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ガーヤトリーマントラ(ガヤトリーマントラ)を語るスレ21
26
:
幸せな名無しさん
:2025/09/15(月) 16:30:25 ID:QA1VqNuo0
ヴィーガンやってた時なんか、乳製品少し飲んだら下痢
卵なんて食おうとも思わない
果物だけで何日も過ごしてたりした、りんご1個とか
ラクトベジ程度で、そんなに修行してますアピールして、他の奴らを見下してもさ
ちなみに俺は引きこもりじゃないぞ
サラリーマンも普通にやってたわ
27
:
幸せな名無しさん
:2025/09/15(月) 16:32:52 ID:gXPdyKd60
前スレ948の再掲 やっぱこれでしょ
菜食しないのであれば崖から落ちてしまう、 そんな事はありませんから、大丈夫です。
サイババの言葉を借りれば
「神の讃歌は、どのような信仰に基き、どこの言葉で歌ってもよい。
各々は、自分の伝統、自分の言葉で、神を賛美するようにしなさい」
「ガーヤトリーマントラは、男性でも女性でも、どの信仰をもつ人でも、どの国のどの地域の人でも、どの地域においても熱心に唱えていい祈りの言葉だ。このマントラを唱えることで、知性が発達する」
と言っているように。
ここで言う「信仰」とは、神の言葉を信じる事です。 つまり、菜食ではなく、動物の肉を食べて良いと神が許可した、これを信じるのであれば、その信仰のままでガヤトリーマントラを唱えて良い、という事です。
聖書の神は、
「生きて動いているものはみな、あなたがたの食物となる。緑の草と同じように、そのすべてのものを、今、あなたがたに与える」 (創世記 9:3)
動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。 創9:3
と言われています。 その、神の言葉を信じる事こそ「信仰」です。
肉食してよい、その神の言葉を信じるのであれば何も問題なく、ガヤトリーマントラを唱えて良いのです。 ガヤトリーマントラはヴェーダに記載され、遺されました。
そのヴェーダは菜食ではなく、肉食推奨です、 ガヤトリーマントラを天啓で受け取ったヴィシュワ・ミトラも肉食。
何の問題がありましょうか?
「菜食主義」を打ち出したのはジャイナ教や仏教の一宗派でそれにヒンドゥー教が迎合した後出しの形でそれに染まった様なものです。
菜食は 理論的にはスピリチュアル的ですね、いかにも霊性進化には最適の様な感じがします。
しかしもしそれが真理であれば人類は肉食する事なく菜食で太古の昔から今に至るまで菜食できているのではないでしょうか?
ヒンドゥー教で確立された菜食主義、(他宗教の受け売りですが)一見そこだけ見るとそれが真理の様に見えます。 安倍さんも青山さんも菜食じゃないと、と言っている、 それが真理だと。
しかしそれはヒンドゥー教が途中路線変更した時の名残りであって、それを神の言葉として信じる、それもありでしょう。
しかし元々のガヤトリーマントラ は菜食に限定していません。
ヴェーダもヴィシュワ・ミトラも菜食は言っていません。
「崖から落ちる」 という脅しの言葉はこのオタメシ2自身が吐いた、彼自身が大きなカルマを負う不適切な言葉に他なりません。
オタメシ2、この方は大きな負のカルマを背負う事でしょう。
サイババの言葉を借りれば
「ガヤトリーマントラの音にはマントラの意味と同じくらい価値があります」
という事です。 音自体に大きな価値があります。
そこには菜食か肉食かなんて関係ありません、 オタメシ派は昔から「マントラ自体に何の意味もない」と主張してきました。
それ自体が間違いなのです。
このマントラの音自体が大きなパワーになっています。 ガヤトリーマントラの24音節には人体の様々な部位に働きかける大きなパワーがあります。
そしてこの音の組み合わせ自体が宇宙と繋がる、神と繋がるパスワードになっています。
だから誰がこれを唱えても神へと繋がります。
これを唱える、聴いていくと神が最善を実現してくださります。
当然自分自身の努力も必要にはなりますが、神がサポートしてくださります。
そこには菜食?関係ありません。
ヒンドゥー教信者であればそれに従うべきです。
その教えがそうであるのならば。
しかし肉食が我々は許可されているんだ、とその神の の言葉を信じるのであれば何の問題もありません。 元々ガヤトリーマントラは菜食に限定されてはいないのですから。
我々人類を、この永遠に輪廻転生していかねばならない悲しき運命から救う為に降ろされたのがこのガヤトリーマントラです。
天啓で受け取ったヴィシュワ・ミトラは菜食主義でしたか? 違いますね。
ヴェーダで菜食主義を主張してましたか? 違いますね。
ガヤトリーマントラの大元も、そもそも菜食主義じゃなかったんです。
そして聖書の神も菜食主義を言っていない、むしろ肉食を許可しています。
仏教でもそう、阿弥陀仏の信仰には菜食はなく、親鸞聖人も「肉食妻帯」を断行し、それを打ち出しています。
オタメシ2の「迷わせる言葉」に負けてはなりません。 その迷いに惑わされず、自分が信仰する事に従い、ガヤトリーマントラを、唱える事、または聴く事で救われます。
28
:
幸せな名無しさん
:2025/09/15(月) 16:34:16 ID:QA1VqNuo0
確かに楽して魔法の杖みたいなのを探してるスピ難民も多い
ガヤトリーマントラもそういう人が昔は多かったかもな
でも皆がそうじゃない
ベジなんてやらなくても立派にガヤトリーマントラ唱えてる波動の高い人たちも多い
ベジで線引きなんかできないよ
29
:
幸せな名無しさん
:2025/09/15(月) 21:22:17 ID:W60.Mmv60
おそらくオタメシ2は攻めあぐねてるから、攻撃材料集めとしばしの休息でしばらく来ないかもな
1日2日ゆっくり休みな
また来いよ〜
30
:
幸せな名無しさん
:2025/09/15(月) 22:00:24 ID:f/meTON.0
>>28
何の意図もなくただの質問なのですが、
菜食やってた時ってメンタルどんな感じでした?
肉食べてた時より落ち着いたり、瞑想捗ったりします?
31
:
幸せな名無しさん
:2025/09/15(月) 22:33:09 ID:QA1VqNuo0
>>30
性欲がなくなる
その程度
32
:
幸せな名無しさん
:2025/09/15(月) 22:38:35 ID:QA1VqNuo0
俺の場合、肉魚乳製品卵動物エキス魚介エキスを完全に避けてた
菜食は穏やかになったりする気もしたが、何年も続けてると体調を崩すんだよ
筋肉も少なくなる
筋トレすればいいんだろうけど
ベジの利点は性欲が少なくなることぐらいかな
睡眠時間が短くなったり
でも野菜を沢山食べないと持たないよ
33
:
幸せな名無しさん
:2025/09/15(月) 22:43:37 ID:QA1VqNuo0
ま、ラクトベジは知らんが、ベジは難しいよ
日本は鰹節とかいろんなものに使ってるので外食はまずできなくなる
食べた瞬間にわかるけどな
俺は5年ぐらいやってバカバカしくなってやめたわ
こんなことになんの意味があるんだか
動物愛護とかの人はわかるんだけどね
瞑想のために菜食にしたところで、そんな程度のことで大して変わらない
それよりも人の悪口を言わないとか、傷つけないとかの修行の方が効果があると思うぜ
徹底的にやるのは難しいからな
34
:
幸せな名無しさん
:2025/09/15(月) 23:55:06 ID:f/meTON.0
>>33
詳細にありがとうございます。
参考にします。
35
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 01:49:31 ID:eBSgfnW.0
前スレの再掲
某サイトの、別マントラの事でのやり取り見つけました
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は、スプラバタムと共にヴィシュヌ・サハスラナーマを朝のルーチンの一部として聞くようにしています。 日中に非ベジタリアンの食事を摂るのは大丈夫ですか?
TIA sadhaka19850903 • 1 年前 ベジとかノンベジとか、そんなの関係ないよ。だって、あれは結局、アダルマの側に立った男が戦場で初めて唱えたんだから。ナルカとかパーパとか、そんなものはないんだよ。伝統主義者たちにビビらされないでね。必要なのはバクティなんだ。パラマートマだって、バクティにはかなわないんだから。偉大なヴィシュヌ・サハスラナーマを、いつでも、どこでも、できるだけたくさん聴きなよ。世界で一番すごいことなんだから。誰の許可もいらないんだよ。
Disastrous-Package62 • 1 年前 上位 1% のコメント投稿者 唱える前に風呂入っとけ。別に肉食やめる必要はないよ。ヒンドゥー教では禁止されてないし。
ilovebeinganemic • 1 年前 はい、神様とあなたのつながりは個人的なもので、他人の命令を聞く必要はありません。
reply Blackrzx • 1 年前 ベジタリアンになる必要は何もありません。マハーバーラタ自体を読んでみれば、そこで明確になるでしょう。私たちは、サナータナ・ダルマがほとんど絶滅し、ヒンドゥー教がジャイナ教/仏教の信念のハイブリッドであるタイムラインに生きています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これ、ヒンドゥー教で菜食菜食言われてますがそれ自体いつの間にかインドスピリチュアル界の常識になってしまってて指導者の方々も菜食を言っておかないと、の流れが染み付いてしまってるだけで、聖典をよくよく読み込んでいけば、菜食やる必要は全くないのかもしれませんね インドで最も重要なバガヴァッド・ギーターは、菜食の目的である不殺生からの霊性進化だけどそれどころか殺し合いの物語ですからね
36
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 01:52:04 ID:eBSgfnW.0
前スレの再掲
和田
博士は、ベジタリアンで、ナチュラル志向だと思っていました。僕は、オーガニックや自然の食べ物を摂るように気をつけていますが、なかなかベジタリアンとまではいけません・・・。
ホーキンズ
ハッハッハ・・・でもある時期、やはり浄化の為に10年くらいベジタリアンの時期があったんだね。ある時レストランに行って、メニューをみました。それで、ベジタリアンだったら食べるものが無い。メニューの中には食べるものが無かった。それで、自分にこう言ったんだね。「どうして、肉を食べる事を心配するんだ。自分自身が肉じゃないか」 それで、心配するのを辞め、ベジタリアンを辞めた。でも、意識レベルには、全然影響はなかった。それは、全部思い過ごしにしか過ぎないわけです・・・笑。
和田: それは、自分の中のイメージがストーリーを作り、例えば「○○○は、駄目だ」とかルールを作っていって、それが、マインドレベルから体にも影響するとか、イメージしたものが形になっていくことで、それがアトラクターパターンになるのでしょうか?
