べているのだろう。
食べられた側にその自覚があったら今ごろ大騒ぎだ。
( ^ω^)「……うーん、喋りすぎた」
聞こえよがしの呟きは、これ以上は説明しないということだろう。
疑問は尽きぬが仕方ない。
──恐らくは、これがブーンの「管理人」としての仕事なのだ。
ブーンはあれで忙しい、という祖父の発言からして大家公認の。
役割分担。
あれがブーンの仕事だというなら、たしかに大変そうだ。精神的にも。
知らなかったとはいえ、自分ばかり忙しいと思っていた己を恥じた。
そして、
( ^ω^)「──さて。ついでだし、ちょっとツンの部屋にもお邪魔するおー」
ξ゚⊿゚)ξ「は?」
今更だが。とても今更だが。
まさか自分も内面とやらに侵入されたことがあるのではと、やっと今、思い至った。
-
引き込まれるなぁ
-
ξ゚⊿゚)ξ「え、待って」
( ^ω^)「お邪魔しますおー」
さっさと203号室の前に移動し、丸い鍵を差し込まれる。
ブーンの腕を掴んで止めようと手を伸ばしたが間に合わず、敢えなくドアは開けられてしまった。
ξ゚⊿゚)ξ「は、え、え? 何これ」
──部屋自体は、不自然に明るいことも暗すぎることもなく。無論、花も無い。
しかし色とりどりのビー玉らしきものがごろごろと大量に転がっていた。
.
-
( ^ω^)「これも後悔の念だお」
ξ゚⊿゚)ξ「姉者さんのと違う」
( ^ω^)「日常的に生まれる些細な後悔は、こんな感じで可愛らしいものなんだおー。
これぐらいのやつなら、放っておけば
忘れたり乗り越えたりして、いずれ消えていくもんだお」
キッチンに散らばるビー玉──食べるのならば飴玉と言った方が的確か──の中から
ブーンが適当にいくつか拾い上げた。
続いて和室へ入る。
畳の上にも、少なくとも20個近くは転がっている。
そこからもブーンは半分程度拾っていき、
更に隣の洋室へ。後はキッチンや和室と同じ流れ。
( ^ω^)「だから本当は、これぐらいのやつは放置するのが丁度いいんだお?
振り返って学習したり反省したりするのも大事なことなんだから」
ξ;゚⊿゚)ξ「なら放っといて!」
( ^ω^)「けど、いくら何でもツンは多すぎる」
だから定期的に片付けてやらなければならない──
溜め息混じりに言ったブーンに、ツンは小刻みに震えながら口を開閉させた。
今しがた、珍しく大きな声を出した自分に少し驚いたせいもある。
-
( ^ω^)「どれを食べて、どれを残すかも結構悩ましいところでね……
大したものでないならいいけど、乗り越えさせた方がいいものを食べちゃうと申し訳なくなる。
しかも食べるまで中身は分からないからますます悩む」
じゃらじゃらと両手に余るほどの飴玉を一旦床に置き、
その中の一粒をブーンがぽいと口に放り込んだ。
( ^ω^)「んー……1週間前に、テレビ台掃除してくれたペニサスに
お礼言いそびれたことまだ気にしてるのかお……」
ξ゚⊿゚)ξ
( ^ω^)「あむ。……可愛いにゃんこのスリッパ欲しかったのに
たまたまワカッテマスと鉢合わせたせいで買えなかった?
買えばいいのに。別に誰も気にしないお」
ξ゚⊿゚)ξ
( ^ω^)「ツンは数が多いから最近胃もたれ気味だお……」
それから更に3粒ほど食べて、残りは後で食べるからとハンカチに包んでポケットへ。
学習と反省をするための分として点々と床に残された飴玉を数えたブーンは、「よし」と頷いた。
何がよしか。
立ち尽くすこちらに振り返り、申し訳なさそうに苦笑する。
-
( ^ω^)「こんな、心を暴かれるような真似、誰だって嫌だおね。
でもやらなきゃいけない仕事であって、僕は割り切ってるつもりだお。
……だから、そんな涙目で睨まないでくれお……」
眺め回されるのは好きだが睨まれるのは好きではない、などと
どうでもよすぎる申告を受けて。
ようやく体が動いたツンは、蹴飛ばす勢いでブーンを部屋から追い出した。
■
-
ξ゚⊿゚)ξ サッ、サッ
朝の6時である。
ツンはアパートのエントランス前に散る花びらや葉っぱなんかを
手早く、かつ丁寧に箒で集めた。
( ^ω^) ジーッ
その隣で建物に凭れている同僚、ブーンは、
ポケットから取り出した桃色の飴玉を目の前に翳している。
手伝えと言う気はない。
口を開けたブーンをすかさず睨みつけてやれば、彼は肩を竦めた。
-
(;^ω^)「食べちゃ駄目かお?」
ξ゚⊿゚)ξ「私が食べる」
(;^ω^)「ツンの後悔をツンが食べても意味ないお」
ξ゚⊿゚)ξ「じゃあせめて私がいないところで食べて」
食べること自体は仕方がない。
そうしなければならないほど失敗や恥の多い自分が悪い。一晩かけてむりやり納得した。
だが目の前で己の後悔を舐め溶かされるのは嫌だ。
( ^ω^)「おーん……。……これ、他のよりちょっと大きいお。
学習のために食べない方がいいかもしれないけど、うーん」
ξ゚⊿゚)ξ「観察するのも駄目」
観察ぐらいはいいだろうとブーンが口を尖らせる。
無視してゴミをちりとりにまとめ──
「おーい」
──ていたら、何やら明るい声が。
発生源はアパートの2階だ。
-
∬´_ゝ`)「おはよ、2人共」
( ^ω^)「おはようおー」
ξ゚⊿゚)ξ「おはようございます」
見上げれば、廊下の窓から姉者が軽く身を乗り出し2人に手を振っていた。
いつもの見知った彼女であることにほっとする。
( ^ω^)「どうしたおー姉者。こんな時間に」
∬´_ゝ`)「んー。最近ちょっとしんどかったんだけどね。
今朝は何か寝覚めが良くて」
頬杖をついて答える姉者の顔は明るい。
ブーンが言っていたように、昨夜の出来事を姉者本人は知らないようだ。
今は一時、楽になっているだけ。
日毎にまた少しずつ後悔は溜まっていくし、今回のように一気に来てしまうこともあるかもしれない。
彼女を見上げていたら色々と思うところがあって、勢いのままに口を動かしてしまった。
-
ξ゚⊿゚)ξ「姉者さん」
∬´_ゝ`)「ん、なあに?」
ほんの少し声を張った呼び掛けに、彼女が小首を傾げて答える。
怯む気持ちを箒を握りしめることで抑えた。
ξ゚⊿゚)ξ「昨日、掃除手伝ってくれてありがとうございました」
∬´_ゝ`)「ふふ、来月分のお家賃まけてね」
ξ゚⊿゚)ξ「それは私の権限じゃ何とも。
……それと、えっと、1ヵ月前のことも。ありがとうございました」
∬´_ゝ`)「へ? ごめん、何だっけ」
ξ゚⊿゚)ξ「私は私の仕事をすればいいって言ってくれて。
──あれで、気が楽になりました」
だから、ありがとうございます。
何とか言い切って、目を逸らす。
数秒。誰も喋らない。やめとけば良かっただろうか。
後悔しかけて首を振る。
改めて姉者を見上げると、彼女は照れ臭そうに顔を赤くして笑っていた。
-
( ^ω^)「あ」
ブーンに視線をやる。と同時、彼が持っていた飴玉が、ぱっと消えた。
飴玉一個分ほどささやかに、ツンの心のどこかが軽くなる。
──ブーンに知られかねない恥を一個消せるかもしれないと思ったのと、
己の無力を嘆いていた姉者に、ツンのように救われた人間がいるのだと知ってもらえれば
少しくらいは悔いを薄めてやれるのではないかと思ったのと。そういう、あれで。
つまりは一石二鳥、利害の一致ということで行動したまでだ。
それだけだ。
だから別に。姉者の笑顔を見て嬉しく思ったりなんか、していない。
■
-
日射しは日に日に強くなり、季節が一個、次へと転がる。
(;<●><●>)「あっっっつ」
1階、エントランスホール。
ぐったりとソファに凭れたワカッテマスが、首に掛けたタオルで汗を拭いながら
ぱたぱたとうちわを扇いでいる。
首を振る扇風機が定期的に彼の方を向くが、あまり効果はなさそうだ。
-
(;<●><●>)「照山さん、もっとパワーのある扇風機買いましょうよ」
∬´_ゝ`)「私エアコンがいい」
ξ゚⊿゚)ξ「考えておきます」
( ´ω`) アツーイ
扇風機の前を陣取る姉者とブーンも生気が溶け落ちるほどの気温。
暑さには強い方であるツンも、この中で掃除機を引いて歩き回るのはなかなか辛い。
/ ,' 3 ズズー
しかしこの、涼しい顔で麦茶を飲みながら囲碁番組を眺めているような祖父から
扇風機あるいはエアコンの購入許可をもらえるだろうか。
数学と英語の課題を前にするペニサスが、申し訳なさそうにワカッテマス達を見た。
-
('、`;川「ごめんなさいワカ先生、姉者さん。
私の部屋か先生達の部屋で勉強教われれば良かったんですけど……」
∬´_ゝ`)「いいのいいの、あの兄貴が許さないでしょ。狭い部屋で個別指導とか。しかもセンセーいるし」
( <●><●>)「図書館行きません?」
∬´_ゝ`)「大人がペニサスちゃん連れ回すのも嫌がるわよ。しかもセンセーいるし」
( <●><●>)「あーあ! あいつ死なねえかな!」
-
──と、いい大人達が揃って茹だっていると。
(,,゚Д゚)「いやマジで凄いらしいんすよ、ハッカ油っての。めっちゃ涼しいんですって」
川 ゚ -゚)「でも発火油って名前からして物凄く暑そうだぞ?」
(,,゚Д゚)「そこなんすよねえ」
( <●><●>)「脳味噌がバターで出来てそうな会話やめろ」
美布ハイツが誇る稀代の馬鹿ども、
301号室の羽生ギコと304号室の素直クールが
神妙な面で話し合いながら階段を下りてきた。
-
■ 夏の浴室 ■
-
今日はここまで
-
乙 雰囲気くそ好きだわ
続き楽しみにしてる
-
これ良い
-
8月。真夏だ。
各自の部屋にはエアコンが取りつけてあるものの、
1階の共有スペースであるホールと食堂は扇風機しか置いていない。
にもかかわらず、今年の最高気温を記録した本日、
ほとんどの住人がホールに集結するという悲劇が巻き起こっていた。
(;´ω`)「あづうーいー」
ξ゚⊿゚)ξ「部屋に戻れば?」
(;´ω`)「みんなここにいるのに仲間はずれなんてやだお」
ツンは例によって掃除のため。ブーンは寂しいため。
/ ,' 3「いご」
祖父は大きなテレビで好きな番組を見るため。
-
('、`*川「これでいいですか?」
ペニサスは夏休みの課題で解けないところを教わるためで、
∬´_ゝ`)「よしよし、文法のミス減ってるわね」
( <●><●>)「そろそろ数学もやりましょう伊藤」
('、`*川「そうですね、英語は一区切りついたし……」
姉者とワカッテマスはそれぞれ英語と数学をペニサスに教えるためだ。
川 ゚ -゚)「センセー、アイス買ってきたぞ!」
(,,゚Д゚)「コーヒーも買ってきました!」
( <●><●>)「ご苦労」
そして馬鹿2人──クールとギコは先程コンビニに出掛けようと3階から下りてきて、
そのついでにワカッテマスにパシられた。
各々の目的により、こうして美布ハイツの住人ほぼ全員が揃うに至ったわけである。
この場にいないのは1人だけ。
-
川 ゚ -゚)「ペニちゃんえらいなあ。夏休みの宿題ちゃんとやって。
私なんか高校のとき、答え丸写しにしてたぞ」
( <●><●>)「出ましたよ馬鹿の常套手段」
川 ゚ -゚)「でもな、『途中式省略』の意味が分からなくてそのまま書いて提出したら
一瞬でバレてしこたま怒られたんだ」
( <●><●>)「一歩先行く馬鹿だな」
カップアイスの蓋を剥がしながら話しているのは304号室の住人、素直クール。
ツンとあまり歳は変わらない筈だが、度々、こう、間の抜けた言動をとるので
どうにも彼女をいっぱしの成人女性として見ている者がいない気がする。
近所の会社で事務員をしているらしいが、ちゃんと働けているのか不安に思わないでもない。
-
(,,゚Д゚)「ていうか今の内から宿題やってるだけでもうめちゃくちゃ偉くないすか?」
∬´_ゝ`)「あー、最終日に焦るタイプだ。そんな感じするわギコ君」
(,,゚Д゚)「いや、夏休み明けるまで宿題の存在忘れてました」
∬´_ゝ`)「ごめんちょっと引く」
(;,゚Д゚)「そんなあ。あ、ねえツンさんもアイス食べましょうよ! 休憩休憩!」
ξ゚⊿゚)ξ「はあ。……ありがとうございます」
棒つきアイスの袋を振り回してツンを誘ったのは301号室の羽生ギコ。
こちらは19歳で、美布ハイツではペニサスに次いで若い。
田舎から単身上京してきたらしい。
ギコからアイスを受け取り、ツンもソファに座った。
-
( <●><●>)「他の課題もちゃんとやっていますか伊藤。
去年みたいに君の兄貴が勝手にやってはいませんか」
('、`*川「大丈夫です、机にしまってるので……」
( <●><●>)「ならいいですが。──……それにしても暑い」
川 ゚ -゚)「センセー汗っかきだな」
既に意味をなしていなさそうなタオルで顔を押さえるワカッテマスに、何気なくクールが言う。
それを聞いてツンはTシャツの襟を軽く引っ張った。
ずっと動き回っていたのでこちらも随分と汗をかいてしまった。
ξ゚⊿゚)ξ(……夏だなあ)
(;´ω`) アツーイ
外から聞こえる蝉時雨に耳を傾けつつ、アイスに舌を押し当てた。
.
-
──日が沈みかけ、暑さがいくらか緩んできた頃。
ξ゚⊿゚)ξ(どうしてこうなった)
そこにはアパート住人達と共に銭湯へ向かうツンの姿が。
ξ゚⊿゚)ξ(どうしてこうなった)
タオルやら着替えやらシャンプーボトルやらを詰めたトートバッグを見下ろし、
それから前を歩く集団を見遣り、ツンはいくつもの疑問符を浮かべた。
どうしても何も。
∬´_ゝ`)『せっかくだし皆で銭湯行かない?』
と姉者がホールにいた女性陣に声を掛け、
たまには足を伸ばせる風呂に入りたいという欲望に負けたツンも参加することになり、
姉者、クール、ペニサス、ツンの4人が準備を整えたところで
爪'ー`)y‐『人の妹どこに連れてく気だよ』
運悪く仕事帰りだったペニサスの兄、伊藤フォックスに見付かり、
何やかんやのやり取りを経て、
爪'ー`)y‐『……俺も行く』
可能な限り妹を目の届く範囲に置いておきたい病的なシスコンまで加わり、
それなら俺も僕もとギコ、ブーンも手を挙げたので
ここまで来たらということでワカッテマスを姉者が引っ張り、ブーンも祖父を誘って。
ξ゚⊿゚)ξ(何この行列)
現在、9人もの男女がぞろぞろと銭湯へ赴くに至ったわけである。
-
フォックスも加わったことでアパート住人全員が揃っている。
こうして住人達を改めて見てみると、妙な取り合わせだ。
∬´_ゝ`)「みんなで行く形になっちゃったわね」
川 ゚ -゚)「何だ、うちのアパートってみんな仲が良かったんだなあ」
ξ゚⊿゚)ξ「男性陣まともに仲いいのいませんよ」
そもそも女側も姉者が満遍なく付き合っているというだけであって、
姉者を抜いたメンツでは普段から大した交流もない。
このように全員で行動することなど、今後あるかないかだろう。
ξ゚⊿゚)ξ(学校の行事以外でこんな人数の団体行動したことない……)
──美布ハイツは緩やかな坂の途中にある。
桜並木に挟まれた坂は、今の季節には青々とした緑葉が陰を落としているため些か涼しい。
この坂を下りきって、少し歩いた先に目的の銭湯があるのだ。
休憩所や食事どころが備わった、いわゆるスーパー銭湯というやつ。
そこへ向かうべく、10人近い男女が各々バッグだったり大胆にもタオルで包んだだけの着替えだったりを抱え
大雑把に2人並ぶ形で列を作っているので、傍目にはやや目立つ。
-
/ ,' 3「おふろ」
ξ゚⊿゚)ξ「おじいちゃん、のぼせないでね」
/ ,' 3「大丈夫、大丈夫」
祖父は全体的にのんびりした人だが、足腰は強い方だ。
逆に言えば足腰は強い方だが元来のんびりしているせいで所作が鈍い。
ので、こうやって列になって歩くといつの間にか最後尾にいるし、距離も開く。
もしものときのため、ツンも祖父に合わせてゆっくり歩いた。
賑やかなのが楽しいのだろう。祖父はにこにこしている。
/ ,' 3「ブーンの仕事、見ちまったの」
ξ゚⊿゚)ξ「え」
急に問い掛けられて、詰まった。
ブーンの仕事──喧嘩の仲裁とか、そっちの方ではないだろう。
人の「後悔」を食べる仕事。
やはり祖父はそのことを承知しているらしい。
-
──姉者の後悔を食した春の日以降、ブーンはツンの前でその仕事を隠すのをやめた。
基本的には皆が寝静まった夜に行っているようだが、
平日の昼など、ほとんどの住人が留守にする時間帯にも時々やっているようだ。
たとえばツンがホールで休憩していたときに、例の丸い鍵でランドリールームに入るブーンを見た。
胃もたれしたと腹を摩っている日もあるので、ツンの後悔も定期的に片付けてくれているのだろう。
たまにすっきりしたような気持ちで目覚める日があるし。
1ヵ月ほどは恥ずかしさで居た堪れなかったが、最近はもう開き直っている。
ξ゚⊿゚)ξ「……うん」
/ ,' 3「あれも、大事な仕事。
みんな知らんだけで、どこのアパートやマンションでも、一軒家でも、やってること」
ξ゚⊿゚)ξ「うん……え? そうなの?」
/ ,' 3「うん」
そうなのか。そうなのか?
祖父の顔を凝視しても、嘘をついているようには見えない。
ξ;゚⊿゚)ξ(ええ……?)
そんなの聞いたことがないのだが。
-
でもたしかに。前回思ったように、こんな事実が住人達に──世間に広まれば
世の中は大変な騒ぎになるだろう。だから秘密は厳重に保持される筈だ。
ならばツンが知らなかったのも当然かもしれない。
しかし。
どこのアパートでもマンションでも、とは。
まあそれはブーンのように、管理人や大家がやっているのかもしれないが──
ξ;゚⊿゚)ξ「一軒家の場合はどうしてるの」
/ ,' 3「ちゃんと、担当する人がな。いるんよ」
ξ;゚⊿゚)ξ(えええ……)
ツンが実家で暮らしていた頃にも、見知らぬ何者かが夜な夜な侵入して
胸に抱えた後悔を食っていたということか。
何というか。それは。嫌だなあ。と思う。
/ ,' 3「……そういう人達の中で、ブーンは
あんま、上手な方じゃないみたい」
一歩一歩、ゆっくり進みながら、祖父は言った。
-
ξ゚⊿゚)ξ「……そうなの?」
/ ,' 3「うん。だから。
ブーンが困ってたら、手伝ってあげてな」
歩みに似てゆっくりと発される言葉を受けて、ツンは顔を前に向けた。
( ^ω^)
先頭を歩くブーンは、隣のワカッテマスと何やら話している。
考えてみれば、たしかに──絶対に知られるべきでない筈の仕事を
ツンに見付かっている時点で、あまり腕のいい方ではないのかもしれない。
/ ,' 3「ブーンも辛いでな」
ξ゚⊿゚)ξ「……うん」
あれ以来ツンはブーンの仕事に同行していない。
他人の、一番誰にも知られたくないであろう部位に触れるのは
きっと良くないことだと思うのだ。
でも、あれはある意味、汚れ仕事であって。
様々なリスクがある分、彼にかかる負担も様々で、とても大きなものの筈。
ならば助けを求められれば、手伝うのもやぶさかではない。かもしれない。
-
川 ゚ -゚)「──ちょっと寄っていくな。みんなは先に行っててくれ」
(,,゚Д゚)「あ、俺も俺も!」
途中、薬局の前に差し掛かったところでクールとギコが立ち止まった。
姉者は店の前で2人を待つことにしたようだ。
一方でワカッテマスは2人に構わずさっさと歩いていったし、
ペニサスもフォックスに手を引かれ、名残惜しげに遠ざかっていった。
祖父が立ち止まったので、ツンも足を止める。
∬´_ゝ`)「あら珍しい、ブーンが人を置いていくなんて」
ぽつりと落ちた姉者の呟き通り、ブーンはワカッテマスの隣についたままだった。
こういうとき、ブーンは置いていくよりも待つ方を選ぶのだが。
ξ゚⊿゚)ξ「ワカッテマスさんとフォックスさんが喧嘩しないようにじゃないでしょうか」
ツンが言うと姉者は、ああ、と納得したように頷いてそれ以上言及しなかった。
ワカッテマスとフォックスは相性が悪い。
ξ゚⊿゚)ξ「……」
だがツン自身は、己の発言に納得していなかった。
ワカッテマスに目を向けているブーンを観察する。
──春のあの日。
階段を掃除する姉者を見つめていたブーンの姿を思い出していた。
■
-
入浴の様子は割愛する。好きなように想像していただきたい。
ともあれ無事に銭湯に着き、無事に入浴し、
久しぶりに風呂の中でのんびり手足を伸ばせてツンもご満悦であった。
∬´_ゝ`)「──あら、みんな待っててくれたの」
風呂から上がって。
休憩所を覗き込んだ姉者は、長椅子に座る男5人を見て意外そうな声を出した。
まあ、和気あいあいと待っていた気配はゼロだったが。
-
( <●><●>)「待ってたんじゃなくて馬鹿の対処に困ってたんですよ」
∬´_ゝ`)「あー、やっぱりそっちも」
('、`*川「兄さんごめん、ゆっくりしすぎちゃった」
爪'ー`)y‐「別にいい。帰るぞ」
('、`*川「あ……う、うん」
入口に近い位置にいたフォックスは脇に置かれてある灰皿に煙草を押しつけ、
ペニサスの腕を掴むなり、さっさと歩き出してしまった。
だが手付きは強引なものでなく、腕を引っ張るというより軽く握っているだけに見えた。
もはや無愛想どころの話ではないしペニサスのこととなれば他者(主にワカッテマス)に粗暴な態度をとるが、
ペニサスにだけはとにかく甘い兄である。
兄に付いていきながらもこちらに振り返り、ペニサスが一礼。
('、`*川「ごめんなさい、先に帰ります。楽しかったです」
∬´_ゝ`)「はいはーい」
-
ξ゚⊿゚)ξ(何だかなあ……)
( <●><●>)「もう少し伊藤を放っておいてやれないもんですかね、奴は」
∬´_ゝ`)「それが出来たらペニサスちゃんも苦労しないわ。
──で、」
兄妹の背が見えなくなったタイミングで、姉者が振り返った。
視線の先には休憩所の床に転がる男女。
姉者とワカッテマス、ツンの溜め息が重なる。
:川 ; -;):「しゃぶいいいい風に当たったら死ぬううう」ガタガタ
:(,,;Д;):「凍ってません!? 俺凍ってませあああああ」ブルブルブル
∬´_ゝ`)「この馬鹿達どうしましょ」
( <●><●>)「本当にね」
真夏だというのにがたがた震えるクールとギコを前に、
顔を見合わせもう一度溜め息をついた。
.
