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死にたい
1
:
だいすけ
:2010/06/24(木) 08:27:17 ID:eL0S58A.0
一日も早く死にたいです。
親に暴力暴言を振るわれながらも、
逃げるためにニコニコ面従腹背で生きてきて、
今は大学時代の借金を返しながら会社員をやっています。
親との連絡をたち、一人暮らしで生活している26歳です。
逃げてきて結局わかったことは、
僕には好きなことも興味のあることも楽しいこともないし、
友人もいないし、恋人も家族も、人間関係はつくれないし、
人を好きになることも、愛することもできない
ということでした。
社会にとけ込むために、一般的な人を観察し、推測することで、
普通の人に擬態はできていますが、
そんなことにも疲れました。
疲れたからといって、当然ゆっくり休む居場所はありません。
もうこんな人生を続けたいと思えなくなったので、
一日も早く死にたいです。
2
:
PON
:2010/06/27(日) 07:34:19 ID:ZnjzLISQ0
よく頑張って、今まで生きていらっしゃいましたね。
今までは、逃げることだけで必死だったのですね。。。
どんなに大変だったことでしょうか。
小さなこどもが必死で自分を守ってきたのですから、それだけでエネルギーが枯渇してしまったのでしょう。
そして、また社会に溶け込むために演じていることに、緊張し疲れてしまったのですね。
死にたいほど疲れていらっしゃるのだと思います。
ただ、一つ言えることは、私たちには計り知れない出会いが人生には待っているということです。
今の自分の物差しでは、わからないのですね。
だいすけさんにとってこれが慰めの言葉になるかわかりませんが、少しでも落ち着けるもの(音楽とか絵とか運動でも本でも人の言葉でも・・・)のめりこめるほど好きにならなくても、少しでもいいなあと思えるものを探して、身の回りに増やしましょう。
ブログなどにちょっとした発見を書き込むのもいいかもしれません。
誰も書き込んでくれなくても、だいじょうぶ。神さまやもう一人の自分がしっかり見ていてそれが安心の種になりますからね。
少し反応が欲しければ、ここに書き込むもよし。
ここでは、気取る事も、誰かをまねる必要もありませんからね。
3
:
旅人
:2010/06/27(日) 12:11:18 ID:4C1OpM9A0
だいすけさん、こんにちは。
だいすけさんは、周囲の人にあわせるために、自分を殺して長い間耐えてこられたようにお見受けします。
そのような生活は、現代社会に生きる大多数の人の生き方であるとは言え、決して良いことだとは思えません。自分が何であるのか、分からなくなってしまうでしょうね。
今は精神的に死んでしまっているので、肉体的生命を終わらせたいということなのではないでしょうか。
しかし、生き方を変えたらもっと心が楽になり、自分の好きなことは何か分かるようになるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
たまには「ノー」と言えるようにされたらいかがでしょうか。
ただ、だいすけさんは、借金を抱えているので、なかなか失業することもできないことは確かでしょうね。それは辛いことだと思います。
4
:
だいすけ
:2010/06/27(日) 14:39:24 ID:eL0S58A.0
>>PONさん
ありがとうございます。
そうですね、
死にたいほど疲れているというのもあながち間違いではないと思います。
今まで生きてきて、何一つ心を動かされたものはありません。
普通の人がいいなあと思うであろうこと(音楽や本やスポーツetc)
を身の回りに置いていますが、どれも僕の心では関心を持てません。
発見といっても人生の全てに興味が持てないので、
必要に応じて知識を増やすことはあってもそこに感情の動きがないので、
書きたいことがないのです。
強いて言えば、ただひたすらにずっと眠りたいです。
でもそれって死ぬことですよね?
一生懸命、ヒトになろうとしてきましたが、それにも疲れました。
家庭環境のせいだと思ってきたのですが、
そうではなくて大多数の人間とは本質的に違うのかもしれません。
>>旅人さん
こんにちは。ありがとうございます。
「ノー」というとは具体的にどういったことでしょうか?
