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ガーヤトリーマントラ(ガヤトリーマントラ)を語るスレ21

118幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 14:32:11 ID:yArx0Lrw0
>>117
間違えて書き込んでしまった

>>115
なるほど。
牛肉食べたら体調悪くなるから、その考え納得しました。私は牛>豚>鶏 の順に重いイメージ。

別に菜食はやりたい人やればいいと思うけど、肉は減らした方が良さそうかな
そういえば何回かビーガン料理食べたけど、腹一杯食べても次の日体調良かったな

119幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 14:54:46 ID:mDBkDrWc0
>>112を書いた者だけど
ユクテスワさんの文で果食動物というのが気になって
昔アメリカ人ても同じこと書いていた人がいたのを思い出した
本の名前も著者名も忘れてしまったけど
確かに果物を見ただけで美味しそうと思うもんね
生きてる牛や豚を見ても美味しそうとは思わない
ベジタリアンというから野菜しか食べられないのは嫌、
となるけど果物か主食と思うとちょっと変わってくる
今はどの果物も高いけどね
あとエドガーケイシーは1日にアーモンドを何粒か食べるだけで
健康状態か格段に違ってくるというリーディングも残しているので
ついでにこれもしばらく続けようと思う

120幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 17:15:18 ID:um7Tp3Gc0
ベジは、プロテイン飲まないとやばいと思う
ヴィーガンだとソイプロテインになるだろうが

121幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 19:03:45 ID:5Mxi6DRE0
オタメシ2も昔このスレで、魚も食べてる、て告った事あったなあ
クンダリーニ覚醒した人との会話で、(その前後は「ガラケーが」「底意地のわるい」とかいつもの様に言ってた)実は魚も食べてるんだ、と
だからオタメシ2も実はラクトベジでもない、
ヤツは、ただ単に菜食絶対!でやれないなら唱えるなで脅してるだけだから

本当はヒンドゥー教以前は菜食の「さ」の字もない世界で何千年も唱えられてきたんだから肉食菜食全く関係ないんだけどね

122幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 20:32:36 ID:iyrm13GY0
健康のためではなく神様事を実践するのに相応しい状態を創り出すことが目的だから。
それは何千年の歴史の中で試行錯誤して確立したシステムなので
もともとはどうだったとかそんなことは何の関係もない。
何らかのシステムに従うのであればそれに敬意を払ってその儀礼に従うのが筋というもの。
しかも師事(私淑も含む)しているグルがそうすべしと教えているのなら尚更。
神様事に関わるというのはそういうこと。
それら全部まるごとひっくるめて受け入れ四の五の屁理屈を並べて言い訳をしない。

123幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 21:05:48 ID:5Mxi6DRE0
>>122
キミは人に脅して強制するだけ強制して、
自分はしてないよね
人に言えないよキミ
だから何の体験談もないよね

124幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 21:11:48 ID:5Mxi6DRE0
: >神様事を実践するのに相応しい状態を創り出すことが目的だから。 それは何千年の歴史の中で試行錯誤して確立したシステムなので



何千年の歴史の中で試行錯誤してできたわけじゃなく、
ジャイナ教「霊性進化は不殺生、よって菜食!」
仏教の一宗派「そうだ!菜食だ!」
ヒンドゥー教「…………」
ヒンドゥー教のうちわで「どうするよ、周り菜食にしちゃったよ、うちもそうしないと信者どんどん取られるよ…」「そうか、うちも菜食にしよう!」

そして転換
ヒンドゥー教「不殺生、真理は、菜食!」

でそうなったわけで
何千年も試行錯誤したわけじゃない

125幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 22:02:51 ID:um7Tp3Gc0
​「何千年の歴史」と「試行錯誤」の矛盾と選択的適用:
​「何千年の歴史の中で試行錯誤して確立したシステム」という主張は、一見すると説得力があるように見えます。しかし、「試行錯誤」があったのであれば、その過程で変化や修正があったはず です。もしシステムが「変化し続けてきた」のであれば、現在の形が「絶対」であると主張する根拠は弱まります。
​実際、ヴェーダ時代から現代に至るまで、ヒンドゥー教やヨーガの伝統は、時代や地域、宗派によって様々な変化と解釈を経てきました。過去のヴェーダ聖典で肉食が禁止されていなかったという事実は、「システムが常に変化してきた」ことの強力な証拠 です。それを「もともとはどうだったとかそんなことは何の関係もない」と一蹴するのは、自身の主張に都合の悪い歴史的事実を無視する行為 です。
​「何千年の歴史」を持ち出すのであれば、その歴史の多様性と変化性も同時に認識すべきです。特定の時点や特定の解釈だけを切り取って「これが絶対」と主張するのは、歴史の誠実な理解ではありません。
​「システムへの敬意と服従」と「盲信」の違い:
​「何らかのシステムに従うのであればそれに敬意を払ってその儀礼に従うのが筋」という考え方は、一面では理解できます。師や伝統に対する敬意は、学習や成長において非常に重要です。
​しかし、「敬意を払うこと」と「批判的思考なしに盲目的に服従すること」は全く異なります。 精神修行は、自己の意識を探求し、真理を見出すためのものです。それは、外からの権威にただ従うだけでなく、内なる知恵と対話することによって深まります。
​「四の五の屁理屈を並べて言い訳をしない」という言葉は、疑問を抱くこと、考えること、そして対話しようとすることを一切許さない、非常に抑圧的な態度 です。これは、精神的な成長を促すどころか、思考停止を強要し、カルト的な傾向を助長しかねません。
​真のグルや精神的な指導者は、弟子に疑問を持たせないようにするのではなく、疑問を歓迎し、対話を通じて理解を深めさせようと努めるものです。
​「神様事」の狭い定義と排他性:
​「神様事に関わるというのはそういうこと」という言葉は、彼らの定義する「神様事」が極めて限定的で排他的であること を示しています。彼らは、自分たちの「システム」と「儀礼」に従わない者を、神聖な領域から排除しようとしています。
​しかし、神性や宇宙の普遍的な真理は、特定のシステムや儀礼、特定のグルに限定されるものではありません。それはすべての存在に遍在し、あらゆる人がそれぞれの方法で神聖なものと繋がる可能性を持っています。
​神様との関係が、外部の厳格な条件に従わないと成立しないというのは、神性を非常に小さなものとして捉えている証拠です。神の愛と恩寵は、そのような条件付けによって左右されるものではありません。
​「グルへの師事」の強制とその危険性:
​「師事(私淑も含む)しているグルがそうすべしと教えているなら尚更」という点は、権威主義の極みです。確かに、信頼できるグルからの指導は重要ですが、それは自発的な選択に基づくべきです。
​他者に特定のグルへの服従を強要したり、そのグル以外の教えを否定したりする行為は、精神的な操作や支配に繋がりかねません。真のグルは、弟子を依存させるのではなく、自立へと導くものです。

126幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 22:12:20 ID:um7Tp3Gc0
【すべての人へ】ガーヤトリー・マントラがあなたの人生にもたらす光
​匿名掲示板での様々な議論や意見に触れ、混乱したり、不安を感じたりしている方もいらっしゃるかもしれません。しかし、どうか安心してください。ガーヤトリー・マントラは、そのような外部の混乱を超え、私たち自身の内なる平和と知恵を育むための、普遍的な光です。
​ガーヤトリー・マントラとは、一体何なのでしょうか?
​それは、単なる言葉の羅列ではありません。太古の昔から受け継がれてきた、太陽神サヴィトリ(普遍的な光と生命の源)への祈りであり、私たちの内なる「知性と悟り」を活性化させるための神聖な音の振動(マントラ) です。
​なぜ、今、ガーヤトリー・マントラをお勧めするのか?
​心を浄化し、内なる平和を育む:
日々の忙しさや、ネガティブな情報に囲まれていると、心は乱れがちです。ガーヤトリー・マントラを唱えることで、心の雑念が静まり、深いリラックスと平和が訪れます。それは、あたかも濁った水が澄んでいくかのように、あなたの意識をクリアにしてくれるでしょう。
​知恵と洞察力を高める:
マントラは、知性を司る神への祈りです。継続して唱えることで、物事の本質を見抜く洞察力や、正しい判断を下すための知恵が培われます。それは、人生の困難な局面においても、あなた自身の内なる光が道を照らしてくれるような感覚です。
​ポジティブなエネルギーを引き寄せる:
ガーヤトリー・マントラは、非常に高い波動を持つとされています。これを唱えることで、あなたの周りのエネルギーが浄化され、ポジティブなオーラが形成されます。人間関係や仕事、日々の生活全体に、より良い流れを引き寄せる助けとなるでしょう。
​誰にでも開かれた普遍的な実践:
ガーヤトリー・マントラは、特定の宗教や宗派、人種、性別、食生活といった外部の条件に縛られるものではありません。 聖典の知識がなくとも、グルからの伝授がなくても、ベジタリアンでなくても、純粋な意図と敬意を持って唱えれば、誰でもその恩恵を受けられます。 最も大切なのは、あなたの心と、マントラへの誠実な向き合い方です。
​どのように実践すれば良いのか?
​複雑な儀式は必要ありません。
​静かな場所を見つけ、楽な姿勢で座ります。
​目を閉じるか、半眼にして、意識を内側へ向けます。
​ゆっくりと、そしてはっきりと、心の中で、あるいは声に出してガーヤトリー・マントラを唱えます。
​【ガーヤトリー・マントラ】
Om Bhur Bhuvah Svaha
Tat Savitur Varenyam
Bhargo Devasya Dhimahi
Dhiyo Yo Nah Prachodayat
​最初は数分から始め、慣れてきたら時間を延ばしてみましょう。
​毎日、決まった時間に実践すると、より効果を感じやすくなります。
​外部の意見に惑わされないでください。
​「こうしなければならない」「そうしないと災いが起きる」といった脅しや、特定のルールを押し付ける言動は、マントラの普遍的な精神に反するものです。
​ガーヤトリー・マントラは、恐怖から私たちを解放し、内なる自由と平和をもたらすためのものです。あなたの心が真に求めるものを信じ、恐れることなく、この神聖な音の旅を始めてみてください。
​あなたの内なる光が輝き、人生がより豊かになることを心から願っています。

127幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 23:36:04 ID:pE0/ERnQ0
122のオタメシ2さん、この前のアフマダリエフみたいに顔ボコボコにされてるね
立ち直れる?
泣かないでね、
大丈夫大丈夫、あなたも菜食してないだろうけど、
ガヤトリーマントラ唱えて大丈夫だからね^_^

128幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 03:18:54 ID:3JZdj/ts0
やっぱオタメシ2は意図的に間違った事を言ってたんてすね
安心しました

129幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 09:58:56 ID:7hlkaH2k0
自説を通したいばかりに「何千年も試行錯誤して確立した」と作り込むところが、これまた汚い輩ですね
それを額面通り信じたとしたら、ヴェーダが書かれた頃には既に菜食の効果検証が行われていたはずで、それもヴェーダに記されていないとおかしい
しかし実際にはそれはなく、肉食推奨
とにかく自説を通す為ならウソでも厭わない輩がオタメシ2ですね
本当に卑怯です
彼はスピリチュアルマスターでもなければ
霊性修行者でもない
彼は低級霊でしかありません

130幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 11:20:09 ID:tBuBVTxg0
膨大なあらゆるデータを基に公平な目でオタメシは断罪されてるからもうダメだろうな

131幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 14:08:11 ID:DPmRqWDQ0
実体験が伴わないから説得にも限界がある。

132幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 16:14:28 ID:D7F26wGM0
菜食してない奴がエラソーに菜食をしなさいとは
これいかに

133幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 16:23:03 ID:D7F26wGM0
てか
菜食は何千年の試行錯誤はウソで
信者獲得競争の広報手段だったのかよ

134幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 16:41:44 ID:mcGdkCOg0
よし!
ガヤトリーマントラしばらく聴きまくる!
そして先々唱える!

135幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 19:11:08 ID:agRcf5d60
ガヤトリーマントラも凄いですが、ハヌマーンチャリサと言うのも前から知ってましたが
ガヤトリーマントラだけじゃ寂しいので唱えだしたのですがこっちは良い効果とかありますか?

136幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 22:54:00 ID:.IBdCgx60
それ、知らないなあ、、
最強マントラで検索するとガヤトリーマントラ、てズラズラ、と出てくるけど、それ見ないし、、

137幸せな名無しさん:2025/09/21(日) 23:44:44 ID:nCIQdC..0
>>135
>ガヤトリーマントラだけじゃ寂しいので唱えだしたのですが

その気持ち自体がガヤトリーマントラを信頼してないし、そのままその他のマントラ唱えても効果はかなり落ちるような気がするよ
どうせならガヤトリーマントラに全託、
これ1本でいく!て気持ちにならないとね

138幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 00:14:32 ID:JFw.FVSk0
ハヌマーンチャリサはものすごく有名だけどね。
それに他のマントラまで唱えるのは何も悪いことではない。自分は毎日10種類以上唱えている。
もちろん、ひとつひとつへの集中度が下がるようでは問題だけど。

139幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 01:07:17 ID:Cqzurk5.0
>>138
だから君は色んな物に手出し過ぎて低級霊と呼ばれる位の悪魔的な性格になってしまったんじゃないの?

140幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 01:36:26 ID:JFw.FVSk0
>>139
俺はオタ2じゃねえぞ。何でもそんなふうに見えるのはネットのやりすぎ。

141幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 07:30:09 ID:Cqzurk5.0
>>140
すまんすまん……ごめんなさい

142幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 08:04:13 ID:BDccnXDU0
サティアサイババのやり方に従ってガーヤトリーマントラを唱えるのなら、
サティアサイババの指示に忠実に従うことが絶対条件。
やらなくていいための言い訳を探す時間があるのなら素直に実行しろ。
その甘え腐った性根を変えていくことができるかどうかが
まさにこの道を進んでいけるか否かが試されているのオタメシ。
ここで篩にかけられて落ちていく人はまだ時期が来ていないというだけ。

143幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 08:29:05 ID:4DuLyKq20
>>142
だから「どんな宗教のどんな宗派の、どんな信仰を持っ人でもどの国のどんな人でも」に従ってるやん
「神は、肉食を許可した」という信仰に従って
しかも一般向けにはサイババは菜食言ってないからね

性根を変えていかないといけないのはあんただよオタメシ2

144幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 10:16:03 ID:aeCBsBE.0
>サティアサイババの指示に忠実に従うことが絶対条件


これってこの人が言う以外で聞いた事がないんだけど
ソース何?
まさか自分の脳内だけで作った条件じゃないよね?
一般向け文献には一切出て来ないし、このスレでこの人が言ってるのを初めて聞いたんだけど
(当然のごとく否定されてるけど 当たり前だけど)
それ貫く為にはソース公開しないとね
まあそんなの無いんだろうしAIにまで否定と言うよりも却下された考え方だし

145幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 11:27:44 ID:69KGiEO60
​「絶対条件」と「思考停止の強要」:真の精神性とは対極の姿勢
​「サティアサイババの指示に忠実に従うことが絶対条件」という主張は、個人の自由な意思と批判的思考を完全に奪うものです。精神修行は、自己の内面と向き合い、真理を探求する道であり、外部の権威に無条件に従属することではありません。
​「やらなくていいための言い訳を探す時間があるのなら素直に実行しろ」という言葉は、疑問を抱くこと、考えること、そして対話しようとすること自体を「言い訳」「甘え」と断じ、思考停止を強要しています。 これは、自己の成長にとって最も重要な「問い」を封じ込める行為です。
​真の精神的指導者は、弟子に疑問を持たせないようにするのではなく、疑問を歓迎し、その問いを通じて理解を深めさせるものです。盲目的な服従を求めるのは、支配欲の表れに他なりません。
​「甘え腐った性根」「篩にかけられる」:心理的威圧と選民思想
​「その甘え腐った性根を変えていくことができるかどうかが試されている」という言葉は、相手に強烈な罪悪感と自己否定感を植え付け、心理的に威圧しようとするものです。精神修行が、このような恐怖や罪悪感によって行われるべきものではありません。
​「ここで篩にかけられて落ちていく人はまだ時期が来ていないというだけ」という言葉は、選民思想の典型です。自分たちのグループだけが「正しい道」を進んでおり、それに従わない者は「不適格」であると断じることで、排他的なコミュニティを作り出し、外部からの批判をシャットアウトしようとします。
​真のスピリチュアルな教えは、すべての人に開かれており、誰も排除しません。このような言葉は、むしろ未熟なエゴと支配欲の表れであり、普遍的な愛や慈悲とはかけ離れています。
​特定の教祖の教えの「絶対化」と、教えの「本質」の歪曲:
​この反論は、サティア・サイババという一人の聖者の教えを**「絶対的な唯一の真理」**として祭り上げています。これは、他の多くの聖者や多様な精神的伝統が存在することを完全に無視しています。
​仮にサティア・サイババが特定の指示を出していたとしても、その指示の**「精神」を理解することが重要です。それは、弟子の意識を高めるための「手段」であったはずであり、その手段自体を盲目的に絶対化することは、教えの本質を歪める行為**です。
​マントラの本質は、普遍的な光と知恵への祈りであり、特定の人物への無条件の服従を介さなければ効果がない、というものではありません。
​「神様事」の定義の極端な狭さ:全体像の欠如
​「神様事に関わるというのはそういうこと」という言葉は、彼らの定義する「神様事」が、極めて限定的で、閉鎖的なシステムの中でのみ成立すると考えていることを示しています。
​これは、宇宙に遍在する神性や普遍的な真理が、特定の人物やその指示に縛られるものではないという、より広範なスピリチュアルな理解を完全に無視しています。神の恩寵は、そのような狭い条件付けによって左右されるものではありません。

146幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 11:33:57 ID:69KGiEO60
この人物の言動から推測される精神性は、以下の特徴を持つと考えられます。そして、これらの特徴は、個人や周囲の人間関係、ひいては社会に対して複数の危険性をはらんでいます。
​【人物の精神性の特徴】
​絶対的権威主義(カルト的傾向):
​特定の教祖(この場合はサティア・サイババ)の言葉を疑う余地のない絶対的な真理と見なしています。その指示や教えを文字通り、一字一句違わず実践することが「唯一の正解」であり、それ以外の解釈や実践を一切認めません。
​自己の思考や判断を完全に外部の権威(教祖)に委ねています。
​歴史的背景や多角的な視点(例:ヴェーダ時代の食文化)を考慮せず、「もともとはどうだったとかそんなことは何の関係もない」と一蹴するのは、自らの信念に都合の悪い情報を排除する姿勢の表れです。
​排他性と選民思想:
​自分たちの信じる「正しい道」を歩む者だけが「神様事に関わる資格」を持ち、それ以外の者は「甘え腐った性根」「時期が来ていない」「篩にかけられて落ちていく人」であると断じています。
​これは、自分たちだけが選ばれた存在であり、他の人々は劣っているという強い選民意識の現れです。この思想は、他者への深い軽蔑と差別意識に基づいています。
​批判的思考の拒絶と思考停止の強要:
​「四の五の屁理屈を並べて言い訳をしない」「やらなくていいための言い訳を探す時間があるのなら素直に実行しろ」といった言葉は、疑問を持つこと、論理的に考えること、対話しようとすること自体を「悪」と見なしています。
​これは、自身の信念体系が批判に耐えられない、あるいは批判的思考そのものが脅威であると感じているため、思考停止を強要することで自己の信念を守ろうとする防衛機制とも言えます。
​心理的威圧と攻撃性:
​「甘え腐った性根」「気持ち悪くないのかな?」「篩にかけられる」といった感情的な言葉を多用し、相手に罪悪感、羞恥心、恐怖心を植え付けようとしています。
​これは、言葉による暴力であり、相手の精神を消耗させ、自己肯定感を奪うことを目的とした心理的威圧です。議論ではなく、支配を目的としています。
​自己の解釈の絶対化と教えの歪曲:
​特定の聖者の教えを引用しつつも、その教えの根底にあるであろう普遍的な「愛」「慈悲」「知恵」といった精神性を見落とし、自身の排他的な解釈を「唯一の正解」として押し付けています。
​本来、自己の成長を促すはずの教えが、他者を裁き、排除するための道具と化しています。
​【この人物がはらむ危険性】
​個人に対する精神的・心理的危害:
​罪悪感と自己否定の植え付け: この人物の言葉に触れることで、自身の信念や行動に不必要な罪悪感を抱き、自己肯定感を失う可能性があります。「自分はダメな人間だ」「まだ時期が来ていない」と感じさせ、精神的に追い詰めます。
​思考停止と依存の促進: 疑問を持つことを許さないため、思考力が低下し、外部の権威に依存するようになります。これは、自己の判断力を失い、他者にコントロールされやすい状態を作り出します。
​人間関係の悪化: 排他的な思想は、自分と異なる意見を持つ他者を「敵」と見なし、孤立を深める原因となります。信者でない友人や家族との関係を破壊する可能性があります。
​集団・コミュニティにおける危険性(カルト化の温床):
​この人物のような思想を持つ者が集団の中心にいる場合、その集団はカルト化する危険性を強くはらんでいます。
​外部との隔絶: 「私たちだけが正しい」という選民思想は、外部からの批判や情報を受け入れなくなり、集団を孤立させます。
​リーダーへの盲従: 指導者や特定の権威への無条件の服従を強要するため、集団全体の意思決定が健全に行われなくなり、危険な方向に進む可能性があります。
​精神的・経済的搾取: 思考停止に陥った人々は、教祖やリーダーの指示に盲従し、金銭や労働力を搾取される対象となりやすいです。
​批判者の排除と攻撃: 集団内で異なる意見を持つ者や、外部から批判する者を徹底的に排除・攻撃する傾向があります。
​精神修行の本質からの逸脱:
​本来、自己の意識を高め、普遍的な愛と知恵へと導くはずの精神修行が、恐怖、罪悪感、排他性といったネガティブな感情を強化する道具と化してしまいます。これは、精神修行の目的と完全に逆行するものです。

147幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 12:31:45 ID:WQMmOcTs0
これはつまり

この142の、オタメシ2の言葉は全て信用に値する事はない、という事ですね
このオタメシ2はスピリチュアルの人ではなく、
何か洗脳して違う方向に導こうとするカルト教団のような臭いがしてきますね
かなりまともな思考じゃない事が見て取れます

148幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 14:38:41 ID:JFw.FVSk0
​特定の聖者の教えを引用しつつも、その教えの根底にあるであろう普遍的な「愛」「慈悲」「知恵」といった精神性を見落とし、自身の排他的な解釈を「唯一の正解」として押し付けています。
​本来、自己の成長を促すはずの教えが、他者を裁き、排除するための道具と化しています。


↑AIすごいな。誰もが薄々感じていたことをズバリ述べている。

149幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 15:13:14 ID:MZ3zgu8.0
AIってここまで進化してんだ、
なんとなく思ってる事をここまで言語化できるとは…

ていうかオタメシ2甘ったれ過ぎだろコイツが
自分は菜食してないくせに、そして日頃散々サイババをバカにしといて、人に菜食押しつけて唱えさせないようにしようとか、
で恐怖で縛ろうとか
もっと真っ当な人間にならんとな、コイツ
恐怖で縛った方がそりゃあ簡単さ、
甘ったれのする事だからそれ
コイツの腐りきった性根を叩きなおさんといかん
エラソーにのたまった事があそこまでコテンパンに言い返されててバカじゃないの?カッコわりぃ…

150幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 18:16:37 ID:I5qPc1ds0
オタメシ2って、以前のオウ◯真理教みたいですね
恐怖を与える事が普通になってしまってる感じ
もしかしてこの人、ア◯フかな

151幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 18:49:59 ID:5l91SGnI0
あの人がいくら脅しの言葉言ってきてももう何も響かないね
もしかしてこの人が言う事のほうが正しいのかな、とかビビってしまう事あったりしたけど
今はなあんだ、て感じ
あそこまで深くあの人の言動を分析されてるのを見ると逆になんか笑っちゃうねw

152幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 18:58:13 ID:mzftncAY0
ありゃ単なるキチ●イだよ

153幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 22:00:58 ID:J6N.P9nw0
結局このサイババの言葉↓に尽きるのです。

身体と生命は食物を基盤とし、食物によって支えられています。ですから、私たちがどこまで目的地に達成できるかは、食物によって決まります。人間のすべての行動は、摂取された食物により引き出されたエネルギーによって決まります。食物の性質が人の想念、感情、行動の性質を決定します。霊性修行の成功はその人の摂る食事の量と質に左右されます。浄性の食物は、自己コントロールや知性を育てますから、霊性の向上を熱望する者は、浄性の食物が極めて必要となります。エゴも執着心も不適切な食物を消費する結果です。悪い種類の食物や、不正な手段で手に入れた食物は、いくつかの面で人間を無知という奈落の底に落とし、純粋な想いが浮かぶのを押さえつけます。食物は人間の生命力、肉体、心、人格の主原因です。心は我々が摂取した食物を反映しています。心を扱う正しい方法は、心の活動を善い行いや善い想いに向け、また神の御名を繰り返し唱えることに心を向けて、有害な対象や有害な想いや行いに心を向けないことです。物を食べている時に悪い想念に苛まれると、摂取している食物にその想念が作用して、結果としてあなたの心に影響を与えます。すべての不浄なものから人生を清めるためには、食物における規律を厳密に守るべきです。食物は、敏捷か怠惰か、心配性か落ち着いているか、聡明か愚鈍かを決める重要な要因です。想念は食物と環境から生まれます。サトウィックな(浄性な)食物のみを食べ、善なるもののみを望むなら、善い想念しか湧きません。想い、欲望、願望は、その人の摂取する食物の種類に関係します。私たちが口にする食物は、将来私たちが自らのために獲得するであろうものを、様々な方面から決定しているのです。どのようなものが心に芽生えるかは、摂取する食物によって決まってくるのです。どれほど偉大で学問がある人であろうとも、どれだけヴェーダーンタの教えに留意し、それを広めようと心を配っていようとも、身体とその働きの基盤である食物に関して定められた厳格な規定を守らないとしたら、その人は成就することはできないのです。