ホーキンズ: それはビリーフシステム(信念体系)だね。ベジタリアンは、意識のマップでは、210のレベルになります。それは、肯定的なものだね。でも、根源的な影響っていうのはありません。その意図というのが問題なのです。それが反映して帰ってきます。高い意識レベルにいくと、全てに目的があって、カルマの目的というものを達成していきますね。 動物というのは人類に奉仕して生きます。自分たちの命を犠牲にして奉仕しています。そうする事によって、肯定的なカルマを得て、最終的には人間になっていきます。太古の経典だと思うんですが、たぶん、インドのギーターですね。900のレベルのギーターがありますが、それぞれのレベルが一緒になって、もっと進化した意識レベルのものになるということを比喩的に表しているものがあります。
37
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 02:00:34 ID:eBSgfnW.0
前スレの再掲 それぞれの意識レベル
ウパニシャッド、970
黄檗希運の教え、960
三位一体説、945
バガヴァッド・ギーター、910
ゾハールの書、905
ニカイア信条、895
ラムサ聖書(旧約聖書とヨハネの黙示録を除く。創世記・詩篇・箴言は含める)、880
ダンマパダ、840 ラーマーヤナ、810
達磨大師の教え、795
新約聖書(King James版ヨハネの黙示録を除く)790 般若心経、780
法華経、780
ヨーガ・スートラ、740
Cloud of Unknowing、705
リグ・ヴェーダ、705
金剛経、700
コーラン、700
ルカ福音書、699
トマス福音書、660
詩篇(ラムサ聖書)、650
老子の教え、610
カバラ、605
コース・イン・ミラクルズ(ワークブック)、600
コース・イン・ミラクルズ(テキストブック)、550
箴言(ラムサ聖書)、350
旧約聖書、190
ヨハネの黙示録、70
キリスト教 1世紀、980
使徒、905-990
第1ニカイア公会議前、840
第1ニカイア公会議後、485
カトリック、475-490
プロテスタント、510
仏教 大乗仏教、960
小乗仏教、890
禅、890
ヒンズー教 ギャーナ・ヨーガ、975
バクティ・ヨーガ、935
ラージャ・ヨーガ、935
カルマ・ヨーガ、915
クンダリニー・ヨーガ、510
クリヤ・ヨーガ、410
ハタ・ヨーガ、390
イスラム教 スーフィズム、700
スンニ派、255
シーア派、250
ワッハーブ派、30
ユダヤ教、545〜605
道教、500
ネイティブアメリカン、500
神道、350
意志、850
フェミニズム(男女同権)、320
救急救命士、290
マーフィーの法則、280
環境保護、260
ハタヨガ、260
菜食主義、205
人体、205
避妊、205
地球、200
人体冷凍保存、200
動物クローン、200
人間クローン、180
ボディピアス、180
一夫多妻(一妻多夫)、145
狂牛病、50
38
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 02:09:08 ID:eBSgfnW.0
この意識レベル調査で、菜食主義と、人体が全く変わりません
という事は菜食にする事で意識レベルが上がる等は無い、という事を意味します
そもそもガヤトリーマントラの生みの親、ヴィシュワ・ミトラが肉食でありながら願望実現のマントラとして活用していた事、ガヤトリーマントラが記されているヴェーダ聖典において菜食は打ち出されておらず、むしろ真逆の肉食推奨、が現実であるという点
そして気づいた人達の会話の中にある、マハーバーラタ等にも菜食は説かれていないという点、
以上から菜食が真理であるという事は言えない
こういう論理が成り立つと思われます
39
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 02:27:50 ID:eBSgfnW.0
ガヤトリーマントラはヴェーダの全てを含むと言われています
そのヴェーダではよくよく見ると肉食推奨である事が分かります
決して菜食推奨ではありません
菜食推奨は2000〜2500年程前のインドに遡りますが、
ジャイナ教や一部の仏教の宗派が打ち出した事が起点です
それ以前の聖典にはありません
菜食、これは殺生をしない、スピリチュアル的にはかなり理にかなった様ないかにもスピリチュアル的です
当然、これを打ち出している教団の方がもっともらしそうに見えます
当時のインドは信者獲得競争が激化してる最中です
出遅れたヒンドゥー教も当然それに乗って横並びになった方が得策です
真理を説いているかのように見えますから
なのでヒンドゥー教も菜食主義を打ち出しました
決めた戒律ですから、当然、信者にはその重要性が説かれます
そしてそれが真理であるかのように脈々と現代にまで続いていきます
しかし、ガヤトリーマントラの記されたヴェーダの実体は菜食主義ではなく、本当は肉食推奨です
この矛盾にはヒンドゥー教では触れられません
肉食推奨にしてしまうと当時のジャイナ教、仏教教団に信者を奪われてしまいますから
当然、その菜食をする事こそ真理だと教え込まれます
そういう信仰に変貌してます
宗教は人間の思惑、考え方の違いにより色んな形に変わっていきますから
そして定着した菜食主義こそ土台の様な風潮になっていきます
しかしそもそもガヤトリーマントラは菜食とは全く関係がないのが実情です
なのでオタメシ2が菜食をしないと、と脅してきたとしてもそれを真に受けない様にしましょう
ビビったりしない事です
元々のガヤトリーマントラは菜食とは関係ないのですから
ヒンドゥー教でのガヤトリーマントラ、で考えると当然、菜食主義が前提となってしまいます
しかし元々の普遍のマントラ、ヴェーダに記されたガヤトリーマントラは菜食は関係ありません
40
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 06:47:31 ID:m/EgYTx20
オタメシって人は真面目なのか知らんが、菜食程度のこともできないで何がマントラ修行だってことだよな
部活で、テニスコートさんに挨拶しろとか言ってた先生を思い出したわ
41
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 10:18:33 ID:dBLDSOkE0
人の顔色見て流行にのって、後付けで言い出した事が真理なはずないわな
ここ2000年位のうちに代々それで受け継がれてくるとそれが真理っぽく感じるんだろうけど
そしてそれが正しいという理由付けもたくさん考え出されるわな
でも元々それないし身体痩せ細るだけだぞ
42
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 12:19:45 ID:s8V8IS6Q0
だからラクトってなんだよ。菜ってなんだよ。まさか箱買いアイスクリームが冷凍庫にパンパンがラクト、極稀にコンビニでカット野菜が菜、じゃないだろうな。体痩せ細る?この人 は超肥満。
43
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 13:06:26 ID:G6xhjoMg0
★『聖なる科学』(スワミ・スリ・ユクテスワ著 森北出版)より
「人間の本来の食物とは何か」
まず第一に、われわれの本来の自然の食物が何であるかを知るために、消化器である歯と消化管の形状と、動物が食物を見つけたときに示す感覚器官の反応と、母乳について観察してみよう。
「歯の観察」
歯について見ると、肉食動物の場合は、門歯はあまり発達していないが、犬歯は獲物を捕らえるために著しく長く、なめらかで、とがっている。そして臼歯もまたとがっており、それらの先は上下が重ならず、獲物の筋肉繊維を引き裂くのに都合がよいように、横に沿って並んでいる。
草食動物の場合は、門歯が特に発達しており、犬歯は発達していない(もっとも、象のように、犬歯が武器とし発達した例外もある)。また臼歯は先が平たく面積が広く、側面だけがほうろう質になっている。
果食動物の場合は、歯全体がほぼ同じ高さであるる犬歯はわずかに長く円錐形であるが、鋭くはない(これは明らかに、獲物を捕らえるための形ではなく、強くかむための形である)。臼歯は先が広くなっているが、食物をかんで歯を横にずらしたときに食物が歯の横へこぼれ落ちないように、歯の上面にほうろう質のひだがあり、肉をかむのに好都合なとがった形はしていない。
一方、熊のような雑食動物は、門歯は草食動物のそれに似ており、犬歯は肉食動物のそれに似ており、臼歯は双方の目的に合うように、とがったものと平たいものの両方をそなえている。
さて人間の歯を観察してみると、それは肉食動物の歯にも、草食動物の歯にも、雑食動物の歯にも似ていない。そして、まさに果食動物の歯の特徴をそのまま持っているのである。このことからまず、人間の身体は果実(果物、木の実、穀物、根菜類など)を常食とする果食動物であると推論することができる。
「消化管の観察」
次に消化管を観察してみると、肉食動物の場合は、腸の長さが体長(口から肛門まで)の3倍から5倍で、胃の形状はほぼ球形をしている。草食動物の場合は、腸の長さが体長の20倍ないし28倍もあり、その胃は大きく複雑な構造をしている。これに対し、果食動物の場合は、腸の長さが体長の10倍ないし12倍で、その胃は肉食動物の胃よりやや大きく、しかも腸との間に、第二の胃である十二指腸をもっている。
これは、人間の消化器官の構造と全く同じである。解剖学では、人間の腸の長さは身長の3倍ないし5倍であるとされているが、これは、前述の口から肛門までの体長のかわりに、頭の先から足の裏までの身長を基準にしているからである。以上のことからもまた、人間のからだは果食動物であることと推論することができる。
44
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 13:06:56 ID:G6xhjoMg0
「感覚器官の観察」
次に、動物の感覚器官が食物に対して示す本能的な反応について観察してみよう。つまり、あらゆる動物は、これによって自分の正しい食物を判別しているのである。肉食動物は、自分の食物を見つけると、大きな喜びが湧いてきて、そのため、目はらんらんと輝いてくる。そして、猛然と襲いかかって獲物を捕らえると、流れ出る血を貪りなめる。これに反して、草食動物は、食物に血がかかっていると、それを避けて食べようとしない。彼らの嗅覚と視覚は、彼らが喜びをもって食べられるような他の草を選ぶように仕向けるのである。同様に、果食動物その本能的感覚の働きによって、食物を、木の実や草の実に求めようとする。
人間においては、どんな人種でも、その嗅覚や、聴覚や、視覚に刺激されて他の動物を襲って殺したくなるような本能はない。むしろ、他の動物が殺される場面を目撃するのは、耐えられないくらいである。そのため、屠殺場は町から遠く離れた人目につかない場所につくられるし、また、肉類をおおいなしで輸送することを禁じた法令も多い。このように人間の目や鼻は、肉というものに対して、料理したり、調味料や香辛料でごまかさない限り、これを避けようとする性質がある。そのような肉が、人間の自然な食物であると考えることができるであろうか。一方、われわれは果物の香りを嗅ぐと、自然に喜びが湧いてきて、口の中が唾液で潤ってくる。穀物や根菜のたぐいも、わずかではあるが、調理しないままでも好ましい味や香りを感じさせる。このことからもまた、人間のからだは果食動物としてつくられたと推論されるのである。
「乳児の食物の観察」
もう一つ、母乳について観察してみよう。母乳は明らかに、生まれたばかりの子供の食物であるが、人間の母親は、自然な食物として、果物や、穀物や、野菜などを食べないと、充分な母乳が出ないのである。
「病気の原因」
以上に述べた観察から合理的に引き出される唯一の結論は、各種の穀物と、果物と、根菜類と、さらに飲料としては、乳と、空気や日光にさらされた清水とが、間違いなく、人間にとって自然な最良の食物だということである。これらの食物は、各人の消化機能に応じて摂取すれば、人体にとって最適であるため、よく咀嚼され、唾液と混じり合って、正しく人体に同化されるのである。
他の食物は、人間の本来の自然の食物ではないため、人体に適合しておらず、胃に送られても、完全には人体に同化されない。血液の中に混入したそれらの異物は、排泄器官に送られたり、または、体内のいろいろな器官の内部に蓄積される。そしてそれが排泄されないまま溜まってくると、引力の法則によって体内組織の間隙に沈殿し、やがて醗酵して、肉体的あるいは精神的病気を引き起こし、ついには早死にを招くことにもなるのである。
45
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 13:08:44 ID:G6xhjoMg0
「あらゆる争いと不和の原因は食べ物です。あなたが食べる食べ物があらゆる不和の原因です。あなたが食べる食べ物が、最終的にあなたがどうなるかを決めるからです。」サイババ 1983.7.15
「古代の聖仙たちは、感覚器官の制御に多大な重要性を置き、それを果たすための様々な修行を導き出しました。たとえば、食べ物に関する禁戒です。もし舌を甘やかして、舌が欲しがる物を何でも与えていたら、最終的に人間が舌に飲み込まれてしまうことになるでしょう。」サイババ 1989.6.29
「肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。……さまざまな動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。……その上、動物への残虐行為という罪をも犯させます。……インドであれ、よその国であれ、そうした手軽な肉食からは手を引くべきです。」サイババ 1994.11.23
46
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 13:21:34 ID:Ia09pS3A0
受け売りばっかりで体験談無し
47
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 13:29:23 ID:atdgvaK.0
鶏肉や豚肉は食べても平気なのに、牛肉は食べると体調崩しやすいんだよな。
相性というか何かあるのかね
48
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 14:09:23 ID:dBLDSOkE0
やっとオタメシ2出てきたか笑
ほぼ丸一日出演なし、
そりゃあそうだわな、オタメシ2は複数いるんじゃなくて、たった1人しかいなくて自演で回すのが精一杯なんだから笑
いくら肉食禁忌を言ったってどうしようもないんだよ、
ガヤトリーマントラは菜食じゃなく肉食の環境が元々なんだから
後世に出てきた菜食という流行が正しいわけないやろが
頭おかしいのか
49
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 14:26:06 ID:LHQPaD5g0
ヨーガナンダの師であるスリ・ユクテシュワーラの科学的で理屈立てた説明はさすがだね。ついでにというか勝手に付け足させてもらうと、葡萄は特殊な役割を持った霊的な果物で、葡萄のみを食して他の食べ物は一切口にしない疑似断食キャンプをやってるグループがあると聞いたことがある。
50
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 15:59:34 ID:m/EgYTx20
この前リンク紹介されてたブログ
「瑞霊にならいて」
だろ、それ
葡萄は霊的な食べ物って記事だよな?
