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アタランテ「クリミア戦争」
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さてマスター、今日3月28日はクリミア戦争が開戦した日だ。1854年の今日、フランス・イギリスがロシアに対して宣戦布告、ロシアの南下政策に対抗していたオスマントルコと英仏の連合軍による戦いが始まった。当時既に弱体化していたオスマントルコに対し、ロシアが当時オスマントルコを宗主国としていたモルタヴィア、ワラキアに侵攻し、オスマントルコ軍と衝突した。英仏からすればもしオスマントルコが破れることがあれば、南下政策を進めるロシアが黒海から地中海方面に進出する可能性が高く、それが成立した場合アジア方面への進出を目論む英仏にとっては大きな障害となる。それを阻止するべく両国がオスマントルコ支援のために参戦、更にサルディーニャ王国も連合軍に加入することとなった。更に戦争終盤、それまで中立を保っていたオーストリアがロシアとの国境線に軍を集め、いよいよロシアは孤立。1855年にセバストポリ要塞が陥落し、結果としては連合軍の勝利に終わった。とはいえ、敗北したロシアは無論のことながら勝利した連合軍も損害は著しく、その後の講和会議も実態としては戦勝国無き講和会議だとする声もある。さて、実はこのクリミア戦争、遠く離れた日本にも影響していた。1853年3月、日本にペリーが来航したが、その後ロシアもアメリカに対抗するようにプチャーチンを派遣、長崎に入港した。しかし、クリミア戦争の勃発により急遽プチャーチンは帰国。これによって日露和親条約の締結は遅れる事となった。もしクリミア戦争が無ければ、日本の歴史も変わっていたのかもしれないな。まったく、何がどう影響するのかわからないものだ。そんなクリミア戦争だが、実は意外なものも生み出している。例えば看護医療の発達などが有名だが、この辺は当の本人がこのカルデアにいるのだ。直接聞いた方がいいだろう。そしてもう一つがカーディガンだ。今でこそファッションアイテムとして知られているカーディガンだが、実はその発祥はクリミア戦争だと言われている。当時のイギリス軍司令カーディガン伯爵が考案したとされるこの服、元々は負傷兵でも簡単に重ね着が出来る防寒着として作られたそうだ。戦争は思わぬものを生み出すものだな。翻って汝、人類史の為の汝の戦いもまた、様々なものを生み出していると言えるだろう。かの婦長が切り拓いた近代看護医療が現代にも受け継がれているように、戦場で生まれたカーディガンが一般にも広く普及しているように、辛く厳しい戦いで生まれた汝とサーヴァントとの絆もまた、戦いが終わった後もきっと汝の糧となるはずだ。そして、それをより一層強めるために、汝が幸せな家庭を築くことが出来れば言う事はない。サーヴァントと人間に子供ができるかは分からないが、何がどう影響するのか分からない以上試してみる価値はあるだろう。ちゃんと黄金の林檎も用意してある。という訳で汝、子供は好きか?
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あったよ!アタランテ!
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クリミアといえばナイチンゲール
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ためになるなぁ
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クリミア戦争だけ視野に入ってナイチンゲールに誤変換してたけど最後でアタランテに帰ってこれた
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黒人は後回しにする婦長が見られるのか(興奮)
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アタランテスレを見る度にアタランテを感じる
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