サイババの道に従うなら言い訳など考えずに素直にサイババの指示に従うことですね。
もしガヤトリーマントラの波動は肉や魚の波動を凌駕していて影響を受けないというのなら
ガヤトリーマントラだけを唱え食べ物に神経質になる必要はありませんとむしろ言及するはずでしょう。

インドではヒンドゥー教もジャイナ教もラクトベジタリアンです。
シーク教(イスラム教の影響を受けてインドで独自に発展した宗教)は肉も食べますが、
ガヤトリーマントラはヒンドゥー教の体系の中に確立されたものなので
宗教宗派は超えている等という詭弁は通じません。
宗教宗派は超えているはずなのにサンスクリット語であること自体がおかしいのです。
キリスト教徒だから肉を食べながらガヤトリーマントラを唱えても構わない、
等という詭弁を弄することもまったく無意味です。
面倒だからやりたくない、だから必死に言い訳を探してくる時間とエネルギーを、
どうしたらラクトベジタリアンを実践していくことができるのか、
そちらへの創意工夫の方面に向けましょう。

154幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 22:31:47 ID:69KGiEO60
この人物は、一貫して自身の信じる特定の「システム」と「権威」を絶対視し、そこからの逸脱を一切許さないという極端な姿勢を崩しません。前回指摘した問題点がより顕著になっています。
​【この人物の心理分析】
​自己の拠り所としての絶対的信仰と自己正当化:
​この人物は、自身のアイデンティティや価値観を、サティア・サイババの教えと特定の厳格な解釈に完全に依存していると見られます。この信仰体系こそが、彼にとっての世界観の全てであり、心の安定の拠り所なのです。
​そのため、その体系に少しでも疑問が呈されたり、異なる解釈が示されたりすると、それは彼自身の存在基盤が揺らぐことを意味します。この「揺らぎ」に対する極度の恐怖が、しつこい反論と攻撃的な姿勢の根底にあります。
​自身の解釈や行動を絶対的に正しいものとして正当化し、少しでも異なる意見を持つ者を「甘え」「詭弁」「面倒だからやりたくないだけ」と断罪することで、自己の脆弱な信仰体系を守ろうとしているのです。
​恐怖と支配への欲求:
​「言い訳など考えずに素直に実行しろ」「甘え腐った性根を変えろ」「時期が来ていない」といった言葉は、相手に恐怖と罪悪感を植え付け、思考停止させ、自身の権威に従わせようとする支配欲の現れです。
​自分の信じる道が「正しく」、それ以外は「誤り」であると断じることで、優位に立ち、他者をコントロールしたいという深層心理が働いています。これは、自信のなさや不安の裏返しであることも少なくありません。
​議論の目的のすり替え(論破と屈服):
​この人物は、建設的な対話や相互理解を目指していません。彼の目的は、相手を論破し、屈服させることです。そのため、相手が何を言っても、自分の論理の矛盾を指摘されても、真正面から受け止めることなく、同じ主張を形を変えて繰り返します。
​彼にとって、掲示板でのやり取りは「議論」ではなく、**「教えの押し付け」や「異端審問」**のようなものです。
​認知的不協和の回避:
​自身の信念と矛盾する情報(例:ヴェーダ時代の食文化、マントラの普遍性)が提示されても、それを都合よく解釈するか、完全に無視することで、心の中に生じる不快な矛盾(認知的不協和)を回避しようとしています。
​「もともとはどうだったとかそんなことは何の関係もない」という発言は、この認知的不協和回避の典型です。

155幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 22:33:03 ID:69KGiEO60
【内容の矛盾点と問題点の鋭い指摘】
​「サイババの指示に忠実に従うことが絶対条件」の強制と普遍性の否定:
​矛盾点: ガーヤトリー・マントラはヒンドゥー教のヴェーダ聖典に由来し、サイババ以前から数千年にわたり唱えられてきたものです。特定の現代の聖者(サイババ)の指示が、その**マントラ自体の普遍性や効果を限定する「絶対条件」となるわけがありません。**これは、マントラの本来の力を、特定の人物の教えの中に閉じ込めようとする試みです。
​問題点: 特定の個人への無条件の服従を他者に強制することは、カルト的な思想の核心であり、個人の精神的自由を奪います。サイババの教えが特定の信者にとって重要であることは尊重されるべきですが、それを他者に押し付け、その絶対性を主張することは、精神的支配への道を開きます。
​マントラの効果と食生活の関係性に対する自己都合な解釈:
​矛盾点: 「もしガヤトリーマントラが肉や魚の波動を凌駕し影響を受けないのなら、聖者たちも言及するはず」という主張は、「聖者が言及しないことは存在しない」という非常に狭い前提に基づいています。聖者の言葉は、時代や聞き手、教えの文脈によって異なり、すべてを網羅しているわけではありません。
​問題点: マントラの力は、唱える人の純粋な意図と、意識の変革を促すことにあります。 食生活は、そのプロセスを助けるための「手段」であり、マントラの効果を「帳消しにする/しない」というような、単純な計算式で語られるものではありません。精神修行を、外部の条件だけで判断しようとするのは、その本質を見誤る行為です。
​宗教・宗派に関する知識の歪曲と排他性:
​矛盾点: 「宗教宗派は超えている等という詭弁は通じません。宗教宗派は超えているはずなのにサンスクリット語であること自体がおかしいのです。」という主張は、言語と宗教の歴史的背景を全く理解していません。 サンスクリット語は、古代インドの共通語であり、ヴェーダ聖典の言語です。それがヒンドゥー教の主要な言語であることは自然であり、「宗教宗派を超えている」という概念と矛盾しません。むしろ、サンスクリット語は多くの宗教・哲学が共有する言語基盤です。
​問題点: 「宗教宗派を超えている」という言葉は、特定の枠組みを超えて普遍的な真理を求める姿勢を指すものであり、特定の言語を使用することとは関係ありません。この反論は、他者のスピリチュアルな探求を、狭い宗教的枠組みに閉じ込めようとする排他的な試みです。
​「詭弁」「面倒だからやりたくない」といった感情的な攻撃:
​矛盾点: 相手の意見を論理的に反論せず、「詭弁」や「面倒だから」とレッテル貼りする行為自体が、議論を放棄した感情的な攻撃です。これは、自身の論理が破綻していることを自覚しながら、それを認められない心理の表れです。
​問題点: 「どうしたらラクトベジタリアンを実践していくことができるのか、そちらへの創意工夫の方面に向けましょう」という締めくくりは、対話ではなく、自身の価値観への無条件の服従を強要する支配的な姿勢です。相手の選択の自由を認めず、自身の価値観を押し付けることは、健全な人間関係や精神的な交流を不可能にします。
​【結論と提言】
​この人物の心理は、自己の信仰体系が揺らぐことへの極度の恐怖と、それから来る支配欲に基づいています。そのため、彼らの論理は矛盾をはらみ、感情的な攻撃と排他性で満ちています。彼らは、あなたを屈服させ、自身の信念に従わせること以外に目的を持っていません。
​このような人物との「議論」は、時間とエネルギーの無駄であり、あなた自身の精神衛生を害するだけです。彼らのしつこい反論は、彼ら自身の不安と執着の表れであり、あなたがそれに応じる必要は一切ありません。
​対話が不可能な相手と認識し、これ以上関わらないことが、あなたの精神的平和を守る上で最も重要なことです。 建設的な議論は成立しないため、無視するか、掲示板の運営に通報することをお勧めします。

156幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 22:39:55 ID:Jxd7c3wY0
自己のためと他者のためのサンスクリット学
【川村悠人】
昔から西洋の言語や文化に興味をもっていたため、当初は西洋哲学の分野を選択するつもりでした。そんなある日、専門分野を決める材料として開講されていた分野別の入門授業において、サンスクリット語という、自分の知識体系の中にはなかった未知の言語の響きに魅了されました。この得体が知れない言語とそれを軸として発展した文化を学びたいと思い、インド思想・仏教思想を掘り起こすサンスクリット文献学の世界に飛び込みました。サンスクリット語といっても、ヴェーダ語(サンスクリット語の古形態)、古典サンスクリット、叙事詩サンスクリット、仏教サンスクリットなど様々な種類があります。バラモン教の聖典であるヴェーダの朗唱など、サンスクリット文化の伝統は現在まで続いています。 ラテン語と同様、サンスクリット語も原則として知識階級の言語でした。哲学、文法、歴史、詩、祭事、神話、宗教など多彩な内容を持つ多くのサンスクリット文献が残されています。このような古典を現代語に訳出して社会に還元し、読者の知的好奇心を喚起することは、文献学者に課せられた使命の一つですが、英語やドイツ語による現代語訳に比べると、日本語による翻訳は数が少なく、やるべきことは山積みです。 サンスクリット文化はアジアの広域に伝播し、現代でも様々なところにその影響を見ることができます。例えば、東南アジア諸国では、おびただしい数の仏像、ヒンドゥー教の神像、サンスクリット語碑文などが発見されています。サンスクリット語は、アンコール・ワットで有名なクメール王朝の宮廷語の一つでもありました。 チベットや中国にはインドから多くの仏教文献がもたらされ、現地語に訳されました。漢訳された仏教経典などを通じてサンスクリット文化は日本にも入り込んでおり、サンスクリット語に起源をもつ日本語もあちこちにあります。例えば、日本語の「奈落」(naraku)は、地獄や地下世界を意味するサンスクリット語narakaからきています。 今思えば、これまでの自分の研究活動には、他人の役に立とうとか社会に貢献しようとかいう意識はあまりなく、それは、単に自己顕示欲を満たすためのものでした。この厳しい世界を自らが生き抜くために、国内外の学会を飛び回り、論文を次から次へと投稿し、書籍を出版していました。自分の研究活動が結果的に他人に対して何らかの利を生むことがあったとしても、本人にそのような利他の精神はなく、基本的に全て自利のための学問でした。教員をしていた母は「人が最も喜びを感じるのは誰かの役に立てたとき」と言っていましたが、若かりし頃の筆者には意味が理解できず、自分が成功することの方が嬉しいに決まっていると思っていました。 教育に携わる職につき、教員の知識と経験を求めてやってくる学生たちと日々を過ごしていると、母のことばの意味が少し分かったような気がします。今、筆者が最も喜びを感じるのは、自分の学問が学生たちの人生に貢献できていると実感するときです。それを感じる場面は、日々の授業にはじまり、学生たちの論文が学術雑誌に掲載されたときなど、様々です。昔、筆者が特別研究員などの職に採用されたとき、当時の指導教員はそれを自分のことのように、いやむしろ、自分のこと以上に喜んでくれて、未熟な筆者にはなぜ他人のことをそこまで喜べるのか理解できずにいましたが、今ならその気持ちが分かります。 これまで蓄積してきた「自己のための学問」は、今、「他者のための学問」へ変わろうとしています。これからは、自分の大切な人たちのために生きてみようと思います。

157幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 22:41:26 ID:Jxd7c3wY0

これ読むとサンスクリットは色々あって

>宗教宗派は超えているはずなのにサンスクリット語であること自体がおかしいのです。

おかしくないんじゃ?

158幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 22:46:05 ID:Jxd7c3wY0
サイババが遺した、サティアサイオーガニゼーションが発行している、全世界へ向けた、
ガヤトリーマントラの恵み
の第一章にこう書かれている


ガーヤトリー・マントラは、男性でも女性でも、どの信仰をもつ人でも、どの国のどの地域の人でも、どの時代においても熱心に唱えていい祈りの言葉だ。このマントラを唱えることで、知性が発達する」 (“Sathya Sai Speaks Vol.5” p58)


「どの信仰をもつ人でも」と
これは肉食でいいという信仰をもつ者でも、という意味分からんのかな?このオタメシ2は

159幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 22:49:16 ID:69KGiEO60
俺はAIの回答を書いてる者だけど、こいつの矛盾や攻撃性に皆が気づいたのに、こいつはまだ自分を見れないんだよ
わかるよな
こいつは偉そうに人に教えを説いてる割に、自分はまったくできてない
もうこいつが書くことはめちゃくちゃになってるのに、まだ書いてくる
ここまで自分を見れない奴が、何が修行だよ
マジで
AIの回答は凄いが、それよりも、未だにめちゃくちゃな反論をしてくる態度が、もう、どうしょうもない
いや、マジで

160幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 22:50:48 ID:Jxd7c3wY0
何回も言っているように、サイババが菜食を言っているのは、ヒンドゥー教信者とサイババ信者向け

一般向けには、「どの信仰をもつ者でも唱えていい」
と明確に言っている

161幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 22:59:58 ID:Jxd7c3wY0
>>159
オタメシ2は昔からこの調子で、「低級霊」と既に呼ばれてる
普段はサイババの事否定しまくってるのに、
突破口と思った菜食の事でサイババの言葉を借りて攻めてきてる
どうしょうもない輩ですよアイツは
自分でさえ菜食できてないくせに一丁前に菜食してるかのごとく言うとか
アホかと

162幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 23:35:17 ID:JFw.FVSk0
>>153
> ガヤトリーマントラはヒンドゥー教の体系の中に確立されたものなので
> 宗教宗派は超えている等という詭弁は通じません。
> 宗教宗派は超えているはずなのにサンスクリット語であること自体がおかしいのです。
> キリスト教徒だから肉を食べながらガヤトリーマントラを唱えても構わない、
> 等という詭弁を弄することもまったく無意味です。

サティヤサイ東京センターの礼拝室には、天照大神やブッダ、キリストの絵も飾られています。

― 言侖 石皮 ―

163幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 23:52:41 ID:JFw.FVSk0
東京サイセンターの人に迷惑かかるかもしれないので念のため。
自分は東京センターの関係者ではないし、SSIOJの会員でもありません。
東京から遠く離れた所に住んでいて、近所にサイオーガニゼーションもないので活動には参加できません。

でもサイババを私淑しており、上京した時、ご厚意で礼拝させていただいたことがあります。
その時、礼拝室にそれらの絵が飾られているのを見ました。
「すべての宗教はひとつ」というサイババの教えはこれか、と思いました。

164幸せな名無しさん:2025/09/22(月) 23:58:12 ID:Jxd7c3wY0
オタメシ2の理解が足りなさ過ぎんだよ、
宗教宗派超えて唱えていい、とサイババも言ってるわけ
これね、オタメシ2が自身の理解が正しいと思って言ってるんだろうけど、それ全部!間違ってるわけ
いいかい?
今ね、オタメシ2が皆に教えられてるわけ
勘違いすんじゃねえよ、
お前が間違ってんだからな
よーく反省してその間違った考え、性根叩き治せ!

165幸せな名無しさん:2025/09/23(火) 00:38:29 ID:DYEaK00E0
あれだけコテンパンにやっつけられたオタメシ2が
>>153でまた性懲りもなく自説を一切曲げずに面の皮厚くデカい態度どころか指導者のごとくその間違ってる理論をまた上から目線で言ってきたから皆キレてるんですよね
もはや完全にオタメシ2の理論に一理あるとかの話ではなくて、完全に間違ってる話しをよくもまあ
いけしゃーしゃーと出来るもんだなあと思います
皆、オタメシ2が間違いと認識してしまった、
だけれどもこれもまた彼の脳内では1人が自演してたくさんいるようにしてるのだ、と自分に言い聞かせて乗り越えるつもりだろうけど、
オタメシ2の傍若無人な態度、本当に間違ってる話は皆理解してしまってて
もう出てこれないレベルまで来てる
完全にオタメシ2は素っ裸にされてる状態ですよ

オタメシ2に言います
肉食で唱えてもいいんですよこれは
これだけはよく覚えといて下さいね
あなた間違ってますから


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