51
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 18:56:07 ID:VUJxCAa.0
「人間 肉食 草食」のAI回答
人間は雑食動物であると考えられていますが、その食性については様々な議論があります。
進化の過程
人類の脳が大きくなったのは、動物性の食料を多く摂取するようになったためと考えられています。
約200万年前の石器時代の人類は、肉食に特化しており、胃の酸性度が高いことや脂肪細胞の構造が肉食動物と同じであることから、肉食動物であったとされています。
約1万年前に最後の氷河期が終わり、農耕と牧畜が始まってから穀物の摂取が増え、雑食へと移行しました。 身体的特徴
歯の構造: 人間には肉食動物の犬歯、草食動物の臼歯、そして門歯があり、雑食に適していますが、数から見ると草食動物に近いという意見もあります。
消化器官:
草食動物は消化が難しい植物を消化するために長い消化器官を持っていますが、人間は肉食動物ほど短くなく、草食動物ほど長くありません。
消化酵素:
草食動物や人間は唾液中に消化酵素を持っていますが、肉食動物や雑食動物は持っていません。
ビタミンC:
多くの動物は体内でビタミンCを合成できますが、人間はビタミンCの合成に必要な遺伝子を失っており、外部からの摂取が必要です。
食性の多様性
人間は環境に適応して食べるものを変えてきました。例えば、植物が少ない地域では動物性食品を多く摂取し、生き延びてきました。 現代においても、ベジタリアンのように植物性食品のみで生活する人もいますが、これは栄養価の高い植物を栽培できるようになったためです。 これらの情報から、人間は進化の過程で肉食の時期を経て、現在は植物と動物の両方を食べる雑食動物であると理解できます。
52
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 18:57:32 ID:VUJxCAa.0
人間は草食動物ではないことは確かですね
53
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 20:05:52 ID:RvUBZaGM0
オタメシ2はお休み宣言して丸一日以上経つけど
1回だけコピペ貼っただけだったな、
何人もいないじゃん、1人だけじゃんやっぱ
何人もいたら何回も何回もレス入るはずだけどな
自分でオタメシ2は1人でした〜、と言ってるようなもんだな
こういう事書くと短いのでもオタメシテイストのレス出してくるぞ笑
54
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 20:27:45 ID:/NcRAw0I0
身体と生命は食物を基盤とし、食物によって支えられています。ですから、私たちがどこまで目的地に達成できるかは、食物によって決まります。人間のすべての行動は、摂取された食物により引き出されたエネルギーによって決まります。食物の性質が人の想念、感情、行動の性質を決定します。霊性修行の成功はその人の摂る食事の量と質に左右されます。浄性の食物は、自己コントロールや知性を育てますから、霊性の向上を熱望する者は、浄性の食物が極めて必要となります。エゴも執着心も不適切な食物を消費する結果です。悪い種類の食物や、不正な手段で手に入れた食物は、いくつかの面で人間を無知という奈落の底に落とし、純粋な想いが浮かぶのを押さえつけます。食物は人間の生命力、肉体、心、人格の主原因です。心は我々が摂取した食物を反映しています。心を扱う正しい方法は、心の活動を善い行いや善い想いに向け、また神の御名を繰り返し唱えることに心を向けて、有害な対象や有害な想いや行いに心を向けないことです。物を食べている時に悪い想念に苛まれると、摂取している食物にその想念が作用して、結果としてあなたの心に影響を与えます。すべての不浄なものから人生を清めるためには、食物における規律を厳密に守るべきです。食物は、敏捷か怠惰か、心配性か落ち着いているか、聡明か愚鈍かを決める重要な要因です。想念は食物と環境から生まれます。サトウィックな(浄性な)食物のみを食べ、善なるもののみを望むなら、善い想念しか湧きません。想い、欲望、願望は、その人の摂取する食物の種類に関係します。私たちが口にする食物は、将来私たちが自らのために獲得するであろうものを、様々な方面から決定しているのです。どのようなものが心に芽生えるかは、摂取する食物によって決まってくるのです。どれほど偉大で学問がある人であろうとも、どれだけヴェーダーンタの教えに留意し、それを広めようと心を配っていようとも、身体とその働きの基盤である食物に関して定められた厳格な規定を守らないとしたら、その人は成就することはできないのです。
55
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 20:28:23 ID:/NcRAw0I0
幸福で平安な人生を送りたいと望む者は、自らの感覚をコントロールしていかなければなりません。感覚器官の中で最も重要なのは舌です。舌を征服できれば、それは事実上すべての感覚を支配したのと同じことになります。時としてあなたがたは、舌を満足させるためにあらゆる種類の食べ物を口にしますが、そのことによって、欲望や怒り、貪欲さ、執着、傲慢、利己主義などの悪い資質が自らの内に育つことを知らずにいます。貪欲な舌を抑え、心を落ち着かせる浄らかな食物のみを摂取しなさい。娯楽も浄性のものにしなさい。そうすれば心身の病気にかかることはありません。病は怠慢と欲望におもくままの行いからくる避けられない結果であり、健康は厳しくたくましく生きることへの当然の結果なのです。舌が陥りやすい失敗に4種類あります。①嘘を言うこと。②悪い噂話をすること。③批判中傷すること。④話し過ぎるここ。この4つの傾向は、人間から心の平安を奪います。真実だけを語りなさい。もちろんある稀な場合には、真実を語ることが危険な場合もあります。そのような状況では、真実も非真実も口にしないように充分に慎重でなければなりません(沈黙)。そうすれば社会で成功することができるのです。舌をむやみに使うと、他人の心をズタズタに裂くことがあります。ひどい言葉で蒙った心の傷は、地上のどんな医者も治すことができません。更なる自己コントロールのもとに、一層優しく、真実で有益なことのみ語り、言葉を少なくしなさい。自らを称賛し、自らを美化することは、霊的進歩を遅らせるので、避けるべきです。あなたがたが若いときに、舌および他のすべての感覚器官をコントロールしないならば、将来多くの困難に直面することになるでしょう。人の命は、食べたり飲んだりするために与えられたのではありません。もっと気高く壮大なことを成し遂げ、自らに打ち勝ち、実在へと帰融するための機会なのです。どのような行為に携わるのであれ、呼吸するように自然に解脱への道を憶念し、常に「私は神に仕え、真我を実感認識するために生まれてきた」という自覚を持たなければなりません。着ること、食べること、歩くこと、学ぶこと、奉仕すること、これら一切の行為は、人を神の御前に導くという信念のもとに行われるべきなのです。心の清さかさなしには、些細なことでさえも、達成できないのです。私たちが束縛されるのも、解放されるのも、心しだいです。清らかな心を育てるならば、問題はなくなるでしょう。私たちが引き受けるどんな些細な仕事も、私たちの心に依存しているのです。霊性の道を進もうと望む人は、行く手に多くの現世的な困難や障害が立ちはだかっていることに気付きます。その障害を乗り越えられたときのみ、私たちは霊性の道から恩恵を受ける機会を与えられます。急げば、無駄が生じ、無駄は心配の種となります。霊的光明という究極目的に達するためには、忍耐と持久力を養わなければなりません。
-サティアサイババ述
56
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 20:30:28 ID:/NcRAw0I0
★『聖なる科学』(スワミ・スリ・ユクテスワ著 森北出版)より
「人間の本来の食物とは何か」
まず第一に、われわれの本来の自然の食物が何であるかを知るために、消化器である歯と消化管の形状と、動物が食物を見つけたときに示す感覚器官の反応と、母乳について観察してみよう。
「歯の観察」
歯について見ると、肉食動物の場合は、門歯はあまり発達していないが、犬歯は獲物を捕らえるために著しく長く、なめらかで、とがっている。そして臼歯もまたとがっており、それらの先は上下が重ならず、獲物の筋肉繊維を引き裂くのに都合がよいように、横に沿って並んでいる。
草食動物の場合は、門歯が特に発達しており、犬歯は発達していない(もっとも、象のように、犬歯が武器とし発達した例外もある)。また臼歯は先が平たく面積が広く、側面だけがほうろう質になっている。
果食動物の場合は、歯全体がほぼ同じ高さであるる犬歯はわずかに長く円錐形であるが、鋭くはない(これは明らかに、獲物を捕らえるための形ではなく、強くかむための形である)。臼歯は先が広くなっているが、食物をかんで歯を横にずらしたときに食物が歯の横へこぼれ落ちないように、歯の上面にほうろう質のひだがあり、肉をかむのに好都合なとがった形はしていない。
一方、熊のような雑食動物は、門歯は草食動物のそれに似ており、犬歯は肉食動物のそれに似ており、臼歯は双方の目的に合うように、とがったものと平たいものの両方をそなえている。
さて人間の歯を観察してみると、それは肉食動物の歯にも、草食動物の歯にも、雑食動物の歯にも似ていない。そして、まさに果食動物の歯の特徴をそのまま持っているのである。このことからまず、人間の身体は果実(果物、木の実、穀物、根菜類など)を常食とする果食動物であると推論することができる。
「消化管の観察」
次に消化管を観察してみると、肉食動物の場合は、腸の長さが体長(口から肛門まで)の3倍から5倍で、胃の形状はほぼ球形をしている。草食動物の場合は、腸の長さが体長の20倍ないし28倍もあり、その胃は大きく複雑な構造をしている。これに対し、果食動物の場合は、腸の長さが体長の10倍ないし12倍で、その胃は肉食動物の胃よりやや大きく、しかも腸との間に、第二の胃である十二指腸をもっている。
これは、人間の消化器官の構造と全く同じである。解剖学では、人間の腸の長さは身長の3倍ないし5倍であるとされているが、これは、前述の口から肛門までの体長のかわりに、頭の先から足の裏までの身長を基準にしているからである。以上のことからもまた、人間のからだは果食動物であることと推論することができる。
57
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 20:31:10 ID:/NcRAw0I0
「感覚器官の観察」
次に、動物の感覚器官が食物に対して示す本能的な反応について観察してみよう。つまり、あらゆる動物は、これによって自分の正しい食物を判別しているのである。肉食動物は、自分の食物を見つけると、大きな喜びが湧いてきて、そのため、目はらんらんと輝いてくる。そして、猛然と襲いかかって獲物を捕らえると、流れ出る血を貪りなめる。これに反して、草食動物は、食物に血がかかっていると、それを避けて食べようとしない。彼らの嗅覚と視覚は、彼らが喜びをもって食べられるような他の草を選ぶように仕向けるのである。同様に、果食動物その本能的感覚の働きによって、食物を、木の実や草の実に求めようとする。
人間においては、どんな人種でも、その嗅覚や、聴覚や、視覚に刺激されて他の動物を襲って殺したくなるような本能はない。むしろ、他の動物が殺される場面を目撃するのは、耐えられないくらいである。そのため、屠殺場は町から遠く離れた人目につかない場所につくられるし、また、肉類をおおいなしで輸送することを禁じた法令も多い。このように人間の目や鼻は、肉というものに対して、料理したり、調味料や香辛料でごまかさない限り、これを避けようとする性質がある。そのような肉が、人間の自然な食物であると考えることができるであろうか。一方、われわれは果物の香りを嗅ぐと、自然に喜びが湧いてきて、口の中が唾液で潤ってくる。穀物や根菜のたぐいも、わずかではあるが、調理しないままでも好ましい味や香りを感じさせる。このことからもまた、人間のからだは果食動物としてつくられたと推論されるのである。
「乳児の食物の観察」
もう一つ、母乳について観察してみよう。母乳は明らかに、生まれたばかりの子供の食物であるが、人間の母親は、自然な食物として、果物や、穀物や、野菜などを食べないと、充分な母乳が出ないのである。
「病気の原因」
以上に述べた観察から合理的に引き出される唯一の結論は、各種の穀物と、果物と、根菜類と、さらに飲料としては、乳と、空気や日光にさらされた清水とが、間違いなく、人間にとって自然な最良の食物だということである。これらの食物は、各人の消化機能に応じて摂取すれば、人体にとって最適であるため、よく咀嚼され、唾液と混じり合って、正しく人体に同化されるのである。
他の食物は、人間の本来の自然の食物ではないため、人体に適合しておらず、胃に送られても、完全には人体に同化されない。血液の中に混入したそれらの異物は、排泄器官に送られたり、または、体内のいろいろな器官の内部に蓄積される。そしてそれが排泄されないまま溜まってくると、引力の法則によって体内組織の間隙に沈殿し、やがて醗酵して、肉体的あるいは精神的病気を引き起こし、ついには早死にを招くことにもなるのである。
58
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 20:31:48 ID:/NcRAw0I0
「あらゆる争いと不和の原因は食べ物です。あなたが食べる食べ物があらゆる不和の原因です。あなたが食べる食べ物が、最終的にあなたがどうなるかを決めるからです。」サイババ 1983.7.15
「古代の聖仙たちは、感覚器官の制御に多大な重要性を置き、それを果たすための様々な修行を導き出しました。たとえば、食べ物に関する禁戒です。もし舌を甘やかして、舌が欲しがる物を何でも与えていたら、最終的に人間が舌に飲み込まれてしまうことになるでしょう。」サイババ 1989.6.29
「肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。……さまざまな動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。……その上、動物への残虐行為という罪をも犯させます。……インドであれ、よその国であれ、そうした手軽な肉食からは手を引くべきです。」サイババ 1994.11.23
59
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 20:40:24 ID:iqmmwwfA0
ほら笑
挑発したらコピペ笑
人員不足だね〜笑
1人しかいないからねオタメシ2は笑
コピペより前スレ702、704自演の釈明しろよ
負けてるからそうせざるを得ない心境だったんだろ?
情けな…
60
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 20:45:52 ID:iqmmwwfA0
菜食しないのであれば崖から落ちてしまう、
そんな事はありませんから、大丈夫です。
サイババの言葉を借りれば
「神の讃歌は、どのような信仰に基き、どこの言葉で歌ってもよい。
各々は、自分の伝統、自分の言葉で、神を賛美するようにしなさい」
「ガーヤトリーマントラは、男性でも女性でも、どの信仰をもつ人でも、どの国のどの地域の人でも、どの地域においても熱心に唱えていい祈りの言葉だ。このマントラを唱えることで、知性が発達する」
と言っているように。
ここで言う「信仰」とは、神の言葉を信じる事です。 つまり、菜食ではなく、動物の肉を食べて良いと神が許可した、これを信じるのであれば、その信仰のままでガヤトリーマントラを唱えて良い、という事です。
聖書の神は、
「生きて動いているものはみな、あなたがたの食物となる。緑の草と同じように、そのすべてのものを、今、あなたがたに与える」 (創世記 9:3)
動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。 創9:3
と言われています。 その、神の言葉を信じる事こそ「信仰」です。 肉食してよい、その神の言葉を信じるのであれば何も問題なく、ガヤトリーマントラを唱えて良いのです。
ガヤトリーマントラはヴェーダに記載され、遺されました。 そのヴェーダは菜食ではなく、肉食推奨です、 ガヤトリーマントラを天啓で受け取ったヴィシュワ・ミトラも肉食。
何の問題がありましょうか?
