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『社会性不安社会』のようです- 1 :名も無きAAのようです:2013/04/27(土) 03:21:55 ID:6xrlYY3w0
- ♪001
('、`*川「……つまり、食欲がなくて、眠ることも出来ない……と」
(*゚ー゚)「えぇ……」
僕の前で茶番劇が繰り広げられている。
心療内科という舞台における、カウンセリングという名の茶番劇。
医者役を若い女が、患者役を老婆が務めている。
(*゚ー゚)「それより何よりも問題なのはねぇ、先生……この、口が、どうも」
('、`*川「ええ、とは言え大事なのは基本的な生活ですから……」
恐らく疲弊しているのは女医の方だろう。絶え間ない患者の波にもまれてなお、
この老婆の、文字通り物語じみた饒舌を都合数十分聞かされ続けたのだから。
('、`*川「とにかくお薬を出しておきますから……それを飲んで、規則正しい生活をするように……」
- 2 :名も無きAAのようです:2013/04/27(土) 03:22:54 ID:6xrlYY3w0
- 物腰柔らかな老婆は緩慢に立ち上がりながら女医に言う。
('、`*川「はい?」
(*゚ー゚)「来週も来て構わないかしら? それか、明日でもいいんだけど……」
('、`*川「……ともかく、お薬は二週間分出しておきます。患者さんの数も多いですから」
(*゚ー゚)「でも、私は毎日でも来たいんですよ」
('、`*川「そう仰られても……」
老婆の顔にまだまだ話し足りないという表情がありありと浮かぶ傍ら、
女医はやや面倒そうな仕草を見せる。彼女はこのような患者を毎日何十人と診ているのだ。
しかしそんなことは老婆に関係ない。
期待を裏切られた老婆は最後まで丁寧な動作で診察室を後にした。
ドアを開け、外に出る直前に老婆は言った。
「ここもか、畜生」
- 3 :名も無きAAのようです:2013/04/27(土) 03:23:43 ID:6xrlYY3w0
- ♪002
('、`*川「……あの」
ともかく面倒な患者を追いやった女医は溜息をつきつつ僕の方を向いた。
彼女は初めて僕と正面から向かい合った。加齢により少し弛んでいる目尻に泣きぼくろがある。
美人であることには間違いないだろう。こんな世界で無ければ早々に専業主婦になっていたかも知れない。
('、`*川「すいません、聴いてますか?」
( ^ω^)「……」
僕は首肯してみせた。女医は回転椅子を神経質そうに揺らしながら呟くように言った。
('、`*川「貴方もご退室なさっては? 先程の方の付き添いなんでしょう? 息子さん……ですよね?」
( ^ω^)「……」
不審げに僕を見つめていた女医は数秒後に、軽く頷いた。
('、`*川「そう、あなた、喋れないのね」
( ^ω^)「……」
('、`*川「まあ、何にせよ出ていって下さい。次の患者さん、お呼びしますから」
僕の意識は女医の言葉に集中しておらず、晴れ渡った窓外の景色を胡乱に浮遊していた。
空の向こう側には様々な統計的データがひっきりなしに更新されている。
事故数が増える。事件数がカテゴリ別に増える。株価が変動する。自殺者が増える。
( ^ω^)「……」
遠くの方で女医が次の患者を番号で呼ぶのが聞こえたから、僕は慌てて席を立った。
- 4 :名も無きAAのようです:2013/04/27(土) 03:25:20 ID:6xrlYY3w0
- ♪003
(*゚ー゚)「どうして……貴方はついてくるの?」
老婆は六十代後半と言ったところだろうか。窶れてはいるが足腰はしっかりしているように見える。
医者に向かっている時に見せていた優しげで物憂げな表情は失せ、無表情がへばりついている。
彼女の持つ鞄には今し方処方されたSSRIと非ベンゾジアゼピン系の睡眠薬。
どうも彼女はこの手の薬に慣れているらしく、さして面白い反応を見せなかった。
(*゚ー゚)「私についてきても……碌なことがないのに」
彼女は鉄道の沿線を辿って住処へ帰る。前方に見える鉄道は今朝、
夜を上手に乗りこなせなくなるほど不安にまみれた一人の少女を掃除した。
最早珍しいことでも無い。人身事故はものの十数分で人々を元の生活へ戻していく。
ただ上空に浮かぶホログラムの数字が一つ増えるだけだ。
(*゚ー゚)「貴方……まだ若いんでしょう……? もっと、面白いことなんて色々あるわ……」
言葉とは裏腹に、彼女はさして僕を毛嫌いしているわけではないようだ。
そのことは、僕を息子と偽って診療室に同席させてくれたことからも明らかだろう。
- 5 :名も無きAAのようです:2013/04/27(土) 03:26:31 ID:6xrlYY3w0
- (*゚ー゚)「……ほら、あんな風に」
そう言って彼女が見遣ったのは駅のホームで、その上空に言葉が煙のように昇っていた。
『隣のオッサン、ハゲてるっぽい』
『また課金しちゃった……自分マジ課金厨乙』
『今日の面接自信無かったな。お祈りされるのも飽きてきたよ』
『さっきの駅員、横柄な態度だったな。次同じ事したらクレームつけてやっから』
(*゚ー゚)「ああいうのが、最近の流行なんでしょう……?」
( ^ω^)「……」
(*゚ー゚)「私には分からないけれど……ストレス発散なのかしらね……」
人々の集合地帯では自ずと各々の『呟き』が群れを成して空へのぼる。
それらは発せられると同時に消化され、上空高くに浮かぶ統計データの映像には届かない。
嘗ては多くの言葉が届いていたそうだ。しかし、いつしか誰もそんなに強い『主張』を持たなくなった。
(*゚ー゚)「私は駄目なのよ……声に出さないと、実感がしないから……」
時代に追いつけない彼女のような人はひっそりと家の中に籠っている。
それでも鬱積する自分の思いを、時々心療内科でぶちまけるのだ。
いまやそういったメンタルクリニックは、いつかの歯科ほどに乱立している。
- 6 :名も無きAAのようです:2013/04/27(土) 03:28:14 ID:6xrlYY3w0
- ♪004
『呟き』の多くは他愛の無い諧謔や、暴言や、日常の有象無象である。
だから誰もそれを気にしない。例え女子高生から下世話な『呟き』が発生しても今や日常茶飯事だ。
しかし時として犯罪の予告や告白、特定個人への謂れの無い誹謗中傷などが交じることがある。
その情報は人々を介して一気に拡散する。
そして公権力が動くまで、当人は数多の監視の目に晒されることとなる。
この社会体制が成立した時、監視は監視者の役目だった。
彼らの思考を把握し公権力に伝達する……それはまるでディストピア小説のようなものだった。
嘗ての公権力は高圧的であり、故に多くの反撥者を生むこととなった。
公権力は『呟き』が、あくまでも発信者当人の意思で発せられるものである、と説明した。
つまり、彼らの自由意思を束縛するものではなく、権限は発信者に因る、というのだ。
これは管理社会、もしくは全体主義との批判を受け流すための口実であった。
『呟き』はあくまでも一個人の表現欲求に任せられているのである。
にも関わらず、『呟き』というシステムが犯罪抑制や一種の賛同者を生むことに寄与したのは、
いかに現代の大衆が、自らをアピールしたがっているかを如実に物語っている。
- 7 :名も無きAAのようです:2013/04/27(土) 03:29:12 ID:6xrlYY3w0
- 監視者は当初、公権力の末端として活躍する者たちであった。
しかし、やがて監視者は自己の目的を失った。大衆が大衆同士で監視し合うようになったからだ。
誰かの犯罪予告を別の誰かが監視者よりも早く公権力へ匿名で報告する。
公権力を余所に、大衆が大衆同士で互いの行為に興味を持ち、それぞれを探るのである。
戦争や貧困に縁を持たなくなった民衆は、自然と公権力へ阿るようになった。
馬鹿みたいに反社会を掲げる『呟き』は彼ら民衆が晒しあげる。
公権力が手をあげる間もなく、反社会的活動は消火されてしまうのだ。
こうなれば監視者は監視者としての面目を失ってしまう。
公僕でありながら何一つ社会的機能を果たさない彼らは、一様に緘黙するのだ。
ちょうど、今の僕のように。
- 8 :名も無きAAのようです:2013/04/27(土) 03:30:11 ID:6xrlYY3w0
- 『呟き』にはもう一つの効果があった。
ジョージ・オーウェルが言うところの『二重思考』を民衆が容易く会得したことである。
ある会社員がオフィスの中で客に媚を売る。
そしてその帰り道、同じ会社員が客への罵詈雑言を『呟く』。
このような光景が殆ど当たり前のように繰り広げられることとなったのだ。
今まで表立たなかった本音と建前が、完全に同じ次元で同居することになった。
無論、それをよく思わない者も大勢いた。しかし、明らかになった『二重思考』は、
批判者の心にも当然存在しているものだった。そしてそれこそが、大衆の『民意』なのだ。
それが詳らかになったところで公権力を批判は出来まい。
繰り返すが、『呟き』はあくまでも個人の自由意思に因るものなのだ。
今や、誰がどのようなことを『呟いても』、大事で無い限り誰も気に留めない。
本音と建前が矛盾していたとしても、大衆はそれを簡単に受け入れられるのだ。
- 9 :名も無きAAのようです:2013/04/27(土) 03:31:14 ID:6xrlYY3w0
- ♪005
この社会は一見して非常に滑らかに循環しているように思える。
しかし空に統計データが示されるようになってあからさまになったのは、
自殺者の数が想像もつかないほどの勢いで伸びているということだ。
先にも書いた、メンタルクリニックの乱立も関連する事象であろう。
元々多かった抗うつ薬の処方総量も増加の一途を辿っているらしい。
誰かが、何かがこの社会を蝕んでいることは間違いない。
だが、民衆はこのことについてさして興味が無いようだ。
嘗て年間三万人の自殺者を排出していてすら問題と化さなかったのだから、
ある種の『社会主義的社会』になった現在、それは当然のことなのかもしれない。
公権力は今やその力を誇示する必要もなくなり息を潜めている。
この社会がどのような仕組みで回っているのか、大抵の人は知らないし知ろうともしない。
それは監視者である僕も同じだ。
何処かの人が何らかの方法で支払った税金を、
特にありがたみも感じずに給与として受け取っている。
- 10 :名も無きAAのようです:2013/04/27(土) 03:32:43 ID:6xrlYY3w0
- 監視者である僕が言えるのは監視者のことだけだ。
僕が見る限り、監視者はみんな疲れ果ててしまっている。
役目を持たない蛍光灯がいつまでも点灯しているような感じ。意味など何もない。
しかしそれでも、監視者は監視を続けなければならない。それが監視者の役目だからだ。
そして監視者は寡黙でなければならない。不用意に『呟く』べきではない。
監視者は、その実、もっとも監視される者に近い存在なのだから。
どこかの自称批評家がこう言ったらしい。
現代社会は、どこかで『監視されているかもしれない』という強迫的思考を内包している。
そしてそれは、誰もが加害者であり、被害者でもある構図を作り上げてしまった。
故に、社会は決して賞賛されるべきではない疾病を抱えてしまっている。
それは、社会という生き物が自分の手足を食っているような様子だ。
いわば『社会性不安社会』なのだ、と。
- 11 :名も無きAAのようです:2013/04/27(土) 03:34:12 ID:6xrlYY3w0
- ♪備考
・続くよ。
・出典は言うまでもなくオーウェルのアレとか何とかかんとか。
・シュガーボードの人、多分被らないけど被ったらごめんね。
- 12 :名も無きAAのようです:2013/04/27(土) 06:27:54 ID:k1W4siDc0
- とりあえずしぃうざいな
- 13 :名も無きAAのようです:2013/04/27(土) 11:09:59 ID:wphsNjuc0
- これ面白い
読み応えと満足感がすげえ、乙
- 14 :名も無きAAのようです:2013/04/28(日) 00:57:00 ID:mD.8Ojl2O
