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生きるとは 働くこと 息をすること

1希望:2013/10/10(木) 00:24:55 ID:vtb35F.E0
 60歳まで後10年ほど、仕事場は若い人が多く感じてきました。
お金が有ればゆっくり生活したい。そう思う今日この頃です。
仕事に就いて、楽しい、と思うより、辞めたいと思います。
誰も、そこを辛抱して、頑張っていうのでしょう。生きるため。
働かなくて、生活できる人は、とっても、幸せなことなんだと思います。

2負け犬:2013/10/10(木) 21:27:51 ID:ceF.8t2w0
金のある無職も幸せとは言えない気がします。
毎日毎日何をして過ごすのか?
人間、忙しすぎても気が狂いますが、閑すぎても気が狂います。
適度に働いて、適度に休んで、適度に遊ぶ人生が最高だと思います。
その選択肢を選べる日本人はほとんどいないのが現状ですが・・・。
人生苦しんで死ぬだけ。

3希望:2013/10/11(金) 08:45:08 ID:vtb35F.E0
楽しいなー楽しなーと思っていると、楽しくなるそうです。
私はその努力をしていないです。 心に言い聞かす。私は甘えんぼのままだからでしょうか。
強くなりたい、強くありたい。ばかになれー。ばかでありたい。残りの人生楽しく幸せでありたい。
2千万でいい。お金が欲しい。それで、今私は幸せになれる。

4エアー:2013/10/11(金) 15:43:18 ID:CbFRacpo0
お金を稼ぐ為の労働くのは大変ですね、誰かにそれだけの価値を生み出さなければなりません。
自分が生きるための仕事はいくらでもあります、やってもやらなくても自分の問題です。
しかし、ご飯を食べていくためにはいくらかのお金は必要ですから、その為の我慢はしなければならないのが現実ですね。

二千万あったら幸せになれるのですか、夢がありそうですね、どんな幸せですか?

5旅人:2013/10/12(土) 09:58:12 ID:LLn9CePg0
 職業に関しては、私の理想は、桶職の歌に歌われているような仕事です。
 このような仕事は、今でもあるのではないかと思いますが、どうでしょうか。
 つまり技能職ですが、今は確かに何もかもが商品化されてしまいましたね。

 次に、その桶職の歌をかかげておきます。

一、 我は唯桶を作る事を知る。
   其他の事を知らない。
   政治を知らない宗教を知らない。
   唯善き桶を作る事を知る。

ニ、 我は我桶を売らんとて外に行かない。
   人は我桶を買はんとて我許に来る。
   我は人の我に就いて知らんことを求めない。
   我は唯家にありて強き善き桶を作る。

三、 月は満ちてまた欠ける。
   歳は去りて又来る。
   世は変り行くも我は変らない。
   我は家に在りて善き桶を作る。

四、 我は政治の故を以て人と争はない。
   我宗教を人に強ひんと為ない。
   我は唯善き強き桶を作りて、
   独り立て甚だ安泰(やすらか)である。

 なお、これは内村鑑三が作ったものです。

6希望:2013/10/15(火) 01:02:32 ID:vtb35F.E0
 働いて稼いだお金は、普通に生活して、消えていきます。
そこそこ、貯えがあると、気持ちに余裕が持てることは、幸せを生みます。
そんな、生活をしたい。怠け者で終わるのが落ちかな?
仕事が楽しいと感じる人いますか?

7エアー:2013/10/15(火) 09:12:55 ID:CbFRacpo0
希望さんこんにちは

>そこそこ、貯えがあると、気持ちに余裕が持てることは、幸せを生みます。

なるほど、良く分かりました、あなたのおっしゃるとおりだと思います。
気持ちにゆとりが持てると落ち着いた生活が営めますものね、将来を思い描き人生設計ができます。
自分の人生を肯定し楽しむことが出来たらそれだけで素晴らしいことですよね。

「幸せって何か」を少しづつお話していきませんか、私も良く分からないのです。

8希望:2013/10/19(土) 20:22:38 ID:vtb35F.E0
 幸せは健康であること。
貯えがあること。
自分の心がきれいであること。
人の心がきれいであること。

9エアー:2013/10/20(日) 14:02:38 ID:CbFRacpo0
こんにちは、希望さん

<健康であること> 願わくばずっと健康でありたいですよね、もしも健康を損ねてしまったとしても幸せを求めることはできると思います。
<貯えがあること> 昔々、七年の大豊作の後七年の大飢饉があったそうです、豊作の時に穀物を貯蔵していた国は大飢饉を乗り越えることが出来た、と聞いたことがあります。
         先々のことは何が起こるか分かりませんけど、備えは出来るときにしておいた方が良いと言う教訓ですね。
<心がきれいであること> できればそうありたいと思うのですが全く自信がありません、清濁併せ持っていると思っています。

求める物が得られないとき人は「不幸」を感じるのでしょうね、でも喉が乾き切ったときのコップ一杯のお水が何よりも美味しく感じられるのは誰しも経験があることでしょう。
人は持ち物が多くなってくると、このお水の美味しさを忘れがちになってしまうものです。どうしたらこの感激を持続できるのでしょうか?

健康を害したとき、健康のありがたさを知り。
貧しいときに、お金の大切さを知り。
世の中の汚さを身にしみて感じたとき、真善美の美しさを知る。

なんか、そんな事を思いました。

希望さん、考える機会をくださりありがとうございます。

10エアー:2013/10/26(土) 17:17:03 ID:CbFRacpo0
希望さん、こんにちは

ご覧になっていますか、
人はどうしたら幸福になれるのでしょうか
現代社会は物は豊富だし、機械化が進んで生活の為の労働は楽になりましたね、
私の子供の頃は水道も無く井戸水を汲んだ記憶があります。
今にして思えば、発展途上国だったのだと思います。
確かに豊かな国になったのですが、幸福感はあまり増していないように思います。
むしろバブル崩壊後からの失われた20年は未来への閉塞感を強めています。
あっ、暗い話になってしまいました。

希望さんは健康ですか、「元気があれば何でもできる」といった方がいますね、そうありたいものです。
希望さんは、きれいな心を持った優しい方なのでしょうね、その心を大切にしてください。

話したくなったらお声掛けください。


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