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姜維という武将
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評価が難しい武将ですけど三国志後半の主役ではあると思う
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脅威だよね
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北伐して国を疲弊させたって言うけど蜀の建国の目的上北伐しなかったら何のための蜀なんだってなるから姜維は間違ってなかったと思うんすよね
守ってるだけじゃ結局呉みたいにジリジリやられていくらだけですし
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諸葛亮が亡き劉備の悲願を果たそうとするのと
劉備関係ない人が劉備の言葉利用して民をこき使うのとじゃ違う
とは言え阿保が止めなかったので結局姜維のせいじゃなく亡ぶべくして亡んだんじゃないすか
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>>2
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諸葛亮が劉備の遺志を継いで北伐したように姜維も諸葛亮の遺志を継いで北伐したんやなって…
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所属が末期蜀という絞りカスの絞りカスみたいな僻地の小国ということを考えると破格の性能だけどそれはそれとして負ける男
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しょういうことですね
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涼州の名門出身で異民族ともコネがあるんで馬超の後継的な立場でもあったみたいですね
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(北伐の)脅威っていうのはどのくらいあるかな?
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北伐が蜀の国是だとしても頻繁にやる必要はない
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でも北伐しないとしたら何をするんだって事にもなると思う
守りを堅めて魏と呉が戦ってる内に漁夫の利でも狙うのか
まあ北伐で国力が落ちてなかったら晋が攻めて来た時に耐えられた可能性は上がるけど
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蜀の目的は漢再興だったかもしれないが
天下三分ありきでまあ呉と協力前提の戦略なんで仲直りするしかなかった
まあそんなもん出来るなら諸葛亮がとっくにやってたか
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無双の姜維は三國志風の衣装出して欲しい荒れ格好良い
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天下三分って行っても魏が大きすぎて守勢に入ったらジリ貧過ぎるから無理押しでもやらないと後が無かったのかもしれませんねえ
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陳泰とか鄧艾レベルの名将じゃないと抑えられなかったところを見ると、相当ヤバいっすよ
ただ、立地的に補給と増援が厳しくて、諸葛亮と同じミスしてるのは辛いですね
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何度も遠征出来たのは前線の士気を保てていたから(兵士の士気が無ければ戦陣が成り立たない)でしょうが
もっと中央が援助していれば勝てた、みたいな惜敗を繰り返してたからですかねぇ
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狄道の戦いで勝った所まではよかったけど翌年の段谷の戦いでどうしよないくらいボコボコにされて兵力も有力な将兵失ってもうどうしようもなかったですね
その後はもう滅亡一直線ですし
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天下三分の計とは言っても当時の江南は未開のクソ田舎なんで、魏(西晋)と比べたら呉も蜀も悪く言えば田舎の軍閥でしょ
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>>16
そういう名将に対してほぼ一人で対抗してたのを見るともっと評価されても良いと思う
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呉と蜀でも大分国力に差はありますよ
呉は肥沃な大地を抑えているんで防衛に徹して隙を狙うだけの余裕がある
滅びたのは内部抗争でぼろぼろになってたからですしね
それでも晋には遠征反対の声が大勢だった
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人材豊富で土地も広大な魏に対して人材難かつ土地も狭くて有効活用出来る場所が少ない蜀で君主もあれな中で姜維はよく264年まで蜀を持たせたと思う
引きこもって守ってての滅亡じゃなくて、何度も北伐して漢室復興を目指しての滅亡だから個人的には評価してる
よく北伐しまくって国力を疲弊させるだけの無能扱いみたいな評価される事もあるけど、姜維いなかったら最悪もっと前に蜀内で降伏論出て滅亡してた可能性もあるし
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世代が変わることも考慮しなくてはならない
恐らく若い世代は何故魏と敵対してるか肌感覚でわかってない
そもそものトップが荊州閥という余所者だから
おまけにその荊州閥は新たに流入してくる事も無く、世代も刷新出来ていないのでジジイ世代が逝ったらブレーンとなる存在もいない
とっとと降伏するのが民の為だったんじゃないかと思う
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なんもかんも関羽が呉と揉めて荊州ロストの時点で詰んでるから仕方ない
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劉禅は姜維の事どう思ってたのか
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費禕が暗殺された後は軍事は姜維、内政は陳祗が事実上の後継者になりましたが、その時点でもう蜀はもう将棋で言う詰めろだったように思えますね
費禕ほどの強権を揮えなかった分、陳祗は劉禅親政や宦官といった劇薬を使ったりしてでも国内を纏めようとしてましたが6年ほどで死んでしまったのが痛かった
姜維は負けるし国内政治を背負って立てる人材もいないし陳祗の劇薬の副作用だけが残ってボロボロに…
軍事面では隴西方面に拠点作られたら詰みだったので、諸葛亮以来北伐を繰り返してたのは魏にそうさせないようにするためと言う理由もありました
それも内政担当者のバックアップあってのものだったのが陳祗の死で頓挫し、そこにできた北伐の空白期間で隴西方面を固められてあとはもうどうしようもありませんでしたね
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何らかの利益が無ければ彼を名将と評価する人がいるわけがなく
また、軍権を握り続けることはない
考えられる事は略奪である
当時はまだ略奪がナチュラルに行われる時代であり(呉は東方の島々から奴婢等を得た記録がある)
姜維も記録に書かれる様な領土拡張は不可能でも
魏領での物資の略奪を行っていた事は想像に難くない
まさに山賊の様相だが、物資を奪い兵士達の腹を満たせれば信望を得るに確実な行為だ
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実際市民は拉致ってた記録はありますね
不作に始まり、徐州虐殺や長板といい、この時代の民草キツ過ぎィ!