- すごく引き込まれる文だった
乙です
- 15 :名も無きAAのようです:2013/04/29(月) 04:08:33 ID:0bdWjA7g0
- ♪006
ポケットに入れていた携帯が震えたので取り出して見る。
表示されたのはギコと言う文字と、未登録を示す顔写真のアイコン。
一瞬出るかどうか躊躇したが、一応出ることにした。
( ^ω^)「……」
『なぁ……なあ、おい、ブーンよ。そろそろ教えてくれたっていいんじゃないか』
携帯の向こうから聞こえるギコの声は寒さでは無い何かの衝動に震えている。
僕は彼の今の姿を容易に想像出来た。彼はどこかの人気の無い場所で独り、
憤怒とも悲壮とも取れる表情で立ち尽くしている。その手にはもしかしたら拳銃が握られているかもしれない。
『教えてくれよ、ブーン。俺はいったい、どうすりゃいいんだ?』
( ^ω^)「……」
ギコは答えなど求めていない。他人に与えられる答えなど彼にとっては塵芥のようなものだ。
それでも彼は、泥沼の底を半死半生で這いずり回っている自分の心をどうにか掬い取ろうと必死なのだ。
- 16 :名も無きAAのようです:2013/04/29(月) 04:10:02 ID:0bdWjA7g0
- 『今月に入ってこれで五人目……実際、碌でもない社会だと思うよ』
『知ってるか。今じゃ誰かがこの世の中を完全情報開示社会だって抜かしたそうだ』
『隠し事なんて初めからなかったのにな……。情報はほぼ全て然るべき場所に揃っていた』
『でもどうだよ……それが明らかになって、本当によかったのか?』
『いやあ……はは、そんなことはどうだっていいんだよ。どうだって……』
『ともかく俺は、この無意味な行為を、これ以上続けたくないんだ、でも、それも……』
『ブーン、あれは中学三年の夏だったな。俺とお前とあと……数人で、誓いを立てたじゃないか』
『どういう結果であれ、俺たちは自分が自分で満足出来るような人間になろうって……』
『……連絡しないと。あと、さっきからガキの鳴き声がやかましいんだ。保護してもらおう』
『保護を……』
- 17 :名も無きAAのようです:2013/04/29(月) 04:11:35 ID:0bdWjA7g0
- ギコは僕と同じ公僕だが少しだけ身分が違う。僕は監視者で、彼は警察官だ。
監視者と警察官の違いは、端的に言えば武装しているかどうかである。
ギコは警察官になって拳銃という武器を得た。むしろ、それこそが彼の目的であるとも言えた。
彼が生来、殺人願望の持ち主であると言うことを幼馴染である僕はよく知っている。
しかし純然な人間社会で育てられた彼は次第に理性を持ち、本能を抑えるようになった。
僕の知る限り彼が本能を発揮させたのは一度だけ。小学校の時にクラスの委員長の首を絞めたときだけだ。
ただ、理性を持ったからといって彼の殺人願望が消えるわけではなかった。
いつかの夜にギコから「警察官になる」と打ち明けられた僕は一瞬で悟った。
そして彼はその望みを果たし、今や誰よりも優秀な成績をあげている。
採用試験における適性検査で、コンピューターは彼に適性があると判断したのだ。
しかし誰が彼を責められるだろう。
幼い頃の夢を叶えて、力一杯活躍している彼のどこに非があるというのだろう。
少なくとも表面上において彼は優秀な警察官なのである。
この社会で、心が救われないということにどれほどの意味があるだろう。
- 18 :名も無きAAのようです:2013/04/29(月) 04:12:18 ID:0bdWjA7g0
- ♪007
彼が殺したのは恐らく子殺しの犯人であろう。
多種多彩な犯罪の多くがその件数を減らしている中で、徐々に増加しているのは親の子殺しだけである。
警察官は超小型カメラの所持と引き替えに現行犯への拳銃の使用を許可されている。
勿論それは殺人などの凶悪犯罪に限られる。
つまりギコは、今月に入って五件の凶悪犯罪を阻止したのだ。
カメラに記録された映像は一部処理を加えられた後に、インターネットなどを通じて公開される。
彼が前回撃った相手も、今まさに赤ん坊の首を絞めて砕こうとしている最中だった。
僕はそのストリーミング映像を見た。場所は恐らく犯人の住むワンルーム・マンションだろう。
赤ん坊は揺りかごに寝かされていて、母親と思しき女性が中腰でその中に両手を伸ばしていた。
ギコが静止しようとしても母親は動じなかった。腕力での制圧を試みても、
その人物は処理された機械音声で奇怪に喚くばかりだった。
ギコは決して脆弱な体格ではない。母親の殺意は何よりも一途だった。
自分自身の憤懣と憎悪を全て自らの赤子に向けているような具合だった。
- 19 :名も無きAAのようです:2013/04/29(月) 04:13:15 ID:0bdWjA7g0
- 故に彼は拳銃を使用した。発砲の前に一度警告したが母親は聞かなかった。
映像はそこで途切れていた。あとはネットの記事やその辺りの『呟き』が示している。
またしても母の子殺し。抵抗する容疑者を警官が射殺。警察署は適正な使用だったとコメント。
もしかしたらギコの拳銃使用は咎められるべき事なのかも知れない。
相手は武器を持たない女性一人だ。腕力でどうにかなったのかもわからない。
だが、ギコは処罰されないし管内での『点数』も上がっていることだろう。
そういう社会なのだ。それが是とされるような社会なのだ。
そして大衆は、ギコの行為にさして注視しない。一日も経てば誰もが忘れてしまう。
同じようなことが、ついさっきも起きた。それだけのことだ。
- 20 :名も無きAAのようです:2013/04/29(月) 04:14:03 ID:0bdWjA7g0
- ♪008
合法的な殺人、という手段を得たギコはそれを大いに活用している。
自らの願望を満たすことで、空白ばかりが目立つ精神に何かを注ごうとしているのだ。
しかし彼は今なお満たされていない。多くの犯人を殺してさえ、彼の心はさ迷っている。
彼に夢を聞かされた当時、まだ口を開くことが出来た僕は必死に止めたのだ。
僕にはある程度今のような状況になってしまうことが予見できた。
つまり、彼の殺人願望は、罪人を撃って晴らされるものではないと感じたのだ。
しかし彼は頑なに聞かなかった。彼はもう、その夢に手綱を握られていた。
ななおも止めようとする僕に向かってギコは、こう吼えたてたのだ。
『じゃあ、他にどうすればいい!?』
僕は絶句した。
彼の、異常に先鋭化した攻撃性や積極性にはどんなセラピストも敵うまい。
ならば、彼は彼の満足する方法で――つまり、世間と折り合いを付けるような殺し方で――進むしかない。
異常な『望み』を持ってしまった時点で、彼の二者択一はどちらも獣道だったのだ。
- 21 :名も無きAAのようです:2013/04/29(月) 04:15:23 ID:0bdWjA7g0
- 今にして思えば、彼はもしかしたら、この社会を変える原石だったのかも知れない。
疲れた世界を変えるだけの活力が、彼の異常性には秘められていたかもしれない。
そう思うと、僕はあの時、もう少しだけ踏ん張るべきだったのだろうか。
だが、そうなれば今度は、変わってしまった世界に僕がついていけただろうか。
僕はこの世界で公僕という、体制側について何の不自由もなく生きている。
ギコが本当に満たされる世界では、おそらく僕は生きていけなかっただろう。
ギコ。幼馴染の少年。彼が最初に撃ち殺したのは自分が片想いしていた女の子だった。
それを契機に、彼は一仕事終える度に僕へ電話をかけてくる。
( ^ω^)「……」
電話を切った僕はふっと顔をあげた。老婆の姿はもうどこにもいなくなっていた。
仕方なく僕は引き上げることにした。次の目標へ向かうために。
- 22 :名も無きAAのようです:2013/04/29(月) 23:30:30 ID:cP1c1rU.O
- いい世界観だなあ〜
乙です
- 23 :名も無きAAのようです:2013/04/30(火) 02:02:24 ID:AZnegYdU0
- ♪009
子殺しの件数に反するように凄まじい勢いで減じているのは出生数だ。
この世界はいつの間にやら異性に対する渇望を失っていた。
彼らが愛を交わしあう時間などどこにもなく、産まれてくる子どもは一種の『エラー』のようなものだった。
だから道ですれ違うのも中年や老人が多く、僕もまだ若者の肩書きを背負えるだろう。
監視者への道は一般的な大学を卒業し、採用試験に合格する。
民間企業と大して差違はない。あるとすれば、安定が保証されていることぐらいか。
三年ばかり勤めた僕が今より上の立場に立つには、あと十年はかかるだろう。
どこの企業もそうであるように、無闇矢鱈と上が詰まってしまっているのだ。
歴史は繰り返す。この時代になってさえ、就活へのヘイトは今なお根強い。
僕は寂れていく街の景色を眺めながら歩を進め、廃線になった線路の高架下へ辿りつく。
そこには廃材にもひとしいアパートが建っていて、生気の無い住民が暮らしているのだ。
その中の一人に用事があった。彼は、僕は今目をつけている監視対象なのだ。
- 24 :名も無きAAのようです:2013/04/30(火) 02:03:07 ID:AZnegYdU0
- ♪010
( ´_ゝ`)「……なんだ、またあんたか」
軋むドアを開けて出てきたのは三十前後の男。
無精髭にまみれたその姿は生活感から程遠く、痩身を見るにろくに食事もしていないようだ。
( ^ω^)「……」
( ´_ゝ`)「だから、前から言っているだろう? 俺を監視しても面白くないって……」
監視者が監視者であることを隠して行動するのはおよそ不可能だ。
監視者は極端に無口であるから、誰でもその正体が分かってしまう。
しかし多くの大衆は監視者を目の敵にしていない。むしろ何気ない話し相手として接している。
この男も同様だ。兄者と呼ばれるこの男は、文字通り弟と妹を持つ兄である。
彼は定職に就かないまま家を飛び出し、このアパートに数年一人暮らしをしている。
生活力はおよそ無いに等しく、故に彼の自室は常に何らかのゴミが散乱している。
( ´_ゝ`)「……ま、いい。ちょうど新しい短編小説を著したところなんだ」
兄者は溜息混じりにそういうと、僕を自室へと招き入れた。
- 25 :名も無きAAのようです:2013/04/30(火) 02:04:08 ID:AZnegYdU0
- ( ´_ゝ`)「こうやって呼び鈴が鳴って、出るといるのは決まって新興宗教の勧誘員か国営放送の徴収員だ」
( ´_ゝ`)「そう思うと、あんたが最も魅力的な客かも知れないな。……まあ、どうでもいいが」
彼の部屋には相変わらず足の踏み場も無く、今となっては誰がよんでいるかもわからない文芸雑誌や、
小説本の類が無造作に散乱している。それは彼にとって宝物であるべきはずのものだ。
彼は『呟かない』。その代わりに、誰に見せるわけでも無い小説を書き続けている。
誰もが言葉を無意味にかつ不用意に消費するこの社会で、兄者は今なお言葉の重要性に囚われている。
自分の書く小説に記された言葉の数々に質量を持つ意味があると盲信しているのだ。
だから彼は家を飛び出した。母にも父にも弟にも妹にも反対されながら、彼は困窮する作家の道を選んだ。
今、兄者はフリーターとして何とか食い繋ぎながら小説を書き、その出来映えにたった独りで一喜一憂している。
- 26 :名も無きAAのようです:2013/04/30(火) 04:51:51 ID:2EcqmiL20
- 乙
好きだわ
- 27 :名も無きAAのようです:2013/04/30(火) 10:38:49 ID:nlxfg5ig0
- いいなあこういうの
続き楽しみにしてる
- 28 :名も無きAAのようです:2013/05/01(水) 01:32:42 ID:tVbmTqiw0
- ♪011
( ´_ゝ`)「……俺は、この人生の敗北者だ」
古びたディスプレイの前に座った兄者は無意味にエンターキーを叩きながら呟いた。
( ´_ゝ`)「三十路にして定職に就かず、親兄弟からも見放され、先の見えない趣味に打ち込む……」
