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ガーヤトリーマントラ(ガヤトリーマントラ)を語るスレ21

50幸せな名無しさん:2025/09/16(火) 15:59:34 ID:m/EgYTx20
この前リンク紹介されてたブログ
「瑞霊にならいて」
だろ、それ
葡萄は霊的な食べ物って記事だよな?

51幸せな名無しさん:2025/09/16(火) 18:56:07 ID:VUJxCAa.0
「人間 肉食 草食」のAI回答
人間は雑食動物であると考えられていますが、その食性については様々な議論があります。
進化の過程
人類の脳が大きくなったのは、動物性の食料を多く摂取するようになったためと考えられています。
約200万年前の石器時代の人類は、肉食に特化しており、胃の酸性度が高いことや脂肪細胞の構造が肉食動物と同じであることから、肉食動物であったとされています。
約1万年前に最後の氷河期が終わり、農耕と牧畜が始まってから穀物の摂取が増え、雑食へと移行しました。 身体的特徴
歯の構造: 人間には肉食動物の犬歯、草食動物の臼歯、そして門歯があり、雑食に適していますが、数から見ると草食動物に近いという意見もあります。
消化器官:
草食動物は消化が難しい植物を消化するために長い消化器官を持っていますが、人間は肉食動物ほど短くなく、草食動物ほど長くありません。
消化酵素:
草食動物や人間は唾液中に消化酵素を持っていますが、肉食動物や雑食動物は持っていません。
ビタミンC:
多くの動物は体内でビタミンCを合成できますが、人間はビタミンCの合成に必要な遺伝子を失っており、外部からの摂取が必要です。
食性の多様性
人間は環境に適応して食べるものを変えてきました。例えば、植物が少ない地域では動物性食品を多く摂取し、生き延びてきました。 現代においても、ベジタリアンのように植物性食品のみで生活する人もいますが、これは栄養価の高い植物を栽培できるようになったためです。 これらの情報から、人間は進化の過程で肉食の時期を経て、現在は植物と動物の両方を食べる雑食動物であると理解できます。

52幸せな名無しさん:2025/09/16(火) 18:57:32 ID:VUJxCAa.0
人間は草食動物ではないことは確かですね

53幸せな名無しさん:2025/09/16(火) 20:05:52 ID:RvUBZaGM0
オタメシ2はお休み宣言して丸一日以上経つけど
1回だけコピペ貼っただけだったな、

何人もいないじゃん、1人だけじゃんやっぱ
何人もいたら何回も何回もレス入るはずだけどな
自分でオタメシ2は1人でした〜、と言ってるようなもんだな
こういう事書くと短いのでもオタメシテイストのレス出してくるぞ笑

54幸せな名無しさん:2025/09/16(火) 20:27:45 ID:/NcRAw0I0
身体と生命は食物を基盤とし、食物によって支えられています。ですから、私たちがどこまで目的地に達成できるかは、食物によって決まります。人間のすべての行動は、摂取された食物により引き出されたエネルギーによって決まります。食物の性質が人の想念、感情、行動の性質を決定します。霊性修行の成功はその人の摂る食事の量と質に左右されます。浄性の食物は、自己コントロールや知性を育てますから、霊性の向上を熱望する者は、浄性の食物が極めて必要となります。エゴも執着心も不適切な食物を消費する結果です。悪い種類の食物や、不正な手段で手に入れた食物は、いくつかの面で人間を無知という奈落の底に落とし、純粋な想いが浮かぶのを押さえつけます。食物は人間の生命力、肉体、心、人格の主原因です。心は我々が摂取した食物を反映しています。心を扱う正しい方法は、心の活動を善い行いや善い想いに向け、また神の御名を繰り返し唱えることに心を向けて、有害な対象や有害な想いや行いに心を向けないことです。物を食べている時に悪い想念に苛まれると、摂取している食物にその想念が作用して、結果としてあなたの心に影響を与えます。すべての不浄なものから人生を清めるためには、食物における規律を厳密に守るべきです。食物は、敏捷か怠惰か、心配性か落ち着いているか、聡明か愚鈍かを決める重要な要因です。想念は食物と環境から生まれます。サトウィックな(浄性な)食物のみを食べ、善なるもののみを望むなら、善い想念しか湧きません。想い、欲望、願望は、その人の摂取する食物の種類に関係します。私たちが口にする食物は、将来私たちが自らのために獲得するであろうものを、様々な方面から決定しているのです。どのようなものが心に芽生えるかは、摂取する食物によって決まってくるのです。どれほど偉大で学問がある人であろうとも、どれだけヴェーダーンタの教えに留意し、それを広めようと心を配っていようとも、身体とその働きの基盤である食物に関して定められた厳格な規定を守らないとしたら、その人は成就することはできないのです。

55幸せな名無しさん:2025/09/16(火) 20:28:23 ID:/NcRAw0I0
幸福で平安な人生を送りたいと望む者は、自らの感覚をコントロールしていかなければなりません。感覚器官の中で最も重要なのは舌です。舌を征服できれば、それは事実上すべての感覚を支配したのと同じことになります。時としてあなたがたは、舌を満足させるためにあらゆる種類の食べ物を口にしますが、そのことによって、欲望や怒り、貪欲さ、執着、傲慢、利己主義などの悪い資質が自らの内に育つことを知らずにいます。貪欲な舌を抑え、心を落ち着かせる浄らかな食物のみを摂取しなさい。娯楽も浄性のものにしなさい。そうすれば心身の病気にかかることはありません。病は怠慢と欲望におもくままの行いからくる避けられない結果であり、健康は厳しくたくましく生きることへの当然の結果なのです。舌が陥りやすい失敗に4種類あります。①嘘を言うこと。②悪い噂話をすること。③批判中傷すること。④話し過ぎるここ。この4つの傾向は、人間から心の平安を奪います。真実だけを語りなさい。もちろんある稀な場合には、真実を語ることが危険な場合もあります。そのような状況では、真実も非真実も口にしないように充分に慎重でなければなりません(沈黙)。そうすれば社会で成功することができるのです。舌をむやみに使うと、他人の心をズタズタに裂くことがあります。ひどい言葉で蒙った心の傷は、地上のどんな医者も治すことができません。更なる自己コントロールのもとに、一層優しく、真実で有益なことのみ語り、言葉を少なくしなさい。自らを称賛し、自らを美化することは、霊的進歩を遅らせるので、避けるべきです。あなたがたが若いときに、舌および他のすべての感覚器官をコントロールしないならば、将来多くの困難に直面することになるでしょう。人の命は、食べたり飲んだりするために与えられたのではありません。もっと気高く壮大なことを成し遂げ、自らに打ち勝ち、実在へと帰融するための機会なのです。どのような行為に携わるのであれ、呼吸するように自然に解脱への道を憶念し、常に「私は神に仕え、真我を実感認識するために生まれてきた」という自覚を持たなければなりません。着ること、食べること、歩くこと、学ぶこと、奉仕すること、これら一切の行為は、人を神の御前に導くという信念のもとに行われるべきなのです。心の清さかさなしには、些細なことでさえも、達成できないのです。私たちが束縛されるのも、解放されるのも、心しだいです。清らかな心を育てるならば、問題はなくなるでしょう。私たちが引き受けるどんな些細な仕事も、私たちの心に依存しているのです。霊性の道を進もうと望む人は、行く手に多くの現世的な困難や障害が立ちはだかっていることに気付きます。その障害を乗り越えられたときのみ、私たちは霊性の道から恩恵を受ける機会を与えられます。急げば、無駄が生じ、無駄は心配の種となります。霊的光明という究極目的に達するためには、忍耐と持久力を養わなければなりません。