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>>28
後漢の頃は5000万を超えてた人口が三国時代は半分以下になってたらしいです
流民など統計に含まれていない人口もあったみたいですが、一説には三国合わせて1000万割ってたそうなのでやはりヤバい
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姜維って三国志で一番人によって評価割れますよね
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せめて魏延くんを殺さなければ…とは思うけど諸葛亮の死後だと生きてたら間違いなく軍内部がしっちゃかめっちゃか待ったなしだからなぁ。
このヤンチャ野郎を上手く使いこなしてた大徳はなんだかんだ流石やなって…。
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>>31
田舎出身ぽっと出の若手がベンチャー企業に入社
社長の一声で要職に大抜擢
その後も出世街道を着々と歩んで
最終的には軍事の最高責任者
善かれ悪かれ衝突は避けられませんな
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>>28
人さらいなんて戦国時代の我が国でも普通にやってたらしいですから仕方ないね♂
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軍事能力に関しては魏を相手に戦ってたのを見ると凄いのは疑いが無いし周りに恵まなかった感はある
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姜維って個人の武を凄かったんですかね?
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姜維はどのくらいあるのかな?
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>>29
戸籍人口だけ見ると黄巾の乱の直前の5600万人から770万人と減りすぎィなんですが、本籍地から移動した人が多数いたんだろうと言われてます。
それを踏まえても人口が5600万まで回復するのに900年かかっててやはりヤバい
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>>13
これを理解してたのが呉で魯粛ぐらいしか居なかったのがキツいっすね。
魏を10000としたら呉が3000で蜀は1000ぐらいしか国力ないのに。
横山三国志だと周瑜に君は外交官の才能はないなって言われるけど魯粛くんはキレていいと思います。
まぁ魯粛の死後荊州の守りとかいう大任をまかされといて孫権見下してて関係悪化させた関羽が大戦犯ですけどね!
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>>35
個人の武力というより、名声と人望、作戦立案と実行能力の高さに引き際の潔さって感じですね
格上相手に利益確保したら撤退するって、当たり前なんですけど当事者としては難しいと思うので。逆にそこが蜀の国力と人材の限界だったのかもしれませんが
ただ、致命的なやらかし(合流遅延による大敗)で国が滅ぶ決定的なきっかけを作ってもいるので、評価は別れますね
費禕が暗殺されなければなぁ
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>>38
諸葛亮の隆中策って最終的には呉も併呑する計画なんですよね
魯粛も別に統一せんでも独立して国興せばエエヤンって感じだったので根本的な所で一致できない
魯粛含めた呉陣営の方針としては地形的に荊州抑えとかないとケツマンおっぴろげ状態になるので関羽がやらかさなくても奪いに来てたと思いますね
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寝る前に毎日「あー郭淮アイツ死なねーかなぁ」って考えてそう。
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>>41
「あー郭淮アイツ死なねーかなぁ」
「あー陳泰アイツ死なねーかなぁ」
「あー鄧艾アイツ死なねーかなぁ」
「あー魏滅びねーかなぁ」
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>>39
その合流遅延もどういうものか具体的にはコレガワカラナイ
合流地点は敵国魏の拠点だし姜維の軍は秦嶺山脈とかいうすっげえ山奥移動中だし連携相手は姜維の軍から数百キロ離れた漢中にいるしその軍も本来漢中防衛用の軍だし鄧艾に作戦筒抜けの割に連携相手の名前は一切魏側の記述に出てこないしそもそもいつどういう目的で合流する予定だったのかの記述が一切ないし合流遅延した相手は処分されてない
陳寿が姜維に忖度した記述の可能性も微レ存
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>>37
晋武帝(司馬炎)期に1600万人いたんだから
実際の人口は1000万は流石に割ってないと思う
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>>26
一番チャンスがあったのが
東で�瞳丘倹文欽の乱があって
手薄なときに�之西で王経を凹ったタイミングだと思うけどね
陳泰が耐え切らなければ魏は危なかったかと
で、翌年段谷でゲームセット
翌々年諸葛誕に呼応していっても相手にならず
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鍾会とのクーデターがうまく行った世界線を見てみたかった
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諸葛亮と姜維って魏を苦しめたのはどっちなのかな
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>>45
たしかに狄道の戦いは蜀にとって一転攻勢のチャンスでした
結果としては諸葛亮の第一次北伐の時に涼州制圧のチャンスを逃したのと同じような形に
それでも姜維は諦めずに越年遠征を敢行したんでしょうが段谷…
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>>42
司馬望「俺は?」
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>>48
狄道で優勢だったのは、その前の�拔�粍・費�倅政権での貯金があったのが大きい
でも貯金は2年目で使い果たして3年目が段谷、ってことなんやろな
で辿っていくと北伐で国力浪費した孔明が戦犯な気がやっぱりする
ずっと国力溜めに溜めて、魏の内紛待つしか
でも孔明が北伐してなければ司馬氏が台頭するのもなかった?