やりたいことがないので、「ノー」という基準がそもそもないのです。
自分のやるべきではないこと、違法なことなどを強いられたら、
「ノー」と言えますし、現に言っています。
そういった意味では、
いわゆるアダルトチルドレンであるとか、被虐待児症候群とも異なるのでしょう。
ある意味では、人生と神に「ノー」を突きつけています。
5
:
旅人
:2010/06/27(日) 15:24:00 ID:4C1OpM9A0
>ある意味では、人生と神に「ノー」を突きつけています。
本当にそう思っていらっしゃいますか? 本当は「人生と神に『ノー』を突きつけられている」と感じていらっしゃるのではないでしょうか。また「『ノー』という基準」が無ければ「ノー」と言えないなんて、感心してしまいます。私なんか内儀さんに、気分次第でしょっちゅう「いや」だと言っています。
また、だいすけさんはPONさんへの御返事の中で、「一生懸命、ヒトになろうとしてきましたが、それにも疲れました。」と言われていますが、その「ヒト」とは、どのような存在なのでしょうか。ひたすら誰かの正しい命令に従って、義務を果たす存在なのでしょうか。
だいすけさんは、もしかすると、子供の時代は優等生で、御両親の期待に添えるように、ひたすら努力してこられたのではないでしょうか。
もしそうであるとしたら、人生というのは決して一つの生き方しかないというのではなく、いろいろな生き方があるということを知る必要があるように思います。
ただ、私がこう言ってもあまり説得力がないかも知れませんね。私も、どちらかというと、くそまじめに生きてきた方ですからね。
でも幸いなことに、私は美味しいものを食べることが好きですし、それに読書も好きです。近頃は、トルストイの作品をかなり読み、トルストイと友達になれれば良いなと思ったりしています。
神様に「ノー」を突きつける勇気は、私にはありませんが、禁断の木の実が食べられるものであれば手を出しますね。誘惑には弱いんです。人間の歴史というのは、反抗することから始まったのではないでしょうか。
6
:
だいすけ
:2010/06/27(日) 16:39:51 ID:eL0S58A.0
>>旅人さん
甘えられる奥様がいらっしゃって幸せですね。
繰り返しになりますが、
やりたいことがないので、生きること自体が嫌です。
でも、それでも生きなければならないとするならば、
特に「ノー」ということはありません。
やるべきことをし、やらなくてもよいことはしません。
ヒトとは
美味しいもの食べたときに美味しいと感じ、
やりたいことをやったときに楽しいと感じ、
目標を達成したときにうれしいと感じ、
振られたときに悲しいと感じ、
理不尽な目にあったときに怒りを感じる
ということです。
要するに、僕には
死にたい気持ちと
一人阻害された気持ちと
誰も理解者がいない孤独感
くらいしかこの二十数年生きてきて感じた感情がないのです。
生き方を選べると言われても、
特に生きたい道がないので困ってしまいます。
確かに優等生の部類でしたし、親の期待にも応えてきました。
鳶が鷹を産んだと言われていたようですし、
感情がほとんどないぶん、普通の人間を装うためにも、
理性と知性が異常な発達をしたようです。
トルストイですか。
「アンナ・カレーニナ」なんかは、
よく機能不全家庭を観察している作品だなと思います。
禁断の木の実とは言い得て妙ですね。
僕はリンゴを食べたおかげで、感情をエデンの園に忘れてきたのかもしれません。
いずれにしても生きづらいというのは確かですが。
7
:
旅人
:2010/06/27(日) 17:40:23 ID:4C1OpM9A0
理性と知性が異常な発達をすると、どのような状態になるのか分かりませんが、味覚異常ということではないのでしょう。
先ずは、何か美味しいものを食べ、できればビールでも一杯飲んでから、空しいなどと考えずに眠ってしまったらどうでしょうか。
たまには贅沢する資金的余裕はあるのではありませんか。
たとえ過去に生きてきた実感がないとしても、これからも今までどおりに生きることはないでしょう。
だいすけさんが、本当に喜怒哀楽を感じないなら、自分が喜怒哀楽を感じないことに悲しみもしないと思います。禁断の木の実を食べる前のことを、思い出すように努力されたらいかがでしょうか。失われた楽園は、もしかすると再発見できるのではないでしょうか。
8
:
トトロ健太
:2010/06/27(日) 22:48:37 ID:4wvOo/XA0
はじめまして
今の世の中を俯瞰したかのような感覚なんでしょうね。きっと
でも 借金を返すという現実から逃げていないところは 現実派とも
思え 好感をもてますよ 私はね・・・。
実は私がそうだったのです。二十代後半から三十代半ば。
別に私は頭がいいとかではなかったけれども。感情を抹殺して
借金を返していた。私のときは家のローンだったけれども。
会社に行くのは借金を返すためというただそれだけの目的でした。
それでも いいと思ってきた私が確かに居たのです。
同僚には迷惑をかけたし あのときの感覚は 確かに尋常ではなかった。
一人 殻に篭っていたのは分かっていたけれども どうしようもなかった
時期でした。
だいすけさん スランプ状態のときには とことん苦しむことです。
むなしい人生です。確かにね。だけれども園児たちの無邪気な笑みとか
自分よりも弱い立場の人のことを思ったり 何らかのきっかけがあなたの
内外降り注ぐときが来るはず。そのきっかけがあなたをより高い次元へ
導いてくれると思うのです。
俯瞰して 望みをなくすほど 自分を苦しめることはないのです。
といってみたところで今のあなたには 響かないと思う。今は 時期尚早だから
です。そういう時期なのです。まだね。
でも いずれ自分を苦しめているのは 自分だったと身をもって
分かるときが来ることを私は願っています。
懐かしい苦い思いを思い出して 書いてみました。
純粋な気持ちで 苦しんでくださいと そして
がんばってくださいと言えるだいすけさんへ。
9
:
だいすけ
:2010/06/28(月) 09:23:54 ID:eL0S58A.0
>>旅人さん
おはようございます。
理性と知性だけが異状に発達すると、
一を聞けば十わかるようになり、
かつ運に左右されない部分については未来がわかるようになります。
希望がなくなります。
パンドラの箱の最後に希望が残ったというのは、
未来を知るという絶望は箱から飛び出なかったというだけです。
申し訳ありませんが、どんな高級な食材を食べても美味しいとは感じません。
味はわかります。
でも美味しいと感じることがないのです。
肝臓と腎臓に遺伝病があり、アルコールは飲めません。
禁断の木の実を食べる前とはつまり物心つく前と言うことですが、
そんな記憶お持ちですか?
いえ、まあ確かに親のおかげで感情を失った面もあります。
ですが今、その失ったいろんな感情を思い出したとして、
その怒り哀しみ孤独、どなたが受け止めていただけるのですか?
自分だけでは受け止められないから、抑圧していると思いませんか?
