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退学マンは小説家を目指していたのか?お宝発見!
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今はなきStoryEditorで打ち込まれた年増.SEFという形式のファイルを発見。
わざわざWindows XPとStory Editor3.31を仮想マシンにインストールして開いてみれば…ナニコレ珍作文。
もはや、何を考えていたのかさっぱりわからない…精液溜めすぎだよ!
ちなみに保存した日時は2011/12/8 11:20AMだった。
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「年増」
その年増女が刑期を終えて刑務所から出て峯田に戻ってきたのは28歳の秋のことだった。
年増女はかつて暴走族グループに属していた。
統率力などまるでなく、無能で人望のない、地味な顔の女だったが、乳房が大きく前に突き出した形が美しかったこと、腰がくびれていること、そして何よりもこの女がしきりと男と身体を繋げたがる乱れた性質であったことから、不良少年たちの劣悪な遺伝子と侮蔑の充満した白濁を身体の内外に浴びることで何とか居場所を得ていた。
やがて父すら判らぬ子を漫然と産み落としたのだが、この女には育てる能力などまるでなかった。身体を目当てに女と同棲し始めた不良少年と実の母であるはずの女の4つの拳にその子は殴り殺された。
裁判員裁判で男に強要された、本意で殺したのではないと泣きわめいて減刑を求めたが、母でありながらともに子を殴って死なせた年増女に同情する者は誰もいなかった。
年増女は自分は悪くないと思いこみながら長く苦しい刑期を過ごした。
そして異常な性欲から子を殺した汚れた拳や変色した石鹸を膣にねじ込み続けていた。
年増女には前科者のレッテルと、年齢相応の衰えはじめた容貌と、乱交、出産と自慰行為で醜く裂けた子宮口が残されていた。
娑婆に出たところで既に家族からは勘当され、たとえ一瞬情欲に血走った視線と言葉を向けようとも、結局、こんな前科者の淫乱年増女と結婚しようとする殊勝な男は誰もいなかった。そして彼女をあえて定職に就けてやる奇特な雇用者もまたいなかった。バイトで雇っても初日で音を上げて2日目は来ないような女でもあったから、実は前科者かどうかなど問われてすらいないのであるが。
年増女はやがて困窮し、その低モラルな本性をさらけだした。
コンビニに年増女が来店したのが12月1日午前12時23分、その2分後には防犯カメラは万引き犯を映し出していた。むろん、それは年増女のことである。
さらにその3分後、年増女はコンビニのバックヤードで店長高橋の前にいた。高橋はこの店の店長であると同時にいわゆる業界に通じた企業舎弟でもあった。
「さて。」身の程話を聞き終えた高橋は口を開いた。「おまえが殺人犯だとか、そのせいで苦労してるというのは関係ないな。これでまた何年も刑務所暮らしだから、飯に困らないぞ。よかったな。」
年増女は故に書き込むことすら憚られる身勝手にもさらに自己弁護を必死に重ね、挙げ句の果てに、許しもないのに立ち上がりバックヤードから出て行こうとした。
さすがの高橋もキレた。激昂よりも遙かに恐ろしい静かな怒りがこみ上げるのを高橋は感じていた。
「そうか。一つだけおまえが社会復帰できる方法があるぞ。」立ち上がろうとする年増女を低い、威圧感のある声が制した。
「仕事を紹介してやる。前科も今回の犯罪も問題にならない、割のいい仕事だ。1日付き合ってくれたら一生食うに困らないことを約束する。2日目に音を上げて来ないようなやつでも大丈夫だ。」
一生食うに困らない、とはまさに夢のような約束である。むろん、それは年増女をビデオカメラの前で絶命させるがゆえに確実に果たされる仕事、スナッフビデオの主演のオファーであった。
「応じなければ、警察に突き出す!」最後の一言にはプロミネントが迸っていた。
年増女はいやいやでもなく、そのオファーを受けた。
高橋は直ぐに窪田に電話をかけた。
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この続きを書いてみてもいいかな?
