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祭りの為に進学・就職を替えた人いますか?
1
:
不二
:2002/02/23(土) 01:33
名前: 祭り好き 投稿日: 2000/11/01(水) 18:49
西条出身者でないと理解できない祭りへの熱い思い入れ
でも、所変わればで、他地方に進学・就職してしまったが為に毎年苦労している人が多いのも事実です
そんなら
「祭りが大手振って休められる地元の会社」
「祭りがやりたい為に転職した」
そういった話しをお聞かせ下さい
2
:
不二
:2002/02/23(土) 01:34
名前: すみきょー 投稿日: 2000/11/05(日) 18:17
大学は大阪でしたが、まつりは毎年欠かさず帰っていました。
不思議がる友達を連れて帰ったこともあります。
卒業のときは研究室に西条まつりのポスターを寄贈して帰りました。
祭りがなければ地元には帰ってこなかったと思います。
今の会社は本社が新居浜なので新居浜祭りが休みです。でも、西条の人は
西条まつり有給で休めます。15、16は入社してから出勤したことが
ありません。17日の解体も大体休めます。
ちなみに今年は、土日と新居浜まつりで5連休しました。ラッキー!
3
:
不二
:2002/02/23(土) 01:35
名前: 名無しさん@祭り好き 投稿日: 2000/11/05(日) 18:29
>>2
すみきょーさん
そりゃいいですね、西条に住んでても最近は祭りが休みじゃない所が昔より、けっこう増えているしね。
4
:
不二
:2002/02/23(土) 01:36
名前: こおチャン 投稿日: 2000/11/07(火) 08:05
私は、もともと西条ではないので、祭りのために、進路をどうのこうのしたっていうのはないのですが、人生が変わったのは確かです。
西条祭りにはじめて参加(登録はせずに、屋台の後をついていっただけですが)してから、2ヶ月後には、20数年生まれ育った町を出て、西条市民になっていました。
来年からも参加したかったし、子供たちに残せる文化も素晴らしいと思ったので、思い切って西条に来てしまいました。西条なんて、それまで遊びに来た事すらなかったのに、本当に思い切ったことをしたと、今でも思っています。
ホームシックにもかなりかかったりしたし…。そういうときは、祭りのことを考えるとだいたい癒されるんですけどね。
ついでに、あと1人は子供が欲しいのだけども、市制65周年までは祭りに参加したいので、あと6年は子供は作れないなあー、なーんていってます。(^o^)
ほんとに、年を重ねるごとに西条祭りを基準にした考え方になっていってます。もっと早く(若いうちに)、西条祭りと出会えばよかったなあ。
5
:
不二
:2002/02/23(土) 01:36
名前: ベンきち 投稿日: 2000/11/07(火) 10:58
こおちゃんさん、凄い、そりゃ凄い。
と共に西条人としてうれしいね。
よけいな事だけど、仕事はよかったのでしょうか?
6
:
迷い人
:2003/11/30(日) 14:27
あー。もう就職活動が始まるのです。卒業は再来年なのに。
祭りが好きだから西条に戻って仕事したいけど、どうなんだろう・・・・。
皆さんはどうだったでしょうか?
7
:
榮甼
:2003/11/30(日) 22:36
西条に祭りが無ければ、自分は西条には居なかったでしょう。
8
:
井波の彫師
:2003/12/01(月) 08:49
僕も祭りの事はめちゃめちゃ考えました。僕は就職やなしに修行だし、多分1、2年は祭りには帰れんと思ってました。やけどそれ以上に彫師になりたいと言う思いが強かったです。幸い親方が話の分かる方で説得のかいあって何とか今年は帰れました。西絛についたのは15日の午前1時ですが、、、駅に着いてまさか駅には来てなかろと、予想していたのですが、玉津三兄弟と下町南が、駅で練っていて、予想外の事だったので本当に感動しました。来年も帰れるように頑張ります。
9
:
あ☆ましん
:2003/12/01(月) 12:01
自分の夢を追うことが一番大切なのでは?