>>トトロ健太さん
はじめまして。ありがとうございます。
おっしゃる通り何も心には響きません。
一人殻にこもっているわけではないですし、
同僚に迷惑をかけられることは多々あれど、
僕が迷惑をかけることはほとんどありません。
自分を苦しめているのが自分の考え方だと言うことは
はっきりと理解しています。
しかしながら、僕は他の考え方を知りません。
どんな考え方があるのか教えていただきたいです。
但し、反論の余地のない納得できる考え方を。
トトロ健太さんは家のローンを返すだけの時期を送ってこられた。
ではどうして家を買われたのですか?
俯瞰して希望を失っているわけではありません。
僕の人生で希望を捨てなければ生きていくことができなかったのです。
ダンテの神曲で地獄の門に書かれた言葉の通り。
今更、何に希望を持てばよいのでしょうか?
10
:
旅人
:2010/06/28(月) 11:09:05 ID:4C1OpM9A0
だいすけさん、お早うございます。
どんなものを食べても美味しく感じないとは、非常にお気の毒です。肝臓と腎臓が悪ければ、かなり疲れやすく、生きていくこと自体大変なのでしょうね。お気の毒です。
だいすけさんには、もう御自分の暗い未来が見えてしまっているのですね。苦しんで死んで行くだけだと分かっていたら、私にしてもやはり絶望してしまいますね。
私の場合は、糖尿病で食事制限があるのですが、今年の4月には、「ジャヌビア」という優れた薬が新発売になり、初めて糖尿病の薬を服用するようになりました。それで、今まではご飯の量をかなり厳しく制限していたのですが、今は朝と昼にそれぞれご飯を一合の三分の一ずつ食べるようになりました。それは以前の約二倍の量です。それも、以前は玄米だけだったのに、今は白米を食べて、幸せを噛みしめている次第です。
糖尿病の場合、近年における医薬品の進歩はかなり目覚ましく、そのうちに糖尿病は完治するようになるのではないかと期待しています。
肝臓病や、腎臓病でも、これからどんどん新しい治療法や新薬が開発されるのではないでしょうか。
そして、だいすけさんの病気が良くなれば、だいすけさんのパンドラの箱に残る希望は、未来への断念とは違った色合いを帯びてくるのではないでしょうか。
私はもうすぐ66歳ですが、子供の頃の記憶は、かなりあります。それは多分いろいろな脚色をされたものかも知れませんが、一番残っている記憶は、食べ物に関する記憶です。何しろ食糧不足の時代のことですからね。
しかし、自我に目覚めたのは、高校に入ってからだと思います。私は横浜市金沢区から東京都渋谷区まで満員電車で通学していたのですが、自分の家の貧しさに打ちのめされたのもその頃です。勉強に気が入らなくなり、大学は一浪しました。世の中の苦しみを一人で担っているような気分でした。
就職の時も就職先がなかなかなくて絶望的でした。そのころは日本の高度成長期で、就職は一般に楽だったんですけどね。私はどんな仕事を自分はしたいのか分からなかったんですが、とにかく就職して自分で生きていかなければならないという思いはあって、暗い気持ちでいました。
でも、幸いなことに、名古屋のメーカーのG人事部長に拾われて、何とか就職できたわけです。
自分の苦しみを見つめていると、絶望しかなくても、神様はどこかに自分の居場所を用意していて下さるというのが私の思いです。
だいすけさんは、実際のところは、感情をうしなったのではなく、「怒り哀しみ孤独」などの負の感情に苦しんでいらっしゃるご様子ですね。そして、その感情が吹き出したら自分では止められないから抑えているということですね。
それを他人に受け止めてくれと言っても、それを受け止めてくれる人は、なかなか見つからないでしょう。
負の感情を抑えきれるものでもないと思います。何らかの形で発散させることができるように、工夫すべきではないでしょうか。
ダンテの地獄門を通過することができるなら、それなりに勇気をお持ちなのでしょう。
だいすけさんのトトロ健太さんあてのお返事で触れられている、ダンテの「神曲」の第三曲に書かれている「憂愁の都」に入る門には、なかなか独りでは入れないでしょう。ダンテにとってのウェルギリウスのような師が必要でしょう。しかし、ウェルギリウスは、ダンテと同時代の人ではなかった。自分の心の中に生きている人にこそ、リアリティを感じるのではないでしょうか。だいすけさんは、いろいろ文学をたしなんでおられるご様子なので、良い師が見つかることを願っています。
11
:
だいすけ
:2010/06/28(月) 16:13:01 ID:eL0S58A.0
>>旅人さん
こんにちは。
身体はよくなろうと悪くなろうと別にどちらでもよいことです。
身体ではなく、精神もしくは脳を何よりも病んでいるわけですから。
いくら肉体が回復したところでやりたいことなどないわけです。
灰色の未来に変わりはありません。
僕が感情を抑圧し始めたのは、物心ついた頃、自我の芽生え始めた頃、
つまり三歳くらいのころです。
自慢ではありませんが、純粋な意味での記憶力はよいほうです。
一般に記憶とは思い出を指すのかもしれませんが、僕のそれは純粋な記録です。
旅人さんのように食べ物が食べられなくて悔しいとか、
おいしくてうれしいとかそういった記憶は僕にはありません。
食卓が幸せであったことはありませんし、あれは栄養を摂取する場でしかなかったです。
親に何か問題点を見つけられる前にだまって終わらせなければならないものでした。
強いて言えば、そういう意味で覚えている記憶は、
毎晩父に殴られていやだったこととか、
毎日母に愚痴を言われて嫌になったこととか、
学校では同級生に殴られて、先生に叱責されて、人生が嫌になったこととか、
そんなことくらいですかね。感情を伴う記憶というと。
全て三歳くらいから中学校くらいまでの毎日です。
貧乏ですのに一浪させてくださったのは優しいご家庭だったんですね。
僕は浪人を許されませんでしたし、大学へ進学するのにも、
地元の国立大学に合格しない限りは、どの大学の保証人欄にも署名しないと脅されました。
現在借金を抱えているので、つまりはこの条件をクリアしたのですけど。
就職活動中に自分探しをしてちゃんと就職できたのは高度経済成長期だったからです。
ほんとうに団塊の世代はうらやましい限りです。
今の学生がそんな様子じゃ、東大生だってフリーターまっしぐらですよ。
恥ずかしながら、会社で人事をやっていますので、その辺は詳しいつもりです。
それは神ではなく、単に運がいいだけです。
そして僕はどこまでも不運なんですよ。
その不運を実力でねじ曲げてきましたが、それにも疲れました。
工夫すべきといいますが、どうやって発散させろというのですか?
