したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

志村けんさんにまつわる都市伝説追跡

1電話でお金の話@それは詐欺です:2020/07/09(木) 00:47:45 ID:Gr69yoYg0
三鷹の森に変なおじさん出現か!? 志村けんさんにまつわる都市伝説追跡
https://news.yahoo.co.jp/articles/070c4b874e2b2c43fdbe78cf57e3fa8c81eba72d

三鷹の森にいるのは、トトロじゃなくて志村だった? 3月末に新型コロナウイルス感染症に伴う肺炎で他界した志村けんさん(享年70)の、ある“都市伝説”を追跡してみたら――。

 志村さんを巡っては生前、様々な噂が流れていた。一時期、テレビ露出が減ったことをきっかけに“死亡説”が流れたのは有名な話。

 一方で20年ほど前、東京・世田谷区の外れでまことしやかに流れたのが「三鷹の森にトトロじゃなくて、変なおじさんが現れた」というものだ。

「変なおじさん」とはもちろん志村さんのこと。豊かな自然に恵まれる東京・三鷹には「三鷹の森ジブリ美術館」があり、日本人のみならず、海外でも「トトロの森」として人気のスポットだ。その三鷹と地理的に接している、世田谷区の北西にある北烏山周辺で“変なおじさん”の目撃情報が相次いだという。

「変なおじさん(志村けん)が雑木林でたたずんでいた」「デカい犬を連れていた」「アイーンの練習をしていた」など、局地的に噂話が駆け巡ったが、当時はまだSNSなどが発達していない時代。その噂が日本全国にまで広がることはなかった。

 三鷹には大学の女子寮などもあり、女好きで通っていた志村さんをちゃかして「変なおじさんが女子寮に忍び込もうとしていた」など、笑うに笑えない噂も流れたそうだ。

 本紙は当時、その土地に住んでいた40代男性会社員A氏を発見。話を聞いたところ「そうです、あれは変なおじさんです。志村さんです」と、断言し、こう続けた。

「実は志村さんの家はあの周辺にあって、犬の散歩をしたりピーコック(スーパーマーケット)に買い物に来ていた。私も目撃しました。ただ北烏山は、世田谷といっても外れの方ですから、こんなところに志村けんがいるとは誰も思わない。だからみんな本物だと思えず、都市伝説のように伝わったのでは?」

 三鷹の森に、変なおじさんがいたという都市伝説は正しかったようだ。

22023年4月から自転車に乗る際にヘルメット着用が努力義務化:2024/07/07(日) 13:50:37 ID:5Y6tHXQ60
吉祥寺の豪邸探し #志村けん #豪邸ルームツアー #kenshimura
https://www.youtube.com/watch?v=yuACdMwrgy0

32024年11月から自転車に乗る際に「ながらスマホ」や「酒気帯び運転」に対する罰則が強化された改正道路交通法が施行されました:2025/03/09(日) 08:18:54 ID:yYnnQ73M0
志村けんさん、空き家になっていた自宅の解体工事が始まる 大量の遺品について長兄は「できることなら残しておきたかったけれど、現実的に無理だった」と苦渋の決断
https://j7p.jp/134876?utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=related_link
2020年3月に亡くなった国民的スターの志村けんさん
https://j7p.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinbun_shimura_ken_eyc.jpg
https://j7p.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinbun_shimura_ken_02.jpg
志村けんの訃報を受け、自宅に報道陣が詰めかけた(2020年)
https://j7p.jp/wp-content/uploads/2025/03/Instagram_shimura_ken_01.jpg
志村さん3兄弟、左から次兄・美佐男さん、長兄・知之さん、志村さん(インスタグラムより)

突然の別れからまもなく5年が経過する。国民的スターだった志村けんさん(享年70)の命日を前に、空き家状態が続いた自宅に大きな変化があった。長兄が初めて語った「遺品整理」の複雑な胸中──。【前後編の前編】