( ´_ゝ`)「腹に入るのはディスカウントストアのインスタント食品。健康も確かではないだろう」
( ´_ゝ`)「どんな世界においても、俺が敗北者であることは間違いない……」
ぽつぽつと自虐する兄者はその実、どこかで些末なプライドを擲っていないように見える。
恐らく彼は自分の作品か、或いは生き様を誇りに思っているのだろう。
それは彼の最終的な拠り所であり、彼が持つ唯一の防具でもあった。
- 29 :名も無きAAのようです:2013/05/01(水) 01:33:33 ID:tVbmTqiw0
- ( ´_ゝ`)「道を踏み間違えたことは数限りなく、今も踏み抜いている最中だろう」
( ´_ゝ`)「だからもう、考えるのはやめるようにしているんだ……」
僕が兄者を監視しているのは自己顕示欲に反して『呟かない』という特殊性に加え、
この退転に退転を重ねた人生の末路に何か不穏なものを感じるからだ。
それがいつやってくるか分からない。ただ、兄者にはその可能性があるというだけだ。
もしかしたらそれは、反乱分子と呼べるかもしれない。
しかしながら現実において彼は何も罪を犯していないし、その気配もない。
そんな彼を監視するのが、僕のような監視者の役目なのだ。
それは、見る者の職務として、袋小路であると言えるだろう。
この方法で僕が『犯罪の予兆』を突き止めたことは、今までに一度もない。
- 30 :名も無きAAのようです:2013/05/01(水) 01:34:14 ID:tVbmTqiw0
- ♪012
( ´_ゝ`)「本音と建前……か。それが混同し、その上で区分されるのが今の世の中なんだな」
( ´_ゝ`)「しかし、俺にはどうも、どちらも真実ではないようにしか思えない……」
( ´_ゝ`)「真実を語ることに何の意味がある? 真実を知ることに、何の意味がある?」
兄者は『意味』について何度も繰り返す。それは、何時かの遺失物のような言葉だ。
今の技術をもってすれば、もしかして人類は宇宙へ旅立つことができたかもしれない。
空へ統計データを表示させるというような能力を使えば、何らかのブレイクスルーを起こせたかもしれない。
しかし人間はそれらをしなかった。社会が、新しい物事を突き詰める『意味』を見出さなくなったからだ。
少なくともここ暫く、生活レベルは向上も下落もしていないだろう。
大衆社会はそれ自体が強力な均一化のシステムだが、多くの人が同等の生活程度に落ち着いた今、
その中で抜きん出ようとする者は誰もいなくなった。
彼らはむしろ、抜きん出る者を叩くことに心血を注ぐようになったのだ。
- 31 :名も無きAAのようです:2013/05/01(水) 01:35:01 ID:tVbmTqiw0
- 恐らく、どこかの誰かは未だに富豪として暮らしているのだろう。
しかし社会においてそれらは丁寧に区切られて、非常に高い壁で仕切られているのだ。
見えない世界のことを叩いても仕方がない。それらはせいぜい、『呟き』として昇華されるだけだ。
まるで、優しい優しいカースト制度のように。
( ´_ゝ`)「よほど人生を狂わせない限り、俺たちはごく普通の生活を送れる」
( ´_ゝ`)「俺でさえ、週に四度のしがないアルバイトで暮らせているのだから」
( ´_ゝ`)「しかし、そんな世界は果たして『意味』を持ち得るのだろうか……」
( ´_ゝ`)「『意味』を持たない社会や大衆が、果たして信頼に足る真実を吐くのか……」
( ^ω^)「……」
( ´_ゝ`)「少なくとも、俺が信じられるのは……」
兄者は少し言葉を迷ったようだった。それから、「いや、違うな」と首を振った。
( ´_ゝ`)「俺は俺すら信じるべきじゃない。俺が信じられるのは俺の小説だけだ……」
- 32 :名も無きAAのようです:2013/05/01(水) 01:35:44 ID:tVbmTqiw0
- 裏表の無い小説は今やディスプレイの中でエンターキーによる空白に溺れている。
僕は彼の小説を知らない。彼もまた、僕に読ませようとしない。
おそらく、そうしなければ彼は生きていくことができないのだろう。
( ´_ゝ`)「……そうだ、よければメシでも食っていくか? と言っても、碌なものがないが……」
そう言って立ち上がろうとした兄者を押しとどめて僕は首を横に振った。
監視者は監視対象と相互的な関係であってはならない。常に、孤独であらなければならない。
兄者はそれを納得していたかのように容易に、しかし少し残念そうに独りごちた。
( ´_ゝ`)「どうも、独りでメシを食いに行く勇気が出ないんだ」
- 33 :名も無きAAのようです:2013/05/01(水) 01:40:23 ID:UwoQ8gRkO
- 読ませる文だ
支援
- 34 :名も無きAAのようです:2013/05/01(水) 01:54:30 ID:tToS3eOU0
- 乙かな
- 35 :名も無きAAのようです:2013/05/01(水) 12:12:19 ID:DW.syKco0
- 乙
独特の寂しさがなんとも
- 36 :名も無きAAのようです:2013/05/02(木) 00:35:39 ID:R6o7Utvw0
- ♪013
兄者の家を後にした僕は暫く西の方へ沈んでいく太陽を眺めたあと、
定時報告をするために自分の職場へ戻ることにした。
監視者は日常、奔放な業務を許されているが、一定の期間毎に報告書を作成し、上席に提出せねばならない。
といって報告書にしたためることなど殆ど無く、前回と同じような文言が繰り返されるばかりだ。
そうやって出来た無意味の集積を上席に提出する。
大して見向きもされずに印鑑が押され、僕は通常の業務に戻る。
故に僕が職場に滞在する時間は僅かでしかなく、たまに行ってもガランとしている。
恐らく、中には監視業務の虚しさに耐えられず怠けてしまう者も多いだろう。
前回、報告書を提出せずに身元を調査された監視者のうち、半数は人知れず自らの命を吹き消していた。
- 37 :名も無きAAのようです:2013/05/02(木) 00:36:19 ID:R6o7Utvw0
- ( ^ω^)「……」
駅のホームに佇む僕の周りに人はまばらだ。まだ、終業時間でも無いからだろう。
僕の周囲で『呟く』人は外回りから帰る営業マンや高校、大学生の面々。
『呟かない』人の多くは老人だ。先刻の老婆のように、彼らの思考は直接やり取りせねば分からない。
時代は流れる。その流れはどこかで繰り返されているはずだが、
老いてしまった者は、その繰り返しに適応できず、いつしか存在感を喪ってしまう。
彼らだって本当は『呟きたい』のかもしれない。しかし、適切な方法が分からないのだ。
空の統計データが初めて表示されたとき、真っ先に反撥したのは老人だったという。
彼らの殆どは、結局最後の最後までその空を悔やみ、憎しみながら死んでいった。
生き残った老人たちは、まるで早回しの映画を見せられているような気分なのかもしれない。
何が起きているか分からない。それでも、何かは確実に起こっている。
落ち窪んだ動体視力は、弱々しくその影だけを追いかけている。
- 38 :名も無きAAのようです:2013/05/02(木) 00:37:00 ID:R6o7Utvw0
- ♪014
電車に乗る。体格の良い背広の男が、ノートパソコンと向き合ってデータか何かを熱心に打ち込んでいる。
その隣に携帯ゲームに夢中の若者。彼らの境界はインナー型のイヤホンによって堅く仕切られている。
沈む太陽から逃げて夜へ向かうように、電車は東へとひた走る。
開かない扉にもたれてぼんやりと車内を眺める。
滅私奉公の精神が欠片たりとあるわけでもないが、一応監視はしている。職業病かもしれない。
いや、むしろこの職業病が大衆に蔓延してしまったのか。
車両の端に設置された優先座席の隅に座って、これもまたスーツの男が小声で誰かと話している。
恐らくは取引先や上司との会話なのだろう。
申し訳なさそうな態度はしてみせているが、会話を打ち切るつもりは少しも無さそうだ。
- 39 :名も無きAAのようです:2013/05/02(木) 00:37:45 ID:R6o7Utvw0
- 車内での携帯電話のご利用は他のお客様のご迷惑になりますので、ご遠慮下さい。
テンプレートの車内アナウンスが誰かの心を揺さぶるはずもなく、彼は話を続けている。
この世の中が管理社会と言い切れないのは、未だ多くのエコノミック・アニマルが台頭している点にある。
国際化した資本主義経済に蹴落とされないために、多くの庶民は必死になって働いている。
かといって彼らに崇高な目的があるわけでもない。働かなければならないから働くだけだ。
疲弊した人は与えられたものの善悪など分からずに呑み込もうとする。
そしてそれが『経験』と名付けられ、積み重ねることによって人間は成長する。
『経験』や『成長』に何の意味があるかなど関係ない。ただただ、人は働くために生きている。
目的を見失った迷子はどんなに杜撰な地図でも信じ込もうとするだろう。
ましてやそれが大衆心理ともなれば尚更だ。
だから彼らは働く。多少の規範を犯してでも、彼らは彼らなりの生き方を全うする。
そういう社会だ。そういう社会を根付かせた種子の正体を、誰も知ろうとしない。
建前上、彼らは十分に満足している。本音でも、それは殆ど変わらないだろう。
にも関わらず漂う鉛のような空気は、いつからか僕の身に纏わり付いて離れなくなった。
優先座席の男が電話を切った。その表情は少しほころんでいる。
もしかしたら彼は、今まさに仕事の上で成功を収めたばかりなのかも知れない。
( ^ω^)「……」
僕は、彼に心の中で些細な賛辞を送ることにした。
- 40 :名も無きAAのようです:2013/05/02(木) 02:58:33 ID:N8XU1FMA0
- 乙
深いな
- 41 :名も無きAAのようです:2013/05/03(金) 03:37:46 ID:SyqiSGpg0
- ♪015
夕暮れの庁舎にある『特別監査課』で僕を待っていたのはたった独りだけだった。
_
( ゚∀゚)「よう、お前、まだ生きていたのか」
パソコンの動画を観ながら発泡酒を呷っている壮年の男は、
『特別監査課』のトップである長岡課長だ。
年齢の割に若く見えるのは、彼が監査課において誰よりも軽いからだろうか。
と言って、僕も監査課の同僚にはここ一週間ほど顔を合わせていない。
監査課には僕や長岡課長を含めて七名が在籍しているが、
彼らもまた自らの職務のために出ずっぱりで、庁舎で見かける機会さえ殆どない。
月に一度、定例報告会を行うことになっているが、別に欠席してもペナルティがあるわけでもないのだ。
_
( ゚∀゚)「今月分の報告かあ? 今からやらなくても、明日ここに引き籠ってろよ。俺、帰るぞ」
( ^ω^)「……」
僕は黙って自分のパソコンの電源を入れた。
生来整理整頓が苦手な僕だが、机上は随分と綺麗なものだ。
それだけ書類が置かれていないし、また置いておく必要もない。
- 42 :名も無きAAのようです:2013/05/03(金) 03:38:36 ID:SyqiSGpg0
- 報告書はあらかじめ定められたテンプレートに基づいて作成される。
人物の素行などを入力すれば、あとはコンピュータが自動で書類にしてくれるという具合だ。
_
( ゚∀゚)「まったく……熱心なんだよなあ、お前は」
ぼんやりとキーボードを叩く僕が熱心であるはずもない。
より熱心な人間は今頃営業スマイルをぶら下げて金のある老人を口説いているだろう。
僕が戦う相手など、所詮は職務の虚しさだけだ。
_
( ゚∀゚)「そうだ、お前昨年度、有給休暇取らなかっただろ」
( ^ω^)「……」
そういえば、そんな制度があったような気がする。
蓄積された有給休暇はもう限度に到達しているかも知れない。
確認するのも面倒なぐらい、どうでもいい。所定の休暇すら持て余す僕は有給休暇など興味も持てない。
_
( ゚∀゚)「お前が頑張ってるのは分かるけどな、一応有給取得申請してくれよ」
_
( ゚∀゚)「あとで総務の連中にドヤされるの俺なんだから」
『特別監査課』に有給休暇は必要なのだろうか?
