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澪「ふたりのたてたバベルの塔」
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おとぎ話をひとつ聞かせてあげよう。
むかしむかし、
私も梓も生まれるずーっとむかし、
この世界がまだバラバラじゃなかった頃、
ある美しい世界があって、そこはひとりの女の子のものだった。
長くてふわりとやわらかな金髪で、太いまゆげもチャーミングで、
いつだって髪と同じくらいきらきらした瞳をしていて、
とてもかわいらしい女の子だったんだ。
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彼女の居た場所はあたたかい光につつまれ、色とりどりの花に囲まれた大地だった。
その子が金のじょうろで水を一振りすれば鮮やかな花がぱっと咲いてみせる、
蝶の羽を追っては小鳥の声を遠く聞いて、
日ごと夜ごとに自然のメロディーにあわせてうたう、
そんな美しい世界にあの子はいたんだ。
金髪の子は「いま」しか知らなかった。
ほんのり月明かりが満ちてみな寝静まるころには、
きょうのことなんて忘れてしまっていたからね。
その子には過去も未来もなかったから、いつだって新鮮な気持ちで世界と接していられたんだ。
うらやましい限りだね、ほんとに。
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ある時、背の高いひまわり畑の下で
彼女は一人の女の子が横たわっているのを見つけた。
花に吸い寄せられる虫みたいに、彼女は倒れている女の子の元へ向かった。
そしたらぱっと目をあけてね、
前髪をこう、落ちてたカチューシャできゅっと後ろにまとめて、
ここはどこ?
って聞くんだよ。
金髪の子は「どこ」なんて考えたこともなかった。
だから、ここは私のいるところなの、としか答えられなかった。
それでもカチューシャの子は満足したみたいで、
自分の落ちてきた場所を見渡して、輝く世界にすっかりみとれてしまったんだ。
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うん、そうだね。
そろそろ名前をつけとかないと分かりづらいかな。
そうだな……
金髪の子は、その世界を絹糸のようにつむいでいくから、紬。
カチューシャの子は、紬の世界をまとめていくから、律。
なんてどうだろう。
どうしたの、梓? そんな顔して。
"
"
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話を戻すよ。
それでね、金髪の……紬と律は、はじめ、とても仲良く暮らした。
律は紬のつくった見たことのない世界に見とれたし、
紬にとっても、自分の世界に誰かが入ってくることなんて、
いや、
「誰か」って概念がなかったから、それはもう驚いた。うれしさがこみあげてきた。
律は草の切れ端で笛を作ったり、
花の蜜をすすったり、湖に小石を投げて遊んだり、
そんなことを紬に教えたんだ。
紬は自分の世界がこれまでとまるで違う輝きを放つのがたまらなくって、
もう、
律のとりこになっちゃったんだよ。
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月明かりの下で、律もこうやって昔話をしようとした。
軽いジョークかおとぎ話でも聞かせてやろうって、
隣で寄り添って目を輝かせてる女の子のためにね。
でも、できなかった。
その世界の掟だったのかな、律も過去をすっぽり失ってしまった。
一冊の本のあるページだけ破れてしまったように、
いや、
最初から印刷ミスでページが存在しなかったみたいに、
ひまわり畑で紬に見つかる以前の記憶を失っていたんだ。
そこがもどかしくって、不安の影がさした。
Eの次はF、その次はG。Cの前はB。
当たり前だ。
でも、Bの前が出てこないんだ。
そこに何か、大切なはじまりがあったはずなのに。
律は結局、そのときは諦めてしまった。代わりに
「私はどこから落ちてきたんだろう?」
と尋ねたけれど、
紬にだって分からなかった。
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明くる日、地面が大きく揺れて紬は目覚めた。
左手をずっと握ったまま眠ったはずなのに、寸でのところで離れてしまった。
そこは相変わらずやわらかな世界で、
見渡す限り金色の光がきらきらと輝いていて、
それなのに、大事な人がいなくなってしまった。
川の水で顔を洗って目を覚ます頃には、律の姿はどこかに消えてしまった。
消えた律はどこに行ったと思う?