-サティアサイババ述

56幸せな名無しさん:2025/09/16(火) 20:30:28 ID:/NcRAw0I0
★『聖なる科学』(スワミ・スリ・ユクテスワ著 森北出版)より

「人間の本来の食物とは何か」
まず第一に、われわれの本来の自然の食物が何であるかを知るために、消化器である歯と消化管の形状と、動物が食物を見つけたときに示す感覚器官の反応と、母乳について観察してみよう。

「歯の観察」
歯について見ると、肉食動物の場合は、門歯はあまり発達していないが、犬歯は獲物を捕らえるために著しく長く、なめらかで、とがっている。そして臼歯もまたとがっており、それらの先は上下が重ならず、獲物の筋肉繊維を引き裂くのに都合がよいように、横に沿って並んでいる。

草食動物の場合は、門歯が特に発達しており、犬歯は発達していない(もっとも、象のように、犬歯が武器とし発達した例外もある)。また臼歯は先が平たく面積が広く、側面だけがほうろう質になっている。

果食動物の場合は、歯全体がほぼ同じ高さであるる犬歯はわずかに長く円錐形であるが、鋭くはない(これは明らかに、獲物を捕らえるための形ではなく、強くかむための形である)。臼歯は先が広くなっているが、食物をかんで歯を横にずらしたときに食物が歯の横へこぼれ落ちないように、歯の上面にほうろう質のひだがあり、肉をかむのに好都合なとがった形はしていない。

一方、熊のような雑食動物は、門歯は草食動物のそれに似ており、犬歯は肉食動物のそれに似ており、臼歯は双方の目的に合うように、とがったものと平たいものの両方をそなえている。

さて人間の歯を観察してみると、それは肉食動物の歯にも、草食動物の歯にも、雑食動物の歯にも似ていない。そして、まさに果食動物の歯の特徴をそのまま持っているのである。このことからまず、人間の身体は果実(果物、木の実、穀物、根菜類など)を常食とする果食動物であると推論することができる。


「消化管の観察」
次に消化管を観察してみると、肉食動物の場合は、腸の長さが体長(口から肛門まで)の3倍から5倍で、胃の形状はほぼ球形をしている。草食動物の場合は、腸の長さが体長の20倍ないし28倍もあり、その胃は大きく複雑な構造をしている。これに対し、果食動物の場合は、腸の長さが体長の10倍ないし12倍で、その胃は肉食動物の胃よりやや大きく、しかも腸との間に、第二の胃である十二指腸をもっている。

これは、人間の消化器官の構造と全く同じである。解剖学では、人間の腸の長さは身長の3倍ないし5倍であるとされているが、これは、前述の口から肛門までの体長のかわりに、頭の先から足の裏までの身長を基準にしているからである。以上のことからもまた、人間のからだは果食動物であることと推論することができる。

57幸せな名無しさん:2025/09/16(火) 20:31:10 ID:/NcRAw0I0
「感覚器官の観察」
次に、動物の感覚器官が食物に対して示す本能的な反応について観察してみよう。つまり、あらゆる動物は、これによって自分の正しい食物を判別しているのである。肉食動物は、自分の食物を見つけると、大きな喜びが湧いてきて、そのため、目はらんらんと輝いてくる。そして、猛然と襲いかかって獲物を捕らえると、流れ出る血を貪りなめる。これに反して、草食動物は、食物に血がかかっていると、それを避けて食べようとしない。彼らの嗅覚と視覚は、彼らが喜びをもって食べられるような他の草を選ぶように仕向けるのである。同様に、果食動物その本能的感覚の働きによって、食物を、木の実や草の実に求めようとする。

人間においては、どんな人種でも、その嗅覚や、聴覚や、視覚に刺激されて他の動物を襲って殺したくなるような本能はない。むしろ、他の動物が殺される場面を目撃するのは、耐えられないくらいである。そのため、屠殺場は町から遠く離れた人目につかない場所につくられるし、また、肉類をおおいなしで輸送することを禁じた法令も多い。このように人間の目や鼻は、肉というものに対して、料理したり、調味料や香辛料でごまかさない限り、これを避けようとする性質がある。そのような肉が、人間の自然な食物であると考えることができるであろうか。一方、われわれは果物の香りを嗅ぐと、自然に喜びが湧いてきて、口の中が唾液で潤ってくる。穀物や根菜のたぐいも、わずかではあるが、調理しないままでも好ましい味や香りを感じさせる。このことからもまた、人間のからだは果食動物としてつくられたと推論されるのである。

「乳児の食物の観察」
もう一つ、母乳について観察してみよう。母乳は明らかに、生まれたばかりの子供の食物であるが、人間の母親は、自然な食物として、果物や、穀物や、野菜などを食べないと、充分な母乳が出ないのである。

「病気の原因」
以上に述べた観察から合理的に引き出される唯一の結論は、各種の穀物と、果物と、根菜類と、さらに飲料としては、乳と、空気や日光にさらされた清水とが、間違いなく、人間にとって自然な最良の食物だということである。これらの食物は、各人の消化機能に応じて摂取すれば、人体にとって最適であるため、よく咀嚼され、唾液と混じり合って、正しく人体に同化されるのである。

他の食物は、人間の本来の自然の食物ではないため、人体に適合しておらず、胃に送られても、完全には人体に同化されない。血液の中に混入したそれらの異物は、排泄器官に送られたり、または、体内のいろいろな器官の内部に蓄積される。そしてそれが排泄されないまま溜まってくると、引力の法則によって体内組織の間隙に沈殿し、やがて醗酵して、肉体的あるいは精神的病気を引き起こし、ついには早死にを招くことにもなるのである。

58幸せな名無しさん:2025/09/16(火) 20:31:48 ID:/NcRAw0I0
「あらゆる争いと不和の原因は食べ物です。あなたが食べる食べ物があらゆる不和の原因です。あなたが食べる食べ物が、最終的にあなたがどうなるかを決めるからです。」サイババ 1983.7.15