カウンセリングにいってみてもよい子を演じてしまいますし、
楽しめることが何一つありませんのに。
生まれたときに地獄の門の前に独り置かれた人は、
生きていくために独りその門から中に入るしかないのです。
それは勇気なんていうものではなく、
単に地獄がどれほどひどいか理解していなかったばかりに生きようと
その門を受諾したに過ぎません。
何も期待しなければどんなことにも耐えられます。
周囲も皆地獄であれば地獄も案外耐えられます。
でも、地獄の処世術しか知らない人が天国に独り置いておかれたら、
どうやって生きていくと思いますか?
そもそも独りでは中々入れないという感覚が理解できません。
独りで入るか死ぬかどちらか選びなさいという選択しかなかったわけですから。
心の中には誰もいませんし、これからも誰もいない空っぽの人生だと思います。
12
:
旅人
:2010/06/28(月) 17:28:08 ID:4C1OpM9A0
だいすけさんは、肉体と精神(もしくは脳)を一体のものとは考えないのですね。そして精神の方に問題をお持ちだと考えていらっしゃるようですね。
それでは、だいすけさんは、その精神の病はどうすれば癒えるとお考えなのですか。それともそれは不治の病なのでしょうか。絶望とは死に至る病であると、誰かが言っていましたよね。
でも、だいすけさんは同時に、御自分の運命が悪かったんだと言われていらっしゃる。でも、その運命を占いなんかで好転させようとは、思っていらっしゃらないのでしょうね。
どうもだいすけさんは、御自分の精神の病とは、理性的になり過ぎたことであるとお考えのようですね。
でも、その理性には、自分の運を好転させる力がないようなんですね。
私だったら、そんな理性などごめんですね。理性などの奴隷にならずに、理性をこき使ってやりたいと思います。
なぜか、政治主導を主張しながら、官僚に依存していた前首相を思い出してしまいました。
地元の大学に入って、地元の企業に就職できたら、私にはそれが一番幸福であるように思います。
親元に大学を卒業するまでいて、就職と同時に名古屋にきて、会社でしごかれて、何度退職しようとしたことか。いや、実に甘ちゃんでした。
私は実習を終わってから、労務関係の見習いをやりました。でもそれが嫌で、東京支店への転勤を申し出たのですが、それなら先ず経理でも覚えよということで、そちらに回されました。ソロバンもろくにできずで、恥ずかしい毎日でした。大学で学んだことなど、ほとんど何の役にも立ちませんでした。そんな中でもGさんが裏で支えてくれていました。Gさんは、私の信仰上の先輩でしたが、それだけに距離を置く結果になりました。
私は、高校時代に蓄膿症を患ってから、かなり記憶力が衰えました。その蓄膿症を治療したのは会社に入って、健康保険が使えるようになってからです。
しかし、近頃ではだいぶ老人力もついてきました。大切なことも忘れがちです。
人事部とは、エリートコースではないですか。会社での未来はそれほど暗くはないんじゃないですか。
13
:
PON
:2010/06/28(月) 18:15:12 ID:ZnjzLISQ0
だいすけさん、こんばんは。
ちょっと、イライラしているご様子。
感情が死んでいる訳ではなさそうですね。傷つくのを怖れて封印しているだけなのですね。
>自分を苦しめているのが自分の考え方だと言うことは
>はっきりと理解しています。
>しかしながら、僕は他の考え方を知りません。
>どんな考え方があるのか教えていただきたいです。
>但し、反論の余地のない納得できる考え方を。
たぶん、残念ながら理性で理解しようとしても、限界がありますね。
好きだとか、ここちよく感じるとか、幸せとか言うものは理屈ではないものね。
これは、ただ、「出会い」なのだと思います。
ずっと、感情を押し殺し、自分を地の底に埋めてきてしまっただいすけさんが、このことを頭でなく、全身全霊で理解するためには時間が必要かもしれません。
人にはわからない世界があるということに謙虚になることから始めなければならないでしょう。
たぶん、とても難しいのだと思いますが。。。
だいすけさんに、今、地球の裏側で起こっていることがわからないように、だいすけさんの未来や心の中で何が起こるかは、だいすけさんにわかるはずないのですから。
「すべてがわかってしまった。」ように感じるのかもしれませんが、実はわかっていないのではないでしょうか?
だいすけさんの中に、虚無が広がりすべての可能性を飲みつくすかのように迫っていることは、わかります。
何かボランティア活動をしてみると言うのはどうですか?