僕の身分はノルマのない外回りの営業社員みたいなもので、
その気になれば好きなときに好きなだけ休むことが出来る。
今日だってそうだ。結局今日の僕は働いたと言えるのだろうか?
- 43 :名も無きAAのようです:2013/05/03(金) 03:39:30 ID:SyqiSGpg0
- _
( ゚∀゚)「……おーい、聞こえてるのかー。俺一応上司なんだから聞こえてるなら返事を……」
_
( ゚∀゚)「……」
_
( ゚∀゚)「ま、いいや」
たまに『監査課』の面々が顔を揃えても、会話が弾むことは殆どない。
誰もが無口で喋ることを恐れている。監視者が監視者を告発するケースは、決して珍しくないからだ。
そうやって仲間を売れば監視者は人事考課で好評価を受けられる。
反面、告発された監視者は通常よりも重い刑に服さなければならないことが多い。
なんのことはない、ここで行われているのも、大衆と同レベルの監視の応酬なのだ。
だから僕もいつしかまったく口を利かなくなった。
それは先天的な適応障害か、もしくは後付けされたワーカーホリックか。
今となってはどちらとも判断できない。間違いないのは、今の僕に言葉を発する意思がないということだけだ。
- 44 :名も無きAAのようです:2013/05/03(金) 03:40:20 ID:SyqiSGpg0
- ♪016
_
( ゚∀゚)「……そうだ。仕事熱心なお前に一つ良いことを教えてやるよ」
_
( ゚∀゚)「また『泥棒』が出た。しかも二人組らしい」
_
( ゚∀゚)「例の福祉施設だよ。ったく、あそこの内部はどうなってんだか……」
_
( ゚∀゚)「つーわけで、報告はあそこ見に行ってからの方がいいんじゃないかな」
( ^ω^)「……」
『泥棒』。
昔は公僕の間での用語だったらしいが、今では一般的に広まっている言葉である。
正確な呼称は『不正名義取得、及び使用』。文字通り、公的な名義を濫用する者のことだ。
しかしこの『泥棒』は更に狭義的な意味で用いられている。
『泥棒』は、他人の名義ではなく自らの名義を不法に使用、もしくは名義貸しをするのだ。
- 45 :名も無きAAのようです:2013/05/03(金) 03:41:01 ID:SyqiSGpg0
- 名義貸し、についてはそれほど問題視されていない。
今の時代、全ての国民はそれぞれ自分だけの名義カードの携帯が義務づけられている。
そしてそのカードに記載された情報は全て公権力によって管理されているのだ。
そのため、名義を貸した方も借りた方も大抵はすぐに特定され、速やかに逮捕される。
問題は名義の不法使用である。これは、最早手口がパターン化している。
『泥棒』の正体は『捨て子』、もしくは『孤独な老人』だ。
彼らの共通点は、『扶養者を持たない』ことにある。
『捨て子』、『孤独な老人』はその多くが社会福祉法人による保護施設で暮らしている。
『捨て子』の場合は就職し収入を得るまで、『老人』は引き取り手が現れるか、もしくは死ぬまで、
施設から手厚い支援を受けられる。無論、実態は定かで無いが、そういうことになっている。
いずれも社会問題化して数十年後に作られた支援制度の下に運用されている。
彼らの名義カードは、基本的に施設の運営者が預かることになっている。
ただし就職活動や資産管理の関係で何かと身分証明が必要になることも多く、
その場合に限って施設は彼らに名義カードを返却する。
『泥棒』はこの隙に付けいってそのまま施設を逃亡するか、名義カードを売り飛ばしてしまう。
- 46 :名も無きAAのようです:2013/05/03(金) 03:41:58 ID:SyqiSGpg0
- ただし、名義カード自体にはさほど効力がない。
それは免許証の簡易版に似ており、大した犯罪に発展する可能性は皆無と言える。
これは、どちらかと言えば公権力のプライドの問題なのだ。
即ち、『捨て子』や『老人』にまで及ぶ管理が不行届であることが大衆に知らしめられ、
公権力の名が傷つけられてしまうことを恐れているのである。
大抵の社会福祉法人は名義カードの管理が杜撰であり、
故に公権力がその事実を知るタイミングも遅くなる。
本来は運営者の問題なのだが、公権力と社会福祉法人の密接な関係上、無闇に検挙するわけにもいかない。
そこで監視者の出番だ。監視者がまず当該の施設を視察し、経営状態や管理体制を把握するのである。
- 47 :名も無きAAのようです:2013/05/03(金) 03:42:55 ID:SyqiSGpg0
- _
( ゚∀゚)「二人組、高三のカップルだってよ。仲良く就活に出て仲良く雲隠れ」
_
( ゚∀゚)「ったく、どうやって生きていくつもりなのかねえ」
_
( ゚∀゚)「……ま、生きていけるなら別にいいんじゃないかとも思うが」
( ^ω^)「……」
名義を売ること、或いは名義を持って逃亡することに、さしたるメリットはない。
先にも述べたとおり公権力のプライドの問題は存在するが、
高校三年生の男女にそんなものが関係しているとも思えない。
つまり、誰かが裏で手引きをしている可能性が高い。
_
( ゚∀゚)「んじゃ、帰る」
定時を見計らったかのようにして長岡課長は席を立った。
_
( ゚∀゚)「お前もせいぜい、死なない程度に勤労に励んでくれたまえよ」
- 48 :名も無きAAのようです:2013/05/03(金) 04:24:11 ID:aH1mVdGs0
- 乙
名義カードとか設定しっかりしてしてるな
- 49 :名も無きAAのようです:2013/05/03(金) 21:38:50 ID:8nbZybhs0
- 世界観凄いな
乙
- 50 :名も無きAAのようです:2013/05/04(土) 03:14:35 ID:5j1fPNOc0
- ♪017
結局、報告書を半端な出来のままで僕は庁舎から引き上げた。
別に家に帰ってもやるべき事など何もないから居残っていても構わないし、
それに対して残業申告をするつもりもないのだが、いずれにせよ庁舎は午後八時に閉館される。
帰路の電車で乗り合わせるのは仕事を終えたらしい中年以上のサラリーマンたち。
きっと彼らの部下はまだ会社に残って日報やプレゼンの資料を作っているのだろう。
そういう前線部隊を置いて帰宅する彼らに清々しい顔は殆ど見られない。
携帯電話のゲームやソーシャルネットワークを操作しながら、
家庭や会社や人生への不満を『呟いて』いる。
彼らだって、何も最初から好きこのんでサラリーマン人生を歩みたかったわけではないだろう。
不満の大抵は妥協や諦観によって押し流されていく。
仕方がなかったんだ。結局自分にはこういう人生以外、何も用意されていなかった。
個人主義の責任を、誰かに押しつけることなど出来はしない。
- 51 :名も無きAAのようです:2013/05/04(土) 03:15:31 ID:5j1fPNOc0
- ( ^ω^)「……」
降り立った駅から徒歩五分の場所に僕の住処がある。
平凡な住宅街にある築十数年のアパートには僕の他にも一般的な住人が暮らしているはずだ。
監視者の住処は借り上げられたアパートであり、それは僕も同様だ。
基本的に監視者の住処は各所へちりばめるよう取り計らわれている。
平均的な市民に溶け込み、また集団全体が狙われることを避けるため、というのがその理屈だ。
僕からすれば、高騰する家賃を公権力が肩代わりしてくれるのだから、これほど楽なこともない。
- 52 :名も無きAAのようです:2013/05/04(土) 03:16:31 ID:5j1fPNOc0
- ♪018
一人暮らしには少し広い部屋に入り、特に意味も無く持ち歩いている鞄をベッドへ放り、
服を脱衣籠へ落とした。夕飯は、買い溜めしてある冷凍食品とサプリメントと決めてある。
料理は苦手だ。好き嫌いの問題以前に、僕は日常生活に関するあらゆる物事が殆ど苦手だ。
適当に付けたテレビ番組が今日も暢気に社会議論に明け暮れている。
どこの誰かも分からない評論家やコラムニストが福祉問題を批判していた。
『つまりね、今の制度はごく普通に働いて暮らしている人の不公平感を煽るだけなんですよ』
『政府が支出している福祉施設への支援金額は莫大なものでね、とても支援目的のみとは思えない』
『ま、あまり言うのもなんだけど、親に直接育てられている子どもの方が貧乏だって話もあるし』
- 53 :名も無きAAのようです:2013/05/04(土) 03:17:20 ID:5j1fPNOc0
- ( ^ω^)「……」
電子レンジの音を待ちわびながら、僕はこういう人たちがどれぐらいお金を貰っているのだろうと考えた。
僕の知る限り、公権力はマスメディアに対して特別な圧力をかけたりはしない。
だから今でもテレビは昔と同じように平然と社会批判を繰り返すし、
反社会的な歌や小説や漫画なんかは、相変わらずこの世界に蔓延している。
知っているのだ。そういう類のものが大衆の鬱憤を晴らす限り、公権力は直接的な攻撃を受けないと。
大衆はストレスを発散できる。公権力は隠れ蓑を得られる。マスメディアは利益を上げる。
誰も損をしないのだから誰かが指摘するはずもない。
『もうすぐ選挙がありますけどね、今度こそね、庶民の意志というものを見せないといけませんね』
そう締めくくったアナウンサーが、
与党に所属する国会議員と懇意であるという事実を、庁舎の全員が把握している。
- 54 :名も無きAAのようです:2013/05/04(土) 03:18:00 ID:5j1fPNOc0
- ♪019
アパートの二階にある自室の窓から見える南向きの景色は、
夜にも関わらず煌々と灯りがともっている。
あの美しい夜景は残業が作っているんだ、なんて使い回された言葉が浮かんだ。
しかしここから見えるのは殆どが住宅街の灯りで、午後十一時になった今なお殆ど消えていない。
僕が思うに、大勢の人が明日の朝陽を怖がって眠れないのだろうと思う。
太陽の回転が社会的、経済的に意味を持たなくなった現代でさえ、
人間は心の何処かに時計を携えているらしい。
その証拠に、この窓から見える夜の『呟き』は、
「つらい」「寂しい」「生きていたくない」「どこかに行きたい」という言葉で埋め尽くされている。
- 55 :名も無きAAのようです:2013/05/04(土) 03:18:46 ID:5j1fPNOc0
- それを発しているのが誰なのかは分からない。
ただ、恐らく中学生による流行病のせいだけではないだろう。
彼らが浮き上がらせる退廃的な『呟き』こそが、人間の真意に思えて仕方がない。
薄い光を纏って昇る『呟き』を待ち構えるのは絶対的な統計データだ。
それだけが唯一、仰々しく僕たちの空を支配している。
その数字は今もなお目まぐるしく変化し続ける。
こんなにも静かな夜の何処かで、こんなにも喧騒に塗れた数字が動いている。
もしかしたらあの数字は全て嘘なのかも知れない。そう思うことがたまにある。
実際、そう主張している論者もいるようだ。『陰謀論者』というレッテルを代償に。
「寂しい」「帰りたい」「怖い」
噴き上がる人々の声を、今日も夜の重圧が押し潰していく。
- 56 :名も無きAAのようです:2013/05/04(土) 03:19:35 ID:5j1fPNOc0
- ♪020
昨日見たような気がする深夜番組を消して、僕はベッドに横たわった。
午前一時半。そろそろ眠らなければ明日の仕事に差し障る。