亡くなってから空き家だった志村さんの家が解体に
東京都三鷹市の閑静な住宅街の一角に、赤いれんが塀に囲まれたピンクベージュの外壁が目を引く一戸建てがある。表札が取り外され、郵便受けの投函口が粘着テープでふさがれたその建物からは、時折、大きな物音が聞こえてくる。驚いて足を止めた通行人の視線の先では、内壁や備え付けの家具を取り壊す解体工事が行われていた。

この家は、2020年3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎で急逝した、志村けんさんの自宅だ。

「志村さんが亡くなってからずっと空き家でしたが、3月から解体が始まったようです。取り壊すことにしたのかな。30年以上前からある見慣れたお家ですから、なくなってしまうのは寂しいですね」(近隣住民)

3人兄弟の三男だった志村さん。この家は長兄・知之さんと次兄(後に次兄の妻)が相続したが、空き家状態が長く続いたことで、近隣からは「放置している」、「廃墟になった」などと囁かれていた。知之さんの知人が悔しさをにじませる。

「知之さんと奥さんは、必死に家を管理していました。当初は献花に訪れる人もいて、ファンに知られた家だったため、昼間に片付けると騒ぎになって周囲に迷惑がかかるからと、人目に付きにくい夜に自宅を訪れては、空気の入れ替えや庭の掃除をしていたんです。月に2回は通っていましたね。ただ昨年から知之さんの足腰が弱り、杖がないと歩くのが難しくなった。志村さんの自宅の管理がもう限界だったのは、誰の目にも明らかでした……そうした事情もあって、今年の1月に大手不動産会社に売却したんです」

弟の思い出が詰まった家を手離した知之さんは、その過程でさらなる苦渋の決断を下していた。

42024年11月から自転車に乗る際に「ながらスマホ」や「酒気帯び運転」に対する罰則が強化された改正道路交通法が施行されました:2025/03/09(日) 08:19:28 ID:yYnnQ73M0
志村けんさん、空き家になっていた自宅の解体工事が始まる 大量の遺品について長兄は「できることなら残しておきたかったけれど、現実的に無理だった」と苦渋の決断
https://j7p.jp/134876/2
そのまま残された大量の遺品
志村さんが三鷹市に居を構えたのは、1987年のこと。7つの部屋を備えた2階建てのモダンな造りで、土地と建物を合わせた購入価格は、当時3億円超とも報じられた。

交友関係の広さで知られた志村さんだが、意外なことに、自宅には数名のお手伝いさんを除き、他人を招き入れることはほとんどなかったという。

「自宅では大半の時間を、大きなテレビがある15畳ほどの部屋で過ごしていました。コントに役立つヒント探しの一環として、大量の映画を鑑賞することがライフワークだった。その結果、書斎やリビングは、古いビデオテープやDVDであふれかえっていました」(芸能関係者)

「日本の喜劇王」とも称された志村さんだが、その活躍はバラエティーに留まらなかった。映画を鑑賞してコントの研究を重ねていた志村さんは、50代を境に俳優業にも挑戦。遺作となった連続テレビ小説『エール』(2020年/NHK)で作曲家を好演し、同年12月に公開予定だった映画『キネマの神様』では初主演の予定だった。当時、映画が完成していれば、日本アカデミー賞で主演男優賞を初受賞する可能性があったとみた映画関係者は少なくなかった。

異色の才能も光った。

「2004年に三味線を始めると、めきめきと上達していきました。その腕前はプロと共演しても引けを取らないほど。志村さんの自宅には、びっしりとメモ書きされた三味線のテキストがたくさん残されていたそうです。寡黙でシャイな志村さんが自宅に他人を入れたがらなかったのは、部屋中にある“努力の跡”を見られたくなかったからかもしれません」(前出・芸能関係者)

志村さんの死は青天の霹靂だった。2020年3月15日に倦怠感があり、自宅療養中だった志村さんは20日に容体が悪化。救急搬送先の病院で29日に息を引き取った。

異変を感じてから、わずか2週間。自宅に残されたすべての物が、彼が生きていた当時のまま手つかずで遺品となった。大量のビデオテープやDVD、レコードや書籍。さらには洋服や功績を称えた数々のトロフィー、愛用の調理器具や食器なども、そのまま残された。

