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☆近畿百科☆ニュース その4
353
:
名無しさん
:2010/07/04(日) 13:37:16
【麗(うるわ)し大和】(27)紺碧に浮かぶ 垂仁天皇陵
http://www.sankei-kansai.com/2010/07/04/20100704-040956.php
紺碧(こんぺき)の空を映し、ゆったりと水をたたえる古代の王墓。近鉄尼ヶ辻駅の雑踏を抜けると、時の流れが止まったような垂仁(すいにん)天皇陵(宝来山古墳。ほうらいやまこふん)がある。町や田園風景のなかで突然出合う太古の遺産。だから、奈良歩きはおもしろい。
古事記、日本書紀に伝わる11代垂仁天皇は在位なんと約100年。とても信じられないが、古墳自体は約230メートルと4世紀中〜後期の前方後円墳としては最大規模だ。4世紀といえば、中国の史書にみえる卑弥呼(3世紀)と倭の五王(5世紀)の間で、文献上は謎だらけ。古墳は、ベールに包まれた謎の4世紀に強大な権力を持つ王がいたことを教えてくれる。
水鳥が憩う濠(ほり)の周囲をぐるりと歩くと、東南の片隅に、田道間守(たじまもり)の墓と伝わる小島がぽつんと浮かんでいた。記紀によると、天皇の命で非時香菓(ときじくのかぐのこのみ、橘の実という)を求めて常世(とこよ)の国に渡り、10年後に帰ったがすでに天皇は亡く、嘆き悲しんで死んだという。当時の果実は菓子のルーツとされ、今では田道間守は「菓祖」として菓子業界の信仰を集めているそうだ。
ところが、どうやらその小島はそれほど古いものではないらしい。「幕末から明治のころに堀を拡張した際に、当初の堤の一部が残ったもの」という和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授。
ともあれ、陵(みささぎ)に寄り添う小さな島に人々は、伝説の忠臣をなぞらえた。永遠へのあこがれもあったろう。そこに新たな信仰が生まれるあたり、なんとも日本人らしい心のありようだと思う。
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