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あの――遠い日の春風 のようです
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―― ※ ――
遠い昔の記憶。
久しく思い出すこともなかった、少年の時代。
俺の原点となった、あの時。
「きったねえな、さわんじゃねえよ!」
歳の割に大柄な少年が、俺を突き飛ばした。したたか背中を打ち付けた俺は、
息をすることが出来ずその場にうずくまってしまう。
それでも顔だけは上げて、奴らを睨みつける。
俺を突き飛ばした少年。
その背後には、薄ら笑いを浮かべた同じ年頃の少年たちが俺を見下ろしている。
みな、白い肌をしている。
白い相貌に張り付いた、無機質な笑み。
俺とは異なる肌の色。
「なんだよ、その目は」
胸ぐらをつかまれ、敵の顔が眼前に迫った。
青い瞳が、この国では異質な俺の黒い瞳を睨みつけてくる。
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「捨てられたくせに」
背中を打ち付けたからでも、胸ぐらをつかまれたからでもない。
呼吸が止まった。
俺を囲む薄ら笑いの群れ。
白い肌をした者たちが暮らす世界。
浅黒い肌をした、自分。
「……違う」
「あ?」
「捨てられてなんかいない!」
握った拳を振り下ろした。
狙いもつけず、ただ衝動のままに。
だがその拳は、予想以上の成果を上げた。
胸ぐらをつかんでいた少年の目元に、見事直撃したのだ。
それが、幸か不幸かはわからなかったが。
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「てめえ……!」
怒り狂った少年は片目を抑えながら、
その大柄な体躯を存分に活かして襲いかかってきた。
顔に、腹に、脚に、容赦のない暴力が間断なく降り注いでくる。
意識が飛びかける。だがその意識を、新たな暴力がつかんで離さない。
もはや痛みはなく、直接骨を振動させる衝撃だけが全身を伝わってくる。
このまま死ぬかもしれない。
ふと、そう思った。
いやだ、死にたくない。
いま、ぼくが死んでも。
だれも。
ぼくのことなんか、覚えていてくれない。
いなかったのと、同じになってしまう。
捨てられて。
忘れられて。
いやだ。
いやだ――
衝撃が、止まった。
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「な、なんだてめぇ!」
殴打の音が聞こえる。
何かが倒れる音と、それに悲鳴も。
何が起きている?
閉じかけたまぶたをむりやり開き、音のする方向へ視線を向ける。
薄ら笑いを浮かべていた連中が全員、地面にうずくまっていた。
痛い痛いとうめいている者もいれば、気を失っているのか白目を剥いて微動だにしない者もいる。
その先には、黒い、人影が立っていた。
俺を殴っていた少年が、人影と対峙する。
うかがうように間合いを詰めていた少年が、
意を決したのか腕を振り上げて勢い良く飛び出した。
勝敗は一瞬で決した。
速すぎる影の動きに何が起こったのか俺には理解できなかったが、
殴りかかった少年の脚がありえない方向に折れ曲がっていることと、
影が無傷でそこに立っていることだけは理解できた。
助かった、のだろうか。
実感がわかずその場で呆然としていると、
いつの間に近づいていたのか俺のすぐそばに、
この光景を造り出した張本人である影が立っていた。
影は、俺と同じ浅黒い肌をしていた。
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「立てるか」
手を伸ばされた。小柄な手。
俺とそう大して違いのない、けれど自分より大きなあの少年を一瞬で打ちのめしたその手。
俺はその手を取ろうとして身体を動かした。
だが緊張が緩んだことで感覚が戻ったのか、
激しい激痛が全身を蝕み腕を伸ばすほどの余裕もなくなっていた。
目をつむり、歯を食いしばって痛みに耐える。
歯の隙間から荒い呼吸が漏れだす。
一秒が十分にも一時間にも感じられる短く、長い時間。
そこへ割り込むように、ありえない感覚が俺を包んだ。
俺は、浮いていた。
「家まで連れて行く。少し辛抱していてくれ」
おぶられていた。
俺と大差のない背格好のそいつが、しっかりと俺をかついで雪降るこの街を歩き出していた。
「訓練ではもっと重い物を背負って登山することもある。この程度、なんでもない」
俺の心を見透かしたように、そいつは言った。
がっしりとしまった身体つきは、確かに自然についたとは言いがたい硬さと力強さを発揮している。
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「俺は――」
そいつは名を名乗った。
だが名乗られるまでもなく、俺にはそいつの正体がわかっていた。
こいつも俺と同じだ。
家族から、故郷から捨てられてこのオオカミに放り込まれた八人のうちの一人。
あの男を父とする、腹違いの兄弟の一人。
だが――
「……降ろせ」
「どうした?」
こいつは俺と同じだ。
けれど、俺とは違う。
俺は一方的に殴られるだけだった。
こいつは違った。
俺は動くことも出来ず、無様に背負われている。
なのに、こいつは――
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「おろせ!!」
痛みも何も関係なく、暴れた。
俺の行動に驚いたのか、そいつは腕の力を緩め、結果的に俺は地面に落下することに成った。
神経を刺す痛みが、足先から脳天まで駆け上がる。
「バカな真似はよせ。骨が折れているかもしれないんだぞ――」
「だまれ!!」
立ち上がる。
骨が折れてもいい。自分の力だけで立ち上がる。
ぎちぎちと嫌な音が自分の内部から聞こえてくるのを無視して、無視して、
そして、俺は確かに立ち上がった。立ち上がり、そいつを睨みつけた。
「いつか……いつか、見返してやる。お前なんかにはできないことを成し遂げてやる。
すごいことをやってやる。いまに、いまにみてろ、みてろよなぁ!」
背を向けて、走りだそうとする――身体が追いつかない。
だから倒れないようにじりじりと、蝸牛のように足の裏を擦って歩き出した。
背中に感じる視線を振り切るように。
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認めさせてやる。
俺を捨てた奴らに。
オオカミの奴らに。
ソウサクの奴らに。
俺はすごい奴だって認めさせてやる。
後悔させてやる。
認めさせてやる。
あいつらにも。
お前にも。
お前に――
雪と星が暗闇にばらまかれた空は、この日に限って膜を失い、滲んだように混じり合っていたのを覚えている。
オオカミに送られてから二年。七歳の時の思い出だ。
.
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―― ( ´_ゝ`) ――
('A`)「わかりました。今回は引き下がります。
しかし我々ソウサク解放戦線はあなたを諦めません。
お気持ちが変わるまで、何度でもお伺いさせて頂きます」
.
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廃墟。瓦礫の山。破壊された痕がそのままに、野ざらしとなっている。
十三年前に起こった内戦の傷跡。ソウサクではこういった地域が復興されることなく、
いくつも放置されたままになっていた。
それはこの国が未だ多くの問題を抱えていることの証左であるが、
様々な事情によって身を隠す必要のある者にとっては幸いな環境であるとも言えた。
アニジャも、その恩恵を授かる者の一人だった。
廃墟を歩む。目的を定めず、ただふらふらとあてどもなく。
これは彼の日課だった。何を求めるわけでもなく、このすでに死に絶えた廃墟を巡る。
感慨も、憧憬もなく彷徨う。なにもないことを確認するように。
だがその日は、この廃墟に似つかわしくない異物が外より紛れ込んでいた。
( ´_ゝ`)「……シベリア狩りか」
胴体と首が離れて転がっている男の死体。
斧か何かで力任せに斬られたのだろう、
切断面は荒く、振り下ろしたのは一度や二度ではないことが容易に伺える。
頭の方はといえば、何度も踏み潰されたのか、
元の顔の形跡などまるで判別がつかないほどに砕けてしまっている。
なるほど、耳をすませばかすかに奴らの声が聞こえてくる。
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コロセ!
コロセ!
コロセ!
興奮しているだけなのか、更なる獲物を求めているのか。
バラバラにまとまった合唱は、まだまだ止む様子を見せない。
おそらくはここに逃げ込んだシベリア人を全滅させるまで、あの声が止むことはないだろう。
――いずれにせよ、俺には関係のないことだ。
アニジャは死体から離れ、再び歩き始めた。
関わるつもりはない。何にも。何者にも。俺はただ、死なないように、生きるだけだ。
アニジャは日課をこなす。何もない一日を繰り返すために。
故に、それは想定外な出来事だった。
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母娘がいた。
全身に血を浴びて鮮血に染まった少女も無惨だったが、母親の方はより悲惨だった。
首から腰にかけてざっくりと肉が裂けている。
視線はもはや定まっておらず、とぎれとぎれの息もいつ止まってもおかしくはない。
もはや助からないことは明白だった。
そんな母親を前にしても諦められないのか、はたまた現実を認識できていないのか、
娘は母親の手を必死になって引っ張っている。
その顔には、年相応な花に見立てた髪飾りと、歳に見合わぬ無表情が張り付いている。
その様子を傍観していると、母親のうつろな瞳と視線があった。
視線をそらし、背中を向ける。
この親子はここで死ぬだろう。仕方のない事だ。
この国では、それが日常なのだから。
(* ∀ )「生きて……」
その場から離れる。
助けるつもりもないが、命が奪われるその現場に居合わせたくもない。
ただただ関わりたくない。誰にも。何にも。
(* ∀ )「しい……」
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アニジャは振り返った。
母親はすでに事切れたのか、あらぬ方向を向いたまま視線は固まり、呼吸も停止している。
娘は放心しているようだった。幼い顔。
七歳か、八歳くらいだろうか。十に満たないことはまず間違いないその少女は、
自らの胴程もあるスケッチブックを抱えたまま完全に静止している。
泣きじゃくることもなく、動かない母親を見つめながら。
ただの偶然だ。
アニジャは再びその場から離れようとする。
しかし、脚が重い。一歩が踏み出せない。
まるで足の裏と地面が溶接されてしまったかのように、何かがアニジャの歩を阻んでいる。
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コロセ!
コロセ!
コロセ!
シベリア狩りの暴力的な怒声が聞こえてくる。
声はまっすぐ、こちらへ向かっているようだ。近い。
もう数分もすれば、ここまでたどり着くだろう。そうなれば、この娘は――。
( ´_ゝ`)「……くっ」
アニジャは駆け出した。
放心した少女を抱え、シベリア狩りの連中”以外のもの”から逃げるように
全力でその場を後にした。少女は終始、無抵抗だった。
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廃墟。革命前のチチジャ政権時代。
この場所は近代的な都市計画の主要地がひとつであった。
乱立したビル群の残骸はその名残である。
かつて総合アパートメントとして使われる予定だった五階建てのこのマンションは、
中程から倒壊し三階までしか残っていない。
今や三階建てとなったマンションの二階、その一室に、アニジャは隠れ住んでいた。
元々備え付けられていた家具以外には必要最低限のものしか置いていない部屋だったが、
幸いにも家庭用の救急用具程度は備えていた。
背のない丸椅子に少女を座らせ、簡単に怪我を見る。
血に塗れたその姿こそ凄惨だったが、実際には小さな裂傷や擦り傷が散見される程度で、
少なくとも命に関わる傷は負っていなかった。
濡らしたタオルで凝固し始めた血液を拭い取り、
消毒した傷口に軟膏を塗って包帯を巻く。
滲みて痛がるかもしれない。
そう思いながら行った処置に、少女はまったく反応を示さなかった。
声をかけても聞こえていないのか。
虚空を見つめ、胸のスケッチブックだけは離さず抱きしめている。
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俺は何をやっているんだ。
アニジャの頭に、後悔の念が浮かび上がってくる。
連れて来るべきではなかった。この娘が意識を取り戻したとして、俺はどうするつもりだ。
傷は手当した、出て行け、か?
外にはシベリア狩りの連中がうようよしている。死ねと言っているようなものだ。
余計な期待を抱かせない分だけ、初めから見殺しにしていた方がまだ救いがあったといえる。
それにもし――考えたくはないが――この娘が
このまま意識を取り戻さなかったとしたら。死ぬまで面倒を見続ける?
……バカげた想像だ。俺にはそんなことをする責任も――権利もないのだから。
だが、この二つの懸念。
そのうちのひとつは杞憂であったと、すぐに判明することになる。
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少女を見る。シイと呼ばれた少女。
彼女の持つスケッチブックの、二つに分かれた部分が捲れていた。
襲われた時に被ったのか白いノートは赤く血に滲んでいたが、うっすらと、そこに描かれた絵が見えた。
何とはなしに、手が伸びた。
(*゚ -゚)「………………!」
少女の目が開いた。
少女は伸びた手から離れようとして、椅子から転げ落ちた。
その衝撃で机の上にあった救急箱が落下し、中身が床に散乱する。
(;´_ゝ`)「お、おい」
とっさに手を差し伸べる。
だが少女は鋭利な刃物でも突きつけられたかのように顔をひきつらせ、
立ち上がりもしないまま後ずさろうとする。
しかし腕に力が入らないのか落下した地点からほとんど移動できておらず、
どころか体勢を崩して何度かひじや肩を地面に打ち付けている。
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溜息をつく。
とにかく、散乱した救急箱の中身を片付けなければならない。
箱のなかには危険なものもいくつか交じっている。
せっかく手当をしたのに余計な傷を増やされてもつまらない。
そう思い、アニジャは手を伸ばした。
それが引き金となった。床の上を這っていた少女の手が何かと触れた。
少女はそれを握った。そして、アニジャに向けた。
ハサミだった。
先の丸まった、到底凶器にはなりそうもない、小さなハサミ。
そのハサミを震える手でしっかと握りしめながら、彼女は意志を示している。近寄るな、と。
近寄るなと、言っている。
アニジャは立ち上がった。
そして、ハサミを構えて震える手ごと、彼女の腕をつかんだ。
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( ´_ゝ`)「こんなものに、頼るな」
逃げ出そうとする彼女の手から、ハサミだけをもぎ取る。
唯一の武器を奪われて気力を失ったのか、少女は力なくその場にへたりこんだ。
もはや逃げようとする意志も見られない。
アニジャは散乱した医療品を片付け、それを机の上に置き直した。
倒れた椅子を直し、その上に毛布を置く。少女の手に届くように、少しだけ位置をずらして。
( ´_ゝ`)「いいか、少しの間そこにいろ」
そう言って、アニジャは部屋から出た。
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-
―― ( ・∀・) ――
(#`・ω・´)「ちゃんと勉強して来いっつっただろ!」
ソウサクスカイラインホテル。
ソウサク内でも有数の高級ホテルであり、
国外の旅行者――特に政府関係の要人など――にのみ開かれた、ソウサクの中の西欧である。
紳士淑女の社交や腹の探り合い、表には出せない情報の交換が静かに取引される。
それがこのホテルの日常だが、今日この日の昼下がりは、少し勝手が違った。
(;・∀・)「め、迷惑っすよシャキンさん……」
(#`・ω・´)「うるせえ!」
シャキンの怒声がもう一発、ホテルの中庭に響き渡った。
何事かと、他の客の視線がシャキンに注目する。
中には”野蛮な黄色”に対する軽蔑を隠そうともせずに、じろりとねめつけてくる者もいた。
(#`・ω・´)「ちっ、黄禍論が何だってんだ。こんな中東の奥地に来てまで白い面を偉そうに振りまいてる奴の機嫌なんざ、
知ったこっちゃねえや。それよりモララー、てめえだてめえ」
シャキンの巨大な手が、モララーの頭を鷲掴みにした。
そのまま万力のような力で締めあげてくる。
シャキンは柔道の有段者らしく、その力は本当に、洒落になっていなかった。
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(; ∀ )「シャキンさんお願いやめて! 死ぬ! 割れる〜!!」
(#`・ω・´)「だから、なんで勉強してねぇんだって聞いてんだよ!」
(; ∀ )「し、仕方ないじゃないっすか、出張決まってから日にちなかったんだしぅぉほぉぉぉ!」
(#`・ω・´)「言い訳してんじゃんねぇ! ……ったく」
シャキンの手が離れた。シャキンの首にかかったカメラに合わせて、
ふらふらと頭が左右に揺れそうになる。モララーはあごのしたを両手でもって支えた。
まだぐらぐらする。吐きそう。うぇ。
(`・ω・´)「ナイトウさんが来るまでもう大して時間もねえ。失礼にならない程度に
この国の成り立ちについて説明しておくぞ。……おい、遊んでんじゃねえ!」
(;・∀・)「うぃ!」
(`・ω・´)「ったく、人事の連中は何でこんな奴を入社させたんだか……。
まあいい、愚痴ってる時間ももったいねぇからな。
まずこの国は、AA教を国教としている。流石にAA教のことは知ってるな?」
AA教……確か高校の授業で聞いた気がする。
よし、ここは少し汚名返上のために賢いところをアピールしておくか!
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( ・∀・)「ヒロユキ教に次いで信者の数が多い、世界宗教っすよね。
アジアや中東を主な分布地としている一神教で、”最終預言者”が起こした宗教だって」
掘り起こした記憶を一息に口にして、モララーは得意になる。
(`・ω・´)「ほー。それじゃそのAA教には二つの大きな宗派があることも当然知ってるな?」
(;・∀・)「……しゅうは?」
(#`・ω・´)「……期待しちゃいねーから、気にすんな。オレも今だけは気にしねぇでおいてやるから」
そういうシャキンの顔には、呆れのなかに確かな怒気が混じっていた。
首からかけたカメラのレンズも、ぎらりといやな光を放っている。や、やべえ。
(`・ω・´)「先に進めるぞ。ヒロユキ教がカトリックとプロテスタントの二つへ分裂したように、
AA教もまた長い歴史の中で”ザツダン派”と”シタラバ派”の二つに分かれたんだ。
この二つの宗派の違いは宗教行事から
日常生活に至るまで多岐にわたるんだが、ひとつひとつ挙げていけばきりがないからな。
ここではザツダン派が最終預言者の残した聖言を順守する宗派で、
シタラバ派が最終預言者の血筋による統治が第一であると考える宗派だということだけは、最低限覚えておけ。
ここソウサクではAA教ザツダン派が主流となっているんだが、それにも理由があってだな――」
ザツダン派とシタラバ派……そういえばそんなような単語を、
ニュースか何かで耳にした記憶があるような、ないような――。
意識があらぬ方向へ飛びかけたその時、目の前からとてつもない殺意が
実態を伴ったビームとなって照射されるのを感じた。慌てて意識を”先生”の方へ戻す。
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(`・ω・´)「ロビイは当然知っているな? 今でこそ中東の一国という立場に甘んじているが、
この国はかつて中東のほぼ全域に西欧、東欧の一部までも収める大帝国だった。
その支配が終わったのは一九世紀末、オオカミとニーソクのグレートゲームに巻き込まれて、
領土の殆どをバラバラに分割されてしまった時だ。
その分割された国の中の一国が、ここソウサクだ。
ロビイも当然AA教を国教にしていたんだが、主な宗派はシタラバだった。
当時ロビイにて弾圧されていたザツダン派の人間が
ひと纏まりになって造りあげたのが、このシタラバという国なんだ。
つまりこの国の人間は、それだけザツダン派ということに誇りを持っているし、
それ自体をアイデンティティにしている者も多い。
だからこの国にいる間は不用意な発言は避け――」
(;^ω^)「うぉぉぉ! すみません、遅くなりましたおー!!」
シャキンの言葉を遮って、小太りの男が叫びながら駆け込んできた。
周囲の視線が集まってくる。
またあいつらかよ、少しは静かにできないのか未開人どもめ――
そんな心の声が聞こえてくるようで、非常に居心地が悪い。
しかしシャキンもこの小太りの男も意に介していないようで、
まったく堂々と再会の挨拶を大声で繰り広げている。
(`・ω・´)「おいモララー、名刺出せ。この人がナイトウさんだ」
( ^ω^)「おっおっお、ゴラクからここまで遠かったでしょうに、よくお越しくださいました。
広報委員のナイトウと申します、以後お見知りおきおですおっおっお!」
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流暢なゴラク語を操り、大量の汗を吹き出しながらつかみづらいタイミングで笑いつつ、
ナイトウと名乗った男性は名刺を差し出してきた。慌てて自分の名刺を取り出し、交換する。
受け取った名刺には、ソウサク外交省外交部広報委員長、
ナイトウ・ホライゾンと書かれている。お役所の人、なのだろうか。
それにしてはずいぶんと高いテンションだが。
(;^ω^)「それじゃ早速今後の予定について……
と言いたいところですが、いやー、今日は暑いですNE!」
そうだろうか。むしろ肌寒さを感じるくらいだが。
(`・ω・´)「そうですね。部屋でゆっくり、何かつまみながらにしましょうか」
(;^ω^)「ああ! なんだかこれはこれは、催促してしまったみたいで申し訳ないですお!」
(`・ω・´)「いえいえ、そちらのご好意のおかげで
こんな立派なホテルに泊まれているわけですし、感謝するのは私どもの方ですよ」
わっはっは!
二人が同時に笑った。
どうりで。
うちの出版社がこんな高そうなホテルの代金を払ってくれるわけがないと、
疑問に思っていたんだ。これで謎がひとつ解けた。うれしくはないが。
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( ^ω^)「あ、そうだ。その前にひとつ伝えなきゃいけないことがあったんですお。
シャキンさんにはいまさらかもしれませんが、市街地からは絶対に出ては行けませんお」
(`・ω・´)「それは、南部から逃げ出したシベリア人の話、ですか?」
( ^ω^)「さすがシャキンさん、お耳が早い。おっしゃる通り彼ら、
徒党を組んで悪さをしているみたいなんですお。
結構な数の被害報告が挙がってて、うちの悩みの種でして」
(`・ω・´)「それは困ったことですな。まあ我々もわざわざ危険な場所へ行くこともありませんから、
どうぞナイトウさんもご安心ください」
( ^ω^)「そう言って頂けるとありがたいですお。
それでは無粋な勧告も済んだことですし、そろそろ行きましょうかお!」
そう言うなり、ナイトウは先頭に立ってずんずん歩き出した。
何でこの人がぼくらの泊まってる部屋を知ってるんだとか、
そもそも政府の人間とジャーナリストの癒着ってどうなんだとか色々と疑問はあったが、
その中でもひとつ、先ほどの二人の会話の中で素朴に疑問に思うことがあった。
モララーはナイトウに聞こえないよう小さな声で、シャキンにその疑問を尋ねてみた。
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( ・∀・)「あの、シャキンさん」
(`・ω・´)「なんだよ」
( ・∀・)「ここってソウサクですよね」
(#`・ω・´)「何当たり前のこと聞いてんだてめぇ。眠いのか。目覚ましに頭つかんでやろうか」
( ・∀・)「それは勘弁して下さい。いやそうじゃなくてですね」
(`・ω・´)「だからなんだよ、はっきりしねぇなぁ」
シャキンの口調に怒気が混じり始めている。
これはやばいと、モララーは一気に疑問を切り出した。
(;・∀・)「いや、さっきの話聞いてて思ったんですけど、
何でソウサクにシベリア人がいるのかなーって……」
(#`・ω・´)「……はぁ!!?」
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耳の奥がきーんとする。とんでもない怒声だった。
これはきっと、ホテル全体に響き渡ったに違いない。
ナイトウも何事かと思ったのか、目を見開いてすっとんきょうな顔をしている。
(#` ω ´)「無知だ無知だとは思ってたが、まさか”高科レポート”も知らねぇのか……」
シャキンの手が獲物を捕らえる直前の鷲のように、鉤型になって駆動している。
やばい、つかまれる。でもぼく、そんなおかしなことを口にしただろうか。
それに”高科レポート”って、なんだ。
( ^ω^)「あー、シャキンさんに、ええと、モララーさん?」
(#`・ω・´)「……ああ、すいませんナイトウさん。こいつ今年入ったばかりの新人で、
オレの方からみっちり教育しておきますから……」
教育とはつまり、そういうことか。
やばい、逃げたい。
( ^ω^)「ふーむ……」
絶望しているモララーへの助け舟は、意外なところから渡された。
むずかしい顔をしてうなっていたナイトウが、破顔一笑、
マンガのようにぱんっと手を打って提案してきたのである。
(;^ω^)「それはそれで丁度いいかもしれませんお!
初めてこの国に来たモララーさんにソウサクのことをよく知ってもらうため、
僭越ながらこのナイトウ・ホライゾン、
ソウサクの歴史についてご説明させていただきますお!
……まあそれはそうと、いい加減部屋に入りませんかお?
ほんともう暑くって暑くって!」
.
-
(* ^ω^)「もっちゃ! それで、オオカミがくっちゃ! ヴィップと代理もっちゃ!
戦争をですね、お、これおいしいですお! お二人も食べてみてくださいお!
それで……ええと、どこまで話したっけ」
(;・∀・)「あ、あの……」
(* ^ω^)「そうそう! それでシベリアがくっちゃもっちゃ! 戦地になって――」
くっちゃっくっちゃっもっちゃっもっちゃ。
さっきからずっとこの調子である。
小腹が空いたと言って頼んだルームサービスの量にも驚いたが、
それをほとんど一人で平らげようとしているこの男には更に輪をかけて驚きだ。
そしてついに、最後のチキンを名残惜しそうに手に持つと、
自分のてのひら程もあるそれをばくんと一口で平らげてしまった。
二、三回咀嚼しただけで飲み込み、小さなゲップを出した。
( ^ω^)「ふぅ……。いやあ、みっともなくてすいません。
ボクってば見た目に反してごちそうが目の前にあると我を忘れてしまう性質で」
反してはいないと思うなぁ。密かに返答する。
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( ^ω^)「あの、よければ初めからお話しましょうか?」
シャキンの方を見る。
教えてもらえ、聞いて損はないぞ。目でそう言っていた。
その言葉に従い、ぼくはナイトウさんにお願いする。
ナイトウは「それでは」とつぶやいて、居住まいを正した。
( ^ω^)「この国がロビイから分かれて出来た事は知っていますおね?
それから百年近くソウサクはこの地に根を張っているわけですが、
その間ずっと独立を保っていたわけでもないんです」
( ・∀・)「というと?」
( ^ω^)「冷戦ですお。ヴィップとオオカミの冷たい戦争。
ソウサクはその中でも東側、オオカミの衛星国になっていたことがあるんです。
無論、国の指導者もオオカミが選んだ者でして、チチジャという男でした。
そいつはソウサクの人間ながらオオカミ軍参謀本部情報総局――
GRUの大尉にまで上り詰めていたらしく、実際に能力はあったのだと思います。
ですが同時に、オオカミの操り人形でした。
食料も物資も作れば作るほど吸い上げられて、逆らうものは見せしめの処刑。
街には飢えて動けない者が山程いましたお。
あの時期のソウサクは本当に、悪しき独裁国家のお手本みたいな国でしたお」
当時の苦境を思い出しているのか、ナイトウは目を細めて虚空を見上げている。
このおちゃらけた大食漢にも、そんな辛い時代があったのか。
……うまく、想像できない。
それに、なぜだろうか。
ナイトウの話を聞いていて、疑問に思ったことがあった。
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( ・∀・)「あの、ひとついいですか?」
( ^ω^)「ええ、構いませんお。なんです?」
( ・∀・)「失礼なことかもしれないんですけど……」
( ^ω^)「だいじょうぶ、気にしませんお」
ナイトウが胸を叩く。それは実に安心できるジェスチャーだった。
( ・∀・)「それじゃあ……あの、そんなに大変なら何でオオカミの衛星国になったんですか。
もしかしたら騙されてそんなことになってしまったのかもしれないけど……」
( ^ω^)「いえ、あそこまで酷いとは予想していなかったにせよ、
他国の情勢などである程度の予測はできていましたお」
( ・∀・)「そんな、それじゃますますわからない。
オオカミの下にいたって、何のメリットもないじゃないですか」
( ^ω^)「みんな怖かったんですお」
( ・∀・)「怖い?」
( ^ω^)「ええ。あの帝国――ロビイに再び併合されてしまうのではないかと怖かった。
あの時代、西側か東側かの違いはあれど、
中東の小国はほぼすべてが大国の傘下に潜り込みましたお。
いえ、今でもほとんどの国はそうでしょう。
それほど、一度興した国を失うかもしれないという恐怖心は強かった。
それならば多少の不便を圧してでも大国に仕えた方がいい。
みんな、そう考えたんですお」
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( ・∀・)「……でも」
( ^ω^)「なんですお?」
( ・∀・)「……ソウサクはいま、独立してるんですよね?」
( ^ω^)「その通りですお」
( ・∀・)「なぜですか。さっき言った通りなら、
オオカミの庇護下にあったほうが安心できることになるのに」
( ^ω^)「簡単なことですお」
( ・∀・)「簡単なこと?」
( ^ω^)「ロビイへの恐怖心にも勝る許せない出来事。
チチジャはやってはならないことをやってしまったんですお」
ナイトウは笑っている。だがその笑みは、先ほどまでと何かが、
僅かに違うような気がした。それが何かはわからないのに、
どうしようもなく背筋が寒くなる。
( ^ω^)「ヴィップとオオカミは核の脅威があるため、直接戦うことはしませんでした。
その代わり、各地で代理の戦争を起こしたんですお。
シベリアもそうして戦地になった国のひとつで、
オオカミの衛星国であったこともあり戦災難民を別の衛星国――
すなわち我が国、ソウサクが受け入れることにされたんですお」
-
モララーが微妙な顔をしていると、
ナイトウはその意を汲み取りシベリアについての補足を挟んでくれた。
シベリアもソウサクと同じようにロビイから分かれた一国であること、
地理的にも近い場所に位置しており、人種的にもほとんど差異はない。
信仰している宗教も同じAA教である。
オオカミが難民の受け入れ先をソウサクに選んだのも、
こうした近似的要素を加味した上であることは間違いなかった。
だが、と、ナイトウは付け加えた。
ソウサクとシベリアには決定的な、そして致命的な違いがあったのだと。
( ^ω^)「シベリア人は、シタラバ派なんですお」
AA教にはふたつの宗派がある。
先ほどシャキンから聞いた話を、モララーは思い出していた。
そしてソウサクという国が、ザツダン派の集まりで形成された国であるということも。
( ^ω^)「宗派が違えば習慣も違う。習慣が違えば考えも違う。
諍いはすぐに起こりましたお。
小さなものから大きなものまで、昼夜を問わず様々に。
ある日、街の有力者とシベリアの一団との間で、
大きな争いになったことがあるんですお。
縄張り争いの抗争と言ってもよいかもしれません。
お互いに死者の出る、激しい戦闘でした。
ですがこの戦闘も、その後に起こった悲劇と比べればまだ生易しいものでした」
(;・∀・)「ど、どうなったんですか?」
ナイトウは口をつぐんだまま、中々答えなかった。
生唾を飲み込む。のどの鳴るその音が、いやに大きく感じられた。
ナイトウが、口を開いた。
( ゚ω゚)「国軍によって皆殺しにされましたお――ソウサクの人間だけがね!」
-
怒りに漲ったナイトウの声が、部屋を揺らした。
表情だけは笑顔のまま、獣のように彫り込まれた皺がナイトウの顔を深く刻み込んだ。
( ^ω^)「チチジャにとって、シベリア人はオオカミに預けられた大切な荷物だったんですお。
丁重に、厳重に保管しなければならない荷物……
そう、自国の民などよりもよっぽど大切に。
ソウサク人は徹底的に弾圧されましたお。
それはもう、シベリア人の奴隷と言っていい程に。
独立を保つため政府の横暴にも我慢していた我々に対し、
彼らはその最後の尊厳まで奪おうとしてきたのです。
ソウサクを、シベリア人の国にしようと!