志村さんが亡くなって以降、知之さんはメディアの取材に、「とにかく物がありすぎて、どこから手をつければよいのかわからない」と整理が進まない現状を嘆いてきた。

日本中が悲しみに暮れた突然の別れから、もうすぐ5年。自宅の解体工事は始まったが、志村さんの膨大な遺品はどうなったのか。

52024年11月から自転車に乗る際に「ながらスマホ」や「酒気帯び運転」に対する罰則が強化された改正道路交通法が施行されました:2025/03/09(日) 08:20:27 ID:yYnnQ73M0
《後編》志村けんさん、“愛の巣”として注目されていた自宅が解体 東村山市民に愛された駅前広場の『志村けんの木』も2〜3年以内に移植、もしくは伐採を検討
https://news.yahoo.co.jp/articles/afb909cefcc4b4d4aba642333883643b941d9be7
志村けんさん(享年70)が、新型コロナウイルスによる肺炎で急逝してからまもなく5年が経過する。東京都三鷹市の閑静な住宅街にあった志村さんの自宅は、長らく空き家状態が続いていたが、ついに解体工事が始まった。この自宅にはどんな思い出があったのだろう─か。
「おれは家族を持ってはいけない」
3人兄弟の三男だった志村さん。この自宅は長兄・知之さんと次兄(後に次兄の妻)が相続し、主に知之さんと妻が管理をしていた。しかし、昨年から知之さんの足腰が弱り、杖がないと歩くのが難しくなったこともあり、今年の1月に大手不動産会社に売却し、処分するという苦渋の決断に至ったという。

数々の女性と浮名を流した志村さんの自宅は、たびたび“愛の巣”としても注目されてきた。

新築時の1987年には、当時交際していたタレント・井上摩美との新居とされ「結婚間近」と報じられた。1991年には女優・いしのようこ(57才)との「半同棲」を写真週刊誌にキャッチされたことも。

「家庭への憧れも強かった志村さんは、家を建てた当時も、“結婚して子供が欲しい”“子供に『バカ殿』のメイクをさせて、番組で共演するのが夢”などと口にしていました」(志村さんの関係者)

しかし志村さんは、生涯独身を貫いた。年を重ねるごとに、「おれは家族を持ってはいけない」と考えるようになっていったという。

「芸能人の家族ということで、奥さんに窮屈な思いをさせたり、子供がいじめにあう可能性もあると感じていたようです。2004年12月に自宅に空き巣が入り、1500万円相当の現金や貴金属が盗まれたことがあった。家族がいれば、危険にさらすことになるという考えもあったのかもしれません。自問自答を繰り返して、夢だった結婚と子供を諦め、あの家にひとりで住む決意をしたんです」(前出・志村さんの関係者)

自宅の解体工事は、1か月間の予定で進められている。更地に戻る日が迫るなか、もう1つ“消える”志村さんゆかりのものがあるという。

東京・東村山市出身の志村さん。東村山駅の駅前広場には、志村さんの功績を称えて1976年に植樹された3本のけやきの木があり、「志村けんの木」として長年にわたり市民から愛されてきた。

「駅前広場の再整備に伴い、『志村けんの木』を2〜3年以内に移植、もしくは伐採することが検討されています。仮に移植となっても3本すべてを移すことは現時点で難しく、1本だけの移植になる見込みです。残りの2本は伐採せざるを得ません」(市役所関係者)

「仕方なかったんですよ……」
知之さんは志村さんの自宅を売却して以降、弟が暮らしたその家を訪れられていないという。まるで自分に言い聞かせるかのように、いまの心境をこう口にした。

「誰も住まなくなってから、もう5年も経ちますからね。ただただ朽ちていくのを見ているのもつらいですし、ずっとそのままっていうわけにもいかない。いつかは手をつけなきゃいけなかった。仕方なかったんですよ……」