「菜食主義」を打ち出したのはジャイナ教や仏教の一宗派でそれにヒンドゥー教が迎合した後出しの形でそれに染まった様なものです。
菜食は 理論的にはスピリチュアル的ですね、いかにも霊性進化には最適の様な感じがします。
しかしもしそれが真理であれば人類は肉食する事なく菜食で太古の昔から今に至るまで菜食できているのではないでしょうか?
ヒンドゥー教で確立された菜食主義、(他宗教の受け売りですが)一見そこだけ見るとそれが真理の様に見えます。 安倍さんも青山さんも菜食じゃないと、と言っている、 それが真理だと。
しかしそれはヒンドゥー教が途中路線変更した時の名残りであって、それを神の言葉として信じる、それもありでしょう。
しかし元々のガヤトリーマントラ は菜食に限定していません。
ヴェーダもヴィシュワ・ミトラも菜食は言っていません。
「崖から落ちる」 という脅しの言葉はこのオタメシ2自身が吐いた、彼自身が大きなカルマを負う不適切な言葉に他なりません。
オタメシ2、この方は大きな負のカルマを背負う事でしょう。
サイババの言葉を借りれば
「ガヤトリーマントラの音にはマントラの意味と同じくらい価値があります」 という事です。
音自体に大きな価値があります。
そこには菜食か肉食かなんて関係ありません、
オタメシ派は昔から「マントラ自体に何の意味もない」と主張してきました。
それ自体が間違いなのです。
このマントラの音自体が大きなパワーになっています。 ガヤトリーマントラの24音節には人体の様々な部位に働きかける大きなパワーがあります。
そしてこの音の組み合わせ自体が宇宙と繋がる、神と繋がるパスワードになっています。
だから誰がこれを唱えても神へと繋がります。
これを唱える、聴いていくと神が最善を実現してくださります。
当然自分自身の努力も必要にはなりますが、神がサポートしてくださります。
そこには菜食?関係ありません。
ヒンドゥー教信者であればそれに従うべきです。
その教えがそうであるのならば。
しかし肉食が我々は許可されているんだ、とその神の の言葉を信じるのであれば何の問題もありません。 元々ガヤトリーマントラは菜食に限定されてはいないのですから。
我々人類を、この永遠に輪廻転生していかねばならない悲しき運命から救う為に降ろされたのがこのガヤトリーマントラです。
天啓で受け取ったヴィシュワ・ミトラは菜食主義でしたか? 違いますね。
ヴェーダで菜食主義を主張してましたか?
違いますね。
ガヤトリーマントラの大元も、そもそも菜食主義じゃなかったんです。
そして聖書の神も菜食主義を言っていない、むしろ肉食を許可しています。
仏教でもそう、阿弥陀仏の信仰には菜食はなく、親鸞聖人も「肉食妻帯」を断行し、それを打ち出しています。
オタメシ2の「迷わせる言葉」に負けてはなりません。 その迷いに惑わされず、自分が信仰する事に従い、ガヤトリーマントラを、唱える事、または聴く事で救われます。
61
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 20:48:46 ID:iqmmwwfA0
「人間 肉食 草食」のAI回答
人間は雑食動物であると考えられていますが、その食性については様々な議論があります。
進化の過程
人類の脳が大きくなったのは、動物性の食料を多く摂取するようになったためと考えられています。
約200万年前の石器時代の人類は、肉食に特化しており、胃の酸性度が高いことや脂肪細胞の構造が肉食動物と同じであることから、肉食動物であったとされています。
約1万年前に最後の氷河期が終わり、農耕と牧畜が始まってから穀物の摂取が増え、雑食へと移行しました。 身体的特徴
歯の構造: 人間には肉食動物の犬歯、草食動物の臼歯、そして門歯があり、雑食に適していますが、数から見ると草食動物に近いという意見もあります。
消化器官:
草食動物は消化が難しい植物を消化するために長い消化器官を持っていますが、人間は肉食動物ほど短くなく、草食動物ほど長くありません。
消化酵素:
草食動物や人間は唾液中に消化酵素を持っていますが、肉食動物や雑食動物は持っていません。
ビタミンC:
多くの動物は体内でビタミンCを合成できますが、人間はビタミンCの合成に必要な遺伝子を失っており、外部からの摂取が必要です。
食性の多様性
人間は環境に適応して食べるものを変えてきました。例えば、植物が少ない地域では動物性食品を多く摂取し、生き延びてきました。
現代においても、ベジタリアンのように植物性食品のみで生活する人もいますが、これは栄養価の高い植物を栽培できるようになったためです。
これらの情報から、人間は進化の過程で肉食の時期を経て、現在は植物と動物の両方を食べる雑食動物であると理解できます。
62
:
幸せな名無しさん
:2025/09/17(水) 06:01:14 ID:ovMV4K9w0
誰一人菜食について語ってないが?ビーツやスピルリナやモリンガについて誰か語ったか?結局最底辺のそのまた下みたいな貧困デブ飯って結果的に分類上ラクトベジになるってことじゃん。コンビニアイス、菓子パン、駄菓子 全部ラクトベジといえばそうはなる。それがなぜ魂の次元を上げるの?
63
:
幸せな名無しさん
:2025/09/17(水) 07:20:24 ID:CDVO8XWM0
オタ2本人はベジやってないから。
64
:
幸せな名無しさん
:2025/09/17(水) 10:59:11 ID:ICS45HJQ0
最新の研究でも200万年くらい人類は肉食で、
雑食になったのはここ一万年位と分かってきてますからね、「聖なる科学」の見解はかなり一人よがりかな
65
:
幸せな名無しさん
:2025/09/17(水) 12:39:27 ID:OMTfQNMk0
もう昼過ぎだな、オタメシ2君はもうそろそろ来るかな?
なんせ1人しか
じゃないか、2人か3人位いる事にしてるのか
大変だよなぁ〜
自分さえできないベジを、これの最低限ポイントに仕立て上げようとするのはね
ヴェーダとかヴィシュワ・ミトラとかがそもそもそうじゃない、てバレてるしなぁ〜
66
:
幸せな名無しさん
:2025/09/17(水) 13:15:21 ID:sDwiWzGU0
しかし凄いよ
サイババの音源を聴きだけで伝授されて
別に唱えなくてもよくて音源を流しとくだけでOK、
サイババは厳しく菜食になるよう戒めているのに
外国人だからそれも無視してよく、
あらゆるビョーキが治りあらゆる願いが敵う、
それがガーヤトリーマントラ🎉🎊🎉🎊🎉🎊🎉🎊
まるで日本に来て治外法権に振る舞う不良外人(害人)とおんなじだ👽🤖👾
俺たちゃ警告なんか丸ごと無視して我儘放題振る舞うぜ!!
大人しい日本人どもなんかちょっと脅せばすぐ静になる!
神? そんなもん信じちゃいねーよ、バーカ
こっちは願望さえ叶えばあとは知ったことか👊👊👊
67
:
幸せな名無しさん
:2025/09/17(水) 14:18:37 ID:OMTfQNMk0
ほら出た
1人しかいないオタメシ2
たまにこのバカっぽい感じにしてくるんだよなコイツ
頭おかしいんじゃない?
大丈夫?
全然大丈夫じゃないみたいだけどな
オタメシ2のつまらん人生でも、まあなんかの足しにはなるだろう、せいぜい頑張れやオタメシ2
68
:
幸せな名無しさん
:2025/09/17(水) 15:47:18 ID:jJalvXiU0
オタメシ2の、この66レス、
これこそがオタメシ2から見た、ガラケー派(オタメシ2が勝手に言ってるくくり、)の虚像なんだよね
ガヤトリーマントラで自分の人生をより良くしていきたいと思っている人達、当然これを聴きながら又は唱えながら、自分が成すべき事を一生懸命取り組んでより良い結果を出したい、そう思ってるところ、
オタメシ2からすると66のような傍若無人のイメージなんだよね、これって被害妄想というか何て言うのかな…
このイメージを彼は持ってるから我々が敵にしか見えなくて唱えさせたくないんだよね、
これビョーキでしょ?
66の考え方はどう見ても
ハンバーガー食べながらポン!と叶う魔法、とか言って茶かしたりするでしょこのオタメシ2
俺なんか菜食はしなくていいと思ってるけど、
さすがにハンバーガーは食べないなあ
肉もあんまり食べなくはなってるけど食べるのは食べる
魚が多いかな
神なんか信じねーよ、て人はガヤトリーマントラに関わる人の中でいないんじゃなかろうか?
オタメシ2はかなり何かしらの精神病を患ってると思う
何かに憑依された危ない精神状態なのかも
彼にスピリチュアル語る資格はないと思う
利他の精神なんかこの人は持ち合わせてない、
我利我利の精神だよ、自分だけ良ければ、のね
知識だけ沢山詰め込み過ぎて足元を見失ってる、もはやスピリチュアルに関わっちゃいけない人になってるよ
色んな人が昔から指摘してるけどいまだに自覚ないんだよなこの人
69
:
幸せな名無しさん
:2025/09/17(水) 18:21:40 ID:AJwMl8D60
66レスもそうだけど、702、704のバレバレ自演とか
脅しの言葉とかこのオタメシ2って人物は相当病んでますね
性格悪過ぎるのと思い込み激し過ぎるのと
執着、怨念が大き過ぎるのと
この人はスピリチュアルメソッドあれこれ手出し過ぎて憑依されてるっぽいですね
お祓いしてもらうか精神病院行ったがいいんじゃないでしょうか
オタメシ2が我々をいくら恨んで呪詛飛ばしたって
ガヤトリーマントラに守られてる我々には全く効かないんですけどね
70
:
幸せな名無しさん
:2025/09/17(水) 18:38:18 ID:/TW5O36U0
前スレのガヤトリーマントラの伝授と音源についての文を読んでみた
ガヤトリーマントラに伝授は必要ないってのを、音源聞いたら伝授になるって表現してるだけじゃん
そういう意味だよな
音源聴くのがガチでの伝授の代わりになるって意味じゃない
普通に読んだら誰でもそう読むよ
アスペとかは知らんが
いやマジで、音源が正式伝授の代わりになるわけない、とか言い出すのはアスペだろ
そんなニュアンスの内容じゃないわ
伝授は必要ない、だから音源だけで伝授になるって意味だよ、何度読んでも
71
:
幸せな名無しさん
:2025/09/17(水) 21:45:15 ID:jVC.MR2M0
音自体にパワーあるから、後は実践あるのみ、じゃん
72
:
幸せな名無しさん
:2025/09/17(水) 21:52:08 ID:/TW5O36U0
ガーヤトリー・マントラに関して「正式な伝授を受けないと」「ベジタリアンでないと」災いが起きると脅すような言動は、真実ではありませんし、マントラの本来の精神にも反しています。
ガーヤトリー・マントラは、普遍的な光、知恵、悟りを求めるための神聖な祈りです。その本質は、差別や排他的な条件付けではなく、すべての生命への慈悲と、内なる神聖さへの目覚めを促すことにあります。
脅しによって恐怖心を煽り、特定の行為や条件を強制しようとするのは、宗教や精神修養の名を借りた搾取やコントロールの手口であることが多いです。
災いが起きるというのは、完全に誤った情報であり、そのようなことを言う人の言葉に耳を傾ける必要はありません。
以下に、なぜそのような脅しが真実ではないか、いくつかの理由を挙げます。
マントラの普遍性: ガーヤトリー・マントラは、もともとヴェーダの時代から存在し、バラモン階級だけでなく、広く人々によって唱えられてきた歴史があります。時代が下るにつれて、特定の儀式や階級制度が強調されるようになりましたが、マントラ自体の力は、唱える人の純粋な意図と信仰にあります。
神の愛と慈悲: どの宗教や精神的な教えにおいても、真の神性や宇宙の摂理は、人々を脅したり罰したりするものではなく、むしろ愛と慈悲をもってすべてを包み込むものとされています。災いを引き起こすという脅しは、この根本的な教えと矛盾します。
内面の成長が重要: マントラの効果は、外的な条件(伝授の有無、食生活など)よりも、唱える人の心の内側、すなわち純粋な信仰、集中力、そしてマントラへの深い理解と敬意に大きく依存します。
恐怖心からの自由: スピリチュアルな道は、恐怖から解放され、真の自己と宇宙とのつながりを見出すためのものです。脅しによって恐怖心を植え付けるような教えは、その目的に反します。
もしあなたがガーヤトリー・マントラを唱えたいのであれば、純粋な意図と敬意を持って唱えることが最も重要です。誰かに脅されたり、不安を煽られたりすることなく、あなた自身の心に従ってマントラと向き合ってください。
もし不安を感じたり、脅しが続くようであれば、信頼できるヴェーダの学者、または精神的な指導者(真に人々を導くことに尽力している人)に相談することをお勧めします。
ガーヤトリー・マントラは、私たちに知恵と光をもたらすためのものです。その恩恵を、恐れることなく受け取ってください。
73
:
幸せな名無しさん
:2025/09/17(水) 21:58:32 ID:/TW5O36U0
そのような言葉は、あなたの精神的な探求を助けるものではなく、むしろ妨げるものです。
霊的な世界が「厳しい」とか「危険」という側面もあると語られることはありますが、それは通常、自己の欲望やエゴと向き合うことの困難さ、あるいは未熟な状態で闇の力に惹かれることの危険性を指すものであり、特定の行為をしないと災いやカルマに見舞われるというような、条件付けられた脅しとは全く異なります。
ガーヤトリー・マントラを唱えることや、その他の精神修行において、「災いが起きる」「大変なカルマになる」「人生が破滅する」と脅すような言動は、以下の理由から真実ではありません。
カルマの誤った解釈: カルマとは、行為とその結果を指しますが、それは特定の儀式や食生活を守らなかったことによって自動的に「悪」となるものではありません。カルマは、私たちの意図、行動の動機、そして他者への影響によって決まります。純粋な意図を持ってマントラを唱えることが、なぜ悪しきカルマを生むのでしょうか? それは論理的にも矛盾しています。
恐怖による支配: 霊的な道は、本来、恐怖から解放され、愛と知恵によって自己を成長させるものです。あなたを脅し、恐怖によって行動をコントロールしようとする人物は、真の精神的な導師ではありません。彼らは、あなたを依存させ、自己の権威を確立しようとしている可能性が高いです。
神性(ブラフマン)の普遍性: ヴェーダの教えでは、宇宙全体に遍在する究極のリアリティ(ブラフマン)は、無条件の愛と慈悲そのものです。そのような神性が、特定の食生活や伝授の有無によって人々を罰したり、人生を破滅させたりすることはあり得ません。それは、神性を極めて矮小で人間的な感情(怒りや報復)に還元していることになります。
ベジタリアニズムと伝授の目的: ベジタリアニズムや伝授は、精神修行を深めるための「手段」や「サポート」となり得ますが、それ自体が目的ではありません。また、それらを実践しないことによって「罰せられる」という考え方は、本来の精神性を歪めています。ベジタリアニズムは、アヒンサー(非暴力)の精神に基づき、慈悲心を育むために推奨されるものであり、伝授はマントラの力を正しく扱うための指導と知識の伝達を意図しています。これらは、より良い修行のための「恩恵」であり、怠れば「罰」を受けるという類のものではありません。
