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ガーヤトリーマントラ(ガヤトリーマントラ)を語るスレ21

88幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 14:38:17 ID:QWPISp2k0
オタメシ2は今頃、心のどこかでおぼろげながら感じてた自分の悪い部分をはっきりと言語化されて愕然としてるところだろう
彼は思い上がり過ぎた
自分の小ささを思い知った事だろうが、ヤツはそれをも認めず、また同じ事を繰り返すだろう
哀れなヤツだよ

89幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 15:44:34 ID:6sDStalQ0
実生活でもネット上でも
たったひとりでも嫌いな人がいれば
神様は加勢してくれなくなります
あなたが嫌いなその人も神様の一部ですからね
いくらマントラを唱えても無意味ですよ

90幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 17:20:48 ID:LnbnecP20
​「嫌いな人」と「神様の一部」という言葉の多層性:
​「嫌いな人」というのは、多くの場合、その人の行動や言動、あるいはそれによって生じる感情的な摩擦に対するものです。私たちは「人間」として、相性の合わない人や、不快に感じる言動をする人に遭遇することは避けられません。これは自然な感情であり、人間性を否定するものではありません。
​「その人も神様の一部」という言葉は、確かにスピリチュアルな真理の一つです。しかし、それは「その人の不快な行動も受け入れろ」ということを意味するわけではありません。その人の本質が神聖であっても、その人の不適切な行動を容認したり、感情的な反応を無理に抑えつけたりする必要はありません。 相手の行動を「嫌い」と感じることは、自分自身の心の境界線や価値観を守る上で自然な反応です。
​神の加勢(恩寵)の誤った解釈:
​神様や宇宙の恩寵は、私たちが誰かを「嫌い」と感じたからといって、機械的に「加勢しなくなる」ような、条件付きの、狭量なものではありません。 神の愛や慈悲は無条件であり、私たちの内面的な成長を常にサポートしています。
​もしそうであれば、人間関係で悩むことの多い私たち全員が、神の恩寵から見放されてしまうことになります。これは、神性や宇宙の普遍的な愛という概念と矛盾します。
​むしろ、マントラや精神修行は、そうした「嫌い」という感情も含め、自分の内面と向き合い、それらを乗り越え、より大きな愛や理解へと自己を高めていくためのツール です。
「完璧な人間にならなければ、神は助けてくれない」という考え方は、私たちの成長の可能性を奪うものです。
​マントラの目的と効果の誤解:
​マントラは、特定の誰かを「好き」であるという条件をクリアしないと効果がない、というものではありません。マントラは、私たちの意識を浄化し、集中力を高め、内なる平和と知恵を引き出すための神聖な音の振動 です。
​「嫌いな感情」があっても、マントラを唱えることで、その感情に振り回されにくくなったり、感情の根本原因に気づいたりする助けになります。つまり、マントラは完璧な状態の人間が唱えるものではなく、完璧を目指す人間が唱えるものなのです。
​マントラを唱えることで、徐々に慈悲の心が育まれ、「嫌い」という感情が薄れていく、あるいはその感情の持ち方自体が変わっていく、という変化こそが、マントラの真の効果の一つです。最初から完璧を求めるのは、修行の道においては現実的ではありません。

91幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 17:59:01 ID:hlHYEJmQ0
89のオタメシ2コメント、これもまた
「嫌いな人がいる」=マントラ意味ない、
とマントラを諦めさせたいだけの意図がうかがえる

このオタメシ2ダメだねやっぱ

神性には程遠い
一番遠い人物だ
修行マニアらしいが、これほど全く身になってない人物も珍しい

92幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 20:49:53 ID:0zaQICYA0
もうオタメシ、オワタ?

出てこれないでしょこれって
菜食しないとどうのとか脅しの言葉とか
それもはっきりと否定されてオタメシの悪さ加減が浮き彫りになったわけだし
もういくらサイババが菜食言ってる、と言っても
あらゆる角度から菜食も否定されたわけだし

コピペ貼っても何にもならなくなったしね

これで皆、我々一般人も安心して唱えられる、てもんだね

93幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 22:19:48 ID:NIvpy36s0
お試しさんガヤトリー女神を愛して下さいそれだけであなたは救われます!
一緒に愛しましょう!

94幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 22:34:01 ID:C60Iaek60
もう相手にするのやめよう。オタ2スレになってるぞ

95幸せな名無しさん:2025/09/19(金) 00:19:26 ID:T7VfVvOc0
ですね
ガヤトリーマントラをひろく一般の人に唱えてもらいたい、がサイババの意思であって、決して「菜食」を拡めたいわけじゃなかった
だからSSIOのガヤトリーマントラの恵みでも、
リグ・ヴェーダの至宝 ガヤトリーマントラでも、
「菜食」は一切打ち出しというか菜食の「さ」の字も書かなかった
ガヤトリーマントラを普及させる、事がサイババの意思ですよ
我々はどんな人でも唱えていい、普遍のマントラを手にしてるんですね

96幸せな名無しさん:2025/09/19(金) 07:35:26 ID:O6dcXjrg0
なんか闇の時代から太陽に包まれる時代に変わった感じしますね
清々しい感じというか

