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山中伸弥ノーベル生理学・医学賞

1ノーベル賞 掲示板:2010/10/04(月) 18:43:16
山中伸弥(やまなかしんや)
ttp://lovelyinfo.blog24.fc2.com/blog-entry-311.html


(*)山中伸弥(やまなかしんや)プロフィール
生年月日 :1962年9月4日
出身地 :大阪府
略歴:大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎卒業
   神戸大学医学部卒業
   国立大阪病院臨床研修医
   大阪市立大学大学院医学研究科博士課程修了
   グラッドストーン研究所(Gladstone Institute)ポストドクトラルフェロー
   奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センター教授
   京都大学再生医科学研究所教授
   京都大学物質-細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター長
受賞歴:ラスカー賞(アルバート・ラスカー基礎医学研究賞)など多数



(*) ノーベル生理学・医学賞
ttp://nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/

12iPS細胞 特許 掲示板:2011/08/12(金) 06:26:55
iPS細胞技術に関する特許1件が米国で成立(2011年8月11日)
ttp://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news7/2011/110811_1.htm
米国で成立した特許の概要
出願番号:12/086,479
特許請求の範囲:(1)Octファミリー遺伝子、Klfファミリー遺伝子及びMycファミリー遺伝子を含む初期化因子(2)Octファミリー遺伝子、Klfファミリー遺伝子及びサイトカインを含む初期化因子
特許の権利期間:2006年12月6日から2027年6月25日まで(推定)通常の権利期間は20年間ですが、今回はUSPTOの審査が遅延したため、その日数分(201日となる見込み)が加算されます。
<山中伸弥教授のコメント>
 私達が2005年に出願したiPS細胞の基本技術特許が、このたび米国で成立したことに大きな喜びと共に安堵を感じています。知財担当者や関係者の努力の賜であり心よりの謝意と敬意を表します。iPS細胞研究や特許取得にご支援、ご尽力をいただきました皆さまに深く感謝申し上げます。今後は、海外での産業化がより一層加速することを期待しています。私達、研究者は、一日も早い実用化を目指して、研究を強力に推進すると同時に、引き続きiPS細胞関連の知財確保に注力してまいります。

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iPS細胞:米国で特許成立 開発競争で優位に 京大発表 2011年8月11日
ttp://mainichi.jp/select/science/news/20110812k0000m040034000c.html

 京都大学は2011年8月11日、人工多能性幹細胞(iPS細胞)作成製造の基本技術に関し、米国で特許が成立したと発表した。京大の特許は日本と欧州などで既に成立しているが、市場規模が大きく生命科学研究の先頭を行く米国で再生医療や創薬への応用が期待される同技術の特許を得たことで、日本は開発競争上、優位に立てそうだ。
 成立した特許は06年12月、特許協力条約に基づき世界知的所有権機関(WIPO)に出願し、米国に移行手続きされていたもの。5日付で特許査定が通知され、今後1〜2カ月で米国特許商標庁に登録される。権利期間は27年6月までの見込み。
 欧州特許と同様、三つの遺伝子か、二つの遺伝子とある種のたんぱく質(サイトカイン)を用いてiPS細胞を作る技術が認定された。よく似た構造の遺伝子類を使う方法でも特許として保護されることや、体細胞に遺伝子を導入する方法を問わないことも欧州特許と同じ。ただ、遺伝子から得たたんぱく質の利用までは特許の範囲に認められなかった。
 iPS細胞は山中伸弥・京大iPS細胞研究所長が世界で初めて開発し、08〜09年に国内で三つの特許が成立。さらに先月7日付で欧州特許庁が登録決定した。日本や欧州は先に出願した者に権利が与えられる「先願主義」なのに対し、米国は先に発明した者が権利を得る「先発明主義」を取るなど特許制度が異なるため、米国での成立が注目されていた。
 山中伸弥教授は「特許獲得にはiPS細胞の論文を書くとき以上の労力がかかった。これがゴールとは思っていない。臨床の現場や創薬など、本当の意味で役に立つものに育てていきたい」と述べた。

<iPS細胞の特許を巡る動き>
2005年12月 京大がiPS細胞の作成手法に関する特許を日本で出願
2006年 8月 京大がマウスiPS細胞作成を論文発表
     12月 京大がiPS細胞の作成手法に関する特許を国際出願
2007年11月 京大と米チームがそれぞれヒトiPS細胞作成を論文発表
2008年 6月 京大などのiPS細胞の知的財産権を管理・活用する会社設立
      9月 京大の基本特許が日本で成立
2009年11月 安全性の高い作成法など京大の2件の特許が日本で成立
2010年 1月 米ベンチャー企業がiPS細胞の作成技術の特許を海外で初めて英国で取得
2011年 2月 京大が米ベンチャーから特許の譲渡を受け、米国での係争回避
      7月 京大の基本特許が欧州で成立
      8月 京大の基本特許が米国で成立

13iPS細胞研究 掲示板:2011/08/28(日) 23:20:48
週刊エコノミスト  2011年9月6日号 (2011年8月29日発売)
<特集>
iPS細胞研究最前線
・日本発の技術「iPS細胞」 未来の医療を変える 
・再生医療 2013年にも臨床研究 治らなかった病気を治す
・特許戦争 長期的に開発を主導できる選択と集中が必要
・市場規模 再生医療、新薬開発、安全性試験 将来的には数兆円市場にも

14iPS細胞 掲示板:2011/09/27(火) 18:04:39
待たされていた教授 : 今を読む:科学部デスク 佐藤良明 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
ttp://www.yomiuri.co.jp/job/biz/columnscience/20110921-OYT8T00561.htm
 今年もノーベル賞の発表が迫ってきた。
10月3日の生理学・医学賞をトップバッターに順次公表される。
日本人科学者で一番注目を集めるのは、iPS細胞(新型万能細胞)を作製した山中伸弥・京都大学教授(49)だ。「ノーベル賞の前哨戦」ともいわれる海外の主要な科学賞をとっており、生理学・医学賞の下馬評に挙がっている。
 山中教授と初めて会ったのは2009年1月。衆院議員会館の玄関だった。この場面は、よく覚えている。有名人ということもあるが、別の理由もあった。
 山中教授は議員会館に入るのに待たされていた。時間を計っていたわけではないが、20分くらいは玄関に立っていたろうか。
 与党(当時は自公政権)の勉強会に参考人として招かれ上京していた。勉強会は事実上、科学者が研究環境の充実を政治家に陳情する場。山中教授も研究の現状を説明し、積極的支援を訴えるために来ていた。
 当時すでに、新聞、テレビで名前をよく知られ「日本で一番有名な科学者」だった。その人物が、議員会館の玄関にけっこう長い時間、待たされたままでいるなど想像がつかず、最初に姿を見かけた時には「ずいぶん似た人がいる」と思ったくらいだ。
 本人と気づいて名刺交換を願い出たが、「(ここで)待っててくれと言われたんですが、なかなか(迎えの人が)お見えにならなくて」と困った顔をしていた。
 まわりは、地方から陳情に来たと思われる人たち。山中教授がその人たちと一緒になって玄関に立っているのは、なんとも印象に残る光景だった。
 いくら優れた科学者でも、資金がなければ研究はできない。国家予算を配分する政治家に"お願い"するのも、科学者の役目。予算確保という面では、道路や橋を造って欲しいと陳情するのと同じだ。政治家に研究の現状を知ってもらうのも、科学者の大事な仕事◯◯そういう考え方もあるかもしれない。
 山中教授の講演では、ひところ、「PAD」(Post American Depression)という造語が、パワーポイントの中に盛り込まれ、笑いをとるツボになっていた。
 「アメリカ帰りの憂うつ」とでも訳すこの言葉は、山中教授が帰国後に、米国と比べて、日本の現状があまりに心もとないので憂うつな気分になる、という意味だ。米国はiPS細胞研究に取り組む有力なチームがいくつもあって、層の厚さが日本とまるで違う。ユーモアのオブラートにくるんでいるが、日米の差を山中教授は深刻に考えていた。
 いまはどうか? iPS細胞の作製を発表してから5年あまり。山中教授をトップとするiPS細胞研究所が京大に設立されて、人材を集めつつある。作製技術に関する特許は今夏、欧米で成立。臨床応用へ向けた研究も進みつつある。
 国際競争は熾烈だ。その中に身を置く山中教授のようなトップランナーには、研究に没頭してライバルたちに立ち向かってほしい。
 世界から注目される人材は、「政治家詣で」に時間をとらなくても、後顧の憂いなく、ゆうゆうと活躍できる。それくらいのことは、科学技術創造立国を標榜する日本ならできるはずだ。その余裕がないほど、日本は落ちぶれてはいないと信じたい。

(2011年9月23日 読売新聞)

15iPS細胞 掲示板:2011/09/27(火) 18:25:13
時代を駆ける:山中伸弥/1 研究はマラソンに似て -聞き手・須田桃子  毎日jp(毎日新聞)
ttp://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20110921ddm012070013000c.html
 あらゆる細胞に変化する「万能細胞」が、マウスの皮膚細胞にわずか4種類の遺伝子を入れるだけでできた−−。06年の人工多能性幹細胞(iPS細胞)の登場は世界を驚嘆させた。開発した山中伸弥さん(49)は、昨春新設された京都大iPS細胞研究所の所長として、約200人を率い、研究の最前線を走る。
 《この5年で、ラスカー、ガードナー国際、京都、ウルフ各賞など、ノーベル賞登竜門とされる科学賞を総なめにした》
 普通なら、出て間もない成果は選ばれない賞ばかり。異例の評価ですが、僕自身ではなく技術そのものに対する評価だと思っています。その後、がーんと進んだことも大きい。研究の進展は、07年にヒトでのiPS細胞作成を発表したときの予想をはるかに上回ります。
 《超多忙である。分刻みのスケジュールをこなし、毎月1度は海外へ》
 確かに忙しいと言えば忙しいですけど、数年前に比べると支援体制はものすごく充実しているので、昔みたいに毎晩ほとんど寝ないみたいなことはあまりない。ま、時々はありますけど、一応ベッドには入っていますので、肉体的には随分楽です。ただ、研究所の運営や、今年度も30億円近くの税金で支援していただいているので、その成果をどうやって出していくかとか、精神的な負担は今の方がありますね。
 《趣味はスポーツ。日課のランニングは最もほっとする時間という》
 昼休みに鴨川沿いを約30分、寝不足でも二日酔いでも。10月には約20年ぶりにフルマラソンを走ります。
 研究はマラソンに似ています。フルは4、5回走っていますが(過去にやった)柔道やラグビーとはちょっと違いました。勝ち負けだけじゃない。今私たちがやっている研究は海外の超一流大学との競争になっています。研究で負けるというのは論文発表で先を越されることなんですが、たとえそうなっても、あきらめず最後まで走り抜き、きちっと論文や特許を出していく。研究者にはそういう使命があります。