正確な数はわかりませんが、チチジャ政権に殺害された
ソウサク人の数は二百万を下らないと言われていますお」
(;・∀・)「に、にひゃく!?」
二百万。数の多さに想像が追いつかない。
( ^ω^)「もちろん我々も無抵抗だったわけではないですお。
組織を作り、反政府運動を起こしたりもしました。
けれどチチジャ政権の背後にはオオカミがいる。
オオカミの潤沢な兵器が、暴動鎮圧の名目で次々ソウサクに運ばれてくるんです。
ろくな装備もない我々に、勝ち目はない。誰もが諦めかけていた……
その時でした。彼が現れたのは」
( ・∀・)「彼?」
( ^ω^)「オトジャです」
-
オトジャ――この名前には、聞き覚えがある。確か――。
( ・∀・)「この国の、大統領の……」
( ^ω^)「ええ、そのオトジャです。彼は我々の組織を改革し、
本当の意味で戦える集団へと作り変えたのですお。
彼の指揮の下、我々は戦いました。
楽な戦いではなかった。けれども彼はやり遂げたのです。
二十年以上の長きに渡りこの国を蝕み続けていたチチジャ政権に、
終止符を打ったのですお! それが今から、十三年前の出来事。
我々の独立記念日ですお」
ナイトウの顔はすでに、穏やかなそれに戻っていた。
話すことに興奮していたためか、せっかく引っ込んだ汗が再び、
うっすらと浮かび上がってきている。
(`・ω・´)「補足するとだな」
シャキンだ。
ナイトウが話している間ずっと黙り続けていたシャキンが、話に参加してきた。
(`・ω・´)「革命を成し遂げられた要因にはオトジャのカリスマ性だけでなく、
革命を後押しする新聞やビラの力も大きかったそうだ。
政府に睨まれるのを恐れて政権に追従するような記事を載せる新聞屋ばかりの中、
ただ一社――いや、ただ一人だけ革命を支持する記者がいた。
高科というジャーナリストだ」
-
( ・∀・)「高科って……その人、ゴラク人なんすか?」
(`・ω・´)「そうだ。高科の記事はソウサク人に自分たちの窮状を認識させるとともに、
立ち上がる力を鼓舞するものでもあった。”彼女”は三百以上の記事を残したが、
一般的にそれらを総称して”高科レポート”と呼ばれ書籍にもなっている」
ジャーナリストを自称しながらこれを読んだことのないやつはもぐりだと言われる程、
国際的にも有名な本だ。そう付け加えながら、
シャキンの目はじろりとモララーを射すくめていた。
知らなかった。
そんな本があることも知らなかったし、
過去にゴラク人が中東のこんな場所に関わっているなんて思いもしなかった。
帰国したら読んでみようと思う。思います。
だからシャキンさん、
そんな人の頭を握りつぶしそうな顔で睨むのはやめてください。
ちびりそうです。
シャキンの視線から逃れるように、モララーは話題を変えることを試みる。
(;・∀・)「そ、その人って、いまもこの国にいるんですか?」
が、モララーが発言した途端、部屋の中が微妙な空気に変わる。
な、なんだ。ぼくまた変なこと言っちゃったのか。
-
(`・ω・´)「いや、十年ほど前に行方不明になり、そのままだ」
( ・∀・)「え、そうなんですか?」
( ^ω^)「当時は結構な騒ぎとなったものでしたお。
西欧諸国からもいくつも取材が来たりして。
大規模な捜索隊も組織されましたけど、結局足取りもつかめずじまいで……」
ナイトウが実に悲しそうな声で話す。
彼もまた、革命時代に高科レポートを読んで勇気づけられた若者だったのだろうか。
( ^ω^)「でも、彼女の精神はいまもこの国に息づいているんですお!
読み書きできることの力。オトジャも教育には力を入れていて、
識字率もこの十年で40パーセントも上がったんですお。
そうそう教育といえば、
今度ソウサク小学校でオトジャを招いた答弁会が開かれる予定で――」
話は今後のスケジュールに関することへ移り変わっていた。
宮殿での食事会や、軍事パレードも行う予定らしい。
日付を手帳にメモしていく。
二人の話は段々と専門的なものになっていった。
ロビイの再帝国化がうんぬんだとか、核不拡散条約の影響がどうだとか、
オオカミの新党首が冷戦を終わらせるつもりかもしれないとか……。
メモしようにも追いつかず、手持ち無沙汰にペンを回していたら、気がついた。
ナイトウの前のグラスが空になっていた。
よく見れば満タンぎりぎりまで満たされていたピッチャーも、底をついている。
-
( ・∀・)「あの、ぼく水もらってきましょうか」
言われて初めて気がついたのか、ナイトウとシャキンが同時にグラスを見た。
その途端、唐突に喉の渇きを思い出したのか、ナイトウなど見る間に汗の玉を浮かべ始めた。
(`・ω・´)「そうか。それじゃついでだから少しつまむものも頼んできてくれ」
( ・∀・)「わかりました。それじゃルームサービスで――」
(`・ω・´)「いや、直接下まで行って頼んでこい」
( ・∀・)「え、でも――」
(#`・ω・´)「何でもだ。それとも、オレの言うことが聞けねぇとでも……?」
シャキンの手が鉤型に変形する。
ごきり、と、骨の鳴る音がここまで聞こえてきそうな迫力で。
(;・∀・)「い、行ってきますー!」
脱兎のごとく逃げ出し、扉を開ける。
まったくシャキンさんは、ちょっと気に喰わないことがあると
すぐ暴力をちらつかせてくるっだからまいるよ、ほんとに。
そう思いながら、モララーはドアを閉めようとした。
重たいその扉が完全に閉まりきる、その直前。
部屋の中から、『ソウサク解放戦線』という単語が、漏れ聞こえてきた。
.
-
中庭のベンチで惚けながら、売店で買ったざくろジュースを飲む。
酸味が強く好みの味ではないが、ここの乾いた気候に合っているのか、
のどを通る際の爽やかさが妙に癖になり、これですでに三杯目である。
頼んでから絞り器に入れ、ざくろがぷちぷちと潰れながら
新鮮なジュースになっていく過程も見ていて楽しく、
何だか、こう、仕事をする気が失せていく。
いや、気力がないのはいつものことなのだが。
( ・∀・)「失敗したかなぁ……」
グローバル、グローバルと、政治家からマスコミ、
果てはミュージシャンまで猫も杓子も声を揃えて唱えている我が母国、ゴラク。
ぼくもその声に倣って、大学ではニーソク語とオオカミ語を専攻した。
国際社会で通用する人物になれるよう語学を習得すべしという標語は、
一種のトレンドでもあったのだ。
就職も大学で学んだことを活かせる職種をいくつか選んだ結果、
たまたま内定をもらった出版社に入社しただけのことだ。
別に、記者になって書きたいことがあるわけでもなかった。
-
先ほどのナイトウの話。
確かに衝撃的で、聞き入っていたことは事実だ。
けれどそれは、よく出来たフィクションにのめりこむのと同じ気がする。
線が引かれているのだ。
こちら側と、向こう側。
ナイトウの話も、この国の歴史も、あくまで線の向こう側の出来事で、
こちら側の――ぼくの世界に直接関わってくるものにはなりえない。
そういった感覚が、この仕事に対する意欲を失わせていた。
この仕事を続けたとして、何ができるというのだろうか。
ぼくの世界の何かが、変わることはあるのだろうか。
高科という人物は、どうしてこの国へ来たのだろう。
何を思って、”高科レポート”を書いたのだろう――。
-
( ・∀・)「……ん?」
背後からがさごそと、物音が聞こえた。
なんだ? 振り返ってもそこには植え込みしかない。
いや、音はその植え込みから聞こえてきた。
切りそろえられた葉や小枝が、左右にゆさゆさと揺れている。
犬か猫だろうか。どれ。
何とはなしに近づいてみる。植え込みの揺れが止まった。
警戒されてしまったのだろうか。そーっと近づき、
音の聞こえてきた場所に当たりをつけ、植え込みを開いた。
ひょっこりと、頭が飛び出たそれと、目があった。
(*゚ -゚)「……!」
目があったまま、お互い固まった。
女の子?
四つん這いの格好で、右脇には何か、
スケッチブックだろうか、身体に見合わない大きなノートを抱えている。
肌の色を見るに現地の子だとは思うが、
こんなところで何をしているのだろうか。
いや、それよりも。
どうしよう、この空気。え、ええと……。
-
(;・∀・)「……飲む?」
モララーは手に持っていたジュースを差し出した。
それが契機となったのだろう。
固まっていた女の子が、慌てた様子で暴れ出したのである。
(;・∀・)「ちょ、ちょっと! うわっち!」
がむしゃらになって暴れるものだから、
鞭のようにしなった葉や枝が顔や身体を容赦なく打ち付けてくる。
(; ∀ )「うわっぷ!」
枝葉にはじかれたジュースが手元を離れ、勢い良く顔にかかってきた。
たまらず転がって、植え込みから逃げ出す。
顔をぬぐって外からもう一度植え込みに目を向けると、
そこにはもう何の気配も残っていなかった。
-
( ・∀・)「何なんだよ、もうっ。……ん?」
よく観ると、緑一色の植え込みの中に白い人工的な光沢が伺えた。
モララーは恐る恐る近づきながら、指先でちょこんと、それをつまむ。
それは花をモチーフにした、かわいらしいデザインの髪飾りだった。
さっきの女の子が暴れた時に、落としてしまったのだろうか。
……どうしたものだろう。
ホテルを見上げる。
シャキンとナイトウは、今もむずかしい話をしているだろう。
きっともどったところで、ぼくにできることなんてお茶汲み程度しかないに違いない。
それなら――。
植え込みの反対側はホテルの敷地外となっていた。
モララーは花の髪飾りをポケットにしまって、ホテルから出て行った。
ただしぼくは、正門から。
.
-
あの女の子を探し始めてから一時間は経っただろうか。
結論から言えば、女の子は見つからなかった。
そして状況はそれだけに留まらず、なお悪いことになっていた。
(;・∀・)「どこやねんここ……」
迷った。
つい先程までは確かに繁華街の中ほどにいたはずなのだが、
いまは人っ子一人見つからない。
周りは倒壊した建物ばかりで、薄気味悪くもある。
早く立ち去りたいのだが、どっちへ行けばいいのかわからないのである。
(;・∀・)「はぁーもう、どうしよ」
適当な瓦礫に腰掛け、ひとりごちる。
ホテルに連絡できればなんとかなるかもしれないけど、
公衆電話なんてありそうな雰囲気じゃないし。
かといってこのまま何もせずに夜になったら、それこそ怖い。
ぼんやりと、遠くに並ぶ山々を眺めた。
ソウサクは中東の中でも山岳地帯に位置しているらしい。
どこを見回してみても、赤茶けた山が天然の壁となって、どこまでも続いている。
山の中の国、ソウサク。
何か目印になりそうなものはないかなーと、ぼんやりと山を眺める。
-
( ・∀・)「……ん、なんだろう、あれ」
赤茶けた山肌の中に一部、異彩を放っている箇所があった。あれは――城?
いや、宮殿だろうか。ぷっくりと膨れながら先端が尖っている屋根など、
AA教圏の建築様式らしい造作が随所に見られる。
遠目で細かな部分までは判然としないが、
相当な手間と金と人員をかけて建造したのであろうことは、
それとなく伝わってくる。
すごいと感嘆すると同時に、何もわざわざ山の中に
あんなもの作ることはないだろうにと、貧乏性な自分は思ってしまう。
思いながらも、何となくモララーはそれを、ぼんやりと見続けていた。
そうしていたら、とつぜん、背後から肩を叩かれた。
从 ゚∀从「□△○○□▲▼◎?」
(;・∀・)「へ?」
少女がいた。褐色の肌の少女。
さっきの子とは違う。さっきの女の子が小学生くらいだとしたら、
この子は中高生くらいだろうか。人懐こい笑みで、話しかけてくる。
-
从 ゚∀从「○□▲●●□△▼◎?」
(;・∀・)「え、いや、あ、アナーキー語?
の、ノー。アイムゴラク……いや、ニーソク語は通じないか。え、ええと」
どうやらアナーキー人と間違えているらしい。
ぼくはゴラク人ですって、どうすれば伝わるかな。
いやそもそも、それを伝えてどうしようというのか自分でもわかっていないのだけど。
少女は戸惑っているモララーのことを不思議そうに見上げて、
やがて何かに納得したのか笑みを浮かべてうなずいた。
それから「んー、んー」とのどを鳴らし、
準備は整ったと言わんばかりに元気よくモララーに向き直った。
从 ゚∀从「これでどうかな、おにーさん?」
(;・∀・)「ご、ゴラク語?」
从*^∀从「やった、通じた!」
-
自分の言葉が通用してよほどうれしかったのか、
彼女はその場でぴょんぴょんと跳ねだした。
元気が有り余っているという感じだ。
たたっとステップを踏みながら、彼女が話しかけてくる。
从 ゚∀从「おにーさん、こんなところでどうしたの。ひとりじゃ危ないよ?」
( ・∀・)「いや、これには深いわけが――」
从 ゚∀从「迷子?」
(;・∀・)「うぐっ」
図星を突かれて言葉に詰まる。
その様子がおもしろかったのか、少女はくすくすっと楽しげに笑った。
从 ゚∀从「ね、あたしが案内してあげよっか?」
( ・∀・)「君が?」
从 ゚∀从「そ。ここいらはあたしの庭みたいなものだから、
たいていの場所だったら連れてってあげられるよ」
あ、でもイケナイところは勘弁してね。
そう言って品を作る彼女は、その決まっていない感も手伝って逆に、
非常に幼く見えた。それがおかしくて、モララーは思わず吹き出してしまう。
-
从 ゚へ从「む、何わらってるんだよぅ」
それに気を悪くしたのか、彼女は頬を膨らませて抗議してくる。
その態度がさらにおかしくて、モララーは我慢できずに声を上げて笑い出した。
( ・∀・)「いやごめんごめん。そうだね、それじゃお願いしようかな」
从 ^∀从「よしきた! それじゃ、はい!」
彼女が手を差し出してきた。
にこにこといい笑顔をしながら。
意図を読めず、モララーはその上に自分の手を載せた。
払いのけられた。
从#゚∀从「ちっがうでしょ! お金だよ、お・か・ね!」
( ・∀・)「え、金取るの?」
从 ゚∀从「あったりまえじゃん。
資本主義の国から来といて、何寝ぼけたこと言ってんだか。
物品、情報、サービス。どれもお金に変換されるのが現代ってものでしょ」
まったく物の道理ってものをわかっていませんなあ、
と言わんばかりに大仰なジェスチャーをしながらため息を吐いている。
シビアだなあ。
彼女とはおそらく違う意味でため息を吐きながら、
モララーは財布の中身を確認する。
-
( ・∀・)「……ちなみに、おいくらになりますでしょうか」
从 ゚∀从「三千ルクになります。びた一文まけません」
(;・∀・)「け、結構するね」
从 ゚へ从「払えないなら帰ってちょうだい。貧乏人はノーサンキューよ」
ひらひらと、蝿か何かを追い払うような動作であしらってくる。
むぅ、払えなくはないけれども……。
ここで手をこまねいていても仕方ないし、背に腹は変えられない、か。
モララーは財布から千ルク札を三枚取り――
( ・∀・)「それじゃ、お願い――」
出そうとして、止まった。
从 ゚∀从「どしたん?」
不思議そうに尋ねてくる少女の声にも応えず、
モララーは警鐘を鳴らす記憶に耳を傾けていた。
そういえばさっき、ナイトウさんに忠告されたような気がする。
たしか――『シベリア人が徒党を組んで悪さをしている』、とか。
この少女が、そうなのか?
とてもそうは見えない。見えないが、そういう演技なのかもしれない。
用心するに越したことはないかも――。
モララーがそう思いかけた、その矢先だった。
-
从 ゚∀从「何か、悪いことしちゃったかな、あたし。
そんなつもりはなかったけど、警戒させちゃったみたいだね」
今までのハイテンションがうそのように悄然とした様子で、
彼女は悲しそうに話しだした。
気のせいか、目元がわずかにうるんでいるようにも見える。
(;・∀・)「い、いやそんなことは」
从 ^∀从「でも、しょうがないよね。
こんなところでいきなり声をかけられたら、どう考えたって怪しいもん。
んじゃね、おにーさん。あっち」
少女はそういって、指をさす。
从 ゚∀从「あっちの方へまっすぐ進めば市街地に出るから、
そうすれば大体道もわかると思うよ。
夜になるとこの辺明かりもないから、早めに行った方がいいんじゃないかな。
それじゃ、そういうことだから」
縁があったらまた会おうぜい。
それだけ言うと彼女はくるりと半回転、
モララーに背を向け――それまでの勢いはどこへやら、
とぼとぼとうつむきがちに歩き出した。
杞憂、だったのだろうか。本当にただの善意――いや、商魂はたくましかったが――で、
ぼくを助けようとしてくれていたのだろうか。
だとしたら、これは何というか、何とも……後味が悪い。
-
(;・∀・)「ま、待ってくれないかな!」
思わず声をかけてしまったぼくに向かって、彼女は再びくるりと半回転。
小首をかしげてじっとこちらを見つめている。
(;・∀・)「やっぱりガイドを頼みたいなー、なんて……」
从*゚∀从「ほんとに!」
ワン・ツー・スリーの三ステップで、彼女はぼくの目の前に飛んできた。
その勢いに押されてぼくが一歩後ろに引くと、
彼女の手が何かつかんでいるのが見えた。
千ルク札が、三枚。
慌てて財布を確認する。
丁度彼女が手にしている分だけ、財布に隙間が空いていた。
い、いつの間に……。
从 ^∀从「えへへ、毎度ありぃ! それじゃいこっか、おにーさん!」
するりと、彼女の腕がぼくの腕に滑り込んできた。
腕を組み、そのままぐいぐいと彼女は前進しようとする。
(;・∀・)「ちょっ、ちょっと待って!」
モララーは彼女を押し留めた。
それに対し、彼女は再び膨れ顔を見せる。
从 ゚へ从「何だよぅ、いまさらキャンセルは効かないんだからなー」
( ・∀・)「そうじゃなくて、まだ行き先も言ってないし……。それに、きみの名前も聞いてない」
-
鳩が豆鉄砲を食らった顔とはこういうものか。
きょとんと、一瞬彼女の素の表情が見えた。
と思ったらもう、次の瞬間にはケタケタと笑っていた。
胸を張り、堂々と自己紹介をする。
从 ゚∀从「あたしはハイン。見ての通りシベリア人だよ」
見ての通り、と言われても見分けがつかないのだが……。
外国人から見てゴラク人とアナーキー人の見分けがつかないのと同じようなものだろうか。
まあそれは、大した問題ではないか。モララーもまた、彼女に倣って自分の名を名乗る。
从 ゚∀从「ふーん、モララー、ね。何か変な響きだねー。
まあいいや、よろしくね、おにーさん。それで、どこに行けばいいの?」
( ・∀・)「それなんだけどさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
从 ゚∀从「なに?」
( ・∀・)「これなんだけどね」
そう言って、モララーはポケットから髪飾りを取り出した。
( ・∀・)「実はこれの持ち主を探してたら迷っちゃってさ。
まだ小さい、たぶん七・八歳程度の女の子なんだけど。知らないかな」
从 ゚∀从「んー……。それだけじゃなんとも。ソウサク人? それともシベリアの子?」
( ・∀・)「いや、ごめん。ぼくにはちょっと見分けが……」
从 ゚∀从「あ、そっか。んー、それじゃ他に、何か特徴とかさ」
特徴……そう言われても、なにせ一瞬のことだったからな。
記憶を掘り返してみる。肌の色。髪の毛。顔つき。着ているもの。
腕――あっ。
-
( ・∀・)「そういえば」
从 ゚∀从「何か思い出した?」
( ・∀・)「大きなスケッチブックを抱えてたな。
その子の胴体くらいある、大きなやつ。
不釣り合いだと思ったから、よく覚えてるんだ」
从 ゚∀从「スケッチブック……」
思い当たるフシがあるのか、今度はハインが考えだした。
答えが出るまで、隣で待つ。やがて彼女は、納得したようにうなずいた。
从 ゚∀从「もしかしたら、案内できるかも」
( ・∀・)「ほんとに?」
从 ゚∀从「うん、こっち。付いて来て!」
そういって、ハインはつかんだ腕に力を込めてモララーを引っ張りだした。
倒れないように、ハインの足取りに合わせて歩を早める。
マラソンでもしているみたいだった。
右に左に、廃墟の迷路をハインは迷いなく走っていく。
景色が次々に移り変わり、三分前に自分がいた場所にも戻れないような気がしてくる。
それに息も切れて、頭ももうろうとしている。
-
(;・∀・)「ちょ、ま、も、すこ、し、ゆ、っくり……!」
从 ゚∀从「もうちょっと!」
モララーの懇願は一蹴された。
さらに走ること、十分か、二十分か。
本当にもう、限界。その場にばたんと倒れたい。
半分以上意識が飛びかけた、その時。
とうとつに、ハインが停止した。
到着したのだろうか。
ぜえぜえと荒い息に苦しみながら、ぼやけた視界で周りを見渡す。
(;・∀・)「……ここ?」
そこは三方を瓦礫に囲まれた、行き止まりとなっていた。
こんな寂しいところに、あの子が――?
从 ゚∀从「そう、ここだよ……と!」
いきなり背中を押されて、疲労した脚がつんのめりそうになる。
何とか踏みとどまり、ぶつかりそうになった壁へと手をつき、そのまま尻餅をついた。
-
(;・∀・)「な、なにをする――」
ハインに向かって、叫ぶ――つもり、だったのだが。
(;・∀・)「――つもりで、ござい、ましょうか?」
モララーの声は尻すぼみに小さくなっていった。
なぜか。
威圧されたからである。
なにに。
ハインの背後にいる、十人近くはいるであろう少年たちに。
少年とはいっても、中にはもう成人と変わらない身体つきの者もいる。
从 ^∀从「はい」
かわいらしい声を出しながら、ハインが手を出してきた。
モララーはおそるおそる、その手に自分の手を載せた。
-
从#゚Д从「違うだろうがぁぁあああ!!」
(;・∀・)「ひぃ!」
こ、こええ。
シャキンさんにも負けず劣らずのド迫力だよこれ。
从 ゚Д从「金だよ金、金を出せっつってんだよ!」
(;・∀・)「そ、それはもうさっき払った……」
从#゚Д从「あぁ!?」
鋭いものが、喉元に突きつけられた。ナイフだ。
どこから取り出したのか、刃渡りの大きな人を殺傷せしめる本格的なナイフが、
モララーの首筋を圧迫していた。
もう僅かに圧力がかかれば、そこからぱっくり皮膚は裂けるだろう。
生唾を飲み込みそうになるが、それすら怖い。
从 ゚Д从「あのなおっさん、うちの商売は一分刻みなんだよ」
(;・∀・)「い、いっぷん?」
从 ゚Д从「そ。だからおっさんが最初に払った三千ルクは、一分間の案内賃だってことになるわけだな」
(;・∀・)「そ、そんなアホな……」
从 ゚Д从「何か文句でも?」
ナイフの刃が傾むいた。
切っ先ではなく、刃の部分が喉を圧迫してくる。
-
(;・∀・)「いえいえ、いえいえいえいえ!!」
あります! とはとても言えない。
从 ゚Д从「それじゃ商談に戻るけどよ。あんたがアタシと会ってから大体……
まあ、三十分ってところか。三十分かける三千だから………………………………………………おい!」
ハインは後ろの少年に向かって何か話しかけていた。
現地の言葉だろう。何と言っているかは分からないが、
内容はある程度予想できる。
从 ゚∀从「そうか、まあ、八万だな!」
計算間違いを指摘する余裕はもちろんない。
しかしハインはまだまだ、”商談”を続けるつもりらしかった。
从 ゚∀从「これにオプション料が五万ついて……………………えーと………………十二万! 十二万だ!
……まあ、アタシも鬼じゃないからな。まけにまけて、十万。
十万ルクでいいぜ。やべえなアタシ、やさしすぎるわ」
(;・∀・)「あ、あのー……」
从 ゚∀从「あ?」
(;・∀・)「もし、そのー……払えなかった場合は、どうなるのでしょう?」
-
財布の中には残り一万ルクしかない。
十分の一。足りないどころの話ではなかった。
そういった事情を知って震えているモララーに対し、
どうしたわけかハインはやさしく、なだめるような口調で話しかけてきた。
从 ^∀从「財布の中にそんな大金入ってないってことくらい、
さっきスった時にわかってるから安心しなよ、おっさん。
取り立てる手段ってのは、別に現金に限らないんだ」
ハインの顔がぐいっと、間近によってきた。
じっくりと、舐めるように全身を値踏みされる。
从 ゚∀从「コレクターってのはどの時代のどんな国にもいるもんだぜ。例えば指――」
喉元のナイフが、指の上に移動する。
从 ゚∀从「を揃えることに興奮する親父とか、あるいは目――」
今度は切っ先が眼球の寸前に。
从 ゚∀从「の好事家とか、耳――」
はらり、と、何本か切れた髪の毛が落ちた。
从 ゚∀从「に目のないやつとか、な。東洋人は中々この国には来ないからな。
きっと高く売れるぜぇ? けっけっけ」
じょ、冗談ではない。
普段はそんなこと露ほどにも考えないが、とにかく、
親からもらった大切な体だ。そう簡単に失ってたまるものか。
-
(;・∀・)「ほ、ホテルに行けば払えるから!」
从 ゚∀从「即金即決がアタシのモットーなんでね」
(;・∀・)「に、二倍払うっていっても?」
从 ゚∀从「口約束は信用できない」
(;・∀・)「そ、それじゃあの、その……」
从 ゚∀从「見苦しいぜおっさん。まっ、身体での清算お願いしますわ」
観念しな。
そう言うと、ハインは上空に向かってナイフを放り投げた。
陽の光を反射しながら、無骨な凶器がくるくると、
おもちゃのような滑稽さで回る。
(; ∀ )「ひぃ!」
ナイフは目と鼻の先、あと僅かでもずれれば鼻が
すっぱり切れかねない位置を通過しながら落下した。
そして地面につく直前、ハインが器用にそれをつかむ。
間髪置かずに、ナイフは再び上空を舞った。
やばいやばいやばい。
このままじゃ本当に、目か、耳か、指か、
どれかわからないが――あるいはその全部が削ぎ落とされてしまう。
どうにかしなければ。
何かないか、何か、何か……そ、そうだ!
-
(;・∀・)「き、きみはまだ約束を果たしてないぞ!」
从 ゚∀从「約束ぅ?」
上空を回転していたナイフを、ハインがつかんだ。
そのタイミングを見計らって、モララーは早口にまくしたてる。
(;・∀・)「だってそうだろう! ぼくはスケッチブックの女の子のところまで
案内して欲しいと頼んだんだ。でもここにはそんな女の子、
影も形も見当たらない。これは契約違反だ。だからこの商談は無効だ、ナシだー!」
从 ゚∀从「ふーん」
ナイフの上空へのループが止まった。
ハインは何かを考えるようにしながら、モララーの顔を覗き込んでいる。
こ、これはもしかして、助かった、のか……?
一瞬、そのような期待を持つ。
だが、そんな期待はすぐさま破壊された。
从 ゚∀从「苦し紛れの言い訳にしては、あながち間違ってないかもな。
でもなおっさん、誰が約束を果たしてないっていった?」
(;・∀・)「え?」
从 ゚∀从「おっさんが探してたのって、この子のことだろ?」
-
ハインが後ろの少年たちに何かを命令した。
すると少年たちのうちの一人が、後ろに隠れていた誰かの手を引いて、
モララーの前まで連れてきた。
その子は、身に余る大きさのスケッチブックを抱えていた。
从 ゚∀从「ついさっきうちらの仲間になった、ぴちぴちの新人ちゃんだよ」
(*゚ -゚)「……」
間違いなかった。ホテルの植え込みで対面し、
モララーがこんな目に合う切っ掛けとなったあの女の子。
その子がいま、目の前にいた。
しかし、だからといって。
当初の目的が果たせそうにないことは、あまりにも明白過ぎる状況なのだが。
从 ゚∀从「どうやらこれで商談成立、だな。さ、気が済んだろおっさん。それじゃ――」
(;・∀・)「ま、待って――」
从 ゚∀从「入会の儀式も兼ねて、この子にやってもらうとしましょうかね」
ハインの手にあったナイフが、女の子の小さな手にわたる。
重みでよろけそうになった女の子を背中から支えながら、
ナイフを持った女の子の手にハインの手が添えられた。
从 ゚∀从「いいか、力はいらない。付け根の形と沿わせるように、
切れ目を入れる感じで滑らせれば耳なんて簡単に落ちるから。
ほら、やってみな」
(;・∀・)「わ、ちょ、ちょっとぉ!」
-
ハインが洒落にならない物騒なレクチャーをしている間に、
数人の少年たちがモララーを左右から拘束しだした。
逃げ出そうとしても、全身疲れきっていて力が入らない。
そうか、そのために長時間走らせたのか。
妙なところで感心してしまう。
などと、悠長に考えている場合ではない。
ハインに後押しされる形で、ナイフを持った女の子がゆっくり、
しかし着実に近づいてくる。
すなわちそれは、この身体と耳とが永遠におさらばする時間が
近づいてきていることでもあるのだ。
逃げなければ。でも方法がない。説得すれば。
断られたばかりじゃないか。いっそ立ち向かえば。
だから抑えられているんだって。
思考がぐるぐるとあっちこっちへ回ってしまって、
とてもではないがまともに物を考えられる精神状況になかった。
だからモララーは、ただただ懇願した。
神様! 仏様! ヒロユキ様にシャキン様!
ああもう鬼でも悪魔でも構わないから、とにかく、誰か、誰か――
(;・∀・)「たーすけてぇぇぇえええ!!」
-
それは、空から、降ってきた。
.
-
从;゚Д从「な、なんだてめぇ――」
ハインの言葉が終わるよりも先に、それは動いていた。
それと同時に、周りを囲んでいた少年が二人、地面に倒れた。
モララーをつかんでいた少年のひとりが、
勢い込んでそれに突進した。少年の身体が、空高く宙を舞った。
落下した少年は動かなくなった。
少年たちが一斉に飛びかかる。
何が起きているのかわからない。
わからないが、男が動作するたびに、少年たちが次々と
倒れていくことだけは間違いなかった。
その間、一分もなかっただろう。
モララーにとってあれほど脅威的だった少年たちは、
ひとり残らず地面に突っ伏していた。
そして、それは、モララーを見た。
視線があった。
瞬間、ひとつの言葉が、頭のなかを即座に埋め尽くした。
-
コ――
コ――
コ――
コ――
コ――
――――――コロサレル!!
.