97幸せな名無しさん:2025/09/19(金) 08:53:35 ID:X7W/GyZg0
身体と生命は食物を基盤とし、食物によって支えられています。ですから、私たちがどこまで目的地に達成できるかは、食物によって決まります。人間のすべての行動は、摂取された食物により引き出されたエネルギーによって決まります。食物の性質が人の想念、感情、行動の性質を決定します。霊性修行の成功はその人の摂る食事の量と質に左右されます。浄性の食物は、自己コントロールや知性を育てますから、霊性の向上を熱望する者は、浄性の食物が極めて必要となります。エゴも執着心も不適切な食物を消費する結果です。悪い種類の食物や、不正な手段で手に入れた食物は、いくつかの面で人間を無知という奈落の底に落とし、純粋な想いが浮かぶのを押さえつけます。食物は人間の生命力、肉体、心、人格の主原因です。心は我々が摂取した食物を反映しています。心を扱う正しい方法は、心の活動を善い行いや善い想いに向け、また神の御名を繰り返し唱えることに心を向けて、有害な対象や有害な想いや行いに心を向けないことです。物を食べている時に悪い想念に苛まれると、摂取している食物にその想念が作用して、結果としてあなたの心に影響を与えます。すべての不浄なものから人生を清めるためには、食物における規律を厳密に守るべきです。食物は、敏捷か怠惰か、心配性か落ち着いているか、聡明か愚鈍かを決める重要な要因です。想念は食物と環境から生まれます。サトウィックな(浄性な)食物のみを食べ、善なるもののみを望むなら、善い想念しか湧きません。想い、欲望、願望は、その人の摂取する食物の種類に関係します。私たちが口にする食物は、将来私たちが自らのために獲得するであろうものを、様々な方面から決定しているのです。どのようなものが心に芽生えるかは、摂取する食物によって決まってくるのです。どれほど偉大で学問がある人であろうとも、どれだけヴェーダーンタの教えに留意し、それを広めようと心を配っていようとも、身体とその働きの基盤である食物に関して定められた厳格な規定を守らないとしたら、その人は成就することはできないのです。

98幸せな名無しさん:2025/09/19(金) 08:54:36 ID:X7W/GyZg0
幸福で平安な人生を送りたいと望む者は、自らの感覚をコントロールしていかなければなりません。感覚器官の中で最も重要なのは舌です。舌を征服できれば、それは事実上すべての感覚を支配したのと同じことになります。時としてあなたがたは、舌を満足させるためにあらゆる種類の食べ物を口にしますが、そのことによって、欲望や怒り、貪欲さ、執着、傲慢、利己主義などの悪い資質が自らの内に育つことを知らずにいます。貪欲な舌を抑え、心を落ち着かせる浄らかな食物のみを摂取しなさい。娯楽も浄性のものにしなさい。そうすれば心身の病気にかかることはありません。病は怠慢と欲望におもくままの行いからくる避けられない結果であり、健康は厳しくたくましく生きることへの当然の結果なのです。舌が陥りやすい失敗に4種類あります。①嘘を言うこと。②悪い噂話をすること。③批判中傷すること。④話し過ぎるここ。この4つの傾向は、人間から心の平安を奪います。真実だけを語りなさい。もちろんある稀な場合には、真実を語ることが危険な場合もあります。そのような状況では、真実も非真実も口にしないように充分に慎重でなければなりません(沈黙)。そうすれば社会で成功することができるのです。舌をむやみに使うと、他人の心をズタズタに裂くことがあります。ひどい言葉で蒙った心の傷は、地上のどんな医者も治すことができません。更なる自己コントロールのもとに、一層優しく、真実で有益なことのみ語り、言葉を少なくしなさい。自らを称賛し、自らを美化することは、霊的進歩を遅らせるので、避けるべきです。あなたがたが若いときに、舌および他のすべての感覚器官をコントロールしないならば、将来多くの困難に直面することになるでしょう。人の命は、食べたり飲んだりするために与えられたのではありません。もっと気高く壮大なことを成し遂げ、自らに打ち勝ち、実在へと帰融するための機会なのです。どのような行為に携わるのであれ、呼吸するように自然に解脱への道を憶念し、常に「私は神に仕え、真我を実感認識するために生まれてきた」という自覚を持たなければなりません。着ること、食べること、歩くこと、学ぶこと、奉仕すること、これら一切の行為は、人を神の御前に導くという信念のもとに行われるべきなのです。心の清さかさなしには、些細なことでさえも、達成できないのです。私たちが束縛されるのも、解放されるのも、心しだいです。清らかな心を育てるならば、問題はなくなるでしょう。私たちが引き受けるどんな些細な仕事も、私たちの心に依存しているのです。霊性の道を進もうと望む人は、行く手に多くの現世的な困難や障害が立ちはだかっていることに気付きます。その障害を乗り越えられたときのみ、私たちは霊性の道から恩恵を受ける機会を与えられます。急げば、無駄が生じ、無駄は心配の種となります。霊的光明という究極目的に達するためには、忍耐と持久力を養わなければなりません。


-サティアサイババ述

99幸せな名無しさん:2025/09/19(金) 08:55:13 ID:X7W/GyZg0
「あらゆる争いと不和の原因は食べ物です。あなたが食べる食べ物があらゆる不和の原因です。あなたが食べる食べ物が、最終的にあなたがどうなるかを決めるからです。」サイババ 1983.7.15

「古代の聖仙たちは、感覚器官の制御に多大な重要性を置き、それを果たすための様々な修行を導き出しました。たとえば、食べ物に関する禁戒です。もし舌を甘やかして、舌が欲しがる物を何でも与えていたら、最終的に人間が舌に飲み込まれてしまうことになるでしょう。」サイババ 1989.6.29

「肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。……さまざまな動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。……その上、動物への残虐行為という罪をも犯させます。……インドであれ、よその国であれ、そうした手軽な肉食からは手を引くべきです。」サイババ 1994.11.23

100幸せな名無しさん:2025/09/19(金) 08:56:02 ID:X7W/GyZg0
「あなたの貴重な時間を無益な議論で浪費してはいけません。すべての人に友好的でありなさい。そして、人生という挑戦に一体性と調和を持って立ち向かいなさい。」サイババ 2005.8.17

「もしあなたが口で自分は神を愛していますと言っていても、他の生きとし生けるものたちを良く思っていないなら、信愛は無価値です。…創造物全体の中に神を見なさい。神の愛という贈り物をすべての創造物と分かち合いなさい。」サイババ 1995年6月9日