-
──簡単に顛末を説明すると、クールとギコが
薬局で購入したハッカ油を風呂上がりの体に塗りつけて自爆したという、ただそれだけの話である。
馬鹿だ。
今日は2人から後悔の飴玉がぽろぽろ零れることだろう。
原液直塗りは危険なので絶対にやめよう。
川 ; -;)「うう、これが発火油……たしかに焼けるようにひりひりする……でも寒い……」
(,,;Д;)「名前は間違ってなかったんすね……また一つ学べましたねクーさん」
川 ; -;)「そうだな、賢くなったぞ」
( <●><●>)「こんなに馬鹿なのに、何でこんなに真っ直ぐ育ったんでしょうね。こいつら」
∬´_ゝ`)「余計なこと知らずに生きてきたから真っ直ぐ育ったんじゃないの」
ともかく休憩所で騒げば迷惑になる。むりやり外に引っ張り出されたギコ達は、
ぶるぶる震えながら帰路についていた。
ワカッテマスと姉者は呆れ顔で彼らを眺め──
( ^ω^)「……」
そんなワカッテマスを、ブーンが不安げに見つめていた。
-
ξ゚⊿゚)ξ(……やっぱり、あの目だ)
姉者の「淀み」を感じ取り心配していた目。
その目が今、ワカッテマスに向けられている。
つまりは──そういうことだ。
でもどうせ、今まで通り1人でやるだろう。
ツンは目を逸らし、生温い夜風に当たりながら歩を進めた。
■
-
それから3日ほど経った。
(;^ω^) ウーン
ξ゚⊿゚)ξ(……駄目だったのかしら)
この3日、ブーンは日がな一日何やら悩み続けている。
考え込むように顔を顰め、時々ワカッテマスを見て、また考え込んで。
明らかに「仕事」が上手く行っていない様子だ。
/ ,' 3『ブーンが困ってたら、手伝ってあげてな』
ぐるぐる、祖父の言葉が頭を回る。
ツンは2階の廊下の真ん中で掃除機のスイッチを切り、
隅っこに座るブーンへ顔を向けた。
──盆の時期であるため、姉者とクール、ギコの3人は今朝、地元へ帰省した。
ワカッテマスも明後日に帰省するそうだ。
だからもしかしたら、それまでに解決した方がいいのかもしれないし。それなら、協力、しないでも。ない。
-
ξ゚⊿゚)ξ「……ブーン」
(;^ω^)「お?」
ξ゚⊿゚)ξ「何か、困ってる? なら、あの? 何か?」
(;^ω^)「ごめん、もうちょっと疑問符減らして話してくれお」
軽く死にたくなった。
どうしてこう、相談しろの一言が出ないのだ。
掃除機の持ち手を握り締めて深呼吸。
目を閉じて、一拍おいてから瞼を持ち上げた。
ξ゚⊿゚)ξ「……何か手伝うことある?」
( ^ω^)「……お?」
言えた。
-
ξ゚⊿゚)ξ「手伝えるなら、まあ、やぶさかではないから。
別に──代わりに掃除手伝えとか、言わないし」
( ^ω^)「?」
ξ゚⊿゚)ξ「その。私も管理人だし。住人にはいい気持ちで暮らしてもらわないと。
何かあったらおじいちゃんが損するかもしれないし。そしたらこっちにまで影響あるし。
だから」
何を言っているのだと我ながら呆れた。
これは余計に恥ずかしい気がする。
えっと、と言い淀む。
しかしブーンはツンの言いたいことを正しく理解してくれたらしく、
ちょっと笑って、自分の隣を叩いた。
掃除機の持ち手を床に下ろし、ブーンの隣にしゃがむ。
-
( ^ω^)「──日常的な後悔は飴玉みたいな可愛い形をしてるって、前に説明したおね?」
ξ゚⊿゚)ξ「……うん」
その話し始めに、少しほっとした。
やはり「仕事」のことで悩んでいたらしい。違っていたらどうしようかと思った。
( ^ω^)「一方で、根深いものは綿飴のようだったのを覚えてるかお?」
ξ゚⊿゚)ξ「うん」
飴玉、わたあめ。ツンが内心で勝手にそう呼んでいただけだが、
ブーンも同様に表現していたので、やはりその印象で間違っていないようだ。
( ^ω^)「ああいう風にふわふわしてるから、掴みにくいんだお。
しかも一つ一つが埃のように小さいから、ますます捕まえづらい」
( ^ω^)「そうして捕まらずに放置された綿飴たちがどんどん増えていくと、
やがて集まりだし、ぎゅっと固まって──」
ξ゚⊿゚)ξ「人の形をとる?」
( ^ω^)「そういうこと。この間の姉者のようにね」
-
ξ゚⊿゚)ξ「あの状態になると危険なのよね」
( ^ω^)「そう。でも『核』……『最も悔いている部分』を暴いてやれば、
形を保てなくなり一時的にふわふわの固まりに戻る。
──そこを捕まえて、僕が食べる……ってわけだお」
それは分かったが、なぜ今その話を?
相談事への前ふりならいいけれど、はぐらかすためならば嫌だ。
とりあえずおとなしく聞いておく。
( ^ω^)「ツンも見た通り、淀みが人の形をとるほど肥大すると
内面世界もその念に合わせた状態に変わってしまうお」
ξ゚⊿゚)ξ「姉者さんの部屋に花が咲いてたみたいにね」
( ^ω^)「うん。で、大抵『核』へ辿り着くための記憶──
『ヒント』がどこかにあるんだお。
その場所において、分かりやすい違和感として」
それはたとえば無数の赤い花の中、隠れるように咲いていた異色の花のように。
-
( ^ω^)「それでワカッテマスの『内面』でも違和感を見付けるところまでは行ったんだけど、
……あ、ごめん僕いまワカッテマスのことで悩んでて、」
ξ゚⊿゚)ξ「うん、やたらワカッテマスさんのこと見てたから、そうなんだろうなと思ってた」
(;^ω^)「おーん……」
そんなにバレバレか、とブーンが呟く。
そんなにバレバレだ。
(;^ω^)「……ともかく、『ヒント』は見付けられたけど……
僕にはどうしようもなくて、参ってるんだお。
初めて見る後悔だったから何も分からないし」
ξ゚⊿゚)ξ「へえ……」
(;^ω^)「ワカッテマスも明後日には帰省するって言ってたおね。
だからその間に時間かけて頑張ろうかと思ってたんだけども」
そこで一度区切り、ブーンはツンを見た。
申し訳なさそうな、けれど期待するような目だった。
( ^ω^)「……もしかしたらツンには出来るかもしれないお」
■
-
ξ゚⊿゚)ξ「……入っていいのかな」
( ^ω^)「……いいとは言えないおねー」
深夜。アパートの3階。
303号室、ワカッテマスの部屋の前で2人は小声を交わした。
手伝ってやろうとは思ったものの、やはり他人の内面、後悔を覗き見るのは気が引ける。
( ^ω^)「僕が不甲斐ないせいだお。……君にもワカッテマスにも、申し訳ない」
ξ゚⊿゚)ξ「……やんなきゃいけないんだし、しょうがないでしょ。入ろう」
しょぼくれられると、後込みする自分こそ不甲斐ないような気分になるではないか。
覚悟を決めてブーンを促すと、彼はごめんと呟き、あの丸い鍵を差し込んだ。
こきん。
.
-
──室内は前回同様、明るかった。
だが前回よりはいくらか落ち着いた明るさで、赤みもある。
日が暮れ始めた頃か。
足を踏み入れた瞬間むっとした熱気に包まれた。
かなかな、ヒグラシの鳴き声も。
ξ゚⊿゚)ξ「夕方っぽい」
( ^ω^)「そんなとこだろうお」
目に入る限りの引き戸や窓は開け放されている。
まだ赤みを帯び始めた程度の夕日が見えた。だが街の風景などは
姉者のときと同じように、ぼんやりしていた。
今回もブーンは靴を履いたまま部屋に上がった。
そのまま迷いなく洋室に向かう。
-
洋室には黒い机と本棚が置かれており、
机上にも棚にも大量の本があって、床にまで本やファイルが散乱していた。
ブーンは床にあるそれらに目もくれず、真っ直ぐ本棚を目指すと
数学の教科書と教科書の間からはみ出していた紙を引き抜いた。
それを見た瞬間、違和感に胸がざわつく。これが今回の「ヒント」か。
ξ゚⊿゚)ξ「……テスト?」
手書きのテスト──に見える。
計算問題が5つほど。
問題文から解答欄の枠に至るまで手書きである。
妙に歪んでいるというか乱れていて、判読しづらい箇所もいくつかあった。
( ^ω^)「多分これを解けば『核』に近付けるんだろうけど、
3問目あたりから分からなくて……」
ξ゚⊿゚)ξ「計算苦手なの」
( ´ω`)「そうなんだお」
これで悩んでいたのか。
まあ苦手な人はとことん苦手な類のものだろう。
-
ξ゚⊿゚)ξ「私も得意なわけじゃないけど……やってみる」
(*^ω^)「本当かお!」
ぱっと見、単純な計算問題という印象を受けた。
たしかに3問目から少し複雑になっているようだが。
(*^ω^)「それなら早速行くお」
ξ゚⊿゚)ξ「どこに」
(*^ω^)「ワカッテマスのとこ」
そういえばワカッテマスが見当たらない。
どの引き戸も──押し入れすらも開いているのに。
ブーンは机上から鉛筆と消しゴムを取るとキッチンへ出た。
ツンもそれに続いて、「ああ」と得心する。
室内で唯一閉まっているドアがあった。
ひどく狭い脱衣所の先──浴室。
そこにいるのだろう。
.
-
( <●><●>)「何です、2人して」
案の定。
浴室のドアを開けると、湯が張られた狭いバスタブの中に
服を着たままのワカッテマスが座っていた。
裸でなくて良かった。
浴室の壁には知育グッズであろう、九九の表やアルファベットのシート、日本地図、
世界の国旗表まで貼られている。
いずれも子供向けだ。
ワカッテマスはブーンの手にあるテストを見付け、片眉を上げた。
-
( <●><●>)「テストを受けに来たんですか?」
( ^ω^)「そうだお」
ブーンが洗い場に座ったので、ツンも仕方なく腰を下ろした。
ぎゅうぎゅう詰めだ。暑い。湿気もあって、放っておいても汗が滲む。
床や壁は濡れていないようだ。
これで服を濡らされていたら、不快さに耐えきれず逃げていたかもしれない。
ちゃぷん。水面から両手を出したワカッテマスが、手を叩いた。
( <●><●>)「それでは今から一時間。始め」
同時にテストと鉛筆を差し出すブーン。
それらを受け取り、ツンは首を傾げた。
-
ξ゚⊿゚)ξ「時間制限あるのね」
(;´ω`)「そうなんだお……一時間経つと何も反応してくれなくなるお。
それでここ3日、時間切れの度に部屋を出るしかなくて……」
ξ゚⊿゚)ξ「一晩に一回しか挑戦できないの?」
(;´ω`)「たぶん回数には制限が無い筈だお。
でもほら、一晩に何回も部屋出入りしてたら、誰かに見付かりそうで」
ξ゚⊿゚)ξ「ああ……」
昼間の発言を理解する。
ワカッテマスの帰省云々といった言葉だ。
住人がごっそりいなくなる隙に、何度も挑戦するつもりだったのだろう。
──1問目は図形の問題だった。
長方形をいくつかくっつけたような図形の内、一ヶ所だけ色の付いた部分の面積を求めるもので、
先に全体の面積を割り出せば後は簡単に答えが出た。
ξ゚⊿゚)ξ「これで合ってる?」
( ^ω^)「合ってるお」
壁を下敷き代わりにして、答えを書き込む。
書き終えると同時に軽い目眩。──ああ、来た。
.
-
□
(*‘ω‘ *)『お前は名前の割に勉強が出来ないっぽね……』
(#<●><●>)『うるせーババア』
(*‘ω‘ *)『口まで悪い』
脳天にげんこつ。
ふざけんなイテーよババアと喚くと、もう一発喰らった。
日に日に暑さが増していく7月下旬。
汗ひとつかかず、しゃんと背を伸ばし正座する祖母の姿が
やけに暑苦しく──威圧的に見えて、目を逸らした。
向かい合う2人の間には、夏休みの宿題として小学校から配布された計算ドリル。
祖母に採点された1ページ目は1問目以外すべて不正解だった。
-
( ><)『勉強できなくてもいいんです、元気でいてくれるなら』
(*‘ω‘ *)『黙れ』
( ><)『ごめんなさい』
斜め後ろの卓袱台でうちわを扇ぎながら笑った祖父は
即座に祖母から睨まれ沈黙した。
はあ、と祖母が溜め息。
(*‘ω‘ *)『別に勉強が得意でなくてもいいから、せめて基本くらいは覚える努力をするっぽ。
それより何よりまず礼儀も』
言って、去年の春に定年退職したという元中学校教師の彼女は額を押さえた。
(*‘ω‘ *)『──はっきり言うと、親の育て方が悪かったっぽね。
まあその片方を育てたのが私達なわけだから、私達も悪かったということだけど……』
親を馬鹿にされた気がして祖母を睨むと、彼女はこちらの顔を見て
感心したように笑った。
(*‘ω‘ *)『……育て方は下手だけど、お前のことを大事にしてるのだから決して悪い親じゃないっぽ。
親を貶されるのを嫌がるくらいには、お前もあいつらを愛しているのだし』
( <●><●>)『……何言ってんのか分かんねーぞクソババア』
(*‘ω‘ *)『躾け直しが有効ということだっぽクソガキ』
あんたも口悪いじゃん。そう言ってやれば、
悪い言葉しか出せないのと悪い言葉も出せるのとでは訳が違うと返された。
-
──「夏休みの間、隣町のおじいちゃんの家に行っておいで」。
息子のわんぱくぶりに手を焼いた両親にそう言われた。
年中忙しくしている親なので、息子が1人きりになる時間が増えるのを危ぶんだのだろう。
実際、前回の春休みに友達と無茶な遊びをして大怪我をしたし、
その前の冬休みでは自由研究と称して好き勝手やって家具を壊した。毎年何かしらやらかしている。
祖父母の家に預けられるのは正直に言って不服だ。
大した距離ではないから友達と遊ぶことは出来るが、祖母が厳しい人なので勝手が出来なくなる。
(*‘ω‘ *)『じいちゃんと風呂に入っておいで。それから夕飯にするっぽ』
夕方。祖母から指示を受けて。
祖父と共に風呂場へ行って、唖然とした。
浴室の壁に九九の表が貼ってあったのだ。
( ><)『おばあちゃんが用意してくれたんですよ』
(#<●><●>)『もう4年生だぞ俺! 馬鹿にすんな!』
( ><)『8×7は?』
( <●><●>)『え、……。……。……55』
( ><)『お勉強するんです』
入浴を済ませて夕飯を食べた後。
冷凍庫からアイスクリームをちらりと見せた祖母が、
卓袱台の上にチラシを置いた。
チラシの裏に、整った文字で問題が書かれている。
九九を全て答えよ。
-
( <●><●>)『何これ』
(*‘ω‘ *)『確認テストだっぽ。
正解できなければアイスはばあちゃんのものになります』
(;<●><●>)『は!? ずるっ!』
(*‘ω‘ *)『何がずるい。風呂場でちゃんと勉強してれば出来る問題っぽ。
はい、制限時間は10分。始め』
──果たして10分後、アイスクリームは祖母の手にあった。
(*‘ω‘ *)『8×9は正解なのに9×8で間違えるってどういうこと……』
( ><)『僕のアイス分けてあげるんです』
(*‘ω‘ *)『だめー』
(#<●><●>)『ババア!!!!!』
(*‘ω‘ *)『そんな悪い口にはますますアイスをあげられないっぽね』
(#<●><●>)『……〜〜ご褒美が悪いんだよ。100万円とかくれるんなら俺だって本気出すし!』
( ><)『やっぱり子供なんですねえ……』ホノボノ
(*‘ω‘ *)『100万ねえ。立派な男にならくれてやってもいいけど、こんな悪戯坊主には勿体ないっぽ』
(#<●><●>)『何だとババア!』
□
-
ξ゚⊿゚)ξ「……」
ツンの意識が目の前のテストへ戻る。
姉者のときと違い、随分と色彩の濃い記憶だった。
夏の空のように鮮やかで、溌剌としていた。
( <●><●>)「厳しいけど、茶目っ気のある人でした」
壁の九九を見つめ、ワカッテマスは語る。
( <●><●>)「ちょくちょく手製のテストを出してきて、制限時間内に解ければご褒美だ──という具合で。
こっちも負けず嫌いだったのでね、まんまと乗せられて……
あんなに嫌いだった勉強と毎日一生懸命に向き合ってました」
-
( <●><●>)「さすが元教師といいますか、僕の頭で解けるか解けないかというような
絶妙な問題を持ってくるんで、負け続きでしたけどね」
でも、と。微笑み混じりの声が浴室に響く。
( <●><●>)「初めて全問正解したときにね。ご褒美のスイカを切り分けながら
『お前の頭は悪くないんだから、使わなきゃ勿体ない』って言われて。
嬉しくて、何だか、癪だけど嬉しかったです」
ξ゚⊿゚)ξ「……」
( ^ω^)「ツン、次」
ξ゚⊿゚)ξ「あ、」
つい聞き入っていた。急いで2問目に取り掛かる。
割合の問題だ。
全体の金額の内、何パーセントはいくらだ、というやはり単純なもの。
面積よりも簡単だった。答えは100万円。
つい今しがた少年のワカッテマスが叫んでいたのと同じだ。
幼さゆえに飛び出したであろうあの値段が少し可笑しかった。
-
□
(*‘ω‘ *)『大きくなったっぽねえ』
( <●><●>)『急に何だよ』
(*‘ω‘ *)『重い荷物も任せられるようになったんだなあと』
中学3年の夏休み。
祖母に言いつけられて、本の詰まった重たい段ボールを庭の蔵に運び終えたところ、
感心したようにしみじみ呟かれた。
あれ以来、長期休暇に入ると祖父母の家に預けられるのが恒例となった。
5年生の春には素行もだいぶ大人しくなっていたため、今では
夏休み丸ごとではなく盆の時期まで、といった具合に短縮されてはいるが。
-
( <●><●>)『おかげさまで雑用押しつけられまくってるけどな。おのれババア』
(*‘ω‘ *)『ババア孝行ぐらいするべきだっぽ。
……来年には高校生か……ちゃんと勉強してるっぽ?
あの高校、お前にはちょっと難しいような』
( <●><●>)『余裕』
(*‘ω‘ *)『じゃあテスト』
庭を出て、すぐ近くの縁側に並んで腰掛ける。
背後の部屋では祖父が間抜け面で昼寝していた。
祖母が懐から出したメモ帳に問題を書き付け、こちらへ渡す。
いつの間にやら好きになっていた計算問題だった。
(*‘ω‘ *)『制限時間は3時間。解けたら今晩は冷房の利いた部屋ですき焼きにしてやるっぽ』
(;<●><●>)『3時間って』
時間設定が甘いと思わせないのが祖母である。
つまりはそれくらい時間をかけないと、自分に解けるかどうか怪しい難問ということだ。
しかしすき焼き。頑張らねば。
昼に素麺を出され、夜は程々に栄養に気を遣った地味な料理を出される日々。
男子中学生は肉が欲しい。
-
(;<●><●>) グヌヌ
──メモ帳と向かい合って、既に一時間が経つ。
辺りには計算式を書き殴ったメモ用紙が散乱しているが、
いずれも途中で間違いに気付くか停滞するかで、答えには至っていない。
元から汗っかきな体質な上、
じりじりと陽光に焼かれながら頭を酷使しているせいで汗がひどい。
Tシャツのあちこちに染みが出来ている。
途中で祖母に差し出された麦茶は溶けた氷で薄まっていた。
脳味噌まで溶けそうだ。
久しぶりに顔を上げたら、頭の熱さを自覚した。途端に頭の中に蒸気が満ちたような気になる。
しばらくシャットアウトしていた蝉の鳴き声がここぞとばかりに耳を刺した。
(;<●><●>)(くっそ)
メモ帳とペンを持って立ち上がる。
適当に家の中をうろうろしながら計算に集中するが、やはり答えは出てこない。
(*‘ω‘ *)『でかい図体でうろうろするなっぽ』
などと言われて掃除中の祖母に箒で尻を叩かれたときは、
式が途中で吹っ飛んだ、行き詰まった顔で何を言う、と軽い言い合いになった。
-
そうして更に一時間半。残り時間30分。
(*‘ω‘ *)『そろそろ夕飯の支度をするっぽ。お風呂に入ってきなさい』
(#<●><●>)『解かせる気なかっただろババア!』
再び縁側で唸っていた自分の頭をぺちぺち叩く祖母に、全力で文句をぶつけた。
メモ帳の紙は全て使い果たしていた。
(*‘ω‘ *)『汗臭い』
(#<●><●>)『うっせ!』
ペンを床に放り、どすどすと床を踏み鳴らして風呂場へ向かう。
脱衣所に入ってから着替えを出し忘れていたことに気付いたが、
すっかり疲れ果てていたので、そのまま服を脱いだ。
夕方と言える時間だが、季節がら日が長いのと、位置的に西日が入るので
浴室の明かりはつけないままにした。
この光景が割合に好きだ。
煌々とクリーム色の光に満ちた状態で入るのが常なので、
こういう、暗くはないが明るすぎない浴室というのが新鮮である。
-
( <●><●>)「はー……」
頭と体を洗い、浴槽へ。
気持ちがいい。
浴室の壁には小学生以下が対象の知育グッズが貼られている。
九九、地図、国旗、アルファベット。
今の自分には不要なものだが、自分が泊まりに来る度に貼り直しているらしい。嫌がらせか。
( <●><●>)(……昔は九九すら覚束ない馬鹿だったな……)
それが今や校内の成績上位者とは。
湯に浸かりながら、ぼんやりと九九の表を眺める。
何だかんだ、ここで学んだ時間が一番長い。
-
( <●><●>)『……』
(;<●><●>)『……!』
──不意に、ひらめいた。
ここでの記憶を思い返していたら、引っ掛かるものがあったのだ。
勢いよく立ち上がり、浴室へ飛び出して、壁に掛かっているバスタオルを引っ掴む。
体を拭く間も惜しい。雑に拭って、部屋に駆け込み服を着る。
シャツが前後逆になっていたがそのまま廊下へ走った。
縁側に散らかしたままだった紙を掻き集めてペンを握る。
既に書き込んである用紙を裏返して、先ほど思い浮かんだ式を書き殴った。
あれだけ悩んでいたのが嘘のように、すらすらとペンが進む。
(;<●><●>)『あ……!』
そうして存外、短い過程で答えは出た。
時計を見れば残り2分。
メモを握り締めて台所へ駆け込む。
-
(*<●><●>)『出来たぞばあちゃん!』
ネギを切っていた祖母は、作業を一時中断してメモを受け取った。
途中式も確認した上で解答を見て、満足気に頷く。
(*‘ω‘ *)『お風呂はモノ考えるのにいい場所なんだっぽ』
──コンロの上の鍋には既に、すき焼きの割下が用意されていた。
□
-
( <●><●>)「敵わないなと何度も思わされましたね」
──3問目。ブーンはここから駄目だった。
本棚に辞書がx冊うんぬん、という文章問題。xとyの値を求めよ。
駄目だというからどんな難易度なのかと不安だったが
文章の内容を整理し、方程式をいくつか組んでいけば答えは導き出せた。
xが3、yは8。
( <●><●>)「……でも、どんなに強い人でも、『来る』ときは来るんですよね」
.