毎日新聞 2011年9月21日 東京朝刊

16iPS細胞 掲示板:2011/09/27(火) 18:28:28
時代を駆ける:山中伸弥/2 「スーパーマンになれ」
ttp://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20110922ddm012070078000c.html
《姉弟の2人きょうだい。両親は、東大阪市でミシンの部品を作る町工場を営んでいた》
 共働きでね、とても忙しかったので、僕は基本的にほったらかしというか。鍵っ子ですから、やりたいことは何でも好きにさせてもらえました。あまり塾に行った覚えもない。虫(を捕る)よりは何か作ったりする方が好きな子どもでした。
 父は経営者ですけど、技術者としての姿が目に焼き付いています。(製品を)やすりで削ったりとか、最後の方まで自分で工夫してやっていましたから。自分も研究者ですけど、どちらかというと技術者の血の方が強い。技術をどんどん開発する方が合っているような気がします。
 《中高一貫の大阪教育大付属天王寺中・同付属高天王寺校舎での学生生活は充実していた》

 わりと自由な校風でした。何人かの先生に「スーパーマンになれ」とよく言われました。勉強だけできても駄目だと。それがすごく体にすり込まれています。(中学から始めた)柔道を一生懸命やっていましたし、高校の時は「枯山水」というフォークバンドを組み、学園祭に毎年出ました。
 その経験が、研究を始めてからすごく生きて。米国でポスドク(博士研究員)をした時は、どうやってひとの3倍くらい研究するかと考え、実行するのが快感でした。研究室の実験機械を全部予約して、違う条件で一気に実験したこともあります。もちろん空いているのを確かめてやったんですが、まあ独り占めしているわけですから、ひんしゅくを買いましたね。
 《柔道や、神戸大医学部時代に打ち込んだラグビーでは、けがが日常茶飯事》
 一番の重傷は大学で膝の靱帯(じんたい)を切ったことですが、それ以外にも鼻や足の指、手首など骨折だけで10回以上しているんですね。その度に整形外科のお世話になりました。中学生の頃から父に「医者になれ」とずっと言われていたこともあり高校2年くらいの時には「整形外科医になろう」と思っていました。大学3、4年ごろには、スポーツ外傷を治す専門医になるというはっきりしたビジョン(目標)ができました。

毎日新聞 2011年9月22日 東京朝刊

17iPS細胞 掲示板:2011/09/27(火) 18:29:43
時代を駆ける:山中伸弥/3 基礎研究に引き込まれ
ttp://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20110923ddm012070033000c.html

《神戸大医学部を卒業後、整形外科医を目指し研修を始めたが、無力感に襲われた》
 整形外科は、自分のようにスポーツでけがをした人を治し、元気にして送り出すという明るいイメージがあったんです。でも、整形外科の領域の中でスポーツ医学はほんの一部。大多数の患者さんは関節リウマチや骨肉腫、脊髄(せきずい)損傷など、状態が悪化していくことの多い病気やけがでした。
 最初に担当したのは慢性関節リウマチの女性。みるみる悪化し、やせて寝たきりになりました。枕元にふくよかな女性が写った写真があったので「妹さんか誰かですか」と聞いたら、「先生、それ1〜2年前の私です」と言われ、驚きました。
 僕は手術が下手で、他の人がやったら30分で終わる手術が2時間くらいかかったんですね。でも、手術の上手な先輩でも治せない病気があるという現実を痛感しました。医者になってから知るのも、ちょっとお恥ずかしい話なんですけど。
 研修医の2年間は、その間に父親を亡くしたこともあり、非常につらい時期でした。治らない患者さんを多く診るうち、こういう人を治せるとしたら基礎研究だろうな、と思いました。
 《いったん基礎医学を学ぼうと、大阪市立大大学院に進学。薬理学の研究室を選んだ》
 臨床とは全く違う世界でした。整形外科は職人芸的で、手術も決まった手順があり、それ以外は許されません。研修というより修行といった感じで、最初は面白いですが、単調に感じてしまうこともありました。
 基礎研究では、真っ白なカンバスに何を描いてもいい。非常に大変だけど自由でした。大学院生でも良い論文を書けば、世界中の人に読んでもらい、影響を与えられる。外国の人と競いながら交流もし、友人もできる。そういうところを魅力に感じました。
 最初は臨床に戻るつもりが、だんだん、もうちょっとやりたいと思うようになりました。10年20年頑張ったら、今治せない病気の人を治せるようになるかもしれないと。「基礎研究で頑張る」という、新しいビジョン(目標)ができました。

毎日新聞 2011年9月23日 東京朝刊

18iPS細胞 掲示板:2011/09/27(火) 18:32:27
時代を駆ける:山中伸弥/4 米国留学、そして危機
ttp://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20110927ddm012070136000c.html

 《大阪市立大大学院修了の93年から米国留学》
 「ネイチャー」などの科学誌に載っているポスドク(博士研究員)の公募広告に片っ端から応募し、最初に呼んでくれたサンフランシスコのグラッドストーン心血管病研究所に決めました。
 米国で習った一番大切なことは、研究者として成功するには「ビジョンとハードワーク」、つまり目標をはっきり持ち、一生懸命やることです。当時のロバート・メイリー所長が教えてくれました。これは当たり前のようで難しい。日本人は勤勉なのでハードワークは得意です。でも、ビジョンがなければ無駄な努力になってしまう。当時の僕も、ハードワークでは誰にも負けない自信があり、目の前の目標もあったけれど、気がついたら長期的なビジョンは見えなくなっていました。以来、5年、10年単位のビジョンを持つことを忘れないようにしています。
 もう一つ良かったのはES細胞(胚性幹細胞)に出合ったことです。ほぼ無限に増やすことができ、神経や筋肉など体を構成する200種類以上の細胞のすべてに変化できる「分化多能性」という能力を持っている。本当に面白い細胞で、夢中になりました。
 《3年後に帰国。大学でマウスES細胞の研究を続けたが、危機に直面する》
 研究費はなく議論の相手もいない。ネズミの世話も専門の担当者がいた米国と違い、全部自分でやるしかありません。実験用のネズミを2匹、米国から持ち帰ったんですが、1カ月で20匹、半年で200匹と本当にネズミ算式に増え、自分が研究者なのか、ネズミの世話をする人なのか分からなくなりました。
 薬理学教室にいたので周りはすぐに薬につながる研究をしている人ばかり。その中でネズミの細胞で基礎的な研究をしているわけですから、かなり浮いてしまって。いろんな人から「もっと医学に関係することをやったほうがいいんちゃうか」と言われ、自分でも「何か人の役に立っているのかな」と自信がなくなっていきました。半分うつ状態になって朝も起きられなくなり、研究をやめる直前までいきました。

毎日新聞 2011年9月27日 東京朝刊

19iPS細胞とは:2011/09/27(火) 18:37:48
イチから分かる「iPS細胞」  - MSN産経ニュース
ttp://sankei.jp.msn.com/science/news/110921/scn11092107340001-n1.htm
 さまざまな臓器や組織の細胞に分化する能力を持つ人工多能性幹細胞(iPS細胞)は、夢の再生医療の実現に道を開き、医療や創薬に革命的な進展をもたらすと期待される。京都大の山中伸弥教授がマウスの皮膚細胞からのiPS細胞作製を発表してから5年。実用化に向けた研究は世界的に活発化している。ノーベル賞候補としても注目されるiPS細胞の基礎をおさらいしよう。(中本哲也)

 ヒトの体は約60兆個もの細胞でできている。たった1個の受精卵が、さまざまな種類の細胞に分化・増殖を繰り返して、臓器や神経、骨、筋肉がつくられる。受精卵に近い未分化な細胞は、あらゆる細胞に分化できる能力(万能性)をもっているわけだ。
 山中教授らが開発したiPS細胞は、皮膚などに分化した細胞に特定の遺伝子を導入し、未分化の細胞と同等の万能性と無限の増殖能力を併せ持った細胞を人工的に作り出したものだ。細胞分化の時間を逆戻りさせる「生命科学のタイムマシン」のような技術といえる。
 同じ性質を持つ万能細胞には胚性幹細胞(ES細胞)があり、iPS細胞が登場するまでは再生医療研究の主流だった。しかし、受精卵からつくるES細胞は生命の萌芽を壊して利用するという倫理的な問題があり、研究は厚い壁に突き当たっていた。
 皮膚などのありふれた細胞から作れるiPS細胞は、こうした倫理的な問題を回避できる。また、自分の細胞から作ったiPS細胞なら、移植後の拒絶反応も防げる。iPS細胞が世界的に注目されたのは、それまでの再生医療研究の課題を一挙に解決しうる技術だからだ。
 山中教授はどうやってiPS細胞を作ったのか。
 まず、研究が進んでいたES細胞だけで働く遺伝子を探し出した。「この中に、万能性をもたらす遺伝子があるはず」と考えたからだ。100以上の候補の中から4つの遺伝子に絞り込み、これをマウスの皮膚細胞に導入するとES細胞に似た細胞の塊が形成された。これが最初のiPS細胞で、4つの遺伝子は「山中因子」と呼ばれる。
 個々の遺伝子の働きを解明するのではなく、複数の遺伝子の組み合わせに着目したことが成功につながるカギになった。
 マウスでの成功と同時に、世界的な研究競争がスタート。約1年後の2007年には、山中教授らと米国チームが同着で、ヒトiPS細胞作製を発表した。
 iPS細胞の臨床応用に向けた最大の課題は、安全性の確保だ。無限に増殖する能力は「がん化」と背中合わせで、山中因子の中にも発がんに関与する遺伝子が存在する。レトロウイルスを使う遺伝子の導入方法も発がんの要因になる。
 各国の研究者ががん化のリスクを回避する方法の開発に取り組み、安全性向上につながるさまざまな成果が報告されている。しかし、安全性と作製効率を兼ね備えた決定的な手法はまだ確立されていない。
 iPS細胞の名称は「誘導された多能性を持つ幹細胞」を意味する英語の頭文字からとった。マウスiPS細胞を発表した2006年にはそのまま「誘導多能性幹細胞」と訳していたが、「誘導」の意味が一般には伝わりにくいという理由で、「人工多能性幹細胞」と改めた。
 「i」を小文字にしたのは、当時流行した米アップル社の携帯音楽プレーヤー「iPod」にあやかったから。世界に浸透させたいという山中教授らの意欲が、名称にも込められている。
 山中教授らが開発したiPS細胞の基本技術は今年8月、京都大を権利者として米国での特許が認められた。取得済みの日本や欧州での特許権とあわせ、世界の主要市場をほぼ押さえたことになる。京都大は技術を広く公開する方針を打ち出しており、研究の加速が期待される。

