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劉禅が凡愚という風潮
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無能扱いされてるけど自分は何もしないで完全に諸葛亮に任せる事が出来るのはある意味すごいと思った(小並感)
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北伐を国是としている国の皇帝としては無能,暗愚なのは間違い無い
ただ、三国末期から凄い数の暗愚が乱立するので、そいつらと比べると、自分の行動で国を滅ぼさなかったという部分は評価されてるって感じですかね
宦官重用し始めるのは不味いですよ!
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とんでもない無能でこいつのせいで蜀が滅びたみたいなイメージあったけど実際色々知ると宦官関連以外は割とまともな感じだと思いますね
穏やかな世の中だったら有能だったんじゃないかという評価もありますし
ただあの時代の君主としてはあまりにも戦う意欲がなさ過ぎた
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三國無双の劉禅すき
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諸葛亮中心に整備された蜀の立憲君主制みたいな体制の君主としては有能な部類ですね
だらしねぇなと度々董允に注意されてはいましたがちゃんと聞いてますし
逆にあまりにも若いうちから何もさせてもらえなかったことと親政し始めた頃にはもう詰み状態だったのが無能っぽく見える原因の一つかもしれません
実績的には淫夢三章並の薄さなので有能か無能かこれもうわかんねぇな
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これが暗愚なら日本の歴代天皇のほぼすべてが暗愚ということになる
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董允は後宮問題も指摘してるからなぁ
能臣が手綱取れてたというだけで評価あららになる人ではあったと思う
というよりフォロー体制組閣出来てたのがすごい
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もし本当に無能か性格が悪かったらあの時代しかも中国だと絶対どこかで頃されてたと思うので40年以上在位してしかもあの時代にふとんの上で寿命でタヒんでると考えたら見るべきところはある人物だったと思います
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成都陥落後開かれた魏の宴会で劉禅に「蜀が恋しくないのか?」と聞かれて「いや全然悲しくありません」と答えてとんでもない凡愚で無能扱いを決定付けたみたいなエピソードありますけど、あれ個人的にはわざと言った気がするんですよね
正直に恋しいとか悔しいとか言ったら自分や他の元蜀の人間の立場も危うくなる可能性ありますし
もしそれを考えてわざとお気楽君主を装ってたとしたら実は有能とまではいかずとも平凡くらいだった可能性はありますねぇ!
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横山三国志だと大戦犯みたいな書かれ方ですよね
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>>9
自分も、本当に言ってたとしたらこれだと思いますね
董允が正しかったと痛感したでしょうし、所謂グッドルーザーに徹したのかもしれません
始皇帝の統一業中、亡国の王や王子と無関係でもその地で反乱起きたら元王族を処罰したって逸話もありますし、反乱分子への釘刺しって面もあったかもしれませんが
酒色に耽っていたと言われてますけど、長寿だし天寿を全うしてるしでもうこれわかんねぇな
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未練見せたら疑われるから
ってことなんだろうが始皇帝に対する王翦の様に
多少欲を見せた方が為政者は安心するって場合もあるからな
まぁケースバイケースか
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当時の人物で劉禅を暗愚扱いしたのが呉の薛珝ですね
留意したいのは孫休の時代なので蜀は陳祗レベルの文官すらいない人材不足だったこと、人材不足で恩赦連発しないといけない状態だったこと、劉禅がアラフィフになって初めて政治に関わり始めた頃だったこと、薛珝が他人を罵倒しがちな人物であったことなどがあります
17歳で皇帝になってから政治にも軍事にも介入しないことが求められ続けアラフィフになって急に親政することが求められたと思ったらそれを求めてきた陳祗が早期に逝ってしまう
劉禅の周りには黄皓をはじめとする宦官連中、内政の中枢にいた諸葛瞻・董厥・樊建は自己保身に走る、姜維は成都を脱出すると斜陽の蜀で皇帝の座に居続けないといけないのはいやーきついっす
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劉禅「指導者時代の領地になんてろくな思い出ねーよ><」
司馬昭「わかるわかるwww」
みたいな場に合った軽い経営者トークで共感を得ただけかも知れない
まぁ当時宴席の場の空気なんてわかりようがないし
それで資質読めなんて無理だろ
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愚とまで言えるかどうかはわからんが凡には違いない
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「白い糸は染められるままに何色にも変ずる」
結局陳寿の評が劉禅を一番的確に表してるって答えになっちゃいますよね
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暴君とかに比べたら全然まともよね
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>>16
斉の桓公にそっくりよね。
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正直評価を下すには失伝しているパーツが多過ぎてね
まぁ当代の人物からの評価は現代に伝わってないデータも踏まえてのことだろうし
そこを参考にするしかない
陳寿が酷評していないことや姜維が再度担ぎ上げようとしてたことからするに
部下から憎まれるほどではなかったのだろうよ
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本当に凡愚なのは孫家のアレとアレでしょ。なお曹家も司馬家もアレまみれになる模様。
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孫皓よりマシなんじゃないです?