-
( ´_ゝ`)「……ゴラク人か」
それだけいうとそれは、スケッチブックを持ったあの女の子の手を握り、
そのまま何事もなかったかのように去っていった。
後に残されたのは床に突っ伏した少年たちを除けば、モララーと、ハインだけだった。
(;・∀・)「は、はは、は……」
从;゚∀从「あは、ははは、はは……」
腰が抜けたのか、ハインも壁を背に尻をついていた。
顔を見合わせて、なぜだか二人で、笑った。
奇妙な連帯感があった。先にそれを放棄したのは、ハインの方だった。
从 ゚Д从「何笑ってんだよ、ばーか」
モララーの足元に、ナイフが刺さった。
ハインが投擲したのだ。床に刺さって揺れているナイフを見ていると、
忘れかけていた恐怖心が沸々と表に沸き上がってきた。
そして、モララーは――
(;・∀・)「わ、わぁぁあああ! うわぁぁぁぁあああああ!」
叫びながら、逃げ出した。
あてどもなく彷徨い走り、ホテルに着いた時には、すでに陽が落ちきっていた。
そんなモララーを出迎えてくれたのは、やさしい先輩のアイアンクローであった。
夜のソウサクスカイラインホテルに、絶叫が木霊した。
.
-
―― ( ´_ゝ`) ――
( ´_ゝ`)「座れ」
少女は言われたとおり、丸椅子に腰掛けた。
話が通じるだけ先程より落ち着いたのだろうが、
未だに心はここに非ずといった様子だ。
彼女はなぜ、あんな所にいたのか。
俺から逃げようとした――部屋から抜け出た彼女を探している間は、
その可能性も考慮した。
だがあの場所で彼女を見つけた時、その考えが間違いであったことを確信した。
彼女の瞳には俺のことなど映ってはいなかった。
彼女はただ、母親を探していたのだ。
死を、受け入れることができずに。
-
( ´_ゝ`)「見ろ」
封の切られていない、買ってきたばかりで新品のトランプを
テーブルの上へ扇状に広げる。背の側を上に向けているため、
このままではどれが何のカードかはわからない。
( ´_ゝ`)「好きなカードを引け。ただし俺から見えないようにな。
引いたらそのカードの絵柄と数字を覚えるんだ」
どこか遠くへ飛んでいた少女の意識が、少しだが俺の方へ向いた。
今はそれでいい。俺はテーブルの上を二、三回ノックし、もう一度彼女をうながす。
彼女の手が、一枚のカードをつかんだ。慎重な手つきでそれを自分の目の前に持って行き、
じっと凝視する。覚えたか? そう尋ねると、彼女はこくりとうなずいた。
( ´_ゝ`)「それならそのカードを、この扇の中へもどしてくれ。
どこでも好きなところで構わない」
彼女の手がトランプで造った扇の前で揺れる。
どこにするか迷っているのであろう。
やがて左端から僅かに内に寄った場所へ、カードをしまった。
それを確認し、アニジャは束に戻す。シャッフルする。
入念に、よく混ざるように。彼女の入れたカードがどこにあるのか、
判別できなくするために。
やがてシャッフルを終えたアニジャは、
束にしたトランプをテーブルの上に置いた。
そして一番上のカードを、少女からは背の側しか見えないような取り方でめくる。
-
( ´_ゝ`)「いまからこの種も仕掛けもないトランプを、
ワン・ツー・スリーの掛け声とともに
どこか別の所へ瞬間移動させてみたいと思う。
さあ、身を乗り出して、よく見てくれ。
いくぞ……ワン・ツー・スリー!」
ぱんっと、両てのひらがカードを挟んで音を鳴らした。
そこから間を開けず、手を開く。そこにはもう、カードは消えていた。
少女は不思議そうにてのひらを見つめている。
アニジャはその視線を誘導するように、彼女の右ポケットを指差した。
恐る恐るといった様子で、彼女がポケットに入ったそれを取り出す。
トランプのカード。その表に描かれた絵柄と数字を見た途端、彼女の目が丸くなった。
( ´_ゝ`)「ハートのクイーン。さっき選んだカードで間違いないな?」
どうして、どうして。
カードをひっくり返して表や裏を何度も確認している彼女の姿は、
どんな言葉よりも雄弁にアニジャの指摘が正しかったことを証明していた。
-
未だ信じられないといった様子で戸惑っている彼女の注目を集めるように、
アニジャは人差し指を立てて彼女の目のすぐ前まで持ってきた。
彼女の視線が集まる。そしてそれを、今度は彼女のヒダリポケットへ向ける。
彼女が慌てて左ポケットを確認する。
そこには、何十枚も重なったトランプの束がいつの間にか潜り込んでいた。
どうしてと彼女が見上げたそこにもまた、驚きが待っていた。
どうしたことか、テーブルの上には、トランプで組み上げられた塔が
積み重なっていたのである。高く積み重なったそれは、
彼女の背と同じほどにはあった。
何をどう驚いていいのかわからずむしろ呆然としてしまった少女が、
アニジャを見上げた。アニジャはその目、口、表情を見てから、口を開く。
( ´_ゝ`)「違う。俺は魔法使いじゃない」
少女が両手で口を抑えた。
どうして、どうして『考えていたこと』がわかるの、といったように。
( ´_ゝ`)「昔、そういう訓練をしていたことがある。ただの技術だ。
だがこれくらいはわかる。……お前の名前は、シイだな?」
少女はゆっくりと、わずかに、
けれどそれと分かる程度に首をうなずかせた。
( ´_ゝ`)「そうか、シイ。そうか――」
-
アニジャは少女――シイの方に努めて視線を外し、
トランプタワーを片付けながら、なるべく素っ気なく、
感情を込めずに、言った。
( ´_ゝ`)「よくがんばったな、シイ」
きょとんとしていた。
徐々にゆがんだ。
声は上げなかった。
声を上げずに、涙を流した。
声を上げずに、嗚咽を漏らした。
ようやく泣くことができた彼女のために、
アニジャはずっと、トランプマジックを披露し続けた。
何時間も、何時間でも――。
.
-
―― ※ ――
「いいですか、半年です。私たちは半年かけて調査を進めてきたのです。
あなた方の無思慮なこの行いのせいで、すべてが台無しですよ」
「こいつらは西側の工作員と内通していたのだ。
KGBにはそうした資本主義者を速やかに処分する権利と義務がある」
悪びれた様子もなく、KGBのチームリーダー、ヨコホリ中尉が楯突いてくる。
しかしこちらも引き下がる訳にはいかない。この調査には人も時間も、
貴重な資金も大量につぎ込んだ。KGBの介入により反故になってしまいました……では済まされない。
誰かの首を飛ばす必要がある。
そしてその対象が、俺であってはならない。
「ここの家族が西側とつながっていたことは、
人民管理委員会でも当然把握しています。
ですが内通者はこの一家だけとは限らない。
疑いのあるものだけでも三世帯。
水面下ではさらに五世帯ほどが西側の影響を受けていると、私たちは予測しています。
この資本主義の豚どもを芋づる式に引っ張り上げる計画を、私たちは立てていたのです。
それをあなた方が目に見えるイモだけをつかんで、根っこの在り処を見失わせてしまった。
この失態の責任、どう付けて頂くおつもりですか」
「それは我々の管轄外だ。諸君らの努力不足のツケを、
こちらになすりつけないでもらおうか」
-
管轄外と来たか。
あくまで自分たちに落ち度はないと言い張るつもりのようだな。
いいだろう。そっちがその気なら、こちらにも考えがある。
「ヨコホリ中尉、突入の前には当然中央への確認と報告を入れたのですよね?」
「無論だ。国内において銃火器及び爆発物を扱う場合、
中央管理総局へ事前に連絡する。それが規則だ」
「ならばその中央管理総局がE地区への軍事的介入行為を
禁止されていることは、当然ご存知のはずだ」
「なんだと?」
ヨコホリが部下に命令した。
命令された部下は慌てて中央と連絡を取り、
その結果をヨコホリに耳打ちした
ヨコホリの顔が、怒りで赤く染まった。
-
「貴様! でたらめを教えたな!」
まぬけめ。
怒るポイントがひとつもふたつもずれていることにも気が付かないとは。
俺はこの時内心、ほくそ笑んでいた。
「ええ、でたらめです。ですがあなたの態度は本物でした。
大尉、あなたは突入前の確認と報告を怠り、規則を破りましたね」
「そ、それは……だが、我々の行動は連邦の未来を思ってのものだ。
非難される筋合いはない!」
実際の所、KGBのみならずほとんどの管理局が、慣例的に独断で任務を遂行している。
もちろん中央がそれを知らないはずはなく、
事実上黙認されているのが現状なのである。だが、それでも――
「規則は規則です。あなたは規則を破った上に、
このオオカミ連邦の不利益になる失態を犯した」
「しょ、証拠はない!」
「証拠など、あなたの疑わしい態度と行動だけで十分です。
私たちは裁判をしているわけではないのですから。
疑わしきは罰せよ。これが連邦の基本法則であり、
あなたは連邦に対する許されざる背信行為を働いた。これが唯一の事実――」
-
>>74
8行目
誤:大尉
正:中尉
-
「中尉!」
俺の話を遮って、KGBの職員がこの場に躍り出てきた。
その後ろには、血に塗れた少女が拘束されている。
まだ四歳か五歳程度の、小さな少女だ。
「床下に隠れていたところを発見致しました。
どうやらここの末の娘のようです」
「そうか。ではそいつはKGBが――」
「人民管理委員会が預からせて頂きます。
あなた方に預けても、無意味な拷問で
情報一つ吐き出させないまま殺してしまいそうですから」
俺は部下の局員に、その少女を移送するよう命令する。
この少女を連れてきたKGBの職員が悔しそうにしていた。
勝った。
俺の勝ちだ。
こんなガキから情報が引き出せるとは当然思っていないが、
少なくともひとつの成果として報告することはできる。
ガキは嫌いだが、どんなものでも使い方によって益にも害にもなることを俺は知っていた。
-
少女が連れて行かれるのを見届けた後、最後に俺は、
渋面を浮かべるヨコホリ中尉へ忘れずに止めを刺しておく。
「いずれにせよ、この件は中央へ報告させて頂きますので、そのつもりで」
ヨコホリ中尉の渋面が、さらに歪んだ。
「我々は職務を忠実に遂行しただけだ。疚しいところなど何もないぞ!」
「それは中央が判断してくださることです。
もはやあなたと話すことなどありません。私たちは引き上げさせて頂きます」
そう言って、部下へ引き上げの命令を出す。
まだ死体が転がったままの部屋から出ようとした時、
背後から、恨みがましい声が聞こえてきた。
「ソウサクの未開人が……!」
.
-
オオカミに送られてからすでに、十二年の月日が経っていた。
里親と称しながら一日に一杯のスープしか寄越さないことも
ざらなババアの下から逃げ出し、ソウサク人の身で
人民管理委員会に配属されるという異例の大出世を遂げることも出来た。
この国に来た時の、みじめな俺はもういない。
俺はこの国の中で確固たる地位を築き、成功を続けている。
だが、まだまだだ。まだまだこんなものではない。
もっと上へ。もっと上へ行く必要がある。
俺を捨てた奴らを見返すためには、
こんな中途半端な位置で満足する訳にはいかない。
トップだ。
オサム党首に代わり、俺がオオカミ連邦共産党党首になってやる。
それこそが俺の野望であり、この国への、故郷への、両親への、兄弟への復讐なのだ。
兄弟。
俺には十五人の兄弟がいる――らしい。
らしい、というのは十五人の内一人以外顔を合わせたことがないからだ。
そのうちの七人は、今もソウサクでヌクヌクと暮らしている。
残りの八人は、みなオオカミへ送られた。
この七人と八人を分けたものは何か。母親だ。
この七人の母親は、ある男の正式な婦人として宮殿で暮らしている。
つまりそれ以外の八人は、妾腹の子というわけだ。
種だけを同じくする、腹違いの兄弟たち。
生まれた腹が違うという理由だけで、祖国から程遠いこのオオカミへと捨てられた俺たち。
-
風の噂で聞いた所によると、ここへ送られた兄弟は
そのほとんどが死んでしまったらしい。
環境に適応できなかったり、里親に虐待されたりと原因は
様々に想像できるが、ひとつだけはっきりしていることがある。
彼らは負けたのだ。負けたから、死んだ。
……俺は違う。
俺は誰にも負けない。
勝ち続け、勝ち続け、勝ち続けて――俺だけが、生き残ってやる。
そして、あいつにも。
あいつ。
十年前のあの雪の夜、俺に劣等感を植えこんだ、あいつ。
あの日以来、あいつに会ったことはなかった。
もしかしたらあいつも、他の兄弟同様死んでしまったのかもしれない。
その可能性は十分にある。気づかない内に、俺が勝利していたという結末。
……できることならば、それは避けたかった。
やつとは直接対峙し、その上で勝ち負けをはっきりさせてやらなければ気が済まない。
そして認めさせてやるのだ。あいつに、俺の価値、力を――。
だが、それはまだ先の話だ。
いまは目の前の仕事を片付けていくことに専念する。
ひいてはそれが、オレの野望の一助と鳴るのだから。
そう、俺はその時まで、本心からそう思っていたのだ。
それは突然訪れた。
-
「KGBはお前にスパイ容疑をかけた。
今から家宅捜索をさせてもらう。
異議があるなら書類を作成後、三日以内に申請部へ送ってくれ」
男がそう言うと、部下らしきKGBの職員が三人、
許可もなく部屋の中へ押し入ってきた。
KGBの報復だ。ヨコホリ大尉の処分に納得できず、
俺――というより、人民管理委員会にも同じ恥を着せようという魂胆なのだろう。
当然、この程度の返報は予想していた。後ろ暗いところは何もないし、
仮にこいつらが証拠を捏造しても、中央にはすでに根回しをしている。
ぬかりはない。この程度の捜索などで、動揺することはなかった。
だから、俺が動揺したのは別のことが原因だった。
あいつだった。
俺の目の前に立つこの男こそ、あの雪の日、
俺にコンプレックスを植えつけた張本人の、あいつだった。
KGBに所属していたのか。
-
「何も見つかりませんでした!」
「ごくろう。お前たちは下がっていい」
男の一声で、職員たちはさっさと部屋から出て行った。
後には俺と、男だけが残された。俺は努めて冷静に、
他のKGB職員と戦う時のように男へ話しかけた。
「で、疑いは晴れたのですか?」
「いや、まだだ」
どうしてもぎこちなさの抜けない俺の態度を切って捨てて、
男は部屋の中へと入っていった。そして家具や、ベッドや、
ソファーなどを物色し始めている。
「何を?」
「悪くない。この広さなら住めそうだ」
「住む?」
「そうだ。監視のため、しばらくここで暮らす。
貴君に拒否権はない。これはもう決定したことだ」
-
そう言って男は、俺に紙切れを渡してきた。
その紙切れには確かに、男が俺を監視するために同居する旨が書かれており、
あろうことか人民管理委員会会長のサインもきっちりとしたためてあった。
会長がこの決定を是としたならば、
俺の権限でこれをひっくり返すことはできない。
紙を持つ手が震えそうになる。
それに、この紙切れにはさらに気になることが書いてあった。
男の監視する対象が、俺一人ではないのだ。
それにこの名前は、つい先日――。
「来い」
男の声に呼応して、この場にそぐわない程に元気の良い
「はーい!」という返事が聴こえた。それと同時にとてとてとてと、
これまた元気の良い足音を響かせて、一人の少女が入ってきた。
少女は、先日KGBと争った時に確保した娘だった。
何でこんな所に。俺が抱いたその疑問には、男がわかりやすい回答をくれた。
「この子はうちで預かることになった。
労力を考え、お前と一緒にここで監視させてもらう。
言うまでもないが、人民管理委員会からの許可は取っている。確認してもいい」
-
その必要はないだろう。
ここまで周到に仕組まれているのだ、これはもう、受け入れるしかない現実だ。
そうやって自分を納得させようとしていると、ズボンが引っ張られていることに気がついた。
少女が俺の脚を引っ張っていた。
「あそこがいー!」
少女の指差した先は、この部屋で唯一のベッドが置かれている場所だった。
「勝手にしてくれ……」
何だか酷く疲れてしまった俺はもうどうでもいい気分になって、
少女の願いを聞き届けた。しかし俺が言い終わるよりも早く少女は駆け出し、
ベッドに向かってダイブしていた。
ため息を吐く俺の隣に、男が立っていた。
「そういうわけだ。これから宜しく頼む」
「たのむー!」
「……お手柔らかに、頼む」
そう、その日が始まりだった。
その日から、オレと、アニジャと、クーの生活が始まったんだ。
.
-
―― ( ・∀・) ――
この国に来てから、十日が経った。
あの事件――ハインによる脅迫事件からは、一週間が経過している。
( ・∀・)「シャキンさんも人使いが荒いよなあ、まったく」
今日のモララーは昼飯の買い出しに、外へ出ていた。
実際の所食事はホテルが用意してくれる分だけで十分まかなえるのだが、
「屋台の飯を食わなきゃこの国来た意味がねぇ!」というシャキンさんのお言葉で、
市場まで一人で来ることになってしまったのだ。
そんなに言うならシャキンさんが行けばいいのに。
できたても食べられるし。そう思いはするものの、口にはしない。
もうアイアンクローはこりごりである。
本音を言えば四六時中シャキンさんと一緒にいるのも息苦しいので、
外に出てハメを外すことができるのはむしろ歓迎すべきことなのだ。
本来ならば。
やはりまだ、外は怖い。
またこの間みたいな目に合うのではないかと、心配になる。
ナイトウさんが市街地からでなければ大丈夫と太鼓判を押していたが、怖いものは怖いのだ。
まあいいや。
さっさと適当なものを見繕って、帰ろう。
-
商店街をぶらぶらと歩く。一口サイズのコロッケみたいな揚げ物。
ムール貝に炊き込みご飯を敷き詰めた料理。三角に切ったカステラのようなお菓子に、定番のケバブ。
他にも色々と、少し回っただけで山のような食品を売っている店がいくつも見られた。
活気もすごい。ゴラクでは中々見られない光景だった。
この国で飢えて死んでいった人がいるなんて、信じられない。
政権が変わり、この国は本当に良い方向へ変わったんだなと、素直にそう思った。
ナイトウも、この国の大統領――オトジャという人物をずいぶん尊敬しているようだったし。
そんなことを考えていると、少しだけ気分が良くなってきた。
目についたおいしそうなものを買食いする。おいしい。
ナイトウの気持ちがわかるような気がした。角を曲がる。
引き返した。
見てはならないものがそこにある。そんな気がしたのだ。
いや、気のせいかもしれない。はっきりと見たわけではないし、
たぶん、外への恐怖心が錯覚を起こさせたんだ。ははは。
生唾を飲み込む。
そしてモララーは、そろーっと、角から首だけだした。
引っ込めた。
-
いた。
今度は間違いない。
あいつがいた。
あの日空から降ってきた、人殺しの目をしたあの男がいた!
あの男が普通に買い物をしていた!
……いや、よくよく考えればあの人からは何の危害も加えられていないのだけど。
むしろ助けてもらったようなものだし。
……なんでぼく、隠れてるんだ?
モララーはもう一度、身を乗り出して曲がり角を覗いてみた。
だがそこに、男の姿はなかった。
もう行ってしまったのだろうか。
ほっとするような、そうでもないような、何ともいえない感覚にモララーが戸惑っていると――
背後から、強烈な気配を感じた。
-
( ´_ゝ`)「……」
(;・∀・)「ひぃ!」
いた。男がいた。怖い。やっぱり超怖い。
というか何を考えているのかわからない。
何で背後にいたの。どうすればいいの。
と、とりあえず、挨拶しておく?
(;・∀・)「あ、あっさらーむ、あれい、こむ?」
( ´_ゝ`)「……この前のゴラク人か」
ご、ゴラク語?
そういえばこの前も、去り際にゴラク語を話していた気がする。
もしかしたら、話は通じるのかも。
不思議なもので、言葉が通じるかもしれないと思っただけで大分、
恐怖心が薄れた。この前はそれで痛い目を見たというのに。
( ´_ゝ`)「……」
モララーが何も話さないでいると、男は背を向けて歩き出した。
男の背中が離れていく。
(;・∀・)「あ、ちょ、ちょっと待って!」
男が振り向いた。
……何でぼく、呼び止めたんだ?
自分の行動が、自分で解せない。
しかし呼び止めてしまった以上、何かしなければならない。
な、何を、何をすれば?
……そうだ。
-
(;・∀・)「……あの、これ、食べます?」
シャキンのために買っておいたケバブを、男の前につきだした。
あれ、つい最近も似たようなことをした気が……。
男はケバブをじっと見つめていたが、
やがてそれから視線を外し、その抑揚のない声で話しかけてきた。
( ´_ゝ`)「ゴラク人。お前、絵は描くか?」
( ・∀・)「絵?」
.
-
( ・∀・)「ダメですね。ここにも置いてませんでした」
( ´_ゝ`)「そうか……」
相変わらず声にも表情にも感情というものが乗らないせいで、
何を考えているのか読み取れない。
が、心なしか、どこか残念がっている――ように聞こえる。
思い込みかも知れないが。
あの後。ケバブを受け取り拒否された後。
モララーは男から、画材道具を売っている店を知らないかと訊かれた。
申し訳ないけれど、と、知らないことを伝えると男はすぐまたどこかへ行こうとした。
モララーはまた引き止めた。
自分でも不思議なのだが、この男に何か、用事があったような気がしたのだ。
引き止めたモララーは、男に提案した。
「ぼくもいっしょに探しましょうか」と。
男は最初こそ拒否してきたものの、強くは否定してこなかった。
だからぼくは、ハインたちから助けてもらったお礼という名目で、
画材探しを手伝うことにしたのだ。軽い気持ちで。
-
が、この仕事は思った以上の難業だった。
商店街に並ぶ店を虱潰しに見ていったのだが、
これがまるで、ぜんぜんない。筆の一本すら置いていない。
何とこの商店街に並んでいる店の八割近くが、
飲食関係の店だったのだ。入っても入っても、
いい匂いをさせた料理と対面するばかり。
そして最後の一件を、ついさっき見終わったところだった。
結果は、言うまでもない。
( ・∀・)「何かすいません、お役に立てず……」
男は何も言わなかった。
怒っているわけではないと思うが、表情がないので考えていることがわからない。
彼に対し何の用事があったのかも思い出せないことだし、
もう立ち去るべきなのかもしれないが……。
それじゃ、さよなら!
……とも、言い難い。どうしよう。
モララーは思案に暮れた。
すると、その思案をぶち壊すようなのんきな声が、
市場の方から聞こえてきたのである。
「あ〜、おいしいお〜。おいしすぎるお〜。
どれもこれもおいしすぎだお〜、生きててよかったお〜!
おお〜ん!」
両手いっぱいに抱えた雑多な食べ物をほうばりながら、
その男はのっしのっしと歩いていた。小太りな身体を揺らし額から
滝のような汗を流しているその姿は、一度見れば間違いようがない。
そう、この人は――
-
( ・∀・)「ナイトウさん!」
ナイトウさんだった。
モララーの呼び声にナイトウも気づいたらしく、
抱えた食べ物を落とさないよう器用にバランスを取りながら、
小走りで駆け寄ってきた。
( ^ω^)「モララーさんじゃないかお! ちょうどいいところで会いましたお!」
( ・∀・)「ちょうどいいところ?」
( ^ω^)「そうですお。シャキンさん、かんかんになってましたお?」
(;・∀・)「げ、マジですか?」
( ^ω^)「ですおですお。だから早く帰ったほうがいいですお。
……ところで、そちらは?」
食べる手は止めずに、ナイトウはモララーの
背後に立っていた男のことを尋ねてきた。
( ・∀・)「ああ、実はちょっと事情があって……」
モララーは男とともに画材道具を探しまわっていたことを説明する。
何件も回ってはみたものの、それらしい店がまったく見つからなかったと。
話を終えた時にはもう、ナイトウの手から一切の食べ物はなくなっていた。
ナイトウは名残惜しそうに、手についたカスをなめとった。
-
( ^ω^)「あー、それはここらじゃ売ってないですお。
ちょっと表から外れないと……。よければ、ボクが案内しましょうか?」
( ・∀・)「え、いいんですか?」
( ^ω^)「それくらいおやすい御用ですお!」
ナイトウが、ぽよんという音がしそうな胸を自信満々に叩いた。
この様子なら、任せてしまって問題無いだろう。
モララーは興奮気味に、男の方へ振り向いた。
( ・∀・)「よかったっすね、画材見つかりそうっすよ!
……ええっと」
( ´_ゝ`)「アニジャだ」
男は言った。アニジャ。それが彼の名前なのか。
彼はただ名乗っただけだったが、その声は少し弾んでいるような気がした。
気のせいかもしれないが――いや、これは気のせいではないだろう。きっと。
( ´_ゝ`)「世話になったな、ゴラク人。この礼はいつか必ず」
ナイトウについて商店街の奥へと消えていく背中を見送る。
その姿が見えなくなる直前、モララーはひとつ言い忘れたことを思い出し、
彼に聞こえるよう大きな声で叫んだ。
( ・∀・)「モララーっすー!」
-
……さて、ぼくものんびりはしてられない。
ホテルを出てからゆうに一時間は経過しているだろう。
ホテルで待つあの人のことを考えると……想像するだに恐ろしい。
モララーは走りだした。人の波を縫って、ホテルに向かい一直線で。
その途中だった。一件の露店が、店先に花を飾っているのを見て、思い出した。
そうだ、髪飾り。
あのスケッチブックの女の子。
アニジャはあの子を連れて行った。
それを記憶していたから、用事があるような気がしていたのだ。
失敗した。髪飾り、アニジャに持って行ってもらえばよかった。
……けどまあ、いいか。まだもうしばらくはこの国にいるんだ。
そのうちまた、ばったり出会うかもしれない。機会が来たら、その時渡そう。
とにかくいまは、急いでホテルへ帰らないと――。
ホテルへもどったモララーを待っていたのは、頭を締め付ける有機的な万力だった。
買ってきた食料がすでに冷め切っていたことを知られると、頭を締め付ける威力が二倍に跳ね上がった。
その日、その時間。ホテルの中庭でくつろいでいた旅行客たちは、一斉に上階の一室を見上げた。
.
-
(#`・ω・´)「もたもたしてんじゃねえ、おいてくぞ!」
(;・∀・)「ま、待ってくださいよシャキンさ〜ん!」
荷物をかつぎ、ホテルの前に止まったタクシーへ乗り込む。
まだ扉を閉め切ってもいないのに、
シャキンさんが運転手のおじさんに発進を促していた。
慌てて椅子に座り、シートベルトを締める。
(#`・ω・´)「もし間に合わなかったらてめぇ、
その頭に二度と戻らねぇ陥没くれてやるからな!」
(;・∀・)「そ、そりゃないっすよ!
もとはといえばシャキンさんが時間を間違えて覚えてたせいなのに!」
(#`・ω・´)「うるせぇ!」
シャキンの大声に驚いたのか、運転手がアクセルを強く踏み込んだ。
がくんっとゆれた車は、猛スピードで赤信号を抜けていった。
行き先はソウサク小学校。
今日はそこで、オトジャ大統領が子供たちとの答弁会を開く予定になっていた。
その取材をするためにいま、タクシーに乗っている。
-
( ・∀・)「シャキンさん。オトジャ大統領って、どんな人なんですか?」
(`・ω・´)「あ?」
不機嫌そうな声を上げながら、首から下げたカメラを磨いている。
型はだいぶ古いようだがお気に入りらしく、
シャキンさんはこれをいつも持ち歩いていた。
一度、シャキンさんには無断で、勝手に触ったことがある。
誓って言うが、別に盗もうとか、これで写真を撮ろうとか思ったわけではない。
ただ少し、本格的なカメラというものを初めて見た好奇心で、
それを手に持ってみただけなのだ。
人生で初めてアイアンクローを喰らったのは、
その直後のことだった。それからは何があろうと、
シャキンさんのカメラには近づかないようにしようと心に決めている。
シャキンさんはそのカメラを窓の外に向けながら、
ぼくの方を見ないまま疑問に答えた。
-
(`・ω・´)「そうだな。一言で言えば有能な人物だ。ナイトウさんも言っていたとおり、
十三年前の革命を成功させた立役者であり、それから現在に至るまで
大きな混乱もなくこの国を統治し続けてきた実力者でもある」
( ・∀・)「やっぱり、すごい人なんすね」
(`・ω・´)「やっぱり?」
( ・∀・)「だってそうじゃないっすか。いまの話もそうっすけど、
市場だって実際に見たらすごい活気で圧倒されましたし。
ちょっと前までは食べ物がなくて飢え死にする人がいっぱいいたんでしょ?
素直にすげーって思いましたよ、ぼく」
(`・ω・´)「まあ、そうだな。GDPの面から見ても、
オトジャ政権がこの国を豊かにしたことは疑いようのない事実だ」
( ・∀・)「……何か、歯切れが悪いっすね」
シャキンがカメラを切った。
シャキンが写真に収めたものを見ようと、モララーは首を伸ばす。
そこにはいつか不思議に思った、山岳の宮殿がそびえていた。
(`・ω・´)「モララー、ひとつ忠告しておく」
(;・∀・)「な、なんすか改まって。怖いなぁ」
(`・ω・´)「ナイトウさんの言葉をあまり鵜呑みにするな」
-
( ・∀・)「ナイトウさんの言葉?」
(`・ω・´)「モララー、お前、この国の経済を支えてる資源が何か知っているか?」
むぐっ。
言葉に詰まる。知らないといったら、また怒られるのではないかと思ったからだ。
しかし、知らないものは何をどうあがいても知らない。
モララーは婉曲に、不勉強なものでとだけ答えた。
だが意外なことに、シャキンは苛立つ素振りもみせず、
素っ気なくその質問の答えを言葉にした。
(`・ω・´)「ウランだよ」
( ・∀・)「うらん? ……ウランって、核爆弾の燃料とかになる、あの?」
(`・ω・´)「爆弾とは限らないが、まあそうだ、そのウランだ。
この国の南部には大規模なウラン鉱山がいくつもある。
このウラン鉱山が屋台骨となって、この国の経済は回っている。
……そしてこの鉱山で働いているのは、その九割以上がシベリア人だ」
( ・∀・)「え、何でそんなに偏ってるんです?」
(`・ω・´)「法律で生活区域を制定しているからだ。
被曝の恐れのない安全な地域にはソウサク人が、
危険な南部はシベリア人が、といった具合にな。
南部は山岳地帯のど真ん中にあるため、
鉱夫になるくらいしかまともな給料を得る術はない。
管理会社の人間以外、必然的にシベリア人でいっぱいになる寸法ってわけだ」
(;・∀・)「被爆って……」
-
予想もしていなかった単語に、言葉を失う。
しかしシャキンの話はまだ、終わってはいないようだった。
(`・ω・´)「ウランってやつは厄介なものでな、
加工しようが処理しようがそう簡単に
放射線を抑えられるようにはできていない。
ましてここの鉱山ではコストを下げるため、
廃棄物は居住区のすぐそばでほとんど野ざらしのまま捨てられている。
二次被曝、三次被爆が当たり前の状況だ。
そんなわけだから、シベリア人たちは次々と、特に働き手の父親から死んでいく。
すると食べていくことができない。残された家族は食料の豊富な北へ逃げる。
しかし法律で生活区域を制定されているため、
まともな職につくことはできない。結局は売春か、物取りか、
追い剥ぎといったヤクザな暮らしを送るしかなくなる。
そんな生活、長続きはしない。結局のところ、そう遠くない内に死ぬ。
それがこの国の裏の顔だ。このソウサクの豊かさは、
そういった生きるか死ぬかの世界で暮らしている者の支えで成り立っているんだ」
シャキンの言葉を聞きながら、モララーはある一人の少女のことを思い出していた。
ハイン。かわいらしい顔をして近づき、死ぬほど怖い目に合わせてくれたあの女の子。
あの子もそういった、”生きるか死ぬか”の世界の住人なのだろうか。
あの子もそう遠くない内に、死んでしまうのだろうか。
その想像は、何か、すごく、いやな重りを、モララーの腹の内に落とした。
( ・∀・)「なんで、そんなことを……」
(`・ω・´)「憎いからだ」
-
思わず漏れた独り言を、シャキンは拾った。
憎いから。事も無げに、彼はそう言い放つ。
(`・ω・´)「怖いから、とも言い換えられるかもしれないな。
チチジャ政権時代は逆に、今のシベリア人の暮らしをソウサク人が強制されていた。
ナイトウさんも言っていただろう。かつてソウサク人は、シベリア人の奴隷にされていたと。
彼らはもう二度とごめんなのさ。自分たちの今の暮らしを、
シベリア人に取って代わられるなんて。そのためには、”多少の”統制は仕方ない。
例えシベリア人にその気がなくとも、な」
(;・∀・)「そんな……。で、でもそれなら、逃げちゃえばいいじゃないですか!