そこで、教えてもらうのです。「ただ、ある」ということの重みを。
14
:
PON
:2010/06/28(月) 19:10:00 ID:ZnjzLISQ0
補足
えっと、もう一度、だいすけさんの書き込みを読んでいて、思いました。
確かだいすけさんは自分の人生を俯瞰で見ているのではない、ただ、希望が持てないのだと書いてありましたね。
私が先に書いた、「すべてわかってしまった。」と思っている訳ではないのかもしれませんね。
希望が持てない人に希望を持てはいえませんね。
でも、希望は持てなくても、希望はあると言う訳です。
そんなことは、意味がないと思うかもしれませんが、希望は日々だいすけさんの心の中を通過しているのです。
だいすけさんが、それを掴むことができないだけですね?
それを掴む技術は、やはり磨かなければならないのでしょうね。
ただし、今までだいすけさんが理知的にやってきたやり方では、磨けなさそうです。
じゃあ、どうすればいいか。
それを今、皆でこうして会話しながら、探っているというところでしょうか?
15
:
トトロ健太
:2010/06/28(月) 19:16:07 ID:4wvOo/XA0
挑発的ですね。随分・・・。
でも そのなかに 私には乾ききった砂漠から水を懸命にわきだそうとして
いるだいすけさんの苦しみが見えます。その苦しみを解こうとするには理詰
めな話は全くと言っていいほど効果がない。火に油を注ぐようなもの。これは
私の経験上 得た感触です。
したがって いまのあなたに話をしてみたところでなにも進まないし、私は
回答を控えます。ただ 肩の力がぬける日が来るのを祈っております。
ああ 全く同じではないにしろ 私を見ているようで・・・・
苦笑いしてしまう(Smile)。
16
:
トトロ健太
:2010/06/28(月) 19:47:16 ID:4wvOo/XA0
質問だけには答えておきますね。
どうして買ったのか
そうすることで 自分を追い込んでしまおうとしたからです。
自分の弱さをはじめて自分で追い込むことで乗り越えようとした
ただそれだけです。 うまくいったかどうかは よくわからないけれど
いまでも細々とローン返していますよ。あと5年かな。金利が安いのは
助かった。
人事部なんですね。 ううむ。
17
:
だいすけ
:2010/06/29(火) 09:48:29 ID:eL0S58A.0
>>旅人さん
おはようございます。
キルケゴールですね。実存主義哲学は小学生の頃良く読みました。
ただ僕はキリスト教徒ではないというか何も信仰していないので、背後にある思想的信条を理解できず、
キルケゴールの言う「死に至る病」の本質を理解はできませんでした。
虐待を永く受けてきた子どもは脳内のコルチゾールというホルモンの過剰分泌の影響で、
海馬を萎縮させ、免疫機能を低下させ、血圧血糖レベルを上昇させると言われています。
これは不可逆的な変化なので、不治の病と言えなくもありません。
脳をいじることができるなら治療することもできるかもしれませんが、
脳をいじったときそれは僕自身を連続しているといえるのでしょうか?
すいません。哲学的な話になってしまいました。
旅人さんにとって不要な理性かもしれませんが、僕にとってはこれしか味方も武器もありませんから。
そして僕は占いや信仰で運が好転するなんていう楽観主義者ではありません。
鳩山家は金銭には恵まれているようですが、家族の情愛には欠けた家庭なんでしょうね。
それ以前に民主党が政権をとれば、ああなることは自明だと思っていたのですが。。。
申し訳ありません。誤解を招く書き方をいたしました。
大学は地元の国立大を蹴り、上京して、そのまま関東の企業に勤めています。
実家とは距離にして1000km程度離れています。連絡をたって4年になりましょうか。
エリートコースかどうかはわかりませんが、大きな失策をせず、
今の仕事ぶりを維持すれば年収3000万くらいの役付取締役程度にはなれると思います。
だからなんだというのでしょう。別にそれに魅力を感じませんし、それを明るい未来とよべる理由が知りたいです。
>>PONさん
おはようございます。
希望とは何かを信じることなのかもしれませんね。
ですが、僕は何も信じることができません。
小さい頃から自分の存在すら希薄でした。
心地よいとか幸せとか居場所があるとか楽しいとかうれしいとか
そういった感情は感じたことがないのです。予想を裏切られることがないのです。
ボランティアですか・・・
学生時代は身を粉にして、犯罪被害者遺族の地位向上に尽力しました。
他にも児童館や介護施設に行ったり、ゴミ拾いをしてみたり、いろいろしたつもりです。
でも空っぽの心を満たされることは一度もありませんでした。
「ただある」ことの重みとはどういうことですか?
>>トトロ健太さん
おはようございます。
挑発的なのはごめんなさい。
そうですか、購入された理由を聞いてほっとしました。
トトロ健太さんがおっしゃられているように、
きっと当時のトトロ健太さんと僕は似ているところがあるのでしょう。
昔の自分を見るというのはどこか恥ずかしいものですよね(苦笑)
中小企業なので人事部ではなく総務部で人事労務を中心に業務を行っているといったところです。
決算経理も行いますし、株主総会業務(昨日でした)をやったり、蛍光灯の交換をしたりもします。
もちろん、リストラ案をつくったりも(笑)
トトロ健太さんはどうっやたらその出会いがあったのですか?
