したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

泥かぶら

1PONS:2009/05/06(水) 11:18:15 ID:ZnjzLISQ0
「泥かぶら」と言う戯曲をご存知ですか。
ロングランの演劇だそうです。
ある村に泥かぶらと呼ばれている娘がいました。
この娘は恵まれない環境に生まれ、顔は醜く村人から虐められていました。そのためか気性も荒くなり、心も荒み余計に村人から嫌われていくのでした。
そして娘は夕方になると独り寂しく夕陽の丘で自らの運命に悔しい涙を流すのでした。
けれどもある時、その娘の気性は荒いが負けない様子を見ていた旅の老法師が「きれいになりたい」と慟哭する娘を諭します。
自分の顔を恥じないこと
どんな時にもにっこり笑うこと
人の身になって思うこと
この3つを守れば村一番の美人になれると。
泥かぶらは激しく心を揺さぶられ、この老法師の教えを守ろうとします。
ですが、そう簡単には行きません。村一番美人の庄屋の娘に濡れ衣を着せられ酷い仕打ちを受けた時にはその決心も揺らぎます。
けれども、その試練を乗り越え、はじめて人と深い心の絆が生まれた時、娘の人生が転換していきます。
自分を恥じず、どんな時にも笑顔を絶やさず人の身になって考え行動する泥かぶらは次第に村人に重宝がられ、喜ばれる人へ変わって行きました。
けれども、ある時、人買いが村にやってきて村の娘を町へ連れて行こうとします。泥かぶらは泣いている娘を不憫に思い、自分を身代りに連れて行ってくれと人買いに頼みます。
そして、身代わりとなり、人買いに連れられ町へと行く道すがらも、泥かぶらは恨みごとも言わず、自分に心にある美しく楽しい思い出だけを心から楽しそうに、人買いに語って聞かせるのでした。
次第に人買いは心を揺さぶられ、自分の生きざまを顧みます。
月の美しい夜、人買いは置き手紙をしてそっと去ります。
「私はなんてひどい仕事をしていたのだろうか
 お前のおかげで、私の体の中にあった仏の心が目覚めた
 ありがとう。仏のように美しい子よ。」
泥かぶらは、手紙を読みはじめて老法師が自分に言った言葉の意味に涙するのでした。

私たちには醜い面があります。
生まれながらの環境によって、また自分の持っている心の弱さから、気持ちも荒み醜い面が頭をもたげます。人に理解されず、運命に翻弄され、独り涙することが誰にでもあるはずです。
そんな時、この泥かぶらのお話を思い出し、泥かぶらのようにただその言葉を信じ、生きていけたらと思います。
人生の意味はそれぞれが受け止めていくものですね。。。

2時の旅人:2009/05/08(金) 19:35:02 ID:pkGm87eI0
PONSさん。いいお話を有難う。

私が常に悩み苦しんでいた事柄の意味がはっきりしました。

御書に、【蔵の財より身の財第一なり身の財より心の財第一なり】と言う言葉があります。

若し、私が泥かぶらの様な状態(境涯と言うんだけどね)だったとしたら・・・

と言いますのも、今まで半端じゃないくらいこの考えは間違っている!と自論していた私。
と言うのも、お金も無い病気がちで、心だけ綺麗という人を貴方は救いますか?という自問自答をし
これは現代と鎌倉時代の時代錯誤だ!とまで言い張っていた自分です。
歴史を紐解くと、鎌倉時代は【絹がお金の代わりであったと】ネットで調べました。
 なので、【絹有難う】って言っていた時代といまの貨幣経済が全く違うとそう自論していた人です。
この泥かぶらを貴方の文で見て、貴方に教わったことを特にこの辺ね。
>泥かぶらは泣いている娘を不憫に思い、自分を身代りに連れて行ってくれと人買いに頼みます。
そして、身代わりとなり、人買いに連れられ町へと行く道すがらも、泥かぶらは恨みごとも言わず、自分に心にある美しく楽しい思い出だけを心から楽しそうに、人買いに語って聞かせるのでした。
私がこの立場なら、身代わり・・・うーーーん熟慮しなくちゃいけないな・・・

3あげ:2009/05/14(木) 14:38:15 ID:x8MndeTA0
あげ


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板