別に何があるわけでもないが、一応件の福祉施設へ訪問するという予定がある。
目を瞑っても一向に眠気がやって来ないのは恐らく昼間の労働が足りていないからだろう。
怠惰に怠惰を極める生き様の果てで不眠に苦しむ僕は何と滑稽であろうか。
そろそろ僕もカウンセリングを受けた方が良いかもしれない。睡眠薬ぐらいは簡単に処方してくれる筈だ。
こんな時は何かを考えて頭を無理矢理疲れさせることにしている。
しかし毎夜毎夜、そんなに考えることなどあるわけもない。
脳味噌の空白を塗りたくるためのパレットはとうに干涸らびてしまっている。
そのたびに確信するのだ。ああ、僕はおそらく、本当に生きているのだと。
生きているからこんな下らない悩みを抱えるんだ。生きているから、こんなに苦しいんだ。
などと、自嘲気味に繰り出される冷笑は冗談の域を超えるものではない。
そろそろ眠りに入れるかと思った時、目覚まし代わりにしている携帯が震えた。
- 57 :名も無きAAのようです:2013/05/04(土) 03:20:19 ID:5j1fPNOc0
- うつらうつらとしていた僕はおもむろに手を伸ばす。
目を開けなくても分かる画面の光。僕は目を瞑ったまま電話に出る。
『ごめんね、寝てた?』
聞こえてきたのは案の定、彼女の声だった。
『私も眠れなくて……って、別に何か話せるわけでもないのに』
『……そう、今日、好きなロックバンドの新譜が出たから買ったんだ。さっきまで聴いてた』
『相変わらずすごく良い音なんだよ。キミは知ってるかな……』
何も応ぜずとも喋り続ける彼女の名前や住所、その他あらゆるものを僕は知らない。
いつからか、深夜の二時近くになると彼女から非通知で電話がかかってくるようになった。
彼女は自分のことをつらつらと喋ると、そのまま眠ってしまったりもする。
僕の電話番号を知っていると言うことは知り合いなのかもしれない。
もしくは、片っ端から適当な電話番号に電話をかけ続けていたのか。
今、そういうことをする人が結構増えているらしい。
- 58 :名も無きAAのようです:2013/05/04(土) 03:20:59 ID:5j1fPNOc0
- 『……そのバンドって、私と同じくらいの歳なの。まだ、若手って感じなのかな』
『だから、結構歌詞とかにも共感できたりするんだよ』
彼女は僕と話していて楽しいのだろうか? そもそも僕は話していないが。
僕がここで唐突に電話を切っても、彼女は懲りずにまた電話をかけてくるだろう。
『……昔は、暗い歌詞が多かったんだよね。コンプレックスとか、ルサンチマンがすごくてさ』
『でも最近は……売れてきたからかな? 悩みから解放されたみたいな、応援歌が多いの』
『そういうのも、すごく好きなんだけどさ、でも』
『いつの間にか遠くにいってしまっちゃったような気がして、ちょっと哀しいな』
『自意識過剰だね……気持ち悪いな……』
僕は彼女のことなど何も知らない。これからも、知るつもりもない。
ただ、何となく聴き続けてしまう自分の本音を知るつもりもない。
僕は少し深く息を吸い込んだ。久しく使われていない発声器官が音を立てたような気がした。
( ^ω^)「……ごめん」
一瞬の沈黙に僕はその言葉をねじ込んで、そしてそのまま電話を切った。
これが、僕が唯一発する言葉になっている。ごめん。ごめん。ごめん。ごめん。
その言葉を頭の中で繰り返しながら徐々にやって来た悪夢に意識を委ねてみる。
そうやって夜をやり過ごす僕はいつまで『呟かずに』いられるのだろうか。
- 59 :名も無きAAのようです:2013/05/04(土) 07:36:12 ID:XQpFfeeA0
- 喋れないわけじゃなかったんだな
乙
- 60 :名も無きAAのようです:2013/05/04(土) 16:31:01 ID:RGKrqiks0
- なんか……切ない感じだな
乙
- 61 :名も無きAAのようです:2013/05/04(土) 22:51:20 ID:5j1fPNOc0
- ♪021
件の福祉施設……『稀少の森』は、当該地域最大の規模を誇る児童及び老人のための施設である。
広大な土地に建てられた巨大な建物は生活の場というよりもオフィスビルのそれに近く、
そこで保護されている人数は数百人、彼らの世話にあたる職員数も非常に多い。
そもそもの起こりは改正された社会福祉六法の施行直後にある。
当初は名も無い小さな老人福祉施設だった『稀少の森』は、当時の運営者によって大きく手を加えられ、
今僕の目の前にある、総合的な福祉施設へと姿を変貌させたのだ。
( ^ω^)「……」
鉄製の門扉とその前に立つ僕を取り囲む監視カメラの群れ。
弱者保護、という立場上当然のセキュリティなのだが、それにしたって少し大仰に感じてしまう。
柵のような鉄扉の横には非常ベルのようなインターホンが設置されている。
- 62 :名も無きAAのようです:2013/05/04(土) 22:52:13 ID:5j1fPNOc0
- 僕はポケットから監視者証を取り出してからそのボタンを押した。
数秒の沈黙。その後、冷徹で抑揚の無い女性の声が聞こえてきた。
『どちら様ですか』
僕は黙ったままインターホンのカメラに向かって監視者証を提示する。
そもそも福祉施設へ乗り込むには、いくら監視者と言っても潜入を試みることは不可能だ。
いずれ情報は真正面から手に入れるしかない。
それに、『稀少の森』レベルの規模と歴史があれば、監視者の訪問ごときで警戒することもないはずだ。
『お入り下さい』
インターホンがそう呟くと同時に、目の前の門扉がゆっくりと両側へ開かれる。
- 63 :名も無きAAのようです:2013/05/04(土) 22:53:09 ID:5j1fPNOc0
- ♪022
無機質なビルの隣にはまるで小学校のようなグラウンドとプール、それに体育館が整備されている。
ここまで設備が整えられている施設は珍しいが、本来総合福祉施設はこうあらねばならないのだ。
しかし当然それを維持するには費用がかかるし、建物にしたっていずれは老朽化する。
そういった資金面での問題は政府が全面的に援助しているわけだが、
それは元を辿れば国民の税金であり、故に支援金の使い道については批難も多い。
だが捨てられた子どもも老人も、元はと言えば国民の産物なのだから、どうしようもない。
この時間、子ども達は学校へ行っているらしく彼らの盛んな声は聞こえてこない。
日なたでぼんやりと煙草を吹かしている車椅子の老人が、僕を興味なさげに見ていた。
歌声が聞こえる。老いぼれた歌声が軽いピアノの音に乗っている。
唱われているのは童謡だろうか。力ない手拍子も聞こえてくる。
- 64 :名も無きAAのようです:2013/05/04(土) 22:53:51 ID:5j1fPNOc0
- / ,' 3「この時間は、音楽の時間やそうや」
煙草の老人がぼんやりと聞いていた僕に向かって呟いた。
/ ,' 3「誰でも知ってる歌うたいましょーて、結局いっつも童謡ばかりや」
/ ,' 3「そんなもん餓鬼の頃音楽科で習って以来歌ったこともないのに……」
/ ,' 3「年端もいかん若者が、儂らにやれ手拍子せえだのテノールで歌えだの、ごしゃごしゃ言いよる」
/ ,' 3「そうしたら、活力がでて元気になれるんやと」
/ ,' 3「まるで保育園児の扱いや……馬鹿にし腐って……」
そうやって毒を吐く老人には右脚がなかった。
恐らく、その深傷は彼が捨てられるには十分な理由だったのだろう。
- 65 :名も無きAAのようです:2013/05/04(土) 22:54:49 ID:5j1fPNOc0
- ♪023
(゚、゚トソン「もうすぐ係の者が到着しますので、しばらくお待ちになって下さい」
ビルの入り口で僕を出迎え、応接室に通してくれた無表情のその女性は、
そう早口で言ってお辞儀した。僕も頭を下げたが、彼女は少しも表情を動かさずに去っていった。
応接間は中央に豪勢なソファが二つ、取り囲む壁には各種の賞状が飾られている。
日頃の福祉活動への感謝状や、地域で最も優秀な施設であることを示す表彰状の類だ。
その中に一枚だけ飾られている人物の写真は、この『稀少の森』を創設した男のものだ。
『稀少の森』という名前には二つの意味が込められているらしい。
一つは、打ち捨てられた人々がここで出会えた稀少性を祝福する意味。
そしてもう一つは、このような出会いが、日常ではなく稀少であって欲しいという願望だ。
その当時、『稀少の森』はまだ個人邸宅を簡単に改築した程度の施設だったという。
このような立派な姿になった今、『稀少の森』は恐らくその名が示すような働きをしていないだろう。
『稀少の森』は、今年度だけで既に十名の『泥棒』を出している。
内訳としては、名義カードを売り飛ばした認知症の老人が二名。カードを持ったまま逃亡したのが八名。
八名のうち五名は連れ戻されている。二名は依然行方不明のまま。
最後の一人は近くの公営団地の八階から、何かを夢見て飛び降りた。
ここに今回、二名の『泥棒』が加わることになる。
いくら『稀少の森』の地域における権力が強いとは言え、
こうも頻繁に『泥棒』を出されては公権力としても顔が立たない。
- 66 :名も無きAAのようです:2013/05/04(土) 22:55:31 ID:5j1fPNOc0
- _
( ゚∀゚)「こう、見る限りじゃ健全な経営をしてるんだよな、ここは」
いつだったかの『泥棒』の情報が入ったとき、
ネット上に公開されている会計報告書を見ながら長岡課長がそう呟いていたのを思い出す。
_
( ゚∀゚)「国の補助金も上手く使ってるし、借金もそれなり。公益事業の収入も十分……」
_
( ゚∀゚)「問題があるとすりゃ、人件費だなあ……こいつはちょっと、規模に比べて少なすぎる」
_
( ゚∀゚)「あんまり切り詰めて積み立ててるとめんどくさいことになりそうだなあ」
介護労働者の賃金が底辺を這っているのは今も昔も変わらない。
派手さは無いが高価には違いない応接室の内装を見るだけでも、
巨大な社会福祉法人が抱える、ちぐはぐさのようなものが少しだけ浮かんで見える。
- 67 :名も無きAAのようです:2013/05/05(日) 00:39:52 ID:iZ8krCcI0
- ふむ乙
- 68 :名も無きAAのようです:2013/05/05(日) 22:43:22 ID:7UfcGau60
- 乙
どういう結末を迎えるんだろう
- 69 :名も無きAAのようです:2013/05/06(月) 01:52:48 ID:7n9cV9xk0
- ♪024
( ・∀・)「ああどうも、お待たせしました」
そう言いながら現れたのは紳士然とした四十代ぐらいの男だった。
右手に薄青いファイルを持った彼は少し目を細めて頭を下げた。
( ・∀・)「『稀少の森』常務理事のモララーと申します」
そう言って差し出された名刺は高級そうな厚紙で作られている。
確か、『稀少の森』において常務理事は理事長に次いでナンバー2の立場である筈だ。
頭から目の前の男のような大物が出てくるとは思ってもみなかった。
( ・∀・)「さあさあどうぞ、お掛けになって下さい。そろそろ暑くなってきましたねえ」
- 70 :名も無きAAのようです:2013/05/06(月) 01:53:32 ID:7n9cV9xk0
- ソファにどっかりと腰を下ろした彼の前に僕はささやかに緊張しながら背筋を伸ばして座る。
彼の深い瞳には奇妙な引力があるらしく、見ていると吸い込まれそうになる。
