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科学的であることをどこまで強調できるのか

1旅人:2012/04/07(土) 11:37:02 ID:te1l22FY0
 現代では、科学をかたるものが多いように思います。「○○の科学」という巨大宗教組織さえあります。またオウム真理教なども、科学性をアピールし、多くの若き科学者を自らの教団に引き入れ、マインドコントロールをしてきたのだと思います。

 日本人はどうも、「科学」というと絶対的真理だと思っているのではないでしょうか。しかし、その一方で、科学とは何かというと、どうもきちんと理解されていない人が多いように思います。。もっとも、かく言う私にしても、たいした知識があるわけではありません。

 ただ、私が理解している科学というのは、仮説をたて、実験により検証することが出来る知見というものです。そしてまた、新たな仮説を立てることによって、進歩していくものであると思います。

 ところが、はたして、社会科学などは、そのような意味から考えて、本当に科学と言えるのか疑問があります。それと同時に、それでは、厳密な意味で科学と言えなければ、学問として価値がないのか、社会科学的知識など、無用の長物であるのかという問題があります。

 そこで近頃ちょっと考えているのは、その問題に対する一応の答えは、カント哲学に見いだせるのではないかということです。

 つまり、人間の内面とか社会には、自然科学の対象とはアプローチの仕方が異なるものがあって当然であろうということです。

 心理学が、犬やネズミによる実験を基礎として成り立つだけのものであれば、それは人間の心の豊かな動きを説明することなど出来ないと思います。

 社会科学では、統計的手法を用いた分析が行われていますが、心理学分野では統計的手法は用いられているのでしょうか。


 ところで、お医者さんにかかっていて不満に感じることは、たとえばガンの検診を受けても、「ガンにかかっていないから安心しなさい」とは、決して言われないことです。「○○ガンにかかっているという結果は検出されなかった」というように、断定は避けています。

 ですから、あとはこちらが、自分の責任において私は○○ガンではないと判断するより仕方がありません。何か物足りないように思います。お医者さんには、せめて99.9%ガンではないと言って欲しいものです。

 科学者であることは、謙虚さを必要とするのだと思いますが、患者は医師に励ましてもらいたいし、安心させてもらいたいのではないでしょうか。医師は時には科学者であることを忘れて欲しいものだと思います。

 未開社会でのシャーマンは、科学の素養はなくても、経験知に基づいて患者を癒すことが出来ると聞きます。人を癒すものは、近代科学ばかりではないでしょう。人間はまだ未知な領域のある存在なのでしょうね。


 場違いとは思いますが、投稿をお許しください。

2セイ:2012/04/09(月) 12:14:20 ID:58oNJIbM0
よく分かりませんが、医者は科学者ではないと思います。

そもそも科学者であるならば、問診も触診も必要ないですよね。

医者が機材を用いるのは、診断と治療の補助としてであって、
決して機械を100%と信じてはいないと思います。

実際生き物の身体というものはまだまだ分かっているとは言えませんし、
個体差もかなりあります。
そのことは医師自身が毎日のように感じているでしょう。

昔も今も医師たちは自分の勘と経験を元に治療に当たっていると思います。

だから検査では何も出なくても病気を見つけることが出来るし、
また検査結果は異常無しとは言えても、何等問題はありませんとは言えないのではないでしょうか。

それから、ちょっとお願いです。
人間と他の動物を全く違うかのように考えないでください。
彼らにも心はあります。
よく知れられているところで、ストレスによる犬の無駄吠えが挙げられると思います。
他にも摂食障害、脱毛、潰瘍などなど、様々な病気を発症します。
P.T.S.D にもなります。
逆に人間に可愛がられて育った動物は、人間に好意を持ってくれます。
盲導犬のパピー制度はそこから来ています。

見えないもの、検証できない物が胡散臭いなら、
愛情は胡散臭いですか?

痛みを測る機械は今のところありませんが、
検査できないから“ない”とはなりませんよね?

それと、心理学は基本的に統計を元に考えられていると思います。
詳しくは知りませんが、問題行動において、
性的問題行動を起こす人は幼少期に性的虐待にあっていることが多いとか、
リストカットに走る人は愛情に渇いていることが多いとか、
そういったことです。

ここの管理人さんは犯罪心理学が専門で、
スクールカウンセリングも行っていたかと思います。

心理学と一口に言っても、かなりの種類があるようですね。
教育心理学、発達心理学、臨床心理学、産業心理学、組織心理学、人格心理学、などなど。

衛星放送が視聴できるなら、231ch〜233chで、放送大学のテレビが、
531chでラジオが聞けます。
ラジオの場合、動く画像はなく、音声のみの講義になります。
番組表が欲しい人は、電話をすると送ってくれるようです。
心理学関係の講座もたくさんありますから、
興味があればちょっと覗いてみるのもいいかもしれません。
講座の中に心理学統計法なんていうのもありましたよ。

3旅人:2012/04/09(月) 16:29:40 ID:te1l22FY0
> 講座の中に心理学統計法なんていうのもありましたよ。

 ●お教えいただきありがとうございました。


> 見えないもの、検証できない物が胡散臭いなら、
愛情は胡散臭いですか?

>痛みを測る機械は今のところありませんが、
検査できないから“ない”とはなりませんよね?

>それと、心理学は基本的に統計を元に考えられていると思います。
詳しくは知りませんが、問題行動において、
性的問題行動を起こす人は幼少期に性的虐待にあっていることが多いとか、
リストカットに走る人は愛情に渇いていることが多いとか、
そういったことです。


 ●痛みも愛も、計量できないという点については、あなたも同意見なのですね。それなのに、どうして統計的に厳密なことが言えると思うのですか。


 なお私は、統計的手法は、やや科学的かと思うだけで、科学の基本は実験に基づく検証の可能性であると思っています。

 また、医学についても私は全くの素人ですが、病理学は、かなり科学的だろうと思っています。臨床医にしても、科学的な素養はかなりのものだと思います。

 医学には人体解剖図があります。人体の構造は、人によりかなりの差異はありますが、手術をする場合、人体の基本構造が分かっていないと手術はできないということです。

 しかし、臨床医は、学者ではなく、医療の実践者ですから、豊富な基礎知識に基づき、症例を診断して治療するという事でしょう。決して勘だけではないと思います。

 外科医の場合、昔は博士という学位を取ることに熱心だったようですが、1970年ごろからは、手術に熟練することを重視するようになったようですね。
 経験を基にして、より良い治療が出来るようにすることに熱心な先生は、信頼できる先生であると思います。


>  それから、ちょっとお願いです。
人間と他の動物を全く違うかのように考えないでください。
彼らにも心はあります。

 私は、人間と他の動物が全く違うなんて考えていません。彼らにそれなりの心があることも知っています。
 その一方で、人間と動物が全く同一であるとも思っていません。あなたがお猿さんと全く同じ心の動きをするとは思っていません。
 私は、ダーウィンの進化論を否定してはいないのです。


 セイさんの反論は、どうも私への誤解がかなりあるように思えます。

 私は科学万能論者ではありません。特に心をどこまで科学的に理解できるのかということについては、かなり否定的な考えを持っています。


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