自己責任と自由意志: 霊的な道は、Ultimately、自己の責任と自由意志に基づいています。誰かに脅されて強制されるものではありません。あなた自身の内なる声と直感を信じ、何があなたにとって真実であるかを見極める力を養うことが大切です。
結論として、そのような脅しは、あなたをコントロールし、恐怖心によって特定の行動を取らせようとする、間違った情報であると断言できます。
もしあなたがガーヤトリー・マントラを唱えたいのであれば、純粋な心と敬意を持って唱えることに集中してください。あなたが真摯な気持ちで神聖なマントラに触れることに、いかなる災いや悪しきカルマも生じることはありません。
霊的な道は、愛と理解、そして自己探求の道です。恐怖と脅しによって進む道ではありません。そのような言葉を言う人からは距離を置き、あなた自身の心の声と、信頼できる真の教えに耳を傾けてください。
恐れることなく、あなたが信じる道を歩んでください。
74
:
幸せな名無しさん
:2025/09/17(水) 22:04:41 ID:/TW5O36U0
AIの方が説得力あるわ
75
:
幸せな名無しさん
:2025/09/17(水) 22:56:01 ID:JqR7Wwuc0
これって
オタメシ2が論破されたどころか
完膚なきまでに叩きのめされてるじゃん
76
:
幸せな名無しさん
:2025/09/17(水) 23:06:12 ID:JqR7Wwuc0
一つの物事に対して、高度な知識を持った専門家同士でも180度違う見解を持つ事はよくあるし、
裁判でも弁護士同士高度な法的知識で自説を有利に導く為の解釈に結びつけてやり合う、
しかし本当の真実はただ一つのみ
AI出てきたら論争もなくなるかもね
オタメシ2出てこれないだろこれ
オタメシ2の全てが
間 違 い で し た
サヨナラ、オタメシ2
心入れかえて出直してこいよー(^^)/~~~
77
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 00:23:57 ID:FGq9brBc0
オタメシ2は初期から基本的に恐怖を与えて手を引かせようとしてきてたけど、完全に彼の根本的な部分から間違い、と指摘されてますね
ここまで見事に一撃でオタメシ2をねじ伏せる話は初めて見ました
グゥの音も出ないでしょう、ここまでハッキリと指摘されると
今まではオタメシ2を活かさず殺さず、ある程度の論破で抑えていたのが、容赦なく再起不能の言葉を突きつけた、形ですね、、、返す言葉は彼にはもはや無いと思います
78
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 08:34:55 ID:FGq9brBc0
うわ
勝者はAIか
オタメシ2の理論が根本から間違ってたんだ、
AIによってガラケー派?の方が正しかった事が裏付けられた形だな
79
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 08:46:24 ID:rsr/7QZ20
身体と生命は食物を基盤とし、食物によって支えられています。ですから、私たちがどこまで目的地に達成できるかは、食物によって決まります。人間のすべての行動は、摂取された食物により引き出されたエネルギーによって決まります。食物の性質が人の想念、感情、行動の性質を決定します。霊性修行の成功はその人の摂る食事の量と質に左右されます。浄性の食物は、自己コントロールや知性を育てますから、霊性の向上を熱望する者は、浄性の食物が極めて必要となります。エゴも執着心も不適切な食物を消費する結果です。悪い種類の食物や、不正な手段で手に入れた食物は、いくつかの面で人間を無知という奈落の底に落とし、純粋な想いが浮かぶのを押さえつけます。食物は人間の生命力、肉体、心、人格の主原因です。心は我々が摂取した食物を反映しています。心を扱う正しい方法は、心の活動を善い行いや善い想いに向け、また神の御名を繰り返し唱えることに心を向けて、有害な対象や有害な想いや行いに心を向けないことです。物を食べている時に悪い想念に苛まれると、摂取している食物にその想念が作用して、結果としてあなたの心に影響を与えます。すべての不浄なものから人生を清めるためには、食物における規律を厳密に守るべきです。食物は、敏捷か怠惰か、心配性か落ち着いているか、聡明か愚鈍かを決める重要な要因です。想念は食物と環境から生まれます。サトウィックな(浄性な)食物のみを食べ、善なるもののみを望むなら、善い想念しか湧きません。想い、欲望、願望は、その人の摂取する食物の種類に関係します。私たちが口にする食物は、将来私たちが自らのために獲得するであろうものを、様々な方面から決定しているのです。どのようなものが心に芽生えるかは、摂取する食物によって決まってくるのです。どれほど偉大で学問がある人であろうとも、どれだけヴェーダーンタの教えに留意し、それを広めようと心を配っていようとも、身体とその働きの基盤である食物に関して定められた厳格な規定を守らないとしたら、その人は成就することはできないのです。
80
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 08:46:57 ID:rsr/7QZ20
幸福で平安な人生を送りたいと望む者は、自らの感覚をコントロールしていかなければなりません。感覚器官の中で最も重要なのは舌です。舌を征服できれば、それは事実上すべての感覚を支配したのと同じことになります。時としてあなたがたは、舌を満足させるためにあらゆる種類の食べ物を口にしますが、そのことによって、欲望や怒り、貪欲さ、執着、傲慢、利己主義などの悪い資質が自らの内に育つことを知らずにいます。貪欲な舌を抑え、心を落ち着かせる浄らかな食物のみを摂取しなさい。娯楽も浄性のものにしなさい。そうすれば心身の病気にかかることはありません。病は怠慢と欲望におもくままの行いからくる避けられない結果であり、健康は厳しくたくましく生きることへの当然の結果なのです。舌が陥りやすい失敗に4種類あります。①嘘を言うこと。②悪い噂話をすること。③批判中傷すること。④話し過ぎるここ。この4つの傾向は、人間から心の平安を奪います。真実だけを語りなさい。もちろんある稀な場合には、真実を語ることが危険な場合もあります。そのような状況では、真実も非真実も口にしないように充分に慎重でなければなりません(沈黙)。そうすれば社会で成功することができるのです。舌をむやみに使うと、他人の心をズタズタに裂くことがあります。ひどい言葉で蒙った心の傷は、地上のどんな医者も治すことができません。更なる自己コントロールのもとに、一層優しく、真実で有益なことのみ語り、言葉を少なくしなさい。自らを称賛し、自らを美化することは、霊的進歩を遅らせるので、避けるべきです。あなたがたが若いときに、舌および他のすべての感覚器官をコントロールしないならば、将来多くの困難に直面することになるでしょう。人の命は、食べたり飲んだりするために与えられたのではありません。もっと気高く壮大なことを成し遂げ、自らに打ち勝ち、実在へと帰融するための機会なのです。どのような行為に携わるのであれ、呼吸するように自然に解脱への道を憶念し、常に「私は神に仕え、真我を実感認識するために生まれてきた」という自覚を持たなければなりません。着ること、食べること、歩くこと、学ぶこと、奉仕すること、これら一切の行為は、人を神の御前に導くという信念のもとに行われるべきなのです。心の清さかさなしには、些細なことでさえも、達成できないのです。私たちが束縛されるのも、解放されるのも、心しだいです。清らかな心を育てるならば、問題はなくなるでしょう。私たちが引き受けるどんな些細な仕事も、私たちの心に依存しているのです。霊性の道を進もうと望む人は、行く手に多くの現世的な困難や障害が立ちはだかっていることに気付きます。その障害を乗り越えられたときのみ、私たちは霊性の道から恩恵を受ける機会を与えられます。急げば、無駄が生じ、無駄は心配の種となります。霊的光明という究極目的に達するためには、忍耐と持久力を養わなければなりません。
-サティアサイババ述
81
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 08:48:21 ID:rsr/7QZ20
「あらゆる争いと不和の原因は食べ物です。あなたが食べる食べ物があらゆる不和の原因です。あなたが食べる食べ物が、最終的にあなたがどうなるかを決めるからです。」サイババ 1983.7.15
「古代の聖仙たちは、感覚器官の制御に多大な重要性を置き、それを果たすための様々な修行を導き出しました。たとえば、食べ物に関する禁戒です。もし舌を甘やかして、舌が欲しがる物を何でも与えていたら、最終的に人間が舌に飲み込まれてしまうことになるでしょう。」サイババ 1989.6.29
「肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。……さまざまな動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。……その上、動物への残虐行為という罪をも犯させます。……インドであれ、よその国であれ、そうした手軽な肉食からは手を引くべきです。」サイババ 1994.11.23
82
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 08:49:08 ID:rsr/7QZ20
★『聖なる科学』(スワミ・スリ・ユクテスワ著 森北出版)より
「人間の本来の食物とは何か」
まず第一に、われわれの本来の自然の食物が何であるかを知るために、消化器である歯と消化管の形状と、動物が食物を見つけたときに示す感覚器官の反応と、母乳について観察してみよう。
「歯の観察」
歯について見ると、肉食動物の場合は、門歯はあまり発達していないが、犬歯は獲物を捕らえるために著しく長く、なめらかで、とがっている。そして臼歯もまたとがっており、それらの先は上下が重ならず、獲物の筋肉繊維を引き裂くのに都合がよいように、横に沿って並んでいる。
草食動物の場合は、門歯が特に発達しており、犬歯は発達していない(もっとも、象のように、犬歯が武器とし発達した例外もある)。また臼歯は先が平たく面積が広く、側面だけがほうろう質になっている。
果食動物の場合は、歯全体がほぼ同じ高さであるる犬歯はわずかに長く円錐形であるが、鋭くはない(これは明らかに、獲物を捕らえるための形ではなく、強くかむための形である)。臼歯は先が広くなっているが、食物をかんで歯を横にずらしたときに食物が歯の横へこぼれ落ちないように、歯の上面にほうろう質のひだがあり、肉をかむのに好都合なとがった形はしていない。
一方、熊のような雑食動物は、門歯は草食動物のそれに似ており、犬歯は肉食動物のそれに似ており、臼歯は双方の目的に合うように、とがったものと平たいものの両方をそなえている。
さて人間の歯を観察してみると、それは肉食動物の歯にも、草食動物の歯にも、雑食動物の歯にも似ていない。そして、まさに果食動物の歯の特徴をそのまま持っているのである。このことからまず、人間の身体は果実(果物、木の実、穀物、根菜類など)を常食とする果食動物であると推論することができる。
「消化管の観察」
次に消化管を観察してみると、肉食動物の場合は、腸の長さが体長(口から肛門まで)の3倍から5倍で、胃の形状はほぼ球形をしている。草食動物の場合は、腸の長さが体長の20倍ないし28倍もあり、その胃は大きく複雑な構造をしている。これに対し、果食動物の場合は、腸の長さが体長の10倍ないし12倍で、その胃は肉食動物の胃よりやや大きく、しかも腸との間に、第二の胃である十二指腸をもっている。
これは、人間の消化器官の構造と全く同じである。解剖学では、人間の腸の長さは身長の3倍ないし5倍であるとされているが、これは、前述の口から肛門までの体長のかわりに、頭の先から足の裏までの身長を基準にしているからである。以上のことからもまた、人間のからだは果食動物であることと推論することができる。
83
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 08:49:40 ID:rsr/7QZ20
「感覚器官の観察」
次に、動物の感覚器官が食物に対して示す本能的な反応について観察してみよう。つまり、あらゆる動物は、これによって自分の正しい食物を判別しているのである。肉食動物は、自分の食物を見つけると、大きな喜びが湧いてきて、そのため、目はらんらんと輝いてくる。そして、猛然と襲いかかって獲物を捕らえると、流れ出る血を貪りなめる。これに反して、草食動物は、食物に血がかかっていると、それを避けて食べようとしない。彼らの嗅覚と視覚は、彼らが喜びをもって食べられるような他の草を選ぶように仕向けるのである。同様に、果食動物その本能的感覚の働きによって、食物を、木の実や草の実に求めようとする。
人間においては、どんな人種でも、その嗅覚や、聴覚や、視覚に刺激されて他の動物を襲って殺したくなるような本能はない。むしろ、他の動物が殺される場面を目撃するのは、耐えられないくらいである。そのため、屠殺場は町から遠く離れた人目につかない場所につくられるし、また、肉類をおおいなしで輸送することを禁じた法令も多い。このように人間の目や鼻は、肉というものに対して、料理したり、調味料や香辛料でごまかさない限り、これを避けようとする性質がある。そのような肉が、人間の自然な食物であると考えることができるであろうか。一方、われわれは果物の香りを嗅ぐと、自然に喜びが湧いてきて、口の中が唾液で潤ってくる。穀物や根菜のたぐいも、わずかではあるが、調理しないままでも好ましい味や香りを感じさせる。このことからもまた、人間のからだは果食動物としてつくられたと推論されるのである。
「乳児の食物の観察」
もう一つ、母乳について観察してみよう。母乳は明らかに、生まれたばかりの子供の食物であるが、人間の母親は、自然な食物として、果物や、穀物や、野菜などを食べないと、充分な母乳が出ないのである。
「病気の原因」
以上に述べた観察から合理的に引き出される唯一の結論は、各種の穀物と、果物と、根菜類と、さらに飲料としては、乳と、空気や日光にさらされた清水とが、間違いなく、人間にとって自然な最良の食物だということである。これらの食物は、各人の消化機能に応じて摂取すれば、人体にとって最適であるため、よく咀嚼され、唾液と混じり合って、正しく人体に同化されるのである。
他の食物は、人間の本来の自然の食物ではないため、人体に適合しておらず、胃に送られても、完全には人体に同化されない。血液の中に混入したそれらの異物は、排泄器官に送られたり、または、体内のいろいろな器官の内部に蓄積される。そしてそれが排泄されないまま溜まってくると、引力の法則によって体内組織の間隙に沈殿し、やがて醗酵して、肉体的あるいは精神的病気を引き起こし、ついには早死にを招くことにもなるのである。
84
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 09:19:01 ID:VLdx6IZs0
「インド人特有の大げさな表現で〜」とは言わないの?