「古代の聖仙たちは、感覚器官の制御に多大な重要性を置き、それを果たすための様々な修行を導き出しました。たとえば、食べ物に関する禁戒です。もし舌を甘やかして、舌が欲しがる物を何でも与えていたら、最終的に人間が舌に飲み込まれてしまうことになるでしょう。」サイババ 1989.6.29

「肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。……さまざまな動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。……その上、動物への残虐行為という罪をも犯させます。……インドであれ、よその国であれ、そうした手軽な肉食からは手を引くべきです。」サイババ 1994.11.23

59幸せな名無しさん:2025/09/16(火) 20:40:24 ID:iqmmwwfA0
ほら笑
挑発したらコピペ笑
人員不足だね〜笑
1人しかいないからねオタメシ2は笑
コピペより前スレ702、704自演の釈明しろよ
負けてるからそうせざるを得ない心境だったんだろ?
情けな…

60幸せな名無しさん:2025/09/16(火) 20:45:52 ID:iqmmwwfA0
菜食しないのであれば崖から落ちてしまう、
そんな事はありませんから、大丈夫です。

サイババの言葉を借りれば
「神の讃歌は、どのような信仰に基き、どこの言葉で歌ってもよい。
各々は、自分の伝統、自分の言葉で、神を賛美するようにしなさい」

「ガーヤトリーマントラは、男性でも女性でも、どの信仰をもつ人でも、どの国のどの地域の人でも、どの地域においても熱心に唱えていい祈りの言葉だ。このマントラを唱えることで、知性が発達する」

と言っているように。
ここで言う「信仰」とは、神の言葉を信じる事です。 つまり、菜食ではなく、動物の肉を食べて良いと神が許可した、これを信じるのであれば、その信仰のままでガヤトリーマントラを唱えて良い、という事です。

聖書の神は、
「生きて動いているものはみな、あなたがたの食物となる。緑の草と同じように、そのすべてのものを、今、あなたがたに与える」 (創世記 9:3)

動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。 創9:3

と言われています。 その、神の言葉を信じる事こそ「信仰」です。 肉食してよい、その神の言葉を信じるのであれば何も問題なく、ガヤトリーマントラを唱えて良いのです。
ガヤトリーマントラはヴェーダに記載され、遺されました。 そのヴェーダは菜食ではなく、肉食推奨です、 ガヤトリーマントラを天啓で受け取ったヴィシュワ・ミトラも肉食。
何の問題がありましょうか?
「菜食主義」を打ち出したのはジャイナ教や仏教の一宗派でそれにヒンドゥー教が迎合した後出しの形でそれに染まった様なものです。
菜食は 理論的にはスピリチュアル的ですね、いかにも霊性進化には最適の様な感じがします。
しかしもしそれが真理であれば人類は肉食する事なく菜食で太古の昔から今に至るまで菜食できているのではないでしょうか?
ヒンドゥー教で確立された菜食主義、(他宗教の受け売りですが)一見そこだけ見るとそれが真理の様に見えます。 安倍さんも青山さんも菜食じゃないと、と言っている、 それが真理だと。
しかしそれはヒンドゥー教が途中路線変更した時の名残りであって、それを神の言葉として信じる、それもありでしょう。
しかし元々のガヤトリーマントラ は菜食に限定していません。
ヴェーダもヴィシュワ・ミトラも菜食は言っていません。
「崖から落ちる」 という脅しの言葉はこのオタメシ2自身が吐いた、彼自身が大きなカルマを負う不適切な言葉に他なりません。
オタメシ2、この方は大きな負のカルマを背負う事でしょう。
サイババの言葉を借りれば
「ガヤトリーマントラの音にはマントラの意味と同じくらい価値があります」 という事です。
音自体に大きな価値があります。
そこには菜食か肉食かなんて関係ありません、
オタメシ派は昔から「マントラ自体に何の意味もない」と主張してきました。
それ自体が間違いなのです。
このマントラの音自体が大きなパワーになっています。 ガヤトリーマントラの24音節には人体の様々な部位に働きかける大きなパワーがあります。
そしてこの音の組み合わせ自体が宇宙と繋がる、神と繋がるパスワードになっています。
だから誰がこれを唱えても神へと繋がります。
これを唱える、聴いていくと神が最善を実現してくださります。
当然自分自身の努力も必要にはなりますが、神がサポートしてくださります。
そこには菜食?関係ありません。
ヒンドゥー教信者であればそれに従うべきです。
その教えがそうであるのならば。
しかし肉食が我々は許可されているんだ、とその神の の言葉を信じるのであれば何の問題もありません。 元々ガヤトリーマントラは菜食に限定されてはいないのですから。
我々人類を、この永遠に輪廻転生していかねばならない悲しき運命から救う為に降ろされたのがこのガヤトリーマントラです。
天啓で受け取ったヴィシュワ・ミトラは菜食主義でしたか? 違いますね。
ヴェーダで菜食主義を主張してましたか?
違いますね。
ガヤトリーマントラの大元も、そもそも菜食主義じゃなかったんです。
そして聖書の神も菜食主義を言っていない、むしろ肉食を許可しています。
仏教でもそう、阿弥陀仏の信仰には菜食はなく、親鸞聖人も「肉食妻帯」を断行し、それを打ち出しています。
オタメシ2の「迷わせる言葉」に負けてはなりません。 その迷いに惑わされず、自分が信仰する事に従い、ガヤトリーマントラを、唱える事、または聴く事で救われます。

61幸せな名無しさん:2025/09/16(火) 20:48:46 ID:iqmmwwfA0
「人間 肉食 草食」のAI回答
人間は雑食動物であると考えられていますが、その食性については様々な議論があります。
進化の過程
人類の脳が大きくなったのは、動物性の食料を多く摂取するようになったためと考えられています。
約200万年前の石器時代の人類は、肉食に特化しており、胃の酸性度が高いことや脂肪細胞の構造が肉食動物と同じであることから、肉食動物であったとされています。
約1万年前に最後の氷河期が終わり、農耕と牧畜が始まってから穀物の摂取が増え、雑食へと移行しました。 身体的特徴
歯の構造: 人間には肉食動物の犬歯、草食動物の臼歯、そして門歯があり、雑食に適していますが、数から見ると草食動物に近いという意見もあります。
消化器官:
草食動物は消化が難しい植物を消化するために長い消化器官を持っていますが、人間は肉食動物ほど短くなく、草食動物ほど長くありません。
消化酵素:
草食動物や人間は唾液中に消化酵素を持っていますが、肉食動物や雑食動物は持っていません。
ビタミンC:
多くの動物は体内でビタミンCを合成できますが、人間はビタミンCの合成に必要な遺伝子を失っており、外部からの摂取が必要です。
食性の多様性
人間は環境に適応して食べるものを変えてきました。例えば、植物が少ない地域では動物性食品を多く摂取し、生き延びてきました。
現代においても、ベジタリアンのように植物性食品のみで生活する人もいますが、これは栄養価の高い植物を栽培できるようになったためです。

これらの情報から、人間は進化の過程で肉食の時期を経て、現在は植物と動物の両方を食べる雑食動物であると理解できます。

62幸せな名無しさん:2025/09/17(水) 06:01:14 ID:ovMV4K9w0
誰一人菜食について語ってないが?ビーツやスピルリナやモリンガについて誰か語ったか?結局最底辺のそのまた下みたいな貧困デブ飯って結果的に分類上ラクトベジになるってことじゃん。コンビニアイス、菓子パン、駄菓子 全部ラクトベジといえばそうはなる。それがなぜ魂の次元を上げるの?