20新技術:2011/09/27(火) 18:43:25
新技術

ttp://www.amezor.to/science/101005115954.html





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21iPS細胞 掲示板:2011/09/27(火) 18:49:10
慶大など、iPS由来の神経幹細胞移植で脊髄損傷マウスの運動能力回復
ttp://www.nikkan.co.jp/news/nkx0720110927eaah.html

 慶応義塾大学の岡野栄之教授や京都大学の山中伸弥教授らの研究チームは、ヒトのiPS細胞(万能細胞)から神経細胞の元になる神経幹細胞を作った後、脊髄損傷マウスに移植し、同マウスの運動能力を回復させることに成功した。さらにiPS細胞の移植では移植細胞の腫瘍化が問題になるが、マウスに移植して4カ月後に腫瘍が作られていないことを確認した。iPS細胞を使った脊髄損傷の治療法の実現が期待できる。成果は米科学アカデミー紀要電子版に2011年9月27日掲載される。
 脊髄損傷は、損傷部より下の体の部位が動かせなくなる中枢神経系の損傷。脊髄損傷を起こしたマウスに、ヒトiPS細胞由来の細胞を移植し、治療効果を示した例は初めてという。2010年に同チームは、マウスのiPS細胞由来の神経幹細胞を脊髄損傷マウスに移植し、運動機能を回復させることに成功していた。
 ヒトの皮膚の細胞から作製したiPS細胞を使用。

日刊工業新聞 掲載日 2011年9月27日

22ノーベル賞 掲示板:2011/10/03(月) 10:22:20
ノーベル賞の本命、山中伸弥京大教授が成し遂げたこと
ttp://www.nikkei.com/tech/trend/article/g=96958A90889DE1E7E2E2E4E5E2E2E0E0E2EBE0E2E3E39BE2E2E2E2E2;p=9694E3E7E3E0E0E2E2EBE0E2E3E2

 「数カ月前には皮膚の細胞だったものから、ドクドクと拍動する心臓の細胞を作り出すことができます。これがiPSの技術であります」。2011年7月、神戸市での京都大学教授(iPS細胞研究所長)、山中伸弥の講演。スクリーンには培養皿に入った細胞の塊が動く様子が映し出される。ホールを埋めた聴衆は山中の話に熱心に耳を傾け画面に見入った。ノーベル生理学・医学賞の発表は2011年10月3日。ストックホルムで山中の名前が読み上げられる可能性は十分ある。(文中敬称略)
 山中らがマウスのiPS細胞の開発を発表したのは2006年。心臓だけでなく骨、神経、肝臓、血液など、およそ動物の体を構成するどんな細胞にも分化できる能力を持つことから人工多能性幹細胞と名付けた。iPSは、その英語表記に由来する。その翌年にはヒトのiPS細胞を作り、医療応用に道を開いた。
 それまで万能性を備えた細胞がなかったわけではない。受精卵をもとにした胚性幹細胞(ES細胞)がある。受精卵が育ち、胚盤胞と呼ばれる状態になったところで、その内部の細胞を取り出して培養する。すると万能性を維持したまま、体外で長期間培養できるようになる。1981年に英チームがマウスのES細胞を作製、後にノーベル生理学・医学賞を受賞。98年には米チームがヒトのES細胞を作ったと発表した。
 受精卵にはもともと、全身の細胞や組織に成長する能力が備わっている。そこから作ったES細胞が万能性を持つことは特に意外ではない。一方、山中らが作ったiPS細胞は、もとはマウスや成人の皮膚細胞だ。いったん完全に分化した細胞が、わずか4つの遺伝子を導入するだけで、受精卵と同様の万能性を獲得した。
 1個の受精卵が多様な細胞に分化して手足や骨、皮膚、神経など様々な臓器や組織を作り、個体を形成する。それが発生のシナリオだ。山中はこのシナリオを逆転させ、皮膚の細胞から万能細胞を作り出した。わずかな遺伝子を組み込むことで生命のプログラムを巻き戻せることを示し、生物学の常識を覆した。
 医療へのインパクトは計り知れない。患者の皮膚などからiPS細胞を作り、そこから必要な臓器を育て、機能不全に陥った臓器の代わりに移植する、いわゆる再生医療への応用に熱い視線が注がれている。山中は6月、iPS細胞を再生医療に応用する際の最大の懸念となっていた発がんリスクを大幅に下げる手法を開発したと発表した。研究は着実に進んでいる。
(詳細は日経サイエンス11月号に掲載)

ttp://lovelyinfo.blog24.fc2.com/blog-entry-311.html

23iPS細胞 掲示板:2011/10/03(月) 11:16:08
時代を駆ける:山中伸弥/5 「万能細胞」の夢に救われ
ttp://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20110928ddm012070042000c.html

 《一時は研究をやめようと思った山中さんを二つの出来事が救った》
 まず、98年に米国のジェームズ・トムソン博士がヒトES細胞(胚性幹細胞)の作成に成功したことです。ES細胞から神経や心臓、膵臓(すいぞう)などの細胞を大量に作り出し、その元気な細胞を、いろんな病気やけがの患者さんに移植すれば機能回復を図れるんじゃないか、再生医学に使えるんじゃないかということが期待されました。そうか、僕がやっているマウスES細胞の研究は、これだけ医学に役立つ可能性があるんだと、すごく興奮したことを昨日のことのように覚えています。
 もう一つは、99年に奈良先端科学技術大学院大で、初めて自分の研究室を持たせていただいたことです。助教授の公募を見て、これで駄目だったら今度こそあきらめようというつもりで応募したら採用され、もうちょっと研究を続けてみようという気になりました。
 《着任は37歳の冬》
 入ってすぐ、翌春入ってくる大学院生約120人を20の研究室で奪い合うことになると知り、頭を悩ませました。無名の若造の、しかも教授がいない弱小研究室を選んでもらえるだろうかと。「そうだ、夢のあるビジョンを示せば来てくれるかもしれない」と考え出したのが、ヒトES細胞が抱える課題を克服する、という目標です。
 《ヒトES細胞は期待される半面、受精卵を壊して作ることから倫理的な問題があった。患者自身の細胞ではないため、細胞移植などで拒絶反応が起こる可能性もある》
 患者さん自身の体の細胞を、時計の針を逆戻りさせるように受精卵同様の状態に変化させ、ES細胞と同じような万能細胞を作る、というテーマを掲げたんです。これは「言うはやすし」だけれども20年30年かかる、もしかしたらできないかも、と分かっていました。
 でも、そういうことは一切言わずに、できたらどんなに素晴らしいかをとうとうとアピールしたところ、無事に3人の学生さんが、だまされたというか入ってくれました。その一人、高橋和利君(現・京都大講師)は、今も私と一緒に研究を続けています。


毎日新聞 2011年9月28日 東京朝刊

24iPS細胞 掲示板:2011/10/03(月) 11:16:44
時代を駆ける:山中伸弥/6 遊び心から万能細胞
ttp://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20110929ddm012070072000c.html

 《「受精卵を使わずにES細胞(胚性幹細胞)のような万能細胞を作る」。夢のような目標を実現するヒントは、一頭の羊が提供した》
 96年に英国で生まれた体細胞クローン羊のドリーです。おとなの羊の乳腺細胞の核を卵子に入れて、ドリーが生まれた。つまり、ミルクを作る能力しかない細胞の核の中に、羊の全身を作り出す設計図、全遺伝情報が残っていたということです。
 この設計図は、3万ページの本に例えられます。そのうち1万ページほどに載っている内容で細胞が作られ、ページの組み合わせによって全く違う細胞ができる。大事なのは、どのページを開くかを決める「しおり」に相当する遺伝子です。
 もし、ES細胞の中でさまざまな種類の細胞を作る能力を維持している遺伝子を探し出し、体の細胞に無理やり入れれば、ES細胞みたいに変身するんじゃないか。単純な発想ですが、理論的にはできるという確信がありました。4年ほど研究を進め、遺伝子を24個まで絞り込みました。
 《京都大に移籍した翌年の05年夏、24個すべてをマウスの皮膚細胞に一度に入れる実験を試みた。通常一つずつ、多くても数個ずつ入れるのが常識。後に「大胆」と驚かれる》
 僕も(研究員の)高橋和利君も、試しにちょっと遊び心でやってみようというくらいの気持ちでした。(24個の中に、探している遺伝子が)あったらいいなとは思いましたが、そんなに運がいいわけないと。
 「先生、生えてます!」。ある日、高橋君が部屋に飛び込んできました。シャーレの中に、ES細胞に似た丸い細胞の塊がありました。
 それまで、一見うまいこといったように見えてすごく喜んで、繰り返してみたら間違いだったということは何度もありましたから、今回もたぶんそうだろうと。もちろん「ほーっ」とは思いましたけど、高橋君に「ぬか喜びせんと、とにかく繰り返そう」と言いました。何度繰り返してもできる。それでも、どこかに落とし穴があるんじゃないかという恐怖感の方が強かったですね。

毎日新聞 2011年9月29日 東京朝刊

25iPS細胞 掲示板:2011/10/03(月) 11:17:23
時代を駆ける:山中伸弥/7 かみ合ったタイミング
ttp://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20110930ddm012070050000c.html

 《24個の遺伝子から、不可欠な4個に絞り込み、できた細胞をiPS細胞と名付けた》
 「人工多能性幹細胞」の英語表記の頭文字です。iだけ小文字にしたのは、携帯音楽プレーヤーのiPodなどからヒントをもらっています。
 06年8月に科学誌「セル」に論文が掲載されて間もなく、米国でシンポジウムに参加したんです。宿舎のバーで飲んでたら、知り合いの欧州の研究者たちが「あの論文、読んだか」「四つ(の遺伝子)でできるなんて、そんなのありえない」と話しているのが聞こえてきて、ああやっぱり、みんな疑いの目で見ているんだなあと。まあ、それは予想できたことでした。あまりに方法が簡単すぎるので。僕が逆の立場でもそう言うと思います。
 《本格的な研究開始からわずか6年での成功》
 クローン羊ドリーなどの先駆的な仕事があり、目標を立てて戦略を考える段階ではたくさんの日本人研究者の仕事に助けられました。ES細胞(胚性幹細胞)と成熟した体細胞を融合させた京都大の多田高先生の研究や、理化学研究所の林崎良英先生が作ったES細胞で働く遺伝子を網羅したデータベース、さらに東京大の北村俊雄先生が開発した、遺伝子を細胞に組み込むためのウイルスなど、ちょうどタイミングがかみ合ったのは本当に運が良かった。
 研究をやめかけた時、奈良先端科学技術大学院大に拾ってもらい、一度死にかけたんだから何か面白い難しいことをやろうと思った。それも良かった。僕の大胆な思いつきにもかかわらず、研究室の人たちが本当に一生懸命実験をしてくれた。それぞれがたまたま1カ所でクロスした。それがなかったらiPS細胞はいまだに、少なくとも僕のところではできていないと思います。
 《07年11月には人の皮膚細胞からもiPS細胞を作ったと発表》
 本当はもう半年くらい実験して、年明けに論文を投稿しようと思っていました。でも10月に米国に行った時「誰かが投稿しているらしい」と耳にし、慌てて帰りの飛行機の中で論文を書き上げました。結果は、米国のチームと同時でした。