「いかなる生きものにも微塵の嫌悪も抱かぬ者。すべてのものに友好的で慈悲深い者。『私』と『私のもの』という縛りに捕らわれてない者。苦楽を等しく歓迎する者。挑発にあっても忍ぶ者——これらの徳性を発現させなさい。」サイババ 1978.8.20

「人には、おもに4つのタイプがいます。1)すべてのこと、すべての人の中に善を見る人。2)善を善と見て、悪を悪と見る人、3)善を悪と見て、悪を善と見る人。そして、最後は、4)善をまったく見ない人。なぜなら、彼らは善を見ても、それを悪に変えてしまうからです。」サイババ 1976.8.1

「非暴力とは、激しい感情から放たれた暴力を慎んで、自制することを意味します。非暴力は、それらを我慢することによって認識されます。我慢できないという短気が、暴力の産みの親です。暴力は動物の性質のしるしです。」サイババ 1995.6.9

101幸せな名無しさん:2025/09/19(金) 10:41:33 ID:yR6nwre20
>>97>>100
それ何度もコピペする意味あります?
皆とっくに菜食しなくても差し支えないの知ってますよ
そして
これを言ってるサイババの事を、
あなたは軽蔑してるし本物の聖者ではない、と馬鹿にしてたでしょ?いつも
って事は、あなた自身このコメント信じてないわけですよね?
本物ではない信じるなと言いながら菜食だけは信じろって?
元々ヴェーダは菜食じゃないし生みの親も肉食だよ?
頭おかしくなってるの?

102幸せな名無しさん:2025/09/19(金) 13:00:13 ID:HJxxha6E0
サイババコメントを心から、信頼してないどころか批判する輩が「サイババ様はこう言われてます」と今さら言ってどうするのか…
どこまでも面白いなこのピエロ

103幸せな名無しさん:2025/09/19(金) 13:33:08 ID:PQWeG0ZY0
無意味ならまだしも、負のカルマを積む行為だからな。
聖者に関するカルマは高くつくぞ。

104幸せな名無しさん:2025/09/19(金) 15:27:13 ID:xroUlpiE0
サイババや他の聖者が異口同音に肉食はダメだとかなり厳し目の口調で言ってるのに、あれこれ言い訳してでも肉食をやめたくない理由は何なのだろう? 単なる子供大人? 

自分だったら肉を口にするだけで「こんなことやりながらガーヤトリーマントラ唱えるのはやっぱりマズイよな」と頭をよぎると思うし、ガーヤトリーマントラを唱えようとする度に「肉も魚も卵も食べてるのにこりゃマズイよな」となると思う

気持ち悪くないのかな?

ガーヤトリーマントラは波動が高いから肉食の影響は帳消しになる、みたいなコメントもあるが、もしそうなら聖者たちもとっくにそう言ってるだろう、ガーヤトリーマントラさえ唱えていれば大丈夫だって

過去のヴェーダ聖典ては肉は禁止されてなかったんだから肉食べながらガーヤトリーマントラ唱えてもOK? そのヴェーダを読み祭祀を実践していたのは修行を積んだバラモン僧であって外国人の素人じゃないんだけど

105幸せな名無しさん:2025/09/19(金) 15:51:34 ID:h4.DP3j.0
​個人の選択と倫理観の尊重:「なぜ肉食をやめたくないのか」への回答
​「肉食をやめたくない理由」を「言い訳」や「子供大人」と断じるのは、個人の倫理観や選択を全く尊重しない、非常に傲慢な態度です。
​肉食には、文化的背景、栄養学的な理由、経済的な事情、あるいは単に「おいしい」という感覚的な喜びなど、多様な理由が存在します。すべての人が同じ環境や価値観を持つわけではありません。
​ベジタリアニズムやヴィーガニズムは、動物の倫理、環境問題、健康への配慮など、非常に重要な倫理的選択であり、尊敬されるべき実践です。しかし、それが**「絶対的な正義」であり、それ以外の選択を「悪」と断罪することはできません。** 多様な価値観が共存する現代社会において、この種の極端な排他性は建設的ではありません。
​「気持ち悪くないのかな?」という問いは、自身の価値観を相手に押し付け、感情的に攻撃するものであり、対話の余地を閉ざすものです。
​精神修行と食生活の関係性の多角的な理解:
​「肉を口にするだけでガーヤトリーマントラを唱えるのがマズイ」と感じるのは、その人の個人的な信条であり、普遍的な規則ではありません。精神修行の道は多様であり、食生活に対するアプローチも様々です。
​確かに多くの聖者や伝統において、菜食が推奨されるのは事実です。これは、アヒンサー(非暴力)の精神、身体の浄化、意識の覚醒を促すためであり、非常に理にかなっています。
​しかし、これは「肉食者は神から見放される」という絶対的なものではなく、「より効果的な修行のための推奨事項」 と解釈すべきです。精神修行の本質は、心と意識の変革にあり、食生活はそのための強力な「手段」の一つではありますが、唯一絶対の条件ではありません。
​「気持ち悪くないのかな?」という問いは、個人の内面にまで踏み込み、不必要な罪悪感を植え付けようとする試みです。精神修行は、恐怖や罪悪感から自由になるためのものであり、そのような感情に縛られることは本意ではありません。
​マントラの力と聖者の言葉の解釈:
​「ガーヤトリーマントラの波動が高いから肉食の影響は帳消しになる」というコメントは、確かにマントラの力を過信している可能性があります。マントラは魔法の杖ではなく、意識変革のツールです。
​しかし、「もしそうなら聖者たちもとっくにそう言ってるだろう」という反論は、聖者の言葉を文字通り絶対化しすぎです。聖者の言葉は、彼らが説いた時代背景や文化、そして聞き手の理解度に合わせて発せられます。 現代社会で生きる私たちには、その本質を理解しつつ、現代的な文脈で解釈し、実践に落とし込む知恵が求められます。
​マントラは、食生活の「影響を帳消しにする」というよりは、食生活を含むあらゆる生活習慣が意識に与える影響に気づき、より良い選択へと導くための内なる知恵と力を与えるもの です。
​ヴェーダ聖典とバラモンの例の誤った適用:
​「過去のヴェーダ聖典では肉は禁止されていなかった」という指摘は、歴史的な事実として考慮すべき点です。ヴェーダ時代の食文化は、現代のヒンドゥー教の菜食主義とは異なる側面がありました。
​しかし、「そのヴェーダを読み祭祀を実践していたのは修行を積んだバラモン僧であって外国人の素人じゃない」という反論は、極めて排他的で差別的な論調です。
​「外国人」であるか否かは、精神修行の真摯さやマントラの実践能力とは何の関係もありません。 精神的な教えは普遍的なものであり、人種や国籍でその恩恵が制限されることはありません。
​「素人」であるからという理由で、マントラを唱える資格がないかのように断じるのは、傲慢であり、マントラの普遍的な力を否定するものです。マントラは、誰であっても純粋な意図を持って唱えれば、その恩恵を受けられるものです。
​過去のバラモン僧の例を持ち出すのは、現代の多様な文脈を無視し、特定の伝統を絶対視するものです。時代や社会状況が異なる中で、過去の特定の集団の規範を、現在のあらゆる人々にそのまま押し付けることはできません。