こんな国捨てて、どこかもっと安全に暮らせる所へ!」
大声を上げて反論する。ぼくはムキになっていた。
どうしてかはわからないけれども、納得したくなかったのだ。
そんなぼくの様子に訝しみながらも、シャキンさんは話を続けた。
(`・ω・´)「どこへ?」
(;・∀・)「どこへって……。そ、そうだ。シベリアへ帰ればいいじゃないですか!
元はシベリア人なんだし!」
(`・ω・´)「残念ながら、それはできない」
(;・∀・)「どうして!」
-
(`・ω・´)「ヴィップとオオカミの代理戦争が行われたシベリアは、
現在ヴィップの衛星国として民主主義国家となっている。
だが、それは名目だけで、実態は単なる独裁政治が支配する国だ。
そしてシベリアの大統領であるニュッ・ニュークは、
祖国を捨てた者がこの地を踏んだ場合、容赦なく射殺すると公言している。
当然国際的には問題のある発言だが、対オオカミ戦を想定した場合、
ヴィップにとってシベリアは要衝地帯になる。
余り締め付けてオオカミ側に寝返られた場合のダメージは計り知れない。
そうしてヴィップは、シベリア人の命と戦略的価値とを秤にかけた上で、
黙認することを選んだわけだ。
それはつまり、ソウサクに住むシベリア人がシベリアへ帰国しても、
誰も命の保証をしてくれないということを意味している」
(;・∀・)「そんな、そんなのって……」
(`・ω・´)「だが、シベリア人を襲う問題はこれだけではない」
まだ、あるんですか。気分が落ち込んで、返事をする気も失せている。
-
(`・ω・´)「数カ月前のことだ。ソウサク解放戦線と名乗る過激派武装組織が現れた。
彼らの目的は、この国の文明化を遠ざけている
愚かな不平等を根絶すること、だそうだ」
( ・∀・)「それって……シベリア人のこと、ですか?」
(`・ω・´)「言葉通りに受け取るならな。
事実彼らはウラン鉱山の権利所有会社に対し相当の被害を――
彼ら側の言葉で言えば成果を、武力で持って上げている」
(;・∀・)「武力でって、銃とか、そういう?」
(`・ω・´)「そういう認識で間違いない。
銃器及び爆発物による破壊工作だ。
そして、これが問題の原因だ。
銃も弾丸も爆弾も、地面から生えてくるわけじゃない。
どこかから調達してくる必要がある。しかし国内には銃器を生産している工場はない。
ならば国外から、という考えになる。
そして、いきつく。ソウサク解放戦線の支援者は、
ロビイではないのかという疑念にな」
-
(;・∀・)「どういうことですか?」
(`・ω・´)「ヴィップとオオカミが長引く冷戦によって疲弊している現代において、
ロビイという国はかつて失った領土を取り戻そうという動きを見せ始めている。
ソウサクとは直接国境を接しているわけではないが、
核拡散防止条約が制定されたことで核兵器の入手が困難になった現在、
自前で核を創りだす必須条件であるウラン鉱山を所有するソウサクを、
ロビイは喉から手が出るほど手に入れたいはずだ。
しかし直接侵略戦争を仕掛けるような真似をすれば、
先の大戦のトラウマが残る西欧社会が間違いなく介入してくるだろう。
だから裏から崩すために、ソウサク解放戦線という組織を工作の手段として選んだ。
ソウサクからソウサク人を追い出し、シベリア人の国とするためにな」
(;・∀・)「え、なんでそうなるんですか?
その推測がもし正しかったとして、ソウサクがシベリア人の国になっても、
ロビイには何のメリットもないじゃないですか」
(`・ω・´)「いや、そんなことはない。というより、ソウサク人にそう考えることはできない」
(;・∀・)「どうして――」
(`・ω・´)「ロビイもシベリア人も、シタラバ派だからだ」
-
AA教には、大きくふたつの宗派がある。
ザツダン派と、シタラバ派。この二つの宗派の間には大きく、深い溝がある。
溝があるから、相手を知ろうとしない。知ろうとしないから、相手のことを理解できない。
理解できないから、疑念だけが募る。
そういう、ことなのだろうか。
(;・∀・)「で、でも、そんなのただの想像でしょう?
証拠なんて、どこにもないんじゃないですか」
(`・ω・´)「証拠なんて必要ないのさ。そんなもの誰も求めちゃいない。
疑う余地がある、というだけで十分なんだ。
それだけで、行動するための動機になる」
(;・∀・)「行動? 動機?」
(`・ω・´)「殺られる前に殺れ。敵を殺すための動機だ」
(;・∀・)「ころっ……!」
(`・ω・´)「ソウサク解放戦線が出てきてすぐに、
シベリア人を殺害する事件が頻発しだした。
徒党を組んだ若者が、集団で行っていたのだ。
狩りをするようにシベリア人を虐殺する彼らは、
いつしか『シベリア狩り』と呼ばれるようになっていった。
そしてこのシベリア狩りの連中は、
政府の支援を受けて行動しているという噂がある」
(;・∀・)「政府が!?」
(`・ω・´)「実際のところはわからないがな。ただこのシベリア狩りの連中が、
何の罪にも問われていないことだけは確かだ。
……と、ようやく着いたみたいだな。まだ始まってなければいいが」
-
車が停まる。
シャキンさんは手際よく料金を支払うと、転がるようにして車から飛び出た。
そしてぼくのことなど見向きもせず、一人で先へ行ってしまう。慌ててその後を追う。
小学校はすぐ目の前だった。思ったよりも小さい。
大統領が訪問するくらいなのだから、
もっと大きい場所なのかと勝手に思い込んでいた。
大統領。
ここに、オトジャ大統領がいるのか。
車に乗る前はどんな人物なのかと単純な好奇心しかなかったが、
シャキンさんの話を聞かされたいま、
どんな気持ちでこの取材に望めばいいのかわからなくなっている。
そんなぼくの心境を知ってか知らずか、
シャキンさんは早足で歩きながら先程の話を続けた。
(`・ω・´)「ナイトウさんの言っていたことが嘘ってわけじゃない。
オトジャは確かに優秀な指導者だ。彼のおかげでこの国が得られたものは多い。
だがそのために犠牲になったもの、なり続けているものは確実にある。
いいかモララー。一面だけを見て思考を止めるな。そして自分を正しいと思い込むな。
お前がこの先、ジャーナリストであろうと思うならな」
.
-
( ・∀・)「やっぱり、警備厳しいんすね」
(`・ω・´)「そりゃあ、な」
入念なボディ・チェックを受け、金属探知機を全身に掲げられ、
バッグの中身をひとうひとつ点検された後、
ようやく小学校の中へと入ることが出来た。
小学校の外も厳重だったが、中にはさらに多くの警備がいた。
サブマシンガン、というのだろうか。警備隊が携帯しているその物々しい銃器類に、
どうしても視線が行く。
(`・ω・´)「くそっ、もう始まってるみたいだ」
答弁会は体育館で開かれていた。規則正しく並べられた椅子には小学生が、
その後ろには少なくない数の同業者がすでに集まっていた。
どうやらこの国のマスコミだけでなく、欧米からも何社か来ているようだ。
遅れを取り戻そうとライバルたちの壁を掻き分け、
シャキンが強引に前へ前へと踊り出ていく。
その後ろを、周りの視線に萎縮しながらモララーはついていく。
隣の人――おそらくはソウサク人――が、ものすごい顔をしてこちらを睨みつけてきた。
モララーは慌てて視線をそらし、壇上へ目を向けた。
オトジャ大統領が立つ、その壇上へ。
-
( ・∀・)「……え?」
(`・ω・´)「どうした?」
( ・∀・)「あの……あの人が、オトジャ大統領なんですか?」
(`・ω・´)「そうだが……何だ、まぬけな顔して」
( ・∀・)「だって、あのひと……」
そっくりだった。
空から現れ、圧倒的な力で追い剥ぎを制圧したあの男――
アニジャと。
アニジャが大統領だったのか!?
……いやいやまさかそんな、さすがにそれはないだろう。
モララーは目を凝らして、もう一度壇上を見た。
……似ている。けれど、よくよく見るとどこか違うような気もしてくる。
背格好や顔つきなど細かな違いを探せばいくらでも見つかるのだろうが、
なによりも、気配が違った。
アニジャのあの、ひと睨みされただけで心臓が止まってしまいそうな尖った雰囲気を、
オトジャは持っていなかった。どちらかといえば大人の、理知的な男性という印象を受けた。
とつぜん、会場が笑いに包まれた。
壇上ではマイクを持った大統領が、身振り手振りをしながら何か、変な声を出している。
また笑いが起こった。
しかしソウサク語であるためか、モララーには何が受けているのか、わからない。
-
(;^ω^)「あれはイタズラ怪獣ネーノリアーの真似をしているんですお」
( ・∀・)「あ、ナイトウさん」
汗をかきかき、ナイトウが現れた。
今日は食べ物を持っていないようだ。
飲み食いしないでいる姿を見るのは、もしかしたら初めてかも知れない。
( ^ω^)「いやー、探しましたお。何かあったんですかお?」
(`・ω・´)「いや、それがこのバカ、時間を間違えて覚えてまして」
頭をどつかれる。ひどい。
忘れてたのはぼくだけじゃないのに。
モララーはシャキンを無視して、ナイトウに質問する。
( ・∀・)「それで、そのイタズラ……何とかっていうのは?」
( ^ω^)「イタズラ怪獣ネーノリアーは、バトルエンジェル・ツンデレちゃんっていう
子供向けのテレビ番組に出てくる、いわゆるやられ役ですお。
小さな悪事を働いてはツンデレちゃんに成敗されるんですが、
次の週にはこりずにまた何か企むって、そんなキャラ。
意外と人気があって、単品で売られてるグッズも好評だとか聞いたことがありますお」
( ・∀・)「へー」
そう言われてみれば、笑っているのは子供ばかりだ。
とても和やかな空気だった。そしてそれは、質疑応答が再開されてからも変わらず、
子どもたちの些細な、それこそ朝ごはんは何を食べているんですかといった質問にも真摯に、
時には冗談を交え、答えていた。
悪人には見えなかった。
少なくとも、非差別民族を虐殺するような人物には。
-
一人の少年が手を上げた。
司会がその子の下へ駆け寄り、マイクを渡す。
少年が何かを質問した。会場が少し、どよめいた。
( ^ω^)「『どうすれば大統領になれるんですか』って聴いたんですお」
ナイトウが通訳してくれる。
なるほど、どうりで。質問した少年を見る。利発そうな少年だ。
真剣な――どこか、真剣過ぎる眼差しでオトジャを見上げている。
(´<_` )『どうして大統領になりたいんだい?』
独特な柔らかい声で、オトジャが質問を返す。
すると少年が、淡々と、何かをしゃべった。
会場が、先ほどとは比べ物にならないくらい騒然としだした。
( ・∀・)「え、あの子、何て言ったんですか?」
(;^ω^)「いや、それは、あのー……」
取り繕った笑顔を浮かべるナイトウさんは、何故かぼくの質問に口ごもった。
代わりに答えてくれたのは、シャキンさんだった。
(`・ω・´)「『シベリア人を皆殺しにする。父親を殺されたから』と言ったんだ」
-
(;・∀・)「皆殺しって……」
(`・ω・´)「それより、見ろ」
促された方向を向く。――オトジャ大統領が、壇上から降りようとしていた。
SPが駆け寄ろうとするのを、片手で止めた。
壇上を降り、並んだ椅子の間を歩き始めた。
会場は静まり返っていた。
静まり返った会場に、大統領の足音だけが重たく響き渡った。
足音が止まった。オトジャ大統領は、少年の前に立っていた。
(´<_` )『すまない』
そして、頭を下げた。
自分の胸ほどの身長しかない、小さな少年に向かって。
(´<_` )『シベリア人のテロを未然に防げなかったのは、
すべて国家の――ひいては私の力不足が原因だ。本当にすまなかった』
<_プ -゚)フ『謝っていただいても、父は生き返りません』
(´<_` )『その通りだね。けれどシベリア人の人たちを殺すことで、お父さんは生き返るのかな』
<_プ -゚)フ『生き返りません。ですが復讐を果たすことはできます』
みじんも声色を変えることなく、少年は言い切る。
強い、頑なな程に強い意志を示している。
そんな少年を前に、大統領はひざを折って、目線を彼と同じ位置に合わせた。
-
(´<_` )『本音を言えば、私も復讐のすべてを否定するつもりはないんだ。
復讐を肯定していた歴史があることも、もちろん知っている。
けれどその上で、勝手なことを言わせて欲しい。
きみたち次の時代を担っていく世代には、
私たち大人には変えられなかったことを変えていって欲しいんだ』
<_プ -゚)フ『変えられなかったこと?』
(´<_` )『そう。実は私たちの世代も、前の世代が変えられなかったことを変えようと努力してきたんだ。
貧困、無知、悪習――そういった過去の遺物をね。
すべてはこの国を豊かに、より良くしようという思いで。
だけどきみが知っている通り、この国にはまだまだいくつもの問題が残っている。
私も生きている限りそれらの問題と戦うつもりだよ。
でもね、いつかは私も死んでしまう。私も、私の世代も、
いずれは過去のものとなるだろう。
前の世代が過去のものとなったように。
そうなった時に、きみたちには過去に拘り過ぎないで欲しいんだ。
古いものすべてを捨て去れと言っているわけではないよ。
必要以上に囚われてほしくないんだ。きみたちこそが、未来なんだから』
<_プ -゚)フ『未来……』
(´<_` )『正しいかどうかは誰も、私も教えてあげることはできない。
その時代、その場所にいる者たちが必死になって考えるしかないんだ。
それでももし、きみがシベリア人への復讐を望むのであれば。
もしかしたらそれは、この国に必要なことなのかもしれない。
けれどもし、なにか違う、全く新しい解決策が見つかったなら――。
きみがもし、大統領となったなら――』
-
大統領の話は最後まで言い切る前に、途切れた。
破裂音。
間を置かず再び、破裂音。
モララーは目を閉じた。
それはほとんど反射的な行動だったが、
そこから目を開けるのには非常に強い意識的な力が必要だった。
耳鳴りでほとんどの音が掻き消されている世界。
その世界に、その女は忽然と姿を現していた。
大統領のすぐ側に立つその女は、
長い、長い黒髪をなびかせながら、拳銃を構えていた。
その銃口はぼく――ではなく、そのすぐ隣に向いていた。
ぼくを睨みつけたあのソウサク人が、右手を押さえてうずくまっていた。
そしてそのすぐそばには、拳銃が転がっていた。
-
にわかに騒然となる。パニックだ。
周辺を警備していた部隊が、サブマシンガンを持って駆けつけてくる。
だが、警備隊よりも、男の行動の方が早かった。
男は何事か、言葉にすらなっていない咆哮を上げながら、
大統領に向かって一直線に突進し初めた。
その左手には、腹で固定したナイフを携えて。
その進路上で、女が一歩、脚を踏み出した。
(´<_`;)『クー、待て!』
――一瞬だった。
なぜ、そうなったのかはわからない。
男はナイフを握ったまま、その切っ先を、自分の喉へと突き刺していた。
女の手が、男の左手をつかんでいた。
その手が、捻られた。
連動して、ナイフも拗じられた。
そしてそのまま、ナイフは首から腹まで、とてつもない速度で降下した。
男の体が倒れた。
血が、たくさんの血が吹き出ていた。
-
川 ゚ -゚)「……」
それを、女は見下ろしていた。
黒い髪に、白い肌。青い瞳。ソウサク人でないことは明らかだった。
女は美人だった。だから際立った。その、感情の見えない無表情が。
背筋が寒くなった。
そして、気づいた。この感覚を、つい最近も味わったことを。
それを見ただけで、コロサレルと感じた時のことを。
ヒトゴロシの目。
――女は、アニジャと同じ目をしていた。
(;^ω^)「み、みなさん! ここは危険ですから避難してくださいお!
避難、避難ですおー!」
モララーやシャキンを含むパニックを起こした群衆は、
追い出されるようにして体育館から”避難”した。
.
-
( ・∀・)「シャキンさん、乗らないんですか?」
(`・ω・´)「ああ。何とかナイトウさんと話せないか、粘ってみる」
シャキンの態度は、いつもとまるで変わらない。
見慣れているのだ、きっと。ああいうものを。
だから、平然としていられる。
タクシーが発進する。
行き先はソウサクスカイラインホテル。ぼくだけを乗せて。
まだ、震えは止まらなかった。
人の死に立ち会うのは、初めてではない。
祖母は病院で亡くなった。最後の一年は苦しんでいたが、死ぬ時は安らかだった。
まるで違う。目の前で人が、しかもあんなふうに殺されるなんて。
切り裂かれたその中身が、いまも目に焼き付いている。
吐き気がする。強い吐き気が。
-
しかし、だからこそ。
あれが、この国の日常なのだとしたら。
シベリア人の、日常なのだとしたら。
ぼくは――。
深い考えがあるわけではなかった。
それはただの、衝動的な行動にすぎない。
強いショックを受けたが故の、反作用的な反射であると言えた。
だが、それは。
モララーが今までの人生の中で、芽生えさせたことのないものでもあった。
モララーは、陽気に鼻歌を口ずさむ運転手に、声をかけた。
( ・∀・)「すみません、行き先を変更してもらえませんか」
.
-
―― ( ´_ゝ`) ――
俺が部屋へもどった時、彼女は声もなく笑った。
登山でもするような格好で帰ってきた俺の姿が、
どうしてもおかしく思えてしまったらしい。
買い過ぎではないのかと、自分でもそう思う。
ナイトウとか名乗ったあの男――あの男の口車に乗せられたという気がしないでもない。
店の店主とグルなのか何なのかは知らないが。
しかし、まあ。
足りないよりはいいだろう。
これでシイが喜ぶのなら、安い買い物だ。
水滴やスープの残りを絵具代わりにさせるのは不憫だった。
だから、これでいい。
シイが絵を描き続けなければ生きていけない人種だということは、
アニジャにもすぐにわかった。暇があれば指で、フォークで、
窓やテーブルに何かを描こうとする。
そうすることで、自分がそこに在るということを確立させているかのように。
シイは言葉を発せなかった。
しかしそれ以上に、描くという行為ただそれひとつによって雄弁に、
自分の存在を表現していた。
-
趣味などという生易しい領域ではない。
没頭という言葉ですらまだ足りない。
それは生命のサイクルを循環させる、実存を証明するための魂の根幹。
それを奪われれば、自己を自己であると認識することすらできなくなる、
個人を個人たらしめる核の核。
そういった物を抱える厄介な、しかし同時にまた崇高で、
尊い人種のことを、アニジャはよく知っていた。
シイもまたそういった人種の一人であると、だからこそ気がついた。
しかしいまこの部屋の中で、
彼女の背負ったその業が存分に発散されているかといえば、
とてもではないがそうは言えない。
窓に描いた水滴の絵は、時間とともに流れ落ちていく。
テーブルに描いたスープの絵は、染みこむ前に彼女自身が拭きとってしまう。
後には何も残らない。初めから何もなかったかのように。
外に出すことが可能なら、また違うのかもしれない。
しかしシベリア狩りの連中が跋扈しているこの状況で、
それは出来ない。危険過ぎる。
だから、買ってきた。
彼女が思う様絵を描けるように、思いつくだけの絵具や、筆や、ペンや、
紙や、スケッチブックや、画架、とやらも。
シイは笑った。
こんなに使い切れないよと、瞳で言って。
笑うことがきるまでに回復した彼女が、そう言っていた。
だから、腹など立つはずもなかった。
-
立つはずもなかったのだが――困ったことにはなった。
アニジャはシイを見続けた。シイは、何も描かなかった。
画架に立てたスケッチブックの前に座り、
何を考え込んでいるのか白紙のキャンバスをじっと見つめたまま、動かなかった。
アイデアが降りてくるのを待っているのかとも思ったが、
どうもそういう様子でもない。何故そう思うか。
時折、何かを探るようにこちらへ視線を向けていたからだ。
しかし目が合うとシイは、すぐに視線を逸らせてしまう。
それ自体は、まあいい。彼女なりに何か、考えがあるのだろう。
心配なのは、ほとんど食事にも手を付けず、まともに睡眠も取っていないことだ。
エネルギーのすべてをキャンバスへ注ぎ込もうとしているのかもしれないが、
そのエネルギーの発露が見られないから心配になる。
なにより、せっかくここまで回復した心身が、
再び疲労してしまうのではないかと、アニジャは気が気でなかった。
.
-
そうして、三日が経った。
その日もシイは画架の前に座り込み、
何事かを考えている様子だったが、
唐突に、すっと、立ち上がった。
そして、筆とパレットを持って、俺の目の前に来た。
( ´_ゝ`)「『あなたの好きなものを描いて』?」
こくりとうなずく。シイは、真剣な表情をしていた。
少し、苛々しているようにも見えた。
しかし、アニジャは困ってしまう。
( ´_ゝ`)「絵など描いたことがない。描き方も知らない。
『思うままに描けばいい』と言われてもな……」
シイは譲らなかった。
背中を押してキャンバスの前の丸椅子に座らせると、
筆とパレットとを無理やり押し付けてきた。
返そうとすると、シイは両手を背中に隠してしまった。
-
( ´_ゝ`)「……どうしても、描かなきゃダメか?」
お願い。シイは、そう訴えていた。……仕方ない、か。
アニジャはパレットの上の絵具に、筆をつけた。
しかし、何を描けばいいのか。
好きなものを描いて欲しいと、シイは言っていた。
好きなもの――大切なもの。
大切だったもの。
この五十年近く生きた人生において、
心から大切だと思えたものは、わずかしかなかった。
だから、容易に思い出すことができた。
家族。
妹のように思っていた、あの少女のこと。
兄弟のように思っていた、あの男のこと。
そして、彼らとは違う意味で家族になれたかもしれなかった、女性のこと。
思い出すことは容易だった。
容易なはずだった。
それなのに。
なのに――。
-
( ´_ゝ`)「……え」
わきの辺りに、重たいものの乗る感触があった。
シイが抱きついていた。どういうわけか、シイは、泣いていた。
( ´_ゝ`)「どうした。なぜ泣いている。痛むのか。
悲しいのか。違う? ……『泣いているのは、あなた』?」
言われて、気がついた。視界がゆがんでいる。
目尻から、ほほにかけて冷たい、長い間、
とても長い間感じたことのなかった感触が、伝っていることに気がついた。
泣いている?
俺が?
なぜ?
( ´_ゝ`)「大丈夫だ。なんでもない、なんでもないんだ」
疑問の追求は後回しにして、シイを落ち着かせる。
俺よりもシイの方がよっぽど激しく、泣いていた。
彼女が泣く理由など、どこにもないというのに。
悲しむ理由などないというのに。
それでもこの子は泣いているのだ。――俺のために。
そんなことは、心を読むまでもなく、わかることだった。
だから俺は、話すことにした。
遠い昔、俺にも大切な人がいたことを。
ここからずっと遠い……東の国から来た人のことを。
-
その人とは約束していたことがあった。
その人の国では春になると桜という、とても美しい花が咲くそうだった。
いつか二人でそれを見ようと、俺とその人は些細な約束を交わしていた。
だがその約束が果たされることはなかった。
その人は、俺を置いていってしまった。
『生きて』という言葉だけを残して。
だから俺は、生き延びることだけを考えて暮らしてきた。
危険を避け、誰とも関わらず、ここに身を隠して。
彼女の言葉を護るために。何年も、何年も一人で。
その間、彼女を思い出すことはなかった。
そのせいかもしれない。
シイに言われた通り大切なものを――その人を描こうとしたら、
どうしても、思い出すことができなかった。
その人のことが。その人が、どんな顔をしていたのか、どんな女性だったのか……。
-
シイはもう泣いていなかった。
泣いてはいなかったが、抱きつくのはやめなかった。
彼女の頭をなでる。
シイ。
あの人――椎唯と同じ名前の響きを持つ少女の髪は、とてもやわらかい感触がした。
立ち上がる。顔を上げてこちらを見るシイに、精一杯の笑顔を送った。
( ´_ゝ`)「少し買い物に出かけてくる。最近お前、ちゃんと食べてなかったろう。
ごちそうを持ってくるから、楽しみにして待っていろ」
.
-
―― ( ・∀・) ――
何でこんなことになったんだろう。
……わかってる、全部自業自得なんだって。
でもこの展開は、想像してなかったんだ。
从#゚Д从「うるせーぞ、何ぶつぶつ言ってんだおっさん!」
(;・∀・)「ご、ごめん……」
从 ゚Д从「たくっ……。いいからちゃんと見張っとけよ」
(;・∀・)「うぅ〜……」
从#゚Д从「返事!」
(;・∀・)「は、はいぃ!」
-
背筋を正して、外を見張る。
雑然と積み上げられた廃墟の瓦礫以外、眼に入るものはない。
荒涼としたこの光景は、市街とはまるで違う様相を成していた。
あの後。小学校で起きた事件の帰り。
モララーはホテルへは戻らず、この廃墟へと立ち寄った。
話を訊かなければならない。そう思ったのだ。
シャキンやナイトウ、大統領やソウサクの人々――ではなく、
いま現に差別を受けている、シベリア人に。死と隣り合わせにある、彼らに。
なぜ、と問われても困る。
ただそうしなければならない――そうしたいと、何かが掻き立ててきたのだ。
それは心の底から沸々と沸いてくる、モララーの知らない何かだった。
モララーはその何かに命令されるまま、行動しようとした。
しかしシベリア人がどこに暮らしているのか、
南部と言っていたがどう行けばよいのか、それに言葉の壁もある。
話を聞こうにも、どう意思疎通を図ればよいのか。
行動を阻止しようとする条件は、いくらでも思い浮かんできた。
その時、思い出したのだ。
それらの条件をすべてクリアする存在のことを。
ハイン。
あの、追い剥ぎの娘。
-
彼女はゴラクの言葉を操っていた。
縄張りにしているのも、ホテルからそう遠くない場所のはずだ。
探せば見つかるかもしれない。
いや、廃墟を一人で歩いていれば向こうから見つけてくれる可能性だってある。
うまくいくかもしれない。
問題があるとすれば、彼女が協力してくれるかどうかだ。
この間みたいな状況になる可能性は十二分にある。
そして、幸運は二度も続かないだろう。
今度こそ、この耳は削がれてしまうかもしれない。
それでも行くのか。
そんなことをする必要が、本当にあるのか。
理性が尋ねてくる。モララーは――心に、従った。
――そしてその結果、こうしてハインに顎でこき使われているのだが……。
-
言われた通り、外を見張る。
モララーはビルの入り口に立っていた。
元々はもっと高かったのだろうが、
途中で倒壊しているために三階建てになっているビルで、人の気配はしない。
ハインはこのビルに、何の用があるのだろうか。
仲間と共に、ひとつずつ部屋を確かめている。
モララーはその間、外から誰か来ないか見張るために入り口で立たされている。
ため息が出る。
何をやっているんだろうか、ぼくは。
泣きたくなってくる。
(・∀ ・)『おい、こっち来い! ハインが呼んでる!』
(;・∀・)「え、な、な、な、何?」
ハインの仲間が、何事か呼びかけてきた。
しかしゴラク語を使えるのはハインだけなのか、
何を言っているのかさっぱりわからない。
そうして戸惑っているぼくに業を煮やしたのか、
そいつはぼくの背中を強く蹴ってきた。
抗議しようとするも間が空くことなく次のケリを入れられ、
追い立てられるようにぼくは階段を登り、
二階の一室の前まで誘導された。
そこはビル内の他の場所と違い、人の生活している痕跡があった。
簡素だが家具やベッドもあり、掃除もされているようだった。
ハインはそこにいた。ハインと、そして、そこには――
-
( ・∀・)「あれ、あの子は……!」
スケッチブックの少女がいた。
少女は丸い椅子に座り、その前には何か、
描きかけの絵がイーゼルに架けられている。
从 ゚∀从『よかった、無事だったんだな』
ハインは少女の前に座り込み、何か話しかけていた。
その顔はナイフをちらつかせている時とも、あどけない女の子を演じている時とも違う、
どこか大人びた、やさしい表情をしていた。
从 ゚∀从『怪我はない? 酷いことされてない?