-
□
(*‘ω‘ *)『……ぽ……』
──ゆっくりと瞼が持ち上がった。
開ききることはなく、細い隙間から探るように動いた瞳がこちらを向く。
(*‘ω‘ *)『ワカッテマス、今年も来たっぽね……久しぶりだっぽ』
( <●><●>)『体の具合はどうですか』
(*‘ω‘ *)『ふ』
( <●><●>)『……なに笑ってるんです』
(*‘ω‘ *)『敬語のワカッテマスが面白い』
( <●><●>)『やかましいぞババア』
高校に入ってから、祖父の口調を真似るようにした。
悪い言葉しか出せないのと悪い言葉も出せるのとでは訳が違う。
その甲斐あって教師からの評判も良く、晴れて希望の大学へ進むことが出来た。
大学一年目の夏だ。
長い夏休みを、最終日まで祖父母の家で過ごすことにした。
──風鈴が鳴る。今年は割合に涼しい。
-
( ><)『あ、起きましたか?』
麦茶の乗った盆を持ってきた祖父が、布団の上の祖母を見てそう言った。
うん、とか細い返事。
( ><)『何か食べますか』
その問いには首を振る。振るというより、軽く揺らす、に近い。
祖父は寂しげに微笑み、うっすらと汗をかいた彼女の首元を拭ってやった。
( ><)『でもワカッテマスがゼリーを買ってきてくれたんですよ』
(*‘ω‘ *)『……驚いた。あの悪ガキが、よく成長したもんだっぽ』
( <●><●>)『おかげさまで』
(*‘ω‘ *)『じゃあ、せっかくだし、食べようか……』
( ><)『今日は元気ですね』
( <●><●>)『……』
-
これで──元気なのか。
去年の夏からすっかり寝付いたものの、春休みにはまだ自力で起き上がれていた彼女が
もはや起き上がることも出来ず、昨日挨拶を交わした孫と今日も同じような会話をするほど
ひどく朦朧としているというのに。
これで、元気なのか。本当に。
( ><)『それじゃあ持ってきますね。ワカッテマス、ばあちゃんを起こしてほしいんです』
( <●><●>)『はい』
慎重に背中へ手を回し、ゆっくり起き上がらせる。
こんな動作一つにも、ふ、と息を詰めて力を込める祖母の姿に胸が痛む。
(*‘ω‘ *)『……テスト……』
( <●><●>)『はい?』
出し抜けに零れ落ちた単語。
去年から、彼女の口からは聞かなくなっていたものだった。
-
(*‘ω‘ *)『じいちゃんに、テスト、預けてあるっぽ』
( <●><●>)『……うん』
(*‘ω‘ *)『制限時間は無いから、ゆっくり解くといいっぽ。
……ちゃんと、ご褒美もあるから』
そうして祖母は碌に力の入らないであろう腕を無理に持ち上げ、
すっかり細く、小さくなった手で頭を撫でた。
(*‘ω‘ *)『お前は頭がいいから、出来るっぽ』
その一月後に祖母は息を引き取った。
祖父や両親と一緒に看取ることが出来て良かったと思う。
祖母は微笑んで静かに逝った。人の最期としては、幸せな部類だったろう。
-
( ><)『これ、ばあちゃんから預かってたんです』
葬式が終わった後に祖父から封筒をもらった。
祖母のかつての教え子や旧友が大勢来たため忙しく、今になるまで渡せなかったそうだ。
泊まりに来る度にあてがわれていた奥の部屋に移動し、
1人で封筒の中身を見た。
( <●><●>)『……』
いつも整っていた筈の字は、ひどく震え、乱れていた。
漢字もいくつか間違えている。
計算問題5問。
試験のときには先に問題文を全て確認する癖が身についていたが、
こればかりは、一問一問を順に相手することにした。
□
-
( <●><●>)「あの人が作ったにしては易しすぎました。
複雑な問題を作るのすら困難になっていたのかと思うと、悲しかった」
4問目。穴埋め問題。
ずらずらと長たらしい数式が並んでいる。
う、と一度は狼狽えたが、式を丁寧に読んでいくと、
それらしき数字をしらみ潰しに嵌め込んで確認していけば
時間は掛かるが不可能ではなさそうだと気付いた。
( ^ω^)「どうだお?」
ξ゚⊿゚)ξ「できそう」
(*^ω^)「すごいお……!」
ξ゚⊿゚)ξ「そこまで感心されると嫌味っぽい」
少し時間をとったものの、無事に答えが出る。
2、7、6。
ワカッテマスの口元が、自嘲気味に歪んだ。
( <●><●>)「──でもやっぱり、どれだけ老いようともあの人は変わっていなかったんです」
.
-
□
(;<●><●>)『……』
残すところあと一問。
たった一問なのに。
──紙を伏せ、溜め息。
(;<●><●>)『最後の最後にあのババア』
簡単な問題で油断させておいて、最後に難問を持ってくるとは。
-
そういえば、制限時間は無しと言っていた。
まさか一生かける可能性があるほどの問題なのだろうか。
だとすると流石に彼女1人で思いつくようなものではないだろうし、
何かしらの本などから持ってきた筈だ。
ならばその気になれば答えを調べられそうな。無論、そんな真似をする気はないが。
( <●><●>)(……でもそこまで強烈な問題にも見えない)
たしかに難しいし、現に行き詰まってはいるが
不可能にも思えないのだ。
ならば何故、制限時間を設けなかった?
単に時間を数える者がいなくなるから?
しかしそれなら祖父にカウントを任せれば済む話。
(;<●><●>)『……あ〜もう!』
計算以外のことで悩まされるのが一番嫌だ。集中できなくなる。
──何か飲もう。
立ち上がり、台所へ向かった。
-
( <●><●>)『麦茶しかねえ……』
糖分が欲しい。
麦茶をグラスに注ぎ、何かお菓子はないかと戸棚を漁っていると
ガラス戸越しに、隣の居間から祖父と母親の会話が聞こえてきた。
『──やっぱりお金減ってない? 前に確認したときはもうちょっと……』
『前にばあちゃんから色々頼まれて、僕が使いましたから』
『こんなに減る?』
『減りましたねえ』
『まあ変なことに使ったわけじゃないならいいけどさ』
( <●><●>)(ふうん……)
どうも、祖母の貯金が不自然に減っていたらしい。
元がそう大きな金額だったわけではないため、そのぶん目立ったので気になったのだろう。
自分には関係のないことだ。
見付けたどら焼きを食べ、麦茶を飲み、ぷは、と大きく息をつく。
次に息を吸ったとき、汗の臭いが鼻についた。
( <●><●>)(ああ、汗かいてたか)
5問目に集中していたため気付かなかった。
古い扇風機は風が弱いのであまり利かない。
途端に肌がべたべたしているのが不快になって、部屋へ戻るため踵を返した。
(*‘ω‘ *)『お風呂はモノ考えるのにいい場所なんだっぽ』
何年も前の、祖母の声が蘇る。
( <●><●>)(……風呂入ったら、何かひらめくかな)
-
──湯に浸かると、ずっと机に向かって硬くなった体がほぐれるような心持ち。
( <●><●>)『……あー……』
西日があるので今日も電気はつけていない。
かなかな。曇りガラスの窓の外からヒグラシの鳴き声が聞こえる。
夏だ。
( <●><●>)『……何でまだ貼るかな……』
相変わらず壁には九九だの地図だのが貼ってある。
いつもは長期休みの度に祖母が貼っていたらしいが、去年からは祖父が貼っている。
九九を睨みながら例の5問目を思い返した。
しかしいくら考えても何もひらめかない。
(#<●><●>)『……くそばばあめ』
最後にあんなものを残しやがって。
解けなければ、いつまでも振り切れないではないか。
すっきりした気持ちで偲んでやれないではないか。
-
(#<●><●>)『くっそ、分かんねえ』
水面に顔をつける。息を止めて、5秒、10秒。
1問目から4問目までは本当に簡単だった。
不自然すぎるほど。
たしか1問目は図形問題で──
( <●><●>)『……あ?』
顔を上げる。ぼたぼたと顔面から水を垂らしながら壁を見つめた。
1問目、面積を求める図形。
あの形──
( <●><●>)(……庭の蔵に似てる)
蔵の内部を上から見て、図面にすればあのような形にならないだろうか。
なる。絶対になる。
-
身近なものを問題に使用したのか?
他の問題にも何か使われているのかもしれない。
2問目は何だったか。金額の計算だ。答えは、
( <●><●>)(100万円?)
『やっぱりお金減ってない?』──
つい先程の母の声を思い出し、心臓が強く跳ねた。
-
(;<●><●>)
3問目は? 「本棚の中に辞書が」。
本棚。──本棚の中。
風呂から上がり、思考をまとめられぬまま服を着て
以前まで祖母が寝かされていた部屋に向かう。
本棚は一つだ。ここに収まりきらない本は蔵か古本屋に行った。
3問目の答えは、xが3、yが8だ。何の数字だ?
問題文には辞書という単語があったが、見たところ辞書の類は置かれていない。
3、8。3。8。
(;<●><●>)(3段目の8冊目!)
3段目は上から数えるのだろうが、8冊目は右と左どちらから数えた場合だ。
少し迷ったが、いざ3段目を見るとそこだけ不自然に隙間が多く、本が15冊しか入っていなかった。
15冊。右から数えようが左から数えようが8番目は同じ本だ。
-
法律関係の本だった。これが何だというのだろう。
栞など挟まっていないし、これといって開きぐせもついていない。
タイトルを見ても、ぴんと来るものはない。
4問目がヒントか? 4問目の答えは──2と7と6。
(;<●><●>)(……276ページ……)
急ぐあまり乱暴に扱ってしまいそうになるのを抑え、目的のページを開く。
──遺産について。
目に飛び込んできた見出しに、また心臓が跳ねた。
遺産という単語に、弱々しく下線が引いてある。
本文の内容はワカッテマスも知っていることだし、特に書き込みもない。
大事なのは遺産、この単語のみだろう。
-
(;<●><●>)(……100万、円)
『……ちゃんと、ご褒美もあるから』──
ご褒美が、それなのか。100万円。大金だ。
祖父が気付かぬ筈がない。ならば祖父も協力者なのだろう。
そんなの、いいのだろうか。祖父も祖母も了承しているとはいえ。
そりゃあ──欲しい。100万だ。欲しいに決まっている。
向こうがあげたがっていて、こちらも欲しがっているのなら、いいだろう、もう。
部屋からテストを持ってきて、蔵に入る。
問題の図形、色の塗られた部分に相当する場所を探した。
(;<●><●>)『……ここか』
そこには箱が置かれていて、開いてはみたが文庫本が詰まっているのみだ。
まさかこの本が100万円相当? いや、そこらにありふれている本である。
ページをめくったところで紙幣や小切手が挟まっていることもない。
-
ただの考えすぎなのかと冷静になりかけつつ、箱をずらす。
(;<●><●>)『あ……!』
──床板の一部が微妙に浮いていた。
どくどく、鼓動が早まる。指を引っ掛けて持ち上げる。
そこに、ブリキの箱があった。
両手で簡単に持てる程度の大きさだ。あまり重くない。
揺らすと、揃った紙束が少しバラけて壁にぶつかる感触が伝わってきた。
箱の前面は南京錠により固定されている。
ダイヤル式。数字4ケタ。
ここに入る数字が──
5問目の答え。
□
-
ξ;゚⊿゚)ξ
──ツンは呆然とテストを見下ろした。
動かない手に、ブーンが怪訝な目を向ける。
( ^ω^)「ツン?」
ξ;゚⊿゚)ξ「……無理」
問題を見る前から、もう結果は分かってしまった。
それでも一応、5問目へ視線を動かす。
円に大きさの違う三角形が2つ重なるような図形。
問題文には直線ABがどうの頂点がどうのとごちゃごちゃ書かれており、
2つの直線が示されて、その長さを答えよ、とある。
ぱっと見は複雑なところのない図形だ。
だが、とりあえず出来そうなところから手を出してみても、案の定すぐに止まってしまった。
答えに関係のない場所の長さが分かっても、そこからどうしていいか分からない。
ξ;゚⊿゚)ξ「無理……!」
(;^ω^)「ま、まだ30分あるお!」
ξ;゚⊿゚)ξ「何分あっても無理!」
──だって記憶の中で、大学生とはいえワカッテマスが苦戦していたのだ。
普通の高校で普通に授業を受ける程度にしか数学と触れ合ってこなかったツンには無理だろう。
大学に入ってからはますます遠ざかっていたし。
( <●><●>)
ワカッテマスは口を閉じて壁を眺めるばかり。
これはテストなのだから訊いたところで解説なんかもらえるわけがないし、
そもそも彼が解法を知っているのかすら分からない。
-
ξ;゚⊿゚)ξ「……あっちの部屋に数学関係の本いっぱいあったけど、あれ見ちゃ駄目なの?」
(;^ω^)「僕も試したけど駄目だお、開いても何も書いてない」
ξ;゚⊿゚)ξ「じゃあ──このテストって、外に持ち出せる? 部屋の外」
(;^ω^)「これは、この場にいるワカッテマス……後悔の核と深く結びついてるものだから
部屋の外に持ち出しても核に引っ張られてすぐ戻ってしまうお」
ξ;゚⊿゚)ξ「……」
(;^ω^)「ツン」
着々と時間は進む。
ツンは押し黙り、テストを睨みつけた。ブーンが名を呼んでくるが答えない。
──それから30分後。
( <●><●>)「……時間です。お疲れ様でした」
その一言を最後にワカッテマスは完全に沈黙し、テストはどろりと溶けてしまった。
■
-
_,
ξ;゚ -゚)ξ
──昼。エントランスホール。
ソファに座るツンがテーブルにメモ用紙を並べて睨めっこをしている。
それを、背もたれの後ろからブーンが覗き込んだ。
( ^ω^)「分かるかお……?」
ξ;゚ -゚)ξ「ん゙んん……」
2枚置かれたメモ用紙の内、片方には例の「5問目」の問題が書いてある。
あの場で解くのを諦めたツンが、30分かけて記憶したのだ。
ワカッテマスの部屋を出てすぐに自室へ走り、忘れぬ内に書き付けたものである。
もう一枚のメモには思いつく限りの計算をした跡がある。
だが、どれもそこから進まない。
-
ξ;゚⊿゚)ξ「ネットや本で解き方を調べようかと思ったけど」
( ^ω^)「うん」
ξ;゚⊿゚)ξ「まず何を見ればいいのか分からなかった」
数学に造詣のない人間などこんなものだ。
まさかワカッテマス本人に訊けるわけもないし。
繰り返すが、そもそも彼がこの答えを知っているかも分からない。
当のワカッテマスは先ほど出掛けていった。
夕方まで帰らないというので、それまではここで考えていても大丈夫だろう。
ξ゚⊿゚)ξ「……答えが分からなかったのがワカッテマスさんの後悔なのかな」
( ^ω^)「さあ……ともかく、今日中に解けないと危ないかもしれないお」
ツンの呟きに、ブーンは首を傾げる。
続けられた彼の言葉に今度はツンが首を傾げた。
-
( ^ω^)「ワカッテマスは明日帰省する。実家と祖父母の家が近いらしいから寄っていく可能性が高いお。
あの記憶は15年くらいは前だから、おじいさんが健在かは分からないけど。
……そうでなくても、ご両親がそこに移っている可能性だってある」
ξ゚⊿゚)ξ「何にせよあの家に行くかもしれないわけね」
( ^ω^)「だお。で、ワカッテマスの記憶は全て祖父母の家に関わっていたから、
今の状態であの家に行けば、相当なストレスになってしまう筈だお」
ξ゚⊿゚)ξ「淀みが急激に増える?」
こくり。重々しく、ブーンが頷く。
( ^ω^)「危険だお」
-
焦燥。2人でテストを見下ろす。
ツンとブーンがいくら考えても無理だ。
とはいえ頼るものがない。
ξ゚⊿゚)ξ「おじいちゃんに訊いても首傾げてたし……」
( ^ω^)「姉者もギコもクーも帰省で不在」
ξ゚⊿゚)ξ「いやまあギコさんとクールさんには端から期待してないけど……」
残るは伊藤兄妹である。しかし話を聞いてくれる妹の方は出掛けている。どうしようもない。無理だ。
( ^ω^)「そもそも、アパートの住人にはあまり頼まない方がいいお……
ワカッテマスに話が届いたら困る」
ξ゚⊿゚)ξ「そうよね。……どうしよ……」
数少ない友人にメールで訊いてみようかとも思ったが、
理数系の者がいなかった。
手詰まり。
-
/ ,' 3「──ブーン」
それからまたしばらくうんうん唸っていると、祖父がやって来た。
( ^ω^)「何だお?」
/ ,' 3「忙しいとこ、すまんけど。買いもの、付き合ってほしい」
ξ゚⊿゚)ξ「私が……」
/ ,' 3「眠そう」
端的な指摘に、言葉が引っ込んでしまう。
たしかに眠い。物凄く眠い。
-
( ^ω^)「……ツン、寝ないで考えてるおね。休んでてくれお」
ξ゚⊿゚)ξ「でも……」
( ^ω^)「もしかしたら休めば何かひらめくかもしれないし」
そう言われてしまうと。
ツンがソファに座り直せばブーンは満足げに頷き、
祖父に付いてアパートを後にした。
「仕事」に関わっているときは、とても普通の大人に見える。
ξ゚⊿-)ξ ウト
1人きりになった途端、眠気が増した。
体を倒し、ソファの肘掛けに頭を乗せる。
ξ-⊿-)ξ(……少しだけ……)
携帯電話のアラームを設定する。小一時間ほど後。
それぐらいならワカッテマスも帰ってこないだろうから、メモを見られずに済む筈だ。
肘掛けに携帯電話も置いて、扇風機の風を浴びながら眠りに落ちた。
.
-
ξぅ⊿゚)ξ「……む……」
電子音。アラーム。
手探りで携帯電話を見付け、アラームを止める。
欠伸をしながら身を起こした。
やはり一時間ではあまり休んだ気がしない。
辺りを見渡してもブーンはいなかった。まだ帰っていないのか。
-
ξ゚⊿゚)ξ(問題……)
半端に寝たせいで頭がぼんやりする。仮眠をとったのは失敗だった。
目を擦りながらメモ用紙を持ち上げ──
ξ゚⊿゚)ξ「えっ」
書いた覚えのない式が並んでいるのを見て、一気に目が覚めた。
正直理解できない数式が紙面いっぱいに続いており、最後に10、16と答えが2つ。
.
-
ξ゚⊿゚)ξ「ええっ」
ツンの字ではない。ブーンでもない。ブーンならもう少し汚い。
祖父も違う。祖父の字は女子高生じみて丸い。
ならば誰の字だ。
ξ゚⊿゚)ξ「え、あ、えっ」
ワカッテマスはまだ帰らない筈。
ペニサスならば人の物に勝手に書き込みなどしないし、
この前ワカッテマス達から教わりながら課題をやっているのを見た限り、然程数学は得意ではない。
では残る選択肢は──
ξ;゚⊿゚)ξ「……えええ」
テーブルに目を落とすと、細かな灰が落ちていた。
.
-
10分後。帰ってきたブーンに話すと、
( ^ω^)「実は、どうしようもなくなったら頼る気だったおー。
でもペニサスを通さないと話聞いてくれないし、
かといってペニサスに相談したらワカッテマスに話が行きかねないし、困ってたんだお」
( ^ω^)「暇してたとこに、これ見付けたんだろうね。
良かった良かった」
との返事を頂けたので、やっぱりあの人で間違いないらしい。
ξ;゚⊿゚)ξ「……お礼言った方がいい?」
( ^ω^)「言っても聞くか分からんお」
とりあえず夜、階段ですれ違ったときにありがとうございましたと言ってみたが
思いっきり無視された。案の定だった。
■
-
( <●><●>)「──それでは今から一時間。始め」
掛け声は昨日と同じ。
それを聞いてから、壁にテストを押しあてて鉛筆を走らせる。
1問目から4問目までは覚えている答えのみを書いていく。
その都度昨日と同じ記憶が再生されたので、途中式は省いてもいいようだ。
-
( ^ω^)「ツン、ちゃんと覚えてるかお?」
ξ゚⊿゚)ξ「大丈夫、覚えてる」
5問目。直線の長さ。
ツンは一瞬だけ手を止めてから、2つの解答欄に数字を記入した。
ワカッテマスとすこぶる相性の悪い彼によって手に入れた答え。
もしかしたら2人はどこか似ているのかもしれない。だからこそ相性が悪い。
10。16。
最後の曲線を書ききると同時に、目眩がした。
-
人を書くのが上手いしカタルシスの予感がぷんぷんして超楽しいな…
-
□
──やはりひらめくのは、風呂の中でだった。
( <●><●>)『……あ。なんだ……』
解法が頭に浮かんでいく。
気付いてみれば単純なところに道があるものだ。
箱を見付けてから、たった一日後のことであった。
-
部屋に入り、机の下に隠していた箱を引っ張り出す。
4ケタの番号。1016。それで開けられる。
1。
0。
1。
5、まで回して、手を止めた。
このまま次の数字に移せば開けられる。
さあ、箱を開けて。
100万円を。
──手にしても、いいのだろうか。
-
( <●><●>)『……』
箱を机に置いた。
椅子にどっかと腰を下ろして、天井を見上げる。
かなかな。外でヒグラシが鳴いている。
風呂に入ったばかりなのに、空気がぬるくて背中が汗ばみそうだ。
扇風機の風は弱い。
何を迷うことがある。
100万円は欲しい。向こうも、ご褒美だと言っている。
ならば受け取ればいい。
-
( <●><●>)『……100万って、どんなんだよ……』
100万円──
知識ばかり身に付けた自分には、この金額に値するものがよく分からない。
立派に生きてきたあの人の一生において、100万という出費にどれだけの意味合いがあるのか分からない。
けれど決して安くはないことだけは分かっている。
(*‘ω‘ *)『100万ねえ。立派な男にならくれてやってもいいけど──』
だってあの祖母が、「立派な男」にしかやれぬと言った額だ。
.
-
葬式にたくさんの人が来た。
たくさんの人に尊敬され、愛されていた。
そんな彼女が「立派」と認めるのなら、それはもう、とんでもなく優れた者でなければならないだろう。
かなかな。かなかな。
頬を汗が伝う。──汗なのだ。
( <●><●>)『……ばあちゃん』
呟く声は、情けなく震えている。
かなかな。かなかな。
( <●><●>)『ごめんなあ……』
ぴたり。鳴き声が静まる。
ぽたり。汗が落ちる。
( <●><●>)『……俺、馬鹿なんだよ……』
-
(*‘ω‘ *)『お前は頭がいいから、出来るっぽ』
違う。
頭は悪くないと言ってくれたし、たしかに自分でも、悪くはないと思っている。
だが馬鹿だ。
祖母は常に自分のことを理解していた。
ぎりぎりで解ける問題のレベルも。
それほどに単純なのだ。自分は。
制限時間は無し──
それだって、こうして、全て分かった後に
ぐだぐだ悩む可能性まで予想していたという意味だろう。
-
祖母はきっと、その予想を裏切って迷いなく箱を開けられた者こそ
「立派」な者であると思った筈だ。
こうして悩んだ時点で、自分はもう、駄目だ。
( <●><●>)『……俺、ばあちゃんに何もしてやれなかったなあ……』
いつだって貰うばかりだった。
知識も教養も愛情も。
それでこの上、金までもらおうとは思えなかった。
──思えないから駄目なのだ。
彼女へ沢山のものを返してやれていれば、金を受け取る気になれた筈だった。
思うように動かせない手で、ぼんやりし始めていた頭で
あのテストを作るのはさぞ苦労しただろう。
定年退職した後に持った最後の生徒が自分だ。
教師としての彼女も、祖母としての彼女も、最後に傍にいたのは自分だ。
もっと優秀な教え子がたくさんいただろうに。
「立派」になった人がたくさんいただろう。
なのに最後の最後が、こんな生徒だなんて。こんな孫だなんて。
-
『ばあちゃん、ごめん、ごめんなあ……』
絞り出すような声で何度も謝り、
箱を──無駄になってしまった100万円を、彼女の人生最後の賭けを、
蔵の床下へ戻しに行った。
ひどく、汗をかいていた。
□
-
( <●><●>)「──でも時々思うんです」
両手で湯を掬い、ワカッテマスは言う。
( <●><●>)「祖母は僕のために金を遺した。
それを受け取らないことこそ失礼なんじゃないかって」
ぽちゃん。ぽちゃん。湯が水面へ落ちていく。
( <●><●>)「……そんな言い訳じみたこと考える度に、やっぱり受け取る資格はないと思わされる」
ξ゚⊿゚)ξ「……そう考えられる人こそ、立派な人なんじゃないですか」
囁くような声でツンも言う。思わず口走っていた。
顔を上げたワカッテマスがこちらを見て、ゆるゆる首を振る。
そうして彼は口角を持ち上げた。それはやはり、自嘲の笑み。
-
( <●><●>)「俺もさ、たまにそう思うし、たまにそう思わないんだ。
──結局俺は、どっちなんだろうなあ……」
どっちだ、なんて。
それは彼が決めることだ。
ツンでも──彼の祖母でもないのだ。
ツンは口を噤み、テストを差し出した。
ワカッテマスの濡れた手が用紙を受け取る。
じわじわ、水分が紙に広がり、かなかな、ヒグラシの鳴き声が弱まっていく。
やがてその姿はテストや壁のシートと共に崩れていき、
空になった浴槽の底に、夕焼け色のわたあめだけが残された。
.