口元に絶やさない微笑は、否が応にも自分が小物であることを知らしめてくれている。
確か『稀少の森』の理事長は現在、体調不良で近くの高級病院で療養しているはずだ。
つまり、実質的には目の前の男が『稀少の森』の代表者であるということになる。
( ・∀・)「この時間は静かなものでしょう。子ども達が帰ってくると、一気に騒がしくなりますが」
( ^ω^)「……」
ノックの音がして、先程僕を案内してくれた女性が冷茶を運んできてくれた。
(゚、゚トソン「失礼します」
まだ若い人だ。奇妙なほどに殺されている表情とは裏腹に、動きや容姿には瑞々しさがある。
彼女は淡々と冷茶を僕たちの前に置いて、そのまま去っていった。
- 71 :名も無きAAのようです:2013/05/06(月) 01:54:29 ID:7n9cV9xk0
- ♪025
( ・∀・)「さて……」
彼女が去った後、モララー氏の表情が少しだけ変わった。
( ・∀・)「正直なところ……誤解を恐れずに言うならば、あなた方監視者というものは実に扱いにくいんですよ」
( ・∀・)「あなた方は無口を貫く。だからこちらが喋らざるを得ない……」
( ・∀・)「人間、話す回数が増えると、自然と口を滑らせてしまう機会も多くなってしまいますからねえ」
無論、そうさせるのが僕たち監視者の役割である。
誰もが自らの饒舌に公開した覚えがあるのではないだろうか。
僕たちはそのミスを見逃さないし、見逃してはならない。
( ・∀・)「だからといって無口を貫けば、今度は余計面倒なことになる……」
仮に彼がこちらの用件に対して『黙秘』すれば、次は警察などの厄介な公権力が動くことになる。
いわば僕たちのような監視者に平穏な弁舌を振るい、
更なる公権力の介入を防ぐのがモララー氏の役目でもあるのだ。
もしかしたら、その重責を十分に知っているからこそ、僕みたいなヒラの監視者に対して、
常務理事が自ら応対するという行動を取ったのかもしれない。
その行動は一見、下っ端の軽口を阻むという目的が見えつつも、
勘繰るならば相手が口を滑らせてはならない『秘密』を持っている、という風にも受け取れる。
- 72 :名も無きAAのようです:2013/05/06(月) 01:55:12 ID:7n9cV9xk0
- ♪026
( ・∀・)「そういうわけで、早速本題に入りましょう……ええ、『泥棒』の件です」
そう言ってモララー氏はファイルから二枚の書類を取り出し、僕の目の前に置いた。
( ・∀・)「私どもも、昨今増加している『泥棒』の件数には胸を痛めるばかりです」
( ・∀・)「常日頃から職員、それに入居者へも厳しく指導しているのですがねえ……」
( ・∀・)「その二人が、今回『泥棒』を働いた高校生です」
提示された書類は、いわゆる『履歴書』だった。
A4サイズのそれには二人の男女が正面を向いている写真が貼り付けられ、
趣味嗜好や経歴、及び自己アピールなどに渡る多くのエピソードが書き込まれている。
( ・∀・)「男の子の方は、ドクオ君と言いましてね。どちらかというと内向的な……手のかからない子でした」
( ・∀・)「一方の女子の方はミセリさん……。こちらはドクオ君と違って活発な子で。元気な子でした」
( ・∀・)「何だか、二人は親密な関係にあったそうですが……まあ、その辺りはこちらも把握できません」
( ・∀・)「……どう思います? いったい、どちらが『泥棒』を提案したんでしょうねえ?」
- 73 :名も無きAAのようです:2013/05/06(月) 01:56:03 ID:7n9cV9xk0
- そう言って僕に笑いかけるモララー氏の瞳は未だに深々と渦を巻いている。
僕は彼の問いに答えることが出来なかったが、分かったのはただ一つ、
彼がまるで真意をこちらに見せるつもりがないということだけだ。
恐らく、今彼が口にした台詞も予め定められたもので、彼が目の当たりにしたものではないだろう。
常務理事という立場上、被保護者全てを把握するのは不可能であろうが、
そもそも彼には被保護者への興味、というものが徹底的に欠落している気がするのだ。
( ・∀・)「私としてはミセリさんの活発さが怪しいと思うのですがねえ……」
( ・∀・)「ともかく、その『履歴書』は彼らの最新の情報ですので、あなた方にお渡ししますよ」
( ・∀・)「いえね、偶然就職支援課の職員が持ち合わせていたもので……」
彼の一言一句を聞き漏らしてはならない。
しかしその一方で、彼の一言一句に左右されてはならない。
彼は思わせぶりな発言の中に、さらりと嘘を紛れ込ませることができるだろう。
もしくは、何も語らないという手段を取るかもしれない。
- 74 :名も無きAAのようです:2013/05/06(月) 01:57:01 ID:7n9cV9xk0
- ♪027
( ・∀・)「……今年度で既に十名の『泥棒』という件ですが……いやはや、まったくお恥ずかしい限りで」
( ・∀・)「もしかしたら、規模に反して細かい目配りが行き届いていないのかも知れませんねえ」
( ・∀・)「今後は更に職員への指導を徹底するつもりですから……」
彼が発言の端々に見せている余裕は、『稀少の森』の必要性、及び知名度が後ろ盾になっている。
仮に行政指導が入ったところで、『稀少の森』も、モララー氏もびくともしないだろう。
もしかしたら末端の職員が切られるかもしれないが、そんなものは藪蚊ほどの痛みもない。
『稀少の森』レベルの社会福祉法人ともなれば、公権力とのパワーバランスは絶妙で、
政府からの補助金の一部を寄付金として政府に援助するというような盥回しさえやってのける。
それによって得られるのは名誉と感謝、そして確固たる地位の約束である。
無論このことは社会問題化しているが、巨大な社会福祉法人には誰もメスを入れられない。
社会福祉法人がぐらつけばそこで働く職員や被保護者が野放しになってしまう。
そうなれば困るのは地域の住民であり、当事者達であり、引いては国民なのだ。
彼らは弱者を人質に取る術に長けている。弱者の保護には常に愛と殺意が込められるのだ。
( ・∀・)「……それにしても、ドクオ君も、ミセリさんも、未だに見つかっていないんですよねえ」
( ・∀・)「あなた方も、宜しければ探してあげてくださいませんか?」
( ・∀・)「勿論、然るべき謝礼は用意しますから……」
- 75 :名も無きAAのようです:2013/05/06(月) 10:30:53 ID:O98V8OA20
- 面白いものを見つけた
それにしても今の世の中過ぎるぜ
ジャンルでいったらなんだろうこれ
- 76 :名も無きAAのようです:2013/05/07(火) 00:53:39 ID:292ANE0c0
- ♪028
僕は早々に『稀少の森』を後にした。
恐らくモララー氏から表面的な情報以外を得ることはできないだろう。
デキる大人とはそういうものだ。交渉術に長けていて、言うべきことと言わないでおくべき事の分別が出来る。
多くの一般庶民はどうしてもどこかで無秩序な『呟き』をしてしまうものだが、
彼のように、一定以上の身分に上り詰められる人間はそもそも脳の作りが違う。
彼らは臨機応変に自らの内部で真実をねじ曲げられるし、また嘘の『呟き』で他人を翻弄することもできる。
これは殆ど先天的な才能と呼んでいいだろう。
もしくは、思春期の精神成熟の過程において、何らかの齟齬があったのかもしれない。
いずれにせよ、そうやって仕立てられた上流層は、世間から隔絶されてしまっている。
そのような人々は大企業を経営していたり、マスコミのトップに立っていたり、
国会議員になっていたりする。モララー氏など、言ってみればまだ庶民派であろう。
- 77 :名も無きAAのようです:2013/05/07(火) 00:55:16 ID:292ANE0c0
- ( ^ω^)「……」
そのような精神性のカースト制度がどのようにして組成されているのか、
メカニズムは今なお明らかになっていない。
各地の医学研究所がこの問題に取り組んでいるとも、公権力がそれを抑圧しているとも、
また僕たち監視者が実地調査を行っているとも、巷ではまことしやかに囁かれている。
皆、監視者のことを買いかぶりすぎているのだ。
今や質も量も全盛期から大きく落ち込んだ監視者という立場にそのような力などあるはずもない。
自分たちの無力さは自分たちが最もよく知っている。たった七人の組織に何ができるというのだろう。
先ほど、モララー氏が冗談交じりに依頼した件にしたってそうだ。
嘗てのように……世の半分が監視者ではないかと勘繰られていた時代、
まだ誰の『呟き』も公にされていなかった時代は、監視者の力で行方不明者を見つけられたかもしれない。
しかし今や行方不明者の捜索など警察の管轄に戻っているし、
当然警察は既に動き出しているだろう。彼らは行方不明者である以上に、犯罪者なのだから。
故に僕たちにできることなど何もない。ただ事態を静観して後刻新聞の地方欄で知ることになるだけだ。
まあ、たぶんモララー氏なりの皮肉だったのだろう。
名ばかりの職業である監視者への、悪意というよりも嘲りに近い言葉を投げたのだ。
そこに大した意味などあるまい。深く考えても仕方がない。
- 78 :名も無きAAのようです:2013/05/07(火) 00:56:05 ID:292ANE0c0
- ♪029
さて、どうしたものだろう。
僕の手には今二枚の『履歴書』がある。ドクオ、ミセリという名の少年少女のものだ。
ドクオ、という少年は細目が特徴的で、確かに少し陰気そうな表情をこちらに向けている。
反面、ミセリという女の子は年相応の可愛らしい顔をしている。
こうして見れば確かに女の子が男の子を手引きしたと考えられなくもないだろう。
しかし黒幕は外部の人間とも、内部の別の人間とも考えられるし、断定はできない。
そう考えると『泥棒』案件として見た場合、この『履歴書』から得られる情報は非常に少ない。
履歴書は就職活動目的で作られているため、それなりにキチンとした文章で綴られている。
このご時世、少子化が進みすぎた余りに就職は売り手市場になってしまっている。
無論、それだけ経済の市場規模も縮小しているために決して楽とは言えないものの、
一時期のように毎日のように就活生が自殺していた時代からはやや立ち直っている。
- 79 :名も無きAAのようです:2013/05/07(火) 00:57:24 ID:292ANE0c0
- 高校生が就職活動をして行き着く先など限られているのは昔と変わらず、
大抵はオートメーション化されていない工場やアルバイト同然の職に就くこととなる。
『稀少の森』のような福祉施設の職員になるのも一手だろう。ただ、現場は相当厳しいと聞く。
統計データによると、職業別の自殺者で最も多いのは介護職であるそうだ。
それも若者の自殺が多く、それが過労と精神的重圧によるものだということも分かっている。
いずれにせよ、高卒で職を選ぼうとするとするのは、そういうことなのだ。
彼らがよほどの天才でも無い限り、一定以上の生活は望めないだろう。
しかし、生活のレベルなど最低限でも大して問題はない。
この国で食いっぱぐれることなどまず有り得ないし、それこそボロアパートで小説を書く兄者のように、
片手間でフリーターをやるような人間でもやっていけるようなシステムにはなっている。
にも関わらず何故人は自ら死を選択するのか?