毎日新聞 2011年9月30日 東京朝刊

26iPS細胞 掲示板:2011/10/03(月) 11:18:01
時代を駆ける:山中伸弥/8止 iPSを成人させたい

 予想よりはるかに簡単な方法でiPS細胞(人工多能性幹細胞)ができたことで、人間の体にはまだまだ分かっていない力があると認識しました。科学技術の可能性も改めてすごいなと。今の夢物語が、30年後にはできるようになるかもしれません。いろんな人の地道な研究を積み重ねていけば、あるところでパーンとはじけるのではないか。そういう期待を強く持つようになりました。
 《今夏、米国と欧州で作成技術の京都大の特許が成立した》
 ほっとしました。もし少数の企業に特許が独占されれば、応用が遅れる恐れがありますから。研究同様、知的財産でも素晴らしいチームに恵まれ幸運でした。
 iPS細胞でいちばん幅の広い使い方は、患者さんのiPS細胞から特定の細胞を作り出し、試験管内で薬の効き目や副作用の予見をすることです。ツール(道具)として使っていただき、新しい薬が一つでも二つでもできてほしい。iPS細胞から作った組織を移植する再生医療についても、実現に向けて安全性の課題を克服していきたい。本当の意味で患者さんの役に立つ技術に持っていきたいという気持ちが研究の原動力です。
 《研究の合間を縫って、難病患者との交流を続けている》
 患者団体の集まりに参加したり、いろんな場面で思いを受け止めています。勇気づけられるのは、すぐには治療法がない患者さんにとって、iPS細胞を含むいろいろな発見が生きる希望になっているということ。あるお母さんから「iPS細胞ができて、本当に頑張ったら治る時代が来るんじゃないかと思った」と言っていただいた。大変なのはお子さんとご自分なのに、私たちの健康まで気遣っていただいた。
 僕は基本的に飽きやすい性格で、すぐに新しいことをしたくなってしまう。今までは、好きなことをやっていたらいい、僕の人生や、という感じだったんですけど、iPS細胞と出会ってからはそうはいかない。当面は、自分の「子ども」であるこの技術を守り、ちゃんと成人するまで育てていきたいと思います。=山中さんの項おわり

毎日新聞 2011年10月1日 東京朝刊

27実験医学:2012/10/06(土) 21:48:17
(#)実験医学 2012年8月号 Vol.30 No.12
<特集>
世界を動かした生命医科学のマイルストーン

iPS細胞の樹立-予想外の実験結果に感謝 山中伸弥
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(#)実験医学増刊 Vol.30 No.10
再生医療を実現化する
幹細胞のメディカルサイエンス
stemnessと分化の制御,新規因子の発見から三次元組織形成など臨床につながる最新成果まで

体細胞初期化を促進する新規因子の探索とGlis1の同定 前川桃子/山中伸弥

------------------------------



(#)実験医学
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分子生物学と医学を結ぶバイオサイエンス総合誌。

28ノーベル賞 掲示板:2012/10/06(土) 21:49:16
iPS細胞の山中伸弥(やまなかしんや)教授、ノーベル賞有力…地元ラジオ 2012年10月5日
ttp://www.yomiuri.co.jp/science/news/20121006-OYT1T00407.htm


 スウェーデンの公共ラジオ局P1は、現地時間2012年10月5日昼の番組で、8日から発表が始まる今年のノーベル賞の受賞予想を行い、iPS細胞(新型万能細胞)を作製した山中伸弥・京都大教授を生理学・医学賞の有力候補者に挙げた。


 物理学賞では、今年7月に質量の起源とされる「ヒッグス粒子」とみられる未知の素粒子が見つかったことを受け、その仮説を提唱した英国のピーター・ヒッグス博士の名前が挙がった。

 同番組では毎年、地元の科学ジャーナリストらが、発表直前のこの時期に受賞者を予想している。

(2012年10月6日11時31分 読売新聞)

29ノーベル賞 掲示板:2012/10/06(土) 21:49:54
(#)ノーベル賞 書籍
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・ノーベル賞はこうして決まる: 選考者が語る自然科学三賞の真実
・日本にノーベル賞が来る理由
・ノーベル賞110年の全記録 日本の受賞科学者全15人を完全紹介
・21世紀の知を読みとく ノーベル賞の科学 生理学医学賞編
・知っていそうで知らないノーベル賞の話
・4つのノーベル賞 発想の源泉・努力の軌跡
・現代科学の大発明・大発見50 なぜその発明・発見はノーベル賞につながったのか?
・ノーベル賞がわかる事典

30山中伸弥 ノーベル生理学・医学賞:2012/10/08(月) 19:29:52
ノーベル賞:医学生理学賞に山中伸弥・京大教授 2012年10月8日
ttp://mainichi.jp/select/news/20121009k0000m040010000c.html
 スウェーデンのカロリンスカ研究所は8日、12年のノーベル医学生理学賞を、京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)と、英ケンブリッジ大のジョン・ガードン博士に授与すると発表した。

 山中伸弥教授は、皮膚細胞に4種類の遺伝子を入れることで、あらゆる組織や臓器に分化する能力と高い増殖能力を持つ「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」を作り出した。拒絶反応のない再生医療や難病の仕組み解明、新薬の開発など、医療全般での応用が期待される。最初の成果が米科学誌に掲載されてから6年あまりという異例のスピード受賞だ。

 日本人の受賞は10年の鈴木章・北海道大名誉教授と根岸英一・米パデュー大特別教授の化学賞に続く快挙で、医学生理学賞の受賞は1987年の利根川進・米マサチューセッツ工科大教授以来2人目。今回の受賞で日本人の受賞者は、米国籍の南部陽一郎氏=08年物理学賞=を含め19人(医学生理学賞2、物理学賞7、化学賞7、文学賞2、平和賞1)となる。授賞式は12月10日にストックホルムで開かれ、賞金800万スウェーデン・クローナ(約9800万円)が贈られる。

 ヒトなど有性生殖を行う動物は、1個の受精卵から体のあらゆる細胞に分化する。従来、一度分化した細胞は、未分化の状態に戻ることはないと考えられてきた。

 山中伸弥氏らは、受精卵から作る胚性幹細胞(ES細胞)や、受精させていない卵子の中で働く24種類の遺伝子を特定。06年8月、おとなのマウスの皮膚細胞にわずか四つの遺伝子を組み込んで細胞を「初期化」し、ES細胞とほぼ同じ多能性と増殖能力を持つ細胞に変化させたと発表。人工多能性幹細胞(iPS細胞)と名付けた。07年11月には、同様の手法でヒトの皮膚細胞からiPS細胞を作ったことも報告した。



ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9858/1286185396/

31山中伸弥 ノーベル生理学・医学賞:2012/10/08(月) 19:30:39
ノーベル医学・生理学賞に山中伸弥さんら
ttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20121008/t10015593171000.html
ことしのノーベル医学・生理学賞の受賞者に、体のさまざまな組織や臓器になるとされる「iPS細胞」を作り出すことに成功した京都大学教授の山中伸弥さんと、いったん成長した細胞にも受精卵と同じ遺伝情報が含まれることを発見したイギリス、ケンブリッジ大学のジョン・ガードンさんが選ばれました。
日本人のノーベル賞受賞は19人目で、医学・生理学賞は昭和62年以来2人目です。

山中さんは大阪市生まれで50歳。
神戸大学医学部を卒業し、大阪市立大学の大学院で薬理学を学びました。
平成5年にアメリカに渡り、遺伝子の働きに関する研究に取り組みました。
その後、奈良先端科学技術大学院大学の教授を経て、平成16年に京都大学の教授になり、現在は、京都大学の「iPS細胞研究所」の所長を務めています。
山中さんは、特定の4つの遺伝子を皮膚の細胞に組み込んで心臓の筋肉や神経などさまざまな細胞に変化する「初期化」を起こし、まったく新しい「iPS細胞」を作り出すことに世界で初めて成功しました。
一方、今回、山中さんと同時に受賞することになったイギリス、ケンブリッジ大学のジョン・ガードンさんは、いったん成長した細胞にも受精卵と同じ遺伝情報が含まれることを発見しました。
ガードンさんは、1962年に行った実験で、カエルの卵から核を取り除き、代わりにオタマジャクシの細胞の核を移植しても、卵がそのまま成長することを示しました。
いったん成長した細胞の核でも、卵の中に入れることで、受精卵の細胞核と同じような状態になる、「初期化」が起きるとした世界で最初のケースでした。
こうした業績から山中さんとガードンさんは、3年前、アメリカでもっとも権威のある医学賞、「ラスカー賞」を同時に受賞しました。
ラスカー賞の受賞が決まったときの記者会見で山中さんは、「身に余る光栄で、この分野の父と呼ぶべき人と、ともに受賞できるのは格別の思いです」とガードンさんへの敬意を込めて喜びを語っていました。

32山中伸弥 ノーベル賞:2012/10/08(月) 19:33:33
山中伸弥教授にノーベル賞
ttp://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20121008-1029812.html

 スウェーデンのカロリンスカ研究所は2012年10月8日、2012年のノーベル医学生理学賞を、さまざまな細胞になる能力がある「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」を開発した山中伸弥10+ 件京都大教授(50)ら2氏に授与すると発表した。再生医療への利用が期待される日本オリジナルの研究成果が高く評価された。

 日本人のノーベル賞受賞は、10年化学賞の鈴木章・北海道大名誉教授と根岸英一・米パデュー大特別教授以来2年ぶり19人目。医学生理学賞は1987年の利根川進・米マサチューセッツ工科大教授以来25年ぶり2人目となった。

 山中教授は、マウスの皮膚細胞に4種類の遺伝子を組み込むと、万能細胞になることを発見。iPS細胞と名付け、06年に発表した。07年には、人の細胞でも実現した。

 受精卵を壊してつくる従来の胚性幹細胞(ES細胞)の倫理的問題が回避できるため、生命科学の一大潮流になった。開発から6年のスピード受賞。

 授賞式は12月10日にストックホルムで開かれ、賞金800万クローナ(約9400万円)が2氏に贈られる。(共同)

 [2012年10月8日19時29分]

33山中伸弥 ノーベル賞 掲示板:2012/10/09(火) 17:43:39
山中教授「まだ1人の患者さんも救っていない」
ttp://www.yomiuri.co.jp/science/news/20121009-OYT1T00156.htm