ごめんね、怖い思いをさせてしまって。
でももう大丈夫だよ。さっ、早くここから逃げよう』
ハインは少女の手をつかむと、強引に引っ張りあげた。
そしてその手を握ったまま、部屋の入口へと歩を進める。
止まる。その目の前には、モララーがいた。
从 ゚∀从「おっさん、あんたに頼みがある」
(;・∀・)「な、なに?」
真剣な声色だった。まっすぐに見つめられ、目を逸らしたいのに、
それすら許されない有無を言わさぬ迫力。
そしてその迫力のまま、彼女はモララーに告げた。
从 ゚∀从「この子を匿って欲しい」
-
ハインを介して、少女の手がモララーのそれと重ねられる。
小さな手だった。小さいが、暖かく、生きていた。
(;・∀・)「ちょ、ちょっと待って! なんでぼくが!?」
从 ゚∀从「……あたしたちは戦いに行くんだ。その子は連れていけない」
(;・∀・)「戦い?」
从 ゚∀从「あたしたちはソウサク解放戦線に加わる」
ソウサク解放戦線。
まさか彼女の口からその名を聞くとは。
過激派武装組織。テロリスト。
つまり、彼女がやろうとしていることとは――。
从 ゚∀从「そう、殺される前に、殺してやるんだ。
あいつらがあたしたちの仲間を、家族を、同胞を殺したよりも、たくさん。
シベリア人が安心してこの地に暮らせる、その日が来るまで」
(;・∀・)「でも、そんな……。それに戦いなんてしたら、
死んでしまうかもしれないじゃないか」
从#゚∀从「何もしなかったらそれこそ皆殺しだ!」
-
彼女が叫んだ。それはもう、ほとんど悲鳴のような声で。
事実、彼女は泣いていたのかもしれない。目元をぐいっとこすり、
その意志の強い人味を再びモララーへと向けた。
从 ゚∀从「頼むよおっさん。いや、モララー。あんたの言うとおり、
あたしたちは戦いで殺されるかもしれない。
でもその死は、決して無意味なものじゃない。シベリア人の未来を拓く死なんだ。
モララー、その子は未来なんだ。あたしたちは未来の為に戦う。
……ううん、未来のために戦っているって、信じていたい。
そのためにその子には生きていてもらわなきゃいけない。
あんたが今日ここに来たことは、きっと偶然じゃない。
神様の思し召しなんだ。だから、頼むよ。その子を匿って欲しい。
連れて行って欲しい。……それでもダメだっていうなら、
今度こそその耳、削ぎ落としてやる!」
いつの間にか、ハインの手にナイフが握られていた。
刃渡りの大きな、無骨なナイフ。よく磨き上げられたそれは、
一点の汚れもなく鈍い光を反射していた。
その切っ先が、モララーへと向けられる。
-
息を呑む。
しかしハインは、すぐにその凶器を下ろした。
そしてその顔は、どこか自嘲的な、力のないものに包まれていた。
从 ゚∀从「……冗談だよ。人体の一部を買って喜ぶ変態なんて知り合いにいないし、
もしいたとしてもあたしたちソウサク人のガキと何て取引してくれっこない。
ただの、脅しなんだ。
それにあたし、ほんとは人を刺したことなんて――」
(・∀ ・;)『〜〜〜〜〜〜〜!』
部屋に飛び込んできたハインの仲間が、何かを叫んだ。
目を見開いて、何事かまくしたててる。尋常じゃない慌てようだ。
もちろんモララーにそれらの言葉の意味はわからなかったが、
ひとつだけ――聞き間違えでなければ、聞き取れた単語があった。
シベリア狩り。
(・∀ ・;)『ビルごと囲まれてる! つけられたんだ!』
階下から、何か固くて重たいものがぶつかる、暴力的な破壊音が響いた。
それと同時に、悲鳴。痛みを伴う、聞く者の神経を切り刻むような、
痛々しい、悲鳴。
从 ゚Д从「来い!」
状況を把握できないままモララーはハインに引っ張られていた。
部屋の入口から奥へ、そのまた奥の部屋へと連れられ、
そして朽ちかけたタンスの中に、スケッチブックの少女ごと放り込まれた。
从 ゚ー从「未来を、頼んだよ」
-
扉が閉まる直前、彼女はたしかに、そう言って、笑った。
音が、聴こえた。
様々な音。
多種多様な音。
その、どれもが。
神経を突く、
あるいは叩く、
重い、
鋭い、
凄惨さを伴う、
痛みだった。
そして、
やがて――
音が、止まった。
-
何もなかった。
暗く、音もなく、自分と、
小さな少女の息遣いだけが聞こえる世界。
二度とここから出たくない。
出た瞬間に、殺されてしまいそうだから。
いますぐここから出て行きたい。
心が軋んで、割れてしまいそうだから。
ふたつ、どちらとも選びたくない重しの乗った天秤。
ほとんど均衡を保つその天秤がわずかに傾いた側は――。
モララーは、音を立てずタンスの隙間に近寄った。
目を見開き、ゆっくり、ゆっくりと、
光差し込む隙間へと自らの瞳を近づけていった。
心臓が、脳の真ん中で鼓動しているみたいに、頭を揺さぶってくる。
頼むからじっとしていてくれ。じっと、そっと、そっと……。
瞳が、隙間と接触した。
そして、見た。
こちらを覗く、何者かの瞳と。
-
(; ∀ )「――ッ!!」
叫び声すら上げられないまま、タンスの中を転げた。
しかし外にいた何者かは、叫び声を上げた。
敵意の混じった、怒声を。
それを証明するように、何かがモララーの頭上を、
タンスを突き破って通り過ぎていった。
破壊音と、割れた木の屑が頭上に降り注いでくる。
モララーは今度こそ悲鳴を上げていた。
小学校で、見た、あの死体と、
自分の、姿が、ぴったり、ひとつに、重なっ、た。
――死にたくない、死にたくない、死にたくない!!
.
-
――モララーは、死ななかった。
すぐにでも訪れると思われた第二撃は、
いつまで経ってもモララーを襲っては来なかった。
そして、突然扉が開かれた。
そこにいたのは、アニジャだった。
( ´_ゝ`)「……シイを、頼む」
アニジャの姿が消えた。
少女――シイが、ふらふらと、タンスから出て行った。
(;・∀・)「あ、ま、待って……」
シイの後を追いかけようとして、何かに躓いて転んだ。
死体が転がっていた。首の折れた死体の手には、
血のべっとりとついた斧が握られていた。
足腰が立たなかった。
四つん這いで、這いずりながらシイを追った。
シイは隣の部屋にいた。隣の部屋は、赤かった。
たくさんの人が寝転がっていた。
赤い水たまりに浸かって、ぴくりとも動かずにいた。
-
そうだ、ハインは。
ハインはどこだろう。
ハインを探して這いまわった。
モララーの手も、赤い水たまりに浸かった。
それは水たまりと言うには、どろっと、粘着質だった。
ハインは見つからなかった。
けれど、ハインかもしれないものの上半身は見つかった。
頭がないせいで、確信は持てないけれど、これが彼女だという気が、モララーにはした。
すぐそばに、ナイフが落ちていた。
不思議な事に、それだけが唯一、この部屋の中で赤く染まっていなかった。
鈍い光を携えて、この赤い空間から隔離されていた。手を伸ばし、握る。
殺せなかったんだ。ハイン、ハイン――。
何か、音が聞こえた。
音の先には、シイがいた。
シイはスケッチブックを持って、何かを描いていた。
一心不乱に、腕を動かしていた。
涙を流しながら、描いていた。
.
-
(;`・ω・´)「てめえモララー!
いままでどこをほっつき歩いて――おい、どうした!」
( ∀ )「あ、シャキンさん……。それに、ナイトウさんも……」
ホテルへもどったモララーを出迎えたのは、シャキンとナイトウの二人だった。
どうやってホテルへ戻ったのかは覚えていない。
ただ、握ったシイの手を離さず歩いていたら、ここまで来ていた。
事のあらましを説明する。
うまく説明できている自信はない。
自分でも何をしゃべっているのかわかっていないのだから。
しかしそれでもある程度は汲みとってくれたようで、
ナイトウさんがひとつ、提案をしてくれた。
( ^ω^)「そういうことなら、この子はボクの知り合いに預かってもらいますお。
大丈夫、シベリア人とかソウサク人とか気にしない人だから」
そういってナイトウさんは、ぼくからシイを引き取ろうとしてきた。
-
『未来を、頼んだよ』
(; ∀ )「あ、ま、待って……」
シイの手をつかむ。
(`・ω・´)「どうした?」
『シイを、頼む』
ハインのナイフの、重さを感じる。
(; ∀ )「ぼくが……」
ぼくが――
ぼくが、この子を――
.
-
お前に何ができる?
ただ震えていただけのお前に。
ハインを見殺しにしたお前に。
――無力なお前に。
.
-
( ∀ )「いえ、なんでも、ないです……」
手を、放した。
シイが、遠ざかっていく。
シャキンさんが何か話していたが、何も耳に入ってこなかった。
ただ、自分の言葉が、自分の中で、木霊していた。
ぼくは無力だ。
ぼくは無力だ。
ぼくは。
ぼくは――
.
-
―― ( ´_ゝ`) ――
('A`)「……お待ちしておりました。我々ソウサク解放戦線は、
あなたの参加を歓迎します。早速ですが、あなたにやって頂きたいことがあります。
アニジャ、あなたにしかできないことです――」
.
-
前半終了で今日はここまで
祭り最終日までには残りをこさえられるよう、がんばるっす
-
おー、おもしろいねこれ!
乙!
-
―― ※ ――
「やだー、もう疲れたー! 遊びたいー!」
「ダメだ。まだ今日のノルマが終わってない」
「勉強嫌いー! つまんないー!」
「必要なことだ。勉強しないと大人になってから困るんだぞ」
「オトジャのバカ! ぶー!」
「バカでもぶーでも、ダメなものはダメだ。
ほら、わからないところは教えるから、一緒にがんばろうな」
クーに勉強を教えるのは、いつも一苦労だった。
彼女は一処にじっとしているのが苦手で、
目を離すとすぐにどこかへ駆け回ろうとするのだ。
だから彼女に勉強をさせる時は、
マンツーマンでつきっきりにならなければいけない。
-
頭が悪いというわけではなかった。
むしろ頭の回転はすこぶる早く、彼女の発想力に
驚かされたのは一度や二度ではなかった。
ではなぜ勉強が苦手かというと、
そういった習慣が一切身についていなかったからというより、他にない。
彼女は公的な学習機関の存在はおろか、
一冊の本すら目にしたことがないと言った。
彼女を捕らえた時、周りの局員たちはみな、
この少女のことを四歳か五歳くらいの未就学児だと思っていた。
実際の彼女の年齢は、十歳だった。
慢性的な栄養失調で、成長が阻害されていたそうだ。
彼女はここに来てから、よく食べ、よく眠り、よく走り回った。
そのおかげか、歳相応とは言わないまでも、
短い期間でぐんぐんと成長していった。
彼女があの家でどのように扱われていたか、詳しいところはわからない。
だが、自由はなかったのだろう。
だから彼女が遊びたい気持ちも、理解することはできる。
しかしである。勉強が大事であるということも、
きっちり教えこまなければならない。我が信念にかけても。
その為ならば、クーのためならば、自分の時間を割こうと、痛くはない。
――変わったなと、自分でも思う。
-
「ぶぃー……。ほんとにもうだめー……」
机に突っ伏して、もうダメーと全身でアピールしてくる。
ワークの方も、一応章の最後まで終わらせているようだった。
ふむ。
「そうだな、キリもいいし――」
「終わり!」
「少しだけ、休憩にしようか」
「え〜!」
「なんだ、いらないのか?」
「するけどー。しますけどー!」
「そうか、それならお茶の準備をしないとな。クーはお菓子の準備をしてくれ」
「アイアイサー!」
びしっと、兵隊のような敬礼をしてから、クーは台所へ駆け出した。
やれやれ、急に元気になっちゃって、まあ。
-
張り切ってお菓子を運んだクーは早々に準備を終えてしまい、
テーブルの前でどたばたと急かしてくる。
いくら急かしたところでお湯が沸く時間に変わりなどないというのに。
本当にじっとしていられない子だ。
紅茶を持って、テーブルへ運ぶ。
お行儀が良いとは言えないが、ちょんと手はつけずに待っていたようだ。感心だ。
オトジャは椅子に座る。
待ってましたとばかりに、クーも座る。そして手が伸びる。
「クー」
「……は〜い」
すぐにでも食べだそうとしたクーを制して、
オトジャはヒロユキ教の聖句を唱える。クーがそれに続く。
オトジャはヒロユキ教の信徒ではない。
だからもちろん信仰など持っていない。
だがクーのこれからにはきっと必要だろうから、覚えた。
クーがこれから生きていく上で、困ることがないように。
しゃべったり、食べたり、しゃべりながら食べたり、
賑やかなクーを眺めるティータイム。
口元のカスを拭いとられてるその間も、クーはしゃべり続けていた。
-
「それでね、アニジャってば仕掛けのトランプをポッケからはみ出させてるの!
他にも種も仕掛けも見え見えでね!」
「そうだな、あいつは銃の扱いは一品なのに、どこか抜けたところがあるな」
「もうね、クー、笑いをこらえるのに必死で、
それなのに真面目な顔でマジック続けようとするんだもん!」
「そのまま気づいてないふりをしてやってくれ。その方があいつも喜ぶ」
「ほんとに、手間のかかるアニジャですなー!」
「ほんとにな」
「……んっふっふー」
「何だ、変な笑い方して」
「オトジャって、ほんとにアニジャが好きだよね!」
「なに、俺が?」
「だってアニジャの話をする時、オトジャいつも笑ってるもん!」
「笑ってない」
「笑ってるの!」
「局内でも俺は仏頂面で通ってるんだ。笑うわけがない」
-
「でもー……」
「けど、そうだな。あいつほどすごいやつを、俺は他に知らない。
それは本当だ。あいつは、すごいやつだ」
「んっふっふー」
「好きじゃないし、笑ってないぞ。……でも、アニジャには言うなよ」
「うん、言わない! 約束!
それよりね、今度ね、アニジャにマジックのお礼をしたいと思ってるの」
「ヘタクソなのにか」
「ヘタクソなのに!」
「そうか、それはいいことだ。あいつも喜ぶ」
「うん。それでね、何をプレゼントしたらアニジャは喜ぶのかなーって」
「自分で考えないのか」
「うん! わかんないし!」
「胸を張っていうことか。しかし、そうだな……
似顔絵でも描いてやったらいいんじゃないか?」
-
「えー」
「なんだ、不満か」
「だってクーの趣味じゃないし。クーはね、もっと、こう――」
クーが指で、銃の形を作る。そしてそれを、バンバンバンッ!
華麗に撃ち放った。人差し指の銃口に息を吹きかけ、硝煙をくゆらせている。
どうやら大分レトロな銃をイメージしているらしい。
「悪いやつをやっつける、強い女になるんだ!」
「怖い怖い、頼むから俺を撃たないでくれよ」
「撃つわけないよ! クーはアニジャとオトジャを守るんだから!」
それじゃあべこべだよ。
そう思いつつも、オトジャは口にしなかった。
ただ得意気に指のピストルを構えるクーのことを、見つめていた。
その時、玄関の開く音が聴こえた。
-
「アニジャだ!」
クーがノータイムで駆け出した。まるで子犬だ。
玄関で棒立ちになっているアニジャの周りで、
ちょこまかとじゃれまわっている。
「アニジャ、また銃の使い方教えて!」
「ああ、いいぞ」
「おい、アニジャ」
「すまないクー、オトジャがダメだと言っている」
「ぶー!」
「ぶーじゃありません」
「ねーねーアニジャ、さっきオトジャがねー」
「おいこらクー」
アニジャの背に隠れながら、んべっと舌を見せてきた。
と思ったら、ころっと、笑顔に変わる。
クーはそのまま目を閉じ、ぎゅっと、アニジャに抱きついた。
-
「ずっとね、不安だったの。アニジャとオトジャがクーを助けだしてくれて、
こんなに幸せになってもいいのかなって、ずっと、ずーっと不安で怖かったの。
でもね、今はもう怖くないよ。だって、アニジャとオトジャがいるんだもん!
アニジャとオトジャがいれば、これからもずっと、ずーっと幸せになれるって、
クーは、そう思うよ!」
言い終わるが早いか、クーはまた駆け出していった。
玄関の、外に向かって。
「おい、クー! ノルマがまだ……ああ、行ってしまった」
駆けて行くクーのことを、アニジャは棒立ちのまま見送っていた。
いまが勉強の時間だということはアニジャも知っているはずなのだが、
こいつは止める素振りも見せなかった。
まったく。
-
「アニジャ、あんまりあの子を甘やかさないでくれよ、頼むから」
「ああ、わかった」
「……気のせいかな。つい二、三日前にも、同じセリフを聴いた気がするんだが」
「たぶん気のせいだろう」
「もう十回くらい言った気もするんだけどな?」
「デジャブというのは恐ろしいものだな」
「……なあ、アニジャ」
「なんだ」
「俺を笑うか?」
「笑わないよ」
-
そうだな。
あんたならそう答えるだろうって、俺はわかっていたよ。
簡単に人を殺せるくせに、妙にやさしく、甘い、あんたのことだから。
「でもクーは、あんたのこと笑ってたぜ。マジックの種があんまりにもバレバレなもんでな」
「な、なに」
「お、動揺してる?」
「し、している……」
「あんたは素直だな」
だけど、だからこそ。
あんたに訊けないこともある。
クーは言っていた。
私は幸せだと。ここに来て、三人で暮らせて幸せになれたと。
そうかもしれないと、オトジャは思う。
この国に来てから――いや、今までの人生で、初めてだと思う。
こんなにも安らいだ時間を過ごすのは。
幸せとは、こういった心持ちのことをいうのかもしれないと。
-
けれど――。
時々、無性に不安になる。
俺はこのままでいいのかと。
俺が求めていたのは、こういったものだったのかと。
アニジャ。
俺はあんたに一目置いている。
こんな国に送られながら、自分を貫き通す力を持ったあんたを、尊敬している。
だが、俺は。
俺は変わった。
それは、弱くなったということなのか。
アニジャ。
俺はあんたに一目置いている。
だが、あんたから見た俺はどうだ。
あんたには俺が、どう映っている。
あんたには――
-
電話が、鳴った。
「いや、いい。俺が出る。きっと委員会からだ」
電話を取ろうとしたアニジャ制し、
電話の置かれた玄関へと向かう。そして、受話器を取る。
「はい、オトジャですが――」
.
-
―― ( ´_ゝ`) ――
やくざ、ギャング、マフィア。
どこの国にも、非合法な暴力団組織というものは存在する。
彼らは違法な商売を生業とし、時には民間人を陥れ、
時には政府と癒着し正当化された悪事を働く。
しかし意外に知られていないことだが、
こうした組織の仕事を専業としている構成員の数は全体のごく一部に過ぎず、
ほとんどは真っ当な職業を持って一般的な暮らしを送っていた。
ソウサクに暮らす暴力団たちも、その例にもれなかった。
事務所はいくつもあったが、どれもそう大差はない。
兄弟もいる。親もいる。息子が、娘がおり、
中には恋人ができたばかりの者もいるだろう。
週末には仲間と酒場で笑い合い、夢を語り、
失敗しては落ち込み、慰め合う。
他愛のない、けれど、かけがえのない日常。
彼らにその日常が訪れる日は、もう来ない。
-
(;><)「た、たすけ……」
青年の頭が吹き飛んだ。
まだ未成年だったのだろう。
あどけなさを残す、まだまだこれからが人生の本番だという年頃の青年だった。
だが、彼にその未来はもうない。
( <●><●>)「……何者ですか、あなたは」
( ´_ゝ`)「……」
男の問いかけに、アニジャは答えない。
銃口を向けたまま男を観察する。この状況でも怯えを見せないその態度。
あきらかに、他の構成員とは違う。こいつがここのボスか。
( ´_ゝ`)「訊きたいことがある」
( <●><●>)「人の質問は無視して自分の都合だけ語るとは、無礼な方ですね……
ソウサク解放戦線はァ!」
素早い動作で、男が引き出しを開けようとする。
しかしそれよりも早く、アニジャの撃った弾丸は男の手の甲を正確に撃ちぬいた。
椅子から転げ落ちた男の額に、銃口を当てる。
-
( ´_ゝ`)「訊きたいことがある。なぜお前らは、政府の言いなりになっている」
(;<●><●>)「……何のことかわかりませんね」
( ´_ゝ`)「シベリア狩りだ」
男が、銃口を額に当てられたまま、笑い出した。
神経質な、耳に障る笑い声だった。
( <●><●>)「確かに私たちは、政府の支援を受けています。
けれど言いなりになっているわけではない。
私たちは私たち自身の意志で、シベリア人どもを殺しているんですよ」
( ´_ゝ`)「なぜだ」
(#<●><●>)「なぜ? なぜですって!?
決まってる、あいつらの存在が私たちの生活を脅かすからです。
文化的にも経済的にも、あいつらは私たちを殺そうと常に機を伺っていた。
さらには命を、ソウサク解放戦線といったふざけた武器を持ちだして、
本当に命までも狙いだした! 殺らなきゃ殺られる。
戦わなければ、私たちの築いたすべてをあいつらに奪われる。
これはね、生き残りをかけた殺し合いなんですよ。
だから、いつでも死ぬ覚悟はできている。今だってな。
……さあ、殺るなら、殺れよ」
( ´_ゝ`)「そうか」
-
('A`)「ご苦労様でした、アニジャ。今度はあちらの企業主を排除していただきたく――」
.
-
―― ( ・∀・) ――
何もしない。
ぼくは何もしていない。
ただ、言われたことを、淡々と、
ただ、言われたとおりに、こなすだけ。
考えてはならない。
考えても、どうにもならないのだから。
ぼくは無力だ。
ぼくに何かを変える力なんてない。
一匹の、小さな虫けらだ。
何かしたって、踏み潰されて終わりだ。
だから、仕方ないんだ。
だから、考えない。
考えないから、何もしない。
何もしない。
-
なのに――
何で、こんなに苦しいんだ。
何もしないのに、何でこんなに痛いんだ。
なぜ、こんなにも。
思考はぼくを苛むんだ。
なぜ、こんなにも。
なぜ――
.
-
( ∀ )「シャキンさんは、この仕事が好きですか」
(`・ω・´)「何だ、藪から棒に」
ホテルのテレビを眺めながら、シャキンさんが答えた。
テレビでは、このところ頻発している殺人事件について報道していた。
殺されたのはみな、ソウサク人だった。
いや、報道される権利を持つのがソウサク人だけ、ということだろうか。
殺されているのは地元の有力者であったり、大企業の社長であったりと、
ソウサクにおいて強い権力を持つ人ばかりだと報道されている。
そして今朝もまた、新たに一人殺されたらしい。死因は窒息死。
細い糸状のもので首を絞められたそうだ。想像して、気持ちが悪くなる。
死体の顔が、リアルに思い浮かんでしまう。
ぼくはシャキンさんに断りなく、テレビの電源を切った。
シャキンさんの目が、ぼくを咎めるように睨んでいた。
(`・ω・´)「辞めたくなったのか?」
( ∀ )「……わかりません」
うそだ。
本当はいますぐにでも逃げ出したい。
何もかも投げ捨ててしまいたい。
けれどそう言うのはあまりにもみっともない気がして、言葉を濁している。
無力なだけじゃなくて、ぼくは卑怯なんだ。
-
シャキンさんが立ち上がった。そして机から、カメラを持ってくる。
いつも首から下げている、あのカメラだ。
シャキンさんはそれを、壊れ物を扱うようにやさしく、そっと持ち上げた。
(`・ω・´)「こいつはな、オレが初めてもらったボーナスを、全額はたいて買ったものなんだ」
( ∀ )「はぁ」
(`・ω・´)「あの頃のオレは燃えていたよ。
こいつと一緒に世界中のどこへでも行って、
命の危機に陥ったのも一度や二度じゃなかった。
それでも辞めたいと思ったことはなかった。
この世界にはまだまだ理不尽な目にあって苦しんでいる人たちがいたからな。
彼らを救うために隠された悪を暴き、
世に知らしめることがオレの使命だと信じていた。
ペンと写真で、正義を成したかったんだ」
( ∀ )「正義、ですか」
シャキンさんと正義。あまり結びつかない。
-
(`・ω・´)「……昔、アフリカの小国へ行ったことがある。
当時その国はニーソクの植民地政策から開放され独立したばかりだったんだが、
その国ではまだ白人がでかい面をして黒人をいびってたんだ。
一年間くらいかな。オレはその不正義を正すため、長い間そのことを記事にし続けたよ。
その甲斐があったのか、白人たちはその国からどんどんいなくなっていった。
オレは喜んだよ。オレの記事がこの国を救った。正義が勝ったんだ、ってな。
けどな、白人たちがいなくなった直後、その国では内紛が起こった。
ふたつの大きな派閥に分かれて争っていたんだが、どちらが勝ってもその国に未来はなかった。
彼らには元から、国家を運営するノウハウも能力もなかったんだ。
結局最後には、隣国に吸収される形で合併された。
そしてその国は、ニーソクの庇護下に置かれた植民地だった。
オレのしたことは無駄だったばかりでなく、
無意味な争いを煽っていたずらに殺し合いをさせただけだった。
……お前、高科レポートで救われた人間がどれくらいいると思う?」
( ∀ )「……一○○万人くらい、ですか?」
(`・ω・´)「少なく見積もって三○○○万人は下らないと言われている」
(; ∀ )「三○○○万……!」
(`・ω・´)「ああ、ソウサクのために書かれたこのレポートは翻訳されて、
この十年余で他の国へと広がっていった。
そして多くの国、多くの地に住まう”被差別民族”に勇気を与えた。
その結果、どうなったと思う?
……高科レポートに救われた人間の、
その二倍以上の人命がこの地上から失われたよ」
-
三○○○万人の二倍――六○○○人以上。
あの部屋には、死体が何個あっただろうか。
ばらばらのぐちゃぐちゃすぎて、数えることもできない。
あの部屋を何倍すれば、六○○○万に届くだろうか。
(`・ω・´)「記事と人死を直接結びつけるなんてナンセンスだという奴もいる。
それはそれで、間違った姿勢ではないんだろう。
だが、オレにはそんなふうに割り切れなかった。オレは怖くなった。
オレの書いた記事がオレの預かり知らぬところで、
大量虐殺に結びついているんじゃないか。
オレのこのペンこそが、オレの裁こうとしていた悪そのものなのではないか。
そう、思ってしまったんだ。
それ以来、オレは自分の言葉で記事を書けなくなったよ。
政府機関に賜った情報を無難にまとめる、サラリーマンになったんだ。
このカメラだけが、あの頃の俺の残滓なんだ」
シャキンさんは話は終えたといった様子で、カメラを元の位置へもどした。
そして再び、テレビの電源を入れる。
-
期待していたわけではなかった。
それともやはり何かヒントになるのではないかと、
期待していたのかもしれない。
けれどシャキンさんの話を聴いても、
悩みは晴れるどころか一層深まるばかりだった。
苦しくて、痛くて、辛い。
この不快感は、どうすれば胸から剥がれ落ちるのか。
教えてくれ。
誰でもいいから。
教えて。
教えて下さい。
ハイン――
( ∀ )「……ぼくは、どうすれば……」
自分で決めろ。シャキンさんは、そう言った。
.
-
外は雨が降っていた。
まだ昼前だというのに空は暗く、重たい。
こんなところ、本当は一歩だって踏み出したくはない。
けれどあれ以上ホテルに籠っているのも、堪えられなかった。
ぼくはいま、ナイトウさんの下へ向かっている。
渡さなければならない書類があるからだ。
いや、それは口実だ。本当は今日、明日に必要な物じゃない。
それが証拠に、あのシャキンさんですら引き止めたのだから。
危ないからと。それでもぼくは、外へ出た。
頑なになる理由などないというのに。
('、`*川『ナイトウは現在留守にしております』
役所へ行ったら、にべもなくそう告げられた。
ぼくは事情を説明し、行き先を教えてもらおうとする。
その間、周りからいくつもの視線が突き刺さってくるのを感じた。
役所の中には重武装をした警備隊が大挙していた。
-
ナイトウは葬儀へ参列しに行ったらしい。
場所を教えてもらい、そこへ向かう。葬儀の会場はすぐにわかった。
よほどの大人物が亡くなったようで、
こんな時期だというのに大勢の人が参列に加わっていた。
亡くなった人が、どんな人物だったのかぼくにはわからない。
けれど泣き崩れ、嗚咽を漏らしている人たちにとっては、
とても大切な、かけがえのない人だったのだろう。
ぼくには直感があった。
この葬儀の主役を殺したのは、アニジャであると。
この葬儀だけではない。
ここ数日間で行われている連続殺人のすべてが、
アニジャの仕業であるように思われた。
殺して、殺して、殺し回っている。
すべては、シイのために。
シイとアニジャの関係がどんなものなのかも、ぼくにはわからない。
家族なのかもしれない。歳の離れた恋人なのかもしれない。
なんにせよ、他人を殺しても構わないほど、アニジャはシイを大切に思っているのだろう。
-
その気持ちは、批難されるべきものではないのかもしれない。
ハインが言っていたことだ。殺さなきゃ、殺される。だから先に殺す。
それでもぼくには、アニジャを肯定することができない。
だってここには、こんなにも悲しんでいる人がいる。
失って辛いのは、どちらも同じなのに。
それじゃあ、死んでも誰も悲しまないような奴なら、殺してしまって構わないのか。
それとも数か。死んだら十人悲しむ人を救うために、五人悲しむ人を殺すのは正しいのか。
命の価値は、人によって違うのか。
殺された人達の命の価値は?
シイは?
ハインは?
ぼくは?
――帰ろう。
とてもではないが、これじゃナイトウさんに会うことはできない。
人が多すぎる。きっと見つかりっこないだろう。
それならこれ以上ここにいても無意味だ。
-
帰ろう――。
そう思った時だった。
葬儀会場の向こう。林立するビルの隙間で、何かが動いた気がしたのだ。
目をこすり、凝らす。しかしどんなに凝視しても、そこには何も見つからなかった。
気のせいだったのかもしれない。
モララーはホテルに向かって歩き出した。
その途中一度だけ振り返ってみたが、やはりそこには何も見えず、
悲しみと怨嗟の声が聞こえてくるばかりだった。
.
-
―― ( ´_ゝ`) ――
現在ソウサクで行われている最も規模の大きい葬儀。
そのすぐそばに建つビル郡のうちのひとつ、
警備隊が駐屯するアパートの四階のさらにその一室に、アニジャはいた。
この部屋で葬儀の警備をしていた隊員の数は四人。
いまやもう、そのうちの誰ひとりとして目を覚ますことはないが。
この部屋で起こったことはまだ、司令部にはばれていない。
しかし定時連絡が途切れれば奴らはすぐにも異変を察知し、
他の部屋、他の階から数十人の訓練を受けた兵士を送り込んでくるだろう。
その前に、任務を遂行しなければならない。
アニジャは転がった死体からスナイパーライフルをもぎとり、
窓枠を支えにしてそれを固定する。
ライフルのスコープ越しに標的を補足する。
建物に隠れて姿は見えないが、気配を感じ取れば正確な位置も把握できる。
息を吐き、肺の中を空にする。ライフルと身体を同化させ、
独立した一個の機械と成す。そのまま待つ。僅かな時。
後三秒だ。三秒後に顔を出す。カウントダウンを開始する。
三……。
二……。
一……。
-
――ライフルから手を離し、取り出した拳銃を部屋の入口へ向ける。
暗がりの中から闇と溶け合った長い髪と、暗がりの中においてもなお輝く
白い肌を持つ女が、アニジャ同様銃を構えて立っていた。
明らかにソウサク人とは異なる顔立ち。青い瞳。
アニジャはこの顔を、よく知っていた。
年を取り顔つきに鋭さこそ増していたものの、見間違うはずもない。
そう、この子は。この子は俺の――。
( ´_ゝ`)「……クー」
川 ゚ -゚)「そんなものを使って、今度は誰を撃つつもりだったんだ、アニジャ」
ああ、声まで昔と同じだ。
昔のままのあの声で、昔とは違うむき出しの敵意を向けている。
あのクーが、俺に向かって。
川 ゚ -゚)「ウラン鉱山の大元締め、アラマキか?