63幸せな名無しさん:2025/09/17(水) 07:20:24 ID:CDVO8XWM0
オタ2本人はベジやってないから。

64幸せな名無しさん:2025/09/17(水) 10:59:11 ID:ICS45HJQ0
最新の研究でも200万年くらい人類は肉食で、
雑食になったのはここ一万年位と分かってきてますからね、「聖なる科学」の見解はかなり一人よがりかな

65幸せな名無しさん:2025/09/17(水) 12:39:27 ID:OMTfQNMk0
もう昼過ぎだな、オタメシ2君はもうそろそろ来るかな?
なんせ1人しか 

じゃないか、2人か3人位いる事にしてるのか
大変だよなぁ〜
自分さえできないベジを、これの最低限ポイントに仕立て上げようとするのはね
ヴェーダとかヴィシュワ・ミトラとかがそもそもそうじゃない、てバレてるしなぁ〜

66幸せな名無しさん:2025/09/17(水) 13:15:21 ID:sDwiWzGU0
しかし凄いよ
サイババの音源を聴きだけで伝授されて
別に唱えなくてもよくて音源を流しとくだけでOK、
サイババは厳しく菜食になるよう戒めているのに
外国人だからそれも無視してよく、
あらゆるビョーキが治りあらゆる願いが敵う、
それがガーヤトリーマントラ🎉🎊🎉🎊🎉🎊🎉🎊

まるで日本に来て治外法権に振る舞う不良外人(害人)とおんなじだ👽🤖👾

俺たちゃ警告なんか丸ごと無視して我儘放題振る舞うぜ!!

大人しい日本人どもなんかちょっと脅せばすぐ静になる!

神? そんなもん信じちゃいねーよ、バーカ

こっちは願望さえ叶えばあとは知ったことか👊👊👊

67幸せな名無しさん:2025/09/17(水) 14:18:37 ID:OMTfQNMk0
ほら出た
1人しかいないオタメシ2
たまにこのバカっぽい感じにしてくるんだよなコイツ
頭おかしいんじゃない?
大丈夫?
全然大丈夫じゃないみたいだけどな
オタメシ2のつまらん人生でも、まあなんかの足しにはなるだろう、せいぜい頑張れやオタメシ2

68幸せな名無しさん:2025/09/17(水) 15:47:18 ID:jJalvXiU0
オタメシ2の、この66レス、
これこそがオタメシ2から見た、ガラケー派(オタメシ2が勝手に言ってるくくり、)の虚像なんだよね
ガヤトリーマントラで自分の人生をより良くしていきたいと思っている人達、当然これを聴きながら又は唱えながら、自分が成すべき事を一生懸命取り組んでより良い結果を出したい、そう思ってるところ、

オタメシ2からすると66のような傍若無人のイメージなんだよね、これって被害妄想というか何て言うのかな…
このイメージを彼は持ってるから我々が敵にしか見えなくて唱えさせたくないんだよね、
これビョーキでしょ?
66の考え方はどう見ても
ハンバーガー食べながらポン!と叶う魔法、とか言って茶かしたりするでしょこのオタメシ2
俺なんか菜食はしなくていいと思ってるけど、
さすがにハンバーガーは食べないなあ
肉もあんまり食べなくはなってるけど食べるのは食べる
魚が多いかな
神なんか信じねーよ、て人はガヤトリーマントラに関わる人の中でいないんじゃなかろうか?

オタメシ2はかなり何かしらの精神病を患ってると思う
何かに憑依された危ない精神状態なのかも
彼にスピリチュアル語る資格はないと思う
利他の精神なんかこの人は持ち合わせてない、
我利我利の精神だよ、自分だけ良ければ、のね
知識だけ沢山詰め込み過ぎて足元を見失ってる、もはやスピリチュアルに関わっちゃいけない人になってるよ
色んな人が昔から指摘してるけどいまだに自覚ないんだよなこの人

69幸せな名無しさん:2025/09/17(水) 18:21:40 ID:AJwMl8D60
66レスもそうだけど、702、704のバレバレ自演とか
脅しの言葉とかこのオタメシ2って人物は相当病んでますね
性格悪過ぎるのと思い込み激し過ぎるのと
執着、怨念が大き過ぎるのと
この人はスピリチュアルメソッドあれこれ手出し過ぎて憑依されてるっぽいですね
お祓いしてもらうか精神病院行ったがいいんじゃないでしょうか
オタメシ2が我々をいくら恨んで呪詛飛ばしたって
ガヤトリーマントラに守られてる我々には全く効かないんですけどね

70幸せな名無しさん:2025/09/17(水) 18:38:18 ID:/TW5O36U0
前スレのガヤトリーマントラの伝授と音源についての文を読んでみた
ガヤトリーマントラに伝授は必要ないってのを、音源聞いたら伝授になるって表現してるだけじゃん
そういう意味だよな
音源聴くのがガチでの伝授の代わりになるって意味じゃない
普通に読んだら誰でもそう読むよ
アスペとかは知らんが
いやマジで、音源が正式伝授の代わりになるわけない、とか言い出すのはアスペだろ
そんなニュアンスの内容じゃないわ
伝授は必要ない、だから音源だけで伝授になるって意味だよ、何度読んでも