 「まだ仕事は終わっていない。来週からまた研究に専念したい」。山中伸弥さんは8日、京都大での記者会見で、自らに言い聞かせるように語った。

 明確な展望を持って、一生懸命働け――。米国留学時の恩師の言葉「ビジョン・アンド・ハードワーク」の実践が、スピード受賞の快挙に結びついた。

 転機は37歳で奈良先端科学技術大学院大学の助教授に職を得た1999年。米国では医学応用で脚光を浴びる前の胚性幹細胞(ES細胞)を研究したが、帰国後、理解者は少なかった。

 無名の山中さんの部屋は手狭で、研究費も最初はわずか数百万円。授賞理由に挙げられた論文の共著者となる高橋和利さん(34)(現・京都大講師)ら学生3人のちっぽけな研究室から、世界的な研究は始まった。

 朝9時の実験開始に少しでも遅刻すれば、最低30分は説教する。夜の研究室ではしばしば鍋を囲み、ビールを片手に、「成功すれば大勢の患者さんを救える」と熱く語った。妥協を許さず、「相手は世界」と言い続けた。

 業績がたたえられるたび、「まだたった1人の患者さんも救っていない」と臨床応用への熱意を語ってきた。会見では「医学や創薬で可能性がある。この賞は過去の業績というより、これからの発展に対する期待の意味が大きい」と繰り返し責任感を口にした。iPS細胞をさらに発展させるための挑戦は続く。

(2012年10月9日11時13分 読売新聞)

34山中伸弥 自伝:2012/10/09(火) 17:52:45
祝・ノーベル賞受賞 山中伸弥氏唯一の自伝 2012年10月10日発刊 講談社
ttp://www.sankei-kansai.com/2012/10/09/20121009-062301.php

 講談社(東京都文京区)は、今年のノーベル医学生理学賞に輝いた山中伸弥氏が赤裸々に明かす、「挫折と再起」の繰り返しだった研究人生とiPS細胞のすべてを1冊の本にした。タイトルは「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」。やさしい語り口で、中学生から読めるようにわかりやすく解説された研究内容、および山中氏の人となりがわかるエピソードとインタビュー、今後のビジョンなどをぎっしり詰めこんでいる。


(#)「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」
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《「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」の内容》
■父は町工場の経営者 ■高校柔道部から受験勉強に邁進
■「ジャマナカ」と蔑まれた研修医時代 ■臨床医としての限界を感じて
■はじめての実験 ■「先生、大変なことが起こりました」 ■研究の虜になって
■求人広告に手当たり次第応募 ■「VZの教え」とプレゼン力
■オスマウスが妊娠? ■はじめて発見した遺伝子 ■帰国
■マウスの名は「トム」と「カーニー」 ■「アメリカ後うつ病」にかかる
■新入生争奪戦 ■負けがわかっている勝負はしたくなかった
■「京都の作り方」と研究手法 ■設計図のしおり「転写因子」
■理論的に可能なことは実現する ■「長期目標」と「短期目標」の二本立て
■データベースで候補を絞る ■遺伝子を二四個まで絞り込んだ!
■「ほんまにこいつ賢いんちゃうか」 ■論文捏造スキャンダルの影で
■名前は「iPS細胞」と ■再生医療の可能性 ■病気の原因解明と創薬、ほか

■日本で最もノーベル賞に近い男がはじめて明かした、研究人生とiPS細胞のすべて

決して、エリートではなかった。「ジャマナカ」と馬鹿にされ、臨床医をあきらめた挫折からはじまった、僕の研究――。

■「iPS細胞ができるまで」と「iPS細胞にできること」

ぼくは父親の勧めもあって、医師になりましたが、医師であるということにいまでも強い誇りを持っています。臨床医としてはほとんど役に立たなかったけれど、医師になったからには、最後は人の役に立って死にたいと思っています。(本文より)

■読みやすい語り口で、中学生から読める

「医者になれ」といった父は町工場の経営者/高校柔道部から受験勉強に邁進/「ジャマナカ」と蔑まれた研修医時代/臨床医としての限界/はじめての実験/求人広告に手当たり次第応募/マウスが妊娠?/帰国/「アメリカ後うつ病」にかかる/新入生争奪戦/遺伝子を二四個まで絞り込んだ!/論文捏造スキャンダルの陰で/再生医療の可能性/iPS細胞ストック (本書の内容より)

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35山中伸弥 京大 掲示板:2012/10/09(火) 17:58:48
山中伸弥氏ノーベル賞:iPS細胞研究室を公開 京大
ttp://mainichi.jp/select/news/20121009k0000e040159000c.html

 京都大iPS細胞研究所は9日、山中伸弥教授の研究室を公開した。講師や研究員、大学院生ら58人が所属。研究員は「身近な先生が受賞したことを誇りに思う」と話し、高揚した雰囲気に包まれた。

 実験台には、iPS細胞を移植したマウスの細胞が入ったプラスチック製試験管や薬品などが並び、研究員らは通常通り実験を進めていた。

 iPS細胞の品質評価を担当する大貫茉里(まり)さん(28)は「まだ受賞はないだろうと思っていたので『えっ、もう』という感じ。不意打ちのようだった」と振り返った。9日未明、研究室で山中教授に「おめでとうございます」と言うと、「ありがとう。でも少し疲れた」と話していたという。

 大貫さんは「研究に対する姿勢は『厳しさ』しか思い浮かばない。受賞で忙しくなり、研究現場から離れてしまわないか少し心配です」と語った。

36山中伸弥 ノーベル賞 掲示板:2012/10/09(火) 18:03:28
山中伸弥さん 米研究所の会見で感謝と喜び
ttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20121009/t10015600331000.html
ノーベル医学・生理学賞の受賞者に山中伸弥さんが選ばれたことを受けて、山中さんが所属するアメリカ・サンフランシスコのグラッドストーン研究所が、8日、記者会見を開き、山中さんも日本からテレビ電話で参加して「この研究所がなければ、今回の受賞はなかったでしょう」と感謝と喜びを語りました。

山中伸弥さんは1993年から3年間、グラッドストーン研究所で、研究員として遺伝子の役割を調べる研究を行いました。
山中伸弥さんは上席研究員として、現在も毎月、1週間程度、この研究所で8人の若手研究員を指導しているということで、研究所には「山中研究室」と英語で書かれた紙が掲げられた専用のブースが設けられているほか、山中さん専用の個室もあります。
会見で、ウィリアムス所長は山中さんを祝福するとともに「シンヤが開発したiPS細胞は世界中の研究者によって研究が進められ、心臓や脳などの病気の分野でそれぞれの患者にあわせた治療ができる可能性を広げた」と述べ、功績を称えました。
このあと、日本にいる山中さんもテレビ電話で記者会見に参加し、山中さんの姿が会場のスクリーンに映し出されると、研究所の関係者から大きな拍手が沸き起こりました。
山中伸弥さんはこのなかで「何の実績もなかった私を研究所は雇ってくれ、自分は本当に幸運だったと思う。研究所の仲間がいなければノーベル賞受賞はなかったでしょう」と感謝と喜びを語りました。
山中伸弥さんは、今回、ノーベル賞を共同受賞したイギリスのケンブリッジ大学名誉教授、ジョン・ガードンさんとともに、2012年10月24日と25日にグラッドストーン研究所で講演することになっています。

37山中伸弥_挫折_ 掲示板:2012/10/09(火) 18:05:16
山中さん、2度の挫折 挑戦生んだ
ttp://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20121009-OYO1T00214.htm?from=main2

 山中伸弥さん(50)は、臨床医を志しながら挫折するなど、順風満帆な研究者生活を送ってきたわけではなかった。そうした苦労の末にノーベル賞の受賞が決まった山中さんに、生まれ育った大阪や学生時代を過ごした神戸、京都などの同級生や薫陶を受けた弟子の若手研究者から祝福や称賛の声が上がった。

 山中さんは、中学、高校で柔道、大学でもラグビーをし、骨折を10回以上経験している。けがが絶えなかったことから神戸大医学部に在学中に「スポーツ外傷の専門医になると決心した」という。

 1987年に同大学を卒業した山中さんは、大阪市大の医局を経て、国立大阪病院整形外科(現国立病院機構大阪医療センター)で研修医となった。しかし、不器用な上、点滴に失敗するなど指導医から「お前は邪魔、ジャマナカや」と呼ばれ、毎日、毎日怒鳴られていたという。

 講演会などで当時の話をする山中さんは、ユーモアを挟みながらも苦しい胸の内を明かしている。「手術が下手で、他の人なら20〜30分でやれる手術に2時間もかかった。研修も修行という感じで、地獄だった」と振り返る。

 理想と現実の大きな隔たりにも悩んだ。「整形外科は、手術をして元気になって帰っていくという明るいイメージがあった」が、脊髄損傷など深刻な患者を治せない現実を目の当たりにした。重症患者を救うには「基礎研究をするしかない」と思うようになり、臨床医を諦め、大阪市大大学院の薬理学教室の門をたたいた。これが1度目の挫折だった。

 薬理学教室で研究を進め、その後、93年に米国の研究所へ留学した。帰国後、大阪市大で、当時米国で盛んだったマウスのES細胞(胚性幹細胞)の研究を続けようとしたが、研究環境の違いや周囲の無理解から思ったように成果が上がらなかった。気持ちも沈み、2度目の挫折の日々だった。

 一時は臨床医に戻ることも考えたが、最後にもう一度、研究に挑戦してみようと、公募中だった奈良先端科学技術大学院大(奈良先端大)の助教授に応募。99年に採用され、iPS細胞研究の礎を築いた。

(2012年10月9日 読売新聞)

38山中伸弥 妻 一問一答:2012/10/09(火) 18:09:25
「子どもの笑顔支え」/教授&妻一問一答
ttp://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20121009-1030130.html


 京都大で会見した山中伸弥教授と妻の山中知佳さんの一問一答は次の通り。

 山中教授 昨日、日本のプレスの取材後、外国プレスとの電話インタビューで全部終わったのが(午前)1時か2時。研究室の学生が、私を喜ばせようと変装までして夜の研究所で待ってくれていた。米国の研究仲間とインターネットの画面を通して話をすることもできた。来週から現役の科学者として残っている仕事がたくさんある。気持ちを切り替え、研究開発の現場に戻りたい。研究の場面では1割バッターなら大成功。9回失敗しないと1回の成功はやってこない。それだけ日常のストレスは大きい。何十回とトライしても失敗ばかりということが何度もある。やめたくなったり泣きたくなったりする。

 知佳さん たくさんの方々に支えられてこのような日を迎えられた。連絡を受けてからずっとぼうぜんとしている。

 −エピソードを

 山中伸弥教授 米国での3年あまりの留学期間が基礎になっている。日本では研究もするし、夜は診察、土日は病院の当直でほとんど帰れなかった。その間に2人の娘が生まれた。米国では研究以外の時間がずいぶんできて、子どもの成長をすぐ横で見ることができ、子育てに携わることができた。子どもの笑顔を見ることが支えだった。

 −普段の様子は

 山中知佳さん ごく普通の父親で、ごく普通の主人。忙しい時は研究に集中していて声を掛けるのもはばかられるような時も何度もあった。家族としてどうサポートしていいか分からない時もあった。