-
祖母の期待に応えられたか。
自分は立派な人間になれたか。
遺されたものを受け取るべきか。
──それらが分からず、答えを出せなかったことこそが、彼の後悔だった。
■
-
( <●><●>)「──行ってきます」
翌朝。
鞄を肩に引っ掛けたワカッテマスが、エントランスの前でツン達に振り返った。
早朝にもかかわらず、外は既に蒸し暑い。
今日もますます暑くなるだろう。
-
( ^ω^)「行ってらっしゃーい」
ξ゚⊿゚)ξ「気を付けて」
手を振るブーンと一礼するツンに頭を下げて、ワカッテマスが背を向ける。
──今、彼は何を思うのだろうか。
どんな気持ちで帰省するのだろう。
お盆である。
亡くなった者が帰ってくる時期に、彼はどんな想いを。
( <●><●>)「──あ」
数歩進んだワカッテマスが、急に足を止めた。
こちらを振り向いて「すみません」と開口。
-
( <●><●>)「一泊して帰るって言いましたけど、2泊になるかもしれません」
そう言って──
ほんの少し、強気な顔で笑ったので。
ξ゚⊿゚)ξ「ええ、ごゆっくり」
何となく、そう返していた。
( ^ω^)「……ワカッテマスは本当に、『分からなかった』んだと思うお」
しばらくして。
既に彼が去った後の坂道を眺めながら、ブーンは優しい声で呟いた。
-
( ^ω^)「100万円を受け取る権利がある。ない。やっぱりある、やっぱりない──
そんな感じで悩み続けていたんだろうね」
ξ゚⊿゚)ξ「……多分ね」
( ^ω^)「この帰省当日のタイミングに淀みを食べられて良かったお。
『分からなかった』ことへの後悔を、僕が食べた。
今のワカッテマスはきっといくらかすっきりして、前向きになれているから──」
ξ゚⊿゚)ξ「決断できるかもしれない?」
( ^ω^)「だお」
たしかに、あの笑顔は。「そういう」顔だ。
ブーンがぐにゃぐにゃ笑う。
嬉しくてたまらないというように。
(*^ω^)「──きっとワカッテマスのあの後悔は、今日か明日にでも、綺麗に消えてくれるお」
その言葉に賛同するように、蝉の鳴き声があちこちから響き始めた。
■
-
熱気は徐々に緩んでいき、青かった葉が赤く色付く。
(#<●><●>)「そんでも〜〜〜箱開けたら何が入ってたと思います!?」
∬´_ゝ`)「はいはい、何ですっけ」
(#<●><●>)「『ひゃくまんえん』って書いた紙切れだよ
あんッッッのババアふざけんなよ!!」
美布ハイツの食堂に、ワカッテマスの叫びが轟いた。
彼の前にはビールの空き缶が大量に転がっている。
その向かいでチューハイを呷る姉者が呆れたような顔をした。
-
∬´_ゝ`)「お盆に帰省してからというもの、酔うとその話ばっかねセンセー」
(#<●><●>)「減ってた金は寄付に回してたんだとよ御立派御立派ァ!! ジジイも一芝居うちやがって!」
∬´_ゝ`)「いいお祖母様じゃない」
(#<●><●>)「そんで箱にさあ、他のものも入ってたんだよ何だと思う!? なあ!?」
∬´_ゝ`)「はいはい何々」
( <●><●>)「これまで僕が答えてきたテストの束ですよ……普通あんなもん捨てるじゃないですか……くそっ……」
∬´_ゝ`)「愚痴るか泣くかどっちかにしてほしい」
(*,゚Д゚)「センセー元気っすねー」
川 ゚ -゚)「あ、ギコそれ私が食べようと思ってたプリンだぞ」
(*,゚Д゚)「あっ、すんませーん」
ワカッテマスの隣に座っているギコが、クールの指摘に赤ら顔でへらへら答える。
彼はまだ19歳であるが、馬鹿ゆえにチューハイをジュースと勘違いして飲んでしまったらしい。
しかも酒に弱かったのか、僅か数口でへべれけ。
-
ξ゚⊿゚)ξ(その空き缶やおつまみのパック、片付けていってくれるのかしら……)
(*^ω^)「秋の夜長は飲み会だおー」
と言いつつ水を飲むばかりのブーンが、姉者の近くにあったチューハイをツンに渡してくる。
自分まで酔ったら、誰がこの散らかりきった食堂を掃除するのだ。
明朝、二日酔いに喘ぎながら片付けなどしたくない。
そうは思うも、皆があまりに美味そうに酒を啜っているので。
ツンは、ふんと鼻を鳴らし、プルタブに指を引っ掛けた。
実りの秋だ。美味いものを楽しむべきである。
-
■ 秋の食堂 ■
-
今日はここまで
-
乙 今回も良かった
次は誰か楽しみ
-
今最初から読んだ乙
ツンデレがツンデレてる
-
こういうばあちゃんいいな....乙
-
描写が凄く優しいな
待ってるよ
-
この雰囲気凄い好きです
-
素直クールは頭が良くない。
( <●><●>)「海外の小説読んでるとマザーグースがちょくちょく出てくるんですよねえ」
∬´_ゝ`)「あーそうね、たしかに多いわ。題材にしやすいしね」
川 ゚ -゚)「お、マザーグース知ってるぞ私」
( <●><●>)「嘘つかない」
川 ゚ -゚)「嘘じゃない。あれだろ。あれ男の子女の子のやつとか……タイトル何だっけ……あれだ!」
川 ゚ -゚)「男の子はなんで生きてるの?」
( <●><●>)「差別主義過激派かよ」
∬´_ゝ`)「男の子は何で出来てるの、ね。正しくは」
.
-
羽生ギコも頭が良くない。
(,,゚Д゚)「ペニサスちゃんって彼氏いないの?」
('、`*川「えっ、いません」
(,,゚Д゚)「じゃあ学校に好きな男の子とかいない? いるでしょ」
('、`*川「いませんけど……」
爪'ー`)「殺すぞお前」
( <●><●>)「何でよりによってこいつが居る前で伊藤にそういう話題振るんだよ馬鹿かよ」
∬´_ゝ`)「馬鹿でしょ」
.
-
だが、2人とも真っ直ぐだ。
川 ゚ -゚)「秋だなあ。秋は……食べ物が美味しい」
(,,゚Д゚)「さつまいもっすね」
川 ゚ -゚)「さつまいもだな」
(,,゚Д゚)「焼きたいっすね」
川 ゚ -゚)「でも火は危ないから使うなってみんなに言われてるんだ」ショボン
(,,゚Д゚)「小学生みたいっすね! 俺はそれに加えて包丁持つなとも言われてます!」
川 ゚ -゚)「園児みたいだな」
(,,゚Д゚)「さつまいも食いたいっすね」
川 ゚ -゚)「え、あ、急に話題戻るな……食べたいな」
(,,゚Д゚)「みんなで食いたいです」
川 ゚ -゚)「そうだなあ。美味しいさつまいも、みんなで食べたいなあ」
.
-
だからブーンもこう言っている。
( ^ω^)「あの2人、あんまり淀みが出ないんだお。出てもすぐに消えるし」
ξ゚⊿゚)ξ「へえ……」
( ^ω^)「すぐに忘れちゃうか、素直に反省して前向きに考え直して乗り越えるんだお。
今までこんな人たち見たことない」
それはとても羨ましい、と思う。
自然に人生を楽しむ術を身につけているのだ。
なので。
(゚Д゚,,) 川 ゚ -゚)
ξ゚⊿゚)ξ「……何でこうなったの」
(;´ω`)「さあ……」
まさか彼らが、急激に淀みを溜め込み危険な状態にまで陥るとは思わなかった。
■
-
美布ハイツのエントランスから見て正面、ホールの奥の壁。
右側の扉は食堂に繋がっている。
食堂には4人用のテーブルセットが3つ置かれていて、
奥の方に、カウンターで区切られたキッチンがある。
大きめの冷蔵庫の中身はその時々で違うが、基本的には酒盛り用の酒が常備されているようだ。
各戸にも狭いながらキッチンはあるが、
こちらの方が遥かに広いし道具もそれなりに揃っているので
主に姉者やワカッテマスが手の込んだ料理をしたいときに使っている。
あとは仲のいい者達で一緒に食事をすることも。
そのような感じなので一応、一日の内に数人は利用しているらしい。
-
(;´ω`)「助けて」
一日の業務を終えた後。
エントランスホールの右隅、階段を上ろうとしたところで
ブーンに呼び止められた。
ξ゚⊿゚)ξ「何?」
(;´ω`)「僕の『仕事』の方で、ちょっと問題が」
少し驚く。
夏以降、彼はまた1人で例の仕事を行っていた。
基本的にツンに頼る気はないようだったので、まさか彼の方から相談してくるとは思わなかったのだ。
-
(;´ω`)「君を巻き込むべきじゃないのは分かってるけど、でも今回は僕1人の力じゃ……」
ξ゚⊿゚)ξ「……別にいいけど。先に、何か軽く食べてきてもいい?
お腹が減っててあんまり頭が回らない」
今日はまだ夕飯を食べていない。
時間を見付けて食べようと思っていたが、
その度にブーンが用を言い付けてきたため何も食べられなかったのである。ぺこぺこだ。
ツンの申し出にブーンは目を逸らした。
やっぱり駄目か。まあ、急ぎの用だろうし。
ξ゚⊿゚)ξ「いいや、行く。どの部屋?」
(;^ω^)「……来てくれお、大丈夫、すぐにお腹が膨れるから」
ξ゚⊿゚)ξ「?」
ごめん、と言いつつブーンが踵を返す。
物凄く気まずそうだ。どうしたのだろう。
-
移動は数歩で済んだ。
先ほど施錠したばかりの食堂の前で立ち止まり、ブーンがポケットから取り出した丸い鍵を差し込む。
こきん。変な音をたてて、鍵が開けられた。扉の取っ手を引く。
(゚Д゚,,) 川 ゚ -゚)
3つあるテーブルの内、一番手前のテーブルにギコとクールが座っているのを見付けて
ツンは目を丸くした。
-
ξ゚⊿゚)ξ「2人いる」
(;^ω^)「どうも、たまたま2人の後悔が食堂に溜まっていたみたいなんだお。
……いや、たまたま、じゃないんだろうけど」
互いにそっぽを向いていることから、ここで2人に何かあったのではないかと
ブーンは推測しているらしい。
ツンは2人いることにも驚いたが、それがこの2人であることに何より驚いていた。
以前ブーンが言っていた。彼らは淀みが溜まりにくいと。
しかも人型ということは、心がもう危険な領域に達しているわけだ。
そのような重たい後悔が彼らにあるだなんて。
ξ゚⊿゚)ξ「……何でこうなったの」
(;´ω`)「さあ……」
それを今から探るわけだが、言わずにはいられなかった。
-
改めて食堂を見渡す。
奥2つのテーブルには、ずらりと皿が並んでいる。
ひとつのテーブルに6皿。計12皿。
全てにドーム型の蓋が被さっているため、中身は見えない。
ざわざわ湧き上がる違和感。これが今回の「ヒント」。
(;^ω^)「あのお皿の中身を食べるの、手伝ってほしいんだお」
ξ゚⊿゚)ξ「え、食べるの? 食べて大丈夫なの?」
(;^ω^)「大丈夫だお」
ただ大丈夫、とだけ言われても。
ブーンを睨むと、彼は頭を掻いて言葉を探した。
( ^ω^)「……後悔の『核』を暴けば、淀みは一時的に人型の状態からわたあめ状に戻る。
そのとき、部屋の異変も全て消えるおね?」
ξ゚⊿゚)ξ「うん」
たしかに姉者の淀みが崩れた瞬間、
周りの花や「ヒント」の花束も消えていた。
ワカッテマスのときも同様に。
──そうか、なるほど。
-
ξ゚⊿゚)ξ「じゃあ。この料理をいくら食べても、最終的に核を突き止めて
わたあめにしちゃえば、胃袋の中から料理は消えるってこと?」
( ^ω^)「そう。だから体には何の影響もないお」
しかしそれは逆に言えば──
この部屋から出なかったり、核を突き止められなかったりすれば、
料理は普通に腹の中に溜まり続けるということだ。
ξ゚⊿゚)ξ「一回挑戦したけど、お腹いっぱいになって断念したのね、ブーンは」
(;^ω^)「そうなんだお……」
前回は計算問題。
今回は大食い。
大変な仕事だと改めて思う。
川 ゚ -゚)「何の話をしてるんだ? 難しい話か?」
ついにクールから声をかけられた。
入室しておいて、放置したまま話し続けたのは申し訳ない。
何でもない、と答えてブーンが真ん中のテーブルに移動する。
右側の席に座ったのでツンはその向かいに腰を下ろした。
皿は綺麗に整列しており、2人の前にそれぞれ3皿ずつ横並びの形となっている。
-
ξ゚⊿゚)ξ「このために私にご飯食べさせなかったんだ」
( ^ω^)「……相談して断られた場合に、美味しいご飯が食べられるよと釣る予定もあったお」
目を逸らすブーンにじっとりと視線を送る。
やはり仕事のこととなると普段の間抜けさが薄れる人だ。
咳払いをして誤魔化したつもりらしい彼が、端の皿に触れた。
( ^ω^)「じゃあ、食べるお」
そう言って蓋を持ち上げる。
ツンも倣って、その対面の皿を開けた。
-
ξ゚⊿゚)ξ「──お芋だ」
2人の皿には半分ずつに割られた焼きいもが乗っていた。
大きさからして、一つの焼きいもを2つの皿に分けたのだろう。
ぐう。ツンの腹が切なく鳴いた。さっそく手を伸ばす。
( ^ω^)「いただきますお」
ξ゚⊿゚)ξ「……いただきます」
何も言わずに食べようとした自分が物凄く不躾に思えて、
慌ててブーンに続けて両手を合わせた。
今度こそ焼きいもを持ち上げる。
ξ゚⊿゚)ξ「あち」
思ったより熱い。両手で転がし、手のひらに馴染ませた。
内側は輝かしい黄金色。甘い匂い。
じっくり焼いてあるのか蜜が滲み出し、しっとりと水分を含んだ断面はつやつや光っている。
断面に歯を立て、皮ごと齧った。
ξ゚⊿゚)ξ アム
ぱりぱりした皮とほくほくした身がほろほろ崩れる。
皮と身の間がもっとも味が濃い。ほんのり苦くて、とても甘い。
-
ξ゚⊿゚)ξ(……うん、焼きいも)
意外に普通というか、リアルというか。味や食感は現実のものと違いがなかった。
もっと、こう、得体の知れないものを予想していた。
美味しいし、半分だし。これなら難なく食べ進められる。
夢中になってぱくぱく消費していき、ブーンとほぼ同時に食べ終えた。
ξ゚⊿゚)ξ(──来た)
目眩。
人の後悔を覗き見る罪悪感は依然としてあるが、
正直、この2人にどんなことが起きたのかが気になる気持ちもある。
.
-
□
川*゚ -゚)『んま』
(*,゚Д゚)『んまー』
夕方。アパートの前、坂の途中。
紅葉した桜の木の下。
そこに座り込んで、半分ずつ分け合った焼きいもをかじる2人。
美味しいなあと彼女は思ったし、彼もまた、美味しいなあと思っていた。
赤みがかった橙色と鮮やかな黄色が重なり合う葉が、とても綺麗だ。
秋である。
-
川 ゚ -゚)『しかし一個しか買えなかったな』
(,,゚Д゚)『まさかあんなに並んでるとは……』
川 ゚ -゚)『みんな焼きいも好きなんだなあ』
先程。焼きいもが食べたいと話していたら、ちょうど坂の下に石焼きいもの移動販売車を見付けたので
急いで2人で買いに走ったのだが、既に結構な行列が出来ていた。
残り少ないぞ、と店主が言ったところで2人の番が来て、
たしかに少ないなと思いながら振り返れば、カップルや親子連れが何組かいたので。
アパートの住人達の分も買うつもりだったが、結局、一つだけ買って列を抜けた。
川 ゚ -゚)『仕方ない、お前と私だけの秘密だぞ』
(,,゚Д゚)『こんなに美味いものを2人占めとは贅沢な』
( <●><●>)『あ、焼きいも』
(;,゚Д゚)『すぐ見付かった!!』
川 ゚ -゚)『すぐ見付かる! こういうときすぐ見付かる!』
そこへ帰宅途中らしいワカッテマスが通り掛かって、
秘密の焼きいもは秘密でなくなってしまった。
ワカッテマスが鼻白む。
-
( <●><●>)『別に取りませんよ』
川 ゚ -゚)『見られたからにはタダでは帰さん。センセーにも半分やろう』パカッ
(,,゚Д゚)『あ、じゃあ俺のも半分どうぞ』ポコッ
( <●><●>)『まあ、くれるならもらいますけど……』
彼の半分と彼女の半分がワカッテマスの両手に渡される。
つまり彼の手にも残り半分、彼女の手にも残り半分、そしてワカッテマスが半分ずつ持っているわけで。
川 ゚ -゚)『よし、みんな同じ量で平等だな』
(,,゚Д゚)『ヘーワ的カイケツっすね!』
( <●><●>)『頼むから単純な算数くらいは出来てくれ』
可哀想なものを見る目を向けられた。
ワカッテマスと話していると、よく、こういう目をされる。
いつか悪い大人に騙されますよと言われたがよく分からない。
-
(,,゚Д゚)『センセーもここ座りましょうよ』
( <●><●>)『嫌ですよ服が汚れる。寒いし』
川 ゚ -゚)『でも葉っぱがな、綺麗なんだぞ』
( <●><●>)『ああ毎日枯れ葉の掃除で大変そうですよね照山さん』
川 ゚ -゚)『センセー夢ないな』
座り込んだまま、2人でワカッテマスのスーツの裾を引っ張る。
うるせえなと乱暴な口調で手を振り払ったワカッテマスは、
仕方ないとばかりに2人の間に腰を下ろした。
睨むような目で桜の木を眺めながら、焼きいもに齧り付く。
( <●><●>)『……うま』
そうして2人は同時に思った。
──ああ、センセーが来てくれて良かったなあ。と。
□
-
記憶の再生が終わって、真っ先に抱いた感想はたった一言。
ξ゚⊿゚)ξ「平和ね」
( ^ω^)「まあこの2人だし」
のほほんとした日常の一コマである。
クールの視点とギコの視点が混ざったような不思議な感じで、
また、姉者のとき程ぼやけていなく、ワカッテマスのとき程ぱきっともしていない、
ふわふわ柔らかな、優しい色彩であった。
だが最後、ワカッテマスが来て良かった、という部分の2人の感情がいまいちよく分からない。
「美味しいものを共有できた」という喜びが大きかったのだけれど、
その陰に、後ろめたさの混じる安堵があったように思う。
-
(,,゚Д゚)「焼きいも美味しかったです」
川 ゚ -゚)「やっぱ秋は芋だな」
手前のテーブルを見ても、2人はのほほんと実のない感想を言うのみである。
尚あいかわらず2人はそっぽを向いている。
──2人きりなのが気まずかったのだろうか?
しかしいつも通り、仲良く焼きいもを分け合っていたようだが。
( ^ω^)「ちゃっちゃと次に行くお、あんまりゆっくりしない方がいい」
ξ゚⊿゚)ξ「ん」
ブーンに促され、隣の皿を開ける。
──チェーン店の牛丼が、一人前。
ξ゚⊿゚)ξ「……2食目で重めのやつ来た」
( ^ω^)「そうなんだおね……」
こちらも、2人の皿の中身は同じだ。
ひょっとして他の皿もそうなのだろうか。
-
ξ゚⊿゚)ξ「どっちも同じメニューなのね」
( ^ω^)「ギコとクーが一緒に食べたものが出てきてるんだと思うお。
僕側の皿が多分クーで、ツンの方はギコ」
昨日ブーンが1人で挑戦した際、クール側の3皿を食べ終え
反対側に回って蓋を開けた瞬間、今しがた食べたばかりのものがまた出てきて
しかも視点が違うだけの同じ記憶を再生されて
だいぶ大きな精神的ダメージを負ったという。想像してぞっとする。
ξ゚⊿゚)ξ「……とりあえず食べましょうか」
持ち帰り用の器。その脇に置かれた割り箸を手に取り、いただきます、と一言。
まだまだ腹は減っている。
ほかほか湯気を立てる牛丼を掬い上げ、口に収めた。
甘辛く煮込まれた肉と玉ねぎ、汁を吸ったご飯。
噛む度に玉ねぎはとろけてご飯に馴染み、
牛肉はぎゅっぎゅと食感を残したまま強い風味を染み出させていく。
少しして、残り一口のところでブーンを見ると
先にほとんど食べ終えていたらしく、同じく一口分残していたブーンがツンを眺めていた。
同時に最後の一口を頬張る。
.
-
□
川 ゚ -゚)『たまに食べると美味いなあ』
(,,゚Д゚)『俺はしょっちゅう食べてますよ』
ランドリールーム。
4つ並んだ洗濯機の前、待機用のパイプ椅子に座って
2人は牛丼を食べながら洗濯が終わるのを待っていた。
。
仕事帰りに近くの牛丼屋の前でばったり会って、
何となく一緒に注文して何となく一緒にアパートへ帰ってきて、
そのまま何となく一緒にランドリールームで洗濯を始めたのだ。
-
川 ゚ -゚)『今日はギコ、いつもより帰りが少し遅かったんだな』
(,,゚Д゚)『はい、仕事でミスしちゃったんすよー……
同じ失敗はしないように気を付けてたんだけどなー……
俺馬鹿だなあ』
川 ゚ -゚)『ギコはたしかに馬鹿だが……私よりは頭いいと思うぞ』
(,,゚Д゚)『クーさんも頭良くないけど俺よりはマシですよ。ん? 結局どっちが頭いいんだ?』
川 ゚ -゚)『じゃあ同レベルでいいな!』
(,,゚Д゚)『そっすね!』
間をあけて、同時に溜め息。
さすがに今の会話の空しさは理解できる。
(,,゚Д゚)『……センセーは先生だし姉者さんは英語できるし、
頭いい人と住んでると自分も頭良くなった気になるけど、やっぱ全然っすねー』
川 ゚ -゚)『そうだなあ。みんな凄いな』
∬´_ゝ`)『あ、お馬鹿2人』
川 ゚ -゚)『頭いい人だ!』
(,,゚Д゚)『頭いい人!』
∬´_ゝ`)『何それ……』
袋を抱えた姉者がランドリールームに入ってきた。
あいている洗濯機に袋の中身を移そうとするので、彼は牛丼に目を落とした。
他人の、それも女性の洗濯物はじろじろ見てはいけないのだ。
壁際の棚に住人それぞれ愛用の洗剤が並んでいる。
姉者が使うのは、彼らには商品名すら分からない、ちょっとお洒落な洗剤である。
最近違うブランドにしたらしいが相変わらず商品名が読めない。でもいい匂い。
-
∬´_ゝ`)『一口ちょうだい』
川 ゚ -゚)『うん、どうぞ』
洗濯機の操作を終えて、彼女の隣に座った姉者が牛丼を一口食べた。
美味しい、と微笑むので、彼らも笑った。
∬´_ゝ`)『ていうか言っとくけど、国語と英語以外は大したもんじゃなかったわよ。平均』
(,,゚Д゚)『嘘だあ』
∬´_ゝ`)『ほんとほんと』
(*,゚Д゚)『おお、じゃあ俺体育で姉者さんに勝てるんだ! やった!』
∬´_ゝ`)『いま頭がいいかどうかの話じゃなかったの……? まあ実際体育は苦手だったけど』
川 ゚ -゚)『私たぶん何も勝てないな……』シュン
∬´_ゝ`)『クーちゃんには色々敵わないと思ってるんだけどね私』
-
(,,゚Д゚)『色々かあ……体育しか勝ててない俺より凄いっすよクーさん』
川 ゚ -゚)『ギコは婚約者がいるじゃないか。姉者さんにはいないぞ?』
∬´_ゝ`)『何、なんでいきなり急所突いてきたの。ほんとデリケートなとこよ。
そもそも勝ち負けで測れないのよ。それは。分かる? ねえ』
川 ゚ -゚)『ご、ごめんなさい』
(*,゚Д゚)『こっ、婚約者なんて、まだそこまで行ってないです、
ただ都会で独り立ちできるくらい立派な男になれば結婚していいってお義父さんが、
あっお義父さんって言っちゃった俺』
顔を真っ赤にして1人で捲し立てる彼と、顔を真っ青にして姉者に謝罪する彼女。
対照的である。
彼の地元にいる恋人の家が自営業をやっており、
そこの跡取りとして認めてもらうために彼が1人で上京して
花嫁修行ならぬ花婿修行をしていることはアパートの全員が知っている。
上京してから今年で2年になる。まだ2年、と恋人の父親は言っているようだが
盆に帰省した際、態度が軟化しているのを感じた。
もう少しで認めてもらえるかもしれない。
そうだ。恋人のため、自分のため、頑張らねばならないのだ。
-
(,,゚Д゚)『……何かめっちゃやる気出てきた!! 仕事がんばります!!』
川 ゚ -゚)『おお、元気出て良かったな』
∬´_ゝ`)『どうしてギコ君に婚約者がいて私にいないことで元気出るわけ? 何?』
(;,゚Д゚)『いやそういう意味じゃ……』
2人はまた思う。
姉者さんが来てくれて良かったなあ。と。
□
-
ξ゚⊿゚)ξ(……本当に、引きずらない人達なんだな)
とても前向きで、しかし決して考えなしの前向きさではない。
だから後悔が溜まりにくい──残りにくいのだ。
それ故に彼らが一体何を悔いているのか、ますます疑問が募る。
(,,゚Д゚)「牛丼美味しかったです」
川 ゚ -゚)「やっぱ秋は牛丼だな」
それは秋と関係あるのか? さっきと言っていることが同じでは? つっこみかけた口を押さえ、
ツンとブーンはこのテーブル最後の皿を開けた。
ξ゚⊿゚)ξ「わー……」
ハンバーガーだ。
これも出来たてのようで、ふわりと湯気や香りが立ち上る。
( ^ω^)「ツン、大丈夫かお?」
ξ゚⊿゚)ξ「うん……多分、うん」
普段ならば食事を終える程度には腹がすっかり落ち着いているが、
決して入らないわけではない。と思う。
-
チェーン店のものではない。
駅前のダイナーの店名が印刷された包み紙に半分ほど覆われている。
ξ;゚⊿゚)ξ「……大きいね」
(;^ω^)「うん」
厚みのあるバンズ、レタス、パティ、チーズ、またパティ、またチーズ、トマト、レタス、バンズ。
大きく口を開いても上から下まで届くか怪しい。
しかし怯んでいたら先の牛丼が効いてきそうなので、勢いのままにかぶりついた。
ξ゚〜゚)ξ(……あ、美味しい)
表面がつやつやのバンズはやや硬め。
とろとろに溶けて下の具材まで覆うほどたっぷり挟まれたチーズの塩気とパティの肉々しさ、胡椒の辛みを
レタスとバンズが程々に受け止めていて、思いのほかくどくない。
二口目は、さっき届かなかったトマトの方を中心に据えて齧る。
肉とチーズとトマトとレタス。を乗せるパン。こってりとさっぱり。そりゃあ美味い。
.