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0点ではあってもマイナスではない的な
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孫皓はもうなんというか、孫皓の代になった時には9回裏20点差つけられて最後の攻撃みたいな状況で
本人の失政もあったにせよとっくに呉の滅亡は確定してた時だから、まあ・・・
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孫皓は政権運営に携わった人々(孫皓擁立した人たち)の評判もボロクソなんですよね
孫皓が自らの意志を通すには彼らを切るしかない(史実)が
切ると政権が不安定になり(史実)
かといって放置すると好き勝手やられて皇帝の意見が通らない(史実)
劉禅みたいに部下任せはだめ、孫皓のようにやる気だしてもだめ
滅びる国なんていずれにせよそういうものなのかもしれません
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というか、パパが荊州の人間を引き連れて益州を乗っ取ったという経緯上、宦官を重用する流れになっていくのは仕方ないのでは?
北伐を国是としたのもバラバラの国をまとめる為の仮想敵作りでもあるでしょうし
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北伐を戦略の基本に据えたのは諸葛亮であって劉禅の意思は関係ないと思う
そもそも漢中取って劉邦を倣った訳だけども
劉邦は漢中なんぞ1年で抜け出してるわけで巴蜀に長逗留する事を前提としてないんだよね
諸葛亮の時にとっくに戦略は折れてるのだからそこは遺された者達は気の毒である
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>>18
⚠︎桓公にはまったく似ていません!⚠︎
功臣の訃報や辞世の句じみた言葉に涙したこととか李邈処刑のエピソードとかを見るに人間性は善良だったのかなと
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神輿であることに徹して臣下に国政の舵取りを任せ続けた結果、国を滅亡に導くような臣下が実権を握ってしまった
紹介されたレストランで出される料理を出されるままに食べていった果てに糞尿レストランに行きついてしまった我修院みたいです
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>>28
例えで草
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>>21
孫晧は粛清で評価が下がるけど、内紛の末の即位という背景があるし、
何より頭が切れる逸話をいくつかか残してるからな…。
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>>30
孫皓自身内紛のせいで雌伏の日々を過ごしましたが内紛の末の即位したのは孫亮や孫休ですね
個人として優秀な人物が皇帝として優秀かどうかは別なので少なくとも劉禅の蜀の皇帝としての資質はそれなりにはあったのではないかと
というか劉禅自身が多少有能だったとして諸葛亮・蔣琬・費禕・姜維・陳祗がいてどうにもならなかった蜀をどうにかできはしなかったように思います
事績が無さ過ぎて劉禅にどんな才能があったかはわかりませんがいわゆる無知の知という才能はあったんじゃないでしょうか
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阿斗があの時趙雲に助けられずに死んでて劉禅じゃなくて他の誰かが劉備の後を継いでたらどうなってたんだろうとよくifを考える
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自発的に動かないタイプだから国が長持ち出来たのではないんですかね
国力はない、徐州・荊州・益州出身と中の派閥は滅茶苦茶
そもそも益州の人間にとってvs魏なんてただの貰い事故なのでは
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劉禅か劉備と同じくらいのカリスマ性の持ち主だったら自分から動きまくっても割と周りが付いてきて成功するビジョン見えますけど、逆に無能で行動力あるタイプだったらもっと早く蜀が滅亡してたと思いますね…
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蜀漢自体が劉備の個人商店感はありますよね
曹操が蜀のトップでまとまったかと考えるとそれもそれでうーん
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劉備や諸葛亮がそんなに有能なら赤壁で勝った時点でもうちょい詰めなかったのか
だいたい髭が曹操殺らなかったのは創作にしてもあそこしか逆転のチャンスなくない?