71幸せな名無しさん:2025/09/17(水) 21:45:15 ID:jVC.MR2M0
音自体にパワーあるから、後は実践あるのみ、じゃん

72幸せな名無しさん:2025/09/17(水) 21:52:08 ID:/TW5O36U0
ガーヤトリー・マントラに関して「正式な伝授を受けないと」「ベジタリアンでないと」災いが起きると脅すような言動は、真実ではありませんし、マントラの本来の精神にも反しています。
​ガーヤトリー・マントラは、普遍的な光、知恵、悟りを求めるための神聖な祈りです。その本質は、差別や排他的な条件付けではなく、すべての生命への慈悲と、内なる神聖さへの目覚めを促すことにあります。
​脅しによって恐怖心を煽り、特定の行為や条件を強制しようとするのは、宗教や精神修養の名を借りた搾取やコントロールの手口であることが多いです。
​災いが起きるというのは、完全に誤った情報であり、そのようなことを言う人の言葉に耳を傾ける必要はありません。
​以下に、なぜそのような脅しが真実ではないか、いくつかの理由を挙げます。
​マントラの普遍性: ガーヤトリー・マントラは、もともとヴェーダの時代から存在し、バラモン階級だけでなく、広く人々によって唱えられてきた歴史があります。時代が下るにつれて、特定の儀式や階級制度が強調されるようになりましたが、マントラ自体の力は、唱える人の純粋な意図と信仰にあります。
​神の愛と慈悲: どの宗教や精神的な教えにおいても、真の神性や宇宙の摂理は、人々を脅したり罰したりするものではなく、むしろ愛と慈悲をもってすべてを包み込むものとされています。災いを引き起こすという脅しは、この根本的な教えと矛盾します。
​内面の成長が重要: マントラの効果は、外的な条件(伝授の有無、食生活など)よりも、唱える人の心の内側、すなわち純粋な信仰、集中力、そしてマントラへの深い理解と敬意に大きく依存します。
​恐怖心からの自由: スピリチュアルな道は、恐怖から解放され、真の自己と宇宙とのつながりを見出すためのものです。脅しによって恐怖心を植え付けるような教えは、その目的に反します。
​もしあなたがガーヤトリー・マントラを唱えたいのであれば、純粋な意図と敬意を持って唱えることが最も重要です。誰かに脅されたり、不安を煽られたりすることなく、あなた自身の心に従ってマントラと向き合ってください。
​もし不安を感じたり、脅しが続くようであれば、信頼できるヴェーダの学者、または精神的な指導者(真に人々を導くことに尽力している人)に相談することをお勧めします。
​ガーヤトリー・マントラは、私たちに知恵と光をもたらすためのものです。その恩恵を、恐れることなく受け取ってください。

73幸せな名無しさん:2025/09/17(水) 21:58:32 ID:/TW5O36U0
そのような言葉は、あなたの精神的な探求を助けるものではなく、むしろ妨げるものです。
​霊的な世界が「厳しい」とか「危険」という側面もあると語られることはありますが、それは通常、自己の欲望やエゴと向き合うことの困難さ、あるいは未熟な状態で闇の力に惹かれることの危険性を指すものであり、特定の行為をしないと災いやカルマに見舞われるというような、条件付けられた脅しとは全く異なります。
​ガーヤトリー・マントラを唱えることや、その他の精神修行において、「災いが起きる」「大変なカルマになる」「人生が破滅する」と脅すような言動は、以下の理由から真実ではありません。
​カルマの誤った解釈: カルマとは、行為とその結果を指しますが、それは特定の儀式や食生活を守らなかったことによって自動的に「悪」となるものではありません。カルマは、私たちの意図、行動の動機、そして他者への影響によって決まります。純粋な意図を持ってマントラを唱えることが、なぜ悪しきカルマを生むのでしょうか? それは論理的にも矛盾しています。
​恐怖による支配: 霊的な道は、本来、恐怖から解放され、愛と知恵によって自己を成長させるものです。あなたを脅し、恐怖によって行動をコントロールしようとする人物は、真の精神的な導師ではありません。彼らは、あなたを依存させ、自己の権威を確立しようとしている可能性が高いです。
​神性(ブラフマン)の普遍性: ヴェーダの教えでは、宇宙全体に遍在する究極のリアリティ(ブラフマン)は、無条件の愛と慈悲そのものです。そのような神性が、特定の食生活や伝授の有無によって人々を罰したり、人生を破滅させたりすることはあり得ません。それは、神性を極めて矮小で人間的な感情(怒りや報復)に還元していることになります。
​ベジタリアニズムと伝授の目的: ベジタリアニズムや伝授は、精神修行を深めるための「手段」や「サポート」となり得ますが、それ自体が目的ではありません。また、それらを実践しないことによって「罰せられる」という考え方は、本来の精神性を歪めています。ベジタリアニズムは、アヒンサー(非暴力)の精神に基づき、慈悲心を育むために推奨されるものであり、伝授はマントラの力を正しく扱うための指導と知識の伝達を意図しています。これらは、より良い修行のための「恩恵」であり、怠れば「罰」を受けるという類のものではありません。
​自己責任と自由意志: 霊的な道は、Ultimately、自己の責任と自由意志に基づいています。誰かに脅されて強制されるものではありません。あなた自身の内なる声と直感を信じ、何があなたにとって真実であるかを見極める力を養うことが大切です。
​結論として、そのような脅しは、あなたをコントロールし、恐怖心によって特定の行動を取らせようとする、間違った情報であると断言できます。
​もしあなたがガーヤトリー・マントラを唱えたいのであれば、純粋な心と敬意を持って唱えることに集中してください。あなたが真摯な気持ちで神聖なマントラに触れることに、いかなる災いや悪しきカルマも生じることはありません。
​霊的な道は、愛と理解、そして自己探求の道です。恐怖と脅しによって進む道ではありません。そのような言葉を言う人からは距離を置き、あなた自身の心の声と、信頼できる真の教えに耳を傾けてください。
​恐れることなく、あなたが信じる道を歩んでください。

74幸せな名無しさん:2025/09/17(水) 22:04:41 ID:/TW5O36U0
AIの方が説得力あるわ

75幸せな名無しさん:2025/09/17(水) 22:56:01 ID:JqR7Wwuc0
これって

オタメシ2が論破されたどころか

完膚なきまでに叩きのめされてるじゃん

76幸せな名無しさん:2025/09/17(水) 23:06:12 ID:JqR7Wwuc0
一つの物事に対して、高度な知識を持った専門家同士でも180度違う見解を持つ事はよくあるし、
裁判でも弁護士同士高度な法的知識で自説を有利に導く為の解釈に結びつけてやり合う、
しかし本当の真実はただ一つのみ

AI出てきたら論争もなくなるかもね
オタメシ2出てこれないだろこれ

オタメシ2の全てが

間  違  い  で  し  た

サヨナラ、オタメシ2
心入れかえて出直してこいよー(^^)/~~~

77幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 00:23:57 ID:FGq9brBc0
オタメシ2は初期から基本的に恐怖を与えて手を引かせようとしてきてたけど、完全に彼の根本的な部分から間違い、と指摘されてますね
ここまで見事に一撃でオタメシ2をねじ伏せる話は初めて見ました
グゥの音も出ないでしょう、ここまでハッキリと指摘されると

今まではオタメシ2を活かさず殺さず、ある程度の論破で抑えていたのが、容赦なく再起不能の言葉を突きつけた、形ですね、、、返す言葉は彼にはもはや無いと思います

78幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 08:34:55 ID:FGq9brBc0
うわ