  (以下、続く。)

39山中伸弥 妻 一問一答:2012/10/09(火) 18:10:06
 −家で愚痴ったりするのか

 山中知佳さん 主人はあまり愚痴を言いません。走りに行ってリフレッシュしている。昨日は、主人は洗濯機の修理をしていて、電話がかかってきた。英語で話をしていたし『サンキューサンキュー』と言っていたのでこれは大変なことになったのではないかと娘と顔を見合わせて言葉も出なかった。しばらくたってから『良かったね』と声をかけた。

 −受賞すると奥さまの頭にあったか

 山中知佳さん 今回は全く予期してなく、和やかな秋の夕方を過ごしていてただ、びっくりしている。重圧を感じているのはそばにいて感じている。リラックスする時間が限られていて、家族としてはもう少ししっかり休んでほしい。

 −受賞を機に力を入れたいことは

 山中伸弥教授 4つの目標に向け努力している。iPS技術を確実なものにする。再生医療に使うiPSのストックを国内外に提供する。そういった細胞を使って再生医療の臨床研究をあと8年弱で開始する。4つ目がiPS細胞を使った創薬。難病の方の薬を作る。受賞で目標が変わることがない。世界の難病の方にメードインジャパンの薬を提供する。

 −生命倫理上、一番先に解決すべき問題は

 山中伸弥教授 iPSに関し、2つの大きな課題がある。つい先日、マウスのiPSから卵子を作ることに成功したという成果があった。皮膚や血液から新しい生命が誕生するという状況になった。不妊治療の原因解明や薬の探索という意味でiPS細胞からの精子、卵子の作製、研究は進めるべきだと思う。しかし、(人間の)子どもとして誕生する可能性も理論的にあるが、それも認めるのか。もう一つは、人間のiPS細胞を動物の体に移植するという研究も大きな意味を持つが、どこまで許されるか。その線引きも議論する必要がある。iPSがノーベル医学賞としてもふさわしいものであったと、何十年後の人に思ってもらえるようにこれからが勝負。できるだけ早く研究の現場に戻りたいと思っている。(共同)

 [2012年10月9日12時39分]

40山中伸弥 略歴:2012/10/09(火) 18:11:32
山中伸弥教授の略歴
ttp://www.nikkei.com/article/DGXNASGG0800W_Y2A001C1GX1000/

 やまなか・しんや 1987年神戸大学医学部卒業、国立大阪病院で整形外科の研修医に。93年大阪市立大学大学院医学研究科修了。米グラッドストーン研究所博士研究員、奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センター教授などを経て、2004年から京都大学再生医科学研究所教授。10年4月から京大iPS細胞研究所長。

 独のマイエンブルク賞、ロベルト・コッホ賞、カナダのガードナー国際医学賞、米ラスカー賞、ウルフ賞医学部門など国内外の科学賞を多数受賞している。大阪府東大阪市出身。50歳。

41山中伸弥 論文:2012/10/09(火) 18:14:58
京都大が山中教授の特設ページ 喜びの表情や論文内容を掲載
ttp://www.kyoto-np.co.jp/education/article/20121009000062

 京都大は大学ホームページに山中伸弥教授の特設ページを開設、教授の喜びの表情を速報するとともに、その業績を紹介した。

 ノーベル賞受賞決定を受けて開かれた8日夜の記者会見の模様や、9日朝に本部棟前で職員から花束を受け取る山中教授の写真のほか、iPS細胞の作製を報告する論文や記者会見の内容をまとめている。

 山中教授が在籍した大阪市立大と奈良先端科学技術大学院大もホームページで受賞を知らせた。大阪市立大は助手時代の上司や大学院生当時の指導教官の喜びや祝福の声を掲載。「夜を徹して仕事をするタイプではなく、適当な時間になるとさっと帰りますし、効率よく時間を使っていた」というエピソードも紹介している。

【 2012年10月09日 15時20分 】


ttp://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news7/2012/121008_1.htm

42山中伸弥 略歴 学歴:2012/10/09(火) 18:17:44
山中伸弥 iPS細胞研究所長・教授がノーベル生理学・医学賞を受賞 (2012年10月8日)
ttp://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news7/2012/121008_1_1.htm

<山中伸弥 略歴>
氏名:山中 伸弥 (やまなか しんや)

現職:京都大学 iPS細胞研究所 所長/教授、京都大学 物質−細胞統合システム拠点 連携主任研究者

<山中伸弥 学歴>
昭和62年 3月 神戸大学医学部 卒業
平成 5年 3月 大阪市立大学大学院医学研究科 修了

<山中伸弥 研究歴および職歴>
昭和62年 7月 国立大阪病院 臨床研修医
平成 5年 4月 Postdoctoral Fellow, Gladstone Institute of Cardiovascular Disease, San Francisco, CA, USA
Research Fellow, University of California, San Francisco, CA, USA 
平成 8年 1月 日本学術振興会 特別研究員
平成 8年10月 大阪市立大学医学部薬理学教室 助手
平成11年12月 奈良先端科学技術大学院大学 遺伝子教育研究センター 助教授
平成15年 9月 奈良先端科学技術大学院大学 遺伝子教育研究センター 教授
平成16年10月 京都大学再生医科学研究所 再生誘導研究分野 教授
平成19年 8月 Senior Investigator, Gladstone Institute of Cardiovascular Disease, San Francisco, CA, USA
平成19年 9月 Professor of Anatomy, University of California, San Francisco, CA, USA
平成19年10月 京都大学物質−細胞統合システム拠点 教授
平成20年 1月 京都大学物質−細胞統合システム拠点 iPS細胞研究センター センター長
平成22年 4月 京都大学iPS細胞研究所 所長
平成24年 6月 京都大学iPS細胞研究所 教授

43iPS細胞の意味と作り方と課題:2012/10/09(火) 19:53:35
iPS細胞の意味と作り方と課題
ttp://studyinghard.seesaa.net/article/296507936.html


iPS細胞とは人工多能性幹細胞

iPS細胞の英語
Induced pluripotent stem cells
誘導された多能性を持つ幹細胞


Induce (動詞) 誘発する
pluripotent (形容詞) 多能性の
stem cell 幹細胞

44山中伸弥 田中耕一 ノーベル賞 掲示板:2012/10/09(火) 19:59:21
ノーベル賞:医学生理学賞 山中伸弥教授、田中耕一氏と語る
ttp://mainichi.jp/select/news/20121009mog00m040012000c.html


 ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった山中伸弥教授は8日夜、毎日新聞との単独インタビューに応じた。02年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一・島津製作所シニアフェローも電話会議システムで加わり、受賞の喜びや今後の研究について語り合った。(聞き手は砂間 裕之・毎日新聞大阪本社科学環境部長)


山中伸弥 氏: 感謝と責任の思いを強くしています。日本全体の支援に加え、高橋和利さん(京都大iPS細胞研究所講師)ら多くの仲間の支援がなければ、受賞はありませんでした。ジョン・ガードン先生の仕事がなければ、私の仕事もありえなかった。iPSは科学技術としてはまだまだ時間と努力が必要です。本当の意味での医学応用につなげるため、責任を感じています。

田中耕一 氏: 私もうれしいです。日本の医学が世界の最先端を行っていることが世の中に伝わっていなかったが、山中さんの受賞で誇れるようになります。島津製作所の技術でもiPSに貢献します。

山中伸弥 氏: ありがとうございます。島津の質量分析技術はこれからも研究に不可欠です。

 −−奈良先端科学技術大学院大学で山中さんは学生に体細胞の初期化は可能だと宣言された。常識や定説を覆すのが山中、田中両氏の共通点です。ビジョンの大切さをどう感じていますか。

山中伸弥 氏: 米国留学中、科学者として成功するために「VW」が大切だと教わりました。「ビジョン」と「ワークハード」。ぶれないビジョンを持ち、それに向かって力を合わせることを心がけました。

田中耕一 氏: 山中さんが素晴らしいのはまじめで努力家の一方、遊び心を忘れずに24の遺伝子から四つに絞り込む過程で、さまざまな試みをした点です。「研究者に遊び心はダメ」という人もいるが、そんなことはないんです。

 −−臨床まで進んでいない技術が受賞するのは異例です。

山中伸弥 氏: 医学応用につなげるのが、私の責任だと考えています。安全性と効率を高める工夫を重ねており、臨床に使えるグレードのiPS細胞づくりに取り組んでいます。

 −−山中さんはかつて、利根川進・マサチューセッツ工科大教授の講演で質問されたことがあったそうですね。

山中伸弥 氏: 奈良先端大にいた頃、勇気を出して質問し、励まされました。若い研究者も私に質問してほしい。一方通行ではなく、利根川さんのように、できる限りの答えをしていきたいです。

 −−受賞後の生活について田中さんからアドバイスを。

田中耕一 氏: できる限り山中さんをサポートしていきたい。妻も、奥様が授賞式で着る着物など、喜んでアドバイスしたいそうです。

山中伸弥 氏: ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

45iPS細胞 バイオ関連株:2012/10/09(火) 21:42:05
新興市場のバイオ関連ベンチャーがストップ高相次ぐ 山中教授ノーベル賞受賞で
ttp://sankei.jp.msn.com/economy/news/121009/fnc12100917580019-n1.htm
 山中伸弥京大教授のノーベル賞受賞決定を受けて、2012年10月9日の東京株式市場では再生医療やiPS細胞からバイオ関連銘柄までが広く買われ上昇した。特に新興市場のバイオ関連ベンチャーが買われ、新興市場である東証マザーズやJASDAQで、ストップ高となった企業が相次いだ。

 JASDAQではコスモ・バイオ、セルシード、医学生物学研究所のほか、DNA抽出装置メーカーのプレシジョン・システム・サイエンス、再生医療ベンチャーのジャパン・ティッシュ・エンジニアリングと5社がストップ高になった。

 東証マザーズでもメディネット、DNAチップ研究所、タカラバイオの3社がストップ高になった。

 一方では、山中教授と共同研究を行っている武田薬品工業など製薬大手も上げている。武田が前週末比30円高の3580円、大日本住友製薬が14円高の846円とそれぞれ値を上げた。

 SMBC日興証券の西広市株式調査部長は「ご祝儀もあるが、株式市場はこうした夢の技術に反応しやすい。(授賞は)世界中で報道されるため関連企業の評判も高まる」と指摘する。

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46iPS細胞 新薬開発 掲示板:2012/10/10(水) 19:48:16
山中教授ノーベル賞受賞が追い風になるCRO業界
ttp://www.yomiuri.co.jp/atmoney/kouza/kabuka2/03/20121010-OYT8T00991.htm
 山中伸弥・京大教授が10月8日、ノーベル医学・生理学賞を受賞した。iPS細胞 (新型万能細胞)の開発に成功した功績が認められた。今後に、再生医療や新薬開発など、医療関連産業で幅広い応用が期待され、関連市場の拡大が見込まれよう。医療機器と、再生医療がとりあえず注目されているが、本命は創薬、新薬開発の分野との見方もある。こうした中で、足元が好調な、開発に特化するCRO(医薬品開発支援)業界のさらなる成長が期待されよう。