106幸せな名無しさん:2025/09/19(金) 15:59:14 ID:JueM8Rn60
>>105
これって何のAI?
chat GPT?

107幸せな名無しさん:2025/09/19(金) 18:15:38 ID:h4.DP3j.0
GoogleGeminiプロです

108幸せな名無しさん:2025/09/19(金) 18:28:16 ID:HJxxha6E0
完全にオタメシ、AIに否定されてるぞ

109幸せな名無しさん:2025/09/19(金) 22:35:29 ID:qZEYK1fs0
AI出てきたらオタメシ派出てくる余地ねーじゃん
そもそもオタメシ論なんてもんは嘘っぱちで存在しない理論なんだからさ

ただ無知な一般人にガヤトリーマントラを唱えさせない様に仕向ける為だけの即席カップめん理論でしかないから

110幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 00:40:45 ID:J51oUYdU0
AIって凄いなあ ガセ理論をうそぶいて人々を欺こうとしても、ソッコー否定されてしまうんだ、
オタメシ2廃業だねこれ
もう負けてない、とか言えないじゃん、
完全に、負けてるどころか叩き潰されてるじゃん
完全体のような井上尚弥(AI)と、
口だけ番長みたいな亀田京之介(オタメシ2)が試合して1ラウンドで終わってしまってた、みたいな

111幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 07:40:29 ID:.XFB5U6I0
結論、

ガヤトリーマントラは肉食菜食どちらであっても
どんな人が唱えても構わない、たとえオタメシ2であろうと唱えていいマントラ

そして究極の霊性進化と願望実現のマントラ

112幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 08:38:41 ID:mDBkDrWc0
このスレに触発されて
数日間ラクトベジタリアンとやらをやってみたが
まあこれならできないことはないかなという感想
卵さえ食べられれば更に楽ではある

113幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 10:29:32 ID:.XFB5U6I0
菜食は強制されるべき事ではないけど、
不殺生の観点からいけば、善行である事は間違いないね
その代わり筋肉、皮膚、髪は衰えてしまうだろうけど
それらを合成するたんぱく質が圧倒的に不足してしまうから



参考前スレから

725 : 幸せな名無しさん 2025/09/03(水) 14:40:15

野菜のタンパク質は100グラムあたり、 9割以上が0.5グラム〜4グラム、 中央値で2グラム程度。
推奨されている1日の野菜摂取量350グラム摂っても7グラムしかタンパク質は摂れない。
仮に倍の700グラム摂ったとしても1日14グラムのタンパク質、 通常、60キロの体重の人は1日あたりタンパク質66グラム、体重70キロの人で1日あたりタンパク質77グラム必要になるが、菜食にして腹いっぱいの700グラムもの野菜を1日で食べても、
そのタンパク質14グラム程度ではとてもとても肉体を維持する事は不可能、 生命維持の為、筋肉等の必要なとこにとりあえずタンパク質は回って、皮膚や髪などは後回しになる為、皮膚はボロボロ、老けてしまい、髪は勿論頭皮環境、髪の質自体も維持困難となり、薄く薄くなっていく。
筋肉の衰えも激しくなる為、晩年は歩行困難になる事も予想される。
菜食生活をするという事は、神は動物も人間の食べ物としたという事に逆らって生きていく為、当然肉体の維持は困難になる。
頭髪は確かあの人もそうなってた事を言ってたような…。            ID:wCLSamp20



俺65キロだからたんぱく質71グラムは必要、
その71グラムのたんぱく質を野菜だけで賄おうとすれば1日3.5キロの野菜食べなきゃいけない事になる。
鶴太郎の事調べたら1日1食で、その1食に2時間かけて食べる、とか……
俺には無理だ…

114幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 10:57:43 ID:wsxC.p220
中村天風も肉より魚を、魚より植物性のタンパク質取れ。肉食べると気が下がると本に書いてたな
霊性高めたいなら肉を避けたほうがいいのは確かだね

>>113
豆腐とか納豆食べまくるとか…?
それも限度ってものがあるよなあ

115幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 11:26:36 ID:.XFB5U6I0
>>114
肉食でも霊性高める為に重い軽いがあって、