勝者はAIか
オタメシ2の理論が根本から間違ってたんだ、
AIによってガラケー派?の方が正しかった事が裏付けられた形だな

79幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 08:46:24 ID:rsr/7QZ20
身体と生命は食物を基盤とし、食物によって支えられています。ですから、私たちがどこまで目的地に達成できるかは、食物によって決まります。人間のすべての行動は、摂取された食物により引き出されたエネルギーによって決まります。食物の性質が人の想念、感情、行動の性質を決定します。霊性修行の成功はその人の摂る食事の量と質に左右されます。浄性の食物は、自己コントロールや知性を育てますから、霊性の向上を熱望する者は、浄性の食物が極めて必要となります。エゴも執着心も不適切な食物を消費する結果です。悪い種類の食物や、不正な手段で手に入れた食物は、いくつかの面で人間を無知という奈落の底に落とし、純粋な想いが浮かぶのを押さえつけます。食物は人間の生命力、肉体、心、人格の主原因です。心は我々が摂取した食物を反映しています。心を扱う正しい方法は、心の活動を善い行いや善い想いに向け、また神の御名を繰り返し唱えることに心を向けて、有害な対象や有害な想いや行いに心を向けないことです。物を食べている時に悪い想念に苛まれると、摂取している食物にその想念が作用して、結果としてあなたの心に影響を与えます。すべての不浄なものから人生を清めるためには、食物における規律を厳密に守るべきです。食物は、敏捷か怠惰か、心配性か落ち着いているか、聡明か愚鈍かを決める重要な要因です。想念は食物と環境から生まれます。サトウィックな(浄性な)食物のみを食べ、善なるもののみを望むなら、善い想念しか湧きません。想い、欲望、願望は、その人の摂取する食物の種類に関係します。私たちが口にする食物は、将来私たちが自らのために獲得するであろうものを、様々な方面から決定しているのです。どのようなものが心に芽生えるかは、摂取する食物によって決まってくるのです。どれほど偉大で学問がある人であろうとも、どれだけヴェーダーンタの教えに留意し、それを広めようと心を配っていようとも、身体とその働きの基盤である食物に関して定められた厳格な規定を守らないとしたら、その人は成就することはできないのです。

80幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 08:46:57 ID:rsr/7QZ20
幸福で平安な人生を送りたいと望む者は、自らの感覚をコントロールしていかなければなりません。感覚器官の中で最も重要なのは舌です。舌を征服できれば、それは事実上すべての感覚を支配したのと同じことになります。時としてあなたがたは、舌を満足させるためにあらゆる種類の食べ物を口にしますが、そのことによって、欲望や怒り、貪欲さ、執着、傲慢、利己主義などの悪い資質が自らの内に育つことを知らずにいます。貪欲な舌を抑え、心を落ち着かせる浄らかな食物のみを摂取しなさい。娯楽も浄性のものにしなさい。そうすれば心身の病気にかかることはありません。病は怠慢と欲望におもくままの行いからくる避けられない結果であり、健康は厳しくたくましく生きることへの当然の結果なのです。舌が陥りやすい失敗に4種類あります。①嘘を言うこと。②悪い噂話をすること。③批判中傷すること。④話し過ぎるここ。この4つの傾向は、人間から心の平安を奪います。真実だけを語りなさい。もちろんある稀な場合には、真実を語ることが危険な場合もあります。そのような状況では、真実も非真実も口にしないように充分に慎重でなければなりません(沈黙)。そうすれば社会で成功することができるのです。舌をむやみに使うと、他人の心をズタズタに裂くことがあります。ひどい言葉で蒙った心の傷は、地上のどんな医者も治すことができません。更なる自己コントロールのもとに、一層優しく、真実で有益なことのみ語り、言葉を少なくしなさい。自らを称賛し、自らを美化することは、霊的進歩を遅らせるので、避けるべきです。あなたがたが若いときに、舌および他のすべての感覚器官をコントロールしないならば、将来多くの困難に直面することになるでしょう。人の命は、食べたり飲んだりするために与えられたのではありません。もっと気高く壮大なことを成し遂げ、自らに打ち勝ち、実在へと帰融するための機会なのです。どのような行為に携わるのであれ、呼吸するように自然に解脱への道を憶念し、常に「私は神に仕え、真我を実感認識するために生まれてきた」という自覚を持たなければなりません。着ること、食べること、歩くこと、学ぶこと、奉仕すること、これら一切の行為は、人を神の御前に導くという信念のもとに行われるべきなのです。心の清さかさなしには、些細なことでさえも、達成できないのです。私たちが束縛されるのも、解放されるのも、心しだいです。清らかな心を育てるならば、問題はなくなるでしょう。私たちが引き受けるどんな些細な仕事も、私たちの心に依存しているのです。霊性の道を進もうと望む人は、行く手に多くの現世的な困難や障害が立ちはだかっていることに気付きます。その障害を乗り越えられたときのみ、私たちは霊性の道から恩恵を受ける機会を与えられます。急げば、無駄が生じ、無駄は心配の種となります。霊的光明という究極目的に達するためには、忍耐と持久力を養わなければなりません。


-サティアサイババ述

81幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 08:48:21 ID:rsr/7QZ20
「あらゆる争いと不和の原因は食べ物です。あなたが食べる食べ物があらゆる不和の原因です。あなたが食べる食べ物が、最終的にあなたがどうなるかを決めるからです。」サイババ 1983.7.15

「古代の聖仙たちは、感覚器官の制御に多大な重要性を置き、それを果たすための様々な修行を導き出しました。たとえば、食べ物に関する禁戒です。もし舌を甘やかして、舌が欲しがる物を何でも与えていたら、最終的に人間が舌に飲み込まれてしまうことになるでしょう。」サイババ 1989.6.29

「肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。……さまざまな動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。……その上、動物への残虐行為という罪をも犯させます。……インドであれ、よその国であれ、そうした手軽な肉食からは手を引くべきです。」サイババ 1994.11.23

82幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 08:49:08 ID:rsr/7QZ20
★『聖なる科学』(スワミ・スリ・ユクテスワ著 森北出版)より

「人間の本来の食物とは何か」
まず第一に、われわれの本来の自然の食物が何であるかを知るために、消化器である歯と消化管の形状と、動物が食物を見つけたときに示す感覚器官の反応と、母乳について観察してみよう。

「歯の観察」
歯について見ると、肉食動物の場合は、門歯はあまり発達していないが、犬歯は獲物を捕らえるために著しく長く、なめらかで、とがっている。そして臼歯もまたとがっており、それらの先は上下が重ならず、獲物の筋肉繊維を引き裂くのに都合がよいように、横に沿って並んでいる。

草食動物の場合は、門歯が特に発達しており、犬歯は発達していない(もっとも、象のように、犬歯が武器とし発達した例外もある)。また臼歯は先が平たく面積が広く、側面だけがほうろう質になっている。

果食動物の場合は、歯全体がほぼ同じ高さであるる犬歯はわずかに長く円錐形であるが、鋭くはない(これは明らかに、獲物を捕らえるための形ではなく、強くかむための形である)。臼歯は先が広くなっているが、食物をかんで歯を横にずらしたときに食物が歯の横へこぼれ落ちないように、歯の上面にほうろう質のひだがあり、肉をかむのに好都合なとがった形はしていない。