-
□
川 ゚ -゚)『買ってきたぞ……!』
(;,゚Д゚)『ついに……!』
息を切らせて帰ってきた彼女を、エントランスホールに迎え入れる。
テーブルの上に袋の中身を出して、ごくり、同時に唾を飲み込んだ。
どきどきしながら包み紙を剥がすと、空きっ腹には強烈すぎる匂いが広がる。
(;,゚Д゚)『おお……何か……ハンバーガー! って感じしますね……』
川 ゚ -゚)『包みを開けてもぺちゃんこなパンにがっかりしないハンバーガーだな……!』
どっしりして、一つ一つの具材が大きなハンバーガーは
漫画や映画の世界のものというイメージしかなかった。
なので数十分前、ネットサーフィンをしていた折に
たまたま近場でそのようなハンバーガーを出す店があるのを知ったときは驚いた。
-
本当は2人で行こうと思ったのだが、
( ^ω^)『ツン、こっちの壁、拭き忘れてるおー』
ξ゚⊿゚)ξ『さっき拭いた』
( ^ω^)『隅っこまで拭いてなかったお』
ξ゚⊿゚)ξ『……姑みたい』
(;^ω^)『な、僕は丁寧に掃除してほしいと言ってるだけで……
隅っこだけ綺麗じゃなかったら変だお!』
ξ゚⊿゚)ξ『こんな古い壁、ぱっと見じゃ違いなんかないでしょ』
(;`ω´)『見た目じゃなくて手入れの問題だお!
楽器だって手入れして大事にしていれば経年によって音色が良くなるし
家具だって年々色に深みが出て素敵なインテリアになるんだお!』ムキー
ξ゚⊿゚)ξ『いま楽器と家具の話はしてない』
と、管理人2人が下らないことで軽い喧嘩をしていたので、
いざとなったら止められるように彼が残らざるを得なかったのだ。
今はもう2階に上がっていったが、未だ喧嘩を続けてやしないだろうか。
-
川 ゚ -゚)『よし、食べよう』
(*,゚Д゚)『そうっすね!』
川*゚ -゚)(*,゚Д゚)『いただきまー……』
/ ,' 3『いいにおい』
川 ゚ -゚)(,,゚Д゚)『あ』
2人が大口開けたところへ、大家の荒巻が階段を下りてきた。
(,,゚Д゚)『食べます?』
訊けば荒巻がゆっくり笑ったので、食堂からナイフを持ってきて
彼の分のハンバーガーから、まずは一口分を切り分けた。
ちなみに切ってくれたのは彼女である。
/ ,' 3『んん』
のんびりハンバーガーを噛み締めた荒巻が、満足げに頷く。
もっと食べるかと訊くと、お食べ、と遠慮して荒巻はソファの端に座った。
-
川*゚ -゚)『うまいな!』
(*,゚Д゚)『美味いっすね!』
しばらく、美味い美味いと言い合いながらハンバーガーを食した。
半分ほどにまで減った頃だろうか、
/ ,' 3『ブーンとツンが、喧嘩、してた』
荒巻が呟いた。
(,,゚Д゚)『あ、まだ喧嘩してました?』
川 ゚ -゚)『珍しいよな。ブーンも照山さんも喧嘩するような人じゃなさそうなのに』
2人の言葉に荒巻はうんうん頷く。
けれど荒巻の口元は笑みの形を保っていた。
/ ,' 3『喧嘩、いいこと』
ぽつりと一言こぼして、荒巻が外へ出ていく。
残された2人は口を噤んで、ハンバーガーを齧った。
荒巻さんが来て良かった、けど、ちょっと。
困ったなあ。
そう思いつつ顔を見合わせ、へらっと笑った。
□
-
ξ゚⊿゚)ξ「……」
色々と思うところがあった。
あったが。
とりあえず、ブーンとの喧嘩を、ギコ達にまで下らない内容だと思われていたのが分かって辛い。
言い合いながら掃除している内に気付けばいつもの状態に戻っていた程度には
本当に下らない喧嘩だったので。
(,,゚Д゚)「ハンバーガー美味しかったです」
川 ゚ -゚)「やっぱ秋はハンバーガーだな」
botか?
つっこむのを再び堪え、腰を上げた。
( ^ω^)「これで半分だお……」
ξ゚⊿゚)ξ「うん……」
奥のテーブルへ移動する。
残り6皿。1人3皿。
先と同じように向かい合って座り、4食目。
カップ焼きそば(ビッグサイズ)を見て、ツンは立ち上がった。
-
(;^ω^)「ツン?」
ξ;゚⊿゚)ξ「ちょっと外出てくる」
(;^ω^)「何で!?」
ξ;゚⊿゚)ξ「外に出たら、お腹に入ってる食べ物が『核』に引っ張られてなくなるんでしょ……
ワカッテマスさんのときにそういうこと言ってた」
(;^ω^)「なくなるったって皿の上に戻ってくるだけだお、水の泡だおー!」
ブーンが腰にしがみついてくる。腹を押さえるな。やめてほしい。
ξ;゚⊿゚)ξ「いま焼きいもと牛丼とハンバーガー入ってるのに
焼きそばなんて無理! しかも何で大盛りなの!」
(;^ω^)「いける、いけるお! 頑張って!」
しばし、無理いけるの押し問答を繰り返し、
ようやく観念してツンは席に戻った。
牛丼と同じように置かれていた割り箸を掴む。
──何とか焼きそばを食べ終えて、今度は、
食堂で伊藤兄妹とカップ麺を食べた2人の記憶を見た。
伊藤兄妹と、と言っても兄妹がいたテーブルにギコとクールがお邪魔して
ほぼ一方的に話しかけていただけだったので
ペニサスはともかくフォックスとは会話どころか存在を認識されていたかすら怪しかったが。
-
5食目は饅頭。それも焼きいも同様、半分ずつ。
一瞬ほっとしたものの、腹が限界を超えかけている状態ではあまりにもキツい食べ物であると知った。
ぎっしり詰まったあんこが辛い。飲み込めない。
記憶はブーンとツンと食べたときのものだった。
たしかに余り物を一緒に食べた覚えがある。が──
ξ;゚⊿゚)ξ「……もしかしてこれ、時期が巻き戻っていってる?」ウップ
(;^ω^)「そのようだお」オゥッ
腹を摩りながら言葉を交わす。2人の顔は死にかけだ。話すために口を動かすのもしんどい。
彼らと饅頭を食べたのは先月のことである。
だが、一度目に見たワカッテマスとの記憶では桜が綺麗に紅葉していた。
あそこまで色付いたのは最近だ。
ツンの名が出ていたので今年のことだろうし、
姉者が新しい洗剤を使い出した時期やブーンと喧嘩した時期を見てみると、
やはり遡っているように思う。
それも短いスパンでだ。
核となる後悔は、そう遠い過去ではないのだろうか。
ならば──そんな短期間に、ここまで淀みが溜まったということ。
それは一体、どんな重たい出来事だったのだ。
-
ξ;゚⊿゚)ξ「……開けよう」
(;^ω^)「おー」
頷き合い、軽い食べ物であってくれと願いながら、蓋を持ち上げた。
ξ;゚⊿゚)ξ「……ん?」
スプーン。
ツンの皿の上に、スプーンだけが乗っている。
(;^ω^)「あれ?」
ブーンの方には何も乗っていない。
どういうことだ。まさかスプーンを食べろと。
困惑していると、それまで同じことばかり喋っていた筈のクールとギコが、
初めて他の意味合いの言葉を発した。
-
川 ゚ -゚)「プリン食べたかった」
(,,゚Д゚)「プリンを食べてしまった」
ξ゚⊿゚)ξ( ^ω^)「は?」
.
-
プリン?
食べたかったというクール、食べてしまったというギコ──
いや。ちょっと、それは、ちょっと。
ξ゚⊿゚)ξ「あの2人はプリンで心のどこかが死にかけてるの?」
(;^ω^)「どうも、そのようだお……」
メンタルが既にプリンレベルに脆くはないか、それは。
ξ゚⊿゚)ξ「プリンて……」
ツンとブーンは沈痛な面持ちで黙り込んだ。
こんなに苦労して、プリン。
いや、でも、しかし。
彼らがひどく悔やんでいることには違いがないし。
-
ξ゚⊿゚)ξ「……あれ? ここからどうしたらいいの?」
( ^ω^)「んん?」
スプーンを握り、ツンは思い浮かんだ疑問をそのまま口にした。
まだ核に至っていない。
しかし他にヒントらしきものがない。
( ^ω^)「……プリン……」
呟き、ブーンが立ち上がる。
キッチンへ回って冷蔵庫を開けた彼は、何かを持って戻ってきた。
ξ゚⊿゚)ξ「あ」
底の丸い透明なカップに入った、淡い黄色の固まり。
蓋にはとある有名なケーキ屋の名前。
蓋は今はじめて見たが、カップ自体は見覚えがあった。
──あのときのものか。
-
ブーンからカップを受け取り、蓋を剥がして、スプーンで一掬い。
ξ゚⊿゚)ξ「ん」
口の中。ひんやり、ぷるり、やわらかな感触。
ふわりとした表面が崩れて、とろりととろけて、大人しい甘みが舌にじわじわ染みていく。
ミルクが強い。
あんまりにも優しいから、お腹が苦しい筈なのに、どんどんカップの中身は欠けていった。
.
-
□
川 ゚ -゚)『あ、ギコそれ私が食べようと思ってたプリンだぞ』
(*,゚Д゚)『あっ、すんませーん』
仕事から帰り、騒がしい食堂が気になったので覗いてみたら
楽しみにとっておいたプリンを彼が食べていた。
横で酔っ払っているワカッテマスや彼の手元の空き缶を見るに、
彼も酔ってしまって、冷蔵庫に入っていたプリンに手を出したのだろう。
食堂の冷蔵庫は共用だ。自分のものに名前を書いておかなかったら、
誰かに食べられても文句は言えない。
そういうルール。
-
仕方ない。名前を書き忘れた馬鹿な自分が悪い。
そう理解はしているけれど、もやもやした。
ちょっと遠出して買った、人気も値段も高いプリンだった。
一日数量限定で、朝早くから並ばないと買えない。
そんな大事なプリンを共用の冷蔵庫に、しかも名前なしで置いた自分が悪い。悪いけど。
でも。もうちょっと、謝り方くらい。
いや、仕方ない。仕方ないのだ。
彼に悪気なんかないし。酔っ払っているようだし。
怒らないでいよう。こちらが年上なのだから、クールでいよう。
また買えばいいのだから。
──そう思っても、また朝早くに遠出してまで買いに行こうとは、思えなかった。
.
-
一方で彼も、もやもやしていた。
朝になって目が覚めて、何故か痛む頭に首を傾げ、
しばらくしてからようやく昨夜のことを思い出した。
そうだ、間違って酒を飲んでしまったのだ。
そういえば勝手にプリンを食べてしまったような。
ああ、彼女のプリンだった。
すごく美味しくて、蓋に書かれた文字も金ぴかで格好よくて、多分、とても高いものだったろう。
申し訳ないことをした。
なのに、あんな謝り方。あれはひどい。
ちゃんと謝らなければ。
でもこの時間では、彼女は既に出社している筈。
夜に会ったら謝ろう。
-
そうして夜。帰宅したら運良くエントランスホールに彼女がいた。
謝罪するため口を開きかけた。が。
川 ゚ -゚)『ギコ! 照山さんが饅頭くれた。半分こしよう』
まるで何も気にしていないように彼女が言った。
機会を失った言葉がぐるぐる喉の中を回って、そのまま腹へと落ちていってしまった。
もしかして、本当に気にしていないのだろうか。
もしかして、今さら話題を掘り返したら、それこそ嫌な思いをさせてしまうだろうか。
(,,゚Д゚)『……やった、ありがとうございます!』
あのとき出てこなかった言葉がずっと腹の中に留まって、苦しい。
けれど時が経つにつれてますます言いづらくなる。
同じプリンを買ってこようと思ったが、何という名前の店のものか分からない。
蓋を探そうにも、酒盛りが終わった後にみんなできちんと片付けをしてしまったので探しようもない。
きらきらした、ぐちゃぐちゃの曲線みたいな英語、馬鹿な自分には覚えていられなかった。
.
-
彼に怒れないくせに。
彼女に謝れないくせに。
喧嘩にすら出来ないくせに。
一丁前に何でもないような顔をして、一緒に美味しいものを食べて。
そのくせ2人きりだと何だか気まずいから、
( <●><●>)『あ、焼きいも』
(;,゚Д゚)『すぐ見付かった!!』
川 ゚ -゚)『すぐ見付かる! こういうときすぐ見付かる!』
誰かが来てくれると、ひどく安心した。
□
-
川 ゚ -゚)「独り占めしようと思ってたから、バチが当たったのかもしれない」
(,,゚Д゚)「クーさんは饅頭も焼きいもも分けてくれたのに、俺は1人でプリン食べてた」
そっぽを向いたまま、2人は沈んだ声で言う。
-
川 ゚ -゚)「ギコはいい奴だから、酔いが覚めたらちゃんと謝ろうと思った筈なんだ。
私が怒らなかったから、あいつ、謝れなかったんだと思う」
(,,゚Д゚)「クーさん多分あのとき怒ってたのに、我慢したんだ。
俺が悪いってちゃんと言えてたら、クーさん、怒れたのに」
クールが困ったように眉を八の字にした。
ギコが堪えるように眉根を寄せる。
川 ゚ -゚)「でももう怒ってないから、あいつに怒ってやれないんだ」
(,,゚Д゚)「でも今さら謝ったって、クーさんは困るかもしれない」
──怒ってやれないから、ギコが謝れない。だから許してやれない。
──もう怒っていなければ、クールを困らせてしまう。だから謝れない。
2人の姿が崩れる。
ツンのお腹の中が軽くなった。
先程までクールとギコが座っていた席には、
眩しいくらいに真っ白なわたあめ。
-
( ^ω^)「……2人共、頭は良くないけど」
同じように軽くなったのであろう腹を撫でながら、ブーンが口を開いた。
( ^ω^)「だからこそ彼らなりに一生懸命考えて、
それで辛くなることも、あるんだと思うお」
ξ゚⊿゚)ξ「……そうみたいだね」
気にせずに怒ればいい。謝ればいい。
言うのは簡単だが、人より少し回転の鈍い2人には、
どんなに入り組んだ機械よりもひどく複雑に見えてしまうのだろう。
∬´_ゝ`)『余計なこと知らずに生きてきたから真っ直ぐ育ったんじゃないの』
真夏。姉者の言葉を聞いたとき、ツンは深く納得していた。
だから彼らは真っ直ぐなのだと。
でも、あんまりにも真っ直ぐだから、自分の中の何かを曲げてしまったときに混乱するのだ。
-
愛しくてしょうがないという顔でブーンがわたあめを見つめている。
手を伸ばそうとはしていない。
ξ゚⊿゚)ξ「明日までもちそう?」
( ^ω^)「ペースから考えれば、明後日までは大丈夫な筈だお」
ξ゚⊿゚)ξ「なら、今日はわたあめ、食べなくていいと思う」
( ^ω^)「うん。僕も、そう思ったとこだお」
2人は皿が消え去ったテーブルを一瞥してから、入口へ向かった。
扉を開けて振り返る。
しばしそのまま眺めていると、椅子の上でもぞもぞ蠢いていたわたあめが
再びギコとクールの姿をとった。
テーブルに皿が並んでいく。
食堂を出て扉を閉めると、約2時間ぶりの空腹が帰ってきた。
■
-
ξ゚⊿゚)ξ「ギコさん」
(,,゚Д゚)「んえ? なんすか?」
翌日はちょうど休日だった。
ホールへ下りてきたギコを手招きし、食堂へ呼ぶ。
ξ゚⊿゚)ξ「えーと……手伝ってほしいんですけど」
(,,゚Д゚)「俺に出来ることなら!」
食堂のテーブルには既にブーンが座っている。
にこにこと見つめてくるブーンにギコは首を傾げつつ、
キッチンへ移動するツンに大人しくついてきた。
-
(,,゚Д゚)「んで、何するんすか?」
ξ゚⊿゚)ξ「プリンを」
(,,゚Д゚)「はい?」
ξ゚⊿゚)ξ「作ろうと。思って」
間。
ぱちくりと瞬きをしたギコは、ややあって、えええ、と叫んだ。
(;,゚Д゚)「プリン!? プリン作れんすか!? 天才なのか!?」
ξ゚⊿゚)ξ「いや、別にそこまでの……」
恥ずかしくなってくるからやめてほしい。
熱くなりそうな顔をむりやり抑え、冷蔵庫から材料を出していく。
卵と牛乳。あとは砂糖。これだけだ。
(;,゚Д゚)「どうやって作るんすか!?」
ξ゚⊿゚)ξ「電子レンジで……」
(;,゚Д゚)「でんしれんじで!!?」
すこぶるうるさい。
UFOか妖怪でも見るかのような目をしてこちらを凝視してくる。
-
ξ゚⊿゚)ξ「もちろん本格的な作り方じゃないんですけど、まあ、それっぽいものは出来るので……」
クールとギコに火を使わせてはいけない(ギコはそこに刃物も加わる)という
子持ちの家庭みたいなルールがアパート内に定着しているので、
火を使わないレシピをインターネットで調べてみたところ、電子レンジを使う方法がヒットしたのである。
念のため自分の部屋でも試しに作ってみたが、なかなかそれらしいものが出来た。
ξ゚⊿゚)ξ「マグカップで作れるんです」
(;,゚Д゚)「へえー……」
(*^ω^)「ツン、僕のも」
ξ゚⊿゚)ξ「分かってるから」
ブーンに答えて、食器棚からツンとブーンのマグカップを取り出す。
食堂に置かれている食器は基本的に共用だが、
しょっちゅう食堂を利用する者は、自分だけの箸やカップを常備してあるのだ。
特にマグカップはほとんどの住人が置いている。
-
(,,゚Д゚)「……それ、俺の分も作っていいかなあ……」
ツンの手元を眺めながら、ギコが呟く。
それを聞いてツンとブーンは目配せをした。
ξ゚⊿゚)ξ「勿論。使いたいカップ、出してください。
誰かにも作ってあげたければ、その人のも」
ギコは悩むように手をさ迷わせ、自分とクールのカップを手に取った。
.
-
川 ゚ -゚)「──何か甘い匂いする」
頃合いを見計らってブーンが連れてきたクールは、鼻をひくつかせてそう言った。
(,,゚Д゚)「クーさん!」
川 ゚ -゚)「ん、ギコもいたのか」
ちょうど冷蔵庫で冷やし終えたプリンを取り出すところだった。
ギコが2人分のマグカップを持っているのを見て、首を傾げるクール。
川 ゚ -゚)「何で私のカップ持ってるんだ?」
(,,゚Д゚)「プリン! 作りました!」
川 ゚ -゚)「作っ……? プリンは売り物じゃないのか?」
(,,゚Д゚)「チンして出来たんすよ!」
川 ゚ -゚)「何を言ってるんだ……? 気でも狂ったのか?」
( ^ω^)「君達はプリンを何だと思ってるんだお」
クールをテーブルに座らせ、ツンが彼女の前にスプーンと皿を置く。
それからギコが、慎重な手付きで皿の上にカップを引っくり返した。
物凄い真剣な顔をして、ゆっくりカップを持ち上げる。
-
川 ゚ -゚)「お」
(*^ω^)「おー!」
(;,゚Д゚)「おおお……!」
ξ゚⊿゚)ξ「ちゃんと固まってますね」
ぷるんと揺れる、なめらかな黄色。
てっぺんには色濃いカラメル。
川 ゚ -゚)「本当に食べていいのか?」
(;,゚Д゚)「はい!」
川 ゚ -゚)「そっか、じゃあいただきます」
クールは右手のスプーンで幾度かプリンをつついてから
そっと優しく掬い上げた。
ちゅるん。小振りな唇に、プリンが吸い込まれる。
じっくり丹念に味わった彼女は、ごくんと喉を鳴らして。
ほんの僅かに頬を緩ませた。
-
川*゚ -゚)「美味しい」
その顔を瞬きもせず見つめるギコの目が、徐々に徐々に、潤んでいく。
やがてぼろりと涙が零れて──
(,,;Д;)「クーさあああん!!」
川 ゚ -゚)「えっ何だいきなりえっ」
(,,;Д;)「勝手にプリン食べてごめんなさああい!!」
まさかの土下座。
-
わんわん泣きながら謝るギコと傍観するブーンとツンを何度も交互に見たクールは
言葉を探すように視線を斜め上にやり、何か思いついたか、ギコの前にしゃがみ込んだ。
川 ゚ -゚)「いいよ、許す。だからギコも一緒に食べよう」
.
