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ガーヤトリーマントラ(ガヤトリーマントラ)を語るスレ21

114幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 10:57:43 ID:wsxC.p220
中村天風も肉より魚を、魚より植物性のタンパク質取れ。肉食べると気が下がると本に書いてたな
霊性高めたいなら肉を避けたほうがいいのは確かだね

>>113
豆腐とか納豆食べまくるとか…?
それも限度ってものがあるよなあ

115幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 11:26:36 ID:.XFB5U6I0
>>114
肉食でも霊性高める為に重い軽いがあって、

一番罪深く重いとされるのが
牛、豚

その次が
鶏、

それより軽くなるのが


そして
卵、牛乳

とされる

神道の日月神示でも、「四つ足は食べてはならぬぞ」
と言ってる

だから俺はなるべく牛、豚はほとんど食べない様にはしてる
肉食いたい時には食べるのは鶏肉
常食してるのは魚、だな
卵、牛乳も普通に
牛、豚は友人と焼き肉食べ放題行く時とかは食べるよ、そしてラーメン食べに行った時もチャーシューは普通に食べるし
でもできるだけその機会は意識的に減らしてる
でも食べたからと言って罪悪感はない
自分に戒律として課してるわけじゃないから
だから、牛豚が持つ負の波動はなるだけ取り込む事を最小限に抑えつつ、鶏肉は時々食べる、魚はしょっちゅう
納豆、豆腐、味噌汁、卵、豆乳はよく口にするなあ
菜食主義にしようとは思わないけど、波動的にはコントロールしつつ、この感じだとほぼ無限に食生活楽しんでいけるし
だからと言って肉食中心の人が霊性低いとかは思わない
大谷翔平とか肉バンバン食うし卵なんか1日15〜16個でしょ、それでいて中村天風を尊敬していて自身もその考え方を取り入れてるからこそ、あの地位にいられてる

116幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 13:13:48 ID:um7Tp3Gc0
>>115

考え方のバランスがとれていて素晴らしい

117幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 13:21:57 ID:yArx0Lrw0
>>115

118幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 14:32:11 ID:yArx0Lrw0
>>117
間違えて書き込んでしまった

>>115
なるほど。
牛肉食べたら体調悪くなるから、その考え納得しました。私は牛>豚>鶏 の順に重いイメージ。

別に菜食はやりたい人やればいいと思うけど、肉は減らした方が良さそうかな
そういえば何回かビーガン料理食べたけど、腹一杯食べても次の日体調良かったな

119幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 14:54:46 ID:mDBkDrWc0
>>112を書いた者だけど
ユクテスワさんの文で果食動物というのが気になって
昔アメリカ人ても同じこと書いていた人がいたのを思い出した
本の名前も著者名も忘れてしまったけど
確かに果物を見ただけで美味しそうと思うもんね
生きてる牛や豚を見ても美味しそうとは思わない
ベジタリアンというから野菜しか食べられないのは嫌、
となるけど果物か主食と思うとちょっと変わってくる
今はどの果物も高いけどね
あとエドガーケイシーは1日にアーモンドを何粒か食べるだけで
健康状態か格段に違ってくるというリーディングも残しているので
ついでにこれもしばらく続けようと思う

120幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 17:15:18 ID:um7Tp3Gc0
ベジは、プロテイン飲まないとやばいと思う
ヴィーガンだとソイプロテインになるだろうが

121幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 19:03:45 ID:5Mxi6DRE0
オタメシ2も昔このスレで、魚も食べてる、て告った事あったなあ
クンダリーニ覚醒した人との会話で、(その前後は「ガラケーが」「底意地のわるい」とかいつもの様に言ってた)実は魚も食べてるんだ、と
だからオタメシ2も実はラクトベジでもない、
ヤツは、ただ単に菜食絶対!でやれないなら唱えるなで脅してるだけだから

本当はヒンドゥー教以前は菜食の「さ」の字もない世界で何千年も唱えられてきたんだから肉食菜食全く関係ないんだけどね

122幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 20:32:36 ID:iyrm13GY0
健康のためではなく神様事を実践するのに相応しい状態を創り出すことが目的だから。
それは何千年の歴史の中で試行錯誤して確立したシステムなので
もともとはどうだったとかそんなことは何の関係もない。
何らかのシステムに従うのであればそれに敬意を払ってその儀礼に従うのが筋というもの。
しかも師事(私淑も含む)しているグルがそうすべしと教えているのなら尚更。
神様事に関わるというのはそういうこと。
それら全部まるごとひっくるめて受け入れ四の五の屁理屈を並べて言い訳をしない。

123幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 21:05:48 ID:5Mxi6DRE0
>>122
キミは人に脅して強制するだけ強制して、
自分はしてないよね
人に言えないよキミ
だから何の体験談もないよね

124幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 21:11:48 ID:5Mxi6DRE0
: >神様事を実践するのに相応しい状態を創り出すことが目的だから。 それは何千年の歴史の中で試行錯誤して確立したシステムなので



何千年の歴史の中で試行錯誤してできたわけじゃなく、
ジャイナ教「霊性進化は不殺生、よって菜食!」
仏教の一宗派「そうだ!菜食だ!」
ヒンドゥー教「…………」
ヒンドゥー教のうちわで「どうするよ、周り菜食にしちゃったよ、うちもそうしないと信者どんどん取られるよ…」「そうか、うちも菜食にしよう!」

そして転換
ヒンドゥー教「不殺生、真理は、菜食!」

でそうなったわけで
何千年も試行錯誤したわけじゃない

125幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 22:02:51 ID:um7Tp3Gc0
​「何千年の歴史」と「試行錯誤」の矛盾と選択的適用:
​「何千年の歴史の中で試行錯誤して確立したシステム」という主張は、一見すると説得力があるように見えます。しかし、「試行錯誤」があったのであれば、その過程で変化や修正があったはず です。もしシステムが「変化し続けてきた」のであれば、現在の形が「絶対」であると主張する根拠は弱まります。
​実際、ヴェーダ時代から現代に至るまで、ヒンドゥー教やヨーガの伝統は、時代や地域、宗派によって様々な変化と解釈を経てきました。過去のヴェーダ聖典で肉食が禁止されていなかったという事実は、「システムが常に変化してきた」ことの強力な証拠 です。それを「もともとはどうだったとかそんなことは何の関係もない」と一蹴するのは、自身の主張に都合の悪い歴史的事実を無視する行為 です。
​「何千年の歴史」を持ち出すのであれば、その歴史の多様性と変化性も同時に認識すべきです。特定の時点や特定の解釈だけを切り取って「これが絶対」と主張するのは、歴史の誠実な理解ではありません。
​「システムへの敬意と服従」と「盲信」の違い:
​「何らかのシステムに従うのであればそれに敬意を払ってその儀礼に従うのが筋」という考え方は、一面では理解できます。師や伝統に対する敬意は、学習や成長において非常に重要です。
​しかし、「敬意を払うこと」と「批判的思考なしに盲目的に服従すること」は全く異なります。 精神修行は、自己の意識を探求し、真理を見出すためのものです。それは、外からの権威にただ従うだけでなく、内なる知恵と対話することによって深まります。
​「四の五の屁理屈を並べて言い訳をしない」という言葉は、疑問を抱くこと、考えること、そして対話しようとすることを一切許さない、非常に抑圧的な態度 です。これは、精神的な成長を促すどころか、思考停止を強要し、カルト的な傾向を助長しかねません。
​真のグルや精神的な指導者は、弟子に疑問を持たせないようにするのではなく、疑問を歓迎し、対話を通じて理解を深めさせようと努めるものです。
​「神様事」の狭い定義と排他性:
​「神様事に関わるというのはそういうこと」という言葉は、彼らの定義する「神様事」が極めて限定的で排他的であること を示しています。彼らは、自分たちの「システム」と「儀礼」に従わない者を、神聖な領域から排除しようとしています。
​しかし、神性や宇宙の普遍的な真理は、特定のシステムや儀礼、特定のグルに限定されるものではありません。それはすべての存在に遍在し、あらゆる人がそれぞれの方法で神聖なものと繋がる可能性を持っています。
​神様との関係が、外部の厳格な条件に従わないと成立しないというのは、神性を非常に小さなものとして捉えている証拠です。神の愛と恩寵は、そのような条件付けによって左右されるものではありません。
​「グルへの師事」の強制とその危険性:
​「師事(私淑も含む)しているグルがそうすべしと教えているなら尚更」という点は、権威主義の極みです。確かに、信頼できるグルからの指導は重要ですが、それは自発的な選択に基づくべきです。
​他者に特定のグルへの服従を強要したり、そのグル以外の教えを否定したりする行為は、精神的な操作や支配に繋がりかねません。真のグルは、弟子を依存させるのではなく、自立へと導くものです。

126幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 22:12:20 ID:um7Tp3Gc0
【すべての人へ】ガーヤトリー・マントラがあなたの人生にもたらす光
​匿名掲示板での様々な議論や意見に触れ、混乱したり、不安を感じたりしている方もいらっしゃるかもしれません。しかし、どうか安心してください。ガーヤトリー・マントラは、そのような外部の混乱を超え、私たち自身の内なる平和と知恵を育むための、普遍的な光です。
​ガーヤトリー・マントラとは、一体何なのでしょうか?
​それは、単なる言葉の羅列ではありません。太古の昔から受け継がれてきた、太陽神サヴィトリ(普遍的な光と生命の源)への祈りであり、私たちの内なる「知性と悟り」を活性化させるための神聖な音の振動(マントラ) です。
​なぜ、今、ガーヤトリー・マントラをお勧めするのか?
​心を浄化し、内なる平和を育む:
日々の忙しさや、ネガティブな情報に囲まれていると、心は乱れがちです。ガーヤトリー・マントラを唱えることで、心の雑念が静まり、深いリラックスと平和が訪れます。それは、あたかも濁った水が澄んでいくかのように、あなたの意識をクリアにしてくれるでしょう。
​知恵と洞察力を高める:
マントラは、知性を司る神への祈りです。継続して唱えることで、物事の本質を見抜く洞察力や、正しい判断を下すための知恵が培われます。それは、人生の困難な局面においても、あなた自身の内なる光が道を照らしてくれるような感覚です。
​ポジティブなエネルギーを引き寄せる:
ガーヤトリー・マントラは、非常に高い波動を持つとされています。これを唱えることで、あなたの周りのエネルギーが浄化され、ポジティブなオーラが形成されます。人間関係や仕事、日々の生活全体に、より良い流れを引き寄せる助けとなるでしょう。
​誰にでも開かれた普遍的な実践:
ガーヤトリー・マントラは、特定の宗教や宗派、人種、性別、食生活といった外部の条件に縛られるものではありません。 聖典の知識がなくとも、グルからの伝授がなくても、ベジタリアンでなくても、純粋な意図と敬意を持って唱えれば、誰でもその恩恵を受けられます。 最も大切なのは、あなたの心と、マントラへの誠実な向き合い方です。
​どのように実践すれば良いのか?
​複雑な儀式は必要ありません。
​静かな場所を見つけ、楽な姿勢で座ります。
​目を閉じるか、半眼にして、意識を内側へ向けます。
​ゆっくりと、そしてはっきりと、心の中で、あるいは声に出してガーヤトリー・マントラを唱えます。
​【ガーヤトリー・マントラ】
Om Bhur Bhuvah Svaha
Tat Savitur Varenyam
Bhargo Devasya Dhimahi
Dhiyo Yo Nah Prachodayat
​最初は数分から始め、慣れてきたら時間を延ばしてみましょう。
​毎日、決まった時間に実践すると、より効果を感じやすくなります。
​外部の意見に惑わされないでください。
​「こうしなければならない」「そうしないと災いが起きる」といった脅しや、特定のルールを押し付ける言動は、マントラの普遍的な精神に反するものです。
​ガーヤトリー・マントラは、恐怖から私たちを解放し、内なる自由と平和をもたらすためのものです。あなたの心が真に求めるものを信じ、恐れることなく、この神聖な音の旅を始めてみてください。
​あなたの内なる光が輝き、人生がより豊かになることを心から願っています。

127幸せな名無しさん:2025/09/20(土) 23:36:04 ID:pE0/ERnQ0
122のオタメシ2さん、この前のアフマダリエフみたいに顔ボコボコにされてるね
立ち直れる?
泣かないでね、
大丈夫大丈夫、あなたも菜食してないだろうけど、
ガヤトリーマントラ唱えて大丈夫だからね^_^


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