構成員数第一位を誇る暴力団の女首領、ワタナベか?
――それとも、国家元首、オトジャか」
( ´_ゝ`)「クー、俺は――」
川#゚ -゚)「言い訳なんて聞きたくない!」
-
強い拒絶。
この十年で堆積した思いをすべてぶつけるような、強く、痛々しい拒絶の悲鳴。
お前のこんな叫びを、俺は聞きたくなかった。
だが、それをお前に叫ばせているのも、俺自身だ。
川#゚ -゚)「オトジャはお前が生きていることを知っていたよ。
あのボロビルで死んだような毎日を過ごしていることも知っていた。
その上でお前のことを見逃していたんだ。
それなのにお前は、いままたオトジャを裏切った!
ゴミクズみたいなテロリストと手を組んで、オトジャの築き上げたものをぶち壊そうとした!」
恨まれても仕方のない罪を、俺は犯した。
そしていま再び、現在進行形で彼らを裏切っている。
罪には罰を。殺されても已む無いことだ。だが――。
川#゚ -゚)「横取り何て誰にもさせない。これは復讐だ。
苦しんで、痛がって、無様にのたうちまわりながら
自分の選択を悔やみに悔やんだお前を見下ろし――
今度こそ私は私を、私の人生を肯定する!」
まだ、その時ではない。
-
アニジャはテーブルを蹴り上げ、即座にその影へとかがんだ。
その直後、直前までアニジャの頭があった位置を銃弾がかすっていった。
銃声がほとんどしない。消音器を付けているのだろう。
横取りさせないという言葉に、嘘はないようだ。
周りに知らせず、あくまで自分で仕留めるつもりか。
考えている間にも、クーは銃を撃つ手を止めない。
先程から何発もの銃弾がテーブルを貫通している。所詮は木製の盾だ。
このまま手をこまねいていても状況は打開されないだろう。
この部屋の唯一の出口には、クーが陣取っている。
クーを越えなければ逃げることも叶わないというわけだ。
それをわかっているからこそ、あの子も動かないのだろう。
――テーブルがひび割れた。時間がない。決断する。
盾にしたテーブルに拳を添え、押し出す形に吹き飛ばす。
邪魔な家具を撒き散らしながら、一直線でクーへと向かう。
だが、そこにクーはいなかった。
-
――上空!
後方へと跳ねる。
アニジャのいた場所に、クーが落下してきた。
その手には、闇に紛れる黒い刀身のナイフが握られている。
落下した衝撃をそのまま活かし、バネとなってクーが追いかけてくる。
眼前に迫るナイフをくびをすぼめてかわす。
クーの勢いは止まらない。振った動作のまま流れるように回転し、
今度は上空から蹴りが降ってくる。
避けても次が来る。あえて踏み込み、肩で受ける。その脚をつかむ。
が、クーはまだ止まらなかった。
逆立ちの状態から腹筋の力だけで跳ね上がり、
人体を両断するようにナイフを振り上げる。
斬られる。
つかんでいた脚を放り投げる。
クーの身体は離れ、距離が空いた。
ナイフの切っ先が胸の先をかすめていく。
わずかに皮膚を切られたが、致命傷は避けられた。
バク転の要領で器用に着地していたクーは、すでに構えを整えていた。
しかし、すぐには跳びかかってこない。
射竦めるようにして、アニジャを睨んでいる。
-
川 ゚ -゚)「なぜ反撃しない」
雨音に掻き消されそうな小さな声で、クーがささやく。
ナイフの刃がゆらゆらと揺れ、暗闇と溶け合って輪郭を失っている。
川 ゚ -゚)「お前はあのアニジャだろう。
さっきの攻防でも、お前なら私に手傷を負わせるくらいなんなくできはたずだ。
この十年で錆びついたのか。裏切り者の分際で、
未練だけは一丁前に持ち合わせているのか。
……どちらでもいいさ。それならそれで構わない。
私はお前を殺す。そしてお前を殺した、その後には――」
クーの身体が、沈んだ。
川 - )「お前の大事なものも、壊してやる」
輪郭を失っていたナイフが、その姿を消した。
と思った次の瞬間、暗闇の中でわずかな光を反射しつつ、
アニジャの脚めがけて真っ直ぐに飛来していた。
投擲。
跳んで躱す。
地から離れたその無防備な体勢。
目の前に、クーが迫っている。
隠し持っていた、もう一本のナイフを煌めかせながら。
出口はひとつしかない。
ここから出るには、クーを越えなければならない。
彼女は意地でもここを退かないだろう。
それこそ、殺してでもしまわない限り――。
-
いや、そうとは限らない。
もうひとつだけ、ここから逃げ出す方法が残されている。
クーがナイフを突き出してくる。
それを、左前腕で受ける。
彼女はそこから、首まで狙う。
筋肉に力を込め、わずかな時間稼ぎを行う。
その間に、右手と、右足で彼女の腕を取る。
関節を取る。
左足が地につく。
同時に、極めながら、投げる。
投げられなければ、折れる。
彼女もそれはわかっている。
力に逆らわず、投げられる。
しかしその体勢は、投げられながらもすでに次の行動の準備へと移っている。
その彼女に向けて、羽織っていた外套を被せる。
目眩ましにもならない、子供だまし。
だが、これが秘策。
わずかに生じたその隙で。
アニジャは部屋から抜けだした。
入り口から――ではない。
地上十四メートル。
四階に位置するこの部屋の。
窓から。
-
「待てっ!」
叫ぶクーの声が猛スピードで遠ざかっていく。
四階。落下先には砂利と土。雨に濡れてぬかるんでいる。
問題ない。
もはや使い物にならない左腕をクッションにして、
衝撃を分散しながら着地する。
指が潰れる。
手首が砕ける。
肘が捻れる。
肩が割れる。
ここで、止まれ――。
(;´_ゝ`)「ぐっ……!」
左腕を投げ出したまま地面を転がる。
勢いを殺しきれなかった。内蔵にダメージがある。危険だ。
――だが、動くことは可能だ。痛みは厄介だが、走ることはできるだろう。
-
シイ。
クーはいっていた。
お前の大事なものを壊すと。
居場所が割れているのか。急がなくてはならない。
今度こそ、失わないために。
アニジャは駆け出した。
己の狂った平衡感覚を諌めながら。
.
-
―― ( ・∀・) ――
ホテル全体が慌ただしかった。
ホテルのフロントには大勢の人間が押し寄せ、
剣呑な雰囲気で何事か問いただしている。罵倒すら聞こえる。
荷物をまとめ、何かから逃げるように走る人々の群れ。
もはやこのホテルの中に、あの優雅で、
高級感溢れる静謐さなど微塵もない。
あるのは焦りと、怒号と、恐怖だけだ。
人の流れに逆らって、上階へと登っていく。
エレベーターが使用不可能な状況だったので階段を選んだのだが、
これでも先へ進むのは一苦労だった。
(#`・ω・´)「てめぇモララー、どこほっつき歩いてやがった! さっさと支度しろ!」
そうしてようやくたどり着いた自室にまでも、慌ただしい空気は伝染していた。
シャキンはモララーを怒鳴りながら、自分の荷物をまとめている。
-
( ∀ )「あの、何があったんですか」
(#`・ω・´)「軍が動くんだよ。急げ、帰れなくなるかもしれねぇ!」
穏やかでない単語が飛び出してくる。
しかしこれだけでは、何があったかという質問の答えにはならない。
モララーはさらに追求する。
( ∀ )「軍って……どういうことなんですか」
(#`・ω・´)「始まるんだよ!」
(# ∀ )「だからなにが!」
いつの間にか怒鳴り返していたモララーに向かって、シャキンが叫んだ。
シャキンの言葉が、脳を揺らす。物理的な振動をぶつけられたように。
シャキンは、こう言ったのだ。
――内戦が始まる。
.
-
―― ※ ――
「クーはどうしている?」
「よく眠ってるよ。はしゃぎまわってたからな、疲れたんだろう。
まったく、身体は大きくなっても中身は子供のままだ」
「違いない」
アニジャと俺は同時に笑う。気持ちが良かった。
雲一つない晴天の田舎道。アニジャの運転する車の助手席で、
風を感じながらウォッカを一口流しこむ。辛く、苦い、酒の味がする。
「初めて見たよ」
「何が?」
「お前が酒を呑むところ」
-
「そうかな? ……そうかもな」
しらを切る。ウォッカなど、口にするのは初めてだった。
酒は堕落の象徴。酒による失敗で生活を破綻させた人民や、
存在を抹消された同僚など腐るほど見てきた。
俺はこれまで酒呑みのことを、自制心も向上心も持たない非国民と見下していた。
だが、今この時は、そうでもない。
ウォッカを煽って本音を突き合わせるというのも、
存外気分の良いものなのかもしれないと、今更ながらに思う。
もう一口、のどに流す。アニジャは追求してこなかった。
土足で他人の領域に踏み込もうとはしない。
アニジャらしい気遣いだった。
「アニジャ――」
熱くなった身体に、風が気持ち良い。
こんなことならもっと早くから、この快感を味わっておくべきだった。
惜しい気がする。
「寄って欲しいところがあるんだ」
-
「……ここは?」
「墓地だよ。調べたんだ」
町の外れの野良猫ですら寄り付かなそうなその場所に、この墓地はあった。
生え放題の草。墓石代わりに置かれているのは研磨も何もされていないただの岩。
墓碑銘など当然書かれているわけもない。
墓地というより、死体遺棄所という方が正確な場所かもしれない。
「全員がいるわけじゃないんだが」
ウォッカのフタを開ける。
アルコールの濃い、脳を溶かすような匂いが漂ってくる。
「ここへ連れてこられた俺たちの兄弟全員、もう死んじまってたらしい」
それを、墓碑銘のない岩へと注ぐ。
きっと酒を呑める年齢にはなっていないと思うが、そこは許して欲しい。
そんなことを言っていたら、この先呑む機会など訪れることはないのだから。
-
「生き残ったのは、俺と、あんただけだ」
アニジャが隣に座った。
ウォッカを持つ俺の手をつかみ、一緒に注ぐ。
先に亡くなった兄弟たちを弔う。
「アニジャ、俺はソウサクへ亡命する」
酒の力を借りて、告白する。
「チチジャ政権の治世は限界まで達している。
人民の間では武力で政権を打倒する声も上がっている。
しかし、あと一歩が踏み出せない。
心の奥底にまで染み付いた恐怖が、チチジャに歯向かうことを拒絶させているんだ。
だから俺が、その一歩を踏み出す火種となる。
俺は革命を起こす。そして、この国へは二度と戻らない。
もはや形だけとはいえ、ソウサクはオオカミの衛星国だ。
チチジャに楯突くということは、オオカミも敵に回すということを意味する。
……アニジャ、そこであんたに、頼みがある」
「……なんだ?」
「クーのことを、お願いしたい」
-
ボトルの中のウォッカは、すでに半分ほどが流れ出していた。
「クーは俺よりもあんたに懐いてる。
俺がいなくなっても、いずれは平気になる日が来る。あんたさえ傍にいれば。
それにあの子ももう、何も知らない子供じゃない。
成長している。計算だって解ける。本だって読める。
手だって次第に掛からなくなっていくだろう。
だから頼む、アニジャ。勝手で済まないが、クーの事を見守っていて欲しい」
言い終えて、後はただアニジャの返事を待つ。
ウォッカを注ぐ音だけが、墓地中に響き渡る。
とぷん、とぷんと、水よりも重みのある音がする。
その音が、止まった。
ウォッカの口を、アニジャが上へ向けていた。
「その頼みは、きけない」
「……なんでだ?」
「俺もソウサクへ行く」
-
それは、予想していた答えと同じだった。
いや、予想というよりは、期待かもしれない。
そしてアニジャは、いつも俺の期待通りの回答を寄越す。
だが今日は俺も、引き下がれない。
「ダメだ、そんなことは」
「なぜだ」
「クーはどうする。置いていくつもりか」
「あの子はついてくる」
「バカな。……いや、その通りかもしれないが、危険だ。
戦争を起こそうとしている国に、あの子を連れていくわけにはいかない。
それに祖国を捨てさせる気か。あんたにしてもそうだ。
革命といえば聞こえはいいかもしれないが、
俺のやろうとしていることは兄殺し、父殺しだ。
けして褒められたものじゃない。あんたまでそんな悪行に手を染めることは――」
「オトジャ」
-
俺の説得を遮ったアニジャは、ウォッカの瓶を奪い取り、それを一気に煽った。
嚥下するたびに喉仏が蠕動する。一口、二口、三口……。
呆気にとられた俺に、アニジャは空になったボトルを渡し、言った。
「俺にとっての家族は、お前と、クーだけだ」
酒臭い息を吐きながら、アニジャは言った。
「俺たちは家族だ」
しばらく呆然としていたと思う。
しかし、やがて耐えられなくなった。
耐えられず、堪えきれずに、俺は――笑いだした。
声を上げて笑った。
「なぜ笑う」
「バカらしくなったんだよ、一人で考えこんでたのが」
腹を抑え、涙の浮かんだ目尻を拭う。
すると路地に停めていた車の方から、
「アニジャー! オトジャー!」と叫ぶ声が聞こえてきた。
-
「はは、どうやらうちのプリンセスが目を覚ましたらしい」
「そうだな。ご機嫌を損ねないよう、早いとこもどろうか」
そう言っている間にも、クーの声は大きくなる。
クーはかんかんだった。二人だけでどこかに行くなんてずるい。
クーもちゃんと連れて行けと、怒っていた。
目を見合わせて、また笑った。
「アニジャ」
「なんだ」
「また一緒に、呑もうな」
「……ああ」
「あー、また二人だけでこそこそしてる! クーも混ぜろー!」
「はいはい、大人になったらな」
-
すまなかった、クー。
お前を置いていこうとするなんて。
そうだ、俺たちは家族だ。
何を考えていたんだろうか。
俺は家族を捨てない。
この先何があろうと。
家族を捨てることだけはしない。
俺達は家族だ。
いまも。
これからも。
ずっと――
ずっと――――
家族でいられると、思っていた。
.
-
―― ( ・∀・) ――
バスの中へと詰め込まれる。国外へと退去するバス。
これに乗ってぼくたちは、このソウサクを離れる。
この国の人々を見捨てて、自分たちだけで安全な場所へと避難する。
けれど、それは責められるべきことだろうか。
この地に残って、いったい何ができる。ぼくだけではない。みな、そうなのだ。
無力な人間に、できることなどありはしない。いても邪魔なだけだ。
この国も終わりだな――。
せっかくの投資がムダになった――。
ロビイがどう動くか――。
いや国連が――。
株価はどうなっている――。
ヴィップが黙ってはいまい――。
-
好き勝手な言葉が、バスの中を飛び交っている。
そうだ、これこそが特権だ。安全な国に生まれ、苦もなく文明を享受したものの特権。
外側から賢く、対象を批評するという特権。
ぼくも、そうすればいい。
国へともどり、勝手な言葉を勝手に話し続ければいい。
無力でも許される世界で、賢く、安全に、ここで起こったことなど忘れて、
これまでがそうであったように、これからもそうやって生きていけばいい。
それこそが、安寧なのだから――。
『未来を、頼んだよ』
なのになぜ、思い出す。あの子のことを。あの子の言葉を。
脅されて、死ぬ思いをさせられて。良い印象を持つ機会なんて、
一度もなかったじゃないか。それなのに、なぜ、あの子の笑顔が離れない。
本当はわかっている。どうすればいいか――なんて、まるでわからないけれど、
こうしていま、この国から逃げようとしていることが、自分の心に反していると。
けれど、でも、ぼくは無力で、だから――。
-
轟音が響き渡った。
ソウサクスカイラインホテルの一部から、爆発が起こっていた。
ガラス窓はのきなみ砕け、粉々になったそれはきらきらと、雨粒を弾きながら宙を舞っていた。
バスの中が騒然とした。戦争が始まった。逃げろ。早く出せ。
先程までの余裕などない。切羽詰まった、剥き出しの心がそこには表れていた。
けれど、ぼくは。
舞い落ちるガラス片を見ながら。
彼らとは違う、まるで反対のことを。
思った。
――行かなくちゃ。
-
( ∀ )「降ろしてください」
(;"ゞ)「ダメだ、もう出発する!」
他の避難者たちを押しのけ、運転手に告げる。
運転手はこちらのことを見もせずに答えた。彼も必死だ。
バスは一台ではない。順番を待ち、まだ半分ほどは出発できていない。
自分の遅れが、他のバスの遅れにつながる。
それはすなわち、他のバスや、バスに乗った避難者の命を危険に晒すかもしれないということ。
命の責任を負った義務。だからこそ、彼も必死なのだ。
けれど、ぼくも引き下がれない。
――ハイン、力を貸してくれ。
( ・∀・)「降ろしてくださらなければ、あなたを刺します」
ナイフを、運転手の眼前へと突きつけた。
ハインのナイフ。無骨で、人を傷つける形をしていて、とても、重たい。
こんなこと、きっと許されない。
けれど、許されなくても、する。ハインのように。
(;"ゞ)「……狂人がっ」
.
-
ナイトウさんを見つけなければ。
葬儀はさすがに終わっているだろうが、まだ近辺にはいるかもしれない。
探さなければ。そして、シイの居場所を教えてもらわなければ。
「モララー!」
次々と出発していくバスの群れ。
取り残されて未だに出発できないわずかな数台のうちのひとつから、
大声で名前を呼ばれた。シャキンさんだ。シャキンさんが、窓から顔を出していた。
(#`・ω・´)「なにやってんだ、もどれ!」
シャキンは怒っていた。
しかしその怒り方は、いつもの上段から抑えつけるようなものとは違っていた。
おかしな話だが、もっと感情的で、対等な、
同じ人間に向かってぶつける怒りであるように感じた。
けれど、ぼくはそれにも反発する。
( ・∀・)「もどりません!」
(#`・ω・´)「死ぬぞ!」
( ・∀・)「死ぬのはいやです!」
(#`・ω・´)「じゃあもどれ!」
( ・∀・)「それもいやです!」
-
バスが動き始めた。
タイヤが回り、ゆっくりとホテルの敷地から離れようとする。
シャキンさんが遠ざかっていく。
( ・∀・)「シャキンさん、ぼく、やりのこしたことがあるんです。
それが何かはわからないけど、でも、だから――
このままじゃ、帰れないんです!」
すでにシャキンの姿は遠く、ぼくの声が届いているかも定かではなかった。
それでも、ぼくは言い切った。もうここに用はない。
バスとは違う方向で、ホテルの敷地から出ようとする。
が――。
「モララー!」
何かが飛んできた。
固く、黒いそれを、落としそうになりながら慌ててキャッチする。
手の中に、しっかりと収める。
「絶対に持って帰って来い! 帰ったらたっぷり説教してやるからな!
だからいいか絶対だ、絶対にだぞ――」
シャキンさんの言葉はほとんど聞き取れなかった。
だが、彼の寄越したものは確かに受け取った。
カメラ。
初めてのボーナスで買ったという、彼の相棒。
彼の情熱の、残滓。
-
首にかける。何故これを寄越してくれたのか。
わかる気もするし、わかってはならない気もする。
今はまだ。そう、今はただ、やるべきことを、やるだけだ。
ナイトウさんを見つけなければ。
覚悟を決める。
――だが、その覚悟は不要なものだった。
(;^ω^)「モララーさん!」
小太りな身体をどすどす揺らしながら、ナイトウが走り寄っていた。
雨のせいで、額を伝うものが汗なのか雨水なのかわからなくなっている。
なぜ彼がここにいるのか。いまはそれもどうでもいい。
モララーはカメラ抑えながらナイトウに駆け寄る。
( ・∀・)「ナイトウさん、よかった。会いたかったんです」
( ^ω^)「それはぼくも同じ、間に合ってよかったですお。
本当はシャキンさんのつもりでしたが、この際あなたでも構わない」
( ・∀・)「何のことですか?」
( ^ω^)「つまり――」
-
ナイトウが、何かを取り出した。細長い、円筒状の缶。
殺虫剤などでよくみる形だ。噴射口らしき部分があるのも、同じ。
そしてそれを、ナイトウは、モララーに向けた。
( ω )「こういうことですお」
冷たい感触が顔にかかった。
瞬間、身体に力が入らなくなり、意識が急激に遠のいた。
意識が途切れる、その直前に見えたのは、ぼくを見下ろす、
ナイトウの顔。何かをしゃべる、ナイトウの顔、だった。
少し、眠っていてもらいますお――。
.
-
――後は任せた。宜しく挑めお、ドクオ。
――了解致しました。ホライゾン閣下も、どうかご無事で。
話し声が聴こえた。頭に響く。
宿酔いの時みたいだ。酷く痛む。気持ちも悪い。
目を開く。眩しい。吐きそうだ。
('A`)「お目覚めになりましたか」
朦朧とする視界に、男の姿が映り込む。のっぺりとした顔の男だった。
男がコップを差し出してくる。水の入ったコップだ。
それを見た瞬間、酷くのどが渇いていることに気がついた。
躊躇せず、一息に飲み干した。染み渡る冷たさが、意識を一気に覚醒させた。
('A`)「手荒な真似をしてしまい、申し訳ございません。
我々としてもアジトの場所を知られては不都合がございましたもので」
( ・∀・)「アジト? ここは……」
-
辺りを見回す。ここは――洞窟、だろうか。
剥き出しの岩盤。天井にはカンテラがかかっている。
薄暗い光。その光が届くぎりぎりの境界線の壁面に、何かが掛けられていた。
似たようなものを、最近見たことがある。
小学校で、役場で。そう、それは、幾丁もの小銃――ライフルだった。
('A`)「ソウサク解放戦線、そのアジトでございます」
ソウサク解放戦線。男は確かにそう言った。
すると、ここが。ハインの言っていた――。
('A`)「お立ちになれますか? ……結構。それではアジトの中をご案内致します」
(;・∀・)「いや、その」
案内される謂れもないというか。
そもそも自分がなぜここに連れてこられたのか、その理由を教えてほしい。
しかし男はぼくの期待する答えを返してはくれなかった。
('A`)「申し訳ございませんが、ナイトウからの言付がございますので」
(;・∀・)「ナイトウ! そうだ、ぼくは……」
-
ナイトウさん――いや、ナイトウに何かを吹きかけられて、意識を失ったんだ。
そして目覚めたら、ソウサク解放戦線のアジトにいた。
どういうことだ。
ナイトウはソウサクの役人で、政府側の人間じゃないのか。
裏ではテロリストと組んでいたということなのか。
あんな、人の良さそうな顔をして。大統領を神か何かのように崇めておいて。
そういえば、ナイトウはぼくを眠らせる直前、気になることを言っていた。
たしか――『本当はシャキンさんのつもりでしたが、この際あなたでも構わない』。
本当はシャキンさんのつもり、とはどういうことか。
ぼくはシャキンさんの代わりに連れてこられたのか。
ナイトウはいったい、ぼくに何をさせようというのか。
('A`)「私は何も。さあ、こちらです」
こちらの質問には一切答えず、男は歩き出してしまう。
おかしなことになったが、仕方ない。
今は付いて行くしかないだろう。
幸いにも、荷物に手を付けられている様子はなかった。
カメラも首に、無事かかっている。壊れている様子もない。
よかった。もし壊したとなったら、帰国した後が怖い。
-
迷路のような道を、男の後に付いて歩く。
男はドクオと名乗った後、何もしゃべらなくなった。
必要以上のことは話さない主義なのだろうか。
男が話さなくなった代わりに、周りから声が聞えるようになった。
洞窟の中にはいくつもの部屋があり、そこでは数人の男たちが話をしたりしている。
おそらくはソウサク解放戦線のメンバーだろう。
厳つい顔をした、いかにも戦士然とした男たちが目立つ。
目があった。慌てて逸らす。
男たちがモララーには聞き取れない言語で何かを話している。視線を感じる。
四面楚歌過ぎるこの状況に耐え切れず、ぼくは何も考えないままドクオに話しかけていた。
(;・∀・)「あの……ゴラク語、お上手ですね」
何ともマヌケな質問をしたものである。
もっと聞くべきことはあるだろうに。
しかしドクオは意外にも、この質問の答えに長弁舌を振るって返してくれた。
('A`)「お恥ずかしながら、私も若い時分には”高科レポート”に強い感銘を受けまして。
彼女の記事を読むうちゴラクという国の文化や歴史にも興味を持ち、
独学ではございますがお言葉の方も学ばさせて頂きました。
個人的な考えを申せば、この国はもっとゴラク的なものを
取り入れるべきだと感じております。俳句、茶、素晴らしい。
マンガ、アニメ、感動致します。
なによりもこの美しく、また多様性を持つゴラク語というたおやかな言語!
この言葉を操る時のこの胸の高鳴りをどうして誰も理解してくれないのかと、
私は常々――失礼、私としたことがついつい取り乱してしまいました」
-
(;・∀・)「そ、そうですか……」
('A`)「まとめますと、私はゴラクという国に憧れております。
ですからモララー様がゴラク人であるというだけで、一定以上の好印象を抱いております。
あの時代を生きたソウサク人であれば、大なり小なり同じような思いはあるでしょう。
モララー様に進んで危害を加えるような真似は致しません。
安全保障としてはやや、弱いかもしれませんが」
( ・∀・)「はぁ……」
そういわれても、ここに連れてこられた理由も教えてもらえないのだ。
不安が解消されるはずはない。ただ今すぐ何か、例えば拷問される、
などということにはならなそうで、それに関しては少しだけ気が休まる。
ふと、疑問が浮かぶ。
ソウサク解放戦線は、虐げられたシベリア人を
救済するために戦っていると聞いた覚えがある。
それならばなぜここに、ソウサク人がいるのだろう。
シベリア人の組織ではないのか。
('A`)「我々はシベリア人の救済を第一義に掲げているわけではございません。
数ある目標のうちにその条項が入っているだけで、
目的はあくまで現政権の打倒、政権転覆にございます」
(;・∀・)「せ、せいけんてんぷくですか……」
-
大真面目な顔をして、彼は話している。冗談ではないのだ。
現に彼らは、そのための手段として武力を行使しているのだから。
殺し、殺されているのだから。
('A`)「そういうわけですので、我々のメンバーにはソウサク人もシベリア人もおります。
むしろソウサク人のほうが割合としては多数といえましょう。……さて、着きました」
ドクオが部屋の前に立つ。
そこはアジトの中では珍しく、扉のついた部屋だった。
扉は閉まっている。中は見えない。ここに入れということらしい。
ぼくは促されるまま、ドアノブに手をかけた。
ノブを捻り、正に開けようとしたその瞬間、
開けるよう促した張本人であるドクオに、引き止められた。
('A`)「ひとつ、お聞きしてもよろしいですか」
( ・∀・)「なんでしょうか」
('A`)「あなたは何をするために、この国に残ったのですか」
むずかしい問だった。自分が何をしたいのか。
おそらくは、自分自身が一番わかっていない。
ただ、何かをしなければならないと感じた。
思った。心がそう命じた。そう言う他、なかった。
それでも何か理由を付けるなら、たぶん――。
-
( ・∀・)「それを見つけるために、残ったのだと思います」
ぼくが無力であることに変わりはない。
けれど無力なぼくにも何か、何かできることがあるかもしれない。
いまは、その思いだけがぼくを突き動かしている。
ぼくの答えに納得したのかどうなのか、ドクオはそれ以上何も言わなかった。
ただ静かに、扉を開けるように促すだけだ。
鬼が出るか、蛇が出るか。今度こそ、扉を開く。
( ・∀・)「………………え?」
そこには、鬼も蛇もいなかった。
こじんまりとしてなにもない、独房みたいに寒々しい部屋。
その部屋の中心に、それはいた。
黙々と、何かをスケッチブックに描いている女の子。
それは――。
(*゚ -゚)「……」
シイだった。
シイがいた。
ぼくの見捨てたシイが、ここに生きていた。
理屈はわからない。なぜか涙が溢れだした。
これが何のための涙なのか、自分でも不思議だった。
-
シイはこちらに気づいていない。
一心不乱に描き続けている。
あの時と同じように。
ハインが死んだ、あの日と同じように。
それを見て、ぼくは気づいた。
あの時は気づかなかったこと。
シイもまた、戦っていたのだと。
彼女にできる方法で。彼女にしかできない方法で。
( ;∀;)「そのままでいい。少し、ぼくの話を聞いてくれないかな」
彼女は返事をしない。見もしない。
それでもいい。ぼくは勝手にしゃべりだした。
昔。ぼくがまだ小学生だった頃。ぼくには親友と呼べる友だちがいた。
何をするにも二人でつるんで、よくないことなのだけど、
一緒にピンポンダッシュなんかの悪事をしたこともあった。
楽しかった。二人でいれば無敵だって、そう信じていた。
でもぼくは、あいつを裏切った。
あいつはおもちゃを万引きをしようとしていた。
もちろんぼくと一緒に。でもぼくは、怖かった。
万引きは他のいたずらとは違う。バレたら逮捕されてしまうかもしれない。そう思って。
-
約束を放棄して、ぼくはおもちゃ屋へ行かなかった。
その結果、あいつはつかまった。
ぼくが想像していたように牢屋に閉じ込められることはなかったけれど、
でも、それから、クラス内でのあいつの扱いが変わった。
教科書を隠された。無視をされた。
階段を降りるとき後ろから蹴られたり、給食のカレーに、
泥が混ぜられていることもあった。あいつはいじめられるようになっていた。
担任は止めなかった。
むしろ担任が率先して、あいつをいじめていた。
あいつ一人を悪者にすることで、クラスを団結させているみたいだった。
ぼくは、何もしなかった。
いじめに加わることもしなかったし、止めることもしなかった。
いじめっこの中には、ぼくより体格が大きくて、力のあるやつが何人もいる。
ぼく一人立ち向かったって、何もできっこない。そう思って。
仕方がないと、自分を納得させて。
数ヶ月後、あいつはトラックに跳ねられて死んだ。
あいつの死は、事故ということで処理された。
けれどみんな、薄々勘づいていた。
あれは自殺だったんじゃないかって。もちろんぼくも、そう思った。
-
だけど、だからどうだというのか。
ぼくは何もしていない。ぼくは何も悪いことはしていない。
ぼくにはどうしようもなかった。あいつの死は仕方なかったんだ。
ぼくは悪くないんだ。
そうやって、自分で自分に言い聞かせた。
自分の無力を正当化した。そうすることが、唯一の手段だった。
自分を許し、すべてを忘れるたった一つの方法だった――。
それじゃあなんで、ぼくはこんなに悔いているんだ。
忘れようとしても、正当化しても、ふとした瞬間にあいつの顔が浮かんでくる。
仕方なかったと、どうしようもなかったと言っても、あいつの顔は消えない。
違ったんだ。
全部、間違っていた。
ぼくは、ぼくは――
( ・∀・)「ぼくは、何かをするべきだった。
何ができたのかはわからないけれど、何かするべきだったんだ」
-
本当は、とても怖い。今すぐ逃げ出したい。
もしかしたら五分後には、殺されているかもしれない。
ハインのようになっているかもしれない。
何かをするとはきっと、そうなる可能性も受け止めなければならないことなのだ。
それが怖ければ、逃げたほうがいい。けれどぼくはもう、選んでしまったから。
もう、後悔したくないから。
そして、シイ。
ぼくには君が、その鍵を握っているように思えるんだ。
アニジャから託され、ハインからも託された、君が。
なにより、ハインの死から逃げず、絵を描くという方法で受け止めた君という存在が。
( ・∀・)「ぼくに何ができるのか。それを教えてくれるのは君だって、そんな気がするんだ」
ぼくは詰めた荷物の中から、あるものを取り出した。
シイの意識が、初めてこちらに向いた。
ぼくはそのまま、シイの髪にそれを取り付ける。
-
( ・∀・)「ようやく、返すことができた」
白い花の髪飾り。
思えばこれを拾わなければ、ハインともアニジャとも会うことはなく、
シャキンさんと共にゴラクへ帰国していたことだろう。
そう考えると、こいつはすごく罪作りな物体なのかもしれない。
けれど、恨みはない。
彼らに出会わなければきっと、この先ぼくが
自分の無力さと向き合うことはなかっただろうから。
……しかし、この先どうしようか。
本当にノープランで来たからな。
何をすればいいのかさっぱりわからない。
ここを抜けだそうにも見張りがいるだろうし、
そもそもぼくがなぜここへ連れてこられたかも――。
モララーがこれからのことについて考えていた、その時だった。
突如、足元を揺るがす大振動が起こった。
剥き出しの天井から、衝撃に耐え切れなかった土塊がぱらぱらと落ちてくる。
反射的にシイに覆いかぶさる。
振動は収まった。何だ、今のは。地震だろうか。
それにしては一瞬のことだったが。
疑問を浮かべたその次の瞬間、再び同じ振動が洞窟内を襲った。
な、なんだこれ!