-
──あ、とブーンが顔を上げる。
(*^ω^)「消えたお」
ξ゚⊿゚)ξ「そう」
良かったね、なんて甘ったるい言葉が出そうになって、ツンは唇を噛んだ。
この場で甘いものなどプリンだけで充分だ。
だから、クールと一緒にギコを起き上がらせて、みんなでプリンを食べよう。
■
-
じわじわと色彩が溶けていき、きんと空気が収縮し始める。
ξ゚⊿゚)ξ「さむ……」
( ´ω`)「寒いお」
吐く息が白い。
まだ雪は降っていないが、予報では明日にでも降るらしい。
エントランスの前、枯れ葉を箒でがさがさ集めていく。
-
爪'ー`)y‐
( ^ω^)「お」
作業着の上にジャンパーを着ただけのフォックスがエントランスから出てきた。
寒そうだ。
彼の白い呼気はほとんど煙草の煙だろう。
( ^ω^)「おはようフォックス」
ξ゚⊿゚)ξ「おはようございます」
声をかけて頭を下げる。
しかしフォックスはこちらに一瞥もくれず、さっさと歩いていってしまった。
いつものことだ。
('、`*川「兄さん!」
直後、今度は妹が飛び出してきた。
パジャマにカーディガンを羽織っただけの姿。髪も少し乱れている。
寝起きそのままといった格好。
立ち止まったフォックスが振り返る。
-
('、`*川「お財布忘れてたよ」
爪'ー`)y‐「おー……サンキュー」
('、`*川「行ってらっしゃい、気を付けてね」
爪'ー`)y‐「行ってきます」
ペニサスの差し出した財布を受け取り、そちらへはしっかり挨拶を返して、
そのうえ彼女の頭を撫でてからまた歩き出した。
ペニサスは兄を見送った後に踵を返し、ツン達におはようございますと一礼する。
ξ゚⊿゚)ξ「おはようございます」
( ^ω^)「おはようおー」
('、`*川「あ。……あの……」
( ^ω^)「お? 何だお?」
何事か言い淀んだ彼女は、結局「何でもないです」とだけ呟いて、
足早にアパートの中へ戻っていた。
-
その背を眺め、それからフォックスが去っていった方向を見遣ったツンの口から
白い息が多めに漏れる。
ξ゚⊿゚)ξ「あの態度の変わりよう」
( ^ω^)「いつものことだお」
-
■ 冬の寝床 ■
-
今日はここまで
-
乙乙
-
乙
突然の飯テロ
-
腹一杯だったからなんともなかったぜ
-
乙 クーとギコ、バカ可愛い
-
爪'ー`)y‐ プカー
('、`*川「わ、すごい」
ぽ、ぽ、とフォックスの口から出る輪っか状の煙に
ペニサスが感嘆の声をあげて拍手する(右手に缶ジュースを持っていたので、ただ缶を叩いたようなものだが)。
フォックスは目を細め、ソファの背もたれに乗せていた右手でペニサスの頭を撫でた。
知らない人間から見れば単に仲のいい兄妹に映るのかもしれない。
知っている人間から見れば、何だってその愛想を妹以外に向けられないのだという風に映る。
-
∬*´_ゝ`)「あけおめー」
川*゚ -゚)「ことよろー」
(*,゚Д゚)「うぇーい」
(*<●><●>)「あーい」
床に直接座ってテーブルを囲む4人は、もうだいぶ出来上がっている。
缶ビールやらお猪口やらを突き合わせ、怪しい呂律で新年の挨拶。
ギコは12月に20歳になったものの、秋の失敗への戒めなのか
しばらく酒は飲まないと言って、先程から烏龍茶しか飲んでいない。
なのに場の雰囲気で酔っているのだから凄い。
──ついさっき、年を越した。
経緯は割愛するとして、とりあえず1階のホールに住人全員が集まり
適当な番組を見つつ飲み食いして新年を迎えたわけである。
-
/ ,' 3「おめでと」
ξ゚⊿゚)ξ「ん、あけましておめでとう」
(*^ω^)「めでたいおー」
ξ゚⊿゚)ξ「ん、めでたい」
流されていくらか酒を飲んだツンも、割と頭が回っていない。
ぽかぽかする。
ストーブ一台ではこの広い空間を暖まらせるのに少々力不足だが、
アルコールのおかげで体はぬくい。
初詣に行くかと騒ぎだした4人の声を聞き流しながら、新たなチューハイの缶を持ち上げた。
.
-
ξぅ⊿-)ξ(ん……)
身じろぎし、目を開ける。
エントランスホール。ソファの上で身を丸めるようにして横たわっていた。
ぼうっと考える。ストーブはついているし毛布に包まってもいるが、やはり肌寒い。
どうやらあのあと寝てしまったようだ。
川 - -) スー
(,,-Д-) グガー
クールとギコが床に転がっている。こちらも毛布を掛けられていたようだが
寝相のせいかほとんどズレているため、意味をなしていない。
風邪を引いてしまうのでは。
そのまま視線を上げ、ぎょっとした。
爪'-`)
(-、-*川 ムニャ
L字型の大きなソファ、その一辺にツンがいるのだが
もう一辺の方にペニサスが眠っており、
すやすやと眠る彼女の穏やかな寝顔をフォックスが至近距離で見つめていた。
-
見つめるというより凝視と言った方がニュアンスは近いだろうか。
床に膝をつき、上体を曲げて10センチ程度の近さに顔を寄せている彼は、
感情の覗かない目でじっと妹に視線を送り続けている。
爪'-`)
(-、-*川「んん」
ペニサスが寝返りをうつと、フォックスは顔をもたげ
彼女の体の下に腕を差し込んで毛布ごと抱え上げた。
反射的にツンは目を閉じて寝たふりをする。
──階段を上っていく足音。
それが遠ざかるのを待って、再び瞼を持ち上げる。
川 ゚ -゚)「び」
床に転がるクールも目を開けていた。
川 ゚ -゚)「っくりした」
(;,゚Д゚)「起きたら絶対殺されてましたよ俺ら……」
ξ゚⊿゚)ξ「起きてたんですか」
川 ゚ -゚)「わっ。照山さんもか。いつから?」
ξ゚⊿゚)ξ「さっき」
-
川 ゚ -゚)「そうか、私達はちょっと前に起きてな。寝たふりをしておいて
1階に下りてきた人にドッキリを仕掛けようと思って……」
(,,゚Д゚)「そしたらお兄さんが起きてアレですもん……」
どういう行動なんですか、とギコが訊ねてくるが、訊かれても困る。
ツンは一人っ子なので分からないけれども、きょうだいとしては普通の光景なのか。そんな馬鹿な。
∬´_ゝ`)「あ、起きてる」
( <●><●>)「おはようございます照山さん。そして馬鹿共」
川 ゚ -゚)「おお姉者さんにセンセー。おはよう」
恐怖体験を語り合うような気持ちでいた3人のもとへ、
階段から姉者とワカッテマスの声が飛んできた。
2人とも旅行鞄を持っている。
∬´_ゝ`)「私とセンセーが毛布持ってきたのよー」
ξ゚⊿゚)ξ「ありがとうございます、すみません」
姉者とワカッテマスは鞄をエントランスの傍に置くと
それぞれ毛布を回収して、一旦自室へ仕舞いに行った。
少しして、また2人が戻ってくる。
-
∬´_ゝ`)「ペニサスちゃんに掛けた分がないわねえ」
川 ゚ -゚)「フォックスさんがペニちゃんごと持っていってしまった」
(;,゚Д゚)「あー、もー聞いてくださいよー! めっちゃ恐いの見たんすよさっきー!」
ギコが身ぶり手振りで先程のことを説明すると、
姉者もワカッテマスも呆れたような顔をした。
∬´_ゝ`)「あいつのペニサスちゃんに対する執着何なの……
執着するだけならまだしも、その表現の仕方は何とかならないもんかしら」
( <●><●>)「昔はもうちょっとマシでしたよ、奴は」
ワカッテマスと伊藤兄妹がここに住み始めたのはほぼ同時だったらしい。
今から数えれば大体5年近く前の春だとか。
川 ゚ -゚)「5年前ってペニちゃんまだ……うん?」
( <●><●>)「伊藤は中学生で、奴の方はもう働いてました。
あの頃の奴は、まあ元から人付き合いは薄かったですけど
普通に挨拶を返してくるくらいにはまともでした」
(,,゚Д゚)「へえー! あのお兄さんが挨拶するとは」
( <●><●>)「逆に昔は伊藤の方が塞ぎがちでしたね。
最近はそれなりに積極性が出てきましたが……ああ、でも奴の前だとまた大人しくなりがちです」
何とも謎の多い兄妹である。
そこへ今度は、いつものバリトンボイス。
-
( ^ω^)「皆さんお揃いでー」
何の話をしているのかと問うブーンに、フォックス達の話だと返せば
大体察したのか「あー」と唸った。
∬´_ゝ`)「ブーンは何か知らないの?」
( ^ω^)「あの2人は、まあ、色々あるんだお」
当たり障りのない返事をして、ブーンが壁の時計を見上げる。
( ^ω^)「みんな新幹線の時間はいいのかお?
ギコとクールに至っては準備すらしてないようだけど」
川;゚ -゚)「あっ、しまった!」
(;,゚Д゚)「やべー! 年末帰らなかったから今日遅れたら絶対あいつに怒られる!
教えてくれてありがとうございます!」
(*^ω^)「おっおー、彼女さんによろしくお」
ばたばたと階段を駆け上がっていくギコ達を、ブーンがにこにこ見送る。
姉者達は今日帰省するのだという。
ツンは、せめて管理人になってから一年経つまではここで毎日過ごすと決めているので
盆にも帰省はしなかったし、この正月にもするつもりはない。
伊藤兄妹も盆だろうが正月だろうがここに残るようだし、
ブーンもどこかへ帰省する気配はなかった。
彼を眺めつつ、姉者がツンに囁く。
∬´_ゝ`)「謎具合で言えばブーンも大概よね」
ξ゚⊿゚)ξ「……そうですね」
■
-
正月を過ぎた後の、どことなく気だるい空気も徐々に薄れて。
2月になった。
空気は冷たいけれど、どことなく穏やかに時間が流れゆく。
そして、久しぶりに雪が降った日の翌日。
日曜日の夕方。
('、`*川「あ、あの」
ξ゚⊿゚)ξ「はい?」
('、`*川「ブーンさんいませんか?」
ホールで休憩していたツンのもとにペニサスがやって来て、
おずおずと声をかけてきた。
-
ξ゚⊿゚)ξ「出掛けてます。用があるなら伝えておきますけど」
('、`*川「あの、……あの、」
しかし彼女はしばらく言い淀み、
('、`*川「……ごめんなさい、何でもないです」
肩を落として、アパートを出ていってしまった。
どう見ても何でもなくはない。
12月頃から、度々こういうことが起きている。
時折ペニサスがブーンに話し掛け、散々悩んだ末に何も言わずに話を終えるのだ。
ツンがいると話しづらいのかと思い席を外しても、結局ごめんなさいとだけ言って去っていくらしい。
住人間のトラブルの対処はブーンの仕事。
それに伴い、相談事があれば聞く、とも言っているそうだが
ペニサスは何か相談したいことでもあるのだろうか。
そういえば、たしか、ペニサスの就職が決まった頃から
彼女の様子があのように変わったのだっけ。働き先に何かしら不安があるのかもしれない。
──考え込んでいたら、上から、何かの割れる音がした。
-
ξ;゚⊿゚)ξ「っ!?」
飛び上がる。何事だ。上が騒がしい。
2階──いや3階からか。
階段の下から覗き込むと、クールが駆け下りてきた。
川;゚ -゚)「ブーンは!?」
ξ;゚⊿゚)ξ「出掛けてます」
川;゚ -゚)「じゃあペニちゃんは!」
ξ;゚⊿゚)ξ「さっき出掛けました。何があったんですか?」
川;゚ -゚)「フォックスさんが窓割った!」
仰天し、クールと共に3階へ向かった。
3階の廊下の窓が一つ割れており、その前に、ワカッテマスに羽交い締めにされたフォックスと
床にへたり込むギコがいた。
鬼のような形相でギコを睨みつけるフォックスの右の拳から、
ぽたぽた、血が垂れている。
まさか窓ガラスを殴ったのか。
-
ξ;゚⊿゚)ξ「……どうしたんです、これ」
(;,゚Д゚)「お、俺が、俺が、」
ギコはすっかり青ざめて、泣きそうな顔で窓を指差しながら振り返った。
慌てるあまり言葉が続かないようでまったく要領を得ない。
ξ;゚⊿゚)ξ「フォックスさん」
爪'-`)
ギコがおろおろする内にフォックスの方は些か落ち着いてきたらしい。
ワカッテマスに解放されるなり、舌打ちをして壁を蹴り、早足で階段へ向かってきた。
ξ;゚⊿゚)ξ「フォックスさん!」
心持ち大きな声で呼び止めたが、彼はそのまま階段を下りていった。
仕事着だ。夜勤であるなら、普段彼がアパートを出ていく時間が今くらい。
ξ;゚⊿゚)ξ「……明日、帰ってきたら話聞かせてもらいますよ!」
管理人らしいことを言えたなと、片隅に浮かんだ場違いな思考は恐らく現実逃避の類。
やっぱり自分では上手くいかない。こういうのはブーンの担当だ。
割れた窓から入り込んだ寒風に身を震わせ、改めてギコの方を見た。
-
ξ゚⊿゚)ξ「一体何が」
( <●><●>)「正直ぼくにも分かりませんが、おおかた羽生君が不用意に
妹のことで奴に話し掛けたんじゃないですか。
このくらいの時期は荒れやすいんですよ」
川;゚ -゚)「なに言ったんだギコ」
(;,゚Д゚)「びっくりして覚えてない、けど、たしかにペニちゃんの話題です……
廊下に出たらお兄さんがいたんで何となく話しかけて、──……ごめんなさい……」
俯くギコの傍にしゃがみ、ツンは少し迷ってから、彼の肩に手を置いた。
ξ゚⊿゚)ξ「ギコさんが悪いわけじゃありませんよ」
クールとワカッテマスに目配せすれば、頷いた2人がギコの腕を引っ張って立ち上がらせ、
どこかへ連れていった。
ギコならば大丈夫だ。彼らと話していれば立ち直るのも早いだろう。
それよりフォックス。
どういうつもりなのだ。
怒りよりも、寧ろ不安が勝る。
何だかんだワカッテマスには直接手を出すことがあるものの、
他の人間にはそういった対応は少ない。
今回もギコを殴ってはいないが、だからといって、これは。
少し恐い。
-
ξ゚⊿゚)ξ(……とりあえずガラス何とかしないと)
携帯電話で近場の修理業者に連絡する。すぐ来てくれるそうだ。
一度1階に下りると、買い物に行っていたブーンと祖父が帰ってきたところだった。
(;^ω^)「……ただいま」
/ ,' 3「ただいま」
おかえり、と言いかけて口を噤む。
ブーンの左頬に、痣のようなものができていた。
-
ξ゚⊿゚)ξ「どうしたの」
(;^ω^)「今フォックスが……あ、いや、何でも……」
誤魔化そうとしても遅い。
名前を聞いただけで大体想像がつく。
フォックスはついさっき出ていったところだから、坂でブーン達と会っただろう。
そこで何か話して──
ξ゚⊿゚)ξ「フォックスさんに殴られたの?」
(;^ω^)「いいんだお、ツン。仕方ないんだお」
ξ゚⊿゚)ξ「良くない」
不安が、今度は怒りに変わっていく。
フォックスにとってペニサスの話題がデリケートなのは分かるが、
窓を割って、ブーンを殴って。そこまでするか。
ξ゚⊿゚)ξ「だって、ひどい」
色々思うのに、碌に言葉が出てこない。
俯くと、ブーンがツンの肩をぽんと叩いた。
-
( ^ω^)「ありがとう、ツン。でも本当に僕は大丈夫だお。
──それよりフォックスの方が心配だお」
顔を上げる。
ブーンは、エントランスの方を見つめていた。
その目は──「仕事」のときの。
ξ゚⊿゚)ξ「フォックスさんが危ないの?」
( ^ω^)「この時期になると、ずしっと来ちゃうんだお……。
しかも今さっき急激に増えた。
今夜の内に何とかしないと危険だお」
ξ゚⊿゚)ξ「さっき──ギコさんと話して、それですごく怒って……フォックスさんが」
/ ,' 3「窓」
祖父が呟く。
フォックスが割ったのは、アパートの正面側の窓だ。彼らにも割れているのが見えたろう。
ξ゚⊿゚)ξ「うん、窓、割ったの。あ、業者さん呼んだからもうすぐ来る」
/ ,' 3「ん」
祖父がのろのろ階段を上る。
様子を見に行ったのだろう。
ついていこうとしてソファに荷物を置いたブーンが、よろけて背もたれに手をついた。
-
ξ゚⊿゚)ξ「……もしかして体調も悪いの?」
( ^ω^)「大丈夫だお」
ξ゚⊿゚)ξ「大丈夫じゃない」
今夜──フォックスの淀みを食べに行くというのに。
あの作業は精神的に大きな負担がある筈だ。
体調が悪い状態で行うべきものではない。
しかし今夜の内に何とかしなければならないとブーンが言っている。
ならば。
ξ゚⊿゚)ξ「……手伝う」
ツンがブーンの腕を掴んで言うと、彼は痣のできている面をこちらに向けた。
-
( ^ω^)「……フォックスのは今まで何度も食べてきてるから、慣れてるお。大丈夫」
ξ゚⊿゚)ξ「倒れたりしそうで恐いし」
手伝う、というよりは。
傍について、ブーンが良くない状態へ落ちてしまわないよう監視したいというのが本音だ。
じっと彼の顔を見つめた。彼もツンの瞳を見つめ返す。
( ^ω^)「上手く言えないけど、僕は大丈夫だお、本当に」
ξ゚⊿゚)ξ「何で言い切れるの」
( ^ω^)「分かるんだお。自分のことだから」
ξ゚⊿゚)ξ「私はブーンが本当に大丈夫かなんて分からない」
( ^ω^)「……。
……良くないお。知られてしまう彼らにも、知ってしまう君にも」
少し、詰まってしまった。
ブーンが目を眇める。
( ^ω^)「ツン。過去3回、僕の仕事を手伝った後の君は
決して小さくない後悔を部屋に落としていたお」
-
( ^ω^)「興味本位で首を突っ込みたがるような人じゃないのは分かってるし、
実際、君は知ってしまうことを後ろめたいと思ってる。
君の負担になっているじゃないかお」
ξ゚⊿゚)ξ「ブーンの負担にもなってる」
どうしたって、負担というものは出るだろう。仕事なのだから。
ならば尚更、1人だけが被らねばならないものではない筈だ。
ξ゚⊿゚)ξ「……私だって管理人だよ」
自分の仕事だけすればいい、と姉者は言うが。
役割分担だとブーンは言うが。
同僚のサポートだって、ツンの仕事で、役割だ。
ブーンが妙な顔でツンを見下ろしている。
やがて小さく吹き出し、呆れたように風に首を振った。
( ^ω^)「やっぱ僕の女王様だおー」
ξ゚⊿゚)ξ「それ何なの」
急に気持ち悪いことを言われると見放したくなるのでやめてほしい。
.
-
しばらくして、修理業者が来た。
3階へ案内するため階段へ誘導する。
( ^ω^)「僕は夜までちょっと休むお」
深夜に伊藤兄妹の部屋へ行く約束をし、ブーンは自室へ帰っていった。
体調が良くなればいいのだが。
──修理作業は数十分ほどかかるそうだ。
祖父に立ち会いを任せてツンは2階へ下りる。
ξ゚⊿゚)ξ(ほっぺた、ちゃんと手当てするのかしら)
ブーンのことが少し気になった。
結構派手な痣だったし、放置しておくのも良くないように思う。
自室から救急箱を持ち出して、斜交いの202号室、ブーンの部屋へ。
ノックを2回。──反応はない。
-
ξ゚⊿゚)ξ(もう寝ちゃったかな)
だとすると早い。別れてから5分も経っていない。
再びノック。返事なし。
もしかして本当に寝たのか。それほど具合が悪いのだろうか。まさか倒れていたりなど。
──出来心で。
ドアノブを軽く捻ったら、抵抗なく開いた。
驚いて引っ込みかけた手で、改めてドアノブを回す。
ξ゚⊿゚)ξ「……ブーン?」
ちょっとだけ開けた隙間から呼び掛ける。
これにも返事はない。
-
ξ゚⊿゚)ξ「?」
思いきって覗き込み、──ぽかんとした。
異様に物が少ない。
少ないというか、もはや何もないに近い。
さすがに奥の部屋には物を置いているだろうが、引き戸が閉まっているので分からない。
静かだ。
まるで誰も住んでいないみたいに。
ξ゚⊿゚)ξ「……」
何となく恐くなって、玄関先(靴も置いていない)に救急箱を置いて
そっとドアを閉めた。
■
-
( ^ω^)「ツン、僕の部屋に来てたかお?」
ξ゚⊿゚)ξ「……うん。鍵開いてたから勝手に開けて、救急箱だけ置いた。ごめん」
( ^ω^)「いいお、ありがとう。僕こそごめん。奥で寝てたんだお」
深夜。
伊藤兄妹の部屋、302号室の前で落ち合ったブーンの頬には湿布が貼られていた。
やはりあのとき、奥の部屋にいたのか。
しかし玄関には靴もなかった──
いや、そういえばブーンはいつも「内面」に上がり込むときに靴を脱いでいなかった。
もしや脱がない主義なのか。
ツンがぐるぐる考えている内に、ブーンは丸い鍵を鍵穴へ差し込んでいた。
こきん。
.
-
( ^ω^)「……本当に来るかお? 僕はもう大丈夫だお」
ξ゚⊿゚)ξ「行く」
たしかに顔色はいいしすっかり元気なようだが、
いわば病み上がりである。放ってはおけない。
ブーンは肩を竦め、ドアを開けた。
──薄暗い。
電気のついていないキッチンには、ほんのりと青みがかった光が射し込んでいる。
夜明け、だろうか。
一歩踏み込むと、冷気が足首を擽った。
ξ゚⊿゚)ξ「寒っ」
( ^ω^)「いつもこうだお」
いつも、か。
夕方にも言っていたが、本当に、フォックスの淀みを何度も食べてきたらしい。
-
ξ゚⊿゚)ξ「……何か和室の入口がなくなってる」
( ^ω^)「ペニサスの部屋だお」
ツンの203号室とは方角が真逆に当たるこの部屋は、間取りも逆になっている。
だから左が和室で右が洋室。
しかし本来ならば和室に続く引き戸がある筈の場所は、ただの壁へと変わっていた。
ペニサスの部屋には直通で行けないということか。フォックスらしい。
( ^ω^)「さあ、早く入っ──」
('、`;川「──何してるんですか?」
(;^ω^)ξ;゚⊿゚)ξ「!!」
ブーンとツンの肩が、勢いよく跳ねた。寒いのに汗が浮かんだ。
顔を見合わせ、恐る恐る振り向く。
──ブーンが閉めようとしたドアの前に、コートを着込んだペニサスが立っていた。
-
(;^ω^)「な、何で!? まだ寝てなかったのかお?」
出で立ちからして外出から帰ったところだろう。
エントランスの鍵は念のため住人にも渡してあるので
夜中に外出することは可能である。
('、`;川「さっきコンビニに行ってきて……」
(;^ω^)「何で気付かなかったんだお僕……! ああ、気ィ抜いてた!
ていうか夜中に女の子が1人で出歩いちゃ駄目だお! フォックスに言い付けるお!?」
('、`;川「ひっ。そ、それは勘弁してください」
捲し立てるブーンに怯んだペニサスだったが、「それよりも」と困惑顔で室内を指差した。
そりゃあブーンとツン2人だけで隠せやしないので、部屋の異変は丸見えである。
('、`;川「……何なんですかこれ」
ξ;゚ -゚)ξ
誤魔化しの言葉も浮かばないし、そもそもこの状態で誤魔化せるわけがない。
どうするの、という問い掛けを視線に籠めてブーンを見上げる。
ブーンは頭を抱えて悩んだ末に、
(;^ω^)「……おいでペニサス」
と言って、玄関からキッチンへ上がった。
-
ξ;゚⊿゚)ξ「いいの?」
(;^ω^)「誤魔化しようがないし──もしかしたらペニサスは、見た方がいいのかもしれないお」
そうすれば、もしかしたら。
──そう何か言いかけて、ブーンは黙った。
ペニサスが混乱しながらも部屋に上がり、先のツンのように「寒い」と呟く。
ひどく不安げだ。当たり前か。
しかしまあ、ペニサスにまで見付かるとは。
祖父が言っていたように、やはりブーンは手際が良くないのだろうか。
それともイレギュラーなツンがいたせいか。だとしたら申し訳ない。
でも正直なところ、完璧に隠し通すよりも
こうやってうっかり見付かってしまう方が「当然」という気がしないでもないのだ。
('、`;川「これ、どうなってるんですか……」
ξ゚⊿゚)ξ「……私もよく分かってないです」
小声を交わすツン達を他所に、ブーンが右側、洋室の戸を引いた。
途端、漂ってきた空気にツンは鼻を押さえた。
-
ξ;゚⊿゚)ξ「ゔっ」
──臭い。
洋室は普通だ。誰かが抜け出た跡の残る布団と、床に置かれた雑誌類。
壁に掛かる作業着やローテーブルに乗った灰皿、煙草のパッケージ。
フォックスの部屋だろう。片付いているというか、物が少ない。そして誰もいない。
だが、異様な臭いがする。
何かが腐ったような。
( ^ω^)「死んでしまった淀みの臭いだお」
('、`;川「よどみ?」
ブーンは、かつてツンに説明した内容をペニサスにも聞かせた。
後悔が部屋に溜まりやすいこと、その後悔が溜まりすぎると心のどこかが死んでしまうこと、
それを防ぐためにブーンが動いていること。手短に。
ペニサスは受け止めきれないのか、どことなくぼうっとした顔でそれを聞いていた。
-
( ^ω^)「フォックスの淀みはひどく不安定だお。
ゆっくり積み上がっていたかと思えば異常なスピードで育ったり、また戻ったり……」
( ^ω^)「対処が間に合わず、目の前で淀みが死んでしまうことも何度かあった」
死んでしまう──
フォックスの心は既に、いくつかの部位が死んでしまっているのだ。
ξ;゚⊿゚)ξ、
('、`;川「……兄さん……」
ペニサスの呟きは、ただ兄を呼ぶだけで、それ以上のものではなかった。
目を逸らす。
隣の部屋との区切りである戸襖が目に入ると、ぞくり、違和感。
「ヒント」だ。
ブーンが戸襖を開ける、と──
ξ゚⊿゚)ξ「……また洋室」
本当であればペニサスの部屋、和室がある筈だ。
しかし目の前にあるのは、今ツン達が立っているのと同じ洋室で、
部屋の様子もまるで一緒だった。
.