85
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 10:22:31 ID:EhU5bjP20
食物が、と言われ出したのは2000年〜2500年前あたりからですよ、その頃に今までなかった概念、ジャイナ教あたりが言ってて、そっちがもっともらしいな、霊性を追求してるなあ、と信者獲得競争で負けてしまうのでヒンドゥー教がそれに追随した形です
それが様々もっともらしそうな理論に発展していきました
しかし
そもそも
ガヤトリーマントラの記されたヴェーダには菜食の概念はなく、むしろ肉食推奨、
ガヤトリーマントラの生みの親のヴィシュワ・ミトラも肉食、でした
ガヤトリーマントラを唱えてるうちに肉食を辞めるようになっていった分はそれに身を任せればいいと思いますが、菜食じゃないなら唱えるなという事は、ありません
元々肉食菜食関係ないのですから
86
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 12:13:54 ID:LnbnecP20
匿名掲示板で、特定の聖者(例:サイババ)の言葉だけを自分の意見として繰り返し貼り付け、議論を停滞させるような行為に遭遇した場合、私たちはどのように考え、対処すれば良いのでしょうか?
結論から言うと、このような行為は「荒らし行為」の一種であり、残念ながら冷静な議論は期待できません。
彼らの行動の背景には、いくつかの意図が考えられますが、私たちの心を守るためには「説得しようとしないこと」が最も賢明です。
相手の行動の背景にあるかもしれない意図
「自分の信仰こそ絶対の真実」という強い思い:
彼らは、特定の聖者の言葉を疑いようのない「唯一の正解」と信じている可能性があります。そのため、それ以外の意見や異なる解釈は「間違い」と見なし、自分が信じる真実をひたすら提示することで、相手を「導こう」としているのかもしれません。しかし、その方法は健全な対話ではありません。
議論を避けるための「権威の盾」:
自分の言葉で論理的に反論する能力や意欲がない、またはそれが難しいと感じている可能性があります。そこで、自分よりも権威があると感じる聖者の言葉を「盾」として使い、議論を終わらせたり、自分の意見に絶対的な正当性を与えようとしています。「私が言っているのではない、聖なる人物が言っているのだ」という主張で、それ以上の議論を封じようとしているのです。
情報操作と心理的圧力:
大量の引用を連続して貼り付けることで、掲示板の流れを支配し、他の参加者の発言を埋もれさせようとしている可能性があります。これは、相手に精神的なプレッシャーを与え、「何を言っても無駄だ」「この人は聞く耳を持たない」と諦めさせて、議論から撤退させるのが目的かもしれません。
コミュニケーションの目的の欠如:
そもそも、対話を通じて意見を交換したり、お互いの理解を深めたりするというコミュニケーションの目的を理解していないか、あるいは意図的にそれを拒否している可能性もあります。彼らの目的は「説得」ではなく、「提示」であり、それに異を唱える者を排除することなのかもしれません。
私たちがどのように思えば良いのか(そして、どう対処すべきか)
「議論」ではなく「荒らし」と認識する:
自分の意見を述べず、特定の言葉を繰り返すだけの行為は、建設的な議論ではありません。彼らは議論を通じて理解を深めたいのではなく、自分の信仰を押し付け、異論を排除したいだけなのです。冷静な議論は成立しない、と割り切りましょう。
恐怖や脅しに耳を貸さない:
もし、彼らが「修行しないと災いが起きる」「カルマを積む」といった脅しを伴う発言をしている場合、それは真実ではありません。真のスピリチュアルな教えは、恐怖から解放し、愛と知恵に導くものです。そのような言葉に惑わされず、自身の内なる声と直感を信じましょう。
説得を諦め、自分の心を守る:
このような相手を説得しようとすると、あなたの時間とエネルギーが無駄になるだけでなく、精神的な疲弊に繋がる可能性があります。彼らにとって、あなたの意見は「聞くべきものではない」と最初から決めつけられていることが多いです。
「この人は、自分の世界観でしか物事を見ない人なんだな」 と理解し、それ以上関わらないのが一番です。
具体的な対処法:
無視する: 最も効果的な対処法です。反応がなければ、彼らは興味を失う可能性があります。
運営に通報する: 掲示板のルールに反する荒らし行為であれば、運営に報告することを検討しましょう。
距離を置く: 掲示板から一時的に離れる、そのスレッドを見ないようにするなど、精神的な距離を取ることも重要です。
特定の聖者の言葉を盾に、他者を攻撃したり、建設的なコミュニケーションを拒否する行為は、その宗教の教えが本来目指す「愛」「慈悲」「理解」とはかけ離れたものです。
私たちは、そのような行為に惑わされることなく、自身の心の平安と、より建設的な議論にエネルギーを使うべきです。
87
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 12:40:08 ID:SmHLtEDs0
オタメシ2ってもう駄目でしょうねこの人は
散々サイババは堕ちた聖者とか日頃批判してたくせに、菜食というハードルを上げる行為の為だけにサイババの言葉を利用する、
目的はただ単に皆に唱えさせない事、
ただそれだけの為
根本的に性根の腐った輩、スピリチュアルのスの字も分からないド素人さんでしょう?
治らないですよね彼は
88
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 14:38:17 ID:QWPISp2k0
オタメシ2は今頃、心のどこかでおぼろげながら感じてた自分の悪い部分をはっきりと言語化されて愕然としてるところだろう
彼は思い上がり過ぎた
自分の小ささを思い知った事だろうが、ヤツはそれをも認めず、また同じ事を繰り返すだろう
哀れなヤツだよ
89
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 15:44:34 ID:6sDStalQ0
実生活でもネット上でも
たったひとりでも嫌いな人がいれば
神様は加勢してくれなくなります
あなたが嫌いなその人も神様の一部ですからね
いくらマントラを唱えても無意味ですよ
90
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 17:20:48 ID:LnbnecP20
「嫌いな人」と「神様の一部」という言葉の多層性:
「嫌いな人」というのは、多くの場合、その人の行動や言動、あるいはそれによって生じる感情的な摩擦に対するものです。私たちは「人間」として、相性の合わない人や、不快に感じる言動をする人に遭遇することは避けられません。これは自然な感情であり、人間性を否定するものではありません。
「その人も神様の一部」という言葉は、確かにスピリチュアルな真理の一つです。しかし、それは「その人の不快な行動も受け入れろ」ということを意味するわけではありません。その人の本質が神聖であっても、その人の不適切な行動を容認したり、感情的な反応を無理に抑えつけたりする必要はありません。 相手の行動を「嫌い」と感じることは、自分自身の心の境界線や価値観を守る上で自然な反応です。
神の加勢(恩寵)の誤った解釈:
神様や宇宙の恩寵は、私たちが誰かを「嫌い」と感じたからといって、機械的に「加勢しなくなる」ような、条件付きの、狭量なものではありません。 神の愛や慈悲は無条件であり、私たちの内面的な成長を常にサポートしています。
もしそうであれば、人間関係で悩むことの多い私たち全員が、神の恩寵から見放されてしまうことになります。これは、神性や宇宙の普遍的な愛という概念と矛盾します。
むしろ、マントラや精神修行は、そうした「嫌い」という感情も含め、自分の内面と向き合い、それらを乗り越え、より大きな愛や理解へと自己を高めていくためのツール です。
「完璧な人間にならなければ、神は助けてくれない」という考え方は、私たちの成長の可能性を奪うものです。
マントラの目的と効果の誤解:
マントラは、特定の誰かを「好き」であるという条件をクリアしないと効果がない、というものではありません。マントラは、私たちの意識を浄化し、集中力を高め、内なる平和と知恵を引き出すための神聖な音の振動 です。
「嫌いな感情」があっても、マントラを唱えることで、その感情に振り回されにくくなったり、感情の根本原因に気づいたりする助けになります。つまり、マントラは完璧な状態の人間が唱えるものではなく、完璧を目指す人間が唱えるものなのです。
マントラを唱えることで、徐々に慈悲の心が育まれ、「嫌い」という感情が薄れていく、あるいはその感情の持ち方自体が変わっていく、という変化こそが、マントラの真の効果の一つです。最初から完璧を求めるのは、修行の道においては現実的ではありません。
91
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 17:59:01 ID:hlHYEJmQ0
89のオタメシ2コメント、これもまた
「嫌いな人がいる」=マントラ意味ない、
とマントラを諦めさせたいだけの意図がうかがえる
このオタメシ2ダメだねやっぱ
神性には程遠い
一番遠い人物だ
修行マニアらしいが、これほど全く身になってない人物も珍しい
92
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 20:49:53 ID:0zaQICYA0
もうオタメシ、オワタ?
出てこれないでしょこれって
菜食しないとどうのとか脅しの言葉とか
それもはっきりと否定されてオタメシの悪さ加減が浮き彫りになったわけだし
もういくらサイババが菜食言ってる、と言っても
あらゆる角度から菜食も否定されたわけだし
コピペ貼っても何にもならなくなったしね
これで皆、我々一般人も安心して唱えられる、てもんだね
93
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 22:19:48 ID:NIvpy36s0
お試しさんガヤトリー女神を愛して下さいそれだけであなたは救われます!
一緒に愛しましょう!