-
('A`)「始まったようですね」
扉を開け、ドクオが入ってきた。
その間も振動は断続的に続いているのだが、
ドクオはまるで意に介した様子なく、どこか傍観者然としている。
('A`)「戦争が始まりました。国軍が攻めてきています。
この振動から察するに、どうやらロケット砲を使われているようですね」
ロケット砲。アクション映画で見たことのあるイメージが、頭に浮かぶ。
あれは確か、戦争帰りの元特殊部隊の軍人が田舎町の警察と問題を起こして、
坑道に閉じこもっていたところを州兵に攻撃された時のシーン……。
確かロケット弾を撃ち込まれた坑道は、見るも無惨に崩れ落ちてしまって……。
あれは映画だ。けれどいま、映画で起こるようなことが、
現実に起きてしまっているのか――。
(;・∀・)「――って、こんな悠長にしてる場合じゃ!」
('A`)「そう簡単に崩落するものでもございませんが、確かにおっしゃる通りでございますね。
裏道がございますので、ご案内致します。付いて来て頂けますか」
そう言うとドクオは、部屋の隅へと移動した。
簡素なカーペットの端を持ち、それをめくる。
そして床の一部をつかむと――そこが開いた。
そこにあるのは、ぽっかりと開いた暗い穴。
梯子は掛かっているが明かりがなく、底はまったく見えない。
-
('A`)「足元にお気を付けください。落ちたらただでは済みませんので」
懐から取り出した懐中電灯を付け、ドクオが先行する。
ぼくもそれに続こうとして、はたと気づく。
シイはこの梯子を降りられるのだろうかと。
( ・∀・)「持っておいてあげようか?」
スケッチブックを抱きしめたまま穴の奥を覗き込んでいるシイに、声をかけた。
その胴体ほどもあるスケッチブックを抱えたまま
降りるのは無理があるだろうと思って。
しかしシイは、強い拒絶の姿勢を示した。
これは絶対に、誰にもわたさない。そう言っているようだった。
これでは無理やり取り上げるのもむずかしそうだ。
だがこのままでは、逃げられない。逃げられなければ、死んでしまう。
シイにはスケッチブックを諦めてもらわなければならない。
しかしシイは、どうしても離そうとしない。困った。どうしたものか――。
.
-
これは、責任重大だ。
モララーは脂汗を垂らしながら、
足を踏み外さないよう慎重に、慎重に、梯子を降りていった。
女の子一人分の重りを、背中に背負いながら。
結局、シイはスケッチブックを手放さなかった。
いまはぼくの背に抱きつき、そのぼくとの接触面を
利用してスケッチブックを固定している。
女の子一人分の重さなど大したことはないと思っていたが、
これが思いの外重労働だった。先行したドクオが足元を
照らしてくれているおかげで、
やっとこさっとこ降りられているような状態だ。
そして何とか、最下層まで辿り着く。
シイがぴょんっと、背中から降りた。
一息吐く。できればこのまま少し休みたい。
しかし、そうも言っていられないだろう。
懐中電灯を持ったドクオの後を追う。
どうやらここは上層と違い、一切の照明が設置されていないようだった。
その為ドクオの照らす光だけが、唯一の道標となっている。
-
上層からは、振動や爆発、銃声などが絶えず聞こえてきた。
すでに内部にまで攻めこまれているのかもしれない。
そう考えると、こうして自分たちだけ逃げようとしていることに罪悪感を覚える。
メンバーでもないのに、おかしな話かもしれないが。
けれどドクオは、ぼくとは違う。
彼は間違いなくソウサク解放戦線のメンバーだ。
彼はいま、どう思っているのだろうか。
( ・∀・)「あの、ドクオさんはいいんですか、その、戦いに行かないで……」
控えめに聞いてみる。
('A`)「前線には前線で戦うに相応しき者たちが送られております。
私はモララー様の事を命じられておりますゆえ」
ぼくの事。どういう意味なのだろうか。
ナイトウは何のために、ぼくをここまで連れてきたのか。
このまま外に逃がしては、アジトまで連れてきた意味がないと思うのだが――。
-
('A`)「……さて、この辺りでしょうか」
ドクオが立ち止まった。
しかしどう見ても、ここはまだ出口ではない。
照らしたライトも闇に飲まれ、先が見通せなくなっている。
どうしたのだろう。訝しがっていると、ドクが何かを取り出した。
影に隠れていてよく見えないが、あの形は――拳銃?
――光が消えた。
.
-
('A`)「壁に張り付き、隠れていてください。敵です」
真っ暗闇。
ただ光がないというだけで、感覚とはこんなにもあやふやになってしまうものなのか。
こちらに向かって話しかけるドクオの声が、
どこから発せられたのかまるでわからなくなっていた。いや、それよりも。
敵、と、彼はいった。
手探りでシイを探り当てる。いた。
身を屈めながら彼女を誘導し、ドクオに言われた通り
壁があったであろう場所へと身体を張り付ける。
その際、耳を押し付けていた為だろうか。
遠くから響く足音が、振動となって伝わってきた。
規則正しい足音。集団ではない。一人だ。
この足音の正体が、ドクオの言う、敵、なのか。
足音が止まった。
-
戦闘は、前置きなく始まった。
暗闇の中に銃声が響き渡り、瞬間的な閃光が網膜を灼き尽くすように燃え盛る。
その圧倒的な暴力から逃れるように、モララーはシイを抱きしめ強く固く、目を閉じた。
『ぐっ……!』
銃声の隙間を縫うように、くぐもった声ならぬ声が聴こえた。
それこそが、終わりを告げる合図だった。
銃声は消え、閃光は止み、辺りには耳を突く静寂が満ちた。
どうなったのか。
ドクオは無事なのか。
この一寸先も見えない状況のせいで、確かめに向かうことすらできない。
モララーはどうすることもできず、動けないでいた。
すると、再び、足音が聞こえてきた。
どこから響いているのかはわからない。
しかしそれが着実に、確実に近づいていることだけははっきりしている。
ドクオだろうか。勝利したドクオがこちらを探して、近づいてきているのか。
あるいは――。
――光を、向けられた。
反射的に顔を背ける。
-
『見つけた』
声が聞こえた。ドクオの声ではない。女の声だった。
ゴラク語ではない、現地の言葉で何かを言っている。
恐る恐る、目を開ける。ライトを掲げた人物の、逆光にさらされたその顔を見る。
知っている、顔だった。
よく覚えている、その顔、その目。
アニジャと同じ、ヒトゴロシの目を持つあの女。
あの無表情に人を殺した女が、口角を歪めて――
川 ゚∀゚)『お前が”代わり”か』
笑っていた。銃を構えて。
そしてその銃口はぼくではなく――シイに向けられていた。
考えての行動ではなかった。ぼくはシイを庇う格好で、
身を乗り出していた。必然、ぼくの身体が銃口の照準を遮る形になる。
歯の根が合わず、口の中でがちがちという音が
恐ろしいほどの勢いで打ち鳴らされている。
激しく脈打つ心臓は口から吐き出してしまいそうだ。
目の前がぼやけて、女の姿が歪む。
そんなぼくを前に、女は例のあの、無表情にもどっていた。
無表情のまま、感情のない声で、つぶやいた。
川 ゚ -゚)『ゴラク人は嫌いだ。お前も死ね』
目をつむる――。
.
-
「借りが――」
その男は、いつも突然現れた。
圧倒的な力を振るい――
「増えたな――」
相対するものをなぎ倒す。
そう、その名は――
( ´_ゝ`)「モララー」
( ・∀・)「アニジャ!」
-
アニジャがいた。
女の前で、立ちはだかるようにして立っていた。
無表情のよく似た顔が、同じ瞳が、真正面から睨み合っている。
女はアニジャにしか意識がいっていないようだった。
逃げるなら、今しかない。
('A`)「モララー様、こちらです!」
ドクオの声が聴こえた。生きていたのか。よかった。
ぼくはシイの手を掴み、彼女を連れてドクオの方へ逃げようとする。
しかしシイはアニジャの方を向いたまま、動こうとはしなかった。
(;・∀・)「シイちゃん、行こう!」
強引に、シイの手を引っ張る。
その時、アニジャが何かつぶやいた。
シイからの抵抗が、さらに強まる。
ぼくはそれを無視し、力づくでシイを引っ張っていった――。
.
-
―― 川 ゚ -゚) ――
川 ゚ -゚)「行ったか」
アニジャの瞳を真っ直ぐに睨みながら、クーは言う。
蹴り飛ばされた拳銃は闇の中に消え、どこへ落ちたか判然としない。
川 ゚ -゚)「同じことだ。お前を殺し、あいつらも殺す。順番が変わっただけのこと」
残った獲物は黒色迷彩を施したトレンチナイフが一本。
スペツナズナイフが一本。クーは迷わずトレンチナイフを構える。
先に飛び出したのは、クー。
足元に転がった懐中電灯を踏み潰し、暗闇の中を一直線にアニジャへ向かう。
位置は記憶している。腕も、脚も、首も、どこに何があるか正確に把握している。
首を狙い、ナイフを振る。空を切る。身をかがめて避けた気配を感じ取る。
頭が降りた位置に、膝を突き出す。少し遠い。そのまま前蹴りへと変化させる。
ヒット。いや、ガードされたか。
ガードされたポイント目掛け、刃を突き立て――ようとして、
足元に迫る脅威に勘付く。足払いか。やらせない。
-
前蹴りの格好のまま突き出た脚を基点に、
もう一方の脚をアニジャの肩へ乗せる。
登るようにして、その場で宙返る。
そのまま空中で、アニジャがいる場所にナイフを投擲する。
……硬い岩盤に弾かれた音が聞こえる。外したか。
左から、空気を裂く気配が迫る。回し蹴り。
身をよじってかわすか。むずかしい。ならば。
ダメージ覚悟で、回し蹴りに組み付く。
両足を、アニジャの脚に絡める。体重をかける。
体重を利用して、膝の骨を折ってやる。
しかしアニジャはこちらの意図を読んでいた。
こちらが力を込めるよりも早く、脚を抜かれる。
それを追いかけるようにして、クーは拳を地面に這わせる。
そして、つかむ。先ほど投擲したトレンチナイフを。
-
胴から胸を両断する格好で振り上げる。
スウェー。かわされた。ナイフを持たない左手で、掌底。
ヒット。今度は間違いない。アニジャの肺から、空気が吐き出されたのを感じた。
頭が下がった。今度こそ殺す。ナイフを突き上げる。
手首に衝撃。軌道が逸れる。再び空を切る。
手の中でナイフの向きを変える。振り下ろす。
刺さった。だが、頭ではない。左肩か。感触に違和感。
どうやらすでに、左腕は死に体。筋組織はずたずたに引き裂かれ、
骨までダメージがある様子。ビルから飛び降りた、あの時か。
正面から蹴り。すでに間近まで迫っている。
避けれない。つかめない。蹴られる。ナイフから手を放す。
衝撃に逆らわず、インパクトの瞬間に自分の身体を浮かせる。
流れに沿うことで、ダメージを分散させる。
-
川; - )「ぐっ」
壁に叩きつけられる。この衝撃は、捌けない。
背中から全身へ痛みが広がる。肺の中の空気を吐き出すその一瞬、
戦闘への集中が散逸する。
アニジャが消えていた。
気配は感じる。だが正確な位置は把握できない。
当然、向こうはこちらの位置を捉えている。不利な状況だった。
だが、それはイコール負けではない。
クーは足音を立てぬよう、摺り足でわずかに歩を歩める。
アニジャがここへ来た時、蹴り飛ばされた拳銃。
どこへ落ちたか、正確にはつかめていない。
だが、落下時の音からおおよそにはわかっている。
すぐ近くだ。
蹴り飛ばされたことで、近くまで来れた。
後はアニジャが攻撃を開始するまでに、見つける。
摺り足で、探る。
ここではない……。
ここではない……。
ここでは……。
ここ……。
見つけた。
-
同時、背後から飛びかかる気配に向かって引き金を引く。
銃火がアニジャを照らす。外した。銃を持つ腕が、
アニジャによって払われていた。交差するアニジャとクーの腕。
円の動きで払い返す。そしてそれは、アニジャの脚を照準に合わせると同義。撃つ。
膝蹴りに弾かれる。その間に、無防備な顎に向かい掌底。
アニジャの首がのけぞる。剥き出された首に銃口を設置。
撃つ。
外れた。回避行動と裏拳の弾きにより捌かれる。
アニジャのひねった身体がそのまま回転する。
上空から蹴りが落ちてくる。ガード。が、アニジャの両足がはさみとなり、
首をつかまれる。そのまま背中から床に叩きつけられる。
息を吐く。しかし集中は切らさない。
首をつかむ左脚に向かい、銃を撃つ。アニジャが脚を引く。
間に合わない。今度こそ命中。腿を貫通する。
しかし痛みを感じていないのか、アニジャは回転しながら立ち上がる。
クーも同じ動きで立ち上がる。が、わずかにアニジャが早い。
顔面めがけ、前蹴りが繰り出される。ガード。同時に撃つ。
腕を弾かれ外れる。弾いた腕に膝蹴りを放つ。
高速で落とす。右足の甲を踏み潰す。
左脚が蹴りを放とうとしている。身体を接近させ、打撃点をずらす。
同時に右手をつかみ、引き寄せる。銃口をアニジャの額に当てる。
勝った。
撃つ。
-
なぜだ。
弾丸は、空を切った。
アニジャの額を貫通しなかった。
右足を潰し、右手をつかみ、左脚は蹴りの体勢のまま宙に浮いている。
勝利は確実だった。ありえないことが起こった。
銃を持つ右手が、弾かれた。弾いたのは――
動かないはずの、左腕。
驚きによる、一瞬の躊躇い。
その隙が、勝負の明暗を分けた。
川; - )「ぐっ!」
右肩を外された。
川; - )「ぎっ!」
左の膝が折られた。
地面に倒される。
首に、足の先が乗せられた。
-
川;゚ -゚)「くっ」
左手でスペツナズナイフをつかみ、操作。
射出された刀身が、アニジャの顔面めがけ一直線に飛翔する。
右手に、つかまれた。アニジャのてのひらから、血の雫が滴る。
負けたのか、私は。
決定的だ。
アニジャがわずかに力を込めれば、この首は容易く折れる。
死ぬ。
――だというのに。
川 - )「……おい」
アニジャは、脚を、どかした。
川 - )「……待てよ」
アニジャが離れる。
川# - )「待てったら……」
何ごともなかったかのように、立ち去ろうとする。
川#゚ -゚)「待てったら!」
-
殺るか、殺られるかだろうが。
殺されないのなら、殺せよ。
殺してくれよ。
殺すことで、肯定してくれよ。
アニジャを恨んだ私を、肯定させてくれよ。
私のこれまでを肯定させてくれよ。
でなきゃ。
でなきゃ、私は――
.
-
最後の隠しダネ。
唯一自由に動く左手で、それを取り出す。
手榴弾。口に加え、ピンを引き抜く。暗闇に溶けたアニジャを睨む。
そして、破裂まで間もない手榴弾を――己の腹に、据えた。
もういい。
これが私の最後だ。
私に相応しい結末だ――
.
-
川; - )「なんで……」
なんで――
なんで――
( _ゝ )「……」
お前が、いるんだよ。
死なせて、くれないんだよ。
血が、降ってくる。私の顔に。当たり前だ。
傷を負ったこいつが、私の上に覆い被さっているのだから。
私を庇って、負傷したこいつが。
手榴弾は爆発した。しかし、私に怪我はない。
私から離れた場所で爆発したから。アニジャが放り投げたから。
アニジャが代わりに、爆発片を受けたから。
-
( _ゝ )「クー」
アニジャの声。
昔と同じ声。
あの頃と、同じ。
やめろ、聞きたくない。
何も聞きたくない。
だって、聞いてしまったら。
それこそ。
私は――
( ´_ゝ`)「オトジャを、ありがとう」
-
アニジャが、立ち上がる。
行ってしまう。
なんだよ。
なんなんだよ。
許せると思ってるのかよ。
許されると思ってるのかよ。
いまさら。
いまさら――
川 Д )「この、この――」
裏切りもの――――!
.
-
―― ( ・∀・) ――
星が出ていた。雲はなく、雨も止んでいる。
こんな時だというのにぼくは、この広大な空に目を奪われていた。
ゴラクの故郷にはない、自然のままの星々に――。
アニジャの助けによりあの女から逃げ出せたぼくたちは、
ドクオに付いて洞穴から抜けだした。
国軍はいなかった。
河川と直結した出口は狭く、侵入に不向きだと判断したのかもしれないし、
ただ単純にアジトとつながっていると気づかなかったのかもしれない。
戦闘は続いていた。
激しい銃撃音が、大地を揺るがす轟音が、絶えることなく響き渡っている。
あの音のひとつひとつが、人の命を奪っている。
フィクションではない。現実として。
-
ドクオの案内の下、ぼくたちはあの音から遠ざかる方向へ走っていった。
周りには簡素なあばら屋が、無造作に建っていた。
ホテル付近の市街地とは雰囲気が違う。
かといって、廃墟ほど荒れ果てているわけでもない。
はたと気づく。もしかしたらここは、南部なのではないか。
そして先程までいたアジトとは、ウラン鉱山として使われていた
施設のひとつなのではと、思い至る。
それにしてもこの辺りには、人の気配がまるでない。
みな、避難したのだろうか。それでなければ――。
('A`)「この家をお借りしましょう」
そういってドクオは、あばら家のひとつに入っていった。
苔むした、人が住んでいないことは明らかな家屋だった。
それでも少々居心地の悪いものを感じながら、シイの手を引いてドクオの後へ続いた。
屋内も、外観通りの崩落具合だった。
埃っぽく、すべてが朽ちかけている。
それでもぼくは腰を下ろせる場所を見つけて、そこに落ち着く。
ようやく一息つけた。そんな感じだった。
そして、見た。あばら屋の天井。
虫喰い状態でほとんど屋根としての機能を失ったそこに広がる、
広大で、悠久の星空を。
-
――しばらく眺めていて、ふと気づいた。
ぼくのすぐ隣に座っているシイも、顔を上げて空を見ていた。
彼女の瞳に、空の星々が映り込んでいた。
アニジャは、大丈夫だろうか。
彼のことだからまず問題はないと思うが、相手も相手だ。
表情ひとつ変えずに人を殺せる人種。同じ目をした、二人。
彼のしていることが正しいことなのかどうか、ぼくには判断できなかった。
ここはゴラクじゃない。ゴラクの価値観、ぼくの価値観は通用しない。
人一人が持つ命の価値が違う。人の死が当たり前の世界。
それは、認めざるをえない事実だ。
大義のため、国のため、同胞のため、平気で命を投げ出す人たち。殺し合う人たち。
他に方法はないのだろうか。
そう思ってしまうぼくのこの思考が、
ゴラク人らしい所謂平和ボケというものなのだろうか。
答えなんてわかりようがないけれども。
ただ、いまは。アニジャに生きていて欲しいと、そう願うばかりだった。
でなければこの子が。シイが、不憫な気がして。
ドクオが隣の部屋からもどってきた。
止血を終え、簡易的に治療も済ませたらしい。
-
( ・∀・)「あの、大丈夫ですか、その、右手……」
先の戦闘で、ドクオは右手を負傷していた。
いや、その言い方は正確ではないかもしれない。
ドクオは右手首から先を、失っていた。
相当量な血が流れたのだろう。
浅黒かった肌からは血色が失せ、死人のように青白く変色していた。
それでもこの男は痛がる素振りも見せず、紳士然としたその態度を崩さずにいる。
('A`)「モララー様はゴラク人なだけでなく、お優しい方でもあるのですね」
ドクオが青白く変色したその腕――手首がある方の腕を、差し出してきた。
握手?
('A`)「だから、私も心苦しい」
伸ばした袖から、何かが飛び出した。
飛び出したそれを、ドクオがしっかとつかんだ。
それは、ぼくを向いていた。
( ・∀・)「……え?」
拳銃を、向けられていた。
-
('A`)「申し訳ございませんが、モララー様にはここで亡くなって頂きます」
ドクオの親指が、ゆっくりと撃鉄を起こす。
冗談で済まされる雰囲気ではない。本気だ。
本気で彼は、ぼくを撃とうとしている。
(;・∀・)「な、なんで……」
('A`)「……ナイトウから命じられたのはモララー様の抹殺。それだけでございます。
ですからこれから私が話すことは私の独断。誠意でございます」
(;・∀・)「誠意……?」
('A`)「モララー様はテンゴクという国をご存知でしょうか。
我が国と国境を接しており、ロビイとも隣り合っている国。
丁度我が国ソウサクと、ロビイに挟まれる形で存在している国家でございます。
テンゴクはオオカミの衛星国ではあるのですが、目ぼしい資源もなく、
産業も経済も停滞しているため、事実上オオカミからは
見放されている国のうちのひとつでございます。
そのためオオカミの庇護を期待することができず、
さらには独自の軍事力にも乏しいため、
ロビイの帝国主義化に強い危機感を抱いております。
それ故彼らは、ロビイの侵略を危惧する他国との同盟を考えた。
すなわち、我が国ソウサクとの同盟を」
-
どうにかこの状況を打破できないかと、話し続けるドクオの隙を伺う。
しかし、隙など微塵も見いだせない。ぴったりと合わされた照準は、
ぶれることなくモララーを狙っている。
('A`)「テンゴクは資源に乏しい弱小国家です。通常であれば、
同盟してもメリットよりデメリットの方が大きい。しかしある理由により、
この同盟計画は締結する方向で進行することとなりました。
先の核拡散防止条約により、オオカミで核開発事業に従事していた科学者の多くが、
その職を失いました。彼らは自分たちが培った
ノウハウを活かせる地を求め、東側諸国へ散らばりました。
テンゴクにも、そういった理由で亡命した科学者がいるのです。
政府は――いえ、オトジャは、この科学者たちの協力を条件に、
テンゴクとの同盟を結ぼうとしています。
つまり――オトジャはロビイへの牽制手段として、核を所持するつもりなのです。
そしてそのために、シベリア人を虐殺している」
核のために、虐殺?
とんでもない言葉が飛び出してきた。
しかし、どういった理屈で。
その疑問に答えるように、ドクオが話を続ける。
-
('A`)「ソウサクが科学者の協力を条件としたように、
テンゴクもある条件を提示しました。ロビイと同じく、シタラバ派に属するシベリア人。
この者たちについて、”何らかの”対処をして欲しいと。
世間では、シベリア人のテロに反発してシベリア狩りが
行われるようになったと思われています。これはプロパガンダです。
実態は、虐殺が先にあった。それもあくまで、民間による暴走という形を装って。
その防衛のために、シベリア人たちは団結したのです。
そして、同盟に反対するソウサク人たちも」
ソウサク解放戦線のメンバーは、
シベリア人よりもむしろソウサク人の方が多い。
アジトでも聞いた話だった。
('A`)「周辺諸国に比べれば発展しつつあるとはいえ、
ソウサクも所詮は中東の小国です。
国際社会に睨まれれば、存続させることもままならない。
経済制裁など受ければ、数週間と持たずに
飢餓と貧困がこの国に蔓延するでしょう。
そして、国際社会は新たに核を持とうとする国家を決して許さない。
そのような状況下で核を持つことに、なんの意味があるでしょう。
いまの我々に必要なものは核などではなく、
国際社会、特に西欧諸国からの協力と支援です。
しかし我々は現在、遺憾ながらただのテロリストとして認知されている。
このまま政権を打倒しても、国際社会の理解を
得られるとは言いがたい状況でしょう。
故に我々は、我々の正当性を証明し、現政権の腐敗を知らしめなければならない。
そしてそのための足がかりとして、モララー様、あなたには亡くなって頂かなければならない」
-
( ・∀・)「……どういう、ことですか」
ドクオを睨む。精一杯の虚勢を張る。
('A`)「あなたを殺すのは私ではございません。あなたを殺すのは国軍です。
ゴラク人でありながらソウサク解放戦線の理念に共鳴し、
”アジトへも出入りしていた”モララー様。
その存在を疎ましく思った国が、アジトごとあなたの存在を抹消しようとした。
これがナイトウの描いたシナリオです」
邪魔が入ったため、当初の予定通りにはいきませんでしたが。
ドクオはそう付け加えた。そういうことか。あの女が乱入したせいで
有耶無耶になったが、あの不自然な位置での停止。
あの時に、始末するつもりだったんだ。
('A`)「あなたの死は、あなたが思う以上の反響を国際社会に投げかけるでしょう。
高科が行方不明になった、十年前のあの時のように。
ナイトウは国の外に向かって、大々的に宣伝するはずです。
そのためにソウサク外交省外交部広報委員長という地位を築き、
各国の要人やマスコミとパイプをつないだのですから。
……動かないでください、照準がずれてしまう。
私はモララー様のことを好意的に思っております。
せめて痛みを与えずに事を済ませたい」
-
動こうと思ったその瞬間には、気配を読み取られていた。
無理だ。経験から何から、すべてが違いすぎる。
逃げられっこない。
それに、ぼくはドクオの話を聞いて、思ってしまったのだ。
ぼくにしかできないこと。その答えが、ここにあるのではないかと。
ソウサク解放戦線の行っていることが、正しいと思ったわけではない。
かといって、オトジャの行いを肯定することもできない。
そうであるならば。ソウサク解放戦線がクーデターを成すことで、
この国が好転する可能性もあるのではないか。
ぼくの命がその一助となるなら、それはそう、悪い話でもないのではないか。
命の価値。ナイトウはいっていた。
本当はシャキンさんのつもりだったと。
けれどシャキンさんはこの国を出た。
いま、この役目を果たせる命の価値を持つのは、この国できっと、ぼく、だけだ。
あとはこの、恐怖心さえ受け入れることができれば――。
いや、違う。そうではない。
ぼくはここで死ぬかもしれない。
けれど、彼女は違う。シイ。
-
( ・∀・)「わかったよ、観念する。でもその代わり、頼みがある。
シイちゃんを、アニジャに会わせてやってほしい」
本当は観念なんてしていないし、死ぬ覚悟だってできていない。
しかし、せめてこの程度はしなければ格好がつかないのだ。
だって、頼まれたから。未来を、頼むと。
だからシイには生き延びてもらわなければならない。
ハインの死を、無駄にしないためにも。
しかし、ドクオの返答は、モララーの期待を裏切るものだった。
('A`)「大変申し訳ございませんが、その願いを聞き入れることはできないのです。
真相を知る者は一人でも少ないほうが好ましいですから。
モララー様の次は、シイ様です。……ある意味では、
モララー様の願いを聞き届けることもできるかもしれませんが」
(;・∀・)「……どういうことだ」
('A`)「アニジャにもお二人の後を追って頂く。それだけの事でございます」
-
ドクオが銃を構え直した。
('A`)「お話は以上です。モララー様、あなた様の死は決して無駄には致しません」
アニジャにも後を追ってもらうだって?
('A`)「必ずやソウサクの未来に役立ててみせます」
ぼくの次はシイだって?
('A`)「ですからご安心の上、納得して、この国の為に――」
ダメだ。それじゃ納得出来ない。それじゃ意味がない。
この国の未来は、シイだ。
それを失ってしまうのなら、ぼくは、ぼくの死は――
('A`)「死んでください」
銃声が鳴った。
.
-
倒れていた。ドクオが。頭から血を流して。
銃で撃たれて。ぼくではない。シイでもない。
そいつは、入り口に立っていた。
川 - )「……」
あの女だ。あの女がいた。
アニジャと戦っているはずのあの女が。
アニジャはどうなったのか。負けてしまったのか。無事なのか。
しかし、そんなことを考えている余裕はなかった。
女はドクオを撃った銃をこちらに向けて、近づいてきたのである。
怪我をしているのか、片足を引きずりながらだが、間違いなくこちらを狙って近寄っていた。
そして、その銃口は、シイに向いていた。
-
(# ・∀・)「う、う、う……うぉぉおおおお!」
ぼくは女に襲いかかった。女は負傷している。
もしかしたら、ぼくでも取り押さえられるかもしれない。
せめて銃を取り上げることができれば。そう思って。
腹になにかが当たった。
わかったのは、それだけだった。
次の瞬間には、ぼくの身体はもう、壁に激突していた。
呼吸ができない。
のどの奥から、血の臭いが湧き上がってくる。
頭がくらくらして、視界が極端に狭い。
その狭い視界内でさえもすべてがぼやけて、
ものとものとの境界が曖昧になっている。
苦しい。
苦しい。
死ぬ。
苦しい。
一向に快復しない。
現実感を失っている。
その現実感を失った世界で、それでもなお、
女の存在感は強烈だった。女と、シイだけが、はっきりとしていた。
-
逃げて。
そう言おうとする。しかし声が出せない。
出るのは詰まってかすれた空気だけだ。女がシイに近づく。
シイは座ったまま、動かない。何を思っているのか、どんな顔をしているのか。
背中しか見えず、わからない。
その時、シイのそばに、銃が落ちているのが見えた。
ドクオが持っていた銃だ。あれだ。あれを使うしか方法はもうない。
教えないと。教えないと。懇親の力を振り絞り、声を出す。
(; ∀ )「し……ちゃ……じゅ……と……て……」
伝わっただろうか。届いただろうか。自信はない。
耳がイカレてしまったせいで、自分の声が
どれだけ出ているのかもわからないのだ。
頼む。
頼む。
伝わってくれ。
気づいてくれ。
-
シイが、動いた。
座ったままの姿勢で、手を伸ばした。
銃のある位置へ。銃の落ちた場所へ。
そうだ。それをつかむんだ。
それを使うんだ。ぼくは祈る。
シイの手が、銃に触れた。
そして、シイは――それを、自分から遠ざけた。
なぜ!