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しょうかい、ひいも文字化けるのかよ
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北伐は指導者層がやりたがってたと言うよりも
兵士側がやろうぜやろうぜと血気に逸っていたのかもしれない
もし兵士にその気が無ければ寝返りが続出する為に軍事行動が実行不可だから
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鄧艾がとんでもない有能だったのが悪い
鄧艾さえいなければと姜維は何度も思ったでしょうね
その鄧艾も悲しい最期を遂げるんですが…
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>>50
魏の打倒が国是みたいな感じだったんですかね
劉備の建てた国を維持するというより劉備の遺志を継ぐために戦い続け、そのために内政を整え国力を貯めるという
諸葛亮存命時は曹丕曹叡の時代でしたから魏の内部崩壊を期待するような状況じゃありませんでしたし、むしろ攻勢をかけて内部崩壊を誘発させる方が現実味があったのかもしれません
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魏のほうも姜維がいなかったらもっと早く蜀倒せるのになあ、とか思ってたのか気になる
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漢王室の復興が国是だから北伐やらないってなるとそれはそれで不満分子とか出てきて国体を保てなくなるって側面はあったのかもしれないですね
魏があまりに圧倒的過ぎるから正直攻めても地獄退いても地獄だけどせめて呉と協調して2方面から圧かけ続けられればまた潮目が変わってくる可能性もあったのかなという気はする
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>>54
最初のプランは間違いなく曹操がくたばったのを見てから呉と組んで魏を滅ぼすって考えだったと思いますね。
曹丕が内政は無難に優秀だからチクショウ!
でもその曹丕が40ちょいで死んでゴタゴタするかと思ったら司馬懿とかいうチートがクーデターで実権握って息子二人、孫も超優秀とかとことん蜀は天に見放されてますねコレは…。
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望郷の念が強いんだろ
涼州、特に天水を獲りたいと思っている
中国人って出身地への意識が異様に高いからな
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蜀の内川聖一だと思ってたけど
むしろソフバンから人的保証で横浜に移籍したような逆の立場だったんすね
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蜀に対する愛国心なんて持ち様も無い
あるのは重役を任せてくれた諸葛亮への敬慕のみだろう
ある意味劉備に忠誠を誓った魏延に近い
タカ派として政府に疎まれるのもムーブが共通している
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姜維でこんなにスレが伸びてる
本当もっと三國志後半好きな人増えて欲しい
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この頃の蜀って姜維以外に魏と戦える軍人っていたんですかね?
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張翼、諸葛瞻、廖化とかですかね…プロ野球でいえば2軍から1.5軍ぐらいのレベルで魏は適当に並べても鄧艾、郭淮、羊コ、鍾会(なお)
無理ゲーすぎる。
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>>63
こういうの見ると評価したくなるし姜維は過小評価されてるんじゃないかと思うけど国力疲弊させたのも確かだしどう評価したら良いか難しいですね
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馬岱すき
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>>62
地味なところで羅憲がいますね。
魏と戦ったのではなく、蜀降伏後のドサクサに紛れた呉の侵攻を防いだという点が評価ポイントなので、魏と戦えるかは未知数ですが。
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正直なところ自分が主導権を握る立場になったときにもう詰んでた奴を結果論で責めるのは酷だと思うんですよ
>>64
かといって積極策に出なくてもジリ貧だし北伐をノーミスでやってもどうにかなったかと言うと…な面もありますし
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>>62
姜維が一転攻勢狙いをするために半ば放棄した漢中盆地で劉禅が降伏するまで任地を守り抜いた王含・蔣斌・柳隠がいますね
あとは同僚の裏切で敗死した傅僉や諸葛瞻配下で実質的な軍事指揮官だった黄崇あたりが北方の主戦力でしょうか
東を守った羅憲と同様に南方を任されていた霍弋もこの時代では蜀の名将と言っていいと思います
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>>66
他だと霍弋も好き
三國志の蜀滅亡シナリオの蜀でプレイするとどのシナリオもきつくて泣きたくなる
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魏に寝返った者の話は聞かないが(楊儀は愚痴っていただけで実行したわけではない)
劉備様こそ正しい漢王朝の後継者であり蜀こそが中華の正当王朝である
と臣から民まで皆思い込んでいたのだろうか
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内政官は優秀な人材揃ってましたし、臣民は満足していたんじゃないですか?