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微妙
あれ小競り合いかそもそも無かったのではないかって言われてるからなぁ
理由は魏のだいじっこに誰一人犠牲が出てないので
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赤壁は、疫病流行ったから撤退しただけで、実質的な損害無かったと言われてますからね
三国時代は両軍睨み合って、兵糧切れか疫病流行で撤退しがち
そもそも荊州北部は落とせた(降伏)ので、曹操の勝ちなんですよね。赤壁で周瑜打ち破ってたら、一気に天下統一出来たかもしれないってだけで
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劉禅は凡愚で孫晧は劉禅以下の狂人
でも孫晧が狂ったのは孫権のせいなんだよね。ひどくない?
まあ中国史基準なら二人とも許されるレベルだから大丈夫だってへーきへーき
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暗愚という言葉では到底言い表せないレベルの狂人皇帝が割りとそこら中にいるって凄くない?
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海陵庶人先輩すき
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凡愚というより凡庸というか、ものすごく俗人って感じがしますね
少なくとも聖人君子とか英雄の類ではないけど暗愚というほどでもない
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五胡十六国時代「いいよ!こいよ!」
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仮に超有能だったとしてもこの状況を覆すのは無理じゃないですかね
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>>44
仮に蜀漢の兵卒から王に至るまで徹底的に有能だったとしてもそもそものマンパワーが足りなすぎる
蜀と魏の人口って4倍近く開いてませんでしたっけ
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長安取れたら反乱祭りで魏はボロボロになるかもしれない……
蜀漢が出来るのはそこまでで、後は内部崩壊を待つしか無いと思います。それより東を攻めるのは無理だぜ。
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桓温、劉裕、陳慶之
後世の名将たちも長安や洛陽を落としても維持はできませんでしたしね…
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関羽の北上は実際統治が揺らぐレベルで住民が怯えてたという
魏も曹丕が皇帝の禅譲受ける以前はまだまだ政権不安定であったこともあり
もし侵攻が開始されていたなら内乱誘発するに魏諷どころではなかったであろう事は想像に難くない
まあなんにせよ劉禅即位以前に遡る話なので
やはり本人の責任外の時点で試合は決まっていたと言わざるを得ないな…
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>>46
司馬懿が内部から崩せたわけで
たらればだけど劉備も関羽と曹操のとこ居続けて下剋上だぜの方が漢復興成し遂げられた
でも関羽はともかくそういうことしないから劉備がカリスマあったんだろうし
もう負けたからこその蜀まである
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劉禅、孫皓、曹奐がメインキャラの新真・三国無双
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司馬懿っておじいちゃんキャラで描かれがちですが曹操や劉備よりも遥かに若い年齢の人物ですからねえ
魏の内部が腐敗した時に中枢に近い場所にいたからなんとかできたわけで劉備関羽存命中だときついんじゃないっすかね
下剋上と身内の殺し合いが日常の五胡十六国時代は……ナオキです
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劉備が政治面で活躍できるのは思えないですね
最大限好意的に解釈しても1方面軍指揮官じゃないすか?そしたら中央から離れてますし、荊南も即降伏して赤壁起こらないだろうし、蜀漢建てるよりキツそうっすね
そもそも初代と2代目が早く亡くなったから魏国が混乱したのであって、司馬懿が実権握れたのは奇跡だと思います
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>>45
逆に明らかにリソースでは負けてるのに渡り合った諸葛亮すげええの為に蜀側を下に盛ってるって話も聞きますねこの辺は
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陳寿の言うとおり司馬懿が自衛の為に生きてたというのはそれはそうだろうな
主君が二代続けて夭折して自分があんな長命になり政局が混乱するとは予想出来る部分ではないからな
本来なら曹叡の代に忠臣のまま自分の寿命が尽きるだろうくらいの腹づもりだったろうよ
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公孫淵征伐の時点で司馬懿は既に60歳。そこからさらに10年後のクーデターまで生きられるかなんて本人にもわかりようが無いですからね。
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魏が一番危なかったのは諸葛亮と姜維の時どっちなんですかね
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袁紹とやり合ってる時が1番踏ん張りどころな気はする
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そうですね
官渡の戦い後も袁紹の勢力は盛んですし
一旦袁紹の南下を防げたけどきっとまた来るよなってところです
曹操にとっての幸運だったのは袁紹が再度の南下作戦を始める前に死んだこと
それに伴って後継者争いで袁家が分裂して争いを始めたことですね
敵の前で身内で争うのは片手を切り落として敵にさあ来いと言ってるようなもんだって一番言われてるから、それ…
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そこまで時代遡ったifなら劉備の後継者が劉禅じゃなく劉封だったらもっと攻撃的な勢力になってそうだな
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