どうして!
シイが、その疑問に答えることはなかった。
彼女はじっと動かないまま、女を見上げていた。
女は、シイを見下ろしていた。
まるで、見つめ合っているかのようだった。
女の指が、動いた。
引き金が、引かれた。
銃火が、星夜を隠した――
.
-
―― ※ ――
オトジャ――
オトジャ――
オトジャ――!
「オトジャ!」
俺を呼ぶ声。
何度も何度も叫ぶ、その痛切な悲鳴に意識を呼び覚まされる。
どこだ、ここは。
俺は――そうだ、俺は、撃たれて。
脇腹に痛みが走った。
その痛みが、意識をより鮮明にさせた。
そして、ここが医務室だと気づく。ベッドに寝かされている。
ベッドで横になっている俺に、覆いかぶさるようにして
泣きじゃくっている者がいる。綺麗な、長い黒髪。
大きくなっても子供のように喜怒哀楽を表すその子の頭を、そっとなでる。
-
「大丈夫だ。心配させてすまなかったな、クー」
クーは大げさなくらいに頭をぶんぶんと振る。
その勢いに、溜まった涙が弾け飛ぶのも構わずに。
「謝るのは私の方だ、オトジャをまた危険な目に……。
それよりもアニジャだ! こんな時にアニジャは何をしてるんだ!」
泣いていたと思った顔が、一瞬にして怒りの表情に変じる。
真剣な怒りだ。冗談や軽い気持ちではない。
アニジャとクーの仲がぎくしゃくしていることには気づいていた。
気づいてはいたが、手出しはできなかった。公務が忙しかったこともあるが、
それ以上に、これが俺には手出しのできない問題だからだ。
原因は、クーにあると言っていいだろう。
彼女はいま、複雑化したエレクトラコンプレックスを患っている。
アニジャを取られるかもしれないという焦りや恐怖をうまく処理できず、
本来怒りを向けるべき相手以外――すなわちアニジャ当人にまで、その矛先を向けている。
これは、彼女自身が消化しなければならない問題だろう。
男友達を作るか、恋をするか――何にせよ、もっと外へ意識を向けるべきなのだ。
内向きに育てすぎた、俺とアニジャの責任も大きいのだろうが……。
-
医師の話によると、脇腹の傷は大したことはないらしい。
意識を失ったのは銃弾を避けようとして、後頭部を強打してしまったためだと。
念のため今日一日様子を見て、問題がなければ明日にも復帰できるらしい。
不幸中の幸いというものだった。
やらなければならない仕事は山ほどある。
国内を安定させるためには、無駄にできる時間などない。
革命を成功させればすぐにも生活が一変すると
考えていた者たちは現状に不満を持ち、よからぬことを企んでいるとも聞く。
実際に、こうして、俺も――。
「大統領、少しお話が」
狐顔の男が医務室に入ってきた。
細い目の奥でぎらぎらとしたものを抱える、危険な男だ。
主に裏の仕事を任せている。こいつが話があるということは、
つまりは”その手”の話だろう。
医師とクーに、部屋から退出するよう促す。
クーはぐずって出るのを嫌がったが、困らせないでくれと頼むと、
悲しそうに肩を落としながら出て行ってくれた。
-
「これを。部下が見つけました」
部屋に誰もいなくなったのを十分に確認した後、男が紙束を寄越してきた。
目を通す。そこに書いてあった文章は、脇腹の傷をうずかせるに足るものだった。
「政権を揺るがしかねない文書。書いたのは、あの女です」
確かにこれは、あの女の文章だった。
力強く、読む者の心を鼓舞するような文章。
革命の折、多くの戦士たちを勇気づけたあの文章。
だが、しかし。なぜ、あの女が、これを。
あの女はいま、アニジャといるはずなのに――。
「大統領。一連の暗殺未遂事件、首謀者はアニジャだという噂です」
心臓が止まった――気がした。
男が何か話しているが、まるで聞こえない。
音も、光も、何もかもが遠い。
「下がれ……」
「は?」
「下がれと言っている!」
-
自分でも抑えることができずに、俺は叫んでいた。
男があとほんのわずかでも居座っていたら、俺は怪我も痛みも厭わず、
掴みかかっていただろう。だが、男は素直に命令を聞く人種だった。
「了解しましたお、大統領。くれぐれもご用心を」
幽鬼のような細長い身体を揺らしながら、男が出て行く。
後には一人、俺だけが残される。
アニジャが裏切った。
バカな。そんなこと、あるはずがない。
アニジャは俺とともに革命を成功させた立役者だ。
裏切るだなんて、考えられない。考えたこともない。
――うそだ。疑念はあったはずだ。
ずっと――そう、ずっと、昔から。
一緒に暮らし始めた、あの時から。
いらないものは、捨てられる。
国一つ満足に統治できない俺を、あんたはどう見ている。
あんたの目から見た俺は、どう映っている。
あんたはすごいやつだ。何でもできて、強くて、無敵だ。
あんたの中の俺も、すごいやつだろうか。
有能な人物だろうか。
それとも――。
-
アニジャ。
最近、あんたの顔を見ていない気がする。
あんたはいま、どこにいるんだ。
どこで、何をしているんだ。
なぜ、姿を見せない。
なぜ。
なあ、アニジャ――
――俺たち、家族なんだよな?
.
-
―― (´<_` ) ――
待っていた。
待ち続けていた。
あの時以来。
こんな日が来ることを。
俺はずっと、待ち続けていた。
そんな、気がする。
(´<_` )「よう、アニジャ」
( ´_ゝ`)「……」
アニジャは応えない。
それにしても、何て格好だ。ぼろぼろじゃないか。
あんたのそんな姿、初めて見たぞ。クーにでもやられたのか。
知ってるか。あの子な、この十年、
あんたの代わりを務めようとしていたんだぜ。
あの落ち着きがなくて、そそっかしい、
いつまでも子供だと思っていた、あの子がさ。信じられないよな。
-
(´<_` )「立ち話も野暮ってもんだ。座れよ」
アニジャを座らせ俺は、棚の中から酒を選ぶ。
ワイン。ブランデー。ウィスキーに、バーボン。
この宮殿には、年代物の酒がいくつも貯蔵されていた。
チチジャの遺産だ。民を絞って集めた贅の証なのだろうが、いまだけは、あの男の悪行に感謝する。
ウォッカをつかむ。
(´<_` )「呑めよ」
瓶のまま、アニジャが口をつける。受け取る。
俺もまた、アニジャ同様直接口にする。
灼熱感が、胃に溜まる。
(´<_` )「やっぱり」
高級な酒瓶を、脇に置く。
(´<_` )「あの時のウォッカには、敵わないな」
人生で初めて口にした、あの安物のウォッカ。
泥のような味のしたあの酒が、いまは懐かしい。
-
(´<_` )「……皮肉だな」
チチジャはここで死んだ。
この宮殿で。俺たち”ソウサク解放戦線”の手によって。
凶悪な圧制者。地獄の独裁者。
ソウサク人民を虐げ横暴の限りを尽くす者にして――俺たちの、血の起源。
俺は期待していた。この宮殿へ乗り込み、チチジャの下へ辿り着くまでの間。
やつがどんなに強大で、邪悪で、偉大な存在なのか、期待していたんだ。
よく、覚えている。
そこにいたのは、小柄な、ただの中年だった。
背中は折れ、頭は禿げかけていた。
怯えた態度を隠そうともしないその姿には、偉大さなど微塵もなかった。
だが、それでも――。
(´<_` )「あの男も、命乞いはしなかった」
懐から拳銃を取り出す。マカロフPM。
オオカミにいた時代から携帯していた、
年季だけならアニジャよりも付き合いの長い、相棒。そいつを――。
(´<_` )「こいつは、あの女を撃った時に使った銃だ。アニジャ――」
アニジャの前に、置く。
(´<_` )「高科椎唯の復讐を果たせ」
-
今ならわかる。
あの男――チチジャは、チチジャなりに、
この国を存続させようとしていたのだと。
あの時代において、あれがチチジャにとっての最善だったのだと。
だが、チチジャには力がなかった。俺も同じだ。
力がないために、国を満たし、治めることができなかった。
国にとって、俺たちは有用な存在ではなかった。
だから、捨てられる。
アニジャ、あんたにとってもそうなんだろう。
だからあんたはここに来た。
俺を捨てるために。
俺たちの過去を捨て去るために。
もういい。
もういいんだ。
十年間。
長かった。
あんたの手で。
終わらせてくれ――。
アニジャが、マカロフを握った。
-
どさり、と、人が倒れる音が聴こえた。
アニジャの持ったマカロフが、正確に、
二人の男の脳天を撃ち貫いていた。
男たちの手元には、フルオート式のライフル――AK-47が転がっている。
血を流して倒れる二人の男の遺体。
その後ろから、倒れた二人と同じ装備を携行する男たちがぞろぞろと現れてきた。
男たちに躊躇う様子はない。
AKの銃口を、俺に――そして、アニジャにも向けていた。
トカゲの尻尾きり。そういうことか。あんたも難儀だな、アニジャ。
飛ぶようにして、柱の陰に身を隠す。
ほぼ同時に、一斉放火が始まった。
柱に隠した身体のそのすぐ傍を、銃弾がいくつも通過していく。
( ´_ゝ`)「オトジャ!」
アニジャの下から、マカロフが地面をスライドして返ってきた。
つかむ。アニジャが走りだした。援護のために、発砲。
アニジャのように正確な射撃はできないが、威嚇になれば十分だ。
AKをつかんだアニジャが、反撃に移る。
侵入者たちが次々と倒れていく。だが、アニジャも無傷では済まない。
撃たれている。一発、二発ではない。なぜ動けているのか、不思議なほどに撃たれている。
-
アニジャ、あんたはなぜ戦っている。
あんた一人なら、逃げられたはずだろう。
なぜだ。
(´<_`;)「……くそっ」
身を乗り出して、アニジャを援護する。
一人、二人、三人。当てていく。
だが、四人目を狙った、その時だった。
( <_ ;)「う、ぐっ!」
慌てて柱の陰に隠れる。右腕を抑えながら。
上腕の筋肉を撃ちぬかれた。痛み以外の感覚がない。
指先が震え、力を込めることができない。アニジャは戦っているというのに。
敵は弾幕を張りながら、後退していた。
退却するつもりなのか。アニジャ一人で、撃退してしまったのか。
いや、違う。何だこの音は。
それは、窓の外から聞こえてきた。
空気を裂くその音。それが、徐々に、徐々に近づいてきている。
浮上してきている。そして、大気を震わせる振動とともに、それが、姿を現した。
戦闘ヘリ。
-
機銃の掃射が、部屋中を蹂躙した。
目につくすべてのものが、チチジャの遺産が、砕け散っていく。
俺の築いてきた何もかもが、跡形もなく砕け散っていく。
その中で。
「ぉぉぉぉおおおおおお――」
唯一。
「おおおおおおおおおお――」
砕けないものが。
「おおおおおおおおおお――」
あった。
「おおおおおおおおおお――」
アニジャが。
「おおおおおおおおおお――」
あのアニジャが。
「おおおおおおおおおお――」
吠えていた。
「おおおおおおおおおお――」
あの。
「――おおおおおおおおおお!!」
アニジャが。
-
「行くぞ、オトジャ」
アニジャの声が、すぐ近くで聞こえた。
無茶言うなよ。いまさらどこへ行こうっていうんだ。
何も見えないし、ほとんど聞こえもしないんだ。
それに、俺の身体――半分くらい、失くなってるんだろ?
「オトジャ」
身体が浮いた。なんとなくわかった。
あれ、なんだこれ。動いてるのか。
ああ、そうか。おぶられてるのか、俺。
昔を思い出すよ。懐かしいな。あの雪と星の日。
あの時の俺は、何の力も持たない、ただのガキだった。
力もないくせに、人に認められたくて仕方のないガキだった。
結局のところ、俺はあの時からまったく成長していないんだろうな。
自分の器も知らずに周りを巻き込んで、最後はこのざまだ。
捨てられて当然の男さ。
だから、なあ、アニジャ。
何であんたは、見捨てない。
俺を、助けようとする。
-
「俺は、お前を騙していた」
何だよ、改まって。
「偶然じゃないんだ」
何のことだよ。
「お前と出会ったのは、偶然じゃないんだ」
……。
「あの辺りに兄弟がいると、知っていたんだ。
だから会いに行った。寂しくて。仲間が欲しくて」
……。
「お前の家に押しかけたのも、偶然じゃない。志願したんだ。
お前のことを知っていたから。それだけの理由で。誰でもよかったんだ」
……。
「この孤独感を埋めてくれるなら、誰でもいい。
たまたまお前のことを知っていたから、近づいた。それだけだ――
それだけだったんだ、初めは。……でも、いまはそうじゃない」
……。
「オトジャ、お前はすごいやつだ。俺の自慢の家族だよ」
.
-
……。
……。
……。
……ははっ。
「はははっ」
格好悪いな、あんた。
「そうだ、俺は格好悪いんだ」
マジックも下手だしな。
「上達したんだ。練習してな」
そういうところが格好悪いんだよ。
「そうか。そうかもな」
-
だから、しょうがないから。
認めてやるさ。
格好悪い者同士。
あんたが、家族だって。
「そうか」
そうだよ。
「家族か」
家族だ。
「ああ、そうだ」
俺達は。
「俺達は」
家族だ――。
.
-
―― ( ・∀・) ――
『お前は』
こぼれ落ちた。
『こんなものに頼るな』
拳銃が。
『こんなものに頼っても』
女の手から。
『失うばかりだって』
離れていった。
『クーは、そう思うよ……』
女は、消えていた。
-
(*゚ -゚)「……」
シイが立ち上がった。
そして、歩き出した。
このあばら家の、外へと。
(; ∀ )「待って……シイ、ちゃ……」
四足で這いずりながら、彼女を追う。
ドクオの死体を越えて、女の拳銃を越えて。
その時、気がついた。
シイのスケッチブックが放り出されていた。開かれたままの状態で。
そこには、アニジャが描いてあった。アニジャの似顔絵があった。
そしてその似顔絵には、何発もの弾痕が刻まれていた。
-
朝陽が昇りだしていた。
熱く、灼けた、真夏のような朝焼け。
シイを追って、ぼくは歩いた。
まだ頭は揺れているが。
歩けるほどには、回復していた。
シイは、どこだ。
視界の先で、ちらり、ちらりと見える彼女。
その姿が、突然、消えた。
なんだ。
歩を早める。
と、身体が、宙に浮いた。
と思ったら、落下していた。
急斜面を、転がり落ちる。
丸めた身体が、ごつごつ跳ねる。
――止まった。
顔を、上げた。
そして、ぼくは見た。
-
死体。
死体と、死体。
死体と、死体と、死体と、死体。
死体と、死体と、死体と、死体と――。
ソウサク人も、シベリア人も。
国軍も、テロリストも。
そこには、なかった。
ただ、死体だけが。
山のような死体だけが。
積み、重なっていた。
ぼくは――
.
-
(# ∀ )「うぁぁぁぁああああああああああああ!!」
叫んだ。
なんだよ。
なんだよこれ。
ふざけんな。
ふざけんなよ。
バカにすんなよ。
なんの意味があるんだよ。
こんなことに、何の意味があるっていうんだよ!
-
ぼくは、ぼくは――
カメラを、構えた。
こんなもの、撮りたくない。
こんなもの、知りたくない。
でも、知らなきゃいけない。
これは現実だって。
ぼくたちの世界で起こっていることなんだって。
ぼくたちの世界と地続きなんだって。
ぼくたちは、知らなきゃいけない。
だから、ぼくは。
撮る。
死体を。
死体と死体を。
死体と死体と死体を。
何枚も。
何枚も何枚も。
何枚も何枚も何枚も!
-
轟音が、響き渡った。
山岳から、鳴っていた。
そして、ぼくは見た。
宮殿が。
あの宮殿が。
跡形もなく、崩れ去っていくところを。
山を削る爆発が。
何もかもを、吹き飛ばすところを。
彼女も、見ていた。
シイも、見ていた。
何かが失われるその決定的な瞬間を、シイも見ていた。
彼女は泣いていた。
泣いて、嘆いて、悲しみ、苦しみ――そして、笑った。
-
『ありがとう』
-
―― ( _ゝ ) ――
そうか。
思い出した。
きみは――――――――
.
-
―― ( ・∀・) ――
『戦地の微笑み』が初の個展を開く。
この報はソウサク国内を越えて、世界各国へと広がった。
西側からも東側からも取材陣は殺到し、
ホテルが足りず公共施設を貸し出す程になったそうだ。
個展の開催を祝う開会式では、
ナイトウ・ホライゾン大統領自らが祝辞を述べ、
『戦地の微笑み』と堅い握手を交わした。
ソウサクの明るい未来を予感させるその絵は、
写真となり記事となり、再び世界各国へと広まっていく。
ぼくには、一枚も撮れなかった。
あの内戦から、四年の月日が経過していた。
このソウサクにて一年近く続いた内戦は、
新大統領、ナイトウ・ホライゾンの下で締結した。
ナイトウは国連に協力を求め、西欧諸国の助力もあり、
復興は当初の予定以上の速度で進んでいた。
そしてその復興の要となったのが、『戦地の微笑み』。
撮影者不明の写真に写った少女。
死体の山に囲まれ、涙を流しながらも、やさしげに微笑んだその少女。
その写真。その奇跡の一枚は、国際社会にセンセーションを巻き起こした。
-
彼女はだれなのか。何者なのか。みな、知りたがった。
そして彼女が絵を描いていることが知られると、
その絵は高値で取引されるようになった。
彼女が泣かずに住む世界を。
そのスローガンの下、個人や企業が、多額の援助金をソウサクに寄付した。
それらはすべて、この国の復興にあてがわれた。
彼女は平和のシンボルとなっていた。
そしてそのシンボルを高々と掲げ、
復興を先導するナイトウ・ホライゾン大統領。
差別の撤廃を主張している所も含め、その手腕を、
国際社会は高く評価していた。
彼によって、ソウサクは正しい方向へ進むだろうと。
そうなのかもしれない。
そう、彼が優秀な大統領だということは、間違いないのだろう。
けれど、と、ぼくは思ってしまう。それはきっと、彼だけの力ではないと。
元々この国にあった、この国に育っていた力が、
その土台となっているだろうということを。
ぼくは覚えている。
オトジャが、この国の教育に、学力の発展に力を入れていたことを。
-
いま、この国では、オトジャという単語はタブーとなっている。
すべての悪しき事象、内戦の原因から諸問題の何もかもを背負わされたまま、
オトジャという名は封印された。
世界大戦の原因を造り出したあの国が、
当時の政府を生け贄とすることで、自分たちの責任を回避したように。
それが善いことなのか悪いことなのか、ぼくには判断できない。
オトジャを悪と断じることで、この国に一応の平穏が
訪れているのは間違いのない事実なのだから。
だから、声高に叫ぶことはしない。
ただ自分の中で、消化できないものを抱える。それだけのことだ。
ぼくはゴラクへ帰国した後、すぐに退社願を出した。
入社して一年も経たずに辞めようとするぼくへの視線は冷たいものだったが、
ただシャキンさんだけが、悲しんで泣いてくれた。
一晩中付き合わされて、説教をされて、それで、
俺みたいにはなるなよと、言われた。
ぼくは果たして、シャキンさんのその言葉を守れているのかどうか。
自信はない。
-
ぼくはフリーのジャーナリストになった。
あの光景を、あの地獄のような光景を撮ることができない世界が来るように、
そういった各地の紛争を周っては写真に収め、世界中に晒していった。
これが、ぼくの戦い方だと信じて。
ぼくのやるべきことだと信じて。
だけど――。
結局のところ、ぼくは自分を信じきれていなかったんだと思う。
だから四年間、この国へ来なかった。
だから四年間、情報を遮断した。
だから四年間、彼女に会わなかった。
けれど、いま、ぼくはここにいる。
廃墟の世界。当時のままの、あのビルの前へ。
『戦地の微笑み』――シイのいる、アトリエへ。
.
-
(*゚ー゚)「お久しぶりですね、モララーさん」
四年という歳月は、やはり大きなものだった。
少女だった彼女の面影は薄れ、身体も大人になりつつあった。
きっともう、ハインよりも背は高いだろう。
( ・∀・)「きみに訊きたいことがあるんだ」
(*゚ー゚)「なんでしょう」
( ・∀・)「きみは……きみは、ぼくを恨んでるんじゃないのか。
ぼくの撮った写真のせいで、
この国のシンボルだなんだと祭り上げられてしまった。
それにぼくやきみを陥れようとした――なによりアニジャを殺した、
あのナイトウの言いなりにさせられてしまっている。
ぼくが、あんな写真を撮ってしまったばかりに……」
シイのことだけではない。
シイを始めとした国際社会の注目という防壁により、
ソウサクはロビイの侵略を防いでいた。
そのため不必要になったテンゴクとソウサクの同盟計画は立ち消えとなり、
テンゴクは独力でロビイに対抗しなければならなくなってしまった。
-
テンゴクは、自国を守り切ることができなかった。
国名こそテンゴクのままであるものの、実態はロビイの属領であり、
AA教でもシタラバ派の信仰しか許されず、
他にも統治という名の不平等が横行しているらしい。
すべての原因があの写真にある。
そんなことが言えるほど、ぼくは傲岸じゃない。
けれど責任がまったくないと言えるほど、厚顔になることもできなかった。
ぼくの写真が、不幸な人を生み出した。
それは疑いようのない事実だった。
かつて、シャキンさんがそうであったように。
(*゚ー゚)「アニジャがね、言っていたんです。最後に会った時に。『生きろ』って」
シイは、昔を懐かしむように目を細めていた。
頬についた絵具が、やわらかに形を曲げる。
-
(*゚ー゚)「モララーさんは勘違いしています。
私、言いなりになんてなっていません。
私は生きています。私は私を生きています。
私は絵を描くことしか能のない女です。
でも、それでいいって思ってます。
私にとって、生きることは描くことですから。
だから、ナイトウは私を利用しているかもしれないけれど、
私だってナイトウを利用しているんです。
私はずるい人間です。私が描くことで、
苦しんだり、辛い思いをする人がいると、
知っています。知っていて、描くんです。
誰か一人でも、私の絵で幸せになれたのなら、
それだけで私は私を許せてしまう。そんなずるい人間が、私なんです。
私はいつか殺されてしまうかもしれません。
描くことで、誰かの恨みを買って。それでも私は描き続けます。
だって、私は生きているから。生きることは、描くことですから」
当たり前のように、彼女はそう言った。嘘や偽りはない。
そんなものが介在する余地のない、純真な本心の表れ。
そう、ぼくには感じられた。
-
(*゚ー゚)「モララーさん、これを」
シイが、紙束を手渡してきた。
何かが書かれた紙。プリントアウトされたものではない。
すべて手書きの、年季の入った原稿の束。これは?
(*゚ー゚)「高科椎唯という人が書いたものだそうです。
アニジャが保管していました」
( ・∀・)「アニジャが?」
(*゚ー゚)「はい。でも、私は文字が読めません。
ですからモララーさんに持っていて欲しいんです」
( ・∀・)「でもこれは、アニジャの形見……」
(*゚ー゚)「モララーさんが持っていてくれたほうが、
アニジャも喜ぶと思うんです」
原稿を受け取る。高科椎唯が書いた原稿。
”高科レポート”の原本。ぼくは、シャキンさんにあれだけ言われたにも関わらず、
まだ”高科レポート”を読んだことがなかった。
怖かったのだ。明確にこうだと理由を述べることは難しいけれど、
強いていうなら、引きずり込まれそうな気がしたから。
多くの人の人生を書き換えたこの本に、ぼく自身も、
書き換えられてしまうのではないかと。
けれどいま、その”高科レポート”の原本が、ぼくの目の前にある。
……ハインなら、これも『神の思し召し』と言っただろうか。
偶然じゃない。あるべき時に、あるべきものが来たのだと。
-
( ・∀・)「……やっぱり、もらえない。これは君が持っているべきだ」
(*゚ー゚)「でも……」
( ・∀・)「その代わり、ここで読ませてもらってもいいかな。
少し時間かかると思うけど」
(*゚ー゚)「……喜んで!」
絵具の香りが漂うアトリエで、ぼくは原稿をめくる。
なれないソウサクの言語で書かれたそれは読むのに難儀したけれども、
平易な文章で書かれていたおかげで詰まることはなかった。
そして、ぼくは惹きこまれていった。
彼女の文章、彼女の価値観、彼女の世界へと。
彼女は政権の批判者ではなかった。
テロリズムの煽動者などでもない。ここに書かれているのは、
絶対的で、愚直なまでの生の肯定。危ういほどの、生そのものへの愛情だった。
確かにこれは、為政者にとって危険極まる代物かもしれない。
否定と規制からなる統治を、根本から揺るがす力を秘めている。
また、これを読んだ者が自己を肥大化し、
集団となって暴走するであろうことも容易に想像できた。
この書には、力があった。
それは恐ろしいことなのかもしれない。
現にこの”高科レポート”によって幾多の騒乱が起こり、
その騒乱に倍する以上の人命が失われたのだから。
-
書くとは危険なことだ。
伝えるとは危ういことだ。
表現するとは恐ろしいことだ。
一度放出した意志はすでに己を離れ、
それを受けた者と同一化し化学反応を起こす。
その結果、何が起こるか。
それを予測することはきっと、限りなく不可能に近い。
それを回避したいのならば、誰にも頼らず、誰とも関わらず、
身を隠して、一人で、孤独に、何も話さず、何も発せず、
毎日を消化する以外に方法はないのだろう。
それもきっと、認められて然るべきひとつの方法なのだと思う。
けれど、それは生きていると言えるのだろうか。
死んでいない、それだけではないのだろうか。
恐ろしくとも、危うくとも、それでもぼくは――
俺は俺を生きているだろうか。
私は私を生きているだろうか。
ぼくはぼくを生きているだろうか。
あなたはあなたを――生きていますか。
-
――アニジャ。あなたは律儀な人だ。
お礼の約束、ちゃんと守ってくれたんですね。
ぼくの方こそ、助けてもらってばかりだったのに。
何かを返したい。そう、思った。
シイは絵を描いていた。
淡い色をした木、花の下を、男女が寄り添って歩いている。
この国の情景じゃない。どこか浮世離れした、その光景。
( ・∀・)「シイちゃん、その絵は?」
ぼくがそう尋ねると、シイはなぜか恥ずかしそうにうつむいてしまった。
-
(*゚ー゚)「……私、お父さんのために絵を描き始めたんです。
疲れて、元気のないお父さん。どうしたら元気になってもらえるか考えて、
思いついたのが、似顔絵でした。
とっても拙い絵だったと思います。でも、お父さんはそれを見て、
すごく喜んでくれました。それがうれしかった。不思議です。
お父さんを喜ばそうと思って描いたのに、うれしくなったのは私だった。
それから私は、いろんな絵を描きました。お父さんが喜ぶんじゃないかと思って。
お父さんがいなくなってからも、描き続けました。
アニジャにも、同じことをしようと思ったんです。
私を助けてくれたアニジャに、お返しがしたい。アニジャの喜ぶ絵が描きたいって。
でも、何を描けば喜ぶのか、私にはわからなかったんです。
だから私は、アニジャ自身に描いてもらおうとしました。
今から思えばおかしな話なんですけどね。でもあの時は真剣に、
それでアニジャの好きなものを、教えてもらうつもりでいたんです。
アニジャは、描けませんでした。でも、教えてくれました。
アニジャの大切なもの。大切な人。大切な、約束――。
これは、アニジャのための絵なんです。私が救われるための、アニジャの絵」
シイは恥ずかしそうにしていた。
けれど、晴れやかだった。
彼女が未来だ。そう言っていたハインの言葉を、いま、本当の意味で理解した気がした。
だったら、そう、ぼくのやることは、ひとつだ。
-
( ・∀・)「シイちゃん、写真を撮ってもいいかな」
(*゚ー゚)「この絵のですか?」
( ・∀・)「この絵と……きみが、一緒に写ったものを」
(*゚ー゚)「……構いませんよ」
はにかみながら、シイはうなずいた。
彼女と絵とが一緒に写るよう移動してもらい、そしてぼくは、カメラを構える。
( ・∀・)「ねえ、聞いてもいいかな」
(*゚ー゚)「なんですか?」
( ・∀・)「この絵のタイトル。何ていうのかな」
(*゚ー゚)「タイトル、タイトルですか……まだ、決めてないんです」
( ・∀・)「この場で決められる?」
(*゚ー゚)「そうですね、それじゃあ……あの――」
( ・∀・)「あの?」
あの――
.
-
あの――遠い日の春風
―― 完 ――
-
以上です。
間に合わないかとも思いましたが、>>143さんのおかげで書き切ることができました
ほんとにほんとに、ありがとうございました!
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>>273だけ、次レスにて訂正
-
『ありがとう』
.
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よかったわ
しかしナイトウ一人勝ちか
-
あー、ほんと良かった。
お疲れ様です。
戦闘描写も良いけど、何よりも複雑な人間関係と感情がこう、絡んでいるというか。
いや良かったです。
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【連絡事項】
主催より業務連絡です。
只今をもって、こちらの作品の投下を締め切ります。
このレス以降に続きを書いた場合
◆投票開始前の場合:遅刻作品扱い(全票が半分)
◆投票期間中の場合:失格(全票が0点)
となるのでご注意ください。
(投票期間後に続きを投下するのは、問題ありません)
詳細は、こちら
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/21864/1456585367/404-405
-
どの出来事一つを取っても頭を殴られるような衝撃的な事だったろうに
逃げたいと思いながらも向き合おうとするモララーの姿が凄く良い
ただの正義感でなく過去の後悔が背中を押した所に共感した
アニジャオトジャクーの関係や国の情勢や何もかもの密度が高くて読み応えあった
面白かったや乙乙
-
>>1です
>>131に誤字を発見したので訂正します
誤
从 ゚∀从「……冗談だよ。人体の一部を買って喜ぶ変態なんて知り合いにいないし、
もしいたとしてもあたしたちソウサク人のガキと何て取引してくれっこない。
ただの、脅しなんだ。
正
从 ゚∀从「……冗談だよ。人体の一部を買って喜ぶ変態なんて知り合いにいないし、
もしいたとしてもあたしたちシベリア人のガキと何て取引してくれっこない。
ただの、脅しなんだ。
ソウサク人→シベリア人への訂正です
今更ですが、失礼しました
-
乙
題がここで生きてくるのか、すごいな……
-
うおおおおおお!
タイトル回収凄すぎだろ!
めちゃくちゃ面白いし熱い
色んなことを考えられずにはいられねえ…
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