オレの場合、小さいときからなりたかった職業に
運良く就くことができました。(超〜最末端だけどね〜)
しかし、その業種の99%が東京に集中しているため
西条に戻って仕事はできません。
今年は何とか叔父の葬式をでっち上げて(笑)、
祭りに帰郷することができましたが、来年帰ることができるかどうかは
まったく保証できないのが実情です。
『祭りが好きだから』
という理由で、西条で仕事するのもひとつの生き方だと思います。
オレの同級生でも、そういうヤツ何人も知ってます。
生き方・考え方・進学・就職先・結婚・家族計画(このスレの4番目、こおチャンさん参照)
そんな大事なことまで左右してしまう西条祭りを
オレもホント大好きです。
でも、オレは自分の夢を選びました。
せっかくつかんだチャンスを逃がしたくなかったからです。
西条が好きだし、西条祭りが大好きだけど
仕事に対する思い入れは捨てられませんでした。
来年も何とか理由つけて帰ってきたいと思いますが
もしダメだったら、ここの実況中継にお世話になるつもりです。
長文すみませんです……
偉そうなこと書いてますが、社会人1年目です……
10
:
不二
:2003/12/02(火) 00:18
祭りがあるから年に一度は帰れています
祭りが無かったら・・・
たぶん何年も西條に帰らない時もあったでしょう
仕事は難しいですね
あ☆ましん君みたいにどこかじゃないと出来ない職種もあるだろうし
榮甼さんのように祭りが無かったら西條に居なかった、と言えるのは素晴らしい
自分的には、せめて他所で稼いだお金をたまの帰省の際には出来るだけ全国資本じゃない地元の店で使う事ぐらいです
11
:
不二
:2003/12/05(金) 02:22
今一度学生時代の終わり頃を思い出しました
自分の場合は学校があった名古屋で二社の内定を貰っていて(別に自分優秀だったのでは無く今よりずっと景気がよくて売り手市場だったからです)
でも祭りや郷土への気持ちで悩んだ末に愛媛に帰りました
当時付き合っていたガールフレンドがいて「名古屋で就職して欲しい」との度重なる思いを伝えられたのですが祭りを選んでしまいました
あの時に愛媛に帰らなければ祭りから離れて違う人生を歩んでいた事でしょう
当時は地元の富士見にはまだ屋台がなく隣の砂盛での参加でしたが、それでも祭りの吸引力は強かったように思います
結局は一年半でまた愛媛を出てしまいましたが、後悔してないし良かったんじゃないかと降りかえった今は感じたりします
12
:
あ☆ましん
:2003/12/05(金) 03:48
彼氏・彼女の関係は、また微妙な問題ですよね(笑)
ふたりの郷里が離れている場合は特に深刻ですよね。
下手すると泥沼化しますからね(笑)
「アタシと祭りどっちが大事なの?」
なんて言われてみたいですね。
まぁ、当然、祭りなわけですが……。
そんな彼女もいないオレは
クリスマスも正月も、仕事場に詰めてることになりそうです
(同情するなら彼女クレ)
13
:
井波の彫師
:2003/12/05(金) 08:42
あ★ましんさん、そのうちいい人できますよ! 僕は現在愛媛に彼女がいますが何とか頑張っています。 たまに私と祭りどっちが大事なん?と言われて 普通に祭りと言うたら怒られる時もあります。 僕が祭きちがいと知っていて井波に修行に来た事は彼女も分かってくれてます。僕は何年で帰れるとか決まってないんで(最低7年最高10年ぐらい?)で帰れると思います。 それでも待ってくれると言われて嬉しかったです。 すいませんおのろけ話しで(笑)
14
:
あ☆ましん
:2003/12/05(金) 10:00
あはは、慰めどうもアリガトね〜。
話を脱線させてしまったので
元の話題に戻しますね。
西条で就職した場合、
祭りの日には仕事休みになるところのほうが多いですよね?
では、愛媛県内(例えば松山なんかで)就職した場合、
「西条祭りがあるから有給休暇ください」
と申し出るのは、難しいものですか?