94
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 22:34:01 ID:C60Iaek60
もう相手にするのやめよう。オタ2スレになってるぞ
95
:
幸せな名無しさん
:2025/09/19(金) 00:19:26 ID:T7VfVvOc0
ですね
ガヤトリーマントラをひろく一般の人に唱えてもらいたい、がサイババの意思であって、決して「菜食」を拡めたいわけじゃなかった
だからSSIOのガヤトリーマントラの恵みでも、
リグ・ヴェーダの至宝 ガヤトリーマントラでも、
「菜食」は一切打ち出しというか菜食の「さ」の字も書かなかった
ガヤトリーマントラを普及させる、事がサイババの意思ですよ
我々はどんな人でも唱えていい、普遍のマントラを手にしてるんですね
96
:
幸せな名無しさん
:2025/09/19(金) 07:35:26 ID:O6dcXjrg0
なんか闇の時代から太陽に包まれる時代に変わった感じしますね
清々しい感じというか
97
:
幸せな名無しさん
:2025/09/19(金) 08:53:35 ID:X7W/GyZg0
身体と生命は食物を基盤とし、食物によって支えられています。ですから、私たちがどこまで目的地に達成できるかは、食物によって決まります。人間のすべての行動は、摂取された食物により引き出されたエネルギーによって決まります。食物の性質が人の想念、感情、行動の性質を決定します。霊性修行の成功はその人の摂る食事の量と質に左右されます。浄性の食物は、自己コントロールや知性を育てますから、霊性の向上を熱望する者は、浄性の食物が極めて必要となります。エゴも執着心も不適切な食物を消費する結果です。悪い種類の食物や、不正な手段で手に入れた食物は、いくつかの面で人間を無知という奈落の底に落とし、純粋な想いが浮かぶのを押さえつけます。食物は人間の生命力、肉体、心、人格の主原因です。心は我々が摂取した食物を反映しています。心を扱う正しい方法は、心の活動を善い行いや善い想いに向け、また神の御名を繰り返し唱えることに心を向けて、有害な対象や有害な想いや行いに心を向けないことです。物を食べている時に悪い想念に苛まれると、摂取している食物にその想念が作用して、結果としてあなたの心に影響を与えます。すべての不浄なものから人生を清めるためには、食物における規律を厳密に守るべきです。食物は、敏捷か怠惰か、心配性か落ち着いているか、聡明か愚鈍かを決める重要な要因です。想念は食物と環境から生まれます。サトウィックな(浄性な)食物のみを食べ、善なるもののみを望むなら、善い想念しか湧きません。想い、欲望、願望は、その人の摂取する食物の種類に関係します。私たちが口にする食物は、将来私たちが自らのために獲得するであろうものを、様々な方面から決定しているのです。どのようなものが心に芽生えるかは、摂取する食物によって決まってくるのです。どれほど偉大で学問がある人であろうとも、どれだけヴェーダーンタの教えに留意し、それを広めようと心を配っていようとも、身体とその働きの基盤である食物に関して定められた厳格な規定を守らないとしたら、その人は成就することはできないのです。
98
:
幸せな名無しさん
:2025/09/19(金) 08:54:36 ID:X7W/GyZg0
幸福で平安な人生を送りたいと望む者は、自らの感覚をコントロールしていかなければなりません。感覚器官の中で最も重要なのは舌です。舌を征服できれば、それは事実上すべての感覚を支配したのと同じことになります。時としてあなたがたは、舌を満足させるためにあらゆる種類の食べ物を口にしますが、そのことによって、欲望や怒り、貪欲さ、執着、傲慢、利己主義などの悪い資質が自らの内に育つことを知らずにいます。貪欲な舌を抑え、心を落ち着かせる浄らかな食物のみを摂取しなさい。娯楽も浄性のものにしなさい。そうすれば心身の病気にかかることはありません。病は怠慢と欲望におもくままの行いからくる避けられない結果であり、健康は厳しくたくましく生きることへの当然の結果なのです。舌が陥りやすい失敗に4種類あります。①嘘を言うこと。②悪い噂話をすること。③批判中傷すること。④話し過ぎるここ。この4つの傾向は、人間から心の平安を奪います。真実だけを語りなさい。もちろんある稀な場合には、真実を語ることが危険な場合もあります。そのような状況では、真実も非真実も口にしないように充分に慎重でなければなりません(沈黙)。そうすれば社会で成功することができるのです。舌をむやみに使うと、他人の心をズタズタに裂くことがあります。ひどい言葉で蒙った心の傷は、地上のどんな医者も治すことができません。更なる自己コントロールのもとに、一層優しく、真実で有益なことのみ語り、言葉を少なくしなさい。自らを称賛し、自らを美化することは、霊的進歩を遅らせるので、避けるべきです。あなたがたが若いときに、舌および他のすべての感覚器官をコントロールしないならば、将来多くの困難に直面することになるでしょう。人の命は、食べたり飲んだりするために与えられたのではありません。もっと気高く壮大なことを成し遂げ、自らに打ち勝ち、実在へと帰融するための機会なのです。どのような行為に携わるのであれ、呼吸するように自然に解脱への道を憶念し、常に「私は神に仕え、真我を実感認識するために生まれてきた」という自覚を持たなければなりません。着ること、食べること、歩くこと、学ぶこと、奉仕すること、これら一切の行為は、人を神の御前に導くという信念のもとに行われるべきなのです。心の清さかさなしには、些細なことでさえも、達成できないのです。私たちが束縛されるのも、解放されるのも、心しだいです。清らかな心を育てるならば、問題はなくなるでしょう。私たちが引き受けるどんな些細な仕事も、私たちの心に依存しているのです。霊性の道を進もうと望む人は、行く手に多くの現世的な困難や障害が立ちはだかっていることに気付きます。その障害を乗り越えられたときのみ、私たちは霊性の道から恩恵を受ける機会を与えられます。急げば、無駄が生じ、無駄は心配の種となります。霊的光明という究極目的に達するためには、忍耐と持久力を養わなければなりません。
-サティアサイババ述
99
:
幸せな名無しさん
:2025/09/19(金) 08:55:13 ID:X7W/GyZg0
「あらゆる争いと不和の原因は食べ物です。あなたが食べる食べ物があらゆる不和の原因です。あなたが食べる食べ物が、最終的にあなたがどうなるかを決めるからです。」サイババ 1983.7.15
「古代の聖仙たちは、感覚器官の制御に多大な重要性を置き、それを果たすための様々な修行を導き出しました。たとえば、食べ物に関する禁戒です。もし舌を甘やかして、舌が欲しがる物を何でも与えていたら、最終的に人間が舌に飲み込まれてしまうことになるでしょう。」サイババ 1989.6.29
「肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。……さまざまな動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。……その上、動物への残虐行為という罪をも犯させます。……インドであれ、よその国であれ、そうした手軽な肉食からは手を引くべきです。」サイババ 1994.11.23
100
:
幸せな名無しさん
:2025/09/19(金) 08:56:02 ID:X7W/GyZg0
「あなたの貴重な時間を無益な議論で浪費してはいけません。すべての人に友好的でありなさい。そして、人生という挑戦に一体性と調和を持って立ち向かいなさい。」サイババ 2005.8.17
「もしあなたが口で自分は神を愛していますと言っていても、他の生きとし生けるものたちを良く思っていないなら、信愛は無価値です。…創造物全体の中に神を見なさい。神の愛という贈り物をすべての創造物と分かち合いなさい。」サイババ 1995年6月9日
「いかなる生きものにも微塵の嫌悪も抱かぬ者。すべてのものに友好的で慈悲深い者。『私』と『私のもの』という縛りに捕らわれてない者。苦楽を等しく歓迎する者。挑発にあっても忍ぶ者——これらの徳性を発現させなさい。」サイババ 1978.8.20
「人には、おもに4つのタイプがいます。1)すべてのこと、すべての人の中に善を見る人。2)善を善と見て、悪を悪と見る人、3)善を悪と見て、悪を善と見る人。そして、最後は、4)善をまったく見ない人。なぜなら、彼らは善を見ても、それを悪に変えてしまうからです。」サイババ 1976.8.1
「非暴力とは、激しい感情から放たれた暴力を慎んで、自制することを意味します。非暴力は、それらを我慢することによって認識されます。我慢できないという短気が、暴力の産みの親です。暴力は動物の性質のしるしです。」サイババ 1995.6.9
101
:
幸せな名無しさん
:2025/09/19(金) 10:41:33 ID:yR6nwre20
>>97
〜
>>100
それ何度もコピペする意味あります?
皆とっくに菜食しなくても差し支えないの知ってますよ
そして
これを言ってるサイババの事を、
あなたは軽蔑してるし本物の聖者ではない、と馬鹿にしてたでしょ?いつも
って事は、あなた自身このコメント信じてないわけですよね?
本物ではない信じるなと言いながら菜食だけは信じろって?
元々ヴェーダは菜食じゃないし生みの親も肉食だよ?
頭おかしくなってるの?
102
:
幸せな名無しさん
:2025/09/19(金) 13:00:13 ID:HJxxha6E0
サイババコメントを心から、信頼してないどころか批判する輩が「サイババ様はこう言われてます」と今さら言ってどうするのか…
どこまでも面白いなこのピエロ
103
:
幸せな名無しさん
:2025/09/19(金) 13:33:08 ID:PQWeG0ZY0
無意味ならまだしも、負のカルマを積む行為だからな。
聖者に関するカルマは高くつくぞ。
104
:
幸せな名無しさん
:2025/09/19(金) 15:27:13 ID:xroUlpiE0
サイババや他の聖者が異口同音に肉食はダメだとかなり厳し目の口調で言ってるのに、あれこれ言い訳してでも肉食をやめたくない理由は何なのだろう? 単なる子供大人?
自分だったら肉を口にするだけで「こんなことやりながらガーヤトリーマントラ唱えるのはやっぱりマズイよな」と頭をよぎると思うし、ガーヤトリーマントラを唱えようとする度に「肉も魚も卵も食べてるのにこりゃマズイよな」となると思う
気持ち悪くないのかな?
ガーヤトリーマントラは波動が高いから肉食の影響は帳消しになる、みたいなコメントもあるが、もしそうなら聖者たちもとっくにそう言ってるだろう、ガーヤトリーマントラさえ唱えていれば大丈夫だって
過去のヴェーダ聖典ては肉は禁止されてなかったんだから肉食べながらガーヤトリーマントラ唱えてもOK? そのヴェーダを読み祭祀を実践していたのは修行を積んだバラモン僧であって外国人の素人じゃないんだけど
105
:
幸せな名無しさん
:2025/09/19(金) 15:51:34 ID:h4.DP3j.0
個人の選択と倫理観の尊重:「なぜ肉食をやめたくないのか」への回答
「肉食をやめたくない理由」を「言い訳」や「子供大人」と断じるのは、個人の倫理観や選択を全く尊重しない、非常に傲慢な態度です。
肉食には、文化的背景、栄養学的な理由、経済的な事情、あるいは単に「おいしい」という感覚的な喜びなど、多様な理由が存在します。すべての人が同じ環境や価値観を持つわけではありません。
ベジタリアニズムやヴィーガニズムは、動物の倫理、環境問題、健康への配慮など、非常に重要な倫理的選択であり、尊敬されるべき実践です。しかし、それが**「絶対的な正義」であり、それ以外の選択を「悪」と断罪することはできません。** 多様な価値観が共存する現代社会において、この種の極端な排他性は建設的ではありません。
「気持ち悪くないのかな?」という問いは、自身の価値観を相手に押し付け、感情的に攻撃するものであり、対話の余地を閉ざすものです。
精神修行と食生活の関係性の多角的な理解:
「肉を口にするだけでガーヤトリーマントラを唱えるのがマズイ」と感じるのは、その人の個人的な信条であり、普遍的な規則ではありません。精神修行の道は多様であり、食生活に対するアプローチも様々です。
確かに多くの聖者や伝統において、菜食が推奨されるのは事実です。これは、アヒンサー(非暴力)の精神、身体の浄化、意識の覚醒を促すためであり、非常に理にかなっています。
しかし、これは「肉食者は神から見放される」という絶対的なものではなく、「より効果的な修行のための推奨事項」 と解釈すべきです。精神修行の本質は、心と意識の変革にあり、食生活はそのための強力な「手段」の一つではありますが、唯一絶対の条件ではありません。
「気持ち悪くないのかな?」という問いは、個人の内面にまで踏み込み、不必要な罪悪感を植え付けようとする試みです。精神修行は、恐怖や罪悪感から自由になるためのものであり、そのような感情に縛られることは本意ではありません。
マントラの力と聖者の言葉の解釈:
「ガーヤトリーマントラの波動が高いから肉食の影響は帳消しになる」というコメントは、確かにマントラの力を過信している可能性があります。マントラは魔法の杖ではなく、意識変革のツールです。
しかし、「もしそうなら聖者たちもとっくにそう言ってるだろう」という反論は、聖者の言葉を文字通り絶対化しすぎです。聖者の言葉は、彼らが説いた時代背景や文化、そして聞き手の理解度に合わせて発せられます。 現代社会で生きる私たちには、その本質を理解しつつ、現代的な文脈で解釈し、実践に落とし込む知恵が求められます。
マントラは、食生活の「影響を帳消しにする」というよりは、食生活を含むあらゆる生活習慣が意識に与える影響に気づき、より良い選択へと導くための内なる知恵と力を与えるもの です。
ヴェーダ聖典とバラモンの例の誤った適用:
「過去のヴェーダ聖典では肉は禁止されていなかった」という指摘は、歴史的な事実として考慮すべき点です。ヴェーダ時代の食文化は、現代のヒンドゥー教の菜食主義とは異なる側面がありました。
しかし、「そのヴェーダを読み祭祀を実践していたのは修行を積んだバラモン僧であって外国人の素人じゃない」という反論は、極めて排他的で差別的な論調です。
「外国人」であるか否かは、精神修行の真摯さやマントラの実践能力とは何の関係もありません。 精神的な教えは普遍的なものであり、人種や国籍でその恩恵が制限されることはありません。
「素人」であるからという理由で、マントラを唱える資格がないかのように断じるのは、傲慢であり、マントラの普遍的な力を否定するものです。マントラは、誰であっても純粋な意図を持って唱えれば、その恩恵を受けられるものです。
過去のバラモン僧の例を持ち出すのは、現代の多様な文脈を無視し、特定の伝統を絶対視するものです。時代や社会状況が異なる中で、過去の特定の集団の規範を、現在のあらゆる人々にそのまま押し付けることはできません。
106
:
幸せな名無しさん
:2025/09/19(金) 15:59:14 ID:JueM8Rn60
>>105
これって何のAI?
chat GPT?