それはね、今度こそ落ちてしまったんだよ。
この地上に。
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私は目を覚ました律を見つけて、駆け寄った。
しっかりして、いままでどこに行ってたんだ、って。
律はぼんやりと薄目をあけて、すごくきれいで遠いところ、と言ったんだ。
その目は私の後ろの遙か遠く、
空の向こうで薄く見える白い月を見ていた。
私の目なんて、ちっとも見えてやしなかった。
……そうだね。
これはおとぎ話だ。 フィクションだ。
実在の登場人物とは、いっさい関係ない。 うん。
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私は律をいろんな病院に連れて行った。
頭をうったり、骨が折れてたりしたら怖いからね。
なにせ、別の世界から帰ってきたというんだから。
律は平常通り、健康そのものだった、らしい。
お医者さんがいうんだから、この世界では何の問題もないらしい。
でも、やっぱり戻ってきた律は何かが欠けていたんだよ。
いつもぼんやりと月を眺めてばかりで、
さっき話したようなお花畑のことを語ったかと思えば、
すーっとため息なんかついたりして、
私を勝手に連れ回してはけらけら笑っていた、昔のあいつじゃなくなっていた。
怖かったんだ。
でも、私は止めることができなかった。
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いつかの夜、律が そろそろ帰るね と言った。
これは一大事だ。
私はずっと怖くて、一緒のベッドで寝ることにしていて、
律の右手を指と指からませてしっかり握りしめて、そうやって暮らしてきた。
律のために料理を作って、花を育てて、歌を歌って、詩を書いた。
私に与えられる全てをその子に捧げて、笑顔にしようとした。
それなのに、
律がその場所へ帰らなきゃいけないと言ったんだ。
私は律を治療しようとした。
でも、本当に病気なんかじゃなかったんだ。
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やだ、
いかないで、
そう言ってあいつの細い体にしがみつくと、
律は、まるで昔みたいに笑ってさ、
こう、
左手で私の頭を撫でて、涙目のまぶたを指先ですっと閉じたんだ。
そしたらどうすることもできなくて、
窓に差す月明かりが眩しすぎたあの夜、
昔にそうしたように、律は私の額にキスをして、眠りから醒める頃には消えてしまった。
それが律を見た最期だった。
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私は辺りじゅう思いつくところ全部探し回ったけど、この地上にあいつの姿はなかった。
噂に聞いたのは、
月の光に吸い込まれるようにして消えていったひとりの女の子の話だけ。
迷信か神話だとみんな笑うけど、
もう私はそこにすがるしかなかった。
きっとそのころから、私は誰の言葉も聞こえやしなかったんだ。
あの夜から、うまく眠れなくなった。
眠ろうとするたび、夜空に月が浮かぶたび、私はあいつを思い浮かべた。
カーテンを閉め切って、部屋を真っ暗にして、そうやって月の向こうを思い浮かべた。
暗闇の布団のなかで思い出の声にだけ耳を傾けていたら、いつの間にかアイデアが芽生えて、
ぐんぐん育ってしまった。
それが、塔を建てることだったんだ。
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ごめんね。
ばかな思いつきだって、私も思ったよ。
でも可能性があるなら、そうするしかなかったんだ。
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私は自分の庭でこっそり土を盛り始め、
誰にも気付かれないように石を並べて、固めて、一段一段と塔を積み重ねていった。
長い作業だったよ。
怪しまれないように、笑顔を作ることだって覚えた。
塔には階段しか要らないんだ。
だって、うまくやれたら戻れなくてもいいとさえ思っていたから。
どこまでもどこまでも高い塔を築き上げて、
空の果てまでこの梯子をのばして、月にたどり着いたら、
そしたら律に会える。
もし律の心が変わらなくたって、
そんなに素晴らしい場所なら、私も仲間に入れてもらえるかもしれない。
とにかく塔を建てるんだ、
あの子の手をもう一度握るために。
それだけ考えて、私は密かな企てを積み重ね続けた。
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気付けばもう天空の遙か彼方、空を突き刺さんばかりに私の塔は伸びていた。
足下の町はもう点のように遠くて、誰の姿も見えやしなかった。
月の光がまぶしすぎて身体中が焼かれるみたいで、
光に包まれていると律の腕を思い出すようだった。
ここまで何百日、何千日かかったか、もう思い出せない。
梓は覚えてるかな。
夜空を見上げようにも、黄色い月をにらもうとしても、
横に伸びた黒い塔を気にせずにはいられないほどだったらしいよ。
とにかく、あともう少しで月にふれる。
その黒い影は、私が伸ばしてもついに触れられなかった指先みたいに、小さく震えて見えた。
次の満月の夜、私は旅に出た。
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意を決して、塔の最上階から月に手を伸ばした。
でも……あと一歩届かなかったんだ。
そうして、私は地上に叩きつけられた。
ばしゃん 。
目を覚ましたとき、梓がいた。
塔は崩れ去っていて、
私の家はがれきの山に埋もれていて、
なにもかもが壊れてしまっていた。
おとぎ話は、私の物語は、これでおしまい。
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◆ ◆ ◆
うずたかく積み上げられた安定剤と睡眠薬を一晩で飲み干して、澪先輩は旅に出た。
幸いにして一命を取り留めたものの、
帰ってきたとき、澪先輩は言葉を失っていた。
言葉は先輩の頭のなかで文字化けしてしまっていて、もはや誰にも届くことはなかった。
大学二年の夏、律先輩とムギ先輩が姿を消した。
二人がなにを思って蒸発したかは分からない。
家庭の事情がどうこうと噂に伝え聞いたけれど、どの話も釈然としないものばかりだった。
つい最近、二人を見つけられないまま、私たちはお別れ会を開いた。
澪先輩を療養所に残したまま。
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二人が消えた時から私は先輩に寄り添ってきたけれど、
ついに言葉や指先が届くことはなかった。
考えてみれば、
はじめから私と澪先輩の言葉は違うもので、
同じ夜空を見ていても先輩はあの薄い月の光しか見えていなくて、
こうなる運命だったのかもしれない。
先輩自身が望んで、今の場所に落ち着いたのかもしれない。
そうやって私はときどき自分を正当化してみせるのは、
生きている私は生活を続けなくてはいけないからで、
本当は
私も先輩の世界に身を沈めてしまおうかと、そしたら楽になれるだろうかと
考えたこともあった。
これはぜんぶ、昔の話だ。
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有給を取ったので、久しぶりに先輩の療養所に足を運んだ。
面会のあいだ、
先輩はこちらが見えているかいないのか、相変わらず黒く透き通った目を向けて、
なにやらぼそぼそと意味の通らない言葉をつぶやいていた。
看護婦さんに「一緒に散歩に行きますか」と聞かれたけれど、
昼の光が眩しくて居心地が良かったので、このままでいいですと伝えた。
その間じゅうずっと、澪先輩はなにかを発していた。
こう、子どもに 遠い国の昔話 でも聞かせるように、穏やかな顔つきで。
私はもう、この病室に来ることはないだろう、とそのとき悟った。
2014年5月。
あのバンドが解散して、今年でもうすぐ四年となる。
おわり。
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参考
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/179142/m0u/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%99%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A1%94
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おつ!!
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乙
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