スナッフ小説に再チャレンジってことで。
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他にも奇怪な文章がごまんと…odt形式もあったのでLibreOfficeインスコして覗いてみた。
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海からやってきた神
21世紀に至ってなお、人々は神話を生み出し続けているのである。
伊香津姫は人類による海洋汚染に対してお怒りになり、人類を侵略し、更正させようとして上陸された女神である。
魔法少女=瀬織津姫
穢れと戦い、やがて自身が穢れとなる存在。
ゼロ年代に編まれた情けない神話たちの原型は、既に古代からあったのである。
あかり
神とは意識の集合体として措定される概念。
神の姿は見えない。
よって、巫女を通してその存在を触知しようとしてきたのであるが、その結果、巫女が神そのものとなってしまった事例。
最も目立たない巫女が最も高い神性を備えた神の資質を備える。
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ああ、イカ娘とまどマギとゆるゆりに填まってたんだろうね…
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出雲と日高見
狗奴国の位置が不自然
邪馬台国が隣国としたら尾張か美濃か三河か伊勢に存在してたのではないか
出雲にいた渡来人勢力
畿内に定着した渡来人勢力
出雲から日本海側を東進しながら、その一部が南下する。
メインストリームは出雲→丹→越
丹から南下したものが大和?瀬戸内を東進したものが大和?
同根であっても権力争いはできるので問題はない
継体は越にいた勢力が大和を乗っ取った
越(中部)から南下、日玉、御野、御河・終、伊勢と南下した勢力
最終的に持統天皇に潰された
出雲から東進するなかで瀬織津姫が完成した。太陽の妻。巫女的属性。
政権抗争に終始した王家の罪(穢れ)を流し去るという「都合のいい巫女神」。
思うに、巫女たちの犠牲があったと考えられる。
子だが橋の伝承
政権抗争を重ね過ぎ、これ以上重ねないためには、敵対勢力と同時に都合のよい「概念」を潰す必要があった。
大変飛躍した議論だが、持統天皇自身が巫女だった可能性は?
天武天皇が朝鮮人という説まであるくらいだからちっともおかしくないし。
100年近く続いた天武王朝そのものが僭主扱いされ菩提寺に祀られなかった。
瀬織津=南下してイセに至ったアマテラス説の反証としては、アマテラスがタニワからイセにトヨウケともども遷座したことが挙げられる。
しかし、彼女は確かにタニワから伊勢に遷座している。タニワから直接南下していなくても。
トヨウケの源はもう一人の瀬織津姫
某T稲荷は仏教の守護のためインドの神を祀っていることになっているが、穂の国にはもともと稲荷神と見なされる女神がいた。
二重の習合がなされている。
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原子力発電について、大熊の住民と柏崎の住民とが対談している記事を目にしたことがある。むろん、原子力行政を批判する内容であるはずがない。
現時点でそんな新聞記事が出てきたらさぞかし滑稽に感じるだろうが、当時は現在よりははるかに原子力が信用されており、クリーンエネルギーとさえ呼ばれていたから、やむを得ない。
双葉郡には富を生み出すような産業はなかったのであるから、海辺の他に使い道がなさそうな土地に原子力発電所が立地し、雇用と資金を保障してくれたのはとてもありがたいことだったのだろう。
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朝鮮半島から日本に渡ってきて、出雲近辺に王国を築いた勢力があった。
この勢力は東へと侵攻して行った。親不知付近に沼玉姫の伝承が残されているが、これは出雲勢力が親不知を越えて越後に侵攻した事例を象徴するものではないのか?
出雲勢力は日本海側に拠点を築きながら、そこから南下する形で侵攻していったようである。
親不知の手前で南下した勢力は、あるものは飛騨を経由して、美濃、尾張へ、親不知を越えて南下した勢力は信濃を経由して三河、遠江へ、そして最終的には伊勢に至ったと考えられる。この二勢力が争ったかどうかはわからないが、壬申の乱で尾張(西三河の一部)、美濃が大海人皇子(天武天皇)側についていたが三河(特に東三河)、遠江ははっきりしないこと、持統上皇は尾張、美濃に対しては慰撫、三河、遠江に対しては討伐と態度を反転させていることから鑑みて、交戦はなくとも、融合せずに立場を明確にしていたのではないかと考えられる。
二人の瀬織津姫〜アマテラスとトヨウケの原型
より遡る福知山との整合性は問題になる。
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大和朝廷が悪で、これに抗する勢力が悪というのは誤った考え方である。
権力は悪であり、いずれも悪であることには変わりがない。
ただ、勝利した側は歴史を編纂する資格を得るので、相手を悪くすることも出来るし、望むなら歴史上から消し去ることも容易いのである。
大和朝廷と出雲勢力の対立は必ずしも出雲を舞台として起こってはいないのではないか。
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医療とエネルギー 大熊町をめぐる物語
似ている点としては、ともに社会的インフラを形成し、なおかつ、リスクを伴う点である。その一方、
(未完)
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東日本大震災の際、地域のクリニックや小規模病院の多くが人的資源、物的資源を確保できずに、診療不能になった。
震災直後によく人口に膾炙した「開業医が真っ先に逃げていった」という類の中傷は、このことに起因すると思われる。
当院においてもスタッフの来院困難、疲弊と、薬品、医療材料の涸渇が複合要因となってどこかの時点で診療不能になると想定されるが、もっぱら電子カルテが原因で診療不能に陥るのは好ましいとは思えない。