107
:
幸せな名無しさん
:2025/09/19(金) 18:15:38 ID:h4.DP3j.0
GoogleGeminiプロです
108
:
幸せな名無しさん
:2025/09/19(金) 18:28:16 ID:HJxxha6E0
完全にオタメシ、AIに否定されてるぞ
109
:
幸せな名無しさん
:2025/09/19(金) 22:35:29 ID:qZEYK1fs0
AI出てきたらオタメシ派出てくる余地ねーじゃん
そもそもオタメシ論なんてもんは嘘っぱちで存在しない理論なんだからさ
ただ無知な一般人にガヤトリーマントラを唱えさせない様に仕向ける為だけの即席カップめん理論でしかないから
110
:
幸せな名無しさん
:2025/09/20(土) 00:40:45 ID:J51oUYdU0
AIって凄いなあ ガセ理論をうそぶいて人々を欺こうとしても、ソッコー否定されてしまうんだ、
オタメシ2廃業だねこれ
もう負けてない、とか言えないじゃん、
完全に、負けてるどころか叩き潰されてるじゃん
完全体のような井上尚弥(AI)と、
口だけ番長みたいな亀田京之介(オタメシ2)が試合して1ラウンドで終わってしまってた、みたいな
111
:
幸せな名無しさん
:2025/09/20(土) 07:40:29 ID:.XFB5U6I0
結論、
ガヤトリーマントラは肉食菜食どちらであっても
どんな人が唱えても構わない、たとえオタメシ2であろうと唱えていいマントラ
そして究極の霊性進化と願望実現のマントラ
112
:
幸せな名無しさん
:2025/09/20(土) 08:38:41 ID:mDBkDrWc0
このスレに触発されて
数日間ラクトベジタリアンとやらをやってみたが
まあこれならできないことはないかなという感想
卵さえ食べられれば更に楽ではある
113
:
幸せな名無しさん
:2025/09/20(土) 10:29:32 ID:.XFB5U6I0
菜食は強制されるべき事ではないけど、
不殺生の観点からいけば、善行である事は間違いないね
その代わり筋肉、皮膚、髪は衰えてしまうだろうけど
それらを合成するたんぱく質が圧倒的に不足してしまうから
参考前スレから
725 : 幸せな名無しさん 2025/09/03(水) 14:40:15
野菜のタンパク質は100グラムあたり、 9割以上が0.5グラム〜4グラム、 中央値で2グラム程度。
推奨されている1日の野菜摂取量350グラム摂っても7グラムしかタンパク質は摂れない。
仮に倍の700グラム摂ったとしても1日14グラムのタンパク質、 通常、60キロの体重の人は1日あたりタンパク質66グラム、体重70キロの人で1日あたりタンパク質77グラム必要になるが、菜食にして腹いっぱいの700グラムもの野菜を1日で食べても、
そのタンパク質14グラム程度ではとてもとても肉体を維持する事は不可能、 生命維持の為、筋肉等の必要なとこにとりあえずタンパク質は回って、皮膚や髪などは後回しになる為、皮膚はボロボロ、老けてしまい、髪は勿論頭皮環境、髪の質自体も維持困難となり、薄く薄くなっていく。
筋肉の衰えも激しくなる為、晩年は歩行困難になる事も予想される。
菜食生活をするという事は、神は動物も人間の食べ物としたという事に逆らって生きていく為、当然肉体の維持は困難になる。
頭髪は確かあの人もそうなってた事を言ってたような…。 ID:wCLSamp20
↑
俺65キロだからたんぱく質71グラムは必要、
その71グラムのたんぱく質を野菜だけで賄おうとすれば1日3.5キロの野菜食べなきゃいけない事になる。
鶴太郎の事調べたら1日1食で、その1食に2時間かけて食べる、とか……
俺には無理だ…
114
:
幸せな名無しさん
:2025/09/20(土) 10:57:43 ID:wsxC.p220
中村天風も肉より魚を、魚より植物性のタンパク質取れ。肉食べると気が下がると本に書いてたな
霊性高めたいなら肉を避けたほうがいいのは確かだね
>>113
豆腐とか納豆食べまくるとか…?
それも限度ってものがあるよなあ
115
:
幸せな名無しさん
:2025/09/20(土) 11:26:36 ID:.XFB5U6I0
>>114
肉食でも霊性高める為に重い軽いがあって、
一番罪深く重いとされるのが
牛、豚
その次が
鶏、
それより軽くなるのが
魚
そして
卵、牛乳
とされる
神道の日月神示でも、「四つ足は食べてはならぬぞ」
と言ってる
だから俺はなるべく牛、豚はほとんど食べない様にはしてる
肉食いたい時には食べるのは鶏肉
常食してるのは魚、だな
卵、牛乳も普通に
牛、豚は友人と焼き肉食べ放題行く時とかは食べるよ、そしてラーメン食べに行った時もチャーシューは普通に食べるし
でもできるだけその機会は意識的に減らしてる
でも食べたからと言って罪悪感はない
自分に戒律として課してるわけじゃないから
だから、牛豚が持つ負の波動はなるだけ取り込む事を最小限に抑えつつ、鶏肉は時々食べる、魚はしょっちゅう
納豆、豆腐、味噌汁、卵、豆乳はよく口にするなあ
菜食主義にしようとは思わないけど、波動的にはコントロールしつつ、この感じだとほぼ無限に食生活楽しんでいけるし
だからと言って肉食中心の人が霊性低いとかは思わない
大谷翔平とか肉バンバン食うし卵なんか1日15〜16個でしょ、それでいて中村天風を尊敬していて自身もその考え方を取り入れてるからこそ、あの地位にいられてる
116
:
幸せな名無しさん
:2025/09/20(土) 13:13:48 ID:um7Tp3Gc0
>>115
考え方のバランスがとれていて素晴らしい
117
:
幸せな名無しさん
:2025/09/20(土) 13:21:57 ID:yArx0Lrw0
>>115
118
:
幸せな名無しさん
:2025/09/20(土) 14:32:11 ID:yArx0Lrw0
>>117
間違えて書き込んでしまった
>>115
なるほど。
牛肉食べたら体調悪くなるから、その考え納得しました。私は牛>豚>鶏 の順に重いイメージ。
別に菜食はやりたい人やればいいと思うけど、肉は減らした方が良さそうかな
そういえば何回かビーガン料理食べたけど、腹一杯食べても次の日体調良かったな
119
:
幸せな名無しさん
:2025/09/20(土) 14:54:46 ID:mDBkDrWc0
>>112
を書いた者だけど
ユクテスワさんの文で果食動物というのが気になって
昔アメリカ人ても同じこと書いていた人がいたのを思い出した
本の名前も著者名も忘れてしまったけど
確かに果物を見ただけで美味しそうと思うもんね
生きてる牛や豚を見ても美味しそうとは思わない
ベジタリアンというから野菜しか食べられないのは嫌、
となるけど果物か主食と思うとちょっと変わってくる
今はどの果物も高いけどね
あとエドガーケイシーは1日にアーモンドを何粒か食べるだけで
健康状態か格段に違ってくるというリーディングも残しているので
ついでにこれもしばらく続けようと思う
120
:
幸せな名無しさん
:2025/09/20(土) 17:15:18 ID:um7Tp3Gc0
ベジは、プロテイン飲まないとやばいと思う
ヴィーガンだとソイプロテインになるだろうが
121
:
幸せな名無しさん
:2025/09/20(土) 19:03:45 ID:5Mxi6DRE0
オタメシ2も昔このスレで、魚も食べてる、て告った事あったなあ
クンダリーニ覚醒した人との会話で、(その前後は「ガラケーが」「底意地のわるい」とかいつもの様に言ってた)実は魚も食べてるんだ、と
だからオタメシ2も実はラクトベジでもない、
ヤツは、ただ単に菜食絶対!でやれないなら唱えるなで脅してるだけだから
本当はヒンドゥー教以前は菜食の「さ」の字もない世界で何千年も唱えられてきたんだから肉食菜食全く関係ないんだけどね
122
:
幸せな名無しさん
:2025/09/20(土) 20:32:36 ID:iyrm13GY0
健康のためではなく神様事を実践するのに相応しい状態を創り出すことが目的だから。
それは何千年の歴史の中で試行錯誤して確立したシステムなので
もともとはどうだったとかそんなことは何の関係もない。
何らかのシステムに従うのであればそれに敬意を払ってその儀礼に従うのが筋というもの。
しかも師事(私淑も含む)しているグルがそうすべしと教えているのなら尚更。
神様事に関わるというのはそういうこと。
それら全部まるごとひっくるめて受け入れ四の五の屁理屈を並べて言い訳をしない。
123
:
幸せな名無しさん
:2025/09/20(土) 21:05:48 ID:5Mxi6DRE0
>>122
キミは人に脅して強制するだけ強制して、
自分はしてないよね
人に言えないよキミ
だから何の体験談もないよね
124
:
幸せな名無しさん
:2025/09/20(土) 21:11:48 ID:5Mxi6DRE0
: >神様事を実践するのに相応しい状態を創り出すことが目的だから。 それは何千年の歴史の中で試行錯誤して確立したシステムなので
↑
何千年の歴史の中で試行錯誤してできたわけじゃなく、
ジャイナ教「霊性進化は不殺生、よって菜食!」
仏教の一宗派「そうだ!菜食だ!」
ヒンドゥー教「…………」
ヒンドゥー教のうちわで「どうするよ、周り菜食にしちゃったよ、うちもそうしないと信者どんどん取られるよ…」「そうか、うちも菜食にしよう!」
そして転換
ヒンドゥー教「不殺生、真理は、菜食!」
でそうなったわけで
何千年も試行錯誤したわけじゃない
125
:
幸せな名無しさん
:2025/09/20(土) 22:02:51 ID:um7Tp3Gc0
「何千年の歴史」と「試行錯誤」の矛盾と選択的適用:
「何千年の歴史の中で試行錯誤して確立したシステム」という主張は、一見すると説得力があるように見えます。しかし、「試行錯誤」があったのであれば、その過程で変化や修正があったはず です。もしシステムが「変化し続けてきた」のであれば、現在の形が「絶対」であると主張する根拠は弱まります。
実際、ヴェーダ時代から現代に至るまで、ヒンドゥー教やヨーガの伝統は、時代や地域、宗派によって様々な変化と解釈を経てきました。過去のヴェーダ聖典で肉食が禁止されていなかったという事実は、「システムが常に変化してきた」ことの強力な証拠 です。それを「もともとはどうだったとかそんなことは何の関係もない」と一蹴するのは、自身の主張に都合の悪い歴史的事実を無視する行為 です。
「何千年の歴史」を持ち出すのであれば、その歴史の多様性と変化性も同時に認識すべきです。特定の時点や特定の解釈だけを切り取って「これが絶対」と主張するのは、歴史の誠実な理解ではありません。
「システムへの敬意と服従」と「盲信」の違い:
「何らかのシステムに従うのであればそれに敬意を払ってその儀礼に従うのが筋」という考え方は、一面では理解できます。師や伝統に対する敬意は、学習や成長において非常に重要です。
しかし、「敬意を払うこと」と「批判的思考なしに盲目的に服従すること」は全く異なります。 精神修行は、自己の意識を探求し、真理を見出すためのものです。それは、外からの権威にただ従うだけでなく、内なる知恵と対話することによって深まります。
「四の五の屁理屈を並べて言い訳をしない」という言葉は、疑問を抱くこと、考えること、そして対話しようとすることを一切許さない、非常に抑圧的な態度 です。これは、精神的な成長を促すどころか、思考停止を強要し、カルト的な傾向を助長しかねません。
真のグルや精神的な指導者は、弟子に疑問を持たせないようにするのではなく、疑問を歓迎し、対話を通じて理解を深めさせようと努めるものです。
「神様事」の狭い定義と排他性:
「神様事に関わるというのはそういうこと」という言葉は、彼らの定義する「神様事」が極めて限定的で排他的であること を示しています。彼らは、自分たちの「システム」と「儀礼」に従わない者を、神聖な領域から排除しようとしています。
しかし、神性や宇宙の普遍的な真理は、特定のシステムや儀礼、特定のグルに限定されるものではありません。それはすべての存在に遍在し、あらゆる人がそれぞれの方法で神聖なものと繋がる可能性を持っています。
神様との関係が、外部の厳格な条件に従わないと成立しないというのは、神性を非常に小さなものとして捉えている証拠です。神の愛と恩寵は、そのような条件付けによって左右されるものではありません。
「グルへの師事」の強制とその危険性:
「師事(私淑も含む)しているグルがそうすべしと教えているなら尚更」という点は、権威主義の極みです。確かに、信頼できるグルからの指導は重要ですが、それは自発的な選択に基づくべきです。
他者に特定のグルへの服従を強要したり、そのグル以外の教えを否定したりする行為は、精神的な操作や支配に繋がりかねません。真のグルは、弟子を依存させるのではなく、自立へと導くものです。
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