1.新薬開発を支援するCRO業界を取り巻く環境が良い

 CROは、製薬会社が新薬開発のために行なう臨床試験を支援するアウトソーシングビジネスである。事業は二つに分けられる。一つは、臨床試験の進行状況などを調査するモニタリング業務であり、もう一つは臨床試験で集められた症例データを管理するデータマネジメント業務である。

 CRO業界を取り巻く環境は良好である。昨年後半からモニタリング業務が盛り上がりを見せているが、最近はデータマネジメント業務の回復も顕著である。背景には、大手製薬会社の抗がん剤開発の活発化や、国内準大手製薬会社の多岐にわたる開発の進展などがある。この好環境がいつまで続くのか、これがCRO業界の当面の最大の焦点であるが、いちよし経済研究所はいくつかの指標をもとに、モニタリング業務の需要増加は2015年まで続くと予想する。

 CRO各社の今後を見る上で、国際共同治験への対応も見逃せない。特に日本のCROが主導権を握ることができる、アジア治験(アジア地域のみの共同治験)への期待が高い。課題が多くビジネス化に時間を要するが、取り組み方次第では欧米の大手CROとの差別化を図ることができる。この4月の長期収載品(特許の切れた新薬)の薬価追加引き下げと、MR(医薬情報担当者)の接待規制化の影響も、国内CROに追い風となっている。

 4月から製薬会社が営業活動の見直しを進めており、CRO各社が周辺事業として取り組んできたMR派遣の需要増加に結び付く可能性がある。製薬業界は分業・協業の時代を迎えようとしている。今後も受託領域が広がる可能性があり、CRO 各社は対応力次第で活躍の場が一段と増すことになろう。

2.モニタリング業務の回復をもたらした複数の要因

 モニタリング業務の回復にはいくつかの要因がある。一つに、大手製薬会社の国内での抗がん剤開発の活発化だ。製薬会社の戦略転換の影響である。これまでは高脂血症など生活習慣病治療薬の開発に力を入れていたが、開発余地が限られてきた嫌いがあり、がんやアルツハイマー病など新たな領域に開発の力点をシフトさせた。候補物質の買収や導入の積極化もあって、新薬開発が国内で行なわれることが多くなったこと、しかも、がん等は種類が多岐にわたるため、他の疾患に比べ臨床試験の本数が多くなるため増加のペースは一段と加速した。

 もう一つの要因は、国内準大手製薬会社の開発が、便秘症、肥満症、尿路結石症、ドライアイ等と対象疾患が多彩なことである。モニタリング業務は主に第2相臨床試験段階以降が対象になるが、それらが第2相臨床試験段階にあることである。さらに一部で指摘されている「2017年問題」も挙げられる。即ち2017年前後に米国で大型医薬品の特許が切れる問題を指すが、特許切れによる売上減少を埋める新薬の開発が急がれているのである。今後数年にわたりモニタリング業務の需要増加に貢献しよう。


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47山中伸弥 神戸大学 掲示板:2012/10/10(水) 19:54:17
ノーベル賞:医学生理学賞に山中伸弥氏 「頑張れば近づける」 神戸大学の後輩に勇気 ゆかりの店も喜びの声
ttp://mainichi.jp/feature/news/20121010ddlk28040368000c.html
 学生時代を神戸で過ごした山中伸弥・京都大教授(50)のノーベル医学生理学賞受賞は、神戸大医学部の後輩にも勇気を与え、ゆかりの店からも喜びの声が上がった。

 神戸大学大学院医学研究科博士課程3年の瀧野 恭子さん(29)は、山中伸弥教授が「研究を立ち上げたが、結果がすぐに出ずに苦しんだ」と講演したことが印象に残っているという。受賞について「粘り強く研究に打ち込むことが大事だということに、改めて気づきました」と話した。同研究科博士課程1年の国政啓さん(30)は「ノーベル賞は自分から遠い賞だったが、頑張れば近づけるのではないかと思った」と語った。

 神戸大学医学部ラグビー部に所属していた山中伸弥教授が、当時月1〜2回は通う常連だったという「串かつ船越」(神戸市灘区)。店主の船越義弘さん(70)は「受賞でもっと忙しくなると思うが、また店に遊びに来て」と顔をほころばせた。

 山中伸弥教授は10年9月、かつての同級生と二十数年ぶりに来店。船越さんが「テレビで見ていたより実物は若いなあ」と声を掛けると、学生時代と同じようにニコニコと笑っていたという。船越さんはこの時に2人で撮影した写真を大切に保管している。

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神戸大学受験
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48再生医療 倫理:2012/10/11(木) 23:53:38
再生医療 危うい倫理 動物で人の臓器育成
(東京新聞 2012年10月11日 07時02分)
ttp://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012101190070204.html
 人間並みの記憶力を持つマウスや人間の皮膚を持つサルなどがあらわれるかも−。どんな細胞にも変わりうるiPS細胞をもとに、動物の体内で人間の臓器を作り出す研究が進んでいる。山中伸弥京都大教授のノーベル賞受賞でiPS細胞の応用に期待が集まる一方、人間と動物の境界があいまいになるという倫理的な課題が浮上した。
 マウスとラットが合体した動物はすでに生まれている。糖尿病の根本的な治療をめざす東京大医科学研究所の中内啓光教授らは、マウスの体内でラットの膵臓(すいぞう)を作った。膵臓ができないよう遺伝子操作したマウスの受精卵に、ラットのiPS細胞を入れると、生まれたマウスの体内にはラットの膵臓ができた。
 さらに、膵臓ができないようにしたブタの胎児に、人間のiPS細胞を培養した細胞を移植する研究に着手した。この細胞は膵臓の細胞になるよう方向づけられている。うまくいくとブタで人間の膵臓を作ることができる。
 肝臓病の治療をめざす横浜市立大の谷口英樹教授らは「マウスに人間の肝臓を作った」と、今年六月に発表した。人間のiPS細胞を、肝細胞の一歩手前の細胞に変化させ、血管を作る細胞などとともに培養。これをマウスの頭部に移植した。すると人間の血管網ができ、大きさは五ミリだが、特有のタンパク質を作るなど肝臓の機能を持つ臓器ができたことを確認した。
 国の指針では、動物の受精卵に人間の細胞を移植し、子宮に戻して個体を作り出すことを禁じている。人間と動物の中間の生物ができてしまう恐れがあるからだ。ただ人間の細胞や組織を、動物へ移植することは認められている。東大や横浜市大の研究は、このルールの中で進められている。
 なぜ、動物が必要なのか。横浜市大の武部貴則助手(再生医療)は「試験管の中で丸ごとの臓器を作るのは難しい」と説明する。細胞の培養は体外でもできるが、臓器の形成には、同じ生体である動物を活用するのが早道なのだ。
 ただ、技術が進めば、脳細胞の動物への移植などにも応用でき、やっていいことといけないことを、どのように線引きするかという問題に直面する。山中教授もどこまで進めてよいか国民的な議論が必要だと訴える。大阪大の加藤和人教授(医学倫理)は「一律に動物の利用を制限することには賛成できない。個別の判断が必要になる。患者、研究者、倫理の専門家、それに市民による熟議の場を設けるべきだ」と話している。

49iPS細胞 倫理:2012/10/11(木) 23:56:33
iPS細胞:臓器作成など利用の倫理的問題点 議論本格化
(毎日新聞 2012年10月11日 20時49分)
ttp://mainichi.jp/select/news/20121012k0000m040070000c.html
 政府の総合科学技術会議の生命倫理専門調査会は11日、ヒトの人工多能性幹細胞(iPS細胞)を使って動物の体内でヒトの臓器を作る研究や、将来移植に使うことの倫理的問題点について、実質的な議論を始めた。専門委員からは「飛躍的に研究が進んでおり、優先して議論を進めるべきだ」との意見が相次いだ。

 同調査会は、生命倫理に詳しい専門家ら15人と同会議の議員8人で構成。文部科学省の指針が禁じているヒトiPS細胞などから作った精子や卵子を受精させる研究の可否などについて幅広く議論し、仮に指針を変える必要があるとの結論が出れば、同省に改正を促す。

 ヒトの臓器を動物に作らせる代表的な手法は、遺伝子操作で生まれつき臓器を作れなくした動物の受精卵(胚)にヒトiPS細胞を移植する方法。国内では東京大の中内啓光教授らが計画、基礎研究を行っている。このような胚は「動物性集合胚」と呼ばれる。基礎研究は認められているが、子宮に入れて育てることは、複数種類の動物の細胞を持つ生物(キメラ)が生まれる可能性があり、文科省は指針で禁止している。

 この日の会合では、動物性集合胚の研究の規制緩和を求める声が出た一方、「現状の規制は強すぎるとは思わない」との意見も出た。

50iPS細胞 倫理:2012/10/11(木) 23:58:19
iPS研究所に倫理専門家を…山中伸弥教授が意向
ttp://www.yomiuri.co.jp/science/news/20121009-OYT1T00716.htm
 山中伸弥・京都大教授は2012年10月8日夜の記者会見で、自身が所長を務める同大iPS細胞研究所(京都市左京区)に、研究倫理の専門家を迎える考えを示した。


 iPS細胞(新型万能細胞)は、あらゆる種類の細胞に変化できる性質があるが、最近、マウスの実験で精子や卵子へ変化させた例が報告されている。この手法が悪用されれば、落ちている髪の毛から精子などを作製し、それを受精させ、髪の毛の持ち主が知らないうちに子どもが誕生するような事態が起こりかねない。

 そうした問題を回避するため文部科学省は指針を策定。人間のiPS細胞やES細胞(胚性幹細胞)を精子や卵子に変化させる研究は認める一方、それらを受精させることは禁じている。

 iPS細胞は比較的簡単な方法で作製でき、応用研究は加速度的に進むとみられる。研究機関や研究者は、現行の指針を守るだけでなく、新たに起こる倫理的課題に迅速に対応していく必要がある。そのため、科学研究と同時に、社会とのつながりを重視した倫理面での研究を進める必要性が指摘されていた。

(2012年10月9日13時43分 読売新聞)

51山中伸弥 自伝:2012/10/12(金) 00:01:36
ノーベル賞・山中教授自伝に予約殺到!3万8000部“完売”
ttp://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20121010-OHT1T00277.htm

 ノーベル医学生理学賞受賞が決まった京都大学・山中伸弥教授(50)が出版界にも嵐を巻き起こしている。2012年10月10日に発売された初の自伝「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」(1260円、講談社)に書店からの申し込みが殺到。書店からの予約が受けられない状態になっていることが同日、分かった。

