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すれ違うだけで罪悪感が生じる
1
:
縁側の狸奴
:2010/05/24(月) 08:08:09 ID:Q0odq2QQ0
コンビニや自販機で缶コーヒーやウーロン茶を買おうとした際、モルモン教徒に現場を見られただけで警察官に犯行現場を見られた犯罪者のように罪悪感を生じてしまいます。
違法性はなく、彼等にとやかく言われる筋合いはないが、警察官に現場を見られた犯罪者のように惨めさを感じる。
カルト宗教の後遺症は薬の後遺症に匹敵するほど厄介で手強く、前兆が全く判らない。現役の熱心なモルモン信者は人数も多く1対7では分が悪い。
余計なお世話や迷惑行為を押しつけて、摩擦や衝突が生じても自分達の宗教の正当性の証拠としてしまう。
カルト宗教信者の彼等は自信の過ちや迷惑行為に誇りを抱いている。
信者と思われている限り、些細な一言で口論に発展しかねない。一触即発や頻繁に臨戦態勢をとるのは精神的に疲労します。
2
:
いちごじゃむ
:2010/05/24(月) 09:26:10 ID:Ng5G60fY0
縁側の狸奴さん こんにちは。
その宗教団体からは すでに脱会されていらしゃるのですか?
それとも まだ信者さんとして在籍しながらも 心の距離を取ろうと努力されているような状態なのでしょうか。
常にその宗教団体の方々の存在を 自分の心を脅かす存在として意識しながら生活していらっしゃる様なご様子が伝わってきます。
もし脱会されていらっしゃるのでしたら 会話等を含めすべての関わりを絶ってしまうことは不自然なことではないと私は思います。
その団体を離れたあなたの意志は 尊重されて当然のものでしょう。
縁側の狸奴さんの選択は間違っていないし 教団の方々はそれを非難する筋合いを持ちません。
今は切ない状態でも 教団以外の世間で暮らすうちに少しずつ罪悪感や惨めさは消えていくのではないでしょうか。
その苦しみを どなたかにうち明け ご自分を整理していくうちに 時間はかかっても次第に変わっていけるから
どうぞ諦めないで、その教団とは 関係が無くなったご自身を大切になさってくださいね。
私たちは 生活の状況を含め 様々な制約があり その中で暮らしています。
でも 社会と調和して生きる生活においては、心は自分だけのものだと私は思いながら暮らしています。
私の心は 誰のものでもない、私のものでよいのでしょう。
そして 他人の心も 誰のものでもない その人だけのものなのでしょう。
3
:
縁側の狸奴
:2010/05/24(月) 12:07:02 ID:Q0odq2QQ0
揉めにもめて除籍届けは今年の初め頃に受理されました。
脱会する前に医師や心理士に相談し、受理されてからも罪悪感や「私は嫉む神である」のエロヒムの制裁に怯えてます。虚構だと判っても30年間自分を支配していた虚構の神は院政をしいて君臨してます。
教区責任者や支部責任者以外は、脱会した事実を知らないので互いに臨戦態勢をとってしまいます。
日本で生まれ育ち生活していながら一般的日本文化や礼儀も知りません。脱化したら孤立し困窮し再加入してしまう人が何故多いのかよく解りました。
数百人の親しかった笑顔で挨拶してくれた友が、手のひらを返し反逆罪で捕らえられた反逆者を嘲笑いつつ哀れみの目で見てくれます。堕落した罪人は惨めだなと言わんばかりの表情です。
彼等と同じように多くの人を嘲笑い勝ち誇ったと思い込んで過ごした年月の、周囲の苦痛は小さくありません。
社会と調和して生活しているクリスチャンが不思議でならない。
カルト宗教依存症からの離脱症状のような状態を今現在通過中と思えます。
殆ど全てがモルモン式なので、打ち明けられた医師も牧師も首を傾げてました。
在家信仰生活でも陸の孤島とある意味大差なく、精神的交流は同教団信者同士でなければ勧誘目的を除いて無に近かった。
カルト宗教世界の常識や普通と、世間の常識や普通は大きく違い、転居した訳でもないのに同じ言語の異国のようです。
脱北者が似たようなことを言ってましたが、私も長く混乱してます。
脱会を責任者が公表すれば一触即発の事態は減ると思います。
4
:
旅人
:2010/05/24(月) 16:24:46 ID:jT5.G8Zc0
>社会と調和して生活しているクリスチャンが不思議でならない。
社会(=世俗社会)から隔絶しては、生活ができないし、社会との調和の程度は、人によりけりではないでしょうか。
モルモン教では、信徒の社会と、モルモン教徒以外の人達の社会との関係をどのように見ているのでしょうか。
現世においては、自然災害をみても、戦争等を見ても、人間は宗教如何にかかわらず、運命共同体でしょう。現代版のノアの箱舟など、無いのではないでしょうか。
5
:
縁側の狸奴
:2010/05/24(月) 17:23:31 ID:Q0odq2QQ0
世と深く交わってはならない。これを強行し浮いた存在となりれば、それが正しさの証拠だと思い込むよう信者教育されました。
モルモン教では明確な線引きがあり、モルモンを唯一真の真実の教会(全ての真理を包含する)で他は不完全であると説いてます。