欲求のレベルが高まって、最低限の生活では満足出来なくなったのか。
それとも、自分の人生が頭打ちであるということに気付いてしまったからだろうか。
( ^ω^)「……」
さて、どうしたものだろう。
監視者の職務は毎日毎日、道を見失う作業の繰り返しだ。
そんなに面白いことが起きるわけでも無いこの世界に、僕の歩くべき道はあるのか。
履歴書に描かれた少年少女の自意識に、行き場はあるのか。
とりあえず、足を引きずる。
- 80 :名も無きAAのようです:2013/05/07(火) 00:58:12 ID:292ANE0c0
- ♪030
国道沿いの歩道をぶらぶらしていると小学生の群れとすれ違った。
若い男の教師が先導しているのを見るに、遠足か何かの帰り道だろう。
子ども達の顔は疲労とは違った重々しさで塗りつぶされている。
子どもに活気がある、なんて呼ばれていた時代はとうに過ぎてしまい、
今やすれ違う彼らはもう人生の墓場に至ったかのような虚しさに彩られている。
その集団が歩いて行く姿はまるで敗残兵の行軍のようだ。
子どもの数が減るにつれて学校は次々と統廃合され、
それによって職をあぶれた大勢の教師が政府に補償を求める騒ぎにまで発展した。
結局この裁判は政府が雀の涙ほどの退職金を上積みすることで解決された。
目の前の子ども達のどれだけが施設の子ども達だろうか。
いったいどれだけの子ども達が両親の元で育てられているのだろうか。
そんなことを考えていると彼らの『呟き』が目に入ってきた。
「疲れたなあ」「早く帰って寝よう」「帰りたくないな……また怒鳴られるんだ」「あいつ、死なないかな、マジ」
不穏な『呟き』に、教師としてもいちいち付き合っていられない。
「なんでこんな仕事始めたんだっけ……」
教師の『呟き』は、彼自身の建前の叫び声で掻き消されていく。
「さあ、もうすぐ学校だぞお。帰り着くまでが遠足だからなあ!」
- 81 :名も無きAAのようです:2013/05/07(火) 02:31:10 ID:mTtuDvlc0
- おつ…
どうころぶかまったくわからんなこれ
- 82 :名も無きAAのようです:2013/05/10(金) 00:13:36 ID:elk.4roY0
- ♪031
庁舎に戻り、『稀少の森』の案件も踏まえた報告書を書く。
と言って、当該案件に関して書くべき事など殆どなく、ただの訪問記録のようになってしまった。
『……国会における経済産業相の答弁を巡る失言問題に関して、
野党は明日にも問責決議案を提出する方針を固めています……』
長岡課長がぼんやり眺めているテレビで女性のアナウンサーがはきはきと今日のニュースを喋っている。
いつの時代も政治関係者の一挙手一投足に関する馬鹿げた報道は変わることなく、
それはむしろ時代が平和になればなるほど勢いを増しているようだ。
_
( ゚∀゚)「いいぞー、やめちまえー」
こうした大臣の発言や、ちょっとしたミスが国民の政治姿勢を変える事態もさして変わっていない。
相変わらず与党と野党による茶番劇は繰り返され、時にはそれらが入れ替わることもある。
しかし、替わったところで根幹に存在する政治意識は与野党共にさほど変わらない。
だから国民は、どうでもいいことでしか自分たちの国を維持する人間を選べないのだ。
公権力と民衆の間にはどこかにパイプラインが存在しているのかも知れない。
しかしながら、大多数の国民がそのパイプと無関係であることは間違いないだろう。
相変わらず自由競争と自己責任の体制は続けられている。
公権力はおおよそ、国民を放置している。
- 83 :名も無きAAのようです:2013/05/10(金) 00:14:17 ID:elk.4roY0
- しかし、国民はもうとっくの昔に放置されることに慣れてしまっている。
法律の成立はいつの間にか執り行われ、それが施行されれば国民はその通り動くだけだ。
空の統計データが表示されるようになった経緯を知っている国民がどれほど存在しているだろうか。
『国民と政府の距離が遠すぎる』と熱弁する論者もいる。
そういう論者が、テレビ番組で気まぐれに出演する政治家と討論することもある。
このままじゃ駄目だ。今変えようとしているんです。そんなやり取りが数年繰り返される。
ネット上には幾多もの政治的ニュースが飛び交い、匿名のコメンテーターが放言を氾濫させる。
今回の答弁を巡ってもSNSなどで熱い議論が繰り広げられていることだろう。
しかしそんな風に関心を持つ国民は結局のところ政治そのものに関与することはできない。
能力の問題もある。しかしそれ以前に、大衆と政治家ではそもそも住む世界が違うのだ。
競走馬と博打打ちの関係のようなものだろう。互いを認知していても、直接的には手出ししない。
片方の無自覚な行動が、もう片方の運命を左右することもある。
- 84 :名も無きAAのようです:2013/05/10(金) 00:15:10 ID:elk.4roY0
- ( ^ω^)「……」
つまり、政治的観点において、運命の価値など無いにも等しい。
_
( ゚∀゚)「お、出来たのか?」
報告書を受け取った長岡課長は中身を確認することもなく印を押した。
_
( ゚∀゚)「じゃあ今日は……直帰だな。うん。お疲れお疲れ」
『……現在S駅での人身事故の影響により、十分ほどの遅れが出ているようです』
『では、続いて天気予報です』
- 85 :名も無きAAのようです:2013/05/10(金) 00:15:51 ID:elk.4roY0
- ♪032
最寄り駅の柱を背にして襤褸切れのような恰好をしたホームレスが洗面器を膝の上にのせて座り込んでいる。
眠っているのか、俯いたまま少しも動かない。もしかしたら死んでいるのかもしれない。
そんな彼を、雑踏は無視するか、あるいは侮蔑的な一瞥を投げて通り過ぎていく。
そんな彼の洗面器には数枚の小銭と千円札が一枚、入っていた。
物乞いの方法としては、最初に自分で小銭を入れておくものである。
そうすれば、他人が少しばかりお金を恵んでくれやすくなるのだそうだ。
だが、千円札は誰かが入れてくれたものだろう。彼自身にとっても、意外だったに違いない。
この時勢、データによればホームレスの数は順調に減少していっているらしい。
『稀少の森』のような総合福祉施設は基本的に彼らを受け入れないが、
職業訓練所や、その類で彼らを専門に取り扱っている団体もある。
だから彼のように未だホームレスとして物乞いをしている人間は珍しいのだ。
- 86 :名も無きAAのようです:2013/05/10(金) 00:16:52 ID:elk.4roY0
- とは言え、物乞いも立派な犯罪行為である。
僕が見ている限り、このホームレスはこれまでにも何度か警察に連行されている。
相応の団体に案内もされているだろう。それでも彼はここに戻ってきて物乞いを続けている。
もしかしたらこれは彼の人間性なのかもしれない。
彼にはこの生き方が見合っているのだ。この生き方しか出来ないのだ。
齢にして五十前後のこの男に、今更人生の希望や次のステップを探せと教えても無意味だろう。
合理的な社会のシステムが必ずしも合理的な人間を生み出すわけでは無い。
この世の多くが生きることへの希望や喜びを教えるが、
大多数の人間は、もしくは教える側の人間さえ、それに聞き飽きてうんざりしてしまっているのだ。
( ^ω^)「……」
一応、監視者である僕はこの男を通報する義務がある。
そうすればそれば僕の成果になるし、結果として良い評価に繋がるかも知れない。
しかし、どうも通報する必要はなさそうだ。遠くから警察官が二人、此方に向かってやってきている。
ふいにホームレスが顔をあげた。偶然か、もしくは敵の足音を聞き分けたのか。
彼はぎくしゃくした、錆びた機械のような動きで千円札を取って服の中へしまいこむ。
そして逃げる様子も無く元の姿勢に戻ってうなだれた。そして『呟いた』。
「もう、放っておいてくれ」
- 87 :名も無きAAのようです:2013/05/11(土) 00:32:38 ID:49qUC8Bk0
- ♪033
( ´_ゝ`)「……俺が言うのもなんだが、お前達はつくづく暇なんだな」
流石に二日連続の訪問とあって、兄者はややうんざりした顔をしてみせた。
彼は相変わらずディスプレイの前に座り込んでコツコツと中指で眉間を叩いている。
( ´_ゝ`)「言っておくが、俺は明日バイトなんだ。だから、ここにはいないぞ」
勿論知っている。彼の行動パターンは一週間を通してほぼ変わらない。
彼についてはバイト先や家族関係、おおよその睡眠時間や食事の頻度も把握している。
滞留する知識がいずれ使われるかどうかはともかく、僕は幾人かの監視対象のデータを頭に入れている。
他に憶えておくべきことが無いのだから仕方がない。
組織内のシステムなどは大抵マニュアル化されているし、
必要になればいつでもパソコンや携帯が教えてくれる。
- 88 :名も無きAAのようです:2013/05/11(土) 00:33:30 ID:49qUC8Bk0
- ( ´_ゝ`)「昨日書いたものも含めて、今まで書いてきた小説は全てこのパソコンに保存されている」
( ´_ゝ`)「もうこのパソコンも十年ものだ。いつデータが飛んでもおかしくない」
( ´_ゝ`)「そういう時のために、クラウドサービスも複数利用している」
兄者は『呟かない』が、代わりに口数は多い方であるような気がする。
もっとも、それは壁に向かって独り言を呟くような塩梅で会話にはならないのだが、
だからこそ僕のような監視者は打って付けの聞き手なのかもしれない。
( ´_ゝ`)「そうやって俺は俺の小説を守っている。何故そんなことをする必要がある?」
( ´_ゝ`)「誰にも見せるつもりのない小説を溜めて、溜めて、いったいそれに何の意味がある?」
- 89 :名も無きAAのようです:2013/05/11(土) 00:34:23 ID:49qUC8Bk0
- メディアとしての小説が衰退の一途を辿っていることは言うまでも無い。
わざわざ金を出してまで長文を読みたいと思うような人間は殆どおらず、
もしかしたら教科書以外で小説を読んだことなど一度もない人だって多いかもしれない。
相変わらず義務教育の過程においては読書の必要性が叫ばれているが、
実際のところその方針に出版社と教育現場の密接な関係性以外の意味は判然とせず、
小説などという厄介な代物は今や複雑な数式の如く大衆から邪険に扱われるようになった。
細々と食いつないでいる文学者も基本的にはこの世から去った作家の小説を愛する。
そのために現存する小説家は非常に数が少なく、中でも専業で生きていける作家ともなれば、
一人として存在しないのではないだろうか。いつの時代だってラッダイトは葬られるものだ。
- 90 :名も無きAAのようです:2013/05/11(土) 00:35:29 ID:49qUC8Bk0
- ♪034
( ´_ゝ`)「しかし、俺はたまに思うんだ。俺が書いているのは敗北者の小説なのだと」
( ´_ゝ`)「敗北者は口を噤むべきだ。そこにどのような心象があろうとも」
( ´_ゝ`)「ならば敗北者の小説は、誰の目にも触れるべきではない……」