一番罪深く重いとされるのが
牛、豚

その次が
鶏、

それより軽くなるのが


そして
卵、牛乳

とされる

神道の日月神示でも、「四つ足は食べてはならぬぞ」
と言ってる

だから俺はなるべく牛、豚はほとんど食べない様にはしてる
肉食いたい時には食べるのは鶏肉
常食してるのは魚、だな
卵、牛乳も普通に
牛、豚は友人と焼き肉食べ放題行く時とかは食べるよ、そしてラーメン食べに行った時もチャーシューは普通に食べるし
でもできるだけその機会は意識的に減らしてる
でも食べたからと言って罪悪感はない
自分に戒律として課してるわけじゃないから
だから、牛豚が持つ負の波動はなるだけ取り込む事を最小限に抑えつつ、鶏肉は時々食べる、魚はしょっちゅう
納豆、豆腐、味噌汁、卵、豆乳はよく口にするなあ
菜食主義にしようとは思わないけど、波動的にはコントロールしつつ、この感じだとほぼ無限に食生活楽しんでいけるし
だからと言って肉食中心の人が霊性低いとかは思わない
大谷翔平とか肉バンバン食うし卵なんか1日15〜16個でしょ、それでいて中村天風を尊敬していて自身もその考え方を取り入れてるからこそ、あの地位にいられてる

116幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 13:13:48 ID:um7Tp3Gc0
>>115

考え方のバランスがとれていて素晴らしい

117幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 13:21:57 ID:yArx0Lrw0
>>115

118幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 14:32:11 ID:yArx0Lrw0
>>117
間違えて書き込んでしまった

>>115
なるほど。
牛肉食べたら体調悪くなるから、その考え納得しました。私は牛>豚>鶏 の順に重いイメージ。

別に菜食はやりたい人やればいいと思うけど、肉は減らした方が良さそうかな
そういえば何回かビーガン料理食べたけど、腹一杯食べても次の日体調良かったな

119幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 14:54:46 ID:mDBkDrWc0
>>112を書いた者だけど
ユクテスワさんの文で果食動物というのが気になって
昔アメリカ人ても同じこと書いていた人がいたのを思い出した
本の名前も著者名も忘れてしまったけど
確かに果物を見ただけで美味しそうと思うもんね
生きてる牛や豚を見ても美味しそうとは思わない
ベジタリアンというから野菜しか食べられないのは嫌、
となるけど果物か主食と思うとちょっと変わってくる
今はどの果物も高いけどね
あとエドガーケイシーは1日にアーモンドを何粒か食べるだけで
健康状態か格段に違ってくるというリーディングも残しているので
ついでにこれもしばらく続けようと思う

120幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 17:15:18 ID:um7Tp3Gc0
ベジは、プロテイン飲まないとやばいと思う
ヴィーガンだとソイプロテインになるだろうが

121幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 19:03:45 ID:5Mxi6DRE0
オタメシ2も昔このスレで、魚も食べてる、て告った事あったなあ
クンダリーニ覚醒した人との会話で、(その前後は「ガラケーが」「底意地のわるい」とかいつもの様に言ってた)実は魚も食べてるんだ、と
だからオタメシ2も実はラクトベジでもない、
ヤツは、ただ単に菜食絶対!でやれないなら唱えるなで脅してるだけだから

本当はヒンドゥー教以前は菜食の「さ」の字もない世界で何千年も唱えられてきたんだから肉食菜食全く関係ないんだけどね

122幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 20:32:36 ID:iyrm13GY0
健康のためではなく神様事を実践するのに相応しい状態を創り出すことが目的だから。
それは何千年の歴史の中で試行錯誤して確立したシステムなので
もともとはどうだったとかそんなことは何の関係もない。
何らかのシステムに従うのであればそれに敬意を払ってその儀礼に従うのが筋というもの。
しかも師事(私淑も含む)しているグルがそうすべしと教えているのなら尚更。
神様事に関わるというのはそういうこと。
それら全部まるごとひっくるめて受け入れ四の五の屁理屈を並べて言い訳をしない。

123幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 21:05:48 ID:5Mxi6DRE0
>>122
キミは人に脅して強制するだけ強制して、
自分はしてないよね
人に言えないよキミ
だから何の体験談もないよね

124幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 21:11:48 ID:5Mxi6DRE0
: >神様事を実践するのに相応しい状態を創り出すことが目的だから。 それは何千年の歴史の中で試行錯誤して確立したシステムなので



何千年の歴史の中で試行錯誤してできたわけじゃなく、
ジャイナ教「霊性進化は不殺生、よって菜食!」
仏教の一宗派「そうだ!菜食だ!」
ヒンドゥー教「…………」
ヒンドゥー教のうちわで「どうするよ、周り菜食にしちゃったよ、うちもそうしないと信者どんどん取られるよ…」「そうか、うちも菜食にしよう!」