一方、熊のような雑食動物は、門歯は草食動物のそれに似ており、犬歯は肉食動物のそれに似ており、臼歯は双方の目的に合うように、とがったものと平たいものの両方をそなえている。

さて人間の歯を観察してみると、それは肉食動物の歯にも、草食動物の歯にも、雑食動物の歯にも似ていない。そして、まさに果食動物の歯の特徴をそのまま持っているのである。このことからまず、人間の身体は果実(果物、木の実、穀物、根菜類など)を常食とする果食動物であると推論することができる。


「消化管の観察」
次に消化管を観察してみると、肉食動物の場合は、腸の長さが体長(口から肛門まで)の3倍から5倍で、胃の形状はほぼ球形をしている。草食動物の場合は、腸の長さが体長の20倍ないし28倍もあり、その胃は大きく複雑な構造をしている。これに対し、果食動物の場合は、腸の長さが体長の10倍ないし12倍で、その胃は肉食動物の胃よりやや大きく、しかも腸との間に、第二の胃である十二指腸をもっている。

これは、人間の消化器官の構造と全く同じである。解剖学では、人間の腸の長さは身長の3倍ないし5倍であるとされているが、これは、前述の口から肛門までの体長のかわりに、頭の先から足の裏までの身長を基準にしているからである。以上のことからもまた、人間のからだは果食動物であることと推論することができる。

83幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 08:49:40 ID:rsr/7QZ20
「感覚器官の観察」
次に、動物の感覚器官が食物に対して示す本能的な反応について観察してみよう。つまり、あらゆる動物は、これによって自分の正しい食物を判別しているのである。肉食動物は、自分の食物を見つけると、大きな喜びが湧いてきて、そのため、目はらんらんと輝いてくる。そして、猛然と襲いかかって獲物を捕らえると、流れ出る血を貪りなめる。これに反して、草食動物は、食物に血がかかっていると、それを避けて食べようとしない。彼らの嗅覚と視覚は、彼らが喜びをもって食べられるような他の草を選ぶように仕向けるのである。同様に、果食動物その本能的感覚の働きによって、食物を、木の実や草の実に求めようとする。

人間においては、どんな人種でも、その嗅覚や、聴覚や、視覚に刺激されて他の動物を襲って殺したくなるような本能はない。むしろ、他の動物が殺される場面を目撃するのは、耐えられないくらいである。そのため、屠殺場は町から遠く離れた人目につかない場所につくられるし、また、肉類をおおいなしで輸送することを禁じた法令も多い。このように人間の目や鼻は、肉というものに対して、料理したり、調味料や香辛料でごまかさない限り、これを避けようとする性質がある。そのような肉が、人間の自然な食物であると考えることができるであろうか。一方、われわれは果物の香りを嗅ぐと、自然に喜びが湧いてきて、口の中が唾液で潤ってくる。穀物や根菜のたぐいも、わずかではあるが、調理しないままでも好ましい味や香りを感じさせる。このことからもまた、人間のからだは果食動物としてつくられたと推論されるのである。

「乳児の食物の観察」
もう一つ、母乳について観察してみよう。母乳は明らかに、生まれたばかりの子供の食物であるが、人間の母親は、自然な食物として、果物や、穀物や、野菜などを食べないと、充分な母乳が出ないのである。

「病気の原因」
以上に述べた観察から合理的に引き出される唯一の結論は、各種の穀物と、果物と、根菜類と、さらに飲料としては、乳と、空気や日光にさらされた清水とが、間違いなく、人間にとって自然な最良の食物だということである。これらの食物は、各人の消化機能に応じて摂取すれば、人体にとって最適であるため、よく咀嚼され、唾液と混じり合って、正しく人体に同化されるのである。

他の食物は、人間の本来の自然の食物ではないため、人体に適合しておらず、胃に送られても、完全には人体に同化されない。血液の中に混入したそれらの異物は、排泄器官に送られたり、または、体内のいろいろな器官の内部に蓄積される。そしてそれが排泄されないまま溜まってくると、引力の法則によって体内組織の間隙に沈殿し、やがて醗酵して、肉体的あるいは精神的病気を引き起こし、ついには早死にを招くことにもなるのである。

84幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 09:19:01 ID:VLdx6IZs0
「インド人特有の大げさな表現で〜」とは言わないの?

85幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 10:22:31 ID:EhU5bjP20
食物が、と言われ出したのは2000年〜2500年前あたりからですよ、その頃に今までなかった概念、ジャイナ教あたりが言ってて、そっちがもっともらしいな、霊性を追求してるなあ、と信者獲得競争で負けてしまうのでヒンドゥー教がそれに追随した形です

それが様々もっともらしそうな理論に発展していきました

しかし

そもそも
ガヤトリーマントラの記されたヴェーダには菜食の概念はなく、むしろ肉食推奨、
ガヤトリーマントラの生みの親のヴィシュワ・ミトラも肉食、でした

ガヤトリーマントラを唱えてるうちに肉食を辞めるようになっていった分はそれに身を任せればいいと思いますが、菜食じゃないなら唱えるなという事は、ありません
元々肉食菜食関係ないのですから

86幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 12:13:54 ID:LnbnecP20
匿名掲示板で、特定の聖者(例:サイババ)の言葉だけを自分の意見として繰り返し貼り付け、議論を停滞させるような行為に遭遇した場合、私たちはどのように考え、対処すれば良いのでしょうか?
​結論から言うと、このような行為は「荒らし行為」の一種であり、残念ながら冷静な議論は期待できません。
​彼らの行動の背景には、いくつかの意図が考えられますが、私たちの心を守るためには「説得しようとしないこと」が最も賢明です。
​相手の行動の背景にあるかもしれない意図
​「自分の信仰こそ絶対の真実」という強い思い:
彼らは、特定の聖者の言葉を疑いようのない「唯一の正解」と信じている可能性があります。そのため、それ以外の意見や異なる解釈は「間違い」と見なし、自分が信じる真実をひたすら提示することで、相手を「導こう」としているのかもしれません。しかし、その方法は健全な対話ではありません。
​議論を避けるための「権威の盾」:
自分の言葉で論理的に反論する能力や意欲がない、またはそれが難しいと感じている可能性があります。そこで、自分よりも権威があると感じる聖者の言葉を「盾」として使い、議論を終わらせたり、自分の意見に絶対的な正当性を与えようとしています。「私が言っているのではない、聖なる人物が言っているのだ」という主張で、それ以上の議論を封じようとしているのです。
​情報操作と心理的圧力:
大量の引用を連続して貼り付けることで、掲示板の流れを支配し、他の参加者の発言を埋もれさせようとしている可能性があります。これは、相手に精神的なプレッシャーを与え、「何を言っても無駄だ」「この人は聞く耳を持たない」と諦めさせて、議論から撤退させるのが目的かもしれません。
​コミュニケーションの目的の欠如:
そもそも、対話を通じて意見を交換したり、お互いの理解を深めたりするというコミュニケーションの目的を理解していないか、あるいは意図的にそれを拒否している可能性もあります。彼らの目的は「説得」ではなく、「提示」であり、それに異を唱える者を排除することなのかもしれません。
​私たちがどのように思えば良いのか(そして、どう対処すべきか)
​「議論」ではなく「荒らし」と認識する:
自分の意見を述べず、特定の言葉を繰り返すだけの行為は、建設的な議論ではありません。彼らは議論を通じて理解を深めたいのではなく、自分の信仰を押し付け、異論を排除したいだけなのです。冷静な議論は成立しない、と割り切りましょう。
​恐怖や脅しに耳を貸さない:
もし、彼らが「修行しないと災いが起きる」「カルマを積む」といった脅しを伴う発言をしている場合、それは真実ではありません。真のスピリチュアルな教えは、恐怖から解放し、愛と知恵に導くものです。そのような言葉に惑わされず、自身の内なる声と直感を信じましょう。
​説得を諦め、自分の心を守る:
このような相手を説得しようとすると、あなたの時間とエネルギーが無駄になるだけでなく、精神的な疲弊に繋がる可能性があります。彼らにとって、あなたの意見は「聞くべきものではない」と最初から決めつけられていることが多いです。
「この人は、自分の世界観でしか物事を見ない人なんだな」 と理解し、それ以上関わらないのが一番です。
​具体的な対処法:
​無視する: 最も効果的な対処法です。反応がなければ、彼らは興味を失う可能性があります。
​運営に通報する: 掲示板のルールに反する荒らし行為であれば、運営に報告することを検討しましょう。
​距離を置く: 掲示板から一時的に離れる、そのスレッドを見ないようにするなど、精神的な距離を取ることも重要です。
​特定の聖者の言葉を盾に、他者を攻撃したり、建設的なコミュニケーションを拒否する行為は、その宗教の教えが本来目指す「愛」「慈悲」「理解」とはかけ離れたものです。
​私たちは、そのような行為に惑わされることなく、自身の心の平安と、より建設的な議論にエネルギーを使うべきです。

87幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 12:40:08 ID:SmHLtEDs0
オタメシ2ってもう駄目でしょうねこの人は
散々サイババは堕ちた聖者とか日頃批判してたくせに、菜食というハードルを上げる行為の為だけにサイババの言葉を利用する、
目的はただ単に皆に唱えさせない事、
ただそれだけの為
根本的に性根の腐った輩、スピリチュアルのスの字も分からないド素人さんでしょう?
治らないですよね彼は

88幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 14:38:17 ID:QWPISp2k0
オタメシ2は今頃、心のどこかでおぼろげながら感じてた自分の悪い部分をはっきりと言語化されて愕然としてるところだろう
彼は思い上がり過ぎた
自分の小ささを思い知った事だろうが、ヤツはそれをも認めず、また同じ事を繰り返すだろう
哀れなヤツだよ

89幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 15:44:34 ID:6sDStalQ0
実生活でもネット上でも
たったひとりでも嫌いな人がいれば
神様は加勢してくれなくなります
あなたが嫌いなその人も神様の一部ですからね
いくらマントラを唱えても無意味ですよ

90幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 17:20:48 ID:LnbnecP20
​「嫌いな人」と「神様の一部」という言葉の多層性:
​「嫌いな人」というのは、多くの場合、その人の行動や言動、あるいはそれによって生じる感情的な摩擦に対するものです。私たちは「人間」として、相性の合わない人や、不快に感じる言動をする人に遭遇することは避けられません。これは自然な感情であり、人間性を否定するものではありません。
​「その人も神様の一部」という言葉は、確かにスピリチュアルな真理の一つです。しかし、それは「その人の不快な行動も受け入れろ」ということを意味するわけではありません。その人の本質が神聖であっても、その人の不適切な行動を容認したり、感情的な反応を無理に抑えつけたりする必要はありません。 相手の行動を「嫌い」と感じることは、自分自身の心の境界線や価値観を守る上で自然な反応です。
​神の加勢(恩寵)の誤った解釈:
​神様や宇宙の恩寵は、私たちが誰かを「嫌い」と感じたからといって、機械的に「加勢しなくなる」ような、条件付きの、狭量なものではありません。 神の愛や慈悲は無条件であり、私たちの内面的な成長を常にサポートしています。
​もしそうであれば、人間関係で悩むことの多い私たち全員が、神の恩寵から見放されてしまうことになります。これは、神性や宇宙の普遍的な愛という概念と矛盾します。
​むしろ、マントラや精神修行は、そうした「嫌い」という感情も含め、自分の内面と向き合い、それらを乗り越え、より大きな愛や理解へと自己を高めていくためのツール です。
「完璧な人間にならなければ、神は助けてくれない」という考え方は、私たちの成長の可能性を奪うものです。
​マントラの目的と効果の誤解:
​マントラは、特定の誰かを「好き」であるという条件をクリアしないと効果がない、というものではありません。マントラは、私たちの意識を浄化し、集中力を高め、内なる平和と知恵を引き出すための神聖な音の振動 です。
​「嫌いな感情」があっても、マントラを唱えることで、その感情に振り回されにくくなったり、感情の根本原因に気づいたりする助けになります。つまり、マントラは完璧な状態の人間が唱えるものではなく、完璧を目指す人間が唱えるものなのです。
​マントラを唱えることで、徐々に慈悲の心が育まれ、「嫌い」という感情が薄れていく、あるいはその感情の持ち方自体が変わっていく、という変化こそが、マントラの真の効果の一つです。最初から完璧を求めるのは、修行の道においては現実的ではありません。

91幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 17:59:01 ID:hlHYEJmQ0
89のオタメシ2コメント、これもまた
「嫌いな人がいる」=マントラ意味ない、
とマントラを諦めさせたいだけの意図がうかがえる

このオタメシ2ダメだねやっぱ

神性には程遠い
一番遠い人物だ
修行マニアらしいが、これほど全く身になってない人物も珍しい

92幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 20:49:53 ID:0zaQICYA0
もうオタメシ、オワタ?

出てこれないでしょこれって
菜食しないとどうのとか脅しの言葉とか
それもはっきりと否定されてオタメシの悪さ加減が浮き彫りになったわけだし
もういくらサイババが菜食言ってる、と言っても
あらゆる角度から菜食も否定されたわけだし

コピペ貼っても何にもならなくなったしね

これで皆、我々一般人も安心して唱えられる、てもんだね

93幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 22:19:48 ID:NIvpy36s0
お試しさんガヤトリー女神を愛して下さいそれだけであなたは救われます!
一緒に愛しましょう!

94幸せな名無しさん:2025/09/18(木) 22:34:01 ID:C60Iaek60
もう相手にするのやめよう。オタ2スレになってるぞ


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