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古代中国の国「拓」
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3000人にもなる同性愛者だけの部隊は連戦連勝だった
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領土拡大しましたね!
マジかっこいいです…
もう、皇帝拓也さんの野望のためなら宦官でもなんでもやります!
とにかく・・戦いたいです…
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戦争手ぬるいし、内政下手。早く廃位されるべきだよ、皇帝で稼げる人じゃない。
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拓也?今城に呂布が来て指名が入ってます。一日千里でこれますか?
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諸子百家の中で小説家も少なからずいたから本当にいそうですね…
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オキニ隠しの計
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九三一五胡時代
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呂雉の影武者
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20人以上30人以下?何度皇帝変わったかわからねぇ
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皇帝が女に興味なくて後継出来ずに滅びそうなのだが...
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>>10
美少年や美青年を養子に迎えればいいのさ♪
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攻め込んだことないけどなんか弱そう
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「拓」「賛」「肝」「岩」の4国で大陸の覇権を争っている
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>>13
敦煌莫高窟の方に「安」もあったので5国とする説もある
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北魏を作った拓跋氏にそっくりよね、華北がイケる人なら大満足じゃない?
国体は北魏より南朝だしね
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皇帝拓也は属国に献上させてたアワビが好物
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よく水攻めされててそれが一番恐ろしかったらしいね
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水中での戦いに特化した親衛隊がいたからか背水の陣という言葉が他の国と意味が違うらしい
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水中ブリッジ3分間できる程の鍛錬を積んでたんだよな
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王朝初期は精鋭部隊だったのに腐敗するにつれ兵士が「もちろん水中ブリッジ3分なんて練習するわけねーよ!」ってなって弱体化していったんだよね・・・
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売虎(373〜448)水没州拓也県の人。西城将軍。
彼の率いる牙隊(ガタイ)は乾燥途中の干柿を携帯し、飢えることを知らなかったという。また戦車に轢かれても死ななかったなどの逸話もあるが、真偽は不明。戦における活躍と人徳は高く評価され、皇帝から売狂(ウリクル)の名を賜る。
芸術に造詣が深く、シルクロード経由で持ち込まれたギリシア彫刻を好んだ。文人としても知られ、前線で書き上げた報告書は中国随筆の白眉と評される。
17世紀に彼のミイラが発掘されたが、体つきが良かったので、原神と呼ばれ、北京原人の語源となった。
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拓也の食客3000人
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皇帝の影武者に一人追放された人がいるらしい
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クスリの分析が盛んでヤク学の発達した国だったんだよね
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>>22
楚の春申君かな?
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北京原人の生き残りによって作られた国だったらしい
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抱えてる大将軍107人ですって
すごいわね
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忠誠心がね…
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皇帝のくせに宦官に掘られてアンアン喘いでたらしい
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これマジ?
北部に比べて南部の守りが貧弱すぎるだろ…
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皇帝の私室の床が一部傷んでて赤布でバツ印がつけられていたらしい
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五胡°ッ!という異民族の襲来に悩まされていたらしいですね
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ジャニ系歴史学者が選ぶ、タイムスリップできるなら行ってみたい古代都市ナンバーワンらしいね
皇帝は美丈夫でチョーエロくてギリシャ彫刻のような肉体の持ち主だったらしい
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皇帝は遊興にふけりまくって国を滅ぼしたけど詩だけは評価されてる
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北宋にそっくりよね。南宋がいける人なら大満足じゃない?軍隊は南宋よりマッチョだしね。
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>>33
歴史書の筆者は本人じゃないか?
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箭沛(生没年不詳)
古代中国の国家「拓」の思想家
優れた見識から当時の王に度々仕官するように求められるが全て「这不关我的事(知らねーよ、そんなの)」と断っており、
当時の王すら召し抱えられないほどの権威があったとされているが、実際には拓の国よりも強大な国からも仕官の誘いがあり、そちらを優先したためと考えられている
ただし、ある年の冬に拓の王へ酒の贈り物と共に参内し、王が大変喜んだと記録にあるため、箭沛は拓においても政に深くかかわっていたと考えられる
多忙であったとされ、拓の王が城下の街並を見せて箭沛の功を称えようとしたが、無視をされ放置されるなどぞんざいな扱いを受けており、
記録には「不放过国王,不杀死国王。一切都在箭沛手中(王は生かさず殺さず。全て箭沛の掌の上)」とある
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不抜
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つい最近発掘された文献では皇帝が使わなくなった下着が闇市に流れてたらしく、現代の価値にすると3000元くらいで取引されていて最盛期には9000元以上のものがあったりして治世の度合いを測る指標に用いる研究者もいるとか
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中国史拓也タグを連続再生して寝落ちしてるぜ、拓也!
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拓也の歴史 3000年
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