自宅は手入れが行き届き、38年の築年数を感じなかったと知之さんは振り返る。傷めばすぐに修繕し、大切に暮らした家だった。

そして大の酒好きだった志村さんらしく、大量の酒も常備されていたという。

「いま頃、あっちで飲んでいるかもしれませんね」

弟を思う兄の表情は、穏やかだった。

6自転車の交通違反に反則金「青切符」が2026年4月スタート スマホ・イヤホンなどの「ながら運転」も対象に:2025/09/07(日) 21:57:07 ID:ThmKS.As0
《5年間空き家だった志村けんさんの豪邸が更地に》大手不動産会社に売却された土地の今後…実兄は「遺品は愛用していた帽子を持って帰っただけ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/5d6520dc6e50255fd272b252c2575ba1be18071a

 昭和、平成、令和とお茶の間に笑いを届けた稀代のコメディアン・志村けんさん(享年70)。2020年3月に天国へと旅立ってから5年、東京・三鷹市の閑静な住宅にあった豪邸は解体され、跡形もなく更地となっていた──。

 最寄り駅から徒歩15分。近くには神田川や玉川上水が流れ、生前志村さんが住んでいた邸宅周辺には緑豊かな公園も多い。主を亡くしたピンク色の瀟洒な家は、つい半年前までその形を残していたが、今年3月に解体工事が始まり、現在の状態になったという。近所の住人が語る。

「3月くらいに工事関係者の方が挨拶に来ました。志村さんが亡くなって、ご自宅もずっと住んでいた当時のままだったので、遂に取り壊すことになったんだと……。人が住まないと家も傷みますし、あれだけ大きな家だと手入れも大変でしょう。

 志村さんとは生活リズムが違うのであまりお会いすることはありませんでしたが、それでも会えば挨拶をしてくれたのを覚えています。地元でも愛されていたので寂しさもありますが、ひとつの区切りになりますね」

 自宅跡地には、雑草が生い茂るのを防ぐための黒いビニールシートが敷かれ、「売物件」の看板が立てられていた。周囲の家の2〜3軒分ほどの敷地面積がある。地元不動産関係者が語る。

「志村さんは、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS系)がスタートした翌年の1987年、三鷹に自宅を建築しました。亡くなってからは志村さんの親族が相続しましたが、手つかずのまま5年ほど空き家となっていました。

 親族の方々も高齢なので遺品整理や自宅の売却に時間がかかってしまったようです。今年1月に大手不動産会社に売却され、跡地利用のために整備されて更地になったようです」

 志村さんの3つ年上の兄・知之氏は、最愛の弟の土地を売却したことで、肩の荷が下りたのか、寂しげでもあり、ほっとしたような表情で現在の心境を明かした。

──志村さんの自宅が解体されて更地になりました。

「(遺品も多く)片づけるのは大変でしたよ。最後に行ったのは1月末かな。解体する前に業者との橋渡しのために行ったの。今年に入って売却したんだけど、それまではいっさい何もしなかった」

──跡地はどうなるのか?

「家を一軒建てるだけにしては(土地の面積が)広いからね。買い取った不動産会社がどうするかは知らないけど。やっと売れてホッとしてるんですよ。遺品類も業者さんが横流ししないように、念書を取って処分しました」

──思い出の品も多く、持ち帰られた物もあるのでは?

「あったけど全然、何も持って帰らなかった。愛用していた帽子1個、持って帰ってきたのはそれだけ」

 日本を代表するコメディアンの自宅跡地はこの先、どうなるのだろうか。前出・不動産関係者が明かす。

「跡地の坪数は70坪ほどで、一軒家を建てるには広いので北側と南側に土地を分割して販売する予定だそうです。建売住宅で2軒合わせて、2億円くらいで売り出されるのではないでしょうか」

 5年間眠っていた自宅は廃墟とならず、無事に売却されて“だいじょうぶだぁ”といったところか。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板