(もう話をしたくないといっているのに質問ばかりですみません。)
18
:
旅人
:2010/06/29(火) 11:43:22 ID:4C1OpM9A0
だいすけさん、お早うございます。
小学生時代にキルケゴールを読まれたとは、びっくりです。私なんか中学の時に少し読んで、分からなくてすぐに放り出してしまいました。彼が実存主義者だとか、懐疑主義者だとか言われていることを知ったのは社会人になってからです。彼が類まれなキリスト者であり、同時に懐疑主義者であって、教会から排斥されたということを知って、かなり親近性を感じました。同じようなことはトルストイについても言えるようですが、それは無教会主義の立場にかなり近いものであるという思いがします。
しかし、だいすけさんは、そんなことには関心がないのでしょうね。
でも、「エリートコースかどうかはわかりませんが、大きな失策をせず、今の仕事ぶりを維持すれば年収3000万くらいの役付取締役程度にはなれると思います。だからなんだというのでしょう。別にそれに魅力を感じませんし、それを明るい未来とよべる理由が知りたいです。」と言われるところを見ると、だいすけさんは、もしかしたら生きる意味をお探しかも知れませんね。
私は、職業生活そのものに意味がないとは思っていません。職業を通して自分の思想を実践することもできるでしょうし、思想を深めることもできると思います。そしてそれよりも何よりも、自分が自立した生活を送って行けることに喜びを感じることができて然るべきであると思います。
中小企業であれば、会社中の人たちと親しくなることもできるのではありませんか。人事であれば、人と交わることは、第一にすべきことであると思います。
会社を将来どのようなものにすべきか、考えることも楽しいのではないでしょうか。
もっとも、私の場合は、途中で挫折し、早期退職をしました。心臓を悪くして、毎日生きていくのが苦しかったですし、自分のした仕事が適切に評価されていないという不満もありました。それでローンも早めに完済し、55歳で退職しました。
退職してからもう10年以上たちますが、会社での嫌な人間関係から来るストレスがないので、かなり快適です。
それはともかく、会社が成長するには、人事部門が鍵であると思います。だいすけさん、ぜひ良い人事をしてください。年収3千万というのはすごいことですが、それ自体にはあまり興味はありません。
19
:
だいすけ
:2010/06/29(火) 14:54:20 ID:eL0S58A.0
>>旅人さん
こんにちは。
キルケゴールについては信じたいけれど信じられないこの絶望が
件の「死に至る病」執筆につながったのだろうと考えています。
キリスト教徒であるのに親からすら愛されなかったわけですから。
愛されないどころか呪われている、神の罰だといわれて育つわけですからね。
関心がないというのはどの部分に対してでしょうか?
そうですね。生きる手段に困ることはありませんが、生きる意慾はありませんので。
生きる意味を教えていただけるなら、あるいは意欲が湧く方法があるならご教授願いたいです。
そもそも死にたいと言ってたてたスレッドですし。
然るべきであっても喜びを感じることができません。
例えば、僕にとっては小学生時代から哲学書の原書を読みこなすことが
当然であっても旅人さんにとっては無理なように、
なぜ喜びを感じられないんだと言われてもできないものはできないのです。
まして感情を強要されても訓練すらできません。
わずか120名の会社ですので、話したことのない社員はおりません。
個人的に親しくなることと仕事上の人間関係は別問題であり、
当然ながら仕事上の人間関係は十二分に維持しています。
会社の将来を考えたところで楽しくありません。
今働いている会社が大きくなろうと倒産しようとどちらでも構わないのです。
単に収入を得る手段ですから。
そもそも幸せが感じられない僕に、社員が幸せな会社など作れるはずがないのです。
20
:
トトロ健太
:2010/06/29(火) 17:00:41 ID:4wvOo/XA0
話したくないと言っているのではないですよ。いまのあなたに話しても
ムダだと言っているんですが。と言うことすら 本当はやめておきたかった
んですがね。
だいすけさん 自分で乗り越えるしかない部分を教えてもらおうという態度
ではないですよね。だから それだったら自分で自分の考える人生を送ったら
どうですか。死にたいと言うスレットの意味 自分で考えたらどうですか。
私には言葉の遊びをやっているとしか見えないんですよ。
死にたいというスレッドを立てたはいいとしても 返事を読んで
理詰めな精神が手先を自由気ままに動かして とりあえずこう言っておこう
とかと言う状態がまざまざと見えるんですよ。画面を見ながらせせら笑いでも
しているかのようにね。あなたがそうではないとしても 私はそう思う そう
いう文面なんですよね。
私の時は こういう所すらなかったから だいすけさんがうらやましいですよ。
戯れるところがあって・・・。
ただ一言だけ「ご両親を許してあげて下さい。そこからあなたは生まれ
変わる」とだけ。。。 これ以上私は回答はしない。今のだいすけさんにはね。
21
:
旅人
:2010/06/29(火) 18:24:00 ID:4C1OpM9A0
>関心がないというのはどの部分に対してでしょうか?