 初版8000部の予定だった同書。だが、ノーベル賞受賞決定の報を受け、出版元の講談社では異例とも言える3万部を急きょ増刷した。それでも、この日までに計3万8000部は全て書店からの予約でいっぱいになってしまった。現在、書店で流通している本が売り切れてしまうと、入手困難となる可能性が高い。

 講談社では「次の増刷については、売れ行きを見て2〜3日内に決定する」としている。さらに一般からのメール、電話も同社に殺到しており、「非公表なので数字は言えないが、かつて例がないほどの数の問い合わせが来ている」という。

 また、同書で山中教授を担当した学芸図書出版部の石井克尚さん(31)は「山中先生に見てもらったときに、膨大な量の訂正、チェックがありまして…。『この業績は自分でなく、(まな弟子の)高橋(和利京大講師)のものだ』とか『家族への感謝を付け加えたい』とか、周囲への気遣いが多かった」と、人柄がにじむエピソードを披露した。

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(#)「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」
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ノーベル医学生理学賞に輝いた山中伸弥氏が赤裸々に明かす、「挫折と再起」の繰り返しだった研究人生とiPS細胞のすべて。

52山中伸弥 高橋和利 掲示板:2012/10/12(金) 00:05:00
山中伸弥さんの一番弟子、高橋和利さんに国際賞 日本人初
ttp://sankei.jp.msn.com/science/news/121011/scn12101109580000-n1.htm
 ノーベル医学・生理学賞の受賞が決まった京都大教授の山中伸弥さん(50)の“一番弟子”で、京都大iPS細胞研究所の高橋和利講師(34)に、ニューヨーク幹細胞基金が2012年10月9日(現地時間)、幹細胞研究で優れた業績を上げた若手研究者に贈る「同基金・ロバートソン賞」を贈ると発表した。賞金は20万ドル(約1560万円)で、日本人では初めての受賞となる。

 同財団のホームページなどによると、山中伸弥さんがiPS細胞の作製に成功した際、研究の中心となって支えた点などが評価された。

 同研究所によると、高橋和利講師は同財団の授賞式に出席するためにニューヨークに滞在している。


ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9858/1286185396/

53山中伸弥 インタビュー 掲示板:2012/10/12(金) 00:07:10
山中伸弥教授「網膜臨床研究の準備整う」…本紙インタビュー
ttp://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20121011-OYT8T00611.htm
 今年のノーベル生理学・医学賞の受賞が決まった京都大教授で、同大iPS細胞研究所長の山中伸弥さん(50)は10日、読売新聞の単独インタビューに応じた。

 iPS細胞(新型万能細胞)から様々な臓器の細胞を作り出し、患者へ移植する臨床研究の実施について、「一番早いのは網膜だ。(治療に至る)準備はほぼできている」と述べ、後は国などの許認可を得るだけだとの認識を示した。

 網膜での臨床研究は、失明の原因となる加齢黄斑変性の治療が対象で、来年にも先端医療センター(神戸市)などの研究チームが始める予定。

 山中伸弥さんは、▽iPS細胞から網膜の細胞へと変える技術が確立されている▽網膜は移植する細胞の数が少なくて済む――などの理由を挙げ、「万一、細胞の増殖などの副作用が起きた場合も、いち早くキャッチでき、異常な部分をレーザーで焼いて除去することができる」と説明した。

 iPS細胞から出血時に血液を固める働きをする「血小板」を作製することについては、「極めて安全性は高い。数を十分に増やすことが課題で、クリアできれば臨床研究に向けて一気に進む。研究所としても精いっぱい取り組みたい」と話した。

 また、再生医療への応用で指摘されるがん化の危険性について、「リスクは日進月歩でどんどん小さくなっていく」とした上で、「リスクと、移植で患者が得られる利益をてんびんにかけ、冷静に判断していくことが必要だ」と訴えた。

(2012年10月11日 読売新聞)

54山中伸弥 世耕弘成 掲示板:2012/10/12(金) 00:11:49
中高からの親友・世耕議員が語る山中教授“負けず嫌い伝説” 腕相撲にマラソン…
ttp://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20121010/dms1210101548015-n1.htm
ノーベル医学・生理学賞に輝いた京都大の山中伸弥教授(50)について、文武に優れ、ウイットにも富む人間性が報じられている。人類に多大な恩恵を与える「iPS細胞」を発見した世界の至宝は、どういった青年時代を過ごしたのか。中高一貫校で6年間同級生だった自民党の世耕弘成参院政審会長(49)が夕刊フジの取材に応じ、山中氏の“超負けず嫌い”な素顔を語った。

 自宅が近所だった山中伸弥氏と世耕弘成氏。ほぼ毎朝、大阪教育大付属天王寺中学・高校(大阪市)まで、同じ電車で通学していた。中学3年時には、世耕氏が生徒会長で、山中氏が副会長、高校ではともに柔道部だった。

 当時の山中伸弥氏について、世耕氏は「約40分間の通学電車では、学校生活から女の子の話まで、普通の中・高生のする話をしていた。勉強は抜群にでき、試験をすれば3番以内。でも、勉強しているところは見たことがない。塾や予備校には行かず、参考書も持っていなかった。スポーツも万能だったが偉ぶらず、先生にイタズラするときは、参加するような生徒だった」と振り返った。

 体育の授業をきっかけにラグビーにはまった山中氏が、神戸大医学部の入試前日夕方まで、練習をしながら合格したことは、語りぐさだ。

 世耕氏は「根っからの関西人なので、東大には行かないと思っていた。友人間では『神戸大を選んだのは、彼女(=妻の知佳さん)の家が近かったからでは』という話になった」と明かした。

 山中伸弥氏の趣味はジョギングで、マラソン完走を条件に研究資金を集めたこともある。山中氏は「研究も人生もマラソンと同じで、勝てなくても最後まで走り抜かなければ」と語っているが、世耕氏は「いやいや、彼は相当な負けず嫌いだ。勝ち負けにもこだわる」といい、「壱發野郎(いっぱつやろう)の会」という年2回の同窓会での、こんなエピソードを披露した。

 「(同級生の)ボディービルダーと剣道の達人が腕相撲をしているのを見て、彼が『俺もやる』と挑んだ。もちろん負けたが、本当に悔しそうだった。総務省の課長にも同級生がいて、学生時代に比べて太っていたので、彼は『一緒にマラソンしないか?』と誘っていた。健康のためというより、高校時代に10キロ走で負けたリベンジが狙いだった」

 世耕弘成氏が、安倍政権で首相補佐官をしていた際には、直接電話をしてきて、研究の意義や研究費用の厳しさを熱く語ったこともあったという。

 山中伸弥氏は「ジャマナカ」と呼ばれるほど手術が苦手で、臨床から研究に移ったと説明しているが、世耕氏の見方は違う。「中学生時代から正義感が強く、真理を探究するタイプだった。『患者を救いたい』という彼の正義感が、行動の原点にあるのではないか。本当に誇りに思う」といい、笑顔を弾けさせた。

ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9858/1286185396/

55山中伸弥 寄付 掲示板:2012/10/12(金) 00:14:16
山中教授へ受賞後に寄付金437万円! 止まらぬ善意
ttp://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20121010/dms1210101217010-n1.htm

 京都大の山中伸弥教授が所長を務める「京都大iPS細胞研究所」への寄付が止まらない。ネットの寄付サイトを通じ、8日の受賞決定から2012年10月10日午前8時までに計461件、約437万円が集まった。

 山中教授は研究費用を確保するため、寄付サイト「ジャスト・ギビング・ジャパン」を通じ、今年3月に京都市で開かれたマラソンで完走を宣言した上で寄付を呼び掛けた。ノーベル賞受賞前の寄付は1021件、1233万円だったが、受賞決定後に研究所への寄付が続々と寄せられ、461件、約437万円が追加された。

 民間の善意だけでなく、国も研究を資金面で後押しする。10日付の日本経済新聞によると、文部科学省は山中教授らの研究所を中心に、iPS細胞の実用化研究に対して今後10年間、研究費を助成する方針を決めた。総額で200億〜300億円を要求するという。約200人が働く京大iPS研は9割が研究費で雇われている非正規職員のため、10年規模の助成によって長期的な研究態勢が充実する。

56片岡和久:2012/10/25(木) 22:11:04
私は山中伸也教授と共同研究なんですけど私の研究はフィラリアの研究です。

57ノーベル賞 山中伸弥 掲示板:2012/12/11(火) 08:54:19
山中伸弥さん、笑顔の晴れ舞台 ノーベル賞授賞式
ttp://www.asahi.com/science/update/1211/OSK201212100149.html

2012年のノーベル賞の授賞式が2012年12月10日夕(日本時間11日未明)、ストックホルムのコンサートホールで開かれた。京都大の山中伸弥教授(50)が英ケンブリッジ大のジョン・ガードン教授(79)とともに、スウェーデンのカール16世グスタフ国王から医学生理学賞の賞状とメダルを受け取った。

 ノルウェーのオスロで授賞式がある平和賞以外の5部門9人の受賞者が、アルフレッド・ノーベルの胸像とたくさんの花で飾られたコンサートホールのステージに集まった。

 オーケストラの音楽に合わせ、燕尾服(えんびふく)姿の山中さんは笑顔で登場した。会場では、家族や友人、日本を含む各国の代表、過去の受賞者ら約1600人の出席者が見守った。

58ノーベル賞 山中伸弥 掲示板:2012/12/11(火) 08:57:02
山中伸弥さん「自然も師」 ノーベル賞で記念講演会
ttp://www.asahi.com/science/update/1208/OSK201212070155.html

 iPS細胞(人工多能性幹細胞)を開発し、今年のノーベル医学生理学賞を受賞する山中伸弥・京都大教授が2012年12月7日午後(日本時間同日夜)、ストックホルム市のカロリンスカ医科大で記念講演した。若いころの挫折やiPS細胞誕生までの軌跡をジョークをまじえて語り、満員の会場を何度もわかせた。

 山中伸弥さんは濃い色のスーツにあずき色のネクタイ姿。ネクタイはノーベル物理学賞を1973年に受賞した江崎玲於奈さんからもらったものという。

 講演では、手術が下手で整形外科医をやめ、研究者に転向した下積み時代の思い出を披露。仮説に反する実験結果が出ると喜びを感じ、それが研究を続ける糧になったという。当時の指導教官らの励ましも大きかったといい、「私も彼らのようになりたいが難しい。予想もしないことを教えてくれ、新たな課題へと導いてくれる自然そのものも師だ」などと話した。

59死生観:2013/03/25(月) 05:52:42
(#)小さな幸せ
ttp://slowhappiness.cocolog-nifty.com/


週刊現代 4月6日号(2013年3月25日発売)
人間、死んだらどうなるのか/ノーベル賞・山中教授の「死生観」


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