診療を継続する以上は、患者は不満を抱かせないことが重要になる。
これは、患者の生命、身体を可及的に守るだけでは許さないという理不尽極まりない要求に起因する無理を強いる要請である。
昨今の医療事情、日本人の質的変化を鑑みるに、診療の不手際は診療不能(拒否)以上に多くの不利益を生む可能性がある。
最近10年間は、医療に対する風当たりが強くなっただけではなく、日本人のモラルが著しく低下した10年間でもあった。
最早外国人を非難できるだけのモラルは兼ね備えていない。
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正岡子規「病床六尺」における「理想」について
正岡子規は死に向かう病床の中で「理想」と「写生」というものについてこのようなことを述べた。
「理想」はよほどの天才でない限り、先人の誰かのそれを真似たものになるので、陳腐なものになってしまう。そして、理想というのは屋根の上に跳び上がろうとしてかえって庭の池に落ちてはまってしまうような転帰をたどるものであると。
一方、「写生」は天然のままのものであり、それに対する人が受け取り方が人それぞれであるから、理想とは違ってかえって個性的でさえあるというのである。
正岡子規のいうところの「理想」、「写生」というのは、もっと一般的な言葉に直せば、願望と現実を意味するように思える。
正岡子規は脊椎カリエスで激しい疼痛の中にあり、間もなく死に至る段階において「病床六尺」を記したのであるが、病状の進行とともに、大きな漠然とした望みが(たとえば自宅の庭を歩き回るなどの)小さな具体的な望みへと収斂していったという。
その段階においてはもはや、その小さな望みさえ叶わないことであったようであるが。
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希望は絶望の母にして、その母が偉大であるほど、優しくあるほど、絶望は深くなる。
正岡子規が死の床で連載した「病床六尺」に、このようなくだりがある。
理想というのは屋根の上に跳び上がろうとしてかえって庭の池に落ちてはまってしまうようものであると。
彼はこの時、願望と現実をありのまま受け入れることについて、それぞれ「理想」と「写生」という言葉を用いている。
この喩えは「希望は絶望を生む」という真理を語っているのだ。
希望が叶えられ、幸福に至ることはもちろん、あり得ることであろう。
しかし、多くの場合、希望は叶えられず、それより若干少ないのであるが、希望が叶えられてなお、満たされないことはあり得る。
希望が見当はずれだった場合や、希望を叶えるために大きすぎる代償を払った場合もこれに当たるであろう。
このとき、正岡子規は脊椎カリエスで激しい疼痛の中にあり、死を目前にしていた。
彼はこうも書いている。
病状の進行とともに、大きな漠然とした望みが(たとえば自宅の庭を歩き回るなどの)小さな具体的な望みへと収斂していったと。
実は、彼が「病床六尺」を連載していた頃には、もはや屋外を歩き回るのは困難になっていた。
現実の一つ上に願望(理想)が存在し、
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天上の虹23巻で大喜びしてた馬鹿。
実は里中さんのサイトにたびたび三河行幸は如何に処理するんですか?としつこく尋ねまくった結果は・・・
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しだみこちゃんとか狐娘ちゃんとか好きだし。
秋田のゆるキャラたっこちゃんやのしロケットちゃんも好き。
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あ、しまったID変えるの忘れた
http://ddnavi.com/wp/wp-content/uploads/2013/07/huan41.jpg
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>>11とか絶対まどマギの話するつもりだったんだろうな。
そのくらい自分はキモオタだと思う。
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思いついた言葉をここに記録する
カフェロワイアル
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てか、そういうものが存在するのかよ…
http://www.ucc.jp/recipe/detail/hot-ar11.html
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>>1
峯田とか高橋とか…窪田とか…
ろくでもない人物の名前に使うあたり、よほどきらいだったんだろうね…
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退学メーン!芥川賞も夢じゃないな。
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リズミカルに打つ尻鼓の音
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パンッ!パンッ!パンッ!
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パンシロンでパンパンパン
https://www.youtube.com/watch?v=eocGyV01M_w
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>>1
性格の悪さと経歴の黒さがわかるだろ?
退学マンの闇は深い…
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キモいわ…
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