彼が家を出ると家族に告げたとき、誰一人として彼に賛同しなかったと言う。
母親はカンカンに怒り狂い、父親は呆れてものも言わず、弟は侮蔑の視線を投げて、妹は泣いて止めた。
それでも彼は家を出た。彼が彼であるためにはそうするしかなかったのだ。
誰もが彼の人生に普通の生活をあてがおうとした。
普通の正体なんて分からないが、ボロアパートでフリーター生活をすることではないようだ。
たった独りで引き籠って小説を書くことではないようだ。そんな将来を夢見ることではないようだ。
弟も妹も優秀な人間であったと言う。
特に弟は有名な国立大学を卒業して一流の企業に就職したのだそうだ。
弟は、もしかしたら自分を反面教師にしたのかもしれない、と兄者は言っていた。
- 91 :名も無きAAのようです:2013/05/11(土) 00:36:13 ID:49qUC8Bk0
- ( ´_ゝ`)「才能が無かったのか、運が無かったのか、それとも生まれる時代を間違えたのか……」
( ´_ゝ`)「いずれにせよ変わりない。何を嘆いても何がどうなるわけでもない」
( ´_ゝ`)「俺はいったいどこまで自分を後ろ向きにできるか、試してみるしかない」
( ´_ゝ`)「自分の命の螺旋は、自分で巻かなければならない……」
兄者の故郷はここから遠い、北にある地方都市だそうだ。
そこから兄者は、着の身着のままに逃亡した。命からがら落ちのびた。
それでもなお、兄者の逃避行は終わっていない。だから彼は、小説を書くのだ。
ふいに兄者が携帯を手に取った。
( ´_ゝ`)「ところで、連日やってきたということは、今日こそメシぐらい奢ってくれるんだろうな?」
最初からその可能性がないことを理解しながらそう言った兄者が握る携帯電話の待ち受け画面が、
彼がまだ幼かった頃に撮影された家族写真であるということを僕は知っている。
- 92 :名も無きAAのようです:2013/05/11(土) 03:50:12 ID:W88iTZ9E0
- 兄者…
- 93 :名も無きAAのようです:2013/05/12(日) 06:00:40 ID:AyOTXU0s0
- 乙
この2人好きだな
- 94 :名も無きAAのようです:2013/05/15(水) 01:39:58 ID:AtM1yuok0
- ♪035
『近くの商店街で通り魔が出たんだって』
感傷の吹き荒ぶ夜、僕は冷たいベッドの上でいつものように彼女の言葉を聴いていた。
性質から考えると、彼女は僕と同年代なのかも知れない。
幾分疲労しているように思えるその声の中で、若さが薄弱な脈動を繰り返している。
『幸い、近くにいた人が取り押さえたみたいで、怪我人とかはいなかったんだ』
『ああいう人ってやっぱり監視者だったりするのかな? キミは、どう思う?』
監視者は事前に監視対象の反抗を防止する。
それは必ず秘密裡に行われ、故に通り魔と他人に認識されることもない。
だから彼女の予想は外れているのだが、敢えて指摘するまでもないし、そうするだけの元気も無い。
僕はむしろ、このご時世に通り魔などと言う積極的犯行を起こす人間の存在に驚いていた。
増加の一途を辿る子殺しは、いわば追い詰められたがための消極的な犯行だ。
こうするしか無かった。自分は今の状況にはとても耐えられない。だから子どもを殺す。
- 95 :名も無きAAのようです:2013/05/15(水) 01:40:38 ID:AtM1yuok0
- しかし通り魔……いわゆる無差別的な他者への攻撃は自ら発想して起こさなければならない。
そこにはどれほどの精神力が必要だっただろう。何が犯人をそこまで追い詰めたのだろう。
『……でも、そうだな。そういう生き方もありじゃないかなって、思う』
『別に私がそういうことするってわけじゃなくてね……というか、そんなことできる勇気とか、ないし』
『でもそうやって、何か一つのことを、実行するって、すごく疲れると思うんだ』
夢や希望やそういう類のものが、年月を経る内に消えていった。
自分には自分のことしか分からない。けれどこれはもしかしたら深刻な社会問題なのかも知れない。
原因の一つは紛れもなく空に浮かぶ統計データだろう。数字は確定的であり、だからこそ人々を抑圧する。
その数字は、いつだって現実を知らせてくれる。絵空事を描く間もなく、人の空想を塗り潰す。
社会全体としては良い方向に進んでいるのかも知れない。実際、最近はとても平和だ。
しかしその平和には実感が伴わない。
戦争を知らない子どもに戦争を知らせることが酷く難しいことと同様に、
平和が前提の社会で平和について、本当の自覚には至らないのだろう。
あまつさえ、夢の無い社会しか知らない子ども達は、夢を知らずに生きていかざるを得ない。
どこかの誰が教えてくれるわけでもない夢を抱く子どもがこの世にどれだけ存在するのだろう。
- 96 :名も無きAAのようです:2013/05/15(水) 01:41:23 ID:AtM1yuok0
- 『……なんだか最近、よく眠れなくて』
『ノイローゼ、かな? なんにもしてないのに、馬鹿げてる』
電話の相手は少しだけ息を深く吸い込んだ。
『……夜は、いやだねえ。朝も、きてほしくないねえ。明日が、こなければいいのにね』
『歩き疲れたなあ……』
- 97 :名も無きAAのようです:2013/05/15(水) 01:42:05 ID:AtM1yuok0
- ♪036
翌日に起床して庁舎へ向かおうとした僕をアパートの前で待っていたのは意外な人物だった。
(,,゚Д゚)「……よう」
喪服のように真っ黒なスーツ姿の彼は少しこけた頬を引き攣らせて僕に手をあげた。
その姿を見るのは特段久しぶりというわけでもないのだが、朝一で待ち受けられると少々戸惑う。
(,,゚Д゚)「お互い、朝が早くて辛いな。まあ実際、そこまで気合い入れなくてもいいんだが」
( ^ω^)「……」
ギコ。職業は警察官で、僕の友人……或いは、知人。
彼が少し笑みを浮べようとして失敗するのを見る度に、僕は何とも言えない空白を覚える。
彼の手はつい先日、どこの誰かも分からない女性を撃つために引き金を引いた。
- 98 :名も無きAAのようです:2013/05/15(水) 01:42:48 ID:AtM1yuok0
- (,,゚Д゚)「最近は調子が良いんだ。上司に怒られることも少なくなったし、無様な取り逃がしもやっちゃいない」
(,,゚Д゚)「けれどこういうのは、いつか必ず揺り戻しが来るんだ。だから注意しないと……」
警察官という職業について僕はそれほど熟知しているわけではない。
ただ、彼らのセオリーとして、居宅への訪問は早朝に行うのだそうだ。
対象の人物を逃さないため、また衆目から逃れるために。
今のギコは旧友では無く仕事人の目をしている。つまりは、そういうことだ。
(,,゚Д゚)「……さて、一応、これを確認しといてもらおうか」
そう言って、案の定ギコは胸ポケットから警察手帳を取り出した。
- 99 :名も無きAAのようです:2013/05/15(水) 01:43:37 ID:sa3Nbvn60
- 支援
- 100 :名も無きAAのようです:2013/05/15(水) 02:52:13 ID:sa3Nbvn60
- 終わってたか
続きの気になるところで乙
- 101 :名も無きAAのようです:2013/05/15(水) 23:22:27 ID:QRHdN68E0
- これどうやって決着つけるんだろう
- 102 :名も無きAAのようです:2013/05/16(木) 21:05:40 ID:IfdIVjrI0
- おつ
ギコ仕事で来たってことか・・・
- 103 :名も無きAAのようです:2013/05/23(木) 01:49:06 ID:6jlPj3oA0
- ♪037
(,,゚Д゚)「まあお前のことだ、分かっていると思うが……。これは捜査じゃない」
(,,゚Д゚)「ただ、『監視者』であるお前に、少し確かめたいことがあるだけだ」
公僕の縦割り制度は今に始まったことでは無いが、それでも末端レベルでは情報の共有が始まっている。
特に『監視者』と『警察官』はその職務の性質上、よくコンタクトを取ることが多い。
お互いが、お互いの利益を損なわない程度の情報を公開しあうのである。
別段何も反応を示さなかった僕に向かって、ギコは指を一本立てた。
(,,゚Д゚)「一応確認しておく。これから俺が質問する。イエスなら指を一本立てろ」
(,,゚Д゚)「ノーなら二本。回答不能の場合は三本だ」
この方法は、物言わぬ監視者にとられた特別の措置である。
警察官が一方的に質問を投げかける故、監視者は立場的に不利になりがちなのだが、
時には相手が口を滑らせることもあるし、最悪の場合ブラフをかけることも出来る。
- 104 :名も無きAAのようです:2013/05/23(木) 01:49:46 ID:6jlPj3oA0
- 無論、僕がギコに嘘をつくような理由は思い当たらないし、
なおかつ後ろめたいことを最近やらかした憶えもない。
彼がこうやって僕を尋問するのはこれが二回目だ。
前回の尋問の際、ギコは僕からとある女性について同じように訊いてきた。
(,,゚Д゚)「この女にはガキがいるのか?」
僕は指を一本立てた。
その後については言うまでもない。
- 105 :名も無きAAのようです:2013/05/23(木) 01:50:31 ID:6jlPj3oA0
- ♪038
(,,゚Д゚)「……まず、お前は昨日の午前中に総合福祉施設『稀少の森』へ訪れた。違いないな?」
僕は鞄を持っていない方の手でやんわりと指を一本立てて見せた。
(,,゚Д゚)「勿論、目的は新たな『泥棒』の調査だ。そこでお前は出来る限りの情報を得た」
一本。
(,,゚Д゚)「お前が得た情報によると『泥棒』はドクオとトソンの二名……そうだな?」
二本。
(,,゚Д゚)「……おっと、そうかそうか。勘違いだな。本当はドクオとミセリ……そうだろう?」
- 106 :名も無きAAのようです:2013/05/23(木) 01:51:12 ID:6jlPj3oA0
- 一本。
決してギコはふざけているわけではない。
かといって、真面目に僕にカマをかけるつもりもないのだ。
警察官にとってこの程度の訝しみは当然の行為であり、また義務ですらある。
いわば口癖のようなものだ。ギコにはおそらく、自分が敢えて嘘を口にした覚えすらないだろう。
そして、ギコは永遠に気付かないのかも知れない。彼が時折台詞に紛れさせる『トソン』という名の正体……。
(,,゚Д゚)「これで最後の質問だ……。ブーン、ミセリという名に憶えは?」
- 107 :名も無きAAのようです:2013/05/23(木) 22:39:26 ID:Qyglci3k0
- 残念だが待ってる
- 108 :名も無きAAのようです:2013/05/24(金) 13:21:37 ID:Ve13IMVU0
- 書きため頑張ってくれよ
- 109 :名も無きAAのようです:2013/05/24(金) 21:51:28 ID:vdOKOJZ20
- 追い付いた!
待ってる!
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