それは、信仰に関する話です。
会社が人の生きがいまで管理するのは、避けるべきであると思います。しかし、給料他の労働条件を良くし、従業員の能力を会社が伸ばして、仕事をきちんと評価してくれるということは、従業員各人の幸福を増進するものであると思います。
しかし従業員120人ほどの会社で、役員の年収が3千万というと、かなり好業績の会社なんですね。良い人材がそろっているのだとお見受けします。
会社では、役割を果たしていれば、一応それで許容されると思いますが、本当に良い仕事をしようとすれば、かなりの熱心さが必要でしょうね。そして熱心のあまり行き詰る人もいれば、要領よく出世していく人もいる。世渡りは、私にはとても難しいものだと思います。
ところで、無神論を前提として、哲学的に自分の生きる意味を見出した人は誰かいるのでしょうか。私は浅学にして知りません。おそらく諦念を得て、さわやかにひょうひょうと生きることに喜びを見いだせなければ、それまでではないでしょうか。
実存哲学の徒であろうとすれば、かなり経験とか感覚を重んじるのだろうと思いますが、違いますか。
だいすけさんの立場は、もしかしたら実践的には観念哲学の立場ではありませんか。
今日は孫の顔を見に行ってきました。生まれて二週間の子は、スヤスヤと眠っていました。それは幸福な姿だと思いました。
22
:
ストローハット
:2010/06/29(火) 18:34:52 ID:m6F8hmZoO
はじめまして。
事情があって入院しています。ようやく病室から出られるようになり病院の屋上から久しぶりに訪問しています。
私のような者が生きていて申し訳ない気持ちがあります。
深く深呼吸して周りの音に耳を傾ける余裕がほしい。
素直になりたい。
人はもがいてもがきながら生きていると思います。
哲学書に没頭した事はあります。
私のきっかけはいつ生死に関わるかわからない生き方しか出来ないという事実に悩んだ時です。
時期は人それぞれだと思います。。
余計な、おばあの独り言でした。
23
:
旅人
:2010/06/29(火) 19:39:07 ID:4C1OpM9A0
ストローハットさん、今晩は。
「深く深呼吸して周りの音に耳を傾ける余裕がほしい。 素直になりたい。」
この言葉、非常に切実に響きます。私も素直に生きたいと思っています。ストローハットさんのお話、できればお伺いしたいですね。
確かに、人はもがいて生きている人がほとんどであると思います。素直にもがくことができれば、苦しさは半減するのではないでしょうか。
どうかお大事にしてください。
24
:
PON
:2010/06/30(水) 00:00:41 ID:ZnjzLISQ0
人それぞれに苦しみがあるでしょうから、与えられた苦しみと付き合っていくしかないようですよ。
だいすけさんのように、物とも人とも交流を深めることができないのは、ご本人にとっても悲しいことなのですよね。
だいすけさんには、御兄弟はいらっしゃいますか?
幼いころから哲学書を原書で読むような突出した才能をお持ちでいながら、それをご両親から認められなかったということを、ご自分ではどのように分析していらっしゃいますか?
どんな場面で暴力や暴言を吐かれたのですか?お差支えなかったら、うかがわせてください。
学生時代にボランティアはよくなさったのですね。
ボランティアをお薦めしたのは、そういう場所には一般社会とは少し違う時間の流れや人の交流があると思うので、そういうところにいるだけでもだいすけさんの心を溶かして行ってくれるのではと思ったからです。
「ただ、ある重み」というのは、何を信じているか、幸せであるか、希望を持っているか以前に、私たちが生きているということ、「今、ここにいること」の重みです。
25
:
だいすけ
:2010/06/30(水) 14:18:35 ID:eL0S58A.0
>>トトロ健太さん
そうですか。
おつきあいいただきましてありがとうございました。
>>旅人さん
信仰に関心がないわけじゃないのです。
信じるということがわからないんです。
誤解を招くような発言をたびたびごめんなさい。
実存主義以前に僕は哲学の徒であろうとしたことはありません。
哲学書を読み自己の思索をすることはあれど、〜主義哲学に身を捧げようと考えているわけではないのです。
ちなみにサルトルは実存主義でありながら、無神論者であったかと記憶しています。
お孫さんがいつまでも幸せな顔をできるような環境をつくってあげてくださいね。
>>ストローハットさん
はじめまして。
独り言にお返事するのもどうかと思いましたが。。。
どうぞお大事にしてください。
生きたい限りは生きるのもいいのではないかと思います。
>>PONさん
そうですね。
与えられた苦しみはどんなに理不尽でも甘受するしかないようですね。
弟が一人おります。
親は僕の能力を理解できなかったようですし、読めているとは思わなかったようです。
そもそも子どもがなにをしているかを見るような余裕は彼らにはありませんでしたから。
暴力と暴言は父にです。
毎夜帰宅しては飲酒し、寝ている僕を起こして、
理解できない言語をしゃべりながら、殴られました。
頭を守ろうとすると、それが不快なのか、余計に殴る蹴るの暴行にあいました。
飲んでいないときも、少しでも気に入らないこと、
例えば歩くのが遅かったり、誰かより少しでも成績が悪いと、
何時間も説教され、外に放り出されたり、車で山中に捨てられたりもしました。
暴力を振るわれたのは僕だけではなく、弟も母もそうでした。
母は弟のことはかばうのですが、
僕のことは邪魔だったのか、嫌いな父に似ているから嫌いだったのか、
暴力を振るう父から守ってはくれませんでした。
昼間は母からいかに自分がつらい人生を送ってきており、結婚もどんなにか失敗だったのか、
家事や育児がどんなにつらいのか、子どもがいるせいで離婚すらできないのがどんなにつらいか、
夫の暴力から守ってくれない我が子(まあ僕ですね)がどんなにか不出来か、
などを毎日毎日蕩々と語られました。
両親は我が子にかける愛情は無かった分、ボランティアにはよく出かけていました。
だからなのか、ボランティアをやっている人を、特に一歩引いた目で見てしまいます。