タルムードを参照下されば想像が出来ます。タルムードを薄めた思想を持っているので律法主義がモルモンらしさを強調します。
他の教派との外見的差別化を謀るには効率的ですが、これでは浮いて当然と思います。
大半のモルモンは聖書を参考書以下に位置づけており、多くは独自の教典から引用し時に聖書から文脈を無視した形で繋ぎ合わせて整合しますが、今思えば無理があります。
改訂や変更が頻繁に行われる普遍の真理を全て包含する教会を今では信じられません。
信奉していた時は、「生ける預言者(教団最高責任者:通称 大管長)の言葉は標準聖典に勝る」この言葉に目を覆われて吟味もせず過ごしてました。
矛盾に気付くのも疑問を抱くのも不信仰とされるので、ひたすら納得できるよう熱心に信仰強化を祈ってました。
カルトはマインドコントロールなくして組織存続や拡大が難しいのです。
6
:
旅人
:2010/05/24(月) 19:44:09 ID:jT5.G8Zc0
私は、タルムードは読んだことはないし、所有してもいません。信仰の土台としての経典は、旧約・新約の両聖書だけを認めています。
モルモン教がその聖書を参考書以下に位置付けるとしたら、それはキリスト教とは言えないのだと思います。タルムードを読んでその教えに従って生活をするのであれば、ユダヤ教の一派と考えるべきではないでしょうか。
ところで、前回の私の発言に補足をしておきたいと思います。それは、社会との調和の問題です。
私としては、世俗社会との調和を重視したいと思うのですが、それは世俗の価値観や生き方を全面的に受け入れるということではありません。心の自由を奪われるようなら、社会との関係を見直す必要があると思います。
カルトもまた一つの社会ですよね。それも閉鎖された社会でしょう。そのような社会では精神の自由が奪われやすいでしょう。
では、カルトを脱出した時、本当に精神の自由はあるのか。もしかすると、懐疑的に成り過ぎて、何かを信じる自由がなくなるのではないかという気がします。縁側の狸奴さんは、真理はあると思いますか。
7
:
縁側の狸奴
:2010/05/24(月) 20:49:01 ID:Q0odq2QQ0
真理?万物の法則と私は言い表します。法則を作り出すことは出来ません。物理的な表現ですが、この法則に全てが支配されてます。
モルモンでは「自由と放縦」と言う言葉を頻繁に使い、自由を律法を守ることによる祝福(保障)と捉えてます。客観視すれば教義は刑法と同等の権威でした。
教団に法的拘束力はありませんが、刑法犯のような罪悪感を抱かせ恐怖心や強迫観念に突き動かされ、罪の代償を教義を守ることで支払うのが救済に必要な条件でした。
法に触れなければ、留置場や拘置所も実刑も罰則も科せられない自由の身でいられる。首輪と鎖が付いていて囲いと小屋がある、モルモン流自由の概念です。
地元教会のお世話になって、そこに集い説教や説明を聴いて自主的な学びも継続してますが、データとしての修正中で心の割礼には達してません。
イベント的な意味であっても神社仏閣に初詣するクリスチャンには驚く反面、自由に行動し友人とも自由に交流できる彼等が羨ましくもあります。これは過去形ではありません。
こんな規制は不要ですが、差別化を謀る極端なユダヤ教に近い教義解釈の弊害です。多様な文化を受容してきたパウロのようには出来ません。
聖書軽視の教団に在籍しても、読書量としては私は圧倒的に聖書派でしたが解釈がモルモンだったので修正に時間を要します。
カルト宗教を脱会し首輪を解かれ監視人のいる小屋も有刺鉄線の囲いからも解放されましたが、献身(無給労働)を求められないので違和感はあります。
法≒統治機関(政府)なので心の無政府状態で混乱気味です。同じ教団を脱会し幸福の科学で頑張って活き活きとしている人やJWの王国会館に集う人を見て、惹かれる時が珍しくありません。
献身と称する無給労働要請(不足分は他者から詐取、搾取してでも)に喜んで応じましたが、他のカルト団体の甘言に何時応じてしまうか判りません。
8
:
いちごじゃむ
:2010/05/24(月) 22:42:25 ID:BPixd6Kw0
縁側の狸奴さん その教団を脱会すること自体がきっとかなり勇気のいることだったのでしょうね。
そして 一般の社会に出てたくさんの戸惑いを感じられていらっしゃるのですね。
孤独に悩むこともきっとあるのでしょうね・・。
私は特に熱心に進行している宗教はありませんが、一応仏教徒です。そして、友人にカトリック教の人と
プロテスタントの人がいます。私たちは同級生で キリスト教の二人も宗派は違いますが 親しく交流しています。
きっと互いの信仰を認めているから 調和しているのでしょう。
互いの心のよりどころである信仰を否定しないで 「あなたの大切な信仰」として認めているから
長い間 着き過ぎず離れ過ぎず付き合っているのでしょう。
私もこのように話しながら自分ではなかなか難しくて悩むことも多いのですが、
自分と違う考えの他人を知り 受け入れることが、きっと社会で調和して暮らすコツなのかもしれません。
(これは 私もある方にアドバイスされたことです。)
今は苦しいかもしれませんが、少しでも安心できる場で少しずつ人との信頼関係を取り戻せるのではないでしょうか?
