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雑談【北海道日本ハムファイターズ】

330(´・ω・`):2011/11/21(月) 13:27:40
★菅野 「僕にとってはプロ野球=巨人だ」

日本ハムがドラフト1位指名した東海大・菅野智之投手(4年)が“就職留年”して1浪する意向を固めたことが20日、分かった。
7日に同球団から指名あいさつを受けた後、進路を慎重に検討。その結果、伯父の原辰徳監督(53)率いる
巨人への思いが強く、来秋のドラフトでの巨人入りを目指す。21日に、日本ハム側へ断りの連絡を入れる。

信念を貫いた。菅野のジャイアンツ愛は揺るがなかった。ドラフト会議で相思相愛だった巨人との1位指名の抽選の末、
日本ハムが交渉権を獲得。想定外の展開にも、誠意を持って7日に日本ハムの指名あいさつを受けた。

その後は大学生活と自主練習を続けながら、東海大・横井人輝監督(49)らと話し合い、進路について熟考を重ねてきた。

涙のドラフトから25日目の決断だ。関係者によると20日夜、菅野は家族に対し、
「日本ハム入りはせずに、東海大に残って浪人したい」と自らの意思で導き出した最終結論を伝えたという。

22日から秋の学生日本一を決める明治神宮大会が開幕する。それにも配慮し、21日に横井監督を通じて
日本ハム側に入団断りの連絡を入れる。

初志貫徹だ。菅野にとって、巨人は生まれた時から特別な存在だった。
巨人の4番を1066試合務めた原監督の甥だ。必然的に幼少時から身の回りはYGマーク一色。

小学生の頃、テレビで巨人戦を見て高橋由らの活躍にくぎ付けとなった。
小学2年の文集に「将来の夢はプロ野球選手」と書いた。以前、菅野は「この家系に生まれたことが運命。
僕にとってはプロ野球=巨人でした」と本紙に秘めた思いを明かしていた。

清武球団代表兼GMの解任騒動にも、巨人愛はブレなかった。

野球人として尊敬する伯父を目標としてきた。95年10月8日、原監督の現役引退試合を観戦。「いつか自分もああいう中でプレーしてみたい」―。
巨人のスター選手の座を夢見て、東海大相模、東海大と伯父と同じユニホームに袖を通し、努力を重ねてきた。
そして今回、原監督の契約が2年延長されたことも背中を押す形となった。

大学最速157キロ右腕は「11月いっぱい」と期限を設け、来春以降の身の置き方も熟慮してきた。社会人入り、
大学院進学、浪人―。22歳はあらゆる選択肢を検討。複数の社会人チームから獲得の打診はあったが、
プロ入りには2年後のドラフトを待たなければならず断念。大学院も模索したが、勉学よりも野球を優先したい考えが強かった。

一般学生と同じ“就職留年”の形で東海大に残る道を選んだ。1浪して、来秋のドラフトで巨人入りを目指す最短ルートだ。
慣れ親しんだ施設を使用できる半面、公式戦や対外試合に出場できないリスクも背負う。紅白戦登板は可能で、
後輩たちの練習相手として体力と技量の向上に努めていく。野球人生18年目の来年、菅野は未知なる道へ踏み出す。

それでも、確固たる決意を胸に伯父・原監督との共闘、巨人のエースとなる夢を追いかける。

ttp://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/ama/news/20111121-OHT1T00127.htm


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