交流と呼ばれるようなものはありませんでした。
雑談も含めて必要とされる業務をこなすことはできるのですが、
人間関係においてそれ以上はどうしたらいいのかがわからないのです。
「今、ここにいること」・・・やはりわかりません。
26
:
旅人
:2010/06/30(水) 17:33:14 ID:4C1OpM9A0
だいすけさん、こんにちは。
こちらは今日は非常に暑いです。そして、今しがた次女の家から帰ってきたところです。次女の長女は近所の保育園に通っているので、妻と二人でお迎えに行くのです。疲れますが、楽しいひと時です。
話は変わりますが、だいすけさん、ずいぶん辛くて悲しい子供時代を過ごされましたね。私の子供時代には食べ物は不足気味でしたが、親の愛は十分にあったと思います。ですから、だいすけさんのお話を聞くと、失礼ながら非常にお気の毒に思います。
サルトルは、私の大学時代、かなり流行っていました。私も「嘔吐」とかいう本を読みました。しかし、それほど感心しませんでした。
私は経済学部だったもので、多少は弁証法哲学を知る機会がありましたが、のめりこむことはありませんでした。面白い時代であったとは思います。
27
:
だいすけ
:2010/07/01(木) 17:10:51 ID:eL0S58A.0
>>旅人さん
こんにちは。
今日も暑いですね。
会社のエアコンが故障して、朝から苦情対応をし続けて疲れています。
お孫さんの保育園お迎えに夫婦でデートなんてステキですね。
そうですね〜親の愛というものは知りません。施設の子どもがうらやましかったです。
教師でしたから金銭的に貧乏と言うことはありませんでしたが、
家族にお金をかけることを徹底的に嫌がっており、
こんなことは旅人さんの時代の苦労に比べたらたいしたことがないのかもしれませんが、
食事もご飯に醤油をかけて飢えをしのいだりしたこともしばしばでした。
ちなみに、何の因果か幼少期よりとんでもなく太っていまして、今もダイエットにしんどいです・・・
親に限らず人の愛というものを知りません。
人間関係を維持できないのですから、仕方ないですよね。。。
先日もトトロ健太さんには愛想を尽かされてしまいましたし。
それでもまだこんなスレッドをたてたまで、生き汚く死んでいないのは、
どこかで誰かが僕だけを愛してくれるのではないかという希望にすがっているからかもしれませんね。
サルトルやマルクスは大学闘争の頃、流行ったらしいですよね。
僕は法学部出身で、基礎法を専攻していましたので、
旅人さんがおっしゃる通り、ヘーゲルをはじめとする観念論哲学にふれる機会は多かったかもしれません。
旅人さんはニーチェとかはいかがですか?
28
:
だいすけ
:2010/07/01(木) 17:14:30 ID:eL0S58A.0
P.S.
サルトルの「嘔吐」で思い出しましたが、
カフカの「異邦人」なんかは個人的に共感を覚えた記憶があります。
29
:
旅人
:2010/07/01(木) 20:18:37 ID:4C1OpM9A0
だいすけさん、今晩は。
今日はこちらは非常に暑かったです。そのせいか、孫娘の機嫌が悪く、てこずりました。
マルクスは、その頃は経済学の主流であったと思います。そして私の大学時代は確かにサルトルを読んでいる人が多かったですね。
私はかなり乱読していましたが、何にもあまり強い関心を持ちませんでした。ただ、その当時は、キリスト教関係でも、いろいろな良書が出ていたし、私は大塚久雄さんの書物はかなり読みました。また、大塚久雄さんを通してマックス・ウェーバーの何冊かの書物にも目を通しました。法哲学とか、法社会学も面白いと思いました。
ニーチェの書物は、幾つか読んだようにも思いますが、あまり記憶がありません。虚無主義者としては、シェストフの全集を社会人になってから読んでいます。
虚無主義とか懐疑主義とキリスト教信仰の関係については、かなり関心があり、ドストエフスキーをかなり集中的に読んだのは数年前です。
カフカの「異邦人」については、ラジオで解説を聞いたこともあり、村上春樹も推奨しているので、読んだことはあるはずですが、あまり印象にありません。また、カフカの小説は、ドイツ語とフランス語で読んでみようと、何かを購入していますが、なかなか読む時が来ません。
今は、内村鑑三の著書を現代訳するのに、かなり時間を取られているのです。もしご興味があれば、一度、
http://green.ap.teacup.com/lifework/
にアクセスしてみてください。
いずれにしろ、いろいろ読みたいものが多くて、退屈はしないと思います。
30
:
ふれむんわいわい
:2010/07/01(木) 21:38:12 ID:lpgPQ6CM0
あの〜、私は中卒なので難しいことはわからないのですが、カフカって「異邦人」を書いてるんですか?
カミュの「異邦人」なら読んだことがありますが。
カフカでまず思い出したのは「変身」です。
「嘔吐」から「異邦人」に話がいくのは自然の流れだと思って拝読しておりましたが、ちょっと気になったものですから。
そういえば、タレントのセイン・カミュはアルベール・カミュの親戚ですよね。
31
:
旅人
:2010/07/02(金) 04:53:15 ID:4C1OpM9A0
ふれむんわいわいさん、ご指摘ありがとうございました。私の読んだのは「変身」だったかな…。
私の記憶力はそんな程度のものです。 (^-^;) どんどんぼろが出そうですね。
32
:
だいすけ
:2010/07/02(金) 17:17:46 ID:eL0S58A.0
>>ふれむんわいわいさん
ご指摘ありがとうございます。
カミュの「異邦人」です。カフカは「変身」ですね。。。
旅人さんは博識だなと思いながらお話ししていましたが、
ふれむんわいわいさんも博識ですね。
最近、セインカミュを見ませんが、何をしているんでしょうね?
>>旅人さん
またお返事しますので、しばらくお待ち下さい。
こういう大学生のような討論をしてみたかった気持ちがあったことに気づきました。
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