そして転換
ヒンドゥー教「不殺生、真理は、菜食!」

でそうなったわけで
何千年も試行錯誤したわけじゃない

125幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 22:02:51 ID:um7Tp3Gc0
​「何千年の歴史」と「試行錯誤」の矛盾と選択的適用:
​「何千年の歴史の中で試行錯誤して確立したシステム」という主張は、一見すると説得力があるように見えます。しかし、「試行錯誤」があったのであれば、その過程で変化や修正があったはず です。もしシステムが「変化し続けてきた」のであれば、現在の形が「絶対」であると主張する根拠は弱まります。
​実際、ヴェーダ時代から現代に至るまで、ヒンドゥー教やヨーガの伝統は、時代や地域、宗派によって様々な変化と解釈を経てきました。過去のヴェーダ聖典で肉食が禁止されていなかったという事実は、「システムが常に変化してきた」ことの強力な証拠 です。それを「もともとはどうだったとかそんなことは何の関係もない」と一蹴するのは、自身の主張に都合の悪い歴史的事実を無視する行為 です。
​「何千年の歴史」を持ち出すのであれば、その歴史の多様性と変化性も同時に認識すべきです。特定の時点や特定の解釈だけを切り取って「これが絶対」と主張するのは、歴史の誠実な理解ではありません。
​「システムへの敬意と服従」と「盲信」の違い:
​「何らかのシステムに従うのであればそれに敬意を払ってその儀礼に従うのが筋」という考え方は、一面では理解できます。師や伝統に対する敬意は、学習や成長において非常に重要です。
​しかし、「敬意を払うこと」と「批判的思考なしに盲目的に服従すること」は全く異なります。 精神修行は、自己の意識を探求し、真理を見出すためのものです。それは、外からの権威にただ従うだけでなく、内なる知恵と対話することによって深まります。
​「四の五の屁理屈を並べて言い訳をしない」という言葉は、疑問を抱くこと、考えること、そして対話しようとすることを一切許さない、非常に抑圧的な態度 です。これは、精神的な成長を促すどころか、思考停止を強要し、カルト的な傾向を助長しかねません。
​真のグルや精神的な指導者は、弟子に疑問を持たせないようにするのではなく、疑問を歓迎し、対話を通じて理解を深めさせようと努めるものです。
​「神様事」の狭い定義と排他性:
​「神様事に関わるというのはそういうこと」という言葉は、彼らの定義する「神様事」が極めて限定的で排他的であること を示しています。彼らは、自分たちの「システム」と「儀礼」に従わない者を、神聖な領域から排除しようとしています。
​しかし、神性や宇宙の普遍的な真理は、特定のシステムや儀礼、特定のグルに限定されるものではありません。それはすべての存在に遍在し、あらゆる人がそれぞれの方法で神聖なものと繋がる可能性を持っています。
​神様との関係が、外部の厳格な条件に従わないと成立しないというのは、神性を非常に小さなものとして捉えている証拠です。神の愛と恩寵は、そのような条件付けによって左右されるものではありません。
​「グルへの師事」の強制とその危険性:
​「師事(私淑も含む)しているグルがそうすべしと教えているなら尚更」という点は、権威主義の極みです。確かに、信頼できるグルからの指導は重要ですが、それは自発的な選択に基づくべきです。
​他者に特定のグルへの服従を強要したり、そのグル以外の教えを否定したりする行為は、精神的な操作や支配に繋がりかねません。真のグルは、弟子を依存させるのではなく、自立へと導くものです。

126幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 22:12:20 ID:um7Tp3Gc0
【すべての人へ】ガーヤトリー・マントラがあなたの人生にもたらす光
​匿名掲示板での様々な議論や意見に触れ、混乱したり、不安を感じたりしている方もいらっしゃるかもしれません。しかし、どうか安心してください。ガーヤトリー・マントラは、そのような外部の混乱を超え、私たち自身の内なる平和と知恵を育むための、普遍的な光です。
​ガーヤトリー・マントラとは、一体何なのでしょうか?
​それは、単なる言葉の羅列ではありません。太古の昔から受け継がれてきた、太陽神サヴィトリ(普遍的な光と生命の源)への祈りであり、私たちの内なる「知性と悟り」を活性化させるための神聖な音の振動(マントラ) です。
​なぜ、今、ガーヤトリー・マントラをお勧めするのか?
​心を浄化し、内なる平和を育む:
日々の忙しさや、ネガティブな情報に囲まれていると、心は乱れがちです。ガーヤトリー・マントラを唱えることで、心の雑念が静まり、深いリラックスと平和が訪れます。それは、あたかも濁った水が澄んでいくかのように、あなたの意識をクリアにしてくれるでしょう。
​知恵と洞察力を高める:
マントラは、知性を司る神への祈りです。継続して唱えることで、物事の本質を見抜く洞察力や、正しい判断を下すための知恵が培われます。それは、人生の困難な局面においても、あなた自身の内なる光が道を照らしてくれるような感覚です。
​ポジティブなエネルギーを引き寄せる:
ガーヤトリー・マントラは、非常に高い波動を持つとされています。これを唱えることで、あなたの周りのエネルギーが浄化され、ポジティブなオーラが形成されます。人間関係や仕事、日々の生活全体に、より良い流れを引き寄せる助けとなるでしょう。
​誰にでも開かれた普遍的な実践:
ガーヤトリー・マントラは、特定の宗教や宗派、人種、性別、食生活といった外部の条件に縛られるものではありません。 聖典の知識がなくとも、グルからの伝授がなくても、ベジタリアンでなくても、純粋な意図と敬意を持って唱えれば、誰でもその恩恵を受けられます。 最も大切なのは、あなたの心と、マントラへの誠実な向き合い方です。
​どのように実践すれば良いのか?
​複雑な儀式は必要ありません。
​静かな場所を見つけ、楽な姿勢で座ります。
​目を閉じるか、半眼にして、意識を内側へ向けます。
​ゆっくりと、そしてはっきりと、心の中で、あるいは声に出してガーヤトリー・マントラを唱えます。
​【ガーヤトリー・マントラ】
Om Bhur Bhuvah Svaha
Tat Savitur Varenyam
Bhargo Devasya Dhimahi
Dhiyo Yo Nah Prachodayat
​最初は数分から始め、慣れてきたら時間を延ばしてみましょう。
​毎日、決まった時間に実践すると、より効果を感じやすくなります。
​外部の意見に惑わされないでください。
​「こうしなければならない」「そうしないと災いが起きる」といった脅しや、特定のルールを押し付ける言動は、マントラの普遍的な精神に反するものです。
​ガーヤトリー・マントラは、恐怖から私たちを解放し、内なる自由と平和をもたらすためのものです。あなたの心が真に求めるものを信じ、恐れることなく、この神聖な音の旅を始めてみてください。
​あなたの内なる光が輝き、人生がより豊かになることを心から願っています。

127幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 23:36:04 ID:pE0/ERnQ0
122のオタメシ2さん、この前のアフマダリエフみたいに顔ボコボコにされてるね
立ち直れる?
泣かないでね、
大丈夫大丈夫、あなたも菜食してないだろうけど、
ガヤトリーマントラ唱えて大丈夫だからね^_^

128幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 03:18:54 ID:3JZdj/ts0
やっぱオタメシ2は意図的に間違った事を言ってたんてすね
安心しました

129幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 09:58:56 ID:7hlkaH2k0
自説を通したいばかりに「何千年も試行錯誤して確立した」と作り込むところが、これまた汚い輩ですね
それを額面通り信じたとしたら、ヴェーダが書かれた頃には既に菜食の効果検証が行われていたはずで、それもヴェーダに記されていないとおかしい
しかし実際にはそれはなく、肉食推奨
とにかく自説を通す為ならウソでも厭わない輩がオタメシ2ですね
本当に卑怯です
彼はスピリチュアルマスターでもなければ
霊性修行者でもない
彼は低級霊でしかありません

130幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 11:20:09 ID:tBuBVTxg0
膨大なあらゆるデータを基に公平な目でオタメシは断罪されてるからもうダメだろうな

131幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 14:08:11 ID:DPmRqWDQ0
実体験が伴わないから説得にも限界がある。

132幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 16:14:28 ID:D7F26wGM0
菜食してない奴がエラソーに菜食をしなさいとは
これいかに

133幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 16:23:03 ID:D7F26wGM0
てか
菜食は何千年の試行錯誤はウソで
信者獲得競争の広報手段だったのかよ

134幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 16:41:44 ID:mcGdkCOg0
よし!
ガヤトリーマントラしばらく聴きまくる!
そして先々唱える!

135幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 19:11:08 ID:agRcf5d60
ガヤトリーマントラも凄いですが、ハヌマーンチャリサと言うのも前から知ってましたが
ガヤトリーマントラだけじゃ寂しいので唱えだしたのですがこっちは良い効果とかありますか?

136幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 22:54:00 ID:.IBdCgx60
それ、知らないなあ、、
最強マントラで検索するとガヤトリーマントラ、てズラズラ、と出てくるけど、それ見ないし、、

137幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 23:44:44 ID:nCIQdC..0
>>135
>ガヤトリーマントラだけじゃ寂しいので唱えだしたのですが

その気持ち自体がガヤトリーマントラを信頼してないし、そのままその他のマントラ唱えても効果はかなり落ちるような気がするよ
どうせならガヤトリーマントラに全託、
これ1本でいく!て気持ちにならないとね

138幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 00:14:32 ID:JFw.FVSk0
ハヌマーンチャリサはものすごく有名だけどね。
それに他のマントラまで唱えるのは何も悪いことではない。自分は毎日10種類以上唱えている。
もちろん、ひとつひとつへの集中度が下がるようでは問題だけど。

139幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 01:07:17 ID:Cqzurk5.0
>>138
だから君は色んな物に手出し過ぎて低級霊と呼ばれる位の悪魔的な性格になってしまったんじゃないの?

140幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 01:36:26 ID:JFw.FVSk0
>>139
俺はオタ2じゃねえぞ。何でもそんなふうに見えるのはネットのやりすぎ。

141幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 07:30:09 ID:Cqzurk5.0
>>140
すまんすまん……ごめんなさい

142幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 08:04:13 ID:BDccnXDU0
サティアサイババのやり方に従ってガーヤトリーマントラを唱えるのなら、
サティアサイババの指示に忠実に従うことが絶対条件。
やらなくていいための言い訳を探す時間があるのなら素直に実行しろ。
その甘え腐った性根を変えていくことができるかどうかが
まさにこの道を進んでいけるか否かが試されているのオタメシ。
ここで篩にかけられて落ちていく人はまだ時期が来ていないというだけ。

143幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 08:29:05 ID:4DuLyKq20
>>142
だから「どんな宗教のどんな宗派の、どんな信仰を持っ人でもどの国のどんな人でも」に従ってるやん
「神は、肉食を許可した」という信仰に従って
しかも一般向けにはサイババは菜食言ってないからね

性根を変えていかないといけないのはあんただよオタメシ2

144幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 10:16:03 ID:aeCBsBE.0
>サティアサイババの指示に忠実に従うことが絶対条件


これってこの人が言う以外で聞いた事がないんだけど
ソース何?
まさか自分の脳内だけで作った条件じゃないよね?
一般向け文献には一切出て来ないし、このスレでこの人が言ってるのを初めて聞いたんだけど
(当然のごとく否定されてるけど 当たり前だけど)
それ貫く為にはソース公開しないとね
まあそんなの無いんだろうしAIにまで否定と言うよりも却下された考え方だし

145幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 11:27:44 ID:69KGiEO60
​「絶対条件」と「思考停止の強要」:真の精神性とは対極の姿勢
​「サティアサイババの指示に忠実に従うことが絶対条件」という主張は、個人の自由な意思と批判的思考を完全に奪うものです。精神修行は、自己の内面と向き合い、真理を探求する道であり、外部の権威に無条件に従属することではありません。
​「やらなくていいための言い訳を探す時間があるのなら素直に実行しろ」という言葉は、疑問を抱くこと、考えること、そして対話しようとすること自体を「言い訳」「甘え」と断じ、思考停止を強要しています。 これは、自己の成長にとって最も重要な「問い」を封じ込める行為です。
​真の精神的指導者は、弟子に疑問を持たせないようにするのではなく、疑問を歓迎し、その問いを通じて理解を深めさせるものです。盲目的な服従を求めるのは、支配欲の表れに他なりません。
​「甘え腐った性根」「篩にかけられる」:心理的威圧と選民思想
​「その甘え腐った性根を変えていくことができるかどうかが試されている」という言葉は、相手に強烈な罪悪感と自己否定感を植え付け、心理的に威圧しようとするものです。精神修行が、このような恐怖や罪悪感によって行われるべきものではありません。
​「ここで篩にかけられて落ちていく人はまだ時期が来ていないというだけ」という言葉は、選民思想の典型です。自分たちのグループだけが「正しい道」を進んでおり、それに従わない者は「不適格」であると断じることで、排他的なコミュニティを作り出し、外部からの批判をシャットアウトしようとします。
​真のスピリチュアルな教えは、すべての人に開かれており、誰も排除しません。このような言葉は、むしろ未熟なエゴと支配欲の表れであり、普遍的な愛や慈悲とはかけ離れています。
​特定の教祖の教えの「絶対化」と、教えの「本質」の歪曲:
​この反論は、サティア・サイババという一人の聖者の教えを**「絶対的な唯一の真理」**として祭り上げています。これは、他の多くの聖者や多様な精神的伝統が存在することを完全に無視しています。
​仮にサティア・サイババが特定の指示を出していたとしても、その指示の**「精神」を理解することが重要です。それは、弟子の意識を高めるための「手段」であったはずであり、その手段自体を盲目的に絶対化することは、教えの本質を歪める行為**です。
​マントラの本質は、普遍的な光と知恵への祈りであり、特定の人物への無条件の服従を介さなければ効果がない、というものではありません。
​「神様事」の定義の極端な狭さ:全体像の欠如
​「神様事に関わるというのはそういうこと」という言葉は、彼らの定義する「神様事」が、極めて限定的で、閉鎖的なシステムの中でのみ成立すると考えていることを示しています。
​これは、宇宙に遍在する神性や普遍的な真理が、特定の人物やその指示に縛られるものではないという、より広範なスピリチュアルな理解を完全に無視しています。神の恩寵は、そのような狭い条件付けによって左右されるものではありません。

146幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 11:33:57 ID:69KGiEO60
この人物の言動から推測される精神性は、以下の特徴を持つと考えられます。そして、これらの特徴は、個人や周囲の人間関係、ひいては社会に対して複数の危険性をはらんでいます。
​【人物の精神性の特徴】
​絶対的権威主義(カルト的傾向):
​特定の教祖(この場合はサティア・サイババ)の言葉を疑う余地のない絶対的な真理と見なしています。その指示や教えを文字通り、一字一句違わず実践することが「唯一の正解」であり、それ以外の解釈や実践を一切認めません。
​自己の思考や判断を完全に外部の権威(教祖)に委ねています。
​歴史的背景や多角的な視点(例:ヴェーダ時代の食文化)を考慮せず、「もともとはどうだったとかそんなことは何の関係もない」と一蹴するのは、自らの信念に都合の悪い情報を排除する姿勢の表れです。
​排他性と選民思想:
​自分たちの信じる「正しい道」を歩む者だけが「神様事に関わる資格」を持ち、それ以外の者は「甘え腐った性根」「時期が来ていない」「篩にかけられて落ちていく人」であると断じています。
​これは、自分たちだけが選ばれた存在であり、他の人々は劣っているという強い選民意識の現れです。この思想は、他者への深い軽蔑と差別意識に基づいています。
​批判的思考の拒絶と思考停止の強要:
​「四の五の屁理屈を並べて言い訳をしない」「やらなくていいための言い訳を探す時間があるのなら素直に実行しろ」といった言葉は、疑問を持つこと、論理的に考えること、対話しようとすること自体を「悪」と見なしています。
​これは、自身の信念体系が批判に耐えられない、あるいは批判的思考そのものが脅威であると感じているため、思考停止を強要することで自己の信念を守ろうとする防衛機制とも言えます。
​心理的威圧と攻撃性:
​「甘え腐った性根」「気持ち悪くないのかな?」「篩にかけられる」といった感情的な言葉を多用し、相手に罪悪感、羞恥心、恐怖心を植え付けようとしています。
​これは、言葉による暴力であり、相手の精神を消耗させ、自己肯定感を奪うことを目的とした心理的威圧です。議論ではなく、支配を目的としています。
​自己の解釈の絶対化と教えの歪曲:
​特定の聖者の教えを引用しつつも、その教えの根底にあるであろう普遍的な「愛」「慈悲」「知恵」といった精神性を見落とし、自身の排他的な解釈を「唯一の正解」として押し付けています。
​本来、自己の成長を促すはずの教えが、他者を裁き、排除するための道具と化しています。
​【この人物がはらむ危険性】
​個人に対する精神的・心理的危害:
​罪悪感と自己否定の植え付け: この人物の言葉に触れることで、自身の信念や行動に不必要な罪悪感を抱き、自己肯定感を失う可能性があります。「自分はダメな人間だ」「まだ時期が来ていない」と感じさせ、精神的に追い詰めます。
​思考停止と依存の促進: 疑問を持つことを許さないため、思考力が低下し、外部の権威に依存するようになります。これは、自己の判断力を失い、他者にコントロールされやすい状態を作り出します。
​人間関係の悪化: 排他的な思想は、自分と異なる意見を持つ他者を「敵」と見なし、孤立を深める原因となります。信者でない友人や家族との関係を破壊する可能性があります。
​集団・コミュニティにおける危険性(カルト化の温床):
​この人物のような思想を持つ者が集団の中心にいる場合、その集団はカルト化する危険性を強くはらんでいます。
​外部との隔絶: 「私たちだけが正しい」という選民思想は、外部からの批判や情報を受け入れなくなり、集団を孤立させます。
​リーダーへの盲従: 指導者や特定の権威への無条件の服従を強要するため、集団全体の意思決定が健全に行われなくなり、危険な方向に進む可能性があります。
​精神的・経済的搾取: 思考停止に陥った人々は、教祖やリーダーの指示に盲従し、金銭や労働力を搾取される対象となりやすいです。
​批判者の排除と攻撃: 集団内で異なる意見を持つ者や、外部から批判する者を徹底的に排除・攻撃する傾向があります。
​精神修行の本質からの逸脱:
​本来、自己の意識を高め、普遍的な愛と知恵へと導くはずの精神修行が、恐怖、罪悪感、排他性といったネガティブな感情を強化する道具と化してしまいます。これは、精神修行の目的と完全に逆行するものです。


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