もちろん、企業によって対応は異なるとは思いますが
県内で他市町村の、西条祭りに対する理解度が知りたいです。
ちなみにウチの親父さんは新居浜勤めなんですが、
新居浜祭りの日に仕事に出る代わりに
西条祭りは休ませてもらううんじゃ
と、申しておりました。
15
:
榮甼
:2003/12/08(月) 01:56
僕の場合は、高校卒業後松山だったんですけど、その職場では全然理解はありませんでした。
祭りに休みなんんて、もってのほかじゃ、ゆうて言われていました。
まだまだ、徒弟制度ってゆうか封建制度みたいな感じが強くて、
休みたいなんて自分の口からは、なかなか言えませんでした。
昭和62年の年です。当時は住み込みでした。
14日の晩普段どうりに仕事が終わり、松山はいつもどうりの夜でした。
そこで僕は親方に切り出しました。今晩帰りたい。
自分は辞めて帰る覚悟でした。恥ずかしながら涙もでました。
どれくらいの時間話し合いがされたのか覚えていませんが、
渋々許されて最終の普通列車で帰ることができました。西條に着いたのは11時58分でした。
16
:
榮甼
:2003/12/08(月) 11:57
続き。
その年は台風が接近していて、15,16日共に雨模様でした。
僕は、15日の昼間は休ましてくれなかったので、早めに帰宅して車で松山まで送ってもらいました。
加茂川の橋では、まだお伊曾乃さんから帰っている楽車が沢山通ってましたが、
その横を車で松山まで帰りました。
次の日も、雨。お旅も早めに帰り又朝早く松山に。
松山で祭りが解散になったのを聞きかなりショックを受けました。
しかし夕方から休みをもらっていたので、土砂降りの中西條まで帰りました。
見れた楽車は、喜多町、本町、登り道だけでした。
散々な年でした。
17
:
不二
:2003/12/09(火) 00:28
いい想い出話です
じん、ときました
『辞めて帰る覚悟』『恥ずかしながら涙もでる』
西條人なら理解出来ます
こうした精神的支柱が共有しているのが氏神さんと氏子中心の祭りの素晴らしさですね
18
:
榮甼
:2003/12/09(火) 21:54
調子に乗ってもう少し。
その翌年からは、1年目のかいあって?だいぶ楽に休ましてもらえるようになりました。
2年間は休みと重なったのもありましたが、
年々西條の祭りとは、とゆうのを理解してくれだしました。
でも、休めるのは16日だけで、15日は宮だしのみ、寝ずに仕事をしていました。
あ☆ましんさんの質問の僕的な結論は、近すぎると、誤魔化しが利かないので
休みにくいですね。ど真ん中の直球勝負で行くしかなかったです。
19
:
あ☆ましん
:2003/12/10(水) 14:43
レスありがとうございます。
榮甼さんの、西条祭りに対しての真摯な気持ちが
親方さんにも伝わったということでしょうね。
前のバイト先に宇和島出身の女の子がいたので
少し聞いてみたんですが、彼女の中での認識では
西条祭りも新居浜祭りもごっちゃにしていました(怒)。
おそらく、中予までが限界なのでしょうか?
20
:
あ☆ましん
:2003/12/10(水) 15:21
スレタイにある進学・就職の話ではないのですが……
それぐらいに大事なモノを犠牲にしてきた話です。
去年、ジーコが監督に就任して初の国際Aマッチとなるジャマイカ戦が、
10月16日夜7時キック・オフされました。
オレは、国立競技場でおこなわれるその試合のチケットを持っていました。
黄金の中盤(中田・中村・小野・稲本)がはじめて勢揃いした、
ジーコJAPANの初陣。しかも相手は明らかに格下のジャマイカ。
まさに“プラチナ”チケットです。
しかし、オレはそのチケットをサッカー仲間に譲ってしまいました。
「オレ、今回見に行けないから、チケットやるよ」
友達みんなは訝しがりました。
「なんで見に行かないの?中田も中村も小野も稲本もみんな出るんだよ?」
「日本代表より大事なものか?」
「女か女か。女できたのか?」
オレはふっと笑みを浮かべてニヒルにこう言い放ってやりました。
「オレにとって10月は特別な月なのさ。黄金の中盤だって富士見町には勝てないさ」
あ☆ましん君はその足で羽田空港へと向かいましたとさ。ちゃんちゃん。
21
:
西条太郎
:2005/01/07(金) 19:32
西条出身の33歳です。
20歳の時に就職で東京に出ました。最近祭りに帰ってません。やはり西条
出身なので金木犀の匂いがすると祭りに帰りたくなりますが、本当に自分の
やりたい事があるのなら、是非西条を離れてチャレンジしてください。
祭りは逃げませんから・・・。
22
:
匿名さん
:2005/01/07(金) 22:42
いや、逃げるよ。ほっといたらどこ行くか解からん。ほうじゃのうてもしらんまに二日間の祭なんか終ってしまうのに。
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