勇気を持って 教団から抜けた縁側の狸奴さんでしたら きっと大丈夫だと私は思います(^^)
9
:
縁側の狸奴
:2010/05/25(火) 00:08:47 ID:Q0odq2QQ0
いちごじゃむさん ご理解いただき感謝します。
お坊さんや仏教系に所属してる友人とは互いに認められるので問題が生じません。
狭窄した見聞を拡げるチャンスの時でもあり、長らく避けていた分野の本も読もうと思います。
10
:
いちごじゃむ
:2010/05/25(火) 12:33:49 ID:ZhVDKZyY0
縁側の狸奴さん 応援していますね(^^)
私も以前ある団体に所属していました。(職業集団です)そこの畑で若いころに育てられ
そこの理屈が正しいと思っていましたが 仕事をやめ あちこちの場で暮らすうちに 少しずつ考え方が変わってきました。
例えば 子育て一つにしても 様々な考え方や方法があって どれが正しいとは言えない事や ご近所づきあいも私が子供の頃に経験したお付き合いのほかに
様々な関わり方があるんだなあって この頃は思います。
その中のどの方法を選んでゆけば 望ましい形になるのかなと、色々な先輩たちに交じって
今、社会勉強の真っ最中です。
40代半ばで 私は本当に世間知らずだなあって落ち込むこともありますが、人生のこうあるべき
マニュアルはないですし 人それぞれだし 世の中には様々なヒトがいるから 私のような人間が
いても良いんだろうと思いながら頑張ってますよ〜(^0^)
(書きながら 自分を励ましていますネ!)
11
:
縁側の狸奴
:2010/05/25(火) 22:33:11 ID:Q0odq2QQ0
脱会し他の教派の教会に集っても、経済活動指針や業務内容の統一化まで干渉する権威者なのかバテレンは!?。
業務の一本化はこの疲弊した経済情勢を見れば如何に難しいか。
耶蘇とも書くが邪粗と言いたくなる。左派共産論者には、起業後速やかに業務内容を一本化出来ない経営者は愚鈍で優柔不断に見えてしまうが、容易な事ではない。
危うくリベラル邪粗信者を罵倒しそうになった。この類の邪粗信者は少数派なのか?。
経営を考えると業務内容一本化はいつ可能になるか判らない。売りたいモノ、売れるモノ、アルバイトでの補填。
バランスをとろうにも全体が低迷している状況で、一本化などしても年中開店休業と同等となる。
経営者の友人が「宗教やってる奴の綺麗事、現実を見ていない」と言っていたが同感です。
日曜日以外なら顔を合わせることもあるまいから、曜日と時間に気をつければ不快な思いをしないで済む。
12
:
縁側の狸奴
:2010/06/03(木) 11:49:58 ID:Q0odq2QQ0
同化を求める人は宗教依存症と云った具合です。
宗教に嵌るのと篤い信仰は違うのですが、説明しても口論になるだけなので放置します。
詮索したがるのが、宗教依存症者には多くいて叩きネタにされるのも心外です。
医療レベルの病気かも?と思われる言動や行動があっても宗教の色眼鏡が判断を誤らせる。
詮索して返ってきた答えに憤慨し喧嘩腰になり収拾がつかなくなる。服薬調整する友人と似たところが多く、彼も病気ではないのかと思われます。
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