特に官吏は、例えば徐庶クラスでも埋もれる(大嘘)人材量でしたし
中小企業で役員目指すか、大手で万年課長かって感じだったのかもしれません
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街亭で山頂布陣さえなければなぁ…まだこの頃なら5%ぐらいは勝つ可能性あっただろうに。
まぁ劉備に馬謖は重用するなって言われてんのに総大将にする諸葛亮がアレなんですが。
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>>72
実は山頂布陣自体は言うほど失策ではなかった説もありますね
馬謖の部隊は時間稼ぎ用の部隊で負けるにしても魏の援軍部隊を足止めできればそれでよかった
馬謖が実戦で柔軟な対応をできなかったこと以上に張郃の速攻が凄まじかった
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諸葛亮の格を下げない為に馬謖に全部押し付けた説はよく聞くけど
まあそんなこと言い出したら多分蜀で政争に負けた名もなき人も有能だったかもしれない
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>>73
演技だと水を絶たれて包囲されてますけど実際には水源はきちんとあったって説も見ましたね。
単純に力押しで負けたんじゃしょうがな…いわけないだろ(豹変)
相手は司馬懿仲達とかいう三国志後半で1、2を争うチート野郎だぞ。
孔明?どう考えても趙雲、最低でも魏延あたりにやらせる仕事ではありませんか?
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でも王平くんの言うことはマジで聞かなかったみたいですね馬謖。
読み書きもろくにできない無学者だと見下してたんでしょうね…。
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>>73
趙雲は鄧芝と共に少数部隊で長安方面で陽動しかけて大軍率いる曹真にいなされてましたね
主力級の魏延や呉懿を足止めに起用しなかったのは攻め取りたい地域を早期制圧したかったからでは、と言う説があります
馬謖が耐えられればそれでよし、耐えられなくても魏の救援部隊が到着する頃には蜀の主力部隊で迎え撃てる状態にするというプランだったのかなと
なにもかも張郃の速攻で粉砕されましたが
あとはこの時司馬懿は孟達を討伐した後、対呉戦線に向かっていました
この時期の対蜀戦線の中心はこれまた有能な曹真だったのがいや〜キツイっす
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>>77
>>73じゃない>>75でした…
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>>76
王平くんの戦場における嗅覚が鋭すぎる
興勢の役の時も漢中に魏軍を引き入れて戦う案を「ああ〜ダメダメダメ」と一蹴しています
奇しくも蜀の滅亡前に姜維が漢中の防御を薄くしたのと真逆の戦いをして防衛に成功してました
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>>75
曹真でしたね…センセンシャル!
歴史のスレでうろ覚えで適当な事を言って申し訳ナス!
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>>80
諸葛亮も司馬懿も判断間違いするんだし、ま、多少はね?
それにしても魏の対蜀戦線の指揮官はこれ無理だゾって感じの有能が次々と投入されますね
全戦の指揮官もピンポイントで重要拠点きっちり守りきるし。わたしイジケちゃうし
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>>81
×全戦○前線でした…
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姜維の最後まで蜀に尽くした精神はもっと評価されて良い
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やっぱまああり来たりだけどどうしても言われるのは関羽が呉に喧嘩売ったせいで袋叩きにあって荊州落とされた所ともっと言えば蜀攻めの時に�輾統を失ったせいで諸葛亮が荊州離れなきゃいけなくなった所がターニングポイントって感じはしますね……
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関羽は少なくとも攻める時期を間違えましたからね
樊城の戦いの時孫権は曹操に降伏していて呂蒙が荊州方面に赴任しています
呉からすれば荊州を全力で攻められる状態ですし樊城方面に攻め入ると曹操配下の文聘に側面から攻撃される恐れもあるのにその対応も怠る
あのタイミングで攻め入るならいっそ荊州を呉に明け渡して上庸方面から漢水を下って荊州北部に攻め入った方が横から攻められることも後ろから掘られることもなかった
もっと言えば益州の足場を固めてから劉備が北伐すると同時に関羽が漢中上庸から荊北を攻めて孫権に徐州攻めを依頼する方が魏を打倒する可能性は高かったかもしれません
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ターニングというか結局勝つべくして魏が勝つと思ったら意外と手こずっただけに見えるゾ
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