-
( ^ω^)「勝手に間取りを変えるほど強い念なんだお」
言って、ブーンがペニサスに手を伸ばした。
( ^ω^)「──ペニサス。君は今から兄の記憶を見ることになる。覚悟してくれお」
コートの裾を握り締めていたペニサスは不安げに瞳を揺らし──
頷くと、ブーンの手を取った。
ツンも並んで、隣室へ足を踏み入れる。
.
-
□
春というのは様々な変化が訪れる時季だ。
人生で最大の変化が起こったのも春、4月のことだった。
妹が産まれたのだ。
(-、-*川 プゥプゥ
小さな鼻から空気を漏らして眠る赤ん坊。
普通サイズの布団に寝かされているため、余計に小さく見える。
爪 ー )(小さい)
10も歳が離れていると、やはり妙な感慨がある。
自分が大人になっても、この妹はまだまだ小さいままなのだろう。
小さくて、丸くて、可愛くて、まるで人形のようだ。
でもちゃんと呼吸をしているから生きた人間である。
-
『フォックス、おやつにしましょう』
母に呼ばれて、リビングへ移動した。
妹は寝室で眠ったままだ。
爪 ー )『ペニサスを見てなくていいの』
『いいの。赤ちゃんって、意外と放っておいても大丈夫なものよ』
そうなのだろうか。そういうものかもしれない。
でも、それなら、10歳の自分はもっと大丈夫な筈なのだから、
やはり妹の方に付いていてやってほしいと思うのだけど。
母は、おやつを食べる自分のことをじっと、ずっと、微笑ましげに見つめていた。
□
-
('、`;川「……これが兄さんの記憶ってことですか」
──頭を押さえていたペニサスが、呆然と声を漏らした。
さすがにこれを見せられては、彼女もこの事態を受け入れるしかならなくなったようだ。
全体的に色味が薄く、それ故に冷ややかな色合いの多い光景だった。
顔を上げる。戸襖。また、違和感。
恐らくは、部屋をくぐることが「ヒント」を集めることに繋がるのだろう。
ξ゚⊿゚)ξ「……これ、もしかして何部屋も続くわけ?」
( ^ω^)「そうだお。でも進んでいけばいいだけだから、楽ではあるお」
ξ゚⊿゚)ξ「どれくらい?」
( ^ω^)「結構多い。──だから僕が間に合わないときがあるわけだお」
ブーンがペニサスの手を引く。
戸襖を開けばやはり、また洋室。
-
□
爪 ー )『……誰もいねーの』
中学校から帰ると、珍しく無人だった。
いつもならばパートを終えた母と、保育園から帰った妹がいるのだが。
もしかしたら今まさに妹を迎えに行っているのかもしれない。
台所の戸棚から菓子パンを出して、小腹を満たす。
数学と歴史の宿題を済ませて顔を上げると、帰宅してから一時間ほど経過していた。
日の短い冬。外は暗くなり始めている。
丁度そのとき電話が鳴った。
妹の通う保育園からだった。
『お母さんがまだ迎えに来てないんですが……』
爪 ー )『え……あー……俺行きます』
念のため母の職場に連絡を入れてみたが、やはり既に仕事を終えて帰ったという。
.
-
('ヮ`*川『にーちゃ!』
保育園。
満面の笑みで駆け寄ってくる妹を見て、こっちまでだらしない笑顔になりそうだった。
('ヮ`*川『にーちゃ』
爪 ー )『うん、兄ちゃんだぞ』
足をよじ登ろうとする妹の手を押さえる。登れないし、服が伸びる。
こちらを眺める保育士の目に羞恥を覚え、
抱え上げた妹の肩で口元を隠した。
家に帰ると母がいて、妹を迎えに行ったことを褒められた。
母は、倒れた親戚の見舞いへ行っていたという。父も把握していたので本当だろう。
それなら、保育園に連絡くらいするべきだろうに。
□
-
──部屋を進むごとに、ペニサスとの思い出がいくつも再生された。
どれをとっても真っ当に愛情を送り合う2人の姿があって、
いい兄妹であったのが分かる。
ただ、その記憶の中で、フォックスは常に両親へ懐疑的な目を向けていた。
ペニサスへの関心が薄いのだ。
フォックスに対しては寧ろ過保護じみているのだが。
('、`*川「……兄さん、頭が良くて、運動もできたから」
ブーンに手を掴まれたまま進みながら、合間にペニサスは語った。
-
('、`*川「父も母も、兄さんにすごく期待してたんです。
だから兄さんの方ばっかり見てた」
とはいえ。ニュースで見るような暴力的な親よりはマシだろうし、
ペニサスもそれを受け入れているように見えていたので、
急いでどうにかする必要もない──とフォックスは考えていたのだ。
危機感が薄いとツンには分かるが、これが「後悔」に繋がるという前提があるから
ツンは冷静に見られるだけであって、
当時のフォックス本人──それも子供──には、そもそもどうしようもないことだったろう。
6つ目の記憶に差し掛かり、それは不穏な色を滲ませ始めた。
-
□
爪 ー )『ペニサス。やなこと、ないか?』
『ううん、何もないよ』
全寮制の高校に入ったため、妹との触れ合いはめっきり減った。
母に勧められるがままに受験した進学校で、本当はあまり気が乗らなかったものの
いざ始まってみると思いのほか楽しい3年間を送れた。
両親と妹の間で気を遣う必要がなくなったからかもしれない。
とはいえ勿論、妹のことを気にかけなくなったわけでもないので
ちょくちょく電話で連絡をとってはいた。
-
爪 ー )『勉強がんばってるか?』
『うん、私、兄ちゃんみたいに頭良くないからいっぱい頑張らないとダメだもん』
小学2年生の割に控えめで、自信の薄い子だと思った。
少し不安になる。妹の個性というより、環境のせいなのではないか。
高校の卒業式が近い。
大学近くのアパートで一人暮らしをすることになったが、
今よりは妹に構ってやれるようになる。
そしたら目一杯甘やかしてやろう。
『──お兄ちゃんはしっかりしてるのにね。あんたはどうしてこうなのかしら』
('、`*川『ごめんなさい……』
『お兄ちゃんはあんなに立派なのに』
──卒業式を終え、新生活が始まる4月までの空き時間。
実家で過ごすことにして数日経った日の昼。
コンビニから帰ると、母親が妹を責める声が居間から聞こえてきた。
-
爪 ー )『ただいま』
そう言って居間に入れば、ぱっと振り向いた母親が
こちらと妹を交互に見てから、おかえりとだけ言った。
正座する妹の前には小学校の成績表があった。
爪 ー )『ペニサス、春休みの宿題やったか?』
('、`*川『まだ……』
爪 ー )『じゃあ兄ちゃんと一緒にやろう』
緊張を湛えていた妹の顔が、ほのかに緩む。
面倒見て偉いわねフォックス、という母の言葉に、何と返していいか分からなかった。
自室で妹の勉強を見る。
応用問題ではたまに躓くが、学力自体はこれといって低くない。
爪 ー )『えらいなペニサス』
('、`*川『ちがう……』
爪 ー )『えらいよ』
頭を撫でれば、妹はふわふわした笑みを浮かべた。
□
-
('、`;川「……」
ξ゚⊿゚)ξ「……ペニサスさん、大丈夫?」
ペニサスの足が重くなったようで、ブーンが立ち止まる。
後ろからツンが問えば、彼女は我に返った様子で首を振った。
('、`;川「大丈夫です」
.
-
□
『兄ちゃん、痛い、いたい……』
アルバイトを終えてアパートに帰る途中、携帯電話に着信があった。
出てみると妹の弱々しい声。
ぞっとして、携帯電話を耳に当てたまま実家へ走った。
幸い実家に近い道を歩いていたので
到着するのに10分とかからない。
爪; - )『ペニサス!?』
(;、;*川『うう〜……』
玄関から伸びる廊下、電話の前に横たわる妹。
頭から血を流しているのが見えて背筋が凍った。
爪; - )『どうしたんだ!』
(;、;*川『階段から落ちた……』
見れば、階段の下から電話まで這ってきたのだろう、血の跡があった。
両親の車はどちらも無かったので2人とも不在らしい。
急いで救急車を呼び、両親に連絡を入れた。
-
出血こそ酷いが怪我自体は大したものではなかった。
体の数ヵ所にも軽い打撲の跡があり、痣の状態から見て
いずれも新しく、同時期に出来た傷とのこと。階段から落ちたという説明に矛盾する点はない。
本当にただの事故なのかと医者が再三質問し、
自分が席を外してから改めて確認をとったらしいが、妹が発言を撤回することはなかった。
少し遅れて病院へ迎えに来た母は慌てふためいており、医者から怪我の具合を詳しく聞くと、
無事で良かったと妹の頭を撫で、何度も医者に礼を言ってから病院を出ていった。
もちろん親として当たり前のことだが、ちゃんと妹の身を案ずる母の姿にほっとした。
大丈夫か、まだ痛むか、と妹へ頻りに問う自分へ振り返り、母が微笑む。
『そんなことより晩ご飯は食べたの? まだなら一緒に──』
ぞく、と。
背中に冷たいものが走った。
そんなこと、とは何だ。
-
かっとなって口を開くと同時、妹が手を握ってきた。
('ヮ`*川『ご飯一緒に食べよ』
いま自分が母に怒鳴れば、妹の笑顔が消えてしまう。
何とか堪え、頷いた。
□
-
また、ペニサスの足が止まる。
( ^ω^)「ペニサス」
('、`;川
青ざめ、震えている。
彼女はこれ以上進めさせない方がいいのではないか。
ツンは口を開いたが、それより先にブーンが声を発した。
( ^ω^)「早く行かないと、フォックスが危ないんだお」
その言葉にペニサスが唇を噛んで顔を上げる。
やや乱暴にブーンの手を離し、今度は彼女が戸襖を開けた。
.
-
□
爪 - )『どうしたんだよ』
妹が12歳のときのことだ。
大学が長期休みに入ったので実家へ行った。
いずれの日にかは向かう、と曖昧な連絡は入れていたものの、
実家へ行く直前には何も言わず、半ば不意打ちじみたタイミングで帰宅した。
それで──
(;、;*川
──泣きじゃくる妹の前で母も涙を流し、ごめんごめんと繰り返している姿に
首から下までが一気に冷えた。
床に突っ伏す妹の足首は真っ赤で、そこへ母が氷水の入った袋を押し当てていた。
-
爪; - )『どうしたんだよ!』
こちらを見て声を失う2人に、半ば怒鳴るように同じ質問をぶつける。
沈黙する母とは逆に、妹は首を横に振って弁解した。
(;、;*川『お母さんがアイロンかけてて、私がぶつかっちゃっただけなの、お母さん悪くないの』
途端、母がまた噎び泣く。ごめんね、ごめんね。
(;ヮ;*川『だいじょぶ、大丈夫、お母さんのせいじゃないよ』
妹は笑って母の手を摩った。
その姿にますます寒気がする。
──我に返り、壁に掛かっていた母の車の鍵を掴むと
母に妹を抱えさせ、自分は車の運転席へ走った。
.
-
(-、-*川 スー、スー
診察室のベッド。眠る妹の手を握る。
母がわざとやったわけではないと必死に説明する妹と、
涙を流して「もっと注意していれば」と本気で悔やむ母の様子に、
病院側も事故であると判断したようだった。
爪 - )(小さい)
同年代の子供に比べると些か小柄な妹の姿に、ぼんやりとそう思う。
その小ささが頼りなくて、穏やかな寝息に安堵する。
ちゃんと生きている。
.
-
しばらくして、医者との話を終えた母が薬を持って戻ってきたので
帰りは自分が妹を抱え、母の運転する車で実家へ帰った。
ちらちらと雪が降っていた。
『──春になったらあなたも社会人なのね。立派な会社だわ。
本当、お母さん達の自慢の子』
車内では既に妹の心配もせず、こちらのことばかり話す母にまた不信感を煽られた。
採用された先はたしかに大きな企業ではあるが、親戚の会社であって、半ばコネによる採用であった。
それも昔から、保育園の迎えすらすっぽかしてでも両親が媚びを売っていた親戚だ。
自分の実力だとは思えないし、誇らしげな親が滑稽だった。
-
爪 - )『──なあペニサス。2年前に階段から落ちたときのも、本当に事故だったのか?』
夜。定期的に掃除されているらしい自分の部屋に妹を呼び、
椅子に座らせた彼女の顔を覗き込みながら問い掛けた。
妹は目を泳がせ、──消え入りそうな声で答える。
('、`*川『……お母さんの手が、当たっちゃっただけだもん』
腹の底が冷たくなった。思わず妹の肩を掴む。
爪; - )『ペニサス!』
('、`;川『本当に事故だもん!』
事故だもん。もう一度弱々しく繰り返した妹は
肩を掴む手に視線を落とした。
-
('、`;川『だってお母さん、ごめんなさいって謝ってくれたよ、いっぱい泣いてたよ。
すぐにお薬買ってくるって言ってくれたもん、わざとじゃないよ』
我慢できなくて兄ちゃんに電話しちゃったけど、という申し訳なさそうな呟きに目眩がする。
──何が薬だ。
まさか病院に連れていく気すらなかったのか。
あのとき本当に薬を買いに行っていたのか。
妹が自分に電話を掛けてこなければ、どうなっていたか──
爪; - )『他に何かされたことないか? 叩かれたりしてないか?』
('、`;川『してない』
本当にしてない、と答える声は他よりはっきりしていた。
恐らく事実だろう。
──ということは、階段での事故も今日の事故も、妹自身、疑問に思っているのではないか。
だからそれらの話だけ声が自信なさげに震えるのだ。
しばし、2人とも沈黙した。
-
正直、はっきりとは分からない。
怪我をさせた後に母は泣きながら謝っている。
本気で謝っているのか──妹に被害意識を持たせないためなのか、自分には分からない。
一度目の事故から二度目の事故までの期間は2年。
その間に暴力を振るわれたことはないようだし、それ以前もなかった。
本当に偶然なのか。ただの、事故なのか。
('、`*川『……もし、さ。もし。また、何かあったら……
お母さんが事故だって言っても、痛いことがあったら……』
ぼそぼそ、妹がゆっくり話し出す。
もじもじと膝の上で手を組み替えて、恐る恐るといった様子でこちらを見上げた。
-
('、`*川『そしたら、兄ちゃんのとこに逃げてもいいかな……』
頼る瞳に、冷えていた腹がじんわり温まる。
爪 ー )『……痛いことが起きてからじゃ遅いから。
ちょっとでも嫌なことあったら、いつでも兄ちゃんのとこにおいで』
抱き締めると、妹の腕が控え目に背中へ回された。
ああ、小さい。
何だかんだ、自分の親でもある。もちろん信じたい。
だからもう少し様子を見よう。
事故はたったの2回。それも間隔が空いている。
自分の考えすぎかもしれない。
たとえそうでなかったら、そのときは自分が妹を守ろう。
爪 ー )『……兄ちゃんが助けてやるからな』
──このときに、見逃してはいけなかったのだ。
□
-
('、`;川
ξ;゚⊿゚)ξ「……」
完全に血の気をなくしたペニサスが、歯を食いしばって戸襖を開けた。
臭いと冷気が一層濃くなる。
顔を覆いかけたツンは、その先の部屋を見て瞠目した。
爪'ー`)y‐
白い煙が漂う和室。
中央に敷かれた布団の脇にフォックスが座っている。
傍らには灰皿が置かれ、灰と吸い殻が積もっていた。
(-、-*川
布団の中にいるのは、静かに眠るペニサス。
よく見ると人形のようだった。ぴくりとも動かない。
-
('、`;川「兄さん!」
本物のペニサスが叫ぶ。フォックスが振り返る。
('、`;川「ごめんなさい、私──」
( ^ω^)「待つお」
部屋へ飛び込もうとしたペニサスの手をブーンが掴んだ。
今まで急かしていた彼が、彼女を止めたのだ。
( ^ω^)「これが最後だお。ここを潜れば、君はフォックスの後悔を知ることになる。
──もう一度言うけれど、覚悟してくれお」
ペニサスが一瞬怯む。
本物の妹を見ても何も言わない兄に振り返ると、しっかりと頷いた。
('、`;川「……もう、想像はついてます」
そうして一歩、踏み出した。
.
-
□
虫の知らせというやつだったのだろうか。
ふと、妹の様子が見たくなった。
親戚の会社で働き始めてから、あと3ヵ月ほどで丸1年になろうという頃。
つい先日、正月にも実家へ帰ったばかりだが
会社からの帰り道、きんと冷たい風を浴びていたら、何故だか妹に会いたくなった。
咥えていた煙草を携帯灰皿にしまう。
妹の前では吸わないようにしていたし、匂いも嗅がせないようにしていた。
-
実家に着くとリビングの明かりが見えた。
何やらばたばたしているようだ。
不審に思い、インターホンを鳴らさず、親から渡されていた鍵を使って中に入る。
爪; - ) ハッ、ハッ
(;、;*川
──妹を負ぶって走り続けた。
首元に回された腕は所々変色している。
頬に触れる妹の顔が、不自然にあちこち熱い。
雪が降る。白く染まる道。終わりが見えない。
視界が曇る。雪よりよほど熱い雫が目尻に浮かんだ。
リビングでの光景が頭の中でちかちか点滅する。
何で。2人とも。
-
(;、;*川『……にぃちゃ……』
か細い声。上手く口が動かないのだろう。
胸が痛む。頭が熱い。
可哀想に。可哀想に。
もっと早く気付いていれば。
あんな酷い目に。
──また、何かあったら
──そしたら、兄ちゃんのとこに逃げてもいいかな
ああ、ああ。
どこへだって連れ出してやる。
助けてやると約束した。
痛かったろう。恐かったろう。
もうあんな思い、させないから。
-
(;、;*川『兄ちゃん、ねえ、どこ行くの。ちょっと、下ろして……』
ぎゅうと妹の腕に力が篭る。さっきよりも声が幾許かしっかりしている。
気付くと足が疲労で震えていた。
だいぶ走ってきたようだ。
人気のない道。しんしんと雪が降る。──静かだ。
もう少しで病院に着く。
そしたらしばらくばたばたするだろう。
それが終わったら、彼女を自分のところへ連れていく。
外灯の下で、妹を一旦下ろした。
羽織らせた自分のコートが彼女にはとても大きくて、やはり小さいなと思わされた。
-
爪; ー )『ペニサス』
向かい合い、細い肩を両手で掴む。
血で汚れている自分の拳が、雪との対比で余計にドス黒く見えた。
多分、両親の血と、擦りきれた自分の血と、背負った妹の血が混じっている。
両手がじんじんと痛む。けれど妹の方がよっぽど痛い筈だ。
──ああ、あいつら、やっぱり殺しておけば良かった。
怒りと悲しみで強張る顔を、むりやり笑顔にする。
涙の滲む目で妹を見下ろした。
爪; ー )『兄ちゃんがついててやるからな、……もう大丈夫だぞ』
(;、;*川『兄ちゃん……』
そして彼女も、笑った。
-
(;ヮ;*川『……ね、戻ろ? お父さんとお母さん、怪我してるよ……助けてあげよう?』
氷柱に胸を貫かれたら、こんな気分だろうか。
-
(;ヮ;*川『兄ちゃんが怒ってるの、2人とも分かってくれたよ。きっと反省してくれるよ』
爪; - )『……ペニサス?』
(;ヮ;*川『兄ちゃんが謝ったら、お父さんたち許してくれるよ。
ね? 私も一緒に謝るから……』
へらへら、妹が笑う。
端が切れて血の滲む口を歪めて笑う。
お母さんのせいじゃないよと言った、あの日と同じ笑顔。
──帰ろう。
妹は何度もそう言った。
まるで両親が被害者であるように。
こちらが加害者であるかのように言うのだ。
彼女の顔から視線が外れる。
血まみれの自分の拳を凝視する。
疲れて震える足に、雪の冷たさが針を刺す。
-
何のために。
-
何のために?
そんなの妹のためだ。妹を守るためだ。
だから。自分の行為は間違ってなどいない。
妹を抱き締めた。
今度は無理をしなくても勝手に笑みが浮かんだ。
(;、;*川『にいちゃ、』
爪 ー )『いいから、兄ちゃんのとこにおいで』
なんて愚かで愛しいのだろう。
あんな親にも縋らなければ生きていけぬほどに弱い。
この子はどうせ、春が何度来たって変わらない。
ずっと凍結して、停滞し続ける。
だから守ってやらなくては。
(;、;*川『……うん……』
.
-
この子のためなら何でも出来る。
こんなもののために何をした。
この子になら何だってあげられる。
こんなもののために犠牲にならねばならない──
警察が来ることはなかった。
両親からも何の連絡もない。ただ妹のあれこれに関して親の許可が必要な事柄がある度に
こちらから接触していたが、その度に向こうは何も言わずただ印鑑を押していた。
病院には行かず自分で妹を手当てして、毎日ガーゼや包帯を替えて薬を塗ってやって、大事に大事に扱って。
怪我が全く目立たなくなった頃に2人で町を出た。
新しい街で新しい住み処と新しい仕事と新しい学校を見付けた。
春になっていたが、やはり、暮らす場所以外に大した変化はなかった。
妹は弱いままだ。
-
毎朝、妹の健やかな寝息を聞く度に思う。
ああ、今日も生きている。
助けて良かった。
-
助けなければ良かった。
□
-
ペニサスが崩れ落ちた。
(;、;*川「あ、ああっ、」
がくがくと震え、ぼたぼたと涙を零し、彼女は意味をなさぬ声をあげ続けた。
──記憶と感情から推し測れる彼の「核」は複雑である。
「助けなければ良かった」──非情かもしれないがそれも大きな後悔の一つ。
けれどもう一つ、そこから発生した副産物のような後悔もある。
そう思ってしまったことへの悔いだ。
やはりペニサスは妹であり、彼はどうしようもなく兄であった。
ペニサスへ向ける嫌悪と愛情がどちらもあまりに巨大で、そのせいで、
妹を責める気持ちと自分を責める気持ちが常に一緒にある。
雪のように積もり続けるそれらに、心がひしゃげてしまうのだ。
-
爪'ー`)y‐「……」
フォックスが、吸いかけの煙草を灰皿に押しつける。
──途端、彼の姿が崩れた。
ペニサスの人形──寝息をたてないそれも、布団ごと消えていく。
ややあって、黒く濁った赤色をしたわたあめが畳の上に落ちた。
.
-
( ^ω^)「……これがフォックスの後悔だお」
ξ;゚⊿゚)ξ
頭の中に流れ込んだ感情はぐちゃぐちゃしていて、激流のようだった。
愛憎、それらに関わる正反対な感情全てが指先にまで溜まって荒れ狂うような。
痺れる手を何度か握りながら、わたあめを食すブーンを横目に見る。
(;、;*川「私、ひどいこと、兄さんに、私……っ」
泣き喚いていたペニサスが、途切れ途切れに言葉を発した。
戸襖を開ける前、想像はついている、と彼女は言った。
彼女自身、あの発言があの状況において兄をひどく落胆──どころではないが──させるものだと
既に理解していたのだろう。
けれども当時の、まだ子供であった彼女にとっては
ああ言うしかなかった筈なのだ。
-
ツンには細かなことなど分からないが、邪険にされても親を庇ってしまう子供はいる。
愛情からなのか恐怖からなのか、あるいは「そういうもの」と刷り込まれたからなのかの違いはあるにせよ。
ペニサスは明らかに3つ目のそれで、フォックスも理解している筈だった。
けれどもやはり──どうしても、言ってはいけない言葉というものはある。
結局ペニサスが悪いのか、そうでないのか、ツンには判断できない。
( ^ω^)「ペニサスのその『後悔』も、この時期になると急激に増えるおね」
わたあめを食べ終えたブーンが言った。
──これでは、今すぐにでもペニサスの淀みが育ちきってしまうのではないか。
ツンはペニサスの傍に座って、彼女の肩に手を置いた。
そこから先、どうしていいかは分からないけれど。
2人の後ろに立つブーンが、痛ましげに顔を顰めた。
-
( ^ω^)「──はっきり言ってしまうと、君たち兄妹は
傍にいる限り大量の淀みを吐き出し続けるお」
びくり、ペニサスの肩が震えた。
彼の言葉は正しいのだろう。淀みの存在を感じ取れぬツンにだって想像がつく。
( ^ω^)「かといって第三者の手によって引き離されたら、
また別の苦しみがあるだけだお。
か弱い妹を手元に置いて守ってやりたいというのも、彼の心からの望みではあるんだから」
けれどもその望みが叶い続ける限り、どす黒い後悔も刺激され続ける──
悪循環と言うよりほかない。
ξ;゚⊿゚)ξ「それじゃあ、どうしようもないの?」
彼女の代わりに救いを求めてツンは問うた。
これではあんまりだ。
絶望的な気持ちでブーンを見上げる。と、彼は真摯な顔で首を横に振った。
-
( ^ω^)「第三者が引き離すのでなければいい。
──フォックスが守らなければいけない『か弱い妹』でなくなればいい」
(;、;*川「……」
そろそろとペニサスが顔を上げた。
涙で濡れた目が、しっかりとブーンを見ていた。
けれどもまた俯いてしまう。
ブーンの目が一瞬、悲しそうな色を湛えた。
ξ゚⊿゚)ξ「……ブーン」
今はまだ、そっとしておいてやるべきなのではないか。
そう思いツンが口を開いた直後、掠れ気味の声が落ちた。
(;、;*川「……春、から」
ブーンの目が、大きく瞬く。
-
(;、;*川「一人暮らし、したいと、思ってて……」
絞り出すようにそう言うと。
それを皮切りに、ペニサスが訥々と語り始めた。
(;、;*川「勿論、最初は兄さんに援助してもらわなきゃいけない。
ちゃんとお金は返すつもりだし、お礼もたくさんするつもりでいるけど、
今まで散々甘やかされてきたのにそんなわがまま言えるわけなくて……」
(;、;*川「……それでも、高校卒業して働き始める今年の春を──
そういう分かりやすいタイミングを逃したら、私、もうずっと言えなくなりそうで、
……でもやっぱり言い出せなくて」
口ごもりつつも、言葉は次々に溢れた。
散々考えて、悩んで、足掻こうとした彼女の言葉だった。
-
(;、;*川「離れなきゃいけないって分かってた、分かってたけど、
離れるためにはまた兄さんに甘えなきゃいけないから、結局動けなかった。
私、何でこんなに弱いんだろう。だから兄さんのことたくさん苦しめてる……」
ツンが言いたいことをまとめられずに頭を悩ませている内に、
ブーンがツンとは反対側の方にしゃがみ込んで
ペニサスの頭を撫で、丸まった背をぽんぽんと叩いた。
( ^ω^)「ペニサス、君は弱くなんかないお。
ここに住んでから君は変わった。成長してる。
──昔より強くなったお」
( ^ω^)「だって君は少しずつ行動しようとしていたじゃないかお。
僕に相談しようと、何度も声をかけてきたじゃないかお」
(;、;*川「……」
( ^ω^)「僕は君の強さを分かってるお。君達をずっと見てきたんだから」
すん、と鼻を鳴らしながら彼女は再び顔を上げた。
まだ少し、ほんの少し、悩んでいるようだったので。
ξ゚⊿゚)ξ「……わがまま言って、いいと思いますよ」
考えがまとまった瞬間、気付けばツンの口から声が出ていた。
-
ξ゚⊿゚)ξ「ペニサスさんのそれは、甘えじゃなくて、必要経費です」
ペニサスの目がきょとんと見開かれる。
ぽろっと零れた滴を最後に、涙が止まった。
今の内に動かなければ、破滅しかないのだと彼女は充分理解した。
何もしないという選択肢など彼女の中にはとっくに存在しない。
足を引っ張るのは、消えようのない罪悪感。
それならさっさと開き直るべきである。
.
-
ぱちぱち、溜まった水分を弾くように瞬きをして。
ペニサスは、しっかりと意思の宿った瞳をツンとブーンへ順番に向けた。
('、`*川「……明日、ちょっとうるさくなるかもしれないけど、……いいですか」
ξ゚⊿゚)ξ( ^ω^)「もちろん」
フォックスは妹のことを様々な感情で想うあまりに、盲目的になっている部分がある。
ペニサスが永遠に冬の中にいると思っている。
──けれどもどうやったって、いずれ春は来るものだ。
.
-
ブーンが微笑み、ペニサスの頭を丁寧に撫でる。
その手と、表情の優しさを見て。
先のブーンの言葉を思い返して。
不意に、これまで彼に抱いてきた疑問や違和感の数々が、すっと溶けていくのを感じた。
ああそうか、彼は。
■
-
そうして季節が一巡り。
.
-
■ 春のアパート ■
-
(,,;Д;)「皆さんさようならあああ」
──3月の真昼。
アパートの前で号泣する男が1人。
坂道の桜並木は、まだ満開ではないが優しく色付いている。
-
川 ゚ -゚)「結婚式には呼べよ」
(,,;Д;)「はいっ、……はいっ! 来てくださいね、絶対来てくださいね!」
∬´_ゝ`)「2年の付き合いだったけど、濃かったせいか10年分に感じるわ」
(,,;Д;)「に、2年間、本当に! お世話になりました!!」
鼻水まで垂らしながら泣くギコが、一人ひとりに握手をしていった。
──地元の恋人の家に、婿入りすることが決まったそうだ。
とはいえすぐに結婚するわけでもなく、地元で一層頑張って
相手方の親に真に認められてからようやく正式な婚約に至る、という流れらしい。
まあ、まだ20歳。彼ならばこれからもどんどん成長していけるだろう。
-
( <●><●>)「うるさいのが居なくなって清々するやら寂しいやら」
(,,;Д;)「俺は寂しいですううう」
/ ,' 3「がんば」
(,,;Д;)「はい! 頑張ります!」
( ;ω;)「応援してるおー! ……301号室がぽっかり空いて寂しくなるお……」
(,,;Д;)「こんなにいいアパートですもん、きっとすぐにいい人が引っ越してきます!」
ブーンとギコが、がっしりと抱き合う。暑苦しい。
すぐにブーンを引き剥がしたギコが、ツンの手を握ってぶんぶん振った。
(,,;Д;)「ツンさん、一年間ありがとうございました!
正月に彼女にプリン作ったら喜んでもらえました、ツンさんのおかげです!」
ξ゚⊿゚)ξ「……お元気で」
(,,;Д;)「はい、皆さんも!」
ギコの手が離れる。
この騒がしさとも今日でお別れかと思うと、まあ寂しくなくもないような、そうでもないような、
──とても寂しい。
けれどもめでたいことだから。
みんなも、すっきりと見送れる。
-
ギコが一歩下がると同時、エントランスから飛び出してくる者がいた。
('、`;川「す、すみません遅れて……! ギコさんもう行っちゃいましたか?」
川 ゚ -゚)「いや、いま出るとこだ」
爪'ー`)
慌てた様子で息を切らすペニサス。
その少し後に、彼女の大きな鞄を持ったフォックスが現れた。
(,,;Д;)「ペニちゃん頑張って! お兄さんも寂しさに負けないで!」
('、`*川「はい、ギコさんもどうか頑張ってください」
フォックスは無言だったが、ひらひら、緩く手を振った。
少しずつではあるけれど、日に日に他の住人への態度が改まってきている。
-
ペニサスも一人ひとりに挨拶をして、最後に兄と向かい合った。
一月前、
アパート住人全員を巻き込む壮大な大喧嘩──という名の、赤裸々な本心のぶつけ合い──を繰り広げた兄妹は、
あれ以来、互いに遠慮と過剰な甘やかしが減りつつあった。
('、`*川「……今までずっと、ずっと、ありがとう。いっぱい迷惑かけてごめん。
──私をあそこから助けてくれて、ありがとう。ここに来られて幸せでした。
本当に、本当に、お世話になりました」
たくさんのことをはきはきと言い切って、深く深く頭を下げる。
その頭を撫でようと伸ばした手を引っ込め、フォックスは彼女に鞄を渡した。
-
爪'ー`)「……何かあったら戻ってこいよ」
('、`*川「……ううん、何があっても戻ってこない。けど」
ぱっと勢いよく顔を上げて。
受け取った鞄を力強く持ち上げると、ペニサスは満面の笑みを浮かべた。
('ー`*川「兄ちゃんこそ、どーしても嫌なことあったら、私のとこにおいで」
爪'ー`)「……行かねえよばーか」
('ー`*川「知ってる。……へへ、兄ちゃんに馬鹿って言われたの初めてだ」
.
-
ギコとペニサスが、何度も振り返りながら坂道を下っていく。
駅までは見送らない。
2人にとってここの住人達との思い出の一区切り、その背景が
このアパートであってほしいから。──そう言ったのはブーンだったか。
( <●><●>)「あの兄妹喧嘩からずいぶん強くなりましたね、伊藤は」
爪'ー`)「うん」
川 ゚ -゚)「普通に会話するセンセーとフォックスさんの姿にまだ慣れない」
∬´_ゝ`)「会話っつったってフォックスは適当に相槌うつばっかりだけどね」
2人の姿が見えなくなって、クールとワカッテマスは先にアパートへ引き揚げた。
フォックスは未だ、ぼんやりと坂の下を眺めている。
-
ξ゚⊿゚)ξ「春ですね」
ツンがそう言うと。
フォックスはちらと横目にツンを見て、小さく頷いた。
爪'ー`)「うん」
隣で泣きじゃくっていたブーンが、はたと顔を上げる。
フォックスを見て、ツンを見て、それから泣きながらも柔らかく笑ったので。
302号室が、いくらか軽くなったのだと思う。
きっとすぐには全てを消せないけれど。
あるいは一生抱えていくのかもしれないけれど。
少しずつ、少しずつ。ブーンが食べて、薄くしてくれる。
.
-
フォックスもアパートの中へ引っ込んでいった直後、
郵便配達員がアパートの前に停まった。
美布ハイツは外壁に各戸の郵便受けが付いている。
∬´_ゝ`)「あ、来た来た」
配達員が大判の封筒を持っているのを見て、姉者がそれを直接受け取った。
その場で封を開ける。
( ^ω^)「何だお?」
∬´_ゝ`)「何かね、イギリスで活動してる日本人の作家が、訳者に私を指名してきたんですって。
その契約の確認とかの書類。まだ契約するか決まってないけど……
何で指名してきたのか分かんなくて怪しいのよねえ」
2、3枚の紙を出し、姉者が気怠そうに文面を読み進めていく。
あまり乗り気ではないのかもしれない。
2枚目に目を通した姉者は、
∬´_ゝ`)「あ、あの名前ペンネームだったんだ」
と呟いた後──
視線を下げて、目を見開いた。
-
震える声で彼女が呟いた名は、ツンにも聞き覚えがあって。
姉者が泣きそうな──悲しみではなく嬉しくて堪らないというような顔をして、
ポケットから携帯電話を取り出し、アパートの中へ駆け込んでいった。
ξ゚⊿゚)ξ「……あちこちで花が咲いてる気分」
(*^ω^)「おっおー」
/ ,' 3「お、おー」
ブーンを真似た祖父が、踵を返す。
しかし立ち去るわけでもなく、ツンの手を軽く握って、すぐに離した。
-
/ ,' 3「ツンが来て、一年になる」
ξ゚⊿゚)ξ「……そうだね」
/ ,' 3「ツンが管理人になってくれて、良かった」
ξ゚⊿゚)ξ「おじいちゃんこそ、呼んでくれてありがとう」
思いのほか素直にその言葉が出てきた。
祖父が珍しく驚いたようにツンを見て、薄く笑って顔を逸らす。
/ ,' 3「……ごめんなあ、ツン」
ξ゚⊿゚)ξ「……何が?」
/ ,' 3「ブーンの手伝いまで、任せちまって」
ひらり。どこからか飛んできた花びらが、2人の間を舞った。
-
ξ゚⊿゚)ξ「──いいよ」
/ ,' 3「じいちゃんな、」
ξ゚⊿゚)ξ「いいよ、おじいちゃん。私、大丈夫だから」
/ ,' 3『……ツンは、優しいから』
自分が優しい、とは、思えないけれど。
祖父はツンの性格をきちんと把握した上で、誘ったのだろう。
その上ツンがブーンの「仕事」を見つけてしまうことまで見越して。
ブーンの仕事は、心ない者に知られてしまえば危険なものだ。
人の弱味に踏み込む仕事だから。
だから祖父はツンを選んだ。
最低限、そしてなるべく最大限にブーンのことを手伝えるツンを。
-
( ^ω^)「荒巻さん、ツンは強いお」
/ ,' 3「ふえ……」
( ^ω^)「たしかに繊細なとこもあって、僕の仕事を手伝うと罪悪感を抱くこともあるし、
細かいことをたくさん悩んだりもするけれど──
それを全部受け入れて構えていられる度量があるんだお」
( ^ω^)「言い方を変えれば、図太い」
余計なお世話だ。けど。
たしかに実際、図太いところがあると思う。
ブーンに「後悔」の飴玉を食われるのを一晩で許容できるようになる程度には。
言っては何だが、図太くなきゃ、二十何年もこんな性格していない。
( ^ω^)「ツンはギコ達とはまた違った理由で、根深い淀みが溜まりにくいタイプだおね。
最近ようやく確信した」
ξ゚⊿゚)ξ「え……そうなんだ」
( ^ω^)「そうだお。うん、ツンは大丈夫。
それに一年前に比べると、飴玉を出す頻度も減ってきてるし、
みんなとも打ち解けてきてる」
( ^ω^)「──だから、荒巻さんも、もう後悔しなくていいんだお」
-
( ^ω^)「長年、アパートの手入れと僕の手伝いをしてくれて、
本当にありがとうございました」
一礼したブーンが祖父の手を握る。
祖父はブーンを見上げ、
/ ,' 3「……そうかあ」
皺だらけの顔を更に皺くちゃにさせ、とてもとても嬉しそうに笑った。
そうか、うん、そうか。
繰り返し、祖父が一歩踏み出す。
/ ,' 3「やっぱり、ツンを呼んで、良かったなあ」
ξ゚⊿゚)ξ「……ん、ありがとう」
/ ,' 3「ツンが毎日ブーンのお手入れしてくれるおかげで、ブーンも元気」
(;^ω^)「あっ、ちょっ……!」
瞬間、ブーンが肩を跳ねさせた。
おや、と祖父が首を傾げる。
そして彼はとぼけたような顔をして、
/ ,' 3「失敗、失敗」
ふえふえ笑ってアパートに入っていった。
──絶対わざとだ。
-
いつの間にやら2人きり。
ぽかぽか陽気の中に広がる冷ややかな沈黙。
ブーンは凝視するツンから懸命に目を逸らしているが、
とうとう沈黙に耐えきれなくなったか、明後日の方を見ながら頬を掻いた。
(;^ω^)「やだなあもう、荒巻さん、お歳かな」
ξ゚⊿゚)ξ「言っとくけど、もう大体想像ついてたから」
(;^ω^)「嘘ォ!」
物凄い勢いでこっちを見た。首が折れるぞ。
いつ言ってやろういつ言ってやろうと先月からずっと思っていたが、
まあ、ここらがいい頃合か。
-
ξ゚⊿゚)ξ「淀みが溜まり続けると人の形になるのよね」
(;^ω^)「……そうだお」
ξ゚⊿゚)ξ「じゃあ、心を持った『家』の淀みが溜まり続けたらどうなるの」
そう訊いてやれば。
ブーンは──美布ハイツは、観念したように頭を掻いた。
-
( ^ω^)「まあ『家』ってのは、みんな心が強いもんだお。
だから家自体は淀みを吐き出したりしない」
仕方ないとばかりに語り出す彼の声に、ほんのちょっと、ツンの心が弾んだ。
( ^ω^)「──家は、人を守る場所だお。
雨から、風から人を守る。
人の体だけじゃなくて時々、心も守る。それが家の仕事。
だから家自体の心が強くなきゃやってらんないわけだお」
ξ゚⊿゚)ξ「うん」
( ^ω^)「でも僕は多分、元からちょっと変だったんだお。
そこらの『家』に比べると、心が弱かった。
……もちろん、君たち人間と比べたら遥かに強いけど」
低い声が心地いい。
お手入れを欠かさず、大事に大事にしてきた古い楽器のよう。
-
( ^ω^)「家の中って、それもたくさんの人が住むアパートって、色んなことが起こるお」
ξ゚⊿゚)ξ「その『色んなこと』を見てきたからブーンは、……美布ハイツは淀みを生んでしまったの?
あなたが出来てしまうぐらいに」
( ^ω^)「そういうことだお。語りきれないくらいたくさんの、色んなこと」
寂しげに微笑む顔は、ちょっと見とれてしまいそうだ。
大切に使い込んだ、古いインテリアのような深み。
ξ゚⊿゚)ξ「……誰もあなたの淀みは食べてくれない」
( ^ω^)「まあね」
ξ゚⊿゚)ξ「どうせ私にも食べられないんでしょ」
( ^ω^)「あれは『家』にしか食べられないものだから」
ξ゚⊿゚)ξ「じゃあ、ブーンの心もいつか死んじゃうの?」
( ^ω^)「さっきも言ったけど君達よりは遥かに強いから
取り壊されるほど古くなるまでは、健在だと思うお」
ξ゚⊿゚)ξ「それはそれで、辛くない? ずっと淀みを抱え続けて……」
( ^ω^)「それが意外とそうでもないお!」
いたずらっぽく笑って、彼は両手を広げると
くるりとその場で回った。
-
( ^ω^)「家は、踏まれることが好きだお。
床を踏んで、色んなところを歩いてもらうのが好き」
ξ゚⊿゚)ξ「窓割られただけで、痣つくって具合悪くしてたくせに」
(;^ω^)「それはまた別問題。悪意でもって壊されたらやっぱりちょっとは痛いお。
少し休めば大丈夫だけど」
くるり、くるり。
踊るように回る彼の周りを、花びらがひらひら落ちていく。
-
( ^ω^)「座られるのも好きだお。みんなが触れてくれるのが好き。
声を聞かせてくれるのが好き。見てくれるのが好き。
ご飯を食べているのが好き。穏やかに眠っているのが好き。笑っているのが好き。
──そこに居てくれるのが好き」
( ^ω^)「掃除してもらえると、とても大事にされてる気がするからすごく好き」
そう言って足を止め、彼はツンに笑いかけた。
少し照れ臭くて口を尖らせる。
( ^ω^)「家は、住んでいるみんなのことが大好きなんだお。
だから僕もね、みんなが生活しているだけで、ずいぶん救われてるお」
-
( ^ω^)「それにこうして人間の姿でいると、みんなと直接お話しできるから
何だかんだいって他の家たちより得してるってもんだお」
ξ゚⊿゚)ξ「そういうもん?」
( ^ω^)「そういうもん。まあ、あの丸い鍵を使わなきゃ『内面』に出入りできなくなるし、
おかげで仕事を人に見付かるリスクもあるからたまに不便だけど」
ξ゚⊿゚)ξ「そうだね、私にもおじいちゃんにもペニサスさんにも見付かってる」
(;^ω^)「荒巻さんの場合は仕方なかったの! 話せば長くなるけど!
……でもそんなの大幅に上回るくらいのメリットがたくさんあるお」
ξ゚⊿゚)ξ「ブーンにプライベートが筒抜けなのかと思うとこっちにはデメリット」
(;^ω^)「意識しなけりゃあんまり見えないもんだから!
そりゃ、様子がおかしかったらたまに見ちゃうけど、でも少しだし」
──本当に、住人のことが好きで好きで堪らないのだろう。
大好きだと語っていたときの顔が、とろけるほどに幸せそうだったから。
-
一通り語り終え、ブーンがアパートへ足先を向けた。
( ^ω^)「君もいつかはここを離れて、別の家に住むと思うお。
アパートでもマンションでも一軒家でも」
ξ゚⊿゚)ξ「うん」
( ^ω^)「そしたらその家のことも、たまにでいいから掃除してあげてくれお。
その家だって、君のことを何かしら助けているのは間違いないから」
ξ゚⊿゚)ξ「分かってるよ」
──「淀み」を食べるのは、家の仕事。
ツンにはブーンの淀みを食して消化することは出来ない。
ブーン自身、住人とコミュニケーションをとることを喜んでいる。
ならば。
-
ξ*゚ー゚)ξ「……それまでは、このアパートの手入れをいくらでも頑張ってあげる」
せめてブーンと住人達が今より更に幸せでいられるよう、自分に出来る限りのことをしよう。
.
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優しく暖かい春に。
青く賑やかな夏に。
彩り深く豊かな秋に。
穏やかに寄り添う冬に。
それぞれの季節に残される誰かの悔いを
なるべくブーンが食べ残さぬように。
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-
それがここの管理を任された者の──女王様の仕事だろう。
.
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ξ゚⊿゚)ξくいのこした四季たちのようです
■ 終 ■
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終わりです
皆さんお疲れ様でした
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素晴らしい作品だったまじでおつ
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乙!楽しみにとっといたから今から読んでくる
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俺的トップです
乙
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心が温かくなるようないい話だった
俺も紅白でこれ一番好き 乙
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乙
やっぱりかー
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あ、そうそう
姉者に翻訳を頼んだのって彼女だよな
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>>376
いえす
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最初解んなくて兄弟かと思って流し読みしたわ
良い作品をありがとう
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主催より業務連絡です。
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ブーンはそういうことかー なるほど
おつおつ
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部屋の掃除してくる
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床オナは喜ばれるんですかね
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乙です。面白すぎて一気読みした
お馬鹿なギコとクーが可愛い
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素晴らし過ぎる
流れるようで情感のある文章に愛嬌溢れるキャラ
心洗われるような話だった
文句なしの傑作
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和やかな雰囲気に誘われて読んでみたら、ラストではすっかり涙ボロボロでした。
これで終わりというのはちと寂しい
つづきが読みたくなるほど登場人物達が愛おしいです。もし番外編を書くことがあったら是非読みにいかせてもらいますね。
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あー
ええ話しやん。マジで良いわぁ
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ツンのコミュ障っぷりがリアルだなぁ
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乙
とてもあたたかい話をありがとう
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ξ゚⊿゚)ξ「何かのMVP1位もらったみたい。あと総合1位と作者5位……?」
/ ,' 3「えむぶいぴい」
(*^ω^)「僕らにはよく分かんない話だけどやったおー」
(,,゚Д゚)「ひゅー!」
川 ゚ -゚)「やんややんや」
∬´_ゝ`)「そこの適当に盛り上げてる2人はMVPの意味知ってるの?」
(,,゚Д゚)「えっ……M……ま、み、む、め……めっちゃ……
めっちゃ面白い……ヴァルキリープロファイル……」
( <●><●>)「誰がトライエースの話をした」
川 ゚ -゚)「み……見事な……ヴーン系……」
( <●><●>)「ヴーン系」
∬´_ゝ`)「Pは?」
川 ゚ -゚)「プレイヤー……?」
( <●><●>)「見事なヴーン系プレイヤー」
∬´_ゝ`)「プレイヤーだけ正解してるのが逆に据わり悪い」
爪'ー`)y‐「……Most Valuable ペニサス」ボソッ
('、`;川「え、何……呼んだ?」
( <●><●>)「ジョーク言うなら言うで分かりやすく言えやお前は」
爪'ー`)y‐
( <●><●>)「何その真っ直ぐな目……本気……?」
∬´_ゝ`)「真っ直ぐな目と言うにはあまりに濁りきっているような」
-
ξ゚⊿゚)ξ、 ソワソワ
( ^ω^)「ツン、みんなでお祝いしたいならそう言えばいいのに」
ξ゚⊿゚)ξ「そんなんじゃない」
(;^ω^)「あー今ほら飴玉出た、小っちゃい飴玉どっかに出たお」
ξ゚⊿゚)ξ「みんなで騒ぐと私が片付けなきゃいけなくなるし。
私が得すること、多分そんな、ないし。別に」
(;^ω^)「そんな寂しげに言われても」
ξ゚⊿゚)ξ、
(;^ω^)「もー、みんなー! 飲み物とかお菓子とか用意しておー!」
/ ,' 3「めでたや」
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投票していただきありがとうございました、投票していなくても読んでくれてありがとうございます
また、素晴らしい絵を5枚ももらえてめちゃくちゃ嬉しいです
まだ浮かれてます
完全に余談な自分語りですがこれ投下期間のほぼ直前に設定が降ってきてかなり急ピッチで仕上げた作品で、
未だに一週間ちょっとで書き上げたことが信じられないんですが、
何より投下期間終わったほぼ直後にリアルの方で突然の引っ越しが決まって更にびっくりしました
どうやら今住んでる辺りの家々を年内に取り壊すとか何とか
それを踏まえて振り返ってみると妙な感慨があるというか、少し不思議な感じです 偶然なのは分かってるけども
ともかく、本当にありがとうございました!
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乙乙
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名作だったなあ
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やはりフォックスはやばい
改めておつ!
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